「近代」派と「超近代」派との戰

生田長江

 テエヌは、如何なる文藝でもが、その文藝を産んだところの時代を反映してゐる故、或る時代がどんな時代であつたかを知る爲めには、その時代の文藝がどんなものであつたかを吟味して見ればよいと考へた。

 この考へ自體は決して間違つた物ではない。しかし乍ら、これからほんの一歩を踏み出して、或る文藝がどんな文藝であるかを知る爲めには、それを産んだ時代がどんな物であるかを吟味して見ればよいと、そんな事をでも考へたとしたら、それは忽ちにして大變な()(びう)に陷つてしまふであらう。

 なぜと云つて、本當の文藝(一般に藝術と云つても構はない)はその文藝を産んだところの、その文藝が屬してゐるところの、時代を反映してゐるばかりでなく、更に來るべき次ぎの時代——より近き、並びにより遠き——をも豫感し、構想し、規定してゐなければならないからである。

 單にその時代から働きかけられてゐるだけで、次ぎの時代へ聊かも働きかけて行かないのは、結局非常に卑近な意味に於てでなければ、私達人類の生活に役立たないもので、謂はば低劣なる文藝であり、本當の藝術であるよりもウソの、僞りの藝術であり、藝術であるよりも寧ろ單なる遊戲である。

 ()て日本の現在の文藝界を見るに、小説に於ては(もと)より、脚本に於ても、詩に於ても、その他如何なる形式の物に於ても、それを産んだ日本の現在の時代を、十分に、時には十分以上にさへ反映してゐないやうな作品は一もない。單にに此等の作品のめぼしいもの若干が保存されてゐるだけでも、後代の洞察力ある歴史家は、今の時代がどんなに淺薄な、どんなに低劣な、どんなに俗惡な人間共の舞臺であつたかを描き出す上に、何等の困難をも感じないことであらう。

 だがそれらの作品の中、()()ほどでも來るべき次ぎの時代を、次ぎの人類生活を豫感し、構想しもしくは規定してゐると云へるやうなものが、そもそもどれだけあるであらうか。

 それは勿論絶無ではない。のみならず、さうした作品を未だ書き得てゐないまでも、少くとも書かうと志してゐる人々は、それほどまれではないやうに思はれる。(これは特に、所謂社會問題に衷心からの興味を有つてゐる人々の場合にあてはまる。)

 しかも彼等の大抵が、右の如き作品を書かうと志し、時には十分書き得たとさへ自信してゐるにも係はらず、事實は矢張り現前の時代から働きかけられてゐるにすぎないやうな作品ばかりを書いて居り、多少にても將來の時代へ働きかけて行くやうな、如何なる作品をも書いてはゐないのである。

 それは何故であるか。

 彼等は今の時代の全體に對して、もしくは今の時代に根本精神をなしてゐるところの物に對して嘔吐感を抱くことが甚だ足りないので、今の時代の一角を、もしくは今の時代の一傾向を否定すると共に、天晴れ今の時代から奇麗にぬけ出してしまひ、新しい次ぎの時代に生きてゐるといふ風に自ら信ずるにもかかはらず、實際にはただ今の時代の一の片隅から他の片隅へ移つただけであり、今の時代に屬する一の思想を捨てて他の思想を取つただけであり、結局まだまだ本當に次ぎの時代を豫感し、構想し、規定し得るところまで來てゐないからである。

 今の時代の底の底を流れてゐる、また其脊髓となつてゐるところのものは、所謂近代精神であり、近代主義である。

 近代精神は三四百年を費して成長し圓熟した。圓熟の峠を通り越して、頽敗の阪を下りはじめてからでもだいぶになる。

 近代精神が曾つて、人類の文化をすすめてくれたことの功績は、總ての人々から承認されねばならないところのものである。と同時に、今やこの近代精神と、それから出て來るさまざまな近代的事物より以上に、我々人類に禍してゐるところのものを、そもそも誰が擧げ得るだらうか。

