巖窟王 (下卷): 目次


アレクサンドル・デュマ (Alexandre Dumas, 1802-1870)著、黒岩涙香 (1862-1920) 譯、 史外史傳巖窟王 -- モンテ・クリスト伯 -- (Le Comte de Monte-Cristo, 1844-45)。
出版社:愛翆書房。上卷:昭和二十三年十一月十日印刷,十一月十五日發行,定價百八十圓。 下卷:昭和二十四年三月十日印刷,三月十五日發行,定價二百圓。


史外史傳巖窟王

アレクサンドル・デュマ著

黒岩涙香 譯

目次


osawa
更新日:2003/12/29
更新日:2003/12/29

巖窟王 : 「巖窟王」上卷梗概


まだナポレオンがエルバ島に幽閉されてゐた一八一五年二月二十四日、 土地の有力者森江氏の持船巴丸が永い航海を終へてマルセーユに入港した。この船の船長代理をつとめてゐた團友太郎は、 懷しい父親、そして美しい婚約者お露の待つ故國の土を胸躍る思ひで踏んだのである。

友太郎の歸りを待ちわびるお露にかねて戀してゐた彼女の從兄の次郎は、 友太郎に船長の地位をうばはれた古參の船員段倉と共に彼の幸福が妬ましくてならなかつた。 その夜、段倉は水夫逹の集まる酒場に次郎を誘ひ、 二人共謀して友太郎がエルバ島からナポレオンの密書を携えて來てゐるとの密告の手紙を書いて投凾した。

マルセーユの若い檢事補蛭峰は皇帝からの密書が彼の父野々内彈正宛になつてゐたのでひどく驚き、 父を助ける爲と自からの出世の爲、その手紙を燒き捨てさせ、 婚約祝ひの席から逮捕した友太郎を永久に陽の目の見られぬデイフ要塞に幽閉してしまつた。

岩の牢獄に絶望の幾年かゞ過去つた或る日のことである。彼は獄の奧から聞えるかすかな物音に氣がついた。 これは同じく無實の罪で幽閉された梁谷法師の破獄の音であつた。 かくて彼は伊國獨立運動の先驅者であり博學多才な法師と相知ることゝなり、 二人は共力して新たに破獄の計畫を進めることゝなつた。

二人の親交は日に日に深まつて行つた。法師は彼の持てる智識のすべてを愛する友太郎に授けることに全力を盡すことゝなつた。 しかしこの破獄の計畫も遂に法師の持病の再發によつて中止の止むなきに至つたが、 この悲しむべき出來事の中に見出した友太郎の眞情に、法師は初めてモンテ・クリスト島にかくされた財寶の祕密を打明け、 再度の發病に死んで行つた。悲しみに打ちのめされた友太郎は、フト思ひ着いたまゝ法師の死體の身代りとなつて袋に入り、 獄卒の手で海中深く投込まれた。しかし幸ひにも附近を航行する密輸入船に救はれ、 かくて待望のモンテ・クリスト島に上陸する日が廻り來たつた。

法師の云ひ殘した祕密は眞實であつた。彼は遂に島の洞窟の中に巨億の財寶を見出したのである。 思ひもよらなぬ幸運の惠まれ、今は何者をも恐れるもののなくなつた彼は、 この永い年月自分を苦しめた人々への復讐を固く心に誓つたのである。

かくて自由の身となつた彼は先づ、僧侶に身を變えて、毛太郎次の營む旅宿に現はれ、 彼の口から父の死の眞相、そして次郎がお露と結婚し今は時めく伯爵野西將軍となつてゐること、 又段倉が巴里の金融界を一手に握る大銀行家となつてゐることなどを聞き出した。 そして昔し深い恩を受けた森江氏が零落し破産に瀕してゐるのを知り、 これを助け、大なる計畫の準備のため東方の旅へと姿を消した。

又して數年の月日流れ去つた。この時、突如としてローマの社交界に巖窟島伯と名乘る一紳士が現はれた。 彼れこそ友太郎の復讐の準備成つた再生の姿であつた。 彼は巧妙な計畫に依り野西將軍の一人息子武之助の命の恩人となる機會を掴んだ。 そして武之助の感謝の招きに應じ遂に待望の舞臺巴里にその姿を現はすことゝなつた。 息子の紹介に初めて相見る伯爵とお露。 お露は流石に伯爵の中にかつての婚約者であり一日として忘れ得なかつた友太郎の面影を見出して蒼白となつた。

巴里到着第一日にして野西家の深い信任を得た伯爵は、 その持てる無限の財力を自在に用ひて第二日目には舊敵段倉一家とも親交を結ぶことが出來た。 そしてその三日目にはかつてのマルセーユの若き檢事補、今は時めく巴里の檢事總長蛭峰家との交際が初められた。 果して彼はこれ等の交際の中に何を計畫してゐることであらう。

復讐の機は刻々と近づきつゝある!


更新日:2003/10/14

巖窟王 : 下卷 主要人物


巖窟島(いはやじま)伯爵(モンテ・クリスト伯)
本名團友太郎(エドモン・ダンテス)數竒の運命とたゝかいぬく本篇の主人公。
野西(のにし)將軍(モルセール將軍)
舊名次郎(フエルナン)スペイン村の漁師出。後西班牙戰爭の功あつて野西子爵となる。
野西夫人お露(メルセデス)
かつての友太郎の許婚者、友太郎の入獄後次郎と結婚す。
野西武之助(たけのすけ)(アルベール・ド・モルセール)
次郎とお露の間に生れた一人息子。若き子爵。
段倉(だんぐら)喜平次(きへいじ)(ダングラール)
かつては森江氏持船巴丸の會計主任。後次郎と共に西班牙戰爭で巨利を博し大銀行家[と?]なる。
蛭峰(ひるみね)重輔(しげすけ)(ヴイルフオール)
かつてはマルセーユに於ける檢事補。後累進して現在檢事總長。
野々内(ののうち)彈正(だんじやう)(ノワルテイエ)
蛭峰の實父、かつてはナポレオン黨の有力な鬪士[。]現在は全身不隨となり華子の看護を受けてゐる。
華子(・アランテイーヌ)
蛭峰夫妻の娘。森江眞太郎。と相思の間にあり、毛脛安雄との縁談に惱んでゐる。
森江(もりえ)眞太郎(マクシミリヤン・モレル)
友太郎の舊主森江氏の長男にて陸軍大尉。
毛脛(けすね)安雄(フランツ・デビネー)
かつてナポレオン黨に暗殺せられた毛脛將軍(ケネル將軍)の一子。若き男爵。
鞆繪姫(ともゑひめ)(エデ)
ギリシヤ、ヤミナ城主有井宗隣(アリ・テブラン)の娘。奴隸に賣られてゐたのを巖窟島伯爵により買戻さる。
皮春(かわはる)永太郎(アンドレ・カ・ルカンテイ)
本名辨太郎(ベネデツト) 蛭峰若き日の不義の子。巖窟島伯爵の復讐の手段に使はれ、この名稱をつけらる。
春田路(はるたじ)良助(ベルツツチオ)
コルシカ生れにて密輸入等を業としてゐた。辨太郎の育ての親、後巖窟島伯爵に救はれ家扶となる。
粕場(かすば)毛太郎次(けたろうじ)(カドルツス)
かつては友太郎の友人、後旅宿尾長屋の主人となつてゐたが、殺人其他の罪を犯し幾度か入獄す。

更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一三三 華子さん、華子さん


大なる仕事の爲め幾年幾月、身を練り膽を鍛へ、石心鐡腸の人と爲つた巖窟島伯爵の如きが、 (わづか)に森江良造の死際に團友太郎の事を云つたと聞いて、 落る涙を止め得ぬとは、其人其境遇に似合しからぬ愚痴と云ふものではあるまいか。

然し愚痴と云へば愚痴でもあらう、併し人情は總て愚痴である、 愚痴を離れては人情は無い、假令(たと)へ伯爵は石心鐡腸であるにしても、 實は人情の凝り固まツた人である、善く悲しみ善く怒り善く愁ひ善く喜べばこそ、 大なる復讐をも企てるのだ、人情に離れたでは無く、人情と同化したのだ。 一意唯だ人情に驅られて、止むに止まれぬ事になツたと云ふ可きだ、 殊に伯爵の今の身は此世に一人も友が無く身寄も無く、 單に森江良造をのみ後にも先にも無い只一人の恩人と思ひ、 無情極まる此世界に其一家をのみ唯情の有る温かい家と思ひ、 絶えて人を慕ひ又は人を懷かしむと云ふ事の無い心の底に、 只一點の懷かしさを此一族に寄せて居るのだもの、此一族の其主人其恩人が、 死ぬる今果(いまは)に誰も覺えぬ我が本名を呼んで呉れたと聞いて人一倍情に迫り、 堪へ難く感じたのが無理か、決して無理では無い當然である。

けれど茲で泣いてはならぬ、若しも此人が何か團友太郎に縁故でも有る身かと疑はれては大變である、 落る涙を漸くに紛らせて「イヤ父を失ふた悲しみは私も能く知つて居ます、 ツイ貴方のお話しで其事を思ひ出しました」と言ふた、成程其爲に泣いたのかと、一同は合點したが、 誠に涙ほど人と人との間を打解けさせる者は無い、 仁吉も夫人も眞太郎も此伯爵が一方(ひとかた)ならず情に(もろ)い人だと見て、 更に同情を深くして、是からは一入(ひとしほ)打明けた話と爲り、 猶も樣樣の方面から彼の富村銀行の事をも聞いた、けれど伯爵の返事は一つである、 唯だ銀行として取引するのみゆゑ其他の事は何も知らぬと云ふに在ツた。 爾して伯爵の最後の言葉は「イヤ此世の事は何も彼も時ですから。 氣永く正直に待つ中には、又合點の行く時も來ませう」と云ふのであツた。

何うやら謎らしくも聞えるけれど誰も其の謎を解き得なんだ、 斯て伯爵の立去ツた後に、三人は自分々々の感じを語り出て比べたが、 仁吉は「イヤ()の伯爵は眞の善人で、餘ほど苦勞した方と見える」と云ひ、 夫人は「何だか彼の方の聲は昔聞いた事でも有る樣に、時々私の腹の底へまで浸透りました」と云ひ、 眞太郎は「何うも此家の阿父(おとう)さんを知つて居た人の樣にも思はれる」と云ツた。

*    *    *    *    *    *    *

此家を出て伯爵は、此家と背中合せの見當に當ツて居るオノレ街に馬車を()げた、 茲には()と立派な蛭峰の邸がある、併し是には入らず、 唯だ其の門を眺め「アヽ茲だ、明日の午後、彼の外出すた時間に尋ねて來やう」 と云ひ其の儘立去ツた、何故に主人の留守を計ツて尋ねるのだ、多分は其の夫人にのみ逢ふ可き用事でも有るのだらう。

