新字新かなに変換している ( ) はひらがなのルビ 童話集『注文の多い料理店』広告文 宮沢賢治:作 イーハトブは一つの地名である。強いてその地点を求むるならば、そ れは大小クラウス達の耕していた野原や、少女アリスが辿(タド)った鏡 の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の 遠い東と考えられる。実にこれは著者の心象中にこの様な状景を以て実 在したドリームランドとしての日本岩手県である。 そこではあらゆる事が可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し 大循環の風を従えて北に旅する事もあれば、赤い花杯の下を行く蟻(アリ) と語ることも出来る。罪やかなしみでさえそこでは聖くきれいに輝いて いる。深い椈(ブナ)の森や、風や影、肉之草や、不思議な都会ベーリン グ市まで続く電柱の列、それはまことにあやしくも楽しい国土である。 この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。それは少年 少女期の終り頃からアドレッセンス<*>中葉に対する一つの文学として の形式をとっている。この見地からその特長を数えるならば次の諸点に 帰する。 一、これは正しいものの種子を有し、その美しい発芽を待つものである。 而(シカ)も決して既成の疲れた宗教や道徳の残滓(ザンシ)を、色あせた 仮面によって純真な心意の所有者たちに欺き与えんとするものでは ない。 二、これらは新しいよりよい世界の構成材料を提供しようとはするけれ ども、それは全く作者に未知な絶えざる驚異に値する世界自身の発 展であって、決して畸形(キケイ)に捏(コ)ねあげられた煤色(ススイロ)のユ ートピアではない。 三、これらは決して偽でも架空でも窃盗でもない。多少の再度の内省と 分析とはあっても、たしかにこの通りその時心象の中に現われたも のである。故にそれはどんなに馬鹿げていても難解でも、必ず心の 深部に於て万人の共通である。卑怯(ヒキョウ)な成人たちに畢竟(ヒッキョウ) 不可解な丈(ダケ)である。 四、これは田園の新鮮な産物である。我等は田園の風と光の中から、つ ややかな果実や青い蔬菜(ソサイ)と一緒に、これらの心象スケッチを 世間に提供するものである。 <*>adolescence[英]:青年期。