「さふらふ」か「さうらふ」か

橋本進吉

       一

 漢字で「候」と書くソーローといふ語は、現今の正しい假名遣では「さふらふ」と書く事になつてゐるが、それは果して根據のあるものかどうか。この問題について少しく考へてみたい。

 まづ古來の假名遣書について見るに、定家假名遣といはれてゐる行阿の假名文字遣には、

さふらふ 侍候

とあり、契沖の和字正濫鈔には、

伺候  さふらふ

とあつて、定家假名遣も、契沖の歴史的假名遣も、共に「候」を「さふらふ」と書くのを正しいと認めてゐるやうに見える。然るに右の假名文字遣の例は版本では右の如くなつてゐるが、朱で濁點を加へた寫本(例へば家藏の明應四年寫本)によれば「さふらふ」の上の方の「ふ」に濁點があつて、「さふらふ」ではなく「さぶらふ」であり、正濫鈔も、右の項の下に、

萬葉にはさもらふとよめり。守の字を加へてかけり。日本紀に候風をかせさもらふとよめるは萬葉に風守りとよめるにおなし。然れはうかゝふに心おなし

と註してあつて、「うかがふ」の義を有する萬葉の「さもらふ」と同じ語と考へてゐたやうであり、又そのすぐ次に、

侍 さふらひ 上に准らふるにさもらひなり。主君のあたりに侍りて氣色をうかゝふものなる故に用の言を體にいひなせり

とあつて、「さぶらひ」と同じ語と見てゐるのであるから、これも、「さふらふ」とはあるが、實はソーローではなく「さぶらふ」であると思はれる。さすれば、假名文字遣も正濫鈔も、何れも「さぶらふ」の假名遣を示したもので、「さふらふ」即ちソーローの假名遣を示したものではないといふ事になるのである。

 もつとも、定家假名遣の流を汲む荒木田盛澂の類字假名遣には、

さふらふ 候 奉 日本紀 さふらへ 同右

とあつて、同書は濁音には濁點を附してあるのに、この語には濁點がない故、これはソーローの假名を示したもののやうに見えるが、そのすぐ次に、

さふらひようしたまふ 侍能仕給 源氏 さふらひ       侍 候  官人

とあつて、これにも濁點がないが、これはどうしても「さぶらひ」としか考へられないから、かやうな例を以て推せば、「さふらふ」に濁點がない故、必ず「サブロー」でなく「ソーロー」であると決定する事も出來ない。

 かやうに見て來れば、ソーローの假名遣は、定家假名遣でも、また契沖の假名遣でも、きまつてゐないといはなければならない。

 然るに、本居宣長は、漢字三音考の附録「音便の事」の條に

ト云音便…… ト云ハ()(ムカ)ヒウガ ()(ムノ)(ミネ)タウノミネ ()(ムケ)タウゲ 俗峠ト書 (サムラフ)サウラフ

と云つてゐるのであつて、ソーローをサラフとし、サラフのムが音便で と轉じたものと認めてゐるのである。契沖以來の歴史的假名遣では、音便の場合は、もとの音如何にかゝはらず、假名をかへて書く事になつてゐるのであるから、果して音便によつて出來た形であるとすれば、「さらふ」と書かなければならない事となるのである。現に大槻博士は言海に於ては、「さふらふ」といふ形で出して「さぶらふ、さむらふノ轉」と註されたが、大言海に於ては、「さうらふ」の形で出してゐられるのである(言海にも大言海にも、「さぶらふ」は別に出してある)。

 かやうにして、ソーローを「さふらふ」と書くべきであるといふ有力な根據はまだ見出されてをらず、却つて、「さうらふ」と書くべしとする説がある事が明かになつたのである。

