羽鳥千尋

森鴎外

 ()(とり)()(ひろ)(じつ)(ざい)(じん)(ぶつ)である。()しい(こと)には、(いま)では(じつ)(ざい)(じん)(ぶつ)であつたと()はなくてはならない。(めい)()()(じふ)(さん)(ねん)(なつ)であつた。(おれ)(ところ)(いつ)(ぷう)()(がみ)(とゞ)いた。それは(おれ)(ところ)(おほ)(とゞ)(しゆ)(るゐ)()(がみ)(ひと)つに()ぎない。(おれ)(うち)(しよ)(せい)()いてくれと()()(がみ)である。(しか)しそれを()いた()(とり)()(ひろ)()ふ、(たう)()()(じふ)()(さい)(せい)(ねん)(ひと)つの(ちゆう)()すべき()(れき)()つてゐる。()(とり)(めい)()()(じふ)(いち)(ねん)(なつ)(ひん)(やまひ)との()めに、()ねて(だい)(がく)()()らうと(おも)つてゐた(こゝろざし)(ひるがへ)して、()(じゆつ)(かい)(げふ)()(けん)()けようと(おも)()つた。そして(はん)(とし)(ばか)(どく)(がく)をして、(よく)()(じふ)()(ねん)(はる)(ぜん)()()(けん)(きふ)(だい)した。それから(また)(いち)(ねん)(ばか)(どく)(がく)をして、(おれ)()(がみ)をよこした()(じふ)(さん)(ねん)(はる)(こう)()(がく)(せつ)()(けん)(きふ)(だい)してゐる。()(がく)()ふものがどんなものだか、(ゆめ)にも()らなかつた(せい)(ねん)が、(わづ)(いち)(ねん)(はん)(せい)()()()(むか)つて(えう)(きう)する(だけ)()(しき)(くわく)(とく)してゐる。そこで(こう)()(じつ)()()(けん)()ける(じゆん)()がしたい。それは田舍(ゐなか)(いへ)(つくゑ)(うへ)では()()ない。()(とり)(たう)()(かう)(つけの)(くに)(ぐん)()(ごほり)(たき)(がは)(むら)(おほ)(あざ)(いた)()()(ところ)(いへ)にゐた。その(じゆん)()として(しん)(さつ)()(れう)(じつ)()()()めに、(とう)(きやう)()てゐたいと()ふのである。(おな)(しゆ)(るゐ)()(がみ)(おれ)(ところ)へは(おほ)(とゞ)くが、()(とり)のやうな()(れき)()つた()(がみ)(ぬし)(すくな)い。

 (ちやう)()()(やく)(しよ)()(ゐん)()()があつたので、(おれ)(たの)んで()(とり)をそこへ()れて(もら)つた。()(とり)(じやう)(きやう)して(おれ)(ところ)(たづ)ねて()た。(せい)(たか)い、(たゞ)()たばかりでは(びやう)(しん)らしくもない(をとこ)である。(ほそ)(おもて)(はな)(たか)く、()(おほ)きい。()(じふ)()(さい)にしては、(げん)()(きよ)(どう)()()()(ほど)()(じや)()である。(ひと)(ばん)(うち)(とま)らせて、(よく)(あさ)(でん)(しや)()()()までして(やく)(しよ)()つた。

 ()(とり)(うし)(ごめ)(しやく)()をして、()(ゐん)(なか)()(なに)(がし)(いつ)しよに()(すゐ)をしてゐた。(しよく)()には(べん)(れい)する。その(しよく)()()ふのは(さい)(きん)(がく)(おう)(よう)した(せい)(ざう)で、()()()(しき)なしには()()にくいのである。それを()(とり)(ざう)()もなく(おぼ)えて、(ほと)んどその(しゆ)(なう)になつて(はたら)いてゐる。(しか)(からだ)には(よう)()ならぬ(びやう)()があるらしい。(やく)(しよ)()(しや)ばかりの(つと)めてゐる(ところ)なので、(しん)(さつ)()けさせた。(やまひ)(せき)(つゐ)にある。(けつ)(かく)(せい)のものだらうと()ふことである。

 さう()(からだ)でありながら、()(とり)(をり)(/\)(おれ)(ところ)(たづ)ねて()ても、(びやう)()(こと)(はな)さない。(いま)(しよく)()をしてゐては、(さい)(きん)(がく)()(かう)(おぼ)える(だけ)で、(びやう)(にん)()ることが()()ないから、(おな)(やく)(しよ)(しん)(れう)()(はう)()()へて(もら)ひたいなどと()ふ。()(じゆう)()(けん)()ける(じゆん)()(こと)(かんが)へてゐたのである。

 ()(とり)(まる)()(ねん)(つと)めた。(しん)(れう)()()()へることも、(やく)(しよ)(ひと)(はな)しては()いたが、どうなつたか(おれ)()らずにゐた。すると(とつ)(ぜん)()(とり)()(とく)だと()ふことを、(いつ)しよに()んでゐる()(ゐん)(でん)()()らせた。(どう)(れう)()(がく)()(たの)んで(わう)(しん)して(もら)つた(とき)は、()(とり)はもう(ちゆう)(しや)(やく)(わづ)かに(しん)(ざう)()(のう)()()して(もら)つてゐたのである。

 ()(とり)(びやう)()()(かく)してから()(ねん)()(そく)(せい)(もく)(てき)()つて()(じゆつ)(かい)(げふ)()(けん)(こゝろ)ざしてから()(ねん)()に、(こう)()(じつ)()()(けん)(だけ)(のこ)して、()(じふ)()(さい)()んだ。

 ()(とり)(おな)じやうな()(がみ)(おれ)によこして、(おな)(やく)(しよ)()(ゐん)になつて、(きよ)(ねん)(はい)(けつ)(かく)()んだ(おほ)(つか)(じゆ)(すけ)()(をとこ)がある。(かふ)(ざん)()()(はい)()(つく)つて、()(せう)(ひと)にも()られてゐた。()(けん)にはなんと()()(かう)(ひと)(おほ)いことだらう。

 (しも)(うつ)すのは(いつ)(さく)(ねん)(なつ)()(とり)(おれ)によこした()(がみ)である。

×     ×     ×     ×

 (わたし)(いつ)(かい)(しよ)(せい)である。(しつ)(れい)ではなからうか、あつかましい(こと)ではあるまいかと、(いく)(たび)(ちう)(ちよ)しても(おも)()られないので、とうとう(この)()(がみ)()く。()(がみ)はどれ(だけ)(なが)くなるか()らぬが、その(なか)(ひと)(こと)(いつはり)もないと()ふこと(だけ)(ちか)つて()く。どうぞ(せん)(せい)()(おろ)してお(いで)になる(とほ)(ふもと)(ぐん)(しふ)(なか)で、(ちひ)さい(こゑ)のするのに、(しばら)らくの(あひだ)(みゝ)()して(くだ)さい。そして「お(まへ)(だれ)だ」と()うて(くだ)さい。

 (わたし)(かう)(つけの)(くに)()()(がは)(ほとり)(よく)()()まれた(せい)(ねん)である。()(とり)()()()(ひろ)(とし)(あわ)ただしく(かさ)ねて()(じふ)()(さい)になつてゐる。

