奈良朝以往の上代日本語を研究しようとする時、その資料とすべき文獻は、量に於ては必しも少くはないが、漢字の意義をとつて日本語を寫した部分が多く、日本語の音を示した假名書きの部分は存外少い。それ故、語の外形に關する問題については、實例の乏しいのに困しむことが屡ある。殊に動詞の如きは、一語であつてそのあらゆる活用形の確實な實例を具へたものは甚少數で、多くは他の類例から推定するか、又は後世の例によつて補ふの外無いのである。動詞の活用の形式やその種類も、平安朝の言語から得たものを基準として、之を上代の文獻に見える不充分な實例に照して見て、矛盾する所が見出されなければ、上代語に於ても同樣であつたとし、もし違ふ所があれば、之に補訂を加へるといふ有樣である。隨つて、上代語の動詞の活用に關しては、精査するに從つて疑を容れ得べきものを見出すのである。今こゝに述べようとするハ行上一段動詞の活用の如きは、その一例である。
古くからハ行上一段活用であつた動詞は「乾」の義及び「放」或は「嚔」の義のヒルであるとせられてゐる。この二つの語は無論上代の文獻に見えるのであつて、その語形を確實に知り得べき例は、次の通りである。
「乾」(將然形)
伊 摩 陀 飛 那 久 爾 (萬葉五、六オ)
之 保 能 波 夜 悲 波 (萬葉十八、六オ)
(連用形)之 保 悲 奈 波 (萬葉十五、二十八ウ)
之 保 悲 思 保 美 知 (萬葉十七、七ウ)
熯 干也、此云 レ備 (日本書紀卷一、二十七オ)
「嚔」(連用形)鼻 火 紐 解 (萬葉十一、四十四オ)
鼻 之 鼻 之 火 (萬葉十一、四十四オ)
其他「干時」「乾時」をヒルトキと訓し、「干者」をヒレバと訓したものはあるけれども、確證とする事は出來ない。
我々は右の諸例によつて、「乾」の將然形と連用形とがヒであり、「嚔」の連用形がヒである事がわかるが、其他の活用形については、全く知る事が出來ない。將然と連用がヒであるものは、上一段ばかりでなく上二段活用の動詞にもあり、連用がヒであるものは四段や上二段の動詞にもある。然るに、之を上一段活用と認めたのは、平安朝に於て、此等の語が上一段に活用し、こゝにあらはれた活用形が、上一段の語尾として何等抵觸する所がないと考へたからである。しかし我々は、今日に於ても、猶、この説に安んずる事が出來るかどうか。
本居宣長の弟子石塚龍麿が、上代の文獻に於ける假名の用法を調査して、當時の文獻に、後世のものには見られない一種の假名遣がある事を見出した。即ち、エキケ以下十三種の假名に於て、同音の萬葉假名が各二類にわかれ、類毎に之を用ゐる語が定まつて居て、同語に兩類の假名を混用する事なく、兩類の別が儼然として存するといふのである。この事については、私自身も亦獨立に研究して、大體に於て龍麿の説を是認する事が出來たのである。この特殊の假名遣は、用言の活用語尾にも認められるのであるが、活用語尾に關係があるのは、十三種の中、エキケコヒヘミメの八種の假名であつてこれ等の假名に於ける二類の別は、大體次の如くである。
エ { 衣の類 愛哀埃衣依
延の類 延曳叡要キ { 伎の類 伎岐吉棄藝枳企耆祇祁※儀蟻支
紀の類 紀幾貴疑氣基機奇擬寄綺騎宜義己ケ { 祁の類 祁下牙計鷄稽家啓霓奚價雅
氣の類 氣宜開階慨概戒該凱礙※皚既コ { 古の類 古胡故高姑固枯孤顧呉誤庫後
許の類 許去碁其據居虚己擧苣渠悟吾語馭御巨期ヒ { 比の類 比卑毘避臂譬辟妣彌寐毗鼻必賓嬪婢
非の類 肥備被彼非悲斐眉媚縻ヘ { 幣の類 幣平辨覇陛弊蔽鞞謎鼙返遍平辨便別
閉の類 閉倍珮背俳杯沛陪毎ミ { 美の類 美彌瀰弭民
