鎚一下

森鴎外

 ()(でう)(ひで)麿(まろ)(やう)(かう)して(かへ)つてから、(だい)()(つき)()()つた。(かへ)つた(たう)()はえらい(がく)(しや)になつて()たさうだと()(うはさ)が、(どう)(ぞく)(かん)()つてゐたが、なんの()()()した(こと)もなくて(つき)()()つうちに、うよ/\ゐる(わか)殿(との)(ばら)(ひと)()(かぞ)へられて、(じやう)(りう)(しや)(くわい)では(とく)(ひと)(ちゆう)()()かぬやうになつた。

 (ひで)麿(まろ)()(はり)(くはだ)てた(ちよ)(じゆつ)()()けないで、(ほん)ばかり()んでゐる。(しか)(しん)(ぞく)(くわん)(けい)や、(いへ)(きう)()のある(ひと)との(くわん)(けい)()らず()らず(むす)ぼれて()て、(かう)()(かた)(/″\)(てい)(たく)にも()くことがある。(ちゝ)(すゝ)められて、(けん)(えう)()()にゐる(ひと)(たち)とも()(まじ)へることがある。(しか)しさう()(はう)(めん)には(しん)(みつ)(かう)(さい)()()たない。それとは(ちが)つて、(あや)(こう)()(せう)(かい)せられて、(ぐわ)()(てう)()()(うち)(だい)(りう)(ひと)(/″\)とは、(たい)(てい)(とも)(だち)になつてしまつた。()(ろん)(おほ)くは西(せい)(やう)(げい)(じゆつ)(はう)(めん)である。(げい)(じゆつ)()()けて、(ひで)麿(まろ)(とも)(だち)(もと)めれば、(たゞ)二三の(だい)(がく)(けう)(じゆ)と、(わか)()(くわん)(れう)があるに()ぎない。

 (しか)しこの(げい)(じゆつ)()(がく)(しや)(とも)(だち)(くち)から、(ひで)麿(まろ)(うはさ)(せい)(ねん)(げい)(じゆつ)()(がく)(せい)(あひだ)(つた)へられて、(をり)(/\)()らぬ(せい)(ねん)(ひで)麿(まろ)()(がみ)をよこす(こと)などがある。それは(ひで)麿(まろ)(しん)()(さう)()かる(がく)(しや)(みと)めるところから、()(けん)(はく)(がい)()けてゐる(めい)(/\)(きやう)(ぐう)(うつた)へて、(ずゐ)(ぶん)()()()(らい)などをするのである。()(とき)(ひで)麿(まろ)はそんな()(がみ)()()つた。「かう()(ひと)(たち)滿(まん)(ぞく)(あた)へるには、(おれ)(おほ)きな()宿(しゆく)(しや)でも()てなくてはなるまい。」

 (ひで)麿(まろ)(ちか)(ごろ)(につ)()綿(めん)(みつ)()けるやうになつた。さうなつたのは、(いろ)(/\)(ひと)(きやう)(ぐう)などを()かせられて、(その)()(がみ)に一々(へん)()もせずにはゐるが、(せつ)(かく)()(ぶん)(しん)じて(うつた)へて()(ひと)(こと)を、(まつた)()てゝ(かへり)みずにゐるには(しの)びないので、()めて(その)(じん)(めい)(ぢゆう)(しよ)(しん)(じやう)(がい)(りやく)(えう)(きう)(だけ)(につ)()()()めて()かうと(おも)()つた()めである。

 (ひで)麿(まろ)(につ)()(けい)()(やう)()(ばん)(おほ)きいのを、(やう)(ふう)()ぢた(たい)(さつ)である。(その)(なか)(べつ)(すう)(まい)()()(はさ)んである。それに「(つゐ)()」と(だい)してある。(つぎ)()せるのが(その)(ぜん)(ぶん)である。

