半日

森鴎外

 六疊の間に、床を三つ並べて取つて、七つになる娘を眞中に寢かして、夫婦が寢てゐる。宵に活けて置いた桐火桶の佐倉炭が、白い灰になつてしまつて、主人の枕元には、唯ゞ(しん)を引込ませたランプが微かに燃えてゐる。その脇には、時計や手帳などを入れた小葢が置いてあつて、その上に假綴の西洋書が()けて伏せてある。主人が讀みさして寢たのであらう。

 一月三十日の午前七時である。西北の風が強く吹いて、雨戸が折々がた/\と鳴る。一間隔てた臺所では下女が起きて、何かこと/\と音をさせてゐる。その音で主人は目を醒ました。

 裏庭の方の障子は(ほの)(じろ)い。いつの間にか仲働が()()の雨戸丈は()けたのである。主人は(そば)に、夜着の襟に半分程、赤く圓くふとつた顏を埋めて寢てゐる娘を見て、微笑(ほゝゑ)んだ。()(なか)に夢を見て唱歌を歌つてゐたことを思ひ出したのである。

 主人は、今日(けふ)は孝明天皇祭だから、九時半迄には賢所に集らねばならない日であつたと思ひ出して、時計を見た。自用事で、此西片町から御所へ徃くには、八時半に内を出れば好い。ゆつくり起きても、手水を使つて、朝飯を食ふには、(じふ)(ぶん)の時間があると思つた。

 その時臺所で、「おや、まだお湯は湧かないのかねえ」と、鋭い聲で云ふのが聞えた。忽ち奧さんが白い(きや)(しや)な手を伸べて、夜着を跳ね上げた。奧さんは頭からすつぽり夜着を被つて寢る癖がある。これは娘であつた時、何處かの家へ賊がはいつて、女の貌の美しいのを見たので、強奸をする氣になつたといふ話を聞いてから、顏の見えないやうにして寢るやうになつたのである。なる程、目鼻立の好い顏である。ほどいたら、身の(たけ)にも餘らうと思はれる髮を束髮にしたのが半ば崩れて、ピンや櫛が、黒塗の臺に赤い小枕を附けた枕の元に落ちてゐる。奧さんは蒼い顏の半ばを占領してゐるかと思ふ程の、大きい、黒目勝の目をぱつちり開いた。そして斯う云つた。「まあ、何といふ聲だらう。いつでもあの聲で玉が目を醒ましてしまふ。」それが大聲で、癇走つてゐるのだから、臺所へは確に聞えたのである。

 一體臺所で湯の沸くのが遲い小言を言つたのは誰であるか。これは主人文科大學教授文學博士高山峻藏君の母君である。博士の父が、明治の初年に、同縣の友で()い位地を得てゐた某の世話で、月給十五圓の腰辨當を拜命して、東京に住むやうになつた時から、食ふ筈の肴を食はず、着る筈の着ものを着ずに、博士の學資を續けて、博士が其頃の貸費生といふものになりおふせる迄にしたのは、此母君の力である。博士の父が、ある時世話になつてゐた大官に、洋行といふものは、どの位の金があつたら出來ませうかと問うたら、大官が斯う云つたさうだ。「君は貯金をして息子を洋行させようとでも思ふのか知らぬが、そんな冒險な考を出してはいけない。兎角日本人は財産を重んずるといふ思想に乏しい。第一君などの俸給では、食はずに溜めても、息子を洋行させることは出來ないが、(よし)や出來るとしても、さうして洋行させた子が死にでもしたらどうするのだ。女房をも餓死させては義務が立たない。跡から出來る子供にも、普通教育丈は是非共受けさせねばなるまい。その入費はどこから出る。君の收入で、息子を大學に入れてゐるからが、尋常な遣り方ではない。夫婦氣を揃へて遣つてゐられるのだから、()めはしないが、これが既に冒險だ。こんな冒險をするのは、子にかかると云ふ日本特有の風習から出てゐるのだが、僕などはそれが好い事だとは保證しかねる。少くも安全な事ではないのだ。」と斯う云つたことがあるさうだ。

 母君はさういふ事情の下に、博士を育てあげて、(こん)(にち)あらしめたのである。此老夫人は、世間に好く有る寢られぬ(たち)の人ではないが、今でも博士が大學へ通ふのに、講義の時間に遲れてはならないといふので、毎朝自ら起きて湯の世話をする。飯の世話をする。一()時間の都合で、博士が飯を食はずに出て行くことがあると、母君は數日間悔むのである。さういふ(わけ)で、今朝(けさ)も湯の小言を言つたのである。

 奧さんは(しやう)(とく)寢坊ではあるが、これもまさか旦那が講義の時間に遲れても好いとおもふ程、のん氣ではない。特別に早く起きねばならない朝は、目ざまし時計に、「高い山から」を歌はせて目を醒まして、下女を起す位の事はする。併し兎角母君の方が先に起きる。それは其筈である。母君は頗る意志の強い夫人で、前晩に寢る時に、翌朝何時に起きようと思ふと、autosuggestionで、きつと其時刻には目を醒ますのである。それと反對で、此奧さんの意志の弱いことは特別である。娵に來た當座の事であつた。博士は交際嫌、宴會嫌、藝妓嫌であるので、大祭日や日曜日には、上方風に辨當を拵へさせて、母君を連れて、道灌山へ徃つて、茶店の腰掛で辨當を(ひら)いて、自分は持つて來た西洋の詩集か何かを讀んで日を暮すことがあつたが、ある日新夫人をも此遊に誘ひ出した。新夫人は頗る不服であつたが、娵に來た當座で、まだ遠慮勝であるので、兎も角もといふ(わけ)でついて行つた。さて歸つて差向ひになつた時、新夫人が、「どうもあなたのおかあ樣と一しよに徃くのは(いや)ですから、どうぞわたしに嫌な事をさせないやうにして下さい」と云つた。これを始として、奧さんの不平を鳴す時には、いつでも此「嫌な事をさせないやうにして下さい」が、refrainの如くに繰返されるのである。奧さんは嫌な事はなさらぬ。いかなる場合にもなさらぬ。何事をも努めて、勉強してするといふことはない。己に克つといふことが微塵程もない。これが大審院長であつたお(とう)さまの甘やかしたお孃さん時代の記念(かたみ)である。何等かの義務らしい物の影がさす毎に、美しい、長い眉の間に、竪に三本の皺の寄る原因である。そこで起きねばならぬから起きて見せようといふやうな意志のありやうはない。

