所謂人道主義改造論者の不徹底

生田長江

    一 人道主義者の十中八九までが

 自分自身の場合であると、他の存在物の場合であるとを問はず、(いやし)くも人間であるべくして、現實に人間的ならざるものを人間的にしてやること、更により人間的にしてやること、人間以上のものになるところまですらもより人間的にしてやること——かくの如きものが人道主義であるならば、人道主義は最も永久的な眞實をもつた總ての古聖賢の教に共通したものであり、現代のあらゆる嚴肅な解放運動に根柢をなしてゐるものである。

 私は私自らが人道主義者を以て呼ばれることを辭するものでない。また、人道主義者の改造論その物がつねに不徹底を免れないとは思ふものでない。しかも(こゝ)に、敢へて「所謂人道主義改造論者の不徹底」を論ずる所以は、(たまた)ま人道主義者を以て目せられ、自ら人道主義者を以て任ずるものの十中八九までが、今日の社會問題勞働問題等に對し、餘りにも不徹底なる態度及び見解を暴露して居り、殆んど人道主義其物に(るゐ)を及ぼさんとして居るのを、默視するに忍びないといふ點にあるのである。

 乃ち私が、十中八九までの人道主義改造論を彈劾するのは、私自身によつて理解されたる人道主義改造論が、如何なる程度まで徹底し得るものであるかを明らかにしたい爲めである。又これに依つて、少くとも道徳的良心及び勇氣ある爾餘の人道主義者諸君一同を、少くとも私自身の徹底し得てゐる程度にまで徹底させて見たい爲めである。

 十中八九までの人道主義改造論に滿足してゐない私は、人道主義の單なる嘲笑者としての所謂社會主義者——十中八九までの社會主義者の言論に隨喜渇仰の涙を流してゐるものでない。寧ろ其低劣な、不純な倫理觀に對して嘔吐を催すやうに感ずる場合すらも絶無でない。そして時には、まだしも人道主義者の膚淺と不徹底とを深化するのが、社會主義者の低劣を高化し、その不純を純化するよりも容易ではないかと思ふ位である。

 されば私は、十中八九までの人道主義者に加へられたる私の非難が、十中八九までの社會主義者の立脚地から爲されたものと思はれたくないのである。そして此事を念入りにことわつて置きたいのである。

    二 資本家の走狗との混同

 人道主義者の大多數が、今日の社會問題勞働問題等に對して十分に徹底した見解や態度を持し得てゐないとは云つても、それをかの資本主義御用學者なぞの、老獪な若しくは臆病な()()不鮮明と同一視するのは當らない。

 資本家階級の(そう)()が、勞働者階級の爲めに、もしくは人類全體の爲めに公明なる立言をなさないのは、不徹底でも何でもない。少くとも(あやし)むに足りない、此場合私共のわざわざ問題とするに足りない不徹底である。

 私共の眞面目なる論議の題目として取るのは、資本家階級の爲めに曲學曲筆してゐると云ふのでなく、突込むべきを突込まないでゐると云ふのでなく、單に人道主義的世界觀倫理觀の不徹底からして、問題の核心に突き入ることが出來ず、堪へがたき齒がゆさを私共にまで感じさせてゐるやうな、尊敬すべきけれども氣の毒な紳士等の立脚地にのみ限られてゐる。

    三 所謂唯心論的不徹底

 十中八九までの人道主義者は、かなり惡い意味での唯心論者である。彼等は、專らただ心を改善しなければならぬと言ふ。或は、先づ心を改善して、然る後物を改善しなければならぬと言ひ、それよりほかに仕方がないと言ふ。

 彼等が專ら唯だ心を改善しなければならぬと言ふとき、彼等は勿論其事の可能を考へてゐる。乃ち、物の改善をしないで置いても、心だけの改善が出來ると考へてゐる。心を物から全然切り離してしまはれるもの、物から離れて心の存在し得るもののやうに考へてゐるのである。

 彼等が、先づ心を改善して、然る後物を改善しなければならぬと言ひ、それよりほかに仕方のないやうに言ふときも、同じくまた彼等は、物から離れて心の存在し得るもののやうに考へてゐるのである。

 心と物との關係、精神と物質との關係、靈と肉との關係に就ては、昔から餘りに多過ぎるほどの教が説き傳へられ、餘りに多過ぎるほどの書物が書き現されてゐる。それにも係はらず、我々人類が依然としてこれを問題にしなければならないのは情けない事である。

 加之(のみならず)、かの所謂人道主義者諸君の多數の如く、自ら先覺者を以て任ずる人々の間に於てすらも此關係について餘りにも不十分な理解を有つてゐる者の少くないのは、とり分け情けない事である。

