小嶋寶素

森鴎外

     その一

 (わが)(くに)(かう)(しよう)()()(じま)(はう)()()ふものがあつた。(ひと)(その)()()つてゐるのは、(けい)(せき)(はう)()()の一(しよ)がある(ゆゑ)である。(しよ)(ちゆう)には(おほ)(はう)()(だう)(ざう)(ちよ)()(ほん)()せ、(その)(かい)()(ぎよ)(そん)(じよ)(しぶ)()(ちう)(さい)(もり)()(ゑん)()(じよ)()()(さい)(てい)(ばつ)()(ゑん)(しよ)()(とう)にも(また)(ざう)(ちよ)()(かう)(しう)()として(はう)()()いてゐる。

 (しか)るに(はう)()(なに)(ひと)たるか、(また)(おな)(じよ)(ばつ)()えてゐる()(じま)(はう)(ちゆう)(はう)()()ける、(その)(しん)(ぞく)(くわん)(けい)()()なるかは、これを(つまびらか)にするものが(すくな)い。

 (せき)(ねん)(くが)(かつ)(なん)(まい)(ぼつ)せる(じゆ)(しや)の一(にん)として(ちう)(さい)(でん)した(とき)(けい)(せき)(はう)()()(じよ)(ばつ)()つて(かう)(しよう)()(けい)(とう)()し、(ぎよ)(そん)(したが)つて(よし)()(くわう)(とん)()()(しよ)()(かぞ)へ、(あやま)つて(はう)()()ふるに(せい)(さい)()(じま)(ちか)(たり)(もつ)てした。(これ)(せい)(さい)(はう)()との(あひだ)(けん)(くわい)()(おほい)なるものがあつた(ゆゑ)である。

 わたくしは二(ねん)(ぜん)より(はう)()()(せき)(はう)(じん)して、(いま)(ほゞ)これを(つく)すことを()た。(その)(たん)(すで)(しぶ)()(ちう)(さい)()(さは)(らん)(けん)(でん)(うち)()えてゐる。しかし()ふべくして(いま)()はざる(ところ)のものも(また)(すくな)くない。

 (はじ)めわたくしは(はう)()()(せい)(しやう)(じよ)して(げん)(そん)(えい)(そん)(いた)ること、(らん)(けん)()けるが(ごと)く、(また)(ちう)(さい)()けるが(ごと)きを(ほつ)した。(いま)わたくしはその()()なるを()つてゐる。(どく)(しや)(けん)()(じやう)はわたくしをして(こと)()へしめざるべきが(ゆゑ)である。

 ()むことなくば(きよく)(りよく)(その)(ことば)(つゞまやか)にして(ひと)(いま)()まざるに(きよく)(むす)ばしめようか。しかし(がく)(しや)(でん)()(わう)(こう)(しやう)(しやう)(たゞち)(くに)(こう)(ばう)(かゝ)るものとは(べつ)である。(また)()(けつ)()(いう)(けふ)()()(せき)(こゝろ)(おどろか)(はく)(うごか)すとは(べつ)である。(がく)(しや)(もの)たる、(たと)(その)(しやう)(がい)(とく)(さう)(きう)(たつ)(せう)()(らん)があつても、(こまか)(にち)(じやう)(せい)(くわつ)(じよ)するにあらざるよりは、(その)(おもむき)(りやう)(りやく)することが()()ぬであらう。(この)(ゆゑ)(じよ)()(かん)(けつ)(つと)めたなら、(いよ/\)(もん)()をして(さく)(ぜん)()()ならしむるであらう。(なが)きはその(なが)きがために()ましめ、(みじか)きはその(みじか)きがために(おもむき)なからしめる。ハリブヂスを()けむとすればスキルラに(おち)いる。わたくしに(ふね)(この)(あひだ)()つて(でき)(ぼつ)(まぬか)れることが()()ようか。

 わたくしは(あへ)(はう)()(でん)して(すみ)(をし)むこと(きん)(ごと)くにする。(ひと)(しやく)(らふ)(ぶん)(わら)はれても()い。わたくしの()(せい)となるは(ぜん)(けん)のためである。

 ()(じま)(はう)()()(けい)(せい)()(げん)()より()でてゐる。六(そん)(のう)(つね)(もと)()(ちん)(じゆ)()(しやう)(ぐん)滿(みつ)(まさ)滿(みつ)(まさ)(せい)(そん)(かは)(べの)(くわん)(じや)(しげ)(なほ)(しげ)(なほ)(だい)()(らう)(しげ)(ひら)(はじめ)()(じま)(うぢ)(しよう)した。(しげ)(ひら)()(らう)(しげ)(とし)(しげ)(とし)()(らう)(しげ)(みち)(しげ)(みち)(すう)(せい)(のち)(ゑん)(さい)()ふものがあつて、(きやう)()()んで()(げふ)としたのだと()ふ。

 (ゑん)(さい)()(はう)(めう)(こう)(ぐわん)(まん)(のう)(ぐわん)(せう)()(やまひ)()すると()ふを(もつ)()()られた。(この)(ひと)(つう)(しよう)(もつ)(おこな)はれて、(その)(いみな)(つまびらか)にしない。

 (ゑん)(さい)(きやう)()(まち)()()より()()てて、(とく)(がは)(より)(のぶ)(つか)へ、(つい)(いん)退(たい)して()()(へん)(いふ)()んだ。(くわん)(えい)(ねん)(うま)れの一()(すけ)(まさ)(たう)()()ぐる(ところ)であつたことは、(くわん)(ぶん)(ねん)(たて)(ばやし)(ぶん)(げん)(ちやう)()つて(しよう)せられる。(たま/\)(わか)(さの)(くに)()(ばま)(じやう)(しゆ)(さか)()(さぬ)(きの)(かみ)(たゞ)(かつ)(えう)()()()(てい)にあつて()み、(たゞ)(かつ)(ゑん)(さい)()()(せう)(せい)し、(えう)()(とく)(しつ)(きう)()することを()た。(しやう)(ぐん)(いへ)(みつ)がこれを()いて(せう)(けん)し、(おく)()()(めい)じた。(こと)(しやう)(はう)(すゑ)(もし)くは(けい)(あん)()(げん)(はじめ)にあつたらしい。(けい)(あん)(ぐわん)(ねん)(ぐわつ)()()()(ゑん)(さい)(しば/\)(もの)(たま)はつたことが、(ひと)()()、二(でん)(ろく)(とう)()えてゐるさうである。わたくしは(いま)一々(げん)(ぶん)(けん)することは()()ぬが、(とく)(がは)(じつ)()(ごと)きも(よし)()(さく)(あん)(そう)()()(とも)(ゑん)(さい)()()せてゐる。(ゑん)(さい)(たう)()祿(ろく)(きり)(まい)百五十(へう)()()(かた)三十(にん)()()であつた。

     その二

 ()(じま)(ゑん)(さい)(めい)(れき)(ねん)十二(ぐわつ)()歿(ぼつ)した。(ねん)(れい)()(しやう)である。(はう)()(せい)()で、(はじめ)(しば)()(てい)(りん)()(ちゆう)()(じま)(うぢ)(えい)(ゐき)(はうむ)られたさうである。(はふ)()(せつ)(ぽう)(ゐん)(じつ)()(げん)(しん)()つた。(てい)(りん)()(げん)に一の(はし)(でん)(しや)(てい)(りう)(じよ)(ほく)(はう)(せう)(きう)(りよう)(うへ)にある。(せつ)(ぽう)(ゐん)()(せき)は、わたくしの(たん)(たう)した(ところ)によれば、(また)(そん)せざるものの(ごと)くである。

 (ゑん)(さい)(つま)(なに)(うぢ)なるを()らない。()(ぢよ)(おの/\)(にん)があつた。()(すけ)(まさ)(くわん)(えい)(ねん)(うまれ)であつたから、三十二(さい)にして(ちゝ)(うしな)つたのである。(ぢよ)()(じま)(てい)(あん)()ふものに()いた。(その)(せい)歿(ぼつ)(ねん)(つまびらか)にしない。

 (ゑん)(さい)歿(ぼつ)した(つぎ)(とし)(めい)(れき)(ねん)(ぐわつ)()(すけ)(まさ)()(とく)(さう)(ぞく)をした。(とき)(とし)三十三。(これ)が二(せい)(ゑん)(さい)である。わたくしは(しき)(べつ)(やす)きがために、(なほ)(すけ)(まさ)()(もち)ゐる。

 (すけ)(まさ)(くわん)(ぶん)(ねん)四十三(さい)にして()(しゆん)(あん)()げた。(はゝ)(しも)(ふさの)(くに)()(くら)(じやう)(しゆ)(まつ)(だひら)(いづ)(みの)(かみ)(のり)(ひさ)(しん)(すぎ)()()(らう)右衞()(もん)(しげ)(かた)(ぢよ)である。一(せつ)(しゆん)(あん)(はや)(くわん)(ぶん)(ねん)(うま)れたと()つてある。(はう)()(ばく)()(てい)した(せん)()(がき)には(りやう)(せつ)(へい)(そん)してある。

 (えん)(ぱう)(ねん)(ぐわつ)()(すけ)(まさ)(おく)()()にせられた。(とき)(とし)五十五であつた。(あらた)(しよく)()いだ(しやう)(ぐん)(つな)(よし)()(もち)ゐたのである。(つい)で八(ぐわつ)十八(にち)(はふ)(げん)(じよ)せられた。(また)十一(ぐわつ)二十五(にち)(おく)()()(もつ)(とく)(まつ)(づき)にせられた。

 (てん)()(ねん)(ぐわつ)二十八(にち)(とく)(まつ)(さう)(せい)し、(すけ)(まさ)(わか)(どし)(より)()(はい)(より)(あひ)(うつ)された。(とき)(とし)五十八。(のち)(ぢやう)(きやう)(ねん)(ぐわつ)十八(にち)に六十(さい)にして(おもて)(ばん)()()(ふく)せられ、四(ねん)十二(ぐわつ)十五(にち)に六十二(さい)にして(おく)()()(ふく)せられた。

 (すけ)(まさ)(げん)祿(ろく)(ねん)(ぐわつ)()に六十六(さい)にして歿(ぼつ)した。(はふ)()(いう)(せん)(ゐん)(げん)()(くわう)(がく)(だう)(ゑん)()ふ。(はじ)(いう)(しやう)(ゐん)()つたのが(きやう)(はう)(ぐわん)(ねん)(せん)()(あらた)められた。(すけ)(まさ)(また)(てい)(りん)()(はうむ)られたが、(いま)()(せき)(そん)ずるものが()い。(これ)(はう)()(せい)()である。