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 (おれ)(ちか)(ごろ)()(ぐわい)(かう)(さい)(ひろ)くなつたので、(しん)(ばし)(ひと)(おく)りに()くことが(たび)(/\)ある。(すくな)くも(へい)(きん)(まい)(しう)()(ぐらゐ)()くだらう。(おれ)(おく)られる(ひと)には、(とく)(べつ)(れつ)(しや)()つて()(ひと)もある。(しか)し一(とう)(しつ)()()(ひと)が、()(さい)()(すう)()めてゐる。二(とう)(きやく)となると、(だい)(まれ)である。(おほ)くの()(あひ)には(その)(ひと)(とう)(きやう)(はな)れるのを、(すう)(じつ)(ぜん)から(しん)(ぶん)(ふい)(ちやう)してゐる。(たう)(じつ)(けい)(くわん)(てい)(しや)(ぢやう)(ない)(ぐわい)()(まは)つてゐる。(ぢやう)(ない)には()()れた()(けん)(ぺい)(くわ)()(くわん)(かほ)()える。(いし)(だゝみ)()(れい)(さう)()して、(じよ)()(うち)(みづ)がしてある。(その)(ひと)(とく)(べつ)(かう)()(かた)だと()ふと、プラツトフオオムの(いり)(ぐち)まで(せん)()いて、それから(さき)へは()(つう)(りよ)(かく)()れぬやうにしてある。

 (おく)られる(ひと)(おれ)との(くわん)(けい)には(しん)()(しゆ)(/″\)(べつ)がある。(まつた)(めん)(しき)()(ひと)(おく)つて()くことは(ほとんど)()いが、(ことば)(まじ)へたことは一()か二()()ぎぬ(くらゐ)()(ゑん)(ひと)をも(おく)つて()くことがある。(こと)()()(ごく)(たか)(ひと)には(かげ)ながら(けい)()(へう)して、(おれ)(やま)(にぎ)はす()(ぼく)の一(ぽん)としてそれを(おく)るのである。

 ()()さう()(ひと)(おく)りに()つた(とき)、こんな(こと)があつた。(その)(ひと)(たゞ)()(しよく)(たく)(とも)にして(ことば)(まじ)へたことのある、(かう)()(かた)である。それが()(しや)()るより(はや)(てい)(しや)(ぢやう)()いて、(きう)(けい)(じよ)()られた。(おれ)(きう)(けい)(じよ)(そと)()つてゐた。するとその(ひと)(まへ)(すゝ)んで(いとま)(ごひ)をするものがぽつ/\ある。(おれ)(とく)(べつ)(じゆつ)(こん)にせられたわけでもないので、()(ひか)へてゐた。その(とき)(おれ)(となり)(おれ)より()(ぶん)(ひく)(ひと)()つてゐて、(おれ)に「あなたもお(いとま)(ごひ)をせられてはどうですか」と(さゝや)いた。「さあ」と()つて、(おれ)(ちう)(ちよ)した。なる(ほど)(おな)()(ぶん)のもので、(いとま)(ごひ)()たものも、それまでに二三(にん)あつた。(おれ)(まゝ)()(こん)(じやう)のやうに()(かい)せられたくは()い。そこでつひ(いとま)(ごひ)をする()になつて、二三()(すゝ)()た。(たちま)(ひと)()(をとこ)(おれ)(みぎ)(かた)(さき)()()けて()(もど)しながら、「()()は一(ぱん)(えつ)(けん)はありません」と()つた。(おれ)(おどろ)いて一()()がつた。そしてその(をとこ)(かほ)()(あは)せた。(その)(をとこ)()らぬ(をとこ)である。(しか)()(だん)(たい)()(かい)(きふ)(ふく)(さう)をしてゐる。それを()れば、(その)(をとこ)(かう)()(かた)(たい)する(くわん)(けい)は、(ほゞ)(さつ)することが()()るのである。

