十二夜 : 目次


タイトル:十二夜 (Twelfth Night, 1599)
著者:シェークスピヤ (William Shakespeare, 1564-1616)
譯者:坪内逍遥 (1859-1935)
底本:新修シェークスピヤ全集第二十卷『十二夜』
出版:中央公論社
履歴:昭和八年十月廿五日印刷,昭和八年十月三十日發行

十二夜

又の名「お好きなもの」

シェークスピヤ 著

坪内逍遥 譯


目次


更新日:2004/06/24

十二夜 : 第一幕 第四場


第一幕

第四場 公爵の館。

公爵の侍士ワ゛ランタイン先きに、男裝したるヰ゛ーオーラ出る。 シザーリオーと假名(かめい)してゐる。
ワ゛ラン
シザーリオー、殿さまの御寵愛が若し今のまゝで續くやうだと、 君は出世しますぞ。お目にかゝってから、まだ三日目にしかならんのに、 もう三年も御奉公してゐなすった人のやうだ。
ヰ゛ーオ
御寵愛が若し續けばとおっしゃるのは、わたしが御奉公を怠るか、 殿さまのお氣が變るか、どちらかを氣づかってのお言葉でせうが、 殿さまは、そんなに機嫌買ひなんですか?
ワ゛ラン
いゝや、決して。
ヰ゛ーオ
ありがたう。……あそこへお出でになった。
公爵と侍士キューリオーと他の侍者役ら出る。
(キューリオーらに)こら、シザーリオーは何處へ往った?
ヰ゛ーオ
(前へ進んで)お前にをりまする。へい、こゝに。
(キューリオーらに)お前たちは暫く離れてゐろ。……
侍者一同一隅へ退(さが)る。
シザーリオー、わしは(おまへ)には何もかも打明けた、 靈魂(たましひ)の秘書までも(ひもと)いて見せた。 だから、思ひ切って、姫のとこへ出掛けていって、否應いはせず、門口(かどぐち)に突立って、 お目にかゝるまでは、かうして(こゝ)に足を生え附かせてゐますと言ひな。
ヰ゛ーオ
でも、御前さま、そのお姫さまが、噂の通り、 深いお歎きにお沈みになっていらっしゃいますのですと、 (とて)もお會ひ下さるまいと存じます。
何一つ得る所もなくって歸るよりは、やかましくわめき立てろ、 禮儀なんかにかまはず。
ヰ゛ーオ
で、若しお目にかゝれましたら、どういたしますか?
おゝ、其時には、如何にわしの戀が熱烈であるかを話せ、 わしのせつない眞心の一部始終を話して、姫の心へ突貫しろ。 戀に惱むわしの代理を勤めるには、おのしは適任だ。 むつかしい顏附の使ひの者よりは、若々した(おのし)のはうが姫の氣に入りさうだから。
ヰ゛ーオ
わたくはさう思ひません。
いゝや、きっとさうだ。だって、(きさま)を男だと思ふやうな者は、 それはまだ(きさま)の少年振を見誤ってゐる手合だらうもの。 [女|爭](ダイヤナ)の紅玉のやうな脣だって(きさま)のうつくしさには叶はない。 (きさま)の小さい喉笛はまるで小女(こむすめ)のそれだ、甲高な聲が出る。 何もかもが女の持前に似てゐる。だから、宿命的に此任に適してゐるんだ。…… だれか四五人、あれに()いて行け。何なら悉皆(みんな)往ってもいゝ。 おれは(はた)に人がゐないのが一等好いのだから。 (ヰ゛ーオーラに)うまくやって來てくれ、さうすりゃ、 おれの財産を(きさま)(もの)といはせて、 おれと同等の生計(くらし)をさせてやる。
ヰ゛ーオ
力に及びますだけ骨折りまして、そのお姫さまを説いて見ませう。 ……(傍白)けれども自分の爲には邪魔な骨折! あの方の爲に求婚はするものゝ、實は自分が奥さんになりたいんだ。
一同入る。

更新日:2004/06/25

十二夜 : 第二幕 第一場


第二幕

第一場 イリヽヤの海岸。

或國の水軍の將校アントーニオーとヰ゛ーオーラの孿生(ふたご)の兄セバスチヤンと出る。 セバスチヤンはアントーニオーの救助で溺死をまぬかれたのである。
アント
もう逗留はしないといふのですか?わたしが一しょに行くのもいけないといふのですか?
セバス
はい、失禮ですけれど。わたしには暗い、皮肉な運星が附纒ってゐますから、 それがあなたにまでも、どんな惡い影響を及ぼすまいものでもない。 ですから、お別れを願ふです、(わざは)ひを自分だけで脊負(しょ)ふために。 あなたに少しでも御迷惑をかけるやうでは、御恩に報ゆる所以でありますから。
アント
せめて、どちらへおいでなさるのかを知らせて下さい。
セバス
いゝえ、それはいへません。どこと當もなしにぶらつき廻るですから。 と申したものゝ、お見受けするところ、あなたは非常に温厚なお方で、 わたしがいふまいとすれば、敢てそれを聽かうともなさらない、ですから、 禮儀上、却って有りのまゝに申さねばならにやうに感じます。 では、アントーニオーさん、御承知おき下さい、わたしはセバスチヤンといふ者です、 ロデリゴーと申したのは假名(かみゃう)です。父はお聞き及びでもありませう、 彼のメサリン市のセバスチヤンです。死後に、わたしと妹とを遺しました、 二人は同じ時に生れたのでした。神々の御意であったなら、二人ともあのまゝ死んだでせうに、 それをあなたがお變へなすった。すなはちあなたがあの荒浪からわたしを救ひあげて下すった數時間前に、 妹は、もうとうに鹽からい水に溺れて、死んでしまってゐますのに、 今またわたしは、此目から出る鹽から水で(涙で)、つい、 あれの思ひ出までも溺らしてしまひさうになりました。
アント
失禮な御待遇をいたして、甚だ相濟みませんでした。
セバス
おゝ、アントーニオーさん、何かと御厄介を掛けたのをお赦し下さい。
アント
わたしを失望させて殺さうといふお氣でないなら、お(とも)をさせて下さい。
セバス
折角の今までの御深切を無になさらうといふのでないなら、言ひ換へれば、 一旦お助けなすった其男を殺さうといふ積りでないなら、 そんなことはおっしゃらないで下さい。もうこれでお別れします。 わたしはまだ胸が一ぱいになってゐます、心持が、どちらかといふと、 阿母(おふくろ)流になってゐますから、ちょっとでも急處に觸られると、 目が一切のお話をしさうでしかたがない。わたしはオーシーノー公の(やかた)へ往く積りです。 さやうなら。(と入る。)
アント
もろ〜の神々がお前をお護りなさるやうに!……あのオーシーノー家にはおれの敵が大勢ゐる。 さうでなけりゃ(すぐ)にもお前をたづねて會ひに行くのだが。 ……いや、どんなことが起ったってかまはん、あくまでも慕はしいお前だ。 危險なんかは遊戯も同然だ。行かう。
セバスチヤンの跡を追って入る。

更新日:2004/06/25

十二夜 : 第二幕 第四場


第二幕

第四場 公爵の(やかた)

