不思議な鏡

森鴎外

      一

 「おい。(おれ)()(おり)はどこにある。」

 「(いま)(ほころ)びを()つてゐる(ところ)です。」

 「(すこ)しは(あな)(ちひ)さくなつたかい。」

 「もう(はん)(ぶん)(ぐらゐ)(ちひ)さくなりました。」

 「そんならちよつとよこせ。(おれ)(いそ)(よう)があるから、()()なくちやならない。(あと)(また)(かへ)つてから()(つぶ)して(もら)はう。(いま)までの(おほ)きさの(あな)があつても()()たのだから、それが(はん)(ぶん)になつてゐて()れば()()つて()()ても()いわけだ。」

 かう()(もん)(だふ)(ふう)()(あひだ)(かう)(くわん)せられるのは、()とするに()りない。ここにそれに()(こと)がある。それは(おれ)(すゐ)(みん)(もん)(だい)だ。

 (にん)(げん)(からだ)はアルカリ(せい)で、その(なか)をアルカリ(せい)()(めぐ)つて(やしな)つてゐる。そこで(はたら)けば、(からだ)(さん)()()る。草臥(くたび)れた(からだ)(やす)んでゐるうちに、()(めぐ)つて()て、その(さん)(ちゆう)()してくれる。アルカリ(せい)(もど)る。(また)(はたら)く。()つぱくなる。(かく)(ごと)(じゆん)(くわん)してad(アツト) infinitum(インフイニツム)()つて()く。どつこい、()てよ。さう(うま)くは()かない。さう(うま)()けば、mobile(モビレ) perpetuum(ペルペツウム)(せい)(こう)して、(にん)(げん)()(らう)()()になるわけだが、(おひ)(/\)使(つか)つてゐるうちに、()(かい)はがたぴしして()て、とうとう(あぶら)をさしても(うごか)かなくなる。なんだ。(えん)()(わる)い。(つる)(かめ)々々(/\)だ。

 (おれ)(すゐ)(みん)(はなし)をする(はず)であつた。(なう)(ずゐ)(はたら)けば()つぱくなる。それをアルカリ(せい)(もど)(あひだ)(やす)ませて()くのが(すゐ)(みん)である。(ちやう)()()(おり)()てゐれば(ほころ)びる。それを()(つぶ)(あひだ)(さむ)くてもお(かみ)さんの()(わた)して()くやうなものである。モルフオイスの(かみ)()(わた)してある(あひだ)は、(かんが)へたくても(かんが)へられない。それでも()()(なに)(かんが)へなくてはならないとなると、(すこ)()みの()つた(ところ)で、ちよいと(なう)(ずゐ)()(もど)して使(つか)ふ。(ほころ)びを(はん)(ぶん)(つぶ)した()(おり)()()けて、(よう)()しに()るやうなものである。

 (おれ)(ひる)(もの)なんぞ()いてはゐられない()(うへ)なので、()なかに()きて()く。(あな)(はん)(ぶん)(つぶ)れた()(おり)()るやうなものである。

 それをどうかすると、(ひや)かし(はん)(ぶん)に、(せい)(りよく)(ぜつ)(りん)()める()(ひやう)()がある。(あな)(はん)(ぶん)(つぶ)した()(おり)()(ある)くのを()て、あれは(きん)(べん)()()(ひと)だと()ふやうなものである。そんな(こと)をするのは、()(おり)のためにも()くはあるまい。()てゐる(ひと)(しん)(よう)(がい)せられずにはゐまい。

      二

 そのせいでもあるか、(おれ)()くものは(ずゐ)(ぶん)(わる)()はれる。(あな)(はん)(ぶん)あいてゐるのが(ひと)()えるのかも()れない。()くものに「(じやう)」がないさうだ。(じやう)(はん)(ぶん)(あな)から()けて()たのかと(おも)へば、さうではないさうだ。(もと)から()いのださうだ。

 ゆうべも(しん)(ねん)(さう)(/\)()きて()いた。

 ()(よう)(はじめ)(しゆつ)(きん)()けてゐると、(そろ)(ばん)(はじ)いてゐるお(かみ)さんが(となり)()から(こゑ)()ける。「あなた、(ねん)(まつ)もとうとう()りなかつたのね。」

