十二夜 : 目次 ------------------------------------------------------------------------------- タイトル:十二夜 (Twelfth Night, 1599) 著者:シェークスピヤ (William Shakespeare, 1564-1616) 譯者:坪内逍遥 (1859-1935) 底本:新修シェークスピヤ全集第二十卷『十二夜』 出版:中央公論社 履歴:昭和八年十月廿五日印刷,昭和八年十月三十日發行 ------------------------------------------------------------------------------- 十二夜 又の名「お好きなもの」 シェークスピヤ 著 坪内逍遥 譯 ------------------------------------------------------------------------------- 目次 * 登場人物 * 第一幕 第一場 * 第一幕 第二場 * 第一幕 第三場 * 第一幕 第四場 * 第一幕 第五場 * 第二幕 第一場 * 第二幕 第二場 * 第二幕 第三場 * 第二幕 第四場 * 第二幕 第五場 * 第三幕 第一場 * 第三幕 第二場 * 第三幕 第三場 * 第三幕 第四場 * 第四幕 第一場 * 第四幕 第二場 * 第四幕 第三場 * 第五幕 第一場 ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 登場人物 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 登場人物 * オーシーノー、イリヽヤ國の公爵。 * セバスチヤン、處女ヰ゛ーオーラの[(糸|言|糸)/子;u5B7F]生の同胞。 * アントーニオー、某市の水軍の將官、セバスチヤンの友。 * ワ゛ランタイン,キューリオー、オーシーノー公爵の侍臣。 * 士爵《サー》トービー・ベルシ、オーリヰ゛ヤ姫の叔父。 * 士爵《サー》アンドルー・エーギューチーク、低能の武士。 * マルヲ゛ーリオー、オーリヰ゛ヤ姫の執事。 * フェービヤン,道外方(所謂 弄僕《フール》、名フェステ)、オーリヰ゛ヤ姫の家人。 * 一船長、ヰ゛ーオーラを救助せし男。 * オーリヰ゛ヤ姫、富める伯爵家の女嗣。 * ヰ゛ーオーラ、男装してオーシーノー家に仕へて侍童となれる處女。 * マライヤ、オーリヰ゛ヤの腰元。 (「戀の骨折損」ではマーリーヤと發音することになってをれど、 此作では名優も、學者もマライヤと發音するのを例とす。) * 貴族、僧侶、水夫、吏員、樂人、侍士ら。 * 場所 イリヽヤの一市及び其附近の海岸 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第一幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第一場 公爵の館。 イリヽヤ公爵オーシーノーと其侍士のキューリオーと貴族役の者らと出る。 樂人ら後ろに控へてゐる。 公 音樂が戀の榮養になるものなら、奏しつゞけてくれ。多過ぎる程わしに食はせてくれ、 戀が食傷して、病氣になって死んでしまふほどに。今の曲をもう一度! 滅入って行くやうな調べだった。おゝ、まるで菫《すみれ》の咲いてゐる堤《どて》を、 其花の香《か》を奪《と》ったり與《や》ったりして、 吹通《ふきかよ》ってゐる懷しい南風《みなみかぜ》のやうに、 わしの耳には聞えた。……もう澤山。よしてくれ。もう先刻《さっき》ほどに懷かしくない。 ……あゝ、戀よ!汝《おまへ》はまァ何といふ敏活な、變化し易い聖靈だ! 何でも海のやうに受容れる癖に、何一つ永くは同じ値打を有たせてはおかないで、 またゝく間に見下げてしまふ。實に、戀心は移り氣なものだ。 何よりも氣まぐれなものだ戀心は。 キュー お獵《かり》にでもお出掛遊ばしませんか? 公 何を獵《か》りに? キュー 牝鹿《ハート》をです。 公 ハートを?心臓《ハート》なら、此通り、無類に立派なのを獵立《かりた》てゝゐるではないか? あゝ、はじめてあのオーリヰ゛ヤ姫を見た時……天地が俄《にはか》に淨化されたやうに感じた! ……あの途端におれは牝鹿《ハート》に變へられてしまった。あれからといふものは、 情慾が、猛烈な、殘酷な獵犬のやうに、おれの心を獵立《かりた》てをる。 公爵の他の侍士ワ゛ランタイン出る。皆入る。 ワ゛ラン 申し上げます、お目にかゝることは出來ませんでしたが、お女中から承はりました御返事によりますと、 七夏の暑さが過てしまふまでは、大空にさへお顏をお見せなさるまいといふ御決心で、 御外出の折は、尼御《あまご》さんのやうに面掩《かほおほ》ひをなされ、又、 お居間のまはりへは、毎日一度づゝ、あのお目から出る鹽辛い水をお撒きなさらうといふのです。 是れは皆、お亡くなりになりましたお兄様を、今尚ほ在《いま》すが如くに、 御追慕遊ばしたい爲ださうにございます。 公 あゝ、兄弟に對してさへ、それほど情の深い、やさしい心を有ってゐる姫だ。 若し彼女《あれ》の心の内の他のすべての情の群が、例の黄金の箭《や》に中《あた》って死んでしまって、 肝の臟も、腦髄も、心臟も、それらの無上の王座一切が、 唯一の戀といふ君主の有《いう》に歸してしまったなら…… 可憐な、圓滿な女心を見せてくれることゝなったなら……どんなだらう! ……花園の四阿《あづまや》へ案内してくれ。咲亂れた花の蔭は戀ひわたる心の此上もない宿だ。 皆入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第一幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第二場 海岸。 處女ヰ゛ーオーラと船長と一水夫と出る。 ヰ゛ーオ こゝは何といふとこでございますの? 船長 イリヽヤ國です。 ヰ゛ーオ わたしイリヽヤ何かへ來て、如何《どう》しませう? 兄は他界《イリシヤム》へ往ってゐますのに。……でも、どんなことで、 運よく助かってゐるのかも知れない。ねえ、あんたがたは、どう思って? 船長 とにかく貴女《あなた》は運がよかった。 ヰ゛ーオ あゝ、お氣の毒な兄さん!運よく助かっておいでだとよいけれど。 船長 さやう、そこは運次第ですからね。といふのは、あの船が破《こは》れた時、 あなたや他の助かった少數の人達がボートにしがみ附いてゐなすった時に、 お兄さんは、あの危險な最中にも用意 頗《すこぶ》る周到で、 勇氣と希望とに教へられて、波間に浮いてゐた大帆柱に自分の體を縛り附けて、 海豚《いるか》に乘《のッか》ったアライオン(ギリシャの古詩人)のやうに、 荒浪と鬪ってゐなさるのを見ましたよ。わたしが見てゐた間は、 たしかに生きてゐなすった。 ヰ゛ーオ さうおっしゃって下さるお禮に此お金を呈《あ》げます。 わたしが斯うして助かって見ると、今のお言葉は、 或ひは助かったかも知れないと思ふ心の保證になります。 ……此國をあなた御存じ? 船長 よく知ってますよ。わたしは此處《こゝ》から三時間で往かれる處で生れて育ったのです。 ヰ゛ーオ どういふ方《かた》が御領主です? 船長 立派な名高い公爵さんです。 ヰ゛ーオ お名は何といふのです? 船長 オーシーノーさんといひます。 ヰ゛ーオ オーシーノーさん!あゝ、父に聞いたことがあります。其時分、 其お方まだ獨身でいらしったのですの。 船長 今でもです、とにかく、つい此間まではです。といふのは、 わたしは一月前にこゝを出立したのですからね。 其際……とかく大身《たいしん》のなさることは下に者共がいろ?噂をするものですから……昨今、 公爵さんは美しいオーリヰ゛ヤ姫さんといふ方へ結婚のお申みをなすったとか何とか噂をしてゐましたっけ。 ヰ゛ーオ 其お方はどういふ方ですの? 船長 つい一年ばかり前に御子息に後見を託しておいてお亡くなりになった或伯爵さんのお姫《ひい》さんで、 才徳兼備の方です。ところが、そのお兄さんもまたお亡くなりになったので、 お姫《ひい》さんは、御愛着の餘り、誓言《せいごん》をして、男子との交際はおろか、 面《かほ》を合せることさへもなさらない、といふ噂です。 ヰ゛ーオ おゝ、出來るものなら、わたし其方に御奉公をして、十分準備が出來、 身の上を世間へ發表してもよいやうになるまで、引込んでゐたいわ! 船長 そいつはむづかしいでせう。どういふ頼みをも願ひをもお許しなさらないんですからね、 公爵さんのお申し込みをさへも。 ヰ゛ーオ 船長さん、あなたはお見受けしたところ、善良さうなお人です、 もっとも、世間には外側がうつくしくて内容《なかみ》の汚い物も折々あるんですけれど、 あなたはお見掛けした通りの綺麗な心を持っておいでだらうと思ひますの。 ねえ、十分お報いはしますから、わたしの身分を知らさないで、姿を變へてゐて、 さうして目的が遂げられるやうな工夫をして下さいな。 わたし其公爵さんに御奉公がしたいわ。 あなたわたしを閹人《おこしゃうしゃく》だといって紹介して下さいな。 十分お報いしますから。わたしは歌もうたへるし、いろんな音樂で以てお相手になることも出來るし、 きっとお役に立つと思ひますから。それ以上は臨機應變としときます、 只わたしの此趣向を人に言はないでゐて下さい。 船長 ぢゃ、あなたは公爵さんの閹人《おそばやく》におなんなさい、 わたしはあなたの黙侍者《だんまりやく》を勤めませう。 若し舌を叩いたら、此目をつぶして下さい。 ヰ゛ーオ ありがたう。案内して下さい。 入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第一幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第三場 オーリヰ゛ヤ姫の邸《やしき》。 オーリヰ゛ヤ姫の叔父で此 邸《やしき》に寄食してゐる懶惰《らいだ》な、 放逸な、大酒家《おほざけのみ》の士爵《サー》トービー・ベルシといふ武士と腰元のマライヤと出る。 マライヤは極小柄な、栗鼠《りす》のやうな機敏な女である。トービーは大抵の場合 生醉《なまゑひ》でゐる。 トービ 姪め、どうしやがったといふんだ、そんなに兄貴の死んだのを思ひ込むてのは? 欝《ふさ》ぎの蟲は命取りだのに。 マライ ねえ、トービーさま、ほんとに、以來《これから》は、 毎晩もっと早くお歸りにならなくちゃいけませんよ。 お姪御様のお姫様《ひいさま》が大變御不機嫌でございますから。 トービ へッ!不機嫌けっこう、「無期限有效」と來てけつかる。 マライ ですけれどね、せめてもう少し程よく遊ばせよ。 トービ 程よく?程がよからうぢゃァないか?此着物だってよ、 酒を飲むにゃァいゝころ加減の代物《しろもの》だ。 此長靴だってよ。さうでないといふ奴がありゃ、 うぬが靴紐で首ィ縊《くゝ》ってくらばりゃァがれ。 マライ そんな風にがぶ?飲んでいらっしゃると、今に體を損《こは》してしまひますッさ。 きのふもお姫《ひい》さまが其お話でしたのよ。 それから先夜あなたがお伴れになった、あの馬鹿ァな、そら、あの、 お姫《ひい》さまのお婿がねにといってお伴れになったお侍《さむら》ひさんの事をもね。 トービ だれのこった?士爵《サー》アンドルー・エーギューチークのことか? マライ さうです。 トービ あの男は、イリヽヤぢゅうの、だれにだって負きゃせんが。 マライ それが何の役に立ちます? トービ 奴の収入は一年に三千 兩《ダケット》だぞ。 マライ ですけどね、あの方ぢゃァ其三千 兩《ダケット》が一年分にしか足りゃしますまい、 大馬鹿さんの癖にお金《かね》づかひが荒いと來てゐるんですから。 トービ 馬鹿ッ!何をいってやがるんだ!あの男は大 提琴《ワ゛イオリン》を弾くことが上手な上に、 暗《そら》で三ヶ國、四ヶ國の語《ことば》を間違ひッこなしにしゃべらァ。 それから何にでも圖ぬけて器用だ。 マライ 成程、ほんとにあの方は圖抜けてますよ。抜けてる癖に、喧嘩好きですからね。 幸《さいは》ひと、持前の臆病が、其喧嘩ッ早いのを調和するからいゝやうなものゝ、 さうでなかったら、どうに墓穴へ入ってる人だらうッて、 怜悧《りこう》なお人達はおっしゃってますの。 トービ とんだこった!あの男をそんな風にいふ奴ァ悪黨だ、讒誣《ざんぷ》者だ。 だれがそんなことをいった? マライ 其人達はね、まだ其上に、かういひますの、あの方はあなたの飲友達で、 毎晩のやうに、へゞってるんだッて。 トービ 姪の健康を祝して飲むのよ。おれは、苟《かりそめ》にも咽喉に酒が通ふ限り、 イリヽヤに酒が有る限り、姪の爲に飲むんだ。それをしねえやうな奴ァ卑怯もんだ、 頭が、村の大獨樂のやうに、ぐる?廻るまで飲まねえ奴ァ三文奴《さんもんやっこ》だ。 ……え、こら!Castiliano vulgo!(イスパニヤ式の陽氣な面をしてゐなよ!)だってよ、 あそこへ士爵《サー》アンドルー・エーギューフェースさんが御入來だらうぢゃねえか? 低能の勲爵士アンドルー・エーギューチーク出る。 アンド 士爵《サー》トービー・ベルシー!どうぢゃね、士爵《サー》トービー・ベルシー! トービ 親愛なる士爵《サー》アンドルー! アンド (マライヤに)や、御機嫌よう、口のわるい別品さん! マライ あんたにもね。 トービ おい、正式にやるべし、士爵《サー》アンドルー。挨拶々々《アッコスト?》。 アンド え、何ぢゃね。 トービ 姪の腰元だよ。 アンド あゝ、アッコストさん、以後はどうかお心安く。 マライ わたしはメーリーと申しますのよ。 アンド では、メーリー・アッコストさん、…… トービ おい、君、思ひ違へてるよ。アッコストてのは應對をすることなんだ、 乘込むことなんだ。くどくんだよ、襲ふんだよ、婦人を。 アンド いや?、我輩此場ぢゃァ、さういふことォしたくないねえ。アッコストちふのはさういふことかね? マライ さやうなら、失禮いたします。 マライヤ行きかける。 トービ おい?、士爵《サー》アンドルー、そのまゝ迯《にが》しッちまふやうぢゃ武士の面《つら》よごしだ、 二度と其剱が抜かれんことになるぢゃらう。御婦人、 あんたは手前を阿呆ぢゃ思ふとるかね? マライ あんた、わたしがまだ、お相手になるほどには、お親しくないのよ。 アンド 成程。ぢゃ、先づ握手して貰ふかね。さ。(と手を出す)。 マライ (其手を握って)ねえ、「思ふのは勝手」といふでせう。 (だから、阿呆とも思ひますさ)ですからねえ、 此手を臺所の酒壜棚《とッくりだな》へ持ってらしてね、 お酒でもお飲ませなさいね。 アンド といはっしゃるのは?其 喩《たとへ》のわけは? マライ あんまり干乾びてますからさ。 アンド そりゃさうぢゃらう。我輩は常住《じゃうぢゅう》手を濡らしとるやうなそんな阿呆ではないからなう。 だが、そりゃァどういふ洒落かね? マライ 干乾びた洒落なんですよ。 アンド では、ひからびた洒落が君のお手の物かね? マライ はい、お手の物ですとも。(あんたのやうな阿呆は)指の先で (此通り)自由になりますの。(と手を離して)けども、あんたの手を放しッちまふと、 もう種切れなの。 マライヤは大笑ひをしてついと入る。アンドルー呆れて、しょげて、見送る。 トービ おい?、大將、カナリー酒でも引ッかけたがよからうぜ。やられたね! アンド こんなにやられたことはないよ、カナリーには折々やられたけんどね。 我輩も、時々は、或ひは、人竝の智慧しかないのかなァとも思ふがね。 我輩あんまり牛肉《にく》を食ひ過ぎるから、それで智慧が鈍ったかも知れん。 トービ 無論だ。 アンド 折角思ひ立ったのぢゃけんど、もう我輩は思ひ切ることにする。 士爵《サー》トービー、明日はもう我輩國へ歸ることにする。 トービ おい?、大將!Pourquoi ?《プールコア》(何故?)。 アンド Pourquoi《プールコア》てのは何ちふことかね?爲《す》ることかね? 爲《せ》んことかね?あゝ、撃剱《げきけん》や舞踏や熊いづめに費《つか》った時間を、 語學《タング》に使へばよかった。あゝ、文學を習ッとけばよかった! トービ さうしたなら、君の頭髪《かみのけ》はすばらしいもんだったらうぜ。 (と語學tongueを縮毛鈷《けぢゞらせだうぐ》tongの事にして云ふ)。 アンド (洒落を解しないで)え、さうしれば我輩の頭髪《かみのけ》が見よくなッつらうかね? トービ 無論さ。君の毛は、生來《うまれつき》のまゝぢゃァ縮れちゃァゐないだらう? アンド でも、別段見ともなくはないぢゃらう。 トービ どうして、立派なもんだ!まるで紡績竿に麻絲を掛けたやうだ。 だから、若し家婦《かみさん》が君を股倉へおッ挟んで、ひょい?と紡いだら、 よく似合ふだらう。 アンド トービーさん、實際、我輩はもう明日歸るよ。君の姪さんはどうしても面會してくれんぢゃもの。 假令《たとひ》面會してくれるとしても、我輩の願望は、十中の一も遂げられさうにないから。 すぐ近所の公爵とやらがやい?言ッとるちふからね。 トービ 公爵のいふことなんか聽きゃしないよ。上の者とは結婚しないんだ、 身分でも、齢《とし》でも、智慧でも、上の者とは。 さう斷言してゐたよ。馬鹿な!まだ?大丈夫だよ。 アンド ぢゃァ、もう一月逗留しよう。……我輩は妙な料簡の男でねえ、 どうかするとねえ、夢中になって假面舞踏《マスク》を踊ったり、 飲めや歌へやをやらかしたりするンぢゃ。 トービ 君にさういふ隱し藝があるのかい? アンド さういふことぢゃァ、此イリヽヤぢゅうの誰れにもでも負きゃせんが、 我輩の目上の連中でない以上。けんど老人連にゃ叶はん。 トービ 活[さんずい|發;u9F51]踊《ガリヤード》ぢゃ、どういふのが得意《おはこ》だい? アンド 跳躍踊《ケーパー》が一等好きぢゃ。 トービ 肉汁《ケーパー》が?ぢゃ、おれが羊肉《マットン》を獻じようよ。 アンド (洒落は解らずに)それから、逆跳躍《さかとびをどり》なんかもね、 イリヽヤぢゅうのだァれにも負けん積りぢゃ。 トービ そんな藝があるのに、なぜ隱しとくんだ?なぜ幕を張ッとくんだ? モール(當時の女賊)の似顔のやうに。埃《ほこり》がたかるかい? 教會へだって、踊の足取で往ったり來たりしたら、よさゝうなもんだ。 平素《ふだん》の歩きッ振だって、おれなら道外踊《ヂッグ》式であるべきだ。 小便をするにだって、五拍子踊でやらかさァな。どういふ積りだい? 才徳を隱すことが流行るのかい?おれはお前の脚附《すねつき》の立派なのを見て、 とうから、多分、踊り星の下で生れたんだらうと思ってゐたよ。 アンド (得意になって)うん、脚《すね》は随分丈夫ぢゃ、 こんな金色の靴下を穿《は》いとるけんどね。飲んで一騒ぢやるかね? トービ やらなくッてどうするんだ?金星《トーラス》(咽喉に感化を及ぼす星)の下で生れた吾々だ。 アンド 金星《トーラス》?金星《トーラス》なら、 脇腹と心臟を司《つかさど》るンぢゃないかね? トービ うんにゃ、脚《すね》と股《もゝ》だよ。さ、さ、跳躍踊《ケーパー》を跳ねて見せな。…… アンドルー踊りはじめる。 はゝゝ!もっと高く。はゝゝゝゝゝ!うまい?。 二人とも入る、アンドルーは踊りながら。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第一幕 第四場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第四場 公爵の館。 公爵の侍士ワ゛ランタイン先きに、男裝したるヰ゛ーオーラ出る。 シザーリオーと假名《かめい》してゐる。 ワ゛ラン シザーリオー、殿さまの御寵愛が若し今のまゝで續くやうだと、 君は出世しますぞ。お目にかゝってから、まだ三日目にしかならんのに、 もう三年も御奉公してゐなすった人のやうだ。 ヰ゛ーオ 御寵愛が若し續けばとおっしゃるのは、わたしが御奉公を怠るか、 殿さまのお氣が變るか、どちらかを氣づかってのお言葉でせうが、 殿さまは、そんなに機嫌買ひなんですか? ワ゛ラン いゝや、決して。 ヰ゛ーオ ありがたう。……あそこへお出でになった。 公爵と侍士キューリオーと他の侍者役ら出る。 公 (キューリオーらに)こら、シザーリオーは何處へ往った? ヰ゛ーオ (前へ進んで)お前にをりまする。へい、こゝに。 公 (キューリオーらに)お前たちは暫く離れてゐろ。…… 侍者一同一隅へ退《さが》る。 シザーリオー、わしは汝《おまへ》には何もかも打明けた、 靈魂《たましひ》の秘書までも繙《ひもと》いて見せた。 だから、思ひ切って、姫のとこへ出掛けていって、否應いはせず、門口《かどぐち》に突立って、 お目にかゝるまでは、かうして爰《こゝ》に足を生え附かせてゐますと言ひな。 ヰ゛ーオ でも、御前さま、そのお姫さまが、噂の通り、 深いお歎きにお沈みになっていらっしゃいますのですと、 迚《とて》もお會ひ下さるまいと存じます。 公 何一つ得る所もなくって歸るよりは、やかましくわめき立てろ、 禮儀なんかにかまはず。 ヰ゛ーオ で、若しお目にかゝれましたら、どういたしますか? 公 おゝ、其時には、如何にわしの戀が熱烈であるかを話せ、 わしのせつない眞心の一部始終を話して、姫の心へ突貫しろ。 戀に惱むわしの代理を勤めるには、おのしは適任だ。 むつかしい顏附の使ひの者よりは、若々した汝《おのし》のはうが姫の氣に入りさうだから。 ヰ゛ーオ わたくはさう思ひません。 公 いゝや、きっとさうだ。だって、汝《きさま》を男だと思ふやうな者は、 それはまだ汝《きさま》の少年振を見誤ってゐる手合だらうもの。 [女|爭]娥《ダイヤナ》の紅玉のやうな脣だって汝《きさま》のうつくしさには叶はない。 汝《きさま》の小さい喉笛はまるで小女《こむすめ》のそれだ、甲高な聲が出る。 何もかもが女の持前に似てゐる。だから、宿命的に此任に適してゐるんだ。…… だれか四五人、あれに從《つ》いて行け。何なら悉皆《みんな》往ってもいゝ。 おれは傍《はた》に人がゐないのが一等好いのだから。 (ヰ゛ーオーラに)うまくやって來てくれ、さうすりゃ、 おれの財産を汝《きさま》の有《もの》といはせて、 おれと同等の生計《くらし》をさせてやる。 