夏木立

山田美妙

まへお

夏木立とふ中に栴檀もあり、また荊棘もあらうとふのやは手前勝手で、世間の評がさうで無ければ仕方の 無いこです。第一の 「籠の」とふのはじめ演劇正本に作つて見たで、それが思ふやうで無かつたため其儘散文にですから、な 其痕跡も殘つて居ます。それも直せばいゝの ですが、もと/\是は「し えィくすぴィあ」翁の「れいぷ、おゔ、は うくれーあす」とふ詩がうらやましかつた あまりその眞似をし て見たですから、せめて、似ると 似ぬと格別に て、その他日の 思出ばかり其儘殘して置いです。其外ある雜誌や新聞紙へ出たのあるのも一所につてこ 中に集まつて居ますが、要するに ちと時世後れの物もあつて、實に その作は(文章で見ても)今日の物では ありません。

 文章ははじめ下流に對する語法の方が以上のものより 簡單ゆゑ、言文一致体の基礎とるだらうと思つたまゝ、此中の文の り殘らずそれが地を占めて居ましたが、また 此頃につて考へて見れば 些し違つた注意も出て來ましたゑ、今は大抵仝等に 對する語法をして地を占めさせて居ます。此中の文の性質の仔細は此點に あるのです。どうぞ看客がたもその御心得に 願ひます。

 此中の文を書く頃に先文章の改良の 第一着とて彼動詞を多く用ゐ、また 主客の格を明亮にするこ心を傾けて居ましので、自然その邊の痕跡もありますが、此頃につて見ると、いさゝかの不審の件が出來て來まし ので、しらくその得失をば研究するこ ととし、今日の文に 止むを得ぬ外は敢て豹變の 手段を用ゐません。不圖見慣れぬため、いぶかし く思召す方もあらうと考へて、それでかう諄々し く述べました

  明治二十一、五月のはじめ     美妙齋主人

  (もく)(ろく)

   (かご)俘囚(とりこ)

    (その)(じやう)

(ひと)()(うち)會話(はなし)をして()るのは二人(ふたり)()(にん)だ。

 主人(あるじ)()一人(ひとり)(やせ)ぎすで(みの)(たけ)(たか)く、(したが)ツて()(あし)(かほ)(ほね)(/\)しくて、(いつ)(ぱん)(あり)(さま)がまるで(かれ)()(やう)()えたが、しかし、(どろ)(みづ)(なか)にも(れん)(ぐゑ)、その償贖(つぐなひ)には(つや)やかな()(ほし)がきらめいてゐるので(かれ)()にも流石(さすが)()(しやう)()る。構造(くみたて)(これ)だけでさへ()るなら、(この)(ほか)(いや)(けい)(ぶつ)さへ()いて()ないなら、「()(にん)らしい、」「(かう)(しやう)な」の(けい)(よう)()(この)(ひと)(あた)へるのを(をし)(もの)あるまいが、()(うん)左樣(さう)()かない。それは(ほか)でも()(この)(ひと)(わら)ふと(うへ)(した)()(ぐき)(かほ)()すことで、(その)(くせ)(くちびる)(うす)()ぎても()ないのに……(これ)(まつた)()(みじか)いのが(いや)さ、()(ぐき)(ふか)いのが(じつ)(その)(いろ)(あか)()ぎて()るのが、それをして()()たせる(だい)(いち)(げん)(ゐん)だ。(やせ)ぎすな(かほ)()(あか)()(ぐき)(その)(うへ)(かほ)(いろ)(あを)(しろ)くて……そこで(なに)やら()()(さう)、そして(はく)(じやう)なやうに()える。

 (きやく)()える一人(ひとり)(まつた)主人(あるじ)(はん)(たい)で、(しも)(ぶくれ)(かほ)()つて()るが、()(その)(わり)(ほそ)く、そして(みゝ)(ちい)さく、(なほ)(その)(うへ)(こゑ)(すこ)(しわ)()れて()るので天晴(あつぱれ)()()(ひと)()える。(これ)(れん)(けつ)」と()(ことば)(くは)へて(かんが)へると、どうも(その)(ことば)(ひと)(がら)交情(なか)をよく()ぬやうに(おも)はれ、(さら)(がう)(よく)」といふ(やく)()()へて()ると、(じつ)(あぢ)調(とゝの)ふやうだ。(まこと)それに(ちがひ)()い。この(ひと)(すわり)(かた)(おう)(たう)()(かた)、そればかりでも()れて()る。()()()つても(ひど)()()げ、(あし)(ちゞ)め、そして(たゞ)(せん)(ぱう)()()るやうな(あい)(さつ)擧動(みぶり)ばかり()()る。(これ)阿諛(へつらひ)()(いう)(かたち)で、阿諛(へつらひ)(がう)(よく)(いり)(くち)だ。

 (きやく)(しき)りに 主人(あるじ)(よう)(だい)()()たが、やがて()(ひく)くして一寸(ちよつと)(その)(かほ)(あふ)ぎ、

 「太甚(はなはだ)(さし)()がましい(こと)()では ()()いますが、どうも(せん)(こく)から()()(うけ)(まを)しまするに ()容貌(かほつき)(なに)やら……」

 (いゝ)()けたまヽ霎時(しばらく)()(しき)(うかゞ)つて()ると、主人(あるじ)(すこ)(わらひ)()ける(れい)()(ぐき)(あらは)して。

 「(くだ)(もの)(なか)(じゆく)せば(かは)()むのさ。容貌(かほつき)(かは)平常(つね)(とほ)りでないのは (こゝろ)(なか)平常(つね)(まゝ)()いからさ」。

 「如何(いか)にも(かは)()みますのは (なか)(じゆく)しました(ゆゑ)さて(なか)(じゆく)させますにはいづれ(かぜ)(あめ)でもありまして……」

 「それは()(もち)(ろん)さ。その(かぜ)(あめ)……どうだ、これ、(くろ)_お_ぢ_あ_す、()(まへ)()たるかの」。

 「()(やう)(ござ)います。えゝ、あの(なん)(ござ)いましやう」。

 「(なん)だ」。

 「もし(ちが)ひましたら()(ゆる)しあそばせ。あの、()(ぶん)(こひ)(かぜ)と……」

 「ふゝ、それから」。

 「(なみだ)(あめ)との(この)(ふたつ)で……もし(これ)()(ちが)ひました」。

 主人(あるじ)(かほ)、ソレデモ、(すこ)しは (はづ)かしさうな(てい)()えます。

 「(くろ)……(くろ)_お_ぢ_あ_す」。

 「はい」。

 「流石(さすが)(その)(みち)(くろ)_お_ぢ_あ_すだ。どうしてそれが分解(わか)ツたか 」。

 「まことに(いたみ)()りますが、この(くろ)_お_ぢ_あ_すとて(はな)()め、(はな)()る、(えん)(げい)(わざ)には……(それ)(ゆゑ)(かは)()(げん)(ゐん)すぐ()れます」。

 「(これ)(なか)(/\)おもしろい。(じつ)今日(けふ)()(まへ)(おれ)()んだのは(まつた)(その)(こと)()いた()(だい)で……それでも流石(さすが)(いひ)()しにくゝ、つひ(いま)まで(だま)ツて()のだが、左樣(さう)()れゝば、(どく)()ツた(あと)(さら)で、もはや(うち)()かす(ほど)(ゆう)()()た」。

 「それも(なか)(/\)(つう)(じやう)(もの)()()ることでは (ござ)いません、左樣(さう)(だん)(ぜん)()(ゆう)()()()しあそばすことは」。

 「これ、(いや)(あぶら)()けるな。その(あぶら)(ちから)()りて、それなら(した)(すべ)らさう。(じつ)(この)(あひだ)()()(おれ)……」

 「如何(いか)にも()(じん)(ござ)いましやう」。

 「左樣(さう)さ。()(じん)()()めたわ」。

 「嗚呼(あゝ)(その)()(じん)幸福(しあはせ)だ、(いま)(ろう)()(いち)()(あらそ)()(ぞく)(あつ)_ぴ_あ_す(さま)()()()まツて」。

 「()(まへ)(くち)(かる)いので(おれ)(はなし)(おも)くなる。(その)()(じん)のうつくしさ、あ、(おれ)(くち)では(いひ)()くせない。が、それが(おどろ)いたよ、()()してよく(きゝ)(たゞ)して()ると、あの()(まへ)()ツて()るだらうが、それ(へい)(みん)()_あ_じ_に_あ_す、(あれ)一人(ひとり)(むすめ)()_あ_じ_に_あと、()(もの)なのさ。まア(この)(ひろ)(ろう)()(うち)でも(おれ)(つま)となるべきものは()(ぶん)あの(ほか)()るまいが、それにしても(おれ)()(ぞく)だらう、()(ぞく)だか(へい)(みん)とは、(はふ)(りつ)(じやう)(こん)(れい)することが()()ないでは()いか」。

 「それは生憎(あいにく)(こと)(ござ)います。(なに)其處(そこ)()()(あん)」。

 「さア、それだ、て、 その()(あん)さ。どうしても(こう)(ぜん)と、それだから、(あれ)(めと)(こと)()()ないのだ」。

 「それでは()(だん)(ねん)(あそ)しまして」。

 「(なさけ)()(こと)()ふな。()うして(だん)(ねん)()()るものか (だん)(ねん)()()なければこそ(その)(おもひ)(ほか)へあらは れて……これ、(くろ)_お_ぢ_あ_す、()(まへ)(けい)(けん)は、()るだらうが、それから()()(おれ)(まる)(いつ)(さい)()(ちう)で、その(くせ)(ゆめ)には(おも)(かげ)が……」

 「()(さつ)(まをし)()げます。さぞ()(こゝろ)(くる)しう(ござ)いましやう」。

 「うゝ(ほん)(たう)(こゝろ)(ぐる)しいわ 。なんと、()(まへ)()(まへ)には ()手段(てだて)()いか ()(まへ)(さい)(ばん)(じよ)(やく)(にん)だから、(せい)()にも()れて()るだらう。この(あつ)_ぴ_あ_すが(たの)むぞ。(ほう)()幾許(いくら)でも()らう」。

 「へゝ(ほう)()……()(ほう)()……()(ほう)()などをば (けつ)して、殿(との)さま、それでは (なん)です、あの()_あ_じ_に_あ_すが(いくさ)()()(すき)(ねら)ひまして卑官(わたくし)が「()_あ_じ_に_あ」を……(ひど)(ござ)いましやうか」。

 「「()_あ_じ_に_あ」を()うするのだ」。

 「(めし)()ツて()れてまゐれば()(はや)(その)(あと)殿(との)さまの()()(ゆう)(ござ)いましやう」。

 「(くろ)_お_ぢ_あ_す」は(ほこり)(がほ)(あつ)_ぴ_あ_す」は(にが)(わらひ)

 「まア左樣(さう)だ。けれど(すこ)(きこえ)(へん)だな」。

 「なんの殿(との)さま。殿(との)さまの()(けん)(せい)殿(との)さまが()さる(こと)ですものを 」。

 「はゝ、左樣(さう)()へば 左樣(さう)だけれど……(なに)しろあの()(あい)らしい(ひと)吃驚(びつくり)するのが()(あい)(さう)だ。が、()いわ(くろ)_お_ぢ_あ_す、左樣(さう)してくれ」。

 お (この)(ろう)()(もろ)(なほ)()(ざん)、つひに()(よく)()(れい)となツた(ろう)()()()んだ(ひと)()ツて()るが、(ろう)()()(ぞく)(らん)(ばう)(およそ)(まづ)(これ)(ほど)(じん)(けん)(なに)(まる)()(ちや)()(ちや)して()る。(じつ)(せい)(てい)(はふ)(りつ)(そむ)いた。(じつ)(へい)(みん)をば()(れい)(おも)ツた。(じつ)(おか)した、(とく)()(じやう)(だい)(ざい)を。(じつ)(ふる)()ツた、(かつ)()(しよ)(げふ)を。(じつ)(あつ)_ぴ_あ_すは()(ぞく)(うち)でも、(いち)()(あらそ)(もの)でした。(じつ)また(その)(かは)()(ぞく)(うち)では(いち)()をあらそふ(けもの)だ。(じつ)(くろ)_お_ぢ_あ_すは(せい)()()れた(さい)(ばん)(くわん)だ。(じつ)に、また(その)(かは)り、(よく)()れた(さい)(ばん)(くわん)だ。(じつ)(あつ)_ぴ_あ_すは(かう)(しよく)(えう)(くわい)(じつ)(くろ)_お_ぢ_あ_すは(きん)(せん)(ゆう)(れい)

 (かう)(しよく)(えう)(くわい)(きん)(せん)(ゆう)(れい)(じつ)(これ)(ろう)()()(ぞく)だ。

    (その)(ちう)

「まだ()(ちか)(づき)にはなりませんでしたか貴娘(あなた)(この)(わたくし)()(ぞん)じもあります まいが、(わたくし)(あつ)_ぴ_あ_すと()(もの)です。()()貴娘(あなた)此樣(こん)(へや)(むろ)(うめ)となツて()()ツて(さぞ)()(しん)(ぱい)なさいましたらう。()(はや)(わたくし)がまゐツたらに()()(づかひ)ありません。ま、ちと此方(こちら)()()りなさいと」。()ふのは(れい)(あつ)_ぴ_あ_すで、(いま)()()_あ_じ_に_あを(うば)ツて、此處(こゝ)(さい)(ばん)(じよ)(うち)(ひと)()(おし)()めたのだ。

 ()_あ_じ_に_あは (なる)(ほど)(あつ)_ぴ_あ_すが(かん)(てい)したとほ(うつく)しい。(くちびる)(うす)(いろ)(あご)(はな)(した)(しろ)いので、(いよ/\)()()ち、()(なか)潤澤(うるをひ)(たま)(うご)くまゝます/\(ひと)(なや)ませる。()擧動(こなし)蕭灑(さらり)とした(うち)(すこ)(ねばり)()()(やう)で、何處(どこ)とて(てん)()たれるやうな(ところ)()く、(はな)(せい)とか(つき)(たま)とか(ひやう)したいほどだ。

 ()(ぞく)()()(てい)(ねい)な、(あつ)_ぴ_あ_すの(こと)()()_あ_じ_に_あは (うす)()()わるく、(ざん)()(あつ)_ぴ_あ_すの(かほ)()()めたまゝ()(すく)めて()(てい)(あつ)_ぴ_あ_すは (また)(こと)()()(たゞし()(ぞく)(くせ)として()(はや)(こん)()(こと)()(さま)(てい)(ねい)でなくなツた)、

 「これは(なに)(その)(やう)(おそ)れるにも(およ)ぶまい。如何(いか)(わたくし)()(をとこ)でもまさか(おに)にも()えまいが……(これ)でも一人(ひとり)(にん)(げん)さ。(これ)でも()をば()ツて()る。(これ)でも(はな)をば()ツて()る。(はな)(かたち)(ひき)(うす)でも()(じん)()をば(かぎ)()けるよ。()(かたち)(さがり)()でも()(じん)をば(いつ)でも()()けるよ。()_う_ずの(やう)()(じん)(ざう)をば何時(いつ)()ても()_う_ずと(みと)める。だが、どういふ所以(いはれ)だか、()_あ_じ_に_あと()()(じん)をば()_う_ずと()()ける(こと)()()ない、(いや)さ、()_う_ずよりは(なほ)(うつく)しく(おも)ふのさ」。

 (のべ)()ツた(さい)()()(じつ)(この)()(がん)(もく)ゆゑ(あつ)_ぴ_あ_すは(こゝろ)()め、少女(をとめ)(かほ)熟視(みつめ)()ると、少女(をとめ)(たゞ)(した)()いて(はづ)かしさうに(わら)ツたが、倐(たちまち)(その)(わらひ)(ひき)()ませて一寸(ちよつと)(あつ)_ぴ_あ_すの(かほ)()()げた、

 「それでは 貴下(あなた)があの()(だか)(あつ)_ぴ_あ_す(さま)で……あの一寸(ちよつと)うかがひますが、(なん)(つみ)賤妾(わたくし)此處(こゝ)()れられましたのです。すこしも()(くら)(おぼえ)が……」

 「(おぼえ)()いとは()せない。()(まへ)(たい)(そう)(つみ)(つくり)だ。(その)(つみ)()(ゆゑ)此處(こゝ)(とぢ)()められたのさ」。

 「それでは何樣(どん)(つみ)(とが)で」。

 「(ひと)(ごろし)(つみ)(とが)さ」。

 「えゝ(ひと)(ごろし)(なん)のまアそれは(めつ)(さう)もない(こと)を……」

 「(いゝや)(いゝや)(じふ)(ぶん)(ひと)(ごろし)(ざい)(にん)だ。それ、(その)(うつく)しい容色(かほつき)(おれ)(いのち)()るでは()いか」。

 少女(をとめ)此處(こゝ)(さて)(さと)り、()うしたら()からうか (おも)へば(くわツ)()逆上(のぼ)せてはや(りやう)(がん)(なみだ)(あげ)(しほ)

 「まア貴下(あなた)……」

 「は貴下(あなた)どう()たね。(なん)だ。(あと)(なに)()ずに ……はゝ()(ごん)(しよ)()(ごと)だな。(じつ)その(あん)(ばい)(なみだ)(ふく)んだ()こなしは 、いよ、(めう)だ、(せん)(きん)(あた)ひが ()るて。それを()れば()るほ ()(ぼん)(なう)(いぬ)()えて()て、(おもひ)()りたいが (おもひ)()れない、 たとひ()んでも(おもひ)()れない、 ()(さい)(さう)だが (おもひ)()れない。ね、これ、()便(びん)(おも)ツてお くれ。日外(いつぞや)(こと)であツた、()(まへ)一寸(ちよつと)()()めてから はどうした(この)()(ゐん)(ぐわ)やら(さつ)(ぱり)(おもひ)()れないで、(いま)(さら)(はづ)しい(こと)だが(かすか)(みゝ)(そこ)(のこ)ツて()()(まへ)(こゑ)(さう)(ざう)(がく)()(よび)()して()ひて()(まへ)(そば)()()なツたり、また(とき)()(まへ)(かほ)(この)つひに()などをば()いたことの()()で、この()()(よう)()で、(いろ)(/\)()いて、それへ(むか)ツて談話(はなし)()たり、()(まへ)(おな)年齡(とし)どな()(じん)()れば『あゝ(おれ)(おも)(ひと)(あれ)とは(かほ)(かたち)しか(ちが)ないのだが』とそゞろに(まう)(ざう)()いて()たり、(いま)それを(くだ)(/\)しく()(まへ)()ふのも可笑(をかし)いが(じつ)(こゝろ)(せつ)なさは(ひと)(ゝほり)(こと)ではないよ」。

 「しかし貴下(あなた)貴下(あなた)()()(ぞく)(わたくし)(へい)(みん)では(ござ)いませんか。それをまだ()(ぞん)(あそ)ばさずに ……」

 「(せん)(どう)(ふね)()いて()らぬ(ところ)()い。()(ぶん)(おも)(ひと)()(ぶん)(だれ)()らずに ()るものか。(もと)より()(まへ)(へい)(みん)なのは (おれ)とても()ツて()る」。

 「それならば(また)(なに)(ゆゑ)」。

 「おゝさ、(はふ)(りつ)といふ(わる)(やつ)()(ぞく)(へい)(みん)との(こん)(れい)(じや)()()れて()るが 、さア、それだ、それであツても(ぼん)(なう)(けつ)して(しづ)まる()(しき)()い」。

 少女(をとめ)(かほ)(のぞき)()んで(いよ/\)(こゑ)(やさ)しくし、

 「()(わる)いことを()たくなる、(にん)(げん)(こゝろ)執拗(かたいぢ)なのは(われ)なが (わけ)からない。()(まへ)(へい)(みん)()だと()いたときには()(とほ)くなる(ほど)(しつ)(ばう)して、さ、(けい)(けん)()()(まへ)()るまいが()()()さ、咽喉(のど)(かは)いて()たよ。(これ)(おれ)(その)(とき)はじめて()ツたので()などを()んで()たが(よう)()(なほ)らなかツた。(おもひ)()せば(おれ)()(ぞく)であるのが(しん)(そこ)(いや)なツて()()ツて、たとひ(くらひ)()ツても(へい)(みん)になりたくなツた。()(まへ)(へい)(みん)()だと()ふことを()らなかツた(うち)(おれ)(じつ)(へい)(みん)をば(こゝろ)から(にく)んで()たがその(にく)んだ(もの)(うち)(あひ)らしい(ひと)()るのを()たら(いま)(さら)(かへ)ツて(へい)(みん)(のこ)らず(にく)くなくなツた」。

 「(あり)(がた)(ござ)います。(この)(やう)()(つゝか)(もの)をそれほ どまでに(おぼし)()して(くだ)さりますのは (けつ)して(あだ)(ぞんじ)()げません」。

