坊つちやん

夏目漱石

     一

 (おや)(ゆづ)りの()(てつ)(ぱう)()(ども)(とき)から(そん)ばかりして()る。(せう)(がく)(かう)()()(ぶん)(がく)(かう)()(かい)から()()りて一(しう)(かん)(ほど)(こし)()かした(こと)がある。なぜそんな()(やみ)をしたと()(ひと)があるかも()れぬ。(べつ)(だん)(ふか)()(いう)でもない。(しん)(ちく)()(かい)から(くび)()して()たら、(どう)(きふ)(せい)一人(ひとり)(じよう)(だん)に、いくら()()つても、そこから()()りる(こと)()()まい。(よわ)(むし)やーい。と(はや)したからである。()使(づかひ)()ぶさつて(かへ)つて()(とき)、おやぢが(おほ)きな()をして()(かい)(ぐらゐ)から()()りて(こし)()かす(やつ)があるかと()つたから、(この)(つぎ)()かさずに()んで()せますと(こた)へた。

 (しん)(るゐ)のものから西(せい)(やう)(せい)のナイフを(もら)つて()(れい)()()(かざ)して、(とも)(だち)()せて()たら、一人(ひとり)(ひか)(こと)(ひか)るが()れさうもないと()つた。()れぬ(こと)があるか、(なん)でも()つて()せると()()つた。そんなら(きみ)(ゆび)()つて()ろと(ちゆう)(もん)したから、(なん)(ゆび)(ぐらゐ)(この)(とほ)りだと(みぎ)()(おや)(ゆび)(かふ)をはすに()()んだ。(さいはひ)ナイフが(ちひ)さいのと、(おや)(ゆび)(ほね)(かた)かつたので、(いま)だに(おや)(ゆび)()()いて()る。(しか)(きず)(あと)()(まで)()えぬ。

 (には)(ひがし)へ二十()()(つく)すと、(みなみ)()がりに(いさゝ)(ばか)りの(さい)(ゑん)があつて、(まん)(なか)(くり)()が一(ぽん)()つて()る。(これ)(いのち)より(だい)()(くり)だ。()(じゆく)する()(ぶん)()()けに()()()()ちた(やつ)(ひろ)つてきて、(がく)(かう)()ふ。(さい)(ゑん)西(にし)(がは)(やま)(しろ)()()(しち)()(には)(つゞ)きで、(この)(しち)()(かん)()(らう)といふ十三四の(せがれ)()た。(かん)()(らう)()(ろん)(よわ)(むし)である。(よわ)(むし)(くせ)()()(がき)()りこえて、(くり)(ぬす)みにくる。ある()(ゆふ)(がた)(をり)()(かげ)(かく)れて、とう/\(かん)()(らう)(つら)まへてやつた。(その)(とき)(かん)()(らう)()(みち)(うしな)つて、(いつ)(しやう)(けん)(めい)()びかゝつて()た。(むか)ふは(ふた)(ばか)(とし)(うへ)である。(よわ)(むし)だが(ちから)(つよ)い。(はち)(ひら)いた(あたま)を、こつちの(むね)()てゝぐい/\()した(ひやう)()に、(かん)()(らう)(あたま)がすべつて、おれの(あはせ)(そで)(なか)()()つた。(じや)()になつて()使(つか)へぬから、()(やみ)()()つたら、(そで)(なか)にある(かん)()(らう)(あたま)が、(みぎ)(ひだり)へぐら/\(なび)いた。()(まひ)(くる)しがつて(そで)(なか)から、おれの()(うで)()()いた。(いた)かつたから(かん)()(らう)(かき)()()しつけて()いて、(あし)(がら)をかけて(むかふ)(たふ)してやつた。(やま)(しろ)()()(めん)(さい)(ゑん)より六(しやく)がた(ひく)い。(かん)()(らう)()()(がき)(はん)(ぶん)(くづ)して、()(ぶん)(りやう)(ぶん)(まつ)(さか)(さま)()ちて、ぐうと()つた。(かん)()(らう)()ちるときに、おれの(あはせ)(かた)(そで)がもげて、(きふ)()()(いう)になつた。(その)(ばん)(はゝ)(やま)(しろ)()()びに()つた(つい)でに(あはせ)(かた)(そで)()(かへ)して()た。

 (この)(ほか)いたづらは(だい)()やつた。(だい)()(かね)(こう)(さかな)()(かく)をつれて、()(さく)(にん)(じん)(ばたけ)をあらした(こと)がある。(にん)(じん)()()(そろ)はぬ(ところ)(わら)(いち)(めん)()いてあつたから、(その)(うへ)で三(にん)(はん)(にち)相撲(すまふ)をとりつゞけに()つたら、(にん)(じん)がみんな()みつぶされて()()つた。(ふる)(かは)()つて()(たん)()()()()めて(しり)()()まれた(こと)もある。(ふと)(まう)(そう)(ふし)()いて、(ふか)()めた(なか)から(みづ)()()て、そこいらの(いね)(みづ)がかゝる()(かけ)であつた。(その)()(ぶん)はどんな()(かけ)()らぬから、(いし)(ぼう)ちぎれをぎう/\()()(なか)()()んで、(みづ)()なくなつたのを()(とゞ)けて、うちへ(かへ)つて(めし)()つて()たら、(ふる)(かは)(まつ)()になつて()()()んで()た。(たし)(ばつ)(きん)()して()んだ(やう)である。

 おやぢは(ちつ)ともおれを()(あい)がつて()れなかつた。(はゝ)(あに)(ばか)(ひい)()にして()た。(この)(あに)はやに(いろ)(しろ)くつて、(しば)()()()をして(をんな)(がた)になるのが()きだつた。おれを()(たび)にこいつはどうせ(ろく)なものにはならないと、おやぢが()つた。(らん)(ばう)(らん)(ばう)()(さき)(あん)じられると(はゝ)()つた。(なる)(ほど)(ろく)なものにはならない。()(らん)(とほ)りの()(まつ)である。()(さき)(あん)じられたのも()()はない。(たゞ)(ちよう)(えき)()かないで()きて()(ばか)りである。

 (はゝ)(びやう)()()()(さん)()(まへ)(だい)(どころ)(ちう)(がへ)りをしてへつついの(かど)(あばら)(ぼね)()つて(おほい)(いた)かつた。(はゝ)(たい)(そう)(おこ)つて、()(まへ)(やう)なものゝ(かほ)()たくないと()ふから、(しん)(るゐ)(とま)りに()つて()た。するととう/\()んだと()報知(しらせ)()た。さう(はや)()ぬとは(おも)はなかつた。そんな(たい)(びやう)なら、もう(すこ)大人(おとな)しくすればよかつたと(おも)つて(かへ)つて()た。さうしたら(れい)(あに)がおれを(おや)()(かう)だ、おれの()めに、おつかさんが(はや)()んだんだと()つた。()()しかつたから、(あに)(よこ)(つら)()つて(たい)(へん)(しか)られた。

 (はゝ)()んでからは、おやぢと(あに)と三(にん)(くら)して()た。おやぢは(なん)にもせぬ(をとこ)で、(ひと)(かほ)さへ()れば()(さま)()()だ/\と(くち)(ぐせ)(やう)()つて()た。(なに)()()なんだか(いま)(わか)らない。(めう)なおやぢが()つたもんだ。(あに)(じつ)(げふ)()になるとか()つて(しき)りに(えい)()(べん)(きやう)して()た。(ぐわん)(らい)(をんな)(やう)(しやう)(ぶん)で、ずるいから、(なか)がよくなかつた。(とを)()に一(ぺん)(ぐらゐ)(わり)(けん)(くわ)をして()た。ある(とき)(しやう)()をさしたら()(けふ)(まち)(ごま)をして、(ひと)(こま)ると(うれ)しさうに()やかした。あんまり(はら)()つたから、()()つた()(しや)()(けん)(たゝ)きつけてやつた。()(けん)()れて(せう)(/\)()()た。(あに)がおやぢに()()けた。おやぢがおれを(かん)(だう)すると()()した。

 (その)(とき)はもう()(かた)がないと(くわん)(ねん)して(せん)(ぱう)()(とほ)(かん)(だう)される(つも)りで()たら、十(ねん)(らい)()使(つか)つて()(きよ)()()(ぢよ)が、()きながらおやぢに(あや)まつて、(やうや)くおやぢの(いか)りが()けた。それにも(かゝは)らずあまりおやぢを(こは)いとは(おも)はなかつた。(かへ)つて(この)(きよ)()()(ぢよ)()(どく)であつた。(この)()(ぢよ)はもと(ゆゐ)(しよ)のあるものだつたさうだが、(ぐわ)(かい)のときに(れい)(らく)して、つい(ほう)(こう)(まで)する(やう)になつたのだと()いて()る。だから(ばあ)さんである。(この)(ばあ)さんがどう()(いん)(えん)か、おれを()(じやう)()(あい)がつて()れた。()()()なものである。(はゝ)()(みつ)()(まへ)(あい)()をつかした——おやぢも(ねん)(ぢゆう)()(あま)してゐる——(ちやう)(ない)では(らん)(ばう)(もの)(あく)()(らう)(つま)(はじ)きをする——(この)おれを()(やみ)(ちん)(ちよう)してくれた。おれは(たう)(てい)(ひと)()かれる(たち)でないとあきらめて()たから、()(にん)から()(はし)(やう)()(あつか)はれるのは(なん)とも(おも)はない、(かへ)つて(この)(きよ)(やう)にちやほやしてくれるのを()(しん)(かんが)へた。(きよ)(とき)(/″\)(だい)(どころ)(ひと)()ない(とき)に「あなたは()(すぐ)でよい()()(しやう)だ」と()める(こと)(とき)(/″\)あつた。(しか)しおれには(きよ)()()()()からなかつた。()()(しやう)なら(きよ)()(ぐわい)のものも、もう(すこ)()くしてくれるだらうと(おも)つた。(きよ)がこんな(こと)()(たび)におれは()()()(きらひ)だと(こた)へるのが(つね)であつた。すると(ばあ)さんは(それ)だから()()()(しやう)ですと()つては、(うれ)しさうにおれの(かほ)(なが)めて()る。()(ぶん)(ちから)でおれを(せい)(ざう)して(ほこ)つてる(やう)()える。(せう)(/\)()()がわるかつた。

 (はゝ)()んでから(きよ)(いよ/\)おれを()(あい)がつた。(とき)(/″\)()(ども)(ごゝろ)になぜあんなに()(あい)がるのかと()(しん)(おも)つた。つまらない、()せばいゝのにと(おも)つた。()(どく)だと(おも)つた。(それ)でも(きよ)()(あい)がる。(をり)(/\)()(ぶん)()(づかひ)(きん)(つば)(こう)(ばい)(やき)()つてくれる。(さむ)(よる)などはひそかに()()()()()れて()いて、いつの()にか()()(まくら)(もと)()()()()つて()てくれる。(とき)には(なべ)(やき)()(どん)さへ()つてくれた。(たゞ)()(もの)(ばか)りではない。(くつ)足袋(たび)ももらつた。(えん)(ぴつ)(もら)つた、(ちやう)(めん)(もら)つた。(これ)はずつと(あと)(こと)であるが(かね)を三(ゑん)(ばか)()してくれた(こと)さへある。(なに)()せと()つた(わけ)ではない。(むかふ)()()()つて()()()(づかひ)がなくて()(こま)りでせう、()使(つか)ひなさいと()つて()れたんだ。おれは()(ろん)()らないと()つたが、()()使(つか)へと()ふから、()りて()いた。(じつ)(たい)(へん)(うれ)しかつた。(その)(ゑん)()()(ぐち)()れて、(ふところ)()れたなり便(べん)(じよ)()つたら、すぽりと(こう)()(なか)(おと)して()()つた。()(かた)がないから、のそ/\()()(じつ)(これ)(/\)だと(きよ)(はな)した(ところ)が、(きよ)(さつ)(そく)(たけ)(ぼう)(さが)して()て、()つて()げますと()つた。しばらくすると()()(ばた)でざあ/\(おと)がするから、()()たら(たけ)(さき)()()(ぐち)(ひも)()()けたのを(みづ)(あら)つて()た。(それ)から(くち)をあけて(いち)(ゑん)(さつ)(あらた)めたら(ちや)(いろ)になつて()(やう)()えかゝつて()た。(きよ)()(ばち)(かわ)かして、(これ)でいゝでせうと()した。一寸(ちよつと)かいで()(くさ)いやと()つたら、それぢや()()しなさい、()()へて()()げますからと、どこでどう()()()したか(さつ)(かは)りに(ぎん)(くわ)を三(ゑん)()つて()た。(この)(ゑん)(なに)使(つか)つたか(わす)れて()()つた。(いま)(かへ)すよと()つたぎり、(かへ)さない。(いま)となつては十(ばい)にして(かへ)してやりたくても(かへ)せない。

 (きよ)(もの)()れる(とき)には(かなら)ずおやぢも(あに)()ない(とき)(かぎ)る。おれは(なに)(きらひ)だと()つて(ひと)(かく)れて()(ぶん)(だけ)(とく)をする(ほど)(きらひ)(こと)はない。(あに)とは()(ろん)(なか)がよくないけれども、(あに)(かく)して(きよ)から(くわ)()(いろ)(えん)(ぴつ)(もら)ひたくはない。なぜ、おれ一人(ひとり)()れて、(にい)さんには()らないのかと(きよ)()(こと)がある。すると(きよ)(すま)したもので()(あにい)(さま)()(とう)(さま)()つて()()げなさるから(かま)ひませんと()ふ。(これ)()(こう)(へい)である。おやぢは(ぐわん)()だけれども、そんな()()(ひい)()はせぬ(をとこ)だ。(しか)(きよ)()から()るとさう()えるのだらう。(まつた)(あい)(おぼ)れて()たに(ちがひ)ない。(もと)()(ぶん)のあるものでも(けう)(いく)のない(ばあ)さんだから()(かた)がない。(たん)(これ)(ばか)りではない。(ひい)()()(おそ)ろしいものだ。(きよ)はおれを(もつ)(しやう)(らい)(りつ)(しん)(しゆつ)()して(りつ)()なものになると(おも)()んで()た。(その)(くせ)(べん)(きやう)をする(あに)(いろ)(ばか)(しろ)くつて、(とて)(やく)には()たないと一人(ひとり)できめて()()つた。こんな(ばあ)さんに()つては(かな)はない。()(ぶん)()きなものは(かなら)ずえらい(じん)(ぶつ)になつて、(きらひ)なひとは(きつ)()()()れるものと(しん)じて()る。おれは(その)(とき)から(べつ)(だん)(なに)になると()(れう)(けん)もなかつた。(しか)(きよ)がなる/\と()ふものだから、()()(なに)かに()れるんだらうと(おも)つて()た。(いま)から(かんが)へると()鹿()々々(/\)しい。ある(とき)(など)(きよ)にどんなものになるだらうと()いて()(こと)がある。(ところ)(きよ)にも(べつ)(だん)(かんがへ)もなかつた(やう)だ。(たゞ)()(ぐるま)()つて、(りつ)()(げん)(くわん)のある(いへ)をこしらへるに(さう)()ないと()つた。

 (それ)から(きよ)はおれがうちでも()つて(どく)(りつ)したら、(いつ)(しよ)になる()()た。どうか()いて(くだ)さいと(なん)(べん)()(かへ)して(たの)んだ。おれも(なん)だかうちが()てる(やう)()がして、うん()いてやると(へん)()(だけ)はして()いた。(ところ)(この)(をんな)(なか)(/\)(さう)(ざう)(つよ)(をんな)で、あなたはどこが()()き、(かうぢ)(まち)ですか(あざ)()ですか、()(には)へぶらんこを()こしらへ(あそ)ばせ、西(せい)(やう)()(ひと)つで(たく)(さん)です(など)(かつ)()(けい)(くわく)(ひと)りで(なら)べて()た。(その)(とき)(いへ)なんか()しくも(なん)ともなかつた。西(せい)(やう)(くわん)()(ほん)(だて)(まつた)()(よう)であつたから、そんなものは()しくないと、いつでも(きよ)(こた)へた。すると、あなたは(よく)がすくなくつて、(こゝろ)()(れい)だと()つて(また)()めた。(きよ)(なん)()つても()めてくれる。

 (はゝ)()んでから五六(ねん)(あひだ)(この)(じやう)(たい)(くら)して()た。おやぢには(しか)られる。(あに)とは(けん)(くわ)をする。(きよ)には(くわ)()(もら)ふ、(とき)(/″\)()められる。(べつ)(のぞみ)もない、(これ)(たく)(さん)だと(おも)つて()た。ほかの()(ども)(いち)(がい)にこんなものだらうと(おも)つて()た。(たゞ)(きよ)(なに)かにつけて、あなたは()可哀(かはい)(さう)だ、()()(あはせ)だと()(やみ)()ふものだから、それぢや可哀(かはい)(さう)()()(あは)せなんだらうと(おも)つた。(その)(ほか)()になる(こと)(すこ)しもなかつた。(たゞ)おやぢが()(づかひ)いを()れないには(へい)(こう)した。

 (はゝ)()んでから六(ねん)()(しやう)(ぐわつ)におやぢも(そつ)(ちゆう)()くなつた。(その)(とし)の四(ぐわつ)におれはある()(りつ)(ちゆう)(がく)(かう)(そつ)(げふ)する。六(ぐわつ)(あに)(しやう)(げふ)(がく)(かう)(そつ)(げふ)した。(あに)(なん)とか(くわい)(しや)(きう)(しう)()(てん)(くち)があつて()かなければならん。おれは(とう)(きやう)でまだ(がく)(もん)をしなければならない。(あに)(いへ)()つて(ざい)(さん)(かた)()けて(にん)()(しゆつ)(たつ)すると()()した。おれはどうでもするが()からうと(へん)()をした。どうせ(あに)(やく)(かい)になる()はない。()()をしてくれるにした(ところ)で、(けん)(くわ)をするから、(むかふ)でも(なん)とか()()すに(きま)つて()る。なまじい()()()ければこそ、こんな(あに)(あたま)()げなければならない。(ぎう)(にゆう)(はい)(たつ)をしても()つてられると(かく)()をした。(あに)(それ)から(だう)()()()んで()て、(せん)()(だい)(/\)()(らく)()()(そく)(さん)(もん)()つた。(いへ)()(しき)はある(ひと)(しう)(せん)である(きん)滿(まん)()(ゆづ)つた。(この)(はう)(だい)()(かね)になつた(やう)だが、(くは)しい(こと)(いつ)(かう)()らぬ。おれは一ケ(げつ)()(ぜん)から、しばらく(ぜん)()(はう)(かう)のつく(まで)(かん)()()(がは)(まち)()宿(しゆく)して()た。(きよ)は十(なん)(ねん)()たうちが(ひと)()(わた)るのを(おほい)(ざん)(ねん)がつたが、()(ぶん)のものでないから、()(やう)がなかつた。あなたがもう(すこ)(とし)をとつて()らつしやれば、こゝが()(さう)(ぞく)()()ますものをとしきりに()()いて()た。もう(すこ)(とし)をとつて(さう)(ぞく)()()るものなら、(いま)でも(さう)(ぞく)()()(はず)だ。(ばあ)さんは(なんに)()らないから(とし)さへ()れば(あに)(いへ)がもらへると(しん)じて()る。

 (あに)とおれは()(やう)(わか)れたが、(こま)つたのは(きよ)()(さき)である。(あに)()(ろん)()れて()ける()(ぶん)でなし、(きよ)(あに)(しり)にくつ()いて(きう)(しう)(くんだ)(まで)()()ける()(まう)(とう)なし、と()つて(この)(とき)のおれは()(でふ)(はん)(やす)()宿(しゆく)(こも)つて、(それ)すらもいざとなれば(たゞ)ちに()(はら)はねばならぬ()(まつ)だ。どうする(こと)()()ん。(きよ)()いて()た。どこかへ(ほう)(こう)でもする()かねと()つたらあなたが()うちを()つて、(おく)さまを()(もら)ひになる(まで)は、()(かた)がないから、(をひ)(やく)(かい)になりませうと(やうや)(けつ)(しん)した(へん)()をした。(この)(をひ)(さい)(ばん)(しよ)(しよ)()()(こん)(にち)には(さし)(つかへ)なく(くら)して()たから、(いま)(まで)(きよ)()るなら()いと二三()(すゝ)めたのだが、(きよ)假令(たとひ)()(ぢよ)(ぼう)(こう)はしても(ねん)(らい)()()れた(うち)(はう)がいゝと()つて(おう)じなかつた。(しか)(いま)()(あひ)()らぬ()(しき)(ほう)(こう)(がへ)をして()らぬ()(がね)()(なほ)すより、(をひ)(やく)(かい)になる(はう)がましだと(おも)つたのだらう。(それ)にしても(はや)くうちを()ての、(さい)(もら)への、()()()をするのと()ふ。(しん)()(をひ)よりも()(にん)のおれの(はう)()きなのだらう。

 (きう)(しう)()(ふつ)()(まへ)(あに)()宿(しゆく)()(かね)を六百(ゑん)()して(これ)()(ほん)にして(しやう)(ばい)をするなり、(がく)()にして(べん)(きやう)をするなり、どうでも(ずゐ)()使(つか)ふがいゝ、(その)(かは)りあとは(かま)はないと()つた。(あに)にしては(かん)(しん)なやり(かた)だ、(なん)の六百(ゑん)(ぐらゐ)(もら)はんでも(こま)りはせんと(おも)つたが、(れい)()(たん)(ぱく)(しよ)()()()つたから、(れい)()つて(もら)つて()いた。(あに)(それ)から五十(ゑん)()して(これ)(ついで)(きよ)(わた)してくれと()つたから、()()なく()()けた。(ふつ)()()つて(しん)(ばし)(てい)(しや)()(わか)れたぎり(あに)には(その)()(ぺん)()はない。

 おれは六百(ゑん)使()(よう)(はふ)(つい)()ながら(かんが)へた。(しやう)(ばい)をしたつて(めん)(だう)くさくつて(うま)()()るものぢやなし、ことに六百(ゑん)(かね)(しやう)(ばい)らしい(しやう)(ばい)がやれる(わけ)でもなからう。よしやれるとしても、(いま)(やう)ぢや(ひと)(まへ)()(けう)(いく)()けたと()()れないから(つま)(そん)になる(ばか)りだ。()(ほん)(など)はどうでもいゝから、これを(がく)()にして(べん)(きやう)してやらう。六百(ゑん)を三に()つて一(ねん)に二百(ゑん)(づゝ)使(つか)へば三(ねん)(かん)(べん)(きやう)()()る。三(ねん)(かん)(いつ)(しやう)(けん)(めい)にやれば(なに)()()る。(それ)からどこの(がく)(かう)へは()()らうと(かんが)へたが、(がく)(もん)(しやう)(らい)どれもこれも()きでない。ことに()(がく)とか(ぶん)(がく)とか()ふものは(まつ)(ぴら)()(めん)だ。(しん)(たい)()などゝ()ては二十(ぎやう)あるうちで一(ぎやう)(わか)らない。どうせ(きらひ)なものなら(なに)をやつても(おな)(こと)だと(おも)つたが、(さいは)(ぶつ)()(がく)(かう)(まへ)(とほ)(かゝ)つたら(せい)()()(しふ)(くわう)(こく)()()たから、(なに)(えん)だと(おも)つて()(そく)(しよ)をもらつてすぐ(にふ)(がく)()(つゞき)をして()()つた。(いま)(かんが)へると(これ)(おや)(ゆづ)りの()(てつ)(ぱう)から(おこ)つた(しつ)(さく)だ。

 三(ねん)(かん)まあ(ひと)(なみ)(べん)(きやう)はしたが(べつ)(だん)たちのいゝ(はう)でもないから、(せき)(じゆん)はいつでも(した)から(かん)(ぢやう)する(はう)便(べん)()であつた。(しか)()()()なもので、三(ねん)()つたらとう/\(そつ)(げふ)して()()つた。()(ぶん)でも可笑(をか)しいと(おも)つたが()(じやう)()(わけ)もないから大人(おとな)しく(そつ)(げふ)して()いた。

 (そつ)(げふ)してから(やう)()()(かう)(ちやう)()びに()たから、(なに)(よう)だらうと(おも)つて、()()けて()つたら、()(こく)(へん)のある(ちゆう)(がく)(かう)(すう)(がく)(けう)()()る。(げつ)(きふ)は四十(ゑん)だが、()つてはどうだと()(さう)(だん)である。おれは三(ねん)(かん)(がく)(もん)はしたが(じつ)()ふと(けう)()になる()も、田舍(ゐなか)()(かんが)へも(なに)もなかつた。(もつと)(けう)()()(ぐわい)(なに)をしやうと()ふあてもなかつたから、(この)(さう)(だん)()けた(とき)()きませうと(そく)(せき)(へん)()をした。(これ)(おや)(ゆづ)りの()(てつ)(ぱう)(たゝ)つたのである。

 ()()けた()(じやう)()(にん)せねばならぬ。(この)(ねん)(かん)()(でふ)(はん)(ちつ)(きよ)して()(ごと)(たゞ)の一()()いた(こと)がない。(けん)(くわ)もせずに()んだ。おれの(しやう)(がい)のうちでは()(かく)(てき)(のん)()()(せつ)であつた。(しか)しかうなると()(でふ)(はん)()(はら)はなければならん。(うま)れてから(とう)(きやう)()(ぐわい)()()したのは、(どう)(きふ)(せい)(いつ)(しよ)(かま)(くら)(ゑん)(そく)した(とき)(ばか)りである。(こん)()(かま)(くら)(どころ)ではない。(たい)(へん)(とほ)くへ()かねばならぬ。()()()ると(かい)(ひん)(はり)(さき)(ほど)(ちひ)さく()える。どうせ(ろく)(ところ)ではあるまい。どんな(まち)で、どんな(ひと)()んでるか(わか)らん。(わか)らんでも(こま)らない。(しん)(ぱい)にはならぬ。(たゞ)()(ばかり)である。(もつと)(せう)(/\)(めん)(だう)(くさ)い。

 (いへ)(たゝ)んでからも(きよ)(ところ)へは(をり)(/\)()つた。(きよ)(をひ)()ふのは(ぞん)(ぐわい)(けつ)(こう)(ひと)である。おれが()くたびに、()りさへすれば、(なに)くれと款待(もて)なして()れた。(きよ)はおれを(まへ)()いて、(いろ)(/\)おれの()(まん)(をひ)()かせた。(いま)(がく)(かう)(そつ)(げふ)すると(かうぢ)(まち)(へん)()(しき)()つて(やく)(しよ)(かよ)ふのだ(など)(ふい)(ちやう)した(こと)もある。(ひと)りで()めて一人(ひとり)喋舌(しやべ)るから、こつちは()まつて(かほ)(あか)くした。(それ)も一()や二()ではない。(をり)(/\)おれが(ちひ)さい(とき)()(せう)便(べん)をした(こと)(まで)()()すには(へい)(こう)した。(をひ)(なん)(おも)つて(きよ)()(まん)()いて()たか(わか)らぬ。(たゞ)(きよ)(むかし)(ふう)(をんな)だから、()(ぶん)とおれの(くわん)(けい)(ほう)(けん)()(だい)(しゆう)(じゆう)(やう)(かんが)へて()た。()(ぶん)(しゆ)(じん)なら(をひ)(ため)にも(しゆ)(じん)(さう)()ないと()(てん)したものらしい。(をひ)こそいゝ(つら)(かは)だ。

 (いよ/\)(やく)(そく)()まつて、もう()つと()(みつ)()(まへ)(きよ)(たづ)ねたら、(きた)()きの三(でふ)風邪(かぜ)()いて()()た。おれの()たのを()()(なほ)るが(はや)いか、()つちやん何時(いつ)(うち)()()ちなさいますと()いた。(そつ)(げふ)さへすれば(かね)()(ぜん)とポツケツトの(なか)()いて()ると(おも)つて()る。そんなにえらい(ひと)をつらまえて、まだ()つちやんと()ぶのは(いよ/\)()鹿()()()る。おれは(たん)(かん)(たう)(ぶん)うちは()たない。田舍(ゐなか)()くんだと()つたら、()(じやう)(しつ)(ばう)した(よう)()で、()()(しほ)(びん)(みだ)れを(しき)りに()でた。(あま)()(どく)だから「()(こと)()くがぢき(かへ)る。(らい)(ねん)(なつ)(やすみ)には(きつ)()(かへ)る」と(なぐさ)めてやつた。(それ)でも(めう)(かほ)をして()るから「(なに)()やげに()つて()てやらう、(なに)()しい」と()いて()たら「(ゑち)()(さゝ)(あめ)()べたい」と()つた。(ゑち)()(さゝ)(あめ)なんて()いた(こと)もない。(だい)(はう)(がく)(ちが)ふ。「おれの()田舍(ゐなか)には(さゝ)(あめ)はなさゝうだ」と()つて()かしたら「そんなら、どつちの(けん)(たう)です」と()(かへ)した。「西(にし)(はう)だよ」と()ふと「(はこ)()のさきですか()(まへ)ですか」と()ふ。(ずゐ)(ぶん)()てあました。

 (しゆつ)(たつ)()には(あさ)から()て、(いろ)(/\)()()をやいた。()()(ちゆう)()()(もの)()()つて()()(みがき)(やう)()()(ぬぐひ)をズツクの革鞄(かばん)()れて()れた。そんな(もの)()らないと()つても(なか)(/\)(しよう)()しない。(くるま)(なら)べて(てい)(しや)()()いて、プラツトフォームの(うへ)()(とき)(くるま)()()んだおれの(かほ)(ぢつ)()て「もう()(わか)れになるかも()れません。(ずゐ)(ぶん)()()(げん)やう」と(ちひ)さな(こゑ)()つた。()(なみだ)(いつ)(ぱい)たまつて()る。おれは()かなかつた。(しか)しもう(すこ)しで()(ところ)であつた。()(しや)()(ぽど)(うご)()してから、もう(だい)(ぢやう)()だらうと(おも)つて、(まど)から(くび)()して、()()いたら、()()()つて()た。(なん)だか(たい)(へん)(ちひ)さく()えた。

     二

 ぶうと()つて()(せん)がとまると、(はしけ)(きし)(はな)れて、()()せて()た。(せん)(どう)()(ぱだか)(あか)ふんどしをしめてゐる。()(ばん)(ところ)だ。(もつと)(この)(あつ)さでは()(もの)はきられまい。()(つよ)いので(みづ)がやに(ひか)る。()()めて()ても()がくらむ。()()(ゐん)()いて()るとおれは此所(こゝ)()りるのださうだ。()(ところ)では(おほ)(もり)(ぐらゐ)(ぎよ)(そん)だ。(ひと)()鹿()にしてゐらあ、こんな(ところ)()(まん)()()るものかと(おも)つたが()(かた)がない。()(せい)よく一(ばん)()()んだ。()づいて五六(にん)()つたらう。(ほか)(おほ)きな(はこ)(よつ)(ばかり)()()んで(あか)ふんは(きし)()(もど)して()た。(をか)()いた(とき)も、いの一(ばん)()()がつて、いきなり、(いそ)()つて()(はな)たれ()(ぞう)をつらまへて(ちゆう)(がく)(かう)はどこだと()いた。()(ぞう)(ぼん)やりして、()らんがの、と()つた。()()かぬ田舍(ゐなか)ものだ。(ねこ)(ひたひ)(ほど)(ちやう)(ない)(くせ)に、(ちゆう)(がく)(かう)のありかも()らぬ(やつ)があるものか。(ところ)(めう)(つゝ)つぽうを()(をとこ)がきて、こつちへ()いと()ふから、()いて()つたら、(みなと)()とか()宿(やど)()()れて()た。やな(をんな)(こゑ)(そろ)へて()()がりなさいと()ふので、()がるのがいやになつた。(かど)(ぐち)()つたなり(ちゆう)(がく)(かう)(をし)へろと()つたら、(ちゆう)(がく)(かう)(これ)から()(しや)で二()(ばか)()かなくつちやいけないと()いて、(なほ)()がるのがいやになつた。おれは、(つゝ)つぽうを()(をとこ)から、おれの革鞄(かばん)(ふた)()きたくつて、のそ/\あるき()した。宿(やど)()のものは(へん)(かほ)をして()た。

 (てい)(しや)()はすぐ()れた。(きつ)()(わけ)なく()つた。()()んで()るとマツチ(ばこ)(やう)()(しや)だ。ごろ/\と五(ふん)(ばか)(うご)いたと(おも)つたら、もう()りなければならない。(だう)()(きつ)()(やす)いと(おも)つた。たつた三(せん)である。(それ)から(くるま)(やと)つて、(ちゆう)(がく)(かう)()たら、もう(はう)(くわ)()(だれ)()ない。宿(しゆく)(ちよく)一寸(ちよつと)(よう)(たし)()たと()使(づかひ)(をし)へた。(ずゐ)(ぶん)()(らく)宿(しゆく)(ちよく)がゐるものだ。(かう)(ちやう)でも(たづ)(やう)かと(おも)つたが、草臥(くたび)れたから、(くるま)()つて宿(やど)()()れて()けと(しや)()()()けた。(しや)()()(せい)よく(やま)(しろ)()()ふうちへ(よこ)(づけ)けにした。(やま)(しろ)()とは(しち)()(かん)()(らう)()(がう)(おな)じだから一寸(ちよつと)(おも)(しろ)(おも)つた。

 (なん)だか()(かい)(はし)()(だん)(した)(くら)()()(あん)(ない)した。(あつ)くつて()られやしない。こんな()()はいやだと()つたら(あい)(にく)みんな(ふさ)がつて()りますからと()ひながら革鞄(かばん)(はふ)()した(まゝ)()()つた。()(かた)がないから()()(なか)()()つて(あせ)をかいて()(まん)して()た。やがて()(はひ)れと()ふから、ざぶりと()()んで、すぐ()がつた。(かへ)りがけに(のぞ)いて()ると(すゞ)しさうな()()(たく)(さん)()いてゐる。(しつ)(けい)(やつ)だ。(うそ)をつきやあがつた。それから()(ぢよ)(ぜん)()つて()た。()()()つかつたが、(めし)()宿(しゆく)のよりも(だい)()(うま)かつた。(きふ)()をしながら()(ぢよ)がどちらから()(いで)になりましたと()くから、(とう)(きやう)から()たと(こた)へた。すると(とう)(きやう)はよい(ところ)()()いませうと()つたから(あた)(まへ)だと(こた)へてやつた。(ぜん)()げた()(ぢよ)(だい)(どころ)()つた()(ぶん)(おほ)きな(わら)(ごゑ)(きこ)えた。くだらないから、すぐ()たが、(なか)(/\)()られない。(あつ)(ばか)りではない。(さう)(/″\)しい。()宿(しゆく)の五(ばい)(ぐらゐ)()(かま)しい。うと/\したら(きよ)(ゆめ)()た。(きよ)(ゑち)()(さゝ)(あめ)(さゝ)ぐるみ、むしや/\()つて()る。(さゝ)(どく)だから、よしたらよからうと()ふと、いえ(この)(さゝ)()(くすり)()()いますと()つて(うま)さうに()つて()る。おれがあきれ(かへ)つて(おほ)きな(くち)()いてハヽヽヽと(わら)つたら()()めた。()(ぢよ)(あま)()()けてゐる。(あひ)(かは)らず(そら)(そこ)()()けた(やう)(てん)()だ。

 (だう)(ちゆう)をしたら(ちや)(だい)をやるものだと()いて()た。(ちや)(だい)をやらないと()(まつ)()(あつか)はれると()いて()た。こんな、(せま)くて(くら)()()()()めるのも(ちや)(だい)をやらない所爲(せゐ)だらう。()すぼらしい服裝(なり)をして、ズツクの革鞄(かばん)()(じゆ)()蝙蝠傘(かうもり)()げてるからだらう。田舍(ゐなか)(もの)(くせ)(ひと)()(くび)つたな。(いち)(ばん)(ちや)(だい)をやつて(おどろ)かしてやらう。おれは(これ)でも(がく)()(あま)りを三十(ゑん)(ほど)(ふところ)()れて(とう)(きやう)()()たのだ。()(しや)()(せん)(きつ)()(だい)(ざつ)()()()いて、まだ(じふ)()(ゑん)(ほど)ある。みんなやつたつて(これ)からは(げつ)(きふ)(もら)ふんだから(かま)はない。田舍(ゐなか)(もの)はしみつたれだから五(ゑん)もやれば(おど)ろいて()(まは)すに(きま)つて()る。どうするか()ろと(すま)して(かほ)(あら)つて、()()(かへ)つて()つてると、(ゆう)べの()(ぢよ)(ぜん)()つて()た。(ぼん)()つて(きふ)()をしながら、やににや/\(わら)つてる。(しつ)(けい)(やつ)だ。(かほ)のなかを()(まつ)りでも(とほ)りやしまいし。(これ)でも(この)()(ぢよ)(つら)より()(ぽど)(じやう)(とう)だ。(めし)()ましてからにしやうと(おも)つて()たが、(しやく)(さは)つたから、(ちゆう)()で五(ゑん)(さつ)を一(まい)()して、あとで(これ)(ちやう)()()つて()けと()つたら、()(ぢよ)(へん)(かほ)をして()た。(それ)から(めし)()ましてすぐ(がく)(かう)()()けた。(くつ)(みが)いてなかつた。

 (がく)(かう)昨日(きのふ)(くるま)()りつけたから、(たい)(がい)(けん)(たう)(わか)つて()る。()(かど)を二三()()がつたらすぐ(もん)(まへ)()た。(もん)から(げん)(くわん)(まで)()(かげ)(いし)()きつめてある。きのふ(この)(しき)(いし)(うへ)(くるま)でがら/\と(とほ)つた(とき)は、()(やみ)(ぎやう)(さん)(おと)がするので(すこ)(よわ)つた。()(ちゆう)から()(くら)(せい)(ふく)()(せい)()(たく)(さん)()つたが、みんな(この)(もん)()()つて()く。(なか)にはおれより(せい)(たか)くつて(つよ)さうなのが()る。あんな(やつ)(をし)へるのかと(おも)つたら(なん)だか()()()るくなつた。(めい)()()したら(かう)(ちやう)(しつ)(とほ)した。(かう)(ちやう)(うす)(ひげ)のある、(いろ)(くろ)い、()(おほ)きな(たぬき)(やう)(をとこ)である。やに(もつ)(たい)ぶつて()た。まあ(せい)()して(べん)(きやう)してくれと()つて、(うや/\)しく(おほ)きな(いん)(おさ)つた、()(れい)(わた)した。(この)()(れい)(とう)(きやう)(かへ)るとき(まる)めて(うみ)(なか)(はふ)()んで()()つた。(かう)(ちやう)(いま)(しよく)(ゐん)(せう)(かい)してやるから、(いち)(/\)(その)(ひと)(この)()(れい)()せるんだと()つて()かした。()(けい)()(すう)だ。そんな(めん)(だう)(こと)をするより(この)()(れい)(みつ)()(かん)(けう)(ゐん)(しつ)()()ける(はう)がましだ。

 (けう)(ゐん)(ひかへ)(じよ)(そろ)ふには一()(かん)()(らつ)()()らなくてはならぬ。(だい)()()(かん)がある。(かう)(ちやう)()(けい)()して()て、(おひ)(/\)ゆるりと(はな)(つもり)だが、()(だい)(たい)(こと)()()んで()いて(もら)はうと()つて、(それ)から(けう)(いく)(せい)(しん)について(なが)()(だん)()()かした。おれは()(ろん)いゝ()(げん)()いて()たが、()(ちゆう)から(これ)()んだ(ところ)()たと(おも)つた。(かう)(ちやう)()(やう)にはとても()()ない。おれ()(やう)()(てつ)(ぱう)なものをつらまへて、(せい)()()(はん)になれの、(いつ)(かう)()(へう)(あふ)がれなくては()かんの、(がく)(もん)()(ぐわい)()(じん)(とく)(くわ)(およ)ぼさなくては(けう)(いく)(しや)になれないの、と()(やみ)(はふ)(ぐわい)(ちゆう)(もん)をする。そんなえらい(ひと)(げつ)(きふ)四十(ゑん)(はる)(/″\)こんな田舍(ゐなか)へくるもんか。(にん)(げん)(たい)(がい)()たもんだ。(はら)()てば(けん)(くわ)(ひと)(ぐらゐ)(だれ)でもするだらうと(おも)つてたが、(この)(やう)()ぢや(めつ)()(くち)()けない、(さん)()()()ない。そんな()づかしい(やく)なら(やと)(まへ)にこれ/\だと(はな)すがいゝ。おれは(うそ)をつくのが(きらひ)だから、()(かた)がない、だまされて()たのだとあきらめて、(おも)()りよく、こゝで(こと)はつて(かへ)つちまはうと(おも)つた。宿(やど)()へ五(ゑん)やつたから(さい)()(なか)には九(ゑん)なにがししかない。九(ゑん)ぢや(とう)(きやう)(まで)(かへ)れない。(ちや)(だい)なんかやらなければよかつた。()しい(こと)をした。(しか)し九(ゑん)だつて、どうかならない(こと)はない。(りよ)()()りなくつても(うそ)をつくよりましだと(おも)つて、(たう)(てい)あなたの(おつし)やる(とほ)りにや、()()ません、(この)()(れい)(かへ)しますと()つたら、(かう)(ちやう)(たぬき)(やう)()をぱちつかせておれの(かほ)()()た。やがて、(いま)のは(たゞ)()(ばう)である、あなたが()(ばう)(どほ)()()ないのはよく()つて()るから(しん)(ぱい)しなくつてもいゝと()ひながら(わら)つた。その(くらゐ)よく()つてるなら、(はじ)めから威嚇(おどか)さなければいゝのに。

 さう、かうする(うち)(らつ)()()つた。(けう)(ぢやう)(はう)(きふ)にがや/\する。もう(けう)(ゐん)(ひかへ)(じよ)(そろ)ひましたらうと()ふから、(かう)(ちやう)()いて(けう)(ゐん)(ひかへ)(じよ)()()つた。(ひろ)(ほそ)(なが)()()(しう)()(つくゑ)(なら)べてみんな(こし)をかけて()る。おれが()()つたのを()て、みんな(まを)(あは)せた(やう)におれの(かほ)()た。()()(もの)ぢやあるまいし。(それ)から(まを)()けられた(とほ)一人(ひとり)々々(/″\)(まへ)()つて()(れい)()して(あい)(さつ)をした。(たい)(がい)()()(はな)れて(こし)をかゞめる(ばか)りであつたが、(ねん)()つたのは()()した()(れい)()()つて(いち)(おう)(はい)(けん)をして(それ)(うや/\)しく(へん)(きやく)した。(まる)(みや)(しば)()()()だ。十五(にん)()(たい)(さう)(けう)()へと(まは)つて()(とき)には、(おな)(こと)(なん)(べん)もやるので(せう)(/\)ぢれつたくなつた。(むかふ)は一()()む、こつちは(おな)(しよ)()を十五(へん)()(かへ)して()る。(すこ)しはひとの(れう)(けん)(さつ)して()るがいゝ。

