【 】は傍点を示す。

(こぶ)(と)

太宰 治:作

   ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジャマッケナ
コブヲ モッテル オジイサン
 このお爺(じい)さんは、四国の阿波(あわ)、剣山(つるぎざん)のふもとに住んでいたのである。というような気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治(うじ)拾遺(しゅうい)物語から発しているものらしいが、防空壕(ぼうくうごう)の中で、あれこれ原典を詮議(せんぎ)する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思う浦島さんの話でも、まず日本書紀(にほんしょき)にその事実がちゃんと記載せられているし、また万葉にも浦島を詠じた長歌(ちょうか)があり、そのほか、丹後(たんご)風土記(ふどき)やら本朝(ほんちょう)神仙伝(しんせんでん)などというものに依()っても、それらしいものが伝えられているようだし、また、つい最近に於()いては鴎<*1>外(おうがい)の戯曲があるし、逍遙(しょうよう)などもこの物語を舞曲にした事は無かったかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到(いた)るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやったり、また売り払ったりする癖があるので、蔵書というようなものは昔から持った事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよって、むかし読んだ筈(はず)の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむずかしいだろう。私は、いま、壕の中にしゃがんでいるのである。そうして、私の膝(ひざ)の上には、一冊の絵本がひろげられているだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだろう。いや、かえってそのほうが、活()き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たような自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
   ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅(かたすみ)に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。
<*1>鴎:「區」偏+「鳥」:補助7631
 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みというものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらわれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌(てのひら)をぽんと撃ち合せていずれの掌が鳴ったかを決定しようとするような、キザな穿鑿(せんさく)に終るだけの事であろう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在()っては、つねに浮かぬ顔をしているのである。と言っても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許(めもと)も涼しい。昔は、なかなかの美人であったそうである。若い時から無口であって、ただ、まじめに家事にいそしんでいる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしゃいでも、
「そうですか。」と興の無いような返辞をして、「ちょっと、どいて下さい。ここを、お掃徐しますから。」と言う。
 お爺さんは浮かぬ顔になる。
 また、このお爺さんには息子(むすこ)がひとりあって、もうすでに四十ちかくになっているが、これがまた世に珍らしいくらいの品行方正、酒も飲まず煙草も吸わず、どころか、笑わず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事(のらしごと)、近所近辺の人々もこれを畏敬(いけい)せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず髯(ひげ)を剃()らず、ほとんど木石ではないかと疑われるくらい、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言わざるを得ない種類のものであった。
 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。そうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないような気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いっそう浮かぬ気持になるばかりであった。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだって、別にそれを叱(しか)りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやっている傍(そば)で、黙ってごはんを食べている。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔って来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言い出す。「いよいよ、春になったね。燕(つばめ)も来た。」
 言わなくたっていい事である。
 お婆さんも息子も、黙っている。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言わなくてもいい事を呟(つぶや)いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳(ぜん)に向いうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃(さかずき)を伏せる。
 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合いである。
   アルヒ アサカラ ヨイテンキ
ヤマヘ ユキマス シバカリニ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢(ぴょう)をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾い集める事である。いい加減、たきぎ拾いに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉そうに咳(せき)ばらいを一つして、
「よい眺(なが)めじゃのう。」
 と言い、それから、おもむろに腰の瓢(ひさご)のお酒を飲む。実に、楽しそうな顔をしている。うちにいる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬(ほお)の大きい瘤くらいのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなって、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫()でさすっていると、いよいよ大きくなって、お爺さんは淋(さび)しそうに笑い、
「こりゃ、いい孫が出来た。」と言ったが、息子の聖人は頗(すこぶ)るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚(きょうざ)めた事を言い、また、お婆さんも、
「いのちにかかわるものではないでしょうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かえって、近所の人が、同情して、どういうわけでそんな瘤が出来たのでしょうね、痛みませんか、さぞやジャマッケでしょうね、などとお見舞いの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑ってかぶりを振る。ジャマッケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛(かわい)い孫のように思い、自分の狐独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗う時にも、特別にていねいにこの瘤に清水(しみず)をかけて洗い清めているのである。きょうのように、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌(ごきげん)の時には、この瘤は殊(こと)にも、お爺さんに無くてかなわぬ恰好(かっこう)の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫()で、
「なあに、こわい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔うべしじゃ。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだってねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁(ささや)き、そうして、えへん! と高く咳ばらいをするのである。
   ニワカニ クラク ナリマシタ
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
アメモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このような天候の異変も、しばしばあると思わなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉(きじ)、山鳥があちこちから、ぱっぱっと飛び立って矢のように早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
 と言い、なおもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めていたが、雨はいよいよ強くなり、いっこうに止()みそうにも見えないので、
「こりゃ、どうも。ヒンヤリしすぎて寒くなった。」と言って立ち上り、大きいくしゃみを一つして、それから拾い集めた柴(しば)を背負い、こそこそと林の中に這入(はい)って行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちょっと、ごめんよ。」
 とお爺さんは、猿(さる)や兎(うさぎ)や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶(あいさつ)して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚(うろ)になっているのに潜(もぐ)り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もいませんから、どうか、遠慮なく、どうそ。」などと、ひどくはしゃいで、そのうちに、すうすう小さい鼾(いびき)をかいて寝てしまった。酒飲みというものは酔ってつまらぬ事も言うけれど、しかし、たいていは、このように罪の無いものである。
   ユウダチ ヤムノヲ マツウチニ
ツカレガ デタカ オジイサン
イツカ グッスリ ネムリマス
オヤマハ ハレテ クモモナク
アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいうのか、水のような空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のように一ぱいこぼれ落ちている。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠っている。蝙蝠(こうもり)が、はたはたと木の虚(うろ)から飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になっているので驚き、
「これは、いけない。」
 と言い、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になった、あの人たちは未()だ私を叱(しか)った事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰ったのでは、どうも気まずい事になりそうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽(かす)かにピチャピチャという音がする。「あるわい。」と、にわかに勢いづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔い、「や、月が出ている。春宵一刻、−−」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚(うろ)から這い出ると、
   オヤ ナンデショウ サワグコエ
ミレバ フシギダ ユメデショカ

