藤棚

森鴎外

 「けふは(おん)(がく)(くわい)()つて(まゐ)ります。(かぜ)がなくて、()(てん)()ですから。」五(でう)(ひで)麿(まろ)(ひる)(しよく)(とき)(はゝ)にかう()つた。めつたに(そと)()ないので、なぜ()ると()()(いう)()はなくては()まないやうな()がしたのである。一(しう)(かん)(ほど)(まへ)()をかく(とも)(だち)(あや)(こう)()(あん)(ない)せられて、(つき)()()つたのは(なん)(にち)()()たのか(おぼ)えてもゐない(くらゐ)であつた。それにけふ(また)()()になつたのは、()(しん)にも()(やう)(かん)ぜられるから、(しう)()(ひと)(いぶか)るだらうと(おも)つたのである。(いぶか)ると()ふのは、(ひで)麿(まろ)(そと)()るのを(わる)いと(おも)()()ではない。(はゝ)()(しやく)()(じん)などはどうぞ(ひで)麿(まろ)(すこ)(そと)()るやうになれば()いと(いの)つてゐる。それを()つてゐて、(ひで)麿(まろ)(さくら)()(はじ)めてから、()つてしまふまで()ずにゐた。(しう)()(ひと)(くち)()して(すゝ)めもし、(こゝろ)にも(ねが)つてゐることを(じつ)(かう)するのだから、(なん)(しやう)(がい)もないのだが、(ひと)()(たい)してゐることを(おこな)はないのが(つね)になつて()れば、(にはか)にそれを(おこな)ふのが、(めう)(みさを)(うしな)ふやうに(かん)ぜられてならないのであつた。

 「さう」と()つた()(じん)()は、(はた)して(うれ)しさうに(かがや)いた。そして(ひで)麿(まろ)()(ねん)した(いぶか)(へう)(じやう)(すこ)しも(かほ)(あら)はれなかつた。「()(おん)(くわい)とか()ふのがありましたつけね。あれでせうか。」

 「いゝえ。その(のち)()()たフイルハルモニイと()ふので西(せい)(やう)(おん)(がく)ばかりの(くわい)です。」

 (ちゝ)()(しやく)(くち)()した。「なる(ほど)いつかそんな()(くわい)から(しやう)(だい)(ぢやう)()たことがあつた。(しか)(こん)()()なんだやうだ。」

 (ひで)麿(まろ)(かほ)には()(せう)(うか)んだ。「えゝ、これまで(たく)(さん)(しやう)(だい)(ぢやう)()しても、それ(ほど)(かう)(りよく)がないので、(こん)()()さうな(ひと)()つて()したと()ふことです。」

 ()(しやく)(わら)つた。「それでは(さい)()()()ない(なか)()()れられたのだな。」

 「さうまで(おも)つたわけではありますまい。(しか)しまあ、お()(さま)なんぞはお(いで)になりさうな(がら)ではないでせう。」

 「うん、どうも西(せい)(やう)(おん)(がく)はさう/″\しいばかりで、(おも)(しろ)みが()からない。」

 「それはわたしだつて、()くは()かりません。()()(けん)(ひと)(みな)()(さま)のやうに、(かざ)らずに(かん)じた(まゝ)()つてしまふのだと、()きに()(ひと)がもつと(すくな)くなりませう。(じつ)(さい)(らい)(どう)して(おも)(しろ)がつてゐる(ひと)(おほ)いのですから。」

 ()(じん)()つた。「でも(たまき)さんとかのやうな、()(こゑ)(ひと)(うた)ふのだと、わたし(ども)にも(おも)(しろ)いのね。」

 「えゝ。それは(にく)(せい)(がく)(はう)が、()(ほん)(うた)とは(こゑ)(べつ)(ところ)から()るので、(れん)(しふ)する(きん)(にく)(ちが)つてゐても、()(ほど)()かり(やす)いでせう。けふは(がく)()ばかりの(はず)ですから、どうかすると、お()(さま)(おつし)やるやうに、さう/″\しいばかりに(かん)ぜられるかも()れません。」