 近代精神を最も簡單なる言葉に代表させるならば、それは人間主義もしくは人性主義である。

 人間主義もしくは人性主義(Humanismus)はもと、伊太利復興期に於て、ヘブライ的基督教的、中世的、神性的事物に對する、ギリシア的異教的、古典的、人性的事物を追求し研究しようとする學界思想界の新風潮に名づけたものであるが、しかし、その意味を今少し擴大して、右の新風潮から最初の、且つ最大の影響を受けたところの近代精神その物を表白するに用ひて見ても、格別の差支へもなささうで、寧ろかなりに便利らしくさへも見えるのである。

 今の時代の根本精神、即ち近代精神を、神性主義に對する人性主義として見る時、それは神及び一切の神的なものの存在を、もしくは、價値を否定するので、一方に於ては、神的な人間といふやうなものはあり得ないことになり、もしくは、あり得ても何等の尊重を値しないことになつて來る。換言すれば、唯だ凡庸な人間だけが實際に存在し得ることになり、もしくは人間の凡庸さが何等の輕蔑すべきものでも恥づべきものでもなく、むしろ堂々と横行潤歩していいものになつて來る。即ち民主主義的平等主義的傾向である。

 更に、神性主義に對する人性主義は、神及び一切の神的なものの存在を、もしくは價値を否定するので、他方に於ては、神的な世界といふやうなものはあり得ないことになり、もしくはあり得ても何等の尊重を値しないことになつて來る。換言すれば、唯だ外的な、唯だ所謂物質的な世界だけが實際に存在し得ることになり、もしくは世界の外的性唯物性が何等の痛ましき事でもなく、寧ろ大いに悦ばしく樂しき事になつて來る。即ち實證主義的傾向である。

 人性主義の兩面であるところの、この實證主義的傾向とかの平等主義的民主主義的傾向とから、種々雜多なる所謂近代思想が出て來てゐる。或るものは、專ら或る一つの傾向から出てゐる。或るものは、主として或る一の傾向から出てゐる。更に或るものは、主として何れの傾向から出てゐるとも云はれない。ともあれ、この二の傾向のいづれにも全然基礎を置いてゐないやうな思想は所謂近代思想でなく、この二の傾向のいづれかに、何等か流れを汲んでゐる限り、一見舊すぎるやうな思想も或は一見新しすぎるやうな思想も、(ことごと)く皆所謂近代思想のほかなる何物でもあり得ないのである。

 實證主義が科學の進歩及び器械の發明を促しその科學の進歩及び器械の發明がまた、實證主義的傾向を助長し、かくして互に影響し合つてゐる内に、自からにして科學萬能の思想や、器械崇拜や粗惡なる唯物論や、拜金主義なぞが生れて來たことは、わざわざ細説するを要しないであらう。

 主として器械の發明から起つた所謂産業革命は、商業主義を資本主義にまで爛熟せしめると共に、漸次近代的大都市といふ人類の不自然なる密集生活を出現せしめ、その密集生活の怪しげなる便利さと、それを醜く飾つてゐる、いたづらに複雜でいたづらに多彩なばかりの造花的文明とを有りがたがるところの、都會謳歌を、文明崇拜を生ぜしめた。

 この都會謳歌及び文明崇拜については、それらのものが近代思想としての新しさ以上の、如何なる新しさをも有つてゐないことを、最も先づ注意すべきである。

 同じく一の單なる近代思想として、特に主として實證主義的精神の頽敗から出たものとして、資本主義と非常に多くの共通點を有つてゐるのは、マルクス派の社會主義である。より廣く云へば、資本主義と同じく、科學萬能を信じ、器械を崇拜し、資本主義と同じく、大都會及び其文明を謳歌し、資本主義と同じく貨幣價値以外の如何なる價値をも認めないところの、自ら科學的社會主義と名乘つてゐるところの社會主義である。

 社會主義は資本主義の敵であるより以上に其味方である。或は社會主義と資本主義との爭ひは、あかの他人の爭ひではなくして、寧ろ骨肉近親の間の爭ひである。それは何よりも先づ財産の分配についていがみ合つてゐるところの兄弟二人を聯想させる。

 社會主義と資本主義とが兄弟であつても、その父母いづれをも同じうしてゐるのでないといふこと、精しくは一方が父母いづれをも分明に知られてゐるのに對して、他方が所謂ててなし兒であるといふことは承認してもよい。

