語義の解釋と文意の解釋

橋本進吉

 私は、萬葉集に屡見えてゐる一種の「ずば」(例へば「かくばかり戀ひつゝあらずば高山の磐根し枕きて死なましものを」の類)を、本居宣長の詞玉緒以來「んよりは」の意味と解してゐたのを誤であるとし、それは語形に於ては「ずば」でなくて「ずは」であり、打消の助動詞「ず」の連用形に助詞の「は」が附いたもので、「ずして」といふやうな意味で下に續いて行くものである事を論じて本誌に載せた事がある。(大正十四年一月號所載「奈良朝語法研究の中から」)この私の説は、その後多くの萬葉研究家や國語學者に採用せられる榮を得たが、しかし、猶舊説を棄てかねてゐられる方々もあるやうである。それは、宣長の解がいかにも巧みであつて、あらゆる場合に適切にあてはまるからであらうと思はれる。私はかねてかやうな事があるかも知れないと考へたので、前掲の論文中に、宣長の説は、歌全體の意趣を示すものとしては必しも捨て難い點があるにも拘らず、「ずば」といふ語に「んよりは」の意味があるとするのは斷じて誤である事を説いておいたのである。

 かやうに、宣長の説は「ずば」の語釋としては許す事が出來ないに拘らず、なほ、文全體の意味の解説としては採るべき點があるは、どうしたわけであらうか。

 一つの文の意味は、文中の個々の語(及び文法形式)の意味に基づいて解釋せらるべきものである故、まづ個々の語の意味が明にせらるべきは言ふまでもない。尤も、一つの文は或一つの事柄を言ひ表はしてゐるものであり、文中の語は、その中の或部分を表現してゐるものである故に、文中に於ける語の意味は文全體の意味に制せられて多少の變化を示してゐる事は事實であるが、しかし、語にはその語固有の一般的意味があつて、それが根幹となり、場合に應じて、之に多少の具體化や特殊化が加はつて、種々の文に於て用ゐられるのである。普通、語義といふのは、かやうなその語固有の一般的意味をさしていふのである。それ故、語義を明かにするには、或一つの文、又は同種の文に於てその語が如何なる意味を表はすかを見るだけでなく、ひろく種々の文に於ける用例からしてその語の根幹たる意味を歸納しなければならないのである。さうでなければ、その一つの文、又はその或種の文に於けるその語の特殊化した意味又は偶有的意味の加はつた意味を以て、その語固有の一般的意味と誤解する虞があるからである。

 實際、文獻によつて過去の言語を研究するに當つては、語の實例が乏しい爲に、まづその語を含む文全體の意味を推測して、それからして語の意味を考へなければならない場合も少くないが、これはかなり危險を含む方法であつて、たとひ文全體としての意味の把捉が大體正しい場合でも、それから導かれた語義の解釋は時として誤を含む事がある事は避け難い事である。

 或る文の意味は、之を構成する語及び文法形式の意味によつてきまるものではあるが、實際に於ては、その中の一つや二つの語の意味が不明であつても、全體の意味が推察出來ないとは限らない事は、我々の日常經驗する所である。殊に前述の「ずは」の例の如く、「ずは」の前後の語句の意味が明かであり、しかも同樣な例が多くあつて、前と後との語句の間の意味上の關係が何れも同樣であると考へられるやうな場合には、全文の大體の意味を推察する事はさほど困難でない。宣長が右の諸例に於て「……せんよりは」又は「寧」といふやうな意味があると考へたのは、多分右のやうな徑路によつたのであらう。しかしながら、かやうな方法は、主として研究者の直觀に基づくものであつて、必ずしも常に正しい結果を得るとは限らないものであり、かやうにして得た思考は新な討究の途を發くものとはなり得ようが、直に研究の結論とはなし難いものである。宣長が推定した上述の意味は、嚴格に言へば正しくなかつたけれども、それでも歌全體の意趣を明かにした所があつて、文意の解釋としては採るべき點があるのは、主として宣長の勝れた直覺の力によるのである。しかし、かやうな意味は、文中前後の語句の關係からして自然にあらはれて來たものであつたのを、宣長は直に「ずば」の意味であると解し、「ずば」の語形及び語義を檢討して、「ずば」にかやうな意味があると解する事が果して可能であるかどうかをたしかめなかつた所に、宣長説の缺陷があつたのである。