 (はなし)はそれ()りで(ほか)(こと)(うつ)つてしまつた。メチユウルアルコホルを()んで、(しや)()(めくら)になつたと()(はなし)()た。(ひで)麿(まろ)(ちやう)()ドイツで(おな)(もん)(だい)(おこ)つた(とき)(しん)(ぶん)()たと()つて、(ずゐ)(ぶん)(にち)(じやう)()んでゐる(しゆ)(るゐ)(うち)にもメチユウルアルコホルは()()つてゐるが、その()()つてゐる(ぶん)(りやう)(すくな)いのに、()(ぶん)(りやう)(すくな)いから、(ちゆう)(どく)しないのだと()(はなし)をした。そして(どく)(たい)する(きよう)()()ふことを(こゝろ)(うち)(かんが)へた。(くすり)(もち)(ろん)(こと)(じん)(せい)(ひつ)(えう)()(かう)(ひん)(どく)になることのある(もの)(いく)らもある。()(けん)(きよう)()はどうかするとその(どく)になることのある(もの)を、(こん)(ぽん)から()くしてしまはうとして、(ひつ)(えう)(もの)までを(とほ)ざけようとするやうになる。(えう)(きう)(くわ)(だい)になる。()()ない(さう)(だん)になる。(きよう)()のために(せい)(りよく)()(よう)(ところ)(つひや)してゐると(かんが)へたのであつた。こんな(こと)(ひで)麿(まろ)(かんが)へてゐる(あひだ)に、(はなし)(また)(てん)して、(ちか)(ごろ)(おほ)()る、(だう)(とく)(かん)(ばん)()けた(しん)(ぶん)(せう)(さつ)()(こと)になつた。そして()(しやく)(くち)から、()(せう)(どう)(じやう)のある(ことば)()た。(ひで)麿(まろ)はそれを()いて、(いま)(さら)のやうに(ちゝ)()(ぶん)との(あひだ)に、()(だい)(けん)(かく)のあることを(おも)はせられて、(なほ)らずにゐる(きず)(いたみ)()(さい)()(げき)(うなが)されて(おこ)るやうに、(かな)しいやうな、(こゝろ)(ぼそ)いやうな(かん)じに(おそ)はれた。さう()(もの)()いてゐる(ひと)(えい)()とかなんとか、(ため)にする(ところ)があつて(じやう)(いつは)つてゐる()(あひ)(ろん)(ぐわい)である。さうではなくて、()(ひと)(せい)(じつ)()(ため)(ひと)(ため)(おも)つて()いても、(たい)(てい)()(ぶん)々々(/″\)(せま)(けん)(かい)から、()(ゑん)(りよ)()(はい)して、どうかすると(しん)(けう)()(いう)などと()ふものの()かつた()(だい)(あと)(もどり)をしたやうに、()(ぶん)(めい)(しん)までを(ひと)()ひようとする。それを()かないものに、(かた)(はし)から(らん)(しん)(ぞく)()(こく)(いん)()つ。これも()(はり)(どく)(たい)する(きよう)()()(はい)せられてゐるのである。(さいはひ)(こと)には、さう()(うん)(どう)は一()(あたま)(もた)げても、(たい)した(せい)(りよく)()ずにしまふから()いが、()しそれが()(ばん)(つく)つてしまふと、()()いたものは(めん)(じゆう)(ふく)()(ひと)になる。(ひと)(いつはり)(をし)へるのである。(ひと)(どく)するのである。(どく)(たい)する(きよう)()(かへ)つて(どく)(かも)()すことになる。(ひで)麿(まろ)はかう(かんが)へながら、それを(ちゝ)()()けることが()()ない。()()けて、(ちゝ)がどこまで()()んでくれるかが(おぼ)(つか)なくて、いつものやうに(くち)(つぐ)んでしまふのである。

 (しよく)()がおほかた()んだ。「(ばん)()(はん)(かへ)つてお()がりでせうね」と()(じん)()つた。(すこ)(そと)()るやうだと()いと(おも)つてゐた(ひで)麿(まろ)に、(いま)()()かれるとなると、もう(はや)(かへ)つて(もら)ひたいと(おも)ふらしい(やう)()である。

