吃逆
森鴎外
「君が倒さにして見ても同じ事だと云つたあの畫が賣れた。あの時僕はタアナアの畫が實際倒さに懸けられた例があると云つて、自己を辯護するために歴史を引合に出すと云ふ、最もいく地のない窮策に出たのを、君はまだ記憶してゐるだらう。此報道を見たら、君は誰があれを買つたかと問ふに違ない。その買手が實に振つてゐるよ。方々の電信柱にペンキで名前の廣告してある成金だ。僕の藝術のお得意がparvenuだとは面白いぢやないか。かうなると、僕は又窮策を繰り返したくなる。バイロイトの劇場が始て開かれた時、新しい音樂を聽きに寄つて來た客は、豫期せられた、頭の新しい、物の分かつた人間ではなくて、諸國の物見高い金持共だつたと云ふ話がそれだ。僕はあの畫に直ちにsujetの分かる題を附けて置いたことを後悔する。あの題がなかつたら、ストリントベルクの高原の景色を酒代の代りに貰つて壁に懸けてゐて、荒れてゐる海だと客に説明した酒店の主人のやうな滑稽が生じたかも知れない。但これは名高い人を例に引いたやうでも、上手な畫でない丈罪が輕いかも知れない。笑談は大概にして置く。實は此手紙は請待状なのだ。久し振に畫の賣れた祝をするのだ。お相客はエナから歸つた幣原だ。是非來てくれ給へ。」
五條秀麿は綾小路の此手紙を卓の上に廣げて、ぼんやり眺めてゐる。末の方に場所と時間とが脚本の初のやうに二段に註してある。場所は築地の或る待合で、時間はもうそろ/\出掛けなくてはならない頃である。
秀麿は手紙を卓の上に置いて、椅子から起ち上がつて、ヱランダ越しに庭一面に薄緑の若葉を疊ねてゐる山もみぢと、その向うに厚い薄紅の氈を敷いたやうに、輪の儘で花の落ちてゐる椿とを眺めながら、室内を二三歩歩いた。わざ/\自分を呼んでくれた友達の好意を思へば、行かなくてはなるまい。ベルリンで往來したことのある幣原が、新にオイケンの所から歸つたのにも、逢ひたくないことはない。けふの午後は天氣も暑くなく寒くなく、埃を起てる程の風もないから、外へ出ても好い。併し、併し待合へ往くのは詰まらないな。藝者が料理屋の座敷で器械のやうに動いてゐる間は猶忍ぶべしである。それが待合の小座敷で、客に遠慮をしない所、乃至所謂「遊ばせて戴く」と云ふ風を裝ふ所となると、それを見て面白がるには、己なんぞより今少し遲鈍な神經を持つた人間か、又は神經の上に肉慾がsourdineのやうに働いて、幾多の不諧音を消してゐる人間でなくてはならない。己のかう感ずることを、綾小路は多少察してゐる。それに己を待合に呼ぶには、神經に治療を加へてくれようとする好意が交つてゐるかも知れない。若しさうなら、隨分難有迷惑なわけだと思ふのである。
秀麿はもう四五日火を點し已めた瓦斯煖爐の上の置時計の前に足を駐めた。もう五時前である。たゆたひながら電鈴の控釦を押して、小間使の雪を呼んだ。
「綾小路に晩餐に呼ばれて參りますと、奧へ申上げて置いてくれ。」
「はい」と云つて、雪が出て行つた。その時秀麿は始て自分が宴會の招に應ずるのだと云ふことを、はつきり意識した。そしてまだヨオロツパにゐた頃の習慣が拔けないので、手丈洗つて支度をした。
「あの、お車が參つてをります」と、雪が知らせに來た。
秀麿は帽と太い籐の杖とを攫んで、急いで部屋を出た。
——————————————————
格子戸の前で車を降りて、秀麿は花崗石の填めてある敲きの上に立つた。
「入らつしやいまし」と、女中が縁側に膝を衝いた。
