うつくしいことばかりわかって
人のたくらみはわかるな
わたしよ
でないと つかれてしまふぞ
しきりに
わらへる日は
あたまが
くらくらする日だ
すこし死ねば
すこしうつくしい
たくさん死ねば
せかいは
たくさんうつくしい
ひとつの
ひかりをみいだしたとき
わたしのうちの
ひとつのひかりは死ぬる
おのれのごとく
ひとをゆるしたい
人のきもちがわかりすぎる
だから 気がくじけたしまふ
たとへそうであっても
つよければいいのだが
よわいから すすんでゆけない
わたしは
キリストをしんずる
しかしながら
わたし自らが
乞食のようになって
それでうれしい日がくるまでは
たからかにさけべない
桃子は
おちいたぱ! おちいたぱ!
そういって お月さんにむちゆうだ
ほんとうにうれしそうだ
ほんとうにうらしいのだらうか
もしそうなら
わたしは
どんなものもなげだして
桃子の
さがしたってないんだ
じぶんが
くうっと熱がたかまったゆくほかはない
じぶんのからだをもやして
あたりをあかるくするほかはない
人が何と言ってもかまわぬ
どの本に何と書いてあってもかまわぬ
聖書にどう書いてあってさへもかまわぬ
自分はもっと上をつかもう
信仰以外から信仰を解くまい
もえなければ
かがやかない
かがやかなければ
あたりはうつくしくはない
わたしが死ななければ
せかいはうつくしくはない
竹のはやしには
ふるい たけもあり
しなしなと
あたらしいたけのこののびたのもあり
つまらない日でも
この
たけばやしは いい
桃子の目はすんで
まっすぐにものを視る
羨しくってしかたが無い
ゆふぐれの
三人の
ななめの
みてゐれば なきたい
死をおもひ
死をおもひて
こころはじめておどる
とかす
それがすべてだ
その日がきたら
この川のいまのながれと
すべての詩と
ともにおぼえられてはゐない
あめあがり
森をのぞいたらば
松が くろく
ひよろながいのに おどろいた
わたしは
死をいつももつ
桃子は
金魚のことを
「ちん とん」といふ
ほんものの金魚より
もっと金魚らしくいふ
神さまがおいでなさるとかんがへた
むかしのひとは えらい
ひとつの気持ちをもっていて
暖かくなったので
梅の花がさいた
その気持ちがそのままよい香りにもなるのだろう
麦が しげってきた
ふかくふかくなりまさってゆく
そのむぎをみるこころを
なんといわうぞ
こどもでも
おんぶしてこなければ
とてもたまらない きもちだ
はるの水は
あめにぬれて
きんいろに ながれる
あたらしい
やなぎの 芽は
うっとりとみてる
くぬ木ばやしに
限られた
ふるい 牧場のすみに ねころんで
よいことばかりかんがへてた
いってしまいたい
いってしまいたい
たかく
行きたい
また
なんにもかも
つまらなく
なりはじめたぞ
みどり
ばっかりの
原っぱ は
うごくようだ
野に すわれば
なみだがわく
まつの
はやしへ はいると
くらくらする
桐のはなを
おもへ、
死にたい日
ちいさい
むしの羽おとなのか
しめりあがりの
土のかわくせいか
はらっぱにゐると
ちい ちい といふ
きりの
あさは
おもひでの
むねせまるひとみ
蛇なんか
おっかないから
草はらへ
はいりこまなかった
ただ
ひろく
みわたしてゐた
ちさい野よ
わたしの
ぜつぼうをいるるには
あまりにちさい野よ
ないたとてだめだ、
いきどほったとてだめだ、
死よ 死よ
ほんとうにしづかなものは
死ばかりである
ああちやん!
むやみと
はらっぱをあるきながら
ああちやん、と
よんでみた、
こひびとの名でもない
ははの名でもない
だれのでもない
わたしの
おしやべりは
だまってゐると
おそろしくなるからです
さて
あかんぼは
なぜ あん あん あん あん なくんだらうか
ほんとに
うるせいよ
あん あん あん あん
あん あん あん あん
うるさか ないよ
うるさか ないよ
よんでるんだよ
かみさまをよんでるんだよ
みんまもよびなよ
あんなに しつっこくよびな
すこし
ゆふぐれ、
らっきようばたけは
しづかな 湖のようだ
つばねのはえた
松の
なにもかも
すいすいとしてゐるから
きもちまで
すいすいとしてくる
もうすこし
心をやしなへば
この
あかいゆう陽を
のこらず
うれしむことができるだろう
もくもくしたはるの日だ、
ひろく
原っぱのすえを
白木のそ塔婆をかついで
きたない
あかんぼをしよった女がゆく
おこったようにはやくゆく
斜面といふものは
うらしかったり
かなしかったりする
ななめの
うらしくかなしい
ふとかんがへると
いままで
ぐんぐんと ひたおしに
生きねばならぬ
生きねばならぬと やってきたのだった、
そんなら、死んだら、
そうおもってみたら
おもたいものが とけていった
山にもあき
野にもあき
人にもあきてしまったら
どうしよう
まつ山のなかへ
はいりこむと
あたまがふらふらしてくる
まつかぜは
きこえなくなったり
きこえてきたりする
あさ、
つゆをみると
むねが ふるえる
まつの
はやしへはいりこんで
ほそいみちを よねんなくあるくと
気がとほくなるようだ
おもひが
みだれた日にもいい
きらいな
こころの日はなほいい
野にゆけば
こころはおどる
からだはつかれる
おもふこと
世にいれられるときは
わが児のかほがみえてくる
詩さへもはかない
これもすてよう
こうおもへばかるやかだ
ああいへば
ああこたへ
そういへば
そうこたへ
べつなことを
かんがへてゐるさびしさ
あまりに
人のこころが
みえすいたようでくるしい