ヰ゛ーオ 力に及びますだけ骨折りまして、そのお姫さまを説いて見ませう。 ……(傍白)けれども自分の爲には邪魔な骨折! あの方の爲に求婚はするものゝ、實は自分が奥さんになりたいんだ。 一同入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第一幕 第五場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第五場 オーリヰ゛ヤの邸《やしき》。 腰元のマライヤと弄僕《フール》の道外役(名はフェステ)出る。 道外役は例の通りの斑服《まだらふく》を被《き》てゐる。 無断外泊をしたのを咎められてゐるのである。 マライ いゝえ、どこへ往ってたかをおいひなさい。 でなきゃお前さんの取做《とりな》しの爲にゃ剛毛《こはげ》一筋入るだけも口ァ開《あ》かないよ。 今に絞首《しばりくび》になッちまふよ、お邸《やしき》をあけた咎《とが》で。 道外 絞首《しばりくび》にならうよ。絞首《しばりくび》になッちまや、 そら、ね、「予は敢てカラーを怖れず」だからなァ。 マライ といふのは? "I fear no color"は「敵の旗《カラー》を恐れない」といふのを本義とする諺だが、 color《カラー》に別義の口合ひが添って此場の滑稽を醸成してゐる。 道外役は最初collar即ち絞首用の頸枷《くびかせ》といふ位の意味に使ってゐるらしい。) 道外 目が見えなくなるからさ。 マライ ま、なさけない説明だわねえ。わたしゃその「カラーを怖れず」て諺が何處で出來たかを知ってるわ。 道外 どこで出來たんでございますね? マライ 戰爭でよ。カラーてのは敵の旗てことなの。だけど、 お前なんかが洒落に言ふ分にゃおかまいなしよ、だァれも相手にしやしないから。 道外 はァて、神よ、智慧者には智慧を與へたまへ、阿呆共には才分を働かしめたまへ。 マタイ傳中の語を逆にした滑稽である。「愚者には智慧を與へ、 智者には其才能を、云々」とあるのが本文。) マライ だが、いづれ、絞り首か、おッぽり出されるかだよ、 長いことお邸《やしき》をあけたんだから。お前さん、どっちがよくッて、 絞り首とお拂ひ箱と? 道外 絞首《しばりくび》になったお庇《かげ》で、 わるい嚊《かゝ》を持たないで濟んだ例が幾らもありまさ。 だが、おッぽり出されるのは夏に限るね。 マライ ぢゃ、お前さん、覺悟ォしてるの? 道外 といふわけでもないね。けれども約二項だけは決まってるよ。 マライ 第一の鈎《こう》が脱《はづ》れりゃ第二の鈎《こう》で堪《こた》へるし、 兩方とも脱《はづ》れりゃ股引がずり落ちるといふんだらう。 ズボン釣へ引ッかけた洒落。ずり落ちた後の形が下がかりのをかしみなのである。) 道外 したり。其通り。圖星。(マライヤ奥へ往かうとする)。 さ、いらっしゃい。若しあのトービーさんが飲んだくれをやめりゃァ、 お前のやうな怜悧《りこう》もんは、イリヽヤぢゅうのどの女《イヴ》に比べたって、 負目《ひけめ》のない代物《しろもの》だに。 マライ おだまり!そんなことをいふときかないよ、悪黨。 ……あそこへお姫《ひい》さまがいらしった。 利口に申し分けをするがいゝよ。 マライヤ入る。 道外 智慧袋さん、どうかわたしに旨い洒落を思ひ附かせて下さい! 世間には、見事、お前さんを握ってる積りでゐて、 それで存外阿呆な手合がゐる。お前にゃ縁のないおれだが、或ひは利口者で通るかも知れない。 だって、クヰナペーラス(陳奮漢先生)が言ったぢゃないかい? 「阿呆らしい利口者であるよりゃ利口らしい阿呆のはうが優《ま》しだ」と、…… オーリヰ゛ヤ姫、執事のマルヲ゛ーリオーを伴れて出る。 このマルヲ゛ーリオーが此喜劇の大立者である。いやに勿體ぶった、 口やかましい、至って頑固な、わからず屋の癖に、おそろしく自惚《うぬぼれ》の強い男である。 お姫《ひい》さん、御機嫌よろしう! 姫 (不興げに)此阿呆をあっちへ伴れてッとくれ。 道外 (わざと恍《とぼ》けて、左右を見返って)おい、わからないのか? お姫《ひい》さんをあっちへお伴れするんだ。 姫 馬鹿!おのしはもう干乾びッちまった上に、不品行にもなりました。 もう用はない、出て行きなさい。 道外 お姫《ひい》さん、わッしの缺点が其二ヶ條だけですなら、 酒と異見で治りまさ。なぜッて、そら、乾き切ってる處へ、酒てお濕《しめ》りがありゃ、 阿呆めは生返りまさ。それから不品行ぢゃない。が、若し治らなかったら、 修繕屋《つくろひや》(靴直し)を頼むとよろしい。 總じて修繕物《なほしもの》は補綴仕立《はぎ?じたて》です。 瑕《きず》の附いた美徳てのは罪惡ではぎ?になってる美徳だし、 償はれた罪惡て奴は、美徳で補綴《は》いである罪惡でさ。 此簡明な三段論法が役に立ちゃ結構ですが、立たぬとすると、どうしたら好いか? 難儀をさせるのが一等のお談義、花がうつくしい物の一等であるやうに。 ……(左右を見返って)「此阿呆をあっちへ」とおっしゃったんですぜ。 さ、さ、早く。 姫 いゝえ、わたしはお前を伴れてゆけといったんですよ。 道外 こりゃどうも飛んだ鑑定違ひ!お姫《ひい》さん、"Cucullus non facit monachum" (僧帽を戴く者未だ必ずしも僧ならず、斑服を著する者豈に悉く阿呆ならんや)。 手前だって腦髄まで斑服《まだらふく》なんか被ぶっちゃヰませんや。 お姫《ひい》さん、失禮ながら、あんたが「阿呆」だてことを證明しませうか? 姫 見事、出來るかい? 道外 出來ますとも。手際よくやって御覽に入れます。 姫 證明して御覽。 道外 こいつァお宗旨問題式でなくッちゃいけませんよ。 (俄かに勿體ぶって)えゝ、わが親愛なるお賢女さん、お答へなさい。 姫 外に退屈まぎらしがないンだから、 お前の證明でも聽いてませう。 道外 えゝと、お姫《ひい》さん、どういふわけで御愁傷なさるンです? 姫 お兄さんがお亡くなりになったからさ。 道外 多分、お兄さんは地獄へお落ちになってませう。 姫 阿呆、お兄さんは、きっと天堂へ登ってゐます。 道外 だから、あんたは阿呆だ、お兄さんは天堂に登ってゐると思ってゐながら、 泣いてゐなさるんだから。……諸君、此阿呆をそっちへ伴れて行きなさい。 姫 (覺えず笑ひ出して、マルヲ゛ーリオーを見返って) マルヲ゛ーリオー、お前さんどう思ひます?彼奴《あれ》が少しはよくなったやうね。 マルヲ゛ (苦々しげに)はい、さやうで。いざ、息を引取るといふ間際までは、 まだ幾らかづつ進歩します。賢者の賢《けん》を磨り減らす老耄《らうもう》は、 取りも直さず、愚者の愚かさに磨きを掛けます。 道外 神よ、マルヲ゛ーリオーさんに一日も早く老耄《らうもう》を下したまへだ、 愚をしていよ?愚ならしめるためにだ!トービーさんだって、 わッしの生き馬の目を拔く男だとは言ひ得まいけれどね、 迚《とて》もお前さんを、只の五錢だって賭けて、 決して阿呆でないなんて誓言《せいごん》は能《えい》しなからうよ。 姫 マルヲ゛ーリオー、あゝいはれて、お前さん、どう返辭をするの? マルヲ゛ お姫《ひい》さま、どう遊ばしたのでございます、 あんな淺薄な取得のない奴を御贔屓に遊ばすとは! 此間も、石頭とも何とも言ひやうのない平凡阿呆に、 奴め言込められてをりました。御覽遊ばせ、もうあの通り敗北してをります。 お笑ひ遊ばしたり、機會を與へたり遊ばすからですが、でなけりゃ、まるで猿ぐつわです。 かういふ月竝の阿呆共を可笑がりなさるお賢者《りこう》さまがたは阿呆の下廻りたるに過ぎません。 姫 おゝ、お前さんはあんまり自愛心が強過ぎるから、 それで彼等《あれら》のいふことを僻《ひが》んで聞くのよ。 寛大な、疚《やま》しいことのなり、ひがまない心で聞けば、 お前さんが大砲弾のゆあに思ふことが案山子《からすおどし》の箭《や》も同然よ。 阿呆は、惡口ばかりいってるやうだけれど、それは職掌なんだから、讒謗《ざんばう》ぢゃァない。 思慮ある名士は、どんなに人を非難してゐる時でも、決して惡口を言はないやうなものよ。 道外 さァ?、マーキュリー(巧言の神)さまに、うんと空《そら》ッぺいをいふ術をお授かりなさいまし、 阿呆を辯護なさらうてんだから。 マライヤ又出る。 マライ お姫《ひい》さま、お若い方が御門口へ見えまして、お目にかゝりたいとおっしゃいます。 姫 オーシーノーさんのお使ひかい? マライ それは分りませんが、綺麗なお若い方で、お侶《とも》も立派にお伴れです。 姫 内の者で、だれが其人と應對してゐるのだい? マライ 御親戚のトービーさまでございます。 姫 あの人なら、すぐ引込ましとくれよ。狂人めいたことした言はない人だから。 よ、いけないよ、あの人は!(マライヤ入る。)マルヲ゛ーリオー、お前さん、 往って來とくれ、わたしは病中だとか、不在だとか、何とか好いやうにいってね、 歸らせとくれ。…… マルヲ゛ーリオー入る。と道外役に 姫 そら、御覽よ、お前の滑稽はもう陳《ふる》い、だから、みんなが嫌《いやが》ります。 道外 あんた、つい、今わッしたちの辯護をして下すったわねえ、 御自分の惣領息子が行く?我徒《こちとら》の仲間にでもなるかのやうに。 どうか其息子さんは、しっかりした腦髄を有たっしゃるやうにだ? なぜッて、ほら、あそこへ一人ござった。あの御親類さん何かは、少し使ふと、 すぐと破れさうな軟い腦膜の所有者だからね。 士爵《サー》トービー、やはり、多少 生醉《なまゑ》ひの氣味で、 [穢,禾@口;u5666]《しゃっく》りをしながら出る。 姫 まァ、また生醉ひなの!……門口へ來てるのはだれです? トービ 紳士です。 姫 紳士!どんな紳士です? トービ そりゃ、その、何だ。……ヒッカッフ!畜生!鹽鯡《しほにしん》めが祟りゃァがるな! ……(ふと道外役を見て)やい、どうした、阿呆! 道外 へい、トービーさん! 姫 (苦々しげに)叔父さん、叔父さん、あなた、どうしたの? まだ朝ですのに、もう目が朦朧としてるんぢゃないの? トービ 老耄《もうろく》!老耄《もうろく》なんか七里けっぱいだ。 ……門口へ人が來てるよ。 姫 だから、それは何者ですと聞くのです? トービ そいつが惡魔なら、惡魔でもよろしい。われに信仰を與へよとおっしゃる。 つまり、どうでもいゝんだ。 トービー何か解らぬ管《くだ》を卷きながら入る。 姫 阿呆、醉った人といふ者は何に似てます? 道外 溺死人《どざゑもん》にも、阿呆にも、狂人にも似てゐます。 適度以上の一 盃《ぱい》は人を阿呆にします、二 盃《はい》は狂人にします、 三 盃《ばい》は溺死人《どざゑもん》にします。 お前早く往って檢屍の役人を呼んで來て、叔父さんを檢《あらた》めさせとくれ。 あの人はもう其第三級程度に醉ってますから。もう溺死人《どざゑもん》程度です。 往って監督しとくれ。 道外 いゝえ、まだ狂人程度です。だから、阿呆が監督するんだ、諺通り。 道外方《だうけがた》入る。 マルヲ゛ーリオー又出る。 マルヲ゛ お姫《ひい》さま、御門口の若い男は、是非とも御面談いたしたいと申し張りまする。 御病氣中だと申しましたところが、それは豫《かね》て承知してをるから御面談がしたいと申します。 お睡眠中だと申しました、すると、それもとくより承知、 だからお目にかゝりたいと申します。何としたものでございませう? 斷っても聽きません。 姫 わたしに會はすことは出來ないとおいひ。 マルヲ゛ さやう申しました。ところが、お目にかゝられなけりゃ、いつまでも御門口に、 奉行《シェリフ》の標木《ポスト》のやうに突立ってゐよう、 腰掛の脚よろしくでゐようと申します。 姫 どういふたぐひの人物だい。 マルヲ゛ やっぱり普通の人類でございます。 姫 どんな風のさ? マルヲ゛ 風のわるい青年でございます。否應なしにお目にかゝりたいなぞと申すんですから。 姫 いゝえ、どんな人柄の、年頃の、男かと聞くのよ。 マルヲ゛ 成男《おとな》といふほどに齢《とし》を取ってもをりませんが、 子供といふほどに少《わか》くもありません。 もうぢきに白豌豆《しろゑんどう》になる莢豌豆《さやゑんどう》、 もう殆ど赤林檎だと申してもよい青林檎といふところで、 先づ子供と成男《おとな》の眞中の水溜りでございます。 顏は綺麗ですが、口は中々わるうございます、 母親の乳を離れて、まだあんまり久しくもなさゝるに見えますが。 姫 通してもよろしい。腰元をお呼び。 マルヲ゛ お腰元、お姫《ひい》さまのお召しです。 マライヤ又出る。 姫 面[巾|白;u5E15]《かほおほひ》をおくれ。さ、顏へ掛けとくれ。 (すっかり顏をかくして、座に著いて)オーシーノーさんのお使ひにもう一度會ひますから。 ヰ゛ーオーラ男裝して侍者役らと共に出る。 ヰ゛ー 此お館《やかた》の姫君さまはどちらにおいでゝす? 姫 わたしへ物をおいひなさい。返辭をしませう。 ヰ゛ー こよなうも麗しく、いみじく、光り耀きたまふ御方に…… (といひかけて、躊躇し)どうかおっしゃって下さい、 あなたがお館《やかた》のお姫《ひい》さまでいらっしゃるんですか? 私はまだ一度もお目にかゝったことがないのですから。 むだにお口上を述べたくありません、非常にうまく書かれた 口上ですのに、それをまた暗誦するとて、非常に苦しんだのですから。 ……御婦人がた、どうかお蔑《さげす》みなさらないやうに、私は一寸でも冷遇されると、 すぐしょげるんですから。 姫 どこから來たのです? ヰ゛ー 稽古して來たお口上の以外の事は困ります。 さういふことのお答へは準備してをりません。お上臈《じゃうらう》さま、 あなたは此お館《やかた》のお姫《ひい》さまですか、 さうでないのですかをおっしゃって下さい、お口上を始めたいのですから。 姫 お前さんは喜劇の役者なの? ヰ゛ー いゝえ、さうぢゃありません。けれども、惡口されるのをも覺悟の上で斷言いたしますが、 只今勤めてヰます役目通りの者ではありません。あなたはお館《やかた》のお姫《ひい》さまですか? 姫 はい、さうです、自分の物を自分で横領するといふやうなことのない以上。 ヰ゛ー いゝえ、あなたは横領者でいらっしゃいます、あなたがお姫《ひい》さまですなら。 何故なれば、婦人は何もかも夫に引渡さんければならんのですのに、 あなたはそれを引渡すまいとしておいで遊ばすのですから。 ですが、これはお吩咐《いひつけ》以外でした。先づ、あなたをお讃め申す口上を述べまして、 それから肝腎のお使ひを申します。 姫 その肝腎の事だけをおいひなさい。讃めるのは免除します。 ヰ゛ー でも、あれを記《おぼ》えるのに大變に骨を折りましたのに、そっくり詩のやうに出來てますのに。 姫 では、いよ?虚辭《そらごと》でせうから、聞くには及びません。 實は、先刻、門口で無作法な物言ひをおしだったと聞きましたから、 どんな變人かと思って通しゝたのですの、口上が聞きたいのではないのです。 氣が狂ってゐるのなら、お歸りなさい。正氣なら、簡単に。 わたしは人の心を狂はせる太陰《つき》の感化なんぞは受けてゐませんから、 お前さんと一しょになって、氣まぐれな問答をしちゃをられませんの。 マライ (大聲で、ヰ゛ーオーラに)さ、さ、帆をお揚げなさい、 船路《ふなみち》はあっちですよ。(と出てゆけといふ科《こなし》をする)。 ヰ゛ー いゝえ、お掃除がかりさん。わたしはもうちっと爰《こゝ》に碇泊してゐなけりゃなりません。 ……もし、お姫《ひい》さま、此大女を默らせて下さいます。 と矮女《ちび》のマライヤを尻目に掛けて裏をいふ。 姫 してお前さんの用事は? ヰ゛ー いゝえ、わたくしは主人の使ひです。 姫 ま、よっぽど怖ろしい事をいふ積りと見える、口上をいふまでに遠慮斟酌の御大層なのを見ると。 いひつかって來たことをおいひなさい。 ヰ゛ー それはあなたゞけに申しますことです。けれども開戰の知らせに參ったのでも、 降參の催促に參ったのでもありません。手には橄欖《かんらん》(平和の章)を持ってゐます。 私の申すことは大切な、平穩なことです。 姫 でも、最初、無作法をおしだったさうだ。 一體、お前さんはどういふ人です?何用があるのです。 ヰ゛ー 無作法をしたのは酷い扱ひをされたから釣込まれたのです。 私の身分、私の用事は童貞ほどに大切なことです。 あなたがお聽きになれば聖書の詞《ことば》ですけれど、他人が聽けば邪教の文句です。 姫 (左右を顧みて)みんな、此席を避けとくれ。 其聖書の詞《ことば》とやらを聽きますから。 マライヤ其他入る。 其御本文といふのは? ヰ゛ー こよなうも愛らしくおはします姫君…… と形式的に言ひかけるのを遮って 姫 ま、「慰安をお與へ下さる御教《みをしへ》」だこと。 幾らでも布衍が出來さうね。一體、その原書はどこにありますの? ヰ゛ー オーシーノーさんの胸にあります。 姫 あの方の胸に!胸の第何章に? ヰ゛ー 式通りにお答へしますと、心臟の第一に。 姫 あゝ、讀めた。それならば邪教です。もう外に言ふことは無い? ヰ゛ー お姫《ひい》さま、お顏をお見せ下さい。 姫 わたしの顏と談判をせよといふ吩咐《いひつけ》を、御主人から受けて來ましたか? そら、それは御本文以外でせう?けれども御戸帳《みとちゃう》を開いて御尊像を見せませう。 (面[巾|白;u5E15]《かほおほひ》をとりかけつゝ)ほら、わたし、 先刻《さっき》から此通りでゐましたのよ。よく出來てませう? ヰ゛ー ほんとにお見事です、みんな神さまのお細工ですなら。 姫 此彩色は決して剥げないの、どんな雨風に逢っても。 ヰ゛ー 紅白おの?處を得た美しさとは是れです、 自然の微妙な手でなくては斯ういふ色どりは出來ません。 お姫《ひい》さま、あなたは無類な酷いお方でございませうぞ、 若しそんなお美しいお像《すがた》を、只一つの寫しをもお遺し遊ばさないで、 お墓へお納めになっておしまひなさるやうだと。 姫 おゝ、わたしは決してそんな酷いことはしません。美しい點はみんな目録にして遺します。 一點、一點、遺言状に附箋をして記入させときます。例へば、一つ、 相應に紅い脣二箇、一つ、薄藍色の目二箇、但し目蓋附き、一つ、頸一箇、 頤一箇、其他いろ@なみ、といふ風にね。……お前さんはわたしを讃める爲に使ひに來たの? ヰ゛ー ま、あなたはあんまりな程に見識高なお方です。けれども、よしんば惡魔にもせよ、 お美しい。私の主人の殿さまがあなたに戀ひ焦れてをられます。おゝ、あんな眞實な戀は、 あなたが無上の美人でおありなさいましったって、やっとそれで以て報償なさるに足る位ゐのものです! 姫 どんな風にわたしを戀ひして? ヰ゛ー 拜まないばかりにあこがれて、涙は雨、唸《うめ》き聲は雷、溜息は火のやうです。 姫 御主人はわたしの心をば知らないのです、 わたしはどうしてもあの方を愛することは出來ないの。 けれども才徳のすぐれた、立派な、御所領も大きい、若々しい、 さうして清らかな素姓の方だと思ってゐます。世間の評判もよし、 お氣性は寛濶《かんかつ》だし、學問も勇氣もお有りだし、丈《せ》は高し、 姿はよし、綺麗な方です。けれどもわたしお愛しすることは出來ない。 それはもう夙《と》うに御存じでありさうなものだに。 ヰ゛ー 若しか私が、主人同様の熱情を以て、あんな風に苦んで、 あんな風に半死半生になって、あなたを戀ひしてゐましたなら、 さうおっしゃったって耳へは入りません。てんで呑込めませんでせう。 姫 したら、お前さん、どうするの? ヰ゛ー (熱心になって)柳の條《えだ》で以て御門前に假小舍《かりごや》をこしらへまして、 お邸《やしき》内へ向って、「わが魂ひよ」と呼び立てます、さげすまれた戀の切なる悲みを小唄に作って、 眞夜中にでも大聲で歌ひます。四方の丘に向って、お名を反響させるやうに呼んで、 おしゃべりの空氣めを震動させて「オーリヰ゛ヤ姫よう!」とわめかせます! おゝ、此天地の間に、お休みなさる處がないやうにします、可哀さうだと思って下さらない以上は! 姫 (惚れ?゛と見やって)それぢゃわたし負けさうになるわ。……お前さんはどういふ素姓の人? ヰ゛ー 今の身分よりは以上の者です。けれども今とても結構です。侍《さむら》ひです。 姫 御主人のところへお歸りなさい。あの方をお愛しすることは出來ません。 もうお使ひは無用ですとお言ひなさい。もっとも、お前さんが來るのなら格別ですが、 此返辭をどうお受けになったかを知らせるために。さよなら。御苦勞でした。 ……(といひつゝ財嚢を取りて)わたしの爲に、これを。(と渡さうとする)。 ヰ゛ー (それを押返して)わたくしは日傭ひの使ひ屋ではありませんから其お財布はおしまひ下さいまし。 お報ひをいたゞくべき人は主人です。あゝ、戀の神が貴女《あなた》のお慕ひになる其方の心を、 どうか石のやうに酷くなさいますやうに!さうしてあなたが火のやうにお焦れなされても、 其方があなたを、主人同様、冷遇なさるやうに!……さやうなら、美しい酷いお方。 ヰ゛ーオーラ入る。 姫 (見送って、うっとりとなって)「どういふ素姓の人?今の身分以上の者です、 けれども今とても結構です。侍《さむら》ひです。」さうよ、勿論 侍《さむら》ひでせうよ。 物ごしといひ、顏だちといひ、爪はづれといひ、立振舞といひ、氣立といひ、 どうしたって立派な武士だもの。おっと、さう早まるわけにはいかない。 主人と家來が入代らない以上は。あら、まァ!こんなにも急に、 人は戀といふ病ひに取附かれるものかねえ?あのうつくしい若衆の姿が、いつの間にか、 そっとわたしの心の中へ忍び込んでしまったらしい。ま、しかたがないわ。 ……(奥に向って)おい?、マルヲ゛ーリオー。 マルヲ゛ーリオー又出る。 マルヲ゛ はい、何御用でございます。 姫 今の、わからず屋の使ひの者を追掛けとくれ、あの公爵の家來を。 指輪を置いて行ったの、わたしが取るか、取らないかをも聽かないで。 こんなものは要らないといっとくれ。其主人に當座に氣休めをいったり、 望みを抱かせたりはしてはいけない、とお言ひ。 わたしは、申し入れに應じないのだから。若しあの若い者が明日にもこっちへ來るやうなら、 其 理由《わけ》を話しませうとおいひ。急いでよ。 と指輪を渡す。 マルヲ゛ かしこまりました。 指輪を受取りて入る。 姫 ま、わたしは半夢中でしてるわ。迚《とて》も智慧の力では制し切れないほどに、 此目めがわたしを誘ひ出しさうでならない。運命よ、力をお見せ。 人間は自分をどうすることも出來ない。