微の類 微味未尾メ { 賣の類 賣咩謎綿馬面
米の類 米毎梅妹迷昧晩
以上の假名の區別が動詞の活用語尾にどうあらはれてゐるかといふに、カ行ハ行マ行に活用する動詞に於て、四段の連用形語尾キヒミは伎比美の類を用ゐて紀斐微の類を用ゐず、已然形語尾ケヘメは氣閉米の類を用ゐて祁幣賣の類を用ゐず、命令形語尾ケヘメは之と反對に祁幣賣の類を用ゐて氣閉米の類を用ゐない。上二段の將然形及び連用形語尾キヒミは、紀斐微の類を用ゐて、四段連用に伎比美を用ゐるのと對比をなし、下二段の將然形及び連用形語尾ケヘメは氣閉米の類を用ゐて、四段已然形語尾と一致し、四段命令形の祁幣賣とは對比をなしてゐる。
カ行變格の將然形及び命令形の語尾コには許の類を用ゐて古の類を用ゐず、連用形語尾キには伎の類を用ゐて紀の類を用ゐない。又ア行下二段の將然連用形は衣の類を用ゐて延の類を用ゐず、ヤ行下二段の將然連用形は延の類を用ゐて衣の類を用ゐない。但し、このエの假名の二類、衣と延とは、ア行のeとヤ行のyeとの區別であつて、活用に於ても行を異にしてゐるが、其他の假名の區別は同行の中での區別とおぼしく、活用に於ても同じ行に屬してゐる(例へば、キの二類、伎と紀とは、一は四段、一は上二段と、活用はちがつても、「カ、伎、ク、ケ」「紀、ク、クル、クレ」と同じくカ行に活用し、ケの二類、祁と氣とは、四段では「カ、キ、ク、氣、祁」と同じくカ行に活用し、下二段では「氣、ク、クル、クレ」と氣が他の加行音に轉ずる)。さすればエの假名の二類だけは、他の假名に於ける區別とは性質の違つたものと認められる。
次に上一段活用について見るに、カ行の將然、連用、命令の語尾キ、連體の語尾キルのキは共に伎の類であり(其他の活用形は假名書きの例がない故未詳)、マ行の將然、連用の語尾ミ、連體の語尾ミル、已然の語尾ミレのミは皆美の類である(其他の活用形では不明)。ハ行上一段は前述の如く、「
不相思 公 者 在 良 思 黒 玉 夢 不見 受 旱 宿 跡 (萬葉集卷十一、二十一ウ)
打 蝉 之 命 乎 長 有 社 等 留 吾 者 五十 羽 旱 將待 (萬葉集卷十三、二十オ)
初のは旱をウケフの連用形の語尾に、後のはイハフの連用形の語尾に用ゐてあるが、ウケフ、イハフは、共に上代には四段活用で、連用形語尾は比の類の假名を用ゐる確證があるからして、これ等の例によると、「ヒル」のヒは比の類であつて、前に擧げた「乾る」の「ヒ」の諸例に合はない。然るに、前の歌の「旱」は、細井本、温故堂本、大矢本、活字無訓本等の異本には「早」となつて居るが、袖中抄に引用したのには、「受日手宿跡」となつて居る(校本萬葉集參照)。さうして宣長以下の學者も「旱」は「日手」の誤寫であると説いてゐる。受日手であるとすれば、日は比の類の假名を用ゐる語であるから、四段の連用形語尾ヒに宛てたとしても少しも問題はないのである。後の歌の「旱」は、大矢本で「早」となつてゐるのをまた「旱」に改めてゐる外、異本による相異はないが、これも古義には、前の例に准じて、「日手」の誤としてゐる。日とすれば、これも假名遣上の疑は無くなるのである。恐らく、此等の説が正しいのであらう。さすれば旱は比の類の假名として用ゐたのでなく、「ヒル」の將然連用形はすべて斐の類の假名であるといふ事が出來る。