 (ちゝ)(ぶん)(さく)(りく)(ぐん)(ぐん)()(つと)めてゐたが、(めい)()(さん)(じふ)()(ねん)(じふ)(いつ)(さい)(わたし)(のこ)して()くなつた。(わたし)()()がましいが、(せう)(がく)(はち)(ねん)(しゆ)(せき)(けい)(くわ)した。(さん)(じふ)(ろく)(ねん)(じふ)()(さい)(ちゆう)(がく)()(ねん)()(けん)()けて(しゆ)(せき)(にふ)(せん)した。それから(くわう)(ぐん)がロシアと(たゝか)つて()つた(さん)(じふ)(はち)(ねん)(はる)()(じふ)()(にん)(ちゆう)(しゆ)(せき)(ちゆう)(がく)(げふ)()へた。(どん)(ぐり)(から)()けて、(わづ)かに(みどり)()()いたのである。(わたし)(そつ)(げふ)(しき)()(けん)()()(まへ)(たふ)()()み、()(かう)(には)(そつ)(げふ)()(ねん)(じゆ)()ゑて、()(らい)()()(いろ)()てゐた。

 (しか)るに()もなく(きん)(しん)(ざい)(さん)(さし)(おさへ)(しよ)(ぶん)()けて、(いつ)(たん)(とう)(きやう)(のぼ)つてゐた(わたし)()(もど)された。(こん)(ざつ)(さい)(ちゆう)()(じふ)(ねん)(はる)(わたし)(はし)なく(やまひ)()た。(すで)(とぼ)しくなつてゐた(わたし)(いへ)(ざい)(さん)は、(この)(とき)(せう)(まう)(つく)された。(びやう)(じよく)から()つた(わたし)は、(ねこ)(ひたひ)(ほど)(でん)()(うん)(めい)(つな)いでゐなくてはならぬ(にん)(げん)になつてゐた。()()(だい)(がく)()()らうと()(たい)してゐた(わたし)が、()(さく)(にん)となつて(さう)(もく)(おな)じく()ちなくてはならぬのであらうか。

 (しか)(わたし)はそれに(あま)んずることが()()ない。それでは()(せん)(たい)し、()(ちゝ)(たい)し、(じふ)(ねん)()(ちゆう)(つく)した(はゝ)(たい)して(めん)(ぼく)()い。(つか)れた(うま)(むち)うてば(はし)る。(ざい)(さん)(けん)(かう)()くしてはゐるが、なるべく(へい)(たん)(ちか)(みち)のある(もく)(てき)()(えら)んで(すゝ)んだら、()()かれぬことはあるまい。それには(かい)(げふ)()(けん)()けて()()になるに()くはない。それも(かけ)(あし)()つて、()(こう)()(だけ)()られるやうになつたら、(その)(うへ)(いく)らも(がく)(もん)()()ようと、(わたし)(かんが)へた。

 そこで()(しよ)(とう)(きやう)から()()せて、田舍(ゐなか)()んだ。(さく)(ねん)(はる)(まへ)(ばし)(ぜん)()()(けん)(きふ)(だい)した。()(とし)(はる)(こう)()(がく)(せつ)()(けん)(きふ)(だい)した。さあ、これから(じつ)()()(けん)だと()(とき)になつて、(わたし)には(とう)(きやう)()()(けん)()ける(じゆん)()をする(だけ)(かね)がない。()ねて(しゆ)(/″\)(けい)(くわく)した(こと)もあつたが、それは(ぐわ)(べい)()した。

 (しか)(わたし)はここに(たち)(わう)(じやう)をすることは()()ない。(みち)(きは)まれば(つう)ずる。どこかに(いち)(でう)(くわつ)()があらうと、()めて(おも)()(おも)ひ、(しん)()(うは)(こと)(しば/\)()(じん)(おどろ)かした(すゑ)、とうとう(せん)(せい)(この)()(がみ)()げることになつた。

 (せん)(せい)。どうぞ()みにじられた(どん)(ぐり)()ばえを、お(には)(すみ)()ゑて(くだ)さい。(わたし)はそこで(そだ)つことが()()なかつたら、(せん)(せい)(あし)()みにじつて(いたゞ)きたい。

×     ×     ×     ×

 (わたし)(いま)(すこ)()()(こと)(はな)させて(くだ)さい。

 (むかし)(てん)(りやう)()つた()()(がは)(ほとり)()に、(まい)(ねん)()()(あさ)(くさ)のお(くら)(こめ)(なん)(ぜん)(べう)かを(をさ)める()(ぬし)があつた。その()(ぬし)(しん)(るゐ)に、(すゐ)()(さう)(だん)なぞの(とき)()くまで()()()(けん)(しゆ)(ちやう)して(がう)(ゆづ)らない、(がう)(じやう)()いさんがゐた。()()(ひと)()いさんを(てん)()(さま)()んでゐた。(わたし)(ちゝ)はこの(てん)()(さま)()である。

 (わたし)(うま)れる(すこ)(まへ)に、()(ぬし)(いち)(ぞく)(ざい)(さん)(がつ)(ぺい)して(せい)()()(げふ)(おこ)した。(のち)(いく)(けん)かの(しん)(るゐ)()(さん)したのは、(この)()(げふ)(しつ)(ぱい)した(けつ)(くわ)である。(ちゝ)(おな)(しん)(るゐ)(なか)()()()()(とり)()()()(もん)(やう)()になつて、(とう)(きやう)(のぼ)つて()(がく)(しゆ)(ぎやう)してゐた。(この)(やう)()(はじ)()(いう)で、「()()()(もん)(ふく)(しま)まで()くに(ひと)()(めん)()まぬ」と()はれてゐたのに、()(はり)(いち)(ぞく)()(さん)(えい)(きやう)()けた。(ふく)(しま)()ふのは、(わたし)のゐた(むら)から(みつ)()きの(むら)である。

 (めい)()()(じふ)(しち)(はち)(ねん)(えき)(ちゝ)(ぐん)()(しゆつ)(しん)して、()(じふ)()(ねん)(たい)(わん)(わた)つた。(たび)(/\)()()(たう)(ばつ)(たい)()いて()くうちに(びやう)()(かゝ)つて、(さん)(じふ)()(ねん)(はる)(さん)(じふ)()(さい)(たい)(わん)(つち)になつた。(わたし)(じふ)(いつ)(さい)(とき)である。

 (ちゝ)(うた)()んだり(ぶん)(しやう)()いたりした。()(ほん)(しん)(ぶん)()(しよ)()になつてゐたので、(くが)(かつ)(なん)(ない)(とう)()(なん)()()られてゐた。(また)(せん)()(そん)(ぷく)(きし)()(ぎん)(かう)()(にん)とも(まじは)つた。「(るゐ)(だい)(じやう)()()(しふ)」、「(をば)(すて)(につ)()」、「(きゆう)(らん)(たふ)()(とう)(ちよ)(じゆつ)がある。(きゆう)(らん)(たふ)()(きん)()(りよ)(かう)した(とき)()(かう)(ぶん)である。(たい)(わん)(わた)つてからも、「(ちく)(ふう)(らん)()」、「(くわん)(ぷう)(さつ)(てう)」、「(たい)(ほく)(しう)()」、「(けん)(たん)()」、「(なん)(ざん)(ほく)(ざん)(はう)(こく)()(そく)(とう)()いた。(ちく)(ふう)(らん)()(しん)(ちく)()(らん)()()()である。(この)(なか)には()(ほん)(しん)(ぶん)()せてあるものもある。

