若菜集



   こゝろなきうたのしらべは
   ひとふさのぶだうのごとし
   なさけあるてにもつまれて
   あたゝかきさけとなるらむ

   ぶだうだなふかくかゝれる
   むらさきのそれにあらねど
   こゝろあるひとのなさけに
   かげにおくふさのみつよつ

   そはうたのわかきゆゑなり
   あぢはひもいろもあさくて
   おほかたはかみてすつべき
   うたゝねのゆめのそらごと


明治二十九年の秋より三十年の春へかけてこゝろみし根無草の色も香もなきをとりあつめて若菜集とはいふなり、このふみの世にいづべき日は青葉のかげ深きころになりぬとも、そは自然のうへにこそあれ、吾歌はまだ萌出しまゝの若菜なるをや。


  おえふ

処女(をとめ)()ぬるおほかたの
われは夢路(ゆめぢ)を越えてけり
わが世の坂にふりかへり
いく山河(やまかは)をながむれば

(しづか)なる江戸川の
ながれの岸にうまれいで
岸の桜の花影に
われは処女(をとめ)となりにけり

都鳥(みやこどり)浮く大川に
流れてそゝぐ川添(かはぞひ)
白菫(しろすみれ)さく若草に
夢多かりし吾身かな

雲むらさきの九重(こゝのへ)
大宮内につかへして
清涼殿の春の夜の
月の光に照らされつ

雲を(ちりば)(なみ)()
霞をうかべ日をまねく
玉の(うてな)欄干(おばしま)
かゝるゆふべの春の雨

さばかり高き人の世の
耀(かゞや)くさまを目にも見て
ときめきたまふさま/゛\の
ひとのころもの()をかげり

きらめき()むる暁星(あかぼし)
あしたの空に動くごと
あたりの光きゆるまで
さかえの人のさまも見き

(あま)つみそらを渡る日の
影かたぶけるごとくにて
名の夕暮に消えて行く
(ひい)でし人の末路(はて)も見き

春しづかなる御園生(みそのふ)
花に隠れて人を()
秋のひかりの窓に()
夕雲とほき友を()

ひとりの姉をうしなひて
大宮内の(かど)を出で
けふ江戸川に来て見れば
秋はさみしきながめかな

桜の霜葉(しもは)黄に落ちて
ゆきてかへらぬ江戸川や
流れゆく水(しづか)にて
あゆみは遅きわがおもひ

おのれも知らず世を()れば
若き命に堪へかねて
岸のほとりの草を()
微笑(ほゝゑ)みて泣く吾身(わがみ)かな


  おきぬ

みそらをかける猛鷲(あらわし)
人の処女(をとめ)の身に落ちて
花の姿に宿かれば
風雨(あらし)(かわ)き雲に()
天翔(あまかけ)るべき(すべ)をのみ
願ふ心のなかれとて
黒髪長き吾身こそ
うまれながらの盲目(めしひ)なれ

芙蓉(ふよう)(さき)の身とすれば
(なみだ)は秋の花の露
小琴(をごと)を前の身とすれば
(うれひ)は細き糸の音
いま前の世は鷲の身の
処女にあまる羽翼(つばさ)かな

あゝあるときは吾心
あらゆるものをなげうちて
世はあぢきなき浅茅生(あさぢふ)
茂れる宿と思ひなし
身は(すべ)もなき蟋蟀(こほろぎ)
(よる)野草(のぐさ)にはひめぐり
たゞいたづらに()をたてゝ
うたをうたふと思ふかな

色にわが身をあたふれば
処女のこゝろ鳥となり
恋に心をあたふれば
鳥の姿は処女にて
処女ながらも空の鳥
猛鷲(あらわし)ながら人の身の
(あめ)(つち)とに迷いゐる
身の定めこそ悲しけれ


  おさよ

(うしほ)さみしき荒磯(あらいそ)
巌陰(いはかげ)われは生れけり

あしたゆふべの白駒(しろごま)
故郷(ふるさと)遠きものおもひ

をかしくものに狂へりと
われをいふらし世のひとの

げに狂はしの身なるべき
この世までの処女(をとめ)とは

うれひは深く手もたゆく
むすぼゝれたるわが(おもひ)

流れて熱きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

乱れてものに狂ひよる
心を笛の()に吹かん

笛をとる手は火にもえて
うちふるひけり(とを)の指

音にこそ(かわ)口唇(くちびる)
笛を尋ねる風情(ふぜい)あり

はげしく深きためいきに
笛の小竹(をだけ)や曇るらん

髪は乱れて落つるとも
まづ吹き入るゝ気息(いき)を聞け

力をこめし一ふしに
黄楊(つげ)のさし(ぐし)落ちてけり

吹けば流るゝ流るれば
笛吹き洗ふわが涙

短き笛の(ふし)()
長き(おもひ)のなからずや

七つの(こころ)声を得て
音をこそきかめ歌神(うたがみ)

われ(よろこび)を吹くときは
鳥も(こずゑ)に音をとゞめ

(いかり)をわれの吹くときは
瀬を行く魚も(ふち)にあり

われ(かなしみ)を吹くときは
獅子も涙をそゝぐらむ

われ(たのしみ)を吹くときは
虫も鳴く音をやめつらむ

(あい)のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち帰り

(にくみ)をわれの吹くときは
散り行く花も(とゞま)りて

慾の(おもひ)を吹くときは
心の闇の響あり

うたへ浮世(うきよ)の一ふしは
笛の夢路のものぐるひ

くるしむなかれ吾友よ
しばしは笛の音に帰れ

落つる涙をぬぐひきて
(しづか)にきゝね吾笛を


  おくめ

こひしきまゝに家を出で
こゝの岸よりかの岸へ
越えましものと来て見れば
千鳥(ちどり)鳴くなり(ゆふ)まぐれ

こひには親も捨てはてゝ
やむよしもなき胸の火や
(びん)の毛を吹く河風よ
せめてあはれと思へかし

河波(かはなみ)暗く瀬を早み
流れて(いは)に砕くるも
君を思へば絶間なき
恋の火炎(ほのほ)に乾くべし

きのふの雨の小休(をやみ)なく
水嵩(みかさ)や高くまさるとも
よひ/\になくわがこひの
涙の滝におよばじな

しりたまはずやわがこひは
花鳥(はなとり)の絵にあらじかし
空鏡(かゞみ)印象(かたち)砂の文字
梢の風の()にあらじ

しりたまはずやわがこひは
雄々(をゝ)しき君の手に触れて
嗚呼(あゝ)口紅(くちべに)をその口に
君にうつさでやむべきや

恋は吾身の(やしろ)にて
君は社の神なれば
君の祭壇(つくゑ)の上ならで
なににいのちを捧げまし

砕かば砕け河波よ
われに命はあるものを
河波高く泳ぎ行き
ひとりの神にこがれなむ

心のみかは手も足も
吾身はすべて火炎(ほのほ)なり
思ひ乱れて嗚呼(あゝ)恋の
千筋(ちすじ)の髪の波に流るゝ


  おつた

仄見(ほのみ)ゆる春の夜の
すがたに似たる吾命(わがいのち)
朧々(おぼろ/\ )に父母は
二つの影と消えうせて
世に孤児(みなしご)の吾身こそ
影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は
若き(ひじり)に救はれて
人なつかしき前髪の
処女(をとめ)とこそはなりにけれ