 (おれ)()(ぶん)(しう)(やう)()らぬことを(こく)(はく)しなくてはならない。(おれ)は一(しゆん)(かん)(いかり)(はつ)して(その)(をとこ)(あひ)(たい)して()つてゐた。一(ぱん)(えつ)(けん)()いことは(おれ)()つてゐる。(しか)(おな)()(ぶん)のものが二三(にん)()(あと)である。そしてその二三(にん)(とく)(べつ)(よう)()()びてゐなかつたことは、(しう)()(ぢやう)(きやう)から(はん)(だん)することが()()る。(おれ)()さうにした(とき)(その)(をとこ)(こば)んだのは、(はつ)(しや)()(かん)()(だい)(ちか)づいて()()めもあらう。(また)(いとま)(ごひ)()(にん)()(あま)(おほ)くなるのを(はゞか)つた()めもあらう。()(かん)(しん)(しやく)し、(にん)()(せい)(げん)するのは、(かう)()(かた)(ずゐ)(ゐん)たる(その)(をとこ)が、(しよく)()(しつ)(かう)する(うへ)()いて、(たう)(ぜん)(こと)であらう。(しか)しなぜ(おれ)(かた)(さき)()いたか。(おれ)(かう)()(かた)(まへ)()()りはしない。(しづ)かに(ある)いてゐる。(げん)()(もつ)(よく)(りう)するに、十(ぶん)()(ゆう)がある。()しそれをも()だるく(おも)ふなら、なぜ(おれ)(まへ)()(ふさ)がらない。なんの(ひつ)(えう)があつて(かた)()いたか。

 (おれ)(こく)(はく)しなくてはならない。それは(おれ)(その)(をとこ)(あひ)(たい)して()つてゐた(しゆん)(かん)に、(ふた)つの(がい)(ねん)(おれ)(しや)(しやう)(まへ)(かす)めて()ぎた(こと)である。(ひと)つは「(じやう)()(しや)()」と()(がい)(ねん)であつた。これは(かん)(ぶん)()いた(れき)()()ませられた(とき)(おれ)()(しき)(うへ)(ねば)()いた(たう)()から()てゐる。(いま)(ひと)つは「(けつ)(とう)」といふ(がい)(ねん)であつた。これは西(せい)(やう)(ほん)()むやうになつた(のち)(おれ)()けた(いん)(しやう)から()てゐる。(もち)(ろん)()(じよく)とか(ふく)(しう)とか()ふことは、どの(くに)にもあるが、(こう)()(しゆ)()の一()(さか)んになつた(ころ)(ひと)となつた(おれ)は、(やう)(かう)した(のち)(はじめ)Point(ポアン) d'honneur(ドンニヨオル)などと()ふものに()(はい)せられてゐる(しや)(くわい)を、()のあたりに()て、やう/\(けつ)(とう)()ふものを()(ぶん)(しん)(ぺん)(そん)(ざい)する()(じつ)として(みと)めたのである。

 (しか)(おれ)(かた)()いた(をとこ)(あひ)(たい)して()つてゐて、そんな()(じつ)(おれ)()(しき)(のぼ)つたのは、(しん)に一(しゆん)(かん)(こと)である。一(たい)(おれ)(なに)(ごと)によらず、()()(だい)(はつ)(どう)(その)(まゝ)(かう)()として(あらは)したことが()い。これは(けふ)()かも()れない。()しこれに(ちん)(ちやく)()ふやうな()(とく)()()けたら、それは(ぶん)(しよく)であらう。()(かく)()(がい)(くわん)(けい)から()れば、(おれ)(この)(せい)(しつ)のために(くつ)(じよく)(あま)んじ()けることが(おほ)い。そこで(みぎ)()(あひ)にも、()()(だい)(はつ)(どう)はたわいもなく()えてしまつて、(おれ)(たちま)(はん)(せい)した。そして(おれ)(いかり)(はつ)したのは、かの(かう)()(かた)(たい)して(おれ)()つてゐなくてはならぬ(そん)(けい)が、まだ十(ぶん)でなかつたのだと(さと)つた。

 (おれ)はさう(おも)つてからは、(ふた)()(その)(をとこ)(かへり)みなかつた。そして(さいはひ)(こと)には(その)(をとこ)(かほ)(おれ)()(おく)(なか)から(まつた)()えてしまつた。(こと)によつたら(こん)(にち)(たがひ)()()()つて、(ことば)(かは)してゐる(ひと)(たち)(なか)に、(その)(をとこ)(まじ)つてゐるかも()れない。そして(その)(をとこ)(おれ)(けふ)()(にん)(げん)として()(おく)してゐるかも()れない。(しか)しそんな(こと)はどうでも()い。

