新字新かなに変換している 【 】は傍点付きを示す 双 子 の 星 宮沢賢治:作      (一)  天の川の西の岸にすぎなの胞子ほどの小さな二つの星が見えます。あれはチュンセ 童子(ドウジ)とポウセ童子という双子(フタゴ)のお星さまの住んでいる小さな水精(スイショ ウ)のお宮です。  このすきとおる二つのお宮は、まっすぐに向い合っています。夜は二人とも、きっ とお宮に帰って、きちんと座(スワ)り、空の星めぐりの歌に合せて、一晩銀笛を吹くの です。それがこの双子のお星様の役目でした。  ある朝、お日様がカッカッカッと厳(オゴソ)かにお身体(カラダ)をゆすぶって、東から 昇っておいでになった時、チュンセ童子は銀笛を下に置いてポウセ童子に申(モウ)しま した。 「ポウセさん。もういゝでしょう。お日様もお昇りになったし、雲もまっ白に光って います。今日は西の野原の泉へ行きませんか。」  ポウセ童子が、まだ夢中で、半分眼(メ)をつぶったまま、銀笛を吹いていますので、 チュンセ童子はお宮から下りて、沓(クツ)をはいて、ポウセ童子のお宮の段にのぼって、 もう一度云いました。 「ポウセさん。もういゝでしょう。東の空はまるで白く燃えているようですし、下で は小さな鳥なんかもう目をさましている様子(ヨウス)です。今日は西の野原の泉へ行き ませんか。そして、風車で霧をこしらえて、小さな虹を飛ばしてあそぼうではありま せんか。」  ポウセ童子はやっと気がついて、びっくりして笛を置いて云いました。 「あ、チュンセさん。失礼いたしました。もうすっかり明るくなったんですね。僕今 すぐ沓をはきますから。」  そしてポウセ童子は、白い貝殻(カイガラ)の沓をはき、二人は連れだって空の銀の芝 原を仲よく歌いながら行きました。  「お日さまの、   お通りみちを はき浄(キヨ)め、   ひかりをちらせ あまの白雲。   お日さまの、   お通りみちの 石かけを   深くうずめよ、あまの青雲。」  そしてもういつか空の泉に来ました。  此(コ)の泉は霽(ハ)れた晩には、下からはっきり見えます。天の川の西の岸から、よ ほど離れた処(トコロ)に、青い小さな星で円くかこまれてあります。底は青い小さなつ ぶ石でたいらにうずめられ、石の間から奇麗(キレイ)な水が、ころころころころ湧(ワ)き 出して泉の一方のふちから天の川へ小さな流れになって走って行きます。私共の世界 が旱(ヒデリ)の時、瘠(ヤ)せてしまった夜鷹(ヨダカ)やほととぎすなどが、それをだまっ て見上げて、残念そうに咽喉(ノド)を【くびくび】させているのを時々見ることがあ るではありませんか。どんな鳥でもとてもあそこまでは行けません。けれども、天の 大烏(オオガラス)の星や、蠍(サソリ)の星や、兎(ウサギ)の星なら、もちろんすぐ行けます。 「ポウセさんまずこゝへ滝をこしらえましょうか。」 「えゝ、こしらえましょう。僕石を運びますから。」  チュンセ童子が沓をぬいで小流れの中に入り、ポウセ童子は岸から手ごろの石を集 めはじめました。  今は、空は、りんごのいゝ匂(ニオイ)で一杯(イッパイ)です。西の空に消え残った銀色の お月様が吐(ハ)いたのです。  ふと野原の向うから大きな声で歌うのが聞えます。  「あまのがわの にしのきしを、   すこしはなれた そらの井戸。   みずはころゝ、そこもきらら、   まわりをかこむ あおいほし。   夜鷹ふくろう、ちどり、かけす、   来よとすれども、できもせぬ。」 「あ、大烏の星だ」童子たちは一緒(イッショ)に云いました。  もう空のすゝきをざわざわと分けて大烏が向うから肩をふって、のっしのっしと大 股(オオマタ)にやって参りました。