 (すけ)(まさ)(さい)(すぎ)()(うぢ)(をつと)(さきだ)つて歿(ぼつ)した。(こう)(さい)(なに)(うぢ)であつたかを()らない。()(ぢよ)(おの/\)(にん)があつた。()(かみ)()えた(しゆん)(あん)で、(すけ)(まさ)歿(ぼつ)した(とき)、二十四(さい)になつてゐた。(ぢよ)(つち)()()(との)(かみ)(まさ)(なほ)()(らい)(やす)(なみ)()右衞()(もん)()いた。

 (すけ)(まさ)歿(ぼつ)した(とし)(ぐわつ)十一(にち)に一()(しゆん)(あん)()(とく)(さう)(ぞく)をした。()(ぶん)(ひこ)(さか)()(きの)(かみ)(くみ)()()(しん)である。(この)()(とく)()は一(せつ)(どう)(ねん)十二(ぐわつ)()としてある。(はう)()(りやう)(せつ)(へい)(きよ)してゐる。(これ)が三(せい)(ゑん)(さい)である。

 (げん)祿(ろく)(ねん)十一(ぐわつ)二十三(にち)(しゆん)(あん)(おく)()()にせられた。(とし)二十五である。

 (げん)祿(ろく)十六(ねん)(しゆん)(あん)は三十六(さい)にして(ちやく)(なん)(とよ)(よし)()げた。(はゝ)(しよ)(ゐん)(ばん)(をか)()(びつ)(ちゆうの)(かみ)()(りき)()殿(どの)(じん)(びやう)()(しげ)(のり)(ぢよ)である。一(せつ)(したが)へば(とよ)(よし)(せい)(ねん)(はう)(えい)(ねん)となる。(はう)()は二(せつ)(へい)(そん)してゐる。

 (はう)(えい)(ねん)(しやう)(ぐわつ)()(しやう)(ぐん)(つな)(よし)(こう)じ、(しゆん)(あん)は二(ぐわつ)二十一(にち)(わか)(どし)(より)()(はい)(より)(あひ)(めい)ぜられた。四十二(さい)(とき)である。

 (きやう)(はう)(ぐわん)(ねん)(しゆん)(あん)は四十九(さい)にして(だい)()(はる)(あき)()げた。(これ)より(さき)(だい)()(きよ)(はる)(うま)れたが、(その)(とし)(つまびらか)にしない。(きよ)(はる)(のち)()でて(さか)(うぢ)(おか)した。(はう)()(せん)()(がき)に「坂春見清春」と(しよ)してある。(しゆん)(けん)(つう)(しよう)であらう。(はる)(あき)(せい)(ねん)は一(せつ)(したが)へば(きやう)(はう)(ねん)となる。(はう)()は二(せつ)(へい)(そん)してゐる。

 (きやう)(はう)(ねん)(ぐわつ)()(ちやく)(なん)(とよ)(よし)が二十一(さい)にして()()(ずみ)(もつ)(しやう)(ぐん)(よし)(むね)(えつ)(けん)した。

 (げん)(ぶん)(ねん)(とよ)(よし)()(くに)(ちか)(うま)れた。(はゝ)(やす)(なみ)()右衞()(もん)(やう)(ぢよ)である。(とよ)(よし)がためには()(まい)婿(せい)(やう)(ぢよ)である。

     その三

 (げん)(ぶん)(ねん)(しやう)(ぐわつ)十一(にち)()(じま)(しゆん)(あん)(のち)(せい)(ゑん)(さい)が七十一(さい)にして歿(ぼつ)した。一に七十五(さい)(つく)つてある。(はう)()(せん)()(がき)には二(せつ)(へい)(そん)してある。(はふ)()して(しん)(くわう)(ゐん)(とん)()(ほん)(くう)()(がい)()ふ。(てい)(りん)()(はうむ)られた。(しよ)(だい)(ゑん)(さい)より(この)(しゆん)(あん)(いた)る三(にん)()(せき)(いま)(てい)(りん)()(ちゆう)(そん)せざるものの(ごと)くである。(すくな)くもわたくしは(あまね)()()(そう)(じん)して()(いだ)すことを()なかつた。

 わたくしは(ほつ)(たん)より(こゝ)(いた)るまで、(ぶん)(かん)(さう)()()(きら)はずして、(しの)んで(せう)(ろく)稿(かう)(かさ)ねた。(これ)()(じつ)(まつた)(いん)(めつ)()せむことを(おそ)れたからである。わたくしは(はう)()(せん)()(がき)(もつ)(ゆゐ)一の()(れう)としてこれを()した。(せん)()(がき)(しゆん)(あん)()(ろく)した(しも)に、(ちゆう)()すべき(すう)()がある。「但元祖より是迄、敷度之類燒に而舊譜燒失仕、委細之儀難相分、且三代目圓齋譜書之内、寛政之度申上相漏候箇條、此度享保八年御目付え答書、並に醫官進退を以補正仕候。」(この)(せん)()(がき)(はう)()(こう)(くわ)(ねん)(ぐわつ)(ばく)()(てい)したものゝ(げん)(ぽん)で、わたくしは(はう)()(せい)(えい)(かう)一さんの()から()()(えつ)(どく)した。()(きう)(ばく)()(もん)(じよ)(ちゆう)(こう)(くわ)(かき)(あげ)()(ぞん)してをらぬ(かぎり)は、(この)(せん)()(がき)には(おそら)くは(ふく)(ほん)がなからう。わたくしの(せう)(しや)(はん)(いと)はなかつた所以(ゆゑん)である。

 (しゆん)(あん)(のち)(せい)(ゑん)(さい)(はう)()が五(せい)()である。

 (かみ)()いた(はう)()()に、「數度之類燒」と()つてある。わたくしは(こゝ)()(じま)(うぢ)()()(いづ)れの(まち)()んでゐたかと()(もん)(だい)(さしはさ)みたい。

 (この)(もん)(だい)(かい)(けつ)するには(たゞ)()()(かん)()るべきあるのみである。わたくしは()(ざう)()(かん)(るゐ)(つい)て一わたりの(けん)(さく)(こゝろ)みた。(げん)祿(ろく)(ぐわん)(ねん)()(ぜん)()()(かゞみ)(その)()()(かん)(るゐ)(ばく)()()(じま)(うぢ)()らざるものの(ごと)くである。わたくしは(はじめ)(げん)祿(ろく)(ねん)()(かん)に「總御醫師、七百石、小島圓齋」あるを()た。(これ)が二(せい)(ゑん)(さい)(すけ)(まさ)である。しかし(ぢゆう)(しよ)(ちゆう)せない。(げん)祿(ろく)(ねん)(いた)つて、「總御醫師、七百石、するがだい、小島圓齋」の(ぶん)()る。(これ)(しゆん)(あん)(せい)(ゑん)(さい)である。()(じま)(うぢ)(ぢゆう)(しよ)(もつと)(ふる)()(さい)駿(する)()(だい)である。

 わたくしは(たま/\)(げん)祿(ろく)(ねん)()(かん)(しゆ)(ざう)してゐる。(その)(せん)(しゆつ)のものには(ぜん)()(ごと)く「七百石、するがだい」と(ちゆう)し、(こう)(しゆつ)のものに(いた)つて「百五十表、かきがら丁」と(ちゆう)してある。()(じま)(うぢ)(げん)祿(ろく)(ねん)駿(する)()(だい)より(かき)(がら)(ちやう)(うつ)つたのではなからうか。(これ)より(げん)祿(ろく)十五(ねん)(いた)るまで、()(かん)()(ちゆう)には「かきがら丁」の(ぶん)()る。十六(ねん)には()(かん)(ゑん)(さい)()(いつ)してゐる。(はう)(えい)(ぐわん)(ねん)には(ゑん)(さい)()(うへ)に、(たん)に「本道」と(ちゆう)し、これを「近習御醫師」の(あひだ)(まじ)へてゐる。(ぢゆう)(しよ)()い。二(ねん)(いた)つて(はじめ)て「奧御醫師、百五十表三十人ふち、濱町」の()(ちゆう)()る。三(せい)(ゑん)(さい)(はう)(えい)(はじめ)(かき)(がら)(ちやう)より(はま)(ちやう)(うつ)つたものと()える。

 (はま)(ちやう)()(ちゆう)(これ)より(しも)(すう)(ねん)(あひだ)(はん)(ぷく)せられてゐる。(すで)にして(しやう)(とく)(ねん)(いた)つて、(はじめ)て「三十人ふち、ふか川、小嶋圓齋」の(ぶん)()る。三十(にん)()()(より)(あひ)(しりぞ)けられた(のち)(ほう)祿(ろく)であらう。(しやう)(ぐん)(つな)(よし)()のために(より)(あひ)(しりぞ)けられて、三(せい)(ゑん)(さい)(ふか)(がは)(うつ)()んだ。

 三(せい)(ゑん)(さい)(ふか)(がは)(ぢゆう)(きよ)(きやう)(はう)十三(ねん)(いた)るまで(つゐ)(じん)することが()()る。(きやう)(はう)十四(ねん)より(げん)(ぶん)(ねん)(いた)(あひだ)()(かん)(あるひ)(ゑん)(さい)()(いつ)し、(あるひ)(たま/\)これを()せてゐても、「三十人ふち」の祿(ろく)(ちゆう)して(ぢゆう)(しよ)(ちゆう)せない。

 ()(じやう)(けん)(たう)()たる(ところ)()れば、三(せい)(ゑん)(さい)(いへ)(はじ)駿(する)()(だい)にあつて、一(せん)して(かき)(がら)(ちやう)(さい)(せん)して(はま)(ちやう)、三(せん)して(ふか)(がは)となつた。(へん)(ちつ)(とき)()(きよ)()らず、(その)()(おそら)くは「類燒」のために(うつ)つたのであらう。

    その四

 (げん)(ぶん)(ねん)(しやう)(ぐわつ)十一(にち)()(じま)(しゆん)(あん)(せい)(ゑん)(さい)が七十一(さい)にして歿(ぼつ)したことは(すで)(しる)(ごと)くである。わたくしは(とく)(この)(ひと)(しよう)するに(しゆん)(あん)(もつ)てした。(これ)()(じま)(うぢ)にして(しゆん)(あん)(しよう)することは(この)(ひと)(はじ)まる(ゆゑ)である。わたくしは(いみな)(つた)はらざる三(せい)(ゑん)(さい)(かく)(ごと)くに()んで、(もつ)(しき)(べつ)便(べん)したのである。(あん)ずるに(しゆん)(あん)(しよう)()(とく)()(しばら)(しふ)(よう)せられたものであらう。()(かん)の一(ぽん)(ゑん)(さい)(しよ)せずして(しゆん)(あん)(しよ)してある。(しゆん)(あん)(えき)(さく)(いへ)(おそら)くは(ふか)(がは)であつただらう。