 (また)()()()(はり)()(うへ)(ひと)(おく)りに()つた(とき)、こんな(こと)があつた。(その)(ひと)(けん)(えう)()()()(ひと)である。それで(へい)(ぜい)(こゝろ)(やす)(かう)(さい)してゐても、()()のやうなはれ/″\しい()になると、(おれ)(つと)めて(きん)(じよ)()らずにゐる。(おれ)はけふも(すみ)(はう)()つてゐた。すると(となり)()()(にく)()がゐて、(おれ)(さゝや)いた。「どうだい。(みな)(もの)()しげな(かほ)ばかりだなあ。」(おれ)はこれを()いて(たゞ)()()()()(せう)した(だけ)であつたが、(じつ)(しん)(ちゆう)(つよ)()(げき)()けた。(この)(ことば)()(つゑ)(ごと)くに、(おれ)(しう)()(しん)()(しゆく)(ぢよ)(けもの)姿(すがた)にしたのである。なる(ほど)さう()はれてから()ると、どの(をとこ)もどの(をんな)も、(こん)(にち)()つて()(ひと)(なに)(もの)をか(もと)めてゐるらしく()える。それから(おれ)()(ぶん)(かへり)みて()た。(じつ)(さい)(こん)(にち)()つて()(ひと)には、まさか(おれ)()かしたり(ころ)したりすることは()()ぬが、(すくな)くも(おれ)(うか)ばせたり(おれ)(しづ)ませたりすることは()()る。そして(その)(ひと)(にら)まれたくないと()(じやう)は、(たしか)(おれ)(こゝろ)のどこかに(ひそ)んでゐる。して()れば、(おれ)(けもの)(むれ)(うち)(けもの)である。(おれ)はむねが(わる)くなつた。このむねの(わる)(おれ)(こゝろ)(もち)は、(てい)(しや)(ぢやう)()(のち)まで(のこ)つてゐた。

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 (おれ)はこんな(こと)()(つもり)()()(ふで)()つたのでは()い。(おれ)はけふ(めづ)らしい(ひと)(おく)りに(しん)(ばし)()つたので、その()(ねん)()いて()かうと(おも)つて(かみ)(のぞ)んだのである。

 (この)(ひと)(おれ)のためにはけふまで()(けん)(ひと)であつた。(おれ)はけふ(しん)(ばし)(しよ)(たい)(めん)をして、(その)(まゝ)(わか)れたのである。

 (この)(ひと)()ふのはH(くん)である。(おれ)がH(くん)()()いたのは、四()(げつ)(ほど)(まへ)(こと)であつた。(おれ)(こゝろ)(やす)(うし)(ごめ)(だん)(しやく)(いへ)(たづ)ねて、(しよ)(さい)(はなし)をしてゐた。すると(しつ)()(らう)(じん)(だん)(しやく)(でん)()()()いだ。それがH(くん)()(ぶん)()けた(でん)()であつたか、それとも(たれ)やらがH(くん)(こと)(つた)へた(でん)()であつたか、(おれ)には()からずにしまつたが、()(かく)(しつ)()はH(くん)()(くち)にした。(だん)(しやく)(しつ)()(なに)(ごと)(めい)じて()いて、(おれ)にH(くん)(こと)(はな)した。

