詩稿「赤つちの土手」

八木重吉

 あかつちの
 くづれた土手をみれば
 たくさんの
 木のねっこがさがってた
 いきをのんでとほった

 おほきな
 沼をみた
 そのこころは
 しづかに生きてゆく、
 つなり死なないんだ

 あらゆる
 こころの(すがた)よ、去れ、
 むなしくてあれ、
 その日 木をみることがうれしいだろう

 しどめの花は
 かんざしににている
 いい花だ

 うたは
 絵よりうれしい
 なぜならば
 うたのこころは かすかである

 ひにくなこころと
 いかれるこころと
 ふたつとかして
 ただうつくしく
 しずかにながれたい

 妻がいそいそと
 こころをつくしてくれる日は
 かなしみさへが、すんでくる

 すべて
 もののすえはいい、
 竹にしろ
 けやきにしろ
 そのすえが 空にきえるあたり
 ひどくしづかだ

 机のうへの八重つばきが
 ()()()()の古びんにささってる
 いい花だ

どきん、どっきん、といふ 心臓

 あをむけに
 はらっぱへねたら
 心ぞうの()()()
 土のこどうだとおもわれてきた
 どきん、どっきん、とやってくる

竹林

 竹のはやしへきて
 泣くものはよもやあるまい

 かなしい日と
 ものうい日は
 たべもののことをかんがへる

ほほえみとなれ

 このこころが
 とけいだす日があるなら
 ほほえみとなれ

 すこし
 したばらのいたむ夕がた
 うまそうだから
 ぶそういりのぱんをくってみた、
 こどものくひのこしたぱんだ

かすかなもの

 かすかなものはいい
 つばきは
 あかいけど
 きもちがかすかだからうれしい

 しようことなしに
 草のはえたところへきて
 ねころんだのは
 これはむかしのくせだったがなあ

 ほんとうをいへば
 だれにもあたまをさげたくない
 あいさつもしたくない
 みんながうそだから

早春小景

 ふるい牧場のはてに
 かすかに眼ぐんだ雑木がならんでゐる、
 ふくらみのあるつらなりである、
 ぬくい空気も気稟がある

 ちってゆくのをみたら
 けふはじめて
 さくらがさいてゐたことを
 つうせつにかんじた

 もうすこうしで
 こぼれそうな
 なきたくてなくたくって
 しかたないこころだ
 わたしの
 なきたいこころよ

 妻よ
 あなたの幸福のみちは
 わたしの妻であるかぎりこれひとつである、
 わたしをみつめなさい、
 ただそれだけなのだ

 妻よ
 さひわひをもとむるなら
 わたしのかなしむ日に
 あなたのすべてを
 かなしみとしてしまひなさい
 わたしがよろこぶ日
 あなたのにくたいとこころの
 あらゆるものをよろこびとしてしまいなさい

 妻よ
 わらひこけてゐる日でも
 わたしの泪をかんじてくれ
 いきどほってゐる日でも
 わたしのあたたかみをかんじてくれ

ひとを怒る日

 ひとをいかる日
 われも
 (しかばね)のごとく()いるなり

 なにゆえぞ
 わがこころに
 いかりといふもののわく、
 いかるときは
 みづからのにくたいすら
 (しかばね)のごとくこんこんとくちてゆくなり

 『ぼくは
 天文学者になる
 そして 星のことをけんきゆうするんだ、
 そして 巨きな家をたてて
 うんと親孝行をするんだ』
 くちびるのまっ赤な
 おんなのような少年がいった
 わたしのこころはかるくもあった
 はづかしくもあった

 どこまでも
 つづくといふことのよろしさ
 この松のはやしのうれしら

 ちからのかぎり
 こんかぎりやっても
 いい人間になるのはむづかしい、
 こう
 のっぴきならず
 かんがへてきた、
 ふだんはそうでもないが
 おっかさんにあったときなんか
 たまらなくなる

 うつくしく
 生きたいものだ

 むかし
 海をこがれた日は
 海にきてしつぼうした、
 けふ、野にきたらば、
 海のこころまでもかんずる

けやき

 けやきはいい、
 したのほうもいいが
 こずえが
 ひろがって 空にきえるあたり
 なんともいえずしずかだ

 つかまへどころもなく
 かなしげなうれしさ、
 わたしはいま
 高原を ひたすらに
 あかんぼの乳母ぐるまを押してゆく

 松のはやしと
 くぬぎの丘とにはさまれて
 せまいたんぼがある、
 ぬくい日だ

 いい丘だ、
 まるで
 高原のようだ、
 しようべんをしたらば
 枯れ草にあたって
 きもちよいあわがふくらんでいったよ

 雑木ばやしがある、
 芽ぐんできた、な
 まるで
 ひろひものでもしたようにうれしい

悲しみ

 かなしみは
 ひとつの肉たいをもっている、
 もしも  
 かなしみがきえるものなら  
 この原っぱににころんでゐたら  
 肉たいのままできえてゆくだらう  
 ここはすきだ

 丘のうへの
 はたけへきて
 えんどうまめのはながさいた
 そのにほいをかぐものはさひわひである

 むぎばたきが
 丘のうへにあったらば
 ちっとばかりのびた
 むぎをかぐひとはさひわひである、
 ぬくい日ならば、な、

ほそい松

 松ばやしの
 ほそいまつは
 かぜがふくと
 たがひちがひにゆれる