右の二つの歌に於ける旱は、卑の字であるまいかとも考へられる。卑の字が旱の形になつた實例は通行本萬葉集の最後にある成俊の跋にも見えて居るのであつて、「尋八雲之跡之輩高旱伺其趣者歟」とある「高旱」は「高卑」に外ならぬ。又大矢本などには婢の字の旁の卑を旱の形にしたものは決して珍しくない。もし旱が卑であるとすれば、これは萬葉集にもヒの假名として用ゐられ、ヒの中の比類に屬するものであるから、問題は起らない。しかしながら、日手の誤とする説は、袖中抄に證があり、且つ、ウケヒテ、イハヒテとテをつけて讀むのにも適當であるから、卑の誤とするより一層妥當であらうと思ふ。
かくの如く、活用の種類と活用形の違ひとによつて、活用語尾に用ゐる假名の種類がきまつてゐるとすれば、只一つの活用形だけしかわからない動詞でも、その語尾にあてた假名によつて、何れの活用に屬するかゞ明かになる場合があるのであつて、例へば、連用の語尾キに紀の類の假名が用ゐてあれば上二段活用であり、將然の語尾キに伎類の假名があれば上一段、紀類の假名があれば上二段である。命令の語尾ケが祁類であれば四段、氣類であれば下二段と知られる。
以上述べた所によつて、或一つの種類の活用の或一つの活用形には、同じ假名の兩類中の或一類がいつもきまつて用ゐられる事が明かになつたが、たゞそればかりでなく、違つた假名であつても、同種の活用の同じ活用形に於ては、それ/″\の假名の兩類中の或きまつた一類のみが、常に相伴つてあらはれるといふきまりがある事が知られるのである。即ち、四段の連用の語尾には、キは伎の類、ヒは比の類、ミは美の類が用ゐられて、伎と比と美とが相伴つてあらはれるが、上二段の將然連用兩形の語尾には、同じキヒミでも、他の類の紀斐微が相伴つてあらはれる。同樣に、四段已然の語尾には、ケヘメに氣と閉と米とが用ゐられ、下二段の將然にも連用にも、命令にも、やはりこの氣閉米が相伴つてあらはれる。四段の命令形語尾のケヘメには、その已然形とは別類の祁幣賣が用ゐられ、四段から助動詞「リ」につく形(ユケリ、オモヘリ、スメリのケヘメ)にも、同じく祁幣賣が相伴つてあらはれる。かやうに、違つた假名に於ける兩類中の一つが、同じやうな場合に相伴つてあらはれる事は、語構成の際の轉音に於てもかなり明かに見られるのであつて、相伴つてあらはれるこれ等の一類のものは、その發音の上に共通點をもつて居たらうとおもはれる(さうして、他と相伴つてあらはれるのは、常に同じ假名の二類中の一類だけであつて、同じ假名の兩類が相伴ふことはない。但し、エの二類だけは例外で、互に相伴つてあらはれる。これだけは別種のものであるから、除外して、別に取扱ふべきである)。
然るに、上一段に於ては、カ行とマ行の語尾キ・ミは、四段連用と同じく伎、美の類を用ゐ、伎と美とは相伴つてゐるが、ハ行のヒだけは斐の類であつて、他の場合には常に伎美に伴ふ比とは別類の假名である。これは他の活用には見られない異例であるが、上一段だけは例外とすべきであらうか。
上代語に於ける上一段活用には、往々他の活用とは違つた例がある事は周知の事實である(「見らし」「見らむ」の承接など)。これもその一つと見るべきであるかも知れない。しかしながら、それは、ハ行上一段の動詞が、當時、たしかに上一段に活用したといふ事を認めてからの事である。我々はまづこの問題を攻究しなければならない。
前に述べた通り、ハ行上一段の動詞は「乾」及び「嚔」の意味のヒルであるが、「乾る」は將然と連用がヒで、共に斐の假名、「嚔る」は連用がヒで、これも斐の假名である事が確かなだけで、その他の活用形は明かでない。それ故、これだけの事實からしては、上代に於て上一段活用であつたといふ積極的の憑據はないのである。かやうな場合に、「乾る」「嚔る」の平安朝に於ける活用に基づいて、之を上一段と定めるのは、いかにも穩當なやうであるけれども、それは、さう定めて、他に矛盾衝突を生じない場合に限る。上に述べた、上一段活用に於ける假名の用法上の異例は、これ等の語を上一段活用と定めたが爲に起つた矛盾又は衝突ではなからうか。我々は、一應これ等の語が上一段以外の活用でなかつたかを考へて見なければならない。