 (しゆん)(あん)(つま)()殿(どの)(うぢ)は三()(ぢよ)()んだ。(ちやう)(とよ)(よし)(ちゝ)()んだ(とき)三十六(さい)であつた。(ちゆう)(きよ)(はる)(その)(せい)(ねん)()らない。()(はる)(あき)は二十一(さい)であつた。そして(とよ)(よし)には(この)(とし)(すで)(たう)(さい)()(くに)(ちか)があつた。(ぢよ)()(さう)(せい)した。

 四(ぐわつ)()(とよ)(よし)(ばう)()(あと)(しき)(たま)はつて、()()()()()(しん)(ない)(とう)(ゑち)(ぜんの)(かみ)(くみ)()つた。

 八(ぐわつ)二十七(にち)(きよ)(はる)()()()()()(しん)(ない)(とう)(ゑち)(ぜんの)(かみ)(くみ)(さか)(じゆ)(あん)(もと)(よし)(やう)()となつた。(この)(えん)(だん)(ちやう)(けい)()()(しん)(いり)(えん)()より(しやう)じたものであらう。

 (えん)(ぎやう)(ねん)(おく)()()(むら)()(ちやう)(あん)(まさ)(かず)の三(なん)(つね)()(らう)(うま)れた。(これ)(のち)(はる)(あき)(やう)()となつた(しゆん)(あん)(もと)(かず)で、(はう)()(せい)()である。

 (くわん)(えん)(ぐわん)(ねん)(しやう)(ぐわつ)()(とよ)(よし)(はじめ)(けん)(やく)()(じやう)(ゆる)された。(とき)(とし)四十六であつた。

 (はう)(れき)(ねん)(ぐわつ)二十七(にち)(とよ)(よし)は五十五(さい)にして歿(ぼつ)した。一に五十三(さい)(つく)つてあつて、(はう)()は二(せつ)(へい)(そん)してゐる。(とよ)(よし)()()ふるまで(しゆん)(あん)(しよう)し、(ゑん)(さい)(しよう)()ぐに(およ)ばなかつた。(これ)が二(せい)(しゆん)(あん)で、(はう)()がためには(せい)(けい)(じやう)(かう)()()である。

 (とよ)(よし)(はふ)()(くわう)(がく)(ゐん)(しん)()(しゆん)(あん)(りやう)(しん)()ふ。(てい)(りん)()(はうむ)られた。(はか)(げん)(そん)してゐる。歿(ぼつ)(じつ)(こく)(ぶん)(したが)つてわたくしが(たゞ)した。(はう)()(せん)()(がき)に八(ぐわつ)(さく)(つく)つてあるのは(はつ)(さう)()である。

 (とよ)(よし)(つま)(やす)(なみ)(うぢ)()(ぢよ)(おの/\)(にん)があつた。()(かみ)(しる)した(くに)(ちか)で、(ちゝ)歿(ぼつ)した(とき)十九(さい)であつた。(ぢよ)(せい)歿(ぼつ)(じつ)()らない。(さき)()(をさ)()(じん)()()(もん)(くみ)()(りき)(すぎ)(うら)()(らう)(かつ)(たね)()いた。

 十一(ぐわつ)十二(にち)(くに)(ちか)()(とく)(さう)(ぞく)をした。(しよ)(しよう)(しゆん)(さく)(いま)(ゑん)(さい)(がう)()いだ。(すなは)ち四(せい)(ゑん)(さい)である。()(ぶん)(しま)()(しやう)(らう)()(はい)()()(しん)である。

 ()えて(はう)(れき)(ねん)(ぐわつ)()(くに)(ちか)は二十一(さい)にして歿(ぼつ)した。(はふ)()(しん)(りふ)(ゐん)()(しゆん)(えい)()(くう)である。(せん)()(がき)()()(つく)り、歿(ぼつ)(じつ)を五(ぐわつ)二十五(にち)(つく)つてゐる。(いま)(はか)(こく)(ぶん)(したが)つて(たゞ)したのである。(くに)(ちか)には(さい)()()かつた。(これ)(はう)()(せい)(けい)(じやう)(そう)()()である。

 五(ぐわつ)二十九(にち)(くに)(ちか)(やう)()(はる)(あき)(あと)(しき)(たま)はつた。(じつ)(しよ)(だい)(しゆん)(あん)(だい)()で、(とよ)(よし)(ばつ)(てい)(くに)(ちか)(しゆく)()である。(はる)(あき)(つう)(しよう)(しゆん)(さつ)である。()(ぶん)(しま)()(しやう)(らう)(くみ)()()(しん)()れられてゐた。(とき)(とし)三十九。

 (はう)(れき)十一(ねん)(しやう)(ぐわつ)()(はる)(あき)(けん)(やく)()(じやう)(ゆる)された。(しやう)(ぐん)(いへ)(はる)(あらた)(しよく)()いだ(とし)で、(たう)()(はる)(あき)(かう)(りき)(しき)()()(はい)(もと)にあつた。

 (はう)(れき)十二(ねん)(ぐわつ)()(はる)(あき)(おく)()()(むら)()(ちやう)(あん)(まさ)(かず)の三(なん)(しゆん)(あん)(もと)(かず)(やしな)つて()とした。(もと)(かず)(とき)(とし)十六であつた。

     その五

 (あん)(えい)(ねん)(ぐわつ)二十九(にち)()(じま)(はる)(あき)歿(ぼつ)した。(とし)五十三である。一に五十二に(つく)つてあつて、(はう)()がこれを(へい)(そん)してゐる。(はふ)()して(たい)(りやう)(ゐん)()()(しゆん)(さつ)()(くう)()ふ。(せん)()(がき)には()()(つく)つてある。(また)歿(ぼつ)(じつ)(ごと)きも、(せん)()(がき)には(じゆん)(ぐわつ)()(つく)つてある。(みな)()(せき)(こく)(ぶん)(したが)つて(たゞ)した。(これ)(はう)()(せい)(けい)(じやう)()()である。

 (はる)(あき)には(つま)()かつた。(かみ)()つた(ごと)く、(おく)()()(むら)()(ちやう)(あん)の三(なん)(つね)()(らう)(やしな)つて()とした。(はる)(あき)歿(ぼつ)()(あん)(えい)(ねん)(ぐわつ)()(この)(つね)()(らう)(あと)(しき)(たま)はつた。(すなは)ち三(せい)(しゆん)(あん)()(もと)(かず)である。(もと)(かず)(れい)(したが)つて()()(しん)(ぐみ)()り、()()(がは)(きう)(ざぶ)(らう)()(はい)()けた。(とき)(とし)二十七であつた。

 (あん)(えい)(ねん)(しやう)(ぐわつ)()(もと)(かず)(けん)(やく)()(じやう)(ゆる)された。

 (てん)(めい)(ねん)十一(ぐわつ)()(しやう)(ぐん)(いへ)(なり)(えつ)(けん)した。(だい)(がはり)のためである。

 七(ねん)(ぐわつ)二十九(にち)(ばん)()()(はい)し、(ばん)(れう)(へう)(きふ)せられた。わたくしは(こゝ)()(じま)(うぢ)(くわん)する()(かん)()()(さふ)(にふ)したい。()(かん)(かみ)()つた(ごと)く、(きやう)(はう)(ちゆう)(ふか)(がは)()んでゐた(しよ)(だい)(しゆん)(あん)()せてゐる。(しか)るに(その)()(げん)(ぶん)(くわん)(ぱう)(えん)(ぎやう)(くわん)(えん)(はう)(れき)(めい)()(あん)(えい)(あひだ)()(かん)(たえ)(はう)()の一()()せない。(この)(あひだ)()(じま)(うぢ)(しよう)するものは、(たゞ)()(がは)(まち)(ぢゆう)(ばく)()があるのみである。(これ)(まつた)(せい)(けい)(こと)にしてゐて、(しやう)(えつ)(しやう)()(しやう)(りう)(とう)(あひ)()けてゐる。(すで)にして(はう)()(ちゝ)(もと)(かず)(ばん)()()(はい)するに(およ)んで、()(かん)(わづか)にこれを(とう)(さい)した。(てん)(めい)(ねん)()(かん)に「表御番醫師、百五十表三十人ふち、本所わり下水、小嶋春庵」と(しよ)するものが(この)(もと)(かず)である。(もと)(かず)(ぜん)(ねん)四十一(さい)にして(おもて)(ばん)()()(れつ)せられた。

 (くわん)(せい)(ねん)(ぐわつ)二十八(にち)(もと)(かず)(すぎ)(うら)(うぢ)(かは)()(やしな)つて(ぢよ)とした。(かは)()は「初名みや又民野」と(ちゆう)してある。(せい)()(さき)()(みづ)()(ちく)(ぜんの)(かみ)(くみ)()(りき)(すぎ)(うら)()()()(もん)(しよう)(せん)である。(おそら)くは()(くわん)のために(やしな)はれたものであらう。

 八(ねん)(ぐわつ)()(もと)(かず)(やう)(ぢよ)(かは)()(よし)(ひめ)(づき)(いう)(ひつ)となつた。(よし)(ひめ)(しやう)(ぐん)(いへ)(なり)(だい)(ぢよ)(ひとつ)(ばし)()(へい)()けてゐた。

 九(ねん)(もと)(かず)は三(なん)()()(すけ)()げた。(これ)(はう)()である。(はゝ)(おく)(だひら)(たい)(ぜん)(たい)()()()(まへ)()(りやう)(たく)(よみす)(ぢよ)である。(ゆゑ)(はう)()所謂(いはゆる)(らん)(くわ)(せん)(せい)(ぐわい)(そん)(あた)る。(はう)()(うま)れた(いへ)(した)()(いづ)()(ばし)(どほり)である。(なに)(ゆゑ)()ふに、(てん)(めい)(ねん)より(くわん)(せい)(ねん)(いた)()(かん)には(さき)(ぢゆう)(しよ)(ちゆう)せられてゐて、(くわん)(せい)(ねん)()()(ぶん)(くわ)(ねん)(いた)るまで(いづ)()(ばし)(どほり)(ちゆう)してあるからである。(あん)ずるに(もと)(かず)(くわん)(せい)三四(ねん)(かう)(ほん)(じよ)より(した)()(うつ)つたのであらう。