若き聖ののたまはく
時をし待たむ君ならば
かの柿の実をとるなかれ
かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し
まづその秋を見よやとて
聖に柿をすゝむれば
その口唇(くちびる)にふれたまひ
かくも色よき柿ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
人の命の惜しからば
嗚呼(あゝ)かの酒を飲むなかれ
かくいひたまううれしさに
酒なぐさめのひとつなり
まづその春を見よやとて
聖に酒をすゝむれば
夢の心地(こゝち)に酔ひたまひ
かくも楽しき酒ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
道行き急ぐ君ならば
迷ひの歌をきくなかれ
かくいひたまふうれしさに
歌も心の姿なり
まづその声をきけやとて
一ふしうたひいでければ
聖は(たま)も酔ひたまひ
かくも楽しき歌ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
まことをさぐる吾身なり
道の(まよひ)となるなかれ
かくいひたまううれしさに
(なさけ)も道のひとつなり
かゝる(おもひ)を見よやとて
わがこの胸に指ざさば
聖は早く恋ひわたり
かくも楽しき恋ならば
などかは早くわれに告げこぬ

それ秋の日の夕まぐれ
そゞろあるきのこゝろなく
ふと目に入るを手にとれば
雪より白き小石なり
若き聖ののたまはく
智恵の石とやこれぞこの
あまりの惜しき色なれば
人に隠して今も()なたじ


  おきく

くろかみながく
    やはらかき
をんなごゝろを
    たれかしる

をとこのかたる
    ことのはを
まこととおもふ
    ことなかれ

をとめごゝろの
    あさくのみ
いひもつたふる
    をかしさや

みだれてながき
    (びん)の毛を
黄楊(つげ)小櫛(をぐし)
    かきあげよ

あゝ月ぐさの
    きえぬべき
こひもするとは
    たがことば

こひて死なんと
    よみいでし
あつきなさけは
    たがうたぞ

みちのためには
    ちをながし
くにには死ぬる
    をとこあり

治兵衛はいづれ
    恋か名か
忠兵衛も名の
    ために果つ

あゝむかしより
    こひ死にし
をとこのありと
    しるや君

をんなごゝろは
    いやさらに
ふかきなさけの
    こもるかな

小春はこひに
    ちをながし
梅川こひの
    ために死ぬ

お七はこひの
    ために焼け
高尾はこひの
    ために果つ

かなしからずや
    清姫は
蛇となれるも
    こひゆゑに

やさしからずや
    佐容姫(さよひめ)
石となれるも
    こひゆゑに

をとこのこひの
    たはぶれは
たびにすてゆく
    なさけのみ

こひするなかれ
    をとめごよ
かなしむなかれ
    わがともよ

こひするときと
    かなしみと
いづれかながき
    いづれみじかき


  明 星

浮べる雲と身をなして
あしたの空に出でざれば
などしるらめや明星の
光の色のくれなゐを

朝の(うしほ)と身をなして
流れて海に出でざれば
などしるらめや明星の
()みて(かな)しききらめきを

なにかこひしき暁星(あかぼし)
(むな)しき(あま)()を出でゝ
深くも遠きほとりより
人の世近く(きた)るとは

(うしほ)の朝のあさみどり
水底(みなそこ)深き白石を
星の光に()かし見て
(あさ)(よはひ)を数ふべし

野の鳥ぞ()山河(やまかは)
ゆうべの夢をさめいでゝ
細く棚引(たなび)くしのゝめの
姿をうつす朝ぼらけ

小夜(さよ)には小夜のしらべあり
朝には朝の()もあれど
星の光の糸の()
あしたの琴は(しづか)なり

まだうら若き朝の空
きらめきわたる星のうち
いと/\若き光をば
(なづ)けましかば明星と


  草 枕

夕波くらく啼く千鳥(ちどり)
われは千鳥にあらねども
心の羽をうちふりて
さみしきかたに飛べるかな

若き心の一筋(ひとすぢ)
なぐさめもなくなげきわび
胸の水のむすぼれて
とけて涙となりにけり

蘆葉(あしは)を洗ふ白波の
流れて(いは)を出づるごと
思ひあまりて草枕
まくらのかずの今いくつ

かなしいかなや人の身の
なきなぐさめを尋ね()
道なき森に分け入りて
などなき道をもとむらん

われもそれかやうれひかや
野末に山に谷蔭(たにかげ)
見るよしもなき朝夕の
光もなくて秋暮れぬ

(おもひ)も薄く身も暗く
殘れる秋の花を見て
(ゆく)へもしらず流れ行く
水に涙の落つるかな

身を朝雲にたとふれば
ゆふべの雲の雨となり
身を夕雨にたとふれば
あしたの雨の風となる

されば落葉と身をなして
風に吹かれて(ひるがへ)
朝の黄雲(きぐも)にともなはれ
(よる)白河を越えてけり

道なき今の身なればか
われは道なき野を慕ひ
思ひ乱れてみちのくの
宮城野(みやぎの)にまで迷ひきぬ

心の宿の宮城野よ
乱れて熱き吾身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとりさみしき吾耳は
吹く北風を琴と聴き
悲しみ深き吾目には
色彩(いろ)なき石も花と見き

あゝ孤独(ひとりみ)悲痛(かなしさ)
味ひ知れる人ならで
誰にかたらん冬の日の
かくもわびしき野のけしき

都のかたをながむれば
冬雲(ふゆぐも)に覆はれて
身にふりかゝる玉霰(たまあられ)
袖の氷と閉ぢあへり

みぞれまじりの風勁(つよ)
小川の水の薄氷
氷のしたに音するは
流れて海に行く水か

啼いて羽風(はかぜ)もたのもしく
雲に隠るゝかさゝぎよ
光もうすき寒空の
(なれ)も荒れたる野にむせぶ

涙も凍る冬の日の
光もなくて暮れ行けば
人めも草も枯れはてゝ
ひとりさまよふ吾身かな

かなしや酔ふて行く人の
踏めばくづるゝ霜柱
なにを酔ひ泣く忍び音に
声もあはれのその歌は

うれしや物の音を()きて
野末をかよふ人の子よ
声調(しらべ)ひく手も凍りはて
なに(かど)づけの身の(はて)

やさしや年もうら若く
まだ初恋のまじりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隠るゝその姿

野のさみしさに堪へかねて
霜と霜との枯草の
道なき道をふみわけて
きたれば寒し冬の海

朝は海辺(うみべ)の石の()
こしうちかけてふるさとの
都のかたを望めども
おとなふものは(なみ)ばかり

暮はさみしき荒磯(あらいそ)
(うしほ)を染めし砂に伏し
日の入るかたをながむれど
湧きくるものは涙のみ

さみしいかなや荒波の
岩に砕けて散れるとき
かなしいかなや冬の日の
潮とともに帰るとき

誰か波路を望み見て
そのふるさとを慕はざる
誰か潮の行くを見て
この人の世を惜しまざる

(こよみ)もあらぬ荒磯の
砂路にひとりさまよへば
みぞれまじりの雨雲の
落ちて潮となりにけり

遠く湧きくる海の音
慣れてさみしき吾耳に
怪しやもるゝものの音は
まだうらわかき野路の鳥

嗚呼(あゝ)めづらしのしらべぞと
声のゆくへをたづぬれば
緑の羽もまだ弱き
それも初音(はつね)か鶯の

春きにけらし春よ春
まだ白雪の積れども
若菜の()えて色青き
こゝちこそすれ砂の()

春きにけらし春よ春
うれしや風に送られて
きたるらしとや思へばか
梅が香ぞする海の()

磯辺(いそべ)に高き大巌(おおいは)
うへにのぼりてながむれば
春やきぬらん東雲(しのゝめ)
(しほ)()遠き朝ぼらけ

  潮 音

わきてながるゝ
やほじほの
そこにいざよふ
うみの琴
しらべもふかし
もゝかはの
よろづのなみを
よびあつめ
ときみちくれば
うらゝかに
とほくきこゆる
はるのしほのね


