田樂豆腐
森鴎外
「あなた植物園へ入らつしやつて」と、臺所から細君が聲を掛けた。
「さうさなあ、往かうかと思つてゐるのだが」と、木村は新聞の間に疊み込んである附録を引き出して擴げながら云つた。
「入らつしやるのなら、涼しい内に入らつしやいよ。今何をして入らつしやるの。」此話聲に交つて、洗つた皿を籠の中に伏せる音がする。
「今かい。蛙を呑んでゐる最中だ。」
臺所で細君が短い笑聲を洩らした。そして「けふも何かあつて」と、餘り熱心らしくもなく云つた。
蛙を呑むと云ふのはエミイル・ゾラの詞で、木村の説明を聞いてゐる細君にはその意味が分かる。ゾラはかう云つた。作者になつてゐると、毎朝新聞で惡口を言はれなくては濟まない。それをぐつと呑み込むのだ。生きた蛙を丸呑にする積りで呑み込むのだと云つた。木村も毎日新聞で惡口を言はれてゐる。一時多く翻譯をしたので、翻譯家と云ふ肩書を附けられた。その反面には創作の出來ない人と云ふ意味が、隱すやうに顯すやうに、ちら附かせてあつたり、又は露骨に言つてあつたりした。それから創作を大分出すやうになつてからは、自己を告白しない、寧ろ告白すべき自己を有してゐないと云ふので、遊びの文藝だとせられた。中には細部に亙つた評もある。哲學宗教の對話を書くと、エクサイトメントのない作だと云はれる。寫實的に犯罪を書くと、探偵小説だと云はれる。要するにどれも價値がないと云ふのである。只翻譯丈は好いとして助けてあつた。ところがつひ此間勇猛な批評家が出て、木村の翻譯は誤譯だらけだと喝破した。そいつが大受であつた。木村を辯護する人でも、誤譯でないまでも拙譯だと云つた。これでいよいよ木村の書くものには何一つ價値のあるものは無いと云ふことになつた。そこで今は木村に新しい肩書が出來てゐる。それは「誤譯者」と云ふのである。此夏からの新聞にはいろんな名前の批評家が入り替り立ち替り、誤譯者木村を冷かしてゐる。翻譯とはなんの關係もない事を書く時でも、「誤譯問題は別として」とか、「語學の力の有無は知らぬが」とか、一一ことわつてある。
「けふも何かあつて」と細君に問はれて、こん度は木村が短い笑聲を洩らした。「大ありだよ。文藝協會では上手の脚本を上手の役者がする。土曜劇場では下手の脚本を下手の役者がする。只役者が下手丈に、けれんのないのが取柄だと云つてあるよ。」
細君は水道の水をしやあと云はせながら、「旨い事を言つたものだわね」と云つた。細君は木村が高慢な事ばかし言ふのを憎んで、いつも笑談交りに蛙に贊成してゐるのである。
實際木村の高慢は、笑談が交つてゐるにしても、隨分劇しい。例の誤譯退治の時、細君が「あなた本當に間違つてゐるのでないなら、なんとか云つてお遣なさいな」と云ふと、木村は、「ところがなんとも云はないね」と云つた。「では間違つてゐたの」と云ふと、「間違なもんか、間違へたつて、蛙の見附けるやうな間違はしない」と云ふ。こん度の蛙は餘り毒々しいので、最初は細君も贊成し兼ねてゐたのだが、木村の空嘯いた顏が憎らしいところから、とうとう此蛙にも贊成しさうになつた。「原本は大そうえらい人の作で、聖書のやうな本ですつてね。あなたの事だから、それを骨を折らずに譯したのだけ惡いわ。」細君のかう云ふ顏を、木村は冷かすやうに見てゐて、しまひに平氣でかう云つた。「うん人間はえらいと云つても知れたものだよ。原本を書いたのも、まあ己のやうな奴の少しえらいのさ。間違の無い本と云ふものは、世界中に一つも無い。聖書のやうだと云ふあの本でも、フアランクスと云ふギリシア語の性と云ふものが間違つてゐたのを、跡から見附けた話がある。何もびくびくすることはないさ。」こんな調子だから、細君が憎がるのも無理はない。
細君は臺所で暫く默つてゐた。バケツの弦がかちやんと云つた。
「おい。己の麥藁帽子があつたつけなあ。」新聞を見てしまつた木村がかう云つた。