「乾る」の將然連用の語尾は斐であり、「嚔る」の連用は「斐」である。かやうな形式の活用を上一段以外にもとめると、上二段の外に無い。上二段ならば
〔戀〕
斐 斐 フ フル フレ
のやうに活用する(命令は「斐ヨ」であらうが、まだ實證を得ない)。それでは「乾る」「嚔る」にフ、フル、フレといふやうな活用形があつた證據又は痕跡はないであらうかといふに、この語を正しい意味で用ゐたものには、無論かやうな形はない。しかし、假名として用ゐた漢字の中に、その痕跡と見るべきものが見出されるのである。
日本書紀卷七、景行天皇十二年熊襲征討の條(八丁オ)に
兄曰二
市 乾 鹿 文 一(乾此云レ賦)
とあつて、「乾」の字をフの假名に用ゐてゐる。「乾」が上一段に活用したとすれば、どの活用形にもフといふ形はない。乾の訓ヒを轉じてフの音として用ゐたといふ解釋も絶對に否む事は出來ないにしても、假名として用ゐるのに、そんな普通でないよみ方をしたとは考へにくい。それよりも乾が古く上二段に活用し、その終止形がフであつて、之をフと讀むのは普通であつた爲、之をフの假名に用ゐたとする方が、よほど自然である(動詞の終止形を取つた假名は、
「乾る」が上二段に活用した形跡を示す猶一つの例は、萬葉集卷十一の
我 背 兒 爾 吾 戀 居 者 吾 屋 戸 之 草 佐 倍 思 浦乾來(卷十一、十ウ)
の歌に於ける乾の字の用法である。この歌の末句は、昔からウラガレニケリと訓まれてゐる。この訓に隨へば、乾は、その本來の意義によつて、カレといふ語を示してゐるのであつて、ヒルとは全く關係がない。しかし私はこの訓が果して當を得たものであるかを疑ふものである。
まづ第一に、ウラガレといふ語は、「末枯れ」の義である故、
志 良 登 保 布 乎 爾 比 多 夜 麻 乃 毛 流 夜 麻 能 宇 良 賀 禮 勢 那 奈 登 許 波 爾 毛 我 母 (萬葉集卷十四、十六ウ)
の如く、男女の中らひの末遂げぬ事を樹木のウラガレルに譬へるならば尤もであるけれども、この歌の如く、來ぬ人を思うて戀ひ憂へる心の有樣を、草木の末葉の枯れるに比するのは、どう考へても適切でない。次に、第四句と第五句とは、「草さへ思ひうらがれにけり」とあつて、「思ひうらがれ」とつゞいてゐるが、かやうな言葉つゞきは實際あつたであらうか。今擧げた十四卷の歌では、ウラガレは、表では木の先の枯れるを言ひ、裏では、末絶える事を指してゐるが、木の先の枯れるのに、「思ひ」とつかないは勿論、中絶えるにしても「思ひ」とつく筈は無い。譬喩的に用ゐて心の有樣を言つたものとして、「思ひうらがれる」と解しても「心の中にうらがれる」と解しても、ほとんど意味をなさない。我々は、井上通泰博士が萬葉集新考に、「オモヒウラガルといふ語あるべくもあらず」といはれたのに贊成せざるを得ない。契沖は、草が思草であつた爲に、「思ひうらがれ」と云つたと説き、後の學者も之に隨つてゐるが、それでも、「思ひうらがれ」といふ言葉つゞきが可能でなければ、かやうにつゞける事は出來ない筈である。そこで井上博士は、「思」の字を第四句の最初に移して、「
「乾る」の語が、もし上一段活用であるならば、之をフレとよむ事は出來ないけれども、上述の如く、上二段活用と見る事が出來るとすれば、その已然形はフレである筈である。このフレといふ訓によつて乾の字を假名に用ゐたとすれば、「浦乾來」はウラブレニケリと讀む事が出來る(動詞の已然形を假名に用ゐた事は、萬葉集十一、六ウに「
