メエルストロムの旋渦

エドガア・アラン・ポオ 佐々木直次郎譯

 自然に於ける神の道は、攝理に於ける如く、われら人間の道と異れり。またわれらの造る模型は廣大深玄にして測り知れざる神の業には到底及び難し。まことに神の業はデモクリタスの井戸よりも深し

            ジョオゼフ・グランヴィル。

 私たちはその時峨々として聳え立つ岩の頂上にたどりついた。何分かといふものは老人はへとへとに疲れきつて口も利けないやうであつた。

 「まだそんなに古いことではありません、」と彼は漸く話し出した。「その頃でしたら、末の息子と同じくらゐに樂々と、この路を御案内することが出來たんですがね。だが三年ほど前に私は、どんな人間も遭つたことのないやうな——たとひ遭つたにしろ、生き殘つてそれを話すことなんぞはとても出來ないやうな——恐ろしい目に遭つて、その時の六時間の死ぬやうな怖ろしさのために、(からだ)も心もすつかり參つてしまつたのです。あなたは私をずゐぶん老人だと思つていらつしやる——が、ほんたうはさうぢやありません。たつた一日もたたないうちに、眞黒だつた髮の毛がこんなに白くなり、手足の力もなくなり、神經が弱つたのです。だから今では、ほんの僅かな仕事にも體がぶるぶる震へ、ものの影にも(おび)えるやうな有樣です。こんな小さい崖から見下しても()(まひ)がするんですからね。」

 その「小さい崖」の(ふち)に、彼は體の重みの半分以上もつき出るくらゐ無頓著に身を投げ出して休んでゐて、ただ片肘をその(なめら)かな(がけ)(ぎは)にかけて落ちないやうにしてゐるだけなのであるが、——この「小さい崖」といふのは、何の遮ぎるものもない、屏風立ちの、黒く光つてゐる岩の絶壁であつて、私たちの下にある累々たる岩の群から、凡そ千五六百フィイトも聳え立つてゐるのである。どんなことがあらうと、私などはその崖の端から六ヤアド以内のところへ入る氣がしなかつたらう。實際、私は同行者のこの危險極まる姿勢に全く度膽を拔かれてしまひ、地上にぴつたりと腹這ひになつて、身の周りの灌木にしがみついたまま、上を向いて空を仰ぐ元氣さへなかつた。——また吹き荒ぶ風のために山が根から崩れさうだといふ考へを振ひ落さうと一所懸命に努めたが、それがなかなか出來ないのであつた。どうにか考へ直して坐つて遠くを眺めるだけの勇氣を出すまでには、大分時間がかかつた。

 「そんな弱い心持は、追つ拂つてしまはねばなりませんね」と案内者が言つた。「さつき申しましたあの出來事の場所全體が一番よく見渡せるやうにと思つて、あなたをここへおつれして來たので——ちやうど眼の下にその場所を見ながら、一部始終のお話をしようといふのですから」

 「私たちは今、」と彼はその特徴である詳しい話し振りで話を續けた、——「私たちは今、ノルウェイの海岸に接して——北緯六十八度——廣大なノルドランド州の——淋しいロフォデン地方にゐるのです。今そのてつぺんに坐つてゐるこの山は、ヘルゼッゲン、雲の山です。さあ、もう少し伸び上つて下さい、——眩暈がするやうでしたら草につかまつて——さう、そんな風に——さうして、帶のやうになつてゐる(もや)の向うの、海の方を御覽なさい」

 私は眩暈がしさうになりながらも見た。すると廣々した大洋が見える。その水の色はインクのやうに黒いので、私の頭にはすぐヌビアの地理學者の書いたMare Tenebrarum(註一)についての記述が思ひ出された。これ以上に(いた)ましくも荒寥とした展望(パノラマ)は、如何なる人間の想像でも決して思ひ浮べることが出來ない。右を見ても左を見ても眼のとどく限り、恐ろしいくらゐに黒い突き出た絶壁が、この世界の城壁のやうに長くつらなつてゐる。その絶壁の陰鬱な感じは、永遠に咆哮し號叫しながら、それにぶつかつて白いもの凄い波頭を高く上げてゐる(よせ)(なみ)のために、一層強くされてゐるばかりであつた。私たちがその頂上に坐つてゐる岬にちやうど向きあつて、五六マイルほど離れた沖に、荒涼たる小島が見えた。もつと適切に言へば、渺茫たる波濤の彼方に、それにとり圍まれてその位置が見分けられるのであつた。それから約二マイルばかり陸に近いところに、それより小さな島がもう一つあつた。恐ろしく巖石でごつごつした不毛な島で、一群の黒い岩がその周圍に點々として散在してゐる。

 海の樣子は、この遠い方の島と海岸との間のところでは、何かしら甚だ尋常でないところがあつた。この時疾風が非常に強く陸の方へ向つて吹いてゐたので、遠くの沖合の二本マストの帆船が二箇の縮帆部(リーフ)を縮めた縱帆(トライン)を張つて停船(註二)し、しかも猶その全船體を頻りに(なみ)()に沒してゐたが、その島と海岸との間だけは、規則的な波のうねりらしいものが全然なく、ただ、あらゆる方向に——風に向つた方にもその他の方向と同じやうに——海水が短かく、急速に、怒つたやうに、逆に(ほとばし)つてゐるだけであつた。泡は岩のすぐ近いところの(ほか)には殆ど見えない。

 「あの遠い方の島は、」と老人はまた話し始めた。「ノルウェイ人がヴァルウと言つてゐます。眞中の島はモスケエです。それから一マイル北の方にあるのはアンバアレン。向うにあるのはイスレエゼン、ホットホルム、ケイルドヘルム、スアルヴェン、ブックホルム。もつと遠くの——モスケエとヴァルウとの間には——オッテルホルムとフリイメンとサンドフレエゼンと、ストックホルムとがあります。これはみんなほんたうの地名なんですが——一體どうしてかう一々名をつける必要があつたのかといふことは、あなたにも私にもわからないことです。そら、何か聞えませんか? 水の樣子に何か變つたことがあるのがわかりませんか?」