細君は前掛で手を拭きながら出て來た。「駄目ですわ。去年あなたが取つて置けと仰やるから、取つてはありますの、だけれどなんぼなんでも、もう被れないわ。」
「なぜ。」さも意外らしく細君を見た。
「だつて、あれはいつお買なすつたの。わたしがおよめに來た時もうあつたのだから、三年以上にはなつてゐるわ。去年だつて、餘所の人は皆あの鉢卷の狹いのを被つてゐるのに、あなた丈鉢卷の幅の馬鹿に廣いのを被つてゐて可笑しかつたわ。今年また鉢卷の廣いのが流行つて來た代りには、こん度は鍔が狹くなつてゐるでせう。それにあなたが一人鍔の廣いのを被つてゐては可笑しいわ。」
「そこだて。鉢卷は丁度一巡して元に戻つたのだ。來年は鍔も廣くなるに違ない。第一あんな皿をのつけたやうな帽子では日も何も除けられはしない。面の細い奴が被ると、椎の實を倒にしたやうで、面の大きい奴が被ると、橡栗を倒にしたやうだ。己は斷じてあんな皿を頭にはのつけないのだ。」
「好いわ。そんならパナマをお買なさいまし。」
「パナマは十五圓いたします。」
「だつてあなたきのふ入らつしやつたお役所のお友達ね、あの方のなんぞも十五圓したのでせうか。」
「大違だ。あれはあんなに立派でも、靜岡パナマと云ふのだ。六圓か七圓位したのだらうよ。」
「そんならあれになさいな。こなひだ來た原稿料の殘りがまだ十圓あつたでせう。あれを貯金に入れようかと思つたが、よしますわ。」
「待て待て。そんなに山内一豐の夫人がらなくても好いよ。きのふ小川が疊の上に置いた帽子を拾ひ上げて、柱の釘に掛ける時、ひどく大切に扱つてゐると思つたよ。あれが好いのかい。ところで己は御免だ。」
「だつて古い麥藁帽子より好いわ。」
「好くないなあ。麥稈は麥稈だから好い。パナマでない物がパナマと見えるのは困る。批評家共は誤譯者の看板には、まがひの帽子が好いと云ふかも知れないが。」
「さうね。それはわたしだつてまがひの鼈甲は厭ですわ。」
木村は起つて、手帳と鉛筆とを袂に入れながら云つた。「それ見ろ。ちよつと出せるなら出してくれ。」
細君は床の間に積み上げてある本の崩れたのを直してゐて、たやすく起たうとはしない。「だつて餘り變だわ。」
「好いから出せよ。そこいらで買ひ替へるまで被つてゐたつて好いぢやないか。」
「さうなさいね。そんなら出して上げてよ。」細君はぢき傍の押入れから新聞に包んだ古帽子を出してわたした。
木村はそれを被りながら、「夏帽子はどうしても鍔が此位なくては嘘だ」と、依怙地に保守説を唱へて、千駄木の家を出た。
木村は僅か百坪ばかりの庭に草花を造つてゐる。造ると云つても、世間の園藝家のやうに、大きい花や變つた花を咲かせようとしてゐるのではない。なる丈種類の多い草花が交つて、自然らしく咲くやうにと心掛けて、寒い時から氣を附けて、間々の雜草を拔いて、宿根のあるものが芽を出したり、去年の飜れ種が生えたりする度に、それをあちこちに植ゑ替へるに過ぎない。動坂にゐる長原と云ふ友達の持つて來てくれた月草までが植ゑてある。俗にいふ露草である。木村の知つてゐる限りでは、こんな風に自然らしく草花を造つてゐるものは、麹町にゐる友達の黒田しか無い。黒田はそこで寫生をするのである。併し黒田は別に温室なんぞも拵へてゐて、抗抵力の弱い花をも育てる。木村は打ち遣つて置いても咲く花しか造らない。
木村は初め雜草ばかり拔く積りでゐた。併し草花の中にも生存競爭があつて、優勝者は必ずしも優美ではない。暴力のある、野蠻な奴があたりを侵略してしまふやうになり易い。今年なんぞは月見ぐさが庭一面に蔓りさうになつたので、隅の方に二三本殘して置いて、跡は皆平げてしまつた。二三年前には葉鷄頭が澤山出來たのを、餘り憎くもない草だと思つて其儘にして置くと、それ切り絶えてしまつた。
