芋   粥 芥川龍之介:作  元慶(ガンギョウ)の末か、仁和(ニンナ)の始にあった話であろう。どちらにしても時代は さして、この話に大事な役を、勤めていない。読者は唯(タダ)、平安朝と云う、遠い 昔が背景になっていると云う事を、知ってさえいてくれれば、よいのである。−−そ の頃、摂政藤原基経(モトツネ)に仕えている侍の中に、某(ナニガシ)と云う五位(ゴイ)があっ た。  これも、某と書かずに、何の誰と、ちゃんと姓名を明にしたいのであるが、生憎(ア イニク)旧記には、それが伝わっていない。恐らくは、実際、伝わる資格がない程、平凡 な男だったのであろう。一体旧記の著者などと云う者は、平凡な人間や話に、余り興 味を持たなかったらしい。この点で、彼等と、日本の自然派の作家とは、大分ちがう。 王朝時代の小説家は、存外、閑人(ヒマジン)でない。−−兎に角、摂政藤原基経に仕え ている侍の中に、某と云う五位があった。これが、この話の主人公である。  五位は、風采の甚(ハナハダ)揚らない男であった。第一背が低い。それから赤鼻で、 眼尻が下っている。口髭は勿論薄い。頬が、こけているから、頤(アゴ)が、人並はづ れて、細く見える。脣は−−一々、数え立てていれば、際限はない。我(ワガ)五位の 外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上っていたのである。  この男が、何時、どうして、基経に仕えるようになったのか、それは誰も知ってい ない。が、余程以前から、同じような色の褪めた水干に、同じような萎々(ナエナエ)した 烏帽子(エボシ)をかけて、同じような役目を、飽きずに、毎日、繰返している事だけは、 確である。その結果であろう、今では、誰が見ても、この男に若い時があったとは思 われない。(五位は四十を越していた。)その代り、生れた時から、あの通り寒むそ うな赤鼻と、形ばかりの口髭とを、朱雀大路(スザクオオジ)の衢風(チマタカゼ)に、吹かせて いたと云う気がする。上は主人の基経から、下は牛飼(ウシカイ)の童児まで、無意識なが ら、悉(コトゴトク)そう信じて疑う者がない。  こう云う風采を具えた男が、周囲から受ける待遇は、恐らく書くまでもないことで あろう。侍所(サムライドコロ)にいる連中は、五位に対して、殆ど蝿程(ハエホド)の注意も払 わない。有位(ウイ)無位(ムイ)、併せて二十人に近い下役さえ、彼の出入りには、不思議 な位、冷淡を極めている。五位が何か云いつけても、決して彼等同志の雑談をやめた 事はない。彼等にとっては、空気の存在が見えないように、五位の存在も、眼を遮ら ないのであろう。下役でさえそうだとすれば、別当とか、侍所の司とか云う上役たち が、頭から彼を相手にしないのは、寧ろ自然の数(スウ)である。彼等は、五位に対する と、殆ど、子供らしい無意味な悪意を、冷然とした表情の後(ウシロ)に隠して、何を云 うのでも、手真似だけで用を足した。人間に言語があるのは、偶然ではない。従って、 彼等も手真似では用を弁じない事が、時々ある。が、彼等は、それを全然五位の悟性 に、欠陥があるからだと、思っているらしい。そこで彼等は用が足りないと、この男 の歪んだ揉烏帽子(モミエボシ)の先から、切れかかった藁草履の尻まで、万遍なく見上げ たり、見下したりして、それから、鼻で哂(ワラ)いながら、急に後を向いてしまう。そ れでも、五位は、腹を立てた事がない。彼は、一切の不正を、不正として感じない程、 意気地のない、臆病な人間だったのである。  所が、同僚の侍たちになると、進んで、彼を飜弄(ホンロウ)しようとした。年かさの同 僚が、彼の振わない風采を材料にして、古い洒落を聞かせようとする如く、年下の同 僚も、亦それを機会にして、所謂(イワユル)興言利口の練習をしようとしたからである。 彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲(ヒンシツ)して飽 きる事を知らなかった。そればかりではない。彼が五六年前に別れたうけ脣(クチ)の女 房と、その女房と関係があったと云う酒のみの法師とも、屡(シバシバ)彼等の話題になっ た。その上、どうかすると、彼等は甚(ハナハダ)、性質(タチ)の悪い悪戯(イタズラ)さえする。 それを今一々、列記する事は出来ない。が、彼の篠枝(ササエ)の酒を飲んで、後へ尿(イバ リ)を入れて置いたと云う事を書けば、その外は凡(オヨソ)、想像される事だろうと思う。  しかし、五位はこれらの揶揄(ヤユ)に対して、全然無感覚であった。少なくもわき眼 には、無感覚であるらしく思われた。彼は何を云われても、顔の色さえ変えた事がな い。黙って例の薄い口髭を撫でながら、するだけの事をしてすましている。唯、同僚 の悪戯が、嵩じすぎて、髷(マゲ)に紙切れをつけたり、太刀の鞘に藁履(ワラジ)を結び つけたりすると、彼は笑うのか、泣くのか、わからないような笑顔をして、「いけぬ のう、お身たちは。」と云う。その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時或(アル) いじらしさに打たれてしまう。