田樂豆腐

森鴎外

 「あなた(しよく)(ぶつ)(ゑん)()らつしやつて」と、(だい)(どころ)から(さい)(くん)(こゑ)()けた。

 「さうさなあ、()かうかと(おも)つてゐるのだが」と、()(むら)(しん)(ぶん)(あひだ)(たゝ)()んである()(ろく)()()して(ひろ)げながら()つた。

 「()らつしやるのなら、(すゞ)しい(うち)()らつしやいよ。(いま)(なに)をして()らつしやるの。」(この)(はなし)(ごゑ)(まじ)つて、(あら)つた(さら)(かご)(なか)()せる(おと)がする。

 「(いま)かい。(かへる)()んでゐる(さい)(ちゆう)だ。」

 (だい)(どころ)(さい)(くん)(みじか)(わらひ)(ごゑ)()らした。そして「けふも(なに)かあつて」と、(あま)(ねつ)(しん)らしくもなく()つた。

 (かへる)()むと()ふのはエミイル・ゾラの(ことば)で、()(むら)(せつ)(めい)()いてゐる(さい)(くん)にはその()()()かる。ゾラはかう()つた。(さく)(しや)になつてゐると、(まい)(てう)(しん)(ぶん)(わる)(くち)()はれなくては()まない。それをぐつと()()むのだ。()きた(かへる)(まる)(のみ)にする(つも)りで()()むのだと()つた。()(むら)(まい)(にち)(しん)(ぶん)(わる)(くち)()はれてゐる。(いち)()(おほ)(ほん)(やく)をしたので、(ほん)(やく)()()(かた)(がき)()けられた。その(はん)(めん)には(さう)(さく)()()ない(ひと)()()()が、(かく)すやうに(あらは)すやうに、ちら()かせてあつたり、(また)()(こつ)()つてあつたりした。それから(さう)(さく)(だい)()()すやうになつてからは、()()(こく)(はく)しない、(むし)(こく)(はく)すべき()()(いう)してゐないと()ふので、(あそ)びの(ぶん)(げい)だとせられた。(なか)には(さい)()(わた)つた(ひやう)もある。(てつ)(がく)(しゆう)(けう)(たい)()()くと、エクサイトメントのない(さく)だと()はれる。(しや)(じつ)(てき)(はん)(ざい)()くと、(たん)(てい)(せう)(せつ)だと()はれる。(えう)するにどれも()()がないと()ふのである。(たゞ)(ほん)(やく)(だけ)()いとして(たす)けてあつた。ところがつひ(この)(あひだ)(ゆう)(まう)()(ひやう)()()て、()(むら)(ほん)(やく)()(やく)だらけだと(かつ)()した。そいつが(おほ)(うけ)であつた。()(むら)(べん)()する(ひと)でも、()(やく)でないまでも(せつ)(やく)だと()つた。これでいよいよ()(むら)()くものには(なに)(ひと)()()のあるものは()いと()ふことになつた。そこで(いま)()(むら)(あたら)しい(かた)(がき)()()てゐる。それは「()(やく)(しや)」と()ふのである。(この)(なつ)からの(しん)(ぶん)にはいろんな()(まへ)()(ひやう)()()(かは)()(かは)り、()(やく)(しや)()(むら)(ひや)かしてゐる。(ほん)(やく)とはなんの(くわん)(けい)もない(こと)()(とき)でも、「()(やく)(もん)(だい)(べつ)として」とか、「()(がく)(ちから)(いう)()()らぬが」とか、(いち)(いち)ことわつてある。

 「けふも(なに)かあつて」と(さい)(くん)()はれて、こん()()(むら)(みじか)(わらひ)(ごゑ)()らした。「(おほ)ありだよ。(ぶん)(げい)(けふ)(くわい)では(じやう)()(きやく)(ほん)(じやう)()(やく)(しや)がする。()(えう)(げき)(ぢやう)では()()(きやく)(ほん)()()(やく)(しや)がする。(たゞ)(やく)(しや)()()(だけ)に、けれんのないのが(とり)()だと()つてあるよ。」