 乃ち、資本主義は單に實證主義的精神といふ母から生れたことだけが明白であるのに對して、社會主義は實證主義的精神といふ母と、平等主義的民主主義的精神といふ父との並び存することをはつきり示してゐる。

 しかし乍ら、この平等主義民主主義的精神なるものは、社會主義にとつても實證主義的精神ほどに重要な、もしくは根柢的なものではないやうに思はれる。

 なぜと云つて、唯物史觀や唯物論(この二を切りはなし難い物と考へても、考へなくてもよいのだ)の上に立つてゐるマルクス派の社會主義者等は、屡〻考へ、そして口にする——資本主義は資本家を幸福にするだけそれだけ勞働者を不幸にしてゐる。乃ち、それは資本家階級にとつての正義であると共に、勞働者階級にとつての不正義である。そして自分達が資本主義を否定するところの社會主義(被等は大抵、資本主義を否定するのは自分達社會主義者ばかりだと、僭越な事を考へてゐる!)を唱へるのは、自分達が(たまた)ま資本家階級に屬しないで、勞働者階級に屬してゐるからであると。

 平等主義的民主主義的精神の頽敗した形が、如何に始末の惡いものであるかは暫く()く。大抵の社會主義者等はこの精神をすら單なる口實として利用するに止まり、衷心からの何等の信奉をもなしてゐないのである。そして彼等の社會主義の本質は、結局資本主義その物の否定であるよりも、彼等自身を資本家にしてくれないところの運命への呪咀なのである。

 社會主義についで有名なる近代思想の一は、所謂婦人解放の思想である。

 婦人をして全然男子と同一の權利を有たしめ、全然男子と同一の生活を營ましめようとする意味での婦人解放は、事實上の主要動因は産業革命による婦人の社會的地位の變移にあるのだが、理論上の第一の出發點は近代の平等主義的精神にあるのである。

 最善の意味に於ては、差別的になればなるほど平等的になり得るもの、またならねばならぬもの乍ら、むしろ差別の反對物としての平等をのみ偏重しがちであつたところの近代の平等主義的精神は、各人のそれぞれの個性を生かしてやることが、本當に彼を自由にしてやることであるのを知らなかつた如く、男子に對する婦人の性的特質(不自然なる人爲的歴史的差別から見たのでなく、もつと先天的本來的な)を發揮せしめることが、本當に彼女を解放してやることであるのを知らなかつた。その結果は、私達の眼前に見てゐる如く、婦人を男性化したり男子を女性化したりするやうな奇怪なる現象となつて現れてゐるのである。

 最も頽敗した形に於ける實證主義と共に、社會主義思想が少くとも歐羅巴及び()()()()に於ける、一般民衆の骨髓にまで染み込んでしまつた如く、最も淺薄な、最も粗惡な意味に於ける平等主義と共に、婦人解放思想が又、少くとも歐羅巴及び亞米利加に於ける一般民衆の間に、殆んど公理の如く(しりぞ)けがたいものとして受け容れられてしまつてゐる。

 それにしても、社會主義思想がそれほど普及してゐるにもかかはらず、資本主義と異れる全然新しい原理の上に立つところの、全然新しい社會は何故に現れないのであるか。曰く、社會主義思想の根柢になつてゐるところの精神が、その儘資本主義を支持してゐるところの精神であり、社會主義思想その物の存立してゐる限り、資本主義もまた、根本的に崩壞するといふことは到底あり得ないからである。

 又、婦人解放思想がそれほど蔓延してゐるにもかかはらず、婦人が聊かもより幸福にならないのは(男子がより不幸になつたことは言ふまでもない)何故であるか。曰く、婦人を出來るだけ婦人にすることが、出來るだけ彼女を人間にすることであり、出來るだけ彼女を自由にすることであり、そしてさうするよりほかに、彼女を出來るだけ男子と平等にし、男子と同じやうに幸福にすべき、如何なる方法もあり得ないからである。

 婦人解放や、社會主義や、文明謳歌や、都會讚美や、專門主義や、器械崇拜や、科學萬能なぞの如き近代思想は、これらの近代思想に根源中軸となつてゐるところの實證主義的並びに平等主義的傾向は、一口に云へば人性主義といふ近代精神近代主義は、もはや人類を向上させるよりも、むしろ墮落させ滅亡させることの方に役立つてゐる。

