( ) はひらがなのルビ。 < > はカタカナのルビ。 【 】は傍点を示す。 人間失格 太宰 治:作 はしがき  私は、その男の写真を三葉、見たことがある。  一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後 かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りか こまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹(イトコ) たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞(シマ)の袴(ハカマ)をは いて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く ? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち) は、面白くも何とも無いような顔をして、 「可愛い坊ちゃんですね。」  といい加減なお世辞を言っても、まんざら空(カラ)お世辞に聞えないく らいの、謂(イ)わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔 に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就(ツ)いて の訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、 「なんて、いやな子供だ。」  と頗(スコブ)る不快そうに呟(ツブヤ)き、毛虫でも払いのける時のような 手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。  まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、 イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。 この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方 のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑 えるものでは無いのである。猿(サル)だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺 (シワ)を寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いた くなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へ んにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな 不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。  第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌(ヘ ンボウ)していた。学生の姿である。高等学校時代の写真か、大学時代の 写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生で ある。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしな かった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗(ノゾ)かせ、 籐椅子(トウイス)に腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こ んどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になって はいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言 おうか、生命(イノチ)の渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少し も無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一 枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなので ある。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っ ても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく 見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いも のが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青 年を見た事が、いちども無かった。  もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃が わからない。頭はいくぶん白髪(シラガ)のようである。それが、ひどく汚 い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキ リ写っている)の片隅で、小さい火鉢(ヒバチ)に両手をかざし、こんどは 笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざし ながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおい のする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わ りに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる 事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉(マユ)も平凡、眼も 平凡、鼻も口も顎(アゴ)も、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印 象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつ ぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出 す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消し て、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である。漫 画にも何もならない顔である。眼をひらく、あ、こんな顔だったのか、 思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、 眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただも う不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。  所謂(イワユル)「死相」というものにだって、もっと何か表情なり印象な りがあるものだろうに、人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、 こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見 る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こ んな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。 第一の手記  恥の多い生涯を送って来ました。  自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東 北の田舎(イナカ)に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大 きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、 そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には 全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑 に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばか り思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッ ジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜(アカヌ)けのし た遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィ スの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまた ぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興 が覚めました。  また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもや はり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよ りは、地下の車に乗ったほうが風(フウ)がわりで面白い遊びだから、とば かり思っていました。  自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、 枕のカヴァ、掛蒲団(カケブトン)のカヴァを、つくづく、つまらない装飾だ と思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかっ て、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。  また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自 分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意 味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱり わからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空(ス)いてい ても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校 から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分 たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、 甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますの で、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟い て、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんな ものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。  自分だって、それは勿論(モチロン)、大いにものを食べますが、しかし、 空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと 思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそ へ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうし て、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食 事の時間でした。  自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳(ゼン) を二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座で したが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、 ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いを しました。それに田舎の昔気質(カタギ)の家でしたので、おかずも、たい ていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべ くもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分は その薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少 量づつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べ るのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式の ようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集ま り、お膳を順序正しく並ベ、食べたくなくても無言でごはんを噛(カ)み ながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも 知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。  めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤな おどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、 何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に 不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、その ために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとっ て難解で晦渋(カイジュウ)で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、 無かったのです。  つまり、自分には人間の営みというものが未(イマ)だに何もわかってい ない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人 たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はそ の不安のために夜々、輾転(テンテン)し、呻吟(シンギン)し、発狂しかけた事 さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時 から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分では いつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちの ほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には 見えるのです。  自分には、禍(ワザワ)いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、 隣人が背負(セオ)ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命(イノチ)取り になるのではあるまいかと、思った事さえありました。  つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見 当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれ で解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十 個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨(セイサン)な阿鼻地獄(アビジゴ ク)なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よ く自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたた かいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきっ て、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いん じゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんな もので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっ すり眠り、朝は爽快(ソウカイ)なのかしら、どんな夢を見ているのだろう、 道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも 無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞 いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という 言葉は、耳にしたことが無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、 それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくな り、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりな のです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言った らいいのか、わからないのです。  そこで考え出したのは、道化でした。  それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極 度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかっ たらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につ ながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、 内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪 の、油汗流してのサーヴィスでした。  自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどん なに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見 当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道 化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も 本当の事を言わない子になっていたのです。  その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たち は皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて 笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。  また自分は、肉親たちに何か言われて、口応(クチゴタ)えした事はいち ども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂(ヘキレキ) の如(ゴト)く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、その おこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いな い、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住 めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分に は、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、 いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして 来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じまし た。  それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がす るものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子 (シシ)よりも鰐(ワニ)よりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見る のです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの 機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾 (シッポ)でピシッと腹の虻(アブ)を打ち殺すみたいに、不意に人間のおそ ろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆 立つほどの戦慄(センリツ)を覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の 一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。  人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分 の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩(オウノウ)は 胸の中の小箱に秘め、その憂鬱(ユウウツ)、ナアヴァスネスを、ひたかくし に隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化(ドケ)たお変 人として、次第に完成されて行きました。  何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、 自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないので はないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障(メザワ)りになってはいけ ない、自分は無だ、風だ、空(ソラ)だ、というような思いばかりが募り、 自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解 でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたので す。  自分は夏に、浴衣(ユカタ)の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、 家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出 し、 「それあ、葉ちゃん、似合わない。」  と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって、 真夏に毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒 さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆<レギンス>を両腕にはめて、 浴衣の袖口から覗かせ、以てセエターを着ているように見せかけていた のです。  自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、上野の桜木町に別荘 を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして 帰る時には家族の者たち、また親戚(シンセキ)の者たちにまで、実におびた だしくお土産(ミヤゲ)を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなもので した。  いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時 には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対す る子供たちの答をいちいち手帖(テチョウ)に書きとめるのでした。父が、こ んなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。 「葉蔵は?」  と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。  何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。 どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだと いう思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、 どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。 イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、 極めてにがく味い、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つ まり、自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到 (イタ)り、いよいよ自分の所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる 性癖の一つだったように思われます。  自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔にな り、 「やはり、本か。浅草の仲店にお正月の獅子舞いのお獅子、子供がかぶっ て遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか。」  欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何 も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。 「本が、いいでしょう。」  長兄は、まじめな顔をして言いました。 「そうか。」  父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。  何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐(フクシュウ)は、きっと、 おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつか ぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起き て客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけ て、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見 つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその 獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本 のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子を自分 に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向に迎合して、 父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢 (ア)えておかしたのでした。  そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以 て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っ ているのを、自分は子供部屋で聞いていました。 「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシ マイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかし げて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私 が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅 子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った 坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲し かったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いま したよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい。」  また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに 滅茶苦茶にピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家 には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目(デタラメ) の曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせまし た。次兄は、フラッシュを焚(タ)いて、自分のインデヤン踊りを撮影し て、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗(サラサ)の風 呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これが また家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべ きものだったかも知れません。  自分は毎月、新刊の少年雜誌を十冊以上も、とっていて、またその他 にも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、 メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、た いへんな馴染(ナジミ)で、また、怪談、講談、落語、江戸小咄(コバナシ)な どの類にも、かなり通じていましたから、剽軽(ヒョウキン)な事をまじめな 顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。  しかし、鳴呼(アア)、学校!  自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観 念もまた、甚(ハナハ)だ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く 人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ 葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊 敬される」という状態の自分の定義でありました。人間をだまして、 「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、 やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その 時の人間たちの怒り、復響は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想 像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。  自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事 に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から 病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ 事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだで人力車に乗って 学校へ行き、学年末の試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「で きて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり 勉強せず、学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、休憩時間にはそ れをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、 綴(ツヅ)り方には、滑稽噺(コッケイバナシ)ばかり書き、先生から注意されて も、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分の その滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或 る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車 で、おしっこを客車の通路にある痰壺(タンツボ)にしてしまった失敗談 (しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませ んでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、 ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという 自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっと つけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、 他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読み はじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔 を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませて いるのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。  お茶目。  自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、 のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行と いうものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の 大笑いの種でした。  けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡(オヨ)そ対蹠的 (タイセキテキ)なものでした。その頃、既に自分は、女中や下男から、哀(カナ) しい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような 事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯 罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。 これでまた一つ、人間の特質を見たというような気持さえして、そうし て、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついて いたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知 れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来 なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待でき ませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡(マワ)りに訴えても、 政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶん に言いまくられるだけの事では無いかしら。  必ず片手落ちのあるのが、わかり切っている、所詮(ショセン)、人間に訴 えるのは無駄である。自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、 そうしてお道化をつづけているより他(ホカ)、無い気持なのでした。  なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいつクリ スチャンになったんだい、と嘲笑(チョウショウ)する人も或いはあるかも知れ ませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じて いるとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する 人をも含めて、人間は、【お互いの不信の中で】、エホバも何も念頭に 置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃 の事でありましたが、父の属していた或る政党の有名人が、この町に演 説に来て、自分は下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員 で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見え て、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三 三五々かたまって家路に就(ツ)き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っ ているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。 父の開会の辞も下手(ヘタ)、れいの有名人の演説も何が何やら、わけがわ からぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているの です。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、 今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っ ていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、 とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白 くないものはない、と帰る途々(ミチミチ)、下男たちが嘆き合っていたので す。  しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあ ざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っ ている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ 清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思 われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さ して特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩 まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何 とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき 合っていながら、【清く明るく朗らかに】生きている、或いは生き得る 自信を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分に その妙諦(ミョウテイ)を教えてはくれませんでした。それさえわかったら、 自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、 すんだのでしょう。人間の生活と対立してしまって、夜々の地獄のこれ ほどの苦しみを嘗(ナ)めずにすんだのでしょう。つまり、自分が下男下 女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への 不信からではなく、また勿論クリスト主義のためでもなく、人間が、葉 蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。 父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったので すから。  そうして、その、誰にも訴えない、自分の孤独の匂いが、多くの女性 に、本能に依って嗅(カ)ぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれ る誘因の一つになったような気もするのです。  つまり、自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったという わけなのでした。 第二の手記  海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹 肌(キハダ)の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年 がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉(ワカバ)と共に、青 い海を背景にして、その絢爛(ケンラン)たる花をひらき、やがて、花吹雪の 時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤(チリバ)めて漂い、 波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま 校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分は受験勉強もろ くにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その 中学の制帽の徽章(キショウ)にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せら れて咲いていました。  その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありま したので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に選んで くれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くな ので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、 かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一 日とクラスの人気を得ていました。  生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その 他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思わ れました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身につ いて来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていた からである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親 と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どの ような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在してい るものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、 故郷の劇場であって、しかも六親(リクシン)眷族(ケンゾク)全部そろって坐っ ている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるの ではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、 かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者(クセモノ)が、他郷に出て、 万が一にも演じ損(ソコ)ねるなどという事は無いわけでした。  自分の人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の 底で蠕動(ゼンドウ)していましたが、しかし、演技は実にのびのびとして 来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、この クラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆 じながら、手で口を覆(オオ)って笑っていました。自分は、あの雷の如き 蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来た のです。  もはや、自分の正体を完全に隠蔽(インペイ)し得たのではあるまいか、 とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されまし た。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧 弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思わ れる袖が聖徳太子(ショウトクタイシ)の袖みたいに長すぎる上衣を着て、学課は 少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。 自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったので した。  その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名 は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自 分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ 厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛び のように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅(シリモチ)をつきまし た。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦 笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていた のか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁(ササヤ)きました。 「ワザ。ワザ。」  自分は震撼(シンカン)しました。ワザと失敗したという事を、人もあろう に、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界 が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地 がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。  それからの日々の、自分の不安と恐怖。  表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっ と思わず重苦しい溜息(タメイキ)が出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉 みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれと なく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっ とり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョ ロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、 竹一の傍から離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持で した。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化 は、所謂「ワザ」ではなくて、ほんものであったというよう思い込ませ るようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってし まいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈 るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そ うという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於(オ) いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺 したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき 相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。  自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような 「優しい」媚笑(ビショウ)を湛(タタ)え、首を三十度くらい左に曲げて、彼 の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫(ネコナ)で声に似た甘ったるい声で、 彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼 は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自 分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降っ て、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くな ので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょん ぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆(オ ク)する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、 二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自 分の部屋に誘い込むのに成功しました。  その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、 病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それ からまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家 のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校 を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹 娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べ ていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六 棟(ムネ)の長屋の家賃のようでした。 「耳が痛い。」  竹一は、立ったままでそう言いました。 「雨に濡れたら、痛くなったよ。」  自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿(ウミ)が、 いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。 「これは、いけない。痛いだろう。」  と自分は大袈裟(オオゲサ)におどろいて見せて、 「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね。」  と女の言葉みたいな言葉を遣(ツカ)って「優しく」謝(アヤマ)り、それか ら、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝(ヒザ) を枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さす がに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、 「お前は、きっと、女に惚(ホ)れられるよ。」  と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。  しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろ しい悪魔の予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思 い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下 品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂 (イワユル)「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉が一言でもひょいと顔 を出すと、みるみる憂鬱の伽藍(ガラン)が崩壊し、ただのっぺらぼうになっ てしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、など という俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あ ながち憂鬱の伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なも のだと思います。  竹一が、自分に耳だれの膿の始末をしてもらって、お前は惚れられる という馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、 何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽(カス)かに思い当ると ころもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉 に依って生じるやにさがった雰囲気(フンイキ)に対して、そう言われると、 思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語の若旦那のせり ふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか、 自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあっ た」わけでは無いのです。  自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。 自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の 子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は 幼い時から、女とばかり遊んて育ったといっても過言ではないと思って いますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女の ひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないの です。