鎚一下
森鴎外
五條秀麿が洋行して歸つてから、大分月日が立つた。歸つた當座はえらい學者になつて來たさうだと云ふ噂が、同族間に立つてゐたが、なんの爲出來した事もなくて月日が立つうちに、うよ/\ゐる若殿原の一人に數へられて、上流社會では特に人の注意を引かぬやうになつた。
秀麿は矢張企てた著述に手を着けないで、本ばかり讀んでゐる。併し親屬關係や、家に舊誼のある人との關係が知らず識らず結ぼれて來て、高貴な方々の邸宅にも往くことがある。父に勸められて、顯要の地位にゐる人達とも語を交へることがある。併しさう云ふ方面には親密な交際は成り立たない。それとは違つて、綾小路に紹介せられて、畫家や彫塑家の中の第一流の人々とは、大抵友達になつてしまつた。無論多くは西洋藝術の方面である。藝術家を除けて、秀麿の友達を求めれば、只二三の大學教授と、若手の官僚があるに過ぎない。
併しこの藝術家や學者の友達の口から、秀麿の噂は青年藝術家や學生の間に傳へられて、折々識らぬ青年が秀麿に手紙をよこす事などがある。それは秀麿を新思想の分かる學者と認めるところから、世間の迫害を受けてゐる銘々の境遇を訴へて、隨分無理な依頼などをするのである。或る時秀麿はそんな手紙を見て云つた。「かう云ふ人達に滿足を與へるには、己は大きな寄宿舍でも建てなくてはなるまい。」
秀麿は近頃日記を綿密に附けるやうになつた。さうなつたのは、種々の人の境遇などを聞かせられて、其手紙に一々返事もせずにはゐるが、切角自分を信じて訴へて來た人の事を、全く棄てゝ顧みずにゐるには忍びないので、責めて其人名、住所、身上の概略、要求丈を日記に書き留めて置かうと思ひ立つた爲めである。
秀麿の日記は罫の無い洋紙の判の大きいのを、洋風に綴ぢた大冊である。其中に別に數枚の反古が挾んである。それに「鎚一下」と題してある。次に載せるのが其全文である。
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己も近頃は意外に交際が廣くなつたので、新橋へ人を送りに往くことが度々ある。少くも平均毎週一度位は往くだらう。己に送られる人には、特別列車に乘つて立つ人もある。併し一等室に乘り込む人が、先づ最多數を占めてゐる。二等客となると、大ぶ稀である。多くの場合には其人の東京を離れるのを、數日前から新聞が吹聽してゐる。當日は警官が停車場の内外を見廻つてゐる。場内には見慣れた或る憲兵科の佐官の顏が見える。石疊は綺麗に掃除して、如露で打水がしてある。其人が特別に高貴な方だと云ふと、プラツトフオオムの入口まで氈を敷いて、それから先へは普通の旅客を入れぬやうにしてある。
送られる人と己との關係には親疎種々の別がある。全く面識の無い人を送つて行くことは殆無いが、語を交へたことは一度か二度に過ぎぬ位疎遠な人をも送つて行くことがある。殊に地位の極高い人には蔭ながら敬意を表して、己は山を賑はす枯木の一本としてそれを送るのである。
或る日さう云ふ人を送りに往つた時、こんな事があつた。其人は只一度食卓を共にして語を交へたことのある、高貴な方である。それが汽車の出るより早く停車場に着いて、休憩所に入られた。己は休憩所の外に立つてゐた。するとその人の前に進んで暇乞をするものがぽつ/\ある。己は特別に入懇にせられたわけでもないので、差し控へてゐた。その時己の隣に己より身分の低い人が立つてゐて、己に「あなたもお暇乞をせられてはどうですか」と咡いた。「さあ」と云つて、己は躊躇した。なる程同じ身分のもので、暇乞に出たものも、それまでに二三人あつた。己は繼子根性のやうに誤解せられたくは無い。そこでつひ暇乞をする氣になつて、二三歩進み出た。忽ち一人の男が己の右の肩尖に手を掛けて押し戻しながら、「今日は一般の謁見はありません」と云つた。己は驚いて一歩下がつた。そしてその男と顏を見合せた。其男は知らぬ男である。併し或る團體の或る階級の服裝をしてゐる。それを見れば、其男の高貴な方に對する關係は、略察することが出來るのである。
