耽溺 岩野泡鳴 底本:「現代日本文學大系 第21巻」筑摩書房    1920(昭和45)年10月5日 初版発行 入力:AB1013(せんだい電子文庫) ※底本の旧字「箪の旧字体、竹かんむり+口口+田+十」は「箪」に改めました。[63-上段24][92-下段29] 「`+迂」は「迂」に改めました。[73-上段25][89-下段16] 「`+這」は「這」に改めました。[64-下段3][64-下段12][67-下段28][68-下段18][70-上段22][75-上段11][75-上段17][75-下段18][77-下段2][78-上段17][79-上段14][79-上段18][79-上段25][86-上段21][87-上段16][89-上段27][91-上段10][91-下段5][91-下段23][95-上段1][96-下段24][98-上段25] 「`+遮」は「遮」に改めました。[80-上段5] 「土+眞」は「填」に改めました。[84-上段6][97-下段16][99-上段21] 「夾+頁」は「頬」に改めました。[81-下段22][91-下段21] 「にんべん+夾」は「侠」に改めました。[95-下段13] 「さんずい+發」は「溌」に改めました。[95-下段28] 「`+辻」は「辻」に改めました。[98-下段15] 「鹵+僉」は「鹸」に改めました。[68-下段7][68-下段21] 「やまいだれ+間」は「癇」に改めました。[75-下段14] 「きへん+`+追」は「槌」に改めました。[76-上段7]    一  僕は一夏を国府津《こふづ》の海岸に送ることになつた。友人の紹介で、或寺の一室を借りるつもりであつたのだが、たづねて行つて見ると、いろいろ取り込みのことがあつて、この夏は客の世話が出来ないと云ふので、またその住持《ぢゆうぢ》の紹介を得て、素人《しろうと》の家に置いて貰ふことになつた。少し込み入つた脚本を書きたいので、やかましい宿屋などを避けたのである。隣りが料理屋で芸者も一人かゝへてあるので、時々客などがあがつてゐる時は、随分《ずゐぶん》そう/″\しかつた。然《しか》し僕は三味線の浮き浮きした音色《ねいろ》を嫌ひでないから、却《かへ》つて面白いところだと気に入つた。  僕の占領した室は二階で、二階はこの一室よりほかになかつた。隣りの料理屋の地面から、丈の高いいちじくが繁り立つて、僕の二階の家根を上までも越してゐる。いちじくの青い広葉はもろさうな物だが、之を見てゐると、何となくしんみりと、気持ちのいゝ物だから、僕は芭蕉葉《ばせうば》や青桐《あをぎり》の葉と同様に好きなやつだ。而《しか》もそれが僕の仕事をする座敷から直ぐそばに見える。  それに、その葉かげから、隣りの料理屋の綺麗《きれい》な庭が見える。燈籠《とうろう》やら、いくつにも分岐した敷石の道やら、瓢箪《へうたん》なりの——この形は、西洋人なら、何かに似てゐると云つて、婦人の前には口にさへ出さぬといふ——池やら、低い松や柳の枝ぶりを造つて刈り込んであるのやら、例の箱庭式はこせついて厭《いや》な物だが、掃除のよく行き届いてゐたのは、これも気持ちのいゝ事の一つだ。その庭の片端の僕の方に寄つてるところは、勝手口のあるので、他の方から低い竹垣を以つて仕切られてゐて、そこにある井戸——それも僕の座敷から見える——は、僕の家の人々もつかはせて貰ふことになつてゐる。  隣りの家族と云つては、主人夫婦に子供が二人、それに主人の姉と芸者とが加はつてゐた。主人夫婦は極《ごく》お人よしで家業大事とばかり、家の掃除と料理との為めに、朝から晩まで一生懸命に働いてゐた。主人の姉——名はお貞《さだ》——と云ふのが、昔からのえら物《ぶつ》で、そこに女将《おかみ》たる実権を握つてゐて、地方有志の宴会にでも出ると、井筒屋《ゐづゝや》の女将お貞婆さんと云へば、なか/\幅が利く代り、家にゐては、主人夫婦を呼び棄《す》てにして、少しでもその意地の悪い心に落ちないことがあると、意張りたがるお客が家の者にがなりつく様な権幕であつた。  お君《きみ》といふその姪《めひ》、乃《すなは》ち、そこの娘も、年は十六だが、叔母に似た性質で、——客の前へ出ては内気で、無愛嬌《ぶあいけう》だが、——とんまな両親のしてゐることがもどかしくツて、もどかしくツてたまらないと云ふ風に、自分が用のない時は、火鉢《ひばち》の前に坐つて、目を離さず、その長い頤《あご》で両親を使ひまはしてゐる。前年など、かゝへられてゐた芸者が、この娘の皮肉の折檻《せつかん》に堪へ切れないで、海へ身を投げて死んだ。それから、急に不評判になつて、あの婆さんと娘とがゐる間は、井筒屋へは行つてやらないと云ふ人々が多くなつたのださうだ。道理で余り景気のいゝ料理店ではなかつた。  僕が英語が出来るといふので、僕の家の人を介して、井筒屋の主人がその子供に英語を教へてくれろと頼んで来た。それも真面目《まじめ》な依頼ではなく、時々西洋人が来て、応対に困ることがあるので、「おあがんなさい」とか、「何を出しましよう」とか、「お酒をお飲みですか、ビールをお飲みですか」とか、「芸者を呼びましようか」とか、「大相《たいさう》上機嫌です、ね」とか、「またいらつしやい」とか、さういふことを専門に教へてくれろと云ふのであつた。僕は好ましくなかつたが、仕事のあひまに教へてやるのも面白いと思つて、会話の目録を作らして、そのうちを少しづゝと、二人がほかで習つて来るナショナル読本の一と二とを読まして見ることにした。お君さんとその弟の正《しやう》ちやんとが毎日午後時間を定めて習ひに来た。正ちやんは十二歳で、病身だけに、少し薄のろの方であつた。  或日、正ちやんは、学校のないので、午前十一時頃にやつて来た。 僕は大切な時間を取られるのが惜しかつたので、いゝ加減に教へてすましてしまふと、 「うちの芸者も先生に教へていたゞきたいと云ひます」と云ひ出した。 「面倒くさいから、厭だよ」と僕は答へたが、跡から思ふと、その時から既にその芸者は僕をだまさうとしてゐたのだ。正ちやんは無邪気なもので、 「どうせ習らつても、馬鹿だから、分るもんか?」 「なぜ?」 「こないだも大ざらひがあつて、義太夫を語つたら、熊谷《くまがい》の次郎直実《じろうなほざね》といふのを熊谷の太郎と云うて笑はれたんだ——あ、あれがうちの芸者です、寝坊の親玉。」  と、そとを指さしたので、僕もその方に向いた。いちじくの葉かげから見えたのは、しごき一つのだらしない寝巻き姿が、楊枝《やうじ》を銜《く》はへて、井戸端からこちらを見て笑つてゐる。 「正ちやん、いゝ物をあげようか?」 「あゝ」と立ちあがつて、両手を出した。 「ほうるよ」と、しなやかにだが、勢ひよくからだが曲がるかと思ふと、黒い物が飛んで来て、正ちやんの手をはづれて、僕の肩に当つた。 「おほ、ほ、ほ! 御免下さい」と、向ふは笑ひくづれたが、直《す》ぐ白いつばを吐いて、顔を洗ひ出した。飛んで来たのは僕のがま口だ。 「これはわたしのだ。さツき井戸端へ水を飲みに行つた時、落したんだらう。」 「あの狐に取られんで、まア、よかつた。」 「可哀さうに、そんなことを云つて——何といふ名か、ね?」 「吉弥《きちや》と云ひます。」 「帰つたら、礼を云つといてお呉れ」と、僕は僕の読みかけてゐるメレジコウスキの小説を開らいた。  正ちやんは、裏から来たので、裏から帰つて行つたが、それと一緒に何か話しをしながら、家に這入《はい》つて行く吉弥の素顔を鳥渡《ちよつと》のぞいて見て、余り色が黒いので、僕はいや気がした。    二  僕はその夕がた、あたまの労《つか》れを癒《いや》しに、井筒屋へ行つた。それも、角《かど》の立たない様にわざと裏から行つた。 「あら、先生!」と、第一にお貞婆さんが見つけて、立つて来た。 「こんなむさ苦しいところからお出《いで》んでも——」 「なアに、僕は遠慮がないから——」 「まア、お這入りなさつて下さい。」 「失敬します」と、僕は台どころの板敷きからあがつて、大きな囲炉裡《ゐろり》のそばへ坐つた。  主人が尻はしよりで庭を掃除してゐるのが見えた。おかみさんは下女同様な風をして、広い台どころで働いてゐた。僕の坐つたうしろの方に、広い間が一つあつて、そこに大きな姿見が据《す》ゑてある。お君さんがその前に立つて、頻《しき》りに姿を気にしてゐた。畳一枚ほどに切れてゐる細長い囲炉裡には、この暑いのに、燃木《まき》が四五本もくべてあつて、天井《てんじやう》から雁木《がんぎ》で釣るした鉄瓶《てつびん》がぐら/\煮え立つてゐた。 「どうも、毎度、子供がお世話になつて」と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まつて挨拶《あいさつ》をした。 「どうせ、丁寧に教へてあげる暇はないのだから、お礼を云はれるまでのことはないのです。」 「この暑いのに、よう精が出ます、な、朝から晩まで勉強をなさつて?」 「さうやつてゐなければ喰へないんですから。」 「御常談《ごじやうだん》を——それでも、先生は外《ほか》の人と違つて、遊びながらお仕事が出来るので結構で御座ります。」 「貧乏ひまなしの譬《たと》へになりませう。」 「どう致しまして、先生——おい、お君、先生にお茶をあげないか?」  そのうち、正ちやんがどこからか帰つて来て、僕のそばへ坐つて、今|聴《き》いて来た世間のうはさ話をし出す。お君さんは茶を出して来る。お貞が二人の子供を実子の様に可愛がり、また自慢するのが近処の人々から嫌はれる一原因だと聴いてゐたから、僕はそのつもりであしらつてゐた。 「どうも馬鹿な子供で困ります」と言ふのを、 「なアに、ふたりとも利口なたちだから、おぼえがよくツて末頼母《すゑたのも》しい」と、僕は讃《ほ》めてやつた。 「おツ母さん、実は気が欝《うつ》して来たんで、一杯飲ましてもらひたいんです、どツかいゝ座敷を一つ開けてもらひませうか?」 「それは有難たう御座ります」と、お貞はお君に目くばせしながら、 「風通しのえゝ二階の三番がよかろ。あすこへ御案内おし。」 「なアに、どこでもいゝですよ」と、僕は立つてお君さんについて行つた。煙草盆が来た、改めてお茶が出た。 「何をおあがりなさいます」と、お君のおきまり文句らしいのを聴くと、僕が西洋人なら僕の教へた片言《かたこと》を試みるのだらうと思はれて、何だか厭な、小癪《こしやく》な娘だといふ考へが浮んだ。僕はいゝ加減に見つくろつて出す様に命じ、巻煙草をくはへて寝ころんだ。  先《ま》づ海苔《のり》が出て、お君が鳥渡《ちよつと》酌をして立つた跡で、ちびり/\飲んでゐると二三品は揃《そろ》つて、そこへお貞が相手に出て来た。 「お独りではお寂しかろ、婆々アでもお相手致しませう。」 「結構です、まア一杯」と、僕は盃《さかづき》をさした。  婆さんはいろんな話をした。この家の二三年前までは繁盛したことや、近頃は一向客足が遠いことや、土地の人々の薄情なことや、世間で自家の欠点を指摘してゐるのは知らないで、勝手のいゝ泣き言ばかりが出た。やがてはしご段をあがつて、廊下に違つた足音がすると思ふと、吉弥が銚子《てうし》を持つて来たのだ。けさ見た素顔やなり振りとは違つて、尋常な芸者に出来あがつてゐる。 「けさほどは失礼致しました」と、しとやかながら冷かす様に手をついた。 「僕こそお礼を云ひに来たのかも知れません。」 「かも知れませんでは、お礼になりますまい!」 「いや、どうも——それでは、ありがたう御座ります」と、僕はわざとらしくあたまを下げた。 「まア、それで、あたい気がすんだ、わ。」  吉弥はお貞を見て、勝利がほに扇子を使つた。 「全体、まア」と、はじめから怪幻《けげん》な様子をしてゐたお貞が、「どうしたことよ、出し抜けになぞ見た様《やう》で?」 「なアに、おツ母さん、けさ、僕が落したがま口を拾つてもらつたんです」といふと、その跡は吉弥の笑ひ声で説明された。 「それでは、いツそだまつてをれば儲《まう》かつたのに。」 「ほんとに、あたい、さうしたらよかつた。」 「生憎《あいにく》銅貨が二三銭と来たら、如何《いか》に吉弥さんでも驚くだらう。」 「この子はなか/\慾張りですよ。」 「あら、叔母さん、そんなことはないわ。」 「まア、一つさしませう」と、僕は吉弥に猪口《ちよく》を渡して、「今お座敷は明いてゐるだらうか?」 「叔母さん、どう?」 「今のところでは、口がかゝつてをらない。」 「ぢやア、僕がけさのお礼として玉《ぎよく》をつけませう。」 「それは済みませんけれど」と云ひながら、婆アさんが承知のしるしに僕の猪口に酒を酌《つ》いで、下りて行つた。    三 「お前の生れはどこ?」 「東京。」 「東京はどこ?」 「浅草。」 「浅草はどこ?」 「あなたはしつツこいのね、千束町《せんぞくまち》よ。」 「あ、あの溝溜《どぶだめ》の様な池があるところだらう?」 「おあいにくさま、あんな池は迅《と》くにうまつてしまひましたよ。」 「ぢやア、うまつた跡にぐらつく安借家が出来た、その二軒目だらう?」 「しどいわ、あなたは」と、ぶつ真似《まね》をして、「はい、これでもうちへ帰つたら、お嬢さんで通せますよ。」 「お嬢さん芸者万歳」と、僕は猪口をあげる真似をした。  三味を弾《ひ》かせると、ぺこん/\とごまかし弾きをするばかり。面白くもないが、僕は酔つたまぎれに歌ひもした。 「もう、よせ/\。」僕は三味線を取りあげて、脇に投げやり、「おれが手のすぢを見てやろう」と、右の手を出させたが、指が太く短くツて、実に無格好《ぶかつかう》であつた。 「お前は全体いくつだ?」 「二十五。」 「うそだ、少くとも二十七だらう?」 「ぢやア、さうして置いて?」 「お父《とつ》さんはあるの?」 「あります。」 「何をしてゐる?」 「下駄屋《げたや》」 「おツ母さんは?」 「芸者の桂庵《けいあん》。」 「兄さんは?」 「勧工場《くわんこうば》の店番。」 「姉さんは?」 「ないの。」 「妹は?」 「芸者を引かされる筈《はず》」 「どこにつとめてゐるの?」 「大宮」 「引かされてどうするの?」 「その人の奥さん。」 「なアに、妾《めかけ》だらう。」 「妾なんか、つまりませんわ。」 「ぢやア、おれの奥さんにしてやらうか?」と、からだを引ツ張ると、 「はい、よろしく」と、笑ひながら寄つて来た。    四  翌朝、食事をすましてから、僕は机に向つてゆうべのことを考へた。吉弥が電燈の球に「やまと」のあき袋をかぶせ、はしご段の方に耳をそば立てた時の様子を見て、もろい奴、見《み》ず転《てん》の骨頂だといふ嫌気《いやき》がしたが、然《しか》し自分の自由になる物は、——犬猫を飼つてもさうだらうが——それが人間であれば、如何《いか》なお多福でも、一層可愛くなるのが人情だ。国府津《こふづ》にゐる間は可愛がつてやらう、東京につれて帰れば面白からうなどと、それからそれへ空想をめぐらしてゐた。  下座敷でなまめかしい声がして、段々二階へあがつて来た。吉弥だ。書物を開らかうとしたところだが、まんざら厭な気もしなかつた。 「田村先生、お早う。」 「お前かい?」 「来たら、いけないの?」ぴツたり、僕のそばにからだを押しつけて坐つた。それツきりで、目が物を云つてゐた。僕はその頸《くび》をいだいて口づけをしてやらうとしたら、わざとかほをそむけて、 「厭な人、ね。」 「厭なら来ないがいゝ、さ。」 「それでも、来たの——あたし、あなたの様な人が好きよ。商売人?」 「あゝ、商売人。」 「どんな商売。」 「本書き商売。」 「そんな商売がありますもんか?」 「まア、ない、ね。」 「人を馬鹿にしてイるの、ね」と、僕の肩をたゝいた。  僕を商売人と見たので、また厭気がしたが、他日わが国を風靡《ふうび》する大文学者だなどと威《ゐ》ばつたところで、かの女《ぢよ》の分らう筈もないから、茶化すつもりでわざと顔をしかめ、 「あ、いたゝ!」 「うそ/\、そんなことで痛いものですか?」と、ふき出した。卦算《けさん》の亀の子をおもちやにしてゐた。 「全体どうしてお前はこんなところにぐづついてるんだ?」 「東京へ帰りたいの。」 「帰りたきやア早く帰つたらいゝぢやアないか?」 「おツ母さんにさう云つてやつた、わ、迎へに来なきやア死んぢまうツて。」 「おそろしいこツた。然しそんなことで、びくつくおツ母さんぢやアあるまい。」 「おツ母さんはそりやア/\可愛がるのよ。」 「独《ひと》りでうぬぼれてやアがる。誰がお前の様な者を可愛がるもんか?一体お前は何が出来るのだ?」 「何でも出来る、わ。」 「第一、三味線は下手《へた》だし、歌もまづいし、こゝから聴いてゐても、たゞきやア/\騒いでるばかりだ。」 「ほんとうは、三味線はきらひ、踊りが好きだつたの。」 「ぢやア、踊つて見るがいゝ」とは云つたものの、ふと顔を見合はせたら、抱き附いてやりたい様な気がしたのを、しつツこいと思はせない為め、まぎらしに仰向《あふむ》けに倒れ、両手をうしろに組んだまゝ、その上にあたまをのせ、吉弥が机の上でいたづらをしてゐる横がほを見ると、色は黒いが、鼻柱が高く、目も口も大きい。それに丈《せい》が高いので、役者にしたら、舞台づらがよく利《き》くだらうと思ひ附いた。鳥渡《ちよつと》断つて置くが、僕は或脚本——それによつて僕の進退を決する——を書く為め、材料の整理をしに来てゐるので、少くとも女優の独りぐらゐは、之を演ずる段になれば、必要だと思つてゐた時だ。 「お前が踊りを好きなら、役者になつたらどうだ?」 「あたい、賛成だ、わ。甲州にゐた時、朋輩《ほうばい》と一緒に五郎、十郎をやつたの。」 「さぞこの尻が大きかつただらう、ね」うしろからぶつと、 「よして頂戴《ちやうだい》よ、お茶を引く、わ」と、僕の手を払つた。 「お前が役者になる気なら、僕が十分|周旋《しうせん》してやらア。」 「どこへ、本郷座? 