寒山拾得

森 林太郎

 (たう)(ぢやう)(ぐわん)(ころ)だと()ふから、西(せい)(やう)は七(せい)()(はじめ)()(ほん)(ねん)(がう)()ふもののやつと()()()かつた(とき)である。(りよ)(きう)(いん)()(くわん)()がゐたさうである。(もつと)もそんな(ひと)はゐなかつたらしいと()(ひと)もある。なぜかと()ふと、(りよ)(たい)(しう)(しゆ)簿()になつてゐたと()(つた)へられてゐるのに、(しん)(きう)(たう)(しよ)(でん)()えない。(しゆ)簿()()へば、()()とか(たい)(しゆ)とか()ふと(おな)(くわん)である。()()(ぜん)(こく)(だう)(わか)れ、(だう)(しう)(また)(ぐん)(わか)れ、それが(けん)(わか)れ、(けん)(した)(がう)があり(がう)(した)()がある。(しう)には()()()ひ、(ぐん)には(たい)(しゆ)()ふ。一(たい)()(ほん)(けん)より(ちひ)さいものに(ぐん)()()けてゐるのは()()(がふ)だと、(よし)()(とう)()さんなんぞは()(ふく)(とな)へてゐる。(りよ)(はた)して(たい)(しう)(しゆ)簿()であつたとすると()(ほん)()(けん)()()(ぐらゐ)(くわん)()である。さうして()ると、(たう)(しよ)(れつ)(でん)()てゐる(はず)だと()ふのである。しかし(りよ)がゐなくては、(はなし)()()たぬから、()(かく)もゐたことにして()くのである。

 さて(りよ)(たい)(しう)(ちやく)(にん)してから三()()になつた。(ちやう)(あん)(きた)()()(つち)(ほこり)(かぶ)つて、(にご)つた(みづ)()んでゐた(をとこ)(たい)(しう)()(ちゆう)(あう)()()()えた(つち)()み、()んだ(みづ)()むことになつたので、(じやう)()(げん)である。それに(この)()(あひだ)に、()(にん)()(した)(やく)()(えつ)(けん)をする。(うけ)(もち)々々(/\)()()(けい)(しき)(てき)(はう)(こく)する。その(あわ)ただしい(なか)に、()(はう)(ちやう)(くわん)()(せい)(おほ)きいことを(あぢは)つて、()()(やう)(/\)としてゐるのである。

 (りよ)(ぜん)(じつ)(した)(やく)のものに()つて()いて、()()(はや)()きて、(てん)(たい)(けん)(こく)(せい)()をさして()()けることにした。これは(ちやう)(あん)にゐた(とき)から、(たい)(しう)()いたら(さつ)(そく)()かうと()めてゐたのである。

 (なん)(よう)()があつて(こく)(せい)()()くかと()ふと、それには(いん)(ねん)がある。(りよ)(ちやう)(あん)(しゆ)簿()(にん)(めい)()けて、これから(にん)()(たび)()たうとした(とき)(あい)(にく)こらへられぬ(ほど)()(つう)(おこ)つた。(たん)(じゆん)なレウマチス(せい)()(つう)ではあつたが、(りよ)(へい)(ぜい)から(すこ)(しん)(けい)(しつ)であつたので、()かり(つけ)()(しや)(くすり)()んでもなか/\なほらない。これでは(たび)(たち)()()ばさなくてはなるまいかと()つて、(によう)(ばう)(さう)(だん)してゐると、そこへ()(をんな)()て、「(たゞ)(いま)()(もん)(まへ)()(じき)(ばう)()がまゐりまして、()(しゆ)(じん)にお()()かりたいと(まを)しますが、いかがいたしませう」と()つた。

 「ふん、(ばう)()か」と()つて(りよ)(しばら)(かんが)へたが、「()(かく)()つて()るから、こゝへ(とほ)せ」と()()けた。そして(によう)(ばう)(おく)()()ませた。