 (あい)(さつ)をしたうちに(けう)(とう)のなにがしと()ふのが()た。(これ)(ぶん)(がく)()ださうだ。(ぶん)(がく)()()へば(だい)(がく)(そつ)(げふ)(せい)だからえらい(ひと)なんだらう。(めう)(をんな)(やう)(やさ)しい(こゑ)()(ひと)だつた。(もつと)(おどろ)いたのは(この)(あつ)いのにフランネルの襯衣(しやつ)()()る。いくらか(うす)()には(さう)()なくつても(あつ)いには(きま)つてる。(ぶん)(がく)()(だけ)()()(らう)(せん)(ばん)服裝(なり)をしたもんだ。しかも(それ)(あか)シヤツだから(ひと)()鹿()にしてゐる。あとから()いたら(この)(をとこ)(ねん)(ねん)(ぢゆう)(あか)シヤツを()るんださうだ。(めう)(びやう)()があつた(もの)だ。(たう)(にん)(せつ)(めい)では(あか)身體(からだ)(くすり)になるから、(ゑい)(せい)()めにわざ/\(あつ)らへるんださうだが、()らざる(しん)(ぱい)だ。そんなら(ついで)()(もの)(はかま)(あか)にすればいゝ。(それ)から(えい)()(けう)()()()とか()(たい)(へん)(かほ)(いろ)()るい(をとこ)()た。(たい)(がい)(かほ)(あを)(ひと)()せてるもんだが(この)(をとこ)(あを)くふくれて()る。(むか)(せう)(がく)(かう)()()(ぶん)(あさ)()(たみ)さんと()()(どう)(きふ)(せい)にあつたが、(この)(あさ)()のおやぢが()()り、こんな(いろ)つやだつた。(あさ)()(ひやく)(しやう)だから、(ひやく)(しやう)になるとあんな(かほ)になるかと(きよ)()いて()たら、さうぢやありません、あの(ひと)はうらなりの(たう)()()(ばか)()べるから、(あを)くふくれるんですと(をし)へて()れた。それ()(らい)(あを)くふくれた(ひと)()れば(かなら)ずうらなりの(たう)()()()つた(むくい)だと(おも)ふ。()(えい)()(けう)()もうらなり(ばか)()つてるに(ちがひ)ない。(もつと)もうらなりとは(なん)(こと)(いま)(もつ)()らない。(きよ)()いて()(こと)はあるが、(きよ)(わら)つて(こた)へなかつた。(おほ)(かた)(きよ)()らないんだらう。(それ)からおれと(おな)(すう)(がく)(けう)()(ほつ)()()ふのが()た。(これ)(たくま)しい(いが)(ぐり)(ばう)()で、(えい)(ざん)(あく)(そう)()ふべき(つら)(がまへ)である。(ひと)(てい)(ねい)()(れい)()せたら()()きもせず、やあ(きみ)(しん)(にん)(ひと)か、()(あそ)びに()(たま)へアハヽヽと()つた。(なに)がアハヽヽだ。そんな(れい)()(こゝろ)()(やつ)(ところ)(だれ)(あそ)びに()くものか。おれは(この)(とき)から(この)(ばう)()(やま)(あらし)()(あだ)()をつけてやつた。(かん)(がく)(せん)(せい)流石(さすが)(かた)いものだ。(さく)(じつ)()(つき)で、(さぞ)()(つか)れで、(それ)でもう(じゆ)(げふ)()(はじ)めで、(だい)()()(れい)(せい)で、——とのべつに(べん)じたのは(あい)(けう)のある()(ぢい)さんだ。(ぐわ)(がく)(けう)()(まつた)(げい)(にん)(ふう)だ。べら/\した(すき)()()(おり)()て、(せん)()をぱちつかせて、()(くに)はどちらでげす、え? (とう)(きやう)? ()りや(うれ)しい、()(なか)()()()て……(わたし)もこれで()()()ですと()つた。こんなのが()()()なら()()には(うま)れたくないもんだと(しん)(ちゆう)(かんが)へた。(その)ほか一人(ひとり)々々(/″\)(つい)てこんな(こと)()けばいくらでもある。(しか)(さい)(げん)がないからやめる。

 (あい)(さつ)(ひと)(とほ)()んだら、(かう)(ちやう)今日(けふ)はもう()()つてもいゝ、(もつと)(じゆ)(げふ)(じやう)(こと)(すう)(がく)(しゆ)(にん)()(あは)せをして()いて、(みやう)()(にち)から(くわ)(げふ)(はじ)めてくれと()つた。(すう)(がく)(しゆ)(にん)(だれ)かと()いて()たら(れい)(やま)(あらし)であつた。(いま)(/\)しい、こいつの(した)(はたら)くのかおや/\と(しつ)(ばう)した。(やま)(あらし)は「おい(きみ)どこに宿(とま)つてるか、(やま)(しろ)()か、うん、(いま)()つて(さう)(だん)する」と()(のこ)して(はく)(ぼく)()つて(けう)(ぢやう)()()つた。(しゆ)(にん)(くせ)(むかふ)から()(さう)(だん)するなんて()(けん)(しき)(をとこ)だ。(しか)()()けるよりは(かん)(しん)だ。

 (それ)から(がく)(かう)(もん)()て、すぐ宿(やど)(かへ)らうと(おも)つたが、(かへ)つたつて()(かた)がないから、(すこ)(まち)(さん)()してやらうと(おも)つて、()(やみ)(あし)()(はう)をあるき()らした。(けん)(ちやう)()た。(ふる)(ぜん)(せい)()(けん)(ちく)である。(へい)(えい)()た。(あざ)()(れん)(たい)より(りつ)()でない。(おほ)(どほ)りも()た。神樂(かぐら)(ざか)(はん)(ぶん)(せま)くした(くらゐ)(みち)(はゞ)(まち)(なみ)はあれより()ちる。廿五(まん)(ごく)(じやう)()だつて(たか)()れたものだ。こんな(ところ)()んで()(じやう)()(など)()()つてる(にん)(げん)可哀(かはい)(さう)なものだと(かんが)へながらくると、いつしか(やま)(しろ)()(まへ)()た。(ひろ)(やう)でも(せま)いものだ。(これ)(たい)(てい)()(つく)したのだらう。(かへ)つて(めし)でも()はうと(かど)(ぐち)()()つた。(ちやう)()(すわ)つて()たかみさんが、おれの(かほ)()ると(きふ)()()して()()(かへ)り……と(いた)()(あたま)をつけた。(くつ)()いで()がると、()()(しき)があきましたからと()(ぢよ)()(かい)(あん)(ない)をした。十五(でふ)(おもて)()(かい)(おほ)きな(とこ)()がついて()る。おれは(うま)れてからまだこんな(りつ)()()(しき)()()つた(こと)はない。(この)(のち)いつ()()れるか(わか)らないから、(やう)(ふく)()いで浴衣(ゆかた)(まい)になつて()(しき)(まん)(なか)(だい)()()()た。いゝ(こゝろ)()ちである。

 (ひる)(めし)()つてから(さつ)(そく)(きよ)()(がみ)をかいてやつた。おれは(ぶん)(しやう)がまづい(うへ)()()らないから()(がみ)をかくのが(だい)(きらひ)だ。(また)やる(ところ)もない。(しか)(きよ)(しん)(ぱい)して()るだらう。(なん)(せん)して()にやしないか(など)(おも)つちや(こま)るから、(ふん)(ぱつ)して(なが)いのを()いてやつた。(その)(もん)()はかうである。

 「きのふ()いた。つまらん(ところ)だ。十五(でふ)()(しき)()()る。宿(やど)()(ちや)(だい)を五(ゑん)やつた。かみさんが(あたま)(いた)()へすりつけた。(ゆう)べは()られなかつた。(きよ)(さゝ)(あめ)(さゝ)ごと()(ゆめ)()た。(らい)(ねん)(なつ)(かへ)る。今日(けふ)(がく)(かう)()つてみんなにあだなをつけてやつた。(かう)(ちやう)(たぬき)(けう)(とう)(あか)シヤツ、(えい)()(けう)()はうらなり、(すう)(がく)(やま)(あらし)(ぐわ)(がく)はのだいこ。(いま)(いろ)(/\)(こと)()いてやる。()(やう)なら」

 ()(がみ)をかいて()()つたら、いゝ(こゝろ)(もち)になつて(ねむ)()がさしたから、(さい)(ぜん)(やう)()(しき)(まん)(なか)へのび/\と(だい)()()た。(こん)()(ゆめ)(なに)()ないでぐつすり()た。この()()かいと(おほ)きな(こゑ)がするので()()めたら、(やま)(あらし)()()つて()た。(さい)(ぜん)(しつ)(けい)(きみ)(うけ)()ちは……と(ひと)()()がるや(いな)(だん)(ぱん)(ひら)かれたので(おほ)いに(らう)(ばい)した。(うけ)()ちを()いて()ると(べつ)(だん)()づかしい(こと)もなさゝうだから(しよう)()した。(この)(くらゐ)(こと)なら、明後日(あさつて)(おろか)明日(あした)から(はじ)めろと()つたつて(おど)ろかない。(じゆ)(げふ)(じやう)()(あは)せが()んだら、(きみ)はいつ(まで)こんな宿(やど)()()(つも)りでもあるまい、(ぼく)がいゝ()宿(しゆく)(しう)(せん)してやるから(うつ)(たま)へ。(ほか)のものでは(しよう)()しないが(ぼく)(はな)せばすぐ()()る。(はや)(はう)がいゝから、今日(けふ)()て、あす(うつ)つて、あさつてから(がく)(かう)()けば(きま)りがいゝと一人(ひとり)()()んで()る。(なる)(ほど)十五(でふ)(じき)にいつ(まで)()(わけ)にも()くまい。(げつ)(きふ)をみんな宿(しゆく)(れう)(はら)つても()つつかないかもしれぬ。五(ゑん)(ちや)(だい)(ふん)(ぱつ)してすぐ(うつ)るのはちと(ざん)(ねん)だが、どうせ(うつ)(もの)なら、(はや)()()して()()(はう)便(べん)()だから、そこの(ところ)はよろしく(やま)(あらし)(たの)(こと)にした。すると(やま)(あらし)()(かく)(いつ)(しよ)()()ろと()ふから、()つた。(まち)はづれの(をか)(ちゆう)(ふく)にある(いへ)()(ごく)(かん)(せい)だ。(しゆ)(じん)(こつ)(とう)(ばい)(ばい)するいか(ぎん)()(をとこ)で、(によう)(ばう)(てい)(しゆ)よりも(よつ)(ばか)(とし)(かさ)(をんな)だ。(ちゆう)(がく)(かう)()(とき)ヰツチと()(こと)()(なら)つた(こと)があるが(この)(によう)(ばう)はまさにヰツチに()()る。ヰツチだつて(ひと)(によう)(ばう)だから(かま)はない。とう/\明日(あした)から()(うつ)(こと)にした。(かへ)りに(やま)(あらし)(とほり)(ちやう)(こほり)(みづ)(いつ)(ぱい)(おご)つた。(がく)(かう)()つた(とき)はやに(わう)(ふう)(しつ)(けい)(やつ)だと(おも)つたが、こんなに(いろ)(/\)()()をしてくれる(ところ)()ると、わるい(をとこ)でもなさゝうだ。(たゞ)おれと(おな)(やう)にせつかちで(かん)(しやく)(もち)らしい。あとで()いたら(この)(をとこ)(いち)(ばん)(せい)()(じん)(ばう)があるのださうだ。

     三

 (いよ/\)(がく)(かう)()た。(はじ)めて(けう)(ぢやう)()()つて(たか)(ところ)()つた(とき)は、(なん)だか(へん)だつた。(かう)(しやく)をしながら、おれでも(せん)(せい)(つと)まるのかと(おも)つた。(せい)()()(かま)しい。(とき)(/″\)()()けた(おほ)きな(こゑ)(せん)(せい)()ふ。(せん)(せい)には(こた)へた。(いま)(まで)(ぶつ)()(がく)(かう)(まい)(にち)(せん)(せい)々々(/\)()びつけて()たが、(せん)(せい)()ぶのと、()ばれるのは(うん)(でい)()だ。(なん)だか(あし)(うら)がむづ/\する。おれは()(けふ)(にん)(げん)ではない。(おく)(びやう)(をとこ)でもないが、()しい(こと)(たん)(りよく)()けて()る。(せん)(せい)(おほ)きな(こゑ)をされると、(はら)()つた(とき)(まる)(うち)午砲(どん)()いた(やう)()がする。(さい)(しよ)の一()(かん)(なん)だかいゝ()(げん)にやつて()()つた。(しか)(べつ)(だん)(こま)つた(しつ)(もん)()けられずに()んだ。(ひかへ)(じよ)(かへ)つて()たら、(やま)(あらし)がどうだいと()いた。うんと(たん)(かん)(へん)()をしたら(やま)(あらし)(あん)(しん)したらしかつた。

 二()(かん)()(はく)(ぼく)()つて(ひかへ)(じよ)()(とき)には(なん)だか(てき)()()()(やう)()がした。(けう)(ぢやう)()ると(こん)()(くみ)(まへ)より(おほ)きな(やつ)ばかりである。おれは()()()(きや)(しや)()(づく)りに()()()るから、どうも(たか)(ところ)()がつても()しが()かない。(けん)(くわ)なら相撲(すまふ)(とり)とでもやつて()せるが、こんな(おほ)(ぞう)を四十(にん)(まへ)(なら)べて、(たゞ)(まい)(した)をたゝいて(きよう)(しゆく)させる()(ぎは)はない。(しか)しこんな田舍(ゐなか)(もの)(よわ)()()せると(くせ)になると(おも)つたから、()るべく(おほ)きな(こゑ)をして、(せう)(/\)()(じた)(かう)(しやく)してやつた。(さい)(しよ)のうちは、(せい)()(けむ)()かれてぼんやりして()たから、それ()ろと(ます/\)(とく)()になつて、べらんめい調(てう)(もち)ゐてたら、(いち)(ばん)(まへ)(れつ)(まん)(なか)()た、(いち)(ばん)(つよ)さうな(やつ)が、いきなり()(りつ)して(せん)(せい)()ふ。そら()たと(おも)ひながら、(なん)だと()いたら、「あまり(はや)くて()からんけれ、もちつと、ゆる/\()つて、おくれんかな、もし」と()つた。おくれんかな[#「おくれんかな」に傍点]、もし[#「もし」に傍点]は(なま)()るい(こと)()だ。(はや)()ぎるなら、ゆつくり()つてやるが、おれは()()()だから(きみ)()(こと)()使(つか)へない、(わか)らなければ、(わか)(まで)()つてるがいゝと(こた)へてやつた。(この)調(てう)()で二()(かん)()(おも)つたより、うまく()つた。(たゞ)(かへ)りがけに(せい)()一人(ひとり)一寸(ちよつと)(この)(もん)(だい)(かい)(しやく)をしておくれんかな、もし、と()()さうもない()()(もん)(だい)()つて(せま)つたには(ひや)(あせ)(なが)した。()(かた)がないから(なん)だか(わか)らない、()(つぎ)(をし)へてやると(いそ)いで()()げたら、(せい)()がわあと(はや)した。(その)(なか)()()ん/\と()(こゑ)(きこ)える。(べら)(ぼう)め、(せん)(せい)だつて、()()ないのは(あた)(まへ)だ。()()ないのを()()ないと()ふのに()()()があるもんか。そんなものが()()(くらゐ)なら四十(ゑん)でこんな田舍(ゐなか)へくるもんかと(ひかへ)(じよ)(かへ)つて()た。(こん)()はどうだと(また)(やま)(あらし)()いた。うんと()つたが、うん(だけ)では()()まなかつたから、(この)(がく)(かう)(せい)()(わか)らずやだなと()つてやつた。(やま)(あらし)(めう)(かほ)をして()た。

 三()(かん)()も、()()(かん)()(ひる)()ぎの一()(かん)(だい)(どう)(せう)()であつた。(さい)(しよ)()()(きふ)は、(いづ)れも(せう)(/\)づゝ(しつ)(ぱい)した。(けう)()ははたで()(ほど)(らく)ぢやないと(おも)つた。(じゆ)(げふ)()(とほ)()んだが、まだ(かへ)れない、三()(まで)ぽつ(ねん)として()つてなくてはならん。三()になると、(うけ)(もち)(きふ)(せい)()()(ぶん)(けう)(しつ)(さう)()して報知(しらせ)にくるから(けん)(ぶん)をするんださうだ。(それ)から、(しゆつ)(せき)簿()(いち)(おう)調(しら)べて(やうや)()(ひま)()る。いくら(げつ)(きふ)()はれた身體(からだ)だつて、あいた()(かん)(まで)(がく)(かう)(しば)りつけて(つくゑ)(にら)めつくらをさせるなんて(はふ)があるものか。(しか)しほかの(れん)(ぢゆう)はみんな大人(おとな)しく()()(そく)(どほ)りやつてるから(しん)(ざん)のおればかり、だゞを()ねるのも(よろ)しくないと(おも)つて()(まん)して()た。(かへ)りがけに、(きみ)(なん)でも()んでも三()(すぎ)(まで)(がく)(かう)にゐさせるのは()だぜと(やま)(あらし)(うつた)へたら、(やま)(あらし)はさうさアハヽヽと(わら)つたが、あとから()()()になつて、(きみ)あまり(がく)(かう)()(へい)()ふと、いかんぜ。()ふなら(ぼく)(だけ)(はな)せ、(ずゐ)(ぶん)(めう)(ひと)()るからなと(ちゆう)(こく)がましい(こと)()つた。()(かど)(わか)れたから(くは)しい(こと)()くひまがなかつた。

 (それ)からうちへ(かへ)つてくると、宿(やど)(てい)(しゆ)()(ちや)()れませうと()つてやつて()る。()(ちや)()れると()ふから()()(そう)をするのかと(おも)ふと、おれの(ちや)(ゑん)(りよ)なく()れて()(ぶん)()むのだ。(この)(やう)()では()()(ちゆう)(かつ)()()(ちや)()れませうを一人(ひとり)()(かう)して()るかも()れない。(てい)(しゆ)()ふには()(まへ)(しよ)(ぐわ)(こつ)(とう)がすきで、とう/\こんな(しやう)(ばい)(ない)(/\)(はじ)める(やう)になりました。あなたも()()(うけ)(まを)(ところ)(だい)()()(ふう)(りう)()らつしやるらしい。ちと(だう)(らく)()(はじ)めなすつては如何(いかゞ)ですと、()んでもない(くわん)(いう)をやる。二(ねん)(まへ)ある(ひと)使(つかひ)(てい)(こく)ホテルへ()つた(とき)(ぢやう)(まへ)(なほ)しと()(ちが)へられた(こと)がある。ケツトを(かぶ)つて、(かま)(くら)(だい)(ぶつ)(けん)(ぶつ)した(とき)(くるま)()から(おや)(かた)()はれた。(その)(ほか)(こん)(にち)(まで)()(そくな)はれた(こと)(ずゐ)(ぶん)あるが、まだおれをつらまへて(だい)()()(ふう)(りう)()らつしやると()つたものはない。(たい)(てい)はなりや(やう)()でも(わか)る。(ふう)(りう)(じん)なんて()ふものは、()()ても、()(きん)(かぶ)るか(たん)(ざく)()つてるものだ。このおれを(ふう)(りう)(じん)(など)()()()()ふのは(たゞ)(くせ)(もの)ぢやない。おれはそんな(のん)()(いん)(きよ)のやる(やう)(こと)(きらひ)だと()つたら、(てい)(しゆ)はへヽヽヽと(わら)ひながら、いえ(はじ)めから()きなものは、どなたも()()いませんが、(いつ)(たん)(この)(みち)()()ると(なか)(/\)()られませんと一人(ひとり)(ちや)()いで(めう)()(つき)をして()んで()る。(じつ)はゆふべ(ちや)()つてくれと(たの)んで()いたのだが、こんな(にが)()(ちや)はいやだ。一(ぱい)()むと()(こた)へる(やう)()がする。(こん)()からもつと(にが)くないのを()つてくれと()つたら、かしこまりましたと(また)(ぱい)しぼつて()んだ。(ひと)(ちや)だと(おも)つて()(やみ)()(やつ)だ。(しゆ)(じん)()()がつてから、あしたの(した)(よみ)をしてすぐ()()()つた。

 それから(まい)(にち)々々(/\)(がく)(かう)()ては()(そく)(どほ)(はたら)く、(まい)(にち)々々(/\)(かへ)つて()ると(しゆ)(じん)()(ちや)()れませうと()てくる。一(しう)(かん)(ばか)りしたら(がく)(かう)(やう)()()(とほ)りは()()めたし、宿(やど)(ふう)()(じん)(ぶつ)(たい)(がい)(わか)つた。ほかの(けう)()()いて()ると()(れい)()けて一(しう)(かん)から一ケ(げつ)(ぐらゐ)(あひだ)()(ぶん)(ひやう)(ばん)がいゝだらうか、()るいだらうか()(じやう)()()かるさうであるが、おれは(いつ)(かう)そんな(かん)じはなかつた。(けう)(ぢやう)(をり)(/\)しくぢると(その)(とき)(だけ)はやな(こゝろ)(もち)だが三十(ぷん)(ばか)()つと()(れい)()えて()()ふ。おれは(なに)(ごと)によらず(なが)(しん)(ぱい)しやうと(おも)つても(しん)(ぱい)()()ない(をとこ)だ。(けう)(ぢやう)のしくぢりが(せい)()にどんな(えい)(きやう)(あた)へて、(その)(えい)(きやう)(かう)(ちやう)(けう)(とう)にどんな(はん)(おう)(てい)するか(まる)()(とん)(ぢやく)であつた。おれは(まへ)()(とほ)りあまり()(きよう)(すわ)つた(をとこ)ではないのだが、(おも)()りは(すこぶ)るいゝ(にん)(げん)である。(この)(がく)(かう)がいけなければすぐどつかへ()(かく)()()たから、(たぬき)(あか)シヤツも、(ちつ)とも(おそろ)しくはなかつた。まして(けう)(ぢやう)()(ぞう)(ども)なんかには(あい)(けう)()()()使(つか)()になれなかつた。(がく)(かう)はそれでいゝのだが()宿(しゆく)(はう)はさうはいかなかつた。(てい)(しゆ)(ちや)()みに()(だけ)なら()(まん)もするが、(いろ)(/\)(もの)()つてくる。(はじ)めに()つて()たのは(なん)でも(いん)(ざい)で、(とを)ばかり(なら)べて()いて、みんなで三(ゑん)なら(やす)(もの)()(かひ)なさいと()ふ。田舍(ゐなか)(まは)りのヘボ()()ぢやあるまいし、そんなものは()らないと()つたら、(こん)()(くわ)(ざん)とか(なん)とか()(をとこ)(くわ)(てう)(かけ)(もの)をもつて()た。()(ぶん)(とこ)()へかけて、いゝ()()ぢやありませんかと()ふから、さうかなと(いゝ)()(げん)(あい)(さつ)をすると、(くわ)(ざん)には二人(ふたり)ある、一人(ひとり)(なん)とか(くわ)(ざん)で、一人(ひとり)(なん)とか(くわ)(ざん)ですが、(この)(ふく)はその(なん)とか(くわ)(ざん)(はう)だと、くだらない(かう)(しやく)をしたあとで、どうです、あなたなら十五(ゑん)にして()きます。()(かひ)なさいと(さい)(そく)をする。(かね)がないと(こと)はると、(かね)なんか、いつでも()()()いますと(なか)(/\)(ぐわん)()だ。(かね)があつても()はないんだと、(その)(とき)()(ぱら)つちまつた。(その)(つぎ)には(おに)(がはら)(ぐらゐ)(おほ)(すゞり)(かつ)()んだ。(これ)(たん)(けい)です、(たん)(けい)ですと二(へん)も三(べん)(たん)(けい)がるから、(おも)(しろ)(はん)(ぶん)(たん)(けい)(なん)だいと()いたら、すぐ(かう)(しやく)(はじ)()した。(たん)(けい)には(じやう)(そう)(ちゆう)(そう)()(そう)とあつて、(いま)(どき)のものはみんな(じやう)(そう)ですが、(これ)(たし)かに(ちゆう)(そう)です、(この)(がん)()(らん)なさい。(がん)(みつ)つあるのは(めづ)らしい。(はつ)(ぼく)()(あひ)()(ごく)(よろ)しい、(ため)して()(らん)なさいと、おれの(まへ)(おほ)きな(すゞり)()きつける。いくらだと()くと、(もち)(ぬし)()()から()つて(かへ)つて()()()()りたいと()ひますから、()(やす)くして三十(ゑん)にして()きませうと()ふ。(この)(をとこ)()鹿()(さう)()ない。(がく)(かう)(はう)はどうかかうか()()(つと)まりさうだが、かう(こつ)(とう)(ぜめ)()つてはとても(なが)(つゞ)きさうにない。

 (その)うち(がく)(かう)もいやになつた。  ある()(ばん)(おほ)(まち)()(ところ)(さん)()して()たら(いう)便(びん)(きよく)(とな)りに()()とかいて、(した)(とう)(きやう)(ちゆう)(くは)へた(かん)(ばん)があつた。おれは()()(だい)()きである。(とう)(きやう)()つた(とき)でも()()()(まへ)(とほ)つて(やく)()(にほ)ひをかぐと、どうしても暖簾(のれん)がくゞりたくなつた。今日(けふ)(まで)(すう)(がく)(こつ)(とう)()()(わす)れて()たが、かうして(かん)(ばん)()ると()(どほ)りが()()なくなる。(つい)でだから一(ぱい)()つて()かうと(おも)つて()がり()んだ。()ると(かん)(ばん)(ほど)でもない。(とう)(きやう)(こと)はる()(じやう)はもう(すこ)()(れい)にしさうなものだが、(とう)(きやう)()らないのか、(かね)がないのか、(めつ)(ぱふ)きたない。(たゝみ)(いろ)(かは)つて()()けに(すな)でざら/\して()る。(かべ)(すゝ)(まつ)(くろ)だ。(てん)(じやう)はランプの()(えん)(くす)ぼつてるのみか、(ひく)くつて、(おも)はず(くび)(ちゞ)める(くらゐ)だ。(たゞ)(れい)(/\)()()()(まへ)をかいて()()けたねだん()(だけ)(まつた)(あたら)しい。(なん)でも(ふる)いうちを()つて()(さん)()(まへ)から(かい)(げふ)したに(ちがひ)なからう。ねだん(づけ)(だい)(がう)(てん)()()とある。おい(てん)()()()つてこいと(おほ)きな(こゑ)()した。すると(この)(とき)(まで)(すみ)(はう)に三(にん)かたまつて、(なに)かつる/\、ちゆ/\()つてた(れん)(ぢゆう)が、ひとしくおれの(はう)()た。()()(くら)いので、一寸(ちよつと)()がつかなかつたが(かほ)(あは)せると、みんな(がく)(かう)(せい)()である。(せん)(ぱう)(あい)(さつ)をしたから、おれも(あい)(さつ)をした。(その)(ばん)(ひさ)(ぶり)()()()つたので、(うま)かつたから(てん)()()を四(はい)(たひら)げた。

 (よく)(じつ)(なん)()もなく(けう)(ぢやう)()()ると、(こく)(ばん)(いつ)(ぱい)(ぐらゐ)(おほ)きな()で、(てん)()()(せん)(せい)とかいてある。おれの(かほ)()てみんなわあと(わら)つた。おれは()鹿()々々(/\)しいから、(てん)()()()つちや可笑(をか)しいかと()いた。すると(せい)()一人(ひとり)が、(しか)し四(はい)()ぎるぞな、もし、と()つた。四(はい)()はうが五(はい)()はうがおれの(ぜに)でおれが()ふのに(もん)()があるもんかと、さつさと(かう)()()まして(ひかへ)(じよ)(かへ)つて()た。十(ぷん)()つて(つぎ)(けう)(ぢやう)()ると(ひと)(てん)()()(はい)(なり)(たゞ)(わら)(べか)らず。と(こく)(ばん)にかいてある。さつきは(べつ)(はら)()たなかつたが(こん)()(しやく)(さは)つた。(じよう)(だん)()()ごせばいたづらだ。(やき)(もち)(くろ)(こげ)(やう)なもので(だれ)()()はない。田舍(ゐなか)(もの)(この)()(きふ)()からないからどこ(まで)()して()つても(かま)はないと()(れう)(けん)だらう。一()(かん)あるくと(けん)(ぶつ)する(まち)もない(やう)(せま)(みやこ)()んで、(ほか)(なん)にも(げい)がないから、(てん)()()()(けん)(にち)()(せん)(さう)(やう)()れちらかすんだらう。(あは)れな(やつ)()だ。()(ども)(とき)から、こんなに(けう)(いく)されるから、いやにひねつこびた、(うゑ)()(ばち)(かへで)()(やう)(せう)(じん)()()るんだ。()(じや)()なら(いつ)(しよ)(わら)つてもいゝが、こりやなんだ。()(ども)(くせ)(おつ)(どく)()()つてる。おれはだまつて、(てん)()()()して、こんないたづらが(おも)(しろ)いか、()(けふ)(じよう)(だん)だ。(きみ)()()(けふ)()()()()つてるか、と()つたら、()(ぶん)がした(こと)(わら)はれて(おこ)るのが()(けふ)ぢやらうがな、もしと(こた)へた(やつ)がある。やな(やつ)だ。わざ/\(とう)(きやう)から、こんな(やつ)(をし)へに()たのかと(おも)つたら(なさけ)なくなつた。()(けい)()らず(ぐち)()かないで(べん)(きやう)しろと()つて、(じゆ)(げふ)(はじ)めて()()つた。(それ)から(つぎ)(けう)(ぢやう)()たら(てん)()()()ふと()らず(ぐち)()(たく)なるものなりと()いてある。どうも()(まつ)()へない。あんまり(はら)()つたから、そんな(なま)()()(やつ)(をし)へないと()つてすた/\(かへ)つて()てやつた。(せい)()(やす)みになつて(よろ)こんださうだ。かうなると(がく)(かう)より(こつ)(とう)(はう)がまだましだ。

 (てん)()()()()もうちへ(かへ)つて、(ひと)(ばん)()たらそんなに(かん)(しやく)(さは)らなくなつた。(がく)(かう)()()ると、(せい)()()()る。(なん)だか(わけ)(わか)らない。(それ)から(みつ)()(ばか)りは()()であつたが、(よつ)()()(ばん)(すみ)()()(ところ)()つて(だん)()()つた。(この)(すみ)()()(ところ)(をん)(せん)のある(まち)(じやう)()から()(しや)だと十(ぷん)(ばか)り、歩行(ある)いて三十(ぷん)()かれる、(れう)()()(をん)(せん)宿(やど)も、(こう)(ゑん)もある(うへ)(いう)(くわく)がある。おれの()()つた(だん)()()(いう)(くわく)(いり)(ぐち)にあつて、(たい)(へん)うまいと()(ひやう)(ばん)だから、(をん)(せん)()つた(かへ)りがけに一寸(ちよつと)()つて()た。(こん)()(せい)()にも()はなかつたから、(だれ)()るまいと(おも)つて、(よく)(じつ)(がく)(かう)()つて、一()(かん)()(けう)(ぢやう)()()ると(だん)()(ふた)(さら)(せん)()いてある。(じつ)(さい)おれは(ふた)(さら)()つて七(せん)(はら)つた。どうも(やく)(かい)(やつ)()だ。二()(かん)()にも(きつ)()(なに)かあると(おも)ふと(いう)(くわく)(だん)()(うま)い/\と()いてある。あきれ(かへ)つた(やつ)()だ。(だん)()(それ)()んだと(おも)つたら(こん)()(あか)()(ぬぐひ)()ふのが(ひやう)(ばん)になつた。(なん)(こと)だと(おも)つたら、(つま)らない(らい)(れき)だ。おれはこゝへ()てから、(まい)(にち)(すみ)()(をん)(せん)()(こと)()めて()る。ほかの(ところ)(なに)()ても(とう)(きやう)(あし)(もと)にも(およ)ばないが(をん)(せん)(だけ)(りつ)()なものだ。(せつ)(かく)()(もの)だから(まい)(にち)()()つてやらうと()()で、(ばん)(めし)(まへ)(うん)(どう)(かた/″\)()(かけ)る。(ところ)()くときは(かなら)西(せい)(やう)()(ぬぐひ)(おほ)きな(やつ)をぶら()げて()く。(この)()(ぬぐひ)()(そま)まつた(うへ)へ、(あか)(しま)(なが)()したので一寸(ちよつと)()ると(べに)(いろ)()える。おれは(この)()(ぬぐひ)()きも(かへ)りも、()(しや)()つてもあるいても、(つね)にぶら()げて()る。それで(せい)()がおれの(こと)(あか)()(ぬぐひ)(あか)()(ぬぐひ)()ふんださうだ。どうも(せま)()()()んでるとうるさいものだ。まだある。(をん)(せん)(さん)(がい)(しん)(ちく)(じやう)(とう)浴衣(ゆかた)をかして、(なが)しをつけて八(せん)()む。(その)(うへ)(をんな)(てん)(もく)(ちや)()せて()す。おれはいつでも(じやう)(とう)()()つた。すると四十(ゑん)(げつ)(きふ)(まい)(にち)(じやう)(とう)()()るのは(ぜい)(たく)だと()()した。()(けい)()()()だ。まだある。()(つぼ)花崗(みかげ)(いし)(たゝ)()げて、十五(でふ)(じき)(ぐらゐ)(ひろ)さに()()つてある。(たい)(てい)は十三四(にん)(つか)つてるがたまには(だれ)()ない(こと)がある。(ふか)さは()つて(ちゝ)(へん)まであるから、(うん)(どう)()めに、()(なか)(およ)ぐのは(なか)(/\)()(くわい)だ。おれは(ひと)()ないのを()()ましては十五(でふ)()(つぼ)(およ)(まは)つて(よろ)こんで()た。(ところ)がある()(さん)(がい)から()(せい)よく()りて今日(けふ)(およ)げるかなとざくろ(ぐち)(のぞ)いて()ると、(おほ)きな(ふだ)(くろ)(/″\)()(なか)(およ)ぐべからずとかいて()りつけてある。()(なか)(およ)ぐものは、あまり()るまいから、(この)(はり)(ふだ)はおれの()めに(とく)(べつ)(しん)調(てう)したのかも()れない。おれはそれから(およ)ぐのは(だん)(ねん)した。(およ)ぐのは(だん)(ねん)したが、(がく)(かう)()()ると、(れい)(とほ)(こく)(ばん)()(なか)(およ)ぐべからずと()いてあるには(おど)ろいた。(なん)だか(せい)()(ぜん)(たい)がおれ一人(ひとり)(たん)(てい)して()(やう)(おも)はれた。くさ/\した。(せい)()(なに)()つたつて、やらうと(おも)つた(こと)をやめる(やう)なおれではないが、(なん)でこんな(せま)(くる)しい(はな)(さき)がつかへる(やう)(ところ)()たのかと(おも)ふと(なさけ)なくなつた。それでうちへ(かへ)ると(あひ)(かは)らず(こつ)(とう)(ぜめ)である。

     四

 (がく)(かう)には宿(しゆく)(ちよく)があつて、(しよく)(ゐん)(かは)る/\これをつとめる。(たゞ)(たぬき)(あか)シヤツは(れい)(ぐわい)である。(なん)(この)(りやう)(にん)(たう)(ぜん)()()(まぬ)かれるのかと()いて()たら、(そう)(にん)(たい)(ぐう)だからと()ふ。(おも)(しろ)くもない。(げつ)(きふ)(たく)(さん)とる、()(かん)(すく)ない、(それ)宿(しゆく)(ちよく)()がれるなんて()(こう)(へい)があるものか。(かつ)()()(そく)をこしらへて、それが(あた)(まへ)だと()(やう)(かほ)をしてゐる。よくまああんなに()()/\しく()()るものだ。これに(つい)ては(だい)()()(へい)であるが、(やま)(あらし)(せつ)によると、いくら一人(ひとり)()(へい)(なら)べたつて(とほ)るものぢやないさうだ。一人(ひとり)だつて二人(ふたり)だつて(たゞ)しい(こと)なら(とほ)りさうなものだ。(やま)(あらし)はmight is rightといふ(えい)()()いて(せつ)()(くは)へたが、(なん)だか(えう)(りやう)()ないから、()(かへ)して()たら(きやう)(しや)(けん)()()()()ださうだ。(きやう)(しや)(けん)()(ぐらゐ)なら(むかし)から()つて()る。(いま)(さら)(やま)(あらし)から(かう)(しやく)をきかなくつてもいゝ。(きやう)(しや)(けん)()宿(しゆく)(ちよく)とは(べつ)(もん)(だい)だ。(たぬき)(あか)シヤツが(きやう)(しや)だなんて、(だれ)(しよう)()するものか。()(ろん)()(ろん)として(この)宿(しゆく)(ちよく)(いよ/\)おれの(ばん)(まは)つて()た。(いつ)(たい)(かん)(しやう)だから()()()(とん)(など)()(ぶん)のものへ(らく)()ないと()(やう)(こゝろ)()ちがしない。()(ども)(とき)から、(とも)(だち)のうちへ(とま)つた(こと)(ほと)んどない(くらゐ)だ。(とも)(だち)のうちでさへ(いや)なら(がく)(かう)宿(しゆく)(ちよく)(なほ)(さら)(いや)だ。(いや)だけれども、(これ)が四十(ゑん)のうちへ(こも)つてゐるなら()(かた)がない。()(まん)して(つと)めてやらう。

 (けう)()(せい)()(かへ)つて()()つたあとで、一人(ひとり)ぽかんとして()るのは(ずゐ)(ぶん)()()けたものだ。宿(しゆく)(ちよく)()()(けう)(ぢやう)(うら)()にある()宿(しゆく)(しや)西(にし)はづれの(いつ)(しつ)だ。一寸(ちよつと)()()つて()たが、西(にし)()をまともに()けて、(くる)しくつて()たゝまれない。田舍(ゐなか)(だけ)あつて(あき)がきても、()(なが)(あつ)いもんだ。(せい)()(まかなひ)()りよせて(ばん)(めし)()ましたが、まづいには(おそ)()つた。よくあんなものを()つて、あれ(だけ)(あば)れられたもんだ。それで(ばん)(めし)(いそ)いで()()(はん)(かた)()けて()()ふんだから(がう)(けつ)(ちがひ)ない。(めし)()つたが、まだ()()れないから()(わけ)()かない。一寸(ちよつと)(をん)(せん)()きたくなつた。宿(しゆく)(ちよく)をして、(そと)()るのはいゝ(こと)だか、()るい(こと)だかしらないが、かうつくねんとして(ぢゆう)(きん)()(どう)(やう)(うき)()()ふのは()(まん)()()るもんぢやない。(はじ)めて(がく)(かう)()(とき)(たう)(ちよく)(ひと)はと()いたら、一寸(ちよつと)(よう)(たし)()たと()使(づかひ)(こた)へたのを(めう)だと(おも)つたが、()(ぶん)(ばん)(まは)つて()ると(おも)(あた)る。()(はう)(たゞ)しいのだ。おれは()使(づかひ)一寸(ちよつと)()てくると()つたら、(なに)()(よう)ですかと()くから、(よう)ぢやない、(をん)(せん)()()るんだと(こた)へて、さつさと()()けた。(あか)()(ぬぐひ)宿(やど)(わす)れて()たのが(ざん)(ねん)だが今日(けふ)(せん)(ぱう)()りるとしやう。

 (それ)から()(なり)ゆるりと、()たり()()つたりして、(やうや)()(くれ)(がた)になつたから、()(しや)()つて()(まち)(てい)(しや)()(まで)()()りた。(がく)(かう)(まで)(これ)から四(ちやう)だ。(わけ)はないとあるき()すと、(むか)ふから(たぬき)()た。(たぬき)(これ)から(この)()(しや)(をん)(せん)()かうと()(けい)(くわく)なんだらう。すた/\(いそ)(あし)にやつてきたが、()(ちが)つた(とき)おれの(かほ)()たから、一寸(ちよつと)(あい)(さつ)をした。すると(たぬき)はあなたは今日(けふ)宿(しゆく)(ちよく)ではなかつたですかねえと()()()くさつて()いた。無かつたですかねえ[#「無かつたですかねえ」に傍点]もないもんだ。二()(かん)(まへ)おれに(むか)つて(こん)()(はじ)めての宿(しゆく)(ちよく)ですね。()()(らう)さま。と(れい)()つたぢやないか。(かう)(ちやう)なんかになるといやに(まが)りくねつた(こと)()使(つか)ふもんだ。おれは(はら)()つたから、えゝ宿(しゆく)(ちよく)です。宿(しゆく)(ちよく)ですから、(これ)から(かへ)つて(とま)(こと)(たし)かに(とま)りますと()()てゝ()ましてあるき()した。(たて)(まち)()(かど)(まで)くると(こん)()(やま)(あらし)()()はした。どうも(せま)(ところ)だ。()てあるきさへすれば(かなら)(だれ)かに()ふ。「おい(きみ)宿(しゆく)(ちよく)ぢやないか」と()くから「うん、宿(しゆく)(ちよく)だ」と(こた)へたら、「宿(しゆく)(ちよく)()(やみ)()てあるくなんて、()()(がふ)ぢやないか」と()つた。「(ちつ)とも()()(がふ)なもんか、()てあるかない(はう)()()(がふ)だ」と()()つて()せた。「(きみ)のづぼらにも(こま)るな、(かう)(ちやう)(けう)(とう)()()ふと(めん)(だう)だぜ」と(やま)(あらし)()()はない(こと)()ふから「(かう)(ちやう)にはたつた(いま)()つた。(あつ)(とき)には(さん)()でもしないと宿(しゆく)(ちよく)(ほね)でせうと(かう)(ちやう)が、おれの(さん)()をほめたよ」と()つて、(めん)(だう)(くさ)いから、さつさと(がく)(かう)(かへ)つて()た。

 (それ)から()はすぐくれる。くれてから二()(かん)(ばか)りは()使(づかひ)宿(しゆく)(ちよく)()()()んで(はなし)をしたが、(それ)()きたから、()られない(まで)(とこ)()()らうと(おも)つて、()(まき)()()へて、()()()くつて、(あか)毛布(けつと)()ねのけて、(とん)(しり)(もち)()いて、(あふ)()けになつた。おれが()るときに(とん)(しり)(もち)をつくのは()(ども)(とき)からの(くせ)だ。わるい(くせ)だと()つて()(がは)(まち)()宿(しゆく)()()(ぶん)()(かい)(した)()(はふ)(りつ)(がく)(かう)(しよ)(せい)()(じやう)()()んだ(こと)がある。(はふ)(りつ)(しよ)(せい)なんてものは(よわ)(くせ)に、やに(くち)(たつ)(しや)なもので、()(こと)(なが)たらしく()()てるから、()(とき)にどん/\(おと)がするのはおれの(しり)がわるいのぢやない。()宿(しゆく)(けん)(ちく)()(まつ)なんだ。()()ふなら()宿(しゆく)()()へと(へこ)ましてやつた。(この)宿(しゆく)(ちよく)()()()(かい)ぢやないから、いくら、どしんと(たふ)れても(かま)はない。()()(いきほひ)よく(たふ)れないと()(やう)(こゝろ)()ちがしない。あゝ()(くわい)だと(あし)をうんと()ばすと、(なん)だか(りやう)(あし)()()いた。ざら/\して(のみ)(やう)でもないからこいつあと(おど)ろいて、(あし)を二三()毛布(けつと)(なか)()つて()た。するとざら/\と(あた)つたものが、(きふ)()()して(すね)が五六ケ(しよ)(もゝ)が二三ケ(しよ)(しり)(した)でぐちやりと()(つぶ)したのが(ひと)つ、(へそ)(ところ)(まで)()()がつたのが(ひと)つ——(いよ/\)(おど)ろいた。(さつ)(そく)()(あが)つて、毛布(けつと)をぱつと(うし)ろへ(はふ)ると、()(とん)(なか)から、バツタが五六十()()した。(しやう)(たい)()れない(とき)()(せう)()()()るかつたが、バツタと(さう)()()まつて()たら(きふ)(はら)()つた。バツタの(くせ)(ひと)(おど)ろかしやがつて、どうするか()ろと、いきなり(くゝ)(まくら)()つて、二三()(たゝ)きつけたが、(あひ)()(ちひ)()ぎるから(いきほひ)よく()げつける(わり)(きゝ)()がない。()(かた)がないから、(また)()(とん)(うへ)(すわ)つて、(すゝ)(はき)(とき)(ござ)(まる)めて(たゝみ)(たゝ)(やう)に、そこら(きん)(ぺん)()(やみ)にたゝいた。バツタが(おど)ろいた(うへ)に、(まくら)(いきほひ)()()がるものだから、おれの(かた)だの、(あたま)だの(はな)(さき)だのへくつ()いたり、ぶつかつたりする。(かほ)()いた(やつ)(まくら)(たゝ)(わけ)()かないから、()(つか)んで、(いつ)(しやう)(けん)(めい)(たゝ)きつける。(いま)(/\)しい(こと)に、いくら(ちから)()しても、ぶつかる(さき)()()だから、ふわりと(うご)(だけ)(すこ)しも()(ごたへ)がない。バツタは(たゝ)きつけられた(まゝ)()()へつらまつて()る。()にもどうもしない。(やうや)くの(こと)に三十(ぷん)(ばかり)でバツタは退(たい)()た。(はうき)()つて()てバツタの()(がい)()()した。()使(づかひ)()(なん)ですかと()ふから、(なん)ですかもあるもんか、バツタを(とこ)(なか)()つとく(やつ)がどこの(くに)にある。()(ぬけ)め。と(しか)つたら、(わたくし)(ぞん)じませんと(べん)(かい)をした。(ぞん)じませんで()むかと(はうき)(えん)(がは)(はふ)()したら、()使(づかひ)(おそ)る/\(はうき)(かつ)いで(かへ)つて()つた。