「綾小路からさう云つてある筈だが。」
「只今お一人樣お出になつてゐます。」
舞踏場のパルケツトのやうに滑る廊下を、八疊の間へ導かれた。
女中の障子を開けた時見れば、先に來てゐるのは綾小路ではなくて幣原である。のん氣な主人はまだ來ないのに、ヨオロツパで時間の約束を嚴しく守る癖の附いてゐる幣原が來て、しつぽく臺とか云ふ卓の向うに据わつてゐるのであつた。
「や。暫く。君歸つて來たさうだね。オイケン先生はどうしてゐるね。」秀麿は嬉しさうに聲を掛けた。
「なか/\元氣ですよ。あの白髮の倒さに立つた、幅の廣い頭は、物を考へ已めると云ふことがなくつて、あの鋤鍬でも持ちさうな、太い手は、書き已めると云ふことがないのです。我等は猶クリスト教徒たることを得べきかと云ふのをつひこなひだ出しました。」幣原は、秀麿がどんなに對等に話をしようとしても、少しづつ敬語を使ふことを廢めない。そんならと云つて、秀麿の方で同じやうに敬語を使つては、親みの感情を殺がれるやうになる。秀麿は心苦しくは思ひながら、矢張綾小路に物を言ふと同じ調子で話す。これはヨオロツパにゐた時からの事である。
「さう/\。廣告を見たつけ。クリスト教とは云つても、詰まり宗教廢すべからずと云ふやうな論になつてゐるのだらうね。」秀麿は幣原が床の間の前を避けて据わつてゐるのを見て、自分も避けて、幣原の向ひに坐を占めた。女中が茶を運んだ。
「無論さうです。神が歴史の或る時期に人間の形を現したと云ふことは、學問上ばかりでなく、現代人の思想には一般に容れられないと云つてゐます。それから原罪とか贖罪とか云ふ思想もさうです。人間の罪を神が怒つて、自分の子の血で贖はせると云ふことは、現代人には想像せられない。それからクリストが神と人間との間に、紹介者のやうになつて立つてゐると云ふことも、現代人は却つて迷惑に思ふと云つてゐます。その位ですから、歴史上に根據のない、カトリツク教のペトルスの鍵なんぞに、神と人間との間を隔てて貰はうと、現代人が思ふ筈もない。プロテスタント教のやうに山のあなたの世話燒を卻けたところで、永遠に動かない眞理として聖書を立てて置くことに同意する筈もないと云つてゐます。それですから、クリスト教維持と名告つてはゐるやうなものの、詰まり宗教維持と廣く云つても好いことになるでせう。」
「さうだらうね。そこで宗教が棄てられないと云ふのは、あの人のこれまでの著述にもあるやうに、中世に人生の歸趣を置いた宗教、ルネツサンス以後に人生の歸趣を置いた内在的理想主義の跡を繼いで、新しい人生の歸趣を造らうと云ふのだらう。」
「さうです」と云つて、幣原は卓の上にある、蓋を開けた葉卷の箱を秀麿の前へ押し遣つた。「これは綾小路さんが屆けて置いたのださうです。その人生の歸趣と云ふやうな事を、オイケン先生は新しい聯結と云つてゐます。Zusammenhangと云ふ詞を使つてゐます。」
「なる程。新しい聯結。」秀麿はかう繰り返して、葉卷を一本取つて、火を附けた。「さうだねえ。所謂人智の開發時代から、ヨオロツパの人がスピノザの汎神論なんぞに據つて、誰でも神を自己の中に持つてゐると思つて理性を恃んで働き出したのは好いが、さう云ふ人と唯一の神との聯結は次第に弛んで行くばかりだ。學問が起る。藝術が起る。經濟が起る。それがどれもはつきり道義との縁を斷つて發展する。學問藝術の方面では、自然科學が優勝の地位を占める。經濟の方面では、社會問題が起つて來る。畢竟どちらも人間が人間として個個別々の發展をするに過ぎない。その結果は、手廣な事業にも深みがなくなる。賑はしい活動にも安心が伴はない。そこでどうにかしなくてはならなくなる。それをどうにかしようと云ふことを、先生は新しい聯結を求めると云ふのだらう。今こつちで所謂自然主義や所謂個人主義が行けないから、どうにかしようと云ふのと、同じ事だね。」