宿命はまぬかれやうがない。 成るやうになれ。 入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第二幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第一場 イリヽヤの海岸。 或國の水軍の將校アントーニオーとヰ゛ーオーラの[(糸|言|糸)/子;u5B7F]生《ふたご》の兄セバスチヤンと出る。 セバスチヤンはアントーニオーの救助で溺死をまぬかれたのである。 アント もう逗留はしないといふのですか?わたしが一しょに行くのもいけないといふのですか? セバス はい、失禮ですけれど。わたしには暗い、皮肉な運星が附纒ってゐますから、 それがあなたにまでも、どんな惡い影響を及ぼすまいものでもない。 ですから、お別れを願ふンです、禍《わざは》ひを自分だけで脊負《しょ》ふために。 あなたに少しでも御迷惑をかけるやうでは、御恩に報ゆる所以でありますから。 アント せめて、どちらへおいでなさるのかを知らせて下さい。 セバス いゝえ、それはいへません。どこと當もなしにぶらつき廻るンですから。 と申したものゝ、お見受けするところ、あなたは非常に温厚なお方で、 わたしがいふまいとすれば、敢てそれを聽かうともなさらない、ですから、 禮儀上、却って有りのまゝに申さねばならにやうに感じます。 では、アントーニオーさん、御承知おき下さい、わたしはセバスチヤンといふ者です、 ロデリゴーと申したのは假名《かみゃう》です。父はお聞き及びでもありませう、 彼のメサリン市のセバスチヤンです。死後に、わたしと妹とを遺しました、 二人は同じ時に生れたのでした。神々の御意であったなら、二人ともあのまゝ死んだでせうに、 それをあなたがお變へなすった。すなはちあなたがあの荒浪からわたしを救ひあげて下すった數時間前に、 妹は、もうとうに鹽からい水に溺れて、死んでしまってゐますのに、 今またわたしは、此目から出る鹽から水で(涙で)、つい、 あれの思ひ出までも溺らしてしまひさうになりました。 アント 失禮な御待遇をいたして、甚だ相濟みませんでした。 セバス おゝ、アントーニオーさん、何かと御厄介を掛けたのをお赦し下さい。 アント わたしを失望させて殺さうといふお氣でないなら、お侶《とも》をさせて下さい。 セバス 折角の今までの御深切を無になさらうといふのでないなら、言ひ換へれば、 一旦お助けなすった其男を殺さうといふ積りでないなら、 そんなことはおっしゃらないで下さい。もうこれでお別れします。 わたしはまだ胸が一ぱいになってゐます、心持が、どちらかといふと、 阿母《おふくろ》流になってゐますから、ちょっとでも急處に觸られると、 目が一切のお話をしさうでしかたがない。わたしはオーシーノー公の館《やかた》へ往く積りです。 さやうなら。(と入る。) アント もろ?の神々がお前をお護りなさるやうに!……あのオーシーノー家にはおれの敵が大勢ゐる。 さうでなけりゃ直《すぐ》にもお前をたづねて會ひに行くのだが。 ……いや、どんなことが起ったってかまはん、あくまでも慕はしいお前だ。 危險なんかは遊戯も同然だ。行かう。 セバスチヤンの跡を追って入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第二幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第二場 街上《がいじゃう》。 ヰ゛ーオーラ例の男裝のまゝで出る。とマルヲ゛ーリオーが追って出る。 マルヲ゛ あなたは、つい、今がた、オーリヰ゛ヤ姫さまのお邸《やしき》においでゝございましたか? ヰ゛ー はい、さうです。相應に急いで、只今こゝまで來たとこです。 マルヲ゛ お姫《ひい》さま、あなたへ此指輪を御返却になります。 先刻《さっき》持ってって下さると、斯うして追掛けて來る世話はなかったのでした。 尚、お姫《ひい》さまには、公からの物は、以後とも、決していたゞかないと申されます、 さうして御主人のお申し込みは全く絶望であるといふことをお傳へ下さるやうにとの事です。 それから、もう一つ。あなたにも、二度と此事に就いて御推參なさらんやうにとの事です、 御主人が此御返辭をどうお受けになったかの御報道のためなら格別ですが。 ……お納めなさい。(と指輪を地上へ抛げる。) ヰ゛ー (不審さうに)わたしから指輪を!……いや、それは受取りますまい。 マルヲ゛ これさ、あんたは焦れて、それを抛《な》げ附けなすったさうだ。だから、 同じやうにして返せといふ吩咐《いひつけ》です。屈んで拾ひなさる價値のあるものなら、 それ、そこにあんたの目の前にある。が、さうでなけりゃ、だれになりと拾はせなさるがいゝ。 かう言ひ捨てゝマルヲ゛ーリオー入る。 ヰ゛ー 指輪なんか置いて來やしなかったのに。どうしたといふのだらう? 若しかわたしが男の裝《なり》をしているのに、 あのお姫《ひい》さんが思ひ附いたといふやうなことがなければよいが。 わたしの顏ばかり見詰めてゐた。見るのに氣を取られて、舌が働かなくなったのかと思ったほどに。 さういへば、ちぎれ?に何だか譯の分らないことをいってたわ。 きっと、わたしに惚れたんだ。戀がさせる僞計《はかりごと》で、 あんな武骨者を使って、わたしの心をそびいて見るんだ。 「公からの物なんか決して貰はない!」何にも贈《あ》げなさりゃしないんだのに。 わたしが其當人なんだ。きっと、さうだ。が、若しさうだとすると、 お氣の毒なお姫《ひい》さん、夢に見る男の人を思ったはうがましよ。 嗚呼、化けるといふことは非道な事なんだ。 化けられゝばこそあの奸計《わるだくみ》上手の敵めがいろ?の非道を働く。 顏の綺麗な僞《いつは》り者は容易《たやす》く女の蝋のやうな心に其 形像《かたち》を印し附ける! あゝ、それは脆い女心が原因だ、わたしの所爲《せゐ》ぢゃァない。 さう生れ附いてればこそ然うなんだもの。……まァ、どうなるんだらう? 殿さんはあの方を一生懸命に思っていらっしゃる。と、わたしは、お化けのわたしは、 殿さんを一生懸命に思ってゐる。と、お姫《ひい》さんは、誤解して、 わたしに惚れてゐなさるらしい。つまり、どうなるんだらう? 男になってるんだから、殿さんを思ったって駄目だわ。本当は女なんだから、 あゝ、お氣の毒な!オーリヰ゛ヤ姫さんがどんなに無駄な溜息をなさることだらう! ……あゝ、時よ!これを釋《ほぐ》すのはお前の役だ。 此結び玉は、迚《とて》も?、わたしなんかにゃ解《ほど》かれやしない。 入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第二幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第三場 オーリヰ゛ヤの邸《やしき》。 士爵《サー》トービーと士爵《サー》アンドルーと出る。 もう夜は深《ふ》けてゐる。二人はへゞれけに醉ってゐる。 トービ さァ?、こっちへ?。夜中が過ぎても寝床へ入らないのは、 取りも直さず、早起きだらう。「夙《つと》ニ起キ出ヅルハ生ヲ衛《まも》ル所以ナリ」 てのは、君の知ってる通りだ。 と寺子屋時代に習った「實語教《じつごけう》」式の教科書の文句を持出す。 無學なアンドルーにはそんな文句さへも解らない。 アンド いゝや、我輩はそないなこと知っちゃをらん。けんど夜 晩《おそ》くまで起きとるのは、 やっぱり、夜 晩《おそ》くまで起きとるんぢゃらうなァ。 トービ そんな結論があるもんか!さういふ屁理窟は空徳利同様、おれは大嫌ひだ。 夜中過ぎまで起きてゐて、それから床へ入る、そら、すぐ夜が明けるだらう、 だから、夜中過ぎに床へ入るのは、朝早く床に起きて居ることになるんだ。 ……おい、お互ひは四原素(土、水、火、風)のお庇《かげ》で生きてるンだらう? アンド うん、さういふ話ぢゃ。けんど我輩は、むしろ食ったり飲んだりするからぢゃらう思ふとるがね。 トービ お前は學者だなァ。だから、食ったり飲んだりしようよ。 ……おうい、マリヤン!大酒盃《おほさかづき》だ! (マリヤンといふのはマライヤのことである)。 例の道外方《だうけがた》出る。 アンド あそこへ阿呆めが來たわい。 道外 や、これは、御兩君!御兩君は「こちとら三人」て畫を見たことはないかい? トービ 阿呆、いゝとこへ來たな。さ、引取歌を歌はうぜ。 (當時の或看板に二頭の驢馬を畫き、「吾々 三個《みたり》は大馬鹿ちゃん」と書き添へてあったと云ふ。 或ひは愚人二人の顏を畫いて、同様な文句を附記してあったともいふ。 つまり、それをぼんやり見上げてゐる者が第三人に當るので、 一種の滑稽なのである。道外は暗にトービーとアンドルーとを其畫面を二人と見立てたのである。 ところが、醉ってゐてもぬからぬトービーがすぐ「おい、阿呆」と呼びかけて、 道外を第三の馬鹿扱ひにしたのである。) 「引ッ取り歌」は數人《すにん》で尻取式に文句を引取って代る?゛歌ふ歌。) アンド 此阿呆は全く好い喉を有っとるなう。我輩は四十 志《シリング》を棒に振っても可《え》いから、 阿呆の有っとるやうな、あゝいふ脛《すね》や、あゝいふ好い聲が欲しいわい。 ……なう、お前、實にうまく洒落たなう、昨夜《ゆうべ》は。 ピグローグロマイタス先生の話だの、クヲーバスの赤道て處を通るヱ゛イピヤ人の話だのは面白かったわい、 實際。お前の情婦《なじみ》に、ちうて、六 片《ペンス》持たしてやったが、 受取ったかね? 道外 貴君の御芳念は正に着服に及びましたよ。如何となればです、 マルヲ゛ーリオーの鼻は決して鞭の柄ぢゃァありませんし、 お姫《ひい》さんのお手々は眞白だし、マーミドンは居酒屋なんかぢゃァありませんからね。 アンド (わけが分らんのに、馬鹿笑ひをして)うまいねえ!こりゃ全く最上等の洒落ぢゃねえ、 要するに。……さ、歌ぢゃ。 トービ さ、さ、六 片《ペンス》くれてやる。一つ歌ってくれ。 アンド さ、我輩も一枚ぢゃ。若し一人の武士が一…… 道外 色ッぽい歌ですか?或ひは修身處世の歌て奴かね? トービ 色ッぽい奴、色ッぽい奴。 アンド さうぢゃ?。修身の歌なんかは要らん。 道外 (歌ふ)。 あゝ、これ、わしの情婦《いろをんな》、どッこへ?? あゝ、これ、お待ちゃれ、わしぢゃに、お聽きゃれ、 高うも、低うも、唄なら、手のもの。 あるくはお止しゃれ、ほッつきあるくは、 好いた同士がめぐりあふまで。 そンれを聰明《おりこう》は先刻ごぞんじ。 アンド うまいねえ。全くうまいねえ。 トービ 上等、上等。 道外 (又歌ふ)。 現在《いま》を命が色戀の習ひ、 逢うた時だけ互ひの笑顏。 後刻未來は當にはならぬ。 ぐづ?してゐちゃ何にも出來ない。 さァ、さァ、接吻《キッス》しな、たんまり?。 若い時ゃ二度ない、長くはもたない。 アンド 甘露的な聲ちふンぢゃね、實際。 トービ (わざと口眞似するやうに)傳染的といふんだ、あの息は。 アンド 甘味があって而も傳染的ぢゃ。(と受け賣りをしたものゝ、 傳染的の意味は解ってはゐない。) トービ (ひやかして)さうさ、鼻で聽くとすりゃァ、傳染的に甘味があるといふ聲かも知れんぞ。 ……だが、おい、實際、蒼空を踊らせようてのかい? 眠《ね》てる梟《ふくろ》をびっくりさせるやうな引取歌《ひッとりうた》を歌って、 一人の織子《おりこ》から魂ひの三箇《みッつ》も誘き出さうといふのかい? それをやらかさうてのかい? アンド 我輩に好意を有するンなら、やってくれたまへ。 「引取《ひッとり》」にゃ随分苦勞した我輩ぢゃ。 道外 實際、引ッつりで苦勞をなさる方がありまさ、火傷《やけど》をして。 アンド 全くぢゃ……今日のは、「うぬ、畜生め!」て奴にしよう。 道外 「默んな?、うぬ、畜生め!」て奴ですか?あれだと、 あんたを強制的に「畜生」と呼ばんけりゃならんやうになりますぜ。 アンド (何か誤解して、得意顏に)人に畜生めと強制的に呼ばせたことは、 今までにも随分あったわい。……阿呆、はじめてくれ。「默んな?」で始めるんぢゃ。 道外 「黙んな?」とおっしゃっちゃ、始めらりゃしませんや。 アンド (馬鹿笑ひをして)うまいことをいふ。……さ、はじまりぢゃ。 三人かはる?゛、中途から文句を引取るやうにして、馬鹿聲を張りあげて歌ふ。 此馬鹿騒ぎの最中にマライヤ出る。 マライ 何て、まァ、亂竹騒ぎをしてゐるんですよ! きっと今にお姫《ひい》さまがお執事のマルヲ゛ーリオーさんを呼んで、 吩咐《いひつ》けて、貴下《あんた》たちを逐ひ出しッちまひなさるでせうよ。 トービ へん、姫《ひい》さんは支那人《カテイヤン》だ、こちとらは策士《ポリチシヤン》だ、 マルヲ゛ーリオーはラムジーの杙(案山子同然)だ。 (と一寸調子づいて、節《ふし》を附けて)「こちとら三人は愉快な三人!」 やい、おれと彼女《あれ》とァ親戚關係だらうぢゃァねえか? 同じお血統さまだぞ!べらぼうめ!お姫《ひい》さんだ! (又調子づいて、小唄を歌ひ出す)。「むかしバビロンの名高い男、 ア、姫《ひい》さん、姫《ひい》さん!」 道外 こりゃ恐れ入った。旦那は道外がうまいもんだ。 アンド うん、浮かれて來るよ、中々やるよ。我輩もやるけんどね。 我輩は、あの仁のやうに味ようはやれんが、其代り素直ぢゃ。 トービ (歌ふ)「あゝ、この極月、第十二夜は」…… マライ 後生ですからよ、しづかに! 執事マルヲ゛ーリオー出る。 マルヲ゛ (例の如く苦々しげに)皆さん、どうしたといふんです? 氣でも狂《ちが》ったのですか?此様《こん》な眞夜中に、 まるで鑄掛屋か何かのやうな馬鹿騒ぎをなさるのは、分別も作法も體面も、 何もかもお失《なく》しなすったのですか? 此お姫《ひい》さまのお邸《やしき》を居酒屋扱ひになさるんですか、 靴直しが歌ふやうな唄を、聲を和げも、いたはりもなさらんで、 がなり立てなさるのは?時をも、處をも、人格をもお考へなさらんのですか? ちっとは、間にわるいといふこともお考へなさい。 トービ 間にいゝわるいが分らなくって、唄が歌へるもんかい? 何いってやがる?べらぼうめ! マルヲ゛ トービーさん、斯うなりゃ露骨に申しますぞ。お姫《ひい》さまの仰せです。 御親戚だからお世話をなさいますものゝ、あなたは御不行跡には全く愛想を盡《つか》しておいでゝす、 で、若し、向後《かうご》、御不行状をお改めになりますやうなら、 喜んでお迎へもなさいますのですが、さうでなくば、 あなたが只今にも此お邸《やしき》をお立退《たちの》きになりますれば、 お姫《ひい》さまは御異議なくさよならをおっしゃらうとしておいでゝす。 トービ (そらうそぶいて、よろめき?、マライヤに戯れながら、當時の流行唄を少し作り替へて歌ふ) 「さよなら、和御料、どうでも往かんけりゃならぬ身ぢゃ。」 マライ (トービーの戯れるのを排けながら)よ、およしなさいよ、トービーさん。 道外 (トービーがマライヤに突き離されてよろめく其目色を見て、 是れも同じ唄の次ぎの句を作り替へつゝ歌ふ)「あの目でそゥれと知られます、 をがむ日の目も既《も》うこれまでと。」 このうちにトービーは床上に平臥《へたば》ってしまふ。 マルヲ゛ (苦々しげに見やって)呆れたものだ! トービ (平臥《へたば》ったまゝで、尚ほ次ぎの句を作り替へて歌ふ)「けれどもおれゃまだ死にゃしない。」 道外 だって、トービーさん、死んだも同然でさ、それぢゃァ。 マルヲ゛ いやはや御名譽なこッてすよ。 トービ (かまはず、平氣で作り替への句を歌ふ)「やつを往かせたものかいな?」 道外 (調子を合せて、同じ作り替への句を歌ふ)「そしたら、どうぢゃいな?」 トービ 「かまはず平氣で往かせるか?」 道外 「いや?、いや?、いゝや、いや。」 トービ (呆れて、突立ったまゝでゐるマルヲ゛ーリオーを見返って)何だと? 間のわるいことを知らねえ?[言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》け? たかゞ、執事ぢゃァねえか?やい、汝《きさま》が品行を善いからッて、 菓子も酒も絶體禁制てことがあるかい? 道外 さよ?、聖《セント》アンさまも御照覽遊ばせだ。おまけに、 こちとらの口を薑《しゃうが》(催淫料)で熱《ほて》らせもしなくッてさ。 トービ その通り?。……(マルヲ゛ーリオーに)おい、その鎖を麺麭《パン》の碎片《かけら》で磨いて來な。 ……マライヤ、さ、さ、大酒盃《おほさかづき》を! マルヲ゛ (マライヤに)メーリーさん、お姫《ひい》さまの御愛顧を輕蔑するやうな料簡がないのなら、 かういふ不行儀、不作法の介添役はしないやうにしなさるがいゝ。 きッと、今に、お姫《ひい》さまのお耳に入りますよ。 マルヲ゛ーリオー入る。 マライ (見送って)往って耳をお振り(驢馬のやうに)! マライヤの此嘲弄をきっかけに、一同顏見合せてマルヲ゛ーリオーの後ろ影へ嘲笑を浴せる。 アンドルーまでが引込まれて笑ひながら アンド 腹に空いとる時には、酒飲むのも好いもんぢゃが、あんな奴に決鬪を言ひ込んで、 わざと違約して、さん?゛に馬鹿扱ひにするのも面白いもんぢゃぞ。 トービ やるべし?。挑戰状《はたしじゃう》はおれが書いてやる。 でなきゃ口上で傳へてやらう、お前が憤激に及んでることを。 マライ トービーさん、今夜は忍耐《がまん》なさい。今日は、お姫《ひい》さまは、 あの公爵さんとこの若いお使ひが來なすってからてもの、 焦々《いら?》しておいで遊ばすんですから、マルヲ゛ーリオーさんのことは、 わたしに任せといて頂戴。今にわたしがうまァくだまくらかして、 みなさんのいゝお慰み物にしますから。若しさうしなかったら、 わたしは獨りで獨床《ねどこ》へ入るだけの智慧もない者だと思って下さい。 きっとやって見せますよ。 トービ おい、何か知らせてくれ、彼奴《あいつ》の平素《ふだん》の事を。 マライ どうかするとね、あの人は、まるで清教信者《ピューリタン》のやうよ。 アンド おゝ、さう知っとったら、奴を犬のやうに打《ぶ》ん撲《なぐ》ってくれたものを! トービ え、清教信者《ピューリタン》なら、撲《なぐ》る?どういふ特別の理由があるんだい? アンド どういふ特別の理由もないけんども、理由は十分あるんぢゃ。 マライ なァにね、清教信者《ピューリタン》でもなけりゃ、他の何でもないのよ、 おッ通しては。其時、其場の都合で變るんですから。馬鹿の癖に、 氣取屋で、朝廷詞《てうていことば》なんかは空《そら》で記《おぼ》えてゝ、 つら?と竝《なら》べますの。そして己惚《うぬぼ》れ切ってゝ、 自分ぢゃ、おろんな才能や美徳をしこたま有ってる積りなんですの。 ですから、じっと顏を見たるなんかすると、もう惚れてるんだと思ふのよ。 さういふ弱點を利用して、わたし返報《しかへし》してやらうと思ふの。 トービ どうしようてんだい? マライ あの男の通る途に宛名のない艶書《いろぶみ》を落しときますの。 其中に書いてある髭の色や脚《すね》の格構や歩き振《ぶり》や目附や額附《ひたひつき》や顏の色なんかで以て、 あの男が其當人は、たしかに自分だと思ふやうにしときますの。 お姪御さまのお姫《ひい》さまそっくりの字をわたし書くことが出來ますからね。 忘れた時分に見ると、お姫《ひい》さまのとわたしの書いたのとは、 區別が附かない位ゐですの。 トービ 妙々!わかった。 アンド 我輩にもわかったぞ。 トービ お前の落しといた其 艶書《ふみ》を奴が拾って、それは姪が奴へよこしたんだと思ふ、 そこで惚れられたと思ふ、と斯ういふ段取だらう。 マライ 全く、さういふ段取にする積りですの。 アンド さういふ段取なら、あの男きっと生捕になるぢゃらう。 マライ 阿呆鳥ですからね、大丈夫。 アンド そりゃ素敵ぢゃらうねえ! マライ 無類飛切て慰みですよ。わたしの此處方はあの仁《 ひと》にゃ必然《きっと》きゝますよ。 あんたがたお二人は立聽きしてゐて下さい。それから此阿呆さんに三番目を勤めて貰ひませう。 あの仁《 ひと》が其 艶書《ふみ》を拾ふ時分に、其場處にゐて、 それをどう解釋するか聽いてゐて下さい。今夜はもうお寝《やす》みなさい、 さうして成行を夢に見ていらっしゃい。さよなら。 マライヤ入る。 トービ さよなら、女丈夫王《ペンシヽリヤ》。 アンド ありゃ全く感心な女子《をなご》ぢゃ。 トービ 奴は機敏な小獵犬《ちびいぬ》だよ、さうしておれに惚れてやがる。 が、そんなことァ如何《どう》でもいゝがね! アンド 我輩も曾《かつ》て惚れられたことがあったぢゃて。 トービ さ、寢るべし?。お前、もっと金を取寄せなくちゃいかんよ。 アンド 君の姪御さんが手に入らんとなると、我輩はえらい目に逢ふわい。 トービ ねえ、君、もっと金を取寄せるべし。とゞの詰り、彼女《あれ》が手に入らなかったなら、 おれを馬鹿と呼ぶがいゝ。 アンド そりゃ呼ばんではおかん。君が怒ってもかまはん。 トービ さァ、さァ、西班牙酒《サツク》でも酣《かん》して飲まう。 もう寢るにゃ晩過《おそす》ぎる。さァ、さァ。 二人とも入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第二幕 第四場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第四場 公爵の館《やかた》。 公爵オーシーノー、ヰ゛ーオーラのシザーリオー、キューリオー及び其他出る。 樂人やゝ後れて出る。 公 何か歌を聽かせろ。さ、……(とヰ゛ーオーラにいひかける途端に、 樂人が出て來る)おゝ、お早う。……(と又ヰ゛ーオーラに)さ、シザーリオー、あの歌を。 それ、昨夕《ゆうべ》聽いた、あの、古い、古風な歌を。 あれを聽いてたら、憂悶《ものがなしさ》を大變紛らされたやうに思った、 いつもの、あの陽氣な、技巧的な、間の早い、目まぐるしいやうな小唄なぞとは違って。 さ、もう一節。 キュー 失禮でございますが、あれを歌ひます者が、只今は居りません。 公 だれが歌ったんだ? キュー お弄僕《だうけ》役のフェステでございます。 オーリヰ゛ヤ姫さまのお父上が御贔屓に遊ばしました阿呆でございます。 お館へ折々參ります。 公 探して來い。(キューリオー入る。)其間、あの曲を奏してろ。 (ヰ゛ーオーラに)こら、こゝへ來い。