中には弱さうに見えないのに弱くて、年々どの草かに壓倒せられて、絶えさうで絶えずに、いつも片蔭に小さくなつて咲いてゐるのがある。木村の好きな雁皮の樺色の花なんぞがそれで、近所の雜草を拔かうとして手が觸れると、切角莟を持つてゐる莖が節の所から脆く折れてしまふ。
毎年草花の市が立つと、木村は温室に入れずに育てられるやうな草を選んで、買つて來て植ゑてゐた。そのうち市では、一年増に西洋種の花が多くなつて、今年は殆皆西洋種になつてしまつた。毬のやうな花の咲く天竺牡丹を買はうと思つても、荏瓣の長い、平たい花の咲くダアリアしか無い。石竹を買はうと思つて見れば、カアネエシヨンが並べてある。花隱元を誂へて置いて取りに往くと、スヰイト・ピイをくれる。とうとう木村の庭でも、黄いろいダアリアを始として、いろんな西洋花が咲くやうになつた。
木村は印東の西洋草花なんぞを買つて來て調べてゐたが、中には種性の知れないものが出來て來た。そこで植物園に往つて、例の田樂豆腐のやうな札に書いてある名を見て來ようと思ひ立つたのである。
槇町を通る時、木村は細君に約束した詞を重んじて、帽子店に寄つた。麥藁帽子は山の如くにあるが、どれを見ても皿のやうなものである。もつと鍔の廣いのは無いかと云ふと、小僧が「そんなのはありません」と云つて笑つてゐる。
「困るなあ」と木村が云つた。
「なんならパナマをお召になつてはいかがです。」小僧は相變らず笑ひながら云つた。
木村も笑つた。これは細君との對話と同じやうに進捗して行くところが可笑しいと思つたのである。そのうち店の横手の腰掛の上に、鍔の廣い麥藁帽子が一山積んであるのに、木村は目を着けた。「ここに好いのがあるぢやないか。」
「それですか。それは檀那方のお被りなさるのではありません。」小僧の笑は一種同輩に對するやうな、馴々しい笑になつた。自分が椰愉はれてゐると思つたのかも知れない。
「どんな人の被るのだ」と、木村は眞面目に問うた。
「勞動者の被るのです。」頗る要領を得た答である。
「かう見えて己も勞動してゐるのだ。それを一つくれ。」木村は蝦蟇口を出した。
小僧はちよいと躊躇したが、笑談でもなんでも錢を拂へば好いと思つたと見えて、すなほに帽子を取つてくれた。紺と白とを綯交にした、細い麻絲で鉢卷がしてある。品の好い帽子である。小僧に言はれてから氣が附いて見れば、なる程荷車を推したり挽いたりする男がこんなのを被つてゐた。日を除ける爲めに夏帽子を被ると云ふことを、まだ忘れない人達が被つてゐたのだ。手に取つて見ると、パナマのやうに疊むことは出來ないが、なかなか柔かで、被つて見ると、被り心地が好い。木村は好い物が手に入つたと思つて喜んだ。
小僧は木村の脱ぎ棄てた古帽子を取り上げて、「これはお屆申しませうか」と云ひながら、傍にある新聞反故を引き寄せさうにした。
「それはもういらないのだから、どうぞ棄てておくれ」と、木村が云つた。
小僧は「へえ」と云つた。木村の口から始て合理性的な詞が、出たと思つたことだらう。
木村は白山の坂を降りて右へ曲つた。盲學校のある丘陵を一つ踰えれば植物園の歴史的の黒い門のある町に出る。
木村は書生時代に植物園に這入つたことがあるばかりで、その後はいつも門の前を素通りにしてゐた。中はどんな所であつたか、もう覺えてもゐない。門が古風な丈に、一種敬虔なやうな心持になつて、札を買つて閾を跨いだ。
黒い門の大きい扉はいつも鎖されてゐて、左側の小さい潛門のやうな所を這入るのである。
木村は門内に這入つてあたりを見廻した。
「札をお出しなさい」と云ふ聲がした。
木村が首を擧げて見ると、門番のゐるやうな部屋の高く張つた床の上に、洋服を着たお役人が腰を掛けてゐる。梅雨の晴れた日の強い光線を浴びて來た木村の目には、部屋の内が眞つ暗に見えて、お役人の顏は分からない。只なんとなく鬚の二三分伸びた、きたならしい顏をしてゐさうに感ぜられた。
