颶風 : 目次 ------------------------------------------------------------------------------- タイトル:颶風(テムペスト) (The Tempest, 1611) 著者:シェークスピヤ (William Shakespeare, 1564-1616) 譯者:坪内逍遥 (1859-1935) 底本:新修シェークスピヤ全集第三十七卷『颶風(テムペスト)』 出版:中央公論社 履歴:昭和九年十一月廿五日印刷,昭和九年十一月五日發行 ------------------------------------------------------------------------------- 颶風(テムペスト) シェークスピヤ 著 坪内逍遥 譯 ------------------------------------------------------------------------------- 目次 * 登場人物 * 第一幕 第一場 * 第一幕 第二場 * 第二幕 第一場 * 第二幕 第二場 * 第三幕 第一場 * 第三幕 第二場 * 第三幕 第三場 * 第四幕 第一場 * 第五幕 第一場 ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 登場人物 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 登場人物 * アロンゾー、ネープルズ王。 * セバスチヤン、其弟。 * プロスペロー、ミランの正統の公爵。 * アントーニオー、ミランの公位を簒奪せる其弟。 * ファーディナンド、ネープルズ王の子。 * ゴンザロー、正直なる老顧問官。 * エードリヤン、フランシスコー、ネープルズの貴族。 * キャリバン、野蠻にして醜怪なる奴隷。 * トリンキューロー、ネープルズ王の弄臣《フール》(幇間役)。 * ステファノー、醉へる膳部方。 * 船長。 * 水夫長。 * 水夫ら。 * ミランダ、プロスペローの女。 * エーリエル、空靈なる妖精。 * アイリス、シーリーズ、ヂューノー、水の女神ら、草刈男ら、妖精らの扮せるもの。 * プロスペローに侍事せる他の精靈ら。 場所船上の船。孤島の諸方面。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 第一幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第一場 海上の船中。暴風雨。雷電。 船長と水夫長とが出る。前者は船尾樓《プープ・デック》へ、後者は中部甲板《ウェースト》へ。 船長 水夫長! 水長 こゝです。どんなですね? 船長 おい、水夫《やつ》らにさう言ってくんな。一生懸命にやれッて。 うっかりすると乘上げッちまはァ。しっかり/\。 船長入る。すぐ金笛《ふえ》の音《ね》が聞える。 水夫ら出る。 水夫 こら/\、兄ィ達、やッつけろよ/\!しっかり/\! 絶頂《てっぺん》のを下すんだ、絶頂《てっぺん》のを! 船長の金笛《ふえ》を聞き違へるな!…… 水夫ら入る。 (風に向って)吹け/\、息が切れるまで、海に積《せき》さへあるなら! ネープルズ王アロンゾー、其弟セバスチヤン、ミラン公爵アントーニオー、 王子ファーディナンド、王の老顧問官ゴンザロー其他が出る。 王 こりゃ、水夫長、よいか、注意せい。船長は何處にゐる?しっかりやってくれ。 水夫 どうぞ、船室《した》にいらしッて下さい。 アント 船長は何處にゐるのだ? 水長 船長が然う申し上げたぢゃありませんか? 爲事《しごと》の邪魔になりますよ。 船室《カビン》に入ってゝ下さい。暴風《あらし》の手傳ひをなさるやうなもんだ。 ゴンザ まァさ、靜かにしなさい。 水長 海が靜かな時ならばね。彼方《あッち》へ/\! 風や雷《かみなり》は、王さまだらうが、何だらうが、 關《かな》ひませんからね。船室《カビン》へ/\!默って/\! 邪魔をしちゃ不可《いけま》せん。 ゴンザ 大切なお方をお載せ申してゐることを忘れちゃいかんぞ。 水長 自分より大切な者は有りゃしませんや。貴下《あなた》はお大臣さんだってね。 若し貴下《あなた》の號令で以て此浪や風が鎭《しづま》ッちまふもんなら、 わッしら最早《もう》二度とは綱を扱やしません。やって御覽《ごらう》じろ。 が、もしそれが出來なけりゃ、今まで生きたのを有難かったと神さまにお禮言って、 船室《カビン》へ引ッ込んで、いざといふ時の覺悟をしておいでなさい。…… 兄ィ達、しっかり/\!……えゝ、退《ど》いて下さいといふに。 水夫長入る。 ゴンザ 彼奴《あいつ》は大きに予《わし》の心を慰めをる。 水に溺れて死にさうな面附《つらつき》はしてをらん。彼奴《あいつ》の人相は、 慥《たし》かに絞罪臺面《かうざいだいづら》ぢゃ。 あゝ、運命の神よ、お豫定通り、奴をば縊首往生《ぶらんこわうじゃう》をおさせ下さるやうに! 奴の宿命が繩と確定《きま》ってゐれば、その繩が取りも直さず吾々の碇綱《いかりづな》ぢゃ、 このはうのは當にならんから!が、萬一、此鑑定が外れると、情けないことになる。 ゴンザロー入る。 水夫長又出る。 水長 絶頂《てっぺん》のを下すんだ、絶頂《てっぺん》のを!しっかり。 もっと下げろ!もっと下げろ!大帆《おほぼ》でやって見ろ、大帆《おほぼ》で! (奥にてわァと叫ぶ聲)畜生、又わめきゃァがる! 風雨《あらし》や號令より大きな聲をしやァがる。…… セバスチヤン、アントーニオー及びゴンザロー又出る。 又ですかい?何の用がありますよ、爰《こゝ》に? わッしらに、働くのを止めて、溺死人《どざゑもん》になれッてんですか? 海へ潛り込みたいんですか、貴下《あなた》がたは? セバス 其舌の根腐ッちまへ、此、やかましい、罰當りの、舌長の、犬畜生め! 水長 ぢゃ、御自身でおやんなさい。 アント 畜生、絞り首にされッちまへ、無禮な、穢はしい、やかましやめが! 吾々は、汝《きさま》のやうに、溺死するのを怖ってはをらんぞ。 ゴンザ 手前が保證します、あの男は決して溺死はしません、 よしんば船が胡桃《くるみ》の殻《から》以上に脆《もろ》からうとも。 水長 (水夫らに)船をおッつけろ、おッつけろ! 帆を二枚かけろ、沖へ戻すのだ、沖へ。押し出せ! 此時、大きな、すさまじい音響が聞える。水夫等ずぶ濡れになって出る。 水夫ら だめだ/\!最早《もう》お祈りだ/\!だめだ/\! 水夫ら入る。 水長 え、最早《もう》だれの口も冷くなッちまはんけりゃならねぇのか? ゴンザ 王も、王子も、只今、お祈りの最中ぢゃ!吾々もお手傳ひをしよう、 御同樣の境遇ぢゃから。 セバス もう堪忍がならん。 アント 醉漢《ゑひどれ》共の爲に、まるで欺《だま》し討にあったやうなものだ。…… (水夫長に)此阿呆面の碌でなしめが!……汝《きさま》のやうな奴は、 十日間も潮晒《しほざら》しにしておいてくれたわい! 水夫長入る。 ゴンザ いや、彼奴《あいつ》は絞り首になります、よしんば海水が擧《こぞ》って彼れの溺死を誓うて、 奴を呑まうとして、如何樣に口を開きませうとも。 此時、奥にて、騒しき物音が聞え、「助けてくれ!」、 「船が裂ける!船が裂ける!」……「さらばぢゃ、妻よ、子よ!」、 「さらばぢゃ、弟!」、「船が裂ける、船が裂ける」などと叫ぶ聲が聞える。 アント みんなが王と御一しょに沈みませう。 アントーニオー入る。 セバス 王に暇乞《いとまご》ひをしよう。 セバスチヤン入る。 ゴンザ かうなると、海なら幾萬坪でもくれてやるから、 荒地をたった一段《たん》でもいゝ、貰ひたい、 長いヒースや鳶色のエニシダの生ひ茂ってゐる荒地でも可いから。 天の御意ならば是非に及ばん!けれども、成らうことなら陸《くが》で死にたい。 ゴンザロー入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 第一幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第二場 孤島。プロスペローの窟《いはや》の前。 プロスペローとミランダが出る。プロスペローは十二年前まではミランの公爵であったのだが、 不義の弟の爲に國を奪はれ、只一人の愛女《まなむすめ》と共に此孤島に漂流し、 多年修してゐた法術の力で、今は此島のあらゆる妖魔を克服して、 一個の仙翁《せんをう》となってゐるのである。 ミラン 父《とゝ》さま、あなたの法術で水があのたうに騒ぐのなら、 どうぞあれを鎭めて下され。浪が大空の頬を拍《う》って、 あの光ってゐる火を消さなければ、今にも眞黒な臭いものが天上から降って來さうぢゃ。 あゝ、あの苦しむのを見てゐたので、わたしも一しょに苦しみました! あの見事な船……きッと、何か立派な者が乘込んでゐたであらうに…… みんな粉碎《こな/\゛》になってしまうた! あゝ、あの叫聲《なきごゑ》でわたしの此胸が痛うなった! 憫然《かはい》さうに、みんな死んでしまうたのぢゃ! 若しわたしが強い/\神さまなら、あのやうな立派な船や乘組を海に呑ます前に、 海を干潟にしてしまうたものをなァ! プロス 騒ぐな。もう駭《おどろ》くことは無い。安心してゐなさい、 何の事もないのぢゃ。 ミラン あゝ、悲しや/\! プロス 何の事もない、女《むすめ》よ、みんな其方《そなた》の爲を思うてしたのぢゃ、 何《なンに》も知らぬ女《むすめ》よ、……わしが何處から來たかも知らず、また、 此見るかげもない窟《いはや》の主人《あるじ》プロスペローたるよりは身分の高い父ぢゃとも知らぬ女《むすめ》よ、 ……みんな其方《そなた》の身の爲を思うてしたのぢゃ。 ミラン わたしはそれを知らうとも思ひませなんだ。 プロス 今それを知らす時が來たのぢゃ。手を貸して此法服を脱がしてくれ。…… ミランダ手傳ひて法服を脱がす。 さう。(服を傍に置きて)法力よ、そこに休んでをれ。 (ミランダに)目を拭いて機嫌をなほしなさい。 あの怖ろしげな難船の有樣に、深い惻隠《あはれみ》を覺えたのも道理《もつとも》ぢゃが、 あれは豫《あらかじ》め法力を以て、予《わし》が如才なく手配りをしておいたによって、 泣き叫ぶ聲が聞えて、沈むのまでも見えたなれど、乘組の者一人として、 只の一人も、いや、頭髪《かみのけ》一筋さへも無うなりはせぬ。 下にゐなさい、話すことがある。 ミラン あなたは幾たびも、わたしの身の上を、話さうとしてはお止めなされました、 さうしてわたしが問はうとすると、いつも「待て、まだ時が來ぬ」とおっしゃりました。 プロス 其時が今來たのぢゃ。よう耳を開けて、わしの言ふことを聽きなさい。 其方《そなた》は此 窟《いはや》へ來た前の事を記《おぼ》えてゐるか? よもや記《おぼ》えてはゐまいなう、滿三歳にもなってはをらなんだから。 ミラン いゝえ、ちゃんと記《おぼ》えてをります。 プロス どうして?家か人かに記憶《おぼえ》があるか? 何でも可い、記《おぼ》えてゐるものをば言って見なさい。 ミラン 遠い前に……明分《はっきり》とは記《おぼ》えてはゐませんけれど…… 夢のやうに。四五人の女の人が、わたしに附き添うてはゐませなんだかえ? プロス 四五人どころか、もっと附き添うてゐた。どうしてそれを記《おぼ》えてゐるぞ? 何かまだ他《ほか》に、深い、昏《くら》い來し方に見えるものは無いか? こゝへ來ぬ前の事を記《おぼ》えてゐるなら、 どうして爰《こゝ》へ來たかも記《おぼ》えてゐさうなものぢゃ。 ミラン それは記《おぼ》えてをりませぬ。 プロス 十二年以前には、ミランダよ、十二年以前には、其方《そなた》の父はミラン國の公爵で、 威勢《いきほひ》の盛んな君主であった。 ミラン あなたがわたしの父樣《とゝさま》ぢゃありませんかえ? プロス 貞女の模範と稱せられてゐた母親が、其方《そなた》を女《むすめ》と呼んでゐた。 また、其方《そなた》の父は、ミラン國の公爵で、其 世嗣《よつぎ》の一人子は、 筋目の正しい姫君であった。 ミラン おゝ、ま、思ひがけない!さうして如何《どう》いふ不幸《ふしあはせ》で、 如是《こんな》處へ來たのでござります。それとも來たのが幸福《しあはせ》なのでござりますか? プロス 幸福《しあはせ》でもあり、不幸《ふしあはせ》でもあったのぢゃ。 其方《そなた》の言ふ通り、不幸《ふしあはせ》で本國を逐はれたのぢゃが、 幸福《しあはせ》にも此島へ流れ著いた。 ミラン あゝ、此 心《むね》が裂けるやうぢゃ!記《おぼ》えてはゐぬけれども、 嘸《さぞ》、其時、父樣《とゝさま》に御苦労をかけたであらうと思ふと! どうぞ其後を聞かせて下され。 プロス 予《わし》には弟、其方《そなた》には叔父のアントーニオーといふ者…… よう聞いてゐようぞ……不義不信の弟め!……其方《そなた》を除《の》けては、 又となく寵愛し、一國の政治をさへ任せておいた弟…… 其頃、侯伯の領國は數多くあったが、中にも、ミランは第一の大國で、 プロスペローは公爵の筆頭、威權はもとより、 學問藝術の嗜《たしな》みとても竝《なら》ぶ者はないと讃められてゐた。 で、政治向の事は悉く實弟に任せ、漸々《だん/\》國事に遠ざかり、 専《もっぱ》ら秘密の研究にばかり心を奪はれ、おのれを忘るゝに至ったので、 腹の黒い其方《そなた》の叔父は、……聽いてゐるか? ミラン はい、一心に。 プロス 一たび政治の權を握って、請願の許否は勿論、如何なる者を擧げ用ひ、 如何なる者を抑へ黜《しりぞ》くべきかを十分會得した所から、 予《わし》が任じておいた者共を悉く改易してしまうた、すなはち、 或ひは其 職柄《しょくがら》を取換へ、或は其 仁《 ひと》を新たにし、 かくして官と官吏との調音鍵を手に入れたので、 國中の者をして己《おの》が好む勝手な音色を奏せしめ、 いつの間にか此プロスペローといふ本木《もとき》の幹を掩うてしまうて、 其 生液《いきしる》を吸ふ蔦となった。……聽いてゐぬな。 ミラン おゝ、父さま、よう聽いてゐます。 プロス よう聽いてをれよ。さて、予《わし》が斯く現世の務めを怠り、 閉ぢ籠って、只もう……退隱といふ失《しつ》さへ無くば有《あ》らゆる俗の譽れに優る…… 修養にばかり耽る程に、腹の黒い實弟《おとうと》に、道ならぬ心をば起させたわい。 予《わし》の信任は、善い親が惡い子を生むやうに、其信任とは反對の不義な心を起さしめた、 ……限りの無い、果しの無い信任であったなれど。かやうにして、 彼奴《きゃつ》は國主顏《こくしゅがほ》に、年々の貢物は言ふに及ばず、 予《わし》の權力を笠に被《き》て、出來る限りのものを取立てをった。 絶えず妄語する癖の者は、遂に自ら欺いて吾れと我が詐《いつは》りを實《まこと》とするに至るものぢゃが ……實弟《おとうと》めも、久しく予《わし》の代理として一切の威權を備へ、 表向きは國主同樣であったによって、つい自分が公爵であるやうに思ひはじめ、 ……ます/\非常に増長して、……聽いてゐるか? ミラン 此やうな話を聞けば、聾《つんぼ》でも耳は開きませう。 プロス 名と實との間隔を無くするために、是非とも實《まこと》のミラン公爵にならうとした。 予《わし》は……笑止千萬な男……予《わし》には書齋一つが大き過ぎるほどの公領、到底、 國主たるの器量なぞはない者と見くびり、權力に渇する餘り、 敵國ネープルズの王に臣禮を取り、貢物を納め、あさましや! 曾《かつ》て他國に屈したことのない我がミラン國に、此上もない恥辱を與へをったわい! ミラン おゝ、まァ! プロス 其際の條約と結果とを聽いた上で、これでも實弟《おとうと》と言はれるか、 判斷して見なさい。 ミラン かりにも祖母《ばゝさま》を疑うては濟みません。 善い人のお腹からでも不可《いけな》い兒が幾らも生れませう。 プロス ところで其條約ぢゃ。元來ネープルズ王は予《わし》の爲には仇敵であったから、 喜んで實弟《おとうと》の頼みを聽き納れ、 若し臣下となって若干《そこばく》の貢物を納めるといふ條約さへ締《むす》ぶならば、 すぐさま吾々親子を逐ひ失ひ、ミラン國と共に有《あ》らゆる榮譽、官爵を、 實弟《おとうと》に與へようと約束した。で、アントーニオーは、 二心《ふたごころ》の兵士等を徴集して、かねて手筈を定めておいた或眞夜中に、 ミランの城門を開いたので、草木も眠る眞の暗夜に、 命令《いひつけ》を受けた役人共が、予《わし》をも、泣き叫ぶ其方《そなた》をも、 遠く城外へと逐ひ立てをった。 ミラン あゝ、ま、お笑止や/\!その時どのやうに哭《な》いたやら記《おぼ》えてゐぬから、 もう一度 哭《な》きたうござります。涙を絞り取られるやうな話ぢゃ。 プロス もう少し聽いてゐると、今さしかゝってゐる事と聯絡が著く、 でないと、此履歴話の筋が立たぬ。 ミラン なぜ、其時、敵の者が、わたしたちを殺さなんだのでござりますえ。 プロス よう問ひましたぞ。さういふ不審が起るべき筈ぢゃ。 女《むすめ》よ、さすがに殺し得なんだのぢゃ、人民等が、 それほど深く予《わし》を愛敬してをったゆゑに。且つは、 まさか、さほどまでに殘忍には得振舞はなんだのぢゃ。 結局《つまり》、吾々二人を矢庭に船に逐ひ乘せて、 遙かの沖中まで漕ぎ出した、それから、船とは名ばかりで、 綱具《つなぐ》もなければ帆も檣《ほばしら》もなく、 鼠さへ自然《おのづ》と知って乘ってをらぬやうな腐れ小舟に、 吾々親子を投《はふ》り込んで突離した。叫べども荒海の、 只どう/\と鳴り渡り、歎息すれば、風がそれに同感してか、 喘《あへ》ぐやうに吹き立てゝ、生中《なまなか》に二人が身の、 仇《あだ》とも邪魔ともなるばかり。 ミラン 嘸《さぞ》、わたしが、其時に、厄介物でありましたらうなァ! プロス いや、其方《そなた》は守護神《まもりがみ》であったのぢゃ。 其方《そなた》よゑに此命を助けられた! 重荷の下《もと》に呻吟して、はふり落つる苦い涙に、 大海の水量《みかさ》をも増す程であった際《をり》、 天の附與した勇氣によって、何氣なく莞爾《にこ/\》笑うてゐる其方《そなた》の顏を見るといふと、 萎えた氣も囘復して、此上どんな艱難が來ようとも、堪へ忍ばうと決心したわい。 ミラン どうして陸《くが》へは上ったのでござります? プロス 天の祐《たす》けでぢゃ。……食料にも、又、飲用水にも事を缺かなんだのは、 其際、護送役を命ぜられてゐたネープルズの君子人、 ゴンザローが慈悲《なさけ》の賜與《たまもの》であったのぢゃ。 彼れは、尚ほ其上に、立派な上被《うはぎ》類や、麻布や、器具、日用品等をも惠みくれた、 いづれも、後に種々《いろ/\》の役に立った。のみならず、 予《わし》が書籍を愛するのを知って、公領よりも大切に思ふ數巻の書を、 書庫から取出して來て渡してくれた。 ミラン あゝ、わたし其人に逢うて見たい! プロス もう時刻が來た。 プロスペロー法服を取りあげつゝ、ミランダに ぢっとしてゐい、さうして海の難儀話の結局《をさまり》を聽きなさい。…… さて、此島へ漂著して、それから予《わし》が教師となって、 いたづら事に時を費す君主等の曾《かつ》て授け得ない、また、 師傳《もりやく》なぞには迚《とて》も/\望みがたい、 心を籠めた教育を其方《そなた》に授けた。 ミラン 神々樣、どうぞ父上にお禮を言うて下さりませ! それからどういふ譯で颶風《あらし》をお起しなされましたか? ……あゝ、それがまだ此 心《むね》の中で騒いでゐる。……さァ、父樣《とゝさま》、 どうぞそれを話して下され。 プロス では、それだけ話しておく。……不思議な廻り合せで、 從來《これまで》は不深切であった運命の神が、 今は予《わし》の身方になって、怨みある者共を、今日此濱邊へ引寄せてくれた。 天文を勘考《かんが》へて見たところ、 予《わし》の榮枯盛衰は不思議な一つの瑞星《ずゐせい》に懸ってゐる、 今若し其星の力を等閑に附するときは、予《わし》の運命はだん/\衰へるばかりになる。 ……もう問ふのは止めなさい。眠うなったらしい。恰《ちょう》ど好い。 眠なさい。……眠らずにはをられん筈ぢゃ。 ミランダ眠る。プロスペロー空中に向って 來いよ/\!もう可いぞ。参れ、エーリエル。早う來い! もとは此島の一精靈で、 今はプロスペローの使魔《しま》となってゐる容姿の女のやうな優美なエーリエルが羽ばたきしつゝ空中から舞ひおりて來る。 エリエ 御機嫌よう、御機嫌よう、お師匠さま!おゝ、お師匠さま! 何御用でござります?翔ぶのでも、泳ぐのでも、火の中へ潛るのでも、 渦卷雲に乘るのでも、お師匠さまの命令《いひつけ》なら、 エーリエルは力の有ッたけ勤めまする。 プロス 精靈よ、吩咐《いひつ》けておいた大颶風《おほあらし》は、 悉く爲果《しおほ》せたか? エーリエル はい、一つも殘さず。……御座船へ飛び移って、すさまじい火[火|(ク/臼);u7130]《ほのほ》となって、 或時は艫《へさき》で、或時は中央《まんなか》の甲板で、又、 或時は各 船室《カビン》に燃え擴り、又、急に分裂して、 一度にあちこちで燃え立ちました。大帆檣《おほほばしら》や帆桁や船觜《やりだし》、 一度期になって燃え上ると見せておいて、 又直ぐに合併して、一塊りになって燃え立ちました。 目にも止らない其 敏速《すばや》さ、ヂョーヴ神の稻光《いなびか》り、 あの怖ろしい霹靂《いかづち》の前觸役の速さとても是れほどではござりますまい。 電光《いなづま》と殷雷《はたゝがみ》とが大わだつみを取圍んで攻めたので、 さすがに猛《たけ》しい大海も震慄《ふる》へ出し、 龍王が手に持つ三叉戟《みつまたぼこ》さへ搖ぐやうに見えました。 プロス うい奴ぢゃ、感心々々!それほどの騒動では、 いかな沈著な者とても、取亂さずには居得らなんあであらうな? エーリエル 気違のやうに逆上《とりのぼ》せて、死物狂ひにならぬ者は、 只の一人もありませなんだ。水夫の外は、殘らず荒濤《あらなみ》へ跳り込んで、 恰《ちょう》ど其時燃え上った王の本船《もとぶね》を離れました。 王子のファーディナンドは、頭髪《かみのけ》を葦《あし》の葉のやうに逆立てゝ 「地獄を擧《こぞ》って惡魔めが押寄せて來をった」と叫びながら、 眞先《まッさき》に海へ飛び込みました。 プロス はて、それでこそ俺の使魔《つかはしめ》ぢゃ!それは、つい岸近くであったらうな? エリエ はい、つい近くでござります。 プロス が、みんな無事であらうな? エリエ 頭髪《かみのけ》一筋もなくなりませぬ。潮水《しほみづ》に彼等を支へてゐた其 上被《うはぎ》も、 汚れるどころか鮮かになったくらゐ。それから、命《おほせ》の通りに、 彼等を幾組にもあちらこちらに散らしました。王子はわざと一人ッきり上陸させ、 人の知らぬ島かげに休ませておきましたが、欝《ふさ》いで、 如是《こんな》風に腕組して、溜息ばかりしてをりまする。 プロス 王の本船《もとぶね》の水夫共や其他の奴等をば、如何《どう》取計らうた? エリエ 王の船は、何事もなく港の中に、それ、あの奥深い、いつぞや夜中に予《わし》を呼んで、 常住《じゃうぢゅう》暴風《あらし》の惡魔島《バームーゼズ》から露を取って來いとお吩咐《いひつ》けなされた、 あの奥深い入江の中に、ちゃんと本船は匿《かく》してあります。 水夫共は、殘らず船底へ押込めて、疲れぬいてゐる處へ呪《まじな》ひをかけ、 其儘眠らせておきました。それから散り/\゛になった他の船共は、 其後又一しょにはなりましたが、御座船は毀《こは》れ、王は死《なく》なれれたとばかり思ひ込んで、 力なげに本國さして、もう地中海へ乘出しました。 プロス エーリエルよ、命令通りに善く爲果《しおほ》せた。が、まだ用がある。…… 何時《なんどき》ぢゃ? エリエ もう正午《ひる》を二時間以上も過ぎました。 プロス 今から夕方の六時までを、最も大切に使はにゃならんぞ。 エリエ えゝ、まだ爲事《しごと》をせにゃなりませぬか?わしに骨を折らせるなら、 約束を忘れて下さりますな、まだ其儘になってゐるあの約束を。 プロス 何ぢゃ、そのふくれ面《づら》は?約束とは何ぢゃ? エリエ 身《からだ》を自由にして下さる筈ぢゃ。 プロス まだ期限も來もせんのに?最早《もう》! エリエ 善う奉公をしたのを思うて下され。[言|虚;u8B43]《うそ》は言はなんだし、 爲損《しそん》じもせなんだし、苦情もいはず、愚痴も言はなんだ。 それで、恰《ちょう》ど一年だけ年期をば減してやるとお約束をなされました。 プロス 忘れをったな、どんな苦しみから俺が汝《おのし》を救うたかを? エリエ いゝえ、忘れません。 プロス いゝや、忘れた。鹽海《しほうみ》の底を潛《くゞ》ったり、 雪風に踏跨《ふみまたが》ったり、霜で裂開《ひゞわ》れてゐる地の中へ潛《もぐ》るぐらゐを、 大層な奉公ぢゃと思うてをるのか? エリエ いゝえ、さうは思ひません。 プロス [言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》け、鼻曲りめが!忘れたか、 あの魔法使ひのシコラックスを?齡《とし》も積り、惡心も積って、 輪にやうに曲りくねった妖婆《ばけものばゞ》を?シコラックスを忘れたか? エリエ いゝえ、忘れません。 プロス いゝや、忘れた。彼奴《きゃつ》は何處で生れた?それを言へ。言って見ろ。 エリエ アーヂールで生れました。 プロス おゝ、さやうか!……おのれのやうな奴は、月に一度ぐらゐづつ昔の事を數へ立てぬと、忘れをる。 あの魔法使ひのシコラックスは、種々の惡事の外に、聞くに堪へん怖ろしい邪法の科《とが》で、 汝《おのし》の知って居る通り、アーヂールから追放された、 命だけは或功勞のゆゑに助けられたが。……さうであらうが? エリエ さやうでござります。 プロス 其 碧眼《あをまなこ》の妖婆《ばけものばゞ》は、懐胎のまゝ水夫共に護送されて、 此島に棄てられた。其際《そのとき》、汝《おのし》は、 汝《おのし》自身の話によると、彼奴《あいつ》に使はれる身となったのぢゃが、 生得《うまれつき》孱弱《かよわ》い、纎細《きゃしゃ》な精靈であるが爲に、 あの婆の吩咐《いひつ》ける怖ろしい穢はしい命令に應じかねたので、 彼奴《きゃつ》が大《おほ》きに腹を立て、勢ひの強い使魔《つかはしめ》らに手傳はせて、 松の幹を引裂いて、汝《おのし》を其裂目に挾み込めてしまうた。 で、十二年間といふもの身動きも出來ず苦しむうち、婆は死んで、 汝《おのし》は其儘に殘り、粉磨車《こなひきぐるま》が叩くやうに、 夜晝に洩《もら》す呻吟聲《うめきごゑ》。其頃、此島には、 妖婆《ばけものばゞ》が生み殘した黄斑《きまだら》の鬼子の他には、 人間らしい者の影もなかった。 エリエ それは婆の子のキャリバンです。 プロス 馬鹿、さう言うてをるわい。俺が今使うてをるあのキャリバンの事ぢゃ。 あの際《をり》の汝《おのし》の苦しみは汝《おのし》が最《いッ》ち善く知って居る筈ぢゃ。 汝《おのし》の呻吟聲《うめきごゑ》には、狼もおびえて吠えた、 猛《たけ》しい荒熊の胸にさへも徹した。すなはち、地獄の罪人が蒙る苛責で、 シコラックス自身とても解き戻しかねる呪縛であったのを、 俺が來て、汝《おのし》の歎きを聽き、法力で松の幹を披《ひら》いて、 其難儀を脱《のが》れさせて遣《つか》はした。 エリエ ありがたうござりました。 プロス 此上若しぐづ/\゛いふと、槲《かし》はの幹を裂いて、 其 瘤々《こぶ/\》だらけの胴中に汝《おのし》を引ッ挾んで、 また十二年の冬を吠えさせるぞ。 エリエ 堪忍して下され、どんな命令《いひつけ》にも從ひますから、 柔順《おとな》しく爲事《しごと》をしますから。 プロス 勉強しろ、さうすれば、二日經つと自由にしてやる。 エリエ や!それでこそ俺のお師匠さまぢゃ!え、何をしませうぞ? さ、何を?え、何をしませうぞ? プロス さ、往って、海の女神に化けて來い。俺の他には姿を見せるな。 他の者の目には見えぬやうにぢゃ。さ、其姿になって此處へ來い。 早う往け、急いで! エーリエル空中を飛んで入る。プロスペローは眠ってゐるミランダに向って 起きろよ、むすめ、さ、起きなさい!よう眠たぞよ。起きろ! ミラン 父樣《とゝさま》のお話が、あんまり不思議なので、つい眠たうなった。 プロス さ、眠氣を拂うて、こッちへ來なさい。キャリバンめを見て來よう、 彼奴《あいつ》め曾《つひ》ぞ柔順《すなほ》な返辭をしをらん。 ミラン あのやうな奴、わたしゃ見るのも厭《いや》ぢゃ。 プロス でも、今のところ、彼奴《あいつ》がゐぬと困る。火を焚いたり、 薪を取って來たり、いろ/\の役に立つから。…… 窟《いはや》の方に向って やい、/\、奴《やっこ》!キャリバン!やい、土塊《つちくれ》!返辭をせい! キャリ (奥にて)薪はまだ澤山あらァ。 プロス 出て來いと言ふに!他に用があるのぢゃ。出て來い、泥龜《どろがめ》めが!こら!…… エーリエル美しき海の女神と化して出る。プロスペロー之を仰ぎ見て 見事々々!エーリエルよ、こりゃ耳を借せ。 何事かエーリエルに囁く。 エリエ かしこまりました。 エーリエル入る。プロスペロー又 窟《いはや》に向って プロス やい、毒物め、惡魔が鬼婆に生ませをった奴!出て來いといふに! キャリバン出る。キャリバンは、其以前、 此島の主《あるじ》のやうになってゐたシコラックスといふ妖婆の遺兒で、 人三化七式の醜悪な怪物《ばけもの》である。 キャリ 阿母《おッかア》が大鴉の羽で掻き集めた有ッたけの沼の毒が、 汝《おのし》らに降りかゝってくれ!南西が吹いて來て、 汝《おのし》らの全身《からだぢゅう》が水ぶくれになッちまへ! プロス そんなことをいふと、其罰で今夜手足が痙攣して、 息が止るほどに脇腹が引ッ釣るぞよ。 それから小鬼どもが横行の許してある夜中かかって、 汝《おのし》を責《さいな》み、五體を隙間《すきま》もなく捻り立てるぞ、 其 痕《あと》は蜂窩《はちのす》のやうになって、 其一捻りは、一つ/\゛に、蜂が刺すよりも痛いぞよ。 キャリ でも、食はずにはをられんもの!……此島は俺のだ、 阿母《おッかア》のシコラックスが與《く》れたのだ、 それを汝《おのし》が取ッちまったんだ。はじめて來た時に、 汝《おのし》おれの頭を撫でて、おそろしく俺を大事にして、 妙な實の入った水をくれたり、夜と晝とに光るあの小さい方は何といふ、 大きい方は何といふなんて教へたりなんかしをったので、 俺つい汝《おのし》が好きになって、島中の種々《いろ/\》な事を教へてやった、 清水や鹽溜りや實る處や實らん處や。あゝ、俺、馬鹿なことをしッちまった!…… 阿母《おッかア》の呪《まじな》ひの有ッたけ、蝦蟆《がま》よ、甲蟲《かぶとむし》よ、 蝙蝠《かうもり》よ、悉皆《みんな》汝《おのし》らの身に取ッ附いてくれ! もとは俺が此處の王さまだったのに、今ぢゃ俺は汝《おのし》のたった一人の家來になッちまった。 汝《おのし》は、俺を此堅い/\岩の中へ押込めて、島を取りあげてしまやァがった。 プロス 此 大虚言者《おほうそつき》めが!笞《むち》を以てすれば動すことを得れども、 慈悲を以てしては動しがたい奴!穢はしい奴ではあるが、 憫然《かはい》さうに思うて慈悲《なさけ》をかけ、 此 窟《いはや》に宿らせてまでやったものを、 遂に不埒にも我兒《むすめ》をば辱しめやうといたしをった。 キャリ おほゝゝ!……惜しいことをしッちまった! おのしに邪魔をされなんだら、此島をキャリバンで一ぱいにしッちまったものを。 プロス おそろしい人でなしめが!おのれは惡い事なら如何《どん》な事でも習ひをるが、 善い事の印象は少しも留めをらぬ。 不憫に思うて、どうかして物を言ひ習はせうと苦心し、毎日毎刻いろ/\な事を教へた。 全然《まったく》言はうとすることも辨《わきま》へず、 甚しい下等の獣類同樣に、わけもないことを囀《さへづ》ってをった時分に、 意味の通ずる語《ことば》を授けて、其目的に便ぜしめた。 けれども、汝《おのし》に下劣な天性《うまれつき》は、 如何程《どれほど》教へ學ばせても改《なほ》らんから、 迚《とて》も善い人間とは、同棲さすることが出來ん。 此岩の中へ押籠めておくのは當然の事ぢゃ、牢へ入れておいてもよいくらゐの奴ぢゃ。 キャリ おのしらが俺に語《ことば》を教へやがったんで、惡口することだけ習ったい。 語《ことば》なんか教へやがった罰で、二人とも丹毒にかゝッちまへ! プロス 退《さが》れ、魔の胤《たね》めが! 早く薪を取りに往け。他にも用があるから、早くせぬと爲にならんぞ。 おのれ、肩をゆすぶったな?命令《いひつけ》を怠ったり、不承々々勤めたりなんかすると、 手足を怖ろしく痙攣させ、骨々を挫《ひし》ぎつけ、 獸類《けだもの》を其聲を聞いて慄へ戰《をのゝ》くほどに吠えさせるぞ。 キャリ どうぞ堪忍してくれ!堪忍してくれ!……(傍白)いふことを聽かなけりゃならん、 奴は偉い術を使ひをるから、阿母《おッかア》の神樣のセテボスだって敵《かな》はないんだから。 プロス さうだ、早く往け! キャリバン入る。 エーリエル前の如くに人の目には見えぬ女神の姿のまゝにて、 樂《がく》を奏しつゝ歌を唱《うた》ひつゝ再び出る。 それにつゞいてネープルズ王子ファーディナンド出る。 エリエ (歌ふ。) 來よ、此黄なる眞砂《まさご》に、   さて取れや手と手を。 會釋し了へて、接吻《キス》して、   あら浪も和《な》ぎぬ。 しなよく踊れ、こゝに、そこに。 はしき精霊《すだま》よ、歌へ、囃《はや》せ。   聞けや、聞けや! (此時あちこちにて拍子言葉聞える。)   バウ、ワウ! 犬こそ吠ゆれ、 (又、拍子言葉。)   バウ、ワウ!  聞けや、聞けや、啼くよ 容態ぶったる庭鳥、 コックドードルヅー! ファー あの音樂は何處から聞える?空からか、地中からか?……もう聞えぬ。 ……きッと此島の神か何かゞ奏させるのであらう。…… 海岸に腰を掛けて、父王の難船を歎いてゐると、 あの音樂が海上から這ひ寄って來て、妙《たへ》なる音色で浪をも此胸の荒れるのをも鎭めてくれた。 それから、其 音《ね》を追うて、といふよりも、つい引摺られて此處まで來た。 ……が、もう去《い》ってしまった。……いや、また始めた。 エリエ (又歌ふ。) 五尋《いつひろ》深き水底《みなぞこ》に、   御父上は臥したまふ。 御骨《みほね》は珊瑚、眞珠こそ   その以前《かみ》、君が御龍眼《おんまなこ》。 御體《ぎょたい》の一切《なべて》朽ちもせで、   寶《たから》と化しぬ海に入りて。 聞かずや海の女神らが (此時奥にて)   ディーン・ドーン! あれ/\、君を弔ふ鐘!   ディーン・ドーン、ベルヽ! ファー あの唄は、溺死なされた父上を弔うてゐる。……こりゃ人間の爲業《しわざ》ではない、 あの聲も下界の聲ではない。……今度は頭上《うへ》で聞える。 プロスペロー、此時ミランダをつれて、やゝ前へ進み出る。 プロス (ミランダに)そなたの目の帳《とばり》をかゝげて、あそこに何が見えるか、 言うて見なさい。 ミラン (ファーディナンドを見て)や、ありゃ何ぢゃ?精霊《すだま》か? まァ、方々を見廻してゐる!……なァ、父樣《とゝさま》、ほんとに立派な姿ぢゃ!…… でも、ありゃ精霊《すだま》ぢゃ! プロス いゝや、精霊《すだま》ではない。あれは物を喰ふ、眠《ね》もする、目も、鼻も、 吾々のと同じのを有ってをる。あれ、あの若者は難船した者の一人ぢゃ。 美を食ふ愁歎といふ螟蛉《むし》に損《そこな》はれてゐなんだら、 そなたが見て好い男子《をとこ》ぢゃと言うたであらう。 はぐれた友達を捜して、さまようてをるのぢゃ。 ミラン わたしゃ神樣のやうぢゃと言ひませう。曾《つひ》ぞまだあんな高尚《けだか》い者を見たことはないゆゑ。 プロス (傍白)思うた通りにうまく行くわい。……(空中に向ひて)精霊《すだま》よ、 うい奴ぢゃ!此褒美に、二日以内に暇をやるぞ。 ファー (ミランダを見つけて)必然《きッと》あれは、先刻《さッき》の音樂が奉仕《つか》へてゐる女神であらう! (跪きてミランダに)祈願し奉ります、此島にお鎭りなされる御方でござりますか? わたくしは此處で如何やうに致したら宜しうござりますか? どうかお訓《をし》へ下さりませ。第一に承りたいは、……最《いッ》ち後で申しますものゝ、 ……おゝ、不思議なお方!あなたは只の娘御でおありなさるのか、ないのか、 それをまづおほせられて下さりませ。 ミラン いゝえ、不思議な者ではない。わたしは處女《むすめ》ぢゃ。 ファー (傍白)やァ!國の語《ことば》を使うた!……(ミランダに) 其 語《ことば》の使はれる本國にさへ居たならば、 わたしは其 語《ことば》を使ふ者の中で、此上もない身分の者ぢゃ。 プロス 何!此上もない身分の者ぢゃ?それをネープルズの國王に聞かれたら、 おぬしの身の爲になるまいぞよ。 ファー 天にも、地にも、たゞ一人ぎりとなってゐるのに、ネープルズ王の噂を聞くといふは不思議なことぢゃ。 語るも、聞くも、一人ぎりであればこそ悲しむのぢゃ。わしが即ちネープルズ王ぢゃ、 目前《まのあたり》、父王の難船せられるのを見て以來、 此目の乾く間《ひま》もないのぢゃ。 ミラン あゝ、お笑止なことぢゃ! ファー 全くの事ぢゃ。貴族ら一同とても同樣。 ミラン公 父子《おやこ》も一しょぢゃ。 プロス (傍白)いや、それは間違ってゐる、と此ミラン公 父子《おやこ》が遮っても可いのぢゃが、 まだ少し機《をり》が早い。……只一目見て、目と目と見交しをった。 ……うい奴ぢゃ、エーリエルよ、此褒美に暇をやるぞ! ……(ファーディナンドに)一寸いふことがある。 貴公の言はれたことは甚だ以て意を得ない。さ、一寸。 プロスペロー一隅へファーディナンドを伴ひ行く。 ミラン (傍白)何故 父樣《とゝさま》は、あんなに荒々しくいひなさるのであらう? これがわしが見た三人目の人間ぢゃ。なつかしう思うた初めての人ぢゃ。 どうぞ、父樣《とゝさま》にも、わしと同じに優しい氣になって欲しい! 此中ファーディナンドはプロスペローから離れる。 ファー (ミランダに)あゝ、若し貴嬢《あなた》が、 まだ誰にも情をお許しなされたことのない處女御《むすめご》であるならば、 わたしは貴嬢《あなた》をネープルズの王妃《わうひ》にお迎へ申したい。 プロスペローが二人の間に入る。 プロス (ファーディナンドに)ま、お待ちなさい。まだ言ふことがある。…… (傍白)お互ひに心を奪はれてゐる。が、速かに運ぶのを故《わざ》と難しくせねばならん。 餘り容易《たやす》く手に入ると、兎角、それを粗末に思ふ。…… (ファーディナンドに)まだ言ふことがある。是非聽きなさい。 貴公はよい加減な名前を騙《かた》って、さうして間諜となって此處で入り込み、 此島を奪ひとらうと企んでゐるのぢゃな。 ファー いゝや、決してそんな覺えはない。 ミラン (プロスペローに)あのやうな立派な姿の中に、惡い者なんか住んでゐよう筈がない。 あれが惡い魂の家であるなら、善い魂とても一しょに住みたがるだらう。 プロス (ファーディナンドに)こッちへ來い。……(ミランダに) えゝ、彼奴《あいつ》を庇《かば》ふな。あれは騙賊《かたり》ぢゃ。 ……(ファーディナンドに)さ、足や首に械《かせ》を掛けて、 潮水を飲ますぞ。喰ふものは、貽貝《いのかひ》と枯草の根と團栗《どんぐり》の殻《から》ぢゃ。 ……從《つ》いて來い。 ファー いゝや、そんな待遇《もてなし》は受けん、力の及ぶ限りは。 劍を抜いて斬らうとする。プロスペロー魔法杖を揮ふ。 ファーディナンド呪縛される。 ミラン あれ、父樣《とゝさま》、そのやうに手荒うさなれますな。 優しさうで、怖らしうは見えぬ人ぢゃに。 プロス 何ぢゃ!阿呆の癖に、指揮《さしづ》をするのか!…… (ファーディナンドに)劍を鞘に藏《い》れろ、大騙賊《おほかたり》め。 撃つ眞似はしても、撃ち得まいがの。それ、其通り身の罪に心が咎める。 其身構を止めい。此杖を一揮《ふ》り揮《ふ》れば、 おのしの其武器は落ちてしまふから。 