 近頃屡〻引合に出されるマルクス派の唯物史觀説なぞに聽くまでもなく、世上の如何なる事象といへども、所謂精神的事象といへども、所謂物質的條件に規定されないものはない。物質的事情に支配されないものはない。物質的事情の同義語としての、經濟的事情に支配されないものはない。

 されば社會の、もしくは個人の經濟的事情を、物質的條件を其儘にして置いて、物的事象を其儘にして置いて、單に其精神的條件だけを更改し、其心的事象だけを變化しようとするのは餘りに淺墓な考へ方であると云はなければならぬ。

 先づ精神を改善して、然る後物質を改善すると云ふさへも、この兩面が一枚紙の裏表より以上に、否絶對に不可分のものであることを、餘りにも無視し過ぎたる考へ方である。

 勿論斯く言へばとて、私は世間の所謂唯物論者の粗笨なる實體觀に、(いさゝ)かも同意してゐるものと思はれたくない。なぜと云つて、所謂唯物論者は、物心一如靈肉不二の見地を飛び越えてしまつて、殆んど常に次ぎの如く放言したがるからである。

 曰く、「世上の如何なる事象といへども、所謂精神的事象といへども、所謂物質的條件に規定されないものはなく、支配されないものはない。だから——だから、物質が本であつて精神は末である」と。また曰く、「だから、物質なるものはあるけれども、精神なるものはないのだ」と。

 古い比喩乍ら、唯心論も唯物論も、(ひつ)(きやう)ずるに楯の一面をのみ見てゐるに過ぎない。單に半面の眞實に觸れゐるだけであり乍ら、既に全體的眞實をつかんでゐるやうに僭するものにほかならない。

 なぜと云つて、世上一切の事象が所謂物質的條件に規定されるといふのは、たしかに一方の眞實であるけれども、世上一切の事象が所謂精神的事情に支配されるといふのも、又たしかに他方の眞實たることを失はないからである。加之、それ故に精神が本であつて物質が末であるといふことの不條理である如く、それ故に物質が本であつて精神が末であるといふことも不條理だからである。又、それ故に精神なるものはあるけれども物質なるものはないといふことの一層不條理である如く、それ故に物質なるものはあるけれども精神なるものはないといふことも、一層不條理だからである。

 如何なる卵も鷄の生んだのでないものはない。しかし乍ら、かるが故に鷄が本であつて卵が末であると言つたらどうであらうか。鷄なるものはあるけれども卵なるものはないのだと言つたらどうであらうか。

 又、如何なる鷄も卵から出たのでないものはない。併し乍ら、かるが故に卵が本であつて鷄が末であると言つたらどうか。卵なるものはあるけれども鷄なるものはないのだと言つたらどうか。

 強ひて本末を爭へば、鷄と卵とがいづれも互に本になり末になり合つてゐる如く、精神と物質とも、いづれも互に本になり末になり合つてゐる。否精神と物質とにあつては、二のものが互に本になり末になり合つてゐるだけでなく、互に裏になり表になり合つてゐる。如何なる場合にも、嚴密には物質を離れて精神はなく、精神を離れて物質はない。

 否、更に進んで云へば同一の實在が、或は同一の存在が、量的に見れば見るほど物質になり、質的に見れば見るほど精神になるのである。例へば、車夫が梶棒を上げるとき、「隨分重いお客樣だな」と思ふならば、其限りに於て車夫は其人間を物質扱ひにしてゐるのである。その程度に於て其人間は物質になつてゐるのである。

 其同じ人間をある婦人が深切な男だと思つたとする。其場合其人間は、その程度に於て精神扱ひを受けたのであり、精神的存在になつたのである。

 即ち、各の存在は便宜の爲めに、乃至必要の爲めに、一面に偏して見る場合にのみ物質であり、若しくは精神である。不偏に見る場合は、物心一如靈肉不二でなければならぬ。

    四 唯物史觀に關聯して

 序乍ら、唯物史觀に關聯して、今日尚ほ多數のマルクス派論客の陷り易き謬見と、反マルクス派のマルクスに對して加へたがる謂れなき非難とに就いて、一言して置きたいやうに思ふ。

 第一に今日多數のマルクス派論客は、マルクスの唯物史觀と唯物論的本體觀との關係について、甚だ不徹底なる説明を試みてゐる。彼等の説明によれば、彼の歴史哲學と彼の本體論とが全然別物であるのみならず、前者は後者の必然的所産でも何でもない。從つて、マルクスの唯物史觀は、純正哲學上唯物論の見地に立たざるものにも受け入れられるといふのである。

 しかし乍ら私共を以て見れば、マルクスの唯物史觀と彼の本體論とを全然別物であると見ることの妥當であるや否やは暫く措き、少くとも前者が後者の必然的所産であることを否定し、從つて彼の唯物史觀が哲學上唯物論者ならざる者にも受け入れらるべきものであると云ふ如きは、明白に間違ひであると思ふ。