 (わたし)(はゝ)(さと)(たか)(さき)(きも)(いり)()(ぬし)()つて、(たか)(さき)(はん)(しゆ)()(よう)(たし)をしてゐた(いへ)である。(たか)(さき)()(ふう)(ぞく)(あつ)く、(とみ)(てい)()(たか)いのは(はゝ)()()(かん)(くわ)()ると()(つた)へられてゐる。この()いさんは(まい)(あさ)(ちやう)(たう)()びて、(ふところ)には(じやう)(ちゆう)穿()(あさ)(うら)(ざう)()()れ、(あし)には(わら)(ざう)()()()けて()(じやう)した。()()けには(むら)(ぢゆう)(いち)(じゆん)して、まだ()きてゐないものがあると、(おこ)して()る。(なつ)(たか)(さき)まで(いち)()(ほど)(あひだ)()(すゐ)(じゆん)()て、(くわ)()(そく)があると(おも)ふと、()()(をし)へて()る。(ちか)(しゆく)()(ぢよ)(らう)(がひ)()つた(わか)(もの)が、(はな)(うた)(うた)ひながら(かへ)(みち)で、この()いさんのちよん(まげ)()()けると、(あわ)てて(あし)穿()いてゐる(あさ)(うら)(ざう)()()いで(ふところ)()れ、()(もの)(すそ)(はし)()つて()()をしたさうである。この()いさんは(すゐ)()()めに(たび)(/\)()(さん)(なげう)つたこともある。

 (いま)(しら)()()(みだ)して(のう)()(をんな)(おな)じやうになつてゐる(わたし)(はゝ)は、(たう)()(じやう)(ひん)(そだ)てられ、()(りやう)()かつたので、(きん)(がう)(ひやう)(ばん)(むすめ)になつてゐたと、(けん)(くわい)()(ゐん)などの(なか)に、(さけ)(うへ)(はな)(ひと)がある。

 (わたし)(はゝ)()(じふ)()(ねん)(あひだ)まだ(ひと)(あらそ)つたことがなく、(ひと)()(ごと)()つたことがない。(だれ)使(つか)ふことの()()ぬと()(ほう)(こう)(にん)を、(はゝ)使(つか)ふ。(げん)使(つか)つてゐる()(なん)(はや)(りやう)(しん)(うしな)つて()()(そだ)てられ、(じふ)()()(さい)(とき)、その()()(あらそ)つて(いへ)()たものである。(わが)(まゝ)で、(さけ)()きで、どの(いへ)にも(はん)(とし)より(なが)くゐたことがない。それが(はゝ)(もと)にはもう(しち)(ねん)(つと)めてゐる。(わたし)(しん)(るゐ)(すう)(じつ)(けん)あるが、どの(いへ)でも(こと)があると、(はゝ)()(けん)()ひに()る。それでゐて(はゝ)()(じやう)(けん)(そん)してゐる。(さん)(じふ)()してすぐに(くわ)()になつて、それからは(ひん)()(なか)(わたし)(いもうと)とを(そだ)てて()た。その()めに(はゝ)(おもひ)()りが(ふか)いので、(ひと)(こん)(きゆう)(うつた)へて()ると、(かへ)さぬに()まつた(かね)をも()して()る。かう()(はゝ)(いち)(ぞく)(れん)(るゐ)せられて、(いま)のやうな()(うへ)になつたのが、(わたし)には()(どく)でならない。

 (わたし)(がく)()のないのと、()(ぶん)(びやう)(しん)なのとから(ほつ)(しん)して、()()になることにしたと()つたが、それではまだ(じふ)(ぶん)(どう)()()(つく)してゐない。(わたし)()()にならうとしたには、まだ()(ぶん)(びやう)(しん)にならなかつた(まへ)()()(おく)(うなが)された(ところ)がある。それは(はゝ)(びやう)()()(おく)である。

 (めい)()()(じふ)(ねん)(はる)(わたし)がまだ(びやう)()になつてゐなかつた(とき)()()(はゝ)()(つう)がすると()()した。(しか)(たゞ)()(つう)ではなくて、(はゝ)(しつ)(しん)したやうになつてしまつた。(いもうと)()()であつた。(わたし)(あわ)てて「おつ()さん、おつ()さん」と()んだ。()(なん)がその(こゑ)()いて()()けた。それから(はく)()()ませる。(ひよう)(なう)(あたま)()せる。()(しや)()びに()る。その(ひま)(はゝ)(くわい)(ふく)した。(しか)(わたし)はその()(たい)(せつ)(はゝ)()()する()めに、()()(とも)()(じゆつ)(まな)んで()かなくてはならぬと(おも)つたのである。(わたし)()(ぶん)(がく)(かう)(せい)(せき)()かつたことを(はな)したが、(せい)(せき)()いのは(わたし)ばかりではない。(いもうと)(わたし)より(いつ)(そう)()い。さうして()れば、(はゝ)(しつけ)のお(かげ)()(ほど)ある。(わたし)(はゝ)をどうしても()()しなくてはならない。

×     ×     ×     ×

 これから(わたし)がどんな(にん)(げん)だと()ふことを(はな)さなくてはならない。それには(わたし)(ひと)(ちが)つてゐるやうな(せい)(しつ)(ひと)(ひと)(かぞ)へて、それを(せん)(せい)(てん)(びん)(さら)()せる(ほか)あるまい。

 (さい)(しよ)(まを)したいのは、(わたし)(しよう)(けい)()だと()ふことである。(しよう)(けい)とは獨逸(ドイツ)()Sehnsucht(ゼエンズホト)(ほん)(やく)で、あくがれと()ませるのださうだ。()()(ことば)かも()れぬが、(わたし)(たか)(さき)(ちゆう)(がく)にゐた(とき)(たか)(やま)(ちよ)(ぎう)(しよ)(あい)(どく)して、(いま)(てん)(さい)(きん)(ぎやう)(えい)(ゆう)(そう)(はい)する(こゝろ)(ちよ)(ぎう)のお(かげ)(きざ)したのだから、(この)(ことば)(もち)ゐる。(たか)(さき)()宿(しゆく)(しや)では、(せい)()(ども)(わたし)(こと)(ほん)()だの(ざつ)()()だのと()つて()やかしながら、(また)その(ほん)(ざつ)()()(わたし)()()(あつ)まることになつてゐた。

 (ちよ)(ぎう)(しよ)(ねむり)()()まされたやうな(こゝろ)(もち)になつた(わたし)は、(てん)(じん)(ろん)()む。(びやう)(かん)(ろく)()む。(しん)(くわ)(ろん)(かう)()(しゆ)()()(げん)()む。

 さて(しう)()(かへり)みれば、(たん)(じやく)(かん)(とし)(けみ)したと()(だけ)(かさ)()て、()(ちう)(こと)(とつ)くに()かり()つたやうに()つて、()(ざう)()(わたし)(ども)(もの)(をし)へようとする(ひと)(おほ)きに()へない。

