霞亭生涯の末一年

森鴎外

     その一

 わたくしは(いま)(ひと)(まつ)(ざき)(かう)(だう)(につ)()(うつ)させてゐる。(ちやう)()(うつ)(をは)つて()つて()(てん)(ぱう)(ねん)(ぐわつ)()(でう)に、「買羊羮六梃、二梃爲一函、一函奠棭翁家塋、一函伊澤、一函小島」と()つてある。(この)(かり)()(えき)(さい)()(がく)(しや)()(せき)(いん)(めつ)せしめぬやうにしたいと(おも)()つたのが、わたくしの(くわん)()めた(とき)(こと)であつた。

 (はじ)めわたくしの(おも)つたは、(ちか)(せつ)(もん)(くわい)などが(さい)(こう)せられて、()()られた(かり)()(その)()(せき)(すで)(あきら)かになつてゐるだらうといふことであつた。それが(かなら)ずしもさうでないことは(のち)(いた)つて(わづか)にわかつた。しかしわたくしは()(かり)()(のぞ)いて、()(さは)(らん)(けん)()(じま)(はう)()(でん)(つく)つた。()(じやう)(やう)(かん)をもらつた(ひと)(/″\)であるが、わたくしはそれを()つた(まつ)(ざき)をも、(かり)()(とも)に、()(かく)(てき)()れわたつてゐる(ひと)(みと)めて(あと)(まは)しにしたのである。

 さて(らん)(けん)(こと)(じよ)してゐるうちに、これと(しん)(ぜん)であつた(くわん)(ちや)(ざん)()()たり、(ちや)(ざん)()(じゆく)(ゆづ)らうとした(ほう)(でう)()(てい)()()たりした。すると、(らん)(けん)(でん)(とう)(きやう)(にち)(/\)(しん)(ぶん)(おほ)(さか)(まい)(にち)(しん)(ぶん)()せられるのを()て、()(てい)(しよ)(どく)などをわたくしに()してくれる(ひと)()()た。(これ)がわたくしの(つひ)()(てい)(でん)(さう)するに(いた)つた所以(ゆゑん)である。

 とかくするうちに、わたくしは(また)()でて(つか)へたので、(につ)(かん)(しん)(ぶん)(もの)()くに便(たより)()しくなつてしまつた。そこで(てい)(こく)(ぶん)(がく)()りて稿(かう)()ぐこととした。(しか)るに(その)(てい)(こく)(ぶん)(がく)(きう)(かん)になつた。それが()(てい)(でん)(まさ)(をは)らむとする(とき)であつた。

 ()(てい)歿(ぼつ)したのは(ぶん)(せい)(ねん)()()(ぐわつ)十七(にち)である。(でん)()(てい)(こく)(ぶん)(がく)()せられたのは、(その)(ぜん)(ねん)(ねん)(じん)()(あき)(すゑ)(いた)るまでである。(あと)には(じん)()(ふゆ)より(しゆう)(えん)()()(あき)(いた)(おほよ)そ十二(げつ)(かん)(こと)(のこ)つてゐる。(これ)が「霞亭生涯の末一年」である。

 わたくしは(ざつ)()「あららぎ」の(かた)(すみ)をまうし()けてこれを()(をは)らうとおもふ。わたくしの(つた)へようとする(ひと)(/″\)(しゆ)なるもの、(すなは)(かり)()(まつ)(ざき)()は、()(じゆ)(りん)(ぶん)(ゑん)とを(わか)つとすると、(かなら)ずや(じゆ)(りん)()るべきで、(たう)(てい)(ぶん)(しやう)()()(じん)()(ぶん)(ゑん)()るべきではない。(ひと)(まつ)(ざき)のみは()(ぶん)()(にん)(くはだ)(およ)ばぬところであつた。

 ()(てい)はわたくしの(はじめ)より(でん)()てようとした(ひと)ではない。(じゆ)(りん)()るとしても、(ぶん)(ゑん)()るとしても、あまり(たか)()()をば()()(ひと)であらう。その(かはり)には(この)(ひと)(ぶん)(しやう)(つく)れば、()(つく)り、(あまつさ)(うた)をさへ()む。しかしそれは「あららぎ」の(かた)(すみ)()(ぶん)()になる(ほど)のものではない。

 これに(はん)してわたくしは「あららぎ」の(どく)(しや)にかういふ(こと)()(りやう)してもらひたい。(かり)()()(がく)(しや)は一(さい)(がく)(もん)(えん)(げん)(きは)めなくては()まぬ(ひと)(たち)である。(かん)(ぶん)(がく)(おい)(せつ)(もん)(かう)じた(かれ)()は、(まつ)(ざき)(とも)(やま)(なし)(たう)(せん)(のぞ)(ほか)(くわん)(しよ)(じやう)(じゆ)するには(いた)らなかつたが、(こく)(ぶん)(がく)(おい)(かり)()()(みやう)(せう)所謂(いはゆる)(せん)(ちゆう)(りう)()して、(こく)()(せい)(かく)使()(よう)しようとするものの(しん)(ばつ)となしてゐる。(これ)(どく)(しや)(ちと)()(りやう)(つひや)して()なる(こと)ではなからうか。

     その二

 わたくしは(かつ)()(てい)(こと)(じよ)して(ぶん)(せい)(じん)()(しう)(まつ)(いた)つた。そしてその(すで)()した(ところ)(この)(あき)()(せき)にして(げつ)(じつ)(ちよう)することを()たものである。(こゝ)(まと)()(せき)(どく)(あひだ)(けふ)(ざつ)してゐた一(ちやう)()()がある。わたくしは(この)()()のわたくしに(をし)へた(ところ)(こゝ)(つゐ)()する。

 ()(てい)(しゆ)(くん)(そう)(けん)()()(こう)(じん)()(ぐわつ)(ちう)()(さき)(べつ)(さう)(あそ)んで()()した。そして()(てい)にこれを(さん)(じゆん)せむことを(めい)じた。()は七(りつ)で、「壬午季秋遊洲崎別莊攄懷」と(だい)し、(すゑ)に「阿精未定稿、乞斧政」と(しよ)してある。(だい)一の二()(だい)七の二()(だい)八の一()(まつた)()(そん)せられてゐる。二(れん)(まゝ)(なか)()けた()があるが、(なほ)()()られる。「秋闌池畔菰蘆折。日照岸邊松樹遮。爲奉洪恩趨殿閣。難抛簪笏臥烟霞。」これを(しよ)したものは()()(こう)にあらずして()(てい)である。(すゐ)するに()(てい)(こう)()(けづ)つて(かへ)(とき)(ふく)(ほん)(つく)つて(りう)(ぞん)したものであらう。()(そう)(けん)(こう)()(ぶん)(しふ)(そん)してゐるならば、(ぜん)(ぺき)()ることが(よう)()であらう。

 ()()(こう)(この)(いう)には()(てい)(また)()(ずゐ)した。(さい)(かん)(だう)()稿(かう)に「扈隨公駕於洲崎別墅、恭同諸臣賦」の五(りつ)がある。「朝政乘清暇。海莊臨釣磯。江山呈霽色。楓菊耀秋暉。雙坐高吟賞。羣僚近徳威。留連天欲夕。餘興便還歸。」(そう)(けん)()(につ)(せう)()()(てい)()(せい)(しよく)(しう)()()は、(ひと)をして(この)(ぐわつ)(ぼう)(じつ)(かう)(てん)()であつたことを(おも)はしめる。

 ()稿(かう)には(この)()(さしはさ)んだ(りつ)()(しゆ)(そん)してゐて、(ならび)(みな)(かう)(いう)(あひ)(わう)(らい)する(さい)()つたものである。(まへ)なるは(をか)(もと)(くわ)(てい)(なう)()(いへ)()うた(のち)(さく)で、(のち)なるは()()(こく)(だう)(きた)(よぎ)つた(とき)(さく)である。そして(こく)(だう)(こた)へた()()()(しよ)(へん)には(ふゆ)()つた(のち)(さく)たる(ちよう)(しよう)があるのである。

 (くわ)(てい)()せた五(りつ)はかうである。「岡本醒翁見過、別後却寄。對君眞可樂。去後轉難忘。話勝十年讀。坐留三日香。殘壺猶細酌。孤月復清光。靜向秋空淨。朗吟聞鶴章。」(だい)(もと)に「君近有聞鶴篇、言志」と(ちゆう)してある。所謂(いはゆる)「聞鶴篇」は三十一()(こく)(ふう)で、(ちく)(はく)(ゑん)(しよ)(ざう)(くわ)(てい)()(うち)(げつ)(だう)(あた)へた(しよ)(その)(こと)()えてゐたと()(おく)する。(こく)(だう)(こた)へた七(りつ)(しも)(せう)するであらう。

 (ふゆ)()つて()(てい)(かう)(こく)(せう)(がく)(さん)(ちゆう)(しら)(かは)(らく)(をう)(こう)(けん)ぜられた。(こう)(むく)ゆるに(しふ)()(しゆ)(しん)(かん)()(もつ)てした。(こと)(げつ)(だう)(しよ)(どく)()えてゐる。(しよ)(どく)(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)である。「寒さやゝ身にしみ候。御擧家倍御萬祥奉賀上候。先以新刻小學一部寡君へ御贈り被遣、則さし出候處、千萬忝被存候、この御本にて、久しぶりにて小學一閲、坐間にさし置、調法いたされ候。御謝辭よろしく申上候樣、且集古十種之内銅器文房五册、摹刻共拙惡、第一撰も麤漏に候へども、御いらへ迄に進上いたされ度、御笑受被下候はば大幸可被存候。此旨可然申上候樣、翁被申付候。謹白、頓首。十月初六。田内主税。北條讓四郎樣。」

 (つぎ)に十(ぐわつ)二十三(にち)(くわ)(てい)(しよ)()(てい)()せた。「打絶御物遠(物字不明)御床敷存居候處、御手教、愈御清適奉賀候。但御痰喘のよし、御加養奉祈候。痰は若は酒祟にはあらず候や。節飮湯藥にまさるべくや。伯民御逢被成候はば懇に御致聲奉憑候。古賀修理中路會所希に御坐候。御相談次第早々訂盟可仕候。萬期拜話候。此間備後翁惠音、拙詩之評被仰下候。淺く近き所をもと被仰下候。誠に欽服仕候。來翰懸御目候。追而御序に御還可被下候。拙作少々乞正仕候。如何と存候處、其外共、あしき事御見出御さとし可被下候。昌光寺への書牘など、既に遣し候而事濟候ものには候へ共、よからぬ處被仰下候はば、追而書直し可遣候。是は詩も尤みるにたらぬものに御坐候。末の五古いまだ錬らぬ詩に而候。よく御覽被下、あしき處御示被下候やう殊に所望いたし候。法帖御還被下、領手仕候。高文、寄想乎孤蓬獨棹之境に而丁度程よく候半と奉存候。獅子巖集、田内みたがり候故、御斷申而と申遣候内、又使之序有之候故、轉貸いたし候跡、御斷候なり。御海恕可被下候。田内へ御返歌よく調候と奉存候。私も同人へ茶を貰候禮數首、波響へ贈候數首等有之候。從後御目に懸可申候。今日も冗雜匇々申殘候。餘者期拜接候頓首。十月廿三日。忠次郎。讓四郎樣。書經蔡傳願はくは所持の人に御かり被下候樣仕度と二男申上候。本たらぬ故願候よし。」(しよ)(ちゆう)(りう)(もく)すべき(こと)(すこぶ)(おほ)い。()(てい)(たん)(ぜん)(うれ)へてゐたことは(その)一である。(つぎ)(ちゆう)()(くわい)(こと)がある。(しゆ)(さい)(しや)たる()()(しう)()(こく)(だう)(たう)であらう。(こく)(だう)(どう)(じん)(あひ)(くわい)して(がく)(かう)ずるに()があつて、(あらかじ)めこれを()(てい)(はか)つたことは(はや)(かみ)()えてゐた。(たう)()()()(ちゆう)()(くわい)といふもののあつたことは、(あるひ)()(しよ)にも()でてゐるだらうが、わたくしは(いま)()るに(およ)ばない。(かつ)(ちゆう)()()はその()(ところ)(つまびらか)にしない。(あん)ずるに(そう)(ぎよく)(べん)に「中路而迷惑兮、自厭按而學誦」と()ふことがある。(くわい)()(こゝ)(もと)づくか。(これ)(その)二である。(つぎ)(ちや)(ざん)(くわ)(てい)がために()()いた一()がゆくりなく(この)(しよ)によつて(つた)へられた。わたくしは(くわ)(てい)(しふ)()らぬが、(たま)(/\)その()(くわ)(ぜつ)()(ぷく)(ざう)してゐて、その(しゆ)(ざい)()()()(へき)なるを()(ちや)(ざん)()(この)(ひと)(やまひ)(あた)るものあるを(おも)ふのである。(これ)(その)三である。(その)()()(てい)(げつ)(だう)(げつ)(だう)(くわ)(てい)(くわ)(てい)(かき)(ざき)()(きやう)(あひだ)(しやう)()(あと)(この)(しよ)によつて(うかゞ)はれる。(そう)()(れん)()()(がん)(しふ)(ごと)きは()(てい)より(くわ)(てい)へ、(くわ)(てい)より(また)(げつ)(だう)へと(てい)(でん)して()まれてゐる。()(はう)(なん)()(はく)(みん)(また)()()()てゐる。(くわ)(てい)の二(なん)(しよ)(さい)(でん)(りん)(かう)(くは)はつてゐて、()(てい)(つい)て一(ぽん)()らむと(ほつ)してゐる。(さい)()(しよ)(ちゆう)()えたる()(てい)(ぶん)の一()は、これを(さい)(かん)(だう)()稿(かう)(ならびに)()(ろく)(しよ)(へん)(もと)むるに(いま)(けん)(しゆつ)しない。

 十一(ぐわつ)()つて(こく)(だう)(なう)()(いへ)をおとづれた。()稿(かう)に「古賀溥卿見訪草堂、有詩、次韻答謝」の七(りつ)がある。「都士如雲匪思存。深居却跡掩郊園。客來門巷迷藤竹。市遠盤餐慚野村。矜飾誰能投俗好。醉歌唯是答君恩。不知燈灺杯乾久。海内人文終夕論。」(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)(この)(はう)(もん)(この)(おう)(しう)(こと)()ふ一(しよ)があつて、(すゑ)に「小春十三日」と(しよ)してある。所謂(いはゆる)「先日」の(はう)(もん)が十一(ぐわつ)(ぜん)(はん)()いてせられたことは(うたがひ)()れない。(すゐ)するに(こく)(だう)(きた)つて(ちゆう)()(くわい)(さう)(りつ)せんことを(はか)つたのであらう。わたくしは(しも)(こく)(だう)(この)(かん)(うつ)(いだ)(つもり)である。

     その三

 (ぶん)(せい)(じん)()十一(ぐわつ)十三(にち)()()(こく)(だう)()(てい)(あた)へた(しよ)はかうである。「時下寒凉差募候處、倍御勝常被成御座奉賀候。先月は奉訊之處、蒙御款接、種々御馳走被成下、不堪感謝之至候。蕪詩一首率賦乞正候。御粲覽可被下候。貴作數囘吟誦、任命僭評返完仕候。此粗茗菲薄之至に候得共、藩製に付差上候。御約束之文會は何とぞ有時而可催候。(此間二字不明。)同調を御見立可被成候。先日も御示談之通、文風益頽靡、不勝浩歎、人才も餘程衰候樣相見候。此上とても閣老之御威勢に而、鼓舞之道は有之間敷や、當時聖堂板刻は大要出來立、是はよ程盛事に候得ば、何卒天下之才俊を教育するの費用に分ち度ものに御座候。當時も被褐懷玉之もの隨分可有之、右樣の如きもの候はゞ振拔汙塗と申手段は有之間敷や。箇樣之儀嫌疑も有之候得共、謙恭のみに而は不悉事情候故、吐出心腹候。扨又此間も内々御咄出候御要官之内に、文氣も有之候人は、追々敝藩のため締交度意も有之候。尤僕疎狂甚敷、與世背馳ゆゑ、強而は不求候。乍然一寸耿々之丹心は有之候間、其思召に而御周旋可被下候。當時樂翁侯の如きは天下之人物、兼而所景慕に御座候。彼侯之事蹟書候もの有之候はゞ致一覽度、幸彼藩に御知音も御座候ゆゑ、御周旋可被下候。京坂之人物も御垂示被下度、及平生遠游之奇癖有之、箇樣之拘束に而、誠に不勝神飛候間、紀行之文、先日御沙汰候類、何とぞ飽迄寓目(仕)度候。右旁爲可得御意如此に御座候。尚其内期拜晤候。草々不盡。小春十三日。燾。北條盟臺侍史。」

 (この)(しよ)(ぶん)(くわい)(こと)(しゆ)としてゐる。(くわい)()(てい)(こく)(だう)(はか)つて(おこ)さうとしてゐるものである。さて(こく)(だう)はこれを()ふに(あた)つて、(たう)()(ばく)()(ぶん)(けう)(ろん)(きふ)し、(つひ)()()(しん)(じやう)(こと)をさへ(うん)(ぬん)してゐる。

 わたくしはかう()()く。「幕府の文教が衰替に傾いて、人才も出ない。君の主侯(阿部正精)も老中の一人であるから、今少しどうにか獎勵してくれることは出來ぬものであらうか。昌平學校の官版が追々出來るのは結構な事だ。あの本の賣上金を教育費の方へ分けてもらひたいものだ。まだ世間には立派な學者で隱れてゐるものがある。どうかそれを引き上げて使ふことは出來まいか。こんな事を言ふのは、なんだかうしろめたいやうだが、謙遜ばかししてゐては、心に思つてゐる事が言ひ盡されぬから、遠慮なく思ふ通りに言ふのだ。又上の方の役人衆の中で、學問の事のわかる人があるなら、僕は我佐賀藩のためにさういふ人と相識になりたい。しかし僕はなか/\變人だから、そんな交際をしようといふのは無理な注文かも知れぬ。これは強ひては願ひにくい事だ。只僕の腹の綺麗な處を承知して、それにかかはらずに世話をしてくれるなら難有からう。」

 (この)(ことば)(こく)(だう)(でん)()(れう)として(すこぶ)()()のあるものであらう。(たゞ)わたくしは()()()()(せき)(つう)じてをらぬので、(その)()()(おほき)さを()り、(この)()(れう)(もつ)(うづ)むべき(あな)(うづ)めることが()()ない。

 ()()()(せい)()(ぼく)歿(ぼつ)してから五(ねん)()てゐる。(せい)()()(こく)(だう)(たう)(しん)(じやう)()、侗(どう)(あん)(いく)であつた。(せい)()()()(なべ)(しま)()から(ばく)()()()されて、「御儒者」になり、(こく)(だう)(なべ)(しま)()(のこ)して()き、(しん)(じやう)(どう)(はん)(こう)()(やう)()()、侗(どう)(あん)(けい)()にした。そこで(せい)()(どう)(あん)とは、(ちやう)()(たう)()(りん)()で、(じゆつ)(さい)(かう)(てい)()(くわう)とが(おや)()(づとめ)をしてゐたやうに、やはり(おや)()(づとめ)をしてゐた。(ぶん)(くわ)(じん)()には(こく)(だう)は四十五(さい)(なべ)(しま)()(ぜんの)(かみ)(なり)(なほ)(ちやく)()(さだ)(まる)(つか)へ、(なべ)(しま)(うぢ)(ため)(いけ)(なか)(やしき)にある(せい)(ふう)(ろう)()んでゐた。()(かん)に「側用人古賀修理」と()してある。侗(どう)(あん)は三十五(さい)(しやう)(へい)(がく)(かう)(ほう)(しよく)してゐた。()(かん)に「御儒者衆二百俵、聖堂附、古賀小太郎」と()してある。

 (こく)(だう)(その)(しよ)(ばく)()(じん)(さい)(きよ)(よう)せむことを(のぞ)んで、「嫌疑」(うん)(ぬん)()つてゐる。(ばく)()(おのれ)(もち)ゐむことを(ほつ)したのであらうか。しかしその「敝藩のため」(うん)(ぬん)()ふを()れば、(なべ)(しま)(うぢ)のために(はか)つてゐることは(あきら)かである。それは(もと)よりさもあるべき(こと)で、(こく)(だう)所謂(いはゆる)()()()(しよく)(まも)つて、八(ねん)(のち)(さだ)(まる)(しな)(のの)(かみ)(なり)(まさ)として()(とく)(さう)(ぞく)をする(とき)(いた)るまで(かは)らなかつたのである。(たゞ)わたくしは()()(うぢ)()(せき)(つう)じてゐぬ(ゆゑ)に、(この)(あひだ)(せう)(そく)(そん)(たく)するに一(まく)(へだ)つる(うらみ)があるのである。

 (こく)(だう)()(てい)()うた(とき)()(つく)つて(しめ)したので、()(てい)()(ゐん)した。(さい)(かん)(だう)()稿(かう)()えてゐる()(かみ)(せう)(しゆつ)した。(しよ)(ちゆう)に「貴作」と()ふものが(すなはち)(かの)()であらうか。(はた)して(しか)らば、(しよ)(ちゆう)の「蕪詩」は(はじめ)(なう)()(いへ)(つく)つた()とは(べつ)でなくてはならない。(うら)むらくは(かん)(ぽん)(こく)(だう)()稿(かう)(せう)の七(りつ)()(けん)するに、()(てい)(おう)(しう)する(さく)の一(しゆ)をだに()せてゐない。そして所謂(いはゆる)(こく)(だう)(ぜん)(しふ)は、わたくしは(その)(そん)()をだに()らぬのである。

     その四

 (ぶん)(せい)(じん)()十二(ぐわつ)()つてから、(ふつ)()(をか)(もと)(くわ)(てい)()(てい)(あた)へた(しよ)(のこ)つてゐる。(また)(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)である。「嚴寒愈御佳勝奉賀候。うち絶不奉尊諭、御ゆかしく罷過候。御痰喘は既に御清快に候や、御尋申度而已日々存居候へ共、塵冗扨々御無音、御海容可被下候。今日野村生入來候へ共、手ふさがり居候而不能對談、幸寸楮相託候而、御無さたの申譯而已如此御坐候。乍序小學代料も相託候。御落手可被下候。貝原軸預置候へ共、色々持物(有之)、今日は殘し申候。從後返璧可仕候。一兩日は別而寒凛、御自玉奉祈候。餘は期拜話、匇々申殘候。頓首。十二月二日。岡本忠次郎。北條讓四郎樣。」

 (この)(しよ)(くわ)(てい)()けて()(てい)(さづ)けた()(むら)(ぼう)(なに)(ひと)なるかは()(しやう)である。(くわ)(てい)()(てい)のために(せう)(がく)(ひと)()つて、(この)便(びん)()つて(その)(あたひ)(つぐの)つた。()(てい)(たん)(ぜん)(あるひ)(かつ)()とは(べつ)であらうか。「貝原軸」の(こと)()(はう)(ゆづ)る。