まっくろなびろうどのマントを着て、まっくろなびろ うどの股引(モモヒキ)をはいて居ります。  大烏は二人を見て立ちどまって丁寧(テイネイ)にお辞儀(ジギ)しました。 「いや、今日は。チュンセ童子とポウセ童子。よく晴れて結構ですな。しかしどうも 晴れると咽喉(ノド)が乾(カワ)いていけません。それに昨夜(ユウベ)は少し高く歌い過ぎ ましてな。ご免(メン)下さい。」と云いながら大烏は泉に頭をつき込みました。 「どうか構わないで沢山(タクサン)呑(ノ)んで下さい。」とポウセ童子が云いました。  大烏は息もつかずに三分ばかり咽喉を鳴らして呑んでから、やっと顔をあげて一寸 (チョット)眼をパチパチ云わせて、それからブルルッと頭をふって水を払いました。  その時向うから暴(アラ)い声の歌が又聞えて参りました。大烏は見る見る顔色を変(カ) えて身体(カラダ)を烈(ハゲ)しくふるわせました。  「みなみのそらの、赤眼のさそり   毒ある鉤(カギ)と 大きなはさみを   知らない者は 阿呆鳥(アホウドリ)。」  そこで大烏が怒って云いました。 「蠍星(サソリボシ)です。畜生(チクショウ)。阿呆鳥だなんて、人をあてつけてやがる。見ろ。 こゝへ来たら、その赤眼を抜いてやるぞ。」  チュンセ童子が、 「大烏さん。それはいけないでしょう。王様がご存じですよ。」という間もなく、も う赤い眼の蠍星が向うから、二つの大きな鋏(ハサミ)をゆらゆら動かし、長い尾をカラ カラ引いてやって来るのです。その音はしずかな天の野原中にひゞきました。  大烏はもう怒ってぶるぶる顫(フル)えて今にも飛びかゝりそうです。双子の星は一生 けん命手まねでそれを押えました。  蠍は大烏を尻目(シリメ)にかけてもう泉のふち迄(マデ)這(ハ)って来て云いました。 「あゝ、どうも咽喉が乾いてしまった。やあ双子さん。今日は。ご免なさい。少し水 を呑んでやろうかな。はてな、どうもこの水は変に土臭(ツチクサ)いぞ。どこかのまっ黒 な馬鹿ァが頭をつっ込んだと見える。えい。仕方ない。我慢(ガマン)してやれ。」  そして蠍は十分ばかりごくりごくりと水を呑みました。その間も、いかにも大烏を 馬鹿にする様(ヨウ)に、毒の鉤のついた尾をそちらにパタパタ動かすのです。  とうとう大烏は、我慢し兼(カ)ねて羽をパッと開いて叫びました。 「こら蠍。貴様はさっきから、阿呆鳥だの何だのと、俺の悪口を云ったな。早くあや まったらどうだ」  蠍がやっと水から頭をはなして、赤い眼をまるで火が燃えるように動かしました。 「へん。誰か何か云ってるぜ。赤いお方だろうか。鼠(ネズミ)色のお方だろうか。一つ 鉤をお見舞いしますかな。」  大烏はかっとして思わず飛びあがって叫びました。 「何を。生意気な。空の向う側へまっさかさまに落としてやるぞ。」  蠍も怒って大きなからだをすばやくひねって尾の鉤を空に突き上げました。大烏は 飛びあがってそれを避け、今度はくちばしを槍(ヤリ)のようにしてまっすぐに蠍の頭を めがけて落ちて来ました。  チュンセ童子もポウセ童子もとめるすきがありません。蠍は頭に深い傷を受け、大 烏は胸を毒の鉤でさゝれて、両方ともウンとうなったまま重なり合って気絶してしま いました。  蠍の血がどくどく空に流れて、いやな赤い雲になりました。  チュンセ童子が急いで沓をはいて、申しました。 「さあ大変だ。大烏には毒がはいったのだ。早く吸いとってやらないといけない。ポ ウセさん。大烏をしっかり押えていて下さいませんか。」  ポウセ童子も沓をはいてしまって、いそいで大烏のうしろにまわって、しっかり押 えました。