 「あ、おとなしい(こと)()()ツて()れた。(おれ)(こゝろ)から(あり)(がた)い。それでは (おれ)()便(びん)(おも)ツてくれたね」。

 「(いえ)貴下(あなた)()()ちあそばせ。も、()(ねがひ)(ござ)います」。

 「(なに)……(なに)」。

 ()()_あ_じ_に_あは()(おこ)こして(かゞ)みなが (あと)退(しりぞ)き、

 「()()()(ぶか)(あつ)_ぴ_あ_す(さま)……」

 「はゝゝ()()()(ぶか)()_あ_じ_に _あ(さま)(なに)もそんなに (だん)(/\)(あと)退(じさり)するにも(およ)ぶまい。さ、そんな汚穢(きたな)(ゆか)(うへ)(すわ)ツてしまはないで()()(こし)()けたら()からう。(いく)(たび)()ふやうだが、これ()()きよ()_あ_じ_に_あ(おれ)()(まへ)(した)(こゝろ)たやすく(くち)では(いひ)()くせない。()(まへ)最初(はじめ)()(とき)()(まへ)(はう)から(ひと)(ふき)(かぜ)()いて()(ところ)(その)(かぜ)(この)(うへ)()(おれ)(うれ)しくて……それは(べつ)()(さい)でも()いが、ね、たゞ(その)(かぜ)(なか)には(いく)(ぶん)()(まへ)(はき)()した(たん)(さん)()(まじ)ツて()て、それを(おれ)()ふのだと(おも)ふから。(その)(とき)(また)()(まへ)(おれ)よく(おぼ)えて()るが(なに)やら後面(うしろ)(ふり)(かへ)ツた。それを後面(うしろ)から()()(おれ)(こゝろ)……此處(こゝ)だけは(いひ)(にく)いからこれ(さつ)しておくれ。()(かく)自惚(うぬぼれ)(あたま)(もた)げたり、(りやう)(しん)()(えき)(ちから)(ふる)ツたり、この(いち)(ねん)()(きん)(とろ)けずには()まい、この(いち)(ねん)(みづ)には(くわ)(ざん)()えずには()まい、この(いち)(ねん)(あめ)には()(かい)()れずには()まい、この(いち)(ねん)()(さき)には(てつ)()けずには()まい。さア、(それ)(ほど)(おもひ)()んだ(こと)だか(のち)()()()らなくなツて(つひ)(この)(とほ)(わる)(こと)とは()りなが()(まへ)(うばひ)()らせたので、どうしても(この)(うへ)(おもひ)()んだ(いち)(ねん)(とほ)さないでは()かぬ(しよ)(ぞん)だ。え、(なに)其樣(そん)(かほ)をして(おどろ)(わけ)にも(あた)るまい。ま、()()(しよ)(まう)ではあらうが()いておくれ。(せつ)ない(おも)ひだ。くるしい(むね)だ」。

 ()()のわるい()(ます/\)(やみ)(ふか)くして、(たま)(やう)(きよ)(ともし)()もほ と/\(ひかり)()されて()()ひ、(ねた)ましい蟋蟀(こほろぎ)(おや)()(そろ)ツて(うた)(うた)ひなが (つゆ)()(ざけ)()んで()る。四邊(あたり)(かべ)(あはれ)をも()らない、(かた)(かた)めて(にげ)(みち)()してもやらず。(うら)めしいのは(うで)(すぢ)、たゞ(ふる)へに(ふる)へて()て。()()(つめ)(かく)して(ひつじ)(すか)した。(ひつじ)(むね)、けれど、(さら)けた、その(かく)された(つめ)で。()()(きば)()せずに(ひつじ)をなだめた。(ひつじ)(なう)、けれど、()まれた、その()せられぬ(きば)で。()()ざらめいた(した)(ひつじ)(ねぶ)ツた。(ひつじ)(こゝろ)、けれど、(かは)()れた、そのざらめいた(した)で。

 (かな)しさうな()_あ_じ_に_あの()じツと(あつ)_ぴ_あ_すの(かほ)(むか)ツた、

 「()(こゝろざし)のほどは(まこと)()う……ですが (これ)ばかりは(ひと)(みち)(そむ)くこと、また(くに)(おきて)にも(もと)(こと)(ござ)いますから。(いえ)(なに)(けつ)して、(けつ)して、(けつ)して貴下(あなた)()(うらみ)(まを)しはいたしません。()(ぞく)(がた)()()から()(らん)なされば(へい)(みん)(むし)(やう)(もの)(むし)(やう)(もの)(なか)(この)()_あ_じ_に_あ、(むし)(やう)なものゝ(なか)(この)孱弱(かよわ)婦人(をんな)(むし)(やう)(もの)(なか)(この)(おろか)()でございます。()(ぞく)(がた)()()()まらぬ(ほど)(もの)(ござ)います」。

 「あら、また其樣(そん)(こと)()ツて()るよ。(かひ)()れたばか りの(うま)(つかひ)(にく)いとは ()比喩(たとへ)で、なる(ほど)()(まへ)(いち)(めん)(しき)さへ()(おれ)(きら)ふのはそれは(だう)()だ、()()では()い。が其處(そこ)、この(あつ)_ぴ_あ_すが(した)から()(ねが)ふのだ。それではあんまり(なさけ)()い」。

 「(なさけ)()いとは(あつ)_ぴ_あ_す(さま)、それは (わたくし)(まを)すことで(ござ)います。(なに)(わたくし)貴下(あなた)()ツたばかりの()(しゆ)(じん)とは (ぞんじ)()げません。()(ぞく)(がた)(うち)でも(いち)(ばん)すぐれた(かた)(あつ)_ぴ_あ_す(さま)で……」

 「おてゝはいけない。お だてられると(なほ)(おれ)(ぼん)(なう)(つの)るばか りで……」

 「あゝ(まを)し、(あつ)_ぴ_あ_す(さま)貴下(あなた)()(ぞん)じで(ござ)いますか 」。

 「(なに)をまた()(まへ)()(ぶん)」。

 「(いえ)たくしの(みの)(うへ)を」。

 「(みの)(うへ)か。そして(それ)どう()たのだ。お や、()(まへ)(なき)()すのか(みの)(うへ)どう()たのだ」。

 ()(はや)少女(をとめ)(こゑ)(なみだ)うるんだ、

 「親父(おやぢ)(かた)()(しやう)(ござ)いますものを、もし(わたくし)貴下(あなた)()(こゝろざし)……()(こゝろざし)(したが)ひますれば、(まを)し、()()()(ぶか)(あつ)_ぴ_あ_す(さま)(わたくし)(いき)(なが)らへては……」

 (あと)(こと)()()()さなくなツて()()ツて、この(なげき)(えだ)(かなしみ)(たく)(さん)()ツた。孱弱(かよわ)(ひと)(はや)(なに)()(たゞ)口惜(くや)しさうに(つみ)()衣服(きもの)(はし)(かみ)()めて(あと)只管(ひたすら)(かしら)()げて「(ゆる)してくれ」と(こひねが)(その)(あり)さまのいぢらしさ、(たい)(てい)(ひと)()()られない(ほど)が、(こゝろ)(いろ)綿(わた)のやうな(こゝろ)、しかし(あはれ)(てつ)(やう)(こゝろ)(さら)(うご)かされない。その(くせ)……(シツ()(どき)上手(じやうず))、

 「嗚呼(あゝ)(じつ)(こま)ツたなア。()(まへ)(かな)しからうけれど、(おれ)(むね)()けるやうで……(いつそ)この(むね)(かべ)()れて(なか)(ぼん)(なう)(おし)()して()()ツたなら、なまなか()(らう)()るまいに……()(まへ)(すこ)しでも(こは)がらせるのが(いや)さに()(もの)をも()ツて()なかツたから此處(こゝ)(つんざ)くことも()()ず……」

 霎時(しばらく)(あひだ)この(かう)(しよく)(えう)(くわい)(なまぐさ)(さう)()(いき)()故意(わざ)()(ふる)せて(たくみ)(りやう)(がん)から(ながれ)()(じや)(ゐん)(なみだ)(ぬぐ)ツて()たが()()また(こゝろ)(けつ)した(てい)で、

 「どうぞ、これ、()_あ_じ_に_あ、どうも(おれ)、どうしても、(おれ)、どう(かんが)へても(おれ)どう(おも)ツてもこの()鹿()(おれ)(おもひ)()ることが()()ないよ」。

 「ちえゝ、貴下(あなた)……あら、貴下(あなた)……一寸(ちよつと)まア()(きゝ)(あそ)ばせ」。

 「(おう)といふ(へん)()をか」。

 「(いえ)、ま、かよわ ()()(たす)けなさるも()()(どく)(ひと)つです」。

 「左樣(さう)さ、(こひ)(した)()()(たす)けなさるも()()(どく)(ひと)つです」。

 「貴下(あなた)()(こゝろ)()(だい)(わたくし)生命(いのち)(ござ)いません」。

 「貴娘(あなた)()(こゝろ)()(だい)(わたくし)生命(いのち)(ござ)いません」。

 執念(しうね)くまつはる常春籘(きづた)()()()。からまれて(えだ)()せる(かつら)(わか)()(いま)(まで)(しの)びに(しの)んだ()(ねん)さも(いま)(かん)(にん)(ぶくろ)(かくれ)()から(つき)()して少女(をとめ)(かほ)(うへ)(ゆき)(わた)ツた。(せん)(こく)までは()()(はづ)かしめた(ほゝ)も、(いま)()めて(あを)(うり)(とも)()れさうになり、(いき)寸斷(きれぎれ)(おほ)(はな)から()(はいり)する。そして(こゝろ)(たい)(てい)憤怒(いきどほり)棲處(すみか)となツたので(こは)(おそ)ろしさは(まつた)(おひ)()され、たゞ「(にく)らしい」の(ほむら)(もえ)()ツて、(われ)()らず()をくひしばらせ、(いつ)(たん)()まで(ふる)せて(はた)(あつ)_ぴ_あ_すを(にらみ)()けさせたが、また其處(そこ)(かん)(にん)(こゝろ)(くちばし)()れたので(から)(その)(ほむら)(しづ)められた。やりたかツた、(とび)()いても。やりたかツた、(かき)(むし)ツても。けれど()ひてそれを(かく)した。(その)くるしさ(たとへ)(やう)()い。()(はや)(はら)(だち)()(なみだ)(みづ)(かは)されて()(ながれ)()なくなツたが、そのかはり(うち)(たゝ)へられた(かさ)(くみ)()くせない(ほど)であツて、(わづか)(いち)(べう)ほどの(あひだ)(かず)(かぎり)()(かん)(じやう)(こゝろ)(でん)()(はし)ツて(とほ)る。

 「(せつ)(かく)芳志(おこゝろざし)()する(わが)(まゝ)(じつ)(もつ)(たい)いことで、(さぞ)()(はら)も立ちましやう、(にく)(やつ)とも(おぼし)()しましやう。(こゝろ)では (わたくし)も……(あつ)_ぴ_あ_すさま……()(わび)(まを)して()りまする。()(はら)()ちますなら()のやうにも()(せつ)(かん)あそばして、(にく)(やつ)だと(おぼし)()すならどのやうに()(ちやう)(ちやく)あそばして、それで、どうぞ貴下(あなた)()(かん)(べん)()すツて……」

 (つも)口惜(くや)しさをじツと(こら)へて(わび)()ること(ゆゑ)(こと)()(をは)ると(すぐ)(さま)(こら)へずわツと(なき)()した、けれど(じやう)(よく)()(れい)(なほ)(きゝ)()れない。

 「()(まへ)(なか)(/\)()(とり)(もの)よ。(その)(しう)(たん)姿(すがた)まだ()(なみ)()まれぬ婦人(をんな)(うで)(まへ)とは()えないよ。それ()がら(もの)(あはれ)()らぬ(かほ)をして()るのはそれは強面(つれな)いでは()いか。ね、(いく)(たび)(くち)(たゝ)くやうだが、()(まへ)(ひと)()()てからは……」

 「(なに)(わたくし)ばかりが婦人(をんな)でもありません。()(ぞく)(がた)(うち)でも貴下(あなた)どは (のぼ)(あさ)()()げる(うしほ)(いきほひ)()()でな さいますものを、()(ぞく)(がた)(その)(うち)(はな)(つき)()(えら)びなさツても。()(かつ)()では (ござ)いませんか (ちり)(づか)(たん)()()()()()()めな さるのは(もつ)(たい)いでは (ござ)いませんか (うら)(だな)(まど)(つき)()(こゝろ)()()けな さるのは()(すい)(けう)では (ござ)いませんか」。

 「ところが、これ、よく()()き。その(ちり)(づか)(たん)()()、よく()れば ()(じん)(さう)さ。その(うら)(だな)(まど)(つき)……」

 「()(じやう)(だん)(たい)(がい)に……」

 「おや、()(じん)(さう)(おこ)ツたね。(なに)(おこ)(ほど)(こと)では あるまい。婦人(をんな)縹到(きりやう)()められて(いつ)(たい)(よろこ)(わけ)のものだ 」。

 ()(はや)()_あ_じ_に_あは 逆上(のぼせ)()たので()(りよ)(ふん)(べつ)もなく自棄(やけ)なつた。

 「貴下(あなた)(あつ)_ぴ_あ_すさま、(ひと)()鹿()するのも(たい)(がい)()さいまし。(した)から()()ますれば 何處(どこ)まで()(ぞう)(ちやう)あそば すのです。さ、(くに)(おきて)(やぶ)ツて()(ぶん)(じやう)(よく)()げるのだから()(ゆう)なれと()れましたとて()()()でもそれを(しやう)()いたしますか。それが()(ぞく)()(こと)()ですか。それが()(ぞく)()品行(みもち)ですか。それでえらい()(ぞく)ですか。それで(すぐ)れた()()(ぶん)ですか」。

 「そんなに(おこ)らないでも()いわね。(いや)()ふなら(うで)づくでも……」

 少女(をとめ)ぎよツと()退()いた。(けだもの)(こと)()調(てう)()()げた。

 「だがそれをば(この)まない。それゆゑに (した)から()るのだそれでも(なほ)(きゝ)()れなければ ()(かた)()いは (わう)(じやう)づくめだ。ね、分解(わか)ツたかえ。これ、どうだえ。さ、(いや)かえ、()(しやう)()かえ。これ、さ、な(へん)()()ないのか。()(まへ)(おれ)(した)ふのは……」

 「もう、それは (うけたま)りました。(なん)(わたくし)()鹿()だとて(なん)(わたくし)(へい)(みん)だとて……(いぬ)(やう)()(ぞく)……」

 「これさ、(いぬ)とは(なん)(こと)だ。それは あんまり(いひ)()ぎたろう」。

 「(いぬ)だから(いぬ)ですは」。

 「なるほど左樣(さう)だ。(おれ)(ぼん)(なう)(いぬ)だな ア。(ぼん)(なう)(いぬ)()ツたな (あはれ)んでも()からうが。一寸(ちよつと)()(まへ)()()()せ」。

 「(なん)ですね、()()しなさい」。

 「おや、(おれ)()ツたな」。

 「()ちました、(わる)(ござ)いますか」。

 「()(ぞく)(おれ)()ツたな」。

 「(いぬ)()(ぞく)()ちました」。

 「(げん)(さい)(へい)()()るな」。

 「(わたくし)()(わたくし)一人(ひとり)(もの)です。(ゆび)(いつ)(ぽん)でも()()(じん)(いぬ)()(ゆう)」。

 「な……(いぬ)……」

 「(いぬ)()(ぞく)()(ゆう)……(ころ)せ、もう(かく)()したぞ」。

 (あつ)_ぴ_あ_すも(いま)流石(さすが)にこらへられなくな ツて()()ツた、

 「この(ちく)(しやう)め、(だい)(たん)な。(した)から()れば (つけ)()がるか。(のぞみ)(どほ)(ころ)してやらう。けれど(たゞ)(ころ)さな い。乃公(おれ)男子(をとこ)だ。乃公(おれ)()(ぞく)だ。(いひ)()した からには(うで)づくでも(ほん)()()げるか (かく)()をしろ」。

 少女(をとめ)(いま)(いつ)(しやう)(けん)(めい)(おほ)きな(こゑ)

 「ひとごろしイー」。

 まだ(きよ)光輝(てり)(うしな)(ともし)()(かげ)(いま)貞操(みさほ)(あぶら)()きて(よこ)(ぶき)(こひ)(かぜ)(まばた)いた。(そら)()(じやう)(つき)もあるだらうが(かべ)(へだ)てられて光輝(ひかり)()してもくれない。たゞ(きこ)えるのは()(いぬ)()れて(すご)さうに(うめ)()(いぬ)(こゑ)

    (その)()

()()けたが()_あ_じ_に_あは (なほ)(さい)(ばん)(じよ)(よく)()()(さい)(ばん)(じよ)(いろ)(まよ)(さい)(ばん)(じよ)()()()()(さい)(ばん)(じよ)、そして(とく)()()んで()(さい)(ばん)(じよ)(ひと)()(なほ)(おし)()められて()る。(つみ)()()(ぶた)(はれ)()がツて(つみ)()(まゆ)(ひそ)(きず)ついた(たま)(かほ)(あを)ざめて(きず)ついた(たま)(あご)()せた。(これ)昨日(きのふ)(さま)(くらべ)()せられたな(こゝろ)あるものは (おも)(なみだ)をもよほしたらう。今朝(けさ)容貌(かほつき)(おん)()色彩(いろどり)(あと)(はら)ツて()(ねん)(その)(かはり)移轉(ひきうつ)ツて()る。昨日(きのふ)までは(あい)(/\)しかツた(かほ)今日(けふ)(すご)()(ふく)(かほ)昨日(きのふ)までは(ひと)(なや)ませた(あい)(けう)()今日(けふ)(ひと)(おど)(おどろ)(かみ)昨日(きのふ)までは(ひと)(とろか)した(さう)(まなこ)今日(けふ)(ひと)(にらみ)()ける(めの)(ひかり)昨日(きのふ)までは(わらひ)()びた(くち)今日(けふ)(かみ)(やぶ)られた(くちびる)昨日(きのふ)までは(うす)(いろ)(きぬ)(ほゝ)今日(けふ)蚯蚓(みゝづ)(ばれ)(ほゝ)。そればかりでも(すご)いのに(かみ)(やぶ)られた(くちびる)からは血がだら/\と()れるまゝ(さら)(ぬぐ)れても()ず、たゞ()がきり/\と()ツて()る、

 「あの(こゑ)(すゞめ)、うれしさうな(すゞめ)、うれしさうに ()(すゞめ)けれど(うらみ)のある()(かへ)ツてそれが(ねた)ましくて……(ちく)(しやう)(あつ)_ぴ_あ_すめ()(ざん)(ほど)()る。(ちく)(しやう)め、(ひと)()を……ちえゝ婦人(をんな)()(かな)しさに、かよわい()(かな)しさに(うで)(づく)では(かな)ないで……ま、どうしたら()からうなア。(きれ)(もの)でも()ツたな()めては(ひと)(かたな)りと(きり)()けてやツたものを、たゞ(ひつ)()いて(くひ)()いたばかりで……あゝかよわ()口惜(くや)しい」。

 (かみ)()(むし)りながら()もだえ、

 「このやうな ()(じよく)()けて(この)()()きて()られやうか。どうか(はや)()にたいが、えゝ、()いが、()いが、ま…ま…また()んだ(その)(あと)ではさぞ()(とう)さまが……ひいイ」。

 口惜(くや)しさうに()()とを(もみ)()ツて、

 「()(とう)さまがいとしい。お いとしう(ござ)いますが ()(とう)さまウ、えゝ(この)(やう)(さい)(なん)をば(ゆめ)(ゆめ)にも(うつゝ)にも……()(ぞん)じはありますまい。貴父(あなた)()()い、この(むすめ)()うなツたとは(つゆ)ども……ちえゝ(おも)へば、な……なみが……()(むね)()(とう)さまウ……()……()()せてたゞ(いま)(こゝ)餘處(よそ)なが()告別(いとまごひ)いたしますウ。も、()きて()られぬ(みの)(うへ)です。()(なつ)かしう(ござ)いますが(ひと)()()()にかゝりたう(ござ)いますが(この)()()()ることが()()ませんから(この)(まゝ)で……あゝ口惜(くや)しう(ござ)います」。霎刻(しばらく)()(ごん)()(かみ)()め、

 「ちツ…ちツ…(ちく)(しやう)め、(ちく)(しやう)め……(あつ)_ぴ_あ_すの(ちく)(しやう)め……えゝ(この)(よわ)いこの()め、……えゝ、この(よわ)いこの(つめ)め、……えゝ、この(よわ)い、この()()め……何故(なぜ)もツと(ふか)(きず)をこしらへてやらなかツたらう。おい、()、おい、(つめ)、おい、これ、()……なぜ()(まへ)(もち)(ぬし)()(なん)(すく)ツてくれなかツたよウ。えゝ(ざん)(ねん)ぢやないかなア。それにしても()(とう)さまが……(この)(あひだ)(かど)()(とき)も……あゝ()ふるへるわ……あれほ(くれ)(/\)(おツしや)ツて(くだ)すツたに……さぞ()鹿()(むすめ)と……あゝ()鹿()でもよう(ござ)いますウ……(ほん)(たう)()鹿()でした。(われ)ながら(この)()には(あい)(さう)()きましたウ」。

 (ぜん)()(しやう)(たい)(なき)(たふ)一人(ひとり)(ゆか)(ころ)げて()る。(ところ)()()()()けて(あわ)たゞしく(はせ)()んだ一人(ひとり)(をとこ)(おもひ)(がけ)ない、ま、なつかしい(おや)(おや)()_あ_じ_に_あ_すだ