 おれは(さつ)(そく)()宿(しゆく)(せい)を三(にん)ばかり(そう)(だい)()()した。すると六(にん)()()た。六(にん)だらうが十(にん)だらうが(かま)ふものか。()(まき)(まゝ)(うで)まくりをして(だん)(ぱん)(はじ)めた。

 「なんでバツタなんか、おれの(とこ)(なか)()れた」

 「バツタた(なん)ぞな」と(まつ)(さき)一人(ひとり)がいつた。やに()()いて()やがる。(この)(がく)(かう)ぢや(かう)(ちやう)ばかりぢやない、(せい)()(まで)(まが)りくねつた(こと)()使(つか)ふんだらう。

 「バツタを()らないのか、()らなけりや()せてやらう」と()つたが、(あい)(にく)()()して()()つて一(ぴき)()ない。(また)()使(づかひ)()んで、「さつきのバツタを()つてこい」と()つたら、「もう(はき)(だめ)()てゝしまひましたが、(ひろ)つて(まゐ)りませうか」と()いた。「うんすぐ(ひろ)つて()い」と()ふと()使(づかひ)(いそ)いで()()したが、やがて(はん)()(うへ)へ十(ぴき)(ばか)()せて()て「どうも()()(どく)ですが、(あい)(にく)(よる)(これ)(だけ)しか()(あた)りません。あしたになりましたらもつと(ひろ)つて(まゐ)ります」と()ふ。()使(づかひ)(まで)()鹿()だ。おれはバツタの(ひと)つを(せい)()()せて「バツタた()れだ、(おほ)きなずう(たい)をして、バツタを()らないた、(なん)(こと)だ」と()ふと、(いち)(ばん)(ひだり)(はう)()(かほ)(まる)(やつ)が「そりや、イナゴぞな、もし」と(なま)()()におれを()()めた。「(べら)(ぼう)め、イナゴもバツタも(おな)じもんだ。(だい)(せん)(せい)(つら)まへてなもし[#「なもし」に傍点]た(なん)だ。()(めし)(でん)(がく)(とき)より(ほか)()ふもんぢやない」とあべこべに()()めてやつたら「なもしと()(めし)とは(ちが)ふぞな、もし」と()つた。いつ(まで)()つてもなもし[#「なもし」に傍点]を使(つか)(やつ)だ。

 「イナゴでもバツタでも、(なん)でおれの(とこ)(なか)()れたんだ。おれがいつ、バツタを()れて()れと(たの)んだ」

 「()れも()れやせんがな」

 「()れないものが、どうして(とこ)(なか)()るんだ」

 「イナゴは(ぬく)(ところ)()きぢやけれ、(おほ)(かた)一人(ひとり)()()()りたのぢやあろ」

 「()鹿()()へ。バツタが一人(ひとり)()()()りになるなんて——バツタに()()()りになられてたまるもんか。——さあなぜこんないたづらをしたか、()へ」

 「()へてゝ、()れんものを(せつ)(めい)しやうがないがな」

 けちな(やつ)()だ。()(ぶん)()(ぶん)のした(こと)()へない(くらゐ)なら、てんで()ないがいゝ。(しよう)()さへ()がらなければ、しらを()(つも)りで()(ぶと)(かま)へて()やがる。おれだつて(ちゆう)(がく)()()(ぶん)(すこ)しはいたづらもしたもんだ。(しか)しだれがしたと()かれた(とき)に、(しり)()みをする(やう)()(けふ)(こと)(たゞ)の一()もなかつた。()たものは()たので、()ないものは()ないに(きま)つてる。おれなんぞは、いくら、いたづらをしたつて(けつ)(ぱく)なものだ。(うそ)()いて(ばつ)()げる(くらゐ)なら、(はじ)めからいたづらなんかやるものか。いたづらと(ばつ)はつきもんだ。(ばつ)があるからいたづらも(こゝろ)()ちよく()()る。いたづら(だけ)(ばつ)()(めん)(かうむ)るなんて()(れつ)(こん)(じやう)がどこの(くに)流行(はや)ると(おも)つてるんだ。(かね)()りるが、(かへ)(こと)()(めん)だと()(れん)(ぢゆう)はみんな、こんな(やつ)()(そつ)(げふ)してやる()(ごと)(さう)()ない。(ぜん)(たい)(ちゆう)(がく)(かう)(なに)しに()()つてるんだ。(がく)(かう)()()つて、(うそ)()いて、()()()して、(かげ)でこせ/\(なま)()()(わる)いたづらをして、さうして(おほ)きな(つら)(そつ)(げふ)すれば(けう)(いく)()けたもんだと(かん)(ちがひ)をして()やがる。(はな)せない(ざふ)(ひやう)だ。

 おれはこんな(くさ)つた(れう)(けん)(やつ)()(だん)(ぱん)するのは(むな)(くそ)()るいから、「そんなに()はれなきや、()かなくつていゝ。(ちゆう)(がく)(かう)()()つて、(じやう)(ひん)()(ひん)()(べつ)()()ないのは()(どく)なものだ」と()つて六(にん)()(ぱな)してやつた。おれは(こと)()(やう)()こそ(あま)(じやう)(ひん)ぢやないが、(こゝろ)はこいつらよりも(はる)かに(じやう)(ひん)(つも)りだ。六(にん)(いう)(/\)()()げた。(うは)()(だけ)(けう)()のおれより()(ぽど)えらく()える。(じつ)()()いて()(だけ)(なほ)()るい。おれには(たう)(てい)(これ)(ほど)()(きよう)はない。

 (それ)から(また)(とこ)()()つて(よこ)になつたら、さつきの(さう)(どう)()()(なか)はぶん/\(うな)つて()る。()(しよく)をつけて一(ぴき)(づゝ)()くなんて(めん)(だう)(こと)()()ないから、(つり)()をはづして、(なが)(たゝ)んで()いて()()(なか)(よこ)(たて)(じふ)(もん)()(ふる)つたら、(くわん)()んで()(かふ)をいやと()(ほど)()つた。三()()(とこ)()()つた(とき)(せう)(/\)()()いたが(なか)(/\)()られない。()(けい)()ると十()(はん)だ。(かんが)へて()ると(やく)(かい)(ところ)()たもんだ。(いつ)(たい)(ちゆう)(がく)(せん)(せい)なんて、どこへ()つても、こんなものを(あひ)()にするなら()(どく)なものだ。よく(せん)(せい)(しな)()れにならない。()(ぽど)(しん)(ばう)(づよ)(ぼく)(ねん)(じん)がなるんだらう。おれには(たう)(てい)やり()れない。それを(おも)ふと(きよ)なんてのは()()げたものだ。(けう)(いく)もない()(ぶん)もない(ばあ)さんだが、(にん)(げん)としては(すこぶ)(たつ)とい。(いま)(まで)はあんなに()()になつて(べつ)(だん)難有(ありがた)いとも(おも)はなかつたが、かうして、一人(ひとり)(ゑん)(ごく)()()ると、(はじ)めてあの(しん)(せつ)がわかる。(ゑち)()(さゝ)(あめ)()ひたければ、わざ/\(ゑち)()(まで)()ひに()つて()はしてやつても、()はせる(だけ)()()(じゆう)(ぶん)ある。(きよ)はおれの(こと)(よく)がなくつて、(まつ)(すぐ)()(しやう)だと()つて、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる(ほん)(にん)(はう)(りつ)()(にん)(げん)だ。(なん)だか(きよ)()ひたくなつた。

 (きよ)(こと)(かんが)へながら、のつそつして()ると、(とつ)(ぜん)おれの(あたま)(うへ)で、(かず)()つたら三四十(にん)もあらうか、()(かい)()つこちる(ほど)どん、どん、どんと(ひやう)()()つて(ゆか)(いた)()みならす(おと)がした。すると(あし)(おと)()(れい)した(おほ)きな(とき)(こゑ)(おこ)つた。おれは(なに)(ごと)()()がつたのかと(おど)ろいて()()きた。()()きる()(たん)に、はゝあさつきの()(しゆ)(がへ)しに(せい)()があばれるのだなと()がついた。()(まへ)のわるい(こと)()るかつたと()つて()()はないうちは(つみ)()えないもんだ。わるい(こと)は、()(まへ)(たち)(おぼえ)があるだらう。(ほん)(らい)なら()てから(こう)(くわい)してあしたの(あさ)でもあやまりに()るのが(ほん)(すぢ)だ。たとひ、あやまらない(まで)(おそ)()つて、(せい)(しゆく)()()るべきだ。それを(なん)(この)(さわ)ぎは。()宿(しゆく)(しや)()てゝ(ぶた)でも()つて()きあしまいし。()(ちが)ひじみた()()(たい)(てい)にするがいゝ。どうするか()ろと、()(まき)(まゝ)宿(しゆく)(ちよく)()()()()して、(はし)()(だん)()(また)(はん)()(かい)(まで)(をど)()がつた。すると()()()(こと)に、(いま)(まで)(あたま)(うへ)で、(たしか)にどたばた(あば)れて()たのが、(きふ)(しづ)まり(かへ)つて、(ひと)(ごゑ)(どころ)(あし)(おと)もしなくなつた。(これ)(めう)だ。ランプは(すで)()してあるから、(くら)くてどこに(なに)()るか(はん)(ぜん)(わか)らないが、(ひと)()のあるとないとは(やう)()でも()れる。(なが)(ひがし)から西(にし)(つらぬ)いた(らう)()には(ねずみ)(ぴき)(かく)れて()ない。(らう)()のはづれから(つき)がさして、(はる)(むか)ふが(きは)どく(あか)るい。どうも(へん)だ、()れは()(ども)(とき)から、よく(ゆめ)()(くせ)があつて、()(ちゆう)()()きて、わからぬ()(ごと)()つて、(ひと)(わら)はれた(こと)がよくある。十六七の(とき)ダイヤモンドを(ひろ)つた(ゆめ)()(ばん)なぞは、むくりと()()がつて、そばに()(あに)に、(いま)のダイヤモンドはどうしたと、()(じやう)(いきほひ)(たづ)ねた(くらゐ)だ。(その)(とき)(みつ)()ばかりうち(ぢゆう)(わら)(ぐさ)になつて(おほい)(よわ)つた。ことによると(いま)のも(ゆめ)かも()れない。(しか)(たし)かにあばれたに(ちがひ)ないがと、(らう)()(まん)(なか)(かんが)()んで()ると、(つき)のさして()(むか)ふのはづれで、一二三わあと、三四十(にん)(こゑ)がかたまつて(ひゞ)いたかと(おも)()もなく、(まへ)(やう)(ひやう)()()つて、(いち)(どう)(ゆか)(いた)()()らした。()()(ゆめ)ぢやない()()()(じつ)だ。(しづ)かにしろ、()なかだぞ、とこつちも()けん(くらゐ)(こゑ)()して、(らう)()(むかふ)()けだした。おれの(とほ)(みち)(くら)い、(たゞ)はづれに()える(つき)あかりが()(じるし)だ。おれが()()して二(けん)()たかと(おも)ふと、(らう)()(まん)(なか)で、(かた)(おほ)きなものに(むかふ)(ずね)をぶつけて、あ痛い[#「あ痛い」に傍点]が(あたま)へひゞく()に、身體(からだ)はすとんと(まへ)(はふ)()された。こん(ちき)(しやう)()()がつて()たが、()けられない。()はせくが、(あし)(だけ)()(こと)()かない。じれつたいから、一(ぽん)(あし)()んで()たら、もう(あし)(おと)(ひと)(ごゑ)(しず)まり(かへ)つて、(しん)として()る。いくら(にん)(げん)()(けふ)だつて、こんなに()(けふ)()()るものぢやない。まるで(ぶた)だ。かうなれば(かく)れて()(やつ)()きずり()して、あやまらせてやる(まで)はひかないぞと、(こゝろ)()めて(しん)(しつ)(ひと)つを()けて(なか)(けん)()(やう)(おも)つたが()かない。(ぢやう)をかけてあるのか、(つくゑ)(なに)()んで()()けてあるのか、()しても、()しても(けつ)して()かない。(こん)()(むか)(あは)せの(きた)(がは)(へや)(こゝろ)みた。()かない(こと)()()(どう)(ぜん)である。おれが()をあけて(なか)()(やつ)()()らまへてやらうと、焦慮(いらつ)てると、(また)(ひがし)のはづれで(とき)(こゑ)(あし)(びやう)()(はじ)まつた。(この)()(らう)(まを)(あは)せて、(とう)西(ざい)(あひ)(おう)じておれを()鹿()にする()だな、とは(おも)つたが(さて)どうしていゝか(わか)らない。(しやう)(ぢき)(はく)(じやう)してしまふが、おれは(ゆう)()のある(わり)(あひ)()()()りない。こんな(とき)にはどうしていゝか(さつ)()りわからない。わからないけれども、(けつ)して()ける(つも)りはない。(この)(まゝ)()ましてはおれの(かほ)にかゝはる。()()()()()()がないと()はれるのは(ざん)(ねん)だ。宿(しゆく)(ちよく)をして(はなつ)()()(ぞう)にからかはれて、()のつけ(やう)がなくつて、()(かた)がないから()()()りにしたと(おも)はれちや(いつ)(しやう)()()れだ。(これ)でも(もと)(はた)(もと)だ。(はた)(もと)(もと)(せい)()(げん)()で、()()滿(まん)(ぢゆう)(こう)(えい)だ。こんな()(びやく)(しやう)とは(うま)れからして(ちが)ふんだ。(たゞ)()()のない(ところ)()しい(だけ)だ。どうしていゝか(わか)らないのが(こま)(だけ)だ。(こま)つたつて()けるものか。(しやう)(ぢき)だから、どうしていゝか(わか)らないんだ。()(なか)(しやう)(ぢき)()たないで、(ほか)()つものがあるか、(かんが)へて()ろ。(こん)()(ぢゆう)()てなければ、あした()つ。あした()てなければ、あさつて()つ。あさつて()てなければ、()宿(しゆく)から(べん)(たう)()()せて()(まで)こゝに()る。おれはかう(けつ)(しん)をしたから、(らう)()(まん)(なか)へあぐらをかいて()のあけるのを()つて()た。()がぶん/\()たけれども(なん)ともなかつた。さつき、ぶつけた(むかふ)(ずね)()でゝ()ると、(なん)だかぬら/\する。()()るんだらう。()なんか()たければ(かつ)()()るがいゝ。(その)うち(さい)(ぜん)からの(つか)れが()て、ついうと/\()()()つた。(なん)だか(さわ)がしいので、()()めた(とき)はえつ(くそ)しまつたと()()がつた。おれの(すわ)つてた(みぎ)(がは)にある()(はん)(ぶん)あいて、(せい)()二人(ふたり)、おれの(まへ)()つて()る。おれは(しやう)()(かへ)つて、はつと(おも)()(たん)に、おれの(はな)(さき)にある(せい)()(あし)()(つか)んで、(ちから)(まか)せにぐいと()いたら、そいつは、どたりと(あふ)(むけ)(たふ)れた。ざまを()ろ。(のこ)一人(ひとり)一寸(ちよつと)(らう)(ばい)した(ところ)を、()びかゝつて、(かた)(おさ)へて二三()こづき(まは)したら、あつけに()られて、()をぱち/\させた。さあおれの()()(まで)()いと()()てると、(よわ)(むし)だと()えて、(いち)()もなく()いて()た。(よる)はとうにあけて()る。

 おれが宿(しゆく)(ちよく)()()()れて()(やつ)(きつ)(もん)(はじ)めると、(ぶた)は、()つても(たゝ)いても(ぶた)だから、(たゞ)()らんがなで、どこ(まで)(とほ)(れう)(けん)()えて、(けつ)して(はく)(じやう)しない。(その)うち一人(ひとり)()る、二人(ふたり)()る、(だん)(/\)()(かい)から宿(しゆく)(ちよく)()()(あつ)まつてくる。()るとみんな(ねむ)さうに(まぶた)をはらして()る。けちな(やつ)()だ。(ひと)(ばん)(ぐらゐ)()ないで、そんな(つら)をして(をとこ)()はれるか。(つら)でも(あら)つて()(ろん)()いと()つてやつたが、(だれ)(つら)(あら)ひに()かない。

 おれは五十(にん)(あま)りを(あひ)()(やく)()(かん)(ばか)(おし)(もん)(だふ)をして()ると、ひよつくり(たぬき)がやつて()た。あとから()いたら、()使(づかひ)(がく)(かう)(さう)(どう)がありますつて、わざ/\()らせに()つたのださうだ。(これ)しきの(こと)に、(かう)(ちやう)()ぶなんて()()()がなさ()ぎる。(それ)だから(ちゆう)(がく)(かう)()使(づかひ)なんぞをしてるんだ。

 (かう)(ちやう)()(とほ)りおれの(せつ)(めい)()いた、(せい)()(いひ)(ぐさ)一寸(ちよつと)()いた。()つて(しよ)(ぶん)する(まで)は、(いま)(まで)(どほ)(がく)(かう)()ろ。(はや)(かほ)(あら)つて、(あさ)(めし)()はないと()(かん)()()はないから、(はや)くしろと()つて()宿(しゆく)(せい)をみんな(はう)(めん)した。()()るい(こと)だ。おれなら(そく)(せき)()宿(しゆく)(せい)をこと/″\く退(たい)(かう)して()()ふ。こんな(いう)(ちやう)(こと)をするから(せい)()宿(しゆく)(ちよく)(ゐん)()鹿()にするんだ。(その)(うへ)おれに(むか)つて、あなたも(さぞ)()(しん)(ぱい)()(つか)れでせう、今日(けふ)()(じゆ)(げふ)(およ)ばんと()ふから、おれはかう(こた)へた。「いへ、ちつとも(しん)(ぱい)ぢやありません。こんな(こと)(まい)(ばん)あつても、(いのち)のある(あひだ)(しん)(ぱい)にやなりません。(じゆ)(げふ)はやります、(ひと)(ばん)(ぐらゐ)()なくつて、(じゆ)(げふ)()()ない(くらゐ)なら、(ちやう)(だい)した(げつ)(きふ)(がく)(かう)(はう)(わり)(もど)します」(かう)(ちやう)(なん)(おも)つたものか、(しば)らくおれの(かほ)()()めて()たが、(しか)(かほ)(だい)()はれて()ますよと(ちゆう)()した。(なる)(ほど)(なん)だか(せう)(/\)(おも)たい()がする。(その)(うへ)べた(いち)(めん)(かゆ)い。()()(ぽど)()したに(さう)()ない。おれは(かほ)(ぢゆう)ぼり/\()きながら、(かほ)はいくら()れたつて、(くち)(たし)かにきけますから、(じゆ)(げふ)には()(つかへ)ませんと(こた)へた。(かう)(ちやう)(わら)ひながら、(だい)()(げん)()ですねと()めた。(じつ)()ふと()めたんぢやあるまい、ひやかしたんだらう。

     五

 (きみ)()りに()きませんかと(あか)シヤツがおれに()いた。(あか)シヤツは()()()るい(やう)(やさ)しい(こゑ)()(をとこ)である。(まる)(をとこ)だか(をんな)だか(わか)りやしない。(をとこ)なら(をとこ)らしい(こゑ)()すもんだ。ことに(だい)(がく)(そつ)(げふ)(せい)ぢやないか。(ぶつ)()(がく)(かう)でさへおれ(ぐらゐ)(こゑ)()るのに、(ぶん)(がく)()(これ)ぢや()つともない。

 おれはさうですなあと(すこ)(すゝ)まない(へん)()をしたら、(きみ)(つり)をした(こと)がありますかと(しつ)(けい)(こと)()く。あんまりないが、()(ども)(とき)()(うめ)(つり)(ぼり)(ふな)を三(びき)()つた(こと)がある。(それ)から神樂(かぐら)(ざか)()(しや)(もん)(えん)(にち)で八(すん)(ばか)りの(こひ)(はり)()つかけて、しめたと(おも)つたら、ぽちやりと()として()()つたが(これ)(いま)(かんが)へても()しいと()つたら、(あか)シヤツは(あご)(まへ)(はう)()()してホヽヽヽと(わら)つた。(なに)もさう()()つて(わら)はなくつても、よささうな(もの)だ。「()れぢや、まだ(つり)(あぢ)(わか)らんですな。()(のぞ)みならちと(でん)(じゆ)しませう」と(すこぶ)(とく)()である。だれが()(でん)(じゆ)をうけるものか。(いつ)(たい)(つり)(れふ)をする(れん)(ぢゆう)はみんな()(にん)(じやう)(にん)(げん)ばかりだ。()(にん)(じやう)でなくつて、(せつ)(しやう)をして(よころ)(わけ)がない。(さかな)だつて、(とり)だつて(ころ)されるより()きてる(はう)(らく)()まつてる。(つり)(れふ)をしなくつちや(くわつ)(けい)がたゝないなら(かく)(べつ)だが、(なに)()(そく)なく(くら)して()(うへ)に、()(もの)(ころ)さなくつちや()られないなんて(ぜい)(たく)(はなし)だ。かう(おも)つたが(むか)ふは(ぶん)(がく)()(だけ)(くち)(たつ)(しや)だから、()(ろん)ぢや(かな)はないと(おも)つて、だまつてた。すると(せん)(せい)(この)おれを(かう)(さん)させたと(かん)(ちがひ)して、(さつ)(そく)(でん)(じゆ)しませう。()ひまなら、今日(けふ)どうです、(いつ)(しよ)()つちや。(よし)(かは)(くん)二人(ふたり)ぎりぢや、(さむ)しいから、()(たま)へとしきりに(すゝ)める。(よし)(かは)(くん)()ふのは(ぐわ)(がく)(けう)()(れい)()だいこの(こと)だ。(この)()だは、どういふ(れう)(けん)だか、(あか)シヤツのうちへ(あさ)(ゆふ)()(いり)して、どこへでも(ずゐ)(かう)して()く。(まる)(どう)(はい)ぢやない。(しゆう)(じゆう)()(やう)だ。(あか)シヤツの()(ところ)なら、()だは(かなら)()くに(きま)つて()るんだから、(いま)(さら)(おど)ろきもしないが、二人(ふたり)()けば()(ところ)を、なんで()(あい)()のおれへ(くち)()けたんだらう。(おほ)(かた)(かう)(まん)ちきな(つり)(だう)(らく)で、()(ぶん)()(ところ)をおれに()せびらかす(つもり)かなんかで(さそ)つたに(ちがひ)ない。そんな(こと)()せびらかされるおれぢやない。(まぐろ)の二(ひき)や三(びき)()つたつて、びくともするもんか。おれだつて(にん)(げん)だ、いくら下手(へた)だつて(いと)さへ(おろ)しや、(なに)かかゝるだらう、こゝでおれが()かないと、(あか)シヤツの(こと)だから、下手(へた)だから()かないんだ、(きらひ)だから()かないんぢやないと(じや)(すゐ)するに(さう)()ない。おれはかう(かんが)へたから、()きませうと(こた)へた。それから、(がく)(かう)()()つて、(いち)(おう)うちへ(かへ)つて、()(たく)(とゝの)へて、(てい)(しや)()(あか)シヤツと()だを()(あは)せて(はま)()つた。(せん)(どう)一人(ひとり)で、(ふね)(ほそ)(なが)(とう)(きやう)(へん)では()(こと)もない(かつ)(かう)である。さつきから(ふね)(ぢゆう)()(わた)すが(つり)竿(ざを)が一(ぽん)()えない。(つり)竿(ざを)なしで(つり)()()るものか、どうする(れう)(けん)だらうと、()だに()くと、(おき)(づり)には竿(さを)(もち)ゐません、(いと)(だけ)でげすと(あご)()でゝ黒人(くろうと)じみた(こと)()つた。かう()()められる(くらゐ)ならだまつて()れば()かつた。

 (せん)(どう)はゆつくり/\()いでゐるが(じゆく)(れん)(おそろ)しいもので、()()へると、(はま)(ちひ)さく()える(くらゐ)もう()てゐる。(かう)(はく)()()(ぢゆう)(たふ)(もり)(うへ)()()して(はり)(やう)(とん)がつてる。(むかふ)(がは)()ると(あを)(しま)()いてゐる。(これ)(ひと)()まない(しま)ださうだ。よく()ると(いし)(まつ)ばかりだ。(なる)(ほど)(いし)(まつ)ばかりぢや()めつこない。(あか)シヤツは、しきりに(てう)(ばう)していゝ()(しき)だと()つてる。()だは(ぜつ)(けい)でげすと()つてる。(ぜつ)(けい)だか(なん)だか()らないが、いゝ(こゝろ)(もち)には(さう)()ない。ひろ/″\とした(うみ)(うへ)で、(しほ)(かぜ)()かれるのは(くすり)だと(おも)つた。いやに(はら)()る。「あの(まつ)()(たま)へ、(みき)(まつ)(すぐ)で、(うへ)(かさ)(やう)(ひら)いてターナーの()にありさうだね」と(あか)シヤツが()だに()ふと、()だは「(まつた)くターナーですね。どうもあの(まが)()(あひ)つたらありませんね。ターナーそつくりですよ」と(こゝろ)()(がほ)である。ターナーとは(なん)(こと)だか()らないが、()かないでも(こま)らない(こと)だから(だま)つて()た。(ふね)(しま)(みぎ)()てぐるりと(まは)つた。(なみ)(まつた)くない。(これ)(うみ)だとは()()りにくい(ほど)(たひら)だ。(あか)シヤツの()(かげ)(はなは)()(くわい)だ。()()(こと)なら、あの(しま)(うへ)()がつて()たいと(おも)つたから、あの(いは)のある(ところ)へは(ふね)はつけられないんですかと()いて()た。つけられん(こと)もないですが、(つり)をするには、あまり(きし)ぢやいけないですと(あか)シヤツが()()(まを)()てた。おれは(だま)つてた。すると()だがどうです(けう)(とう)(これ)からあの(しま)をターナー(たう)()づけ(やう)ぢやありませんかと()(けい)(ほつ)()をした。(あか)シヤツはそいつは(おも)(しろ)い、(われ)(/\)(これ)からさう()はうと(さん)(せい)した。(この)(われ)(/\)のうちにおれも()()つてるなら(めい)(わく)だ。おれには(あを)(しま)(たく)(さん)だ。あの(いは)(うへ)に、どうです、ラフハエルのマドンナを()いちや。いゝ()()()ますぜと()だが()ふと、マドンナの(はなし)はよさうぢやないかホヽヽヽと(あか)シヤツが()()()るい(わら)(かた)をした。なに(だれ)()ないから(だい)(ぢやう)()ですと、一寸(ちよつと)おれの(はう)()たが、わざと(かほ)をそむけてにや/\と(わら)つた。おれは(なん)だかやな(こゝろ)()ちがした。マドンナだらうが、()(だん)()だらうが、おれの(くわん)(けい)した(こと)でないから、(かつ)()()たせるがよからうが、(ひと)(わか)らない(こと)()つて(わか)らないから()いたつて(かま)やしませんてえ(やう)(ふう)をする。()(ひん)()(ぐさ)だ。(これ)(たう)(にん)(わたし)()()()でげす(など)()つてる。マドンナと()ふのは(なん)でも(あか)シヤツの()(じみ)(げい)(しや)(あだ)()(なに)かに(ちがひ)ないと(おも)つた。なじみの(げい)(しや)()(じん)(たう)(まつ)()(した)()たして(なが)めて()れば()()はない。()れを()だが(あぶら)()にでもかいて(てん)(らん)(くわい)()したらよからう。

 此所(こゝい)らがいゝだらうと(せん)(どう)(ふね)をとめて、(いかり)(おろ)した。(いく)(ひろ)あるかねと(あか)シヤツが()くと、()(ひろ)(ぐらゐ)だと()ふ。()(ひろ)(ぐらゐ)ぢや(たひ)()づかしいなと、(あか)シヤツは(いと)(うみ)へなげ()んだ。(たい)(しやう)(たひ)()()()える、(がう)(たん)なものだ。()だは、なに(けう)(とう)()()(ぎは)ぢやかゝりますよ。それになぎですからと()()()()ひながら、(これ)(いと)()()して()()れる。(なん)だか(さき)(おもり)(やう)(なまり)がぶら()がつてる(だけ)だ。(うき)がない。(うき)がなくつて(つり)をするのは(かん)(だん)(けい)なしで(ねつ)()をはかる(やう)なものだ。おれには(たう)(てい)()()ないと()()ると、さあ(きみ)もやり(たま)(いと)はありますかと()く。(いと)はあまる(ほど)あるが、(うき)がありませんと()つたら、(うき)がなくつちや(つり)()()ないのは素人(しろうと)ですよ。かうしてね、(いと)(みづ)(そこ)へついた()(ぶん)に、(ふな)(べり)(ところ)(ひと)()しゆびで()(きふ)をはかるんです、()ふとすぐ()(こた)へる。——そらきた、と(せん)(せい)(きふ)(いと)をたぐり(はじ)めるから、(なに)かかゝつたと(おも)つたら(なん)にもかゝらない、()がなくなつてた(ばか)りだ。いゝ()()だ。(けう)(とう)(ざん)(ねん)(こと)をしましたね、(いま)のは(たし)かに(おほ)ものに(ちがひ)なかつたんですが、どうも(けう)(とう)()()(ぎは)でさへ()げられちや、今日(けふ)()(だん)()()ませんよ。(しか)()げられても(なん)ですね。(うき)(にら)めくらをしてゐる(れん)(ぢゆう)よりはましですね。(ちやう)()()どめがなくつちや()(てん)(しや)()れないのと(どう)(てい)()ですからねと()だは(めう)(こと)ばかり喋舌(しやべ)る。よつぽど(なぐ)りつけてやらうかと(おも)つた。おれだつて(にん)(げん)だ、(けう)(とう)ひとりで()()つた(うみ)ぢやあるまいし。(ひろ)(ところ)だ。(かつを)の一(ぴき)(ぐらゐ)()()にだつて、かゝつて()れるだらうと、どぼんと(おもり)(いと)(はふ)()んでいゝ()(げん)(ゆび)(さき)であやつつてゐた。

 しばらくすると、(なん)だかぴく/\と(いと)にあたるものがある。おれは(かんが)へた。こいつは(さかな)(さう)()ない。()きてるものでなくつちや、かうぴくつく(わけ)がない。しめた、()れたとぐい/\()()()せた。おや()れましたかね、(こう)(せい)(おそ)るべしだと()だがひやかすうち、(いと)はもう(たい)(がい)()()()んで(たゞ)(しやく)ばかり(ほど)しか、(みづ)()いて()らん。(ふな)(べり)から(のぞ)いて()たら、(きん)(ぎよ)(やう)(しま)のある(さかな)(いと)にくつついて、(みぎ)(ひだり)(たゞよ)いながら、()(おう)じて()()がつてくる。(おも)(しろ)い。(みづ)(ぎは)から()げるとき、ぽちやりと()ねたから、おれの(かほ)(しほ)(みづ)だらけになつた。(やうや)くつらまへて、(はり)をとらうとするが(なか)(/\)()れない。(つら)まへた()はぬる/\する。(おほい)()()がわるい。(めん)(だう)だから(いと)()つて(どう)()(たゝ)きつけたら、すぐ()んで()()つた。(あか)シヤツと()だは(おど)ろいて()てゐる。おれは(うみ)(なか)()をざぶ/\と(あら)つて、(はな)(さき)へあてがつて()た。まだ(なま)(ぐさ)い。もう()り/\だ、(なに)()れたつて(さかな)(にぎ)りたくない。(さかな)(にぎ)られたくなからう。さう/\(いと)()いて()()つた。

 (いち)(ばん)(やり)()()(がら)だがゴルキぢや、と()だが(また)(なま)()()()ふと、ゴルキと()ふと()西()()(ぶん)(がく)(しや)()(やう)()だねと(あか)シヤツが洒落(しやれ)た。さうですね、(まる)()西()()(ぶん)(がく)(しや)ですねと()だはすぐ(さん)(せい)しやがる。ゴルキが()西()()(ぶん)(がく)(しや)で、(まる)()(しば)(しや)(しん)()で、(こめ)のなる()(いのち)(おや)だらう。(いつ)(たい)(この)(あか)シヤツはわるい(くせ)だ。(だれ)(つら)まへても(かた)()()(たう)(じん)()(なら)べたがる。(ひと)には(それ)(/″\)(せん)(もん)があつたものだ。おれの(やう)(すう)(がく)(けう)()にゴルキだか(しや)(りき)だか(けん)(たう)がつくものか、(すこ)しは(ゑん)(りよ)するがいゝ。()ふならフランクリンの()(でん)だとかプツシング、ツー、ゼ、フロントだとか、おれでも()つてる()使(つか)ふがいゝ。(あか)シヤツは(とき)(/″\)(てい)(こく)(ぶん)(がく)とか()(まつ)()(ざつ)()(がく)(かう)()つて()難有(ありがた)さうに()んでゐる。(やま)(あらし)()いて()たら、(あか)シヤツの(かた)()()はみんなあの(ざつ)()から()るんださうだ。(てい)(こく)(ぶん)(がく)(つみ)(ざつ)()だ。

 それから(あか)シヤツと()だは(いつ)(しやう)(けん)(めい)()つて()たが、(やく)()(かん)(ばか)りのうちに二人(ふたり)で十五六()げた。可笑(をか)しい(こと)()れるのも、()れるのも、みんなゴルキ(ばか)りだ。(たひ)なんて(くすり)にしたくつてもありやしない。今日(けふ)()西()()(ぶん)(がく)(おほ)(あた)りだと(あか)シヤツが()だに(はな)してゐる。あなたの(しゆ)(わん)でゴルキなんですから、(わたし)なんぞがゴルキなのは()(かた)がありません。(あた)(まへ)ですなと()だが(こた)へてゐる。(せん)(どう)()くと(この)()(ざかな)(ほね)(おほ)くつて、まづくつて、とても()へないんださうだ。(たゞ)肥料(こやし)には()()るさうだ。(あか)シヤツと()だは(いつ)(しやう)(けん)(めい)肥料(こやし)()つて()るんだ。()(どく)(いた)りだ。おれは一(ぴき)()りたから、(どう)()(あふ)()けになつて、さつきから(おほ)(ぞら)(なが)めて()た。(つり)をするより(この)(はう)()(ぽど)洒落(しやれ)()る。

 すると二人(ふたり)()(ごゑ)(なに)(はな)(はじ)めた。おれにはよく(きこ)えない、(また)()きたくもない。おれは(そら)()ながら(きよ)(こと)(かんが)へて()る。(かね)があつて、(きよ)をつれて、こんな()(れい)(ところ)(あそ)びに()たら(さぞ)()(くわい)だらう。いくら()(しき)がよくつても()(など)(いつ)(しよ)ぢや(つま)らない。(きよ)(しわ)()(ちや)だらけの(ばあ)さんだが、どんな(ところ)()れて()たつて()づかしい(こゝろ)()ちはしない。()だの(やう)なのは、()(しや)()らうが、(ふね)()らうが、(りよう)(うん)(かく)へのらうが、(たう)(てい)()()けたものぢやない。おれが(けう)(とう)で、(あか)シヤツがおれだつたら、()()りおれにへけつけ()()()使(つか)つて(あか)シヤツを(ひや)かすに(ちがひ)ない。()()()(けい)(はく)だと()ふが(なる)(ほど)こんなものが田舍(ゐなか)(まは)りをして、(わたし)()()()でげすと()(かへ)して()たら、(けい)(はく)()()()で、()()()(けい)(はく)(こと)だと田舍(ゐなか)(もの)(おも)ふに()まつてる。こんな(こと)(かんが)へて()ると、(なん)だか二人(ふたり)がくす/\(わら)()した。(わら)(ごゑ)()(なに)()ふが()()れ/\で(とん)(えう)(りやう)()ない。「え? どうだか……」「……(まつた)くです……()らないんですから……(つみ)ですね」「まさか……」「バツタを……(ほん)(たう)ですよ」

 おれは(ほか)(こと)()には(みゝ)(かたむ)けなかつたが、バツタと()()だの(ことば)()いた(とき)は、(おも)はず(きつ)となつた。()だは(なん)(ため)かバツタと()(こと)()(だけ)ことさら(ちから)()れて、(めい)(れう)におれの(みゝ)()()(やう)にして、(その)あとをわざとぼかして()()つた。おれは(うご)かないで()()()いて()た。

 「(また)(れい)(ほつ)()が……」「さうかも()れない……」「(てん)()()……ハヽヽヽヽ」「……(せん)(どう)して……」「(だん)()も?」

 (こと)()()(やう)()()れ/\であるけれども、バツタだの(てん)()()だの、(だん)()だのと()(ところ)(もつ)()(はか)つて()ると、(なん)でもおれのことに(つい)(ない)(しよ)(ばな)しをして()るに(さう)()ない。(はな)すならもつと(おほ)きな(こゑ)(はな)すがいゝ、(また)(ない)(しよ)(ばなし)をする(くらゐ)なら、おれなんか(さそ)はなければいゝ。いけ()かない(れん)(ぢゆう)だ。バツタだらうが(せつ)()だらうが、()はおれにある(こと)ぢやない。(かう)(ちやう)()()づあづけろと()つたから、(たぬき)(かほ)にめんじて(たゞ)(いま)(ところ)(ひか)へて()るんだ。()だの(くせ)()らぬ()(ひやう)をしやがる。()(ふで)でもしやぶつて()()んでるがいゝ。おれの(こと)は、(おそ)かれ(はや)かれ、おれ一人(ひとり)(かた)()けて()せるから、(さし)(つか)へないが、又例の堀田が[#「又例の堀田が」に傍点]とか煽動して[#「煽動して」に傍点]とか()(もん)()()にかゝる。(ほつ)()がおれを(せん)(どう)して(さう)(どう)(おほ)きくしたと()()()なのか、(あるひ)(ほつ)()(せい)()(せん)(どう)しておれをいぢめたと()ふのか(はう)(がく)がわからない。(あを)(ぞら)()()ると、()(ひかり)(だん)(/\)(よわ)つて()て、(すこ)しはひやりとする(かぜ)()()した。(せん)(かう)(けむり)(やう)(くも)が、()(とほ)(そこ)(うへ)(しづ)かに()して()つたと(おも)つたら、いつしか(そこ)(おく)(なが)()んで、うすくもやを()けた(やう)になつた。

 もう(かへ)らうかと(あか)シヤツが(おも)()した(やう)()ふと、えゝ(ちやう)()()(ぶん)ですね。(こん)()はマドンナの(きみ)()()ひですかと()だが()ふ。(あか)シヤツは()鹿()()つちやいけない、()(ちがひ)になると、(ふな)(べり)()()たした(やつ)を、(すこ)()(なほ)る。エヘヽヽヽ(だい)(ぢやう)()ですよ。()いたつて……と()だが()(かへ)つた(とき)、おれは(さら)(やう)()()だの(あたま)(うへ)へまともに()びせ()けてやつた。()だはまぼしさうに()()(かへ)つて、や、こいつは(かう)(さん)だと(くび)(ちゞ)めて、(あたま)()いた。(なん)といふ(ちよ)()(ざい)だらう。

 (ふね)(しづ)かな(うみ)(きし)()(もど)る。(きみ)(つり)はあまり()きでないと()えますねと(あか)シヤツが()くから、えゝ()()(そら)()(はう)がいゝですと(こた)へて、()ひかけた(まき)烟草(たばこ)(うみ)(なか)へたゝき()んだら、ジユと(おと)がして()(あし)()()けられた(なみ)(うへ)()られながら(たゞよ)つていつた。「(きみ)()たんで(せい)()(おほい)(よろこ)んで()るから、(ふん)(ぱつ)してやつて()(たま)へ」と(こん)()(つり)には(まる)(えん)()もない(こと)()()した。「あんまり(よろこ)んでも()ないでせう」「いえ、()()()ぢやない。(まつた)(よろこ)んで()るんです、ね、(よし)(かは)(くん)」「(よろこ)んでる(どころ)ぢやない。(おほ)(さわ)ぎです」と()だはにや/\と(わら)つた。こいつの()(こと)(いち)(/\)(しやく)(さは)るから(めう)だ。「(しか)(きみ)(ちゆう)()しないと、(けん)(のん)ですよ」と(あか)シヤツが()ふから「どうせ(けん)(のん)です。かうなりや(けん)(のん)(かく)()です」と()つてやつた。(じつ)(さい)おれは(めん)(しよく)になるか、()宿(しゆく)(せい)(こと/″\)くあやまらせるか、どつちか(ひと)つにする(れう)(けん)()た。「さう()つちや、()りつき(どころ)もないが——(じつ)(ぼく)(けう)(とう)として(きみ)(ため)(おも)ふから()ふんだが、わるく()つちや(こま)る」「(けう)(とう)(まつた)(きみ)(かう)()()つてるんですよ。(ぼく)(およ)ばずながら、(おな)()()()だから、可成(なるべく)(なが)()(ざい)(かう)(ねが)つて、()(たがひ)(ちから)にならうと(おも)つて、(これ)でも(かげ)ながら(じん)(りよく)して()るんですよ」と()だが(にん)(げん)(なみ)(こと)()つた。()だの()()()になる(くらゐ)なら(くび)(くゝ)つて()んじまはあ。

 「(それ)でね、(せい)()(きみ)()たのを(たい)(へん)(くわん)(げい)して()るんだが、そこには(いろ)(/\)()(じやう)があつてね。(きみ)(はら)()(こと)もあるだらうが、こゝが()(まん)だと(おも)つて、(しん)(ばう)してくれ(たま)へ。(けつ)して(きみ)(ため)にならない(やう)(こと)はしないから」

 「(いろ)(/\)()(じやう)た、どんな()(じやう)です」

 「(それ)(すこ)()()つてるんだが、まあ(だん)(/\)(わか)りますよ。(ぼく)(はな)さないでも()(ぜん)(わか)つて()るです、ね(よし)(かは)(くん)

 「えゝ(なか)(/\)()()つてますからね。(いつ)(てう)(いつ)(せき)にや(たう)(てい)(わか)りません。(しか)(だん)(/\)(わか)ります、(ぼく)(はな)さないでも()(ぜん)(わか)つて()るです」と()だは(あか)シヤツと(おな)(やう)(こと)()ふ。

 「そんな(めん)(だう)()(じやう)なら()かなくてもいゝんですが、あなたの(はう)から(はな)()したから(うかゞ)ふんです」

 「そりや()(もつとも)だ。こつちで(くち)()つて、あとをつけないのは()(せき)(にん)ですね。(それ)ぢや(これ)(だけ)(こと)()つて()きませう。あなたは(しつ)(れい)ながら、まだ(がく)(かう)(そつ)(げふ)したてで、(けう)()(はじ)めての、(けい)(けん)である。(ところ)(がく)(かう)()ふものは(なか)(/\)(じやう)(じつ)のあるもので、さう(しよ)(せい)(りう)(たん)(ぱく)には()かないですからね」

 「(たん)(ぱく)()かなければ、どんな(ふう)()くんです」

 「さあ(きみ)はさう(そつ)(ちよく)だから、まだ(けい)(けん)(とぼ)しいと()ふんですがね……」

 「どうせ(けい)(けん)には(とぼ)しい(はず)です。()(れき)(しよ)にもかいときましたが二十三(ねん)四ケ(げつ)ですから」

 「さ、そこで(おも)はぬ(へん)から(じよう)ぜられる(こと)があるんです」

 「(しやう)(ぢき)にして()れば(だれ)(じよう)じたつて(こは)くはないです」

 「()(ろん)(こは)くはない、(こは)くはないが、(じよう)ぜられる。(げん)(きみ)(ぜん)(にん)(しや)がやられたんだから、()()けないといけないと()ふんです」