ミラン 父《とゝ》さま、どうぞ、父《とゝ》さま! プロス 退《の》け!袖にすがるな。 ミラン どうぞ堪忍して下され。わたしが證人になりまする。 プロス 黙りなさい!此上、何とか言ふと、叱るぞよ、憎いと思はんまでも。 何ぢゃ、騙賊《かたり》の庇護立《かばひだて》をする! 叱《しツ》!彼奴《あいつ》ほどの男は、最早《もう》無いと思ふのか? 彼れとキャリバンの他を見たことがないので。阿呆めが! 大抵の人間に比べると、此奴《こいつ》はキャリバンも同樣、さうして他の男共は、 此奴《こいつ》に比べれば、みんな天使ぢゃ。 ミラン では、わたしの望みは卑しいのぢゃ、此人よりも立派なのを欲しいとは思はぬ。 プロス (ファーディナンドに)さ、いふことを聽け。 汝《おのし》の筋力は幼孩《をさなご》の昔に復《もど》った、 もう何の力もないわ。 ファー (手を動かさうと試みて)なるほど、さうぢゃ。 まるで夢を見てゐる時のやうに、心の自由を失うてしまうた。 (ミランダを見やりて)父の死も、我が力の衰へも、 友達を亡《うしな》うた悲しみも、 敵しがたい此男の脅嚇《おびやかし》も、もう俺は何とも思はん、 もし牢屋の窓口から、日にたッた一度だけあの娘の顏を見ることが出來れば。 此處の外の世界は、どこなりと勝手に使ひをれ、 幽閉《おしこ》められても、此處には廣い天地がある。 プロス (傍白)うまく行く。……(ファーディナンドに)さ、來い。…… (空に向ひて)エーリエルよ、感心ぢゃ!出來しをった。!…… (ファーディナンドに)從《つ》いて來い。……(エーリエルに)こりゃまだ吩咐《いひつ》けることがあるぞ。 エーリエル進み出る。 ミラン (ファーディナンドに)氣づかひなさるな。父《とゝ》さまは言葉附きよりは善い人ぢゃに。 今日の樣子は平生《いつ》もとは異《ちが》ふ。 プロスペロー (エーリエルに)山の風のやうに自由にしてやる。其代り吩咐《いひつ》けた事を少しでも違へるな。 エリエ 一言でも違へません。 プロスペロー (ファーディナンドに)さ、從《つ》いて來い。(ミランダに)庇護《かば》ひ立てをするな。 皆々入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 第二幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第一場 島の他の方面。 ネープルズ王アロンゾー、其弟セバスチヤン、ミラン公アントーニオー、 老顧問官ゴンザロー、貴族エードリヤン、同フランシスコー、其他出る。 アロンゾーは王子のファーディナンドを既に溺死を遂げたものとのみ思ひ込みて悲歎にくれてゐる。 それを主として老臣のゴンザローが慰める。 ゴンザ (王に)もし、御快活に遊ばれませ。お喜びあるのが當然でござります、…… 私共とてもでござります。と申すのは、斯うした悲歎《かなしみ》は世の常の事でござります、 毎日、或水夫の妻、或商船の船長、乃至《ないし》其荷主の商人が、 吾々同樣の惡運に遭うてをります。併《しか》しながら、 吾々のやうに不思議の冥助《みやうじよ》を得るものは、…… 助かったのを申すのでござりますが、……百萬人中の一二人でござりませう。 なれば、何卒《なにとぞ》、御賢明に、此お喜びを以て此たびの御不幸をお慰めなされませい。 アロン 黙ってゐてくれ。 王とゴンザローとの問答の間、エードリヤンらは默してゴンザローの後ろの立ちて控へて居り、 アントーニオーとセバスチヤンとは、少しく立離れて、以下始終、傍白《アサイド》を續けて、 ゴンザローらが落膽《らくたん》する王を慰めんとて、 さま/\゛に努力するのを無益なる努力なりとして嘲り笑ふ。 セバス (傍白)折角の御慰問も、冷雜炊扱ひと來てゐる。 アント (セバスチヤンに)處が、御慰問係りは、そんなことで凹むやうな和尚さんぢゃありませんや。 セバス (アントーニオーに)御覽なさい、大將頻りに智慧の時計を捲いてゐる。 今にチーンと來るだらう。 ゴンザ (王に)えゝ、もし…… セバス (アントーニオーに)一つ。……算へたまへ。 ゴンザ (格言らしく)えゝ、悲しみ來る時は、之を珍客の如く款待せよ、 然らんには自然《おのづから》にして…… セバス (わざと聞えるやうに)金貨《かね》が儲かる。 ゴンザ (セバスチヤンを見返りて)いかにも。觀念が出來る、諦めが著く。…… 言はうと思っておいでなされたよりも、正當なことをお言ひなされたのぢゃ。 セバス (ゴンザローに)いや、此方《こッち》が思ってゐたよりも其方《そッち》が利口に解いたのだ。 ゴンザ (王に)で御座りまするから…… アント (傍白)馬鹿な無駄口を利きたがる男もあったものだ! アロン (ゴンザローに)もう止してくれ。 ゴンザ はい/\、もう止します。併《しか》しながら…… セバス (アントーニオーに)奴、少しも默っちゃゐられないのだ。 アント (セバスチヤンに)賭をしませう、何《どち》らが先きへ啼き出すか、 奴か、エードリヤンか? セバス そりゃ老鶏《ぢゞいどり》よ。 アント 雛鶏《ひよッこ》の方でさ。 セバス よろしい。賭物は? アント 一笑ひ。 セバス ぢゃ、定《き》めたよ! エード (進み出でて、王に)えゝ、此島は如何にも荒地らしく、且つまた…… セバス はゝはゝはゝ!(アントーニオーに)さ、支拂ひをしたよ。 エード ……如何にも住み馴れがたく、一見殆ど近づきがたいやうにも相見えまする…… セバス けれども…… エード ……けれども…… アント (笑ひながら)こりゃ然う言はざるを得ない破目だ。 エード ……えゝ……必ずや春も、秋も、特別に麗《うるは》しい、且つ肌心地の好い温柔郷であらうと存じまする。 アント (傍白)さやう/\。お春も、お秋も、頗る肌ざはりの温柔な少女郎《こめろ》でしたよ。 セバス さやう/\。しかも特別に麗《うるは》しいはうでね……只今演説あった通りに。 エード (王に)第一、風が此通り、そよ/\と心地よく呼吸いたしてをります。 セバス (傍白)呼吸する?風にも肺臓がありますかね?して見ると、 大分それが腐ってるのだと見えますね。(此臭いことは!) アント でなくば、或ひは、何處《どッか》の古沼から御調達の香水でございますかね? ゴンザ (王に)且つ此處には、生活に便利なものが、悉く備ってをります。 アント (傍白)いかにも。只生きてゐるの都合のよいものが無いばかりだ。 セバス さやう。さういふ便宜は、全然《まるッきり》ない歟《か》、でなけりゃ、 ほんの少々《ちょッぴり》だ。 ゴンザ (王に)草が如何にも滋々《しげ/\》と生ひ茂ってをります。 如何にも青々と! アント (傍白)道理で地面が朽葉《くちば》色に見える。 セバス (傍白)中には只 僅少《ちょッぴり》緑色《あをみ》があってね。 アント だから大した間違ぢゃない。 セバス さやう。全然《まるッきり》間違ってるばかりだ。 ゴンザ (王に)併《しか》しながら最も珍しい……殆ど信ぜられません位ゐの…… 奇異《ふしぎ》な事と申すは…… セバス (傍白)兎角、珍しい事は信ぜられんのが定例《きまり》だ。 ゴンザ ……吾々の衣服が、たしかに海水に浸ったのでござりますのに、 依然として、其新しさと光澤《つや》を失はないでゐることでござります。 潮水《しほみづ》の爲に汚れるごころか、 却って染め返しましたほど(に鮮か)でござります。 アント (傍白)へん、袖口といふ口が物を言ふものなら、 [言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》けと言ふだらう。 セバス さやう。或ひはそれを知ってゐても、衣服《きもの》だけに、 胸の中に疊んでおくかな。 ゴンザ (セバスチヤンを見返して)私存じまするに、吾々共の服の色は、 王の御姫君クラリベルさまがチューニス王と御結婚遊ばしました其 際《をり》、 即ち、アフリカに於て著用いたしました時分と、 更に異《かは》らんやうに存ぜられまする。 セバス さやう、あれは目出たい婚禮でしたよ、だから歸り途も目出たい事だらけなのだ。 エード あゝいふ立派なお方が、チューニスの妃殿下にならせられたは、 蓋《けだ》し空前の事でありませう。 ゴンザ 未亡人《びばうじん》ダイドー殿以後には無いことぢゃて。 アント (傍白)未亡人《びばうじん》だ!七里けッぱい/\!後家さんを持ち出すとは如何《どう》したものだ? (節を附けて)「あゝ、後家さんダイドー!」 セバス まだしも「後家さん」だけでよかった。男寡《やもめ》のイーニーヤスとまで言っちまッたら、 どうだ?それこそ冒[さんずい|賣;u7006]罪だ。 エード (ゴンザローに)未亡人《びばうじん》ダイドーとお言ひでしたね?少々了解致しかねます。 ダイドーはカーセーヂ城のでありました。チューニス國の王妃ではなく。 ゴンザ そゝ、そのチューニスが即ちカーセーヂ。 ゴンザローは強ひてエードリヤンに呑み込ませようとする。 エード (呑み込みかねて)カーセーヂ? ゴンザ いかにも、カーセーヂ。 アント (笑って、セバスチヤンに)あの男の辯舌は、彼の靈妙な竪琴《ハープ》以上の奇特を現はすと見えますわい。 セバス 成程、見る/\空中に城郭を築きましたね。 アント 此次ぎには、如何《どん》な滅法界な事を容易に實行に及ぶか知れません。 セバス 多分、此島を衣嚢《かくし》へ入れて持って歸って、林檎代りに、 奴の小倅《こせがれ》に與《くれ》るでもあらう。 アント さうして、其 核《たね》を海へ蒔いて、島の繁殖を圖りますかな。 二人は頻《しき》りに嘲り笑ふ。此時アロンゾー王はじめて起きなほる。 ゴンザ (王に)もし…… アント (傍白)恰《ちょう》ど好い時に。(もう又何か言ひ出す頃だらうと思ってゐた。 恰《ちょう》どこちらの思ふ儘に。) (此ゴンザローの一語はフォリオ版にはI(ay)とある。何の義ともわかりかねる。 で、或學者は疑問點をayの後に附加して、多分、アントーニオーの前言の意味を解しかねて、 「エ?」と反問したのでもあらうと註した。 又、或學者はayをアロンゾーの起き直りざまに發した歎息の聲又は半睡状態から覺めた途端の聲だと解し、 アントーニオーの「恰《ちょう》ど好い時に」は王の目の覺めたを評した語とした。 併《しか》しいづれも妙でない。こゝには『新シェークスピヤ』のクヰラー・クーチ及びドーワ゛ー・ウィルソンの推測に隨《したが》って、 Iは艸書體のirの誤植即ちsirであらうといふ新説を採用して、王へ呼びかけた語としておいた。 さうすると、アントーニオーの「恰《ちょう》ど好い時に」は傍白になるわけである。) ゴンザ (王に)もし、恰《ちょう》ど只今、私共は、私共の服の色が、 彼のチューニスでお姫《ひい》さまが御婚禮遊ばしました節《せつ》と、 更に變らぬやうぢゃと申してをりましたところでござります…… お妃《きさき》となれせられましたお姫《ひい》さまの。 アント 彼の國のお妃と致しましては、全く前例のないお方でございます。 セバス (アントーニオーだけに)おい/\、後家さんダイドーだけは言ひッこなしだよ。 アント おゝ、後家さんダイドー!さう/\、(節をつけて)「後家さんダイドー!」 ゴンザ (王に)私の此 上被《ダブレット》は、 はじめて私が著用いたしました時分と同じことぢゃござりませんか? 見やうによりましては。 アント 見やうによりましては、妙!……みょう! ゴンザ お姫《ひい》さまの御婚禮に際して私が著用いたしました時分と。 アロン 聽く氣のない予《わし》の耳へ、幾ら言葉を填《つ》め込んでも無駄な事ぢゃ。 あゝ、愛兒《むすめ》をあんな處へ嫁入りさせねばよかったものを! 彼處《あそこ》から歸るとて、倅《せがれ》をなくしたのみならず、 女《むすめ》をも失うたと同樣ぢゃ、イタリーから幾千里と隔ってゐれば、 もう二度とは逢はれまいわい。あゝ、ネープルズをも、ミランをも受繼ぐ筈であった倅《せがれ》よ、 今頃はどんな怪魚の餌食となってをることやら! フラン いや/\、御存命でございませう。私は若君が拔手を切って荒浪の背に乘らせられるのを見受けました。 仇《あだ》なす海水を掻き退《の》け、蹈み分け、寄せ來る山の如き怒濤を物ともせず、 始終波の上に勇敢なる頭《つむり》を擧げさせられ、逞しい腕《かひな》を櫓橈《ろかい》となされて、 宛然《さながら》君を迎へ顏に、荒磯に平伏いたしをる岸を目がけて進ませられました。 必ず恙なく御上陸あったことゝ存じます。 アロン いや/\、彼れは亡くなった。 セバス 此 大不幸《おほふしあはせ》の禮は、御自身へおっしゃるが可い。 あなたは姫を、ヨーロッパへは與《く》れとむながって、つまり、 アフリカへお棄てなすったのだ。とにかく、あなたの眼とは縁離れです。 だから、顏が見られないのを歎いて、目を濡しなさるだけの物は十分あります。 アロン 默ってゐてくれ。 セバス ねえ、わたし共一同が膝まづいて、お止しなさいといって悃願《こんぐわん》をした。 姫みづからとても、厭《いや》だと思ひながら、親の命令《いひつけ》だから、 どちらも重いとも決しかねてをたのでした。 息子さんは亡してしまったんですよ、恐らく。 ミランとネープルズには、此度の一件の爲に、伴れて歸る男子の數よりもずっと多數の、 氣の毒な未亡人《びばうじん》が出來ましたよ。それは悉皆《みんな》あなたの過失《せゐ》だ。 アロン 最《いッ》ち辛い損失もまた、予《わし》の過失《せゐ》ぢゃ。 ゴンザ セバスチヤンさま、貴下《あなた》のおっしゃる事は眞實《ほんとう》には相違《ちがひ》ない、 が、おっしゃりやうが少々手荒ぢゃ。又、機《をり》もわるい。 膏藥をお貼附《はり》なさるべき痛み處を、お擦りなさるとは如何《どう》したものでござります? セバス いかさま。 アント (セバスチヤンに)外科の先生よろしくでさ。 ゴンザ (王に)もし、あなたのお顏に雲が懸ってをりますと、 それが私共一同の曇天と相成りまする。 セバス え、曇天だ! アント やれ/\、鈍《どん》な洒落だ! ゴンザ (王に)若し私が此島を開拓致しますれば…… アント (傍白)蕁麻《いらくさ》の種でも蒔くかね? セバス (傍白)でなくば莠《はぐさ》か、乃至《ないし》錦葵《ぜにあふひ》か? ゴンザ ……さうして國王と相成りましたならば、えゝ、どんな事を致しませうかな?…… セバス (傍白)酒といふものが無いから、とにかく亂醉《へゞれけ》になることだけは助かるだらう。 ゴンザ ……其社會におきましては、私、何事も、すべて普通とは反對に行《や》らせまする。 商賣 乃至《ないし》取引は一切許しません。官吏も無く、文學も知られず、 富貴も無く、貧賤も無く、奉公といふことも無し。契約も、相續も、境界も、領分も、 耕地《はたけ》も、葡萄棚も、何《なンに》もござりません。 金屬も、穀物も、酒も、油も無し。職業も無し。人は悉く無爲、何《なンに》もいたしません。 女共とても。但し何《いづ》れも清淨純潔。君主權といふものもござりません。…… セバス (傍白)君主權が無いのに、大將、そこの國王にならうといふのだ! アント 大將の共和國は、尻尾《しつぽ》と頭とが離れ/\゛だと見える。 ゴンザ ……萬人共用の必要品は、汗なく努力なくして天然が之を生じくれまする。 叛逆もなく、重罪もなく、劍も無用、槍も、短刀も、鐡砲も無用、其他、 何等の機械も用ひません。なれども、天然自然に五穀悉く豐かに實って、 我が配下の無邪氣な人民共を養ひまする。…… セバス 結婚も奴の配下中には無しかな? アント 無しですとも。どいつもこいつも懶惰者《ぬらくらもの》で、 淫婦《ばいた》と惡漢《ごろつき》ばかりでさ。 ゴンザ ……私《てまへ》は、黄金時代そこのけの、圓滿完全な政治を行ひまする。…… セバス よう/\、陛下萬歳! アント ゴンザロー陛下萬歳! ゴンザ ……而《しか》うして……(王に)もし/\…… アロン もう止してくれ。何の役にも立たんことを言うてくれるな。 ゴンザ いや、御道理《ごもっとも》でござります。私《てまへ》は只此…… (セバスチヤンらを見返りて)役にも立たん事を可笑しがって笑ひ騒ぐ人達に、 笑ひに種を供給してゐたのでござります。 アント わたし達は、お前さんが役に立たんから、笑ってゐたのだ。 ゴンザ いかさま、馬鹿げた洒落は貴下《あなた》がたの専門ぢゃ、 わたしは迚《とて》も其役には立ちませんよ。 アント ほい。一本参ったといふ譯かね! セバス 若し(今のが)背撃《むねうち》で無かったならばだ。 ゴンザ はて、貴下《あなた》がたは偉い、強《きつ》いお人達ぢゃ。 若し月が圓くなったまゝで虧《か》けんでゐるやうなことがあったら、 隨分、腕づくで、それを其圓座から、引摺りおろしかねんお人達ぢゃ。 セバス さうとも。さうしてそれを挑灯《ちゃうちん》の代りにして、 蝙蝠《かうもり》狩りに出掛けるよ。 エーリエルが、以前の如く形《かたち》を隱して、中空へ出る。 同時に嚴肅な音樂が聞える。 アント (ゴンザローに)いや、閣下、ま、ま、お怒りなさるなよ。 ゴンザ 決して怒りません。そんな愚かな、無分別は致しません。 どうか駄洒落で眠《ね》せつけて下さい、ひどく眠たくなりましたから。 三都 さ、お寢《やす》みなさい、さうして、お望みなら、お聴かせ申しませう。 エーリエル呪《まじな》ひを行ふ。みな/\眠る。 王とセバスチヤンとアントーニオーだけは尚ほ起きてゐる。 アロン や、もう皆 眠《ね》たか!あゝ、わしも、此辛い思ひを目と一しょに眠らせてしまひたい。 ……どうやら眠たくなって來たやうだ。 セバス お眠くなったら、お寢《やす》みなさい。とかく悲しいと眠《ね》られないものですが、 眠《ね》られりゃ心が慰みます。 アント お寢《やす》み中は、きッと兩人で御安泰に護衛します。 アロン ありがたう。……あゝ、眠たい! 王眠る。エーリエル入る。 セバス どうしたんだらう?みんなが不思議に眠たがってゐる! アント 此土地の気温の故《せゐ》ですよ。 セバス そんなら、吾々の眼蓋《まぶた》だって重くなりさうなものだ。 が、わたしは眠たいと思はない。 アント わたしもです。わたしの神經は依然として活[さんずい|發;u9F51]です。 彼等は、全然《まるで》言ひ合せたやうに、一しょくたになって轉倒《ころが》ってしまひました。 雷《らい》にでも撃たれたやうに、ぱた/\と倒れた。……ねえ、如何《どん》な事になるでせう? ……が、ま、止しませうよ!……けれども、どうも貴下《あなた》の顏に、 貴下《あなた》の將來が歴々《あり/\》と見えてゐるやうに思ひますねえ。 機會が、貴下《あなた》の鼻の先きにぶらついてゐる。 わたしの強烈な想像は、貴下《あなた》の頭の上に、最早《もう》金の冠が堕ちかゝってゐるのを見てゐます。 セバス おい/\、起きてるのですかい? アント 物を言ってるのが聞えませんか? セバス 聞えてる。が、全然《まるで》寝言だよ、眠《ね》てゐて物を言ってるのだらう。 何を言ってるんだね?奇體な眠《ね》かたもあるもんだなァ! 目をかッと開いて眠《ね》てるんだ、突ッ立って、喋説《しゃべ》って、 動いてゐて、それで善く眠《ね》てるんだ。 アント セバスチヤンさん、貴下《あなた》は好い運を眠らせてるのです、…… 死なせてるのだ寧《むし》ろ。貴下《あなた》は起きてゐながら目を閉《ふさ》いでゐなさるのだ。 セバス おや!鼾《いびき》にしや分明《はっきり》してゐる。 君の鼾《いびき》には意味が有るね。 アント わたしは平生《いつも》よりも眞面目です。わたしの忠告を聴く氣なら、 貴下《あなた》も、大眞面目にお成りなさらなけりゃならん。 さうすりゃ、貴下《あなた》は三倍にもなる。 セバス はて、わたしは淀んでゐる水です。(お指圖次第でどちらへでも流れます。) アント ぢゃ、上潮におなんなさるやうに教へませうよ。 セバス 何卒《どうぞ》。引潮の方なら、生得《うまれつき》の懶惰《ぶしゃう》根性が教へてくれるがね。 