 (おや)(すぐ)さま(むすめ)(そば)へづか/\と(はせ)()ツて()()げて()(きも)をつぶすと、(むすめ)わツと(なき)()した。

 「むす()うした(その)(かほ)は。やは 那奴(あいつ)左樣(さう)されたか」。

 「(これ)()(がい)いたします」。

 「それでは那奴(あいつ)の……左樣(さう)か、まア、どう()やうな」。

 「()(めん)なすツて……()(とう)さま……貴父(あなた)()(はぢ)もなりました」。

 「しえい、お のれ、(あつ)_ぴ_あ_すめ……どうして、どうして(うち)()ツては ……こ…こ…これ、(むすめ)たしかに ()(がい)(かく)()()たか、 ()(まへ)()(がい)する()なツたか」。

 「()(がい)する()……()(めん)(くだ)さい……な りました」。

 「ありがたい、(かん)(しん)。どうぞ、これ()んでくれ。(たの)むぞよ。(おれ)(ころ)してやるからよ」。

 「あツ…あツ…ありが…ありが たう(ござ)います。さア(どう)(いま)(すぐ)」。

 「だが、ま、()ツてくれ。(この)()()(ごり)(おや)()(わかれ)、これ(かほ)()せてくれ。うゝん、こんなに 蚯蚓(みゝづ)(ばれ)が……(くちびる)もやぶれて……左樣(さう)か、くやしかツた らう。(きつ)()(かたき)()ツてやる。()(まへ)(あつ)_ぴ_あ_すに(うば)れたと()いて吃驚(びつくり)して(ぢん)(かけ)()して()て、な、(むすめ)(おれ)此處(こゝ)()た。それも()(まへ)(いつ)(こく)(はや)(たす)けたいからのこと。()(みち)でも(こゝろ)(うち)()(まへ)()(なん)(いの)ツて()たのに、ま、(ひと)(あし)(おそ)かツた。(おそ)ツたのが口惜(くや)しいわイ。(おれ)(あし)のぼんくらが、この(あし)(おほ)()鹿()(にく)らしいわイ。え、(なん)だと……どうしたと」。

 「(わたくし)()ました(あと)でもどうぞ()(とう)さま、()()(たしか)……そればかりが(こゝろ)(のこ)りで……」

 「()ふて、よく()れた……よく()ふてくれた。口惜(くや)しいなアウ。(かな)しいなアウ。()(あい)(むすめ)をむざむざと(おや)()づから、えゝイ、(ころ)すとはウ、ま、(なん)(ゐん)(ぐわ)だらう。どれ、(むすめ)、もう(いち)()(かほ)()せてくれ。うゝ(この)蚯蚓(みゝづ)(ばれ)を……うゝ左樣(さう)か……さ(ころ)すから(かく)()しろ」。

 「どうぞ()(かほ)をもう(ひと)()」。

 「さア、(おれ)(かほ)らこんな(かほ)だ。どれ()(まへ)(かほ)をも()(いち)()……なる(ほど)この蚯蚓(みゝづ)(ばれ)を……」

 少焉(しばらく)(あひだ)(おや)()二人(ふたり)(たがひ)(かほ)(ながめ)()ツて()(ごり)(をし)んで()たが、うか/\としては()られぬので(やうやく)して()_あ_じ_に_あ_すは(こゝろ)(さだ)めて(なみだ)をはらひ、(かたな)()いて()(じやう)(ふり)()げ、「それでは(むすめ)(かく)()()ろ」と(こゑ)()ければ(むすめ)(さわ)がず「あい」と(ひと)(こと)やさしい(こゑ)()ふに(かたな)()()(ゆる)み、流石(さすが)(おや)(さう)()(すく)んだ、

 「……むすめ()(れん)やうではあるが、(これ)()(おや)(ごゝろ)どうぞ(いま)(ひと)()()(まへ)(かほ)を……」

 (また)もわツと(なき)()せば(むすめ)もいとゞ(むね)(せま)ツて、

 「あゝ(まを)し、()(とう)さま、(わたくし)(あだ)をかへさうとて()(あぶな)いこ とを()さいますな 。いツそ(わたくし)(いぬ)(じに)しても()(とう)さまの……()(とう)さま……()()(なん)のが(なに)よりか……」

 「お (かう)(/\)だ、(かう)(/\)だ。(がう)(もの)()はれた(おれ)だが今日(けふ)といふ今日(けふ)ばかりは(めづ)らしいこの(なみだ)が……」

 「(わたくし)とても()年齡(とし)()ツた貴父(あなた)()てゝ(めい)()()きますのは、えゝ、も、かなしう(ござ)います。どうぞ(わたくし)(はか)()へは(とき)(/\)()()でくだすツて……」

 「も…もう()ツてくれるな (むね)(さけ)るやうだ。どうしたら(いた)(おもひ)をさせずに ()(まへ)(ころ)せやうかな ア。(かたな)()るのは(いた)(/\)しい。(おれ)(こと)()あふな(おれ)此處(こゝ)()ぬものを」。

 「()(とう)さま、それ では()()(れん)(ござ)います。どうぞ()()(とり)(なほ)して……(わたくし)(かく)()()めました」。

 「そんな(おれ)(かく)()した。むすめ、(かん)(にん)してくれろ」。

 ()られる(むすめ)()(おや)(むね)(なか)(なみだ)(みづ)(かさ)(はり)()けるばりにナル()(がた)(しほ)()()不知(しらぬ)()(きら)めく(ひかり)(たま)()(ひと)(こゑ)(むすめ)(くび)は、あら()(ざん)、たちまちに(だう)とはハナレ(ごま)()(すぢ)()(づな)(いま)()れた、(いき)()もまた()れた。

    (たま)()(みせ)

 ((にせ)(こん)(がう)(せき))えへん。(たふと)いなア、(おれ)は。えらいな ア、(おれ)(おれ)身體(からだ)(うつく)しいことは……一(てん)(くもり)()(すき)(とほ)ツてさ、(きん)(ゆび)()(なか)(はま)まツてさ。()ろ、(おれ)姿(すがた)對向(むかひ)(はり)玻璃(がらす)(うつ)ツて()(おれ)姿(すがた)を。(おれ)()()をあのとほり()(づよ)(はん)(しや)して……(だれ)でも()(くら)ますだろう。(われ)がら(ほれ)(/″\)するわイ。どんな()()(した)(おれ)はこんな(れい)(しつ)()まれたらう。(れい)(しつ)……(じつ)(てん)()せる(れい)(しつ)」だ。だから「おのづから(すて)(がた)し」だ。(いま)()貴婦人(れでい)()(おれ)()(うけ)して()くわ()(うけ)して()ツて(しら)(うを)(ゆび)(おれ)(はさ)んで、さ、(はさ)んでからは、それ、(いつ)(けん)だ、(おれ)()(さう)されるといふ(いけ)(けん)だ、()(じやう)(さい)()(じやう)(じん)(たまもの)(たふと)れるといふ(いつ)(けん)だ。(うま)いなア。左樣(さう)ればもうシメ()のウ()()()()るのだ。對向(むかふ)(たな)()(やつ)(ほん)(たう)(にく)(やつ)で……()()きなさい、()(となり)明石(あかし)(さん)()(らう)さん。

 (珊瑚)はてどう()ました。

 (贋金)(なに)、ね、この、(わたくし)(つか)まへて「()(さま)(にせ)(もの)」だと()ひましたぜ。な んと(あんま)りではありませんか。其處(そこ)(わたくし)(はら)(すゑ)()ねて、

 「(にせ)(もの)()いものだ。(おれ)こそは(しやう)(しん)(しやう)(めい)(こん)(がう)(せき)だ。()ろ、()(さま)身體(からだ)(ちよく)(けい)(いち)()()りないだらう。(はゞか)りながら(おれ)どは(ちよく)(けい)(さん)()ほども()るわ(ひと)身體(からだ)(おほ)きいのを(うらや)んで、(ひと)()(なん)()たうと(おも)ツたとて(だれ)(しやう)()するものか。()(やり)()めてやツたのです」。

 (珊)それは()()()でしたね。それからどう()ました。

 (贋金)左樣(さう)すると如此(こう)()ひましたぜ、

 「()鹿()()(びん)(やつ)。よく()()(さま)はな ()(だい)玻璃(がらす)()(らん)西()どでは(さかん)()(さま)(やう)(にせ)(もの)(せい)(ざう)して()るわ。(ほん)(もの)()(さま)ぐらゐの(おほ)きさな(だれ)(さん)(ゑん)()るものか」。

 (珊)(くち)()らな(やつ)ですねエ。(なん)でしやう、まア。

 (贋金)だが、(さん)()(らう)さん、()鹿()(かな)ひませんよ。貴君(あなた)とて、ねエ、(いろ)(つや)はほんのりして、(さくら)()はうか ()()()はうか (たとへ)(やう)()(やう)(こう)(がん)でお いでなさるのに (なか)()(もの)がべちやくさと…ねエ。

 (珊)左樣(さう)です。やれ(ねり)(もの)だの(にせ)(もの)だのと(わる)(くち)をば かり()ツて()()めるのですよ。

 (贋金)(なに)あんな (やつ)(たゞ)(ひと)(わる)()ツて(よろこ)んで()()鹿()(もの)ですからそれと(とり)()ふのは()()(こと)です。

 (珊)(ほん)(たう)、ねエ、(げん)(ざい)(うつく)しいのが(なに)よりの(しやう)()です。()(うけ)される(とき)こそはじめて(かたき)をとツてやれます。あゝ(はや)()(うけ)をされたいなア。

 (贋金)お此處(ここ)主人(あるじ)(へん)(やつ)()ツて()るぞ。おや(さん)()(らう)さんを、あら、()ツて()ツて、その(かは)りに那奴(あいつ)(おれ)(とな)りに()くのか。(なん)だ。うゝ(なに)か、(こう)(ぎよく)(せき)か。那奴(あいつ)(いつ)(たい)()(だか)(やつ)だ。(いち)()()(えん)たとへられたとて(よろこ)んで()たツけ。なアにあんな(やつ)()(さう)(はい)さ。(さき)から(こと)()をかけないければ(あい)(さつ)をしてやるものか。えイ(すわ)りやアがツた。わはゝ(ころ)げやがるわ。(ざま)()ろ。

 おや(みせ)(だれ)()ツたぞ。はゝア(がく)(かう)(がへり)(をんな)()だな。たツた二人(ふたり)か。二人(ふたり)とも()(めん)()いぞ。何歳(いくつ)ぐらゐだらう。十五六かな。(いつ)(つい)(やう)(ふく)とは(かん)(しん)だ。(あり)(がた)いあのうるはしい()(おれ)()()めて()るは。一人(ひとり)(やつ)()鹿()だなア、この(おれ)()()かないで(なに)(ほか)(もの)()()て。おほん。()(ぢやう)さま。如何(いかゞ)です、(わたくし)()()イル()(かは)()()()ですか。()(どく)なります、()(うけ)して(くだ)さい。なアるほど(あらそ)はれない、二人(ふたり)二人(ふたり)()てくれるわ。それ玻璃(がらす)(くも)ツてはよく()えまい。左樣(さう)左樣(さう)()いて。(なに)……「あれが(いち)(ばん)()い」……(かん)(しん)(/\)(/\)流石(さすが)(しん)()(むすめ)()だ。え、「(おつ)()さんに左樣(さう)()ツて明日(あした)()つてもらはう」と……左樣(さう)さ、左樣(さう)でなくてはならない。(なん)だ、是奴(こいつ)(おれ)ではないと。

 (なに)……「(こう)(ぎよく)(せき)(しよ)(まう)だ」と……そんなら()(さま)たちも()鹿()だ。()け、()け。(はや)()ツてしまへ。

 いや()た、(こん)()のは(なん)だ。うん(この)(ちやう)(ない)()(ども)たちか。(うつ)(たう)しい、是奴(こいつ)(たち)()(たふ)すばかりだから(やく)()たない。()ツて()るな。那邊(あちら)()け。だが、それでも(かん)(しん)だ。ふゝ、(おれ)()めて()て……(かん)(しん)()()るな。(いま)(りつ)(しん)するだらう、それほど怜悧(りこう)だから。(ぼツ)ちやん、()()()だこと。

 ふゝ……ふゝ……(たい)(そう)いゝ(にほひ)がする。()()(じん)(らい)(りん)だな。いづれも()(めん)(うれ)(のこり)だ。その(かはり)衣服(きもの)()い。衣服(きもの)()(じん)といふ(やつ)さ。ほい(わる)()ツて(きこ)えると(たい)(へん)。へい(こん)(がう)(せき)(ゆび)()()(しよ)(まう)なら……(いや)さ、そんな(ちい)さな(やつ)は……それは(にせ)です、(にせ)(もの)です。(にせ)ですと()ツたら(にせ)ですよウ。(ほん)(もの)(わたくし)です、ちよ…ちよ…(ちよく)(けい)(さん)()です。(わたくし)()()ひなさいよウ。(なに)……()(じふ)(ゑん)をそんな(すな)のやうな(もの)、あゝ()(じふ)(ゑん)()鹿()()()ますよ。もし()()(じん)わたくしは(たゞ)(さん)(ゑん)あなた(そん)(とく)()(ぞん)じないのですか、あ、わたくしに()()()まらないのですか。わかツた(おれ)先刻(さツき)(わる)(くち)()ツたので(はら)(たツ)たのだな(これ)は、それでなくて(おれ)()てゝあんな(もの)()(わけ)()い。これは(おれ)(わる)かツた。それでは()()(じん)わたくしは(しつ)(れい)いたしました。どうぞ()(めん)くだすツて……えゝ(とう)(/\)(かへ)ツてしまツた。

————————————————

 ((いた)玻璃(がらす))どうも()(やう)()(しろ)(もの)だな ア。(うぬ)(ぼれ)(ほど)()る。()(ぶん)かり(こん)(がう)(せき)()()ても(ひと)()といふ(さい)(ばん)(くわん)があるは。田舍(ゐなか)(もの)(なに)かでな くて(だれ)(あざ)むかれるものか。

 (贋金)おや。どこかで、 (だれ)(おれ)(わる)()ふよ。だ……だれだ。(この)(いち)(まい)(いた)の、()(さま)だな(はり)玻璃(がらす)(ぶん)(ざい)(なま)()()。さア(おれ)(きん)(くわん)(つき)(こん)(がう)(せき)さまだ。(きゝ)()てゝはおかれぬぞ。な(おれ)(うぬ)(ぼれ)だ。(いや)さ、な(おれ)()(やう)のな(しろ)(もの)だ。さア(その)(わけ)(はく)(じやう)しろな(おれ)(にせ)(もの)だよ。

 (張玻)(しづか)しろ。(ぐわい)(ぶん)がわるい。()(じやう)()はなくては分解(わか)るまいが(じつ)()(さま)(おれ)とは(きやう)(だい)で……

 (贋金)なに(きやう)(だい)(たい)(がい)しろ。(はゞか)りながら(この)(おれ)はみすぼらしい玻璃(がらす)どは……へん、()(はう)も……

 (張玻)……まア(だま)ツて()くがいゝ。これさ、左樣(さう)(おこ)らずと……(いや)さ、それだから(わる)いのだ。(じつ)()(さま)玻璃(がらす)だよ。玻璃(がらす)だが、ま…また(おこ)るさ(じやう)(とう)玻璃(がらす)だ。()いか、()(とう)では()いのだ。(ほん)(たう)()(らん)西()などに(いろ)(/\)(はう)(ぎよく)(せい)(ざう)する(ところ)が……

 (贋金)こいつが/\、()はせて()けば(はふ)(ぐわい)(こと)かり……もし(おれ)(ほん)(たう)玻璃(がらす)(ひと)(みな)(おれ)をば 玻璃(がらす)といふ(はづ)だ。(ところ)が、(けつ)して左樣(さう)でない。

 (板玻)そして(ひと)(なん)()ふ。

 (贋金)(にせ)(こん)(がう)(せき)と。

 (板玻)あツ。それだから(にせ)だ。

 (贋金)(にせ)しろ(こん)(がう)(せき)だ。玻璃(がらす)ではあるまい。さア()うだ。

 この(いた)玻璃(がらす)め、(かく)()しろ。

 (板玻)わ はゝゝゝ、()ろ、(どう)だ。(ほん)(たう)(こん)(がう)(せき)()(さま)()るならば()(ごと)(おれ)()れる(わけ)だ。(にせ)(しやう)()()(さま)玻璃(がらす)(しやう)()(おれ)(きず)をつけられまい。それ、それでも(かん)がへて()ろ。()(さま)()るまいが、(しやう)(しん)(こん)(がう)(せき)(たん)()だ、()(さま)(おれ)とは()()()()(えん)(せき)(くわい)(はう)(がふ)(ぶつ)だ。(これ)らはちと(はな)()るがいゝ。(しやう)(しん)(こん)(がう)(せき)()(まれ)だからとて()(さま)(かは)(ほり)なつた()(つひ)(じつ)(ぶつ)(くら)べられて(あか)(はぢ)()くに(きま)ツて()るわ()(だい)(ちが)ツて()(うへ)、また(しやう)(めい)(こん)(がう)(せき)(せつ)()(たく)()()()()る。()(さま)(おれ)(みがき)(かた)(てい)(ねい)なものではない。ね、(かんが)へて()るが()いよ。

    (ほね)()(いつ)(にく)()(めう) (はな)(いばら)(いばら)(はな)

()やゝ(すゐ)(へい)(せん)(れう)()(はな)れた()(いはひ)とて(ろく)(しやく)かりの(たち)()にも()()(けん)(かげ)()し、(わか)(くさ)(はる)(さめ)(よび)()されたのを(わす)れぬためか(みどり)(そで)(しら)(たま)粧飾(かざり)(たく)(さん)()けて()る、(はら)(ひろ)くてところどころの()(だち)(ほか)(ひと)()(さへぎ)(もの)()たず、()(だち)(かげ)には(とり)(こゑ)長閑(のどか)に、(きよ)(きこ)えて()る。(はら)(かた)(かは)(きり)(ぎし)(ふち)(ふか)さはどのくらゐあるか、(みづ)(いろ)(あを)く、(すご)()える()(あひ)ではどうしても(あさ)くは()いやうだ。(むかふ)(ぎし)には(いか)めしい(しろ)(ひか)へて()て、その(しろ)(よこ)(がほ)()(ひかり)(にら)めて()るので(しら)(かべ)(かう)()(しあん)(いろ)(この)(あさ)(うす)()()()()(いん)(ぢあん)(いろ)で、そして(また)(まど)()(たま)(まぶ)しさうに(きら)めいて()る。(そら)よく(はれ)(わた)り、(はる)(くせ)とて()(かた)()(だう)(こい)(はなだ)に、(すゑ)(かめ)(のぞき)()(ふん)(あゐ)……すなは(はなだ)(あけぼの)(ぞめ)。それを(この)(しろ)()(もの)として()る。それに(この)(しろ)(つゝ)まれて()る。(うす)(あか)(うす)(はなだ)……どうも反映(うつり)()い。()(ぜん)(しろ)(きは)()ツて()える。

 ()(はう)には(いろ)(/\)(はな)()いて()て、たゞ「これは これはとばり」うつくしい。(はな)(すこ)しも(りん)(しよく)でなく、芳香(にほひ)(ぶん)()()えず()らして()ると、()らされた(ぶん)()()くでもなく()かぬでも()(かぜ)()(しや)()ツて(ひと)(はな)(あな)隧道(とんねる)(なか)(はな)()()(だち)(あひだ)(ぞく)(/\)(りよ)(かう)して()る。(しろ)後面(うしろ)あるのは(やま)(びやう)()それに()かツて()るのは(たき)(しろ)(ぬの)。すべての()(しき)()さ、(じつ)(ぶつ)とは(おも)れぬほ()()(とゝの)ひ、また()とは()えねほど(しん)(せま)ツて()る。もし(じつ)(ぶつ)ならよほど(ざう)(くわ)()(げん)()(とき)、それを(つく)ツたのでもあらう。もし()なら、(かな)(をか)()_ふ_あ_え_るが(うで)に麻(しびれ)()らしてそれを(ゑが)いたのでもあらう。あア(うつく)しい、()(やう)で。あア(しん)(せま)ツて()る、(じつ)(ぶつ)(やう)で。