 「ええ。きつと(かへ)ります。」(ちか)ふやうに(ひで)麿(まろ)(こた)へた。

 「(くるま)はいらないよ」と(ひで)麿(まろ)()つたのを、()()使(づかひ)(ゆき)()(じゆう)()()(つた)へたので、(しばら)()(しよく)(ひと)(たち)(あひだ)(なに)()()つてゐる(こゑ)がしてゐた。めつたに()ない(わか)殿(との)()()()ると()ふのが、()()ちなかつたものと()える。

 五(でう)()にはもと()(しや)があつた。()(せう)(ざい)(さん)がある(だけ)(かへ)つて(らん)()(しやう)(やす)(ところ)から、()(しやく)()(せい)(せい)()をした(とき)()(しや)でなくてはならない()(あひ)(すくな)いのに()()いて、(やしき)(うま)()ふことを()めた。()(しや)のいる(とき)は、(ぎよ)(しや)(うま)(やと)ふことになつてゐる。(たい)(てい)()(あひ)(じん)(りき)(しや)()ます。(しか)()(しやく)()(じん)()()()られることは(ほとん)()いのである。

 (ひで)麿(まろ)はスリツパアを(おもて)(げん)(くわん)()してあつた(くつ)穿()()へて、ベルリンで()つた、(ふと)(とう)のステツキを(にぎ)つて、(やしき)(もん)()た。

 (さくら)()つた(あと)()()()(まへ)は、いつも()()のやうに()れた()(あつ)いのに、()(とし)(あさ)(ばん)(やゝ)(さむ)(くらゐ)である。(うす)(くもり)(そら)から、()()()(びやう)(とう)(にぶ)く、しかも(かげ)らしい(かげ)(まち)(うへ)(いん)せないやうに()つて、(ひで)麿(まろ)(きら)(くう)()(しめ)りも(かん)ぜられない。(ひで)麿(まろ)(やしき)(へい)沿()うて(さか)(みち)()りながら、(ひさ)しく(おぼ)えない(さわや)かな(こゝろ)(もち)になつた。

 ()(べい)(うへ)から(わか)()(うづたか)(あふ)()てゐる(ところ)もある。(くろ)(いた)(べい)(すそ)(すき)()可哀(かはい)らしい蒲公英(たんぽゝ)(はな)()いてゐる(ところ)もある。その(はな)(ひと)つに(ちひ)さい(しろ)(てふ)()まつてゐるのを()()けて、(ほとん)()()(しき)()()ばして()んだ。(てふ)はちよいと()()つたが、(また)(はな)(うへ)()りて(はね)(やす)めた。(ひで)麿(まろ)(しろ)(ちゝ)(しる)(ゆび)(した)たる蒲公英(たんぽゝ)(くき)()()つて(しばら)(ある)いてゐたが、(かた)()にはステツキを()つてゐるので、(だん)(/\)(じや)()になつて()た。(しか)しその(はな)(さか)(みち)(かわ)いた(つち)(うへ)に、(てふ)(とも)()()てるに(しの)びないので、その(まゝ)()つて(ある)いてゐた。

 (さか)(した)(でん)(しや)(とほ)つてゐる(そと)(ぼり)(すぢ)になつてゐて、そこに(ほり)(わう)(だん)した(みち)がある。その(みち)()()かる(へん)に、(しのび)(がへ)しを()けた(ひく)(かき)があつて、そこに(また)蒲公英(たんぽゝ)(いく)つも()いてゐた。(ひで)麿(まろ)はそつと()()つた(はな)を、その蒲公英(たんぽゝ)のある(ところ)(おと)して()いて、(おも)()(おろ)したやうな()がしたが、(たちま)(また)()(ぶん)()(ぶん)()ぢるやうな()になつた。そして()しこんな(こと)をしたのを、()をかく(とも)(だち)(あや)(こう)()()たら、サンチマンタルだと()ふだらうと(おも)つた。