 (わたし)はさう()(ひと)(たち)()(こと)()くと(むね)(わる)くなる。

 (ひと)(ころ)(せい)(しよ)(ふところ)にして、()()なる(さう)(しよく)(はん)()なる()(しき)とのみちみちてゐる所謂(いはゆる)(かみ)(さい)(だん)(まへ)(ひざまづ)かうとしたが、(ひと)()(ぼく)すると()(ひと)(たち)(おろか)なのに(あき)れて()()した。そして「どうしても(てん)(さい)でなくては()()だ」と(さけ)んで、(どく)(りよく)()(もの)(もと)めようとしては、()(ぶん)(こゝろ)(あま)りに(くう)(きよ)なのに()()いて、()(みは)(こぶし)(にぎ)る。

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 (つぎ)(まを)したいのは、(わたし)(きやう)()(へき)とでも()ふやうな(せい)(しつ)()つてゐる(こと)である。

 (わたし)()(さい)(とき)(ちゝ)()れられて、田舍(ゐなか)(みち)(たう)()(すみ)()であつた(たま)(むら)(かへ)()(ちゆう)、ふと(みち)(ばた)(むらさき)のげんげと()いろいたんぽぽと(いち)(めん)()いてゐるのを()て、「(この)(はな)(だれ)()ゑたのです」、「(だれ)()ゑないなら、なぜこんなに(うつく)しく(なら)んで()くのです」、「なぜ(はる)になつて(いち)()(はな)()くのです」などと(ちゝ)()()めた。(ちゝ)()(やう)(かん)じて、(かへ)つてから(はゝ)(はな)した。(はゝ)(わたし)(うま)れた(とき)(へそ)()(くび)()いてゐたので、(じゆ)()(かけ)()(そう)になると()(めい)(しん)から、(わたし)(ぜん)()()(づか)つてゐたのだから、(ちゝ)よりも(いつ)(そう)()(やう)(かん)じたさうである。

 (のち)(わたし)(びやう)(かん)(ろく)()んで、「(えう)()()(いし)(みち)(あまね)きを()()()()()へざりしことあり」と()(ところ)()て、はつと(おどろ)いた。

 (わたし)(しよ)()んで()(ちう)(だい)()いてある(ところ)や、(ばん)(ぶつ)()()いてある(ところ)になると、(いき)をはずませて()(つゞ)ける。(しか)しさう()()()()(どく)(だん)(てき)(ろん)(せつ)(まへ)(おき)使(つか)はれてゐるのに()()くと、(わたし)()をむいて(いか)らずにはゐられない。(なん)(げん)(よう)()なるやと(さけ)びたくなる。「(くび)()(つの)()()ててわれ(から)(いで)でたりと()(でゞ)(むし)()る。」(わたし)はそんな()(ろん)をする(ひと)よりは、(おろか)(まよひ)(なか)(はう)(くわう)してゐる(ひと)(はう)()きだ。

 (わたし)(ほゝ)()まつた()をぱたりと()つて、()(ひら)(くろ)(ちり)のやうな(もの)(のこ)つたのを()ると、これがぶんと(はね)()らして()て、ちくりと(わたし)()したのだと()ふことが()()にも()()()(かん)ぜられる。()のちぢれを()る。(ゆび)(くわ)(もん)()る。(だい)(たい)(こつ)(とう)(かい)綿(めん)(しつ)()る。(まう)(まく)Sehsubstanz(ゼエズブスタンツ)()る。(ひと)(うた)(うた)ふのを()く。(ねこ)(あし)(もと)()くのを()く。(おな)じやうに()したGeranium(ゼラニユウム)(しゆ)(/″\)()(しやう)(はな)(ひら)くのを()る。(つち)()る。(いし)()る。(そら)(かゞや)(ほし)()る。(くさむら)(すだ)(むし)()く。(なに)(ごと)によらず、(わたし)(ほとん)(きよう)()(ちか)(きやう)()(かん)ずる。

 (さい)(きん)(がく)(しん)()(がく)(せい)(しん)(びやう)(がく)(わたし)()めには(きやう)()(はう)()である。

 (わたし)()()(ぶん)(むね)()てて、(しん)(ざう)(をど)るのを()れて()て、()うちのをののくやうな(きやう)()(かん)ずる。(ひと)(あひ)(いだ)いて(くわん)(きは)めようとする(せつ)()()(ぶん)(しん)(たい)(なか)(はたら)いてゐる(あや)しい(ちから)(おも)ひ、(あひ)()になつてゐる(ひと)(しん)(たい)(なか)(おな)じやうに(はたら)いてゐる(あや)しい(ちから)(おも)つて、(こつ)(ぜん)()()(ぜん)(がく)(てき)()(けん)をしてゐるやうな()になる。

 (わたし)(この)(きやう)()(へき)(てつ)(がく)()(みち)ではないかと、(ひそか)(おも)つてゐる。

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 (つぎ)(わたし)(びん)(かん)である。(しか)(すゐ)(まう)(おちい)ることがないから(しん)(けい)(すゐ)(じやく)ではない。

 (わたし)はあらゆる(せつ)(そう)(せん)(りつ)(かい)調(てう)()(ごと)に、(くち)()はれない(かん)(おう)をする。(なつ)(ぐさ)(みどり)(うへ)に、(はひ)(いろ)(すな)(けむり)(すゐ)(せい)()のやうに()いて(すゝ)(ぐん)(たい)(おほ)きい()(ども)()(のど)から、(たん)調(てう)な、()(じや)()(ぐん)()(うしほ)()くやうに(おこ)(とき)(わたし)()(みづ)(そゝ)がれたやうに(かん)ずる。

 (わたし)()(ぶん)では(くさ)(ぶえ)()くことを()らない。それに()()(せん)(みゝ)(おほ)うて(はし)りたくなる(ほど)(いや)で、ピアノやヰオリンは(しよく)(わす)れる(ほど)()きである。

 (きやう)(かう)宿(しゆく)(ちよく)()()から(ゆふ)(ぐれ)()れるオルガンの()にも、(わたし)(から)(たち)(かき)()(あし)(とゞ)める。

 (くわい)(だう)()して(こゝろ)(れい)(くわい)(ごと)くになつてゐた(とき)(さん)()()(にく)(せい)(くう)()をゆすると、(わたし)(むね)()(かい)(てき)(きよう)(めい)した。(かん)()(くわい)(だう)であつた。()(ゆふべ)(あか)るい(しよく)(した)で、(いろ)(しろ)(ほそ)(おもて)に、(しつ)(こく)(ひげ)(なが)()れて、(しろ)(ふく)()(さか)()(しよう)(ぐん)さんが、(かゞや)(ぎん)(むち)(ふる)つて、「ああ(しゆ)()むべきかな」と(うた)つた(しゆん)(かん)に、(わたし)(たしか)(せつ)(じつ)にクリストを(おも)つた。

 (めい)()()(じふ)(ねん)(なつ)(よう)()があつて(とう)(きやう)(のぼ)つて、()()(うら)()(えき)()くと、(けう)(ゐん)らしい(いろ)(しろ)(せい)(ねん)(いん)(そつ)せられて、(せう)(がく)(せい)()がプラツトフオオムの(さく)(そと)(せい)(れつ)してゐた。(せい)()()()はもう(くるま)()つてゐる(たれ)やらの(うへ)(そゝ)がれてゐた。(はた)に「送學事視察員一行(がくじしさつゐんいつかうをおくる)」と()いてある。(たちま)(せい)(ねん)(あひ)()をすると、(せい)()()(あし)(ぶみ)をして、「(つぼみ)(はな)()(むし)の」と(うた)()した。