 (つい)(いつ)()(くわ)(てい)(また)(しよ)()(てい)(あた)へた。(また)(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)である。「雪中愈御勝常奉賀候。御痰喘は御快候や。一昨は野村生へ一封相託候。(小學代料共。)定而相達候半。扨々大御無音、御床しく奉存候。御近作御示可被下候。尊棲、雪はさぞ靜に而、殊に趣あるべく想像仕候。老懷、爐頭縮蝸、御憐察可被下候。○湖亭渉筆と申もの御著述と承及候而、拜見いたし度と一書生願候。さるもの御舊作有之候や。或は湖は霞の誤歟。傳聞のあやまりに候歟。水戸の安積著作にこの名ありと覺申候、いかが。もし御著作に、似たるもの候はば、御見せ被下候やう仕たく候。○貝原軸拙題。小字故別而不出來、甚きのどくに奉存候。近來段々と目あしく、かやうのもの出來兼候而見ぐるしく候。御海涵可被下候。○敝友天遊と申もの詩稿、三年前に歟さしこし直しを請申候。未熟の詩、疵おほく、見るべき詩もなく候へ共、願はくは御一閲被下、乍御面倒御直しにかかり可申分は、直に御書入御直し被下候やう仕度、あしき分は御抹去可被下候。私も舊友の折角たのみ候事もだしがたく、此外一二册竄改いたし遣し候。若御一閲御痛刪も被成下候はば忝奉存候。乍去全册は詩あまり多く、御面倒もはばかる所に候故、半分なりとも御心任せに奉頼候。くれ/″\も御面倒の事、悚息仕候へ共、先願試候。右草々申殘候。書餘期拜眉候。(以下細註。)右詩稿、題のかきやうなども、あしきところ願はくはべた/\と直に御直し被遣被下候はば、於私大幸に御坐候。十二月五日。成拜。霞亭詞壇。」

 (ぜん)(しよ)(こう)(しよ)との(あひだ)に、()()(ゆき)()となつた。(ぼう)(せい)(くわ)(てい)(かい)して(ごと)むと(ほつ)した(しよ)()(てい)(せふ)(ひつ)ではなくて、()(てい)(せふ)(ひつ)であつた。()(てい)(せふ)(ひつ)安積(あさか)(たん)(ぱく)(せん)なること、(くわ)(てい)(こと)(ごと)くである。(かひ)(ばら)(ぢく)(はじ)(えき)(けん)(せう)(ざう)ならむかともおもつたが、(さい)()するに(かひ)(ばら)(ぼう)()(てい)(かい)して(くわ)(てい)()(だい)せむことを()うた(ぐわ)(ふく)であらう。(くわ)(てい)()(てい)()(せい)()うた()(さく)(しや)(てん)(いう)(いま)(かんが)へない。

 ()(てい)(この)(しよ)()(のち)(しよ)(くわ)(てい)(あた)へた。(くわ)(てい)のこれに(むく)いた(しよ)が、(おな)じく(はま)()(うぢ)(しめ)した(せき)(どく)(ちゆう)にある。「如高諭、雪後寒甚。御痰喘嘸御困被成候事と奉察候。御保重千萬奉祷候。萬金丹御惠被下、家内毎々用候要藥に而、別而辱奉存候。疊表の儀も、御心に被懸、委曲被仰下、別簡も御添被下、奉謝候。親類共頼候間、御問合申候事に御坐候。早速遣し候やう可仕候。煩涜甚悚息仕候。○南部藥五六十服、さしてしるしも無之と被仰候に付竊に愚案いたし候は、處劑は定而宋元以後の法歟。或は加減方などにも候や。素人料簡申も如何に候へ共、御患状古方の小青龍湯宜くや、五味子を去、杏仁を加而御服被成候はば、效あるべくや。同じ麻杏の司るところ歟と被存候。あまり久しくなり、喘氣御持病のやうなり候よし、私四五年前此症やみ候時、此方に而しるしを得候故、若御考合のためにもと申上候。御用試被成候而は如何。私は加減なしに本方五味を杏に換而用申候。○今村詩稿、御うた一册大に延引御免可被下候。少々書入仕候而と存候而其ままに御坐候。長々留置候而そのまま還璧仕候も不本意、今少し御待可被下候。ここより爲持還納可仕候。○天遊は私より年四五も下に而早く衰、年來病居り、この頃は別而不出來のよし、詩は至而好きに御坐候。爲人温雅、茶山先生を景慕いたし、先年いかがの詩など贈呈いたし候事も御坐候。力不足故、觀るべき詩もなく候へ共、舊社のよしみもだし難く、御たのみも申上候。御面倒ながら痛く御直し被遣被下候はば、於私幸甚。何分相願候。冗中匇々拜復。十二月七日。成拜復。霞亭詞壇。」

 ()(てい)(やまひ)(いま)()えてゐない。(なん)()(はく)(みん)(しよ)(はう)(かう)(げん)がないので(くわ)(てい)(うつた)へると、(くわ)(てい)がこれに(べつ)(はう)(すゝ)めた。(くわ)(てい)()(はう)(つう)じてゐたことは、(この)(しよ)()つて(はじ)めて()ることが()()た。()(てい)(ひやう)()うた()(さく)(しや)(いま)(むら)(れん)()(かつ)(ひろ)であらう。(ふく)()(うぢ)(ざう)(れん)()()稿(かう)(けみ)するに、(じん)()(れん)()(おほ)()(つく)つた(とし)である。(てん)(いう)()(ちや)(ざん)(おく)つたことがあるさうである。しかし(ちや)(ざん)(しふ)(つい)てこれに(むく)いた()(もと)むるに(いま)()ない。

 (くわ)(てい)(この)(しよ)()()に、()(てい)(おとうと)(へき)(ざん)(しよ)(あた)へた。(これ)(まと)()(せき)(どく)(ちゆう)にある。「十月廿四日御状、霜月廿二日に相達候。時節嚴寒に御座候處、愈御安泰被遊御揃、珍重之至奉存候。當方皆々無事罷在候。此方よりも十月三日金子一兩入、霜月五日飛脚へ差出申候。夫々に相達候哉。磨翳散又々所望いたし遣候。御用可被成候。何分胎毒解し候手あて可被成候。煎藥のまねばむづかし、少し宛にても用ひさせ、或は食粒など少しくひ候はば、丸藥にいたし、まぜて御用被成候ては如何。いづれ大黄或は鷓鴣菜など入候方可然候。當地先達而より痘瘡はやり候。近邊にも有之候へ共、先は大方無難に候。紫草といふむらさきそめる草の穗を煎じて、痘前にのますればやすしとて、皆々用ひ候。根はひやすものに候而よろしからぬよし。痘瘡の藥によく配劑いたし有之ものに候。昨日友人の處より兎血丸少々分配いたし(來)候。これは誠に靈藥のよし、製法むづかしきもののよし。香月牛山が小兒必用藥などともいへり。おとらに用ひさせ候。此度のこり候はば、新太郎へも分與可仕候。一角(ウニコウル)の御たくはへにても候はば、誠にすこしばかりにても御惠可被下候。なければよし。さし當り流行の節は都下あのやうなるもの高價に候。御詩作隨分おもしろく候。一々くわしくも得不申候。とかく精思にしくはなし。如何と思ふ處へ——を引候。御考合可被成候。文章を御心懸可(被)成候。何事にても無油斷かき置候(事)肝要也。お通縁談の事、いづれ御雙親樣の思召にまかせらるべく候。町家も隨分よく候へ共、すぐれて人のいふ富家などは却而平生何歟と氣がはり候て如何可有之候哉。夫になんぼ其身其儘と申ても、十兩と十五兩の支度等も入可申候へば、所詮そのやうなる事にては、富家のとりやりは出來申間敷、貴家の御難澁になり候事なれば、今一兩年見合候ても可然歟。夫とも雨航山口など御深切に取計くれられ候事なれば、無腹藏打あかし、まけ出して向ふへまかせ、世話御頼可被成候。何分女子は縁談は大事のもの也。ふいといたしたる事にて、跡のつまらぬ事のなきやう、御分別可被成候。甚平などへもとくと内談可被成候。三日ころりといふ病、大坂にはやり候よし、山陽も廣島邊大分有之候よし申參り候。江戸にも先達而より專らうわさいたし候へども、これは風説のみにて、只今はとんと無之候。御在所邊の霍亂症などに類し候もの、これ又同樣一般邪疫の氣と被存候。此類の事、其時にあたり治療の法、跡の考にも相成可申候。よく/\御試御録しなど可被成候。今年は寒さも嚴敷樣に御坐候。都下火沙汰も先靜なる方に候。御在所邊漁獵は如何。私方新宅故、さむきものに候故、此節大紙帳など製し、專ら防寒之備いたし候。最早今年は差あたり候用事なく候はば、書状是切にいたし可申候。早春めでたく御左右可申上候。寒中折角御自愛專一に奉祈候。匇々頓首。十二月七日。北條讓四郎華押。北條立敬樣文几。」

 (つう)(ぢよ)()(てい)(すゑ)(いもうと)である。(しば/″\)(ちゆう)したる(ごと)く、()(かう)()()(だち)(うぢ)(やま)(ぐち)(あふ)(こう)である。(つう)(ぢよ)()すべき(いへ)(こと)について、()(てい)(おとうと)(へき)(ざん)(さと)(ところ)(こん)(たう)(しん)(せつ)(きは)めてゐる。(ぢよ)()する()(たく)の「十兩と十五兩」は、(ひと)をして百(ねん)(ぜん)(ぶつ)()(れん)なるに(おどろ)かしめる。()(てい)(おとうと)(ちよう)()(しん)()(らう)(げん)()(ぐすり)(あた)へ、(また)(むすめ)(とら)(ふく)せしむる(くすり)をも(わか)(あた)へむとしてゐる。(しよ)には(また)()(びやう)(りう)(かう)(こと)()えてゐる。(この)(えき)(おこな)はれた(はじめ)である。(ばう)(かん)(よう)()(ちやう)(めづら)しい。

     その五

 (ぶん)(せい)(じん)()十二(ぐわつ)二十八(にち)に、()()(りう)(さい)(しよ)()(てい)(あた)へた。(また)(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)である。「雪後餘寒甚御座候處、御喘氣如何被爲在候哉相伺度候。扨先達而奉願候小學料、別紙之通昨夕相越候に付、爲持差上候。御落手可被下候。延引之段御用捨奉願候。將又小生よりも御禮奉呈度候へ共、普請婚儀等諸債不殘相濟し候處、此節金氣拂底に相成候間、背本懷候。不敬之段御海容可被下候。當年最早窮陰にも御座候間、尚來陽芽出度期面晤候。切角御自愛御迎陽被成候樣奉祈候。頓首。十二月二十八日。和氣行藏。北條讓四郎樣。尚々此鹽物近所出入之者よりもらひ申候。外々のよりは少したべられ候由に付、乍序さし上候。御叱留可被下候。乍憚令閨君へ宜被仰達可被下候。」これが(じん)()(とし)()(てい)(しよ)(いう)との(わう)(ふく)(さい)()(しよ)である。(りう)(さい)はやはり()(てい)(かつ)()()はずして(その)(ぜん)(そく)()つてゐる。(りう)(さい)(いへ)には(たゞ)(ざう)(えい)(こと)があつたのみでなく、(また)(こん)(れい)があつた。(あるひ)()のために()(むか)へなどしたものか。(なほ)(かんが)ふべきである。

 ()(てい)(この)(ふゆ)()(さい)(かん)(だう)()稿(かう)()えてゐて、(その)(げつ)(じつ)(つまびらか)にせざるものに、()づ「奉送内藤大夫歸福山」の七(りつ)がある。(ない)(とう)(うぢ)(ちや)(ざん)(しふ)所謂(いはゆる)(とう)(もん)(たい)()である。(もん)(でん)(ぼく)(さい)(しふ)(けん)するに、(とう)(もん)(たい)()()(たい)(はく)(しふ)(ぼく)(さい)(おく)つたのが(あたか)(この)(とし)である。(おも)ふに(じん)(さい)(えき)(いう)するに()(もち)ゐた(ひと)であつたらしい。(この)()ある所以(ゆゑん)である。(つぎ)に「和答讚岐尾池玉民見寄」の七(ぜつ)がある。()(ちゆう)に「君清痩善詩、家近飯山」と()つてある。(はん)(ざん)は「いひやま」である。(ちや)(ざん)(しふ)(さぬ)()()(いけ)(くわん)(をう)があつて(ちや)(ざん)(おう)(しう)してゐる。(くわん)(をう)()(ぶん)(はん)(つう)(しよう)()(ぜん)(とう)(やう)(がう)す。二()(たい)(りん)(せい)(くわう)(たい)(りん)(せい)(しよ)(がう)し、(せい)(くわう)(しよう)(わん)(がう)す。(ぎよく)(みん)(せい)(くわう)(あざな)である。(つぎ)に「雪日書況、寄伊澤澹父、澹父久臥病、予亦因疾廢酒」の七(りつ)がある。(けい)(れん)の「獨醒長學幽憂客、高臥更憐同病翁」を()るに、()(てい)には(なほ)(かつ)()(ちよう)(こう)があつて、(そく)(しつ)(らん)(けん)()ぶに(どう)(びやう)(をう)(もつ)てしたのであらう。(つぎ)に「賀石峰師秉拂鳳山」の五(ごん)(はい)(りつ)がある。(そう)(せき)(ほう)(ぜん)(ねん)(れん)(じゆく)()つて(いは)()(いつ)たことは(かみ)()えてゐる。(みづか)(しよ)して「藝州沙門」と()ひ、()(ぶん)稿(かう)(じよ)()()()(しう)が「藝石峰師兄」と(しよう)してゐるから、()()(ひと)であらう。()(ぶん)稿(かう)(えい)(へい)()(さく)があるのを()るに、(さう)(どう)(しゆう)(そう)か。

 (この)(とし)()(てい)は四十三(さい)であつた。

 (ぶん)(せい)()()(しやう)(ぐわつ)は七十六(さい)(くわん)(ちや)(ざん)が「驚殺吾齡長一郷」と()つた(とき)である。()(てい)(やまひ)(いだ)いて(とし)(むか)へた。(やまひ)(かつ)()(たん)(ぜん)とである。わたくしは(はじ)(たん)(ぜん)の一()()(くわん)()(びやう)なるべきを(すゐ)(そく)した。しかしその(あま)りに(ひさ)しく()えざるを()れば、わたくしは(うたがひ)(しやう)ずる。()(てい)(あるひ)()(しゆく)(じん)などに(かゝ)つてゐたので、(きやく)(しゆ)(かつ)()()つて(はつ)したのでなかつたかも()れない。

 ()(てい)(この)(しやう)(ぐわつ)(おとうと)(へき)(ざん)(あた)へた(しよ)(つう)(まと)()(しよ)(どく)(ちゆう)にある。(だい)一の(しよ)はかうである。「春寒退兼候。愈御安康被成御揃、珍重之儀奉存候。霜月廿一日(壬午)出(の書状)達し候後は消息無之候。此方より十月八日書状、金一兩、眼藥、烟草筒等入、差出し申候。其後廿二日(十一月)早便に又々書状差出し申候。夫々相達し候哉。去冬は當地各別寒氣甚しく候。雪も度々有之候。しかし節分後は甚和暖を覺候。大晦日に鶯をきゝて。いそかしき世のいとなみもわすれけりとしの内なる鶯の聲。など口占いたし候。去冬漁獵は如何候哉。日外酒の事申上候へども、已に御遣し被下候はばよろしく候。まだならば、先御無用に被成可被下候。又々追而御願可申上候。小學二部承知いたし候。とかくあの類の荷はり候物、去々年より道中筋貫目改きびしく、春木などへ言傳候も氣の毒に候。先見合、船便にでも差出し可申候。其内幸便あらば遣し可申候。めづらしからぬ品に候得共何も差上候もの無之、例の淺草のり少々差上候。鮭よろしからず候得共、是又少々差上候。これも荷のはり候を恐候故、誠になまぐさ迄に候。それにとどき候内には風味も落可申候。宜敷御斷被仰上可被下候。貝の柱少々、そまつなるものなれど差上候。一日も水につけ置候而、吸物などに、醤油したぢだしなど入候而御遣(使)ひ可被成候。扇子二本、一本は母樣へ御上可被下候。一本は阿波屋叔母へ御上可被下候。よろしからざる品に候へども、去春日野樣より御手づから頂戴いたし候もの故に候。當年掛金、春五會、二十一匁四分六厘、秋六會、二十一匁、右の内へ金二歩先差上候。是は便の序故に候。四分六厘不足に候。去年過上の内に而御算用被成置可被下候。先は差向之用事のみ申上候。萬々其内期永日之時候、匇々、頓首。正月三日。北條讓四郎。北條立敬樣。」()()(すけ)(なる)(えつ)した(とき)(たま)はつた(あふぎ)(あく)が、(しん)(しゆん)(おくりもの)として(はゝ)()()とに()られた。(さけ)()うて(また)これを()したのが(たん)(ぜん)のためであつたことは、(のち)(しよ)(しよう)して()るべきである。

     その六

 (ぶん)(せい)()()(しやう)(ぐわつ)()(てい)(へき)(ざん)(あた)へた二(しよ)(うち)(その)一は(かみ)(ろく)した。さて(その)二を(ろく)するに(さきだ)つて、わたくしは(こゝ)(おほ)()(ぜん)(さい)(たん)(かん)(さしはさ)みたい。それは(かみ)(しよ)(あひ)(はつ)(めい)するものがあるからである。(ぜん)(さい)(しよ)(はま)()(うぢ)()より()(とう)(ほん)である。「過刻は御手翰、致拜見候。先以早春御出被下、辱奉存候。世中百首御貸被下、辱奉存候。また山井の假字の事、御挨拶愧入候。扨また暮と春との御詠奉感候。但第二の御詠にて、説文也(原文篆體)女陰也象形のことおもひいだし。鶯の聲なりの字を見とかめて我もおぼえずうちゑみにけり。蘆胡、頓首。正月五日。八郎。讓四郎樣。」(あん)ずるに(くれ)(うた)()(てい)(おとうと)(あた)へた(しよ)()えてゐるものと(おな)(うた)であらう。そして(はる)(いた)つて(つく)つた(うぐひす)(うた)には、(うぐひす)(こゑ)なりとつゞけた()があつたのであらう。

 (しやう)(ぐわつ)(だい)二の(しよ)はかうである。「春寒未退候。愈御安泰被成御揃、珍重奉存候。當方皆々無事罷在候。左樣御放意可被下候。當四日年始状認、品々入、春木大夫旅宿へ頼遣し、(此間原文「候處」の二字あり)已に發し候樣存候處、昨日廣瀬源一被見、先便には出しかね候由、夫にては大方二月末になり可申候間、此書状別段に差出し申候。早春書状は達し候節御覽可被下候。諸般相替候儀も無之、私少々痰喘に而引込攝養いたし候。追々暖氣になり候故か、先は快く覺え候。御案じ被下間敷候。先封の中、鮭肉など有之候。嘸味あしくなり可申候間、あしく候はば御棄可被成候。わるくすると、鹽引はあたり候ものに候間、兼而申上置候。御大人樣などへは、先御無用に被成可被下候。極月(壬午十二月)廿二日書状差出し申候。相達し候哉。極月廿三日御手簡當月五日相達し申候。痘瘡少々はやり候由如何候哉。紫草といふもの煎じ候而庖瘡前にのませば、胎毒を解し、かるきと、當地醫家皆々申候。紫草は染草なり。むらさきそめしから也。その莖也。藥種屋御吟味可被成候。根は冷物にてあしき由。此表(江戸)も專ら流行いたし候へども、おとらもいまだいたし不申候。三四月にもなり候はば、してもよろしく被存候。酒の儀委曲被仰聞、辱存候。右痰喘保養の爲、當元日より先禁酒いたし候。專ら保養になり候藥ぐひをいたし候。又々追而御頼可申上候。此せつ油こきもの等は一切絶し候。常食に麥飯をいたし候。備後より少々もらひ候へども、昨日までにたべ終候。此表にてはよき麥なく、搗そまつにて込(困)り候。何卒船便之節、搗麥一俵程御もとめ被遣可被下候。乍御世話頼上候。いりこ(海參か)も少々にてもよろしく候。奉頼候。梅花御封じ御贈、めづらしく拜見仕候。清香甚しく、家園光景、不堪神馳候。早春書状延引候故、御案じもやと、不取敢此書状差出し候。餘寒折角御自愛奉頼候。匇々頓首。正月廿五日。北條讓四郎。北條立敬樣。尚々十月八日書状金子一兩入、摩翳散、烟筒(烟管)など入差出し申候。相達し候哉。」

 ()(てい)(おのれ)(やまひ)(たん)(ぜん)(しよう)してゐる。そして(ばく)(はん)(じよう)(しよく)として(さけ)()つてゐる。(すゐ)するに(ぜん)(そく)(きやく)(しゆ)(なら)(そん)してゐて、(おも)(ぜん)(そく)のために(くるし)んだものか。(まへ)にも(しる)した(ごと)く、()(くわん)()(ちよう)(こう)(かく)(ごと)(ひさ)しく()らぬのは、(あるひ)(きやく)(しゆ)(かつ)()ではなくて、()(しゆく)(じん)などのために(おこ)つた(すゐ)(しゆ)であつたのではなからうか。()(しか)らば()(れう)(こう)(そう)せなかつたのも、(また)(あやし)むに()らぬであらう。

     その七

 (ぶん)(せい)()()の二(ぐわつ)()つて、()(てい)所謂(いはゆる)(たん)(ぜん)のために(こん)(ぐわ)し、一()(ひつ)(けん)()つに(いた)つたらしい。(をか)(もと)(うぢ)(しよく)した(ぼう)()(てん)(いう)()(けづ)ることも(その)(こひ)()(がた)くなつたので、()(くわん)(をか)(もと)(うぢ)(かへ)した。(くわ)(てい)(ふく)(しやう)(はま)()(うぢ)がわたくしに(しめ)した。「拜承。于今御伏枕筆研御廢絶のよし、御鬱悶奉察候。御噂は野村生又廣瀬氏より前日も承候へば、まづ少しづつ御快方のよし、やゝ慰念仕候。御見舞申度心懸居候内、私も不快、一日一日と心外御無沙汰に相なり候而無申譯候。御歌御示被下、ゆる/\拜吟可致と相樂申候。私も雪の頃奉懷のうた三首か口號、今さしあたり思出不申、思出候而かき付懸御目可申候。天游詩稿御返被下、何樣御病中御面倒にも候半。先收手仕候。蘐園の餘習不免候へ共、蘐園を奉じ候ものには無之候。先年備後の老先生へ奉贈の詩、若くは御覽も不被成候哉。元來長崎人に而御徒士方の隱居、温藉可愛人となりに御坐候。數年以來病居り候而、衰殆極候。此頃は幼童のいふやうなる語而已に而、詩らしきもの一向出來不申候。されども吟不絶口候。大に可憐候。前年の詩稿強而直しくれ候へと申には、私もちとあぐみ居り候故、一卷御たのみ申上候に而御坐候。臘尾以來少々拙作詩歌も御坐候。録候而近日乞正可仕候。二三日暖和、又今日は雨寒、御保調專一奉祈候。長日御無聊嘸々と御察申候。見合御尋可申候。よく社御書通被下、大に相悦申候。日々のやうに御噂は申出候。草々拜復。二月十日。成復。霞亭詞壇。」(てん)(いう)(たれ)なるを()らぬことは(かみ)にも()つたが、「長崎人にて、御徒士方の隱居」と()ふだけの()(ぶん)(この)(しよ)()えてゐる。

 (つぎ)(さい)(かん)(だう)()稿(かう)(つい)(この)(ころ)()(もと)むるに、二(ぐわつ)()()()さるべきものが二三ある。(いん)(げつ)(じつ)(ちゆう)したものは(くわん)(とう)(くわ)(ぜつ)()(しゆ)であるが、(まと)()(ぶん)(しよ)(ちゆう)()(せん)に、「病中口號」の(さく)(その)(まへ)に、(また)「病稍復」(うん)(ぬん)(さく)(その)(のち)(れつ)()してあるより()すに、(これ)()(みな)(ぐわつ)()()()なるものである。