 なぜと云つて、實在を現象に内在してゐると見るにもせよ、現象に超絶してゐると見るにもせよ、現在界が現象界を規定し支配するといふこと、現象界が實在界から影響され作用されるといふことは、どのみち承認されねばならないものである。ところで、社會變動の根本原因を單なる物質的條件に歸せんとするのは、現象界一切の事物が結局物質に過ぎないと見るのみならず、根本的に實在界からしてこれを規定し支配する、これに影響し作用するところの力をもまた物質に過ぎないと見るのである。そして此の如き力を物質に過ぎないと見るのは、畢竟實在その物を物質に過ぎないと見るのである。

 乃ち、歴史觀としての歴史哲學としての唯物史觀は、當然かの「宇宙の本體を物質と觀る所の哲學的唯物論又は唯物的世界觀」まで遡られねばならぬものであり、前者は後者の必然的所産であり、後者を受け入れ得ないものが、前者をだけ受け入れるといふのは、少くとも非常に不自然な事なのである。

 從つて、現在この不自然を堪へ忍んでゐる人々にして、將來もし唯物史觀に共鳴する其心持を愈〻徹底さして行くならば、結局遂に現在の哲學上の立脚地を放棄しなければならないやうになることと思ふ。

 これに反して、彼等にして將來もし、マルクス及びマルクス派學者の哲學的唯物論又は唯物的世界觀が、如何に深く彼等の學説及び運動の全部に浸透してゐるかを知り、それが彼等と哲學上世界觀上立脚地を異にするものにとつて、如何に面白からぬものであるかを十分に感得したならば、彼等は必ずや唯物史觀その物からも面を(そむ)けるやうになることと思ふ。

 少し横路にはいり過ぎるやうではあるが、此機會を利用して私は、マルクス及びマルクス派學者等の唯物論的思想が、私共にとつて、かなりあきたらないものをもつてゐることを述べて置きたい。

 マルクス研究のスタアトを切つたばかりの私として、餘りに口幅つたい事を言つてもならないが、兎もあれ現在までに私の學び得た限りに於て、マルクス及びマルクス派學者等の大多數は、世上の事物一切を餘りに物質的にばかり見過ぎてゐる。換言すれば、性質的に評價すること餘りに足らず、分量的に見ること餘りに過ぎてゐる。

 彼等は人間の欲望をも、生活資料をも、幸福や不幸をも餘りに分量的にばかり見積つてゐる。盛澤山の御馳走をばかり御馳走と見すぎてゐる。

 資本主義經濟組織が、貨幣で以て測定し得られるやうな富の増大に、生産の眼目を置いてゐることの馬鹿々々しさに對する、マルクス及びマルクス派學者等の批評は、十分に深刻なものであると思はれない。

 そして彼等の資本主義否定は、專ら剩餘價値の掠奪に根據を置いて居り、所謂勞働全收權の如きものにして容認されるならば、彼等は現在の如き生産物を以てして尚ほ且つ人類を幸福にすべく、それほど不適當なものではないと考へてゐるやうである。

 乃ち、彼等は生産物の分配に重きを置くことの十分の一も、百分の一も、生産物その物の質的改善に重きを置いてゐないやうである。そして生産物その物を質的に改善する爲めには、勞働もしくは勞働力を質的に改善しなければならず、勞働もしくは勞働力を質的に改善する爲めには、各人の個性を發揮させねばならないこと、各人の個性を發揮させるのは勞働の藝術化であることなぞは、殆んど度外視してゐるやうである。

 だから私共から見れば、近代資本主義經濟組織を支持する同一の粗惡なる唯物哲學が、マルクス及びマルクス派學者等の社會主義的主張を支持してゐる。極言すれば、資本主義は勞働者階級にとつて都合が惡い故、勞働者階級から否定されるのが正當であると同樣、それは資本家階級にとつて好都合故、資本家階級から肯定されるのが正當であると、さう云ふ事になりさうである。換言すれば、マルクス及びマルクス派諸學者にして資本家階級に屬してゐたならば、同一の矛を取つて、資本家階級の爲めに戰はねばならぬといふことになりさうである。

 右の如く、マルクス等の唯物論的思想に對しては、私はかなり不滿を感じてゐるものであるけれども、世間多數のマルクス反對者等が、マルクスの唯物史觀の結局宿命論に終るの故を以て、非難を加へようとするのに同ずるものでない。

 最近にも日本に於けるマルクス反對者の一人は言つてゐる「マルクスの機械的世界觀に於ては、凡てが生産の方式から制約されるので、人間の意志(觀念)はこの間に立つて全然無力である。我等は手を拱いて資本主義の瓦解と共産社會の出現とを待てばよいのである。人類は理想に從つて目的論的に努力する必要もなければ、その餘地もない」と。