其翌日の午後である、此家の裏庭と生垣一重を隔てた荒地に、 鍬を持つた一人の男が立つて居る、是れは森江眞太郎なのだ、 (そもそ)も此荒地は昨日伯爵が見た通り江馬仁吉の屋敷の横手から續いて居るので、 實は市區改正の豫定線路に當る爲め廢ツた樣な状態(ありさま)を存するのだ、 茲へ何故眞太郎が來て居るのか、彼は昨日も此の荒地から出て伯爵を迎へたが草花をでも作る爲かと見れば爾でも無い、 鍬を杖についた儘頻りに蛭峰の裏庭を(のぞ)き、時々に溜息を洩らして居る、 若し戀の爲でゞも無ければ陸軍大尉たる人には不似合の所業(しわざ)である、 (やが)て彼は堪へ兼た状で更に生垣に寄添ひ、葉や枝の聊か(まばら)な所に顏を當て又餘念も無く(のぞ)き初めた、 暫くすると、蛭峰家の裏庭の一方に在る隱居所らしい離れ家から年頃十八九と見える一女子が現はれた、 眞太郎は此姿を見て、嬉しさに何事をも忘れた樣に、持てる鍬をまで投捨てたが、 女子は物思はしげに徐々(しづ〜)と歩みつゝ、眞太郎の目の前に在る茂つた槐樹(ゑんじゆ)の木蔭に立留つた 「華子さん、華子さん」と眞太郎は低い聲で而かも熱心に呼んだ、華子とは、 我先妻の娘であると昨日蛭峰が伯爵に語つたのが即ち此の女子なんだ、 呼ばれた聲に華子は痛く驚いて顏を上げ「又貴方は茲へ」と云ひ、 更らに「毎日茲で話などして居ては蛭峰夫人に叱られますよ」蛭峰夫人と云つて阿母(おかあ)さんと云はぬのは、 餘り親しむ情の無い繼母(まゝはゝ)繼子(まゝこ)の間が分る[、] 眞太郎「でも彼の事が氣になつて、早く樣子を聞かなければ」 華子は逃て去らうともせぬ。却つて一歩(ひとあし)生垣に寄り同じ聲を潛めて 「益々六かしい事になりましたの」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一三四 垣の此方と彼方


眞太郎「六かしくなつたとは」 華子「毛脛安雄さんが遠からず伊國(いたりや)から歸つて來ると云ふ事で今朝阿父(おとう)さんから私へ爾う云ひました、 果して彼が歸國すれば直んも日を取極めて和女(そなた)と婚禮を行はせるから其の積りで居よと」 眞太郎は熱心に「其樣な事にでもなれば僕は死んで了ひます」 華子は(あわ)てた口調で「其樣な短氣な事を仰有つては(いけ)ません、 何の樣な事が有つても私は()の方と婚禮などは仕ませんから」 眞太郎「でも父上が其の樣に決心して居れば」 華子「父は決心して居ても愈々と云ふ時にはお祖父さまが私の肩を持つて呉れますから」 眞太郎「エ祖父(おぢい)さんとは昔の有名な野々内彈正樣ですか」華子「ハイ」 眞太郎「何うして其方が貴方の肩を持つ事が出來ます、久しい以前から中風で全身不隨と爲り、 年中貴女の介抱を受る許りで、口も利けねば聲を發する事も出來ぬとか云ふでは有りませんか」 華子「其れでも(なに)私から話をすれば(まなこ)で返辭する事が出來ますよ、 今朝も私は父の言葉を聞き、何うすれば好からうかと自分の思案に餘りましたから、 隱居所へ行きお祖父樣に話ましたら、お祖父樣は少しも心配げな目附をせぬのです、 イヽエ身體が利かぬだけに、一切の働きが總て(まなこ)へ集まツたのだと醫者が云ひますが本統に爾ですよ、 喜びも悲しみも其の他心配や安心なども總て(まなこ)へ現はします、 其れだから私は問ひました、お祖父樣愈々私が毛脛安雄さんと婚禮せねば成らぬ場合になれば、 貴方が其を遮り止めて下さる事が出來ますかと聞くと、 お祖父樣の目は瞬潑(まばたき)で然りと答へました、 其れでは私は森江眞太郎と夫婦になることが出來ませうかと又問ひましたら、 又然りと答へました」幾等何と問ひ何と答へたにしても全身不隨で聲をも發し得ぬ人が、 何うして其樣な事が出來やう 眞太郎「お祖父さんの爾う請合つたのを貴女は當になると思ひますか」 華子「當にならぬ程なら決してお祖父樣が然りとは答へません、 其に又お祖父樣は大層貴方を可愛く思ふと見え、私が貴方の事を話すれば(いつ)(まなこ)を光らせて喜びます」 眞太郎「其れは多分、私の父良造が昔し馬港(まるせいゆ)で共和黨の主領を勤め、 巴里の共和黨の主領野々内彈正の隨一の兒分の樣に思はれて居た爲でせう、 其れにしても華子さん、貴女は何故お祖父さんへ打明ける樣に父上へ私の事を打明けません、 私はお祖父さんの請合だけでは安心が出來ませんから、貴女が若し父上へ打明ける事が出來ねば、 何うか私を直々に父上にお逢はせ下さい、 幾度(いくたび)か私は爾う思ひますけれど貴女がお止め成さる爲め今までは(こら)へて居ましたが」 華子「(いけ)ません、(いけ)ません父に貴方の名を云へば何れほど立腹するか知れぬのです、 先逹ても新聞紙に、貴方が大尉に昇進した記事が有つたら父は厭な顏をして、 エヽ共和黨の息子が此樣に出世したと憎さうに呟いた程ですもの、 其れですから私は父へは少しも知らさずに先づ氣永く待つて下さいと云ふのです、 其の中には何とか好い折も來て、自然と穩かに行く事にも成りませうから何うか急がずに、 爾うして全く是で絶望だと云ふ時までは私へ任せて置いて下さい、私とお祖父さまとへ」

是れだけの言葉で見れば、眞太郎と華子との仲は好く分ツて居る、 隣同樣の所に住める爲に、若い同士の、何時しか誠を明し合ふ間とは爲つたけれど、 世間に幾等も在る通り、女の方に親と親との定めて置いた許婚(いひなづけ)の男が有つて、 如何とも爲し難い妨げとはなつて居るのだ、眞太郎は猶も悔しげに 「一身の生涯の大事を、私は安心して貴方とお祖父さんとの手に任せて置くことは出來ません」 華子が答へやうとする折しも背後(うしろ)の方に「孃さま、孃さま」と呼ぶ聲が聞え、 續いて腰許(こしもと)らしい女の姿が現はれた、兩個(ふたり)は垣の此方(こなた)彼方(かなた)で早くも悟られぬ樣に立分れたが、 其中に腰許は傍近く來て 「一昨日(をとゝひ)奧樣と重吉樣を救ふたとか云ふ巖窟島伯爵と仰有る方がお見えになり奧樣が貴方にもお目に掛る樣にとてお召です」 と傳へた、垣の此方(こなた)で洩れ聞いた眞太郎は、先ほど投捨た鍬を取上げつゝ 「アヽ孃の父蛭峰が()めて巖窟島伯爵の十分の一も同情に富んだ人なら好からうに」と呟いた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一三五 一條の約束


全く腰許(こしもと)の傳へた通り、巖窟島伯爵が此蛭峰家を訪問したのである。

折から主人蛭峰は外に出て、其の夫人が獨り内に居た、 何故に伯爵が夫人の獨り居る所を選んだかは分らぬが、兎に角夫人は此上も無き珍客として伯爵を迎へ、 一昨日(をとゝひ)其の身と共に伯爵に救はれた息子重吉を呼んだ上、 猶ほ腰許に先妻の娘華子をまで呼ばせた、 是れは自分と重吉とで禮を云つた丈では未だ足らぬから華子にまで禮を云はせる爲である、 勿論彼れ丈の恩を受けた人に對しては當然の仕方である。

華子の入ツて來た姿を見て、伯爵は其の美しさに驚いた、 爾うして先妻の娘だとて引合された時、成ほど今の夫人には此樣に優しい令孃が生れる筈が無いと迄に思ひ、 更に華子と云ふ名を聞いては眞に名の通り花の樣だと思つた、 若しも此樣な令孃が我が連れてゐる鞆繪姫の友逹にでも仕たなら雙方とも何れほど喜ぶだらうとの空想も續いて起り、 其れに從つては自然と華子の方へ言葉を向ける事には成つたが、 華子の持囃さるゝだけ其れだけ夫人の機嫌の惡くなる事も見て取ることが出來た。

眞に些細な事では有るが、是れで此夫人の氣質も能く分る、 イヤ氣質は既に來ぬ先から調上て伯爵には分つてゐるが、 日頃華子が何れほど繼子(まゝこ)として此夫人に(いぢ)められてゐるかも分る、 總ての人の氣質や物事を察するには此樣な些細な事が大層な鏡になるのだ、 少くとも伯爵だけは、目に見える些細な事で、目に見えぬ大層な事を寫し取る眼識と云ふものを備へてゐる。

猶も伯爵は專ら華子の方へ愛想を示す樣にしてゐたが、 夫人は終に堪へ兼たと見え、最早や祖父(おぢい)さんに藥を上げねば成らぬ刻限だらうと云ふ口實を以て華子を追遣ツた、 續いて又之は何故だか知らぬが重吉をも外へ出した、 爾して其の身と伯爵と唯二人の差向ひとは成ツたが、談話は先づ一昨日(をとゝひ)の黒奴亞黎(ありー)の働きから、 移ツて伯爵が重吉に與へた稀代な氣附藥の事に及び、 夫人は伯爵の徳を襃める樣な口調で「ほんに(あれ)ほど能く利くお藥を見たことが有りませんよ、 何うして作ツたお藥でせう、確か多量に飮めば却つて命にも障る樣に伺ツたかと思ひますが」

伯爵は此問ひを待つてゐたのだ、一昨日(をとゝひ)夫人が、 氣の轉倒してゐる樣な際にも拘らず甚く毒藥の事などを聞度がツた事から考へ、 又伯爵が(かね)て調てゐる此家一家の事情から考へて何うしても話が茲へ落て來ねば成らぬ、 或は話を茲へ落て來させる爲に(わざ)と此夫人の獨りゐる時刻を計ツて來たのかも知れぬ、 夫人が華子や重吉を其れと無く斥けたのも矢張り其の邊の意味かも知れぬ、 併し夫人の問ひは如何にも自然で、如何にも何氣ない語調で出た、 伯爵も之に劣らぬ何氣なさを以て「毒藥と云へば大層恐ろしく聞えますが、 毒藥と云ふ比には人間の食物は總て毒藥ですよ、 極めて無害な(パン)でさへも多量に食すれば胃をも腦をも其の他の内藏をも害して命を落す元と爲ります、 之を毒で無いと云へば世の中に毒と云ふ物は無くなります、 譬ばモルヒネの如きでも少量を服すれば藥と成りますので、 何處の醫者でもモルヒネ無しには營業が出來ません、 詰る所、毒になると藥になるとは、分量の多少にあるので、其の物の性質には無いのです」 夫人は大に合點の行つた風で「爾です爾です」伯爵「ですから私は、誰にも遠慮も無く、 兼てから毒藥の研究をして居ます、人は毒藥と云ひますけれど私は毒藥と云はず良藥と云ふのです、 分量を過ごせばこそ毒になりますけれど、適量を用ひれば人の命を助けますもの、 何と良藥では有りませんか」

「爾ですとも」と夫人は再び贊成した、伯爵「一昨日の藥も私が自分で精製しましたので、 何の國の局方にも無く、何の國の醫者も殆ど知りますまい、 イヤ學理の上では知つて居ても實物を見た事は無いのです」 夫人は眞に(なゝめ)ならず感心した状で「シタが何から製します」 伯爵「極の元は貌矢捏(ぶるしん)です」 夫人「エ、貌矢捏(ぶるしん)ならば、當家の父野々内彈正へ、 常に醫師から與へられて居りますが」伯爵「爾でせう、適度の分量を用ひれば種々の效能があるのです、 殊に私のは其の貌矢捏(ぶるしん)を其の儘ではなく、非常に變化させてあるのです」 夫人「其れは何の樣にして」伯爵「斯うです、第一に貌矢捏(ぶるしん)と或鹽類とを混じた物を或野菜に(そそ)ぐのです、 其れも分量が過ぎれば野菜が直に枯れますけれど、最初には極微の少量を用ひ、 日を經るに從ひ段々に殖やして行けば野菜は遂に毒に勝つ力が出來て後には餘ほどの多量を(そそ)ぐも青々として育ちます、 其の育つた野菜を兎に與へれば兎は頓死します、其の兎の肉を鳥に與へ、 鳥の肉を魚類に與へますれば、毒は以然として存しても性質が全く違ひ、 化學者が如何に分析するとも其の元の質が分らず、之を人に呑ませて其の人が死ぬるとも醫者が解剖して、 中毒だと證明することが出來なくなります」