 乃ち、人類はこの滅亡を免れ、この墮落から回復することの爲めには、一切の近代的な思想や、傾向や、精神を捨てて、全然新しいもの、謂はば超近代的なものを取らなければならぬ。

 そして特に歐羅巴及び亞米利加に於ては、一般民衆にとつての新しさが「近代」的であることであるのに對し、少數識者にとつての新しさは「超近代」的であることである。

 近代的な一切の事物に對する堪へがたき嘔吐感から出發してゐるだけに、超近代主義は一應近代主義の單なる否定の如く、單なる反對物の如く見えるかも知れない。けれども實際は近代主義からあとへ引き返したのではなくして、さきへ通りぬけてしまつたのであり、所謂超克したのである。即ち超近代主義は人性主義精神の單なる否定や反對物であるよりも寧ろ人性主義精神の超克されたものであり、實證主義的及び平等主義的傾向の單なる否定や反對物であるよりも寧ろそれらの傾向の超克されたものであり、從つて大抵の近代思想の單なる否定や反對物であるよりも寧ろそれらの思想の超克されたものである。(此場合、總ての近代思想に關して此事を言ふに躊躇するのは、餘りにも頽敗的な或るものに對しては、單なる否定と反對物とをほかにして、如何なる超克らしいものをも考へることが出來ないからである。)

 科學及び器械については、それらのものを強ち斥けるのではないけれど、それらのものを禮拜するやうな態度を全然取るまいとする——これは超近代的である。

 商業主義よりも重農主義を、都會よりも村落を、文明よりも文化を、西洋よりも東洋を(單なるセンチメンタリズムからでなく、「近代」生活に對する最も深刻な批判の結果として)撰び取らうとする——これは超近代的である。

 單純化に對する複雜化の偏重を、綜合に對する分析の偏重を、經驗に對する實驗の偏重を、乃至人間(ナポレオンがゲエテを見て、「人間」を見たと言つた時の如き言葉遺ひに於て)に對する專門家の偏重を斥けようとする——これは超近代的である。

 社會主義が存續する限り、その兄弟分なる資本主義もまた存續するであらうこと、並びに婦人を本當に解放する爲めにはさしあたり「婦人解放」といふ近代的謬見から解放してやらねばならぬといふことを知つてゐる——これは最後に、けれども最も著しく超近代的である。

 トルストイや、ドストエウスキイや、ストリンドベリイや、ニィチェや、ラスキンや、モリスや、ペンティイや、カアペンタアや、これらの人々がそれぞれに、さまざまな近代的事物に對して、如何に堪へがたき嘔吐感を抱いてゐたことか。近代主義に對する超近代主義の戰ひを、如何に勇敢に、如何に狂熱的に、如何に死物狂ひに戰つてゐたことか。

 十九世紀の末より今日にかけて、人類文化の重要なる問題に關し、明白に超近代的な思想をひつさげて立ち、明白に近代的な思想を破却し去らうとしなかつたところの、ただ一人の大なる思想家、ただ一人の大なる藝術家でもがあるであらうか。

 乃ち、今日にあつては、單に今の時代から働きかけられてゐるだけでなく、更に次ぎの時代へ働きかけても行くやうな藝術を産み出すべく、人は先づ超近代的な、根柢的に新しい精神に生きてゐなければならないのである。

 開國以來の日本の文藝界に於て、思想的内容の方面から出發した、また少くとも其意味での根柢的な連動として重要なものは、遠くは所謂自然主義のそれであり、近くは所謂プロレタリア文藝のそれである。

 この場合、人は白樺派の所謂人道主義を想ひ浮べるかも知れないが、しかし私が曾つて命名した如く、また稍や有名になりすぎた如く、あの「自然主義前派」は思想上明白に自然主義以前(單に時間的にのみ云ふのではない)の物であり、又あの程度の人道主義的思想ならば、徳冨蘆花氏や木下尚江氏なぞの小説によつて、日露戰爭前後にも、かなりに代表され表白されてゐたのである。

