藤棚
森鴎外
「けふは音樂會へ往つて參ります。風がなくて、好い天氣ですから。」五條秀麿は午食の時に母にかう云つた。めつたに外に出ないので、なぜ出ると云ふ理由を言はなくては濟まないやうな氣がしたのである。一週間程前に畫をかく友達の綾小路に案内せられて、築地へ往つたのは何十日目で出たのか覺えてもゐない位であつた。それにけふ又出る氣になつたのは、自身にも異樣に感ぜられるから、周圍の人が訝るだらうと思つたのである。訝ると云ふのは、秀麿の外へ出るのを惡いと思ふ意味ではない。母の子爵夫人などはどうぞ秀麿が少し外へ出るやうになれば好いと祈つてゐる。それを知つてゐて、秀麿は櫻の咲き始めてから、散つてしまふまで出ずにゐた。周圍の人の口に出して勸めもし、心にも願つてゐることを實行するのだから、何の障碍もないのだが、人の期待してゐることを行はないのが常になつて見れば、遽にそれを行ふのが、妙に操を失ふやうに感ぜられてならないのであつた。
「さう」と云つた夫人の目は、果して嬉しさうに赫いた。そして秀麿の懸念した訝る表情は少しも顏に現はれなかつた。「美音會とか云ふのがありましたつけね。あれでせうか。」
「いゝえ。その後に出來たフイルハルモニイと云ふので西洋音樂ばかりの會です。」
父の子爵が口を出した。「なる程いつかそんな名の會から請待状が來たことがあつた。併し今度は來なんだやうだ。」
秀麿の顏には微笑が浮んだ。「えゝ、これまで澤山請待状を出しても、それ程の效力がないので、今度は來さうな人を選つて出したと云ふことです。」
子爵は笑つた。「それでは濟度の出來ない仲間に入れられたのだな。」
「さうまで思つたわけではありますまい。併しまあ、お父う樣なんぞはお出になりさうな柄ではないでせう。」
「うん、どうも西洋音樂はさう/″\しいばかりで、面白みが解からない。」
「それはわたしだつて、好くは解かりません。若し世間の人が皆お父う樣のやうに、飾らずに感じた儘を言つてしまふのだと、聞きに往く人がもつと少くなりませう。實際雷同して面白がつてゐる人が多いのですから。」
夫人が云つた。「でも環さんとかのやうな、好い聲の人の歌ふのだと、わたし共にも面白いのね。」
「えゝ。それは肉聲樂の方が、日本の歌とは聲が別な所から出るので、練習する筋肉が違つてゐても、餘程分かり易いでせう。けふは樂器ばかりの筈ですから、どうかすると、お父う樣の仰やるやうに、さう/″\しいばかりに感ぜられるかも知れません。」
話はそれ切りで外の事に移つてしまつた。メチユウルアルコホルを飮んで、車夫が盲になつたと云ふ話が出た。秀麿は丁度ドイツで同じ問題が起つた時の新聞を見たと云つて、隨分日常飮んでゐる酒類の中にもメチユウルアルコホルは這入つてゐるが、その這入つてゐる分量が少いのに、飮む分量も少いから、中毒しないのだと云ふ話をした。そして毒に對する恐怖と云ふことを心の中に考へた。藥は勿論の事、人生に必要な嗜好品に毒になることのある物は幾らもある。世間の恐怖はどうかするとその毒になることのある物を、根本から無くしてしまはうとして、必要な物までを遠ざけようとするやうになる。要求が過大になる。出來ない相談になる。恐怖のために精力を無用の處に費してゐると考へたのであつた。こんな事を秀麿が考へてゐる間に、話は又一轉して、近頃多く出る、道徳を看板に懸けた新聞や小冊子の事になつた。そして子爵の口から、多少同情のある詞も出た。秀麿はそれを聞いて、今更のやうに父と自分との間に、時代の懸隔のあることを想はせられて、直らずにゐる創の痛が微細な刺戟に促されて起るやうに、悲しいやうな、心細いやうな感じに襲はれた。