チュンセ童子が大烏の胸の傷口に口をあてました。ポウセ童子が申しまし た。 「チュンセさん。毒を呑んではいけませんよ。すぐ吐き出してしまわないといけませ んよ。」  チュンセ童子が、黙って傷口から六遍ほど毒のある血を吸って、はき出しました。 すると大烏がやっと気がついて、うすく目を開いて申しました。 「あ、どうも済みません。私はどうしたのですかな。たしかに野郎をし止めたのだ が。」  チュンセ童子が申しました。 「早く流れでその傷口をお洗いなさい。歩けますか。」  大烏はよろよろ立ちあがって、蠍を見て又身体(カラダ)をふるわせて云いました。 「畜生。空の毒虫め。空で死んだのを有り難いと思え。」  二人は大烏を急いで流れへ連れて行きました。そして奇麗に傷口を洗ってやって、 その上、傷口へ二三度香(カグワ)しい息を吹きかけてやって云いました。 「さあ、ゆるゆる歩いて、明るいうちに早くおうちへお帰りなさい。これからはこん な事をしてはいけません。王様はみんなご存じですよ。」  大烏は悄気(ショゲ)て翼(ツバサ)を力なく垂れ、何遍(ナンベン)もお辞儀をして、 「ありがとうございます。ありがとうございます。これからは気をつけます。」と云 いながら、脚(アシ)を引きずって、銀のすゝきの野原を向うへ行ってしまいました。  二人は蠍を調べて見ました。頭の傷はかなり深かったのですが、もう血がとまって います。二人は泉の水をすくって、傷口にかけて奇麗に洗いました。そして交(カワ)る 交(ガワ)るふっふっと息をそこへ吹き込みました。  お日様が丁度空のまん中においでになった頃、蠍はかすかに目を開きました。  ポウセ童子が汗をふきながら申しました。 「どうですか気分は。」  蠍がゆるく呟(ツブヤ)きました。 「大烏めは死にましたか。」  チュンセ童子が少し怒って云いました。 「まだそんな事を云うんですか。あなたこそ死ぬ所でした。さあ、早くうちへ帰る様 に元気をお出しなさい。明るいうちに帰らなかったら大変ですよ。」  蠍が目を変に光らして云いました。 「双子さん。どうか私を送って下さいませんか。お世話の序(ツイデ)です。」  ポウセ童子が云いました。 「送ってあげましょう。さあおつかまりなさい。」  チュンセ童子も申しました。 「そら、僕にもおつかまりなさい。早くしないと明るいうちに家に行けません。そう すると今夜の星めぐりが出来なくなります。」  蠍は二人につかまってよろよろ歩き出しました。二人の肩の骨は曲りそうになりま した。実に蠍のからだは重いのです。大きさから云っても童子たちの十倍位はあるの です。  けれども二人は顔をまっ赤にしてこらえて一足づつ歩きました。  蠍は尾をギーギーと石ころの上に引きずって、いやな息をはあはあ吐いて、よろり よろりとあるくのです。一時間に十町とも進みません。  もう童子たちは余り重い上に、蠍の手がひどく食い込んで痛いので、肩や胸が自分 のものかどうかもわからなくなりました。  空の野原はきらきら白く光っています。七つの小流れと十の芝原とを過ぎました。  童子たちは頭がぐるぐるして、もう自分が歩いているのか、立っているのかわかり ませんでした。それでも二人は黙ってやはり一足づつ進みました。  さっきから六時間もたっています。蠍の家まではまだ一時間半はかゝりましょう。 もうお日様が西の山にお入りになる所です。 「もう少し急げませんか。私らも、もう一時間半のうちにはおうちへ帰らないといけ ないんだから。けれども苦しいんですか。大変痛みますか。」とポウセ童子が申しま した。 「へい。も少しでございます。どうかお慈悲(ジヒ)でございます。」と蠍が泣きまし た。 