朝寐

森鴎外

 (さむ)きときは(はなは)(さむ)く、(あつ)きときは(また)(はなは)(あつ)き、()るかぎり(たゞ)(かう)(りやう)(はたけ)なる(へい)(げん)(たゞ)(なか)に、(わすれ)(もの)したるやうに()かれたる(この)(そん)(らく)(とゞ)まりてより、はや(ひさ)しうなりぬ。(こゝろよ)きは(たゞ)(ふつ)(げう)の一()(かん)(ほど)なれば、(はや)()()でて(みなみ)(まど)(そと)()()()ゑさせ、(あたら)しき(くう)()()ひ、(うま)からぬ(あさ)()(がはり)に、(とも)(おく)りくれたるちよこれえと()させて()みつ。わが(まへ)なるは、(しう)(くわく)(ころ)(かり)(きび)()める(おほ)(ぐるま)()()れつべき、(やゝ)(ひろ)(なか)(には)なり。()(いへ)ならば、(とう)西(ざい)(さう)とも()づくべき、そが()(いう)(いへ)の、(ひと)つは()()(うし)など()へる()()にて、(ひと)つは(もの)(おき)(かたはら)(さく)(をとこ)()くやうに(つく)れるものなるを、(おも)()(しや)(えい)()てられしより、()(ぞく)()(すみか)としたり、この()(ぞく)()(ひがし)(かは)(いへ)()()と、(おも)()(のき)()との(あさ)()(さへぎ)(あひだ)()()(こし)()()て、われは()かげ(せば)まりゆくと(とも)に、(みなみ)(まど)(ちか)()()(しざ)らせ、(とざ)されたる(まど)()()ねて、あちこち()びめぐれる(つばめ)(なが)めつ。()のいよいよ(たか)(のぼ)りて、(まど)(しやう)()()らすとき、われは()ちて()(うち)()りぬ。

 われと一(けん)(かん)(わか)てるは、(おほ)(さか)(まい)(てう)(しん)(ぶん)()(しや)()(じま)(くん)なり。(なん)(きん)(むし)(おほ)(かん)()けて、われも()(じま)(くん)も、(はづ)したる(とびら)(ひと)(ひら)づゝを、べんちの(うへ)(よこ)たへて、(ふし)()としたるが、()(じま)(くん)(なほ)(あか)げつと(かづ)きて、その(とびら)(うへ)()たり。

 ()(じま)(くん)()(ひと)なるをば、(なん)(ぴと)といへども(みと)めざること(あた)はざるべし。われ()(じゆう)(ぐん)()(しや)(なか)()には、(ずゐ)(ぶん)()(ゑん)(りよ)(くち)わるき(ひと)(すくな)からねど、()(じま)(くん)()しき(ひと)()ふを()きしことなし。()(きやう)(おほ)(さか)にて()める商人(あきうど)()(うま)れぬとか、(ちひさ)(かうべ)には、五()(がり)(くろ)(かみ)()()えて、(あか)(いろ)()ちたる(かほ)(せま)(ひたひ)(かこ)めり。(たえ)()なき微笑(ほゝゑみ)()めに、(しろ)(ほそ)()はいつも()えざることなし。(くう)(りい)(くるま)(ちん)(おほ)(もと)められたる(とき)など、()(じま)(くん)はその(かほ)(しひ)()(げん)(さう)(あた)へんとすれど、そは(かなら)()(らう)()して、(わり)(まし)(ぎん)(くわ)は、(れい)(せう)せる(くう)(りい)()にわたさるゝを(つね)とす。(つう)(しん)をなすにも、()(びん)なる(それがし)(くん)(ごと)く、をりをり(ひと)()れず()(たね)()(いだ)して、(けん)(えつ)(さん)(ぼう)()(みは)らせ、(つね)(ふところ)()して(あそ)(ある)くにもあらず、(かう)(くわい)なる(それがし)(くん)(ごと)く、(ぐん)(じん)まがひの(たい)()もて(さん)(ぼう)()(むか)へ、()(みつ)()(ぐわい)()(じつ)をば、なるべく(おほ)くなるべく(はや)()らんと(つと)むるにもあらず、()(じま)(くん)(しやう)(じき)()きて、(しやう)(じき)(おく)(つう)(しん)は、(いう)便(びん)()ごとに、()もなく()()もなき一(らん)ばかりの(げん)稿(かう)となりて、(まい)(てう)(しん)(ぶん)()せらる。(つゞ)めて()へば、()(じま)(くん)(けう)(いく)あるぼんちの、(たまたま)(しん)(ぶん)()(しや)となりたるものにて、ぼんちとしてはいやみ(すくな)(あい)すべき()(るゐ)(ぞく)す。