 (きやう)()(ねん)(ぐわつ)()(もと)(かず)は五十七(さい)にして歿(ぼつ)した。(せん)()(がき)に六(ぐわつ)二十九(にち)(つく)つてあるのは(はつ)(さう)()である。(はふ)()して(らく)(はう)(ゐん)(あん)()(けい)(がく)(たい)(ざん)()ふ。(てい)(りん)()(はうむ)られた。()(じやう)(とよ)(よし)より(もと)(かず)(いた)る四(せい)()(せき)は、(てい)(りん)()(もん)()つて()(せつ)し、(ほん)(だう)(いた)(わたり)(らう)()(した)(くゞ)つて()()()(さん)(ざい)してゐる。

 (もと)(かず)(つま)(まへ)()(うぢ)は三()(ぢよ)()んだ。(ちやく)()(つね)()(らう)(だい)()(とも)(さう)(せい)して、(だい)()(はう)()(りつ)(てき)した。(ちやう)(ぢよ)(さう)(せい)した。(だい)(ぢよ)(しも)(こん)()(こと)()する。(だい)(ぢよ)(さう)(せい)した。(だい)(ぢよ)()()()(しも)()(くわん)(こと)()する。

 (もと)(かず)歿(ぼつ)()、九(ぐわつ)()(りつ)(てき)(だい)()()()(すけ)(あと)(しき)(たま)はつた。()(なほ)(かた)(あざな)(がく)()(つう)(しよう)(しゆん)(あん)(がう)(はう)()である。(せん)()(がき)(ちよう)するに、(はじ)()()(せき)()ひ、(また)一たび()(あん)(しよう)した。(はう)()()(じま)(うぢ)(せい)(しゆん)(あん)である。

 (はう)()(いへ)()いだ(はじめ)に、(みぞ)(ぐち)(さが)(みの)(かみ)()(はい)()()(しん)(ぐみ)()つた。(とき)(とし)(はじめ)て七(さい)であつた。

     その六

 わたくしは(すで)(はう)()()()(じよ)して、(いま)(きやう)()()(がい)(とし)(いた)つた。(これ)(ちゝ)(もと)(かず)歿(ぼつ)して(はう)()(いへ)()いだ(とし)である。

 (ひと)(あるひ)(おも)ふであらう。()(せん)()する(ぶん)(たと)()(たん)ならむも、(ほん)(でん)()つた(うへ)()(せう)(せい)(どう)(おもむき)あることを()(はず)だと(おも)ふだらう。しかしわたくしは(どく)(しや)(しや)せなくてはならない。(なに)(ゆゑ)()ふに、(はう)()()(せき)は一も(つた)へられてをらぬのである。わたくしは(たゞ)(はう)()(いち)()(めい)(あん)()(さは)(らん)(けん)(とも)に、(かり)()(えき)(さい)(とも)として、(ざう)(しよ)(かう)(しよ)(もつ)(きこ)えてゐたことを()るのみである。そして(こゝ)(その)(くわん)(れき)()()(だん)(ぺん)(しう)(しふ)して、(そつ)(ちよく)にこれを(ふで)(のぼ)するに()ぎない。

 (はう)()(わづか)に七(さい)にして(しゆ)(じん)となつた(とき)()(じま)(うぢ)(いへ)(した)()(いづ)()(ばし)(どほり)にあつたことは(かみ)()つた(ごと)くである。さて(はう)()(さい)(しよ)(さう)(ぐう)した(こと)は、()(ぐう)してゐた(ぐわい)()()(まへ)()(らん)(くわ)()である。

 (らん)(くわ)(でん)(けみ)するに、()(がい)(ぐわつ)十七(にち)(ぢよ)(せい)()(じま)(しゆん)(あん)(いへ)歿(ぼつ)したと()つてある。(あん)ずるに()(がい)(とし)には()づ五(ぐわつ)()に三(せい)(しゆん)(あん)(もと)(かず)歿(ぼつ)し、六(ぐわつ)二十九(にち)()(はつ)せられ、九(ぐわつ)()(はう)()(せい)(しゆん)(あん)(いへ)()いだ。(らん)(くわ)()(はう)()()()()(げつ)である。(ゆゑ)に「女壻春庵の家に歿す」は(まさ)に「外孫春庵の家に歿す」に(つく)るべきである。わたくしは(らん)(くわ)()(ぎし)(かひ)(づか)(いん)(きよ)(じよ)より(いづ)()(ばし)(どほり)()(じま)(うぢ)()(きよ)した(つき)()()らない。(この)()(きよ)(あるひ)(ぢよ)(せい)(せい)(しゆん)(あん)(せい)(そん)()(おい)てせられたかも()れない。(たゞ)(その)歿(ぼつ)(じつ)(ぢよ)(せい)(さき)で、(ぐわい)(きう)(のち)であつた。

 (らん)(くわ)歿(ぼつ)した(とき)(ぢよ)(せい)(すで)()んでゐた。しかし(ぢよ)(なほ)(けん)(ざい)してゐた。(もと)(かず)(つま)にして(なほ)(かた)(はゝ)たる(まへ)()(うぢ)(えう)()(きう)(いく)しつつ、(せい)()(びやう)(しやう)()してゐたのである。(まへ)()(うぢ)は十六(ねん)(のち)(はう)()二十三(さい)(とき)歿(ぼつ)した。

 (ぶん)(くわ)(ねん)十二(ぐわつ)二十八(にち)(もと)(かず)(だい)(ぢよ)(はう)()(あね)(ばん)()(くわ)()()(はく)(あん)(ちやく)()(せん)(ぢやう)(すけ)(きよ)()した。(はう)()が十三(さい)(とき)である。()()()(かん)に「表番外科、二百石、かわらけ町、曾谷伯安」と(しよ)してある。

 八(ねん)十二(ぐわつ)(はう)()は十五(さい)にして(けん)(やく)()(じやう)(ゆる)された。(この)(とし)(あね)()(えん)になつて()()(うぢ)より(かへ)つて()た。

 十(ねん)(ぐわつ)()(はう)()は十七(さい)にして()(がく)(くわん)(くすり)調(てう)(がふ)(やく)(めい)ぜられた。(この)(とし)(もと)(かず)(だい)(ぢよ)(はう)()(いもうと)()()()(みづ)(しき)()(きやう)(なり)(あき)(づき)にせられた。

 十三(ねん)十一(ぐわつ)二十九(にち)(はう)()は二十(さい)にして(おく)()()(やま)(もと)(そう)(えい)(これ)(みつ)(ぢよ)(めと)つた。()(かん)に「奧醫師、父永春院、小川町、山本宗英法眼」と(しよ)してある。十二(ぐわつ)二十二(にち)()(がく)(くわん)(かう)(こく)(せい)(さい)(そう)(ろく)(こと)(あづ)かつた(ゆゑ)(もつ)(ぎん)(たま)はつた。(せい)(さい)(そう)(ろく)(そうの)()(そう)(ちよく)(せん)(しよ)である。(ほく)(そう)()(ねん)()つて(いま)()(はん)()せられず、(きん)(せい)(そう)(ぶん)(てい)(ちゆう)(はじめ)(ちよう)(かん)せられた。それゆゑ(なん)(そう)(しよ)()にはこれを(いん)(よう)したものが()い。()(せき)()(かう)に「文化癸酉歳、元胤與衆醫官議、於活字配印本、閲四歳竣工」と()つてある。(この)(ぶん)には()(だつ)あるものゝ(ごと)くであるが、(いま)(かんが)ふることを()ない。(げん)(いん)()()(りう)(はん)である。(せい)(さい)(そう)(ろく)は二百(くわん)(もく)(ろく)(くわん)、百(さつ)になつてゐる。

     その七

 (ぶん)(くわ)十四(ねん)(ぐわつ)十三(にち)(はう)()()(がく)(くわん)(くすり)調(てう)(がふ)(やく)(とり)(しまり)(めい)ぜられた。(とき)(とし)二十一であつた。五(ぐわつ)十九(にち)(よし)(ひめ)()(ゆゑ)(もつ)て、(もと)(かず)(やう)(ぢよ)にして(はう)()()()なる(すぎ)(うら)(うぢ)(かは)()(しよく)(めん)ぜられた。(よし)(ひめ)(しやう)(ぐん)(いへ)(なり)(だい)(ぢよ)()(はり)(だい)()(ごん)(なり)(とも)(たち)(にふ)輿()してゐたのである。十二(ぐわつ)十七(にち)(はう)()調(てう)(がふ)(やく)(とり)(しまり)たる(ゆゑ)(もつ)(ぎん)(まい)(たま)はつた。(これ)より(のち)(かく)(ねん)()(ぎん)(こと)があつた。

 (ぶん)(せい)(ぐわん)(ねん)十一(ぐわつ)(かは)()(あさ)(ひめ)(づき)(ほう)使()(めい)ぜられた。(あさ)(ひめ)(いへ)(なり)(だい)十一(ぢよ)(まさ)(まつ)(だひら)()(ない)(たい)()(より)(たね)()せむとしてゐたのである。

 二(ねん)(ぐわつ)十九(にち)(はう)()(つま)(やま)(もと)(うぢ)歿(ぼつ)した。(やま)(もと)(うぢ)(はか)(さだめ)(てい)(りん)()にあるだらうが、わたくしは()(いだ)さなかつた。()(じつ)(さい)(たん)すべきである。(ゆゑ)歿(ぼつ)(じつ)(はう)()(せん)()(がき)()る。(あるひ)(はつ)(さう)()であるかも()れない。

 (やま)(もと)(うぢ)は二()(ぢよ)()んだ。(ちやく)()()()(すけ)(だい)()(きん)()(らう)(ならび)(さう)(せい)した。三(ぢよ)(ちゆう)()(ちやう)(いく)したものは(ひと)(だい)(ぢよ)あるのみである。(この)(ぢよ)(おほ)(ぶち)(げん)(だう)(つね)(のり)()いた。()(かん)(あん)ずるに(げん)(だう)は「表番醫師、二百表、小川町雉子橋通、大淵祐玄」の()であらう。(のち)(げん)(だう)(ちゝ)(しよく)()ぐに(およ)んで、「小日向中のはし」に()んだ。

 (やま)(もと)(うぢ)歿(ぼつ)()(はう)()(さら)に一(しき)(うぢ)(めと)つた。()(しやう)(ぐみ)(まつ)(だひら)内匠(たくみの)(かみ)(くみ)(しき)()()()(もん)(せう)(ぼく)(ぢよ)である。(その)(こん)()()()(しやう)である。

 七(ぐわつ)二十九(にち)(もと)(かず)()(ばう)(じん)(まへ)()(うぢ)歿(ぼつ)したらしい。わたくしは(てい)(りん)()(はか)(こく)してある「諦眞院殿聽譽容顏榮壽大姉」を(もつ)(この)(ひと)となすのである。(はう)()(ちゝ)(うしな)つて(のち)十六(ねん)にして(はゝ)(うしな)つたこととなる。