  春の歌

たれかおもはん鶯の
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の間と
あゝよしさらば美酒(うまざけ)
うたひあかさん春の夜を

梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれなゐのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさん春の夜を

わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらば琴の音に
うたひあかさん春の夜を

  新 暁

(くれなゐ)細くたなびける
雲とならばやあけぼのの
       雲とならばや

やみを出でゝは光ある
空とならばやあけぼのの
       空とならばや

春の光を(いろど)れる
水とならばやあけぼのの
       水とならばや

鳩に()まれてやはらかき
草とならばやあけぼのの
       草とならばや

  若 水

くめどつきせぬ
わかみづを
きみとくまゝし
かのいづみ

かはきもしらぬ
わかみづを
きみとのまゝし
かのいづみ

かのわかみづと
みをなして
はるのこゝろに
わきいでん

かのわかみづと
みをなして
きみとながれん
花のかげ

  春の歌

春はきぬ
  春はきぬ
初音(はつね)やさしきうぐひすよ
こぞに別離(わかれ)を告げよかし
谷間に残る白雲よ
葬りかくせ去歳(こぞ)の冬

春はきぬ
  春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくゝおもくちからなく
かなしき冬よ行きかねし

春はきぬ
  春はきぬ
浅みどりなる新草(にひぐさ)
とほき野面(のもせ)(ゑが)けかし
さきては(あか)き春花よ
樹々の(こずゑ)を染めよかし

春はきぬ
  春はきぬ
霞よ雲よ(ゆる)ぎいで
氷れる空をあたゝめよ
花の香おくる春風よ
眠れる山を吹きさませ

春はきぬ
  春はきぬ
春をよせくる朝潮(あさじほ)
蘆の枯葉を洗ひ去れ
霞に酔へる雛鶴(ひなづる)
若きあしたの空に飛べ

春はきぬ
  春はきぬ
うれひの(せり)の根を絶えて
氷れるなみだ今いづこ
つもれる雪の消えうせて
けふの若菜と萌えよかし

  佐保姫

ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすうち
さめての春のすがたこそ
まだ夢のまの風情(ふぜい)なれ

ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし

ねむげの春よさめよ春
ふゆのこほりにむすぼれし
ふるきゆめぢをさめいでゝ
うめのはなぐしさしそへて
びんのみだれをかきあげよ

ねむげの春よさめよ春
あゆめばたにの()わらびの
したもえいそぐ()があしを
たかくもあげよあゆめ春
たへなるはるのいきを吹き
こぞめの梅の香ににほへ

  春の曲

うてや鼓の春の音
雪にうもるゝ冬の日の
かなしき夢はとざゝれて
世は春の日とかはりけり

ひけばこぞめの春霞
かすみの幕をひきとぢて
花と花とをぬふ糸は
けさもえいでしあをやなぎ

霞のまくをひきあけて
春をうかゞふことなかれ
はなさきにほふ蔭をこそ
春の(うてな)といふべけれ

小蝶よ花にたはぶれて
優しき夢をみては舞ひ
酔ふて羽袖(はそで)もひら/\と
はるの姿をまひねかし

緑のはねのうぐひすよ
梅の花笠(はながさ)ぬひそへて
ゆめ(しづか)なるはるの日の
しらべを高く歌へかし

  酔 歌

旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば
酔ふて(たもと)歌草(うたぐさ)
醒めての君に見せばやな

若き命も過ぎぬ()
楽しき春は老いやすし
()が身にもてる(たから)ぞや
君くれなゐのかほばせは

君がまなこに涙あり
君が眉には憂愁(うれひ)あり
堅く結べるその口に
それ声も無きなげきあり

名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐(かひ)なきことをなげくより
来りて(うま)き酒に泣け

光もあらぬ春の日の
独りさみしきものぐるひ
悲しき味の夜の智恵に
老いにけらしな旅人よ

心の春の燭火(ともしび)
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
(かな)しからずや君が身は

わきめもふらで急ぎ行く
君の行衛(ゆくへ)はいづこぞや
琴花酒のあるものを
とゞまりたまへ旅人よ


  二つの声


   朝

たれか聞くらん朝の声
(ねむり)と夢を破りいで
(あや)なす雲にうちのりて
よろづの鳥に歌はれつ
天のかなたにあらはれて
東の空に光あり
そこに時あり(はじめ)あり
そこに道あり力あり
そこに色あり(ことば)あり
そこに声あり命あり
そこに名ありとうたひつゝ
みそらにあがり地にかけり
のこんの星ともろともに
光のうちに朝ぞ隠るゝ


   幕

たれか聞くらん暮の声
霞の(つばさ)雲の帯
煙の(ころも)露の袖
つかれてなやむあらそひを
闇のかなたに投げ入れて
夜の使の蝙蝠(かはほり)
飛ぶ間も声のをやみなく
こゝに影あり(まよひ)あり
こゝに夢あり(ねむり)あり
こゝに闇あり休息(やすみ)あり
こゝに永きあり遠きあり
こゝに死ありとうたひつゝ
草木にいこひ野にあゆみ
かなたに落つる日とともに
色なき闇に暮ぞ隠るゝ


  白 璧

たれかしるらん花ちかき
高桜(たかどの)われはのぼりゆき
みだれて熱きくるしみを
うつしいでけり白璧(しらかべ)