大抵の夫人ならば身震ひして聞く恐しい話しだけれど此夫人は益々熱心になる許りだ、 伯爵は語を繼だ「大抵は此樣な事ですが細い手續は專門家でなくば聞いても分りません、 何故私が此樣な苦心をするかと云へば、斯うして製し上げた藥が何の病にも即效が有るのです、 其の一例は一昨日御覽の通りですが、少量に用ひれば咳にも效けば胃痛にも效き、 殊に傭麻質(れうまちす)の痛みの如きは呑むと直に消えて了ひます」 夫人は飛び附く樣に「エ、傭麻質(れうまちす)に、其の樣に效きますか、 私が傭麻質(れうまちす)で、夜なども眠られぬ程の事さへ度々ありますが、 何うか分けて戴く譯には行きますまいか」伯爵は少し考へ「何しろ分量が精密で無くては危險ですから、 少しも藥學の知識の無い方には -- 」夫人「イエ、私は多少藥學も知つて居ます、 此家へ來る前から大抵の藥は自分で調合しましたが、殊に分量などは間違へる恐れは有りません、 何うか分量を明記した上、一瓶戴きたいものです」 伯爵「イヤ藥の分量を計るに其れほど經驗がお有り成さるなら、 安心して差上げる事が出來ます、明朝分量を記した上、持たせて寄越しませう」 茲に一條の約束が成り立ツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一三六 彼です彼です


毒藥は、人に貰ふ可き物で無く、又遣る可き物で無い、 けれど伯爵の言葉の樣に、世に毒藥は無い唯分量に在るのだと云へば貰ふにも易く、 又蛭峰夫人の言葉の樣に、其分量を知つて居て傭麻質(れうまちす)の藥に使ふと云へば遣るにも易い、 兎も角も妙な約束では有るけれど、上げませう貰ひませうと話が極ツて、 果して此翌日伯爵は、澄切つた清水の樣な水藥を一瓶、詳しい注意の書面と共に蛭峰夫人の許へ屆けた。

尤も、伯爵の辭し去る時に、夫人は(せつ)に引留て是非とも夫蛭峰の歸るまで居て、 晩餐を共にせられよと勸めたけれど、 伯爵は今夜は生憎、希臘の或姫君を大劇場へ連れて行く約束が有るから長居が出來ぬとて斷ツた、 何でも伯爵は成る可く人と食事を共にすることを避けて居る、 是れは敵の家で敵と食事を共にしては成らぬと云ふ、或宗旨の戒めを守つて居る爲でも有らうか、 食事を勸められる場合には、何とか彼とか口實を作つて去つて了ふ、 野西次郎の家でも段倉の家でも總て此通りであつた。

*    *    *    *    *    *    *

併し此口實は嘘では無かつた、全く此夜、伯爵は鞆繪姫を連れて大劇場に行つた、勿論多くの紳士、貴婦人、 交際家などが集まつてゐるのだから伯爵の評判は俳優の評判よりも高く所々の棧敷から挨拶などを受けたけれど、 伯爵は姫を守護してゞもゐる樣に絶えず自分の棧敷を離れなんだが、 其の中に一方なる段倉夫人のゐる棧敷へ彼の野西子爵が現はれた、 多分は子爵の息子武之助と夫人の娘夕蝉孃との間に婚禮の話が殆ど熟し掛てゐる爲めに雙方特に懇意を温めるものであらう、 無論夫人の傍に夕蝉孃もゐるのである、併し夫たる可き武之助の方は他の棧敷へ來てゐながら茲へは一度も顏を出さぬ、 或は世間の噂の通り、親々が此婚禮を望むほど當人同志が熱心で無い爲めだらうか、 絶えて二人が顏を見合す事さへせぬは有りふれた婚禮前の男女の仲とは違ひ、 却て嫌ひ合つてゐる程にも見える、是等の状は多分伯爵が其の鋭い(まなこ)で見て取つた所だるあ、 (やが)て野西次郎が席に着き夫人と二言三言話の終ツた頃、 伯爵は(をり)こそ好けれと思つた容子で、今まで堅く守つてゐた座を離れ、 爾して故々(わざ〜)此棧敷へ尋ねて來た。

段倉夫人の狂喜と恭悦は云ふ迄も無い、彼の栃色を返された禮、 其の額の飾りに着いてゐた夜光珠(だいやもんど)の禮、 蛭峰夫人母子(おやこ)の救はれた禮など、隣席の人の耳障と爲るまでに聲高く疊掛て述べ立てたが、 其の漸く鎭まると共に伯爵と次郎の間に熱心な握手があツた、是れは當然の事とは云へ、 何となく我(かたき)の手を握るに躊躇した今までの伯爵の所爲としては聊か不思議とも思はれた。

其の不思議に驚いた譯でも有るまいが、此方(こちら)の棧敷より始終伯爵の爲す事を目も離さぬほどに眺めてゐた鞆繪姫は、 此時「(きやつ)」と一聲叫んで打倒れた、全く氣絶した状である、 早くも之を認めたのは夕蝉孃で「オヤ伯爵、大變ですよ、貴方のお連の方がアレ」 伯爵は振返つて「アヽ餘り人込に慣ぬ者ですから、イヤ段倉夫人、野西子爵、 匆々ながら是でお(いとま)致さねば成らぬ仕宜(しぎ)に至りました」とて立上つた、 (もと)より引止む可き場合で無いから「お察し申します」とか「お大事に」とか思ひ〜に同情らしい言葉を吐いて送つたが、 (たゞち)に伯爵は自分の棧敷に歸り、此時漸く人心地に(かへ)つた姫を扶けて廊下に出、 更に出口まで連て行つて共共に馬車には乘つた。

馬車が軋り初めると初めて姫は口を開き「貴方樣は()ア彼の樣な人の手をお握り成されますか」 伯爵は怪しむ樣に「彼の樣なとは」姫の心は甚く激してゐる事が聲の調子にまで分つてゐる 「次郎です、野西次郎です」伯爵は再び怪しむ樣に「エヽ野西次郎、御身が何うして知つて居られます」 姫「知らないで何と致しませう、私の父の領するヤミナの國を亡ぼして土耳古へ賣渡した佛國士官が彼ですのに」 云ふ迄も無く伯爵は能く知つて居る、唯だ萬に一つの人違ひがありはせぬかと今夜其の試驗の爲に茲へ來たのだ、 爾して故々(わざ〜)(いと)はしい彼の手を握り、此の鞆繪姫に見させたのだ 伯爵「成るほど其樣な話しを聞いた事があります、其の御身の父の國を賣つた佛國士官が全く彼に違ひ無いのですか」 姫「私の目の底に彼の顏は死ぬ迄も殘つて居ます彼です彼です」 伯爵「爾うとは知りませんでした、イヤ姫よ、再び御身を、彼の顏の見える樣な所へは連れて行きませんから、 能く心を落着け成され、ナニ惡には惡の報いがあります、 果して彼が其樣な惡人ならば何時までも天が榮えさえては置きません、 唯だ安心をして天に祈れば好いのです、彼が其樣な事をした顛末は(やしき)へ歸つて能く伺ひませう」 云ふ中に馬車はエリシー街の(やしき)に着いた、伯爵のする事が何の爲だか分らぬ樣で、 實は一々深い目的を包んで居るは此一事でも分つて居る。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一三七 其片割のH・N夫人


兎も角も伯爵は、最う逢ふ可きだけの人には逢ふた、一應は是等の人を招いて小晩餐會でも開かねば成らぬ。

其積で或書記に招待状を作らせた、場所は彼のオーチウルの吹上小路、 招かれる人は、段倉、蛭峰、野西の三家族である、 是れだけの事柄に何の不思議も無いけれど(いつ)も伯爵のする事には意味の底に又一つの意味が潛んで居る、 是れ等の人をエリシー街の本邸へ招かずに吹上小路の別莊へ招くのは何かの仔細がありは仕まいか、 彼の別莊は蛭峰の舊惡と離れぬ關係のある所である、 本名は分らぬがH・Nの字が姓名の(かしら)に在つたゞらうと推察せらるゝ或男爵の未亡人と彼蛭峰との間に私生の兒が出來たと思もはれるは此別莊では無いか、 其兒を蛭峰が埋たけれど實は人知れず掘出されて育て上られた事は、 春田路の自白に分つて居る、其處へ蛭峰が招かれるは偶然だらうか、天意だらうか、 或は伯爵の故意だらうか、若しや招かれる客の中に、 蛭峰のみで無く其の片割のH・N夫人も加はつて居る樣な事は無いだらうか、 念の爲に婦人連の名を調べて見ると子爵野西次郎の妻露子、之は勿論其の人で無い、 男爵段倉喜平次の妻張子、之も爾では、イヤ待ツた張子のHの字、爾して段倉に嫁ぐ前は何とか云ふ男爵の未亡人であツた、 爾々苗字は糊菅(のりすが)、Nの字に當るでは無いか、 唯だHと云ひNと云ふ頭字(かしらじ)の姓名は殆ど世間に數へ切れぬほど有らうから、 是丈の事では何とも判斷は出來ぬけれど偶然としては是も聊か異樣だと云ふに足るのだ。

其れは()て置き、招待状の出來上ツた所へ、フト野西武之助が訪ねて來た、 彼れは先夜鞆繪姫が劇場で氣絶した見舞の意をも兼て來たのだ、 其邊の極つた挨拶が濟んで、伯爵から招待の事を話され、彼れは例に無く頭を掻いた 「イヤ折角ですが伯爵、此三家は吹上小路の樣な閑靜な所へ落合ふと、 時が時ゆゑ丁度婚禮に就て其と無く下相談をする爲の樣に見られるでは有りませんか」 伯爵「エ、婚禮とは」武之助「私と段倉夕蝉孃と、其れに又蛭峰の娘、 之は先妻の子ですが華子孃と云ふのも貴方が御存じの毛脛安雄と婚禮が近いと云ひます、 何だか彼れも近々羅馬から歸る容子では有りますし(かた〜゛)何だか -- 」 伯爵「婚禮の下相談らしく見えれば貴方は猶更嬉しい筈ですのに」 武之助「何で嬉しい事が有りませう、私は此婚禮は成る可く破談に仕たいと祈つて居るのです、 先夜劇場に居ても私は一度でも夕蝉孃の方へ振向かぬ程でした」 伯「何故です、()の樣な質の美人だのに」 武「美人では有りますが、私は()の樣な質の美人は嫌ひです、 音樂も出來、繪も上手に畫き、馬にも乘り、獵にも行き、 餘り物事が能く出來過ぎて、其上全く男の樣な氣質ですから私とは肌が合ひません」 伯「其れでも御兩親は」 武「ハイ私の父は段倉と昔からの懇意だと云ひまして其の爲に父と父との間に此話が出來たのですが、 併し母は此上も無く段倉を嫌ふのです」

武之助の母の事は、何の場合でも伯爵が心を動かさずには聞き得ざる所である、 殊に段倉を憎むと云ふ事は今初めて聞く所で、若しや段倉が昔し團友太郎を陷れたと云ふ樣な疑ひの爲に、 今も其れと無く憎むのでは有るまいかと、妙に細く心が廻ツて 「ヘエ懇意な家柄だと聞きますに何で母御が其の樣に段倉氏を」 武「何で憎むか私には分りませんけれど、ズツと昔からの事ですよ、 一年に二度や二年に三度位は止むを得ず顏を合せる場合は有りますけれど、 其れでも(ことば)を交へる事などは避けるのです、 貴方は其の事を知らぬから構ひませんけれど、 若し知つて母と段倉氏とを一緒に招けば母は必ず其の人を有難くは思ひません」