「さうです。さうです。Comme chez
nousですよ。」幣原は短く笑つた。
此時廊下の側の障子が明いて、綾小路が寐惚けたやうな顏をして、のそりと這入つて來た。跡から三十を二つ三つ越したらしい藝者が一人附いて來て、皆に會釋をした。骨と神經と皮とから成り立つてゐるやうな女である。但しその皮は幾多の星霜を閲して來るうちに、惜むらくは稍暗色を帶びて同時に幾分か彈力を失つてゐる。
「遲くなつて失敬した」と無造作に云つて、綾小路は寛いジヤケツにも窮屈を感ずるらしく、卓の入口に近い一邊に、べたりと胡坐を掻いた。
「まあ、ひどい烟ですこと。少し開けときませうか。」藝者は起つて、幣原の背後にある丸窓を開けた。屋根と物干臺とに限られた、薄曇の空がtrapèzeのやうな不正な形になつて見える。座敷に溜まつてゐた青い烟が、鴨居の下を潛つて靡いて出て、簷端で消える。
「好く机の傍が離れられたね」と、綾小路が秀麿に言つた。
「いや。實は餘り急で驚いたよ。」
「それはさう云ふ計畫なのだ。世間並に來何日なんと云つて遣らうものなら、君が考へて見ておつくうがつてことわるかも知れない。電話で言ふと、そんな問題に就いて考へるのを面倒がつて、考へずにことわるかも知れない。そこで眞際になつて、使に手紙を持たせて遣つたのだ。」
「それはどうも恐れ入つたなあ。」
幣原が詞を挾んだ。「なか/\五條さんをさそひ出すのはむづかしいと見えますね。」故らに平民的にしてゐる綾小路にも、矢張敬語を使ふのである。
「なんでもこんな風に計畫どほりに行くと好いのだが。」綾小路はかう云ひ掛けて、藝者が何か咡くのに耳を借した。「今に別品が來るさうだ。」
「來てゐるぢやありませんか」と、幣原が云つた。
「まあ、お世辭がおありなさること」と、綾小路と秀麿との間に据わつた藝者が云つた。
女中が杯盤を卓の上に運びはじめた。
幣原が「ちと柄になかつたかな」と獨言のやうに云つて、ふと思ひ出したらしく、話し出した。「お世辭と云ふものも、うつかり言へないものですね。僕の友人に藝者にあなたと云ふ人があるのです。ところが、それを藝者が厭味だと云つてゐるさうです。その人の心持を察して見るのに、藝者でもなんでも人間扱ひに丈はしたいと思つてゐるので、別に藝者に氣に入らうとか、好い子にならうとか思つてゐるわけではないのですが、その心持が先方には分からないのです。」
綾小路は笑つた。「それは分かるまい。藝者を人間扱にすると云ふことがあるものか。」
「隨分だわね」と藝者が云つた。
綾小路が秀麿に言つた。「さつきは大ぶ話がはずんでゐたやうだつたが、何か面白い事があつたかね。」かう云つて置いて、前にあつた杯を一息に飮み干して、藝者に遣つた。併し丁度女中が何か取りに立つてゐないのに、自分で酌をして遣らうともせず、采の目のやうに切つた鮪の刺身を二切一しよに口に入れた。
「あら、お酌はして下さらないの」とは云つたが、幣原が取りさうにする銚子を、藝者は奪ふやうに取つて、手酌をした。