公爵オーシーノー、ヰ゛ーオーラのシザーリオー、キューリオー及び其他出る。 樂人やゝ後れて出る。
何か歌を聽かせろ。さ、……(とヰ゛ーオーラにいひかける途端に、 樂人が出て來る)おゝ、お早う。……(と又ヰ゛ーオーラに)さ、シザーリオー、あの歌を。 それ、昨夕(ゆうべ)聽いた、あの、古い、古風な歌を。 あれを聽いてたら、憂悶(ものがなしさ)を大變紛らされたやうに思った、 いつもの、あの陽氣な、技巧的な、間の早い、目まぐるしいやうな小唄なぞとは違って。 さ、もう一節。
キュー
失禮でございますが、あれを歌ひます者が、只今は居りません。
だれが歌ったんだ?
キュー
弄僕(だうけ)役のフェステでございます。 オーリヰ゛ヤ姫さまのお父上が御贔屓に遊ばしました阿呆でございます。 お館へ折々參ります。
探して來い。(キューリオー入る。)其間、あの曲を奏してろ。 (ヰ゛ーオーラに)こら、こゝへ來い。若し(きさま)が戀をするやうだったら、 其なつかしい苦みの折々に、おれの事を思ひ出してくれ。眞實の戀をする者は、 みんなおれの通りなんだから。戀人の面影だけは片時も目を離れないけれど、其他の事は、 何でもすぐ忘れてしまふ。ふは〜と氣が變る。……(きさま)はあの曲をどう思ふ?
ヰ゛ー
あの曲は、戀の帝座の反響を、そっくり其儘に傳へてをります。
うまいことをいふなう。おのしは、(とし)はまだ若いけれど、 どこかに、必定(きっと)、可愛いと思ふ女の子があったんだらう?あったか?
ヰ゛ー
はい、ございます。
どんな風の女だ、それは?
ヰ゛ー
あの、御前に善く似てをります。
ぢゃ、惚れるほどぢゃないなう。(とし)は幾つだ?
ヰ゛ー
御前と同じくらゐです。
おや〜、齢取(としと)り過ぎてるねえ。 女は自分よりも齢上(としうへ)の夫を迎へるやうにするがいゝのだ。 さうすれば夫婦仲がしっくり行く、いつも夫の氣に入るやうに釣合ひを取ることが出來る。 といふのは、われ〜男といふ者は、何のかのと自讃はするものゝ、 女よりは浮氣なもんだ、おそろしく戀焦れてゐるかと思ふと、 ふら〜と氣が變る、いつの間にか忘れる、掻消したやうになる。
ヰ゛ー
全くさやうでございます。
ぢゃ、(きさま)も自分よりも年下の戀人をこしらへるがいゝ、でないと、 いつまでも可愛く思ふわけにいかんよ。女といふ者は薔薇のやうなものだからね、 綺麗に咲いたなと見るうちに、もう花が散るものだからね。
ヰ゛ー
さやうです。何たる情けないことでございませう! やっと盛りになったと思ふ途端に散ってしまひますのは!
キューリオー、道外方(フェステ)をつれて出る。
(道外方に)おゝ、(きさま)、歌ってくれ、昨夜(ゆうべ)聽いた歌を。 ……おい、シザーリオー、聽いてろ、古い、平凡な歌だ。 日向(ひなた)ぼこりをして、絲を紡いだり、骨の針で物を編んだりする苦勞知らずの村娘どもが歌ふ唄だ。 大昔らしく、いかにも暢氣に、たわいもないことをいってる間に、無邪氣な戀の眞實が見える。
道外
よろしうございますか?
あゝ、歌ってくれ。
樂人が音樂を奏しはじめる。
道外
(歌ふ)
來をれ、最期(いまは)よ、來をるなら、來をれ、
杉の柩に埋めてくりゃれ。
絶えよ、此息、絶えるなら、絶えろ、
むごいあの兒に殺されまする。
縫うてたもれよ白かたびらを、
縫ひ目〜に水松(いちゐ)を挿して。
又とあるまい此思ひ死。
 
花を撒くなよ、うつくし花を、
わしの柩にゃ只黒布を。
だれも死骸に物いうてくれな。
骨を埋める其際とても。
やくに立たない溜息、吐息
させぬ其ため、深切者の
知らぬ處へ埋めてたもれ!
(貨幣を與へつゝ)そら、骨折賃だ。
道外
骨折ぢゃございませんや。わッしの道樂でさ、こりゃ。
ぢゃ、道樂の報酬だ。
道外
なるほど。道樂(放蕩)にゃ早晩お應報(むくい)が參りますね。
御苦勞だったが、どうか、もう()ってくれ。
道外
(獨白的に)さ、さ、氣むづかしやのサターン神さんをお守り神になさいましただ。 裁縫師(したてや)吩咐(いひつ)けて、 五色にも七色にも變る交織絹(まぜおりぎぬ)下被(したぎ)をばお拵へなさいだ。 まるで猫眼石よろしくて御機嫌だ。かういふ人は海へお出かけになると好いんだ、 いろんな事が出來るからね。いろんな處へ行かれるからね。 當なし船旅の有りがたさは、そこに在るんだ。……さよなら。
道外方入る。
他の者も、みんあ退(さが)れ。
キューリオー及び侍者役、樂人ら退く。
シザーリオー、(きさま)、もう一度、あの、例の、 此上もなく酷い婦人のところへ往って、さういってくれ、おれの戀は、 俗人のとは(ちが)ってずっと高尚なのだから、 (むさ)い地面なんかは(ちっと)も大切に思はない、 あの婦人の資産なんかは運命も同様に輕く見てゐる、 けれども「自然」の靈腕を(ちりば)められた靈妙不思議な寶玉(はうぎょく)である其人には、 此魂までが引附けられると、さういってくれ。
ヰ゛ー
でも、どうしても御承諾なさいませんでしたら?
おれゃさういふ返辭は聽かん。
ヰ゛ー
でも、致しかたがございませんでせう。たとへば、或婦人が、 それは随分ありさうな事でございますが、あなたを、 あなたがオーリヰ゛ヤさまを思っておいで遊ばすほどに慕って、 焦れ抜いてゐますといたします。が、あなたは其婦人をお好きなさいませんで、 いやだ、とおっしゃいます。さうおっしゃられたってしやうがありますまい。
女の胸には、(とて)も、おれの此心臟中に鼓動してるやうな、こんな強い熱情なんかは存在しない。 女の狹い心臟は、到底、これほどの思ひを包藏し得ないんだ。永續きのしないのが(きま)りだ。 女の愛情は食慾のたぐひだよ、肝臟の衝動ではなくッて、口腹の作用だ。 だから、食傷(たべす)ぎたり、もたれたり、吐氣を催したりする。 が、おれの愛は海のやうに限りがない、いくら貪食したっても消化することが出來る。 おれのオーリヰ゛ヤを思ふ心を女の愛なんかと比べてくれるな。
ヰ゛ー
私が存じてをりますところでは……
(おの)しが存じてゐる所では、どうだといふんだ?
ヰ゛ー
女とても、男に對しての情合の深いことは、實際、(すこウ)しもわれ〜と變りませんのです。 私に妹がございましたが、ある男を戀ひ慕ってをりました。 若し私が女でございましたなら、ちょうどあんな風に御前さまをお慕ひ申したでございませう。
さうして其戀には、どんな履歴書きがあった?
ヰ゛ー
まったくの白紙(しらかみ)でした。何にも口へは出しませんで、 薔薇のやうな頬を螟蛉(あをむし)同然の其 秘事(ひめごと)に食はせ〜して、 憂き思ひに病み(やつ)れ、蒼ざめて、(ふさ)ぎ込んで、 「忍耐」の像でゝもあるやうに、悲しい中を笑ひ顏をして、じっとしてゐました。 これこそ眞實(ほんたう)の戀ではないでせうか?男は口へ出して、 もっと〜強いこともいひますけれど、眞情(まごころ)以上を見せびらかすことが幾らもあります。 誓言を聽くと、如何にも眞實さうですけれども、情はそれほどでないことがあります。
で、(おのし)の妹は、其戀煩ひの爲に死んだのか?
ヰ゛ー
父の血統(ちすぢ)は、私の外には、女の子も、男の子も、もう無いのでございます。 けれどもまだよくは分りません。……(急に氣を變へて) お(ひい)さまのとこへ往って參りませうか?
さう、それが肝腎だった。急いで往って來てくれ。 この寶石を渡して、おれは決して退却はしない、拒絶は受けないといへ。
入る。