       二

 ソーローといふ語は、その語義に於ても語形(音)に於ても、かなりの變遷を經て來た。知り得べき最古の語形は「さもらふ」であつて、萬葉集に「佐母良比」、「佐守布」、「佐毛良布」と書かれて居り、その意味は「うかがひまつ」の義が本義で、それが爲に伺又は候の字が宛てられ、命をうかがひまつ意から轉じて貴人の側に侍する義となつて之に對して侍の字が宛てられた。又侍する意味から更に轉じて「有り」「居り」を謙遜していふ意味にもなつた。平安朝に於ては、「うかがひまつ」の義は廢れたやうであるが、其他の意味は行はれ、なほ他の語に附屬して、對手に對する敬意を添へる用法も加はつた。さうして、この時代には語形も變化して「さぶらふ」となつたものと思はれる。それは類聚名義抄に、「祗候」「侍」の訓にサフラフとあつて、「サ」の左肩に一點、次の「フ」の左肩に二點を點じてあるのによつて明かである(一點は清音、二點は濁音の標示である)。この「サブラフ」の形は「サラフ」から直に出たものではなく、「サラフ」から「サラフ」となり更に「サラフ」となつたのであらう。モがムになつたやうな音變化は、奈良朝から平安朝にかけて類例があり(係の助詞「なも」が「なむ」となつたなど。又「曉」アカキ—アカキ、タキ—タキ、「何處」イヅ—イヅ、「白銅鏡」マカガミ—マカガミ、「申」マス—マスに於ける母音の變化も之と同種のものである)、更に奈良朝に於けるmが平安朝に於てbに變化した例も、「暫」シマシ—シバシ、「隱」ナマル—ナバル、「尿」ユマリ—ユバリ、「茨」ウマラ—ウバラ、「黍」キミ—キビ、「蛇」ヘミ—ヘビ、「皇」スメラギ—スベラギ、「守」マモル—マボル、「燈」トモス—トボス、「浴」アム—アブ、「虻」アム—アブなど甚多い。

 このサブラフといふ語は、平安朝の假名文には盛に用ゐられ鎌倉時代を經て室町時代までも口語に用ゐられたが、しかし、時代が下ると共にその使用範圍は甚だ狹くなつたのである。即ち、平家物語語り本によるに、平曲では、主として女の詞にのみ用ゐられ、謠曲に於ても殆ど婦人專用語となつてゐる。但し謠曲ではサローと發音してゐるが、假名では「さふらふ」と書いたものが多く、世阿彌自筆の松浦の能及び布留の能にも女の詞に各一つづつ例があるが、これも「サンザブラフ」とあるから、サブラフが本體で、假名通り發音してゐたのであらうと思はれる。さうして室町末期にはサブラフはもはや口語として用ゐられなかつた事は、耶蘇會教父の編した日葡辭書にこの語を特にS(即ち文語)と標して收めてゐる事によつて明かである。多分サブラフは、鎌倉時代から次第に上流社會、殊に女子の用ゐる丁寧な語となつて行き室町初期までは存したが、その後遂に滅びて、文語としてしか用ゐられなくなつたのであらう(この語に關しては吉澤博士の「國語國文の研究」所收の「ソウロウとサムロウ」といふ論文が有益である)。

       三

 かやうに「さぶらふ」の使用範圍が次第に狹くなつたのは、一方に於て「さふらふ」が盛に用ゐられる樣になつたからである。謠本では「候」の字は常にソーローと讀み、「侍ふ」「さふらふ」「さむらふ」はサムローと讀んで、ソーローと「さぶらふ」の系統に屬するサムローとの區別が文字の上にあらはれてゐるが、世阿彌自筆の松浦の能と布留の能にもサブラフは假名で書いてあるに對して、「候」と書いてあるのはソーローと讀んだものであらうと思はれる。この語は、謠曲では男の詞に廣く用ゐられたのみならず、女も亦之を用ゐてゐる。平曲に於ても、この語が「さぶらふ」よりも廣く用ゐられてゐる事は同樣である。この語は室町末期まで口語として命脈を保つてゐたが、しかし口語としてはだん/\用ゐられる事が少くなり、又短縮せられたソロといふ形が生じたのである。さうして後には遂に文語にしか用ゐられなくなつて今日にいたつた。

 「さふらふ」の現代の發音はソーローであるが、室町末期の西洋人が羅馬字で書いたものにはSŏŏと書いてある。當時は現代とは音の相違があり、現代のソーに當る音に開音と合音との二種があつて、西洋人は開音をsŏ、合音をsôと書いて區別してゐた。sŏは一般に古代のサウ又はサフから出たもの、sôは古代のソウ又はソフから出たものであるから、「さふらふ」の「さふ」の部分がsŏと書かれてゐるとすれば、それは、サウ又はサフから出たものと考へられる。さすれば、ソーローはもとサウラフか、さもなければサフラフといふ形であつたと考へなければならない。