「えゝ、も少しです。傷は痛みますか。」とチュンセ童子が肩の骨の砕けそうなのを じっとこらえて申しました。  お日様がもうサッサッサッと三遍厳かにゆらいで西の山にお沈みになりました。 「もう僕らは帰らないといけない。困ったな。ここらの人は誰か居ませんか。」ポウ セ童子が叫びました。天の野原はしんとして返事もありません。  西の雲はまっかにかゞやき蠍の眼も赤く悲しく光りました。光の強い星たちはもう 銀の鎧(ヨロイ)を着て歌いながら遠くの空へ現れた様子です。 「一つ星めつけた。長者になあれ。」下で一人の子供がそっちを見上げて叫んでいま す。  チュンセ童子が、 「蠍さん。も少しです。急げませんか。疲れましたか。」と云いました。  蠍が哀れな声で、 「どうもすっかり疲れてしまいました。どうかも少しですからお許し下さい。」と云 います。 「星さん星さん一つの星で出ぬもんだ。  千も万もででるもんだ。」  下で別の子供が叫んでいます。もう西の山はまっ黒です。あちこち、星がちらちら 現れました。  チュンセ童子は背中がまがってまるで潰れそうになりながら云いました。 「蠍さん。もう私らは今夜は時間に遅れました。きっと王様に叱(シカ)られます。事(コ ト)によったら流されるかも知れません。けれども、あなたがふだんの所に居なかった らそれこそ大変です。」  ポウセ童子が、 「私はもう疲れて死にそうです。蠍さん。もっと元気を出して早く帰って行って下さ い。」と云いながら、とうとうバッタリ倒れてしまいました。蠍は泣いて云いました。 「どうか許して下さい。私は馬鹿です。あなた方の髪の毛一本にも及びません。きっ と心を改めてこのおわびは致します。きっといたします。」  この時水色の烈しい光の外套(ガイトウ)を着た稲妻が、向うからギラッとひらめいて 飛んで来ました。そして童子たちに手をついて申しました。 「王様のご命でお迎えに参りました。さあご一緒に私のマントへおつかまり下さい。 もうすぐお宮へお連れ申します。王様はどう云う訳か、さっきからひどくお悦(ヨロコ) びでございます。それから、蠍。お前は今まで憎まれ者だったな。さあこの薬を王様 から下すったんだ。飲め。」  童子たちは叫びました。 「それでは蠍さん。さよなら。早く薬をのんで下さい。それからさっきの約束ですよ。 きっとですよ。さよなら。」  そして二人は一緒に稲妻のマントにつかまりました。蠍が沢山の手をついて平伏(ヘ イフク)して薬をのみ、それから丁寧にお辞儀をします。  稲妻がぎらぎら光ったと思うともういつかさっきの泉のそばに立って居りました。 そして申しました。 「さあ、すっかりおからだをお洗いなさい。王様から新しい着物と沓を下さいました。 まだ十五分、間(マ)があります。」  双子のお星様たちは悦んでつめたい水晶(スイショウ)のような流れを浴(ア)び、匂(ニオイ) のいゝ青光りのうすものの衣を着け、新らしい白光りの沓をはきました。するともう、 身体(カラダ)の痛みもつかれも一遍にとれて、すがすがしてしまいました。 「さあ、参りましょう。」と稲妻が申しました。そして二人が又そのマントに取りつ きますと、紫色の光が一遍ぱっとひらめいて、童子たちはもう、自分のお宮の前に居 ました。稲妻はもう見えません。 「チュンセ童子、それでは支度(シタク)をしましょう。」 「ポウセ童子、それでは支度をしましょう。」  二人はお宮にのぼり、向き合ってきちんと座(スワ)り銀笛をとりあげました。  丁度あちこちで星めぐりの歌がはじまりました。  「あかいめだまの さそり   ひろげた鷲の  つばさ   あおいめだまの 小いぬ、   ひかりのへびの とぐろ。   