 これは別に獨創的な議論でない乍らに、一應もつともらしく聞える理屈であるだけに、これを彈ね返すべくかなりに困難を感じてゐる人々もありさうに見える。

 そこで私も私だけの考を述べて見て、近頃尚ほ此種の問題に興味をもつてゐる學者達の御參考に供して見たい。

 私の見るところを以てすれば、マルクスの唯物史觀はその本質に於て、その精神に於て明かに、宿命論的になつてゐる。しかもかなり濃厚な宿命論的色彩をもつてゐる。しかし乍ら、徹底すればするほど、宿命論的色彩を濃厚にして來るのは、一般に歴史哲寧その物の止むを得ざる傾向であつて、ひとりマルクスの唯物史觀にのみ限られたものでない。それなればこそ、フリイドリッヒ・ニイチェ等の歴史呪咀論も起つて來るのである。

 又、徹底すればするほど宿命論的になつて來るのは、唯だに機械的世界觀や唯物論的本體觀ばかりでない。苟くも純正哲學を人間理智の所産であると見る限り、總ての純正哲學が宿命論的に豫定説的になつて來るのは、聊かも(あやし)むに足りない事柄である。そしてひとり之をマルクスの哲學にのみ歸すべき事柄ではないのである。

 然らば、唯物史觀論者として、人間の意志ではどうにもならない必然の世界を作つて置き乍ら、共産黨員として、「我等の目的は唯だ現存する凡ての社會制度を力づくで破壞するにある」と、宣言したところのマルクスの矛盾は、如何にしてヂァスティファイされるか。

 私は他の人々の場合に於ての如くマルクスの場合に於ても、認識者としてのマルクスと行爲者としてのマルクスとを差別して見ることにより、彼の上に一應矛盾と見えるものが、決して本當の矛盾でないことを、十分明らかにし得られると思ふ。

 けだし、自分といふものを單なる觀察者の地位に置いて見た場合は、自分の目に映ずる總ての物が、絶ての(いき)(もの)すらが、一に其環境の支配の下にのみ動いてゐる。その一切の進退行動を運命によつて豫定されて居り、ただの一歩をもその豫定の外へ踏み出せるものでない。乃ち、觀察者としての、認識者としての私共は、宿命論者とならざるを得ないのである。私共の態度が認識者として純粹であればあるほど、又私共の理智が精鋭であればあるほど、愈〻深刻な宿命論的見解をもつことになるのである。

 けれども、私共が自分自身を單なる觀察者認識者の地位にのみ置くことをやめ、どれだけか當事者行爲者としても立つやうになつて來れば、それだけ彼の宿命論的世界觀は純粹性を少くし、緊張をゆるめて來る。換言すれば、それだけ私共自身に自由を認めて來るやうになり、それだけ自由意志論的にもなつて來る。

 半ば認識者的な半ば行爲者的な態度——云ひ換れば半ば客觀的な半ば主觀的な態度、これが多數の人々の普通に取つてゐる態度である。そして斯うした態度から見るとき、わたしども人間にはどれだけか行動意志の自由があり、また、どれだけか宿命的に前途を豫定されてゐるやうである。

 ところで、若し私共にして觀察者認識者たる地位を全然放棄し去り、純粹に當事者行動者たる地位に立つとしたならば、私共の理智は情意の從屬となり、私共の情意は絶對の君主である故に、私共は如何なる事をも意志し如何なる事をも行動し得るもののやうに感ずる。しかり、此場合はもはや、感ずるといふよりほかの言葉で表現することの出來ないやうな心的作用に一切が集中されてゐるのである。

 要するに、私共は認識者としては宿命論者的になり、行爲者としては反宿命論者的になるのである。即ち、私共の理智は、私共の一切の行爲が豫定されてゐることを知らせ、私共の情意は、私共が如何なる事をも爲し得るもののやうに感じさせる。そして此兩面が同一人に於て存するといふのは、聊かもその人間の精神的不健康を裏切るものでない。

 私共の目して病的となすのは、宿命論的に徹底すべくして徹底しない不透明な理智と、行動意志の自由を直感するところまで緊張充實することの出來ないやうな稀薄な情意との持主でなければならぬ。本來悲觀的になるべき理智が樂觀的になつて居り、本來樂觀的になるべき情意が悲觀的になつて居る人間の場合でなければならぬ。

 さて右の如き私の一般的見解を適用して云へば、マルクス等は社會的事實が如何にあつたか、如何にあるか、如何にあるべきかを理智的に考察する場合、宿命論者的傾向になつてゐる。けれども彼等は、社會的事實の單なる考察者認識者たる地位にのみ甘んじてゐるものでない。そして彼等が當事者行動者としての一面を加へて來れば來るほど、それだけ情意的になり、それだけ宿命的でなくなつてゐるのである。