 ()()稿(かう)の「病中口號」の一(ぜつ)(せう)する。「春來抱病負風光。過了梅花未掃牀。臥聽蕭々三日雨。麹塵看已上園楊。」()(せん)(ちよう)するに、()(てい)(もと)(ぜつ)(つく)つたが、(のち)(その)一を(けづ)つたのであらう。(せん)(れん)(しよ)する(ところ)の二十八()はかうである。「強半春光枕上過。養生降得酒詩魔。自嘲仍作看花計。不識沈痾竟若何。」

 所謂(いはゆる)(くわん)(とう)(くわ)()()稿(かう)にも()(せん)にも(ぜん)()(つぎ)(なら)んでゐる。(いま)(その)(せう)(いん)のみを(せう)する。「二月十八日、勢南鷹羽生來告別、乃夜夢余踰函關、路傍見欵冬著巨花、即吟曰、欵冬花綻大芙蕖、覺後足句成一絶。」(ふく)()(うぢ)(しめ)(ところ)()(せん)(とう)(ほん)(あは)(かんが)ふるに、(たかの)()(せい)()(おう)であつたらしい。

 欵(くわん)(とう)(くわ)()(のち)には、()稿(かう)にも、()(せん)にも(しも)の一(ぜつ)(なら)んでゐる。「病稍復、有訛傳予死者、弔客或至、因賦。世間萬事念全灰。且向春風眉爲開。三百瓮韲應未盡。先生許自道山囘。」三百の(をう)(せい)(こう)(せい)(ろく)()()使(つか)つたものである。「東坡曰。世傳。王状元未第時。醉墜汴河。河神扶出曰。公有三百千料錢。若死。何處消散。士有效之。佯醉落水。神亦扶出。士喜曰。我料錢幾何。神曰。有三百壅黄韲。無處消散耳。」(すゑ)(うた)(しゆ)がある。「生けりともおもほえぬまで疲れけりげに分け來しか死での山路を。」

 三(ぐわつ)()(てい)()(てい)()(ねい)(せう)(がく)()(おく)つた。(まと)()(しよ)(どく)(ちゆう)にこれに()へた(くん)(くわい)(しよ)(そん)してゐる。「一筆致啓上候。時分柄春暖に御坐候處、愈御壯健被成御揃珍重奉存候。當方無事罷在候。然ば此小學一部もとめ遣し候。立敬へ御願申上候而、本文はもとより注文まで、日々少し宛にても熟讀可被成候。此書は分而人間一生之寶訓也。大切に服贋可被致候。書物はよみ候のみに而は無益の事也。その書物のをしへの事を身に行なひ心に忘れぬ樣にいたし候が誠の讀書學問之第一に御坐候。能々御勤學可被成候。尚近々可申入候。萬事立敬被申候樣に被成候而、御雙親樣によくよく御つかへ可被成候。右申入度如此御坐候。以上。三月十四日。讓四郎。敬助樣。」()(てい)()(てい)()(しよう)()(ねい)である。(きやう)(だい)(じゆん)()(すで)(しば/″\)(ちゆう)したが、(どく)(しや)()(おく)(あらた)にせむために(こゝ)(はん)(ぷく)する。(だい)一、(じやう)(らう)()(じやう)(あざな)(けい)(やう)(がう)()(てい)(だい)二、内藏(くら)()(らう)()(げん)(あざな)()(げん)(だい)三、(てい)(ざう)(だい)四、(りつ)(けい)(はじ)(だい)(すけ)()()(ちやう)(がう)(へき)(ざん)(だい)五、(りやう)(すけ)(たに)(をか)(うぢ)(おか)す、(だい)六、(けい)(すけ)()()(ねい)(がう)()(しよう)(やま)(ぐち)(うぢ)(おか)して()(ちゆう)(あざな)(たん)(じん)(あらた)む、()(じやう)(にん)である。

 二十()()()(こく)(だう)(しよ)()(てい)()せた。これは(はま)()(うぢ)(しめ)した(ところ)である。「前月二十五日出之貴書忝拜見仕候。時下春暄相成候處、文候愈御祥迪と奉賀候。先達而者貴恙御難澀之趣承知仕、不堪懸念之至、隨分調護可被成候。御病中二絶御垂示、感吟仕候。僕疾病は無之候得共、官事束縛、兀々度日、雅事雅情掃地と申樣相成、何とぞ老兄輩と有時得商榷度ものと相願居申候。何とぞ日外御沙汰之伯民など如き之徒と可相談(存居)候。御近所もちの木へ者例月罷出候得共、どこぞに結小社候事は可然やと被存候。御序に何時にても御出被成度、乍然俗事多端、且其節故障等に而者御氣之毒に候間、態々に無之、御通行之御序抔に被成下度候。藝州之御門生被見候得共、上局中に而不能面晤、殘念に御坐候。何卒御近著等近々拜見仕度事に御坐候。先は右爲可得御意、若此御坐候。不宣。三月廿日。燾頓首。北條儒宗。○近日松平冠山侯幼女六歳に而死去、辭世之歌、其外珍敷才女なり。詩を被求ければ。掌珠弄得六逢春。莫是觀音暫化身。韶慧未曾聞曠古。黄金何惜鑄斯人。(原注。第二句非本色語。以冠山精佛學故云。)又。開篋錦篇墨未乾。奚圖暴雨碎庭蘭。露花風蝶(歌中語)成讖語。一字眞將一涙看。又。遺草殷勤諫醉翁。(遺草中有諫侯好酒語。)廟堂君子愧精忠。仙都俄借女才子。應爲玉樓記未工。右漫作不足觀候得共、近作寫呈、御笑政可被下候、以上。」(これ)()りて()れば、(ちゆう)()(くわい)(いま)(せい)(りつ)してゐない。(こく)(だう)(なん)()(はく)(みん)がこれがために(しう)(せん)せむことを(のぞ)んでゐるのであらうか。(ほん)(がう)西(にし)(かた)(まち)()(きん)にもちの()といふ()(めい)があると()えるが、わたくしは()らない。(かうぢ)(まち)()(いひ)()(まち)(もちの)()(ざか)(べつ)なることは(ろん)()たない。(くわん)(ざん)(いな)()()(ほう)(しゆ)(まつ)(だひら)縫殿(ぬひの)(かみ)(さだ)(つね)で、(たう)()()()して(てつ)(ぱう)()(やしき)にゐた。(くわん)(ざん)(さい)(ぢよ)(つゆ)(ぜん)(ねん)十一(ぐわつ)(はう)(さう)()んで()んだことは、(しよ)()(しふ)(さん)(けん)してゐる。()(とう)(さい)(あい)(じつ)(ろう)(ぶん)に「跋阿露君哀詞卷」があつて、「檢篋笥、得遺蹟、上父君諫飮書一通、訣生母藏頭和歌一首。訣傅女乳人和歌一首、題自畫俳詞三首、又得一小册子、手記遺誡數十百言、及和歌若干首、理致精詣、似有所得者、至於遺誠、往々語及家國事、亦誠可驚矣」と()つてある。(こく)(だう)()()稿(かう)(せう)にも()せて、「爲冠山侯題女公子遺艸」と(だい)してあるが、三(しゆ)(だい)一、(だい)三が()つて、(だい)二が()い。

 ()(てい)(へき)(ざん)(あた)へた三(ぐわつ)廿五(にち)(しよ)(まと)()(しよ)(どく)(ちゆう)にある。その(あて)()なきを()れば、(この)(しよ)(あるひ)(べつ)(ほん)(ぶん)ありてこれに()へたものであつたかも()れない。「二月十一日御手柬、三月十七日相達致拜見候。春暖愈御揃御安靜奉賀候。私病氣も追々快く候。緩症故、始終同じ調子故、急に復しがたく候。二三の醫人に相談いたし候。只今伊澤辭安と申藩醫の藥用ひ居候。もはや只胸膈のさばけのみになり候。元來肺にかかり候症と被存候。いづれ降氣劑服用いたし候。御藥、樣々の御書付、毎々御厚意辱奉存候。氣色も飮食も常にことならず、只歩行いたし候に跌(此字不明)し候而こまり候のみに候。こゝ三十日程藥湯願を差出し、花時は少々宛外出、暖氣には心にまかせ、試歩いたし候。(正月來引籠に候。引籠なれば、藩法に而門外へ出られず、藥湯願といへば、藥湯にいるといふ名目にて、どこへでも勝手次第に出てあるかれ候。)今暫く再願いたし候而、得と補養いたし候つもりに候。酒も四五杯程は退屈の節用ひ候。食物は嚴敷用心いたし候。○甚平妻懷孕の由一段の事に候。○お通縁談の儀承知いたし候。すべてよく間違出來候ものに候。意とするにたらず。併かのやうな類の事は成就する迄人にしれぬ樣可被成候。此後もいくらもあるなり。又々相應の儀も可有之候。まだ兩三年おそくても不苦儀に候。何より配偶の人物をえらび候事に候。私明年にても歸省いたし候はば、又々御相談も可致候。其内嫁前の女子はすべて嚴格に行儀に御心を付らるべく候。其内雨航など相談いたし候儀も候はば可被仰越候。○妻共へかうがい母樣御世話被下置候趣、(難)有奉存候。あれには過分なる位に候。餘金は五月春木太夫便のせつにても差上可申候。飛脚便賃錢多く懸り候故に候。○御地庖瘡如何。御當地は大方仕廻(しまひ)候。おとら此度は免かれ候。○今年は歸省もいたしたく心懸候得共、新家持何歟と行屆兼ね、夫に正月以來不出勤故、學問所なども同役代勤いたしくれ居候儀故、何歟と差つかへ、先今年は相やめ可申候。これも親の病氣とさへ申出し候得者、即日許容有之儀に候。併私も身體丈夫にて春の長日に旅行いたし度候。明春は何卒一寸歸省仕度候。歸省いたし候ても、何歟と費用多く候故、先表むきにはいたし不申、勿論私用故内分のつもりに候。夫故鑓持など申儀も相やめ、私名前差出し不申、御關所なども、備中守家中でない面にて通行のつもりに候。僕か弟子か一人つれ候位の事に可致候。○茶山翁も當正月中旬より風邪の處、一時は餘程むづかしく候ひしが、二月初は追々快く候由、此間國元飛脚の者よりくわしく承り候。其外諸般相替候義も無之候由。以上三月廿五日相認。右は御來書の答のみ也。○世間ばなし。當十五日か初鰹十四本小田原町へ上り候。七本は公儀へ御買上、これはいつも定値段百疋宛と申事に候。二本は八百善といふ料理茶屋、一本四兩づつに買候よし。其翌日は壹分貳朱位、三四日過候ては七八匁位に候。○此頃相撲御上覽有之候よし。判(番)付に柏戸と玉垣が大關に候。總體相撲とり貳百人ばかり見え候。」

 ()(てい)(しゆ)()()(べつ)(にん)ならず、()(さは)(らん)(けん)であつたことが(この)(しよ)(かく)(しよう)せられる。(また)(やく)(たう)(ねがひ)(こと)(しも)()くべき(さん)(さく)(かん)(くわ)()(ちゆう)(きやく)である。()(てい)(すゑ)(いもうと)(つう)(えん)(だん)(はん)()にして()(せつ)したらしい。(くわん)(ちや)(ざん)(けん)(かう)(じやう)(たい)(ほゞ)(この)(しよ)()(ところ)(ごと)くである。(ほん)(しふ)()れば、(ぶん)()()()(むら)(ちく)(でん)(たづ)ねた(とき)()に、「伏枕春來未渉園」と()つてあるのに、(やゝ)(のち)(いた)れば「暮春登山寺」、「箱田道中」(とう)(さく)がある。(すなは)ち「追々快く候由」と()ふに(かな)つてゐる。(しよ)(ちゆう)(こと)(もつと)()(どく)とすべきは、()(てい)(みやう)(ねん)()(せい)せむとしてゐることである。()(めい)(すで)にいくばくもないことを()らずに、(かれ)(のぞみ)(みやう)(ねん)(つな)いでゐた。(はつ)(がつを)(こと)(かい)(めい)()(れう)として()()がある。

     その八

 (さい)(かん)(だう)()稿(かう)の「病起郊外試歩」より「因病禁酒戲賦」に(いた)る五(しゆ)()(ぶん)(せい)()()(ぐわつ)(ちゆう)(さく)なることが、(ほとん)()(かん)なきまでに、(りつ)(しよう)せられる。(なに)(ゆゑ)といふに、()()()(しゆん)(けい)(ぶつ)(おほ)きなどは(しばら)()き、(しも)()ぐべき四(ぐわつ)()(しよ)に五(しゆ)(ちゆう)(だい)四「病中」の七(りつ)(ろく)せられてゐるからである。その(だい)五を(ろく)せなかつたのは、()のあまりに(くわう)(たつ)なるがために、(おとうと)(しめ)すことを(はゞか)つたものかと(さつ)せられる。

 (この)(しゆ)(しも)には(たゝ)(しゆ)()があるのみで()稿(かう)()()きてしまふ。それゆゑわたくしは五(しゆ)(ことごと)(せう)しても()い。しかし(ことごと)(せう)して、そのうへに(ちやく)()するといふと、あまりに(おほ)(ひつ)(ぼく)(つひや)すこととなる。そこで(たゞち)(ちやく)()する。

 五(しゆ)(だい)一、(だい)二「病起郊外試歩」は七(ぜつ)と五(りつ)とで、(かみ)の三(ぐわつ)二十五(にち)に「花時は少々宛外出、暖氣には心にまかせ試歩いたし候」と()つてある、その()()(とき)()つたものである。(いま)(だい)一の(てん)(けつ)(なの)(はな)(ばたけ)(うつ)(いだ)してある二()のみを(せう)する。「揩拭病眸何物可。郊村十里菜花黄。」(おそ)らくは(わう)()あたりの(けい)であらう。

 (だい)三はこれも()()()()ものであつて、(ぐう)(ぜん)()(てい)(いう)(じん)(にん)()(つた)へてゐる。「感應寺看花、庭中有下田芳澤、本山仲庶碑、二子倶是二十年前相見於京師人也」と(だい)する五(りつ)(すなはち)(これ)である。(かん)(おう)()(うへ)()(かん)(おう)()であらう。しかし(うへ)()(てら)には、(しも)()(もと)(やま)()()()(そん)してゐない。()(てい)は二十(ねん)(ぜん)(この)(にん)(きやう)()(あひ)()たと()ふ。()(てい)(きやう)()()つた(とし)(きやう)()(ねん)であつたとすれば、()()より(ぎやく)(さん)して二十一(ねん)である。二(にん)(こと)はわたくしは(しよ)(けん)()い。しかし「新碑皆舊識」の()があるより()せば、(はい)()(いま)(かわ)かなかつたこととおもはれる。

 (だい)四は()(てい)(おとうと)(へき)(ざん)(あた)ふる(しよ)()えてゐるから、(しも)()(ところ)(ゆづ)る。(だい)五「因病禁酒、戲賦」はかうである。「天放先生如喪偶。看花對月忍空手。從玆姓字沒人言。令我有名元是酒。」

 (ぶん)(せい)()()(ぐわつ)()つて、()()(てい)(おとうと)(へき)(ざん)(あた)へた四(ぐわつ)()(しよ)がある。(まと)()(せき)(どく)の一である。「三月十五日御状、同廿八日相達、拜見仕候。愈御安靜被爲入恭賀候。當方皆々無事罷在候。乍憚御安意可被下候。○魚譜の事は先書に申入候。これも一學問に候間、ゆる/\御心掛可被成候。○貝の柱は江戸に而澤山ある、ばかといふものの柱に候。身は味あしく價やすきもの、柱は調法いたし、料理むきにも用ひ候。それらによりて、ばかのむきみなどいふにや。○春秋掛金跡に而心付候。あれにては不足に可有之候。後便被仰聞可被下候。○小學の代料先づ御預り置可被下候。夫にくしかうがい(櫛笄)の代など、いづれ此方より差上候分可有之候。後便御算用被仰聞可被下候。委細此間認置候書状に御座候。書餘期再信之時候。以上。四月二日。北條讓四郎。北條立敬樣。廿八日即事。蹉跎歳月棄人馳。一病悠悠任臥治。跡絶交遊如隔世。傷多恐懼不銜巵。飛花經眼春將晩。語燕妨眠晝更遲。擡枕欣然聊慰藉。家書陸續到茅茨。博粲。○白河侯松平越中守樣伊勢桑名へ。これは御先代桑名御城主也。桑名侯武州忍へ。阿部鐵丸樣、此方樣御同家也、忍侯白河へ。三月廿四日右御所替被仰付候よし。」

 (ぎよ)()(こと)(へき)(ざん)()ひ、()(てい)(さきだ)つて(こた)へたものであらう。(へき)(ざん)(ぎよ)(げふ)()(まと)()()(ゆゑ)(うを)()()らむと(ほつ)したこととおもはれる。蛤丁(かひのはしら)()(てい)()(きやう)(おく)つて()つたことが(まへ)()えてゐる。(へき)(ざん)がこれを()()(ところ)があつたものか。ばかがひ(Mactra, Eulamellibranchia)の(はしら)(その)()(ほしいまゝ)にしてゐることは、(いま)(いにしへ)(おな)じく、ばかがひの()()つて()たる(ところ)も、(かなら)ずや()(てい)()ふが(ごと)くであらう。廿八(にち)(そく)()(さい)(かん)(だう)()稿(かう)の「病中」と(だい)するものと(まつた)(おな)じである。わたくし(ども)(すなは)(これ)()つて(びやう)(ちゆう)の七(りつ)()()(ぐわつ)二十八(にち)()つたことを()るのである。(すゑ)()えてゐる三(ぐわつ)二十四(にち)(かう)(てつ)(とく)(がは)(じつ)()にかう()いてある。「廿四日。陸奧國白川城主松平越中守定永は、伊勢國桑名城へ、桑名城主松平下總守忠堯は、武藏國忍城へ、忍城主阿部鐵丸正權は、白川城へ遷移せしめらる。」()(てい)(まつ)(だひら)(さだ)(なが)(くは)()(てん)(ぽう)せられたることを()して、(しも)に「これは御先代桑名御城主也」と(ちゆう)したのは、(ゑつ)(ちゆうの)(かみ)(さだ)(つな)(くわん)(えい)十二(ねん)()()(おほ)(がき)より(くは)()(うつ)り、(せつ)(つの)(かみ)(さだ)(よし)()(ゑつ)(ちゆうの)(かみ)(さだ)(しげ)(いた)つて、(ゑち)()(たか)()(うつ)つたことを()ふのである。(その)(のち)(いな)(ばの)(かみ)(さだ)(みち)(ゑつ)(ちゆうの)(かみ)(さだ)(てる)(ゑつ)(ちゆうの)(かみ)(さだ)(のり)()て、(ゑつ)(ちゆうの)(かみ)(さだ)(かた)(いた)つて、()()(しら)(かは)(うつ)つた。(さだ)(かた)()(ゑつ)(ちゆうの)(かみ)(さだ)(くに)で、(すなは)(らく)(をう)(さだ)(のぶ)(やう)()である。(また)()(てい)()()(まさ)(のり)武藏(むさし)(おし)から(しら)(かは)(てん)(ぽう)せられたことを()して、(しも)に「此方樣御同家也」と(ちゆう)した。此方(こなた)(さま)()(てい)(しゆう)()(びん)()(ふく)(やま)(じやう)(しゆ)(びつ)(ちゆうの)(かみ)(まさ)(きよ)である。(まさ)(きよ)()(せん)()(よの)(かみ)(まさ)(かつ)(ちやう)()(まさ)(つぐ)(そう)()()がせた。(だい)()(まさ)(よし)(べつ)(いへ)()て、(まさ)(よし)()(たゞ)(あき)(おし)(じやう)(しゆ)にせられた。(まさ)(のり)(たゞ)(あき)(せい)(そん)である。(まさ)(のり)()(そん)(のち)(いは)()(たな)(くら)(うつ)つたので、(この)(いへ)(たな)(くら)()()()といふ。

 四(ぐわつ)()(かり)()(えき)(さい)()(てい)(こん)()(おく)つた。(こと)(はま)()(うぢ)のわたくしに(しめ)した(せき)(どく)()えてゐる。「菟角寒温難定候處、御不快如何被成御入候哉、承度奉存候。事に觸、御近邊迄參候儀も有之候へ共御面話御難儀奉察候間、態と拜謁差扣申候。自蘭軒承候へば、此節昆布御食用に宜候趣、依之國産手製仕候間、風味無覺束候へ共、奉獻之候。萬々其内拜顏可申上候。先は右申上度、草々頓首。四月七日。狩谷棭齋。北條讓四郎樣。貴答御口上にて可被仰候。」()(てい)(えき)(さい)との(まじはり)(おほ)(こん)(せき)(とど)めてゐない。それゆゑ(ひと)(あるひ)は二(にん)(あひだ)(まじはり)のあつたことをさへ(うたが)ふであらう。(この)(しよ)はその(たえ)()くして(わづか)()(しよう)()の一である。しかも二(にん)(まじはり)(はなは)()ならぬこと、()()(あひだ)()()(わう)(らい)のあつたことなどが(これ)()つて(すゐ)(そく)せられる。一(めん)(えき)(さい)(ざう)(しよ)(おほ)(しやく)(げん)(だう)(しゆ)との(したし)みがあつて、一(めん)(また)(だう)(しゆ)(ちや)(ざん)(じゆく)(とう)たる()(てい)との(したし)みのあることを(おも)へば、二(にん)(あひだ)(かい)(きよ)してゐる(らん)(けん)が二(にん)(あひ)()(なかだち)とならずに()まぬことは、(ほとん)()(めい)()(ひつ)(ぜん)(すう)である。しかし()(この)(しよ)(ごと)きものが(たま/\)(そん)してゐなかつたら、わたくし(ども)(おそ)らくは(たしか)に二(にん)(かう)(つう)(あと)(みと)むることを()なかつたであらう。「貴答御口上にて可被仰候」は、()(てい)をして(しや)(じやう)(つく)(わづらひ)(まぬか)れしめようとしたので、棭(えき)(さい)()める()(てい)(たい)する(をん)(ぞん)()(ふう)(いた)れるを()るべきである。(こん)()(こと)(しも)()()(てい)(へき)(ざん)(あた)へた五(ぐわつ)(しよ)(あは)(かんが)へて(はじめ)(あきら)かにすることが()()る。

     その九

 (ぶん)(せい)()()(ぐわつ)()(てい)(こと)(ちよう)すべき三(つう)(しよ)(どく)()(りう)してゐる。()(てい)(おとうと)(へき)(ざん)(あた)へた(こまか)(びやう)(じやう)(じよ)した(しよ)(つう)(やま)(ぐち)(あふ)(こう)()(てい)(あた)へた(しよ)(つう)(やま)(ぐち)(じん)(ぺい)()(てい)(あた)へた(しよ)(つう)(すなはち)(これ)である。

 (りやう)(やま)(ぐち)(しよ)(みな)(ぐわつ)二十一(にち)(つく)られた。()(てい)(しよ)()づけは()(まつ)(かい)(ざん)(ため)()(がた)くなつてゐるが、(すゐ)するに(はじ)(たん)(ぼく)(もつ)て廿一(にち)(しよ)し、(のち)(のう)(ぼく)(もつ)て「一日」の二()(うへ)に「日」の一()(しよ)したやうである。