 (この)ぼんちは(いま)(うなじ)(かゞ)め、(おもて)(あか)げつとに(うづ)みて(ねむ)れり。こは(とき)()(ぜん)()(ちか)く、(やの)(うち)(やうや)(あつ)くなりたるを()て、わが(たう)(ばん)(そつ)(まど)(しやう)()(はづ)させしより、()(ひかり)(たゞ)ちに(まぶた)()るやうになりて、(ひかり)(よみがへ)りたる(はひ)さへ()(まはり)(つど)()ぬればなるべし。

 ()(じま)(くん)()(ひと)なれど(あさ)()(ばう)なり。(どく)(しや)よ。(かれ)(おき)んまでにはまだ(ほど)あり。わがその(あさ)()(こと)(かた)るを()(たま)へ。わが()(じま)(くん)(おな)()(れい)()()けられてより、はや一(ねん)(あまり)となりぬ。(この)(あひだ)()(じま)(くん)は一(にち)として(あさ)()せざりしことなし。かく()はば、(どく)(しや)(いく)(たび)かの(せん)(たう)ありし一(ねん)(あまり)(あひだ)に、()ごとに(あさ)()せんことは()()(のう)なりと(なん)(たま)ふべし。いかにも(せん)(たう)(すう)()なりき。(なか)には(ぜん)(ぐん)(あん)()()めに(かうべ)(なや)ましゝ(くわい)(せん)もありき。(ぜん)(じつ)()()れて(めい)(れい)()け、(ぐん)(たい)()(ぜん)()(しゆつ)(ぱつ)する()あり。かゝるとき(へい)(そつ)(よる)(かし)ぎて(くら)ひ、(ねむ)らずして(しふ)(がふ)()(おもむ)くなり。われ()()(れい)()()けられたれば、一()(かん)(おく)れて、()(ぜん)()(しゆつ)(ぱつ)す。(くわん)()()(たう)(ばん)(ねむ)らずして(かし)げり。()(けい)燐寸(まつち)とを(まくら)もとにおきて(ねむ)り、(ほとんど)()(かん)ごとに()(さま)して、()(けい)(はり)()しわれ()、二()三十(ぷん)()()くれば、一人(ひとり)(たう)(ばん)(そつ)()(かま)へたる(ごと)く、(あさ)(なは)()にして(すゝ)()で、(いま)まで()()()(とん)(いよう)をなしたりしけつとをあつめて(こん)(ぱう)す。(いま)一人(ひとり)()()()たる()()(しる)(めし)()へて(いだ)せば、われ()(くちすゝ)ぎもあへず(くら)へり。われ()(かう)()()める(おほ)(ぐるま)は、()(そと)()てり。(くら)(あひだ)に、(こん)(ぱう)せられたる(しん)()は、(はや)(くるま)()せられたり。(くら)(をは)るを()ちて、(たう)(ばん)(そつ)(しよく)()をも(こん)(ぱう)す。われ()はこれを(あと)()て、(しふ)(がふ)()さして()()つなり。(どく)(しや)は、()(じま)(くん)といへども、かゝる(あした)には、われ()(とも)()き、われ()(とも)にいで()つとおもふならん。されど(どく)(しや)(さう)(ざう)はあたらざること(とほ)し。