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい 痛手を負い、それがまた、男性から受ける苔(ムチ)とちがって、内出血み たいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒(チユ)し難い傷でした。  女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは 自分をさげすみ、邪慳(ジャケン)にし、誰もいなくなると、ひしと抱きし める、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではな いかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼 年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはま た、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で 油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」 なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分の場合にはちっ とも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも 実状の説明に適しているかも知れません。  女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化 を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに 自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失敗 するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるよ うに心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつ までも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じ て、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女 は、男よりも快楽をよけいに頬張(ホオバ)る事が出来るようです。  自分が中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあ れば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎(タビゴト)に飛び 上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、 「御勉強?」 「いいえ。」  と微笑して本を閉じ、 「きょうね、学校でね、コンボウという地理の先生がね、」  とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺(コッケイバナシ)でし た。 「葉ちゃん、眼鏡をかけてごらん。」  或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来 て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出 しました。 「なぜ?」 「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい。」  いつでも、こんな乱暴な命令口調で言うのでした。道化師は、素直に アネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。 「そっくり。ロイドに、そっくり。」  当時、ハロルド・ロイドとかいう外国の映画の喜劇役者が、日本で人 気がありました。  自分は立って片手を拳げ、 「諸君、」  と言い、 「このたび、日本のファンの皆様がたに、……」  と一場の挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それから、ロイドの映画 がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを 研究しました。  また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥の ように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団(カケブトン)の上 に倒れて泣き、 「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、 一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて。」  などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自 分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではあ りませんでしたので、アネサの過激な言葉にも、さして驚かず、かえっ てその陳腐、無内容に興が覚めた心地(ココチ)で、そっと蒲団から脱け出 し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。 すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、 「何か面白い本が無い? 貸してよ。」  と言いました。  自分は漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげま した。 「ごちそうさま。」  アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このア ネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事 は、自分にとって、蚯蚓(ミミズ)の思いをさぐるよりも、ややこしく、わ ずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。だが、自分は、 女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやる と、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験 に依って知っていました。  また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、 自分がれいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、 必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女だから、気 をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて 来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が 女、という事になってしまいました。  しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決 して無かったのでした。つまり、自分は、日本の東北のハロルド・ロイ ドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言とし て、なまなまと生きて来て、不吉な形貌(ケイボウ)を呈するようになった のは、更にそれから、数年経(タ)った後の事でありました。  竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。 「お化けの絵だよ。」  いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版 の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。  おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられた ように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知ってい ました。それは、ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知っていました。 自分たちの少年の頃には、日本ではフランスの所謂印象派の画が大流行 していて、洋画鑑賞の第一歩を、たいていこのあたりからはじめたもの で、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルナアルなどというひとの絵は、 田舎の中学生でも、たいていその写真版を見て知っていたのでした。自 分なども、ゴッホの原色版をかなりたくさん見て、タッチの面白さ、色 彩の鮮やかさに興趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だ とは、いちども考えた事が無かったのでした。 「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら。」  自分は本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、 れいの裸婦の像を竹一に見せました。 「すげえなあ、」  竹一は眼を丸くして感嘆しました。 「地獄の馬みたい。」 「やっぱり、お化けかね。」 「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ。」  あまりに人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、お そろしい妖怪(ヨウカイ)を確実にこの眼で見たいと顧望するに到る心理、神 経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、 ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷(イタ)めつけられ、 おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、あり ありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、 見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化け の絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自 分は、涙が出たほどに興奮し、 「僕も画(カ)くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ。」  と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。  自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。けれ ども、自分のかいた絵は、自分の綴り方ほどには、周囲の評判が、よく ありませんでした。自分は、どだい人間の言葉を一向に信用していませ んでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みた いなもので、小学校、中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ました が、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは 別ですけれども)その対象の表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っ ていました。学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそ だし、自分は、全く出鱈目にさまざまの表現法を自分で工夫して試みな ければならないのでした。中学校へはいって、自分は油絵の道具も一揃 (ソロ)い持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風 に求めても、自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺり して、ものになりそうもありませんでした。けれども自分は、竹一の言 葉に依って、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違って いた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現 しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも無いも のを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いものに嘔吐(オウト)をもよ おしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたって いる、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法の プリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たち には隠して、少しづつ、自画像の制作に取りかかってみました。  自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、 これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気 に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱(インウツ)な心 を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもそ の絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分の お道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやで したし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道 化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念(ケネン)もあ り、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深 くしまい込みました。  また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け式手法」は秘めて、 いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いてい ました。  自分は竹一にだけは、前から自分の傷(イタ)み易い神経を平気で見せて いましたし、こんどの自画像も安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、 さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの、 「お前は、偉い絵画きになる。」  という予言を得たのでした。  惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つ の予言を馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分は東京へ 出て来ました。  自分は、美術学校にはいりたかったのですが、父は、前から自分を高 等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡して あったので、口応(クチゴタ)え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれ に従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と 海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了 のままで、東京の高等学校に受験して合格し、すぐに寮生活にはいりま したが、その不潔と粗暴に辟易(ヘキエキ)して、道化どころではなく、医師 に肺浸潤の診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘 に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ませ ん。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかいう言葉は、聞 いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール・スピリットとかい うものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性 慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧(カンペキ)に近いお道化 も、そこでは何の役にも立ちませんでした。  父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していま せんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫 婦と自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて 東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成 (クスノキマサシゲ)の銅像も泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家 で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来 ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄 木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサ ンの練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学 校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別の位置にいるよう な、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で 白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになった のでした。自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校 心というものが理解できずに終りました。校歌などというものも、いち ども覚えようとした事がありません。  自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦(インバイフ) と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、 それは事実でした。  その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ 年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この 画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。 「五円、貸してくれないか。」  お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話し合った事が 無かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。 「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう。」  自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱(ホウライ)町のカフエに引っ ぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。 「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような 微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるし に、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。 こいつが塾へ来たおかげて、残念ながらおれは、第二番の美男子という 事になった。」  堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃ んとした背広を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマー ドをつけてまん中からぺったりとわけていました。  自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほど いたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビ イルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じ て来たのです。 「僕は、美術学校にはいろうと思っていたんですけど、……」 「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。わ れらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」  しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿 なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも 知れないと考えました。つまり、自分はその時、生れてはじめて、ほん ものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、 やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いして いる点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はその お道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついて いないのが、自分と本質的に異色のところでした。  ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼 を軽蔑(ケイベツ)し、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼 と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破ら れました。  しかし、はじめは、この男を好人物、まれに見る好人物とばかり思い 込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出 来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗 ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の緋 (ヒ)の絨緞(ジュウタン)が敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内 嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立っ て、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊(コト)にも勘 定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金 を手渡す時には、吝嗇(リンショク)ゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥 ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗に なり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣 を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた 事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩 けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという 内情もあったのでした。  それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、 しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支 払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポ ン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手 腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立 ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜ いたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台 の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く 発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその 勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありません でした。  さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑など をてんで無視して、その所謂情熱<パトス>の噴出するがままに、(或いは、 情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れませんが)四六時中、くだ らないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙にお ちいる危懼(キグ)が、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろ しい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、 ここを先途(センド)と必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀 木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれ ているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさ か、などと言って笑っておれば、いいのでした。  酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎら す事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来 ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却して も悔いない気持さえ、抱(イダ)くようになりました。  