 という事になるのである。
 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思えぬ不可思議の光景が展開されているのである。鬼、というものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらいたくさんお目にかかって来たが、その実物に面接するの光栄には未(いま)だ浴していないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。殺人鬼、吸血鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思っていると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などという文句が新聞の新刊書案内欄に出ていたりするので、まごついてしまう。まさか、その何某先生が鬼のような醜悪の才能を持っているという事実を暴露し、以(もっ)て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などという怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚(はなは)だしきに到っては、文学の鬼、などという、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧(ささ)げたりしていて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだろうと思うと、また、そうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な緯名(あだな)をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容しているらしいという噂(うわさ)などを聞いて、迂愚(うぐ)の私は、いよいよ戸惑うばかりである。あの、虎(とら)の皮のふんどしをした赤つらの、そうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持った鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考えられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのという難解な言葉は、あまり使用しないほうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案していた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭いゆえであって、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちょっと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識(ものし)りというものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就()いて縷々(るる)千万言を開陳できるのでもあろうが、生憎(あいにく)と私は壕の中にしゃがんで、そうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依って、論断せざるを得ないのである。
 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言うのか、十数匹と言うのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作って坐り、月下の宴のさいちゅうである。
 お爺さん、はじめは、ぎょっとしたが、しかし、お酒飲みというものは、お酒を飲んでいない時には意気地(いくじ)が無くてからきし駄目でも、酔っている時には、かえって衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔いである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやというようなかなりの勇者になっているのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどという醜態を示す事は無かった。虚(うろ)から出た四()つ這()いの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よさそうに、酔っている。」とつぶやき、そうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧()いて出て来た。お酒飲みというものは、よそのものたちが酔っているのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂(いわゆる)利己主義者ではないのであろう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるというような博愛心に似たものを持っているのかも知れない。自分も酔いたいが、隣人もまた、共に楽しく酔ってくれたら、そのよろこびは倍加するもののようである。お爺さんだって、知っている。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼というおそろしい種族のものであるという事は、直覚している。虎の皮のふんどし一つに依っても、それは間違いの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌(きげん)よく酔っている。お爺さんも酔っている。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這いの形のままで、なおもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言っても、この眼前の鬼どもは、殺人鬼、吸血鬼などの如く、佞悪(ねいあく)の性質を有している種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のようだ、とお爺さんは見てとった。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中していた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗(すこぶ)る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるっきり種族が違っているのである、だいいち、鉄棒などという物騒なものを持っていない。これすなわち、害心を有していない証拠と言ってよい。しかし、隠者とは言っても、かの竹林(ちくりん)の賢者たちのように、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだというようなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙という字は山の人と書かれているから、何でもかまわぬ、山の奥に住んでいる人を仙人と称してよろしいという、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従うなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖(いえど)も、仙の尊称を贈呈して然(しか)るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打ち興じているこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するほうが妥当のようなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言ったが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑い、または立ち上って矢鱈(やたら)にはねまわり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがって行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいう言葉は、まるで無意味なものだということを証明できるように思われる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考えられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆(あき)れた。ひとりでくすくす笑い、
「なんてまあ、下手(へた)な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげましょうかい。」とつぶやく。
   オドリノ スキナ オジイサン
スグニ トビダシ オドッタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
トテモ オカシイ オモシロイ

