國語に於ける鼻母音

橋本進吉

 東北方言の著しい特徴の一つとして世に知られてゐるのは、音が鼻にかゝるといふ事である。鼻にかゝるといふのは、素人の常識的な觀察に過ぎないが、近年方言研究の進歩によつて、その本質が闡明せられ、いかなる場合にこの現象が起るかも知られるやうになつた。即ち、これは母音の鼻音化(母音を發音する際に、氣息を口の方へ出すと同時に鼻の方へも出して音を鼻へも響かせる事)であつて、濁音の前に來る母音に現はれるのが通則である。東北方言では他の多くの方言に於ける清音を濁音に發音する事があるが、さやうな濁音の前には現はれず、他の方言に於ても濁音に發音するものの前に現はれるのである。かやうな鼻音化した母音即ち鼻母音は、土佐方言にもあるのであつて、土佐では、ガ行音とダ行音との前に規則的に現はれる(音聲學協會々報第二十三號、服部四郎氏「土佐方言の發音について」參照)。東北地方の鼻母音は、ガ行ダ行のみならず、ザ行バ行の前にもあらはれ、時として次に來るべき濁音を清音化する事さへもあり、又、土佐方言のガ行子音は、東京語の語頭にあらはれるやうなɡ音であり、東北地方のガ行子音は、東京語の語中語尾にあらはれるやうな鼻音のŋ(ng)であつて、多少その條件に相違があり、且つ土佐の鼻母音は東北ほど鼻音化が甚しくないやうであるが、東北と土佐とのやうな、相隔たつた地方に、大體相似た條件の下に同樣の現象があらはれるのは甚不思議な事であつて、古い時代に於て廣い範圍に行はれた現象が、たま/\遠隔の地に殘存するのではないかを疑はしめる。

 しかるに、室町末期に我が國に在留した耶蘇會教父の一人なるロドリゲスJo\~{a}o Rodriguezの作つた日本語典(Arte da lingoa de Iapam. 一六〇四—八年長崎版)を見ると「或特別の音節を如何に發音すべきかの方法について」と題する章(同書一七七丁裏)の中に第三則として「DDzGの前の母音について」と標して

DDzGの前のあらゆる母音は、常に、半分のtil(葡萄牙語に於ける鼻音化の符號である〜)あるもの、又は、tilに幾分近い、鼻の中で作られるsosonante(反語(アイロニー)をあらはす演説上の調子)の如く發音する。例、m\~{a}da, m\'id\v{o}, m\'adoi, n\~{a}dame, n\~{a}dete, n\'ido, m\~{a}dzu, \~{a}giuai, \'aguru, \'agaqu, c\'aga, f\'anaf\'ada, f\'agama, 等

とあつて、DDzGの前の母音の鼻音化する事を擧げてゐるが、DDzGではじまる音節は、ダヂヅデド、ガギグゲゴ及びヂャヂュヂョギャギュギョゲウ等であつて、ことごとくカ行タ行の濁音である。又右の文に引續いて

この同じ規則は、主としてFが重つてBに變じた場合に於て、Bの前の母音Aにも時にあてはまる。しかしこれは一般的ではない。例、Mairi sorofaba.

とあつて、Bの前の母音にも時として鼻音化が生ずる事を述べてゐる。

 右の鼻音化は、あまり著しくなかつた事は、半分のtilと言つてゐる事でも知られるが、同書中の「アクセント及び發音の誤」と題して西洋人が日本語を發音する際、特に注意すべき事項を述べた條(一七二丁裏)の中にも

又、下に發音法の條に述べるやうに、或語は必要な半分のtil又はsosonanteの代りに、N又は明瞭なtilを置いてはならない。例へば、T\`oga varer\`aga, N\`agasaquiの代りにTonga, Vareranga, Nangasaqui, など言ふやうに。

とあるによつて明かである。さうして、この鼻音化の符號は、當時の葡萄牙の耶蘇會士の間に用ゐられた日本語の羅馬字綴には、全く附せられて居ない。それほど、この現象は規則的であつたのである。