 白樺派が文藝史上に何等かの功績をのこしたとするならば、或は少くとも、何等かの影響を後の文藝界に及ぼしたとするならば(その影響が惡影響であつたか善影響であつたかは別問題として)、それは思想的内容に於てであるよりも、寧ろ表出表現の形式に於てであつた。この點に於て、また此意味に於て、自然主義とは無論のこと、プロレタリア文藝とすら同日に談ずることが出來ないほど、それほど根柢的な運動と反對なものであつたのである。

 かなり根柢的な運動としての所謂自然主義は、その評論とその創作との二を通して、空前絶後の大規模に於てさまざまな近代思想を宣傳した。あの運動が序に、偶然に取次いだものは別として、少くともわざわざ志して輸入したところのものは悉く皆、實證主義的傾向から、並びに平等主義的(特に、凡庸主義的、賤民主義的)傾向から生れ出たところの近代思想であつた。

 しかし乍ら、あの頃の日本人にとつては、それらの近代思想を輸入したのが、必ずしも惡い事ではなかつた。むしろ、多少の弊害を伴つたとしても、全體としては可なりに有意義な事であつたと云ふべきであらう。

 ただ、當時の自然主義文藝が主として取扱つたのは、人間の社會生活に對する個人生活であり、それを通して宣傳されたところのものは、殆んど唯だ人間の個人生活に關する、個人的な問題に關する近代思想にのみ限られてゐたと云つてよい。(私は明治の末年に近く私自身が、自然主義を一通り卒業した當時の文壇に對して、謂はば心理學的興味のほかに、併せて社會學的興味をひくやうな、社會的な、社會問題的な創作の出現を、無益に期待して、無益にさうした意見を發表してゐたことの記憶を有する。)

 三四年前俄かに(かまび)すしくなつたところのプロレタリア文藝運動は、單なる表現の形式に關する問題から起つたのではなく、寧ろ思想的内容に關する問題から起つたものとして、また少くともその意味での根柢的なものとして、自然主義以來の注目すべき運動に屬してゐるのだが、それは自然主義がつひに踏み込まないで、その儘にして置いたところの處女地へ、かなり大きな新領土へはじめて踏み込んだ。新領土とは、人間の個人的生活に對する社會的生活を主題に取るところの文藝の謂ひである。

 しかし乍ら、プロレタリア文藝の折角開拓したる此新領土に於ても、過去の自然主義の世界に於ての如く、主として近代的な諸思想ばかりが宣傳され、私の所謂超近代的な思想は、殆んど何一つ見出されなかつたのは、此上もなく遺憾な事である。

 けだし、自然主義勃興とプロレタリア文藝唱道との間には、私達の日本もかれこれ二十年近くの歳月を經過してゐる。あの頃の日本にとつて大いに有意義であつたところの近代思想の宣傳が、今日の日本にとつては全然無意義であり得る。あの頃の日本にとつて、少くとも我慢し得られたところの近代思想が、今日の日本にとつては到底我慢のし切れないほど、愚劣な、滑稽な、危險な、有害なものであり得るのである。

 人類をプロレタリア、ブルジョアの二階級だけに、はつきり差別し得られると考へ(生活に困つてゐる自作農や小地主なぞをプロレタリア、即ち勞働者階級に入れるか、それとも資本主義制度によつて得をしてゐる筈のブルジョア、即ち資本家階級に入れるか、どちらにしても滑稽事である!)、その差別を無暗に重要視してゐるのは、唯物論と唯物史觀とに立脚するところのマルクス派社會主義者等の事であつて、資本主義を否定し破壞しようと志してゐる者全部の事ではない。從つて階級意識を第一の要件とするプロレタリア文藝の唱道者等が、彼等の主張に同意しない私達を、資本主義の否定と破壞とに躊躇する者ででもあるかの如く思ひなすのは、彼等の不聰明から來たところの(うぬ)(ぼれ)的妄斷たるに過ぎない。

 又若しマルクス派社會主義と兩立しないやうな社會問題的見地に立ちながら、プロレタリア文藝運動に參加してゐるものがあつたとしたら、それはだいぶ物の分らない文藝家である。でなかつたら、案外横着な文藝家であると云はなければならぬ。