自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂 人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、 ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀(カナ)しいくらい、実にみじん も慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とで もいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちか ら、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、 押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分に は、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあっ たのです。  しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽(カス)かな一夜の休養を 求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊 んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身 辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い 設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、 鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然(ガクゼン) として、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方 をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっ きり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳(キビ)しく、ま たそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの「女達者」 という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそ れを嗅(カ)ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥(ヒワイ)で不名誉な雰 囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分 の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。  堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、 重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をも らった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、 毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を 薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が 黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘 から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの 席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……ま た、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、 ……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、… …自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、 それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰 囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何 だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分 は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦(ニガ)さを感ずる と共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。  堀木は、また、その見栄坊のモダニティから、(堀木の場合、それ以 外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分 を共産主義の読書会とかいう(R・Sとかいっていたか、記憶がはっき り致しません)そんな、秘密の研究会に連れて行きました。堀木などと いう人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」の一 つくらいのものだったのかも知れません。自分は所謂「同志」に紹介せ られ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青 年から、マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、それ はわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いない だろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしい ものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、 言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自 分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、ヘんに怪談じみ たものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、 所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、 それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひ らき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれ ども、自分は、いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いま すが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たち が、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、とい うような、ほとんど初等の算術めいた理論の研究にふけっているのが滑 稽に見えてたまらず、れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に 努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会 合に無くてはかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。こ の、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単 純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも 知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十ま で、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれ ども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィス をして来ました。  好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていた からなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親 愛感では無かったのです。  非合法。自分には、それが幽(カス)かに楽しかったのです。むしろ、居 心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえってお そろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのから くりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐ってお られず、外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、やがて 死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。  日蔭者、という言葉があります。人間の世に於いて、みじめな、敗者、 悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を【生れた時か らの日蔭者】のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差 されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。 そうして、その自分の「優しい心」は、自分でうっとりするくらい優し い心でした。  また、犯人意識、という言葉もあります。自分は、この人間の世の中 に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の 糟糠(ソウコウ)の妻の如き好伴侶(コウハンリョ)で、そいつと二人きりで侘(ワ)び しく遊びたわむれているというのも、自分の生きている姿勢の一つだっ たかも知れないし、また、俗に、脛(スネ)に傷持つ身、という言葉もある ようですが、その傷は、自分の赤ん坊の時から、自然に片方の脛にあら われて、長ずるに及んで治癒(チユ)するどころか、いよいよ深くなるばか りで、骨にまで達し、夜々の痛苦は千変万化の地獄とは言いながら、し かし、(これは、たいへん奇妙な言い方ですけど)その傷は、次第に自 分の【血肉よりも】親しくなり、その傷の痛みは、すなわち傷の生きて いる感情、または愛情の囁(ササヤ)きのようにさえ思われる、そんな男に とって、れいの地下運動のグルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地 がよく、つまり、その運動の本来の目的よりも、その運動の肌が、自分 に合った感じなのでした。堀木の場合は、ただもう阿呆(アホウ)のひやか しで、いちど自分を紹介しにその会合へ行ったきりで、マルキシストは、 生産面の研究と同時に、消費面の視察も必要だなどと下手な洒落(シャレ) を言って、その会合には寄りつかず、とかく自分を、その消費面の視察 のほうにばかり誘いたがるのでした。思えば、当時は、さまざまの型の マルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、 それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法の匂いが気に いって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体がマルキ シズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、 卑劣なる裏切者として、たちどころに追い払われた事でしょう。しかし、 自分も、また、堀木でさえも、なかなか除名の処分に遭(ア)わず、殊に も自分は、その非合法の世界に於いては、合法の紳士たちの世界に於(オ) けるよりも、かえってのびのびと、所謂「健康」に振舞う事が出来まし たので、見込みのある「同志」として、噴き出したくなるほど過度に秘 密めかした、さまざまの用事をたのまれるほどになったのです。また、 事実、自分は、そんな用事をいちども断ったことは無く、平気でなんで も引き受け、へんにぎくしゃくして、犬(同志は、ポリスをそう呼んで いました)にあやしまれ不審訊問(ジンモン)などを受けてしくじるような 事も無かったし、笑いながら、また、ひとを笑わせながら、そのあぶな い(その運動の連中は、一大事の如く緊張し、探偵小説の下手な真似み たいな事までして、極度の警戒を用い、そうして自分にたのむ仕事は、 まことに、あっけにとられるくらい、つまらないものでしたが、それで も、彼等は、その用事を、さかんに、あぶながって力んでいるのでした) と、彼等の称する仕事を、とにかく正確にやってのけていました。自分 のその当時の気持としては、党員になって捕えられ、たとい終身、刑務 所で暮すようになったとしても、平気だったのです。世の中の人間の 「実生活」というものを恐怖しながら、毎夜の不眠の地獄で呻(ウメ)いて いるよりは、いっそ牢屋(ロウヤ)のほうが、楽かも知れないとさえ考えて いました。  父は、桜木町の別荘では、来客やら外出やら、同じ家にいても、三日 も四日も自分と顔を合せる事が無いほどでしたが、しかし、どうにも、 父がけむったく、おそろしく、この家を出て、どこか下宿でも、と考え ながらもそれを言い出せずにいた矢先に、父がその家を売払うつもりら しいという事を別荘番の老爺(ロウヤ)から聞きました。  父の議員の任期もそろそろ満期に近づき、いろいろ理由のあった事に 違いありませんが、もうこれきり選挙に出る意志も無い様子で、それに、 故郷に一棟、隠居所など建てたりして、東京に未練も無いらしく、たか が、高等学校の一生徒に過ぎない自分のために、邸宅と召使いを提供し て置くのも、むだな事だとでも考えたのか、(父の心もまた、世間の人 たちの気持と同様に、自分にはよくわかりません)とにかく、その家は、 間も無く人手にわたり、自分は、本郷森川町の仙遊館という古い下宿の、 薄暗い部屋に引越して、そうして、たちまち金に困りました。  それまで、父から月々、きまった額の小遣いを手渡され、それはもう、 二、三日で無くなっても、しかし、煙草も、酒も、チイズも、くだもの も、いつでも家にあったし、本や文房具やその他、服装に関するものな ど一切、いつでも、近所の店から所謂(イワユル)「ツケ」で求められたし、 堀木におそばか天丼(テンドン)などをごちそうしても、父のひいきの町内 の店だったら、自分は黙ってその店を出てもかまわなかったのでした。  それが急に、下宿のひとり住いになり、何もかも、月々の定額の送金 で間に合わせなければならなくなって、自分は、まごつきました。送金 は、やはり、二、三日で消えてしまい、自分は慄然(リツゼン)とし、心細 さのために狂うようになり、父、兄、姉などへ交互にお金を頼む電報と、 イサイフミの手紙(その手紙に於いて訴えている事情は、ことごとく、 お道化の虚構でした。人にものを頼むのに、まず、その人を笑わせるの が上策と考えていたのです)を連発する一方、また、堀木に教えられ、 せっせと質屋がよいをはじめ、それでも、いつもお金に不自由をしてい ました。  所詮(ショセン)、自分には、何の縁故も無い下宿に、ひとりで「生活」し て行く能力が無かったのです。自分は、下宿のその部屋に、ひとりでじっ としているのが、おそろしく、いまにも誰かに襲われ、一撃せられるよ うな気がして来て、街に飛び出しては、れいの運動の手伝いをしたり、 或いは堀木と一緒に安い酒を飲み廻ったりして、ほとんど学業も、また 画の勉強も放棄し、高等学校へ入学して、二年目の十一月、自分より年 上の有夫の婦人と情死事件などを起し、自分の身の上は、一変しました。  学校は欠席するし、学科の勉強も、すこしもしなかったのに、それで も、妙に試験の答案に要領のいいところがあるようで、どうやらそれま では、故郷の肉親をあざむき通して来たのですが、しかし、もうそろそ ろ、出席日数の不足など、学校のほうから内密に故郷の父へ報告が行っ ているらしく、父の代理として長兄が、いかめしい文章の長い手紙を、 自分に寄こすようになっていたのでした。けれども、それよりも、自分 の直接の苦痛は、金の無い事と、それから、れいの運動の用事が、とて も遊び半分の気持では出来ないくらい、はげしく、いそがしくなって来 た事でした。中央地区と言ったか、何地区と言ったか、とにかく本郷、 小石川、下谷、神田、あの辺の学校全部の、マルクス学生の行動隊々長 というものに、自分はなっていたのでした。武装蜂起(ホウキ)、と聞き、 小さいナイフを買い(いま思えば、それは鉛筆をけずるにも足りない、 きゃしゃなナイフでした)それを、レインコオトのポケットにいれ、あ ちこち飛び廻って、所請(イワユル)「聯絡(レンラク)」をつけるのでした。お酒 を飲んで、ぐっすり眠りたい、しかし、お金がありません。しかも、P (党の事を、そういう隠語で呼んでいたと記憶していますが、或いは、 違っているかも知れません)のほうからは、次々と息をつくひまも無い くらい、用事の依頼がまいります。自分の病弱のからだでは、とても勤 まりそうも無くなりました。もともと、非合法の興味だけから、そのグ ルウプの手伝いをしていたのですし、こんなに、それこそ冗談から駒が 出たように、いやにいそがしくなって来ると、自分は、ひそかにPのひ とたちに、それはお門(カド)ちがいでしょう、あなたたちの直系のもの たちにやらせたらどうですか、というようないまいましい感を抱くのを 禁ずる事が出来ず、逃げました。逃げて、さすがに、いい気持はせず、 死ぬ事にしました。  その頃、自分に特別の好意を寄せている女が、三人いました。ひとり は、自分の下宿している仙遊館の娘でした。この娘は、自分がれいの運 動の手伝いでへとへとになって帰り、ごはんも食べずに寝てしまってか ら、必ず用箋(ヨウセン)と万年筆を持って自分の部屋にやって来て、 「ごめんなさい。下では、妹や弟がうるさくて、ゆっくり手紙も書けな いのです。」  と言って、何やら自分の机に向って一時間以上も書いているのです。  自分もまた、知らん振りをして寝ておればいいのに、いかにもその娘 が何か自分に言ってもらいたげの様子なので、れいの受け身の奉仕の精 神を発揮して、実は一言も口をききたくない気持なのだけれども、くた くたに疲れ切っているからだに、ウムと気合いをかけて腹這(ハラバ)いに なり、煙草を吸い、 「女から来たラヴ・レターで、風呂をわかしてはいった男があるそうで すよ。」 「あら、いやだ。あなたでしょう?」 「ミルクをわかして飲んだ事はあるんです。」 「光栄だわ、飲んでよ。」  早くこのひと、帰らねえかなあ、手紙だなんて、見えすいているのに。 へへののもへじでも書いているのに違いないんです。 「見せてよ。」  と死んでも見たくない思いでそう言えば、あら、いやよ、あら、いや よ、と言って、そのうれしがる事、ひどくみっともなく、興が覚めるば かりなのです。そこで自分は、用事でも言いつけてやれ、と思うんです。 「すまないけどね、電車通りの薬屋に行って、カルモチンを買って来て くれない? あんまり疲れすぎて、顔がほてって、かえって眠れないん だ。すまないね、お金は、……」 「いいわよ、お金なんか。」  よろこんて立ちます。用を言いつけるというのは、決して女をしょげ させる事ではなく、かえって女は、男に用事をたのまれると喜ぶものだ という事も、自分はちゃんと知っているのでした。  もうひとりは、女子高等師範の文科生の所謂「同志」でした。このひ ととは、れいの運動の用事で、いやでも毎日、顔を合せなけれぱならな かったのです。打ち合せがすんでからも、その女は、いつまでも自分に ついて歩いて、そうして、やたらに自分に、ものを買ってくれるのでし た。 「私を本当の姉だと思っていてくれていいわ。」  そのキザに身震いしながら、自分は、 「そのつもりでいるんです。」  と、愁(ウレ)えを含んだ微笑の表情を作って答えます。とにかく、怒ら せては、こわい、何とかして、ごまかさなければならぬ、という思い一 つのために、自分はいよいよその醜い、いやな女に奉仕をして、そうし て、ものを買ってもらっては、(その買い物は、実に趣味の悪い品ばか りで、自分はたいてい、すぐにそれを、焼きとり屋の親爺などにやって しまいました)うれしそうな顔をして、冗談を言っては笑わせ、或る夏 の夜、どうしても離れないので、街の暗いところで、そのひとに帰って もらいたいばかりに、キスをしてやりましたら、あさましく狂乱の如く 興奮し、自動車を呼んで、そのひとたちの運動のために秘密に借りてあ るらしいビルの事務所みたいな狭い洋室に連れて行き、朝まで大騒ぎと いう事になり、とんでもない姉だ、と自分はひそかに苦笑しました。  下宿屋の娘と言い、またこの「同志」と言い、どうしたって毎日、顔 を合せなければならぬ具合(グアイ)になっていますので、これまでの、さ まざまの女のひとのように、うまく避けられず、つい、ずるずるに、れ いの不安の心から、この二人のご機嫌をただ懸命に取り結び、もはや自 分は、金縛り同様の形になっていました。  同じ頃また自分は、銀座の或る大カフエの女給から、思いがけぬ恩を 受け、たったいちど逢っただけなのに、それでも、その恩にこだわり、 やはり身動き出来ないほどの、心配やら、空(ソラ)おそろしさを感じてい たのでした。その頃になると、自分も、敢(ア)えて堀木の案内に頼らず とも、ひとりで電車にも乗れるし、また、歌舞伎座にも行けるし、また は、絣(カスリ)の着物を着て、カフエにだってはいれるくらいの、多少の 図々(ズウズウ)しさを装えるようになっていたのです。心では、相変らず、 人間の自信と暴力とを怪しみ、恐れ、悩みながら、うわべだけは、少し づつ、他人と真顔の挨拶、いや、ちがう、自分はやはり敗北のお道化の 苦しい笑いを伴わずには、挨拶できないたちなのですが、とにかく、無 我夢中のへどもどの挨拶でも、どうやら出来るくらいの「伎倆(ギリョウ)」 を、れいの運動で走り廻ったおかげ? または、女の? または、酒? けれども、おもに金銭の不自由のおかげで修得しかけていたのです。ど こにいても、おそろしく、かえって大カフエでたくさんの酔客または女 給、ボーイたちにもまれ、まぎれ込む事が出来たら、自分のこの絶えず 追われているような心も落ちつくのではなかろうか、と十円持って、銀 座のその大カフエに、ひとりではいって、笑いながら相手の女給に、 「十円しか無いんだからね、そのつもりで。」  と言いました。 「心配要りません。」  どこかに関西の訛(ナマ)りがありました。そうして、その一言が、奇妙 に自分の、震えおののいている心をしずめてくれました。いいえ、お金 の心配が要らなくなったからではありません。そのひとの傍にいる事に 心配が要らないような気がしたのです。  自分は、お酒を飲みました。そのひとに安心しているので、かえって お道化など演じる気持も起らず、自分の地金(ジガネ)の無口で陰惨なと ころを隠さず見せて、黙ってお酒を飲みました。 「こんなの、おすきか?」  女は、さまざまの料理を自分の前に並べました。自分は首を振りまし た。 「お酒だけか? うちも飲もう。」  秋の、寒い夜でした。自分は、ツネ子(といったと覚えていますが、 記憶が薄れ、たしかではありません。情死の相手の名前をさえ忘れてい るような自分なのです)に言いつけられたとおりに、銀座裏の、或る屋 台のお鮨(スシ)やで、少しもおいしくない鮨を食べながら、(そのひとの 名前は忘れても、その時の鮨のまずさだけは、どうした事か、はっきり 記憶に残っています。そうして、青大将の顔に似た顔つきの、丸坊主の おやじが、首を振り振り、いかにも上手みたいにごまかしながら鮨を握っ ている様も、眼前に見るように鮮明に思い出され、後年、電車などで、 はて見た顔だ、といろいろ考え、なんだ、あの時の鮨やの親爺に似てい るんだ、と気が附き苦笑した事も再三あったほどでした。あのひとの名 前も、また、顔かたちさえ記憶から遠ざかっている現在なお、あの鮨や の親爺の顔だけは絵にかけるほど正確に覚えているとは、よっぽどあの 時の鮨がまずく、自分に寒さと苦痛を与えたものと思われます。もとも と、自分は、うまい鰭を食わせる店というところに、ひとに運れられて 行って食っても、うまいと思った事は、いちどもありませんでした。大 き過ぎるのです。親指くらいの大きさにキチッと握れないものかしら、 といつも考えていました)そのひとを、待っていました。  本所の大工さんの二階を、そのひとが借りていました。自分は、その 二階で、日頃の自分の陰鬱(インウツ)な心を少しもかくさず、ひどい歯痛に 襲われてでもいるように、片手で頬をおさえながら、お茶を飲みました。 そうして、自分のそんな姿態が、かえって、そのひとには、気にいった ようでした。そのひとも、身のまわりに冷たい木枯しが吹いて、落葉だ けが舞い狂い、完全に孤立している感じの女でした。  一緒にやすみながらそのひとは、自分よリ二つ年上であること、故郷 は広島、あたしには主人があるのよ、広島で床屋さんをしていたの、昨 年の暮、一緒に東京へ家出して逃げて来たのだけれども、主人は、東京 で、まともな仕事をせずそのうちに詐欺罪に問われ、刑務所にいるのよ、 あたしは毎日、何やらかやら差し入れしに、刑務所へかよっていたのだ けれども、あすから、やめます、などと物語るのでしたが、自分は、ど ういうものか、女の身の上噺(バナシ)というものには、少しも興味を持て ないたちで、それは女の語り方の下手なせいか、つまり、話の重点の置 き方を間違っているせいなのか、とにかく、自分には、つねに、馬耳東 風なのでありました。  侘(ワ)びしい。  自分には、女の千万言の身の上噺よりも、その一言の呟(ツブヤ)きのほ うに、共感をそそられるに違いないと期待していても、この世の中の女 から、ついにいちども自分は、その言葉を聞いた事がないのを、奇怪と も不思議とも感じております。けれども、そのひとは、言葉で「侘びし い」とは言いませんでしたが、無言のひどい侘びしさを、からだの外郭 (ガイカク)に、一寸くらいの幅の気流みたいに持っていて、そのひとに寄 り添うと、こちらのからだもその気流に包まれ、自分の持っている多少 トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け合い、「水底の岩に落ち附く枯葉」 のように、わが身は、恐怖からも不安からも、離れる事が出来るのでし た。  あの白痴の淫売婦(インバイフ)たちのふところの中で、安心してぐっすり 眠る思いとは、また、全く異って、(だいいち、あのプロステチュウト たちは、陽気でした)その詐欺罪の犯人の妻と過した一夜は、自分にとっ て、幸福な(こんな大それた言葉を、なんの躊躇(チュウチョ)も無く、肯定 して使用する事は、自分のこの全手記に於いて、再び無いつもりです) 解放せられた夜でした。  しかし、ただ一夜でした。朝、眼が覚めて、はね起き、自分はもとの 軽薄な、装えるお道化者になっていました。弱虫は、幸福をさえおそれ るものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんで す。傷つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、れ いのお道化の煙幕を張りめぐらすのでした。 「金の切れめが縁の切れめ、ってのはね、あれはね、解釈が逆なんだ。 金が無くなると女にふられるって意味、じゃあ無いんだ。男に金が無く なると、男は、ただおのずから意気銷沈(ショウチン)して、ダメになり、笑 う声にも力が無く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには 破れかぶれになり、男のほうから女を振る、半狂乱になって振って振っ て振り抜くという意味なんだね、金沢大辞林という本によればね、可哀 そうに。僕にも、その気持わかるがね。」  たしか、そんなふうの馬鹿げた事を言って、ツネ子を噴き出させたよ うな記憶があります。長居は無用、おそれありと、顔も洗わずに素早く 引き上げたのですが、その時の自分の、「金の切れめが縁の切れめ」と いう出鱈目(デタラメ)の放言が、のちに到って、意外のひっかかりを生じ たのです。  それから、ひとつき、自分は、その夜の恩人とは逢いませんでした。 別れて、日が経つにつれて、よろこびは薄れ、かりそめの恩を受けた事 がかえってそらおそろしく、自分勝手にひどい束縛を感じて来て、あの カフエのお勘定を、あの時、全部ツネ子の負担にさせてしまったという 俗事さえ、次第に気になりはじめて、ツネ子もやはり、下宿の娘や、あ の女子高等師範と同じく、自分を脅迫するだけの女のように思われ、遠 く離れていながらも、絶えずツネ子におびえていて、その上に自分は、 一緒に休んだ事のある女に、また逢うと、その時にいきなり何か烈火の 如く怒られそうな気がしてたまらず、逢うのに頗(スコブ)るおっくうがる 性質でしたので、いよいよ、銀座は敬遠の形でしたが、しかし、そのおっ くうがるという性質は、決して自分の狡猾(コウカツ)さではなく、女性とい うものは、休んでからの事と、朝、起きてからの事との間に、一つの、 塵(チリ)ほどの、つながりをも持たせず、完全の忘却の如く、見事に二つ の世界を切断させて生きているという不思議な現象を、まだよく呑みこ んでいなかったからなのでした。  十一月の末、自分は、堀木と神田の屋台で安酒を飲み、この悪友は、 その屋台を出てからも、さらにどこかで飲もうと主張し、もう自分たち にはお金が無いのに、それでも、飲もう、飲もうよ、とねばるのです。 