アント その、戯言《じゃうだん》におっしゃる事が、取りも直さず、肝腎の事に觸れてゐるのです。 其處にお氣が附いたならばなァ!無意味の積りでおっしゃる言葉に甚深《じんしん》の意味が籠ってゐるのが、 あゝ、お解りになればなァ!實際、引ッ込み根性の爲に、 最底《どんぞこ》にばかり干固《ひかたま》ってゐる男がありますよ。 セバス 何卒《どうぞ》その後を。目の据え方といひ、頬邊《ほッぺた》の色といひ、 こりゃ何か大事件がありますね。それを産み出すのは大分苦痛らしい。 アント 斯うなんです。健忘症の此卿が(エードリヤンへ思ひ入れをして)…… 土へ入ってるも同然の此 老耄《もうろく》どのが……奴は辯舌だけが長所《とりえ》ですからね…… 先刻《さッき》、王に、王子は生きてゐるに相違ないと思はせるやうに説き込んでゐましたが、 今此處に眠ってる手合が泳いでる筈はないと同樣に、 王子が助かってゐられやう筈はありません。 セバス いかにも。彼れが死なゝいでゐるといふ望みは無いと思ふね。 アント さ、その望みの無い所からして、貴下《あなた》の大きな望みが成立つ! あッちに望みの無いのが、此方《こッち》に素晴しい望みの有る所以です、 どんな大功名心も、それ以上の目的は、到底、發見し得ないといふ程の望みの生ずる所以です。 貴下《あなた》はファーディナンドさんが亡なったといふ事は御同意ですか? セバス 死んだに相違ない。 アント ぢゃ承はりませう、だれがネープルズ王の嗣君《あとつぎ》となられますか? セバス クラリベルさ。 アント チューニスの妃となられた、人間の一生涯以上の距離に住はれる御婦人がですか? 太陽が飛脚にならぬ以上は、……月中の人では遲過《のろす》ぎる…… 生れたての赤ン坊の顎に剃刀が當るやうになるまでも消息《たより》を受取りさうにない御婦人がですか? 其御婦人に別れて歸る途中で、大海に呑まれ且つ吐き出されて、 貴下《あなた》も、わたしも、妙な劇《しばゐ》を演ずるやうな廻り合せになったのですぜ、 つい先刻《さっき》までの事件は其前の口上なのです。 セバス 何だ?……何を言ってるのだ?成程、兄の女《むすめ》はチューニスの王妃だ。 が、ネープルズの嗣君《あとつぎ》でもあるのだ。 ネープルズとチューニスとの間には、大分、空間があるには相違ないが。 アント その空間の各一尺々々が叫《わめ》いてまさ、「此長い距離を、 女性《にょしゃう》のクラリベルさん、貴女の足でネープルズまで量り戻られるもんぢゃァない! 貴女はチューニスにゐなさる方が可い。セバスチヤンさんに頼んで、目をお覺してお貰ひなさい!」 と斯う言ってまさ。……眠れる人々を見やりて)此手合は、死んでるのだとしたら、如何《どう》です? 今と別段變ったこともありますまいぜ。眠《ね》てる此人以外に、 ネープルズ王になり得る人があります。 此ゴンザローに劣らずぺちゃ/\と無駄口をきゝ得る貴族は幾らもゐます。 わたしの手で阿呆鴉《あはうがらす》を躾けりゃ、大丈夫、 奴ぐらゐには立派に喋説《しやべ》らせて御覽に入れる。 あゝ、貴下《あなた》がわたしと同じ料簡におなんなさりさへすればなァ! 此一睡は貴下《あなた》の出世の緒《いとぐち》だのになァ!え、解りましたか? セバス 解ったやうだ。 アント 如何《どう》お思ひですね此好運を、御滿足ですかね? セバス 貴下《あなた》は、兄貴のプロスペローを逐ひ出したっけねえ。 アント 其通り。御覽なさい、善く似合ひませう此 衣服《きもの》が、 前に著てゐた著物よりも。兄の家來が、あの時分は、 わたしの同僚であった、今はわたしの家來だ。 セバス ですが、君の良心に訊ねたならば…… アント 良心?さやう。良心て奴は何處にゐますね?奴が皹《ひゞ》か赤裂《あかぎれ》なら、 或は柔靴《やはぐつ》を穿《は》く必要があるかも知れないが、 胸の邊にゃそんな神樣はゐさうにありませんね。わたしとミラン公爵との間に、 たとひ良心奴が二十あらうと、凍って融けてしまひまさァ、 わたしの邪魔をする前に!ねえ、こゝに貴下《あなた》の兄貴が臥《ね》てゐる。 まるで死んでゐるやうだが、實際、これが死んでゐるのでありゃ、 地盤の土塊《つちくれ》も同樣です。わたしが此忠實な劍を三寸だけ用ひりゃ、 永久に起きないやうにすることが出來る。同時に、貴下《あなた》が、 此老骨を斯うやらかしゃァ、此お利口さんを、……吾々の所業に難癖を附けさせないやうに、 ……永久の眠りに就かせることが出來る。其他の奴らは、此方《こちら》の爲向《しむ》け次第で、 乳汁《ミルク》を宛與《あてが》はれた猫同樣になりまさ。 一時なり、二時なり、言ふなり次第の時を打ちます。 セバス 君の先例に倣《なら》ひますよ。君がミランを手に入れられたやうに、 我輩もネープルズを手に入れようよ。劍を拔きたまへ。 一撃の功で以て君の貢物を永遠に免除するよ、さうして王となって永く君を愛するよ。 アント 一しょに拔きませう。わたしが揮《ふ》り上げたら、 貴下《あなた》も揮《ふ》り上げて、ゴンザローをやッつけなさい。 セバス ま、一寸言ふことがある。 二人一隅に寄りて何事か耳語《じご》してゐる。音樂聞えて、 エーリエル前の通り、隱形《おんぎゃう》の體《てい》にて又出る。 眠れるゴンザローの傍に立って エリエ 師匠は、神通力で、其親友たる貴下《あなた》の身の危いことを知って、 此人々を救ふ爲にわたしをよこしたのです、さうでないと、 折角の計畫が無效《むだ》になるから。 ゴンザローの傍にて歌ふ。 鼾《いびき》かきて眠《ね》て在《おは》す間《ひま》に、 皿眼《さらまなこ》做《な》せる惡計《わるだくみ》が 隙《すき》を窺《うかゞ》ひ候ふぞや。 お命を惜しくおぼさば、 いざ疾《と》く目覺めて、警戒あれ!   起きませ!起きませ! 此時、アントーニオーとセバスチヤン劍を拔き持ちてゴンザローらに近づきつゝ アント ぢゃ、一しょに、突然《だしぬけ》にやりませうぜ。(と劍をアロンゾーらに擬する。) ゴンザ (と急に目を覺して)あゝ、善天使よ、何卒《なにとぞ》、王の御身をばお護り下さい!…… 眠れる者一同、やうやく目を覺す。 おや/\、どうなされたのぢゃ?……(皆々に)おい/\!起きた、起きた! ……何故劍を拔いてゐなされます?なぜそんな怖ろしさうな顏色をしておいでなされます? どうなされたのぢゃ? セバス (王に)貴下《あなた》を警護しながら、私共が此處に立ってをりますと、 つい今がた、野牛が、いや、寧《むし》ろ獅子が吼えるのかと思ふやうな凄じい聲が聞えました。 それでお目が覺めたのぢゃありませんか?それがわたしには非常に怖ろしく聞えました。 アロン わしには何《なンに》も聞えなんだ。 アント どうして、化物だっても駭《おどろ》きさうな怖ろしい聲でしたよ、 地鳴りがする位ゐの!ありゃ必然《きッと》、獅子の全群の唸り聲でありましたらうよ。 アロン ゴンザロー、お前さんは聞きましたか? ゴンザロー 全くの所、何かブン/\唸るやうな妙な聲が聞えました、實はそれで目が覺めました。 で、私は貴下《あなた》を搖《ゆすぶ》りまして、 お呼び申しました。目を開いて見ますと、お二人が拔劍していらせられました。…… 何か音がしたには相違ありません。兎に角、御用心遊ばすがよろしい。 或ひは、直ちに此處を立退《たちの》きませうか?兎に角、劍を拔きませう。 アロン ともかくも此處を離れることにして、倅《せがれ》の行方を捜して見よう。 ゴンザ どうか、さういふ猛獣なぞに、若君のお逢ひなさらうやうに! 此島にいらせられるには相違ないから。 アロン 案内してくれ。 皆々入る。 エリエ 主人のプロスペローにおれのしたことを知らせて來よう。 ……ぢゃ王さん、お恙なう息子さんを捜しに行っておいでなさい。 エーリエル入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 第二幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第二場 島の他の方面。 キャリバン、長い上被《うはぎ》を著て、薪の大束を擔《かつ》いで出る。 雷《らい》の鳴る音が聞える。 キャリ 太陽が泥池や沼や澤から吸ひ上げる毒のありッたけ、プロスペローめに降りかゝって、 奴の身體《からだ》中を病氣だらけにしてくれ!奴の精靈共めが聞いてゐたがるかも知れんが、 呪はずにゃゐられない。彼奴《あいつ》らだって、奴が吩咐《いひつ》けるなけりゃァ、 俺を抓《つね》ったり、小鬼の化物を見せて脅したり、沼ン中へ突落したり、 化把火《ばけたいまつ》なんか見せて眞暗闇の途に迷はせたり爲《し》やァしないのだ。 些少《ちょッと》でも氣にくはんと、直ぐ俺を窘責《いぢ》めさせやァがる。 無尾猿《をなしざる》に化けて、齒を露出《むきだ》して、 キャッ/\と吠えて咬み附きゃァがるかと思ふと、[蝟,虫|けものへん;u732C]《はりねずみ》に化けて、 行先きに轉臥《ころが》ってゝ、針毛をおッ立てゝ、 俺の跣足《はだし》の足の裏を刺しァがる。かと思ふと、 蝮《まむし》に卷き附かれることもある、奴め、二股の舌で以て、 シッシッと鳴きゃァがるので、俺、氣が狂ッちまはァ。 奥にてネープルズ王の弄臣《フール》トリンキュローの呼ぶ聲が聞える。 や!おやァ!奴の精靈めがやって來やがったぞ。薪《き》を早く持って行かないから、 責めに來やがった。平伏《へたば》ってゐてくれう。 さうすりゃ、多分、氣が附かないだらう。 キャリバン上被《うはぎ》を頭からかぶりて地上に突ッ伏してゐる。 弄臣《フール》トリンキュローが出る。 トリン 雨宿りをする薮もなけりゃ潅木もないのに、 又 雷雨《ゆふだち》が來さうになった。風の中でゴーロ/\と囀ってらァ。 あそこの黒い雲は、あの大きな奴は、宛然《まるで》穢《きたな》い四斗樽だ、 今にも腐り酒を傾瀉《ぶちま》けさうだ。先刻《さっき》のやうな雷《かみなり》がやって來るのだとすると、 何處へ頭を匿《かく》したら可いだらう?あれ、あの雲は、 桶をぶちあけるやうにやって來るに相違ない。…… (突ッ伏してゐるキャリバンを見て)やッ、こりゃ何だ? 人間か、魚か?死んでゐるのか?……魚だ、魚のやうな臭ひがする。 腐ってる魚のやうな臭ひだ。鹽大口魚《しほだら》の種類だが、 決して新鮮《あたら》しいのぢゃないな。變妙來《へんめうらい》な魚だ! 俺が今若しイギリスにゐるのなら、……一度往ったことがあったっけが、…… 此奴《こいつ》を畫招牌《ゑかんばん》に書いて出しときゃァ、 お祭日のお馬鹿さん連中で、銀貨 一箇《ひとつ》擲棄《はふりだ》さないものは一人だってありゃァしまい。 英國《あそこ》でなら、此化物が成金を作成《こしら》へらァ。 彼國《あそこ》ぢゃァ、珍しい獸類《けだもの》さへ持って行きゃァ、 成金が一疋出來るからなァ。跛足《びっこ》の乞食なんかゞ強請《ねだ》ったっても、 鐚《びた》一文もくれないけれども、 死人《しびと》のインド人を見るためにゃ十文位ゐ棄てるのは何とも思はないんだ。 ……(つく/\゛キャリバンを見て)人間のやうな脚だ!さうして鰭《ひれ》が、 何だか腕に似てら!……おや、温いぞ!……あゝ、前説は放棄だ。 今まで考へてゐたことは、お中止だ。こりゃ魚ぢゃァないや、此島の人間だ、 それがつい今がたの雷《らい》に撃たれたのだ。…… 雷《らい》の音が近くなる。 やれ/\、雷雨《ゆふだち》が又やって來た。此奴《こいつ》の上被《うはぎ》の中へ潛《もぐ》り込むのが一番上策らしい、 他にゃァ此邊に隱れ處は無いから。窮すりゃとんだ不思議な相方と同衾をするものだなァ。 雷雨《ゆふだち》が降り止んぢまふまで此處に(斯うして)纒《くる》まってゐよう。 キャリバンの上被《うはぎ》の中へ頭から潛《もぐ》り込む。 但し脚《すね》だけはみ出してゐる。 膳部方ステファノー、手に木の皮にて造りたる壜《とくり》を持ち、 醉ひたる體《てい》にて、鼻唄を歌ひながら出る。 ステフ (歌ふ。) 海にゃ往くまい、二度と海へ、 陸《くが》で死《ごね》うぞよ、このまゝ陸《くが》で。…… こりゃ葬式に歌ふ唄にしちゃ、少《ちッ》と鄙臭過《けちす》ぎるわい。 が、こゝに俺のお樂しみがある。 と壜《とくり》の酒を口移しに飲みて、又歌ふ。 船長と雑巾方《ざふきんかた》と水夫長と俺と  大砲係りと其助手が、 モールやメッグやマリヤやマーゼを可愛《いとし》がったが、  だァれもケートを好かなんだ。 それも其筈、奴、鼻腐で、  「どッつくさうめ!」と怒鳴りをる。 炭液《タール》の臭みや瀝青《チャン》の臭ひは、  蟲が好かぬと吐《ぬか》しをる。 奴を好くのは裁縫師《したてや》で、  掻ゆがりゃ掻いてやりもする。 ぢゃァ、吾徒《こちとら》は乘出さうぜ。  阿魔《あま》よ、あばよ、どッつくさうめ、あばよ! これもやっぱり鄙臭《けちくさ》い歌だ。 が、こゝに俺のお樂しみがある。 と又酒を飲む。 此うちキャリバンは這ひ込みたるトリンキュローをプロスペローの使魔《つかはしめ》と思ひちがへて叫ぶ。 キャリ あゝ、責めるな/\! ステフ (初めて心附きて)どうしたんだ?おや、惡魔が二疋もゐるのか? やい、野蛮人やインド人を品玉に使って欺騙《だまくらか》さうとするのか? 汝《うぬ》の四本脚なんかに恐怖《おび》えるために、 溺死者《どざゑもん》になるのを助かりゃァしねえぞ。古語に曰はく、 四本脚でお歩きになるやうな御樣子の好いお方の爲には、決して退却せざるもの也ッて曰はァ。 憚《はゞか》ンながらステファノーさまは、 かやうに鼻の穴で息をしていらせられる間は、決して退却ァ遊ばさないぞ。 キャリ あゝ、精靈めが責めやァがる。あゝ/\。 ステフ あ、こりゃ此島の化物だ、四本脚の。そいつが必然《きッと》瘧《おこり》をふるってゐるのだ。 どうして此奴《こいつ》おれの國の語《ことば》をおぼえやがったか? 少し如何《どう》かしてやって見よう、瘧《おこり》をふるってゐるばかりなら。 此奴《こいつ》を本復《ほんぷく》さして、飼ひ馴らして、 さうして本國へ伴れて行くことが出來りゃ、 如何《どん》な柔革《なめしがは》をお蹈み遊ばす王さんの許《とこ》へだって、 立派な獻上物にならァ。 キャリ もう堪忍してくれ、堪忍してくれ!これからは速く薪を持ってくから。 ステフ 今が熱の出盛りと見える。たわいも無《ね》えことを吐《ぬ》かしてら。 此酒を嘗めさしてくれよう。若し前に酒をくらったことが無けりゃァ、 多分これで熱が降《さが》るだらう。 此奴《こいつ》を本復《ほんぷく》させて飼ひ馴らすことが出來りゃァ、幾らにだって賣れらァ。 買ひたいといふ奴がありゃァ、うんとこさと出させなけりゃならねえ。 此間トリンキュローは始終キャリバンにしがみついてゐる。 キャリ (少し靜かになりて)汝《おのし》けふはまだねっから責《いぢ》めないけれど、 必然《きッと》今に始めるんだらう。それ、そんなに戰《ふる》へてるのは、 今、あのプロスペローめが憑《のりうつ》りかけてるんだ。 ステフ (覗き込みながら)こッちへ向け。口を開けろ。 やい、猫、汝《きさま》に物を言はせる妙藥が此處にあらァ。 口を開け、口を。これを飲むと其 慄戰《ふるへ》が止らァ。大丈夫、止る。 なァ、何處に親友がゐるか、知れたもんぢゃァねえ。頤《あご》をあげろ、もう一度。 トリン (上被の上から覗きて)記《おぼ》えのある聲だぞ。たしかにあの男の聲のやうだ…… が……奴は溺死者《どざゑもん》になッちまった筈だ。 すると、こいつらは惡魔だ!……あゝ、神さま、助けて下さい! ステフ おや!脚が四本で、聲が二種《ふたいろ》だ。大變に樣子の好い化物だなァ! 前の方の聲は、どうやら友達のことを思ってるらしいが、 後ろの方の聲は惡體《あくたい》もくたいを竝《なら》べやァがる。 此 壜《とっくり》の酒だけで、奴の瘧《おこり》が治るもんなら、試《や》って見よう。 ……(キャリバンに)さ。……もう止し!汝《きさま》の彼方《あッち》の口の方へ注ぎ込んでくれるから。 トリン ステファノー…… ステフ や、彼方《あッち》の口が俺を呼んだやうだな!……お助け下さいまし! お助け下さい!……こりゃァ惡魔だ、化物ぢゃ無いんだ。 俺は逃げよう、長い匙《さじ》ァ持ち合せてゐねえから。 トリン ステファノー……お前が實際ステファノーなら、俺に觸ってくれ、 さうして口をきいてくれ。おいらはトリンキュローだよ、…… 畏怖《おッかなが》るには及ばない、……お前の親友のトリンキュローだよ。 ステフ 實際トリンキュローなら、出て來なよ。小さい方の脚を引ッ張るぞ。 もし孰《どッ》ちかゞトリンキュローの脚なら、 此細ッこい方だらう。……(トリンキュローの脚を捉へて引出す) お前はトリンキュローだ、成程。如何《どう》してこんな化物の寢臺《ねだい》なんかになってゐたんだ? それとも此奴《こいつ》がトリンキュローを排出《ひりだ》したのか? トリン 俺は、此奴《こいつ》は雷《らい》に撃たれて死んでゐるんだと思ってた。 ……それはさうと、ステファノー、お前 溺死者《どざゑもん》にゃならなかったのかい? ならなかったと見えるねえ。雷雨《ゆふだち》は最早《もう》濟んだのかい? おいらァ雷雨《ゆふだち》が怖かったんで、 此流産の塊りのやうな奴の上被《うはッぱり》の中へ潛《もぐ》り込んでゐたんだ。 で、お前は、全く生きてるのかい、ステファノー?おゝ、ステファノー! ぢゃ、二人だけネープルズ人が助かったんだね、二人《ふたァり》だけ! トリンキュローは喜びの餘り、ステファノーを抱擁して引っ張り廻す。 ステフ おい/\、さうぐる/\廻しちゃァいけねえよ、胃袋が安固《あんこ》でないから。 キャリ (傍白)彼等は、もし精靈でなけりゃァ、きッと、 何か立派な者なんだらう。……ありゃァ必然《きッと》偉い神樣だ、 天で出來た飲む料《もの》を持ってるんだ。 彼れの前へ往って、俺、平伏《はいつくば》ってくれる。 ステフ お前どうして助かった?どうして此處へ來た?さ、此 壜《とっくり》で誓言《せいごん》しねえ、 え、どうしてこゝへ來たんだ?俺は船頭共が抛《はふ》り出した酒樽に乘ッかって、やっと助かった、 實《ほん》のこッた、お壜《とっくり》さまも照覽あれだ! 此壜《これ》ァ木の皮を引ン剥《めく》って、 俺の手で製《こしら》へたんだ、陸《くが》へ上ってから。 キャリ (膝行して)俺そのお壜《とっくり》さまで誓言《せいごん》するよ、 俺これから汝《おのし》の家來になって忠義を盡します、 其飲む料《もの》は天上で出來たのゝやうだから。 ステフ (トリンキュローに)こらよ。どうして助かったんだ、よ、誓言《せいごん》しねえよ。 トリン 泳いだのさ、まるで家鴨《あひる》のやうに。實《ほん》のこッた、誓言《せいごん》するよ。 ステフ さァ、此お經文さまに接吻《キッス》しなよ。……家鴨《あひる》のやうに泳いだかも知れねえけれど、 斯う見た所、お前は鵞鳥《がてう》の方に似てるぜ。 此中トリンキュロー壜《とくり》を受取りて酒を飲む。 トリン おゝ、ステファノー、こりゃまだ別にあるのか? ステフ うん、樽ごと全部。俺の酒倉は海岸の巖《いは》ン中だ、 そこに酒が匿《かく》してあらァ。……(キャリバンに)やい、どうした、 流産の塊り?瘧《おこり》は如何《どう》した? キャリ 汝《おのし》は天から墮落《おッこ》ちて來たのかい? ステフ さうだ、俺は月の中から來た、月の中から。 俺は昔は月の中の人だったんだ。 キャリ おのしが月ン中にゐるのを俺見たことがある。 俺おのしを尊敬しるよ。俺ン許《とこ》の娘が、 汝《おのし》や、汝《おのし》の犬や、汝《おのし》の柴の束を俺に見せたよ。 ステフ さ、その通り誓言《せいごん》しろ、此お經文さまに接吻《キッス》をして。 今に俺が別のを持って來て充《つ》め換へてくれるから。 さ、誓言《せいごん》しろ。 トリン (笑ひ出して)ほんとに此奴《こいつ》ァ薄ッペらな化物なんだ。 ……如是《こんな》奴を俺は怖ってゐたんだ!淺劣《あざと》い下等《けち》な化物! ……え、月ン中の人だ!