更新日:2004/06/27

十二夜 : 第三幕 第一場


第三幕

第一場 オーリヰ゛ヤの庭園。

ヰ゛ーオーラのシザーリオー出る。つゞいて道外方(フェステ)小太鼓を手に持って出る。
ヰ゛ー
御機嫌よう、鳴物屋さん。太鼓に依って、君は生計(くらし)をお立てゞですか?
道外
いゝえ、教會に寄ってゞす。
ヰ゛ー
ぢゃ、君は(ばう)さんですか?
道外
どういたしまして。ずっと教會に寄った處に家があって、そこに暮してます。 教會の(わき)にね。
ヰ゛ー
さういふ風に言や、王さまが乞食の(わき)に寢てゐんさるともいへるわね、 若し乞食が王宮近くに住んでゐれば。或ひは教會が太鼓に依って立つともいへるわね。 太鼓を教會の(わき)へ置いたとすりゃ。
道外
したりッ。……そうです此 (せつ)は! 怜悧(りこう)な手合に取っちゃァ言語(ことば)はまるで仔山羊の革に手袋でさ。 表を出さうと、裏を出さうと、自由自在でさ。
ヰ゛ー
全く其通りよ。言語(ことば)玩弄物(おもちゃ)にする人達に限って、 すぐに言語(ことば)に意味をだらしのないものにしッちまふのよ。
道外
いや、言語(ことば)は碌でもないものになッちまひましたよ、 御制限附になって堕落してからはね。
ヰ゛ー
どうして?
道外
言語(ことば)が自由でない以上、さうなった理由をいふことさへも出來ませんや。 此頃の言語(ことば)のやうに、好い加減なものばかりぢゃ、それを使って説明しようて氣にもなれませんや。
ヰ゛ー
ほんとに、君は極樂蜻蛉(ごくらくとんぼ)だね。一切無頓着ね。
道外
どうして、これでも相應に頓着しまさ。けれどもあんたなんかにゃ頓着しないや。 それが即ち一切無頓着てのなら、あんたが、取りも直さず、一人で「一切」を脊負(しょ)ッてるんだ。 やれ、御苦勞さま!
ヰ゛ー
君はオーリヰ゛ヤ姫さんの阿呆さんぢゃないかい?
道外
いゝえ、決して。オーリヰ゛ヤ姫さんは阿呆(淫蕩)好きぢゃありません。 阿呆(玩弄物)なんか抱へなさりゃしませんや、結婚なさるまでは。 阿呆は亭主に似たものでさ、小鯡(ピルチャード)(にしん)に似てるやうにね。 亭主の方が大きいだけでさ。わッしはお(ひい)さんの阿呆ぢゃないんです、 ほんの駄洒落係です。
ヰ゛ー
オーシーノーさまのお(やかた)で君に會ったっけねえ。
道外
阿呆は太陽と同じに地球ぢゅうを廻ってあるきまさ、どこでも光ってまさ。 わっしがお(ひい)さんのとこ同様にあんたの殿さんのとこへも折々出掛けて行かないやうだったら、 お氣もじさまでさ、あそこにゃお怜悧(りこう)さんのあんたが居たやうだからね。
ヰ゛ー
わたしにまで一本參らうといふのなら、話はしないよ。(貨幣を放出して)お取り。 さ、お小遣ひです。
道外
(それを受取って)もし、ヂョーヴ神さま、此次、毛をお下渡しの時分には、 この人に髭をおやり下さいまし。
ヰ゛ー
ほんとに、わたし欲しくッてならないの、そのお髭さんが。…… (傍白)自分の頤には生やしたくないけれど。……お(ひい)さんはお(やしき)にいらっしゃって?
道外
(此問にはかまはず、貰った貨幣をひねくりながら)こいつに連れ合ひをこさへたら、 子を生まないでせうかねえ?
ヰ゛ー
生みませうよ、その二箇(ふたつ)を一しょにして預ければ。
道外
わッしはフリヂヤの媒介者(パンダラス)の役廻りをして、 此(と貨幣をひねくりつゝ)情夫(トロイラス)さんのとこへ(其 情婦(いろをんな)の) 姫さんを()れて來たいもんだなァ。
もう一箇下さいと謎を掛ける。
ヰ゛ー
わかりましたよ。貰ひッぷりが旨いから。 (と貨幣を又一枚放出して)さ。(と又遣る)。
道外
でも、大した物をねだったわけぢゃないや、たかゞ物貰ひ(お乞食さん)を貰ふんですからね。 クレシダ姫は物貰ひ(お乞食さん)をしてゐたといひまさ。…… お(ひい)さんは奥にゐなさります。わッし奥へ往っていひませう、 あんたが何處から來なすったかを。けれども、あんたが誰で、何の用で來なすったてなことは、 わッしの天空以外だ、元素(空氣)以外でさ。いや、こんな文句はもう黴臭いかな。
道外方入る。
ヰ゛ー
あの男は阿呆の眞似をしてゐるのだが、それには中々智慧が要る。 先づ、相手の氣分や人柄や場合を、よく見分けてかゝらなければならない。 野鷹の様に、どんな鳥でもかまはず、目の前へ來さへすれば、 突っかけるといふのぢゃァ駄目だ。智慧者の仕事とおんなじに、 あれも中々工夫が要り、又骨もお折れるらしい。怜悧(りこう)に、 當意即妙な阿呆口を(なら)べるんだもの。 怜悧(りこう)者の阿呆に成下ったのは、それに比べると、始末におへない。
トービーとアンドルーと出る。
トービ
(妙に儀式ばって)や、これは、ごきげんよろしう。
ヰ゛ー
あなたにも。
アンド
Dien vous garde, Monsieur.(これはごきげんようと位ゐの意味)。
よせばよいのにフランス語で話しかける。
ヰ゛ー
Et vous aussi, votre serviteur.(どうぞお心安くといふ程の挨拶)。
と即座に同じ語で答へられたので、フランス語の種切れとなったアンドルーは(よんどこ)ろなく
アンド
どうか、以後、お心安く。
と月並の挨拶をして、ぽかんとする。
トービ
(妙に鹿爪に)えゝ、當 (やしき)内に參入あられてはいかゞでごわす? 姪に於ては貴下の御 入來(じゅらい)を切望します、彼女に御所要あっての御入來でごわすなら。
ヰ゛ー
(わざと此口上に調子を合せて)いかにも、當お(やかた)をさして、 船を進めて參りました。お姪御さまは手前の船泊りでいらせられます。
トービ
(いよ〜堅くなって)えゝ、お脚を御利用なさい、御試運轉なさい。
ヰ゛ー
お言葉に意味はよく分りませんけれど、此脚は、これでも、 試驗濟になってをります。
トービ
いや、お入り下さいと申すのです。
ヰ゛ー
ぢゃ、(はい)と御返辭して入ることにいたしませう。 (と行きかけて、向うを見て)おや、參るには及びませんです。
オーリヰ゛ヤとマライヤと出る。ヰ゛ーオーラはそれを迎へて、叮嚀(ていねい)に會釋して
いとも〜いみじき淑女の君、天よ、よき香りを此君に(そゝ)ぎたまへ!
アンド
(感心して)あの若い男は旨い挨拶をするわい。「よき香りを(そゝ)ぎたまへ」。むゝ。
ヰ゛ー
(ひい)さま、わたくしは、お許しを蒙って、特にあなた様だけに、 折入ってお話が申し上げたいのでございます。
アンド
「よき香り」、「お許しを蒙って」、「折入って」。 三句ともいつでも使へるやうに(おぼ)えておかう。 (と手帳を出して書き留めてゐる)。
庭の其入口を閉めといて、みんなお退(さが)り。……
トービー、アンドルー及びマライヤ入る。
さ、手を。(と握手を求める)。
ヰ゛ー
(わざと手を出さないで、うや〜しく)何事なりと、どうぞ御用を仰せ附けられて下さいまし。
名は何といふのです。
ヰ゛ー
シザーリオーと申します、以後お召使ひともおぼしめしますやう。
ま、わたしの召使ひ!謙遜するのが禮儀になってからは、 世の中が面白くなったぢゃないの?あなたはオーシーノー公のお召使ひですのに。
ヰ゛ー
ですが、主人はあなたのお召使ひです、はい、 さうならずにはゐられないと申されます。 ですから、あなたのお召使ひの召使ひである私はあなたのお召使ひです。
わたしあの方のことは思ってゐません。 あの方もわたしの事なんかをお胸に書き(なら)べていらっしゃらないで、 白紙(しらかみ)にしておいて下さればよいに!
ヰ゛ー
(ひい)さま、私は主人の爲にあなたのお心を和げに參りましたのです。
おゝ、無作法のやうですが、もうあの方の事をいふのは止めて下さい。 けれども他人の人の爲にいふのならば、 わたし天體の音樂を聽くこと以上に喜んで聽きませう。
ヰ゛ー
えゝ、お(ひい)さま……
ちょっと待って下さい。此間あなたはあんなにわたしを迷はせておいてお歸りになった、 で、すぐ後を追はせて、あなたへ指輪を送りました、が、考へて見ると、あれは、 自分をも、家來をも、又あなたをも或ひは侮辱した行為であったかも知れません。 あなたの(もの)でもないものを恥かしい巧み事をして無理に押附けようとしたのをば、 あなたがどんな風にお取りだったらうか知ら?殘酷な風に解釋されやしなかったか知ら? わたしの名譽を杭に縛り附けられた熊扱ひにして、 口籠(くご)をはめない猛犬のやうな酷い非難を(けしか)けなさりゃしなかったか知ら? ねえ、あなたのやうな方には、もうとうに解ってゐる筈です。 わたしの心を掩ってゐるのは薄絹一重です。だから有りのまゝにいって下さい。
ヰ゛ー
お可哀さうに存じます。
それは可愛いといふ心持への階段です。
ヰ゛ー
いゝえ、さうぢゃありません。なぜなれば、 憎いと思ふ敵をも可哀さうに思ふことはよくありますもの。
怫然(むっ)とした體で)それぢゃ、もう笑って、(すま)ァしてゐませうよ。…… (横を向いて、半分傍白式に)おゝ、世の中よ、下等社會の者が、 どうかすると、おそろしく高慢な振舞をする!同じく餌になる位ゐなら、 狼に食はれるよりは獅子に食はれたはうがよい!(此時掛け時計の音がする)。 時計が無駄に時間を費すといって、わたしを叱ってゐる。……お若い方、心配なさるな、 あなたをどうしようともいひません。けれど今に智慧も(とし)も出來秋になりませう、 すればあなたの奥さんは立派な御亭主を刈入れませう。…… さ、そちらが出口です、其西の方が。(と例の如く出て行けといふこなし)。
ヰ゛ー
ぢゃ、「西行きぢゃい!」といたしませう。 (とちょっと時の流行語のwestward, ho!を當込んで戯れながら、改めて丁寧に會釋して) お心しづかの御機嫌よろしう!主人へはどういふ御口上もございませんのですか?
返辭がないので往かうとする。
お待ち。お前さんはわたしをどう思ってゐるの?それをいって下さい。
ヰ゛ー
さうだと思し召していらっしゃることが、其實さうでないと思ってゐます。
さ、さう思ってゐるかも知れない、けれどもあなただって同じくでせう。
ヰ゛ー
ぢゃ間違ってゐないとおぼしめしていらっしゃい。私は表に見えてゐるやうな者ぢゃありません。
わたしはあなたがわたしの思ふやうであったらと思ひますの。
ヰ゛ー
(ひい)さま。すると、今の身の上よりもよくなるのでせうか? 私さう成りたうございます、今はあなたの阿呆役を勤めてゐますのですから。
(傍白)おゝ、あの人が言ふのだと、どんなに嘲弄されても、 (さげす)まれても、怒られても、可愛らしく聞える! 人殺しの罪跡(ざいせき)の現れるよりも、氣取られまいと思ふ戀の、色に出るはうが早い。 戀の夜は晝も同然だわ。……シザーリオーさん、春の薔薇の花を、 處女の(みさを)を、面目を、眞實を、その他、何もかも誓ひに掛けて、 あなたはわたし好きなの、高慢であっても。どう智慧分別で思ひ返して見ても隱し切れないの。 さういったからって、女の方から言寄ったから、だから、 これは拒絶すべきだといふやうな理窟なんか持出さないで、 むしろ「求めて得るのもよいが、求めないで得た戀は尚よい」といふやうな理窟を立てゝ下さい。
ヰ゛ー
無邪清淨の若い心を誓ひに掛けて申しますが、私には、たった一つの心しか、 胸しか、眞實しかありません。さうしてそれは御婦人には()げられません。 又、それは私の外はどんな者も持主になり得ないのです。 ですから、御機嫌よろしう!もう二度とは、主人の爲に泣きには參りません。
と改めて會釋して往きかける。
だって、又來て下さい。お前さんに口説かれゝば、今はどんなにいやがってゐても、 好くやうになるまいものでもないから。
左右に分れて入る。