若し汝《きさま》が戀をするやうだったら、 其なつかしい苦みの折々に、おれの事を思ひ出してくれ。眞實の戀をする者は、 みんなおれの通りなんだから。戀人の面影だけは片時も目を離れないけれど、其他の事は、 何でもすぐ忘れてしまふ。ふは?と氣が變る。……汝《きさま》はあの曲をどう思ふ? ヰ゛ー あの曲は、戀の帝座の反響を、そっくり其儘に傳へてをります。 公 うまいことをいふなう。おのしは、齢《とし》はまだ若いけれど、 どこかに、必定《きっと》、可愛いと思ふ女の子があったんだらう?あったか? ヰ゛ー はい、ございます。 公 どんな風の女だ、それは? ヰ゛ー あの、御前に善く似てをります。 公 ぢゃ、惚れるほどぢゃないなう。齢《とし》は幾つだ? ヰ゛ー 御前と同じくらゐです。 公 おや?、齢取《としと》り過ぎてるねえ。 女は自分よりも齢上《としうへ》の夫を迎へるやうにするがいゝのだ。 さうすれば夫婦仲がしっくり行く、いつも夫の氣に入るやうに釣合ひを取ることが出來る。 といふのは、われ?男といふ者は、何のかのと自讃はするものゝ、 女よりは浮氣なもんだ、おそろしく戀焦れてゐるかと思ふと、 ふら?と氣が變る、いつの間にか忘れる、掻消したやうになる。 ヰ゛ー 全くさやうでございます。 公 ぢゃ、汝《きさま》も自分よりも年下の戀人をこしらへるがいゝ、でないと、 いつまでも可愛く思ふわけにいかんよ。女といふ者は薔薇のやうなものだからね、 綺麗に咲いたなと見るうちに、もう花が散るものだからね。 ヰ゛ー さやうです。何たる情けないことでございませう! やっと盛りになったと思ふ途端に散ってしまひますのは! キューリオー、道外方(フェステ)をつれて出る。 公 (道外方に)おゝ、汝《きさま》、歌ってくれ、昨夜《ゆうべ》聽いた歌を。 ……おい、シザーリオー、聽いてろ、古い、平凡な歌だ。 日向《ひなた》ぼこりをして、絲を紡いだり、骨の針で物を編んだりする苦勞知らずの村娘どもが歌ふ唄だ。 大昔らしく、いかにも暢氣に、たわいもないことをいってる間に、無邪氣な戀の眞實が見える。 道外 よろしうございますか? 公 あゝ、歌ってくれ。 樂人が音樂を奏しはじめる。 道外 (歌ふ) 來をれ、最期《いまは》よ、來をるなら、來をれ、 杉の柩に埋めてくりゃれ。 絶えよ、此息、絶えるなら、絶えろ、 むごいあの兒に殺されまする。 縫うてたもれよ白かたびらを、 縫ひ目?に水松《いちゐ》を挿して。 又とあるまい此思ひ死。   花を撒くなよ、うつくし花を、 わしの柩にゃ只黒布を。 だれも死骸に物いうてくれな。 骨を埋める其際とても。 やくに立たない溜息、吐息 させぬ其ため、深切者の 知らぬ處へ埋めてたもれ! 公 (貨幣を與へつゝ)そら、骨折賃だ。 道外 骨折ぢゃございませんや。わッしの道樂でさ、こりゃ。 公 ぢゃ、道樂の報酬だ。 道外 なるほど。道樂(放蕩)にゃ早晩お應報《むくい》が參りますね。 公 御苦勞だったが、どうか、もう去《い》ってくれ。 道外 (獨白的に)さ、さ、氣むづかしやのサターン神さんをお守り神になさいましただ。 裁縫師《したてや》に吩咐《いひつ》けて、 五色にも七色にも變る交織絹《まぜおりぎぬ》の下被《したぎ》をばお拵へなさいだ。 まるで猫眼石よろしくて御機嫌だ。かういふ人は海へお出かけになると好いんだ、 いろんな事が出來るからね。いろんな處へ行かれるからね。 當なし船旅の有りがたさは、そこに在るんだ。……さよなら。 道外方入る。 公 他の者も、みんあ退《さが》れ。 キューリオー及び侍者役、樂人ら退く。 シザーリオー、汝《きさま》、もう一度、あの、例の、 此上もなく酷い婦人のところへ往って、さういってくれ、おれの戀は、 俗人のとは異《ちが》ってずっと高尚なのだから、 汚《むさ》い地面なんかは些《ちっと》も大切に思はない、 あの婦人の資産なんかは運命も同様に輕く見てゐる、 けれども「自然」の靈腕を鏤《ちりば》められた靈妙不思議な寶玉《はうぎょく》である其人には、 此魂までが引附けられると、さういってくれ。 ヰ゛ー でも、どうしても御承諾なさいませんでしたら? 公 おれゃさういふ返辭は聽かん。 ヰ゛ー でも、致しかたがございませんでせう。たとへば、或婦人が、 それは随分ありさうな事でございますが、あなたを、 あなたがオーリヰ゛ヤさまを思っておいで遊ばすほどに慕って、 焦れ抜いてゐますといたします。が、あなたは其婦人をお好きなさいませんで、 いやだ、とおっしゃいます。さうおっしゃられたってしやうがありますまい。 公 女の胸には、迚《とて》も、おれの此心臟中に鼓動してるやうな、こんな強い熱情なんかは存在しない。 女の狹い心臟は、到底、これほどの思ひを包藏し得ないんだ。永續きのしないのが定《きま》りだ。 女の愛情は食慾のたぐひだよ、肝臟の衝動ではなくッて、口腹の作用だ。 だから、食傷《たべす》ぎたり、もたれたり、吐氣を催したりする。 が、おれの愛は海のやうに限りがない、いくら貪食したっても消化することが出來る。 おれのオーリヰ゛ヤを思ふ心を女の愛なんかと比べてくれるな。 ヰ゛ー 私が存じてをりますところでは…… 公 汝《おの》しが存じてゐる所では、どうだといふんだ? ヰ゛ー 女とても、男に對しての情合の深いことは、實際、少《すこウ》しもわれ?と變りませんのです。 私に妹がございましたが、ある男を戀ひ慕ってをりました。 若し私が女でございましたなら、ちょうどあんな風に御前さまをお慕ひ申したでございませう。 公 さうして其戀には、どんな履歴書きがあった? ヰ゛ー まったくの白紙《しらかみ》でした。何にも口へは出しませんで、 薔薇のやうな頬を螟蛉《あをむし》同然の其 秘事《ひめごと》に食はせ?して、 憂き思ひに病み窶《やつ》れ、蒼ざめて、欝《ふさ》ぎ込んで、 「忍耐」の像でゝもあるやうに、悲しい中を笑ひ顏をして、じっとしてゐました。 これこそ眞實《ほんたう》の戀ではないでせうか?男は口へ出して、 もっと?強いこともいひますけれど、眞情《まごころ》以上を見せびらかすことが幾らもあります。 誓言《せいごん》を聽くと、如何にも眞實さうですけれども、情はそれほどでないことがあります。 公 で、汝《おのし》の妹は、其戀煩ひの爲に死んだのか? ヰ゛ー 父の血統《ちすぢ》は、私の外には、女の子も、男の子も、もう無いのでございます。 けれどもまだよくは分りません。……(急に氣を變へて) お姫《ひい》さまのとこへ往って參りませうか? 公 さう、それが肝腎だった。急いで往って來てくれ。 この寶石を渡して、おれは決して退却はしない、拒絶は受けないといへ。 入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第二幕 第五場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第五場 オーリヰ゛ヤの邸《やしき》。 トービーとアンドルーとオーリヰ゛ヤの家來のフェービヤンと出る。 トービ こゝへ來たまへフェービヤン君。 フェビ いや、參りますとも?。假にもさういふ御趣向の仲間入を能《えい》しないやうですなら、 悒欝《ふさぎ》の膏《あぶら》で煮《い》り殺されたはうがいゝくらゐのものでございます。 トービ あの吝嗇坊《けちんぼ》の、呶鳴屋《どなりや》の悪黨野郎に赤ッ恥を掻かせようてんだが、 どうだい、賛成かい? フェビ 大賛成です。彼奴《あいつ》のお庇《かげ》で、手前はお姫《ひい》さまの御不興を蒙ったんでござんせう、 例の熊窘《くまいぢ》めの一件で。 トービ 奴を怒らせるために、又熊を持出さうよ。 さうして思ふさま奴を馬鹿にしてやらう。なァ、アンドルー君。 アンド 若しさうせんやうぢゃったら、お互ひに一生の遺憾ぢゃ。 トービ (一方を見て)あゝ、小悪黨めがやって來た。 マライヤ出る。 おい、どうしたい、印度の鑛物。 (原詞のmettle(金屬)を(蕁麻《いらぐさ》)nettleと讀むを可《よし》とする學者もある。 マルヲ゛ーリオーに一鍼《ひとはり》下す惡戯女《いたづらむすめ》といふ義。 金屬とすれば、我黨の「黄金女史」と讃めた事になる。蕁麻も印度に多いもの。 マライ さ、あなたがた三人とも、黄楊《つげ》の蔭にお隱れなさいね。 マルヲ゛ーリオーさんが今此道をやって來ますよ。先刻《さっき》から、 もう半時間ほども、あの仁《 ひと》、日向《ひなた》で以て、例の通り、 自分の影坊師に、お辭儀の稽古をしてゐましたの。 ねえ、見てらっしゃい、滑稽なことがお好きなら。 此 艶書《ふみ》を見ると、きっと仔細らしい顏附をした大馬鹿さんになりますからさ。 よ、早くお隱れなさいよ!……(僞筆の艶書を地上に抛出《なげだ》しつゝ)そこにさうしといで。 今こゝへ、腮《あぎと》の下をくすぐって捕へなけりゃならん鱒が一尾やって來るんだからね。 皆々物蔭へ退く。 マルヲ゛ーリオー出る。 マルヲ゛ 運命だ。みんな運命だ。マライヤは嘗《かつ》ておれを好いてると言ったっけ。 彼女《あれ》は殆ど斯ういふことまで言った、若し男を好くとすれば、 あなたのやうな気質の方を好くだらうと。のみならず、彼女《あれ》はおれを非常に尊敬してゐる、 彼女《あれ》の後を附け廻る誰れよりも。それをどう解釋したものだらう? トービ (蔭にて)悪黨め、うぬぼれ切ってゐやがる! フェビ しッ?!あの仔細らしい様子が、まるで七面鳥よろしくでさ。 翼《はね》をおッ立てゝ、のさばり歩く様子はどうです? アンド 畜生、ぶんなぐってくれたい! トービ しッ?! マルヲ゛ 伯爵マルヲ゛ーリオーになるかな! トービ おやァ!悪黨め! アンド ピストルでやッつけうよ、ピストルで。 トービ しッ?! マルヲ゛ 例のないことぢゃない。ストラチーのお姫《ひい》さんが衣装室係の役員と夫婦になったといふ昔話がある。 トービ ヂェザベルの馬鹿野郎め! フェビ しッ?!いよ?本藝に取りかゝりました。己惚《うぬぼ》れで膨切《はちき》れさう、 てのはあのこッてす。 マルヲ゛ 結婚して三ヶ月も經つといふと、おれは、あの天蓋附の大椅子に腰を掛けて…… トービ 弩弓《いしゆみ》はないか?奴の目玉を叩きつぶしてくれたい! マルヲ゛ おれの左右へ役人どもを呼び寄せる、 花やかな模様の附いた天鵞絨《びろうど》の長上被《ながうはぎ》を着用に及んで。 やっとソファーから起きて來たばかりのとこなんだ、 オーリヰ゛ヤは後に殘ってまだ眠《ね》てゐるんだ…… トービ 畜生!地獄へ落ちゃァがれ! フェビ しッ?! マルヲ゛ そこで、すっかり大名の心持になるんだ。威儀嚴然として、 左右を見廻しておいて、えゝ、お大儀だが、 わしの親族の士爵トービーを呼んでくれゝば滿足ぢゃが、といふ。…… トービ 畜生!牢へぶちこんでくれたい! フェビ しッ??!これから?。 マルヲ゛ すると、家來の七人が、忽ち畏《かしこま》って、彼奴《あいつ》を探しに往く。 其間おれはむづかしい顏をしてゐる。懐中時器《くわいちゅうどけい》を卷くかな。 或ひは(と自分の胸に垂れてゐる執事に附き物の鎖を見て、思はず)此…… (といひかけて、止めて)……寶石か何かをひねくってゐる。とトービーがやって來る。 うや?しく辭儀をする。 トービ 此野郎、生かしちゃおかれないぞ! フェビ 車力で以て沈默から牽摺《ひきず》り出されるにしても、ま、ま、しづかに! マルヲ゛ と、おれが手を斯うだす、主人らしい、むづかしい顏附で、いつもの笑ひ顏なんかは消しッちまって…… トービ すると、トービーが汝《きさま》の頬桁《ほゝげた》を撲《なぐ》り附ける。 マルヲ゛ 斯ういふ「トービーどの、圖《はか》らずも姪御と斯ういふ關係合ひと相成ったに就いては、 姪婿たるの特權上、申すのだが」…… トービ 何だと?? マルヲ゛ 「あなたは其泥醉癖をお止めなさけなりゃいけません。」…… トービ うぬ、三ピン野郎め! フェビ まァ?。でないと、折角の筋立がちぎれッちまひますよ。 マルヲ゛ 「のみならず、あなたは、あの馬鹿 武士《ざむらひ》と交際して、大切な時間を浪費なさる。」…… アンド 我輩のことをいふとるんぢゃ、きっと。 マルヲ゛ 「あsの士爵《サー》アンドルーと」…… アンド さういふぢゃらうと思うとった。とかく、人が我輩のことを馬鹿々々ちふからね。 このうちにマルヲ゛ーリオーは、ふと地上に落してある僞筆書《ぎひつしょ》を見つけて マルヲ゛ はゝァ!いかやうな要件かな是れは? と僞筆書《ぎひつしょ》を拾ひ上げる。 フェビ そら、山鷸《やましぎ》めが羂《わな》にかゝりさうだぞ。 トービ しィッ!滑稽の聖靈よ、奴を、朗讀させるやうに、誘《そび》いてくれ。 マルヲ゛ (僞筆書を熟視して)こりゃ、たしかに、お姫《ひい》さんの字だ。 このCもUもTもみんなお姫《ひい》さんのだ。 頭文字のPは、いつでも斯うお書きなさる。こりゃ、 疑ふのは馬鹿々々しいほどに、お姫《ひい》さんの手だ。 アンド CもUもTもみんなお姫《ひい》さんのだてのは、何のこッちゃね? マルヲ゛ (封筒の上書を讀む)「戀ひしきさる名の知れぬ君へ、 此れを并《なら》びにわらははの眞情《まごころ》を。」…… お姫《ひい》さんそっくりの文句だ!……はい、御免なさい、封じ蝋さん。 (と封を切りかけて)まてよ!此印畫もルークリースだ、 いつもお姫《ひい》さんがお用ひなさる奴だ。いよ?さうだ。 だれへ宛てゝお出しなすったのだか? フェビ もう大丈夫だ、首ッ玉まで陷《はま》りましたぜ。 マルヲ゛ (讀む) 神のみぞ知るわが戀。 さはれ誰れを? 脣よ、な動きそよ。 ゆめ人には知らさじ。 「ゆめ人には知らさじ。」其次の文句は?韻律が變へられてるな! 「ゆめ人には知らさじ。」若し此相手が、マルヲ゛ーリオー、 え、若しお前だったら? トービ 糞狸め!ちきしゃう! マルヲ゛ (讀む) 召しても使ふべきを吾は戀ひ崇む。 口には言はぬ苦しさはルークリースの劍のごと 血こそ見えぬ、わが胸を深く貫く。 M、O、A、Iぞわが命の主《ぬし》。 フェビ 月並の駄謎といふ奴だ! トービ あまッちょめ、うまくやりゃがったな。 マルヲ゛ M、O、A、Iぞわが命の主。」いや、待てよ。かうッと、かうッと、かうッと。 フェビ 随分思ひ切って毒を盛ったもんだ! トービ その毒をまた、あの阿呆鷹めが、氣まぐれにも引奪《ひッさら》はうとしてゐる。 マルヲ゛ 「召しても使ふべきを吾を戀ひ崇む。」おれを召し使ふのはお姫《ひい》さんだらうぢゃないか? おれは家來、お姫《ひい》さんは御主人だ。苟《いやし》くも智慧があって考へて見れば、 分り切ったこッた。此點に就いては何等の故障もない。 ところで、結末だが……このアルハベットの竝《なら》べ方はどういふ謎だか? これが亦、多少、おれの身に似たことがありさへすれば、……まてよ! M、O、A、I…… トービ おゝ、あい、さよでございッ!やっと嗅附けたかな。 フェビ 阿呆犬だから、今に眞面目で吠立てるでせう、子供の狐ごっこだとは御存じなしに。 マルヲ゛ Mと……マルヲ゛ーリオー。M……こりゃおれの名の頭字《かしらじ》だ。 フェビ そらね、やりかけましたらう。阿呆犬に限って見當ちがひへ駈けて行きまさ。 マルヲ゛ Mと……だが、その後がしっくりいかん。どうも證明が附かん。 Aなら順だが、Oぢゃちがふ。 フェビ なァに、とゞの詰りは、失望の(と歎息の聲に擬して)おう!だよ。 トービ さうとも、でなかったら、おれが撲《なぐ》り附けて、おうといはせてくれる。 マルヲ゛ それから其後がIだ。 フェビ あいよ。が、目《アイ》が後にあるなら、鼻の前の立身よりも、 踵《かゝと》へ密接《くッつ》いて來る赤ッ恥の方が見えさうなものだに。 マルヲ゛ M、O、A、I。此謎は前のよりも分りにくい。 けれども少し碎いて見りゃおれの役に立たんこともない。 どの字もおれの名にある字だから。……かうッと!これが本文だ。 (讀む)「若し此 書《ふみ》が卿《おんみ》の手に入らば、乞ふ熟慮せよ。 運星よりいへば、予は卿《おんみ》の上に在り。 然《しか》れども偉大《グレートネス》を怖るゝこと勿れ。 或者は生れながらにして偉大なり、或者は努めてやがて偉大を得、 而《しかう》して或者は、偶々《たま?》偉大を投げ與へらる。 卿《おんみ》の運命神は双手を開けり。須《すべ》からく全精神を傾けて彼れを抱擁すべし。 而《しかう》して然《しか》なりぬべき身をふさはしかるべく、 古皮を脱ぎすてゝ鮮新となれ。予が親戚らには反抗せよ、 予が家僕らにはむづかしき顏を見せよ。常に理窟っぽく横柄なれ。 凡人とは全く異りたる様子をすべし。卿《おんみ》を戀ひ慕へる其 女《じょ》は斯く卿《おんみ》に忠言す。 卿《おんみ》の黄色の長靴下を稱讚して、 いつも十字形の靴下締を結ばんことを卿《おんみ》に望みし人を忘るゝ勿れ。 忘るゝ勿れと敢ていふ。いざや、卿《おんみ》に其心あらば、 立身は目前なり。其心なくば、永久に執事たれ、好運の指に觸るゝに堪へぬ只の家僕らと同僚たれ。 さらばなり。卿《おんみ》と其地位を交換せんことを願へる 多福なる不幸の兒」 眞昼間の野原だって此れ以上には明白でない。こりゃ明かだ。 これからは威張ってやらう、政治の書《ほん》を讀まう、 トービーさんを叱り附けてやらう、くだらん奴らとは絶交しッちまはう、 何もかも御註文通りにやらう。想像の駈走るのに此身を任せたからッて、 馬鹿を見る気遣ひはあるまい、どう考へても、お姫《ひい》さんはおれに惚れてるに違ひないから。 先だっておれの黄色い長靴下をおほめなすったし、 此 脛《すね》に十字形の靴下締をしてゐたのをおほめなすった。 それが即ち惚れてゐなさる證據だ。で、是非その好《すき》な服裝《みなり》をしてくれろをいふお望みだ。 運星のお庇《かげ》だ、ありがたい。凡人と異《ちが》った不愛想な風をして、 黄色の長靴下を穿《は》いて、十字形の靴下締をしよう、早速。 これといふのも、ヂューヴ神や運星のお庇《かげ》だ! ……まだこゝに追記《かきそへ》がある。(と讀む)。 「予にたれたるかは自ら知られざるを得ざらん。 卿《おんみ》若し予の愛を甘受せば、之を其笑顏によりて示せ。 卿《おんみ》の笑むや最も似あはし。故に、愛《は》しき人よ、 予の前に來るや、卿《おんみ》、乞ふ、常に笑を含みてあれ。」 ヂョーヴ神さま、ありがたうございます。笑ひ顏をいたします。 何でもいたします、あなたのお望みなら。 マルヲ゛ーリオー入る。 フェビ 愉快々々!この愉快は、たとひペルシャ王が千兩やるからといはれたって、賣りゃしないぞ。 トービ 此うまい脚色《しくみ》をしやァがったあまッちょめ、 嚊《かゝ》にしてやってもいゝや。 アンド 我輩も、してやっても好い。 トービ 持參金は要らん、もう一つ如是《こん》な筋を書いてくれりゃァ。 アンド 我輩もさうぢゃ。 フェビ (一方を見て)あそこへ阿呆鳥を捕《と》ることの名人が來ました。 マライヤ出る。 トービ おい、おれの頸根ッ子を蹈附けてくれ! アンド 我輩もぢゃ! トービ お前の爲になら、おれの自由を博奕《ちょぼいち》の賭物《かけもの》にして、 すッてん?の奴隷にだってなってやるぞゥ! アンド 我輩もぢゃ! トービ お前がうまくやったから、野郎め、から夢中になりゃァがった。 今に氣が狂ふかも知れない。 マライ いゝえさ。ほんとの事をさ。效目《きゝめ》があって? トービ あったとも、老女《ばゞア》に焼酎てとこだ。 マライ そこで、此 脚色《しくみ》の結果《しあげ》を見ようといふには、 此次、あの仁《 ひと》がお姫《ひい》さまのお前へ出るのを見るんです。 きっと、黄色い長靴下を穿《は》いて行くでせう、お姫《ひい》さまの大嫌ひの色なの。 それから、きっと十字形に靴下締をして。それも非常に厭《いや》がっていらっしゃるんですの。 それから、にや?笑ふでせう。それがまたお姫《ひい》さまのお心持には一等そぐはないでせう、 御 哀傷《あいしゃう》中なんですもの。ですから、 あの仁《 ひと》が取別け目立って馬鹿氣た男に見えるでせう。 トービ えらい!地獄の門番にでもなんなよ、此、怜悧《りこう》な女惡魔め! アンド 我輩も仲間へ入らう。 みな?入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第三幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第一場 オーリヰ゛ヤの庭園。 ヰ゛ーオーラのシザーリオー出る。つゞいて道外方(フェステ)小太鼓を手に持って出る。 ヰ゛ー 御機嫌よう、鳴物屋さん。太鼓に依って、君は生計《くらし》をお立てゞですか? 道外 いゝえ、教會に寄ってゞす。 ヰ゛ー ぢゃ、君は僧《ばう》さんですか? 道外 どういたしまして。ずっと教會に寄った處に家があって、そこに暮してます。 教會の傍《わき》にね。 ヰ゛ー さういふ風に言や、王さまが乞食の傍《わき》に寢てゐんさるともいへるわね、 若し乞食が王宮近くに住んでゐれば。或ひは教會が太鼓に依って立つともいへるわね。 太鼓を教會の傍《わき》へ置いたとすりゃ。 道外 したりッ。……そうです此 節《せつ》は! 怜悧《りこう》な手合に取っちゃァ言語《ことば》はまるで仔山羊の革に手袋でさ。 表を出さうと、裏を出さうと、自由自在でさ。 ヰ゛ー 全く其通りよ。言語《ことば》を玩弄物《おもちゃ》にする人達に限って、 すぐに言語《ことば》に意味をだらしのないものにしッちまふのよ。 道外 いや、言語《ことば》は碌でもないものになッちまひましたよ、 御制限附になって堕落してからはね。 ヰ゛ー どうして? 道外 言語《ことば》が自由でない以上、さうなった理由をいふことさへも出來ませんや。 此頃の言語《ことば》のやうに、好い加減なものばかりぢゃ、それを使って説明しようて氣にもなれませんや。 ヰ゛ー ほんとに、君は極樂蜻蛉《ごくらくとんぼ》だね。一切無頓着ね。 道外 どうして、これでも相應に頓着しまさ。けれどもあんたなんかにゃ頓着しないや。 それが即ち一切無頓着てのなら、あんたが、取りも直さず、一人で「一切」を脊負《しょ》ッてるんだ。 やれ、御苦勞さま! ヰ゛ー 君はオーリヰ゛ヤ姫さんの阿呆さんぢゃないかい? 道外 いゝえ、決して。オーリヰ゛ヤ姫さんは阿呆(淫蕩)好きぢゃありません。 阿呆(玩弄物)なんか抱へなさりゃしませんや、結婚なさるまでは。 阿呆は亭主に似たものでさ、小鯡《ピルチャード》が鯡《にしん》に似てるやうにね。 