 それでは、サウラフ又はサフラフの形は古代の文獻に見出されるかといふに、平安朝の假名文學には「さふらふ」と書いたものは、いくらも見られるが、これは、從來「さぶらふ」と考へられてゐるのであつて、清音と濁音との區別が文字の上にあらはれてゐないこれらの文獻に於ては清音か濁音かを決定する事は甚だ困難であるが、一方、「さぶらふ」から出て、後世までも「サブライ」又は「サムライ」と讀まれ「侍」と書かれてゐる語が、やはり、「さふらひ」と書かれてゐるのを見れば、之を「さぶらふ」でなく「サフラフ」であると斷定する事は勿論出來ない。又類聚名義抄に「伺」「候」「俟」「佇」「御」の訓にサフラフとあるが、これ等には聲點がなくして清濁の區別が明かでなく、「祗候」及び「侍」の訓のやうに聲點のあるものにはサフラフのサの次のフに濁點が附してあるのによれば、聲點のないサフラフの例も皆サブラフではあるまいかと思はれる。以後の文獻にも、假名で「さふらふ」と書いたものは多くあるが、たしかにサラフであつたと斷定すべきものはまだ見當らない。

 それではサ ラフの形はあるかといふに、これも、まだ確かなものには見出されない(まだ調査が不充分であるから、今後見出されるかも知れないが)。

 かやうに實例の上からサフラフかサウラフかを決定する事が出來ないとすれば、「さふらふ」の語源を考へその語形の由來を究めて之を決定するの外ない。

 「さふらふ」といふ語は室町時代以來漢字では「候」の字で書かれてゐるが、それ以前に於ても「候」の字で書かれてゐる語と同じ語であるにちがひない。この「候」は平安朝に於て盛に行はれた「侍り」に代つて院政時代から次第に多く用ゐられ、鎌倉時代には益〻多く行はれたのである。この語は、その語形から見ても意味用法から見ても、平安朝に多く用ゐられた「さぶらふ」と密接な關係あるものである事疑なく、その語形は、平安朝又は院政時代に於てはどんなであつたかまだ明かでないが、現在の語形から遡り得る古い形はサフラフかサウラフであるべき事前述の如くである。もしそれがサフラフであつたとすれば、それとサブラフとの關係は、サラフがサラフになつたか、サブラフの前にあつたと考へられるサラフがサラフになつたか、又はサムラフのもう一つ前の形のサラフがサラフになつたかの何れかでなければならない。即ち音韻化としては、ブ→フ、即ちb→Fか、ム→フ、即ちm→Fか、又はモ→フ、即ちmo→Fuかを假定しなければならないが、かやうな音變化は他に類例なく、實際あつたとは考へられない。

 それでは、「候」の語の古形がサウラフであつたとしたならばどうか、さすれば、サラフがサ ラフになつたか、サラフがサ ラフになつたか、サラフがサ ラフになつたかであつて、即ちブ→ウか、ム→ウ、モ→ウかの音變化を假定しなければならない。そのうち、モ→ウは他に例も無く、容易に認め難い。ブ→ウはそのまゝの例は見出しにくいが、ビ→ウの例は「商人」アキト→アキド、「高麗人」コマト→コマド、「飛びて」トテ→トデなどあつて、之に近い例と見る事が出來る。更にム→ウの例は、前に引用した宣長の漢字三音考にあるやうに「多武峯」タノミネ→タノミネ、「峠」タケ→タゲ、「日向」ヒカ→ヒガの外にも、「神戸」カベ→カベ、「將取」トラ→トラもあり、字音では古く「林檎」リゴ→リゴウ、「柑子」カシ→カジなどもある。又之に近い音變化としてはミ→ウの例は甚だ多い(「髮際」カギハ→カギハ、「疊紙」タタガミ→タタガミ、「守殿」カ→カウドノなど)。

