國語と傳統

橋本進吉

 たゞ今は高木教授から大變有益なるお話しを伺ひましたが、私のは甚だ大雜把な話しでございまして、殊に專門の方々は甚だつまらないとお感じになると思ひますが、暫く御辛抱を願ひます。

 私のは「國語と傳統」と題して置きましたが、其の國語と云ふのは我々日本人の言語即ち日本語であります。世界には色々の言語があります。日本語も世界に行はれてゐる多くの言語の一つであるに相違ありませぬが、併し此の日本語は我々日本國民にとつては我々自身の言語であるといふ點に於いて他のどんな言語とも違つた特別の價値を持つてゐるのであります。それはちやうど我々の手や足と同じやうに、これなくしては日々の生活も十分には出來ないほど我々の身に着き心に入り込んでゐるものであります。かやうな意味に於いて、これを日本語と呼ぶのはあまりよそ/\しく感ぜられるのでありまして、寧ろ國語と呼ぶ方が我々の感じにピッタリと來るのであります。

 かやうに國語は我々國民の生活には、一日も離すことの出來ない、最も親しいものでありますから、これに對する正しい認識は、國民の教養として何人にも缺くべからざるものであるにも拘らず、現在の状態に於ては、識者の間にも國語に關して無關心な者が多く、又國語の問題を論ずる人々でさへも國語に對して誤つた觀念を持ち、或ひは一端を捉へて全般を推したりする者が少からず見られるのは、極めて遺憾なことと言はなければなりませぬ。

 勿論これには相當の理由があるのであります。其の一つは我々は既に國語に熟達して、これを以つて日常の用を足すには少しも不自由を感じませぬから、ただ漫然と國語の事はも早わかつたといふ風に思ひ込んでしまつて、全體、國語とはどんなものであるかといふやうなことについて特に考へて見る事なく、これに特に注意をしないといふことも一つの理由であります。又一つは、國語は餘り我々に近しいものであり自分の身に附いて居る爲めに、却つて其の全貌をのこるくまなく眺めて其の本性を的確に掴むといふことがむづかしく、ちやうど自分自身の顏かたちの特徴が捉へ難いのと同じやうなむづかしさがあるからであります。

 國語に對する國民の關心を喚び起こし、さうして國語に關する正しき認識を得ようといふ精神を養ひ育てるといふことは國語教育者の任務であります。又何が正しい認識であるかといふことを明らかにすることは國語學者の任務でありますが、今日までの所、どつちもまだ十分望ましい成果を收めてゐないのであります。これは明治以來の社會の風潮が大なる原因を成してゐるのでありまして、外來の知識のみを尊び、自國の事物の研究を捨てゝ置いた爲めに、此の方面の研究をする人間も非常に少いといふやうな、さういふ原因はあるのでありますけれども、又我々國語國文學者の側にも責任があるのでありまして、我々は我々自身をも責めなければならぬのであります。

 ちやうど近來國内の思想動向と國策とに聯關しまして國民の國語に關する關心が次第に深まると共に、國語の醇化普及の問題が論議せられ、それに對する方策が計畫實施されるといふやうになつたのでありますが、かやうな場合に當たつて一般識者の國語其のものに對す認識が前に述べたやうな状態にあるのはまことに寒心すべき事でありまして、或ひは國民に誤つた觀念を與へ、或ひは不適當で寧ろ有害な方策が立てられて、國語の前途を誤るやうな虞れが多分にあるのであります。かやうな時に際して國語の正しき認識を與へて、起こり得べき危險を豫め防ぐのが我々國語學に從事する者の任務であります。又これが國家に盡くす道であらうと思ひます。

 國語に關する認識と申しましても其の部面はまことに廣いのでありまして、たうてい一朝一夕に盡くすことは出來ませぬ。今日は國語の最も根本的な性質である傳統性について聊か申し述べて見たいと思ひます。