 (ぶん)(せい)(ねん)(ぐわつ)()(はう)()(ばん)()()(はい)し、(ばん)(れう)(へう)(たま)はつた。(とき)(とし)二十五であつた。(この)(とし)()(かん)に「表御番醫師、百五十表三人ふち、神田土手下、小嶋喜庵」と(しよ)してある。(これ)()つて()るに、(はう)()(たう)()()(あん)(しよう)してゐたと()える。(せん)()(がき)に「幼名喜之助、後名喜庵」と()ふを()れば、()()(すけ)(のち)()(あん)(しよう)したのである。()(あん)(しよう)(しゆん)(あん)(しよう)(さきだ)つてゐるのである。

 (かみ)()つた(ごと)く、(はう)()(うま)れた(とき)(寛政九年)も(ちゝ)(もと)(かず)(ぐわい)()()(らん)(くわ)との歿(ぼつ)した(とき)(享和三年)も、()(じま)(うぢ)(いへ)(した)()(いづ)()(ばし)(どほり)にあつた。(すで)にして(ぶん)(くわ)(ねん)より(ぶん)(せい)(ねん)(いた)る十五(ねん)(かん)()(かん)()(じま)(うぢ)()せない。(ぶん)(せい)(ねん)(いた)つて、(はじめ)()(じま)(うぢ)の「神田土手下」の(いへ)()(さい)せられてゐる。

 五(ねん)(ぐわつ)十七(にち)(もと)(かず)(ばつ)(ぢよ)(はう)()(いもうと)()()歿(ぼつ)した。()(みづ)()(おく)(ぢよ)(ちゆう)である。九(ぐわつ)二十九(にち)(はう)()に「屋敷被下、所者見立可相願」の(めい)があつた。

 七(ねん)(ぐわつ)二十七(にち)(はう)()に「於四谷箪笥町、二百一坪餘町屋敷塲所被下置」の(めい)があつた。(しか)るに()(かん)には(はう)()(この)()(てい)()つたことを(しる)さない。()(かん)(ぶん)(せい)(ねん)(いた)るまで()(じま)(うぢ)(ぢゆう)(しよ)を「神田土手下」と(ちゆう)し、七(ねん)(はじめ)て「淺草中代地」と(ちゆう)してゐる。(よつ)()()(てい)(こと)(たゞ)(せん)()(がき)()えてゐるのみである。

     その八

 (ぶん)(せい)十二(ねん)(ぐわつ)二十九(にち)(はう)()は卅三(さい)にして(だい)()(ろく)(らう)()げた。(のち)(しゆん)()(しよう)した。(けい)(せき)(はう)()()(じよ)所謂(いはゆる)(はう)(ちゆう)である。(はゝ)(はう)()(こう)(さい)(しき)(うぢ)である。(たう)()(はう)()(いへ)(ほん)(じよ)にあつた。(しゆん)()(しん)(るゐ)(がき)に「私儀文政十一丑年(十二丑年に作るべきである)九月廿九日於本所屋敷出生」と()つてある。(あん)ずるに(はう)()(あさ)(くさ)より(ほん)(じよ)(うつ)つたのは、(ぶん)(せい)(ねん)(すゑ)(もし)くは十(ねん)(はじめ)であらう。九(ねん)()(かん)には(きう)()つて「淺草仲代地」と(ちゆう)し、十(ねん)()(かん)(はじめ)て「本所石はら」と(ちゆう)してあるが(ゆゑ)()ふのである。

 十一(ぐわつ)十九(にち)(はう)()は「仲間取締手傳」を(めい)ぜられた。所謂(いはゆる)(なか)()(おそら)くは(ばん)()()(なか)()であらう。

 (てん)(ぱう)(ぐわん)(ねん)(ぐわつ)二十五(にち)(はう)()()()(すぎ)(うら)(うぢ)(かは)()歿(ぼつ)した。(あさ)(ひめ)(づき)(ほう)使()(しよく)()つた(をんな)である。(はう)()(せん)()(がき)に「文政二己卯年十一月廿九日靈岸島御住居え御引移之節御供仕相勤罷在候所、同十三庚寅年二月廿五日病死仕候」と()つてある。(この)(ぶん)(ちゆう)(しやく)()つて(はじめ)(かい)せらるべきである。(あさ)(ひめ)(しやう)(ぐん)(いへ)(なり)(だい)十一(ぢよ)で、(きやう)()(ねん)十二(ぐわつ)()(うま)れ、(ぶん)(くわ)(ねん)(ぐわつ)十一(にち)(まつ)(だひら)(まさ)()()(ちか)(むね)()し、(ちか)(むね)()()(ぶん)(くわ)十四(ねん)(ぐわつ)二十七(にち)(まつ)(だひら)(ゑち)(ぜんの)(かみ)(はる)(よし)(ちやく)()()(よの)(かみ)(なり)(つぐ)(さい)()した。(じやう)(ぶん)の「御引移」は(その)(にふ)輿()()ふ。

 (かは)()(はじ)(いへ)(なり)(ちやう)(ぢよ)(よし)(ひめ)(つか)へ、(よし)(ひめ)()()(さら)(その)(いもうと)(あさ)(ひめ)(つか)ふることとなつた。(とき)(あさ)(ひめ)(さい)()(やく)(あらた)(むす)ばれてゐた。それ(ゆゑ)(あさ)(ひめ)(にふ)輿()(とき)これに()(ずゐ)し、(しよく)()つて(をは)つたのである。

 わたくしは(こゝ)()(じま)(うぢ)(ぢゆう)(しよ)(こと)(くわん)して(うたがひ)(そん)して()かなくてはならない。(はう)()(ぶん)(せい)(ねん)(かん)()()んでゐて、(てい)()(よつ)()(たん)()(ちやう)(たま)はつた。(その)(とし)(はう)()(あさ)(くさ)(うつ)り、九(ねん)(もし)くは十(ねん)(また)(ほん)(じよ)(うつ)つた。(よつ)()(てい)()發落(なりゆき)(つひ)にこれを(つまびらか)にすることが()()ぬのである。

 (てん)(ぱう)(ねん)(ぐわつ)二十五(にち)(はう)()(につ)(くわう)(じゆん)(こうの)(みや)(ばい)して(につ)(くわう)(ざん)(のぼ)ることを(めい)ぜられ、九(ぐわつ)()()()(はつ)し、二十四()(かへ)つた。(につ)(くわう)(じゆん)(こうの)(みや)(りん)(わう)()(しゆん)(じん)(しん)(のう)である。(あり)()(がは)()より()でて(くわう)(かく)(てん)(のう)()(やう)()になられた。(たう)()四十四(さい)であつた。

 四(ねん)(ぐわつ)()(はう)()は「仲間取締」を(めい)ぜられた。(さき)(なか)()(とり)(しまり)()(つだひ)(めい)ぜられてより(のち)(ねん)である。(とき)(とし)三十七であつた。(この)(とし)(はう)()(した)()()んでゐた。(ぜん)(ねん)(てん)(ぱう)(ねん)()(かん)には(きう)()つて「本所石はら」と(ちゆう)してあるのに、(この)(とし)(いた)つて「下谷生駒脇」と(あらた)(ちゆう)してある。所謂(いはゆる)「生駒」は(おそら)くは(かう)(たい)(より)(あひ)()(こま)(おほ)(くらの)(すけ)(ちか)(よし)であらう。(ちか)(よし)(やしき)(した)()()()(まち)にあつた。

 六(ねん)(ぐわつ)二十五(にち)(はう)()は三十九(さい)にして(えい)(ひめ)(づき)(めい)ぜられ、(ばん)(れう)(へう)(たま)はつた。(えい)(ひめ)(しやう)(ぐん)(いへ)(なり)(だい)二十六(ぢよ)で、(はや)(ひとつ)(ばし)()()してゐた。(たう)()十七(さい)であつた。

 二十六(にち)(はう)()(しゆん)(あん)(かい)(しよう)することを(ゆる)された。(こゝ)(いた)るまで()(あん)(しよう)してゐたのである。

 八(ぐわつ)十六(にち)(おく)(づめ)(はい)した。(えい)(ひめ)(づき)(もと)(ごと)くである。

 二十二(にち)(まい)(げつ)()(しやう)(ぐん)(いへ)(なり)(しん)することを(めい)ぜられ、二十五(にち)(しよ)()(しん)(みやく)をした。

 十一(ぐわつ)二十()(いた)つて(いへ)(なり)()(ぞく)(ほとんど)(みな)(はう)()()いて(しん)せしむることとなつた。「峰壽院樣、松榮院樣、文姫樣、盛姫樣、溶姫樣、末姫樣、喜代姫樣御診被仰付」と()つてある。(ほう)(じゆ)(ゐん)(いへ)(なり)(だい)(ぢよ)(みね)(ひめ)(しよう)(えい)(ゐん)(だい)十一(ぢよ)(あさ)(ひめ)(あや)(ひめ)(だい)十六(ぢよ)(もり)(ひめ)(だい)十八(ぢよ)(よう)(ひめ)(だい)二十一(ぢよ)(すゑ)(ひめ)(だい)二十四(ぢよ)()()(ひめ)(だい)二十五(ぢよ)である。

     その九

 (てん)(ぱう)(ねん)(しやう)(ぐん)(だい)(がはり)(ぜん)(ねん)である。(とく)(がは)(いへ)(なり)(むね)(つた)へて(はう)()(かい)()()(こと)(たく)せしめた。「九月四日、來酉年御移替後是迄之通御診被仰付候旨被仰渡」と()つてある。十(ぐわつ)二十一(にち)には(せい)(じゆん)(ゐん)(しん)する(めい)()けた。(せい)(じゆん)(ゐん)(えい)(ひめ)(らく)(しよく)()(しよう)である。十一(ぐわつ)十七(にち)には「大御臺」を()したと()(ゆゑ)(もつ)(ぎん)(まい)(たま)はつた。(おほ)()(だい)(いへ)(なり)(しつ)(しげ)(ひめ)である。十二(ぐわつ)()には「大御所」の(やまひ)のために(つめ)(きり)(めい)ぜられた。(おほ)()(しよ)(いへ)(なり)である。十六(にち)(はふ)(げん)(じよ)せられた。(これ)(ちよく)(せん)()(おく)るるを(れい)とする。二十二(にち)(つめ)(きり)(らう)のために(きん)(りやう)(たま)はつた。二十八(にち)()(ふく)(りやう)(たま)はつた。(これ)より(まい)(ねん)(ぐわつ)十二(にち)()(ふく)(たま)ふを(れい)とせられた。