 (わたし)(かた)から()()けて(せん)(りつ)(かん)ずると(とも)に、()には(なみだ)()かんだ。そして(しう)()(ひと)(てん)(ぜん)たる(かほ)()て、(かへ)つてそれを(あやし)んだ。

 (わたし)()(ぶん)()(らう)(どく)しても(おな)じやうな(かん)じを(おこ)す。

 (わたし)(しよ)(だな)(しよ)(なら)べるにも、(とこ)(くわ)(びん)()くにも、(には)(あさ)(がほ)(はち)()ゑるにも、かうでなくてはならぬと()ふ、(うご)かすべからざる()()(はい)(れつ)がある。(しよ)(せき)(さう)(てい)()(しやう)なんぞに(きやう)(れつ)(かう)()がある。

 (わたし)()きな(ことば)がある。(はい)(きよ)()(しゆん)(しゆん)(てう)挨及(エジプト)(へき)(ぐわ)(げい)(じゆつ)()(きやう)(かたな)(かは)(かめ)(たふ)(せい)(たね)()く、その(ほか)イタリア、スパニアの()(めい)(ぼん)()(そう)()などである。(わたし)(いもうと)(ことば)(かう)()(いつ)(そう)(きやう)(れつ)で、(かし)()(いち)()(なら)()きな(ことば)はないと()つてゐる。

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 (わたし)()(さう)(ぎやう)(ぢやう)(せき)(きよく)(てき)である。

 (せう)(がく)(かう)にゐた(とき)()()(だい)(しやう)であつた。(いち)(にち)(なに)もせずに()らすことが()()ない。(へい)(ぼん)()ふことを(ざい)(くわ)のやうに(おも)ふ。(なに)(ごと)にも()()(せん)(めい)にせずにはゐられない。(てき)として(おそ)るべき(じん)(ぶつ)でなくては、()(かた)として(よう)()たぬと(しん)じてゐる。(はつ)(ぱう)()(じん)(しゆ)()()んでも(まな)ばれない。

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 (わたし)()くことを()らぬ()(しき)(よく)(いう)してゐる。それも()(かい)(てき)(ひろ)()りたいのではない。()(ほど)()らぬやうではあるが、「(てん)(さい)(あた)へよ、(しか)らずば()(あた)へよ」と(さけ)びたい。

 (さいはひ)(わたし)Psyche(プシヘエ)(けん)(ぜん)なやうである。(ちひ)さい(とき)から(こん)(ねん)まで()(つう)のしたことがない。(いつ)()(いつ)()(あひだ)(つう)(けい)(じふ)()(さん)()(かん)(ねむ)つた(だけ)(どく)(しよ)したことが(たび)(/\)あるが、(あたま)はなんともなかつた。(はん)(とし)(ほど)(ほとん)(しよ)(さい)から()ずにゐて、(あし)(こし)()たぬ(ほど)(つか)れて、(あたま)(だけ)はつきりしてゐたことがある。

 ()()がましいが、(わたし)(すくな)くも()(わう)()いて(がく)(かう)(さい)(はい)()けたことがない。

 (せう)(がく)(かう)には()(さい)()()つた。(たう)()はまだ(ねん)(れい)(こと)(こま)かに(せん)()するやうな(こと)はなかつた。(わたし)(いち)(ねん)(きふ)(がく)(くわ)(あま)(よう)()なので、()(ねん)(きふ)にゐる從妹(いとこ)(ところ)()けて()つて、()(ねん)(きふ)(どく)(ほん)(いつ)しよに()みたがつた。(たま)(むら)(せう)(がく)(かう)で、(わたし)()(じゆう)(しゆ)(せき)()(とほ)してゐた。

 (わたし)(はつ)(さい)(とき)(はじめ)(かん)(ぶん)()(どく)(さづ)けられた。(たう)()(たま)(むら)(ちゝ)()(てい)(けん)(くわい)()(ちやう)をしてゐた(ひと)(ちゆう)(しん)になつて()(しき)した(ばん)(すゐ)(ぎん)(しや)()()(しや)があつた。(のち)には(ぎよく)(しん)(がく)(しや)()(じゆく)()()た。そこへ(さい)(たま)(けん)()()(ひと)で、(なか)(じま)(がう)(ざん)さんと()(ひと)(へい)せられて()てゐた。(なが)(かみ)(あさ)(ひも)(むす)んでゐた。(もく)(じき)(だう)(じん)()(あだ)()があつた。(わたし)(がく)(かう)から(かへ)ると、すぐに(ほん)(つゝみ)()いて(なか)(じま)さんの(ところ)(はし)つた。(わたし)(じふ)()(さい)までに、(かう)(きやう)()(しよ)()(きやう)(ぶん)(しやう)()(はん)(じふ)(はち)()(りやく)(たう)(そう)(はつ)()(ぶん)()(じゆん)(じよ)()んだ。(ちゆう)(がく)()()つてから(ひと)(こま)(かん)(ぶん)が、(わたし)にはやさし()ぎた。

 (わたし)(かう)(とう)()(ねん)()ました(とき)(ちゝ)は「(えう)(ねん)(がく)(かう)(ちゆう)(がく)(かう)かに()()れ」と()()いて(たび)()つて、それ()(かへ)らなかつた。(じふ)()になつた(とき)(はゝ)(ひと)(さう)(だん)して(ちゆう)(がく)()(ねん)()()らせてくれた。(いち)(ねん)(まへ)(はる)から(えい)()(すこ)(まな)んでゐた。(ちやう)()(まへ)(ばし)(ちゆう)(がく)(どう)(めい)(きう)(かう)があつて、(いち)()(ねん)(せい)(らく)(だい)(しや)(おほ)かつたので、(たか)(さき)(ちゆう)(がく)では()(さん)(ねん)(ねん)(にふ)()(けん)がひどく(にぎは)つたが、(わたし)()(にん)(いう)(とう)(しや)(なか)(さん)せられた。

 それと(どう)()(ぐん)(けう)(いく)(くわい)(てん)(らん)(くわい)(せう)(がく)(かう)(せん)(しよ)(ぐわ)(その)()(せい)(せき)(ひん)(てん)(らん)(くわい)とに(しゆつ)(ぴん)して()いたのが、どちらでも(いつ)(とう)(しやう)()たので、(わたし)(けん)(がく)(かう)とから(せい)(へう)せられた。その(しき)(ぢやう)から(かへ)つた(とき)は、(はゝ)(ちゝ)()(はい)(まへ)()(とも)して、(わたし)()れて()つて(をが)ませて()いた。これが(わたし)(せう)(がく)(せい)(くわつ)(をはり)である。

 (いま)(たか)(さき)(ちゆう)(がく)()つて()れば、(たう)()(けう)()(ほとん)(みな)()つてしまつてゐる。(なに)(こと)のある(たび)(わたし)(きふ)(だい)(へう)して(しき)()()んだ(には)には、(たゞ)(ひと)(かぶ)(やなぎ)のみが(きう)()つて(そよ)いでゐる。