 ()だが大人(おとな)しくなつたなと()()いて、ふり()いて()ると、いつしか(とも)(はう)(せん)(どう)(つり)(はなし)をして()る。()だが()ないんで()(ぽど)(はな)しよくなつた。

 「(ぼく)(ぜん)(にん)(しや)が、()れに(じよう)ぜられたんです」

 「だれと()すと、(その)(ひと)(めい)()(くわん)(けい)するから()へない。(また)(はん)(ぜん)(しよう)()のない(こと)だから()ふと此方(こつち)(おち)()になる。とにかく、(せつ)(かく)(きみ)()たもんだから、こゝで(しつ)(ぱい)しちや(ぼく)()(きみ)()んだ()()がない。どうか()()けてくれ(たま)へ」

 「()をつけろつたつて、(これ)より()()(やう)はありません。わるい(こと)をしなけりや()いんでせう」

 (あか)シヤツはホヽヽヽと(わら)つた。(べつ)(だん)おれは(わら)はれる(やう)(こと)()つた(おぼえ)はない。(こん)(にち)(たゞ)(いま)(いた)(まで)(これ)でいゝと(かた)(しん)じて()る。(かんが)へて()ると()(けん)(だい)()(ぶん)(ひと)はわるくなる(こと)(しやう)(れい)して()(やう)(おも)ふ。わるくならなければ(しや)(くわい)(せい)(こう)はしないものと(しん)じて()るらしい。たまに(しやう)(ぢき)(じゆん)(すゐ)(ひと)()ると、()つちやんだの()(ぞう)だのと(なん)(くせ)をつけて(けい)(べつ)する。(それ)ぢや(せう)(がく)(かう)(ちゆう)(がく)(かう)(うそ)をつくな、(しやう)(ぢき)にしろと(りん)()(せん)(せい)(をし)へない(はう)がいゝ。いつそ(おも)()つて(がく)(かう)(うそ)をつく(はふ)とか、(ひと)(しん)じない(じゆつ)とか、(ひと)()せる(さく)(けう)(じゆ)する(はう)が、()(ため)にも(たう)(にん)(ため)にもなるだらう。(あか)シヤツがホヽヽヽと(わら)つたのは、おれの(たん)(じゆん)なのを(わら)つたのだ。(たん)(じゆん)(しん)(そつ)(わら)はれる()(なか)ぢや()(やう)がない。(きよ)はこんな(とき)(けつ)して(わら)つた(こと)はない。(おほい)(かん)(しん)して()いたもんだ。(きよ)(はう)(あか)シヤツより()(ぽど)(じやう)(とう)だ。

 「()(ろん)()るい(こと)をしなければ()いんですが、()(ぶん)(だけ)()るい(こと)をしなくつても、(ひと)()るいのが(わか)らなくつちや、()()りひどい()()ふでせう。()(なか)には(らい)(らく)(やう)()えても、(たん)(ぱく)(やう)()えても、(しん)(せつ)()宿(しゆく)()()なんかしてくれても、(めつ)()()(だん)()()ないのがありますから……。(だい)()(さむ)くなつた。もう(あき)ですね、(はま)(はう)(もや)でセピヤ(いろ)になつた。いゝ()(しき)だ。おい、(よし)(かは)(くん)どうだい、あの(はま)()(しき)は……」と(おほ)きな(こゑ)()して()だを()んだ。なある(ほど)こりや()(ぜつ)ですね。()(かん)があると(しや)(せい)するんだが、()しいですね、(この)(まゝ)にして()くのはと()だは(おほい)にたゝく。

 (みなと)()()(かい)()(ひと)つついて、()(しや)(ふえ)がヒユーと()るとき、おれの()つて()(ふね)(いそ)(すな)へざぐりと、(へさき)をつき()んで(うご)かなくなつた。()(はや)()(かへ)りと、かみさんが、(はま)()つて(あか)シヤツに(あい)(さつ)する。おれは(ふな)(ばた)から、やつと(かけ)(ごゑ)をして(いそ)()()りた。

     六

 ()だは(だい)(きらひ)だ。こんな(やつ)(たく)(あん)(いし)をつけて(うみ)(そこ)(しづ)めちまふ(はう)(につ)(ぽん)(ため)だ。(あか)シヤツは(こゑ)()()はない。あれは(もち)(まへ)(こゑ)をわざと()()つてあんな(やさ)しい(やう)()せてるんだらう。いくら()()つたつて、あの(つら)ぢや()()だ。()れるものがあつたつてマドンナ(ぐらゐ)なものだ。(しか)(けう)(とう)(だけ)()だより()づかしい(こと)()ふ。うちへ(かへ)つて、あいつの(まを)(でう)(かんが)へて()ると(いち)(おう)(もつと)もの(やう)でもある。(はん)(ぜん)とした(こと)()はないから、(けん)(たう)がつきかねるが、(なん)でも(やま)(あらし)がよくない(やつ)だから(よう)(じん)しろと()ふのらしい。それならさうと確乎(はつきり)(だん)(げん)するがいゝ、(をとこ)らしくもない。さうして、そんな()るい(けう)()なら、(はや)(めん)(しよく)さしたらよからう。(けう)(とう)なんて(ぶん)(がく)()(くせ)()()()のないもんだ。(かげ)(ぐち)をきくのでさへ、(こう)(ぜん)()(まへ)()へない(くらゐ)(をとこ)だから、(よわ)(むし)()まつてる。(よわ)(むし)(しん)(せつ)なものだから、あの(あか)シヤツも(をんな)(やう)(しん)(せつ)ものなんだらう。(しん)(せつ)(しん)(せつ)(こゑ)(こゑ)だから、(こゑ)()()らないつて、(しん)(せつ)()にしちや(すぢ)(ちが)ふ。(それ)にしても()(なか)()()()なものだ、(むし)()かない(やつ)(しん)(せつ)で、()()つた(とも)(だち)(わる)(もの)だなんて、(ひと)()鹿()にして()る。(おほ)(かた)田舍(ゐなか)だから(ばん)()(とう)(きやう)のさかに()くんだらう。(ぶつ)(さう)(ところ)だ。(いま)(くわ)()(こほ)つて、(いし)(とう)()になるかも()れない。(しか)し、あの(やま)(あらし)(せい)()(せん)(どう)するなんて、いたづらをしさうもないがな。(いち)(ばん)(じん)(ばう)のある(けう)()だと()ふから、やらうと(おも)つたら(たい)(てい)(こと)()()るかも()れないが、——(だい)一そんな(まは)りくどい(こと)をしないでも、ぢかにおれを(つら)まへて(けん)(くわ)()()けりや()(すう)(はぶ)ける(わけ)だ。おれが(じや)()になるなら、(じつ)(これ)(/\)だ、(じや)()だから()(しよく)してくれと()や、よさゝうなもんだ。(もの)(さう)(だん)づくでどうでもなる。(むか)ふの()(でう)(もつと)もなら、明日(あした)にでも()(しよく)してやる。こゝ(ばか)(こめ)()()(わけ)でもあるまい。どこの(はて)()つたつて、のたれ(じに)はしない(つもり)だ。(やま)(あらし)()(ぽど)(はな)せない(やつ)だな。

 こゝへ()(とき)(だい)(ばん)(こほり)(みづ)(おご)つたのは(やま)(あらし)だ。そんな(うら)(おもて)のある(やつ)から、(こほり)(みづ)でも(おご)つてもらつちや、おれの(かほ)(かゝ)はる。おれはたつた一(ぱい)しか()まなかつたから一(せん)(りん)しか(はら)はしちやない。(しか)し一(せん)だらうが五(りん)だらうが、()()()(おん)になつては、()(まで)(こゝろ)()ちがよくない。あした(がく)(かう)()つたら、一(せん)(りん)(かへ)して()かう。おれは(きよ)から三(ゑん)()りて()る。(その)(ゑん)は五(ねん)()つた今日(けふ)(まで)まだ(かへ)さない。(かへ)せないんぢやない。(かへ)さないんだ。(きよ)(いま)(かへ)すだらう(など)と、(かりそ)めにもおれの(くわい)(ちゆう)をあてにはして()ない。おれも(いま)(かへ)さう(など)()(にん)がましい()()()てはしない(つもり)だ。こつちがこんな(しん)(ぱい)をすればする(ほど)(きよ)(こゝろ)(うた)ぐる(やう)なもので、(きよ)(うつく)しい(こゝろ)にけちを()けると(おな)(こと)になる。(かへ)さないのは(きよ)()みつけるのぢやない、(きよ)をおれの(かた)()れと(おも)ふからだ。(きよ)(やま)(あらし)とは(もと)より(くら)(もの)にならないが、たとひ(こほり)(みづ)だらうが、(あま)(ちや)だらうが、()(にん)から(めぐみ)()けて、だまつて()るのは(むか)ふを()(かど)(にん)(げん)()()てゝ、(その)(にん)(げん)(たい)する(こう)()(しよ)()だ。(わり)(まへ)()せば(それ)(だけ)(こと)()(ところ)を、(こゝろ)のうちで難有(ありがた)いと(おん)()るのは(ぜに)(かね)()へる(へん)(れい)ぢやない。()()()(かん)でも(いち)(にん)(まへ)(どく)(りつ)した(にん)(げん)だ。(どく)(りつ)した(にん)(げん)(あたま)()げるのは百(まん)(りやう)より(たつ)とい()(れい)(おも)はなければならない。

 おれは(これ)でも(やま)(あらし)に一(せん)(りん)(ふん)(ぱつ)させて、百(まん)(りやう)より(たつ)とい(へん)(れい)をした()()る。(やま)(あらし)難有(ありがた)いと(おも)つて(しか)るべきだ。それに(うら)(まは)つて()(れつ)(ふる)(まひ)をするとは()しからん()(らう)だ。あした()つて一(せん)(りん)(かへ)して()()へば(かり)(かし)もない。さうして()いて(けん)(くわ)をしてやらう。

 おれはこゝ(まで)(かんが)へたら、(ねむ)くなつたからぐう/\()()()つた。あくる()(おも)()(さい)があるから、(れい)(こく)より()()(しゆつ)(かう)して(やま)(あらし)()()けた。(ところ)(なか)(/\)()()ない。うらなりが()()る。(かん)(がく)(せん)(せい)()()る。()だが()()る。()(まひ)には(あか)シヤツ(まで)()()たが(やま)(あらし)(つくゑ)(うへ)(はく)(ぼく)が一(ぽん)(たて)()()(だけ)(かん)(せい)なものだ。おれは、(ひかへ)(じよ)()()るや(いな)(かへ)さうと(おも)つて、うちを()(とき)から、()(せん)(やう)()(ひら)()れて一(せん)(りん)(がく)(かう)(まで)(にぎ)つて()た。おれは(あぶら)()だから、()けて()ると一(せん)(りん)(あせ)をかいて()る。(あせ)をかいてる(ぜに)(かへ)しちや、(やま)(あらし)(なん)とか()ふだらうと(おも)つたから、(つくゑ)(うへ)()いてふう/\()いて(また)(にぎ)つた。(ところ)(あか)シヤツが()昨日(きのふ)(しつ)(けい)(めい)(わく)でしたらうと()つたから、(めい)(わく)ぢやありません、()(かげ)(はら)()りましたと(こた)へた。すると(あか)シヤツは(やま)(あらし)(つくゑ)(うへ)(ひぢ)()いて、あの(ばん)(だい)(づら)をおれの(はな)(そく)(めん)()つて()たから、(なに)をするかと(おも)つたら、(きみ)昨日(きのふ)(かへ)りがけに(ふね)(なか)(はな)した(こと)は、()(みつ)にしてくれ(たま)へ。まだ(だれ)にも(はな)しやしますまいねと()つた。(をんな)(やう)(こゑ)()(だけ)(しん)(ぱい)(しやう)(をとこ)()える。(はな)さない(こと)(たし)かである。(しか)(これ)から(はな)さうと()(こゝろ)()ちで、(すで)に一(せん)(りん)()(ひら)(よう)()して()(くらゐ)だから、こゝで(あか)シヤツから(くち)()めをされちや、()(こま)る。(あか)シヤツも(あか)シヤツだ。(やま)(あらし)()()さないにしろ、あれ(ほど)(すゐ)(さつ)()()(なぞ)をかけて()きながら、(いま)(さら)(その)(なぞ)()いちや(めい)(わく)だとは(けう)(とう)とも(おも)へぬ()(せき)(にん)だ。(ぐわん)(らい)ならおれが(やま)(あらし)(せん)(さう)をはじめて(しのぎ)(けづ)つてる(まん)(なか)()(だう)(/\)とおれの(かた)()つべきだ。(それ)でこそ(いつ)(かう)(けう)(とう)で、(あか)シヤツを()()(しゆ)()()つと()ふもんだ。

 おれは(けう)(とう)(むか)つて、まだ(だれ)にも(はな)さないが、(これ)から(やま)(あらし)(だん)(ぱん)する(つもり)だと()つたら、(あか)シヤツは(おほい)(らう)(ばい)して、(きみ)そんな()(はふ)(こと)をしちや(こま)る。(ぼく)(ほつ)()(くん)(こと)()いて、(べつ)(だん)(きみ)(なに)(めい)(げん)した(おぼ)えはないんだから——(きみ)がもし(こゝ)(らん)(ばう)(はたら)いてくれると、(ぼく)()(じやう)(めい)(わく)する。(きみ)(がく)(かう)(さう)(どう)(おこ)(つも)りで()たんぢやなからうと(めう)(じやう)(しき)をはづれた(しつ)(もん)をするから、(あた)(まへ)です、(げつ)(きふ)をもらつたり、(さう)(どう)(おこ)したりしちや、(がく)(かう)(はう)でも(こま)るでせうと()つた。すると(あか)シヤツはそれぢや昨日(きのふ)(こと)(きみ)(さん)(かう)(だけ)にとめて、(こう)(ぐわい)してくれるなと(あせ)をかいて()(らい)(およ)ぶから、よろしい、(ぼく)(こま)るんだが、そんなにあなたが(めい)(わく)ならよしませうと()()つた。(きみ)(だい)(ぢやう)()かいと(あか)シヤツは(ねん)()した。どこ(まで)(をんな)らしいんだか(おく)(ゆき)がわからない。(ぶん)(がく)()なんて、みんなあんな(れん)(ぢゆう)なら(つま)らんものだ。(つじ)(つま)()はない、(ろん)()()けた(ちゆう)(もん)をして(てん)(ぜん)として()る。(しか)(この)おれを(うた)ぐつてる。(はゞか)りながら(をとこ)だ。()()つた(こと)(うら)(まは)つて()()にする(やう)なさもしい(れう)(けん)()つてるもんか。

 (ところ)(りやう)(どな)りの(つくゑ)(しよ)(いう)(ぬし)(しゆつ)(かう)したんで、(あか)シヤツは(さう)(/\)()(ぶん)(せき)(かへ)つて()つた。(あか)シヤツは()るき(かた)から()()つてる。()()(なか)(わう)(らい)するのでも、(おと)()てない(やう)(くつ)(そこ)をそつと(おと)す。(おと)()てないであるくのが()(まん)になるもんだとは、(この)(とき)から(はじ)めて()つた。(どろ)(ぼう)(けい)()ぢやあるまいし、(あた)(まへ)にするがいゝ。やがて()(げふ)(らつ)()がなつた。(やま)(あらし)はとう/\()()ない。()(かた)がないから、一(せん)(りん)(つくゑ)(うへ)()いて(けう)(ぢやう)()()けた。

 (じゆ)(げふ)()(がふ)で一()(かん)()(すこ)(おく)れて、(ひかへ)(じよ)(かへ)つたら、ほかの(けう)()はみんな(つくゑ)(ひか)へて(はなし)をして()る。(やま)(あらし)もいつの()にか()()る。(けつ)(きん)だと(おも)つたら()(こく)したんだ。おれの(かほ)()るや(いな)今日(けふ)(きみ)()(かげ)()(こく)したんだ。(ばつ)(きん)()(たま)へと()つた。おれは(つくゑ)(うへ)にあつた一(せん)(りん)()して、(これ)をやるから()つて()け。(せん)(だつ)(とほり)(ちやう)()んだ(こほり)(みづ)(だい)だと(やま)(あらし)(まへ)()くと、(なに)()つてるんだと(わら)ひかけたが、おれが(ぞん)(ぐわい)()()()()るので、(つま)らない(じよう)(だん)をするなと(ぜに)をおれの(つくゑ)(うへ)()(かへ)した。おや(やま)(あらし)(くせ)にどこ(まで)(おご)()だな。

 「(じよう)(だん)ぢやない(ほん)(たう)だ。おれは(きみ)(こほり)(みづ)(おご)られる(いん)(えん)がないから、()すんだ。()らない(はふ)があるか」

 「そんなに一(せん)(りん)()になるなら()つてもいゝが、なぜ(おも)()した(やう)に、(いま)()(ぶん)(かへ)すんだ」

 「(いま)()(ぶん)でも、いつ()(ぶん)でも、(かへ)すんだ。(おご)られるのが、いやだから(かへ)すんだ」

 (やま)(あらし)(れい)(ぜん)とおれの(かほ)()てふんと()つた。(あか)シヤツの()(らい)がなければ、こゝで(やま)(あらし)()(れつ)をあばいて(おほ)(げん)(くわ)をしてやるんだが、(こう)(ぐわい)しないと()()つたんだから(うご)きがとれない。(ひと)がこんなに(まつ)()になつてるのにふん[#「ふん」に傍点]と()()(くつ)があるものか。

 「(こほり)(みづ)(だい)()()るから、()宿(しゆく)()()れ」

 「一(せん)(りん)()()れば(それ)でいゝ。()宿(しゆく)()やうが()まいがおれの(かつ)()だ」

 「(ところ)(かつ)()でない、昨日(きのふ)、あすこの(てい)(しゆ)()(きみ)()(もら)ひたいと()ふから、(その)(わけ)()いたら(てい)(しゆ)()ふのは(もつと)もだ。(それ)でももう(いち)(おう)(たし)かめる(つも)りで今朝(けさ)あすこへ()つて(くは)しい(はなし)()いてきたんだ」

 おれには(やま)(あらし)()(こと)(なん)()()だか(わか)らない。

 「(てい)(しゆ)(きみ)(なに)(はな)したんだか、おれが()つてるもんか。さう()(ぶん)(だけ)()めたつて()(やう)があるか。(わけ)があるなら、(わけ)(はな)すが(じゆん)だ。てんから(てい)(しゆ)()(はう)(もつと)もだなんて(しつ)(けい)(せん)(ばん)(こと)()ふな」

 「うん、そんなら()つてやらう。(きみ)(らん)(ばう)であの()宿(しゆく)()()まされて()るんだ。いくら()宿(しゆく)(によう)(ばう)だつて、()(ぢよ)たあ(ちが)ふぜ。(あし)()して(ふか)かせるなんて、()()()ぎるさ」

 「おれが、いつ()宿(しゆく)(によう)(ばう)(あし)()かせた」

 「()かせたかどうだか()らないが、()(かく)(むか)ふぢや、(きみ)(こま)つてるんだ。()宿(しゆく)(れう)の十(ゑん)や十五(ゑん)(かけ)(もの)を一(ぷく)()りや、すぐ()いてくるつて()つてたぜ」

 「()いた(ふう)(こと)をぬかす()(らう)だ。そんなら、なぜ()いた」

 「なぜ()いたか、(ぼく)()らん、()くことは()いたんだが、いやになつたんだから、()ろと()ふんだらう。(きみ)()てやれ」

 「(あた)(まへ)だ。()てくれと()(あは)せたつて、()るものか。(いつ)(たい)そんな()(がゝ)りを()(やう)(ところ)(しう)(せん)する(きみ)からしてが()(らち)だ」

 「おれが()(らち)か、(きみ)大人(おとな)しくないんだか、どつちかだらう」

 (やま)(あらし)もおれに(おと)らぬ(かん)(しやく)()ちだから、()(ぎらひ)(おほ)きな(こゑ)()す。(ひかへ)(じよ)()(れん)(ぢゆう)(なに)(ごと)(はじ)まつたかと(おも)つて、みんな、おれと(やま)(あらし)(はう)()て、(あご)(なが)くしてぼんやりして()る。おれは、(べつ)()づかしい(こと)をした(おぼ)えはないんだから、()()がりながら、()()(ぢゆう)(ひと)(とほ)()()はしてやつた。みんなが(おど)ろいてるなかに()(だけ)(おも)(しろ)さうに(わら)つて()た。おれの(おほ)きな()が、()(さま)(けん)(くわ)をする(つも)りかと()(けん)(まく)で、()だの(かん)(ぺう)づらを()()いた(とき)に、()だは(とつ)(ぜん)()()()(かほ)をして、(おほい)につゝしんだ。(すこ)()はかつたと()える。(その)うち(らつ)()()る。(やま)(あらし)もおれも(けん)(くわ)(ちゆう)()して(けう)(ぢやう)()た。

 ()()は、(せん)()おれに(たい)して()(れい)(はたら)いた()宿(しゆく)(せい)(しよ)(ぶん)(はふ)(つい)ての(くわい)()だ。(くわい)()()ふものは(うま)れて(はじ)めてだから(とん)(よう)()(わか)らないが、(しよく)(ゐん)()つて、たかつて()(ぶん)(かつ)()(せつ)をたてゝ、(それ)(かう)(ちやう)()()(げん)(まと)めるのだらう。(まと)めると()ふのは(こく)(びやく)(けつ)しかねる(こと)(がら)(つい)()ふべき(こと)()だ。この()(あひ)(やう)な、(だれ)()たつて、()()(がふ)としか(おも)はれない()(けん)(くわい)()をするのは(ひま)(つぶ)しだ。(だれ)(なん)(かい)(しやく)したつて()(せつ)()(やう)(はず)がない。こんな(めい)(はく)なのは(そく)()(かう)(ちやう)(しよ)(ぶん)して()()へばいゝに。(ずゐ)(ぶん)(けつ)(だん)のない(こと)だ。(かう)(ちやう)つてものが、これならば、(なん)(こと)はない、煑()()らない()()()(みやう)だ。

 (くわい)()(しつ)(かう)(ちやう)(しつ)(とな)りにある(ほそ)(なが)()()で、(へい)(じやう)(しよく)(だう)(だい)()(つと)める。(くろ)(かは)()つた()()が二十(きやく)ばかり、(なが)いテーブルの(しう)()(なら)んで一寸(ちよつと)(かん)()西(せい)(やう)(れう)()()(ぐらゐ)(かく)だ。(その)テーブルの(はじ)(かう)(ちやう)(すわ)つて、(かう)(ちやう)(とな)りに(あか)シヤツが(かま)へる。あとは(かつ)()()(だい)(せき)()くんださうだが、(たい)(さう)(けう)()(だけ)はいつも(せき)(まつ)(けん)(そん)すると()(はなし)だ。おれは(やう)()(わか)らないから、(はく)(ぶつ)(けう)()(かん)(がく)(けう)()(あひだ)()()()んだ。(むか)ふを()ると(やま)(あらし)()だが(なら)んでる。()だの(かほ)はどう(かんが)へても(れつ)(とう)だ。(けん)(くわ)はしても(やま)(あらし)(はう)(はる)かに(おもむき)がある。おやぢの(さう)(しき)(とき)()日向(びなた)(やう)(げん)()()(しき)にかゝつてた(かけ)(もの)(この)(かほ)によく()()る。(ばう)()()いて()たら()()(てん)()(くわい)(ぶつ)ださうだ。今日(けふ)(おこ)つてるから、()をぐる/\(まは)しちや、(とき)(/″\)おれの(はう)()る。そんな(こと)威嚇(おど)かされて()まるもんかと、おれも()けない()で、()()()をぐりつかせて、(やま)(あらし)をにらめてやつた。おれの()(かつ)(かう)はよくないが、(おほ)きい(こと)(おい)ては(たい)(てい)(ひと)には()けない。あなたは()(おほ)きいから(やく)(しや)になると(きつ)()()()ひますと(きよ)がよく()つた(くらゐ)だ。

 もう(たい)(てい)()(そろひ)でせうかと(かう)(ちやう)()ふと、(しよ)()(かは)(むら)()ふのが(ひと)(ふた)つと(あたま)(かず)(かん)(ぢやう)して()る。一人(ひとり)()りない。一人(ひとり)()(そく)ですがと(かんが)へてゐたが、(これ)()りない(はず)だ。(たう)()()のうらなり(くん)()()ない。おれとうらなり(くん)とはどう()宿(すく)()(いん)(えん)かしらないが、(この)(ひと)(かほ)()()(らい)どうしても(わす)れられない。(ひかへ)(じよ)へくれば、すぐ、うらなり(くん)()につく、()(ちゆう)をあるいて()ても、うらなり(せん)(せい)(やう)()(こゝろ)(うか)ぶ。(をん)(せん)()くと、うらなり(くん)(とき)(/″\)(あを)(かほ)をして()(つぼ)のなかに(ふく)れて()る。(あい)(さつ)をするとへえと(きよう)(しゆく)して(あたま)()げるから()(どく)になる。(がく)(かう)()てうらなり(くん)(ほど)大人(おとな)しい(ひと)()ない。(めつ)()(わら)つた(こと)もないが、()(けい)(くち)をきいた(こと)もない。おれは(くん)()()(こと)()(しよ)(もつ)(うへ)()つてるが、(これ)()(びき)にある(ばか)りで、()きてるものではないと(おも)つてたが、うらなり(くん)()つてから(はじ)めて、()()(しやう)(たい)のある()()だと(かん)(しん)した(くらゐ)だ。

 (この)(くらゐ)(くわん)(けい)(ふか)(ひと)(こと)だから、(くわい)()(しつ)()()るや(いな)や、うらなり(くん)()ないのは、すぐ()がついた。(じつ)()ふと、(この)(をとこ)(つぎ)へでも()はらうかと、ひそかに()(じるし)にして()(くらゐ)だ。(かう)(ちやう)はもうやがて()えるでせうと、()(ぶん)(まへ)にある(むらさき)(ふく)()(づゝみ)をほどいて、(こん)(にやく)(ばん)(やう)(もの)()んで()る。(あか)シヤツは()(はく)のパイプを(きぬ)ハンケチで(みが)(はじ)めた。(この)(をとこ)(これ)(だう)(らく)である。(あか)シヤツ(さう)(たう)(ところ)だらう。ほかの(れん)(ぢゆう)(とな)(どう)()(なん)だか私語(さゝや)()つて()る。()(もち)()()()なのは(えん)(ぴつ)(しり)()いて()る、()()(あたま)でテーブルの(うへ)へしきりに(なに)()いて()る。()だは(とき)(/″\)(やま)(あらし)(はな)しかけるが、(やま)(あらし)(いつ)(かう)(おう)じない。(たゞ)うん[#「うん」に傍点]とかあゝ[#「あゝ」に傍点]と()(ばか)りで、(とき)(/″\)(こは)()をして、おれの(はう)()る。おれも()けずに(にら)(かへ)す。

 (ところ)()ちかねた、うらなり(くん)()(どく)さうに()()つて()(せう)(/\)(よう)()がありまして、()(こく)(いた)しましたと(いん)(ぎん)(たぬき)(あい)(さつ)をした。では(くわい)()(ひら)きますと(たぬき)()(しよ)()(かは)(むら)(くん)(こん)(にやく)(ばん)(はい)()させる。()ると(さい)(しよ)(しよ)(ぶん)(けん)(つぎ)(せい)()(とり)(しまり)(けん)(その)()二三ケ(でう)である。(たぬき)(れい)(とほ)(もつ)(たい)ぶつて、(けう)(いく)(いき)(りやう)()()えでこんな()()(こと)()べた。「(がく)(かう)(しよく)(ゐん)(せい)()(くわ)(しつ)のあるのは、みんな()(ぶん)(くわ)(とく)(いた)(ところ)で、(なに)()(けん)がある(たび)に、()(ぶん)はよく(これ)(かう)(ちやう)(つと)まるとひそかに(ざん)()(ねん)()へんが、()(かう)にして(こん)(くわい)(また)かゝる(さう)(どう)()(おこ)したのは、(ふか)(しよ)(くん)(むか)つて(しや)(ざい)しなければならん。(しか)(ひと)たび(おこ)つた()(じやう)()(かた)がない、どうにか(しよ)(ぶん)をせんければならん、()(じつ)(すで)(しよ)(くん)()(しよう)()(とほり)であるからして、(ぜん)()(さく)について(ふく)(ざう)のない(こと)(さん)(かう)()めに()()(くだ)さい」

 おれは(かう)(ちやう)(こと)()()いて、(なる)(ほど)(かう)(ちやう)だの(たぬき)だのと()ふものは、えらい(こと)()ふもんだと(かん)(しん)した。かう(かう)(ちやう)(なに)もかも(せき)(にん)()けて、()(ぶん)(とが)だとか、()(とく)だとか()(くらゐ)なら、(せい)()(しよ)(ぶん)するのは、やめにして、()(ぶん)から(さき)(めん)(しよく)になつたら、よさゝうなもんだ。さうすればこんな(めん)(だう)(くわい)()なんぞを(ひら)(ひつ)(えう)もなくなる(わけ)だ。(だい)(じやう)(しき)から()つても(わか)つてる。おれが大人(おとな)しく宿(しゆく)(ちよく)をする。(せい)()(らん)(ばう)をする。わるいのは(かう)(ちやう)でもなけりや、おれでもない、(せい)()(だけ)(きま)つてる。もし(やま)(あらし)(せん)(どう)したとすれば、(せい)()(やま)(あらし)退(たい)()れば(それ)(たく)(さん)だ。(ひと)(しり)()(ぶん)脊負(しよ)()んで、おれの(しり)だ、おれの(しり)だと()()らかす(やつ)が、どこの(くに)にあるもんか、(たぬき)でなくつちや()()(げい)(たう)ぢやない。(かれ)はこんな(でう)()(かな)はない()(ろん)()いて、(とく)()()(いち)(どう)()(まは)した。(ところ)(だれ)(くち)(ひら)くものがない。(はく)(ぶつ)(けう)()(だい)(けう)(ぢやう)()()(からす)がとまつてるのを(なが)めて()る。(かん)(がく)(せん)(せい)(こん)(にやく)(ばん)(たゝ)んだり、()ばしたりしてる。(やま)(あらし)はまだおれの(かほ)をにらめて()る。(くわい)()()ふものが、こんな()鹿()()たものなら、(けつ)(せき)して(ひる)()でもして()(はう)がましだ。

 おれは、ぢれつたく()つたから、(いち)(ばん)(おほい)(べん)じてやらうと(おも)つて、(はん)(ぶん)(しり)をあげかけたら、(あか)シヤツが(なに)()()したから、やめにした。()るとパイプを()()つて、(しま)のある(きぬ)ハンケチで(かほ)をふきながら、(なに)()つて()る。あの手巾(はんけち)(きつ)()マドンナから()()げたに(さう)()ない。(をとこ)(しろ)(あさ)使(つか)ふもんだ。「(わたくし)()宿(しゆく)(せい)(らん)(ばう)()いて(はなは)(けう)(とう)として()(ゆき)(とゞき)であり、()(へい)(じやう)(とく)(くわ)(せう)(ねん)(およ)ばなかつたのを(ふか)()づるのであります。でかう()(こと)は、(なに)(かん)(けつ)があると(おこ)るもので、()(けん)(その)(もの)()ると(なん)だか(せい)()(だけ)がわるい(やう)であるが、(その)(しん)(さう)(きは)めると(せき)(にん)(かへ)つて(がく)(かう)にあるかも()れない。だから(へう)(めん)(じやう)にあらはれた(ところ)(だけ)(げん)(ぢゆう)(せい)(さい)(くは)へるのは、(かへつ)()(らい)(ため)によくないかとも(おも)はれます。()(せう)(ねん)(けつ)()のものであるから(くわつ)()があふれて、(ぜん)(あく)(かんがへ)はなく、(なか)()()(しき)にこんな惡戲(いたづら)をやる(こと)はないとも(かぎ)らん。で(もと)より(しよ)(ぶん)(はふ)(かう)(ちやう)()(かんがへ)にある(こと)だから、(わたくし)(よう)(かい)する(かぎり)ではないが、どうか(その)(へん)()(しん)(しやく)になつて、なるべく(くわん)(だい)()(とり)(はからひ)(ねが)ひたいと(おも)ひます」

 (なる)(ほど)(たぬき)(たぬき)なら、(あか)シヤツも(あか)シヤツだ。(せい)()があばれるのは、(せい)()がわるいんぢやない(けう)()()るいんだと(こう)(げん)して()る。()(ちがひ)(ひと)(あたま)(なぐ)()けるのは、なぐられた(ひと)がわるいから、()(ちがひ)がなぐるんださうだ。難有(ありがた)()(あは)せだ。(くわつ)()にみちて(こま)るなら(うん)(どう)()()相撲(すまふ)でも()るがいゝ、(なか)()()(しき)(とこ)(なか)へバツタを()れられて(たま)るもんか。(この)(やう)()ぢや()(くび)をかゝれても、(なか)()()(しき)だつて(はう)(めん)する(つもり)だらう。

 おれはかう(かんが)へて(なに)()はうかなと(かんが)へて()たが、()ふなら(ひと)(おど)ろかす(やう)(たう)(/\)()べたてなくつちや(つま)らない、おれの(くせ)として、(はら)()つたときに(くち)をきくと、(ふた)(こと)()(こと)(かなら)()(つま)つて()()ふ。(たぬき)でも(あか)シヤツでも(じん)(ぶつ)から()ふと、おれよりも()(とう)だが、(べん)(ぜつ)(なか)(/\)(たつ)(しや)だから、まづい(こと)喋舌(しやべ)つて(あげ)(あし)()られちや(おも)(しろ)くない。一寸(ちよつと)(ふく)(あん)(つく)つて()(やう)と、(むね)のなかで(ぶん)(しやう)(つく)つてる。すると(まへ)()()だが(とつ)(ぜん)()(りつ)したには(おど)ろいた。()だの(くせ)()(けん)()べるなんて(なま)()()だ。()だは(れい)のへら/\調(てう)で「(じつ)(こん)(くわい)のバツタ()(けん)(およ)(とつ)(かん)()(けん)(われ)(/\)(こゝろ)ある(しよく)(ゐん)をして、ひそかに(わが)(かう)(しやう)(らい)(ぜん)()()()(ねん)(いだ)かしむるに()(ちん)()でありまして、(われ)(/\)(しよく)(ゐん)たるものは(この)(さい)(ふる)つて(みづか)(かへり)りみて、(ぜん)(かう)(ふう)()(しん)(しゆく)しなければなりません。それで(たゞ)(いま)(かう)(ちやう)(およ)(けう)(とう)()()べになつた()(せつ)は、(じつ)(こう)(けい)(あた)つた(がい)(せつ)()(かんが)へで(わたくし)(てつ)(とう)(てつ)()(さん)(せい)(いた)します。どうか()るべく(くわん)(だい)()(しよ)(ぶん)(あふ)ぎたいと(おも)ひます」と()つた。()だの()(こと)(げん)()はあるが()()がない、(かん)()をのべつに(ちん)(れつ)するぎりで(わけ)(わか)らない。(わか)つたのは(てつ)(とう)(てつ)()(さん)(せい)(いた)しますと()(こと)()だけだ。

 おれは()だの()()()(わか)らないけれども、(なん)だか()(じやう)(はら)()つたから、(ふく)(あん)()()ないうちに()()がつて()()つた。「(わたくし)(てつ)(とう)(てつ)()(はん)(たい)です……」と()つたがあとが(きふ)()()ない。「……そんな(とん)(ちん)(かん)な、(しよ)(ぶん)(だい)(きらひ)です」とつけたら、(しよく)(ゐん)(いち)(どう)(わら)()した。「(いつ)(たい)(せい)()(ぜん)(ぜん)()るいです。どうしても(あや)まらせなくつちあ、(くせ)になります。退(たい)(かう)さしても(かま)ひません。……(なん)(しつ)(けい)な、(あたら)しく()(けう)()だと(おも)つて……」と()つて(ちやく)(せき)した。すると(みぎ)(どな)りに()(はく)(ぶつ)が「(せい)()がわるい(こと)も、わるいが、あまり(げん)(ぢゆう)(ばつ)(など)をすると(かへ)つて(はん)(どう)(おこ)していけないでせう。()()(けう)(とう)(おつ)しやる(とほ)り、(くわん)(はう)(さん)(せい)します」と(よわ)(こと)()つた。(ひだり)(どなり)(かん)(がく)(をん)便(びん)(せつ)(さん)(せい)()つた。(れき)()(けう)(とう)(どう)(せつ)だと()つた。(いま)(/\)しい、(たい)(てい)のものは(あか)シヤツ(たう)だ。こんな(れん)(ぢゆう)()()つて(がく)(かう)()てゝ()りや()()はない。おれは(せい)()をあやまらせるか、()(しよく)するか(ふた)つのうち(ひと)つに()めてるんだから、もし(あか)シヤツが()ちを(せい)したら、(さつ)(そく)うちへ(かへ)つて()(づく)りをする(かく)()()た。どうせ、こんな()(あひ)(べん)(こう)(くつ)(ぷく)させる()(ぎは)はなし、させた(ところ)でいつ(まで)()(かう)(さい)(ねが)ふのは、此方(こつち)()(めん)だ。(がく)(かう)()ないとすればどうなつたつて(かま)ふもんか。また(なに)()ふと(わら)ふに(ちがひ)ない。だれが()ふもんかと(すま)して()た。

 すると(いま)(まで)だまつて()いて()(やま)(あらし)(ふん)(ぜん)として、()()がつた。()(らう)(また)(あか)シヤツ(さん)(せい)()(へう)するな、どうせ、()(さま)とは(けん)(くわ)だ、(かつ)()にしろと()てゐると(やま)(あらし)硝子(ガラス)(まど)(ふる)はせる(やう)(こゑ)で「(わたくし)(けう)(とう)(およ)(その)()(しよ)(くん)()(せつ)には(ぜん)(ぜん)()(どう)()であります。と()ふものは(この)()(けん)はどの(てん)から()ても、五十(めい)()宿(しゆく)(せい)(しん)(らい)(けう)()(ぼう)()(けい)()して(これ)(ほん)(ろう)(やう)とした(しよ)()とより(ほか)には(みと)められんのであります。(けう)(とう)(その)(げん)(いん)(けう)()(じん)(ぶつ)如何(いかん)()(もと)めになる(やう)でありますが(しつ)(れい)ながら(それ)(しつ)(げん)かと(おも)ひます。(ぼう)()宿(しゆく)(ちよく)にあたられたのは(ちやく)()(さう)(/\)(こと)で、()(せい)()(せつ)せられてから二十(はつ)()滿()たぬ(ころ)であります。(この)(みじ)かい二十(はつ)()(かん)(おい)(せい)()(きみ)(がく)(もん)(じん)(ぶつ)(ひやう)()()()()がないのであります。(けい)()されべき()(たう)()(いう)があつて、(けい)()()けたのなら(せい)()(かう)()(しん)(しやく)(くは)へる()(いう)もありませうが、(なん)()(げん)(いん)もないのに(しん)(らい)(せん)(せい)()(らう)する(やう)(けい)(はく)(せい)()(くわん)()しては(がく)(かう)()(しん)(かゝ)はる(こと)(おも)ひます。(けう)(いく)(せい)(しん)(たん)(がく)(もん)(さづ)ける(ばか)りではない、(かう)(しやう)な、(しやう)(ぢき)な、()()(てき)(げん)()()(すゐ)すると(どう)()に、()()な、(けい)(さう)な、(ばう)(まん)(あく)(ふう)(さう)(たう)するにあると(おも)ひます。もし(はん)(どう)(おそろ)しいの、(さう)(どう)(おほ)きくなるのと()(そく)(こと)()つた()には(この)(へい)(ふう)はいつ(けう)(せい)()()るか()れません。かゝる(へい)(ふう)()(ぜつ)する()めにこそ(われ)(/\)(この)(がく)(かう)(しよく)(ほう)じて()るので、(これ)()()がす(くらゐ)なら(はじ)めから(けう)()にならん(はう)がいゝと(おも)ひます。(わたくし)()(じやう)()(いう)()宿(しゆく)(せい)(いち)(どう)(げん)(ばつ)(しよ)する(うへ)に、(たう)(がい)(けう)()(めん)(ぜん)(おい)(おほや)けに(しや)(ざい)()(へう)せしむるのを()(たう)(しよ)()(こゝろ)()ます」と()ひながら、どんと(こし)(おろ)した。(いち)(どう)はだまつて(なん)にも()はない。(あか)シヤツは(また)パイプを()(はじ)めた。おれは(なん)だか()(じやう)(うれ)しかつた。おれの()はうと(おも)(ところ)をおれの(かは)りに(やま)(あらし)がすつかり()つてくれた(やう)なものだ。おれはかう()(たん)(じゆん)(にん)(げん)だから、(いま)(まで)(けん)(くわ)(まる)(わす)れて、(おほい)いに難有(ありがた)いと()(かほ)(もつ)て、(こし)(おろ)した(やま)(あらし)(はう)()たら、(やま)(あらし)(いつ)(かう)()らん(かほ)をしてゐる。

 しばらくして(やま)(あらし)(また)()(りつ)した。「(たゞ)(いま)一寸(ちよつと)(しつ)(ねん)して()(おと)しましたから、(まを)します。(たう)()宿(しゆく)(ちよく)(ゐん)宿(しゆく)(ちよく)(ちゆう)(ぐわい)(しゆつ)して(をん)(せん)()かれた(やう)であるが、あれは(もつ)ての(ほか)(こと)(かんが)へます。(いや)しくも()(ぶん)(いつ)(かう)()()(ばん)()()けながら、(とが)める(もの)のないのを(さいはひ)に、()(しよ)もあらうに(をん)(せん)(など)(にふ)(たう)()(など)()ふのは(おほき)(しつ)(たい)である。(せい)()(せい)()として、(この)(てん)(つい)ては(かう)(ちやう)からとくに(せき)(にん)(しや)()(ちゆう)()あらん(こと)()(ばう)します」

 (めう)(やつ)だ、ほめたと(おも)つたら、あとからすぐ(ひと)(しつ)(さく)をあばいて()る。おれは(なん)()もなく、(まへ)宿(しゆく)(ちよく)()あるいた(こと)()つて、そんな(しふ)(くわん)だと(おも)つて、つい(をん)(せん)(まで)()つて()()つたんだが、(なる)(ほど)さう()はれて()ると、これはおれが()るかつた。(こう)(げき)されても()(かた)がない。そこでおれは(また)()つて「(わたくし)(まさ)宿(しゆく)(ちよく)(ちゆう)(をん)(せん)()きました。(これ)(まつた)くわるい。あやまります」と()つて(ちやく)(せき)したら、(いち)(どう)(また)(わら)()した。おれが(なに)()ひさへすれば(わら)ふ。つまらん(やつ)()だ。()(さま)()(これ)(ほど)()(ぶん)のわるい(こと)(おほや)けにわるかつたと(だん)(げん)()()るか、()()ないから(わら)ふんだらう。

 (それ)から(かう)(ちやう)は、もう(たい)(てい)()()(けん)もない(やう)でありますから、よく(かんが)へた(うへ)(しよ)(ぶん)しませうと()つた。(ついで)だから(その)(けつ)(くわ)()ふと、()宿(しゆく)(せい)は一(しう)(かん)(きん)(そく)になつた(うへ)に、おれの(まへ)()(しや)(ざい)をした。(しや)(ざい)をしなければ(その)(とき)()(しよく)して(かへ)(ところ)だつたがなまじい、おれの()(とほり)になつたのでとう/\(たい)(へん)(こと)になつて()()つた。(それ)はあとから(はな)すが、(かう)(ちやう)(この)(とき)(くわい)()()(つゞ)きだと(がう)してこんな(こと)()つた。(せい)()(ふう)()は、(けう)()(かん)(くわ)(たゞ)していかなくてはならん、(その)(いつ)(ちやく)(しゆ)として、(けう)()可成(なるべく)(いん)(しよく)(てん)(など)(しゆつ)(にふ)しない(こと)にしたい。(もつと)(そう)(べつ)(くわい)(など)(せつ)(とく)(べつ)であるが、(たん)(どく)にあまり(じやう)(とう)でない()(しよ)()くのはよしたい——たとへば()()()だの、(だん)()()だの——と()ひかけたら(また)(いち)(どう)(わら)つた。()だが(やま)(あらし)()(てん)()()()つて()くばせをしたが(やま)(あらし)()()はなかつた。いゝ()()だ。