 (ひで)麿(まろ)(でん)(しや)()つた。いつも()いてゐる(そと)(ぼり)(せん)も、けふは(にち)(えう)()()()で、(てん)()()いから、()(せき)(みな)(ふさ)がつてゐる。(つり)(かは)()つて()つてゐながら、めつたに(そと)()ない(ひで)麿(まろ)は、(こと)(あたら)しくベルリンの(でん)(しや)(ちが)(ところ)(かんが)へた。あつちでは()(せき)が一ぱいになれば滿(まん)(ゐん)である。(つり)(かは)(うん)(てん)(ちゆう)(でん)(しや)(なか)(ある)(とき)(つか)まるために()つてあるのだから、それを()つて()()まると(しや)(しやう)()(ごと)()ふ。(おな)(かう)(つう)()(くわん)()()ても、こつちのはなんとなく(もの)()らない(こゝろ)(もち)がする。(やう)(かう)(がへり)(ひと)(うち)に、(この)(こゝろ)(もち)()(ちやう)して、()(きやう)(のろ)ふのなんのと()ふものの()()るのは、(おも)(しろ)くない(げん)(しやう)ではあるが、(なに)()けてもこの(もの)()らなさの(はな)れないのを、(ぜん)(ぜん)(まつ)(さつ)することは()()ないと(おも)つたのである。

 二()()()へる(わづら)ひを()けて(ひで)麿(まろ)(さくら)()(ほん)(がう)(ちやう)(とほ)()ぎてから、(しば)(ぐち)(しな)(がは)(ゆき)()()へた。滿(まん)(ゐん)(くるま)(ふた)()(すご)して(おん)(がく)(くわい)()かうと()(きよう)()(いく)(ぶん)()がれた。(みな)()せられる(だけ)(きやく)()せたのなら()いが、()せられない(だけ)(きやく)()せた(くるま)であつた。それでも(てい)(りう)(ぢやう)(ひと)()()りると、(あと)(ふた)()(さん)(にん)()()むのである。(さいはひ)(みつ)()にボギイ(しや)()たのに()つた。

 (また)(つり)(かは)()つて()つてゐると、「五(でう)さんここへお(かけ)なさいませんか」と()つて、(せき)(ゆづ)らうとする(ひと)がある。その(かほ)()れば、ベルリンで()つたことのある(わた)(なべ)であつた。(かへ)つてから(ぼう)(しやう)(さん)()(くわん)をしてゐるとは()いたがまだ()はずにゐたのである。

 「()鹿()()(たま)へ」と()つて、(ひで)麿(まろ)()ちさうにしてゐる(わた)(なべ)(かた)(おさ)へて()わらせた。

 (わた)(なべ)()ひては(すゝ)めない。「どうです。一(かう)()()かりませんなあ。」

 「その(はず)ですよ。どこへも()かないから。」

 「さうですか。そしてけふはどちらへ。」

 「なに、ふいとフイルハルモニイへ()()になつて、(めづ)らしく()()けたのです。(ぼく)()(じゆう)ぐづ/\してばかりゐるのですが、どうしたのかけふに(かぎ)つて、なんだかあつちで(きみ)にお()()かつた(ころ)のやうな()(いう)(こゝろ)(もち)がしたものですから。」

 「それは(けつ)(こう)でした。あつちにゐる(あひだ)のやうに、あらゆる(はん)(るゐ)(いと)()(はな)されて、(くう)(ちゆう)()かんだ()(かう)(せん)のやうな(こゝろ)(もち)には、どうしてもなられませんなあ。(じつ)(ぼく)もフイルハルモニイに()くのです。それが(また)(こつ)(けい)なのですよ。(くわい)(ちやう)さんが(ぼく)(はう)()(くわん)(ところ)()て、(たれ)(しやう)(ない)(おん)(がく)(くわい)()さうな(ひと)はないかと()いたので、()(くわん)がそんな(もの)()かるのは、(わた)(なべ)どもでなくては(ほか)にあるまいと()つたさうです。そこで(あん)(ない)(ぢやう)()たのです。()(ぶん)けふあたり()()ける(ひと)(たち)()(どう)(しや)(なに)かに()つて()くだらうから、(でん)(しや)()くものは(ぼく)(ほか)にはあるまいと(おも)つたのです。あなたは(また)どうしたのですか。(あま)(もの)()()ですね。」