さう云ふ物を書いてゐる人が營利とかなんとか、爲にする所があつて情を僞つてゐる場合は論外である。さうではなくて、書く人は誠實に世の爲、人の爲と思つて書いても、大抵自分々々の狹い見解から、無遠慮に他を排して、どうかすると信教の自由などと云ふものの無かつた時代に後戻をしたやうに、自分の迷信までを人に強ひようとする。それを聽かないものに、片端から亂臣賊子の極印を打つ。これも矢張毒に對する恐怖に支配せられてゐるのである。幸な事には、さう云ふ運動は一時頭を擡げても、大した勢力を得ずにしまふから好いが、若しそれが地盤を作つてしまふと、氣の利いたものは面從腹誹の人になる。人に僞を教へるのである。人を毒するのである。毒に對する恐怖が却つて毒を釀し出すことになる。秀麿はかう考へながら、それを父に打ち明けることが出來ない。打ち明けて、父がどこまで飮み込んでくれるかが覺束なくて、いつものやうに口を噤んでしまふのである。
食事がおほかた濟んだ。「晩の御飯は歸つてお上がりでせうね」と夫人が云つた。少し外へ出るやうだと好いと思つてゐた秀麿に、今出て行かれるとなると、もう早く歸つて貰ひたいと思ふらしい樣子である。
「ええ。きつと歸ります。」誓ふやうに秀麿は答へた。
「車はいらないよ」と秀麿の云つたのを、小間使の雪が家從部屋に傳へたので、暫く家職の人達の間に何か言ひ合つてゐる聲がしてゐた。めつたに出ない若殿が徒歩で出ると云ふのが、腑に落ちなかつたものと見える。
五條家にはもと馬車があつた。多少財産がある丈却つて濫費を生じ易い處から、子爵が家政整理をした時馬車でなくてはならない場合の少いのに氣が附いて、邸で馬を飼ふことを廢めた。馬車のいる時は、御者も馬も傭ふことになつてゐる。大抵の場合は人力車で濟ます。併し子爵や夫人の徒歩で出られることは殆ど無いのである。
秀麿はスリツパアを表玄關に出してあつた靴に穿き更へて、ベルリンで買つた、太い籐のステツキを握つて、邸の門を出た。
櫻の散つた跡、梅雨に入る前は、いつも今日のやうに晴れた日は暑いのに、今年は朝晩が稍寒い位である。薄曇の空から、午後の日が平等に鈍く、しかも影らしい影を街の上に印せないやうに照つて、秀麿の嫌ふ空氣の濕りも感ぜられない。秀麿は邸の塀に沿うて坂路を降りながら、久しく覺えない爽かな心持になつた。
土塀の上から若葉の堆く溢れ出てゐる所もある。黒板塀の裾の隙間に可哀らしい蒲公英の花の咲いてゐる所もある。その花の一つに小さい白い蝶の止まつてゐるのを見附けて、殆ど無意識に手を伸ばして摘んだ。蝶はちよいと飛び立つたが、又花の上に降りて羽を休めた。秀麿は白い乳汁の指に滴たる蒲公英の莖を手に持つて暫く歩いてゐたが、片手にはステツキを持つてゐるので、段々邪魔になつて來た。併しその花を坂路の乾いた土の上に、蝶と共に投げ棄てるに忍びないので、その儘持つて歩いてゐた。
坂の下は電車の通つてゐる外堀筋になつてゐて、そこに堀を横斷した道がある。その道に降り掛かる邊に、忍返しを附けた低い垣があつて、そこに又蒲公英が幾つも咲いてゐた。秀麿はそつと手に持つた花を、その蒲公英のある所に落して置いて、重荷を卸したやうな氣がしたが、忽ち又自分で自分を恥ぢるやうな氣になつた。そして若しこんな事をしたのを、畫をかく友達の綾小路が見たら、サンチマンタルだと云ふだらうと思つた。