オリオンは高く うたい   つゆとしもとを おとす、   アンドロメダの くもは   さかなのくちの かたち。   大ぐまのあしを きたに   五つのばした  ところ。   小熊のひたいの うえは   そらのめぐりの めあて。」  双子のお星様たちは笛を吹きはじめました。      (二) (天の川の西の岸に小さな小さな二つの青い星が見えます。あれはチュンセ童子とポ ウセ童子という双子(フタゴ)のお星様で、めいめい水精(スイショウ)でできた小さなお宮に 住んでいます。  二つのお宮はまっすぐに向い合っています。夜は二人ともきっとお宮に帰って、き ちんと座(スワ)ってそらの星めぐりの歌に合せて一晩銀笛を吹くのです。それがこの双 子のお星さまたちの役目でした。)  ある晩、空の下の方が黒い雲で一杯(イッパイ)に埋まり雲の下では雨がザアッザアッ と降(フ)って居(オ)りました。それでも二人はいつものように、めいめいのお宮にきち んと座って、向いあって笛を吹いていますと、突然大きな乱暴ものの彗星(ホウキボシ)が やって来て、二人のお宮にフッフッと青白い光の霧をふきかけて云いました。 「おい、双子の青星。すこし旅に出て見ないか。今夜なんかそんなにしなくてもいゝ んだ。いくら難船の船乗りが、星で方角を定めようたって、雲で見えはしない。天文 台の星の係りも、今日は休みであくびをしている。いつも星を見ているあの生意気(ナ マイキ)な小学生も、雨ですっかりへこたれて、うちの中で絵なんか書いてるんだ。お前 たちが笛なんか吹かなくたって、星はみんなくるくるまわるさ。どうだ。一寸(チョット) 旅へ出よう。あしたの晩方までにはこゝに連れて来てやるぜ。」  チュンセ童子が一寸笛をやめて云いました。 「それは曇った日は笛をやめてもいゝと王様からお許しはあるとも。私らはたゞ面白 くて吹いていたんだ。」  ポウセ童子も一寸笛をやめて云いました。 「けれども旅に出るなんてそんな事はお許しがないはずだ。雲がいつはれるかもわか らないんだから。」  彗星が云いました。 「心配するなよ。王様がこの前、俺(オレ)にそう云ったぜ。いつか曇った晩、あの双子 を少し旅させてやって呉(ク)れってな。行こう。行こう。俺なんか面白いぞ。俺のあ だ名は空の鯨(クジラ)と云うんだ。知ってるか。俺は鰯(イワシ)のようなヒョロヒョロの 星や、めだかのような黒い隕石(イシ)は、みんなパクパク呑(ノ)んでしまうんだ。それ から一番痛快なのは、まっすぐに行って、そのまま、まっすぐに戻る位ひどくカーブ を切って廻(マワ)るときだ。まるで身体が壊(コワ)れそうになって、ミシミシ云うんだ。 光の骨までがカチカチ云うぜ。」  ポウセ童子が云いました。 「チュンセさん。行きましょうか。王様がいゝっておっしゃったそうですから。」  チュンセ童子が云いました。 「けれども王様がお許しになったなんて一体本当でしょうか。」  彗星が云いました。 「へん。偽(ウソ)なら俺の頭が裂(サ)けてしまうがいいさ。頭と胴(ドウ)と尾とばらばら になって海へ落ちて海鼠(ナマコ)にでもなるだろうよ。偽なんか云うもんか。」  ポウセ童子が云いました。 「そんなら王様に誓(チカ)えるかい。」  彗星はわけもなく云いました。 「うん。誓うとも。そら、王様ご照覧。えゝ今日、王様のご命令で双子の青星は旅に 出ます。ね。いゝだろう。」  二人は一緒(イッショ)に云いました。 「うん。いゝ。そんなら行こう。」  そこで彗星はいやに真面目(マジメ)くさって云いました。 「それじゃ早く俺のしっぽにつかまれ。しっかりとつかまるんだ。さ。