 (ひで)麿(まろ)(わら)つた。「さう()へば、(きみ)だつて(もの)()()ぢやないか。」

 「それは(ちが)ひますなあ。(ぼく)(まい)(にち)(やく)(しよ)へも(でん)(しや)(かよ)ふのですから。」

 けふの(えん)(そう)(くわい)(ちやう)(ぐわい)(せき)(だん)(しやく)()(てい)(ゑん)(もよほ)されるのだが、(ひで)麿(まろ)はその(やしき)()らないので、(わた)(なべ)()いた。(わた)(なべ)もこれまで()つたことはないが、(まぎ)れもない(かど)()(しき)だと()ふことを()つてゐた。

 (しゆう)(てん)(でん)(しや)()りて、(くるま)(なか)から「これですよ」と(わた)(なべ)(ゆび)さした(かど)()(しき)(へい)()いて、(みぎ)(まが)つた。(はた)して(はい)()から()(どう)(しや)(いく)つも()()して()く。(まれ)にはさし(ひき)(じん)(りき)(しや)もある。()()(ひと)(わた)(なべ)()つた(とほ)(ふた)()(ほか)にはなかつた。

 (はる)かに(みち)から()()めて()てた、(おほ)きい(もん)がある。(いし)(はしら)(てつ)(とびら)である。「()(どう)(しや)()ふ、ごつ/\した、あら/\しいmonstre(モンストル)()(いり)するには(てき)(たう)で、どうもこの(くわい)(ぶつ)()()()(いり)するのを()()して()てたやうな(もん)ですね」と、(わた)(なべ)()つた。

 (もん)()()つて、(はゞ)(ひろ)(つま)(さき)()がりの(みち)を、(みぎ)(しん)(りよく)(うづ)まつた(てい)(ゑん)()(のぼ)つて()く。(ひだり)(そと)(がこ)ひに(ちか)常磐(ときは)()()(だち)で、その(した)には(きやく)()()てた(れい)(くわい)(ぶつ)(むら)がつてゐる。その(くわい)(ぶつ)使(つか)(をとこ)(たち)烟草(たばこ)()んでゐる。

 (みち)(おほ)きい()(せん)(ゑが)いて(みぎ)()がると、(らう)とか()とか()ふものを()らない(ひと)()みさうな、(しろ)(いし)(つく)つた、がつしりした(いへ)(しやう)(めん)がある。(いへ)()()らずに、(さら)(みぎ)()れると、(いま)まで()(せん)沿()うて()(くわい)して()(てい)(ゑん)()(した)()る。(やゝ)(たか)()()ゑてあるのは(そと)(まは)(だけ)で、(なか)(ひろ)い、(ひろ)(くわ)(だん)である。(ちゆう)(あう)(はう)(けい)にしきつて、一(めん)()(たん)()ゑた(ところ)と、その(むか)うに(おび)のやうに、(しゆ)(/″\)(いろ)のチユリツプを()かせた(ところ)とが(さい)(しよ)()()く。

 (てい)(ゑん)(いり)(ぐち)(たく)(かま)へてゐる(ひと)に、(あん)(ない)(ぢやう)(わた)して()()つて()る。二三(にん)()()(じん)(むれ)(はい)(くわい)してゐる(ほか)には(ひと)()がない。(くわ)(だん)(ひだり)(のぼ)つた(ところ)に、(さら)(ひろ)(かう)()があるらしい。(いし)(いへ)()いて(まは)つて()る。(かう)()(だい)()(ぶん)(しば)()をなしてゐて、その(そく)(めん)()(ぢか)(ところ)(おほ)きい(ふぢ)(だな)である。それから(さき)には、()(だち)がまだ(なに)(もの)をか(つゝ)んでゐるらしい。(きやく)(みな)(ふぢ)(だな)(した)(あつ)まつてゐる。

 (きやく)(かず)(ずゐ)(ぶん)(おほ)い。(しか)し一ぱいに()()(なら)べた(ふぢ)(だな)(した)(あま)(ひろ)いので、(さび)しく()える(ほど)である。(さい)(しよ)(この)(ころ)所謂(いはゆる)()(らい)()(ぐわ)()が、(しゆ)(/″\)()()(まだら)()つたやうに()えた(ひと)(むれ)も、(あゆ)(ちか)づく(ひで)麿(まろ)()に、()(だい)(べん)(しき)せられて()て、(いま)()つたり()わつたり(はなし)をしたり(ある)いたりする(をとこ)(をんな)()える。