 「さうかなあ。もつと(うま)()()つて()かれないかい。」

 「そんな(こと)(おつし)やつたつて、わたくしのせいばかりぢやないわ。(ほん)(だい)(ずゐ)(ぶん)(たい)(へん)あつてよ。(ぞく)(ざう)(きやう)なんぞ、あれはいつまで()るのでせう。もう(おき)()(しよ)にも(こま)るのですが、(さい)(げん)がないのね。(だい)(につ)(ぽん)()(れう)()(もん)(じよ)()()(るゐ)(ゑん)、まああんなのは()れたものですの。()(ぱり)(いち)(ばん)(おほ)いのは西(せい)(やう)(ほん)よ。」

 「さうだらう。(しか)しそれは()(かた)がない。あれは(おれ)()()()りないから、西(せい)(やう)から()りて()るのだ。どうせ(かり)(もの)をしてゐては、()(ぶん)(かんが)()(ひと)には(かな)はないが、どうもあれがなくては、(おれ)(あたま)(なか)(やり)(くり)(うま)()かないからなあ。」

 「そんなに西(せい)(やう)から()りてゐて、いつか(かへ)せて。」

 「それは(おれ)(だい)にはむづかしい。()(まご)(だい)にもどうだか。(なん)(だい)(なん)(だい)()つうちには、(かへ)(とき)もあるだらう。」

 「まあ、のん()(はなし)ね。」(ふすま)(むか)うに(わら)(こゑ)がする。それから(また)(そろ)(ばん)をこちこち(はじ)(おと)がする。「お(つかひ)(もの)がなかなかあるのよ。()(こん)(れい)(みつ)つ。(みつ)(こし)()綿(わた)(じふ)(いち)(ゑん)(づゝ)(さん)(じふ)(さん)(ゑん)。お(とむらひ)(はな)(いつ)つ。(しち)(ゑん)(づゝ)(はな)だから()(しち)(さん)(じふ)()(ゑん)(ねん)()(ひと)つしかなかつたわ。これも()綿(わた)(じふ)(いち)(ゑん)。もう(しち)(じふ)()(ゑん)になつたわ。それに(はう)(/″\)へお(せい)()()つたでせう。(たい)(へん)だわ。」

 (おれ)(だま)つてゐる。

 「なんとも(おつし)やらないのね。」

 「うん。」

 「(ざい)(しよく)()(じふ)()(ねん)のお(いはひ)()ふのが(じふ)()(ぐわつ)にはありませんでしたわね。」

 「うん。」

 「あなた、うんうんとばかり(おつし)やつて、(いや)(かた)ね。」

 「うん。」

 こんな(ふう)に、それからは(なに)()つても「うん」としか()はない。お(かみ)さんは(あき)れて(かま)はずにゐた。

 (おれ)()(かい)(てき)に、いつものやうに()(たく)をしてしまつて、(やく)(しよ)()たが、()(よう)(はじめ)()()(かた)()れたやうな(ざつ)()しかなかつたので、()(ひと)(わる)(くち)()(めくら)(ばん)(だい)()いた。()()(せい)(/\)のお(やく)(しよ)には、(した)にも(うへ)にも、()()(たか)()lynx(リンクス)()(そろ)つてゐるから、()(ちゆう)にぼんやりした(おれ)(ひと)()(はさ)まつてゐても(おほ)いに(くわい)(けい)(けん)()(ゐん)(わづら)はすやうな(しつ)(さく)もしなかつたらしい。アメリカ(じん)()いたものに、ロシアの(やく)(にん)(かけ)をして、なんにも()ずに(いん)()(だい)(じん)(ところ)()(しよ)(るゐ)(あひだ)に、Paternoster(パアテルノステル)()(たう)(ぶん)()いて(はさ)んで()いた。そしたら(だい)(じん)(はた)してそれにも(いん)()いたと()ふことが、()(じつ)(だん)として()してある。ロシアは()らず、さう()(こと)はこつちの(やく)(しよ)では()()(のう)である。