 ()(ねん)(きふ)(がく)(くわ)(すこ)しも(ほね)()れなかつた。そこで(たか)(さき)(まち)(ざつ)()()(かよ)つて、()(ほん)()(はい)()(しん)()(しや)(うた)(ふけ)つた。(とび)()りで(ばつ)(せき)()かれた(わたし)は、()(ぶん)(しやう)()だ、(うた)よみだと()()(きふ)(ちゆう)()せて、(つぎ)(きふ)(しゆ)(せき)(のぼ)つた。

 ()(ねん)(きふ)(わたし)(もつとも)(とく)()(あき)であつた。これまで(けう)(ゐん)()(けい)(えい)せられて、()(てい)(さい)(きは)めてゐた(かう)(いう)(くわい)(ざつ)()を、(わたし)(どく)(りよく)()()けた。(げん)稿(かう)()(しふ)する。(くわう)(こく)(けい)()()()る。(げん)稿(かう)(よう)()(いん)(さつ)する。(いん)(さつ)(じよ)(へん)(かう)(せつ)(しよう)(あた)る。(へう)()(あらた)める。(くち)()(せい)(はん)、カツトの(てう)(こく)()()する。(くみ)(いれ)()(づめ)から(はさ)()(しき)()まで()()をする。(さつ)(しん)()から、(うん)(どう)()()(へん)(しふ)便(だより)まで()(ぶん)()く。(かう)(せい)(まへ)(ばし)まで(なん)()でも(はし)る。(その)(とし)(がく)()()(けん)(じゆん)()(ちゆう)にも(わたし)はこれを(はい)せなかつた。(ぶん)(げい)()()(ゐん)()ふものが(じふ)(にん)(あま)りゐたが、(せう)(しん)(うへ)(ふで)()たなかつたので、(なに)もかも(わたし)(ひと)()でした。そして(ざつ)()(けん)(ない)(すべ)ての(せう)(ちゆう)(がく)(ひやう)(ばん)せられる(よみ)(もの)になつた。

 (そつ)(げふ)()(けん)(とき)も、()(けん)()()(にち)(まへ)に、(わたし)(げん)稿(かう)(よう)()(つくゑ)(うへ)(やま)のやうに()んで()いてゐた。(しう)()では(とく)(てん)(じゆん)(じよ)()てつこをして、(だれ)(いち)(ばん)(だれ)()(ばん)などと()つてゐた。(わたし)(ない)(しん)こんな(こと)をしてゐて()(けん)をしくじつたら、()(ちゝ)()まず、(はゝ)(かほ)(あは)せられまいと、流石(さすが)(きも)()やした。(しか)(せい)(せき)(はつ)(ぺう)せられて()れば、(だい)(いち)()(べん)(きやう)()たる(わたし)()(はり)(しゆ)(せき)であつた。

 その(とき)(わたし)(かう)(とう)(がく)(かう)(この)(とほ)りだ、(だい)(がく)(この)(とほ)りだ、と(しん)(ちゆう)()(そく)してゐた。(ちやう)()(れん)(せん)(れん)(せふ)した(くわう)(ぐん)滿(まん)(しう)(さい)()(しよう)()()()(めい)()(さん)(じふ)(はち)(ねん)(はる)(こと)である。

 (しか)しそれははかない(ゆめ)であつた。(わたし)(びやう)()(この)(とき)()ざしてゐたかも()れない。

×     ×     ×     ×

 ()(しき)(よく)(はなし)(ついで)に、(わたし)はどんな(がく)(もん)()(かう)(いう)してゐたかと()ふことを(まを)したい。

 (わたし)(れき)()(いち)(ばん)()きであつた。(ちひ)さい(とき)(よし)(つね)(べん)(けい)(はなし)(この)んで()いたのを(はじめ)として、(れき)()(じやう)(こと)(がら)(なに)かの(はし)(うかゞ)はれる(たび)に、(わたし)(こひ)(びと)姿(すがた)をちらと()るやうに(かん)じた。

 (しん)(ぶん)()ても(ふる)()(めい)(ふる)(じん)(めい)(ねん)(がう)(なに)かの()()(なか)にあると、それからそれへと()(さく)して、(れき)()(じやう)(れん)(らく)(もと)めて、(わたし)はいつも()(しき)(はん)()(せま)いのを(なげ)いた。

 (ちゆう)(がく)(れき)()(けう)(ゐん)()(りゆう)(やまひ)ある(わう)(じやく)(ひと)であつた。その(ひと)(けつ)(きん)する(たび)(わたし)(かな)しかつた。その(ひと)()(がは)さんの西(せい)(やう)(つう)()()()にして(けう)(じゆ)してゐた。(わたし)はすでに西(せい)(やう)(つう)()()んだ。(うき)()さんの(じやう)()()()んだ。(あね)(ざき)さんの印度(インド)()(だい)()()んだ。ランケ、モムゼン、オルデンブルヒなんと()(ひと)()いたものを、(げん)(ぶん)()んで()たい。サンスクリツトを()んで()(ぶん)(けん)(きう)したい。こんな(くう)(さう)()せて、(わたし)はいつも(ばう)(やう)(たん)(はつ)してゐた。

 (つぎ)()きなのは(はく)(げん)(がく)であつた。サンスクリツトが()みたいと(おも)つたことは(まへ)にも()つた。それからインドゲルマン()(けい)(だい)(たい)()りたいと(おも)つた。(わたし)(ちゆう)(がく)にゐた()(だい)には(えい)()(ざつ)()()(しゆ)(ぐらゐ)しかなかつたが、それを()むにも(ひと)()()けぬ(ところ)()()けて、(ぶん)()ぎた(のぞみ)(いだ)いてゐた。

 (つぎ)()きな(もの)()ひて()げれば、()(がく)であつた。(しか)(すう)(がく)(いや)だから、これには(のぞみ)(つな)がなかつた。

 (さい)()(わたし)(ぶん)(げい)との(くわん)(けい)(いち)(げん)したい。

 (わたし)(ぶん)(げい)(たい)しても(びん)(かん)()つてゐると(しん)ずる。(しか)(わたし)(さい)(しよ)から(かん)(しやう)(いち)(めん)(あま)んじて、(せい)(さく)(いち)(めん)には(ゆび)()めようとしなかつた。()けじ(たましひ)はあつても、どうも()(つく)ること(だけ)()(ぶん)(りやう)(ぶん)でないと(おも)つてゐた。

 (あたら)しい(はい)()(たん)()(ちやう)()いづれも(こゝろ)みたことはある。(しか)(わたし)は、(いち)()(せい)(さく)(りよく)(ほとばし)()るやうな(かん)じに(さう)(ぐう)しない。(たゞ)(かい)(てう)(おん)(しゆん)(てう)(しふ)()んで、(さけ)()つたやうな(こゝろ)(もち)になつた(だけ)である。

×     ×     ×     ×

 (わたし)(てう)()(くわい)(ぐわ)とを(おん)(がく)()いで(あい)する。(しか)(いま)()(ほん)()就中(なかんづく)(じん)(ぶつ)(ぐわ)()(むし)のやうに(きら)つてゐる。(しよ)(おも)(しろ)い。(てん)(こく)(すこ)()つて()た。