 私たちはヘルゼッゲンの頂上にもう十分ばかりゐた。ここへ來るにはロフォォデンの奧の方からやつて來たので、途中では海が少しも見えなくて、絶頂に至つて初めて海がぱつと眼前に展開したのである。老人がさう言つた時に、私はアメリカの大草原(プレアリイ)に於ける野牛の大群の咆哮のやうな、次第に高まりゆく騷々しい物音に氣づいた。と同時にまた、眼の下に見えてゐた船乘たちの狂ひ波(註三)と言つてゐる波が、急速に東の方へ流れる潮流に變りつつあることを認めた。見てゐる間にも、この潮流は凄じく速くなつた。刻一刻と速度を加へ——躁急な激烈さを加へた。五分もたつと、ヴァルウまでの海は一面に抑へきれぬ狂瀾怒濤をまき上げた。が、怒濤の最も甚だしく猛り狂つてゐるのはモスケエと海岸との間であつた。そこでは、渺々と(たた)へてゐる海水が、裂けて割れて無數の衝突しあふ水路となり、忽然として狂ほしく痙攣し、——高まり、湧きたち、ざわめき、——巨大な無數の渦となつて旋回し、直下する急湍の外にはどこにも見られぬやうな速さを以て、渦卷きながら、突進しながら、東の方へ流れてゆく。

 それから更に數分たつと、この光景にまた一つの根本的な變化が起つた。海面は一般に幾分穩かになり、渦卷は一つ一つ消えて、不思議な泡の縞が今まで何もなかつたところに現はれるやうになつたのだ。この縞は遂には遙か遠くの方へまでひろがりゆき、互に結びあつて、一旦鎭まつた渦卷の旋回運動を再び始め、更に巨大な渦卷の萌芽を形造らうとしてゐるやうであつた。突然——全く突然に——これがはつきり定まつた形をとり、直徑一マイル以上もある圓をなした。その渦卷の縁は、白く光つてゐる飛沫(しぶき)の幅の廣い帶となつてゐる。しかしその飛沫の一滴さへもこの恐ろしい漏斗(じやうご)の口の中へ落ちこまない。その漏斗の内側は、眼のとどく限り、滑かな、きらきら輝いてゐる、黒玉のやうに黒い水の壁であつて、水平線に對して約四十五度の角度で傾斜し、()らぎながら恐ろしい速さで眼まぐるしくぐるぐる廻り、半ば號叫し、半ば咆哮し、かのナイヤガラの大瀑布が天に向つて上げる苦悶の聲さへ及ばぬやうな、凄じい聲を風に向つてあげてゐるのだ。

 山はその根からうち震へ、岩は搖れた。私はぴつたりとひれ伏して、神經の激動の餘り僅かの草にしがみついた。

 「これこそ、」と、私は漸く私は老人に言つた、——「これこそ、あのメエルストロム(註四)の大渦卷なんですね。」

 「時には、さうも言ひますが」と彼は言つた。「私どもノルウェイ人は、あの眞中にあるモスケエ島の名をとつて、モスケエ・ストロムと言つてをります」

 この渦卷についての普通の記述は、いま眼前に見たこの光景に對して、少しも私に豫め覺悟させてくれるところがなかつた。ヨナス・ラムス(註五)の記述は恐らくどれよりも最も詳細なものではあらうが、この光景の雄大さ、あるひは怖ろしさ——あるひは見る者の度膽を拔くこの奇觀の心を奪ふやうな感じ——の僅かな概念をも傳へることが出來ない。私はこの著者が如何なる地點から、また如何なる時刻に、この渦卷を見たのかは知らぬ。がそれはヘルゼッゲンの頂上からでもなく、また嵐の吹いてゐる間でもなかつたに違ひない。しかし彼の記述の中には、その光景の印象を傳へるには極めて效果は弱いが、その詳細な點に於いて引用してもよい數節がある。

 彼はかう書いてゐる。「ロフォオデンとモスケエとの間に於いては、水深三十五(ひろ)乃至四十尋なり。されど他の側に於いては、ヴェル(ヴァルウ)に向ひてこの深さは次第に減じ、船舶の航行に便ならず、靜穩な天候の折にも屡々岩礁の爲に難破するの危險あり。滿潮時には潮流は猛烈なる速度を以てロフォオデンとモスケエとの間を陸に奔流す。されどその激烈なる退潮時の咆哮に至りては、最も恐ろしき轟々たる大瀑布も及ぶところにあらず——その響は數リイグの遠きに達す。而してその渦卷即ち凹みは廣く且つ深くして、若し船舶にしてその吸引力圈内に入る時は、必ず吸ひこまれ海底に運び去られて岩礁に打ち碎かれ、水力衰ふるに及び、その破片再び水面に投げ出さるるなり。然れども、斯く平穩なる間は潮の干滿の交代時に、しかも天候靜穩の日に見るのみにして、十五分間繼續するに過ぎず、その猛威は再び次第に加はる。潮流最も猛烈にして暴風によつて更にその狂暴を加ふる時は、一ノルウェイ・マイル以内に入ること危險なり。この圈内に入らざるうちにそれに對して警戒するところなかりし爲、端艇、快走船、船舶など多く海底に運び去られたり。同樣に鯨群のこの潮流の近くに來り、その激烈なる水勢に卷きこまるること少からず、逃れんとする空しき努力の中に叫喚し怒號する樣は筆の及ぶところにあらず。嘗て一頭の熊ロフォオデンよりモスケエに泳ぎ渡らんとして潮流にまきこまれて押し流され、そのもの凄く咆哮する聲は遠く岸にも聞えたる程なりき。樅、松などの大なる幹、潮流に呑まれたる後再び浮び上るや、甚だしく折れ碎けて恰もそが上に(あら)()を生ぜるが如く見ゆ。こは明かに、渦卷の底の峨々たる巖石より成り、そが間にこれらの木材のあちこちと旋轉することを示すものなり。この潮流は海水の干滿によりて支配せらる、——即ち常に六時間毎に高潮となり落潮となる。一六四五年、四旬齋前第二日曜(セクサゼシマ)の早朝、その怒號狂瀾殊に烈しく、爲に海邊なる家屋の石材すら地に崩落せり。」