 (この)(はら)(まい)(あさ)()かさず()(ろく)(ぴき)(ひつじ)(いつ)(ぴき)(いぬ)とを()れて()(せう)(ねん)()る。その平常(つね)(しよく)(もつ)(ひど)()くも()らうが、(かほ)(いろ)はなは(つや)(/\)しい。(わら)(かほ)には()(すく)へる(ほど)(あい)(きやう)(つゆ)がこぼれて、(じつ)に、その(ひと)(がら)牧羊(ひつじ)(かひ)()()(あい)らしい。(この)牧羊(ひつじ)(かひ)(まい)(にち)(はら)(ひつじ)(いぬ)とを()れて()(とき)には(いつ)でも(ふえ)()くのを常習(ならひ)として()るので、(ある)()もやはり(れい)のとほ()(ねん)なくそれと()いて()る。(ふえ)()(じふ)(ぶん)(すみ)(わた)ツて澁滯(とゞこほり)()(かぢ)(まくら)(つき)(なが)めた(ひと)(おもかげ)までも()()かぶほどで、それを()(ひと)(むね)には(くぎ)でも()たれるやうに(あはれ)(しみ)(わた)ツた。(あさ)()(かぜ)(あつ)くなく(さむ)くなく、(ひき)(めぐ)らされた(かすみ)(まく)()るやうで()いやうで、(もの)光景(ありさま)(なん)となく(いう)にやさしく()えた(その)(なか)(この)()(れい)(ろう)(ひゞ)くのだから、それを()(もの)(こゝろ)(おこ)(かん)(じやう)(ちやう)()(あたゝか)(ふすま)(なか)(はり)(れう)()(ほどこ)されるやうだ。(ひつじ)(よろこ)んで(あち)(こち)(はね)(まは)り、(いぬ)放心(うか)れて()()る。牧羊(ひつじ)(かひ)ます/\(けう)()ツて(きり)(ぎし)(かど)(こし)()け、なほ/\(ふえ)(ふき)()ますその風情(ふぜい)(うるは)しいこと()(ゑがき)()くせるものではない。

 (ふえ)()(ひゞき)(はじ)めるや(いな)や、(いつ)でも(むかふ)(ぎし)(しろ)(まど)()いて其處(そこ)から(うつく)しい、(ちい)さな(かほ)()る。(これ)(とし)(ごろ)牧羊(ひつじ)(かひ)とおなじほどだらうけれど(その)(かほ)(かたち)(なほ)(うるは)しくて、(ひめ)(ぎみ)()(ちが)へられるばり。()(ぶん)(これ)(この)(しろ)(わか)(ぎみ)ででもあらうが、たゞ(かほ)(いろ)(うき)()ツて()ず、さながら(こゝろ)(ふか)(うれひ)()(やう)で、その(あり)さまは這方(こちら)(きし)から(あり)(/\)()える。それで(ふえ)()(ひゞき)(わた)ツて(だん)(/\)()(きやう)()()るときばかり微笑(ほゝゑみ)(あと)(その)()(くち)(へん)(あらは)れるのは(じつ)(いち)(にち)かりの(こと)では()く、(まい)(にち)(まい)(にち)ならず左樣(さう)であツたか()(ぜん)牧羊(ひつじ)(かひ)(われ)()らず(ふえ)(ほね)()るやうになると、(しろ)(ひと)またいよ/\(みゝ)()まして()くやうになり、(つひ)(この)二人(ふたり)(あひだ)早晩(いつしか)(しん)(あい)(じやう)()て、はるかに二人(ふたり)(かほ)()()せる(とき)には二人(ふたり)とも(かならず)(ゑみ)(ふく)(つひ)また(その)(かさ)(おほ)くなツて(たがひ)(もく)(れい)をするやうになツた

 (いま)牧羊(ひつじ)(かひ)(こゝろ)()(しん)()()

 「どういふ()(ぶん)(ひと)だらう、あの(ひと)(なん)でも(ひと)(じち)俘虜(とりこ)だらう。それでなければ 此處(こゝ)()()(はづ)だ、あのくらゐ(たの)しさうに ()いて()るのだものを」。(これ)だけの(かんがへ)(おこ)るや(いな)や、牧羊(ひつじ)(かひ)また(なん)()(しろ)(ひと)(した)はしく(おもひ)()めて()たが、何故(なぜ)左樣(さう)(おもひ)()めたか(その)(へん)分解(わか)らない、()(ぶん)ながら。けれど(この)分解(わか)らないのは(すなはち)()(ども)らしい、あどけない(けつ)(ぱく)な、()(あい)らしい(ところ)で、(じつ)(この)牧羊(ひつじ)(かひ)も「()(この)む」の(てん)(せい)(じふ)(ぶん)(しば)られて()るのだ。牧羊(ひつじ)(かひ)まだ()(ども)まだ(けい)(けん)(とも)しいから(したが)ツて(はん)(だん)(ちから)(うす)い、(なに)が「()」やらよく()らない、それで()ながら「()」を()れば()(ぜん)(あい)する(こゝろ)(おこ)すなはち「()」をば()らないで()して「()」に(くら)むのだ。(この)(れい)()(おほ)くある。(おな)(さい)(ほう)(がく)(かう)()(ぢよ)(せい)()たちの(あひだ)も「()」と「()」との(ゐん)(りよく)(かならず)(おこ)ツて皮膚(きめ)(こまか)(はな)()(まづ)(いろ)(じろ)(ゆき)()交情(なか)よく()(はじ)める、先方(むかふ)(そば)()りたく(おも)へば這方(こちら)(となり)()きたくなる。それも二人(ふたり)二人(ふたり)ながら「()」といふ(はん)(だん)()けた(のち)()(おもひ)()すものでは()い。()(まち)だらうが(だれ)だらうが、(あげ)(まき)(ころ)から(さだ)まツて(これ)がたしかに()(ばう)だと()ツて()るものはない、だから()(しん)(よう)(しよく)(たま)(あざむ)き、(はな)()かすといふ(こと)最初(はじめ)から()ツて()るものではないが、(だん)(/\)(とし)()けるに(したが)ひ、(いく)(ぶん)(はん)(だん)()()()(うへ)()(にん)(ひやう)(きゝ)()むので、其處(そこ)(はじ)めて「(さて)(おれ)」の(うぬ)(ぼれ)(がみ)宿(やど)ツて()るのだ。(これ)(こと)()(けん)(うつく)しい()()(じん)たちに(けい)(けん)()ることだ。

 牧羊(ひつじ)(かひ)(むね)には()(しん)()()えるば かり、(つひ)こらへかねて、それから、()(ぶん)(あと)()(ひつじ)(いぬ)(しかり)()けて(はら)へそれを(のこ)して()き、()(ぶん)ひとり(まはり)(みち)して(ほど)()(むかふ)(ぎし)()き、さて(しろ)(まへ)()()ると、さア、(すご)(ものゝ)()()(かた)めた(ばん)(そつ)(きび)しく其處(そこ)(まも)ツて()る。(それ)()這方(こちら)()()(さま)(なに)(たと)へられたら(じふ)(ぶん)だらうか(ひやく)()()(ぎやう)()(まき)(もの)(りん)()(ひかり)(うつ)ツて()(やう)……それでもまだ()くして()ない。()(しつ)(がく)(しや)()()(るゐ)()(だい)(まう)(じや)(ぐん)(じゆ)して()(やう)……それもまだ(うま)くない。失樂園(ぱらたいすろすと)()(わう)たちが(てん)(きう)(おそ)(くわい)()(ひら)いて()(やう)……どうもまだ(おも)(しろ)くない。()(かく)(じつ)(すご)い。牧羊(ひつじ)(かひ)(ゆめ)もまだ此樣(こん)(すご)()(まき)(もの)、こんな(いや)()(るゐ)()(だい)、こんな(こは)(くわい)()をばまだ(いち)()()ツたので(もつとも)(はげ)しく(おどろ)いた。(むね)(どう)()はあわてゝ(はね)()す。身體(からだ)(あと)(ひき)(かへ)る。が、もはや(おそ)ツた。(ばん)(そつ)(おひ)()けて()た。()()(すぐ)さま(ひつじ)(つか)んだ。

 「(だい)(たん)(もの)め、(なに)()た。(おほ)(かた)(てき)間諜(まはし)(もの)()(さま)此處(こゝ)から(わか)(ぎみ)(ぬすみ)()しに()たのだらうが……(なん)其樣(そん)なに(そら)(なき)しても……」

 ()れた(こと)()(これ)ばかり。牧羊(ひつじ)(かひ)身體(からだ)はや(ひき)()まれた、(もん)(なか)へ。(その)(とき)牧羊(ひつじ)(かひ)(こゝろ)、それは()かれる(まで)でも()い。(なみだ)(うみ)(およ)()(ため)酸漿(ほゝづき)から()(そく)()(かほ)(いろ)(かま)なかツた、それにも、(ばん)(そつ)(じつ)(あはれ)()らね(やつ)だ。(すぐ)(この)(つみ)()牧羊(ひつじ)(かひ)()れやうとした、(しろ)(らう)へ。牧羊(ひつじ)(かひ)(いつ)(しやう)(けん)(めい)()きながら、踠(もが)きながら、(くひ)()きながら、(ひき)(かき)きながら……けれど(した)(せま)ツて()()ツて……

 (いし)(みづ)には (くだ)かれる。牧羊(ひつじ)(かひ)(なみだ)(みづ)では(ばん)(そつ)(こゝろ)(いし)(もろ)くなり、踠(もがき)(あらそ)牧羊(ひつじ)(かひ)(あり)(さま)()ては(ばん)(そつ)たちの()()とは(たがひ)(おも)(むかひ)()ツた。(ところ)(しろ)(わか)(ぎみ)から(おもひ)(がけ)ない、その牧羊(ひつじ)(かひ)(ゆる)してくれろと()(おふせ)()たので(ばん)(そつ)(こゝろ)(いし)(じふ)(ぶん)(くだ)かれた。(すぐ)牧羊(ひつじ)(かひ)(わか)(ぎみ)便室(ゐま)(みちび)かれたが、あまりの(うれ)しさに()(ふる)へて、便室(ゐま)(はひ)ツてもよくは(くち)()けない。(わか)(ぎみ)もそれを()(わらひ)()けた、

 「さぞ(こは)かツたらう。けれど、もウ(あん)(しん)()()よ、もウ(なん)(こと)()いから。(いつ)でも()(まへ)(はら)()(たい)(そう)(おも)(しろ)(ふえ)()いて、ね、(わたし)れを此處(こゝ)()いて、どんなに(うれ)しかツたらう。今日(けふ)まあ(あそ)んでおいでよ」。

 ()(りやう)(あい)(けう)()(くぼ)から(したゝ)らせて、(あい)らしいのさ、牧羊(ひつじ)(かひ)(かほ)(よこ)から(のぞき)()みながら(かろ)くその(かた)()ツて(ほそ)(こゑ)(あい)(さつ)する(ひと)(がら)(すぐ)れて()ることは(なん)とも()とも(たとへ)(やう)()い。(へや)粧飾(かざり)()(ろん)うつくしく、(こと)其處(そこ)(しろ)(さん)(がい)なので(まど)からは(はう)(/\)()(しき)がよく()(かめ)()かツて()(まん)(ねん)(かう)薫香(にほひ)(かべ)()かツて()()(がく)()(れい)さ、主人(あるじ)(わか)(ぎみ)(うるは)しさ、(あい)らしさ、(みぎ)()(ひだり)()牧羊(ひつじ)(かひ)()(なに)(すべり)()まなかツた()(ほか)

 「(ほん)(たう)(いち)()(あたし)(きも)をつぶして……(あぶな)(くら)(ところ)()れられる(ところ)を……ありがたう」。

 「(あたし)、ね、(さみ)しくて(さみ)しくてならないか ら、今日(けふ)()(まへ)此處(こゝ)(あそ)んで()てお くれ、(いろ)(/\)(こと)をして(あそ)ぶから」。

 「なぜ、こんな()(れい)(うち)()て、()して玩弄物(おもちや)やあの(がく)のやうな()(ひつじ)()どを()ツて()て、そしてな ()(まへ)さみしいの」。

 「でも(あたし)……あの、ね……()()きよ、(わる)()(らい)(あたし)(くに)()ツて、それから(いま)でも、(この)(とほ)り、此樣(こん)(あたし)まだ()たこともな(くに)(しろ)(あたし)(とぢ)()めてしまツて……嗚呼(あゝ)()(きやう)……()(きやう)()(へん)だか(いつ)でも、ねえ、(とほ)くに(くも)()(とき)『あゝ(あたし)()(きやう)あの(へん)()るのか()らん。あの(くも)をも()(きやう)(ひと)()()るか()れない。嗚呼(あゝ)()(きやう)(じつ)()(はう)だらうなア』。とばかり(あたし)(おも)ふのだよ。それだものを、(あたし)(こゝろ)(うき)()たないのは(あたり)(まへ)さ。あゝ(つま)らない(はなし)をして……さア(これ)から()(まへ)(いツ)(しよ)(あそ)う」。

 あどけないのは()(ども)(つね)牧羊(ひつじ)(かひ)(せん)(こく)(おそ)ろしさを()(はや)(わすれ)()てゝ、たゞ(めづ)らしい遊戯(あそび)(とろ)けさうな(かほ)をして()ると、(しろ)(わか)(ぎみ)(その)とほり、(こゝろ)(うち)愁憂(うれひ)(たて)(おひ)にしてしまツた。(とき)()ぎるのは()ぶやうで、はや正午(ひる)()()()()る、倐(たちまち)(あひだ)(ゆふ)(ぐれ)(くろ)(まく)。「おや()()れるのか」。「なあに(くも)()たのだらう」。()(くわい)のあまりは(てん)()(べん)()(にん)をもこしらへる。けれ(ほし)目瞬(めばたき)()(はじ)めれば(からす)(ねぐら)(がへり)(うた)(うた)ツて、(しよう)(ひやう)()(じふ)(ぶん)とはならない。(わか)(ぎみ)牧羊(ひつじ)(かひ)(かへり)(みち)(さみ)しくなるだらうと(おも)ツて、(いろ)(/\)牧羊(ひつじ)(かひ)(せき)()て、「ね、(あたし)()(まへ)(わか)れたくはいが、()(まへ)阿母(おツか)さんや阿父(おとツ)さんが(しん)(ぱい)するといけないから……だから、また明日(あした)(きつ)()()()でよ」と(ひやツ)(ぺん)(くり)(かへ)した、(あん)(しよう)する(ほど)(いく)()(くり)(かへ)した。(あい)(じやう)()さは(これ)ほどで、牧羊(ひつじ)(かひ)(その)(ちう)(こく)()(たう)とは(おも)ツたが、(なか)(/\)(おもひ)()れない。(つひ)(しか)しながら(ひと)(まづ)(じやう)(よく)(ほむら)(しづ)めて、(いや)(すか)して(わか)(ぎみ)(わか)れ、(もん)(たち)()でやうとすると、(おどろ)いた、(ばん)(そつ)また(さし)()められた。「これか()(まへ)()ねまでは(けつ)して(そと)ヘは()さないぞ」。

 (つき)(かへ)されて牧羊(ひつじ)(かひ)(いち)()(おどろ)いて()(むね)をついたが、まだ此處(こゝ)(あそ)んで()たい(こゝろ)をば(やま)(/\)()ツて()るので、(つひ)その(こゝろ)()容易(たやす)く「おどろき」の()()(かり)()くして()()ツた。()(ども)だけに(こゝろ)(こゝろ)との(せん)(さう)(しやう)()(はや)い。「(しろ)(そと)()られないなら()れこそ(ねが)ツても()いことだ。まあ今日(けふ)()ういふ()()だらう。(りつ)()(しろ)(なか)()て……(これ)から(ゆふ)(めし)は、それ、あのな、(うま)(もの)()くだらう。あゝ津液(よだれ)()るわ」。

 (もと)より(わか)(ぎみ)とて牧羊(ひつじ)(かひ)()かれたくは()いのだから、(これ)(へい)()(あそ)んで()る。「それなら(こん)()(あそ)べるねえ」。「あゝ(うれ)しい、うれしいな」。やれ骨牌(かるた)、それ(しやう)()さア(うで)(おし)、お()(すご)(ろく)(ふえ)をも()かう、(こと)をも()かう、踏舞(おどり)をもおどらう、(なぞ)をも()けやう。「()()けた」。「(あと)明日(あした)()(なぐさみ)」。「さあ()やう」。「おゝさ、()るのも(いつ)(しよ)ねエ」。

 (この)(まゝ)(いち)(にち)(ふつ)()()ぎた。(その)(うち)(なに)やら()()れぬ(やまひ)牧羊(ひつじ)(かひ)(こゝろ)(さん)(しよく)して()て、()(なか)(ちゝ)(はゝ)姿(すがた)()えるやうに(みゝ)(そこ)(ちゝ)(はゝ)(こゑ)(きこ)えるやうになり、または()(ぶん)()(もの)()ればそれを()ツてくれた(はゝ)(こと)(むね)()かみ、(はゝ)(こと)(むね)()かめば()(さう)(れん)(らく)(ちゝ)(こと)(あと)から(すぐ)()かんで()てそれで(かほ)(いろ)(うき)(/\)しなくなツた。(けん)()(ふすま)襤褸(つゞれ)臥床(ふしど)(おもひ)()(たね)(ぎん)のらんぷは松明(たいまつ)(おもひ)()(たね)そして(ばん)(そつ)()はれた(こと)()はいとゞ()をくるしめる(たね)

 「(ゆめ)ならば()めてくれ、(うつゝ)らば (やぶ)れてくれ、(おれ)(いま)(あり)(さま)が。此處(こゝ)阿母(おツか)さんが日外(いつぞや)(はな)してくれた()(もの)住處(すみか)ででもあるか()らん。どうして(おれ)此樣(こん)(いや)(ところ)ヘは()たのだらう。(これ)()(うち)へは(かへ)られないか。(たい)(へん)だなア。(にげ)()手段(てだて)()るまいか。ても阿母(おツか)さん……(いま)(ごろ)(さぞ)(しん)(ぱい)をしてゐて……御父(おとツ)さんも……(はや)(さが)しに()()れゝば()いが。(なん)だ、この玩弄物(おもちや)のたとひ(ぎん)()()()やうが、(べつ)(かう)()()()やうが、()(さま)までも(にく)いわ、(この)(しろ)(もの)一片(かたはれ)だから。(この)(まど)から()ればなア()んな(はう)までも()える。あの(へん)(おれ)(うち)だらう……()んで()けるなら(すぐ)此處(こゝ)から()んで()くが。おゝ(いぬ)……(いぬ)……(いぬ)まだ(むかふ)(ぎし)()て、()(あい)(さう)、あら、此方(こツち)()()()ツて()るわ。えゝ、()えてくれるのか。それでも(おれ)()()けて()ぶのか。(おれ)其處(そこ)へは()きたいが……けれど、どうも。えゝ。それ、そんなに()えて(さは)ぐと(ほり)(はま)るぞ。(かな)しい。(なみだ)がこぼれる。えゝ、ま、()()()れるやうだ。()うぞ(かみ)さま……ど…ど…どうぞ(かみ)さま……()(ねがひ)(ござ)います、どうぞ()(たす)けなさツて、この(いつ)(ぴき)牧羊(ひつじ)(かひ)を…()()(ねがひ)(ござ)います。あの(とほ)(いぬ)……(いぬ)()いて()ります。(これ)ぎり(あたし)(うち)(かへ)られませんければ(この)(あひだ)阿母(おツか)さんが(こしら)らへてくれると()ツた、あの(うま)アい(てん)()()をも(あたし)()べられません。(かみ)さま、どうぞ(かみ)さま、えゝ、も、(かみ)さま。まあ()(かく)(にげ)(みち)(さが)して()やう」。

 それから牧羊(ひつじ)(かひ)(この)(さん)(がい)(そつ)()りやうと()たが、(せつ)(かく)()()んだ(わか)(ぎみ)(その)(まゝ)()かれるのも遺憾(のこりおし)(おも)ツて、(わか)(ぎみ)(いま)()()()()一寸(ちよツと)()ツて、()ると、さア、(たい)(へん)(わか)(ぎみ)()んで()る。()んで()る、あの(いき)()えて……さア、身體(からだ)()えて……()うさ、(みやく)()くなツて……()(あい)(さう)(つぼみ)(はな)(ひら)かぬ(うち)(さん)()(つき)(のぼ)らぬ(まへ)……(あらし)……(くも)……()(ざん)(この)()(ひと)ではない。牧羊(ひつじ)(かひ)(こし)()かすほど(おどろ)いて、それと(どう)()(けん)()()(ぶん)かゝるかも()れぬと(おも)へばいよ/\(こは)くて、(おそ)ろしくて……(かた)()()(かう)(かた)()(なみだ)……えゝ、も、(むね)一層(ひときは)どき/\、(たい)(へん)(あし)(なほ)(さら)ぶる/″\、(かな)しいやら、()(ざん)やら、(いと)()しいやら、(こは)いやら。「うまく(にげ)(みち)()()かツてくれゝば()いが……(にげ)(そこな)ツたら(いのち)()くなるぞ。どうぞ(かみ)さま、(あたし)(ばん)(そつ)()()けませんやうに()(まも)りななさツて(くだ)さいませ。あの(おと)(なん)だ。(かぜ)か。(ばん)(そつ)かと(おも)ツた。どうぞ(かみ)さま、(あたし)()(まも)りななさツて(くだ)さいませ。どうぞ(あたし)(かみ)さまを()(まも)りななさツて(くだ)さいませ」。

 牧羊(ひつじ)(かひ)(むね)は「(こは)い」、「(かな)しい」、「(かみ)さま」、「(ばん)(そつ)」な どの(せん)(もん)()(まはり)馬燈(どうろう)をやツて()る。(もん)()ぢて(いろ)(あを)くする(かほ)(もう)(さい)(くわん)(わきの)(した)()とに(おし)()せる(ひや)(あせ)()(なみ)()れる、(いき)が。(かは)く、咽喉(のど)が。(とき)はまだ(ひる)(なか)(ばん)(そつ)()ては()ず、(しろ)(けん)()(にげ)(みち)(よう)()()()からず、それこそ()(きん)がよく()ツた「()(はん)(くも)(かけはし)」でも()くては(だれ)此處(こゝ)から(にげ)()されやうか。それだのにまア牧羊(ひつじ)(かひ)……