      三

 (いつ)(たい)どうして(おれ)はその()(かぎ)つて、そんなにぼんやりしてゐたかと()ふに、(なに)(ぜん)()()きて(もの)()いたからと()ふわけではない。(よる)(もの)()いた(よく)(じつ)きつと()(ぬけ)がしてゐるなら、(おれ)(まい)(にち)のやうに()(ぬけ)がしてゐなくてはならない。(おれ)だつてまさかそれ(ほど)ではない。

 (ちやう)()(あさ)(うち)にゐて、(となり)()でお(かみ)さんが(つかひ)(もの)(かん)(ぢやう)をしてゐるのを()いてゐた(とき)であつた。(たと)へば()(しやく)(てつ)()()せられるやうに、(おれ)(たましひ)(からだ)()けて(そと)()た。(かは)(そと)へは()られないと、()西(せい)(やう)(じん)()ふが、(かは)(そと)()られたのである。

 ()(ほん)(ぐわ)にかいてある(ひと)(だま)は、(あを)()(たま)だが、(おれ)(たましひ)はそんな(もの)にはならなかつた。(からだ)その(まゝ)(かげ)になつたのである。(いま)()()けようとして()(たく)をした、その()(たく)(まゝ)(かげ)である。(たゞ)(からだ)(はう)(つくゑ)(まへ)()わつて、(がく)(せい)()つやうな()(じゆ)()(ふくろ)に、(もの)()れてゐる。(かげ)(はう)はその(まへ)()つて、ふらふらしながら、()()かない(からだ)のする(こと)()てゐる(だけ)(さう)()である。

 (あと)から(おも)つて()れば、(れい)()(しやく)(ちから)が、(かは)から(そと)(たましひ)()()(とき)(つよ)(はたら)いて、(たましひ)がひよつこり()()すと、(いち)()(はん)(どう)(てき)にそれが(ゆる)んだものらしい。その(あひだ)(たましひ)(からだ)(きん)(じよ)にうろついてゐたのだらう。

 (からだ)がお(かみ)さんに(なに)()はれて、(たゞ)「うんうん」とばかり()つてゐるのを()て、(かげ)(おも)(しろ)がつてゐる。(しか)()(どく)だとは(すこ)しも(おも)はない。なぜかと(おも)つたら、(おれ)(たましひ)は「あそび」の(こゝろ)(もち)(ばん)()(あつか)ふと()ふので、(なに)()てもむやみに(おも)(しろ)がるのださうだ。いつから()(けん)でそれを()つたかと()ふと、()(とき)(おれ)がみじめな(せい)(くわつ)(あん)(ぢゆう)してゐる(こし)(べん)(たう)()(うへ)()いて、その(をとこ)諦念(あきらめ)(たい)()()(はく)させる(とき)、あそびと()(こと)()つた。それを(たれ)やらが(しん)(せつ)に、(おれ)()(はく)だと(みと)めてくれるや(いな)や、(ぜん)(げん)でさへあれば、(たれ)(くち)から()ても、それを()るるに(りん)ならざる(いち)(どう)が、あそびあそびと()つて(おれ)(ゆび)さしをして(をし)()つた。(かく)れたるより(あらは)るるはなしである。(てん)(くち)なし、(ひと)をして()はしむである。(この)(とき)から(おれ)(たましひ)(りつ)()()(てふ)()いた。そのあそびのessence(エツサンス)()()したのだから、(なに)()ようが(おも)(しろ)がる(だけ)である。おや(また)「うん」と()やあがる。ざまあ()ろ。(おも)(しろ)いなと()ふやうな(こゝろ)(もち)である。だから蝉脱(もぬけ)(から)(からだ)が、どんなとんちんかんの(へん)()をして、まごまごしてゐようと()(どく)だと(おも)(はず)がない。(どう)(じやう)はしない。(じやう)がないのだ。それも()(けん)では()つくに(みと)めてくれてゐる。あそびが(こう)(てい)(てき)(ひやう)()で、(じやう)なしが()(てい)(てき)(ひやう)()である。あちらが(せき)(きよく)(てき)(げん)(めい)で、こちらが(せう)(きよく)(てき)(げん)(めい)である。これが(さつ)なら、()(けの)(きよ)麿(まろ)や、(たけの)(うちの)宿(すく)()(かほ)()いてゐる(おもて)と、(よこ)()()()いてある(うら)とのやうなものである。(うら)(おもて)ちやんと()かつて()れば、(めん)(だう)なしに()(けん)(つう)(よう)する。(いち)(てい)()ありと()ふわけだ。それを(また)(おれ)(なに)()(たび)(なん)(べん)でも()(かへ)して、あそびだ、(じやう)なしだと、()まつてしまつてゐるものを、(いま)(さら)(しん)(はつ)(めい)らしく(ふい)(ちやう)して、それを()(せい)にしてゐる(ひと)のあるのも、(めう)なものだ。(おれ)(にせ)(もの)なんか()()ないから、(かん)(てい)(ほね)()れない。まだ(わか)いが、()()(ない)(くん)なんぞも、もう(りつ)()()(てふ)()けられてゐる。「(さい)(ふで)だ。(たゞ)それ(だけ)(こと)だ。ふうん」と()つたやうな調(てう)()で、(かん)(てい)()んでしまふ。(あま)()(らく)らしいから、(おれ)()(きゝ)(はう)(しやう)(ばい)(がへ)をしようかしら。