 水深については、どうして渦卷のすぐ近くでかういふことが確かめられたか私にはわからぬ。この「四十尋」といふのは、モスケエかあるひはロフォオデンかどちらかの岸に近い、海峽の一部分にのみあてはまることに違ひない。モスケエ・ストロムの中心の深さは遙かに大であるに違ひなく、この事實の何よりの證據は、ヘルゼッゲンの巓の岩上からこの渦卷の深淵を斜めに一瞥するだけで十分である。この高峰から眼下の咆哮するPhlegethon(註六)を見下しながら、私は鯨や熊の話をさも信じ難い事柄のやうに記してゐるかの善良なヨナス・ラムス先生の單純さに微笑を禁じ得なかつた。と言ふのは、現存の最大の戰鬪艦でさへ、この恐ろしい吸引力の及ぶ範圍内に來れば、一片の羽毛の颶風に於ける如く少しの抵抗もなし得ず、忽ちにしてその姿を沒してしまふことは、私には實にわかりきつたことに思はれたからである。

 この現象を説明しようとした試みは、その中の或るものは、讀んでゐる時には十分尤もらしく思はれたやうに覺えてゐるが——今や甚だ異つた不滿足なものになつた。一般に信じられてゐる考へでは、この渦卷は、フェロオ諸島(註七)の間にある三つの、これより小さな渦卷と同樣に、「その原因、滿潮及び干潮に際して漲落する波濤が岩石及び暗礁の稜に激して互に衝突する爲に他ならず、海水はその岩石暗礁に堰きとめられて瀑布の如く急下す、かくて潮の上ること高ければその落下は益々深かるべく、これらの當然の結果として旋渦即ち渦卷を生じ、その巨大なる吸引力はより小なる實驗によりても十分知るを得べし」といふのである。以上は『大英百科全書(エンサイクロピーディア・ブリタニカ)』の記すところである。キルヘル(註八)やその他の人々は、メエルストロムの海峽の中心には、地球を貫いて何處か非常に遠いところ——ボスニア灣(註九)が嘗てかなり斷定的に擧げられた——へ出てゐる深淵がある、と想像してゐる。この意見は、本來は何の根據もないものではあるが、目のあたり眺めた時には私の想像力のすぐ納得したものであつた。そしてそれを案内者に話すと、彼がそれはこのことについてノルウェイ人の殆ど全般的に抱いてゐる見解ではあるが、自分はさう思つてゐないと言つたので、私は多少意外に思つた。しかし、この見解に關しては彼は自分の力では理解することが出來ないといふことを告白したが、その點では私も全く同感であつた。——何故なら、理論上では如何に決定的なものであらうとも、この深淵の雷のやうな轟きの中にあつては、それは全く不可解な莫迦げたものとさへなつてしまふからである。

 「もう渦卷は十分御覽になつたでせう」と老人は言つた。「そこでこの岩を廻つて風の當らぬ陰へ行き、水の轟きの弱くなるところで、話をしませう。それをお聞きになれば、私がモスケエ・ストロムについて多少は知つてゐる筈だといふことがおわかりになるでせう」

 老人の言つたところへ行くと、彼は話し始めた。

 「私と二人の兄弟とは以前、七十トン積ばかりのスクウナア帆式の漁船を一艘もつてゐて、それでいつもモスケエの向うの、ヴァルウに近い島々の間で、(れふ)をすることにしてをりました。すべて海でひどい渦を卷いてゐるところは、やつてみる元氣さへあるなら、時機のよい時にはなかなかいい漁があるものです。が、ロフォオデンの漁師全體の中で私ども三人だけが、今申し上げたやうにその島々へ出かけてゆくのをきまつた仕事にしてゐた者なのでした。普通の漁場はそれからずつと南の方へ下つたところです。そこではいつでも大した危險もなく魚がとれるので、誰でもその場所の方へ行きます。だが、この岩の間の擇り拔きの場所は、上等な種類の魚がとれるばかりではなく、數もずつとたくさんなので、私どもはよく、同じ商賣の臆病な連中が一週間かかつても掻き集めることの出來ないくらゐの魚を、たつた一日でとつたものでした。實際、私どもは命懸けの投機(やま)仕事をしてゐたので——骨を折る代りに命を賭け、勇氣を資本(もとで)にしてゐた、といふ譯ですね。

 私どもは船を、ここから海岸に沿うて五マイルほど(かみ)へ行つたところの入江に繋いでおきました。そして天氣のよい日に十五分間の滯潮(よどみ)を利用して、モスケエ・ストロムの本海峽を横切つて淵のずつと上手につき進み、渦流(うづ)他處(よそ)ほど烈しくないオッテルホルムやサンドフレエゼンの近くへ下つて行つて、錨を下すことにしてゐました。そこでいつも次の滯潮に近い頃までゐて、それから錨を揚げて歸りました。往くにも復るにも確かな横風がないと決して出かけませんでした、——著くまでは大丈夫やまないと思へるやうな奴ですね、——そしてこの點では、私どもはめつたに見込み違ひをしたことはありませんでした。六年間に二度、全くの無風のために、一晩中錨を下したままでゐなければならないことがありましたが、そんなことはこの邊では全く稀なことなのです。それから一度は、私どもが漁場へ著いて間もなく疾風(はやて)が吹き起つて、歸ることなどは思ひもよらないくらゐに海峽がひどく大荒れになつたために、一週間近くも漁場に留まつてゐなければならなくて、(うゑ)(じに)しようとしたことがありました。あの時はもし私どもがあの無數の逆潮流——今日はここにあるかと思ふと明日はなくなつてゐるあの逆潮流——の一つの中へうまく流れこまなかつたとしたら、(何しろ渦卷が猛烈に荒れて船がぐるぐる廻されるので、たうとう錨を縺らせてそれをひきずつたやうな有樣でしたから)どんなに手を盡しても沖へ押し流されてしまつたでせうが、その逆潮流が私どもをフリイメンの(かざ)(しも)の方へ押し流し、そこで運よく投錨することが出來たのでした。