その時、自分は、酔って大胆になっているからでもありましたが、 「よし、そんなら、夢の国に連れて行く。おどろくな、酒池肉林という、 ……」 「カフエか?」 「そう。」 「行こう!」  というような事になって二人、市電に乗り、堀木は、はしゃいで、 「おれは、今夜は、女に飢え渇(カワ)いているんだ。女給にキスしてもい いか。」  自分は、堀木がそんな酔態を演じる事を、あんまり好んでいないので した。堀木も、それを知っているので、自分にそんな念を押すのでした。 「いいか。キスするぜ。おれの傍(ソバ)に坐った女給に、きっとキスし て見せる。いいか。」 「かまわんだろう。」 「ありがたい! おれは女に飢え渇いているんだ。」  銀座四丁目で降りて、その所謂酒池肉林の大カフエに、ツネ子をたの みの綱としてほとんど無一文ではいり、あいているボックスに堀木と向 い合って腰をおろしたとたんに、ツネ子ともう一人の女給が走り寄って 来て、そのもう一人の女給が自分の傍に、そうしてツネ子は、堀木の傍 に、ドサンと腰かけたので、自分は、ハッとしました。ツネ子は、いま にキスされる。  惜しいという気持ではありませんでした。自分には、もともと所有慾 というものは薄く、また、たまに幽(カス)かに惜しむ気持はあっても、そ の所有権を敢然と主張し、人と争うほどの気力が無いのでした。のちに、 自分は、自分の内縁の妻が犯されるのを、黙って見ていた事さえあった ほどなのです。  自分は、人間のいざこざに出来るだけ触(サワ)りたくないのでした。そ の渦(ウズ)に巻き込まれるのが、おそろしいのでした。ツネ子と自分と は、一夜だけの間柄です。ツネ子は、自分のものではありません。惜し い、など思い上った慾は、自分に持てる筈はありません。けれども、自 分は、ハッとしました。  自分の眼の前で、堀木の猛烈なキスを受ける、そのツネ子の身の上を、 ふびんに思ったからでした。堀木によごされたツネ子は、自分とわかれ なければならなくなるだろう、しかも自分にも、ツネ子を引き留める程 のポジティヴな熱は無い、ああ、もう、これでおしまいなのだ、とツネ 子の不幸に一瞬ハッとしたものの、すぐに自分は水のように素直にあき らめ、堀木とツネ子の顔を見較べ、にやにやと笑いました。  しかし、事態は、実に思いがけなく、もっと悪く展開せられました。 「やめた!」  と堀木は、口をゆがめて言い、 「さすがのおれも、こんな貧乏くさい女には、……」  閉口し切ったように、腕組みしてツネ子をじろじろ眺め、苦笑するの でした。 「お酒を。お金は無い。」  自分は、小声でツネ子に言いました。それこそ、浴びるほど飲んでみ たい気持でした。所謂俗物の眼から見ると、ツネ子は酔漢のキスにも価 いしない、ただ、みすぼらしい、貧乏くさい女だったのでした。案外と も、意外とも、自分には霹靂(ヘキレキ)に撃ちくだかれた思いでした。自分 は、これまで例の無かったほど、いくらでも、いくらでも、お酒を飲み、 ぐらぐら酔って、ツネ子と顔を見合せ、哀(カナ)しく微笑(ホホエ)み合い、 いかにもそう言われてみると、こいつはへんに疲れて貧乏くさいだけの 女だな、と思うと同時に、金の無い者どうしの親和(貧富の不和は、陳 腐のようでも、やはりドラマの永遠のテーマの一つだと自分は今では思っ ていますが)そいつが、その親和感が、胸に込み上げて来て、ツネ子が いとしく、生れてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ながら恋の 心の動くのを自覚しました。吐きました。前後不覚になりました。お酒 を飲んで、こんなに我を失うほど酔ったのも、その時がはじめてでした。  眼が覚めたら、枕もとにツネ子が坐っていました。本所の大工さんの 二階の部屋に寝ていたのでした。 「金の切れめが縁の切れめ、なんておっしやって、冗談かと思うていた ら、本気か。来てくれないのだもの。ややこしい切れめやな。うちが、 かせいであげても、だめか。」 「だめ。」  それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」という言葉が はじめて出て、女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、 また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、 学業、考えると、とてもこの上こらえて生きて行けそうもなく、そのひ との提案に気軽に同意しました。  けれども、その時にはまだ、実感としての「死のう」という覚悟は、 出来ていなかったのです。どこかに「遊び」がひそんでいました。  その日の午前、二人は浅草の六区をさまよっていました。喫茶店には いり、牛乳を飲みました。 「あなた、払うて置いて。」  自分は立って、袂(タモト)からがま口を出し、ひらくと、銅銭が三枚、 羞恥(シュウチ)よりも凄惨(セイサン)の思いに襲われ、たちまち脳裡(ノウリ)に浮 ぶものは、仙遊館の自分の部屋、制服と蒲団だけが残されてあるきりで、 あとはもう、質草になりそうなものの一つも無い荒涼たる部屋、他には 自分のいま着て歩いている絣(カスリ)の着物と、マント、これが自分の現 実なのだ、生きて行けない、とはっきり思い知りました。  自分がまごついているので、女も立って、自分のがま口をのぞいて、 「あら、たったそれだけ?」  無心の声でしたが、これがまた、じんと骨身にこたえるほどに痛かっ たのです。はじめて自分が、恋したひとの声だけに、痛かったのです。 それだけも、これだけもない、銅銭三枚は、どだいお金でありません。 それは、自分が未(イマ)だかつて味わった事の無い奇妙な屈辱でした。と ても生きておられない屈辱でした。所詮(ショセン)その頃の自分は、まだお 金持ちの坊ちゃんという種属から脱し切っていなかったのでしょう。そ の時、自分は、みずからすすんでも死のうと、【実感として】決意した のです。  その夜、自分たちは、鎌倉の海に飛び込みました。女は、この帯はお 店のお友達から借りている帯やから、と言って、帯をほどき、畳んで岩 の上に置き、自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、一緒に入水(ジュスイ) しました。  女のひとは、死にました。そうして、自分だけ助かりました。  自分が高等学校の生徒ではあり、また父の名にもいくらか、所謂(イワユ ル)ニュウス・ヴァリュがあったのか、新聞にもかなり大きな問題として 取り上げられたようでした。  自分は海辺の病院に収容せられ、故郷から親戚(シンセキ)の者がひとり駈 けつけ、さまざまの始末をしてくれて、そうして、くにの父をはじめ一 家中が激怒しているから、これっきり生家とは義絶になるかも知れぬ、 と自分に申し渡して帰りました。けれども自分は、そんな事より、死ん だツネ子が恋いしく、めそめそ泣いてばかりいました。本当に、いまま でのひとの中で、あの貧乏くさいツネ子だけを、すきだったのですから。  下宿の娘から、短歌を五十も書きつらねた長い手紙が来ました。「生 きくれよ」というへんな言葉ではじまる短歌ばかり、五十でした。また、 自分の病室に、看護婦たちが陽気に笑いながら遊びに来て、自分の手を きゅっと握って帰る看護婦もいました。  自分の左肺に故障のあるのを、その病院で発見せられ、これがたいへ ん自分に好都合な事になり、やがて自分が自殺幇助罪(ホウジョザイ)という 罪名で病院から警察に連れて行かれましたが、警察では、自分を病人あ つかいにしてくれて、特に保護室に収容しました。  深夜、保護室の隣りの宿直室で、寝ずの番をしていた年寄りのお巡(マ ワ)りが、間のドアをそっとあけ、 「おい!」  と自分に声をかけ、 「寒いだろう。こっちへ来て、あたれ。」  と言いました。  自分は、わざとしおしおと宿直室にはいって行き、椅子に腰かけて火 鉢にあたりました。 「やはり、死んだ女が恋いしいだろう。」 「はい。」  ことさらに、消え入るような細い声で返事しました。 「そこが、やはり人惰というものだ。」  彼は次第に、大きく構えて来ました。 「はじめ、女と関係を結んだのは、どこだ。」  ほとんど裁判官の如く、もったいぶって尋ねるのでした。彼は、自分 を子供とあなどり、秋の夜のつれづれに、あたかも彼自身が取調べの主 任でもあるかのように装い、自分から猥談(ワイダン)めいた述懐を引き出 そうという魂胆のようでした。自分は素早くそれを察し、噴き出したい のを怺(コラ)えるのに骨を折りました。そんなお巡りの「非公式な訊問(ジ ンモン)」には、いっさい答を拒否してもかまわないのだという事は、自分 も知っていましたが、しかし、秋の夜ながに興を添えるため、自分は、 あくまでも神妙に、そのお巡りこそ取調べの主任であって、刑罰の軽重 の決定もそのお巡りの思召(オボシメ)し一つに在るのだ、という事を固く 信じて疑わないような所謂(イワユル)誠意をおもてにあらわし、彼の助平の 好奇心を、やや満足させる程度のいい加減な「陳述」をするのでした。 「うん、それでだいたいわかった。何でも正直に答えると、わしらのほ うでも、そこは手心を加える。」 「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」  ほとんど入神の演技でした。そうして、自分のためには、何も、一つ も、とくにならない力演なのです。  夜が明けて、自分は署長に呼び出されました。こんどは、本式の取調 べなのです。  ドアをあけて、署長室にはいったとたんに、 「おう、いい男だ。これあ、お前が悪いんじゃない。こんな、いい男に 産んだお前のおふくろが悪いんだ。」  色の浅黒い、大学出みたいな感じのまだ若い署長でした。いきなりそ う言われて自分は、自分の顔の半面にべったり赤痣(アカアザ)でもあるよ うな、みにくい不具者のような、みじめな気がしました。  この柔道か剣道の選手のような署長の取調べは、実にあっさりしてい て、あの深夜の老巡査のひそかな、執拗(シツヨウ)きわまる好色の「取調ベ」 とは、雲泥の差がありました。訊問がすんで、署長は、検事局に送る書 類をしたためながら、 「からだを丈夫にしなけれゃ、いかんね。血痰(ケッタン)が出ているようじゃ ないか。」  と言いました。  その朝、へんに咳(セキ)が出て、自分は咳の出るたびに、ハンケチで口 を覆っていたのですが、そのハンケチに赤い霰(アラレ)が降ったみたいに 血がついていたのです。けれども、それは、喉(ノド)から出た血ではな く、昨夜、耳の下に出来た小さいおできをいじって、そのおできから出 た血なのでした。しかし、自分は、それを言い明さないほうが、便宜な 事もあるような気がふっとしたものですから、ただ、 「はい。」  と、伏眼になり、殊勝げに答えて置きました。  署長は書類を書き終えて、 「起訴になるかどうか、それは検事殿がきめることだが、お前の身元引 受人に、電報か電話で、きょう横浜の検事局に来てもらうように、たの んだほうがいいな。誰か、あるだろう、お前の保護者とか保証人とかい うものが。」  父の東京の別荘に出入りしていた書画骨董(コットウ)商の渋田という、自 分たちと同郷人で、父のたいこ持ちみたいな役も勤めていたずんぐりし た独身の四十男が、自分の学校の保証人になっているのを、自分は思い 出しました。その男の顔が、殊(コト)に眼つきが、ヒラメに似ているとい うので、父はいつもその男をヒラメと呼び、自分も、そう呼びなれてい ました。  自分は警察の電話帳を借りて、ヒラメの家の電話番号を捜し、見つかっ たので、ヒラメに電話して、横浜の検事局に来てくれるように頼みまし たら、ヒラメは人が変ったみたいな威張った口調で、それでも、とにか く引受けてくれました。 「おい、その電話機、すぐ消毒したほうがいいぜ。何せ、血痰が出てい るんだから。」  自分が、また保護室に引き上げてから、お巡りたちにそう言いつけて いる署長の大きな声が、保護室に坐っている自分の耳にまで、とどきま した。  お昼すぎ、自分は、細い麻縄で胴を縛られ、それはマントで隠すこと を許されましたが、その麻縄の端を若いお巡りが、しっかり握っていて、 二人一緒に電車で横浜に向いました。  けれども、自分には少しの不安も無く、あの警察の保護室も、老巡査 もなつかしく、鳴呼(アア)、自分はどうしてこうなのでしょう、罪人とし て縛られると、かえってほっとして、そうしてゆったり落ちついて、そ の時の追憶を、いま書くに当っても、本当にのびのびした楽しい気持に なるのです。  しかし、その時期の【なつかしい】思い出の中にも、たった一つ、冷 汗三斗の、生涯わすれられぬ悲惨なしくじりがあったのです。自分は、 検事局の薄暗い一室で、検事の簡単な取調べを受けました。検事は四十 歳前後の物静かな、(もし自分が美貌(ビボウ)だったとしても、それは 謂(イ)わば邪淫(ジャイン)の美貌だったに違いありませんが、その検事の顔 は、正しい美貌、とでも言いたいような聡明(ソウメイ)な静謐(セイヒツ)の気配 を持っていました)コセコセしない人柄のようでしたので、自分も全く 警戒せず、ぼんやり陳述していたのですが、突然、れいの咳が出て来て、 自分は袂からハンケチを出し、ふとその血を見て、この咳もまた何かの 役に立つかも知れぬとあさましい駈引(カケヒキ)の心を起し、ゴホン、ゴホ ンと二つばかり、おまけの贋(ニセ)の咳を大袈娑(オオゲサ)に附け加えて、 ハンケチで口を覆ったまま検事の顔をちらと見た、間一髪、 「ほんとうかい?」  ものしずかな微笑でした。冷汗三斗、いいえ、いま思い出しても、き りきり舞いをしたくなります。中学時代に、あの馬鹿の竹一から、ワザ、 ワザ、と言われて背中(セナカ)を突かれ、地獄に蹴落(ケオト)された、その時 の思い以上と言っても、決して過言では無い気持です。あれと、これと、 二つ、自分の生涯に於ける演技の大失敗の記録です。検事のあんな物静 かな侮蔑(ブベツ)に遭(ア)うよりは、いっそ自分は十年の刑を言い渡され たほうが、ましだったと思う事さえ、時たまある程なのです。  自分は起訴猶予になりました。けれども一向にうれしくなく、世にも みじめな気持で、検事局の控室のベンチに腰かけ、引取り人のヒラメが 来るのを待っていました。  背後の高い窓から夕焼けの空が見え、鴎<*>(カモメ)が、「女」という字 みたいな形で飛んていました。 <*>鴎:「區」+「鳥」旁:補助なし 第三の手記 一  竹一の予言の、一つは当り、一つは、はずれました。惚(ホ)れられる という、名誉で無い予言のほうは、あたりましたが、きっと偉い絵画き になるという、祝福の予言は、はずれました。  自分は、わずかに、粗悪な雑誌の、無名の下手な漫画家になる事が出 来ただけでした。  鎌倉の事件のために、高等学校からは追放せられ、自分は、ヒラメの 家の二階の、三畳の部屋で寝起きして、故郷からは月々、極めて少額の 金が、それも直接に自分宛ではなく、ヒラメのところにひそかに送られ て来ている様子でしたが、(しかも、それは故郷の兄たちが、父にかく して送ってくれているという形式になっていたようでした)それっきり、 あとは故郷とのつながりを全然、断ち切られてしまい、そうして、ヒラ メはいつも不機嫌、自分があいそ笑いをしても、笑わず、人間というも のはこんなにも簡単に、それこそ手のひらをかえすが如くに変化できる ものかと、あさましく、いや、むしろ滑稽に思われるくらいの、ひどい 変り様で、 「出ちゃいけませんよ。とにかく、出ないで下さいよ。」  そればかり自分に言っているのでした。  ヒラメは、自分に自殺のおそれありと、にらんでいるらしく、つまり、 女の後を追ってまた海へ飛び込んだりする危険があると見てとっている らしく、自分の外出を固く禁じているのでした。けれども、酒も飲めな いし、煙草も吸えないし、ただ、朝から娩まで二階の三畳のこたつにも ぐって、古雑誌なんか読んで阿呆同然のくらしをしている自分には、自 殺の気力さえ失われていました。  ヒラメの家は、大久保の医専の近くにあり、書画骨董商、青竜園、だ などと看板の文字だけは相当に気張っていても、一棟二戸の、その一戸 で、店の間口も狭く、店内はホコリだらけで、いい加減なガラクタばか り並ベ、(もっとも、ヒラメはその店のガラクタにたよって商売してい るわけではなく、こっちの所謂旦那の秘蔵のものを、あっちの所謂旦那 にその所有権をゆずる場合などに活躍して、お金をもうけているらしい のです)店に坐っている事は殆ど無く、たいてい朝から、むずかしそう な顔をしてそそくさと出かけ、留守は十七、八の小僧ひとり、これが自 分の見張り番というわけで、ひまさえあれば近所の子供たちと外でキャッ チボールなどしていても、二階の居候をまるで馬鹿か気違いくらいに思っ ているらしく、大人(オトナ)の説教くさい事まで自分に言い聞かせ、自分 は、ひとと言い争いの出来ない質(タチ)なので、疲れたような、また、感 心したような顔をしてそれに耳を傾け、服従しているのでした。この小 僧は渋田のかくし子で、それでもへんな事情があって、渋田は所謂親子 の名乗りをせず、また渋田がずっと独身なのも、何やらその辺に理由が あっての事らしく、自分も以前、自分の家の者たちからそれに就(ツ)い ての噂(ウワサ)を、ちょっと聞いたような気もするのですが、自分は、ど うも他人の身の上には、あまり興味を持てないほうなので、深い事は何 も知りません。しかし、その小僧の眼つきにも、妙に魚の眼を聯想(レンソ ウ)させるところがありましたから、或いは、本当にヒラメのかくし子、 ……でも、それならば、二人は実に淋しい親子でした。夜おそく、二階 の自分には内緒で、二人でおそばなどを取寄せて無言で食べている事が ありました。  ヒラメの家では食事はいつもその小僧がつくり、二階のやっかい者の 食事だけは別にお膳(ゼン)に載せて小僧が三度々々二階に持ち運んで来 てくれて、ヒラメと小僧は、階段の下のじめじめした四畳半で何やら、 カチャカチャ皿小鉢の触れ合う音をさせながら、いそがしげに食事して いるのでした。  三月末の或る夕方、ヒラメは思わぬもうけ口にでもありついたのか、 または何か他に策略でもあったのか、(その二つの推察が、ともに当っ ていたとしても、おそらくは、さらにまたいくつかの、自分などにはと ても推察のとどかないこまかい原因もあったのでしょうが)自分を階下 の珍らしくお銚子(チョウシ)など附いている食卓に招いて、ヒラメならぬマ グロの刺身に、ごちそうの主人(アルジ)みずから感服し、賞讃(ショウサン)し、 ぼんやりしている居候にも少しくお酒をすすめ、 「どうするつもりなんです、いったい、これから。」  自分はそれに答えず、卓上の皿から畳鰯(タタミイワシ)をつまみ上げ、その 小魚たちの銀の眼玉を眺めていたら、酔いがほのぼの発して来て、遊び 廻っていた頃がなつかしく、堀木でさえなつかしく、つくづく「自由」 が欲しくなり、ふっと、かぼそく泣きそうになりました。  自分がこの家へ来てからは、道化を演ずる張合いさえ無く、ただもう ヒラメと小僧の蔑視(ベッシ)の中に身を横たえ、ヒラメのほうでもまた、 自分と打ち解けた長噺(ナガバナシ)をするのを避けている様子でしたし、 自分もそのヒラメを追いかけて何かを訴える気などは起らず、ほとんど 自分は、間抜けづらの居候になり切っていたのです。 「起訴猶予というのは、前科何犯とか、そんなものには、ならない模様 です。だから、まあ、あなたの心掛け一つで、更生が出来るわけです。 あなたが、もし、改心して、あなたのほうから、真面目に私に相談を持 ちかけてくれたら、私も考えてみます。」  ヒラメの話方には、いや、世の中の全部の人の話方には、このように ややこしく、どこか朦朧(モウロウ)として、逃腰とでもいったみたいな微妙 な複雑さがあり、そのほとんど無益と思われるくらいの厳重な警戒と、 無数といっていいくらいの小うるさい駈引(カケヒキ)とには、いつも自分は 当惑し、どうでもいいやという気分になって、お道化で茶化したり、ま たは無言の首肯で一さいおまかせという、謂(イ)わば敗北の態度をとっ てしまうのでした。  この時もヒラメが、自分に向って、だいたい次のように簡単に報告す れば、それですむ事だったのを自分は後年に到って知り、ヒラメの不必 要な用心、いや、世の中の人たちの不可解な見栄(ミエ)、おていさいに、 何とも陰鬱な思いをしました。  ヒラメは、その時、ただこう言えばよかったのでした。 「官立でも私立でも、とにかく四月から、どこかの学校へはいりなさい。 あなたの生活費は、学校へはいると、くにから、もっと充分に送って来 る事になっているのです。」  ずっと後になってわかったのですが、事実は、そのようになっていた のでした。そうして、自分もその言いつけに従ったでしょう。それなの に、ヒラメのいやに用心深く持って廻った言い方のために、妙にこじれ、 自分の生きて行く方向もまるで変ってしまったのです。 「真面目に私に相談を持ちかけてくれる気持が無ければ、仕様がないで すが。」 「どんな相談?」  自分には、本当に何も見当がつかなかったのです。 「それは、あなたの胸にある事でしょう?」 「たとえば?」 「たとえばって、あなた自身、これからどうする気なんです。」 「働いたほうが、いいんですか?」 「いや、あなたの気持は、いったいどうなんです。」 「だって、学校へはいるといったって、……」 「そりゃ、お金が要ります。しかし、問題は、お金でない。あなたの気 持です。」  お金は、くにから来る事になっているんだから、となぜ一こと、言わ なかったのでしょう。その一言に依って、自分の気持も、きまった筈な のに、自分には、ただ五里霧中でした。 「どうですか? 何か、将来の希望、とでもいったものが、あるんです か? いったい、どうも、ひとをひとり世話しているというのは、どれ だけむずかしいものだか、世話されているひとには、わかりますまい。」 「すみません。」 「そりゃ実に、心配なものです。私も、いったんあなたの世話を引受け た以上、あなたにも、生半可(ナマハンカ)な気持でいてもらいたくないので す。立派に更生の道をたどる、という覚悟のほどを見せてもらいたいの です。たとえば、あなたの将来の方針、それに就いてあなたのほうから 私に、まじめに相談を持ちかけて来たなら、私もその相談には応ずるつ もりでいます。それは、どうせこんな、貧乏なヒラメの援助なのですか ら、以前のようなぜいたくを望んだら、あてがはずれます。しかし、あ なたの気持がしっかりしていて、将来の方針をはっきり打ち樹(タ)て、 そうして私に相談をしてくれたら、私は、たといわずかづつでも、あな たの更生のために、お手伝いしようとさえ思っているんです。わかりま すか? 私の気持が。いったい、あなたは、これから、どうするつもり でいるのです。」 「ここの二階に、置いてもらえなかったら、働いて、……」 「本気で、そんな事を言っているのですか? いまのこの世の中に、た とい帝国大学校を出たって、……」 「いいえ、サラリイマンになるんでは無いんです。」 「それじゃ、何です。」 「画家です。」  思い切って、それを言いました。 「へええ?」  自分は、その時の、頸(クビ)をちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかに もずるそうな影を忘れる事が出来ません。軽蔑の影にも似て、それとも 違い、世の中を海にたとえると、その海の千尋(チヒロ)の深さの箇所に、 そんな奇妙な影がたゆとうていそうで、何か、おとなの生活の奥底をチ ラと覗(ノゾ)かせたような笑いでした。  そんな事では話にも何もならぬ、ちっとも気持がしっかりしていない、 考えなさい、今夜一晩まじめに考えてみなさい、と言われ、自分は追わ れるように二階に上って、寢ても、別に何の考えも浮びませんでした。 そうして、あけがたになり、ヒラメの家から逃げました。  夕方、間違いなく帰ります。左記の友人の許(モト)ヘ、将来の方針に就 いて相談に行って来るのですから、御心配無く。ほんとうに。  と、用箋に鉛筆で大きく書き、それから、浅草の堀木正雄の住所姓名 を記して、こっそり、ヒラメの家を出ました。  ヒラメに説教せられたのが、くやしくて逃げたわけではありませんで した。まさしく自分は、ヒラメの言うとおり、気持のしっかりしていな い男で、将来の方針も何も自分にはまるで見当がつかず、この上、ヒラ メの家にやっかいになっているのは、ヒラメにも気の毒ですし、そのう ちに、もし万一、自分にも発奮の気持が起り、志を立てたところで、そ の更生資金をあの貧乏なヒラメから月々援助せられるのかと思うと、と ても心苦しくて、いたたまらない気持になったからでした。  しかし、自分は、所謂「将来の方針」を、堀木ごときに、相談に行こ うなどと本気に思って、ヒラメの家を出たのでは無かったのでした。そ れは、ただ、わずかでも、つかのまでも、ヒラメに安心させて置きたく て、(その間に自分が、少しでも遠くへ逃げのびていたいという探偵小 説的な策略から、そんな置手紙を書いた、というよりは、いや、そんな 気持も幽(カス)かにあったに違いないのですが、それよりも、やはり自分 は、いきなりヒラメにショックを与え、彼を混乱当惑させてしまうのが、 おそろしかったばかりに、とでも言ったほうが、いくらか正確かも知れ ません。どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言うのが、 おそろしくて、必ず何かしら飾りをつけるのが、自分の哀(カナ)しい性癖 の一つで、それは世間の人が「嘘つき」と呼んで卑しめている性格に似 ていながら、しかし、自分は自分に利益をもたらそうとしてその飾りつ けを行った事はほとんど無く、ただ雰囲気(フンイキ)の興覚めた一変が、窒 息するくらいにおそろしくて、後で自分に不利益になるという事がわかっ ていても、れいの自分の「必死の奉仕」それはたといゆがめられ微弱で、 馬鹿らしいものであろうと、その奉仕の気持から、つい一言の飾りつけ をしてしまうという場合が多かったような気もするのですが、しかし、 この習性もまた、世間の所謂「正直者」たちから、大いに乗ぜられると ころとなりました)その時、ふっと、記憶の底から浮んで来たままに堀 木の住所と姓名を、用箋の端にしたためたまでの事だったのです。  自分はヒラメの家を出て、新宿まで歩き、懐中の本を売り、そうして、 やっぱり途方にくれてしまいました。自分は、皆にあいそがいいかわり に、「友情」というものを、いちども実感した事が無く、堀木のような 遊び友達は別として、いっさいの附き合いは、ただ苦痛を覚えるばかり で、その苦痛をもみほぐそうとして懸命にお道化を演じて、かえって、 ヘとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさ え、往来などで見掛けても、ぎょっとして、一瞬、めまいするほどの不 快な戦慄(センリツ)に襲われる有様で、人に好かれる事は知っていても、人 を愛する能力に於(オ)いては欠けているところがあるようでした。(もっ とも、自分は、世の中の人間にだって、果して、「愛」の能力があるの かどうか、たいへん疑問に思っています)そのような自分に、所謂「親 友」など出来る筈は無く、そのうえ自分には、「訪問<ヴィジット>」の能 力さえ無かったのです。他人の家の門は、自分にとって、あの神曲の地 獄の門以上に薄気味わるく、その門の奥には、おそろしい竜みたいな生 臭(ナマグサ)い奇獣がうごめいている気配を、誇張でなしに、実感せられ ていたのです。  誰とも、附き合いが無い。どこへも、訪ねて行けない。  堀木。  それこそ、冗談から駒が出た形でした。あの置手紙に、書いたとおり に、自分は浅草の堀木をたずねて行く事にしたのです。自分はこれまで、 自分のほうから堀木の家をたずねて行った事は、いちども無く、たいて い電報で堀木を自分のほうに呼び寄せていたのですが、いまはその電報 料さえ心細く、それに落ちぶれた身のひがみから、電報を打っただけで は、堀木は、来てくれぬかも知れぬと考えて、何よりも自分に苦手の 「訪問」を決意し、溜息(タメイキ)をついて市電に乗り、自分にとって、こ の世の中でたった一つの頼みの綱は、あの堀木なのか、と思い知ったら、 何か背筋の寒くなるような凄(スサマ)じい気配に襲われました。  堀木は、在宅でした。汚い露路(ロジ)の奥の、二階家で、堀木は二階 のたった一部屋の六畳を使い、下では、堀木の老父母と、それから若い 職人と三人、下駄の鼻緒を縫ったり叩いたりして製造しているのでした。  堀木は、その日、彼の都会人としての新しい一面を自分に見せてくれ ました。それは、俗にいうチャッカリ性でした。田舎者の自分が、愕然 (ガクゼン)と眼をみはったくらいの、冷たく、ずるいエゴイズムでした。 自分のように、ただ、とめどなく流れるたちの男では無かったのです。 「お前には、全く呆(アキ)れた。親爺(オヤジ)さんから、お許しが出たかね。 まだかい。」  逃げて来た、とは、言えませんでした。  自分は、れいに依って、ごまかしました。いまに、すぐ、堀木に気附 かれるに違いないのに、ごまかしました。 「それは、どうにかなるさ。」 「おい、笑いごとじゃ無いぜ。忠告するけど、馬鹿もこのへんでやめる んだな。おれは、きょうは、用事があるんだがね。この頃、ばかにいそ がしいんだ。」 「用事って、どんな?」 「おい、おい、座蒲団(ザブトン)の糸を切らないでくれよ。」  自分は話をしながら、自分の敷いている座蒲団の綴糸(トジイト)という のか、くくり紐(ヒモ)というのか、あの総(フサ)のような四隅の糸の一つを 無意識に指先でもてあそび、ぐいと引っぱったりなどしていたのでした。 堀木は、堀木の家の品物なら、座蒲団の糸一本でも惜しいらしく、恥じ る色も無く、それこそ、眼に角(カド)を立てて、自分をとがめるのでし た。考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに於いて何一つ失っ てはいなかったのです。  