      四

 (おれ)(たましひ)(しばら)くの(あひだ)(からだ)(そば)にふらついてゐたが、そのうち(また)すうと()はれるやうな(こゝろ)(もち)になつた。()(しやく)(ふたゝ)(ちから)(たくまし)うするらしい。

 西(せい)(やう)(ふる)(でん)(せつ)にこんなのがある。(きた)(うみ)に、()(しやく)ばかりで()()てゐる、(おほ)きな(やま)がある。(ふね)(へう)(りう)してその(きん)(じよ)()くと、(ふね)にある(だけ)(てつ)(みな)()()せられて、(そら)()んでその(やま)にひつ()いてしまふ。(ふね)(さい)()使(つか)つてある(くぎ)も、(みな)()けて()んで()く。(ふね)はばらばらにこはれて、(ちん)(ぼつ)してしまふと()ふのである。

 さう()()(しやく)()ふのだと、(おれ)(たましひ)(いつ)しよに、(ほか)(ひと)(たましひ)()はれて()んで()(はず)だ。(すくな)くも(とう)(きやう)にゐる(だけ)(にん)(げん)(たましひ)(みな)()けて()んで()(はず)だ。(しか)しさうではないらしい。(おれ)(くう)(ちゆう)(たゞ)(ひと)()()んでゐる。(みぎ)()ても(ひだり)()ても、(たましひ)(なか)()(いつ)(かう)()えない。(たらひ)()つたり、(はうき)(また)がつたりして、ブロツケン(ざん)()んで()()(ぢよ)(ぎやう)(れつ)なんぞとは、わけが(ちが)ふやうである。

 どうしたわけだと()ふことが、(あと)(かんが)へて()たら()かつた。(きた)(うみ)()(しやく)(やま)なんぞは()(ばん)(やま)だ。だから(てつ)でさへあれば()ふ。(はう)(けん)でも()(くぎ)でも(おな)(こと)である。(せん)(たく)()(いう)がない。あの()(かう)(せん)なんぞも、(たゞ)(そら)()がつてゐる(だけ)では(やく)()たない。(はう)(かう)(えら)んで、どこへでも(かつ)()()んで()かれるやうになるまでは、()(ばん)()(かい)たるを(まぬか)れなかつた。それが(いま)(かぢ)()られるやうになつた。それと(おな)(だう)()で、(おれ)(たましひ)()つてゐる()(しやく)(りよく)は、(かい)(りやう)して(げん)(だい)(てき)にしてあるから、()(ぶん)(かつ)()(もの)()()せる。(きよ)(ねん)(くれ)には、(おれ)(たい)そう(きら)つてゐる(みづ)()(くん)(たましひ)()()せられたさうだ。ぞつとするやうな、(すご)い、(じやう)()(あま)(たましひ)である。