 ()(じま)(くん)は、われ()()くるとき(なほ)(あか)げつとの(した)にあり。われ()(くら)(とき)(あか)げつとの(した)にあり。われ()(いで)()(とき)(あか)げつとの(した)にあり。(じゆう)(そつ)(しよく)()(こん)(ぱう)(かた)(すみ)(ひら)()きて、()(じま)(くん)()きて(くら)ふを()てり。われ()(しふ)(がふ)()にありて、()(れい)()(まつた)(しふ)(がふ)(をは)るを()つ五(ふん)(ない)()(ぷん)()(かん)に、()(じま)(くん)(はな)(がた)(こく)(てん)(きやう)(はな)れて、(ふく)あるべき(のこり)(もの)(あさ)()をとゝのへ、(とき)としては(おく)()せに(しふ)(がふ)()()()け、(とき)としては(およ)ばずして(くわん)()()(くるま)(うしろ)()きて()()つなり。

 ()(れい)()()(ぜん)()(しゆつ)(ぱつ)し、()(じま)()(しや)()(ぜん)()(しゆつ)(ぱつ)するは()(じつ)なり。さればとてこれを(あさ)()ならずと()はんは、(あさ)()(がい)(ねん)をあまりに(きう)(くつ)(さだ)むるものといふべし。(あさ)()とは(おそ)()くることにて、その(おそ)しといふは、()(かく)(ことば)なること(もち)(ろん)なり。かゝる(あした)には、われ()()くるときと、()(じま)(くん)()くる(とき)との()(わづ)かに十(ぷん)(ない)()二十(ぷん)なれども、なべての(ひと)の一(ぷん)をも(あらそ)(とき)の十(ぷん)二十(ぷん)は、(つね)()(すう)()(かん)にも(ひつ)(たう)すべし。(いな)、かゝる(あした)の十(ぷん)二十(ぷん)(あさ)()は、(つね)()(しう)(じつ)()きざると(おな)じ。

 ()(じま)(くん)(かうべ)(いま)(まつた)(あか)げつとの(した)(ぼつ)せり。こは()(あた)ること(やうや)(つよ)く、(あつ)(あたま)(かは)にも(かん)ずるやうになりて、五()(がり)(うへ)(さん)()する(はひ)(かず)(やうや)(おほ)くなれればなるべし。今日(けふ)(しう)(じつ)()きざらんも()()からず。