 私どもが『漁場で』遭つた難儀は、その二十分の一もお話しできません、——何しろそこは、天氣のよい時でも厭な場所なんです、——だが私どもは、どうにかかうにか、いつも大した事もなくモスケエ・ストロムの虎口を通り拔けてゐました。それでも時々、滯潮に一分ほど遲れたり早過ぎたりした時には、膽つ玉がひつくり返つたものですよ。また時によると、風が出帆する時に思つたほど強くなくて、望み通りに進むことが出來ず、そのうちに潮流のために船が自由にならなくなるやうなこともありました。兄には十八になる息子がありましたし、私にも丈夫な奴が二人ありました。この連中がそんな時にゐれば、大(かい)を漕ぐのにも、後で魚をとる時にも、よほど助けになつたでせうが、どうしたものか、自分たちはそんな冒險をしてゐても、若い連中をその危險な仕事の中へひき入れようといふ氣はありませんでした、——何と言つたところで結局、恐ろしい危險なことでしたからね。

 もう五六日もたてば、私が今からお話しようとしてゐることが起つてから、ちやうど三年になります。千八百——年の七月十八日の事でした。その日をこの地方の者は決して忘れますまい、——といふのは、開闢以來吹いたことのないやうな、實に恐ろしい颶風の吹き荒れた日ですから。だが午前中いつぱい、それから午後も遲くまで、ずつと穩かな西南の微風が吹いてゐて、陽が照り輝いてゐたので、私どもの間でも一番年寄の經驗のある船乘でさへ、その後に續いて起ることを見透すことが出來なかつたくらゐです。

 私ども三人——二人の兄弟と私——は、午後の二時ごろ例の島の方へ渡つて、間もなく見事な魚を殆ど船一ぱいに積みましたが、その日はそれまでに一度もなかつたほど、たくさんとれたと三人とも話し合ひました。いよいよ錨を揚げて歸路に就いたのは、私の時計でちやうど七時。ストロムで一番の難所を滯潮の時に通り拔けようといふのです。それは八時だといふことが私どもにはわかつてゐるのでした。

 私どもは右舷後方に(さはや)かな風を受けて出かけ、暫くは快速力で水を切つて進み、危險なことがあらうなどとは夢にも思ひませんでした。實際そんなことを()(ねん)する理由は少しもなかつたのですから。ところが忽ち、ヘルゼッゲンの峰越しに吹きおろす風のために、船は裏帆(註一〇)になつてしまひました。かういふことは全くただならぬ——それまでに私どもの遭つたことのないやうな——ことなので、はつきり何故(なぜ)といふこともわかりませんでしたが、何となしに私は少々不安を感じ始めました。私どもは舟を詰め開き(註一一)にしましたが、少しも渦流(うづ)を乘り切つて進むことが出來ません。で、私がもとの碇泊所へもどらうかといふことを言ひ出さうとしたその途端、(とも)の方を見ると、實に驚くべき速さでむくむくと湧き上がる奇妙な銅色をした雲が、水平線をすつかり蔽つてゐるのに氣がついたのです。

 そのうちに今まで向風であつた風がぱつたり落ちて、全く()いでしまひ、船はあちこちと漂ひました。しかしこの状態は、私どもがそれについて何か考へる暇があるほど、永くは續きませんでした。一分とたたないうちに嵐が襲つて來ました、——二分とたたないうちに空はすつかり雲で蔽はれました、——そして、その雲ととびかかる飛沫(しぶき)とのために忽ち、船の中でお互の姿を見ることも出來ないくらゐ、あたりが暗くなつてしまひました。

 その時吹いたやうな颶風のことをお話しようとするのは愚かなことです。ノルウェイ中で一番年寄の船乘だつて、あれほどのには遭つたことはありますまい。私どもはその颶風がすつかり襲つて來ないうちに帆索を弛めておきましたが、最初の一吹きで、二本の(マスト)は鋸でひき切つたやうに折れて海へとばされました。その大檣(メインマスト)の方には弟が用心のために體を結へてゐたのですが、それと一緒にさらはれてしまつたのです。

 私どもの舟は今までに水に浮んだ船の中でも一番輕い羽毛(はね)のやうなものでした。それはすつかり平甲板(註一二)が張つてあり、(へさき)の近くに小さな艙口(ハッチ)が一つあるだけで、この艙口はストロムを渡らうとする時には、例の狂ひ波の海に對する用心として、しめておくのが習慣になつてゐました。かうしてなかつたらすぐにも浸水して沈沒したでせう。——といふのは、暫くの間は船は全く水に潜つてゐたからです。どうして兄が助かつたのか私にはわかりません、確かめる機會もなかつたものですから。私はといひますと、前檣(フォアマスト)の帆索を弛めるとすぐ、甲板の上にぴつたりと腹這ひになつて、兩足は舳の狹い(うは)(べり)にしつかり踏んばり、兩手では前檣の根もとの近くにある環付螺釘(リング・ボオルト)(註一三)を掴んでゐました。それは確かに私の出來ることとしては最上の方法でしたが——こんな風に私をさせたのは、全くただ本能でした。——といふのは、ひどく狼狽してゐて、ものを考へるなんてことはとても出來なかつたのですから。

 暫くの間は今申しました通り、船は全く水に浸つてゐましたが、その間私はずつと(いき)をこらへて螺釘(ボオルト)にしがみついてゐました。それがもう辛抱出來なくなると、手は猶放さずに、膝をついて體を上げ、首を水の上へ出しました。やがて私どもの小さな舟は、ちやうど犬が水から出て來た時にするやうに、ぶるぶるつと一振ひして、海水を幾分振ひ落しました。それから私は、氣が遠くなつてゐたのを取り直して、意識をはつきりさせてどうしたらいいか考へようとしてゐた時に、誰かが自分の腕を掴むのを感じました。それは兄だつたのです。兄が波にさらはれたものと思ひこんでゐたものですから、私の心は喜びで跳びたちました、——が次の瞬間、この喜びは忽ち一變して恐怖となりました、——兄が私の耳もとに口をよせて一言、『モスケエストロムだ!』と叫んだからです。

 その時の私の心持がどんなものだつたかは、誰にも決してわかりますまい。私はまるで猛烈な(おこり)の發作に襲はれたやうに、頭のてつぺんから足の(つま)(さき)まで、がたがた震へました。私には兄がその一言で言はうとしたことが十分よくわかりました、——兄が私に知らせようとしたことがよくわかりました。船に今吹きつけてゐる風のために、私たちはストロムの渦卷の方へ押し流されることになつてゐるのです、そしてもうどんなことも私たちを救ふことが出來ないのです!