 ()(しやう)()とは(ひと)のするのを()るも(いや)である。

 (わたし)(さけ)煙草(たばこ)(くち)にしたことが()い。

×     ×     ×     ×

 (わたし)()(てつ)させた(びやう)()(ある)()()に、(わたし)(たん)()()せられて(たか)(さき)(びやう)(ゐん)()つた()()がある。(びやう)()(めい)()()(じふ)(ねん)(はる)(じふ)()(さい)(とき)(はつ)して、それと(どう)()(わたし)(はい)()(はじ)めた。それから()(じふ)(いち)(ねん)(かい)(げふ)()(けん)()けようと(おも)()(まで)(いち)(ねん)(あま)(はい)()(もてあそ)んでゐた。それで(たう)()()()がほととぎすに()せられてゐる。それをここに(うつ)してお()()ける。

 「(じふ)(ぐわつ)()(じふ)(よつ)()(こと)である。(あたら)しい(びやう)(てう)(あら)はれた()めに、(きふ)()(くわ)(しゆ)(じゆつ)()けることになつて、(たか)(さき)()綿(わた)(ぬき)(びやう)(ゐん)()く。(かう)(てい)(さん)()

 (ひと)(/″\)(いだ)かれて(たん)()()る。(やはら)かい()(とん)(あつ)()んだのがソフアのやうで()(あひ)()い。(ぎやう)(ぐわ)した(うへ)にアアチのやうな(もの)(こしら)へて、その(うへ)(しろ)(ぬの)()け、(ぬの)(はし)()れて(からだ)(りやう)(がは)(おほ)ふ。()()()つてゐて、(しろ)(ぬの)(した)(せう)(てん)()()(じやう)(あか)るいのが(うれ)しい。(しち)()(はん)(はつ)する。(おほ)(ぜい)(おく)つて()てくれる(やう)()である。(まくら)(もと)にあつた(しう)(かい)(だう)小豆(あづき)(いろ)(なな)()(ぎく)との(はち)(うゑ)(ふた)(だけ)()(なん)()たせる。

 ()(てん)()だ。(みの)(むし)(めい)(げつ)でも(のぞ)くやうに、(くび)()べて()()る。

 ()(わた)(かぎり)()(おも)(じゆく)してゐる(いね)(いろ)(おどろ)く。まだ()(ひと)()えぬが、(てん)()(さだ)まり()(だい)(いつ)(せい)()(はじ)めるだらう。(しう)(くわく)()(だい)(せん)(さう)(まへ)(せう)()(へい)()だなと(おも)ふ。()(づる)()(しぼ)つた(ところ)だなと(おも)ふ。()(かん)じである。

   (しう) (てん)(くわく)(はい) ()(しん) (りやう) ()

 (たま)(むら)(まち)()る。ここで(ひと)(/″\)(わか)れる。(あと)(いつ)(かう)(じふ)(いち)(にん)になつたさうである。「(だい)(がく)(びやう)(ゐん)(ゆき)()(あは)せ」と()(でん)(ぱう)()たせる。(いつ)(かう)がぞろぞろと(なが)(えき)をねつて()くのだから、(ひと)()(せん)()くこと(おびたゞ)しい。(くび)(もた)げて(すそ)(はう)()れば、(あと)から(ある)いて()()()()()(そで)(すき)(かた)(あひだ)から、(くち)()いたり(ゆび)さしをしたりして、()(ぐち)()つてこつちの(はう)()てゐる(まち)(ひと)姿(すがた)(いく)つともなく()える。(もの)()きに(わう)(らい)()()して執念(しつこ)()てゐる(やつ)もある。「あれあれ、ああ()(もの)(とほ)らあ」などと()(とん)(きやう)()(ども)(こゑ)(きこ)える。()んだものと(おも)はれはすまいかと(おも)ふと、(あま)()(こゝ)()もせぬ。

   () き て ゐ る ぞ (たん) ()(うへ)(あき)(われ)

 (まち)()けてしまふと、(らく)(/\)する。(また)(ひろ)()()る。(あか)()(はる)()(やま)(/\)から(みぎ)(ほゝ)()()ける(かぜ)が、もう(ふゆ)(ちか)いので、うすら(さむ)い。(みの)(むし)(くび)()して()ては()()めてゐる。

   が た () (しや)(みち)(ゆづ) る や (いね)(なか)

   (かげ)(やま) () (なた)(やま)(いね)(はて)

 ()()(はん)(くら)()()()く。(まち)はづれの(ちや)()(やす)む。()()(れい)(みせ)で、コスモスや(きく)(いつ)ぱい()いてゐる。(たん)()(うへ)(はら)()つて、(せき)(しゆ)(けい)(らん)、ミルクなどを()む。

   (きく) の よ め (ちや)() し て す ぐ (はた)()

   (この) (くわ) () は あ の (きく)()(あか) き か な

 (じふ)()()(じつ)(ぷん)(はつ)す。(こん)()(すこ)()(おこ)して(まへ)()ながら()く。

   わ が () き を て く て く (ある)(ひと)(あき)

 (すこ)(かぜ)()()た。(みの)(むし)(また)()(ちゞ)める。(たか)(さき)まで(まつ)(なみ)()(いち)()(ほど)(つゞ)いてゐるのである。(だん)(/″\)()くうちに(おほ)きな(まち)(しろ)い、(なが)(てい)(しや)(ぢやう)(たて)(もの)などが()えて()る。()()(むら)(せう)(がく)(かう)(かね)()つてゐる。

   (いね)(なか)(がく) (かう)(さくら)(もみじ) か な

 (じふ)(いち)()()(じつ)(ぷん)()く。(じゆ)(しん)(にふ)(ゐん)()(じやう)(つか)れたが

   (きく)() () (しう) (かい) (だう)() ()() し」

×     ×     ×     ×

 (かい)(げふ)()(けん)()けて()()にならうと()ふのは(きゆう)(さく)で、しぶしぶそれに()めたのだが、()(しん)して(じん)(こつ)(ひろ)()つて、まだ(つち)(くさ)いのを(ともしび)(もと)(もてあそ)んで、(ほん)(なか)にある()(じゆつ)(くら)べて()て、(わたし)(ほん)(いち)(まい)(ひるがへ)(ごと)に、()(まへ)(あか)るくなるやうな()のするのを()(くわい)(おも)つた。かう()(ほん)(おほ)(はさ)んである拉甸(ラテン)()にも(きよう)()(おぼ)えた。(わたし)(くせ)で、すぐに拉甸(ラテン)(ぶん)(ぱふ)にも()(のば)ばしたが、(めい)()(へん)(くわ)より()きに(すゝ)()(ゆう)()かつた。

 ()()()(けん)(たふ)(あん)()くにも、(はん)()(あい)(まい)(もん)(だい)があると、()(もん)(だい)(けん)(きう)()ふものを(いち)()(まい)()く。(たふ)(あん)(ちゆう)(じゆつ)()には(こと/″\)拉甸(ラテン)()獨逸(ドイツ)()()へる。(じゆ)(けん)(しや)(ひと)()でも(のこ)つてゐる(あひだ)(わたし)は、(ふで)()かない。()(かく)(ほん)(けん)(じん)(じゆ)(けん)(しや)(ちゆう)では(だい)(いち)であつた。