比 等 母 禰 能 宇 良 夫 禮 遠 留 爾 多 都 多 都夜 麻 美 麻 知 可 豆 加 婆 和 周 良 志 奈 牟 迦 (萬葉五、二十五ウ)
の歌に、鹿持雅澄が註したやうに「心の裏にうれひうなだれをる」義であつて(古義卷五下、四十三ウ)
於君 戀 裏 觸 居 者 敷 野 之 秋 芽 子 淩 左 牡 鹿 鳴 裳 (萬葉集卷十、三十九オ)
於君 戀 之 奈 要 浦 觸 吾 居 者 秋 風 吹 而 月 斜焉 (同卷十、五十七オ)君 戀 浦 經 居 悔 我 裏 紐 結 手 徒 (同十一、六ウ)青 丹 吉 奈良 乃 吾家 爾 奴 要 鳥 能 宇 良 奈 氣 之 都 追 思 多 戀 爾 於 毛 比 宇 良 夫 禮 (同十七、三十二ウ)
のやうに、戀ふるによつてうらぶれるのは常の事であり、その上
往 川 之 過去 人 之 不手折 者 浦 觸 立 三 和 之 檜 原 者 (同七、九オ)
山 萵 苣 白 露 重 浦 經 心 深 吾 戀 不止 (同十一、十ウ)
のやうに、草木の枝葉のうなだれるにかけて言つた例もあるから、かの「我背兒爾」の歌も、末句をウラブレニケリと訓ずれば、
わが背兒に吾が戀ひ居れば我が宿の草さへ思ひうらぶれにけり
となつて、「來ぬ人を待ち戀うて心に憂へ歎いて居ると、吾が家の草までもうなだれてゐる」と解する事が出來て、ウラガレニケリとよむよりも一層すぐれた適切な解釋が得られるのである。さうして、前の句に對しては、「思ひうらぶれ」とつゞくのであるが、かやうな言ひ方は、前掲萬葉十七の長歌に「
かやうに、この歌の末句の乾をフレと訓めば、歌全體の意味も言葉つゞきも、適切で穩當なものになるとすれば、この訓は恐らく當を得たものといふことが出來よう。さすれば、我々は、こゝに「乾」がフレと活用した一つの例を得るのであつて、之を以て、「乾る」が古く上二段活用であつた證據とする事が出來るのである。さうして、かやうに乾をフレの假名に用ゐたのは、乾をフレとよむのがむしろ普通であつたからであつて、特に珍らしいよみ方をとつたものとは思はれないから、その普通の活用は上二段であつたと見てよからうと思はれる。
しかし、こゝに一つ考へなければならないのは、ウラブレは古今集などにはウラビレとある故、「浦乾來」もウラビレニケリと訓すべきであつて、乾はフレでなくヒレの假名として用ゐたもので、これは却つて「乾」が上一段に活用した證であると説明する事も出來るといふ事である。しかしながら、ウラビレの形の見えるのは平安朝のもので、奈良朝には、「宇良夫禮」「浦經」「浦觸」「裏觸」などウラブレの形しか見えないから、「ウラブレニケリ」とよむのが正しいと考へられる。
かやうに、「乾」を假名として用ゐたものから、乾が、フ、フレと活用した例證と見るべきものが見出されるのであつて、「乾る」は上代に於ては、上一段に活用したといふよりも、上二段に活用したと見る方が有力である。
猶一つ別の方面から考へて見るに、動詞に接尾辭「す」を附けて他動詞を作る時、その接尾辭に接する動詞の語尾音は樣々であるが、大體に於て、動詞の活用の種類の違ひによつて、或音を多くとるといふ傾向があるのであつて、四段動詞はア段音になる事多く、又間々オ段音になる(「あかす」「かはかす」「いかす」「ちらす」「おほす」「とゞろこす」)。上二段はオ段又はウ段になるものが多く(「おこす」「おとす」「すぐす」「つくす」)、下二段はア段になるものが多い(「いだす」「あやす」)。さうして上一段に於ては、イ段音が普通であつて、キス(着)、ニス(似)、ミス(見)などの形になるが(その中、キミは、岐美で、動詞の語尾と同類の假名を用ゐる)、ハ行にかぎつてホス(乾)となつてオ段音をとる(「嚔る」は他動詞を作らない)。然るに、オ段音になるのは、上二段に於ては寧ろ普通の形である。かやうな點から見ても、「乾る」は上二段の性質を帶び、上一段とは違つてゐるのである。