(彼等にいじめられるのは、一人、この赤鼻の五位だ けではない。彼等の知らない誰かが−−多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等 の無情を責めている。)−−そう云う気が、朧(オボロ)げながら、彼等の心に、一瞬の 間、しみこんで来るからである。唯その時の心もちを、何時までも持続ける者は、甚 少い。その少い中の一人に、或無位の侍があった。これは丹波の国から来た男で、ま だ柔らかい口髭が、やっと鼻の下に、生えかかった位の青年である。勿論、この男も 始めは皆と一しょに、何の理由もなく、赤鼻の五位を軽蔑した。所が、或日何かの折 (オリ)に、「いけぬのうお身たちは」と云う声を聞いてからは、どうしても、それが頭 を離れない。それ以来、この男の眼にだけは、五位が全く別人として、映るようになっ た。栄養の不足した、血色の悪い、間のぬけた五位の顔にも、世間の迫害に【べそ】 を掻(カ)いた、「人間」が覗いているからである。この無位の侍には、五位の事を考 える度に、世の中のすべてが、急に、本来の下等さを露(アラワ)すように思われた。そ うして、それと同時に、霜(シモ)げた赤鼻と、数える程の口髭とが、何となく一味の慰 安を自分の心に伝えてくれるように思われた。……  しかし、それは、唯この男一人に、限った事である。こう云う例外を除けば、五位 は、依然として、周囲の軽蔑の中に、犬のような生活を続けて行かなければならなかっ た。第一彼には着物らしい着物が一つもない。青鈍(アオニビ)の水干と、同じ色の指貫 (サシヌキ)とが一つづつあるが、今ではそれが上白(ウワジロ)んで、藍とも紺ともつかない ような色に、なっている。水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組の緒や菊綴(キクトジ) の色が怪しくなっているだけだが、指貫になると、裾のあたりのいたみ方が一通りで ない。その指貫の中から、下の袴もはかない、細い足が出ているのを見ると、口の悪 い同僚でなくとも、痩(ヤセ)公家の車を牽いている、痩牛の歩みを見るような、みすぼ らしい心もちがする。それに佩(ハ)いている太刀も、頗る覚束ない物で、柄の金具も 如何(イカガ)わしければ、黒鞘の塗(ヌリ)も剥げかかっている。これが例の赤鼻で、だら しなく草履をひきずりながら唯でさえ猫背なのを、一層寒空(サムゾラ)の下に背ぐくまっ て、もの欲しそうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩くのだから、通りがかりの物売 りまで莫迦(バカ)にするのも、無理はない。現に、こう云う事さえあった。……  或る日、五位が三條坊門を神泉苑の方へ行く所で、子供が六七人、路ばたに集って、 何かしているのを見た事がある。「こまつぶり」でも、廻しているのかと思って、後 ろから覗いて見ると、何処かから迷って来た、尨犬(ムクイヌ)の首へ縄をつけて、打った り殴(タタ)いたりしているのであった。臆病な五位は、これまで何かに同情を寄せる事 があっても、あたりへ気を兼ねて、まだ一度も行為に現わしたことがない。が、この 時だけは、相手が子供だと云うので、幾分か勇気が出た。そこで出来るだけ、笑顔を つくりながら、年かさらしい子供の肩を叩いて、「もう、堪忍してやりなされ。犬も 打(ウ)たれれば、痛いでのう」と声をかけた。すると、その子供はふりかえりながら、 上眼を使って、蔑すむように、じろじろ五位の姿を見た。云わば侍所の別当が用の通 じない時に、この男を見るような顔をして、見たのである。「いらぬ世話はやかれと うもない。」その子供は、一足下りながら、高慢な脣を反らせて、こう云った。「何 じゃ、この赤鼻めが。」五位は、この語(コトバ)が自分の顔を打ったように感じた。が、 それは悪態をつかれて、腹が立ったからでは毛頭ない。云わなくともいい事を云って、 恥をかいた自分が情なくなったからである。彼は、きまりが悪いのを苦しい笑顔に隠 しながら、黙って、又、神泉苑の方へ歩き出した。後では、子供が六七人、肩を寄せ て、「べつかっこう」をしたり、舌を出したりしている。勿論彼はそんな事を知らな い。知っていたにしても、それが、この意気地のない五位にとって、何であろう。… …  では、この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希 望も持っていないかと云うと、そうでもない。五位は五六年前から芋粥と云う物に異 常な執着を持っている。芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛(アマカズラ)の汁で 煮た粥の事を云うのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗の君の食膳 にさえ、上せられた。従って、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折 にしか、はいらはい。