大變な事を聞いたと云ふ状で 伯「イヤ貴方の阿母(おかあ)さんに恨まれては」 武「ナニ恨みもしませんけれど」 伯「イヽエ私は殊に貴方の阿母(おかあ)さんには、惡く思はれ度くないのです 何うか貴方と阿母(おかあ)さんとを招待状から省く事に仕たいのですが、 併し此巴里で私が初めて着いた家がお宅ですから其れへ招待を出さぬのは何か故あり相に思はれても」 武「アヽ好い事があります斯うしませう、母は此頃健康が優れぬ爲め海邊へ行き度いと云つて居ますから、 直ぐに私が付いてトレボーの別莊へ出發しませう、シタが晩餐會は何時ですか」 伯「明後日の土曜日」武「アヽ今日が木曜だから、直ぐに明朝立たねば(いけ)ませんね、 宜しい明朝なら立てますから、其れで私が今日歸りに段倉家へ行き、明朝母と海岸へ旅立すると話して置きます[、] さうすれば段倉夫人が蛭峰家へ直ぐに其の事を知らせますから、 私母子(おやこ)が晩餐に列しなくとも誰も怪しみは仕ますまい出發した後で貴方から招待状が屆きますから」

若しも列席せぬのが武之助の母でなくて段倉夫人であらうものなら伯爵は此晩餐會を中止したかも知れぬ所だけれど、 幸ひに段倉夫人で無いのだから、「其れでは何うか其の樣な事に」と同意した。

武之助「イヤ貴方が斯う同意して母と私とを逃して下さツたと知れば、 何れほど喜んで貴方に感謝するか知れません、 其れで無くとも母は貴方に敬服して居る事は一通では無いのですもの」 伯爵「母上が私に」武之助「ハイ、毎日の樣に貴方の事を私に問ふのです、 今日は伯爵は何う成さツた、明日は伯爵に何處でお目に掛るなどと」 伯爵は何の樣に感じたのか急に眞面目になツた。

武之助「其れでは何うか、今夜私共へお出下さつて、母と私と貴方と三人で晩餐しやうでは有りませんか、 母は非常に喜びますよ、今夜は何も御用事などは」伯爵「イヤ、私も折角ですが今夜は大切な來客が有ますので」 武「でも貴方は先逹ても母が晩餐までと引留め申したのを、爾は出來ぬと云ひ、 爾して今夜も亦では、何だか私の母をお避け成さる樣に」 伯爵「全くです、今夜は先約が有るのです、お疑ひの無い樣に私は説明しませう」 云ひて直ぐに玄關蕃を呼寄せ「今朝(おれ)が其方に言渡した事を覺えて居るか茲で繰返して見よ」と命じた 玄關蕃「今夜六時に伊國(いたりや)の侯爵皮春(かわはる)博人(ひろと)君と其子息小侯爵皮春永太郎君が來るから其の外の客は一切斷れと仰有いました」 武之助は笑を帶びて伯爵に謝する樣に「成るほど分りました」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一三八 侯爵と小侯爵


「侯爵皮春博人」其子「小侯爵皮春永太郎」唯だ名を聞いたゞけでも何となく尊敬の念が生ずる、 成るほど伯爵が斯かる貴賓を持受て居るとすれば、 今夜我が家へ來て母と一緒に晩餐の出來ぬのは尤もだと武之助は感じた。

「イヤ其れでは致し方がありません」と彼れは云ひ、更に「皮春侯爵とは苗字からして古い家筋らしく聞えますね」 伯爵「爾です、古い事は恐らく伊國(いたりや)第一等か二等でせう、 ダンテの有名な地獄の詩にも其第十章に皮春家と云ふ語が見えて居るではありませんか」 武之助「アヽ爾々、皮春と云ふ姓はダンテの著書で讀んだのだ、 彼の頃でさへ既に詩に引かれる程の舊家であツたのなら、此國へ來れば又交際社會を動かしませう、 身代は餘ほどあるのですか」 伯爵「左樣さ能くは知りませんが噂に聞いた所では餘程嚴しい家風で昔から儉約と貯蓄とを第一義にして居る爲餘ほど金銀があると云ひます、 併しナニ歳入は(わづか)五十萬圓位だらうと思ひます」 五十萬圓の歳入を「(わづか)」などと、伯爵ならばこそ云はれるが、 外の人なら肝を潰さずには居られぬ、武之助は目を剥いて、 「エ、大變な『(わづか)』ですねえ、若し其方が金を使ふに竒用な人なら、 巴里の社交社會を轉倒させる事が出來ますが」 伯爵「駄目ですよ、五十萬の中で年に三十萬は貯蓄するでせう、イヤ貯蓄した積で家令や家扶(かふ)に盜まれて了ふのでせう、 爾もなくば今頃は皮春家は世界一の大富豪に成つて居ねば成りません、兎に角も博人氏自身の使ふのは一年にヤッと廿萬位でせう」 武之助「其れでも大した者ですねえ」伯爵「其代り息子の方は、 聊か父と違ひ當世の事が分つて居ますから自分の代になれば隨分使ひませう」 武之助「今は幾歳ぐらゐです」 伯爵「貴方より三四歳下でせうか是から巴里の交際社會の状態を呑み込ませる爲にとて父侯爵が連れて來て私へ預けるのです、 私自身が未だ深くは交際の容子を知らぬのに、人の手引を托されるとは迷惑な次第ですが止むを得ません」 武之助「イヽエ貴方の保護を受て社交社會へ出るのなら、此上もないのです」 伯爵「兎に角、貴方の友逹とするに足る年頃ゆゑ、何うか特別に面倒を見て遣つて戴き度いのです」 武之助「及ぶ丈け骨を折りませう若し其の小侯爵皮春永太郎君が、 巴里で金持の娘を妻にでも仕たいと云ふならば、早速私は有名な銀行家の娘で、 而も男爵令孃と云はれ、女一通りの技藝を悉く呑み込んだ美人を見附けて上げますよ」 と之は聊か笑ひながら云つた、其の意味は明かである自分の許嫁(いひなづけ)段倉夕蝉孃を指すので有る、 是で見ても武之助は何れほど夕蝉孃と肌の合はぬかは益々分る、 伯爵「イヤ笑談(ぜうだん)(さて)置いて」 武之助「笑談(ぜうだん)では有りません、眞劍です、 殊に歳入五十萬も有る侯爵家の令息と聞けば、父母も當人も、何の樣な先約をも斷る氣になりますよ」

猶ほ二三の雜談があつた末、武之助は辭して去つた、是に就ても驚かるゝは此の巖窟島伯爵の忙しさ加減である、 一方に一人の身には負切れぬ程の大仕事を負ひ、其れが爲に訪問や招待や世辭や指圖や計略や實行や樣々の事を運びながら、 猶他人を亦交際場に連て出る世話までも引受るとは、殆ど合點せられぬ程の次第である、 けれど又能く考へれば此の皮春侯爵親子を交際場に引き出すと云ふのも矢張り其の大仕事の一部分かも知れぬ、 之を引き出さねば目的が逹せぬのかも知れぬ、兎も角も皮春侯爵親子が何の樣な人で、 何の樣に交際場へ引出されるかは、刮目して見る可き所だらう。

*    *    *    *    *    *    *

話は全く(かは)ツて、或る所に或る憐む可き青年があツた、 自分が何者の子と云ふ事も知らぬ、多分は幼い頃に父母に捨てられでもしたのだらう、 (もと)より今まで何の樣に育ツたかは自分でも能く知つて居るが今から先の見込とては少しも無い、 今泊ツて居る宿屋の拂ひとても何うする當が無い、小遣錢も無く、 寒さが來ても着物を得る道が無い、其上に世間は全く此青年に對して閉ざされた門の樣なものである、 世間へ出る事とては一歩も出來ぬのだ、知り人も頼る人も無い、 詰まる所は乞食になるか盜坊(どろばう)になるか二つに一つだ、 イヤ實は早此二つに一つを行ツてゐるかも知れぬ、二つとも行つてゐるかも知れぬ、 之を行はねば河へでも身を投げて、此世から立去る一方である、 心柄であるか其れは知らぬが、(いづ)れにしても世に是ほどの心細い境遇が又とあらうか、 所が此の青年へ意外にも手紙が來た、而も驚く可き手紙である……。

汝は今殆ど餓にも迫れる上、此後の見込少しもなし、汝明日を如何に暮すや、 誠に情なき譯には非ずや、去れど汝は斯かるな有樣に果つ可き身に非ず、 汝若し生れ替はツた如き榮燿榮華を得んとすれば、直ぐにニス市に行き、 ポルト、ゼネの街道に出て馬車を雇ひて巴里へ行け[、](しか)うして今月廿六日の夕七時に、 巴里はエリシー街なり巖窟島伯爵の邸に行き、伯爵に面會を求めて 「私の父にお逢はせ下さい」と請ひ願へ、汝の父は伊國の侯爵皮春博人なり、 博人と小品(こしな)侯爵令孃折葉(をりは)姫との間に生れたるが即ち汝にて汝は五歳の時侯爵の敵に奪ひ去られたる者なり、 巖窟島伯爵の邸に於て、 汝の父皮春侯爵は汝の身に上を證明する書類を汝に渡して父子の對面を濟ませ(しか)うして汝を小侯爵皮春永太郎と云ふ本名を以て巴里の交際場に紹介せんとて(せつ)に汝を待てり、 巴里へ行きて後汝の歳入は二萬圓(五萬リブル)なり、以て小侯爵として汝の身を支ふるに足る可し、 此金は巖窟島伯爵より受け取る可し、茲には巴里へ向け汝の出發の費用として二千圓の爲替を封入す、 ニス市なる笛羅銀行にて受取る可し外に封入せる一封は餘の名前を以て、 汝を巖窟島伯爵に紹介する添書にして猶ほ萬事汝の缺乏を滿たす樣一切の世話を伯爵に頼みたるものなり
船乘新八より

何と珍しい事柄ではないか、併し此外に猶一人、殆ど之と同じ樣な手紙を受た人が有ツたとせば、 又一入(ひとしほ)珍しいと云ふ可きであらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一三九 半老人


此手紙を得て此青年が躍り揚がツて喜んだ事は無論である、 出發の旅費支度が二千圓、爾して巴里へ着けば一年二萬圓の小遣、 一ヶ月に二千圓近く遣はれるのだ、其れのみならず侯爵の子息として、小侯爵として、 交際場裡に引出されるとは、此樣な幸福に誰だとて我を忘れる迄に喜ばねば成らぬ、 ()してや此青年は明日が日、イヤ今日が日の暮しにも困り、 殆ど自殺の外はないかと迄に絶望してゐたのだもの、 全く天地が(くつが)へツて地獄から極樂に飛び上ツた樣なものだ。