更新日:2004/06/28

十二夜 : 第三幕 第三場


第三幕

第三場 街上(がいじゃう)

セバスチヤンとアントーニオーと出る。
セバス
わたしから望んでは、こんなにお世話を掛けたくないのですが、 苦勞をするのが愉快だとおっしゃるのだから、もう何も、 かれこれはいひません。
アント
あなたに別れて後に留ってをることは出來ないのです。 一しょにゐたいと思ふ願望が、磨き立ての鋼鐵(はがね)の拍車のやうにわたしを駈り立てたのです。 なつかしいと思ふ情だけでも、わたしは此れ以上の長い船旅をしたでせうが、 あなたが此地方に不案内だから、何事か起りゃしないかといふ不安の念もあって、 ()いて來ました。案内者も友人もない外國人だと見ると、とかく粗暴な、 不深切な待遇をするものですからね。さういふ心配があったところから、 あなたを思ふの餘り、追掛けて來たのです。
セバス
アントーニオーさん、繰返し〜お禮をいふより外はありません。 それでも尚足りません。貴い、 立派な仕向けを如是(こん)鐚錢(びたせん)同様の駄文句で支拂ひ濟みにして、 恬然(へいき)でゐる例が世間には屢々(しば〜)あります! けれども若しわたしに此感謝の眞情(まごころ)ほどに確實な資力がありましたなら、 もうちっと(まし)なお扱ひをしましたでせうに。……で、何をしませう? 此 (まち)古跡(こせき)でも見廻りませうか?
アント
それは明日にしませう。先づ、宿所を()めたはうがよろしい。
セバス
わたしは草臥(くたび)れてはゐませんし、まだ夜までは間があります。 ねえ、此市の名譽の記念物や有名な物を見て目を(たのし)ませませうよ。
アント
どうか、堪忍して下さい。わたしはうっかり此街中は歩けないのです。 (かつ)て海戰があった時、わたしは此處(こゝ)の公爵の敵方に屬してゐたのです。 それはよく知れ渡ってゐた事なんだから、萬一、(つかま)ったりといふと、 恐らく言ひ抜けは出來まいから。
セバス
多分、此國の者を大勢お殺しなすったんでせうね。
アント
さういふ殘酷な性質の罪を犯したわけぢゃァないのです、 其時の行き懸りからいふと、随分殘酷な事にも成行きかねなかったのですが。 其際、敵方から取った物を償還することにさへすれば、 悉く解決が附いたのでした、で、貿易上の都合で、 わたしの市の多數者は其案を取った、わたしだけが反對した。 だから、若し此處(こゝ)(つか)まれば、酷い目に逢ふでせう。
セバス
では、あんまり公然(おほッぴら)にお出掛けなさらないがいゝ。
アント
さやう、出歩けないのです。……(といひながら財布を出して)ねえ、 此財布をお取りなさい。南の外郭(まちはづれ)大象館(エレファント)が泊るには一等好いでせう。 食事の準備はさせときませうから、其間の退屈まぎらしに、市内を見物して、 知識をお養ひなさい。あそこに待ってゐますよ。
セバス
なぜ、あなたの此財布を、わたしが?
アント
どんなことで、買ひたいと思ひなさる一寸した物があるまいものでもない。 あなたの(たくは)へでは詰らん物を買ふべきぢゃあるまいと思ふからです。
セバス
では、此財布をおあづかりして、一時間ほどお別れしませう。
アント
大象館(エレファント)ですぞ。
セバス
(おぼ)えてゐます。
左右へ別れて入る。