 さて(めい)()()(じふ)()(ねん)となつて、(しん)(ねん)のお(なぐさ)みに()()せられると()(くわう)(えい)を、(おれ)(にな)つたわけだ。()(むね)(しら)()()()つと()ふのは(ふる)いから、おもちやの()(かう)()かなんかが()んで()て、()()かつた(こと)だらう。そんな(こと)とは()らずに、(おれ)(とこ)(なか)(もの)()いてゐたと()える。

 (おれ)(たましひ)(やま)()から(した)(まち)(はう)()んで()く。(さい)(しよ)(くん)(しやう)(むね)(いつ)ぱい()げた(ひと)()せてゐる(うま)や、シルクハツトを(かぶ)つた(ひと)()せてゐる()(どう)(しや)(した)()えてゐたのが、(だん)(/\)()(おり)(はかま)や、(しるし)(ばん)(てん)や、(つま)()つた(げい)(しや)()えるやうになる。()つぱらひが(おほ)(どほ)りの()(なか)で、()(ちが)(じん)(りき)(しや)(あひだ)をよろよろして(ある)きながら、(わう)(らい)(ひと)(かた)(ぱし)から(あく)(たい)()いてゐる。ふと()ると、ごたごたした(せま)(よこ)(ちやう)に、(ひら)()()()()いた(けん)(とう)がどの(いへ)にも()してあつて、()(れい)()(しやう)をしたお(しやく)(さん)()(にん)(おひ)()()をして、きやつきやと()つてゐる。(いう)(ぜん)(たもと)(すそ)(ひるがへ)る。おやと(おも)(ひま)に、(はた)()げた(でん)(しや)や、(みつ)(こし)()(どう)(しや)(しん)(ねん)()(ぢやう)(こん)(ぱう)にして、(やま)のやうに()んだ(いう)便(びん)(きよく)(あか)()(しや)が、(すき)()もなく(とほ)つてゐる(うへ)()る。

 そのうち(すゐ)(へい)(はたら)いてゐた()(しやく)(りよく)が、(たちま)(なゝめ)(した)()ふのを(かん)じた。()(かう)()なら、()りてから()(うへ)()るのだが、(たましひ)(かる)(/″\)と、()(せき)(ざう)(りつ)()(いへ)(かど)(ぐち)をすうつと()()つた。

      五

 (ばん)(とう)()(ぞう)(おほ)(ぜい)ゐる(ひろ)()()ける。(でん)()(とを)(くらゐ)(なら)べて()けてある。それに(ひと)()(ひと)()()(ぞう)()いてゐて、あらゆる(がく)(もん)()(じゆつ)()(しき)(きよう)(きふ)して(もら)はうとしてゐる(きやく)()鹿()に、けんつくを()はせてゐる。「へえ。なんですと。そんな(ほん)はありません。あなたが()(ちが)つてゐるのです。さやうなら。」「そんな(ひと)(ほん)なんか(うち)からは()しません。調(しら)べて(くだ)さいですつて。調(しら)べるまでもありません。さやうなら。」

 (せい)(ほん)()()()たのを()()(ところ)がある。(しん)(ぱん)(ほん)()(づくり)して(おく)()(ところ)がある。どの(くらゐ)(ぶん)(うん)(さか)んな(くに)にゐると()ふことは、ここに()()なくては、(さう)(/″\)()かない。(みなみ)(おき)(なは)のはづれから、(きた)(から)(ふと)(てう)(せん)滿(まん)(しう)()(しやく)()まで、()(せん)()(しや)()(しや)()(どう)(しや)(はじめ)として、(だい)(はち)(ぐるま)(さん)(なき)(ぐるま)(てん)()、はしけに(いた)るまで、あらゆる(かう)(つう)()(くわん)()(よう)して、(この)(みせ)(しゆつ)(ぱん)(ぶつ)(くば)られる。(ほん)(がう)()(かん)()()()(ぐわい)では()れない(ほん)なんぞとは、わけが(ちが)ふ。