 ()(じま)(くん)(あさ)()()めには、(ずゐ)(ぶん)()(らく)なる(われ)()()(しや)(なか)()も、(めい)(わく)(かふむ)ること(すくな)からねば、いかにもしてこれを(きやう)(せい)せんといふ()(たび)(たび)()でて、われは禿(はげ)(あたま)といふ(ちやう)(じや)(かん)(ばん)(いう)するより、(この)(きやう)(せい)(はふ)(じつ)()()(たく)せられしことあり。(はじめ)余所(よそ)ながら(ふう)し、(また)小兒(こども)など(すか)すやうにして(いざな)ひなどしつれど(かう)なかりき。(きよ)(ねん)(ふゆ)(ごもり)(ころ)(こと)なりき。()(れい)()()(そつ)(いよう)(にん)()()()()みて、(ばく)(えき)などに(ふけ)るもの(おほ)く、()(りつ)(もと)()るに()れたる(たう)(ばん)(そつ)さへ、(さう)()(おこた)りなどするやうになりぬ。(ある)()()(じま)(くん)(たう)(ばん)(そつ)()(つど)へて、(おごそか)(たい)()(いまし)めつ。流石(さすが)(ふく)(じゆう)()れたる(へい)(そつ)()(つゝし)みて()()(うしろ)(かた)に、(その)(ころ)()(すゐ)()めに()けられたる(いよう)(にん)ありき。だだつ()めきたる(がん)(しよく)(をとこ)なりしが、つと(すゝ)()でて、「なあに、(たう)(ばん)さんだつて、(わたくし)どもだつて、(なまけ)()ぢやあないのです、(あさ)()(はん)(ひる)()(はん)(つゞ)くやうな(あん)(ばい)ですから、(なん)でも(じゆん)(ぐり)()びるのでさあ」と(べん)(かい)したり。()(じま)(くん)はぎつくりしながら、「(じゆん)(ぐり)()びても、(まる)()ずにしまふといふ(こと)はない」と()へり。(いよう)(にん)(すこし)(くつ)せずして「()びて()くと、しまひには()ずに()くことも()()()まさあ」と(つゝ)()んだり。かくまで(ろん)()(じやう)(せい)(かく)なる(たふ)(べん)あるべしとは()()せざりし()(じま)(くん)(おほい)にたじろけり。(はじ)(ぐん)(じん)()()()(げん)(じゆう)なりし(くん)(かい)は、「なるべく」「()()(かぎり)」などの(やく)(そく)(つき)(えい)(きう)となりて(をは)りぬ。(この)()(じう)(やう)()()て、可笑(をか)しさを(しの)()たるわれは、(かう)()(いつ)すべからずと、(この)(たび)(しやう)(めん)より(かん)(げん)(こゝろ)みたり。わが()ひしことの(たい)(えう)()(ごと)くなりき。(せん)(さう)(せい)(くわつ)(もつと)(きよ)(しよく)なき(せい)(くわつ)なり。されば(いよう)あれば(なん)(どき)にても()きざるべからざる(かはり)には、(いよう)なきときは、(なん)(どき)にても(ねむ)ることを()べし。(あさ)(ひと)()くる(とく)には、(きみ)(つと)めて()(たま)へ。(あさ)()(をは)りて(ふたゝ)(ねむ)(たま)はんは(かつ)()なり。(あさ)()くることの(かた)きは、(ひと)(みな)(ねぶ)れるに、(おの)一人(ひとり)(とき)(さだ)めて()くるが(かた)きなり。それすら(せき)(ぐち)(さん)(ぼう)などは、三()にても四()にても五()にても、(ぜん)(ばん)()きんと(おも)ひし(とき)には、(よく)(てう)(かなら)()くといへり。かばかりのSuggestion(サジエツシヨン)(あなが)(おこな)(がた)きものにあらず。(ぼく)など二十(だい)三十(だい)(ころ)(をり)(/\)(こゝろ)みて、(たい)(てい)(せい)(こう)せし(けい)(けん)あり。(たゞ)(この)(ごろ)(やゝ)(おとろ)へてか、(しん)(けい)(くわ)(びん)になりて、(あさ)(はや)()きんとおもふときは、夜半(よは)にしばしば()()むるやうになりぬ。(きみ)(あさ)()はこれと(ちが)ひて、(ひと)(みな)()きて()(さわ)ぐを()りて()きず、(ひと)()()ますを()きて()きず、(あまつさ)(ぜん)(ばん)()こしくれよと(たの)みおきながら、(よく)(てう)その(ひと)()こされて、(なほ)()きざるなり。()きんとおもふ()()(さい)(せう)(りやう)だにあらば、()きられぬ(はず)なし。(かん)(げん)のあらましは(かく)(ごと)きものなりき。(その)(とき)()(じま)(くん)(かたち)(たゞ)して(こた)へて()はく。これまでの(たび)(/″\)(ふう)(かん)(かい)せざるにはあらず。さるを(しつ)(けい)ながら()かざる()()し、(また)(なま)(へん)()して()みしは、(ぼく)(あさ)()(しよ)(せん)()すとも(あらた)(がた)(てん)(せい)なればなり。(いま)(ちやう)(じや)たる(きみ)に、かく()()()()(けん)せられては、さて()むべきにあらねば、(あり)(てい)(おも)ふところを()ぶべし。(ぼく)(あさ)()(をさな)きより、(なに)()()のあしき(こと)ぞと、(りやう)(しん)(こゝろ)づきて、()(ざま)しの(くわ)()翫具(おもちや)もて(すか)し、(しも)のあしたに()()をまくり、まだ()きねば、(かう)(ざい)(だい)(ごと)く、(からだ)(した)なる(しき)()(とん)()()けて、(からだ)(いし)(ごと)(まろが)しなどもしつれど、(くわん)(まう)いづれの(しゆ)(だん)()はず、(ちと)(かう)(けん)だにあらざりき。(せう)(ねん)()(だい)には、(がく)(かう)(がよひ)()(かん)(あやま)らせじの(はゝ)()(らう)(ひと)(かた)ならざりき。(すこ)しの(げつ)(きふ)()らせんは(こゝろよ)からねど、()(そく)(たゞ)しき(せい)(くわつ)()れさせたしと、(ちゝ)(たの)みて、(ある)(くわい)(しや)()だしくれしときは、(しん)(こん)(たう)()なりしかば、()(こく)する(たび)(りん)(せき)のぼんち()揶揄(からか)はれしも(しばしば)なりき。()もなく一(ねん)()(がん)(へい)として(にふ)(えい)しつ。尋常(よのつね)(あさ)()ならば、(この)(ぐん)(たい)(せい)(くわつ)にて(きやう)(せい)せられぬ(はず)なけれど、(ぼく)(くせ)のみは()(ぜん)たりき。(ぼく)(ねむ)むたくて()(がた)(あさ)(ひげ)(ぐん)(そう)(あざむ)きて、(しゆ)()よく(びやう)()になり()まししことあり。(ぐわん)(らい)(がふ)(かく)はしつれど、(はく)(じやく)なる(ぼく)(からだ)には、いつも()(せう)()(しやう)あれば、(しん)(だん)のとき(けん)(かう)(しや)として(しりぞ)けらるる(おそれ)(すくな)かりしなり。()(かく)するうち、()(かい)(たい)(さう)にて(ひぢ)()りて(にふ)(ゐん)し、(じよ)(たい)()まりしとき、()ごとに(えい)(じゆ)(びやう)(ゐん)()(まひ)()(ちち)は、(ぼく)()()(せう)()にならぬを(うらみ)としつれど、(ぼく)(たゞ)(いへ)(かへ)りて、おもひの(まゝ)()んとおもひぬ。その(ころ)(とう)(しよ)(えん)となりて、(まい)(てう)(しん)(ぶん)(しや)()づることとなり、ここにても(へん)(しふ)()(かん)(おく)るるものは()(じま)と、すぐ()(ぼし)をつけられしが、(なまじひ)(べん)(きやう)ぶるよりは(ほね)(をしみ)せぬ(この)(をとこ)のかた(まし)なりなどの(べん)()(せつ)()(ほう)せられ、()(のこり)(いよう)()あるときは、(おそ)()(ばつ)()()けなどして、(のち)(へん)(しふ)(きよく)(ふる)(かぶ)となりては、(おほ)(いへ)にありて()くやうなる(しごと)(たん)(たう)せしめられぬ。これより(あさ)()(ばう)(とく)()(あき)()ぬ。(たう)(ぶん)()()(しる)()ゆるに(こう)じて、その(ころ)()つばかりになりし()に、(つめた)()して()(がほ)()でさせなどせし(つま)も、その(らう)して(こう)なきを()りて、(あさ)(めし)()はぬ(ひと)とあきらめつ。かかれば(ぼく)(あさ)()は、()(ねん)(りう)(ぞく)(かう)して()()たる(ぼく)(けん)()なり。(この)(けん)()をば、(ぼく)()(いた)るまで()てざるべし。()(じま)(くん)(たふ)(べん)はほぼ(かく)(ごと)くなりき。(ぼく)もこれを()きては(ふたゝ)(いさ)めんやうなくて、(あへ)(また)(くち)(ひか)かざりき。(ぼく)はこれより(のち)()(じま)(くん)(あさ)(めし)()ふを()るごとに、(おの)がいやなる(しゆ)(えん)につきあふときの(こゝろ)にひきくらべて、()(どく)にのみおもひぬ。