己は自分の修養の足らぬことを告白しなくてはならない。己は一瞬間怒を發して其男と相對して立つてゐた。一般の謁見の無いことは己も知つてゐる。併し同じ身分のものが二三人出た跡である。そしてその二三人が特別の用務を帶びてゐなかつたことは、周圍の状況から判斷することが出來る。己の出さうにした時、其男の拒んだのは、發車の時間が次第に近づいて來た爲めもあらう。又暇乞に出る人數が餘り多くなるのを憚つた爲めもあらう。時間を斟酌し、人數を制限するのは、高貴な方の隨員たる其男が、職務を執行する上に於いて、當然の事であらう。併しなぜ己の肩尖を衝いたか。己は高貴な方の前へ驅け寄りはしない。徐かに歩いてゐる。言語を以て抑留するに、十分の餘裕がある。若しそれをも間だるく思ふなら、なぜ己の前に立ち塞がらない。なんの必要があつて肩を衝いたか。
己は告白しなくてはならない。それは己が其男と相對して立つてゐた瞬間に、二つの概念が己の寫象の前を掠めて過ぎた事である。一つは「城鼠社狐」と云ふ概念であつた。これは漢文で書いた歴史を讀ませられた時、己の意識の上に黏り附いた套語から出てゐる。今一つは「決鬪」といふ概念であつた。これは西洋の本を讀むやうになつた後に己の受けた印象から出てゐる。勿論侮辱とか復讐とか云ふことは、どの國にもあるが、功利主義の一時盛んになつた頃に人となつた己は、洋行した後に始てPoint
d'honneurなどと云ふものに支配せられてゐる社會を、目のあたりに見て、やう/\決鬪と云ふものを自分の身邊に存在する事實として認めたのである。
併し己の肩を衝いた男と相對して立つてゐて、そんな事實が己の意識に上つたのは、眞に一瞬間の事である。一體己は何事によらず、意志の第一發動を其儘行爲として現したことが無い。これは怯儒かも知れない。若しこれに沈着と云ふやうな美徳の名を附けたら、それは文飾であらう。兎に角利害關係から見れば、己は此性質のために屈辱を甘んじ受けることが多い。そこで右の場合にも、意志の第一發動はたわいもなく消えてしまつて、己は忽ち反省した。そして己の怒を發したのは、かの高貴な方に對して己の持つてゐなくてはならぬ尊敬が、まだ十分でなかつたのだと悟つた。
己はさう思つてからは、二目と其男を顧みなかつた。そして幸な事には其男の顏が己の記憶の中から全く消えてしまつた。事によつたら今日互に名を知り合つて、語を交してゐる人達の中に、其男が交つてゐるかも知れない。そして其男は己を怯儒な人間として記憶してゐるかも知れない。併しそんな事はどうでも好い。
又或る日矢張目上の人を送りに往つた時、こんな事があつた。其人は顯要の地位に居る人である。それで平生心易く交際してゐても、今日のやうなはれ/″\しい日になると、己は努めて近所に寄らずにゐる。己はけふも隅の方に立つてゐた。すると隣に或る皮肉家がゐて、己に咡いた。「どうだい。皆物欲しげな顏ばかりだなあ。」己はこれを聞いて只無意味に微笑した丈であつたが、實は心中に強い刺戟を受けた。此詞は魔の杖の如くに、己の周圍の紳士淑女を獸の姿にしたのである。なる程さう云はれてから見ると、どの男もどの女も、今日立つて行く人に何物をか求めてゐるらしく見える。それから己は自分を顧みて見た。實際今日立つて行く人には、まさか己を生かしたり殺したりすることは出來ぬが、少くも己を浮ばせたり己を沈ませたりすることは出來る。そして其人に睨まれたくないと云ふ情は、慥に己の心のどこかに潛んでゐる。して見れば、己も獸の群の中の獸である。己はむねが惡くなつた。このむねの惡い己の心持は、停車場を出た後まで殘つてゐた。