東京座? 新富座?」 「どこでもいゝや、ね、それは僕の胸にあるんだ。」 「あたい、役者になれば、妹もなりたがるにきまつてる。それに、あたいの子——」 「え、お前の子供があるんか?」 「もとの旦那《だんな》に出来た娘なの。」 「いくつ?」 「十二。」 「意気地《いくぢ》なしのお前が子までおツつけられたんだらう?」 「さうぢやアない、わ。青森の人で、手が切れてからも、一年に一度ぐらゐは出て来て、子供の食ひ扶持《ぶち》ぐらゐはよこす、わ。——それが面白い子よ。五つ六つの時から踊りが上手なんで、料理屋や待合から借りに来るの。『はい、今晩は』ツて、澄ましてお客さんの座敷へ這入《はい》つて来て、踊りがすむと『姉さん、御祝儀《ごしうぎ》は』ツて催促するの。小癪《こしやく》な子よ。芝居は好きだから、あたいよく仕込んでやる、わ。」  吉弥は直ぐ乗り気になつて、いよ/\さうと定まれば、知り合ひの待合や芸者屋に披露《ひろう》して引き幕を贈つて貰はなければならないとか、披露にまはる衣服《きもの》にこれ/\かゝるとか、かの女も寝ころびながら、いろ/\の注文をならべてゐたが、僕は、その時になれば、どうとも工面してやるがと返事をして、先づ二三日考へさせることにした。    五  それからといふもの、僕は毎晩の様に井筒屋へ飲みに行つた。吉弥の顔が見たいのと、例の決心を確めたいのとであつたが、当人の決心が先づ本統らしく見えると、直ぐまた僕はその親の意見を聴きにやらせた。親からは近々《ちか/″\》当地へ来るから、その時よく相談するといふ返事が来たと、吉弥が話した。僕一個では、また、或友人の劇場に関係があるのに手紙を出し、かう/\いふ女があつて、かう/\だと、その欠点と長所とを誇張しないつもりで一考を求め、遊びがてら見に来てくれろと云つて置いたら、ついでがあつたからと云つて出て来てくれた。吉弥を一夕友人に紹介したが、もう、その時は僕が深入りし過ぎてゐて、女優問題を相談するよりも、二人ののろけを見せた様に友人に見えたのだらう。僕よりもずツと年若い友人は、来る時にも「田村先生はゐますか」といふ様な調子でやつて来て、帰つた時にはその晩の勘定五円なにがしを払つてあつたので、気の毒に思つて、僕は直ぐその宿を訪《と》ふと、まだ帰らないと云ふことであつた。どこかでまた焼け酒を飲んでゐるのだらうと思つたから、その翌朝《よくてう》を待つて再び訪問すると、もう出発してゐなかつた。僕は何だか興ざめた気がした。それから、一週間、二週間を経ても、友人からは何の音沙汰《おとさた》もなかつた。然《しか》し、僕は、どんな難局に立つても、この女を女優に仕立てあげようといふ熱心が出てゐた。    六  僕は井筒屋の風呂を貰《もら》つてゐたが、雨が降つたり、余り涼しかつたりする日は沸《た》たないので、自然近処の銭湯に行くことになつた。吉弥も自分のうちのは立つても夕がたなどで、お座敷時刻の間に合はないと云つて、銭湯に行つてゐた。僕が行く頃には吉弥も来た、吉弥の来る頃には僕も行つた。別に申し合はせたわけでもなかつたが、時々は向ふから誘ふこともあつた。気が附かずにゐたが、毎度風呂の中で出くはす男で、石鹸《しやぼん》を女湯の方から貰つて使ふのがあつて、僕はいつも厭《いや》な、にやけた奴だと思つてゐた。それが一度向ふから余り女らしくもない手が出て、 「旦那《だんな》、しやぼん」といふ声が聴えると、てツきり吉弥の声であつた。男はいつも女湯の方によつて洗つてゐた。  このふたりは湯をあがつてからも、必らず立ち話した。男は腰巻き一つで、うちはを使ひながら、湯の番人の坐つてゐる番台のふちに片手をかけて女に向ふと、女はまた、どこで得たのか、白い寒冷紗《かんれいしや》の襞《ひだ》つき西洋寝巻をつけて、そのそばに立ちながら涼んでゐた。湯あがりの化粧をした顔には、ほんのりと赤みを帯びて、見ちがへるほど美しかつた。  外《ほか》にも芸者の這入りに来てゐるのは多いが、いつも目に立つのはこの女がこの男と相対してふざけたり、笑つたりしてゐたことである。はじめはこの男をひいきのお客位にしか僕は思つてゐなかつたが、石鹸事件を知つたので、これは僕の恋がたきだと思つた。否、恋がたきとして競争する必要もないが、吉弥が女優になりたいなどは真ツかなうそだと合点《がてん》した。急に胸がむか/\として来ずにはゐられなかつた。その様子がかの女には見えたかも知れないが、僕は之を顔にも見せないつもりで、いそいで衣服をつけてそこを出た。しまつたと後悔したのは、出口の障子《しやうじ》をつい烈《はげ》しくしめたことだ。  けふは早く行つて、あの男またはその他の人に呼ばれないうちに、吉弥めをあげ、一つ精一杯なじつてやらうと決心して、井筒屋へ行つた。湯から帰つて直ぐのことであつた。 「叔母さん。」僕もこゝの家族の云ひならしに従つて、お貞婆アさんをさう呼ぶことにしたのだ!—— 「けふは今から吉弥さんを呼んで、十分飲みますぞ。」 「毎度御ひいきは有難う御座いますけれど、先生はさうお遊びなさつてもよろしう御座いますか?」 「なアに、かまひませんとも。」 「然し、まだ奥さんにはお目にかゝりませんけれど、おうちでは独《ひと》りで御心配なさつてをられますよ。それがお可哀さうで。」 「かゝアは何も知つてませんや。」 「いゝえ、先生の様なお気質では、つれ添ふ身になつたら大抵《たいてい》想像がつきますもの。」 「よしんば、知れたツてかまひません。」 「先生はそれでもよろしからうが、私どもがそばにゐて、奥さんにすみません。」 「心配にやア及びません、さ。」景気よくは応対してゐたものの、考へて見ると、吉弥に熱くなつてゐるのを勘づいてゐるので、旦那があるからとても駄目だといふ心をほのめかすのではないかとも取れないことではない。また、一方には、飲むばかりで借りが出来るのを、若《も》し払はれない様なことがあつてはと心配し出したのではないかとも取れた。僕はわざと作り笑ひを以《も》つて平気をよそひ、お貞やお君さんや正ちやんやと時間つぶしの話をした。吉弥がまだ湯から帰らないのをひそかに知つてゐたからだ。 「吉弥は風呂に行つてまだ帰りませんが——もう、帰りさうなものだに、なア」と、お貞はお君に云つた。 「もう、一時間半、二時間にもなる」と、正ちやんが時計を見て口を出した。 「また、あの青木と蕎麦屋《そばや》へ行つたのだらう。」お君が長い顎《あご》を動かした。蕎麦屋と聴けば、僕も吉弥に引ツ込まれたことがあつて、よく知つてゐるから、そこへ行つてゐる事情は十分察しられるので、いゝことを聴かしてくれたと思つた。然し、この利口《りこう》ではあるが小癪な娘を、教へてやつてゐるが、僕は内心非常に嫌ひであつた。年にも似合はず、人の欠点を横からにらんでゐて、自分の気に食はないことがあると、何も云はないで、親にでも強く当る。 「気が強うて困ります」とは、その母が僕に会つて云つたことだ。まして雇ひ人などに対しては、最も皮肉な当り方をするので、吉弥はいつもこの娘を見るとぷり/\してゐた。その不平を吉弥は度々僕に漏らすことがあつた。もつとも、お君さんをさういふ気質に育てあげたのは、もとはと云へば、親達が悪いのらしい。世間の評判を聴くと、まだ肩あげも取れないうちに、箱根の或旅館の助平おやぢから大金を取つて、水あげをさせたといふことだ。小癪な娘だけに段々焼けツ腹になつて来るのは当り前だらう。 「あの青木の野郎、今度来たら十分云つてやらにやア」と、お貞が受けて、「借金が返せないもんだから、うちへ来ないで、こそ/\とほかでぬすみ喰ひをしやアがる!」  子供はふたりとも吹き出した。 「吉弥も吉弥だ、あんな奴にくツついてをらなくとも、お客さんはどこにでもある。——あんな奴があつて、うちの商売の邪魔をするのだ。」  さう思ふのも実際だ。僕が来てからの様子を見てゐても、料理の仕出しと云つてもさうある様には見えないし、あがるお客はなほ更《さ》ら少ない。たよりとしてゐたのは、吉弥独《ひと》りのかせぎ高だ。毎日夕がたになると、家族は囲炉裡《ゐろり》を取りまいて、吉弥の口のかゝつて来るのを今か今かと待つてゐる。  やがて吉弥はのツそり帰つて来た。 「何をぐづ/\してをつたんだ? 直《す》ぐお座敷だよ。」お貞はその割り合ひに強くは当らなかつた。 「さう。」吉弥は平気で返事をして、炉のそばに坐つて、「いらつしやい。」僕に挨拶をしたが、まるめて持つてゐた手拭としやぼんとをどこに置かうかとまごついてゐたが、それを炉のふちへ置いて、 「一本、どうか」と、僕のそばの巻煙草《まきたばこ》入《い》れに手を出した。  その時、吉弥は僕のうしろに坐つてゐるお君の鋭い目に出くはしたらしい。急に険相な顔になつて、「何だい、そのにらみざまは? 蛙ぢやアあるめいし。手拭をこゝへ置くのがいけなけりやア、勝手に自分でどこへでもかけるがいゝ! いけ好かない小まツちやくれだ!」 「一体どうしたんだ」と、僕が鳥渡《ちよつと》吉弥に当つて、お君をふり返ると、お君は黙つて下を向いた。 「あたいがゐるのがいけなけりやア、いつからでも出すがいゝ。へん、去年身投げをした芸者の様な意気地《いくぢ》なしではない。死んだツて、化《ば》けて出てやらア。高がお客商売の料理屋だ、今に見るがいゝ」と、吉弥は頻《しき》りに力んでゐた。  僕は何にも知らない風で、かの女の口をつぐませると、それまでわくわくしてゐたお貞が口を出し、 「まア、えい。まア、えい。——子供同士の喧嘩《けんくわ》です、先生、どうぞ悪《あし》からず。——さア、吉弥、支度、支度。」 「厭だが、行つてやらうか」と、吉弥はしぶ/\立つて、大きな姿見のある化粧部屋へ行つた。    七 「お座敷は先生だツたの、ねえ、——あんなことを云つて、どうも失礼」と、吉弥は三味線を以つて這入つて来た。 「………」僕はさツきから独りで、どういふ風に油をしぼつてやらうかと、頻りに考へてゐたのだが、やさしい声をして、やさしい様子で来られては、今まで胸にこみ合つてゐたさま/″\の忿怒《ふんぬ》のかたちは、太陽の光に当つた霧と消えてしまつた。 「お酌」と出した徳利から、心では受けまいと定《き》めてゐた酒を受けた。然し、まだ何となく胸のもつれが取れないので、碌《ろく》に話をしなかつた。 「おこつてるの?」 「………」 「えゝ、おこツてゐるの?」 「………」 「あたい、知らないわ!」  吉弥は赫《かつ》と顔を赤くして、立ちあがつた。そのまゝ下へ行つて、僕のおこつてゐることを云ひ、湯屋で見たことを妬《や》いてゐるのだと云ふことが若《も》しも下のものらに分つたら、僕一生の男を下げるのだと心配したから、 「おい、おい!」と命令する様な強い声を出した。それでも、かの女《ぢよ》は行つてしまつたが、まさかそのまゝ来ないことはあるまいと思つたから、独りで酌をしながら待つてゐた。果して銚子を持つて直ぐ再びやつて来た。向ふがつんとしてゐるので、今度は僕から物を云ひたくなつた。 「どうだい、僕もまた一つ蕎麦《そば》をふるまつて貰はうぢやアないか?」 「あら、もう、知つてるの?」 「へん、そんなことを知らない様な馬鹿ぢやアねい。役者になりたいからよろしく頼むなんどと白ばツくれて、一方ぢやア、どん百姓《びやくしやう》か、肥取《こえと》りかも知れねいへツぽこ旦つくと乳くり合つてゐやアがる。」 「そりやア、あんまり可哀さうだ、わ。あの人がゐなけりやア、東京へ帰れないぢやアないか、ね。」 「どうして、さ?」 「ぢやア、誰れが受け出してくれるの? あなた?」 「おれのはお前が女優になつてからの問題だ。受け出すのは、心配なくおツ母さんが来て始末をつけると云つたぢアないか?」 「だから、おツ母さんが来ると云つてるのでせう——」  それで分つたが、おツ母さんの来るといふのは、女優問題でわざわざ来るのではなく、青木といふ男に受け出されるそのかけ合ひの為めであつたのだ。 「あんな者に受け出されて、やツぱし、こんなしみツたれた田舎《ゐなか》にくすぶつてしまふのだらうよ。」 「おほきにお世話だ、あなたよりもさきに東京へ帰りますよ。」 「帰つて、どうするんだ?」 「お嫁に行きますとも。」 「誰れが貴《き》さまの様な者を貰つてくれよう?」 「憚《はゞか》りながら、これでも衣物《きもの》をこさへて待つてゐてくれるものがありますよ。」 「それぢやア、青木が可哀さうだ。」 「可哀さうも何もあつたもんか? あいつもこれまでに大分金をつぎ込んだ男だから、なか/\思ひ切れる筈《はず》はない、さ。」 「どんなに馬鹿だツて、そんなのろまな男はなからうよ。」 「どうせ、おかみさんがやかましくツて、あたいをこゝには置いとけないのだから、たまに向ふから東京へ出て来るだけのことだらう、さ。」  男はそんなものと高をくゝられてゐるのかと思へば、僕はまた厭気《いやけ》がさして来た。 「お嫁に行つて、妾《めかけ》になつて、まだその上に女優を慾張らうとは、お前も随分ふてい奴、さ。」 「さうとも、さ、こんなにふとつたからだだもの、かせげるだけかせぐん、さ、ね。」 「ぢやア、もう、僕は手を引かう」と、僕は坐り直した。「青木が呼びに来るだらうから、下へ行け。」 「あの人は今晩来ないことになつたの——そんなに云はないで、さ、あなた」と、吉弥はあまえる様にもたれかゝつて、「今云つたことはうそ、みんなうそ。決心してイるんだから、役者にして頂戴よ。おツ母さんだツて、あたいから云へば、承知するに定つてる、わ。」  僕は、女優問題さへ忘れれば、恨《うら》みもつらみもなかつたのだから、かうやつて飲んでゐるのは悪くもなかつた。  吉弥はまた早くこの厭《いや》な井筒屋を抜けて、自由の身になりたいのであつた。何んでも早く青木から身受けの金を出させようと運動してゐるらしく、先刻も亦《また》青木の云ひなり放題になつて、その代りに何かの手筈を定《き》めて来たものと見えた。おツ母さんから一筆《ひとふで》青木に当てた依頼状さへあれば、あすにも楽な身になれるといふので、僕は思ひも寄らない偽筆を頼まれた。    八  青木といふのは、来遊の外国人を当て込んで、箱根や熱海に古道具屋の店を開き、手広く商売が出来てゐたものだが、全然無筆な男だから、人の借金証書にめくら判を押した為め、殆《ほどん》ど破産の状態に落ち入つたが、この頃では多少回復がついて来たらしかつた。今の細君といふのは、やツぱり、井筒屋の芸者であつたのを引かしたのだ。二十歳《はたち》の娘をかしらに既《すで》に三人の子持ちだ。はじめて家を持つた時、などは、井筒屋のお貞(その時は、まだお貞の亭主が生きてゐて、それが井筒屋の主人であつた)の思ひやりで、台どころ道具などを初め、所帯を持つに必要な物は殆どすべて揃《そろ》へて貰ひ、飯の炊《た》き方まで手を取らないまでにして世話して貰つたのであるが、月日の経《た》つに従ひ、この新夫婦はその恩義を忘れたかの様に疎《うと》くなつた。お貞は、今に至るまでも、このことを云ひ出しては、軽蔑《けいべつ》と悪口との種にしていゐるが、この一二年来不景気の店へ近頃最もしげ/\来るお客は青木であつたから、陰で悪く云ふものの、面と向つては、進まないながらも、十分のお世辞をふり撒《ま》いてゐた。  青木は井筒屋の米櫃《こめびつ》でもあつたし、また吉弥の旦那を以つて得々《とく/\》としてゐたのである。然しその実、苦しい工面《くめん》をしてゐたといふことは、僕が当地へ初めて着《ちやく》した時|尋《たづ》ねて行つた寺の住職から聴くことが出来た。  住職のことはこの話にさう編み込む必要がないが、兎《と》に角《かく》、渠《かれ》は僕の室へよく遊びに来た、僕もよく遊びに行つた。酔つて来ると、随分面白い坊主で、いろんなことをしやべり出す。それとなく、吉弥の評判を聴くと、色が黒いので、土地の人はかの女を「おからす芸者」といふことを僕に云つて聴かせたことがある。之を聴かされる日、僕は、帰つて来てから吉弥にもつと顔をみがく様に忠告した。かの女の黒いのは寧《むし》ろ無精《ぶしやう》だからであると僕には思はれた。 「磨いて見せるほどあたいが打ち込む男は、この国府津《こふづ》にやアゐないよ」とは、かの女がその時の返事であつた。  住職の知り合ひで、或小銀行の役員をつとめていゐる田島といふものも、亦、吉弥に熱くなつてゐることは、住職から聴いて知つてゐたが、この方に対しては別に心配するほどのこともないと見たから、僕も眼中に置かなかつた。吉弥を通じて僕に会ひたいと云ふことづてもあつたが、僕は面倒だと思つてはねつけて置いた。且《かつ》どうも当地にとゞまる女ではないし、また帰つたら女優になると云つてゐるから、女房にしようなどいふ野心を起して、つまらない金は使はない方がよかろうと、渠に忠告してやれと僕は住職に勧《すゝ》めたことがある。一方にはそんなしほらしいことを云つて、また一方では偽筆を書く、僕のその時の矛盾は——あとから見れば——甚《はなはだ》しいもので、もう、殆ど全く目が暗《くら》んでゐたのだらう。  吉弥は、自分に取つては、最も多くの世話を受けてゐる青木をも、あたまから見くびつてゐたのだから、平気で僕の筆を利用しようとした。それを以つて綺麗《きれい》に井筒屋を出る手つゞきをさせようとしたのは翌朝のことであるが、さう早くは成功しなかつた。  僕が昼飯を喰つてゐる時、吉弥は僕のところへやつて来て、飯の給仕をしてくれながら太い指にきらめいてゐる宝石入りの指輪を嬉《うれ》しさうにいじくつてゐた。 「どうしたんだ?」僕はいぶかつた。 「人質に取つてやつたの。」 「おツ母さんの手紙がばれたんだらう——?」 「いゝえ、ゆうべこれ(と、鼻をゆびさしながら)に負けたんで、現金がないと、さ。」 「馬鹿野郎! だまされてゐやアがる。」僕は僕のことでも頼んで出来なかつたものを責めるやうな気になつてゐた。 「本統よ、そんなにうそがつける男ぢやアないの。」 