亭主の方が大きいだけでさ。わッしはお姫《ひい》さんの阿呆ぢゃないんです、 ほんの駄洒落係です。 ヰ゛ー オーシーノーさまのお館《やかた》で君に會ったっけねえ。 道外 阿呆は太陽と同じに地球ぢゅうを廻ってあるきまさ、どこでも光ってまさ。 わっしがお姫《ひい》さんのとこ同様にあんたの殿さんのとこへも折々出掛けて行かないやうだったら、 お氣もじさまでさ、あそこにゃお怜悧《りこう》さんのあんたが居たやうだからね。 ヰ゛ー わたしにまで一本參らうといふのなら、話はしないよ。(貨幣を放出して)お取り。 さ、お小遣ひです。 道外 (それを受取って)もし、ヂョーヴ神さま、此次、毛をお下渡しの時分には、 この人に髭をおやり下さいまし。 ヰ゛ー ほんとに、わたし欲しくッてならないの、そのお髭さんが。…… (傍白)自分の頤には生やしたくないけれど。……お姫《ひい》さんはお邸《やしき》にいらっしゃって? 道外 (此問にはかまはず、貰った貨幣をひねくりながら)こいつに連れ合ひをこさへたら、 子を生まないでせうかねえ? ヰ゛ー 生みませうよ、その二箇《ふたつ》を一しょにして預ければ。 道外 わッしはフリヂヤの媒介者《パンダラス》の役廻りをして、 此(と貨幣をひねくりつゝ)情夫《トロイラス》さんのとこへ(其 情婦《いろをんな》の) 姫さんを伴《つ》れて來たいもんだなァ。 もう一箇下さいと謎を掛ける。 ヰ゛ー わかりましたよ。貰ひッぷりが旨いから。 (と貨幣を又一枚放出して)さ。(と又遣る)。 道外 でも、大した物をねだったわけぢゃないや、たかゞ物貰ひ(お乞食さん)を貰ふんですからね。 クレシダ姫は物貰ひ(お乞食さん)をしてゐたといひまさ。…… お姫《ひい》さんは奥にゐなさります。わッし奥へ往っていひませう、 あんたが何處から來なすったかを。けれども、あんたが誰で、何の用で來なすったてなことは、 わッしの天空以外だ、元素(空氣)以外でさ。いや、こんな文句はもう黴臭いかな。 道外方入る。 ヰ゛ー あの男は阿呆の眞似をしてゐるのだが、それには中々智慧が要る。 先づ、相手の氣分や人柄や場合を、よく見分けてかゝらなければならない。 野鷹の様に、どんな鳥でもかまはず、目の前へ來さへすれば、 突っかけるといふのぢゃァ駄目だ。智慧者の仕事とおんなじに、 あれも中々工夫が要り、又骨もお折れるらしい。怜悧《りこう》に、 當意即妙な阿呆口を竝《なら》べるんだもの。 怜悧《りこう》者の阿呆に成下ったのは、それに比べると、始末におへない。 トービーとアンドルーと出る。 トービ (妙に儀式ばって)や、これは、ごきげんよろしう。 ヰ゛ー あなたにも。 アンド Dien vous garde, Monsieur.(これはごきげんようと位ゐの意味)。 よせばよいのにフランス語で話しかける。 ヰ゛ー Et vous aussi, votre serviteur.(どうぞお心安くといふ程の挨拶)。 と即座に同じ語で答へられたので、フランス語の種切れとなったアンドルーは據《よんどこ》ろなく アンド どうか、以後、お心安く。 と月並の挨拶をして、ぽかんとする。 トービ (妙に鹿爪に)えゝ、當 邸《やしき》内に參入あられてはいかゞでごわす? 姪に於ては貴下の御 入來《じゅらい》を切望します、彼女に御所要あっての御入來でごわすなら。 ヰ゛ー (わざと此口上に調子を合せて)いかにも、當お館《やかた》をさして、 船を進めて參りました。お姪御さまは手前の船泊りでいらせられます。 トービ (いよ?堅くなって)えゝ、お脚を御利用なさい、御試運轉なさい。 ヰ゛ー お言葉に意味はよく分りませんけれど、此脚は、これでも、 試驗濟になってをります。 トービ いや、お入り下さいと申すのです。 ヰ゛ー ぢゃ、諾《はい》と御返辭して入ることにいたしませう。 (と行きかけて、向うを見て)おや、參るには及びませんです。 オーリヰ゛ヤとマライヤと出る。ヰ゛ーオーラはそれを迎へて、叮嚀《ていねい》に會釋して いとも?いみじき淑女の君、天よ、よき香りを此君に灑《そゝ》ぎたまへ! アンド (感心して)あの若い男は旨い挨拶をするわい。「よき香りを灑《そゝ》ぎたまへ」。むゝ。 ヰ゛ー お姫《ひい》さま、わたくしは、お許しを蒙って、特にあなた様だけに、 折入ってお話が申し上げたいのでございます。 アンド 「よき香り」、「お許しを蒙って」、「折入って」。 三句ともいつでも使へるやうに記《おぼ》えておかう。 (と手帳を出して書き留めてゐる)。 姫 庭の其入口を閉めといて、みんなお退《さが》り。…… トービー、アンドルー及びマライヤ入る。 さ、手を。(と握手を求める)。 ヰ゛ー (わざと手を出さないで、うや?しく)何事なりと、どうぞ御用を仰せ附けられて下さいまし。 姫 名は何といふのです。 ヰ゛ー シザーリオーと申します、以後お召使ひともおぼしめしますやう。 姫 ま、わたしの召使ひ!謙遜するのが禮儀になってからは、 世の中が面白くなったぢゃないの?あなたはオーシーノー公のお召使ひですのに。 ヰ゛ー ですが、主人はあなたのお召使ひです、はい、 さうならずにはゐられないと申されます。 ですから、あなたのお召使ひの召使ひである私はあなたのお召使ひです。 姫 わたしあの方のことは思ってゐません。 あの方もわたしの事なんかをお胸に書き竝《なら》べていらっしゃらないで、 白紙《しらかみ》にしておいて下さればよいに! ヰ゛ー お姫《ひい》さま、私は主人の爲にあなたのお心を和げに參りましたのです。 姫 おゝ、無作法のやうですが、もうあの方の事をいふのは止めて下さい。 けれども他人の人の爲にいふのならば、 わたし天體の音樂を聽くこと以上に喜んで聽きませう。 ヰ゛ー えゝ、お姫《ひい》さま…… 姫 ちょっと待って下さい。此間あなたはあんなにわたしを迷はせておいてお歸りになった、 で、すぐ後を追はせて、あなたへ指輪を送りました、が、考へて見ると、あれは、 自分をも、家來をも、又あなたをも或ひは侮辱した行為であったかも知れません。 あなたの有《もの》でもないものを恥かしい巧み事をして無理に押附けようとしたのをば、 あなたがどんな風にお取りだったらうか知ら?殘酷な風に解釋されやしなかったか知ら? わたしの名譽を杭に縛り附けられた熊扱ひにして、 口籠《くご》をはめない猛犬のやうな酷い非難を嗾《けしか》けなさりゃしなかったか知ら? ねえ、あなたのやうな方には、もうとうに解ってゐる筈です。 わたしの心を掩ってゐるのは薄絹一重です。だから有りのまゝにいって下さい。 ヰ゛ー お可哀さうに存じます。 姫 それは可愛いといふ心持への階段です。 ヰ゛ー いゝえ、さうぢゃありません。なぜなれば、 憎いと思ふ敵をも可哀さうに思ふことはよくありますもの。 姫 (怫然《むっ》とした體で)それぢゃ、もう笑って、澄《すま》ァしてゐませうよ。…… (横を向いて、半分傍白式に)おゝ、世の中よ、下等社會の者が、 どうかすると、おそろしく高慢な振舞をする!同じく餌になる位ゐなら、 狼に食はれるよりは獅子に食はれたはうがよい!(此時掛け時計の音がする)。 時計が無駄に時間を費すといって、わたしを叱ってゐる。……お若い方、心配なさるな、 あなたをどうしようともいひません。けれど今に智慧も齢《とし》も出來秋になりませう、 すればあなたの奥さんは立派な御亭主を刈入れませう。…… さ、そちらが出口です、其西の方が。(と例の如く出て行けといふこなし)。 ヰ゛ー ぢゃ、「西行きぢゃい!」といたしませう。 (とちょっと時の流行語のwestward, ho!を當込んで戯れながら、改めて丁寧に會釋して) お心しづかの御機嫌よろしう!主人へはどういふ御口上もございませんのですか? 返辭がないので往かうとする。 姫 お待ち。お前さんはわたしをどう思ってゐるの?それをいって下さい。 ヰ゛ー さうだと思し召していらっしゃることが、其實さうでないと思ってゐます。 姫 さ、さう思ってゐるかも知れない、けれどもあなただって同じくでせう。 ヰ゛ー ぢゃ間違ってゐないとおぼしめしていらっしゃい。私は表に見えてゐるやうな者ぢゃありません。 姫 わたしはあなたがわたしの思ふやうであったらと思ひますの。 ヰ゛ー お姫《ひい》さま。すると、今の身の上よりもよくなるのでせうか? 私さう成りたうございます、今はあなたの阿呆役を勤めてゐますのですから。 姫 (傍白)おゝ、あの人が言ふのだと、どんなに嘲弄されても、 蔑《さげす》まれても、怒られても、可愛らしく聞える! 人殺しの罪跡《ざいせき》の現れるよりも、氣取られまいと思ふ戀の、色に出るはうが早い。 戀の夜は晝も同然だわ。……シザーリオーさん、春の薔薇の花を、 處女の操《みさを》を、面目を、眞實を、その他、何もかも誓ひに掛けて、 あなたはわたし好きなの、高慢であっても。どう智慧分別で思ひ返して見ても隱し切れないの。 さういったからって、女の方から言寄ったから、だから、 これは拒絶すべきだといふやうな理窟なんか持出さないで、 むしろ「求めて得るのもよいが、求めないで得た戀は尚よい」といふやうな理窟を立てゝ下さい。 ヰ゛ー 無邪清淨の若い心を誓ひに掛けて申しますが、私には、たった一つの心しか、 胸しか、眞實しかありません。さうしてそれは御婦人には獻《あ》げられません。 又、それは私の外はどんな者も持主になり得ないのです。 ですから、御機嫌よろしう!もう二度とは、主人の爲に泣きには參りません。 と改めて會釋して往きかける。 姫 だって、又來て下さい。お前さんに口説かれゝば、今はどんなにいやがってゐても、 好くやうになるまいものでもないから。 左右に分れて入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第三幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第二場 同じくオーリヰ゛ヤ姫の邸内。 トービー、アンドルー及びフェビヤン出る。 アンド (ぷん?怒って)いゝや、我輩はもう決してこゝには居らん。 トービ (とぼけて)どういふわけで、怒り蟲どん?え、どういふわけで? フェビ (アンドルーをなだめつゝ)譯をおっしゃらなくっちゃいけませんや。 アンド (トービーに)でも、君の姪さんは、あの公爵の家來に對して、 我輩に對して爲《す》る以上の優待をしてをる。それを我輩は見た。現に此庭内で見た。 トービ その時、姪はお前の居るのを見附けたかい? アンド うん、たしかに見附けとった。 フェビ ぢゃァ、そりゃァ、お姫《ひい》さんが貴下《あなた》に惚れておいでなさる立派な證據でさ。 アンド (さすがに怒って)うぬれ、人を馬鹿にするか? フェビ どういたしまして、智慧と分別とに誓言《せいごん》させて、全くだといふ證明をいたしませう。 トービ (笑って)其兩君は、ノアが船長であった時分からの陪審官さんだ。 フェビ ねえ、お姫《ひい》さまがあなたの目の前で、あの若い男にちやほやなすったのは、 あなたを焦立《いらだ》たせよう爲ばかりでさ、 あなたの眠ってゐる勇氣を呼び覺まし、あなたの心臟に火を附け、 あなたの肝臟に硫黄を燃させうといふ爲ばかりでさ。其時、 あなたがつか?と傍《そば》へいらっして、造幣所から鑄出しほや?といふ旨い洒落を叩き附けて、 あの若い男をぐゎんと言はせなさるべきでした。それを待ち設けてをられたのが、 ぐれはまになったんでさ。此好機會の二重金線をむざ?洗ひ落しなすったもんだから、 あなたの御信用の舳《へさき》が、つい、その、 オランダ人の髭に垂柱《つらゝ》の垂《さが》る北の海へと向くやうにもなったのでさ。 それを取返しなさらうてのには、すばらしい勇氣か、策略か、 どちらかをお見せなさらなけりゃいけませんや。 アンド 何かせにゃならんなら、勇氣より外に仕方がない。我輩策略は嫌ひぢゃ。 策略家になるくらゐなら、清教徒《ブラウニスト》になったはうが好い。 トービ それぢゃ、勇氣を資本《もとで》に身代をこしらへるさ。 あの公爵の若黨めに決鬪を申し込んで、十一ヶ所も手を負はせるがいゝ。 さうすりゃ姪がきっと感心する。そこで以て、女の氣を取るには、 勇者だといふ評判を得るのが一等だと悟るがいゝ。 フェビ アンドルーさん、それより外に仕方はありませんよ。 アンド あの男への挑戰状《はたしじゃう》を誰れか持ってってくれるのかね、君らの中で? トービ さ、武張《ぶば》った字で書きたまへ。短く鋭くね。洒落は交ってもかまはん、 が、雄辯に、さうして斬新にね。インキの許す限り嘲弄するんだ。 さん?゛汝《きさま》扱ひにすりゃ可《い》いんだ。 「うそを吐《つ》け!」て文句を紙一ぱいに書き竝《なら》べるんだ、 其紙の大きさがイギリスの例のウェーヤ市の旅館の寢臺よろしくであったってかまはん。 さ、早く。思ふさまインキに苦味を混るんだ。それを書く筆は鵞鳥の羽根であらうともだ。さ、早く。 アンド どこで會ふことにするかね。 トービ 例の居室《キュビキュロ》で會はうよ。さ。 アンドルー入る。 フェビ トービーさん、あの方は、あなたの爲には、大切な玩弄物《ちゃうさうばう》さんですねえ。 トービ 大切も大切、二千兩以上の値打物さ。 フェビ きっと面白い挑戰状《はたしじゃう》が出來ませうぜ。けれども、まさか、 貴下《あなた》が持っちゃァお往きなさりゃすまい。 トービ はて、持っていかなくってよ。是非あの二才めに承諾させるやうにしてくれる。 だが、牛車の力でもあの二人をぶッつからせることは出來さうにないなァ。 アンドルーめは、解剖して見るがいゝ、肝臟に蚤の脚を留めるだけの血だってあるまい。 萬一、あったら其解剖の殘りはおれが食はァ。 フェビ そして相手の若僧とても、ちっとも殘酷さうな顏附なんかァしてゐませんや。 マライヤ出る。 トービ あゝ、あそこへ鷦鷯《みそさゞい》の九疋子の末ッ子てのが來た。 マライ (笑ひながら)笑って?お肚《なか》が痛くなりたけりゃ、すぐ從《つ》いていらっしゃい。 あの間抜けのマルヲ゛ーリオーが邪宗信者に、背教者に、なったんですのよ。 だって、基督《キリスト》信者中にゃあんな無法な汚らはしいことをする者があらう筈はありませんもの。 黄色い長靴下を穿《は》いてますの。 トービ さうして十字形の靴下締かい? マライ えゝ。その様ッたら無いの。まるで寺子屋の先生のやうよ。 わたし附廻ってゐましたの、奴を殺さうとして覘《ねら》ってる人のやうに。 奴は、わたしがあの艶書《ふみ》に、たくらんで書いておいた通りに、 してゐますの。にや?笑って、顏をインド領を畫き足した新地圖のやうに筋だらけにしてゐるのよ。 珍妙不思議なの。何か打附《ぶッつ》けてやりたくてしやうがない。 お姫《ひい》さまは、きっと彼奴《あいつ》をお撲《ぶ》ちなさるでせうよ。 けれども彼奴《あいつ》撲《ぶ》たれても、尚にや?笑って、 可愛がられてゐるのだと思ふでせう。(と笑ふ)。 トービ さ、さ、案内してくれ、奴のゐるところへ。 みな?入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第三幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第三場 街上《がいじゃう》。 セバスチヤンとアントーニオーと出る。 セバス わたしから望んでは、こんなにお世話を掛けたくないのですが、 苦勞をするのが愉快だとおっしゃるのだから、もう何も、 かれこれはいひません。 アント あなたに別れて後に留ってをることは出來ないのです。 一しょにゐたいと思ふ願望が、磨き立ての鋼鐵《はがね》の拍車のやうにわたしを駈り立てたのです。 なつかしいと思ふ情だけでも、わたしは此れ以上の長い船旅をしたでせうが、 あなたが此地方に不案内だから、何事か起りゃしないかといふ不安の念もあって、 尾《つ》いて來ました。案内者も友人もない外國人だと見ると、とかく粗暴な、 不深切な待遇をするものですからね。さういふ心配があったところから、 あなたを思ふの餘り、追掛けて來たのです。 セバス アントーニオーさん、繰返し?お禮をいふより外はありません。 それでも尚足りません。貴い、 立派な仕向けを如是《こん》な鐚錢《びたせん》同様の駄文句で支拂ひ濟みにして、 恬然《へいき》でゐる例が世間には[尸/婁;u5C62]々《しば?》あります! けれども若しわたしに此感謝の眞情《まごころ》ほどに確實な資力がありましたなら、 もうちっと優《まし》なお扱ひをしましたでせうに。……で、何をしませう? 此 市《まち》の古跡《こせき》でも見廻りませうか? アント それは明日にしませう。先づ、宿所を定《き》めたはうがよろしい。 セバス わたしは草臥《くたび》れてはゐませんし、まだ夜までは間があります。 ねえ、此市の名譽の記念物や有名な物を見て目を娯《たのし》ませませうよ。 アント どうか、堪忍して下さい。わたしはうっかり此街中は歩けないのです。 嘗《かつ》て海戰があった時、わたしは此處《こゝ》の公爵の敵方に屬してゐたのです。 それはよく知れ渡ってゐた事なんだから、萬一、捉《つかま》ったりといふと、 恐らく言ひ抜けは出來まいから。 セバス 多分、此國の者を大勢お殺しなすったんでせうね。 アント さういふ殘酷な性質の罪を犯したわけぢゃァないのです、 其時の行き懸りからいふと、随分殘酷な事にも成行きかねなかったのですが。 其際、敵方から取った物を償還することにさへすれば、 悉く解決が附いたのでした、で、貿易上の都合で、 わたしの市の多數者は其案を取った、わたしだけが反對した。 だから、若し此處《こゝ》で捕《つか》まれば、酷い目に逢ふでせう。 セバス では、あんまり公然《おほッぴら》にお出掛けなさらないがいゝ。 アント さやう、出歩けないのです。……(といひながら財布を出して)ねえ、 此財布をお取りなさい。南の外郭《まちはづれ》の大象館《エレファント》が泊るには一等好いでせう。 食事の準備はさせときませうから、其間の退屈まぎらしに、市内を見物して、 知識をお養ひなさい。あそこに待ってゐますよ。 セバス なぜ、あなたの此財布を、わたしが? アント どんなことで、買ひたいと思ひなさる一寸した物があるまいものでもない。 あなたの貯《たくは》へでは詰らん物を買ふべきぢゃあるまいと思ふからです。 セバス では、此財布をおあづかりして、一時間ほどお別れしませう。 アント 大象館《エレファント》ですぞ。 セバス 記《おぼ》えてゐます。 左右へ別れて入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第三幕 第四場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第四場 オーリヰ゛ヤ姫の庭園。 オーリヰ゛ヤとマライヤ出る。 姫 (獨白)彼人《あれ》(シザーリオー)を呼びにやったが、若し來るといったら、 どういふ風にしようか知ら。何を遣らうか知ら。若いうちは、哀願や約束でよりも、 物を貰った嬉しさに心の動くことが多いのだから。…… つい、大きな聲でいったわ。……(マライヤに)マルヲ゛ーリオーは何處にゐます? あれはいつもぶづかしい顏をして、しかつめらしくしてゐるから、 喪中のわたしにはふさはしい家來振なのよ。どこにゐますマルヲ゛ーリオーは? マライ 只今參ります。が、變な風をしてをりますよ。きっと魔が憑いたのでございませうよ。 姫 え、どうしたの?大きな聲でも出すかい? マライ いゝえ、只にや?笑ふんでございますの。お姫《ひい》さま、 御用心遊ばすがよろしうございます、參りましたら。 きっと氣が狂ったのでございますから。 姫 こゝへ呼んどいで。(マライヤ入る)。 わたしも氣が狂ってゐるのだわ、欝《ふさ》ぐのと浮れるのと、氣ちがひに二種《ふたいろ》あるなら。 マルヲ゛ーリオーをつれてマライヤ又出る。 どうしました、マルヲ゛ーリオー? マルヲ゛ (妙に氣取って、様子をして)お姫《ひい》さま。ほ、ほ、ほ、ほ、ほ! (と小聲に笑ふ)。 姫 ま、お前、笑ふの?悲しい事があるから、呼びにやったのだよ。 マルヲ゛ 悲しいこと!随分、かなしい顏附も出來ます。かう十字形に締附けますと、 大分、血の巡環がわるくなりますのですが、何、かまひません。 お目をお慰め申しますやうなら、小唄にもございます通り、 「其一人樂めば、人皆樂む」でございます。 姫 ま、どうしたの?どうかしたのかい? マルヲ゛ 此心が黒いのではございません、此脚は斯様に黄色うございますけれど。 首尾よく當人の手に入りました。で、お吩咐《いひつけ》通り實行いたしをります。 あのお綺麗なローマ流の書風は皆《みんな》が知ってをりますから。 姫 (つく?゛氣の毒さうにながめて)マルヲ゛ーリオー、もう寝間《ねま》へ往ってお休み。 マルヲ゛ (狂喜して)え、お寝間《ねま》へ!はい、いとしいお方さま、參りまする參りまする。 姫 ま、氣の毒な。……なぜお前、さうにや?して、自分の手を、 そんな風にキッスするのだい? マルヲ゛ーリオーは、委細かまはず、當時の風流紳士の眞似をして、 自分で自分の指を嘗めてゐる。 マライ どうなすったの、マルヲ゛ーリオーさん? マルヲ゛ (傲然とマライヤを見返って)足下《そこもと》のおたづね!さやう、 妙音鶯《ナイチンゲール》も、随分、燕烏《こくまがらす》に返辭をすることがあるて。 マライ なぜあなたは、お姫《ひい》さまの前で、そんな馬鹿らしい不作法を平氣でなさるの? マルヲ゛ 「偉大を怖るゝこと勿れ。」うまく書いてあったっけ。 姫 そりゃ何のことだい、マルヲ゛ーリオー? マルヲ゛ 「或者は生れながらにして偉大なり。」…… 姫 おや! マルヲ゛ 「或者は努めてやがて偉大を得。」…… 姫 何をいってるの? マルヲ゛ 「或者は偶々《たま?》、偉大を投げ與へらる。」…… 姫 天よ、あれを正氣にして下さいまし! マルヲ゛ 「黄色の長靴下を稱讚せし人を忘るゝ勿れ。」…… 姫 黄色の長靴下を! マルヲ゛ 「十字形の靴下締を結ばんことを望みし人を。」…… 姫 十字形の靴下締を! マルヲ゛ 「いざや、卿《おんみ》に其心あらば、立身は目前《めのまへ》なり。」…… 姫 え、わたしに其心がだって? マルヲ゛ 「其心なくば、いつまでも召使と見做さん。」…… 姫 ま、こりゃ全く土用狂人なのよ。 家僕一人出る。 