 乃ち、マルクス等が一面宿命論的社會學者であり乍ら、他面に於て社會革命の熱烈なる促進者助産者たらんとしてゐるのは聊かも異むに足りない事であり、尚ほ單にそれだけの事に就いて云へば、聊かも非難を加へらるべき矛盾でも撞着でもなく、又聊かも彼等の精神的健康を疑はすところのものでない。

 特にマルクスの爲めにのみ考へてやつたのでもないが、兎もあれ私の宿命論觀は、餘りに獨創に過ぎてゐると云つて、博學な諸先生達から微笑と冷笑とを以て迎へられるかも知れない。しかし、私は私の此解釋にかなりの自信をもつてゐるつもりである。

 反復して言ふ、私はマルクス及びマルクス派學者等の粗惡なる唯物論的思想に、決して滿足してゐるものでない。けれども彼等の唯物史觀及び唯物論が宿命論的なるの故を以て、マルクス反對派の一部の人々に同意することは出來ないのである。

    五 「先づ自己から」を言ふもの

 唯物史觀に關聯して、私は少し道草を食ひ過ぎたやうである。

 ()て本筋の「所謂人道主義改造論者の不徹底」へ引き返して來て次ぎに指摘したいと思ふのは、先づ自己の改善からはじめねばならぬといふ、人道主義論者の今日尚ほ陷り易き皮相なる倫理的個人主義である。倫理的個人主義の通弊である。

 改めて説くまでもなく、人間は個人的に生活すると共に社會的に生活してゐる。從つて彼がより人間的になり、より善くなる爲めには、彼は個人的生活に於てより人間的により善くなると共に、社會的生活に於てもより人間的により善くなることを努めなければならぬ。

 ところで此兩面の生活に於ける向上の努力に就いて、十分に徹底した思想を有するに至らない人々の少からずあるらしいのは殘念である。

 改善の主力を個人生活の方へ向けたり、社會生活の方へ向けたりするのは、その時々の便宜により、必要によるところであるが、いづれにせよ、その一方の努力を全然お留守にして置いて、その他方の努力に沒頭しようとするのは間違ひである。それでは折角沒頭したる方面の改善すらも、到底成就し得ないのである。

 多數の人道主義者諸君の反省を乞ふ爲めのものである故に、私は特に古聖賢の遺訓を引合ひに出して來て(かた)ることの便宜を思ふ。

 新約聖書には、私共人類の遵奉すべき最も大なる誡として二のものを擧げた。第一は「汝心を盡し精神を盡しこころばせを盡して、主たる汝の神を愛すべし」である。第二は、「己の如く汝の隣を愛すべし」である。

 佛陀の教も畢竟ずるに、「(じやう)()()(だい)()()(しゆ)(じやう)」の二句に總括されてゐる。

 神を愛するは上求菩提である。隣人を愛するは下化衆生である。そして私共は思ふ。神を愛することを知らざるもの、上菩提を求むることをなさざるものが、どうして隣人を愛することを知り、下衆生を化すことが出來ようぞ。下衆生を化することをなさざるもの、隣人を愛することを知らざるものが、どうして上菩提を求むることをなし、神を愛することを知らうぞと。

 乃ち私は五六年の昔、社會對個人の問題に關して二三の人々と論爭した際、私自身の見地を二の逆説的命題に略して宣明した。曰く、第一には、人は自己をより善くすることによつてのみ、社會をより善くすることが出來る。第二には、人は社會をより善くすることによつてのみ、自己をより善くすることが出來ると。

 私共を中心とする狹義に所謂文壇思想界に於て云へば、五六年前の日本と今日の日本との間には、かなり大きな推移があつた。今にして當時の事を追想すれば、殆んど隔世の感がある。けれども、より廣き世間を見渡せば、今日尚ほ右の逆説的命題を反復して、特に其前半を強調して、習俗的職業的な政論家並びに舊式な社會改良家輩の輕眺浮薄を擯斥し置くことの必要があるのみならず、また一方には、右の命題の特に後半を力説して、不徹底なる人道主義者等の逃避的隱遁的獨善的傾向を彈劾し置くことの必要もあるやうである。

 なぜと云つて、彼等は(やゝ)もすれば言ふ、「先づ自己をより善くすることから始めねばならぬ」と。或は言ふ、「一通り自己の修養をなし遂げた上で、社會改善の事業にも向ふのだ」と。即ち自己をより善くすることが、全然社會をより善くすることから切り離して實行され得ないものであることに想到してゐないのである。社會への貢獻をしないでゐる者の自己修養が、所詮百年河清を待つが如きものであることに氣附かないでゐるのである。そして、いかなる場合にも個人的改善を、社會的改善よりもさきにすべきものであるかの如く言ひ做し、現下の切迫したる社會問題勞働問題等の解決に對し、かなり冷淡な、かなり無責任な態度を取り乍ら、ただにその態度を恥ぢないのみならず、寧ろ幾分の自負をすら感じてゐるやうである。

