シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:目次 ------------------------------------------------------------------------------- 坪内逍遙(1859-1935年)訳のシェークスピヤ(1564-1616年)作「ロミオとヂュリエット」です。 底本:昭和八年十月廿五日印刷、昭和八年十月三十日發行の中央公論社版、新修シェークスピヤ全集第二十五卷。 ------------------------------------------------------------------------------- ロミオとヂュリエット シェークスピヤ 作 坪内逍遙 譯 * 登場人名 * 序詞 * 第一幕 第一場 * 第一幕 第二場 * 第一幕 第三場 * 第一幕 第四場 * 第一幕 第五場 * 第ニ幕 第一場 * 第ニ幕 第二場 * 第ニ幕 第三場 * 第ニ幕 第四場 * 第ニ幕 第五場 * 第ニ幕 第六場 * 第三幕 第一場 * 第三幕 第二場 * 第三幕 第三場 * 第三幕 第四場 * 第三幕 第五場 * 第四幕 第一場 * 第四幕 第二場 * 第四幕 第三場 * 第四幕 第四場 * 第四幕 第五場 * 第五幕 第一場 * 第五幕 第二場 * 第五幕 第三場 ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:登場人名 [目次] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 登場人名 * エスカラス、・ローナの領主。 * パーリス、領主の親族、年若き貴公子。 * キャピューレット、モンタギュー、相確執せる二名族の長者。 キャピューレットが一族の一老人(叔父)。 * ローミオー、モンタギューの息。 * マーキューシオー、領主の親族にしてローミオーの友。 * ベン・ーリオー、モンタギューの甥にしてローミオーの友。 * チッバルト、キャピューレットが妻の甥。 * ロレンス法師、フランシス派の僧。 * ヂョン、同じ派の僧。 * バルターザー、ローミオーの下人。 * サンプソン(或ひはサムソン)、グレゴリー、キャピューレット家の下人。 * ピーター、ヂューリエットが乳母の下人。 * エーブラハム、モンタギューの下人。 * 藥種屋の老人 * 樂人甲、乙、丙。 * パーリスの侍童《こしやう》。他の侍童《こしやう》。警吏一人。 * モンタギュー夫人、モンタギューの妻。 * キャピューレット夫人、キャピューレットの妻。 * ヂューリエット、キャピューレットの女。 * ヂューリエットの乳母。 其他・ローナの市民。兩家の親族。假裝舞踏者、門衞、番衆、侍者等。 * 序詞役。 場所 ・ローナ。マンチュア。 (本文は、譯詞との釣合ひ上、固有名詞の發音に手心を加へたる部分あり。 但し爰《こゝ》に録したるものが最も正しきに近しと知られたし。) [目次] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:序詞 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 序詞 序詞役《じよしやく》出る。 序詞役 威權《いけん》相如《あいし》く二名族《めいぞく》が、 處《ところ》は花の・ローナにて、 古き怨恨《うらみ》を又も新たに、 血で血を洗ふ市内鬪爭《うちはげんくわ》。 かゝる怨家《えんか》の胎内より薄運《はくうん》の二情人《じやうじん》、 惡縁慘く破れて身を宿怨と共に埋《うづ》む。 死の影の附纒《つきまと》う危《あやふ》き戀の履歴、 子等が非業に果てぬるまでは、 如何にしても解けかねし親々《おや〜》の忿《いかり》、 是《こ》れぞ今より二時間の吾等《われら》が演劇、 御心《みこゝろ》長く御覽ぜられさふらはゞ、 足《たら》はぬ所は相勵《あいはげ》みて償《つぐの》ひ申さん。 序詞役《じよしやく》入《はひ》る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第一幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第一場 ・ローナ。街上《がいじやう》。 カピューレット家の下人サンプソンとグレゴリーとが劍と楯とを持って出る。 サン やい、グレゴリー、誓言《せいごん》ぢゃ、こちとらは石炭《コール》なんぞは擔《かつ》ぐまいぞよ、假《かり》にも。 (不面目な賤しい仕事なんぞはすまいぞよ)。 グレ さうとも〜、そんな事をすりゃ、奴隸《コーリヤー》も同然ぢゃわい。 サン いやさ、俺が癇《コーラー》に障《さは》るが最後、すぐにも引ッこ拔いてくれようといふンぢゃ。 グレ さうよなァ、頸根ッ子は、成ろうなら、頸輪《コラー》(首枷)から引ッこ拔いてゐるがよいてや。 (罪人にはならぬがよいてや)。 サン 俺が腹を立ったとなりゃ、忽《たちま》ち(敵手《あひて》をば)眞二つにしてくれる。 以下、口合(パニング)は邦語に直譯して通ぜざれば、意を取りて義譯す。後段にも斯《か》かる例しば〜あるべし。) グレ ところが、其《その》立つまでが手間が取れうて。 サン 何の、すぐ立つわい、モンタギュー家の飼犬《かひいぬ》を見たゞけでも。 グレ はて、立つと言へば不動《ゐすわり》ぢゃがや。不動《ゐすわり》は立往生ぢゃ。 出向うて往《ゆ》かけんけりゃ鬪爭《けんくわ》にァならぬわい。 サン はて、飼犬《いぬ》を見たゞけでも向うてゆくわい。 モンタギューの奴等と見りゃ、男でも女でも關《かま》うたことァない。 グレ へッ、關《かま》はいで放任《ほう》っておくのでがな、それが汝《おぬし》の弱蟲の證據《しようこ》ぢゃ。 サン したり。そこで、とかく弱蟲の女子《をなご》ばかりが玩弄《かま》はれまするとけつかる。 いや、俺は、野郎《やらう》をば抛《はふ》り出し、女郎《めらう》をば制裁《かま》はう。 グレ 鬪戰《たゝきあひ》は、主人衆《だんなしゆ》や吾等《おれたち》男共のすることぢゃ。 サン いざ鬪爭《けんくわ》となりゃ、そんな斟酌は要らんこっちゃ。 男共を叩きみじいたら、女共をもやっつけてくれう。 グレ やっつける? サン それ、彼奴等の「額《はち》」を打破《ぶちわ》ってくれうわい。意味は如何樣《どのやう》にも取らっせいよ。 グレ それは先方《あひて》の感じ次第ぢゃ。 サン はて、身に沁々《しみ〜゛》と感じようわい、俺も隨分と評判の女たらしぢゃに依《よ》って。 グレ へん、魚でなうて幸福《しあはせ》ぢゃわい、汝《おぬし》が魚なら、 女たらしでは無《な》うて總菜《そうざい》の鹽大口魚《しほだら》と來てけつからう。‥‥ (一方を見て)拔けよ(劍を)、モンタギューの奴等が來たわい。 此時《このとき》モンタギュー家の下人、エブラハムとバルターザーとが一方へ出る。 サン さ、拔いたわ、鬪爭《けんくわ》を買はっせい、尻押をせう。 グレ 何ぢゃ!尻に帆を掛ける? サン 心配すない。 グレ 何の、汝《おぬし》を! サン 此方《こち》の非分《ひぶん》にならぬやうに、先方《むかう》から發端《しか》けさせい。 グレ 行違《ゆきちが》ふ途端に睨みつけてくれう、如何《どう》思やがらうと關《かま》ふものかえ。 サン うんにゃ、如何《どう》爲《し》やがらうと關《かま》ふものかえ。俺は指の爪を噛んでくれう、 それで默ってゐりゃ恥さらしぢゃ。 雙方《さうはう》行違《ゆきちが》ふ。サンプソン指の爪を噛んで見する。 エブラ お手前《てまへ》は吾等《われら》に對《むか》うて指の爪を噛まっしゃったな? サン 如何にも爪を噛みまする。 エブラ 吾等《われら》に對《むか》うて噛まっしゃるのか? サン (グレゴリーを顧みて)然《うん》と言うても、理分《りぶん》か? グレ いゝや。 サン (エブラに對ひて)いゝや、足下《おぬし》たちに對《むか》うて噛みはせんが、噛む。 グレ こりゃ鬪爭《けんくわ》を賣らっしゃるのぢゃな? エブラ 鬪爭《けんくわ》!いや、決して。 サン 鬪爭《けんくわ》なら敵手《あひて》にならう。汝等《おぬしたち》には負けんぞ。 エブラ 勝ちもすまい。 サン むゝ。‥‥ と詰る。此時《このとき》上手《かみて》よりモンタギューの親族ベン・ーリオー出る。 グレ (サンプソンに對ひ、小聲にて)勝つわいと言わっせい。(下手を見やりて) あそこへ殿の親族の一人が來《わ》せた。 サン うんにゃ、勝つわい。 エブラ 嘘を吐《つ》け。 サン 拔け、男なら。グレゴリー、えいか、頼むぞよ、しっかり。 サンプソンとエイブラハムと劍を拔いて戰ふ。 ベン・ーリオー此體《このてい》を見て驅け來《きた》り、劍を拔き、割って入る。 ベン・ 待った〜!藏《をさ》めい劍を。こゝな向不見《むかうみず》が。 カピューレット長者の甥チッバルト下手より出る。 チッバ やア、下司下郎を敵手《あひて》にして汝《おぬし》は劍を拔かうでな? ベン・ーリオー、こちらを向け、命を取ってくれう。 と劍を拔く。 ベン・ いや、これは和睦させうためにしたことぢゃ。劍を藏《をさ》めい、でなくば、 其劍を以て予《わし》と共に、こいつらを引分けておくりゃれ。 チッバ 何ぢゃ、拔いてゐながら、和睦ぢゃ!和睦といふ語《ことば》は大嫌ひぢゃ、 地獄ほどに、モンタギューの奴等ほどに、汝《うぬ》ほどにぢゃ。卑怯者め、覺悟せい! 突いてかゝる。ベン・ーリオー餘儀なく敵手《あひて》になる。 此途端、兩家の關係者、双方より出で來り、入亂れて戰ふ。 市民及び警吏長等棍棒《クラツブ》を携《たづさ》へて出《い》で來《きた》る。 警吏長 棍棒組《こんぼうぐみ》よ、戟組《ほこぐみ》よ!打て〜!打据ゑいカピューレットを!モンタギューを打据ゑい! カピューレット長者寢衣《ねまき》のまゝにて、 其妻カピューレット夫人はそれを止《とゞ》めつゝ、出る。 カピ長 此騷動《さわぎ》は何事ぢゃ?やア〜、予が長い劍を持て、長い劍を。 カピ妻 杖をば、杖をば!何の爲に長い劍を? カピ長 えい、劍ぢゃといふに。見いあれを、モンタギューの長者めが來をって、 俺に見よがしに刄《やいば》を揮《ふ》りをる。 モンタギュー長者白刄《しらは》を堤《さ》げ、其妻モンタギュー夫人それを止《とゞ》めつゝ、出る。 モン長 おのれ、カピューレットめ!‥‥とめるな、放せ。 モン妻 鬪《たゝか》はう爲《ため》になら、一歩《ひとあし》でも出させますな。 領主の公爵エスカラス、從者多勢を引連れて出る。 領主 やア、平和を亂す暴人ども、同胞の血を以て刄金《はがね》を穢《けが》す不埒奴《ふらちやつ》‥‥ 聽きをらぬな?‥‥やア〜、汝等《おのれら》、 邪まなる瞋恚《しんに》の炎を己《おの》が血管より流れ出る紫の泉を以て消さうと試むる獸類《けだもの》ども、 嚴罰を怖るゝならば、其血腥《ちなまぐさ》い手から兇暴の劍を抛《なげう》ち、 怒れる領主が宣言《ことば》を聽け。 カピューレットよ、モンタギューよ、汝等《なんぢら》二人の由《よし》も無き爭論《あらそひ》が原《もと》となって、 同胞の鬪諍《とうぢょう》既に三度《みたび》に及び、市内の騷擾《そうぜう》一方《ひとかた》ならぬによって、 當・ローナの古老共、其身にふさはしき老實《ろうじつ》の飾《かざり》を脱棄《ぬぎす》て、 何十年と用ひざりしため、古び錆びついたる戟《ほこ》共を同じく年老いたる手々《てんで》に把《と》り、 汝等《なんぢら》が心に錆びつきし意趣の中裁《ちゆうさい》に力を費す。 爾後《じご》再び公安を亂るに於ては汝等《なんぢら》が命は無いぞよ。 今日《こんにち》は餘の者共は皆立退《たちさ》れ、カピューレットは予《よ》に從ひ參れ。 モンタギュー、其方《そち》は、此《この》午後《ひるご》に、尚《な》ほ申し聞かすこともあれば、 裁判所フリータウンへ參向《さんかう》せい。更《あらた》めて申すぞ、命が惜しくば、皆立退《たちさ》れ。 モンタギュー夫婦とベン・ーリオーだけ殘りて皆入る。 モン長 此舊《ふる》い爭端《さうたん》をば何者が新しう發《ひら》きをったか? 甥よ、おぬしは最初《はじめ》から傍《そば》にゐたか? ベン・ いや、私が參った頃には、敵の下人と御家來衆とがもう既に戰ふてをりました。 それを引分けうとて拔劍《ぬ》きましたる途端に、 彼《あ》のチッバルトの我武者《がむしゃ》めが劍を拔いて驅付け、鬪戰《たゝかひ》を挑み、 白刄《しらは》を揮廻《ふりまは》し、徒《いたづ》らに虚空をば斫《き》りまする程に、 風は習々《しふ〜》と音を立てゝ彼《か》れが不覺を嘲《あざけ》る風情《ふぜい》。 かくて互いに衝《つ》いつ撃《う》っつの折から、おひ〜多人數馳加《はせくは》はり、 左右《さいふ》に別れて戰ふ處へ、領主《との》が見えさせられ、左右《さう》なく引別《ひきわけ》と相成りました。 モン妻 おゝ、ロミオは何處に?(ベン・ーリオーに)今日《けふ》そなたは逢はしましたか? 此騷動に關係《かゝりあ》うてゐなんだは、ま、何よりも喜ばしい。 ベン・ さア、今朝、東の金の窓から朝日影のまだ覗きませぬ頃、胸の悶《もだへ》を慰めませうと、 郊外に出ましたところ、市からは西に當る、とある楓の杜蔭《もりかげ》に、見れば、 其樣《そん》な早朝《あさまだき》に、御子息が歩いてござる、近づけば、それと見て取り、 忽《たちま》ちのうちに杜の繁みへ。人目を避くるは相身互い、浮世を煩《うるさ》う思ふ折には、 身一つでさへも多いくらゐ、強《あなが》ち同志《つれ》を追はずともと、 只もう己《おの》が心の後をのみ追うて、人目を避くる其《その》人をば此方《こちら》からも避けました。 モン長 げに、幾朝も〜、未《まだ》乾《ひ》ぬ露に涙を置添へ、雲には吐息の雲を加へて、 彷徨《うろつ》いてゐるのを見掛けたとか。されども遠い東方《ひんがし》の、 曙姫《あけぼのひめ》の寢所《ねどこる》から、 あの活々《いき〜》した太陽が小昏《をぐら》い帳《とばり》を開けかくれば、 重い心の倅《せがれ》めは其明るさから迯戻《にげもど》り、窓を閉ぢ、日を嫌うて、 我れから夜をば製《つく》りおる。良い分別をして此病《やまひ》の根を絶たねば、 一定《いちぢやう》、忌はしい不祥の基《もとゐ》。 ベン・ で叔父上には其根を御ぞんじでござりますか? モン長 いや、知りもせねば、知らせもせぬわい。 ベン・ 質問《きゝたゞ》して御覽《ごらう》じたことがござりますか? モン長 予《わし》はもとより、親しい誰れ彼れにも探らせたけれども、倅《せがれ》めは、 只もう其胸の内に、何事をも祕し隱して、いっかな餘人には知らせぬゆゑ、 探ることも發見《みいだ》すことも出來ぬ有樣 -- それが身の爲にならぬのは知れてあれど -- 可憐《いたい》けな蕾の其うるはしい花瓣《はなびら》が、 風にも開かず、日光《ひ》にもまだ照映えぬうちに、 意地惡の螟蛉《あをむし》めにあさましう食《は》まれてしまふやうに。 彼《あ》れが愁嘆《なげき》の源《もと》さへ知れゝば、直《すぐ》にも療治したう思ふのぢゃが。 此時ロミオ物思ひ顏にて一方へ出る。 ベン・ あれ、あそこへロミオどのが。お避《はづ》しなされませ。私《わたくし》が聞質《きゝたゞ》して見ませう。 どうしても拒まッしゃらうかも知れぬが。 モン長 それが首尾よう自白《うちあ》けさせる役に立てばよいが。‥‥奧、さ、參らう。 モンタギュー夫婦入る。ロミオ近づく。 ベン・ や、お早うござる。 ロミオ そんなに早うござるか? ベン・ 今九時を打ったばかり。 ロミオ あゝ〜、味氣《あじき》無い時間は長い。‥‥今急いで去《い》んだは予《わし》の父でござったか? ベン・ いかにも。どういふ味氣《あじき》ない事があって、時を長いとは被言《おつしや》る? ロミオ 得れば時が短うなるが、其物が得られぬゆゑ。 ベン・ 戀ぢゃな? (此あたりも、一問、一答こと〜゛く口合(パニング)式の警句にして、 到底、原語通りには譯しがたきゆゑ、義譯とす。) ロミオ 人の爲に‥‥ ベン・ 戀人の爲に? ロミオ 戀ひ焦がるゝ效《かひ》もなく、其人の爲に蔑視《さげす》まれて。 ベン・ やれ〜、柔和《やさ》しらしう見ゆる彼《あ》の戀めが、 そんな酷いことや手荒いことをしますか? ロミオ あゝ〜!戀めは始終目隱しをしてゐて、目は無けれども存分其的をば射とめをる! ‥‥え、何處で食事をしようぞ?‥‥(四下《あたり》を見廻して) あゝ〜!こりゃまア何といふ淺ましい騷擾《そうぜう》?いや、其仔細はお言やるには及ばぬ、 残らず聞いた。是れ皆憎いが原《もと》とは言へ、 可愛《かはゆ》いにも深い〜縁がある‥‥すれば是りゃ憎みながらの可愛《かはゆ》さ。 可愛《かはゆ》いながらの憎さといふもの!無から出た有《う》ぢゃ! 悲しい戲《たはぶ》れ、沈んだ浮氣、目易い醜さ、重い羽毛、白い煤、冷い火、 健康《すこやか》な病體、醒めた眠《ねむり》!あゝ、有りのまゝとは同じでない物! 恰《ちょう》ど其樣な切ない戀を感じながら、戀の誠をば感ぜぬ切なさ!‥‥何で笑ふンぢゃ? (斯くの如き對照式の綺語 -- 技巧的な比喩語 -- を並《なら》ぶることはシェークスピヤの青年期にはイギリス文壇の流行なりしなり。 以下にも同例多し。) ベン・ 何の、泣いてゐるのぢゃ。 ロミオ 泣くとは、何故? ベン・ その歎きを思ひやって。 ロミオ はて、それは深切の爲過《しすご》し。いっそ迷惑。おのが心痛ばかりでも心臟が痛うなるのに、 足下《きみ》までが泣いてくりゃると、一段と胸が迫る。 足下《きみ》の同情は多過ぎる予《わし》の悲痛《かなしみ》に、只悲痛《かなしみ》を添へるばかり。 戀は溜息の蒸氣《ゆげ》に立つ濃い煙、激しては眼《め》の裡《うち》に火花を散らし、 窮しては涙の雨を以て大海《おほうみ》の水量《みかさ》をも増す。さて其外《そのほか》では、 何であらうか?性根の亂れぬ亂心‥‥息の根をも杜《と》むる苦い物。‥‥ 命を砂糖漬けにする程の甘い物。さらば。 ベン・ まったり!一しょに行かう。予《わし》を棄てゝ行くとはひどい。 ロミオ とうに棄てゝしまうた身ぢゃ。予《わし》は爰《こゝ》にはゐぬ、これはロミオでは無い、 ロミオは何處か他所にゐよう。 ベン・ いや、眞實の白状をなされ、こなたが戀ひ慕ふ人とは誰れぢゃ? ロミオ 白状せいとは、予《わし》に拷問の苦痛《くるしみ》をさせうとてか? ベン・ 拷問!何の、只まッすぐに自白《はくじやう》なされといふのぢゃ。 ロミオ はて、それは病人の遺言を白状と呼ぶやうなもの、わるい上にわるい異名! が、白状せう、予《わし》には戀女《こひをんな》がある。 ベン・ 戀と睨んだ時に、それ程は見拔いてゐた。 ロミオ ても偉《きつ》い射手《いて》ぢゃの!そして其女は誰れが目にも立つ美人。 ベン・ 目に立つ的ならば、射落すことは容易《たやす》からう。 ロミオ はて、其《その》覘《ねらひ》は外れた。戀愛神《キユーピツド》の弱弓《よわゆみ》では射落されぬ女ぢゃ。 處女神《ダイヤナ》の徳を具へ、貞操の鐵の鎧に身を固めて、 戀の稚《をさな》い孱弱矢《へろ〜や》なぞでは些小《いさゝか》の手創《てきず》をも負はぬ女。 言寄る語《ことば》に圍まれても、戀する眼《まなこ》に襲はれても、いっかな心を動かさぬ、 賢人を墮落さする黄金《こがね》にも前垂をば廣げぬ。 おゝ、限りない美しさには富みながら、其美しさは只一代限り、死ねば種までも盡くるとは、 貧乏《しがな》い〜運命! ベン・ では其女は嫁入はせぬと誓うたのぢゃな? ロミオ いかにも。其物吝《ものをし》みが甚《いか》い損失。折角の美しさも、 其偏屈ゆゑに餓死《うゑじに》をして、其美しさを子孫には能《よ》う傳へぬ。 美しうて、賢うて、予《わし》を思ひ死《じに》さする程に賢過ぎた美人ゆゑ、 恐らくは冥利が盡き、よもや天國へは登れまい。彼女《あれ》が戀はせぬと誓ふたゝめ、 予《わし》は斯《こ》うして物を言うてゐるものゝ、生きながら死んでゐるのぢゃ。 ベン・ ま、予《わし》の言ふことを聽いて、其女をばお忘れなされ。 ロミオ おゝ!教へてくれい、どうしたら忘れられるか? ベン・ もッと目に自由を與へて、あちこちの他の美人を見たらよからう。 ロミオ 他のと較ぶれば彌々《いよ〜》彼女《あれ》をば絶美ぢゃと言はねばならぬことになる。 美人の額に觸るゝ彼《あ》の幸福《しあはせ》な假面《めん》どもは、 孰《ど》れも黒々と製《つく》ってはあれど、それが却《かへ》って其底の白い面《かほ》を思出さする。 目を失した男が、其失した目という寶をば忘れぬ例《ためし》。 如何《どん》な拔群な美人をお見せあっても、 それは只其拔群な美をも拔く拔群な美人を思出さす忘備帳《おぼえちやう》に過ぎぬであらう。 さらば。忘るゝ法を教ふることは足下《きみ》の力では出來ぬ。 ベン・ 教へかたの不足は其中《そのうち》に償はう、借りたまゝでは死ぬまいぞ。 二人ともに入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第一幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第二場 同處。街上《がいじやう》。 カピューレット長者を先に、年若き貴公子パリス(下人一人從《つ》いて)出る。 カピ長 モンタギューとても右同樣の懲罰《おとがめ》にて謹愼を仰附《おほせつ》けられた。 したが、吾々老人に取っては、平和を守ることはさまで困難《むづか》しうはあるまいでござる。 パリス 何れも名譽の家柄であらせらるゝに、久しう確執《なかたがひ》をなされたはお氣の毒な儀でござった。 時に、吾等《われら》が申入れた事の御返答は? カピ長 先度《せんど》申した通りを繰返すまでゞござる。何分にも世間知らず、 まだ十四度とは年の變移目《かはりめ》をば見ぬ女《むすめ》、 せめてもう二夏《ふたなつ》の榮枯《わかばおちば》を見せいでは、適齡《としごろ》とも思ひかねます。 パリス 姫よりも若うて、見事、母親になってゐるのがござるのに。 カピ長 いや、速う成るものは速う壞《くづ》るゝ。末の頼みを皆枯し、只一粒だけ殘った種子《たね》、 此土《このよ》で頼もしいは彼兒《あれ》ばかりでござる。さりながら、パリスどの、 先づ言寄って女《むすめ》の心をば動かしめされ。彼女《あれ》の諾否《いなや》が肝腎、 吾等《われら》の意志《こゝろ》は添物、 女《むすめ》が諾《うけひ》く上は吾等《われら》の承諾は其取捨の外には出ませぬ。 今宵、家例に因《よ》り、宴會を催しまして、日頃別懇の方々を多勢《おほぜい》客人《まろうど》に招きましたが、 貴下《こなた》が其組に加はらせらるゝは一段と吾家《わがや》の面目にござる。今宵、陋屋《らうをく》にて、 地を蹈《ふ》む明星が群れ輝き、暗天《やみそら》をさへも明《あかる》う照らすを御覽あれ。 譬へば、緩漫《なまのろ》い冬の後《しり》へに華かな春めが來るのを見て、 血氣壯《さかん》な若い手合が感ずるやうな樂しさ、愉快《こゝろよ》さを、 蕾の花の少女《をとめ》らと立交《たちまじ》らうて、今宵我家で領せられませうず。 悉《こと〜゛》く聽き、悉《こと〜゛》く視て、さて後に最《いつ》ち價値《ねうち》のあるのを取らッしゃれ。 熟《とく》と觀らるゝと、女《むすめ》も其一人として數には入ってゐても、勘定には入らぬかも知れぬ。 さゝ、一しょにござれ。‥‥(下人に)やい、汝《そち》は・ローナ中を駈廻って(書附を渡し) 爰《こゝ》に名前の書いてある人逹を見附けて、 今宵我邸《やしき》で懇《ねんごろ》に御入來《ごじゆらい》をお待ち申すと言へ。 カピューレット長者とパリスと入る。 下人 こゝに名前の書いてある人逹を見附けい!えゝと、靴屋は尺《ものさし》で稼げか、 裁縫師《したてや》は足型で稼げ、漁夫は筆で稼げ、畫工《ゑかき》は網で稼げと書いてあるわい。 こゝに名前の書いてある人逹を見附けて來いと言附かったが、 書手が如何樣な名前を書きをったやら、こりゃ一向に見附からぬわい。 學者《ものしり》の處へ往かにゃならぬ。‥‥(一方を見て)お、ちょうどよい。 ベン・ーリオー先にロミオ從《つ》いて出る。 ベン・ 馬鹿な!それがそれ、火は火で壓《おさ》へられ、苦は苦で減ぜられる例《ためし》ぢゃ。 逆に囘轉《まは》ると目が眩《ま》うたのが癒《なほ》り、 死ぬる程の哀愁《かなしみ》も別の哀愁《かなしみ》があると忘れらるゝ。 新しい毒を目に染ませて舊い毒を拔くがよい。 ロミオ それには車前草《おんばこ》が一ち好《よ》からう。 ベン・ それとは? ロミオ 脛《すね》の傷《けが》には。 ベン・ ローミオー、貴下《こなた》は氣が狂《ちが》うたのか? ロミオ 氣は狂《ちが》はぬが、狂人《きちがひ》よりも辛い境界《きやうがい》‥‥牢獄に鎖込《とぢこ》められ、 食を斷たれ、笞《むちう》たれ、苛責《かしやく》される‥‥(下人の近づいたのを見て) や、機嫌よう。 下人 はい、ご機嫌ようござりませ。旦那は能《や》う讀まッしゃりますか? ロミオ いかにも‥‥不幸《ふしあはせ》に逢ふて、身の不運を解《よ》むわい。 下人 はて、その樣な事は書《ほん》が無くても知れましょ。 いや、眼《まなこ》で讀むものをば讀まッしゃりますかと聞きますのぢゃ。 ロミオ さァ、其文字や其言語《ことば》を知ってをればなう。 下人 正直なことを言はっしゃる。御機嫌ようござっしゃりませ! 下人行きかくる。 ロミオ まて〜、讀めるわい。 下人より書附を受取りて讀む。 マーチノー殿、同じく夫人《おくがた》及び令孃《むずめご》方。アンセルム伯、 同じく美しき令妹《いもとご》逹《がた》。・トルー・オー殿後室。 プラセンシオー殿、同じく可憐なる姪御《ひめご》逹。マーキューシオー、同じく舎弟・レンタイン。 叔父御カピューレット殿、同じく夫人、同じく令孃《むすめご》逹《がた》。麗しき姪のローザライン。リ・ヤ。 ・レンシオー殿、同じく令甥《をひご》チッバルト。リューシオー及び快活なるヘレナ。 書附を下人に返しながら。 美人揃《ぞろひ》ぢゃ。何處へ集るのぢゃ此手合は? 下人 えゝ、あの‥‥ ロミオ え、あの夜會にか? 下人 手前方へ。 ロミオ 手前方とは? 下人 主人方へ。 ロミオ いかさま、それを眞先に問ふべきであった。 下人 問はっしゃらいでも申しませう。手前主人はカピューレット長者でござります。 若し貴下《こなた》がモンタギュー家の方でござらっしゃらぬならば、 來《わ》せて酒杯《さかづき》を取らッしゃりませ。御機嫌ようござりませう! 下人入る。 ベン・ 其カピューレットの例會に、足下《きみ》の戀ひ慕ふローザラインが、 此・ローナで評判のあらゆる美人逹と同席するは良い都合ぢゃ。そこへ往て、 昏《くら》まぬ目で、予《わし》が見する或顏《あるかほ》とローザラインのとをお見比べあったら、 白鳥と思ふてござったのが鴉《からす》のやうにも見えうぞ。 