 (さい)(くん)(すゐ)(だう)(みづ)をしやあと()はせながら、「(うま)(こと)()つたものだわね」と()つた。(さい)(くん)()(むら)(かう)(まん)(こと)ばかし()ふのを(にく)んで、いつも(ぜう)(だん)(まじ)りに(かへる)(さん)(せい)してゐるのである。

 (じつ)(さい)()(むら)(かう)(まん)は、(ぜう)(だん)(まじ)つてゐるにしても、(ずゐ)(ぶん)(はげ)しい。(れい)()(やく)退(たい)()(とき)(さい)(くん)が「あなた(ほん)(たう)()(ちが)つてゐるのでないなら、なんとか()つてお(やり)なさいな」と()ふと、()(むら)は、「ところがなんとも()はないね」と()つた。「では()(ちが)つてゐたの」と()ふと、「()(ちがへ)なもんか、()(ちが)へたつて、(かへる)()()けるやうな()(ちがへ)はしない」と()ふ。こん()(かへる)(あま)(どく)(/\)しいので、(さい)(しよ)(さい)(くん)(さん)(せい)()ねてゐたのだが、()(むら)(そら)(うそぶ)いた(かほ)(にく)らしいところから、とうとう(この)(かへる)にも(さん)(せい)しさうになつた。「(げん)(ぽん)(たい)そうえらい(ひと)(さく)で、(せい)(しよ)のやうな(ほん)ですつてね。あなたの(こと)だから、それを(ほね)()らずに(やく)したのだけ(わる)いわ。」(さい)(くん)のかう()(かほ)を、()(むら)(ひや)かすやうに()てゐて、しまひに(へい)()でかう()つた。「うん(にん)(げん)はえらいと()つても()れたものだよ。(げん)(ぽん)()いたのも、まあ(おれ)のやうな(やつ)(すこ)しえらいのさ。()(ちがへ)()(ほん)()ふものは、()(かい)(ぢゆう)(ひと)つも()い。(せい)(しよ)のやうだと()ふあの(ほん)でも、フアランクスと()ふギリシア()(せい)()ふものが()(ちが)つてゐたのを、(あと)から()()けた(はなし)がある。(なに)もびくびくすることはないさ。」こんな調(てう)()だから、(さい)(くん)(にく)がるのも()()はない。

 (さい)(くん)(だい)(どころ)(しばら)(だま)つてゐた。バケツの(つる)がかちやんと()つた。

 「おい。(おれ)(むぎ)(わら)(ばう)()があつたつけなあ。」(しん)(ぶん)()てしまつた()(むら)がかう()つた。

 (さい)(くん)(まへ)(かけ)()()きながら()()た。「()()ですわ。(きよ)(ねん)あなたが()つて()けと(おつし)やるから、()つてはありますの、だけれどなんぼなんでも、もう(かぶ)れないわ。」

 「なぜ。」さも()(ぐわい)らしく(さい)(くん)()た。

 「だつて、あれはいつお(かひ)なすつたの。わたしがおよめに()(とき)もうあつたのだから、(さん)(ねん)()(じやう)にはなつてゐるわ。(きよ)(ねん)だつて、()()(ひと)(みな)あの(はち)(まき)(せま)いのを(かぶ)つてゐるのに、あなた(だけ)(はち)(まき)(はゞ)()鹿()(ひろ)いのを(かぶ)つてゐて()()しかつたわ。()(とし)また(はち)(まき)(ひろ)いのが()()つて()(かは)りには、こん()(つば)(せま)くなつてゐるでせう。それにあなたが(ひと)()(つば)(ひろ)いのを(かぶ)つてゐては()()しいわ。」