 右の「ずは」については他日もう少し委しく論じたいとおもつてゐるが、語義の解釋と文意の解釋との違ひについて、之に似た猶一つの例を、やはり宣長の詞玉緒から擧げておきたい。

 同書卷四、「何」の條の中(三十八丁裏)に、「一つの何」と標して、左の例が出てゐる。

 古十四   みちのくの忍ぶもぢずりたれゆゑにみだれんと思ふ我ならなくに

 同     津の國のなにおもはず山しろのとはに逢見んことをのみこそ

 同二十   みちのくはいづくあれど鹽がまの浦こぐ船のつなでかなしも

 萬八    いづくなきもしにけん郭公わぎへの里にけふのみぞなく

 同十七   梅花いつをらじといとはねどさきのさかりは惜き物なり

之について左の説明がある。

此格は、そのさしていふ物に對へて、それならぬ他の物をといふ也。古今十四の哥は、思ふ人に對へて、其他の人をたれといへり。君をおきて他の人故にみだれんと思ふ我ならなくに也。又なには思はずは、とはに逢見ん事をのみこそ思へ、其他の事は思はず也。いづくはあれどは、他の所はあれどなり。いづくにはなきもしにけんは、他の所にはなきもしにけん也。いつはをらじと思はねどは、他の時はをらじと思はねどなり。

 これは「何」即ち疑問詞の一種の用法として擧げたものであるが、これ等の歌の「たれ」「なに」「いづく」「いつ」の類を、さしていふ物に對して、それ以外のものをいふと釋してゐるのである。さうして、一々の歌の解を見るに、何れも當つてゐるのであつて、非難すべき餘地はないやうである。しかしながら、それは、これ等の歌全體としての解釋であつて、もし、「たれ」といふ語に「他の人」の義があり、「なに」に「其他の事」、「いづく」に「他の所」、「いつ」に「他の時」といふ意味があると解するのであるならば、即ちこれ等の諸語の語義の問題であるならば、右の解は誤であるといはなければならない。それでは、これを如何に解釋すべきかといふに、口語で、「誰來ない」「何思はない」「何處でもある」「何時でも來る」又は「誰來る」「何かある」「何處にゐる」「何時知れる」のやうに疑問詞に「も」「でも」又は「か」の助詞を附けて不定の意味に用ゐる事があるが、古代語では、かやうな助詞を附けないでも不定の意味に用ゐた事は、宣長も、玉緒の前掲の條のすぐ前に「と受る意にてもじなき格」と題して、「今いくか(モ)春しなければ」「いつとくべしと(モ)見えぬ君かな」「のつみ(モ)なき世をや恨みん」其他の例を擧げてゐる通りである。問題の諸例も、亦この類に屬するものであつて、「みちのくの」は「誰故に亂れようと思ふ私ではない(君故にのみ亂れるのだ)」の意、「津の國の」は「何思ひはしない。唯永久に逢ひ見る事をのみおもふ」の意、「みちのくは」は「陸奧は何處でも(面白い所は)ありはするが」の意、「いづくには」は「何處には鳴きもしたらう」の意、「梅花」は「何時は折るまいといつて厭ふことはしないが」の意である。即ちこれ等の疑問詞の用法及び意義は、これ等の歌にのみ限られたものではなく、その他のものと同樣である。唯、これ等の歌に於ては、この疑問詞を用ゐた句又は文は、或一事を強調する手段として用ゐられたものである爲に、自然に「他の人」「其他の物」などと解してもよいやうになつてゐるだけである。それ故、宣長の解釋は、歌全體の意味を明かにする爲には許してもよく、場合によつては適切な解釋であるともいはれようが、もし、語の解釋とするならば、斷じて許すことは出來ないのである。

 かやうに語義の解釋と文意の解釋との間には區別があるのであるが、この二つの合致する所に正確にして信憑するに足る解釋が生れるのである。

底本:「上代語の研究」、岩波書店
   昭和26年10月10日