 (かず)(/\)()(とほ)()けて、「(ぶん)(げい)(ゆゐ)(いつ)()()(くわん)」と(きん)()()(だい)してある(おほ)()(しき)(いり)(くち)()た。そこから(なか)へ、ふらふらと()()まれると、(しやう)(めん)()(たい)のやうになつてゐて、()(なか)(おほ)(かゞみ)()ゑてある。(おれ)(たましひ)はその(かゞみ)へすうと()()まれた。それと(どう)()に、(おれ)(かげ)(おほ)きな(うで)(つき)()()()けさせられて、(きやう)(めん)(あらは)れた。(ちやう)()()(はつ)(てん)()つて()わつたやうな()(あひ)だが、(からだ)はもう(やく)(しよ)()てゐるのだから、(かげ)(だけ)()(むき)になつて(あらは)れてゐる。そしてその(かげ)(たましひ)()()つてゐるのだから、()()えれば、(みゝ)(きこ)える。

 (おれ)()きながら(じやう)()()(かゞみ)()けられたやうなものである。

 (おれ)(いち)()をずつと()(わた)した。かう()ふと、ひどく()()いてゐて、えらいやうだが、さうではない。()(しやく)のやうな(つよ)(ちから)のある(かゞみ)に、()()せられてゐるのだから、(うご)くことが()()ない。そこで()をぱちくりさせて、お()(しき)(はい)(けん)してゐるのだ。

 (ひろ)い、(ひろ)(ひと)()である。それが(じやう)(だん)()(だん)()かれてゐる。(じやう)(だん)()に、(この)()(しき)(わう)(さま)のやうにして(ひか)へてゐる(ひと)()れば、(むかし)()(じみ)()(やま)(くん)が、あのgigantesque(ジガンテスク)(あたま)をして、(うで)のやうに(ふと)い、(しろ)()(おり)(ひも)()めてゐるのであつた。その周圍(まはり)にはちよいちよい(はう)(/″\)()()ける(かほ)がある。(しま)(ざき)(くん)だの、(しま)(むら)(くん)だの、(とく)()(くん)だのが()える。その(へん)(わか)(ひと)()らない(かほ)がある。その(なか)には(ひやう)(ばん)(まさ)(むね)(くん)なんぞがゐるのだらう。(をんな)のお(きやく)もをられる。「あら、(みづ)()さん」なんと()(あい)(さつ)(きこ)える。()(だん)()は、(だん)(ぢよ)(まじ)つて、(わか)(ひと)ばかりがうようよしてゐる。(しよ)(せい)さんが(だい)()(すう)()めてゐて、(なか)には綿(めん)ネルのシヤツを()た、田舍(ゐなか)(しよ)(せい)さんもある。(しよ)(せい)さんでないのは、(てん)(ゐん)やら、(きふ)()やら、(でん)()(かう)(くわん)(しゆ)やら、(いろ)(/\)(ひと)がゐるらしい。(まれ)には(せう)(がく)(かう)(けう)(ゐん)でもあらうかと(おも)はれる、(すこ)(とし)()つた(ひと)()える。

 (じやう)(だん)()(しづ)かだが、()(だん)()はさうざうしい。「ああ」と(おほ)きな(あくび)をする(ひと)がある。「しつ」と()ふ。(そく)(はつ)(さゝや)()つて、くすくす(わら)ふ。