僕 お姫《ひい》さま、オーシーノー公さまのお使ひの若い方が戻って見えました。 やうやうの事で、頼んでつれて參りました。御都合を待ってをられます。 姫 すぐ會ひます。(家僕入る)。マライヤや、此 仁《じん》に氣を附けておくれ。 トービーどのは何處にゐます?内の者どもにいひつけて、あの仁《じん》を特別に注意させとくれ。 わたし財産の半分をなくしても、あの仁《じん》の身に間違ひのないやうにしたいから。 姫とマライヤと入る。 マルヲ゛ おゝ、ほう!やっと解りましたかね?現在の叔父御のトービーさんに俺の接待をお命じなさる! 全く文面通りだ。わざ?あの人を呼びにおやんなすったのは、 おれに横柄に口をきかせるためだ。書《ふみ》の中にさういふ吩咐《いひつけ》があったて。 「古皮を脱ぎすてゝ、親戚らに反抗し、家僕らにはむづかしい顏を見せよ、 常に理窟ッぽく横柄なれ、凡人とは全く異りたる様子をすべし」とあった。 それから、どういふ風にといふ差圖があった。例へば、むづかしい顏、 勿體ぶった立振舞、ゆったりした物言ひ、如何にも何處かの紳士らしく、云々。 全く此方《こっち》の物になッちまったんだ。が、こりゃ神様のお庇《かげ》だ。 ありがたいことだ!今も、彼方《あちら》へ行きなさるとて「此 仁《じん》に氣を附けておくれ。」 此 仁《じん》!「マルヲ゛ーリオー」でもなく、又、執事相應に「此男」でもなく、 「此 仁《じん》」!いや、何もかも、しっくりと一致する。もう寸分の疑惑もない、 もう分厘《ふんりん》の故障も、聊《いさゝ》かの不安も、兎《う》の毛ほどの疑ひも、 露程の……何といったらよからう?どうしたって、かうしたって、 もう此上は大丈夫だ。こりゃ全く神様《ヂョーヴさま》のなされたことだ、 おれの力ぢゃない。ありがたいことだ。 マライヤを先きに立てゝ、トービーとフェビヤンと出る。 トービ え、どっちにゐる、その汚らはしい奴は?地獄ぢゅうの惡魔が、 根こそげやって來て、とッついてゐるからって、かまふもんか、 おれが問答に及んでくれる。 フェビ あそこにゐまさ、あそこに。……(マルヲ゛ーリオーに)どうしたんですね? え、どうなすったんです? マルヲ゛ (横柄に)退《さが》りをらう。控へろ。予は只一人で居たいのぢゃ。 退《さが》れ! マライ (トービーらに)ほらね、あの聲はどうしたって、憑《とッつ》いてる惡魔の聲でせう! だから、申したでしょ、トービーさま、 お姫《ひい》さまがあなたにあの仁《じん》を監督して下さるやうにとおっしゃったって。 マルヲ゛ あはァ!ですか!? トービ (わざとマライアを制して)これ?。しづかに?。手柔かにしなくちゃいかん。おれに任せときな。 ……マルヲ゛ーリオー君、どうしました?どんな心持だね?おい、これ! 惡魔なんかに負けちゃいかんよ。よしか、奴は人間の敵だよ。 マルヲ゛ (むづかしい顏をして、嚴格に)心得ていふのですか、それは? マライ ほら、御覽なさい、惡魔の事をわるくおっしゃると、 あんなに怫然《むき》になりませう?魅せられないやうに御用心なさいね! フェビ あの仁《じん》は小水を例の巫女のとこへ持ってって見るがいゝ。 マライ あすの朝、是非持ってきませう。お姫《ひい》さまは、 どうしてもあの人を失《な》くしちゃならないッていらっしゃるんだから。 マルヲ゛ (マライヤに、妙に気取った聲で)どうですね、御令嬢! マライ おッや?!(と大きな声をする)。 トービ (マライヤを制して)おい、しづかにおしよ。そんな騒いぢゃいかんよ。 見な、とう?昂奮させッちまったよ。おれに任しときなよ。 フェビ 手柔かに限りますよ。やんわり?。惡魔は自分が手荒いのだから、 手荒くされるのは好きませんや。 トービ (マルヲ゛ーリオーに)おい、君、どうしましたい?え、どうおしだい、坊ちゃん? マルヲ゛ (呆れて)え?! トービ ね、坊ちゃん、おいらと一しょに遊ばう。おい?! 惡魔《セータン》と穴一をやったりなんかするのは紳士らしくないよ。 石炭掘なんかは七里けっぱい、七里けっぱい! マライ トービーさま、あの人にお祈りをおさせなさいましよ、お祈りを。 マルヲ゛ (腹を立てゝ、半傍白的に)お祈りをしろッて、あまっちょめが! マライ (トービーに)迚《とて》も神聖なことなんか耳に入るもんですか! マルヲ゛ (いよ?怒って)やい、お前たち悉皆《みんな》首をくゝって死んじまへ。 ろくでなしの懶惰《ぬらくら》者共めが!おれはお前らの仲間ではないぞ。 今に分る。 マルヲ゛ーリオー傲然として入る。 トービ こりゃァ意外だ! フェビ これが舞臺で演ぜられたのでありゃ、 てんで[言|虚;u8B43]《うそ》らしい拵へ物だと貶《けな》し附けてしまふンですけれど。 トービ 奴め、すっかり此方《こっち》の趣向に感染《かぶ》れッちまやァがった。 マライ ねえ、おッかけて行きませうよ、趣向がばれるといけないから。 フェビ ほんとに氣が狂ふかも知れませんぜ。 マライ さうすりゃお邸《やしき》内が靜かになりませうよ。 トービ さ、奴を暗室へ容れて、ふん縛ッとかう。 姪はもう既に氣が狂ったものと信じてるから、さういふ風にしよう、 此方《こっち》の慰みのため、又奴の懲らしめのために、 さん?゛ッぱら玩弄《おもちゃ》にして、[厭/食;u995C]《あ》きが來て、 もう可哀さうだとなるまで。さうなったら、此狂言の種を告發して、 へい、狂人《きちがひ》の發見者は此女《これ》でございと上申しよう。……おや! ちょいと?。 と一方を指ざす。 アンドルー一通の書面を手に持って出る。 フェビ (トービーに)又一つ五月祭の材料が出來ましたね。 アンド (書面をトービーらに示して)これが挑戰状ぢゃ。讀んで見てくれたまへ。 胡椒や酸《す》を十分にきかせといた。 フェビ そんなに辛酸《からず》ッぱいのですかい? アンド うん。奴に取ってはぢゃ。讀んで見てくれたまへ。 トービ どれ。(と受取りて讀む)。 「青年よ、足下は如何なるか知らず、然れども卑小《けち》なる野郎なり。」…… フェビ (笑ひをこらへて)うまい。強さうですねえ。 トービ (讀む)。 「恠《あやし》む勿れ、又 駭《おどろ》く勿れ、何故《なにゆゑ》に然《しか》足下を呼ぶかを。 予は其理由を明言せざるべければなり。」…… フェビ うまい斷りです、さう書いときゃ法律に觸れる氣遣ひはありませんや。 トービ (讀む)。 「足下はオーリヰ゛ヤの處へ來れり、而して姫は予の面前に於て足下を優待せり。 然りと雖《いへど》も足下は大々的虚言者なり。是れ予が決鬪を望む所以なり。」…… フェビ 簡にして要を得てゐ……(といひかけて、口の中で)ない。 トービ (讀む)。 「予は足下の歸途を要せんとす。其處《そこ》にて若し幸《さいは》ひにして足下を殺さん乎《か》」…… フェビ いゝね。 トービ (讀む)。 「足下は不頼漢《ならずもの》らしく又悪黨らしく予を殺すといふ者なり。」…… フェビ やっぱり法律除けの用心がしてありますね。 トービ (讀む)。 「さらばなり。神よ、われ?二人のいづれかの靈魂に惠みを垂れたまへ! 神は予の靈魂にこそ惠みを垂れたまはんかなれども、 或ひは予が勝つべければ、足下自らの上を注意せよ。   待遇によっては足下の親友たれども、不倶戴天の仇敵たるアンドルー・エーギューチーク。」 此 挑戰状《はたしじゃう》で動《いご》かないやうぢゃ、奴の脚だけぢゃ迚《とて》も動《いご》くまい。 おれが之を渡して來よう。 マライ 今がちょうど好い機《をり》でせうよ。何やらお姫《ひい》さまと御談判をしてゐて、 もうぢきお暇《いとま》しませうから。 トービ さ、アンドルー君。庭の隅で、奴の往くのを、捕方《とりかた》よろしくといふ風に、 見張ってゐたまへ。さうして出會すや否や引ッこ拔くんだ。 拔くや否や呶鳴《どな》るんだ。實際決鬪したよりも、 只もうおそろしく呶鳴《どな》り附けたので以て勇名を博した例が幾らもあるんだからね。 ……さ、早く! アンド 大丈夫、呶鳴《どな》って見せるよ。 アンドルー入る。 トービ (フェビヤンらに)ところで、此手紙は持っちゃ行かん。何故ならば、 あの若い侍《さむら》ひの様子を見るのに、教育もあり、 怜悧《りこう》でもあるらしい。奴の主人が姪の處への使ひをさせるので以てもそれが解る。 だから、こんな無類飛切の、物知らず丸出しの挑戰状《はたしじゃう》ぢゃ奴を怖らすわけにゃいかん、 すぐに鈍物《のろま》から來た手紙だと氣取るだらうから。 で、おれは口上で決鬪を申し込むことにするよ。 エーギューチークの奴を、如何にも勇敢な評判の男らしくいはう、 で以てあの青侍ひめを……きっと本當だと思ふだらうから…… 威嚇《おどか》し附けてくれよう、奴を非常に怒ってゐる熟練な、慓悍な、 激烈な男らしく思はせて。さうすりゃ双方とも慄《おび》え上って、 顏を合せたばかりでくたばッちまふだらう、蛇體鶏頭怪《コカトリス》が衝突《ぶッつか》ったやうに。 オーリヰ゛ヤ姫ヰ゛ーオーラのシザーリオーをつれて出る。 フェビ あそこへお姫《ひい》さまと御一しょにあの男が來ます。 お暇乞《いとまご》ひをするまでうッちゃっといて、 それから追ッかけなさい。 トービ それまでの間に決鬪申し込みの、何かおッそろしい口上を考へてくれよう。 トービー、フェビヤン、マライヤ入る。 姫 (ヰ゛ーオーラに、怨めしさうに)石のやうに無情《つれな》い心の人に、 つい身の面目を忘れてうっかりと言ひ過ぎました。 自分ながらあさましいと叱ってゐる。けれども幾ら叱っても?、 そのあさましい心のはうが剛情で、力強くて、どうにもしやうがない。 ヰ゛ー 私の主人のせつない心持が、全くその、あなたのおせつない心持と同じでございます。 姫 (寶石を一箇取出して)ねえ、この寶石を、わたしの爲に、 身に附けて下さい。わたしの畫像です。……辭退おしでない。 これは口をきかないから、あなたを困らせはしないわ。 さうして明日《あした》また來て下さい。あなたが欲しいとおいひの物で、 わたしが否《いや》といふ物があるでせうか?面目さへ損はれなければ、 どんな物でも與《あ》げる氣でゐますもの。 ヰ゛ー 何にも欲しいものはありません。主人を愛していたゞくことより外には。 姫 どうしてそれが、わたしの面目を損はずに出來ます、 わたしはあなたを愛すると言っちまったのだに? ヰ゛ー わたくしのは、取消していたゞいて、かまひません。 姫 また明日《あした》おいでなさい。さよなら。……(傍白) お前のやうな惡魔が誘ふのなら、わたしの靈魂は、随分、 地獄へでも從《つ》いて行くだらうよ。 オーリヰ゛ヤ姫入る。 トービーとフェビヤンと出る。 トービ (ヰ゛ーオーラに)や、御機嫌よう! ヰ゛ー あなたにも。 トービ (嚴格に)出來る限り防禦の準備をなさい。どういふ侮辱を君がお加へなすったのか知らんが、 君は此庭はづれでは待伏せしてゐる男があるんです、おそろしく憤激してゐます、 猟師のやうな殘忍な男です。早く其劍を抜いて、戰ふ準備《ようい》をしておいでなさい。 相手は猛烈な、機敏《すばや》い、手練家ですからね。 ヰ゛ー 何かのお間違へでせう。だれにも怨まれる筈はないのです。 どんな人にも不快を與へたやうな記《おぼ》えは少しもありません。 トービ ところが、たしかに其反對です。だから、命を大事だとお思ひなさるなら、 防禦の準備をなさい。あなたの相手は血氣 壯《さか》んな上に、強健ではある、 手練はある、おまけに、火のやうに怒ってるのですからね。 ヰ゛ー 一體、どういふ人なんです其人は? トービ 勲爵士《ナイト》です、刄《は》なんか些《ちっと》も毀《こぼ》れてゐない細劍《ほそみ》で叩かれて、 絨緞《じうたん》的關係の下《もと》に叙爵された勲爵士《ナイト》です。 だが、喧嘩と來ちゃ、奴ァ鬼でさ。もう三人も人を殺してます。 殊に今は怖ろしく怒って、相手を叩ッ斬って墓へ打込まないぢゃァおかんと猛り立ってるんです。 やるか、とるか、やッつけるか、やッつけられるかだ、と言ってます。 ヰ゛ー 邸《やしき》の中へもう一度歸って、お姫《ひい》さんの御家來にでも送って貰ひませう。 私には叩き合ひなんか出來ません。 わざッと喧嘩をしかけて人の勇氣を試す氣まぐれ者があると聞いたことがありますが、 お話の人はさういふ類《たぐ》ひの人でせう。 トービ いゝや、彼れが憤激に及んでゐるのには、正に當然の理由があるんてことはいけません、 手前を相手にして、彼れに對すると同様の勝負をなさればともかくだが。 だから、すぐ出てゆくか、でなきゃ此處《こゝ》で其劍を引ッこ抜きなさい。 どうしたって係り合ひはまぬかれないのだ。でなきゃ、以來、 鋼鐵《はがね》なんかぶらさげないやうにするがいゝ。 ヰ゛ー これはまた、無法とも不思議ともいひやうがありません。一體、 其方にどういふ無禮を私がしましたのかをお尋ね下さる御深切を一へにあなたにお願ひします。 故意にする筈はないんですから、つい、うっかり、何かしたんでありませうから。 トービ 承知しました。フェビヤン君、君は此方の傍《そば》にゐて下さい、おれが戻って來るまで。 トービー入る。 ヰ゛ー (フェビヤンに)あなたは事情をごぞんじなんですか? フェビ その武官さんが是非決鬪するといって怒ってゐるのは知ってますが、 それ以上の事は知りません。 ヰ゛ー どんな風の人です。 フェビ 顏を見たとこぢゃ、どう偉く強さうにも見えませんがね、 實際立合ったら驚きませうよ、迚《とて》も、此イリヽヤ中、 どこを探したって、又とないほどの殘酷な、おッそろしい決鬪上手です。 あっちへ往って見ますか?わたしは、出來るだけ、あなたの爲に仲裁して見ませう。 ヰ゛ー どうもありがたうございます。 わたしなんかは武士の相手になるよりも僧《ばう》さんの相手になったはうが當然です。 (半分傍白的)さういふのがわたしの本性だと、氣取られたってかまはない。 二人とも入る。 しばらくしてトービーとアンドルーと出る。 トービ どうして、奴はまるで鬼だよ。あんな女夜叉は見たことがない。 實は、一試合やって見たんだ、鞘ごとの劍でね。と、奴おッそろしい勢ひで以てお突ィと來た。 とッても受け切れないや。だからね、いざ突返す段となると、 奴の切先きは地を蹈む君の足の外れない程に慥《たし》かだらうぜ。 ペルシャ王に仕へてゐた劍客ださうだ。 アンド (大きにおびえて)弱ったなア!ぢゃ、係り合はないことにしよう。 トービ ところが、奴、もうどうしても承知しない。 フェビヤンが今取抑へてゐるんだが、迚《とて》もおさへ切れない。 アンド 困ったなア!そんなに強くって、劍術が上手だと知ったら、 奴を地獄へ堕《おと》してしまッたときたかった、 決鬪なんか言ひ込む前に。もうこりゃ水に流してくれたまへ。 其代り、我輩、奴に、あの大切な灰色馬を與《や》ることにするから、 あのキャピレットを。 トービ ま、談判して見よう。こゝに待ってゐたまへ、随分、 強さうな様子をしてね。靈魂のやりとりは無しで濟まうよ。…… (行きかけて、アンドルーを尻目にかけて、傍白)はて、 汝《きさま》の馬にも乘ッかってくれるぞ、 汝《きさま》に乘ッかかったやうに。 此途端にフェビヤンが無理にヰ゛ーオーラを引立てるやうにして出る。 (小聲でフェビヤンに)此喧嘩を中止《やめ》にするために、 奴の馬をせしめてくれた。あの若い男は鬼だといって、 奴をおどかしたんだ。 フェビ (同じく小聲で)あの男もまたアンドルーさんを怖《こはが》ってまさ。 息をはづませて、眞蒼《まっさを》になってます、荒熊にでも追ッかけられたやうに。 トービ (進み寄ってヰ゛ーオーラに)どうも仕方がないですよ。 誓言《せいごん》をした以上は、是非とも決鬪をするといひます。實は、 あの仁《じん》とても、再考の結果、其の理由の多くいふに足らんことを悟ったんですけれど、 是非に及ばないのです。だから、彼れの誓言《せいごん》を無にさせないために、 お抜きなさい。あなたは恠我《けが》はさせないといってまさ。 ヰ゛ー (さすがに覺悟をきはめて、口のうちで)神さま、どうぞお守り下さい! ちょっとすりゃ、男でないことが解ッちまふだらう。 フェビ (氣の毒になって)激しくかゝって來たら、退《さが》るやうになさい。 此間にトービーはアンドルーの傍《そば》へ往く。 トービ おい、アンドルー君、どうも仕様がないよ。あの侍《さむら》ひは、名譽上、 君と一勝負するといふんだ。決鬪條例の表として止むを得ないんだ。 が、わたしに約束したには、紳士であり武士である以上、 君に手疵《てきず》を負はせるやうなことはしないと。さ、さ、やったり?。 アンド (半分口のうちで)どうか、其約束を守ってくれるやうに! 此うちフェビヤンに引立てられてヰ゛ーオーラが近づく。 ヰ゛ー (アンドルーに)飽迄《あくまで》も望ましくないのですけれど。 双方ともに劍を拔く。 此途端、アントーニオー出る。男裝のヰ゛ーオーラをセバスチヤンと見違え、 急いで、將《まさ》に鬪はうとする二人の間へ割って入る。 アント (アンドルーに)劍をお収めなさい。若し此若い紳士が何か不都合をしたのですなら、 その罪はわたしが引受けます。或ひはまた、あなたが不都合をしたのなら、 わたしが彼れに代ってあなたと立合ひます。 トービ (こらへかねて、立向って)君が!一體、君は何だ? アント 彼れの爲になら、 彼れがあなたに對して敢て爲《し》やうと高言した以上の事を敢て爲《し》ようとする男です。 トービ 君が餘計な干渉をするなら、おれが相手になる。 だしぬけにトービーが抜劍するので、アントーニオーも同じく劍を拔く。 あはや鬪はうとする途端に、此市の警吏らが出る。それを目早く見附けて フェビ おゝ、トービーさま、お待ちなさいまし、お役人衆が來ました。 トービ (劍を控へて、アントーニオーに)今に相手にならう。 此時までヰ゛ーオーラもアンドルーも劍を提《さ》げて、 呆氣に取られて立ってゐたが、心附いて ヰ゛ー (アンドルーに)どうぞ、其劍をお収めなすって下さい。 アンド はい?、をさめます。それから、お約束したことはきっと守ります。 彼馬《あいつ》はおとなしい奴ぢゃから、よういふことをきゝます。 此うち警吏らがばら?と近附いて 一の吏 (アントーニオーを指ざし)あの男だ。取りおさへなさい。 二の吏 (アントーニオーに)アントーニオー、オーシーノー公爵の訴へによって取抑へるぞ。 アント (とぼけて)お人違ひでございませう。 一の吏 いゝや、決して。お手前の顏はよく存じてゐる、 海軍帽を今は冠ってござらんけれど。引立てなさい。 見知られてゐることは當人も知ってゐる筈です。 アント (觀念して)止むを得ない。……(ヰ゛ーオーラに)あなたを探しに出た爲にこんな事になった。 是非に及ばんから、命に應じます。かういふ窮迫の際だから、 先刻 獻《あ》げた財布を戻して貰ひたいのですが、どうでせう? あなたの爲に盡すことが出來なくなったのを情けなく思ひます、 身に災厄の降りかゝったことよりも。……ひどく驚いておいでのやうだが、 心配なさるな。 二の吏 (アントーニオーに)さ、さ、早く。 アント (再びヰ゛ーオーラに)ねえ、あの金のうちを、どうか幾らか返して下さい。 ヰ゛ー (呆れて)どういふお金ですの?……甚だ微力ではありますが、只今御深切を盡して下さいましたお禮に、 二つには、目前お困りの御様子を見まして、お氣の毒に存じますから、 聊《いさゝ》かばかり御用立いたしませう。幾らも持ってゐませんのです。 こゝに有るのをお分け致します。(と所持金の一部を出して)さ、お取り下さい、 これが貯《たくは》への半分です。 アント (呆れて)この場合に、「否」といふのですか? 相應に深切を盡した積りでしたが、それを思ひ出しても下さらないのですか? 不幸《ふしあはせ》なわたしを誘惑なさるな。それな風になさると、つい、 わたしの心を僻《ひが》んで、あなたを恩知らずだなんぞと罵《のゝし》りたくなります。 ヰ゛ー (いよ?呆れて)わたしにはどういふ記憶もない。またあなたの顔も記《おぼ》えてゐません。 わたしは忘恩といふことことを虚言や高慢や駄辯や亂醉や其他われ?の脆い心を腐敗させるあらゆる惡徳以上に憎んでゐるのですが。 アント (ます?呆れて)どうも驚いた!言語道斷だ! 二の吏 (アントーニオーに)さ、さ、おいでなさい。 アント (吏員に)ほんの少し言はせて下さい。…… こゝにゐる此若い男はもう殆ど半分がた「死」の腮《あぎと》の呑まれてゐたのを、 わたしが引ったくって、命を助けた上、誠心誠意、深切を盡したのでした。 いかにも上品な容貌ですから、必ず徳の高い男だらうと思って、 深く崇敬してゐたのでした。 一の吏 そんなことは此方《こっち》の知ったことぢゃない。時が經つ。さ、早く。 アント ところが、其御本尊は、今見ると、ま、何といふ汚はしい偶像だ! (ヰ゛ーオーラに)セバスチヤン、君は其上品な容貌を侮辱したのだぞ。 自然物中の出來ぞこなひは人間の料簡ばかりだ。不自然な不料簡以外には、 醜いとか不様《ぶざま》とかいはれるものはないのだ。美徳は美其物だが、 美の假面をかぶった惡徳は、外飾りばかりが見事な惡魔が手製《てづく》りの空鞄《からかばん》だ。 一の吏 (二の吏)氣が狂ひかけたぞ。さ、おつれなさい……(アントーニオーに)さ、おいでなさい。 アント 案内して下さい。 アントーニオー、吏員《りゐん》らに引立てられて入る。 ヰ゛ー (其後ろ影を見送りつゝ)あんなに激昂して言った所を見ると、 深く信じてゐるのらしい。わたしはさうまで信じ得ない。 おゝ、わたしの此想像が中《あた》って、戀ひしい兄さん、 お前さんとわたしが見ちがへられたのなら、どんなに嬉しからう! 先刻からの問答を冷眼で傍聽してゐたトービー、アンドルーらを見返って トービ 士爵《ナイト》、こゝへ來たまへ。フェビヤン、こゝへござい。 賢明な格言て奴を、こッそり一つ二つ竝《なら》べようよ。 と二人を引張ッて一隅へ退く。 ヰ゛ー (尚ほ獨白をつゞけて)わたしをセバスチヤンと呼んでゐた。 わたしは、鏡を見るたびに、まだ兄さんが生きてゐるのだと思ふほど、 わたしは兄さんに似てゐる。兄さんは、かういふ仕立の、 かういふ色の、かういふ飾りの服を被《き》てお行きだった、 それを今わたしは眞似てゐるのだ。おゝ、若し此想像が中《あた》るやうなら、 暴風《あらし》も深切だし、荒浪も情があるんだ。 思ひに沈みつゝ入る。 