その時でさえ、飲めるのは僅(ワズカ)に喉を沾(ウルオ)すに足る程 の少量である。そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云う事が、久しい前から彼の唯 一の欲望になっていた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さえ それが、彼の一生を貫いている欲望だとは、明白に意識しなかった事であろう。が事 実は彼がその為に、生きていると云っても、差支(サシツカエ)ない程であった。−−人間 は、時として、充(ミタ)されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げて しまう。その愚を哂う者は、畢竟(ヒッキョウ)、人生に対する路傍の人に過ぎない。  しかし、五位が夢想していた、「芋粥に飽かむ」事は、存外容易に事実となって現 れた。その始終を書こうと云うのが、芋粥の話の目的なのである。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  或年の正月二日、基経の第(ダイ)に、所謂(イワユル)臨時の客があった時の事である。 (臨時の客は二宮(ニグウ)の大饗(ダイキョウ)と同日に摂政関白家が、大臣以下の上達部(カ ンダチメ)を招いて、催す饗宴で、大饗と別に変りがない。)五位も、外の侍にまじって、 その残肴(ザンコウ)の相伴(ショウバン)をした。当時はまだ、取食(トリバ)みの習慣がなくて、 残肴は、その家の侍が一堂に集まって、食う事になっていたからである。尤も、大饗 に等しいと云っても昔の事だから、品数の多い割りには碌な物はない、餅、伏菟(フト)、 蒸鮑(ムシアワビ)、干鳥(ホシドリ)、宇治の氷魚(ヒオ)、近江の鮒、鯛の楚割(スワヤリ)、鮭の内 子(コゴモリ)、焼蛸、大海老、大柑子(オオコウジ)、小柑子(ココウジ)、橘(タチバナ)、串柿など の類である。唯、その中に、例の芋粥があった。五位は毎年、この芋粥を楽しみにし ている。が、何時も人数が多いので、自分が飲めるのは、いくらもない。それが今年 は、特に、少かった。そうして気のせいか、何時もより、余程味が好い。そこで、彼 は飲んでしまった後の椀をしげしげと眺めながら、うすい口髭についている滴を、掌 で拭いて誰に云うともなく、「何時になったら、これに飽ける事かのう」と、こう云っ た。 「大夫殿は、芋粥に飽かれた事がないそうな。」  五位の語が完らない中(ウチ)に、誰かが、嘲笑(アザワラ)った。錆のある、鷹揚な、武 人らしい声である。五位は、猫背の首を挙げて、臆病らしく、その人の方を見た。声 の主は、その頃同じ基経の恪勤(カクゴン)になっていた、民部卿時長(トキナガ)の子藤原利 仁(トシヒト)である。肩幅の広い、身長(ミノタケ)の群を抜いた逞しい大男で、これは、炸<* >栗(ユデグリ,ヤキグリ)を噛みながら、黒酒(クロキ)の杯(サカズキ)を重ねていた。もう大分酔 (ヨイ)がまわっているらしい。 「火偏」+「草冠のない葉」 「お気の毒な事じゃの。」利仁は、五位が顔を挙げたのを見ると、軽蔑と憐憫とを一 つにしたような声で、語を継いだ。「お望みなら、利仁がお飽かせ申そう。」  終始、いじめられている犬は、たまに肉を貰っても容易によりつかない。五位は、 例の笑うのか、泣くのか、わからないような笑顔をして、利仁の顔と、空の椀とを等 分に見比べていた。 「おいやかな。」 「………」 「どうじゃ。」 「………」  五位は、その中に、衆人の視線が、自分の上に、集まっているのを感じ出した。答 え方一つで、又、一同の嘲弄(チョウロウ)を、受けなければならない。或(アルイ)は、どう答 えても、結局、莫迦にされそうな気さえする。彼は、躊躇した。もし、その時に、相 手が、少し面倒臭そうな声で、「おいやなら、たってとは申すまい」と云わなかった なら、五位は、何時までも、椀と利仁とを、見比べていた事であろう。  彼は、それを聞くと、慌(アワタダ)しく答えた。 「いや……忝(カタジケノ)うござる。」  この問答を聞いていた者は、皆、一時に、失笑した。「いや、忝うござる。」−− こう云って、五位の答を、真似る者さえある。所謂、橙黄(トウコウ)橘紅(キッコウ)を盛った 窪坏(クボツキ)や高坏(タカツキ)の上に、多くの揉烏帽子や立烏帽子が、笑声と共に一しき り、波のように動いた。中でも、最(モットモ)、大きな声で、機嫌よく、笑ったのは、利 仁自身である。 「では、その中(ウチ)に、御誘い申そう。」そう云いながら、彼は、ちょいと顔をしか めた。こみ上げて来る笑と今飲んだ酒とが、喉で一つになったからである。「……し かと、よろしいな。」 「忝うござる。」  五位は赤くなって、吃りながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑ったの は、云うまでもない。