「のろけてゐやがれ、おめえはよツぽどうすのろ芸者だ。——どれ、見せろ。」 「よツぽどするでせう?」抜いて出すのを受取つて見たが、鍍金《めつき》らしいので、 「馬鹿!」僕はまた叱りつけたやうにそれをはうり出した。 「しどい、わ。」吉弥は真ツかになつて、恨めしさうにそれを拾つた。 「そんな物で身受けが出来る代物《しろもの》なら、お前はそこら当りの達磨《だるま》も同前だア。」 「どうせ達磨でも、憚《はゞか》りながら、あなたのお世話にやアなりませんよ——ぢやア、これはどう?」帯の間から小判を一つ出した。「これなら、指輪に打たしても立派でせう?」 「どれ」と、ひツたくりかけたら、 「いやよ」と、引ツ込めて、「あなたに見せたツて、けちをつけるだけ損だ。」 「ぢやア、勝手にしやアがれ。」  僕は飯をすまし、茶をつがせて、箸《はし》をしまつた。吉弥はのびをしながら、 「あゝ、あゝ、もう、死んぢまいたくなつた。いつおツ母さんがお金を持つて来てくれるのか、もう一度手紙を出さうか知ら?」 「いゝ旦那がついてゐるのに、持つて来る筈はない、さ。」 「でも、何とやらで、いつはづれるか知れたものぢやアない。」 「それがいけなけりやア、また例のお若い人に就《つ》くがいゝや、ね。」 「それがいけなけりやア——あなた?」 「馬鹿ア云へ。そんな腑《ふ》ぬけた田村先生ぢやアねえ。——おれは受け合つて置くが、お前の様に気の多い奴は、結局こゝを去ることが出来ずにすむんだ。」 「いやなこツた!」立ち上つて、両手に膳と土瓶《どびん》とを持ち、「あとでいらつしやい」と云つて二階の段を降りて行つた。下では、「きイちやん、御飯」と、呼びに来たお君の声がきこえた。    九  その日の午後、井筒屋へ電報が来た。吉弥の母からの電報で、今新橋を立つたといふ知らせだ。僕が何気なく行つて見ると、吉弥が子供の様に嬉しがつてゐる様子が、その挙動に見えた。僕が囲炉裡のそばに坐つてゐるにも拘らず、殆ど之を意にかけないかのありさまで、ただそわ/\と立つたりゐたり、——少しも落ちついてゐなかつた。  そこへ通知してあつたのだらう、青木がやつて来た。炉のそばへ来て、僕と家のものらに鳥渡《ちよつと》挨拶《あいさつ》をしたが、これも落ちつきのない様子であつた。 「まだお宅へはお話していないけれど、けふ私がいよ/\吉弥を身受け致します。おツ母さんがやつて来るのも、その相談だから、そのつもりで、吉弥に対する一切の勘定書《かんぢやうが》きを拵《こしら》へて貰ひませう。」  かう云つて、青木が僕の方を見た時には、僕の目に一種の勝利、征服、意趣返し、または誇りとも云ふべき様子が映つたので、ひよツとすると、僕と吉弥の関係を勘づいてゐて特に金づくで僕に対してこれ見よがしの振りをするのではないかと思はれた。  さらに気をまはせば、吉弥は僕のことに就いていゝ加減のうそを並べ、うすのろだとか二本棒だとか、焼き餅やきだとか云ふ嬉しがらせを云つて、青木の機嫌を取つてゐるのではないかとも思はれた。どうせ吉弥が僕との関係を正直にうち明す筈はないが、実は全く青木の物になつてゐて、かげでは、二人して僕のことを迂濶《うくわつ》な奴《やつ》、頓馬《とんま》な奴、助平な奴などあざ笑つてゐるのかも知れないと、僕は非常に不愉快を感じた。  然し、不愉快な顔を見せるのは、焼き餅と見えるから、僕の出来ないことだし、出来ないと云つても、全くこれを心から取り除くことは為《な》し得なかつた。之を耐へ忍ぶのは、僕がこれまで見せて来た快濶《くわいくわつ》の態度に対しても、実に苦痛であつた。然し、その当面の苦痛は直ぐ取れた。と云ふのは、青木が直ぐ立ちあがつて、二階の方へ行つたからであるが、立ちあがつた時、かたはらの吉弥に目くばせをしたので、吉弥は僕を見て顔を赤らめたまゝ青木の跡について行つた。  僕は知らない風をしてお貞と相対してゐた。 「まア、吉弥さんも結構です。身受けをされたら」と、僕が煙草《たばこ》の煙を吹くと、 「さうだらうとは思つてをつたけれど」と、お貞は長煙管《ながぎせる》を強くはなきながら、「あいつもよツぽど馬鹿です。なけなしの金を工面《くめん》して、吉弥を受け出したところで、国府津《こふづ》に落ちついてをる女ぢやなし、よしまた置いとかうとしたところで、あいつのかみさんが承知致しません。そんな金があるなら、先《ま》づうちの借金を返すがえゝ。——先生、さうでは御座りませんか?」 「そりやア、叔母さんの云ふのも尤《もつと》もです、然し、まア、男が惚《ほ》れ込んだ以上は、さうしてやりたくなるんでせうから——」 「吉弥も馬鹿です。男にはのろいし、金使ひにはしまりがない。あちらに十銭、こちらに一円、うちで渡す物はどうするのか、方々からいつもその尻がうちへまはつて来ます。」 「帰るものは帰るがえゝ、さ。」そばから、お君がくやしさうに口を出した。 「馬鹿な子ほど可愛いものだと云ふけれど、ほんとうにまたあのお袋が可愛がつてをるので御座ります。」お貞は僕にさも憎々《にく/\》しさうに云つた。「あんな者でも、をつて呉《く》れれば事がすんで行くけれど、をらなくなれば、またその代りを一苦労せにやならん。——おい、お君、馬鹿どもにお銚子をつけてやんな。」  お君は、あざ笑ひながら、台どころに働いてゐる母にお燗《かん》の用意を命じた。  僕は何だか吉弥もいやになつた。井筒屋もいやになつた、また自分自身をもいやになつた。  僕が帰りかけると、井筒屋の表口に車が二台ついた。それから降りたのは四十七八の肥えた女——吉弥の母らしい——に、その亭主らしい男、母ばかりではない、おやぢもやつて来たのだ。僕はこらへてゐた不愉快の上に、また何だか、おそろしい様な気が加はつて、そこそこに帰つて来た。    一〇  吉弥は、よもや、僕が度々勧め、かの女も十分決心したと云つたことも忘れはしまい。よしんば、親が承知しないで、その決心——それも実は当てにならない——をひる返すことがあるにしろ、一度はそれを親どもに話さないことはあるまい。話しさへすれば、親の方から僕に何とか相談があるに違ひない。僕の方に乗り気になれば、直ぐにも来さうなものだ。いや、若し吉弥がまだ僕のことを知らしてないとすれば、青木の来てゐるところで話し出すわけには行くまい。あいつも随分頓馬な奴だから、青木のゐないところで、鳥渡《ちよつと》両親に含ませるだけの気は利くまい。全体この話はどうなるだらうと、いろ/\な考へやら、空想やらが僕のあたまに押し寄せて来て、たゞわく/\するばかりで、心が落ちつかなかつた。  窓の机に向つて、ゆふがた、独り物案じに沈み、見るともなしにそとをながめてゐると、暫《しばら》く忘れてゐたいちじくの樹が、大きなみづみづした青葉と結んでゐる果《み》とを以つて、僕の労《つか》れた目を醒《さ》まし、労れた心を導いて、家のことを思ひ出させた。東京へ帰れば、自分の庭にもそれより大きないちじくの樹があつて、子供はいつもこツそりそのもとに行つて、果の青いうちから、竹竿《たけざを》を以つてそれをたゝき落すのだが、妻がその音を聴きつけては、急いで出て来て、子供をしかり飛ばす。そんな時には「お父さん」の名が引き合ひに出されるが、僕自身の不平があつたり、苦痛があつたり、寂《さび》しみを感じてゐたりする時などには子供のある妻は殆ど何の慰めにもならない。一体、わが国の婦人は、外国婦人などと違ひ、子供を持つと、その精魂をその方にばかり傾けて、亭主といふものに対しては、たゞ義理的に操《みさを》ばかりを守つてゐたらいゝと云ふ考へのものが多い。それでは、社会に活動しようとする男子の心を十分に占領するだけの手段または奮発(僕は之を真に生きた愛情といふ)がないではないか? 僕は僕の妻を半身不随の動物としか思へないのだ。いツそ、吉弥を妾にして、女優問題などは断念してしまはうかと思つて見た。  さうだ、さうだ。今の僕には女優問題などは二《に》の町《まち》のことで、もう、迅《と》くに、僕といふ物は吉弥の胸に融《と》けてしまつてゐるのではないか?決心を見せろとか、何とか、口では吉弥に強く出てゐるが、その実、僕の心はかの女の思ふまゝになつてゐるのではないか? いツそ、かの女の思ふまゝになつてゐるくらゐなら、六《むつ》ケしい而《しか》もあやふやな問題を提出して、吉弥に敬して遠ざけられたり、その親どもにかげで嫌はれたりするよりか、全く一心をあげて、かの女の真情を動かした方がよからうとも思つた。  僕の胸はいちじくの果《み》よりもやはらかく、僕の心はいちじくの葉よりももろくなつてゐたのだ。  ふと浪《なみ》の音が聴えて来た。泳ぎに行つて知つてゐるが、長くたわんだ、綺麗《きれい》な海岸線を洗ふ浪の音だ。さツと云つては押し寄せ、すツと静かに引きさがる浪の音が遠く聴えた。それに耳を傾けると、そのさツと云つて暫く聴えなくなる間に、僕は何だかたましひを奪はれて行く様な気がした。それがそのまゝ吉弥の胸ではないかと思つた。  こんな下らない物思ひに沈んでゐるよりも、暫く怠つてゐた海水浴でもして、すべての考へを一新してしまはうかと思い附き、先づ、あぐんでゐる身体《からだ》を自分で引き立て、さんざに肘《ひぢ》を張つて見たり、胸をさすつて見たり、腕をなぐつて見たりしたが、やツぱり気が進まないので、ぐんにやりしたまゝ、机の上につツぷしてしまつた。 「おやツ!」かしらをあげると、井筒屋は大景気で、三味の音がすると同時に、吉弥のうは気な歌声がはツきりと聴えて来た。僕は青木の顔と先刻車から出た時の親夫婦の姿とを思ひ浮べた。    一一  その夜はまんじりとも眠れなかつた。三味の音が浪の音に聴《きこ》えたり、浪の音が三味の音に聴えたり、丸で夢うつゝのうちに神経が冴《さ》えて来て、胸苦しくもあつたし、また何物かがあたまの心《しん》をこづいてゐる様な工合ひであつた。明け方になつて、いつのまにか労《つか》れて眠つてしまつたのだらう、目が醒《さ》めたら、もう、昼ぢかくであつた。  枕もとに手紙が来てゐたので、寝床の中から取つて見ると、妻からのである。云つてやつた金が来たかと、急いで開いて見たが、為替《かはせ》も何も這入《はい》つてゐないので、文句は読む気にもならなかつた。それをうツちやる様に投げ出して、床を出た。  楊枝《やうじ》を喰《く》はへて、下に行くと、家のおかみさんが流しもとで何か洗つてゐた手をやすめて、 「先生、お早う御座ります」と、笑つた。 「つい寝坊をして」と、僕は平気で井戸へ行つたが、その朝に限つて井筒屋の垣根を這入ることがこはい様な、おツくうな様な——実に、面白くなかった。顔を洗ふのもそこ/\にして、部屋にもどり、朝昼兼帯の飯を喰ひながら、妻から来た手紙を読んで見た。僕の宿《とま》つてゐるのは芸者屋の隣りだとは通知してある上に、取り残して来た原稿料の一部を僕が度々《たび/\》取り寄せるので、何か無駄づかひをしてゐると感づいたらしい——もつとも、僕がそんなことをしたのはこの度ばかりではないから、旅行毎に妻はその心配を予想してゐるのだ——いゝ加減にして切りあげ、帰つて来て呉れろと云ふのであつた。  僕も、馬鹿にされてゐるのかと思ふと、帰りたくならないではなかつたが、然しまた吉弥のことをつき止《と》めなければ帰りたくない気もした。様子ではどうせ見込のない女だと思つてゐても、どこか心の一隅《ひとすみ》から吉弥を可愛がつてやれといふ命令が下だる様だ。どうともなる様になれ、自分は、どんな難局に当つても、消えることはなく、却《かへ》つてそれだけの経験を積むのだと、初めから焼け気味のある僕だから、意地にもわざと景気のいゝ手紙を書き、隣りの芸者にはいろ/\世話になるが、情熱のある女で——とは、そのじつ、うそツ鉢《ぱち》だが——お前に対するよりもずツと深入りが出来ると、妻には云つてやつた。  その手紙を出しに行つた跡へ、吉弥はお袋をつれて僕の室へあがつてゐた。 「先生、母ですよ。」 「さう——おツ母さんですか」と、僕は挨拶をした。 「お留守のところへあがり込んで、どうも済みませんが、娘がいろいろお世話になつて」と、丁寧にさげたあたまを再びあげるところを見ると、心持ちかは知らないが、何だか毒々しいつら附きである。からだは、その娘とは違つて、丈が低く、横にでぶ/\太つて、豚《ぶた》の体に人の首がついてゐる様だ。それに、口は物を云ふたんびに横へまがる。癇《かん》の為めにさう引きつるのだとは、跡でお袋みづからの説明であつた。  これで国府津へは三度目だが、なか/\いゝところだとか、僕が避暑がてら勉強するには持つて来いの場所だとか、遊んでゐながら出来る仕事は結構で羨《うらや》ましいとか、お袋の話はなか/\まはりくどくつて僕の待ち設けてゐる要領に鳥渡《ちよつと》這入りかねた。  吉弥は、たゞにこ/\しながら、僕の顔とお袋の顔とを順番に見くらべてゐたが、退屈さうにからだを机の上にもたせかけ、片手で机の上をいぢくり出した。そして、今しがた僕が読んで納めた手紙を手に取り、封筒の裏の差出し人の名を見るが早いか、鳥渡顔色を変へ、 「いやアだ」と、はうり出し、「奥さんから来たのだ。」 「これ、何をします!」お袋は体《てい》よくつくろつて、「先生、この子は、ほんとうに、人さまに失礼といふことを知らないで困るんですよ。」 「なアに。」僕は受けたが、その跡はどうあしらつていゝのだか、鳥渡まごついた。止むを得ず、「実は」と、僕の方から口を切つて、若し両親に異論がないなら、してまた本人がその気になれるなら、吉弥を女優にしたらどうだといふことを勧め、役者なるものは——とても、云つたからとて、分るまいとは思つたが、——世間の考へてゐる様な、またこれまでの役者身づからが考へてゐる様な、下品な職業ではないことを簡単に説明してやつた。且《かつ》、僕がやがて新らしい脚本を書き出し、それを舞台にのぼす時が来たら、俳優の——殊《こと》に女優の——二三名は少くとも抱へて置く必要があるので、その手はじめになるのだといふことをつけ加へた。 「そりやア御もつともです」と、お袋は相槌《あいづち》を打つて、「そのことはこの子からも聴きましたが、先生が何でもお世話して下ださることで、またこの子の名をあげることであるなら、私どもには不承知なわけは御座いません。」 「お父さんの考へはどうでせう?」 「私どものは、なアに、もう、どうでもいゝので、始終《しじゆう》私が家のことをやきもき致してゐまして、心配こそ掛けることは御座いましても、一つとして頼みにならないので御座いますよ。私は、もう、独りで、うちのことやら、子供のことやらをあくせくしてゐるので御座います。」 「そりやア、大抵なことぢやアないでせう。——吉弥さんも少しおツ母さんを安心させなきやア——」 「この子がまた、先生、一番意気地なしで困るんですよ。」お袋は念入りに肩を動かして、さも性根《しやうね》なしとのゝしるかの様子で女の方を見た。「何でも私に寄りかゝつてゐさへすればいゝと思つて、だゝツ子の様に来てくれい、来てくれいと云つてよこすんです。」 「だツて、来てくれなきやア仕方がないぢやアないか?」吉弥はふくれツ面《つら》をした。「おツ母さんが来たら、方《かた》をつけるといふから、早く来いと云つてやつたんぢやアないか?」 「おツ母さんだツて、いろんな用があるよ。お前の妹だツて、また公園で出なけりやアならなくなつたし、さう/\お前のことばかりにかまけてはゐられないよ。半玉《はんぎよく》の時ぢやアあるまいし、高が五十円か百円の身受け相談ぐらゐ、相対《あひたい》づくでも方が附くだらうぢやアないか?お前よりも妹の方が余程気が利いてるよ。」 「ぢやア、勝手にしやアがれ。」 「あれですもの、先生、ほんとに困ります。これから先生に十分仕込んで戴《いたゞ》かなければ、丸でお役に立ちませんよ。」 「なアに、役者になるには年が行き過ぎてゐるくらゐなのですから、いよ/\決心してやるなら、自分でも考へが出るでせう。」 「きイちやん、しツかりしないと行けませんよ」と、お袋はそれでも娘には折れてゐる。 「あたいだツて、たましひはあらア、ね。」吉弥は僕の膝《ひざ》に来て、その上に手枕をして、「あたいの一番好きな人」と、僕の顔を仰向《あふむ》けに見あげた。  僕はきまりが悪い気がしたが、お袋にうぶな奴と見抜かれるのも不本意であつたから、そ知らぬ振りに見せかけ、 「お父さんにもお目にかゝつて置きたいから、夕飯を向ふのうなぎ屋へ御案内致しませうか? おツ母さんも一緒に来て下さい。」 「それは何よりの好物です。——ところで、先生、私はこれでもなかなか苦労が絶えないんで御座いますよ。娘からお聴きでも御座いませうが、芸者の桂庵《けいあん》といふ仕事は、並み大抵の人には出来ません。二百円、三百円、五百円の代物《しろもの》が二割、三割になるんですから、実入《みい》りは悪くもないんですが、あツちこツちへ駆けまはつて買ひ込んだ物を注文主へつれて行くと、あれは善くないから取りかへてくれろの、これは悪くもないがもツと安くしてくれろのと、間に立つものは毎日気の休まる時が御座いません。それが田舎行きとなると、幾度も往復しなけりやアならないことが御座います。今度だツてもこの子の代りを約束しに来たんですよ、それでなければ、どうして、このせちがらい世の中で、ぼんやり出て来られますものですか?」 「代りなど拵《こしら》へてやらないがいゝや、あんな面白くもない家に」と、吉弥は起きあがつた。 「それが、ねえ、先生、商売ですもの。」 「そりやア、御もつともで。」 「で、御承知でせうが、青木といふ人の話もあつて、けふ、もう、直《ぢ》きに来て、いよ/\の決着が分るんで御座いますが、それが定《きま》らないと、第一、この子のからだが抜けませんから、ねえ。」 