 お爺さんには、ほろ酔いの勇気がある。なおその上、鬼どもに対し、親和の情を抱(いだ)いているのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊(あわおど)りを踊って、
   むすめ島田で年寄りゃ【かつら】じゃ
赤い襷(たすき)に迷うも無理ゃない
嫁も笠(かさ)きて行かぬか来い来い

 とかいう阿波の俗謡をいい声で歌う。鬼ども、喜んだのなんの、キャッキャッケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑いころげる。お爺さんは調子に乗って、
   大谷(おおや)通れば石ばかり
笹山(ささやま)通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌いつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
   オニドモ タイソウ ヨロコンデ
ツキヨニャ カナラズ ヤッテキテ
オドリ オドッテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
ダイジナ モノヲ アズカロウ

 と言い出し、鬼たち互いにひそひそ小声で相談し合い、どうもあの頬(ほっ)ぺたの瘤(こぶ)はてかてか光って、なみなみならぬ宝物のように見えるではないか、あれをあずかって置いたら、きっとまたやって来るに違いない、と愚昧(ぐまい)なる推量をして、矢庭(やにわ)に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでいるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでいたのかも知れない。何の造作(ぞうさ)も無く綺麗(きれい)に瘤をむしり取った。
 お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言えば、鬼たち、得意そうにわっと歓声を挙げる。
   アサデス ツユノ ヒカルミチ
コブヲ トラレタ オジイサン
ツマラナソウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとって、唯一の話相手だったのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなった頬が朝風に撫()でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短というようなところか、久しぶりで思うぞんぶん歌ったり踊ったりしただけが得(とく)、という事になるかな? など、のんきな事を考えながら山を降りて来たら、途中で、野良(のら)へ出かける息子(むすこ)の聖人とばったり出逢う。
「おはようござります。」と聖人は、頬被りをとって荘重に朝の挨拶(あいさつ)をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついている。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失しているのを見てとって、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌(ようぼう)に就()いてとやかくの批評がましい事を言うのは、聖人の道にそむくと思い、気附かぬ振りして黙って別れたのである。
 家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言い、昨夜はどうしましたとか何とかいう事はいっさい問わず、「おみおつけが冷くなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度(したく)をする。
「いや、冷くてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳(ぜん)につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然(げんぜん)たる態度に圧倒されて、言葉が喉(のど)のあたりにひっからまって何も言えない。うつむいて、わびしくごはんを食べている。
「瘤が、しなびたようですね。」お婆さんは、ぽつんと言った。
「うむ。」もう何も言いたくなかった。
「破れて、水が出たのでしょう。」とお婆さんは事も無げに言って、澄ましている。
「うむ。」
「また、水がたまって腫()れるんでしょうね。」
「そうだろう。」
 結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかったわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジャマッケな瘤を持ってるお爺さんがいたのである。そうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジャマッケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑(ちょうしょう)せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜思(ためいき)を吐()き、頬髯(ほおひげ)を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまおうとたくらんだが、悲しい哉(かな)、瘤の頂きが白髯の四海波(しかいなみ)の間から初日出(はつひので)のようにあざやかにあらわれ、かえって天下の奇観を呈するようになったのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯<*2>(たいく)は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だって、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるそうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較(くら)べものにならぬくらいどっさりあるとかいう話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目(いちもく)置いて、「旦那(だんな)」あるいは「先生」などという尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあったが、どうもその左の頬のジャマッケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々(うつうつ)として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに美人でもないが色白くぽっちやりして、少し蓮葉(はすっぱ)なくらいいつも陽気に笑ってはしゃいでいる。十二、三の娘がひとりあって、これはなかなかの美少女であるが、性質はいくらか生意気の傾向がある。でも、この母と娘は気が合って、いつも何かと笑い騒ぎ、そのために、この家庭は、お旦那の苦虫を噛<*3>()みつぶしたような表情にもかかわらず、まず明るい印象を人に与える。
<*2>躯:「身」偏+「區」:補助6452
<*3>噛:「口」偏+「齒」:補助2258