それが云わせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至っては、 前よりも一層可笑しそうに広い肩をゆすって、哄笑した。この朔北(サクホク)の野人は、 生活の方法を二つしか心得ていない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑う事である。  しかし幸に談話の中心は、程なく、この二人を離れてしまった。これは事によると、 外の連中が、たとえ嘲弄(チョウロウ)にしろ、一同の注意をこの赤鼻の五位に集中させる のが、不快だったからかも知れない。兎に角(トニカク)、談柄(ダンペイ)はそれからそれへ と移って、酒も肴も残少(ノコリズクナ)になった時分には、某と云う侍学生(サムライガクショウ) が、行縢(ムカバキ)の片皮へ、両足を入れて馬に乗ろうとした話が、一座の興味を集め ていた。が、五位だけは、まるで外の話が聞えないらしい。恐らく芋粥の二字が、彼 のすべての思量を支配しているからであろう。前に雉子(キギス)の炙(ヤ)いたのがあっ ても、箸をつけない。黒酒(クロキ)の杯(サカズキ)があっても、口を触れない。彼は、唯、 両手を膝の上に置いて、見合いをする娘のように霜に犯されかかった鬢の辺まで、初 心(ウブ)らしく上気しながら、何時までも空になった黒塗の椀を見つめて、多愛もな く、微笑しているのである。…… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  それから、四五日たった日の午前、加茂川の河原に沿って、粟田口へ通う街道を、 静(シズカ)に馬を進めてゆく二人の男があった。一人は濃い縹(ハナダ)の狩衣(カリギヌ)に 同じ色の袴をして、打出(ウチデ)の太刀を佩(ハ)いた「鬚(ヒゲ)黒く鬢(ビン)ぐきよき」 男である。もう一人は、みすぼらしい青鈍(アオニビ)の水干に、薄綿の衣(キヌ)を二つば かり重ねて着た、四十格好の侍で、これは、帯のむすび方のだらしのない容子と云い、 赤鼻でしかも穴のあたりが、洟(ハナ)にぬれている容子と云い、身のまわり万端のみす ぼらしい事夥(オビタダ)しい。尤(モット)も、馬は二人とも、前のは月毛(ツキゲ)、後のは 蘆毛(アシゲ)の三歳駒で、道をゆく物売りや侍も、振向いて見る程の駿足である。その 後から又二人、馬の歩みに遅れまいとして随(シタガ)いて行くのは、調度掛(チョウドカケ) と舎人(トネリ)とに相違ない。−−これが、利仁と五位との一行である事は、わざわざ、 ここに断るまでもない話であろう。  冬とは云いながら、物静(モノシズカ)に晴れた日で、白けた河原の石の間、潺湲(センカン) たる水の辺(ホトリ)に、立枯れている蓬(ヨモギ)の葉を、ゆする程の風もない。川に臨ん だ背の低い柳は、葉のない枝に飴の如く滑らかな日の光をうけて、梢にいる鶺鴒(セキレ イ)の尾を動かすのさえ、鮮かに、それと、影を街道に落している。東山の暗い緑の上 に、霜に焦げた天鵞絨(ビロード)のような肩を、丸々と出しているのは、大方、比叡の 山であろう。二人はその中に鞍の螺鈿(ラデン)を、まばゆく日にきらめかせながら鞭を も加えず悠々と、粟田口を指して行くのである。 「どこでござるかな、手前をつれて行って、やろうと仰せられるのは。」五位が馴れ ない手に手綱をかいくぐりながら、云った。 「すぐ、そこじゃ。お案じになる程遠くはない。」 「すると、粟田口辺(ヘン)でござるかな。」 「まず、そう思われたがよろしかろう。」  利仁は今朝五位を誘うのに、東山の近くに湯の湧いている所があるから、そこへ行 こうと云って出て来たのである。赤鼻の五位は、それを真にうけた。久しく湯にはい らないので、体中がこの間からむづ痒い。芋粥の馳走になった上に、入湯が出来れば、 願ってもない仕合せである。こう思って、予め利仁が牽かせて来た、蘆毛の馬に跨っ た。所が、轡(クツワ)を並べて此処まで来て見ると、どうも利仁はこの近所へ来るつも りではないらしい。現に、そうこうしている中に、粟田口は通りすぎた。 「粟田口ではござらぬのう。」 「いかにも、もそっと、あなたでな。」 利仁は、微笑を含みながら、わざと、五位の顔を見ないようにして、静に馬を歩ませ ている。両側の人家は、次第に稀(マレ)になって、今は、広々とした冬田の上に、餌を あさる鴉(カラス)が見えるばかり、山の陰に消残(キエノコ)って雪の色も、仄(ホノカ)に青く煙っ ている。晴れながら、とげとげしい櫨(ハジ)の梢が、眼に痛く空を刺しているのさえ、 何となく肌寒い。 「では、山科辺ででもござるかな。」 「山科は、これじゃ。もそっと、さきでござるよ。」  成程、そう云う中に、山科も通りすぎた。それ所でない。何かする中に、関山も後 にして、彼是(カレコレ)、午(ヒル)少しすぎた時分には、とうとう三井寺(ミイデラ)の前へ来 た。三井寺には、利仁の懇意にしている僧がある。二人はその僧を訪ねて、午餐(ヒル ゲ)の馳走になった。それがすむと、又、馬に乗って、途(ミチ)を急ぐ。行手は今まで 来た路に比べると遥に人煙が少ない。