*    *    *    *    *
*    *    *    *    *

 「御父(おとツ)さんも御母(おツか)さんも(さぞ)(しん)(ぱい)して()たらうね。(やうやく)後門(からめて)()(だち)(ひま)(くゞ)ツて、さ、(あたし)此處(こゝ)まで()げて()たのさ。もう/\(あたし)(あれ)(こり)(/\)したよ。(わす)れても()(らい)(けつ)してあんな(こは)(ところ)()くまい。左樣(さう)(てん)()()、こしらへてくれたの。おツと(これ)か。あゝ(うま)い。(どく)のある(れう)()よりは(この)(はう)(はるか)(うま)いわ。あい()()、あゝ(がう)()ぞ。(はり)()えて()(きん)(ぎん)(こし)(かけ)よりは(この)(はう)(いつ)(そう)(がう)()だ。(には)(うち)()(ひつじ)()(ひつじ)(これ)(てん)(ねん)()(がく)だわ。()(はら)(はて)(べに)(そら)(いろ)(これ)(にしき)(とばり)わ。此處(こゝ)(もと)より(あばら)()さ。に(きん)()い、(ぎん)()い、その(かはり)(けん)()い、また(ぢやう)()い、(ろう)()い。(たい)(まい)(かご)よりは(なら)()(えだ)(とり)()く。あゝ(はな)(なか)(いばら)。あゝ(いばら)(なか)(はな)」。

    (かき)(やま)(ぶし)

     (その)(いち)

「『For neither were ye playing on the steep,
 When your old Bards, the famous Druids lie,
 Nor on the shaggy top of Mona high,
 Nor yet where Deva spreads her wisard stream:
 Ay me! I fondly dream!』

 あゝ(うま)い。(じつ)(めう)(たん)(せつ)でもない(こと)()(つか)()(ぎは)(じつ)()(ゆう)だ。(こと)()()()_し_だ_すを(おう)(よう)して(たくみ)(とり)(あつか)ツた()(しやう)()(じやう)(もの)だ。そればかりか(じやう)()(こまやか)さ、どうして(しえい)_く_す_ぴ_い_あや()_ぺ_ん_さ_あに()けるものか。(これ)でこそ(じつ)()_る_と_んたる(ところ)(あらは)れるのだ。()_に_ず_んの()(つき)少女(をとめ)(この)()_し_だ_すに(くら)べられゝば(なん)でも()くなるわ。えらい(すご)い。(じつ)(かん)(しん)」。

 此處(こゝ)(はこ)()(おん)(せん)宿(やど)某甲(なにがし)()()(かい)で、 (この)(たい)(げん)()(せん)(せい)(たう)()()()一人(ひとり)(さい)()だ。(とし)はまだ (さん)(じふ)ナラ(づけ)(かうの)(もの)(がう)をば()(ぐわい)とナヅケの(おも)(いし)(おし)(つよ)いのが(うま)れつき。(つき)()(かま)をヌカ()()()()(つき)()(らう)かと()ツて、(おや)(あい)(しやう)()(づくし)(くび)(ぴき)()けて()れた緊要(だいじ)()()山葵(わさび)()()ぬとて(かへりみ)ず、ひとりで(うめ)(ぼし)(すゐ)がツて、(から)()(づけ)(から)()()(ろん)(かうじ)(づけ)(あま)()から(らつ)(きやう)(くさ)()まで、(およそ)(じん)(せい)(あぢはひ)(かみ)()めて(のみ)()んで、(たゞ)(いま)()(まをし)()けて(せう)(くわ)させて()るといふ(かほ)(つき)(その)(ほか)また(がく)(もん)(しき)(しま)(みち)(ばた)(さくら)(しほ)(づけ)(たう)(がらし)(たう)()(がく)(もん)(ない)()()()(まき)(じた)(おう)(しう)()まで(じつ)()(つう)じの(ぐわん)(やく)(これ)(まる)(のみ)して()るとの(おもむき)で、(これ)()(にん)浮評(うはさ)()く、(ほん)(にん)()(しん)(はち)(まき)()(はな)(まき)(あら)くし、()()(まき)のノリ()(なら)(まき)()()(あげ)(まき)(くだ)(まき)ゆゑ、左樣(さう)(しら)(いと)とやたら(づけ)()けられない。(きやう)()()(いと)より(こま)()いて()ると(この)(ひと)(がく)(もん)貯蓄(たくはへ)(すこぶる)(ほそ)()(しほ)(づけ)で、(まこと)(なま)(よみ)()()ない(せう)(せつ)()(とく)(つひ)何時(いつ)()()(ぶん)(かき)(かた)をば(ちと)ばかり(おぼ)た。(その)報果(むくひ)として(この)(ひと)(つく)ツた(ぶん)(きつ)()(ぶん)(しやう)(じやう)誤謬(あやまり)()(ぜん)(まめ)をこぼした(やう)(かぎり)()(あら)(ぎり)(うめ)()でんぶ、その濃乎(こツてり)とした「(らう)(くん)よ、(わらは)」は()調(てう)(まよ)され、それでも(しやう)(くわん)してくれる()(ぜん)(くわい)(くわい)(ゐん)()いでも()いとは……

 けれど(この)(せん)(せい)(ぶん)(がく)(つう)なことは (じつ)(すご)いほどで、(たい)(がい)(ぶん)(がく)(たい)(がい)()んだ。()まないのは()()()まない。(りつ)_と_んの(ちよ)(さく)をば(だい)(いち)()んだ、(ぶん)(おほ)きに(やす)いゆゑ。(しえい)_く_す_ぴ_い_あをも()んだ、(ちや)_あ_れ_す、()_む_で。(げん)()(もの)(がたり)をも()んだ、(しのぶ)(ぐさ)田舍(ゐなか)(げん)()で。(すゐ)()(でん)をも()んだ、(こく)()(かい)で。(こう)(きう)(でん)をも()んだ、()()(づき)()(せん)で。なんと(すご)いほどでは()いか。それで()てまた「(いつ)(ぱう)()く」といふ(えき)(いましめ)(したが)ツて、()(べう)()といふものを()らない、西(さい)(くわく)といふ()()らない。()_こ_ツ_とは()()(もの)(さく)(しや)(ちか)(まつ)(しち)()(でツ)()()_し_ん_ぬは()西()()(こつ)(けい)(せう)(せつ)()(ちん)(じゆ)稻荷(いなり)(おも)ツて()る。(これ)(じつ)(せん)(せい)()らなくはないのだが、(あま)(おほ)(しり)()ぎたやうに()るといけないとの(けん)(そん)故意(わざ)()うして()るので、(その)(しやう)()(ひと)(これ)()(こと)(いひ)()せば(いつ)でも「えゝ()(やう)」と(あい)(さつ)るのだもの……()らないで(この)(あい)(さつ)()(はづ)

 (この)(せん)(せい)(さい)(しよ)(つく)ツたのは (こひ)(つじ)(うら)」とか「(あゆ)()(びたし)」とかいふ(りつ)()(せい)()(せう)(せつ)で、()()(かん)じて(つく)ツたと()(じよ)()るだけに(いう)(ふん)(あり)(さま)()(じやう)(あふ)れて()(はふ)(まと)まらず、一人(ひとり)貴婦人(レデイー)(まへ)「わらは」と()ツて(のち)「あたし」と()ふなど、(へん)(げん)()(さう)(なか)(/\)(けつ)(さく)()して()(けん)(かた)(/″\)(がく)(しや)たちもそれを(しやう)(さん)したと()えて(その)(せう)(せつ)(だい)()やら、(じよ)やら、(ばつ)やら、(せき)(ばん)(ずり)がこて/\と(はい)ツて()(その)(うへ)また()(きやう)()()(がん)(もの)分解(わか)るやうに(けん)(てん)()(てん)(たく)(さん)()いて、(がう)(とう)(ひやう)()ツて()るなど(じつ)(その)(しゆ)(かう)(しん)(せつ)こと(なみだ)()(ほど)であツた。それだから()()れた。(かね)()して(その)(けつ)(さく)(かひ)()み、そして(なか)()(ひと)それを()まないものは()い。それを()んだ(ひと)()(ぐわい)()()らないものは()い。だから(せん)(せい)(うれ)しく(おも)ツたのだらう、(わう)(らい)歩行(ある)(とき)(いつ)でも(ほん)()(まへ)(たち)()まり、(その)(みせ)(さき)(けつ)(さく)(いつ)(さつ)()(さつ)(なら)んで()るのを()ては莞爾(にこり)とし、(ひと)(その)(けつ)(さく)()ツて()るのを()ては莞爾(にこり)とし、(つう)(うん)(ぐわい)(しや)(みせ)(さき)(どう)(やう)()(こり)(うづ)まツて()た。さてその(けつ)(さく)(じゆん)(ぴつ)(れう)(みゝ)(そろ)へた(くち)(なし)()たので(さく)(しや)(さう)()()くさずに(うれ)しがり、(はな)(たか)めずにホコリと(ちり)とに(まみ)れては()ない(かみ)(あぶら)(ぬり)()け、(その)()(ほく)()(とび)()んで、かねて(かひ)()(じみ)()(なに)とか()()(しやう)(ちう)(さん)(うけ)()しの(うん)(どん)(ひも)(かは)(うん)(どん)(のび)()ぎない(はな)()(うま)(またが)らず、(つひ)(あひ)(たづさ)へて(この)(とほ)(はこ)()(いう)(よく)洒落(しやれ)たのだ。

 (この)(ひと)身體(からだ)巨大(おほき)うて(はん)(しよう)(どろ)(ぼう)どころか避雷柱(らいよけ)(どろ)(ぼう)()ひたい。(かほ)(かたち)(ちやう)(はう)(けい)(じゆう)(ばこ)では()い、(なが)()(ばち)だ。()(さかさ)()いて()るのか()らん、(さが)ツて()て。だから()(ばん)(じん)では()い。(かほ)(いろ)(こひ)()(こん)(せう)(さん)(そゝぎ)()けられたか()らん、()()(うら)(すゝ)(だけ)のやうで。だから(たい)した(こう)(だん)()だ((ちう)(さん)(うけ)()した)。

 (さい)(くん)()(とし)廿一二で、()(けう)(いく)()()(じん)だから(その)(じん)(ぴん)(たい)した(ところ)()い。たゞ(しやう)(じき)なのが()(とく)で、(どろ)(みづ)(なか)()たが()(れん)圈套(かけわな)()(くだ)(かせ)、カセの()れろの強情(ねだり)(ごと)(はゝ)(たい)(ない)(まツた)(わす)れてキ(むすめ)のあどけなさが()(ぐわい)()(イリ)(まめ)(はな)()(しん)(ふう)()とナル()(しぼり)浴衣(ゆかた)()(いつ)(ぴき)(はん)(ぶん)づゝにして()るなどの(なか)よしとはなツた。(かほ)(いろ)(えん)(どく)()れたのでは()からうが(あを)(しろ)く、(ひたひ)(ぬき)()がツて(うり)(たね)(なん)糸瓜(へちま)、ちと(なが)めいて茫然(ぼんやり)とした(かほ)(つき)で、それを○○(なんとか)(づら)だと()ツた被嫌(ふられ)(きやく)()ツたけれど、()(ぐわい)()はせればまた其處(そこ)()(くつ)()いて、「()(なに)一寸(ちよつと)(たと)へて()れば、(ぎよく)(ざん)(せい)(じツ)(けん)(だな)(もの)(たましひ)(はい)ツたやうな(もの)だ。(かめ)(はち)(せい)とは(ちが)ふわ。()(れい)(かう)(しやう)(ひと)(がら)で、(じつ)、だから(くわ)(ぞく)(ひめ)(ぎみ)(あが)められても()()ではない。妻君(わいふ)がもしも(くわ)(ぞく)()えるからに(したが)ツて(さう)(つゐ)(だう)()乃公(おれ)(くわ)(ぞく)()える(わけ)だ。うふゝ(くわ)(ぞく)(ぶん)(がく)(しや)……はて(こう)(せい)への(きこえ)()いぞ。(あれ)()(あい)らしいことは(この)(あひだ)だツけ、うゝ左樣(さう)左樣(さう)乃公(おれ)(はなし)をして()(とき)だ、()()(よだれ)()らしたので()(はづ)かしさうに(わら)ツて()た。あの(ところ)などは()うしても()ふに()はれぬ價値(ねうち)()る」。

 (よだれ)までに (よく)()贔負(ひゐき)()る。もし(この)(よだれ)(らう)(じん)(くち)から()たならば「えゝぢゞむさい」と()はれたに(ちがひ)ないに……あゝおなじ(よだれ)でも()()()けば()()はれ、()()()かなければわろく()はれるとは……なるほど(めい)()(じよ)(ばつ)(だい)()(せん)(せい)(げん)()()ツて()るわ。

     (その)()

 (ふすま)(ごし)()(えん)(こゑ)(とき)西(せい)()(あざむ)くこともある。(いは)()いて()(あかゞね)(ぞく)(じん)(きん)()られる(こと)もある。(かげ)でほのめかした()(ぐわい)(がく)(しや)假粧(ぶり)(つひ)(めくら)をだまかした。(ちやう)()(いま)浴衣(ゆかた)(まゝ)()()から(あが)ツて()一人(ひとり)(ひげ)(だい)(じん)()(ぐわい)()()(まへ)(とほ)ると(なに)やら()(ひやう)(こゑ)(きこ)える。(たち)()まツてよく(きけ)ばそれは()_る_と_んの()(ひやう)(ろん)()けば()くほど(ぞく)(じん)()へぬ()(ろん)(おも)れるので(ひげ)(おも)はず(かん)()霎時(しばらく)鶴立(たゝず)んで()いて()たが、やがて(なに)(おもひ)()いた(てい)(こゑ)()けながら()(ぐわい)()()(はい)ツて()た。

 この(ひげ)(だい)(じん)はある(しやう)(ちやう)(くわん)(やく)()(うへ)では()なり(いつ)(ぱう)(やく)()つと()はれた。(かほ)()()()くないが、(あい)(しやう)(よう)(しよく)(すぐ)れて()るので、其處(そこ)(けん)(りよく)(へい)(きん)()()()(へん)(へい)(とう)(しゅ)()()ツて()る。()()()()(もん)(かう)(りう)(じよ)(くち)(べん)(けい)(がに)(ひな)(がた)、そして(はな)(あな)(ばく)(れつ)(やく)(もちゐ)()ぐされた隧道(とんねる)で、たゞ(ひげ)かりが、(じつ)(ひげ)(はな)()かりが(なが)い、(いや)さ、うつくしい。けれど(とき)(その)(ひげ)(やぶ)(かげ)(ばん)(さん)(とき)(くち)(なか)(はい)(そこな)ツた玉子焼(おむれツと)(ざん)(たう)(ふせ)(ぜい)()ツて()ることもあるなど、()()(らん)(わす)れぬ(しやう)()で、天晴(あツぱれ)(こく)(みん)のよい龜鑑(かゞみ)さ。そして()(たう)もせよ、()(くわい)もせよ、(しば)()もせよ、(けい)()もせよ、(くわい)(しや)もせよ、(ぎん)(かう)もせよ「(くん)()()らず」、(この)(ひげ)(だい)(じん)()()さぬ(もの)く、(こと)(がう)(しや)(こと)(この)(ひと)()れて()ることは鹿(ろく)(めい)(くわん)()(かい)(てん)(じやう)(すみ)(いち)インチの(せん)(ぶん)(いち)(すゝ)()かツたことまでも()ツて()るのでも分解(わか)る。

 (いち)()この(だい)(じん)()(りう)(かう)つれて(ひとつ)(せう)(せつ)()き、()(ばら)()ツてそれを(しゆつ)(ぱん)した(ところ)が、それが(その)(せう)(せつ)が、その(とう)(やう)()_い_こ_ん_す_ふ_ひ_い_る_どの(けつ)(さく)がどうしたことやら(すこ)しも()れ……()()(どく)だが……()れなかツた。(だい)(じん)流石(さすが)(ひと)(めん)(ぼく)()かツたが、左樣(さう)かとて(その)(まゝ)(もり)(かへ)すことを()いでは(なほ)(/\)(はぢ)(かき)(あげ)(しきり)()(しん)をば()たけれど(いつ)(かう)()(しゆ)(かう)()なかツたので()(ほど)(こん)(きやく)したところ、(はか)らず()けば(おなじ)宿(やど)()()_る_と_んの()(ひやう)するほどな(ぶん)(がく)(しや)()るのでそれからその()()へおとづれた。(その)(した)(ごゝろ)(せう)(せつ)(だい)(さく)(たの)みたいばかりで……

 それから(ひげ)(れい)をして

 「はじめて()()(かゝ)イます。(わたくし)()()(いさみ)でやすが、(たゞ)(いま)ちよと(うけたま)ウと、(せん)(せい)は、も、はア、(いう)(めい)……とも(ぞん)ぜんで(こん)(にち)(いた)ウまで(ひど)(しつ)(れい)いたイちよりまヒた。(なん)とぞ(これ)からは()(じゆ)(こん)ねぎやあます」。

 (あらた)まツた(こう)(じやう)()(ぐわい)(とゞろ)(むね)(しづ)め、

 「(これ)(これ)……貴君(あなた)()()さんで……(これ)()()()(ところ)()()(せつ)しました。(わたくし)()()()(ぐわい)(まを)して……お ゝ、かねて()(ちよ)(じゆつ)をも(はい)(けん)して()(さい)(りやう)(うかゞ)ツて()りましたに、つひ(ぞん)じませんで(しつ)(けい)いたしました」。

 「お貴君(あなた)()(ぐわい)いふ(せん)(せい)ですか (さて)こそ。これは また()(ところ)で……(せん)(じつ)()(ちよ)(じゆつ)(わたくし)(はい)(どく)して(かげ)ながら(きん)()しちよりまヒた」。

 ()(ぐわい)故意(わざ)(へい)()()(しき)

 「(なん)でございます」。

 「『(こひ)(つじ)(うら)』いふ()(ちよ)(じゆつ)」。

 「えゝ、(なん)の……(あれ)……あんな(もの)が……あれは (わたくし)がまだ(しよ)(せい)()ました(ころ)(なぐさみ)(つく)りましたのを、(うん)(わる)(この)(ごろ)(しよ)()(かぎ)()けられて()られたのです」。

 「は()(やう)でやすか。それに しても(すぐ)れた()(さく)ぢやすな。(とき)(たゞ)(いま)()()みになさツたのは (なん)(ござ)いますか」。

 「は()_る_と_んで(ござ)います」。

 「なアる……()(ほん)(やく)なさツては如何(いかゞ)です 」。

 「()(やう)(わたくし)()_る_と_んをば (この)みまして(つね)(/\)()んで()りますからそれを(やく)すのを(かた)いとも(おも)ひませんが、(たゞ)(ひとつ)(こん)(なん)(これ)(やく)して(しゆつ)(ぱん)しても()(がん)(しや)()りますまい」。

 (うま)()げた。(ひげ)(けむ)()かれた。

 「なるほどなア」。

 (すぐ)(いつ)(てん)して(かツ)()(うち)()まれる、

 「(じつ)(せう)(せつ)()(さう)(さう)(さい)ですから()(がん)(しや)()いのも()()ではありませんが、また(かんが)へれば(まこと)(たゞ)(いま)(なげ)かはしい(ほど)(あり)(さま)ですな」。

 「如何(いか)もな」。

 「(いま)(かん)(かく)(ひやう)すれば(およそ)(まづ)()(しゆ)ありまして、(ひとつ)(しゆ)(きう)(たう)で、(てん)(ぽう)()(だい)(ごみ)(あくた)(よだれ)(なが)(やから)と、(ひとつ)(きふ)(しん)(たう)で、西(せい)(やう)()(さう)()かれたものばかりを(あり)(がた)がツて()(もの)です。(まへ)(しゆ)(きう)(たう)(おほ)(きよく)()(この)んで(のち)(きふ)(しん)(たう)(がい)して(きよく)(じつ)(よろこ)びます。(きよく)()(きよく)(じつ)との(わり)(あひ)(ほど)よく(そな)ツて()(もの)(たふと)ぶものはありません。()うも()(こと)(きよく)(たん)(はし)るものでしやうか」。

 「しかし(しゆ)(きう)(たう)(はう)(だん)(/\)(しや)(くわい)(しん)()するに つれて(おとろ)へてしまひましやう」。

 「もし左樣(さう)ならば(きよく)(じつ)()がつまり(せい)(りよく)()ましやう。(きよく)(じつ)()(せい)(りよく)()ますれば()(じゆつ)(しや)(しん)なツてしまひます」。

 「それでは(きよく)()()てば……」

 「とても(この)()ないやうな (もの)(とり)(あつか)()(じゆつ)()()ます」。

 「はア、(じつ)(めう)ですな 」。

 「(いえ)(めう)では(ござ)いません(あたり)(まへ)です。(しん)(せい)()(じゆつ)(なん)です。この(りやう)(はう)(ほど)()()(げん)(もち)ゐられた(もの)ですわ」。