 (しか)(この)(つぎ)(たゞ)(ひと)つの()(けん)()けるには、田舍(ゐなか)()まひの(つくゑ)(うへ)では(じゆん)()することが()()ない。(わたし)(はや)くその(じゆん)()をして、(はや)()(けん)()ましたい。そして(はゝ)(もと)(かへ)つて()たい。なぜと()ふに、(わたし)(りよ)(かう)してゐる(あひだ)は、(たび)(/\)(びやう)()をした(はゝ)が、(いへ)(かへ)つてゐた()(ねん)(かん)(いち)()(びやう)()をしないのを()て、(わたし)(はゝ)(しん)()(ぢやう)(たい)(さつ)すると、どうも(なが)(とほ)(はな)れてゐたくないのである。それに(わたし)()めには(この)()(けん)(いち)(だん)(らく)で、それから()きに(しん)()(たい)があるのだから、(いそ)がずにはゐられない。

 (わたし)(いへ)(ざい)(せい)(とう)(きやう)(たい)(りう)することを(ゆる)さないばかりではない。よしや(にふ)()なしにゐられるとしても、(すこ)しの()使(づかひ)(きやう)()から()()せることもむづかしい。

 (とう)(きやう)にはしるべが(ひと)()()い。(ちゝ)()()をして()()にした(ひと)(ふた)()あるが、それをたよるには(しの)びない。

 (わたし)(しゆ)(/″\)(けい)(くわく)をして()たと()つた。その(ひと)つを()げて()へば、(いは)(はな)(くわ)(やく)(せい)(ざう)(じよ)(しん)(れう)()にゐる(ぐん)()(した)(ばたらき)にならうとしたことがある。(しか)(この)(うん)(どう)(わたし)(たの)んで()いた(ひと)()(だん)(せい)(こう)しなかつた。

 (せん)(せい)。とうとう(わたし)(この)()(がみ)()くことになつたのである。(この)()(がみ)(せん)(せい)はなんと(おも)つて()るだらうか。(わたし)(はう)では()らぬ(ひと)()ると()()はしない。(わたし)(せん)(せい)()(せい)()つてゐる。(せん)(せい)()()()()()()()(じん)()()(ども)(しゆう)(さん)(にん)()()(おく)してゐる。(せん)(せい)(なが)(なが)(とう)(がん)をすらすらと(じゆ)することが()()る。(せん)(せい)()いた(もの)(みな)()んでゐる。(せん)(せい)()つたこともある。それは(かん)()(でん)(しや)(なか)であつた。(わたし)(むか)ひに()て、(せん)(せい)(こし)()けた(とき)(わたし)(でん)()()たれたやうであつた。()くなつた(ちゝ)(さい)(くわい)したと(おな)じやうな(かん)じがした。これが(いつは)らない()(じつ)だと()ふことが、(せん)(せい)()かりはすまいか。どうも()からなくてはならぬやうに(おも)はれてならない。

 (せん)(せい)。どうぞ(わたし)(しよ)(せい)にして()いて(くだ)さい。(わたし)(はい)(めつ)(なん/\)としてゐる(いつ)()(うん)(めい)()(ちゝ)(めい)()(たよ)りなき(はゝ)(はく)(めい)なる(いもうと)との(せい)(めい)を、(いつ)しよに(つか)ねて(せん)(せい)(たく)する。(わたし)(せう)(かい)(ぢやう)()つてゐない。(はい)()()(しよう)(にん)をも(いう)してゐない。(しか)(わたし)(せう)(かい)するには(わたし)(もつと)(てき)してゐると(おも)ふ。(わたし)()(しよう)するには(わたし)(もつと)(てき)してゐると(おも)ふ。

 (せん)(せい)(わたし)(この)()(がみ)(しん)(けつ)()いた。(この)()(がみ)(わたし)(はん)(せい)()(りやう)(つゝみ)(けつ)して(いつ)(りう)したのである。(この)()(がみ)(わたし)(せい)(しゆん)(じやう)(くわ)(ほのほ)である。せめて(この)()(がみ)(なか)から(わたし)()()(だけ)をでも(あぢは)つて(くだ)さい。

 (せん)(せい)(わたし)はとうとう()いた。そして(そば)()てゐる(はゝ)()()まさせた。

 (むかし)(ふう)(おほ)きな(いへ)のがらんとした(てん)(じやう)(した)()()()つて(おや)()(さん)(にん)がゐるのである。(わたし)(とこ)(うへ)(あかり)()いて、(ほそ)(ともしび)(した)(ふで)(はし)らせてゐる。もう()(ばん)(どり)()く。

 「(からだ)(わる)くすると()けないから、もうお()よ」と()つて、(はゝ)(かはや)()つて、(かへ)つて(また)(よこ)になる。(もり)のある(ひがし)(はう)(ほゝ)(じろ)()()した。すがすがしい、()(ばう)のみちみちてゐるやうな(こゑ)である。(あたま)()げて()(とき)(まへ)(らん)()(あか)るくなつてゐるのが()()く。

 (くわう)(こつ)として()いてしまつてあたりを()(まは)す。(むか)うには(ほん)(ばこ)()んだ(とこ)()がある。(きた)(とこ)には(せん)()(だん)(しやく)(ばう)()()いてくれた(しよ)(ぢく)(もの)()かつてゐる。その(した)(おき)(どこ)には(なに)()さぬ、(あか)()(たに)(くわ)(へい)がある。その(そば)には(むし)()つた(まん)(えふ)(しふ)(ひと)(やま)ある。(ふた)つの(とこ)(さかひ)(はしら)には(ちひ)さい(やう)(ぐわ)(いち)(まい)()るしてある。その(した)(たい)(わん)(ちゝ)()つた(ほつ)()()がつてゐる。(みぎ)(はう)(おく)()との(へだ)ての(ふすま)で、(まつ)(からす)()(たん)との()がある。(いん)には五日一山十日一水と(こく)してある。その(あひだ)から()()(じやう)()(その)(ほか)(いし)(ずり)()つた(おく)()(ふすま)()える。(ひがし)()との(さかひ)で、背後(うしろ)になつてゐる(かも)()には、「(しやう)()()()()()(ばの)()()使()(さきの)(ごん)(だい)()(ごん)(みなもとの)(あり)(なが)」といふ(なが)()(ひと)(むかし)(とま)つて()いたと()ふ「徳不孤(とくこならず)」の(さん)()(おほ)(がく)がある。(ひだり)(はう)(しやう)()(そと)(には)で、()(ぐわつ)()えた(にはとり)(ひな)()いてゐる。

 (ふで)()てて(えん)(がは)()る。()(わた)(かぎり)(あを)()である。(はん)()()きに、(しら)(かべ)(くさ)()(おび)のやうに(よこた)はつてゐるのが(たま)(むら)で、(その)(うへ)(うす)(むらさき)(にほ)つてゐるのが(ちゝ)()(やま)(/\)である。(むら)背後(うしろ)(ひがし)(なが)れる()()(がは)(みづ)(おと)がごうつと(ひゞ)いてゐる。

  明治四十三年七月二十一日         羽鳥千尋

   鴎外先生侍史

底本:「鴎外全集」第十巻、岩波書店
   昭和47年8月22日発行