殊に当時は盗賊が四方に横行した、物騒な時代 である。−−五位は猫背を一層低くしながら、利仁の顔を見上げるようにして訊ねた。 「まだ、さきでござるのう。」  利仁は微笑した。悪戯をして、それを見つけられそうになった子供が、年長者にむ かってするような微笑である。鼻の先へよせた皺と、眼尻にたたえた筋肉のたるみと が、笑ってしまおうか、しまうまいかとためらっているらしい。そうして、とうとう、 こう云った。 「実はな、敦賀(ツルガ)まで、お連れ申そうと思うたのじゃ。」笑いながら、利仁は鞭 を挙げて遠くの空を指さした。その鞭の下には、的歴<*>(テキレキ)として、午後の日を 受けた近江の湖が光っている。  五位は、狼狽した。 「白」+「樂」 「敦賀と申すと、あの越前の敦賀でござるかな。あの越前の−−」  利仁が、敦賀の人、藤原有仁の女婿(ジョセイ)になってから、多くは敦賀に住んでい ると云う事も、日頃から聞いていない事はない。が、その敦賀まで自分をつれて行く 気だろうとは、今の今まで思わなかった。第一、幾多の山河を隔てている越前の国へ、 この通り、僅(ワズカ)二人の伴人(トモビト)をつれただけで、どうして無事に行かれよう。 ましてこの頃は、往来(ユキキ)の旅人が、盗賊の為に殺されたと云う噂(ウワサ)さえ、諸方 にある。−−五位は嘆願するように、利仁の顔を見た。 「それは又、滅相な、東山じゃと心得れば、山科。山科じゃと心得れば、三井寺。揚 句(アゲク)が越前の敦賀とは、一体どうしたと云う事でござる。始めから、そう仰せら れようなら、下人共なりと、召(メシ)つれようものを。−−敦賀とは、滅相な。」  五位は、殆ど【べそ】を掻かないばかりになって、呟(ツブヤ)いた。もし「芋粥に飽 かむ」事が、彼の勇気を鼓舞しなかったとしたら、彼は恐らく、そこから別れて、京 都へ独り帰って来た事であろう。 「利仁が一人居るのは、千人ともお思いなされ。路次の心配は、御無用じゃ。」  五位の狼狽するのを見ると、利仁は、少し眉を顰(ヒソ)めながら、嘲笑(アザワラ)った。 そうして調度掛を呼寄せて、持たせて来た壷胡録<*>(ツボヤナグイ)を背に負うと、やは り、その手から、黒漆(コクシツ)の真弓をうけ取って、それを鞍上に横(ヨコタ)えながら、 先に立って、馬を進めた。こうなる以上、意気地のない五位は、利仁の意志に盲従す るより外に仕方がない。それで、彼は心細そうに、荒涼とした周囲の原野を眺めなが ら、うろ覚えの観音経を口の中に念じ念じ、例の赤鼻を鞍の前輪にすりつけるように して、覚束ない馬の歩みを、不相変(アイカワラズ)とぼとぼと進めて行った。 「竹冠」+「録」  馬蹄の反響する野は、茫々(ボウボウ)たる黄茅(オウボウ)に蔽(オオ)われて、その所々に ある行潦(ミズタマリ)も、つめたく、青空を映したまま、この冬の午後を、何時かそれな り凍ってしまうかと疑われる。その涯(ハテ)には、一帯の山脈が、日に背いているせい か、かがやく可き残雪の光もなく、紫がかった暗い色を、長々となすっているが、そ れさえ蕭條(ショウジョウ)たる幾叢の枯薄(カレススキ)に遮られて、二人の従者の眼には、はい らない事が多い。−−すると、利仁が、突然、五位の方をふりむいて、声をかけた。 「あれに、よい使者が参った、敦賀への言づけを申そう。」  五位は利仁の云う意味が、よくわからないので、怖々(コワゴワ)ながら、その弓で指 さす方を、眺めて見た。元より人の姿が見えるような所ではない。唯、野葡萄か何か の蔓(ツル)が、潅木の一むらにからみついている中を、一匹の狐が、暖かな毛の色を、 傾きかけた日に曝(サラ)しながら、のそりのそり歩いていく。−−と思う中に、狐は、 慌ただしく身を跳(オド)らせて、一散に、どこともなく走り出した。利仁が急に、鞭 を鳴らせて、その方へ馬を飛ばし始めたからである。五位も、われを忘れて、利仁の 後を、逐った。従者も勿論、遅れてはいられない。しばらくは、石を蹴る馬蹄の音が、 戞々(カツカツ)として、曠野(コウヤ)の静けさを破っていたが、やがて利仁が、馬を止めた のを見ると、何時、捕えたのか、もう狐の後足を掴(ツカ)んで、倒(サカサマ)に、鞍の側(カ タワラ)へ、ぶら下げている。狐が、走れなくなるまで、追いつめた所で、それを馬の下 に敷いて、手取りにしたものであろう。五位は、うすい髭にたまる汗を、慌しく拭き ながら、漸(ヨウヤク)、その傍(カタワラ)へ馬を乗りつけた。 「これ、狐、よう聞けよ。」利仁は、狐を高く眼の前へつるし上げながら、わざと物 物しい声を出してこう云った。「其方、今夜の中に、敦賀の利仁が館へ参って、こう 申せ。『利仁は、唯今(タダイマ)俄(ニワカ)に客人を具して下ろうとする所じゃ。明日、巳 時(ミノトキ)頃、高島の辺(アタリ)まで、男たちを迎いに遣わし、それに、鞍置馬二疋(ニヒキ)、 牽かせて参れ。』よいか忘れるなよ。」  云い畢(オワ)ると共に、利仁は、一ふり振って狐を、遠くの叢(クサムラ)の中へ、抛り出 した。 「いや、走るわ。走るわ。」  やっと、追いついた二人の従者は、逃げてゆく狐の行方を眺めながら、手を拍って 囃し立てた。