 「その(ほど)()()(げん)(おツしや)ウのは(ちと)(あい)(まい)では (ござ)いませんか。(なに)()()とすウ(ところ)()くて……」

 「けれど貴君(あなた)()(じゆつ)ですから。()(じゆつ)(くわん)(ぜん)()(そく)(もつ)(そく)(ばく)することが()()ません」。

 (じつ)()げるのゝ(じやう)()なこと(とん)(たう)(はか)()とも()ふべきほどだ。(ひげ)(ます)(/\)(かん)(しん)して

 「(もち)(ろん)、なる(ほど)左樣(さう)でやすな。(いろ)(/\)()(めい)(せつ)(うかゞ)ふて(じつ)(えき)()ました。(とき)(ひとつ)、はなはだ(まをし)()ねた(こと)でやすが、()(ねが)(まを)したや()(ござ)いますが……」

 「ははア、どの(やう)な……」

 「それは(べつ)()でも(ござ)いませんが、な ()(ぞん)じの(わたくし)(せう)(せつ)です、な 、あれも(いく)(ぶん)かつまらぬ(さく)(はい)(せき)しやうとて(つく)ツたのです、(じつ)(ところ)(おふせ)のとほり()(がん)(しや)(すくな)いので……(いな)(けつ)して()れんとて(なに)(ひど)(かな)しみは()ませんが、(この)(まゝ)(いま)(いち)()(はな)(/\)しいことを()()たいとも(おも)ふのですから、な……もし如何(いかゞ)でしやうか」。(はづ)かしいやうな(かほ)(つき)で「(いち)()(だい)(さく)()(たの)(まを)したう(ぞん)じますウが。(しつ)(れい)がら()(めい)()(まい)(ぼつ)すウのに(かならず)(さう)(おう)(はう)(しう)(さし)()げやうと(ぞん)じちよイます」。

 (あい)いた(くち)()()(もち)()(ぐわい)(むね)(みやく)()たせて(おも)はずも(ひざ)(すゝ)めた、

 「()(もつとも)()(じやう)(じつ)……(せつ)(かく)()()(らい)ですから、それでは……」

 「()(しやう)()なすツて(くだ)さいましたか」。

 「はい(ひと)(まづ)(こゝろ)みましやう。(さい)()()(じん)(しゆ)(じん)(こう)(せい)()(やく)()一寸(ちよつと)(くは)はり、()して「(しよ)(くん)よ」の(いツ)()(しよ)ぐらゐありますれば(きつ)()(ぞく)(じん)()(くら)みます。いくら(ほね)()ツて(にん)(じやう)穿(うが)ツてもそれを()()ける(もの)()いのですものを、穿(うが)つだけ(ほね)(をり)(ぞん)です。(いま)しばらく(かん)(かく)(けん)(しき)(たか)くなるまでは(せつ)(くつ)してその()()るやうにして()るのが(いち)(ばん)(じやう)(さく)です」。

 あゝ(ひど)い。流石(さすが)()(せい)(ぶん)(がく)(つう)だ。(たい)(がい)(ひと)(この)(いち)(ごん)(すぐ)(いや)しめて()()ふのだが、(ひげ)(れい)()(ぜん)(くわい)(くわい)(ゐん)ゆゑ、(その)(やう)(れい)(たん)(こと)をば()なかツた、

 「如何(いか)(これ)(いち)(だん)(おも)(しろ)()(かんがへ)でやす。(さツ)(そく)()(きよ)(だく)(わたくし)(あん)()いたイまヒた」。

 「ま、一寸(ちよつと)()()ちなさい。それから(けつ)(たう)(はなし)(もち)()みましやう」。

 「(めう)でやす、な」。

 「それからまた(その)(うへ)(ぶん)(しやう)(てき)』の()(たく)(さん)(もち)ゐましやう」。

 「ははあ、『(てき)』……『(てき)』は()(ごく)()()でやす」。

 「(なほ)(その)(うへ)()(らい)(こと)を……」

 「ほゝ(いよ/\)(おも)(しろ)い」。

 (いち)()(げつ)(のち)(しよ)(/\)(しん)(ぶん)()「○○之○○」といふ(くわう)(こく)()た。(さく)(しや)(だれ)で。()()(いさみ)で。(その)(うち)、あゝ()(どく)、ある(しん)(ぶん)()()(ひやう)(その)(せう)(せつ)が、()(ぐわい)(せん)(せい)(おほ)()(まん)(けつ)(さく)がしたゝか(わる)()れた。(ひげ)(その)(しん)(ぶん)()()(ぐわい)(まへ)(つき)()けた。

 「(ひど)(ひやう)されまヒた、な。(これ)でも幾許(いくら)()(はう)(しう)(さし)()げて()いていたゞいた(もの)でやすのに ……()(たう)(べん)でも()()きなすツて(くだ)さワんでは (じつ)(わたくし)(めい)(わく)いたヒます 」。

 「()(やう)です」。

 「()(やう)ですでは、こわ (せん)(せい)、いけんではあイませんか。()(たう)(べん)をねぎヤます(わたくし)()(けん)(たい)して……」

 「でも()()れましやう、あの(ほん)」。

 「()エませんわ()エんのは (まツた)(その)(ほん)(わる)いからでしやう」。

 「へエ」。

 「へエとは(なん)です (しか)とした()(へん)()をねぎヤます」。

 「(しか)とした(へん)()ですか。()(やう)さ、(しか)とした(へん)()ら……あの……」

 「なに」。

 「へエ、(おほ)(つか)(ひき)(ろく)(はま)()(きう)(ろく)やる(こと)ついて……」。

 「貴君(あなた)(なに)をおつしやる」。

 「いや、もう(まツ)(ぴら)()(めん)(くだ)さいませ」。

 「どうなさつた」。

 「え、(しツ)(さく)いたしました」。

 あゝ()(ぐわい)(やり)(そこな)つて(たい)(そう)(はぢ)(かき)(やま)(ぶし)()()(かひ)()()まつた。(ひげ)(だい)(じん)()(そん)じて(これ)(はぢ)(かき)(やま)(ぶし)時雨(しぐれ)あつてカヒカブツタ。

    (あだ)(おん)

 九歳(こゝのつ)十歳(とを)かりの(をんな)()()(なみだ)()めながら一人(ひとり)(らう)(ぢよ)(むか)ひ、

 「()()さんよウ、()()さんよウ、かへして()()れよ、(あたい)(ひよつ)()をさア。さア()かして(かへ)して()()れよウ」。

 「うるさいな、(ひよつ)()はもう()んで()るわ」。

 「さア何故(なぜ)左樣(さう)()なせたのだよ。よウ()()さん。(あれ)(あたい)()使錢(づかひ)殘餘(のこり)()めて()ツたのだからさア」。

 「()(かた)()いわ (わる)いから(ころ)されたのだ。(かき)()(した)から(くゞ)ツては(うち)(はたけ)()(にん)(じん)をあらすから(ころ)されたのだ。()(がふ)()(とく)だ。(ざま)()ろ。しぶとい()()め」。

 (いひ)()てゝ(らう)(ぢよ)(わが)()()()ツて()()ツたので(をんな)()()(かた)(なく)(/\)(いへ)(かへ)ツて()(あね)(かお)()るより(ちから)(かぎ)りの(こゑ)をあげて(なき)()した。

 「あら、(はア)(ばう)はどう()たの。また(よこ)(ちやう)(みイ)ちやんに いぢめらてたのかえ」。

 「うゝン、(みイ)ちやんでは()アい」。

 「そんなら(とめ)(きち)さんのところの(いぬ)また(おひ)(かけ)られたのだらう。な左樣(さう)でも()いと……()いよ、まア(なみだ)()いて()(はな)しよ、(しづか)。あの、ね、()(たら)(なみだ)(なが)すものは()()(しん)()とはれないとさ」。

 「(ほん)(とう)え。あら(わら)ツて()るから……う…う…(うそ)だア」。

 「(うそ)ではないよ、(ほん)(とう)だよ。そして(だれ)どう()れたの」。

 「あの……あの……()(となり)()()さんが……(ひよつ)()を……こら、(ねい)さん……()()さんが」。

 「おや/\まア()(あひ)(さう)あんまりな」。

 「ねエ、(ねい)さん()(あい)(さう)あんまりな」。

 「ほゝゝゝ、()(まへ)もをかしな ()だよ、よく(ひと)(くち)()()をして。だが、()()きよ、あの()()さんは(ほん)(たう)()るい(ひと)では()いのだよ。()(まへ)(とり)(わる)かツたから(ころ)されたのさ、()()さんだとて(はら)()つだらう(はたけ)をあらされては(はア)(ばう)(あね)(さま)(ばこ)(にやア/\)(かき)()したら(はア)(ばう)どう()()」。

 「(あたい)(にやア/\)()いて(ほか)()れて()くわ」。

 (あね)()(なさけ)(つゆ)(ひと)(しづく)

 「あゝ(はア)(ばう)、それでこそ()(はア)(ばう)だ。だ から(ひよつ)()をころした()()さんをも(にやア/\)のやうに ねエ」。

 「()くのか」。

 「(いゝえ)さ、やさしく()()といふことさ」。

 一二ケ月の(のち)(らう)(じよ)(にん)(じん)()いて(あら)ツて()ると()(つみ)()(をんな)()莞爾(にツこり)として其處(そこ)()た。

 「()()さん、()(つだ)ツて()げましやうねエ。(あたい)(ねエ)さんに(いひ)()けられたのでは()いよ、え ()()さん、(だれ)(いひ)()けられたのではないの」。

 あどけなさ、あゝ(あね)(けう)(いく)のほども(おもひ)()られて(あい)らしい。

 (その)()(とし)(をはり)で、(あく)()(しん)(ねん)(あさ)()きて(かど)(ぐち)()けて()ると(うつく)しい(かご)(なか)()(れい)(ひよつ)()()れて、其處(そこ)あるので……吃驚(びつくり)した。

 「(ねい)さん、()(らん)よ、この(ひよつ)()を」。

 (あね)()()て、(おも)(また)(なさけ)(みづ)

 「あゝ()()さんが()れたのか」。

    武藏(むさし)()

     (じやう)

(この)武藏(むさし)()()(だい)(もの)(がたり)ゆゑ、まだ(れい)()いが、その(なか)(じん)(ぶつ)(こと)()をば (いつ)(しゆ)(てい)()いた。(この)(ふう)(こと)()(けい)(ちやう)(ごろ)(ぞく)()(あし)(かゞ)(ごろ)(ぞく)()とを()ぜたものゆゑ(たい)(がい)(その)()(だい)(さう)(おう)して()るだらう。

あゝ(いま)(とう)(けい)(むかし)武藏(むさし)()(いま)(きり)()てられぬ(ほど)(にぎ)しさ、(むかし)(せき)()てられぬほ どの(ひろ)さ。(いま)(なか)(ちやう)遊客(うかれを)(にらみ)()けられる(からす)(むかし)(うみ)(ばた)()()(ちやう)(れう)()(まち)でわづかに活計(くらし)()てゝ()た。(いま)(やなぎ)(ばし)()(じん)(をが)まれる(つき)(むかし)()るべき(やま)もなし」、(ごく)()(かん)(ぴん)であツた。(じつ)(いま)()(ひやく)(まん)(あを)(ひと)(ぐさ)(じつ)(むかし)()えて()(おく)(まん)(なま)(くさ)(きた)(あら)(かは)から(みなみ)(たま)(がは)まで、(うそ)()(いち)(めん)(あを)()(たい)で、(くさ)(がく)()(むし)(した)(かた)()(ばな)招引(まねぎ)つれられて(より)()(きやく)(きつね)か、鹿(しか)(また)(うさぎ)()(うま)ばかり。(この)(やう)(ところ)()(みだれ)とて()()もなく、(この)(ころ)(いくさ)があツたと()え、其處(そこ)此處(こゝ)(くさ)れた、()るも(なさけ)()()(がい)(かず)(おほ)()ツて()るが、(せん)(ごく)常習(ならひ)、それを(はうむ)ツてやる()(しやう)もなく、たゞ(ところ)(/″\)り、退(たい)(ぢん)(とき)にでも()まれたかと()える()(がい)(つか)()()()て、それには(わづか)(くさ)(つち)(また)(やぶ)れて()らけになツて()(ぢん)(まく)などが()かツて()る。(その)(ほか)はすべて(あま)ざらしで(とり)(けもの)()はれるのだらう、()(あし)()()れて()たり、また記標(しるし)()られたか、(くび)さへも()いのが(おほ)い。(ほん)(たう)(これ)()(ひと)(/\)にもなつかしい(おや)もあらう、()(あい)らしい(つま)()もあらう、(した)しい(まじは)りの(とも)もあらう、()(まか)せた(しゆ)(くん)もあらう、それであツて(この)ありさま、(やいば)(くし)つんざかれ、()(だま)(あめ)(くだ)かれて()(いき)(おに)となツてしまツた(くち)()しさはどれ(ほど)だらうか。()んでも(だれ)(まつ)られず……()(きやう)では(かげ)(ぜん)をすゑて()ツて()(ひと)もあらうに……「ふる(さと)()(よひ)かりの(いのち)とも()らでや(ひと)(われ)をまつらむ」……(つゆ)(そこ)(まつ)(むし)もろとも(むな)しく(うらみ)(むせ)んで()る。それならそれが()きて()(うち)(えい)(ぐわ)をして()。なか/\左樣(さう)かりでも()()(せん)(ごく)だものを。()()(れい)(ぐわい)だが。(たゞ)(ひやく)(しやう)商人(あきうど)など(すき)(くは)(ちやう)(めん)(ほか)あまり()()ツた(こと)()いものが「さア(いくさ)だ」と(かり)(あつ)められては(おや)(きやう)(だい)(なみだ)(みづ)(さかづき)(いとま)(ごひ)。「しかたが()い。これ、(せがれ)()(にん)(くび)でも()ツて()()(くわ)して(こう)(めう)しろ」と(こし)(ゆみ)()(おや)()(みづ)(ばな)()らして(ぐん)(りやく)(かい)(でん)すれば、「あぶなかツたら(ひと)(うしろ)(かく)れてなるた(はや)(にげ)るがいゝよ」と(かぶと)()()めてくれる(はゝ)(おや)(なみだ)(かみ)()ぜて(ちう)(こく)する。ても(みゝ)(そこ)(のこ)るやうに(なつ)かしい(こゑ)()(おく)(とゞ)まるほどに(した)しい(かほ)をば()(やう)ならば」の(ひと)(こと)(きゝ)()て、()()て、さて(ぢん)(がね)(たい)()(せき)()てられて(しゆ)()(ちまた)()()ければ(やま)(おく)(あを)(ごけ)(しとね)となツたり、()()()(じや)()(ふすま)となツたり、その(うち)……(てき)が……そら、(たい)()が……(みぎ)(ひだり)(たい)(しやう)()()が……そこで(いのち)()くなツて、(あと)()(はら)でこの(あり)さまだ。()(とき)にはさぞ (もが)いたらう、さぞ()ぬまいと()をくひしばツたらう。()(なが)れて(くさ)(いろ)()へて()る。(たましひ)(また)身體(からだ)()(どころ)()へて()る。(きり)()れた(きず)(ぐち)らは(うら)めしさうに(ざう)()(はひ)()して、(その)(うへ)には(てき)()(るゐ)(こがね)づくり、(うす)(がね)(よろひ)をつけた(はへ)(しやう)(ぐん)(ぢん)()ツて()る。はや(かは)いた()(たま)(いけ)(なか)(うじ)(たい)(しやう)(せい)(ぞろへ)(いきほひ)よく()くのは()(わけ)(よこ)(かぜ)……(へん)(そく)(にほひ)(ぶくろ)……()(なまぐさ)い。

 は下甫(なゝつさがり)だらう、()(はこ)()(やまの)()(ちか)()ツて()(しき)どほ (あかね)(いろ)(くわう)(せん)(はき)(はじ)めると(すゑ)()(すこ)しづゝ(うす)(かば)(くま)(くは)へて、(とほ)(やま)も、(どく)でも(のん)だか(だん)(/\)(むらさき)り、(はら)(はて)には(ゆふ)(ぐれ)(じやう)(はつ)()(しき)りに(にげ)(みづ)をこしらへて()る。(ころ)(あき)其處(そこ)此處(こゝ)(わが)(まゝ)()えて()()(すで)(みどり)(うは)()()がれて、(さむ)いか、(かぜ)(ふる)へて()ると、(たび)(がへり)(むく)(どり)(なぐさめ)(がほ)にも()まし()ツて(さへづ)ツて()る。(ところ)(たい)(そう)(いそぎ)(あし)西(にし)(はう)から歩行(あるい)()るのはわづか二人(ふたり)()(しや)で、いづれも(りよ)(かう)(てい)だ。

 一人(ひとり)()(じふ)(ぜん)()だらう、(おに)(ひげ)()(たう)()んで()(いう)(たち)()かれ、()(たま)(かな)(つぼ)(うち)ぐるわ(たて)(こも)り、(まゆ)(はち)(もん)()(ぢん)()り、(くちびる)(おほ)()()(あつ)(きづ)いた(てい)、それに(みの)(たけ)(やぐら)()()して、(すぢ)(ほね)(あれ)(うま)から()(そく)()ツて()(あん)(ばい)、どうしても()(せい)(かツ)(かう)(じん)(ぶつ)()(ぜん)(たう)()(あみ)()をば(だい)(いち)()けて(いき)(のこ)(いち)(もつ)()えた。その打扮(いでたち)どんなだか。()()いたのは(あさ)(こん)(こい)(ちや)(はい)ツた()(そく)(おどし)もよほど(ふる)びて()えるが、ところどころに(のこ)ツて()(ちの)(あと)(もち)(ぬし)(いくさ)()れたのを(しよう)()()てゝ()る。(かぶと)()くて(らん)(ぱつ)(わら)(くゝ)られ、()()(きず)幾許(いくら)もある()(いろ)(わざ)(もの)(こし)(そり)(かへ)ツて()る。()(かう)()()れぬ()(かう)だが、(じつ)(じよう)(ぎく)()がれて()るのだ。(この)(てい)(かんが)へればどうしても(この)(をとこ)(ぐん)()()れた(ひと)(ちがひ)()い。

 (いま)一人(ひとり)(じふ)(はツ)()(わか)()(しや)()えたけれど、鋼鐵(はがね)(あつ)(かぶと)(たい)(がい)(かほ)(かく)して()るので(じふ)(ぶん)わからない。しかし(いろ)(あさ)(ぐろ)いのと(くち)(りき)()のある(ところ)でざツと(すゐ)して()れば(これ)(きツ)とした(めん)(てい)(もの)(おも)れる。(みの)(たけ)(ひど)(おほ)きくも()いのに()(そく)()(じやう)(ふと)(どう)ゆゑ、(なん)となく()(よこ)(はゞ)(つり)(あひ)わるく(ふと)()える。()(そく)(おどし)(こい)(あゐ)で、(うな)()如何(いか)(かた)さうだし、そして(どう)(うは)(べり)(はなれ)(やま)(みち)簡單(あつさり)(かこ)まれ、その(なか)()(ざゝ)のくづしが()たれてある。(こし)(もの)(だい)(せう)ともに(なか)(/\)()(ごと)製作(つくり)で、(つば)(だれ)(さく)か、(いき)(/\)とした(はち)()(ひき)ほど()(ぼり)なツて()る。(ふる)いながら()(そく)()()もこのとほり(じやう)(とう)(ところ)()ると(この)(ひと)(ざふ)(ひやう)では()いだらう。

 (この)(ごろ)のならひとて(この)二人(ふたり)歩行(ある)(うち)四邊(あたり)(こゝろ)(くば)(やう)()(なか)(/\)(たい)(へい)()()まれた(ひと)(さう)(ざう)されない(ほど)であツて、()(がや)(おと)(きつね)(こゑ)(みゝ)(そばた)てるのは(おろか)なこと、すこしでも(ひと)()んだやうな(あと)()える(くさ)(あひだ)などをば(かろ)(/″\)しく歩行(ある)かない。()きた(うさぎ)(とび)()せば(ふせ)(ぜい)でも()るかと(かたな)()()かり、()んだ(うさぎ)(みち)あれば(てき)謀計(はかりごと)でもあるかと(うで)がとりしばられる。(その)(ころ)まだ(じゆん)(すゐ)武藏(むさし)()で、(あう)(しう)(かい)(だう)(わづか)(すみ)()(がは)(へん)沿()ふてあツたので、(なか)(/\)(つう)(じやう)(もの)(たゞ)(いま)()(だん)あたりの(ない)()(あし)(ふみ)()んだ(ひと)()かツたが、その(すこ)(まへ)(せん)(さう)(とき)(この)高處(たかみ)へも(ぢん)()られたと()えて、(いま)(この)二人(ふたり)(その)(へん)()()かツて()(まは)すと()()れた(まく)(ひやう)(らう)(つゝみ)()(がい)(とも)遠近(あちこち)(とび)()ツて()る。この(てい)(たび)(びと)(くび)(かたむ)けて()()たが、やがて(とし)()ツた(はう)(しづか)(まく)(とり)()げて(もん)(どころ)をよく()ると(これ)(じつ)()(ちがひ)()(あし)(かゞ)(もの)なので(おも)ずも()(をどり)した、