 「そこだて。(はち)(まき)(ちやう)()(いち)(じゆん)して(もと)(もど)つたのだ。(らい)(ねん)(つば)(ひろ)くなるに(ちがひ)ない。(だい)(いち)あんな(さら)をのつけたやうな(ばう)()では()(なに)()けられはしない。(つら)(ほそ)(やつ)(かぶ)ると、(しひ)()(さかさ)にしたやうで、(つら)(おほ)きい(やつ)(かぶ)ると、(どん)(ぐり)(さかさ)にしたやうだ。(おれ)(だん)じてあんな(さら)(あたま)にはのつけないのだ。」

 「()いわ。そんならパナマをお(かひ)なさいまし。」

 「パナマは(じふ)()(ゑん)いたします。」

 「だつてあなたきのふ()らつしやつたお(やく)(しよ)のお(とも)(だち)ね、あの(かた)のなんぞも(じふ)()(ゑん)したのでせうか。」

 「(おほ)(ちがひ)だ。あれはあんなに(りつ)()でも、(しづ)(をか)パナマと()ふのだ。(ろく)(ゑん)(しち)(ゑん)(ぐらゐ)したのだらうよ。」

 「そんならあれになさいな。こなひだ()(げん)稿(かう)(れう)(のこ)りがまだ(じふ)(ゑん)あつたでせう。あれを(ちよ)(きん)()れようかと(おも)つたが、よしますわ。」

 「()()て。そんなに(やまの)(うち)(かず)(とよ)()(じん)がらなくても()いよ。きのふ()(がは)(たゝみ)(うへ)()いた(ばう)()(ひろ)()げて、(はしら)(くぎ)()ける(とき)、ひどく(たい)(せつ)(あつか)つてゐると(おも)つたよ。あれが()いのかい。ところで(おれ)()(めん)だ。」

 「だつて(ふる)(むぎ)(わら)(ばう)()より()いわ。」

 「()くないなあ。(むぎ)(わら)(むぎ)(わら)だから()い。パナマでない(もの)がパナマと()えるのは(こま)る。()(ひやう)()(ども)()(やく)(しや)(かん)(ばん)には、まがひの(ばう)()()いと()ふかも()れないが。」

 「さうね。それはわたしだつてまがひの(べつ)(かふ)(いや)ですわ。」

 ()(むら)()つて、()(ちやう)(えん)(ぴつ)とを(たもと)()れながら()つた。「それ()ろ。ちよつと()せるなら()してくれ。」

 (さい)(くん)(とこ)()()()げてある(ほん)(くづ)れたのを(なほ)してゐて、たやすく()たうとはしない。「だつて(あま)(へん)だわ。」

 「()いから()せよ。そこいらで()()へるまで(かぶ)つてゐたつて()いぢやないか。」

 「さうなさいね。そんなら()して()げてよ。」(さい)(くん)はぢき(そば)(おし)()れから(しん)(ぶん)(つゝ)んだ(ふる)(ばう)()()してわたした。

 ()(むら)はそれを(かぶ)りながら、「(なつ)(ばう)()はどうしても(つば)(この)(くらゐ)なくては(うそ)だ」と、()()()()(しゆ)(せつ)(とな)へて、(せん)()()(いへ)()た。