落葉のような色をしたその獣の背は、夕日の中を、まっしぐらに、木の 根石くれの嫌いなく、何処までも、走って行く。それが一行の立っている所から、手 にとるようによく見えた。狐を追っている中に、何時か彼等は、曠野が緩(ユル)い斜面 を作って、水の涸れた川床と一つになる、その丁度上の所へ、出ていたからである。 「広量(コウリョウ)の御使でござるのう。」  五位は、ナイイヴな尊敬と讃嘆とを洩らしながら、この狐さえ頤使(イシ)する野育ち の武人の顔を、今更のように、仰いで見た。自分と利仁との間に、どれ程の懸隔(カケヘ ダタリ)があるか、そんな事は、考える暇がない。唯、利仁の意志に、支配される範囲 が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由が利くように なった事を、心強く感じるだけである。−−阿諛(アユ)は、恐らく、こう云う時に、最 (モットモ)自然に生れて来るものであろう。読者は、今後、赤鼻の五位の態度に、幇間(ホ ウカン)のような何物かを見出しても、それだけで妄(ミダリ)にこの男の人格を、疑う可き ではない。  抛り出された狐は、【なぞへ】の斜面を、転げるようにして、駈け下りると、水の 無い河床の石の間を、器用に、ぴょいぴょい、飛び越えて、今度は、向うの斜面へ、 勢よく、すじかいに駈け上った。駈け上りながら、ふりかえって見ると、自分を手捕 りにした侍の一行は、まだ遠い斜面の上に馬を並べて立っている。それが皆、指を揃 えた程に、小さく見えた。殊に入日を浴びた、月毛と蘆毛とが、霜を含んだ空気の中 に、描いたよりもくっきりと、浮き上っている。  狐は、頭をめぐらすと、又枯薄の中を、風のように走り出した。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  一行は、予定通り翌日の巳時ばかりに、高島の辺(ホトリ)へ来た。此処は琵琶湖に臨 んだ、ささやかな部落で、昨日に似ず、どんよりと曇った空の下に、幾戸の藁屋が、 疎(マバラ)にちらばっているばかり、岸に生えた松の樹の間には、灰色の漣猗<*>(サザナ ミ)をよせる湖の水面が、磨くのを忘れた鏡のように、さむざむと開けている。−−此 処まで来ると利仁が、五位を顧みて云った。 「三水」+「猗」 「あれを御覧じろ。男どもが、迎いに参ったげでござる。」  見ると、成程、二疋の鞍置馬を牽いた、二三十人の男たちが、馬に跨ったものあり 徒歩(カチ)のものあり、皆水干の袖を寒風に翻えして、湖の岸、松の間を、一行の方へ 急いで来る。やがてこれが、間近くなったと思うと、馬に乗っていた連中は、慌ただ しく鞍を下り、徒歩の連中は、路傍に蹲踞(ソンキョ)して、いづれも恭々しく、利仁の来 るのを、待ちうけた。 「やはり、あの狐が、使者を勤めたと見えますのう。」 「生得、変化(ヘンゲ)のある獣じゃて、あの位の用を勤めるのは、何でもござらぬ。」  五位と利仁とが、こんな話をしている中(ウチ)に、一行は、郎等(ロウドウ)たちの待っ ている所へ来た。「大儀じゃ。」と、利仁が声をかける。蹲踞していた連中が、忙し く立って、二人の馬の口を取る。急に、全てが陽気になった。 「夜前(ヤゼン)、稀有(ケウ)な事が、ございましてな。」  二人が、馬から下りて、敷皮の上へ、腰を下すか下さない中に、檜皮色(ヒハダイロ)の 水干を着た、白髪の郎等が、利仁の前へ来て、こう云った。 「何じゃ。」利仁は、郎等たちの持って来た篠枝(ササエ)や破籠(ワリゴ)を、五位にも勧 めながら、鷹揚に問いかけた。 「さればでございまする。夜前、戌時(イヌノトキ)ばかりに、奥方が俄に、人心地をお失 いなされましてな。『おのれは、阪本の狐じゃ。今日、殿の仰せられた事を、言伝て しょうほどに、近う寄って、よう聞きやれ。』と、こう仰(オオセ)有るのでございます る。さて、一同がお前に参りますると、奥方の仰せられまするには、『殿は唯今俄に 客人を具して、下られようとする所じゃ。明日巳時頃、高島の辺まで、男どもを迎い に遣わし、それに鞍置馬二疋(ニヒキ)牽かせて参れ。』と、こう御意遊ばすのでござい まする。」 「それは、又、稀有な事でござるのう。」五位は利仁の顔と、郎等の顔とを、仔細ら しく見比べながら、両方に満足を与えるような、相槌を打った。 「それも唯、仰せられるのではございませぬ。さも、恐しそうに、わなわなとお震え になりましてな、『遅れまいぞ。遅れれば、おのれが、殿の御勘当をうけねばなら ぬ。』と、しっきりなしに、お泣きになるのでございまする。」 「して、それから、如何(イカガ)した。」 「それから、多愛なく、お休みになりましてな。手前共の出て参りまする時にも、ま だ、お眼覚(メザメ)にはならぬようで、ございました。」 「如何でござるな。」郎等の話を聞き完(オワ)ると、利仁は五位を見て、得意らしく云っ た。「利仁には、獣も使われ申すわ。」 「何とも驚き入る外は、ござらぬのう。」五位は、赤鼻を掻きながら、ちょいと、頭 を下げて、それから、わざとらしく、呆れたように、口を開いて見せた。