 ストロムの海峽を渡る時にはいつでも、たとひどんなに天氣の穩かな時でも、渦卷のずつと上手の方へ行つて、それから滯潮の時を注意深く窺つて待つてゐなければならない、といふことはお話しましたね。——ところが今、私たちはその淵の方へ、まつしぐらに押し流されてゐるのです、しかも、このやうな颶風のなかを!『きつと、私たちはちやうど滯潮の時分にあそこへつくことにならう、——とすると多少は望みがある譯だ』と私は考へました。——しかし次の瞬間には、少しでも望みなどを夢みるなんて何といふ大莫迦者だらうと自分を呪ひました。もし私どもの船が九十門の大砲を積載してゐる軍艦の十倍もあつたとしても、もう破滅の運命がきまつてゐるのだ、といふことがよくわかつたのです。

 この頃までには、嵐の最初の烈しさは衰へてゐました。あるひは多分、追風で走つてゐたのでそんなに強く感じなかつたのかも知れません。がとにかく、今まで風のために平らに抑へつけられて泡立つてゐた波は、今では全く山のやうにもり上つて來ました。また、空にも不思議な變化が起つてゐました。あたりはまだやはり、どちらも一面に眞黒でしたが、頭上あたりに突然圓い雲の切れ目が出來て、澄みきつた空が現はれました、——これまで見たことのないほど澄みきつた、明るく濃い青色の空です、——そして、そこから、私のそれまで一度も見たことのないやうな光を帶びた滿月が輝き出したのです。その月は私どもの周りにあるものを悉く實に、はつきりと照しました、——が、おお、何といふ光景を照し出したことでせう!

 私はその時一二度、兄に話しかけようとしました、——がどうした譯かわかりませんが、やかましい物音が非常に高くて、耳もとで聲を限りに叫んだのですけれども、一言も兄に聞えるやうには出來ませんでした。やがて兄は死人のやうに眞蒼な顏をして頭を振り、『聽いてみろ!』とでも言ふやうな風に、指を一本擧げました。

 最初はそれがどういふ意味かわかりませんでした、——が間もなく怖ろしい考へが頭に閃きました。私はズボンの時計衣嚢(かくし)から、時計をひつぱり出しました。それは止まつてゐます。私は月の光でその文字面をちらりと眺め、それからその時計を遠く海の中へ抛り投げてわつと泣き出しました。時計はぜんまいが解けてしまつて七時で止まつてゐたのです! 私どもは滯潮の時刻におくれてストロムの渦卷は荒れ狂つてゐる眞夜中なのです

 船といふものは、丈夫に出來てゐて、きちんと手入れがしてあり、積荷が重くなければ、追風に走つてゐる時は、疾風の時の波でも必ず船の下をすべつてゆくやうに思はれるものです、——海に慣れない人には非常に不思議に思はれることですが、——これは海の言葉では波に乘ると言つてゐることなのです。で、それまで私どもの船は非常にうまくうねり波に乘つて來たのですが、やがて恐ろしく大きな浪がちやうど船尾張出部(カウンタア)の下のところにぶつかつて、船をぐうつと持ち上げました、——高く——高く——天にもとどかんばかりに。波といふものがあんなに高く上るものだといふことは、それまでは信じようとしたつて信じられなかつたでせう。それから今度は下の方へ傾き、すべり、ずつと落ちるので、ちやうど夢の中で高い山の頂上から落ちる時のやうに氣持が惡く眩暈がしました。しかし船が高く上つた時に、私はあたりをちらりと一目見渡しました、——その一目だけで十分でした。私は一瞬間で自分たちの正確な位置を見てとりました。モスケエ・ストロムの渦卷は眞正面の四分の一マイルばかりのところにあるのです、——が、あなたが今御覽になつた渦卷が水車を廻す流れと違つてゐるくらゐ、毎日のモスケエ・ストロムとはまるで違つてゐるのです。もし私が何處(どこ)にゐるのか、そしてどうなるのか、といふことを知らなかつたら、その場所がどんなところか全くわからなかつたことでせう。ところが知つてゐたものですから、怖ろしさのために私は思はず眼を閉ぢました。眼瞼(まぶた)が痙攣でも起したやうに、ぴつたりとくつついたのです。

 それから二分とたたない頃に、急に波が鎭まつたやうな氣がして、一面に泡に包まれました。舟は左舷へぐいと半ば廻り、それからその新たな方向へ(いなづま)のやうにつき進みました。同時に水の轟く音は、鋭い叫び聲のやうな——ちやうど幾千といふ蒸氣釜がその放水管から一時に蒸氣を出したと思はれるやうな——物音に全く消されてしまひました。船はいま渦卷の周りにはいつもある、あの(よせ)(なみ)の帶の中にゐるのです。そして無論次の瞬間には深淵の中へつきこまれるのだ、と私は考へました、——その深淵の下の方は、驚くべき速さで船が走つてゐるのでぼんやりとしか見えませんでしたが。しかし舟は少しも水の中へ沈みさうではなく、氣泡のやうに波の上を(かす)り飛ぶやうに思はれるのです。その右舷は渦卷に近く、左舷には今通つて來た(おほ)(うな)(ばら)がもり上つてゐました。それは私たちと水平線との間に、巨大な、のたうち廻る壁のやうに聳え立つてゐるのです。