 ()(むら)(わづ)(ひやく)(つぼ)ばかりの(には)(くさ)(ばな)(つく)つてゐる。(つく)ると()つても、()(けん)(ゑん)(げい)()のやうに、(おほ)きい(はな)(かは)つた(はな)()かせようとしてゐるのではない。なる(たけ)(しゆ)(るゐ)(おほ)(くさ)(ばな)(まじ)つて、()(ぜん)らしく()くやうにと(こゝろ)()けて、(さむ)(とき)から()()けて、(あひだ)(/\)(ざつ)(さう)()いて、宿(しゆく)(こん)のあるものが()()したり、(きよ)(ねん)(こぼ)(だね)()えたりする(たび)に、それをあちこちに()()へるに()ぎない。(どう)(ざか)にゐる(なが)(はら)()(とも)(だち)()つて()てくれた(つき)(ぐさ)までが()ゑてある。(ぞく)にいふ(つゆ)(ぐさ)である。()(むら)()つてゐる(かぎ)りでは、こんな(ふう)()(ぜん)らしく(くさ)(ばな)(つく)つてゐるものは、(かうぢ)(まち)にゐる(とも)(だち)(くろ)()しか()い。(くろ)()はそこで(しや)(せい)をするのである。(しか)(くろ)()(べつ)(をん)(しつ)なんぞも(こしら)へてゐて、(かう)(てい)(りよく)(よわ)(はな)をも(そだ)てる。()(むら)()()つて()いても()(はな)しか(つく)らない。

 ()(むら)(はじ)(ざつ)(さう)ばかり(ぬく)(つも)りでゐた。(しか)(くさ)(ばな)(なか)にも(せい)(ぞん)(きやう)(さう)があつて、(いう)(しよう)(しや)(かなら)ずしも(いう)()ではない。(ばう)(りよく)のある、()(ばん)(やつ)があたりを(しん)(りやく)してしまふやうになり(やす)い。()(とし)なんぞは(つき)()ぐさが(には)(いち)(めん)(はびこ)りさうになつたので、(すみ)(はう)()(さん)(ぼん)(のこ)して()いて、(あと)(みな)(たひら)げてしまつた。()(さん)(ねん)(まへ)には()(げい)(とう)(たく)(さん)()()たのを、(あま)(にく)くもない(くさ)だと(おも)つて(その)(まゝ)にして()くと、それ()()えてしまつた。

 (なか)には(よわ)さうに()えないのに(よわ)くて、(とし)(/″\)どの(くさ)かに(あつ)(たう)せられて、()えさうで()えずに、いつも(かた)(かげ)(ちひ)さくなつて()いてゐるのがある。()(むら)()きな(がん)()(かば)(いろ)(はな)なんぞがそれで、(きん)(じよ)(ざつ)(さう)()かうとして()()れると、(せつ)(かく)(つぼみ)()つてゐる(くき)(ふし)(ところ)から(もろ)()れてしまふ。

 (まい)(ねん)(くさ)(ばな)(いち)()つと、()(むら)(をん)(しつ)()れずに(そだ)てられるやうな(くさ)(えら)んで、()つて()()ゑてゐた。そのうち(いち)では、(いち)(ねん)(まし)西(せい)(やう)(だね)(はな)(おほ)くなつて、()(とし)(ほとんど)(みな)西(せい)(やう)(だね)になつてしまつた。(まり)のやうな(はな)()(てん)(ぢく)()(たん)()はうと(おも)つても、(はな)(びら)(なが)い、(ひら)たい(はな)()くダアリアしか()い。(せき)(ちく)()はうと(おも)つて()れば、カアネエシヨンが(なら)べてある。(はな)(いん)(げん)(あつら)へて()いて()りに()くと、スヰイト・ピイをくれる。とうとう()(むら)(には)でも、()いろいダアリアを(はじめ)として、いろんな西(せい)(やう)(ばな)()くやうになつた。

 ()(むら)(いん)(どう)西(せい)(やう)(さう)(くわ)なんぞを()つて()調(しら)べてゐたが、(なか)には()(じやう)()れないものが()()()た。そこで(しよく)(ぶつ)(ゑん)()つて、(れい)(でん)(がく)(どう)()のやうな(ふだ)()いてある()()()ようと(おも)()つたのである。

 (まき)(ちやう)(とほ)(とき)()(むら)(さい)(くん)(やく)(そく)した(ことば)(おも)んじて、(ばう)()(みせ)()つた。(むぎ)(わら)(ばう)()(やま)(ごと)くにあるが、どれを()ても(さら)のやうなものである。もつと(つば)(ひろ)いのは()いかと()ふと、()(ぞう)が「そんなのはありません」と()つて(わら)つてゐる。