ロミオ 信仰の堅い此眼《まなこ》に、假にも其樣な不信心が起るならば、涙は炎とも變りをれ! 何度溺れても死にをらぬ此明透《すきとほ》る異端《げだう》め、嘘を言うた科《とが》で火刑《ひあぶり》にせられをれ! 何ぢゃ、予《わし》の戀人よりも美しい!何もかも見通しの太陽でも、 現世《このよ》創《はじま》って以來《このかた》、又とは彼女《あれ》程の女《をなご》をば見なんだのぢゃ。 ベン・ さ、傍《わき》に誰れも居ず、右の目にも左の目にもローザラインばかりを懸較《かけくら》べておゐやった時には、 美しうも見えつらうが、其水晶の秤皿《はかりざら》に、今宵予《わし》が見する或目ざましい美人を懸けて、 さて後に、其戀姫《こいびめ》どのと貫目を較べて御覽《ごらう》じたなら、 今は最《いつ》ち善《よ》う見ゆるのが最早《もはや》善《よ》うは見えまいぞや。 ロミオ それを見たうは無けれど、自分《こち》のゝ美麗《りつぱ》さを見ようために、一しょに往かう。 二人共入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第一幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第三場 同處。カピューレットの一室。 カピューレット夫人を先に、乳母從《つ》いて出る。 カピ妻 乳母よ、女《むすめ》は何處にゐます?呼んでくりゃれ。 乳母 はれま、十二の年の清淨潔白を賭けますがな、ござれと善う言うておいたに。 ‥‥(奧に向ひて)もしえ、羊兒《こひつじ》さん!もしえ、姫鳥さん! ‥‥鶴龜々々!‥‥あのお兒《こ》は何處へ往かッしゃったか! ‥‥もしえ、ヂュリエットさま! ヂュリエット出る。 ヂュリ 何え!呼びゃるのは誰れぢゃ? 乳母 お母さまぢゃ。 ヂュリ はい、お母さま。何御用? カピ妻 用とは斯《こ》うぢゃ。乳母や、ちっとの間《ま》退席《はづ》してたも、内密《ないしよう》の話ぢゃによって。 ‥‥いや〜、乳母、戻りゃ、一通り聽いておいて貰うたはうがよかった。知っての通り、 女《むすめ》の齡《とし》も喃《なう》、既《もう》おひ〜適齡《としごろ》ぢゃ。 乳母 はい〜、存じてをりますとも、孃さまの年齡《おとし》なら、何時間と言ふことまで。 カピ妻 まだ眞實《ほんたう》の十四にはなりませぬ。 乳母 ならっしゃりませぬとも、此齒を十四本賭けますがな‥‥と言うても、其十四本が、 ほんに〜、もう只《たった》四本しかござりませぬわい。 ‥‥初穗節《はつほまつり》(八朔)までは最早《もう》幾日《いくか》でござりますえ? カピ妻 二週間と零餘《はした》が幾らか。 乳母 零餘《はした》が如何(どう)あらうと、一年三百六十日の中《うち》で、初穗節《はつほまつり》の夜になれば、 恰《ちやう》どお十四にならッしゃります。スーザンと孃とは‥‥南無あみだぶ‥‥ 同《おな》い齡《どし》でござりました。スーザンは神樣のお傍《そば》に居りまする、 私《わたくし》には過ぎた奴でござりましたが。 ‥‥それはさうと、只今申しました通り、初穗節《はつほまつり》の夜になると、 恰《ちやう》どお十四にならッしゃります、大丈夫でござります、はい、善う記《おぼ》えて居りまする。 地震があってから恰《ちやう》ど最早《もう》十一年目‥‥忘れもしませぬ‥‥一年三百六十日の中《うち》で、 はい、其日に乳離れをなされました。 妾《わたし》が乳首へ苦艾《にがよもぎ》を塗《まぶ》って鳩小屋の壁際で日向ぼっこりをして‥‥ 殿樣と貴下《こなた》はマンチュアにござらしゃりました‥‥いや、まだ〜耄《ぼ》きゃしませぬ。 それはさうと、只今も申しました通り、 妾《わたし》の乳の尖所《さき》の苦艾《にがよもぎ》を嘗めさっしゃると、苦いので、阿呆どのがむずかって、 乳をなァ憎がって!すると鳩小屋が、がた〜〜。わしに出て行けといふにゃ及ばんと思うてゐたのに。 ‥‥それから既《もう》十一年、其時になァ單身立《ひとりだち》をさっしゃりましたぢゃ、 いや、眞《ほん》の事、彼方此方《あっちこっち》と駈廻らッしゃって、 恰《ちやう》ど其前の日に小額《こびたひ》に怪我さッしゃって‥‥ 其時亡夫《やど》が‥‥南無安養界《やんやうかい》!面白い人でなァ‥‥ 孃《ぢやう》を抱起《だきおこ》して「これ、俯向《うつむき》に轉倒《ころ》ばしゃったな? 今に一段《もつと》怜悧《りこう》者にならッしゃると、仰向《あふむけ》に轉倒《ころ》ばっしゃらう、 なァ、孃《いと》?」と言ふとな、ま、いかなこと、此お兒がいの、ふいと啼止《なきやま》っしゃって、 「唯《あい》」ぢゃといの。(笑ふ)戲談《じやうだん》が今となって眞《ほん》の事になったと思ふと! ほんに〜、千年生きたとても、これが忘れられることかいな。「仰向《あふむけ》に轉倒《ころ》ばっしゃらう、 なァ、孃《いと》」と言うと、阿呆どのが啼止《なきだま》って、「唯《あい》」ぢゃといの。(笑ふ) カピ妻 もうよう、もうよい、お默り。 乳母 はい〜、默りまする、でもな、笑はいではをられませぬ、 啼くのを止めて「唯《あい》」と言はッしゃったと思ふと。でもな、 眞實《ほんたう》に小額《こびたひ》の處に雛鷄《ひよつこ》のお睾丸程の大きな腫瘤《こぶ》が出來ましたぞや、 危いことよの、それで甚《きつ》う啼入《なきい》らッしゃった。 亡夫《やど》が「これ、俯向《うつむき》に轉倒《ころ》ばしゃったか? 今に適齡《としごろ》にならッしゃると仰向《あふむけ》に轉倒《ころ》ばッしゃらう、なァ、孃《いと》?」 といふとな、啼止《なきだま》って「唯《あい》」ぢゃといの。(笑ふ)。 ヂュリ そして汝《そなた》も默りゃ。默ってたも、と言へば。 乳母 はい〜、もうしまひました。南無冥加あらせたまへ! 多勢《おほぜい》育てた嬰兒《あかさん》の中《うち》で最《いつ》ち可憐《いたいけ》であったはお前ぢゃ。 其お前の御婚禮を見ることが出來《でく》れば、予《わし》の本望でござります。 カピ妻 さ、其御婚禮の事を話さうとしたのぢゃ。むすめよ、そもじは婚禮がしたいか、どうぢゃ? ヂュリ 其樣な名譽事は、わしゃまだ夢にも思ふてゐぬ。 乳母 ま、名譽事といの!わしばかりが乳を献《あ》げたので無かったなら、 其智慧は乳から入ったとも言ひませうずに。 カピ妻 ならば、今、よう思ふて見や、そもじよりも年下の姫御前《ひめごぜ》で、 とうに、此・ローナで、母親におなりゃったのもある。わしも、今思へば、 そもじと同じ程の年齡《としごろ》に嫁入って、そもじを生《まう》けました。 摘《つ》まんで言へば、斯うぢゃ、あのパリス殿がそもじを内室《うちかた》にしたいといの。 乳母 ま、あのよな!姫《ひい》さまえ、あのよなお方、世界中の女衆《をなごしゆ》が‥‥ ほんに竒麗な、蝋細工見たやうな。 カピ妻 此・ローナに夏が來ても、あのやうな花は咲かぬ。 乳母 ほんとに花ぢゃ、眞實《ほん〜゛》の活《い》きた花ぢゃ。 夫人 どうぞいの、あのやうなお方を可愛《いと》しいと思はぬか? 今宵の宴會には彼方《あのかた》も見ゆる筈、パリス殿の顏といふ一卷《ひとまき》の書《ふみ》を善う讀んで、 美の筆で物してある懷しい意味をば味はや。顏中のどこも〜釣合が善う取れて、 何一つ不足はないが、萬一にも、呑込めぬ不審があったら、傍註《わきちゅう》ほどに物を言ふ目附を見や。 したが、此戀の一卷《ひとまき》に只一つ足らはぬことゝいふは、表紙《おもてがみ》がまだ附かず、 美しう綴ぢても無い。魚《うを》はまだ沖中《おきなか》にぢゃ。總じて内の美を韜《つゝ》むは外《ほか》の美の身の譽れ、 金玉《きんぎょく》の物語を金の鉤子《はさみがね》に抱かすれば、誰が目にも立派な寶物《たからもの》。 彼君《かのきみ》の有《も》たせます限りの物がそもじのとなることゆゑ、嫁入しやればとて、 其方《そなた》に何の損も無いのぢゃ。 乳母 損どころかいな!女子《をなご》は男ゆゑに肥りますわいの。 カピ妻 さ、ちゃッと言や、パリス殿をお好きゃることが出來るか? ヂュリ さア、好いても見ませう、見て好かるゝものなら。とはいへ、わたしの目の矢頃《やごろ》は、 母さまのお許しをば限りにして、それより強《きつ》うは射込まぬやうにいたしませう。 下人出る。 下人 お方《かた》さま、お客人も渡らせられ、御前部《ごぜんぶ》も出ました、 貴下《こなた》をばお召、姫《ひい》さまをばお尋ね、乳母どのはお庖厨《だいどころ》で大小言《おほこゞと》、 何もかも大紛亂《おほらんちき》。小僕《わたくし》めはこれからお給仕に參らにゃなりませぬ。 すぐにいらせられませい。 カピ妻 すぐ行こ。(下人入る)‥‥ヂュリエットや、さ、若伯《わかとの》が待ってぢゃ。 乳母 さ、早う往て、嬉しい晝《ひる》に嬉しい夜をば添へさっしゃれ。 皆々《みな〜》入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第一幕 第四場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第四場 同處。街上《がいじやう》。 廻國巡禮に假裝したるロミオを先に、マーキューシオー、ベン・ーリオー、おの〜思ひ〜の假裝、 他に五六人、いづれも道化たる假面を携《たづさ》へ、炬火持《たいまつもち》、太鼓係等、 多勢《おほぜい》ひきつれて出る。 ロミオ 何と、例の通りに斷《ことわり》口上を言うて入場《はひ》ったものか、但しは無しにせうか? ベン・ あのやうな冗繁《あくど》いことは最早《もう》流行《はや》らぬ。 肩飾《かたかけ》で目飾《めかくし》をしたキューピッドに彩色《さいしき》した韃靼形《だつたんがた》の小弓を持たせて、 案山子のやうに、娘逹を追廻《おひまは》さするのは最早《もう》陳《ふる》い。 それから後見に附けて貰ふて、覺束無《おぼつかな》げに例の入場の長白《つらね》を述べるのも嬉しう無い。 先方が如何《どう》思はうとも、此方《こっち》は此方《こっち》で、思ふ存分に踊りぬいて還《かへ》らう。 ロミオ (炬火持《たいまつもち》に對ひ)俺に炬火《たいまつ》を與《く》れい。俺には迚《とて》も浮かれた眞似は出來ぬ。 餘《あんま》り氣が重いによって、寧《いつ》そ明いものを持たう。 マーキュ いや〜、ロミオどん、是非とも足下《おぬし》を踊らせねばならぬ。 ロミオ いや〜、滅相な。足下《きみ》の舞踏靴《おどりぐつ》の底は輕いが、 予《わし》の心の底は鉛のやうに重いによって、踊ることはおろか、歩きたうもない。 マーキュ はて、足下《おぬし》は戀人ではないか?すればキューピッドの翼《はね》でも借りて、 鴉や鳶のやうに翔《かけ》ったがよからう。 ロミオ 彼奴《あいつ》の箭先《やさき》かゝってゐるゆゑ、翼《はね》を借りたとても翔《かけ》られぬわい、 鳶や鴉のやうにも飛べず、悲しい思ひに繋がれてゐるゆゑ、鷹のやうに高うも飛べぬ。 戀の重荷に壓伏《おしつ》けらるゝばかりぢゃ。 マーキュ 何ぢゃ、壓伏《おしつ》ける?あの戀に重荷を?さりとは温柔《やさ》しい者を慘酷《むごたら》しう扱ふたものぢゃ。 ロミオ なに、戀を温柔《やさ》しい?温柔《やさ》しいどころか、粗暴《がさつ》な殘忍《あらけな》い者ぢゃ。 荊棘《いばら》のやうに人の心《むね》を刺すわい。 マーキュ はて、戀めが殘忍《あらけな》いことをすれば、此方《こち》からも殘忍《あらけな》うしたがよい。 刺しをったら、此方《こつち》からも刺して、壓倒《へこま》したがよい。(從者を顧みて) ‥‥面《つら》を隱す假面《めん》を與《く》れ。 從者より假面を受取り、被らうとして 醜男面《ひよつとこづら》に假面は無用ぢゃ!(と假面を抛出《なげだ》しながら) 誰が皿眼《さらまなこ》で、此見ともない面《つら》を見やがらうと儘《まゝ》ぢゃ! 出額《でこすけ》が赧うなるばかりぢゃわい。 ベン・ さア〜、敲戸《たゝ》いえ入ったり。入ったらば、直《すぐ》一しょに踊り出さうぞよ。 ロミオ (從者にむかひ)俺には炬火《たいまつ》を與《く》れ。氣の輕い陽氣な手合は、 舞踏靴《をどりぐつ》の踵で澤山《たんと》無感覺な燈心草《とうしんぐさ》を擽《こそぐ》ったがよい。 俺は、祖父《ぢゝい》の訓言《をしへ》通り、蝋燭持をして高見の見物。 「好い目が出た時、中止《や》めるは老巧者《くろと》」ぢゃ。 舞踏室又は客室の床上に刈り集めたるばかりの燈心草《とうしんぐさ》(藺《ゐ》)を敷きしは當時の上流の習はしなり。) マーキュ へん「黒い鼠」と來りゃ夜警吏《よまはり》の定文句《きまりもんく》ぢゃが、もしも足下《きみ》が 「黒馬」なら「沼」からではなく、はて、恐惶《おほそれ》ながら、 足下《きみ》が首ッたけ沒《はま》ってゐる戀の淵樣《ふちさま》から引上げてもやらうに。 ‥‥(皆々に對ひ)おい、どうした?こりゃ晝《ひる》の炬火《たいまつ》ぢゃわ。(むだな費《つひ》えぢゃ。) ロミオ 何の其樣《そん》なことが。 マーキュ はて、斯《か》う愚圖ついてゐるのは、晝《ひる》間炬火《たいまつ》を燃《つ》けてゐるも同然と言ふのぢゃ。 これ、善い意味に取りゃれ。五智《ごち》に只一度ッきりといふのが分別智《ふんべつち》ぢゃが、 善い意味の事になら、分別智が常に五度も働く。 ロミオ さア、會へ行かうとはわるい意味でもなからう、が、行くのは智慧者《ちえしゃ》の所爲《しょゐ》ではない。 マーキュ とは何故に? ロミオ 昨夜《ゆうべ》予《わし》は夢を見た。 マーキュ 俺も見た。 ロミオ そして足下《きみ》の夢は? マーキュ 空想家《ゆめをみるをとこ》は囈言《ねごと》や空言《そらごと》を言うのが癖といふことを。 ロミオ 囈言《ねごと》や空言《そらごと》の中《うち》にも動かぬ眞理《まこと》が籠《こも》ってゐる。 マーキュ おゝ、それならば、あの、足下《きみ》は昨夜はマブ媛《ひめ》(夢妖精)とお臥《ね》やったな! 彼奴《あいつ》は妄想《もうざう》を産まする産婆ぢゃ、町年寄の指輪に光る瑪瑙玉《めなうだま》よりも小さい姿で、 芥子粒の一群に車を牽《ひか》せて、眠ってゐる人間の鼻柱を横切りをる。其車の輻《や》は手長蜘蛛の脛《すね》、 天蓋は蝗蟲《いなご》の翼《はね》、[革|引]《むながい》は姫蜘蛛の絲、頸輪は水のやうな月の光線《ひかり》、 鞭は蟋蟀《こほろぎ》の骨、其革紐は豆の薄膜《うすかは》、 馭者は懶惰《ぶしやう》な婢《はしため》の指頭《ゆびさき》から發掘《ほじりだ》す彼の圓蟲《まるむし》といふ奴の 半分がたも無い鼠裝束の小さい羽蟲、車體は榛の實の殼、 それをば太古《おほむかし》から妖精《すだま》の車工《くるまし》と定《きま》ってゐる栗鼠と[虫|齊;#1-91-69][虫|曹;#1-91-61]《ぢむし》とが 製《つく》りをった。さて、此樣な行裝《ぎやうさう》で、 彼奴《きやつ》が毎夜々々戀人共の頭腦《あたま》の中を馳廻《かけまは》ると、 それが忽《たちま》ち種々《さま〜゛》の夢となる。 廷臣の膝を走れば平身低頭の夢となり、代言人《だいげんにん》の指を走れば忽《たちま》ち謝金の夢となり、 美人の唇を走れば忽ち接吻《キツス》の夢となる。 ‥‥其唇を、時とすると、マブめ、腹を立って水腫《みづぶくれ》に爛れさせをる、 息が香菓子《にほいぐわし》で臭いからぢゃ。或ひはまた廷臣の鼻の上を走る、と敍任を嗅出す夢を見る、 或ひは獻納豚《をさめぶた》の尻尾の毛で牧師の鼻を擽《こそぐ》ると、僧《ばうず》め、寺領が殖えたと見る。 或ひは兵卒の頸筋元《くびすぢもと》を駈廻る、すると敵の首を取る夢やら、攻略《のっとり》やら、伏兵《ふせぜい》やら、 西班牙《イスパニア》の名劍やら、底拔《そこぬけ》の祝盃やら、途端に耳元で陣太鼓、飛上る、目を覺す、 おびえ駭《おどろ》いて、一言二言《ひとことふたこと》祈《いのり》をする、又就眠《ねい》る。 乃至《ないし》は眞夜中に馬の鬣《たてがみ》を紛糾《こぐらか》らせ、 又は懶惰《ぶしやう》女の頭髮《かみのけ》を滅茶滅茶に縺《もつ》れさせて、解けたら不幸の前兆ぢゃ、 なぞと氣を揉まするもマブが惡戲《いたづら》。或ひは娘共が仰向に臥《ね》てゐる時分に、 上から無上《むしやう》に壓迫《おさへつ》けて、つい忍耐《がまん》する癖を附け、 難なく強者にしてのくるも彼奴《きゃつ》の業《わざ》。乃至《ないし》は‥‥ ロミオ しッ〜、もう止めた、止めた!足下《きみ》は意義《たわい》もないことをばかりお言やる。 マーキュ さもさうず、夢の話ぢゃ。夢は空想の兒で、役に立たぬ腦から生るゝ。 そも〜空想は、空氣よりも仄《ほのか》なもので、今は北國《ほつこく》の結氷《こほり》に言寄るかと思へば、 忽《たちま》ち腹を立てゝ吹變って、南の露に心を寄するといふ其風よりも浮氣なものぢゃ。 ベン・ 其風に似た浮れ話に、大分《だいぶん》の時が潰れた。ようせぬと、夜會が果てゝ、 時後れになってしまはう。 ロミオ (獨語のやうに)俺はまた早まりはせぬかと思ふ。運の星に懸ってある或《さる》怖しい宿命が、 今宵の宴に端を開いて、世に倦み果てた我命數を、非業無慚《ひごふむざん》の最期によって、 絶たうとするのではないか知らぬ。とはいへ、一生の航路《ふなぢ》をば一へに神に任した此身! ‥‥(一同に對ひ)さ、さ、元氣な人逹。 ベン・ 打て、太鼓を。 一同揃ふて入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第一幕 第五場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第五場 同處。カピューレット邸の廣間。 樂人共控へてゐる。給仕人共、布巾を携へて出で來り、取散らしたる盃盤をかたづくる。 甲給仕 ポトパンは何處へ往《う》せた?かたづける手傳ひをしをらぬ。かたづけ役の癖に!拭役の癖に! 乙給仕 饗應《もてなし》の式作法一切を、一人や二人の、洗ひもせぬ手でしてのくるやうでは、穢《 むさ》いことぢゃ。 甲給仕 疉椅子を彼方《あつち》へ、膳棚もかたづけて。よしか、其皿も頼んだ。おいおい、 杏菓子を一片《ひときれ》だけ取除《とつと》いてくりゃ。それから足下《おぬし》、 深切《しんせつ》があるなら、門番にさう言うて、スーザンとネルを入らせてくりゃ。 (奧に向つて)‥‥アントニー!ポトパン! 丙(ポトパン)と丁(アントニー)と出で來る。 丙 唯《おう》、こゝにゐるわい。 甲給仕 足下《おぬし》をば、大廣間で、最前《さつき》から呼ばってぢゃ、探してぢゃ、尋廻してぢゃ。 丁 さう彼方《あツち》此方《こツち》に居ることは出來んわ。(一同に對ひ)ささ、働いた働いた。 暫時《ちつとのま》ぢゃ、働いた〜。さうして長生すりゃ持丸長者ぢゃ。 一同かたづけながら入る。 カピューレット長者を先に、ヂュリエット及び同族の者多勢《おほぜい》一方より出で、 他方より出で來る賓客の男女及びロミオ、マーキューシオー等假裝者の一群を迎ふる。 カピ長 (ロミオの一群に)ようこそ、方々《かた〜゛》!肉刺《まめ》で患《なや》んで居らん婦人は、 何れも喜んで舞踏敵手《おあひて》になりませうわい。‥‥(婦人連に對ひ) あァ、はァ、姫御前《ひめごぜ》たち!舞踏《をど》るを否《いや》ぢゃと被言《おしや》る仁《ひと》があるか? 品取って舞踏らッしゃらぬ仁《 ひと》は、誓文、肉刺《まめ》が出來てゐるンぢゃらう。 何と圖星であらうが?‥‥(ロミオらに對ひ)ようこそ! 吾等《われら》とても假面《めん》を被《つ》けて、美人の耳へ氣に入りさうな話を囁いたこともござったが、 あゝ、それは既《も》う過去《むかし》ぢゃ、遠い〜過去《むかし》ぢゃ。‥‥方々、 ようこそ來《わ》せられた‥‥(樂人を顧みて)さゝ、樂人共、はじめい。 ‥‥(一同に對ひ)開いた〜!つゝと開いて、さゝ、舞踏《をど》ったり、娘逹。 樂を奏しはじむる。男女手を取りあうて舞踏《をど》る。 もっと燭火《あかし》を持て、家來共!食卓《テーブル》を疉んでしまうて、爐の火を消せ、 餘り室内《ざしき》が熱うなったわ。‥‥あゝ、こりゃ思ひがけん好い慰樂であったわい。 ‥‥(同族の一老人に對ひて)いや、叔父御《をぢご》、まま腰を下しめされ、 貴下《こなた》も予《わし》も最早《もう》舞踏《ダンス》時代を過してしまうた。 お互ひに假面《めん》を着けて以來《このかた》、もう何年にならうかの? カピ叔 大丈夫、三十年ぢゃ。 カピ長 何と被言《おしや》る1まさかに然程《さほど》ではない、まさかに。 リューセンシオーの婚禮以來ぢゃによって、すぐ鼻の先にペンテコスト(祭日)が來たとして、 二十五年、あの時に被假面《かぶ》ったのぢゃ。 カピ叔 いや、もそっと徑つ、もそっと。彼《あ》れの倅《せがれ》がもそっと年を取ってをる。もう三十ぢゃ。 カピ長 確《しか》とさやうか?あの倅《せがれ》には、つい二年程前かたまでは、後見人が附いてをった。 此間《このあいだ》ロミオは道化《だうけ》假面《めん》を被ったるまゝ獨り離れて見てゐる。 其中《そのうち》ヂュリエットと一武官《ナイト》と手を取りあうて舞踏《をど》りはじむる。 ロミオ (傍の給仕に對ひて)あの武家と手を取りあうてござる彼《あの》姫は何誰《どなた》ぢゃ? 給仕 小僕《わたくし》は存じませぬ。 ロミオ おゝ、あの姫の美麗《あでやか》さで、輝く燭火《ともしび》が又一段と輝くわい! 夜の頬に照映ゆる彼の姫が風情は、宛然《さながら》黒人種《エシオツプ》の耳元に稀代の寶玉《はうぎよく》が懸ったやう、 使はうには餘り勿體無く、下界の物としては餘り靈妙《いみ》じい! あゝ、あの姫が餘の女共に立交らうてゐるのは、雪はづかしい白鳩が鴉の群に降りたやう。 此一舞踏《ひとおどり》が濟んだなら、姫の居處に目を着け、此賤しい手を、彼《あ》の君の玉手《ぎよくしゆ》に觸れ、 せめてもの男冥利にせう。あゝ、俺は今までに戀をしたか?やい、眼《まなこ》よ、せなんだと誓言せい! 今夜といふ今夜までは、眞《まこと》の美人をば見なんだわい。 此中《このうち》來賓中のチッバルト此聲を聞咎めたる思入《おもひいれ》にて前に進む。 チッバ あの聲音はモンタギュー家の奴に相違ない。‥‥(從者に對ひ)予《よ》が細刀劍《ほそみ》を持て。 ‥‥何ぢゃ?下司奴《げすやっこ》めが、道化假面《だうけめん》に面《おもて》を隱して、 此祝典を蹈附《ふみつけ》にしようとは不埒ぢゃ!カピューレットの正統たる權利を以て、 彼奴めをば打殺《ぶちころ》しても、俺ゃ罪惡とは思はぬわい。 カピ長 はて、甥よ、何としたのぢゃ!おぬしは何で其樣に息卷くのぢゃ? チッバ 叔父上、あれは敵方のモンタギューでござる。今夜の祝典を辱めん惡意を抱いて來をったのでござる。 カピ長 年若のロミオではないか? チッバ でござる、そのロミオ奴《め》でござる。 カピ長 まゝ、堪忍して、放任《うちす》てゝおきゃれ、立派な紳士らしう立振舞うてをる上に、實を言へば、 日頃・ローナが、徳もあり行状もよい若者と自慢の種にしてゐるロミオぢゃ。全市の富に易《か》へても、 我家で危害を加へたうない。ぢゃによって、堪忍して見ぬ介《ふり》をしてゐやれ。 これは予《よ》の意志ぢゃ、予《よ》を重んじておくりゃらば、顏色《がんしよく》を麗《うるは》しうし、 其むずかしい貌《かほ》を止めておくりゃれ。祝宴《いはひ》最中《もなか》に不似合ぢゃわい。 チッバ いや、不似合でござらん、あんな奴が居るからは。堪忍はなりませぬ。 カピ長 はて、堪忍せにゃなりませぬ。これさ、どうしたもの!せにゃならぬといふに。 これさ〜、こゝの主長《あるじ》は乃公《おれ》では無いか? 汝《おぬし》か?さゝゝ。汝《おぬし》が堪忍ならん!はれやれ、 汝《おぬし》は來賓中に大鬪爭《おほげんくわ》を起させうぞよ!大騷動を爲出來《しでか》さうわい! えゝ、汝《おぬし》のやうなのが、その! チッバ でも、これは恥辱でござる。 カピ長 さゝゝ、沒分《わからん》曉漢《おとこ》ぢゃ。確《しか》と然樣《さやう》か? 其樣なことをすれば身爲《みだめ》になるまい。‥‥すれば、何ぢゃな、 では乃公《おれ》の命令《いふこと》を聽かぬ!はて、今が時ぢゃ。 ‥‥(來賓の方に向ひて)よう〜、出來た! (チッバルトに對ひ)向不見《むかうみず》にも程があるわさ、さゝ。はて、靜かに、若《も》し‥‥ (從者を顧みて)もそっと燭火《あかし》を持て、燭火《あかし》を! ‥‥(又チッバルトに對ひ)どうしたものぢゃ!是非とも靜かにして貰はう。 ‥‥(來賓に對ひ)陽氣に〜! チッバ 無理往生の堪忍と持前の癇癪との出逢ひがしらで、挨拶の反《そり》が合ぬゆゑ、 肉體《からだ》中が顫動《ふるへ》るわい。引退《ひきさが》らう。 併《しか》し今こそ甘ったるう見えてをる汝《うぬ》が今夜の推參に、やがて苦い味を見せてくれうぞ。 チッバルト入る。 此間にロミオは假面のまゝ、巡禮姿のまゝにてヂュリエットに近づき、膝まづきて恭《うや〜》しく其手を取る。 ロミオ 此賤しい手で尊い御堂《みだう》を汚したを罪とあらば、面《かほ》を赧うした二人の巡禮、 此唇めの接觸《キツス》を以て、粗い手の穢《よご》した痕を滑かに淨めませう。 ヂュリ 巡禮どの、作法に善う合《かな》うた御信仰ぢゃに、其樣におッしゃッては、 其お手に甚《いか》ァ氣の毒。聖者がたにも御手《みて》はある、 その御手《みて》に觸るるのが巡禮の接吻禮《キツス》とやら。 ロミオ でも聖者にも唇があり、巡禮にも唇がござりまする。 ヂュリ さア、それはお祈願《いのり》だけに用ふるもの。 此問答のうちに、二人はやや群衆と離るゝ。 ロミオ おゝ、いでさらば、我聖者よ、手の爲す所爲《わざ》を唇に爲さしめたまへ。 唇が祈りまする、聽《ゆる》したまへ、さもなくば、信心も破れ、心も亂れまする。 ヂュリ 切なる祈願《いのり》の心は酌《く》んでも、動かぬのが聖者の心。 ロミオ では、お動きなされな、祈願《いのり》の御報《おむくい》をいたゞきます。 と接吻《キツス》する。 斯うして貴孃《あなた》のお唇で、私の罪が此唇から清められ、拭はれました。 ヂュリ では、其罪は妾《わたし》の唇へ移りましたのかえ? ロミオ 何、わたしの罪が移った?おゝ、嬉しうもお咎めなされた!では、其罪を戻して下され。 と又接吻《キツス》する。 ヂュリ ても、まア、御均等な。 乳母出る。 乳母 姫《ひい》さま、お母さまがお話がありますといな。 これにてヂュリエット離るゝ。 ロミオ あの方の母御とは、何誰《どなた》ぢゃ? 乳母 はて、お若い方、母御樣は此お邸の内室《おかた》さまぢゃがな、よいお仁《 ひと》で、 御發明《ごはつめい》な、御貞節な。わしは、今貴下《こなた》が話してござらしゃった孃さまを育てました。 もしえ、あの子を手に入れさッしゃるお仁《 ひと》は、澤山々々《たんと〜》貨幣《ちんから》にありつきますぞや。 乳母離るゝ。 ロミオ ではカピューレットの女《むすめ》か?おゝ、怖しい勘定狂はせ! 俺の命はこりゃもう敵《かたき》からの借物ぢゃわ。 此時、ベン・ーリオー近寄りて ベン・ さァ、歸らう〜。娯樂《たのしみ》はもう頂點ぢゃ。 ロミオ なるほど、さうらしい。