 (ぐわん)(らい)(りよ)(くわ)(きよ)(おう)ずるために、(けい)(しよ)()んで、五(ごん)()(つく)ることを(なら)つたばかりで、(ぶつ)(てん)()んだこともなく、(らう)()(けん)(きう)したこともない。しかし(そう)(りよ)(だう)()()ふものに(たい)しては、()()()ふこともなく(そん)(けい)(ねん)()つてゐる。()(ぶん)()(とく)せぬものに(たい)する、(まう)(もく)(そん)(けい)とでも()はうか。そこで(ばう)()()いて()はうと()つたのである。

 ()もなく()()つて()たのは、一(にん)()(たか)(そう)であつた。(あか)つき(やぶ)れた(はふ)()()て、(なが)()びた(かみ)を、(まゆ)(うへ)()つてゐる。()(かぶ)さつてうるさくなるまで()()つて()いたものと()える。()には(てつ)(ぱつ)()つてゐる。

 (そう)(だま)つて()つてゐるので(りよ)()うて()た。「わたしに()ひたいと()はれたさうだが、なんの()(よう)かな。」

 (そう)()つた。「あなたは(たい)(しう)へお(いで)なさることにおなりなすつたさうでございますね。それに()(つう)(なや)んでお(いで)なさると(まを)すことでございます。わたくしはそれを(なほ)して(しん)ぜようと(おも)つて(まゐ)りました。」

 「いかにも()はれる(とほり)で、(その)()(つう)のために(しゆつ)(たつ)()()ばさうかと(おも)つてゐますが、どうして(なほ)してくれられる(つもり)か。(なに)(やく)(はう)でも()(ぞん)じか。」

 「いや。四(だい)()(なや)ます(やまひ)(まぼろし)でございます。(たゞ)(しやう)(じやう)(みづ)(この)(じゆ)(りやう)()に一ぱいあれば(よろ)しい。(まじなひ)(なほ)して(しん)ぜます。」

 「はあ(まじなひ)をなさるのか。」かう()つて(すこ)(かんが)へたが「()(さい)あるまい、一つまじなつて(くだ)さい」と()つた。これは()(だう)(こと)などは(へい)(ぜい)(ふか)(かんが)へてもをらぬので、どう()()(れう)ならさせる、どう()()(れう)ならさせぬと()(てい)(けん)がないから、(たゞ)()(ぶん)()(せい)()(らい)して、(その)(をり)(/\)(はん)(だん)するのであつた。(もち)(ろん)さう()(ひと)だから、()かり(つけ)()(しや)()ふのも()(にん)(せん)をしたわけではなかつた。()(もん)(れい)(すう)でも()むやうな()(しや)(さが)して()めてゐたのではなく、(きん)(じよ)()んでゐて()ぶのに(めん)(だう)のない()(しや)()かつてゐたのだから、ろくな(くすり)()ませて(もら)ふことが()()なかつたのである。(いま)()(じき)(ばう)()(たの)()になつたのは、なんとなくえらさうに()える(ばう)()(たい)()(しん)(おこ)したのと、(みづ)一ぱいでする(まじなひ)なら()(ちが)つた(ところ)()(けん)(こと)もあるまいと(おも)つたのとのためである。(ちやう)()(とう)(きやう)(かう)(とう)(くわん)(れん)(ちう)(べに)(れう)()()(あひ)(じゆつ)()(らい)するのと(おな)(こと)である。

 (りよ)()(をんな)()んで、(くみ)(たて)(みづ)(はち)()れて()いと(めい)じた。(みづ)()た。(そう)はそれを()()つて、(むね)(さゝ)げて、ぢつと(りよ)()()めた。(しやう)(じやう)(みづ)でも()ければ、()(けつ)(みづ)でも()い、()でも(ちや)でも()いのである。()(けつ)(みづ)でなかつたのは、(りよ)がためには(もつ)()(さいは)ひであつた。(しばら)()()めてゐるうちに、(りよ)(おぼ)えず(せい)(しん)(そう)(さゝ)げてゐる(みづ)(しふ)(ちゆう)した。