 奧さんは、「まあ、何といふ聲だらう、いつでもあの聲で玉が目を醒ましてしまふ」と云つた。お孃さんの玉ちやんは、臺所の聲よりは、お(かあ)さんの聲が耳にはいつたので、可哀らしい、むく/\とふとつた拳を二本にゆうと出して(のび)をして、お(かあ)ちやん讓りの黒い目をばつちり()いた。博士が見て、「おう、起きたか、起きたか、()い子だなあ」と云ふと、伸ばした兩手をお(とう)さんの方へ向けて、抱かれる用意のやうな(からだ)(つき)をして笑つた。此子に丈優しい詞を掛けることが出來るのが、博士の僅に保留してゐる權利で、母君になぞは、博士は優しい詞どころではない、唯詞を掛けるのも容易でないやうになつてゐる。奧さんは()からびて(ひゞ)の入つた唇を固く結んで、博士の顏をじつと見てゐる。「宜しうございますとも。其子に丈は何とでも仰やい。わたしがあの人の聲がやかましいと云つたのに、成程さうだと合槌を打つて下さらないのは不平ですけれど、それは特別に(だま)つてゐて上げます。」とでも云ふやうな心持である。奧さんの唇はいつも()からびて(ひゞ)が入つてゐる。これはいつも頭から夜着を被つて寢るからである。奧さんは此家に來てから、博士の母君をあの人としか云はない。博士が何故(なぜ)(かあ)さまと云はないかと云ふと、此家に來たのは、あなたの(さい)になりに來たので、あの人の子になりに來たのではないと答へることになつてゐる。博士の方でも、奧さんが母君に聞えるやうに、母君の聲の小言を言ふのを、甚だ不都合だとは思つてゐるが、それを咎めれば、風波が起る、それ位の事を咎めるやうでは、此家庭の水面が平かでゐる時はない。そこで默つてゐる。此睨合が此家庭の雰圍氣である。博士と奧さんと玉ちやんとは七年間此雰圍氣の間に棲息してゐるのである。

 臺所のこと/\が親子三人の寢てゐる次の間に波及して來た。仲働が表庭の方の雨戸を開けると同時に、下女が次の間に湯を取るのである。その又先の茶の間の方で、今こと/\音をさせてゐるのは、母君が膳を出してゐるのである。

 博士は起き上つた。玉ちやんは顏をしかめて「うう」と云つた。これは顏を洗ひに一しよに往きたいと云ふので、少しだたを捏ねるのである。「papaはねえ、今日(けふ)は早く天子樣の處へ往かなければならないのだから、先へ起きるのだよ。」と云つてなだめた。そして奧さんに、「起して着物を着せ更へて遣れ」と云つた。不愉快には思つてゐても、用事丈は言ふと云ふので、此家の機關は運轉して行くのである。奧さんが體を半分起すまでには、博士は次の間へ出てしまつた。

 博士は地味な銘仙の二枚襲に、鼠色になつた縮緬の兵兒帶をして次の間にすわつた。硝子戸の外は、木芙蓉(ふいよう)の枯株ばかりが鹿の角のやうに殘つてゐる花壇で、薄い土を高く持ち上げた霜柱が、所々ざく/\と崩れてゐる。博士は水指の水を嗽茶碗に取つて、小桶の湯を金盥に取つて、楊枝を使つて顔を洗ふのである。その手續がいかにも秩序井然としてゐるので、奧さんが娵に來た頃、お茶の湯をなさるやうだと評したといふことだ。なる程、嗽をしてしまふと、乾いた手拭で嗽茶碗を拭く。顏を洗つてしまふと、湯をバケツに棄てて、手拭を絞つて金盥を拭いて、それに嗽茶碗を重ねる。更に手拭を絞つて手拭掛に掛ける。楊枝も、櫛も、石鹸も、それ/″\きちんと小盖の上に載せられる。いかにもお茶の湯らしい。