 (いま)(しよ)(せう)(しゆつ)せむと(ほつ)するに(のぞ)んで、わたくしは(いづ)れを(さき)にし、(いづ)れを(のち)にすべきかを(おも)つた。そして()(てい)(しよ)より(はじ)めようと(けつ)(てい)した。それは(もつと)(なが)()(てい)(この)(しよ)が、五(ぐわつ)(ごろ)()(てい)(じやう)(きやう)()るに(もつと)便(べん)なるが(ゆゑ)である。(その)(じやう)(きやう)はどんなものであるか。(やく)して()へば、()(てい)(やまひ)(いちじ)るく(へん)じたとはおもはれない。しかし(すで)(ひさ)しく(びやう)(せい)が一(しん)退(たい)してゐるので、()(てい)(みづか)(うれ)ふることも(やうや)(せつ)になり、()(てい)(しん)(せき)(ほう)(いう)もその(ひさ)しきに(わた)るを()(やうや)くこれを(ぢゆう)()するに(いた)つたらしい。()(てい)の一(しよ)も、(りやう)(やま)(ぐち)の二(しよ)(ひと)しく(この)(じやう)(きやう)(もと)()かれたものである。()(てい)(おのれ)(やまひ)(うれ)へて(しば/\)()()へ、(すで)(りやう)()()たと(しん)ずるに(およ)んで、(その)(こと)(したが)つて(ひろ)()(れう)(せつ)(やう)(はう)(はふ)()(じん)(あたま)(もと)めた。(この)(えう)(きう)の一(たん)(しも)()(てい)(しよ)にも()えてゐるが、()(てい)(これ)より(さき)にも、(すで)(ひと)(むか)つて(かく)(ごと)(こと)をなすこと(たゞ)に一(さい)のみでなかつたらしい。(やま)(ぐち)(うぢ)(しよ)には(その)(はん)(きやう)(あらは)れてゐる。(これ)より()()(てい)(しよ)(ろく)する。

 「四月兩度御出しの華柬各通披見、向暑愈御安泰御揃被成、珍重之至奉存候。當方皆々無事罷在候。乍憚御安意可被下候。○私病氣今少しとなりいかにも順快いたし不申、又々醫人をかへ、此度は藝洲惠美三白をむかへ候。(自註。先三白養子、年六十二歳。)この人見立には、元來脚氣にて、心下水氣充滿いたし候故、留飮とも癪ともみえ候へども、それは餘派也。脚氣の水氣を逐ねばならぬ處と申候。かの家の流には鹽物だちを嚴敷いたし、赤小豆計を喫し、少々宛大麥を食料とし、米をたち、長芋、くわゐ、(此三字不明)こんぶなどやうのもの計、鹽氣なく煮くらひ候。方は蘇子檳榔湯に加減有之、已に四十貼餘用ひ候處、大に效驗有之、全身水氣皆よくとれ、心下も追々ゆるみ、只今にては大方平常にもなり候。いづれ此後食用など第一と申事に候。鹽氣は其内少々宛用ひても不苦候由、酒魚品は一切不可然との事に候。赤小豆、大麥計、初はつらく候へども、此頃にてはなれ候て、隨分甘く喫申候。二椀半位宛たべ申候。此樣子なれば無程全復可仕候へども、先用心の爲、當年は已に半年病氣引込故、炎暑中は靜養可致奉存候。元來去冬より催し候痰に候を等閑にいたし候油斷も有之候。○最初、南部伯民(自註、周防の人、近頃出都、長門侯に仕ふ、下地懇意也、著述なども有之、名高き醫者也)に相談いたし、手合の藥用ひ、其後内田玄郁と申町醫(自註、これも懇意に而相應に行はれ候人)にみせ、屋敷醫者、小野玄關藥三十日程(用ひ)、やはり當屋敷、伊澤辭安(自註、格別懇意なる人也、學問も有之、醫學尤精苦いたし候、これは脚氣ならんかとも申居候)これへかかり候へども效見え不申、又々本郷町醫、横田某に少しの間かかり、其後惠美にみせ候。さすが名家だけたけ(長)候而、水氣の病には尚更高名に候。最初より是と存候へども、何にもせよ二里許も隔り、それに當表にても、諸侯以下爭迎、ただそれ故申遣し不申候處、不外儀と申され、早速みえ、療治いたしくれられ候。何分此水氣病脚氣などには鹽味たち候事第一と被存候。無左ては藥も水氣と鹽味に妨られ、少々の事は(森云、少量にてはの意か)きき不申と被存候。○尚又脚氣病後心得の事御氣付くわしく御書付被仰付可被下候。廣岡文臺が書き候隨筆に何歟脚氣の論少し有之候樣覺え候。御録出被遣可被下候。其外手近き醫書中に有之候儀共、一々被仰聞可被下奉頼候。○脚氣水氣浮腫は上部に有之候へども、下部にはなく候。先は乾脚氣に屬し候歟。衝心と申程の事は無候へども、水氣心下につき候事も、正二月頃は折節有之候。此度の痰に而、十五年來の留飮も次手にさばけ候樣にも被存候。右の通參候はば重疊に候。○麥の儀被仰下辱存候。此間外よりとりよせみ申候。極上擣に而百文に付一升四合にて差上可申と申候。それなれば此表にて求め可申、もはや御無用に候。○櫛の儀母樣御厚意難有奉存候へども、御宅にても金子出候儀故、是は御勘定可仕候。(森云、此より下勘定書の數字不明。)くしかうがい代金一兩三歩先金二兩一歩、金十六匁八分三厘講未秋掛金、計二兩二分餘、これへ御あつらへ小學料二部代二十六匁其内へ御入可被下候。外に金一兩二歩願上候。大方これにて相濟可申候。すこし過上にや。○首飾など近來奢靡(二字不明)一般の惡風俗に候。わけ而伊勢の山田など申處は、上にこはきもの無之處故に候。何國にても貧富の違に而、千金を芥にいたし候者も、また錢百文も持不申者も有之、不同の世也。貧人が富人をうらやむといふは愚者の常なれど、これほど分をしらぬ事はなき也。心正しく行かけねば千金の子も襤褸甕戸の人に恥候ものに候。(森云。「心正しく行缺けぬ藍縷甕戸の人には千金の子も恥候ものに候」の意か。)わけ而家法は婦女子を嚴敷制禁せねばならぬものに候。足下などよく/\御心得可被成候。○わり菜其後煮候事(處か)甚和らかに候。○魚譜今年中に仕上可申やとの事、箇樣に性急には何事もききだし候事は出來申間敷候。尤老人の儀故、待遠には候べく候へども、先二三年もかかり候御心掛可然候。其内あちらよりいそぎ參り候へば格別、いづれ諸方へ參り候册(此一字不明)もそのやうに急にはかへり申間敷候。先堯佐へ一應御答置可被成候。すべて著述にても何にても、急に仕立る事緩にする事と見計第一に候。心懸は敏に事は緩にする事と見計第一に候。已に茶山後集、去去年もはや板下にかかり候處、今に埒明不申位に候。きまり候事さへ菟角落成は手間とり候ものに候。就夫蒿溪が隨筆にてみ候。或君上の此手紙は急なる事申遣し候間、隨分靜かにかけと筆者に被仰候由、面白き事也。私性質火急の非を覺候。近來はいたくため直し候。とかく宿習出やすきものに候。先はいそがぬ事と被存候。○御大名の御所替などの儀、下のうわさにしれ候ものには無之候。公儀より被仰出候迄者、一向わかり不申もののよし。○母樣へ麤末なる小袖一差上申たく候。何ぞ御好被遊候樣、御序に被仰上可被下候。地は何、染色何、うら何、或は島(縞)にても、紋は何をつけ(可申哉)、右等被仰上可被下候。とてもよき物は差上候事出來申間敷候へども、この樣なるものがよきと思召候もの無御心置被仰聞可被下候。當冬あたり迄に被仰聞可被下候。○主人にも少々御中症のきみ被爲入、久敷御引込に候。去年も百日餘御引込有之候。此頃、是は極内々、御退役御願書御差出しの思召も有之候由、如何被仰出候や不可測候。御家中者一統殘念がり候事なれど、御大役御病身に而御勤、御壽命にさはり候より、乍恐御良計と、私共は奉存候。是は機密之事、口外被成間敷候。○私今度の病中、幸に新居物靜に而、南むき風吹いれよろしく、のみ、蚊、蠅少なく、引籠の儀故、懇意の外は一人不來、讀書詩文もいたし不申、當元日より公の事々は一日も勤不申、ゆるやかに養保いたし候儀、扨々難有君恩に候。終日無一事、腰折うたなどよみてまぎれ、水飴をなめ藥とし居るさま、ひまなる僧家にちかく候。此節ほととぎす鶯澤山音づれ、後園に笋生じ、家内喫し候外、私たべ不申、ちかく二三里の所ならば差上度などと此頃妻共申居候。おとらが此頃ちひさき笋にて花いけをこしらへ、草花をさして、御とと樣の御なぐさみにと持出候節の腰折、花さすとをさな子がきる竹の子のなほき誠をみてぞなぐさむ、すこしむづかしき歌に候。○私共の樣なる不調法なるものは、かせぎてまうけるなどと申事は出來不申候。夫に出來ても、いづれはやる樣になれば人にも出會せねばならず、外勤も多く、人も集め不申候ては叶ひ不申、病身物むづかしく、自分修業と御上並に御家中の稽古の外は皆々大方やめのつもりに候。節儉して、さむからず、びだるからずば足りぬといふありさまにて、其餘は天道まかせといたし候了簡に候。江戸は勢利の地故、外觀をかざる(此六字不可讀なる故、姑く填む)輩、醫者などは勿論の事、儒者畫家書家時めき候ものなど、皆々權門勢家をつとめまわり、榮利を計るがなべての風に候。うるさきありさまに候。○立原翠軒死去、葛西健藏死去、寐ぼけ先生死去、老人たち皆なくなり候て、鵬齋一人になり候。これも久敷中風、此頃私方之弟子を見舞に遣承り候處ます/\不遂、只右手に而物書て、二便抱きかかへのさまの由、氣はまめにて、酒も四五杯宛は被參候よし。近年は格別高名になり、書などのもとめ多く、金子など多くとれ候由、夫にてもやはりたり不申候由。先月兩國萬八樓とやらにて、門人などの一統申合に而、七十の賀の書畫會いたし候由。(自註。七十二延引。)其日來集八九百人にも餘り候由。富豪の弟子など多金いだし候者も有之、三百金程内入有之候處、下地の物入、饗應、借財などにて、わづか五十金計になり候由。其節の事に、市川團十郎使を以て御祝儀申上候。まんぢうせい籠三十荷先生に奉ると大くかき、これをよく人のみる處へ御張被下候へと申參り候處、弟子先生に如何取計可申やと申候處、其使に返詞に、よくぞいはひ被下、辱、團十郎へよろしく、せいろうはつみ可申候、これは少しながら御祝儀なりと、金五兩つゝみ、使の者へ遣し、其書付はやぶりしまひ候由、例の儒侠、始終この樣なる事にも費多き事とみえ候。教にはなり不申候へども、一奇人に候。近年池田に而鵬といふ銘の酒をこしらへ、自分もそれをとりよせのみ候。何分病人ながら今暫は生したきものに候。悴三藏は町住家に而、久世長門守樣御儒者に、十五人扶持に而近頃有付候。町弟子なども段々有之、相應にいたし候。もはや四十六七にも相成可申候。○ふと存付候。扨何事につけ、私は他人には大槩の事はいはぬ流義なれど、骨肉兄弟へは少しにても氣の付候事は一々申す性質に候。申候とて、一々それがよきには無之候。如何敷事なれば何によらず、さ有まじきと被仰可被下候。手前の事は手前にてはしれかね候もの也。是は朋友中にも入懇の人には頼置申事なれど、扨その樣之忠告する人の少なきものに候。足下など、これは如何の事や、いふもあしきやと思ふ事も、兄弟などへは隨分いふてみるがよし、用ひられぬ事なれば、それきりといたし候迄の事也。是は平生の御心懸に申上候。時節大暑に向ひ候。二尊樣始、御家内一統、御食物御用心御保養專一に奉存候。餘期再信候以上。五月廿日。讓四郎。立敬樣。」

 (この)(しよ)には(ちゆう)すべき(こと)(すこぶる)(おほ)い。その(しよ)(ちゆう)()えた(じよ)()(したが)つて()にこれを(りやく)(じよ)する。

     その十

 ()(てい)(ぶん)(せい)()()(ぐわつ)(おとうと)(へき)(ざん)(あた)へた(しよ)には、(さい)(しよ)()(たく)する()()()へたことが()つてある。()()()()()()(ぱく)で、これに「先三白養子、年六十二歳」と(ちゆう)してある。()()(うぢ)()(よの)(くに)より()でて()(きの)(くに)(ひろ)(しま)(うつ)()んだ()()で、その三(ぱく)(しよう)することは(ねい)()()()(てい)(えい)(はじ)まる。(つゝみ)(うぢ)(うま)れて()()(うぢ)(やしな)はれた(ひと)である。(ねい)()(てん)(めい)(ねん)(ぐわつ)()に七十五(さい)歿(ぼつ)した。二(せい)(ぱく)(たい)(せう)()()(てい)(しやう)である。(もと)(なが)()(うぢ)で、(ねい)()(やしな)はれて(いへ)()いだ。(これ)()(てい)()ふ「先三白」で、(さき)だつこと三(ねん)(ぶん)(せい)(ねん)(ぐわつ)()()()歿(ぼつ)した。()(てい)(れう)した三(ぱく)は三(せい)(ぱく)で、()(てい)(しう)(げん)(らん)(がう)した。(じつ)(しよ)(だい)(ぱく)()()()(けい)(しよう)してゐたのを、二(だい)(ぱく)()つて(けい)()としたのである。(はう)(れき)十二(ねん)(うまれ)(ぶん)(せい)(ねん)()()には、()(てい)()(ちゆう)(ごと)く「年六十二歳」になつてゐた。

 (げん)(らん)()(てい)(やまひ)(かつ)()(しん)(だん)した。(その)(ちよう)(こう)(つまびらか)でないが、(びやう)(にん)(みづか)()ふを()くに、十五(ねん)(ぜん)より(りう)(いん)があつた。(さけ)(この)(ひと)(まん)(せい)()(びやう)である。さて(こん)()(やまひ)になつてからは、()(てい)(おも)(たん)(ぜん)(なやま)された。そのうち(じやう)(はん)(しん)()(しゆ)()たらしい。(これ)(この)(しよ)(おい)(はじめ)(あきらか)(しる)されてゐる。その「水氣心下につき候事」もあるといふのは、(じやう)(はん)(しん)()(しゆ)()ると(どう)()に、()るときは(むね)より(しん)(くわ)にかけて()(もん)(おぼ)えたものであらう。しかし()(はん)(しん)には()(しゆ)()い、(みづか)ら「乾脚氣に屬し候歟」と()所以(ゆゑん)である。そして()()()(かく)()(じやう)所謂(いはゆる)しびれに(いた)つては、()(てい)(いま)(かつ)てこれを()いたことがない。()(てい)(やまひ)(ちよう)(こう)として(しる)されてゐるものは、(たゞ)(これ)のみである。

 (この)()(じつ)(のち)より()して()(てい)(やまひ)(かつ)()なりしや(いな)(けつ)するに()るものでないことは(こと)()たない。さて(はじめ)より()(てい)(しん)した(なん)()(うち)()()()()(さは)(よこ)()の五(にん)は、(かつ)()とは()()さなかつた。(なか)(つい)()(さは)は「脚氣ならむかとも申居候」と()つてあるが、(これ)とても(しん)(さつ)(じやう)(かれ)(これ)かと、とつおいつ(かんが)へた(あひだ)に、(あるひ)(かつ)()ならむも(はか)られぬと()つたことがあるに()ぎぬであらう。(しか)るに()()一人(ひとり)(かつ)()(かく)(げん)した。()()(ぱく)(てい)(しう)は「名家」であつて、「わけて水氣の病には尚更高名」であつたから、()(てい)(しん)じて一(しん)(この)(ひと)(たく)したのも(たう)(ぜん)(こと)であつただらう。(また)()()(しん)(だん)(しん)(あた)つてゐたかも()れない。

 しかし(つた)はつてゐる(ところ)()(じつ)は、()(わう)(しやう)として(まん)(せい)()(びやう)があり、そこへ(まん)(せい)()(くわん)()(びやう)(おこ)つて()て、(つひ)(じやう)(はん)(しん)()(しゆ)()るに(いた)つたと()ふに()ぎない。されば(たん)(しつ)()たるのみでなく、(がく)()(しよう)するに()()(さは)(らん)(けん)も、(また)()(せう)(しよ)()んでゐた(なん)()(はく)(みん)(かつ)()(だん)ずることを(あへ)てしなかつたのは(これ)(また)(あやし)むに()らない。(かつ)()(てい)()(しん)(きやく)(しゆ)がない(ため)に、「先は乾脚氣に屬し候歟」と()つてゐるが、所謂(いはゆる)(かん)(かつ)()(しゆ)なる(ちよう)(こう)たる(しん)(けい)(けい)(しやう)(がい)(がう)()(さい)せられてゐない。

 わたくしは(かみ)()(てい)(やまひ)()(しゆく)(じん)ではなからうかと()()(もん)(てい)()したが、()いて(こゝ)(いた)つても、(この)()(もん)(てつ)(くわい)する(ひつ)(えう)()ない。()(てい)(つね)(たん)(ぜん)痰喘(/\)()ふのみで、(なに)()(なう)をも(うつた)へぬのも、(かみ)(しん)(けい)(けい)(しよ)(ちよう)()(さい)()けてゐる()(じつ)()(ぐわい)に、わたくしをして(さき)(てい)(あん)()()せしむる一の()(いう)となつてゐる。わたくしは(しも)()(てい)(しゆう)(えん)()するに(いた)つて、(ふたゝ)(この)(もん)(だい)(くわい)()するであらう。

 ()()()(てい)(やまひ)(かつ)()なることを(だん)(てい)して、(かつ)()()する(はふ)(れい)(かう)した。(こめ)()つて、(おほ)(むぎ)赤小豆(あづき)(しよく)せしめた。(これ)(いま)(おこな)はれてゐる(れう)(はふ)である。しかし()()(はふ)(しゆ)とする(ところ)(こゝ)(そん)せずして(しほ)()つに()つた。(その)()()(こゝ)(ろん)ずべきではないが、()(しよく)(しや)をして(ひさ)しく那篤留謨(なとりうむ)(あつ)(ぜつ)せしむるのは、(すこぶ)(しゆん)(れつ)(しよ)()だと()はなくてはならない。わたくしはこれに()へた()(てい)()()(そん)(ちよう)する。

 ()(てい)(かつ)()()むものの(やう)(じやう)(はう)(ろく)(そう)せむことを(へき)(ざん)(もと)めた。(とく)()むと(ほつ)したのは(きう)()(ひろ)(をか)(ぶん)(たい)(ずゐ)(ひつ)(ちゆう)なる(かつ)()(でう)である。(この)(ずゐ)(ひつ)(いま)(つた)はつてゐぬやうである。(おそ)らくは(かん)(ぽん)ではなからう。

 (たう)()()()(おほ)(むぎ)(あたひ)「百文に付一升四合」は、これを(はく)(まい)()()(くら)べて()るに、(やゝ)(たふと)きに()ぐるやうである。「極上擣」なるが(ゆゑ)か。

 (くし)(かうがい)(あたひ)(とう)の一(でう)(さう)(たい)()(がた)いのを()ひて()んだ。それゆゑ(さく)()なきことを(はう)(がた)い。しかし(かり)(きん)(りやう)(ぎん)六十三(もんめ)(ふん)(さう)()として(さん)し、(その)(じよう)(じよ)(あと)(たづ)ぬるに、()()(おほむ)(つう)ずるものの(ごと)くである。

 ()(てい)(ぢよ)()(しゆ)(しよく)(しや)()(かた)つて、(ひん)()(けん)(かく)(およ)んでゐる。()(せの)(くに)(やま)()(たう)()(とく)(しゆ)(じやう)(たい)をなしてゐて、()(はう)(ぎやう)(せい)(せい)(さい)()くること(すくな)く、(しや)()(ふう)(さかん)であつたと()ふは、げにさもあるべき(こと)である。「何國にても貧富の違に而、千金を芥にいたし候者も、また錢百文も持不申ものも有之、不同の世也。貧人が富人をうらやむといふは愚者の常なれど、これほど分をしらぬ事はなき也。皆人に命祿といふもの有之候。」(いま)(しや)(くわい)(しゆ)()(ない)()(きよう)(さん)(しゆ)()(ばく)するものとなして()まむも(また)()なりである。()(てい)をして()はしむれば、(しや)(くわい)(しゆ)()(こく)()(もし)くは(ちゆう)(あう)()(くわん)()(しや)(まつりごと)()(ところ)である。

 (まと)()から()(てい)(もと)にわり()()た。()(てい)は一たびこれを(かた)しと()ひ、(この)(しよ)(つく)るに(およ)んで、「其後煮候事(處)甚和らかに候」と()つてゐる。わたくしはわり()(なに)(もの)なるかを()らぬので、(ちく)(はく)(ゑん)(しゆ)(かい)して、これを()(まの)(くに)()()(ひと)(かど)()(れん)(らう)さんに(たゞ)した。(その)(こたへ)はかうである。「わり菜は菜にあらず。芋苗(ずゐき)を日にほしたるものをいへり。かたまりたるを一夜水につけて煮、又三杯酢にして食ふに、(わらび)(ぜんまい)などに似たる味あり。」これでわり()()(くわん)(しやく)した。

 (ぎよ)()(こと)(かみ)にも()えてゐた。しかしわたくしが(へき)(ざん)(もつ)(ぎよ)()()んと(ほつ)するものとなしたのは(あやまり)であつた。(この)(しよ)()んだ(のち)(ふたゝ)(あん)ずるに、(こと)(くわん)(ちや)(ざん)(ぎよ)()()(れう)(しよ)(はう)(もと)めたのに(おこ)つたらしい。(まと)()(ほう)(でう)(うぢ)(もん)(でん)(ぼく)(さい)()から(この)()(れう)(ちよう)せられて、これを()()にある()(てい)(はか)つた。()(てい)はこれがために(ちから)(いた)すことを()せない。(たゞ)(とし)()えずして()(れう)(あつ)(をは)らむことを(えう)(せい)する(ちや)(ざん)(せい)(きふ)()ぐるをおもふのである。かくては(ひと)(まと)()()(れう)(まつた)きことを()ぬばかりでなく、(しよ)(はう)()(れう)(また)()(ろう)(おほ)きことを(まぬか)れぬであらうと()ふのである。

 ()(てい)(こと)(きふ)にすべからざることを(しよう)せむがために、(ちや)(ざん)(しふ)(てん)(まつ)()いてゐる。「已に茶山後集去去年もはや板下にかかり候處、今に埒明不申位に候。」(ちや)(ざん)(こう)(しふ)とは(くわう)(えふ)(せき)(やう)(そん)(しや)()(こう)(へん)である。(きよ)(きよ)(ねん)(ぶん)(せい)(ねん)(しん)()である。(かん)(ぽん)(けん)するに、(その)(ぜん)(ねん)(かう)(しん)(とう)(とう)(あん)(たけ)(もと)(しつ)(おとうと)(こう)(ひやう)()つて、(しん)()の十二(ぐわつ)()(てい)(じよ)()つた。()(けつ)(しん)()(もつ)(ちやく)(しゆ)せられたことと()える。(しよ)(しゆ)()に「文政癸夫鐫」又「文政六年歳次癸未冬十一月刻成」と(しよ)するを()れば、()(てい)(この)(かん)(つく)つた(とき)(こく)(いま)()らず、(この)(とし)(くれ)(せま)つて、()(てい)歿(ぼつ)()(わづか)()つたのである。