 (この)(とき)(そう)(てつ)(ぱつ)(みづ)(くち)(ふく)んで、(とつ)(ぜん)ふつと(りよ)(あたま)()()けた。

 (りよ)はびつくりして、()(なか)(ひや)(あせ)()た。

 「お()(つう)は」と(そう)()うた。

 「あ。(なほ)りました。」(じつ)(さい)(りよ)はこれまで()(つう)がする、()(つう)がすると()にしてゐて、どうしても(なほ)らせずにゐた()(つう)を、(ばう)()(みづ)()()られて、()()がしてしまつたのである。

 (そう)(しづ)かに(はち)(のこ)つた(みづ)(ゆか)(かたむ)けた。そして「そんならこれでお(いとま)をいたします」と()ふや(いな)や、くるりと(りよ)()(なか)()けて、()(ぐち)(はう)(ある)()した。

 「まあ、一寸(ちよつと)」と(りよ)()()めた。

 (そう)()(かへ)つた。「(なに)()(よう)で。」

 「(すん)()のお(れい)がいたしたいのですが。」

 「いや。わたくしは(ぐん)(しやう)(ふく)()、憍(けう)(まん)(しやく)(ぶく)するために、()(じき)はいたしますが、(れう)()(だい)(いたゞ)きませぬ。」

 「なる(ほど)。それでは()ひては(まを)しますまい。あなたはどちらのお(かた)か、それを(うかゞ)つて()きたいのですが。」

 「これまでをつた(ところ)でございますか。それは(てん)(だい)(こく)(せい)()で。」

 「はあ。(てん)(だい)にをられたのですな。お()は。」

 「()(かん)(まを)します。」

 「(てん)(だい)(こく)(せい)()()(かん)(おつ)しやる。」(りよ)はしつかりおぼえて()かうと()(りよく)するやうに、(まゆ)(しか)めた。「わたしもこれから(たい)(しう)()くものであつて()れば、(こと)さらお(なつ)かしい。(ついで)だから(うかゞ)ひたいが、(たい)(しう)には()ひに()つて()めになるやうな、えらい(ひと)はをられませんかな。」

 「さやうでございます。(こく)(せい)()(じつ)(とく)(まを)すものがをります。(じつ)()(げん)でございます。それから(てら)西(にし)(はう)に、(かん)(がん)()(せき)(くつ)があつて、そこに(かん)(ざん)(まを)すものがをります。(じつ)(もん)(じゆ)でございます。さやうならお(いとま)をいたします。」かう()つてしまつて、ついと()()つた。

 かう()(いん)(ねん)があるので、(りよ)(てん)(だい)(こく)(せい)()をさして()()けるのである。

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 (ぜん)(たい)()(なか)(ひと)の、(みち)とか(しゆう)(けう)とか()ふものに(たい)する(たい)()()(とほ)りある。()(ぶん)(しよく)(げふ)()()られて、(たゞ)(えい)(/\)(えき)(/\)(とし)(つき)(おく)つてゐる(ひと)は、(みち)()ふものを(かへり)みない。これは(どく)(しよ)(じん)でも(おな)(こと)である。(もち)(ろん)(しよ)()んで(ふか)(かんが)へたら、(みち)(たう)(たつ)せずにはゐられまい。しかしさうまで(かんが)へないでも、()()(つとめ)だけは(べん)じて()かれよう。これは(まつた)()(とん)(ちやく)(ひと)である。

 (つぎ)(ちやく)()して(みち)(もと)める(ひと)がある。(せん)(ねん)(みち)(もと)めて、(ばん)()(なげう)つこともあれば、()()(つとめ)(おこた)らずに、()えず(みち)(こゝろざ)してゐることもある。(じゆ)(がく)()つても、(だう)(けう)()つても、(ぶつ)(ぱふ)()つても、(クリ)(スト)(けう)()つても(おな)(こと)である。かう()(ひと)(ふか)()()()むと()()(つとめ)(すなは)(みち)そのものになつてしまふ。(つゞ)めて()へばこれは(みな)(みち)(もと)める(ひと)である。