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己はこんな事を書く積で今日筆を把つたのでは無い。己はけふ珍らしい人を送りに新橋へ往つたので、その記念を書いて置かうと思つて紙に臨んだのである。
此人は己のためにはけふまで未見の人であつた。己はけふ新橋で初對面をして、其儘別れたのである。
此人と云ふのはH君である。己がH君の名を聞いたのは、四箇月程前の事であつた。己は心易い牛込の男爵の家を訪ねて、書齋で話をしてゐた。すると執事の老人が男爵に電話を取り次いだ。それがH君の自分で掛けた電話であつたか、それとも誰やらがH君の事を傳へた電話であつたか、己には分からずにしまつたが、兎に角執事はH君の名を口にした。男爵は執事に何事か命じて置いて、己にH君の事を話した。
話はかうである。長門國に秋吉と云ふ所がある。そこから大理石が出る。併しその採掘は利益が少いので、企業家が手を著けても持續して行くことが出來ない。Hは現にそれを採掘してゐる。そしてそれを採掘するのに、尋常の企業家のやうに、勞働者を使つてゐるのでは無い。Hは多くの不遇の青年を諸方から集めて、基督教の精神を以て、同胞として彼等を待遇して、自分も一しよになつて勞働してゐる。或る年Aと云ふ人がその仲間に這入つた。Aは非常な癇癪持で、それがために官を失ひ獄に下つたことがある。その後どこにゐても折合が惡かつたのを、Hがとう/\引き受けた。二年程一しよにゐるうちに、Aは新しく仲間に這入つた青年と爭論をして、そしてHにその青年を放逐することを要求した。Hの細君が傍からAを諫めて云つた。ここは世の人が惡いと云ふ青年を入れる所だから、わるいからと云つてここから出すことは出來ない。どうぞ人を責めずに己を責めて下さいと云つた。Aは持前の癇癪を起した。そしてHが默つて細君に詞を盡させたのを責めて、出刃庖刀で切つて掛かつた。庖刀はHには中らないで、Hの細君の腕に中つた。その時細君は死を決して、讚美歌を誦した。Aは驚いて、夢の醒めたやうになつて、自殺しようとした。周圍のものがそれを止めた。それからはAもHの眞の同胞のやうになつて、現に或る慈善事業に盡瘁してゐると云ふのである。
己は男爵の話を聞いて、ひどく感動した。それには昔の獻身者の物語に似た事を、現に生存し活動してゐる人の上として聞いた、好奇心の滿足も加はつてゐるに相違ない。又その獻身者のやうな夫婦が大理石を掘つてゐると云ふことが、一種の象徴のやうに、己の感受性の上に作用した所もあるに相違ない。なんとか云ふドイツの女の詩にこんな句があつた。「われは鍛匠を羨む。鎚の一下を以て日々の業を始む。」己は此句を昔一度讀んで、今に忘れずにゐる。H君夫婦はその鎚の一下を以て日々の業を始めてゐるのである。基督教嫌のニイチエは、既に人に片頬を撃たれて、更に今一方の頬をも撃たせようとする道徳は、奴隸の道徳だと云つた。その奴隸の道徳を奉じてゐる人達が、鎚の一下を以て日々の業を始めてゐるのである。