 (はなし)はかうである。(なが)(との)(くに)(あき)(よし)()(ところ)がある。そこから(たい)()(せき)()る。(しか)しその(さい)(くつ)()(えき)(すくな)いので、()(げふ)()()()けても()(ぞく)して()くことが()()ない。Hは(げん)にそれを(さい)(くつ)してゐる。そしてそれを(さい)(くつ)するのに、(じん)(じやう)()(げふ)()のやうに、(らう)(どう)(しや)使(つか)つてゐるのでは()い。Hは(おほ)くの()(ぐう)(せい)(ねん)(しよ)(はう)から(あつ)めて、基督(クリスト)(けう)(せい)(しん)(もつ)て、(どう)(はう)として(かれ)()(たい)(ぐう)して、()(ぶん)も一しよになつて(らう)(どう)してゐる。()(とし)Aと()(ひと)がその(なか)()()()つた。Aは()(じやう)(かん)(しやく)(もち)で、それがために(くわん)(うしな)(ごく)(くだ)つたことがある。その(のち)どこにゐても(をり)(あひ)(わる)かつたのを、Hがとう/\()()けた。二(ねん)(ほど)一しよにゐるうちに、Aは(あたら)しく(なか)()()()つた(せい)(ねん)(さう)(ろん)をして、そしてHにその(せい)(ねん)(はう)(ちく)することを(えう)(きう)した。Hの(さい)(くん)(そば)からAを(いさ)めて()つた。ここは()(ひと)(わる)いと()(せい)(ねん)()れる(ところ)だから、わるいからと()つてここから()すことは()()ない。どうぞ(ひと)()めずに(おのれ)()めて(くだ)さいと()つた。Aは(もち)(まへ)(かん)(しやく)(おこ)した。そしてHが(だま)つて(さい)(くん)(ことば)(つく)させたのを()めて、()()(ばう)(ちやう)()つて()かつた。(はう)(ちやう)はHには(あた)らないで、Hの(さい)(くん)(うで)(あた)つた。その(とき)(さい)(くん)()(けつ)して、(さん)()()(しよう)した。Aは(おどろ)いて、(ゆめ)()めたやうになつて、()(さつ)しようとした。周圍(まはり)のものがそれを()めた。それからはAもHの(しん)(どう)(はう)のやうになつて、(げん)()()(ぜん)()(げふ)(じん)(すゐ)してゐると()ふのである。

 (おれ)(だん)(しやく)(はなし)()いて、ひどく(かん)(どう)した。それには(むかし)(けん)(しん)(しや)(もの)(がたり)()(こと)を、(げん)(せい)(ぞん)(くわつ)(どう)してゐる(ひと)(うへ)として()いた、(かう)()(しん)滿(まん)(ぞく)(くは)はつてゐるに(さう)()ない。(また)その(けん)(しん)(しや)のやうな(ふう)()(たい)()(せき)()つてゐると()ふことが、一(しゆ)(しやう)(ちやう)のやうに、(おれ)(かん)(じゆ)(せい)(うへ)()(よう)した(ところ)もあるに(さう)()ない。なんとか()ふドイツの(をんな)()にこんな()があつた。「われは(たん)(しやう)(うらや)む。(つち)の一()(もつ)(にち)(/\)(げふ)(はじ)む。」(おれ)(この)()(むかし)()()んで、(いま)(わす)れずにゐる。H(くん)(ふう)()はその(つち)の一()(もつ)(にち)(/\)(げふ)(はじ)めてゐるのである。基督(クリスト)(けう)(ぎらひ)のニイチエは、(すで)(ひと)(かた)()()たれて、(さら)(いま)(ぱう)(ほゝ)をも()たせようとする(だう)(とく)は、()(れい)(だう)(とく)だと()つた。その()(れい)(だう)(とく)(ほう)じてゐる(ひと)(たち)が、(つち)の一()(もつ)(にち)(/\)(げふ)(はじ)めてゐるのである。

 (しか)しおもに(おれ)(かん)(どう)させたのは、(その)(こと)ではなくて(その)(ひと)である。(おれ)(だん)(しやく)()いた(もの)(がたり)めいた()(じつ)は、(たと)へば()えず(なが)れてゐる(みづ)(たま)(/\)(いし)(げき)せられて(しぶき)(とば)し、()えず()えてゐる()(たま)(/\)(かぜ)(あふ)られて(ほのほ)(ひらめ)かしたに()ぎない。(こゝ)(しや)(くわい)から(ぎやく)(たい)せられつつ(そだ)つて()(せい)(ねん)(ひと)()(まじは)(ひと)があるとする。(その)(ひと)(せい)(くわつ)(けつ)して(へい)(をん)ではあるまい。さう()(せい)(ねん)()()つて()()(しふ)(だん)(ちゆう)(あう)に、(いく)(ねん)(ひさ)しい(あひだ)()()いて、その(ひと)()(ひと)()(にん)(げん)としての(せい)(かく)(あた)へようとしてゐるH(くん)(せい)(くわつ)は、(じつ)(おどろ)くべきものではないか。(おれ)(かん)(どう)したのは、H(くん)(この)(にち)(じやう)(せい)(くわつ)(おも)つて(かん)(どう)したのである。