 言ふまでもなく我々の言語は今我々が作り出したものではなく、ずつと過去から受け繼いで來たものであります。我々の言語は我々の祖先が一つの國民として共同生活をして居る間に其の生活の必要に應じて産み出して、さうして其の子孫代々に傳へて來たものでありまして、其の中に我々日本人の、ものの觀方、考へ方、感じが宿つてをるのであります。さうして我々は其の國語を習得することに依つて、其の日本流のものゝ觀方、考へ方を自分のものにして、他の人々と同じ思想感情を抱くやうになるのであります。それ故、國民は此の傳來の言語を習得して始めて完全に本當の日本國民になるのだといつてよいのであります。

 然るに我々は國語を自身の言語として使ひながら、其の言語の中に日本流の思想、感情が宿つて居るといふことを自覺しないのが常であります。世間一般の人々はさういふ言ひ方や、さういふ考へ方は、何處でも皆同じことであると考へ、それとは違つた言ひ方とか考へ方が世の中にあり得ようとは多分考へないであらうと思ひます。所がこれを外國語と比べて見ると、初めて我々の言葉に於ける考へ方、或ひはものの見方が、日本式なもの、日本特有のものであるといふことが理解せられるのであります。例へば日本では鷄は雄でも雌でも同じやうに「にはとり」と呼んで居ります。所が英語になりますと、雌と雄とで名が違つて居ります。雌をHenといひ雄の方をCockといつて違つた言葉で呼んでをります。さうして雌でも雄でもどつちでもよい鷄といふものに當たる一つの言葉はないのであります。牛でも日本では雄でも雌でも「うし」でありますが、英語では雄と雌とで名が違ふのであります。即ち雄はOx雌はCow更に仔牛ならばCalfさうして牛全體を通じての一つの名といふものはないのであります。日本では「みづ」(水)といふ言葉は湯を含まないのであります。水と湯とは全然別に考へてをる。所が英語支那語では「湯」でも「水」といふ中に含めてをるのであります。英語のWaterには冷たい水もあれば熱い水、即ち湯もあります。支那語も英語と同樣であります。ずつと以前の事でありますが、私が支那人に日本語を教へてゐた時に、支那人が何かの賣藥を持つて來まして、其の藥の箱の上に漢文で藥の飮み方が書いてあるのを示して、これはどんな水かと聞くのであります。見ると、水で飮めと書いてあります。私共はこれを讀んで何の不審も起こさないが、支那人にはどんな水かが問題になるのであります。これは支那語では、湯も水の一種と考へ、言葉にもさういつてゐるからであります(支那では湯を「熱水」又は「開水」と言ひます)。又日本語で「青」といふのは緑を含んでをる、所が英語などでは青と緑と別な言葉で現はして區別してをります。それから日本では箱の事を大きくても小さくても總べて「はこ」といつてをりますが、支那語では大きい箱と小さい箱と名が違つて、それ/″\別の名が付けてあります。さうしてそれ等を引き括めての名はないやうであります。さういふ風に國によつてものの名付け方が違つてゐるのであります。かういふやうなことは、どれだけのものを一つに纏めて其の共通性を認めて名を付けたかといふこと、即ち概念の作り方に於ける違ひであります。つまり國語の違ひによる物の觀方、考へ方の違ひに原因するのでありまして、そこに日本語としては日本的な考へが現はれてゐるのであります。今擧げましたやうに、比較的具體的なものに對する言葉に於いても既にさうでありますが、まして抽象的なものの名であるとか、或ひは動詞、形容詞、副詞などに屬する語に於いては國語の違ひに依る言葉の違ひといふものは一層甚だしいものがあるのであります。文法に關する事柄に於きましても亦さうであります。例へば西洋諸國の言葉に於いては一つ二つと數へることの出來るものについては、單數と複數に依つて語の形が違つてをります。それ故さういふものについて話さうといふ場合に、いつまでもそれが一つしかないか二つ以上あるかといふことを明らかに意識しなければ、言葉に言ひ現はすことは出來ないのであります。ただボンヤリ椅子があるとは言はないのであります。一つある場合と、二つある場合と違ふ。例へば英語では一つならばChair二つ以上ならばChairsと言はなければならぬ。數といふ考へを離れてかういふやうな物を考へることは出來ないのであります。無論かういふことは日本語にはないのでありまして日本語では數といふ考へを離れてただそのものだけについて考へることが出來るのであります。これ等の例から見ても我々が言語を用ゐることに依つて日本流にものを考へてゐるといふことがわかるのであります。