 「なる(ほど)(しん)(けん)でなささうな(かほ)をしてゐるなあ。」

 「なんだつてこんな(たましひ)()()つて()たのだらう。」

 「あそびか。へん。」

 「(じやう)()ふものがなくつて、(かん)じと()ふものを(まる)()らないのだとさ。」

 「(めう)だねえ。」

 「ここへ()()つて()られて、(ない)(しん)(くるし)んでゐるだらうなあ。」

 「なに(かん)じがないから、(くるし)みはしないさ。」

 「あれで(ほん)(やく)(うま)いのだと()ふぢやありませんか。」

 「さうですつてねえ。だけれどわたし(ほん)(やく)(もの)()まらないから、()まないわ。」

 「なに。(ふる)(かぶ)だと()(だけ)ですよ。(きやく)(ほん)なんぞは()()(なが)くて、()があくのです。」

 「(いち)()(のこ)さないやうに(やく)するので、(なが)くなるのだと()ふことだ。」

 「では(ちゆう)(じつ)なのね。」

 「ところが(おく)(びやう)なのです。()(やく)だと()つて、()(てき)されないやうにするから、(なが)くなります。」

 「(よる)()ないさうですよ。」

 「まあ、(へん)(じん)ね。」

 「(さい)(くん)(せう)(せつ)()いて()るのだと()ふぢやないか。」

 「あら、(うそ)よ。(おく)さんの(はう)()(ぽど)(うま)いわ。」

 ()(やま)(くん)(せき)()つて、(かゞみ)(まへ)()た。それを()て、()(だん)()でがやがや()つてゐた(れん)(ちゆう)が、(みな)(だま)つてしまつた。(おれ)()(やま)(くん)(かげ)で、()(ぶん)(かげ)()されるかと(おも)つたが、()(やま)(くん)(かげ)(うつ)らない。

 ()(やま)(くん)(がら)にもない(やさ)しい(こゑ)をして、(おれ)()ふのである。「けふは(きみ)(きん)(さく)(ひと)(らう)(どく)して(もら)ひたいのだがね。」

 (おれ)はちよつと、どぎまぎした。どうも(かげ)なんぞになつて、こんな(ところ)()てゐて、(もの)()はれるか、どうだかが()(もん)である。(しか)()()えたり、(みゝ)(きこ)えたりする(ところ)()れば、(もの)()はれるかも()れないと(おも)つた。そこでこはごは、(きん)(ぎよ)(いけ)(うへ)()いてぱくぱく()るやうな()(あひ)に、(くち)()いて、(ためし)()つて()た。「(きん)(さく)だつて。」(あん)じるよりは()むが(やす)い。(うま)(こゑ)()た。

 「さうさ。(さう)(さく)でなくては()けない。」

 (おれ)(もの)()()ちないと()(かほ)をして()(やま)(くん)()た。()(ぶん)()まで(きん)(ぎよ)のやうになつただらう。こつちの(はう)では、(おれ)(さう)(さく)はひどく(ひやう)(ばん)(わる)い。(げん)()(やま)(くん)()(しん)()()()ひたくないと()つて()げてゐる(くらゐ)である。それにどうやら、かうやら(つう)(よう)してゐる(ほん)(やく)()れと()はずに、(さう)(さく)()れと()ふのは、()(てん)()かない。()(けん)では(ずゐ)(ぶん)(ひと)()()ない(こと)をさせて(なぐさ)みにすることもあるが、ここではまさかそんないたづらもすまい。()(やま)(くん)()いて()ようかとも(おも)つたが、そんな()()つぼい、(めん)(だう)(こと)()ひにくい。それよりは(こと)()(いう)(たく)してことわつてしまはうと、(おれ)(わう)(ちやく)()(あん)をした。「(げん)稿(かう)(なに)()つて()ないがね。」

 ()(やま)(くん)()(くわい)(ひと)(むく)(どり)のまごつくのを()(どく)がる(とき)のやうな(かほ)をした。「それは(きみ)(しん)(ぱい)しなくても()いよ。(きみ)()まうと(おも)(ほん)なり、(げん)稿(かう)なりが、その(かゞみ)(うつ)るのだ。」

 かう()つたかと(おも)ふと、(うで)(つき)()()(こし)()けてゐる、(おれ)(かげ)(まへ)へ、あの(やう)(しつ)(はひ)(ざら)なんぞが()せてあるやうな(ちひ)さい(つくゑ)()つて()られた。その(つくゑ)(うへ)には(はく)()()いてある。なる(ほど)()()(かげ)(だけ)(うつ)つてゐるのだから、(つくゑ)(かみ)(かげ)(だけ)(うつ)らないわけはないと(さと)つて、(おれ)(ちや)()らずに(かこ)ひの(なか)()()まれた(ひと)のやうに、(こと)(ごと)(おどろ)いて(だま)つてゐた。

