有樂門

森鴎外

 「()()()(こう)(ゑん)(いう)(らく)(もん)。お(のり)(かへ)はありませんか。」

 ()()より(きた)れる(でん)(しや)()まりたり。(ところ)()()()(こう)(ゑん)(ちか)く、(とき)(だい)(さい)(じつ)(ゆふべ)なれば(この)(てい)(りう)(じやう)にも、あらゆる(かい)(きう)、あらゆる(ねん)(れい)(だん)(ぢよ)二十(にん)あまり、()()ひて()てり。(ひる)(ごろ)まで()れたりし(そら)、やうやく(くも)(おほ)はれて、(かたぶ)きかかる(ふゆ)()は、(ちか)(きは)(わづか)(のこ)れる(くう)()(あさ)()(いろ)を、()(はや)(ひさ)しくはえ(たも)つまじう(おも)はる。(てい)(りう)(じやう)()てる(ぐん)(じゆ)は、(さき)(あらそ)ひて(くるま)(せま)りぬ。

 「お(のり)(かた)(せう)(/\)(まち)(ねが)ひます。」

 (まつ)(さき)(あし)をぺろんに()けしは、四十(だい)(しよく)(にん)めきたる(をとこ)にて、(たけ)(たか)(しゝ)(ゝま)()(するど)きが、(こし)のあたりに(あか)(しるし)ほの()ゆる(しるし)(ばん)(てん)(うへ)(かさ)ねし、(たう)(ざん)()(おり)(かた)(さき)()されて、たじろき()りぬ。(しや)(しやう)()()まだ()せぬ()(をとこ)にて、(いろ)(しろ)(ひげ)のあと(あを)く、()たるは()まりの()(くら)(ふく)に、()(いと)あらはなる、あやしき()(おり)(ぐわい)(たふ)なれど()(ぜん)(しよく)(くつ)(あたら)しく、しやつ(くつ)(した)なども、(あか)つき(よご)れずして、(なが)(かみ)(うなじ)のあたりに(そろ)へて()りたり。かうざまなるを、()には高襟(はいから)(がり)()ふとか。(いま)(しよく)(にん)らしき(をとこ)(かた)(さき)()(もど)しつる(ゆん)()(なが)()()べて、(たなぞこ)(ひら)き、(しば)()めきたる姿()(せい)()りて()てる(しや)(しやう)は、(くるま)(あらそ)ふ二十(にん)あまりの(きやく)(せき)(しゆ)もて()さへて、(ひたひ)(せま)(まゆ)()(しゞ)まり、(つね)(あざけ)(ごと)()(せう)(たゝ)へたる(おもて)に、(おの)(けん)(のう)の十(ぶん)(はつ)()せられたるに滿(まん)(ぞく)せる(いろ)(あらは)せり。(なゝめ)()(おろ)(ゆふ)()(ひかり)は、(しや)(しやう)(ひら)きたる(たなぞこ)(あた)りて、()べたる(ほそ)(なが)(ゆび)(とう)(めい)なるかを(うたが)はしむ。(くるま)より()りんとする(きやく)も十(にん)ばかりはあるべし。(かの)(しよく)(にん)らしき(をとこ)()(もど)されしとき、いちはやく(をど)()りたるは、(それ)(がく)(かう)(せい)(ふく)()て、(くろ)()(じゆ)()(ふろしき)(つゝ)める(しよ)(もつ)(わき)(ばさ)みたる、(ほそ)(なが)(せう)(ねん)なり。これは(まへ)(てい)(りう)(じやう)()ぎし(ころ)より、(うしろ)(くち)()()たるなるべし。(つぎ)葡桃(えび)(ちや)(ばかま)(めい)(せん)綿(わた)(いれ)()(おり)()て、(ふる)びし()(てう)(いと)(えり)(まき)したる、(たう)()ちたる(ぢよ)(せい)()なりしが、これも(せき)(ゆづ)(ひと)なければ、(うしろ)(くち)(ちか)く、(つり)(かは)(つか)まり()たるならん。その(つぎ)なる()(ふと)りたる老媼(おうな)の、(おの)(こし)(まはり)よりも(おほい)なるべき(ふろしき)(づゝみ)(かゝ)へたるは、あなもどかし、(ひやく)(ばう)(うち)にその(ふろしき)(むすび)()(ゆる)みたるを()(なほ)さんとあせりたり。(この)(とき)()(もど)されし(しよく)(にん)(かたはら)なりし、十五ばかりの()(ぞう)(ふる)びたる(ぬの)()()(くら)(かく)(おび)(よぢ)れたるをしどけなく(むす)びて、(ゆん)()(はん)(とり)(ちやう)()てるが、(しよく)(にん)(わき)(した)(くゞ)りて(ふたゝ)(とく)(くわん)(こゝろ)みしに、(しや)(しやう)(しよう)(いよう)として(みぎ)(あし)()()べ、この(ちひさ)(はん)(かう)(しや)(さゝ)(とゞ)めて、(しやう)(こう)(ぐち)(ちつ)(じよ)()()せり。(につ)(くわう)()みたる(しろ)(たなぞこ)()(ぜん)として(ひら)かれ()て、(かん)(だか)(こゑ)(ふたゝ)(ひゞ)きわたりぬ。