 「()なされ。(これ)(あし)(かゞ)(ぢやう)(もん)ぢや。はて心地(こゝち)よいわ」。と()れて(わか)いのも點頭(うなづい)て、

 「左樣(さう)ぢや。(むご)(あり)(さま)でおじやるわ。あの(せん)(ねん)(おほ)(かつ)(せん)(あと)でおじやらうが、(あと)(とり)(をさ)める(ひと)()くて……」。

 「()()しいこと。(なん)でおじやる。(おもひ)()しても(ふた)(かた)(にツ)()(よし)(むね)(よし)(おき))の(おん)()(なみ)、さぞな(たか)(うぢ)づらも()(ぶるひ)をしたらうぞ。あの(いし)(はま)(おひ)()められた(とき)いたう()(ぐる)しくあツてぢや」。

 「ほゝ()(のし)(その)(とき)(いくさ)()されたか。(みゝ)よりな……(かた)りなされよ。」

 「かたり(まを)さうぞ。たゞし(もの)(がたり)(まぎ)れて(おく)れては (めん)(もく)からう。翌日(あす)(ごろ)(いづれ)(さだ)めて(かま)(くら)へいでましなさらうに ……(おく)れては……」。

 「それも左樣(さう)ぢや、左樣(さう)でおじやる。さらば(もの)(がたり)(のち)()されよ。()(かく)この(はい)(ぐん)(てい)()ればいとゞ(こゝろ)(ひき)()つわ。」

 「(ひき)()つわ、(ひき)()つわ、(いと)(やう)(ひき)()つわ。()(のし)(これ)から(げん)(ざん)して(まい)()()(がら)をあらはしなされよ」。

 「(これ)からは (また)(にツ)()(ちから)(みや)(がた)(いきほひ)()すでお じやろ。(くすのき)(きた)(ばたけ)()えたは()しいが、また(ふた)(かた)()(すぐ)れておじやるから……」。

 「(うれ)しいぞや。(はや)(たか)(うぢ)づらの(くび)()りかけて()(げん)(こう)(むかし)(かへ)したや」。

 「それは()んでもの(こと)如何(いか)かりぞ(その)(とき)(うれ)しさは」。

 (これ)でわかツたこの二人(ふたり)(にツ)()(がた)だと。そして(せん)(ねん)(たか)(うぢ)(いし)(はま)(おひ)()められたとも()ひ、また今日(けふ)(はや)(かま)(くら)(これ)()二人(ふたり)(むか)ツて()くと()ふので()ると、二人(ふたり)とも()(ちがひ)()(にツ)()(よし)(おき)()(もの)だらう。(おう)(たう)(うち)いづれも()(しや)氣質(かたぎ)()()しい(ところ)()えて()たが、(くらべ)()せて()るとどうしても(わか)いのは(とし)()ツたのよりまだ(いくさ)()れないので()(なまぐさ)()(うす)いやうだ。

 それから二人(ふたり)(いま)(うし)(ふち)あたりから(はん)(ざう)(ほり)あたりを(みなみ)(むか)ツて(ある)いて()ツたが、(その)(ころ)まだ、(この)(へん)(いち)(めん)(たか)(だい)で、はるかに ()(はら)()(とほ)せる(ところ)から二人(ふたり)(はなし)(たい)(てい)()()()(しき)から(おこ)ツて()る。(とし)()ツた()(しや)(きた)(ひがし)()えるかたそぎを(ゆび)さして(わか)いのに(むか)ひ、

 「(まこと)(ひろ)いでは おじやらぬか。何處(いづく)()ても(はら)ばかりぢや。()(のし)などは まだ()りなさるまいが、それ那處(あすこ)のかた そぎ、(なう)あれが()(きこ)ゆる(みやう)(じん)ぢや。その、また、(きた)(ひがし)(はま)(なり)ちの(くわん)()(おん)があるが、此處(こゝ)からは (くさ)()えぬわ」。

 「浮評(うはさ)(きこ)える()(やしろ)あの(こと)でお じやるか。()れば(いた)(ちひ)さなものぢや」。

 「あの(そば)ぢや、(おれ)が、(たれ)やらん(たく)ましき、(てき)(たい)(しやう)()(つき)()ツて()()(さん)(にん)(うち)()ツたのは 。その(たい)(しやう)め、はるか 對方(むかふ)(くり)()(いち)(もつ)()ツて(ひか)へてあつた が、(おれ)(はたらき)(こゝろ)にくゝ(おも)ひつらう、『あの武士(さむらひ)(うち)()れと(かな)(きり)(ごゑ)()てゝをツた」。

 「はゝゝゝ、(さぞ)(ぎよ)(かん)()りなされた らう、(いくさ)(をは)ツて。()(きず)をば()ひなされた」。

 「()(しよ)()ひたがいづれも(うす)()であツた (とて)もあの(やう)(らん)(ぐん)(なか)では ()(きず)であらう(もの)じやらぬ。(もち)(ろん)(はら)(たゝか)ふのぢやから、(てき)()(かた)(その)(とき)(たい)(てい)()()であツた。が()(かた)()(づな)には(おほ)殿(との)(よし)(さだ))が(おふ)せられたまゝ(かな)(ぐさり)(ぬひ)()まれてあツたので()(づな)(てき)(きり)(はな)される()(ねん)()かツた(その)(とき)()(たい)(しやう)(よし)(おき))の打扮(いでたち)()()ましい(もの)でおじやツたぞ」。

 「(いち)(たい)(しやう)(よし)(むね))もおじやツたらう」。

 「おじやツた。この(かた)もお(やう)打扮(いでたち)ではじやツたが()(そく)(おどし)(ちと)()かツたゆゑ、()(たい)(しやう)()(だち)なさらなかツた」。

 (をり)から(くさ)()(はげ)しく()ツて()(わき)(かぜ)()いて()た。()(はら)(きふ)(かぜ)……それは(なか)(/\)(さう)(ざう)(ほか)で、()()(くさ)(くき)()()(えだ)(すな)(いつ)(しよ)さながら(とり)()ぶやうに(いく)(まん)となく(とび)()ツた。そこで(はなし)もたちまち()()れた。()()れたか、()()れなかツたか(かぜ)(おと)()まれて、わからないが、(まづ)(たしか)()()れたらしい。(この)(あひだ)(おう)(たう)(あり)(さま)()いてまたつら/\(かんが)へれば(とし)()ツた(はう)(なか)(/\)(けい)(けん)(ほこ)(てい)()ツて、(わか)いのはすこし(つゝしみ)(ぶか)(やう)()えた左樣(さう)でしやう、(どく)(しや)(しよ)(くん)

 (その)(うち)()名殘(なごり)()くほとんど(くれ)()かツて()(くも)(いろ)(うす)(くら)く、()(ずゑ)(だん)(/\)(かす)んで()()(ころ)(へん)(くも)()()(すそ)(こし)()けて()た。(はら)(ひろ)さ、(そら)(おほ)きさ、(かぜ)(つよ)さ、(くさ)(たか)さ、いづれも(おそ)ろしい(ほど)(いか)めしくて、(じん)()何處(どこ)(すこ)しも()えず、(とき)(/\)はるか對方(むかふ)(はう)()せて()(うま)(かげ)がちらつくばかり、(ゆふ)(ぐれ)(さみ)しさは(だん)(/\)(なう)()んで()る。「宿(やど)るところもおじやらぬ(なう)」。「()(よひ)()宿(じゆく)するばりぢや」。「(いそ)がうぞ」。「(いそ)ぎやれ」。(これ)だけの(おう)(たう)(いく)(たび)()(けん)()けた。

 「(うま)(はし)るわ。(とら)へて()らうわ。()(のし)(この)みなさらぬか」。

 「それ(おも)(しろ)や。()らうぞや。すはや這方(こなた)(ちか)づくよ」。

 二人(ふたり)(うま)()らうと(おも)ツて、(ちか)づく(むれ)をよく()れば(これ)()(うま)(むれ)では ()くて、(たい)(へん)だ、(てき)(あし)(かゞ)()()()(しや)だ。

 「は ツし、ぬかツた、()()かなかツた。(うま)ぢや……(てき)ぢや……(てき)(うま)ぢや」。「(てき)()(ぜい)ぢや、()()()どの」。「()(かた)()(せい)ぢや、(ちゝ)()どの」。「さても……」「(おも)ぬ……」(てき)まぢかく(ちか)()ツた。

 「(うご)くな、(おち)()(しや)()らぬか、(にツ)()(よし)(おき)昨日(きのふ)()(ぐち)(ころ)されてぢや」。

 「なに、()(きみ)が」。

 「(いま)(さら)()ツたか、(かく)()せよ」。

 (あと)()ツた、(つるぎ)(あめ)が。(くさ)(もら)ツた、(あか)(えの)()を。(さみ)しさうに(うまれ)()(しん)(げつ)(かげ)。くやしさうに()()(ゆふ)(かぜ)

     (ちう)

(やま)(ざと)(ふゆ)ぞさみしさまさりける、(ひと)()(くさ)もかれぬと(おも)へば」。(あき)(やま)(ざと)とてその(とほ)り、(よひ)ながら(すご)いほどに(さみ)しい。衣服(きもの)()がれたので(やせ)(ひぢ)(こぶ)()てゝ()(かき)(こずゑ)には(あざ)(わらひ)(がほ)(つき)()かり、(あを)(しろ)(さえ)(わた)ツた()(めん)()(えだ)(かげ)破隙(われめ)(つく)る。はるかに(おほかみ)(すご)()(とほ)(ぼえ)(うち)()むと(たに)()(やま)(びこ)がすかさずそれを(おくり)(かへ)し、(のぞ)むかぎりは()(ぎり)(もう)(ろう)(たち)()めてほんの(とく)(きよ)()(した)(やみ)から照射(ともし)(かげ)()しさうに()らし、そして(さん)()(やま)(おろし)(あひ)(かた)となツて()()るく(ひと)(はだ)()んで()る。さみしさ(すご)さは(これ)ばかりでも()くて、(まが)りくねツたさも(あく)()らしい()(ぼく)洞穴(うろ)(ふくろ)があの(こは)らしい(りやう)(がん)(つき)(にら)みながら宿()(とり)(ひき)()いて(なま)()をぽた/\……

 (がけ)(した)ある(ひと)(かまへ)第宅(やしき)(がう)()住處(すみか)()え、よほ(ふる)びては ()るが、(ほね)(ふと)粧飾(かざり)(すくな)く、(ゆふ)(がほ)()(もの)衣服(きもの)とした()(しば)(がき)がその周圍(まはり)(とり)()いて()る。西(にし)()きの(ひと)()、その(まへ)(うゑ)(ごみ)で、(いろ)(/\)()がきまりなく、(かつ)()(しげ)ツて()るが、その(ひと)()此處(こゝ)()(ぞく)(つね)()()だらう、(いま)其處(そこ)二人(ふたり)()(じん)が……

 けれど(まづ)(だい)(いち)(ひと)()()まるのは()()鮮明(あざやか)(わか)やいて()える一人(ひとり)で、()ずと()れた妙齡(としごろ)處女(をとめ)(ともし)()()(とう)(みつ)(らう)(つく)られた(いち)()(いつ)(すん)松明(たいまつ)(ちひ)さいのだから四邊(あたり)どころか、(ともし)()(ちう)(しん)として(はん)(けい)()(しやく)ほどへだゝツた(ところ)(いつ)(さい)(やみ)(ゆき)(わた)ツて()るが、しかし容貌(かほだち)(みづ)(ぎは)だツて()るだけに(じふ)(ぶん)(わか)(ひと)()える。(とし)(ごろ)たしかに()れないが()(はな)(くち)權衡(つりあひ)がまだよくしまツて()ない(ところ)(かんが)へれば(ひど)()けても()ないだらう。その(くせ)坐丈(すわりぜい)(なか)(/\)あツて、そして(少女(をとめ)()(よわ)()ず)(うで)(くび)(たい)(そう)(ふと)く、その(うへ)(ひと)()眼光(めざし)が……()(はれ)()(ぶち)()ツて()ながら……、(なん)(いへ)(すご)い……でもない……やさしくない。たゞ(にく)()えて(あご)やはらかい(だん)()たせ、(まゆ)()(ごと)()(ぜん)(かほ)(ひき)()たせたのでやゝ()(どころ)()るやうに()える。その(すこ)(まへ)までは(しら)(ぎく)(すり)(はく)した(うは)()()()たが、(いま)それを()いでたゞ(がま)(うす)綿(わた)()いて()える(くず)衣服(きもの)りで()る。

 (これ)(むかひ)()ツて()るのは ()(じふ)(ぜん)()(らう)(ぢよ)で、(これ)()(もの)(くず)だが(かき)(ぞめ)(ふる)ぼけたので、()うしたのか (との)()(まみ)れて()る。(かほ)(かたち)、それは (らう)(にやく)(ちがひ)こそは あるが、ほと/\(まへ)()(じん)(うり)(ふた)つで……ちと(けい)(そつ)(はん)(だん)だが、だか(この)二人(ふたり)()(ぶん)(おや)()だらう。

 二人(ふたり)とも(なに)やら()(かほ)(いろ)(いま)(まで)談話(はなし)()()れたやうな(てい)であツたが、少焉(しばらく)して(らう)(ぢよ)(きツ)(おもひ)()いた(てい)(そば)(あひ)(くち)()(とり)()げ、

 「(おし)()和女(おこと)(もの)(おもひ)道理(ことわり)ぢやが……(この)(はゝ)とていたう(こゝろ)()かるが……さりとて、こや(その)(やう)(おし)()()(いき)()くやうでは、()(いき)のみ()いて()るやうでは武士(ものゝふ)……(まこと)よ、()()()(さぶ)(らう)()()(うち)(ぎみ)には……()けよ、(この)(はゝ)(こと)()を、()よ、この(はゝ)(きぬ)を。和女(おこと)よも(わす)れは()まい、和女(おこと)には(まこと)(おや)(おれ)(まこと)(をつと)のあの(みん)()()()()(たび)()(きみ)(いくさ)(くは)ツて、(あつ)(ぱれ)()(げん)(こう)(むかし)(かへ)(ちう)()(うち)()らうとて、()()()()()もろとも(かど)()した(とき)(おれ)、こや(おし)()(おれ)(なに)して(なに)()ふたぞ。(おれ)()づから(ほん)(とぎ)(とぎ)()げた(なん)()(てつ)(やの)()を五十(すぢ)(おの)(/\)へ廿五(すぢ)(なう)(かど)()(いはひ)(さし)()して、(おし)()()けよ——『(ふた)(かた)(うち)誰方(どなた)でも(まへ)(やぐら)(てき)(ひき)()けなさるならこの(やの)()(はな)(あぶら)()いて、(かぶと)(かな)()()()しいを(つけ)()るを(うち)()めなされよ。また殿(しんがり)(てき)(むか)ひなさるなら、鹿()()か、(あし)()か、(つき)()か、(くり)()か、(うま)(ふと)(たくま)しきに()つた(たい)(しやう)(うち)()りなされよ。婦人(をなご)()()なさ、それよ(ちう)()(こゝろざし)ばかりでおじやるわ」。と(この)(まなこ)から(はり)()れうづる(なみだ)(おさ)へて……お(おれ)(いま)()いては()ぬぞ、(おし)()……(おれ)武士(ものゝふ)(つま)だに(をつと)(はげ)まし、(むこ)()いたぞ。そを和女(おこと)(おし)()()ておじやツたらうぞ(なう)武士(ものゝふ)(つま)のこゝろばえは()(ほど)()うてはらぬわ。さればこそ今日(けふ)までも(やす)まず、(をつと)(むこ)とは(いへ)()らぬが(おれ)(やの)()()()(とぎ)()まして、お(ちう)()()()たちに(あた)ふるのぢや。かう(きぬ)(との)()(まみ)れても(なか)(/\)うれしいぞイ、()すれば」。

 「まことよ。(おふせ)道理(ことわり)じやる。(わらは)とてなど……」。

 「(こゝろ)から()なら(この)(はゝ)もうれしいわ ()よ、(なう)、この(あひ)(くち)を。(かど)()(とき)()()()()()和女(おこと)()(のこ)して(さい)(くわい)記念(かたみ)()されたらうよ。それを()たらよしない、()()しい(こゝろ)()()(たい)して()されまい。和女(おこと)とて(ひと)(わたり)()(げい)をも(なら)ふたのに(ちか)くは()(がの)(つぼね)んどを龜鑑(かゞみ)となされよ。(ひと)(うはさ)(いろ)(/\)詐僞(いつはり)もまじはるものぢや。(かろ)(/\)しく()ければ(のち)()ゆることもあらうぞ」。

 (いひ)()つて(はゝ)(へん)()(まち)(がほ)(おし)()(かほ)()()めるので(おし)()()(かた)なささうに (あい)(さつ)したが、それも(わづか)(ひと)(こと)だ。

 「さも()うず」。

 (はゝ)(おぼ)(つか)ない(あい)(さつ)だと(おも)ふやうな(かほ)(つき)をして()たが流石(さすが)(なほ)()ひてとも(いひ)()ね、やがてやゝ(かたぶ)いた(つき)()て、

 「()()けた。さらば(おれ)(これ)から(かん)(きん)せうぞ。和女(おこと)(おも)ひのまに/\(いね)よ」。

 (おし)()がうな づいて(れい)()たので(はゝ)もそれから()()つて(えん)(がは)(づたひ)(おく)(ひと)()へやう/\()ツた。(あと)(おし)()たゞ一人(ひとり)()ツて()(はゝ)(うしろ)(かげ)(なが)めて()たが、しばらくして、こらへこらへた(ため)(いき)(せき)(いち)()()れた。

 (はなし)(あひだ)だが一寸(ちよツと)(こゝ)(おし)()(せい)(しつ)(みの)(うへ)(やゝ)詳細(つまびらか)()べられなくてはらない。(じつ)(おし)()この(らう)(ぢよ)(じツ)()で、(ちゝ)(おや)(ちゝ)()(みん)()とて(ぜん)(くわい)武藏(むさし)()(りよ)(かう)して()(たび)(びと)(うち)(とし)()つた(はう)だ。そして(たび)(びと)(わか)(はう)すなはち()()()(さぶ)(らう)で、(はゝ)(おや)(はなし)でも(たい)(てい)かるが、(おし)()すな(をツと)だ。

 (この)(さぶ)(らう)(ちゝ)(おや)(にツ)()(よし)(さだ)(うま)(くち)(とり)(ふぢ)(しま)(かツ)(せん)(とき)(しゆ)(くん)とともに(せん)()をして()()ひ、(あと)(その)(とき)二歳(ふたつ)(みなし)()(さぶ)(らう)(のこ)つて()たので(みん)()もそれを()()(びん)(おも)ひ、(ひき)()つて(そだ)てる(うち)()(ねん)(のち)(おし)()()まれた。(ところ)(さぶ)(らう)(せい)(ちやう)するに(したが)つて()(じゆつ)()けて()て、(なか)(/\)()(どころ)のある(わか)(もの)となつたので(やう)()()(おほ)きに(よろこ)び、そこでそれを(つひ)(むすめ)(むこ)した。

 (その)(とき)(さぶ)(らう)(じふ)()(おし)()(じふ)(しち)であつた。(いま)から()ればあまりな (さう)(こん)だけれど、(むかし)(その)(やう)ことに (すこ)しも(かまは)かつた。

 それで(わか)(ふう)()(なか)よく(くら)して()たところが ()()(きけ)(にツ)()(よし)(おき)(あし)(かゞ)から()ばれて(かま)(くら)()るとの(うはさ)あるので(けツ)()(さかり)(さぶ)(らう)(いへ)(ひき)()もつて(いくさ)(はなし)()(ぎゝ)して()られず、(しうと)(みん)()(なん)(てう)へは (こゝろ)(かたむ)けて()ることゆゑ、(なん)(さう)(だん)(とゝの)つてそれから二人(ふたり)(いツ)(しよ)(よし)(おき)()(くは)はらうとて(しゆつ)(たつ)し、(つひ)武藏(むさし)()()()()()(なん)()つたのだ。その()(なん)あつた(こと)(せい)(みつ)ではいが、(うす)(/\)(おし)()にも(きこ)えたので、さアそれが(おし)()(しん)(ぱい)(たね)なり、(はゝ)(おや)をつかまへて(ふさぎ)()すので、其處(そこ)(まへ)のとほ(はゝ)(おや)もそれを(さと)して(はげ)まして()た。

 「(もん)(ぜん)()(ざう)(なら)(きやう)()む」。()()()(よめ)()(だい)(てつ)(さん)()()る。(さぶ)(らう)()(じゆつ)(ほね)()るありさまを(あさ)(ゆふ)()()るのみか、(らん)(せい)(つね)とて(たい)(てい)(もの)()(げい)(をさ)める常習(ならはし)つて()るので(おし)()()(ぜん)()()(なぎ)(なた)(こと)()()して()ると、(したが)つて(きよ)(どう)(いく)(ぶん)()()しくなつた。()(くび)(ふと)いのや眼光(めざし)のするどいのは(まつた)くそのためだらう。けれど(いま)あからさまに(その)(せい)(しつ)()はうなら、な(ほど)(おし)()()なり()(げい)(たつ)して、(いち)()どは(しに)()かつて()(くま)(いけ)(どり)したとて(まい)()()(まん)()たから、(こゝろ)(じふ)(ぶん)(たけ)(/\)しいかと()ふに(まつた)左樣(さう)でもない。その()()しく()えるところは(たゞ)(とき)(/\)()擧動(こなし)(こと)()(あり)(さま)にあつたばかりで、その()(じん)()(いう)(せい)(しつ)(こと)(こゝろ)(けう)(いく)のな()(じん)()(いう)(せい)(しつ)(あと)()つては()い、たしかに()くなつては()い。