秀麿は電車に乘つた。いつも透いてゐる外堀線も、けふは日曜日の午後で、天氣が好いから、座席が皆塞がつてゐる。吊革を持つて立つてゐながら、めつたに外に出ない秀麿は、事新しくベルリンの電車と違ふ所を考へた。あつちでは座席が一ぱいになれば滿員である。吊革は運轉中に電車の中を歩く時掴まるために吊つてあるのだから、それを持つて立ち留まると車掌が小言を言ふ。同じ交通機關が出來ても、こつちのはなんとなく物足らない心持がする。洋行歸の人の中に、此心持を誇張して、故郷を誼ふのなんのと云ふものの出て來るのは、面白くない現象ではあるが、何に附けてもこの物足らなさの離れないのを、全然抹殺することは出來ないと思つたのである。
二度乘り換へる煩ひを避けて秀麿は櫻田本郷町を通り過ぎてから、芝口で品川行に乘り換へた。滿員の車を二つ遣り過して音樂會へ往かうと云ふ興味の幾分を殺がれた。皆載せられる丈客を載せたのなら好いが、載せられない丈客を載せた車であつた。それでも停留場で一人降りると、跡へ二人も三人も押し込むのである。幸に三つ目にボギイ車が來たのに乘つた。
又吊革を持つて立つてゐると、「五條さんここへお掛なさいませんか」と云つて、席を讓らうとする人がある。その顏を見れば、ベルリンで逢つたことのある渡邊であつた。歸つてから某省の參事官をしてゐるとは聞いたがまだ逢はずにゐたのである。
「馬鹿を言ひ給へ」と云つて、秀麿は立ちさうにしてゐる渡邊の肩を押へて据わらせた。
渡邊も強ひては勸めない。「どうです。一向お目に掛かりませんなあ。」
「その筈ですよ。どこへも往かないから。」
「さうですか。そしてけふはどちらへ。」
「なに、ふいとフイルハルモニイへ往く氣になつて、珍らしく出掛けたのです。僕は始終ぐづ/\してばかりゐるのですが、どうしたのかけふに限つて、なんだかあつちで君にお目に掛かつた頃のやうな自由な心持がしたものですから。」
「それは結構でした。あつちにゐる間のやうに、あらゆる煩累の絲を切り放されて、空中に浮かんだ飛行船のやうな心持には、どうしてもなられませんなあ。實は僕もフイルハルモニイに往くのです。それが又滑稽なのですよ。會長さんが僕の方の次官の所へ來て、誰か省内に音樂會に來さうな人はないかと聞いたので、次官がそんな物の分かるのは、渡邊どもでなくては外にあるまいと云つたさうです。そこで案内状が來たのです。多分けふあたり出掛ける人達は自動車か何かに乘つて行くだらうから、電車で往くものは僕の外にはあるまいと思つたのです。あなたは又どうしたのですか。餘り物數奇ですね。」
秀麿は笑つた。「さう云へば、君だつて物數奇ぢやないか。」
「それは違ひますなあ。僕は毎日役所へも電車で通ふのですから。」
けふの演奏は會長の外戚I男爵家の庭園で催されるのだが、秀麿はその邸を知らないので、渡邊に聞いた。渡邊もこれまで往つたことはないが、紛れもない角屋敷だと云ふことを知つてゐた。
終點で電車を降りて、車の中から「これですよ」と渡邊の指さした角屋敷の塀に附いて、右へ曲つた。果して背後から自動車が幾つも追ひ越して行く。稀にはさし挽の人力車もある。徒歩の人は渡邊の云つた通り二人の外にはなかつた。
遙かに道から引つ込めて立てた、大きい門がある。石の柱、鐵の扉である。「自動車と云ふ、ごつ/\した、あら/\しいmonstreの出入するには適當で、どうもこの怪物が出來て出入するのを豫知して立てたやうな門ですね」と、渡邊が云つた。
門を這入つて、幅の廣い爪先上がりの道を、右に新緑で填まつた庭園を見て登つて行く。左は外圍ひに近い常磐木の木立で、その下には客の乘り棄てた例の怪物が簇がつてゐる。その怪物を使ふ男達が烟草を喫んでゐる。