餘り好過る話しだから若二千圓の爲替が付いて居ねば、無論誰かの惡戲だと思ふ所だ、 イヤ爲替が付いて居てさへも猶だ此の爲替が(にせ)ではないかと疑ツた、 併し恐々銀行に行つて意外にも正金を渡された時には、彼の腰の拔けぬのが不思議であツた、 最う疑ふ所はない、全く我身は手紙に在る通りに扱はれるのだ、 手紙の出し主船乘新八と云ふは誰だらう、新八の添書の宛名巖窟島伯爵とは何者だらう、 爾して更に我身の父と云ふ侯爵皮春博人とは何うした人なんだらう、 分らぬ、實に分らぬ、けれど此青年は分らぬ事に屈托などはせぬ又屈托する餘地もないのだ、 何でも手紙の差圖に從つて見る一方である、 彼は自分の身が侯爵の嫡子と分ツたのが嬉しいよりも今の二千圓が嬉しい、 年二萬圓の小遣が嬉しい、交際社會に出られるのが嬉しい、 有體(ありてい)に云へば眞に自分の身が侯爵の息子だらうとは信ぜぬのだ、 其れでは餘り旨過ぎる、自分の今までの履歴を考へて見ても、 侯爵の子が五歳の時に其の敵に(さら)はれたなど云ふ事があり樣はない、 けれど先が自分を侯爵の子だと云ふのだから、自分は唯「爾ですか」と、 侯爵の息子の積で居れば好いのだ、眞實息子か息子でないか、 其樣な空な事を當にするよりは、現實な旅費小遣と現實な贅澤が有難い、 人が自分を侯爵の息子として道具に使ふなら使へ自分は嘘にも侯爵の子と見られる程の境遇に立てば好いのだ此樣な境遇は、 今此の手紙の差圖に應ずるより外は、自分の生涯に又と來る事ではないと、 樣々に思ひ廻した末、半世に云ふ「儘よ」と云ふ領見で遂に巴里へ出掛けて行つたは仲々食へる代物ではない。

併し之れにも劣らぬ代物が最う一人ある、其れは青年ではない、 既に五十の坂を越えた半老人である、是れも矢張り突然に同じ樣な手紙を受取ツた、其の文句は、

御身既に五十を越え、身を支ふる職業もなし、あるとも最早職業に堪へ得ざる老衰の境に入るは近々のみ、 誠に御身の前途は果敢(はかな)さの限りに非ずや、御身若し金に困らぬ榮燿榮華の身と爲らんとせば、 此書中に封入せる餘の添書を以て、本月廿六日夕方の六時に巴里エリシー街卅番地なる巖窟島伯爵の邸に行き伯爵に逢ひて、 自分の息子小侯爵皮春永太郎に廻り會ひ度しと申込むべし、御身は侯爵皮春博人なり、 昔、御身と小品(こしな)侯爵令孃折葉(をりは)姫との間に出來たる右の永太郎が、 五歳の時御身の敵に奪はれて行衞知れずと成りたるも、今は巖窟島伯爵が其の所在を知れり、 兎も角も伯爵の(やしき)に行けば何事も(おのづから)ら分り御身は驚くべき有福の人と爲らん、 茲に旅費として二千五百圓の爲替を封入するを以て是れにて餘の言の僞りならぬを知られよ、 猶ほ巖窟島伯爵より御身の當座の小遣として五萬圓を渡さる可し、是も御身の權利なれば遠慮無く受取る可し、 躊躇して此二度とは來らざる大幸福を取逃す事勿れ。
暮内法師

前のは差出人が「船乘新八」と有つて此方(こつち)は「暮内法師」と有るが、 文意に於て大した相違は無い、之れを受取つた當人同士の感じ方も亦大した相違は無かつた、 丁度此の半老人も、彼の青年が考へた樣な事を考へて同じく巴里へ出掛けて行く事になつた、 不思議と云へば不思議だが、人の心は又大概似寄つたものと見える。

*    *    *    *    *    *    *

「侯爵皮春博人閣下が御出になりました」と取次の者が巖窟島伯爵へ言ひ上げたは、 丁度伯爵が武之助に向ひ今夜皮春侯爵に逢ふのだと話した其の廿六日の夜の午後六時で有つた、 伯爵は「爾か第一の接見室へ通せ」とて取次を退け、後に時計を眺めて嘲る樣な笑ひを帶び 「オヽ流石は伊國(いたりや)の舊家の主人だ仲々精密に刻限を守られるは」と呟いたが、 (やが)て立上がつて右の第一接見室へ入つて行つた時は、 今の嘲る樣な笑は消えて、何處までも恭々しく目上の賓客を迎へる態度であツた。 「アヽ貴方が皮春侯爵ですか」との問ひが伯爵の第一の言葉で有ツた、 客は(ぎこち)ない棒の樣に突立つて居るのは多分侯爵の威儀と云ふものであらう、 「ハイ其の通りです」と餘り高く無い聲で答へた、伯爵は透かさず 「アヽ侯爵皮春博人閣下ですね能くは事情を知りませんけれど、 兼ねて私の懇意にする伊國(いたりや)の暮内法師から貴方のお出の事を通知して呉れましたから實は今夜お待受して居たのです」 待受られて安心したのか或は薄氣味でも惡いのか侯爵は妙にあたふたと 「アヽ矢張り()の暮内法師が、成るほど、成るほど、併し何も間違や思ひ違の樣な事はありますまいね」 伯爵「貴方の方にさへ間違が無くば、私の方には間違の有る筈が有りません、 貴方は無論侯爵皮春博人君でせう」侯爵「ハ、ハイ、侯爵です、皮春です -- 爾して博人です」 伯爵「では矢張り暮内法師から昨日私の許へ屆いた手紙に有つた通りです、五歳の時に、 怨む者に爲に奪ひ去られた御子息の永太郎君に逢ひ度いと仰有るのでせう」 侯爵「ハ、ハ、ハイ」伯爵「其の御子息は貴方と侯爵小品(こしな)家の令孃折葉(をりは)との間に生れた -- 」 侯爵「爾です、爾です」伯爵「其れでは私も安心しましたが實は妙な事で或人から永太郎君を貴方へ再會せしめる事を頼まれ、 色々と詮議しましたが何分當人は五歳の時に分れたので父母の顏は少しも覺えぬと云ひますし」 侯爵は少し安心した容子で「アア當人が私の顏を覺えぬと云ひますか」伯爵「爾です、 其に一説では皮春侯爵たる貴方が阿弗利加の戰爭で戰死でもしたのか其時から行方が知れず其家も既に死絶えたなどと云ひ殆ど絶望して居ましたが、 暮内からの手紙で貴方が實は此世に(ながら)へて居るけれど、 餘り金滿家として人に持囃されるのが辛い爲め世を避けて居るのだと分りまして」 益々侯爵には都合の好い話である[、]彼は又一段と落着きて 「ハイ家柄は立派ですが私自身は其れが爲に多く人に知られて居ぬのです」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四〇 尚々書


巖窟島伯爵「併し貴方は暮内法師から私へ宛た添書をお持の筈ですが」 侯爵皮春博人は待設けて居た樣に「ハイ、添書は持つて居ます、是です」 とて衣兜(かくし)の中から取出して差出した。

伯爵は封を切つて讀初めた、侯爵の方は此添書に何を書いて有るか一句でも聞落しては成らぬと云ふ樣な、 何氣なき(てい)ながら實は熱心に耳を傾けた、伯爵も亦一句も聞落させまじと勉める樣に明かな聲で、 そろ〜と「拜啓、此書持參の紳士は前便申上げ候皮春侯爵にして、 一年五十萬圓の所得のある方に候」侯爵は驚かぬ振で實は驚き 「エ、私の所得が年に五十萬圓、大變な(たか)ですが」 伯爵「ハイ是れくらゐの所得が無くては巴里の社交場裡では充分の信用を博する事が出來ません、 私が貴方ならば五十萬圓のものは却つて百萬圓も有る樣に言觸らします」 侯爵「其れでも」伯爵「イヤ貴方は舊家だけに、實際の所得よりも却つて少く言觸らして居るのでせうが」 侯爵「イヽエ實際の所得が -- 」伯爵「年に五十萬圓に足らぬとお思ひ召されるのは、 其れは貴方が家令家扶に管理させて御自分で能く知らぬから爾う思ふのです、 此暮内法師は仲々精密な氣質で、數字など間違へつ事は無いのですから、 法師が五十萬圓と書いて有れば屹度(きつと)五十萬圓は有るのです」 侯爵は不安心な顏をして「爾でせうか」伯爵「爾ですとも、 ()しや爾で無くても貴方は人に爾う思はせて置く方が得策では有りませんか、 少く思はせて儉約ばかりすると云ふ伊國(いたりや)風は此國では流行りませんから」 侯爵は漸く決心らしい心が出たと見え「其れも爾です」

更に伯爵は手紙に向ひ「曾て陸軍大佐として阿弗利加へ出征せし事は御聞及びの通りに候」 侯爵「オヽ陸軍大佐、私が」伯爵「ハイ貴方の阿弗利加戰爭の頃の位地が此國で云へば丁度陸軍大佐に當るのです、 貴方は此國で宴會にでも招かれる節は、成る可く軍服をお着け成さるが好いでせう、 唯の貴族よりも軍服を帶びた人が何うしても餘計に尊敬せられますから」 侯爵は又恐る恐る「でも私は軍服など持たずに來ました」 伯爵「ナニお宿さへ()まれば必ず家扶(かふ)が、其樣なものを送りませう」 侯爵「宿も未だ定まりませんが」伯爵は聞流して又手紙を讀んだ。

此度(このたび)は兼て露國へ漫遊の途次、彿國(ふらんす)へ立寄られ候譯ゆゑ、 巴里逗留中は何とぞ交際場へも御案内下され候願ひ度候併し侯爵は巴里立寄の(おも)なる目的は、 兼て申上げ候子息永太郎君との再會に之有候事無論の儀に候へば、 特に此事は手厚く御取計らひ被下度候匆々頓首」と讀終つた、 侯爵は少し物足らぬ心地である、其れは定めし約束の五萬圓の件が書入れて無い爲だらう 「アヽ其れだけですか、外には何事も有りませんか」伯爵は更に手紙を見直して 「オヤ、本文の後に尚々書(なほ〜がき)が附いて居ます、私は見落して居ましたよ」 「尚々(なほ〜)侯爵は殆ど忍びの状にて當地を立出られ候儀なれば、 露國に着して取引銀行より受取らるゝ迄は旅費も定めて缺乏の事と存じ候」 「何だ暮内法師は、皮春侯爵とも云はれる者が旅費に困る事でも有るかの樣に此樣な事を書き添て」 侯爵は聊か極り惡げに頭を掻いて「イヤ實は其の通りですよ」 伯爵「其の通りでも貴方の名を以てすれば幾等でも融通が出來るでは有りませんか」 侯爵「所が此國には少しも知り人が有りませんのでイヤ露國まで行けば何うでも都合が附きますけれど」 と、何うやら云ふ事が本統の侯爵らしく成ツて來掛た。

「ナニ貴方の方では知り人が無くても金を貸す方で皮春家の大身代を聞及んで居ますから、 金錢などの事は御心配は有りません」と伯爵は事も無げに云つて、 又讀續ける樣「就ては彿國(ふらんす)滯在中の費用は伯爵閣下に於て、 然る可く御立替下され度、差當り五萬圓も有らば侯爵の當座の費用は辨ぜらる可くと存ぜられ候」 「成程、其れ位で足りますか」侯爵「ハイ五萬圓も有れば先づ足りませう」 初めから見ると餘程大膽に成つて、 伯爵「猶其上に及ぼうとも決して侯爵に金錢上の御不自由を掛ざる樣御取計らひ下され度候、再拜」 「餘計な尚々書(なほ〜がき)では有りませんか、之が無くとも」 侯爵「イヤ是が無くば全く私は困る所です、是から宿を定めますにも、 或は又多少は巴里を見物するのも」伯爵「では失禮ですが、 一萬圓だけは今夜私が差上げて置きませう、後の四萬圓は明日にも段倉銀行からお受取り下さい、 其れが盡くれば又私が段倉銀行へ五萬圓(づゝ)何囘でも拂ひ込んで置きますから」 侯爵は存外謙遜である「ナニ儉約に慣れた私ですから、爾う何囘にも及びませんが兎に角、 今夜一萬圓だけは、お言葉に甘えて戴いて置きませう、一萬圓だけは」と重ねて念を推した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四一 一攫の砂