 私は切に、それらの人々の反省を促して置きたい。

    六 權利を主張することの道徳

 十中八九までの人道主義者のより大なる不徹底は、彼等が道徳を權利の主張の中に見ずして、その放棄の中に見ようとするところに暴露される。即ち現下の社會改造問題に就いて云へば、資本家階級の讓歩に道徳的價値を認める代りには、勞働者階級の主張に道徳的意義を認め得ないところに、最も無殘に正體を暴露されてゐる。

 けだし、私共が一面、自己をより善くすることによつてのみ社會をより善くすることが出來ると見、他面、社會をより善くすることによつてのみ自己をより善くすることが出來ると見るのは、要するに利己利他の究竟的一致を信ずるものにほかならない。

 然り、私共の信ずるところを云へば、眞に自己を愛するものは他人を愛し、眞に他人を愛するものは自己を愛する。愛しないではゐない。愛しないでゐてはならない。

 ところで、正しいと思ふ自己の權利を、正しいと思ふ方法に於て主張することが、自己に對する正しい愛でなくして何であらうか。

 已に自己に對する正しい愛であるとする。それがまた同時に他人に對する正しい愛でなくして何であらうか。

 乃ち、正しいと思ふ自己の權利を、正しいと思ふ方法に於て主張するのは、正しい自愛であつて同時に正しい他愛であり、單に許さるべき行爲であるのみならず、また實に遵奉されねばならぬところの道徳に屬してゐる。

 勿論、道徳の形相が、嚴密には人を異にするにつれ、一般には社會を異にするにつれ、もしくは時代の推移に伴つて變異するごとく、人類の正しいと思ふところの權利は、彼の正しいと思ふところの主張の方法と共に、所謂千態萬樣である。進化論的に見れば、漸次より低級なものからしてより高級なものの方へ進化して行く。より野蠻なものからしてより文明的なものの方へ進化して行く。

 劍道の極意が劍を拔かずして勝つにありとすれば、否、身に寸鐵を帶びずして勝を制するにありとすれば、權利思想の完全なる發達をとげたる結果は、殆ど權利とも見えざるものが權利になつて居り、殆んど主張の方法とも見えないものが主張の方法になつて居るのかも知れない。或は、人から右の頬を打たれたとき左の頬をもそれに向けるのが、人から上着を奪はれたとき下着をもぬいで與へるのが、人から一里の公役を強ひられたとき二里の道を行つてやるのが、所謂無抵抗が最善の抵抗となつて居るかも知れない。

 それにしても所謂無抵抗は、出來る限り正しいと思ふさまざまなる抵抗を試みて行つた者の、なるべく正しいと思ふ權利を、なるべく正しいと思ふ方法に依つて主張して行つた者の、最終に到達し得たる極致であり理想境であらねばならぬ。

 乃ち、道徳生活の標的又は到着點を指示したものとしては、無抵抗の教へほど尊いものはないかも知れぬ。けれども、最も現實的な私共の道徳的征服の出發點としてその儘に受取るべく、それは十分に適切なものと云はれないやうに思ふ。

 トルストイがその所謂「危機」を經た後の最初の數年間、絶對的な「惡に對する無抵抗」を説いてゐたのは、人々の知つてゐる通りである。そのトルストイが後日に至つて遂に、絶對無抵抗の教を條件附無抵抗もしくは條件附抵抗の教へに改めてしまつたことの顛末は、或は知らない人があるかも知れない。

 私は次ぎにクロポトキンの「露西亞文學の理想及び現實」(田中純氏譯による)の中から興味のある一節を拔粹して見たい——

「トルストイは、彼が曾て或る汽車の中で、一隊の兵卒を率ゐてゐるツーラ縣知事に會つた時のことを、吾々に語つてゐる。兵卒達は銃を持ち、樺苔を一車に積んでゐた。彼等は地主の利益の爲めに、また法律を公然と破壞する爲めに、政府の許した明白な盜賊行爲に加擔して、或る村の百姓を(むちう)ちに行くところであつた。彼は一人の『自由主義の婦人』が、彼等の面前に於て、公然と、聲高く、力強い言葉を以て、知事や士官達を罵り彼等を侮辱することを、例の寫實的な筆で描いてゐる。で、かうした征伐が實際に始まると、百姓達は本統の基督教的忍從を以て、自ら震へる手で十字架を描いて地に倒れる。そして此犧牲者の心臟が鼓動を止める迄殉じ且つ鞭たれる。しかし士官達はこの基督教的謙抑を少しも感じてゐるのではない。彼は此事をも描いてゐる。此征伐に()()はした時、トルストイは何をしたか。吾々はそれを知らない。彼はそれを(かた)つてゐない。彼は多分士官達には抗議を申込み、兵卒達には彼等に從はないこと即ち反抗することを忠告したであらう。何れにしても彼は、此害惡に對して消極的態度を取る事は——無抵抗主義を取ることは、此害惡の默認を意味することになるのを感じたに違ひない。それはそれに對して加勢することを意味せねばならないのみならず、惡に對して消極的態度を取ることは、トルストイの性質その物に反してゐる。それ故に彼は、永く斯うした教理の遵奉者であることに堪へ得ないで、間もなく此福書書本文の解釋を『暴力を以て惡に敵する勿れ』といふ意味に變へた。それ故に其後の彼の總ての著作は、彼が自分の周圍に見た『異つた形の害惡に對する情熱的な反抗』であつた」云々。