「はあ」と云つて、木村は手の屆く所に卓のやうな物のあるのを見て、持つてゐた赤い紙札をその上に置いた。
「そこへお入れなさい」と云つて、何やら長い竿のやうな物で、お役人は木村が卓だと思つてゐた板の上を衝いた。お役人の聲は腹立たしげであつた。
その時木村は二つの發見をした。一つはお役人の差し伸べた竿の先きに、例の植物の前に立ててある田樂豆腐のやうな物に似た物が附いてゐると云ふことである。今一つは自分が札を置いた卓のやうな物の中央に、横に長徑三寸ばかりの穴が開けてあると云ふことである。
お役人の持つてゐる物は蠅打であつた。木村が蠅と間違へられて打たれなかつたのは幸福である。無論蠅打は蠅を打つばかりの物ではない。物には流用と云ふことがある。此場合に於いては、お役人が床から下りて立つてゐて、手を出して札なんぞを受け取るとすると、足も手も草臥れる。若し又「その穴へお入れなさい」と云ふとすると、「そこへ」と云ふより二音ばかり餘計に物を言はなくてはならない。どちらにしても蠅打の功たるや偉なりと謂ふべしである。
木村の札を置いた卓のやうな物は札を入れる箱であつた。別に變つた構造ではない。誰にも馴染のある、電車の車掌のゐる傍に引つ掛けてある箱と大差は無い。只電車の札を入れる箱の穴の開けてある面に比べると、百倍も廣い、水平の位置に張つてある木の板に、電車の札を入れる箱の穴より大きくない穴が開けてあるに過ぎない。板の廣い割に小さい穴を、木村は不敏にして見附けなかつたのである。
蠅打の下を免れた木村は、例の穴に氣の附かなかつた不注意を恥ぢて、首を俛して園内に進んだ。
白く乾いた坂道の土の上に、日がかつと照つてゐる。園の外を盲學校の前から降りた丈、園の内で元の丘陵へ登つて行くのである。左には高い木が茂つてゐて、右には疊の十枚丈位這栢槇が擴がつてゐる。
左に躑躅の植ゑてある所を通り過ぎると、平地になる。手入れの惡い芝生の所々に、葵やなんぞが咲いてゐる。小學生徒らしい子供が寢轉んだり、驅け廻つたりしてゐる。美術學校の生徒かと思はれるやうな青年が寫生をしてゐる。
高野槇や皐月躑躅には例の田樂札が立ててあつたのに、此邊の草花にはそれが立ててない。木村は少し失望した。
十歩ばかりも進んだ時、左側に札を立てた苗床の並んでゐるのを見附けた。桔梗や、濱菊や、射干や待宵草が咲いてゐる。併し花が咲いてゐて札が立てて無いのもある。札が立ててあつて、草の絶えてしまつたのもある。或る草が自分の札の立ててある所から隣へ侵入してゐるのもある。門にゐるお役人と同じやうに、花壇を受け持つてゐるお役人も節力の原則を研究してゐるものと見える。草刈女と見える女が所々をうろついてゐるが、それに指圖をしてゐるやうな人は一人も見えない。暫く苗床の間を廻つて見ても、今頃市中で賣つてゐる西洋草花は殆ど一種も見當らない。木村はいよいよ失望した。
「此下にも園あり」と云ふ札の立ててある所に五六歩踏み込んで、木立の中から見卸すと、雜艸に半ば掩はれた沼が見えた。
木村は跡へ引き返して四阿の中に這入つた。木の卓と腰掛とがある。竹の皮やマツチの明箱が散らばつてゐる。卓の上にノオトと參考書とを開いて、熱心に讀んでゐる書生がゐる。その傍では子守が子供を遊ばせてゐる。
木村は暫く書生の向ひに腰を掛けて、ぼんやりしてゐた。あたりはひつそりとして、高い木にも低い艸にも、碎いた硝子のやうな光線の反射がある。
西洋草花の名を見に來た木村は、少しもその目的を達しなかつたが、それでも不平の感じは起してゐなかつた。子供が木蔭に寢轉ぶにも、畫の稽古をする青年が寫生をするにも、書生が四阿で勉強するにも、餘り窮屈にしてない方が好いと思つたからである。
木村は近頃極端に樂天的になつて來たやうである。
底本:「鴎外全集」第十巻、岩波書店
昭和47年8月22日発行