「さうですとも、私の方の問題は役者になればいゝので、吉弥さんがその青木といふ人と以後も関係があらうと、なからうと、それは問ふところはないのです」と、僕の言葉は、まだ金の問題には接近してゐなかつただけに、うはべだけは、兎《と》に角《かく》、綺麗な物であつた。 「然《しか》し、この子が役者になる時は、先生から入費は一切出して下さる様になるんでせう、ね。」と、お袋はぬかりなく念を押した。 「そりやア、さうですとも。」僕は勢《いきほひ》よく答へたが、実際、その時になつての用意があるわけでもないから、少し引け気味があつたので、思はず知らず、「その時ア私がどうともして拵へますから、御安心なさい」と附け加へた。  僕はなる様になれといふ気であつたのだ。  お袋は、それから、なほ世間話しを初める、その間々にも、僕をおだてる言葉を絶たないと同時に、自分の自慢話しがあり、金はたまらないが身に絹物をはなさないとか、作者の誰れ彼れ(その芝居ものと僕が同一に見られるのを頗《すこぶ》る遺憾《ゐかん》に思つたが)はちよく/\遊びに来るとか、商売がらでもあるが国府津を初め、日光、静岡、前橋などへも旅行した事があるとかしやべつた。そのうち解けた様な、また一物ある様な腹がまへと、しやべる度《たび》毎《ごと》に歪《ゆが》む口つきとが、僕にはどうも気になつて、吉弥はあんな母親の拵《こさ》へた子かと、また/\厭気《いやけ》がさした。    一二  もう、ゆふ飯時だからと思つて、僕は家を出で、井筒屋のかど口から鳥渡《ちよつと》吉弥の両親に声をかけて置いて、一足さきへうなぎ屋へ行つた。うなぎ屋は筋向ふで、時々行つたこともあるし、またそこのかみさんがお世辞者《せじもの》だから、僕は遠慮しなかつた。 「おかみさん」と、這入つて行つて、「けふはお客が二人あるから、ね。」 「あの、先刻《さつき》、吉弥さんからそれは承つて居ります」と、おかみさんは襷《たすき》の一方をはづした。 「もう、通知してあるのか? 気の早い奴だ、なア」と、僕は二階へあがりかけた。  おかみさんは、どうしたのか、あわてて僕を呼び止め、いつもと違つた下座敷へ案内して、 「暫くお待ちなさつて——二階が直《す》ぐ明きますから」 「お客さんか、ね」と、僕は何気なくそこへ落ちついた。  かみさんが出て行つた跡で、ふと気がつくと、二階に吉弥の声がしてゐる。芸者が料理屋へ呼ばれてゐるのは別に不思議はないのだが、実は吉弥の自白に拠《よ》ると、こゝのかみさんが窃《ひそか》に取り持つて、吉弥とかの小銀行の田島とを近頃接近させてゐたのだ。田島は之が為めにこの家に大分借金が出来たし、また他の方面でも負財の為めに頸《くび》がまはらなくなつてゐる。僕が吉弥をなじると、 「お金こそ使はしてはやるが」と、かの女は答へた。「田島さんとほかの関係はない。考へて見ても分るだらうぢやアないか、奥さんになつてくれいツて、若《も》しなつて国府津にゐたら、あツちからもこツちからもあたいを闇打《やみう》ちする人が出て来るかも知れやアしない、わ。」 「お前はさう方々に罪をつくつてゐるのか」と、僕はつツ込んだことがる。が、兎に角、この地にとゞまつてゐる女でないことだけは分つてゐたから、僕の疑ひは多少安心な方で、既にかの住職にも田島に対する僕の間接な忠告を伝へたくらゐであつた。然し、その後も、毎日または隔日には必らず会つてゐる様子だ。かうなれば、男の方では段々焼けツ腹になつて来る上、吉弥の勘定通り、ます/\思ひ切れなくなるのは事実だ。それに、或日、吉弥が僕の二階の窓から外をながめてゐた時、 「ちよいと、ちよいと」と、手招ぎをしたので、僕は声を出して、 「なんだ」と、大きな声を出した。 「静かにおしよ」と、かの女は僕を制して、「あれが田島よ」と、小声。  成る程、鳥渡小意気だが、にやけた様な男の通つて行くよこ顔が見えた。男ツ振りがいゝとは兼《かね》て聴かされてゐたが、色の白い、肌のすべすべしてゐさうな男であつた。その時、僕は、毛穴の立つてゐるおからす芸者を男にしてしまつても、田島を女にして見たいと思つたくらゐだから、僕以前は勿論《もちろん》、今とても、吉弥が実際かれと無関係でゐるとは信じられなくなつた。どうせ、貞操などをかれこれ云ふべきものでないのは勿論のことだが、青木と田島とが出来てゐるのに僕を受け、また僕と青木があるのに田島を棄《す》てないなどと考へて来ると、ひいき目があるだけに、僕は旅芸者の腑甲斐《ふがひ》なさをつく/″\思ひやつたのである。  その田島がてツきり来てゐるに相違ないと思つたから、僕はこツそり二階のはしご段をあがつて行つた。八畳の座敷が二つある、そのとツ附きの方へ這入り、立てかけてあつた障子のかげに隠れて耳をそば立てた。 「おツ母さんは、ほんとに、どうする気だよ?」 「どうするか分りやアしない。」 「田村先生とは実際関係がないか?」 「また、しつツこい!——あつたら、どうするよ?」 「それぢやア、青木が可哀さうぢやアないか?」 「可哀さうでも、可哀さうでなくツても、さ、あなたのお腹はいためませんよ。」 「ほんとに役者になるのか?」 「なるとも、さ。」 「なつたツて、お前、直《ぢ》きに役に立たないツて、棄てられるに定つてるよ。その時アまたお前の厭《いや》な芸者にでもなるよりほかアなかろうぜ。」 「そりやア、あたいも考へてまさア、ね。」 「そのくらゐなら、初めから思ひ切つて、おれの云ふ通りになつて呉れよ。」  田島の声は、見ず転芸者を馬鹿にしてゐる様な句調ながら、まんざら全く浮薄の調子ではなかつた。また、出来ることなら吉弥を引きとめて、自分の物にしたいといふ相談を持ちかけてゐたらしい。殊《こと》に最後の文句などには、深い呼吸が伴《ともな》つてゐる様に聴えた。その「可哀さうぢやアないか」は、青木を出しに田島自身のことを云つてゐたのだろうが、吉弥は何の思ひやりもなく、大変強く当つてゐた。かの女の浅墓《あさはか》な性質としては、もう、国府津に足を洗ふのは——果してけふ、あすのことだか、どうだか分りもしないのに——大丈夫と思ひ込み、跡は野となれ、山となれ的に楽観してゐて、田島に対し若し未練がありとすれば、たゞ行きがけの駄賃として二十円なり、三十円なりの餞別《せんべつ》を貰つてやらうぐらゐだらう、と、僕には読めた。 「あたい、ほんとうはお嫁に行くのよ、役者になれるか、どうだか知れやアしないから」などと、かの女は云はないでもいゝことをしやべつた。 「どういふ人にだ?」 「区役所のお役人よ——衣物など拵《こしら》へて、待つてゐるの。」  僕は隣室の状景を想像する気持ちよりも、寧《むし》ろこの一言にむかツとした。之が果して事実なら——して、「お嫁に行くの」はさきに僕も聴いたことがあるから、——現在、吉弥の両親は、その定つた話しをもたらしてゐるのだと思はれた。あの腹の黒い母親のことであるから、それ位のたくらみは為《し》かねないだらう。 「どうせ、二三十円の月給取りだらうが、そんな者の嬶《かゝ》アになつてどうするんだ?」 「お前さんのような借金持ちよりやアいゝ、わ。」 「馬鹿ア云へ!」 「子供の時から知つてる人で、前からあたいを貰ひたいツて云つてたの——月給は四十円でも、お父《とつ》さんの家がいゝんだから——」 「家《うち》はいゝかも知れないが、月給のことはうそだらうぜ——然しだ、さうなりやア、おれ達アみな恨《うらみ》ツこなしだ。」 「ぢやア、さうと定《き》めませうよ。」吉弥はうるささうに三味線をじやんじやん引き出した。 「よせ、よせ!」と、三味線をひツたくつたらしい。 「ぢやア、もう、帰つて頂戴《ちやうだい》よ、何度も云ふ通り、貰ひがかゝつてゐるんだから。」 「帰すなら、帰す様にするがいゝ。」 「どうしたらいゝのよ?」 「かうするんだ。」 「いたいぢやアないか?」 「静かにせい!」この一言の勢ひは、抜き身を以つて這入つて来た強盗ででもあるかの様であつた。 「………」僕はゐたゝまらないで二階を下りて来た。  暫くしてはしご段をとん/\おりたものがあるので、下座敷からちよツと顔を出すと、吉弥が便所に這入るうしろ姿が見えた。  誰れにでもあゝだらうと思ふと、今更らの様にあの粗《あら》い肌が聯想され、僕自身の身の毛もよだつと同時に、自分の心が既に毛深い畜生になつてゐるので、その鋭い鼻がまた別な畜生の尻を嗅《か》いでゐた様な気がした。    一三  田島が帰ると同時に、入れ代つて、吉弥の両親が這入つて来た。 「明きましたから、どうぞ二階へ」と、今度はこゝのかみさんから通知して来たので、僕は室を出て、またはしご段をのぼらうとすると、その両親に出くわした。 「お言葉にあまえて」と、お袋は愛相《あいさう》よく、「先生、そろつてまゐりましたよ。」 「さア、おあがんなさい」と、僕はさきに立つて二階の奥へ通つた。  おやぢといふのは、お袋とは違つて、人のよささうな、その代り甲斐性《かひしやう》のなささうな、いつもふところ手をして遊んでゐればいゝといふ様な手合ひらしい。男ツ振りがいゝので、若い時は、お袋の方が惚《ほ》れ込んで、自分のかせぎ高をみんな男の賭博《とばく》の負けにつぎ足しても、なほ他の女に取られまい、取られまいと心配したのだらうと思はれる。年が寄つても、その習慣が直らないで、矢ツぱりお袋にばかり世話を焼かせてゐるおやぢらしい。下駄の台を拵へるのが仕事だと聴いてはゐるが、それも大して骨折るのではあるまい。(一つ忘れてゐたが、お袋の来る時には、必らず僕に似合ふ下駄を持つて来ると云つてゐたが、そのみやげはない様だ。)初対面の挨拶も出来かねた様なあり様で、たゞ窮屈《きうくつ》さうに坐つて、申し訳けの膝《ひざ》ツこを並べ、尻は少しも落ちついてゐない様子だ。 「お父さんの風ツたら、ありやアしない。」お袋が斯《か》う云ふと、 「おりやアいつも無礼講で通つてゐるから」と、おやぢはにやりと赤い歯ぐきまで出して笑つた。 「どうか、おくづしなさい。御遠慮なく」と、僕は先づ膝をくづした。 「お父さんは」と、お袋は却《かへ》つて無遠慮に云つた、「まア、下駄職に生れて来たんだよ、毎日、あぐらをかいて、台に向つていればいゝんだ。」 「さう馬鹿にしたもんぢやアないや、ね」と、おやぢはあたまを撫《な》でた。 「御馳走をたべたら、早く帰る方がいゝよ」と、吉弥も笑つてゐる。  をかしくないのは僕だけであつた。三人に酒を出し、御馳走を供し、その上三人から愚弄《ぐろう》されてゐるのではないかと疑へば、このまゝ何も云はないで立ち帰らうかとも思はれた。まして、今しがたまでのこの座敷のことを思ひ浮べれば、何だか胸持《むなも》ちが悪くなつて来て、自分の身までが全くきたない毛だ物になつてゐる様だ。香《かう》ばしい筈《はず》の皿も、僕の鼻へは、かの、特に、吉弥が電球に「やまと」の袋をかぶせた時の薄暗い室の、薄暗い肌のにほひを運んで、われながら箸《はし》がつけられなかつた。  僕の考へ込んだ心は急に律僧の如《ごと》く精進癖《しやうじんへき》にとぢ込められて、甘い、楽しい、愉快だなどといふあかるい方面から、全く遮断《しやだん》された様であつた。  ふと、気がつくと、まだ日が暮れてゐない。三人は遠慮もなくむしやむしややつてゐる。僕は、また、猪口《ちよく》を口へ運んでゐた。 「先生は御酒《ごしゆ》ばかりで」と、お袋は座を取り成して、「ちツともおうなは召しあがらないぢやア御座いませんか?」 「やがてやりませう——まア、一杯、どうです、お父さん」と、僕は銚子《てうし》を向けた。 「もう、先生、よろしう御座いますよ。うちのは二三杯頂戴すると、あの通りになるんですもの。」 「然し、まだいゝでせう——?」 「いや、もう、この通り」と、おやぢは今まで辛抱してゐた膝ツこを延ばして、ころりと横になり、 「あゝ、もう、かう云ふところで、かうして、お花でも引いてゐたら申し分はないが——」 「お父さんは直《ぢ》きあれだから困るんです。お花だけでも、先生、私の心配は絶えないんですよ。」 「さう云つたツて、ほかにおれの楽しみはないから仕やうがない、さ。」 「あの人も矢ツぱし来るの?」吉弥がお袋に意味ありげの目を向けた。 「あゝ、来るよ。」お袋は軽く答へて、僕の方に向き直り、「先生、お父さんはもう帰していゝでせう?」 「そこは御随意になすつて貰ひませう。——御窮屈なら、お父さん、おさきへ御飯を持つて来させますから」と、僕は手をたゝいて飯を呼んだ。 「お父さんは御飯を頂戴したら、直ぐお帰りよ」と、お袋はその世話をしてやつた。  僕は女優問題など全く撤回しようかと思つたくらゐだし、こんなおやぢに話したツて要領を得ないと考へたので、いゝ加減のところで切りあげて置いたのだ。  飯を独りすませてから、独りで帰つて行くのらくらおやぢの姿がはしご段から消えると、僕の目に入れ代つて映じて来るまぼろしは、吉弥の所謂《いはゆる》「あの人」であつた。ひよツとしたら、これが乃《すなは》ち区役所の役人で、吉弥の帰京を待つてゐる者——たび/\花を引きに来るので、おやぢのお気に入りになつてゐるかも知れないと推察された。    一四  その跡に残つたのはお袋と吉弥と僕との三人であつた。 「この方が水入らずでいゝ、わ」と、お袋は娘の顔を見た。 「青木は来たの?」吉弥はまた母の顔をぢツと見つめた。 「あゝ、来たよ。」 「相談は定つて?」 「甘《うま》く行かないの、さ。」 「あたい、厭だ、わ!」吉弥は顔いろを変へた。「だから、しツかりやつて頂戴と云つて置いたぢやアないか?」 「さう無気《むき》になつたツて仕やうがない、わ、ね。おツ母さんだツて、抜かりはないが、向ふがまだ険呑《けんのん》がつてゐりやア、考へるのも当り前だア、ね。」 「何が当り前だア。ね? 初めから引かしてやると云ふんで、毎月、毎月妾の様にされても、成りたけお金を使はせまいと、僅《わづ》かしか小遣《こづかひ》も貰はなかつたんだらうぢやないか? 人を馬鹿にしやアがつたら、承知アしない、わ。あのがらくた店へ怒鳴《どな》り込んでやる!」 「さう、目の色まで変へないで、さ——先生の前ぢやアないか、ね。実は、ね、半分だけあす渡すと云ふんだよ。」 「半分ぐらゐ仕やうがないよ、しみツたれな!」 「それがかうなんだよ、お前を引かせる以上は青木さん独りを思つてゐて貰ひたい——」 「そんなおたんちんぢやアないよ。」 「まア、お聴きよ」と、お袋は招ぎ猫を見た様な手真似をして娘を制しながら、「さう来るのア向ふの順ぢやアないか? 何でもはい/\ツて云つてりやいゝんだア、ね。——『そりやア御もつとも』と返事をすると、ね、お前のことに附いて少し疑はしい点があると——」 「先生にやア関係がないと云つてあるのに。」 「いゝえ、この方は大丈夫だが、ね、それ——」 「田島だツて、もう、迅《とつ》くに手を切ツたつて云つてあるよ。」 「畜生!」僕は腹の中で叫んだ。 「それが、お前。焼《や》き餅《もち》だア、ね」と、お袋は、実際のところを承知してゐるのか、ゐないのか分らないが、そらとぼけた様な笑ひ顔。 「つとめてしてゐる間は、お座敷へ出るにやア、こツちからお客の好き嫌ひはしてゐられないが、そこは気を利かして、さ——ねえ、先生、さうぢやア御座いませんか?」 「そりやア、さうです」と、僕は進まないながらの返事。 「実は、ね」と、吉弥はしまりなくにこつき出して、「こんなことがあつたのよ。このお座敷に青木さんがゐて、下に田島が来てゐたの。あたい、両方のかけ持ちでせう、上したの焼き持ち責めで困つちまつた、わ。田島がわざと跡から攻めかけて来て、焼け飲みをしたんでせう、酔ツぱらツちまつて聴えよがしに歌つたの、『青木の馬鹿野郎』なんかんて。青木さんは年を取つてるだけにおとなしいんで、さきへ帰つて貰つた、わ。」  かう話ながらも、吉弥はたツた今あつたことを僕が知つてゐるとは思はないので、十分僕の気を許してゐる様子であつた。僕は、吉弥とお袋との鼻をあかす為めに、すツぱり腹をたち割つて僕の思い切りがいゝところを見せてやりたいくらゐであつたが、しみツたれた男が二人も出来てゐるところへ、また一人加はつたと思はれるのが厭さに、何のこともない風で通してゐた。 「そんなことのない様にするのが」と、お袋は僕に向つた、「芸者のつとめぢやア御座いませんか?」 「大きにさうです、ね。」僕は斯《か》う答へたが、心では、「芸者どころが、女郎や地獄の腕前もない奴だ」と、卑《いや》しんでゐた。 「あたいばかり責めたツて、仕《し》やうがないだらうぢやないか?」吉弥はそのまなじりをつるしあげた。それに、時々、かの女の口が歪《ゆが》む工合は、お袋さながらだと見えた。 「まア、すんだことはいゝとして、さ」と、お袋は娘をなだめる様に、「これから暫く大事だから、よく気をおつけなさい。——先生にも頼んで置きたいんです、の。如才《じよさい》は御座いますまいが、青木さんが、井筒屋の方を済ましてくれるまで、——今月の末には必らずその残りを渡すと云ふんですから——この月一杯は大事な時で御座います。お互ひに、ね、向ふへ感づかれない様に——」と、僕と吉弥とを心配さうに見まわした様子には、さすが、親としての威厳があつた。 「そりやア勿論です」と、僕はまた答へた。僕は棄《す》てツ鉢《ぱち》に飲んだ酒が十分まはつて来たので、張り詰めてゐた気も急にゆるみ、厭なにほひも身におぼえなくなり、年取つた女がゐるのは自分の母の如く思はれた。また、吉弥の坐つてゐるのがふら/\動く様に見えるので、恰《あたか》も遠いところの雲の上に、普賢菩薩《ふげんぼさつ》が住してゐるやうで、その酔ひの出た為めに、頬《ほゝ》の白粉《おしろい》の下から、ほんのり赤い色がさす様子など、如何《いか》にも美しくツて、可愛らしくツて、僕の十四五年以前のことを思ひ出さしめた。  僕は十四五年以前に、現在の妻を貰つたのだ。僕よりも少し年上だけに、不断はしツかりしたところのある女だが、結婚の席へ出た時の妻を思へば、一二杯の祝盃《しゆくはい》に顔が赤くなつて、その場にゐたゝまらなくなつた程の可愛らしい花嫁であつた。