 奇妙なやうに思はれるでせうが、かうしていよいよ渦卷の顎にのまれかかりますと、渦卷にただ近づいてゐる時よりも却つて氣が落ち著くのを感じました。もう助かる望みがないと心をきめてしまつたので、最初私の元氣をすつかり沮喪させた、あの恐怖の念が大部分なくなつたのです。絶望が神經を張り締めてくれたのでせうかね。

 (から)()()りするやうに見えるかも知れません——が、全くほんたうの話なんです、——私は、かうして死ぬのは何といふ素晴らしいことだろう、そして、神さまの()(ちから)のこんな驚くべき示顯のことを思ふと、自分一箇の生命(いのち)などといふ取るにも足らぬことを考へるのは何といふ莫迦げたことだろう、と考へ始めました。この考へが心に浮んだ時、確か恥かしさで顏を(あか)らめたと思ひます。暫くたつと、渦卷そのものについての鋭い好奇心が強く心の中に起つて來ました。私は、自分の生命を犧牲にしようとも、その底を探つてみたいといふ願ひをはつきりと感じました。ただ私の一番大きな悲しみは、(をか)にゐる古くからの仲間たちに、これから自分の見る神祕を話してやることが出來まい、といふことでした。かういふ考へは、こんな危急な境遇にある人間の心に起るものとしては、確かに奇妙な考へです。——そしてその後よく考へることですが、舟が淵の周りをぐるぐる廻るので、私は少々頭が變になつてゐたのではなからうかと思ひますよ。

 心の落著きを取りもどすやうになつた事情はもう一つありました。それは風の止んだことです。風は私どものゐるところまで吹いて來ることが出來ないのです、——といふ譯は、さつき御覽になつた通り、寄波の帶は海面よりかなり低いので、その海面は今では高く黒い山の背のやうになつて私どもの上に聳えてゐたのですから。もしあなたが海でひどい疾風にお遭ひになつたことがないなら、あの風と飛沫とが一緒になつてどんなに人の心をかき亂すものかといふことは、とても御想像が出來ません。あれにやられると盲目(めくら)になり、(つんぼ)になり、首が締められるやうになり、何かしたり考へたりする力がまるでなくなるものです。しかし私どもは今ではもう、そのやうな苦しみをよほど免れてゐました。——ちやうど牢獄にゐる死刑を宣告された重罪犯人が、判決のまだ定まらない間は禁じられてゐた多少の寛大な待遇を許される、といつたやうなものですね。

 この寄波の帶を何回ほど廻つたかといふことはわかりません。流れるといふよりむしろ飛ぶやうに、次第次第に波の眞中の方より、それからまたその恐ろしい内側の縁のところへだんだん近づきながら、多分一時間も、ぐるぐると走り廻りました。この間中ずつと、私は決して環付螺釘を放しませんでした。兄は(とも)の方にゐて、船尾張出部の籠の下にしつかり結びつけてあつた、小さな(から)になつた水樽につかまつてゐました。それは甲板にあるもので疾風が最初に襲つて來た時海の中へ吹きとばされなかつた唯一つの物です。船が深淵の縁へ近づいて來た時、兄はつかまつてゐたその樽から手を放し、(リング)の方へやつて來て、恐怖の餘りに私の手を環からひき離さうとしました。その環は二人とも安全に掴まつてゐられるくらゐ大きくはないのです。私は兄がこんなことをしようとするのを見た時ほど悲しい思ひをしたことはありません、——兄はその時氣が違つてゐたのだ——餘りの怖ろしさのために亂暴な氣違ひになつてゐたのだ、とは承知してゐましたが。しかし私はその場所を兄と爭はうとは思ひませんでした。私ども二人のどちらが掴まつたところで何の違ひもないことを知つてゐましたので、私は兄に螺釘を持たせて、艫の樽の方へ行きました。さうするのは別に大してむづかしいことではありませんでした。といふのは船は極めてしつかりと、そして水平になつたまま、ぐるぐる飛ぶやうに廻つてゐて、ただ渦卷が烈しくうねり湧き立つてゐるために前後に搖れるだけでしたから。その新しい位置にうまく落ちついたかと思ふとすぐ、船は右舷の方へぐつと傾き、深淵をめがけてまつしぐらに突き進みました。私はあわただしい神さまへの祈りを口にし、もういよいよおしまひだなと思ひました。

 胸が惡くなるやうにすうつと下へ落ちてゆくのを感じた時、私は本能的に樽につかまつてゐる手を固くし、眼を閉ぢました。何秒かといふものは思ひ切つて眼を開けることが出來なくて——今死ぬか今死ぬかと待ちかまへながら、まだ水の中で斷末魔の(もが)きをやらないのを不審に思つてゐました。しかし時は刻々と經つてゆきます。私はやはり生きてゐるのです。落ちてゆく感じがやみました。そして船の運動は泡の帶のところにゐた時と同じやうになつたやうに思はれました。ただ違ふのは船が前よりも一層傾いてゐることだけです。私は勇氣を出して、もう一度あたりの有樣を見渡しました。

 自分の周りを眺めた時のあの、畏懼と、恐怖と、嘆美との感じを、私は決して忘れることはありますまい。舟は圓周の廣漠とした、深さも巨大な、漏斗(じようご)の内側の表面に、まるで魔法にでもかかつたやうに、中ほどに懸つてゐるやうに見え、その漏斗の全く滑かな面は、眼が(くら)むほどぐるぐる廻つてゐなかつたなら、そしてまた、滿月の光を反射して閃くもの凄い輝きを發してゐなかつたら、黒檀とも見まがふほどでした。そして月の光は、さつきお話しました雲の間の圓い切れ目から、黒い水の壁に沿うて(みなぎ)(あふ)れる(こん)(じき)の輝きとなつて流れ出し、遙か下の深淵の一番深い奧底までも射してゐるのです。