 (おれ)はすぐにかう()(こと)(おも)()つた。それは(おれ)(ちよ)(じゆつ)()にならうと(おも)つてゐて()れば、いつかこんな(ひと)(せい)(くわつ)()いて()たいと()ふのである。(おれ)(この)(こゝろ)(もち)(だん)(しやく)(はな)した。そして()もなくH(くん)()(がみ)()(かは)(あひだ)(がら)になつた。()(ぶん)(だん)(しやく)(おれ)()(せん)(ぱう)(つた)へてくれた(こと)であらう。

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 それから(おれ)はH(くん)(うへ)()いて、なるべく(おほ)くの(こと)()らうと(つと)めた。(おれ)(いま)(なほ)それを(つと)めてゐる。(おれ)(しゆ)(/″\)(こと)()ひに()つて、H(くん)(くわい)(たふ)(わづら)はした。H(くん)()いた(もの)(はな)した(こと)(ひつ)()などを()りて()んだ。H(くん)(おれ)(しや)(しん)(おく)つてくれた。

 (さて)(おれ)がけふ(しよ)(さい)(ほん)()んでゐると、()(がき)が二(まい)(とゞ)いた。二(まい)(とも)(しよ)(めい)(しや)はH(くん)で、一(まい)には(くわ)(きふ)(よう)()があつて(じやう)(きやう)したから、(ひま)()()(だい)()はうと()いてある。(いま)(まい)には(あき)(よし)からの(でん)(ぱう)(せつ)して、()()()五十(ぷん)(しん)(ばし)(はつ)する。()(かん)ながら()はれないと()いてある。(のち)()(がき)(そく)(たつ)にして()したもので、(ちやう)()(ひる)(ごろ)(まへ)()(がき)(どう)()(おれ)()(とゞ)いたのである。

 (おれ)()(じやう)(うれ)しかつた。()みさした(まき)()いて(やしき)()て、(はつ)(しや)()(かん)の十五(ふん)(まへ)(しん)(ばし)(てい)(しや)(ぢやう)()つてゐた。

 (おれ)はこれまでの(つう)(しん)(けつ)(くわ)として、H(くん)(ざい)(さん)(つく)つてゐないことを(すゐ)(さつ)してゐる。H(くん)は十一(ねん)(ぜん)(たい)()(せき)(さい)(くつ)(はじ)めた。七(ねん)(ぜん)(こう)(ぢやう)(だい)(くわく)(ちやう)をする()(くわい)があつたのに、H(くん)はそれがために(あき)(よし)(いん)()()()にならうかと(おそ)れて、わざとその()(くわい)(いつ)してゐる。六(ねん)(ぜん)にH(くん)は一(たん)()(さん)して、五(ねん)(ぜん)(やうや)くその()(さい)(せう)(きやく)してゐる。四(ねん)(ぜん)(ぐわい)(こく)()()した(いし)(くだ)けて、H(くん)(ふたゝ)()(さん)し、(こう)(ぢやう)(ひと)()(わた)して、(また)やう/\それを()(かへ)してゐる。さうして()るとH(くん)(ざい)(さん)(つく)つてゐる(はず)()いのである。(しか)(おれ)(かんが)へた。H(くん)()(かく)(ぜん)(こく)(くわん)(げふ)(みん)(げふ)(だい)(くわい)(しや)(とり)(ひき)をして、(ぐわい)(こく)へも(せき)(ざい)()(しゆつ)してゐる(だい)(こう)(ぢやう)(しゆ)(じん)であるから、(たと)()(つう)(しの)んででも(たい)(めん)()(つくろ)つて、一(とう)(きやく)として(りよ)(かう)しはすまいか。いや/\。H(くん)(じん)(ぶつ)(おも)へば、どうもさうでないかも()れない。(へい)()で三(とう)(きやく)として(りよ)(かう)するかも()れない。(おれ)はかう(おも)つて()づ三(とう)(まち)(あひ)(しつ)(ぶつ)(しよく)した。H(くん)はゐない。それから一、二(とう)(まち)(あひ)(しつ)()つて()た。そこにもゐない。