 かやうに我々は國語に依つて祖先以來傳はつて來た國民的思考感情を自分のものにするのでありますが、併しそれは決して先天的なものではなくて此の世に生まれ出てから、其の言葉を習ひ覺えて左樣になるのであります。我々は生まれ出た瞬間からして國民の一人として日本語の行はれてをる社會に生活することになるのでありますが、此の社會に於いては他の人々と意思を交換する手段としての言語としては日本語の外にはないのでありますから自然に其の言語を習ひ覺えることになるのであります。さうしてこれを覺えるについては、我々が外國語を習ふと同じやうに隨分努力を要するのでありますが、併しそれは物心のつかない時分の事でありますから、自分自身それを意識しないで、何時の間にか練習を積んで幾年か經つとこれに熟達して自由に使ふことが出來るやうになるのであります。かやうにして言語の傳統は若い世代の人々に傳へられて前の世代の人々がなくなつてしまつても何時までも保存せられ、存續して行くのであります。

 又言語は時と共に變化して行くものであります。永世不變の言語といふものは恐らくなからうと思ひます。併し其の言語の歴史を見ますと、其の變化は部分的であり、一時にあらゆる方面がすつかり變はつてしまふといふことはないのであります。又其の變化は概して緩慢であつてさう急激ではありませんが、其の部分々々に徐々に起こつた變化が長い年月の間に積み重なつてここに大きな變化を見せることになるのであります。中にも我が國の言語は時に依る變化が比較的少い方であらうと考へます。彼の千二百年も以前の萬葉集の言葉が今日に於いても大部分は特別な人でなくても理解されることに依つても其の事は證明せられると思ひます。

 さて言語の變化について考へて見ますと、比較的變化し易い部面と變化し難い部面とがあるのであります。概して言ふと、語彙即ち其の言語に用ゐる單語でありますが、これが一番變はり易いものであつて、新しい事物が出來るとこれを表はす爲めに新しい單語が作られる。時としては外國語さへも採用することがあるのであります。又或事物がなくなると、これを表はした語は用ゐられなくなります。語彙に對して、文法上の種々のきまり、或ひは言ひ方といふやうなものは比較的變化し難いものであります。單語として外國語を隨分多く採り入れた場合に於いても、文法組織まで外國語の影響を受けるといふことは餘程稀であります。次ぎに言葉の音になると最も變化し難いものであつて、外國語を採り入れた場合にも、外國語の發音、それは其の國になかつたやうな外國語の新しい發音を採り入れるといふやうなことは中々稀なことでありまして、外國語を採り入れても外國語の音はこれまで自國語にあつた音に代へてしまふのが普通であります。英語のStickといふやうな言葉もステッキといふやうに變はるといふやうな譯であります。これで見ると、言語に於ける傳統の力は音聲に於いて最も強く、文法がこれに次ぎ、語彙に於いては比較的弱いといふことが出來ようと思ひます。今その理由について考へて見ますと、言語の音を發するには喉や口の邊の筋肉を適當に動かして一定の口の形を作り、かつ息を出さなければならないのであります。自分の思ふ儘に正しい發音が出來るやうになるまでには可なりの練習を積まなければならないのでありますが、併し既に熟達してしまへば特別の努力をしないで、殆ど反射的に其の音を發することが出來るやうになります。自國語の場合に於いてはかやうな發音の爲めの練習といふものは既にごく小い時分に終はつてしまふのであつて、其の音を何の苦もなく發音をする習慣が既に何時の間にか出來上つて參ります。かやうに幼少の時についた習慣といふものは、一生の間ずつと持續するのでありまして、若しこれを變へようとする場合には寧ろ苦痛を感ずるのであります。又少し大きくなつてからこれまでないやうな新しい音を發音しようといふやうな場合にはその練習に竝々ならぬ努力を要し、少からぬ困難を感ずるのであります。これが發音の變化が容易に起こり難く、言語の傳統の力が音の部面に於いて最も強い原因であらうと思ひます。