いゝか」  二人は彗星のしっぽにしっかりつかまりました。彗星は青白い光を一つフウとはい て云いました。 「さあ、発(タ)つぞ。ギイギイギイフウ。ギイギイフウ。」  実に彗星は空のくじらです。弱い星はあちこち逃げまわりました。もう大分来たの です。二人のお宮もはるかに遠く遠くなってしまい、今は小さな青白い点にしか見え ません。  チュンセ童子が申しました。 「もう余程来たな。天の川の落ち口はまだだろうか。」  すると彗星の態度がガラリと変ってしまいました。 「へん。天の川の落ち口より、お前らの落ち口を見ろ。それ一(ヒ)ぃ二(フ)の三(ミ)。」  彗星は尾を強く二三遍動かし、おまけにうしろをふり向いて、青白い霧を烈しくか けて、二人を吹き落してしまいました。  二人は青ぐろい虚空(コクウ)をまっしぐらに落ちました。  彗星は、 「あっはっは、あっはっは。さっきの誓いも何もかも、みんな取り消しだ。ギイギイ ギイ、フウ。ギイギイフウ。」と云いながら向うへ走って行ってしまいました。二人 は落ちながらしっかりとお互いの肱(ヒジ)をつかみました。この双子のお星様はどこ 迄(マデ)も一緒に落ちようとしたのです。  二人のからだが空気の中にはいってからは、雷のように鳴り、赤い火花がパチパチ あがり、見ていてさえめまいがする位でした。そして二人はまっ黒な雲の中を通り、 暗い波の咆(ホ)えている海の中に矢のように落ち込みました。  二人はずんずん沈みました。けれども不思議なことには水の中でも自由に息ができ たのです。  海の底はやわらかな泥で大きい黒いものが寝ていたり、もやもやの藻(モ)がゆれた りしました。  チュンセ童子が申しました。 「ボウセさん。こゝは海の底でしょうね。もう僕たちは空に昇れません。これからど んな目に遭(ア)うでしょう。」  ポウセ童子が云いました。 「僕らは彗星に欺(ダマ)されたのです。彗星は王さまにさえ偽(ウソ)をついたのです。 本当に憎いやつではありませんか。」  するとすぐ足もとで、星の形で、赤い光の小さなひとでが申しました。 「お前さんたちは、どこの海の人たちですか。お前さんたちは、青いひとでのしるし をつけていますね。」  ポウセ童子が云いました。 「私らはひとでではありません。星ですよ。」  するとひとでが怒って云いました。 「何だと。星だって。ひとではもとはみんな星さ。お前たちはそれじゃ、今やっとこ こへ来たんだろう。何だ。それじゃ新米のひとでだ。ほやほやの悪党(アクトウ)だ。悪い ことをしてこゝへ来ながら、星だなんて鼻にかけるのは、海の底でははやらないさ。 おいらだって空に居た時は、第一等の軍人だぜ。」  ポウセ童子が悲しそうに上を見ました。  もう雨がやんで雲がすっかりなくなり、海の水もまるで硝子<ガラス>のように静まっ て、そらがはっきり見えます。天の川も、そらの井戸も、鷲(ワシ)の星や、琴弾(コトヒ) きの星や、みんなはっきり見えます、小さく小さく二人のお宮も見えます。 「チュンセさん。すっかり空が見えます。私らのお宮も見えます。それだのに私らは とうとう、ひとでになってしまいました。」 「ポウセさん。もう仕方がありません。こゝから空のみなさんにお別れしましょう。 またおすがたは見えませんが王様におわびをしましょう。」 「王様、さよなら。私共は今日からひとでになるのでございます。」 「王様、さよなら。ばかな私共は彗星に欺(ダマ)されました。今日からくらい海の底 の泥を私共は這(ハ)いまわります。」 「さよなら、王様。又天上の皆さま。おさかえを祈ります。」 「さよなら、みな様。又すべて上の尊い王さま、いつまでもそうしておいで下さい。」  