(つば)にしるせし文字なれば
ひとしれずこそ乾きけれ
あゝあゝ白き白璧に
わがうれひありなみだあり


  四つの袖

をとこの気息(いき)のやはらかき
お夏の髪にかゝるとき
をとこの早きためいきの
(あられ)のごとくはしるとき

をとこの(あつ)き手の(ひら)
お夏の手にも触るゝとき
をとこの涙ながれいで
お夏の袖にかゝるとき

をとこの黒き目のいろの
お夏の胸に映るとき
をとこの紅き口唇(くちびる)
お夏の口にもゆるとき

人にこそしらね嗚呼(あゝ)恋の
ふたりの身より流れいで
げにこがるれど慕へども
やむときもなき清十郎


  暗 香

   はるのよはひかりはかりとおもひしを
       しろきやうめのさかりなるらむ


   姉

わかきいのちの
    をしければ
やみにもはるの
    かに酔はん

せめてこよひは
    さほひめよ
はかなくかげに
    うたへかし


   妹

そらもゑへりや
    はるのよは
ほしもかくれて
    みえわかず

よめにもそれと
    ほのしろく
みだれてにほふ
    うめのはな


   姉

はるのひかりの
    こひしさに
かたちをかくす
    うぐひすよ
はなさへしるき
    はるのよの
やみをおそるゝ
    ことなかれ


   妹

うめをめぐりて
    ゆくみづの
やみをながるゝ
    せゝらぎや

ゆめもさそはぬ
    香なりせば
いづれかよるに
    にほはまし


   姉

こぞのこよひは
    わがともの
うすこうばいの
    そめごろも

ほかげにうつる
    さかづきを
こひのみゑへる
    よなりけり


   妹

こぞのこよひは
    わがともの
なみだをうつす
    よのなごり

かげもかなしや
    木下川(きねがは)
うれひしづみし
    よなりけり


   姉

こぞのこよひは
    わがともの
おもひははるの
    よのゆめや

よをうきものに
    いでたまふ
ひとめをつゝむ
    よなりけり


   妹

こぞのこよひは
    わがともの
そでのかすみの
    はなむしろ

ひくやことのね
    たかじほを
うつしあはさし
    よなりけり


   姉

わがみぎのてに
    くらぶれば
やさしきなれが
    たなごゝろ

ふるればいとゞ
    やはらかに
もゆるかあつく
    おもほおゆる


   妹

もゆるやいかに
    こよひはと
とひたまふこそ
    うれしけれ

志りたまはずや
    うめがかに
わがうまれてし
    はるのよを


  蓮花舟

   しは/\もこほるゝつゆははちすはの
       うきはにのみもたまりけるかな


   姉

あゝはすのはな
    はすのはな
かげはみえけり
    いけみづに

ひとつのふねに
    さをさして
うきはをわけて
    こぎいでん


   妹

かぜもすゞしや
    はがくれに
そこにもしろし
    はすのはな

こゝにもあかき
    はすのはなの
みづしづかなる
    いけのおも


   姉

はすをやさしみ
    はなをとり
そでなひたしそ
    いけみづに

ひとめもはぢよ
    はなかげに
なれが乳房(ちぶさ)
    あらはるゝ


   妹

ふかくもすめる
    いけみづの
はにすれてゆく
    みなれざを

なつぐもゆけば
    かげみえて
はなよりはなを
    わたるらし

   姉

荷葉(はすは)にうたひ
    ふねにのり
はなつみのする
    なつのゆめ

はすのはなぶね
    さをとめて
なにをながむる
    そのすがた


   妹

なみしづかなる
    はなかげに
きみのかたちの
    うつるかな

きみのかたちと
    なつばなと
いづれかうるはし
    いづれかやさしき

  葡萄の樹のかげ

    はるあきにおもひみたれてわきかねつ
        ときにつけつゝうつるこゝろは


   妹

たのしからずや
    はなやかに
あきはいりひの
    てらすとき

たのしからずや
    ぶだうばの
はごしにくもの
    かよふとき


   姉

やさしからずや
    むらさきの
ぶだうのふさの
    かゝるとき

やさしからずや
    にひぼしの
ぶだうのたまに
    うつるとき


   妹

かぜはしづかに
    そらすみて
あきはたのしき
    ゆふまぐれ

いつまでわかき
    をとめごの
たのしきゆめの
    われらぞや


   姉

あきのぶだうの
    きのかげの
いかにやさしく
    ふかくとも

てにてをとりて
    かげをふむ
なれとわかれて
    なにかせむ


   妹

げにやかひなき
    くりごとも
ぶだうにしかじ
    ひとふさの

われにあたへよ
    ひとふさを
そこにかゝれる
    むらさきの


   姉

われをしれかし
    えだたかみ
とゞかじものを
    かのふさは
はかげのたまに
    てはふれで
わがさしぐしの
    おちにけるかな


  高 桜

    わかれゆくひとをしむとこよひより
        とほきゆめちにわれやまとはん


   妹

とほきわかれに
    たへかねて
このたかどのに
    のぼるかな

かなしむなかれ
    わがあねよ
たびのころもを
    とゝのへよ


   姉

わかれといへば
    むかしより
このひとのよの
    つねなるを

ながるゝみづを
    ながむれば
ゆめはづかしき
    なみだかな


   妹

したへるひとの
    もとにゆく
きみのうへこそ
    たのしけれ

ふゆやまこえて
    きみゆかば
なにをひかりの
    わがみぞや


   姉

あゝはなとりの
    いろにつけ
ねにつけわれを
    おもへかし

けふのわかれては
    いつかまた
あひみるまでの
    いのちかも


   妹

きみがさやけき
    めのいろも
きみくれなゐの
    くちびるも

きみがみどりの
    くろかみも
またいつかみん
    このわかれ


   姉

ながれやさしき
    なぐさめも
なれがたのしき
    うたごゑも

なれがこゝろの
    ことのねも
またいつきかん
    このわかれ


   妹

きみのゆくべき
    やまかはは
おつるなみだに
    みえわかず

そでのしぐれの
    ふゆのひに
きみにおくらん
    はなもがな


   姉

そでにおほへる
    うるはしき
ながかほばせを
    あげよかし

ながくれなゐの
    かほばせに
ながるゝなみだ
    われはぬぐはん


  天 馬


   序

(おい)(わかき)()しかたに
(ふみ)に照らせどまれらなる
()しきためしは箱根山
弥生(やよひ)の末のゆふまぐれ
南の(あま)()をいでゝ
よな/\北の宿に行く
血の深紅(くれなゐ)の星の影
かたくななりし男さへ
星の光を目に見ては
身にふりかゝる凶禍(まがごと)
天の(しるし)とうたがへり
総鳴(そうなき)に鳴く鶯の
にほひいでたる声をあげ
さへづり狂ふ()をきけば
げにめづらしき春の歌
春を得知らぬ処女(をとめ)さへ
かのうぐひすのひとこゑに
枕の紙のしめりきて
人なつかしきおもひあり
まだ時ならぬ白百合の
(まがき)の陰にさける見て
九十九(つくも)(おきな)うつし世の
こゝろの慾の夢を恋ひ
音をだにきかぬ雛鶴(ひなづる)
軒の榎樹(えのき)に来て鳴けば
寝覚の老嫗(おうな)後の世の
花の(うてな)に泣きまどふ
空にかゝれる星のいろ
春さきかへる夏花や
(これ)わざはひにあらずして
よしや(しるし)といへるあり
なにを酔ひ鳴く春鳥(はるどり)
なにを告げくる鶴の声
それ鳥の音に(うらな)ひて
よろこびありと祝ふあり
高き(ひじり)のこの村に
声をあげさせたまふらん
世を傾けむ麗人(よきひと)
茂れる(しづ)の春草に
いでたまふかとのゝしれど
誰かしるらん新星(にひほし)
まことの北をさししめし
さみしき(あし)(みづうみ)
沈める水に映るとき
名もなき(しづ)の片びさし
春の夜風の音を絶え
村の南のかたほとり
その夜生れし()の馬は
流るゝ水の藍染(あゐぞめ)
青毛やさしき姿なり
北に生れし()の馬の
栗毛にまじる紫は
色あけぼのの春霞
光をまとふ風情(ふぜい)あり
星のひかりもをさまりて
噂に残る鶴の音や
()く鶯に花ちれば
嗚呼(あゝ)この村に生れてし
馬のありやと問ふ人もなし


   雄 馬

あな天雲(あまぐも)にともなはれ
緑の髪をうちふるひ
雄馬(をうま)は人に随ひて
箱根の(みね)を下りけり
胸は踊りて八百潮(やほじほ)
かの蒼溟(わたつみ)に湧くごとく
(のど)はよせくる春濤(はるなみ)
飲めども(かわ)く風情あり
目はひさかたの朝の星
睫毛(まつげ)は草の浅緑
うるほひ光る眼瞳(ひとみ)には
千里(ちさと)(ほか)もほがらにて
東に照らし西に入る
天つみそらを渡る日の
朝日夕日の行衛(ゆくへ)さへ
雲の絶間に極むらん
二つの耳をたとふれば
いと(かすか)なる朝風に
そよげる草の葉のごとく
(ひづめ)の音をたとふれば
紫金(しこん)の色のやきがねを
高くも叩く響あり
狂へば長き(たてがみ)
うちふりうちふる乱れ髪
燃えてはめぐる血の(しほ)
流れて踊る春の海
()(くれなゐ)の光には
火炎(ほのほ)気息(いき)もあらだちて
深くも遠き嘶声(いななき)
大神(おほがみ)の住む(うつばり)
塵を動かす力あり
あゝ朝鳥の音をきゝて
富士の高根の雪に鳴き
夕つげわたる鳥の音に
木曾の御嶽(みたけ)(いは)を越え
かの青雲(あをぐも)(いなゝ)きて
(そら)より天の電影(いなづま)
光の末に隠るべき
雄馬の身にてありながら
なさけもあつくなつかしき
主人(あるじ)のあとをとめくれば
箱根も遠し三井寺や
日も(あたゝか)に花深く
さゝなみ青き湖の
岸の比彼(こち/゛\)草を行く
天の雄馬のすがたをば
誰かは思ひ誰か知る
しらずや人の天雲(あまぐも)
歩むためしはあるものを
天馬の()りて大土(おおつち)
歩むためしのなからめや
見よ藤の葉の影深く
岸の若草香()にいでゝ
春花に酔ふ蝶の夢
そのかげを()む雄馬には
一つの紅き春花に
見えざる神の宿(やどり)あり
一つうつろふ野の色に
つきせぬ天のうれひあり
嗚呼鷲鷹(わしたか)の飛ぶ道に
高く懸れる大空の
無限の(つる)に触れて鳴り
男神(をがみ)女神(めがみ)に戯れて
照る日の影の雲に鳴き
空に流るゝ満潮(みちしほ)
飲みつくすとも渇くべき
天馬よ(なれ)が身を持ちて
鳥のきて啼く(にほ)の海
花橘(はなたちばな)の蔭を()
その姿こそ雄々しけれ