僕は、今、目の前にその昔の妻のおもかげを見てゐた。  そのうちにランプがついたのに気がつかなかつた。 「先生はひどく考へ込んでいらツしやるの、ね」と、お袋の言葉に僕は楽しい夢を破られた様な気がした。 「大分酔つたんです」と、僕はからだを横に投げた。 「きイちやん」と、お袋は娘に目くばせをした。 「しツかりなさいよ、先生。」吉弥は立つて来て、僕に酌をした。かの女は僕を、もう、手のうちにまるめてゐると思つてゐたのか、たゞ気儘《きまゝ》勝手に箸を取つてゐて、お酌はお袋に殆《ほとん》どまかしツ切りであつたのだ。 「きイちやん、お弾《ひ》きよ——先生、少し陽気に行きましようぢやア御座いませんか?」  吉弥のじやん/\が初まつた。僕は聴きたくないので、 「まア、お待ち」と、それを制し、「まだお前の踊りを見たことがないんだから、おツ母さんに弾いてもらつて、一つ僕に見せて貰はう。」 「暫く踊らないんですもの」と、吉弥は、僕を見て、膝に三味をのせたまゝでからだを横にひねつた。 「………」僕は年の行かない娘が踊りのお稽古《けいこ》に行きや帰りはだゝを捏《こね》る時のやうすを聯想しながら、 「おぼえてゐる物をやつたらいゝぢやないか?」 「だツて」と、またからだを振ると同時に、左の手を天心《てんじん》の方へ行かせて、暫く言葉を切つたが、——「こんな大きななりぢやア踊れない、わ。」 「お酌のつもりになつて、さ」とは、僕が、かの女のます/\無邪気な様子に引き入れられて、思はず出した言葉だ。 「さういふ注文は困る、わ。」吉弥は訴へる様にお袋をながめた。 「ぢやア」と、お袋は娘と僕とを半々に見て、「私に弾けなくツても困るから、やさしい物を一つやつて御覧。——『わが物』がいゝ、傘《かさ》を持つてることにして、さ。」三味線を娘から受け取つて、調子を締めた。 「まるで子供の様だ、わ。」吉弥ははにかんで立ち上り、身構へをした。  お袋の糸はなか/\しツかりしてゐる。 「わがーアものーオと」の歌につれて、吉弥は踊り出したが、踊りながらも、 「何だかきまりが悪い、わ」と云つた。  そのはにかんでゐる様子は、今日まで多くの男をだまして来た女とは露ほども見えないで、清浄無垢《しやうじやうむく》の乙女《をとめ》がその衣物を一枚々々剥《は》がれて行く様な優しさであつた。僕が畜生とまで嗅ぎつけた女にそんな優しみがあるのかと、上手《じやうず》下手《へた》を見分ける余裕もなく、僕はたゞぼんやりと見惚《みと》れてゐるうちに、 「待つウ身にイ、つらーアき、置きイごたーアつ」も通り抜けて、終りになり、踊り手は畳に手を突いて、しとやかにお辞儀《じぎ》をした。斯《か》うして踊つて来た時代もあつたのかと思ふと、僕はその頸《くび》ツ玉《たま》に抱きついてやりたい程であつた。 「もう、御免よ。」吉弥は初めて年増《としま》にふさはしい発言《はつごん》をして自分自身の膳《ぜん》にもどり、猪口《ちよく》を拾つて、 「おツ母さん一杯お駄賃に頂戴よ。」 「さア、僕が注《つ》いでやらう」と、僕は手近の銚子を出した。 「それでも」と、お袋は三味を横へおろして、 「よく覚えてゐるだけ感心だ、わ。——先生、この子がおツ師匠さんのところへ通ふ時ア、困りましたよ。自分の身に附くお稽古なんだに、人の仕事でもして来た様にお駄賃を呉れいですもの。今以てその癖は直りません、わ。何だといふと、直ぐお金を送つて呉れい——」 「さうねだりやアしない、わ」と、吉弥はほゝゑんだ。 「………」また金の話かと、僕はもうそんなことは聴きたくないから、直ぐみんなで飯を喰つた。    一五  お袋は一足さきへ帰つたので、吉弥と僕とのさし向ひだ。かうなると、こらへてゐた胸が急にみなぎつて来た。 「先生にかうおごらして済まない、わ、ねえ」と、可愛い目つきで吉弥が僕をながめたのに答へて、 「馬鹿!」と一声、僕は強く重く欝忿《うつぷん》をあびせかけた。 「そのこはい目!」暫く吉弥は見つめてゐたが、「どうしたのよ」と、かほをしかめて僕にすり寄つて来た。 「えゝツ、穢《けが》れる、わい!」僕はこれを押し除《の》けて、にらみ附け、「知らないと思つて、どこまで人を馬鹿にしやアがるんだい? さツき、おれがこゝへ来るまでのこゝのざまツたら何だ?」  吉弥は鳥渡《ちよつと》ぎやふんとした様であつたが、ゐずまひを直して、 「聴いてたの?」と、きまりが悪い様子。 「聴いてたどころか、隣りの座敷で見てゐたも同前だい!」 「あたい、何も田島さんを好いてやしない、わ。」 「もう、好く好かないの問題ぢやアない、病気がうつる問題だよ。」 「そんな物ア迅《と》くに直つてる、わ。」 「分るもんか? 貴様の口のはたも、どこの馬の骨か分りもしない奴《やつ》の毒を受けた結果だぞ。」  云つて置かなかつたが、かの女の口のはたの爛《たゞ》れが直つたり、出来たりするのは、僕の初めから気にしてゐたところであつた。それに、時々、その活《い》き/\した目がかすむのを井筒屋のお貞が悪口で、黴毒性《ばいどくせい》のそこひが出るのだと聴いてゐたのが、今更ら思ひ出されて、僕はぞツとした。 「寛恕《かに》して頂戴よ」と、僕の胸に身を投げて来た吉弥をつき払ひ、僕はつツ立ちあがり、「おツ母さんにさう云つて貰はう、僕も男だから、おツ母さんに約束したことは、お前の方で筋道さへ踏んで来りやア、必らず実行する。然しお前の身の腐れはお前の魂から入れ変へなけりやア、到底、直りツこはないんだ。——これは何も焼き餅から云ふんぢやアない、お前の為めを思つて云ふんだ。」  怒りはしたものの、僕は涙がこぼれた。それとなく、ハンケチを出して目を拭きながら座敷を出た。出てから鳥渡ふり返つて見たが、かの女は——分つたのか、分らないのか——突き放されたまゝの位置で、畳に左の手を突き、その方の袂《たもと》の端を右の手で口へ持つて行つた。目は畳に向いてゐた。  その翌日、午前中に、吉弥の両親はいとま乞ひに来た。僕が吉弥をしかりつけた——これを吉弥はお袋に告げたか、どうか——に対する挨拶などは、別に無かつた。兎に角、僕は一種不愉快な圧迫を免れた様な気がして、女優問題をも成《な》るべく僕の心に思ひ浮べない様にしようときめた。且《かつ》、これからは僕から弱く出てかれこれ云ふには及ばない、吉弥に性根《しやうね》があつたら、向ふから何とか云つて来るだらう、それを待つてゐるに如《し》くはないと考へた。 「先生も御如才はないでしようが——この月中が肝心ですから、ね」 と、お袋の別れの言葉はまた斯うであつた。 「無論ですとも」と答へたが、僕はあとで無論もくそもあつたものかと云ふ反抗心が起つた。そして、それでもなほ実は、吉弥がその両親を見送りに行つた帰りに、立ち寄るのが本当だらうと、外出もしないで待つてゐたが、吉弥は来なかつた。昼から来るかとの心待ちも無駄であつた。その夜もとう/\見えなかつた。  そのまたあくる日も、日が暮れるまで待つてゐたが、来なかつた。もうお座敷に行つたらうから駄目だと、——そして、井筒屋ははやらないが、井筒屋の独り芸者は外へ出てはやりツ子なんだから——あきらめて、書見でもしようと、半分以上は読み終つてあるメレジコウスキの小説「先駆者」を手に取つた。国府津へ落ちついた当座は、面白半分一気に読みつゞけて、そこまでは進んだが、僕の気が浮かれ出してからは、殆ど全く之を忘れてゐたあり様《さま》であつたのだ。この書の主人公レオナドダ※[#「※」は「ヰ+濁点」 83-下段27]ンチの独身生活が今更《いまさ》らの如く懐しくなつた。  仰向けに枕して読みかけたが、ふと気がつくと、月が座敷中にその光を広げてゐる。おもてに面した方の窓の障子をはづしてあつたので、これは危険だといふ考へが浮んだ。こないだから持つてゐた考へだが、——吉弥の関係者は幾人あるか分らないのだから、僕は旅の者だけに、最も多くの恨みを買ひ易いのである。いつ如何なる者から闇打《やみう》ちを喰らはされるやも知れない。人通りのない時、よしんば出来心にしろ、石でもはふり込まれ、怪我でもしたら詰らないと思ひ、起きあがつて、窓の障子を填《は》め、左右を少しあけて置いて、再び枕の上に仰向けになつた。  心が散乱してゐて一点に集らないので、眼は開いたページの上に注《そゝ》がれて、何を読んでゐるのか締りがなかつた。それでもじツと読みつづけてゐると、新らしい事件は出て来ないで、レオナドと吉弥とが僕の心をかはる/″\通過する。一方は溢れるばかりの思想と感情とを古典的な行動に包んだ老独身者のおもかげだ。また一方はその性情が全く非古典的である上に、無神経と思はれるまでも心の荒《すさ》んだ売女《ばいぢよ》の姿だ。この二つが、まはり燈籠《どうろう》の様に僕の心の目にかはる/″\映つて来るのである。  一方は、燃ゆるが如き新情想を多能多才の器に包み、一生の寂しみをうち籠《こ》めた恋をさへ云ひ現はし得ないで終つてしまつた。その生涯は如何にも高尚である、典雅である、純潔である。僕が家庭の面倒や、女の関係や、またさう云ふことに附随して来るさま/″\の苦痛と疲労とを考へれば、いツそのこと、レオナドの様に、独身で、高潔に通した方が幸福であつたかと、何となく懐しい様な気がする。然し、また考へると、高潔でよく引き締つた半僧生活は、拾数年前、既に、僕は理想と実験との上で通り抜けて来たのだ。そんな初々《うひ/\》しいことで、現在の僕が満足出来ないのは分り切つてゐる。僕の神経はレオナドの神経より五倍も十倍も過敏になつてゐるのだらう。  かう思ふと、また、古寺の墓場の様に荒廃した胸の中のにほひがして来て、そのくさい空気に、吉弥の姿が時を得顔に浮んで来る。そのなよ/\して姿のほゝゑみが血球となつて、僕の血管を循環するのか、僕は筋肉がゆるんで、がツかり疲労し、手も不断よりは重く、足も常よりは倦怠《けつたる》いのをおぼえた。  僕の過敏な心と身体《からだ》とは荒《すさ》んでゐるのだ。延びてゐるのだ。固まつてゐた物が融《と》けて行く様に、立ち据わる力がなくなつて、下へ/\と重みが加はつたのだらう。堕落、荒廃、倦怠《けんたい》、疲労——僕は、デカダンと云ふ分野に放浪するのを、寧《むし》ろ僕の誇りとしようといふ気が起つた。  「先駆者」を手から落したら、レオナドはゐなくなつたが、吉弥ばかりはまだ僕を去らない。  かの女は無努力、無神経の、たゞ形ばかりのデカダンだ、僕等の考へとは違つて、実力がない、中味がない、本体がない。かう思ふと、これも亦《また》厭になつて、僕は半ばからだを起した。さうすると、吉弥も亦僕の心眼を往来しなくなつた。  暑くツて堪らないので、無やみにうちはを使つてゐると、どこからか、 「寛恕《かに》して頂戴よ」といふ優しい声が聴える。然しその声の主はまだ来ないのであつた。    一六  僕が強く当つたので、向ふは焼けになり、 「ぢやア勝手にしろ」といふ気になつたのではあるまいか? それなら、僕から行かなければ永劫《えいごふ》に会へる筈はない。会はないなら、会はない方が僕に取つてもいゝのだが、まさか、向ふはさうまで思ひ切りのいゝ女でもなからう。あの馬鹿女郎め、今頃はどこに何をしてゐるか、一つ探偵をしてやらうと、うちはを持つたまゝ、散歩がてら、僕はそとへ出た。  井筒の店さきには、吉弥が見えなかつた。  寝ころんでゐたせいもあらう、あたまは重く、目は充血して腫《は》れぼツたい。それに、近頃は運動もしないで、家にばかり閉ぢ籠り、——机に向つて考へ込んでゐたり——それでなければ、酒を飲んでゐたり——ばかりするのであるから、足がひよろ/\してゐる。涼しく吹いて来る風に、僕はからだが浮きさうであつた。  でこぼこした道を踏みしめ、踏みしめ、僕は歩いてゐたが、街道を通る人かげがすべて僕の敵であるかの様に思はれた。月光に投げ出した僕の影法師も、僕には何だかおそろしかつた。  成るべく通行者に近よらない様にして、僕は先《ま》づ例のうなぎ屋の前を通つた。三味《しやみ》の音や歌声は聴えるが、吉弥のではない。ゐないのか知らんと、ほかに当《あ》てのある近所の料理屋の前を二三軒通つて見た。そこいらにもゐさうもない様な気がした。  青木の本陣とも云ふべきは、二三丁さきの里見亭だ。渠《かれ》は、吉弥との関係上初めは井筒屋のお得意であつたが、借金が嵩《かさ》んで敷居が高くなるに従つて、かのうなぎ屋の常客となつた。然し、そこのおかみさんが吉弥を田島に取り持つたことが分つてから、また里見亭に転じたのだ。そこでしくじつたら、また、もう少しかけ隔つた別な店に移るのだらう。はたから見ると、段々退却して行くあり様《さま》だ。吉弥の話したことに拠《よ》ると、青木は、渠自身が、 「無学な上に年を取つてゐるから、若いものに馬鹿にされたり、また、自分が一生懸命になつてゐる女にまでも謀叛《むほん》されたりするのだ」と、男泣きに泣いたさうだ。  或時など渠は、思ひ物の心を試めさうとして、吉弥に、その同じ商売子で、ずツと年若なのを——吉弥の合ひ方に呼んでゐたから——取り持つて見よと命じた。吉弥は平気で命令通り向ふの子を承知させ、青木をかげへ呼んでその旨《むね》を報告した。 「姉さんさへ承知ならツて——大丈夫よ。」 「………」青木は、然しさう聴いて却《かへ》つて之を残念がり、実は本意でない。お前はそんなことをされても何もないほどの薄情女かと、立つてゐる吉弥の肩をしツかりいだき締めて、力一杯の誠意を見せようとしたこともあるさうだ。思ひやると、この放蕩《はうたう》おやぢでも実《じつ》があつて、可哀さうだ。吉弥こそそんな——馬鹿々々しい手段だが——熱のある情《なさ》けにも感じ得ない無神経者——不実者——。  かういふことを考へながら、僕も亦その無神経者——不実者——を追つて、里見亭の前へ来た。いつも不景気な家だが、相変らずひツそりしてゐる。ゐさうにもない。併《しか》しまたこツそり乳くり合つてゐるのかも知れないと思へば、急に僕の血は逆上して、あたまが燃え出す様に熱して来た。  僕は、数丈のうはゞみがぺろ/\赤い舌を出し、此の家のうちを狙《ねら》つて巻き附くかの様な思ひを以つて、裏手へまはつた。  裏手は田圃《たんぼ》である。ずツと遠くまで並び立つた稲の穂は、風に靡《なび》いてきら/\光つてゐる。僕は涼風の如く軽くなり、月光の如く形なく、里見亭の裏二階へ忍んで行きたかつた。然し、板壁に映つた自分の黒い影が、どうも、邪魔になつて堪《たま》らない。  その影を取り去つてしまはうとするかの様に、僕はこは/″\一まはりして、また街道へ出た。  もとの道を自分の家の方へ歩《あゆ》んで行くと、暗いところがあつたり、明るいところがあつたり、ランプのあかりがさしたり、電燈の光が照らしたり——その明暗幽照にまでも道のでこぼこが出来て——ちらつと眼鏡《めがね》越《ご》しの近眼の目さきや、あぶなツかしい足もとから、全く別な世界が開らけた。  戸々《こゝ》に立ち働いてゐる黒い影は地獄の兵卒の如く、——戸々の店さきに一杯に黒く並んでるかな物、荒物、野菜などは鬼の持ち物、喰物の如く、——僕はいつの間に墓場、黄泉《よみぢ》の台どころを嗅ぎ当ててゐたのかと不思議に思つた。  たま/\、鼻唄《はなうた》を歌つて通るものに会ふと、その声からして死んだものらの腐つた肉のにほひが聴かれる様だ。  僕は、——たとへば、伊邪那岐《いざなぎ》の尊《みこと》となつて——死人のにほひがする薄暗い地獄の勝手口まで、女を追つてゐる様な気がして、家に帰つた。  時計を見ると、もう、十時半だ。然し、まだ暑いので、褥《とこ》を取る気にはならない、仰向けに倒れて力抜けがした全身をぐツたり、その手足を延ばした。  そこへ何者か表から飛んで来て、裏窓の壁に当つてはね返り、ごろごろとはしご段を転げ落ちた。迷ひ鳥にしては、余りに無謀過ぎ、余りに重みがあり過ぎたやうだ。  ぎよツとしたが、僕は直ぐおもて窓をあけ、 「………」誰れだ? と、いつものやうな大きな声を出さうとしたら、下の方から、 「静かに/\」と、声ではなく、たゞ制する手振りをした女が見える。吉弥だ。  僕は直ぐ二階をおりて外へ出た。 「………」まだ物を云はなかつた。 「びツくりして?」先《ま》づ、平生通りの調子で小だはりのない声を出したかの女の酔つた様子が、なよ/\した優しい輪郭を、月の光で地上にまでも引いてゐる。 「また青木だらう?」 「いゝえ、これから行くの。」 「ぢやア、早く行きやアがれ!」僕はわざとひどくかの女を突き放つて今夜も駄目だとあきらめた。 「もう一つあげませうか?」かの女は今一つ持つてゐた林檎《りんご》を出した。 「………」僕は黙つてそれを奪い取つてから、つか/\と家に這入つた。    一七  その後、吉弥に会ふ度毎に、おこつて見たり、冷かして見たり、笑つて見たり、可愛がつて見たり——こツちでも要領を得なければ、向ふでもその場、その場の商売振り、僕はお袋が立つ時にくれ/″\注意したことなどは全く無頓着《むとんちやく》になつてゐた。  東京からは、もう、金は送らないで妻が焼け半分の厭《いや》みツたらしい文句ばかりを云つて来る。僕はそのふくれてゐる様子を想像出来ないではないが、入《い》りもしない反動心が起つて来ると同時に、今度の事件には僕に最も新らしい生命を与へる恋——そして、妻には決して望めないの——が含んでゐる様にも思はれた。それで、妾にしても芸者をつれて帰るかも知れないが、お前達(親にも知らしてあると思つたから、暗にそれをも含めて)には決して心配はかけないといふ返事を出した。  僕はあがるのはいつも井筒屋だが、吉弥と僕との関係を最も早く感づいたのは、そこのお君である。皮肉にも、隣りの室に忍び込んで、すべてを探偵《たんてい》したらしく、あつたまゝの事実を並べて、吉弥を面と向つていぢめたさうだ。  