道が大きい弧線を畫いて右へ曲がると、老とか死とか云ふものを知らない人の住みさうな、白い石で造つた、がつしりした家の正面がある。家に這入らずに、更に右へ折れると、今まで弧線に沿うて迂回して來た庭園を目の下に見る。稍高い木の植ゑてあるのは外廻り丈で、中は廣い、廣い花壇である。中央を方形にしきつて、一面に牡丹を植ゑた所と、その向うに帶のやうに、種々の色のチユリツプを咲かせた所とが最初に目を引く。
庭園の入口に卓を構へてゐる人に、案内状を渡して這入つて見る。二三人の貴夫人の群が徘徊してゐる外には人氣がない。花壇を左へ登つた所に、更に廣い高地があるらしい。石の家に附いて廻つて見る。高地の大部分は芝生をなしてゐて、その側面の手近い所が大きい藤棚である。それから先には、木立がまだ何物をか包んでゐるらしい。客は皆藤棚の下に集まつてゐる。
客の數は隨分多い。併し一ぱいに椅子を並べた藤棚の下が餘り廣いので、寂しく見える程である。最初は此頃の所謂未來派の畫家が、種々の繪の具を斑に塗つたやうに見えた人の群も、歩み近づく秀麿の目に、次第に辨識せられて來て、今は立つたり据わつたり話をしたり歩いたりする男や女に見える。
男よりは女が多い。洋裝よりは和裝が多い。袷の季節の紋附に、流行の色か、青が勝つてゐるが、飜る袖の八口、腋の帶揚、手にすぼめて持つた蝙蝠の日傘、髮の飾の色々に、際限のない變化がある。男は大抵黒のフロツクコオトで、石の家に近い、背後の方に片寄つて、暗い色の疎な列をなしてゐる。
秀麿は渡邊と一しよにその暗い色の列に這入つた。渡邊は次官やら局長やらの數人に挨拶して廻つたが、秀麿は近い所にゐる同族の誰彼に會釋したばかりで、片隅に立ち留まつて、徐かにあたりを見廻した。
暗い色の列のゐる反對の側に、色彩の變化に富んだ貴夫人の群を隔てゝ、二つの伶人團が控へてゐる。彈奏器を手にした黒服の群と、吹奏器を手にした赤い徽章の軍服の群とである。伶人團の手前にはあちこちに、葉の勝つた熱帶植物の盆栽が置いてあつて、その邊の前列の椅子は、まだ待たれてゐる貴い方々のために明けてある。
最後の客がちらほら來る。痩せて長い某國大使とその夫人となどである。石の家から一人の男が出て來て、「只今お出になります」と知らせた。客は皆起立した。會長を先導にして、某貴人の御夫婦、次に姫君達が三人、石の家の階段を降りて、餘り強くない午後の日の當つてゐる高地の芝生を、藤棚の方へお出になる。附き隨つて來た男女五六人が跡に續いて來る。男女の客が敬禮をする。某國大使夫婦以下二三の貴夫人に挨拶して、貴い方々が椅子にお掛になる。客も皆椅子に掛ける。
演奏は始まつた。誰やらの進行曲である。客の手にプログランムが飜される。秀麿は殊勝らしく聽いてゐる客の群とその周圍との上に目を遊ばせた。此藤棚は尋常の藤棚ではない。細い鐵の圓柱の上に鐵の桁を渡して、その桁の形づくつた、大きい格子が、更に竹の小さい格子に爲切られてゐる。その小さい格子から、餘り長くない花房が同じ丈に垂れてゐる。大小の格子の上にヅツクの張つてあるのが、有るか無きかの風に煽られて、折々ぴたり/\と音をさせる。尋常の藤棚でも、大いに人工の加はつたものであるのに、それに一層人工を加へて殆ど劇場の弔枝と云ふ物を見るやうに、全然自然を離れた花が造つてある。此藤や、一輪づつ白紙のdisqueの上に載せた菊は、開化と云ふものの或るraffin\'{e}せられた方面を代表してゐると、秀麿は考へた。
秀麿の考は周圍から群集の上に及んだ。貴い方々の御前で身じろきもせずにゐる、美しい人達の群が、譬へば色がはりの紙を揃へて疊ねて、文鎭で押へてあるやうに感ぜられる。文鎭の重みは、貴い方々のまだお見えにならない時から、もう紙の上に無形に加はつてゐて、群集は壇に芝生の上に散らばらずに、藤棚の下に纏まつてゐたのである。