 次ぎに文法は、言語を運用する上に於けるきまりであります。そのきまりがどんなものかといふことは、話手又聽手自身でもはつきり意識しないのが普通であつて、これを特に研究した者でなければ明らかにし難いのであります。しかし、若し此のきまりに背くと、聽手に自分の言葉が分からないか、少くとも異樣な感じを起こさせるのであります。其の言語を正しく使用してゐる者ならば、實際に其の言語を使ふ場合には必ずそのきまりに從つてゐるのであります。さうして文法上のきまりは實際の言語に於いては言葉の型といふやうな形になつて現はれてゐるのであり、自分の言葉を他人に了解せしむる爲めには其の型に填めて言語を用ゐてゐるのであります。これもやはり幼少の時から人の言語を聽いて眞似をして居る内に自然にさういふ型を習ひ覺えて、おのづから型に當て填めて言葉を用ゐるやうになるのでありまして、これも大部分は幼少の時に習練を積んで、大きくなると特別の注意をせずとも自由に使ふことが出來るやうになるのであります。もうさうなつてしまへば、これを改めるのには却つて困難を感ずるのであります。それ故常に其のまま何時までも持續せられるのであり、隨つて傳統の力が比較的強いのであります。

 次ぎに語彙はどうかといふと、單語の外形をなすものは音であります。又單語を實際の言葉に使ふ場合は文法のきまりに從つて用ゐるのであります。それ故これは一方、音にも關係し、又一方、文法にも關係してをるのでありますが、併し語彙が主として關係する所のものは、言葉の意味の方面であります。言葉の意味は無論文法に依つても表はされるのでありますが、それは主として形式的な意味であります。即ち思想を運用するといふ方面に關するものであります。所が語彙は主として實質的な意味を表はすものである。我々が言語に依つて表はす意味は大部分は單語に依つて表はされるのであります。然るに言語の意味といふものは、我々が表現しようとする思想感情を表はす爲めに用ゐられるものでありますから、社會の情勢に依つて新たなる事物が出來たり、又これまであつた事物がなくなつたり、或ひは從來の表現に不滿足を感じたりする場合に、其の新たなる要求に應ずる爲めに、新たなる語を作つたり、又これまで用ゐた語を用ゐなくなつたり、或ひは語の意義を擴めたり狹めたり、又これまでと違つた別の意味に用ゐたりする事が屡〻起こるのであります。これが語彙に於いては比較的變化が多く、音聲や文法の場合ほど傳統の力が強くない原因であらうと思はれます。併し語彙に於いても右に述べたやうな必要のない限り言語は其の傳統を保つてむやみに變化するといふことのないのは勿論であります。

 以上は極く大體の論でありまして、一々の場合に總べてあてはまるといふのではないのでありますが、概して右の如き傾向があるといふことは否み難いと思はれます。

 かやうに言語は時と共に變化して其の姿を變へるのでありますが、併し變化したからといつて無論傳統がなくなるといふ譯ではないのであります。其の變はつたものが、又新たな傳統として傳はつて行くのであります。のみならず其の變化するのは比較的枝葉末節に屬するものであつて其の根幹たる性格は容易に變化しないのが普通であると考へられます。