吉弥は之が癪《しやく》にさはつたとかで、自分のうちのお客に対し、立ち聴きするなどは失礼ではないかとおこり返したさうだが、そのいぢめ方が不断の様に蔭弁慶《かげべんけい》的なお君と違つてゐたので、 「あら小まツちやくれも、もう年頃だから、焼いてるんだ、わ」と、吉弥は僕の胸をぶつた。 「まさか、そんなわけぢやアあるまい」と、僕は答へた。  然し、それから、お君は英語を習ひに来なくなつたのは事実だ。  僕も、これが動機となつて、いくらかきまりが悪くなつたのに加へて、自分の愛する者が年の若い娘にいぢめられるところなどへ行きたくなくなつた。また、お貞が、僕の顔さへ見れば、吉弥の悪口をつくのは、あんな下司《げす》な女を僕があげこそすれ、まさか、関係してゐるとは思はなかつたからでもあろうが、それにしては、知つた以上、僕をも下司な者に見為《みな》すのは知れ切つてゐるから、行かない方がいゝと思ひ定めた。それで、吉弥を呼べば、うなぎ屋へ呼んだが、飲みに行く度数がもとの様には多くなくなつた。  勉強をする時間が出来たわけだが、目的の脚本は少しも筆が取れないで、却《かへつ》て読み終つたメレジコウスキの小説を縮小して、新情想を包んだ一大古典家、レオナドダ※[#「※」は「ヰ+濁点」 86-下段29]ンチの高潔にして而《しか》も恨み多き生涯を紹介的に書き初めた。  或晩のこと、虚心になつて筆を走らせてゐると、吉弥がはしご段をとん/\あがつて来た。 「………」何も云はず直ぐ僕にすがり附いてわツと泣き出した。余り突然のことだから、 「どうしたのだ?」と、思はず大きな声をして、僕はかの女の片手を取つた。 「………」かの女は僕に片手をまかせたまゝで暫く僕の膝《ひざ》の上につツ伏してゐたが、やがて、あたまをあげて、その喰はへてゐた袖を離し、 「青木と喧嘩《けんくわ》したの。」 「なアんだ」と、僕は手を離した。「乳くり合つたあげくの喧嘩だらう。それをおれのところへ持つて来たツて、どうするんだ?」 「分つてしまつた、わ。」 「何が、さ?」僕はとぼけて見せたが、青木に嗅ぎつけられたのだとは直感した。 「何がツて、ゆふべ、うなぎ屋の裏口からこツそり這入つて来て、立ち聴きしたと、さ。」——では、先夜の僕がゆふべの青木になつたのだ。また、うはゞみの赤い舌がぺろ/\僕の目の前に見える様だ。僕は之を胸に押さへて平気を装《よそほ》ひ、 「それがつらいのか?」 「どうしても、疑はしいツて聴かないんだもの、癪《しやく》にさはつたから、みんな云つちまつた——『あなたのお世話にやならない』て。」 「それでいゝぢやアないか?」 「ぢやア、向ふがこれからのお世話は断わると云ふんだが、いゝの?」 「いゝとも。」 「跡の始末はあなたが附けて呉れて?」 「知れたこツた」と、僕は覚悟した。  かくいふことにならないうち、早く切りあげようかとも思つたのだが、来《くる》べき金が来ないので、ひとつは動きがつかなかつたのだ。然し、もう、かうなつた以上は、僕も手を引くのをいさぎよしとしない。僕は意外に心が据《すわ》つた。 「もう少し書いたら行くから、さきへ帰つてゐな」と、僕は一足さきへ吉弥を帰した。    一八  やがて井筒屋へ行くと、吉弥とお貞と主人とが囲炉裡《ゐろり》を取り巻いて坐つてゐる。お君や正ちやんは何も知らずに寝てゐるらしい。主人はどういふ風になるだらうと心配してゐた様子、吉弥は存外《ぞんぐわい》平気でゐる。お貞は先づ口を切つた。 「先生、飛んだことになりまして、なア」と、飽くまで事情を知らない振りで、「あなた様に御心配かけては済みませんけれど——」 「なアに、かうなつたら、私が引き受けてやりまさア。」 「済まないこツて御座いますけれど——吉弥が悪いのだ、向ふをおこらさないで、そツとして置けばいゝのに。」 「向ふからほじくり出すのだから、仕やうがない、わ。」 「もう、出来たことは何と云つても取り返しのつく筈がない。すツかり私におまかせ下さい」と、僕は男らしく断言した。 「然し」と、主人が堅苦《かたくる》しい調子で、「世間へ、あの人の物と世間へ知れてしまつては、芸者が売れませんから、なア——また出来ない様なことがあつては、こつちも困るばかりで——」 「そりやア、もう、大丈夫ですよ」と、僕は軽く答へたが、余りに人を見くびつた云ひ分を不快に感じた。  然し、割合にすれてゐない主人のことであるし、またその無愛嬌《ぶあいけう》なしがみツ面《つら》は持ち前のことであるから、思つたまゝを云つたのだらうと推察してやれば、僕も多少正直な心になつた。 「どうともして」とは、実際、何とか工面《くめん》をしなければならないのだ、「必らず御心配はかけませんが、青木さんの方が成り立つてゐても、今月一杯はかゝるんでしたから——そこいらの日限は、どうか、よろしく」と念を押した。 「それは勿論のことです。」主人は鳥渡《ちよつと》にこついて見せたが、また持ち前のしがみツ面に返つて、「青木があの時揃《そろ》へて出してしまへばよかつたのに、なア」と、お貞の方をふり向いた。 「あいつがしみツたれだから、さ。」お貞は煙管《きせる》をはたいた。 「一杯飲まうか?」もう分つたらうと思つたから、僕は、吉弥を促がし、二階へあがつた。 「泣いたんでびツくりしたでせう?」吉弥は僕と相向つて坐つた時に斯《か》う云つた。 「なアに。」僕は吉弥の誇張的な態度をわざとらしく思つてゐたので、澄まして答へた。「お前の目玉に水ツ気が少しもなかつたよ。」  硯《すゞり》と巻き紙とを呼んで、僕は飲みながら、先輩の某氏に当てて、金の工面を頼む手紙を書いた。その手紙には、一芸者があつて、年は二十七——顔立ちは良くないし、三味線も甘《うま》くないが、踊りが得意(これは吉弥が云つた通りを信じて云ふのだ)——普通の婦人とは違つて丈《たけ》がずツと高く——目と口とが大きいので、仕込みさへすれば、女優として申し分のない女だ。且《かつ》、その子供が一人ある、また妹がある。それらを引き入れることが出来る望みがある。失敗は予《あらかじ》め覚悟の上でつれて帰りたいから、それに必要な百五十円ばかりを一時立て換《か》へて貰ひたいと頼んだ。その全体に於て、さきに劇場にゐる友人に紹介した時よりも熱がさめてゐたので、調子が冷静であつた。無論、友人に対する考へと先輩に対する心持ちとは、また、違つてゐたのだ。たゞ、心配なのは承知して呉れるか、どうかといふことだ。 「もう、書けたの?」吉弥は待ちどほしさうに尋ねた。 「あゝ」と、僕の返事には力がなかつた。  僕は寝ころんでがぶ/\三四杯を独りで傾けた。 「あたいも書かう」と、吉弥が今度は筆を取り、僕の投げ出した足を尻に敷いて、肘《ひぢ》をつき、頻《しき》りに何か書き出した。  僕は手をたゝいて人を呼び、まだ起きてゐるだらうからと、印紙を買つて投函することを命じた。一つは、そこの家族を安心させる為めであつたが、若し出来ない返事が来たらどうしようと、心は息詰る様に苦しかつた。 「………」吉弥も亦《また》短い手紙を書きあげたのを、自慢さうだ—— 「どれ見せろ」と、僕は取つて見た。  下手《へた》くそな仮名文字だが、漸《やつ》とその意だけは通じてゐる。さきに僕がかの女のお袋に尋ねて、吉弥は小学校を出たかといふと、学校へはやらなかつたので、僅《わづ》かに新聞を拾い読みすることが出来るくらゐで、役者になつてもせりふの覚えが悪からうと答へる。すると吉弥がそばから、 「まさか、絶句はしない、わ」と、答へたのを思ひ出した。 「しばらく御ぶさた致し候。まづはおかはりもなく、御つとめなされ候よし、かげながら祝し居候。さてとや、このほどよりの御はなし、母よりうけたまはり、うれしく存じ候。」  てツきり、例の区役所先生に送るのだと分つた。「うれしく」とは、一緒になることが定つてゐるのだらう。もつとも、僕はその人が承知して女優になるのを許せば、それでかまはないとも考へてゐたのだ。  そのつゞき、—— 「ちかきうちに私も帰り申し候につき、くはしきことはお目もじの上申しあげさふらふ。かしく。きくより。」  菊とは吉弥の本名だ。さすが、当て名は書いてない。 「馬鹿野郎! 人の前でのろけを書きやアがつた、な。」 「のろけぢやアないことよ、御無沙汰してゐるから、お詫《わ》びの手紙だ、わ。」 「『母より承はり、うれしく』だ——当て名を書け、当て名を! 隠したツて知れてらア。」 「ぢやア、書く、わ。」笑ひながら、「うは封を書いて頂戴よ」と云つて、かの女の筆を入れたのは「野沢さま」といふのである。  僕はその封筒のおもてに浅草区千束町○丁目○番地渡瀬(これは吉弥の家)方野沢様と記してやつた。かの女はその人を子供の時から知つてると云ひながら、その呼び名とその宿所とを知つてゐないのであつた。 「………」さきの偽筆は自分の為めに利益と見えたことだが、今のは自分の不利益になる事件が含んでゐる代筆だ。僕は、何事も成る様になれといふつもりで、苦しい胸を押へてゐた。が、表面では、さう沈んだ様には見せたくなかつたので、からかひ半分に、「区役所が一番恋しいだらう?」 「いゝえ。」吉弥はにツこりしたが、口を歪《ゆが》めて、「あたい、矢ツぱし青木さんが一番可愛い、わ——実があつて——長く世話をかけたんだもの。」 「ぢやア、僕はどうなるんだ?」 「これからは、あなたの」と、吉弥は僕の寝ころんでゐる胸の上に自分の肩までもからだをもたせかけて、頸《くび》を一音づゝに動かしながら、 「め——か——け。」  十二時まで、僕等はぐづついてゐたら、お貞が出て来て、もう、時間だから、引きあげて呉れろといふ頼みであつた。僕は、立ちあがると、あたまがぐら/\ツとして、足がひよろついた。  あぶないと思つたからでもあらう、吉弥が僕の門口まで送つて来た。月のいゝ地上の空に、僕等が二つの影を投げてゐたのをおぼえてゐる。    一九  返事を促して置いた劇場の友人から、一座のおもな一人には話して置いた、その他のことは僕の帰京後にしようと、漸《やうや》く云つてよこした。これを吉弥に報告すると、かの女はきまりが悪いと云ふ。なぜかとよくよく聴いて見ると、若しその一座に這入れるとしたら、数年前に東京で買はれたなじみが、その時とは違つて、そこの立派な立て女形《をやま》になつてゐるといふことが分つた。よく/\興ざめて来る芸者ではある。  それに、最も肝心《かんじん》な先輩の返事が全く面白くなかつた。女優に仕立てるには年が行き過ぎてゐるし、一度芸者をしたものは、到底《たうてい》、舞台上の練習の困難に堪へる気力がなからう。寧《むし》ろ断然関係を断つ方が僕の為めだといふ忠告だ。僕の心の奥が絶えず語つてゐたところと寸分も違はない。  然し、僕も男だ、体面上、一度約束したことを破る気はない。もう、人を頼まず、自分が自分でその場に全責任をしよふより外はない。  かうなると、自分に最も手近な家から探ぐつて行かなければならない。で、僕は妻に手紙を書き、家の物を質に入れて某《なにがし》の金子《きんす》を調達せよと云つてやつた。質入れすると云つても、僕自身のは既《すで》に大抵行つてゐるのだから、目的は妻の衣服やその付属品であるので、足りないところは僕の父の家へ行つて出して貰へと附け加へた。  妻はかうなるのを予想してゐたらしい。実は、僕、吉弥のお袋が来た時、早手まはしであつたが、僕の東京住宅の近処にゐる友人に当てて、金子の調達を頼んだことがる。無効であつた上に、友人は大抵のことを妻に注意した。妻は、また、之を全く知らないでゐたのは迂濶《うくわつ》だと云はれるのが嫌《いや》さに、先づ以つて僕の父に内通し、その上、血眼《ちまなこ》になつてかけずりまはつてゐたかして、電車道を歩いてゐた時、子を抱いたまゝ、すんでのことで引き倒されかけた。  その上の男の子が、どこからか、『馬鹿々々しいわい』といふ言葉をおぼえて来て、その頃、頻《しき》りにそれを繰り返してゐたさうだが、妻は、それが今回のことの前兆であつたと、語弊《ごへい》をかついてゐた。それも尤《もつと》もだといふのは、僕が東京を出発する以前に、漸く出版が出来た「デカダン論」の為めに、僕の生活費の一部を供する英語教師の職をやめられかゝつてゐたのだ。  父からは厳格ないましめを書いてよこした。直ぐさま帰つて来いと云ふので、僕の最後の手紙はそれと行き違ひになつたと見え、今度は妻が、父と相談の上、本人が出て来た。  僕が、あたまが重いので、散歩でもしようと玄関を出ると、向ふから、車の上に乳飲《ちの》み児《ご》を抱いて妻がやつて来た。顔の痩《や》せが目に立つて、色が真ツ青だ。僕は、これまでのことが一時に胸に浮んで、ぎよツとせざるを得なかつた。 「馬鹿ツ!——馬鹿野郎!」車を下りる妻の権幕は非常なものであつた。僕が妻からこんな下劣な侮辱《ぶじよく》の言を聴くのは、これが初めてであつた。  「………」余ツぽどのぼせてゐるのだらうから、荒立ててはよくないと思つて、僕はおだやかに二階へつれてあがつた。  茶を出しに来たおかみさんと妻は普通の挨拶はしたが、おかみさんは初めから何だか済まないといふ様な顔つきをしてゐた。それが下りて行くと、妻はそとへも聴えるような甲高《かんだか》な声で、なほ罵詈罵倒《ばりばたう》を絶たなかつた。 「あなたは色気狂ひになつたのですか?——性根が抜けたんですか?——うちを忘れたんですか? お父さんが大変おこつてらツしやるのを知らないでせう?——」 「………」僕は苦笑してゐる外なかつた。 「こんな児があつても」と、かの女は抱き児が泣き出したのをわざとふり出す様に僕の前に置き、 「可愛くなけりやア、捨てるなり、どうなりおしなさい!」 「………」これまで自分の子を抱いたことのない僕だが、余りおぎやアおぎやア泣いてるので手に取りあげては見たが、間が悪くツて、あやしたりすかしたりする気になれなかつた。 「子どもは子どもで、乳でも飲ましてやれ」と、無理に手渡しした。 「ほんとに、ほんとに、どんな悪魔がついたのだらう、人にかう心配ばかしさして」と、妻は僕の顔を睨《にら》む権利でもあるやうに、睨み附けてゐる。  僕も、——今まで夢中になつてゐた女を実際通り悪く云ふのは、不見識であるかの様に思つたが、——それとなく分る様な言葉を以つて、首ツたけ惚れ込んでゐるのではないことを説明し、女優問題だけは僕の事業の手初めとして確かに甘《うま》く行く様に云つて、安心させようとした。妻はそれをも信じなかつた。  兎《と》に角《かく》、妻は家、道具などを質入れする代りに、自分が人質に来たのだから、出来るつもりなら、帰つて、僕自身で金を拵《こしら》へて来いといふのである。で、僕は明日一先づ帰京することに定《き》めた。  それにしても、今、吉弥を紹介して置く方が、僕のゐなくなつた跡で、妻の便利でもあらうと思つたから、——また一つには、吉弥の跡の行動を監視させて置くのに都合よからうと思つたから——吉弥の進まないのを無理に玉《ぎよく》をつけて、晩酌の時に呼んだ。料理は井筒屋から取つた。互ひに話はしても、妻は絶えず白眼を動かしてゐる。吉弥はまた続けて恥かしさうにしてゐる。仲に立つた僕は時に前者に、時に後者に、同情を寄せながら、三人の食事はすんだ。妻が不断飲まない酒を二三杯傾けて赤くなつたので、焼け酒だらうと冷かすと、東京出発前も、父の家でさう心配ばかりしないで、ちよツと酒でも飲めと云はれたのをしほに、初めて酒と云ふ物に酔つて見たと答へた。  僕は、妻を褥《とこ》につけてから、また井筒屋へ行つて飲んだ。吉弥の心を確《たしか》める為、また別れをする為めであつた。十一時頃、帰りかけると、二階のおり口で、僕を捉《とら》へて云つた、 「東京へ帰ると、直ぐまた浮気をするんだらう?」 「馬鹿ア云へ。お前の為めに、随分腹を痛めてゐらア。」 「もツと痛めてやる、わ。」吉弥は僕の肩さきを力一杯につねつた。  妻のところへ帰ると、僕のつく息が夕方よりも一層酒くさい為め、また新らしい小言《こごと》を聴かされたが、僕のあやまりを云つて、無事に済んだ。——然し、妻のからだは、その夜、半ば死人のやうに固く冷たい様な気がした。    二〇  その翌日、吉弥が早くからやつて来て、そばを去らない。 「余ぽど悋気《りんき》深《ぶか》い女だよ」と、妻は僕に陰口を云つたが、 「奥さん、奥さん」と云はれてゐれば、左程《さほど》憎《にく》くもない様子だ。いろいろうち解けた話もしてゐれば、また二人一緒になつて、僕の悪口——妻のは鋭いが、吉弥のは弱い——を、僕の面前で云つてゐた。 「長くこゝへ来てゐるの?」 「いゝえ、去年の九月に。」 「はやるの?」 「えゝ、どこででもきイちやん/\て云つて呉れてよ。」 「さう」と、あざ笑つて、「はやりツ子だ、ねえ。——いくつ?」 「廿七。」僕はこれを聴いて、吉弥が割合に正直に出てゐると思つた。 「学校は這入つたの?」 「いゝえ。」 「新聞は読めて?」 「仮名をひろつて読みます、わ。」 「それで役者になれるの?」 「そりやアどうだか分りませんが、朋輩《ほうばい》同士で舞台へ出たことはあるのよ。」  二人はこんな問答もあつた。  僕は、帰京したら、ひよツとすると再び来ないで済ませるかも知れないと思つたから、持つて来た書籍のうち、最も入用があるものだけを取り出して、風呂敷包みの手荷物を拵《こしら》へた。  遅くなるから、遅くなるからと、度々催促はされたが、何だか気が進まないので、まアいゝ、まアいゝと時間を延ばし、——昼飯を過ぎ、——また晩飯を喫してから、——出発した。その日あたりからして、吉弥へ口のかゝつて来ることがなくなつて来たのだ。狭いところだから、直ぐ評判になつたのであらう。妻を海岸へ案内しようと思つたが、それも吉弥が引き受けたのでまかしてしまつた。  僕の東京の住家は芝区明船町《あけふねちやう》だ。そこへ着いたのは夜の十時過ぎ——車を帰して、締つてゐる戸をたゝいてゐると、家の前を通り過ぎた人が一人あつて、それが跡もどりをして来て、 「義雄かい?」