   牝 馬

青波(あをなみ)深きみづうみの
岸のほとりに生まれてし
天の牝馬(めうま)(あづま)なる
かの陸奥(みちのく)の野に住めり
霜に(うるほ)ひ風に()
音もわびしき枯くさの
すゝき尾花にまねかれて
荒野(あれの)に嘆く牝馬かな
誰か燕の声を聞き
たのしきうたを耳にして
日も(あたゝか)に花深き
西の空をば慕はざる
誰か秋鳴くかりがねの
かなしき歌に耳たてゝ
ふるさとさむき遠天(とほぞら)
雲の行衛(ゆくへ)を慕はざる
白き羚羊(ひつじ)に見まほしく
()きては深く柔軟(やはらか)
(まなこ)の色のうるほひは
吾が古里を忍べばか
(ひづめ)も薄く肩痩せて
四つの脚さへ細りゆき
その(たてがみ)(つや)なきは
荒野の空に嘆けばか
春は名取(なとり)の若草や
納める力に石を引き
夏は国分(こくぶ)(みね)を越え
牝馬にあまる塩を負ふ
秋は広瀬の川添の
紅葉(もみぢ)の蔭にむちうたれ
冬は野末に日も暮れて
みぞれの道の泥に()
鶴よみそらの雲に飽き
朝の霞の香に酔ひて
春の光の空を飛ぶ
羽翼(つばさ)の色の(ねた)きかな
獅子よさみしき野に隠れ
道なき森に驚きて
あけぼの露にふみ迷ふ
鋭き爪のこひしやな
鹿よ秋山妻恋(つまごひ)
黄葉(もみぢ)のかげを踏み分けて
谷間の水に(あへ)ぎよる
眼睛(ひとみ)の色のやさしやな
人をつめたくあぢきなく
思ひとりしは幾歳(いくとせ)
命を薄くあさましく
思ひ()めしは身を責むる
強き(くびき)に嘆き()
花に涙をそゝぐより
悲しいかなや春の野に
湧ける泉を飲み干すも
天の牝馬のかぎりなき
渇ける口をなにかせむ
悲しいかなや行く水の
岸の柳の樹の蔭の
かの新草(にひぐさ)の多くとも
饑ゑたる(のど)をいかにせむ
身は塵埃(ちりひぢ)八重葎(やえむぐら)
しげれる宿にうまるれど
かなしや(つち)の青草は
その慰藉(なぐさめ)にあらじかし
あゝ天雲(あまぐも)や天雲や
(ちり)是世(このよ)にこれやこの
(くつわ)も折れよ世も捨てよ
狂ひもいでよ(くびき)さへ
()み砕けとぞ祈るなる
牝馬のこゝろ(あはれ)なり
尽きせぬ草のありといふ
(あま)つみそらの慕はしや
渇かぬ水の湧くといふ
天の泉のなつかしや
せまき(うまや)を捨てはてゝ
空を行くべき馬の身の
心ばかりははやれども
病みては()つる(なみだ)のみ
草に生れて草に泣く
姿やさしき天の馬
うき世のものにことならで
消ゆる命のもろきかな
散りてはかなき柳葉(やなぎは)
そのすがたにも似たりけり
波に消え行く淡雪(あはゆき)
そのすがたにも似たりけり
げに世の常の馬ならば
かくばかりなる悲嘆(かなしみ)
身の苦悶(わづらひ)(うら)()
声ふりあげて(いなゝ)かん
乱れて長き(たてがみ)
この世かの世の別れにも
心ばかりは静和(しづか)なる
深く悲しき声きけば
あゝ幽遠(かすか)なる気息(ためいき)
天のうれひを紫の
野末の花に吹き残す
世の名残こそはかなけれ


  哀 歌

   中野逍遙をいたむ
 秀才香骨幾人憐、秋入長安夢愴然、琴台旧
 譜壚前柳、風流銷尽二千年、これ中野逍遙
 が秋怨十絶の一なり。逍遙字は威卿、小字
 重太郎、予州宇和島の人なりといふ。文科
 大学の異材なりしが年僅かに二十七にして
 うせぬ。逍遙遺稿正外二篇、みな紅心の余
 唾にあらざるはなし。左に掲ぐるはかれの
 清怨を寫せしもの、寄語残月休長嘆、我輩
 亦是艶生涯、合せかゝげてこの秀才を追慕
 するのこゝろをとゞむ。

    思君十首        逍 遙

  思君我心傷  思君我容瘁
  中夜坐松蔭  露華多似涙

  思君我心悄  思君我腸裂
  昨夜涕涙流  今朝尽成血

  示君錦字詩  寄君鴻文冊
  忽覚筆端香  窓外梅花白

  為君調綺羅  為君築金屋
  中有鴛鴦図  長春夢百禄

  贈君名香篋  応記韓寿恩
  休将秋扇掩  名月照眉痕

  贈君双臂環  宝玉価千金
  一鐫不乖約  一題勿変心

  訪君過台下  清宵琴響揺
  佇門不敢入  恐乱月前調

  千里囀金鶯  春風吹緑野
  忽発屋頭桃  似君三両朶

  嬌影三分月  芳花一朶梅
  渾把花月秀  作君玉膚堆

かなしいかなや流れ行く
水になき名をしるすとて
今はた残る歌反古(うたほご)
ながき(うれ)ひをいかにせむ

かなしいかなやする墨の
いろに染めてし花の木の
君がしらべの歌の音に
薄き命のひゞきあり

かなしいかなや(さき)の世は
みそらにかゝる星の身の
人の命のあさぼらけ
光も見せでうせにしよ

かなしいかなや同じ世に
生れいでたる身を持ちて
友の契りも結ばずに
君は早くもゆけるかな

すゞしき(まなこ)つゆを帯び
葡萄(ぶだう)のたまとまがふまで
その面影をつたへては
あまりに(ねた)き姿かな

同じ時世(ときよ)に生れきて
同じいのちのあさぼらけ
君からくれなゐの花は散り
われ命あり八重葎(やえむぐら)

かなしいかなやうるはしく
さきそめにける花を見よ
いかなればかくとゞまらで
待たで散るらんさける間も

かなしいかなやうるはしき
なさけもこひの花を見よ
いと/\清きそのこひは
消ゆとこそ聞けいと早く

君し花とにあらねども
いな花よりもさらに花
君しこひとにあらねども
いなこひよりもさらにこひ

かなしいかなや人の世に
あまりに惜しき(さえ)なれば
病に塵に(かなしみ)
死にまでそしりねたまるゝ

かなしいかなやはたとせの
ことばの海のみなれ(ざを)
磯にくだくる高潮(たかじほ)
うれひの花とちりにけり

かなしいかなやひとの世の
きづなも捨てゝ(いなゝ)けば
つきせぬ草に秋は来て
声も悲しき天の馬

かなしいかなや音を遠み
流るゝ水の岸にさく
ひとつの花に照らされて
(ひるがへ)り行く一葉舟(ひとはぶね)