 最初は餘り心が亂れてゐたので、何も正確に目にとめることは出來ませんでした。突然眼前に現はれた恐るべき莊嚴が私の見たすべてでした。しかし、幾分心が落ち著いた時、私の視線は本能的に下の方へ向きました。船が淵の傾斜した表面にかかつてゐるので、その方向は何の遮ぎるものもなく見えるのです。船は全く水平になつてゐました、——といふのは、船の甲板が水面と平行になつてゐた、といふことです、——がその水面が四十五度以上の角度で傾斜してゐるので、私どもは横ざまになつてゐるのです。しかしこんな位置にありながら、全く平らな面にゐると同じやうに、手がかりや足がかりを保つてゐるのがむづかしくないことに、氣がつかずにはゐられませんでした。これは船の廻轉してゐる速さのためであつたらうと思ひます。

 月の光は深い渦卷の底までも射してゐるやうでした。しかしそれでも、そこのあらゆるものをたちこめてゐる濃い霧のために、何もはつきりと見分けることが出來ませんでした。その霧の上には、マホメット教徒が現世から永劫の國へゆく唯一の通路だといふ、あの狹いゆらゆらする橋(註一四)のやうな、壯麗な虹がかかつてゐました。この霧あるひは飛沫は、疑ひもなく漏斗の大きな水壁が底で合つて互に衝突するために生ずるものでした。——がその霧の中から天に向つて湧き上がる大叫喚は、お話しようとしたつて、とても出來るものではありません。

 上の方の泡の帶のところから最初に深淵の中へすべりこんだ時は、斜面をよほど下の方へ()りましたが、それから後はその割合では降りてゆきませんでした。ぐるぐる廻りながら船は走ります、——が一樣な速さではなく——眼まぐるしく搖れたり跳び上つたりして、或る時はたつた二三百ヤアド——また或る時は渦卷の周圍を殆ど完全に一周したりします。一廻轉毎に船が下に降りてゆくのは、急ではありませんでしたが、はつきりと感じられました。

 かうして船の運ばれてゆくこの廣漠たる流れる黒檀の上で、自分の周りを見渡してゐますと、渦卷にまきこまれてゐるのが私どもの舟だけではないことに氣がつきました。上の方にも下の方にも、船の破片や、建築用材の大きな塊や、樹木の幹や、その他家具の碎片や、壞れた箱や、樽や、桶板などの小さなものがたくさん、見えるのです。私は前に、不自然なくらゐの好奇心が最初の恐怖の念にとつて代つてゐたことを申しましたね。その好奇心は怖ろしい破滅に次第次第に近づくにつれて、いよいよ増して來るのです。私は奇妙な關心を以て、私どもと仲間になつて流れてゐる無數のものを()(まも)り始めました。どうも氣が變になつてゐたに違ひありません、——そのいろいろのものが下の泡の方へ降りてゆく速さを比較することに興味を求めさへしてゐたのですから。ふと氣がつくと或る時はこんなことを言つてゐるのです。『きつとあの(もみ)の木が今度、あの恐ろしい底へとびこんで見えなくなるだらうな』——ところが、オランダ商船の難破したのがそれを追ひ越して先に沈んでしまつたので、がつかりしました。このやうな種類の推測を何べんもやり、そしてみんな間違つた揚句、この事實——私が必ず見込み違ひをしたといふその事實——が私に或る一つながりの考へを思ひ浮ばせ、そのために手足は再びぶるぶる震へ、心臟はもう一度どきんどきんと強く打ちました。

 このやうに私の心を動かしたのは新たな恐怖ではなくて、前よりも一層心を奮ひたたせる希望の光がさして來たことなのです。この希望は、一部分は過去の記憶から、また一部分は現在の觀察から、生じて來たのでした。私は、モスケエ・ストロムにのみこまれ、それからまた投げ出されてロフォオデンの海岸に撒き散らされた、いろいろな漂流物を思ひ浮べました。その中の大部分のものは、實にひどく打ち碎かれてゐました、——(とげ)がいつぱいにつきたつてゐるやうに見えるくらゐ、擦りむかれてざらざらになつてゐました、——が私はまた、その中には少しもいたんでゐないものもあつたことを、はつきり思ひ出しました。そこでこの相違は、ざらざらになつた破片だけが完全にのみこまれたものであり、その他のものは(しほ)(どき)を大分遲れて渦卷に入つたか、あるひは何かの理由で入つてからゆつくりと降りたために、底にまで達しないうちに滿潮あるひは干潮の變り目が來てしまつたのだ、と思ふより外に説明が出來ませんでした。どちらにしろ、これらのものが、早い時刻にまきこまれたり、あるひは急速に吸ひこまれたりしたものの運命に遭はずに、かうして再び大洋の表面にまき上げられることはありさうだ、と考へました。私はまた三つの重要な觀察をしました。第一は、一般に物體が大きければ大きいほど、下へ降りる速さが速いこと、——第二は、球形のものとその他の形のものとでは、同じ大きさでも、下降の速さは球形のものが大であること、第三は、圓筒形のものとその他の形のものとでは、同じ大きさでも、圓筒形がずつとおそく吸ひこまれてゆくといふことです。私は助かつてから、このことについて、この地方の學校の年寄の先生と何度も話したことがありますが、『圓筒形』だの『球形』だのといふ言葉を使ふことはその先生から教はつたのです。その先生は、私の觀察したことが實際水に浮いてゐる破片の形から來る自然の結果だといふことを説明してくれました、——その説明は忘れてしまひましたが、——そしてまた、どういふ譯で渦卷の中を走つてゐる圓筒形のものが、他のすべての形をした同じ容積の物體よりも、渦卷の吸引力に強く抵抗し、それらよりもひきこまれにくいかといふことを、私に聞かせてくれたのです。(註一五)

 このやうな觀察を力づけ、それを實地に利用したいと私に思はせた、驚くべき事情が一つありました。それは、渦卷をぐるぐる廻る度に船は樽やその他船の帆桁や檣のやうなものの側を通るのですが、さういふやうな多くのものが、私が初めてこの渦卷の不思議な眺めに眼を開いた時には同じ高さにあつたのが、今ではずつと私どもの上の方にあり、もとの位置から僅かばかりしか動いてゐないらしい、といふことなのです。