 ()(てい)(また)(こと)(きふ)にすべからざるを(しよう)せむがために(ばん)(かう)(けい)(ずゐ)(ひつ)()いた。「或君上の此手紙は急なる事申遣し候間、隨分靜かにかけと筆者に被仰候由、面白き事也。」(この)(こと)(かん)(でん)(かう)(ひつ)(かん)(でん)()(ひつ)(きん)(せい)()(じん)(でん)(どう)(ぞく)(へん)(かど)()()(なへ)(とう)には()えぬやうである。(とく)(がは)()(だい)(しよ)(こう)()(せき)(くは)しい(ひと)(をしへ)()けたい。

 (しよ)(ちゆう)(しゆ)(じん)退(たい)(えき)(ぐわん)(しよ)(うん)(ぬん)(こと)がある。()()(まさ)(きよ)(らう)(ぢゆう)(しよく)()せむとしてゐるのである。(まさ)(きよ)()(てい)歿(ぼつ)()(いた)つて十(ぐわつ)十一(にち)(らう)(ぢゆう)(めん)ぜられた。(とく)(がは)(じつ)()(ぶん)(せい)(ねん)(ぐわつ)十一(にち)(もと)に、「十一日宿老阿部備中守病により職とかん事、かさねて請ひ申すにより、免されて雁の間席命ぜらるると、一族井上河内守めして傳へらる」と(しよ)してある。(ゐの)(うへ)河内(かはちの)(かみ)(まさ)(はる)()(つの)(くに)(たな)(くら)(じやう)(しゆ)で、(たう)()(とらの)(もん)(うち)(やしき)()り、やはり(がん)()(づめ)(つと)めてゐた。その「一族」といふ所以(ゆゑん)は、(まさ)(はる)(まさ)(きよ)(ぢよ)(せい)であるからである。

     その十一

 (ぶん)(せい)()()(ぐわつ)()(てい)(しよ)には(なほ)(ちゆう)すべき(こと)がある。()(てい)(かめ)()(ぼう)(さい)(じゆ)(えん)(こと)()はむと(ほつ)して()()()(とし)()つてより以還(このかた)歿(ぼつ)した()(めい)()(かぞ)へた。「立原翠軒死去、葛西健藏死去、寐ぼけ先生死去、老人たち皆なくなり候。」(すゐ)(けん)(たち)(はら)(まん)歿(ぼつ)したのは()()の三(ぐわつ)十四()で、(めい)(じん)()(しん)(ろく)の十八(にち)(あやまり)である。(いん)()()西(さい)(しつ)歿(ぼつ)したのは(どう)(ねん)(ぐわつ)()である。(きやう)()()(ぼけ)(せん)(せい)()ひ、(きやう)()()(もの)(あか)()()つた(なん)()(おほ)()(たん)(たま/\)(いん)()(おな)じく四(ぐわつ)()歿(ぼつ)したのである。()(てい)(しよ)が五(ぐわつ)二十()()つたとすれば、(しよ)(すゐ)(けん)()()六十五(にち)(いん)()(なん)()との()()四十三(にち)に、(あらた)なる()(ねん)(もと)(さう)せられたのである。

 (ぼう)(さい)(えん)は七十を()せむがために、四(ぐわつ)(りやう)(ごく)萬八(ろう)(ひか)かれた。(ぼう)(さい)(はう)(れき)(ねん)(うま)れなるが(ゆゑ)に、(その)七十は(ぜん)(/″\)(ねん)(ぶん)(せい)(ねん)である。()(てい)の「實は七十二、延引」と(ちゆう)した所以(ゆゑん)である。(この)(だん)(すゑ)に「悴三藏は町住家に而、久世長門守樣御儒者に、十五人扶持に而近頃有付候」と、()つてある。三(ざう)(ぼう)(さい)(やう)()()(りよう)(らい)()である。これに(じゆ)(くわん)(めい)じた()()(なが)(との)(かみ)は、()(ひろ)(たか)(しも)(ふさの)(くに)(せき)宿(やど)(じやう)(しゆ)で五萬八千(ごく)(りやう)し、(がん)()(づめ)(つと)め、(その)(やしき)常盤(ときは)(ばし)(うち)にあつた。()(てい)(りよう)(らい)(ねん)()を「もはや四十六七にも相成可申候」と()つてゐるが、(りよう)(らい)(あん)(えい)(ねん)(うま)れで、(ぶん)(せい)()()には四十六(さい)になつてゐた。

 (やま)(ぐち)(あふ)(こう)()(てい)(あた)へた五(ぐわつ)二十一(にち)(しよ)(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)で、(その)(ぶん)はかうである。「急便一筆呈上、時節炎暑、御渾家御安寧奉欣祝候。當方無恙、御省慮被下度候。誠に、甚平へ本月朔之御書中兎角御所勞之趣、不勝耿々候。折節於別家右御書拜見之夜、文亮被參合候に付御病症等も試に相質し候處、甚平より御覽に入候醫按申越候。宜鋪御考奉希候。醫事は小生等倀々、如何可然哉可申上儀も無之候得共、文亮被申候に付御脚氣にも無之候哉と覺候。乍併此御症千里懸隔之儀に候へば、必確難期(此一字不明)候なりに、隨分輕症に候間御攝養次第御快然可有之と文亮被申候故、先少しは安心仕候。また小生存出し候には、此節御所勞之儀、若御歸養御願出も有之候はば、御家内樣等も御携候而、秋凉頃に一先御歸御座候事は不相成候哉。何分にも人生平安に無之候而は不相樂候樣奉存候。率爾之至に候得共、御一計奉希候。乍去追日炎熱に赴候間、蹔は何分にも御養生可被下候。今夕甚平より書状差出し候趣承申候間、燈下に而心事を申上候而已。宜鋪御推恕被下度候。縷々は期再便候。恐惶頓首。五月廿一日。韓玨拜。霞亭兄侍座。尚々先便杢殿東下呈一書候。相達し可申奉存候。甚平方一統無事候間、是又御安意可被下候。杢殿にも無程御還裝候はば、御近状も委敷可承と企望居申候、不宣。外封。北條讓四郎樣文梧。山口長次郎。」

 (これ)()(てい)(やまひ)(ひさ)しきを()るために、()(いう)(あひだ)(しゆ)(/″\)(ひやう)()せられた一(たん)()るべき(しよ)である。(しよ)(つく)つた(やま)(ぐち)(あふ)(こう)()()(かん)(れん)(ぎよく)で、(その)(かん)(どく)(いま)(ぞん)するものは(はなは)(すくな)い。わたくしは()(てい)(でん)稿(かう)(おこ)すに(あた)つて、(しよ)(どく)(ぢゆう)(えう)ならざるものは(せつ)(ろく)して、(ぶん)のあまりに(なが)きを(いた)さざるべきを(やく)した。しかし(やうや)(しゆ)(じん)(こう)(まつ)()(せま)るに(したが)つて、()(れう)(あい)(じやく)する(ねん)(しやう)じ、(つひ)(ぜん)(ぶん)(ろく)するものの(おほ)きに(いた)つた。(どく)(しや)がわたくしの(いたづら)(ひつ)(ぼく)(つひや)すを()めようとも、わたくしには()()くべき(ことば)がない。(ただ)(この)(しよ)(ごと)きは(ぜん)(ろく)せざることを()ぬものである。わたくしは(かく)(ごと)くに()(ゆゐ)して、(つひ)(ぐわい)(ほう)(もん)()をさへ(うつ)(いだ)した。(ほん)(ぶん)()(しよ)(うぢ)(しう)して(かん)とし、()(かく)(しよ)してある。(ぐわい)(ほう)には(うぢ)(やま)(ぐち)とし、(ちやう)()(らう)(しよう)してゐる。

 (ちやう)()(らう)(あふ)(こう)(をさな)()なることは(とう)()(てい)(せん)()(へう)()(ごと)くである。(しか)るに()()五十二(さい)にして(また)(ちやう)()(らう)(しよ)してゐる。(これ)(ぶん)(くわ)十三(ねん)(へい)()()()した(とき)(をさな)()(かへ)つたのである。(しか)らば(ひと)となつてから(へい)()四十五(さい)まで(なん)(しよう)したかと()ふに、(かく)(だい)()(しよう)してゐた。わたくしが(さき)(かく)(だい)()()いたのを()て、(しよ)()せて、(あふ)(こう)(しゆう)()(ちやう)()(らう)(しよう)したと(をし)へた(ひと)があるが、それは()穿(せん)(さく)(あやまり)である。(この)(ひと)()(へう)の「小字長二郎」とある「小字」を(つう)(しよう)()()たかも()れぬが、(これ)()(てい)(せう)()(あざな)()(てん)(よう)したのである。

 (あふ)(こう)(こく)(どく)(ぶん)(すこぶ)(つね)(こと)なつてゐる。(かう)(/\)()倀(ちやう)(/\)()(るゐ)は、()(にん)(よう)()(くだ)さざる()(めん)である。これを()めば(れん)()()(ふう)(じやう)に一(しゆ)(くせ)のある(かん)(れん)(ぎよく)()(おも)(おこ)される。

 (この)(しよ)()るに、(あふ)(こう)(おな)じく、()(てい)(わう)(ふく)してゐる(やま)(ぐち)(じん)(ぺい)(あふ)(こう)(べつ)()である。(また)(しよ)(ぶん)(すけ)とあるは(あを)(やま)(ぶん)(すけ)で、(とう)(うぢ)(やしな)はれて(とう)()(てい)()ふ。(あふ)(こう)(べつ)()()つて()(てい)(じん)(ぺい)(あた)へた(しよ)()た。そこへ()(てい)()(あは)せたので、()(てい)(やまひ)(こと)(たゞ)した。()(てい)()(あん)(つく)つて(あふ)(こう)()つた。(あふ)(こう)はそれを(この)(しよ)(とも)()(てい)()せたものと()える。

 ()(てい)()(あん)(つた)はらぬのは、(をし)むべき(こと)である。(なに)(ゆゑ)といふに、()(てい)(やまひ)(のち)より(すゐ)(きう)して、(なに)(しやう)とも(さだ)(がた)いものである。それがために()(あん)(つく)つた()(てい)(がく)()としても(しき)(けん)のあつた(ひと)である。そして(あふ)(こう)()(てい)(けい)(てい)(ごと)くに()(みつ)(いう)であつたに(はん)して、()(てい)()(てい)(れい)(せい)(まなこ)(もつ)(かく)(くわん)(てき)()てゐたことが、鉏()()(てい)(ずゐ)(ひつ)()(てい)(ぶん)(ひやう)した一(せつ)()つても(すゐ)せられる。わたくしは()(てい)()(あん)(もつ)(こう)(へい)なる(くわん)(さつ)より()(きた)つた(はん)(だん)だとして、()(せう)これに(おも)きを()く、(をし)むべしとなす所以(ゆゑん)である。

 わたくしは(はじ)(あふ)(こう)(この)(しよ)()てかう(おも)つた。(あふ)(こう)(べつ)()をおとづれた(よる)()んだ()(てい)(しよ)には、()(てい)(おの)れの(やまひ)(かつ)()なりとする(かく)(しん)()えてゐたであらう。さて(あふ)(こう)()(あん)(もと)めて()た。()(てい)()(てい)(やまひ)(かつ)()とは()てゐなかつた。そこで(あふ)(こう)はこれを()(てい)(てん)()するに(あた)つて、(ことさ)らに(その)(ことば)(ゑん)(きよく)にした。「醫事は小生等倀々、如何可然哉可申上儀も無之候得共、文亮被申候に付、御脚氣にも無之候哉と覺候。」(やく)して()へば「()(がく)(こと)には(わたくし)(ども)(はう)(がく)()たない、どうなさるが()いと(まう)()げる()(けん)もありませぬが、(ぶん)(すけ)()ふのを()けば、()(びやう)()(かつ)()でもないやうに(おも)はれます」となる。()(てい)()(てい)(やまひ)(かつ)()でないと()ひ、(あふ)(こう)(また)これを()いて(かつ)()()(しん)(だん)(うたがひ)(さしはさ)んだ。さて(あふ)(こう)(しよ)(ちゆう)()(てい)(まと)()(かへ)らむことを(すゝ)めてゐる。(これ)(あるひ)(かつ)()として()(れう)してゐる()()()(しや)()より()(てい)(うば)(かへ)して、(かつ)()にあらずと()()(てい)(ごと)()(しや)()(ゆだ)ねようとしたものであつたかも()れない。しかし()()(てい)(やまひ)()(しゆく)(じん)であつたとすると、(これ)(また)(たの)むに()らぬ(こと)であつただらう。かうわたくしは(おも)つたのである。

 しかしわたくしが(あふ)(こう)(ぶん)(かく)(ごと)(かい)したのは(あやま)つてゐたらしい。わたくしは(のち)(やま)(ぐち)(じん)(ぺい)()(てい)(あた)へた(しよ)()んで、()(てい)()(てい)(やまひ)(もつ)(かつ)()となしてゐたことを()つた。(じん)(ぺい)()(てい)()(あん)(あやま)()んでをらぬ(かぎり)は、(さく)(どく)(しつ)はわたくしの(うへ)()せざることを()ない。

 (こゝ)(いた)つて(かんが)へて()れば、(あふ)(こう)が「文亮被申候に付、御脚氣にも無之候哉と覺候」と(しよ)したのは、「御脚氣には無之候哉と覺候」と()ふに(おな)じく、(やく)すれば「脚氣ではないかと、思はれます」となるのであつただらう。(しも)(じん)(ぺい)(しよ)(あは)(かんが)ふべきである。

 (しよ)(ちゆう)(また)(もく)()がある。(これ)(おそ)らくは(かは)(さき)(けい)(けん)()(せい)()(しよう)であらう。(はた)して(しか)らば(せい)()()()(なつ)()()()てゐただらう。そして(あふ)(こう)はその()()(かへ)るを()つて()(てい)(びやう)(じやう)()かうとおもつてゐたのである。

     その十二

 (ぶん)(せい)()()(ぐわつ)二十一(にち)(やま)(ぐち)(じん)(ぺい)()(てい)(あた)へた(しよ)は、(おそ)らくは(あふ)(こう)(しよ)(どう)(ふう)せられてゐたであらう。そして(とう)()(てい)()(あん)()(てい)(やまひ)(もつ)(かつ)()となしたことは、(この)(じん)(ぺい)(しよ)にあまりに(めい)(はく)()かれてゐて、(ほとん)(うたがひ)(さしはさ)むべき()()(とゞ)めない。「五月朔尊翰昨日相達辱拜見仕候。時下暑氣相催候處、愈御渾家樣御揃御萬福不勝欣幸候。當方皆々無故障罷在候、乍恐御安意奉希上候。然者御病氣已に御復常と奉存候處、于今御勝れ不被遊候よし、甚案じ居申候。御申越被下候御病症早速文亮子へ相尋しばらくして接對候處、御申越之趣に而者脾胃虚にては有之間敷、脚氣緩症と被存候樣被申候。其明日此尺牘被贈萬一之利益にも相成候哉、早々此樣子可申上樣申來り候。御油斷は無御坐候かなれども、何卒都下之名醫へ御見せ被遊候樣呉々奉希上候。文亮子文之中へ加へ候醫人など如何御坐候哉、今にては都下第一之醫と申事に御坐候。何分御病不長中御養生專一奉希上候。只今勢南之醫いづれも可然人は無御座、先文亮君などを除候而者外に者無之樣承り候。尚又御病氣樣子後便委曲御しらせ可被下奉希上候。郷里皆々無恙御揃被遊候、必々御案じ被下間敷奉希上候。御姉上樣定而御心配奉察候、おとらも追々成長と奉存候。乍恐可然御致聲奉希上候。右申上度、餘奉期再信候。恐惶謹言。五月二十一日。山口甚平拜具。北條霞亭先生侍坐下。亂筆御高免奉希上候以上。尚々拙妻よりも可然御見舞可申上樣呉々申附候也。」(この)(しよ)には()(てい)(やまひ)(こと)より()(とく)(ちゆう)すべきものはない。しかし()(てい)(さい)を「御姉上樣」と()ぶのは(なに)(ゆゑ)であらうか。()(てい)(すゑ)(おとうと)(けい)(すけ)は、()()(ねい)()つたが、(やま)(ぐち)(あふ)(こう)(やしな)はれて()(ちゆう)(あざな)(たん)(じん)(あらた)めたと()ふことである。(あるひ)(おも)ふに(やま)(ぐち)(うぢ)所謂(いはゆる)(やう)()(そう)()()がしめむがための()ではなくて、(べつ)()主人(あるじ)たらしめたものではなからうか。(じん)(ぺい)(けい)(すけ)(かい)(しよう)したものではなからうか。(あふ)(こう)(しよ)に一(ごん)(けい)(すけ)(うへ)(およ)ぶものゝないのも、わたくしの(すゐ)(そく)をして葢然性(プロバビリテエ)()さしむるに()るではないか。

 ()()(ぐわつ)()(てい)()けた(しよ)(どく)の三(つう)(こゝ)(をは)つた。(しか)るに(なほ)(つゐ)()すべき一(しよ)がある。それは(ぜん)(しよ)(おく)るゝこと(やく)()に、(をか)(もと)(くわ)(てい)()(てい)(あた)へた(しよ)で、(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)である。(すなは)()()()(ちゆう)(わう)(ふく)である。「先日は御手教、此節惠美藥御相應御快方のよし目出度奉存候。扨々御長病御退窟可被成、とくに御快しと存候に、やう/\御家内御あるき位に至候よし、御病候も色々轉變いたし候にや、此せつは脚氣御患被成候由、河崎氏被申聞候。左樣に候や。脚氣は惠美得手と承候へば御屬し被成候而御尤と被存候。私も當春以來大病人うち續、魔事多く、妻はやう/\死を免れ候而、此せつは大方快復、女壻は下世いたし候。かかる事共にて、大に御無音、詩なども元日に少々有之候ままにて、其後筆硯棄擲至今日候。この程少し心にひまも出來、頻に御なつかしく存續候。近日中凉しき日御見廻旁可罷出候。御病中御著作は如何。鵬齋先生染筆奉謝候。聯玉致聲辱存候。此方無音而已に打過候。御序に宜しく奉憑候。碑文御存寄も少々被仰遣候よし、私も一見、みだりに難容喙候へども、卒の字如何くるしからずや。四品以下の人には用不申方宜やと、私などは心得罷在候。其外少し心付候處も有之、其中拜話可仕候。古賀一封、先頃被頼候へども、其砌は大混雜の中にて無人、旁大に延引仕候。御落手可被下候。茶山先生瘟疫、一時は危きほどの御やうす、此節は御快復と承り、安心仕候。さばかりの御病患も治候は、畢堯御高年ながら強き處おはし候故之事とたのもしく、悦申候。春以來一度も状出不申、あまりの御無音、近日呈書可致、御序のせつ何分宜奉願候。頓首。五月二十九日。成拜啓。霞亭詞壇。」

 (くわ)(てい)()(てい)(びやう)()(かつ)()だといふこと、(その)()(れう)(しよく)せられた()(しや)()()(ぱく)だといふことを(ぶん)()した(とき)(しよ)(どく)である。わたくしは()調(てう)(あひだ)(くわ)(てい)のあまり三(ぱく)(しん)(せつ)してをらぬらしい()()()すやうにおもふがいかがであらう。(たう)()()()より()れば、(せん)(もん)(ぶん)(くわ)(ひと)(おほ)いに(けい)(ちよう)すべき(ひと)(すくな)かつた(はず)である。しかし(くわ)(てい)は三(ぱく)(すゐ)(しゆ)()する()(りやう)(まつた)(みと)めなかつたのではない。「御屬し被成候而御尤と被存候」と()ふのは、(かつ)()ならばこれを()することに(ちやう)じてゐる()()(むか)へられたのも(あやし)むには()らないと()()であらう。(くわ)(てい)(この)()(てい)(きん)(じやう)を「河崎氏」に()いた。(すなは)(せい)()()()である。

 わたくしは(いま)(くわ)(てい)(しやう)(でん)()らない。それ(ゆゑ)()()(しゆん)()(くわ)(てい)(つま)(ぢよ)(せい)とが(たい)(びやう)(かか)つてゐて(つま)(わづか)()(まぬか)れ、(ぢよ)(せい)(つひ)歿(ぼつ)したことを、(この)(しよ)によつて()りながら、これに(ちゆう)(かい)(くは)ふることを()ない。()くが(ごと)くば、(くわ)(てい)(たう)()(ばく)()(せめ)()けて()()(しん)(いり)()となつてゐた。(めい)()(ねん)(うまれ)()()五十六(さい)である。その(ばく)()(たい)(よう)せられて()()たのは、(これ)より十三(ねん)(のち)(てん)(ぱう)(ねん)七十(さい)(とき)である。されば(この)(とき)()えてゐる(やく)(なん)(みな)(しつ)()(くわ)(てい)(うへ)(くは)はつたのである。

 (ぼう)(さい)(しよ)(くわ)(てい)()(てい)(せう)(かい)()つて()()たものであらう。(あふ)(こう)()(てい)(しよ)()する(ついで)に、(くわ)(てい)()(せい)したのである。()()(めい)(こと)(つまびらか)にし(がた)いが、(せん)(じや)(どう)()()(てい)(くわ)(てい)とに(えつ)()うたものとおもはれる。

 (ちや)(ざん)(やまひ)(びやう)(ちゆう)(ざつ)()の五(りつ)(しゆ)(ちゆう)に「臥病春過半」「昏々渉數旬」(とう)()があり、()()(むら)(ちく)(でん)(君彝)に(むく)いる七(りつ)(しゆ)(ちゆう)に「伏枕春來未渉園」の()があるより()すに、(しよ)(しゆん)(ちゆう)(しゆん)(ころ)であつた。(くわ)(てい)(この)(しよ)(たちま)ち「瘟疫」の二()(てん)(しゆつ)してゐる。(しか)れば(ちや)(ざん)(やまひ)(ちやう)窒扶斯(ちふす)などの(るゐ)であつたか。(ちや)(ざん)(しふ)には(しも)()(しゆん)登山寺(さんじにのぼる)の五(りつ)(しゆ)があるが、(しも)()()(てい)の六(ぐわつ)(さく)(しよ)(ちよう)するに、(ちや)(ざん)(まつた)(くわい)(ふく)したのはこれより(おそ)いやうである。(かの)(りつ)(くわ)(だい)(さく)ではなからうか。

 ()()(ぐわつ)()つた(ころ)には、()(てい)(やまひ)はあまり(けん)(あく)ではなかつたらしい。わたくしは六(ぐわつ)(さく)(つく)つた(せき)(どく)(つう)(そん)じてゐるから(かく)(ごと)くに()ふのである。わたくしは(しも)(この)(つう)(れん)(さい)しようとおもふ。