……馬鹿正直に、 虚誇《ほら》を眞に信《う》けやがる化物!…… トリンキュローは頻りに笑ふ。此中キャリバン壜《とくり》を受取りて酒を飲む。 ゆ/\、飲口が見事だぞ化物。 キャリ (ステファノーに)此島ン中の、 物の善く出來るとこは、一つ殘さず俺おのしに教へようよ。 それからおのしの足を嘗めようよ。おのし何卒《どうぞ》俺の神さまになっとくれよ。 トリン ほんとに此奴《こいつ》ァ油斷のならない酒くらひの化物だ。 神樣が睡《ね》てる間に、壜《とっくり》を盗奪《ふんだく》りかねないや。 キャリ (ステファノーに)おのしの足を嘗めようよ。俺おのしの家來になります。 ステフ ぢゃ、こゝへ來い。さ、平伏《へたば》って誓言《せいごん》しろ。 トリン (笑ひ出し)俺ァ、此大阿呆の化物を見てると、可笑しくって、 息の根が止りさうだ。堪らない下等《けち》な化物ッ! 毆《なぐ》り附けたくて耐《こら》へられなくなって來た。…… ステフ さ、嘗めろ。 トリン 此奴《こいつ》が醉《へゞ》ッてゐなからうもんなら、 打毆《ぶんなぐ》らずにゃゐられないんだが……堪らない化物ッ! キャリ (ステファノーに)俺おのしに最《いッ》ち好い噴泉《ふきだしみづ》を教へようよ。 甘い木の果《み》を取って來てやらうよ。あゝ、魚も取って來るよ、 薪も澤山《たんと》取って來るよ。今、俺を虐使《こきつか》ってやがる奴、 時疫《じえき》に罹《かゝ》りゃァがれ! 彼奴《あいつ》には最早《もう》柴一本だっても持ってってはやらない、 俺はおのしに從ふよ、おのし偉い/\不思議な人! トリン 馬鹿々々しい化物もあったものだ。下等《けち》な泥醉漢《ゑひどれ》を偉い/\不思議な人だと言やァがる! キャリ どうぞ俺に案内させとくれよ苦林檎の生ってる處へ。 それから俺南京豆を掘り出してやらうよ、此長い爪で。 橿鳥《かしどり》の巣も知らせようよ。あの敏捷《すばしこ》いマーモゼ猿を捕ることも教へようよ。 榛《はしばみ》の實が累々《うじょ/\》してゐるとこへも、 俺伴れて行かうよ。それから、俺、 巖《いは》ン間《なか》から[區|鳥;u9DD7]の雛を取って來てやらうよ。 おのし俺と一しょに來るかい? ステフ ぢゃ、もう喋説《しやべ》るのは止めて、案内してくれ。……トリンキュロー、 王さんも他の人達も皆な死んぢまったんだから、此島は此方《こちと》ら二人の物だ。 ……(キャリバンに)こら!此 壜《とっくり》を持ってけ。…… (トリンキュローに)おい、友だち、今に此壜《こいつ》にもう一ぺえ分 充《つ》めてくれようなァ。 キャリバンは呂律も廻らぬ程に醉ひて蹌踉《よろめ》きながら歌ふ。 キャリ (歌ふ。) さよなら、旦那さん。 さよなら、さよなら! トリン (笑ひつゝ)化物が吠えてやがる。化物が爛醉《へゞ》ッてやがる! キャリ (歌ふ。) 魚も漁《と》りゃせん、これからは、 薪《たきゞ》も刈《と》りゃせん、これからは、  頼んでも。 膳も拭きゃせん、皿洗やせん。  リッバン、リッバン、キャッキャリバンにゃ 新規の旦那が出來たから、 新規の家來を傭《やと》んなさい。 自由だ!自由だ!フラー!フラー!自由だ!自由だ! ステフ よう、化物、偉いぞ!さ、案内しろ。 よろめきつゝ、歌ひつゝ、一同入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 第三幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第一場 プロスペローの窟《いはや》の前。 ファーディナンド丸太を肩にして運びつゝ出る。獨語の半ばに休む。 ファー 慰み事にも骨の折れるのがあるが、面白いので、骨折が償はれる。 又、下賤な爲事《しごと》も、營み方いよっては、名譽となる、で、 大概の卑しい業《わざ》が、立派な終局に歸する。 俺の此淺ましい爲事《しごと》は、嘸《さぞ》厭《いや》でもあり、辛くもあるだらう、 若し主人のあの娘が、死んでる物にも生氣を與へ、此辛い務《つとめ》をも樂しみにしてくれなんだら。 あゝ、あの娘は、あの氣むづかしい父親に比べると、十倍も優しい生得《うまれつき》、 親父の方は慳貪《けんどん》の塊りぢゃ、何千本といふ此丸太を、 是非運んで積み上げろといふ嚴しい吩咐《いひつけ》。 娘は俺が働いてゐるのを見ると、泣いて、 こんな卑しい爲事《しごと》を貴下《あなた》のやうな人がするのは初めてぢゃといふ。 ……つい茫然《うっかり》してゐた。……が、かういふ嬉しい物思ひに耽ってゐると、 疲勞《くたびれ》も癒ってしまふ。惘然《ぼんやり》してゐる時が、 俺には一番(心の)忙しい時ぢゃ。 又、丸太を運びはじめる。ミランダが窟《いはや》から出て來る。 プロスペローは遠くにゐて、二人の樣子を窺《うかゞ》ふ。 ミラン あゝ、お氣の毒な!そのやうに酷《きつ》うお骨折をなされますな。 貴郎《あなた》が積めと吩咐《いひつ》けられてゐなさる其丸太が、 悉皆《みんな》電《いなづま》の火か何かで焼けてしまへばよいものをなァ! どうぞ、それを下に置いて、休んで下され。其木が燃える時分には、 貴郎《あなた》を苦しめたのを思ひ出して、泣くであらう。父樣《とゝさま》は、 今一心に調べ物をしてゐなさるから、さ、どうぞ休んで下され、 これから三時間だけは大丈夫ぢゃ。 ファー お嬢さん、有難うございますが、吩咐《いひつ》けられた事を早く濟さぬと、 日が暮れてしまひます。 ミラン 貴郎《あなた》が休む間に、わたしがそれを搬びませう。どうぞ、 それを貸して下され。わたしが積んで來よう。 ファー めっさうな!わたしが怠けて休んでゐて、貴嬢《あなた》にこんな卑しい事をさせるくらゐなら、 寧《いっ》そ此筋が斷《ちぎ》れ、此脊骨が折れた方がようござります。 ミラン 貴郎《あなた》が爲《し》てよい事なら、わたしが爲《し》てもよさゝうなものぢゃ。 きッとわたしの方が安易《らく》にします。 何故なりゃ、貴郎《あなた》は厭々なさるのぢゃが、 わたしは嗜《す》き好んでするのぢゃ。 プロス (傍白)いぢらしい奴!感染《かぶ》れをった。斯うしてやって來るのが其證據ぢゃ。 ミラン 酷《きつ》うお疲れなされたやうぢゃ。 ファー いゝえ、疲れません。貴嬢《あなた》が傍にゐなされば、夜でも鮮かな朝のやうに思ひます。 どうぞ、あの……お祈[しめすへん|壽;u79B1]《いのり》をする時分に、 貴嬢《あなた》の名を插《い》れて祈りたいから……どうぞ、お名を知らせて下され。 ミラン わたしの名は、ミランダ。……あれ、父樣《とゝさま》、堪忍して下され、 言ふのではなかった。 ファー ミランダ!とは「驚歎的《あっぱれ》」といふこと! なるほど、此上もなく驚歎的《あっぱれな》、 此世の中の如何《どん》な貴い物にも決してお劣りなさりさうになり娘御! わたしは從來《これまで》、隨分、多勢の婦人を心に籠めて觀察もした、 其美しい言葉の音樂に容易《たやす》く耳を囚《とら》へられて、 恍惚《うっとり》となったことも度々あった。 又 種々《いろ/\》の婦人に種々《いろ/\》の長所《とりえ》のあるのを見て、 好もしいとも思ひました、が、それらには、又、何らかの缺點があって、 持前の美所を差引してしまふのが定例《きまり》であったに、 貴嬢《あなた》は、あゝ、貴嬢《あなた》は、まったく圓滿無類で、 あらゆる人間の美しさばかりを取集めてゐなさるのぢゃ。 ミラン わたしは自身と同じ性の者を一人も知りませぬ。 女の顏というては、鏡で見た自身のゝ他には、記《おぼ》えてはをりませぬ。 男とても、貴郎《あなた》と父樣《とゝさま》の他には、見たことが無い。 それゆゑ、餘所《よそ》では人が如何様《どのやう》な顏をしてゐるのやら知らぬけれど、 わたしの最《いッ》ち貴重《だいじ》な此 操《みさを》を誓ひにして、 わたしゃ貴郎《あなた》より他の人に連れ添ひたいとも思はねば、 貴郎《あなた》よりも好きな姿は、想像することさへも出來ませぬ。 ……あゝ、つい、父樣《とゝさま》の吩咐《いひつけ》を忘れて、 あんまり無作法に言ひ過ぎてしまうた。 ファー ミランダどの、わたしは、素性をいふと、王子、といふよりも、 或ひは國王かも知れない身分の者であるから、……決してさうなりたくはないが! ……假にも此脣を蒼蠅共に汚さしめないと同じに、 かういふ奴隷 爲事《しごと》を堪忍する筈はないのぢゃが、 貴嬢《あなた》の姿を一目見ると……眞實《まったく》の事…… 心が貴嬢《あなた》の脚下《あしもと》へ飛んで行き、 どんな御用でも務めようと望んでゐます。貴嬢《あなた》を思ふと、 丸太を運ぶのを決して辛いとは思ひません。 ミラン わたしを可愛がって下さるのかえ? ファー おゝ、天の神よ、地の神よ、只今わたくしが申す言葉の保證者とおなり下されて、 申すことに僞りの無い以上は、何卒《なにとぞ》恩惠を垂れさせられませ!萬一、僞りならば、 豫《かね》て定めおかせられましたる私の幸運をも悉く禍《わざは》ひに轉ぜさせられませい! ……わたしは此世界の有りとあらゆる物以上に、貴嬢《あなた》をば、愛しもし、 尊みもし、敬ひもする。 ミラン (涙を拭ひつゝ)わたしは何といふ阿呆ぢゃ、嬉しいのに涙が出る。 プロス (傍白)世にめづらしい、清い、美しい二つの愛情の出合ぢゃ! 神々よ、二人が將來に天惠を降したまへ! ファー 何故お泣きなさるのぢゃ? ミラン 此身が不束《ふつゝか》ぢゃゆゑに。獻《あ》げたうても、 此方《こちら》からは獻《あ》げられもせず、死ぬほどに欲しうても、 そちらから貰ふ事は尚ほの事出來ぬゆゑに。……(傍白) あゝ、しかし、こんなことを言ふのはたわいもないことぢゃ。 隱さうとすればするほど、本心が見え透いてしまふ。 羞しがる心よ、去《い》ってしまへ!眞直な、清淨《きよ》い、 罪のない心よ、わしによい言葉を教へてくりゃ!……(ファーディナンドに) わたしは貴郎《あなた》の妻ぢゃ、もし婚禮して下されば。 でなければ、處女《むすめ》で死にます。本妻《おくさん》になることが出來ぬなら、 侍婢《おはした》になってゞもお傍にゐます、貴郎《あなた》が何とおっしゃらうと。 ファー 可愛い、いとしい嬢さん!この通り! ミランダの前に跪く。 ミラン ではわたしの殿御か? ファー いかにも。奴隷が自由を得る時の喜びもこれほどではあるまい。 ……これが約束のしるしぢゃ。 手をさし延す。 ミラン (握手して)心も此手と一しょに。……では、御機嫌よう。また、半時間の後に。 ファー 御機嫌よう!御機嫌よう! 左右へ分れて入る。プロスペローだけ殘る。 プロス 思ひがけないので喜ぶ彼等ほどには、喜ぶことは出來んが、 それでも曾《かつ》て知らぬ嬉しさぢゃ。……又、例のを讀まう、 夜食間に種々《いろ/\》肝要な事をしておかねばならん。 プロスペロー入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 第三幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第二場 島の他の方面。 ステファノーとトリンキュローと出る。キャリバンは壜《とくり》を携へて後につゞく。 三人とも亂醉《らんすゐ》うぃてゐる。 ステフ (トリンキュローに)だまってゐろ。いよ/\樽が空《から》になりゃ、 水も飲まァ。それまでは、決して飲まん。だから、關《かま》はず進行しろ、 乘込め、乘込め。……やい、化奴《ばけやっこ》、俺を祝って飲め。 トリン (笑ひ出して)化奴《ばけやっこ》だ!此島の馬鹿々々しさッたら無いや! 島中に人間は僅々《たった》五人しかゐないッて事だ。 其中の三人は此方共《こちとら》なんだ。 もし殘りの二人が、こちとらと同じく頭加減と來てゐた日にゃァ、 全國が蹌々踉々《ひょろ/\》だ。 ステフ (キャリバンに)飲め、化奴《ばけやっこ》、おれが飲めと言ったら。 汝《きさま》の目は、まるで腦天に据附になってゐるやうだなァ。 トリン 腦天に据ゑ附けなくって、何處へ据ゑ附けるね! 目が尻尾《しっぽ》にでも据ゑ附けてあったら、それこそ素的《すてき》な化物が出來るだらう。 ステフ 化奴《ばけやっこ》め、奴、酒をくらって、舌が溺死者《どざゑもん》にでもなったと見える。 憚《はゞか》ンながら、俺と來ちゃァ、 海だっても、溺死者《どざゑもん》にすることァ出來ねえや。 俺は岸へ流れ著くまでに、三十五里も泳ぎぬいた、乘ッきったり、流されたり、 實《ほん》のこんだ。……やい化物、汝《きさま》は俺の近侍役《おそばやく》にしてやるぞ、 でなければ太刀持だ。 此途端にキャリバン、壜《とくり》を持ったまゝ、よろめきて倒れる。 トリン 近侍《そばやく》が可いよ。とても太刀持(立ち持)は出來さうにない。(と笑ふ)。 ステフ なァ、化君《ばけくん》、何が來ようとも我等《おいら》たちは、決して逃げたり、 走ったりなんかしねえのだ。(と言ふうちに、よろめきて、 キャリバンの上は倒れかゝる。) トリン 走るどころか、歩くことも出來めえ。犬のやうに平つくばったって、 吠えることも出來ないや、呂律が廻らないから。(と笑ふ。) ステフ (廻らぬ舌で)おのし御機嫌好いかい?おのしの靴を俺嘗めようよ。 けれども(とトリンキュローと見返りて)あいつにゃ俺奉公しない。 あいつは弱蟲だ。 トリン [言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》け、物知らずの化物《もゝんがア》め。 警察の役人とでも決鬪《はたしあひ》をする乃公《おれさま》だぞ。 やい、おのれ、圖部六になりゃァがった魚の化物め、 今日おれが飲んだ程酒を飲み得る人間に、臆病者なんかゞあって堪るかい? 半分は化物で、半分は魚の癖に、人間並に人樣の惡口なんか吐《ほざ》きゃァがるない! キャリ あれ!あいつめ、あんなに俺を馬鹿にするだに!(ステファノーに) おのし、あれを放任《うッちゃ》ッとくか、殿さま? トリン (笑ひ出して)殿さまだと言やァがる!あいつはお化ではなくッて大馬鹿だ! キャリ あれ!また俺を馬鹿にしてる!あいつを咬み殺しとくれよ、殿さま。 ステフ (物體ぶって)トリンキュロー、注意して口をきけ。 上官の命に背くと、直ぐ次ぎの木だぞ。……化物は俺の家來だ、 侮辱を加へること相成らんぞ。 キャリ お殿さまァ、ありがたう。……先刻《さッき》おのしに頼みかけた事もう一度聽いてくれないか? ステフ うん、聽いてやる。膝を突いて、もう一度言へ、俺は立ってるから。 トリンキュローも立ってろ。 此時、エーリエルが隱形《おんぎゃう》のまゝに出で、キャリバンらの背後《うしろ》に立って聽いてゐる。 キャリ 先刻《さッき》言った通り、俺は今 慳貪《けんどん》な奴に使はれてゐるんだ、 そいつは魔法使ひで、俺の此島を通力《つうりき》で以て奪《と》ッちまったんだ。 エリエ (トリンキュローの背後にて)[言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》け。 キャリ (怒りて、トリンキュローに)汝《おのし》こそ[言|虚;u8B43]《うそ》をつけ、 道外猿め。汝《おのし》のやうな奴は、強い殿さまが叩き殺してくれゝば可い。 俺が[言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》くものかい。 ステフ トリンキュロー、此上あれが話の邪魔をすると、(拳《こぶし》を見せて) こら、これだ、汝《きさま》の向ッ齒を叩き折ってくれるぞ。 トリン (不平さうに)何故さ?もう何《なンに》も言ふな。……(キャリバンに)後を言へ。 キャリ (膝まづきて)全く魔術で奪《と》ッちまったんだ。 もしおのしが其 復讐《しかへし》をしてくれゝば……おのしは強い神樣だから爲得《しえ》るけれど…… (とトリンキュローを指ざして)こいつは爲得《しえ》ないや。…… ステフ そりゃ無論だ。 キャリ さうすりゃ、汝《おのし》を殿さまにして、俺は家來になる。 ステフ どうしたら其目的が遂げられる?汝《きさま》、俺を其輩《そいつら》の處へ案内することが出來るか? キャリ うん/\、出來るとも。よく眠《ね》てるところへ伴れて行くから、 彼奴《あいつ》の頭へ釘を打込むことも出來らァ。 エリエ (トリンキュローの背後《うしろ》にて)[言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》け。 出來るもんか! キャリ 何て馬鹿 幇間《だうけ》だ此奴《こいつ》?うぬれ、三文 幇間《だうけ》め!…… 殿さま、お願ひします、あいつを毆《なぐ》って下さい、さうして酒壜《とっくり》を取上げて下さい。 あれがなくなりゃァ彼奴《あいつ》海水《しおみづ》の外に飲むものがなくならァ、 清水の出るところなんか教へてやりゃしないから。 ステフ トリンキュロー、此上 行《や》ると危險だぞ。此上、一言でも化物の邪魔をして見ろ、 (拳《こぶし》を出して)こら、これだぞ、一切お慈悲はさらんぱいだ、 汝《きさま》を干鱈《ほしだら》のやうに叩き挫《みじ》いてくれるぞ。 トリン (呆れて)あれ!おれが何をしたね?何もしやァしないのに。…… もっと離れてゐよう。 ステフ [言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》けと言ったぢゃァねえか彼れに? エリエ (トリンキュローの後ろにて)[言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》け。 ステフ (怒りて、トリンキュローに)何?おれが[言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》く? ……これを喰へ。(とトリンキュローを毆つ。)……これが欲しけりゃ、 いつでも俺に對って[言|虚;u8B43]吐《うそつ》きだと言へ。 トリン (不平さうに)[言|虚;u8B43]吐《うそつ》きだなんて言やしないよ。…… 正氣がなくなって、耳までも無くなったのかい?……畜生! みんな其 壜《とっくり》の所爲《せゐ》だ! こりゃ全く酒の祟《たゝ》りだ。……化物奴《ばけものやっこ》め、 黴菌にとッつかりゃァがれ!あゝ、痛い!(と毆られた處を擦りながら) お前のその手、惡魔に取ッつかれッちまへ! キャリ (快げに笑ふ。)はゝはゝはゝ! ステフ さ、後を話せ。……(トリンキュローに)ずッと其方《そッち》へ往ってゝくれ。 キャリ 奴を澤山《たんと》毆《なぐ》っとくれ。もう少し經つと、俺も毆《なぐ》るから。 ステフ すッと其方《そッち》へ往ってゐな。……さ、後を言へ。 キャリ 先刻《さッき》言った通り、午後《ひるから》になると、 彼奴《あいつ》は晝睡《ひるね》ィをするのが定《きま》りだから、 魔書《ほん》さへ先きへ奪《と》ッちまへば、彼奴《あいつ》の腦天をやッつけることが出來る。 丸太で頭の皿割ることも出來りゃ、杭で奴の腹を突ン裂くことも出來るし、 其小ちゃい刀《かたな》で奴の喉の笛を切ることも出來らァ。 先きへ魔書《ほん》を奪《と》るんだよ、あれさへ無けりゃ奴は俺と何の差《ちが》ひもない馬鹿者だ、 一疋の精靈だって使へやしない。奴等みんな、俺と同《おンな》じに、 彼奴《あいつ》を憎がってゐるんだから。只 魔書《ほん》だけ焚《やく》んだ。 奴は立派な道具てものを有ってゐるよ。 今に家が出來ると、それで飾るんだと言ってゐる。それから最《いッ》ち肝腎な事は、 彼奴《あいつ》の娘の綺麗なことだ。奴は自分で無類の娘だと言ってゐる。 俺は阿母《おッかア》のシコラックスとあの娘の外には、 女て者を見たことは無いんだが、阿母《おッかア》と彼女《あれ》とは、 最《いッ》ち大きな者と最《いッ》ち小さな者ほどに違ってらァ。 ステフ そんな素的《すてき》な娘か? キャリ あゝ。彼女《あれ》ァ、必然《きッと》、おのしの臥床《ねどこ》に似合ふよ、 必然《きッと》素的《すてき》な子を生まァ。 