 (をとこ)よりは(をんな)(おほ)い。(やう)(さう)よりは()(さう)(おほ)い。(あはせ)()(せつ)(もん)(つき)に、(りう)(かう)(いろ)か、(あを)()つてゐるが、(ひるがへ)(そで)(やつ)(くち)(わき)(おび)(あげ)()にすぼめて()つた(かう)(もり)()(がさ)(かみ)(かざり)(いろ)(/\)に、(さい)(げん)のない(へん)(くわ)がある。(をとこ)(たい)(てい)(くろ)のフロツクコオトで、(いし)(いへ)(ちか)い、背後(うしろ)(はう)(かた)()つて、(くら)(いろ)(まばら)(れつ)をなしてゐる。

 (ひで)麿(まろ)(わた)(なべ)と一しよにその(くら)(いろ)(れつ)()()つた。(わた)(なべ)()(くわん)やら(きよく)(ちやう)やらの(すう)(にん)(あい)(さつ)して(まは)つたが、(ひで)麿(まろ)(ちか)(ところ)にゐる(どう)(ぞく)(たれ)(かれ)()(しやく)したばかりで、(かた)(すみ)()()まつて、(しず)かにあたりを()(まは)した。

 (くら)(いろ)(れつ)のゐる(はん)(たい)(がは)に、(しき)(さい)(へん)(くわ)()んだ()()(じん)(むれ)(へだ)てゝ、(ふた)つの(れい)(じん)(だん)(ひか)へてゐる。(だん)(そう)()()にした(くろ)(ふく)(むれ)と、(すゐ)(そう)()()にした(あか)()(しやう)(ぐん)(ぷく)(むれ)とである。(れい)(じん)(だん)()(まへ)にはあちこちに、()()つた(ねつ)(たい)(しよく)(ぶつ)(ぼん)(さい)()いてあつて、その(へん)(ぜん)(れつ)()()は、まだ()たれてゐる(たふと)(かた)(/″\)のために()けてある。

 (さい)()(きやく)がちらほら()る。()せて(なが)(ぼう)(こく)(たい)使()とその()(じん)となどである。(いし)(いへ)から(ひと)()(をとこ)()()て、「(たゞ)(いま)(いで)になります」と()らせた。(きやく)(みな)()(りつ)した。(くわい)(ちやう)(せん)(だう)にして、(ぼう)()(にん)()(ふう)()(つぎ)(ひめ)(ぎみ)(たち)が三(にん)(いし)(いへ)(かい)(だん)()りて、(あま)(つよ)くない()()()(あた)つてゐる(かう)()(しば)()を、(ふぢ)(だな)(はう)へお(いで)になる。()(したが)つて()(だん)(ぢよ)五六(にん)(あと)(つゞ)いて()る。(だん)(ぢよ)(きやく)(けい)(れい)をする。(ぼう)(こく)(たい)使()(ふう)()()()二三の()()(じん)(あい)(さつ)して、(たふと)(かた)(/″\)()()にお(かけ)になる。(きやく)(みな)()()()ける。

 (えん)(そう)(はじ)まつた。(たれ)やらの(しん)(かう)(きよく)である。(きやく)()にプログランムが(ひるがへ)される。(ひで)麿(まろ)(しゆ)(しよう)らしく()いてゐる(きやく)(むれ)とその(しう)()との(うへ)()(あそ)ばせた。(この)(ふぢ)(だな)(じん)(じやう)(ふぢ)(だな)ではない。(ほそ)(てつ)(まる)(ばしら)(うへ)(てつ)(けた)(わた)して、その(けた)(かたち)づくつた、(おほ)きい(かう)()が、(さら)(たけ)(ちひ)さい(かう)()()()られてゐる。その(ちひ)さい(かう)()から、(あま)(なが)くない(はな)(ぶさ)(おな)(たけ)()れてゐる。(だい)(せう)(かう)()(うへ)にヅツクの()つてあるのが、()るか()きかの(かぜ)(あふ)られて、(をり)(/\)ぴたり/\と(おと)をさせる。(じん)(じやう)(ふぢ)(だな)でも、(おほ)いに(じん)(こう)(くは)はつたものであるのに、それに一(そう)(じん)(こう)(くは)へて(ほとん)(げき)(ぢやう)(つり)(えだ)()(もの)()るやうに、(ぜん)(ぜん)()(ぜん)(はな)れた(はな)(つく)つてある。(この)(ふぢ)や、一(りん)づつ(はく)()disque(ヂスク)(うへ)()せた(きく)は、(かい)(くわ)()ふものの()raffin\'{e}(ラフイネエ)せられた(はう)(めん)(だい)(へう)してゐると、(ひで)麿(まろ)(かんが)へた。