 おれは(なう)がわるいから、(たぬき)()ふことなんか、よく(わか)らないが、()()()(だん)()()()つて、(ちゆう)(がく)(けう)()(つと)まらなくつちや、おれ()(やう)()(しん)(ぼう)にや(たう)(てい)()()()ないと(おも)つた。それなら、(それ)でいゝから、(しよ)()から()()(だん)()(きらひ)なものと(ちゆう)(もん)して(やと)ふがいゝ。だんまりで()(れい)()げて()いて、()()()ふな、(だん)()()ふなと(つみ)()()()()すのは、おれの(やう)(ほか)(だう)(らく)のないものに()つては(たい)(へん)()(げき)だ。すると(あか)シヤツが(また)(くち)()した。「(ぐわん)(らい)(ちゆう)(がく)(けう)()なぞは(しや)(くわい)(じやう)(りう)(くらゐ)するものだからして、(たん)(ぶつ)(しつ)(てき)(くわい)(らく)ばかり(もと)める()きものでない。(その)(はう)(ふけ)るとつい(ひん)(せい)にわるい(えい)(きやう)(およ)ぼす(やう)になる。(しか)(にん)(げん)だから、(なに)()(らく)がないと、田舍(ゐなか)()(せま)()()では(たう)(てい)(くら)せるものではない。(それ)(つり)()くとか、(ぶん)(がく)(しよ)()むとか、(また)(しん)(たい)()(はい)()(つく)るとか、(なん)でも(かう)(しやう)(せい)(しん)(てき)()(らく)(もと)めなくつてはいけない……」

 だまつて()いてると(かつ)()(ねつ)()く。(おき)()つて肥料(こやし)()つたり、ゴルキが()西()()(ぶん)(がく)(しや)だつたり、()(じみ)(げい)(しや)(まつ)()(した)()つたり、(ふる)(いけ)(かはづ)()()んだりするのが(せい)(しん)(てき)()(らく)なら、(てん)()()()つて(だん)()()()むのも(せい)(しん)(てき)()(らく)だ。そんな(くだ)さらない()(らく)(さづ)けるより(あか)シヤツの(せん)(たく)でもするがいゝ。あんまり(はら)()つたから「マドンナに()ふのも(せい)(しん)(てき)()(らく)ですか」と()いてやつた。すると(こん)()(だれ)(わら)はない。(めう)(かほ)をして(たがひ)()()()(あは)せて()る。(あか)シヤツ()(しん)(くる)しさうに(した)()いた。()()ろ。()いたらう。(たゞ)()(どく)だつたのはうらなり(くん)で、おれが、かう()つたら(あを)(かほ)(ます/\)(あを)くした。

     七

 おれは(そく)()()宿(しゆく)()(はら)つた。宿(やど)(かへ)つて()(もつ)をまとめて()ると、(によう)(ばう)(なに)()()(がふ)でも()()いましたか、()(はら)()(こと)があるなら、()つて()()れたら(あらた)めますと()ふ。どうも(おど)ろく。()(なか)にはどうして、こんな(えう)(りやう)()ない(もの)ばかり(そろ)つてるんだらう。()(もら)ひたいんだか、()(もら)ひたいんだか(わか)りやしない。(まる)()(ちがひ)だ。こんな(もの)(あひ)()(けん)(くわ)をしたつて()()()()()れだから、(くるま)()をつれて()てさつさと()()た。

 ()(こと)()たが、どこへ()くと()ふあてもない。(くるま)()が、どちらへ(まゐ)りますと()ふから、だまつて()いて()い、(いま)にわかる、と()つて、すた/\やつて()た。(めん)(だう)だから(やま)(しろ)()()かうかとも(かんが)へたが、(また)()なければならないから、つまり()(すう)だ。かうして歩行(ある)いてるうちには()宿(しゆく)とか、(なん)とか(かん)(ばん)のあるうちを()()()すだらう。さうしたら、そこが(てん)()(かな)つたわが宿(やど)()(こと)にしやう。とぐる/\、(かん)(せい)()みよさゝうな(ところ)をあるいてるうち、とう/\()()()(ちやう)()()()つた。こゝは()(ぞく)()(しき)()宿(しゆく)()(など)のある(まち)ではないから、もつと(にぎ)やかな(はう)()(かへ)さうかとも(おも)つたが、()()いゝ(こと)(かんが)()いた。おれが(けい)(あい)するうらなり(くん)(この)(ちやう)(ない)()んで()る。うらなり(くん)()()(ひと)(せん)()(だい)(/\)()(しき)(ひか)へてゐる(くらゐ)だから、(この)(へん)()(じやう)には(つう)じて()るに(さう)()ない。あの(ひと)(たづ)ねて()いたら、よさゝうな()宿(しゆく)(をし)へてくれるかも()れない。(さいはひ)()(あい)(さつ)()(かつ)()()つてるから、()がしてあるく(めん)(だう)はない。こゝだらうと、いゝ()(げん)(けん)(たう)をつけて、()(めん)/\と二(へん)(ばか)()ふと、(おく)から五十(ぐらゐ)(とし)(より)()(ふう)()(そく)をつけて、()()た。おれは(わか)(をんな)(きらひ)ではないが、(とし)(より)()ると(なん)だかなつかしい(こゝろ)()ちがする。(おほ)(かた)(きよ)がすきだから、(その)(たましひ)(はう)(/″\)()(ばあ)さんに()(うつ)るんだらう。(これ)(おほ)(かた)うらなり(くん)(おつ)()さんだらう。()()げの(ひん)(かく)のある()(じん)だが、よくうらなり(くん)()()る。まあ()()がりと()(ところ)を、一寸(ちよつと)()()にかゝりたいからと、(しゆ)(じん)(げん)(くわん)(まで)()()して(じつ)(これ)(/\)だが(きみ)どこか(こゝろ)(あた)りはありませんかと(たづ)ねて()た。うらなり(せん)(せい)(それ)(さぞ)()(こま)りで()()いませう、としばらく(かんが)へて()たが、(この)(うら)(まち)(はぎ)()()つて(らう)(じん)(ふう)()ぎりで()らして()るものがある、いつぞや()(しき)()けて()いても()()だから、(たし)かな(ひと)があるなら()してもいゝから(しう)(せん)してくれと(たの)んだ(こと)がある。(いま)でも()すかどうか(わか)らんが、まあ(いつ)(しよ)()つて()いて()ませうと、(しん)(せつ)()れて()つてくれた。

 (その)()から(はぎ)()(うち)()宿(しゆく)(にん)となつた。(おどろ)いたのは、おれがいか(ぎん)()(しき)()(はら)ふと、(あくる)()から()(ちがひ)()だが(へい)()(かほ)をして、おれの()()()(せん)(りやう)した(こと)だ。さすがのおれも(これ)にはあきれた。()(なか)はいかさま()(ばか)りで、()(たがひ)()せつこをして()るのかも()れない。いやになつた。

 ()(けん)がこんなものなら、おれも()けない()で、()(けん)(なみ)にしなくちや、()()れない(わけ)になる。(きん)(ちやく)()りの(うは)(まへ)をはねなければ三()()(ぜん)(いたゞ)けないと、(こと)()まればかうして、()きてるのも(かんが)(もの)だ。と()つてぴん/\した(たつ)(しや)なからだで、(くび)(くゝ)つちや(せん)()()まない(うへ)に、(ぐわい)(ぶん)(わる)い。(かんが)へると(ぶつ)()(がく)(かう)(など)()()つて、(すう)(がく)なんて(やく)にも()たない(げい)(おぼ)えるよりも、六百(ゑん)資本(もとで)にして(ぎう)(にゆう)()でも(はじ)めればよかつた。さうすれば(きよ)もおれの(そば)(はな)れずに()むし、おれも(とほ)くから(ばあ)さんの(こと)(しん)(ぱい)しずに(くら)らされる。(いつ)(しよ)()るうちは、さうでもなかつたが、かうして田舍(ゐなか)()()ると(きよ)()()(ぜん)(にん)だ。あんな()(だて)のいゝ(をんな)()(ほん)(ぢゆう)さがして歩行(ある)いたつて(めつ)()にはない。(ばあ)さん、おれの()つときに、(せう)(/\)風邪(かぜ)()いて()たが(いま)(ごろ)はどうしてるか()らん。(せん)(だつ)ての()(がみ)()たら(さぞ)(よろこ)んだらう。それにしても、もう(へん)()がきさうなものだが——おれはこんな(こと)(ばか)(かんが)へて()(さん)()(くら)して()た。

 ()になるから、宿(やど)()(ばあ)さんに、(とう)(きやう)から()(がみ)()ませんかと(とき)(/″\)(たづ)ねて()るが、()くたんびに(なん)にも(まゐ)りませんと()(どく)さうな(かほ)をする。こゝの(ふう)()はいか(ぎん)とは(ちが)つて、もとが()(ぞく)だけに(さう)(はう)(とも)(じやう)(ひん)だ。(ぢい)さんが()るになると、(へん)(こゑ)()して(うたひ)をうたふには(へい)(こう)するが、いか(ぎん)(やう)()(ちや)()れませうと()(やみ)()()ないから(おほ)きに(らく)だ。()(ばあ)さんは(とき)(/″\)()()()(いろ)(/\)(はなし)をする。どうして(おく)さんをお()れなさつて、(いつ)(しよ)()()でなんだのぞなもしなどゝ(しつ)(もん)をする。(おく)さんがある(やう)()えますかね。可哀(かはい)(さう)(これ)でもまだ二十四ですぜと()つたらそれでも、あなた二十四で(おく)さんが()()りなさるのは(あた)(まへ)ぞなもしと(ばう)(とう)()いて、どこの(だれ)さんは二十(はたち)()(よめ)()(もら)ひたの、どこの(なん)とかさんは二十二で()(ども)二人(ふたり)()()ちたのと、(なん)でも(れい)(はん)ダース(ばか)()げて(はん)(ばく)(こゝろ)みたには(おそ)()つた。それぢや(ぼく)も二十四で()(よめ)()(もら)ひるけれ、()()をして()()れんかなと田舍(ゐなか)(こと)()()()(たの)んで()たら、()(ばあ)さん(しやう)(ぢき)(ほん)(たう)かなもしと()いた。

 「(ほん)(たう)本當(ほんま)のつて(ぼく)あ、(よめ)(もら)(たく)つて()(かた)がないんだ」

 「左樣(さう)ぢやらうがな、もし。(わか)いうちは(だれ)もそんなものぢやけれ」(この)(あい)(さつ)には(いた)()つて(へん)()()()なかつた。

 「(しか)(せん)(せい)はもう、()(よめ)()()りなさるに(きま)つとらい。(わたし)はちやんと、もう、()らんどるぞなもし」

 「へえ、(くわつ)(がん)だね。どうして、()らんどるんですか」

 「何故(どう)しててゝ。(とう)(きやう)から便(たよ)りはないか、便(たよ)りはないかてゝ、(まい)(にち)便(たよ)りを()()がれて()いでるぢやないかなもし」

 「こいつあ(おどろ)いた。(たい)(へん)(くわつ)(がん)だ」

 「(あた)りましたらうがな、もし」

 「さうですね。(あた)つたかも()れませんよ」

 「(しか)(いま)(どき)(をな)()は、(むかし)(ちが)ふて()(だん)()()んけれ、()()()()けたがえゝぞなもし」

 「(なん)ですかい、(ぼく)(おく)さんが(とう)(きやう)()(をとこ)でもこしらへて()ますかい」

 「いゝえ、あなたの(おく)さんは(たし)かぢやけれど……」

 「それで、(やつ)(あん)(しん)した。(それ)ぢや(なに)()()けるんですい」

 「あなたのは(たし)か——あなたのは(たし)かぢやが——」

 「何處(どこ)()(たし)かなのが()ますかね」

 「こゝ()にも(だい)()()ります。(せん)(せい)、あの(とほ)(やま)()(ぢやう)さんを()(ぞん)()かなもし」

 「いゝえ、()りませんね」

 「まだ()(ぞん)()ないかなもし。こゝらであなた一(ばん)(べつ)(ぴん)さんぢやがなもし。あまり(べつ)(ぴん)さんぢやけれ、(がく)(かう)(せん)(せい)(がた)はみんなマドンナ/\と()ふといでるぞなもし。まだお()きんのかなもし」

 「うん、マドンナですか。(ぼく)(げい)(しや)()かと(おも)つた」

 「いゝえ、あなた。マドンナと()ふと(たう)(じん)(こと)()で、(べつ)(ぴん)さんの(こと)ぢやらうがなもし」

 「さうかも()れないね。(おどろ)いた」

 「(おほ)(かた)(ぐわ)(がく)(せん)(せい)()()けた()ぞなもし」

 「()だがつけたんですかい」

 「いゝえ、あの(よし)(かは)(せん)(せい)()()けたのぢやがなもし」

 「(その)マドンナが()(たしか)なんですかい」

 「(その)マドンナさんが()(たしか)なマドンナさんでな、もし」

 「(やく)(かい)だね。(あだ)()()いてる(をんな)にや(むかし)から(ろく)なものは()ませんからね。さうかも()れませんよ」

 「ほん(たう)にさうぢやなもし。()(じん)のお(まつ)ぢやの、(だつ)()のお(ひやく)ぢやのてゝ(こは)(をんな)()りましたなもし」

 「マドンナも(その)(どう)(るゐ)なんですかね」

 「(その)マドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたを此所(こゝ)()()をして()()れた()()(せん)(せい)なもし——あの(かた)(ところ)()(よめ)()(やく)(そく)()()()たのぢやがなもし——」

 「へえ、()()()なもんですね。あのうらなり(くん)が、そんな(えん)(ぷく)のある(をとこ)とは(おも)はなかつた。(ひと)()()けによらない(もの)だな。ちつと()()けやう」

 「(ところ)が、(きよ)(ねん)あすこの()(とう)さんが、()()くなりて、——(それ)(まで)()(かね)もあるし、(ぎん)(かう)(かぶ)()つて()(いで)るし、(ばん)()()(がふ)がよかつたのぢやが——(それ)からと()ふものは、どう()ふものか(きふ)(くら)()きが(おも)はしくなくなつて——(つま)()()さんがあまり()(ひと)()()ぎるけれ、()(だま)されたんぞなもし。それや、これやで()輿(こし)(いれ)()びて()(ところ)へ、あの(けう)(とう)さんが()()でゝ、()()()(よめ)にほしいと()()ひるのぢやがなもし」

 「あの(あか)シヤツがですか。ひどい(やつ)だ。どうもあのシヤツは(たゞ)のシヤツぢやないと(おも)つてた。それから?」

 「(ひと)(たの)んで(かけ)()ふてお()ると、(とほ)(やま)さんでも()()さんに()()があるから、すぐには(へん)()()()かねて——まあよう(かんが)へて()やう(ぐらゐ)(あい)(さつ)()したのぢやがなもし。すると(あか)シヤツさんが、()(づる)(もと)めて(とほ)(やま)さんの(はう)()(いり)をおしる(やう)になつて、とう/\あなた、()(ぢやう)さんを()()()けてお()()ひたのぢやがなもし。(あか)シヤツさんも(あか)シヤツさんぢやが、()(ぢやう)さんも()(ぢやう)さんぢやてゝ、みんなが()るく()ひますのよ。(いつ)(たん)()()さんへ(よめ)()くてゝ(しよう)()をしときながら、(いま)(さら)(がく)()さんが()(いで)たけれ、(その)(はう)()へよてゝ、それぢや(こん)(にち)(さま)()むまいがなもし、あなた」

 「(まつた)()まないね。(こん)(にち)(さま)(どころ)(みやう)(にち)(さま)にも(みやう)()(にち)(さま)にも、いつ(まで)()つたつて()みつこありませんね」

 「(それ)()()さんに()()(どく)ぢやてゝ、()(とも)(だち)(ほつ)()さんが(けう)(とう)(ところ)()(けん)をしに()()きたら、(あか)シヤツさんが、あしは(やく)(そく)のあるものを(よこ)()りする(つもり)はない。()(やく)になれば(もら)ふかも()れんが、(いま)(ところ)(とほ)(やま)()(たゞ)(かう)(さい)をして()(ばか)りぢや、(とほ)(やま)()(かう)(さい)をするには(べつ)(だん)()()さんに()まん(こと)もなからうと()()ひるけれ、(ほつ)()さんも()(かた)がなしに()(もど)りたさうな。(あか)シヤツさんと(ほつ)()さんは、それ()(らい)(をり)(あひ)がわるいと()(ひやう)(ばん)ぞなもし」

 「よく(いろ)(/\)(こと)()つてますね。どうして、そんな(くは)しい(こと)(わか)るんですか。(かん)(しん)しちまつた」

 「(せま)いけれ(なん)でも(わか)りますぞなもし」

 (わか)()ぎて(こま)(くらゐ)だ。(この)(よう)()ぢやおれの(てん)()()(だん)()(こと)()つてるかも()れない。(やく)(かい)(ところ)だ。(しか)()(かげ)(さま)でマドンナの()()もわかるし、(やま)(あらし)(あか)シヤツの(くわん)(けい)もわかるし(おほい)(こう)(がく)になつた。(たゞ)(こま)るのはどつちが()(もの)だか(はん)(ぜん)しない。おれの(やう)(たん)(じゆん)なものには(しろ)とか(くろ)とか(かた)づけて(もら)はないと、どつちへ()(かた)をしていゝか(わか)らない。

 「(あか)シヤツと(やま)(あらし)たあ、どつちがいゝ(ひと)ですかね」

 「(やま)(あらし)(なん)ぞなもし」

 「(やま)(あらし)()ふのは(ほつ)()(こと)ですよ」

 「そりや(つよ)(こと)(ほつ)()さんの(はう)(つよ)さうぢやけれど、(しか)(あか)シヤツさんは(がく)()さんぢやけれ、(はた)らきはある(かた)ぞな、もし。(それ)から(やさ)しい(こと)(あか)シヤツさんの(はう)(やさ)しいが、(せい)()(ひやう)(ばん)(ほつ)()さんの(はう)がえゝといふぞなもし」

 「つまり何方(どつち)がいゝんですかね」

 「つまり(げつ)(きふ)(おほ)(はう)(えら)いのぢやらうがなもし」

 (これ)ぢや()いたつて()(かた)がないから、やめにした。(それ)から()(さん)()して(がく)(かう)から(かへ)ると()(ばあ)さんがにこ/\して、へえ()(まち)(どほ)さま。やつと(まゐ)りました。と一(ぽん)()(がみ)()つて()てゆつくり()(らん)()つて()()つた。()()げて()ると(きよ)からの便(たよ)りだ。()(せん)が二三(まい)ついてるから、よく調(しら)べると、(やま)(しろ)()から、いか(ぎん)(はう)(まは)して、いか(ぎん)から、(はぎ)()(まは)つて()たのである。(その)(うへ)(やま)(しろ)()では一(しう)(かん)(ばか)(とう)(りう)して()る。宿(やど)()(だけ)()(がみ)(まで)(とめ)(つもり)なんだらう。(ひら)いて()ると、()(じやう)(なが)いもんだ。()つちやんの()(がみ)(いたゞ)いてから、すぐ(へん)()をかゝうと(おも)つたが、(あい)(にく)風邪(かぜ)()いて一(しう)(かん)(ばか)()()たものだから、つい(おそ)くなつて()まない。(その)(うへ)(いま)(どき)()(ぢやう)さんの(やう)()()きが(たつ)(しや)でないものだから、こんなまづい()でも、かくのに()(ぽど)(ほね)()れる。(をひ)(だい)(ひつ)(たの)まうと(おも)つたが、(せつ)(かく)あげるのに()(ぶん)でかゝなくつちや、()つちやんに()まないと(おも)つて、わざ/\()たがきを一(ぺん)して、それから(せい)(しよ)をした。(せい)(しよ)をするには(ふつ)()()んだが、()()きをするには(よつ)()かゝつた。()みにくいかも()れないが、(これ)でも(いつ)(しやう)(けん)(めい)にかいたのだから、どうぞ()(まひ)(まで)()んでくれ。と()(ばう)(とう)で四(しやく)ばかり(なに)やら()やら(したゝ)めてある。(なる)(ほど)()みにくい。()がまづい(ばかり)ではない、(たい)(てい)(ひら)()()だから、どこで()れて、どこで(はじ)まるのだか()(とう)をつけるのに()(ぽど)(ほね)()れる。おれは()()ちな(しやう)(ぶん)だから、こんな(なが)くて、(わか)りにくい()(がみ)は五(ゑん)やるから()んでくれと(たの)まれても(こと)はるのだが、(この)(とき)ばかりは()()()になつて、(はじめ)から(しまひ)(まで)()(とほ)した。()(とほ)した(こと)()(じつ)だが、()(はう)(ほね)()れて、()()がつながらないから、(また)(あたま)から()(なほ)して()た。()()のなかは(すこ)(くら)くなつて、(まへ)(とき)より()にくゝ、なつたから、とう/\(えん)(ばな)()(こし)をかけながら(てい)(ねい)(はい)(けん)した。すると(はつ)(あき)(かぜ)()(せう)()(うご)かして、()(はだ)()きつけた(かへ)りに、()みかけた()(がみ)(には)(はう)へなびかしたから、()(まひ)ぎはには四(しやく)あまりの(はん)()れがさらり/\と()つて、()(はな)すと、(むか)ふの(いけ)(がき)(まで)()んで()きさうだ。おれはそんな(こと)には(かま)つて()られない。()つちやんは(たけ)()つた(やう)()(しやう)だが、(たゞ)(かん)(しやく)(つよ)()ぎてそれが(しん)(ぱい)になる。——ほかの(ひと)()(やみ)(あだ)()なんか、つけるのは(ひと)(うら)まれるもとになるから、()(たら)使(つか)つちやいけない、もしつけたら、(きよ)(だけ)()(がみ)()らせろ。——田舍(ゐなか)(もの)(ひと)がわるいさうだから、()をつけて(ひど)()()はない(やう)にしろ。——()(こう)だつて(とう)(きやう)より()(じゆん)(きま)つてるから、()(びえ)をして風邪(かぜ)()いてはいけない。()つちやんの()(がみ)はあまり(みじか)()ぎて、(よう)()がよくわからないから、(この)(つぎ)には()めて(この)()(がみ)(はん)(ぶん)(ぐらゐ)(なが)さのを()いてくれ。——宿(やど)()(ちや)(だい)を五(ゑん)やるのはいゝが、あとで(こま)りやしないか、田舍(ゐなか)()つて(たよ)りになるは()(かね)ばかりだから、なるべく(けん)(やく)して、(まん)(いち)(とき)(さし)(つか)へない(やう)にしなくつちやいけない。——()()(づかひ)がなくて(こま)るかも()れないから、爲替(かはせ)で十(ゑん)あげる。——(せん)(だつ)()つちやんからもらつた五十(ゑん)を、()つちやんが、(とう)(きやう)(かへ)つて、うちを()(とき)()しにと(おも)つて、(いう)便(びん)(きよく)(あづ)けて()いたが、(この)(ゑん)()いてもまだ四十(ゑん)あるから(だい)(ぢやう)()だ。——(なる)(ほど)(をんな)()ふものは(こま)かいものだ。

 おれが(えん)(ばな)(きよ)()(がみ)をひらつかせながら、(かんが)()んで()ると、しきりの(ふすま)をあけて、(はぎ)()()(ばあ)さんが(ばん)めしを()つてきた。まだ()()()でるのかなもし。えつぽど(なが)()()(がみ)ぢやなもし、と()つたから、えゝ(だい)()()(がみ)だから(かぜ)()かしては()()かしては()るんだと、()(ぶん)でも(えう)(りやう)()ない(へん)()をして(ぜん)についた。()ると(こん)()(さつ)()(いも)()つけだ。こゝのうちは、いか(ぎん)よりも(てい)(ねい)で、(しん)(せつ)で、しかも(じやう)(ひん)だが、()しい(こと)()(もの)がまづい。昨日(きのふ)(いも)一昨日(をとゝひ)(いも)(こん)()(いも)だ。おれは(いも)(だい)()きだと(めい)(げん)したには(さう)()ないが、かう()てつづけに(いも)()はされては(いのち)がつづかない。うらなり(くん)(わら)(どころ)か、おれ()(しん)(とほ)からぬうちに、(いも)のうらなり(せん)(せい)になつちまふ。(きよ)ならこんな(とき)に、おれの()きな(まぐろ)のさし()か、(かま)(ぼこ)のつけ(やき)()はせるんだが、(びん)(ばふ)()(ぞく)のけちん(ばう)()ちや()(かた)がない。どう(かんが)へても(きよ)(いつ)(しよ)でなくつちあ()()だ。もしあの(がく)(かう)(なが)くでも()()(やう)なら、(とう)(きやう)から()()せてやらう。(てん)()()()()()つちやならない、(だん)()()つちやならない、(それ)()宿(しゆく)()(いも)(ばか)()つて()(いろ)くなつて()ろなんて、(けう)(いく)(しや)はつらいものだ。(ぜん)(しゆう)(ばう)()だつて、(これ)よりは(くち)()耀(えう)をさせて()るだらう。——おれは(ひと)(さら)(いも)(たひら)げて、(つくゑ)(ひき)(だし)から(なま)(たまご)(ふた)()して、(ちや)(わん)(ふち)でたゝき()つて、(やうや)(しの)いだ。(なま)(たまご)でゞも(えい)(やう)をとらなくつちあ一(しう)二十一()(かん)(じゆ)(げふ)()()るものか。

 今日(けふ)(きよ)()(がみ)()()()(かん)(おそ)くなつた。(しか)(まい)(にち)()きつけたのを一(にち)でも()かすのは(こゝろ)()ちがわるい。()(しや)にでも()つて()(かけ)(やう)と、(れい)(あか)()(ぬぐひ)をぶら()げて(てい)(しや)()(まで)()ると二三(ぷん)(まへ)(はつ)(しや)した(ばか)りで、(せう)(/\)()たなければならぬ。ベンチへ(こし)()けて、(しき)(しま)()かして()ると、(ぐう)(ぜん)にもうらなり(くん)がやつて()た。おれはさつきの(はなし)()いてから、うらなり(くん)(なほ)(さら)()(どく)になつた。平常(ふだん)から(てん)()(あひだ)()(さふらふ)をして()(やう)に、(ちひ)さく(かま)へてゐるのが如何(いか)にも(あは)れに()えたが、(こん)()(あは)(どころ)(さわ)ぎではない。()()るならば(げつ)(きふ)(ばい)にして、(とほ)(やま)()(ぢやう)さんと明日(あした)から(けつ)(こん)さして、一ケ(げつ)(ばか)(とう)(きやう)へでも(あそ)びにやつて()りたい()がした()(さき)だから、や()()ですか、さあ、こつちへ()()けなさいと()(せい)よく(せき)(ゆづ)ると、うらなり(くん)(おそ)()つた(てい)(さい)で、いえ(かま)ふておくれなさるな、と(ゑん)(りよ)だか(なん)だか()(ぱり)()つてる。(すこ)()たなくつちや()ません、草臥(くたび)れますから()()けなさいと(また)(すゝ)めて()た。(じつ)はどうかして、そばへ()けて(もら)ひたかつた(くらゐ)()(どく)(たま)らない。それでは()(じや)()(いた)しませうと(やうや)くおれの()(こと)()いて()れた。()(なか)には()()(やう)(なま)()()な、()ないで()(ところ)(かなら)(かほ)()(やつ)()る。(やま)(あらし)(やう)におれが()なくつちや(につ)(ぽん)(こま)るだらうと()(やう)(つら)(かた)(うへ)()せてる(やつ)もゐる。さうかと(おも)ふと、(あか)シヤツの(やう)にコスメチツクと(いろ)(をとこ)(とん)()(もつ)(みづか)(にん)じてゐるのもある。(けう)(いく)()きてフロツクコートを()ればおれになるんだと()はぬ(ばか)りの(たぬき)もゐる。(みな)(/\)()(さう)(おう)()()つてるんだが、このうらなり(せん)(せい)(やう)()れどもなきが(ごと)く、(ひと)(じち)()られた(にん)(ぎやう)(やう)大人(おとな)しくしてゐるのは()(こと)がない。(かほ)はふくれて()るが、こんな(けつ)(こう)(をとこ)()てゝ(あか)シヤツに(なび)くなんて、マドンナも()(ぽど)()()れないおきやんだ。(あか)シヤツが(なん)ダース()つたつて、これ(ほど)(りつ)()(だん)()(さま)()()るもんか。

 「あなたは何所(どつ)(わる)いんぢやありませんか。(だい)()たいぎさうに()えますが……」

 「いえ、(べつ)(だん)(これ)()()(びやう)もないですが……」

 「そりや(けつ)(こう)です。からだが(わる)いと(にん)(げん)()()ですね」

 「あなたは(だい)()()(ぢやう)()(やう)ですな」

 「えゝ()せても(びやう)()はしません。(びやう)()なんてものあ(だい)(きらひ)ですから」

 うらなり(くん)は、おれの(こと)()()いてにや/\と(わら)つた。

 (ところ)(いり)(ぐち)(わか)(/\)しい(をんな)(わらひ)(ごゑ)(きこ)えたから、(なに)(ごゝろ)なく()(かへ)つて()るとえらい(やつ)()た。(いろ)(しろ)い、ハイカラ(あたま)の、(せい)(たか)()(じん)と、四十五六の(おく)さんとが(なら)んで(きつ)()()(まど)(まへ)()つて()る。おれは()(じん)(けい)(よう)(など)()()(をとこ)でないから(なん)にも()へないが(まつた)()(じん)(さう)()ない。(なん)だか(すゐ)(しやう)(たま)(かう)(すゐ)(あつ)ためて、(てのひら)(にぎ)つて()(やう)(こゝろ)()ちがした。(とし)(より)(はう)()(ひく)い。(しか)(かほ)はよく()()るから(おや)()だらう。おれは、や、()たなと(おも)()(たん)に、うらなり(くん)(こと)全然(すつかり)(わす)れて、(わか)(をんな)(はう)ばかり()てゐた。すると、うらなり(くん)(とつ)(ぜん)おれの(となり)から、()()がつて、そろ/\(をんな)(はう)歩行(ある)()したんで、(すこ)(おどろ)いた。マドンナぢやないかと(おも)つた。三(にん)(きつ)()(じよ)(まへ)(かる)(あい)(さつ)してゐる。(とほ)いから(なに)()つてるのか(わか)らない。

 (てい)(しや)()()(けい)()るともう五(ふん)(はつ)(しや)だ。(はや)()(しや)がくればいゝがなと、(はな)(あひ)()()なくなつたので()(どほ)しく(おも)つて()ると、(また)一人(ひとり)あはてゝ(ぢやう)(ない)()()んで()たものがある。()れば(あか)シヤツだ。(なん)だかべら/\(ぜん)たる()(もの)(ちり)(めん)(おび)をだらしなく()きつけて、(れい)(とほ)(きん)(ぐさ)りをぶらつかして()る。あの(きん)(ぐさ)りは(にせ)(もの)である。(あか)シヤツは(だれ)()るまいと(おも)つて、()せびらかして()るが、おれはちやんと()つてる。(あか)シヤツは()()んだなり、(なに)かきよろ/\して()たが、(きつ)()(うり)(さげ)(じよ)(まへ)(はな)して()る三(にん)(いん)(ぎん)()()()をして、(なに)(ふた)こと、()こと、()つたと(おも)つたら、(きふ)にこつちへ()いて、(れい)(ごと)(ねこ)(あし)にあるいて()て、や(きみ)()ですか、(ぼく)()(おく)れやしないかと(おも)つて(しん)(ぱい)して(いそ)いで()たら、まだ三四(ふん)ある。あの()(けい)(たしか)かしらんと、()(ぶん)(きん)(がは)()して、二(ふん)(ほど)ちがつてると()ひながら、おれの(そば)(こし)(おろ)した。(をんな)(はう)はちつとも()(かへ)らないで(つゑ)(うへ)(あご)をのせて、(しやう)(めん)ばかり(なが)めて()る。(とし)(より)()(じん)(とき)(/″\)(あか)シヤツを()るが、(わか)(はう)(よこ)()いた(まゝ)である。いよ/\マドンナに(ちがひ)ない。

 やがて、ピユーと()(てき)()つて、(くるま)がつく。()(あは)せた(れん)(ぢゆう)はぞろ/\()(がち)()()む。(あか)シヤツはいの一(がう)(じやう)(とう)()()んだ。(じやう)(とう)()つたつて()()れる(どころ)ではない、(すみ)()まで(じやう)(とう)が五(せん)()(とう)が三(せん)だから、(わづ)か二(せん)(ちが)ひで(じやう)()()(べつ)がつく。かう()ふおれでさへ(じやう)(とう)(ふん)(ぱつ)して(しろ)(ぎつ)()(にぎ)つてるんでもわかる。(もつと)田舍(ゐなか)(もの)はけちだから、たつた二(せん)()(いり)でも(すこぶ)()になると()えて、(たい)(てい)()(とう)()る。(あか)シヤツのあとからマドンナとマドンナの()(ふくろ)(じやう)(とう)()()()んだ。うらなり(くん)(くわつ)(ぱん)()した(やう)()(とう)ばかりへ()(をとこ)だ。(せん)(せい)()(とう)(しや)(しつ)(いり)(ぐち)()つて、(なん)だか(ちう)(ちよ)(てい)であつたが、おれの(かほ)()るや(いな)(おも)()つて、()()んで()()つた。おれは(この)(とき)(なん)となく()(どく)でたまらなかつたから、うらなり(くん)のあとから、すぐ(おな)(しや)(しつ)()()んだ。(じやう)(とう)(きつ)()()(とう)()るに()()(がふ)はなからう。

 (をん)(せん)()いて、(さん)(がい)から、浴衣(ゆかた)のなりで()(つぼ)()りて()たら、(また)うらなり(くん)()つた。おれは(くわい)()(なに)かでいざと()まると、咽喉(のど)(ふさ)がつて饒舌(しやべ)れない(をとこ)だが、平常(ふだん)(ずゐ)(ぶん)(べん)ずる(はう)だから、(いろ)(/\)()(つぼ)のなかでうらなり(くん)(はな)しかけて()た。(なん)だか(あは)れぽくつて(たま)らない。こんな(とき)(ひと)(くち)でも(せん)(ぱう)(こゝろ)(なぐさ)めてやるのは、()()()()()だと(おも)つてる。(ところ)(あい)(にく)うらなり(くん)(はう)では、うまい()(あひ)にこつちの調(てう)()()つてくれない。(なに)()つても、え[#「え」に傍点]とかいえ[#「いえ」に傍点]とかぎりで、しかも(その)え[#「え」に傍点]といえ[#「いえ」に傍点]が(だい)()(めん)(だう)らしいので、()(まひ)にはとう/\()()げて、こつちから()(めん)(かうむ)つた。

 ()(なか)では(あか)シヤツに()はなかつた。(もつと)()()(かず)(たく)(さん)あるのだから、(おな)()(しや)()いても、(おな)()(つぼ)()ふとは()まつて()ない。(べつ)(だん)()()()にも(おも)はなかつた。()()()()るといゝ(つき)だ。(ちやう)(ない)(りやう)(がは)(やなぎ)(うわ)つて、(やなぎ)(えだ)()るい(かげ)(わう)(らい)(なか)(おと)して()る。(すこ)(さん)()でもしやう。(きた)(のぼ)つて(まち)のはづれへ()ると、(ひだり)(おほ)きな(もん)があつて、(もん)()(あた)りが()(てら)で、()(いう)()(ろう)である。(さん)(もん)のなかに(いう)(くわく)があるなんて、(ぜん)(だい)()(もん)(げん)(しやう)だ。一寸(ちよつと)()()つて()たいが、(また)(たぬき)から(くわい)()(とき)にやられるかも()れないから、やめて()(どほ)りにした。(もん)(なら)びに(くろ)暖簾(のれん)をかけた、(ちひ)さな(かう)()(まど)(ひら)()はおれが(だん)()()つて、しくぢつた(ところ)だ。(まる)(ぢやう)(ちん)(しる)()()(ざふ)()とかいたのがぶらさがつて、(ちやう)(ちん)()が、(のき)()(ちか)い一(ぽん)(やなぎ)(みき)()らしてゐる。()ひたいなと(おも)つたが()(まん)して(とほ)()ぎた。

 ()ひたい(だん)()()へないのは(なさけ)ない。(しか)()(ぶん)許嫁(いひなづけ)()(にん)(こゝろ)(うつ)したのは、(なほ)(なさけ)ないだらう。うらなり(くん)(こと)(おも)ふと、(だん)()(おろ)か、(みつ)()(ぐらゐ)(だん)(じき)しても()(へい)はこぼせない(わけ)だ。(ほん)(たう)(にん)(げん)(ほど)(あて)にならないものはない。あの(かほ)()ると、どうしたつて、そんな()(にん)(じやう)(こと)をしさうには(おも)へないんだが——うつくしい(ひと)()(にん)(じやう)で、(とう)(がん)(みづ)(ぶく)れの(やう)()()さんが(ぜん)(りやう)(くん)()なのだから、()(だん)()()ない。(たん)(ぱく)だと(おも)つた(やま)(あらし)(せい)()(せん)(どう)したと()ふし。(せい)()(せん)(どう)したのかと(おも)ふと、(せい)()(しよ)(ぶん)(かう)(ちやう)(せま)るし。(いや)()()りかためた(やう)(あか)シヤツが(ぞん)(ぐわい)(しん)(せつ)で、おれに餘所(よそ)ながら(ちゆう)()をしてくれるかと(おも)ふと、マドンナを()()()したり。()()()したのかと(おも)ふと、()()(はう)()(だん)にならなければ(けつ)(こん)(のぞ)まないんだと()ふし。いか(ぎん)(なん)(くせ)をつけて、おれを()()すかと(おも)ふと、すぐ()(こう)()(かは)つたり——どう(かんが)へても(あて)にならない。こんな(こと)(きよ)にかいてやつたら(さだ)めて(おどろ)(こと)だらう。(はこ)()(むかふ)だから(ばけ)(もの)()()つてるんだと()ふかも()れない。

 おれは、(しやう)(らい)(かま)はない(しやう)(ぶん)だから、どんな(こと)でも()にしないで(こん)(にち)(まで)(しの)いで()たのだが、此所(こゝ)()てからまだ一ケ(げつ)()つか、()たないうちに、(きふ)()のなかを(ぶつ)(さう)(おも)()した。(べつ)(だん)(きは)だつた(だい)()(けん)にも()()はないのに、もう(いつ)()(とし)()つた(やう)()がする。(はや)()()げて(とう)(きやう)(かへ)るのが(いち)(ばん)よからう。(など)(それ)から(それ)(かんが)へて、いつか(いし)(ばし)(わた)つて()(ぜり)(がは)(どて)()た。(かは)()ふとえらさうだが(じつ)は一(けん)(ぐらゐ)な、ちよろ/\した(ながれ)で、()()沿()ふて十二(ちやう)(ほど)(くだ)ると(あひ)(おひ)(むら)()る。(むら)には(くわん)(おん)(さま)がある。

 温泉()(まち)()(かへ)ると、(あか)()が、(つき)(ひかり)(なか)にかゞやいて()る。(たい)()()るのは(いう)(くわく)(さう)()ない。(かは)(なが)れは(あさ)いけれども(はや)いから、(しん)(けい)(しつ)(みづ)(やう)にやたらに(ひか)る。ぶら/\()()(うへ)をあるきながら、(やく)(ちやう)()たと(おも)つたら、(むかふ)(ひと)(かげ)()()した。(つき)()かして()ると(かげ)(ふた)つある。温泉()()(むら)(かへ)(わか)(しゆ)かも()れない。(それ)にしては(うた)もうたはない。(ぞん)(ぐわい)(しづ)かだ。

 (だん)(/\)歩行(ある)いて()くと、おれの(はう)(はや)(あし)だと()えて、(ふた)つの(かげ)(ぼふ)()が、()(だい)(おほ)きくなる。一人(ひとり)(をんな)らしい。おれの(あし)(おと)()きつけて、十(けん)(ぐらゐ)(きよ)()(せま)つた(とき)(をとこ)(たちま)()()いた。(つき)(うしろ)からさして()る。(その)(とき)おれは(をとこ)(やう)()()て、はてなと(おも)つた。(をとこ)(をんな)(また)(もと)(とほ)りにあるき()した。おれは(かんがへ)があるから、(きふ)(ぜん)(そく)(りよく)()()けた。(せん)(ぱう)(なん)()もつかずに(さい)(しよ)(とほ)り、ゆる/\()(うつ)して()る。(いま)(はな)(ごゑ)()()(やう)(きこ)える。()()(はゞ)は六(しやく)(ぐらゐ)だから、(なら)んで()けば三(にん)(やうや)くだ。おれは()もなく(うし)ろから()()いて、(をとこ)(そで)()()けざま、(ふた)(あし)(まへ)()した(くびす)をぐるりと(かへ)して(をとこ)(かほ)(のぞ)()んだ。(つき)(しやう)(めん)からおれの五()(がり)(あたま)から(あご)(あた)(まで)()(しやく)もなく(てら)す。(をとこ)はあつと()(ごゑ)()つたが、(きふ)(よこ)()いて、もう(かへ)らうと(をんな)(うな)がすが(はや)いか、温泉()(まち)(はう)()(かへ)した。

 (あか)シヤツは()(ぶと)くて()()()(つもり)か、()(よわ)くて()()(そく)なつたのかしら。(ところ)(せま)くて(こま)つてるのは、おれ(ばか)りではなかつた。

     八

 (あか)シヤツに(すゝ)められて(つり)()つた(かへ)りから、(やま)(あらし)(うた)ぐり()した。()(こと)(たね)()宿(しゆく)()ろと()はれた(とき)は、(いよ/\)()(らち)(やつ)だと(おも)つた。(ところ)(くわい)()(せき)では(あん)(さう)()して(たう)(/\)(せい)()(げん)(ばつ)(ろん)()べたから、おや(へん)だなと(くび)(ひね)つた。(はぎ)()(ばあ)さんから、(やま)(あらし)が、うらなり(くん)(ため)(あか)シヤツと(だん)(ぱん)をしたと()いた(とき)は、それは(かん)(しん)だと()()つた。(この)(やう)()ではわる(もの)(やま)(あらし)ぢやあるまい、(あか)シヤツの(はう)(まが)つてるんで、(いゝ)()(げん)(じや)(すゐ)(まこと)しやかに、しかも(とほ)(まは)しに、おれの(あたま)(なか)()()ましたのではあるまいかと(まよ)つてる()(さき)へ、()(ぜり)(がは)()()で、マドンナを()れて(さん)()なんかして()姿(すがた)()たから、それ()(らい)(あか)シヤツは(くせ)(もの)だと()めて()()つた。(くせ)(もの)だか(なん)だかよくは(わか)らないが、とも(かく)()(をとこ)ぢやない。(おもて)(うら)とは(ちが)つた(をとこ)だ。(にん)(げん)(たけ)(やう)(まつ)(すぐ)でなくつちや(たの)()しくない。(まつ)(すぐ)なものは(けん)(くわ)をしても(こゝろ)(もち)がいゝ。(あか)シヤツの(やう)なやさしいのと、(しん)(せつ)なのと、(かう)(しやう)なのと、()(はく)のパイプとを()(まん)さうに()せびらかすのは()(だん)()()ない、(めつ)()(けん)(くわ)()()ないと(おも)つた。(けん)(くわ)をしても、()(かう)(ゐん)相撲(すまふ)(やう)(こゝろ)(もち)のいゝ(けん)(くわ)()()ないと(おも)つた。さうなると一(せん)(りん)()(いり)(ひかへ)(じよ)(ぜん)(たい)(おど)ろかした()(ろん)(あひ)()(やま)(あらし)(はう)がはるかに(にん)(げん)らしい。(くわい)()(とき)(かな)(つぼ)(まなこ)をぐりつかせて、おれを(にら)めた(とき)(にく)(やつ)だと(おも)つたが、あとで(かんが)へると、それも(あか)シヤツのねち/\した(ねこ)(なで)(ごゑ)よりはましだ。(じつ)はあの(くわい)()()んだあとで、よつぽど(なか)(なほ)りをしやうかと(おも)つて、(ひと)こと(ふた)こと(はな)しかけて()たが、()(らう)(へん)()もしないで、まだ()(むく)つて()せたから、此方(こつち)(はら)()つて(その)(まゝ)にして()いた。