 ロドリゲスの語典に説く所の母音鼻音化の現象は、その音の性質に於ても、そのあらはれる場合に於ても、現今の土佐方言に於けると殆全く同一である。しかも、ロドリゲスの語典に説く所の發音は、決して一地方の方言的發音ではなく、主として都の發音に基づく當時の標準的發音であつた事は、ロ氏が日本語に精通してゐた事、語典中に發音は都及び近畿地方のものを以て模範とすべき事を説き、方言的發音及び語法を特に擧げて、之を避くべき事を説いてゐるによつても推知する事が出來る。さうしてこの發音は、近畿地方のみならず、他の諸國にも行はれてゐたらしく、同書に、備前の方言について特に次の如く述べてゐる。

半分のtilを以て發音するgの前の母音を發音するのに、之(til)を捨てゝ粗く發音する。例へば、T\'ogaのかはりにToga, Soregaxiなどいふ。さうして、この發音によつて、備前の人々は世に知られてゐる。(一七〇丁裏、「或國々に固有な言葉と發音の誤謬について」の章の中、備前の條)

 これによつて觀れば、當時我が國に來た歐洲人が、長崎をNa\b{n}gasaqui平戸をFira\b{n}do關白殿をQuambacu\b{n}donoと書いたのも偶然でない事が知られる。

 濁音の前の母音鼻音化の現象が、古く我が國に存した事は、右の西洋人の記録以外にはまだ見出されず、假名で日本語を書いたものにも全くあらはれて居ない。けれども、それ故、古くはこの音が無かつたとは決して斷定する事は出來ない。假名による寫語法は、かなり便宜的なものであつて、定まつた條件の下にあらはれる音の變異の如きは、書き表はさないのが常であるからである。我々は、右のロ氏の語典を根據として、室町末期に近畿、其他の國々に右のやうな鼻母音があつた事を信じてよからうと思ふ。さすれば、その音は、何時からあらはれたか、又その後どうなつて行つたかゞ國語音聲史上の一問題となるのであるが、上代に於て、ユミケ(弓削)がユゲとなり、ユミツカ(弓束)がユヅカとなり、ユミツル(弓弦)がユヅルとなり、カミサシ(插頭)がカザシとなり、シモツエ(下つ枝)がシヅエとなつたやうな例は、ミやモのやうな鼻音を含む音節が無くなつて、下の音が濁音になつたとするよりも、yumike→yumke→yumge→y\~{u}geの如く、鼻音の要素が、次の音を有聲化して濁音とすると共に、その前の母音を鼻音化させたと解する方が自然であり、また、平安朝以後に存する打消の「で」(「行かで」「思はで」などの「で」)も、その前の母音に鼻音化があつたとすれば、もと、そこに打消の助動詞「な」「に」「ぬ」「ね」などに存するn音を含むものがあつた事を想定するに都合がよいから、この鼻母音の存在は或は存外古いものかも知れない。又、平曲の語り方にタヾイマ(唯今)をタンダイマと發音し、フダン(不斷)をフンダンと發音する事のあるのも、ダの前の母音が鼻音化してゐたとすれば、容易く説明せられるのであり、又語中語尾のガ行子音が方言によつて鼻音になつてゐるのも、その前の母音の鼻音化の影響を受けたものと解してよいかも知れない。

 この鼻母音が室町時代以後どうなつたかは、まだ不明であつて、今後の研究に俟たなければならないが、有賀長伯の説を筆記した以敬齋口語聞書(寫本一冊、帝國圖書館藏)に、「ず」「づ」「じ」「ぢ」の發音の區別を説いた條に、

すつしちの假名を濁るに、つとちとはつめて出し鼻へかけて濁る。しとすとは、つめず鼻へかけずして濁る也。たとへば藤はふぢのかななるゆへ、下のちをつめて鼻へかけて濁れば、ふんちと出しはねるやうに聞ゆる也。富士はふじのかなにて、となへは同じやうなれども、下はしなるゆへ、つめず鼻へもかけず、常のごとくに濁る也。水はみづのかななるゆへ、下のつをつめて鼻へかけ濁れば、みんつと出しはねるやうに聞ゆる也。不見はみずのかなにて、となへは同じやうなれども、下はすなるゆへ、つめず鼻へかけず、常のごとくに濁る也。何にても、すつしちのかなをにごる時は、惣じて此格例に心得べし。