一萬圓は今夜即金で呉れ、殘る四萬圓は明日直ぐに段倉銀行へ預け入れて何時でも勝手に引出せる樣にして呉れ、 其上に其れが無くなれば、何度でも五萬圓づつ同じ事を繰返して呉れるとは世に是れほどの有難い事が有らうか、 搖錢樹(かねのなるき)の山林を持つたとても斯までには行かぬ、 皮春侯爵は今までのあたふたした状が、嬉しさと變つて了つて、 爾して唯だ少し許り何處かに不安心の容子の有る外は全くの侯爵らしい。

巖窟島伯爵は下僕(しもべ)を呼んで、財布を持つて來いと命じた、 命に應じて財布を持つて來た下僕(しもべ)は伯爵へ細語(さゝや)いた 「唯今皮春永太郎と云ふ若い方がお見えに成りました」 「アヽ彼の、船乘新八から手紙を受た青年が遣つて來たのだ、 是れも刻限を守る事が仲々正直だ、第二の接見所へ通して置け」 と伯爵は小聲で言ひ渡して其下僕を退けた。

後で又皮春侯爵に向ひ「貴方は今夜茲で子息永太郎君に逢ふ事が出來るのですが -- 」 半分聞いて侯爵は「オヽ懷かしい、永太郎、永太郎、確か分れた頃は永坊とのみ呼んで居たが定めし大きく成つた事だらう、 永坊、永坊」漸く度胸が据ツたと見えて、呆れるほど狂言が旨くなツた、 若しも彼の暮内法師が、此人なら侯爵の役が勤まるだらうと見立てゝ寄越したものとすれば、 其見立ては圖星に當ツた言つても好い、伯爵は可笑さと感心とを少しも見せずに 「逢へば貴方は御子息に戸籍の寫し其他誕生を證明する書類を與へて、 成程(おれ)は侯爵の息子に違い無いと云ふ安心を與へて遣らねば成ません[、] 定めし其樣な書類は御持參でせうね」皮春侯爵は冷水を浴せられた樣に驚いた 「アヽ全然(すつかり)失念しました、イヤ其事まで氣が附きませんでした」 と云ひ更に恐る恐る探る樣に問ふた「其樣な書類が無くば、手紙の尚々書(なほ〜がき)は實行が出來ぬでせうか」 尚々書(なほ〜がき)とは金子(きんす)の件で有る。

若しも書類の無い爲に萬事が破れて茲を去るにしても尚々書の幾分は實行して貰ひ度いのだ、 侯爵の(まなこ)は、伯爵の持つて居る財布と伯爵の顏へと五分五分に注いで居る、 伯爵「イヤナニ、尚々書は書類に關係なく實行するのです、 私は暮内法師に古い借が有つて、法師から金錢上の差圖を受ければ、 何事に拘らず從はねば成らぬのです」侯爵はホツと息した、 伯爵「併し戸籍の寫しを御持參が無くては困りましたな、若しも永太郎君が、 果して父子(おやこ)だらうかと疑ツた時は貴方は何う成さる」 侯爵「ナニ其れは天然の血筋だから爭はれません、必ず雙方の血管に眞實の嬉しさが鼓動して、 書類の證明よりも猶確に感知する事が出來るのです、イヽエ伯爵、 私は早何だか自分の息子が遠からぬ所に居る樣な感じがして、アレ此通り身體が粟々(ぞく〜)します、 懷かしい、オヽ懷しい」伯爵「御尤もです、では斯う致しませう、 (さいはひ)暮内法師から、戸籍其他必要書類の證據類を、正式に謄寫して一通私の許へ寄越して有ります、 其れを貴方へ上げますから、貴方の手で更に御子息へお渡し成さい」 侯爵は三拜九拜せぬ許りである「アヽ何から何まで落ちも無く行屆いた貴方のお計らひには只管(ひたすら)痛み入ます、 爾う致しませう、ハイ仰せの通りに致しませう、誠に私はお察しの通り萬事が家扶(かふ)任せで有つた爲め、 獨り旅などへ出ては氣の附かぬ事のみです、何うか此後とも行屆かぬ所は一々貴方のお心附を願ひます」

伯爵は書類と云ふのを取つて來て渡した、侯爵は開いて讀んだ、 勿論侯爵と折葉(をりは)姫との婚禮から永太郎の生れた戸籍の登記、 其他侯爵家の財産の概略まで悉く分ツて居る「アア是を永太郎へ渡せば彼れ必ず歡喜します」 伯爵「では約束の一萬圓、茲で差上げて置きますから」とて財布から百圓札百枚の束を出して渡した、 侯爵は(あたか)も空氣に當てゝは消えて了ひでもする品か何ぞの樣に(あわ)てゝ衣兜(かくし)へ捻込んだ、 此の餓て居る所行だけは流石の狂言師も隱す事の出來ぬ天眞だと見える、 伯爵は更らに「では只今永太郎君を茲へ寄越しますから、 卅分間ほど茲でお待ち下さい、今私の出て行く(ふすま)の所から、 若い立派な人が入ツて來たなら、其れが即ち永太郎君ですから」斯う云つて伯爵は退いた。

若しも今茲で、皮春侯爵の爲めに第一番の得策を云はふなら、 受取つた一萬圓に滿足して(そつ)と立去るに在るかも知れぬ、 けれど侯爵は其れほどの智者では無い、イヤ其れほどの愚人では無い、 五萬圓、十萬圓、交際場裡、榮燿榮華など云ふ寶の山が眼前に横たはツて居て、 今は唯だ其山の入口で、一攫(ひとにぎり)の砂を握ツた丈の樣なものに過ぎぬのだもの、 何が何脱て此儘立去るられるものか、 寶の山の奧の院までは行着いて見ねばならぬと充分決心して居るのは度胸も可なり有ると見える、 併し其の只一攫(ひとつかみ)の砂も、仲々其の身には嬉しいと見え、 卅分待つ間に其の砂を取出しては又納め、殆ど餘念も無く又待遠くにも感ぜぬ状であツた。

其の間に伯爵は、果して何の樣な永太郎に、何の樣に逢ふた事だらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四二 上には上が


上には上があるとは此事だらう、皮春侯爵と爲つて來て居る半老人が、 隨分巖窟島伯爵を感心させるほど旨く侯爵の役を勤めて居るのに、 更に其の息子皮春永太郎と爲つて來た青年に至つては、旨い上に一層旨い、 全く船乘新八の見立が暮内法師の見立にも優つたと云ふものだ。

伯爵が第二接見所へ入つて行つた時、茲に早や控へて居る永太郎は、 父侯爵が棒の如く(ぎこち)なく突つ立つて居たに引替へ、 長椅子の上に身を樂に置いて、(あたか)(おのれ)は此樣な贅澤な室には慣れ切つて居ると云ふ見榮であつた、 爾して金の握の附いた(すてつき)を所在も無く弄んでゐた、 勿論二千圓の旅費を得て來たのだから、充分の衣服(みなり)の外に高價な(すてつき)迄も買ふ事が出來たのだ、 伯爵は一目に此樣を見て一方(ひとかた)ならず滿足し「アヽ上には上」と我知らず呟いたが、 (やが)て何氣無く「貴方が小侯爵皮春 -- 」青年「ハイ永太郎です、貴方は巖窟島友久閣下でせうか」 伯爵「左樣です、多分貴方は、私へ宛た紹介状を持つてお出の筈ですが」 永太郎「ハイ持てはゐますが書いた人の署名が聊か異樣ですから若や何かの間違ひでは無いかと思ひ -- 」 アヽ此青年は、(まづ)巧に瀬踏(せぶみ)してゐるのだ、成程自分が小侯爵で無くて、 小侯爵と名乘るのだから、凡そその境遇の分る迄は充分大事を取らねば成らぬ、 伯爵は輕く笑みて「オヽ署名は若や船乘新八と有はしませんか」 永太郎「ハイ爾あります、一向私の知らぬ名前ゆゑ、イヤ亞拉比亞物夜語(あらびやんないと)では讀みましたけれど、 實際其の名の人が有らうとは思はれませんから、若しや惡戲では無いかと思ひ……」 伯爵「ナニ御安心成さい、船乘新八とは勿論假の名で有りますけれど、其の假の名が本名よりも此國では能く知られて、 爾うして本名だけの責任を負ふのです、何しろ有名な英國の貴族ですもの、柳田卿が無責任な紹介状などを作りますものか」 永太郎「エ、船乘新八とは、アノ英國の貴族柳田卿ですか、()の方なら私も先逹(せんだつ)て -- 」と、 (あたか)も逢ふた事の有る旨を言ひ出相にしたが、多分は餘り名譽の境遇で逢ふたのでは無いと見え直ぐに言ひ直し 「()の方なら全く知らぬ譯でも有りません、 成ほど無責任な事など成さる方で無い事は能く分ツて居ますから漸く安心致しました」 眞に安心した樣子である、爾して紹介状を差出した。

之を受取つて伯爵は且讀み且點首(うなづき)つゝ「アア先逹(せんだつ)て柳田卿から私へ寄越した手紙と同意味です、 併し一應は貴方から貴方の素性を伺ひたいと思ひます」 永太郎は斯く請はれる事と待設けて居たらしい 「ハイ私はダンテの不朽の著書にまで姓の出て居る伊國(いたりや)の皮春家の後裔ですが五歳の時、 父博人の手から、或る怨敵に奪ひ去られまして、イヤ(ついで)ながら申して置きますが、 父は侯爵皮春博人と云ひ、母は小品(こしな)侯爵家の一女折葉(をりは)姫で有ツた相です、 五歳の時ゆゑ父母の顏を覺えませんけれど、物心覺えて以來は絶えず父母に廻り逢ひ度いと、 折さへ有れば尋ねましたが、其の手掛さへ得ませんでした、 (わづか)に父母の家の分ツたさへ實はツイ此頃の事で有ります」 是れだけは本統らしい、成るほど父母の名も分らずに折さへ有れば尋ねて居たのだらう、 何と無く其の言葉と聲とに、狂言としては餘り誠實らしい響きが有る、 勿論伯爵の方は、何處までが誠、何處までが嘘と、此の永太郎自身が知つて居るよりも能く知つて居るのだ、 伯爵「其れでは貴方は、船乘新八の差圖に從ツて、好い事を致しましたよ、 實は父上の方でも(せつ)に貴方の所在を求め、今も現に此家に來て居られますから」。

(もと)より自分が父に逢して呉れと求める爲に此家に來た事は知つて居るが、 今現に父なる人が此家に居る事とは思はなんだ、其れに逢へば、 或は何の樣に看破られるかも知れぬ、流石何から何まで考へ拔いて居る怜悧な男だけれど、 (あたか)も足元から鳥が立つた樣に驚き「エ、父が、今此家にと仰有いますか」 伯爵「爾です、只た今まで私は奧の室で、侯爵皮春博人君から貴方の事を聞いて居たのです、 貴方が見えたと云ふに就き、博人君一人を殘して、座を立つて茲へ來たのです」