 我々の言語は傳統的なものであつて、過去の國民の生活に依つて規定せられたものであり、我々は自分でこれを用ゐながらも個人としては勝手にこれを動かすことが出來ず、却つて我々の思想や感情や生活がこれに依つて規定せられるものであります。かやうにして我々の思想や感情や生活は過去に繋がると共に、又未來にも繋がつて行くのであります。我々は此の國語の傳統を亂すことなくこれを正しく子孫に傳へて行かなければなりません。所が言語に於いては明瞭に我々の意識に上らないものが多いのでありまして、我々は傳統に從ひながら而もそれを自覺してゐない場合が極めて多いのであります。併しそれは我々が自覺しないといふだけであつて、實際に於いてさう云ふ傳統があるのでありますから、もし傳統に背いた事をしようとすれば必ず其の傳統の抵抗を受けるのであります。例へば助詞の「は」といふ語でありますが、我々は實際はワと發音しながら文字に書く時は「は」の字で書きます。口では「ワ」と發音するのですから發音通り「わ」と書いてもよささうですが、「わ」と書くのは我々にはどうも不自然であつて書きにくいのであります。これは、ずつと古い時代からこの語を「は」の假名で書いて來たからであつて、つまりこれを「わ」と書くことは書き方の上の傳統に背くからであります。又、「かほ」(顏)「さを」(棹)「なほる」(直)「かほる」(薫)などの「ほ」「を」は、實際はオと發音しますが、これを發音の通り「かお」「さお」「なおる」「かおる」と書くと何だか落ち着かないやうな感じがします。これはずつと古い時代にア行のオの音は語の初めにばかり用ゐられ、語の中や終はりに用ゐることがなかつたのでありますからア行の「お」の假名は語の中や終はりには用ゐられなかつたのであります。其の後、發音が變化してア行の「お」がワ行の「を」と同じ音になつたにも拘らず、ア行の「お」の假名は語の中又は終はりには用ゐないといふ從來の習慣が永く續いてゐた爲めに、今日に於いても「お」を語の中や終はりに用ゐると異樣に感ぜられるのであります。又オーとかコーとかソーとかいふオ段の長音がありますが、それを發音の通り書く場合にオ段の假名の下に棒を引いて「オー」「コー」「ソー」のやうに書くことがあります。音を示す書き方としては今日ではよく用ゐられるもので、多くの場合は別に不自然には感じられませぬが、しかし例へば「大阪」といふ場合にオーサカと書くと何となく不自然な處があるやうに感ぜられるのであります。全體、此の棒を引いて長い音を表はす書き方は主として外國語を書く場合に起こつた書き方でありまして、外國語の長音は(殊に英語では)初めが高くて終はりが低いのが普通であります。これを寫した「オー」「コー」「ソー」等も、さういふ風に發音する習慣となつてをり、純粹の日本語や漢語に於いてもさういふ音を寫す爲めにはかやうな書き方を用ゐても不自然には感じないのでありますけれども、「大阪」といふ場合の「オー」は初めの部分が低く終はりの部分が高くなります。さういふ場合にオーと書くのはこれまでの傳統に背く事になる爲めに、不自然に感ぜられるのであります。

 さて、以上のやうな場合に普通の人にはただ落ち着かないとか不自然だとか感じるだけであつて、恐らく何故であるかといふことの説明は出來ないだらうと思ひますが、やはりそれには今述べたやうな歴史的な原因があるのでありまして、過去の慣習が傳統として現在まで傳はつてをるのであります。其の傳統が現在に於いてもこれに背くものに對して何かの抵抗を感ぜしめるのであります。謂はゞ我々の傳統に背いた行動が傳統の反撃を受けるといふべきでありませう。