 風通の二枚襲の不斷着に、茶縞銘撰の羽織を引掛けた奧さんが、玉ちやんに元祿袖の友禪めりんすを着せて、連れて出て來たときには、博士は例のお茶の湯の手前が濟んで、「玉、お仕舞が出來たら、御飯に來いよ」と、言ひ棄てて茶の間に往く。茶の間には母君が待つてゐて、博士と玉ちやんとのお給仕をして、一しよに食事をするのが此家の習で、奧さんの膳の背後には、空しき座布團があるのである。奧さんは皆の食事が濟んでから別間で食べる。これは食事ばかりではない。奧さんは母君と少しも同席しないのである。娵に來た當座は、夫婦でゐる處へ、母君がはいつて來ると、奧さんがつと立つて逃げるといふ風であつたが、段々奧さんが博士のゐる處へは母君の來ないやうにしてしまつた。博士は毎朝出て、多くは暮れて歸る。歸つた時母君が話しに來ようとすると、夫婦のゐる部屋へ夜來るのは燒餠やきだと、奧さんが云ふ。奧さんは此説を有力にする爲めに、母君が夫婦の寢床を覗いたことがあると云つてゐる。これは玉ちやんが病氣で夜なかに泣いたので、母君が心配して來て見た時の事を言ふのである。それから(ひと)(ころ)は、博士が歸つて湯を使ふ所へ、母君が來て用事を話すことになつてゐた。さうすると奧さんが、旦那樣の湯殿の世話をしたがる女中はあるものだが、お婆あさんにはそんなのは珍らしいと云つた。母君が困つて、用事のある時は、障子の外の廊下に來て、時を見計らつて何か云ふと、夫婦のゐる部屋の(そと)の廊下を、いつもうろ/\してゐる燒餠やきには困ると云つた。たまに休日で、博士が晝間内にゐても、母君が來ると、奧さんが例のつと立つて逃げる。それも次第に劇しくなつて、「えゝ」と云つて立つて、襖をぱつたり締めるやうになつた。そこで母君は、食事の時にお給仕をしながら話すより外には、博士と話すことは出來ないやうになつてゐるのである。勿論奧さんはそれを默つてはゐない。息子のお給仕をしたがるお(かあ)さんが何處(どこ)にあるでせうと冷かしてゐる。奧さんの望どほりに行けば、夫婦と娘とで食事をして、母君を茶の間に出さない樣にしたいのであるが、それは博士が承知しない。妻を迎へて一家團欒の樂を得ようとして、全然失敗した博士も、此城丈は落されまいといふので、どうしても母君と一しよに食事をする。玉ちやんは子供で、食事を待つてはゐないから、お(とう)さんとおばあさんと食べるとき、一しよに出て食べる。そこで奧さんが一人跡へ殘ることになつてゐるのである。

 今朝(けさ)は博士が急いで食事を濟ませた。「今日(けふ)はこれから御所へ參るのです」と母君に言つて起つとき、お仕舞の出來た玉ちやんが走つて來て、お(とう)さんの濟んだのを見て失望してゐると、奧の間から奧さんの聲がして、「玉ちやん、お膳をこつちへ持つてお(いで)」と云ふ。同時に仲働が奧さんと玉ちやんとの膳を取りに來た。

 奧の間は博士の書齋である。博士は狹いところが嫌で、内ぢゆうで一番廣い部屋に住んで、そこで()(ごと)もする。着更もする。客をもそこへ通すのである。博士は茶の間を立つて、奧の間にはいる途中で、車は出來てゐるかと問うて、抱車夫の返詞を聞いて、さて奧の間にはいつた。ここには前晩に奧さんの揃へて置いた大禮服がある。博士は金もうるの附いた服などは大嫌で、博士の收入では五百圓の支出も容易でない處から、參内の日はいつも病氣にすることに(きま)つてゐたが、つひ此頃やうやうの事で出來たのである。火鉢の側へ、仲働が奧さんと玉ちやんとの膳を据ゑて置いて(さが)るので、博士は膳に塵が掛らぬやうにといふので、部屋の隅の方へ往つて、大禮服の(ずぼん)を穿く。

 そこへ玉ちやんが走つて來て、博士がシヤツばかりになつてゐるのを見て、「papaのお(ちゝ)」と云つて取り付く。博士が、「まあ、御膳が(よそ)つてあるのだから、早くお()べ」と云ふと、玉ちやんは行儀好く膳の前に据わる。

 そこへ奧さんがお仕舞が出來て、すうつとはいつて、氣が落着かぬといふ風で、兩膝を立てて、座蒲團の上に(しやが)んで、火鉢に二本揃へて立ててある火箸を取つて、二たところへ立てて、それに手を載せて(あぶ)るのである。關口で買ふ舶來化粧品の功能が見えて、顏は水が垂るやうに美しい。()(おき)に蒼過ぎた(ほゝ)も、(とき)(いろ)に匂つてゐる。玉ちやんの汁かけ飯を食べてゐるのには搆はずに、奧さんは先づ溜息を一つ苦しげに()いて、中單(チヨキ)()(かゝ)つてゐる博士にかう云つた。「わたしは玉ちやんを連れて何處(どこ)か徃つてよ。あんな嫌な聲の聞えるところにはゐられないから。」

 博士は中單(チヨキ)(ボタン)を嵌め掛けた手を(とゞ)めて、(きゝ)(みゝ)を立てた。この「どこか徃つてよ」には、博士は懲りてゐる。いつかもかう云つて、ふいと出て、一人(ひとり)で湯河原の宿に徃つて泊り込んでゐたのを、どこへ徃つたか分らぬといふので、博士の内でも、里でも、ひどく心配したあげくに、宿屋の主人の出した葉書が屆いたので、里から人を遣つて連れて歸つたことがある。奧さんはかういふ時いつでも玉ちやんを連れてと云ふ。「誰だつて小さいものを内に置いて徃くものはありません」と云ふのが、一應の理由である。それから、「世話をするのは嫌だといふあの人なんぞに、子供は頼まれません」と云ふのが、其次に出る。これはいつか博士の母君が、若し預かつてゐるうちに風でも引かせると、何と云はれるか知れないから預りにくいと云つたのを抑へて云ふのであるが、無論事實ではない。母君は孫娘が可哀くて可哀くて溜まらないのだから、外に遠慮さへなければ、世話がしたくてならないのである。併し博士はそんな理由をば承認せぬ。火鉢の火を絶やさぬやうにして風を引かせぬのも、夜なかに手水が支へて、ううんと云つて、夜着を()退()けるとき、(すぐ)に目を醒まして、お丸に手水をさせるのも、皆博士が自分で遣つてゐるのであるから、それを手放しては安心してゐられぬ。博士に言はせると、奧さんが玉ちやんを連れて徃くといふのは、奧さん丈出るといふと、餘り話が容易(たやす)く纏まるので、苦情を言つて出て徃くのに、張合がなさ過ぎるのだ、玉ちやんを人質に取つて徃かうとするのだと云つてゐる。今朝(けさ)も博士は、又始つたなといふやうな樣子で、鈕を嵌める手を停めて、床の間の置時計をちよいと見た。時計は八時二十分である。博士は手を鳴らして女中を呼んで、「松吉に車はいらないから仕舞つて置いて、使に徃く積で待つてゐろと云へ」と云つた。そして仲働が立ちさうにするとき、「玉の御飯をよそつて遣れ」と云つた。仲働はお汁かけをこしらへて、玉ちやんに渡して置いて、立つて行つた。博士は中單(チヨキ)の鈕を半分掛けた儘で、手早く式部職へ當てた所勞の屆を書いて、用箪笥の(ひき)(だし)から、御門鑑を出して、女中を呼んで、車夫に持たせて遣るやうに(いひ)()けた。玉ちやんは御飯をしまつて、自分でお茶を()いで飮んでゐる。