堀木の老母が、おしるこを二つお盆に載せて持って来ました。 「あ、これは、」  と堀木は、しんからの孝行息子のように、老母に向って恐縮し、言葉 づかいも不自然なくらい丁寧に、 「すみません、おしるこですか。豪気(ゴウギ)だなあ。こんな心配は、 要らなかったんですよ。用事で、すぐ外出しなけりゃいけないんですか ら。いいえ、でも、せっかくの御自慢のおしるこを、もったいない。い ただきます。お前も一つ、どうだい。おふくろが、わざわざ作ってくれ たんだ。ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ。」  と、まんざら芝居でも無いみたいに、ひどく喜び、おいしそうに食べ るのです。自分もそれを啜(スス)りましたが、お湯のにおいがして、そう して、お餅をたべたら、それはお餅でなく、自分にはわからないもので した。決して、その貧しさを軽蔑したのではありません。(自分は、そ の時それを、不味(マズ)いとは思いませんでしたし、また、老母の心づ くしも身にしみました。自分には、貧しさへの恐怖感はあっても、軽蔑 感は、無いつもりでいます)あのおしること、それから、そのおしるこ を喜ぶ堀木に依って、自分は、都会人のつましい本性、また、内と外を ちゃんと区別していとなんでいる東京の人の家庭の実体を見せつけられ、 内も外も変りなく、ただのべつ幕無しに人間の生活から逃げ廻ってばか りいる薄馬鹿の自分ひとりだけ完全に取残され、堀木にさえ見捨てられ たような気配に、狼狽(ロウバイ)し、おしるこのはげた塗箸(ヌリバシ)をあつ かいながら、たまらなく侘(ワ)びしい思いをしたという事を、記して置 きたいだけなのです。 「わるいけれど、おれは、きょうは用事があるんでね。」堀木は立って、 上衣を着ながらそう言い、 「失敬するぜ、わるいけど。」  その時、堀木に女の訪問者があり、自分の身の上も急転しました。  堀木は、にわかに活気づいて、 「や、すみません。いまね、あなたのほうへお伺いしようと思っていた のですがね、このひとが突然やって来て、いや、かまわないんです。さ あ、どうぞ。」  よほど、あわてているらしく、自分が自分の敷いている座蒲団をはず して裏がえしにして差し出したのを引ったくって、また裏がえしにして、 その女のひとにすすめました。部屋には、堀木の座蒲団の他には、客座 蒲団がたった一枚しか無かったのです。  女のひとは痩(ヤ)せて、背の高いひとでした。その座浦団は傍(ワキ)に のけて、入口ちかくの片隅に坐りました。  自分は、ぼんやり二人の会話を聞いていました。女は雑誌社のひとの ようで、堀木にカットだか、何だかをかねて頼んでいたらしく、それを 受取りに来たみたいな具合いでした。 「いそぎますので。」 「出来ています。もうとっくに出来ています。これです、どうぞ。」  電報が来ました。  堀木が、それを読み、上機嫌のその顔がみるみる険悪になり、 「ちえっ! お前、こりゃ、どうしたんだい。」  ヒラメからの電報でした。 「とにかく、すぐに帰ってくれ。おれが、お前を送りとどけるといいん だろうが、おれにはいま、そんなひまは、無(ネ)えや。家出していなが ら、その、のんきそうな面(ツラ)ったら。」 「お宅は、どちらなのですか?」 「大久保です。」  ふいと答えてしまいました。 「そんなら、社の近くですから。」  女は、甲州の生れで二十八歳でした。五つになる女児と、高円寺のア パートに住んでいました。夫と死別して、三年になると言つていました。 「あなたは、ずいぶん苦労して育って来たみたいなひとね。よく気がき くわ。可哀そうに。」  はじめて、男めかけみたいな生活をしました。シヅ子(というのが、 その女記者の名前でした)が新宿の雑誌社に勤めに出たあとは、自分と それからシゲ子という五つの女児と二人、おとなしくお留守番という事 になりました。それまでは、母の留守には、シゲ子はアパートの管理人 の部屋で遊んでいたようでしたが、「気のきく」おじさんが遊び相手と して現われたので、大いに御機嫌がいい様子でした。  一週間ほど、ぼんやり、自分はそこにいました。アパートの窓のすぐ 近くの電線に、奴凧(ヤッコダコ)が一つひっからまっていて、春のほこり風 に吹かれ、破られ、それでもなかなか、しつっこく電線にからみついて 離れず、何やら首肯(ウナズ)いたりなんかしているので、自分はそれを見 る度毎(タビゴト)に苦笑し、赤面し、夢にさえ見て、うなされました。 「お金が、ほしいな。」 「……いくら位?」 「たくさん。……金の切れ目が、縁の切れ目、って、本当の事だよ。」 「ばからしい。そんな、古くさい、……」 「そう? しかし、君には、わからないんだ。このままでは、僕は、逃 げる事にもなるかも知れない。」 「いったい、どっちが貧乏なのよ。そうして、どっちが逃げるのよ。へ んねえ。」 「自分でかせいで、そのお金で、お酒、いや、煙草を買いたい。絵だっ て僕は、堀木なんかより、ずっと上手なつもりなんだ。」  このような時、自分の脳裡(ノウリ)におのずから浮びあがって来るもの は、あの中学時代に画いた竹一の所謂(イワユル)「お化け」の、数枚の自画 像でした。失われた傑作。それは、たびたびの引越しの間に、失われて しまっていたのですが、あれだけは、たしかに優(スグ)れている絵だっ たような気がするのです。その後、さまざま画いてみても、その思い出 の中の逸品には、遠く遠く及ばず、自分はいつも、胸がからっぽになる ような、だるい喪失感になやまされ続けて来たのでした。  飲み残した一杯のアブサン。  自分は、その永遠に償い難いような喪失感を、こっそりそう形容して いました。絵の話が出ると、自分の眼前に、その飲み残した一杯のアブ サンがちらついて来て、ああ、あの絵をこのひとに見せてやりたい、そ うして、自分の画才を信じさせたい、という焦躁(ショウソウ)にもだえるの でした。 「ふふ、どうだか。あなたは、まじめな顔をして冗談を言うから可愛 い。」  冗談ではないのだ、本当なんだ、ああ、あの絵を見せてやりたい、と 空転の煩悶(ハンモン)をして、ふいと気をかえ、あきらめて、 「漫画さ。すくなくとも、漫画なら、堀木よりは、うまいつもりだ。」  その、ごまかしの道化の言葉のほうが、かえってまじめに信ぜられま した。 「そうね。私も、実は感心していたの。シゲ子にいつもかいてやってい る漫画、つい私まで噴き出してしまう。やってみたら、どう? 私の社 の編輯長(ヘンシュウチョウ)に、たのんでみてあげてもいいわ。」  その社では、子供相手のあまり名前を知られていない月刊の雑誌を発 行していたのでした。  ……あなたを見ると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、 たまらなくなる。……いつも、おどおどしていて、それでいて、滑稽家 なんだもの。……時たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、その さまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。  シヅ子に、そのほかさまざまの事を言われて、おだてられても、それ が即(スナワ)ち男めかけのけがらわしい特質なのだ、と思えば、それこそ いよいよ「沈む」ばかりで、一向に元気が出ず、女よりは金、とにかく シヅ子からのがれて自活したいとひそかに念じ、工夫しているものの、 かえってだんだんシヅ子にたよらなければならぬ破目になって、家出の 後始末やら何やら、ほとんど全部、この男まさりの甲州女の世話を受け、 いっそう自分は、シヅ子に対し、所謂「おどおど」しなければならぬ結 果になったのでした。  シヅ子の取計らいで、ヒラメ、堀木、それにシヅ子、三人の会談が成 立して、自分は、故郷から全く絶縁せられ、そうしてシヅ子と「天下晴 れて」同棲(ドウセイ)という事になり、これまた、シヅ子の奔走のおかげ で自分の漫画も案外お金になって、自分はそのお金で、お酒も、煙草も 買いましたが、自分の心細さ、うっとうしさは、いよいよつのるばかり なのでした。それこそ「沈み」に「沈み」切って、シヅ子の雑誌の毎月 の連載漫画「キンタさんとオタさんの冒険」を画いていると、ふいと故 郷の家が思い出され、あまりの侘(ワ)びしさに、ペンが動かなくなり、 うつむいて涙をこぼした事もありました。  そういう時の自分にとって、幽かな救いは、シゲ子でした。シゲ子は、 その頃になって自分の事を、何もこだわらずに「お父(トウ)ちゃん」と呼 んでいました。 「お父ちゃん。お祈りをすると、神様が、何でも下さるって、ほんとう ?」  自分こそ、そのお祈りをしたいと思いました。  ああ、われに冷き意志を与え給え。われに、「人間」の本質を知らし め給え。人が人を押しのけても、罪ならずや。われに、怒りのマスクを 与え給え。 「うん、そう。シゲちゃんには何でも下さるだろうけれども、お父ちゃ んには、駄目かも知れない。」  自分は神にさえ、おびえていました。神の愛は信ぜられず、神の罰だ けを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の笞(ムチ)を受けるため に、うなだれて審判の台に向う事のような気がしているのでした。地獄 は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。 「どうして、ダメなの?」 「親の言いつけに、そむいたから。」 「そう? お父ちゃんはとてもいいひとだって、みんな言うけどな。」  それは、だましているからだ、このアパートの人たち皆に、自分が好 意を示されているのは、自分も知っている、しかし、自分は、どれほど 皆を恐怖しているか、恐怖すればするほど好かれ、そうして、こちらは 好かれると好かれるほど恐怖し、皆から離れて行かねばならぬ、この不 幸な病癖を、シゲ子に説明して聞かせるのは、至難の事でした。 「シゲちゃんは、いったい、神様に何をおねだりしたいの?」  自分は何気無さそうに話頭を転じました。 「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの。」  ぎょっとして、くらくら目まいしました。敵。自分がシゲ子の敵なの か、シゲ子が自分の敵なのか、とにかく、ここにも自分をおびやかすお そろしい大人(オトナ)がいたのだ、他人、不可解な他人、秘密だらけの他 人、シゲ子の顔が、にわかにそのように見えて来ました。  シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、あの「不意に 虻(アブ)を叩き殺す牛のしっぽ」を持っていたのでした。自分は、それ 以来、シゲ子にさえおどおどしなければならなくなりました。 「色魔(シキマ)! いるかい?」  堀木が、また自分のところへたずねて来るようになっていたのです。 あの家出の日に、あれほど自分を淋しくさせた男なのに、それでも自分 は拒否できず、幽(カス)かに笑って迎えるのでした。 「お前の漫画は、なかなか人気が出ているそうじゃないか。アマチュア には、こわいもの知らずの糞度胸(クソドキョウ)があるからかなわねえ。し かし、油断するなよ。デッサンが、ちっともなってやしないんだから。」  お師匠みたいな態度をさえ示すのです。自分のあの「お化け」の絵を、 こいつに見せたら、どんな顔をするだろう、とれいの空転の身悶(ミモダ) えをしながら、 「それを言ってくれるな。ぎゃっという悲鳴が出る。」  堀木は、いよいよ得意そうに、 「世渡りの才能だけでは、いつかは、ボロが出るからな。」  世渡りの才能。……自分には、ほんとうに苦笑の他はありませんでし た。自分に、世渡りの才能! しかし、自分のように人間をおそれ、避 け、ごまかしているのは、れいの俗諺(ゾクゲン)の「さわらぬ神にたたり なし」とかいう怜悧(レイリ)狡猾(コウカツ)の処生訓を遵奉(ジュンポウ)している のと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人間は、お互い 何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友 のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞な んか読んでいるのではないでしょうか。  堀木は、何せ、(それはシヅ子に押してたのまれてしぶしぶ引受けた に違いないのですが)自分の家出の後始末に立ち会ったひとなので、ま るでもう、自分の更生の大恩人か、月下氷人のように振舞い、もっとも らしい顔をして自分にお説教めいた事を言ったり、また、深夜、酔っぱ らって訪問して泊ったり、また、五円(きまって五円でした)借りて行っ たりするのでした。 「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間 が、ゆるさないからな。」  世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこ に、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、 強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たので すが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、 「世間というのは、君じゃないか。」  という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、 ひっこめました。 (それは世間が、ゆるさない。) (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ。) (世間じゃない。あなたでしょう?) (いまに世間から葬られる。) (世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)  汝(ナンジ)は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣(アクラツ)、古狸(フルダヌキ) 性、妖婆(ヨウバ)性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来した のですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、 「冷汗(ヒヤアセ)、冷汗。」  と言って笑っただけでした。  けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、 思想めいたものを持つようになったのです。  そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてか ら、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るように なりました。シヅ子の言葉を借りて言えぱ、自分は少しわがままになり、 おどおどしなくなりました。また、堀木の言葉を借りて言えば、へんに ケチになりました。また、シゲ子の言葉を借りて言えば、あまりシゲ子 を可愛がらなくなりました。  無口で、笑わず、毎日々々、シゲ子のおもりをしながら「キンタさん とオタさんの冒険」やら、またノンキなトウサンの歴然たる亜流の「ノ ンキ和尚」やら、また、「セッカチピンチャン」という自分ながらわけ のわからぬヤケクソの題の連載漫画やらを、各社の御注文(ぽつりぽつ り、シヅ子の社の他からも注文が来るようになっていましたが、すべて それは、シヅ子の社よりも、もっと下品な謂(イ)わば三流出版社からの 注文ばかりでした)に応じ、実に実に陰鬱な気持で、のろのろと、(自 分の画の運筆は、非常におそいほうでした)いまはただ、酒代がほしい ばかりに画いて、そうして、シヅ子が社から帰るとそれと交代にぷいと 外へ出て、高円寺の駅近くの屋台やスタンド・バアで安くて強い酒を飲 み、少し陽気になってアパートへ帰り、 「見れば見るほど、へんな顔をしているねえ、お前は。ノンキ和尚の顔 は、実は、お前の寝顔からヒントを得たのだ。」 「あなたの寝顔だって、ずいぶんお老(フ)けになりましてよ。四十男み たい。」 「お前のせいだ。吸い取られたんだ。水の流れと、人の身はあサ。何を くよくよ川端やなあぎいサ。」 「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがります か?」  落ちついていて、まるで相手にしません。 「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水 の流れえと、水の身はあサ。」  唄いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押 しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。 してその翌日(アクルヒ)も同じ事を繰返して、 昨日(キノウ)に異(カワ)らぬ慣例(シキタリ)に従えばよい。 即ち荒っぽい大きな歓楽(ヨロコビ)を避(ヨ)けてさえいれば、 自然また大きな悲哀(カナシミ)もやって来(コ)ないのだ。 ゆくてを塞(フサ)ぐ邪魔な石を 蟾蜍(ヒキガエル)は廻って通る。  上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見 つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。  蟾蜍(ヒキガエル)。 (それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬む らぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそ のそ動いているだけだ。)  自分の飲酒は、次第に量がふえて来ました。高円寺駅附近だけでなく、 新宿、銀座のほうにまで出かけて飲み、外泊する事さえあり、ただもう 「慣例(シキタリ)」に従わぬよう、バアで無頼漢の振りをしたり、片端から キスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あの頃よりさらに 荒(スサ)んで野卑な酒飲みになり、金に窮して、シヅ子の衣類を持ち出す ほどになりました。  ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経(タ)って、葉 桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢(ジュバン)やらをこっそり持 ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晩つづけて外泊して、 三日目の晩、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、 アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会 話が聞えます。 「なぜ、お酒を飲むの?」 「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あ んまりいいひとだから、だから、……」 「いいひとは、お酒を飲むの?」 「そうでもないけど、……」 「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね。」 「おきらいかも知れない。ほら、ほら、箱から飛び出した。」 「セッカチピンチャンみたいね。」 「そうねえ。」  シヅ子の、しんから幸福そうな低い笑い声が聞えました。  自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。 ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。 (幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだ にはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい 親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてく れるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る。)  自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを 閉め、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りま せんでした。  そうして、京橋のすぐ近くのスタンド・バアの二階に自分は、またも 男めかけの形で、寝そべる事になりました。  世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気 がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しか も、その場で勝てばいいのだ、【人間は決して人間に服従しない】、奴 隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間に はその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名 分らしいものを称(トナ)えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗 り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋<オーシャン>は世間で なくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多 少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、 謂(イ)わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚 えて来たのです。  高円寺のアパートを捨て、京橋のスタンド・バアのマダムに、 「わかれて来た。」  それだけ言って、それで充分、つまり一本勝負はきまって、その夜か ら、自分は乱暴にもそこの二階に泊り込む事になったのですが、しかし、 おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、ま た自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その 気だったら、それですべてがいいのでした。  自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使 いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、はたから見て甚(ハナハ)だ 得態(エタイ)の知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしま ず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼ん で、ひどく優しく扱い、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。  自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中という ところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりま した。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳(ゼキ)の 黴菌(バイキン)が何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋に は禿頭病(トクトウビョウ)の黴菌が何十万、省線の吊皮(ツリカワ)には疥癬(カイセン) の虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の 幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、 はだしで歩くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が 体内を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科 学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たし かに、何十万もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、 正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それ は自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科学の幽 霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お 弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても 既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻 紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、など という「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一 粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパ ルプを空費するような錯覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみ たいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」 「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、 掛算割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気 のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片脚を踏みはず して落下させるか、または、省線電車の出入口と、プラットフォームの 縁(ヘリ)とのあの隙間(スキマ)に、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、 そんなプロバビリティを計算するのと同じ程度にばからしく、それは如 何(イカ)にも有り得る事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこ ねて怪我をしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮設を「科学的 事実」として教え込まれ、それを全く現実として受取り、恐怖していた 昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、 世の中というものの実体を少しづつ知って来たというわけなのでした。  そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそ ろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでから でなければいけませんでした。こわいもの見たさ。自分は、毎晩、それ でもお店に出て、子供が、実は少しこわがっている小動物などを、かえ って強くぎゅっと握ってしまうみたいに、店のお客に向って酔ってつた ない芸術論を吹きかけるようにさえなりました。  漫画家。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽(ヨロコビ)も、また、大き な悲哀(カナシミ)もない無名の漫画家。いかに大きな悲哀(カナシミ)があとでやっ て来てもいい、荒っぽい大きな歓楽が欲しいと内心あせってはいても、 自分の現在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を飲 む事だけでした。  京橋へ来て、こういうくだらない生活を既に一年ちかく続け、自分の 漫画も、子供相手の雑誌だけでなく、駅売りの粗悪で卑猥(ヒワイ)な雑誌 などにも載るようになり、自分は、上司幾太(情死、生きた)という、 ふざけ切った匿名で、汚いはだかの絵など画き、それにたいていルバイ ヤットの詩句を挿入(ソウニュウ)しました。 無駄な御祈りなんか止(ヨ)せったら 涙を誘うものなんか かなぐりすてろ まア一杯いこう 好いことばかり思出して よけいな心づかいなんか忘れっちまいな 不安や恐怖もて人を脅やかす奴輩(ヤカラ)は 自(ミズカラ)の作りし大それた罪に怯(オビ)え 死にしものの復讐(フクシュウ)に備えんと 自の頭にたえず計いを為(ナ)す よべ 酒充(ミ)ちて我ハートは喜びに充ち けさ さめて只(タダ)に荒涼 いぶかし 一夜(ヒトヨ)さの中 様変りたる此(コノ)気分よ 崇(タタ)りなんて思うこと止(ヤ)めてくれ 遠くから響く太鼓のように 何がなしそいつは不安だ 庇(ヘ)ひったこと迄(マデ)一々罪に勘定されたら助からんわい 正義は人生の指針たりとや? さらば血に塗られたる戦場に 暗殺者の切尖(キッサキ)に 何の正義か宿れるや? いずこに指導原理ありや? いかなる叡智(エイチ)の光ありや? 