ステフ 化物、それぢゃァ、俺がその爺《おやぢ》を殺して、此島の王さまになって、 其娘をお妃さんにしよう。……いよ、お二方萬歳とけつかる! ……それから、トリンキュローと汝《きさま》とは副王の役だぞ。 ……(トリンキュローに)トリンキュロー、どうだ贊成か? トリン 結構。 ステフ 手を出しなよ。先刻《さッき》毆《なぐ》ったのは濟まなかった。 だが、以來も、物言ひにゃ注意しなよ。 キャリ もう半時間も經つと、彼奴《あいつ》は眠《ね》るだらうが、その時、 おのし彼奴《あいつ》を殺すかい? ステフ うん、殺す、大丈夫。 エリエ (以上の問答を聽き了りて、傍白)この通り師匠に知らせよう。 キャリ (浮れ出して)あゝ、俺、面白くなって來た。嬉しくッて堪らないや。 なァ、おい、浮れようよ。先刻《さッき》教へてくれた地口《ぢぐ》り歌て奴を歌はうよ。 なァ、おい! ステフ 化物、汝《きさま》が頼むと言やァ、何でもしてやるぞ、 苟《いやしく》も道に合《かな》った事なら、……横道だらうが、 間道《ぬけみち》だらうが。さァ/\、トリンキュロー、歌はうぜ。(と歌ふ。) やつらは馬鹿だい、やつらは阿呆だ。 やつらは阿呆だ、やつらは馬鹿だい。  思ふのァ自由だ。(思ふのァ勝手だ。) 代る/\゛、口調の同じやうな文句の異《ちが》った歌を同じ旋律《ふし》にて歌ふ。 文句が一々地口になってゐるのを地口《ぢぐ》り歌といふ。 キャリ (トリンキュローに)調子が外れてらァ。 此時、エーリエル小鼓《こつゞみ》と笛とを奏して歌に合せる。 ステファノーとトリンキュローとは驚きて空を見上げる。 ステフ や、ありゃ何だ? トリン ありゃァ、此方等《こちとら》の地口《ぢぐ》り歌の調子だぜ。 のッペらばうの化物が合奏《あは》せてるんだ! ステフ (空を睨んで)やい、うぬ、もし人間なら人間らしい面《つら》を見せろ。 が、もし惡魔なら勝手にしやがれ。 キャリ (慄へ出して)あゝ、お赦し下さい、どうぞ罪をお赦し下さい! ステフ (わざと威張って)死んぢまやァ、何もかも帳消だい。 何をうぬ、さァ來い。(俄かに慄へ出して)おゝ、お助け下さいまし! キャリ (呆れて、ステファノーに)おのし怖ってるのかい? ステフ うんにゃ、俺ァ怖っちゃゐない。 キャリ 怖らなくても可いよ。此島にゃァ、常住《しよッちゅう》、音がしてゐて、 いろんな聲や美《い》い音色がするけれども、 どうもしやァしないや、只面白いばかりだ。 どうかすると、幾つとも知れない道具の音が、俺の耳の傍で、 ツワン/\と鳴らァ。かと思ふと、長ァく眠《ね》て起きた後でさへも、 又眠たくなるやうな人の聲が聞えることもあらァ。 さうしていつの間にか夢を見てゐると、空の雲が漸々《だん/\》に開いて、 いろんな寶物《たからもの》が今にも頭の上へ墮落《おッこ》ちかゝるやうになるんだ、 で、俺、目が覺めると、嗚呼、もう一度夢が見たいッて叫《わめ》くんだ。 ステフ こいつァ素的《すてき》な王國だわい、王さまは無代《たゞもんめ》で以て音樂が聞かれる。 キャリ プロスペローさへ殺してしまやァね。 ステフ 今にやッつけてくれる、汝《きさま》の言ったことァ忘れやしねえよ。 エーリエルの奏する音樂がだん/\に遠くなる。 トリン 音が漸々《だん/\》に遠くならァ。ま、尾《つ》いてッて見よう。 爲事《しごと》は其後にしよう。 ステフ 化物、さ、先きへゆけ、おいら達も後から行くから。…… (空を見上げて)あの鼓《つゞみ》を鳴らしてやがる奴の面《つら》が見てえなァ。 頻りに鳴らしてやがる。……おい、來るかい? トリン あゝ、お侶《とも》するよ。 皆々入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 第三幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第三場 島の他の方面。 アロンゾー、セバスチヤン、アントーニオー、ゴンザロー、エードリヤン、 フランシスコーら出る。まだ、王子の行くへを捜し廻ってゐるのである。 ゴンザ もう迚《とて》も手前には歩かれません。此老骨が痛みまする。いや、實に、 八重襷《やへだすき》とも蜘手《くもで》とも申しやうにない奇怪《ふしぎ》な路を迷ひ歩きましたわい! 御免を蒙って、休息いたさねばなりません。 アロン 老卿よ、道理《もっとも》ぢゃ、予《わし》とても精神が鈍ってしまふほどに疲勞《くたび》れたわい。 腰を下して休むがよい。つい今しがたまでは、よもやと思うてゐたが、 もう予《わし》は斷念《あきら》めます。斯うして尋ねさまようても、 彼れは疾《と》うに溺死したに相違ない。海めが役にも立たぬ陸路《くがぢ》の捜索を笑うてゐる。 あゝ、是非に及ばん。 アント (セバスチヤンに傍白)結構です王が絶望せられたのは。 一度やりぞこなったからといって、一旦決心なすったことをお止めなすッちゃいけませんよ。 セバス 好い機會の有り次第にやッつけようよ。 アント 今夜がよろしい。歩いて疲勞《くたび》れ切ってゐますから、 精神の活[さんずい|發;u9F51]な時ほど目敏く用心をしますまいし、 爲《し》ようとしたっても出來ませんよ。 セバス 今夜に限る。もう默って。 此時、嚴肅にして奇異なる音樂が俄《には》かに聞えて來る。 アロン や、こりゃ、如何《どう》した音樂ぢゃ?あれをお聽きなさい! ゴンザ さて/\不思議な、愉快な音樂でござりますわい! プロスペローが高き處に現はれる、アロンゾーらには見えぬ體《てい》。 種々の奇怪な姿の者、饗宴の準備を整へた一の食卓を運びつゝ出て、 嫻雅《かんが》な態度で頻りに會釋を行ひながら、 食卓を廻って舞ひ踊り、王ら一同にむかって、いざ飲食せよと誘ふが如き科介《しぐさ》をして消え去る。 アロン 神々よ、何卒《なにとぞ》お護り下さりませい!……何であったらう今のは…… セバス 操り偶人《にんぎゃう》の活きてるのでさァ。これで見ると、 麒麟とかいふ靈獸《けだもの》も、或は實際有るのかも知れない。 アラビヤには鳳凰木《ほうわうぼく》とかいふ樹が有って、 現に一疋の鳳凰が其樹に君臨に及んでゐるかも知れない。 アント わたしは雙方とも信じますね。かうなって來ると、 從來《いまゝで》信ぜられなかった事までも、わたしは事實だと言って保證する方へ廻りますよ。 旅行家連の話は[言|虚;u8B43]《うそ》ぢゃありませんね、 井中《ゐのうち》の蛙《かはづ》だけが疑って、彼れ此れ言ふのです。 ゴンザ ネープルズへ歸って、此通り報告しましたら、斯う/\いふ島人を目撃したと申したら、 國の者が信じませうか?大丈夫、只今のは此島の蠻民に相違ありませんが。 彼等は姿態《かっかう》こそ化物めいてをりますけれども、 中々禮儀は心得てをるらしうござりました、却って吾々人間仲間には、 幾らも、どころではなく、一人として無作法でないものは無い位ゐでござります。 プロス (高き處に立ちたるまゝにて傍白)君子人よ、よう申された。 現に其處にゐる者の中にも、惡魔以上の奴がゐるからなう。 アロン 驚き入ったことぢゃ、更に舌を動さんで、其無言の中に、 一種の巧妙な言葉を發しをった。あの姿態《かっかう》、あの科介《みぶり》、 あの物音、實にどうも驚き入ったことぢゃ。 プロス (傍白で、皮肉に)お歸りがけにお褒めなさるがよろしい。 (事が濟んでから、おほめなさい、まだどんな成行きになるか解りませんから。) フラン 奇怪《ふしぎ》な鹽梅に消えてなくなりました。 セバス 關《かま》ったことはない、肝腎の食物を殘していったから。 恰《ちょう》ど肚《はら》が減ってゐるところだ。……(王に) こゝにある物を召食《めしあが》りませんか? アロン 予《わし》は食はん。 ゴンザ いや、御懸念遊ばすには及びません。手前共が子供であった時分には、 野牛のやうに、喉に胴亂然《どうらんぜん》たる肉の塊りを垂下《ぶらさ》げてゐる山の住民があるなぞと申したとて、 誰れも眞實《ほんとう》には致さなかったものでござります、或ひは、 胸元に頭の附いてゐる人間があるなぞと申したからとて。 ところが、今日《こんにち》では、それが、例の五倍利の賭をする手合が、 めい/\、立派に、其證據品を持ち歸り得るのでござります。 アロン 覺悟をして食ひませう、これが最後であっても關《かま》はん、 望みは絶えてしまったのぢゃ。……おとうと、公爵どの、さ、 その積りで、予《わし》と一しょに食《あが》れ。 電光《いなびかり》がして雷《らい》が鳴る。エーリエル、頭と體《からだ》とは女、 四肢と翼とは鷲と見える一妖怪となって出で、食卓の上へ飛び下りて、 羽ばたきをする。と巧みな裝置《しかけ》で、饗宴の品々が消滅する。 食卓だけ殘る。エーリエル其上に突ッ立って白《せりふ》をいふ。 エリエ 罪業の深い三人の徒輩《ともがら》、此下界をも、其 有情《うじゃう》、非情をも、 賞罰の用具にお使ひなされる運命の神が、此たび汝《きさま》らをば、 幾ら呑んでも飽くことを知らぬ海に吩咐《いひつ》けて、 わざと人の住まぬ此離れ島へ、吐き出さしめたまうたのだ、 汝《きさま》らは人間界に生かしておくには不適當な奴らだから…… アロンゾー、セバスチヤンら劍を拔いて切りかゝらうとする。それを見て冷笑して どうだ、とう/\狂人《きちがひ》にしてくれた。 恰《ちょう》どさういふ向う見ずの自暴自棄《がむしゃら》から、 人間はわれとわが見を縊《くび》ったり、又は溺したりするのだ。 此阿呆めらが!俺や俺の仲間の者は運命の神の使魔《つかはしめ》だ。 金屬を鍛へて製作《こしら》へた劍なぞで、 おれの此 翼《はね》の柔毛《うぶげ》一つでも切り減すことが出來るものなら、 それで斬る眞似をして、見事、吼え猛《たけ》る風にも痛手を負はせ、 曾《つひ》ぞ傷を受けたことのない水をも殺すことが出來よう。 おれ達は、風や水と同《おンな》じに不死身だ。 よしんば汝《きさま》らが害を爲し得るにしても、 もう汝《きさま》らの力では其劍が扱へなくなってゐるわい。 見ろ、もう重くって擧げられりゃしまい。……併《しか》し忘れるな、 ……これが汝《きさま》らへの俺の用だ……汝《きさま》ら三人が、 ミラン國から彼の善良なプロスペローを逐ひ出して、海へ曝《さら》し者にしたことを忘れるな、 プロスペローと其頑是ない幼兒を。その報いが今度の難船だ。 その非義非道を、神々は一時御猶豫はなさっても、決してお忘れはなさらないから、 すなはち、海を、陸を、一切の生物を憤激せしめて、 斯樣に汝《きさま》らをば苦しめたまうたのだ。 やい、アロンゾー、其方の倅《せがれ》を奪はせられたのも神々の御所爲だ。 さうして神々は、俺に吩咐《いひつ》けて、 一思ひに死ぬよりもずッと辛い半死半生の苦しみが、 將來《これから》始終 汝《きさま》らの身に附隨《つきまと》ふといふことをお告げになる。 その神罰を……此荒れ果てた孤島《はなれじま》で、必ず汝《きさま》らの頭の上に落ちかゝる其神罰を ……まぬかれる道は唯《たッ》た一つだ、 眞情《まごころ》からの悔恨と將來《すゑ》永き清淨の生活、 それより外に道はないぞ。 白《せりふ》了ると、エーリエルは雷鳴中に消え去る。 同時に、靜かな音樂につれて、先刻の怪しい姿の者共がまた出で來り、 口を歪め齒を露出《むきだ》しなどして踊り廻り、殘してありし食卓を運び去る。 プロス (傍白)エーリエルよ、妖鷲《ばけわし》に假裝した手際は見事であったぞ。 饗應品《ちそう》を一口に貪食《くら》ふ樣子も手際であったわい。 言へと吩咐《いひつ》けておいたことも、脱《おと》さずに善う言ふた。 下役の奴らまでも、十分に身を入れて、よう役々に注意して、 それ/\゛の務めを爲遂《しと》げをった。おれの神術が功を奏して、 怨みのある奴らが悉く狂氣の體《てい》ぢゃ。 此奴《こいつ》らは最早《もう》おれの掌《て》の中にあるのぢゃ。しばらく此儘にしておいて、 彼等が溺死したとばかり思うてゐる彼の青年《わかもの》と我兒《むすめ》との樣子を見て來よう。 プロスペロー高き處より去る。アロンゾー、アントーニオー、 セバスチヤンの三人は精神が錯亂したる體《てい》。 ゴンザロー以下は常態に異なることもなきゆゑ、三人の樣子を驚き異《あや》しむ介《ふり》、 表情《おもひいれ》をする。 ゴンザ これは/\!なぜまァ其様《そんな》に、きょろ/\と見廻してばかりおいで遊ばされます? アロン あゝ、どうも、奇怪千萬!奇怪千萬!どうやら海が物を言ふて、 彼の事の怨みを言うたやうであった。それから、風も、ヒュー/\と鳴る間に、 あの事を言うた。それから、雷《らい》が、あの太い、 怖ろしい聲で、プロスペローの名を呼んで、わしの罪惡を物凄い聲で罵った。 いよ/\倅《せがれ》は海底の泥に埋沒《うづも》れたに相違ない。 わしは最早《もう》、測量鉛が達《とゞ》かん處までも探って行って、 倅《せがれ》と一しょに泥に埋沒《うづも》れてしまひたい。 アロンゾーは悄《しを》れて、泣く/\入る。 セバス 一時に一疋づつなら、惡魔が何千疋やって來やがったって、 敵手《あひて》になってくれるんだが! アント わたしだって助太刀をしまさァ。 半狂亂の體《てい》にて二人とも入る。 ゴンザ 三人ながら氣が狂うてゐる。時が經ってから利くやうに宛《あてが》はれた毒藥と同《おンな》じに、 過去《むかし》の大きな罪惡が、今になって彼人達《あのひとたち》の良心を咬み始めたのぢゃ。 ……(エードリヤンらに)お願ひです、足腰が達者な貴下《あなた》がたは、 大急ぎで後を追ひかけて、とめて下さい、氣が狂ってゐなさるから、 何をなさるやら知れたことでない。 エード 貴下《あなた》も後から来て下さい。 エードリヤン、フランシスコーが先きに、ゴンザローも其後に從《つ》いて入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 第四幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第一場 プロスペローの窟《いはや》の前。 プロスペローとファーディナンドとミランダと出る。 プロス お前《まひ》さんに對する予《わし》の所置《しおき》は、 或ひは嚴酷《きび》し過ぎたかも知れんが、 これで償《つぐの》ひが附く、……予《わし》は、予《わし》の命の絲とも、 生きてゐる爲の目的とも思うてゐるものをお前《まひ》さんに獻《あ》げたのであるから。 それをば今また改めてお渡し爲《し》ます。いろ/\に苦しませたのは、 愛情の深淺を試さう爲であったが、不思議に、善う其試驗にお堪へなされた。 こゝに天に誓うて、此 貴重《だいじ》な我兒《むすめ》を、お前さんに贈ります。 あゝ、ファーディナンド、どうぞ、予《わし》が自慢を笑うて下さるな、 どのやうに讃め見ても、尚ほ讃め足らん程の女ぢゃといふことが、 今にお解りにならうから。 ファー わたしは貴下《あなた》のお言葉を信じます、(よし)神託には反對しましても。 プロス では、わしの贈物《おくりもの》として、又、貴下《あなた》にそれだけの徳があって手に入れられた物として、 我兒《むすめ》をばお取りなさい。併《しか》しながら、 もしも神聖な結婚式を、まだ式《かた》通りに行はんうちに、 萬一にも我兒《むすめ》が帶の處女《をとめ》結びを縱《ほしいま》まにお絶ちなさるやうなことがあると、 神々は、此婚約を生長さするために、決して甘露をお降らしなさることはあるまい。 いや、夫婦互ひに相憎み、相侮蔑《あひさげす》んで、和合せず、 子は生れず、閨《ねや》は宛然《さながら》嫌はしい雜草の叢《くさむら》とも思はれて、 共寢《ともね》をするを厭《いや》がるやうになるであらう。 それゆゑ、結婚《むすぶ》の神が華燭をお照らしになるまでは、きッと注意なさい。 ファー わたしは、目下《たゞいま》通りの愛情を持續して、 平和と長命と良兒とを得たいと希望しますから、 どんな都合のよい眞暗な洞穴《ほらあな》なんぞがありまして、 わたしの惡い方の魂が如何《どん》な強い誘惑を掛けませうとも、 此廉恥心を決して邪淫の爲に溶《とろか》されるやうなことはありません。 其正式の結婚日の樂しみを、あゝ、けふは日神《フィーバス》の駒が負傷《けが》でもしたのか、 或ひは「夜」が、下の世界で、金縛りにでもなったのかと待ち疲《くたび》れる其正式の日の樂しみを、 決して空《あだ》にするやうなことはありません。 プロス 立派にお言ひなされた。では、其處にゐて、我兒《むすめ》とお話しなさい。 此女《これ》はお前さんの有《もの》ぢゃ。……(空に向って) やい/\、エーリエル!おれの忠僕のエーリエルはゐるのか? エーリエル出る。 エリエ お師匠さま、御用でござりますか?こゝにをります。 プロス 汝《おのし》も、汝《おのし》の下役共も、 先刻《さッき》は吩咐《いひつ》けられた務めを立派に爲果《しおほ》せた。 そこで、もう一つ爲事《しごと》を吩咐《いひつ》けんければならん。 さ、通力《つうりき》を汝《おのし》に授けるから、 一群《ひとなかま》の者を此處へ伴れて來い。 活[さんずい|發;u9F51]な操り踊りにさせろ、 此若い二人に予《わし》の妖術の幻影《まぼろし》を見せてやらねばならんから。 豫《かね》ての約束で見たがってゐるのぢゃ。 エリエ 只今? プロス さうぢゃ、直ぐに。 エリエ 「さァ來い」というて、まだ二つとは息をなさらんうちに、 どいつにも、足を爪立て、口を曲げ、齒を露出《むきだ》させ、 ちょろ/\走りをさせて、やって來させます。お師匠さま、 わしを可愛がってくださりますか、え? プロス うん、可愛い奴ぢゃ。おれが呼ぶまでは出て來てはならんぞ。 エリエ 承知しました。 エーリエル入る。此間ミランダとファーディナンドとは一隅に退いて、 睦《むつま》じげに頻りに何事か私語してゐる。 プロス (やゝ不安げにファーディナンドを見返って)忠實に守りなさいよ。 情の手綱をあんまり緩め過ぎてはならん。極めて堅い誓言《せいごん》も、 血氣の[火|(ク/臼);u7130]《ほのほ》に煽られると藁しべも同然ぢゃ。 もっと節《せつ》して、節《せつ》して。で無いと、先刻《さッき》の誓言《せいごん》は、 おさらばになってしまふ! ファー 大丈夫でござります。わたしの心臟が、雪よりも冷たい操《みさを》が、 わたしの肝臟の熱血を消してしまふ! ファー よろしい。……(又空に向ひて)さ、來いよ、エーリエル。 有り餘る程伴れて來い、一頭でも足らんよりは。 現はれろ、速かに!……(ファーディナンドらに)無言で。目ばかり。默って! 靜肅な音樂が聞えて、程なく假面劇《マスク》がはじまる。 ヂューノーの神に使へる彩虹《さいこう》の化身アイリスといふ神に扮した妖精が出る。 アイリスは傳令を職とする使ひ神で、 こゝはヂューノーの命を受けて大地の神シーリーズを呼び出しに天降《あまくだ》れる體《てい》。 以上三體とも女神である。 虹の神 シーリーズよ、豐かにも物惠ませます姫神よ、小麥、裸麥《ライむぎ》、大麥、 燕麥《からすむぎ》、蠶豆《そらまめ》、豌豆《のらまめ》の、 其 富饒《ぶねう》なる圃《はたけ》をば立離れて、羊らの徐《おもむ》ろに食《は》む其草の生へる山々を、 其羊飼ふ爲にとて、茅《ちがや》もて屋蓋《やね》葺《ふ》ける牧場牧場を、又、 濕《しめ》りがちの四月《うづき》が、貴女《おこと》の命によりて、 處女神《をとめがみ》が頭插《かざし》の花を生長《おほした》つる畦形《あぜがた》の堤《つゝみ》をも、 思ふ女子《をうなご》に棄てられし獨男《ひとりを》の立寄ることを好む箒木《はゝきゞ》の杜をも立離れて、 柱に蔓纒《つるまと》ふ其葡萄の園《その》をも立離れて、 貴女《おこと》が平生《ひごろ》休らひたまふ其荒れたる岩山の岬をも立離れて、 疾《と》う此處へ渡らせまして……大空の大妃神《おほひめがみ》の水にて成れる弓形門にてもあり、 御使ひにてもある此アイリスが宣《の》り告《まう》すぞ、…… 嚴《いつく》しき彼の妃姫《ひめがみ》と共に、此芝生にて、 此處にて、いざや遊び戯れたまへと白《まう》す。 