(獨語のやうに)なりゃこそ彌彌《いよ〜》心が不安になる。 賓客等おひ〜歸り支度をする。 カピ長 あ、いや、方々、お歸り支度をなされな。粗末な點心《ごだん》ながら、只今準備《ようい》中でござる。 (皆々代る〜゛長者に近づきて、小聲に挨拶して歸りゆく)‥‥でござるか? はて、然らば、何《いづ》れも忝《かたじけ》なうござった。かたじけなうござる。 御機嫌ようござりませ。‥‥(從者に向ひ)もそっと燭火《あかし》を持て、 こゝへ!‥‥(賓客を送り果てゝ、家人の方に向ひ)さゝ、此上は、寢やう〜。あゝ、こりゃ、 とんと夜が更けたわ。どりゃ俺も休まう。 一同次第に入る。ヂュリエットと乳母と殘りて、出行く客を見送る。 ヂュリ 乳母、こゝへ來や。あのお方は誰れ? 乳母 タイビリオーさまのお嗣子《あととり》でござります。 ヂュリ 今戸口から出てゆかうとしてゐるのは誰れ? 乳母 さいな、ペトルーチオーさまの若樣でござりましょ。 ヂュリ あの方は、ありゃ誰れ?その後から行かッしゃる‥‥ありゃ踊らなんだ人ぢゃ。 乳母 存じませぬ。 ヂュリ さ、往《い》て、問ふて來や。‥‥ 乳母離るゝ。 もしも婚禮が濟んだお方なら、墓が予《わし》の新床とならうも知れぬ。 乳母戻り來《きた》る。 乳母 名はロミオと言うて、お邸《うち》とは敵どうしのモンタギュー家の若ぢゃといな。 ヂュリ (獨語的に)類《たぐい》無いわが戀が、類《たぐい》ないわが憎怨《にくしみ》から生れるとは! とも知らで早う見知り、然《さ》うと知った時はもう晩蒔《おそまき》!あさましい因果な戀、 憎い敵《かたき》をば可愛《かはゆ》いと思はにゃならぬ。 乳母 何ぢゃいな、それは?何を言うてござる? ヂュリ 歌ぢゃ‥‥今がた一しょに舞踏《をど》った人に教へて貰うた歌ぢゃ。 奧にて「ヂュリエット」と呼ぶ。 乳母 はい〜、只今!‥‥さゝ、參りましょ。お客人は皆もう歸ってしまはッしゃれた。 ヂュリエットを促して入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第二幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 序詞役出る。 序詞役 扨《さて》も老いにたる情慾は方《まさ》に最期《いまは》の床に眠《ねぶ》りて、 うら若き戀情が其跡を襲《つ》ぐべく起出づる。 曾《かつ》ては憧れて、爲《ため》に死なんとまで呻きつる其美女も 今の目には美しとも見えず、ヂュリエット姫に比べては。 かくて戀ひつ戀はれつ、二人は一樣に色に迷へり、 然《しか》はあれど、歎顏《かこちがほ》に、敵《かたき》の子に言寄る辛さ、 女もまた鉤《つりばり》より戀の甘餌を盜む怖しさ。 敵《かたき》どしなれば誓約《かねごと》をも世の人並には告げがたく、 姫も同じ思ひながら、逢ふべき傳手《つて》は更に少なし。 さもあれ、情火は力を、時は便宜を與へければ、 限《かぎり》なき危《あやふ》さの中《うち》に、二人は限《かぎり》なく嬉しく逢へり。 序詞役入る。 第一場 ・ローナ。カピューレット邸の庭園の石垣に沿へる小徑。 ロミオ出る。 ロミオ 心臟が此處《こゝ》に殘ってゐるのに、何で歸ることが出來ようぞい? 鈍な土塊《つちくれ》め、引返して、おのが中心《たましひ》を搜しをれ。 石垣を攀《よ》ぢて庭園へ飛下りる。 ベン・ーリオーとマーキューシオーと出る。 ベン・ ローミオー!ロミオどの!ローミオー! マーキュ 彼奴《あいつ》めは怜悧者《りこうもの》ぢゃ、一定《てっきり》とうに拔駈《ぬけがけ》して、 今頃は(家《うち》に)臥《ね》てゐるのであらう。 ベン・ いや〜、此方《こっち》へ走って來て、此石垣を飛越えた。マーキューシオーどの、呼んで見さっしゃい。 マーキュ いや、序《ついで》に祈り出して見よう。‥‥(呪文の口眞似にて)ローミオーよ!浮氣よ! 狂人よ!煩惱よ!戀人よ!溜息の姿にて出現めされ。たッた一句をでも宣言《おほ》せられたならば、 小生《それがし》は滿足いたす。只「嗚呼」とだけ叫ばっしゃい、たッた一言、戀《ラヴ》とか、 鳩《ダヴ》とか宣言《おほ》せられい。此方《こち》の昔馴染の・ーナス殿を美《ほ》めさっしゃい、 乃至《ないし》は盲目《めんない》の息子殿、例のコーフェーチュアの王さんが乞食娘に惚れた時分に、 見事圖星を射中《いあ》てたといふ彼《あ》の弓取りのキューピッドに何とか綽號《あだな》でも附けさっしゃい。 ‥‥聞えぬな、動かぬな、出て來ぬな。はて、お猿どのは亡くなられたさうな。 こりゃ彌々《いよ〜》祈らねばならぬ。‥‥(又祈祷の口眞似)あはれ、 ローザラインの彼《あ》の星のやうな眼附《まみつき》、あの高々とした額、あの眞紅《まつくれなゐ》の唇、 あの可憐《かはゆら》しい足、あの眞直《まつすぐ》な脛、あのぶる〜と顫《ふる》へる太股《ふともゝ》乃至《ないし》 其近邊《ちかま》にある處々《ところ〜゛》に掛けて祈りまするぞ。速《すみや》かに御正體を現せられい。 ベン・ 聞えたら、腹を立たうぞ。 マーキュ 何の腹を立たう。若し戀女《こひをんな》の魔の輪近くへ竒異《おつりき》な魔物を祈り出して、 彼女《おてき》が調伏《てうぶく》してしまふまで、それを突立たせておいたならば、 それこそ惡戲《てんごう》でもあらうけれど、今のは正直正當《しやうたう》な呪文ぢゃ、 彼女《おてき》の名を借りて、ロミオめを祈り出さうとしたまでの事ぢゃ。 ベン・ こりゃ何でも、木の間に隱れて、夜露と濡れの幕という洒落であらう。 戀は盲《めくら》といふから、闇は恰《ちよう》どお誂《あつら》へぢゃ。 マーキュ はて、戀が盲《めくら》なら的を射中《いあ》てることは出來まい。今頃はロミオめ、 枇杷《びわ》の木蔭に蹲踞《しやが》んで、あゝ、予《わし》の戀人《おてき》が、 あの娘共が内密《ないしよ》で笑ふ此枇杷《びわ》のやうならば、何のかのと念じて居よう。 おゝ、ロミオ、若し足下《おぬし》の戀人《おてき》が、な、それ、開放《あけつぱな》しの何とやらで、 そして足下《おぬし》が彼女《あれ》の細長林檎であつたなら!ロミオ、さらば。 野天の床では寒《さぶ》うて寢られぬ、下司床で臥《ね》よう。さ、往かうか? ベン・ では、去《いな》う。見附けられまいと爲《し》てゐるものを搜すのは無要《むだ》ぢゃ。 二人とも入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第二幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第二場 同處。カピューレット家の庭園。 ロミオ前に出る。 ロミオ 人の痛手を嘲りをる、自身で創《きず》を負うたことの無い奴は。‥‥ 此時ヂュリエット二階の窓に現るゝ。 や、待てよ!あの窓から洩るゝ光明《あかり》は?あれは、東方《ひがし》、なればヂュリエットは太陽ぢゃ! ‥‥あゝ、昇れ、麗しい太陽よ、そして嫉妬《りんき》深い月を殺せ、 彼奴《あいつ》は腰元の卿《そもじ》の方が美しいのを恨《くや》しがって、あの通り、蒼ざめて居る。 あの嫉妬家《やきもちやき》に奉公するのはよしゃれ。 彼奴《あいつ》の制服《しきせ》は青白い可嫌《いや》な色ぢゃゆゑ、阿呆の外は誰れも着ぬ、脱いでしまや。 ‥‥おゝ、ありゃ姫ぢゃ。戀人ぢゃ!あゝ、此情《こゝろ》を知らせたいなア!‥‥ 何やら言うてゐる。いや、何も言うてはゐぬ。言はいでもかまはぬ、あの目が物を言う。 あの目へ返答をせふ。‥‥あゝ、こりゃあんまり厚顏《あつかま》しかった。俺に言うてゐるのでは無い。 大空中《おほぞらぢゆう》で最《いつ》ち美しい二箇《ふたつ》の星が、何か用があって餘所へ行くとて、 其間《そのあひだ》代って光ってくれと姫の眼に頼んだのぢゃな。若し眼が星の座に直《なほ》り、 星が姫の頭《つむり》に宿ったら、何とあらう!姫の頬の美しさには星も羞耻《はにか》まうぞ、 日光の前の燈《ランプ》のやうに。然るに天へ上った姫の眼は、 大空中《おほぞらぢゆう》を殘る隈《くま》もなう照らさうによって、 鳥どもが晝《ひる》かと思うて、嘸《さぞ》啼立《なきた》つることであらう。あれ、頬を掌へもたせてゐる! おゝ、あの頬に觸れやうために、あの手袋になりたいなア! ヂュリ あゝ〜! ロミオ 物を言うた。おゝ、今一度物を言うて下され、天人どの!さうして高い處に光り輝いておゐやる姿は、 驚き異《あやし》んで、後へ退《さが》って、目を白うして見上げてゐる人間共の頭上《とうぢゃう》を、 翼《はね》のある天の使《つかひ》が、徐《しづ》かに漂ふ雲に騎《の》って、虚空の中心《たゞなか》を渡ってゐるやう! ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ!何故《なぜ》卿《おまへ》はロミオぢゃ! 父御《ててご》をも、自身の名をも棄てゝしまや。それが否《や》ならば、 せめても予《わし》の戀人ぢゃと誓言《せいごん》して下され。 すれば、予《わし》ゃ最早《もう》カピューレットではない。 ロミオ (傍を向きて)もっと聞かうか?すぐ物を言はうか? ヂュリ 名前だけが予《わし》の敵《かたき》ぢゃ。モンタギューでなうても立派な卿《おまへ》。 モンタギューが何ぢゃ!手でも、足でも、腕《かひな》でも、面《かほ》でも無い、 人の身に附いた物ではない。おゝ、何か他の名前にしや。名が何ぢゃ? 薔薇の花は、他の名で呼んでも、同じやうに善い香《か》がする。 ロミオとても其通り、ロミオでなうても、名は棄てゝも、其持前のいみじい、 貴《たふと》い徳は殘らう。‥‥ロミオどの、おのが有《もの》でもない名を棄てゝ、 其代りに、予《わし》の身をも、心をも取って下され。 ロミオ (前へ進みて)おゝ、取りませう。言葉を其儘《そのまゝ》。 一言、戀人ぢゃと言うて下され、直《すぐ》にも洗禮を受けませう。今日からは最早《もう》ロミオで無い。 ヂュリ や、誰れぢゃ、夜の闇に包まれて、内密事《ないしやうごと》を聞きゃった其方《そなた》は? ロミオ 名は何と言うたものか予《わし》は知らぬ。なう、我聖者よ、わが名は君の敵《かたき》ぢゃとあるゆゑ、 自分ながら憎うて〜、紙に書いてあるものなら引破ってしまひたい。 ヂュリ お前の言葉はまだ百語とは聞かなんだが、其聲には記憶《おぼえ》がある。 ロミオどのでは無いか、モンタギューの? ロミオ 孰《どち》らでもない、卿《そもじ》が嫌ひぢゃと言やるならば。 ヂュリ ま、どうして此處《こゝ》へ?して、まア何の爲《ため》に? あの石垣は高いゆゑ容易《たやす》うは攀《のぼ》られぬに、それにお前の身分は、若し家の者が見附くれば、 忽《たちま》ちお命が無からうずに。 ロミオ あの石垣は、戀の輕い翼で踰《こ》えた。如何な鐵壁も戀を遮ることは出來ぬ。 戀は欲すれば如何樣《どのやう》な事をも敢てするもの。 卿《そもじ》の家の人逹とても予《わし》を止むる力は有《も》たぬ。 ヂュリ でも見附くれば殺しませうぞえ。 ロミオ あゝ、彼等十人、二十人の劍よりも、それ、その卿《そもじ》の眼《まなこ》にこそ人を殺す力はあれ。 唯《たゞ》もう可愛《かはゆ》い目をして下され。彼等に憎まれうと何の厭《いと》はう。 ヂュリ 予《わし》ゃ何樣《どのやう》な事があっても、お前をば見附けさせたうない。 ロミオ 幸ひ夜の衣を被《き》てゐる、見附けらるゝ筈はない。とはいへ卿《そもじ》に愛せられずば、 立地《たちどころ》に見附けられ、憎まれて、殺されたい、愛されぬ苦しみを延《のば》さうより。 ヂュリ 誰《た》が案内《しるべ》をしておいでなされた? ロミオ 戀が案内《しるべ》ぢゃ。尋ねて見い、と眞先に促進《すゝ》めたも戀なれば、智慧を借したも戀、 目を借したも戀、予《わし》は舵取ではないけれども、此樣な貨《たから》を得やうためなら、 千里萬里の荒海の、其先の濱へでも冐險しよう。 ヂュリ 夜といふ假面《めん》を附けてゐればこそ、でなくば恥かしさに此頬が眞赤にならう、 今宵言うたことをついお前に聽かれたゆゑ。予《わし》とても、體裁つくり、 そなことを言ひはせぬ、と言ひたいは山々なれど、式や作法は、もうおさらば! もし、予《わし》を可愛《いと》しう思うて下さるか?「唯《うん》」と被言《おツしや》るであらうがな。 そして、それをまた實《まこと》と思はう。でも誓言《せいごん》などなされると(却《かへ》って)心元ない、 戀人が誓言《せいごん》を破るのはヂョーヴ神も只笑うてお濟ましなさるといふゆゑ。おゝ、ロミオどの、 可愛《いと》しう思ふて下さるが實《まこと》なら、其通り誠實に言うて下され。 それとも、餘まり手輕う手に入ったとお思ひなさるやうならば、故《わざ》と怖い貌《かほ》をして、 憎さうに否《いや》と言はう、たとひお言寄りなされても。さもなくば、世界かけて否《いや》とは言はぬ。 あゝ、モンタギューどの、このやうに愚からしう言うたなら、わしを蓮葉《はすは》なともお思ひなさらうが、 巧妙《ぢゃうず》に餘所々々《よそ〜》しう作りすます人逹より、もそッと眞實な女子《をなご》になって見せう。 いゝえ、わしとても、若し戀の祕密《ないしよ》を聽かれなんだら、もッと餘所々々《よそ〜》しうしたであらう。 ぢゃによって、お恕《ゆる》しなされ、斯《こ》う速う靡《なび》いたをば浮氣ゆゑと思ふて下さるな、 夜の暗《やみ》に油斷して、つい下心を知られたゝめぢゃ。 ロミオ 姫よ、あの實《み》を結ぶ樹々の梢の尖々《さき〜゛》をば白銀《しろがね》色に彩《いろど》ってゐる あの月を誓語《ちかひ》に懸け‥‥ ヂュリ おゝ、廻る夜毎に位置の變る不貞節な月なんぞを誓言《せいごん》にお懸けなさるな。 お前の心が月のやうに變るとわるい。 ロミオ では、何に誓語《ちかひ》に懸けよう? ヂュリ 誓言《せいごん》には及びませぬ。若し又、誓言《せいごん》なさるなら、 わたしが神樣とも思ふお前の身をお懸けなされ、すればお言葉を信じませう。 ロミオ 予《わし》の眞心《こゝろ》が眞實戀ひ慕ふ‥‥ ヂュリ あゝ、もし、誓言《せいごん》は、およしなされ。嬉しいとは思へども、今宵すぐに約束するのは、 粗忽らしうて、無分別で、早急《さつきふ》で、あッといふ間に消える稻妻のやうで、嬉しうない。 戀しいお人、さよなら!此戀の莟《つぼみ》は、皋月《さつき》の風に育てられて、 又逢ふまでには美しう咲くであらう。さよなら〜!お前の胸にも予《わし》の胸にも、 なつかしい安息の宿りますやう! ロミオ すりゃ、これぎりで別れようといふのか? ヂュリ では、どうせいと被言《おツしや》るのぢゃ? ロミオ 予《わし》の誓言《ちかひ》と取換《とりかへ》に、卿《そなた》の眞實の誓言《ちかひ》が聽きたい。 ヂュリ わしの誓言《ちかひ》は、さう言はれぬ前に、獻《あ》げてしまうた。もう一度獻《あ》げらるゝやうであって欲しい。 ロミオ では、取戻したいか?何の爲《ため》に? ヂュリ 有る限りを改めて獻《あ》げうために。とはいへ、それも、畢竟は、戀しいからのこと、 獻《あ》げたいと思ふ心も海、戀しいと思ふ心も海の、其底は測り知られぬ。獻《あ》ぐれば獻《あ》ぐる程、 尚戀しさの増すばかりで、どちらにも限《かぎり》は無い。 此時、奧にて乳母の聲にて呼ぶ。 奧で何やら、かしましい聲がする。戀しいお方、さよなら‥‥ あいあい、乳母、今すぐに!‥‥モンタギューどの、必ず渝《かは》らず。 ちょと待ってゝ下され、すぐ又戻って來う。 ヂュリエット入る。 ロミオ おゝ、有難い、かたじけない、何といふ嬉しい夜!が、夜ぢゃによって、もしや夢ではないか知らぬ。 現《うつつ》にしては、餘《あんま》り嬉し過ぎて嘘らしい。 ヂュリエット再び階上に現はるゝ。 ヂュリ ロミオどの、もう三言《みこと》だけ、それで今宵は別れませう。 これ、お前の心に虚僞《いつはり》がなく、まこと夫婦《めおと》にならう氣なら、 明日才覺《さいかく》して使者《つかひ》をば上げませうほどに、 何日《いつ》、何處で式を擧ぐるといふ返辭をして下され、すれば、 一生の運命をばお前の足下《あしもと》に抛出《なげだ》して、世界の如何《どん》な端《はて》までも、 わしの殿御として隨《つ》いてゆきませう。 乳母 (奧にて)姫《ひい》さま! ヂュリ あい、今すぐに。‥‥したが、萬一にも正しうないお心を有《も》ってござらば、どうぞ‥‥ 乳母 (奧にて)姫《ひい》さま! ヂュリ 今すぐ行くわいの。‥‥縁談を斷然《ふつゝり》止め、予《わし》をば勝手に泣かして下され。 明日使ひを送《あ》げませうぞ。 ロミオ 後の生《よ》をも誓言《ちかひ》にかけて‥‥ ヂュリ 千たびも萬たびも御機嫌よう。 ヂュリエット入る。 ロミオ 千たびも萬たびも俺は機嫌がわるうなったわ、卿《そもじ》といふ光明《ひかり》が消えたによって。 戀人に逢ふ嬉しさは、寺子共が書物に離るゝ心持と同じぢゃが、別るゝ時の切なさは、 澁面つくる寺屋通ひぢゃ。 ロミオそろ〜と退《さが》る。 ヂュリエット又階上に現れて、窃《そつ》と口笛を鳴らす。 ヂュリ hist!ローミオー!hist!‥‥ おゝ、こちの雄鷹をば呼返す鷹匠《たかじやう》の聲が欲しいなア、 囚人《とらはれ》の身ゆゑ聲が嗄《しやが》れて、高々とは能《よ》う呼ばぬ。 さもなかったなら、木魂姫《こだまひめ》が臥《ね》てゐる其洞穴《ほらあな》が裂くる程に、 また、あの姫の空《うつろ》な聲が予《わし》の聲よりも嗄《しやが》るゝ程に、ロミオ〜と呼ばうものを。 ロミオ や、俺の名を呼ぶは戀人ぢゃ。あゝ、戀人の夜の聲音は、白銀《しろがね》の鈴のやうにやさしうて、 聞けば聞くほどなつかしい! ヂュリ ローミオー! ロミオ 戀人か? ヂュリ 明日、何時頃に使ひを送《あ》げうぞ? ロミオ 九時に。 ヂュリ あい、ちがへはせぬ。あゝ、その時までが二十年!あれ、忘れた、何でお前を呼返したのやら? ロミオ 思ひ出しなさるまで、斯《か》うして此處《こゝ》に立ってゐよう。 ヂュリ さうしてゐて欲しいから、わたしゃ尚と忘れませう。一しょにゐたい、といふ事ばかりは忘れずに。 ロミオ 予《わし》は又いつまでも斯《か》うして此處《こゝ》に立ってゐよう、卿《そもじ》にも忘れさせ、 自分も此家《こゝ》の事の外は皆忘れて。 ヂュリ もう夜が明くる。往《い》んで欲しいとは思へども、小鳥の脚に、氣儘《きまゝ》少女《むすめ》が、 囚人《めしうど》の鎖のやうに絲《いと》を附けて、ちょっと放しては引戻し、 又飛ばしては引戻すがやうに、お前を往《い》なしたうもあるが、惜しうもある。 ロミオ 卿《そもじ》の小鳥になりたいなア! ヂュリ お前を小鳥にしたいなア!したが、餘《あんま》り可愛《かはゆ》がって、 つい殺してはならぬゆゑ、もうこれで、さよなら!さよなら! あゝ、別れといふものは悲し懷かしいものぢゃ。夜が明くるまで、斯《か》うしてさよならを言うてゐたい。 ヂュリエット入る。 ロミオ 卿《そもじ》の目には安眠が、卿《そもじ》の胸には安心の宿るやう!あゝ、其安眠と安心ともなって、 君の美しい胸や目に宿りたいなア!‥‥これから上人《しゃうにん》の庵《いほり》へ往《い》て、 今宵の仕合せを話した上、何かと助力を求めよう。 ロミオ入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第二幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第三場 同處。托鉢僧ロレンス法師の庵室《あんじつ》。 ロレンス法師提籃《さげかご》を携へて出る。 ロレ 灰色目の旦《あした》が顰縮面《しかめつら》の夜に對《むこ》うて笑《ゑ》めば、 光明《ひかり》の縞が東方の雲を彩り、剥げかゝる暗《やみ》は、日の神の火の輪の前に、 さながら醉人《ゑいどれ》のやうに蹣跚《よろめ》く。どりゃ、太陽《ひ》が其燃ゆるやうな眼《まなこ》を擧げて 今日の晝《ひる》を慰め、昨夜の濕氣《しっき》を乾す前に、毒ある草や貴い液《しる》を出す花どもを摘んで、 吾等《われら》の此籃《かご》を一杯にせねばならぬ。萬有の母たる大地は其墓所《はかどころ》でもあり、 又其埋葬地たるものが其子宮《こぶくろ》でもある、さて其子宮《こぶくろ》より千差萬別の兒供が生れ、 其胸をまさぐりて乳《ち》を吸ふやうに、更に何か一種宛《ひとくさづゝ》靈妙《いみ》じい殊《こと》なる 效能のある千種萬種を吸出《すひい》だす。あゝ、 夥《おびただ》しいは草や木や金石《きんせき》どもの其本質に籠《こも》れる竒特《きどく》ぢゃ。 地上に存する物たる限り、如何な惡《あ》しい品も何等かの益を供せざるは無く、 又如何な善いものも用法正しからざれば其性に悖《もと》り、圖《はか》らざる弊《へい》を生ずる習ひ。 美徳も法を誤れば惡徳と化し、惡徳も用處を得て威嚴を生ず。此孱弱《かよわ》い、 幼稚《いとけな》い蕚《はなぶさ》の裡《うち》に毒も宿れば藥力《やくりき》もある、 嗅いでは身體中を慰むれども、嘗《な》むるときは心臟と共に五官を殺す。 かゝる敵《かたき》が、植物界にも、人間界にも、常に陣どって相鬪ふ‥‥ 仁心と害心とが‥‥而《しかう》して惡しい方《かた》が勝つときは、忽《たちま》ち毒蟲に取附かれて、 其植物は枯果つる。 ロミオ出る。 ロミオ お早うござります。 ロレ 冥加あらせたまへ!誰れぢゃ、此早朝に、なつかしい其聲音は? ほう、若い癖に早起は、心に煩悶《わづらひ》のある證據《しょうこ》ぢゃ。老《おい》の目は苦勞に覺め勝ち、 苦勞の宿る處には兎角睡眠の宿らぬものぢゃが、心に創《きず》が無く腦に蟠《わだかま》りのない若い者は、 手足を横にするや否や、好い心持に眠らるゝ筈ぢゃに、かう早う起きさしゃったは、 こりゃ何か煩悶《わづらひ》が無うてはならぬ。さうでなくば、こちのロミオは、 昨夜は床に就かなんだのぢゃな。 ロミオ 其通りでござる、眠《ね》なんだ故にこそ嬉しい安心。 ロレ 神よ、罪を赦させられい!さてはローザラインと一しょぢゃな! ロミオ ローザラインと一しょぢゃと被言《おツしや》るか?其名前も、其名前に伴ふ悲痛《かなしみ》も、 予《わし》ゃ最早《もう》みんな忘れてしまうた。 ロレ それでこそ好い子ぢゃ。すれば、何處におゐやったのぢゃ? ロミオ 二度と問はれいでも話しませう。仇敵《かたき》の家で酒宴の最中、 だまし撃《うち》に予《わし》に創《きず》を負はした者があったを、此方《こち》からも手を負はした。 二人の受けた創《きず》は貴僧《こなた》の藥力《やくりき》を借れば治る。なう、上人《しやうにん》、 予《わし》は其敵を憎みはせぬ、かうして頼みに來たのも、互ひの身の爲《ため》を思ふからぢゃ。 ロレ はて、明白《はっきり》と素直に被言《おツしや》れ。懺悔が謎のやうであると、 赦免《みゆるし》も謎のやうなことにならう。 ロミオ されば明白《はっきり》と言はうが、 予《わし》はカピューレット家のあの美しい娘を又と無い戀人と定《き》めてしまうた。 予《わし》が定《き》めたれば先方《むかう》もまた其通りに定《き》めたのでござる。 手筈は皆濟んだ、殘るは貴僧《こなた》に行うて貰ふ神聖な式ばかり。何時、何處で、如何《どう》して逢うて、 如何《どう》言寄って、如何《どん》な誓言をしたかは、歩きながら話しませうほどに、 先づ承引《しよういん》して下され、今日婚禮さすることを。 ロレ 祖師フランシス上人《しゃうにん》!こりゃまた何たる變りやうぢゃ! あれほどに戀ひ焦れておゐやつたローザラインを最早《もう》棄てゝおしまやったか? されば若い手合の戀は其心には宿らいで其眼中に宿ると見えた。 Jesu《ヂェシュー》 Maria《マリヤ》!どれほど苦い水が其蒼白い頬をローザラインの爲《ため》に洗うたことやら? 幾何《どれほど》の鹽辛水《しほからみず》を無用《むだ》にしたことやら、 今は餘波《なごり》さへもない其戀を味つけうために!卿《そなた》の溜息はまだ大空に湯氣と立昇り、 卿《そなた》の先頃の呻吟《うなり》聲はまだ此老《おい》の耳に鳴ってゐる。 それ、まだ其頬に古い涙の汚れが拭はれいで殘ってある。卿《そなた》はやはり卿《そなた》で、 あの愁嘆《なげき》は卿《そなた》の愁嘆《なげき》であったなら、それは皆ローザラインの爲《ため》であったに、 なりゃ、其心が變ったか?すれば、此一語《このご》を唱へしめ‥‥ 女は心の移る筈、男心さへも堅固にあらず。 ロミオ 貴僧《こなた》はローザラインに戀をすなというて、幾たびもお叱りゃったぞよ。 ロレ 戀をすなではない、溺るなと言うたのぢゃ。 ロミオ そして戀を葬れと被言《おしや》ったぞよ。 ロレ 前のを墓に葬って、別のを掘出せとは曾《つひ》ぞ言わぬ。 ロミオ なう、叱って下さるな。此度《こんど》の女は、此方《こち》で思へば、彼方《あち》でも思ひ、 此方《こち》で慕へば、彼方《あち》でも慕ふ。以前《さき》のはさうでは無かった。 ロレ おゝ、それは、卿《そなた》の戀をば、能う會得してもゐぬことを、 只口頭《くちさき》で誦《よ》む類《たぐひ》ぢゃと見拔いてゐた爲《ため》でもあらう。 したが、こゝな浮氣者、ま、予《わし》と一しょに來やれ、仔細《しさい》あって助力せう、‥‥ 此縁組が原《もと》で兩家の確執を和睦に變へまいものでもない。 ロミオ おゝ、速う。早急《さつきふ》に濟まさにゃならぬ。 ロレ いや、賢《かしこ》う徐《ゆる》うぢゃ。馳出す者は蹉躓《けつまづ》くわい。 ロレンス先に、ロミオ從《つ》ひて入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第二幕 第四場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第四場 同處。街上《がいじやう》。 ベン・ーリオーとマーキューシオーと出る。 マーキュ ロミオめは何處へ往きをったか?帰らなんだか昨夜《ゆうべ》は? ベン・ うん、父者《てゝぢゃ》の家へは。家來に逢ふて聞いた。 マーキュ はて、あの蒼白い情無し女のローザラインめが散々に奴を苦めるによって、 果ては狂人にもなりかねまいわい。 ベン・ カピューレットの一族のチッバルトが、ロミオが父者《てゝぢゃ》へ宛てゝ、書面をば送ったさうな。 マーキュ 誓文《せいもん》、決鬪状であらう。 ベン・ ロミオは返事をやるであらう。 マーキュ 字の書ける程の者なら、返事をせいでか? ベン・ いや、しかけられたからは、立合はうと返事をせう。 マーキュ あゝ、ロミオの奴め、奴は最早《もう》死んでゐるわい! あの眞白な小婦《あまツちよ》の黒い目でしてやられた、耳は戀歌《こひか》で射貫《いとほ》される、 心臟の眞中央《まツたゞなか》は例の盲小僧の彼《あ》の稽古矢で打碎《ぶちくた》かれる。 何《だう》して、あのチッバルトと立合ふことなぞが出來うぞい。 ベン・ え、如何《どん》な奴ぢゃチッバルトは? マーキュ 昔話の猫王《チツバルト》ぢゃと思ふたら當《あて》が違はふ。見事武士道の式作法に精通遊ばしたお逹人さまぢゃ。 