僕の父であつた。 「只今帰りました」と、僕はあわてて、少しきまりが悪く答へた。けふは帰つただらうと、それとなく、わざ/\見まはりに来たところなのだらうから、父も随分心配してゐるのかと、僕のからだが縮みあがつた。が、「まア、お這入んなさい」と、戸が明くのを待つて、僕は父を座敷へ通した。  妻が残して行つた二人の子供のいびきが、隣りの室から聴えてゐる。  僕が茶を命じたら、 「今、火を起しますから」と、妻の母は答へた。 「もう、茶は入りませんよ、お婆アさん」と云つて置いて、父は僕に対して頗《すこぶ》る厳格な態度になり、 「今度のことはどうしたと云ふんだ?」 「………」僕は少し心を落ち着けてから、父の顔を見い/\答へた。 「このことは何にも聴いて下さんな、自分が苦しんで、自分が処分をつけるつもりですから。」 「さうか」と、父は僕の何にも云はない決心を見て取つたのだらう、 「ぢやア、もう、けふは遅いから帰る。あす、早速うちまで来て貰ひたい。」  かう云つて、父は帰つて行つた。  妻が痩せたのを聯想するせゐか、父も痩せてゐた様だし、今、相対する母もまた頬が落ちてゐる。僕は家庭にパンを与へないで、自分ばかり遊んでゐたように思へた。  僕の書斎兼寝室に這入ると、書棚に多く立ち並んでゐる金文字、銀文字の書冊が、一つ/\にその作者や主人公の姿になつて現はれて来て、入れ代り、立ち代り、僕を責めたりあざけつたり、讃めそやしたりする。その数のうちには、トルストイのやうな白髯《はくぜん》の老翁も見えれば、メテルリンクのやうなハイカラの若紳士も出る。ヒユネカの如き活気盛んな壮年者もあれば、ブラウニング夫人の如き才気当るべからざる婦人もゐる。いづれも皆外国または内国の有名、無名の学者、詩人、議論家、創作家などである。そのいろんな人々が、また、その云ふところ、論ずるところの類似点を求めて、僕の交友間のあの人、この人になつて行く。僕は久し振りで広い世間に出たかと思ふと、実際は暗闇《くらやみ》の褥中《じよくちゆう》にさめてゐるのであつた。持ち帰つた包みの中からは、厳粛な顔つきでレオナドがのぞいてゐる。  神経の冴《さ》え方《かた》が久し振りに非常であるのをおぼえた。………ビスマクの首………グラドストンの首………會《かつ》て恋しかつた女共の首々………おやぢの首………憎い友人どもの首………鬼女や滝夜叉《たきやしや》の首………こんな物が順ぐりに、あふ向けに寝て覚めてゐる室の周囲の鴨居《かもゐ》のあたりをめぐつて、吐く息さへも苦しく又頼母《たのも》しかつた時だ——「鬼よ、羅刹《らせつ》よ、夜叉の首よ、われを夜伽《よとぎ》の霊の影か………闇の盃盤《はいばん》闇を盛りてわれは底なき闇に沈む」と、僕が新体詩で歌つたのは!  さま/″\の考へがなほ取りとめもなく浮んで来て、僕といふものがどこかへ行つてしまつた様だ。その間にあつて、——毀誉褒貶《きよはうへん》は世の常だから覚悟の前だが——かの「デカダン論」出版の為めに、生活の一部を助けてゐる教師の職(僕は英語を一技術として教へてゐるのであつて、その技術を金で買ふ様に思つてゐる現代学生には別に師事されるのを潔《いさぎよ》しとしない)を、妻の聴いて来た通り、やめられるなら、早速また一苦労がふえるといふ考へが、強く僕の心に刻まれた。  然し、その時はまたその時で、一層奮励の筆を以つて、補ひをつけることが出来ると、覚悟した。  すると、また、心の奥から、国府津《こふづ》に在《あ》る金はどうすると尋問し出す。これが最もさし迫つた任務である。然し、それも亦、僕には、残忍なほど明確な決心があつた。  それが為めに、然しわが家ながら、他家の如く窮屈に思はれ、夏の夜をうちは使ふ音さへ遠慮勝ちに、近頃にない寂しい徹宵《てつせう》の後に、やツと、待ち設《まう》けた眠りを貪《むさぼ》つた。    二一  子供の起きるのは早い、翌朝、僕が顔を洗ふ頃には、もう、飯を済ましてゐた。 「お帰りなさい」とも、何とも云はないで、軽蔑の様子が見える様だ。口やかましいその母が、のぼせ返つて、僕の不始末をしやべるのをそばで聴いてゐたのだらうと思はれた。  僕が食膳に向ふと、子供はそばへ来て、つツ立つたまゝ、姉の方が、 「学校は、もう、来月から始まるのよ」と云ふ。吉弥を今月中にといふ事件が忘れられない。弟の方はまた、 「お父さん、いちじくを取つてお呉れ」と云ふ。  いちじくと云はれたので、僕はまた国府津の二階住ひを冷かされた様に胸に堪《こた》へた。 「まだもう少し食べられないよ」と云つて、僕は携へて来た土産《みやげ》を分けてやつた。  妻の母は心配さうな顔をしてゐるが、僕のことは何にも尋ねないで、孫どもが僕の留守中にいたづらであつたことを語り、庭のいちじくが熟しかけたので、取りたがつて、見てゐないうちに木のぼりを初め、途中から落ツこちたことなどを云ツ附けた。子供は二人とも嫌《いや》な顔をした。 「お母さん、箪笥《たんす》の鍵《かぎ》はどこにあります?」僕はいよ/\残酷な決心の実行に取りかゝつた。 「知りませんよ」と、母は曖昧《あいまい》な返事をした。 「知らない筈はない。おれの家をあづかつてゐながらどんな鍵でもぞんざいにして置く筈はない。」 「実は大事にしまつてあることはしまつてありますが、お千代が渡してくれるなと云つてゐましたから——」 「千代は私の家内です、そんな云ひ分は立ちません。」 「それでは出しますから」と、母は鍵を持つて来て、そツけなく僕の前に置き、台どころの方へ行つてしまつた。  僕は箪笥の前に行き、一々その引き出しを明け、おもな衣類を出して見た。大抵は妻の物である。紋羽二重《もんはぶたへ》や鼠縮緬《ねずみちりめん》の衣物——襦珍《しゆちん》の丸帯に、博多と繻子《しゆす》との昼夜帯、——黒縮緬の羽織に、宝石入りの帯止——長浜へ行つた時買つたまゝ、しごきになつてゐる白縮緬や、裏つき水色縮緬の裾《すそ》よけ、などがある。妻の他所行《よそゆ》き姿が目の前に浮ぶ。そして昔の懐しいかをりまでが僕の鼻をつく。  「行つて来ますよ」といふ外出の時の声と姿とは、妻の年取るに従つて、段々引き締つて威厳を生じて来たのを思ひ出させた。  まだ長襦袢《ながじゆばん》がある。——大阪の或芸者——中年増《ちゆうどしま》であつた——がその色男を尋《たづ》ねて上京し、行くへが分らないので、暫く僕の家にゐた後、男のゐどころが分つたので、おもちやの様な一家を構へたがつれ添ひの病気の為め収入の道が絶え、窮したあげくに、この襦袢を僕の家の帳面を以つて質入れした。その後、二人とも行《ゆ》く方《へ》が知れなくなり、流すのは惜しいと云ふので、僕が妻の為めにこれを出してやつた。少し派手だが、妻はそれを着て不断の沈み勝ちが直つた様に見えたこともある。  それに、まだ一つ、ぞツと派手な襦袢がある。これは、僕等の一緒になる初めに買つてやつた物だ。僕より年上の妻は、その時からじみな作りを好んでゐたので、僕がわざ/\若作りにさせる為め、買つてやつたのだ。今では不用物だから、子供の大きくなるまでと云つてしまひ込んであるが、その色は今も変らないで、燃える様な緋縮緬《ひぢりめん》には、妻のもとの若肌のにほひがする様なので、僕はこツそりそれを嗅いで見た。 「今の妻と吉弥とはどちらがいゝ?」と云ふ声が聴える様だ。 「無論、吉弥だ」と、云ひ切りたいのだが、心の奥に誰れか耳をそば立ててゐるものがある様な気がして、さう思ふことさへ憚《はゞか》られた。  兎に角、多少の価うちがありさうな物はすべて一包みにして、僕はやとひ車に乗つた。質屋をさして車を駆けらしたのである。  友人にでも出会つたら大変と、親しみのある東京の往来を、疎《うと》く、気恥かしい様に進みながら、僕は十数年来つれ添つて来た女房を売りに行くのではないかといふ感じがあつた。  僕は再び国府津へ行かないで——若し行つたら、ひよツとすると、旅の者が土地を荒したなど云ひふらされて、袋だゝきに逢はされまいものでもないから——金子だけを送つてやることに初めから心には定めてゐたので、直ぐ吉弥宛で電報がはせをふり出した。    二二  国府津では、僕の推察通り、僕に対する反動が起つた。  さすがは学校の先生だけあつて、隣りに芸者がゐても寄りつきもしない、なか/\堅い人であるといふのが、僕に対する最初の評判であつたさうだ。が、段々僕の私行があらはれて来るに従つて、吉弥の両親と会見した、僕の妻が身受けの手伝ひにやつて来たなど、あること無いことを、狭い土地だから、直きに云ひふらした。  それに、吉弥が馬鹿だから、のろけ半分に出たことでもあらう、女優になつて、僕に貢《みつ》ぐのだと語つたのが、土地の人々の邪推を引き起し、僕はかの女を使つて土地の人々の金をしぼり取つたといふ様に思はれた。それには、青木と田島とが、失望の恨みから、事件を誇張したり、捏造《ねつざう》したりしたのだらう、僕が機敏に逃げたのなら、僕を呼び寄せた坊主をなぐれといふ騒ぎになつた。僕の妻も危険であつたのだが、はじめは何も知らなかつたらしい。吉弥を案内として、方々を見物などしてまはつた。  僕が出発した翌日の晩、青木が井筒屋の二階へあがつて、吉弥に、過日与へた小判の取り返し談判をした。 「男が一旦《いつたん》やらうと云つたもんだ!」 「わけなくやつたのではない!」 「さん/″\人をおもちやにしやアがつて——貰つた物ア返しやしない!」 「何だ、この薄情女め!」  無理に奪ひ取らうとする、取られまいとする。追ツかけられて、二階の段を下り、化粧部屋の口で、とツつかまると、男は女の帯の間へ手をつツ込む。さうさせまいと、悶《もが》いても女の力及ばずと見たのだらう、「ぢやア、やるから待ちやアがれ!」身づから帯の間から古い黄金を取り出し、「えゝツ、拾つて行きやアがれ」と、はふりつけ、「畜生、そんな物ア手にさはるのも穢《けが》れらア!」  僕の妻は丁度井筒屋へ行つてゐたので、この芝居を、炉のそばで、家族と一緒に見たと云ふ。 「もう、二度とこんな家へ来やせんぞ」と、青木は投げられた物を手に取り、吉弥をにらんで帰つて行つた。 「泥棒ぢゝい!」  吉弥は片足を一歩踏み出すと同時に、あごをも余ほど憎らしさうに突き出して、くやしがつた。その様子が大変をかしかつたので、一同は云ひ合はせた様に吹き出した。かの女もそれに釣り込まれて、笑顔を向け、炉のそばに来て座を取つた。  薬罐《やくわん》のくら/\煮立つてゐるのが、吉弥のむしやくしやしてゐるらしい胸の中をすツかり譬《たと》へてゐるやうに、僕の妻には見えた。  大きな台どころに大きな炉——くべた焚木《まき》は燃えてゐても、風通しのいゝので、暑さはおぼえさせなかつた。 「けちな野郎だ、なア?」お貞は斯《か》う云つて、吉弥を慰めた。 「横つらへ投げつけてやつたらよかつたのに」と、正ちやんも吉弥の肩を持つた。 「きイちやんの様子ツたら、なかつた」と、お君が云つたので、一同はまた吹き出した。 「どうせ、あたいが馬鹿なんですから、ね。」吉弥は横を向いた。 「一体どうしたわけなの?」僕の妻は仲裁的に口を出した。 「呉れたもんを取り返しに来たの。」 「あまりだますから、おこつたんだらう?」 「だまされるもんが悪いのよ。」 「さう?」妻は自分の夫もだまされてゐるのだと思つてきまり悪くなつたが、直ぐ気を変へて、冷かし半分に、「可哀さうに、貰つたと思つたら、おほ損をした、わ、ね。」 「ほんとに」と、吉弥も笑つて、「指輪に拵《こしら》へてやらうと思つてたら、取り返されてしまつた。」  かういふ話をしてゐるうち、吉弥のお袋が一人の女をつれてやつて来た。吉弥は僕の方も亦出来なくなるかと疑つて、浅草へ電報を打つたので、今度はお袋が独りでやつて来たのだ。つれた女は芸者の候補者だ。  お君が一座の人々をぎろ/\見くらべてゐるところで、お袋はお貞と吉弥とから事情を聴き、また僕の妻にも紹介された。妻も亦お袋にその思つたことや、将来の吉弥に対する註文やを述べたり、聴き糺《たゞ》したりした。期せずして真面目な、堅苦しい会合となつた。お袋は不安の状態を愛想笑ひに隠してゐた。  その間に、吉弥はどこかへ出て行つた。あちらこちらで借り倒してある借金を払ひに行つたのである。  主人がその代りに会合に加つて、 「もう、何とか返事がありさうなものですが——」 「さうです、ねえ」と、僕の妻は最終の責任を感じて、異境の空に独りぽつちの寂しさをおぼえた。僕は、出発の当時、井筒屋の主人に、直ぐ、妻が出直して来なければ、電報で送金すると云つて置いたのだ。  先刻から、正ちやんもゐなくなつてゐたが、それがうちへ駆けつけて来て、 「きイちやんが、今、方々の払ひをしてをる」と、注進した。 「ぢやア、電報がはせで来たんでせう?」と、僕の妻は思はず叫んだ。 「そりやア、いかん、呼んで来ねば」と、主人は正ちやんをつれて大いそぎで出て行き、やがて吉弥を呼び返して来た。 「かはせが来たんですか?」と、妻はおこつた様子。 「えゝ」と、吉弥はしよげてゐた。 「ぢやア、さう云つて呉《く》れないぢやア困ります、わ。」 「出してお見《み》」と、主人が仲に這入つて調べて見ると、もう、二三十円は払ひに使つてあつた。僕が直接送つたのが失敗なのだ。  それから、妻と主人とお袋とで、詳《くは》しい勘定をして、僕の宿料やら、井筒屋へ渡す分やらを取つて行くと、吉弥のだらしなく使つたそとの借金ぐらゐにはなほ払へるほど残つた。然し、それも僕のうなぎ屋なぞへ払ふ分にまはつた。 「お客さんの分まで払ふのア馬鹿々々しい、わ」と、吉弥は自分の金でも取り扱ふ様なつもりでゐた。  僕の妻は、そんなわけの物ではないといふことを——どんな理由でだか、そこまでは僕に報告しなかつたが——説き聴かせ、お袋に談判して、吉弥のそとの借金だけはお袋が引き受けることにして、直ぐ浅草へ取り寄せの電報を打たせた。    二三  その晩、僕の妻のところへ、井筒屋から御馳走を送つて来たし、またお袋と吉弥と新芸者とが遊びに来た。 「あなたはどこにお勤めでしたの?」とは、お袋が異様な問ひであつた。 「わたしはそんな苦労人《くらうと》ぢやア御座いませんよ」と、僕の妻は顔を赤くして笑つた。「そりやア、これまでにも今度の様なことがあつたし、またいろんな芸者をつれ込んで来られたこともあつたから、その方では随分《ずゐぶん》苦労人になつた、わ。」 「ほんとです、ねえ、私も若い時は随分そんな苦労を為《さ》せられましたよ。今では、又、子供の為めに苦労——世間では、娘を芸者にして、親は左うちはで行けると申しますが、こんな働きのない子ばかりでは、どうして、どうして、却《かへ》つて苦労は絶えません。」  かういふ話があつてから、吉弥とお袋とは帰つた。まだ青木から餞別《せんべつ》でも貰はうといふ未練があつたので、渠《かれ》を呼び出しに行つたのだが、渠は逃げてゐて、会へずにしまつたらしい。  妻は跡に残つた新芸者——色は白いが、お多福——からその可哀さうな身の上ばなしを聴き、吉弥に対する憎みの反動として、その哀れな境遇に同情を寄せた。東京からわざ/\やつて来て、主人には気に入りさうな様子が見えないのであつた。  この女から妻は吉弥の家の状態をも聴き、僕の推知してゐた通り吉弥の帰るのを待つてゐる男(それが区役所先生の野沢だ)があつて、今度もそれが拵へてやつた新調の衣物を一揃《ひとそろ》へお袋が持つて来たといふことまで分つた。引かされるのを披露にまはる時の用意になるのであつたらう。 「田村さんの奥さんに会ひたい」といふ人が、突然やつて来た。それが例の住職だ。  かう/\、かういふ事情になつてゐるところを、僕が逃げたといふので、その代りに住職に復讐《ふくしう》しようと、町の侠客連《けふかくれん》が二三名動き出したのを、人に頼んで、漸《やうや》く推《お》し静めて貰つたが、 「いつ、どんな危険が奥さんにも及ぶか分りませんから、今晩急いで帰京する方がよろしからう」との忠告だ。  僕の妻は子をいだいて青くなつた。  吉弥のお袋の出した電報の返事が来たら、三人一緒に帰京する約束であつたが、さうも出来ないので、妻は吉弥の求めるまゝに少しばかりの小遣ひを貸し与へ、荷物の方《かた》づけもそこ/\にして、僕の革鞄《かばん》は二人に託し井筒屋の主人と住職とにステーションまで送られて、その夜東京へ帰つて来た。 「憎いのは吉弥、馬鹿者はあなた、可哀さうなのは代りに行つた芸者だ」と、妻は泣いて僕に語つた。  その翌日から、妻は年中堪へに堪へてゐたヒステリが出て、病床の人となつた。乳飲《ちの》み児《ご》はその母の乳が飲めなくなつた。その上、僕等二人の留守中に老母がその孫どもに食べ過ぎさせたので、それも亦不活溌に寝たり、起きたりすることになつた。  僕の家は、病人と痩《やせ》ツこけの住ひに変じ、赤ん坊が時々|熱苦《あつくる》しくもぎやあ/\泣くほかは、お互ひに口を聴くこともなく、夏の真昼はひツそりして、なまぬるい薬のにほひと陰欝な空気とのうちに、僕自身の汗じみた苦悶《くもん》のかげがそツくり湛《たゞよ》つてゐる様だ。かうなると、浮薄な吉弥のことなどは全く厭《いや》になつてしまつた。  僕は独り机に向ひ、最も不愉快な思ひがして、そゞろ慚愧《ざんき》の情に咽《むせ》びさうになつたが、全くこの始末をつけてしまふまでは、友人をも訪《と》はず、父の家にも行くまいと決心した。  全く放棄されたこの家はたゞ僕一人の奮励如何にあるのだが、第一に胸に浮ぶ問題は、 「この月末をどうしよう?」  而《しか》もそれがこの二三日に迫つてゐるのだ。    二四  あわてたところで、駄目な物は駄目だから、先づ書きかけた原稿を終つてしまはうと、メレジコウスキの小説縮写をつゞけた。  レオナドの生涯は実に高潔にして、悲惨である。