益々永太郎は、異樣に不安心の色を現して其身が早化の皮を引剥がれる時が來たかと氣遣ふのであらう、 併し伯爵は氣遣ふ時間をさへ與へぬ「所が、父上の云ふ事と、 柳田イヤ船乘新八が先頃私へ傳へた所と、唯今貴方の云つた事と三方が全く符節を合すが如くですから、 私も安心しました、安心して今夜此家で、貴方と父上とを目出度く再會させる事が出來るのです」 此方(こつち)も何時までも氣遣ふてなどゐる正直者では無い、 「本統に父に逢ふ事が出來ませうか、私は伯爵、早胸が轟きます」 伯爵「勿論お逢せ申しますが、猶ほ一應事情をお聞かせ申して置き度いのです、 貴方を奪ツた奴と云ふのが、此頃になり慾心を(おこ)して、 父上へ大金で以て貴方を賣り戻すと云ふ氣になり、其の周旋を柳田卿へ頼んだ樣子です、 其れは柳田卿が貴方の父上と懇意な爲めでせう、 所が柳田卿は、噂でも御存じでせう、英國の一二の大金滿家で、人からは狂人と云はれるほどの慈善に熱心し、 單に世の中に曲れるを伸べて遣り無實の罪を助けて遣ると云ふのみの爲めに、 本名を隱して世界を漫遊して居るほどの方ですから、其の依頼者を憎み、 其れでは(おのれ)が、其の永太郎の居る所を獨りで探し出して父侯爵へ歸し、 爾して奪つた奴の惡計を破ツて遣ると云ふ氣になり、 金に飽かして搜索し終に貴方を見出したと云ふ事です」 何の樣な所で見出されたのか。餘り面目の立つ場所柄では無かツたと見え、 永太郎は聊か顏を赤くした、伯爵「何の樣な所で貴方を見出したのか、 其れは柳田卿から私へも話も無く、又私からも聞きませんが、 兎も角も卿は貴方の境遇を見て一入(ひとしほ)憐を催されたと云ふ事です、 是れは多分貴方が御存じでせう」永太郎は又極り惡げに「ハイ知つて居ます」 伯爵「其れから卿は樣々に手を盡し、 (さいはひ)私が今まで卿と多少の事業を共にした事があります爲に父子の引合せを私へ頼み、 然る可き方面から父上へも書面を送り、萬事も落も無く運んで置いて、 又何處かへ立つて了はれました、其の結果が、 今夜貴方と父上と私の宅へ落合ふに至つたのです」 永太郎「成るほど合點が行きました」眞に合點は行つたけれど、唯だ自分の身が眞の永太郎で無い丈が殘念だらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四三 ソツと次の室


伯爵「父上は甚くお喜びでありますけれど、唯一つ心配成さるのは、若しや貴方が、 下樣(しもざま)の者の手に育てられた爲、充分の教育も受けず、 貴族の息子として世間へ示すに足らぬ樣な男と爲つてゐはせぬかとの懸念であります、 一言に云へば若しや貴方が無教育ではありますまいかと恐れるのです」 永太郎は躊躇も無く「イヤ其の點なら御安心を願ひ度いのです、 私を奪ツた奴が多分は其の頃から、償金を取つて父へ私を賣渡す積であつたのでせう、 賣返すには成るたけ私の身へ値打を附けて置かねば成ません、若しも父が見て、 此の樣な無教育に育つた息子なら、(とて)も大金を出して買戻す事が出來ぬと、 ()ア斯う云ふ樣な事があつては大變ですから、世に謂ふ賣物には花を飾れよの道理でせう、 充分に私へ教育を施しました、少くとも同年輩の青年には決して劣らぬ丈の學問が私にはある積りです」 仲々理窟を旨く云ふ、而も其の理窟が、無根の事へ尤もらしく附會する理窟だから驚く可しだ、 其の上に辨も好く言葉も仲々竒麗である、 伯爵「イヤ父上の氣遣ふ教育と云ふのは學問ばかりで無く行儀作法などを云ふのです、 譬ば交際場裡へ出た所で、學問の深い淺いが直ぐに容貌へ現はれるものではありませんが、 唯行儀作法と云ふものは直に人前に現はれるものです、 一見にして此人は如何にも貴族の息子らしいとか、何うも下品に育つたらしいとか」 永太郎は聊か(しよ)げて「其れも自分の心さへ清くば自然行儀作法にも叶はふかと思ひます、 ()し人前へ出た所で、笑はれる樣な振舞は少しも無く、 多分は流石皮春侯爵の息子だと襃められる積りですけれど、 何分巴里の交際場へは初めての事ですから、特別な作法、特別な禮式などは知らぬ所があるかも知れません、 而し伯爵私は唯自分の心の清いのを恃みとするのです、 作法には疎くとも心だけは正直ですと云ふのが只一つの申譯です」 伯爵は我知らず「能く云つた、能く云つた」と賞めた、イヤ實は口先の巧なのに呆れて了つたのだ。

(やが)て又「イヤ其樣な譯ならば、安心なさい、交際場へは私が後見人の樣に成り、 能く手引を仕て上げます」永太郎「何分にも宜しく願ひます、 シタが伯爵、父は定めし私の顏を覺えてゐて下さる事でせうね」 伯爵「イヤ五歳の時に分れたので、薄々は覺えてゐるが、餘ほど其後違つた事だらうから、 遭つたとて分るまいと心配してお出でした」 永太郎は安心の色を隱して「其れは殘念です、能く私の顏を覺えてゐて下さらば、 愛に免じても多少の缺點は咎めずに見過ごして下されませうに」 伯爵「イヤ顏は覺えずとも、天然の血筋の感じは爭はれません、 必ず雙方の血管(ちすぢ)に嬉しさが鼓動しますから」 是れは皮春侯爵と爲つて居る半老人の云ふた言葉を伯爵が其の儘用ひたのだ 永太郎「其れは爾ですけれど」伯爵「ナニ父上は貴方の愛に溺れて居る樣な者です、 貴方が巴里へ逗留中は毎月凡そ千六百圓、一年に二萬圓の定額を、 隨意の小遣として與へると仰有います」永太郎「其の樣な事が出來ませうか」 伯爵「出來ますとも、一年五十萬圓ほどの所得が有る家柄ですもの、尤も之は柳田卿からの注意に出た事で、 卿は若し父が(けち)な事を云ふなら私に其れだけの金を立て替へる樣に仕て呉れと云ひ擔保まで入れて有ります」 永太郎「でも其が一年も二年も續きませうか」伯爵「左樣、貴方が父上の身代を相續する迄は續きませう、 但し年々殖えるかも知れません、貴方の年齡と共に年年境遇も進み、 費用も(かさ)む事は御承知です、何でも父上の考へでは貴方を充分の巴里風に染ませ、 爾して金滿家の令孃と縁組をする迄に至らせ度いと云ふお積の樣です、 其れだから費用などは惜みません」

()んな有難い話しが又と有らうか 「伯爵、私は今夜直ぐ父に逢ふのだとは少しも思はずに來ましたけれど何うか直ぐにお逢はせ下さい」 彼れの度胸は最早充分定まつたと見える、 伯爵「お逢はせ申しますとも、實は父上は、永く此巴里に逗留する心は無く、 二三週間で立去るお積りですから猶更貴方に逢ふのを急いで居られるのです」 父が此身だけを殘して早く立去ると云ふのも亦有難い仕宜(しぎ)である、 伯爵「サア此奧に在る突當りの室へお出で成さい、實は私が連れて行つて上げるのですけれど、 親子水入らずの對面には他人の居ぬ方が好からうと、父上へも爾う申して有ります、 お二人で言ひ度いだけの事も云ひ、心も落着た頃を計り私も行きますから、」 是れも亦有難い、何から何まで、眞に有難い事の鈴生(すゞなり)である。

永太郎は眞に父親に廻り合ふ樣に、勇々(いそ〜)と立つて奧の室へ行き入口の戸を開いて中に入ツた、 (そもそ)も何の樣な對面だらう、伯爵も怪しんで見屆け度いと見え、 兼ねて其次の間へ覗く所を作つてある、父子(おやこ)は爾うとは知るまいけれど、 云ふ事も爲す事も、悉く伯爵に看て取られ聞き取られるのだ、 永太郎が入ると共に伯爵もソツと其次の()へ入つた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四四 親子の對面


愈々永太郎は父侯爵の室へ入ツた、實に其の度胸には驚かねば成らぬ、 自分が侯爵の息子でも無く永太郎でも無い事は(もと)より知つて居る、 其れだのに何うして親子の對面が出來るだらう、彼れは唯だ自分の頓智と辯才とを頼んで居る、 ナニ本統の息子では無くとも、旨く息子らしく狂言を(やら)かせば其れで侯爵を(だま)す事は出來るのだと思ふて居る、 (だま)して温々(ぬく〜)と一年に五十萬圓の所得のある皮春家の若殿と爲り、 年に其一割即ち五萬圓の小遣を與へられる身分に成れるのだと信じて居る、 ()しや侯爵に看破せられ、我が息子では無いと叱られた所で元々である、 イヤ明日にも自殺する外はない程の境遇に迫ツて居た今までの事を思ひ合せば、 旅費二千圓の使ひ殘りが猶だ幾分か懷中(ふところ)に在る丈でも元々よりは増である、 立派な着物や立派な(すてつき)などの身に殘る丈も元々とは雲泥の相違である、 何の恐れる所があるものか、斯樣に腹の底を据ゑては居るが使(しか)し何樣容易ならぬ面會だから、 成る可くは大事を取らねば成らぬと云ふ積りで、室へ入るが否や、 先づ内より戸を締めて、而る後に父侯爵の方に向ツて進んだ。

(しか)し横着な點から云へば父侯爵とても決して永太郎に引けを取らぬ、 自分が現に侯爵でない事を知つて居て、侯爵の顏をして待つて居るのだ、 其の心の中で考へて居る所は大抵永太郎と同じ樣だ、誠に此樣な異樣な面會は芝居にも小説にもないだらう、 世の中には猶更ない。

永太郎は先づ、ぎこち無く(こは)ばツた樣に控て居る父の顏を覗く樣に見た、 何しろ智慧の逞しい青年とは既に讀者に分ツて居る通りだから若し不斷ならば其鋭い眼力で或は本物の侯爵ではないと見破ツたかも知れぬ、 けれど今は心に其れ丈の(ゆと)りがない、唯だ自分の贋物と見破られては成らぬと云ふ用心に固まツて居るのだ、 彼れは覗く樣に少し中腰になり、前額(ひたひ)だけを前に突出して一足々々(ひとあし〜)(つまづ)く樣に進み、 餘り高くない聲で「阿父(おとう)さん、阿父(おとう)さん、貴方が眞に父上であらせられますか」と問ふた、 實は彼れ成る可くは先づ父の聲を聞いて、出來る事なら自分の聲を其の聲に似させ度いのだから、 自分の眞の音聲を隱して居るのだ、 顏は到底急拵へに父に似させると云ふ事は出來ぬから(せめ)ては聲だけでも似せて置き度い、 仲々用意は綿密と云ふ可きだ、父はがツくり此方に向き「オヽ息子、息子、 其方が眞の永太郎か」父の聲も餘り高くは無い、之は何しろ初めての檜舞臺とも云ふ可きものだから、 少しは慣れて心の落付くまで充分の技量を(ふる)ふ事が出來難いのだと見える、 永太郎「お懷しう御座いました」父「懷かしかつた」 永太郎「五歳(いつゝ)の時からお別れ申したまゝ」父「オヽ五歳の時に別れたまゝ」 永太郎「氣に掛らぬ日とては有りませんでしたのに」父「オオ氣に掛らぬ日とては無かつたのに」 何だか鸚鵡と話してゐる樣だ、此方(こなた)の云ふ事が直に向ふから響いて來る、 息子「お尋ね申す當とても有りませず」父「尋ねる當とても無くてなア」 永太郎「恐れ入りますが阿父(おとう)さん -- 」父「氣の毒だが永太郎」 永太郎「幼い頃抱き締て下さつた樣に、何うかお膝へ」父「オヽ幼い頃抱かれたやうに何うか此膝へ」 永太郎「唯一度」父「唯一度」 息子「抱いて私に安心させて下さいませ」父「抱かれて安心させて呉れ」 忽ち二人は抱き合て、父の(かしら)は息子の肩に、息子の頭は父の肩に、 全く芝居でする樣な状とは爲つた、けれど有體(ありてい)に云へば本統の俳優がするほど旨くなかつた。