 奧さんは膝をいざらせて据わつて、灰を被つた火鉢の火を、火箸で片々の方へ寄せて、積み上げてゐる。博士は手早く不斷着に着更へて机の前に据わつた。奧さんは火鉢を博士の側へ持つて行つて、博士と火鉢を隔てゝ向き合つた。

 「御饌は()べないのか。」口を切つたのは博士である。

 「食ぺたくありません。」

 「そしてどこかへ行くといふのは(ほん)(たう)か。」

 「玉ちやんを連れて行つても好ければ行きます。」

 「玉を連れて行くには及ばないといふのは、いつでも(おれ)の云ふ事で、分り切つてゐるではないか。一人(ひとり)でなら行つても()い。それもどこへ往つても()いと云ふのではない。いつかのやうに、勝手な處へ徃つては()けないが、紀尾井町のお(かあ)樣の徃つて入らつしやる逗子へなら往つても()い。」紀尾井町といふのは、奧さんの父君、非職勅任判事阪直人氏の宅の事である。

 「それは出來ない相談だわ。お(とう)さんでも、お(かあ)さんでも、子供を置いて來るといふことはない、お前に世話が出來なければ、こつちで寢ずにでもするといつてゐるのですものを。そんな事なら、わたしは()めてよ。」

 「()めるが()い。一體お(かあ)樣の聲が聞えてはならないなんぞといふ事はない。」

 奧さんの旅行はすぐ(やめ)になつた。博士は何もこんな事で、御祭典に參内するのを()めないでも()いのである。大學に出る日なら、博士も止めるのではない。併し默つて出ると、跡でどこへ徃つたか分らなくなるのに困るのである。玉ちやんを連れて行かれるのが嫌なのである。常の日にもかういふ事は折々あるが、さういふ時には博士は玉ちやんを連れて、近所の法科の教授の所へ片付いてゐる姉の内へ往つて、頼んで置くのが例になつてゐる。

 夫婦は暫く默つてゐる。玉ちやんは床の間に積み上げてある西洋の雜誌を引き出して、繪を見てゐる。仲働が來て、奧さんの方を一寸見ると、奧さんが「今は食べないからお下げ」と云ふので、膳を下げてしまふ。かういふ事は度々あるから、心得てゐるのである。博士は「玉の處へ()(あぶり)()て來て置け」と言付けた。

 博士は葉卷に火を付けた。家の中に酒精飮料は一切置かないといふ主義で、同時に二人の女に關係するやうな餘裕はないと云つてゐるのであるから、道樂は烟草丈である。それも紙卷は嫌で、高い葉卷は(おごり)だといふので、百本二十圓のVictoriaに極めてゐるのである。洋行してから、Havannaでなくては本當の味はせぬと云つてゐながら、節儉の爲めにManilaで我慢してゐるのである。奧さんは下唇の剥げ掛かつた薄皮を引張つて、考へ込んでゐる。玉ちやんは繪に見入つてゐる。(そと)は風が吹き歇んで、日の光が障子に當る。(ひと)()の中はひつそりとしてゐる。(とき)(/″\)置時計の音が耳に入る。

 「あんな聲の人があるでせうか。」奧さんはかう云ひ出した。「切角お休で、あなたが御所へ徃くのをよして内に入らつしやつても、今に又お(ひる)だと、茶の間であの聲がする。わたしはきつと氣違になつてしまふ。」

 博士は眉を蹙めた。「馬鹿な事を。お(かあ)樣の聲は別に優しい聲ではない。あゝいふ男のやうな氣性の(かた)だから、聲も優しくはない。併しそれがお前に氣になるといふのは、お前の神經だ。こゝへ來た當座、肴町の寺で(かね)を叩くと、心細くて溜まらないと云つたのと同じ事だ。」暗黒に閉ぢられてゐる夫婦の胸には、sweetであつた蜜月の記念が、電光のやうに閃いて、忽ち消えた。鉦の音が響く度に、花娵御は夫の胸に顏を押し附けて、「わたしあの聲を聞くと、心細くつてよ」と云つたものである。博士はその時妙な心持がしたのだ。此女は神經に異常がありはせぬかと思ふと、怖ろしいやうな氣がした。又思ひ直して、いや、人の神經は色々だ、工場の調革のやうなのもある、琴の(いと)のやうなのもある、人が聞いては何ともない鉦の音も、悲しく響くやうな神經を持つてゐるのは、憐むべきであるとも思つたのであつた。

 「いゝえ。(あたり)(まへ)の人の聲なら、氣にはならなくつてよ。(ひと)(とほり)の人ではないのですものを。お金はみんな持つて行つて、好い加減にしてゐて、あなたをまで取つてしまはうと思つてゐるのですものを。ちよいと油斷をすると、すぐあなたの側へ來る。あなたにはあれが(あたり)(まへ)に見えて。えゝ。氣味が惡い。」奧さんの黒い大きな目はかゞやく。