 この()(とん)(ちやく)(ひと)と、(みち)(もと)める(ひと)との(ちゆう)(かん)に、(みち)()ふものゝ(そん)(ざい)(かく)(くわん)(てき)(みと)めてゐて、それに(たい)して(まつた)()(とん)(ちやく)だと()ふわけでもなく、さればと()つて(みづか)(すゝ)んで(みち)(もと)めるでもなく、()(ぶん)をば(みち)()(ゑん)(ひと)だと諦念(あきら)め、(べつ)(みち)(しん)(みつ)(ひと)がゐるやうに(おも)つて、それを(そん)(けい)する(ひと)がある。(そん)(けい)はどの(しゆ)(るゐ)(ひと)にもあるが、(たん)(おな)(たい)(しやう)(そん)(けい)する()(あひ)()(りよ)して()つて()ると、(みち)(もと)める(ひと)なら(おく)れてゐるものが(すゝ)んでゐるものを(そん)(けい)することになり、こゝに()(ちゆう)(かん)(じん)(ぶつ)なら、()(ぶん)のわからぬもの、()(とく)することの()()ぬものを(そん)(けい)することになる。そこに(まう)(もく)(そん)(けい)(しやう)ずる。(まう)(もく)(そん)(けい)では、(たま/\)それをさし()ける(たい)(しやう)(せい)(こう)()てゐても、なんにもならぬのである。

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 (りよ)()(ふく)(あらた)輿()()つて、(たい)(しう)(くわん)(しや)()た。(じゆう)(しや)(すう)(にん)ある。

 (とき)(ふゆ)(はじめ)で、(しも)(すこ)()つてゐる。(せう)(こう)()(りう)で、()(ほう)(けい)()(かは)()(がん)を、()(くわい)しつつ(きた)(すゝ)んで()く。(はじ)(くも)つてゐた(そら)がやうやう()れて、(あを)(じろ)()(きし)紅葉(もみぢ)(てら)してゐる。(みち)()()(らう)(えう)は、(みな)輿()()けて(ひざまづ)く。輿()(なか)では(りよ)がひどく()(こゝろ)(もち)になつてゐる。(ぼく)(みん)(しよく)にゐて(けん)(しや)(れい)すると()ふのが、()(から)のやうに(おも)はれて、(りよ)滿(まん)(ぞく)(あた)へるのである。

 (たい)(しう)から(てん)(たい)(けん)までは六十()ある。()(ほん)の六()(はん)(ほど)である。ゆる/\輿()()かせて()たので、(けん)から(やく)(にん)(むか)へに()たのに()つた(とき)、もう(ひる)()ぎてゐた。()(けん)(くわん)(しや)(やす)んで、()(そう)になりつゝ()いて()ると、こゝから(こく)(せい)()までは、(つま)(さき)(あが)りの(みち)(また)六十()ある。()()くまでには()()りさうである。そこで(りよ)()(けん)(くわん)(しや)(とま)ることにした。

 (よく)(てう)()(けん)(おく)られて()た。けふもきのふに(かは)らぬ(てん)()である。一(たい)(てん)(たい)(まん)八千(ぢやう)とは、いつ(たれ)(そく)(りやう)したにしても、(しよ)(せん)(たか)()ぎるやうだが、()(かく)(とら)のゐる(やま)である。(みち)はなか/\きのふのやうには(はかど)らない。()(ちゆう)(ひる)(めし)()つて、()西(にし)(かたむ)()かつた(ころ)(こく)(せい)()の三(もん)()いた。()(しや)(だい)()(めつ)()に、(ずゐ)(やう)(だい)()てたと()(てら)である。

 (てら)でも(しゆ)簿()()(さん)(けい)だと()ふので、おろそかにはしない。(だう)(げう)()(そう)()(むか)へて、(りよ)(きやく)()(あん)(ない)した。さて(ちや)(くわ)(きやう)(おう)()むと、(りよ)()うた。「(たう)()()(かん)()(そう)がをられましたか。」

 (だう)(げう)(こた)へた。「()(かん)(おつし)やいますか。それは(さき)(ころ)まで、(ほん)(だう)(うし)()(そう)(ゐん)にをられましたが、(あん)(ぎや)()られた(きり)(かへ)られませぬ。」