  母を葬るのうた

    うき雲はありともわかぬ大空の
        月のかげよりふるしぐれかな


きみがはかばに
    きゞくあり
きみがはかばに
    さかきあり

くさはにつゆは
    しげくして
おもからずや
    そのしるし

いつかねむりを
    さめいでゝ
つかへりこん
    わがはゝよ

紅羅(あから)ひく子も
    ますらをも
みなちりひぢと
    なるものを

あゝさめたまふ
    ことなかれ
あゝかへりくる
    ことなかれ

はるはなさき
    はなちりて
きみがはかばに
    かゝるとも

なつはみだるゝ
    ほたるびの
きみがはかばに
    とべるとも

あきはさみしき
    あきさめの
きみがはかばに
    そゝぐとも

ふゆはましろに
    ゆきじもの
きみがはかばに
    こほるとも

とほきねむりの
    ゆめまくら
おそるゝなかれ
    わがはゝよ


  梭の音

(をさ)()を聞くべき人は今いづこ
心を糸により()めて
涙ににじむ木綿縞(もめんじま)
やぶれし窓に身をなげて
暮れ行く空をながむれば
ねぐらに急ぐ村鴉(むらがらす)
(つれ)にはなれて飛ぶ一羽
あとを慕ふてかあ/\と


  かもめ

波に生れて波に死ぬ
(なさけ)の海のかもめどり
恋の激浪(おほなみ)たちさわぎ
夢むすぶべきひまもなし

(くら)(うしほ)の驚きて
流れて帰るわだつみの
島の行衛(ゆくへ)も見えわかぬ
波にうきねのかもめどり


  流 星

(かど)にたち出でたゞひとり
人待ち顔のさみしさに
ゆふべの空をながむれば
雲の宿りも捨てはてゝ
何をかこひし人の世に
流れて落つる星一つ


  夏の世

君と遊ばん夏の世の
青葉の影の下すゞみ
短かき夢は結ばずも
せめてこよひは歌へかし

雲となりまた雨となる
昼の(うれ)ひはたへずとも
星の光をかぞへ見よ
楽みのかず夜は尽きじ

夢かうつゝか(あま)(がは)
星に仮寝の織姫の
ひゞきもすみてこひわたる
(をさ)遠音(とほね)を聞かめやも


  昼の夢

花橘(はなたちばな)の袖の香の
みめうるはしきをとめごは
真昼(まひる)に夢を見てしより
さめて忘るゝ夜のならひ
白日(まひる)の夢のなぞもかく
忘れがたくはありけるものか

ゆめと知りせばなまなかに
さめざらましを世に出でゝ
うらわかぐさのうらわかみ
何をか夢の名残ぞと
問はゞ答へん目さめては
熱き涙のかわく間もなし


  東西南北

男ごゝろをたとふれば
つよくもくさをふくかぜか
もとよりかぜのみにしあれば
きのふは東けふは西

女ごゝろをたとふれば
かぜにふかるゝくさなれや
もとよりくさのみにしあれば
きのふは南けふは北


  懐 古

(あま)河原(かはら)にやほよろづ
ちよろづ神のかんつどひ
つどひいませしあめつちの
(はじめ)のときを誰か知る

それ大神(おほがみ)天雲(あまぐも)
八重かきわけて行くごとく
野の鳥ぞ()東路(あづまぢ)
碓氷(うすひ)の山にのぼりゆき

日は照らせども影ぞなき
吾妻(あがつま)はやととこひなきて
熱き涙をそゝぎてし
(みこと)の夢は跡も無し

大和(やまと)の国の高市(たかいち)
雷山(いかづちやま)御幸(みゆき)して
天雲(あまぐも)のへにいほりせる
御輦(くるま)のひゞき今いづこ

目をめぐらせばさゞ波や
志賀の都は荒れにしと
むかしを思ふ歌人(うたびと)
澄める(うらみ)をなにかせん

春は霞める高台(たかどの)
のぼりて見ればけぶり立つ
民のかまどのながめさへ
消えてあとなき雲に入る

冬はしぐるゝ九重(こゝのへ)
大宮内のともしびや
さむさは雪に凍る夜の
(たつ)のころもはいろもなし

むかしは遠き船いくさ
人の血潮(ちしほ)の流るとも
今はむなしきわだつみの
まん/\としてきはみなし

むかしはひろき関が原
つるぎに夢を争へど
今は寂しき草のみぞ
ばう/\としてはてもなき

われ(いま)秋の野にいでゝ
奥山高くのぼり行き
都のかたを眺むれば
あゝあゝ熱きなみだかな


  秋のうた

秋は()
  秋は来ぬ
一葉(ひとは)は花は露ありて
風のきて()く琴の音に
青き葡萄は紫の
自然の酒とかはりけり

秋は来ぬ
  秋は来ぬ
おくれさきだつ秋草も
みな夕霜のおきどころ
笑ひの酒を悲みの
(さかづき)にこそつぐべけれ

秋は来ぬ
  秋は来ぬ
くさきも紅葉(もみぢ)するものを
たれかは秋に酔はざらめ
智恵あり顔のさみしさに
君笛を吹けわれはうたはん


  初 恋

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の(さかづき)
君が(なさけ)()みしかな

林檎畠の()(した)
おのづからなる細道は
()が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこひしけれ


  狐のわざ

庭にかくるゝ小狐の
人なきときに夜いでゝ
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ

恋は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめる吾心


  相 思

髪を洗へば紫の
小草(をぐさ)のまへに色みえて
足をあぐれば花鳥(はなとり)
われに髄ふ風情(ふぜい)あり

目にながむれば彩雲(あやぐも)
まきてはひらく絵巻物
手にとる酒は美酒(うまざけ)
若き(うれひ)をたゝふめり

耳をたつれば歌神(うたがみ)
きたりて玉の(ふえ)を吹き
口をひらけばうたびとの
一ふしわれはこひうたふ

あゝかくまでにあやしくも
熱きこゝろのわれなれど
われをし君のこひしたふ
その涙にはおよばじな


  一得一失

君がこゝろは蟋蟀(こほろぎ)
風にきそはれ鳴くごとく
朝影(あさかげ)清き花草(はなぐさ)
惜しき涙をそゝぐらむ

それかきならす玉琴の
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ

あゝなどかくは触れやすき
君が優しき心から
かくばかりなる(わが)こひに
触れたまはぬぞ恨みなる

  傘のうち

二人してさす一張(ひとはり)
(かさ)に姿をつゝむとも
(なさけ)の雨のふりしきり
かわく間もなきたもとかな

顔と顔とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花の油黒髪(くろかみ)
乱れて匂ふ傘のうち

恋の一雨(ひとあめ)ぬれまさり
ぬれてこひしき夢の間や
染めてぞ燃ゆる紅絹(もみ)うらの
雨になやめる足まとひ

歌ふをきけば梅川よ
しばし情を捨てよかし
いづこも恋に(たはぶ)れて
それ忠兵衛の夢がたり

こひしき雨よふらばふれ
秋の入日の照りそひて
傘の涙を乾さぬ間に
手に手をとりて行きて(かへ)らじ


  えにし

わが手に植ゑし白菊の
おのづからなる時くれば
一もと花の暮陰(ゆふぐれ)
秋に隠れて窓にさくなり


  知るや君

こゝろもあらぬ秋鳥(あきどり)
声にもれくる一ふしを
        知るや君

深くも澄める朝潮(あさじほ)
底にかくるゝ真珠(しらたま)
        知るや君

あやめもしらぬやみの夜に
(しづか)にうごく星くづを
        知るや君

まだ弾きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音を
        知るや君


  秋風の歌

    さびしさはいつともわかぬ山里に
        尾花みだれて秋かぜぞふく


志づかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲(しらくも)
飛びて行くへも見ゆるかな

暮陰(ゆふかげ)高く秋は黄の
(きり)(こずゑ)の琴の()
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり

ゆふべ西風吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの(うづら)巣に隠る

ふりさけ見れば青山も
色はもみぢに染めかへて
霜葉をかへす秋風の
空の明鏡(かゞみ)にあらはれぬ

(すゞ)しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみぢ葉にきたるとき

道を伝ふる婆羅門(ばらもん)
西に東に散るごとく
吹き漂蕩(ただよは)す秋風に
(ひるがへ)り行く()()かな

朝羽(あさば)うちふる鷲鷹(わしたか)
明闇天(あけぐれそら)をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽に声あり力あり

見ればかしこし西風の
山の木の葉をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉(もゝは)を落すとき

人は利剣(つるぎ)(ふる)へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世(ときよ)をのゝしるも
声はたちまち(ほろ)ぶめり

高くも烈し野も山も
息吹(いぶき)まどはす秋風よ
世をかれ/゛\となすまでは
吹きも()むべきけはひなし

あゝうらさびし天地(あめつち)
(つぼ)(うち)なる秋の日や
落葉と共に(ひるがへ)
風の行衛(ゆくへ)を誰か知る


  雲のゆくへ

庭にたちいでたゞひとり
秋海棠(しうかいだう)の花を分け
空ながむれば行く雲の
更に秘密を(ひら)くかな


  逃げ水

ゆふぐれしづかに
     ゆめみんとて
よのわづらひより
     しばしのがる

きみよりほかには
     しるものなき
花かげにゆきて
     こひを泣きぬ

すぎこしゆめぢを
     おもひみるに
こひこそつみなれ
     つみこそこひ

いのりもつとめも
     このつみゆゑ
たのしきそのへと
     われはゆかじ

なつかしき君と
     てをたづさへ
くらき冥府(よみ)までも
     かけりゆかん


  月 光

しづかにてらせる
     月のひかりの
などか絶間なく
     ものおもはする
さやけきそのかげ
     こゑはなくとも
みるひとの胸に
     忍び入るなり

なさけは説くとも
     なさけをしらぬ
うきよのほかにも
     朽ちゆくわがみ
あかさぬおもひと
     この月かげと
いづれか声なき
     いづれかなしき


  強 敵

一つの花に蝶と蜘蛛(くも)
小蜘蛛は花を守り顔
小蝶は花に酔ひ顔に
舞へども/\すべぞなき

花は小蜘蛛のためならば
小蝶の舞をいかにせむ
花は小蝶のためならば
小蜘蛛の糸をいかにせむ

やがて一つの花散りて
小蜘蛛はそこに眠れども
羽翼(つばさ)も軽き小蝶こそ
いづこともなくうせにけれ


  別 離

    人妻をしたへる男の山に登り其
    女の家を望み見てうたへるうた


誰かとゞめん旅人の
あすは雲間に隠るゝを
誰か聞くらん旅人の
あすは別れと告げましを

清き恋とや(かた)(がひ)
われのみものを思ふより
恋はあふれて濁るとも
君に涙をかけましを

人妻恋ふる悲しさを
君がなさけに知りもせば
せめてわれを罪人(つみびと)
呼びたまふこそうれしけれ

あやめもしらぬ()しや身は
くるしきこひの牢獄(ひとや)より
罪の鞭責(しもと)をのがれいで
こひて死なんと思ふなり

誰かは花をたづねざる
誰かはいろに迷はざる
誰かは前にさける見て
花を摘まんと思はざる

恋の花にも戯るゝ
嫉妬(ねたみ)の蝶の身ぞつらき
二つの羽もをれ/\て
(つばさ)の色はあせにけり

人の命を春の夜の
夢といふこそうれしけれ
夢よりもいやいや深き
われに思ひのあるものを

梅の花さくころほひは
蓮さかばやと思ひわび
蓮の花さくころほひは
萩さかばやと思ふかな

待つまも早く秋はきて
わが踏む道に萩さけど
濁りて待てる吾恋は
清き(うらみ)となりにけり


  望 郷

    寺をのがれいでたる僧のうたひ
    しそのうた


いざさらば
これをこの世のわかれぞと
のがれいでゝは住みなれし
御寺(みてら)蔵裏(くり)白壁(しらかべ)
眼にもふたゝび見ゆるかな

いざさらば
住めば仏のやどりさえ
火炎(ほのほ)(いへ)となるものを
なぐさめもなき心より
流れて落つる涙かな

いざさらば
心の油濁るとも
ともしびたかくかきおこし
なさけは熱くもゆる火の
こひしき塵にわれは焼けなむ


   松島端厳寺に遊び葡萄
   栗鼠の木彫を観て


舟路(ふなぢ)も遠し端厳寺(ずゐがんじ)
冬逍遙(ふゆせうえう)のこゝろなく
古き扉に身をよせて
飛騨(ひだ)名匠(たくみ)浮彫(うきぼり)
葡萄のかげにきて見れば
菩提(ぼだい)の寺の冬の日に
刀悲しみ鑿愁(のみうれ)
ほられて薄き葡萄葉の
影にかくるゝ栗鼠(きねずみ)
姿ばかりは隠すとも
かくすよしなし鑿の香は
うしほにひゞく磯寺(いそでら)
かねにこの日の暮るゝとも
夕闇かけてたゝずめば
こひしきやなぞ甚五郎


  鶏

花によりそふ鶏の
(つま)妻鳥(めどり)燕子花(かきつばた)
いづれあやめとわきがたく
さも似つかしき風情(ふぜい)あり

姿やさしき牝鳥(めんどり)
かたちを恥づるこゝろして
花に隠るゝありさまに
品かはりたる夫鳥(つまどり)