語らぬ恋の力が老死に至るまで一貫してゐるのは云はずもあれ、渠《かれ》を師とするもののうちには、師の発展はか/″\しくないのをまどろツこしく思つて、その対抗者の方へ裏切りしたものもあれば、また、師の人物が大き過ぎて、悪魔か聖者か分らない為め、迷ひに迷つて縊死《いし》したのもある。また、師の発明|工風《くふう》中の空中飛行機を——まだ乗つてはいけないとの師の注意に反して——熱心の余り乗り試み、墜落負傷して一生の片輪になつたのもある。そして、レオナドその人の国籍もなく一定の住所もなく、きのふは味方、けふは敵国の為め、たゞ労働神聖の主義を以つて、その科学的な多能多才の応ずるところ、築城、建築、設計、発明、彫刻、絵画など——殊に絵画は渠をして後世永久の名を残さしめた物だが、殆ど凡《すべ》て未成品だ——を平気で、あせることなくやつてゐる間に、後進または弟子であつて又対抗者なるミケランジェロやラファエルなどに圧倒されてしまつた。  僕はその大エネルギと絶対忍耐性とを身にしみ込むほど羨《うらや》ましく思つたが、死に至るまで古典的な態度を以つて安心してゐたのを物足りない様に思つた。デカダンは寧《むし》ろ不安を不安のまゝに出発するのだ。  こんな理窟ツぽい考へを浮かべながら筆を走らせてゐると、どこか高いところから、 「自分が耽溺《たんでき》してゐるからだ」と、呼号するものがある様だ。またどこか深いところから、 「耽溺が生命だ」と、呻吟《しんぎん》する声がある。  いづれにしても、僕の耽溺した状態から遊離した心が理窟を捏《こね》るに過ぎないのであつて、僕自身の現在の窮境と神経過敏とは、生命のある限り、どこまでもつき纏《まと》つて来るかの様に痛ましく思はれた。  筆を改めた二日目に原稿を書き終つて、之を某雑誌社へ郵送した。書き出しの時の考へに従ひ、理窟は何も云はないで、たゞ紹介だけにとゞめのだ。これが今月末の入費の一部になるのであつた。  その夕がた、もう、吉弥も帰つてゐるだらうと思ひ、現に必要な物を入れてある革鞄《かばん》を浅草へ取りに行つた。一つは、かの女の様子を探るつもりであつた。  雷門《かみなりもん》で電車を下り、公園を抜けて、千束町《せんぞくまち》、十二階の裏手に当る近所を、云はれてゐた通りに探すと、渡瀬といふ家があつたが、まさか、そこではなからうと思つて通り過ぎた。二階長屋の一隅で、狭い古い、きたない、羅宇《らう》や煙管《きせる》の住ひさうなところであつた。かのお袋が自慢の年中絹物を着てゐるものの住所とは思へなかつた。然し、ほかには渡瀬といふ家がなささうだから、跡戻りをして、その前をうろついてゐると、——実は、気が臆して這入《はい》りにくかつたのだ—— 「おや、先生」と、吉弥が入り口の板の間まで出て来た。大きな丸髷《まるまげ》すがたになつてゐる。 「………」僕は敷居をまたいでから、無言で立つてゐると、 「まア、おあがんなさいな」と云ふ。  見れば、もとは店さきでもあつたらしい薄ぐらい八畳の間の右の片隅に僕の革鞄が置いてある。之に反対した方の壁ぎはは、少し低い板の間になつておやぢの仕事場らしい。下駄の出来かけ、桐の用材などがうつちやり放しになつてゐる。八畳の奥は障子なしに直ぐに居間であつて、そこには、ちやぶ台を据《す》ゑて、そのそばに年の割合ひにはあたまの禿《は》げ過ぎた男と、でツぷり太つた四十前後の女とが、酒をすませて、御飯を喰つてゐる。禿げあたまは長火鉢の向ふに坐つて、旦那《だんな》振《ぶ》つてゐるのを見ると、例の野沢らしい。  僕はその室にあがつて、誰れにもと即《つ》かず一礼すると、女の方は丁寧に挨拶したが、男の方は気がついたのか、つかないのか、飯にかこつけて僕を見ない様にしてゐる。  吉弥はその男と火鉢をさし挟《はさ》んで相対し、それも、何だか調子抜けのした様子。 「まア、御飯をお済しなさい。」かう、僕が所在なさに勧めると、 「もう、すんだの」と、吉弥はにツこりした。 「おツ母さんは?」 「赤坂へ行つて、ゐないの。」 「いつ帰りました?」 「きのふ。」 「僕の革鞄を持つて来てくれたか、ね?」これはわざと聴いたのだ。 「あすこにある、わ」と、指した。 「あれが入り用だから、取りに来ました。」 「さう?」吉弥は無関係なやうに長い煙管をはたいた。  こんな話をしてゐるうちに、跡の二人は食事を済ませ、家根屋の持つて来る様な梯子《はしご》を伝つて、二階へあがつた。相撲取りの様に腹のつき出た婆アやが来て、 「菊ちやん、もう済んだの?」と云つて、お膳をかたづけた。  如何《いか》にも、もう吉弥ではなく、本名は菊子であつた。かの女は男の立つた跡へ直り、煙管でおのれの跡をさし示し、 「こツちへお出」といふ御命令だ。  僕はおとなしくその通りに住まつた。  二階では、例の花を引いてゐる様子だ。 「あれだらう?」僕がかう聴くと、 「さうよ」と、菊子が嬉しがつた。  馬鹿な奴だとは思つたが、僕はもう未練がないと云ひたい位だから、物好き半分に根問《ねど》ひをして見た。二階にはおやぢもゐるし、他にまだ二人ばかりゐる。跡からあがつた(それも昼頃から来てゐたといふ)女は、浅草公園の待合○○の女将《おかみ》であつた。  菊子の口のはたの爛《たゞ》れはすツかり直つた様だが、その代りに眼病の方がひどくなつてゐる。勤めをしてゐる時は、気の張りがあつたのでまだしも病毒を押さへてゐられたが、張りが抜けたと同時に、急にそれが出て来たのだらう。井筒屋のお貞が云つた通り、果して梅毒患者であつたかと思ふと、僕は身の毛が逆立《さかだ》つたのである。井上眼科病院で診察して貰つたら、一二箇月入院して見なければ、直るか直らないかを判定しにくいと云つたとか。  かの女は黒い眼鏡を填《は》めた。  僕は女優問題に就ては何も云はなかつた。  十二三歳の女の子がそとから帰つて来て、 「姉さん、駄賃お呉れ」と、火鉢のそばに足を投げ出した。顔の厭《いや》に平べツたい、前歯の二三本欠けた、鳥渡《ちよつと》見ても、愛想が尽きる子だ。菊子が青森の人に生んで、妹にしてあると云つたのは、乃《すなは》ち、これらしい。話しばかりに聴いて想像してゐたのと違つて、僕が最初からこの子を見てゐたなら、ひよツとすると、この子を子役または花役者に仕上げてやりたいなどいふ望みは起らなかつたばかりか、吉弥に対しても亦全く女優問題は出なかつたかも知れない。今一人、実の妹を見たかつたのであるが、公園芸者になつてゐるから、そこにはゐなかつた。 「先生がいらツしやるぢやないか? ちやんとお坐り。」かう菊子が云つたので、子は渋々坐り直した。 「けいちやん、お前、役者になるかい?」 「あたい、役者なんか厭だア」と、けいちやんと云ふのがからだを揺すつた。  僕は菊子がその子をも女優にならせるといふ約束をこの通り返り見ないでゐても、それを責める勇気はなかつた。    二五 「さア、やるから遊んでお出」と、菊子は二銭銅をはふり出すと、けいちやんはそれを拾つて出て行つた。  菊子も僕を置いて二階へあがつた。  二階では、—— 「さア、絶体だ。」 「出る、出る!」 「助平だ、ねえ——?」 「降りてやらア。」 「行けばいゝのに——赤だよ。」 「そりや来た!」 「こん畜生!」  ぺた/\と花を引く音がしてゐた。  菊子がまだ国府津《こふづ》にゐた時、僕をよろこばせようとして、 「帰つたら、うちの二階が明いてるから、隔日に来て、あすこで、勉強なさいよ」と、云つたその二階がいつもあの様《ざま》なのだらう。見す見す堕落の淵に落し入れられるのであつた。未練がないだけ、僕は今却《かへ》つて仕合せだと思つたが、また、別なところで、彼等の知らないうちにあゝいふ社会に這入つて、あゝいふ悪風に染み、あゝいふ楽しみもして、あゝいふ耽溺《たんでき》のにほひも嗅いでゐたい様な気がした。僕は掃き溜めをあさる痩せ犬の様に、鼻さきが鋭敏になつて、飽《あ》くまで耽溺の目的物を追つてゐたのである。  やがて菊子が下りて来て、 「お父さんはお花に夢中よ」と云ふ。まだ多少はしほらしいところがあつて、ちよツと顔を出せとでも云つて来たものらしい。会ひたくないと云つたのだらう。僕は、かのうなぎ屋で、おやぢが「こんなところでお花でもやれば」と云つたのは、僕をその方へ引き込まうとして、僕の気を引いて見たのだらうと思ひ出された。 「なアに、どうせ僕は花はしないから——」  お袋はゐないし、おやぢは僕を避けてゐる。婆アやも狭い台どころへ行つて見えない。  一昔も過ぎたかの様に思はれる国府津のことが一時に僕の胸に込みあがつて来て、僕は無言の恨《うら》みをたゞ眼のにらみに集めたらしい。 「あのこはい顔!」菊子は真面目にからだを竦《すく》ませたが、病んでゐる目がこちらを見つめて、やにツぽくしよぼついてゐた。が、僕にもそのしよぼ附きが移つておのづから目ばたきをした時、かの女は絳絹《もみ》の切れを出して自分で自分の両眼のやにを拭いた。  お袋がいづれ挨拶に来るといふので、僕はそのまゝ辻車を呼んで貰ひ、革鞄を乗せて、そこを出る時、「少しお小遣ひを置いてツて頂戴な」と云ふので、僕は一円札があつたのを渡した。 「二度と再び来るもんか?」かう、僕の心が胸の中で叫んだ。  僕が荷物を持つて帰つたのを見て、妻は褥《とこ》の中から頻《しき》りに吉弥の様子を聴きたがつたが、僕は之を説明するのも不愉快であつた。 「あの位にしてやつたんだから、義理にもお袋が一度は来るでせう——?」 「さうだらうよ。」僕はいゝ加減な返事をした。 「吉弥だつてさうでさア、ね、小遣を立てかへてあるし、髢《かもじ》だツて、早速髷《まげ》に結ふのに無いと云ふので、借してあるから、持つて来る筈だ、わ。」 「目くらになつちやア来られない、さ。」  僕の返事は煮え切らなかつたが、妻の熱心は「目くら」の一言に飛び立つ様にからだを向き直し、 「えツ! もう、出たの?」と、問ひ返した。  吉弥の病気はさうひどくないにしても、罰当り、業《ごふ》さらしといふ敵愾心《てきがいしん》は、妻も僕も同じ事であつた。然し、向ふが黴毒《ばいどく》なら、こちらはヒステリ——僕は、どちらを向いても、自分の耽溺の紀念に接してゐるのだ。どこまで沈んで行くつもりだらう? 「まだ耽溺が足りない。」これは、僕の焼けツ腹が叫ぶ声であつた。  革鞄をあけて、中の書物や書きかけの原稿などを調べながら、つくづく思ふと、この夏中の仕事は——いろんな考へを持つて行つたのだが——たゞレオナドの紹介ばかりが出来たに過ぎない。それも、今月中の喰い物の一つになつてしまうのだ。最も多望であつた脚本創作のことなどは、殆ど全く手がつかなかつたと云つてもいゝ。  学校の方は一同僚の取り為しで甘《うま》く納つたといふ報告に接したが、質物の取り返しにはこゝ暫く原稿を大車輪になつて働かなければならない。  僕は自分の腕をさすつて見たが、何だか自分の物でない様であつた。    二六  その後、四五十日間は、学校へ行つて不愉快な教授を為すほか、どこへも出ず、机に向つて、思案と創作とに努《つと》めた。  愉快な問題にも、不愉快な疑問にも、僕は僕そツくりがひツたり当て填《はま》る気がして、天上の果てから地の底まで、明暗を通じて僕の神経が流動瀰漫《びまん》してゐる様だ。すること、為すことが夢か、まぼろしの様に軽くはかどつた。その癖、得たところと云つては、数篇の短曲と短い小説二三篇とである。金にしては何ほどにもならないが、創作としては、よしんば望んでゐた脚本が出来たとしても、その脚本よりかずツと傑作だらうといふ確信が出た。  僕のからだは、土用休み早々、国府津へ逃げて行つた時と同じ様に衰弱して、考へが少しもまとまらなくなつた。そして、僕が残酷なほど滅多に妻子と家とを思ひ浮べないのは、その実、それが思ひ浮べられない程に深く僕の心に喰い込んでゐるからだといふ気がした。 「えゝツ、少し遊んでやれ!」  かう決心して、僕はなけなしの財布を懐《ふところ》に、相変らず陰欝な、不愉快な家を出た。否、家を出たといふよりも、今の僕には、家をしよつて歩き出したのだ。  虎の門そとから電車に乗つたのだが、半ば無意識的に浅草公園へ来た。  池のほとりをぶらついて、十二階を見ると、吉弥|乃《すなは》ち菊子の家が思ひ出された。誰れかそのうちの者に出会《でつくわ》すだらうかも知れないと、あたりに注意して歩いた。僕はいつも考へ込んでゐるので外へ出ても、こんなにそは/\しい歩き方をすることは滅多にないのだ。  菊子はとう/\僕の家へ来なかつた。お袋も亦さうであつた。ひよツとすると、菊子の目が全くつぶれたのではないか知らん? 或はまた野沢も、金がなくなつた為め、足が遠のいてゐはしないか? また、かの女は二度、三度、四度目の勤めに出てはゐないか?  かう云ふことを思ひ浮かべながら、玉乗りのあつた前を通つてゐると吾妻橋《あづまばし》の近処に住んでゐる友人に会つた。 「どこへ行くんだ?」 「散歩だ。」 「遠いところまで来たもんだ、な。」 「なアに、意味もなく来たんだ。」 「どツかで飲まう」といふことになり、つれ立つて、奥の常磐《ときは》へあがつた。  友人もうす/\聴いてゐたのか、そこで夏中の事件を問ひ糺《たゞ》すので、僕は或程度まで実際のところを述べた。それから、吉原へ行かうといふ友人の発議に、僕もむしやくしや腹を癒《なほ》すにはよからうと思つて、賛成し、二人はその道を北に向つて車で駆けらした。  翌朝になつて、僕も金がなければ、友人も僅《わづか》しか持つてゐない。止むを得ず、僕がゐのこつて、友人が当てのあるところへ行つて取つて来た。 「滑稽《こつけい》だ、ねえ?」 「実に滑稽だ。」  二人は目を見合はせて吹き出した。大門《おほもん》を出てから、或安料理店で朝酒を飲み、それから向島《むかうじま》の百花園《ひやくくわゑん》へ行かうと云ふことに定まつたが、僕は千束町へ寄つて見たくなつたので、先づ、その方へまはることにした。  僕は友人を連れて復讐に出かける様な意気込みになつた。もつとも、酒の勢ひが助けたのだ。  朝の八時近くであつたから、まだ菊子のお袋もゐた。 「先生、済まない御無沙汰をしてゐまして——一度あがるつもりですが」と、挨拶をするお袋の言葉などは、僕はもう頓着しなかつた。 「菊ちやんの病気はどうです?」僕は敵の本陣に切り込んだつもりだ。 「あの通り、段々悪くなつて来まして、ねえ」と、お袋は実際心配さうな様子で「入院しなけりやア直らないさうですが、それにやア毎月小百円は入りますから——」 「野沢さんに出してお貰ひなさい、な」と、僕は菊子に冷かし笑ひを向けた。 「さう甘《うま》くも行きません、わ。」かの女も笑つて眼鏡を片手で押さへた。  その様子が可哀さうにもならないではないが、僕は友人と共に、出て来た菓子を喰ひながら、誇りがほに、昨夜から今朝にかけての滑稽の居残り事件をうち明けた。礼を踏まない渡瀬一家のことは、もう、忘れてゐるといふことをそれとなく知らせたかつたのだ。すると、お袋が、それを悟つたか、悟らなかつたか、 「もう、先生、居残りは困ります、ねえ。私共も国府津で困りましたよ。先生はいらツしやらない、奥さんはお帰りになつた、これと私とでどんなにやきもきしたか知れやアしれません、わ。」 「然し、まア、無事に済んだから結構です」と、僕は飽くまで冷淡だ。 「どうして、先生、私の方は無事どころぢやア御座いませんの。あれからと云ふものは、毎日々々、この子の眼病の話で、心配は絶えやアしませんよ。」まだ僕の同情を買はうとしてゐるらしい。 「いゝ気味だ!」僕の心は、然し、かう云つてよろこんだが、考へて見ると、僕の家には、妻も亦重い病気にかゝつてゐるのだ。菊子の病気を冷笑する心は、やがて又僕の妻のそれを嘲弄《ていろう》する心になつた。僕の胸があまりに荒《すさ》んでゐて、——僕自身もあんまり疲れてゐるので、——単純な精神上のまよはしや、たわいもない言語上のよろこばせやで満足出来ない。——同情などは薬にしたくも根が絶えてしまつた。  僕は妻のヒステリを以つて菊子の毒眼を買ひ、両方の病気を以つてまた僕自身の衰弱を土培《つちか》つた様《やう》なものだ。失敗、疲労、痛恨——僕一生の努力も、心になぐさめ得ないから、古寺の無縁塚をあばく様であらう。たゞその朽《く》ちて行くにほひが生命だ。  かう思ふと、僕の生涯が夢うつゝの様に目前にちらついて来て、そのつかまへどころのない姿が、而《しか》もひた/\と、僕なる物に浸《ひた》り行く様になつた。そして、形あるものはすべて僕の身に縁がない様だ。  僕の目の前には、僕その物の幻影よりほか浮かんでゐない。 「さア、行かう」と、友人は僕を促した。 「これから百花園に行くんです」と、僕も立ちあがつた。 「冷淡! 残酷!」かう云ふ無言の声が僕のあたまに聴えたが、僕はひそかに之を弁解した。若し不愉快でも妻子のにほひがなほ僕の胸底にしみ込んでゐるなら、厭な菊子のにほひも亦永久に僕の心を離れまい。この後とても、幾多の女に接し、幾度かそれから来たる苦しい味をあぢはふだらうが、僕は、その為めに窮屈な、型にはまつた墓を掘ることが出来ない。冷淡だか、残酷だか知れないが、衰弱した神経には過敏な注射が必要だ。僕の追窮するのは即座に効験ある注射液だ。酒の如く、アブサントの如く、そのにほひの強い間が最もきゝめがある。そして、それが自然に圧迫して来るのが僕等の恋だ、あこがれだと。  かう云ふことを考へてゐると、いつの間にかあがり口をおりてゐた。 「どうか奥さんによろしく」と、お袋は云つた。  菊子は、さすが、身の不自由を感じたのであらう、寂しい笑ひを僕等に見せて、なごり惜しさうに、 「先生、私も目がよけりやアお供致しますのに——」  僕はそれには答へないで、友人と共に、 「左様《さやう》なら」を凱歌《がいか》の如く思つて、そこを引きあげた。                               (明治四十二年二月)