譜本で歌を唱《うた》ふやうに、時《ま》も距離も釣合も違へず、一《ひい》、二《ふう》と間を置いて、 三《みツ》と言ふ途端に敵手《あひて》の胸元へ貫通《ずぶり》、 絹鈕《きぬぼたん》をも芋刺《いもざし》にしようといふ決鬪師ぢゃ。 例の第一條、第二條を口癖にする決鬪師の嫡々《ちゃき〜》ぢゃ。あゝ、百發百中の進み突きとござい! 次は逆突《ぎゃくづき》?參ったか突《づき》とござる! ベン・ え、何突《なにづき》? マーキュ 白癩《びやくらい》、あのやうな變妙來《へんめうらい》な、 異樣《おつ》に氣取った口吻《ものいひ》をしをる奴は斃《くたば》りをれ、陳奮漢《ちんぷんかん》め! 「イエスも照覽あれ、拔群な劍士でござる!いや、拔群な丈夫《ますらを》でござる!」 へん、拔群な淫婦でござるが聞いて呆れるわい。何と、お祖父さん、情無い世の中となったではござらぬか、 朝から晩まで流行を仕入廻って、口さへ開けばpardonnez-mois,《パルドンネ モア》 pardonnez-mois!《パルドンネ モア》新型の細袴《ずぼん》を穿《は》かねば、 半時《はんとき》、片時《へんし》も立ってをられぬ如是《あゝいふ》[亡/(虫|虫);#1-91-58]《あぶ》共に惱されねばならぬとは? おゝ、又してもbon!《ぼん》bon!《ぼん》ぶん〜! ロミオ出る。 ベン・ ロミオが來《わ》せた、ロミオが。 マーキュ [魚|面]《はららご》を拔かれた鯡《にしん》の干物という面附《つらつき》ぢゃ。 おゝ、にしは、にしは、てもなア憫然《あさま》しい魚類とはなられたな! こりゃ最早《もう》ペトラークが得意の戀歌《こひか》をお手の物ともござらう。 ローラなどはロミオが愛姫《ひめ》に比べては山出しの下婢《はしため》ぢゃ、もっとも、 歌だけはローラが遙かに上等のを作って貰うた。はて、ダイドーは自墮落女で、 クレオパトラは赤面《あかつら》の乞食女、ヘレンやヒーローは賣女、賤女で、 シビスは碧瞳《あをめだま》ぢゃ何のかのと申せども、所詮は取るに足らぬ。 ‥‥なうなう、ロミオの君、えへん、bon jour! これはフランス式の細袴《ほそずぼん》に對してのフランス式の御挨拶でござる。昨夜《ゆうべ》は、 ようも巧々《うま〜》と贋金を掴ませやったの。 ロミオ 二人ともお早うござる。なに、贋金とは? マーキュ 吾々《われ〜》の目をお拔きゃって。後は言はいでもぢゃ。 ロミオ マーキューシオーどの、恕《ゆる》して下され、實は是非ない所用があったからぢゃ。 あんな際《をり》には、つい、その、禮を曲ぐることがある習ひぢゃ。 マーキュ ふん、あんな際《をり》には、足腰の曲げ方が異《ちが》ふといふのぢゃな? ロミオ といふのは、慇懃《ねんごろ》に挨拶するためといふ意《こゝろ》か? マーキュ 其通り、御深切《ごねんごろ》な解釋ぢゃ。 ロミオ これはまた御丁寧なお言葉ぢゃ。 マーキュ はて、禮法にかけては一代の精華《ピンク》とも崇められてゐる乃公《おれ》ぢゃ。 ロミオ 精華《ピンク》とは名譽の異名《いみやう》か? マーキュ いかにも。 ロミオ では、予《わし》の舞踏靴は名譽なものぢゃ、此通り孔《ピンク》だらけぢゃによって。 マーキュ 出來た。此上は洒落競べぢゃぞ。これ、足下《おぬし》の其薄っぺらな靴の底は、 今に悉《こと〜゛》く磨り減って、果《はて》は見苦しい眞っ赤な足を出しゃらうぞよ。 ロミオ はて、見苦しい眞っ赤な恥を駄洒落るとは足下《おぬし》のこと。 それ、もう、薄っぺらな智慧の底が見えるわ! マーキュ おい、應援《たす》けてくれ、ベン・ーリオー。智慧の息が切れるわ。 ロミオ 鞭を加《あ》てい、鞭を、もっと〜。さうで無いと「勝った」と呼ぶぞよ。 マーキュ いや、こんな阿呆らしい拔駈の競爭は最早《もう》中止《やめ》ぢゃ。何故《なぜ》と言へ、 足下《おぬし》は最初からぬけてゐるわ。何と、頭拔けた洒落であらうが。 ロミオ 成程、愚鈍者事《ぬけさくごと》にかけては、足下《おぬし》は生得《うまれつき》頭拔けてゐる。 マーキュ 巧く脱《ぬ》けをったな、咬むぞよ。 ロミオ はて「咬んでたもるな、阿呆鳥どのよ」ぢゃ。 マーキュ 足下《おぬし》の洒落は橙々酢《だい〜ず》といふ格ぢゃ、藥味にしたら酸《すツ》ぱからう。 ロミオ ぢゃによって、かうした味の脱《ぬ》けた代物《しろもの》に撒布《ふりか》けてゐるのぢゃ。 マーキュ おゝ、ても善う廻るわ、寸から尺に伸びる莫大小口《めりやすぐち》とは足下《おぬし》の口ぢゃ。 ロミオ はて、伸びると言へば、その伸びるとは足下《きみ》の鼻の下ぢゃ、 今天下に並びもない拔作どのとは足下《きみ》のことぢゃ。 マーキュ (笑って)何と、かう洒落れのめしてゐるはうが、惚れたの、 腫れたのと呻吟《うめ》いてゐるよりは優《まし》であらうが? 今日こそは、つッともう人好きのする立派なロミオぢゃ、今日こそは正面、側面、 何處から見ても正めん贋《まがひ》無しのロミオぢゃ。女の事で愁言《なきごと》言ふは、 例へば、彼《あ》の弄僕《あほう》めが、見ともない面《つら》をして、例の棒切《ボーブル》をおったてゝ‥‥ ベン・ もう止《や》めた、もう止《や》めた。 マーキュ しかけた一件を、止《や》めいとは如何《どう》ぢゃ? ベン・ 默ってゐたら、尚ほ其上に、何を爲出《しいだ》さうも知れぬわい。 マーキュ 大ちがひぢゃ、何をしようぞい。事はとうに終《す》んだわ。もう何もする氣は無い。 ロミオ やれ〜、お上品な問答! (此原詞《げんし》は"Here's goodly gear."此意味不分明。 乳母とピーターとの來《きた》るを見附けての評語とも、 マーキューシオーとベン・ーリオーの猥雜な問答を反語的に評したるものと解せらる。 こゝには後者を正しと見て、其義に譯しておきたり。) 乳母が先に、下人ピーター大きな扇子を持ちて從《つ》いて出る。 マーキュ 船ぢゃ〜! ベン・ 二艘《さう》々々。男襦袢《をす》と女襦袢《めす》ぢゃ。 乳母 ピーター! ピータ あい〜! 乳母 予《わし》の扇子を。 マーキュ ピーターどんや、扇子で面《つら》を隱さうちふのぢゃ、扇子の方が美しいからなう。 乳母 殿方、お早うござります。 マーキュ 御婦人、お晩《おそ》うござります。 乳母 え、晩《おそ》うござりますとえ。 マーキュ いかにも。それ、その日時計の淫亂《すけべい》な手が午過《ひるすぎ》の標《しるし》に逹《とど》いてゐるわさ。 乳母 はれま、此人は!何たるお人ぢゃお前は? ロミオ 御婦人、これは事壞しの爲《ため》に神樣が造らせられた男ぢゃ。 乳母 ほんに、巧いことを被言《おつしや》る。事壞しの爲《ため》に出來た人ぢゃといの! あの、殿方え、ロミオの若樣には何處へゐたら逢はれうかの、御存じなら教へて下され。 ロミオ 予《わし》が教へう。したが、其若樣は彌ゝ《いよ〜》逢はッしゃる時分には、 尋ねてござる今よりは老けてゐませうぞ。はて、最《いつ》ち年少《としわか》のロミオは予《わし》ぢゃ。 これより粗《まづ》いのは今はない。 乳母 てもま、巧いことを被言《おつしや》る。 マーキュ 何ぢゃ、最《いつ》ち粗《まづ》いのをば甘美《うま》い? はて、巧いの意味の取りやうぢゃの。賢女々々。 乳母 貴下《こなた》がロミオさまなら、何處ぞで改めて御密會(御面會)がお願ひ申したうござります。 ベン・ (笑って)今に、優待といふ積《つも》りで、誘惑をはじめかねまい。 マーキュ 慶庵婆《ぜげん》だ〜!來た〜! ロミオ 來たとは何が? マーキュ はて、兎ではない、兎にしても脂肪《あぶら》の滿《の》った奴ではなうて、節肉祭《レント》式の肉饅頭、 食はぬうちから、陳《ふる》びて、萎《しな》びて‥‥ (歌ふ)。やんれ、黴の生えた雌兎、 やんれ、黴の生えた雌兎、 レント祭には相應《さうおう》なれど 黴びた兎ぢゃ二十人でも食へぬ、 食はぬうちから黴びたと聞けば‥‥ ロミオ、父御《てゝご》の館《うち》へおぢゃれ。あそこで飮まうぞ。 ロミオ 後から行かう。 マーキュ お媼《ばゝ》どん、さらば〜。 「姫さん〜〜〜‥‥」 流行の小唄を唱《うた》ひながらベン・ーリオーと共にマーキューシオー入る。 乳母 はい、御機嫌よう。‥‥もし〜、あの人は、ま、何といふ不作法な若い衆でござるぞ? あくたいもくたいばかり言うて。 ロミオ あれは自分の饒舌《しゃべ》るのを聽くことの好きな男、一月かゝってもやり切れぬやうな事を、 一分間で饒舌《しゃべ》り立てようといふ男ぢゃ。 乳母 おのれ、わしの事を何とでも言ふて見をれ、目に物みせうぞい。 よしんば見かけより強からうと、あんな奴がまだ別に二十人あらうと、大事ない。 自力で敵《かな》はぬなら、人を頼むわいの。碌でなしの和郎《わろ》め! 彼奴《あいつ》らに阿呆にされて堪るかいの。彼奴《あいつ》らの無頼《ごろつき》仲間ぢゃありゃせぬわい。 ‥‥(下人に對ひて)汝《おのし》も傍《そば》に立ってゐながら、 予《わし》が隨意的《えいやう》にされてゐるのを、見てゐるとは何の事《こツ》ちゃい。 ピータ 誰れもお前を隨意的《えいやう》には爲《し》やせぬがや。若しも其樣《そない》なことがあれば、 此利劍《わざもの》を引拔かいでかいの。こりゃ拔かんければならん場合ぢゃとさへ思うたら、 わしゃ人に負くるこっちゃない。 乳母 えゝ、ほんに〜、悔しうて〜、身體《からだ》中が顫《ふる》へるわいの。 碌でなしの和郎《わろ》めが!‥‥(ロミオに對ひて)もし〜、 貴下《こなた》さまえ、最前も申しましたが、妾《わし》の姫《ひい》さまが、 貴下《こなた》を搜して來いとの吩附《いひつけ》でな、 其仔細《わけ》は後にして、先づ言うて置くことがござります、若し貴下《こなた》が、 世間で言ふやうに、阿呆の極樂へ姫《ひい》さまを伴《つ》れて行《ゆ》かっしゃやうならば、 ほんに〜、世間で言ふ通り、不埒な事ぢゃ。何故《なぜ》と被言《おツしや》りませ、 姫《ひい》さまはまだ齡《とし》がゆかッしゃらぬによって、騙さッしゃるやうであれば、 ほんにそれは惡いこっちゃ、御婦人を騙さッしゃるは卑怯ぢゃ、非道ぢゃ。 ロミオ お乳母どの、おぬしのお姫《ひい》さんへ慇懃《ねんごろ》に傳へて下され。 予《わし》は飽迄《あくまで》も言うておく‥‥ 乳母 はれ、善いお仁《ひと》や、ほんに其通り申しましょわいな。ほんに、ま、 何樣《どのやう》に喜ばッしゃらう。 ロミオ 其通りにとは、何を?まだ何も言やせぬのに。 乳母 飽迄《あくまで》も言うて置く、とおッしゃったと言や、それが立派なお言傳手《ことづて》ぢゃがな。 ロミオ なう、姫に勸めて下され、此晝過《ひるすぎ》に、何とか才覺《さいかく》して懺悔式に來らるゝやう。 あのロレンス殿の庵室《あんじつ》で、懺悔の式を濟まして婚禮する心なれば。 こりゃ骨折賃ぢゃ。 乳母 いえ、めっさうな。一錢も戴きませぬ。 ロミオ まゝ、是非とも。 乳母 では、此晝過《ひるすぎ》に?む、む、其樣にいたしましょ。 乳母行きかくる。 ロミオ あ、これ、お待ち。やがて、あの寺の塀外へ、おぬしに渡す爲《ため》に、 繩梯子のやうに編み合せたものを家來に持たせ遣りませう。 それこそは忍ぶ夜半《やは》に嬉しい事の頂點へ此身を運ぶ縁の綱。‥‥さよなら。 眞實を盡しておくりゃれ、きっと骨折の報《むくひ》はせう。さらば。 姫へ宜しう傳へて下され。 乳母 御機嫌やういらせられませい!‥‥あ、もし〜。 ロミオ 何とかお言やったか? 乳母 御家來は口の堅いお人かいな?二人ぎりの祕密は洩れぬ、三人目が居らねば、と言ひますぞや。 ロミオ 大丈夫ぢゃ、鋼鐡《はがね》のやうに堅い男ぢゃ。 乳母 それならば。こちの姫《ひい》さまはな、それは〜憐《しほら》しうて‥‥ほんに、ほんに、 まだ幼《ちひさ》うて、分別《たわい》もないことを言うてゞあった時分は‥‥ お、あのな、パリス樣と言うて、お立派な方がな、どうぞして物にせうと氣を揉まっしゃるのぢゃが、 あのよな人に逢ふよりは、予《わし》ゃ蟾蜍《ひきがへる》に逢うたはうが優《まし》ぢゃ、と言うてな、 あの蟾蜍《ひきがへる》に。予《わし》も折々は腹を立っても見ますのぢゃ、パリスどのゝ方が、 ずっと好い男ぢゃと言うてな。すると、眞《ほん》の事ぢゃ、孃は眞蒼《まつさを》な顏にならっしゃる、 圖無い白布のやうに。え、ロミオと萬迭香《ローヅメリ》とは、頭字が同じかいな? ロミオ いかにも。それが、何としたぞ?兩方ともRぢゃ。 乳母 はれま、人を!そりゃ、犬の名ぢゃがな。Rがお前の‥‥いやいや、 何か他の字に相違ないわいの。‥‥何でもな、 貴下《こなた》と萬迭香《ローヅメリ》とが如何《どう》とやらしたといふ、何ぢゃ知らんが、 面白さうな額言《がくげん》(格言)とやらを作らしゃってぢゃ、 貴下《こなた》が聞かッしゃれば喜ばッしゃらうやうな。 ロミオ 姫に宜しう言うて下され。 ロミオ入る。 乳母 はい〜、申しましょとも。‥‥ピーター! ピータ あい〜! 乳母 先へ、そして急速的《とつと》と。 乳母とピーターと入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第二幕 第五場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第五場 同處。カピューレットの庭園。 ヂュリエット出る。 ヂュリ 乳母を出してやった時、時計は九つを打ってゐた。 半時間で歸るといふ約束。若しや逢へなんだかも知れぬ。 いや〜、さうでは無い。えゝも、乳母めは跛足ぢゃ!戀の使者《つかひ》には思念《おもひ》こそ、 思念《おもひ》は殘る夜の影を遠山蔭《とほやまかげ》に追退《おひの》ける旭日《あさひ》の速さよりも十倍も速いといふ。 ぢゃによって、戀の神の御輦《みくるま》は翼輕《はねがる》の鳩が牽《ひ》き、 風のやうに速いキューピッドにも双《ふた》つの翼《はね》がある。あれ、もう太陽は、 今日の旅路の峠までも逹《とど》いてゐる。九時から十二時までの長い〜三時間、それぢゃのに、 まだ歸って來ぬ。乳母めに、情が燃えてゐたら、若い温かい血があったら、テニスの球のやうに、 予《わし》が吩附《いひつ》くるや否や戀人の許《とこ》へ飛んで行き、 また戀人の返辭と共に予《わし》の手元へ飛び返って來《き》つらうもの。 ‥‥あゝ、老人といふものは、死んでゞもゐるかのやうに、太儀さうに緩慢《のろ〜》と、重くるしう、 蒼白《あをじろ》う、鉛のやうに‥‥ 乳母がピーターを從《つ》れて出る。 おゝ、嬉しや、歸って來た。‥‥なう乳母いの、如何《どう》ぞういの? あの方に逢《あ》やったかや?‥‥侶《とも》は彼方《あち》へ。 乳母 ピーター。‥‥入り口に控へてゐや。 ピーター入る。 ヂュリ さ、乳母いの。‥‥ま、何で其樣《そのやう》な情ない顏してゐやる?悲しい消息《しらせ》であらうとも、 せめて嬉しさうに言うてたも。若し嬉しい消息《しらせ》なら、それを其樣《そん》な顏をして彈《ひ》きゃるのは、 床しい知らせの琴の調べを臺無しにしてしまふといふもの。 乳母 おゝ辛度《しんど》!暫時《ちいと》まァ休まして下され。あゝ〜、骨々が痛うて痛うて! ま、どの位ほッつきまはったことやら! ヂュリ 予《わし》の骨々を其方《そなた》に與《や》っても、速う其消息《しらせ》が此方《こつち》へ欲しい。 これ、どうぞ聞かしてたも。なう、乳母や、乳母いなう、如何《どう》ぢゃぞいの? 乳母 ま、氣忙《きぜは》しい!暫時《ちいと》の間が待てぬかいな?息が切れて物が言はれぬではないかいな? ヂュリ 息が切れて言はれぬと言やる程なら、息は切れてゐぬ筈ぢゃ。 何のかのと言譯してゐやるのが肝腎の一言より長いわいの。これ、吉か、凶か?速う言や。 それさへ言うてたもったら、詳細事《くはしいこと》は後でもよい。 速う安心さしてたも、吉か、凶か? 乳母 はて、お前は阿呆らしいお人ぢゃ、あのやうな男を選ばッしゃるとは目が無いのぢゃ。 ロミオ!ありゃ不可《いけ》んわいの。面附《つらつき》こそは誰れよりも見よけれ、 脛附《すねつき》が十人並以上ぢゃ、それから手や足や胴やは彼れ此れ言ふが程も無いが、 外には、ま、類が無い。行儀作法の生粹ぢゃありやせん、でも眞《ほん》の事、仔羊のやうに、 温和《おとな》しい人ぢゃ。さァ〜〜、小女《いと》よ、信心さっしゃれ。 ‥‥え、もう終《す》みましたかえ、お晝《ひる》の食事は? ヂュリ いゝえ〜。其樣《そん》な事は、もう夙《とう》に知ってゐる。婚禮の事をば何と言うてぢゃ?さ、それを。 乳母 はれ、頭痛がする!あゝ、何といふ頭痛であらう! 頭が粉[韲,なべぶた@艸;#2-87-23]《こな〜ゞ》に碎けてしまひさうに疼くわいの。背中ぢゃ。 ‥‥そっち〜。‥‥おゝ、背中が、背中が!ほんに貴孃《こなた》が怨めしいわいの、 遠い遠い處へ太儀な使者《つかひ》に出さッしやって、如是《こん》な死ぬるやうな思ひをさすとは! ヂュリ ほんに氣の毒ぢゃ、氣分が惡うてはなァ。したが、乳母、乳母や、乳母いなう、何卒《どうぞ》言うてたも、 戀人が何と被言《おツしや》った? 乳母 さいな、あの方の言はッしゃるには、行儀もよければ深切でもあり、男振りはよし、 噐量人《きりやうじん》でもあり、流石《さすが》に身分のある殿方らしう‥‥お母さまは何處にぢゃ? ヂュリ 母さまは何處にぢゃ?母樣は家《うち》にぢゃ。何處に行かしゃらうぞ? 何を言やるぞい!「あの方が被言《おツしや》るには、身分のある殿方らしう、お母樣は何處にぢゃ?」 乳母 はれ、まア!そのやうに熱くならッしゃるな。これさ、まァ、ほんに〜。 それが痛む節々の塗藥になりますかいの?これからは自分で使ひ歩きをばさっしゃったがよい。 ヂュリ まァ、仰山な騷ぎぢゃ!‥‥これの、ロミオが何と被言《おツしや》った? 乳母 お前今日はお參詣《まゐり》に往《い》ても可《よ》いといふお許可《ゆるし》が出ましたかえ? ヂュリ あいの。 乳母 では、なう、急いでロレンス樣の庵室《あんじつ》まで往《ゆ》かっしゃれ。 あそこでお前を内室《うちかた》になさるゝ人が待ってぢゃ。 そりゃこそ頬邊《ほつぺた》へ放埒《みだら》な血めが上るわ、 所詮《つまり》は何を聞いても直に眞赤にならッしゃらうぢゃまで。 速うお寺へ。予《わし》はまた別の方へ往《い》て梯子を取って來ねばならぬ、 其梯子でお前の戀人が、今宵暗うなるが最後、鳥の巣へ登らッしゃるのぢゃ。 予《わし》は只もう齷齬《あくせく》とお前を喜ばさうと念《おも》うて。 したが、やがて夜になると、お前も骨が折れうぞや。さ、予《わし》は食事をせう。 貴孃《こなた》は庵室《あんじつ》へ速うゆかしゃれ。 ヂュリ 速う其幸福《しあはせ》に!‥‥乳母や、きげんよう。 二人とも入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第二幕 第六場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第六場 同處。ロレンス法師の庵室《あんじつ》。 ロレンス法師が先に、ロミオ從《つ》いて出る。 ロレ 諸天善神、願はくは此神聖なる式に笑《ゑ》ませられませい、 ゆめ後日悲哀《かなしみ》を降《くだ》さしまして御譴責《けんせき》遊ばされますな。 ロミオ アーメン、アーメン!如何《どん》な悲哀《かなしみ》が來ようとも、 姫の顏を見る嬉しさの其刹那には易《かへ》られない。 神聖《たふと》い語《ことば》で二人の手を結び合はして下されば、 戀を亡《ほろぼ》す死の爲《ため》に此身が如何樣《どのやう》にならうとまゝ。 妻と呼ぶことさへ叶へば、心殘りはない。 ロレ さうした過激の歡樂は、とかく過激の終《おはり》を遂《と》ぐる。 火と煙硝《えんせう》とが抱合へば忽《たちま》ち爆發するがやうに、勝誇る最中《さなか》にでも滅び失せる。 上《うえ》なう甘い蜂蜜は旨過ぎて厭らしく、食ふて見ようといふ氣が鈍る。 ぢゃによって、戀も程よう。程よい戀は長う續く、速きに過ぐるは猶《なほ》遲きに過ぐるが如しぢゃ。 ヂュリエット出る。 それ、姫が來《わ》せた。おゝ、あのやうな輕い足では、いつまで蹈《ふ》むとも、 堅い石道は磨《へ》るまいわい。戀人は、夏の風に戲れ遊ぶあの埒もない絲遊《かげろふ》に騎《のツ》かっても、 落ちぬであらう。さほどに輕いものが空《あだ》な歡樂《たのしみ》! ヂュリ (ロレンスを抱きて)教父さま、ごきげんよろしう! ロレ 其お返禮《かへし》は、二人分、ロミオの口から。 ヂュリ (ロミオを抱きて)ではロミオにも。でないとお返禮《かへし》が多過よう。 ロミオ あゝ、ヂュリエット、今日は嬉しい、かたじけないと思ふ心が予《わし》と同じに滿腔《いつぱい》なら、 しかもそれを現す力が予《わし》よりも多いなら、今日の出會で二人が感ずる此夢のやうな嬉しさを、 床しい天樂《てんがく》のやうな卿《そもじ》の聲で、四邊《あたり》の空氣も融解《とろ》くるばかりに、 なつかしう奏でゝ下され。 ヂュリ 内實《なかみ》の十分な思想は、言葉の花で飾るには及ばぬ。算《かぞ》へらるゝ身代《しんだい》は貧しいのぢゃ。 妾《わし》の戀は、分量が大きう〜なったゆゑに、 今は其半分をも計算《かんぢやう》することが出來ぬわいの。 ロレ さゝ、予《わし》と一しょにござれ。速う濟《すま》してのけう。慮外《りょがい》ながら、 尊い教會が二人を一人に合體さするまでは、さし對ひでゐてはなりませぬのぢゃ。 ロレンスに從《つ》いて二人とも入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第三幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第一場 ・ローナ。 街上《がいじやう》。 マーキューシオー先に、ベン・ーリオー、侍童《こわらわ》、下人《しもべ》等從《つ》いて出る。 ベン・ マーキューシオーどの、もう歸らう。暑くはある、カピューレット家の奴等が出歩いてもゐる、 出會《でつくは》したが最後、鬪爭《けんくわ》をせねばなるまい。かういふ暑い日には、 えて氣ちがひめいた血が騷ぐものぢゃ。 マーキュ おい、酒亭《さかや》へ入った當座には、劍を食卓《テーブル》の下へ叩きつけて 「神よ、願はくは此奴《こいつ》に必要あらしめたまふな」なぞといってゐながら、 忽《たちま》ち二杯目の酒が利いて、何の必要も無いのに、給仕人を敵手《あひて》に引っこ拔く手合があるが、 足下《おぬし》が其仲間ぢゃ。 ベン・ 予《わし》がそんな仲間か? マーキュ さゝ、足下《おぬし》はイタリーで誰れにも負《ひけ》を取らぬ易怒男《おこりむし》ぢゃ、 直《ぢき》に怒るやうに仕向けられる、仕向けらるれば直《すぐ》怒る。 ベン・ して何にするんぢゃ? (この原詞は"And what to?"「して何の爲《ため》に?」といふ義。 マーキューシオーはそれをわざと"And what two?"の意味に取りて例の駄洒落のキッカケとする。) マーキュ 何人?いや、足下《おぬし》のやうなのが二人とゐたら、忽《たちま》ち殺しあうてしまふから、 二人ともゐなくならう。はて、足下《おぬし》なぞは髭の毛一筋の多い少ないが原《もと》でも叩き合ふ。 或ひは足下《おぬし》の目の色が榛《はしばみ》色ぢゃによって、 そこで相手が榛《はしばみ》の實を噛割ったと言ふだけの事で、鬪爭《けんくわ》を買ひかねんう。 その眼《まなこ》でなうて、そんな鬪爭《けんくわ》を買ふ眼《まなこ》が何處にあらう? 足下《おぬし》の頭には鷄卵《たまご》に黄蛋《きみ》が充實《つま》ってゐるやうに、鬪爭《けんくわ》が充滿《いつぱい》ぢゃ、 しかも度々《たび〜》打撲《どや》されたので、少許《ちつと》腐爛《くされ》氣味ぢゃわい。 足下《おぬし》は、街中で咳をして足下《おぬし》の飼犬の日向ぼこりを驚かしたと言うて、 或男と鬪爭《けんくわをした。復活祭《イースター》前に新調胴衣《したておろし》を着たと言うて、 或裁縫師《したてや》と掴み合ひ、新しい靴に古い紐を附けをったと言うて、 誰某《たれやら》とも爭論《いが》み合うた。 それでゐて俺に鬪爭《けんくわ》をすまいぞと異見めいたことを被言《おし》ゃるのか? ベン・ 予《わし》が足下《きみ》ほど鬪爭《けんくわ》好きと言うことが實《ぢやう》なら、 無條件《ろは》で此命を一時間位は賣ってやってもよいわい。 マーキュ ろはぢゃ!ろッはッは!ろッはッは!(と笑ふ)。 チッバルトを先に、カピューレットの黨人《たうじん》出る。 ベン・ や、カピューレットのやつらが來をった。 マーキュ へん、かまふものかえ。 チッバ 俺に附着《くツつ》いて來う、彼奴等と談じてくれう。 ‥‥(ベン・ーリオーらに)諸氏《かた〜゛》、機嫌よう。一言《いちごん》申したうござる。 マーキュ ただ一言《いちごん》でござるか?何をお添へなさい。一言《いちごん》兼一撃としたら如何《どう》ぢゃ? チッバ 機會《きつかけ》さへ與《おこ》しゃらば、何時《いつ》でも敵手《あひて》になり申さう。 マーキュ 此方《こち》から與《おこ》さねば、其方《そち》では機會《きつかけ》が出來ぬと被言《おしや》るか? チッバ マーキューシオー、足下《おぬし》は平生《ふだん》あのロミオと調子を合せて‥‥ マーキュ 何ぢゃ、調子を合せて?吾等《われら》を樂人《がくにん》扱ひにするのか? 樂人《がくじん》扱ひに爲《す》りゃ、耳を顛覆《でんぐりかへ》らする音樂を聞《きか》す。 準備《ようい》せい。(劍に手を掛けて)乃公《おれ》の胡弓は此劍《これ》ぢゃ、 今に足下《おぬし》を踊らせて見せう。畜生、調子を合す! ベン・ こゝは往來ぢゃ、どうぞ閑寂《ひそか》な處で冷靜《しづか》に談判をするか、さもなくば別れたがよい。 衆人《ひと》が見るわ。 マーキュ 見る爲《ため》の眼《まなこ》ぢゃ、見るがえいわ。他《ひと》が如何《どう》思はうと介意《かま》ふものかえ。 ロミオ出る。 チッバ 足下《おぬし》とは中直りぢゃ。あそこへ奴が來をった。 マーキュ 奴ぢゃ?へん、ロミオが足下《おぬし》の奴《やつこ》なものか?何時《いつ》足下《おぬし》が給服《しきせ》を着せた? はて、先に立って決鬪場《ばしよ》へ行きゃれ、ロミオも隨行《とも》をせう。 それが奴《やつこ》の役なら、ロミオは足下《おぬし》樣のお抱《かゝへ》奴《やつこ》ぢゃ。 チッバ (ロミオに對ひて)やい、ロミオ、足下《おぬし》に對する俺が情合《じやうあひ》からは是限《これぎり》しか言へぬ。 ‥‥汝《おのれ》は惡漢《あくたう》ぢゃ。 ロミオ チッバルト、足下《きみ》を愛する仔細があって、怒らねばならぬ其挨拶をもわるうは取らぬ。 予《わし》は惡漢《あくたう》ではない。さらば、足下《きみ》は予《わし》を知らぬのぢゃ。 ロミオ行きかくる。 チッバ 小僧《わつぱ》め、それが無禮の辯解《いひわけ》にはならぬぞ。戻って拔劍《ぬ》け。 ロミオ 予《わし》は無禮をした覺えはない、いや、其仔細の分るまでは迚《とて》も會得のゆかぬ程に 予《わし》は足下《きみ》を愛してゐるのぢゃ。