綾小路に、「相變らず理窟つぽい事を言つてゐたよ」と云つて置いて、秀麿は幣原との對話を續けた。
「一體オイケン先生は何か積極的に建設してゐるのかね。」
「さうですね。人間が現在の地位に安んじてゐて、内在的宗教を持つてゐると云ふやうな事は、先生は取るに足らないとしてゐます。宗教と云ふ以上は或る、より高い物を向うに望んで、目前の抑制に打ち勝つて行かなくてはならない。勿論學藝でも、それ以外の物でも、其物のために遣つてゐるうちに、いつかそれが新しい性命を求める手段になる。それで文化が時代を逐つて建立して行かれる。此中には既に隱れた宗教がある。それを普遍的宗教と云つても好い。併しこれにも滿足することは出來ない。眞の宗教と云ふ以上は、人間が文化の建立の奴隸になつてゐないで、人間の靈が現在の矛盾の中から救ひ出されなくてはならない。それには超世間の性命がいる。それが有つて、建立せられる文化が始めて有意義になる。併しさう云ふ境地は啻に概念的に解しにくいばかりではない、感情的にも觸れにくい。個人に取つては、その感情は稻妻のやうに、閃き過ぎてしまふだらう。それを護持して行くには是非共宗教的共同生活がいる。寺院がいる。さうなれば、特質的宗教だと云つてゐるのです。」
「むづかしいな」と綾小路が嘴を容れた。
美しい、二十前後の藝者が二人這入つて來てお辭儀をした。暫く脚本式に第二、第三の藝者と名づけよう。
第二の藝者は吊るし猫と云ふ綽名が付いてゐる。その顏の琥珀色に赤みを帶びた皮膚の下には、厚い脂肪がある。綽名は言ふまでもなく、眉が目尻と共に吊り上がつてゐるから附いたのである。第三の藝者は、藍色の靜脈の透き通つた、薄い顏の皮膚が蒼み掛かつた色をしてゐる。髮の色もさう云ふ女の常として稍明るい。
二人共どこに据わらうかとためらつてゐるのを、綾小路が構はないので、秀麿が「あつちだよ」と床の間の前を指さした。
吊るし猫が素直に先に立つて、幣原に近い方の上座に著いた。髮と膚との比較的明色な女が吊るし猫と秀麿との間に介まつて据わつた。
吊るし猫はつんとしたやうな姿勢をしてゐるが、高慢振つてゐるわけでもない。遠慮もないが、餞舌りもしない性らしい。
明色の女の目が据わつてゐるのに、秀麿が氣が附くと同時に、第一の藝者が、「少し召し上がつてゐるが、まだ半端だと云ふやうね」と云つて、誰も飮まずにゐる麥酒の瓶の側にあるコツプを出して、爛酒を並々と注いで遣つた。
秀麿が稍驚いて第一の藝者の顏を見ると、第一の藝者が「行けますの」と説明するやうに云つた。
果して明色の女はぐびぐびと音をさせて、息を衝かずに飮み干して、「あゝ、せつなや町」と、なんだか意味の分からない語尾を附けて云つたが、顏色はせつなさうではなかつた。
第一の藝者は又一ぱい注いだ。
「こん度は助けて貰ひや町」と云つて、明色の女は吊るし猫を顧みたが、吊るし猫は知らぬ顏をしてゐる。
「そんなら頼まないや町」と云つて、明色の女は又それを飮み干した。そして突然吃逆を一つした。
秀麿は驚異の目を睜つて明色の女を暫く見てゐたが、忽ち心機一轉したと云ふ風で、又幣原に向いて云つた。「それでは寺院はいるが、ロオマの寺院でも、ルテルの寺院でも行けないと云ふ隨分むづかしい註文だねえ。」