     その十三

 (ぶん)(せい)()()(ぐわつ)(さく)()(てい)(つく)つた三(つう)(せき)(どく)(うち)、わたくしは(こゝ)()づその(おとうと)(へき)(ざん)(あた)へた二(つう)(ろく)する。「五月十五日御書状相達、先以暑蒸(の節なるに)御平安奉賀候。私儀日々快く候。御放意可被下候。御作愚評(を加へ)返納仕候。ふと存附候間、如在は有之間敷候へども、甚平方へ御郷里より、御用事の人は格別、親族といふて人のゆく事御用捨可然候。兄弟などは格別の事也。何にもせよ、親族といふていけば、あちらにても麤末も相成申間敷、多事込(困)り可申候。これは私も近年備後にて時々迷惑致し候事有之故に候。此間は又々御前より私病氣御尋被仰出候とて、御納戸より御肴、あわび、きすご、ひらめ、古索麪など頂戴被仰附候。難有奉存候。乍序御風聽可被下候。一昨日(五月二十八日)備後よりも信有之、菅翁も全く復し候由、こまやかなる書状參り候。鵬齋も、とてもいけぬ疾に候へば、自分には醫師には一向かけぬよし、かの妻並三藏などむりにすゝめ、惠美三白むかへるつもりになり候由、私方へ昨日(五月二十九日)申參り候間申遣置候。三白も主人家の姫君の上杉樣や、加賀の御別家出雲樣へ(被)爲入候と、自分の主人の奧方などの御用(此一字不明ゆゑ姑く填む)に而外療治さつぱりやめ居候由に候。先達而御頼申上候いりこは私養生喫にいたし候也。可成はいらたかの高きがよろしく候。是は飛脚は御無用のこと、何ぞ物のついで(に)、船便に御頼申上候。いそぎは不申候。暑蒸切角御用心可被成候。匇々頓首。六月朔日。讓四郎。立敬樣。」これが(だい)一の(しよ)である。

 「先状相認置候處、河崎杢被參、山田書状等相達、御郷里之御左右も承知仕候處、御平安之由、珍重奉存候。爾來諸般相替候儀も無之、賤症も段々順適いたし候。併藥用保養はいたし候。藥はやはり惠美に候。此節越婢加附子に蘇子五味など加へ候方に候。惠美も此節藝州御上御産、藝州より上杉候へ(被)爲入候姫君御産などにて、足どめいたされ、外治療大方謝絶之由。殿樣先書御噂申候通、十八日御退役願書被差出候處、其翌日直に御差留被仰出候。長く保養可仕候旨との事に候。先難有事に候。御家中も御首尾旁一統悦候事に候。御前御心中、且は御病氣の事なれば、此後いかゞ相成や、はかられはいたさず候へども此上とも、御全快御出勤長く有之候はば、福山臣民は申に不及、天下一統之大慶に候。書外は先書申上置候。追々暑蒸、切角御自愛奉祈候。御家内中樣、御食物中暑の御用心專一に候。夏のあひだ大方讀書其外客人應對などは省略いたし候が養生かと被存候。餘期再信候。匇々頓首。六月朔日。北條讓四郎。北條立敬樣。」これが(だい)二の(しよ)である。

 (この)(しよ)(ぜん)()()()かれて(どう)()(はつ)(そう)せられたものである。(ぶん)(ちゆう)(もつと)(ちゆう)(しやく)()つことある(ところ)()()(ぱく)(こう)(そく)して()(ぐわい)(かん)()らしめなかつた(しよ)(こう)()(じん)(たち)である。(だい)一に「藝州御上」の(さん)()ひ「自分の主人の奧方」の(さん)()ふは()(きの)(くに)(ひろ)(しま)(じやう)(しゆ)(まつ)(だひら)()(きの)(かみ)(なり)(かた)()(じん)である。(だい)二に「加賀の御別家出雲樣へ(被)爲入候」(おく)(がた)()ふは(ゑつ)(ちゆうの)(くに)()(やま)(じやう)(しゆ)(まつ)(だひら)(いづ)(もの)(かみ)(とし)(やす)()(じん)で、(まつ)(だひら)(なり)(かた)(ぢよ)である。(だい)三に「藝州より上杉候へ(被)爲入候姫君」(また)「主人家の姫君の上杉樣」の(さん)()ふは()(はの)(くに)(よね)(ざは)(じやう)(しゆ)(うへ)(すぎ)(だん)(じやう)(たい)(ひつ)(なり)(さだ)()(じん)で、これも(また)(なり)(かた)(ぢよ)である。(えう)するに(みな)(あさ)()(まつ)(だひら)(その)(ぢよ)(せい)との(いへ)(こと)である。

 (この)(ほか)(ぶん)(ちゆう)には()(めい)(こと)(おほ)い。(たゞ)()(てい)(くすり)(くひ)のために()(きやう)に沙(なまこ)をあつらへて、「いらたかの高き」ものを(えら)ばしめた。いらたかとは沙(なまこ)(いぼ)であらうか。(さう)(ぶん)(ぞく)するが(ゆゑ)(ちゆう)する。

 ()(てい)の六(ぐわつ)(さく)(つく)つた(だい)三の(しよ)(くわん)(ちや)(ざん)にあてたものである。(おとうと)(あた)へた二(しよ)(まと)()(しよ)(どく)(ちゆう)の一であるが、(ちや)(ざん)(てい)する(この)(しよ)(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)である。わたくしは(すう)(かう)(せう)してこれを(かへ)した。「五月朔惠美三白見舞被下(中略)水氣段々とれ、心下の痞も追々退き候。乍憚御安意可被下候。(中略)昨日は肩輿にて霞關へ參候。格別動氣も無之、先をり合申候。(中略)お敬、おとら皆々無事罷在候。(中略)御上にも先(月)十八日御病氣之爲御退役御免御願被遊候處、翌日早速御差留心長く養生可仕旨被仰出候由、御家中一統恭悦仕候。段々御快氣之由に承候。私病中兩度御尋被仰出、内々御肴、索麪等被下置候。難有仕合奉存候。」(すゑ)には「六月朔、北條讓四郎、茶山先生函丈」と(しよ)してあつた。

 (この)(しよ)()つて、わたくしは()(てい)()()(ぐわつ)二十九(にち)(こま)(ごめ)西(にし)(かた)(まち)所謂(いはゆる)(なう)()(いへ)から()()(かすみが)(せき)()()()(ほん)(てい)()つたことを()つた。(きう)(びやう)()(てい)(たう)()(せう)(かう)()てゐた(かく)(しよう)である。

 (この)(のち)(いま)(いくばく)ならざるに、()(てい)の二(てい)(りつ)(けい)(りやう)(すけ)(とつ)(ぜん)()()()(はく)(けい)(びやう)(しやう)(まへ)(はい)(ふく)した。(りつ)(けい)()(てい)(かは)つて(ほう)(でう)(うぢ)()()となつた(へき)(ざん)()(ちやう)(りやう)(すけ)(たに)(をか)(うぢ)(おか)した(その)(つぎ)(おとうと)である。(げん)(そん)してゐた(はく)(ちゆう)(しゆく)()が、(やま)(ぐち)(うぢ)(おか)した()(てい)(ちゆう)(のぞ)くの(ほか)(みな)(くわい)(がふ)したのである。

 (りつ)(けい)(りやう)(すけ)はいつ(まと)()(はつ)したか、いつ()()()いたか、(つまびらか)にすることが()()ない。(たゞ)わたくしの()ることを()(ところ)は、六(ぐわつ)十六(にち)に二(にん)(すで)()()にゐたこと、その()()(はつ)したのが十九(にち)か二十()(ごろ)であつたこと、(この)二つの(こと)のみである。

 これを(しよう)するものは「六月十六日高城(二字不明)羣右衞門、北條讓四郎樣、貴酬」と(しよ)した一(つう)(しよ)(どく)で、(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)である。(ぐん)右衞()(もん)(ひつ)(せき)(きはめ)()(がた)(ぞく)(しよ)で、(その)(うぢ)をだに(たしか)には()(がた)い。わたくしは(しばら)(たか)()()んだ。しかし(かう)()(また)()とも()ることが()()る。(しろ)()(つち)(したが)ふや(いな)やが()(めい)である。(これ)奈何(いかん)ともすることが()()ない。(この)(しよ)(しも)()がある。「御令弟樣御出府之處、十九廿日頃御歸郷に付、箱根手形之義被仰下、承知仕候。相認させ候而、其以前差上可申候。何の御心配も無御座候。」(ぐん)右衞()(もん)は十六(にち)()(てい)(しよ)(こた)へた。()(てい)は十六(にち)(もし)くは(その)(ぜん)(じつ)(ごろ)に、(わが)(いへ)()まひに()てゐる二(てい)のために(ほう)(でん)()うた。(ぐん)右衞()(もん)はこれを(だく)したのである。二(てい)()()(はつ)すべき()が十九(にち)(もし)くは二十()であることも、(この)(しよ)()えてゐる。

 (すゐ)(てい)(もつと)(かた)いのは、二(てい)(これ)より(さき)(なん)(にち)()()()たかといふ一()である。しかし(さい)(かん)(だう)()稿(かう)()(しふ)(すゑ)に、「立敬良助二弟來訪病、臨歸賦贈」の五()があつて、(その)(うち)に「相見數晨夕、明朝將却囘」の()がある。二(てい)(はた)して()(てい)(ごと)くに()()つたとすると、(この)()()つたのは十八(にち)(もし)くは十九(にち)でなくてはならない。そして二(てい)()()()()(へん)(かう)したらしい(けい)(せき)は一も(そん)してゐない。さて「相見數晨夕」の五()()れば、二(てい)(ひさ)しくは(とゞ)まらなかつた。(あるひ)はおもふに()(てい)は二(てい)()(ちよく)()(しよ)(ぐん)右衞()(もん)(あた)へたかも()れない。()(しか)らば二(てい)(わづか)に十五(もし)くは十六(にち)より十八(もし)くは十九(にち)(いた)る三()(ない)()()(とう)(りう)をなしたに()ぎぬかも()れない。

 (こゝ)()()すべきは(まと)()(しよ)(どく)(ちゆう)(やま)(ぐち)(あふ)(こう)()(てい)(ちゝ)(ほう)(でう)(てき)(さい)(あた)ふる(しよ)で、(これ)は二(てい)(にふ)()(つき)()(かんが)ふる(うへ)(おい)て、(ばう)(しよう)()つべきものである。二(てい)(すで)(まと)()()つた(のち)(かは)(さき)(せい)()()()より()()(かへ)つて、()(てい)(やまひ)(せう)(かう)()てゐる(やう)()(もたら)した。(あふ)(こう)はこれを(てき)(さい)(はう)じたのである。「誠に先達而江戸表御令息(此一字不明)君御不快之趣、甚以御案じ申上、別而立敬御兄弟御東下、暑中御勞煩奉察候御事に御座候處、此頃先河崎良佐(敬軒)令息杢(誠宇)と申仁用向有之東行に而、於江戸表兩度迄丸山御屋敷へ被致參敲、追々御快然御座候樣、今朝(六月十五日)杢殿來訪承之安心仕候。幸今日御出入之仁立寄被呉候便宜此段申上候。乍憚御一統御悦可被下候。委曲は甚平よりも書中に可申上、御承知御安堵奉希候。(中略)立敬御昆弟にも無程御還裝有之、目出度可得拜陳と欣想罷在候間、必々御案じ被成間鋪候。」(すゑ)には「六月十五日。山口長次郎。北條道有樣侍史」と(しよ)してある。(これ)()つて()れば(せい)()(あふ)(こう)()()()うた()は六(ぐわつ)十五(にち)(あるひ)は二(てい)()(てい)()()()うた()(おな)じかつたかも()れない。(たと)(しか)らずとも、(この)()に二(てい)(すで)()(てい)(いへ)にあつたであらう。

     その十四

 (へき)(ざん)(たに)(をか)(りやう)(すけ)との(ちゆう)(しゆく)(てい)が、(ぶん)(せい)()()(ぐわつ)(なか)(ごろ)(はく)(けい)()(てい)()()()うた(ぜん)()()(じやう)(すゐ)(そく)(がた)くはない。しかし(かみ)()いた()(てい)の五()はこれを(じよ)すること(はなは)(しう)(みつ)であるから、(こゝ)(その)(えう)(せう)する。「一病渉春夏。醫藥無寸效。微命不足惜。先親實不孝。憂慮來百端。孤影伴妻孥。天涯親交少。向誰訴區々。毎欲脩家書。展紙屡停筆。不告類不情。告則勞遠恤。遂書其梗概。因弟知小異。豈意傳説者。紛々不一二。二弟經千里。故來忽對牀。驚喜疑夢寐。各眼熱涙滂。乃言煩百聞。不如一見審。朅來察安否。令親安衾枕。可歎不愼咎。罹痾致其憂。幸且有天助。以得就微瘳。」(説文、朅去也、丘竭切。)(じよ)(ひつ)(また)(ちゆう)(きやく)()たない。()(てい)(おのれ)(やまひ)()ならずして()すべきを(しん)じ、二(てい)(すみやか)(かへ)らむことを(すゝ)めた。「留汝不知厭。定省奈闕人。違意促歸去。吾志苦而勤。」

 二(てい)()()()つた()が六(ぐわつ)十八(にち)(もし)くは十九(にち)であつた(はず)だとは(かみ)()つた。さて()(きやう)()いたのは七(ぐわつ)(はじめ)である。その(まと)()(いへ)(かへ)つたのが(なん)(にち)であつたかは()(さい)()いてゐるが、二(てい)は七(ぐわつ)()()()(やま)()()いて、そこから()(てい)(しよ)(はつ)した。(この)(こと)(しも)()くべき()(てい)(しよ)()えてゐる。

 ()(てい)が二(てい)(やま)()より(はつ)した(しよ)()たのは十一(にち)である。(さい)(かん)(だう)()稿(かう)(さい)()()にかう()つてある。「七月十一日得二弟歸家信志喜。日夜相思數去程。南雲如火正崢嶗。倏披歸到平安報。將勝應門見汝情。」(げん)(みつ)()へば(やま)()(いた)つたのは(まと)()(いた)つたのではない。しかし()(てい)()()()(しん)(やま)()より(はつ)せられた(しよ)であることは、(これ)(また)(しも)()(しよ)(ちよう)して(あきらか)である。

 (この)()(ひと)()稿(かう)()せられてゐるのみではない。(まと)()(しよ)(どく)(ちゆう)にこれを(しよ)した()(せん)がある。(たゞ)(だい)の「歸家信」が「歸家消息」に(つく)つてあるを()なりとする。()()()は「別後相思數去程」と(しよ)して、「別後」の二()()(まつ)し、(かたはら)に「日夜」と(さい)(しよ)してある。()(せん)(すゑ)には(なほ)(うた)(しゆ)(ならび)に二(ぎやう)(つゐ)()がある。しかし(これ)(しも)(しよ)(かん)(とも)(せう)することにする。()(せん)(しよ)(かん)()()めて(おく)られた(もの)とおもはれるからである。

 わたくしは(こゝ)に八(ぐわつ)()()(てい)(しよ)()げる。(また)(まと)()(しよ)(どく)の一である。「秋暑愈御安康御揃珍重奉存候。先達は七月三日山田よりの御状十一日に相達、擧家大安心仕候。船に御のりも一術に而、甚はやく、わけて御宅に而も御悦奉察候。先(月)九日(書状)差出申候、其後は先段々快方に候。心下も追々さばけ、腹の筋もずつと引込申候。氣力精神は常の如くに候。ただ膝腰の軟弱にこまり候。これは脚氣のもち前の症と見え候。復後の用心等御心付次第被仰可被下候。○いまだ米鹽肉たち居候。とてもの事に四五日に而百日故、たち可申候。復後補養にそろ/\かかり可申候。其内厚味は用捨可仕、何卒乍御面倒海參二朱にても百疋のにても早々御世話可被下候。船のたよりに御出し可被下候。併し少々づつ追々なれば飛脚にてもよろしく候。○此表朝夕は大分凉しく凌ぎよく相成申候。病人には甚相適申候。○杉ノ木ノ節御心懸御とり置御惠可被下候。藥に用ひ候積りに候。此方に而はまき屋に不自由に候。これはいそぎ不申候。○良助方分娩は如何。乍恐二尊樣へ可然奉願候。時節折角御自愛奉祈候。先は近状報じたく如此御坐候、以上。八月二日。讓四郎。立敬樣。」(あん)ずるに(かみ)()(せん)(この)(しよ)(じやう)()()めてあつたのであらう。()(せん)(すゑ)(しる)してある(うた)は「よしさらば足たたずともふみみてむわが目のあきてあらむかぎりは。」(その)(しも)(つゐ)()(ぎやう)はかうである。「三白も廿二日出立いたし候。三圭に跡頼居候。」

 (しよ)(ちゆう)()(てい)(びやう)(しやう)(うへ)より()(ちゆう)()すべき()がある。「ただ膝腰の軟弱にこまり候。これは脚氣のもち前の症とみえ候。」(この)()()(せん)(うた)(れん)(けい)してゐる。()(てい)(こゝ)(いた)つて(はじめ)()()(ちよう)(こう)(げん)(きふ)してゐて、そして(その)(こと)(にはか)()れば(やまひ)(かつ)()たるを(しよう)するものの(ごと)くである。しかし(これ)(かなら)ずしもさうでない。()(てい)(ひさ)しく()んだ(のち)に、(しゆん)(れつ)(しよく)()(れう)(はふ)(すなはち)(ぜつ)(えん)(はふ)(おこな)つてゐる。その「膝腰の軟弱」は(ぜん)(しん)(すゐ)(じやく)(げん)(しやう)として()ることを()るのである。(かつ)その(いま)(およ)んで(わづか)(あらは)れたのも、わたくしをして(かつ)()(ちよう)(こう)でないと()(はん)(だん)(かたぶ)かしめる。

 ()(せん)(すゑ)(つゐ)()()れば、()()(ぱく)(ひろ)(しま)(かへ)つたらしい。()(てい)(あと)(たの)んでゐると()ふ三(けい)は三(せい)(ぱく)(げん)(らん)(てい)(しう)(ぢよ)(せい)にして(やう)()()たる(けい)(しう)(てい)(こう)である。(てい)(こう)(もと)(つゝみ)(うぢ)(ちゝ)(りう)(けん)(てい)滿(まん)()ふ。(はゝ)は二(せい)(ぱく)(たい)(せう)(てい)(しやう)(いもうと)である。(てん)(めい)(ねん)(うまれ)だから、()(てい)(れう)した(ぶん)(せい)()()には四十二(さい)になつてゐた。(この)(ひと)(のち)(くん)(めい)()つて(ぶん)()したので、(てい)(しう)(いへ)をば(てい)(さん)()いで四(せい)(ぱく)となつた。

 わたくしは(へき)(ざん)(たに)(をか)(りやう)(すけ)との二(てい)()(てい)()()()うた(てん)(まつ)(あきらか)にせむが(ため)に、(かみ)()(てい)の八(ぐわつ)()(しよ)(ろく)した。それは二(てい)()(きやう)()(つく)られた(だい)(しよ)で、(その)(だい)(しよ)(七月九日發)は(いつ)したのである。わたくしは(すで)にこれを(ろく)した(のち)に、(この)(しよ)(げん)(そん)する(ところ)()(てい)(かん)(どく)(ちゆう)(さい)(しゆう)のもので、(どう)()(まと)()(せき)(どく)(ちゆう)(さい)()の一(つう)であることを(とく)(ひつ)しなくてはならない。

 さて(これ)より(すゝ)んで()(てい)()(めい)(たも)つてゐた(はん)(げつ)(かん)(こと)(じよ)するに(さきだ)つて、わたくしは(さかのぼ)つて一()()はなくてはならない。それは()(てい)(なん)(こう)()()てむと(ほつ)した(こと)で、(これ)()(うち)(げつ)(だう)()(てい)(あた)へた(しよ)()えてゐる。(しよ)は七(ぐわつ)二十五(にち)(つく)られたもので、(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)である。(すなは)ち二(てい)(なう)()(いへ)()()つた一(げつ)()()(てい)の八(ぐわつ)()(しよ)(つく)つた一(しう)(ぜん)のものである。

 「心外に御疎音打過申候。先以被爲揃御榮福奉恭賀候。過日吉川武助參り、御容體委曲相伺御案思申上候所、其後伯民より御快方之御消息承り及、大に降氣且扑舞仕候。此節はとくと御全快に候哉、御樣子伺ひ申度御座候。炎熱依然折角御自重專一奉祈候。先比楠公詩碑之事も内々御下問被下謹承仕候。いまだ致仕翁へは不申聞候間、認候哉否しかと申上げがたく候。扨唐突なる申事に候へども、茶翁楠公之詩長篇有之、一家之御論も有之、過年感誦いたされ候き。あの詩もともに御上石被成候ては如何。碑の正面に詩二首と申はをかしきものに候半哉。僕等はあしからずとも被存候。如何思召候哉。さて右樣にては建碑企望之御諸生たち不得意にては不宜、先づ御内分貴意相伺申候のみ。春頃か柳井徳藏(柳字不明)もとめられ候小學之代料つりといふもの被遣、先方へ遣し申候受取がき、つゐ失ひ申候。御免可被下候。紅梅この炎熱にかれ不申候哉。早春は御いらへ數首被下、有がたく感吟仕候。實は御歌にてはあき足り不申候。佳作(詩)をこそ所希に候。是はこん(來)年の春をまち得てきかまほし、梅の立枝に鶯の聲、今より奉待候也。茶翁春の比患状くはしく承り驚き候所、其後御自書にて、例之蠅頭書參り、少しもむかしに不變、大に欣抃仕候。其後御壯健と奉存候。伯民もあまり金をためてやまひ動き、大に疲痩いたし候。稍快方、既に廿日に西發、また春は出可申候也。頓首。七月廿有五。月堂拜。霞亭先醒左右。」

 ()(うち)(しよ)(しも)(ちゆう)する。

     その十五

 (ぶん)(せい)()()(ぐわつ)二十五(にち)に、()(うち)(げつ)(だう)()(てい)(あた)へた(しよ)には(なん)(こう)()(こと)()つてある。()(てい)()()(みなと)(がは)なる(くすの)()(まさ)(しげ)()(そく)()てようとした。そのこれに(こく)すべき()は、()ふまでもなく(ぜん)(ねん)(つく)つた「武臣曾跋扈、兇豎況迷昏」(うん)(ぬん)の二十(ゐん)(はい)(りつ)である。さて()(てい)(この)(ほつ)()(げつ)(だう)()げて、(しら)(かは)(らく)(をう)(こう)(だい)(がく)()ようとした。しかし(げつ)(だう)(あへ)(すなは)ちこれを(こう)(まを)さなかつた。「いまだ致仕翁へは不申聞候間、認候哉否しかと申上がたく候」と()所以(ゆゑん)である。(げつ)(だう)(こう)(まを)さないで、(かへ)つて()(てい)(ちゆう)(こく)した。(いし)()てるは()いが、これに(こく)する()(ちや)(ざん)(さく)(あは)(こく)しては何如(いかに)()つたのである。(ちや)(ざん)()とは(ほん)(しふ)(こう)(へん)(けんの)八に()する(ところ)の「楠公墓下作並引」と(だい)した七()である。()は「致身所事是臣道、別有大忠知者少」を(もつ)(おこ)し、「當時若無公輩出、乾坤亦豈有今日」を(もつ)(むす)んである。(ちや)(ざん)(あし)(かが)(たか)(うぢ)()(ばう)(みなもと)(より)(とも)(ほう)(でう)(やす)(とき)(たぐひ)でないとおもつた。(より)(とも)(やす)(とき)(ゐん)(ぜん)(ほう)じて(しよ)(こう)(やく)(そく)するに()ぎなかつた。(たか)(うぢ)(しん)(のう)(ころ)(てん)()(いう)して(かへりみ)ざるものである。(まさ)(しげ)()(へい)(りよく)(あつ)せられて()むことを()ずして(くわう)(みやう)(ゐん)(てん)(のう)(よう)(りつ)した。「設使其及其身、掌握海内、雖其所立、固弗可保。」(ちや)(ざん)(たか)(うぢ)(しん)(まう)()してゐる。()くこれを(ばう)()した(まさ)(しげ)()(たん)(なん)(てう)(ちゆう)(しん)たるのみではない。「皇統之綿綿、諸將實有致此者焉。」(ちや)(ざん)(なん)(ぼく)(がふ)()(てい)(けい)(えい)(ぞく)にも、(まさ)(しげ)()(あづか)つて(ちから)あるのだとおもつた。「能使楚國無問鼎、何論和議非眞情。」(げつ)(だう)(ちや)(ざん)()に「一家之御論も有之」と()つたのは(すなはち)(これ)である。(また)その「過年感誦いたされ候き」と()つたのは(らく)(をう)(こう)(この)(ろん)(かん)じてゐたと()ふのである。そこで(げつ)(だう)()(てい)(ちゆう)(こく)して、()()(てい)(おのれ)()(いし)(こく)するなら、(ちや)(ざん)(この)()をも(あは)(こく)しては何如(いかに)()つた。