 「(たう)()ではどう()(こと)をしてをられましたか。」

 「さやうでございます。(そう)(ども)()べる(こめ)()いてをられました。」

 「はあ。そして(なに)(ほか)(そう)(たち)(かは)つたことはなかつたのですか。」

 「いえ。それがございましたので、(はじ)(たゞ)(ほね)(をし)みをしない、(しん)(せつ)(どう)宿(しゆく)だと(ぞん)じてゐました()(かん)さんを、わたくし(ども)(たい)(せつ)にいたすやうになりました。すると()()ふいと()()つてしまはれました。」

 「それはどう()(こと)があつたのですか。」

 「(まつた)()()()(こと)でございました。()()(やま)から(とら)()つて(かへ)つて(まゐ)られたのでございます。そして(その)(まゝ)(らう)()()()つて()て、(とら)()()(ぎん)じて(ある)かれました。一(たい)()(ぎん)ずることの()きな(ひと)で、(うら)(そう)(ゐん)でも、(よる)になると()(ぎん)ぜられました。」

 「はあ。()きた()()(かん)ですな。(その)(そう)(ゐん)(あと)はどうなつてゐますか。」

 「(たゞ)(いま)(あき)()になつてをりますが、(おり)(/\)(よる)になると、(とら)(まゐ)つて()えてをります。」

 「そんなら()()(らう)ながら、そこへ()(あん)(ない)(ねが)ひませう。」かう()つて、(りよ)()()つた。

 (だう)(げう)(くも)()(はら)ひつゝ(さき)()つて、(りよ)()(かん)のゐた(あき)()()れて()つた。()がもう()()かつたので、(うす)(くら)(をく)(ない)()(まは)すに、がらんとして(なに)一つ()い。(だう)(げう)()(かゞ)めて(いし)(だゝみ)(うへ)(とら)(あし)(あと)(ゆび)ざした。(たま/\)(やま)(かぜ)(まど)(そと)()いて(とほ)つて、(うづたか)(には)(おち)()()()げた。(その)(おと)(せき)(ばく)(やぶ)つてざわ/\と()ると、(りよ)(かみ)()()()()けられるやうに(かん)じて、(ぜん)(しん)(はだ)(あは)(しやう)じた。

 (りよ)()はしげに(あき)()()た。そして(あと)から()いて()(だう)(げう)()つた。「(じつ)(とく)()(そう)は、まだ(たう)()にをられますか。」

 (だう)(げう)()(しん)らしく(りよ)(かほ)()た。「()()(ぞん)じでございます。(せん)(こく)あちらの(くりや)で、(かん)(ざん)(まを)すものと()(あた)つてをりましたから、()(よう)がおありなさるなら、()()せませうか。」

 「はゝあ。(かん)(ざん)()てをられますか。それは(ねが)つても()(こと)です。どうぞ()()(らう)(ついで)(くりや)()(あん)(ない)(ねが)ひませう。」

 「(しよう)()いたしました」と()つて、(だう)(げう)(ほん)(だう)()いて西(にし)(ある)いて()く。

 (りよ)(うし)()から()うた。「(じつ)(とく)さんはいつ(ごろ)から(たう)()にをられますか。」

 「もう()(ほど)(ひさ)しい(こと)でございます。あれは()(かん)さんが(まつ)(ばやし)(なか)から(ひろ)つて(かへ)られた(すて)()でございます。」

 「はあ。そして(たう)()では(なに)をしてをられますか。」

 「(ひろ)はれて(まゐ)つてから三(ねん)(ほど)()ちました(とき)(しよく)(だう)(じやう)()(ざう)(かう)()げたり、(とう)(みやう)()げたり、(その)(ほか)(そな)へものをさせたりいたしましたさうでございます。そのうち()()(じやう)()(ざう)(しよく)()(そな)へて()いて、()(ぶん)()()つて一しよに()べてゐるのを()()けられましたさうでございます。(びん)()()(そん)(じや)(ざう)がどれだけ(たふと)いものか(ぞん)ぜずにいたしたことゝ()えます。(たゞ)(いま)では(くりや)(そう)(ども)(しよく)()(あら)はせてをります。」