 傳統は何時までも其のまま傳はるのがその本性であり、我々に取つては傳統に從ふのが最も自然であり、又最も容易な途であるのであります。もし我々が言語に於けるこれまでの習慣を變へようとするならば必ず傳統の反撃に出曾つてこれを克服するには非常な努力を要するのであります。たとへ或一部の人々はこれを克服し得たとしても多數の人々はこれ等の人々と共に困難な道を進まうとはしませんから、社會一般の承認を得るに至らず葬り去られる外はないのであります。ただ實際の生活上の要求が非常に強くてさうしなければ非常な不便を感ずるといふやうな場合だけはかういふ困難に打ち克つてその變化が一般にひろまることがありますが、それも全く傳統に反してではなく、寧ろ傳統の線に沿うて成るべく摩擦の少い途を取るのであります。さもない限り言語上のきまりを改めることは實行不可能であつて、強ひて行はうとすれば、言語の統一を破り、却つて混亂を生ずるばかりであります。又一時はさういふやうな企てが成功したやうに見えても又すぐ元に還つてしまふといふことになります。

 現在の國語は過去の國民の生活の中から生まれた歴史的な傳統的なものでありますから、其の中に幾多の矛盾や不合理もあります。決してそれは理想的なものではないのであります。さういふ實例はこれまでもいろ/\擧げられてをりますが、ただ私がちよつと氣の着いた一例について申し上げますと、現在の口語に於いて「知る」といふ動詞は、「知る」といふ終止形では用ゐられません。「知つてをる」とか、「知つた」とか、「知らない」とか、「知らう」とか言ひますが、決して「知る」とだけは言ひません。終止の場合には「知つてをる」又は「知つてゐる」と言ひます。この事を或人に言ひましたら、其の人はそれではその打ち消しの場合に「知つてゐない」といはないで「知らない」といふのはどうしたのでせうかと質問しました。そこで考へましたが「知つてゐるかゐないか」といふ問ひに對して答へる場合に「知らない」と言つて、「知つてゐない」と言はないのは不合理であるとも考へられるが、實際は其の答へとして見ればただ打ち消しだけでよいのであります。「ない」だけでよい。けれども日本語としてはただ「ない」だけは用ゐず、もう一度動詞を繰り返さなければならぬ。それ故、「知らない」といふ答へも、その意味から見れば「知ら」だけがよけいな、無駄なものであります。かやうな言ひ方も決して理想的なものでなく、むしろ不合理だとも考へられます。併しかういふものを強ひて合理的にしようとすると、却つて不自然になつて實行不可能であります。これはつまり傳統に背くからでありまして、傳統に從ふのが一番自然な行き方であるからであります。

 又假名遣ひの問題にしても所謂表音的假名遣ひを主張する人々は、我々は言語の音を聞いて意味を理解する。それ故、その言語の音を音の通りに書くのは自然であつて合理的であるとしてをるのであります。それでありますから、オといふ音は母音のオでア行の「お」であるから、ワ行の「を」を書くのは矛盾であるといふのであります。然るに、我々にはア行の「お」は語の初めに書くのは不自然ではありませんが、語の中や終はりに書けばどうもをかしく變な感じがします。これは前に述べた通りこれまでの書き方に於ける傳統に背くからであります。又現在の所謂歴史的假名遣ひは不合理であるといふ論もあります。それは音を寫すといふ點から見れば無論不合理であり矛盾もあります。併しこれは當然なことであります。何故かといふと所謂歴史的假名遣ひといふものは決して發音を假名で寫すだけのものではないからであります。假名遣ひといふものは結局違つた假名が同じ音になつて、其の音を考へて見てもどの場合にどの假名を用ゐるかといふことをきめることが出來なくなつた爲めに、どちらの假名を用ゐるかといふことをきめたきまりなのであります。即ち假名遣ひといふものは、假名遣ひといふ言葉が示す通り、假名の使ひ方であつて、委しく言へば同じ音の假名の使ひ分けをきめたものであります。同じ音である以上、音によつて假名を區別する事が出來る筈はありませんから、自然に語によつてどの假名を用ゐるかをきめる外ありません。それ故、これは決して音を寫す爲めのきまりではないのであります。かやうな譯ですから、私は假名遣ひといふ名は所謂歴史的假名遣ひにこそ當てはまるものでありますが、所謂表音的假名遣ひは同じ音は何時でも一つのきまつた假名で寫すべきものとし、違つた假名で同じ音を書くもののあることを許さないもので、結局、同音の假名の使ひわけといふことの消滅を目的とするものでありますから、これを假名遣ひと名付けるのは矛盾であると考へてをるのであります。さすれば歴史的假名遣ひは音を表はすといふ點から見れば不合理であることは當然であります。併しこれはかなり久しく用ゐ慣れ、今日でも普通の書いたものはこれに據つてゐるのでありますから、我々はこれを見ても特別不思議には感じないばかりでなく、これに背くと却つて異樣に感じるのであります。それはやはりさういふ傳統があるからであります。