カピューレットどの、 予《わし》は今カピューレットといふ其名前を我名も同樣に大切に思うてゐる、 まゝ、堪忍さっしゃれ。 マーキュ おゝ、柔弱《てぬる》い、不面目な、卑劣な降參!此上は劍あるのみぢゃ。(劍を拔く)。 チッバルト、いやさ、猫王《ねこまた》どの、お往きゃらうか? チッバ 何ぞ俺に用があるか? マーキュ 猫王《ねこまた》どの、九箇《こゝのつ》あるといふ足下《おぬし》の命が只《たツた》一つだけ所望したいが、 其後の擧動《しこなし》次第で殘る八箇《やツつ》も叩き挫《みじ》くまいものでもない。 耳形の[木|霸;#2-15-85]《つか》を掴んで其劍をお拔きゃれ、速うせぬと乃公《おれ》の劍が足下《おぬし》の耳元へお見舞ひ申すぞ。 チッバ 合點《がつてん》だ。 劍を拔く。 ロミオ マーキューシオー君、まア〜、劍を。 マーキュ さ、突いて來い。 チッバルトとマーキューシオーと鬪ふ。 ロミオ 拔劍《ぬ》け、ベン・ーリオー、二人の武噐《えもの》を叩き落さう。 これさ〜、恥ぢゃ〜、亂暴をすな?チッバルト、マーキューシオー、領主《との》の嚴命では無いか、 ・ローナの街頭《まちなか》で鬪爭《たゝかひ》をしてはならぬ筈ぢゃ。 これさ、チッバルト!マーキューシオー! 此立廻りの間にマーキューシオーはチッバルトに突かるゝ。 チッバルト及び其黨人《たうじん》入る。 マーキュ やられた!畜生、兩方の奴等め!やられたわい。去《い》にをったか、彼奴め無創《むきず》で? ベン・ や、手を負ふたか足下《きみ》は? マーキュ 唯《うん》、唯《うん》、引掻かれた〜。はて、これで十分ぢゃ。侍童《こやつこ》めは何處にをる? 小奴《やつこ》、はよ往って下科醫者を呼んで來い。 ロミオ これ、氣を確《たしか》に。手傷は決して重うはない。 マーキュ さうぢゃ。井戸ほどに深くも無ければ、教會の入り口程には廣くもない、が十分ぢゃ、役には立つ。 明日訪ねてくれい、すれば墓の中から御挨拶ぢゃ。先づ乃公《おれ》の一生も、誓文《せいもん》、 總仕舞が澄んでしまうた。‥‥畜生、兩方の奴等め!‥‥うぬ! 犬、鼠、[鼠|奚;#2-94-69]鼠《はつかねずみ》、猫股、人間を引掻いて殺しをる!一二三《ひふうみ》で劍を使ふ駄法螺吹きめ! 破落戸《ごろつき》、惡黨!何で眞中へ飛込んだんぢゃ足下《おぬし》は!足下《おぬし》の腕の下でやられた。 ロミオ みんな爲《ため》を思ふてしたのぢゃ。 マーキュ おい、ベン・ーリオー、何處ぞ家《うち》の中へ伴《つ》れて行ってくれ、 速うせぬと氣絶しさうぢゃ。畜生、兩方の奴等!とう〜俺を蛆蟲の餌食にしてしまひをった。 參った、しっかり參った。畜生、兩方の奴等! ベン・ーリオーに介抱せられて、マーキューシオー入る。 ロミオ 領主には近親たる信友のマーキューシオーが俺故あのやうな重傷《ふかで》を負ひ、 俺は只一時程縁者となったあのチッバルト故に汚名を受けた。 おゝ、ヂュリエット、卿《おまひ》の艷麗《あでやか》さが俺を柔弱にならせて、 日頃鍛うておいた勇氣の鋒《きっさき》が鈍ってしまうた。 ベン・ーリオー又出る。 ベン・ おゝ、ロミオ〜、マーキューシオーはお死にゃったぞよ! あの勇敢な魂は氣短《きみじか》に此世を厭ふて、雲の上へ昇ってしまうた。 ロミオ けふの此惡運は此儘では濟むまい。これは只不幸《ふしあはせ》の手始《てはじめ》、 つゞく不幸《ふかう》が此結局《しまつ》をせねばならぬ。 チッバルト又出る。 ベン・ 我武者《がむしや》のチッバルトめが又來をった。 ロミオ なに、無事で、勝誇って?マーキューシオーが殺されたのに! 此上は禮儀も寛大も天外に抛《なげう》った。[(ク/臼)|炎;#1-87-64]《ほのほ》を眼《まなこ》の忿怨神《いかりのかみ》よ、 案内者《あんないじや》となってくれい!‥‥(チッバルトに對ひ) やい、チッバルト、先刻足下《おぬし》が俺にくれた「惡漢《あくたう》」の名は今返す、受取れ。 マーキューシオーの魂がつい頭上《とうぢゃう》に立迷うて同伴者を求めてゐる、足下《おぬし》か、俺か、 兩人《ふたり》ながらか、同伴をせねばならぬぞ。 チッバ 青二才どの、最初同伴《つれだ》って來た足下《おぬし》ぢゃ、冥土《あのよ》へ行くも一しょにお往きゃれ。 ロミオ それは此劍《これ》が決めるわ。 二人鬪ふ。チッバルト倒るゝ。 ベン・ ロミオ、速う!速う迯《に》げた!あれ、市人《まちびと》がが騷ぎはじむる。 チッバルトは落命ぢゃ。狼狽《うろた》へてゐるところではない。 捕《とら》へられたならば、領主は死罪を宣告せう。速う落ちた、速う〜! ロミオ おゝ、俺ゃ運命の玩弄物《もてあそび》ぢゃわい! ベン・ おい、何をしてゐるのぢゃ? ロミオ入る。 市人《まちびと》等出る。 甲市人 マーキューシオーを殺した奴は何方《どちら》へ逃げました? 人殺しのチッバルトは何方《どつち》へ逃げました? ベン・ そこにゐるのがチッバルトでござる。 甲市人 ござれ、吾等《われら》と一しょに。御領主の命《おほせ》でござる。ござれ。 此時、領主公爵、多勢《おほぜい》の從者を引連れて出る。モンタギュー長者夫婦、カピューレット長者夫婦、 其他多勢《おほぜい》出る。 領主 その不埒な爭鬪《さうたう》を始めた者共は何方《いづれ》にをる? ベン・ 憚《はばか》りながら、 此不運なる騷擾《さうぜう》のあさましき經緯《ゆくたて》は手前が言上《ごんじやう》いたしませう。 それに倒れをりまする男が御親戚のマーキューシオーどのを殺害《せつがい》しましたるを ロミオと申す若人《わかうど》が討取ってござります。 カピ妻 なに、チッバルト!おゝ、わしの甥の、弟の子の!おゝ、御領主《とのさま》! おゝ、甥よ!わが夫《つま》!おゝ、大事の〜、親族《うちら》の血汐が流されてゐる! 公平な御領主さま、モンタギューの血を流して吾等《われら》のを償ふて下さりませい。 おゝ、甥よ〜! 領主 ベン・ーリオーよ、此無慚な鬪諍《とうじやう》を始めたのは誰れぢゃ? ベン・ チッバルトにござります、ロミオに殺されたましたる。 ロミオは言葉穩かに、此爭端の取に足らぬ由《よし》を反省させ、 二つには殿のお怒を思ひやれ、と聲音《せいしよく》を和らげ、膝を曲げて、 さま〜゛に申しましたなれども、中裁には耳を假《か》しませぬチッバルト、 理不盡なる怒の切先、只一突にとマーキューシオー殿の胸元をめがけて突いてかゝりまする、 此方《こなた》も同じく血氣の勇士、なにを小才覺《ちよこざい》なと立向ひ、 氷の死の手をば引外《ひツぱづ》して右手《めて》に附入りまする手練の切先、 それを撥返《はねかへ》すチッバルト。ロミオは其時聲高く 「お待ちゃれ、兩氏《かた〜゛》!退《ひ》いた〜!」といふより速く劍を拔いて、 その怖ろしい切先をば、叩伏《たたきふ》せ〜、 二人が間に割って入る、腕《かひな》の下よりチッバルトが突出しましたる毒刃《どくじん》に、 マーキューシオーどのは敢無《あへな》い最期。さて、チッバルトは其儘一旦逃去りましたが、 やがて又取って返すを、今や復讐の念に滿ちたるロミオが見るよりも、電光の如く切ってかゝり、 引分けまする間さへもござらぬうちに、チッバルトは突殺され、倒るゝ途端に身を飜し、 ロミオは逃去ってござりまする。此義《このぎ》相違あらば、ベン・ーリオーが命を召されませう。 カピ妻 此仁《このじん》はモンタギューの親戚ゆゑ、贔屓心がさもない事を申させまする。 此不正な爭鬪《たゝかひ》には二十人餘も關係《かゝづら》うて只一人を殺したに相違ござりませぬ。 殿さまに願ひまする、是非ともお成敗の下さりませい。ロミオはチッバルトを殺したからは、 生してはおかれませぬ。 領主 ロミオはチッバルトを、チッバルトはマーキューシオーを殺したとすれば、 マーキューシオーの血を償ふべき者は誰れぢゃ? モン長 それはロミオではござりませぬ、彼《か》れはマーキューシオーどのゝ親友でござる。 倅《せがれ》が曲事《きよくじ》は國法によって絶たるべきチッバルトの命を絶ったまでゝござります。 領主 その曲事《きよくじ》ゆゑに、即刻追放を申附くる。汝等の偏執に予等《われら》までも卷込まれ、 其粗暴の鬪諍《とうじやう》によって我血族の血汐を流した。 わが此不幸を汝等にも悔ます爲《ため》、きびしい科料《くわれう》を課さうずるわ。 陳辨《いひわけ》も分[梳,木@足;#2-89-31]《ぶんそ》も聽かぬ。涙も祈祷も罪をば贖《あがな》はぬぞよ。 それゆゑに何も申すな。急ぎロミオを退去《たちさ》らせい。さもなうて見附けられなば、 其時が即《やが》て最期ぢゃ。此死骸を荷《にな》ひゆきて、予《よ》が命を待て。 人殺しを憫《あはれ》むは人を殺すにひとしいわい。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第三幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第二場 同處。 カピューレットの庭園。 ヂュリエット出る。 ヂュリ 驅けよ速う、火の脚《あし》の若駒よ、日の神の宿ります今宵の宿へ。 フェートンのやうな馭者がゐたなら、西へ〜と鞭をあてゝ、すぐにも夜を將《つ》れて來うもの、雲った夜を。 隙間もなう黒い帳《とばり》を引渡せ、戀を助くる夜の闇、其闇に町の者の目が閉《ふさ》がれて、 ロミオが、見られもせず、噂もされず、予《わし》の此腕《かひな》の中へ飛込んでござらうやうに。 戀人は其麗しい身の光明《ひかり》で、戀路の闇をも照らすといふ。 若し又戀が盲ならば、夜こそ戀には一段と似合ふ筈。さア、來やれ、夜よ、黒づくめの服《きもの》を被《き》た、 見るから眞面目な、嚴格《いかめ》しい老女どの、速う來て教へてたも、 清淨無垢の操を二つ賭けた此勝負に負ける工夫を教へてたも。 汝《そなた》の黒い外套《マントル》で頬に羽ばたく初心《うぶ》な血をすッぽりと包んでたも、 すれば臆病な此心も、見ぬゆゑに強《きつ》うなって、何するも戀の自然と思ふであらう。 夜よ、來やれ、速う來やれ、ローミオー!あゝ、夜の晝《ひる》とはお前のことぢゃ。 夜の翼に降りたお前は、鴉の背に今降《ふ》りかゝる其雪の白う見ゆるよりも白いであらう。 速う來い、やさしい、懷しい夜の闇、さ、予《わし》のロミオを賜《た》もれ。 ロミオがお死にゃれば、汝《そち》に遣《や》らう程に、細截《きりこまざ》いて星にせい、 したら大空が見かはすばかり美しうなって、世界中の者が夜に惚れ、 もう誰れもあの爛々《ぎら〜》した太陽を拜まぬやうにもなるであらう。 おゝ、戀の屋敷は買ふたれど、おのが住居《すまひ》にはまだならぬ、身は人に賣ったれど、 まだ賞翫《しやうくわん》はして貰へぬ。あゝ、待つ間がもどかしい、祭の前の晩に氣をいらつ子供のやうに、 製《こしら》へて貰うた晴着はあっても、被《き》ることが成らぬので。‥‥おゝ、あれ、乳母が。 きっと消息《しらせ》ぢゃ。ロミオの名をでも告ぐる舌は天人の聲と聞《きこ》ゆる。 ‥‥これ、乳母、何の消息《しらせ》ぢゃ?持ってゐやるは何ぢゃ?ロミオが取って來いと言やった綱かや? 乳母 あい〜、綱ぢゃ。 綱を抛出《はふりだ》す。 ヂュリ あゝ、まア!何事が起ったのぢゃ?何で其方《そなた》は手を絞るのぢゃ? 乳母 あゝ、かなしや!死なしゃった〜〜!もう無效《だめ》でござります、もう無效《だめ》でござります。 あゝ、かなしや!‥‥逝《い》なしゃった、殺されさっしゃった、死なしゃった! ヂュリ え、それほどに天が無慈悲か! 乳母 天は如何《どう》あらうと、ロミオは無慈悲ぢゃ。おゝ、ロミオどのが、ロミオどのが! ‥‥誰れが思ひがけうぞい?ロミオどのが! ヂュリ 何で予《わし》に氣を揉《もま》すのぢゃ?其樣な怖しい唸り聲は地獄でなうては聞かれぬ筈ぢゃ。 ロミオが自害でもなされたか?これ、唯《あい》と言って見や、その唯《あい》といふ一言が、 只一目で人を殺す毒龍《コカトリス》の目にもまして、怖しい憂目を見する。 其樣な羽目とならば、予《わし》の身は最早《もう》駄目ぢゃ。 これ、お死にゃったが實《ぢやう》ならば、唯《あい》と言や。さうでなくば否《いな》と言や。 たった一言二言で此身の生死《しやうし》が決るのぢゃ。 乳母 其創《きず》を見ましたが、此眼で見ましたが‥‥南無さんぼう!‥‥ちょうど此お立派な胸元に。 いた〜しい、無慚な、いた〜しい死顏。蒼白《あをじろ》う、灰のやうに蒼白《あをじろ》うなって、 血みどろになって、どこもどこも血が凝《こご》りついて。見ると其儘《そのまゝ》、 わしゃ氣を失なうてしまひましたわいの。 ヂュリ おゝ、裂けよ!この胸よ!破産した不幸《みじめ》な心よ、一思ひに裂けてしまうてくれい! 目も此上は牢へ入れ、もう自由を見るな!穢《けがらわ》しい塵芥《ちりあくた》め、 元の土塊《つちくれ》へ歸りをれ、活きて働くには及ばぬわい、 ロミオと一しょに同じ柩車《ひつぎ》の積荷となりをれ! 乳母 おゝ、チッバルトどの、チッバルトどの、此上もない頼もしいお方であったに! おゝ、お懇《ねんごろ》なチッバルトどの!お立派なお方! お前が亡くならっしゃるのを生きてゐて見ようとは! ヂュリ や、こりゃ、風向が變《ちが》うたわ、如何《どう》した暴風雨《あらし》ぢゃ? ロミオが殺されて、そしてチッバルトもお死にゃったか?大事な從兄も、尚ほ大事なロミオどのも? もしさうならば、大審判日《おほさばきのひ》の喇叭手よ、世は最早《もう》絶滅《をはり》ぢゃと宣告せい! あの二人が逝《い》にゃったなら、生きてゐる甲斐はない! 乳母 チッバルトどのはお死にゃって、ロミオどのは追放ぢゃ。下手人のロミオどのは追放にならッしゃったのぢゃ。 ヂュリ おゝ〜!‥‥あのロミオの手でチッバルトを? 乳母 さよぢゃ〜。あゝ〜、さよぢゃわいの! ヂュリ おゝ、花の顏に潛む蝮の心!あんな竒麗な洞穴にも毒龍は棲《すま》ふものか? 面《かほ》は天使、心は夜叉!美しい虐君《ぎやくゝん》ぢゃ!鳩の翼《はね》被《き》た鴉ぢゃ! 狼根性の仔羊ぢゃ!見た目は神々しうて心は卑《さも》しい! 外面《うはべ》とは裏表《うらうへ》!いやしい聖僧《ひじり》、氣高い惡黨! おゝ、造化主《ざうくわしゆ》よ、 あのやうな可憐《いと》しらしい人間の肉體《にくたい》にすら夜叉の魂を宿らせたなら、 地獄の夜叉の肉體《からだ》には何者を住ませうとや? あんな内容《なかみ》にあのやうな表紙を附けた書《ほん》があらうか? あんな華麗《りつぱ》な宮殿に虚僞《うそ》譎詐《いつはり》が棲《すま》はうとは! 乳母 さゝ、頼まれぬ、信じられぬ、不正直は男の習ひぢゃ。どれも〜嘘吐《うそつき》、誓言《せいごん》破り、 ろくでなしの詐僞者《いつはりもの》ぢゃ。あゝ、彼僮《あいつ》めは何處へ往《い》にをったぞ? 火酒《しやうちゆう》を持て來てくりゃ。此苦しみ、此歎き、此悲しみで、 わしゃ齡を取ってしまふわいの。ロミオの奴、恥掻きをれ! ヂュリ そのやうなことを言ふ汝《そち》の舌こそ腐りをれ!恥を掻かしゃる身分かいの、 彼方《あのかた》の額には恥などは恥かしがって能《や》う坐らぬ。 あれこそは此世の名譽といふ名譽が、只《た》った一人王樣となって、坐る帝座ぢゃ。 おゝ、何といふ獸物《けだもの》ぢゃ予《わし》は、かりにも彼《あ》の方を惡ういふとは! 乳母 從兄どのを殺した人をお前は善う言はうでな? ヂュリ 殿御ぢゃ、惡う言うてならうか!あゝ、我夫《つま》、どの舌で滑ッこうせうぞ、 つい三時《みとき》が程連添ふた妻の口で創《きず》だらけにしたお前の名を? とは言ひながら何故殺した汝《おのれ》は、予《わし》の從兄を? さア、お前をば從兄めが殺したでもあらうによって。戻れ、おろかな涙め、 元の泉へ戻りをれ。悲歎《かなしみ》に獻《さゝ》ぐる貢《みつぎ》を間違へて喜悦《よろこび》に獻上《まゐら》せをる。 チッバルトが殺したでもあらう我夫《つま》は生存《いきながら》へて、 我夫《つま》を殺したでもあらうチッバルトが死んだのぢゃ。すれば、嬉しいことばかり、 予《わし》ゃ何で泣くのぢゃ?最前聞いた一言が、その一言が、チッバルトが死にゃったよりも悲しいのぢゃ。 辛い、忘れたい。おゝ、それが切實《ひし〜》と思ひ出さるゝ、怖しい罪惡を罪人が忘れぬやうに。 「チッバルトは死なしゃれた、そしてロミオは‥‥追放!」‥‥「追放」 ‥‥其「追放」といふ一言がチッバルト」を一萬人も殺してのけた。 チッバルトが死にゃったばかりでも可《よ》い程の不幸《ふしあはせ》であったものを。 若し又不幸《ふしあはせ》は同伴《つれ》を好み、是非とも他の不幸《ふしあはせ》を同伴《つれだ》って來ねばならぬなら、 「チッバルトが死なしゃれた」というた次に、父《とゝ》さまとか、母《はゝ》さまとか、 乃至《ないし》お二人もろともとか、乳母が何故言ひをらぬ。 すればまだしも尋常《ひととほり》の憂悲歎《うきかなしみ》で濟まうものを。 チッバルトがお死にゃった上に、殿《しんが》りに「ロミオは追放」。 追放と聞くからは、父母《ちゝはゝ》もチッバルトもロミオもヂュリエットも皆々《みんな〜》殺されてしまうたのぢゃ。 「ロミオは追放!」其一言が人を殺す力には際《はて》も量《はかり》も限《きり》も界《さかひ》も無いわいの。 言葉では言ひ盡されぬ不幸《ふしあはせ》ぢゃ。‥‥なう、父樣《とゝさま》や母樣《かゝさま》は何處にぢゃ。 乳母 チッバルトどのゝ死骸《なきがら》に取着いてお泣きゃってでござります。 彼方《あち》へ往かしゃるなら案内をしませう。 ヂュリ 涙で創口《きずぐち》を洗はしゃるがよい、其涙の乾《ひ》る頃にはロミオの追放を悔む予《わし》の涙も大概盡《つけ》う。 其綱を拾うてたも。‥‥ても憫然《ふびん》な綱よの、汝《おぬし》等は欺《だま》されたなう、 汝《おぬし》等も予《わし》もぢゃ、ロミオが追放になりゃったによって。 ロミオは汝《おぬし》等をば寢室《ねま》への通路《かよひぢ》にせうとお思やったに、 予《わし》は志望《おもひ》を能《え》い遂げいで、處女《をとめ》のまゝで世を去るのぢゃ。 さ、綱よ。さ、乳母よ。これから婚禮の床へ往かう。ロミオではない死神よ、予《わし》は此身を任さうわいの! 乳母 速う居間へゆかしゃれ。お前を喜ばす眞實《ほん〜゛》のロミオを搜して來う。 其居處《ゐどこ》は知ってをる。これの、こちのロミオどのは、今宵こゝへ來やしゃる筈ぢゃ。 わしが往《い》て呼んで來う。はて、ロレンスさまの庵室《あんじつ》に、 ロミオは隱れてござらッしゃります。 ヂュリ おゝ、速う逢うて!そして此指輪を予《わし》の勳爵士《ナイト》どのに手渡して、 訣別《いとまごひ》にござるやう傳へてたも。 二人ともに入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第三幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第三場 同處。 ロレンス法師の庵室《あんじつ》。 ロレンス法師出る。 ロレ ロミオよ、出てござれ、出てござれよ、こりゃ人目を怕《おそ》れ憚《はゞか》る男。 あゝ、卿《そなた》は憂苦勞《うきくらう》に見込まれて、不幸《ふしあはせ》と縁組をお爲《し》やったのぢゃわ。 ロミオ出る。 ロミオ 師の御坊か、消息《たより》は何とぢゃ?殿の宣告《いひわたし》は何とあったぞ? まだ知らぬ何樣《どのやう》な不幸《ふしあはせ》が、予《わし》と知合《しりあひ》にならうといふのぢゃ? ロレ されば、其可厭《いやな》友逹衆に和子は親しみが多過ぎるわい。お宣告《いひわたし》を知らせに來た。 ロミオ 一定《いちぢやう》、命を召されうでな? ロレ いや、寛大なお宣告《いひわたし》、一命は召されいで、追放にせいとの命令《おほせ》ぢゃ。 ロミオ なに、追放!慈悲ぢゃ、死罪と言うて下され。謫竄《さすらへ》の身となるは死ぬるよりも怖しい。 追放と言うて下さるな。 ロレ いや、・ローナからは追放ぢゃが、世界は廣い、まゝ、落着いてござれ。 ロミオ ・ローナの市《まち》を離れては世界は無い、有るものは只煉獄ぢゃ、苛責ぢゃ、地獄ぢゃ。 此處《こゝ》から逐《お》はるゝは世界から逐《お》はるゝも同じ事、 世界から逐《お》はるゝは殺さるゝも同じ事、すれば追放とは死罪の隱し名ぢゃ。 死罪の事を追放といはッしゃるは、黄金の斧鉞《まさかり》で予《わし》の首を刎《は》ねておいて、 汝《そち》は幸福《しあはせ》ぢゃと笑ふてござるやうなものぢゃ。 ロレ おゝ、罪深や〜!おゝ、作法知らず、恩知らず!これ、卿《そなた》の罪科は國法では死罪とある、 然るに慈悲深い御領主が卿《そなた》の肩を持ち、御法を曲げ、怖しい死罪の名を追放とは變へさせられた。 其難有《ありがた》いお慈悲が分からぬか! ロミオ 慈悲ではなうて、そりゃ苛責ぢゃ。ヂュリエットがゐやる此處《こゝ》は天國、 こゝに住む限りは猫も犬も[鼠|奚;#2-94-69]鼠《はつかねずみ》も、どのやうな屑々物《はかないもの》も、 姫の顏が見らるゝゆゑ天國にゐるのぢゃが、ロミオにはそれが能《かな》はぬ。 腐肉《くされにく》に集《たか》る蒼蠅《あをばえ》でもロミオには優《ま》す幸福《しあはせ》者ぢゃ、 風雅《みや》びた分際ぢゃ。 彼奴《あいつ》等は可憐《いと》しいヂュリエットの手の白玉《はくぎよく》を掴むことも出來《でく》る。 また姫の脣から‥‥其上下《うへした》の脣が、淨《きよ》い温淑《しとやか》な處女氣《をぼこぎ》で、 互ひに密接《ひた》と合ふのさへ惡いことゝ思ふてか、いつも眞赤になってゐる‥‥ 其姫の脣から永劫死なぬ天福《てんぷく》を窃《そつ》と盜むことも出來《でく》る、 ロミオにはそれが能《かな》はぬ。ロミオは追放の身の上ぢゃ。 蒼蠅《あをばえ》でも能《や》うすることをロミオばかりは能《よ》うせぬ、 彼奴《あいつ》等は自由の身、吾等《われら》は追放!これでも足下《おぬし》は追放を死罪でないとおしゃるかいの? 調合した毒はないか、研ぎすました刃はないか、如何に卑しうても大事ない、 一思ひに死ぬ法は無いか?‥‥「追放」‥‥「追放」で殺さるゝのは俺ゃ否《いや》ぢゃ! おゝ、御坊よ、追放とは墮獄《だごく》の輩が用ふる語《ことば》、唸り聲が附物。 そのやうな語《ことば》を聞かせて予《わし》を切りさいなむとは酷いわい、 つれないわい、それでも高僧か、司悔僧《しくわいそう》か、 教導師か、莫逆《ばくぎやく》と誓ふた信友か? ロレ はてさて、愚な狂人どの、ま、予《わし》の言ふことを聽かっしゃれ。 ロミオ きっと、また追放といふことを被言《おしや》るであらう。 ロレ いや、其語《ことば》の鋭鋒《きつさき》を防ぐ甲冑《よろひ》を與《おま》さう。 逆境の甘い乳ぢゃと謂ふ哲學こそは人の心の慰め草ぢゃ、よしや追放の身とならうと。 ロミオ それ、また「追放」と!えゝ、哲學め、腐りをれ!哲學でヂュリエットが出來、 市《まち》が移され、領主の宣告が取消さるれば知らぬこと、 哲學が何の役に立つ、何にならう?もう聽かぬ。 ロレ おゝ、それば狂人には耳が無いと見える。 ロミオ 無い筈ぢゃ、賢い人にさへ目が無い世ぢゃ。 ロレ いや、卿《そなた》の今の身の上について、談じたい事があるのぢゃ。 ロミオ 身に感じておゐやらぬ事を、何で談ずることが出來《でけ》う。 足下《こなた》が予《わし》程に齡が若うて、あのヂュリエットが戀人で、 婚禮の式を擧げて只《たんだ》一時も經たぬうちにチッバルトをば殺して、予《わし》のやうに戀ひ焦れ、 予《わし》のやうにあさましう追放された上でなら、予《わし》に談ずることも出來《でけ》うずれ、 このやうに頭髮《かみのけ》を掻毟《かきむし》って、ま此樣に地上《ぢびた》に倒れて、 まだ掘らぬ墓穴の尺を取ることも出來《でけ》うずれ! ロミオ頭髮《かみのけ》を掻毟《かきむし》り仰向に倒れて歎く。此時奧にて戸を叩く音。 ロレ 起《た》ちゃれ。案内がある。ロミオや、速う身を匿《かく》しゃれ。 ロミオ 俺ゃ匿《かく》れぬ。胸に惱悶《なやみ》の唸《うめ》きの息が霧のやうに立籠めて追手の目を塞いだら知らぬこと。 戸を叩く音。 ロレ あれ、あの叩くことは!‥‥誰れぢゃな!‥‥速う起《た》ちゃ。捕へられうぞよ。 ‥‥暫く〜!‥‥立ちゃ〜。 叩く音。 予《わし》の書齋へ。‥‥只今々々!‥‥はてさて、愚かにも程があるわ! ‥‥はい〜、只今參ります! 叩く音。 けたゝましうお叩きゃるは何人《どなた》ぢゃ?どこから見えたぞ?何の御用ぢゃ? 乳母 (内にて)用は入ってから申しまする、ヂュリエットさまからでござります。 ロレ なれば、ようこそ。 戸を開くる、乳母入來《いりきた》る。 乳母 おゝ、御坊さま、御坊さま、姫の殿御は何處にござらッしゃります、ロミオさまは何處に? ロレ それ、そこに地上に、おのが涙に醉ふて。 乳母 おゝ〜、こちの姫さまも、ま、ちょうど其通りぢゃがな! ロレ ても、いたましい悲哀の感應《かんおう》!氣の毒な境遇! 乳母 こちのも其通りに平伏《へたば》って、泣面《べそ》かいて、哭立《なきた》てゝぢゃ。 立たッしゃれ〜。男なら立たッしゃりませ。姫の爲《ため》ぢゃ、ヂュリエットどのの爲《ため》ぢゃ、 起きさッしゃれ、立たしませ。(此時ロミオ唸《うめ》く。)何で其樣に歎かッしゃるのぢゃ、 何で其樣に大業《おほげふ》に? ロミオ (俄に起《た》ち上りて)おゝ、乳母《おんば》! 乳母 あゝ、もし!これさ、もし!はて、死ぬれば何もかも結局《おしまひ》ぢゃがな。 ロミオ 今ヂュリエットと被言《おしや》ったの?姫は何としてぢゃ? 姫は予《わし》を二人が中の歡樂の其水子を姫の身内の血で汚した怖しい殺人者《ひとごろし》と思ふてはゐやらぬか? 何處にぢゃ?何としてぢゃ?わしの内密妻《ないしよづま》は破れた互ひの誓文《せいもん》を何と言うてぢゃ? 乳母 おゝ、何も言はッしゃらいで、泣いてばっかり。寢床の上に倒れさっしゃるかと思ふと、 即《やが》て又飛び起きてチッバルトと呼ばらっしゃる、かと思ふと、ロミオと呼ばって、 又横倒しにならっしゃります。 ロミオ すりゃ、其名前に胸板を射拔かれたやうに思うて、其名前の持主が大事の近親《うから》を殺したゆゑ。 おゝ、御坊、をしへて下され、此肉體の何《ど》のあたりに、予《わし》の醜穢《けがらは》しい名は宿ってゐるぞ? さ、をしへて下され、其憎い居所を切裂いてくれう。 劍を拔く。 ロレ まゝゝ、滅相なことをすまい。これ、男ではないか? 姿を見れば男ぢゃが、其涙は宛然《さながら》の女子《をなご》ぢゃ。 狂氣めいた其振舞は理性のない獸類《けだもの》同然。男らしうも女らしうも見えて、 獸類《けだもの》らしうも見ゆる見ともない振舞!はてさて、呆れ果てた。 誓文《せいもん》、予《わし》は今少《もすこ》し立派な氣質《きだて》ぢゃと思ふてゐたに。 チッバルトを殺した上に、おのが身をも殺さうとや? 自ら墮地獄の罪を犯して、卿《そなた》ゆゑにこそ生きてゐやるあの姫をも殺さうとや? 何で卿《そなた》は出生《しゆつしやう》を呪ひ、天を、地を呪ふのぢゃ? 生と天と地と此三つが相合ふて出來た身をば、つい無分別に棄てうでな? 