更新日:2004/06/28

十二夜 : 第四幕 第一場


第四幕

第一場 オーリヰ゛ヤ姫の(やしき)の前。

セバスチヤンと道外方(だうけがた)(フェステ)と出る。
道外
ぢゃ、どうしてもあなたを呼びに來たんぢゃないと思はせようてんですか、わッしに。
セバス
人をつけ!馬鹿なことをいふ人だ。もう相手にゃならんよ。
道外
うまく(しら)をお切りなさるよ!(わざとらしく)成程、 お目にかゝったことはありませんよ。又、わッしは、 お(ひい)さまのお吩咐(いひつけ)なんかであなたを呼戻しに來たのぢゃァありませんよ。 又あなたの名はシザーリオーさんなんかぢゃありませんよ。 はい、これは(と自分の鼻をつまんで)わッしの鼻ぢゃァありませんからね。 つまり、然うある物がすべて然うでないのでさ。
セバス
おい、そんな阿呆口は餘所(よそ)で洩すがいゝ。 君は全く知らない人だよ。
道外
阿呆口は餘所(よそ)で洩せ!偉い人が何處(どッか)でさういふ(ことば)を使ったのを聞き覺えて來て、 おれへ使ふんだな。阿呆口を洩せ!此様子ぢゃ、世間といふ大のろまめは、 今にすっかり氣取り屋に化けッちまふだらう。……もし〜、 そんな知らん振なんか止して、お(ひい)さんへ何と洩したらいゝか、 言って下さいよ。すぐに來られます、と洩してもいゝかね?
セバス
おい、馬鹿な道外屋さん、もういゝ加減に()ってくれ、金を()げるから。 此上、尚ぐづ〜してると、もっとずっと惡い報酬をやるよ。
道外
(金を受取って、俄かに相好を崩して)ほんとにあんたは氣前がいゝねえ。 阿呆に金をくれる怜悧(りこう)者は好評を博しますよ、 十四年割の高値でね。
アンドルーを先きに、少しおくれてトービーとフェビヤンと出る。
アンド
(セバスチヤンをヰ゛ーオーラだと思って、つか〜と駈け寄って)うぬれ、 こゝに居をったな!さ、どうぢゃ。
とだしぬけに()つ。
セバス
(驚きながら、すぐに)何をする?……さ、どうだ?さ。さ。 (アンドルーをなぐり附けながら)どいつも、こいつも、氣が狂ってゐるのか?
と腰の短劍を抜いてアンドルーを睨んで、身構へする。
トービ
(駈け寄って、それを止めて)お待ちなさい。待たんと、其短劍を屋根向うへ投棄(ほう)ッちまふぞ。
道外
(恐れて、三四歩走りのきながら)早速此事をお(ひい)さまに知らせよう。 二錢くれたって、此裾に附くのは御免だ。
道外方入る。
トービ
(尚セバスチヤンを止めてゐて)これさ、まァ〜。
アンド
(トービーに)いゝや、すてといてくれたまへ、我輩、 別の方法を講じるから。あいつを相手取って、毆打の訴訟を起すことにするから、 此イリヽヤに法律がある以上。()ったのは我輩が先きだけんど、かまはん。
セバス
(トービーに)お離しなさい。
トービ
これさ〜、離さないよ。これさ、若い大將、劍をおしまひなさいよ。 あんたは強いよ、喧嘩ッぱやいよ。まァさ〜。
セバス
手を離して下さいよ。え、どうするんです? なほ敢てわたしを挑發なさるのなら、お抜きなさい。
トービ
え、何だと?よろしい、ぢゃ、仕方がない、其剛情ッ張の血を二三オンス取ってくれるぞ。
と二人鬪ふ。
此うちオーリヰ゛ヤ姫出る。
トービー、お待ち。命が大事なら、お待ちなさい!
トービ
(劍を控へて)おや、(ひい)さん!(と(しよ)げる)。
(苦々しげに、トービーに)又しても然うなの! 禮儀も作法も知らない野蠻と一しょに、 山の中か洞穴(ほらあな)にでも住んでゐるのが當然のあさましい人! あっちへお退(さが)りなさい!……立腹しないで下さい、シザーリオーさん。 ……(トービーに)無作法者、お退(さが)りなさい。……
トービー、アンドルー、フェービヤン入る。
シザーリオーさん、無禮な、無法な振舞を、彼等が、理由なく、 あなたに對してしましたのを、どうか、腹を立てないで、靜かに、 賢明に諒恕して下さい。どうぞ、(やしき)へ一しょに來て下さい、 あの亂暴者が、今までにも、度々無益な、不細工な惡戯(いたづら)を仕出來したお話をしますから、 さうすれば今日の此不作法をも笑って(ゆる)して下さるでせうから。 是非來て下さい。いやだとおっしゃっちゃ、いけないの。 ほんとに憎らしいこと、あの男のお(かげ)で、わたしの此胸が、 まるで獵人(かりうど)に逢った兎のやうに躍り上ったわ。
此間、セバスチヤンは何が何やら分りかねて、呆れ果てゝゐたが
セバス
(傍白)こりゃどうしたといふのだ?河はどっちへ流れてゐるんだ? おれは氣が狂ったのか知らん?或ひは夢を見てるのか? 空想よ、おれの感覺を物忘れ河へいつまでも浸しといてくれ。 若し之が夢なら、いつまでも()てゐたい!
ねえ、來て下さいな。……あゝ、いふ通りになって貰ひたいわねえ!
セバス
參りませう。
おゝ、口でおっしゃるばかりでなくね!
姫先きにセバスチヤンを促して入る。