 我々の祖先は言語には靈があつてそれ自ら働くものであるといふ風に考へてそれを言靈と名を付けてゐました。言葉を忌むとか或ひは言擧げせぬと言つたのもやはり同じ思想から出たものと思はれます。言葉は人から出たものであるとしても、既に人が言葉を發した以上はその言葉は人をはなれてそれ自らの靈力によつて、其の意味する所の事を實現するといふ力があると考へてゐたのであります。西洋の言語學者の中でも言語を一つの生物のやうに考へた者もあり、又「言葉の命」、「言語の生命」といふやうな言葉も用ゐられたのでありますが、併し後にはかやうな考へは否定せられて「言語の生命」といふやうな語は譬喩以上の意味を持たないものとせられたのであります。それには相當の理由があることでありますが、併し言語は——言語といふのは單語ではありません、日本語とか支那語とかいふやうな或國民、或民族の用ゐる言葉全體をさしたものです——さういふ言語といふものはこれを使用する個人の自由にはならないものであります。それ自ら一つの組織體を成してさうして自分自身を保つて行く性質を持ち、自分に適當なものはこれを受け入れるが不適當なものはこれを押しのけてしまふか又はこれを適當なものに改めるといふ性質を持つてをる。これは前にもちよつと申し上げましたが、外國語を受け入れる場合に、其の外國語式の音を變化させて自分の國語にあるやうな音に代へ、或ひは都合の惡いものを棄てゝしまふといふことを見ても分かるのであります。それ故、言語といふものは有機體のやうに、生命を保ち、精神を持つてをるものと考へても必ずしも不當でないと思はれます。少くとも常識的にはさういふやうなものと考へて置く方が寧ろ安全なのではないかと考へます。但し、生命を持つてをるといつても、其の生命の源泉はこれを用ゐる人々全體の心に在るのであります。さういふ點は動物や植物のやうに人を離れて獨立して生命を保つてゐる有機體とは違ふのであります。それ故其の國民が其の言葉を亂さないやうに、それを立派に育てるやうにといふ心を持つ事によつて其の言語は存續して行き、又發展して行くものであります。併し言語はそれ自身精神を持つてをりますから、其の精神を重んじこれに從つて行くやうに勉めてこそ其の生命が益〻盛んになるのでありまして、濫りなる力を用ゐて、生命を弱め或ひは枯渇させることのないやうに心を盡くさなければなりません。そこで國語愛護といふことが必要になつて來るのであります。併しこれは愛護すると言ひましても先づ第一に言語といふものはどんな性質のものであるかといふことをはつきり認識してゐなければならないのでありますが、前にも申しました通り言語といふものは餘り我々の身に近いが爲めに却つてそれが分からないのであります。我々は言語の傳統の中に身を浸しながら、さういふことに氣が着かない。或ひはさういふことはないといふ位に考へてをるのであります。さうして其の傳統を我々の身に着ける爲めに幼少の時から可なり努力をして來たのでありますけれども、さういふことも既に忘れてしまつてをるのであります。これは實に危險なことでありまして、國語を愛護し、それの發達を圖る爲めに、その方策を講じようとしても適當な方法を得ることが出來ないといふ憂ひが多分にあるのであります。これはちやうど海圖なくして航海し、或ひは人體の構造やその作用を知らないで治療をするといふやうな危さがあるのであります。それで、どうしても國語に對する我々の明らかな自覺、正しい認識が必要になるのであります。