併しおもに己を感動させたのは、其事ではなくて其人である。己の男爵に聞いた物語めいた事實は、譬へば斷えず流れてゐる水が偶々石に激せられて沫を飛し、斷えず燃えてゐる火が偶々風に煽られて燄を閃かしたに過ぎない。爰に社會から虐待せられつつ育つて來た青年の一人と交る人があるとする。其人の生活は決して平穩ではあるまい。さう云ふ青年が寄り合つて出來た集團の中央に、幾年の久しい間身を置いて、その一人一人に人間としての醍覺を與へようとしてゐるH君の生活は、實に驚くべきものではないか。己の感動したのは、H君の此日常生活を思つて感動したのである。
己はすぐにかう云ふ事を思ひ立つた。それは己も著述家にならうと思つてゐて見れば、いつかこんな人の生活を書いて見たいと云ふのである。己は此心持を男爵に話した。そして間もなくH君と手紙を取り交す間柄になつた。多分男爵も己の名を先方に傳へてくれた事であらう。
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それから己はH君の上に就いて、なるべく多くの事を知らうと努めた。己は今も猶それを努めてゐる。己は種々の事を問ひに遣つて、H君の回答を煩はした。H君の書いた物、話した事の筆記などを借りて讀んだ。H君は己に寫眞を贈つてくれた。
扨己がけふ書齋で本を讀んでゐると、葉書が二枚屆いた。二枚共署名者はH君で、一枚には火急の用事があつて上京したから、暇を得次第逢はうと書いてある。今一枚には秋吉からの電報に接して、午後三時五十分に新橋を發する。遺憾ながら逢はれないと書いてある。後の葉書は速達にして出したもので、丁度午頃前の葉書と同時に己の手に屆いたのである。
己は非常に嬉しかつた。讀みさした卷を措いて邸を出て、發車時間の十五分前に新橋停車場に往つてゐた。
己はこれまでの通信の結果として、H君が財産を作つてゐないことを推察してゐる。H君は十一年前に大理石を採掘し始めた。七年前に工場の大擴張をする機會があつたのに、H君はそれがために秋吉が婬靡な土地にならうかと恐れて、わざとその機會を逸してゐる。六年前にH君は一旦破産して、五年前に漸くその負債を銷却してゐる。四年前に外國へ積み出した石が碎けて、H君は再び破産し、工場を人手に渡して、又やう/\それを取り返してゐる。さうして見るとH君は財産を作つてゐる筈が無いのである。併し己は考へた。H君は兎に角全國の官業民業の大會社と取引をして、外國へも石材を輸出してゐる大工場の主人であるから、縱ひ苦痛を忍んででも體面を取り繕つて、一等客として旅行しはすまいか。いや/\。H君の人物を思へば、どうもさうでないかも知れない。平氣で三等客として旅行するかも知れない。己はかう思つて先づ三等の待合室を物色した。H君はゐない。それから一、二等の待合室に往つて見た。そこにもゐない。
ふとプラツトフオオムの方を見ると、もう三時五十分發の汽車に人を乘せてゐる。己は急いで埓の外へ出た。急行列車の長い連鎖が、長い石疊の左側を殆ど全く占領してゐて、そこにもここにも見送の人が群をなしてゐる。勳章を佩びた將校の群に送られる人もある。社會の上層に位する紳士淑女の群に送られる人もある。學校生徒らしい青年の群に送られる人もある。己は一つ/\汽車の窓を覗いて見ながら、H君らしい人を搜した。寫眞を貰つてゐるので、風采を想像することが出來たのである。
食堂車の繋いである邊の窓の前に、看護婦らしい女子大勢に見送られてゐる人がある。己は若しやと思つて其の窓を覗いた。それは救世軍の帽を被つた人であつた。
己は遂にあらゆる群を背にして進んで、もう前には機關車に接續した三等車が二箱ばかりしか無くなつた。此邊は石疊の上が殆ど空虚になつてゐる。己はそこに僅に徘徊してゐる二三の人を仔細に視た。