赤いひとでが沢山集まって来て二人を囲んでがやがや云って居りました。 「こら着物をよこせ。」「こら、剣を出せ。」「税金を出せ。」「もっと小さくな れ。」「俺の靴をふけ。」  その時みんなの頭の上を、まっ黒な大きなものが、ゴーゴーと哮(ホ)えて通りかゝ りました。ひとではあわてて、みんなお辞儀をしました。黒いものは行き過ぎようと して、ふと立ちどまって、よく二人をすかして見て云いました。 「ははあ、新兵だな。まだお辞儀のしかたも習わないのだな。こらくじら様を知らん のか。俺のあだなは海の彗星と云うんだ。知ってるか。俺は鰯(イワシ)のようなひょろ ひょろの魚や、めだかの様(ヨウ)なめくらの魚はみんなパクパク呑んでしまうんだ。そ れから一番痛快なのは、まっすぐに行ってぐるっと円を描いて、まっすぐにかえる位 ゆっくりカーブを切るときだ。まるでからだの油がねとねとするぞ。さて、お前は天 からの追放の書き付けを持って来たろうな。早くだせ。」  二人は顔を見合せました。チュンセ童子が、 「僕らはそんなもの持たない。」と申しました。  すると鯨(クジラ)は怒って、水をぐうっと口から吐きました。ひとではみんな顔色を 変えて、よろよろしましたが、二人はこらえてしゃんと立っていました。  鯨が怖(コワ)い顔をして云いました。 「書き付けを持たないのか。悪党め。こゝに居るのはどんな悪いことを天上でして来 たやつでも、書き付けを持たなかったものはないぞ。貴様らは実にけしからん。さあ。 呑んでしまうから、そう思え。いいか。」鯨は口を大きくあけて身構えしました。ひ とでや近所の魚は、巻き添えを食っては大変だと、泥の中にもぐり込んだり一もくさ んに逃げたりしました。  その時向うから銀色の光がパッと射して小さな海蛇(ウミヘビ)がやって来ます。鯨は 非常に愕(オド)ろいたらしく急いで口を閉めました。  海蛇は不思議そうに二人の頭の上をじっと見て云いました。 「あなた方はどうしたのですか。悪いことをなさって天から落されたお方ではないよ うに思われますが。」  鯨が横から口を出しました。 「こいつらは追放の書き付けを持ってませんよ」  海蛇が凄(スゴ)い目をして鯨をにらみつけて云いました。 「黙っておいで。生意気な。このお方がたを、こいつらなんてお前がどうして云える んだ。お前には善(ヨ)い事をしていた人の、頭の上の後光(ゴコウ)が見えないのだ。悪 い事をしたものなら頭の上に黒い影法師(カゲボウシ)が口をあいているからすぐわかる。 お星さま方。こちらへお出(イ)で下さい。王の所へご案内申しあげましょう。おい、 ひとで。あかりをともせ。こら、くじら。あんまり暴(アバ)れてはいかんぞ。」  くじらは頭をかいて平伏しました。  愕ろいた事には赤い光のひとでが、幅のひろい二列にぞろっとならんで、丁度(チョウ ド)街道のあかりのようです。 「さあ、参りましょう」海蛇は白髪を振って恭々(ウヤウヤ)しく申しました。二人はそれ に続いてひとでの間を通りました。まもなく蒼(アオ)ぐろい水あかりの中に大きな白い 城の門があって、その扉(ト)がひとりでに開いて中から沢山の立派な海蛇が出て参り ました。そして双子のお星さまだちは海蛇の王さまの前に導(ミチビ)かれました。王様 は白い長い髯(ヒゲ)の生(ハ)えた老人でにこにこわらって云いました。 「あなた方はチュンセ童子にポウセ童子。よく存じて居ります。あなた方が、前にあ の空の蠍(サソリ)の悪い心を命がけでお直しになった話は、こゝへも伝わって居ります。 私はそれを、こちらの小学校の読本(トクホン)にも入れさせました。さて、今度はとんだ 災難で定めしびっくりなさったでしょう。」  