 けふも(はや)(ひる)(ちか)うなりぬ。明日(あす)(ぐわい)(こく)()(くわん)(ばう)(ぎよ)(こう)()()せに()けば、(のぞみ)ならば(ともな)はんと()ひに()し、(じやう)(はう)(くわ)(さん)(ぼう)()()れたる(あか)げつとの(そこ)なる(かたまり)(よこ)()()て、(わら)ひて()りぬ。(この)(かたまり)はいま(しゆん)()として(うご)けり。きらきらと()()らされたる(あか)げつとの(うへ)に、()()(てん)じたる(ごと)(あつ)まれる(はひ)は、(なか)なる(かたまり)(うご)けばぱつと()()ち、(しづ)まるを(うかゞ)ひて(また)(とま)()る。(かたまり)()(うへ)(うつばり)(まど)との(まん)(なか)くらゐの(けた)(あひだ)に、(つばめ)()あり。()()(しよ)には、(のき)(すく)ふを()(えん)となし、(だう)(すく)ふを(ゑつ)(えん)となすといへど、(この)()(はう)にては(のき)(すく)ふものをば()えて()しことなし。(おや)(つばめ)(いま)(かたまり)(うへ)を一(もん)()(よこ)ぎりて、(まど)(いで)(いり)し、(をり)(をり)()(いり)(くち)()まりて(いこ)へり。(しつ)(ない)(しづ)にして、(かぜ)(とほ)さんとて、穿(うが)ちたる(きた)(かべ)(そと)にて、(たう)(ばん)(そつ)(にれ)()(もと)()えたる(つくゑ)(うへ)に、(しよく)()()(なら)べて、(ひる)()(いよう)()する(もの)(おと)のみ、ことことと(きこ)えたり。