 ()()(らい)(やま)(あらし)はおれと(くち)()かない。(つくゑ)(うへ)(かへ)した一(せん)(りん)(いま)だに(つくゑ)(うへ)()つて()る。ほこりだらけになつて()つて()る。おれは()(ろん)()()せない、(やま)(あらし)(けつ)して()つて(かへ)らない。(この)(せん)(りん)二人(ふたり)(あひだ)(しやう)(へき)になつて、おれは(はな)さうと(おも)つても(はな)せない、(やま)(あらし)(ぐわん)として(だま)つてる。おれと(やま)(あらし)には一(せん)(りん)(たゝ)つた。()(まひ)には(がく)(かう)()て一(せん)(りん)()るのが()になつた。

 (やま)(あらし)とおれが(ぜつ)(かう)姿(すがた)となつたに()()へて、(あか)シヤツとおれは()(ぜん)として(ざい)(らい)(くわん)(けい)(たも)つて、(かう)(さい)をつゞけて()る。()(ぜり)(がは)()つた(よく)(じつ)(など)は、(がく)(かう)()ると(だい)(ばん)におれの(そば)()て、(きみ)(こん)()()宿(しゆく)はいゝですかの(また)(いつ)(しよ)()西()()(ぶん)(がく)()りに()かうぢやないかのと(いろ)(/\)(こと)(はな)しかけた。おれは(せう)(/\)(にく)らしかつたから、昨夕(ゆうべ)は二(へん)()ひましたねと()つたら、えゝ(てい)(しや)()で——(きみ)はいつでもあの()(ぶん)()()けるのですか、(おそ)いぢやないかと()ふ。()(ぜり)(がは)()()でも()()(かゝ)りましたねと()らはしてやつたら、いゝえ(ぼく)はあつちへは()かない、()()()つて、すぐ(かへ)つたと(こた)へた。(なに)もそんなに(かく)さないでもよからう、(げん)()つてるんだ。よく(うそ)をつく(をとこ)だ。(これ)(ちゆう)(がく)(けう)(とう)(つと)まるなら、おれなんか(だい)(がく)(そう)(ちやう)がつとまる。おれは(この)(とき)から(いよ/\)(あか)シヤツを(しん)(よう)しなくなつた。(しん)(よう)しない(あか)シヤツとは(くち)をきいて、(かん)(しん)して()(やま)(あらし)とは(はなし)をしない。()(なか)(ずゐ)(ぶん)(めう)なものだ。

 ある()(こと)(あか)シヤツが一寸(ちよつと)(きみ)(はなし)があるから、(ぼく)のうち(まで)()てくれと()ふから、()しいと(おも)つたが(をん)(せん)()きを(けつ)(きん)して()()(ごろ)()()けて()つた。(あか)シヤツは一人(ひとり)ものだが、(けう)(とう)(だけ)()宿(しゆく)はとくの(むかし)()(はら)つて(りつ)()(げん)(くわん)(かま)へて()る。()(ちん)は九(ゑん)(じつ)(せん)ださうだ。田舍(ゐなか)()て九(ゑん)(じつ)(せん)(はら)へばこんな(うち)()()れるなら、おれも(ひと)(ふん)(ぱつ)して、(とう)(きやう)から(きよ)()()せて(よろこ)ばしてやらうと(おも)つた(くらゐ)(げん)(くわん)だ。(たの)むと()つたら、(あか)シヤツの(おとうと)(とり)(つぎ)()()た。(この)(おとうと)(がく)(かう)で、おれに(だい)(すう)(さん)(じゆつ)(をそ)はる(いた)つて()()のわるい()だ。(その)(くせ)(わた)りものだから、(うま)()いての田舍(ゐなか)(もの)よりも(ひと)()るい。

 (あか)シヤツに()つて(よう)()()いて()ると、(たい)(しやう)(れい)()(はく)のパイプで、きな(くさ)烟草(たばこ)をふかしながら、こんな(こと)()つた。「(きみ)()てくれてから、(ぜん)(にん)(しや)()(だい)よりも(せい)(せき)がよくあがつて、(かう)(ちやう)(おほい)にいゝ(ひと)()たと(よろこ)んで()るので——どうか(がく)(かう)でも(しん)(らい)して()るのだから、(その)(つも)りで(べん)(きやう)していたゞきたい」

 「へえ、さうですか、(べん)(きやう)つて(いま)より(べん)(きやう)()()ませんが——」

 「(いま)(くらゐ)(じゆう)(ぶん)です。(たゞ)(せん)(だつ)()(はな)しゝた(こと)ですね、あれを(わす)れずに()(くだ)さればいゝのです」

 「()宿(しゆく)()()なんかするものあ(けん)(のん)だと()(こと)ですか」

 「さう()(こつ)()ふと、()()もない(こと)になるが——まあ()いさ——(せい)(しん)(きみ)にもよく(つう)じて()(こと)(おも)ふから。そこで(きみ)(いま)(やう)(しゆつ)(せい)して(くだ)されば、(がく)(かう)(はう)でも、ちやんと()()るんだから、もう(すこ)しゝて()(がふ)さへつけば、(たい)(ぐう)(こと)()(せう)はどうにかなるだらうと(おも)ふんですがね」

 「へえ、(ほう)(きふ)ですか。(ほう)(きふ)なんかどうでもいゝんですが、()がれば()がつた(はう)がいゝですね」

 「それで(さいは)(こん)()(てん)(にん)(しや)一人(ひとり)()()るから——(もつと)(かう)(ちやう)(さう)(だん)して()ないと()(ろん)()()へない(こと)だが——(その)(ほう)(きふ)から(すこ)しは(ゆう)(づう)()()るかも()れないから、それで()(がふ)をつける(やう)(かう)(ちやう)(はな)して()やうと(おも)ふんですがね」

 「どうも難有(ありがた)ふ。だれが(てん)(にん)するんですか」

 「もう(はつ)(ぺう)になるから(はな)しても()(つかへ)ないでせう。(じつ)()()(くん)です」

 「()()さんは、だつてこゝの(ひと)ぢやありませんか」

 「こゝの()(ひと)ですが、(すこ)()(がふ)があつて——(はん)(ぶん)(たう)(にん)()(ばう)です」

 「どこへ()くんです」

 「日向(ひうが)(のべ)(をか)で——()()()()だから一(きふ)(ほう)(あが)つて()(こと)になりました」

 「(だれ)(かは)りが()るんですか」

 「(かは)りも(たい)(てい)()まつてるんです。(その)(かは)りの()(あひ)(きみ)(たい)(ぐう)(じやう)()(がふ)もつくんです」

 「はあ、(けつ)(こう)です。(しか)()()()がらないでも(かまひ)ません」

 「とも(かく)(ぼく)(かう)(ちやう)(はな)(つも)りです。(それ)(かう)(ちやう)(どう)()(けん)らしいが、()つては(きみ)にもつと(はた)らいて(いた)だかなくつてはならん(やう)になるかも()れないから、どうか(いま)から(その)(つも)りで(かく)()をしてやつて(もら)ひたいですね」

 「(いま)より()(かん)でも()すんですか」

 「いゝえ、()(かん)(いま)より()るかも()れませんが——」

 「()(かん)()つて、もつと(はたら)くんですか、(めう)だな」

 「一寸(ちよつと)()くと(めう)だが、——(はん)(ぜん)とは(いま)()ひにくいが——まあつまり、(きみ)にもつと(ぢゆう)(だい)(せき)(にん)()つて(もら)ふかも()れないと()()()なんです」

 おれには(いつ)(かう)(わか)らない。(いま)より(ぢゆう)(だい)(せき)(にん)()へば、(すう)(がく)(しゆ)(にん)だらうが、(しゆ)(にん)(やま)(あらし)だから、やつこさん(なか)(/\)()(しよく)する()(づかひ)はない。(それ)に、(せい)()(じん)(ばう)があるから(てん)(にん)(めん)(しよく)(がく)(かう)(とく)(さく)であるまい。(あか)シヤツの(だん)()はいつでも(えう)(りやう)()ない。(えう)(りやう)()なくつても(よう)()(これ)()んだ。(それ)から(すこ)(ざつ)(だん)をして()るうちに、うらなり(くん)(そう)(べつ)(くわい)をやる(こと)や、(つい)てはおれが(さけ)()むかと()(とひ)や、うらなり(せん)(せい)(くん)()(あい)すべき(ひと)だと()(こと)や——(あか)シヤツは(いろ)(/\)(べん)じた。()(まひ)(はなし)をかへて(きみ)(はい)()をやりますかと()たから、こいつは(たい)(へん)だと(おも)つて、(はい)()はやりません、()(やう)ならと、そこ/\に(かへ)つて()た。(ほつ)()()(せを)(かみ)()(どこ)(おや)(かた)のやるもんだ。(すう)(がく)(せん)(せい)(あさ)(がほ)やに(つる)()をとられて(たま)るものか。

 (かへ)つてうんと(かんが)()んだ。()(けん)には(ずゐ)(ぶん)()()れない(をとこ)()る。(いへ)()(しき)(もち)(ろん)(つと)める(がく)(かう)()(そく)のない()(きやう)がいやになつたからと()つて、()らぬ()(こく)()(らう)(もと)めに()る。(それ)(はな)(みやこ)(でん)(しや)(かよ)つてる(ところ)なら、まだしもだが、日向(ひうが)(のべ)(をか)とは(なん)(こと)だ。おれは(ふな)つきのいゝ此所(こゝ)()てさへ、一ケ(げつ)()たないうちにもう(かへ)りたくなつた。(のべ)(をか)()へば(やま)(なか)(やま)(なか)(たい)(へん)(やま)(なか)だ。(あか)シヤツの()(ところ)によると(ふね)から()がつて、一日(いちんち)()(しや)()つて、(みや)(ざき)()つて、(みや)(ざき)から(また)一日(いちんち)(くるま)()らなくつては()けないさうだ。()(まへ)()いてさへ、(ひら)けた(ところ)とは(おも)へない。(さる)(ひと)とが(はん)(/\)()んでる(やう)()がする。いかに(せい)(じん)のうらなり(くん)だつて、(この)んで(さる)(あひ)()になりたくもないだらうに、(なん)()(もの)()()だ。

 (ところ)不相變(あひかはらず)(ばあ)さんが(ゆふ)(めし)(はこ)んで()る。今日(けふ)(また)(いも)ですかいと()いて()たら、いえ今日(けふ)()(とう)()ぞなもしと()つた。どつちにしたつて()たものだ。

 「()(ばあ)さん()()さんは日向(ひうが)()くさうですね」

 「ほん(たう)()()(どく)ぢやな、もし」

 「()()(どく)だつて、(この)んで()くんなら()(かた)がないですね」

 「(この)んで()くて、(だれ)がぞなもし」

 「(だれ)がぞなもしつて、(たう)(にん)がさ。()()(せん)(せい)(もの)()()()くんぢやありませんか」

 「そりやあなた、(おほ)(ちが)ひの(かん)()(らう)ぞなもし」

 「(かん)()(らう)かね。だつて(いま)(あか)シヤツがさう()ひましたぜ。(それ)(かん)()(らう)なら(あか)シヤツは(うそ)つきの()()右衞()(もん)だ」

 「(けう)(とう)さんが、さう()()ひるのは(もつと)もぢやが、()()さんの()()きともないのも(もつと)もぞなもし」

 「そんなら(りやう)(はう)(もつと)もなんですね。()(ばあ)さんは(こう)(へい)でいゝ。(いつ)(たい)どう()(わけ)なんですい」

 「今朝(けさ)()()()(かあ)さんが()えて、(だん)(/\)(わけ)()(はな)したがなもし」

 「どんな(わけ)()(はな)したんです」

 「あそこも()(とう)さんが()()くなりてから、あたし(たち)(おも)(ほど)(くら)(むき)(ゆた)かになうて()(こま)りぢやけれ、()(かあ)さんが(かう)(ちやう)さんに()(たの)みて、もう()(ねん)(つと)めて()るものぢやけれ、どうぞ(まい)(つき)(いたゞ)くものを、(いま)(すこ)しふやして()()れんかてゝ、あなた」

 「(なる)(ほど)

 「(かう)(ちやう)さんが、ようまあ(かんが)へて()とこうと()()ひたげな。(それ)()(かあ)さんも(あん)(しん)して、(いま)(ぞう)(きふ)()()()があろぞ、(こん)(げつ)(らい)(げつ)かと(くび)(なが)くし()つて()いでた(ところ)へ、(かう)(ちやう)さんが一寸(ちよつと)()てくれと()()さんに()()ひるけれ、()つて()ると、()(どく)だが(がく)(かう)(かね)()りんけれ、(げつ)(きふ)()げる(わけ)にゆかん。(しか)(のべ)(をか)になら()いた(くち)があつて、其方(そつち)なら(まい)(つき)(ゑん)()(ぶん)にとれるから、()(のぞ)(どほ)りでよからうと(おも)ふて、(その)()(つゞ)きにしたから()くがえゝと()はれたげな。——」

 「ぢや(さう)(だん)ぢやない、(めい)(れい)ぢやありませんか」

 「()()よ。()()さんはよそへ()つて(げつ)(きふ)()すより、(もと)(まゝ)でもえゝから、こゝに()りたい。()(しき)もあるし、(はゝ)もあるからと()(たの)みたけれども、もうさう()めたあとで、()()さんの(かは)りは()()()るけれ()(かた)がないと(かう)(ちやう)()()ひたげな」

 「へん(ひと)()鹿()にしてら、(おも)(しろ)くもない。ぢや()()さんは()()はないんですね。どうれで(へん)だと(おも)つた。五(ゑん)(ぐらゐ)()がつたつて、あんな(やま)(なか)(さる)()(あひ)()をしに()(たう)(へん)(ぼく)はまづないからね」

 「(たう)(へん)(ぼく)て、(せん)(せい)なんぞなもし」

 「(なん)でもいゝでさあ、——(まつた)(あか)シヤツの()(りやく)だね。よくない()(うち)だ。まるで(だまし)(うち)ですね。それでおれの(げつ)(きふ)()げるなんて、()()(がふ)(こと)があるものか。()げてやるつたつて、(だれ)()がつて()るものか」

 「(せん)(せい)(げつ)(きふ)()(あが)りるのかなもし」

 「()げてやるつて()ふから、(こと)はらうと(おも)ふんです」

 「(なん)で、()(こと)はりるのぞなもし」

 「(なん)でも()(こと)はりだ。()(ばあ)さん、あの(あか)シヤツは()鹿()ですぜ。()(けふ)でさあ」

 「()(けふ)でもあんた、(げつ)(きふ)()げておくれたら、大人(おとな)しく(いたゞ)いて()(はう)(とく)ぞなもし。(わか)いうちはよく(はら)()つものぢやが、(とし)をとつてから(かんが)へると、も(すこ)しの()(まん)ぢやあつたのに()しい(こと)をした。(はら)()てた()めにこないな(そん)をしたと(くや)むのが(あた)(まへ)ぢやけれ、お(ばあ)()(こと)をきいて、(あか)シヤツさんが(げつ)(きふ)をあげてやろと()()ひたら、難有(ありがた)うと()けて()(おき)なさいや」

 「(とし)(より)(くせ)()(けい)()()()かなくつてもいゝ。おれの(げつ)(きふ)()がらうと()がらうとおれの(げつ)(きふ)だ」

 (ばあ)さんはだまつて()()んだ。(ぢい)さんは(のん)()(こゑ)()して(うたひ)をうたつてる。(うたひ)()ふものは()んでわかる(ところ)を、やに()づかしい(ふし)をつけて、わざと(わか)らなくする(じゆつ)だらう。あんな(もの)(まい)(ばん)()きずに(うな)(ぢい)さんの()()れない。おれは(うたひ)(どころ)(さわ)ぎぢやない。(げつ)(きふ)()げてやらうと()ふから、(べつ)(だん)()しくもなかつたが、()らない(かね)(あま)して()くのも(もつ)(たい)ないと(おも)つて、よろしいと(しよう)()したのだが、(てん)(にん)したくないものを()()(てん)(にん)させて(その)(をとこ)(げつ)(きふ)(うは)(まへ)()ねるなんて()(にん)(じやう)(こと)()()るものか。(たう)(にん)がもとの(とほ)りでいゝと()ふのに(のべ)(をか)(くんだ)(まで)()ちさせるとは(いつ)(たい)どう()(れう)(けん)だらう。()(ざい)(ごんの)(そつ)でさへ(はか)()(きん)(ぺん)()ちついたものだ、()(あひ)(また)()(らう)だつて(さが)()でとまつてるぢやないか。とにかく(あか)シヤツの(ところ)()つて(こと)はつて()なくつちあ()()まない。

 ()(くら)(はかま)をつけて(また)()()けた。(おほ)きな(げん)(くわん)()()つて(たの)むと()ふと、(また)(れい)(おとうと)(とり)(つぎ)()()た。おれの(かほ)()てまた()たかと()()(つき)をした。(よう)があれば二()だつて三()だつて()る。よる()なかだつて(たゝ)(おこ)さないとは(かぎ)らない。(けう)(とう)(ところ)()()(げん)(うかゞ)ひにくる(やう)なおれと()(そくな)つてるか。(これ)でも(げつ)(きふ)()らないから(かへ)しに(きた)んだ。すると(おとうと)(いま)(らい)(きやく)(ちゆう)だと()ふから、(げん)(くわん)でいゝから一寸(ちよつと)()()にかゝりたいと()つたら(おく)()()んだ。(あし)(もと)()ると、(たゝみ)()きの(うす)つぺらな、のめりの(こま)()()がある。(おく)でもう(ばん)(ざい)ですよと()(こゑ)(きこ)える。()(きやく)とは()だだなと()がついた。()だでなくては、あんな()(いろ)(こゑ)()して、こんな(げい)(にん)じみた()()穿()くものはない。

 しばらくすると、(あか)シヤツがランプを()つて(げん)(くわん)(まで)()()て、まあ()がり(たま)へ、(ほか)(ひと)ぢやない(よし)(かは)(くん)だ、と()ふから、いえ此所(こゝ)(たく)(さん)です。一寸(ちよつと)(はな)せばいゝんです、と()つて、(あか)シヤツの(かほ)()ると(きん)(とき)(やう)だ。()(こう)(いつ)(ぱい)()んでると()える。

 「さつき(ぼく)(げつ)(きふ)()げてやると()()(はなし)でしたが、(すこ)(かんがへ)(かは)つたから(こと)はりに()たんです」

 (あか)シヤツはランプを(まへ)()して、(おく)(はう)からおれの(かほ)(なが)めたが、(とつ)()()(あひ)(へん)()をしかねて(ばう)(ぜん)として()る。(ぞう)(きふ)(こと)はる(やつ)()(なか)にたつた一人(ひとり)()()して()たのを()(しん)(おも)つたのか、(こと)はるにしても、(いま)(かへ)つた(ばか)りで、すぐ()(なほ)して()なくつてもよさゝうなものだと、(あき)(かへ)つたのか、(また)(さう)(はう)(がつ)(ぺい)したのか、(めう)(くち)をして()()つた(まゝ)である。

 「あの(とき)(しよう)()したのは、()()(くん)()(ぶん)()(ばう)(てん)(にん)すると()(はなし)でしたからで……」

 「()()(くん)(まつた)()(ぶん)()(ばう)(なか)(てん)(にん)するんです」

 「さうぢやないんです、こゝに()たいんです。(もと)(げつ)(きふ)でもいゝから、(きやう)()()たいのです」

 「(きみ)()()(くん)から、さう()いたのですか」

 「そりや(たう)(にん)から、()いたんぢやありません」

 「ぢや(だれ)から()()きです」

 「(ぼく)()宿(しゆく)(ばあ)さんが、()()さんの(おつ)()さんから()いたのを今日(けふ)(ぼく)(はな)したのです」

 「ぢや、()宿(しゆく)(ばあ)さんがさう()つたのですね」

 「まあさうです」

 「それは(しつ)(れい)ながら(すこ)(ちが)ふでせう。あなたの(おつし)やる(とほ)りだと、()宿(しゆく)()(ばあ)さんの()(こと)(しん)ずるが、(けう)(とう)()(こと)(しん)じないと()(やう)(きこ)えるが、さう()()()(かい)(しやく)して(さし)(つかへ)ないでせうか」

 おれは一寸(ちよつと)(こま)つた。(ぶん)(がく)()なんてものは()()りえらいもんだ。(めう)(ところ)へこだわつて、ねち/\()()せてくる。おれはよく(おや)()から()(さま)はそゝつかしくて()()だ/\と()はれたが、(なる)(ほど)(せう)(/\)そゝつかしい(やう)だ。(ばあ)さんの(はなし)()いてはつと(おも)つて()()して()たが、(じつ)はうらなり(くん)にもうらなりの(おつ)()さんにも()つて(くは)しい()(じやう)()いて()なかつたのだ。だからかう(ぶん)(がく)()(りう)()()けられると、一寸(ちよつと)()()めにくい。

 (しやう)(めん)からは()()めにくいが、おれはもう(あか)シヤツに(たい)して()(しん)(にん)(こゝろ)(うち)(まを)(わた)して()()つた。()宿(しゆく)(ばあ)さんもけちん(ばう)(よく)()()(さう)()ないが、(うそ)()かない(をんな)だ、(あか)シヤツの(やう)(うら)(おもて)はない。おれは()(かた)がないから、かう(こた)へた。

 「あなたの()(こと)(ほん)(たう)かも()れないですが——とにかく(ぞう)(きふ)()(めん)(かうむ)ります」

 「それは(ます/\)可笑(をか)しい。(いま)(きみ)がわざ/\()(いで)()つたのは(ぞう)(ほう)()けるには(しの)びない、()(いう)()(いだ)したからの(やう)(きこ)えたが、(その)()(いう)(ぼく)(せつ)(めい)()()られたにも(かゝ)はらず(ぞう)(ほう)(いな)まれるのは(すこ)(かい)しかねる(やう)ですね」

 「(かい)しかねるかも()れませんがね。とに(かく)(ことは)りますよ」

 「そんなに(いや)なら()ひてと(まで)()ひませんが、さう二三()(かん)のうちに、(とく)(べつ)()(いう)もないのに(へう)(へん)しちや、(しやう)(らい)(きみ)(しん)(よう)にかゝはる」

 「かゝはつても(かま)はないです」

 「そんな(こと)はない(はず)です、(にん)(げん)(しん)(よう)(ほど)(たい)(せつ)なものはありませんよ。よしんば(いま)(いつ)()(ゆづ)つて、()宿(しゆく)(しゆ)(じん)が……」

 「(しゆ)(じん)ぢやない、(ばあ)さんです」

 「どちらでも(よろ)しい。()宿(しゆく)(ばあ)さんが(きみ)(はな)した(こと)()(じつ)とした(ところ)で、(きみ)(ぞう)(きふ)()()(くん)(しよ)(とく)(けづ)つて()たものではないでせう。()()(くん)(のべ)(をか)()かれる。(その)(かは)りがくる。(その)(かは)りが()()(くん)よりも()(せう)(てい)(きふ)()てくれる。(その)(じよう)()(きみ)()はすと()ふのだから、(きみ)(だれ)にも()(どく)がる(ひつ)(えう)はない(はず)です。()()(くん)(のべ)(をか)(たゞ)(いま)よりも(えい)(しん)される。(しん)(にん)(しや)(さい)(しよ)からの(やく)(そく)(やす)くゝる。それで(きみ)()がられゝば、(これ)(ほど)()(がふ)のいゝ(こと)はないと(おも)ふですがね。いやなら(いや)でもいゝが、もう一(ぺん)うちでよく(かんが)へて()ませんか」

 おれの(あたま)はあまりえらくないのだから、何時(いつ)もなら、(あひ)()がかう()(かう)(めう)(べん)(ぜつ)(ふる)へば、おやそうかな、それぢや、おれが()(ちが)つてたと(おそ)()つて()きさがるのだけれども、(こん)()はさうは()かない。こゝへ()(さい)(しよ)から(あか)シヤツは(なん)だか(むし)()かなかつた。()(ちゆう)(しん)(せつ)(をんな)()(やう)(をとこ)だと(おも)(かへ)した(こと)はあるが、それが(しん)(せつ)でも(なん)でもなさゝうなので、(はん)(どう)(けつ)(くわ)(いま)ぢや()(ぽど)(いや)になつて()る。だから(さき)がどれ(ほど)うまく(ろん)()(てき)(べん)(ろん)(たくまし)くしやうとも、(だう)(/\)たる(けう)(とう)(りう)におれを()()(やう)とも、そんな(こと)(かま)はない。()(ろん)のいゝ(ひと)(ぜん)(にん)とはきまらない。()()められる(はう)(あく)(にん)とは(かぎ)らない。(おもて)(むき)(あか)シヤツの(はう)(ぢゆう)(/\)(もつと)もだが、(おもて)(むき)がいくら(りつ)()だつて、(はら)(なか)(まで)()れさせる(わけ)には()かない。(かね)()(りよく)()(くつ)(にん)(げん)(こゝろ)()へる(もの)なら、(かう)()(かし)でも(じゆん)()でも(だい)(がく)(けう)(じゆ)でも(いち)(ばん)(ひと)()かれなくてはならない。(ちゆう)(がく)(けう)(とう)(ぐらゐ)(ろん)(ぱふ)でおれの(こゝろ)がどう(うご)くものか。(にん)(げん)()(きらひ)(はた)らくものだ。(ろん)(ぱふ)(はた)らくものぢやない。

 「あなたの()(こと)(もつと)もですが、(ぼく)(ぞう)(きふ)がいやになつたんですから、まあ(こと)はります。(かんが)へたつて(おな)(こと)です。()(やう)なら」と()ひすてゝ(もん)()た。(あたま)(うへ)には(あま)(がは)(ひと)(すぢ)かゝつて()る。

     九

 うらなり(くん)(そう)(べつ)(くわい)のあると()()(あさ)(がく)(かう)()たら、(やま)(あらし)(とつ)(ぜん)(きみ)(せん)(だつて)はいか(ぎん)()て、(きみ)(らん)(ばう)して(こま)るから、どうか()(やう)(はな)して()れと(たの)んだから、()()()()けて、(きみ)()てやれと(はな)したのだが、あとから()いて()ると、あいつは()るい(やつ)で、よく()(ひつ)(にせ)(らく)(くわん)(など)()して()りつけるさうだから、(まつた)(きみ)(こと)()(たら)()(ちが)ひない。(きみ)(かけ)(もの)(こつ)(とう)()りつけて、(しやう)(ばい)にしやうと(おも)つてた(ところ)が、(きみ)()()はないで(まう)けがないものだから、あんな(つく)りごとをこしらへて()()()したのだ。(ぼく)はあの(じん)(ぶつ)()らなかつたので(きみ)(たい)(へん)(しつ)(けい)した(かん)(べん)(たま)へと(なが)(/\)しい(しや)(ざい)をした。

 おれは(なん)とも()はずに、(やま)(あらし)(つくゑ)(うへ)にあつた、一(せん)(りん)をとつて、おれの()()(ぐち)のなかへ()れた。(やま)(あらし)(きみ)それを()()めるのかと()(しん)さうに()くから、うんおれは(きみ)(おご)られるのが、いやだつたから、()()(かへ)(つも)りで()たが、(その)()(だん)(/\)(かんが)へて()ると、()(ぱり)(おご)つて(もら)(はう)がいゝ(やう)だから、()()ますんだと(せつ)(めい)した。(やま)(あらし)(おほ)きな(こゑ)をしてアハヽヽと(わら)ひながら、そんなら、何故(なぜ)(はや)()らなかつたのだと()いた。(じつ)()らう/\と(おも)つてたが、(なん)だか(めう)だから(その)(まゝ)にして()いた。(きん)(らい)(がく)(かう)()て一(せん)(りん)()るのが()になる(くらゐ)いやだつたと()つたら、(きみ)()(ぽど)()()しみの(つよ)(をとこ)だと()ふから、(きみ)()(ぽど)(がう)(じよつ)()りだと(こた)へてやつた。それから二人(ふたり)(あひだ)にこんな(もん)(だふ)(おこ)つた。

 「(きみ)(いつ)(たい)どこの(さん)だ」

 「おれは()()()だ」

 「うん、()()()か、(だう)()()()しみが(つよ)いと(おも)つた」

 「(きみ)はどこだ」

 「(ぼく)(あひ)()だ」

 「(あひ)()つぽか、(がう)(じやう)(わけ)だ。今日(けふ)(そう)(べつ)(くわい)()くのかい」

 「()くとも、(きみ)は?」

 「おれは()(ろん)()くんだ。()()さんが()(とき)は、(はま)(まで)()(おく)りに()かうと(おも)つてる(くらゐ)だ」

 「(そう)(べつ)(くわい)(おも)(しろ)いぜ、()()(たま)へ。今日(けふ)(おほい)()(つもり)だ」

 「(かつ)()()むがいゝ。おれは(さかな)()つたら、すぐ(かへ)る。(さけ)なんか()(やつ)()鹿()だ」

 「(きみ)はすぐ(けん)(くわ)()()ける(をとこ)だ。(なる)(ほど)()()()(けい)(てう)(ふう)を、よく、あらはしてる」

 「(なん)でもいゝ、(そう)(べつ)(くわい)()(まへ)一寸(ちよつと)おれのうちへ()()り、(はな)しがあるから」

 (やま)(あらし)(やく)(そく)(どほ)りおれの()宿(しゆく)()つた。おれは(この)(あひだ)から、うらなり(くん)(かほ)()(たび)()(どく)(たま)らなかつたが、(いよ/\)(そう)(べつ)今日(けふ)となつたら、(なん)だか(あは)れつぽくつて、()()(こと)なら、おれが(かは)りに()つてやりたい(やう)()がしだした。それで(そう)(べつ)(くわい)(せき)(じやう)で、(おほい)(えん)(ぜつ)でもして(その)(かう)(さかん)にしてやりたいと(おも)ふのだが、おれのべらんめえ調(でう)()ぢや、(たう)(てい)(もの)にならないから、(おほ)きな(こゑ)()(やま)(あらし)(やと)つて、(いち)(ばん)(あか)シヤツの(あら)(ぎも)(ひし)いでやらうと(かんが)()いたから、わざ/\(やま)(あらし)()んだのである。

 おれは()(ばう)(とう)としてマドンナ()(けん)から()()したが、(やま)(あらし)()(ろん)マドンナ()(けん)はおれより(くは)しく()つて()る。おれが()(ぜり)(がは)()()(はなし)をして、あれは()鹿()()(らう)だと()つたら、(やま)(あらし)(きみ)はだれを(つら)まへても()鹿()(よば)はりをする。今日(けふ)(がく)(かう)()(ぶん)(こと)()鹿()()つたぢやないか。()(ぶん)()鹿()なら、(あか)シヤツは()鹿()ぢやない。()(ぶん)(あか)シヤツの(どう)(るゐ)ぢやないと(しゆ)(ちやう)した。(それ)ぢや(あか)シヤツは()()けの(はう)(すけ)だと()つたら、さうかも()れないと(やま)(あらし)(おほい)(さん)(せい)した。(やま)(あらし)(つよ)(こと)(つよ)いが、こんな(こと)()になると、おれより(はる)かに()()つて()ない。(あひ)()つぽなんてものはみんな、こんな、ものなんだらう。

 (それ)から(ぞう)(きふ)()(けん)(しやう)(らい)(おも)(とう)(よう)すると(あか)シヤツが()つた(はなし)をしたら(やま)(あらし)はふゝんと(はな)から(こゑ)()して、それぢや(ぼく)(めん)(しよく)する(かんがへ)だなと()つた。(めん)(しよく)する(つもり)だつて、(きみ)(めん)(しよく)になる()かと()いたら、(だれ)がなるものか、()(ぶん)(めん)(しよく)になるなら、(あか)シヤツも(いつ)(しよ)(めん)(しよく)させてやると(おほい)()()つた。どうして(いつ)(しよ)(めん)(しよく)させる()かと()(かへ)して(たづ)ねたら、そこはまだ(かんが)へて()ないと(こた)へた。(やま)(あらし)(つよ)さうだが、()()はあまりなささうだ。おれが(ぞう)(きふ)(こと)はつたと(はな)したら、(たい)(しやう)(おほ)きに(よろこ)んで流石(さすが)()()()だ、えらいと()めてくれた。

 うらなりが、そんなに(いや)がつてゐるなら、何故(なぜ)(りう)(にん)(うん)(どう)をしてやらなかつたと()いて()たら、うらなりから(はなし)()いた(とき)は、(すで)にきまつて()()つて、(かう)(ちやう)へ二()(あか)シヤツへ一()()つて(だん)(ぱん)して()たが、どうする(こと)()()なかつたと(はな)した。(それ)(つい)ても()()があまり(かう)(じん)(ぶつ)()ぎるから(こま)る。(あか)シヤツから(はなし)があつた(とき)(だん)(ぜん)(こと)はるか、(いち)(おう)(かんが)へて()ますと()げればいゝのに、あの(べん)(ぜつ)()()()されて、(そく)(せき)(きよ)(だく)したものだから、あとから(おつ)()さんが()きついても、()(ぶん)(だん)(ぱん)()つても(やく)()たなかつたと()(じやう)(ざん)(ねん)がつた。

 (こん)()()(けん)(まつた)(あか)シヤツが、うらなりを(とほざ)けて、マドンナを()()れる(さく)(りやく)なんだらうとおれが()つたら、()(ろん)さうに(ちがひ)ない。あいつは大人(おとな)しい(かほ)をして、(あく)()(はたら)いて、(ひと)(なに)()ふと、ちやんと(にげ)(みち)(こし)らへて()つてるんだから、()(ぽど)(かん)(ぶつ)だ。あんな(やつ)にかゝつては(てつ)(けん)(せい)(さい)でなくつちや()かないと、(こぶ)だらけの(うで)をまくつて()せた。おれは(つい)でだから、(きみ)(うで)(つよ)さうだな(じう)(じゆつ)でもやるかと()いて()た。すると(たい)(しやう)()(うで)(ちから)(こぶ)()れて、一寸(ちよつと)(つか)んで()ろと()ふから、(ゆび)(さき)()んで()たら、(なん)(こと)はない()()にある(かる)(いし)(やう)なものだ。

 おれは(あま)(かん)(しん)したから、(きみ)その(くらゐ)(うで)なら、(あか)シヤツの五(にん)や六(にん)(いち)()()()ばされるだらうと()いたら、()(ろん)さと()ひながら、()げた(うで)()ばしたり、(ちゞ)ましたりすると、(ちから)(こぶ)がぐるり/\と(かは)のなかで(くわい)(てん)する。(すこぶ)()(くわい)だ。(やま)(あらし)(しよう)(めい)する(ところ)によると、かんじん()りを二(ほん)より(あは)せて、この(ちから)(こぶ)()(ところ)()きつけて、うんと(うで)()げると、ぷつりと()れるさうだ。かんじんよりなら、おれにも()()さうだと()つたら、()()るものか、()()るならやつて()ろと()た。()れないと(ぐわい)(ぶん)がわるいから、おれは()(あは)せた。

 (きみ)どうだ、(こん)()(そう)(べつ)(くわい)(おほい)()んだあと、(あか)シヤツと()だを(なぐ)つてやらないかと(おも)(しろ)(はん)(ぶん)(すゝ)めて()たら、(やま)(あらし)はさうだなと(かんが)へて()たが、(こん)()はまあよさうと()つた。何故(なぜ)()くと、(こん)()()()()(どく)だから——それにどうせ(なぐ)(くらゐ)なら、あいつらの()るい(ところ)()(とゞけ)けて(げん)()(なぐ)らなくつちや、こつちの(おち)()になるからと、(ふん)(べつ)のありさうな(こと)(つけ)()した。(やま)(あらし)でもおれよりは(かんが)へがあると()える。

 ぢや(えん)(ぜつ)をして()()(くん)(おほい)にほめてやれ、おれがすると()()()のぺら/\になつて(おも)みがなくていけない。さうして、きまつた(ところ)()ると、(きふ)(りう)(いん)(おこ)つて咽喉(のど)(ところ)へ、(おほ)きな(たま)()がつて()(こと)()()ないから、(きみ)(ゆづ)るからと()つたら、(めう)(びやう)()だな、ぢや(きみ)(ひと)(なか)ぢや(くち)()けないんだね、(こま)るだらう、と()くから、(なに)そんなに(こま)りやしないと(こた)へて()いた。

 さうかうするうち()(かん)()たから、(やま)(あらし)(いつ)(しよ)(くわい)(ぢやう)()く。(くわい)(ぢやう)(くわ)(しん)(てい)()つて、當地(こゝ)(だい)(とう)(れう)()()ださうだが、おれは一()(あし)()れた(こと)がない。もとの()(らう)とかの()(しき)()()れて、(その)(まゝ)(かい)(げふ)したと()(はなし)だが、(なる)(ほど)()(かけ)からして(いか)めしい(かまへ)だ。()(らう)()(しき)(れう)()()になるのは、(ぢん)()(おり)()(なほ)して、(どう)()にする(やう)なものだ。

 二人(ふたり)()いた(ころ)には、(にん)()ももう(たい)(がい)(そろ)つて、五十(でふ)(ひろ)()(ふた)()(にん)(げん)(かた)まりが()()()る。五十(でふ)(だけ)(とこ)()(てき)(おほ)きい。おれが(やま)(しろ)()(せん)(りやう)した十五(でふ)(じき)(とこ)とは()(かく)にならない。(しやく)()つて()たら二(けん)あつた。(みぎ)(はう)に、(あか)()(やう)のある()()(もの)(かめ)()えて、(その)(なか)(まつ)(おほ)きな(えだ)()してある。(まつ)(えだ)()して(なに)にする()()らないが、(なん)(げつ)()つても()()(づかひ)がないから、(ぜに)(かゝ)らなくつて、よからう。あの()()(もの)はどこで()()るんだと(はく)(ぶつ)(けう)()()いたら、あれは()()(もの)ぢやありません、()()()ですと()つた。()()()だつて()()(もの)ぢやないかと、()つたら、(はく)(ぶつ)はえへゝゝゝと(わら)つて()た。あとで()いて()たら、()()()()(やき)(もの)だから、()()()ふのださうだ。おれは()()()だから、(たう)()(こと)()()(もの)といふのかと(おも)つて()た。(とこ)(まん)(なか)(おほ)きな(かけ)(もの)があつて、おれの(かほ)(ぐらゐ)(おほ)きさな()が二十八()かいてある。どうも下手(へた)なものだ。あんまり不味(まづ)いから、(かん)(がく)(せん)(せい)に、なぜあんなまづいものを(れい)(/\)()けて()くんですと(たづ)ねた(ところ)(せん)(せい)はあれは(かい)(をく)()つて(いう)(めい)(しよ)()のかいた(もの)だと(をし)へてくれた。(かい)(をく)だか(なん)だか、おれは(いま)だに下手(へた)だと(おも)つて()る。

 やがて(しよ)()(かは)(むら)がどうか()(ちやく)(せき)をと()ふから、(はしら)があつて()りかゝるのに()(がふ)のいゝ(ところ)(すわ)つた。(かい)(をく)(かけ)(もの)(まへ)(たぬき)()(おり)(はかま)(ちやく)(せき)すると、(ひだり)(あか)シヤツが(おな)じく()(おり)(はかま)(ぢん)()つた。(みぎ)(はう)今日(けふ)(しゆ)(じん)(こう)だと()ふのでうらなり(せん)(せい)(これ)()(ほん)(ふく)(ひか)へて()る。おれは(やう)(ふく)だから、かしこまるのが(きゆう)(くつ)だつたから、すぐ胡坐(あぐら)をかいた。(とな)りの(たい)(さう)(けう)()(くろ)づぼん[#「づぼん」に傍点]で、ちやんとかしこまつて()る。(たい)(さう)(けう)()(だけ)にいやに(しゆ)(げふ)()んで()る。やがて()(ぜん)()る。(とく)()(なら)ぶ。(かん)()()つて、(いち)(ごん)(かい)(くわい)()()べる。(それ)から(たぬき)()つ、(あか)シヤツが()つ。(こと/″\)(そう)(べつ)()()べたが、三(にん)(とも)(まを)(あは)せた(やう)にうらなり(くん)の、(りやう)(けう)()(かう)(じん)(ぶつ)(こと)(ふい)(ちやう)して、(こん)(くわい)()られるのは(まこと)(ざん)(ねん)である、(がく)(かう)としてのみならず、()(じん)として(おほい)()しむ(ところ)であるが、()(いつ)(しん)(じやう)()()(がふ)で、(せつ)(てん)(にん)()()(ばう)になつたのだから(いた)(かた)がないと()()()()べた。こんな(うそ)をついて(そう)(べつ)(くわい)(ひら)いて、それでちつとも(はづ)かしいとも(おも)つて()ない。ことに(あか)シヤツに(いた)つて三(にん)のうちで(いち)(ばん)うらなり(くん)をほめた。(この)(りやう)(いう)(うしな)ふのは(じつ)()(ぶん)()つて(だい)なる()(かう)であると(まで)()つた。しかも(その)いひ(かた)がいかにも、(もつと)もらしくつて、(れい)のやさしい(こゑ)(いつ)(そう)やさしくして、()()てるのだから、(はじ)めて()いたものは、(だれ)でも(きつ)()だまされるに(きま)つてる。マドンナも(おほ)(かた)(この)()(ひつ)()けたんだらう。(あか)シヤツが(そう)(べつ)()()()てゝゐる(さい)(ちゆう)(むかふ)(がは)(すわ)つて()(やま)(あらし)がおれの(かほ)()一寸(ちよつと)(いな)(びかり)をさした。おれは(へん)(でん)として、(ひと)()(ゆび)でべつかんこうをして()せた。

 (あか)シヤツが(せき)(ふく)するのを()ちかねて、(やま)(あらし)がぬつと()()がつたから、おれは(うれ)しかつたので、(おも)はず()をぱち/\と()つた。すると(たぬき)(はじ)(いち)(どう)(こと/″\)くおれの(はう)()たには(せう)(/\)(こま)つた。(やま)(あらし)(なに)()ふかと(おも)ふと(たゞ)(いま)(かう)(ちやう)(はじ)めことに(けう)(とう)()()(くん)(てん)(にん)()(じやう)(ざん)(ねん)がられたが、(わたくし)(せう)(/\)(はん)(たい)()()(くん)が一(じつ)(はや)(たう)()()られるのを()(ばう)して()ります。(のべ)(をか)(へき)(ゑん)()で、(たう)()(くら)べたら(ぶつ)(しつ)(じやう)()便(べん)はあるだらう。が、()(ところ)によれば(ふう)(ぞく)(すこぶ)(じゆん)(ぼく)(ところ)で、(しよく)(ゐん)(せい)()(こと/″\)(じやう)(だい)(ぼく)(ちよく)()(ふう)()びて()るさうである。(こゝろ)にもない()()()()()いたり、(うつく)しい(かほ)をして(くん)()(おとしい)れたりするハイカラ()(らう)一人(ひとり)もないと(しん)ずるからして、(きみ)(ごと)(をん)(りやう)(とく)(こう)()(かなら)(その)()(はう)(いつ)(ぱん)(くわん)(げい)()けられるに(さう)()ない。(わが)(はい)(おほい)()()(くん)()めに(この)(てん)(にん)(しゆく)するのである。(をは)りに(のぞ)んで(きみ)(のべ)(をか)()(にん)されたら、(その)()(しゆく)(ぢよ)にして、(くん)()(かう)(きう)となるべき()(かく)あるものを(えら)んで一(じつ)(はや)(ゑん)滿(まん)なる()(てい)をかたち(づく)つて、かの()(てい)()(せつ)なる()(てん)()()(じつ)(うへ)(おい)(ざん)()せしめん(こと)()(ばう)します。えへん/\と(ふた)つばかり(おほ)きな(せき)(ばら)ひをして(せき)()いた。おれは(こん)()()(たゝ)かうと(おも)つたが、(また)みんながおれの(かほ)()るといやだから、やめにして()いた。(やま)(あらし)(すわ)ると(こん)()はうらなり(せん)(せい)()つた。(せん)(せい)()(てい)(ねい)に、()(せき)から、()(しき)(はじ)(まつ)()(まで)()つて、(いん)(ぎん)(いち)(どう)(あい)(さつ)をした(うへ)(こん)(ぱん)(いつ)(しん)(じやう)()(がふ)(きう)(しう)(まゐ)(こと)になりましたに(つい)て、(しよ)(せん)(せい)(がた)(せう)(せい)(ため)(この)(せい)(だい)なる(そう)(べつ)(くわい)()(ひら)(くだ)さつたのは、まことに(かん)(めい)(いた)りに()へぬ()(だい)で——ことに(たゞ)(いま)(かう)(ちやう)(けう)(とう)(その)()(しよ)(くん)(そう)(べつ)()(ちやう)(だい)して、(おほ)いに難有(ありがた)(ふく)(よう)する(わけ)であります。(わたくし)(これ)から(ゑん)(ぱう)(まゐ)りますが、(なに)(とぞ)(じゆう)(ぜん)(とほ)()()(すて)なく()(あい)()(ほど)(ねが)ひます。とへえつく()つて(せき)(もど)つた。うらなり(くん)はどこ(まで)(ひと)()いんだか、(ほと)んど(そこ)()れない。()(ぶん)がこんなに()鹿()にされてゐる(かう)(ちやう)や、(けう)(とう)(うや/\)しく()(れい)()つてゐる。それも()()(いつ)(ぺん)(あい)(さつ)ならだが、あの(やう)()や、あの(こと)()つきや、あの(かほ)つきから()ふと、(しん)から(かん)(しや)してゐるらしい。こんな(せい)(じん)()()()()(れい)()はれたら、()(どく)になつて、(せき)(めん)しさうなものだが(たぬき)(あか)シヤツも()()()(きん)(ちやう)して()(ばか)りだ。