 「(こま)るなあ」と()(むら)()つた。

 「なんならパナマをお(めし)になつてはいかがです。」()(ぞう)(あひ)(かは)らず(わら)ひながら()つた。

 ()(むら)(わら)つた。これは(さい)(くん)との(たい)()(おな)じやうに(しん)(ちよく)して()くところが()()しいと(おも)つたのである。そのうち(みせ)(よこ)()(こし)(かけ)(いへ)に、(つば)(ひろ)(むぎ)(わら)(ばう)()(ひと)(やま)()んであるのに、()(むら)()()けた。「ここに()いのがあるぢやないか。」

 「それですか。それは(だん)()(がた)のお(かぶ)りなさるのではありません。」()(ぞう)(わらひ)(いつ)(しゆ)(どう)(はい)(たい)するやうな、(なれ)(/\)しい(わらひ)になつた。()(ぶん)椰愉(からか)はれてゐると(おも)つたのかも()れない。

 「どんな(ひと)(かぶ)るのだ」と、()(むら)()()()()うた。

 「(らう)(どう)(しや)(かぶ)るのです。」(すこぶ)(えう)(りやう)()(こたへ)である。

 「かう()えて(おれ)(らう)(どう)してゐるのだ。それを(ひと)つくれ。」()(むら)()()(ぐち)()した。

 ()(ぞう)はちよいと(ちう)(ちよ)したが、(ぜう)(だん)でもなんでも(ぜに)(はら)へば()いと(おも)つたと()えて、すなほに(ばう)()()つてくれた。(こん)(しろ)とを(なひ)(まぜ)にした、(ほそ)(あさ)(いと)(はち)(まき)がしてある。(ひん)()(ばう)()である。()(ぞう)()はれてから()()いて()れば、なる(ほど)()(ぐるま)()したり()いたりする(をとこ)がこんなのを(かぶ)つてゐた。()()ける(ため)めに(なつ)(ばう)()(かぶ)ると()ふことを、まだ(わす)れない(ひと)(たち)(かぶ)つてゐたのだ。()()つて()ると、パナマのやうに(たゝ)むことは()()ないが、なかなか(やはら)かで、(かぶ)つて()ると、(かぶ)(ごゝ)()()い。()(むら)()(もの)()()つたと(おも)つて(よろこ)んだ。

 ()(ぞう)()(むら)()()てた(ふる)(ばう)()()()げて、「これはお(とゞけ)(まを)しませうか」と()ひながら、(そば)にある(しん)(ぶん)()()()()せさうにした。

 「それはもういらないのだから、どうぞ()てておくれ」と、()(むら)()つた。

 ()(ぞう)は「へえ」と()つた。()(むら)(くち)から(はじめ)(がふ)()(せい)(てき)(ことば)が、()たと(おも)つたことだらう。

 ()(むら)(はく)(さん)(さか)()りて(みぎ)(まが)つた。(まう)(がく)(かう)のある(きう)(りよう)(ひと)()えれば(しよく)(ぶつ)(ゑん)(れき)()(てき)(くろ)(もん)のある(まち)()る。

 ()(むら)(しよ)(せい)()(だい)(しよく)(ぶつ)(ゑん)()()つたことがあるばかりで、その(のち)はいつも(もん)(まへ)()(どほ)りにしてゐた。(なか)はどんな(ところ)であつたか、もう(おぼ)えてもゐない。(もん)()(ふう)(だけ)に、(いつ)(しゆ)(けい)(けん)なやうな(こゝろ)(もち)になつて、(ふだ)()つて(しきゐ)(また)いだ。