 ふとプラツトフオオムの(はう)()ると、もう三()五十(ぷん)(はつ)()(しや)(ひと)()せてゐる。(おれ)(いそ)いで(らち)(そと)()た。(きふ)(かう)(れつ)(しや)(なが)(れん)()が、(なが)(いし)(だゝみ)(ひだり)(がは)(ほとん)(まつた)(せん)(りやう)してゐて、そこにもここにも()(おくり)(ひと)(むれ)をなしてゐる。(くん)(しやう)()びた(しやう)(かう)(むれ)(おく)られる(ひと)もある。(しや)(くわい)(じやう)(そう)(くらゐ)する(しん)()(しゆく)(ぢよ)(むれ)(おく)られる(ひと)もある。(がく)(かう)(せい)()らしい(せい)(ねん)(むれ)(おく)られる(ひと)もある。(おれ)は一つ/\()(しや)(まど)(のぞ)いて()ながら、H(くん)らしい(ひと)(さが)した。(しや)(しん)(もら)つてゐるので、(ふう)(さい)(さう)(ざう)することが()()たのである。

 (しよく)(だう)(しや)(つな)いである(へん)(まど)(まへ)に、(かん)()()らしい(ぢよ)()(おほ)(ぜい)()(おく)られてゐる(ひと)がある。(おれ)()しやと(おも)つて(その)(まど)(のぞ)いた。それは(きう)(せい)(ぐん)(ばう)(かぶ)つた(ひと)であつた。

 (おれ)(つひ)にあらゆる(むれ)()にして(すゝ)んで、もう(まへ)には()(くわん)(しや)(せつ)(ぞく)した三(とう)(しや)(ふた)(はこ)ばかりしか()くなつた。(この)(へん)(いし)(だゝみ)(うへ)(ほとん)(くう)(きよ)になつてゐる。(おれ)はそこに(わづか)(はい)(くわい)してゐる二三の(ひと)()(さい)()た。

 一(ばん)()()つたのは、ずつと(まへ)()(くわん)(しや)(そば)に、(はく)(はつ)(はく)(ぜん)(らう)(じん)()(おり)(はかま)(こん)()()()(より)()()()ふ、(らう)(しよ)(せい)()みた(ふう)をして(きつ)(りつ)してゐるのであつた。これは()(だか)いM(くん)で、草鞋(わらぢ)(がけ)(ぜん)(こく)(さん)(げふ)()(まは)(ひと)である。

 それから(すこ)(はな)れて()(まへ)(はう)に、()(びろ)()(をり)(かばん)(わき)(ばさ)んだ(ひと)が、()なりの(しつ)()な、(まる)(わげ)()(じん)(はなし)をしてゐる。その()(びろ)(ひと)(しや)(しん)のH(くん)らしい。

 (おれ)(そば)(あゆ)()つた。「H(くん)ではありませんか。」H(くん)(おれ)(たれ)とも(はん)(だん)()ねた(やう)()で、(しばら)(かほ)()てゐた。(おれ)()(ぶん)()()つた。

 H(くん)(おれ)()ひに()たのを(てい)(ねい)(しや)した(のち)(まる)(わげ)()(じん)(かへり)みて(おれ)()つた。「(はま)()(じん)です。」(まる)(わげ)()(じん)(おれ)()(しやく)した。