トービーが先きに立って歩み出しながら トービ (アンドルーに)卑劣千萬な陋《けち》な小僧だ。おまけに兎よりも臆病と來てゐる。 奴の卑劣は親友の窮迫を見ながら救はうともしないのに見えてゐる。 但し臆病の點はフェビヤンに聽きたまへ。 フェビ 臆病ですとも、熱心な臆病、其點に於ては殆ど宗教的でさ。 アンド (大きに勢ひづいて)ぢゃ、これから追ッかけていって、 ぶんなぐってくれよう。 トービ それがいゝ、けれども劍は抜かんがいゝよ。 アンド やッつけなかったら……(といひ?入る)。 フェビ さ、從《つ》いてって様子を見ませうよ。 トービ どんな賭でもするよ、何をし得るものか! 二人とも入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第四幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第一場 オーリヰ゛ヤ姫の邸《やしき》の前。 セバスチヤンと道外方《だうけがた》(フェステ)と出る。 道外 ぢゃ、どうしてもあなたを呼びに來たんぢゃないと思はせようてんですか、わッしに。 セバス 人をつけ!馬鹿なことをいふ人だ。もう相手にゃならんよ。 道外 うまく白《しら》をお切りなさるよ!(わざとらしく)成程、 お目にかゝったことはありませんよ。又、わッしは、 お姫《ひい》さまのお吩咐《いひつけ》なんかであなたを呼戻しに來たのぢゃァありませんよ。 又あなたの名はシザーリオーさんなんかぢゃありませんよ。 はい、これは(と自分の鼻をつまんで)わッしの鼻ぢゃァありませんからね。 つまり、然うある物がすべて然うでないのでさ。 セバス おい、そんな阿呆口は餘所《よそ》で洩すがいゝ。 君は全く知らない人だよ。 道外 阿呆口は餘所《よそ》で洩せ!偉い人が何處《どッか》でさういふ語《ことば》を使ったのを聞き覺えて來て、 おれへ使ふんだな。阿呆口を洩せ!此様子ぢゃ、世間といふ大のろまめは、 今にすっかり氣取り屋に化けッちまふだらう。……もし?、 そんな知らん振なんか止して、お姫《ひい》さんへ何と洩したらいゝか、 言って下さいよ。すぐに來られます、と洩してもいゝかね? セバス おい、馬鹿な道外屋さん、もういゝ加減に去《い》ってくれ、金を與《あ》げるから。 此上、尚ぐづ?してると、もっとずっと惡い報酬をやるよ。 道外 (金を受取って、俄かに相好を崩して)ほんとにあんたは氣前がいゝねえ。 阿呆に金をくれる怜悧《りこう》者は好評を博しますよ、 十四年割の高値でね。 アンドルーを先きに、少しおくれてトービーとフェビヤンと出る。 アンド (セバスチヤンをヰ゛ーオーラだと思って、つか?と駈け寄って)うぬれ、 こゝに居をったな!さ、どうぢゃ。 とだしぬけに撲《ぶ》つ。 セバス (驚きながら、すぐに)何をする?……さ、どうだ?さ。さ。 (アンドルーをなぐり附けながら)どいつも、こいつも、氣が狂ってゐるのか? と腰の短劍を抜いてアンドルーを睨んで、身構へする。 トービ (駈け寄って、それを止めて)お待ちなさい。待たんと、其短劍を屋根向うへ投棄《ほう》ッちまふぞ。 道外 (恐れて、三四歩走りのきながら)早速此事をお姫《ひい》さまに知らせよう。 二錢くれたって、此裾に附くのは御免だ。 道外方入る。 トービ (尚セバスチヤンを止めてゐて)これさ、まァ?。 アンド (トービーに)いゝや、すてといてくれたまへ、我輩、 別の方法を講じるから。あいつを相手取って、毆打の訴訟を起すことにするから、 此イリヽヤに法律がある以上。毆《ぶ》ったのは我輩が先きだけんど、かまはん。 セバス (トービーに)お離しなさい。 トービ これさ?、離さないよ。これさ、若い大將、劍をおしまひなさいよ。 あんたは強いよ、喧嘩ッぱやいよ。まァさ?。 セバス 手を離して下さいよ。え、どうするんです? なほ敢てわたしを挑發なさるのなら、お抜きなさい。 トービ え、何だと?よろしい、ぢゃ、仕方がない、其剛情ッ張の血を二三オンス取ってくれるぞ。 と二人鬪ふ。 此うちオーリヰ゛ヤ姫出る。 姫 トービー、お待ち。命が大事なら、お待ちなさい! トービ (劍を控へて)おや、姫《ひい》さん!(と悄《しよ》げる)。 姫 (苦々しげに、トービーに)又しても然うなの! 禮儀も作法も知らない野蠻と一しょに、 山の中か洞穴《ほらあな》にでも住んでゐるのが當然のあさましい人! あっちへお退《さが》りなさい!……立腹しないで下さい、シザーリオーさん。 ……(トービーに)無作法者、お退《さが》りなさい。…… トービー、アンドルー、フェービヤン入る。 シザーリオーさん、無禮な、無法な振舞を、彼等が、理由なく、 あなたに對してしましたのを、どうか、腹を立てないで、靜かに、 賢明に諒恕して下さい。どうぞ、邸《やしき》へ一しょに來て下さい、 あの亂暴者が、今までにも、度々無益な、不細工な惡戯《いたづら》を仕出來したお話をしますから、 さうすれば今日の此不作法をも笑って恕《ゆる》して下さるでせうから。 是非來て下さい。いやだとおっしゃっちゃ、いけないの。 ほんとに憎らしいこと、あの男のお庇《かげ》で、わたしの此胸が、 まるで獵人《かりうど》に逢った兎のやうに躍り上ったわ。 此間、セバスチヤンは何が何やら分りかねて、呆れ果てゝゐたが セバス (傍白)こりゃどうしたといふのだ?河はどっちへ流れてゐるんだ? おれは氣が狂ったのか知らん?或ひは夢を見てるのか? 空想よ、おれの感覺を物忘れ河へいつまでも浸しといてくれ。 若し之が夢なら、いつまでも眠《ね》てゐたい! 姫 ねえ、來て下さいな。……あゝ、いふ通りになって貰ひたいわねえ! セバス 參りませう。 姫 おゝ、口でおっしゃるばかりでなくね! 姫先きにセバスチヤンを促して入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第四幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第二場 オーリヰ゛ヤ姫の邸内。 マライヤと道外方《だうけがた》(フェステ)と出る。 マルヲ゛ーリオーは悉く狂人扱ひにされて一室に監禁されてゐる。 それを更に弄《もてあそ》び苛めようといふので、 フェステに副牧師の假裝をさせて連れて出る。 マライ いゝえ、此 長上被《ながうはぎ》を着て、さうして此髭をお附けなさいよ。 お前さんをば黄玉《トーパズ》さんといふ僧《ばう》さんだと思はせるのよ。 早くさ。其間にトービーさまを呼んで來るから。 マライヤ入る。 道外 むゝ、これを着けて、すっかり化けてやらう。かういふ長上被《ながうはぎ》を着て、 化け果《おほ》せた初めての人間だと、旨いがなア。 副牧師にしちゃァ些《ちっ》とばかし身長《せい》が足らないし、 立派な學者と思はれるには、些《ちっ》と肥り過ぎてゐるが、正直者だ、 好い戸主だ、と言はれるのを、謹慎家だ、大學者だ、 と言はれるのとは、似たり寄ったりだ。……同僚《なかま》がやって來た。 トービーとマライヤと出る。 トービ や、御機嫌よう、牧師さん。 道外 (すっかり氣取って假聲《つくりごゑ》で)Bomos dies(吉祥日ですな)トービーどの。 如何《いかん》となればです、 彼の曾《かつ》て筆墨《ひつぼく》を見たことのなかったといふプラーグの老隱者がゴルボダック王の姪姫君にお告げしたといふ警句の通りに、 「有るものは有り」ですからねえ。そこで、牧師たる手前は即ち牧師です、 如何《いかん》となればです、「有るものは」即ち「有るもの」であり、「有り」は即ち「有り」ですからねえ。 トービ (マルヲ゛ーリオーを押込めてある一室を指ざしつゝ)さ、トーパズさん、あの仁《じん》に。 道外 (其室に近附いて、戸を叩きつゝ、假聲《つくりごゑ》で)おい?!おい?! あゝ、此牢内に平和あれよ! トービ (マライヤに)奴《やっこ》め、うまく似せやがる。うい奴だ。 マルヲ゛ (室内で)だれだ、呼ぶのは? 道外 (同じく假聲《つくりごゑ》で)副牧師の學士《サー》トーパズが狂人のマルヲ゛ーリオーを見舞に來たのぢゃ。 マルヲ゛ 學士《サー》トーパズ、學士《サー》トーパズ、學士《サー》トーパズさん、 お姫《ひい》さんのとこへ往って來て下さい。 道外 (同じく假聲《つくりごゑ》で)黙れ、人を高慢狂にさせをる惡魔め、 どうして此男をさう窘《いぢ》めるんぢゃ?只もう姫たちの事ばかりをいふか? トービ (蔭にて)よう、うまいぞ、牧師どん! マルヲ゛ (悲しげに)トーパズさん、こんなに酷く侮辱された者ッたらありゃしません。 トーパズさん、わたしは氣が狂《ちが》ってるのぢゃありませんよ。 寄ってたかって、わたしを是如《こん》な昏闇《くらやみ》の中へ押込めたんですよ。 道外 黙れ、あゝ、卑むべき惡魔《セータン》め!わしは汝《きさま》を至極穩当な言葉で呼んでやる。 如何《いかん》となればぢゃ、わしは惡魔其者をも禮法通りに取扱はうといふ君子人の其一人ぢゃからなう。 ……室《しつ》が暗いといふのか? マルヲ゛ はい、地獄のやうに暗いのです。 道外 だって、そこに障壁そっくりの透明な張出し窓があり、又、 北南《きたみなみ》には黒檀のやうに光る高窓があるぢゃないか? それでも明りが通らんといふのか? マルヲ゛ トーパズさん、わたしは氣が狂《ちが》っちゃゐませんよ。此 室《しつ》は全く暗いのですよ。 道外 狂人、お前は間違へてゐる。およそ世の中に、暗いといふのは無知、無學ぢゃ。 お前が即ちそれぢゃ、そこで彼の霧《もや》の中のエヂプト人のやうに惑ふんぢゃ。 マルヲ゛ いゝえ、此 室《しつ》の暗さは無知や無學に負けやしません、 よしんば無知無學の暗さは地獄のやうであらうと。 こんなに侮辱された人間はありゃしません。わたしはあなた同様に正氣です。 道理に叶った問ひを掛けて見て、試して下さい。 道外 (鹿爪らしく)えゝ、野禽に關してピサゴーラスはどういふことをいひましたか? マルヲ゛ われ?のお祖母《ばア》さんの靈魂《たましひ》が、事によると、 鳥の體内に宿るかも知れんといひました。 道外 その説をお前はどう思ひます? マルヲ゛ 靈魂《たましひ》は高尚なものだと思ってますから、彼れの説は感心しません。 道外 さやうなら。やっぱり昏暗《くらやみ》にさうしておいで。 お前はピサゴーラスのの説を信じないわけにゃいかんよ。 わしはお前を人並の人間ぢゃとは思はん。うっかり山鷸《やましぎ》を殺しなさんなよ、 お前のお祖母《ばア》さんの靈魂《たましひ》が宿ってゐるかも知れんから。 さやうなら。 と歸って行く振《ふり》をする。 マルヲ゛ トーパズさん!トーパズさん! 道外方が戻って來るのをトービーが急ぎ迎へる。 トービ すてき、滅法、上出來の學士《サー》トーパズ! 道外 (得意になって)はて、どういふ風にでもやってのけまさ。 マライ ねえ、お前さん、髭や長上被《ながうはぎ》は要らなかったわね、 見えやしないんだもの。 トービ 今度は、地聲で言葉を掛けて、どういふ風に受け附けるか、それを聞かせてくれ。 以來あいつに馬鹿いたづらをさせないやうにしッちまひたいから。 うまく始末が附くものなら、こゝで始末が附けたい。といふのは、 姪の手前が、大分、不の字だから、おれは此餘興の打止めまで、 こゝにをられるか、どうだか、分らんからよ。後に、おれの部屋へ來な。 トービーとマライヤと入る。 道外 (地聲になって唄ふ。)「これ?、ロビンどん、愉快なロビンどん! 卿《おぬし》の媛御《ひめご》は何をしてぞ?」 マルヲ゛ (其聲を聞き附けて)阿呆か! 道外 (歌ふ)「われらのお媛《ひめ》は薄情者で。」 マルヲ゛ 阿呆か! 道外 (尚ほ歌ふ)「やれ?、そりゃまた何故《なにゆゑ》に!」 マルヲ゛ これ、阿呆かといふのに! 道外 (尚ほ歌ふ)「仇《あだ》し男に心をば」……(はじめて氣が附いたらしく) 呼ぶのはだれだい! マルヲ゛ 阿呆どん、お前はわしの爲になってくれる男だ。だから、頼む、 蝋燭一挺と筆とインキと紙を持って來てくれ。わしは紳士だ、 きッと禮をするから。 道外 マルヲ゛ーリオーさんですか? マルヲ゛ うん、さうだ。 道外 お氣の毒だねえ。どうして正氣をなくしたのです? マルヲ゛ 阿呆、こんなひどい目に逢はされた者はありゃしないよ。 わしは全く正氣なんだ、お前とおなじに。 道外 おんなじに?ぢゃ、あんたは氣が狂《ちが》ってるんでさ、 あんたの頭が阿呆のと同等なら。 マルヲ゛ 馬鹿者共めがわしを小道具扱ひにして、 昏闇《くらやみ》ン中へ押し込めて、 牧師をよこしたり、いろんな無禮をして、 わしを氣ちがひにしようとしてるんだ。 道外 (わざと聲をひそめて)氣を附けて物をおいひなさい。 牧師さんはまだ爰《こゝ》にをられますよ。(といっておいて、假聲《つくりごゑ》になって) マルヲ゛ーリオー、マルヲ゛ーリオー、神々のお庇《かげ》で以てお前が正氣に成りますやう! 努めて眠るやうになさい。くだらんたはごとをいはんやうにした。 マルヲ゛ あ、トーパズさん! 道外 (同じく假聲《つくりごゑ》で道外方にいふらしく)おい?、お前、 あの仁《じん》と言葉を交《かは》しなさんなよ。(すぐ地聲になって) へ、だれ?わッしですか?わッしゃ大丈夫です。へい、お上人《しゃうにん》さん、 御機嫌よろしう!(又牧師の聲になって)アーメン!(又地聲になって、 何か牧師の囁いたのを聽いたらしく)へい、承知しました?。 マルヲ゛ 阿呆!阿呆!おい、阿呆てば! 道外 あゝ、これ?、靜かになさい。……何ですって? あんたに物いっちゃならんといはれてるんで。 マルヲ゛ 阿呆どん、頼む、燈火《あかり》と紙を持って來てくんなよ。 わしは、此イリヽヤぢゅうの、だれにだって劣らん程度に正氣なんだよ。 道外 あゝ?、さうだといゝンですがねえ! マルヲ゛ 實際、正氣なんだよ。阿呆どん、インキと紙と燈火《あかり》を。 さうしてわしが書いたものをお姫《ひい》さんのとこへ持ってってくんな。 今までの手紙の使ひよりゃ、ずっとお前の得になるから。 道外 承知しました。ですが、あんた、ほんとに狂人《きちがひ》ぢゃないんですか? たゞ眞似をしてるんですか? マルヲ゛ 全く正氣なんだよ。全く。 道外 いゝや、腦髄を見ないうちは、わッし狂人《きちがひ》のいふことなんか信じませんや。 燈火《あかり》と紙とインキを取って來ませう。 マルヲ゛ 阿呆どん、報いは十分するよ。どうぞ、往って來て下さい。 道外 (往きかけて歌ふ) 往って來ますよ、  すぐ往《い》て來ましょ、 やんがて戻って參ります、  たちまちに、 昔の劇《しばゐ》の惡徳《ワ゛イス》のやうに、  あんたのお役に立つやうに。   ワ゛イスは木刀 揮《ふ》り廻し、  怒って惡魔に呶鳴《どな》ります、 狂公らしく、爪切れ、爺《とッ》ちゃん。  さよなら、小父ちゃん、惡魔の小父ちゃん。 歌ひつゝ踊りつゝ入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第四幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第三場 オーリヰ゛ヤ邸の花園《くわゑん》 セバスチヤン出る。不思議さうに四方《あたり》を見やったり、 周圍の空氣を手で拂って見たりすることあって セバス これは空氣だ。あれはきら?輝いてゐる太陽だ。……(手にしてゐる指輪を見て) あの婦人がくれた此眞珠は、手にも觸るし、目にも見える。 ぼうッとなッちまふ程に不思議だが、氣が狂《ちが》ってゐるのぢゃァない。 ……それにしてもアントーニオーはどうしたらう?大象館《エレファント》にはゐなかった。 けれどもあそこにゐたことはゐたのだ。おれを探しに町へ散歩にいったと聞いたから。 あの仁《じん》が今ゐると、此上もない相談相手になってくれるだらうのに。 靈魂《たましひ》は五感に向って、こりゃ何かの思ひ違ひかも知れない、 が、決して氣が狂《ちが》ってるのぢゃァない、と頻《しき》りに辯駁してゐるけれども、 此思ひがけない、夥《おびたゞ》しい僥倖は、道理にも合《かな》はなけりゃ、 先例のありさうにもないことだから、おれは此目を疑ひたくなって、 理性が飽迄《あくまで》もさうぢゃないといふのに反對して、 こりゃ自分が氣が狂《ちが》ってゐるか、でなきゃ、 あの婦人が氣が狂《ちが》ってゐるんだと主張したくなり。けれども、 若しあの婦人が狂人《きちがひ》であるなら、此 邸《やしき》の支配をしたり、 家來を引廻したり、あんな風に圓滑に、賢明に、 沈着に家政一切を處理することの出來よう筈がない。 何かそこに瞞着があるんだ。……が、あそこへ婦人が來た。 オーリヰ゛ヤ姫と僧と出る。 姫 (セバスチヤンに)此早急な計《はか》らひを叱らないで下さい。 おっしゃったことが眞實《ほんたう》なら、 これから此お上人《しゃうにん》さんと一しょに拜堂へ來て下さい。 あそこで、此方の前で、あの神聖なお屋根の下で、 一生 渝《かは》らないといふ誓言《せいごん》をして下さい、 わたしの猜疑ぶかい靈魂《たましひ》に安心を得させるために。 もっとも、此事を、あなたが公《おほや》けにしてもよいとおっしゃるまでは、 お上人《しゃうにん》に伏せておいていたゞいて、差支へないとなってから、 わたしの身分に相當した式を擧げようと思ひます。いかゞでせう? セバス お言葉に從って、御一しょに參りませう。さうして誓言《せいごん》をして、 一生、眞實を盡しませう。 姫 では、教父さま、御案内を願ひます。天の神々よ、 御照臨遊ばして、わたくしの此行動をお守り下さいませ! 入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28 十二夜 : 第五幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第一場 オーリヰ゛ヤ邸の前。 道外方《だうけがた》が、マルヲ゛ーリオーに頼まれた姫への書状を手に持って、 フェビヤンと共に出る。 フェビ おい、君に好意があるのなら、見せたまへ其手紙を。 道外 フェビヤンさん、ぢゃ、わッしにもお願ひがある。 フェビ 何でも聽くよ。 道外 此手紙を見ないで下さい。 フェビ ぢゃ、此犬を獻《あ》げませうといっておいて、 其代りに其同じ犬を返して下さいといふやうなものだ。 公爵オーシーノーとヰ゛ーオーラとキューリオーと貴族役の者ら出る。 公 (フェビヤンらに)君たちはオーリヰ゛ヤ姫の御家來かい? 道外 へい、さよです。わたしどもはお姫《ひい》さんの一寸した添飾のやうなもんです。 公 お前の顔はよく知ってる。どうしてるね、此頃は? 道外 敵のお庇《かげ》で大分身の上がよくなりましたっけが、友だちのお庇《かげ》で、 又、大分わるくなりました。 公 それぢゃ逆まだ。友だちのお庇《かげ》でこそよくなるべきだ。 道外 いゝえ、わるくなりまさ。 公 どうして? 道外 だって、友だちは、讃めますから、で、わッしが馬鹿になります。 けれども敵は露骨《あけすけ》に馬鹿ッと言ひます、で、馬鹿かな、 と氣が附くから、幾らか直しまさ。けれど友だちは騙してばかりゐます。 だから、結論は、取りも直さず、接吻《キッス》でさ、 否定が四箇《よっつ》で二箇《ふたつ》の肯定が出來るとすると、そらね、 友だちのお庇《かげ》でわるくなり、敵のお庇《かげ》でよくなりませう。 公 はて、旨いことをいふなう。 道外 いゝえ、ちッとも旨かありませんや。 御前はわッしの友だちにならっしゃらうといふ思し召らしいが。 公 それが爲にお前が損をするやうなことはないぞ。そら、金をやる。 と金貨を一枚與へる。 道外 (それを受取って、ひねくりながら)これが二枚だと、 二重取引なんかんて嫌ひでもあるのかなァ! でなきゃ、二枚下さることも出來たらうに。 もう一枚下さいといふ謎を掛ける。 公 (戯れて)おや!二重取引なんぞといふ惡智慧を注込むのか? 道外 こゝ一番、良心なんかは衣嚢《ぽっぽ》へしまッといて、惡智慧通りに、 本能的にお行《や》りなさいよ。 公 ぢゃ、罪業を犯して二重取引をしよう。さ、もう一つ。(と又一枚金貨を遣る) 道外 (それを受取って、前の一枚と共に、掌上でおもちゃにしながら) 一番《プリモー》、二番《セカンドー》、三番《デルシオー》てのは面白い博奕でさ。 そら、古い下世話に、「三番目は總穴埋」ッていひませう。それから、三拍子ね。 踊るにゃあの拍子に限りまさ。でなきゃ、聖《セント》ベネット院の鐘の音、といったら、 お分けになりませう。ね、一《ひイ》、二《ふウ》、三《みイ》。 もう一枚くれろと謎を掛ける。 公 (苦笑しながら)そんな手でもっとくれろといってもやりゃしないよ。 お前のとこのお姫《ひい》さんにわしが面會に來たことを知らせて、 うまくこゝへ連れ出して來れば、もっとやらうといふ氣にもなるだらう。 道外 ぢゃ、歸って來ますので、頂戴するのを「ねん?よう!」にしときませう。 往って來ます。けれどもわッしの欲しがるを欲張根性からだとお思ひなすっちゃいけませんよ。 今すぐ歸って來てはお起し爲《し》ますからね、おっしゃる通り、 お大盡心をそれまではねんねさしといて下さい。 道外方入る。 ヰ゛ー (一方を見て)あそこへわたくしを助けてくれた人が來ました。 アントーニオーを引立てゝ警察の役員ら出る。 公 (アントーニオーを見て)あの男の顔には記《おぼ》えがある。 もっとも、嘗《かつ》て見た時には、戰塵に塗《まみ》れて、 鍛冶神《ワ゛ルカン》のやうに眞黒になってゐたが、 やくざな船の船長であった。それは淺い吃水の、小さい、 取るに足らん船であったが、それで以て我艦隊の最も立派なのをば散々に打破った。 だから、身方の者は、船を失って、彼れを憎いとは思ひながら、 覺えず彼れの手竝を讃めた。……(役員らに)どうしたんだ? 一の吏 オーシーノー公、此男は、彼の「鳳凰」號がカンディヤ(トルコ領クリート島内) から貨物を積んで歸るのを要して強奪しましたアントーニオーです。 又、彼の「猛虎」號に乘込んで來て、甥御様のタイタスどのに一脚を失はせたのも此男です。 街上《まちなか》で、身の恥もかまはず、私鬪をしかけてゐましたから、引捕へました。 ヰ゛ー 御前、あの仁《じん》がわたくしに深切を盡し、わたくしの爲に劍を抜いてくれましたのです。 しかし、終《しま》ひに、不思議なことをわたくしにいひかけました。 