 (ひで)麿(まろ)(かんがへ)(しう)()から(ぐん)(じふ)(うへ)(およ)んだ。(たふと)(かた)(/″\)()(ぜん)()じろきもせずにゐる、(うつく)しい(ひと)(たち)(むれ)が、(たと)へば(いろ)がはりの(かみ)(そろ)へて(かさ)ねて、(ぶん)(ちん)(おさ)へてあるやうに(かん)ぜられる。(ぶん)(ちん)(おも)みは、(たふと)(かた)(/″\)のまだお()えにならない(とき)から、もう(かみ)(うへ)()(けい)(くは)はつてゐて、(ぐん)(じふ)(ほしいまゝ)(しば)()(うへ)()らばらずに、(ふぢ)(だな)(した)(まと)まつてゐたのである。

 (えん)(そう)(ばん)(ぐみ)(つぎ)(きよく)(うつ)つた。(げき)(ゑつ)した(じやう)(ちよ)(こゑ)(まじ)つて()た。(きやく)(あひ)(かは)らず(しゆ)(しよう)らしく()いてゐる。(ひで)麿(まろ)(しや)(くわい)(ちつ)(じよ)()ふことを(かんが)へた。()(いう)だの(かい)(はう)だのと()ふものは、(みな)(げん)(だい)(じん)(ざい)(らい)(ちつ)(じよ)(やぶ)らうとする()(かう)()である。そしてそれを(あたら)しい(だう)(とく)だと()つてゐる。(しか)(ちつ)(じよ)(だう)(とく)(ほか)(へう)(げん)してゐるもので(だう)(とく)()(しん)ではない。(ちつ)(じよ)()(ぐわい)(けい)(いましめ)には、(ずゐ)(ぶん)(ふる)くなつて、(かた)くなつて、(あらた)まらなくてはならなくなる(ところ)()()る。(だう)(とく)()(しん)から()れば、(ぐわい)(けい)(ちつ)(じよ)はなんでもない。さうは()ふものゝ、(ちつ)(じよ)(その)(もの)()()(すくな)くはない。(ちつ)(じよ)があつてこそ、(しや)(くわい)(しゆ)(/″\)()()()(くわい)(りよく)(かう)(てい)して()くことが()()る。(ちつ)(じよ)()(よう)(よく)(あつ)だとして、()(せい)(げん)()(いう)(じん)(せい)(かい)調(てう)()()つと(おも)つてゐる(ひと)(たち)は、(にん)(げん)(よく)(ばう)(ちから)(あなど)つてゐるのではあるまいか。(あま)(らく)(てん)(くわん)()ぎてゐるのではあるまいか。()(ちつ)(じよ)(やぶ)り、(おも)みをなくしてしまつたら、(ぞん)(ぐわい)(じん)(せい)(かい)調(てう)(はん)(たい)(あらは)れて()はすまいか。(ひと)(てん)使()でも(けもの)でもない。Le() malheur(マリヨオル) veut(ヴヨオ) que() qui(キイ) veut(ヴヨオ) faire(フエエル) l'ange(ランジエ) fait(フエエ) la() b\^{e}te(ベエト)である。さう()(ひと)(たち)(ちつ)(じよ)(やぶ)つて、(あたら)しい(だう)(とく)()ようとしてゐるが、()()(こつ)()となしに、(だう)(とく)()()つだらうか。よしや(よく)(ばう)(よく)(ばう)との(きん)(せい)(わづ)かに(たも)つことを()るとしても、それで(じん)(せい)(のう)()(をは)るだらうか。(じん)(せい)にそれ()(じやう)(えう)(きう)はないだらうか。(たゞ)(くわん)(のう)(じゆ)(よう)()(だけ)(じん)(せい)(きよく)()であらうか。さう()(ひと)(たち)(やゝ)もすれば()(ぜん)(かへ)れと()つてゐるが、その(たくは)へてゐて(はな)たうとしてゐる(くわん)(のう)(てき)(よく)(ばう)が、(はた)して()(ぜん)であらうか。その()(ぜん)(この)(ふぢ)(だな)のやうになつた()(ぜん)ではあるまいか。