 (はゝ)(たち)()つた(あと)(おし)()(れい)(あひ)(くち)()(とり)()げて(ぬき)(はな)し、しばらくは (こほり)(ひかり)()()めて(きつ)とした()(ぜい)であつたが、また(その)(した)から(すぐ)(ため)(いき)()た、

 「(あひ)(くち)、この(あひ)(くち)……さきに (はゝ)(うへ)(おふ)せられた(ごと)くあの()()記念(かたみ)ぢやが……さても(これ)()ればいとゞ(なほ)……そも()()たちは(かま)(くら)まで(ゆき)()かれたか、()(なん)(いた)()(げい)()けておじやるから(おもひ)()るも()()しけれど……(こゝろ)()かるは(さき)(ほど)(ひと)(/\)浮評(うはさ)よ。(せま)(むね)(もち)()ねて(はゝ)(うへ)(いひ)()づれば、あれほどに(こゝろ)(つよ)うおじやるよ。(かん)(きん)(とき)()るわ、この(わき)(がた)()(なか)(なに)(ごと)ぞ、(こゝろ)のどけく。そも(この)()(をつと)のみの()()(うへ)では()くて(げん)(ざい)(はゝ)(うへ)(をつと)さへもおな(さま)でおじやるのに……(さて)(さて)も。武士(ものゝふ)(つま)()(ほど)()うては(おふ)せられても(この)()いかでか/\。(につ)()(きみ)(あし)(かゞ)(はか)られて()(ぐち)とやらんで(ころ)されてその()(もの)一人(ひとり)(のこ)らず……あゝ(むね)ぐるしい浮評(うはさ)ぢやわ(さぶ)(らう)()()()うよ、(ちゝ)(うへ)其處(そこ)(のが)れなされたか。(かど)()(とき)この(あひ)(くち)(この)()(くだ)されて『(なう)(おし)()、おことゝ(おれ)とは(ひと)(かた)ならぬ(えにし)で……やがて(おれ)(こう)(みやう)して(かへ)らう()何時(いつ)とはよう()れぬが、和女(おこと)(なみ)(/\)婦人(をんな)(たち)()えて(こゝろ)ざまも()()しうおやらぬから(よし)ない(もの)(おもひ)をばさるまい。その(とき)までの記章(かたみ)(おれ)()(ざう)のこの(あひ)(くち)(これに(おれ)精神(たましひ)もこもるわ(あひ)(くち)(のこ)せば和女(おこと)(これ)(ぼん)(なう)(きづな)をば(なう)……なみだは()(やく)』、と()(ごろ)から(この)()(われ)ながら()()しくして()るに今日(けふ)かりは如何(いか)して()(むね)(たち)(さわ)ぐか別離(わかれ)(とき)()(こと)()(みゝ)とまつて……(ぬき)(はな)せばこの(すご)(わざ)もの……(はつ)()、なみだの(かほ)(うつ)るわ。この(なみだ)、あゝら(この)()(こゝろ)はまだ()(ほど)(よわ)うはなるまいに……(なみだ)ばかりが(よわ)うて……昨夜(ゆふべ)()(こは)(ゆめ)……あゝ(おもひ)()ればいとゞ(なほ)(むね)は……(むね)(わき)()つわ()(ぐち)とや、()(ぐち)何處(いづく)(つばさ)さへあらば()(ほど)……」。

 (おもひ)()つてはこらへかねて(そゞろ)(なみだ)をもよほした。()(ろん)(くわう)(たん)(こと)(しん)ずる()(ひと)だか(ゆめ)()()けるのも()()では()い。(おも)へば(おも)ふほど(かんがへ)(とほ)くへ(はし)つて、それでなくても(なか)(/\)(つよ)(さう)(ざう)(りよく)(ひと)(しほ)(ばつ)()(きは)めて(はん)(だん)(りよく)をも()いた。(はや)くこゝでその(ねつ)()さへ(ひく)くされるなら(べつ)(なん)のこともないが、(なか)(/\)(つう)(じやう)(ひと)には(その)(やう)()(いう)なことはたやすく()()い。()()()さ、(おし)()()(なか)(さぶ)(らう)(おもかげ)(だい)(いち)にあらはれて(つぎ)(ちゝ)(おや)姿(すがた)があらはれて()る。(あを)ざめた姿(すがた)があらはれて()る。()()()みた姿(すがた)があらはれて()る。(かき)()(ふき)()(やま)おろし、それも(さぶ)(らう)たちの(こゑ)(きこ)える。ボーン(なう)()(ゑん)()(かね)、それも()(じやう)(きざし)かと(おも)はれる。

 (ひと)()られて、(もの)(おもひ)(しづ)んで()ることを(さと)られまいと(おも)つて、それから(おし)()()(ぢか)ある()(きん)(しふ)()つて(いゝ)()(げん)(ところ)(ひら)き、それへ(むか)つて()をば()まずに、いよ/\(むね)(なか)(もの)(おもひ)(むし)をやしなつた。

 「『(だい)()らず……()(つね)……(つら)(ゆき)……つかはしける……(をんな)のもとへ……(あま)()かりがね……』。おゝ(われ)()らず()んだか。それにつけても()(れん)らしいかは()らぬが、(かど)()された(とき)から今日(けふ)までは(はや)(なぬ)()ぢやに(なぬ)()()にかう(むね)がさわぐとは……(うち)()せば()()めいたと()れ……お(かり)よ。(かり)()てなげいたといふ(はなし)(まこと)に……(かり)(かり)(つばさ)あつて……(なう)。」

 だが()贔負(びゐき)で、(なほ)(いく)(ぶん)(ない)(しん)(ない)(しん)には(このやうな(どく)()(うち)でも)まさか (ころ)されは()まいの(すゐ)(さつ)(むし)(いき)()きて()る。それだのに(るゐ)(せん)()()(もん)()けさせられて(あつ)(みづ)(せき)をかよはせた。

 この(まゝ)でやゝ少焉(しばらく)(あひだ)(おし)()(まつた)()(ごん)()(はい)されて()たが、(その)(うち)()(れつ)した、(つぎ)(ひと)(こゑ)が。

 「()(げい)そのため」。

 その()(たん)(ともし)()(ふつ)()えて(あと)へは(やみ)(ゆき)(わた)り、(もえ)さした(あと)()(ざら)暫時(しばらく)一人(ひとり)(きら)(/\)

     ()

()()(じろ)(あけ)(わた)した。(たけ)(やぶ)(ふせ)(ぜい)()ツて()(むら)(すゞめ)あらたに (ぐん)()(ひらき)(はじ)め、(ねや)(すき)()から(きり)()んで()(あかつき)(ひかり)()(だい)四方(あたり)(やみ)(おひ)退()け、(とほ)(やま)(かど)(あかね)(まく)がわたり、(をち)(こち)(たに)()らは(あさ)(ぐも)狼烟(のろし)(たち)(のぼ)る。「()はやあけたよ。(おし)()はとくに()きつらうに、まだ(こゑ)をも()ださぬは」。(いぶか)りながら(とこ)をはなれて(おし)()(はゝ)()(づくろひ)し、()(はや)(くち)(そゝ)いて(かほ)をあらひ、()()()(ぐし)でしばらく(かみ)をくしけづり、それから()()(すみ)かゝツて()(たけ)(づゝ)(なか)()(らう)(とり)()して()(あぶ)り、(しき)りにそれを(かみの)()()りながら。

 「(おし)()いざ(はや)()よ。(らう)()けたぞや。和女(おこと)()らずか」。

 けれど(ひと)(こと)(へん)()()い。

 「(おし)()よ、お しもよ、いぎたなや。(あき)()(なが)に……こや(おし)()」。莞爾(につこり)わらツて(くち)(うち)、「昨夜(ゆふべ)(いた)(いくさ)のことに(むね)なやませて()(てい)ぢやに、さても此處(こゝ)ぞまだ兒女(わらは)ぢや。(いま)かほど(まで)熟睡(うまゐ)して、さばれ、いざ(よび)(おこ)さう」。

 (おし)()()()(ふすま)()けて(はゝ)はツとおどろいた。承塵(なげし)あツた(なぎ)(なた)も、(とこ)あツた(くさり)帷子(かたびら)も、()(ろん)(さぶ)(らう)()れた(あひ)(くち)四邊(あたり)(かげ)()い。「すは(おれ)がぬかツたよ。(つね)より(もの)()るならひ……如何(いか)(あや)しい(てい)であツたが、さても(おれ)(こゝろ)()きながら(こゝろ)せなんだ(おろか)さよ。(なぐさめ)(ごと)()かせたが(なほ)(なほ)もひわびて(ぬけ)()でたよ。あゝら()()しや、()()しいことぢや。」

 (こゝろ)(みづ)(にえ)()ツた。それ(あさ)(がれひ)(かまど)(あと)()(あと)()ひに ()庖廚(くりや)炊婢(みづしめ)。さア(すき)()()ツたまゝ(たづ)ねに(とび)()(はたけ)(しもべ)(いへ)(なか)(おほ)(さう)(どう)()()()(どう)(みやう)(わう)(まへ)燈明(あかし)()き、たちまち()(たう)(こゑ)(おこ)る。をゝしく(みえ)たが流石(さすが)婦人(をんな)(はゝ)(いま)(さら)()(はう)にくれた。「なまじひに(こゝろ)せぬ(てい)でなぐさめたのが(おれ)脱落(ぬかり)よ。さてもあの(まゝ)(かま)(くら)まで()しは()ふて(いで)()いたか。いか()(げい)をひとわたりは(こゝろ)()たとて……この()(なまぐさ)()(なか)……たゞの(をんな)一人(ひとり)()で……たゞの少女(をとめ)一人(ひとり)()で……()をもいとはず一人(ひとり)()で……」。

 (おも)へば (にく)いやうで、()(あい)さうなやうで、また(かな)しいやうで、くやしいやうで、今日(けふ)また(はゝ)昨夜(ゆふべ)(おし)()なり、(とり)(こゑ)(おし)()(こゑ)(だれ)(かほ)(おし)()(かほ)だ。(おし)()()()(はい)ツて()れば(おし)()()()がするやうだし、(おし)()()(ばこ)()をとめれば(おし)()(そば)()るやうだ。「(むね)(さわ)ぐに(なに)(ごと)ぞ。(はや)(だい)(しやう)()()(わう)(おん)()にたよりて(いの)らうに……(はツ)()(いの)らうと(こゝろ)をば()かしても(なほ)すかし()()もなく、(こゝろ)はいとゞ()れに()れて(おし)()(こと)(おも)()すよ」。(こゝろ)(ひと)(もの)でない。(はゝ)(こゝろ)(はゝ)のもの。それで(せい)することが()()い。()をねむツて()(おち)()け、(いつ)(しん)()()()(きやう)()まうとしても((くち)(うへ)にばかり(こゑ)()るが)、(なう)(なか)には(かん)じが()い。「()(あら)ず。()(あら)ず、(どう)(あら)ず、(じやう)(あら)ず、(しやく)(あら)ず、(びやく)(あら)ず……」(その)()(おし)()()()()る。

 (ひと)(かほ)さへ(そば)()えれば (はゝ)はそれと(さう)(だん)したくなる。それと(さう)(だん)したとて(せん)(ぱう)(かみ)でもなければ(おん)(やう)()でも()く、つまり(なに)もわからぬとは()ツて()ながら(なほ)それでも(その)(ひと)(ひざ)()せて(わが)()(みの)(うへ)(はん)(だん)したくなる。それでまた(れい)()贔負(びゐき)(ない)(しん)(ない)(しん)(ない)(しん)に「()(ぶん)()(なん)であらうぞ」と(おも)ひながら(へん)なもので、またそれを(くち)には()さない。たゞ其處(そこ)(せん)(ぱう)(こたへ)()(しん)(かんがへ)()()れば(じつ)左樣(さう)」とは(しん)ぬながら()(くわん)(ぜん)もそれで(わづか)(まう)(ざう)をすかして()る。

 ()にいぢらしい(もの)幾許(いくら)もあるが、(しう)(たん)(たま)()どいぢらしい(もの)()い。(すで)(しう)(たん)(こと)がきまればいくらか(しう)(たん)()(ゐき)()()るが、まだ(しやう)(じん)(しう)(たん)(たち)(おこ)らぬ(その)(まへ)(いま)それが(おこ)るだらうと(さう)(ざう)するほど(いや)(むね)ぐるしいものはない。(この)(やう)(とき)(なみだ)どもあながち()るとも(きま)ツて()ず、(とき)()(しん)(さう)(ざう)でわざと(なみだ)をもよほしなら((けつ)して(こゝろ)でそれを(この)むのではないが)なほ(なみだ)()ることを(しう)(たん)(たね)として(いろ)(/\)(こゝろ)をくるしめることが()る。

 だから(はゝ)()(どう)(みやう)(わう)(にら)めくらで、(きやう)(もん)(いつ)()(まう)(ざう)(いち)(だん)(きやう)(もん)(まう)(ざう)とがミドローシアンを(あらそ)ツて()る。(ところ)(そと)からおとづれたのは()(のこ)ツて()た((この)(はゝ)(こと)()()りて()へば懶惰(なまけ)(もの)()(ちう)(もの)()(なん)だ。

 「(たれ)やらん()()武士(ものゝふ)が、たゞ一人(ひとり)()()をもつれず、(この)()(まを)すことあるとて()ておじやる。いかに(よび)()(さふら)ふか」。

 「武士(ものゝふ)とや。打揃(いでたち)は」。

 「(だう)(ふく)(ひと)(こし)ざし。むくつけい(あら)(をとこ)で……戰爭(いくさ)()つらう()()ふて……」。

 「()くも()まはしい。この()(なか)(なに)とて(ひと)()(いとま)が……」。

 (ひと)(たび)(いひ)(はな)して()たが、(おもひ)(なほ)せば (をつと)(むこ)(みの)(うへ)()にかゝるのでふたゝび(こと)()(あらた)めて、

 「さばれ、(いな)(よび)()れよ。すこしく()はうこともあれば」。

 (かしこ)まつて下男(しもべ)()つて()くと、(いり)(かは)つて(はい)つて()たのは三十(ぜん)()()()だ、

 「(おん)()かゝるは (いま)がはじめて。(これ)(おほ)(うち)(へい)()とて(もと)(きた)(ばたけ)()(もの)ぢや。(ちゝ)()()()とは かねてより(ぢん)(ちう)でし たしうした()()に、(まをし)(のこ)されたことがあつて……」。

 「(まをし)(のこ)された」の(ひと)(こと)(はゝ)(むね)には(くぎ)であつた、

 「おゝ如何(いか)(につ)()(きみ)()でたう(かま)(くら)()りなされたか」。

 「まだ、(さて)(つたへ)()きなさらぬか。(たか)(ひろ)にあざむかれな されて、あへなくも(そこ)()(くづ)と……()(ぐち)で」。

 「それ、さらば(まこと)でおじやるか。それ詐僞(いつはり)ではおじやらぬか」。

 「(なに)を……など詐僞(いつはり)でおじやらうぞ」。

 よもやと(おもひ)(かた)めた(こと)(まつた)(ちが)ツてしまつたことゆゑ、(いま)(さら)(はゝ)(げう)(てん)したが、流石(さすが)もはや(につ)()(こと)よりは(をつと)(むこ)(みの)(うへ)(しん)(ぱい)(たね)なツて()た。

 「さて(その)(とき)(みん)()たちは」。

 「そのこと、まこと(その)(こと)におじやるは (おれ)(これ)から(かま)(くら)()うぞ (はせ)()いた(みち)武藏(むさし)()(なか)ほどで()れば(ちゝ)()()()たち(ふた)(かた)は……」。

 「さて(ちゝ)()たち二人(ふたり)」。

 「はしなくも……」。

 「もどかはしや。いざ、いざ、いざ」。

 「はしなくも(てき)(さぐ)られて、左樣(さう)ぢや、(その)(まゝ)(きり)(たふ)されて……」。

 「こは そゞろ、……(きり)(たふ)されて……(はつ)()そのまゝ(きり)(たふ)されて……」。

 「その(おどろき)道理(ことわり)でお じやる。(おれ)最初(はじめ)左樣(さう)とも()らず『(なに)やらん(くさ)(なか)(うめ)いて()(もの)のあるは(くま)()まれた鹿(しか)ぢやらうか』と()いて()たら、おどろいたわ、それが()(ふた)(かた)でおじやツたわ」。

 (はゝ)はや(その)(あと)()いて()られなくな ツた。(いま)まではばらく(こら)へて()たが、もはや(つゝ)むに(つゝみ)()れずたちまち其處(そこ)(なき)()して、(へい)()がいふ(もの)(がたり)(きゝ)()れる(てい)()い。如何(いか)にも昨夜(ゆふべ)(おし)()(けう)(くん)して()(ところ)どは(あつ)(ぱれ)(がう)()なやうに()えたが、(これ)とて(その)()()でも()ければ(いし)でも()い。今朝(けさ)(おし)()()なくなツた(しん)(ぱい)()(さき)へこの(きよう)(いん)(つた)ツたのに流石(さすが)(こゝろ)(みだ)されてしまツた。(いま)(その)(くち)から()()ばかりが(しゆつ)(たつ)する。

 「ちえイ(ぬし)を……(ぬし)たちを……あゝ(おし)()(こゝろ)(くる)しめたも、(むし)(むし)()らせたか。(だい)(しやう)()()(わう)も、ちえイ()(ごろ)(しん)(じん)を……おのれ……こは/\(へい)()()()、など(その)(とき)(はせ)()いて(すけ)(すけ)()()してはたもらんだぞ」。

 (うらみ)がましく()ひながら、(なほ)(すぐ)(その)(こと)()(した)から、いぢらしい、()でさしまねいで(なみだ)(すゝ)り、

 「()きなされ。あゝ(なん)()(うん)や。(をつと)(むこ)(しに)()てたに ……こや(へい)()()()(きゝ)なされ、むす…むすめの(おし)()もまた……(おし)()もまた(へい)()()()……(おし)()はまた()たばかり……昨夜(ゆふべ)……(さつ)しなされよ、(へい)()()()」。

 「昨夜(ゆふべ)、そも如何(いか)()された」。

 (はゝ)(じふ)(ぶん)(くち)()けなくな ツたので()(かた)なく()()()()(さい)(つげ)()らせた。(つげ)()らせると(へい)()(かほ)たちまちに(いろ)(かは)ツた。

 「さらばあの(くさり)帷子(かたびら)の……」。

 (いひ)()けたがはツと(おも)ツて(こと)()()めた。けれ 這方(こなた)(きゝ)(とが)めた。

 「和主(おのし)はそも如何(いか)して(おし)()(くさり)帷子(かたびら)を……」。

 「(くさり)帷子(かたびら)とは(なん)でおじやる」。

 「(なん)でおじやるとは (へい)()()()、むすめ、(おし)()打扮(いでたち)ぢや。(いま)(その)(くち)から(おふ)せられた」。

 (へい)()(いま)(つゝみ)()ね、

 「あゝ(すべ)()い。いたは しいけれど、さらば()(さい)(まを)さうぞ。(なげき)(えだ)()ふるがいたはしさに(つゝ)まうとは(つと)めたれど……(なに)(かく)さう、(ひめ)()()(くさり)帷子(かたびら)(つけ)なされたまゝ、()(なぎ)(なた)()ちなされたまゝ……(はゝ)()()かならず(つよ)(なげ)きなされな……(けもの)()れて(ころ)されつらう、(はぎ)(あたり)(かみ)()られて(きた)(やま)(あひ)(たふ)れておじやツた」。

 (はゝ)()()()ツたまゝであツた。(へい)()ふたゝび(こと)()()いだ。

 「(おれ)此處(こゝ)()(みち)ぢや、は からず(いま)のを()()めたのは(おも)へば ()()()(えん)でおじやるが、(その)(とき)(ひめ)()()とはつゆ()らず……いたは しい(こと)()ツたぞや、僅少(わづか)(あひだ)三人(みたり)まで」。

 (はゝ)はなほ ()(みは)ツたまゝだ。(くちびる)(もの)()ひたげに(うご)いて()たが、それから(こと)()(ひと)ツも()ない。

 (をり)から(かど)にはどや/\と(ひと)(おと)

 「(おし)()()(くま)()れてよ。」

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(ついで)ながら(この)(ころ)(かん)()(みやう)(じん)(しば)(ざき)(むら)といツた(むら)にあツて(その)(むら)(いま)駿(する)()(だい)(ひがし)(おり)(くち)(へん)であツた。それゆゑ二人(ふたり)()()()(だん)から(なが)めても(すぐ)(その)(やしろ)(あたま)()えた。もし(この)(とき)(その)()()(たゞ)(いま)(やう)であツたなら(けつ)して()える(わけ)()い。

底本:「夏木立」、金港堂、明治21年8月20日