 八(ねん)(ちゆう)(はう)()()()()(ばん)(おほ)()()()右衞()(もん)(くみ)()(りき)(すぎ)(うら)()()()(かつ)(うし)(ぢよ)とりを(やう)(ぢよ)として(しよう)(えい)(ゐん)(づき)(ぢよ)(ちゆう)(すゝ)めた。(しよう)(えい)(ゐん)(あさ)(ひめ)(らく)(しよく)()(しよう)である。

 十(ねん)(ちゆう)(はう)()(だい)()(ろく)(らう)()げた。()(せん)()(のち)(しゆん)(いく)(しよう)した。(しゆん)(いく)(しん)(るゐ)(がき)()する(ねん)(れい)より()せば(せい)(ねん)(てん)(ぱう)(ねん)となる。しかし(これ)(くわん)(ねん)である。()()(がは)(うぢ)(ざう)()(ひつ)(につ)()(その)()(いへ)(つた)ふる(ところ)(もん)(じよ)(ちよう)するに、(この)(ひと)(てん)(ぱう)(ねん)(うまれ)であつたことは(また)(うたがひ)()れない。(あん)ずるに(ろく)(らう)(けい)(ろく)(さぶ)(らう)(はう)(ちゆう)十一(さい)(とき)(うま)れた。(ちゝ)(はう)()が二()(しよう)するに(どう)一の(ろく)()(もつ)てしたのは()とすべきである。(あるひ)(はう)()(たん)に三(らう)(らう)()んだかも()れない。

 (せん)()(うま)れた(いへ)(した)()(ちやう)(まち)であつた。()(かん)(てん)(ぱう)(ねん)(いた)るまで(はう)()(ぢゆう)(しよ)(ちゆう)して()(こま)(わき)()つてゐる。七(ねん)(ねん)(ぢゆう)(しよ)(ちゆう)せず、九(ねん)(いた)つて(はじめ)て「奧詰御醫師、百五十表、下谷二長町、小島春庵」と()してある。(えう)するに(はう)(ちゆう)(ほん)(じよ)(いし)(はら)(うま)れ、(せん)()(した)()(ちやう)(まち)(うま)れたのである。

 十二(ねん)(しやう)(ぐわつ)(ぐわん)(じつ)()()(もく)(ろく)(ぎん)(うま)(だい)(けん)じて()することを(ゆる)された。()()(まい)(さい)(この)(れい)(したが)ふ。(じゆん)(しやう)(ぐわつ)二十九(にち)(ぜん)(しやう)(ぐん)(いへ)(なり)(くわん)()て、三(ぐわつ)()(はう)()は「御召御殘品別段御召御紋附御羽織」を(たま)はり、十九(にち)に「白銀十五枚」を(たま)はり、二十(にち)に「金五十兩」を(たま)はつた。(ぎん)(ぜん)(しやう)(ぐん)(れう)した(ゆゑ)(たまもの)(きん)(ぜん)(しやう)(ぐん)()(ぶつ)である。三(ぐわつ)二十二(にち)(はふ)(げん)(せん)()(りやう)した。二十三(にち)に「右大將樣奧御醫師」を(はい)し、十一(ぐわつ)十一(にち)(したが)つて西(にし)(まる)(うつ)つた。()(だい)(しやう)(まさ)()(すけ)(いへ)(なが)(のち)(しやう)(ぐん)(いへ)(さだ)である。(はう)()(とき)(とし)四十五であつた。

 十三(ねん)(ぐわつ)()(はう)()(につ)(くわう)(じゆん)(こうの)(みや)(ばい)して(きやう)()()くことを(めい)ぜられた。(じゆん)(こうの)(みや)(かみ)にも(ちゆう)した(ごと)く、(しゆん)(じん)(しん)(のう)である。八(ぐわつ)二十六(にち)()(じやう)()(べつ)し、(きん)(まい)()(ふく)(りやう)(たま)はつた。九(ぐわつ)()()(ばい)して()()(はつ)した。十二(ぐわつ)十七(にち)(かへ)つた。(とき)(とし)四十六。(この)(かう)(いつ)()()(さは)(らん)(けん)(でん)()えてゐる。

 十四(ねん)(ぐわつ)二十二(にち)(はう)()(やう)(ぢよ)(すぎ)(うら)(うぢ)とりが歿(ぼつ)した。

 (こう)(くわ)(ぐわん)(ねん)(ぐわつ)「廣大院樣御病中」(つめ)(きり)(めい)ぜられた。(くわう)(だい)(ゐん)(ぜん)(しやう)(ぐん)(いへ)(なり)(しつ)(しげ)(ひめ)である。()(げつ)()()いた。

 二(ねん)(ぐわつ)「御簾中樣」の(やまひ)(れう)して(はく)(ぎん)(まい)(たま)はつた。(れん)(ちゆう)(いへ)(なが)(しつ)である。十(ぐわつ)十三(にち)(ちやく)()(はう)(ちゆう)()(がく)(くわん)()(どく)(けう)(じゆ)(めい)ぜられた。(はう)(ちゆう)は十七(さい)であつた。

     その十

 (こう)(くわ)(ねん)(ぐわつ)二十四()(はう)()西(にし)(まる)(おく)()()より(おく)(づめ)(へん)せられた。(はう)()(せん)()(がき)(この)(とし)(ぐわつ)(つく)られたもので、「奧詰醫師小島春庵法眼」と()(しよ)してあるのに、(この)(へん)(ちつ)(こと)()せない。(ゆゑ)(この)(へん)(ちつ)()()()(さい)(しゆ)として(せん)()(しん)(るゐ)(がき)()る。(はう)(ちゆう)(かき)(あげ)(はなは)(たゞ)(つぐ)さんの(もと)にある(ゆゑ)()()(だつ)があつたら、()(じつ)(つい)(たゞ)すことゝしよう。

 (はう)()(おく)()()より(おく)(づめ)()()(へん)せられたのは、「病氣に付」と()ふことである。(あん)ずるに(おく)()()(ねがひ)()つて(めん)ぜられたのであらう。(はう)()(おく)(づめ)(はい)する(とき)、「香料百俵」を(たま)はつた。

 五(ぐわつ)十二(にち)(はう)()()(がく)(くわん)()()(やく)(めい)ぜられ、()()(かた)十五(にん)()()(たま)はつた。(あん)ずるに(はう)()(おく)()()(めん)ぜられむことを(ねが)つたのは、(ちから)(がく)(かう)(もち)ゐむがためであつたかも()れない。

 十一(ぐわつ)()に「御廣敷女中病用可相勤旨」を(めい)ぜられた。(この)(とし)(はう)()(とし)五十であつた。

 ()(えい)(ぐわん)(ねん)(ぐわつ)十五(にち)(はう)(ちゆう)は二十(さい)にして()(がく)(くわん)()宿(しゆく)(れう)(とう)(どり)(めい)ぜられた。(こゝ)(おい)(はう)()(はう)(ちゆう)()()(なら)()つて(がく)(かう)(こと)(にん)ずるに(いた)つた。

 十二(ぐわつ)()(はう)()歿(ぼつ)した。(てい)(りん)()(はか)(しも)()する(はう)(ちゆう)()(さい)(はか)(となり)にある。()(せき)に「顯光院滿譽圓明春庵法眼、嘉永元年戊申十二月七日」と(こく)してある。(きやう)(ねん)五十二である。

 (はう)()(せう)()(そう)(せう)(けい)(せふ)のために(さる)(ばう)(しよう)があつた。(しか)るに(やうや)(ちやう)ずるに(およ)んで()(はん)し、(かい)(のぼ)るに(わう)()し、(しん)()れば()(ぢよ)をして()()()せしめて(わづか)()(ねむ)つた。(けう)()(ごと)きも(はう)()()いて二(げつ)()ゆるものは(すくな)かつた。

 (はう)()(ふたゝ)(めと)つた。(はじめ)(さい)(やま)(もと)(うぢ)()(ぢよ)()()(すけ)(さう)(せい)(きん)()(らう)(さう)(せい)(ぢよ)(ぼう)(さう)(せい)(ぢよ)(ぼう)(おほ)(ぶち)(うぢ)(さい)(ぢよ)(ぼう)(さう)(せい)()(じやう)()(ぢよ)である。(こう)(さい)(しき)(うぢ)(しゆつ)(はう)(ちゆう)(ぢよ)(ぼう)(しき)(うぢ)(やう)(ぢよ)(ぢよ)(ぼう)(ぢよ)(ぼう)(さう)(せい)(せん)()()(じやう)()(ぢよ)である。

 (はう)()には(べつ)(やう)(ぢよ)(にん)がある。(その)一は(ばん)()(くわ)(せき)(もと)(はく)(えい)(なが)(よし)(ぢよ)で、(はう)()(やしな)はれ、()()(げん)(ちく)(のぶ)(のり)()いた。()(かん)(けん)するに(せき)(もと)(うぢ)は「神田松永町」(ぢゆう)()()(うぢ)は「本所石はら」(ぢゆう)で、()()(うぢ)(また)(くわん)()(いへ)である。(その)二は(かみ)(しる)した(すぎ)(うら)(うぢ)とりである。

 二(ねん)(じゆん)(ぐわつ)(はう)()の「病氣差重」と()ふを(もつ)て、「跡式願」が(しん)(たつ)せられた。歿(ぼつ)()(だい)(げつ)である。(この)(つき)二十九(にち)に「病死」の(とゞけ)がせられた。(これ)(はつ)(さう)である。七(ぐわつ)()(しゆん)()(はう)(ちゆう)(あと)(しき)(たま)はり、()()(しん)(ぐみ)()()(てつ)()(らう)()(はい)にせられた。十(ぐわつ)二十八(にち)(はう)(ちゆう)(ばん)()()(はい)し、(ばん)(れう)(へう)(たま)はつた。(とき)(とし)二十一であつた。(その)()(はじめ)()(ねん)()(かん)()えてゐる。「表御番醫師、百表三十二人ふち、下谷二長町、小島春沂。」

 六(ねん)十一(ぐわつ)十九(にち)(はう)(ちゆう)()(がく)(くわん)()()(やく)()(つだひ)(めい)ぜられた。二十五(さい)(とき)である。(この)(とし)()(かん)には「百五十表三人ふち」と(ちゆう)してある。(ほう)祿(ろく)(へん)(かう)(かき)(あげ)()えない。

 (あん)(せい)(ぐわん)(ねん)(しやう)(ぐわつ)二十四()(はう)(ちゆう)(より)(あひ)にせられた。「療治出精に付御番御免、寄合被仰付、取來候御番料其儘被下置」の(ぶん)がある。(これ)()つて()れば、(この)()(ぶん)(へん)(かう)は一(しゆ)(とく)(てん)()でた(ごと)くである。(とき)(とし)二十六であつた。(この)(とし)()(かん)には「寄合御醫師、百表三十二人ふち、二長町、小島春沂」と()してある。(ぜん)(ねん)の「百五十表三人ふち」は(あるひ)(あやまり)ではなからうか。