更新日:2004/06/28

十二夜 : 第五幕 第一場


第五幕

第一場 オーリヰ゛ヤ邸の前。

道外方(だうけがた)が、マルヲ゛ーリオーに頼まれた姫への書状を手に持って、 フェビヤンと共に出る。
フェビ
おい、君に好意があるのなら、見せたまへ其手紙を。
道外
フェビヤンさん、ぢゃ、わッしにもお願ひがある。
フェビ
何でも聽くよ。
道外
此手紙を見ないで下さい。
フェビ
ぢゃ、此犬を()げませうといっておいて、 其代りに其同じ犬を返して下さいといふやうなものだ。
公爵オーシーノーとヰ゛ーオーラとキューリオーと貴族役の者ら出る。
(フェビヤンらに)君たちはオーリヰ゛ヤ姫の御家來かい?
道外
へい、さよです。わたしどもはお(ひい)さんの一寸した添飾のやうなもんです。
お前の顔はよく知ってる。どうしてるね、此頃は?
道外
敵のお(かげ)で大分身の上がよくなりましたっけが、友だちのお(かげ)で、 又、大分わるくなりました。
それぢゃ逆まだ。友だちのお(かげ)でこそよくなるべきだ。
道外
いゝえ、わるくなりまさ。
どうして?
道外
だって、友だちは、讃めますから、で、わッしが馬鹿になります。 けれども敵は露骨(あけすけ)に馬鹿ッと言ひます、で、馬鹿かな、 と氣が附くから、幾らか直しまさ。けれど友だちは騙してばかりゐます。 だから、結論は、取りも直さず、接吻(キッス)でさ、 否定が四箇(よっつ)二箇(ふたつ)の肯定が出來るとすると、そらね、 友だちのお(かげ)でわるくなり、敵のお(かげ)でよくなりませう。
はて、旨いことをいふなう。
道外
いゝえ、ちッとも旨かありませんや。 御前はわッしの友だちにならっしゃらうといふ思し召らしいが。
それが爲にお前が損をするやうなことはないぞ。そら、金をやる。
と金貨を一枚與へる。
道外
(それを受取って、ひねくりながら)これが二枚だと、 二重取引なんかんて嫌ひでもあるのかなァ! でなきゃ、二枚下さることも出來たらうに。
もう一枚下さいといふ謎を掛ける。
(戯れて)おや!二重取引なんぞといふ惡智慧を注込むのか?
道外
こゝ一番、良心なんかは衣嚢(ぽっぽ)へしまッといて、惡智慧通りに、 本能的にお()りなさいよ。
ぢゃ、罪業を犯して二重取引をしよう。さ、もう一つ。(と又一枚金貨を遣る)
道外
(それを受取って、前の一枚と共に、掌上でおもちゃにしながら) 一番(プリモー)二番(セカンドー)三番(デルシオー)てのは面白い博奕でさ。 そら、古い下世話に、「三番目は總穴埋」ッていひませう。それから、三拍子ね。 踊るにゃあの拍子に限りまさ。でなきゃ、(セント)ベネット院の鐘の音、といったら、 お分けになりませう。ね、(ひイ)(ふウ)(みイ)
もう一枚くれろと謎を掛ける。
(苦笑しながら)そんな手でもっとくれろといってもやりゃしないよ。 お前のとこのお(ひい)さんにわしが面會に來たことを知らせて、 うまくこゝへ連れ出して來れば、もっとやらうといふ氣にもなるだらう。
道外
ぢゃ、歸って來ますので、頂戴するのを「ねん〜よう!」にしときませう。 往って來ます。けれどもわッしの欲しがるを欲張根性からだとお思ひなすっちゃいけませんよ。 今すぐ歸って來てはお起し()ますからね、おっしゃる通り、 お大盡心をそれまではねんねさしといて下さい。
道外方入る。
ヰ゛ー
(一方を見て)あそこへわたくしを助けてくれた人が來ました。
アントーニオーを引立てゝ警察の役員ら出る。
(アントーニオーを見て)あの男の顔には(おぼ)えがある。 もっとも、(かつ)て見た時には、戰塵に(まみ)れて、 鍛冶神(ワ゛ルカン)のやうに眞黒になってゐたが、 やくざな船の船長であった。それは淺い吃水の、小さい、 取るに足らん船であったが、それで以て我艦隊の最も立派なのをば散々に打破った。 だから、身方の者は、船を失って、彼れを憎いとは思ひながら、 覺えず彼れの手竝を讃めた。……(役員らに)どうしたんだ?
一の吏
オーシーノー公、此男は、彼の「鳳凰」號がカンディヤ(トルコ領クリート島内) から貨物を積んで歸るのを要して強奪しましたアントーニオーです。 又、彼の「猛虎」號に乘込んで來て、甥御様のタイタスどのに一脚を失はせたのも此男です。 街上(まちなか)で、身の恥もかまはず、私鬪をしかけてゐましたから、引捕へました。
ヰ゛ー
御前、あの(じん)がわたくしに深切を盡し、わたくしの爲に劍を抜いてくれましたのです。 しかし、(しま)ひに、不思議なことをわたくしにいひかけました。 氣が(ちが)ったとしか思はれませんでした。
(アントーニオーに)名代(なだい)の海賊め!鹽水界(えんすゐかい)盗人(ぬすびと)め! どうしてさう大膽に此 (まち)へやって來て、 非常に(きさま)を憎み怨んでゐる敵の手に捕へられるやうな愚かなことをしたんだ?
アント
オーシーノー公閣下、今お與へになった惡名は、失禮だが、 すべていたゞきませんぞ。アントーニオーは未だ(かつ)て盗みをしたことも、 海賊を働いたこともありません、但し、オーシーノー公の、 たしかに、仇敵であるといふことは自白しますが。 こゝへ來たのは、妖魔めに魅惑された結果です。 そこに貴下(あなた)(そば)にゐる(はなはだ)しい恩知らずの其少年を、 わたしは、あはや荒海の泡立つ怒濤に呑込まれかけてゐたのを、 救ひ上げたのでした。到底、助からんと思はれたのを蘇生させ、 (あまつさ)へ、(てまへ)眞情(まごころ)の一切を擧げて彼れに(さゝ)げたのでした。 彼れのために、ひとへに彼れを愛する爲の故に、此敵地へ、 危險を冒してまで、參ったのでした。又、彼れが身の難儀を防ぐために劍を拔いたのでした。 ところが、(てまへ)が捕へられるに及んで、薄情な心から、 卷添になるまいと思って、わたしを知らん者扱ひにして、咄嗟に、 二十年も無縁でゐた者のやうになって、わたしの財布を返さなかったのです、 半時間ほど前に、()れに使へといって渡しておいた財布を。
ヰ゛ー
(呆れて)ま、どうしてそんなことが!
(アントーニオーに)(おまへ)は、いつ此 (まち)へ來たんだ?
アント
今日(こんにち)、來ました。其前三ヶ月といふもの、 二人は日夜間斷なく寸時も離れずにゐたのでした。
オーリヰ゛ヤ姫と侍者役ら出る。
あゝ、(ひい)さんが見えた。あゝ、天女が天降(あまくだ)った。 ……(アントーニオーに)いや、(おまひ)のいふことは狂人同様だ。 此少年がわしに仕へてから、もう既に三ヶ月になるんだ。 が、それは又後にいはう。彼れをあっちへ()れてゆけ。
(オーシーノーに)殿は何をお求めになるのです、到底、 さしあげることの出來ないものは除くとしますと、 どういふ奉仕をわたくしにお求めになるのです?…… シザーリオーさん、あなたは約束を守りませんでしたね。
ヰ゛ー
(驚いて)え!
オーリヰ゛ヤ姫さん……(といひかける)。
(それにかまはず)シザーリオーさん、返辭を聞かせて下さい。 (又公爵が言はうとする。それを制して)まァ、御前、しばらく。……
ヰ゛ー
主人が何か申されますのですから、私は差控へます。
(オーシーノーに)若し此間うちのと同じ調律(しらべ)のお言葉ですなら、 それは(うけたま)はりますまい、わたくしに取っては、 音樂の後で(けもの)の吠えるのを聞くほどに(いや)ですから。
いつまでもそんなに殘酷ですか?
はい、いつまでも變りません。
はい、いつまでも變りません。
え、その酷薄な心が?殘酷な(ひい)さん、あなたの其 薄恩(はくおん)な、 無慈悲な祭壇へ、わたしの靈魂(たましひ)は、未曾有の渇仰(かつがう)を以て、 眞實の祈りをさゝげたのでしたのに。わたしはどうしたらいゝのでせう?
何なりともなさいませ、御身分柄に(かな)ふことなら。
はて、しようと思へば、随分エヂプトの賊のやうに、其 最期(いまは)に、 最愛の女をも殺しかねません。兇暴な嫉妬心にも、 どうかすると、立派な意氣(いき)が伴ふ。……が、ま、お聽きなさい。 あなたは是程のわたしの眞實を度外視なさるんだから、又、 愛人としてのわたしの位置を捻除けるやうにした其道具は何者だといふことをも大概知ってゐますから、 あなたはいつでも其 石情(いしごころ)の虐君になっておいでなさい。 但し、あなたが可愛がっておいでの其小僧は、わたしも大切(だいじ)にしてる奴なんですから、 敢て其酷い目から引ッさらって行きますぞ。主人が憤悶に及ぶのは、つまり、 彼奴(あいつ)がちやほやされてゐるからだ。……小僧、()いて來い。 おれは酷いことをする氣になった。可愛いと思ふ子羊をも犠牲(いけにへ)にしてくれる、 形は鳩、心は(からす)の其人への面當(つらあ)てに。
ヰ゛ー
お心を慰める足しになりますなら、わたくしは、喜んで、好んで、 進んで、一千たびでも死にまする。
と行きかける。
シザーリオーさん、何處へ行きます?
ヰ゛ー
戀ひしいお方に()いて行きます。此二つの目よりも、此命よりも、 妻となる女よりも、ずっと〜以上に大切に思ってゐます其お方に()いて行きます。 これが(いつは)りでしたら、天上の方々さま、證人になって、 愛を汚した罪で私をお罰し下さいませ。
あゝ、まァ、見下げ果てた人!では、騙されたのかねえ?
ヰ゛ー
だれが騙しました?だれがあなたを侮辱しました?
お前さんは自分を忘れましたか?つい、先刻(さっき)ぢゃないの?…… お上人(しゃうにん)を呼んでおいで。(左右に向っていふ)。
(ヰ゛ーオーラに)さ、さ!
(公爵に)どちらへいらっしゃる?……(ヰ゛ーオーラに)シザーリオー、 わが(つま)お待ちなさい。
(驚いて)わが(つま)
はい、夫です。(ヰ゛ーオーラを見やって)よもやさうではないとはいへまい。
(ひい)さんと結婚をしたのか?
ヰ゛ー
いゝえ、決してそんなことは。