馬鹿な、馬鹿な!姿を、戀を、分別を辱むる振舞といふものぢゃ。譬《たと》へば、 吝嗇者のやうに貨《たから》は夥《おびたゞ》しう有《も》ってをっても、正しう用ふることを知らぬ、 姿をも、戀をも、分別をも、其身の盛飾《かざり》となるやうには。 卿《そなた》の其氣高い姿は徒《ほん》の蝋細工同樣、男の勇氣からは外れたものぢゃ。 卿《そなた》の戀の盟約《ちかひ》は内容《なかみ》の無い空誓文《からぜいもん》、 なりゃこそ養育《はごく》まうと誓うた戀をも殺してのけうと爲《し》やるのぢゃ、 卿《そなた》の分別は姿や戀の飾《かざり》ぢゃが、本體が善うないので不具となり、 愚な卒《そつ》が藥筐《くすりいれ》の火藥のやうに、扱ひかたがわるいので爆發し、 我れと我が武噐で身を滅す。こりゃ、しっかりとお爲《し》やらう! つい最前《いまがた》まで戀しさに死ぬる苦しみを爲《し》てござった其戀人のヂュリエットは恙《つつが》ない。 すれば、それが先づ幸福《しあはせ》。またチッバルトは卿《そなた》が殺したでもあらうずに、 卿《そなた》がチッバルトを殺した。それもまた一つの幸福《しあはせ》。 次に死罪ともあるべき國法は卿《そなた》の身方となって追放で事濟み。 それもまた一つの幸福《しあはせ》。天の恩恵《めぐみ》は重ね〜゛背に下り、 幸福が餘所行姿《よそゆきすがた》で言寄りをる。それに何ぢゃ、意地くねの曲った少女《こめらう》のやうに、 口先を尖らせて運命を呪ひ、戀を呪ふ。氣を附けゃ、氣を附けゃ、さういふ輩があさましい最期を遂ぐる。 さゝ、豫定《さだめ》通り、戀人の許《もと》へ往《い》て、居間へ攀《よ》ぢ登り、 速う慰めてやりめされ。したが、夜番の置かれぬうちに別れませうぞ、 マンチュアへ往かれぬやうになってはならぬ。マンチュアに蟄《ちつ》してゐやる間に、 わしが機《をり》を見て二人が内祝言《ないしうげん》の顛末《もとすゑ》を公《おほやけ》にし、 兩家の確執を調停し、御領主の赦《ゆるし》を乞ひ、やがて卿《そなた》を呼返すことにせう、 其折《そのをり》の喜悦《よろこび》は出て行く今の悲痛《かなしみ》の千萬倍であらうぞよ。 ‥‥乳母《おんば》、先へ往きゃれ。姫によう傳へたもれ、家内中を早う就褥《ねか》しめさと被言《おしや》れ、 歎きに疲れたれば眠るは定《ぢやう》ぢゃ。ロミオは今直《いますぐ》參らるゝ。 乳母 はれま、結構なお教訓ぢゃ、夜すがら此處《こゝ》に居殘っても、聽聞がしたいわいの。 てもま、學問は偉《きつ》いものぢゃな!殿さん、貴方《こなた》が來さしますことを姫《ひい》さまに申しましょ。 ロミオ さういうて、戀人に、叱る準備《したしらべ》をさせてたもれ。 乳母 もしえ、この指輪は姫《ひい》さまから、わしに貴下《こなた》へ上げませいと言うて。 さ、速う、急がしゃれ、甚《いか》う夜が深《ふ》けたによって。 乳母入る。 ロミオ おゝ、これで心が安らいだわ! ロレ さ、速う往きゃれ。さらばぢゃ。貴下《こなた》の幸運は只此一つに繋《かゝ》る、 夜番の置かれぬうちに出立するか、さなくば夜明くる頃姿を窶《やつ》して此市《まち》を遠ざかるか、 二つに一つぢゃ。マンチュアに蟄《ちつ》してござれ、忠實《まめやか》な僕《をとこ》を求め、 時折、其男して此方《こなた》の吉左右《きツさう》を知らせう。さ、手を。 もう晩《おそ》い。さらばぢゃ、機嫌よう。 ロミオ 此上も無い歡樂《よろこび》が予《わし》を呼ぶのでなかったら、 斯《こ》う早急《さつきふ》に別るゝのは悲しいことであらう。恙《つつが》なうござりませ。 二人左右に別れて入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第三幕 第四場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第四場 同處。 カピューレット家の一室。 カピューレット長者、同じく夫人及びパリス出る。 カピ長 かやうな珍變が起ったによって、女《むすめ》に説き聞す暇《いとま》もござらなんだ。 女《むすめ》もチッバルトを甚《きつ》う懷しう思ふてをったに、また吾等《われら》とても同樣ぢゃに。 さりながら人は皆死ぬるやうに生れたもの。もう今宵は晩《おそ》うござる、 女《むすめ》は降りては參るまいぢゃまで。貴下《こなた》がござったばこそ、さもなくば吾等《われら》とても、 一時も前《さき》に、臥床《やす》んだでござらう。 パリス かういふ愁傷《なげき》の最中《さなか》には祝言の話も出來まい。お内かた、おさらばでござる。 娘御によろしう傳へて下され。 カピ妻 心得ました、女《むすめ》の心は明日早う質《ただ》しましょ。今宵は悲嘆《なげき》に囚はれて、 閉籠《とぢこ》めてのみ居まする。 パリス行きかくる。 カピ長 いや、なう、パリスどの、女《むすめ》は敢て獻じまする。 彼《か》れめは何事たりとも吾等《われら》の意志《こゝろざし》には背くまいでござる、いや、 其儀は聊《いさゝか》も疑ひ申さぬ。‥‥奧よ、其許《そなた》は寢る前に女《むすめ》に逢うて、 婿がねパリスどのゝ深い心入《こゝろいれ》の程を知らせて、よいかの、次の水曜日には‥‥ いや、待ちゃれ、けふは何曜日ぢゃ? パリス 月曜日でござる。 カピ長 月曜日!はゝア!かうッと、水曜日はちと急ぢゃ。木曜日にせう。 ‥‥女《むすめ》に、木曜日には此殿と祝言さすると被言《おしや》れ。 ようござるか?此早急《さつきふ》に異議はござらぬか? 業々《げふ〜》しうはすまい、ほんの近しい輩一兩名、はて、何故と被言《おしや》れ、 近親チッバルトが殺されて間がないことゆゑ、盛宴を催すときは無情な行爲《しこなし》とも思はれうによって。 されば、近しい友逹をば只《たんだ》五六名限り招くことにしませう。 ‥‥したが、貴下《こなた》、木曜日でようござるか? パリス 吾等《われら》は其木曜日が明日であってほしうござる。 カピ長 さらば、先づお歸りあれ。なれば木曜日と定《き》めまする。 ‥‥卿《そなた》は寢る前に女《むすめ》に逢うて、當日の準備《こゝろまうけ》をさせたがよい。 ‥‥おさらばでござる。予《わし》が居間へ燭火《あかし》を持て! はれやれ、晩《おそ》うなったわい、こりゃ軈《やが》てお早うと言はねばなるまい。 ‥‥さゝ、お休みなされ。 パリスと夫婦と左右に分れて入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第三幕 第五場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第五場 同處。 カピューレットの庭園。 ロミオとヂュリエットと樓上の窓口に現るゝ。 ヂュリ 去《いな》うとや?夜はまだ明きゃせぬのに。 怖《こはが》ってござるお前の耳に聞えたは雲雀ではなうてナイチンゲールであったもの。 夜毎に彼處《あそこ》の柘榴へ來て、あのやうに囀《さえず》りをる。 なア、今のは一定《きつと》ナイチンゲールであらうぞ。 ロミオ いや〜、旦《あさ》を知らする雲雀ぢゃ、ナイチンゲールの聲ではない。 戀人よ、あれ、お見やれ、意地の惡い横縞めが東の空の雲の裂目にあなやうな縁を附けをる。 夜の燭火《ともしび》は燃え盡きて、嬉しげな旦《あした》めが霧立つ山の巓《いただき》にもう足を爪立てゝゐる。 速う往ぬれば命助かり、停《とゞ》まれば死なねばならぬ。 ヂュリ あの光明は朝ぢゃない、いえ〜、朝日ではないわいの。 ありゃ太陽がお前の爲《ため》に、今宵マンチュアへの道案内《みちしるべ》に炬火《たいまつ》持の役さしょとて、 急に呼出した光り物ぢゃ。ぢゃによって、大事ない、まだ去《いな》しゃるには及ばぬ。 ロミオ 捕はれうと、死罪にならうと、恨《うらみ》はない、卿《そもじ》の望《のぞみ》とあれば。 あの灰色は朝の眼で無いとも言はう、ありゃ嫦娥《シンシヤ》の額から照返す白光《びやくくわう》ぢゃ。 また吾等《われら》の頭《かしら》の上で大空高う鳴響くあの奏樂《そうがく》も、雲雀の聲では無いと言はう。 去《い》にたいよりも此處《こゝ》に居たいが幾層倍ぢゃ。さ、死よ、來れ、喜んで迎へう! それがヂュリエットの望《のぞみ》ぢゃ。さ、戀人、どうぢゃ?もっと話さう。朝ではない。 ヂュリ いや、朝ぢゃ、朝ぢゃ。速う去《いな》しませ、速う〜!聞辛い、蹴立《けた》たましい高調子《たかてうし》で、 調子外れに啼立《なきだ》つるは、ありゃ雲雀ぢゃ。雲雀の聲は懷しいとは虚僞《いつはり》、 なつかしい人を引分けをる。蟇《ひき》と目を交換《とりか》へたとは眞實《まこと》か? ならば何故聲までも交換《とりか》へなんだぞ?あの聲があればこそ、抱きあうた腕《かひな》と腕《かひな》を引離し、 朝彦《あさびこ》覺《さま》す歌聲で、可愛《いと》しいお前を追立てをる。おゝ、速う去《い》なしませ、 だん〜ゝ明るうなって來る。 ロミオ 明るうなればなる程、暗うなる二人が身の上。 乳母出る。 乳母 姫《ひい》さま! ヂュリ 乳母か? 乳母 御方樣《おんかたさま》が只今お居間へ入らせられます。夜は明けた、もし油斷なう心を配って。 ヂュリ なりゃ、窓よ、日光《ひ》を内へ、命を外へ。 ロミオ おさらば、おさらば!これを名殘に(と接吻して)降りて去《いな》う。 樓を下《お》りかくる。 ヂュリ (樓上より)お前もう去《いな》しますか?あゝ、戀人よ、殿御よ、わが夫《つま》よ、戀人よ! きっと毎日消息《たより》して下され。これ、一時も百日なれば、一分も百日ぢゃ。 おゝ、そんな風に勘定したら、また逢ふまでには予《わし》は老年《としより》になってしまはう! ロミオ さらばぢゃ!かりそめにも機會さへあれば消息《たより》を怠ることではない。 ヂュリ おゝ、また逢はれうかいの? ロミオ 念には及ばぬ。今の此憂苦勞《うきくらう》は、後の樂しい昔語《むかしがたり》ぢゃ。 ヂュリ おゝ、如何《どう》せうぞ!心めが忌しい取越苦勞をさせをる。 下にゐやしゃるのを此處《こゝ》から見ると、どうやら墓の底の死人のやう。 目の故《せゐ》か知らねども、お前の顏が蒼《あを》う見ゆる。 ロミオ 眞實、予《わし》の目にも、卿《そもじ》の顏が然《さ》う見ゆる。 憂悲愁《うきかなしみ》が互ひの血汐を涸らしたのぢゃ。 おさらば、おさらば! ロミオ入る。 ヂュリ おゝ、運命神《うんめい》よ、運命神《うんめい》よ!皆が汝《そち》を浮氣者ぢゃといふ。 いかに汝《そち》が浮氣であらうと、世に聞えた堅實《かたぎ》な人を何とすることも出來まい。 いや、やっぱり浮氣がよい、そしたら彼《あ》の人を直《すぐ》[厭/食;#2-92-73]《あ》いて予《わし》へ返してたもらうによって。 カピ妻 (内にて)女《むすめ》や〜!起きてかいの? ヂュリ 誰れぢゃ呼ぶは?母さまか知らぬ。晩《おそ》うまで眠らいでか、早うから目を覺してか? 何事があって、見えたやら? カピューレット夫人出る。 カピ妻 ま、其方《そなた》、如何《どう》ぞしやったか? ヂュリ 心地がわるうござります。 カピ妻 いつまでも從兄どのゝのことを悔んでゐやるか?これの、涙で洗ふたら墓から出て來やると思ふてか? 出て來やったとても生かすことは出來まい。ぢゃによって、思ひ切りゃ。 歎くは愛情《まごゝろ》の深い證《しるし》ぢゃが、餘りに深う歎くは分別の足《たら》はぬ證《しるし》ぢゃ。 ヂュリ でも此樣な不幸《ふしあはせ》は存分に泣いてのけたい。 カピ妻 存分にお泣きゃらうと、不幸《ふしあはせ》な人が歸りはせぬ。 ヂュリ 返らぬことゝ思ふても、存分に泣かいではをられぬ。 カピ妻 では、其方《そなた》は、殺した當の惡黨が尚《まだ》存《ながら》へてゐくさるのを、 然程《さほど》にはお泣きゃらぬな? ヂュリ え、惡黨とはえ? カピ妻 あのロミオの惡黨。 ヂュリ (傍を向き)惡黨と彼《あ》の人では大きな相違《ちがひ》ぢゃ!‥‥神樣、あの者を赦させられませ! わたしは眞實赦してゐます。とは言へ、思ひ出すと、悲しうてなりませぬ。 カピ妻 と言ふのも、あの二心《ふたごころ》の下手人めが生存《いきながら》へてをるからぢゃ。 ヂュリ あい、さうぢゃ、わたしの此手が能《よ》う逹《とゞ》かぬ遠い處に。 わたしの手一つで從兄どのゝの敵《かたき》が討ちたい。 カピ妻 敵《かたき》は一定《きっと》取ってやります。懸念には及ばぬ。すれば、最早《もう》泣きゃんな。 あの追放人《おひはらはれ》の無頼漢《ならずもの》が住んでゐるマンチュアに使《つかひ》を送り、 さる男に言ふ含めて尋常《よのつね》ならぬ飮物を彼奴《あいつ》めに飮ませませう、 すれば即《やが》てチッバルトが冥途の道伴《みちづれ》。さうなれば其方《そなた》の心も慰まう。 ヂュリ ほんにロミオの顏を‥‥死顏を‥‥見るまでは、妾《わたし》ゃ如何《どう》しても心が勇《いさ》まぬ、 從兄がお死にゃったのが、それ程に心に沁みて悲しい。 母さま、其毒を持って行く使者《つかひ》の男とやらが定《きま》ったら、藥は妾《わたし》が調合せう、 ロミオがそれを手に入れたら、直《すぐ》にも安眠しをるやうに。 おゝ、彼奴《あいつ》の名を聞くと身が顫《ふるへ》る。もどかしいなア、 チッバルトを殺しをった彼奴《あいつ》の肉體《からだ》をば掻毟《かきむし》って、 懷しい〜從兄への此眞情《まごゝろ》を見することも出來ぬか! カピ妻 方法《てだて》は自身で工夫しやれ、使者《つかひ》は予《わし》が搜しませう。 それはさうと、めでたい報道《しらせ》を持って來たぞや。 ヂュリ めでたい事とは耳寄りな、此樣な辛い時に。それは何樣《どのやう》な事でござります? カピ妻 はて、其方《そなた》は仁情《なさけ》深い父御《てゝご》をお有《も》ちゃってぢゃ。 其方《そなた》に愁歎《なげき》を忘れさせうとて、俄《にはか》にめでたい日をお定めなされた、 予《わし》も其方《そなた》も曾《つひ》ぞ思ひがけぬめでたい日を。 ヂュリ はれま、母樣、それはまた何樣《どのやう》な? カピ妻 はて、女《むすめ》よ、次の木曜日の朝早う、あの風流《みやび》な、立派な若殿のパリスどのが、 セント・ピーターの會堂で、めでたう其方《そなた》を花嫁御にお爲《し》やる筈ぢゃ。 ヂュリ そのセント・ピーターの會堂懸けて、いゝや、ピーターどのをも誓言《ちかひ》にかけて、 何のそれがめでたからう!嫁入はせぬわいの。何といふ早急《さつきふ》ぢゃ。 申入《まうしいれ》も聞かぬうちに婚禮とは何事ぢゃ?父《とゝ》さまに言うて下され、 わたしは嫁入はまだしませぬ。嫁入すれば如何《どう》あってもロミオへ往く、 憎いと思ふあのロミオへ、パリスどのへ往くよりは。まア、ほんに、思ひがけない! カピ妻 あれ、父御《ちゝご》がわせた。自身で然《さ》う言うて、 父御《ちゝご》がそれを其方《そなた》から聞いて、何と思はしゃるかを見たがよい。 カピューレット長者先に乳母從《つ》いて出る。 カピ長 日が沈むと露が降りるは尋常《よのつね》ぢゃが、甥の日沒《ひのいり》には如瀧雨《どしやぶり》ぢゃ。 どうぢゃ!噴水像《みづふき》どの!え、まだ泣いておぢゃるか?え、いつまでも雨天《しけ》づゞきか? 其許《おぬし》は只《たんだ》一つ小さい身體《からだ》で、船にもなれば、海にも風にもなりゃる。 先づ目は海ぢゃ、終始《たえず》涙の滿干《みちひき》がある、身體《からだ》は船、 其鹽辛い浪《なみ》を走る、溜息は風ぢゃ、涙の浪《なみ》と共に荒廻り、涙はまたそれを得て倍々《ます〜》荒るゝ、 はて、和《なぎ》が急に來なんだら、命の船が顛覆《ひつくりかへ》ってしまふわい。‥‥何とぢゃ、卿《そなた》! 吩附《いひつ》けた通りをお語《かた》りゃったか? カピ妻 はい、申しましたなれど、有難うはござりますが、望まぬと言うてゐます。 阿呆めは墓へ嫁入したがようござります! カピ長 ま、待たしませ!如何《どう》したと言はします、いさや、どうしたと被言《おしや》るのぢゃ? え!望まぬ?有難いとは思はぬか?其身の名譽ぢゃと思はぬか? おのれ、嬉しいとも思ひをらぬか、あのやうな、分不相應の貴人《きにん》を親が婿にしてとらしたをば? ヂュリ さア、名譽ぢゃとは思はねど、嬉しいとは思ひまする。嫌なものを名譽には能《よ》うせねど、 其嫌なことも妾《わたし》を可愛《かわゆ》さにして下されたと思へば嬉しい。 カピ長 何ぢゃ、何ぢゃ!小理窟屋が!何ぢゃそれは?「名譽ぢゃ」、「嬉しいと思ひまする」、 「嬉しいと思ひませぬ」。しかも尚「名譽ぢゃとは思ひませね」はて、こゝな我儘どの、 嬉しがったり名譽がったりする間《ひま》に、其上等《けつこう》な脚節《すねあし》でも調査《しら》べておきゃ、 次の木曜日にパリスと一しょに會堂へ行くために。さうでないと、簀子《すのこ》の上へ叩き伏せて、 引摺って行かうぞよ。おのれ、萎黄病《ゐわうびやう》で死んだやうな面《つら》をしをって! うぬ〜、碌でなし!おのれ、白蝋面《びやくらうづら》めが! 長者立ちかゝる。 カピ妻 あさましい!貴下《こなた》は氣でも狂うたか? ヂュリエット父の前に膝まづく。 ヂュリ もうし、父上、膝をついて願ひまする、たった一言堪忍して聽いて下され。 カピ長 くたばりをれ、碌でなしめが!不幸千萬な奴ぢゃ!こりゃやい、次の木曜日に教會堂へ往きをらう。 往かずば、又と此顏を見るな。言ふな、答へるな、返答するな。此指がむづ〜するわい。 ‥‥奧よ、子をば神が只一人しか賜らなんだのを不足らしう思うたこともあったが、 今となっては此奴一人すら多過ぎる、取りも直さず、呪詛《ぢゆそ》ぢゃ、禍厄《わざはひ》ぢゃ、 うぬ〜、賤婢《はしたをんな》め! 乳母 はれまア、可愛相に!其樣に叱らしゃりますは、殿さま、それは貴下《こなた》が無理でござります。 カピ長 なゝ、なぜぢゃ、賢女どの!聰明樣《おりこうさま》、まゝ、お默りなされ。 喋々語《べちやつ》きたくば、とっとゝ彼方《あち》へ往て、冗口《むだぐち》仲間と饒舌《しやべ》れ。 乳母 お爲《ため》にならぬことは言ひませぬわいの。 カピ長 はい、さやうなら、御機嫌やう! 乳母 物言うては、わるいかいな? カピ長 默れ、むが〜むが〜と、阿呆め!其許《おぬし》の御託宣は、 冗口《むだぐち》仲間と酒でも飮合ふ時に被言《おしや》れ、こゝには用は無いわ。 乳母 貴下《こなた》は餘り逆上《のぼ》せてござる。 カピ長 はて、氣ちがひにもなるわさ。晝《ひる》も夜も、季も節も、念々刻々、働いてゐよが、 遊んでゐよが、只一人ゐよが、多勢《おほぜい》と共にゐよが、 女《むすめ》が縁邊《えんべん》を苦勞にせなんだ時は無い。やっとの事で、門閥家の、 良い領地有《もち》の、年の若い、教育も立派な、何樣才徳の具足《ぐそく》した男は斯《か》うもありたいともの、 と望まるゝ通りに出來上ってゐる婿を搜して、供給《あてが》へば、見ともない、吠面《ほえづら》さかいて、 泣偶人《なきにんぎやう》め、幸福《しあはせ》をば幸福《しあはせ》とも思ひをらいで、 「嫁入はせぬ」の、「戀は知らぬ」の、「まだ年齡《としは》がゆかぬ」の、 「赦《ゆる》して下されい」の、と吐《ぬか》しをる。したが、嫁入をせぬとならば、赦してもくれう。 好きな處で草食《は》みをれ、此處《こゝ》には住さぬわい。やい、よう思へ、よう考へをれ、 戲言《たはぶれごと》は言はぬ乃公《おれ》ぢゃ。木曜日は今の間、胸に手を置いて思案せい。 我子ならば親友の許《もと》へ遣《や》る、さなくば首を縊《くゝ》らうと、乞食をせうと、 餓ゑて途上死《のたれじに》をしをらうとまゝぢゃ、誓文《せいもん》、我子とは思はぬわい、 また何一つたりと、汝《おのれ》には與《く》れまいぞよ。よいか、二言は無いぞよ。誓言《せいごん》は破らぬぞよ。 長者入る。ヂュリエット泣倒るゝ。 ヂュリ 大空の雲の中にも此悲痛《かなしみ》の底を見透《みとほ》す慈悲は無いか? おゝ、母さま、わたしを見棄てゝ下さりますな!此婚禮を延して下され、せめて一月、一週間。 それも能《かな》はぬなら、チッバルトが臥《ね》てゐやる薄昏《うすぐら》い廟の中に婚禮の床を設けて下され。 カピ妻 わしに物を被言《おしや》んな、わしは最早《もう》何も言ひますまいほどに。 好きにしや、もう其方《そなた》には關《かま》ひませぬほどに。 夫人入る。 ヂュリ おゝ!‥‥おゝ、乳母や!如何《どう》したらよいであらうぞ? 夫《をつと》は地上、誓約《ちかひ》は天上。何として其誓約《ちかひ》が再び地上に戻らうぞ、 其夫《つま》が地を離れて天から取戻してたもらずは?‥‥慰めてたも、教へてたも。 ‥‥かなしや〜、此身のやうな孱弱《かよわ》い者を天までが陰謀《たくら》んで責めさいなむ! ‥‥これ、乳母、どうせう?嬉しいことを言うてたも。何ぞ慰めはないかいの? 乳母 誓文《せいもん》、ござります。ロミオどのは追放の身ぢゃほどに、世界が崩れうと、 戻って來て何のかのと言はッしゃらう筈は無い。よしや戻らッしゃるにせい、 ほんの窃々《こつそり》の内密《ないしよ》沙汰ぢゃ。すれば、かうなってしまうた上は、 あの若殿へ嫁入らッしゃるが最《いつ》ち良い分別ぢゃ。おゝ、ほんに可憐《かはいら》しいお方。 彼方《あなた》に比べてはロミオどのは雜巾ぢゃ。萠黄《もえぎ》色の、活々《いき〜》とした美しい目附、 鷲の目よりも立派ぢゃ。ほんに〜、こんどのお配偶《つれあひ》こそ貴孃《こなた》のお幸福《しあはせ》であらうぞ、 前のよりはずっと優《まし》ぢゃ。よし然《さ》うでないにせい、前のは最早《もう》絶滅《だめ》ぢゃ、 いや、絶滅《だめ》も同樣ぢゃ、離れて住んでござって、貴孃《こなた》のままにならぬによって。 ヂュリ そりや其方《そなた》本氣で言やるか? 乳母 はい、本氣でも本心でもござります、でなくば罰が當たれ! ヂュリ 其通りに! 乳母 えゝ? ヂュリ なに、あの、其方《そなた》の慰めで不思議に心が安堵《おちつ》いた。 奧へ往て、母樣言うてたも、父上の御不興を受けたゆゑ、懺悔をして罪を赦して貰《もら》にはうとて、 ロレンスどのゝ庵室《あんじつ》へわしが往んだと。 乳母 はい〜、心得ました。それこそ賢い御分別ぢゃ。 乳母入る。ヂュリエットじっと行方《ゆくかた》を見送って ヂュリ 罰當りの夜叉め!おゝ、惡魔め!予《わし》に誓約《ちかひ》を破らせうとしをるばかりか、 前には幾千度も比べ物の無いやうに襃めちぎった予《わし》の殿御を其同じ舌で惡口《あくこう》しをる。 ‥‥去《い》ね、相談敵手《あひて》にした其方《そち》ぢゃが、 其方《そち》と予《わし》とは今からは心は別々。‥‥御坊の許《ところ》へ往て救ひを乞はう。 事が皆破れても、死ぬる力は此身に有る。 ヂュリエット入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第四幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第一場 ・ローナ。 ロレンス法師の庵室《あんじつ》。 ロレンス法師とパリスと出る。 ロレ 木曜日と仰せらるゝか?では早急《さつきふ》な事ぢゃ。 パリス 舅《しうと》カピューレットどのが其樣《そのやう》にしたいと被言《おしや》る。 予《わし》とてもそれを遲うしたいとは思ひませぬ。 ロレ 姫の心はまだ知らぬと仰せらるゝ。すれば段取が素直でない、吾等《われら》は好もしう思ひませぬ。 パリス チッバルトの落命をいみじう歎いてゞあったゆゑ、涙の宿には戀神《・ーナス》は笑《ゑ》まぬものと、 縁談を差控へてゐたところ、餘り甚《きつ》う歎いては姫の身が心元ない、 獨《ひとり》でゐれば洪水のやうに出る涙も、交らふ者があれば堰止《せきと》むることも出來るものと、 舅《しうと》御の才覺にて、急に婚禮と事が決った。速うせねばならぬ仔細《わけ》を、何と會得《えとく》めされたか? ロレ (傍を向きて)それは遲うせねばならぬ仔細《わけ》が、此方《こち》に解ってをらなんだらなア! ‥‥あれ、御覽ぜ、姫が此庵《こゝ》にわせられた。 ヂュリエット出る。 パリス 嬉しう逢ひました、我妻。 ヂュリ 妻とは呼ばしませ、婚禮が叶ふなら。 パリス 叶はいでならうか、此次の木曜日には? ヂュリ 叶はいでならぬことは叶ふ筈ぢゃ。 ロレ こりゃ格言ぢゃわい。 パリス 今日は師の御坊に懺悔をばしよう爲《ため》にわせられたか? ヂュリ はい、というたなら、貴下《こなた》へ自白《ざんげ》をしたことになりませうぞ。 パリス 吾等《われら》を思うてゐるといふことを、御坊に打明けて言うて下され。 ヂュリ では、打明けて申しませう、わたしは御坊樣を思うてゐます。 パリス 吾等《われら》をも同じやうに思ふてゐる、と言うて下されうがな。 ヂュリ さア、言ふにせい、それは背で言うてこそ價値《ねうち》もあれ、面《かほ》を見合せて言はうより。 パリス やれ、笑止《きのどく》や、卿《そなた》の面《かほ》は涙で甚《いか》う汚れてゐる。 ヂュリ 涙が何程《どれほど》の事をしませう、生得《うまれつき》、見ともない面《かほ》ぢゃもの。 パリス 其樣《そのよ》なことを被言《おしや》るのは、われから我面を讒訴《ざんそ》するのぢゃ。 ヂュリ 眞《ほん》の事は讒訴《ざんそ》とは言はれぬ、ましてこれは後言《かげごと》ではない、 直《ぢか》に面《かほ》に對《むか》うて言うてゐるのぢゃもの。 パリス いや、卿《こなた》の面《かほ》は今では予《わし》の有《もの》ぢゃに、 それをば其樣に惡しう被言《おしや》るのは讒訴《ざんそ》ぢゃ。 ヂュリ ほんに然《さう》もあらうか、妾《わたし》の有《もの》ではないゆゑ。 ‥‥(ロレンスに)御坊樣、今お暇でござりますか、改めて晩のお祈祷《いのり》頃に參りませうか? ロレ いや、今でも故障は無い。‥‥若殿、憚りぢゃが、暫くの間、こゝを吾等《われら》に。 パリス おゝ、かりそめにも勤行《ごんぎやう》のお妨げをしてはならぬ! ‥‥ヂュリエットどの、木曜日には朝早うお迎に行きませうぜ。それまでは、おさらば。 此聖《きよ》い接吻《キツス》を保有《しま》っておいて下され。 パリス入る。 ヂュリ おゝ、早う扉《と》を閉めて、そしてしめてまうたら、わたしと一しょに泣いて下され。 もう絶望《だめ》ぢゃ!絶望《だめ》ぢゃ、絶望《だめ》ぢゃ! ロレ あゝ、これ、ヂュリエットや、其の悲嘆《かなしみ》は善う知ってをる! 何ぼう搾っても予《わし》の智慧には能《あた》はぬ。次の木曜には、寸分の猶豫《ゆうよ》もなう、 彼《あ》の若と婚禮を爲《し》やらねばならぬと聞いた。 ヂュリ いゝえ〜、それを中止《やめ》にする方便《てだて》が無いなら、聞いたなぞおッしゃるな。 お前の智慧にも能はぬなら、つい予《わし》の覺悟をば良い分別ぢゃと讚めて下され、 すれば此懷劍で今直《いますぐ》に敢行《しての》けう。ロミオとわしの心と心を結び合はせたは神樣、 手と手を繋いだはお前。すれば、お前がロミオへの封印代りにした此手を、他《あだ》し證書の封印に使はうより、 又僞《いつは》りの無い此心を操《みさを》に背いて他《あだ》し男に向けうより、此懷劍で手も心も突殺してのけう。 