 この(とき)(あか)げつとの(した)なる(かたまり)(さき)よりは(はげ)しく(くつ)(しん)して、()(じま)(くん)の五()(がり)(あたま)(たちま)(あらは)れ、「どりや()きようか」と()べり。()(じま)(くん)がかく()ぶを(まこと)()くる(とき)なりとおもはば、そは(おほい)なる(あやまり)なり。()(じま)(くん)はかく()びて、(また)(ねむ)ること十五(ふん)(ふたゝ)び、「どりや()きようか」と()びて、(また)(ねむ)ること十(ぷん)、三たび、「どりや()きようか」と()びて(また)(ねむ)ること五(ふん)と、かやうに(はん)(ぷく)して(のち)(わづか)()くるを(れい)とす。(いま)()(じま)(くん)(まじは)ること(ひさ)しからざりし(ほど)は、(ぼく)もこの(こゑ)()(たび)に、(すこぶ)()(くわい)(かん)じ、(ある)(とき)、「せめて、どりや()きようか(だけ)なりとも()めて、(だま)つて()()てはどうだ、あれを(たび)(たび)()ふのは、(ひつ)(えう)もないに、()()(よわ)いのを(はく)(じやう)するやうなものだ、(だま)つて()()て、(ひと)には(だい)(たん)()(つもり)()()ると(おも)はせて()いても()いではないか」などと()ひしことあり。(いま)(いく)(たび)(くり)(かへ)されても、わが(しん)(けい)(かん)ぜぬやうになりぬ。

 「どりや()きようか」の五六(ぺん)()なりきと(おぼ)ゆ。()(じま)(くん)(もろ)()()べて(はひ)(はら)ひ、(くち)(おほ)きく()きて(あくび)したるに、()(いり)(くち)()まりたる(つばめ)(おと)しし(ふん)()(どく)にも(くち)(まん)(なか)()ちぬ。

底本:「鴎外全集」第三巻、岩波書店
   昭和47年01月22日発行