 「はあ」と()つて、(りよ)(ふた)(あし)()(あし)(ある)いてから()うた。「それから(たゞ)(いま)(かん)(ざん)(おつ)しやつたが、それはどう()(かた)ですか。」

 「(かん)(ざん)でございますか。これは(たう)()から西(にし)(はう)(かん)(がん)(まを)(せき)(くつ)()んでをりますものでございます。(じつ)(とく)(しよく)()(あら)ひます(とき)(のこ)つてゐる(めし)(さい)(たけ)(つゝ)()れて()つて()きますと、(かん)(ざん)はそれを(もら)ひに(まゐ)るのでございます。」

 「なる(ほど)」と()つて、(りよ)()いて()く。(こゝろ)(うち)では、そんな(こと)をしてゐる(かん)(ざん)(じつ)(とく)(もん)(じゆ)()(げん)なら、(とら)()つた()(かん)はなんだらうなどと、()(なか)(もの)(しば)()()て、どの(やく)がどの(はい)(いう)かと(おも)(まど)(とき)のやうな()(ぶん)になつてゐるのである。

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 「(はなは)だむさくるしい(ところ)で」と()ひつゝ、(だう)(げう)(りよ)(くりや)(うち)()()んだ。

 こゝは()()が一ぱい()もつてゐて、(にはか)()()つて()ると、しかと(もの)()(さだ)めることも()()(くらゐ)である。その(はひ)(いろ)(なか)(おほ)きい(かまど)が三つあつて、どれにも(のこ)つた(まき)(まつ)()()えてゐる。(しばら)()()まつて()てゐるうちに、(いし)(かべ)沿()うて(つく)()けてある(つくゑ)(うへ)(おほ)(ぜい)(そう)(めし)(さい)(しる)(なべ)(かま)から(うつ)してゐるのが()えて()た。

 この(とき)(だう)(げう)(おく)(はう)()いて、「おい、(じつ)(とく)」と()()けた。

 (りよ)(その)()(せん)辿(たど)つて、(いり)(くち)から一(ばん)(とほ)(かまど)(まへ)()ると、そこに(ふた)()(そう)(うづくま)つて()(あた)つてゐるのが()えた。

 一人(ひとり)(かみ)の二三(ずん)()びた(あたま)()()して、(あし)には(ざう)()穿()いてゐる。(いま)(ひと)()()(かは)()んだ(ばう)(かぶ)つて、(あし)には(ぼく)()穿()いてゐる。どちらも()せて()すぼらしい()(をとこ)で、()(かん)のやうな(おほ)(をとこ)ではない。

 (だう)(げう)()()けた(とき)(あたま)()()した(はう)()()いてにやりと(わら)つたが、(へん)()はしなかつた。これが(じつ)(とく)だと()える。(ばう)(かぶ)つた(はう)()(うご)きもしない。これが(かん)(ざん)なのであらう。

 (りよ)はかう(けん)(たう)()けて(ふた)()(そば)(すゝ)()つた。そして(そで)()(あは)せて(うや/\)しく(れい)をして、「(てう)()(たい)()使()()(せつ)(たい)(しう)(しゆ)簿()(じやう)(ちゆう)(こく)()()(ぎよ)(たい)(りよ)(きう)(いん)(まを)すものでございます」と()()つた。

 (ふた)()(どう)()(りよ)(ひと)()()た。それから(ふた)()(かほ)()(あは)せて(はら)(そこ)から()()げて()るやうな(わらひ)(ごゑ)()したかと(おも)ふと、一しよに()()がつて、(くりや)()()して()げた。()げしなに(かん)(ざん)が「()(かん)がしやべつたな」と()つたのが(きこ)えた。

 (おどろ)いて(あと)()(おく)つてゐる(りよ)(しう)()には、(めし)(さい)(しる)()つてゐた(そう)()が、ぞろ/\と()てたかつた。(だう)(げう)(まつ)(さを)(かほ)をして()(すく)んでゐた。(終)