 暴力とは何ぞやに關するトルストイはじめ一般人道主義者等の不徹底なる見解に對しては、後段に於て改めて細説するかも知れない。とにかくトルストイも終に、絶對無抵抗主義の決して人道的ならざることを(さと)つたのである。

 要するに正しいと思ふ自己の權利を主張しないでしまふのは、その事自體が直接に道徳的義務の怠慢であるのみならず、それが必然に他人の正しからざる權利を承認し、他人をして惡を爲さしめ、不徳を遂げしめることであると思へば、間接にもまた自己の道徳放棄となるのである。

 乃ち、漫然として一切の讓歩を説くのは、道徳をすすめるものでなくして、寧ろ道徳的義務の怠慢を、道徳の放棄をすすめるものである。或は多くの場合、寧ろ眼前の易きに就くことを教へるものであるとも云へるであらう。

 これまで私の目に觸れた限りに於て、吉野博士の所謂「勞働運動に携はる爲めの必要な資格として博愛を罵倒し、人道を斥け、殊に宗教道徳を迷信呼ばはりする論者」等は別として、一般に人道主義的色彩をもつた論者等の中ただの一人も、權利を主張することの道徳を認め得てゐないやうである。

 これ等の尊敬すべき、けれども氣の毒なる人道主義改造論者に共鳴して、もしくは類似の思想上經驗を踏んで來て、特に今の時、自己の權利を主張することの道徳的意義につき、聊かにても危み迷ふところの人々あらば、私は熱烈なる信念に於てそれらの人々に告げて言ふ——危む勿れ、迷ふ勿れ、權利を主張するのは、その權利を有する者にとつての嚴肅なる義務である。嚴肅なる道徳であると。

    七 鬪爭の進化

 次ぎに指摘すべき所謂人道主義改造論者の大なる不徹底は、彼等の戰爭觀平和觀の中に現れてゐる。

 彼等は、或は戰爭爭鬪を絶對に非認し、或はこれを成るべく避くべきものであると共に、或る場合止むを得ざる、寛假しなければならぬものであるとする。いづれにもせよ、鬪爭その物を正しいと見ることが出來ず、鬪爭によつてのみ本當の平和の生ずるものであることを知らないのである。

 今、一人の人間が彼の所有する正しき權利を、正しき方法に於て主張するとする。これに對して他の一人の人間が、彼の所有する正しき權利を、正しき方法に於て主張するとする。此場合双方の主張が矛盾し撞着し合つて、その間に鬪爭の生ずるのは、極めてあり得べき事柄である。

 しかし乍ら、かくの如き鬪爭を經ずして、眞實に——見かけばかりでなしに——二人の人間が接近し、握手し、抱擁し、合一することは豫期されない。

 私共は此事實を、人と人とが知り合つて、理解し合つて、友人にもしくは友人以上のものにさへなつて行くときの經過に於て、かなり屡〻目撃する。否、性を異にする人と人とが互に征服し合ふことによつて、所謂戀愛關係にまではいつて行くときの經過に於て、更により屡〻、より痛切に認識することの機會をもつてゐる。

 苟くも性愛の心理に付いて、何等かの考察を試みた人々にして、どうしてそれが、非常にリファインされた、非常にディリケエトな侵入であり、劫掠であり、占有であることを否定し得ようぞ。一言にして云へば、それが征服であること、もしくは被征服によつての征服であることを、どうして否定し得ようぞ。

 總じて病的になつたものは、そのタイプの特徴を特に著しく代表する。所謂サディズム及びマゾヒズムの如きも、性愛の本質がもともと鬪爭を經ての和合にほかならぬことを、象徴的に示したものでなくて何であらう。

 和合は、單に爭はないでゐることの謂ひでなく、平和は單に戰爭しないでゐることの謂ひでない。左樣な無内容な空虚なものに、何の價値があり、何の尊いことがあらうぞ。

 そして單に爭はないといふだけでない。單に戰爭しないといふだけでない、内容の充實したる有意義なる和合や平和には、鬪爭を經ずして、戰爭を經ずして到達し得られるものでない。