 もう私はなすべきことを躊躇しませんでした。現につかまつてゐる水樽にしつかりと身を結びつけ、それを船尾張出部から切り離して、水の中へ跳びこまうと心をきめたのです。私は合圖をして兄の注意を惹き、側に流れて來た樽を指さし、私のしようとしてゐることをわからせるために、自分の力で出來る限りのことをしました。たうとう兄には私の計畫がわかつたものと思はれました、——が果してわかつたのか、それともわからなかつたのか、兄は絶望的に首を振り、環付螺釘(リング・ボオルト)につかまつてゐる自分の位置から離れることを承知しないのです。兄の心を動かすことは出來ないことですし、それに危急の際で一刻の猶豫もして居られないので、私はつらい思ひをしながら、兄を彼の運命にまかせ、船尾張出部に結びつけてあつた(しばり)(なは)で體を樽にしつかり縛り、その上もう一刻の躊躇もせずに樽と共に海の中へ跳びこみました。

 その結果は正に私の望んでゐた通りでした。今この話をしてゐるのが私自身ですし——私が無事に助かつてしまつたことは御覽の通りですし——また助かつた方法ももう既に御承知で、この上私の言はうとすることはみんなおわかりのことでせうから、話を急いで切り上げませう。私が船をとび出してから一時間ばかりもたつた頃、船は私より遙か下の方へ降りてから、三四回續けざまに猛烈な廻轉をして、愛する兄を乘せたまま、下の混沌たる湧き立つ泡の中へ、永久に眞逆さまに落ちこんでしまひました。私の體を縛りつけた樽が、渦卷の底と、船から跳びこんだところとの、中間くらゐのところまで沈んだ頃に、渦卷の樣子に大きな變化が起りました。廣大な漏斗の側面の傾斜が、刻一刻とだんだん嶮しくなくなつて來ます。渦卷の廻轉もだんだん勢が弱くなります。やがて泡や虹が消え、渦卷の底がゆるゆると高まつて來るやうに思はれました。空は晴れ、風は既に落ち、滿月は輝きながら西の方へ沈みかけてゐました。そして私は、ロフォオデンの海岸のすつかり見える、モスケエ・ストロムの淵がさつきまであつたところの上手の、大洋の表面に浮び上つてゐるのでした。滯潮の時刻なのです、——が海はまだ颶風の名殘で山のやうな波を揚げてゐました。私はストロムの海峽の中へ猛烈に卷きこまれ、海岸に沿うて數分のうちに漁師たちの『漁場』へ押し流されました。そこで一(そう)の舟が私を拾ひ上げてくれました、——疲勞のためにぐつたりと弱り果ててゐる、そして(もう危險がなくなつたとなると)その怖ろしさの思ひ出のために口も利けなくなつてゐる私を。船にひき上げてくれた人たちは、古くからの仲間や、毎日顏を合はせてゐる連中でした、——が、ちやうどあの世からやつて來た人間のやうに誰一人私を見分けることが出來ませんでした。その前の日までは(からす)のやうに眞黒だつた髮の毛は、御覽の通りに白くなつてゐました。みんなは私の顏付きまですつかり變つてしまつたと言ひます。私はみんなにこの話をしました、——が誰もほんたうにしませんでした。今それをあなたにお話したのですが、——人の言ふことを茶化してしまふあのロフォオデンの漁師たち以上に、あなたがそれを信じて下さらうとは、どうも私には餘り思へないんですがね」

註一 「暗黒の海」——昔、地中海沿岸の住民に知られない外海(大西洋)のことを斯く言つたのであるといふ。——前の「ヌビアの地理學者」といふのは誰のことか、はつきりわかつてゐない。ポオの晩年の論文『ユリイカ』のなかには、「ヌビアの地理學者Ptolemy Hephestionによつて記述された暗黒の海」云々とあるが、これはポオの思ひ違ひであるらしく、恐らくアレクサンドリアの天文地理學者Claudius Ptolemyではなからうかと言はれてゐる。
註二 強風の時に船が海上で安全のため、帆を低く下げあるひは絞つて、出來る限り風の方へ船首を向け、殆ど靜止してゐること。
註三 chopping——強い潮流の方向と反對に風が吹く時、あるひは二つの潮流が合する時などに生ずる如く、波が短かく不規則に亂れたやうに立ち騷ぐこと。假に「狂ひ波」と譯しておいた。
註四 Maelström——ノルウェイ北部の海岸にある有名な大旋渦。モスケン(モスケエ)ストロムとも呼ばれる。原語讀みならばメエルシトルムとでも書くべきであるが、ここでは英語讀みにした。前のノルドランド(ノルラン)以下の固有名詞も必ずしも原語讀みに從はず、便宜上の讀み方を用ゐた。島の名などは多く作者の創作に係るものらしい。
註五 Jonas Rarmus(一六四九——一七一八)ノルウェイの僧侶。ノルウェイの地理及び歴史に關する著述がある。
註六 ギリシャ神話の冥府にある燃ゆる焰の河。
註七 アイスランドの東南、スコットランドの北方の洋上にある諸島。
註八 Athanasius Kircher(一六〇一——一六八〇)ドイツの數學、言語學、考古學の學者。
註九 バルチック海の北方の海。
註一〇 向風のために帆がマストに吹きつけられること。
註一一 出來るだけ風の來る方に近く帆走し上ること。
註一二 船首から船尾に至るまですつかり平坦に張られた上甲板。通し甲板。
註一三 ring-bolt——綱などを結びつけるために甲板に取付けられた環のついた(ねぢ)(くぎ)。環釘。
註一四 マホメット教徒の信ずるところによれば、現世から天國へ至るには蜘蛛の絲よりも細い橋を渡るのである。その橋を渡る時に罪ある者は地獄の深淵に落ちるといふ。
註一五 アルキメデス``De Incidentibus in Fluido''第二卷を見よ。(原)
底本:「黒猫・黄金虫」新潮文庫、新潮社、昭和34年9月20日第19刷