「お母さん、お父さんの瘤は、どうしてそんなに赤いのかしら。蛸(たこ)の頭みたいね。」と生意気な娘は、無遠慮に率直な感想を述べる。母は叱りもせず、ほほほと笑い、
「そうね、でも、木魚(もくぎょ)を頬ぺたに吊(つる)しているようにも見えるわね。」
「うるさい!」と旦那は怒り、ぎょろりと妻子を睨(にら)んですっくと立ち上り、奥の薄暗い部屋に退却して、そっと鏡を覗き、がっかりして、
「これは、駄目だ。」と呟く。 いっそもう、小刀で切って落そうか、死んだっていい、とまで思いつめた時に、近所のあの酒飲みのお爺さんの瘤が、このごろふっと無くなったという噂を小耳にはさむ。暮夜ひそかに、お旦那は、酒飲み爺さんの草屋(そうおく)を訪れ、そうしてあの、月下の不思議な宴の話を明かしてもらった。
   キイテ タイソウ ヨロコンデ
「ヨシヨシ ワタシモ コノコブヲ
ゼヒトモ トッテ モライマショウ」

 と勇み立つ。さいわいその夜も月が出ていた。お旦那は、出陣の武士の如く、眼光炯々(けいけい)、口をへの字型にぎゅっと引き結び、いかにしても今宵は、天晴(あっぱ)れの舞いを一さし舞い、その鬼どもを感服せしめ、もし万一、感服せずば、この鉄扇にて皆殺しにしてやろう、たかが酒くらいの愚かな鬼ども、何程(なにほど)の事があろうや、と鬼に踊りを見せに行くのだか、鬼退治に行くのだか、何が何やら、ひどい意気込みで鉄扇右手に、肩いからして剣山の奥深く踏み入る。このように、所謂(いわゆる)「傑作意識」にこりかたまった人の行う芸事は、とかくまずく出来上るものである。このお爺さんの踊りも、あまりにどうも意気込みがひどすぎて、遂(つい)に完全の失敗に終った。お爺さんは、鬼どもの酒宴の円陣のまんなかに恭々粛々と歩を運び、
「ふつつかながら。」と会釈し、鉄扇はらりと開き、屹()っと月を見上げて、大樹の如く凝然と動かず。しばらく経()って、とんと軽く足踏みして、おもむろに呻(うめ)き出すは、
「是(これ)は呵波の鳴門(なると)に一夏(いちげ)を送る僧にて候(さふらふ)。さても此(この)浦は平家の一門果て給(たま)ひたる所なれば痛はしく存じ、毎夜此磯辺(いそべ)に出()でて御経を読み奉り候。磯山に、暫(しば)し岩根のまつ程に、暫し岩根のまつ程に、誰が夜舟とは白波に、楫音(かぢおと)ばかり鳴門の、浦静かなる今宵かな、浦静かなる今宵かな。きのふ過ぎ、けふと暮れ、明日またかくこそ有るべけれ。」そろりとわずかに動いて、またも屹っと月を見上げて端凝たり。
   オニドモ ヘイコウ
ジュンジュンニ タッテ ニゲマス
ヤマオクヘ

「待って下さい!」とお旦那は悲痛の声を挙げて鬼の後を追い、「いま逃げられては、たまりません。」
「逃げろ、逃げろ。鍾馗(しょうき)かも知れねえ。」
「いいえ、鍾馗ではございません。」とお旦那も、ここは必死で追いすがり、「お願いがございます。この瘤を、どうか、どうかとって下さいまし。」
「何、瘤?」鬼はうろたえているのて聞き違え、「なんだ、そうか、あれは、こないだの爺さんからあずかっている大事の品だが、しかし、お前さんがそんなに欲しいならやってもいい。とにかく、あの踊りは勘弁してくれ。せっかくの酔いが醒()める。たのむ。放してくれ。これからまた、別なところへ行って飲み直さなくちゃいけねえ。たのむ。たのむから放せ。おい、誰か、この変な人に、こないだの瘤をかえしてやってくれ。欲しいんだそうだ。」
   オニハ コナイダ アズカッタ
コブヲ ツケマス ミギノ ホホ
オヤオヤ トウトウ コブ フタツ
ブランブラント オモタイナ
ハズカシソウニ オジイサン
ムラヘ カエッテ ユキマシタ

 実に、気の毒な結果になったものだ。お伽噺(とぎばなし)に於いては、たいてい、悪い事をした人が悪い報いを受けるという結末になるものだが、しかし、このお爺さんは別に悪事を働いたというわけではない。緊張のあまり、踊りがへんてこな形になったというだけの事ではないか。それかと言って、このお爺さんの家庭にも、これという悪人はいなかった。また、あのお酒飲みのお爺さんも、また、その家族も、または、剣山に住む鬼どもだって、少しも悪い事はしていない。つまり、この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かったのに、それでも不幸な人が出てしまったのである。それゆえ、この瘤取り物語から、日常倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になって来るのである。それでは一体、何のつもりでお前はこの物語を書いたのだ、と短気な読者が、もし私に詰め寄って質問したなら、私はそれに対してこうでも答えて置くより他(ほか)はなかろう。
 性格の悲喜劇というものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れています。
[以 上]