雄々しくたけき雄鳥(をんどり)
とさかの色も(えん)にして
黄なる口嘴脚蹴爪(くちばしあしけづめ)
尾はしだり尾のなが/\し

問ふても見まし()がために
よそほひありく夫鳥よ
()るためのかざりにと
いひたげなるぞいぢらしき

画にこそかけれ花鳥(はなどり)
それにも通ふ一つがひ
霜に侘寝(わびね)の朝ぼらけ
雨に入日の夕まぐれ

空に一つの明星の
闇行く水に動くとき
日を迎へんと鶏の
夜の便を()にぞ鳴く

露けき朝の明けて行く
空のながめを誰か知る
燃ゆるがごとき(くれなゐ)
雲のゆくへを誰か知る

闇もこれより隣なる
声ふりあげて鳴くときは
人の長眠(ねむり)のみなねざめ
夜は日に通ふ夢まくら

明けはなれたり夜はすでに
いざ妻鳥(つまどり)と巣を出でゝ
餌をあさらんと野に行けば
あなあやにくのものを見き

見しらぬ鶏の音も高に
あしたの空に鳴き渡り
草かき分けて来るはなぞ
妻恋ふらしや妻鳥を

ねたしや露に羽ぬれて
朝日にうつる影見れば
雄鶏(をどり)に惜しき白妙(しろたへ)
雪をあざむくばかりなり

力あるらし声たけき
(かたき)のさまを(おそ)れてか
声色(いろ)あるさまに()ぢてかや
妻鳥(めどり)は花に隠れけり

かくと見るより堪へかねて
背をや高めし夫鳥(つまどり)
羽がきも荒く飛び走り
蹴爪に土をかき狂ふ

筆毛(ふでげ)のさきも逆立ちて
血潮(ちしほ)にまじる眼のひかり
二つの鶏のすがたこそ
(これ)おそろしき風情なれ

牝鳥(めどり)は花を馳け出でゝ
争闘(あらそひ)分くるひまもなみ
たがひに蹴合(けあ)ふ蹴爪には
火焰(ほのほ)もちるとうたがはる

蹴るや左眼(さがん)(まと)それて
羽に血しほの夫鳥は
敵の右眼(うがん)をめざしつゝ
爪も折れよと蹴返しぬ

蹴られて落つるくれなゐの
血潮の花も地に染みて
二つの鶏の眼もくるひ
たがひにひるむ風情なし

そこに声あり涙あり
争ひ狂ふ四つの羽
血潮(のり)に滑りし夫鳥の
あな(たふ)れけん声高し

一声長く悲鳴して
あとに仆るゝ夫鳥の
羽は血潮の(あけ)()
あたりにさける花(あか)

あゝあゝ熱き涙かな
あるに甲斐(かひ)なき妻鳥は
せめて一声鳴けかしと
(かばね)に嘆くさまあはれ

なにとは知らぬかなしみの
いつか恐怖(おそれ)と変りきて
思ひ乱れて音をのみぞ
鳴くや妻鳥(めどり)の心なく

我を恋ふらし音にたてゝ
姿も色もなつかしき
花のかたちと思ひきや
かなしき敵とならんとは

花にもつるゝ蝶あるを
鳥に(えにし)のなからめや
おそろしきかな其の心
なつかしきかな其の情

(あけ)に染みける草見れば
鳥の命のもろきかな
火よりも燃ゆる恋見れば
敵のこゝろのうれしやな

見よ動きゆく大空の
照る日も雲に薄らぎて
花に色なく風吹けば
野はさびしくも変りけり

かなしこひしの夫鳥(つまどり)
冷えまさりゆく其姿
たよりと思ふ一ふしの
いづれ妻鳥(めどり)の身の末ぞ

恐怖(おそれ)を抱く母と子が
よりそふごとくかの敵に
なにとはなしに身をよする
妻鳥(めとり)のこゝろあはれなり

あないたましのながめかな
さきの楽しき花ちりて
空色暗く一染毛(ひとはけ)
雲のかなしき野のけしき

行きてかへらぬ鳥はいざ
(つま)妻鳥(めどり)燕子花(かきつばた)
いづれあやめを踏み分けて
野末を帰る二羽の鶏


  深林の逍遥遙

力を刻む木匠(こだくみ)
うちふる(をの)のあとを絶え
春の草花彫刻(ほりもの)
(のみ)(にほひ)もとゞめじな
いろさま/゛\の春の葉に
青一筆(あをひとふで)(あと)もなく
千枝(ちえ)にわかるゝ赤樟(あかくす)
おのづからなるすがたのみ
(ひのき)は荒し杉直し
五葉は黒し(しひ)の木の
枝をまじゆる白樫(しらかし)
(あふち)は茎をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓(わかかへで)


   山 精(やまびこ)

  ひとにしられぬ
  たのしみの
  ふかきはやしを
  たれかしる

  ひとにしられぬ
  はるのひの
  かすみのおくを
  たれかしる


   木 精(こだま)

  はなのむらさき
  はのみどり
  うらわかぐさの
  のべのいと

  たくみをつくす
  大機(おおはた)
  (をさ)のはやしに
  きたれかし


   山 精

  かのもえいづる
  くさをふみ
  かのわきいづる
  みづをのみ

  かのあたらしき
  はなにゑひ
  はるのおもひの
  なからずや


   木 精

  ふるきころもを
  ぬぎすてゝ
  はるのかすみを
  まとへかし

  なくうぐひすの
  ねにいでゝ
  ふかきはやしに
  うたへかし

あゆめば蘭の花を踏み
ゆけば楊梅(やまもゝ)袖に散り
袂にまとふ山葛(やまくづ)
葛のうら葉をかへしては
女蘿(ひかげ)の蔭のやまいちご
色よき実こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隈々(くま/゛\)
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
乱れてにほふふぢばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽つるめり
せまりて暗き(はざま)より
やゝひらけたる深山木(みやまぎ)
春は小枝(こえだ)のたゝずまひ
しげりて広き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか滝川よ
声もさびしや白糸の
青き(いはほ)に流れ落ち
若き(ましら)のためにだに
音をとゞむる時ぞなき


   山 精

  ゆふぐれかよふ
  たびゝとの
  むねのおもひを
  たれかしる

  友にもあらぬ
  やまかはの
  はるのこゝろを
  たれかしる


   木 精

  夜をなきあかす
  かなしみの
  まくらにつたふ
  なみだこそ

  ふかきはやしの
  たにかげの
  そこにながるゝ
  しづくなれ


   山 精

  塵はたふるゝ
  たびごとに
  妻こふこひに
  かへるなり

  のやまは枯るゝ
  たびごとに
  ちとせのはるに
  かへるなり


   木 精

  ふるきおちばを
  やはらかき
  青葉のかげに
  葬れよ

  ふゆのゆめぢを
  さめいでゝ
  はるのはやしに
  きたれかし

今しもわたる深山(みやま)かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の(せう)の音をきけば
風のしらべにさそわれて
みれどもあかぬ白妙(しろたへ)
雲の羽袖の深山木の
千枝(ちえだ)にかゝりたちなはれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々(きゞ)をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衛(ゆくへ)にいざなはれ
千々にめぐれる巌影(いはかげ)
花にも迷ひ石に()
流るゝ水の音をきけば
山は危うく石わかれ
削りてなせる青巌(あおいは)
砕けて落つる飛潭(たきみづ)
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光烱(ひかり)てりそふ水けぶり
独り苔むす岩を()
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭(たきみづ)
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらん


   山 精

  なにをいざよふ
  むらさきの
  ふかきはやしの
  はるがすみ

  なにかこひしき
  いはかげを
  ながれていづる
  いづみがは


   木 精

  かくれてうたふ
  野の山の
  こゑなきこゑを
  きくやきみ

  つゝむにあまる
  はなかげの
  水のしらべを
  しるやきみ


   山 精

  あゝながれつゝ
  こがれつゝ
  うつりゆきつゝ
  うごきつゝ

  あゝめぐりつゝ
  かへりつゝ
  うちわらひつゝ
  むせびつゝ


   木 精

  いまひのひかり
  はるがすみ
  いまはなぐもり
  はるのあめ

  あゝあゝはなの
  つゆに酔ひ
  ふかきはやしに
  うたへかし

ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩(いろあや)
いつしか淡く茶を帯びて
雲くれなゐとかはりけり
あゝゆふまぐれわれひとり
たどる林もひらけきて
いと靜かなる湖の
岸辺にさける花躑躅(はなつゝじ)
うき雲ゆけばかげ見えて
水に沈める春の日や
それ(くれなゐ)の色染めて
雲紫となりぬれば
かげさへあかき水鳥の
春のみづうみ岸の草
深き林や花つゝじ
迷ふひとりのわがみだに
深紫(ふかむらさき)の紅の
(あや)にうつろふ夕まぐれ
           (明治三十年八月)

底本:発行所 筑摩書房 発行者 菊池明郎 著者 島崎藤村 現代日本文學大系 13 島崎藤村集(一) 平成十二年一月三十日 初版第九刷発行