美(ウル)わしくも怖(オソロ)しきは浮世なれ かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされて どうにもできない情慾の種子を植えつけられた許(バカ)りに 善だ悪だ罪だ罰だと呪(ノロ)わるるばかり どうにもできない只まごつくばかり 抑え摧(クダ)く力も意志も授けられぬ許りに どこをどう彷徨(ウロツキ)まわってたんだい ナニ批判 検討 再認識? ヘッ 空(ムナ)しき夢を ありもしない幻を エヘッ 酒を忘れたんで みんな虚仮(コケ)の思案さ どうだ 此涯(ハテ)もない大空を御覧よ 此中にポッチリ浮んだ点じゃい 此地球が何んで自転するのか分るもんか 自転 公転 反転も勝手ですわい 至る処(トコロ)に 至高の力を感じ あらゆる国にあらゆる民族に 同一の人間性を発見する 我は異端者なりとかや みんな聖経をよみ違えてんのよ でなきゃ常識も智慧(チエ)もないのよ 生身(イキミ)の喜びを禁じたり 酒を止(ヤ)めたり いいわ ムスタッファ わたしそんなの 大嫌い (堀井梁歩訳「ルバイヤット」より)  けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。 「いけないわ、毎日、お昼から、酔っていらっしゃる。」  バアの向いの、小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言 い、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、煙草を買いに行くたび に、笑って忠告するのでした。 「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人 の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそ う、悲しみ疲れたるハートに希望を持ち来(キタ)すは、ただ微醺(ビクン)を もたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい。」 「わからない。」 「この野郎。キスしてやるぞ。」 「してよ。」  ちっとも悪びれず下唇を突き出すのです。 「馬鹿野郎。貞操観念、……」  しかし、ヨシちゃんの表惰には、あきらかに誰にも汚されていない処 女のにおいがしていました。  としが明けての厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、その煙草 屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、と叫び、 ヨシちゃんに引き上げられ、右腕の傷の手当を、ヨシちゃんにしてもら い、その時ヨシちゃんは、しみじみ、 「飲みすぎますわよ。」  と笑わずに言いました。  自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血してそうして不具者 などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の傷 の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加滅によそうかしら、と思っ たのです。 「やめる。あしたから、一滴も飲まない。」 「ほんとう?」 「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれるか い?」  しかし、お嫁の件は冗談でした。 「モチよ。」  モチとは、「勿論」の略語でした。モボだの、モガだの、その頃いろ んな略語がはやっていました。 「ようし。ゲンマンしよう。きっとやめる。」  そうして翌(アク)る日、自分は、やはり昼から飲みました。  夕方、ふらふら外へ出て、ヨシちゃんの店の前に立ち、 「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった。」 「あら、いやだ。酔った振りなんかして。」  ハッとしました。酔いもさめた気持でした。 「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔った振りなんかしてるん じゃない。」 「からかわないでよ。ひとがわるい。」  てんで疑おうとしないのです。 「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から飲んだのだ。ゆるし てね。」 「お芝居が、うまいのねえ。」 「芝居じゃあないよ、馬鹿野郎。キスしてやるぞ。」 「してよ。」 「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。 顔を見なさい、赤いだろう? 飲んだのだよ。」 「それあ、夕陽が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう 約束したんですもの。飲む筈が無いじゃないの。ゲンマンしたんですも の。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ。」  薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よご れを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い 処女と寝た事がない、結婚しよう、どんな大きな悲哀(カナシミ)がそのため に後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽(ヨロコビ)を、生 涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷 の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るも のだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、 その場で決意し、所謂(イワユル)「一本勝負」で、その花を盗むのにためら う事をしませんでした。  そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た歓楽(ヨロコビ) は、必ずしも大きくありませんでしたが、その後に来た悲哀(カナシミ)は、 凄惨(セイサン)と言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやっ て来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろし いところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまっ てしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。 二  堀木と自分。  互いに軽蔑(ケイベツ)しながら附き合い、そうして互いに自(ミズカ)らを くだらなくして行く、それがこの世の所謂「交友」というものの姿だと するなら、自分と堀木との間柄も、まさしく「交友」に違いありません でした。  自分があの京橋のスタンド・バアのマダムの義侠心(ギキョウシン)にすが り、(女のひとの義侠心なんて、言葉の奇妙な遣(ツカ)い方ですが、しか し、自分の経験に依ると、少くとも【都会の】男女の場合、男よりも女 のほうが、その、義侠心とでもいうべきものをたっぷりと持っていまし た。男はたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり飾り、そう して、ケチでした)あの煙草屋のヨシ子を内縁の妻にする事が出来て、 そうして築地、隅田川の近く、木造の二階建ての小さいアパートの階下 の一室を借り、ふたりで住み、酒は止めて、そろそろ自分の定った職業 になりかけて来た漫画の仕事に精を出し、夕食後は二人で映画を見に出 かけ、帰りには、喫茶店などにはいり、また、花の鉢を買ったりして、 いや、それよりも自分をしんから信頼してくれているこの小さい花嫁の 言葉を聞き、動作を見ているのが楽しく、これは自分もひょっとしたら、 いまにだんだん人間らしいものになる事が出来て、悲惨な死に方などせ ずにすむのではなかろうかという甘い思いを幽(カス)かに胸にあたためは じめていた矢先に、堀木がまた自分の眼前に現われました。 「よう! 色魔。おや? これでも、いくらか分別くさい顔になりやがっ た。きょうは、高円寺女史からのお使者なんだがね、」  と言いかけて、急に声をひそめ、お勝手でお茶の支度をしているヨシ 子のほうを顎(アゴ)でしゃくって、大丈夫かい? とたずねますので、 「かまわない。何を言ってもいい。」  と自分は落ちついて答えました。  じっさい、ヨシ子は、信頼の天才と言いたいくらい、京橋のバアのマ ダムとの間はもとより、自分が鎌倉で起した事件を知らせてやっても、 ツネ子との間を疑わず、それは自分が嘘がうまいからというわけでは無 く、時には、あからさまな言い方をする事さえあったのに、ヨシ子には、 それがみな冗談としか聞きとれぬ様子でした。 「相変らず、しょっていやがる。なに、たいした事じゃないがね、たま には、高円寺のほうへも遊びに来てくれっていう御伝言さ。」  忘れかけると、怪鳥が羽ばたいてやって来て、記憶の傷口をその嘴(ク チバシ)で突き破ります。たちまち過去の恥と罪の記憶が、ありありと眼 前に展開せられ、わあっと叫びたいほどの恐怖で、坐っておられなくな るのです。 「飲もうか。」  と自分。 「よし。」  と堀木。  自分と堀木。形は、ふたり似ていました。そっくりの人間のような気 がする事もありました。もちろんそれは、安い酒をあちこち飲み歩いて いる時だけの事でしたが、とにかく、ふたり顔を合せると、みるみる同 じ形の同じ毛並の犬に変り降雪のちまたを駈けめぐるという具合いにな るのでした。  その日以来、自分たちは再び旧交をあたためたという形になり、京橋 のあの小さいバアにも一緒に行き、そうして、とうとう、高円寺のシヅ 子のアパートにもその泥酔の二匹の犬が訪問し、宿泊して帰るなどとい う事にさえなってしまったのです。  忘れも、しません、むし暑い夏の夜でした。堀木は日暮頃、よれよれ の浴衣(ユカタ)を着て築地の自分のアパートにやって来て、きょう或る必 要があって夏服を質入したが、その質入が老母に知れるとまことに具合 いが悪い、すぐ受け出したいから、とにかく金を貸してくれ、という事 でした。あいにく自分のところにも、お金が無かったので、例に依って、 ヨシ子に言いつけ、ヨシ子の衣類を質屋に持って行かせてお金を作り、 堀木に貸しても、まだ少し余るのでその残金でヨシ子に焼酎(ショウチュウ)を 買わせ、アパートの屋上に行き、隅田川から時たま幽かに吹いて来るど ぶ臭い風を受けて、まことに薄汚い納涼の宴を張りました。  自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。 これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、 中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞 の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞 で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわから ぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんで いる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といった ようなわけなのでした。 「いいかい? 煙草は?」  と自分が問います。 「トラ。(悲劇<トラジディ>の略)」  と堀木が言下に答えます。 「薬は?」 「粉薬かい? 丸薬かい?」 「注射。」 「トラ。」 「そうかな? ホルモン注射もあるしねえ。」 「いや、断然トラだ。針が第一、お前、立派なトラじゃないか。」 「よし、負けて置こう。しかし、君、薬や医者はね、あれで案外、コメ (喜劇<コメディ>の略)なんだぜ。死は?」 「コメ。牧師も和尚(オショウ)も然りじゃね。」 「大出来。そうして、生はトラだなあ。」 「ちがう。それも、コメ。」 「いや、それでは、何でもかでも皆コメになってしまう。ではね、もう 一つおたずねするが、漫画家は? よもや、コメとは言えませんでしょ う?」 「トラ、トラ。大悲劇名詞!」 「なんだ、大トラは君のほうだぜ。」  こんな、下手な駄洒落(ダジャレ)みたいな事になってしまっては、つま らないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにも嘗 (カ)つて存しなかった頗(スコブ)る気のきいたものだと得意がっていたの でした。  またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。そ れは、対義語<アントニム>の当てっこでした。黒のアント(対義語<アントニム>の 略)は、白。けれども、白のアントは赤。赤のアントは、黒。 「花のアントは?」  と自分が問うと、堀木は口を曲げて考え、 「ええっと、花月という料理屋があったから、月だ。」 「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語<シノニム>だ。星と 董(スミレ)だって、シノニムじゃないか。アントでない。」 「わかった、それはね、蜂だ。」 「ハチ?」 「牡丹(ボタン)に、……蟻(アリ)か?」 「なあんだ、それは画題<モチイフ>だ。ごまかしちゃいけない。」 「わかった! 花にむら雲、……」 「月にむら雲だろう。」 「そう、そう。花に風。風だ。花のアントは、風。」 「まずいなあ、それは浪花節の文句じゃないか。おさとが知れるぜ。」 「いや、琵琶(ビワ)だ。」 「なおいけない。花のアントはね、……およそこの世で最も花らしくな いもの、それをこそ拳げるべきだ。」 「だから、その、……待てよ、なあんだ、女か。」 「ついでに、女のシノニムは?」 「臓物。」 「君は、どうも、詩<ポエジィ>を知らんね。それじゃあ、臓物のアントは ?」 「牛乳。」 「これは、ちょっとうまいな。その調子でもう一つ。恥。オントのアン ト。」 「恥知らずさ。流行漫画家上司幾太。」 「堀木正雄は?」  この辺から二人だんだん笑えなくなって、焼酎の酔い特有の、あのガ ラスの破片が頭に充満しているような、陰鬱(インウツ)な気分になって来た のでした。 「生意気言うな。おれはまだお前のように、縄目の恥辱など受けた事が 無(ネ)えんだ。」  ぎょっとしました。堀木は内心、自分を、真人間あつかいにしていな かったのだ、自分をただ、死にぞこないの、恥知らずの、阿呆のばけも のの、謂(イ)わば「生ける屍(シカバネ)」としか解してくれず、そうして、 彼の快楽のために、自分を利用できるところだけは利用する、それっき りの「交友」だったのだ、と思ったら、さすがにいい気持はしませんで したが、しかしまた、堀木が自分をそのように見ているのも、もっとも な話で、自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だったのだ、やっ ぱり堀木にさえ軽蔑せられて至当なのかも知れない、と考え直し、 「罪。罪のアントニムは、何だろう。これは、むずかしいぞ。」  と何気無さそうな表情を装って、言うのでした。 「法律さ。」  堀木が平然とそう答えましたので、自分は堀木の顔を見直しました。 近くのビルの明滅するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼 刑事の如く威厳ありげに見えました。自分は、つくづく呆(アキ)れかえり、 「罪ってのは、君、そんなものじゃないだろう。」  罪の対義語が、法律とは! しかし、世間の人たちは、みんなそれく らいに簡単に考えて、澄まして暮しているのかも知れません。刑事のい ないところにこそ罪がうごめいている、と。 「それじゃあ、なんだい、神か? お前には、どこかヤソ坊主くさいと ころがあるからな。いや味だぜ。」 「まあそんなに、軽く片づけるなよ。も少し、二人で考えて見よう。こ れはでも、面白いテーマじゃないか。このテーマに対する答一つで、そ のひとの全部がわかるような気がするのだ。」 「まさか。……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみた いなものさ。」 「冗談は、よそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではな い。」 「悪と罪とは違うのかい?」 「違う、と思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作っ た道徳の言葉だ。」 「うるせえなあ。それじゃ、やっぱり、神だろう。神、神。なんでも、 神にして置けば間違いない。腹がへったなあ。」 「いま、したでヨシ子がそら豆を煮ている。」 「ありがてえ。好物だ。」  両手を頭のうしろに組んで、仰向(アオムケ)にごろりと寝ました。 「君には、罪というものが、まるで興味ないらしいね。」 「そりゃそうさ。お前のように、罪人では無いんだから。おれは道楽は しても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ。」  死なせたのではない、巻き上げたのではない、と心の何処(ドコ)かで 幽かな、けれども必死の抗議の声が起っても、しかし、また、いや自分 が悪いのだとすぐに思いかえしてしまうこの習癖。  自分には、どうしても、正面切っての議論が出来ません。焼酎の陰鬱 な酔いのために刻一刻、気持が険しくなって来るのを懸命に抑えて、ほ とんど独りごとのようにして言いました。 「しかし、牢屋(ロウヤ)にいれられる事だけが罪じゃないんだ。罪のアン トがわかれば、罪の実体もつかめるような気がするんだけど、……神、 ……救い、……愛、……光、……しかし、神にはサタンというアントが あるし、救いのアントは苦悩だろうし、愛には僧しみ、光には闇という アントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、…… 鳴呼(アア)、みんなシノニムだ、罪の対語は何だ。」 「ツミの対語は、ミツさ。蜜(ミツ)の如く甘しだ。腹がへったなあ。何か 食うものを持って来いよ。」 「君が持って来たらいいじゃないか!」  ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声が出 ました。 「ようし、それじゃ、したへ行って、ヨシちゃんと二人で罪を犯して来 よう。議論より実地検分。罪のアントは、蜜豆、いや、そら豆か。」  ほとんど、ろれつの廻らぬくらいに酔っているのでした。 「勝手にしろ。どこかへ行っちまえ!」 「罪と空腹、空腹とそら豆、いや、これはシノニムか。」  出鱈目(デタラメ)を言いながら起き上ります。  罪と罰、ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて 通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニム と考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対 に相通ぜざるもの、氷炭相容(アイイ)れざるもの、罪と罰をアントとして 考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかり かけた、いや、まだ、……などと頭脳に走馬燈がくるくる廻っていた時 に、 「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」  堀木の声も顔色も変っています。堀木は、たったいまふらふら起きて したへ行った、かと思うとまた引返して来たのです。 「なんだ。」  異様に殺気立ち、ふたり、屋上から二階へ降り、二階から、さらに階 下の自分の部屋へ降りる階段の中途で堀木は立ち止り、 「見ろ!」  と小声で言って指差します。  自分の部屋の上の小窓があいていて、そこから部屋の中が見えます。 電気がついたままで、二匹の動物がいました。  自分は、ぐらぐら目まいしながら、これもまた人間の姿だ、これもま た人間の姿だ、おどろく事は無い、など劇(ハゲ)しい呼吸と共に胸の中 で呟(ツブヤ)き、ヨシ子を助ける事も忘れ、階段に立ちつくしていました。  堀木は、大きい咳(セキ)ばらいをしました。自分は、ひとり逃げるよう にまた屋上に駈け上り、寝ころび、雨を含んだ夏の夜空を仰ぎ、そのと き自分を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみで も無く、もの凄(スサ)まじい恐怖でした。それも、墓地の幽霊などに対す る恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感ずるかも 知れないような、四の五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。自分 の若白髪は、その夜からはじまり、いよいよ、すべてに自信を失い、い よいよ、ひとを底気れず疑い、この世の営みに対する一さいの期待、よ ろこび、共鳴などから永遠にはなれるようになりました。実に、それは 自分の生涯に於いて、決定的な事件でした。自分は、まっこうから眉間 (ミケン)を割られ、そうしてそれ以来その傷は、どんな人間にでも接近す る毎に痛むのでした。 「同情はするが、しかし、お前もこれで、少しは思い知ったろう。もう、 おれは、二度とここへは来ないよ。まるで、地獄だ。……でも、ヨシちゃ んは、ゆるしてやれ。お前だって、どうせ、ろくな奴じゃないんだから。 失敬するぜ。」  気まずい場所に、永くとどまっているほど間(マ)の抜けた堀木ではあ りませんでした。  自分は起き上って、ひとりで焼酎を飲み、それから、おいおい声を放っ て泣きました。いくらでも、いくらでも泣けるのでした。  いつのまにか、背後に、ヨシ子が、そら豆を山盛りにしたお皿を持っ てぼんやり立っていました。 「なんにも、しないからって言って、……」 「いい。何も言うな。お前は、ひとを疑う事を知らなかったんだ。お坐 り。豆を食べよう。」  並んで坐って豆を食べました。鳴呼、信頼は罪なりや? 相手の男は、 自分に漫画をかかせては、わずかなお金をもったい振って置いて行く三 十歳前後の無学な小男の商人なのでした。  さすがにその商人は、その後やっては来ませんでしたが、自分には、 どうしてだか、その商人に対する憎悪よりも、さいしょに見つけたすぐ その時に大きい咳ばらいも何もせず、そのまま自分に知らせにまた屋上 に引返して来た堀木に対する憎しみと怒りが、眠られぬ夜などにむらむ ら起って呻(ウメ)きました。  ゆるすも、ゆるさぬもありません。ヨシ子は信頼の天才なのです。ひ とを疑う事を知らなかったのです。しかし、それゆえの悲惨。  神に問う。信頼は罪なりや。  ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事 が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種にな りました。自分のような、いやらしくおどおどして、ひとの顔いろばか り伺い、人を信じる能力が、ひび割れてしまっているものにとって、ヨ シ子の無垢(ムク)な信頼心は、それこそ青葉の滝のようにすがすがしく思 われていたのです。それが一夜で、黄色い汚水に変ってしまいました。 見よ、ヨシ子は、その夜から自分の一顰(イッピン)一笑(イッショウ)にさえ気を 遣(ツカ)うようになりました。 「おい。」  と呼ぶと、ぴくっとして、もう眼のやり場に困っている様子です。ど んなに自分が笑わせようとして、お道化を言っても、おろおろし、びく びくし、やたらに自分に敬語を遣うようになりました。  果して、無垢の信頼心は、罪の原泉なりや。  自分は、人妻の犯された物語の本を、いろいろ捜して読んでみました。 けれども、ヨシ子ほど悲惨な犯され方をしている女は、ひとりも無いと 思いました。どだい、これは、てんで物語にも何もなりません。あの小 男の商人と、ヨシ子とのあいだに、少しでも恋に似た感情でもあったな ら、自分の気持もかえってたすかるかも知れませんが、ただ、夏の一夜、 ヨシ子が信頼して、そうして、それっきり、しかもそのために自分の眉 間は、まっこうから割られ声が嗄(シワガ)れて若白髪がはじまり、ヨシ子 は一生おろおろしなければならなくなったのです。たいていの物語は、 その妻の「行為」を夫が許すかどうか、そこに重点を置いていたようで したが、それは自分にとっては、そんなに苦しい大問題では無いように 思われました。許す、許さぬ、そのような権利を留保している夫こそ幸 いなる哉(カナ)、とても許す事が出来ぬと思ったなら、何もそんなに大騒 ぎせずとも、さっさと妻を難縁して、新しい妻を迎えたらどうだろう、 それが出来なかったら、所謂(イワユル)「許して」我慢するさ、いずれにし ても夫の気持一つで四方八方がまるく収るだろうに、という気さえする のでした。つまり、そのような事件は、たしかに夫にとって大いなる ショックであっても、しかし、それは「ショック」であって、いつまで も尽きること無く打ち返し打ち寄せる波と違い、権利のある夫の怒りで もってどうにでも処理できるトラブルのように自分には思われたのでし た。けれども、自分たちの場合、夫に何の権利も無く、考えると何もか も自分がわるいような気がして来て、怒るどころか、おこごと一つも言 えず、また、その妻は、その所有している稀(マレ)な美質に依って犯され たのです。しかも、その美質は、夫のかねてあこがれの、無垢の信頼心 というたまらなく可憐(カレン)なものなのでした。  無垢の信頼心は、罪なりや。  唯一のたのみの美質にさえ、疑惑を抱き、自分は、もはや何もかも、 わけがわからなくなり、おもむくところは、ただアルコールだけになり ました。自分の顔の表情は極度にいやしくなり、朝から焼酎を飲み、歯 がぼろぼろに欠けて、漫画もほとんど猥画(ワイガ)に近いものを画くよう になりました。いいえ、はっきり言います。自分はその頃から、春画の コピイをして密売しました。焼酎を買うお金がほしかったのです。いつ も自分から視線をはずしておろおろしているヨシ子を見ると、こいつは 全く警戒を知らぬ女だったから、あの商人といちどだけでは無かったの ではなかろうか、また、堀木は? いや、或いは自分の知らない人とも ? と疑惑は疑惑を生み、さりとて思い切ってそれを問い正す勇気も無 く、れいの不安と恐怖にのたうち廻る思いで、ただ焼酎を飲んで酔って は、わずかに卑屈な誘導訊問(ジンモン)みたいなものをおっかなびっくり 試み、内心おろかしく一喜一憂し、うわべは、やたらにお道化て、そう して、それから、ヨシ子にいまわしい地獄の愛撫(アイブ)を加え、泥のよ うに眠りこけるのでした。  その年の暮、自分は夜おそく泥酔して帰宅し、砂糖水を飲みたく、ヨ シ子は眠っているようでしたから、自分でお勝手に行き砂糖壺を捜し出 し、ふたを開けてみたら砂糖は何もはいってなくて、黒く細長い紙の小 箱がはいっていました。何気なく手に取り、その箱にはられてあるレッ テルを見て愕然(ガクゼン)としました。そのレッテルは、爪で半分以上も 掻(カ)きはがされていましたが、洋字の部分が残っていて、それにはっ きり書かれていました。DIAL。  ジアール。自分はその頃もっぱら焼酎で、催眠剤を用いてはいません でしたが、しかし、不眠は自分の持病のようなものでしたから、たいて いの催眠剤にはお馴染(ナジ)みでした。ジアールのこの箱一つは、たし かに致死量以上の筈でした。まだ箱の封を切ってはいませんでしたが、 しかし、いつかは、【やる気で】こんなところに、しかもレッテルを掻 きはがしたりなどして隠していたのに違いありません。可哀想に、あの 子にはレッテルの洋字が読めないので、爪で半分掻きはがして、これで 大丈夫と思っていたのでしょう。(お前に罪は無い。)  自分は、音を立てないようにそっとコップに水を満たし、それから、 ゆっくり箱の封を切って、全部、一気に口の中にほうり、コップの水を 落ちついて飲みほし、電燈を消してそのまま寝ました。  三昼夜、自分は死んだようになっていたそうです。医者は過失と見な して、警察にとどけるのを猶予してくれたそうです。覚醒(カクセイ)しかけ て、一ばんさきに呟いたうわごとは、うちへ帰る、という言葉だったそ うです。うちとは、どこの事を差して言ったのか、当の自分にも、よく わかりませんが、とにかく、そう言って、ひどく泣いたそうです。  次第に霧がはれて、見ると、枕元にヒラメが、ひどく不機嫌な顔をし て坐っていました。 「このまえも、年の暮の事でしてね、お互いもう、目が廻るくらいいそ がしいのに、いつも、年の暮をねらって、こんな事をやられたひには、 こっちの命がたまらない。」  ヒラメの話の聞き手になっているのは、京橋のバアのマダムでした。 「マダム。」  と自分は呼びました。 「うん、何? 気がついた?」  マダムは笑い顔を自分の顔の上にかぶせるようにして言いました。  自分は、ぽろぽろ涙を流し、 「ヨシ子とわかれさせて。」  自分でも思いがけなかった言葉が出ました。  マダムは身を起し、幽(カス)かな溜息をもらしました。  それから自分は、これもまた実に思いがけない滑稽とも阿呆らしいと も、形容に苦しむほどの失言をしました。 