 「お(のり)(かた)(せう)(/\)(まち)(ねが)ひます。」

 (ふろしき)(づゝみ)()てる老媼(おうな)やうやう()るれば、こたびは麥酒(びいる)(くわう)(こく)(ゑが)ける(ごと)(はら)したる(をとこ)(うしろ)(くち)()()まりて(にはか)(のり)(かへ)(きつ)()(もと)めたり。()らんとする(きやく)は、(こゝろ)(みな)(しや)(しやう)(しやく)()(ぢやう)()(いきどほ)れり。()(もど)されし(しよく)(にん)はさらなり、そが背後(うしろ)なる(はう)(へい)()()(くわん)の、(ひげ)おどろおどろしく、(むね)(くわう)(はく)(ひかり)(なほ)(あざや)かなる(きん)()(くん)(しやう)()けたるは、その(いかり)(おさ)へて()てるさま、余所(よそ)()にも(しる)かりけり。(おも)ふに(この)(さう)(かん)(はら)(なか)にて、(ちよく)()の五()(でう)(ひと)つなる、(ぐん)(じん)(れい)()(たゞ)しうすべしといふ()()(かへ)して(ねん)()るにやあらん。されど、されど奈何(いかん)せん、(とう)(めい)なる(ほそ)(なが)(しや)(しやう)(ゆび)は、縱令(たとひ)(けん)()には(かな)はずとも、(げん)(こう)(にん)せられたる(はふ)()()()(もと)に、(おの)(けん)(のう)(おこな)ふものなるを。

 (たちま)(しよく)(にん)(さけ)べり。

 「(たれ)()るものかい。」

 (さけ)(をは)りて、(くるま)(かたはら)沿()ひて、(まへ)(かた)()()(ごと)くなりしが、この()()れたる(をとこ)、いかでか(せう)忿(ふん)()めに()(がい)(わす)るることあるべき。(くるま)をば、(をり)しも()(だう)(しゆ)(ふく)すとて、花崗(みかげ)(いし)()(おこ)したるあたりに()けて(とゞ)めたるが(ゆゑ)に、(いま)まで(ひと)(のり)(おり)なかりし(まへ)(くち)の、(うん)(てん)(しゆ)(ゆん)()より、(しよく)(にん)()(くさり)(はづ)して()りぬ。これを()て、(さき)より(しや)(しやう)(しろ)(たなぞこ)(にら)みて、()(すゐ)(おちい)りたるやうなりし(きやく)(くわ)(はん)は、(たちま)(ゆめ)()めたる(ごと)く、(みな)(かの)(しよく)(にん)(しりへ)()きて()りぬ。(おく)れたるは(ちから)(きは)めて(さき)なるを()せり。匾(ひらめ)()(つぶ)されんとしたる(うん)(てん)(しゆ)は、(なに)(おも)ひけん、(おの)れも(ちから)()して、(じよう)(かく)()()しつ。(かん)(だか)なる(こゑ)は、(しふ)(くわん)によりて(はつ)せられたり。

 「(せう)(/\)づつ(まへ)(はう)にお(つめ)(ねが)ひます。」

 (なほ)(しや)(ちゆう)にて()()(あひだ)より、()(ぞう)(こゑ)(ひゞ)きぬ。

 「(せう)(/\)づつ(あと)(はう)へお(つめ)(ねが)ひますか。()いてあきれらあ。」

 (しや)(ちゆう)(しよ)(/\)(わら)(こゑ)(おこ)りぬれど、かかる(しな)(いや)しき(ざれ)(ごと)()すべき(みゝ)()たじといひたげなる(しや)(しやう)は、(れい)微笑(ほゝゑ)みつつ()()さし()べて、滿(まん)(ゐん)(あか)(ふだ)(おろ)し、(れい)(さく)()(うごか)しつ。

 「お(あと)(くるま)(ねが)ひます。(うご)きますよ。」

 (はら)(おほい)いなる(ひと)(のり)(かへ)(きつ)()()て、()るる(ひと)()(かく)()りしならめど、(うしろ)(くち)より()りし(きやく)(ほとん)()かりき。(かの)(しよく)(にん)(あと)より()りし(きやく)(うち)に、(たくま)しげなる()(ぢよ)の、(ちひさ)(につ)(しやう)()()てる四(さい)ばかりの(わら)()()()へるありけり。(この)(わら)()(さき)よりの(こん)(ざつ)(さま)を、(えん)(げき)()(ごと)(おも)(しろ)がりて()やり、(まる)(みひら)きたる(くろ)()(かゞや)かし()たるが、(くるま)(うご)(はじ)むると(とも)に、(こゑ)(たか)(しや)()をうたひ(いだ)しつ。

 「(たま)(みや)()(まる)(うち)
  (ちか)()()()(あつ)まれる
  (でん)(しや)(みち)は十(もん)()。」

 (くるま)はこのかはゆき(こゑ)()せて、()()(さき)(もん)(かた)(はし)りぬ。

底本:「鴎外全集」第三巻、岩波書店
   昭和47年01月22日発行