口髭には、 今飲んだ酒が、滴になって、くっついている。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  その日の夜の事である。五位は、利仁の館の一間に、切燈台(キリトウダイ)の灯を眺め るともなく、眺めながら、寝つかれない長(ナガ)の夜をまじまじして、明していた。 すると、夕方、此処へ着くまでに、利仁や利仁の従者と、談笑しながら、越えて来た 松山、小川、枯野、或は、草、木の葉、石、野火の煙のにおい、−−そう云うものが、 一つづつ、五位の心に、浮かんで来た。殊に、雀色時(スズメイロドキ)の靄の中を、やっ と、この館へ辿りついて、長櫃(ナガビツ)に起してある、炭火の赤い焔を見た時の、ほっ とした心もち、−−それも、今こうして、寝ていると、遠い昔にあった事としか、思 われない。五位は綿の四五寸もはいった、黄いろい直垂(ヒタタレ)の下に、楽々と、足を のばしながら、ぼんやり、われとわが寝姿を見廻した。  直垂の下に利仁が貸してくれた、練色の衣の綿厚(ワタアツ)なのを、二枚まで重ねて、 着こんでいる。それだけでも、どうかすると、汗が出かねない程、暖かい。そこへ、 夕飯の時に一杯やった、酒の酔が手伝っている。枕元の蔀(シトミ)一つ隔てた向うは、 霜の冴えた広庭だが、それも、こう陶然としていれば、少しも苦にならない。万事が、 京都の自分の曹司(ゾウシ)にいた時と比べれば、雲泥の相違である。が、それにも係わ らず、我(ワガ)五位の心には、何となく釣合のとれない不安があった。第一、時間の たって行くのが、待遠い。しかもそれと同時に、夜の明けると云う事が、−−芋粥を 食う時になると云う事が、そう早く、来てはならないような心もちがする。そうして 又、この矛盾した二つの感情が、互に剋し合う後には、境遇の急激の変化から来る、 落着かない気分が、今日の天気のように、うすら寒く控えている。それが、皆、邪魔 になって、折角の暖かさも、容易に、眠りを誘いそうもない。  すると、外の広庭で、誰か大きな声を出しているのが、耳にはいった。声がらでは、 どうも、今日、途中まで迎えに出た、白髪の郎等が何か告(フ)れているらしい。その 乾からびた声が、霜に響くせいか、凛々として凩(コガラシ)のように、一語づつ五位の 骨に、応えるような気さえする。 「この辺の下人、承(ウケタマ)われ。殿の御意遊ばさるるには、明朝(ミョウチョウ)、卯時(ウノト キ)までに、切口三寸、長さ五尺の山の芋を、老若各(オノオノ)、一筋づつ、持って参る様 にとある。忘れまいぞ。卯時までにじゃ。」  それが、二三度、繰返されたかと思うと、やがて、人のけはいが止んで、あたりは 忽ち元のように、静な冬の夜になった。その静な中に、切燈台の油が鳴る。赤い真綿 のような火が、ゆらゆらする。五位は欠伸(アクビ)を一つ、噛みつぶして、また、とり とめのない、思量に耽り出した。−−山の芋と云うからには、勿論芋粥にする気で、 持って来させるのに相違ない。そう思うと、一時、外に注意を集中したおかげで忘れ ていた、さっきの不安が、何時の間にか、心に帰って来る。殊に、前よりも、一層強 くなったのは、あまり早く芋粥にありつきたくないと云う心もちで、それが意地悪く、 思量の中心を離れない。どうもこう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となって現れ ては、折角今まで、何年となく、辛抱して待っていたのが、如何にも、無駄な骨折の ように、見えてしまう。出来る事なら、何か突然故障が起って、一旦、芋粥が飲めな くなってから、又、その故障がなくなって、今度は、やっとこれにありつけると云う ような、そんな手続きに、万事を運ばせたい。−−こんな考えが、「こまつぶり」の ように、ぐるぐる一つ所を廻っている中に、何時か、五位は、旅の疲れで、ぐっすり、 熟睡してしまった。  翌朝、眼がさめると、直(タダチ)に、昨夜の山の芋の一件が、気になるので、五位は、 何よりも先に部屋の蔀をあげて見た。すると、知らない中に、寝すごして、もう卯時 をすぎていたのであろう。広庭へ敷いた、四五枚の長筵(ナガムシロ)の上には、丸太のよ うな物が、凡そ、二三千本、斜につき出した、檜皮葺(ヒハダブキ)の軒先へつかえる程、 山のように、積んである。見るとそれが、悉く、切口三寸、長さ五尺の途方もなく大 きい、山の芋であった。  五位は、寝起きの眼をこすりながら、殆ど周章(シュウショウ)に近い驚愕に襲われて、呆 然と、周囲を見廻した。広庭の所々には、新しく打ったらしい杭の上に五斛納釜(ゴク ノウガマ)を五つ六つ、かけ連ねて、白い布の襖(アオ)を着た若い下司女が、何十人となく、 そのまわりに動いている。火を焚きつけるもの、灰を掻くもの、或は、新しい白木の 桶に、「あまづらみせん」を汲んで釜の中へ入れるもの、皆芋粥をつくる準備で、眼 のまわる程忙しい。