かやうに考へて來れば、「乾る」は上代に於ては、上一段とすべき確實な根據なく、むしろ上二段であつたと見得べき例があり、又さう見る方が、假名の用例からしても、語構成上の轉音の例からしても、自然である。恐らくは上二段に活用したのであらう。
「嚔」の義のヒルについては、連用形の外、實例なく、其他の活用形を知るべき手がかりもない。しかし連用形に斐類の假名を用ゐた點からしてみれば、乾と同じく、上一段とするよりも、上二段とした方が自然であつて、何等の不都合も生じない。これも上二段活用と見るべきであらう。
かくの如く、ハ行上一段動詞と考へられてゐたものが、皆ハ行上二段であつたとすれば、上代に於ては、上一段はハ行にはない事となる。少くとも、積極的に有つたと主張する事が出來ないのである。さすれば、上一段の活用語尾で、上代に於ける特殊の假名遣に關係あるのは、カ行マ行のキミだけであつて、キには伎、ミには美を用ゐてあるが、これ等は四段連用の語尾にも相伴つて現はれるものであるから、前にあげた、「同種の動詞の同じ活用形に於ては、違つた假名でも、その中の或一類がいつも伴つてあらはれる」といふ原則は、上一段活用にも適合し、一の除外例も無い事となるのである。かやうな點から見ても、ハ行上一段と認められてゐたものは、實はハ行上二段であつたとする方が妥當であらう。
以上討究した所によれば、ハ行上一段の動詞は上代には上二段で、ヒ、ヒ、フ、フル、フレと活用したと考へられるのであるが、これらは、平安朝に於ては上一段であつた事は、當代の諸文獻によつて明かである。これは、上二段が上一段に變化したのであるが、さやうな傾向が他の上二段の動詞にも既に平安朝初期からあらはれてゐたことは、奈良朝に於てハ行上二段に活用した「荒ぶ」が續日本紀卷四十、延暦八年九月戊午の宣命に「陸奧國荒備流蝦夷等乎」となつてゐるによつても明かである。ただ、上代に於てハ行上二段に活用した動詞の中、ヒルだけが、平安朝に於て完全に上一段に變化して、上二段であつた名殘を留めないのは何故かといふに、多分これ等が一音節の語であつた爲であらうとおもはれる。一音節の語が、同種の活用の他の語に比して早く變化する事は、下二段活用の
かやうに、ハ行上一段といふ活用形式は、ハ行上二段が變じてはじめて出來たものと思はれるが、その發生の時期如何の問題になると、かなり困難である。我々が上代に於ける「乾」「嚔」の活用を上二段と推定したのは、甚乏しい實例と、假名の用法や語構成の上の一般的のきまりとに基づいたものであるから、實際に於ては、奈良朝に於て既に一段に變じたものもあつたかも知れない。かの「居」(ヰル)といふ語は、「
附記
私が以上の説を發表するのはこれが初であるが、數年前安田喜代門氏が來訪せられた時、同氏に語つたのを、その著「國語法概説」(昭和三年刊)に載せられたから、多少世にしられてゐるであらう。猶、上代に於ける特殊の假名遣と、之に關係ある語法上の事項とについては、本年九月發行、雜誌、國語と國文學所載の拙稿「上代の文獻に存する特殊の假名遣と當時の語法」の中にその一般を説明しておいた。
刊行委員附記(略)