チュンセ童子が申しました。 「これはお語(コトバ)誠に恐れ入ります。私共はもう天上にも帰れませんし、できます 事なら、こちらで何なり、みなさまのお役に立ちたいと存じます。」  王が云いました。 「いやいや、そのご謙遜は恐れ入ります。早速(サッソク)竜巻(タツマキ)に云いつけて天上に お送りいたしましょう。お帰りになりましたら、あなたの王様に、海蛇めが宜しく申 し上げたと仰(オ)っしゃって下さい。」  ポウセ童子が悦(ヨロコ)んで申しました。 「それでは王様は私共の王様をご存じでいらっしゃいますか。」  王はあわてて椅子(イス)を下って申しました。 「いゝえ、それどころではございません。王様はこの私の唯(タダ)一人の王でござい ます。遠いむかしから私めの先生でございます。私はあのお方の愚かなしもべでござ います。いや、まだおわかりになりますまい。けれどもやがておわかりでございましょ う。それでは夜の明けないうちに、竜巻にお供(トモ)致させます。これ、これ。支度(シ タク)はいゝか。」  一疋(イッピキ)のけらいの海蛇が 「はい、ご門の前にお待ちいたして居ります。」と答えました。  二人は丁寧に王にお辞儀をいたしました。 「それでは王様、ごぎげんよろしゅう。いずれ改めて空からお礼を申しあげます。こ のお宮のいつまでも栄えますよう。」  王は立って云いました。 「あなた方もどうか、ますます立派にお光り下さいますよう。それではごきげんよろ しゅう。」  けらいたちが一度に恭々しくお辞儀をしました。  童子たちは門の外に出ました。  竜巻が銀のとぐろを巻いてねています。  一人の海蛇が二人をその頭に載(ノ)せました。  二人はその角(ツノ)に取りつきました。  その時赤い光のひとでが沢山出て来て叫びました。 「さよなら、どうか空の王様によろしく。私どももいつか、許されますようおねがい いたします。」  二人は一緒に云いました。 「きっとそう申しあげます。やがて空でまたお目にかゝりましょう。」  竜巻がそろりそろりと立ちあがりました。 「さよなら、さよなら。」  竜巻はもう頭をまっくろな海の上に出しました。と思うと急にバリバリバリッと烈 しい音がして竜巻は水と一所に矢のように高く高くはせのぼりました。  まだ夜があけるのに余程間があります。天の川がずんずん近くなります。二人のお 宮がもうはっきり見えます。 「一寸あれをご覧なさい。」と闇(ヤミ)の中で竜巻が申しました。  見ると、あの大きな青白い光のほうきぼしは、ばらばらにわかれてしまって、頭も 尾も胴も別々にきちがいのような凄(スゴ)い声をあげ、ガリガリ光ってまっ黒な海の 中に落ちて行きます。 「あいつはなまこになりますよ」と竜巻がしずかに云いました。  もう空の星めぐりの歌が聞えます。  そして童子たちはお宮につきました。  竜巻は二人をおろして 「さよなら、ごきげんよろしゅう。」と云いながら風のように海に帰って行きました。  双子のお星さまはめいめいのお宮に昇りました。そしてきちんと座(スワ)って見えな い空の王様に申しました。 「私どもの不注意から、しばらく役目を欠かしまして、お申し訳けございません。そ れにもかかわらず今晩はおめぐみによりまして、不思議に助かりました。海の王様が、 沢山の尊敬をお伝えして呉(ク)れと申されました。それから海の底のひとでがお慈悲 (ジヒ)をねがいました。又私どもから申しあげますが、なまこももしできますなら、 お許しを願いとう存じます。」  そして二人は銀笛をとりあげました。  東の空が黄金(キン)色になり、もう夜明けに間もありません。 (以 上)