「僕は、女のいないところに行くんだ。」  うわっはっは、とまず、ヒラメが大声を挙げて笑い、マダムもクスク ス笑い出し、自分も涙を流しながら赤面の態(テイ)になり、苦笑しました。 「うん、そのほうがいい。」  とヒラメは、いつまでもだらし無く笑いながら、 「女のいないところに行ったほうがよい。女がいると、どうもいけない。 女のいないところとは、いい思いつきです。」  女のいないところ。しかし、この自分の阿呆くさいうわごとは、のち に到って、非常に陰惨に実現せられました。  ヨシ子は、何か、自分がヨシ子の身代りになって毒を飲んだとでも思 い込んでいるらしく、以前よりも尚(ナオ)いっそう、自分に対して、おろ おろして、自分が何を言っても笑わず、そうしてろくに口もきけないよ うな有様なので、自分もアパートの部屋の中にいるのが、うっとうしく、 つい外へ出て、相変らず安い酒をあおる事になるのでした。しかし、あ のジアールの一件以来、自分のからだがめっきり痩(ヤ)せ細って、手足 がだるく、漫画の仕事も怠けがちになり、ヒラメがあの時、見舞いとし て置いて行ったお金(ヒラメはそれを、渋田の志です、と言っていかに もご自身から出たお金のようにして差出しましたが、これも故郷の兄た ちからのお金のようでした。自分もその頃には、ヒラメの家から逃げ出 したあの時とちがって、ヒラメのそんなもったい振った芝居を、おぼろ げながら見抜く事が出来るようになっていましたので、こちらもずるく、 全く気づかぬ振りをして、神妙にそのお金のお礼をヒラメに向って申し 上げたのでしたが、しかし、ヒラメたちが、なぜ、そんなややこしいカ ラクリをやらかすのか、わかるような、わからないような、どうしても 自分には、へんな気がしてなりませんでした)そのお金で、思い切って ひとりで南伊豆の温泉に行ってみたりなどしましたが、とてもそんな悠 長(ユウチョウ)な温泉めぐりなど出来る柄(ガラ)ではなく、ヨシ子を思えば侘 (ワ)びしさ限りなく、宿の部屋から山を眺めるなどの落ちついた心境に は甚だ遠く、ドテラにも着換えず、お湯にもはいらず、外へ飛び出して は薄汚い茶店みたいなところに飛び込んで、焼酎を、それこそ俗びるほ ど飲んで、からだ具合いを一そう悪くして帰京しただけの事でした。  東京に大雪の降った夜でした。自分は酔って銀座裏を、ここはお国を 何百里、ここはお国を何百里、と小声で繰り返し繰り返し呟くように歌 いながら、なおも降りつもる雪を靴先で蹴散(ケチ)らして歩いて、突然、 吐きました。それは自分の最初の喀血(カッケツ)でした。雪の上に、大きい 日の丸の旗が出来ました。自分は、しばらくしゃがんで、それから、よ ごれていない個所の雪を両手で掬(スク)い取って、顔を洗いながら泣きま した。  こうこは、どうこの細道じゃ?  こうこは、どうこの細道じゃ?  哀れな童女の歌声が、幻聴のように、かすかに遠くから聞えます。不 幸。この世には、さまざまの不幸な人が、いや、不幸な人ばかり、と言っ ても過言ではないでしょうが、しかし、その人たちの不幸は、所謂世間 に対して堂々と抗議が出来、また「世間」もその人たちの抗議を容易に 理解し同情します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなの で、誰にも抗議の仕様が無いし、また口ごもりながら一言でも抗議めい た事を言いかけると、ヒラメならずとも世間の人たち全部、よくもまあ そんな口がきけたものだと呆(アキ)れかえるに違いないし、自分はいった い俗にいう「わがままもの」なのか、またはその反対に、気が弱すぎる のか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりら しいので、どこまでも自(オノズカ)らどんどん不幸になるばかりで、防ぎ 止める具体策など無いのです。  自分は立って、取り敢(ア)えず何か適当な薬をと思い、近くの薬屋に はいって、そこの奥さんと顔を見合せ、瞬間、奥さんは、フラッシュを 浴びたみたいに首をあげ眼を見はり、棒立ちになりました。しかし、そ の見はった眼には、驚愕(キョウガク)の色も嫌悪の色も無く、ほとんど救い を求めるような、慕うような色があらわれているのでした。ああ、この ひとも、きっと不幸なひとなのだ、不幸な人は、ひとの不幸にも敏感な ものなのだから、と思った時、ふと、その奥さんが松葉杖(マツバヅエ)を ついて危かしく立っているのに気がつきました。駈け寄りたい思いを抑 えて、なおもその奥さんと顔を見合せているうちに涙が出て来ました。 すると、奥さんの大きい眼からも、涙がぽろぽろとあふれて出ました。  それっきり、一言も口をきかずに、自分はその薬屋から出て、よろめ いてアパートに帰り、ヨシ子に塩水を作らせて飲み、黙って寝て、翌る 日も、風邪気味だと嘘をついて一日一ぱい寝て、夜、自分の秘密の喀血 がどうにも不安でたまらず、起きて、あの薬屋に行き、こんどは笑いな がら、奥さんに、実に素直に今迄のからだ具合いを告白し、相談しまし た。 「お酒をおよしにならなければ。」  自分たちは、肉親のようでした。 「アル中になっているかも知れないんです。いまでも飲みたい。」 「いけません。私の主人も、テーベのくせに、菌を酒で殺すんだなんて 言って、酒びたりになって、自分から寿命をちぢめました。」 「不安でいけないんです。こわくて、とても、だめなんです。」 「お薬を差し上げます。お酒だけは、およしなさい。」  奥さん(未亡人で、男の子がひとり、それは千葉だかどこだかの医大 にはいって、間もなく父と同じ病いにかかり、休学入院中で、家には中 風の舅(シュウト)が寝ていて、奥さん自身は五歳の折、小児麻痺(マヒ)で片方 の脚が全然だめなのでした)は、松葉杖をコトコトと突きながら、自分 のためにあっちの棚、こっちの引出し、いろいろと薬品を取りそろえて くれるのでした。  これは、造血剤。  これは、ヴィタミンの注射液。注射器は、これ。  これは、カルシウムの錠剤。胃腸をこわさないように、ジアスターゼ。  これは、何。これは、何、と五、六種の薬品の説明を愛情こめてして くれたのですが、しかし、この不幸な奥さんの愛惰もまた、自分にとっ て深すぎました。最後に奥さんが、これは、どうしても、なんとしても お酒を飲みたくて、たまらなくなった時のお薬、と言って素早く紙に包 んだ小箱。  モルヒネの注射液でした。  酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、また一 つには、酒の酔いもさすがに不潔に感ぜられて来た矢先でもあったし、 久し振りにアルコールというサタンからのがれる事の出来る喜びもあり、 何の躊躇(チュウチョ)も無く、自分は自分の腕に、そのモルヒネを注射しま した。不安も、焦躁(ショウソウ)も、はにかみも、綺麗(キレイ)に除去せられ、 自分は甚だ陽気な能弁家になるのでした。そうして、その注射をすると 自分は、からだの衰弱も忘れて、漫画の仕事に精が出て、自分で画きな がら噴き出してしまうほど珍妙な趣向が生れるのでした。  一日一本のつもりが、二本になり、四本になった頃には、自分はもう それが無ければ、仕事が出来ないようになっていました。 「いけませんよ、中毒になったら、そりゃもう、たいへんです。」  薬屋の奥さんにそう言われると、自分はもう可成りの中毒患者になっ てしまったような気がして来て、(自分は、ひとの暗示に実にもろくひっ かかるたちなのです。このお金は使っちやいけないよ、と言っても、お 前の事だものなあ、なんて言われると、何だか使わないと悪いような、 期待にそむくような、へんな錯覚が起って、必ずすぐにそのお金を使っ てしまうのでした)その中毒の不安のため、かえって薬品をたくさん求 めるようになったのでした。 「たのむ! もう一箱。勘定は月末にきっと払いますから。」 「勘定なんて、いつでもかまいませんけど、警察のほうが、うるさいの でねえ。」  ああ、いつでも自分の周囲には、何やら、濁って暗く、うさん臭い日 蔭者の気配がつきまとうのです。 「そこを何とか、ごまかして、たのむよ、奥さん。キスしてあげよう。」  奥さんは、顔を赤らめます。  自分は、いよいよつけ込み、 「薬が無いと仕事がちっとも、はかどらないんだよ。僕には、あれは強 精剤みたいなものなんだ。」 「それじゃ、いっそ、ホルモン注射がいいでしょう。」 「ばかにしちゃいけません。お酒か、そうでなければ、あの薬か、どっ ちかで無ければ仕事が出来ないんだ。」 「お酒は、いけません。」 「そうでしょう? 僕はね、あの薬を使うようになってから、お酒は一 滴も飲まなかった。おかげで、からだの調子が、とてもいいんだ。僕だっ て、いつまでも、下手くそな漫画などをかいているつもりは無い、これ から、酒をやめて、からだを直して、勉強して、きっと偉い絵画(エカ)き になって見せる。いまが大事なところなんだ。だからさ、ね、おねがい。 キスしてあげようか。」  奥さんは笑い出し、 「困るわねえ。中毒になっても知りませんよ。」  コトコトと松葉杖の音をさせて、その薬品を棚から取り出し、 「一箱は、あげられませんよ。すぐ使ってしまうのだもの。半分ね。」 「ケチだなあ、まあ、仕方が無いや。」  家へ帰って、すぐに一本、注射をします。 「痛くないんですか?」  ヨシ子は、おどおど自分にたずねます。 「それあ痛いさ。でも、仕事の能率をあげるためには、いやでもこれを やらなければいけないんだ。僕はこの頃、とても元気だろう? さあ、 仕事だ。仕事、仕事。」  とはしゃぐのです。  深夜、薬屋の戸をたたいた事もありました。寝巻姿で、コトコト松葉 杖をついて出て来た奥さんに、いきなり抱きついてキスして、泣く真似 をしました。  奥さんは、黙って自分に一箱、手渡しました。  薬品もまた、焼酎同様、いや、それ以上に、いまわしく不潔なものだ と、つくづく思い知った時には、既に自分は完全な中毒患者になってい ました。真に、恥知らずの極(キワミ)でした。自分はその薬品を得たいば かりに、またも春画のコピイをはじめ、そうして、あの薬屋の不具の奥 さんと文字どおりの醜関係をさえ結びました。  死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事 をしても、何をしても駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけな んだ、自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、ただけが らわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し強烈になるだけなん だ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、な どと思いつめても、やっぱり、アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で往復 しているばかりなのでした。  いくら仕事をしても、薬の使用量もしたがってふえているので、薬代 の借りがおそろしいほどの額にのぼり、奥さんは、自分の顔を見ると涙 を浮べ、自分も涙を流しました。  地獄。  この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、あとは もう首をくくるばかりだ、という神の存在を賭(カ)けるはどの決意を以 て、自分は、故郷の父あてに長い手紙を書いて、自分の実情一さいを (女の事は、さすがに書けませんでしたが)告白する事にしました。  しかし、結果は一そう悪く、待てど暮せど何の返事も無く、自分はそ の焦躁と不安のために、かえって薬の量をふやしてしまいました。  今夜、十本、一気に注射し、そうして大川に飛び込もうと、ひそかに 覚悟を極(キ)めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘で嗅(カ)ぎつけたみ たいに、堀木を連れてあらわれました。 「お前は、喀血したんだってな。」  堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで見た事も無い くらいに優しく微笑(ホホエ)みました。その優しい微笑が、ありがたくて、 うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。そうして彼のそ の優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまった のです。  自分は自動車に乗せられました。とにかく入院しなければならぬ、あ とは自分たちにまかせなさい、とヒラメも、しんみりした口調で、(そ れは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口調でした)自分にす すめ、自分は意志も判断も何も無い者の如く、ただメソメソ泣きながら 唯々諾々(イイダクダク)と二人の言いつけに従うのでした。ヨシ子もいれて 四人、自分たちはずいぶん永いこと自動車にゆられ、あたりが薄暗くなっ た頃、森の中の大きい病院の、玄関に到着しました。  サナトリアムとばかり思っていました。  自分は若い医師のいやに物やわらかな、鄭重(テイチョウ)な診察を受け、 それから医師は、 「まあ、しばらくここで静養するんですね。」  と、まるで、はにかむように微笑して言い、ヒラメと堀木とヨシ子は、 自分ひとりを置いて帰ることになりましたが、ヨシ子は着換の衣類をい れてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の間から注射器と 使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとばかり思っ ていたのでしょうか。 「いや、もう要らない。」  実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分 のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないく らいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すす められて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない 白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。 けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネ を、実に自然に拒否しました。ヨシ子の謂(イ)わば「神の如き無智」に 撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなってい たのではないでしょうか。  けれども、自分はそれからすぐに、あのはにかむような微笑をする若 い医師に案内せられ、或る病棟にいれられて、ガチャンと鍵(カギ)をお ろされました。脳病院でした。  女のいないところへ行くという、あのジアールを飲んだ時の自分の愚 かなうわごとが、まことに奇妙に実現せられたわけでした。その病棟に は、男の狂人ばかりで、看護人も男でしたし、女はひとりもいませんで した。  いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じ て自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども、狂った事は 無いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそう言うも のだそうです。つまり、この病院にいれられた者は気違い、いれられな かった者は、ノーマルという事になるようです。  神に問う。無抵抗は罪なりや?  堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自 動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりまし た。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人(ハイジン) という刻印を額に打たれる事でしょう。  人間、失格。  もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。  ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に 紅(アカ)い睡蓮(スイレン)の花が咲いているのが見えましたが、それから三つ き経(タ)ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の長兄が、 ヒラメを連れて自分を引取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍(イカイヨウ) でなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配も かけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだ ろうがすぐに東京から離れて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が 東京でしでかした事の後始末は、だいたい渋田がやってくれた筈だから、 それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口調で言 うのでした。  故郷の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽(カス)かにう なずきました。  まさに癈人。  父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜(フヌ)けたようになり ました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐 かしくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになっ たような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父 のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが 抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。  長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて 育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、東北には珍らしい ほど暖かい海辺の温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもある のですが、かなり古い家らしく壁は剥(ハ)げ落ち、柱は虫に食われ、ほ とんど修理の仕様も無いほどの茅屋(ボウオク)を買いとって自分に与え、 六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。  それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数 度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩(フウフゲンカ)みたいな事をはじ め、胸の病気のほうは一進一退、痩(ヤ)せたりふとったり、血痰(ケッタン) が出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の 薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買っ て来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くな らないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんにな り急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も 便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それは ヘノモチンという下剤でした。  自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごと を言ってやろうと思いました。 「これは、お前、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という、」  と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうや らこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、そ の下剤の名前は、ヘノモチン。  いまは自分には、幸福も不幸もありません。  ただ、一さいは過ぎて行きます。  自分がいままで阿鼻叫喚(アビキョウカン)で生きて来た所謂(イワユル)「人間」 の世界に於いて、たった一つ、【真理】らしく思われたのは、それだけ でした。  ただ、一さいは過ぎて行きます。  自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たい ていの人から、四十以上に見られます。 あとがき  この手記を書き綴(ツヅ)った狂人を、私は、直接には知らない。けれ ども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき 人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、 眼が細く吊(ツ)り上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年と いったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、ど うやら、招和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されている ように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れら れて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の 「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったか ら、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけであ る。  然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人を たずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大 の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談 を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも 仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背 負って船橋市へ出かけて行ったのである。  船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその 友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわか らないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、 私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。  そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあ の京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出し てくれた様子で、互いに大袈裟(オオゲサ)に驚き、笑い、それからこんな 時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われも せぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、 「あなたは、しかし、かわらない。」 「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若 いわ。」 「とんでもない。子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのた めに買い出し。」  などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、 それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そ のうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたか しら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、 三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、 「何か、小説の材料になるかも知れませんわ。」  と言った。  私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、す ぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就(ツ) いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかく ノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町 何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と 尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお 見えになるという。すぐ近所であった。  その夜、友人とわずかなお酒を扱(ク)み交し、泊めてもらう事にして、 私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。  その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の 人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加 えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらっ たほうが、なお、有意義な事のように思われた。  子供たちへの土産(ミヤゲ)の海産物は、干物(ヒモノ)だけ。私は、リュッ クサックを背負って友人の許(モト)を辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、 「きのうは、どうも。ところで、……」  とすぐに切り出し、 「このノートは、しばらく貸していただけませんか。」 「ええ、どうぞ。」 「このひとは、まだ生きているのですか?」 「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお 店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃ んにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さ えも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これ も不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」 「泣きましたか?」 「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう 駄目ね。」 「それから十年、とすると、もう亡(ナ)くなっているかも知れないね。 これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、 誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当 ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、 そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きた くなったかも知れない。」 「あのひとのお父さんが悪いのですよ。」  何気なさそうに、そう言った。 「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あ れでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい 子でした。」 (『展望』昭和二十三年六・七・八月号)