とあつて、「ち」「つ」の濁音を、つめて鼻へかけると説いて居る。「つめる」とは舌の先を上顎にあてゝ閉鎖を作る事であつて、「ち」「つ」の最初の子音dの發音の説明としては至當であるが、鼻へかけるといふのは、濁音の前の母音が鼻音化する習慣があつた爲ではあるまいかとも考へられるのであつて、元祿享保頃の京都方言に、猶鼻母音があつたかを疑はせる一資料である。

 更に、記録の上にあらはれてゐる昔の鼻母音と現代方言との關係について見るに、上述の如くこの鼻母音が室町末期に於てかなり廣く諸方に行はれてゐたものであるとすれば、種々の條件に於て室町末期のものと合致する土佐方言に於ける鼻母音は勿論、それよりも用ゐられる場合のもつと廣い東北方言の鼻母音も、決してこれとは無關係のものでなく、共に古い時代の國語の發音を存してゐるものらしく、或は東北方言の方が、一層古い時代の状態を多く殘してゐるものかも知れない。それはともかく、室町末期まで、近畿方言ばかりでなく、他の多くの地方にもあつたとおもはれるこの鼻母音が、果して今日土佐方言及び東北方言にのみ存するのであらうか。猶他の地方にもあるのではあるまいか。室町末期に、京畿地方は固より、關東を除く多くの地方を通じて「せ」「ぜ」の假名の標準的發音であつたシェジェの音は、當時の耶蘇會士の書いた羅馬字綴に常にxejeと書かれて居り、寶生流の謠曲や大藏流の狂言の發音に今日までも巖重に守られてゐるばかりでなく、現代の方言に於ても九州や東北や出雲に行はれ、猶よく注意すれば近畿地方にも、時に耳にする事があるが、動もすれば、我々の注意を逸しようとする虞がある。右の母音の鼻音化もその著しくないものは、鋭敏で熟練した耳でなければ之を捉へる事が出來ない場合が少くない。土佐や東北以外の方言に於て、かやうな鼻母音の存する事を聞かないのは、實際無いのではなく、研究者の注意を逸してゐるのではあるまいか。とにかく、濁音の前の鼻母音の問題は國語音聲史上の興味ある研究問題であると共に、現代方言の研究調査の上にも特に心を用ゐなければならない事項であつて、或はこの方面から歴史的研究に新しい光を投ずる事があるかも知れない。

追記 江戸時代の濁音の前の鼻母音に關する參考資料として以敬齋口語聞書を引いておいたが、蜆縮凉鼓集(元祿八年成同年刊)の凡例にも同樣なことが見えてゐる。

此四音(ジヂズヅ)を言習ふべき呼法の事、齒音のさしすせそ、是は舌頭中に居て上顎に(つか)ず。舌音のたちつてと、是は舌頭を上顎に付てよぶ也。先これを能心得て味はふべし。扨濁るといふも、其氣息の始を鼻へ洩すばかりにて齒と舌とに替る事はなき也。故に此音を濁る時にも亦前のごとくに呼ぶべし。即じぢとずづとの別るゝ事は、自だでどとざぜぞの異なるがごとくに言分らるゝ也。次にはぬる音には、必舌の本を喉の奧上顎の根に付、息をつめ聲を鼻へ泄す也。

とある。この書の著者は、發音法については、かなり正しい觀察をしてゐるのであるから、濁音は氣息の始を鼻へ洩すといつてゐるのは、實際の言語に於て、濁音が語中又は語尾にある時、その前の母音が鼻音化して氣息を鼻へ漏すから來たのではあるまいかとおもはれる。

底本:「國語音韻の研究」、岩波書店
   昭和25年08月25日