 (だい)二の(きよく)(をは)つた。(くわい)(ちやう)(たふと)(かた)(/″\)を、(しば)()(むか)うの四阿(あづま)()(まう)けてある()(きう)(けい)(じよ)(あん)(ない)して、(ちや)(くわ)(さし)()げる。四阿(あづま)()(となり)()つてある(てん)(まく)(なみ)(きやく)(きう)(けい)(じよ)で、そこにも(ちや)(くわ)(そな)へてある。(きやく)(きう)(くつ)でない(れつ)をなして、(しず)かに(てん)(まく)(はう)(うご)いて()く。

 (ひで)麿(まろ)(てん)(まく)()かずに、(いし)(だん)(くわ)(だん)(はう)()りた。(わた)(なべ)(あと)から()いて()た。

 ()(やま)のやうに(まる)()()んだ、はとやばらに、(しろ)(はな)が一(めん)()いてゐる(まへ)に、(ひと)()々々(/\)(ちひ)さい、(しろ)()(がさ)をさした()()(じん)を三(にん)()たせて、なにがしの(わか)(こう)(しやく)が、(けい)(たい)(しや)(しん)()()して(しや)(しん)()つてゐる。(ひで)麿(まろ)(わた)(なべ)とは(ゑん)(りよ)して()けて、()(たん)(なか)()()つて()つた。

 「(みな)()くおとなしくして()いてゐますね」と、(ひで)麿(まろ)()つた。

 「さうですなあ。()かりもしない(ひと)(おほ)(くせ)に。」(わた)(なべ)()から一(しゆん)(かん)(てう)()(かげ)(ひらめ)いた。

 「(しか)(おん)(がく)(がい)(ねん)(うへ)(はたら)くものではないのですから、あんなにして()いてゐて、()(こゝろ)(もち)がして()れば、それで()いぢやありませんか。」

 「それは(うま)が」と()()けて、(わた)(なべ)はあたりを()(まは)して()めた。

 「もう(よろ)しうございますの」と()(やさ)しい(こゑ)がして、三つの(しろ)()(がさ)がさつと()かれた。(ちやう)()()れてゐた(てふ)()つたやうである。(しや)(しん)()んだと()える。

 (わた)(なべ)が「五(でう)さん(おほ)(むぎ)(しよう)()(はなし)()(しよう)()ですか」と()つた。

 「なんです。それは。」

 「(おほ)(むぎ)(しよう)小豆(あづき)(じよう)(とな)へて(じやう)(ぶつ)したと()ふのです。(おう)()(しよ)(ぢゆう)()()(しん)(しやう)(とな)へろと()はれたのが、さう(きこ)えたのです。」

 「なるほど。(じやう)(ぶつ)にも(がい)(ねん)はいらないのでせうね。」

 (つぎ)(きよく)(きこ)えて()た。(ふた)()()(たん)(くわ)(だん)(はし)()た。(けい)(しや)(つよ)()()(そく)(めん)に、(ちひ)さい(ちや)()が一(めん)()ゑてある。

 「(めう)(けい)(ざい)(てき)なものが()ゑてありますな」と、(わた)(なべ)()つた。

 「なに。(きく)(しを)れてしまつて、(さび)しくなつた(あと)で、(はな)()くからでせう。」

 「しまつた。とう/\(ぼく)()(きやく)(あらは)しましたね。」かう()つて(わた)(なべ)()(くわい)げに(わら)つた。

底本:「鴎外全集」第十巻、岩波書店
   昭和47年8月22日発行