 「又言ふ。人が聞くと氣違としか思はない。おれを生んだお(かあ)樣ではないか。」博士の聲は頗る激した。玉ちやんは(ほん)から顏をあげて、ちよいと見た。いつも繰返される問答であるので、博士も始て聞いた時程、腹は立たない。それでも流石に(あたま)には響く。久しく直らずにゐて、痛いとも思はぬ痍も、人に障られると、痛を覺えるやうなものである。玉ちやんはいつもの事だから、さ程驚きもせずに、又繪を見てゐる。

 「それはあの人とあなたとが、未亡人(ごけ)さんの處へ來た養子のやうになるとは、わたしも思つてはゐなくつてよ。年が寄つても氣が若くて、誰かと夫婦のやうにしてゐたいのです。それだから會計をどうしても自分でするといふのです。」

 「それも間違つてゐる。いつも言つて聞せる(とほり)だ。會計なんぞといふものは何でもない。(さい)が會計をするといふのも、中以下の事だ。大い内になれば、三太夫にもさせる。會計をするから(さい)だ、しないから(さい)でないなんといふ事はない。お前は來た當分には、勿論會計などがさせられるやうな人ではなかつた。お(とう)樣にねだつて、(すき)な物を買へる丈買ふといふ癖が附いてゐたのだ。丸で預算を立てて物をするといふ考がなかつたのだ。此頃(だい)()(わか)つて來たやうだ。會計をさせられる樣になるかも知れないが、お(かあ)樣が(たのしみ)にしてお出なさるものを、無理に取り上げるには及ばない。お(かあ)樣の(はう)で、もう面倒だからよすと仰やれば、先づおれが自分でする。さうして置いて、お前の氣質が段々直つて、當前に何でも話合が出來るやうになれば、お前にだつてさせないとは云はない。併し今のやうでは、當分お前の氣質が直らうとは思はれない。(せん)から會計をして入らつしやるお母樣が、なる程あれなら任せられると仰やるやうにすれば()いではないか。謂はゞ素直に讓つて貰ふやうにすぺきだ。それを戰爭で敵の物を取るやうにしようとしてゐるのが間違つてゐる。」

 「讓つて貰ふのではないでせう。あなたの月給でせう。わたしだつてそれを勝手にしようといふのではなくつてよ。あなたがなされば、わたしに相談をしてなされば、わたしだつて(さい)のやうでないと云ふもんですか。紀尾井町のお(かあ)樣なんぞは、(にい)さんの月給なんぞにお構なすつたことはありやあしない。」

 「そりやあ違ふ。紀尾井町のお(とう)さんは財産家で、お前の(にい)さんが會社で取る月給は、(にい)さん夫婦の小づかひになれば()いのだから、まあどうなつても()いと思つてお出なさるのだ。内にはおれの取る月給の外になんにもない。お(かあ)樣がそれを預かつて、節儉をして下さるのだから、好いではないか。」

 「いゝえ。それが餘計なお世話だわ。あなたの取つて來る月給なのでせう。あの人の御亭主は判任官で、なんにもなかつたのだから、あの人はあなたに食べさせて貰ふ丈で、おとなしくしてゐれば()いのだわ。人の物なんぞに手を出して。」

 「そんな(きゝ)(ぐる)しい事を言ふ。おれに誰が學資を出して大學を卒業させてくれたと思ふ。」

 「そりやああなたが貸費生とかになる迄、少しは出したのでせう。それは親のする當前の事ですわ。あなたが今のやうに月給の取れるやうになつたのは、あなたの腕ぢやあありませんか。内の(にい)さんなんぞは、學資はいくらでも出して貰つて、洋行までさせて貰つたけれど、博士になんぞなりやあしない。」

 「學資を少し出して貰つたの、澤山出して貰つたのと、そんな勘定で、親の恩に輕重を附けることは出來ない。おれのお(とう)さんが少し出すには、お前のお父さんが澤山出す何倍の骨が折れたか知れないのだ。なる程お前の(にい)さんは博士ではない。親がいくら學資を出しても、誰も皆學者になるといふものではない。人には向々がある。それに人の成功が、どれ丈生れついて、どれ丈人のお蔭で出來たかといふことは、どんなえらい學者でも極めることは出來ないのだ。生れついたといふのも又遺傳かも知れない。自分の力で成功したから、親には恩がないといふことがあるものか。」

 「えゝ/\。そんならたんと恩にお着なさい。それはそれで宜しいとしても、此内に財産がいくらあるか、あなたの月給がどうなるのだか、少しもわたしに知らせないで置いて、あなたが()くなりでもしたら、わたしと玉ちやんとはどうなるのです。」奧さんは論鋒を一轉した。怜悧な玉ちやんは(きゝ)(みゝ)を立てて、(ほん)を置いて立つて、唇のところに指を當てて、可哀い大い目を睜つて、二親を見比べてゐる。指を(くは)へてはならぬと、博士が教へてゐるので、㘅へはせぬのである。

 「財産は知れてゐるではないか。此(いへ)()(しき)が、お(とう)樣の財産をみんなと、おれがその頃迄取つた月給とで出來た外に、不動産といつては、たつた五千圓どもしかありやあしない。おれの年俸は、講座給を入れて二千七百圓なのだ。それで此位な暮しをして、夏と冬とに、お前に六十圓づゝ着物の代を纏めて出して上げるのは、お(かあ)樣が節儉して()つて下さるから出來るのだ。」

 「それはあなたには聞いてゐてよ。どうだか見ない事だから分りやあしない。あの人に任せて置いて、わたしや玉ちやんがどんな目に逢ふか分りやあしない。」

 「玉ちやん/\と云つてはいけない。子供が餘計な心配をする。おれは公證人を立てて、立派に遺言がしてあるから、お前や玉の困るやうな事はないのだ。」博士は玉ちやんを見て、笑つて(あご)をしやくると、玉ちやんはお(かあ)ちやんの()(なか)(まは)つて來て、博士に抱かれた。