 或は個人と個人との間なぞに於ても、或は階級と階級との間なぞに於ても、それらの文化程度にふさはしき鬪爭が、それらの文化程度にふさはしき方法に於てなされればなされるほど、愈〻より善き和親が來るのである。一歩々々眞實の平和へ近づいて行くのである。

 人類の鬪爭は、過去に於ける私共の想像も及ばないほど野蠻なものから、現在の如きものにまで進んで來た。所謂文明人同志の間にあつては、特に個人と個人との間にあつては、殆んど鬪爭の名を以て呼びにくいほどに文明的な鬪爭だけしかなされないやうになつて來た。一般に鬪爭の進化は、今後も尚ほそれ自體が一つの和合であるやうになるところまで續くであらう。

 社會主義者の謂ふ階級鬪爭が、專ら經濟上利害を異にする二大階級、即ち資本家階級と勞働者階級との間なる鬪爭であることは、改めて説くにも及ぶまい。かうした意味での階級鬪爭が歴史上あらゆる時代に於て、最も意義ある階級鬪爭であつたかの如く説くのは、マルクス派學者等の誇張である。けれども、それが今日に於て最も有意義なものであることは、恐らく何人にも否定し得られないと思ふ。

 これまでにもさま/″\なる階級の對立は、その間の鬪爭によつて消滅して來た。今日の階級對立も、恐らくはその間になされる鬪爭によつてのみ消滅するであらう。私共はそれを望んでゐる。私共は私共自身の徹底人道主義的立脚地よりして、切にそれを望んでゐるのである。

    八 暴力とは何ぞや

 晩年のトルストイが條件附無抵抗主義者であつた如く、昨今私共をとりまいてゐる人道主義者の中の或る人々も、鬪爭は是認するけれど、暴力による鬪爭は是認しないのだと言ひ出してゐる。

 しからば、敢へて問ふ——暴力とは何であるか。暴力とは何であるか。

 法律に違背するところの行爲が、暴力であるか。人道主義者の目に法律位のものが、それほど重要に映じようとは考へられない。

 道徳に違背するところの行爲が、暴力であるか。その定義では何の用をも爲さない。なぜと云つて、暴力の道徳的であると否とを決定するのが、丁度今問題になつてゐるからである。

 思ふに、一見明々白々なるが如くして、その實甚だ捕捉に苦むこと、暴力の正體の如きはまれであらう。

 私共の見るところを以てすれば、一般に自己若しくは自己の團體階級等に、都合惡しき結果を來しさうな力に(なづ)けて、暴力と云ひ、しからざる力に(なづ)けて、單に力と云ふのである。それ自體に於て別に異つてゐるのでない。

 斯く云へばとて私は、今日の階級鬪爭に如何なる力が武器として用ひられるのをも咎めないのではない。

 今日の階級鬪爭に於て、勞働者階級が打ち破らなければならぬ正面の敵陣は、資本主義經濟組織といふ社會的病弊である。

 ところで、單純なるものを破壞するには單純なる力で足りるけれど、複雜なるものを破壞するには矢張り複雜なる力を要する。即ち、科學的に組織されたる近代的病弊を破却する爲めには、矢張りまた、科學的に組織されたる、特殊の力を要する。

 例へば一般參政權である。例へば勞働組合である。例へば同盟罷業である。怠業である。ボイコットである。ラベルである。最近にその名稱を傳へられたるオブゼクショニズムである。

 これらの力が暴力であるや否やは問題でない。とにかく此程度に於て近代的に、科學的に、組織された力でなければ、今日の階級鬪爭に用をなさないことだけは疑を容れない。

 そして私共は、此程度に於て文化的な人道的な破壞力でなければ——私共が時代おくれの流血革命の是認者でないことは、十二分に理解して置いて貰ひたい——實際の效果を奏しないであらうことを信じてゐる。

 世上の所謂人道主義改造論者よ。辛うじて條件附抵抗主義まで踏み出して來た儘、「暴力」問題の大川を前にして、立往生をしてゐるらしき人々よ、諸君の用もなき思ひ煩ひをこそ其大川へ投げ込んでしまふがよい。

 人類は如何なる場合にも、例へば爭ふにも鬪ふにも、その既に到達し得てゐるところの文化のレヹルから、一歩でもあともどりするやうな行動に出でてはならぬ。私共文明人の鬪爭はその戰術及び武器の選擇に於ても、私共文明人に相應したものでなければならぬ。——これで澤山である。これ以上を思ひ煩ふのは無用である。

     (一九一九年十二月)

底本:「日本現代文学全集46」講談社
   昭和42年9月19日発行