 わたくしは(こゝ)(おい)()(てい)()を一()せざることを()ない。「昊天歸閏位。大統有常尊。千歳堪冥目。九原當慰魂。」(あるひ)(おも)ふに(この)(かい)(ちや)(ざん)()()()つて(しかる)(のち)(わづか)()ることを()るものではなからうか。

 (げつ)(だう)(こと)()(てい)のためには()(げん)である。()(てい)(なに)(ことば)(もつ)てこれに(むく)いようとしたかは、(いま)()ることが()()ない。

 (その)()(しよ)(ちゆう)には(くわん)(ちや)(ざん)(やまひ)()えたこと、(なん)()(はく)(みん)()んで(なが)()(かへ)つたこと(とう)がある、(せう)(がく)()つた(やぎ)()(とく)(ざう)は、わたくしは(はじ)め「揚井謙藏」と()んだ。(しばら)く一(いう)(じん)()(ところ)(したが)つて(しる)したが、(いま)(しやく)(ぜん)たらざるものがある。(こう)(ばい)(げつ)(だう)()(てい)(おく)り、()(てい)()()(えい)じて(しや)し、(げつ)(だう)(あきたら)ずに(さら)()(もと)めたらしくおもはれる。「梅のたちえに鶯の聲」は(きん)(えふ)(しふ)(だい)一、(はる)(とう)(ぐうの)(だい)()(きん)(ざね)、「けふよりや梅のたちえに鶯の聲里馴るる始なるらむ」(また)(によう)(ばう)(ゑち)(ぜん)(しふ)、「雪のつもれりける梅に鶯の來鳴きけれは、ふる雪を花とまかへてさきやらぬ梅のたちえに鶯の聲」(とう)(てん)()がある。(この)(うち)(ゑち)(ぜん)(うた)(しやう)()(ねん)(ひやく)(しゆ)には「鶯、ふる雪を花に[#「に」に白丸傍点]まかへてさきやらぬ梅のたちえに鶯のなく[#「なく」に白丸傍点]」と(かい)(さん)して()せてある。

 わたくしは(かみ)()(てい)の八(ぐわつ)()(しよ)()げて、その(げん)(ぞん)(かん)(どく)(ちゆう)(さい)(しゆう)(しよ)なることを()つた。()(てい)()(やん)(やう)(せん)()(けつ)(めい)に「居丸山邸舍、三年罹疾不起、實文政癸未八月十七日、享年四十四、葬巣鴨眞性寺」と(しよ)してある。(すなは)(かの)(しよ)(つく)つた(のち)(だい)十五(にち)である。(この)十五(にち)(かん)(せう)(そく)()(てい)(りん)(じゆう)(じやう)(きやう)(すべ)(あん)(こく)(うち)にある。(たゞ)(ゐの)(うへ)(うぢ)(きやう)(せう)(ぢよ)(とら)とが(かたはら)にゐたのを()ることが()()る。(また)(しゆ)()()(けい)(しう)()()(てい)(こう)であつたのを(さつ)することが()()る。

 ()(てい)(はうむ)つた(しん)(しやう)()()(がも)(しや)()(まへ)(きた)()くこと(すう)()()にある。()(もん)(むか)ひて(ひだり)(かさ)(いたゞ)ける()(ざう)(そん)(だい)(せき)(ざう)(あん)()してあることを()れば(たづ)(やす)い。()(てい)(はか)(ほん)(だう)(むか)ひて(みぎ)()()(ちゆう)(あう)にあつて、(やん)(やう)(しよ)()(めい)(きざ)まれてゐる。()(めい)(こと)(なほ)(しも)(しる)すであらう。(てら)(しん)(しゆう)である。

 ()(てい)(はふ)()は、「歳寒院霞亭弘毅居士」であるが、(いし)には(きざ)まれてゐない。

 ()(てい)()(いん)(なに)であつたか。その(びやう)(しやう)が二(やう)(けん)(かい)(ゆる)すと(おな)じく、その()(いん)(また)(やう)(けん)(かい)(ゆる)す。()(やまひ)(かつ)()であつたら、()(てい)(しよう)(しん)(たふ)れたであらう。()(やまひ)()(しゆく)(じん)であつたら、()(てい)(ねう)(どく)(たふ)れたであらう。わたくしはやはり(しよう)(しん)(あるひ)(その)()()にあらざるべきを(しりぞ)けて、(ねう)(どく)(つね)(きふ)(きよ)なる(しん)(しふ)(れい)とするを()らむと(ほつ)する。()(てい)(まつた)()(おのれ)(せま)るを(さと)らずにゐたらしい。この(けい)(かい)せざる(げき)(じよう)じて、(ひと)をして()()くに(いとま)あらざらしむるは、(かつ)()(ぼう)()(おい)(しよう)(しん)()()(ところ)ではあるが、(また)()(しゆく)(じん)(ぜん)(けい)(くわ)(つう)じて(ねう)(どく)()()(ところ)である。

 ()(てい)()(いん)何時(いつ)(まと)()(たつ)したか()ることが()()ない。これに(はん)して、その(びん)()(くわん)(ちや)(ざん)(もと)(たつ)した()()(さい)せられてゐる。(ちや)(ざん)(しふ)()()(ちよう)(きう)の七(りつ)がある。「九日與小野泉藏對酌、二日前子讓計至。重九從今更幾囘。衰殘觸感盡悲哀。況聞東野簀新易。不得西原筵一開。旱後村閭偏索莫。霜前林薄已低摧。幸忻崔署尋彭澤。揮涙聊傳芳菊杯。」(これ)()つて()れば、(ちや)(ざん)()()たのは九(ぐわつ)()である。

 ()(いん)(まと)()(たつ)した(とき)()(てい)(ちゆう)(てい)(へき)(ざん)()(てい)()(しよう)とは(たゞち)()(のぼ)つて()()()たらしい。しかし二(てい)何時(いつ)(まと)()(はつ)したか、何時(いつ)()()()いたか、何時(いつ)(また)()()()つたか()ることが()()ない。二(てい)(はく)(けい)(さう)()()へて(まと)()(かへ)()いたのは、十一(ぐわつ)二十一(にち)(ぜん)である。(この)(にふ)()(てん)(まつ)()(ばう)(じん)(ゐの)(うへ)(うぢ)(あた)へた二(てい)(れん)(しよ)(しよ)()えてゐる。

 (しも)(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)(この)(しよ)(せう)(しゆつ)する。「此度は兩人共なが/\御せわ樣に相成、まん/\ありがたくぞんじ上候。(中略。)十四日土山とみなぐちの間にて福山北條とかき付あるにもつ見付候ものあるよしきき、まづ/\御出立とさつし、あんど致し候。十四日土山あたり御とほりの事ま事にて候はば、もはや此頃御國元へ御つき遊さるべくさつし上候。いさい御文にて御しらせ被下度候。(中略。)扨此度御たちより被下候ては、御上より御かへし被成候事ゆへ、御ためによろしからぬよし、夫ゆへ近年の内思召たち被遊候よし、御もつともにぞんじ上候。さりながら老人共申され候には、いまだ一度のたいめんもいたし不申、かつ孫のかほしらぬさへあるに、年よりし身は末はかりがたしとうらみ被申候へば、何卒御しゆん見はからひ一兩年の内はやく思召たち御越被下候はばありがたくぞんじ上候。(中略。)せきひの事、はんぎの事せうちいたし候。(中略。)殿樣の御書、ならびにさかづき、ひやうたん、衣類御遣し被下候よし、かたじけなくぞんじ上候。何につけても今さら涙に御坐候。(中略。)やま田社中にこう(香)料禮の事、わたくし共一々よろしく申のぶべくぞんじ候。(中略。)お虎事御じよさい有之まじく候へども、ずいぶん大切に御そだて、そうおうなる養子にても致し、家名御つがせ被下度候。今にてはお互にこれのみたよりにござ候。文政六年十一月廿一日。北條立敬、山口甚平。北條御姉上樣。」

 (この)(しよ)(めい)(しや)の一(にん)(やま)(ぐち)(じん)(ぺい)()(てい)()(てい)で、(やま)(ぐち)(あふ)(こう)(やしなは)れた()(しよう)(かん)(ちゆう)(あざな)(たん)(じん)だといふことは(かみ)に一たびこれを(すゐ)(ろん)して、(なほ)(ちと)(うたがひ)(ぞん)して()いたが、(この)(しよ)()(うへ)は、もはや(うたが)ふべき(ところ)がなくなつた。(この)(ひと)(はじめ)()()(ねい)(ちゆう)(あらた)むると(どう)()に、(はじめ)(しよう)(けい)(すけ)(じん)(ぺい)(あらた)めたのである。

 (へき)(ざん)()(しよう)(この)(しよ)(つく)つて、これを()()(そう)(けん)せず、(くわん)(ちや)(ざん)(いへ)のある(びん)(ごの)(くに)(かん)(なべ)(そう)(けん)したらしい。(これ)(しよ)(ちゆう)()(ばう)(じん)()(きやう)()(じやう)にあるべきを(すゐ)(そく)した(こと)のあるに()つて()ることが()()る。

 (これ)より(さき)()()(こま)(ごめ)()()(てい)(ない)にあつた、所謂(いはゆる)(なう)()(いへ)(てつ)せられて、()(ばう)(じん)(ゐの)(うへ)(うぢ)(せう)(ぢよ)(とら)とは(ちや)(ざん)(いへ)のある(かん)(なべ)をさして()()()つた。()()(こう)(まさ)(きよ)()(ばう)(じん)に三(にん)()()(きふ)することを(めい)じた。(この)(あひだ)(せう)(そく)は、「霞亭先生事跡」の一(ぽん)(しも)(ごと)(しる)されてゐる。「十月五日侯(阿部正精)配井上氏に俸三口を賜ふ。同月二十二日福山引越を命ぜられ、江戸を發し、神邊に歸り、菅氏に寄寓す。」三(にん)()()(きふ)することが十(ぐわつ)()(めい)ぜられ、()(きやう)が二十二(にち)(めい)ぜられたことが(これ)()つて()られる。

 二(てい)(しよ)に「まづ/\御出立とさつし」と()ふは()()()()(はつ)したこと、「御上より御かへしに成候」と()ふは()()(こう)()(きやう)(めい)じたことである。

 ()(ばう)(じん)(きやう)()(きやう)(めい)ぜられた()は十(ぐわつ)二十二(にち)である。しかしその(しん)(しゆつ)(ぱつ)した()()ることが()()ない。これに(はん)してその(かん)(なべ)(たう)(ちやく)した()(いま)(めい)(かく)()ることが()()る。(はま)()(うぢ)(しめ)(ところ)(せき)(どく)(ちゆう)に、「霜月廿六日、中山造酒助、菅太中樣」と(しよ)した一(つう)があつて、(その)(すゑ)(しも)(つゐ)()がある。「北條氏御後室御令愛昨日(十一月二十五日)は御無難に被歸候而御安心、何歟と御安心中之御感慨御察申候。宜御傳へ可被下候。」お(きやう)(とら)()()は十一(ぐわつ)二十五(にち)(かん)(なべ)()いたのである。

 ()()()()(かん)(なべ)(かん)(たび)(なに)(しやう)(がい)もなく、()(つひや)すことも(すくな)かつたらしい。(こゝろみ)にこれを二(ねん)(ぜん)()(てい)(たび)(くら)べて()る。()(てい)(しん)()(ぐわつ)()()()(ひき)()すことを(めい)ぜられ、二十三(にち)(さら)(ふく)(やま)()けて()()(はつ)すべきことを(めい)ぜられた。()(てい)は二十五(にち)()()(はつ)して、九(ぐわつ)二十三(にち)(ふく)(やま)(たう)(ちやく)した。(この)(につ)(すう)二十八(にち)である。(かり)()()(また)()(てい)(おな)じく(めい)()けた(のち)(なか)(にち)(へだ)てて、十(ぐわつ)二十四()()()(はつ)したとする。そして十一(ぐわつ)二十五(にち)(かん)(なべ)()いた。(この)(につ)(すう)三十一(にち)である。()(じん)(ぢよ)()(たび)として()れば、(くわい)(そく)であつたと()はなくてはなるまい。

 二(てい)(しよ)に「十四日土山とみなぐちの間にて福山北條とかき付あるにもつ見つけ候ものあるよし」と()つてある。(ぜん)(だん)()(てい)(もつ)てすれば、十一(ぐわつ)十四()()()()()()(だい)二十(にち)である。(ぼう)(ほう)(でう)(うぢ)(かう)()(つち)(やま)(へん)(ほう)(ちやく)したのは(たう)(ぜん)である。

 二(てい)(しよ)(また)「扨此度御たちより被下候ては(中略)御ためによろしからぬよし」と()つてある(おん)たちよりは(まと)()(たち)()ることである。(おも)ふにお(きやう)()()(はつ)するに(さきだ)つて、()(ちゆう)(まと)()(ほう)(でう)(うぢ)()ふことを()したものであらう。

 ()(てい)()(ぶつ)として(まと)()()られたのは、()()(こう)(まさ)(きよ)(しよ)(さかづき)(へう)(たん)()(るゐ)であつた。(せき)()とは、()(てい)()(けつ)(はん)()とは(せう)(がく)(こく)(はん)()つたものであらう。

     その十六

 (ぶん)(せい)()()(ぐわつ)十七(にち)()(てい)歿(ぼつ)し、(こま)(ごめ)(なう)()(いへ)(てつ)せられ、(つま)(ゐの)(うへ)(うぢ)(きやう)(せう)(ぢよ)(とら)とは(びん)()(かん)(なべ)なる(くわん)(ちや)(ざん)(いへ)()(ぐう)した。わたくしは(こゝ)(いた)つて(せい)(ぞん)せる()(てい)(しん)(せき)(うへ)を一()したい。(せい)()(てき)(さい)(えん)(ぎやう)(ねん)(うまれ)で七十七(さい)(せい)()(なか)(むら)(うぢ)(めい)()(ねん)(うまれ)で五十九(さい)であつた。()(てい)は二(しん)(さきだ)つて歿(ぼつ)したのである。(その)(よはひ)(あん)(えい)(ねん)(うまれ)の四十四(さい)であつた。(つぎ)()(ばう)(じん)(きやう)で、(てん)(めい)(ねん)(うまれ)の四十一(さい)である。(まと)()(せい)()()いでゐる(へき)(ざん)(くわん)(せい)(ねん)(うまれ)の二十九(さい)(その)(おとうと)(たに)(をか)(りやう)(すけ)(どう)(ねん)(うまれ)の二十六(さい)(その)(おとうと)(やま)(ぐち)()(しよう)(せい)歿(ぼつ)(ねん)()らない。(へき)(ざん)(つま)()(ぐち)(うぢ)(くわん)(せい)十一(ねん)(うまれ)の二十五(さい)である。()(てい)()()(とら)(ぶん)(せい)(ぐわん)(ねん)(うまれ)の六(さい)である。

 (ぶん)(せい)(ねん)(かふ)(しん)(ぐわつ)十四()には()(てい)(せい)()(てき)(さい)歿(ぼつ)した。()(てい)(おく)るること八(げつ)である。(よめ)(きやう)をも(まご)(むすめ)(とら)をも()ることを()なかつた。(つい)で八(ぐわつ)()(とら)(ちや)(ざん)(いへ)(えう)(せつ)した。(とし)(わづか)に七(さい)である。(ちや)(ざん)(しふ)に「孫女葬後數日、棲碧山人來訪」の七(ぜつ)がある。「老年不必問喪儀。悽惻多於少壯時。坐臥昏々欲旬浹。得君此日始開眉。」(つぎ)に「十五夜」の七(ぜつ)があつて、「半月前喪姪孫女」と(ちゆう)してある。「客逐秋期可共娯。況逢新霽片陰無。奈何天上團圓影。不照牀頭一小珠。」(ならび)(とら)(こと)()(およ)んでゐる。(へだ)つること一(じつ)にして()(てい)(しう)(ねん)()(にち)()た。(おな)(しふ)に「十七夜當子讓忌日」の七(ぜつ)がある。「去歳今宵正哭君。遠愁空望海東雲。備西城上仍圓月。應照江都宿草墳。」(この)(とし)(ふく)(やま)(ほう)(でう)(うぢ)(けい)()(さだ)まつた。(その)(ひと)(かは)(むら)(しん)(すけ)である。

 (しん)(すけ)()()退(たい)(あざな)(しん)()(くわい)(だう)(がう)する。(をさな)()(みち)()(しん)であつた。()()(こう)(まさ)(きよ)()()()()(とう)(くわく)(かは)(むら)(しげ)(よし)(だい)()である。(ぶん)(くわ)(ねん)(うまれ)で、(かふ)(しん)には十七(さい)になつてゐた。「悔堂先生事跡」にかう()つてある。「文政七年茶山先生東郭翁に請うて先生を養て北條霞亭の後を承けしめ、名を退藏と改む。」(くわい)(だう)()(てい)(のち)()けたのは、(ちや)(ざん)()()をしたのであつた。

 九(ねん)(へい)(じゆつ)()()()(だい)(がはり)があつた。(まさ)(きよ)(しゆつ)して(まさ)(やす)()いだ。

 十(ねん)(てい)(がい)(ちや)(ざん)歿(ぼつ)した。()(ばう)(じん)(きやう)(やう)()退(たい)(ざう)とが()()(しや)(うしな)つたのである。

 十一(ねん)()()(ぐわつ)三十(にち)(まと)()(ほう)(でう)(うぢ)(へき)(ざん)(りつ)(けい)歿(ぼつ)した。(とし)()くること三十四である。(この)(とし)(くわい)(だう)()()()(しやう)(へい)(くわう)()り、()(とう)(さい)()()(どう)(あん)(けい)(がく)()けることになつた。(この)(とき)退(たい)(らう)(かい)(しよう)した。

 (てん)(ぱう)(ぐわん)(ねん)(かう)(いん)()(てい)(しん)(いう)()()(やま)(ぐち)(あふ)(こう)歿(ぼつ)した。

 二(ねん)(しん)(ばう)(くわい)(だう)()()から(ふく)(やま)(かへ)つて、(また)(やう)()(きやう)(おな)じく(ちや)(ざん)(けい)()(くわん)()(じよう)(いへ)(ぐう)することになつた。()(じよう)(ちや)(ざん)(おとうと)(まご)で、(ちや)(ざん)(やう)()になつた。(はゝ)(きやう)で、(きやう)(さき)(をつと)(まん)(ねん)との(あひだ)(うま)れた。(まん)(ねん)(ちゝ)(じよ)(へん)(じよ)(へん)(ちや)(ざん)(おとうと)である。それゆゑ(きやう)()(しゆ)のためには(せい)()(くわい)(だう)のためには(やう)()である。

 三(ねん)(じん)(しん)(くわい)(だう)(やま)()(うぢ)()()(めと)つた。そして(くわん)(うぢ)(てい)(ない)(べつ)に一()をなして()むやうになつた。所謂(いはゆる)(がく)(もん)(じよ)(しん)(たく)である。()()(せき)(とう)(とう)(いん)(せん)()(めい)()るに、「山路氏(中略)諱由嘉、備後藤江村人利兵衞某之女」で、「生母田頭氏」だと()つてある。そして「悔堂先生事跡」には「養母井上氏の姪孫女山路氏」と()つてある。(しか)らば(ちゝ)(やま)()()()()(はゝ)()(がしら)(うぢ)であらう。それがいかにして(きやう)(てつ)(そん)(ぢよ)(あた)るかは(やゝ)(めい)(かく)()く。「高橋氏系圖」に()れば、(ちや)(ざん)(じよ)(へん)との(いもうと)ちよが(ゐの)(うへ)(まさ)(のぶ)()して三(ぢよ)()んだ。(ちやう)()(がしら)(うぢ)()し、(つぎ)(まん)(ねん)(つま)となつて(をつと)(さきだ)つて歿(ぼつ)し、()(ぢよ)(また)(まん)(ねん)(こう)(さい)となつた。()(ぢよ)(すなはち)(きやう)である。さて(けい)()に「同人に男子あり、國松と云、女子は藤江村山路氏に嫁す」の(ぶん)があつて、(この)「同人」とは(たれ)()して()ふか()(しやう)である。()し「同人」とは(ちやう)(ぢよ)だとすると、(その)(ひと)()(がしら)(うぢ)(つま)になつて、(だん)(くに)(まつ)()み、(また)(ぢよ)()んで(やま)()(うぢ)()せしめたこととなる。(この)(やま)()(うぢ)()()()であらうか。さうすると()()(きやう)(あね)(まご)(むすめ)である。

 ()()(ぶん)(くわ)十二(ねん)(うまれ)で、(くわい)(だう)()した(とき)は十八(さい)であつた。

 (この)(とし)(さん)(やう)が「北條子讓墓碣銘」を(つく)つた。(はじ)(ちや)(ざん)(やま)(ぐち)(あふ)(こう)をして()(てい)(めい)せしめようとした。そのうち(ぶん)(せい)(ねん)(ちや)(ざん)()に、(てん)(ぱう)(ぐわん)(ねん)(あふ)(こう)()んだ。(くわい)(だう)(たう)()()()にゐて(けん)()(けい)(くわく)をしてゐたので、二(ねん)(なつ)()()から(びん)()(かへ)り、三(ねん)(はる)(しよ)(さん)(やう)()せて(せん)(ぶん)()うた。(さん)(やう)(よろこ)んで(だく)した。(この)(てん)(まつ)が「墓碣銘」には(しも)(ごと)()かれてゐる。「君歿於江戸(山陽遺稿には歿の上に病の字がある。石には無い。下に罹疾不起とあるから刪つたものであらう。)後九年。其子進之寓昌平學。計建墓碣。來請曰。在先友。伊勢韓聯玉最舊。菅翁嘗託之銘。未成。翁逝。韓亦踵歿。使翁在。必更託之於子。先人亦頷之也。余與君同庚。又前後同掌菅氏塾教。余辭君就。如代吾勞者。且進之在東。所識鉅匠匪尠。乃遠求於余。余寧可辭。」(この)(ぶん)には(すこ)しく()(せい)(るゐ)する(ところ)となつて、()(じつ)(てい)()してゐる(ところ)がある。「君歿於江戸、後九年」と()ふと、()(てい)(ぶん)(せい)(ねん)歿(ぼつ)して(のち)(ねん)で、(てん)(ぱう)(ねん)になる。(これ)より(ただ)ちに「來請曰」に(せつ)すれば()い。しかし(くわい)(だう)()()にゐたのは、(ぶん)(せい)十一(ねん)より(てん)(ぱう)(ねん)(いた)(あひだ)であるから、(のち)(ねん)より(のち)(ねん)(いた)(あひだ)で、(のち)(ねん)ではない。