「不可能でないと信じてゐると同時に、むづかしい事は先生も認めてゐるのです。兎に角寺院を眞理の專賣所にして、神よりも福音よりも寺院を信ぜさせようとしてゐるカトリツク教は、どんなに現代主義者を排斥して、自己の勢力を維持しようと努めたつて、未來を有してはゐない。淨められた福音を不易の眞理としてゐるプロテスタント教も、どんなに文化を一時流行の物に見落して、新時代の影響を受けまいとしたつて、未來を有してはゐない。プロイセンでは先づプロテスタント教を國教だとしてゐるのを廢めるが好い。國民の宗教思想が區々になつてゐるのに、國家と宗教との分離が行はれないと、勢國家が依怙贔屓をするやうになる。そんならと云つて、公平振つて折衷しようとすると、矢張どの宗教も滿足しないから駄目だと云つてゐるのです。」
かう云つてゐる間、明色の女は正しい間隔を置いて吃逆をしてゐる。
「分からないわ」と、吊るし猫が云つた。
綾小路は第一の藝者と何か話しながら、秀麿と幣原との對話にも耳を借してゐる。そして卓の上に出る丈の料理を片端から綺麗に食つてしまふ。
秀麿が暫く考へて云つた。「それでは在來の宗教を總べて用に立たないとしてゐるのだから、百年前にギヨオテが空想で、Montserratの巓に催すことにした諸宗教合同會議のやうな物は、無意味になるわけだね。それからこれもギヨオテが卒業論文に書いて印刷させずにしまつた國家對諸宗教論のやうに、政策に合一する限、どの宗教をも容れて、その範圍外の事を排斥すると云ふことも、ヨオロツパでは青年の空論だつたが、そんな事の出來る國ではしても差支ないかも知れない。併しそんな事では宗教の前途をどうすることも出來ない。今の矛盾の中から人間を救ひ出す、新しい聯結として、宗教を求めると云ふ以上は、どうしても或る目前の障礙を排し、或る目前の抑制に打ち勝つて、向うに新しい生活を望むものでなくてはならない。過去に拘泥しては駄目だ。現状維持では駄目だ。佛教の淨土のやうな、クリスト教の樂園のやうなものがなくてはならない。無論それは彼岸には限らない。此岸でも好い。いや。此岸でなくてはならない。さう云ふ物は是非いる。社會主義者でさへutopiaは持つてゐるのだからね。一體オイケン先生はクリスト教の國にゐるから、未來のクリスト教だと云つてゐるのだらうが、どうもそれでは、考が狹いやうだ。先生はその點をどう思つてゐるのだらう。」
「それは先生だつて氣が附いてゐます。ヲルテエルでしたか、何も人間がロオマに生れたので天國に往かれる、メツカに生れては往かれないと云ふ筈はないと云つたのを引いて、地理上に限ることを無意味だとしてゐるのです。」
「なる程」と云つて、秀麿は又考へてゐる。
明色の女が吃逆を一つして、誰に言ふともなく、「わたし兄弟になつて貰ひたい人があるのですがねえ」と云つて、懷から名刺形の寫眞を出してぢつと眺めた。
誰も相手にならない。
明色の女は寫眞を秀麿の前に出した。「ねえ、あなた、好い男でせう。寒玉子よ。」
「うん。苦み走つた好い男だ。」秀麿も矢張藝者を人間として丈は扱ひたいと見えて、眞面目に返事をした。但しあなたとは云はなかつた。
「さうでせう」と云つて、女は寫眞をしまつて、つと立つた。そして座敷の出口に往つて、べたりと据わつた。「わたしもう歸つて寢ますわ、さやうなら」とゆつくり云つて、兩手を疊に衝いて瞳を据ゑて、影の薄いやうな體を暫く動かさずにゐた。
第一の藝者が「あゝ、お歸り」と云つた。
明色の女は最後の吃逆を一つして席を起つた。
底本:「鴎外全集」第十巻、岩波書店
昭和47年8月22日発行