     その十一

 (あん)(せい)(ねん)(ぐわつ)十八(にち)(はう)()(こう)(さい)()(ばう)(じん)(しき)(うぢ)歿(ぼつ)した。(これ)(につ)(しん)(ろく)()つて()する。(につ)(しん)(ろく)(あん)(せい)(ねん)より四(ねん)(いた)る「瞻淇手記」の(につ)()である。「十八日、戊寅晴、蚤起。家兄到矢倉多紀氏。辰磐歸家。辰後慈君遠逝。哀歎痛切。擧家愡忙。巳磐伊澤磐安、一色主馬、塙忠寶、保忠、大淵玄道、小森西清、田村元雄、向山温甫、一色鉤、錦諸君來弔。芳賀穆、上子晦廂、北條謙輔來。午後淇到横網。亥磐收尊骸。」()(けい)(はう)(ちゆう)である。(やの)(くら)()()(うぢ)には(さい)(てい)(うん)(じゆう)()()がゐた。茝(さい)(てい)は六十一(さい)(うん)(じゆう)は三十二(さい)であつた。(はう)(ちゆう)(はゝ)(ぜん)(じつ)より(やまひ)(すみやか)になつてゐるので、(十七日、慈君病重)()いて(びやう)(じやう)(はう)じたのであらう。()(さは)(ばん)(あん)(はく)(けん)である。(とき)(とし)四十六、(らい)(てう)(しや)(はじめ)()せてある。()(しや)(せい)()(しき)(うぢ)よりは(しゆ)()(こう)(きん)の三(にん)()た。(はなは)(うぢ)(はう)(ちゆう)(つま)(なほ)(せい)()である。(たゞ)(とみ)(やす)(たゞ)の二(にん)()た。()(らう)(たゞ)(とみ)()(きの)一の(だい)()(いへ)()いだ。(とき)に四十九(さい)(はう)(ちゆう)(つま)(たゞ)(とみ)(ちやう)(ぢよ)で二十六(さい)になつてゐた。(やす)(たゞ)(いま)(たゞ)(つぐ)さんである。(すなはち)(たゞ)(とみ)(ちやく)(なん)で、(なほ)(ぢき)(おとうと)である。(おほ)(ぶち)(げん)(だう)(かみ)にも()つた(ごと)く、(はう)(ちゆう)(あね)(むこ)である。(その)()(じん)(めい)は一々(ちゆう)せない。(たゞし)()(もり)(むかう)(やま)(せん)()(しん)(るゐ)(がき)()えてゐる()である。(さい)()に「淇到横網」と()ふは、(せん)()(みづか)(しぶ)()(ちう)(さい)(ほん)(じよ)()うて(はゝ)()(はう)じたのである。(ちう)(さい)(とき)(とし)五十一。

 (こえ)て二十(にち)に一(しき)(うぢ)(てい)(りん)()(はうむ)られた。わたくしは(とく)に十九(にち)、二十(にち)(ぶん)(せう)する。「十九日、己卯晴。蚤朝諸君辭去。午後粉屋筆、一色染婦來。晩塙和三君來。此夜自鐫妣君墓板。家兄記文。有摹本。二十日、庚辰晴。辰磐芳穆到御用番邸。晩葬送。家族、諸君及家兄、淇扈從。」十九(にち)(あさ)(かへ)つたのは()(さは)(はく)(けん)()である。十八(にち)()に、(はく)(けん)(たゞ)(とみ)()()(もと)に「一泊」と(ちゆう)してある。(はなは)()(らう)()(きの)一の(だい)()(たゞ)(とみ)(あに)(はじめ)()(くま)()(らう)である。一(しき)(うぢ)()(はん)(はう)(ちゆう)(ぶん)(えら)んで(せん)()()つた。

 三(ねん)十二(ぐわつ)(さく)(せん)()()(がく)(くわん)(れう)()つた。(につ)(しん)(ろく)()はく。「十二月一日、甲申晴。夜風。巳後剃頭。午後移于醫庠學舍。舍長六員。高島祐庵、宮崎立元、岡田昌春、小森西清、井上齡庵、山田宗徳、學生五人、小野苓庵、島田宗篤、鹽谷友仙、古田瑞春、木村三圭、與余六人、是日舍長小森西清。」(すゑ)(この)()(しや)(ちやう)(ばう)()してあるのは(につ)(ちよく)である。(せん)()(とき)(とし)十八。

 四(ねん)(しやう)(ぐわつ)二十二(にち)(はう)()(ぐわい)(きう)(しき)()()()(もん)が二(のまる)()()()(けん)(かう)()(しよ)(とう)(どり)にせられた。(につ)(しん)(ろく)には「廿二日、乙亥陰、晩雨、巳後訪市谷一色氏、仁君拜二丸御留守居、兼講武所頭取、未後辭去、歸途訪温故堂、晩歸家、酉鼓歸寮、舍長高島祐庵」と()つてある。(をん)()(だう)(はなは)(うぢ)である。(おもて)(ばん)(ちやう)()(がく)(かう)(だん)(しよ)()して()つたものである。

 二(ぐわつ)()(はう)()(だい)(ぢよ)(はう)(ちゆう)(あね)(おほ)(ぶち)(げん)(だう)(つま)歿(ぼつ)した。(につ)(しん)(ろく)()はく。「八日、庚寅晴風。舍長小森西清。酉鼓大淵範寄書告大姉君之死。此夜私家得凶報。兄及藤姉到大淵氏。」(はう)(ちゆう)(とも)(おほ)(ぶち)(うぢ)(てう)(もん)した(ふぢ)(ぢよ)(はう)()(だい)(ぢよ)か。

 四(ぐわつ)十九(にち)(はう)(ちゆう)(いへ)()げて(はなは)(うぢ)()(ぐう)した。(につ)(しん)(ろく)()はく。「十九日、庚子陰晴、時雨。午後擧家移于塙氏。淇及祐季、長輔泊榑正町。」(らん)(ぐわい)に「榑正町より番町塙へ同居」と(しよ)してある。()(かん)(あん)(せい)(ねん)(いた)るまで(した)()(ちやう)(まち)(ぢゆう)(しよ)(ちゆう)し、四(ねん)(いた)つて(はじめ)()(ほん)(ばし)(くれ)(まさ)(ちやう)()してゐる。(あん)ずるに()(じま)(うぢ)(くれ)(まさ)(ちやう)()んだ(あひだ)(はなはだ)(みじか)かつたと()える。(たゞ)(つぐ)さんの()ふを()くに、(たう)()(はう)(ちゆう)()(ろう)(うれ)へて、(ひと)(かん)()()つことが(おほ)かつたさうである。

     その十二

 (あん)(せい)(ねん)(じゆん)(ぐわつ)()(はう)(ちゆう)歿(ぼつ)した。(とし)()くること(わづか)に二十九であつた。(これ)より(さき)(はう)(ちゆう)(やまひ)(かゝ)つたのは三(ぐわつ)(なかば)であつたらしい。()(ところ)()れば、(やまひ)()(ろう)(もつ)(おこ)つた(はい)(らう)であつた。(ぜん)(ねん)(へい)(しん)(ふゆ)「十一月十一日甲午、兄肛睾間腫起痛楚、加保攝、將爲痔漏状」と(せん)()()()えてゐる。(この)(とし)(てい)()(ぐわつ)十三(にち)()()(さい)(てい)歿(ぼつ)した(とき)には、(はう)(ちゆう)(なほ)(ぜん)(じつ)より(てつ)(せう)して(かん)()し、(よく)十四(にち)にも()(くら)(ぞん)(せい)(だう)(つう)()した。三(ぐわつ)()つてよりも()(がく)(くわん)(わう)(らい)した。例之(たとへ)ば「四日、丙辰晴、風寒冷、巳後歸寮、家兄來」と(せん)()(しよ)してゐる。(はう)(ちゆう)(やまひ)(こと)(ふたゝ)び十四(にち)(でう)()えてゐる。「十四日、丙寅陰、未後雨、及夜酉皷雪、地震。未後嶋梅溪及淇省家。訪兄之病。」(これ)より(しも)(やまひ)(こと)(しば/\)()えてゐる。(「廿五日、丁丑、陰晴。多紀安良、大淵玄道來訪家兄之病。」「廿六日、戊寅、陰雨霏々。喜多村安正、伊澤磐安訪兄之病。」四月。「五日、丙戌陰、午晴。家兄病重。」五月。「十二日、壬戌晴。較催夏氣。晩疎雲送雨。村田長庵書信訪兄之病。」「廿二日、壬申晴、午後驟雨、又霽。劉柳堂書信訪家兄之病。」「三十日、庚辰晴。晩兄病重。大淵玄道、田村元雄來診。」「閏五月朔日、辛巳陰。巳後雨風。送書於劉佶、琰、及頼庸、告兄之病重。」「七日、丁亥陰晴。此夜家兄病重。」)(はう)(ちゆう)(やまひ)は四(ぐわつ)(はじめ)(いた)つて(おも)きを(くは)へ、(じゆん)(ぐわつ)(はじめ)(いた)つて(すみやか)になつたのである。(せん)()(あに)()()すること(しも)(ごと)くである。「八日、戊子陰晴。曉家兄遠逝。擧家悲歎。弔者名姓有別記。以下倣之。」「九日、己丑陰雨或霽。」「十日、庚寅陰、時雨。是日淇及順君。鐫先兄墓版。岳丈記文。有摹本。」(はう)(ちゆう)()(はん)(はなは)(たゞ)(とみ)(ぶん)(えら)んで、(はなは)(じゆん)()(らう)(たゞ)(なほ)(せん)()とが()つた。(たゞ)(なほ)(たゞ)(とみ)(だい)()(なほ)(たゞ)(つぐ)との(おとうと)で、(のち)(ほつ)()(うぢ)(おか)した。「十一日、辛卯、曉微雨、巳後晴。曉先兄弔送。送者有別記。巳後歸家。」

 (はう)(ちゆう)()(ひさ)しく()して(はつ)せられなかつた。八(ぐわつ)()(いた)つて()(がく)(くわん)()()(やく)()(つだひ)(めん)ぜられ、十一(ぐわつ)二十七(にち)(おとうと)(しゆん)(いく)(もつ)(やう)()となすことを(ゆる)され、十二(ぐわつ)八日に(しゆん)()()(はつ)せられた。()()(げつ)(こと)である。(しゆん)(いく)(せん)()(につ)(しん)(ろく)()はく。八月。「七日、乙卯陰晴、晩雨。晩助教免書自大淵氏來。」「十日、戊午晴。兄喪闋。拜神前。」十一月。「廿七日、甲辰雨。依大淵玄道君名代、蒙嗣子之命。」十二月。「八日、乙卯晴。此日發家兄之喪。」