 (あい)(さつ)()んだら、あちらでもチユー、こちらでもチユー、と()(おと)がする。おれも()()をして(しる)()んで()たがまづいもんだ。(くち)(とり)(かま)(ぼこ)はついてるが、どす(ぐろ)くて(ちく)()()()(そこ)ないである。(さし)()(なら)んでるが、(あつ)くつて(まぐろ)()()(なま)()ふと(おな)(こと)だ。それでも(とな)(きん)(じよ)(れん)(ぢゆう)はむしや/\(うま)さうに()つて()る。(おほ)(かた)()()(まへ)(れう)()()つた(こと)がないんだらう。

 (その)うち(かん)(どく)()(ひん)(ぱん)(わう)(らい)(はじ)めたら、()(はう)(きふ)(にぎ)やかになつた。()(こう)(うや/\)しく(かう)(ちやう)(まへ)()(さかづき)(いたゞ)いてる。いやな(やつ)だ。うらなり(くん)(じゆん)(/\)(けん)(しう)をして、(いち)(じゆん)(めぐ)(つもり)()える。(はなは)()()(らう)である。うらなり(くん)がおれの(まへ)()て、(ひと)(ちやう)(だい)(いた)しませうと(はかま)のひだを(たゞ)して(まを)()まれたから、おれも(きゆう)(くつ)にヅボンの(まゝ)かしこまつて、一(ぱい)()()げた。(せつ)(かく)(まゐ)つて、すぐ()(わか)れになるのは(ざん)(ねん)ですね。()(しゆつ)(たつ)はいつです、()()(はま)(まで)()()(おくり)をしませうと()つたら、うらなり(くん)はいえ()(よう)(おほ)(ところ)(けつ)して(それ)には(およ)びませんと(こた)へた。うらなり(くん)(なん)()つたつて、おれは(がく)(かう)(やす)んで(おく)()()る。

 (それ)から一()(かん)(ほど)するうちに(せき)(じやう)(だい)()(みだ)れて()る。まあ一(ぱい)、おや(ぼく)()めと()ふのに……などと()(れつ)(まは)りかねるのも一人(ひとり)二人(ふたり)()()()た。(せう)(/\)退(たい)(くつ)したから便(べん)(じよ)()つて、(むか)(ふう)(には)(ほし)(あか)りにすかして(なが)めて()ると(やま)(あらし)()た。どうだ最前(さつき)(えん)(ぜつ)はうまかつたらう。と(だい)()(とく)()である。(だい)(さん)(せい)だが一ケ(しよ)()()らないと(かう)()(まを)()んだら、どこが()(さん)(せい)だと()いた。

 「(うつく)しい(かほ)をして(ひと)(おとしい)れる(やう)なハイカラ()(らう)(のべ)(をか)()らないから……と(きみ)()つたらう」

 「うん」

 「ハイカラ()(らう)(だけ)では()(そく)だよ」

 「ぢや(なん)()ふんだ」

 「ハイカラ()(らう)の、ペテン()の、イカサマ()の、(ねこつ)(かぶ)りの、香具()()の、モヽンガーの、(をか)()きの、わん/\()けば(いぬ)(どう)(ぜん)(やつ)とでも()ふがいゝ」

 「おれには、さう(した)(まは)らない。(きみ)(のう)(べん)だ。(だい)(たん)()(たい)(へん)(たく)(さん)()つてる。それで(えん)(ぜつ)()()ないのは()()()だ」

 「なにこれは(けん)(くわ)のときに使(つか)はうと(おも)つて、(よう)(じん)(ため)()つて()(こと)()さ。(えん)(ぜつ)となつちや、かうは()ない」

 「さうかな、(しか)しぺら/\()るぜ。もう一(ぺん)やつて()(たま)へ」

 「(なん)(べん)でもやるさいゝか。——ハイカラ()(らう)のペテン()の、イカサマ()の……」 と()ひかけて()ると、(えん)(がは)をどたばた()はして、二人(ふたり)ばかり、よろ/\しながら()()して()た。

 「(りやう)(くん)そりやひどい、——()げるなんて、——(ぼく)()るうちは(けつ)して(にが)さない、さあのみ(たま)へ。——いかさま()?——(おも)(しろ)い、いかさま(おも)(しろ)い。——さあ()(たま)へ」 とおれと(やま)(あらし)をぐい/\()()つて()く。(じつ)(この)(りやう)(にん)(とも)便(べん)(じよ)()たのだが、()つてるもんだから、便(べん)(じよ)()()るのを(わす)れて、おれ()()()るのだらう。()(ぱら)ひは()(あた)(ところ)(よう)()(こしら)へて、(まへ)(こと)はすぐ(わす)れて()()ふんだらう。

 「さあ、(しよ)(くん)、いかさま()()()つて()た。さあ()ましてくれ(たま)へ。いかさま()をうんと()(ほど)()はしてくれ(たま)へ。(きみ)()げちやいかん」 と()げもせぬ、おれを(かべ)(ぎは)()()けた。(しよ)(はう)()(まは)して()ると、(ぜん)(うへ)滿(まん)(ぞく)(さかな)()つて()るのは(ひと)つもない。()(ぶん)(ぶん)()(れい)()(つく)して、五六(けん)(さき)(ゑん)(せい)()(やつ)()る。(かう)(ちやう)はいつ(かへ)つたか姿(すがた)()えない。

 (ところ)()()(しき)はこちら? と(げい)(しや)(さん)()(にん)()()つて()た。おれも(すこ)(おど)ろいたが、(かべ)(ぎは)()()けられて()るんだから、(じつ)として(たゞ)()()た。すると(いま)(まで)(とこ)(ばしら)へもたれて(れい)()(はく)のパイプを()(まん)さうに(くは)へて()た、(あか)シヤツが(きふ)()つて、()(しき)()にかゝつた。(むかふ)から()()つて()(げい)(しや)一人(ひとり)が、()(ちが)ひながら、(わら)つて(あい)(さつ)をした。その一人(ひとり)(いち)(ばん)(わか)くて(いち)(ばん)()(れい)(やつ)だ。(とほ)くで(きこ)えなかつたが、おや(こん)(ばん)(ぐらゐ)()つたらしい。(あか)シヤツは()らん(かほ)をして()()つたぎり、(かほ)()さなかつた。(おほ)(かた)(かう)(ちやう)のあとを(おつ)()けて(かへ)つたんだらう。

 (げい)(しや)()たら()(しき)(ぢゆう)(きふ)(やう)()になつて、(いち)(どう)(とき)(こゑ)()げて(くわん)(げい)したのかと(おも)(くらゐ)(さう)(/″\)しい。さうして()(やつ)はなんこを(つか)む。その(こゑ)(おほ)きな(こと)(まる)()(あひ)(ぬき)(けい)()(やう)だ。こつちでは(けん)()つてる。よつ、はつ、と()(ちゆう)(りやう)()()(ところ)は、ダーク(いち)()(あやつり)(にん)(ぎやう)より()(ぽど)上手(じやうず)だ。(むか)ふの(すみ)ではおい()(しやく)だ、と(とく)()()つて()て、(さけ)だ/\と()(なほ)して()る。どうも()(かま)しくて(さう)(/″\)しくつて(たま)らない。(その)うちで()(もち)()()()(した)()いて(かんが)()んでるのはうらなり(くん)(ばか)りである。()(ぶん)(ため)(そう)(べつ)(くわい)(ひら)いてくれたのは、()(ぶん)(てん)(にん)(をし)んでくれるんぢやない。みんなが(さけ)()んで(あそ)(ため)だ。()(ぶん)(ひと)りが()(もち)()()()(くる)しむ(ため)だ。こんな(そう)(べつ)(くわい)なら、(ひら)いてもらはない(はう)()(ぽど)ましだ。

 しばらくしたら、(めい)(/\)(どう)()(ごゑ)()して(なに)(うた)(はじ)めた。おれの(まへ)()一人(ひとり)(げい)(しや)が、あんた、なんぞ、(うた)ひなはれ、と(しや)()(せん)(かゝ)へたから、おれは(うた)はない、()(さま)(うた)つて()ろと()つたら、(かね)(たい)()でねえ、(まひ)()(まひ)()(さん)()(らう)と、どんどこ、どんのちやんちきりん。(たゝ)いて(まは)つて()はれるものならば、わたしなんぞも、(かね)(たい)()でどんどこ、どんのちやんちきりんと(たゝ)いて(まは)つて()ひたい(ひと)がある、と()(いき)にうたつて、おゝしんどと()つた。おゝしんどなら、もつと(らく)なものをやればいゝのに。

 すると、いつの()にか(そば)()(すわ)つた、()だが、(すゞ)ちやん()ひたい(ひと)()つたと(おも)つたら、すぐ()(かへ)りで、()()(どく)さま()(やう)でげすと(あひ)(かは)らず(はな)()()(やう)(こと)()使(づか)ひをする。()りまへんと(げい)(しや)はつんと()ました。()だは(とん)(ぢやく)なく、たま/\()ひは()ひながら……と、いやな(こゑ)()して()(だい)()()()をやる。おきなはれやと(げい)(しや)(ひら)()()だの(ひざ)(たゝ)いたら()だは(きよう)(えつ)して(わら)つてる。(この)(げい)(しや)(あか)シヤツに(あい)(さつ)をした(やつ)だ。(げい)(しや)(たゝ)かれて(わら)ふなんて、()だも()()()()(もの)だ。(すゞ)ちやん(ぼく)紀伊()(くに)(をど)るから、(ひと)()いて(ちやう)(だい)()()した。()だは(この)(うへ)まだ(をど)()()る。

 (むか)ふの(はう)(かん)(がく)()(ぢい)さんが()のない(くち)(ゆが)めて、そりや(きこ)えません(でん)()()さん、お(まへ)とわたしのその(なか)は……と(まで)()()(すま)したが、それから? と(げい)(しや)()いて()る。(ぢい)さんなんて(もの)(おぼえ)のわるいものだ。一人(ひとり)(はく)(ぶつ)(つら)まへて(ちか)(ごろ)こないなのが、でけましたぜ、()いて()まほうか。よう()いて、()なはれや——(くわ)(げつ)(まき)(しろ)いリボンのハイカラ(あたま)()るは()(てん)(しや)()くはワ″イオリン、(はん)()(えい)()でぺら/\と、I am glad to see youと(うた)ふと、(はく)(ぶつ)(なる)(ほど)(おも)(しろ)い、(えい)()()りだねと(かん)(しん)して()る。

 (やま)(あらし)()鹿()(おほ)きな(こゑ)()して、(げい)(しや)(げい)(しや)()んで、おれが(けん)()をやるから、(しや)()(せん)()けと(がう)(れい)(くだ)した。(げい)(しや)はあまり(らん)(ばう)(こゑ)なので、あつけに()られて(へん)()もしない。(やま)(あらし)()(さい)(かま)はず、ステツキを()つて()て、(ふみ)(やぶる)(せん)(ざん)(ばん)(がくの)(けむり)(まん)(なか)()(ひと)りで(かく)(げい)(えん)じて()る。(ところ)()だが(すで)紀伊()(くに)()まして、かつぽれを()まして、(たな)(だる)()さんを(すま)して(まる)(はだか)(ゑつ)(ちゆう)(ふんどし)(ひと)つになつて、(しゆ)()(ばうき)()(わき)()()んで、(につ)(しん)(だん)(ぱん)()(れつ)して……と()(しき)(ぢゆう)()りあるき()した。まるで()(ちがひ)だ。

 おれはさつきから(くる)しさうに(はかま)()がず(ひか)へて()るうらなり(くん)()(どく)でたまらなかつたが、なんぼ()(ぶん)(そう)(べつ)(くわい)だつて、(ゑつ)(ちゆう)(ふんどし)(はだか)(をどり)(まで)()(おり)(はかま)()(まん)して()()(ひつ)(えう)はあるまいと(おも)つたから、そばへ()つて、()()さんもう(かへ)りませうと退(たい)(きよ)(すゝ)めて()た。するとうらなり(くん)今日(けふ)(わたくし)(そう)(べつ)(くわい)だから、(わたくし)(さき)(かへ)つては(しつ)(れい)です、どうぞ()(ゑん)(りよ)なくと(うご)()(しき)もない。なに(かま)ふもんですか、(そう)(べつ)(くわい)なら、(そう)(べつ)(くわい)らしくするがいゝです、あの(ざま)()(らん)なさい。()(ちがひ)(くわい)です。さあ()きませうと、(すゝ)まないのを()()(すゝ)めて、()(しき)()かゝる(ところ)へ、()だが(はうき)()り/\(しん)(かう)して()て、や()(しゆ)(じん)(さき)(かへ)るとはひどい。(につ)(しん)(だん)(ぱん)だ。(かへ)せないと(はうき)(よこ)にして()()(ふさ)いだ。おれはさつきから(かん)(しやく)(おこ)つて()(ところ)だから、(につ)(しん)(だん)(ぱん)なら()(さま)はちやん/\だらうと、いきなり(げん)(こつ)で、()だの(あたま)をぽかりと(くら)はしてやつた。()だは二三(べう)(あひだ)(どく)()()かれた(てい)で、ぼんやりして()たが、おや(これ)はひどい。()(ぶち)になつたのは(なさけ)ない。(この)(よし)(かは)()(ちやう)(ちやく)とは(おそ)()つた。(いよ/\)(もつ)(につ)(しん)(だん)(ぱん)だ。とわからぬ(こと)をならべて()(ところ)へ、うしろから(やま)(あらし)(なに)(さう)(どう)(はじ)まつたと()()つて、(けん)()をやめて、()んできたが、(この)ていたらくを()て、いきなり(くび)(すぢ)をうんと(つか)んで()(もど)した。(につ)(しん)……いたい。いたい。どうも(これ)(らん)(ばう)だと()りもがく(ところ)(よこ)(ねぢ)つたら、すとんと(たふ)れた。あとはどうなつたか()らない。()(ちゆう)でうらなり(くん)(わか)れて、うちへ(かへ)つたら十一()()ぎだつた。

     十

 (しゆく)(しよう)(くわい)(がく)(かう)()(やす)みだ。(れん)(ぺい)()(しき)があると()ふので、(たぬき)(せい)()(いん)(そつ)して(さん)(れつ)しなくてはならない。おれも(しよく)(ゐん)一人(ひとり)として(いつ)(しよ)にくつついて()くんだ。(まち)()ると()(まる)だらけで、まぼしい(くらゐ)である。(がく)(かう)(せい)()は八百(にん)もあるのだから、(たい)(さう)(けう)()(たい)()(とゝの)へて、(ひと)(くみ)(ひと)(くみ)(あひだ)(すこ)しづゝ()けて、それへ(しよく)(ゐん)一人(ひとり)二人(ふたり)(づゝ)(かん)(とく)として()()()()けである。()(かけ)だけは(すこぶ)(かう)(めう)なものだが、(じつ)(さい)(すこぶ)()()(ぎは)である。(せい)()()(ども)(うへ)に、(なま)()()で、()(りつ)(やぶ)らなくつては(せい)()(たい)(めん)にかゝはると(おも)つてる(やつ)()だから、(しよく)(ゐん)(いく)(たり)ついて()つたつて(なん)(やく)()つもんか。(めい)(れい)(くだ)さないのに(かつ)()(ぐん)()をうたつたり、(ぐん)()をやめるとワーと(わけ)もないのに(とき)(こゑ)()げたり、(まる)(らう)(にん)(ちやう)(ない)をねりあるいてる(やう)なものだ。(ぐん)()(とき)(こゑ)()げない(とき)はがや/\(なに)喋舌(しやべ)つてる。喋舌(しやべ)らないでも歩行(ある)けさうなもんだが、(につ)(ぽん)(じん)はみな(くち)から(さき)(うま)れるのだから、いくら()(ごと)()つたつて()きつこない。喋舌(しやべ)るのも(たゞ)喋舌(しやべ)るのではない、(けう)()のわる(くち)喋舌(しやべ)るんだから、()(とう)だ。おれは宿(しゆく)(ちよく)()(けん)(せい)()(しや)(ざい)さして、まあ(これ)ならよからうと(おも)つて()た。(ところ)(じつ)(さい)(おほ)(ちが)ひである。()宿(しゆく)(ばあ)さんの(こと)()()りて()へば、(まさ)(おほ)(ちが)ひの(かん)()(らう)である。(せい)()があやまつたのは(しん)から(こう)(くわい)してあやまつたのではない。(たゞ)(かう)(ちやう)から、(めい)(れい)されて、(けい)(しき)(てき)(あたま)()げたのである。(しやう)(にん)(あたま)(ばか)りさげて、(ずる)(こと)をやめないのと(いつ)(ぱん)(せい)()(しや)(ざい)(だけ)はするが、いたづらは(けつ)してやめるものでない。よく(かんが)へて()ると()(なか)はみんな(この)(せい)()(やう)なものから(せい)(りつ)して()るかも()れない。(ひと)があやまつたり()びたりするのを、()()()()けて(かん)(べん)するのは(しやう)(ぢき)()ぎる()鹿()()ふんだらう。あやまるのも()りにあやまるので、(かん)(べん)するのも()りに(かん)(べん)するのだと(おも)つてれば()(つかへ)ない。もし(ほん)(たう)にあやまらせる()なら、(ほん)(たう)(こう)(くわい)する(まで)(たゝ)きつけなくてはいけない。

 おれが(くみ)(くみ)(あひだ)()()つて()くと、(てん)()()だの、(だん)()だの、と()(こゑ)()へずする。(しか)(おほ)(ぜい)だから、(だれ)()ふのだか(わか)らない。よし(わか)つてもおれの(こと)(てん)()()()つたんぢやありません、(だん)()(まを)したのぢやありません、それは(せん)(せい)(しん)(けい)(すゐ)(じやく)だから、ひがんで、さう()くんだ(ぐらゐ)()ふに()まつてる。こんな()(れつ)(こん)(じやう)(ほう)(けん)()(だい)から、(やう)(せい)した(この)()()(しふ)(くわん)なんだから、いくら()つて()かしたつて、(をし)へてやつたつて、(たう)(てい)(なほ)りつこない。こんな()()に一(ねん)()ると、(けつ)(ぱく)なおれも、この()()をしなければならなく、なるかも()れない。(むかふ)でうまく()()けられる(やう)(しゆ)(だん)で、おれの(かほ)(よご)すのを(はふ)つて()く、(ちよ)()(いち)はない。(むかふ)(ひと)ならおれも(ひと)だ。(せい)()だつて、()(ども)だつて、ずう(たい)はおれより(おほ)きいや。だから(けい)(ばつ)として(なに)(へん)(ぱう)をしてやらなくつては()()がわるい。(ところ)がこつちから(へん)(ぱう)をする()(ぶん)(じん)(じやう)(しゆ)(だん)()くと、(むかふ)から(さか)(ねぢ)()はして()る。()(さま)がわるいからだと()ふと、(しよ)()から()(みち)(つく)つてある(こと)だから(たう)(/\)(べん)()てる。(べん)()てゝ()いて、()(ぶん)(はう)(おもて)()(だけ)(りつ)()にして(それ)からこつちの()(こう)(げき)する。もと/\(へん)(ぱう)にした(こと)だから、こちらの(べん)()(むか)ふの()()がらない(うへ)(べん)()にならない。つまりは(むかふ)から()()して()いて、()(けん)(てい)はこつちが()()けた(けん)(くわ)(やう)に、()()されて()()ふ。(たい)(へん)()()(えき)だ。(それ)なら(むか)ふのやるなり、()()()()(どう)()()()んで()れば、(むかふ)(ます/\)(ぞう)(ちやう)する(ばか)り、(おほ)きく()へば()(なか)(ため)にならない。そこで()(かた)がないから、こつちも(むかふ)(ひつ)(ぱふ)(もち)ゐて(つら)まへられないで、()()(やう)のない(へん)(ぱう)をしなくてはならなくなる。さうなつては()()()()()だ。()()だが一(ねん)もかうやられる()(じやう)は、おれも(にん)(げん)だから()()でも(なん)でも左樣(さう)ならなくつちや()(まつ)がつかない。どうしても(はや)(とう)(きやう)(かへ)つて(きよ)(いつ)(しよ)になるに(かぎ)る。こんな田舍(ゐなか)()るのは()(らく)しに()()(やう)なものだ。(しん)(ぶん)(はい)(たつ)をしたつて、こゝ(まで)()(らく)するよりはましだ。

 かう(かんが)へて、いや/\、()いてくると、(なん)だか(せん)(ぽう)(きふ)にがや/\(さわ)()した。(どう)()(れつ)はぴたりと()まる。(へん)だから、(れつ)(みぎ)へはづして、(むか)ふを()ると、(おほ)()(まち)()(あた)つて(やく)()(まち)()がる(かど)(ところ)で、()(つま)つたぎり、()(かへ)したり、()(かへ)されたりして()()つて()る。(ぜん)(ぱう)から(しづ)かに(しづ)かにと(こゑ)()らして()(たい)(さう)(けう)()(なん)ですと()くと、(まが)(かど)(ちゆう)(がく)(かう)()(はん)(がく)(かう)(しよう)(とつ)したんだと()ふ。

 (ちゆう)(がく)()(はん)とはどこの(けん)()でも(いぬ)(さる)(やう)(なか)がわるいさうだ。なぜだかわからないが、(まる)()(ふう)()はない。(なに)かあると(けん)(くわ)をする。(おほ)(かた)(せま)田舍(ゐなか)退(たい)(くつ)だから、(ひま)(つぶ)しにやる()(ごと)なんだらう。おれは(けん)(くわ)()きな(はう)だから、(しよう)(とつ)()いて、(おも)(しろ)(はん)(ぶん)()()して()つた。すると(まへ)(はう)にゐる(れん)(ぢゆう)は、しきりに(なん)()(はう)(ぜい)(くせ)に、()()めと、()()つてる。(うし)ろからは()()せと(おほ)きな(こゑ)()す。おれは(じや)()になる(せい)()(あひだ)をくゞり()けて、()がり(かど)へもう(すこ)しで()(やう)とした(とき)に、(まへ)へ! と()(たか)(する)どい(がう)(れい)(きこ)えたと(おも)つたら()(はん)(がく)(かう)(はう)(しゆく)(/\)として(しん)(かう)(はじ)めた。(さき)(あらそ)つた(しよう)(とつ)は、(をり)(あひ)がついたには(さう)()ないが、つまり(ちゆう)(がく)(かう)(いつ)()(ゆづ)つたのである。()(かく)から()ふと()(はん)(がく)(かう)(はう)(うへ)ださうだ。

 (しゆく)(しよう)(しき)(すこぶ)(かん)(たん)なものであつた。(りよ)(だん)(ちやう)(しゆく)()()む、()()(しゆく)()()む、(さん)(れつ)(しや)(ばん)(ざい)(とな)へる。それで()()(まひ)だ。()(きよう)()()にあると()(はなし)だから、(ひと)()()宿(しゆく)(かへ)つて、此間(こなひだ)(ぢゆう)から、()(かゝ)つてゐた、(きよ)への(へん)()をかきかけた。(こん)()はもつと(くは)しく()いてくれとの(ちゆう)(もん)だから、可成(なるべく)(ねん)(いり)(したゝ)めなくつちやならない。(しか)しいざとなつて、(はん)(きれ)()()げると、()(こと)(たく)(さん)あるが、(なに)から()()していゝか、わからない。あれに()(やう)か、あれは(めん)(だう)(くさ)い。これにしやうか、(これ)(つま)らない。(なに)か、すら/\と()て、(ほね)()れなくつて、さうして(きよ)(おも)(しろ)がる(やう)なものはないかしらん、と(かんが)へて()ると、そんな(ちゆう)(もん)(どほ)りの()(けん)(ひと)つもなささうだ。おれは(すみ)()つて、(ふで)をしめして、(まき)(がみ)(にら)めて、——(まき)(がみ)(にら)めて、(ふで)をしめして、(すみ)()つて——(おな)(しよ)()(おな)(やう)(なん)(べん)()(かへ)したあと、おれには、とても()(がみ)はかけるものではないと、(あき)らめて(すゞり)(ふた)をして()()つた。()(がみ)なんぞをかくのは(めん)(だう)(くさ)い。()()(とう)(きやう)(まで)()()けて()つて、()つて(はなし)をする(はう)(かん)便(べん)だ。(きよ)(しん)(ぱい)(さつ)しないでもないが、(きよ)(ちゆう)(もん)(どほ)りの()(がみ)をかくのは三七(にち)(だん)(じき)よりも(くる)しい。

 おれは(ふで)(まき)(がみ)(はふ)()して、ごろりと(ころ)がつて(ひぢ)(まくら)をして(には)(はう)(なが)めて()たが、()()(きよ)(こと)()にかゝる。(その)(とき)おれはかう(おも)つた。かうして(とほ)くへ()(まで)(きよ)()(うへ)(あん)じてゐてやりさへすれば、おれの眞心(まこと)(きよ)(つう)じるに(ちがひ)ない。(つう)じさへすれば()(がみ)なんぞやる(ひつ)(えう)はない。やらなければ()()(くら)してると(おも)つてるだらう。たよりは()んだ(とき)(びやう)()(とき)か、(なに)(こと)(おこ)つた(とき)にやりさへすればいゝ(わけ)だ。

 (には)()(つぼ)(ほど)(ひら)(には)で、(これ)()(うゑ)()もない。(たゞ)(ぽん)()(かん)があつて、(へい)のそとから、()(じるし)になる(ほど)(たか)い。おれはうちへ(かへ)ると、いつでも(この)()(かん)(なが)める。(とう)(きやう)()(こと)のないものには()(かん)()つてゐる(ところ)(すこぶ)(めづ)らしいものだ。あの(あを)()(だん)(/\)(じゆく)してきて、()(いろ)になるんだらうが、(さだ)めて()(れい)だらう。(いま)でも()(はん)(ぶん)(いろ)(かは)つたのがある。(ばあ)さんに()いて()ると、(すこぶ)(みづ)()(おほ)い、(うま)()(かん)ださうだ。(いま)(うれ)たら、たんと()()がれと()つたから、(まい)(にち)(すこ)(づゝ)()つてやらう。もう三(しう)(かん)もしたら、(じゆう)(ぶん)()へるだらう。まさか三(しう)(かん)(ない)此所(こゝ)()(こと)もなからう。

 おれが()(かん)(こと)(かんが)へて()(ところ)へ、(ぐう)(ぜん)(やま)(あらし)(はな)しにやつて()た。今日(けふ)(しゆく)(しよう)(くわい)だから、(きみ)(いつ)(しよ)()()(そう)()はうと(おも)つて(ぎう)(にく)()つて()たと、(たけ)(かは)(つゝみ)(たもと)から()きずり()して、()(しき)(まん)(なか)(はふ)()した。おれは()宿(しゆく)(いも)(ぜめ)(とう)()(ぜめ)になつてる(うへ)()()()()き、(だん)()()()きを(きん)じられてる(さい)だから、そいつは(けつ)(こう)だと、すぐ(ばあ)さんから(なべ)()(たう)をかり()んで、()(かた)()りかゝつた。

 (やま)(あらし)()(やみ)(ぎう)(にく)(ほゝ)()りながら、(きみ)あの(あか)シヤツが(げい)(しや)()(じみ)のある(こと)()つてるかと()くから、()つてるとも、(この)(あひだ)うらなりの(そう)(べつ)(くわい)(とき)()一人(ひとり)がさうだらうと()つたら、さうだ(ぼく)(この)(ごろ)(やうや)(かん)づいたのに、(きみ)(なか)(/\)(びん)(せふ)だと(おほい)にほめた。

 「あいつは、ふた(こと)()には(ひん)(せい)だの、(せい)(しん)(てき)()(らく)だのと()(くせ)に、(うら)(まは)つて、(げい)(しや)(くわん)(けい)なんかつけとる、()しからん(やつ)だ。()れもほかの(ひと)(あそ)ぶのを(くわん)(よう)するならいゝが、(きみ)()()()()つたり、(だん)()()()()るのさへ(とり)(しまり)(じやう)(がい)になると()つて、(かう)(ちやう)(くち)(とほ)して(ちゆう)()(くは)へたぢやないか」

 「うん、あの()(らう)(かんがへ)ぢや(げい)(しや)(かひ)(せい)(しん)(てき)()(らく)で、(てん)()()や、(だん)()(ぶつ)()(てき)()(らく)なんだらう。(せい)(しん)(てき)()(らく)なら、もつと(おほ)べらにやるがいゝ。(なん)だあの(ざま)は。()(じみ)(げい)(しや)()()つてくると、()(かは)りに(せき)をはづして、()げるなんて、どこ(まで)(ひと)()()()()だから()()はない。さうして(ひと)(こう)(げき)すると、(ぼく)()らないとか、()西()()(ぶん)(がく)だとか、(はい)()(しん)(たい)()(きやう)(だい)(ぶん)だとか()つて、(ひと)(けむ)()(つも)りなんだ。あんな(よわ)(むし)(をとこ)ぢやないよ。(まつた)()殿(てん)(ぢよ)(ちゆう)(うま)(かは)りか(なん)かだぜ。ことによると、彼奴(あいつ)のおやぢは()(しま)のかげま[#「かげま」に傍点]かも()れない」

 「()(しま)のかげま[#「かげま」に傍点]た(なん)だ」

 「(なん)でも(をとこ)らしくないもんだらう。——(きみ)そこの(ところ)はまだ()えて()ないぜ。そんなのを()ふと(さなだ)(むし)()くぜ」

 「さうか、(たい)(てい)(だい)(ぢやう)()だらう。それで(あか)シヤツは(ひと)(かく)れて、温泉()(まち)(かど)()()つて、(げい)(しや)(くわい)(けん)するさうだ」

 「(かど)()つて、あの宿(やど)()か」

 「宿(やど)()(けん)(れう)()()さ。だからあいつを(いち)(ばん)へこます(ため)には、彼奴(あいつ)(げい)(しや)をつれて、あすこへ()()()(ところ)()(とゞ)けて()いて(めん)(きつ)するんだね」

 「()(とゞ)けるつて、()(ばん)でもするのかい」

 「うん、(かど)()(まへ)(ます)()()宿(やど)()があるだらう。あの(おもて)()(かい)をかりて、(しやう)()(あな)をあけて、()()るのさ」

 「()()るときに()るかい」

 「()るだらう。どうせ()(ばん)ぢやいけない。二(しう)(かん)(ばか)りやる(つも)りでなくつちや」

 「(ずゐ)(ぶん)(つか)れるぜ。(ぼく)あ、おやぢの()ぬとき一(しう)(かん)(ばか)(てつ)()して(かん)(びやう)した(こと)があるが、あとでぼんやりして、(おほい)(よわ)つた(こと)がある」

 「(すこ)(ぐらゐ)身體(からだ)(つか)れたつて(かま)はんさ。あんな(かん)(ぶつ)をあの(まゝ)にして()くと、(につ)(ぽん)(ため)にならないから、(ぼく)(てん)(かは)つて(ちゆう)(りく)(くは)へるんだ」

 「()(くわい)だ。さう(こと)()まれば、おれも()(せい)してやる。(それ)(こん)()から()(ばん)をやるのかい」

 「まだ(ます)()(かけ)()つてないから、(こん)()()()だ」

 「それぢや、いつから(はじ)める(つも)りだい」

 「(きん)(/\)のうちやるさ。いづれ(きみ)(はう)()をするから、さうしたら、()(せい)して()(たま)へ」

 「よろしい、いつでも()(せい)する。(ぼく)(はかり)(ごと)下手(へた)だが、(けん)(くわ)とくると()れで(なか)(/\)すばしこいぜ」

 おれと(やま)(あらし)がしきりに(あか)シヤツ退(たい)()(はかり)(ごと)(さう)(だん)して()ると、宿(やど)(ばあ)さんが()()て、(がく)(かう)(せい)()さんが一人(ひとり)(ほつ)()(せん)(せい)()()にかゝりたいてゝ()()でたぞなもし。(いま)()(たく)(さん)じたのぢやが、()()()ぢやけれ、(おほ)(かた)こゝぢやらうてゝ(さが)()てゝ()()でたのぢやがなもしと、(しきゐ)(ところ)(ひざ)()いて(やま)(あらし)(へん)()()つてる。(やま)(あらし)はさうですかと(げん)(くわん)(まで)()()つたが、やがて(かへ)つて()て、(きみ)(せい)()(しゆく)(しよう)(くわい)()(きよう)()()かないかつて(さそ)ひに()たんだ。今日(けふ)(かう)()から、(なん)とか(をど)りをしに、わざ/\こゝ(まで)()(にん)()()()んで()てゐるのだから、()()(けん)(ぶつ)しろ、(めつ)()()られない(をどり)だと()ふんだ、(きみ)(いつ)(しよ)()つて()(たま)へと(やま)(あらし)(おほい)()()で、おれに(どう)(かう)(すゝ)める。おれは(をどり)なら(とう)(きやう)(たく)(さん)()()る。(まい)(ねん)(はち)(まん)(さま)()(まつ)りには()(たい)(ちやう)(ない)(まは)つてくるんだから(しほ)()みでも(なん)でもちやんと(こゝろ)()()る。()()つぽの()鹿()(をどり)なんか、()たくもないと(おも)つたけれども、(せつ)(かく)(やま)(あらし)(すゝ)めるもんだから、つい()()になつて(もん)()た。(やま)(あらし)(さそひ)()たものは(だれ)かと(おも)つたら(あか)シヤツの(おとうと)だ。(めう)(やつ)()たもんだ。

 (くわい)(ぢやう)()()ると、()(かう)(ゐん)相撲(すまふ)(ほん)(もん)()()()(しき)(やう)(いく)(ながれ)となく(なが)(はた)(ところ)(/″\)()()けた(うへ)に、()(かい)(ばん)(こく)(こく)()(こと/″\)()りて()(くらゐ)(なは)から(なは)(つな)から(つな)(わた)しかけて、(おほ)きな(そら)が、いつになく(にぎ)やかに()える。(ひがし)(すみ)(いち)()(づく)りの()(たい)(まう)けて、こゝで所謂(いはゆる)(かう)()(なん)とか(をど)りをやるんださうだ。()(たい)(みぎ)(はん)(ちやう)(ばか)りくると(よし)()(かこ)ひをして、(いけ)(ばな)(ちん)(れつ)してある。みんなが(かん)(しん)して(なが)めて()るが、(いつ)(かう)くだらないものだ。あんなに(くさ)(たけ)()げて(うれ)しがるなら、()(むし)(いろ)(をとこ)や、(びつこ)(てい)(しゆ)()つて()(まん)するがよからう。

 ()(たい)とは(はん)(たい)(はう)(めん)で、(しき)りに(はな)()()げる。(はな)()(なか)から(ふう)(せん)()た。(てい)(こく)(ばん)(ざい)とかいてある。(てん)(しゆ)(まつ)(うへ)をふわ/\()んで(えい)(しよ)のなかへ()ちた。(つぎ)にぽんと(おと)がして、(くろ)(だん)()が、しゆつと(あき)(そら)()()(やう)()がると、それがおれの(あたま)(うへ)で、ぽかりと()れて、(あを)(けむり)(かさ)(ほね)(やう)(ひら)いて、だら/\と(くう)(ちゆう)(なが)()んだ。(ふう)(せん)がまた()がつた。(こん)()(りく)(かい)(ぐん)(ばん)(ざい)(あか)()(しろ)()()いた(やつ)(かぜ)()られて、温泉()(まち)から、(あひ)(おひ)(むら)(はう)()んでいつた。(おほ)(かた)(くわん)(おん)(さま)(けい)(だい)へでも()ちたらう。

 (しき)(とき)()(ほど)でもなかつたが、(こん)()(たい)(へん)(ひと)()だ。田舍(ゐなか)にもこんなに(にん)(げん)()んでるかと(おど)ろいた(くらゐ)うぢや/\して()る。()(こう)(かほ)はあまり()(あた)らないが、(かず)から()ふと(たしか)()鹿()()()ない。(その)うち(ひやう)(ばん)(かう)()(なん)とか(をどり)(はじ)まつた。(をどり)といふから(ふぢ)()(なん)ぞのやる(をど)りかと(はや)()(てん)して()たが、(これ)(おほ)()(ちがひ)であつた。

 いかめしい(うしろ)(はち)(まき)をして、()()(ばかま)穿()いた(をとこ)が十(にん)(ばか)(づゝ)()(たい)(うへ)に三(れつ)(なら)んで、(その)三十(にん)(こと/″\)()()()げて()るには(たま)()た。(ぜん)(れつ)(こう)(れつ)(あひだ)(わづ)か一(しやく)(すん)(ぐらゐ)だらう、()(いう)(かん)(かく)(それ)より(みじ)かいとも(なが)くはない。たつた一人(ひとり)(れつ)(はな)れて()(たい)(はじ)()つてるのがある(ばか)りだ。(この)(なか)()(はづ)れの(をとこ)(はかま)(だけ)はつけて()るが、(うしろ)(はち)(まき)(けん)(やく)して、(ぬき)()(かは)りに、(むね)(たい)()()けて()る。(たい)()(だい)神樂(かぐら)(たい)()(おな)(もの)だ。(この)(をとこ)がやがて、いやあ、はあゝと(のん)()(こゑ)()して、(めう)(うた)をうたひながら、(たい)()をぼこぼん、ぼこぼんと(たゝ)く。(うた)調(てう)()(ぜん)(だい)()(もん)()()()なものだ。()(かは)(まん)(ざい)()()(らく)やの(がつ)(ぺい)したものと(おも)へば(たい)した()(ちがひ)にはならない。

 (うた)(すこぶ)(いう)(ちやう)なもので、(なつ)(ぶん)(みづ)(あめ)(やう)に、だらしがないが、()()りをとる()めにぼこぼんを()れるから、のべつの(やう)でも(ひやう)()()れる。(この)(ひやう)()(おう)じて三十(にん)()()がぴか/\と(ひか)るのだが、(これ)(また)(すこぶ)(じん)(そく)()()(ぎは)で、(はい)(けん)して()ても(ひや)(/\)する。(とな)りも(うし)ろも一(しやく)(すん)()(ない)()きた(にん)(げん)()て、(その)(にん)(げん)(また)()れる()()()(ぶん)(おな)(やう)()()はすのだから、()(ほど)調(てう)()(そろ)はなければ、(どう)()(うち)(はじ)めて()()をする(こと)になる。()れも(うご)かないで(かたな)()(ぜん)()とか(じやう)()とかに()るのなら、まだ危險(あぶなく)もないが、三十(にん)が一()(あし)(ぶみ)をして(よこ)()(とき)がある。ぐるりと(まは)(こと)がある。(ひざ)()げる(こと)がある。(とな)りのものが一(べう)でも(はや)()ぎるか、(おそ)()ぎれば、()(ぶん)(はな)()ちるかも()れない。(とな)りの(あたま)はそがれるかも()れない。()()(うご)くのは()(いう)()(ざい)だが、(その)(うご)(はん)()は一(しやく)(すん)(かく)(はしら)のうちにかぎられた(うへ)に、(ぜん)()()(いう)のものと(どう)(はう)(かう)(どう)(そく)()にひらめかなければならない。こいつは(おどろ)いた、(なか)(/\)(もつ)(しほ)(くみ)(せき)()(およ)(ところ)でない。()いて()ると、(これ)(はなは)(じゆく)(れん)()るもので(よう)()(こと)では、かう()(ふう)調(てう)()()はないさうだ。ことに()づかしいのは、かの(ばん)(ざい)(ぶし)のぼこぼん(せん)(せい)ださうだ。三十(にん)(あし)(はこ)びも、()(はたら)きも、(こし)()(かた)も、(こと/″\)くこのぼこぼん(くん)(ひやう)()(ひと)つで()まるのださうだ。(はた)()()ると、(この)(たい)(しやう)(いち)(ばん)(のん)()さうに、いやあ、はあゝと()(らく)にうたつてるが、(その)(じつ)(はなは)(せき)(にん)(おも)くつて()(じやう)(ほね)()れるとは()()()なものだ。

 おれと(やま)(あらし)(かん)(しん)のあまり(この)(をどり)()(ねん)なく(けん)(ぶつ)して()ると、(はん)(ちやう)(ばか)り、(むかふ)(はう)(きふ)にわつと()(とき)(こゑ)がして、(いま)(まで)(おだ)やかに(しよ)(しよ)(じゆう)(らん)して()(れん)(ぢゆう)が、(には)かに(なみ)()つて、(みぎ)(ひだ)りに(うご)(はじ)める。(けん)(くわ)だ/\と()(こゑ)がすると(おも)ふと、(ひと)(そで)(くゞ)()けて()(あか)シヤツの(おとうと)が、(せん)(せい)(また)(けん)(くわ)です、(ちゆう)(がく)(はう)で、今朝(けさ)()(しゆ)(がへ)しをするんで、(また)()(はん)(やつ)(けつ)(せん)(はじ)めた(ところ)です、(はや)()(くだ)さいと()ひながら(また)(ひと)(なみ)のなかへ(もぐ)()んでどつかへ()つて()()つた。