ぢゃによって今直《いますぐ》にお前の長い年功で良い思案をして下され。さもなくば、 此怖しい懷劍を難儀の瀬戸際の行司にして、年の功も智慧の力も如何《どう》とも能《よ》うせぬ女一人の 面目を今こゝで裁決《とりさば》かす、見て下され。さ、早う何となと言うて下され。 わしゃ早う死にたい、お前の言ふことが何の役にも立たぬやうなら。 ロレ まア、お待ちゃれ。助かる術《すべ》を思ひついたわ。 必死の厄を脱《のが》れうためゆゑ必死の振舞をもせねばならぬ。 パリスどのと祝言するよりも寧《いつ》そ自害せうと程の逞しい意志《こゝろざし》がおりゃるなら、 いゝやさ、恥辱《はぢ》を免《まぬか》れうために死なうとさへお爲《し》やるならば、 同じ望《のぞみ》のために死ぬるに似た一事《あること》をば多分敢行《しての》くることが出來う。 敢行《しての》けう意《こゝろ》なら救はるゝ術《すべ》を授けう。 ヂュリ おゝ、パリスどのと祝言をせう程なら、あの塔の上から飛んで見い、 山賊《やまだち》の跳梁《はびこ》る夜道を行け、蛇の棲む叢《くさむら》に身を潛めいとも言はッしゃれ。 吼ゆる荒熊と一しょにも繋がれう、墓の中にも幽閉《おしこ》められう、 から〜と鳴る骸骨や穢《むさ》い臭い向脛《むかはぎ》や黄ばんだ頤《あご》のない髑髏《しやれかうべ》が 夜々《よる〜》掩《おほ》ひ被《かぶ》らうと。 又昨日《きのふ》今日の新墓で死人《しびと》の墓衣《はかぎ》に苞《くる》まって隱れてゐよとも言はッしゃれ。 聞いたばかりでも、例《つね》は身毛《みのけ》が彌立《よだ》ったが、 大事の操《みさを》を立つる爲《ため》なら、躊躇せいで敢行《しての》けう。 ロレ では、待ちゃれ。先づ今日は立歸って、嬉しさうにもてなし、パリスどのとの祝言を承諾しやれ。 明日は水曜日ぢゃ。明日は何とかして一人でお臥《ね》やれ、乳母をも同じ間には臥《ね》かさッしゃるな。 床に入りゃったら、(小さき藥瓶を取出し)此瓶を取って此なる藥水《やくすい》をばお飮みゃれ。 すると、即《やが》て慄然《ぞつ》として眠たいやうな氣持が血管中に行渡り、脈搏も例《いつも》のやうではなうて、 全く止《や》み、生きてをるとは思はれぬ程に呼吸も止り、體温《ぬくみ》も失《う》する。 頬、唇の薔薇も褪せて、蒼白い灰と變る。目の窓もはたと閉づる、生活《いのち》の日がつい暮れて行く時のやうに。 どこも〜硬固《しやちこば》って、冷《つめた》うなって、自在な活動《はたらき》をば失ふて、死切ったやうにも見えう。 さて、此死切ったらしい相《すがた》で四十二時經つときは、氣持ちの好い睡《ねむり》から醒むるやうに、 自然《しねん》と起きさッしゃらう。然るに、翌日《あくるあさ》、 あの新郎《むこ》殿が卿《おこと》を迎ひにとて來《わ》するころは、卿《おこと》は恰《ちやう》ど死んでゐる。 すれば、當國《このくに》の風習《ならはし》通りに、顏は故《わざ》と隱さいで、最《いつち》良い晴衣《はれぎ》を着せ、 柩車《ひつぎぐるま》に載せて、カピューレット家代々の古い廟舎《たまや》へ送られさッしゃらう。 其間《そのひま》に、予《わし》の消息《しらせ》で、ロミオが此計畫《けいくわく》を知り、 卿《おこと》が覺めさッしゃる前に、此方《こち》へ來ることとならう。予《わし》も共々目覺《めさめ》まで番をして、 其夜の中《うち》にロミオが卿《おこと》をばマンチュアへ伴《つ》れて行《いな》う。 卿《おこと》の心さへ變らずば、女々しい臆病心《おくびやうごゝろ》の爲《ため》に、 敢行《しての》くる勇氣さへ弛まなんだら、此度《このたび》の恥辱《はぢ》は脱《のが》れられうぞ。 ヂュリ 下され、さ、それを。早うそれを!おゝ、何の臆病心《おくびやうごゝろ》! ロレ まゝ、歸らしめ。(藥瓶を渡し)さらば、逞しう覺悟して、首尾よう事を爲遂《しと》げさッしゃれ。 予《わし》はまた一法師に、卿《おこと》の殿御への書面を持たせ、急いでマンチュアまで遣《や》りませう。 ヂュリ 戀よ、予《わし》に力をくれい!力さへあれば事は成らう。‥‥御坊さま、さらば。 左右へ別れて入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第四幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第二場 同處。 カピューレット邸の一室。 カピューレット長者を先に、同じく夫人、乳母、并《なら》びに下人甲、乙、從《つ》いて出る。 カピ長 こゝに書いてあるだけの客人を招待せい。‥‥ 甲の下人入る。乙の下人に向ひ やい、汝《そち》は料理人の老練な奴を二十人ばかり雇ふて來い。 乙下人 御懸念なされますな、先づ指を嘗めさせて見て雇ひまする。 カピ長 それはまた如何《どう》した理由《わけ》ぢゃ? 乙下人 はて、うぬが指を能《よ》う嘗めぬやうな奴は不可《いけ》ぬ料理人でござります。 それゆゑ指を能《よ》う嘗めぬ奴は採用《とりあ》げませぬ。 カピ長 往け〜。‥‥ 乙の下人入る。 必定、何かと行屆かぬがちであらうわい。え、こりゃ、女《むすめ》はロレンス御坊の許《ところ》へ往たか? 乳母 さよでござります。 カピ長 うゝ、御坊の庇《かげ》で、ちと料簡《れうけん》も直りをらうわい。 氣儘《きまゝ》な、沒分曉的《わからずや》の賤婦《あまつちや》めぢゃ。 ヂュリエット出る。 乳母 あれ、孃が嬉しさうな顏して、お懺悔から歸らしゃれた。 カピ長 どうぢゃ、剛情張《がうじよツぱり》が?どこを漫遊《ほつきある》いて?何處にゐたのぢゃ? ヂュリ 父《とゝ》さまの命令《おほせごと》に省《そむ》いた不幸の罪を悔むことを習ふた處に。 (膝まづきて)かうして地に平伏《ひれふ》して父《とゝ》さまの赦《ゆるし》を乞へいと、 あのロレンスどのが言はれました。どうぞ堪忍して下され!これからは善う命令《おほせつけ》を聽きまする。 カピ長 それ、パリスどのを呼びにやって、速う此事を知らせい。明日は朝の間に此縁結びを濟さうわい。 ヂュリ その若にロレンスどのゝ庵室《あんじつ》で逢うたゆゑ、女《をなご》の謹愼《つゝしみ》に障《さは》らぬ限りの、 ふさはしい會釋をしておきました。 カピ長 はて、それは重疉々々《ちようでう〜》。よし〜。起《た》ちゃ〜。 (ヂュリエットを扶け起し)さうなうてはならぬ筈ぢゃ。‥‥ま、ともかくも若に逢はうわ、 さうぢゃ、はて、速う往て彼の人を伴《つ》れて來いといふに。 ‥‥さてはや、實に高徳のあの上人《しゃうにん》、此市中《まちぢゆう》の者で、誰れ一人、 彼の人の庇《かげ》を蒙らぬものはないわい。 ヂュリ 乳母や、一しょに部屋へ來て、明日被《き》ねばならぬ最《いつ》ち似合ふ晴衣《はれぎ》を手傳うて撰んでくりゃ。 カピ妻 木曜日までは急ぐに及ばぬ。まだ澤山間があるがな。 カピ長 乳母よ、往け一しょに。‥‥明日教會へ往くことにせう。 ヂュリエットと乳母入る。 カピ妻 では、準備《ようい》をする暇もあるまい。もう即《やが》て夜ぢゃ。 カピ長 なにさ〜、乃公《おれ》が馳驅奔走《かけずりまは》るわさ、さすれば、大丈夫、どうにかなるわさ。 卿《そなた》は、ヂュリエットの許《とこ》へ往《い》て、着る物を手傳うてやりゃ。 乃公《おれ》は今夜は寢《やす》むまい。はて、任せておきゃ。今夜ほどは女房役をせうわい。 ‥‥(奧に向ひて)こりゃ、誰れかゐぬか!‥‥皆出拂うてしまうた。 むゝ、自身でパリスどのゝ邸《やしき》へ往《い》て、明日の準備《こゝろがまへ》をさせて來う。 心がおそろしう輕うなったわい、あの我儘者めが改心しをったによって。 二人ともに入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第四幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第三場 同處。 ヂュリエットの居間。 ヂュリエットを先に乳母從《つ》いて出る。 ヂュリ あい、其晴着《はれぎ》が最《いつ》ち佳い。それはさうと、乳母や、今宵は予《わし》をどうぞ一人で寢かしてくりゃ。 知ってゐやる通りの、執拗《ねぢく》れた、此罪深い心を、神樣に赦して貰ふため、 いろ〜とお祷《いのり》をせねばならぬ。 カピューレットの夫人出る。 カピ妻 え、何と、忙しうおぢゃるなら、手傳ひませうか? ヂュリ いゝえ、母樣、明日の式に相應《ふさは》しい入用《いりよう》な品程《しなほど》は既《も》う撰《えり》出しておきました。 それゆゑ、妾《わたし》にはお介意《かまひ》なう、乳母はお傍《そば》で夜中お使ひ下されませ。 かうした早急《さつきふ》な取込ゆゑ、嘸《さぞ》お手が足りますまい。 カピ妻 では、機嫌よう、床に就いてお休み、それが何よりも大切ぢゃほどに。 夫人乳母を伴《つ》れて入る。 ヂュリ さやうなら!‥‥又いつ逢はるゝやら。‥‥おゝ、總身《そうみ》が寒け立って、血管中に沁み徹る怖ろしさに、 命の熱も凍結《こゞ》えさうな!寧《いつ》そ皆を呼戻さうか?乳母!‥‥えゝ、乳母が何の役に立つ? 怖しい此一場は、一人で如何《どう》あっても勤めにゃならぬ。‥‥さア、來い、瓶よ。 藥瓶を取上げる。 とはいへ、若《も》し此藥に、何の效力《きゝめ》も無かったなら? すれば、明日の朝となって、結婚を爲《し》ようでな?いや〜‥‥ それは此劍《これ》が(と懷劍を取り上げ)させぬ。‥‥やい、其處《そこ》にさうしてゐい。 (と懷劍を下に置く)。 ‥‥萬一、此藥が毒藥であったら?ロミオどのと縁組させておきながら、 此の婚禮をさすときは、宗門の恥となるによって、 それで予《わし》を殺さうといふ深い陰謀《たくみ》の毒藥ではあるまいものでもない。 いや〜、よもや其樣なこともあるまい、 不斷から上人《しゃうにん》と崇められた彼《あの》法師ぢゃ。‥‥したが、墓の中に臥《ね》てゐる時分、 まだロミオがお來やらぬうちに、若し目が覺めたら何とせう?さア、それが怖しい! 其窖《あなむろ》で呼吸《いき》が塞《つま》ってはしまやせぬか? 其穢《むさ》い穴の中へは清い空氣は些程《つゆほど》も通はぬゆゑ、 ロミオどのが來《わ》する頃には予《わし》ゃ死んでしまうてゐねばなるまい。 若し生きてゐるやうなら‥‥時も時、處も處、墓も墓、年を經た埋葬所《はうむりどころ》、 何百年の其間の先祖の骨が充填《つま》ってあり、 まだ此間埋めたばかりの彼《あ》のチッバルトも血まぶれの墓衣《はかぎ》のまゝで、 定めて腐りかけてゐるであらうし、 また眞夜中の幾時かは幽靈も出るといふ‥‥えゝ、どうしょう、目が覺めたら?‥‥ 厭《いや》らしい其臭《にほひ》と、 聞けば必然《きつと》狂亂《きちがひ》になるといふ彼《あの》曼陀羅華《まんだらげ》を根びくやうな、 凄い氣味のわるい聲を聞いたら‥‥ おゝ、早まって覺めた時分に、其樣な怖しい、畏《こは》いものに取卷かれたら、氣が違はいでをられうか? 先祖の衆の手や足やを偶《ふ》と玩具《もてあそび》にはしはすまいか? 手傷だらけのチッバルトを血みどろの墓衣《はかぎ》から引出しゃせぬか?狂氣の餘り、 世に聞えた或《さる》親族《うから》の骨を取上げ、棍棒《ぼうぎれ》のやうに揮廻《ふりまは》して、 我と我手で此腦天をば摧《くだ》きゃせぬか?あれ〜!チッバルトの怨靈が、 細刃《ほそみ》で斫《き》られた返報《へんぽう》をしようとて、ロミオを追廻してゐるのが見ゆるやうぢゃ! あ、あれ、待ってたべ、チッバルト!‥‥ロミオ、わしぢゃ!これはお前を思うて飮むのぢゃ。 と藥水《やくすゐ》を飮干すとやがて眩暈《げんうん》したる思入《おもひいれ》にて、 寢臺の上、帳《とばり》の内へ倒れ込む。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第四幕 第四場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第四場 同處。 カピューレット邸の廣間。 カピューレット夫人と乳母と出る。 カピ妻 待ちゃ、乳母、此鍵を持って往て、もそっと藥味を取って來てたも。 乳母 お庖厨《だいどころ》では、棗《なつめ》や榲[木|孛;#1-85-67]《まるめろ》を與《く》れいと呼んでゐます。 カピューレット長者出る。 カピ長 さゝゝゝゝ、働け〜!二番鷄が啼いたぞ、深夜鐘《カアヒウ》が鳴ったわ、もう三時ぢゃ。 こりゃアンヂェリカ、燒饅頭はよいかの?費用《つひえ》は介意《かま》ふな、費用《つひえ》は。 乳母 またしてもお干渉《せつかひ》を爲《し》やしゃります、さゝ、お就褥《やすみ》なされませ。 誓文《せいもん》、明日は病人にならしゃりませうぞえ、此夜《こよひ》寢やしゃらぬと。 カピ長 うんにゃ、ちょっともぢゃ。はて、其前《そのぜん》には、もそっと些細な事で、 幾たびも夜明しをしたものぢゃが、曾《つひ》ぞ病氣なぞになったことは無いわい。 カピ妻 さいの、其時分には甚《きつ》い鼠捕りであったそうな。したが、わたしが不寢《ねず》の番をするゆゑ、 今は其樣な鼠をば捕らすこどぢゃない。 夫人と乳母と入る。 カピ長 妬きをるわい、妬きをるわい!‥‥ 下人三四人、炙串《うをぐし》、薪、籃《てかご》などを携へて出る。 やい〜、そりゃ何ぢゃ? 甲下人 料理番のでござります、が、何ぢゃやら存じませぬ。 カピ長 急げ〜。 甲の下人入る。 やい、もそっと枯れた薪を取って來い。ピーターに聞け、すると、在處《ありしよ》をば教へるわい。 乙下人 眼がござりますから、薪位は見附けまする、へい、ピーターには及びませぬ。 乙の下人入る。 カピ長 南無三、やりをるわい。おもしろい下司野郎め!何ぢゃ、薪を見る眼ぢゃ? 乃公《おれ》ゃまた薪目くらかと思うた。‥‥はれやれ、夜が明けたわ。 今に彼《あ》の若が樂人共を將《ゐ》て來《わ》するであらう、さうせうと被言《おしや》ったによって。 樂の音聞ゆる。 もう來《わ》せたわ、‥‥(奧に向ひて)乳母‥‥奧よ!こりゃ、やい!‥‥こりゃ乳母、乳母といへば! 乳母又出る。 さゝ、ヂュリエットを起して、着飾らせい。俺は往てパリスどのに挨拶せう。‥‥ さゝ、急げ〜。婿どのは最早《もう》來《わ》せたわ。急げ急げ。 皆入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第四幕 第五場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第五場 同處。 ヂュリエットの居間。 ヂュリエット前の場の儘に寢床に倒れ臥してゐる。床には帳《とばり》がかけてある。乳母出る。 乳母 孃さま!これさ、孃さま!ヂュリエットさま!ぐっすりと睡《ね》入ってぢゃな、定《ぢゃう》? はて、仔羊さんえ!はて、姫《ひい》さまえ!ま、こゝなお寢坊さんえ!はて、可憐《いとしぼ》さん! これの、お姫《ひい》さま!戀人さんえ!はてま、花嫁御さんえ!えゝも、うんとも言はっしゃらぬ。 もう三文がた眠《ね》ようでな?なりゃ一週間がたも眠《ね》やっしゃれ、 明日の晩となると眠《ね》らるゝことではない、あの若がお前を眠《ね》かさぬと根を据ゑてぢゃ。‥‥ 南無三寶、ほんにまア善う眠《ね》込んでござることぢゃ!でも是非起さにゃならぬ。‥‥ 孃さま孃さま〜!其床の中へあの若が這入らしゃってもよいかや? そしたら飛起きさっしゃらうがな。何と然《さ》うであらうがな? (寢床の帳を開く)。ま、支度まで爲《し》やしゃれて!着衣《め》したまゝで! それでまた寢たのかいな!どうしても起さにゃなりませぬわい! (ゆすぶりながら)姫《ひい》さま!姫《ひい》さま!‥‥ あゝ、かなしや!はれ、誰れぞ、誰れぞ來て下され、たれぞ!姫《ひい》さまが死なしゃってぢゃ! おゝ、悲しや〜、生れなんだが優《まし》であったものを!速う火酒《しやうちう》を持って來て下され! 殿さまえ、奧さま! カピューレット夫人出る。 カピ妻 ま、何といふ騷ぎぢゃ? 乳母 おゝ、かなしや〜! カピ妻 如何《どう》したのぢゃ? 乳母 あれを、あれを!おゝ、悲しや〜! カピ妻 (立寄りて)おゝ、おゝ!女《むすめ》よ、我子よ、これ、生きてたも、目を開いてたも、 其方《そなた》が死にゃると、予《わし》も一しょに死にますわいの。 誰れぞ來て下され!人を呼びゃ、人を。 カピューレット長者出る。 カピ長 どうしたものぢゃ、さ、速うヂュリエットを、殿御が來《わ》せたに。 乳母 姫《ひい》さまは亡くならしゃった、死なしゃりました、亡くならッしゃった。あら、かなしや〜! カピ妻 あら、悲しや、女《むすめ》は死にました、死にました、死にましたわいなう! カピ長 やッ!どれ、どこに。‥‥やれ、悲しや!こりゃ冷いわ、血が沈んで、節々が固硬《しやちこば》って、 こりゃ此唇から息が離れてから最早《もう》久しい。廣い野邊にも又と無い其花に、 時ならぬ霜が降りたがやうに、死んで行く女《むすめ》、ヂュリエット! 乳母 おゝ、かなしや〜! カピ妻 おゝ、なさけなや〜! カピ長 女《むすめ》を奪うて泣かせをる死神めに、此舌を縛られて、物を言ふことが能《かな》はぬわい。 ロレンス法師とパリス、樂人らを引連れて出る。 ロレ さゝ、嫁御寮の教會行の身支度は整ひましたかの? カピ長 いかにも、往きて再び還らぬ支度が。おゝ、婿どの、いざ婚禮の前の夜に、 死神めが貴下《こなた》の妻を寢取りをった。あれ、あのやうに花の相《すがた》の色も褪せたわ。 死神が吾等《われら》の婿、死神が吾等《われら》の嗣子《あとつぎ》、 此上は吾等《われら》も死んで何もかも彼奴《あいつ》に與《く》れう、 命も財産《しんだい》も何もかも死神めに與《く》れませうわい。 パリス 今朝、面《かほ》を見る嬉しさをば、久しう待焦れてをったに、此樣な樣を見ようとは! カピ妻 憎や、かなしや、あさましや、怨めしや!休む間もなう廻《めぐ》り行く長い年月の間にも、 又と、こんな情ない日があらうかいの!只一人の、可愛い一人の、大事の〜祕藏兒《ほんそご》をば、 樂みとも慰めとも思ふてゐたを、取ってゆかれてしまうたと思へば、もう二度とは逢はれぬ處へ! 乳母 おゝ、悲しや!おゝ、かなしや〜〜!こんな情ない、こんなあさましい日には、 わしゃ曾《つひ》ぞ遭うたことがない!おゝ、こんな!こんな!こんな!こんな怨めしい! こんな忌はしい惡日《あくにち》は、わしゃ曾《つひ》ぞ〜。おゝ、悲しや〜! パリス 欺《だま》されて、中を裂かれて、侮辱されて、賤蔑《さげす》まれて、殺されてしまうたのぢゃ。 憎い死神めに欺《だま》されたのぢゃ。慘酷《むご》い〜汝《おのれ》めには滅されたのぢゃ!おゝ、戀人よ! 我命よ!いや〜、命とは言はれぬ、死んでしまうてゐやる我戀人! カピ長 さげすまれ、困《くるし》められ、憎まれて、何の罪もなうて殺されてしまうたのぢゃ! あさましい惡日《あくにち》め、何で汝《おのれ》は吾家へは來をったぞ、此のめでたい式を殺さうとて、 此のめでたい式を殺さうとて!おゝ、女《むすめ》よ!おゝ、女《むすめ》よ! 女《むすめ》どころかい、我靈魂《たましひ》よ!其方《そなた》は死にゃった!あゝ、あゝ! 女《むすめ》は死んでしまうた、女《むすめ》が死ねば俺の樂《たのし》みも最早《もう》絶えたわ。 ロレ しづまりめされ!如何《どう》したものぢゃ!起ってしまうた騷ぎは、 騷げばとて治《をさま》るものではない。そも〜此娘御は天と貴下《こなた》の兩有《りやうもち》ぢゃ、 今や天の獨有《ひとりもち》となったは娘御の爲《ため》には幸福《しあはせ》。 貴下《こなた》の有分《もちぶん》は死が取るといへば與《や》らぬわけにはゆかぬが、天の分は永劫不滅ぢゃ。 娘御の出世を願ひ、其昇進をば此世の天國とも思はしゃった貴下《こなた》が、 只今娘御が雲の上の眞《まこと》の天國へ昇進せられたのを、何として歎かしゃるぞ! おゝ、安らかにならしゃれたを、其樣に取亂して悲嘆《なげ》かしゃるは、正しう愛さっしゃる所以で無い。 婚《こん》して壽《じゆ》なるは必ずしも良縁ならず、婚《こん》して夭折す、却《かへ》って良縁。 さ、涙を乾かして、迷迭香《まんねんくわう》を死骸《なきがら》に挿《はさ》ましゃれ。 そして習慣《ならはし》通り、最《いつ》ち佳い晴衣《はれぎ》を着せて、教會へ送らっしゃれ。 涙を禁《とゞ》めあへぬは痴《おろか》な情の自然なれども、理性の眼《まなこ》からは笑草《わらひぐさ》でござるぞよ。 カピ長 婚儀の爲《ため》にと準備《ようい》した一切が役目を變へて葬儀の用。 祝ひの樂は哀しい鐘の音、めでたい盛宴《ちさう》が法事の饗應《もてなし》、樂しい頌歌《しやうか》は哀れな挽歌、 新床に撒く花は葬る死骸《なきがら》の用に立つ。何事も、皆うらはら。 ロレ 先づ奧に入らせられい。‥‥内室《おくがた》も一しょに入らせられい。‥‥ パリスどのにも。‥‥何《いづ》れも亡姫《なきひめ》の隨行《とも》をして墓場へ行く準備《したく》をなされ。 こりゃ何か仔細あって天のお咎め、此上、天意に逆うて、ゆめ〜御赫怒《みいかり》をば招かせらるゝな。 皆々《みな〜》入る。樂人らと乳母と殘る。 甲樂人 こりゃ最早《もう》樂噐をしまうて歸ってもよいであらう。 乳母 ほんに、御苦勞でござったが、ま、しまはッしゃれ〜。して見ようもない「事」になったのぢゃわいの。 乳母入る。 甲樂人 成程、御道理《ごもつとも》でござります、したが、今に如何《どう》にかなる「琴」でござりませう。 ピーター出る。 ピータ 樂人さん、おゝ、樂人さん、「心の慰め、心の慰め」。乃公《おいら》を陽氣にさせてくれる氣なら、 頼む、聽かせてくれ、例の「心の慰め」を。 甲樂人 何故「心の慰め」をでござります? ピータ はて、樂人さん、何故と言うて、今、乃公《おれ》の心の中では「予《わし》の心は悲哀《かなしみ》に‥‥」 が始まってゐる最中ぢゃ。ぢゃによって、何か可笑《をか》し悲哀《なさけな》い奴をば聽かせてくりゃ、 乃公《おれ》は怏々《くさ〜》してかなはぬによって。 甲樂人 いや、滅相な、そんな氣分ぢゃござりませぬ。 ピータ 否《いや》ぢゃと被言《おしや》るか? 甲樂人 さやう。 ピータ よいわ、今に見い、身體中に鳴響くやうに支拂ふてくれうぞ。 甲樂人 何を支拂はッしゃります? ピータ 金ぢゃ無いぞ、輕蔑《べつかつこう》をぢゃ。太鼓持扱ひにしてくれるわ。 甲樂人 すれば、此方《こち》も卿《こなた》を從僕《さんぴん》扱ひにしてくれう。 ピータ すれば、其從僕《さんぴん》さまのお帶劍《こしのもの》を汝等《ぬしら》の賤頭《どたま》へ上《の》せてくれう。 (短き鈍劍を拔いて揮り廻し)これ、大概で大言《ぶう〜》を止めぬと、 其太鼓面《たいこづら》をはりまげて地《つち》ん中へめりこますぞよ、は如何《どう》だ? 甲樂人 それ、そのめったりはったりが音樂《ぶう〜》(律呂)と謂ふものぢゃ。 乙樂人 もし〜、もう好い加減に其鈍劍《なまくら》を藏《しま》はっしゃれ、 駄洒落も最早《もう》ぬきにさっしゃれ。 ピータ 何ぢゃ、劍を藏《しま》うて洒落を拔け?よし!すれば、名劍を藏《しま》うて名洒落で打挫《うちひし》いでくれう。 さ、男らしう試合《しあ》うて見い。 (歌ふ)鋭き悲愁《かなしみ》に心傷《こゝろいた》み 我胸堪難く沈める時、 其時音樂の銀の調《しらべ》は‥‥ 何故「銀の調《しらべ》」ぢゃ?何故「音樂の銀の調《しらべ》」ぢゃ?‥‥ 猫腸絃子《サイモン・キヤトリング》どん、さ、何とぢゃ? 甲樂人 はて、銀は好い音色を出すからでござります。 ピータ 中等《ちゆう》ぢゃな!‥‥三絃胡弓子《ヒユー・レベツク》どん、足下《おぬし》は? 乙樂人 銀の調《しらべ》といふのは、はて、樂人は賃金を儲くるからぢゃ。 ピータ これも中等《ちゆう》ぢゃ!‥‥提琴柱子《ヂエームズ・サウンドポスト》どん、足下《おぬし》は? 丙樂人 予《わし》ゃ如何《どう》言うてよいか知らぬ。 ピータ ほい、眞平御免《まつぴらごめん》なれぢゃ。足下《おぬし》は唄方《うたかた》であったものを。 乃公《おれ》が代って言はう。そも〜「音樂の銀の調《しらべ》」と謂っぱ、はて、 とかく樂人は金貨には能《よ》うありつかぬからぢゃ。 (歌ふ)其時音樂の銀の調《しらべ》は たちまち鬱結《むすぼ》れし憂思《おもひ》を解く。 ピーター歌ひながら入る。 甲樂人 何といふ煩《うるさ》い奴ぢゃ彼奴《あいつ》は! 乙樂人 はッつけ野郎め!‥‥さ、奧へ往て、會葬者の來るまで待ってゐて食事《もてなし》にありつかう。 皆入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第五幕 第一場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第一場 マンチュア。 街上《がいじやう》。 ロミオ出る。 ロミオ 頼もしらしい夢の告げが實《まこと》ならば、やがて喜ばしい消息《たより》があらう。 わが胸の主(戀の神)もいと安靜《やすら》かに鎭座めされた、 されば例《いつ》になく嬉しうて〜、日がな一日心が浮かるゝ。俺が死んでゐると、 姫が來て、俺の唇に接吻して命の息を吹込んでくれたと見た‥‥ 死んだ者が思案するとは不思議な夢!‥‥すると、即《やが》て蘇生《いきかへ》って帝王となった夢。 あゝ〜!戀の影坊師でさへ此位嬉しいとすると、遂げられた眞《まこと》の戀は、まア、 どんなに樂しからうぞ? ロミオの下人バルターザー長靴の旅裝にて出る。 や、・ローナからの音信《たより》ぢゃ!どうぢゃ、バルターザー! 御坊からの消息《たより》は無かったか?姫は如何《どう》ぢゃ、父上は御無事か? ヂュリエットは何としておゐやる?先づ、それを聞かう、姫さへ安穩《あんのん》なら何事も大事ないわい。 バル すれば、何事も大事ござりませぬ、 姫《ひい》さまは御安穩《あんのん》にカピューレット家代々のお墓所《はかどころ》にお休み、 朽ちぬ靈魂《みたま》は天使がたと御一しょにござります。 手前は姫《ひい》さまが御親類がたのお廟所《たまや》へ入らせらるゝを見るや否や、 驛馬《はやうま》に飛乘ってお知らせに參りました。 此樣な惡《あ》しいお使《つかひ》も命置《おほせお》かせられた役目ゆゑでござります、御免なされませい。 ロミオ そりゃ實《まこと》か?‥‥おのれ、怨めしい運星《うんせい》めら!‥‥俺の宿《やど》を知ってゐるような。 筆と紙とを手に入れて、そして驛馬《はやうま》をも傭《やと》うてくれ。今宵のうちに出發《た》たうわ。 バル まゝ、お耐《こら》へなされませい、甚《いか》うお色も蒼《あを》ざめて、物狂ほしげな御樣子、 ひょんな事でも遊ばしさうな。 ロミオ 馬鹿な、何の、そんな事を!俺には介意《かま》はいで吩咐《いひつ》くることをせい。 御坊からの書状は無かったか? バル いえ、ござりませぬ。 ロミオ よし〜。早う往て、馬どもを傭《やと》うてくれ、やがて會はう。 バルターザー入る。ロミオ獨《ひとり》殘る。 はて、ヂュリエット、今宵は一しょに臥《ね》ようぞ。