 (てい)(りん)()(はう)()(はう)(ちゆう)(はか)()()のものと(しよ)(ざい)(こと)にし、(また)(いし)(かたち)をも(こと)にしてゐる。(かみ)()つた(ごと)く、(とよ)(よし)より(もと)(かず)(いた)るまでの四(だい)(はか)は、()(もん)()つて()(せつ)し、(ほん)(だう)(いた)(わたり)(らう)()(した)(くゞ)つて(たつ)すべき()()(さん)()してゐる。(かつ)(いし)(ちひさ)く、(きざ)(ところ)(もん)()(ぼく)(せつ)である。これに(はん)して(はう)()(はう)(ちゆう)(はか)()(もん)()つて(たゞち)(みぎ)してこれを()ることが()()る。(はう)()(はう)(ちゆう)(はう)(ちゆう)(しつ)の三()(もん)(いう)(いけ)(がき)(そびら)して()つてゐる。()(ところ)(したが)へば、(はう)(ちゆう)()(ばう)(じん)(はなは)(うぢ)(あり)()()(つか)へて()(しん)()(いた)り、(しよく)()つて歿(ぼつ)した(とき)(あり)()()(はなは)(うぢ)(こう)(らう)(むく)いむと(ほつ)し、()(さい)(いし)(その)(ちゝ)(はう)()(はか)(かたはら)()てたのだと()ふ。(この)()(その)(いし)(たか)(おほ)きく、就中(なかんづく)(はう)(ちゆう)()(さい)の二()(きざ)(ところ)(もん)()(けん)(かう)である。

 (はう)(ちゆう)(はか)には「登香院最譽義天春沂居士、安政四年丁巳閏五月八日」と(こく)し、(つま)(はか)には「榮壽院香譽誠室明鏡大姉、明治三十一年戊戌二月五日」と(こく)してある。

 (はう)(ちゆう)(かみ)()した(ごと)(せう)()(ろく)(さぶ)(らう)()つた。()(なほ)(ざね)(のち)(しゆん)()(しよう)した。(はう)(ちゆう)(おそら)くは(その)(あざな)であらう。

 (はう)(ちゆう)(つま)(はなは)(うぢ)()(なほ)である。()(きの)一が()(ぢよ)()ませた(だい)()()(らう)(たゞ)(とみ)(たゞ)(とみ)(ひら)()()(たい)()(ぢよ)(めと)つて()ませた(ちやう)(ぢよ)(なほ)である。(なほ)(てん)(ぱう)(ぐわん)(ねん)(しやう)(ぐわつ)(うま)れて、(をつと)(はう)(ちゆう)より(わか)きこと(わづか)に一(さい)であつた。それゆゑ(はう)(ちゆう)が二十九(さい)にして()した(とき)(なほ)は二十八(さい)()(ばう)(じん)となつた。

 (なほ)(はう)(ちゆう)()する(とき)、一(しき)(ぜん)(をう)(やう)(ぢよ)となつて()した。(ぜん)(をう)は一(しき)()()()(もん)()(かち)(がしら)(しき)(はん)()()(もん)(てい)(はつ)()()である。(なほ)()(じま)(うぢ)()いて二(ぢよ)()げた。(めい)()(ぐわん)(ねん)(せん)()(かき)(あげ)に「私手前罷在候」と()つてある。

 (なほ)()(ばう)(じん)となつた(のち)()()()(こう)(あり)()()(つか)へ、(はじ)(わか)(どし)(より)(はな)()(しよう)し、(のち)(らう)(ぢよ)(しま)(うら)(しよう)した。(めい)()三十一(ねん)(ぐわつ)()に六十九(さい)にして(はし)()(あり)()(てい)歿(ぼつ)したのである。

     その十三

 (あん)(せい)(ねん)(ぐわつ)()(せん)()(はう)(ちゆう)(あと)(しき)(たま)はつた。()(ぶん)()()(しん)(ぐみ)()()(ひやう)()()(はい)である。(とき)(とし)二十であつた。

 (ぶん)(きう)(ねん)(ぐわつ)()(せん)()()(がく)(くわん)()宿(しゆく)(れう)(とう)(どり)(しゆつ)(やく)(めい)ぜられた。四(ぐわつ)()()()(しん)(やく)(きん)(めん)じ、八(さく)(せつ)()(つき)(なみ)()(じやう)(ゆる)された。(とき)(とし)二十四。

 (けい)(おう)(ぐわん)(ねん)十一(ぐわつ)十四(にち)(がく)(じゆつ)(いう)(とう)()ふを(もつ)て「卷物五卷」を(たま)はつた。(とき)(とし)二十七。

 二(ねん)(ぐわつ)()(かい)(ぐん)()(ぎやう)()(はい)(ぞく)せられた。(とき)(とし)二十八。

 三(ねん)(ぐわつ)二十八(にち)に「醫學館世話役手傳介、試業頭取之二掛り」を(めい)ぜられた。十(ぐわつ)二十四()()()()()(はい)(ぞく)せられた。(とき)(とし)二十九。(せん)()(しん)(るゐ)(がき)(よく)(ねん)()(しん)(かい)(げん)(ぜん)(ぐわつ)(ぞく)稿(かう)(かゝ)るもので、その()する(ところ)(こゝ)(とゞ)まる。

 (めい)()十三(ねん)十二(ぐわつ)()(せん)()歿(ぼつ)した。(きやう)(ねん)四十二である。()(じま)(うぢ)(せん)(えい)(てい)(りん)()にあるに、(ひと)(せん)()(あざ)()(ちよう)(しう)()(はうむ)られた。(ちよう)(しう)()は四の(はし)より()(しま)(ちやう)(みなみ)()(あた)りて(ひがし)()れたる(まち)(いう)(そく)にある。()(かは)(じん)(しや)(とう)(りん)(おほ)(でら)である。(せき)(きふ)(すう)十を(のぼ)つて、(ほん)(だう)(うら)(とう)(なん)(ぐう)(いた)れば、(てい)(りん)()(しやく)()がある。(たか)さ二(しやく)(ばかり)(はう)(ちゆう)(けい)(いし)(なん)(めん)して()つてゐる。(その)(おもて)には(たゞ)「小島尚絅之墓」の六()(こく)してある。()(せき)()い。

 ()(じま)(うぢ)(しよ)()(ちゆう)(はう)(ちゆう)()(さい)の二()(げん)(あり)()(うぢ)(はう)()(もと)にある。(その)()(せん)()()()(かう)一さんの(ひさ)しく(ゑん)(いう)してゐるために(くわう)(さう)(うち)(うづ)もれてゐる。

 (せん)()(をさな)()(ろく)(らう)()ひ、(ちやう)じて(しゆん)(いく)(しよう)した。()(しやう)(けい)である。(せん)()(おそら)くは(その)(あざな)であらう。

 (せん)()(ぜん)(しよ)であつた。わたくしは(につ)(しん)(ろく)(さい)(かい)(しん)(るゐ)(がき)(ぎやう)(しよ)とを()てこれを()つた。

 (につ)(しん)(ろく)(あん)(せい)(ねん)(しやう)(ぐわつ)朔日(ついたち)より四(ねん)十一(ぐわつ)三十(にち)(いた)(につ)()である。()(すう)六十八(けつ)(つう)(へん)(かん)(ぶん)(たい)(もち)ゐ、(かん)(じやう)(きは)めてゐる。一(にち)()(すくな)きは(わづか)に一(ぎやう)(おほ)きも三四(ぎやう)()ぎない。(たゞ)(ねん)(ぐわつ)()より九()(いた)(てう)()()(かう)(ぶん)(やゝ)(なが)く一(じつ)()十四(ぎやう)(いた)るものがある。

 (につ)(しん)(ろく)(たま/\)(ひろ)()(きよく)(さう)(きう)(けい)(さう)(だう)(ずゐ)(ひつ)とその()つた(とき)(おな)じくしてゐる。(きよく)(さう)(おほ)(さか)(ふし)()(ちやう)(けう)(きよ)にあつて、(ちやう)(しう)をして(ひつ)(じゆ)せしめたのも(また)(あん)(せい)(ねん)で、稿(かう)()いで四(ねん)(いた)つた。わたくしは(かつ)(らん)(けん)(でん)して()(さは)(うぢ)(らい)(うぢ)との(けん)(くわい)()つたことがある。()(じま)(うぢ)(ひろ)()(うぢ)()けるも(また)これに()たるものがある。

 (せん)()(はなは)(たゞ)(とみ)(だい)(ぢよ)(さだ)(めと)つた。(たゞ)(とみ)(なほ)(さち)、鋹(ちやう)(さだ)()()の五(ぢよ)があつて、(はう)(ちゆう)(なほ)(めと)り、(せん)()(さだ)(めと)つたのである。(さだ)(てん)(ぱう)十四(ねん)(うまれ)であつたから、(めい)()十三(ねん)(せん)()歿(ぼつ)した(とき)、三十八(さい)であつた。(のち)二十(ねん)(めい)()三十三(ねん)(さだ)は五十八(さい)にして歿(ぼつ)した。

 ()(じま)(うぢ)()(せん)(ばつ)(えい)(こと)にしてわたくしの()()(ところ)(こゝ)()きた。()(ところ)(もん)(じよ)(ほか)、わたくしは(せん)()()()()(じま)(かう)一さんに(たゞ)し、(また)(はなは)(たゞ)()さんを(かい)して(その)(ちゝ)(たゞ)(つぐ)さんに(たゞ)して、(わづか)(この)(せい)(でん)()(てつ)することを()たのである。

 (はう)()(まへ)()(らん)(くわ)(ぐわい)(そん)である。(はう)(ちゆう)(せん)()(はなは)(たゞ)(とみ)(ぢよ)(せい)である。(しか)るに()には(まへ)()(うぢ)(はなは)(うぢ)とを()つて()(じま)()()()らぬものが(おほ)い。

 (まへ)()(うぢ)(やう)(がく)(しゆ)(しやう)し、(はなは)(うぢ)(そう)(しよ)(かん)(かう)したのは、(もと)より()()(えき)すること(おほ)いなるものである。しかし(はう)()(その)()との()(しよ)(かう)(しう)した(こう)(また)(けつ)して歿(ぼつ)すべからざるものである。

底本:「鴎外全集」第十八巻、岩波書店
   昭和48年4月23日発行