 (やま)(あらし)()()()ける()(ぞう)(また)(はじ)めたのか、いゝ()(げん)にすればいゝのにと()げる(ひと)()けながら(いつ)(さん)()()した。()()(わけ)にも()かないから()(しづ)める(つもり)だらう。おれは()(ろん)(こと)()げる()はない。(やま)(あらし)(かゝと)をふんであとからすぐ(げん)()()けつけた。(けん)(くわ)(いま)(まつ)(さい)(ちゆう)である。()(はん)(はう)は五六十(にん)もあらうか、(ちゆう)(がく)(たし)かに三(わり)(がた)(おほ)い。()(はん)(せい)(ふく)をつけてゐるが、(ちゆう)(がく)(しき)()(たい)(てい)(につ)(ほん)(ふく)()()へてゐるから、(てき)()(かた)はすぐわかる。(しか)()(みだ)れて()んづ、(ほご)れつ(たゝか)つてるから、どこから、どう()()けて()()けていゝか(わか)らない。(やま)(あらし)(こま)つたなと()(ふう)で、(しば)らく()(らん)(ざつ)(あり)(さま)(なが)めて()たが、かうなつちや()(かた)がない。(じゆん)()がくると(めん)(だう)だ。()()んで()(やう)と、おれの(はう)()()ふから、おれは(へん)()もしないで、いきなり、(いち)(ばん)(けん)(くわ)(はげ)しさうな(ところ)(をど)()んだ。()せ/\。そんな(らん)(ばう)をすると(がく)(かう)(たい)(めん)(かゝ)はる。よさないかと、()(だけ)(こゑ)()して(てき)()(かた)(ぶん)(かい)(せん)らしい(ところ)()()(やう)としたが、(なか)(/\)さう(うま)くは()かない。一二(けん)()()つたら、()(こと)()(こと)()()なくなつた。()(まへ)()(かく)(てき)(おほ)きな()(はん)(せい)が、十五六の(ちゆう)(がく)(せい)()()つてゐる。()せと()つたら、()さないかと()(はん)(せい)(かた)()つて、()()()()(やう)とする()(たん)にだれか()らないが、(した)からおれの(あし)をすくつた。おれは()()()たれて(にぎ)つた、(かた)(はな)して、(よこ)(たふ)れた。(かた)(くつ)でおれの()(なか)(うへ)()つた(やつ)がある。(りやう)()(ひざ)()いて(した)から、()()きたら、()つた(やつ)(みぎ)(はう)へころがり()ちた。()()がつて()ると、三(げん)(ばか)(むか)ふに(やま)(あらし)(おほ)きな身體(からだ)(せい)()(あひだ)(はさ)まりながら、()せ/\、(けん)(くわ)()せ/\と()(かへ)されてるのが()えた。おい(たう)(てい)()()だと()つて()たが(きこ)えないのか(へん)()もしない。

 ひゆうと(かぜ)()つて()んで()(いし)が、いきなりおれの(ほゝ)(ぼね)(あた)つたなと(おも)つたら、(うし)ろからも、()(なか)(ぼう)でどやした(やつ)がある。(けう)()(くせ)()()る、()て/\と()(こゑ)がする。(けう)()二人(ふたり)だ。(おほ)きい(やつ)と、(ちひ)さい(やつ)だ。(いし)()げろ。と()(こゑ)もする。おれは、なに(なま)()()(こと)をぬかすな、田舍(ゐなか)(もの)(くせ)にと、いきなり、(そば)()()(はん)(せい)(あたま)()りつけてやつた。(いし)(また)ひゆうと()る。(こん)()はおれの五()(がり)(あたま)(かす)めて(うし)ろの(はう)()んで()つた。(やま)(あらし)はどうなつたか()えない。かうなつちや()(かた)がない。(はじ)めは(けん)(くわ)をとめに()()つたんだが、どやされたり、(いし)をなげられたりして、(おそ)()つて()()がるうんでれがんがあるものか。おれを(だれ)だと(おも)ふんだ。身長(なり)(ちひ)さくつても(けん)(くわ)(ほん)()(しゆ)(げふ)()んだ(にい)さんだと()(ちや)()(ちや)()()ばしたり、()()ばされたりして()ると、やがて(じゆん)()(じゆん)()()げろ/\と()(こゑ)がした。(いま)(まで)(くず)()りの(なか)(およ)いでる(やう)()(うごき)()()なかつたのが、(きふ)(らく)になつたと(おも)つたら、(てき)()(かた)(いち)()(ひき)()げて()()つた。田舍(ゐなか)(もの)でも退(たい)(きやく)(かう)(めう)だ。クロパトキンより(うま)(くらゐ)である。

 (やま)(あらし)はどうしたかと()ると、(もん)(つき)(ひと)()()(おり)をずた/\にして、(むか)ふの(はう)(はな)()いて()る。(はなつ)(ぱしら)をなぐられて(だい)()(しゆつ)(けつ)したんださうだ。(はな)がふくれ()がつて(まつ)()になつて(すこぶ)()(ぐる)しい。おれは飛白(かすり)(あはせ)()()たから(どろ)だらけになつたけれども、(やま)(あらし)()(おり)(ほど)(そん)(がい)はない。(しか)(ほつ)ぺたがぴり/\して(たま)らない。(やま)(あらし)(だい)()()()()るぜと(をし)へてくれた。

 (じゆん)()は十五六(めい)()たのだが、(せい)()(はん)(たい)(はう)(めん)から退(たい)(きやく)したので、(つら)まつたのは、おれと(やま)(あらし)(だけ)である。おれらは(せい)(めい)をつげて、(いち)()()(じゆう)(はな)したら、とも(かく)(けい)(さつ)(まで)()いと()ふから、(けい)(さつ)()つて、(しよ)(ちやう)(まへ)(こと)(てん)(まつ)()べて()宿(しゆく)(かへ)つた。

     十一

 あくる()()()めて()ると、身體(からだ)(ぢゆう)(いた)くて(たま)らない。(ひさ)しく(けん)(くわ)をしつけなかつたから、こんなに(こた)へるんだらう。これぢやあんまり()(まん)()()ないと(とこ)(なか)(かんが)へて()ると、(ばあ)さんが()(こく)(しん)(ぶん)()つて()(まくら)(もと)()いてくれた。(じつ)(しん)(ぶん)()るのも退(たい)()なんだが、(をとこ)がこれしきの(こと)閉口(へこ)たれて()(やう)があるものかと()()(はら)(ばひ)になつて、()ながら、二(ページ)()けて()ると(おど)ろいた。昨日(きのふ)(けん)(くわ)がちやんと()()る。(けん)(くわ)()()るのは(おど)ろかないのだが、(ちゆう)(がく)(けう)()(ほつ)()(ぼう)と、(ちか)(ごろ)(とう)(きやう)から()(にん)した(なま)()()なる(ぼう)とが、(じゆん)(りやう)なる(せい)()使()(そう)して(この)(さう)(どう)(くわん)()せるのみならず、(りやう)(にん)(げん)(ぢやう)にあつて(せい)()()()したる(うへ)(みだ)りに()(はん)(せい)(むか)つて(ばう)(かう)(ほしいまゝ)にしたりと()いて、(つぎ)にこんな()(けん)()()してある。(ほん)(けん)(ちゆう)(がく)(せき)()より(ぜん)(りやう)(をん)(じゆん)()(ふう)(もつ)(ぜん)(こく)(せん)(ばう)する(ところ)なりしが、(けい)(はく)なる二(じゆ)()()めに(わが)(かう)(とく)(けん)()(そん)せられて、(この)()(めん)(ぼく)(ぜん)()()けたる()(じやう)は、()(じん)(ふん)(ぜん)として()つて(その)(せき)(にん)()はざるを()ず。()(じん)(しん)ず、()(じん)()(くだ)(まへ)に、(たう)(きよく)(しや)(さう)(たう)(しよ)(ぶん)(この)()(らい)(かん)(うへ)(くは)へて、(かれ)()をして(ふたゝ)(けう)(いく)(かい)(あし)()るゝ()()なからしむる(こと)を。さうして一()(ごと)にみんな(こく)(てん)(くは)へて、()(きう)()えた(つも)りで()る。おれは(とこ)(なか)で、(くそ)でも()らへと()ひながら、むつくり()()きた。()()()(こと)(いま)(まで)身體(からだ)(ふし)(/″\)()(じやう)(いた)かつたのが、()()きると(どう)()(わす)れた(やう)(かる)くなつた。

 おれは(しん)(ぶん)(まる)めて(には)()げつけたが、(それ)でもまだ()()らなかつたから、わざ/\(こう)()()つて()つて()てゝ()た。(しん)(ぶん)なんて()(やみ)(うそ)()くもんだ。()(なか)(なに)(いち)(ばん)()()()くと()つて、(しん)(ぶん)(ほど)()()()きはあるまい。おれの()つて(しか)()(こと)をみんな(むか)ふで(なら)べて()やがる。それに(ちか)(ごろ)(とう)(きやう)から()(にん)した(なま)()()(ぼう)とは(なん)だ。(てん)()(ぼう)()()(まへ)(ひと)があるか。(かんが)へて()ろ。(これ)でも歴然(れつき)とした(せい)もあり()もあるんだ。(けい)()()たけりや、()(だの)滿(まん)(ぢゆう)()(らい)(せん)()一人(ひとり)(のこ)らず(をが)ましてやらあ。——(かほ)(あら)つたら、(ほつ)ぺたが(きふ)(いた)くなつた。(ばあ)さんに(かゞみ)をかせと()つたら、けさの(しん)(ぶん)()()たかなもしと()く。()んで(こう)()()てゝ()た。()しけりや(ひろ)つて()いと()つたら、(おどろ)いて()()がつた。(かゞみ)(かほ)()ると昨日(きのふ)(おな)(やう)(きず)がついてゐる。(これ)でも(だい)()(かほ)だ、(かほ)(きず)まで()けられた(うへ)(なま)()()なる(ぼう)などゝ、(ぼう)()ばはりをされゝば(たく)(さん)だ。

 今日(けふ)(しん)(ぶん)(へき)(えき)して(がく)(かう)(やす)んだ(など)()はれちや(いつ)(しやう)()()れだから、(めし)()つていの一(がう)(しゆつ)(とう)した。()てくる(やつ)も、()てくる(やつ)もおれの(かほ)()(わら)つてゐる。(なに)可笑(をか)しいんだ。()(さま)(たち)にこしらへて(もら)つた(かほ)ぢやあるまいし。(その)うち、()だが()()て、いや(さく)(じつ)()()(がら)で、——(めい)()()()(しやう)でげすか、と(そう)(べつ)(くわい)(とき)(なぐ)つた(へん)(ぱう)(こゝろ)()たのか、いやに(ひや)かしたから、()(けい)(こと)()はずに()(ふで)でも()めて()ろと()つてやつた。するとこりや(おそれ)()りやした。(しか)(さぞ)()(いた)(こと)でげせうと()ふから、(いた)からうが、(いた)くなからうがおれの(つら)だ。()(さま)()()になるもんかと()()りつけてやつたら、(むか)(がは)()(せき)()いて、()()りおれの(かほ)()て、(とな)りの(れき)()(けう)()(なに)(ない)(しよ)(ばなし)をして(わら)つてゐる。

 (それ)から(やま)(あらし)(しゆつ)(とう)した。(やま)(あらし)(はな)(いた)つては、(むらさき)(いろ)(ばう)(ちやう)して、()つたら(なか)から(うみ)()さうに()える。(うぬ)(ぼれ)所爲(せゐ)か、おれの(かほ)より()(ぽど)()ひどく()られてゐる。おれと(やま)(あらし)(つくゑ)(なら)べて、(とな)(どう)()(ちか)しい(なか)で、()()けに(その)(つくゑ)()()()(ぐち)から()(しやう)(めん)にあるんだから(うん)がわるい。(めう)(かほ)(ふた)(かた)まつてゐる。ほかの(やつ)退(たい)(くつ)にさへなると(きつ)()此方(こつち)ばかり()る。()んだ(こと)でと(くち)()ふが、(こゝろ)のうちでは(この)()鹿()がと(おも)つてるに(さう)()ない。(それ)でなければあゝ()(ふう)私語(さゝやき)()つてはくす/\(わら)(わけ)がない。(けう)(ぢやう)()ると(せい)()(はく)(しゆ)(もつ)(むか)へた。(せん)(せい)(ばん)(ざい)()ふものが二三(にん)あつた。(けい)()がいゝんだか、()鹿()にされてるんだか()からない。おれと(やま)(あらし)がこんなに(ちゆう)()(せう)(てん)となつてるなかに、(あか)シヤツ(ばか)りは(へい)(じやう)(とほ)(そば)()て、どうも()んだ(さい)(なん)でした。(ぼく)(きみ)()(たい)して()()(どく)でなりません。(しん)(ぶん)()()(かう)(ちやう)とも(さう)(だん)して、(せい)()(まを)()()(つゞき)にして()いたから、(しん)(ぱい)しなくてもいゝ。(ぼく)(おとうと)(ほつ)()(くん)(さそひ)()つたから、こんな(こと)(おこ)つたので、(ぼく)(じつ)(まを)(わけ)がない。それで(この)(けん)(つい)ては()(まで)(じん)(りよく)する(つもり)だから、どうかあしからず、(など)(はん)(ぶん)(しや)(ざい)(てき)(こと)()(なら)べて()る。(かう)(ちやう)は三()(かん)()(かう)(ちやう)(しつ)から()()て、(こま)つた(こと)(しん)(ぶん)がかき()しましたね。()づかしくならなければいゝがと()(せう)(しん)(ぱい)さうに()えた。おれには(しん)(ぱい)なんかない、(さき)(めん)(しよく)をするなら、(めん)(しよく)される(まへ)()(へう)()して()()(だけ)だ。(しか)()(ぶん)がわるくないのにこつちから()()くのは()()()きの(しん)(ぶん)()(ます/\)(ぞう)(ちやう)させる(わけ)だから、(しん)(ぶん)()(せい)()させて、おれが()()にも(つと)めるのが(じゆん)(たう)だと(かんが)へた。(かへ)りがけに(しん)(ぶん)()(だん)(ぱん)()かうと(おも)つたが、(がく)(かう)から(とり)(けし)()(つゞき)はしたと()ふから、やめた。

 おれと(やま)(あらし)(かう)(ちやう)(けう)(とう)()(かん)(あひ)()()(はから)つて、(うそ)のない(ところ)(いち)(おう)(せつ)(めい)した。(かう)(ちやう)(けう)(とう)はさうだらう、(しん)(ぶん)()(がく)(かう)(うらみ)(いだ)いて、あんな()()をことさらに(かゝ)げたんだらうと(ろん)(だん)した。(あか)シヤツはおれらの(かう)()(べん)(かい)しながら(ひかへ)(じよ)一人(ひとり)ごとに(まは)つてあるいて()た。ことに()(ぶん)(おとうと)(やま)(あらし)(さそ)()したのを()(ぶん)(くわ)(しつ)であるかの(ごと)(ふい)(ちやう)して()た。みんなは(まつた)(しん)(ぶん)()がわるい、()しからん、(りやう)(くん)(じつ)(さい)(なん)だと()つた。

 (かへ)りがけに(やま)(あらし)は、(きみ)(あか)シヤツは(くさ)いぜ、(よう)(じん)しないとやられるぜと(ちゆう)()した。どうせ(くさ)いんだ、今日(けふ)から(くさ)くなつたんぢやなからうと()ふと、(きみ)まだ()()かないか、きのふわざ/\、(ぼく)()(さそ)()して(けん)(くわ)のなかへ、()()んだのは(さく)だぜと(をし)へてくれた。(なる)(ほど)そこ(まで)()がつかなかつた。(やま)(あらし)()(ばう)(やう)だが、おれより()()のある(をとこ)だと(かん)(しん)した。

 「あゝやつて(けん)(くわ)をさせて()いて、すぐあとから(しん)(ぶん)()()(まは)してあんな()()をかゝせたんだ。(じつ)(かん)(ぶつ)だ」

 「(しん)(ぶん)(まで)(あか)シヤツか。そいつは(おどろ)いた。(しか)(しん)(ぶん)(あか)シヤツの()(こと)をさう容易(たやす)()くかね」

 「()かなくつて。(しん)(ぶん)()(とも)(だち)()りや(わけ)はないさ」

 「(とも)(だち)()るのかい」

 「()なくても(わけ)ないさ。(うそ)をついて、()(じつ)(これ)(/\)だと(はな)しや、すぐ()くさ」

 「ひどいもんだな。(ほん)(たう)(あか)シヤツの(さく)なら、(ぼく)()()()(けん)(めん)(しよく)になるかも()れないね」

 「わるくすると、()られるかも()れない」

 「そんなら、おれは明日(あした)()(へう)()してすぐ(とう)(きやう)(かへ)つちまはあ。こんな()(とう)(ところ)(たの)んだつて()るのはいやだ」

 「(きみ)()(へう)()したつて、(あか)シヤツは(こま)らない」

 「それもさうだな。どうしたら(こま)るだらう」

 「あんな(かん)(ぶつ)()(こと)は、(なん)でも(しよう)()()がらない(やう)に、()がらない(やう)にと()(ふう)するんだから、(はん)(ばく)するのは()づかしいね」

 「(やく)(かい)だな。それぢや(ぬれ)(ぎぬ)()るんだね。(おも)(しろ)くもない。(てん)(だう)()()()かだ」

 「まあ、もう()(さん)()(やう)()()(やう)ぢやないか。(それ)(いよ/\)となつたら、温泉()(まち)()つて(おさ)へるより()(かた)がないだらう」

 「(けん)(くわ)()(けん)は、(けん)(くわ)()(けん)としてか」

 「さうさ。こつちはこつちで(むか)ふの(きふ)(しよ)(おさ)へるのさ」

 「それもよからう。おれは(さく)(りやく)下手(へた)なんだから、(ばん)()(よろ)しく(たの)む。いざとなれば(なん)でもする」

 おれと(やま)(あらし)(これ)(わか)れた。(あか)シヤツが(はた)して(やま)(あらし)(すゐ)(さつ)(どほ)りをやつたのなら、(じつ)にひどい(やつ)だ。(たう)(てい)()()(くら)べで()てる(やつ)ではない。どうしても(わん)(りよく)でなくつちや()()だ。(なる)(ほど)()(かい)(せん)(さう)()えない(わけ)だ。()(じん)でも、とゞの(つま)りは(わん)(りよく)だ。

 あくる()(しん)(ぶん)のくるのを()ちかねて、(ひら)いて()ると、(せい)()(どころ)()(けし)()えない。(がく)(かう)()つて(たぬき)(さい)(そく)すると、あした(ぐらゐ)()すでせうと()ふ。明日(あした)になつて六(がう)(くわつ)()(ちひ)さく(とり)(けし)()た。(しか)(しん)(ぶん)()(はう)(せい)()()(ろん)して()らない。(また)(かう)(ちやう)(だん)(ぱん)すると、あれより()(つゞき)のしやうはないのだと()(こたへ)だ。(かう)(ちやう)なんて(たぬき)(やう)(かほ)をして、いやにフロツク()つてゐるが(ぞん)(ぐわい)()(せい)(りよく)なものだ。(きよ)()()()(かゝ)げた田舍(ゐなか)(しん)(ぶん)(ひと)(あや)まらせる(こと)()()ない。あんまり(はら)()つたから、それぢや(わたし)一人(ひとり)()つて(しゆ)(ひつ)(だん)(ぱん)すると()つたら、それは()かん、(きみ)(だん)(ぱん)すれば(また)(わる)(くち)()かれる(ばか)りだ。つまり(しん)(ぶん)()にかゝれた(こと)は、うそにせよ、(ほん)(たう)にせよ、(つま)りどうする(こと)()()ないものだ。あきらめるより(ほか)()(かた)がないと、(ばう)()(せつ)(けう)じみた(せつ)()(くは)へた。(しん)(ぶん)がそんな(もの)なら、一(にち)(はや)()(つぶ)して()()つた(はう)が、われ/\の()(えき)だらう。(しん)(ぶん)にかゝれるのと、泥鼈(すつぽん)()ひつかれるとが()たり()つたりだとは(こん)(にち)(たゞ)(いま)(たぬき)(せつ)(めい)()つて(はじ)めて(しよう)()(つかまつ)つた。

 (それ)から(みつ)()(ばか)りして、ある()()()(やま)(あらし)(ふん)(ぜん)とやつて()て、(いよ/\)()()()た、おれは(れい)(けい)(くわく)(だん)(かう)する(つもり)だと()ふから、さうかそれぢやおれもやらうと、(そく)()(いち)()()(たう)()(めい)した。(ところ)(やま)(あらし)が、(きみ)はよす(はう)がよからうと(くび)(かたむ)けた。何故(なぜ)()くと(きみ)(かう)(ちやう)()ばれて()(へう)()せと()はれたかと(たづ)ねるから、いや()はれない。(きみ)は? と()(かへ)すと、今日(けふ)(かう)(ちやう)(しつ)で、まことに()(どく)だけれども、()(じやう)(やむ)()んから(しよ)(けつ)してくれと()はれたとの(こと)だ。

 「そんな(さい)(ばん)はないぜ。(たぬき)(おほ)(かた)(はら)(つゞみ)(たゝ)()ぎて、()()()(てん)(だう)したんだ。(きみ)とおれは、(いつ)(しよ)に、(しゆく)(しよう)(くわい)()てさ、(いつ)(しよ)(かう)()のぴか/\(をど)りを()てさ、(いつ)(しよ)(けん)(くわ)をとめに()()つたんぢやないか。()(へう)()せと()ふなら(こう)(へい)(りやう)(はう)()せと()ふがいゝ。なんで田舍(ゐなか)(がく)(かう)はさう()(くつ)(わか)らないんだらう。焦慮(じれつた)いな」

 「それが(あか)シヤツの(さし)(がね)だよ。おれと(あか)シヤツとは(いま)(まで)(ゆき)(がゝ)(じやう)(たう)(てい)(りやう)(りつ)しない(にん)(げん)だが、(きみ)(はう)(いま)(とほ)()いても(がい)にならないと(おも)つてるんだ」

 「おれだつて(あか)シヤツと(りやう)(りつ)するものか。(がい)にならないと(おも)ふなんて(なま)()()だ」

 「(きみ)はあまり(たん)(じゆん)()ぎるから、()いたつて、どうでも()()()されると(かんが)へてるのさ」

 「(なほ)(わる)いや。(だれ)(りやう)(りつ)してやるものか」

 「(それ)(せん)(だつ)()()()つてから、まだ(こう)(にん)()()(ため)(たう)(ちやく)しないだらう。(その)(うへ)(きみ)(ぼく)(どう)()()()しちや、(せい)()()(かん)()きが()()て、(じゆ)(げふ)にさし(つか)へるからな」

 「(それ)ぢやおれを(あひ)のくさびに(いつ)(せき)(うかゞ)はせる()なんだな。こん(ちき)(しやう)、だれが(その)()()るものか」

 (あくる)()おれは(がく)(かう)()(かう)(ちやう)(しつ)(はひ)つて(だん)(ぱん)(はじ)めた。

 「(なん)(わたし)()(へう)()せと()はないんですか」

 「へえ?」と(たぬき)はあつけに()られて()る。

 「(ほつ)()には()せ、(わたし)には()さないで()ゝと()(はふ)がありますか」

 「それは(がく)(かう)(はう)()(がふ)で……」

 「(その)()(がふ)()(ちが)つてまさあ。(わたし)()さなくつて()むなら(ほつ)()だつて、()(ひつ)(えう)はないでせう」

 「(その)(へん)(せつ)(めい)()()かねますが——(ほつ)()(くん)()られても(やむ)()んのですが、あなたは()(へう)()()しになる(ひつ)(えう)(みと)めませんから」

 (なる)(ほど)(たぬき)だ、(えう)(りやう)()ない(こと)ばかり(なら)べて、しかも()()(はら)つてる。おれは()(やう)がないから

 「それぢや(わたし)()(へう)()しませう。(ほつ)()(くん)一人(ひとり)()(しよく)させて、(わたし)(あん)(かん)として、(とゞ)まつて()られると(おも)つて()らつしやるかも()れないが、(わたし)にはそんな()(にん)(じやう)(こと)()()ません」

 「それは(こま)る。(ほつ)()()りあなたも()つたら、(がく)(かう)(すう)(がく)(じゆ)(げふ)(まる)()()なくなつて()()ふから……」

 「()()なくなつても(わたし)()つた(こと)ぢやありません」

 「(きみ)さう(わが)(まゝ)()ふものぢやない、(すこ)しは(がく)(かう)()(じやう)(さつ)して()れなくつちや(こま)る。()れに、()てから(ひと)(つき)()つか()たないのに()(しよく)したと()ふと、(きみ)(しやう)(らい)()(れき)(くわん)(けい)するから、(その)(へん)(すこ)しは(かんが)へたらいゝでせう」

 「()(れき)なんか(かま)ふもんですか、()(れき)より()()(たい)(せつ)です」

 「そりや()(もつとも)——(きみ)()(ところ)(いち)(/\)()(もつとも)だが、わたしの()(はう)(すこ)しは(さつ)して(くだ)さい。(きみ)()()()(しよく)すると()ふなら()(しよく)されてもいゝから、(かは)りのある(まで)どうかやつて(もら)ひたい。とにかく、うちでもう一(ぺん)(かんが)(なほ)して()(くだ)さい」

 (かんが)(なほ)すつて、(なほ)(やう)のない(めい)(/\)(はく)(/\)たる()(いう)だが、(たぬき)(あを)くなつたり、(あか)くなつたりして、可愛(かはい)(さう)になつたから()(まづ)(かんが)(なほ)(こと)として()()がつた。(あか)シヤツには(くち)もきかなかつた。どうせ()()けるなら(かた)めて、うんと()()ける(はう)がいゝ。

 (やま)(あらし)(たぬき)(だん)(ぱん)した()(やう)(はな)したら、(おほ)(かた)そんな(こと)だらうと(おも)つた。()(へう)(こと)はいざとなる(まで)(その)(まゝ)にして()いても(さし)(つかへ)あるまいとの(はなし)だつたから、(やま)(あらし)()(とほ)りにした。どうも(やま)(あらし)(はう)がおれよりも()(かう)らしいから(ばん)()(やま)(あらし)(ちゆう)(こく)(したが)(こと)にした。

 (やま)(あらし)(いよ/\)()(へう)()して、(しよく)(ゐん)(いち)(どう)(こく)(べつ)(あい)(さつ)をして(はま)(みなと)()(まで)(さが)つたが、(ひと)()れない(やう)()(かへ)して、温泉()(まち)(ます)()(おもて)()(かい)(ひそ)んで、(しやう)()(あな)をあけて(のぞ)()した。(これ)()つてるものはおれ(ばか)りだらう。(あか)シヤツが(しの)んで()ればどうせ(よる)だ。しかも(よひ)(くち)(せい)()(その)()()があるから、(すく)なくとも九()()ぎに(きま)つてる。(さい)(しよ)(ふた)(ばん)はおれも十一()(ごろ)(まで)(はり)(ばん)をしたが、(あか)シヤツの(かげ)()えない。(みつ)()()には九()から十()(はん)(まで)(のぞ)いたが()()()()だ。()()()んで()なかに()宿(しゆく)(かへ)(ほど)()鹿()()(こと)はない。()(ごん)()すると、うちの(ばあ)さんが(せう)(/\)(しん)(ぱい)(はじ)めて、(おく)さんの()()りるのに、()(あそ)びはおやめたがえゝぞなもしと(ちゆう)(こく)した。そんな()(あそ)びとは()(あそび)(ちが)ふ。こつちのは(てん)(かは)つて(ちゆう)(りく)(くは)へる()(あそ)びだ。とは()ふものゝ一(しう)(かん)(かよ)つて、(すこ)しも(げん)()えないと、いやになるもんだ。おれは性急(せつかち)(しやう)(ぶん)だから、(ねつ)(しん)になると(てつ)()でもして()(ごと)をするが、(その)(かは)(なん)によらず(なが)()ちのした(ため)しがない。如何(いか)(てん)(ちゆう)(たう)でも()きる(こと)(かは)りはない。(むい)()()には(せう)(/\)いやになつて、(なの)()()にはもう(やす)まうかと(おも)つた。そこへ()くと(やま)(あらし)(ぐわん)()なものだ。(よひ)から十二()(すぎ)(まで)()(しやう)()へつけて、(かど)()(まる)ぼやの瓦斯(ガス)(とう)(した)(にら)めつきりである。おれが()くと今日(けふ)(なん)(にん)(きやく)があつて、(とま)りが(なん)(にん)(をんな)(なん)(にん)(いろ)(/\)(とう)(けい)(しめ)すのには(おど)ろいた。どうも()ない(やう)ぢやないかと()ふと、うん、(たし)かに()(はず)だがと(とき)(/″\)(うで)(ぐみ)をして(ため)(いき)をつく。可愛(かはい)(さう)に、もし(あか)シヤツが此所(こゝ)へ一()()てくれなければ、(やま)(あらし)は、(しやう)(がい)(てん)(ちゆう)(くは)へる(こと)()()ないのである。

 (やう)()()には七()(ごろ)から()宿(しゆく)()て、()()るりと()(はひ)つて、(それ)から(まち)(けい)(らん)(やつ)()つた。(これ)()宿(しゆく)(ばあ)さんの(いも)(ぜめ)(おう)ずる(さく)である。(その)(たま)()(よつ)(づゝ)()(いう)(たもと)()れて、(れい)(あか)()(ぬぐひ)(かた)()せて、(ふところ)()をしながら、(ます)()(はし)()(だん)(のぼ)つて(やま)(あらし)()(しき)(しやう)()をあけると、おい(いう)(ばう)々々(/\)()()(てん)(やう)(かほ)(きふ)(くわつ)()(てい)した。昨夜(ゆうべ)(まで)(すこ)(ふさ)ぎの()()で、はたで()()るおれさへ、(いん)()(くさ)いと(おも)つた(くらゐ)だが、(この)(かほ)(いろ)()たら、おれも(きふ)にうれしくなつて、(なに)()かない(さき)から、()(くわい)々々(/\)()つた。

 「(こん)()()(はん)(ごろ)あの()(すゞ)()(げい)(しや)(かど)()()()つた」

 「(あか)シヤツと(いつ)(しよ)か」

 「いゝや」

 「それぢや()()だ」

 「(げい)(しや)二人(ふたり)づれだが、——どうも(いう)(ばう)らしい」

 「どうして」

 「どうしてつて、あゝ()(ずる)(やつ)だから、(げい)(しや)(さき)へよこして、(あと)から(しの)んでくるかも()れない」

 「さうかも()れない。もう九()だらう」

 「(いま)()十二(ふん)(ばか)りだ」と(おび)(あひだ)からニツケル(せい)()(けい)()して()ながら()つたが「おい洋燈(らんぷ)()せ、(しやう)()(ふた)(ばう)()(あたま)(うつ)つては可笑(をか)しい。(きつね)はすぐ(うた)ぐるから」

 おれは(いつ)(くわん)(ばり)(つくゑ)(うへ)にあつた()洋燈(らんぷ)をふつと()きけした。(ほし)(あか)りで(しやう)()(だけ)(せう)(/\)あかるい。(つき)はまだ()()ない。おれと(やま)(あらし)(いつ)(しやう)(けん)(めい)(しやう)()(かほ)をつけて、(いき)()らして()る。チーンと九()(はん)(はしら)()(けい)()つた。

 「おい()るだらうかな。(こん)()()なければ(ぼく)はもう(いや)だぜ」

 「おれは(ぜに)のつゞく(かぎ)りやるんだ」

 「(ぜに)つていくらあるんだい」

 「今日(けふ)(まで)(やう)()(ぶん)(ゑん)六十(せん)(はら)つた。いつ()()しても()(がふ)のいゝ(やう)(まい)(ばん)(かん)(ぢやう)するんだ」

 「(それ)()(まは)しがいゝ。宿(やど)()(おどろ)いてるだらう」

 「宿(やど)()はいゝが、()(はな)せないから(こま)る」

 「(その)(かは)(ひる)()をするだらう」

 「(ひる)()はするが、(ぐわい)(しゆつ)()()ないんで(きゆう)(くつ)(たま)らない」

 「(てん)(ちゆう)(ほね)()れるな。(これ)(てん)(まう)(くわい)(/\)()にして()らしちまつたり、(なん)かしちや、(つま)らないぜ」

 「なに(こん)()(きつ)()くるよ。——おい()ろ/\」と()(ごゑ)になつたから、おれは(おも)はずどきりとした。(くろ)(ばう)()(いたゞ)いた(をとこ)が、(かど)()瓦斯(ガス)(とう)(した)から()()げた(まゝ)(くら)(はう)(とほ)()ぎた。(ちが)つて()る。おや/\と(おも)つた。(その)うち(ちやう)()()(けい)(ゑん)(りよ)もなく十()()つた。(こん)()もとう/\()()らしい。

 ()(けん)(だい)()(しづ)かになつた。(いう)(くわく)()らす(たい)()()()(やう)(きこ)える。(つき)温泉()(やま)(うしろ)からのつと(かほ)()した。(わう)(らい)はあかるい。すると、(しも)(はう)から(ひと)(ごゑ)(きこ)えだした。(まど)から(くび)()(わけ)には()かないから、姿(すがた)()()める(こと)()()ないが、(だん)(/\)(ちか)()いて()()(やう)だ。からん/\と(こま)()()()()(おと)がする。()(なゝ)めにするとやつと二人(ふたり)(かげ)(ぼふ)()()える(くらゐ)(ちか)()いた。

 「もう(だい)(ぢやう)()ですね。(じや)()ものは()(ぱら)つたから」(まさ)しく()だの(こゑ)である。「(つよ)がる(ばか)りで(さく)がないから、()(やう)がない」(これ)(あか)シヤツだ。「あの(をとこ)もべらんめえに()()ますね。あのべらんめえと()たら、(いさ)(はだ)()つちやんだから(あい)(けう)がありますよ」「(ぞう)(きふ)がいやだの()(へう)()したいのつて、ありやどうしても(しん)(けい)()(じやう)があるに(さう)()ない」おれは(まど)をあけて、()(かい)から()()りて、(おも)(さま)()ちのめして()らうと(おも)つたが、やつとの(こと)(しん)(ばう)した。二人(ふたり)はハヽヽヽと(わら)ひながら、瓦斯(ガス)(とう)(した)(くゞ)つて、(かど)()(なか)()()つた。

 「おい」

 「おい」

 「()たぜ」

 「とう/\()た」

 「(これ)(やうや)(あん)(しん)した」

 「()だの(ちく)(しやう)、おれの(こと)(いさ)(はだ)()つちやんだと()かしやがつた」

 「(じや)()(もの)()ふのは、おれの(こと)だぜ。(しつ)(けい)(せん)(ばん)な」

 おれと(やま)(あらし)二人(ふたり)()()(えう)(げき)しなければならない。(しか)二人(ふたり)はいつ()()るか(けん)(たう)がつかない。(やま)(あらし)(した)()つて(こん)()ことによると()(なか)(よう)()があつて()るかも()れないから、()られる(やう)にして()いてくれと(たの)んで()た。(いま)(おも)ふと、よく宿(やど)のものが(しよう)()したものだ。(たい)(てい)なら(どろ)(ぼう)()(ちがへ)られる(ところ)だ。

 (あか)シヤツの()るのを()()けたのはつらかつたが、()()るのを(じつ)として()つてるのは(なほ)つらい。()(わけ)には()かないし、()(じゆう)(しやう)()(すき)から(にら)めて()るのもつらいし、どうも、かうも(こゝろ)()ちつかなくつて、(これ)(ほど)(なん)()(おもひ)をした(こと)(いま)だにない。いつその(こと)(かど)()()()んで(げん)()()つて(おさ)(やう)(ほつ)()したが、(やま)(あらし)(いち)(ごん)にして、おれの(まを)()(しりぞ)けた。()(ぶん)(ども)(いま)()(ぶん)()()んだつて、(らん)(ばう)(もの)だと()つて()(ちゆう)(さへぎ)られる。(わけ)(はな)して(めん)(くわい)(もと)めれば()ないと()げるか(べつ)(しつ)(あん)(ない)をする。()(よう)()(ところ)()()めると()(てい)した(ところ)(なん)十とある()(しき)のどこに()るか(わか)るものではない、退(たい)(くつ)でも()るのを()つより(ほか)(さく)はないと()ふから、(やうや)くの(こと)でとう/\(あさ)の五()(まで)()(まん)した。

 (かど)()から()二人(ふたり)(かげ)()るや(いな)や、おれと(やま)(あらし)はすぐあとを()けた。(いち)(ばん)()(しや)はまだないから、二人(ふたり)とも(じやう)()(まで)あるかなければならない。温泉()(まち)をはづれると一(ちやう)(ばか)りの(すぎ)(なみ)()があつて()(いう)(たん)()になる。それを(とほ)りこすとこゝかしこに(わら)(ぶき)があつて、(はたけ)(なか)(ひと)(すぢ)(じやう)()(まで)(とほ)()()()る。(まち)さへはづれゝば、どこで()()いても(かま)はないが、可成(なるべく)なら、(じん)()のない、(すぎ)(なみ)()(つら)まへてやらうと、()えがくれについて()た。(まち)(はづ)れると(きふ)()(あし)姿()(せい)で、はやての(やう)(うし)ろから、()()いた。(なに)()たかと(おど)ろいて()()(やつ)()てと()つて(かた)()をかけた。()だは(らう)(ばい)()()()()さうと()()(しき)だつたから、おれが(まへ)(まは)つて(ゆく)()(ふさ)いで()()つた。

 「(けう)(とう)(しよく)()つてるものが(なん)(かど)()()つて(とま)つた」と(やま)(あらし)はすぐ(なじ)りかけた。

 「(けう)(とう)(かど)()(とま)つて()るいと()()(そく)がありますか」と(あか)シヤツは()(ぜん)として(てい)(ねい)(こと)()使(つか)つてる。(かほ)(いろ)(せう)(/\)(あを)い。

 「(とり)(しまり)(じやう)()()(がふ)だから、()()()(だん)()()へさへ()()つて()かんと、()(くらゐ)(きん)(ちよく)(ひと)が、なぜ(げい)(しや)(いつ)(しよ)宿(やど)()へとまり()んだ」()だは(すき)()ては()()さうとするからおれはすぐ(まへ)()(ふさ)がつて「べらんめえの()つちやんた(なん)だ」と()()()けたら、「いえ(きみ)(こと)()つたんぢやないんです、(まつた)くないんです」と(てつ)(めん)()(いひ)(わけ)がましい(こと)をぬかした。おれは(この)(とき)()がついて()たら、(りやう)()()(ぶん)(たもと)(にぎ)つてる。()つかける(とき)(たもと)(なか)(たまご)がぶら/\して(こま)るから、(りやう)()(にぎ)りながら()たのである。おれはいきなり(たもと)()()れて、(たま)()を二つ()()して、やつと()ひながら、()だの(つら)(たゝ)()けた。(たま)()がぐちやりと()れて(はな)(さき)から()()がだら/\(なが)れだした。()だは()(ぽど)(ぎやう)(てん)した(もの)()えて、わつと()ひながら、(しり)(もち)をついて、(たす)けて()れと()つた。おれは()()めに(たま)()()つたが、()つける()めに(たもと)()れてる(わけ)ではない。(たゞ)(かん)(しやく)のあまりに、ついぶつけるともなしに()つけて()()つたのだ。(しか)()だが(しり)(もち)()いた(ところ)()(はじ)めて、おれの(せい)(こう)した(こと)()がついたから、(こん)(ちき)(しやう)(こん)(ちき)(しやう)()ひながら(のこ)(むつ)つを()(ちや)()(ちや)(たゝ)()けたら、()だは(かほ)(ぢゆう)()(いろ)になつた。

 おれが(たま)()をたゝきつけて()るうち、(やま)(あらし)(あか)シヤツはまだ(だん)(ぱん)(さい)(ちゆう)である。

 「(げい)(しや)()れて(ぼく)宿(やど)()(とま)つたと()(しよう)()がありますか」

 「(よひ)()(さま)のなじみの(げい)(しや)(かど)()()()つたのを()()(こと)だ。()()()せるものか」

 「()()()(ひつ)(えう)はない。(ぼく)(よし)(かは)(くん)二人(ふたり)(とま)つたのである。(げい)(しや)(よひ)()()らうが、()()るまいが、(ぼく)()つた(こと)ではない」

 「だまれ」と(やま)(あらし)(げん)(こつ)(くら)はした。(あか)シヤツはよろ/\したが「(これ)(らん)(ばう)だ、(らう)(ぜき)である。()()(べん)じないで(わん)(りよく)(うつた)へるのは()(はふ)だ」

 「()(はふ)(たく)(さん)だ」と(また)ぽかりと()ぐる。「()(さま)(やう)(かん)(ぶつ)はなぐらなくつちや、(こた)へないんだ」とぽか/\なぐる。おれも(どう)()()だを(さん)(/″\)(たゝ)()えた。()(まひ)には二人(ふたり)とも(すぎ)()(がた)にうづくまつて(うご)けないのか、()がちら/\するのか()(やう)ともしない。

 「もう(たく)(さん)か、(たく)(さん)でなけりや、まだ(なぐ)つてやる」とぽかん/\と兩人(ふたり)でなぐつたら「もう(たく)(さん)だ」と()つた。()だに「()(さま)(たく)(さん)か」と()いたら「()(ろん)(たく)(さん)だ」と(こた)へた。

 「()(さま)()(かん)(ぶつ)だから、かうやつて(てん)(ちゆう)(くは)へるんだ。これに()りて()(らい)つゝしむがいゝ。いくら(こと)()(だく)みに(べん)(かい)()つても(せい)()(ゆる)さんぞ」と(やま)(あらし)()つたら兩人(ふたり)(とも)だまつてゐた。ことによると(くち)をきくのが退(たい)()なのかも()れない。

 「おれは()げも(かく)れもせん。(こん)()()(まで)(はま)(みなと)()()る。(よう)があるなら(じゆん)()なりなんなり、よこせ」と(やま)(あらし)()ふから、おれも「おれも()げも(かく)れもしないぞ。(ほつ)()(おな)(ところ)()つてるから(けい)(さつ)(うつた)へたければ、(かつ)()(うつた)へろ」と()つて、二人(ふたり)してすた/\あるき()した。

 おれが()宿(しゆく)(かへ)つたのは七()(すこ)(まへ)である。()()()()るとすぐ()(づく)りを(はじ)めたら、(ばあ)さんが(おどろ)いて、どう()しるのぞなもしと()いた。()(ばあ)さん、(とう)(きやう)()つて(おく)さんを()れてくるんだと(こた)へて(かん)(ぢやう)をすまして、すぐ()(しや)()つて(はま)()(みなと)()()くと、(やま)(あらし)()(かい)()()た。おれは(さつ)(そく)()(へう)()かうと(おも)つたが、(なん)()いていゝか(わか)らないから、(わたくし)()()(がふ)有之(これあり)()(しよく)(うへ)(とう)(きやう)(かへ)(まをし)(そろ)につき()(やう)()(しよう)()被下(くだされ)(たく)(そろ)()(じやう)とかいて(かう)(ちやう)(あて)にして(いう)便(びん)()した。

 ()(せん)(よる)()(しゆつ)(ぱん)である。(やま)(あらし)もおれも(つか)れて、ぐう/\()()んで()()めたら、()()()であつた。()(ぢよ)(じゆん)()()ないかと()いたら(まゐ)りませんと(こた)へた。「(あか)シヤツも()だも(うつた)へなかつたなあ」と二人(ふたり)(おほ)きに(わら)つた。

 (その)()おれと(やま)(あらし)(この)()(じやう)()(はな)れた。(ふね)(きし)()れば()(ほど)いゝ(こゝろ)()ちがした。(かう)()から(とう)(きやう)(まで)(ちよく)(かう)(しん)(ばし)()いた(とき)は、(やうや)(しや)()()(やう)()がした。(やま)(あらし)とはすぐ(わか)れたぎり今日(けふ)(まで)()()(くわい)がない。

 (きよ)(こと)(はな)すのを(わす)れて()た。——おれが(とう)(きやう)()いて()宿(しゆく)へも()かず、革鞄(かばん)()げた(まゝ)(きよ)(かへ)つたよと()()んだら、あら()つちやん、よくまあ、(はや)(かへ)つて()(くだ)さつたと(なみだ)をぽた/\と(おと)した。おれも(あま)(うれ)しかつたから、もう田舍(ゐなか)へは()かない、(とう)(きやう)(きよ)とうちを()つんだと()つた。

 (その)()ある(ひと)(しう)(せん)(がい)(てつ)()(しゆ)になつた。(げつ)(きふ)は二十五(ゑん)で、()(ちん)は六(ゑん)だ。(きよ)(げん)(くわん)()きの(いへ)でなくつても()(ごく)滿(まん)(ぞく)(やう)()であつたが()(どく)(こと)()(とし)の二(ぐわつ)(はい)(えん)(かゝ)つて()んで()()つた。()(ぜん)(じつ)おれを()んで()つちやん()(しやう)だから(きよ)()んだら、()つちやんの()(てら)()めて(くだ)さい。()(はか)のなかで()つちやんの()るのを(たの)しみに()つて()りますと()つた。だから(きよ)(はか)()日向(びなた)(やう)(げん)()にある。

底本:「漱石全集」第二巻、岩波書店
   昭和41年1月18日発行