釜の下から上る煙と、釜の中から湧く湯気とが、まだ消え残って いる明方の靄と一つになって、広庭一面、はっきり物も見定められない程、灰色のも のが罩(コ)めた中で、赤いのは、列々と燃え上る釜の下の焔ばかり、眼に見るもの、 耳に聞くもの悉く、戦場か火事場へでも行ったような騒ぎである。五位は、今更のよ うに、この巨大な山の芋が、この巨大な五斛納釜の中で、芋粥になる事を考えた。そ うして、自分が、その芋粥を食う為に京都から、わざわざ、越前の敦賀まで旅をして 来た事を考えた。考えれば考える程、何一つ、情無くならないものはない。我五位の 同情すべき食慾は、実に、此時もう、一半を減却してしまったのである。  それから、一時間の後、五位は利仁や舅(シュウト)の有仁と共に、朝飯の膳に向った。 前にあるのは、銀(シロガネ)の提(ヒサゲ)の一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如く たたえた、恐るべき芋粥である。五位はさっき、あの軒まで積上げた山の芋を、何十 人かの若い男が、薄刃を器用に動かしながら、片端から削るように、勢よく切るのを 見た。それからそれを、あの下司女たちが、右往左往に馳せちがって、一つのこらず、 五斛納釜へすくっては入れ、すくっては入れするのを見た。最後に、その山の芋が、 一つも長筵の上に見えなくなった時に、芋のにおいと、甘葛(アマヅラ)のにおいとを含 んだ、幾道かの湯気の柱が、蓬々然(ホウホウゼン)として、釜の中から、晴れた朝の空へ、 舞上がって行くのを見た。これを、目のあたりに見た彼が、今、堤に入れた芋粥に対 した時、まだ、口をつけない中から、既に、満腹を感じたのは、恐らく、無理もない 次第であろう。−−五位は堤(ヒサゲ)を前にして、間の悪そうに、額の汗を拭いた。 「芋粥に飽かれた事が、ござらぬげな。どうぞ、遠慮なく召上がって下され。」  舅の有仁は、童児たちに云いつけて、更に幾つかの銀(シロガネ)の堤を膳の上に並べ させた。中にはどれも芋粥が、溢れんばかりにはいっている。五位は眼をつぶって、 唯でさえ赤い鼻を、一層赤くしながら、堤に半分ばかりの芋粥を大きな土器(カワラケ)に すくって、いやいやながら飲み干した。 「父も、そう申すじゃて。平(ヒラ)に、遠慮は御無用じゃ。」  利仁も側から、新(アラタ)な堤をすすめて、意地悪く笑いながらこんな事を云う。弱っ たのは五位である。遠慮のない所を云えば、始めから芋粥は、一椀も吸いたくない。 それを今、我慢して、やっと、堤に半分だけ平げた。これ以上、飲めば、喉を越さな い中にもどしてしまう、そうかと云って、飲まなければ、利仁や有仁の厚意を無にす るのも、同じである。そこで、彼は又眼をつぶって、残りの半分を三分の一程飲み干 した。もう後は一口も吸いようがない。 「何とも、忝(カタジケノ)うござった。もう十分頂戴致したて。−−いやはや、何とも忝 うござった。」  五位は、しどろもどろになってこう云った。余程弱ったと見えて、口髭にも、鼻の 先にも、冬とは思われない程、汗が玉になって、垂れている。 「これは又、御小食な事じゃ。客人は、遠慮をされると見えたぞ。それそれその方ど も、何を致して居る。」  童児たちは、有仁の語につれて、新(アラタ)な堤の中から、芋粥を、土器に汲もうと する。五位は、両手を蠅でも逐うように動かして、平に、辞退の意を示した。 「いや、もう、十分でござる。……失礼ながら、十分でござる。」  もし、此時、利仁が、突然、向うの家の軒を指さして、「あれを御覧じろ」と云わ なかったなら、有仁は猶、五位に、芋粥をすすめて、止まなかったかも知れない。が、 幸いにして、利仁の声は、一同の注意を、その軒の方へ持って行った。檜皮葺の軒に は、丁度、朝日がさしている。そうして、そのまばゆい光に、光沢(ツヤ)のいい毛皮を 洗わせながら、一疋の獣が、おとなしく、坐っている。見るとそれは一昨日(オトトイ)、 利仁が枯野の路で手捕りにした、あの阪本の野狐であった。 「狐も、芋粥が欲しさに、見参したそうな。男ども、しやつにも、物を食わせてつか わせ。」  利仁の命令は、言下に行われた。軒からとび下りた狐は、直に広庭で芋粥の馳走に、 与(アズカ)ったのである。  五位は、芋粥を飲んでいる狐を眺めながら、此処へ来ない前の彼自身を、なつかし く、心の中でふり返った。それは、多くの侍たちに愚弄されている彼である。京童に さえ「何じゃ。この赤鼻めが」と、罵られている彼である。色のさめた水干に、指貫 をつけて、飼主のない尨犬(ムクイヌ)のように、朱雀大路をうろついて歩く、憐む可き、 孤独な彼である。しかし、同時に又、芋粥に飽きたいという慾望を、唯一人大事に守っ ていた、幸福な彼である。−−彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云う安心と共に、 満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。晴れてはいても、敦賀の朝 は、身にしみるように、風が寒い。五位は慌てて、鼻をおさえると同時に、銀(シロガネ) の堤に向って大きな嚔(クサメ)をした。 (大正五年八月)