 かやうに、サウラフの形は、サブラフから出たものとしても、又サムラフから出たものとしても説明する事が出來るのであるが、音變化としては、サラフがサラフになつたとするよりも、サラフがサラフになつたとする方が類例も多く一層都合がよいのであるが、サムラフといふ形は古代の文獻に明かに指摘する事は困難なやうであつて、唯、サモラフからサブラフになる前に、サムラフといふ形があつたと推定せられるばかりであるに對して、サブラフは平安朝に多く用ゐられ、サウラフは、一方平安朝に於ける「侍り」の代りとして用ゐられると共に、後にはサブラフの範圍をも犯して之に代つて用ゐられるやうになつたと思はれるのであつて、この點からすれば、サウラフをサブラフの後身とし、サブラフが變じてサウラフになつたと見た方が適當なやうに思はれる。その場合に、サラフからサラフへの音變化(ブ→ウ)は、之に近い例はあるけれども正しい類例はなく、こゝに多少難點はあるが、院政時代以後には、bとmとの音轉換の例は往々見られるから、サブラフのが一旦となつて更にと變化したかも知れず、又、「さふらふ」のやうに常に口語に用ゐられる語は語形がくづれ易いものであるから、普通多く見られないやうな音變化も起つたと考へる事も出來る。かやうな場合には、正しい類例はなくとも之に近い例があれば之を認めてよいのではあるまいか。これ等の點については、今後の考究に俟たなければならない。

 かやうに、「候」といふ語の古形がサウラフであつたと假定すれば、之と語源的に關係ありと認められるサブラフ又はサムラフとの關係が、とにかく、あり得べき音變化として解明し得られるのであるが、もしサフラフであつたとすれば、その間の音變化の説明に困難を生ずるのであるから、今直に文獻に實證し得られなくとも、ソーロー(候)はサウラフから出たものと推定してよいと思ふ。

 もし果して、候が古くサウラフであつたとすれば、この形が文獻に容易に見出されないのは何故であらうかといふに、想ふに、この語が常に用ゐられて、屡〻あらはれる爲に、假名文に於てさへ漢字で書くのを簡便とし、假名で書く事が稀であつたのが、その一つの原因であり、又、一つには、平安朝以後、語中の「う」は「ふ」と同音になつた爲、「さうらふ」も「さふらふ」と同音に歸し、清濁を分たないのを常とする假名書に於ては、サブラフを寫した「さふらふ」が、サブラフがサウラフとかはつた後もそのまゝサウラウと讀み得るやうになつた爲、やはり「さふらふ」と書く事多く、「さうらふ」といふ形はあまり用ゐなかつたので、その爲文獻には見出しにくいのではあるまいかと思はれる。

       四

 以上論じた所によれば、ソーローのソーは、サモラフから出たサムラフのサム又はサブラフのサブから音變化の結果生じたサウから出たものと考へられる。かやうに、ム又はブからウに轉じたのは、所謂音便であつて、契沖のはじめた歴史的假名遣では音便は轉じた音に隨つて書く事になつてゐる故、これは「さふらふ」ではなく「さうらふ」と書くのが正しいといはなければならない。平安朝以後にこの語を「さふらふ」と書いたものがあるかも知れないが、それは「さうらふ」と同音である爲であつて、「ゆゑ(故)」を「ゆへ」と書き、「むくい」(報)を「むくゐ」と書いたと同樣であつて、證とするには足らないのである。

 それでは、どうして「さふらふ」を正しいとするやうになつたかといふに、多分サブラフの假名として假名遣書に擧げた「さふらふ」を、ソーローの假名と誤認した爲であらうと思はれる。大槻博士が言海では「さふらふ」の形を認めながら、大言海に於て「さうらふ」の形を認められたのは、その理由は説明してないが、多分、その語源を考へるに當つて、「さもらふ」「さむらふ」「さぶらふ」からサラフの形を説明する事の不可能である事に氣付かれたからであらう。但し、なほ「さふらふ」の項を存して「次條ノ語ニ同ジ。音便ニさうらふ」と註されたのは、まだ不徹底である(次條の語といふのは「さぶらふ」である)。

 私は數年前、はじめて「さふらふ」の假名遣について疑を懷き、爾來その研究を心がけてゐるが、まだ調査も不十分であり、今後の研究に俟つべきものが多いにもかゝはらず、この機會に敢て卑見を公にするのは、一の問題として世に提出して、識者の教を仰ぎたいからである。

底本:「文字及び假名遣の研究」、岩波書店
   昭和45年01月31日(改版)