演奏の番組が次の曲に移つた。激越した情緒の聲が交つて來た。客は相變らず殊勝らしく聽いてゐる。秀麿は社會の秩序と云ふことを考へた。自由だの解放だのと云ふものは、皆現代人が在來の秩序を破らうとする意嚮の名である。そしてそれを新しい道徳だと云つてゐる。併し秩序は道徳を外に表現してゐるもので道徳自身ではない。秩序と云ふ外形の縛には、隨分古くなつて、固くなつて、改まらなくてはならなくなる所も出來る。道徳自身から見れば、外形の秩序はなんでもない。さうは云ふものゝ、秩序其物の價値も少くはない。秩序があつてこそ、社會は種々の不利な破壞力に抗抵して行くことが出來る。秩序を無用の抑壓だとして、無制限の自由で人生の諧調が成り立つと思つてゐる人達は、人間の欲望の力を侮つてゐるのではあるまいか。餘り樂天觀に過ぎてゐるのではあるまいか。若し秩序を破り、重みをなくしてしまつたら、存外人生の諧調の反對が現れて來はすまいか。人は天使でも獸でもない。Le
malheur veut que qui veut faire
l'ange fait la
b\^{e}teである。さう云ふ人達は秩序を破つて、新しい道徳を得ようとしてゐるが、義務と克己となしに、道徳が成り立つだらうか。よしや欲望と欲望との均齊を纔かに保つことを得るとしても、それで人生の能事が畢るだらうか。人生にそれ以上の要求はないだらうか。只官能の受用を得る丈が人生の極致であらうか。さう云ふ人達は動もすれば自然に還れと云つてゐるが、その蓄へてゐて縱たうとしてゐる官能的欲望が、果して自然であらうか。その自然は此藤棚のやうになつた自然ではあるまいか。
第二の曲が終つた。會長が貴い方々を、芝生の向うの四阿屋に設けてある御休憩所に案内して、茶菓を差上げる。四阿屋の隣に張つてある天幕が並の客の休憩所で、そこにも茶菓が備へてある。客は窮屈でない列をなして、徐かに天幕の方へ動いて行く。
秀麿は天幕へ往かずに、石段を花壇の方へ降りた。渡邊が跡から附いて來た。
小山のやうに圓く刈り込んだ、はとやばらに、白い花が一面に咲いてゐる前に、一人々々小さい、白い日傘をさした貴夫人を三人立たせて、なにがしの若い侯爵が、携帶寫眞器を出して寫眞を取つてゐる。秀麿と渡邊とは遠慮して避けて、牡丹の中に這入つて行つた。
「皆好くおとなしくして聽いてゐますね」と、秀麿が云つた。
「さうですなあ。解かりもしない人が多い癖に。」渡邊の目から一瞬間嘲罵の影が閃いた。
「併し音樂は概念の上に働くものではないのですから、あんなにして聽いてゐて、好い心持がして來れば、それで好いぢやありませんか。」
「それは馬が」と云ひ掛けて、渡邊はあたりを見廻して止めた。
「もう宜しうございますの」と云ふ優しい聲がして、三つの白い日傘がさつと分かれた。丁度群れてゐた蝶が散つたやうである。寫眞が濟んだと見える。
渡邊が「五條さん大麥四升と云ふ話を御承知ですか」と云つた。
「なんです。それは。」
「大麥四升小豆三升と唱へて成佛したと云ふのです。應無所住而其心生と唱へろと云はれたのが、さう聞えたのです。」
「なるほど。成佛にも概念はいらないのでせうね。」
次の曲が聞えて來た。二人は牡丹の花壇の端に來た。傾斜の強い土手の側面に、小さい茶の木が一面に植ゑてある。
「妙な經濟的なものが植ゑてありますな」と、渡邊が云つた。
「なに。菊が萎れてしまつて、寂しくなつた跡で、花が咲くからでせう。」
「しまつた。とう/\僕は馬脚を露しましたね。」かう云つて渡邊は愉快げに笑つた。
底本:「鴎外全集」第十巻、岩波書店
昭和47年8月22日発行