 (くろ)(もん)(おほ)きい(とびら)はいつも(とざ)されてゐて、(ひだり)(がは)(ちひ)さい(くゞり)(もん)のやうな(ところ)()()るのである。

 ()(むら)(もん)(ない)()()つてあたりを()(まは)した。

 「(ふだ)をお()しなさい」と()(こゑ)がした。

 ()(むら)(くび)()げて()ると、(もん)(ばん)のゐるやうな()()(たか)()つた(ゆか)(うへ)に、(やう)(ふく)()たお(やく)(にん)(こし)()けてゐる。()()()れた()(つよ)(くわう)(せん)()びて()()(むら)()には、()()(うち)()(くら)()えて、お(やく)(にん)(かほ)()からない。(たゞ)なんとなく(ひげ)()(さん)()()びた、きたならしい(かほ)をしてゐさうに(かん)ぜられた。

 「はあ」と()つて、()(むら)()(とゞ)(ところ)(つくゑ)のやうな(もの)のあるのを()て、()つてゐた(あか)(かみ)(ふだ)をその(うへ)()いた。

 「そこへお()れなさい」と()つて、(なに)やら(なが)竿(さを)のやうな(もの)で、お(やく)(にん)()(むら)(つくゑ)だと(おも)つてゐた(いた)(うへ)()いた。お(やく)(にん)(こゑ)(はら)()たしげであつた。

 その(とき)()(むら)(ふた)つの(はつ)(けん)をした。(ひと)つはお(やく)(にん)()()べた竿(さを)()きに、(れい)(しよく)(ぶつ)(まへ)()ててある(でん)(がく)(どう)()のやうな(もの)()(もの)()いてゐると()ふことである。(いま)(ひと)つは()(ぶん)(ふだ)()いた(つくゑ)のやうな(もの)(ちゆう)(あう)に、(よこ)(ちやう)(けい)(さん)(ずん)ばかりの(あな)()けてあると()ふことである。

 お(やく)(にん)()つてゐる(もの)(はへ)(うち)であつた。()(むら)(はへ)()(ちが)へられて()たれなかつたのは(かう)(ふく)である。()(ろん)(はへ)(うち)(はへ)()つばかりの(もの)ではない。(もの)には(りう)(よう)()ふことがある。(この)()(あひ)()いては、お(やく)(にん)(ゆか)から()りて()つてゐて、()()して(ふだ)なんぞを()()るとすると、(あし)()草臥(くたび)れる。()(また)「その(あな)へお()れなさい」と()ふとすると、「そこへ」と()ふより()(おん)ばかり()(けい)(もの)()はなくてはならない。どちらにしても(はへ)(うち)(こう)たるや()なりと()ふべしである。

 ()(むら)(ふだ)()いた(つくゑ)のやうな(もの)(ふだ)()れる(はこ)であつた。(べつ)(かは)つた(こう)(ざう)ではない。(だれ)にも()(じみ)のある、(でん)(しや)(しや)(しやう)のゐる(そば)()()けてある(はこ)(たい)()()い。(たゞ)(でん)(しや)(ふだ)()れる(はこ)(あな)()けてある(めん)(くら)べると、(ひやく)(ばい)(ひろ)い、(すゐ)(へい)()()()つてある()(いた)に、(でん)(しや)(ふだ)()れる(はこ)(あな)より(おほ)きくない(あな)()けてあるに()ぎない。(いた)(ひろ)(わり)(ちひ)さい(あな)を、()(むら)()(びん)にして()()けなかつたのである。

 (はへ)(うち)(した)(まぬか)れた()(むら)は、(れい)(あな)()()かなかつた()(ちゆう)()()ぢて、(かうべ)()して(ゑん)(ない)(すゝ)んだ。

 (しろ)(かわ)いた(さか)(みち)(つち)(うへ)に、()がかつと()つてゐる。(その)(そと)(まう)(がく)(かう)(まへ)から()りた(だけ)(その)(うち)(もと)(きう)(りよう)(のぼ)つて()くのである。(ひだり)には(たか)()(しげ)つてゐて、(みぎ)には(たゝみ)(じふ)(まい)(だけ)(ぐらゐ)(はひ)(びやく)(しん)(ひろ)がつてゐる。