神御者《みとねり》の孔雀は、今し翔《かけ》ること矢よりも疾《と》く侍《はべ》り。 豐かなる地の神よ、疾《と》う出で來まして、 彼の妃姫《ひめがみ》の御款待《おんもてなし》をばせさせたまへ。 大地の女神、シーリーズに扮したるエーリエル出る。 地の神 めづらしや、 ヂューピターの妃神《きさきがみ》の忠實《まめやか》に仕へたまふ許多色《こゝだいろ》の御使《みつか》ひ神よ、 ……或時は番紅花《さふらん》色の翼廣げて、妾《わらは》が花共の上に甘露 做《な》す心地よき雨を降らせたまひ、 又、或時は其青き眞弓《まゆみ》を茂山、禿山に張り渡して、 妾《わらは》が誇りなる大地の上に妙《たへ》なる頸飾《えりかざり》を掛け下したまふ御使《みつか》ひ神よ、 ……貴女《おこと》の仕へます妃姫《ひめがみ》が、妾《わらは》を此芝生へ召させたまひぬる仔細《いはれ》は如何に? 虹の神 僞り無き戀の誓約《ちかひごと》を祝賀《ことほ》ぎたまはん爲なり。 幸《さち》多き其戀人らに許多《こゝだ》の引出物を賜らん爲なり。 地の神 いかに、天《あめ》の弓形の君、貴女《おこと》は必ずや知りてぞおはさん、 かのヰ゛ーナスか若しくはその盲《めしひ》の童《わらは》かゞ、 今も尚ほヂューノー君《ぎみ》の御傍《みそば》に侍《はべ》るや? あの母子の計略《たくみ》にて、わが愛女《まなむすめ》のプローサーピナを、 彼の烏婆玉《うばたま》のディスの神に奪《と》られてよりこのかた、 妾《わらは》はあの賤《あさま》しき二神とは、 かりそめにも面《おもて》をば合すまじと誓ひぬるが。 虹の神 いな、あの女神《をんながみ》に逢ひたまふことはあるまじうこそ。 妾《わらは》、彼神が雲を切りて、その子キューピッドと共に、 鳩車に乘りて、ペーフォスへ赴《おもむ》くをば途《みち》の程にて見つ。 彼等 最初《はじめ》は、結婚《むすぶ》の神がまだ花燭《ともしび》を照さぬうちに、 あれなる若人《わかうど》と處女《をとめ》とをば誘惑《そゝのか》さん心なりしが、 二人はよく誓ひを守り、道を守りて、其 效《かひ》のなかりければ、 軍神《マーズ》の彼の淫なる情人《おもひもの》(ヰ゛ーナス)は歸り去りぬ。 いらだち易き其兒さへも、殘りなく箭《や》を摧《くだ》きて、 最早弓は執《と》らじ、今よりは尋常《よのつね》の童《わらべ》となりて、 雀と戯れ遊ばんと誓うて侍《はべ》り。 地の神 (空を見上げて)こよなき妃姫《ひめがみ》の大ヂューノーこそ渡らせたまふめれ! あはれ、おんけはひにて著明《しるけ》し。 ヂューノーの神に扮したる妖精、孔雀の牽《ひ》ける莊麗な輦《てぐるま》に乘って、 宙乘やうの裝置《しかけ》にて高き處より出る。 ヂュノ わが豐かなる妹神《いもうとがみ》は如何に在《おは》すぞ? いざ、われと共に、此二人が彌榮《いやさか》えて、 子寶《こだから》にも幸《さち》の多からんことを祈りたまへ。   (歌ふ。) 譽れ、富、妹脊《いもせ》の幸《さち》、 永き壽命《いのち》、果《はて》を知らず、 盡きぬ歡びの日々にあれ、と ヂューノーが祝うて歌ふなり。 實る物は、年毎に、豐かにあれ、 納屋にも滿ち、穀倉《こくぐら》にも物滿ちて、 葡萄の果《み》は、鈴の如くに房を垂れよ。 木果《このみ》の樹は、荷を重み、枝もたわゝに、 春は毎《つね》に、収穫秋《とりいれどき》の末には來よ! 缺乏《ことかけ》と乏しさとは、曾《かつ》て來らじ。 あはれ、地の神の惠み然《しか》く有れかし。 此歌が終ると、ファーディナンドは覺えず驚歎の聲を發する。 ファー 何といふ立派な莊嚴な幻象《まぼろし》ぢゃ! 美しいとも何とも言ひやうのない、不思議な音樂ぢゃ!これが精靈なのでござりますか? プロス 精靈ぢゃ。わしの法力で、當座の思ひ附きを演ぜさせるために、 それ/\゛の居所から呼び出したのぢゃ。 ファー わたしはいつまでも此處にゐます。 かういふ不思議な通力《つうりき》を具《そな》へられた舅御《しうとご》と斯ういふ世に稀なる妻とを持ってゐれば、 此處は、取りも直さず、樂園でござります。 此時、ヂューノーと地の神と何事か耳語《じご》することありて、 虹の神に命を含める科介《しぐさ》をなす。 プロスペローはそれを見てファーディナンドを制する。 プロス あゝ、靜かに!ヂューノーと地の神とが、何か事ありげに耳語《さゝやきばなし》をしてゐる。 まだ何事かあるらしい。叱《しッ》!默ったり。でないと、術が破れる。 虹の神 (前へ進みて舞臺の一隅に向ひて)なう/\、曲《くね》り河のネーヤッドと呼ばれたまふ女神達よ。 ……葦《あし》の葉の冠《かむり》をかぶりて、いつも罪無げなる面地《おももち》して在《おは》す女神達よ、 ……小波《さゞなみ》の皺《しわ》む水の面《おもて》を暫し離れて、 此芝原に來まして、ヂューノーの君の嚴命《おほせごと》をば拜奉《かしこ》みたまへ、 と白《まう》す。いざや、淨《きよ》らかなる女神たちよ、疾《と》く來まして、 吾等と共に、僞りなき戀の誓約《かねごと》をばことほがせたまへ。…… 江河《こうが》の女神群に扮したる若干の妖精ら、此呼び出しに應じて舞臺の一方より出る。 虹の神は、舞臺の他の一隅に向ひて、更に又 下《しも》の如くに呼ぶ。 なう/\、心たゆむ秋の日に、日焼けしたる草刈男《くさかりをとこ》らよ、 いざや、畝《うね》を離れて、疾《と》くこゝへ來て、面白う一日《ひとひ》を遊びさふらへ。 おの/\麥藁の帽を被りて、あれなる嫩弱《うらわか》き女神達と共に、 手に手を取りて、鄙《ひな》の手振を踊りさふらへ。 女神群《にょじんぐん》とは反對の一隅より、草刈男と化現して、相當の服裝をした若干の妖精らが出て、 舞臺中央にて女神群《にょじんぐん》と一しょになりて、 優雅な幾番かの舞蹈をなす。其舞蹈の末頃になって、 プロスペローは急に心附きたることあるらしく、唐突《だしぬけ》に獨語する。 プロス (傍白)あ、つい忘れてゐた、あのキャリバンの獸類《けだもの》と其一味の奴とが、 おれを殺さうとしてゐることを。もう恰《ちょう》どやって來る時刻ぢゃ。 ……(精靈らに)出來た/\!……(聲を荒くして)ひっこめ!……もうよい! 奇異なる、物すごき、あわたゞしげなる騒音につれて、一同愁然として消え去る。 ファー 之は不思議ぢゃ。お父上は何か甚《きつ》う腹を立てゝゐなさるやうぢゃ。 ミラン つひぞ今日までは、あのやうに父樣《とゝさま》が取亂して怒ってゐなさるのを見たことはない。 プロス あゝ、婿どの、きつう駭《おどろ》いて氣を揉んでゐなさるやうぢゃが、 何も心配には及ばん。餘興《なぐさみ》はもう濟んだのぢゃ。 あの俳優《やくしゃ》共は、豫《かね》て話しておいた通り、 みんな精靈ぢゃによって、空氣の中へ、薄い空氣の中へ、 溶け込んでしまうた。あゝ、此 幻影《まぼろし》の、 礎《いしづゑ》ない假建物《かりだてもの》と同じやうに、 あの雲に沖《ひゝ》る樓臺も、あの輪奐《りんくわん》たる宮殿も、 あの莊嚴なる堂塔《どうたふ》も、此大地球其者も、 いや、此地上に有りとあらゆる物一切が、やがては悉く溶解して、 今消え去った彼の幻影《まぼろし》と同樣に、後には泡沫をも殘さぬのぢゃ。 吾々は夢と同じ品物で出來てゐる、吾々の瑣小《さゝやか》な一生は、 眠りに始って眠りに終る。……婿どの、わしは少し頭の具合がわるい、 堪《こら》へて下さい、老人の持病ぢゃ。決して予《わし》の持病を氣にして下さるな。 何なら、窟《いはや》へ入って休息してゐて下さい。わしは、心を鎭《しづ》める爲に、 一廻り二廻り歩いて來るから。 ファー,ミラン どうぞお大事になされませ。 ファーディナンドとミランダとは窟《いはや》へ入る。 プロス (空に向ひて)さ、來いよ、早く!……(ファーディナンドの行く方を見送りつゝ) ありがたう。……(又空に向ひて)エーリエル! エーリエル出る。 エリエ お命令《いひつけ》の通り何でも致します。何御用でござります? プロス 精霊《すだま》よ、キャリバンめに應對する準備をせにゃならんぞよ。 エリエ さやうでござります。地の神の役をしてゐました時、 その事を言はうかと思ひましたが、お怒りなさらうかと思うて、 言ひませなんだ。 プロス あいつらを何處やらに置いて來たといったな? エリエ 彼奴等《あいつら》は酒を飲んで、醉うてゐると申しましたっけが、 偉い元氣でござります、何故 面《つら》へ吹き附けると言うて風を撲《はた》いたり、 何故足の裏を嘗めると言うて地面《ぢびた》を毆《なぐ》ったり致します。 それでも惡陰謀《わるだくみ》は忘れません。で、わたしが小鼓を鳴らしますと、 彼奴等《あいつら》は宛然《まるで》騎《の》り馴らしてない仔馬のやうに、 耳をおッ立て、目蓋《まぶた》を上げ、音樂を嗅がうとでもするかのやうに、鼻までも持ち上げます。 さうして耳が悉皆《すっかり》狂うてゐるので、 彼奴《あいつ》らは、母牛を慕ふ仔牛のやうに、わたしの聲に引きずられて、 荊棘《いばら》や針エニシダに柔《やわ》い脚《すね》を刺されるのも關《かま》はず、 尾《つ》いて來ました。とう/\此 窟《いはや》の彼方《むかう》の、 あの水錦《あをみどろ》の滿《は》った池の中に……彼奴《あいつ》らの臭い、 穢《むさ》い足にも負けぬほどに臭い池の中に……首ったけ漬ったまゝで殘して來ました。 プロス 出來した、うい奴ぢゃ。もう少しの間、他には見えん姿のまゝでゐろ。 奥へ往って、金ぴか物をこゝへ持って來い、 盗賊《ぬすびと》共を捕捉《つかま》へる囮《をとり》に使ふから。 エリエ はい/\。 エーリエル窟《いはや》の中へ入る。 プロス 惡魔ぢゃ、生得《うまれながら》の惡魔ぢゃ、どう教へて見ても其性を改めることが出來ん。 おれの仁愛の骨折も悉く無益《むだ》であった、全く無益《むだ》であった、 齡《とし》と共に、肉體が醜くなるにつれて其根性までも腐り蝕《むしば》む。 ……三人とも唸り叫《わめ》くほどに苦しめてくれう。…… エーリエル燦爛《きらびや》かな衣裳を夥《おびたゞ》しく肩にかけて奥より出る。 さ、それを此木に掛けろ。 エーリエル窟《いはや》に近き菩提樹の枝々に衣裳を掛け竝《なら》べる。 準備を了ると、プロスペローとエーリエルとは隱形《おんぎゃう》の術を行うてゐる。 キャリバン、ステファノー、トリンキュロー、三人とも尚ほ醉ひの醒めぬ體《てい》にて、 泥水に濡れしょぼたれ、穢《むさ》き物など夥《おびたゞ》しく身に附きたるまゝにて、 蹌踉《よろめ》き/\出る。 キャリ おい/\、そッと蹈みなよ、土鼠《もぐらもち》にだっても足音を聞かれないやうに。 もう窟《いはや》へ來たんだからよ。 ステフ 化物、汝《きさま》は、精靈は何《なンに》も惡いことァ爲《し》ねえといったが、 奴、俺達を、隨分とも、ちゃうさいばうに爲《し》やァがったぞよ。 トリン 化物、俺は、身體《からだ》中、馬の小便臭くなッちまった、で以て、 乃公《おれさま》のお鼻は、非常にお逆鱗だ。 ステフ 俺の鼻だって然うだ。やい、化物てば?若し俺が汝《きさま》に對して、 御立腹遊ばしたりといふと、……見ろ…… トリン うぬの首は其肩に附いちゃァゐねえぞ。 キャリ 殿さま、どうか、さういはんで、もう少《ちッ》との間 忍耐《がまん》してゐておくれよ、 今に俺が好い物を奪《と》って來てやるから、さうすると、 今までの事ァ忘れッちまふから。だから、大きな聲ィしないで。 ……(四方を見廻して)まるでまだ夜中のやうに闃《しん》としてゐら。 トリン 何がなんでも、貴重《だいじ》の酒壜《とっくり》を池の中へ落下《おッこと》してしまふなんてのは…… ステフ 恥や不名譽を受けたばかりぢゃァねえぞ、化物、 此方共《こちとら》ァおッそろしい損害を蒙ったのだぞ。 トリン ずぶ濡れになったばかりだとは言はせないぞ。 それでも、汝《きさま》の許《とこ》の精靈は、惡い事をしないか?やい、化物。 ステフ 俺ァ往って、あの壜《とっくり》を取って來よう、 耳まで潛《もぐ》ったって關《かま》はねえから。 キャリ おい、王さま、靜かにしとくれよ。御覽よ、これが窟《いはや》の入口だに。 音をさせないでお入りよ。さ、好い惡い事をしとくれよ、 さうすりゃ、此島は永久《いつまで》も汝《おのし》の物になるから、 さうして俺は汝《おのし》の家來になるから。 ステフ さ、手をよこせ。(キャリバンと握手して)殘酷なことをやッつける氣になって來たぞゥ。 此中にトリンキュローが菩提樹の枝々に掛けてある金ぴかの衣裳を見附ける。 トリン おゝ、王さん/\、ステファノー!おゝ、おッ殿さんと言やがらァ! おゝ、お立派なステファノー樣々々だ!御覽なさい、こりゃ素的《すてき》なお衣裳部屋でございますよッ! 木に立寄りて一二著を取下す。 キャリ うッちゃっときなよ、馬鹿。そんなものァつまらん。 トリン おほゝう、化物ッ!……へん、かういふお古さんが、うんと物になるんだい、 ……おゝ、どうです、ステファノー陛下! と其一枚を著用しようとする。 ステフ そりゃァ此方《こッち》へよこせ、トリンキュロー。 それは是非俺が被《き》る。 トリン へい/\、さしあげます。(と渡す。) 此中キャリバンは呆れて二人の樣子を見てゐる。 キャリ (トリンキュローに)水腫《みづぶくれ》にでも罹《かゝ》りゃがれ、此馬鹿! こんな下等《やくざ》な物に目ェくらんで如何《どう》するんだ? 先きへ人殺しをしなよ。彼奴《あいつ》が若し目ェ覺すと、 頭から足の先きまで、俺達の身體《からだ》中を抓《つめ》[誤?:《つね》]ってふくれあがらしてしまふから。 ステフ 靜かにしろ、化物。……(木に向ひ)えゝ、菩提樹さま、 これは手前の下被《したぎ》ではございませんか?…… (と一枚の下被を取下して)下被《したぎ》は好きなり御意はよしッ。 おッと、もう一枚お重ね/\、とは如何《どう》だ? トリン よう/\!盗賊《どろばう》さまのお通行《とほり》だぞ、…… 下被々々《したぎ/\》!下被《したぎ》取らうッ、とは如何《いかゞ》でございませう? ステフ 有りがたい、うまい洒落だ。(又一枚取下して)褒美に之を遣《つか》はす。 聰慧《りこう》な奴には、是非賞を與へんけりゃならん、俺が此國の王である以上は。 「下被々々《したぎ/\》!下被《したぎ》取らう」はよかった。 (又一枚取下して)さ、もう一枚褒美に遣る。 トリン やい、化物、汝《きさま》もこゝへ來て、此木から衣服《きもの》を悉皆《きれい》に取去ってけ。 キャリ 俺ァそんなものァ取らない。うか/\してると時が經って、 今に皆な馬鹿ァな雁《がん》の鳥にされッちまふ、 ぴしゃんこ額《びたひ》の尾無し猿にされッちまはァ。 ステフ やい、化物、手を借せ。これを俺の酒樽の在る處へ手傳って持ってけ。 持ってかんと、俺の王國から逐ひ出しッちまふぞ。えゝ、持ってけといふに。 トリン これも持ってけ。 ステフ さうだ、これも。 だしぬけに獵師らが獵犬を使嗾《しそう》する時の叫び聲が聞える。 種々の精靈が種々の猛犬に化現して駈け出で來りて、ステファノーらに襲ひかゝる。 三人は狼狽して逃げ廻る。プロスペローとエーリエルとは獵犬を嗾《けしか》けて三人を追ひ惱ます。 プロス へィい!マウンテン!へィい! エリエ シルワ゛ー!そらァ、そらァ!シルワ゛ー! プロス フューリー!フューリー!そらッ!タイラント!そらッ!おしッ!おしッ!…… キャリバン、ステファノー、トリンキュローこけつまろびつして、逃げて入る。 (エーリエルに)さ、魑魅《こおに》共に吩咐《いひつ》けて、 彼奴《あいつ》らの五體の節々を、石臼で挽き摧《くだ》くやうに、 激しく痙攣させろ。奴らの筋肉を、まるで老病者のやうに引釣らせろ。 奴らの皮膚の色を豹や山猫のやうに紫點《むらさきまだら》にしろ。 エリエ あれ、あんなに吠えてゐます! プロス しっかりやッつけろ。怨みある奴らは、どいつも、こいつも、 最早《もう》おれの手中に在る。もう直に俺の爲事《しごと》も終局《しまひ》になる、 すれば何處へでも行かれるやうにして遣る。もう少しの間ぢゃ、 從《つ》いてゐて奉公しろ。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30 颶風 : 第五幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第一場 プロスペローの窟《いはや》の前。 プロスペロー法服にて、エーリエルを從へて出る。 プロス いよ/\仕組通りに進んで來た。術にも破綻なく、 精靈もよく命令を奉じ、「時」も、俺が割り當てゝ置いた通りに、 事を運んだ。もう何時ぢゃ。 エリエ もう直に六時。六時になれば、爲事《しごと》は終局《しまひ》ぢゃといはしゃりましたなァ。 プロス さう言った、最初 颶風《あらし》を起した時分に。やい、精霊《すだま》よ、 王や近侍の者は如何《どう》してゐる? エリエ お吩咐《いひつけ》の通りに、一つ處に押込めて、そのまゝにしておきました。 窟《いはや》の防風《かぜよけ》の、菩提樹の杜の中に、皆な捕虜にしておきました。 王も、王の弟も、貴下《あなた》の弟さんも、皆な亂心してゐますから、 他の者は狼狽《うろた》へて歎いてゐます。其中でも貴下《あなた》が君子人のゴンザローとお呼びなさる老人は、 茅屋根の氷柱《つらゝ》のやうな涙をぽた/\と髭に垂らしてゐます。 術が些《ちッ》と利き過ぎました、若し今御覽なされたら、 憫然《かはい》さうだもお思ひなさりませう。 プロス 精霊《すだま》を[誤?:精霊《すだま》よ]、汝《おのし》は如何《どう》思ふ? エリエ 若し人間であったら、憫然《かはい》さうだと思ひませう。 プロス 俺もさう思ふであらう、あゝ、空氣に外ならぬ汝《おのし》でさへ、 彼らの苦しむのを見て、哀れと感ずるのに、彼らと同じ人間と生れて、 同じ鋭い悲しみを味ひ得る俺が、汝《おのし》よりも、同情が乏しうて何としよう? 非道にも俺を苦しめをった其怨みは骨髓に徹してゐるが、 高尚な理性の勸告《すゝめ》に隨《したが》って、復讐の念を抑へ、 怨みに報ゆるに徳を以てしようと思ふ。後悔した以上は、 もう敢て懲しめるにも及ばん。エーリエルよ、往って放免してやれ。 俺は術を釋《と》いて、彼らを元の通りに正氣に復《かへ》してやらう。 エリエ すぐに引ッぱって來ませう。 エーリエル入る。 プロス (一段聲を高めて)やァ/\、汝、精霊《すだま》らよ、四方《よも》の丘の、 四方《よも》の小川の、四方《よも》の池沼《いけぬま》の、四方《よも》の杜の精霊《すだま》らよ、 寄せては返る海の浪に戯れながら、其 眞砂原《まさごはら》に足跡を殘さぬ魑魅《こおに》共よ、 かの雌羊すら食《は》まぬといふ味苦き草の輪を月の牧場に製《つく》るといふ尺にも足らぬ精霊《すだま》らよ、 嚴肅な夜半鐘《やはんしょう》の音《ね》を喜び、 夜の間に菌《きのこ》を醸《かも》すことを慰樂《なぐさみ》にする精霊《すだま》らよ、 われ此 年來《としごろ》汝らの幇助《たすけ》によって、…… 汝ら自らは微力の者なれども……或ひは眞晝の太陽を暗黒にし、 或ひは暴逆なる風を呼び起して、蒼海《さうかい》と碧空《へきくう》との間に、 轟きわたる大戰《おほいくさ》を開始した事もあれば、 怖ろしう霹靂《へきれき》に火[火|(ク/臼);u7130]《ほのほ》を與へて、 ヂョーヴ神の太く逞しい槲の木を、かの神自身の大石斧《おほまさかり》を以て、 眞二つに引裂いたこともあった。大磐石《だいばんじやく》の巖《いはほ》の岬を震動させた事もあれば、 松杉の大木を根こそぎにしたこともある。俺が號令すれば、 幾多の墓穴が口を開いて、そこに眠ってゐた亡者らが、わが法力によって駈け走ったこともある。 併《しか》しながら、此 猛《たけ》しい妖術を、俺は今日かぎり、棄てようと思ふ。 で、おのし等に或神聖な音樂を奏せしめた後に…… それは彼らを正氣に復《かへ》らせるための呪法《まじなひ》なのぢゃが、…… 俺は此杖を折り、それを幾十丈も下の地中に埋め、それから、 俺の此 書《ほん》を、測量鉛の曾《かつ》て達《とゞ》いたことも無い程の深い海底へ沈めようと思ふ。