 (くわい)(だう)(さん)(やう)()(めい)()うたのが、(しん)()(てい)歿(ぼつ)()(ねん)(てん)(ぱう)(ねん)であつて、(しか)(はる)であつたことは、(しも)(さん)(やう)(せき)(どく)()つて(しよう)せられる。(しよ)(ちゆう)(くわい)(だう)()して「退佐」と()つてある。そして「當春退佐子より申來候」の()がある。「退佐」はたいすけである。(くわい)(だう)()()にゐた(とき)退(たい)(らう)(しよう)し、(てん)(ぱう)(ねん)(びん)()(かへ)つた(のち)退(たい)(すけ)(あらた)めた。退(たい)(すけ)(しよう)した(のち)(だい)一の(はる)(てん)(ぱう)(ねん)(はる)でなくてはならない。

 (さん)(やう)(しよ)(もん)(でん)(ぼく)(さい)(こた)へたもので、(その)(ぶん)はかうである。「先日は御状被下、北條退佐(森云、佐當作輔)子より之御状御傳語も委曲承知仕候。當年は梅天雨少と存候處さも無之、土用に入、晴日連綿に候て少雨、大抵豐穰と見え候。武士は困可申候へども、爲世界可慶候。御健全に御勤仕被成候哉。北條墓碑の義、當春退佐子より申來候。書辭鄭重、眞情溢紙、感誦仕候。不敢辭避候積にて、別に不裁答、此度又御催促、駄賃迄被下候義、御丁寧之甚に候。都下評判は誌銘などは下手と申候由、何之碑誌を看て申候事哉、あまり東人は看ぬ筈に候。文より詩がよき抔も、どう云事に哉。雖足下曰歌行勝文、是は足下だけ也。併いづれも未嘗審讀拙文數行者之申候事に候。使僕以其用於文之力、少分之於詩、則不患不成名於詩、與今時所謂詩家連鑣馳也。それはともあれ北條碑を張込で書てくれ、可鉗(森云、二字不可讀、臆度以填)人口と被仰下、ひいきの實情、忝奉存候へども、據實而書、不泯沒其人之眞樣にいたすより外無之候。雖欲張込、無它可爲也。しかし景陽(森云、霞亭一字)不死と申樣には書て可上と存候。其上衆評不肯候はば、林世子(森云、檉宇皝)に託も可也べし。但石大小如何ほどにや、近日公制も被仰出有之、何百字ほど迄は可也歟。實は未敢相示候。示候上にて字數減てくれなど被言ては氣色にさはり候故に豫申入候。先は紙窮閣筆。七夕前一日。襄。堯佐、進之兩賢契。尚々唯今稿本大抵七百五十字ほどに候。五百字ほどに可約哉とも存候。尚々北條子之遺事行状、所未盡も可有之、拙之觀志處は勿論に候へども、又收拾遺聞可申と、此間嵯峨三秀院へ參候。月江は既化、殘僧に承合候。」

 (この)(しよ)()つて(かむが)へると、(くわい)(だう)(はじめ)(めい)()うたのは(この)(とし)(じん)(しん)(はる)であつた。(さん)(やう)(しよう)(だく)したつもりで(こた)へずにゐた。さて「七夕前一日」七(ぐわつ)()(この)(しよ)(つく)(まへ)に、(先日と書いてある)(もん)(でん)(ぼく)(さい)(さい)(そく)(じやう)()た。それには(くわい)(だう)の「傳語」が()いてあつて、(くわい)(だう)(しよ)()へてあつた。(ぼく)(さい)(さん)(やう)()()(びと)()()()(つた)へて(げき)(れい)しようとしたらしく、(さん)(やう)()()()めてこれに(こた)へてゐる。(ぼく)(さい)(ぶん)(せい)十三(ねん)()()()て、(あん)(せい)(ぐわん)(ねん)(ふく)(やま)(かへ)つたのだから、(この)(とし)には()()にゐた。(あて)()には(びん)()にある(くわい)(だう)()(れん)(しよ)してあるが、(しよ)(かん)()()()けて(はつ)せられたものであらう。

 (たゞ)(しか)るのみではない。(さん)(やう)(この)(しよ)(つう)(へん)(ぼく)(さい)(たい)する()をなしてゐて、(くわい)(だう)()(ただ)(あて)()として()()へられたに()ぎない。(なに)(ゆゑ)(ぼく)(さい)(さん)(やう)をして()(てい)(めい)せしめむがために(ちから)(つく)したか、(また)(さん)(やう)(しゆ)として(ぼく)(さい)(こた)へたか。(これ)(すこ)しく(こゝ)(ちゆう)しておくべき(こと)であらう。

 (ぼく)(さい)(もん)(でん)(しげ)(ちか)(びん)()(やす)()(ごほり)(もゝ)(たに)(むら)(やま)()右衞()(もん)()である。(はゝ)(どう)(ぐん)()(じやう)()(むら)(もん)(でん)(まさ)(みね)(むすめ)で、(この)(をんな)(ちや)(ざん)(こう)(さい)(のぶ)(いもうと)である。それゆゑ(ぼく)(さい)(ちや)(ざん)のためには(つま)(いもうと)()(きやう)のためには(ぜん)()(はく)()(つま)(姑)の(いもうと)()である。(ぼく)(さい)(いとけな)くして(みなしご)になつたので、(まさ)(みね)(けい)()(まさ)(ちか)(やう)()になつた。そして(まさ)(ちか)には()()(まさ)(より)があつたから、(その)()(てい)として(もん)(でん)(うぢ)()()つた。(つい)(ぼく)(さい)(ちや)(ざん)(じゆく)()つて(がく)(もん)をしてゐるうちに、(ちや)(ざん)(その)(さい)(あい)して(やう)()にしたが、(なに)(やう)()()(あひだ)()()(しよう)(とつ)があつたらしく、(つひ)()(えん)になつた。「朴齋詩鈔」(しよ)(へん)(ぶん)(せい)(ねん)(てい)(がい)「養父茶山先生八十壽言」の(つぎ)に「以上係爲菅氏養子八年間所作」と(ちゆう)してあるより()せば、(ぼく)(さい)(ぶん)(せい)(ねん)より十(ねん)(いた)るまでの(あひだ)(くわん)(うぢ)(おか)してゐて、(ちや)(ざん)歿(ぼつ)(ぜん)(せま)つて()(えん)になつたものと()える。そして(まん)(ねん)()()(じよう)(はじめ)てこれに(かは)つたのであらう。(しか)れば(ぼく)(さい)()(てい)のために(ちから)(つく)したのは、(せん)(ぱい)のためでもあり、(また)(しん)(せき)のためでもある。

 (ぼく)(さい)(くわん)(せい)(ねん)(うま)れて、()(てい)より(わか)きこと十八(ねん)(くわい)(だう)より(ちやう)ずること十一(ねん)であるから、(ぼく)(さい)のために()(てい)(せん)(ぱい)であると(どう)()に、(くわい)(だう)のためには(ぼく)(さい)(せん)(ぱい)である。(さん)(やう)(くわい)(だう)をさしおいて(ぼく)(さい)(こた)へた所以(ゆゑん)であらう。

     その十七

 (てん)(ぱう)(じん)(しん)(ぐわつ)()(さん)(やう)(しよ)(もん)(でん)(ぼく)(さい)(ほう)(でう)(くわい)(だう)(あた)へて、()(てい)()(けつ)(めい)(こと)()つた。(なか)(なほ)(ちゆう)すべき(こと)がある。(さん)(やう)は「石大小如何ほどにや、近日公制も被仰出有之、何百字ほど迄は可也歟」と()つてゐる。(この)(こう)(せい)(ぞく)(とく)(がは)(じつ)()(經濟雜誌社本)(てん)(ぱう)(ねん)(ぐわつ)十八(にち)(でう)に「近ごろ百姓市人ら過分の葬埋、壯大の墓碑法號の事等により、きびしく令せらるゝむねあり」と()つてあるのが(すなはち)(これ)であらう。()(しよ)(れう)(しよ)(ざう)(おん)(ふれ)(がき)(しよう)するものを(けみ)するに(しも)(ごと)くである。「天保二年四月十九日。近來百姓町人共身分不相應大造之葬式致し、又墓所え壯大之石碑を建、院號、居士號等附候趣も相聞、如何之事に候。自今以後百姓町人共葬式は、假令富有或は由緒有之者に而も、集僧十僧より厚執行はいたす間敷、施物等も分限に應寄附致し、墓碑之儀も高さ臺石とも四尺を限り戒名え院號、居士號決而附申間敷候。尤是迄有來候石碑は其儘差置、追而修復等之節、院號、居士號相除、石碑取縮候樣可仕候。右之趣御領、私領、寺社領共不洩樣可觸知者也。」(さん)(やう)(いし)(だい)(せう)(こう)(せい)()つたのは(この)(ふれ)(がき)()して()つたのであらう。これは(ひやく)(しやう)(ちやう)(にん)のために(せい)(まう)けたるが(ごと)くであるが、(たう)()(かく)(ごと)(せい)()かれたときは、()(ぶん)のものと(いへども)(はゞか)つて「臺石とも四尺を限」ると()(はふ)(じゆん)(しゆ)したものであらうか。

 (さん)(やう)()(ぶん)(しよ)(さい)して(ぼく)(さい)(くわい)(だう)(こた)へたとき七百五十()(ほど)であつたといふが、(げん)(いし)(きざ)まれてゐる(ぶん)は六百八十一()である。(しよ)(ちゆう)に「五百字ほどに可約哉とも存候」と()つてある三(ぶん)一の(さく)(げん)(すなは)ち二百五十()(きよ)(さく)(げん)(おこな)はれなかつたが、(やく)七十()(のち)(けづ)られたものと()える。

 (ぶん)()()()てゐる。(あふ)(こう)()いたり、檉(てい)()()いたりしたら、これ(ほど)(ぶん)()()なかつたことは(もち)(ろん)である。()して(この)(ぶん)()たのは()(てい)(さいはひ)であつた。「據實而書、不泯沒其人之眞樣にいたす」と()ひ、「景陽不死と申樣には書て可上」と()つた(さん)(やう)は、(まこと)(こと)()まなかつた。

 (さん)(やう)(この)(ぶん)(さう)するに(さきだ)つて、わざ/\()()の三(しう)(ゐん)()うた。「月江は既化、殘僧に承合候」と()つてある。三(しう)(ゐん)()(てい)(ぶん)(くわ)(ねん)(はる)から九(ねん)(はる)まで()んだ()(せき)で、(たう)()()(あつ)めた()()(せう)()には(げつ)(こう)(ばつ)がある。(じよ)(つく)つた(ちや)(ざん)も、(ばつ)(つく)つた(げつ)(こう)(すで)歿(ぼつ)したのである。しかし(さん)(やう)()()(かう)(いたづら)(ごと)ではなかつた。()(ぶん)(せい)(さい)ある(まつ)(だん)(この)(かう)(はい)(たい)してゐる。「余(山陽)重進之(悔堂)之請。已叙吾所知。又就嵐峽。訪於其舊識僧。僧曰。吾驟往。見其(霞亭)焚香靜坐。不見甚讀書也。作詩亦不甚耽。吁乎君葢欲自驗其所學者也。」

 わたくしは(さん)(やう)がいかなる(とき)(おい)(この)(ぶん)(つく)つたかを()つて()きたい。(かう)(じつ)()るに、(さん)(やう)(じん)(しん)の六(ぐわつ)(かく)(けつ)した。(かん)(ぼく)(さい)(くわい)(だう)()せたのは(その)(よく)(げつ)である。()ゆること二(げつ)、九(ぐわつ)二十三(にち)(さん)(やう)歿(ぼつ)した。(これ)()つて()れば、(さん)(やう)(この)(ぶん)(さう)したのは(はじめ)()()いた(ぜん)()で、(いま)()(けつ)(のこ)つてゐる(れい)(だい)()(かい)(さい)()(ならび)(みな)(やまひ)(つと)めて(しよ)したものである。

 (てん)(ぱう)(ねん)()()には()(てい)(はゝ)(なか)(むら)(うぢ)歿(ぼつ)した。()(しん)は十一(ぐわつ)()である。(とし)()くること六十九。

 七(ねん)(へい)(しん)()()()(だい)(がはり)があつた。(まさ)(やす)()()して(まさ)(ひろ)()いだのである。(くわい)(だう)(らん)稿(かう)(けみ)するに、()(てい)(さい)(かん)(だう)()稿(かう)(この)(とき)(すで)(ぜん)(しや)せられてゐたらしい。(くわい)(だう)(この)(とし)(あき)(おほ)(さか)()つて、(出郷七絶第四、九月秋風出故郷)(つひ)(とし)()したが、(五律第二首第一、客居逢歳杪)(おほ)(さか)にあつて(しの)(ざき)(せう)(ちく)()(おく)つた。その「贈畏堂先生」七(りつ)の七八に「家集今將謀不朽、憑君屬定更誰因」と()つてある。(せう)(ちく)(かう)(てい)()はうとしてゐたのである。

 八(ねん)(てい)(いう)(くわい)(だう)(おほ)(さか)から(かん)(なべ)(かへ)つた。

 九(ねん)()(じゆつ)(ぐわつ)二十一(にち)(くわい)(だう)(ちやく)(なん)(とく)()(らう)(うま)れた。(はゝ)()()である。(とく)()(らう)()(ねん)()(あざな)(しう)(とく)(りつ)(ぽう)(がう)した。

 (こう)(くわ)(ねん)(おつ)()(しやう)(ぐわつ)十七(にち)(くわい)(だう)(こう)(だう)(くわん)(くわい)(どく)(がゝり)(さづ)けられて三(にん)()()祿(ろく)()けた。(また)()(てい)(かう)(こく)(せう)(がく)(さん)(ちゆう)(はん)(くわん)(をさ)めて、(せい)()(くわん)(ざう)(はん)とした。十(ぐわつ)()(くわい)(だう)(せい)()(とう)(くわく)(かは)(むら)(しげ)(よし)歿(ぼつ)した。(とし)七十四である。十一(ぐわつ)十七(にち)(くわい)(だう)(じゆ)(しや)(めい)ぜられ、十(にん)()()(たま)はり、(おほ)()(つけ)(ふれ)(ながし)(かく)(もつ)(ぐう)せられ、(ふく)(やま)(うつ)ることとなつた。

 三(ねん)(へい)()(ぐわつ)(くわい)(だう)(ふく)(やま)西(にし)(まち)()(てい)(うつ)つた。そして(しん)(すけ)(かい)(しよう)した。(せい)()(たか)(はし)(うぢ)(とく)(いへ)(ひき)()つたのも(また)(この)(とし)である。

 四(ねん)(てい)()(ぐわつ)()(くわい)(だう)(つま)(やま)()(うぢ)()()歿(ぼつ)した。(とし)三十三である。

 ()(えい)(ぐわん)(ねん)()(しん)(ぐわつ)(くわい)(だう)(くわ)()(うぢ)(めと)つた。(ぶん)(せい)(ねん)(うま)れの三十(さい)である。

 二(ねん)()(いう)(しやう)(ぐわつ)二十八(にち)(くわい)(だう)(だい)()(かう)()(すけ)(うま)れた。()(ねん)(とく)(あざな)(しゆく)(だう)(のち)(せん)(ざう)(しよう)し、(いう)(しよう)(がう)した。八(ぐわつ)二十三(にち)()(てい)()(ばう)(じん)(きやう)歿(ぼつ)した。六十七(さい)である。

 (あん)(せい)(ぐわん)(ねん)(かふ)(いん)(しやう)(ぐわつ)(りつ)(ぽう)が十八(さい)(もつ)(げん)(ぷく)して、(しん)()()(かい)(しよう)し、(つい)(はら)()(うぢ)()()()(めと)つた。

 二(ねん)(おつ)(ばう)(しやう)(ぐわつ)(りつ)(ぽう)(せい)()(くわん)(くわい)(どく)(がゝり)(めい)ぜられた。二(ぐわつ)(くわい)(だう)()()(ざい)(ばん)(めい)ぜられ、(りつ)(ぽう)(ともな)()かむことを()うて(ゆる)された。そして三(ぐわつ)()(ふく)(やま)(はつ)して二十九(にち)()()(まる)(やま)(はん)(てい)()いた。十(ぐわつ)()()所謂(いはゆる)(あん)(せい)(おほ)()(しん)()つた。十二(ぐわつ)(りつ)(ぽう)(そへ)(かは)(せつ)(だう)(もん)(じん)となり、(つい)(ます)(さぶ)(らう)(かい)(しよう)した。(せつ)(だう)()(りつ)(あざな)(くわん)()、一(がう)(れん)(さい)(くわん)(ぺい)(しよう)した。(あひ)()(ひと)で、(かつ)(れん)(じゆく)(まな)び、(くわい)(だう)(とも)となつてゐた。(いま)(かう)(づけの)(くに)碓氷(うすひ)(ごほり)(あん)(なか)(じやう)(しゆ)(いた)(くら)()(よの)(かみ)(かつ)(あきら)(じゆ)(くわん)である。

 三(ねん)(へい)(しん)(ふゆ)(くわい)(だう)(りつ)(ぽう)()()(びん)()()(せい)した。(くわい)(だう)(せい)()(たか)(はし)(うぢ)(やまひ)()うたのである。

 四(ねん)(てい)()(りつ)(ぽう)(ちやく)(なん)(とく)()(らう)(うま)れた。(この)(とし)()()()(だい)(がはり)があつた。(まさ)(ひろ)(しゆつ)して(まさ)(のり)()いだのである。

 五(ねん)()()(くわい)(だう)()(はん)(めい)ぜられ、五(ぐわつ)()(りつ)(ぽう)(とも)()()(はつ)し、六(ぐわつ)()(ふく)(やま)()いた。

 (ぶん)(きう)(ぐわん)(ねん)(しん)(いう)()()()(だい)(がはり)があつた。(まさ)(のり)(しゆつ)(まさ)(かた)()いだのである。

 三(ねん)(じん)(じゆつ)(くわい)(だう)(やまひ)()つて(しよく)()し、(りつ)(ぽう)(じゆ)(しや)(こゝろ)()(めい)ぜられた。

 三(ねん)()(がい)(くわい)(だう)(ふたゝ)(ぶん)(がく)(けう)(じゆ)(めい)ぜられ、(りつ)(ぽう)(ひろ)()(ばん)(めい)ぜられた。

 (ぐわん)()(ぐわん)(ねん)(かふ)()(くわい)(だう)(おく)(づとめ)(めい)ぜられ、(とも)(がしら)(かく)(たい)(ぐう)()けた。()()(こう)(まさ)(かた)(なが)()()(ぐん)()()(ぐち)(せん)(ぽう)(めい)ぜられたので、(りつ)(ぽう)(じゆう)(せい)した。

 (けい)(おう)(ぐわん)(ねん)(おつ)(ちう)(しやう)(ぐわつ)()(りつ)(ぽう)()()より(かへ)つた。十六(にち)(くわい)(だう)(びやう)歿(ぼつ)した。(とし)五十八である。四(ぐわつ)(まさ)(かた)(なが)()(さい)(たう)する(ぐん)(いは)()(ぐち)(せん)(ぽう)(めい)ぜられて、(りつ)(ぽう)(また)(じゆう)(せい)した。六(ぐわつ)()(くわい)(だう)(せい)()(たか)(はし)(うぢ)歿(ぼつ)した。(とし)八十三である。七(ぐわつ)(りつ)(ぽう)(いは)()より(かへ)つた。

 三(ねん)(てい)(ばう)()()(こう)(まさ)(かた)(しゆつ)した。

 (めい)()(ぐわん)(ねん)()(しん)(しやう)(ぐわつ)(なが)()(すぎ)(まご)(らう)(ふく)(やま)(じやう)(おそ)うたので、(りつ)(ぽう)(にふ)(じやう)して(おほ)()(もん)(まも)り、(つい)(こう)()(のち)(いへ)(かへ)つた。三(ぐわつ)(はん)(ぺい)(てう)(めい)(ほう)じて(せつ)()西(にしの)(みや)(まも)り、(また)(てん)(ぱう)(ざん)(まも)つたので、(りつ)(ぽう)西(にしの)(みや)(てん)(ぱう)(ざん)()つた。()()(こう)(まさ)(たけ)(あさ)()(うぢ)より()でて(ほう)()いだ。八(ぐわつ)(りつ)(ぽう)(まさ)(たけ)(したが)つて(きやう)()(のぼ)つた。そして(まさ)(たけ)(はこ)(だて)(えの)(もと)(かま)()(らう)()つことを(めい)ぜられたので、(りつ)(ぽう)(じゆう)(せい)した。(りつ)(ぽう)(はこ)(だて)にある(あひだ)(ゆゑ)あつて()(めい)(へん)じ、()()(ます)(いち)()つた。

 二(ねん)()()(はこ)(だて)(へい)(てい)したので、(りつ)(ぽう)は六(ぐわつ)(いへ)(かへ)つた。(つい)(しん)(いち)(かい)(しよう)した。十一(ぐわつ)(とう)(きやう)(ざい)(きん)(めい)ぜられ、十二(ぐわつ)()(とう)(きやう)(まる)(やま)(てい)()いた。

 三(ねん)(かう)()(ぐわつ)二十八(にち)(りつ)(ぽう)()()(たか)()()(しやう)()(いざな)()だして(しつ)(そう)した。九(ぐわつ)()(ふく)(やま)(ほう)(でう)(うぢ)(せき)(ぼつ)にせられ、(りつ)(ぽう)(はゝ)(くわ)()(うぢ)に、(つま)()()()(はら)()(うぢ)に、(おとうと)(いう)(しよう)(かは)(むら)(うぢ)に、()(とく)()(らう)(くわん)(うぢ)()(ぐう)した。(のち)(いう)(しよう)(たか)(はし)(きやう)()(やしな)はれて(その)(うぢ)(おか)した。(とく)()(らう)さんは(いま)()()(けん)()(りう)してゐる。

 四(ねん)(しん)()()(てい)(おとうと)(へき)(ざん)(けい)()()(まと)()歿(ぼつ)して、()(しん)(みん)()いだ。(いま)(ほう)(でう)(しん)(すけ)さんは(しん)(みん)(けい)()で、()()(けん)()()(ごほり)(りやう)(ない)(むら)()んでゐる。

 五(ねん)(じん)(しん)(ぐわつ)()()(てい)(おとうと)(たに)(をか)(りやう)(すけ)歿(ぼつ)した。(とし)七十五である。

 八(ねん)(おつ)(がい)(ぐわつ)()()(てい)(おとうと)(へき)(ざん)(つま)()(ぐち)(うぢ)()()歿(ぼつ)した。(とし)七十七である。

 十三(ねん)(かう)(しん)(ぐわつ)二十(にち)(りつ)(ぽう)(とち)()(けん)()(つの)(みや)歿(ぼつ)した。(かう)(づけの)(くに)(やま)()(ごほり)(いち)()(むら)(ひろ)()(うぢ)()(ぐう)して(その)(うぢ)(おか)し、(ひろ)()(つね)(しよう)して(ちゆう)(がく)(けう)(ゐん)をしてゐたさうである。

 三十一(ねん)()(じゆつ)(ぐわつ)十七(にち)(くわい)(だう)()(ばう)(じん)(くわ)()(うぢ)(ふく)(やま)歿(ぼつ)した。(とし)八十である。

 (たい)(しやう)(ねん)()()十二(ぐわつ)十八(にち)(りつ)(ぽう)(おとうと)(いう)(しよう)歿(ぼつ)した。()()()(まつ)さんといふ。(ふく)(やま)(えい)(しん)(しやう)(げふ)(がく)(かう)(せい)()である。

底本:「鴎外全集」第十八巻、岩波書店
   昭和48年4月23日発行