 「そんなら(たけ)()さんのゐられるお(うち)(おく)さんですね」と(おれ)()つた。

 (おれ)はH(くん)()つた。「(たい)そう(きふ)(よう)()()(じやう)(きやう)になつたのださうですね。」

 「ええ。()(ぱり)(しう)()(きん)(はく)()けてゐる(せい)(ねん)(こと)で。」

 「ははあ。()(さう)(もん)(だい)でせうね。」

 「さうです。むづかしい()(だい)で。」

 「どうも()(うへ)のもののそれに(たい)する(しよ)()が、一(ぱん)(よろ)しきを()ないのですから。」

 H(くん)(うなづ)いた。「(きう)()(さう)()ひようとするのは()()です。」

 「(かた)()きましたか。」

 「(この)()(しや)()せて一しよに()れて(かへ)るのです。」

 (はなし)はここに()きた。

 (しばら)くしてH(くん)(おれ)()うた。「M(くん)()(ぞん)じですか。」

 「ええ」と(おれ)(こた)へた。これはM(くん)がどんな(ひと)だと()ふことを()つてゐると()()()であつて、(かう)(さい)があると()()()ではなかつた。(のち)()()いて()れば、H(くん)(おれ)をM(くん)(せう)(かい)してくれようと(おも)つたのだから、(おれ)(こう)(てい)するより()(てい)した(はう)()かつたのである。

 H(くん)(はま)()(じん)をM(くん)(せう)(かい)した。

 (おれ)はM(くん)()(ぶん)()()つた。

 M(くん)(おれ)に「(あき)(よし)()つて()(らん)でしたか」と()うた。

 「まだ()きません。(しか)しいつか()つて()たいものです。」

 (おれ)背後(うしろ)には()(はり)(くん)(おく)りに()(ひと)(いま)(ひと)()ゐた。()(ひく)い、(はく)(とう)(らう)(じん)である。H(くん)はそれを(おれ)(せう)(かい)した。(ちやう)()(おれ)(その)(ひと)(あい)(さつ)してゐると、(らち)(はう)から()(がさ)()つたお()あさんが(ひと)()()けて()(はつ)(しや)(ぜん)()()つたのを(よろこ)ぶらしく、H(くん)(みゝ)()いて(なに)(ごと)かを(さゝや)いた。

 H(くん)(おく)るものは(はま)()(じん)、M(くん)()(ひく)(らう)(じん)()(がさ)()つたお()あさん、それに(おれ)(あは)せて五(にん)である。

 (はつ)(しや)(しん)(がう)(ひゞ)いた。H(くん)(ぎよう)(りつ)して(なに)(ふか)(かんが)へてゐるらしく、(くるま)()らうともしない。

 「H(くん)(はや)()(たま)へ」と、(おれ)(さい)(そく)した。H(くん)()つた(とき)には、(くるま)はもう(しづ)かに(うご)()してゐた。

 M(くん)()(この)()()()つた。(はま)()(じん)()(しや)()()(はう)()いて()つて(くび)()れてゐる。()(たう)をしてゐるのではあるまいかと(おも)つて、(おれ)(しばら)(いう)()してゐたが、(あま)(ひさ)しくなるので、(いとま)(ごひ)をして(かへ)つた。

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 (おれ)(しん)(ばし)(てい)(しや)(ぢやう)(おく)つた(ひと)(かず)(おほ)い。(しか)しけふH(くん)()つて、すぐにそれを(おく)つたやうに、(おれ)のために()()のある()()(ごと)として()(おく)すべき()(あひ)は、これまで(すくな)かつたのである。(この)()()(すこ)(なが)いので、(おれ)はそれを(につ)()()(かは)りに、(べつ)(かみ)()いた。

 H(くん)(せい)(くわつ)()かうと(おも)()つた(おれ)(のぞみ)()()()げられるか()れない。(こと)によつたら(むかし)ギヨオテがグレエトヘン()(さう)(げき)(すぢ)(はな)すのを()いて、それを(さき)()いた(ひと)があるやうに、(この)()()()て、(さき)にH(くん)(こと)()(ひと)()()るかも()れない。()(こん)(にち)(ぶん)(だん)(らう)(まう)(しや)(もつ)(ぐう)せられてゐる(おれ)よりも、それを(さき)()(ひと)(うま)かつたら、ギヨオテの(せん)(れい)とは(はん)(たい)に、(おれ)(やす)んじて(はじ)()かうと(おも)つた(こと)(つひ)()かずにしまふかも()れない。

底本:「鴎外全集」第十巻、岩波書店
   昭和47年8月22日発行