一番目立つたのは、ずつと前の機關車の側に、白髮白髯の老人が羽織袴に紺足袋、日和下駄と云ふ、老書生染みた風をして屹立してゐるのであつた。これは名高いM君で、草鞋掛で全國の産業を見て廻る人である。
それから少し離れて手前の方に、背廣を着て折鞄を腋挾んだ人が、身なりの質素な、圓髷の婦人と話をしてゐる。その背廣の人が寫眞のH君らしい。
己は側へ歩み寄つた。「H君ではありませんか。」H君は己を誰とも判斷し兼ねた樣子で、暫く顏を見てゐた。己は自分の名を言つた。
H君は己の逢ひに來たのを丁寧に謝した後、圓髷の婦人を顧みて己に言つた。「濱夫人です。」圓髷の婦人が己に會釋した。
「そんなら武子さんのゐられるお内の奧さんですね」と己は云つた。
己はH君に言つた。「大そう急な用事で御上京になつたのださうですね。」
「ええ。矢つ張周圍の窘迫を受けてゐる青年の事で。」
「ははあ。思想問題でせうね。」
「さうです。むづかしい時代で。」
「どうも目上のもののそれに對する處置が、一般に宜しきを得ないのですから。」
H君は頷いた。「舊思想を強ひようとするのは駄目です。」
「片附きましたか。」
「此汽車に載せて一しよに連れて歸るのです。」
話はここに盡きた。
暫くしてH君は己に問うた。「M君を御存じですか。」
「ええ」と己は答へた。これはM君がどんな人だと云ふことを知つてゐると云ふ意味であつて、交際があると云ふ意味ではなかつた。後に氣が附いて見れば、H君は己をM君に紹介してくれようと思つたのだから、己は肯定するより否定した方が好かつたのである。
H君は濱夫人をM君に紹介した。
己はM君に自分の名を言つた。
M君は己に「秋吉に往つて御覽でしたか」と問うた。
「まだ往きません。併しいつか往つて見たいものです。」
己の背後には矢張H君を送りに來た人が今一人ゐた。背の低い、白頭の老人である。H君はそれを己に紹介した。丁度己が其人に挨拶してゐると、埓の方から日傘を持つたお婆あさんが一人驅けて來て發車前に間に合つたのを喜ぶらしく、H君の耳に就いて何事かを咡いた。
H君を送るものは濱夫人、M君、背の低い老人、日傘を持つたお婆あさん、それに己を合せて五人である。
發車の信號が響いた。H君は凝立して何か深く考へてゐるらしく、車に乘らうともしない。
「H君、早く乘り給へ」と、己が催促した。H君が乘つた時には、車はもう徐かに動き出してゐた。
M君が先づ此場を立ち去つた。濱夫人は汽車の出て行く方に向いて立つて首を垂れてゐる。祈祷をしてゐるのではあるまいかと思つて、己は暫く猶與してゐたが、餘り久しくなるので、暇乞をして歸つた。
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己が新橋の停車場で送つた人の數は多い。併しけふH君に逢つて、すぐにそれを送つたやうに、己のために意義のある出來事として記憶すべき場合は、これまで少かつたのである。此記事は少し長いので、己はそれを日記に書く代りに、別の紙に書いた。
H君の生活を書かうと思ひ立つた己の望は何時遂げられるか知れない。事によつたら昔ギヨオテがグレエトヘン悲壯劇の筋を話すのを聞いて、それを先に書いた人があるやうに、此記事を見て、先にH君の事を書く人が出て來るかも知れない。若し今日文壇で老耄者を以て遇せられてゐる己よりも、それを先に書く人が旨かつたら、ギヨオテの先例とは反對に、己は安んじて初め書かうと思つた事を終に書かずにしまふかも知れない。
底本:「鴎外全集」第十巻、岩波書店
昭和47年8月22日発行