 ともあれ、プロレタリア文藝の主張は理論上當然、マルクス派社會主義の上に土臺を置いてゐる。

 そして、生産に要する勞働量(勞働質に關係なく)が其生産物の價値を決定すると見るやうな、粗惡極まる唯物論的思想から、文藝上の大傑作が生れ得るものと考へたり、所謂上部構造たるに過ぎない筈の文藝上思想上述作(マルクスの「資本論」なぞをも包括して)なぞを、次ぎの社會の土臺石に加へ、或は土臺石を切り出してくる上に役立たせることの可能を信じたりするのは、だいぶ骨の折れる仕事のやうである。

 だが、それらの事はまあ、どうでもよいとしよう。偖て、どうでもよいとするわけに行かないのは、マルクス主義に立脚したプロレタリア文藝が、思想上「近代的」である爲めに、表出形式の上にも、所謂技巧の上にも、甚だ超近代的になりにくい點である。

 プロレタリア文藝の作品が、概して自然派的寫實主義的に、ともすれば(ふる)(くさ)いと云はれるやうな形式と技巧とで書かれてゐたのは、偶然的のやうに見えながら、その實甚だ必然的な事である。なぜと云つて、主として實證主義的傾向から生れた社會主義思想は、同じく實證主義的傾向から出て來た「描寫萬能」的な、客觀主義的技巧によつて表白されるのが、割鍋にとぢ蓋以上にもふさはしい事だからである。

 表出形式としての技巧としての、表現主義、未來派なぞの所謂新しいさまざまな流派が、近代的でなくして超近代的であることは改めて云ふまでもあるまい。その上、それらの傾向の出現を餘儀なくしたところの根本的思潮が同樣に、必ず何等か近代的なものへの嘔吐感に出發してゐることもまた、決して想見するに難くない事であらうと思ふ。

 これまでプロレタリア文藝運動に屬してゐた人々にして、實證主義と平等主義民主主義凡庸主義とからは到底産れて來ないやうな、超近代的に新しい表出形式を、新しい技巧を、聊かも無理にでなく、不自然にでなく、藝術的良心のやましさなしに使用することが出來るやうになつたとする。その時彼等が依然として尚ほ、マルクス派社會主義の信奉者であり、從つてプロレタリア文藝主張の本當の支持者であり得たとしたならば、それこそ實に驚くべき事である。

 此の如く私達は、プロレタリア文藝の主張その物に對して餘りに多くの尊敬を拂ふことが出來ない。(文藝へ社會問題的興味を導いて來たと云ふ唯一の功績も、今や單なる過ぎ去つた話である。)けれどもプロレタリア文藝の主張者等は、少くとも何等の思想らしい物を自分達の物として()つことなしに、單に表出上の、形式の形式、技巧の技巧に於てのみ、新工夫を()らし、新流行を支配しようとつとめるやうな輕薄さから遠く離れてゐる。そしてそれ故に、彼等の現在の主張その物に懸けることの出來ない希望をも、彼等各自の將來に懸けることが出來るのである。即ち私達は、彼等が先づ思想の上に、次ぎにはそれを表出する藝術的形式及び技巧の上に、近代的な總ての舊い物を脱却して、超近代的に本當に新らしい物をつかみ、これまでのプロ文藝對ブル文藝の戰から、「超近代」派と「近代」派との戰ひにまで移つて行くことを、衷心から期待して止まないのである。

 最後に今ひとたび反復して言ふ。本當の文藝は單にその時代から働きかけられてゐるだけでなく、更に來るべき時代へ働きかけても行くやうなものでなければならぬ。そしてただに所謂社會的な問題に關してのみならず、一般に、今日の文藝家が來るべき時代を豫感し、構想し、規定したやうな作品の作者となり得る爲めには、彼はどうしても先づ近代と、近代的な一切の物とを超克して、何等かの意味に超近代的になつてゐなければならぬ。そして彼の常に戰つてゐなければならない最も大きな戰ひは、「近代」派と「超近代」派との戰ひなのである。

          (一九二五年六月)

底本:「日本現代文学全集46」講談社
   昭和42年9月19日発行