…… 莊嚴な音樂が聞える。 エーリエル先きに立ちて王の一群を誘ひつゝ出る。 すぐ後よりアロンゾー王、狂人らしき科介《しぐさ》をなしつゝ出る。 ゴンザローは泣く/\それを介抱して出る。つゞいてセバスチヤンとアントーニオー、 これも同樣の有樣にて、エードリヤンとフランシスコーとに介抱されて出る。 これより先き、プロスペローは魔法杖を以て地上に大きなる輪を畫《ゑが》くことあり。 三狂人は此輪の中に歩み入ると同時に呪縛されて停立《ていりつ》する。 それを見てプロスペロー口を開く。 莊嚴な音樂ほど亂れた心を慰めるに適したものはない。 頭の中で幾ら煮え沸《かへ》っても役にも立たぬお主の其腦膸が、 どうか此音樂で治るやうに!さうして突ッ立ってゐなさい、呪縛が懸ってゐるから、 どうせ動かれはせん。……君子人のゴンザローよ、 お前が泣いてゐるのを見ると、つい、同感して、予《わし》の目からも涙が落ちる。…… 呪縛が見てゐる間《うち》に釋《と》ける。恰《ちょう》ど朝の光りが、 夜の暗《やみ》を漸次《だん/\》溶しつゝ忍び寄って來るやうに、 囘復しかけた正氣が、朗《ほがら》かな理性を掩うてゐる無明の雲霧を逐ひ拂ひをる。 ……あゝ、予《わし》の爲には恩人、その君には忠臣のゴンザローどの、 今に舊恩を謝しますぞ、口でも、又、行爲《おこなひ》でも。…… 殘忍に吾々 父子《おやこ》を取扱うたアロンゾーどの、その後援《しりおし》はお主の弟のセバスチヤンぢゃ。 ……やい、セバスチヤン、その報いが來たのぢゃぞ。……骨肉を分けた眞實《げんざい》の實弟《おとうと》、 おのれ、非道の大望を抱いて、慈悲をも人情をも抛擲《はうてき》して、 そのセバスチヤンと諜《しめ》し合せ、……それが爲に彼奴《あいつ》は一段と良心の苛責を受けるのぢゃ ……こゝで王を殺さうとしをった。非道な奴ではあるが、俺は汝《きさま》をも赦してやる。 ……だん/\分別が戻って來るらしい。溷濁《こんだく》してゐる彼らが心の岸頭《がんとう》に、 今に理性の上潮が打寄せるであらう。まだ一人も俺を見ん、氣が附かぬらしい。 ……エーリエルよ、窟《いはや》へ往って、帽子と劍を取って來い。(エーリエル入る。) 此 衣服《きもの》を脱いで、ミラン公爵の昔の姿を現はさう。…… (窟の方に向ひて)精霊《すだま》よ、速く。もう直ぐ放免してやる。 エーリエル命ぜられたる帽子と劍とを携へて、下《しも》の歌を口ずさみながら出で來り、 プロスペローを助けて衣裳を著更《きか》へさせつゝ歌ふ。 エリエ (歌ふ。) 蜂と一しょに花の蜜吸うて、 九輪ざくらの酒盞《ちょこ》に臥《ね》てゐて、 臥床《ねどこ》で梟《ふくろふ》の啼くのを聞かう。 大蝙蝠《おほかうもり》の背中に乘って、 夏の後追うて、愉快に/\、 愉快に/\、これから暮そ、 枝を垂れてる其花かげで。 プロス さう、それでよい、うい奴ぢゃ!汝《おのし》が居なくなると、 困るであらうが、併《しか》し暇を遣る。さう/\、それでよい。 ……さ、王の本船《もとぶね》へ、その見えぬ姿のまゝで。 ……船底に水夫共が熟睡してゐる、船長と水夫長は、目を覺してゐようから、 こゝへ引ッぱって來てくれ。よいか、今直ぐに。 エリエ 風を切って飛んで往って、脈が二つとは搏《う》たんうちに戻って來ます。 エーリエル急いで入る。 ゴンザ 有る限りの苛責や苦痛《くるしみ》や不思議や驚駭《おどろき》が、 此處には存在してゐる。何神《なにがみ》かのお力を以て、 何卒《なにとぞ》此怖ろしい島から、私共をお救ひ出し下されませ! プロス アロンゾー王よ、虐待されたミランの公爵プロスペローを御覽なさい。 わたしは生きてゐるといふ證據に貴下《あなた》を抱きますぞ。 さうして御一同を眞實に歡迎します。 アロン 全く其人であるのやら、又は、先刻以來吾らを誑《たぶらか》す怪しい者であるのやら分らんが、 お前さんの脈は、どうやら生きてゐる人のやうに摶《う》ってゐる。 お前さんに逢うてからは、心の惱みが薄らぎました。 わしは氣が狂うてをったらしい。若しこれが夢でないならば、 不思議な由來《いはれ》のあることに相違ない。 貴君《おてまへ》の所領地は悉《こと/\゛》く返却致して、 此方《このはう》の舊惡を宥恕《いうじょ》せらるゝやう願ひまする。 ……が、どうしてプロスペローどのが、存生《ぞんじゃう》せられて、 こんな處にはをられるか? プロス (ゴンザローに)まづ第一に御老人よ、お前さんを抱きますぞ、 現世に類《たぐひ》のない君子人。 ゴンザ 夢とも現《うつゝ》ともわきまへかねまする。 プロス 先刻手品料理を賞味《めしあが》ったので、其癖が脱けきらぬと見えて、 實物《ほんもの》を見せても信用なさらん。……どなたもようお出でなされた。…… が、(セバスチヤンとアントーニオーに)お前たち二人の衆は、 わしの料簡次第で叛逆人たるの證據を擧げて、王の逆鱗を招かせることも出來るが、 今は默ってゐてやる…… セバス (傍白)ありゃ惡魔が言ってるのだ。 プロス ……今は。……(改めてアントーニオーに)汝《きさま》は、 弟と呼ぶさへも舌の穢れと思ふ程の非道人ぢゃが、汝《きさま》の甚しい罪惡をも赦してやる ……悉《こと/\゛》く。で、俺の所領を返せ。否《いな》とはいはさぬぞ。 貴下《あなた》がプロスペロー殿であるなら、存生《ぞんじゃう》せられた仔細を、 どうしてこゝでお目に懸ることゝなったかを、お話し下さい。吾らは、 三時間前に此濱邊で難船して、貴重《だいじ》の倅《せがれ》を亡《うしな》ひました…… 思ひ出すたびに苦痛の種でござる! プロス それはお氣の毒なことぢゃ。 アロン とりかへしの附かぬ損失で、忍耐の神の力を以ても此心の傷《やぶ》れは癒しがたうござる。 プロス いや、多分、忍耐の神の助けを、まだ十分にはお求めなさらぬのであらう。 わしはそれと同じやうな經験を、忍耐の力で慰めてゐます。 アロン え、貴下《あなた》も同じやうな經験? プロス 恰《ちょう》ど近頃《ちかごろ》、恰《ちょう》ど同じやうな。 さうして、其大きな不幸《ふしあはせ》を堪《こら》へ忍ぶ方便は、 ずっと貴下《あなた》よりも乏しいのぢゃ。わしは女兒《むすめ》をなくしました。 アロン え、娘御を!やれ/\!あゝ、二人を生かしておいて、ネープルズの王、妃にしたかった! まゝにならぬものなら、わたしが倅《せがれ》に代って海底の藻屑になりたかった。 ……何時娘御をお亡しなされた? プロス つい先刻の大あらしで。…… ゴンザローをはじめ一同が尚ほ茫然としてゐるのを見て、 最初はアロンゾーに、次ぎが一同に向ひて 諸卿は此邂逅に驚いて、分別力を失ひ、おのが目の働きの眞僞をさへも疑ひ、 自身の言葉をも實《まこと》の聲でないやうに思ってをられるらしいが、 お前さんがたの神經は如何《どう》なってゐようと、わしは間違ひなくプロスペローぢゃ、 ミランから嘗《かつ》て追放された其公爵ぢゃ。不思議にもお前さんがたが難船せられた其同じ岸邊に上陸して、 此島の主人《あるじ》となったのぢゃ。……が、此話は、ま、後廻しにしよう。 これは日を續《つ》いで話すべき事柄で、迚《とて》も朝餐時《あさめしどき》の話ではない、 又、逢ふや否《いな》や語るべき事でもない。……(アロンゾーに)ま、ようこそ。 此 窟《いはや》がわしの宮殿、近侍とても、ほんの一人か二人、 臣民と稱するもおは窟《いはや》の外には一人も無い。窟内《なか》を御覽じて下さい。 わしの領分を返して下すったから、善い物をお報いに獻じます。 少くも、わしが滿足したほどに貴下《あなた》が滿足なさるべき不思議の物を御覽に入れませう。 窟《いはや》の入口が開くと、 其奥にてファーディナンドとミランダとが睦《むつま》じげに將棋を玩《もてあそ》んでゐるのが見える。 ミラン あれ、いけませぬ、貴下《あなた》は欺瞞《ごまかし》をなされます。 ファー とんだことを、決して全世界が貰へても、欺瞞《ごまかし》なぞはしません。 ミラン 世界が取れるものなら、欺瞞《ごまかし》をなされてもよからうと思ひます。 アロン (駭き呆れて)あゝ、これもまた此島の幻象《まぼろし》であるのなら、 貴重《だいじ》の倅《せがれ》を二度目亡する悲しみを見ねばならん。 セバス 實に、どうも、不思議な事だ! 此中にファーディナンドらも心附きて此方《こなた》を見る。 ファー 威《おど》しはしても海は存外情け深い、わたくしは故なく海を呪うてゐました。 ファーディナンドは進み出でて父王の前に跪く。 アロン 喜ぶ父親の祝福の有る限りを以てして其方《そなた》の身邊《しんぺん》を圍繞《ゐねう》させうぞ! さ、起って、どうして此處へ來たのかを話しなさい。 ミラン まァ!不思議な!おゝ、まァ、多勢の立派な生類《せいるゐ》! 人間といふ者は、まァ、何といふ美しいものぢゃ! かういふ人達の住んでゐる處は、まァ、どんな見事な、新奇《めづら》しい世界であらう! プロス さやう、其方《そなた》には新奇《めづら》しからう。 アロン 其方《そなた》と今遊んでゐたあの娘は何者ぢゃ! 上陸後の知交《しりあひ》なら、三時間とは經たぬ筈ぢゃが、 あれは、吾々を引離したり、一しょにしたりした女神《にょじん》でゝもあるのか? ファー 父上、あれは人間でござります、が、神の摂理に任せて、 私の妻にいたしました。私は、父上の御意を拜承《うけたま》はることの出來ぬ場合に、 いや、父上を御存生《ごぞんじゃう》とも信じかねました際に、 あれを妻に擇びました。すなはち、 豫《かね》て[尸/婁;u5C62]々《しば/\》其名は聞きながら曾《かつ》て對面しませなんだ元のミラン公爵の姫君なのでござります。 そのミラン公のお庇《かげ》で私は一命を助けられ、此姫の故に、 公爵をば父と呼ぶのでござります。 アロン では、わしはその姫の父となる理《わけ》ぢゃが、 あゝ、何といふ逆《さかさ》ま事ぢゃ、親が子に詫びをせねばならぬわい! プロス ま、暫く。過ぎ去ってしまうた事なぞを思ひ出して、 心をばお苦しめなさるな。 ゴンザ 獨り心中で泣いてをりましたので、つい、口をば能《え》ィ開きませなんだ。あゝ、神々よ、 何卒《なにとぞ》此お二人の御 頭《かうべ》に幸《さち》多き寶冠《はうくわん》を下させられませい、 私共をこれへ導かせられましたは尊神達《あなたがた》でござります故に! アロン アーメン!ゴンザローよ、わしも祈りを添へまするぞ。 ゴンザ あゝ、ミラン公が嘗《かつ》てミランから流され人になられたは、つまり、 其御子孫がネープルズ王となられる爲であったか?おゝ、竝々《なみ/\》のめでたさ以上の此お慶《よろこ》び! 純金の文字を以て、不朽の石の柱に斯う刻《ほ》り附けさせませう。…… 「これはさる船旅の出來事なり、姫クラリベルはチューニスにて良縁の夫を得、 兄のファーディナンドは溺死をまぬかれて良き妻を得たり、又、 プロスペローは孤島に在りて公領を復し、吾等一同は、 一たび吾れを失ひけるが、やがて又吾れを復しぬ。」 アロン (ファーディナンドとミランダに)手をお貸し。 お前がたの幸福を願はざる者には、天よ、悲しみを下したまへ! 惱みを下したまへ! ゴンザ 何卒《なにとぞ》その通りに!アーメン!…… エーリエル、船長と水夫長とを誘ひつゝ出る。二人は茫然として驚き呆れたる體《てい》にて從《つ》いて出る。 あゝ、あれを御覽なされ!あれへ又お船の者共が參りました! 果して手前が豫言いたした通りでござります、陸《くが》に絞罪臺のある限りは、 あいつめ海で死ぬやつではござりませんて。……やい、罰當りの口惡男め、 甲板ではさん/\゛の惡口を竝《なら》べをったが、 陸《くが》では其口が開けられんか?……何の報告《しらせ》ぢゃ? 水長 へい、第一等のお報告《しらせ》は、王さま始め御一同が御無事といふ事でござります。 其次ぎは、つい三時間前までは、毀《こは》れたとばかり思ってをりました御本船が、 はじめて乘出しました時とおんなじに、堅固で活[さんずい|發;u9F51]で、 綱具《つなぐ》一つ不足してはゐないといふことでござります。 エリエ (プロスペローに)みんな私がしたのでござります。 プロス (エーリエルに傍白)器用な奴ぢゃ! アロン どれも、これも、尋常普通の事ではないわい。いよ/\出でていよ/\不思議ぢゃ。 こりゃ、汝《きさま》らは如何《どう》してこゝへ來た? 水長 起きてゐたのなら詳しくお話し申すのでござりますが、 死んだやうに寢込んで……どうしてだか存じませんが…… みんな艙口《かんぱん》下へ叩き込まれてゐましたのでござります。 ところが、つい今がた、唸るやうな、叫《わめ》くやうな、いろんな騒々しい、 おそろしい物音が聞えましたので、目を覺しますと、 すぐに身體《からだ》が自由になりました。見ると、御本船は、 もとの通り何の故障もなく立派になってゐますので、船長は喜んで夢中に跳ね廻ってをりますと、 宛然《まるで》夢のやうに、ふいと、他の奴等と分れて、へい、 こんな阿呆面《あはうづら》ァして、此處へ參ったのでござります。 エリエ (プロスペローに傍白)出來しましたか、え? プロス (エーリエルに傍白)えらい/\、感心々々。暇を遣るぞ。 アロン 人間の曾《つひ》ぞ辿ったこともない實に不思議な八重襷路《やへたすきみち》とも評すべきぢゃ。 これには道理を以て律すべからざる原因があるに相違ない。 神託でも乞はんければ、説明は附くまいわい。 プロス あゝ、王よ、あまり此事の不思議なのにお心をお勞しめさるな。 軈《やが》て、機《をり》を見て、さしむかひで、成程と貴下《あなた》が會得なさるやうに、 事件を説明をいたしませう。ま、それでは、愉快になされて、 一切無事とお思ひなさるがよい。……(エーリエルに)こゝへ來い、 (傍白)キャリバンや他の奴等も放免してやれ。呪縛を釋《と》いてやれ。 (エーリエル入る。) アロンゾー王は尚ほ頭《かしら》を垂れて考へてゐる。 (アロンゾーに)どうなされたな?お忘れなされてゞあらうが、 まだ一兩人、御家來衆のうちで、風變りなのがゐなくなってゐる筈ぢゃが。 エーリエルに驅り立てられて、キャリバン、ステファノー、トリンキュロー、 最前、盗みたる綺羅《きら》を身に纒ひたるまゝにて、尚ほ泥醉の體《てい》にて出る。 ステフ エヘン、人はおの/\須《すべか》らく衆他《しゅうた》の爲に盡しべし、 自己の爲なんかは一切 關《かま》ふべからず、何となれば何事も運なればなり、 とけつかる。……やい、奮發しろ、化衆《ばけしゅう》、奮發しろ。 トリン (プロスペローらを見て)まてよ、おれの此頭の眼が、 眞實《ほんとう》に役に立つのなら、あそこに素的《すてき》な者がゐるぞよ。 キャリ あれッ!どうだ、まァ!何て立派な精靈共だ彼等《あれ》ァ! 旦那のあの綺麗な裝《なり》は如何《どう》だ!あゝ、奴め懲罰《しおき》をしさうだ。 セバス はゝはゝはゝ!アントーニオーさん、え、あいつらは何だらう? 見世物にならうかね? アント いかにも。あの中の一疋は宛然《まるで》魚だ。大丈夫 賣物《うりもの》になりますよ。 プロス 皆さん、あいつらの身に著けてゐるものを御覽なされて、 彼等の人柄を御判斷なさい。……あの不具者は……あいつの母は魔法使ひで、 月を自由にひきゐて、おのが實力以上に、 勝手ほしいまゝに潮の満干《みちひ》をもさせ得る程の通力《つうりき》のあった奴 ……此奴《こいつ》等がわしの物を盗みをったのぢゃ。さうして此半惡魔めは…… あれは惡魔の私生兒ぢゃが……あの二人と協謀して、わしを殺さうとしをりました。 あの二人は貴下《あなた》の御家來で、よう御承知の筈ぢゃ。 あの見っともない奴はわたしのぢゃ。 キャリ こりゃ必然《きッと》抓《つね》り殺されさうだ。 アロン あれはステファノーではないか、酒に目のない膳部係りの? セバス 今も醉ってゐる。奴、どこで酒を手に入れたか? アロン トリンキュローも千鳥足ぢゃ。どこで百藥の長にありついたか、 如何にも健《すこや》かさうな、赤い面《かほ》をしてをるわい。 やい、どうしてさういふ爲體《ていたらく》になりをったのぢゃ? トリン 決して大《でい》だらくなんかいたしません。 よっぽど進歩致しました。顏色も、此通り、色上げをいたしました。 セバス (ステファノーの肩に手をかけて)ステファノー、やい、如何《どう》した? ステフ あゝ、觸っちゃいけません。痛え/\!わたしは、ステファノーぢゃなくって、 痙攣の塊りなんだから。 プロス 汝《きさま》は此島を押領《あふりゃう》しようとしたであらうが? ステフ 押領《あふりゃう》しなくってせえ如是《これ》だ、したら、 此上、如何《どん》なに痛み入ったか知れたもんぢゃァねえ。 アロン (キャリバンを指ざして)あの者はわたしらの未だ曾《かつ》て見たこともない奇異《ふしぎ》なものぢゃ。 プロス あいつは、姿の不具《かたは》な通りに、行ひも不具《かたは》な奴でござる。…… やい、窟《いはや》の中へ往け。そいつらを一しょに伴れて往け。 赦して貰ひたければ、手際よくそれを始末しておけ。 キャリ あい/\。これからは怜悧《りこう》になります。俺堪忍して貰ふよ。 (ステファノーを見返りて)俺まァ何て馬鹿だったか、あんな醉ひどれを神樣だと思って、 あんな馬鹿者を拜んだりなんかしてゐた! プロス さァ、早く往け! アロン (ステファノーに)早く往って、元の處へ戻して來い、拾って來た其品々を。 セバス 盗んで來たと言ったはうが當然だ。 キャリバン、ステファノー、トリンキュロー入る。 プロス 王も、陪從《おつき》のかた/\゛も、どうか、むさくるしいが、 あれなる窟《いはや》へお入りあって、御休息下されたり。今晩《こよひ》の幾分は…… わたしの身の上や此島へ來てからの一部始終や……積る物語に費して、 時の經過の速いのを驚きませう。さうして明朝は、船へ諸君《みなさん》を案内し、 すぐさまネープルズへお送り致し、あちらで此二人の婚禮を執行し、 それからわたし自身は、故郷のミランへ退いて、それからは、毎日、 只もう、墓へ入る支度をしようと思ひます。 アロン 來し方のお話が、是非承はりたい、さぞ耳を驚すことでありませう。 プロス 殘らずお話し致しませう。又、お歸りの船路は、必ず和《なぎ》で、 順風で、萬事好都合であるやうにさせませう。……エーリエルよ…… 小僧よ……これは汝《おのし》の役目ぢゃぞ。それが濟むと、空中へ放して、 おさらばにしてやる!……さ、どうぞ、こちらへ。 プロスペロー先きに、皆々從《つ》いて入る。 閉場詞 プロスペロー述ぶ。 これで私の妖術は悉《こと/\゛》く破れたのでござります。 殘った私自身の力量は、極めて微々たるものでござります。 隨《したが》って、貴下《あなた》がたがこゝに私をお禁錮《おしこめ》なさるとも、 またはネープルズへお送り遊ばすとも、御隨意なのでござります。 私は領地を囘復致して、欺《だま》した奴を赦し遣《つか》はしましたのでござりますから、 貴下《あなた》がたの御妖術で、此裸島にお禁錮《おしこめ》になることは御免を蒙りたいものでござります。 どうか、御好意のお手拍子を以ちまして、私を仲間の者から御放免下されますやう。 貴下《あなた》がたのお優しいお息がかゝりませんでは、 船の帆がふくらみません、ふくらみませんと、私の目的が失敗に了りまする、 と申すのは、お娯《たの》しませ申すことが出來ません。 今は最早《もう》追ひ使ひまする精靈共も居りませず、 神通力も無いのでござりますから、諸君《みなさん》のお祈[しめすへん|壽;u79B1]《いのり》を ……大慈悲の御耳にも達《とゞ》きまして、 一切の罪業を消除《せうぢょ》し下しおかれまする程のお祈[しめすへん|壽;u79B1]《いのり》を ……いたゞきませんでは、私は絶望を結局とせざるを得ないのでござります。 罪惡の宥恕《いうじょ》を願はせられまする以上は、どうか、私めを御寛大に御放免下さりませい。 プロスペロー入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30