 「その遺言の事だつて、公證人の役場の小使が、紀尾井町へ來る婆あやあの亭主なので、それでやつとわたしに知れたのだから變だわ。それはわたしなんぞの困るやうには書いてないでせう。どう書いてあつたつて、お(とう)樣がいふが、遺言状といふものは、そんなに確なものぢやあないといふことだわ。それにあの人が持つてゐるのぢやあなくつて。」

 「お(かあ)(さま)の處にはない。そりやあ遺言状の效力を失ふ場合もある。まあ出來る丈確實な方法を取つて置くといふ(わけ)なのだ。勿論公平に書いた積だが、あれもお前がお(かあ)樣につらく當つて、お(かあ)樣が、若しおれがどうかした時に、どうならうか知れないといふので、心配して入らつしやるから、拵へることにしたのだ。馬鹿らしい。財産といふ程のものはないのだから、遺言状なんぞは一體入らないのだ。お(とう)樣が生きて入らつしやつて、おれの兄弟が内にゐた頃の事を考へて見ると、内ぢゆうで誰も死んだらどうの、金がどうのといふやうな事を考へてゐたものはないのだ。年寄は年の寄るのを忘れて、子供の事を思つてゐる。子供は勉強して、親を喜ばせるのを(たのしみ)にしてゐる。金も何もありやあしない。心と腕とが財産なのだ。それで内ぢゆう揃つて、奮鬪的生活をしてゐたのだ。その時は希望の光が家に滿ちてゐて、親子兄弟が顏を合せれば(わらひ)(ごゑ)が起つたものだ。」博士は玉ちやんを抱き緊めた。「玉なんぞは親の笑ふ聲を知らないのだ。」

 奧さんもいつも言ふ丈の事をさらつてしまふと、暫くは默つてゐる。元來()(くち)な性分で、娵に來た頃、博士は寡言がお前の一長處だと云つた位である。玉ちやんは()つぺたをお(とう)さんの胸に押し附けて、目を半分()いてお(とう)さんを見て、すう/\と息をしてゐる。一()が又ひつそりする。時々置時計の音が耳にはいる。

 奧さんは火鉢の炭を積んだり崩したりして、考へ込んでゐる。頭の中は頗る混沌としてゐる。何事でも順序を立てて考へることは不得手であるのを、博士が論理で責めるから、半分夢中で(うけ)(こたへ)をしてゐる中に、いつでも十六()(さし)のやうに詰められてしまふ。どうしたら此苦痛が脱せられるかと考へると、娵に來るとき、お(とう)さんが、「嫌だと思つたら、いつでも歸つて來い」と云つたことを思ひ出す。いつそ最少し早く歸つてしまつたら好かつたか知らむと思つて見る。さうすると又、娵に來て三月程立つて、(をつと)と里へ徃つたとき、お(かあ)樣が、「お前はめつたに人になじむといふことのない子だつたに、好く高山さんになじんだものだ」と云つたことを思ひ出す。どうも歸る(わけ)にはいかなかつたのだと思ふ。今(をつと)を愛してゐるだらうかと、自ら問うて見る。(をつと)()い男ではない。いつであつたか、「()い男は年を取ると(そこ)ねるから、おれのやうな醜男子の方が(とく)だ」と、(をつと)の云つたことがある。或時又「おれなんぞの顏は閲歴が段々に痕を刻み附けた顏で、親に生み附けて貰つた顔とは違ふ」と云つたこともある。何にしろ嫌ではない。若し(をつと)を持ち更へて、その男が博士より嫌であつたら、どうしようと思ふ。二度目では大學教授位の位地の人を(をつと)に持つことはむつかしいかも知れぬとも思ふ。一轉して(をつと)の母がゐさへしなければ()いのだと思ふ。どこぞへ往つてしまへば()い。(をつと)の姉の内へでも往けば()い。いや、あそこにも姑があるから、所詮徃かれぬ。いつそ死んでしまへば()いと思ふ。かう思つて、自分で怖ろしい事を思ふとも何とも感ぜぬのを、不思議に思ふのである。