例へば今日に於いて我々は所謂歴史的假名遣ひに從つて書いてあるものを讀むには大して苦勞はしませんから、歴史的假名遣ひも、讀むだけならばむづかしいものだとは思つてゐません。ただそれを覺えて正しく書くのがむづかしいといふやうに多くの人々は考へてをります。それは嘘ではないのでありますが、我々が歴史的假名遣ひで書いたものを何でもなく讀む事が出來るのは我々が幼少の時からかやうな書き方に接し、いつの間にか習練を積んでこれに馴れたからであります。若し所謂表音的假名遣ひばかりに馴れてゐて、さうして其の後に初めて歴史的假名遣ひに接した場合には、それを讀むについても相當の困難を感ずるであらうと思はれます。我々には「おほきみ」と假名で書いてあるのをオオキミと讀むのは別にむづかしいと感じませんが、表音的假名遣ひばかりに馴れてをる人ならば、先づ「おほきみ」を文字通りにオホキミと讀むでせう。一度さう讀んでみてそれから成程それは「大君」の事だといふことは分からないことはないでせうが、其處に行くまでに可なり煩はしさを感ずる筈であります。さういふことを普通の人は餘り考へないのではないかと思ひます。今日の我々には困難でないから、何時のどんな人にでも困難でないと考へることは、これは我々自身が幼少の時から練習を積んだことをすつかり忘れてしまつて、誰でも我々と同じだと考へるからであります。さう云ふことが今の國語問題を論ずる人々の中にも可なりあるやうに考へられます。かういふ事に對する自覺が非常に必要だと思ひます。かやうな事實をはつきり認識した上で、本當に國語を愛する精神を以つて國語に對する方策を考へなければならないのであります。さうして國語を愛するといふことは、これは愛しやうにも色々あると思ひますが、國語に對しては、これを大事にすること、尊重するといふことが最も大切であると考へます。國語の傳統的精神を重んじこれを損ずまいとする嚴肅な心、さうして傳統に副うて更にこれを立派なものにしようといふ眞の愛の心が肝腎であると思ひます。我々が國語を習得するのは其の基礎は小さい時分にすつかり出來上るのでありますけれども、國語を學ぶといふことは一生涯續いてをるのであります。それは色々自分の交際する人、周圍の人々の言葉を聞いても學びますし、又新聞や雜誌や書物などを讀んでもその言葉を學びます。さうして新聞とか雜誌とかいふやうな、一般國民に廣く讀まれるものは、さういふ意味に於いて國民の國語の習得に對して非常に大なる影響を與へるものであります。然るに、新聞や雜誌の原稿を書く人々が、實際自分の書いたものが活字になつてどれ程國民の言語の上に影響を及ぼすかといふやうなことを、今日どれ程自覺してをるでありませうか。新聞や雜誌に載つた文は好むと好まざるとに拘らずさういふ點に於いて國語の部面によかれ惡しかれ非常な感化を及ぼすものであります。それ故さういふ人々は、この事を十分に自覺し、さうして國語を尊重して一語一字の誤りに對しても恐れ愼むといふ心を持たなければならないのであります。これが眞に國語を愛する道であります。さうして國語教育といふものも、やはりさういふ精神をあらゆる國民に徹底させるといふ所まで行かなければその目的を達したものではないのでありまして、さもない以上は、まづ大部分は失敗に歸したといつても言ひ過ぎではないと思ひます。

 甚だ蕪雜な話しで、十分趣旨が徹底しなかつたかと思ひますが、ただ國語の前途を思ひ、どうか立派な國語としてこれを子孫に傳へ又海外にも擴めたいといふ心から申し述べたのでございます。

幾分の御參考になれば仕合はせであります。

底本:「國語學概論」、岩波書店
   昭和25年08月25日