氣が狂《ちが》ったとしか思はれませんでした。 公 (アントーニオーに)名代《なだい》の海賊め!鹽水界《えんすゐかい》の盗人《ぬすびと》め! どうしてさう大膽に此 市《まち》へやって來て、 非常に汝《きさま》を憎み怨んでゐる敵の手に捕へられるやうな愚かなことをしたんだ? アント オーシーノー公閣下、今お與へになった惡名は、失禮だが、 すべていたゞきませんぞ。アントーニオーは未だ曾《かつ》て盗みをしたことも、 海賊を働いたこともありません、但し、オーシーノー公の、 たしかに、仇敵であるといふことは自白しますが。 こゝへ來たのは、妖魔めに魅惑された結果です。 そこに貴下《あなた》の傍《そば》にゐる甚《はなはだ》しい恩知らずの其少年を、 わたしは、あはや荒海の泡立つ怒濤に呑込まれかけてゐたのを、 救ひ上げたのでした。到底、助からんと思はれたのを蘇生させ、 剩《あまつさ》へ、私《てまへ》の眞情《まごころ》の一切を擧げて彼れに獻《さゝ》げたのでした。 彼れのために、ひとへに彼れを愛する爲の故に、此敵地へ、 危險を冒してまで、參ったのでした。又、彼れが身の難儀を防ぐために劍を拔いたのでした。 ところが、私《てまへ》が捕へられるに及んで、薄情な心から、 卷添になるまいと思って、わたしを知らん者扱ひにして、咄嗟に、 二十年も無縁でゐた者のやうになって、わたしの財布を返さなかったのです、 半時間ほど前に、彼《あ》れに使へといって渡しておいた財布を。 ヰ゛ー (呆れて)ま、どうしてそんなことが! 公 (アントーニオーに)汝《おまへ》は、いつ此 市《まち》へ來たんだ? アント 今日《こんにち》、來ました。其前三ヶ月といふもの、 二人は日夜間斷なく寸時も離れずにゐたのでした。 オーリヰ゛ヤ姫と侍者役ら出る。 公 あゝ、姫《ひい》さんが見えた。あゝ、天女が天降《あまくだ》った。 ……(アントーニオーに)いや、汝《おまひ》のいふことは狂人同様だ。 此少年がわしに仕へてから、もう既に三ヶ月になるんだ。 が、それは又後にいはう。彼れをあっちへ伴《つ》れてゆけ。 姫 (オーシーノーに)殿は何をお求めになるのです、到底、 さしあげることの出來ないものは除くとしますと、 どういふ奉仕をわたくしにお求めになるのです?…… シザーリオーさん、あなたは約束を守りませんでしたね。 ヰ゛ー (驚いて)え! 公 オーリヰ゛ヤ姫さん……(といひかける)。 姫 (それにかまはず)シザーリオーさん、返辭を聞かせて下さい。 (又公爵が言はうとする。それを制して)まァ、御前、しばらく。…… ヰ゛ー 主人が何か申されますのですから、私は差控へます。 姫 (オーシーノーに)若し此間うちのと同じ調律《しらべ》のお言葉ですなら、 それは承《うけたま》はりますまい、わたくしに取っては、 音樂の後で獸《けもの》の吠えるのを聞くほどに厭《いや》ですから。 公 いつまでもそんなに殘酷ですか? 姫 はい、いつまでも變りません。 姫 はい、いつまでも變りません。 公 え、その酷薄な心が?殘酷な姫《ひい》さん、あなたの其 薄恩《はくおん》な、 無慈悲な祭壇へ、わたしの靈魂《たましひ》は、未曾有の渇仰《かつがう》を以て、 眞實の祈りをさゝげたのでしたのに。わたしはどうしたらいゝのでせう? 姫 何なりともなさいませ、御身分柄に適《かな》ふことなら。 公 はて、しようと思へば、随分エヂプトの賊のやうに、其 最期《いまは》に、 最愛の女をも殺しかねません。兇暴な嫉妬心にも、 どうかすると、立派な意氣《いき》が伴ふ。……が、ま、お聽きなさい。 あなたは是程のわたしの眞實を度外視なさるんだから、又、 愛人としてのわたしの位置を捻除けるやうにした其道具は何者だといふことをも大概知ってゐますから、 あなたはいつでも其 石情《いしごころ》の虐君になっておいでなさい。 但し、あなたが可愛がっておいでの其小僧は、わたしも大切《だいじ》にしてる奴なんですから、 敢て其酷い目から引ッさらって行きますぞ。主人が憤悶に及ぶのは、つまり、 彼奴《あいつ》がちやほやされてゐるからだ。……小僧、從《つ》いて來い。 おれは酷いことをする氣になった。可愛いと思ふ子羊をも犠牲《いけにへ》にしてくれる、 形は鳩、心は烏《からす》の其人への面當《つらあ》てに。 ヰ゛ー お心を慰める足しになりますなら、わたくしは、喜んで、好んで、 進んで、一千たびでも死にまする。 と行きかける。 姫 シザーリオーさん、何處へ行きます? ヰ゛ー 戀ひしいお方に從《つ》いて行きます。此二つの目よりも、此命よりも、 妻となる女よりも、ずっと?以上に大切に思ってゐます其お方に從《つ》いて行きます。 これが僞《いつは》りでしたら、天上の方々さま、證人になって、 愛を汚した罪で私をお罰し下さいませ。 姫 あゝ、まァ、見下げ果てた人!では、騙されたのかねえ? ヰ゛ー だれが騙しました?だれがあなたを侮辱しました? 姫 お前さんは自分を忘れましたか?つい、先刻《さっき》ぢゃないの?…… お上人《しゃうにん》を呼んでおいで。(左右に向っていふ)。 公 (ヰ゛ーオーラに)さ、さ! 姫 (公爵に)どちらへいらっしゃる?……(ヰ゛ーオーラに)シザーリオー、 わが夫《つま》お待ちなさい。 公 (驚いて)わが夫《つま》! 姫 はい、夫です。(ヰ゛ーオーラを見やって)よもやさうではないとはいへまい。 公 姫《ひい》さんと結婚をしたのか? ヰ゛ー いゝえ、決してそんなことは。 姫 あら!そりゃ卑劣な臆病心といふものです、自分を自分だといひ得ないのは。 怖るに及びませんのよ。此幸運を悉くお受けなさい。 さ、其御身分になっておしまひなさい、さうすれば、 怖いと思ふ其人と同等の偉い人になられるのです。…… 僧出る。 おゝ、ようこそ、教父さん!上人《しゃうにん》、あなたに委任しますから、 つい、此間は、其機の熟するまで伏せておかうと申したことを、 即ち此若い方とわたくしとの間に近く經過した一條を、時は熟しませんけれど、 發表していたゞきたいのです。 僧 永遠に渝《かは》るまいといふ愛の契約を取結ばれたのでした。 互ひに手と手を堅く結び合せられたる上に、更に神聖なる接吻によって、 愛を證明し、尚ほ指輪をも交換して、其契約を固められたのでした。 右の儀式一切は、職掌上、手前、一々立會ひの上、執行いたしました。 其時から只今までに、懷中時器《とけい》によりますと、 手前はまだ、たった二時間しか墓の方へ歩きません。 公 (ヰ゛ーオーラを睨んで)おゝ、大うそつきの仔犬めが! 頭に胡麻鹽が振撒かれるやうにでもなったら、どんなことをしをるか! 或ひは、若いうちから狡猾な曲手《きょくで》を使ひ過ぎた報いで、 自分を自分で脊負《しょ》ひ投げにするやうな身の果を見るか? ……さよなら。夫婦になるがいゝ。けれども、以後、 おれが歩いてゐさうな處へ足を向けるな。(と行きかける)。 ヰ゛ー (あわてゝ止めて)御前、私は決して…… 姫 (それを制して)おゝ、お誓ひでない!せめて少しでも眞實を保留しておゝきなさい、 天罰の恐れは、もう今までにもあるんだけれど。 アンドルー急ぎ足で出る。 アンド 大變だ?!外科醫者を!トービーどのゝとこへ、直《すぐ》に外科醫者をやって下さい。 姫 どうしたのです? アンド 彼奴《あいつ》めが我輩の頭を打破《ぶちわ》りをった上に、 トービーどのゝ腦天をも血だらけにしをったです。大變です! 早く往って下さい!こんなくらゐなら家にゐて、 四十ポンド以上を費《つか》っといたはうが優《まし》ぢゃった。 姫 だれがそんなことをしました? アンド 公爵の傍仕《そばづか》へのシザーリオーたらいふ男です。 我輩は奴を臆病者ぢゃらうと思うとったんぢゃが、どうして、 まるで生きとる鬼です。 公 わしの傍仕《そばづか》へのシザーリオーが? アンド (此時はじめてヰ゛ーオーラを見附けて、驚いて)おッや?! こゝにをる!(ヰ゛ーオーラに)お手前は理由なく我輩の頭を打破《ぶちわ》った。 あゝいふことを我輩がしたのは、ありゃトービーどのがさせたンぢゃ。 ヰ゛ー なぜわたしにいふのです?わたしはあなたに恠我《けが》をさせた覺えはありません。 あの時、あなたは故なくして、劍をお抜きになりました。 けれども私は穩かに應對して、恠我《けが》なんかさせやしませんでした。 アンド 腦天が血だらけになったのが恠我《けが》でないちふなら、 恠我《けが》はさせなんだのぢゃらうわい。 お手前は腦天の血だらけになるのを何でもないことぢゃ思ふちょるらしい。…… 怪我をしたトービーが例の如く生醉であるのを、介抱しつゝ道外方出る。 あそこへ跛《ちんば》引いてトービーがやって來をったから、 もっと様子が解るぢゃらう。あの仁《じん》酔うてさへをらんかったら、 お手前をばあっちこっちの目に逢はせをったぢゃらうに。 公 (トービーに)どうしたのです?え、氣分は? トービ (廻らん呂律で)なァに、どうでもいゝんだい。つい、やられたんだ。 それッきりなんだ。……(道外方に)おい、馬鹿、外科醫者のヂックの奴に會ったか?おい。 道外 おゝ、トービーさん、あの仁《 ひと》はもう一時間も前から酔ッてるんでさ。 朝の八時に目がもう坐ッちまってました。 トービ ぢゃ、奴は悪黨だ。しかつべな、のろくさ踊よろしくだ。 泥醉《へゞ》ッてる悪黨はおれァ大嫌ひだ。 姫 (苦々しげに)あっちへ伴れておいでよ!ま、だれがあんな怪我なんかさせたのだねえ? アンド トービーどの、我輩が介抱しよう、一しょに繃帶をするんぢゃからね。 トービ お前が介抱する?馬鹿で阿呆で薄のろと來てけつかる癖に? 姫 寢室《ねどこ》へ伴れていって、手當をしておやり。 道外方、フェービヤン、トービー、アンドルーら入る。 とセバスチヤン出る。皆々之を見て、ヰ゛ーオーラと見比べ、呆れ果てる。 セバス お姫《ひい》さん、あなたの御親戚に恠我《けが》をさせたのは、實《まこと》に濟みません。 けれども、假令《よし》相手が肉親《しんみ》の兄弟であっても、 身の安全を思ふ智慧のある以上、止むを得なかったのです。 ……疎遠な顔をしていらっしゃる所を見ると、お立腹なのでせう。 ねえ、どうぞ堪忍して下さい、つい、先刻《さっき》、お互ひにあゝいふ契約をしたのに免じて。 公 (呆れて)顔も聲も服裝も一つで、人は二人。天然の欺騙目鏡《だましめがね》だ。 現にそこに有って而《しか》も無いのだ! セバス アントーニオー!おゝ、アントーニオーさん!わたしは、あなたに別れてからといふもの、 まるで拷問臺で苛責されてゐるやうに思ってゐました。 アント あなたはセバスチヤンか? セバス それを疑ふんですか? アント どうして二人になったのです?一つの林檎を二つに割ったって、 此二人ほど似ちゃゐまい。どっちがセバスチヤンだらう? 姫 まァ、どうも不思議な! セバス (ヰ゛ーオーラに目を附けて、呆れて)こゝにゐるのはおれか知らん? 男の同胞《きゃうだい》はなかった筈だに。さうかといって、こゝにも、そこにも、 存在するなんて神通力がおれの生來に有る筈はなし。妹は一人あったが、 無慈悲な荒浪に呑まれてしまった。(ヰ゛ーオーラに)ねえ、 あなたは、わたしとは、どういふ縁故があるんです?どこの國の人です? 名は何といふのです?兩親は? ヰ゛ー メッサリンの生れで、父はセバスチヤンです。わたしの兄はあなたそっくりのセバスチヤンといふ人でしたが、 海の墓の中へ、ちゃうどさういふ裝《なり》をして逝ッちまひました。 若し其幽靈が、其姿、其 裝《なり》で、おどかしに出て來るものなら、 あなたがそれでせう。 セバス いかにも、わたしは精靈です。 けれども母の胎内から譲り受けた下等な肉の衣《ころも》をまだ被《き》てゐます。 若しあなたが女でありさへすれば、其他は辻褄が合ふから、わたしはあなたの顔に涙を落して、 死んだと思ったヰ゛ーオーラよ、生きてゐてくれたかといひませう。 ヰ゛ー お父さんは顔に黒子《ほくろ》がありました。 セバス わたしの父にも。 ヰ゛ー さうしてヰ゛ーオーラが生れて十三年目になくなりました。 セバス おゝ、それは歴々《まざ?》とわたしの心に記録《かきしる》されてある! 父上が御逝去になったのは、妹が十三になった年であった。 ヰ゛ー 只、此男の姿だけが二人を幸福にするのを妨げるのですなら、一寸待って下さい、 場所から、時から、運命から、何から何までもが、 わたしがヰ゛ーオーラであることを證明するやうにしますから。 わたしはあなたを此 市《まち》の船長さんの許《とこ》へ案内しませう、 あそこにわたしの娘の時の衣服《きもの》がしまってあります。 わたしは其船長さんに御推擧で、このお殿さまへお奉公することになりまして、 それからといふものは、此お姫さまと此お殿さまとの間のお使ひを勤めてをりました。 セバス (姫に)それであなたがわたしをお見ちがへになった理由がわかった。 それは性の自然の傾向が然《しか》らしめたのでしたらう。でなかったら、 あなたは處女と婚約をなさるところだった。が、必ずしもお目がねちがひではなかったのです、 わたしは男子でもあるが、處女も同様な身の上ですから。 公 驚くには及びませんぞ、正しい血統の男です。が、これが事實とすれば、 眼鏡に間違ひはないらしいから、わたしも此難破仲間に入りませう。 ……(ヰ゛ーオーラに)これ、お前、幾たびも?わたしに向って、 わたしをなつかしく思ふほどに、女をなつかしく思ふことはないといったね。 ヰ゛ー はい、その通りを改めて誓言《せいごん》いたします、さうして其 誓言《せいごん》を、 晝夜を分つあの太陽が其運行を守られますやうに守ります。 公 手をお貸し。お前に女の服を着せて見よう。 ヰ゛ー 私をはじめて濱へ伴れて來てくれました船長が私の服《きもの》を持ってをります。 あの人は或罪で、マルヲ゛ーリオーどのゝ告發で、今は牢にをられます。 立派な人で、お姫《ひい》さんの御家來です。 姫 早速放免することにしませう。マルヲ゛ーリオーを呼んどいで。 お、今、思ひ出したが、氣の毒な、あの男、大變に氣が狂《ちが》ったとか聞きましたが。…… 道外方マルヲ゛ーリオーの手紙を持って出る。フェビヤンつゞく。 自分が氣が狂《ちが》ったやうになってゐましたので、 すっかり彼れのことを忘れてゐました。……(道外方を見て)これ、あれはどうしてゐます? 道外 お姫《ひい》さま、あぶなもんでございます、精々、 惡魔の奴を近づけまいとして努力しちゃゐますがね。 あなたへ如是《こん》な手紙を書きました。これは朝のうちにお屆けするのでございましたがね、 狂人《きちがひ》の手紙はお福音ぢゃァございませんから、 いつ屆けたっていゝやうなもんで。 姫 ま、開封して、讀んでごらん。 道外 エヘン。然《しか》らば、とくと御服膺遊ばされ候へ、阿呆が狂人《きちがひ》の口上を述べますッ。 (度はづれの聲を出して讀む)。 「あゝ、御姫君よ」…… 姫 まァ!お前、氣が狂《ちが》ったの? 道外 いゝえ、只、その、狂人《きちがひ》の手紙を讀んでるのですが、 狂人《きちがひ》のらしく讀ませようとなさるには、 かういふ聲をお許しにならなくっちゃなりません。 姫 どうぞ、正當に讀んどくれ。 道外 へい?。ですが、狂人《きちがひ》の書いたものを正當にといへば、 かう讀まなくちゃ正當ぢゃありませんや。だから、(と大氣取りで) 「御姫君よ、御心《みこゝろ》を留めさせられ、いざ聽《きこ》し召され候へ。」 姫 (うるさゝうに)フェビヤン、お前お讀み。 フェビ (讀む) 「あゝ、御姫君よ、あまりの御侮辱なり、やがては世人も知らん。 自分を暗室中に押込たまひ、醉ひどれの叔父御をして監視せしめたまひたれど、 自分は御前同様の健全なる五感を備へをれり。 況《いは》んやあの如き服裝をすべく御勸誘ありし御書簡を所有しをるに於てをや。 今に身の明りを立つると共に御面目を失はせ申すべし。 自分の事を如何さまにも思し召したまへ。自分は此際 聊《いさゝ》か家來たるの本文を度外視して、 専《もつぱ》ら此身の損害に就いて愁訴す。 狂人扱ひにされたるマルヲ゛ーリオー。」 姫 これを彼れが自分で書いたのかい? 道外 へい、さやうでございます。 公 たしかに氣が狂《ちが》ってゐるらしい。 姫 フェビヤン、彼れを暗室から出して、こゝへ伴れておいで。…… フェビヤン入る。 (公爵に)御前、若し先刻からの事情をとくと御斟酌下さいまして、 わたくしを妹とも又人の妻ともなる者とおぼしめしまして、 早晩それに對する式を擧げることに御賛成下さいますやうなら、それは、 此 邸《やしき》で、専《もつぱ》らわたくしの手で執行《とりおこな》ひたうございますが、 いかゞでせう? 公 お姫《ひい》さん、至極賛成です。(ヰ゛ーオーラに)お前の主人は今お前に暇《いとま》を遣ります、 性にも背き、其やさしき柔和な育ち柄にも背いた勤めを盡してくれた其報いには、 かうして主人が握手をします。けふからはお前はわしの情人《おもひ゛と》である。 姫 (ヰ゛ーオーラを抱擁して)妹!お前は妹ですよ。 此時フェビヤンが顏面憔忰したマルヲ゛ーリオーをつれて出る。 汚い暗室から出て來たばかりなので、藁屑などがマルヲ゛ーリオーの衣服に附着してゐる。 公 あれですか、狂人は? 姫 さうです。……マルヲ゛ーリオー、どうしました? マルヲ゛ お姫《ひい》さま、酷いお取扱ひをなされました、ほんとに酷いことを。 姫 あの、わたしが。いゝえ。 マルヲ゛ いゝえ、ひどいことをなさいました。此お手紙を讀んで見て下さいまし。 これを御自筆でないとはおっしゃられますまい。これと異《ちが》った書き方なり、 文句なりが出來ますなら、書いて御覽なさいまし。或ひは又、これはあなたの封じ蝋ではない、 これは御自分のなされたことでないとおっしゃって御覽なさいまし。 そんなことはおっしゃられるもんぢゃありますまい。さ、さうでございます以上、 正直に、穩当に、なぜあんなに御寵愛下さる由《よし》を御明言なさりながら、 其お言葉が有りがたさに、悉くお吩咐《いひつけ》を守り、にや?笑って、 十字形の靴下締をして、黄色の長靴下を穿《は》いて、 トービーさんや下役共へ苦い顔をして見せます段となって、 牢の中へお入れになり、昏闇《くらやみ》へ押込めて、牧師に見舞はせたり、 名代《なだい》の馬鹿者に前例のないやうな惡戯《いたづら》をおさせなすったり遊ばしたのは、 どういふわけでございます?わけをおっしゃって下さい。 姫 (手紙を讀了って)マルヲ゛ーリオー、こりゃわたしの書いたのぢゃないよ。 大變に字がよく似せてあるけれども、こりゃ大丈夫マライヤが書いたのです。 さういへば、お前が氣が狂《ちが》ったといったのは彼女《あれ》でした。 そこへお前がにや?笑ってやって來ました、 此手紙にお前がさうするやうに豫定してある通りの裝《なり》をして。 まァ、忍耐《がまん》おしよ。こりゃよっぽど念入りに意地のわるい惡戯《いたづら》をしたのだよ。 けれども其由來も、發頭人もわかった以上、お前自身が告發者とも裁判官ともなるがよい。 フェビ お姫《ひい》さま、憚りながら申し上げますが、どうか、 斯ういふ不思議な、おめでたい際には、喧嘩や爭ひのございませんやうにいたしたいものでございます。 さう存じますから、悉く白状いたしますが、實は、 このマルヲ゛ーリオーさんにさういふことをしました發頭人は私とトービーさんなんでざいます。 此方が、随分と頑固な、無作法をなさいましたもんですから、そこでマライヤが、 あのトービーさんが、是非にとおっしゃるんで、僞筆《にせふで》の書《ふみ》を書きましたのです、 それから、其報いにといって、トービーさんはあの女と夫婦になりました。 其後の成行は、つまり、ほんの惡戯《いたづら》で、 怨みを招くよりは寧ろ笑ひを招くはうの惡戯《わるふざけ》に過ぎません。 双方に、五分々々のわるいことがあるのですから。 姫 (マルヲ゛ーリオーを見返って)まァ、可哀さうに、みんなが寄ってたかって、 お前を酷い目に逢はして! 道外 はて、「或者は生れながらにして偉大なり、或者は努めて而《しかう》して偉大を得。 或者は偶々《たま?》偉大を投げ與へらる。」わッしもこれで、 此お茶番の一役を勤めたんでさ。トーパズ上人《しゃうにん》さんてね。 が、そんなことァどうでもいゝや。(マルヲ゛ーリオーの假聲《こはいろ》で) 「阿呆、わたしは狂人《きちがひ》ぢゃァないよ。」…… (マルヲ゛ーリオーに)ねえ、あんた、おぼえてますか? (またマルヲ゛ーリオーの假聲《こはいろ》で)「お姫《ひい》さま、あなたは、 どうしてあんな淺薄な奴の平凡な滑稽をお笑ひなさいますか? お笑ひ遊ばさなけりゃ、すぐもう猿ぐるわですのに。」……因果は運《めぐ》る小車《こぐるま》とござい。 マルヲ゛ (眞赤に怒って)今に汝《きさま》ら殘らずに復讐《しかへし》してくれる。 マルヲ゛ーリオー憤然として入る。 姫 ほんとにまァ、あんまりな目に逢はせたわねえ、あの男を。 公 おッかけていって和《なだ》めるがいゝ。船長とやらのことを聞くのを忘れた。 それが解り、さうしていよ?吉日が定《きま》れば、 相愛《あひあい》するお互ひの婚禮の式を擧げることにしよう、 それまでは、妹さん、わたしは此邸《こゝ》に留まってゐませう。 ……シザーリオー、來な。男姿をしてゐる間はシザーリオーにしておかう。 が、他の裝《なり》になると、オーシーノーの情人《おもひびと》であり、 其切なる戀の后《きさき》でもあるのだぞ。 道外方だけ殘りて皆入る。 道外 (歌ふ)。 おらがなァ、ちッちゃい小僧でゐた頃にゃ、  はれ風が吹く、雨が降る。 阿呆や惡戯《わるさ》も笑ひで濟んだ、  雨の降るのは常ぢゃもの。   おらが大人になったる頃にゃ、  はれ、風が吹く、雨が降る。 悪黨《わる》や盗賊《どろぼ》は何處でも泊めぬ、  雨の降るのは常ぢゃもの。   おらが嚊《かゝ》衆を貰うた頃にゃ、  はれ、風が吹く、雨が降る。 駄法螺ばかりぢゃ世は送られず、  雨の降るのは常ぢゃもの。   おらが此世におさらば言うて、  はれ、風が吹く、雨が降る。 眠《ね》る間際まで飲抜け仲間、  雨の降るのは常ぢゃもの。   此世開けてなァ久しいけれど、  はれ、風が吹く、雨が降る。 それもだんない、劇《しばゐ》は果《は》ねた、  御機嫌取るのはおらが役。 歌ひつゝ踊りつゝ入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/06/28