 博士は右の手で玉ちやんを押へ附けてゐるうちに、左の手に持つてゐる葉卷は、いつの間にか消えてゐる。玉ちやんは()い心持だと見えて、いつまでも動かずにゐる。博士はかういふ事を思ひ出した。博士が大學へ通ふ道に穀物問屋がある。博士は手車はあるが、朝時間が早いと、運動の爲めに歩いて出勤することがある。殊に此頃の寒い朝は、車に乘ると寒いといふので、度々歩く。ある日彼穀物問屋の前を通るとき、店に婆あさんのゐるのに氣が附いた。白髮が黄ばんで、手は澁紙を揉みくしやにしたやうな婆あさんである。その婆あさんが、その澁紙のやうな手の平に、(ひと)(つまみ)程の赤小豆の屑を入れて、五味を()り出してゐる。博士はそれに氣が留まつて、一寸立ち留まつて見た。そしてかう思つた。山のやうに積んである穀物を()るのだから、屑は澤山出る。それをあの婆あさんが一撮程づゝ手に取つて、(かす)んだ目で五味を()り出したところで、それが何の(たし)になるのでもない。側には小僧が、大い𥳽()でさつ/\とあふつてゐるのである。それでも婆あさんは()(ごと)をしてゐると、自ら信じてゐるのであらう。主人はをかしく思ふであらうに、小言も言はぬと見える。面白い事だと思つた。その後は此家の前を通る度に、見るともなしに見て通る。婆あさんは毎日五味を()つてゐる。主人は果して小言を言はぬと見える。博士は今此婆あさんの事を思ひ出した。(さい)のやかましく言ふお(かあ)樣の會計も、是非お(かあ)樣にして貰はねばならぬのでは勿論ない。或は自分でする方が()いかも知れぬ。併しお(かあ)樣が家の爲めになると信じてする事であるのを、()めさせるのは好くない。そんな事をすれば、彼穀物問屋の主人にも劣つた事をするといふものだ。お(かあ)樣はかう云つてゐる。「あの娵さんに會計を渡したら、わたしは其日から、ちよいと何かでお(あし)が入ることがあつても、頭を下げて往つて頼まねばならない。娵さんは此内へ來て、婚禮の日に親類の杯をした時お辭儀をした切で、お辭儀といふものをした事のない人だ。餘所へ往かうが、歸つて來ようが挨拶をした事はない。そこへ往つてわたしが頭を下げるのはいかにもつらい。あんな人でさへなければ、娵さんに會計を渡すのは、貰はない前からの覺悟なのだから、とうにこつちから進んで渡してしまふのだ。その上來た當分の娵さんは、會計などをしようといふ風ではなかつた。今でもわたしのした方が、物いりは半分で濟む。」と斯う云つてゐる。お(かあ)樣の云ふことは一々尤だ。お(かあ)樣にお辭儀をしなければならんといふことは、初は優しく言ひ、後には叱つて直させようともして見たのだが、とう/\だめであつた。(さい)に任せずに、自分で會計をすれば、お(かあ)樣が娵に頭を下げるには及ばないやうなものではあるが、口を利かぬ娵に家政の相談は出來ない。節儉も無論お(かあ)樣の方が上手だ。或はおれよりも上手かも知れぬ。固より穀物問屋の婆あさんの、手の平で豆を()るのと、同日の談ではない。先づ/\現状維持だと、博士はかう思つた。

 奧さんは突然緘默を破つて、「なんにしろ(ひのえ)(うま)なのだから」と、獨言のやうに云つた。これは博士の母君の干支(えと)である。博士は常談に、お母樣は豪傑だ、奧參謀總長と一しよに生れたのだからと云つてゐるのである。奧さんは迷信家で、(をつと)の母君の干支(えと)を氣にして、向うを尅殺せねば、自分が尅殺せられるといふやうな事を思つてゐる。これもantipathyの一つの原因である。これは幕府末造の江戸の町に生れて育つた、紀尾井町のお(かあ)樣の系統を承けてゐるのである。金毘羅樣を(しん)(かう)するなんぞもこれから出てゐる。奧さんはお孃さん時代に、紫紺の羽織を着て、紀尾井の邸から、溜池を通つて、虎の門へ參詣するのであつた。目に立つて美しい娘であつたので、其頃の赤坂藝者は、別品の事を紫紺のお孃さんにも負けないと云つたものである。

 玉ちやんはお(とう)樣に抱かれてゐるのに()きて來て、(からだ)をもぢ/\させてゐたが、「あつちへ行く」と云ひ出した。裏門に近い土藏の側の小部屋に一人(ひとり)で住んでゐる、おばあ樣の處へ往くのであらうか、それとも女中達の處へ徃くのであらうか。此疑問は同時に博士夫婦の心に起る。博士は寂しい母君の處へ徃けば好いと思ふ。奧さんはあの人の處に遣つてはならぬと思ふ。博士は默つてゐるのに、奧さんは默つてはゐぬ。

 「どこへ行くのだい。」

 「おばあ樣のところへ行きたい。」

 「あんな人のところへ徃くのではありません。女中の處へ徃つてお(あそび)。」

 玉ちやんはお(とう)樣の顏を一寸見て、しかたがないといふやうな顏をして、女中の方へ徃つた。博士は言ふのは無益だとは思ひながら、丸で默つてもえうをらぬ。

 「お前は何とでも思つたり言つたりするが()い。(なに)も子供にまで、あんな人だなんぞと云ふことはないではないか。」

 「あんな人だからあんな人と云ふのだわ。あなたの側にひつ附いてゐて話をするのは(すき)でせうが、子供の世話なんぞは大嫌なのです。丸であなたの女房氣取で。會計もする。側にもゐる。御飯のお給仕をする。お湯を使ふ處を覗く。寐てゐる處を覗く。色氣違が。」

 博士はこらへてゐる。何か云へば、向うの肝癪が募るばかりである。奧さんの言ふことと云つたら、會計の事でなければ、母君が博士に物を言ひたがるといふ事である。博士は會計の事を、奧さんの議論の理性的方面と名づけて、母君に對する嫉妬を意志的方面と名づけてゐる。奧さんの、博士と母君とに物を言はせまいとするのが、嫉妬だといふことは、不思議にも紀尾井町のお(とう)樣が最初に判斷した。娵に來た當座に、どうも(をつと)と姑君とが話をするのが見てゐられぬので、席を起つと云ふことを、里へ歸つて話すと、「それは嫉妬だな」とお(とう)樣が道破したと云ふことである。藝者といふ動物は見るのも氣にくはぬといふ博士であるから、家の外には嫉妬をすべき因縁がない。小間使を置いても、樣子の()い仲働を置いても、博士は燒餠を燒かせるやうな言語擧動をしたことがない。そこで母君が嫉妬の對象になつたのであらう。某將軍の奧さんは從卒に對する嫉妬が猛烈で、それが起る度に將軍は副官を呼びに遣つて取り抑へて貰ふといふ奇談がある。母君と雖、嫉妬の對象にならぬには限らぬのである。博士は、はゝあ、攻撃部署がまた意志的方面になつたなと思つたばかりで、默つてじつと奧さんの顏を見てゐる。日に何遍となく繰り返される、印刷したやうな奧さんの詞でも、たま/\内にゐて、半日の間たて(つゞけ)に聞いてゐると、刺戟が加はつて來て、腦髓が負擔に堪へなくなつて來る。もう煙草を()む氣にもなれぬのである。