あら!そりゃ卑劣な臆病心といふものです、自分を自分だといひ得ないのは。 怖るに及びませんのよ。此幸運を悉くお受けなさい。 さ、其御身分になっておしまひなさい、さうすれば、 怖いと思ふ其人と同等の偉い人になられるのです。……
僧出る。
おゝ、ようこそ、教父さん!上人(しゃうにん)、あなたに委任しますから、 つい、此間は、其機の熟するまで伏せておかうと申したことを、 即ち此若い方とわたくしとの間に近く經過した一條を、時は熟しませんけれど、 發表していたゞきたいのです。
永遠に(かは)るまいといふ愛の契約を取結ばれたのでした。 互ひに手と手を堅く結び合せられたる上に、更に神聖なる接吻によって、 愛を證明し、尚ほ指輪をも交換して、其契約を固められたのでした。 右の儀式一切は、職掌上、手前、一々立會ひの上、執行いたしました。 其時から只今までに、懷中時器(とけい)によりますと、 手前はまだ、たった二時間しか墓の方へ歩きません。
(ヰ゛ーオーラを睨んで)おゝ、大うそつきの仔犬めが! 頭に胡麻鹽が振撒かれるやうにでもなったら、どんなことをしをるか! 或ひは、若いうちから狡猾な曲手(きょくで)を使ひ過ぎた報いで、 自分を自分で脊負(しょ)ひ投げにするやうな身の果を見るか? ……さよなら。夫婦になるがいゝ。けれども、以後、 おれが歩いてゐさうな處へ足を向けるな。(と行きかける)。
ヰ゛ー
(あわてゝ止めて)御前、私は決して……
(それを制して)おゝ、お誓ひでない!せめて少しでも眞實を保留しておゝきなさい、 天罰の恐れは、もう今までにもあるんだけれど。
アンドルー急ぎ足で出る。
アンド
大變だ〜!外科醫者を!トービーどのゝとこへ、(すぐ)に外科醫者をやって下さい。
どうしたのです?
アンド
彼奴(あいつ)めが我輩の頭を打破(ぶちわ)りをった上に、 トービーどのゝ腦天をも血だらけにしをったです。大變です! 早く往って下さい!こんなくらゐなら家にゐて、 四十ポンド以上を(つか)っといたはうが(まし)ぢゃった。
だれがそんなことをしました?
アンド
公爵の傍仕(そばづか)へのシザーリオーたらいふ男です。 我輩は奴を臆病者ぢゃらうと思うとったんぢゃが、どうして、 まるで生きとる鬼です。
わしの傍仕(そばづか)へのシザーリオーが?
アンド
(此時はじめてヰ゛ーオーラを見附けて、驚いて)おッや〜! こゝにをる!(ヰ゛ーオーラに)お手前は理由なく我輩の頭を打破(ぶちわ)った。 あゝいふことを我輩がしたのは、ありゃトービーどのがさせたぢゃ。
ヰ゛ー
なぜわたしにいふのです?わたしはあなたに恠我(けが)をさせた覺えはありません。 あの時、あなたは故なくして、劍をお抜きになりました。 けれども私は穩かに應對して、恠我(けが)なんかさせやしませんでした。
アンド
腦天が血だらけになったのが恠我(けが)でないちふなら、 恠我(けが)はさせなんだのぢゃらうわい。 お手前は腦天の血だらけになるのを何でもないことぢゃ思ふちょるらしい。……
怪我をしたトービーが例の如く生醉であるのを、介抱しつゝ道外方出る。
あそこへ(ちんば)引いてトービーがやって來をったから、 もっと様子が解るぢゃらう。あの(じん)酔うてさへをらんかったら、 お手前をばあっちこっちの目に逢はせをったぢゃらうに。
(トービーに)どうしたのです?え、氣分は?
トービ
(廻らん呂律で)なァに、どうでもいゝんだい。つい、やられたんだ。 それッきりなんだ。……(道外方に)おい、馬鹿、外科醫者のヂックの奴に會ったか?おい。
道外
おゝ、トービーさん、あの( ひと)はもう一時間も前から酔ッてるんでさ。 朝の八時に目がもう坐ッちまってました。
トービ
ぢゃ、奴は悪黨だ。しかつべな、のろくさ踊よろしくだ。 泥醉(へゞ)ッてる悪黨はおれァ大嫌ひだ。
(苦々しげに)あっちへ伴れておいでよ!ま、だれがあんな怪我なんかさせたのだねえ?
アンド
トービーどの、我輩が介抱しよう、一しょに繃帶をするんぢゃからね。
トービ
お前が介抱する?馬鹿で阿呆で薄のろと來てけつかる癖に?
寢室(ねどこ)へ伴れていって、手當をしておやり。
道外方、フェービヤン、トービー、アンドルーら入る。
とセバスチヤン出る。皆々之を見て、ヰ゛ーオーラと見比べ、呆れ果てる。
セバス
(ひい)さん、あなたの御親戚に恠我(けが)をさせたのは、(まこと)に濟みません。 けれども、假令(よし)相手が肉親(しんみ)の兄弟であっても、 身の安全を思ふ智慧のある以上、止むを得なかったのです。 ……疎遠な顔をしていらっしゃる所を見ると、お立腹なのでせう。 ねえ、どうぞ堪忍して下さい、つい、先刻(さっき)、お互ひにあゝいふ契約をしたのに免じて。
(呆れて)顔も聲も服裝も一つで、人は二人。天然の欺騙目鏡(だましめがね)だ。 現にそこに有って(しか)も無いのだ!
セバス
アントーニオー!おゝ、アントーニオーさん!わたしは、あなたに別れてからといふもの、 まるで拷問臺で苛責されてゐるやうに思ってゐました。
アント
あなたはセバスチヤンか?
セバス
それを疑ふんですか?
アント
どうして二人になったのです?一つの林檎を二つに割ったって、 此二人ほど似ちゃゐまい。どっちがセバスチヤンだらう?
まァ、どうも不思議な!
セバス
(ヰ゛ーオーラに目を附けて、呆れて)こゝにゐるのはおれか知らん? 男の同胞(きゃうだい)はなかった筈だに。さうかといって、こゝにも、そこにも、 存在するなんて神通力がおれの生來に有る筈はなし。妹は一人あったが、 無慈悲な荒浪に呑まれてしまった。(ヰ゛ーオーラに)ねえ、 あなたは、わたしとは、どういふ縁故があるんです?どこの國の人です? 名は何といふのです?兩親は?
ヰ゛ー
メッサリンの生れで、父はセバスチヤンです。わたしの兄はあなたそっくりのセバスチヤンといふ人でしたが、 海の墓の中へ、ちゃうどさういふ(なり)をして逝ッちまひました。 若し其幽靈が、其姿、其 (なり)で、おどかしに出て來るものなら、 あなたがそれでせう。
セバス
いかにも、わたしは精靈です。 けれども母の胎内から譲り受けた下等な肉の(ころも)をまだ()てゐます。 若しあなたが女でありさへすれば、其他は辻褄が合ふから、わたしはあなたの顔に涙を落して、 死んだと思ったヰ゛ーオーラよ、生きてゐてくれたかといひませう。
ヰ゛ー
お父さんは顔に黒子(ほくろ)がありました。
セバス
わたしの父にも。
ヰ゛ー
さうしてヰ゛ーオーラが生れて十三年目になくなりました。
セバス
おゝ、それは歴々(まざ〜)とわたしの心に記録(かきしる)されてある! 父上が御逝去になったのは、妹が十三になった年であった。
ヰ゛ー
只、此男の姿だけが二人を幸福にするのを妨げるのですなら、一寸待って下さい、 場所から、時から、運命から、何から何までもが、 わたしがヰ゛ーオーラであることを證明するやうにしますから。 わたしはあなたを此 (まち)の船長さんの(とこ)へ案内しませう、 あそこにわたしの娘の時の衣服(きもの)がしまってあります。 わたしは其船長さんに御推擧で、このお殿さまへお奉公することになりまして、 それからといふものは、此お姫さまと此お殿さまとの間のお使ひを勤めてをりました。
セバス
(姫に)それであなたがわたしをお見ちがへになった理由がわかった。 それは性の自然の傾向が(しか)らしめたのでしたらう。でなかったら、 あなたは處女と婚約をなさるところだった。が、必ずしもお目がねちがひではなかったのです、 わたしは男子でもあるが、處女も同様な身の上ですから。
驚くには及びませんぞ、正しい血統の男です。が、これが事實とすれば、 眼鏡に間違ひはないらしいから、わたしも此難破仲間に入りませう。 ……(ヰ゛ーオーラに)これ、お前、幾たびも〜わたしに向って、 わたしをなつかしく思ふほどに、女をなつかしく思ふことはないといったね。
ヰ゛ー
はい、その通りを改めて誓言(せいごん)いたします、さうして其 誓言(せいごん)を、 晝夜を分つあの太陽が其運行を守られますやうに守ります。
手をお貸し。お前に女の服を着せて見よう。
ヰ゛ー
私をはじめて濱へ伴れて來てくれました船長が私の(きもの)を持ってをります。 あの人は或罪で、マルヲ゛ーリオーどのゝ告發で、今は牢にをられます。 立派な人で、お(ひい)さんの御家來です。
早速放免することにしませう。マルヲ゛ーリオーを呼んどいで。 お、今、思ひ出したが、氣の毒な、あの男、大變に氣が(ちが)ったとか聞きましたが。……
道外方マルヲ゛ーリオーの手紙を持って出る。フェビヤンつゞく。
自分が氣が(ちが)ったやうになってゐましたので、 すっかり彼れのことを忘れてゐました。……(道外方を見て)これ、あれはどうしてゐます?
道外
(ひい)さま、あぶなもんでございます、精々、 惡魔の奴を近づけまいとして努力しちゃゐますがね。 あなたへ如是(こん)な手紙を書きました。これは朝のうちにお屆けするのでございましたがね、 狂人(きちがひ)の手紙はお福音ぢゃァございませんから、 いつ屆けたっていゝやうなもんで。
ま、開封して、讀んでごらん。
道外
エヘン。(しか)らば、とくと御服膺遊ばされ候へ、阿呆が狂人(きちがひ)の口上を述べますッ。 (度はづれの聲を出して讀む)。
「あゝ、御姫君よ」……
まァ!お前、氣が(ちが)ったの?
道外
いゝえ、只、その、狂人(きちがひ)の手紙を讀んでるのですが、 狂人(きちがひ)のらしく讀ませようとなさるには、 かういふ聲をお許しにならなくっちゃなりません。
どうぞ、正當に讀んどくれ。
道外
へい〜。ですが、狂人(きちがひ)の書いたものを正當にといへば、 かう讀まなくちゃ正當ぢゃありませんや。だから、(と大氣取りで) 「御姫君よ、御心(みこゝろ)を留めさせられ、いざ(きこ)し召され候へ。」
(うるさゝうに)フェビヤン、お前お讀み。
フェビ
(讀む)