 「なんでも(きみ)()まうと(おも)(もの)が、その(かみ)(うつ)るのだよ。なかなか(せん)(めい)だよ。」(ほん)()(くわん)(けい)してゐる(だけ)に、()(やま)(くん)(いん)(さつ)()めるやうな(こと)()つてゐる。

 (おれ)はいよいよ(きゆう)した。「(えん)(ぜつ)(らう)(どく)は、(ぼく)()()だがね。」

 「(じやう)()なお饒舌(しやべり)()きたいのなら、(きみ)()()(らう)()けないよ。」

 ()(やま)(くん)()(くつ)つぽく()たので、こつちも()(くつ)つぽく()た。「(ぼく)だつて()()(こと)はしたくない。」

 ()(やま)(くん)はちよいと(おれ)(かほ)()た。(おれ)はぎくりとした。そんならなぜ(せう)(せつ)()くのだと()はれたやうに(おも)つたのである。

 ()(だん)()がそろそろ(しん)(ばう)してゐなくなつて()た。(さい)(しよ)(せき)(ばらひ)をする。(はな)をかむ。それから(いろ)(/\)(こゑ)(きこ)えだ()す。

 「どうしたのだ。」

 「(ひと)()鹿()にしてゐるなあ。」

 「()(やま)(せん)(せい)。しつかり(ねが)ひます。」

 「あんなに(せん)(せい)()()んで()らつしやるのにねえ。」

 「さうですよ。(はや)()つて(はや)()()がれば()いのだ。」

 「()()れえ。」

 ()(だい)(さわ)がしくなつて()る。

 ()(やま)(くん)(けつ)(しん)したらしく、(おれ)(せん)(こく)した。「そんならけふは(かほ)()せて(もら)つた(だけ)()いから、こん()にしてくれ(たま)へ。」かう()つて、(おれ)にくるりと()(なか)()けて、(いち)()()(わた)した。「(しよ)(くん)。」

 (おほ)()(しき)がしんとした。

 「(しよ)(くん)(じふ)()(ふん)(かん)(きう)(けい)します。」

 (じやう)(だん)()でも、()(だん)()でも、(はなし)(ごゑ)(さか)んに(おこ)る。あちこちで(せき)()(ひと)がある。(そく)(はつ)がさそひ(あは)せて()つて()く。

 (おれ)はそれを()てゐるうちに、(ねむ)つてゐる(ひと)(きふ)(おこ)されて(とこ)(はな)れるやうに、ひよいと(かゞみ)(めん)(はな)れた。(はな)れたかと(おも)ふと、(みゝ)ががあんと()つて、()にはなんにも()えない。(おれ)(たましひ)(じゆう)(こう)(はな)れた(だん)(ぐわん)のやうに()んで()く。(うま)なんぞも(かへ)りは(いそ)ぐものだが、(たましひ)(いそ)ぎやうは(とく)(べつ)だと()ふことを、(おれ)(けい)(けん)した。

 (おれ)(からだ)(ふし)(/″\)(いた)みを(おぼ)えた。ふと()()いて()れば、もう(たましひ)(からだ)(もど)つてゐる。(おれ)(つくゑ)()()かつて、()(いん)(ぎやう)()つて、()(はらひ)(めい)(れい)(いん)()いてゐる。(つくゑ)(むか)うには(ぞく)(くわん)()つて()つてゐる。

 (おれ)(いま)(いん)()()けてゐる(かみ)()た。「(げん)(まい)(はつ)()()(しよう)(ぬか)(さん)(じよう)(にはとり)(ろつ)()蚯蚓(みゝず)」と()()けて、(ぞく)(くわん)(かほ)()た。

 (ぞく)(くわん)(からだ)(かゞ)めて(かみ)(のぞ)いた。「それは(にはとり)(えさ)になりますのださうで。」

 「さうかね」と()つて、(おれ)(いん)をぺたりと()いた。

底本:「鴎外全集」第十巻、岩波書店
   昭和47年8月22日発行