 かういふ時博士の默つてゐるのが、奧さんには又不愉快でならぬ。奧さんが「何とか仰やいよ」と肉薄して來て、白く長い指が博士の手首に(から)んで來るのはかういふ時である。そこで奧さんが决戰を挑んで、髮を切るの咽を突くのといふこともある。例の玉ちやんを連れてどこかへ徃くと言ひ出すこともある。體と體とが相觸れて、妙な媾和になることもある。今日(けふ)は朝早く一度爆裂のあつた跡なので、决戰にもならぬ。「どこかへ徃く」問題も再びは提出しにくい。時刻が時刻である上に、娵に來て一二年の頃とは違つて、妙な媾和にもなり兼ねる。そこで流石の奧さんも默つてゐる。一()は又ひつそりする。又置時計の音がする。

 奧さんの(あたま)の中では、又考が(さき)のとほりに、どうどうめぐりをしてゐる。(をつと)に別れるのも嫌な事だから、それを思ひ切つてすることは出來ない。姑君に頭を下げるのも嫌な事だから、それも思ひ切つてすることは出來ない。折々どこかへ行くなぞと云ふ時も、又歸つて來れば同じ事だと知り拔いてゐて云ふのである。或時は又こんな事も云ふ。「わたし又何かのお稽古に行くことにしたら()いかと思ふわ」と云ひ出す。博士は始てこれを聞いたとき、なる程何か藝術に身を入れるやうになつたなら()いかも知れぬと、半分程首肯して、さて奧さんの考を聞いて見て驚いた。奧さんは何も藝術などをしようとは思はぬのである。お孃さんの時に稽古に行つたのもさうであつた。日本繪の先生にも通つた。琴の師匠にも通つた。繪を書かうとも、琴を引かうとも思ふのではなかつた。只〻お仕舞をして、車に乘つて、紀尾井町と其先生、其師匠のゐる町との間を、毎日徃復するといふのが、所謂お稽古の概念なのであつた。今いふお稽古もそれである。博士は此事が分つたとき、そんな事なら、何も入費を掛けて、夫人の身となつては、多少の嫌もある藝人附合をしなくても、散歩をするが()からうと云つた。博士は又一歩を進めてかう云つた。「一體惡い癖なんぞがあるなら、それを土臺から直しに掛かるが()いではないか。お前はどうかして、一寸それをぼかして過さうと云ふのだ。それは下らない事だ。病氣で痛む處があれば、其病氣を直さねばならない。モルヒネで痛を止めて置かうといふやうな、姑息な事には贊成が出來ない。」とかう云つて、一切のpalliativの手段を排斥したのであつた。奧さんは又此お稽古の事を思ひ出してゐる。(をつと)が散歩を代用にしろと云つたのは、甚だ不服である。奧さんは自然に對して何等の興味をも持つてをらぬ。娵に來た當座、博士は花なぞを持つて歸つて遣つたことがあるが、奧さんは少しも喜ばなかつた。それから「お前は月なぞを見て何とか思つた事があるかい」と問うて見た。奧さんは不審らしい顏をして、「いゝえ」と云ふのみであつた。さういふ(わけ)だから、散歩をしたつて面白くないのも無理はない。町を歩いて窓の内に飾つてある物を見ても、只〻見て面白いとは少しも思はぬ。「買はない位なら、見ない方が()いわ」と横を向くのである。なる程散歩は嫌な筈である。そんなら何故(なぜ)お稽古に通ふの丈が面白いかといふと、奧さんはどこか向うの方に、ある到着點をこしらへて置いて、そこまでぶら/\と徃つて來ることを望むのであつて、奧さんの經驗では、お稽古(がよひ)の外にこれを實現すべき適當の手段がないのである。そこで奧さんの心がpalliativを要求するときには、いつもお稽古通といふことが提起せられるのである。そして此考の浮んで來るのは、奧さんの心が少し平穩になつた兆である。

 博士は此時こんな事を考へてゐる。一體おれの妻のやうな女が又と一人(ひとり)あるだらうか。性欲の對象が妙な方角にそれるのをperverseだと云つて、病的にする以上は、嫉妬の方角違になるのも病的ではあるまいか。人の聲に對する異樣な反應なぞも、病的であるといふ證據になりはすまいか。こんな考は餘程早くから博士の胸に徃來してゐる。それで博士がある時「お前は精神が變になつてゐるのだ」と云つたことがある。奧さんはそれを紀尾井町のお(とう)さんに話すと、「けしからん事を言ふ男だ、人を精神病者だと認めるといふのは容易ならぬ事だ、專門家に鑑定でもして貰つた上でなくては言はれない筈だ」と云つたのを、奧さんが歸つて話したこともある。無論精神病者とは認められまい。併し眞の精神病者と健康人との間に、限界状態といふやうなものがありはすまいか。若し又精神の變調でないとすれば、心理上に此女をどう解釋が出來よう。孝といふやうな固まつた概念のある國に、(をつと)に對して姑の事をあんな風に云つて何とも思はぬ女がどうして出來たのか。西洋の思想から見ても、母といふものは神聖なものになつてゐるから、(をつと)に對して姑を侮辱しても()いと思ふ女は先づあるまい。東西の歴史は勿論、小説を見ても、脚本を見ても、おれの妻のやうな女はない。これもあらゆる()(ぶみ)を踏み代へる今の時代の特有の産物か知らんと、博士はこんな風な事を思つてゐる。

 その(うち)に臺所の方でこと/\と音がして來る。(ひる)の食事の支度をすると見える。今に玉ちやんが、「papa, 御飯ですよ」と云つて、走つて來るであらう。今に母君が寂しい部屋から茶の間へ嫌はれに出て來られるであらう。

底本:「鴎外全集」第四巻、岩波書店
   昭和47年02月22日発行