「あゝ、御姫君よ、あまりの御侮辱なり、やがては世人も知らん。 自分を暗室中に押込たまひ、醉ひどれの叔父御をして監視せしめたまひたれど、 自分は御前同様の健全なる五感を備へをれり。 (いは)んやあの如き服裝をすべく御勸誘ありし御書簡を所有しをるに於てをや。 今に身の明りを立つると共に御面目を失はせ申すべし。 自分の事を如何さまにも思し召したまへ。自分は此際 (いさゝ)か家來たるの本文を度外視して、 (もつぱ)ら此身の損害に就いて愁訴す。

狂人扱ひにされたるマルヲ゛ーリオー。」

これを彼れが自分で書いたのかい?
道外
へい、さやうでございます。
たしかに氣が(ちが)ってゐるらしい。
フェビヤン、彼れを暗室から出して、こゝへ伴れておいで。……
フェビヤン入る。
(公爵に)御前、若し先刻からの事情をとくと御斟酌下さいまして、 わたくしを妹とも又人の妻ともなる者とおぼしめしまして、 早晩それに對する式を擧げることに御賛成下さいますやうなら、それは、 此 (やしき)で、(もつぱ)らわたくしの手で執行(とりおこな)ひたうございますが、 いかゞでせう?
(ひい)さん、至極賛成です。(ヰ゛ーオーラに)お前の主人は今お前に(いとま)を遣ります、 性にも背き、其やさしき柔和な育ち柄にも背いた勤めを盡してくれた其報いには、 かうして主人が握手をします。けふからはお前はわしの情人(おもひ゛と)である。
(ヰ゛ーオーラを抱擁して)妹!お前は妹ですよ。
此時フェビヤンが顏面憔忰したマルヲ゛ーリオーをつれて出る。 汚い暗室から出て來たばかりなので、藁屑などがマルヲ゛ーリオーの衣服に附着してゐる。
あれですか、狂人は?
さうです。……マルヲ゛ーリオー、どうしました?
マルヲ゛
(ひい)さま、酷いお取扱ひをなされました、ほんとに酷いことを。
あの、わたしが。いゝえ。
マルヲ゛
いゝえ、ひどいことをなさいました。此お手紙を讀んで見て下さいまし。 これを御自筆でないとはおっしゃられますまい。これと(ちが)った書き方なり、 文句なりが出來ますなら、書いて御覽なさいまし。或ひは又、これはあなたの封じ蝋ではない、 これは御自分のなされたことでないとおっしゃって御覽なさいまし。 そんなことはおっしゃられるもんぢゃありますまい。さ、さうでございます以上、 正直に、穩当に、なぜあんなに御寵愛下さる(よし)を御明言なさりながら、 其お言葉が有りがたさに、悉くお吩咐(いひつけ)を守り、にや〜笑って、 十字形の靴下締をして、黄色の長靴下を穿()いて、 トービーさんや下役共へ苦い顔をして見せます段となって、 牢の中へお入れになり、昏闇(くらやみ)へ押込めて、牧師に見舞はせたり、 名代(なだい)の馬鹿者に前例のないやうな惡戯(いたづら)をおさせなすったり遊ばしたのは、 どういふわけでございます?わけをおっしゃって下さい。
(手紙を讀了って)マルヲ゛ーリオー、こりゃわたしの書いたのぢゃないよ。 大變に字がよく似せてあるけれども、こりゃ大丈夫マライヤが書いたのです。 さういへば、お前が氣が(ちが)ったといったのは彼女(あれ)でした。 そこへお前がにや〜笑ってやって來ました、 此手紙にお前がさうするやうに豫定してある通りの(なり)をして。 まァ、忍耐(がまん)おしよ。こりゃよっぽど念入りに意地のわるい惡戯(いたづら)をしたのだよ。 けれども其由來も、發頭人もわかった以上、お前自身が告發者とも裁判官ともなるがよい。
フェビ
(ひい)さま、憚りながら申し上げますが、どうか、 斯ういふ不思議な、おめでたい際には、喧嘩や爭ひのございませんやうにいたしたいものでございます。 さう存じますから、悉く白状いたしますが、實は、 このマルヲ゛ーリオーさんにさういふことをしました發頭人は私とトービーさんなんでざいます。 此方が、随分と頑固な、無作法をなさいましたもんですから、そこでマライヤが、 あのトービーさんが、是非にとおっしゃるんで、僞筆(にせふで)(ふみ)を書きましたのです、 それから、其報いにといって、トービーさんはあの女と夫婦になりました。 其後の成行は、つまり、ほんの惡戯(いたづら)で、 怨みを招くよりは寧ろ笑ひを招くはうの惡戯(わるふざけ)に過ぎません。 双方に、五分々々のわるいことがあるのですから。
(マルヲ゛ーリオーを見返って)まァ、可哀さうに、みんなが寄ってたかって、 お前を酷い目に逢はして!
道外
はて、「或者は生れながらにして偉大なり、或者は努めて(しかう)して偉大を得。 或者は偶々(たま〜)偉大を投げ與へらる。」わッしもこれで、 此お茶番の一役を勤めたんでさ。トーパズ上人(しゃうにん)さんてね。 が、そんなことァどうでもいゝや。(マルヲ゛ーリオーの假聲(こはいろ)で) 「阿呆、わたしは狂人(きちがひ)ぢゃァないよ。」…… (マルヲ゛ーリオーに)ねえ、あんた、おぼえてますか? (またマルヲ゛ーリオーの假聲(こはいろ)で)「お(ひい)さま、あなたは、 どうしてあんな淺薄な奴の平凡な滑稽をお笑ひなさいますか? お笑ひ遊ばさなけりゃ、すぐもう猿ぐるわですのに。」……因果は(めぐ)小車(こぐるま)とござい。
マルヲ゛
(眞赤に怒って)今に(きさま)ら殘らずに復讐(しかへし)してくれる。
マルヲ゛ーリオー憤然として入る。
ほんとにまァ、あんまりな目に逢はせたわねえ、あの男を。
おッかけていって(なだ)めるがいゝ。船長とやらのことを聞くのを忘れた。 それが解り、さうしていよ〜吉日が(きま)れば、 相愛(あひあい)するお互ひの婚禮の式を擧げることにしよう、 それまでは、妹さん、わたしは此邸(こゝ)に留まってゐませう。 ……シザーリオー、來な。男姿をしてゐる間はシザーリオーにしておかう。 が、他の(なり)になると、オーシーノーの情人(おもひびと)であり、 其切なる戀の(きさき)でもあるのだぞ。
道外方だけ殘りて皆入る。
道外
(歌ふ)。
おらがなァ、ちッちゃい小僧でゐた頃にゃ、
 はれ風が吹く、雨が降る。
阿呆や惡戯(わるさ)も笑ひで濟んだ、
 雨の降るのは常ぢゃもの。
 
おらが大人になったる頃にゃ、
 はれ、風が吹く、雨が降る。
悪黨(わる)盗賊(どろぼ)は何處でも泊めぬ、
 雨の降るのは常ぢゃもの。
 
おらが(かゝ)衆を貰うた頃にゃ、
 はれ、風が吹く、雨が降る。
駄法螺ばかりぢゃ世は送られず、
 雨の降るのは常ぢゃもの。
 
おらが此世におさらば言うて、
 はれ、風が吹く、雨が降る。
()る間際まで飲抜け仲間、
 雨の降るのは常ぢゃもの。
 
此世開けてなァ久しいけれど、
 はれ、風が吹く、雨が降る。
それもだんない、(しばゐ)()ねた、
 御機嫌取るのはおらが役。
歌ひつゝ踊りつゝ入る。

更新日:2004/06/28