 (ひだり)躑躅(つゝじ)()ゑてある(ところ)(とほ)()ぎると、(へい)()になる。()()れの(わる)(しば)()(ところ)(/″\)に、(あふひ)やなんぞが()いてゐる。(せう)(がく)(せい)()らしい()(ども)()(ころ)んだり、()(まは)つたりしてゐる。()(じゆつ)(がく)(かう)(せい)()かと(おも)はれるやうな(せい)(ねん)(しや)(せい)をしてゐる。

 (かう)()(まき)皐月(さつき)躑躅(つゝじ)には(れい)(でん)(がく)(ふだ)()ててあつたのに、(この)(へん)(くさ)(ばな)にはそれが()ててない。()(むら)(すこ)(しつ)(ばう)した。

 (じつ)()ばかりも(すゝ)んだ(とき)(ひだり)(がは)(ふだ)()てた(なへ)(どこ)(なら)んでゐるのを()()けた。()(きやう)や、(はま)(ぎく)や、射干(ひあふぎ)(まつ)(よひ)(ぐさ)()いてゐる。(しか)(はな)()いてゐて(ふだ)()てて()いのもある。(ふだ)()ててあつて、(くさ)()えてしまつたのもある。()(くさ)()(ぶん)(ふだ)()ててある(ところ)から(となり)(しん)(にふ)してゐるのもある。(もん)にゐるお(やく)(にん)(おな)じやうに、(くわ)(だん)()()つてゐるお(やく)(にん)(せつ)(りよく)(げん)(そく)(けん)(きう)してゐるものと()える。(くさ)(かり)(をんな)()える(をんな)(しよ)(/\)をうろついてゐるが、それに(さし)()をしてゐるやうな(ひと)(ひと)()()えない。(しばら)(なへ)(どこ)(あひだ)(まは)つて()ても、(いま)(ごろ)()(ちゆう)()つてゐる西(せい)(やう)(さう)(くわ)(ほとん)(いつ)(しゆ)()(あた)らない。()(むら)はいよいよ(しつ)(ばう)した。

 「(この)(した)にも(ゑん)あり」と()(ふだ)()ててある(ところ)()(ろつ)()()()んで、()(だち)(なか)から()(おろ)すと、(ざつ)(さう)(なか)(おほ)はれた(ぬま)()えた。

 ()(むら)(あと)()(かへ)して四阿(あづまや)(なか)()()つた。()(つくゑ)(こし)(かけ)とがある。(たけ)(かは)やマツチの(あき)(ばこ)()らばつてゐる。(つくゑ)(うへ)にノオトと(さん)(かう)(しよ)とを(ひら)いて、(ねつ)(しん)()んでゐる(しよ)(せい)がゐる。その(そば)では()(もり)()(ども)(あそ)ばせてゐる。

 ()(むら)(しばら)(しよ)(せい)(むか)ひに(こし)()けて、ぼんやりしてゐた。あたりはひつそりとして、(たか)()にも(ひく)(くさ)にも、(くだ)いた硝子(がらす)のやうな(くわう)(せん)(はん)(しや)がある。

 西(せい)(やう)(くさ)(ばな)()()()()(むら)は、(すこ)しもその(もく)(てき)(たつ)しなかつたが、それでも()(へい)(かん)じは(おこ)してゐなかつた。()(ども)()(かげ)()(ころ)ぶにも、()(けい)()をする(せい)(ねん)(しや)(せい)をするにも、(しよ)(せい)四阿(あづまや)(べん)(きやう)するにも、(あま)(きゆう)(くつ)にしてない(はう)()いと(おも)つたからである。

 ()(むら)(ちか)(ごろ)(きよく)(たん)(らく)(てん)(てき)になつて()たやうである。

底本:「鴎外全集」第十巻、岩波書店
   昭和47年8月22日発行