‥‥ そこで、其方法《てだて》ぢゃが‥‥おゝ、害心よ、ても速う入って來をるなア、絶望した者の胸へは! ‥‥思ひ出すは彼《あの》藥種屋《やくしゆや》‥‥たしかに此邊《このあたり》に住んでゐる筈‥‥ いつぞや見た折は、身に襤褸《つゞれ》を着て、藥草類を撰ってをったが、顏は痩枯れ、眉毛は蔽い被《かぶさ》り、 鋭い貧に躯《み》を削られて、殘ったは骨と皮。貧しい店前《みせさき》には鼇《おほがめ》の甲、鰐《わに》の剥製、 不恰好な魚の皮を吊して、周圍《まはり》の棚には空箱、緑色の土の壺、及び膀胱、黴びた種子《たね》、 使ひ殘りの結繩《ゆはへなは》、乾枯《ひから》びた薔薇などを口實《いひわけ》ほどに 取散らして貧羸《みすぼ》らしう飾った店附《みせつき》。其貧しさを見るまゝに、 思はず獨語《ひとりご》って、此マンチュアで毒を賣れば、直《すぐ》にも命を取らるれども、 若しも毒が欲しければ賣りさうなのは此奴《こいつ》め、と思うたが、今日ある知らせであったまで。 むゝ、あの貧人から是非毒を買《もと》めうわい。‥‥何でも此の邊であった。 祭日ゆゑ貧乏店が閉ってある。‥‥いや、なう〜!藥種屋《やくしゆや》はおりゃるか? 藥種屋出る。 藥種屋 かしましう呼ばッしゃるは誰ぢゃ? ロミオ ま、こゝへ來やれ。かう見たところ不如意さうな。こりゃ此處《こゝ》に四十兩ある、 予《わし》に毒藥を一匁《もんめ》ほど賣ってくりゃれ、直《すぐ》に血管に行渡って 世に[厭/食;#2-92-73]果《あきは》てた飮主《のみぬし》を立地《たちどころ》に死なすやうな、又、 射出《うちだ》された焔硝《えんせう》が怖しい大砲の胴中《どうなか》から激しう急に走り出るやうに、 息をば此體内《みうち》から逐出《おひだ》してくれる毒が欲しい。 藥種屋 されば、其樣な大毒藥をば貯へてはをりまするが、マンチュアの御法度では、賣ったりゃ、 命がござりませぬ。 ロミオ 其樣に貧しうあさましう暮してゐても、汝《おぬし》は死ぬるのが怖しいか? 飢は頬に、逼迫は眼に、侮辱貧窮は背に懸ってある。無情《つれな》い此浮世に法度はあっても、 つゆ汝《おぬし》の爲《ため》にはならぬ。ならば、貧を守るにも及ばぬ。法度を犯して之を取りゃれ。 藥種屋 意《こゝろ》は好《すゝ》みませねど、貧苦めがお言葉に從ひまする。 ロミオ 此方《こち》も其貧苦にこそ拂へ、意《こゝろ》には拂はぬわい。 藥種屋 (藥瓶を渡しながら)これをばお好《この》みの飮料に入れて飮ませられい。 たとひ二十人力おぢゃらしませうとも、立地《たちどころ》に片附かッしゃりませう。 ロミオ 此黄金《こがね》を遣《つかは》すぞ、これこそは人の心の大毒藥ぢゃ、 汝《おぬし》が賣りかぬる此些末なる藥種よりも此濁世《ぢよくせ》では遙《はるか》に怖しい人殺しをするもの。 汝《おぬし》では無うて予《わし》こそは毒を賣るのぢゃ。さらば。食物を買《もと》めて些《ち》と肉を附けたがよい。 ‥‥(行きかけて藥瓶を見て)毒ではない興奮劑《きつけぐすり》よ、さア一しょに、 ヂュリエットの墓へ來い、あそこで汝《そち》を使はにゃならぬ。 二人ともに入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第五幕 第二場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第二場 ・ローナ。 ロレンス法師の庵室《あんじつ》。 フランシス派の僧ヂョン出る。 ヂョン フランシス宗の御僧はゐさしますか!なう〜、御坊! ロレンス法師出る。 ロレ あれはヂョン坊の聲ぢゃ。‥‥さてようこそお戻りゃったマンチュアから。 してロミオは何と被言《おしや》った?若し筆に物せられたならば、其書面を見せやれ、 ヂョン いやの、同伴者に連立たうとて、同門跣足《どうもんせんそく》の或御坊を尋ねて、 町で或病家をお見舞やってゐるのに逢うたところ、 町の檢疫の役人衆に兩人《ふたり》ながら時疫《じえき》の家にゐたものぢゃと疑はれて、 戸外《そと》へ出《づ》ることを禁《とゞ》められた、それゆゑマンチュアの急用も其場で止められてしまうたわいの。 ロレ すれば誰が持って往んだぞ、ロミオへの予《わし》の書状は? ヂョン はて、屆けることを能《よ》うせなんだのぢゃ。‥‥これ、此通り持って戻った。 ‥‥此庵《こち》へ屆けうと思うてもな、皆が傳染を怖がりをるによって、 使《つかひ》の男さへも雇へなんだわいの。 ロレ はれ、それは物怪《もつけ》の不運の!眞實、重大な容易ならぬ用向の其書面、 それが等閑《なほざり》になった上は、どのやうな一大事が出來うも知れぬ。 御坊よ、早う往て、何處ぞで、鐵梃《かなてこ》を才覺して、急いで此處《こゝ》へ持って來て下され。 ヂョン うゝ、すれば、往て持來《もてこ》う。 ヂョン坊入る。 ロレ 此上は、そっと墓所《はかしょ》まで往かねばならぬ。此三時が間に、ヂュリエットは目を覺さう。 始終をロミオに知らせなんだとお知りゃったら嘸《さぞ》予《わし》を怨むであらう。 したが、マンチュアへは改めて書送り、ロミオがお來やるまでは、姫を庵室《あんじつ》にかくまっておかう。 不便《ふびん》や、生きた骸《むくろ》となって、死人の墓の中に埋れてゐやる! ロレンス入る。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12 シェークスピヤ:ロミオとヂュリエット:第五幕 第三場 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第三場 同處。 墓場。(此裡《うち》にカピューレット家代々の廟所ある體《てい》)。|深夜。 パリス先に、侍童《こわらは》從《つ》いて、草花と炬火《たいまつ》とを携へて出で來《きた》る。 パリス 侍童《わらは》よ、其炬火《たいまつ》をおこせ。彼方《あち》へ往て、つッと離れてゐい。‥‥ いや、それを消せ、人目に掛りたうない。あの水松《いちゐ》の下で、長々と横になって、 此洞《ほら》めいた地の上に直《ひた》と耳を附けてゐい、穴を掘るので土が緩んで、和《やはら》いでゐるによって、 踏めば直《すぐ》に足音《あしあと》が聞えう。 したら、人が來たといふ知らせに、口笛を吹かうぞ。その花もおこせ。吩附《いひつ》けたやうにせい、さ。 侍童 (傍を向きて)こんな墓原に一人立ってゐるのは怖《こは》らしいが、ま、やって見よう。 侍童《こわらは》物蔭へ退《さが》る。 パリス (廟の前へ進みて)なつかしい花の我妹子《わぎもこ》、花を此新床の上に撒いて‥‥ あゝ、天蓋は石や土塊《つちくれ》‥‥其撒いた草花に夜毎に香る水を注がう。 若しそれが盡きたなら、歎きに搾る予《わし》が涙を。和女《そもじ》への夜毎の手向《たむけ》は、 かうして花を撒いて泣くことぢゃわい。 此時、侍童《こわらは》あなたにて口笛を吹く。 むゝ、侍童《こわらは》めが何か來たと知らせをる。いま〜しい、何者であらう、 今頃此邊《このあたり》へ彷徨《さまよ》うて、俺が眞情《まごゝろ》の囘向《えかう》をば妨げをる。 や、炬火《たいまつ》を持って來るわ!‥‥夜よ、ちっとの間、俺を包んでくれい。 パリス退《さ》がる。 ロミオ先に、バルターザー炬火《たいまつ》、鶴嘴等を携へて出る。 ロミオ 其鶴嘴《つるはし》と鐵梃《かなてこ》を此方《こち》へ。こりゃ、此書状をば、明日早う父上へ屆けてくれ。 其炬火《たいまつ》をこちへ。さて、確《しか》と申附くる、如何な事を見聞せうとも、 悉《こと〜゛》く立離れ、予《わし》が仕事の妨碍《さまたげ》をばすまいぞよ。 予《わし》が廟《たまや》へ降りるは、姫の面《かほ》を見ようがためでもあるが、 それよりも姫が身に着けた貴い指輪を或大切な用に使はうため取外して來るのが主な目的ぢゃによって、 早う往《い》ね。若し疑うて立戻り、予《わし》が所行《しよぎやう》を窺《うかゝ》ひなど致さうなら、 天も照覽あれ、汝《おのれ》が四肢五體を寸々に切裂き、飽くことを知らぬ此墓を肥すべく撒き散らさうぞよ。 時刻が時刻ゆゑ、俺の心は殘忍、兇暴、餓ゑたる虎、鳴渡る荒海よりも猛《たけ》しいぞよ。 バルタ はい〜、立去りまする、お妨碍《さまたげ》は仕《つかまつ》りませぬ。 ロミオ それでこそ予《わし》への忠節。これを取れ。(と金子を與へ)末長うめでたう暮せ。さらばぢゃ。 バルタ (傍を向きて)あゝは言はせられるが、ま、此邊《このあたり》にかくれてゐよう。 お顏の色も心懸り、お心の中《うち》も疑はしい。 物蔭へ退《さが》る。 ロミオ (廟の前に進みて)汝《おのれ》、死の母胎め、世に又とない珍羞《ちんしゆう》を貪《むさぼ》り食《く》ひをった 憎《にツく》い胃の腑め、汝《おのれ》の腐った顎《あぎと》をば、まッ此のやうに押開いて、 (と廟の扉を抉《こ》ぢあけながら)汝《おのれ》の面當《つらあて》に、無理に餌食を填充《つめこ》まう。 廟扉《べうひ》を開く。 パリス ありゃ追放された高慢なモンタギューめぢゃ。彼奴《あいつ》が從兄を殺したゆゑ、美しい戀人が、 愁嘆の餘りにお死にゃったといふこと。こゝへ來をったは、死骸に侮辱《はづかしめ》を加へよう爲《ため》でがな。 捉へてくれう。‥‥やい、モンタギューめ、破廉恥な所行《しよぎやう》を止めい。 怨《うらみ》を死骸《むくろ》にまで及ぼさうとは、墮地獄の人非人め、引立つる、尋常に從《つ》いて來い。 生けてはおかぬぞ。 ロミオ いかにも、生きてをられぬ身ぢゃ。なればこそ此墓《こゝ》へは來た。 いやなう、若、命知らずの者に手出しをなさるな。早うお迯《に》げなされ。此亡者逹の事を思うて怖れたがよい。 予《わし》を腹立たせて、又の罪惡を犯させて下さるな。おゝ、速う去《い》なしゃれ。眞實、 予《わし》は自分よりも足下《おぬし》を可愛《いと》しう思ふてゐる、 予《わし》は自殺をしようと覺悟して此處《こゝ》へ來た者であるに依《よ》って。さゝ、速う去《い》なしゃれ。 生存《いきながら》へて、後日、自分は、狂人の仁情《なさけ》で、危《あやふ》い所を助かったとお言ひなされ。 パリス どう頼まうとも聽かぬわい。重罪人として引立つるは。 ロミオ では俺を怒《いか》らす氣か?ならば、覺悟せい! 二人劍を拔いて戰ふ。 侍童 大變ぢゃ、戰うてぢゃ!速う夜番の衆を呼んで來よう。 侍童《こわらは》入る。此中《このうち》にパリス手を負うて倒るゝ。 パリス おゝ、しまうた!‥‥仁情《なさけ》があるなら廟を開いてヂュリエットと一しょに埋《うづ》めてくれい。 パリス息絶ゆる。 ロミオ おゝ、承引《しょういん》したぞ。‥‥面《おもて》を檢《しら》べて見よう。‥‥ マーキューシオーの親戚のパリス殿ぢゃ! 馬に騎《の》って來る途中、家來めが何とか言うた、心が亂れてゐて善う聽いてはゐなんだが? ヂュリエットと此パリスとが婚禮をする筈であったとか言うた。いや、さうは言はなんだか?夢か? 今がたパリスが、ヂュリエットの事を言うたゆゑ、それで此樣《こん》なことを思ふのか? 此心が狂うたか?‥‥おゝお手をおこしゃれ、薄運の名簿の裡《うち》に、 俺と並べ書《がき》にせられた足下《おぬし》ぢゃ!予《わし》が今埋めて進ぜよう名譽の墓に。 墓か?いや〜、こりゃ墓ではない、明り窓ぢゃ、なア、足下《きみ》。はて、ヂュリエットが居るゆゑに、 其艷麗《あでやか》さで、此窖《あなむろ》が光り輝く宴席とも見ゆるわい。‥‥ 死人どのよ、死人の手で埋められて、其處《そこ》で臥《ね》やれ。 パリスの死骸を廟の中に横たへる。 人は動《やゝ》もすれば、其最期《いまは》に心が浮かるゝ! それを看護人が死ぬる前の電光《いなづま》と命《よ》んでゐる。 おゝ、これが電光《いなづま》と言はれようか?‥‥ おゝ、戀人よ!我妻よ!卿《そなた》の息の蜜を吸ひ盡した死神も、 卿《そなた》の艷麗《あでやか》さには能《え》い勝たいでか、 其蒼白い旗影《はたかげ》はなうて美の旗章《はたじるし》の鮮《あざやか》な此唇、此兩頬。‥‥ おゝ、チッバルト、足下《おぬし》も其處《そこ》にゐるか、血に染みたまゝで? まだ嫩若《うらわか》い足下《おぬし》を眞二《まツぷた》つにした其同じ手で、當の敵《かたき》を切殺して進ぜるが、 せめてもの追善《つゐぜん》ぢゃ。從兄どの、赦してくれい。‥‥あゝ、戀しい、懷しい、 ヂュリエット、何として今尚ほ斯うも艷麗《あでやか》ぢゃ?若しや形のない死神が卿《そなた》の色香に迷うて、 あの骨ばかりの怪物めが、己《おの》が嬖妾《おもひもの》にしようために、 此黒闇《くらやみ》に蓄《かこ》うておくのではないか知らぬ。それが氣懸りゆゑ、 俺ゃもう決して此暗《やみ》の館を離れぬ。 卿《そなた》の侍女《こしもと》の蛆共と一しょに俺ゃ永久《いつまで》も此處《こゝ》にゐよう。 おゝ、今こゝで永劫安處《えいがふあんじよ》の法を定め、 憂世《うきよ》に[厭/食;#2-92-73]《あ》き果てた此肉體《からだ》から薄運《ふしあはせ》の軛《くびき》を振落さう。 ‥‥眼よ、見よ、これが最後《なごり》ぢゃぞ!腕《かひな》よ、抱け、これが最後《なごり》ぢゃ! おゝ、息の戸の脣よ、人の命を長永《とこしなへ》に買占むる死の證文に天下《てんが》晴れた接吻の奧印せよ! ‥‥(毒藥の瓶を取り出し)さ、來い、苦い、飮みぐるしい案内者よ!やい、命知らず舵手《かんどり》よ、 苦しい海に病み疲れた此小船を、速う巖礁角《いはかど》へ乘上げてくれ!‥‥さ、戀人に!(と飮む)。 おゝ、眞實な彼《あの》藥種屋、效力《きゝめ》は忽《たちま》ち‥‥かう接吻して俺ゃ死ぬるわ。 ヂュリエットへ臥し重なるやうにして息絶《いきたゆ》る。 此時、一方へロレンス法師が提燈、鶴嘴、鋤等を携へて出で來《きた》る。 ロレ 南無やフランシス上人《しゃうにん》、護らせられい!はれ、けったいな、 今宵此老脚《ろうきやく》が幾たび墓穴に蹉躓《けつまづ》いたことやら!‥‥誰れぢゃ、 そこにゐるのは? バルタ 怪《け》しうは無い者、貴僧《こなた》を善う存じてをる者でござる。 ロレ ほい、其許《そのもと》か!さらば問はうが、あしこのあの炬火《たいまつ》は、ありゃ何でおぢゃる、 蛆蟲や目も無い髑髏《どくろ》を空しう照すあの光は?かう見たところ、カペル家の廟舎《たまや》の前ぢゃが。 バルタ 其通りにござります。あそこに主人が居られまする、御坊の可憐《いと》しう思はせらるゝ。 ロレ とは誰れぢゃ? バルタ ロミオさまでござります。 ロレ え、こゝへ參られて久しいか? バルタ 半時餘りになりまする。 ロレ なりゃ墓穴まで一しょにおぢゃれ。 バルタ いや、僕《ぼく》は能《え》い行きませぬ。主人は僕《わたくし》をば既《はや》往《い》んだとのみ思うてをられます。 若し此處《こゝ》に止まって樣子などを窺《うかゞ》はうならば、斬殺《きりころ》してのけうと、 怖しい見脈《けんみゃく》で嚇《おど》されました。 ロレ ならば、此處《こゝ》にござれ。予《わし》が獨《ひとり》で往かう。はて、氣懸になって來たわ。 おゝ、こりゃ何か不祥な事が出來《しゆつらい》したのでは無いか知らぬまでい。 バルタ 最前、此水松《いちゐ》の蔭で居眠《ゐねむ》ってゐますうちに、夢うつゝに、主人とさる人とが戰うて、 主人が其人をば殺したと見ました。 ロレンスは廟の方へ進む。 ロレ ローミオー!あら、あら、何事ぢゃ此血汐は、これ、此廟舎《たまや》の入口の石を染めた此血汐は? 主《ぬし》もない此劍《つるぎ》は?此樣な平和の場所に血まぶれにして棄てゝあるは、 こりゃ何としたことであらう? と廟の中へ進み入る。 や、ローミオー!おゝ、色は蒼白《まツさを》!‥‥外にも誰やら? や、パリスどのまで?剩《あまつ》さへ血汐に浸って?‥‥あゝ〜、何といふ無慚《むざん》な時刻ぢゃ、 如是《こんな》あさましい事をば一時《とき》に爲出來《しでか》すとは! ‥‥や、姫が身動爲《し》やる。 此時ヂュリエット目を開く。 ヂュリ おゝ、嬉しや御坊樣か!殿御は何處にぢゃ?行き處《どこ》は記《おぼ》えてゐる、 おゝ、さうぢゃ、そこへ予《わし》は來てゐるのぢゃ? ロミオは何處にぢゃ? 奧にて多勢《おほぜい》の人聲する。 ロレ 人聲がする。‥‥こりゃ姫よ、ま、早う出てござれ、そこは死や疫癘《えきれい》や無理な睡眠の宿ぢゃほどに。 人間以上の力の爲《ため》に折角の計画《はかりごと》が皆敗れた、さ、早うござれ。 和女《そもじ》の殿御は、それ、其處《そこ》に胸元にお死にゃってぢゃ。パリスどのもぢゃ。 さゝ、尼御逹の仲間中《うち》へ、頼うで和女《そもじ》を入れておかう。あれ、夜番が來るわ、 委細の事は後で〜。さゝ、ヂュリエット、ござれ〜。予《わし》ゃもう此處《こゝ》には能《よ》うをらぬわ。 ロレンス狼狽《うろた》へて入る。 ヂュリ さ、速う去《いな》しゃれ、予《わし》は去《いな》ぬほどに。‥‥こりゃ何ぢゃ? 戀人が手に握りゃったは盃《さかづき》か?さては毒を飮んで非業の最期をお爲《し》やったのぢゃな。 ‥‥まア、あたじけない!皆飮んでしまうて、 隨《つ》いて行かう予《わたし》の爲《ため》に只一滴をも殘しておいてはくれぬ。 ‥‥お前の脣を吸はうぞ。毒がまだ殘って居たら、 それこそは假の命から實《まこと》の命へ囘《かへ》らする大妙藥!‥‥まだ温《ぬく》い、お前の脣! とロミオの死骸に接吻する。 此時奧にて又多勢《おほぜい》の人聲する。 番甲 (奧にて)案内せい。どちらぢゃ。 ヂュリ や、人聲?なりゃ、片時《へんし》も早う。‥‥おゝ、嬉しや、短劍! (ロミオが佩《お》びたる短劍を取りて)さ、鞘はこゝに。 (と胸を貫き)そこに居附いて、予《わし》を死なせてくれ。 と息絶ゆる。 夜番の者甲、乙、丙、其他多勢《おほぜい》パリスの侍童《こわらは》を案内者にして出る。 侍童 こゝぢゃ。あの炬火《たいまつ》が燃えてをる處がそれぢゃ。 番甲 此邊《このあたり》は血だらけぢゃ。墓場の界隈を探さっしゃい。 さゝ、見つけ次第に、かまうたことは無い、引立てめさ。 二三人入る。 はれ、無慚《むざん》な!こゝに若殿が殺されてござる、のみならず、 既《も》う二日も葬られてござったヂュリエットどのが、つい今しがた死なっしゃれたやうに血を流して、 温《ぬく》いまゝで。‥‥誰れぞ早う御領主樣へ。カピューレットどのゝ邸《やしき》へも走った。 モンタギューどのを起して來い。他の者は、探せ〜。 夜番頭《よばんかしら》の甲のみ殘りて皆々入る。 不運な人逹が臥《ね》ておりゃる地盤《グラウンド》だけは善う見えるが、 此不運の眞《ほん》の原因《グラウンド》は、よう査《しら》べて見ぬうちは分らぬわい。 夜番の乙、外一二人バルターザーを引立てゝ出る。 番甲 これはロミオどのゝ家來《めしつかひ》でおりゃる。墓場で見付けました。 番甲 殿さまの渡らせらるゝまで、逃さぬやうに護ってござれ。 他の夜番の者丙、ロレンス法師を引立てゝ出る。 番丙 これなる老僧は、顫《ふる》へながら溜息《といき》を吐《つ》き、涙を流してをりまする。 只今墓場から參るところを取り押へて、これなる鋤と鶴嘴とを取上げました。 番甲 甚《いか》う胡散な。その僧《ぼうず》をも留めておかっしゃい。 領主、多勢《おほぜい》の從者を引連れて出る。 領主 朝まだきに如何なる珍事が出來《しゆつたい》したのぢゃ、予《よ》が夢を驚かして呼び出だすは? カピューレット長者夫婦、其他出る。 カピ長 何とした事ぢゃ、街上《そと》にて人々の叫《わめ》き立つるは? カピ妻 往來の人々は、或ひはロミオと呼び、或ひはヂュリエット、或ひはパリスと呼びかはして、 聲々に叫《わめ》き立て、吾屋の廟屋《たまや》へと急ぎまする。 領主 吾等《われら》の耳を驚かす變事とは何事ぢゃ? 番甲 申上げまする、こゝにパリス樣が殺されて居させられます、またロミオにも、 また其以前に死去《みまか》りました筈のヂュリエットにも、體温《ぬくもり》のあるまゝ、 新しく殺されてをられまする。 領主 あくまでも手を盡して此虐殺の所因を査《しら》べい。 番甲 これにをりまする老僧、また殺されましたるロミオの僕《しもべ》一人、 何《いづ》れも墓を發《あば》きまするに屈強の道具をば携へてをりまする。 カピ長 やゝ、これは!おゝ、我妻よ、あれ、見さしませ、愛女《むすめ》の體内《みうち》から血が流るゝ! えゝ、此劍は住家《すみか》をば間違へをったわ。 こやつが住むべきモンタギューが腰なる宿は裳脱《もぬけ》の殼で、無慚《むざん》や、愛女《むすめ》の胸が鞘! カピ妻 おゝ、悲しや!此慘《いたま》しい死樣は、老いゆく此身をば墓へ急がす死鐘《しにがね》ぢゃ。 モンタギュー長者、其他出る。 領主 さ、こゝへ、モンタギュー。時ならず早う起出でめされたが、目に入るものは、 時ならず早う臥《ね》た息子どのゝ寢姿ぢゃ。 モン長 なう、情《なさけ》なや、我君!我子の追放を歎悲《なげき》の餘りに衰へて、妻は昨夜《やぜん》相果てました。 尚此上にも老人をさいなむは如何なる不幸ぢゃ。 領主 あれ、あれをお見ゃれ。 モン長 おゝ、汝《おのれ》、不所存者めが!父を押退《おしの》けて先へ墓へ入らうとは、 何といふ作法知らずぢゃ、汝《おのれ》! 領主 暫時《しばらく》叫喚《けうくわん》の口を閉ぢよ、先づ此疑惑を明かにして其源流を取調べん。 然る後、われ將《は》た卿等《おんみら》の悲嘆《なげき》を率ゐて、敵《かたき》の命をも取遣《とりつか》はさん。 先づそれまでは悲嘆《ひたん》を忍んで、此不祥事の吟味を主とせい。 ‥‥嫌疑の徒輩《ともがら》を引出せ。 ロレ 手前こそは、力量は最《いつ》ち不足ながら、時も處も手前に不利でござるゆゑ、 此怖しい殺人《ひとごろし》の第一番の嫌疑者でござりませう。只今此處《これ》にて呪はるべくもあり、 恕《ゆる》さるべくもある手前の所行を告發もし、辯解も仕《つかまつ》りませう。 領主 さらば、汝《そち》が存じをる限りを疾《と》く申せ。 ロレ 手短に申しませう、管々しう申さうには命が覺束なうござりまする。‥‥ そこにお死にゃったるロミオこそはヂュリエットが正しい夫、 またそこにお死にゃったるヂュリエットこそはそのロミオが貞節なる宿の妻、 二人を嫁《めあは》したは手前。また二人が内祝言の日はチッバルトどのゝ大厄日《だいやくじつ》、 非業の最期が因《もと》となって新婿《にいむこ》どのには當市お構ひの身と上となり、 ヂュリエットどのゝ悲嘆の種、さうとは知らずチッバルトどのをお歎きゃるとのみ思召《おぼしめ》され、 其歎《なげき》を除かうとてパリスどのへ無理強ひの婚禮沙汰、其時姫が庵室《いほり》へわせられ、 此二度の祝言を脱《のが》るゝ手段《すべ》を教へてくれい、 然《さ》なくば此處《こゝ》で自害すると半狂亂の面持《おもゝち》、 是非なく、自得の法により、眠劑《ねむりぐすり》を授けましたところ、 案の如くに效力《きゝめ》ありて、死せるにひとしき其容態、手前其間に書状して、 藥力《やくりき》の盡《つく》るは今宵、姫をば假の墓所《はかしよ》より、來りて救ひ出されよ、 とロミオ方《かた》へ申し遣《や》りしに、使僧《しそう》ヂョンと申す者、 不慮の事に抑留《ひきと》められ、夜前《やぜん》其書を持歸ってござりまするゆゑ、目覺めなば嘸《さぞ》當惑、 と姫を救ひ出《いだ》さんため、只一人にて參りしは、窃《ひそか》に庵室《いほり》にかくまひおき、 後日機《をり》を見て、ロミオへ送り屆けん存念、然るに參り見れば、姫の目覺むる少しき前方《まえかた》、 非業の最期はパリスどのとロミオどの。其中《そのうち》、姫の目覺めしゆゑ、 天の爲《な》せる業《わざ》は是非に及ばず、ともかく出てござれ、と勸むるうちに、近づく人聲、 予《われら》駭《おどろ》き逃出ましたが、絶望の餘にや、姫は續いて參りもせず、 やがて自害を致したと相見えまする。手前が存じをりまするは是限《これぎ》り。内祝言の儀は乳母が善う承知の筈。 何事にまれ、予《われら》が不埒と御檢斷《けんだん》遊ばれうならば、餘命幾何《いくばく》もなき老骨、 如何な御嚴刑にも處せられませう。 領主 予《よ》は常に足下《おぬし》をば正しい僧と信じてをったわ。‥‥ロミオの僕《しもべ》は何處《いずこ》にをる? 彼《か》れは此儀に對して何と申すぞ? バルタ 僕《わたくし》めは、ヂュリエット樣お死去の事をば、マンチュアの主人方へ傳へましたるところ、 主人は直《すぐ》に驛馬《はやうま》にて、彼處《かしこ》から御廟所まで參られ、墓へ入られまする前に、 此書面を朝早う親御樣へ渡してくれいと申され、 速《すみや》かに此處《こゝ》を立去らずば殺してしまふぞと嚇されました。 領主 其書面見ようわ。これへ。‥‥して、夜番を呼び起した伯の侍童《こわらは》とやらは何處に居《を》る? ‥‥こりゃ、其方《そち》の主人は此處《このところ》へは何しにわせたぞ? 侍童 御方《おんかた》の墓へ撒うとて花を持ってわせられました。 遠く離れてゐいと仰せられましたゆゑ、僕《わたくし》はさやう致しました。 やがて燈火《あかり》を持った人がわせて、墓を發《ひら》かうと爲《し》やしゃるやいな、 御主人は劍を拔かしゃれました。それで僕《わたくし》は走出《かけいだ》して夜番の衆を呼びました。 領主 此書面にて僧が申條《まうしでう》の證《あかり》は立ったり、情事の顛末、 女が死去の報告《しらせ》また貧窮なる藥種屋より毒藥を買求めてそれを持參し、 此處《これ》なる女の墓の中にて自殺なさん底意《そこい》まで、明白と相成ったわ。 ‥‥仇敵《かたき》同士は何《いづ》れにあるぞ?カピューレット!モンタギュー!‥‥ 見い、是皆汝等《おぬしたち》が相憎惡《にくみあひ》の懲罰《こらしめ》、天は故《わざ》と子供等を愛しあはせ、 以て汝等《おぬしら》が歡樂《よろこび》をば殺させられたわ。 予《われ》將《は》た汝等《おぬしら》の確執《なかたがひ》を等閑《なほざり》に視過したる罪によって、 近親《うから》を二人までも失うた。御罰に漏れたる者はない。 カピ長 おゝ、モンタギューどの、御手をば與へさせられい。これをこそ愛女《むすめ》への御結納とも思ひまする、 他に望《のぞみ》とてはござらぬわい。 モン長 いや、こなたよりはまだ參らするものがおぢゃる。吾等《われら》純金にて姫の像を建て申し、 此・ローナが同じ呼名《よびな》で知らるゝ限り、 貞節なヂュリエットどのゝ黄金《こがね》の像をば上無き記念《かたみ》と崇めさせん。 カピ長 女《むすめ》と並べてロミオどのゝ黄金《こがね》の像をも建て申そう、 互ひの不和の憫然《ふびん》な犧牲《いけにえ》! 領主 物悲しげなる靜けさをば此朝景色が齎《もたら》する。日も悲しみてか、面《おもて》を見せぬわ。 いざ、共に彼方へ往《い》て、盡きぬ愁嘆《なげき》を語り合はん。 赦すべき者もあれば、罰すべき者もある。哀れなる物語は多けれども、 此ロミオとヂュリエットの戀物語に優《まさ》るはないわい。 皆々徐《しず》かに入る。 ロミオとヂュリエット(完) [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/12