此時までは雙方ともに、自分の方は贋物でも、相手は確に本物だらうと思ふてゐた、 所が何だか樣子が違ふ、抱いて見ても抱かれて見ても、 父が抱く樣な抱き方で無く、子が抱かれる樣な抱かれ方で無い、 天然自然に誠の懷かしさが血管に鼓動する樣に伯爵は云つたけれど、 少しも其の樣な鼓動らしい樣子がない、向ふも此方(こつち)も同じ出來合の役者だらうか[、?] 併し未だ「眞逆(まさか)に」と云ふ念が有る爲め、雙方餘ほど長い間抱き合つてゐたが、 疑ひは永太郎の方が強かつたらしい、(まづ)彼の方から手を解いて離れて了つた。

其れでも猶だ充分に大事は取つてゐる、彼れは恭々しい態度で父に向ひ 「私の身分を證明する樣な、何か書類でもお渡し下されませうか」 彼れは手紙に在つた船乘新八の差圖を忘れてゐぬ、父も巖窟島伯爵の差圖を忘れぬ、 「オオ、其の書類は茲に在る、之を見よ」とて、先刻伯爵から渡された書類を差出した、 何うも其の差し出す迄の樣子さへ眞に迫つてはゐぬ、 此方(こつち)()から(のぞ)いてゐる伯爵は、 此後が何うなる事かと、半氣遣はしげに半樂しげに呼吸(いき)を凝した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四五 被害者の資格


父の侯爵が差出す書類を息子の小侯爵は受取ツた、 授受ともに尤もらしくはあるけれど既に兩人の心には一種の疑ひが(きざ)して居る、 自分が本物で無いのみならず、何うも相手も本物で無いらしい。

斯う思ふと益々以て不審に堪へぬ、自分が本物でない事は怪しむに足らぬけれど、 何故相手が本物でないのだらう、本物でない同志が何うして親子と名乘り合ひ、 何うして斯う親子の對面の樣な事をする仕宜(しぎ)に成つたのだらう、誰か外に、 何かの目的を以て此樣な事をさせる人があるに違ひない、詐欺師だらうか、策士だらうか、 自分の少しも其邊の心當りがないけれど或は相手は其の事情を知つて居るのだらうか。

此樣に疑ふて、永太郎は恭々しく書類を受取りつゝもジツと父侯爵と稱する人の顏を見た、 侯爵の方も同じく息子永太郎と稱する青年の顏を見た、斯く見合つた(まなこ)の中に、 雙方とも自分は贋物と云ふ自白を含んでゐた、互に其れとはなく合點し合ツた、 併し永太郎は(やが)て書類を打開いた、爾して中に在る婚禮の登記の寫しや皮春家の財産の目録などを讀んだ、 之を本物と思へば非常に心も動くけれど、嘘と思ツては有難くも何ともない、 彼れは見終ツて「全く正式らしく出來てゐる」 侯爵「正式とも、總て公證役場や寺院などで寫させたのだもの」 永太郎は嘲る樣な笑を帶て忽ち伊國(いたりや)語を使ひ 「ですが侯爵、伊國(いたりや)には懲役などと云ふ事はないと見えますね」

竒怪千萬な問ひである、侯爵は合點が行かぬ、而し猶侯爵を氣取つた儘で「何と云やる、息子」 永太郎「ナアニ、若し懲役といふ事がある國なら、 此の肩書に、重懲役三度とか輕懲役四度とか明白に書いてなければ成りません」 侯爵は少し怒つた、怒りの中には幾分の恐れも籠つてゐる、 その證據には彼れも直ぐに伊國語と爲り「()しからん事をいふ」 永太郎「()しからんではない、私の眼力には敬服でせう、懲役の味を知らぬ人間が、 侯爵でもないのに侯爵、父でもないのに父などと、その樣な役が勤まりますか」

星を指す樣な言葉である、侯爵は目を開いたまゝ暫しは返す言葉も出なんだが、 (いづ)れにしても自分唯一人贋物に落とさる可き場合でない、忽ち聲を鋭くして 「その樣な事を云へばお前とても本物でない事が能く(おれ)に判ツてゐる」 との意味が此一語に籠つてゐる、永太郎は直に打解けて「だからさ、 互に何も彼も打明けて、能く相談し乍ら掛引せぬと、贋物同士で旨く仕果(しおほ)せる筈が無いからね」 (さて)は互に假面を脱いで、連合しやうと主張するのである、斯うなると惡人同士は悟りも早い 侯爵「其れは、爾うだ、如何にも打合して掛引せねば」 早根本の約束だけ成立つた樣なものである、實に呆れた返辭である。

永太郎「何處かに大きな詐欺師が居てお互を玉に使つて居るんだぜ」 早言葉も下卑て來た、侯爵「其れは無論さ」永太郎「併し其の詐欺師の事情や目的が、 明白に讀める迄は、お互に、神妙に父子(おやこ)の役を勤め、侯爵小侯爵で立派に推通して行く外は無い」 何うしても惡人の間では、智慧の毛ほどでも優ツた奴が直ぐに(かしら)の地位を占める、 侯爵の方は早自然に、息子を先導の地位に推し立てたらしい「それは無論だ、 (おれ)は玉に使はれても何でも能い、此地位を失ふては成らぬ、 何も自分が財産を欺き取られる被害者では無いんだから」永太郎は又嘲笑ツた 「ヘン被害者、誰もお前に、被害者の資格があらうたあ思はないよ、 幾等詐僞に罹つたツて害されやうの無い身上ぢや無いか」「お互にさ」 永太郎「爾さ、詐僞に罹れば、罹ツて居る間だけも(とく)が行くんだ、 其樣(そん)な事よりは先づ、二人が茲へ來る事に成つた次第を比べて見やうではないか、 互に其の次第を明し合へば又合點の行く所があるかも知れぬ」 侯爵「爾うだ、爾うだ」と又永太郎に贊成した。

爾して二人は、直ぐに銘々が茲へ來る事と爲つた次第を語り合つた、 一人は暮内法師の手紙のため、一人は船乘新八の手紙のためだ、 事情のみか文句までも(ほゞ)似てゐる、けれど其れ以上は少しも分らぬ。

「ハテナ詐欺師が誰で、誰が其の詐僞に罹るのだらう」

「罹るのは此家の主人よ」

「イヤ爾うらしくもない」

「ナニ爾うだよ、既に伯爵は一萬圓からの損をしてゐるぜ」

「エ、一萬圓とは」

「是れ茲にさ、此金を(おれ)に呉れたよ」とて自分の衣嚢(かくし)を叩いて示した、 其れでは必ず此身へも同じ程の金子(きんす)を呉れる時があらうと思ふから永太郎は敢て其金を山分などとは云はぬ、 云はぬだけ彼れは奧深い所もある、彼れは又暫し考へた末、 「兎に角我々は玉に使はれつゝ旨い仕事をするより外はない。詐欺師が誰か、誰が詐僞せられるのか、 餘り其の樣な事を疑ひ過ぎて、却て其れが爲めに、玉にさへも使ふ事の出來ぬ奴等だと認められちや大變だから、 何でも當分の中は、目を(ねむ)つて[注:(つむ)つての誤り?]、 差圖をされる通りに仕やうぢやないか」

「爾う仕やう」

「飽迄もお前が父侯爵、爾して私が息子小侯爵の積りで」

「其れが好い」

「其の中には自然と分る時が來るだらう」

「爾うだ、自然と判る時が來るだらう」

相談の(まとま)ツた所へ、彼方から足音が聞えて、巖窟島伯爵が入つて來た、 二人は足音を聞くと共に遽々(きよ〜)然と、侯爵小侯爵の役目に還り、 全く數十年目に再會した父と子が、互に離れ兼ぬる樣に抱き合つて涙に呉れてゐた、 最う打合せの行屆いた爲め、狂言が氣に乘ツて、狂言とは見えぬほど旨くなツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四六 心得ました


入つて來た巖窟島伯爵は、二人が抱合つて涙に呉れて居る樣な状を見て 「オヽ御兩所は泣いて居られるか」大侯爵は息子を放して 「ハイ久々の對面に、嬉し涙が先に立ちまして」小侯爵も猶豫せず 「泣くまいと思ふにツイ涙が」伯爵は(ゑま)しげに「イヤ涙の出るほど嬉しいとは羨ましい譯ですが、 兎も角も目出度い、是に就けても先づお二人とも此地へ逗留の手筈を定めねば成りますまい」と云ひ、 是より親切な忠告の口調を以て宿屋の事から、馬車の買入や、 衣服を注文する仕立屋の事をまで一々に語り聞かせ、更に小侯爵に向つて當座の小遣を用逹(ようだて)ると稱して、 先刻大侯爵に與へたと同じ程の金を與へた。

兩人(ふたり)が猶豫も無く伯爵の言葉を承知したのは無論である。 最後に伯爵は「お二人とも、是から交際場成さるぬ就ても人に向つて正直に、 親子が久し振に出遇つたの、或は息子の方が幼い頃から敵に(さら)はれて居たのと有の儘の事實を云ひますと、 却て人が作り話の樣に感ずるかも知れませんから、矢張り世間に有觸れた樣に、 息子を此國の或地方に在る高等學校へ入れて置いて此度丁度卒業したから、 露國へ出張の途次此の巴里へ立寄つて呼寄せたのだと斯う仰有るが好からうと思ひます」 侯爵「如何にもお説の通りです、其れに又實際私は近々露國へも行き度いと思つて居りますから、 爾う云ふも滿更の僞りでは有りません」と妙に露國行の事へ力を入れて答へるのは、 他日萬が一此土地を逃出さねば成らぬ樣な場合が有つても幾等か此口實が役に立つかも知れぬと遠く(おもんぱ)かつての事だらう、 息子の方は爾で無い、「阿父(おとう)さんが露國へお立成されても私丈は矢張り此地に何時迄も居て」 一年二萬圓の手當で贅澤を盡したいのだ、伯爵は父に代り 「爾ですとも貴方を此巴里の交際場へ入れ、 先刻も申す通り成らう事なら然る可き縁談までも出來る樣にさせ度いと云ふのが父上のお望みですもの、ねえ侯爵」 侯爵「爾です、爾です」伯爵「お兩人(ふたり)の名譽を以て交際場へ入るのは譯も無い事で、 必ず遠からぬ中に招待状の雨が降る樣にも成りませうけれど、茲に差當り私は晩餐會へお招きして、 歴々の方へお引合せ致しませう」此引合に多分何かの目的が潛んで居るに違ひ無いと二人は察した、 何の目的にもせよ、早く逹する所まで逹して、自分等の立つて居る今の足場が何れほど危險か何れほど安全かを見屆け度い、 侯爵「有難くお招きに與りませう」小侯爵「其の晩餐會は何日(いつ)でせうか」 伯爵「イヤ詳しい事は招待状に(したゝ)めて明日お宿へ差出しますが明後土曜日の午後六時からです、 是より侯爵が取引なさる有名な段倉銀行の頭取男爵段倉喜平次君夫妻も來客の中にあります、 取分け此方へは懇意をお結び成さるが得策でせう」侯爵「心得ました」 小侯爵「私もですか」伯爵「勿論です」小侯爵「心得ました」

若し伯爵が、此の土曜日の晩餐會を以て兼て目論む大仕事の序開(じよびら)きとする積りならば斯まで準備に手を盡すも無理は無い、 或は此上にも猶ほ幾樣(いくやう)の準備が有るかも知れぬ、 其れは扨置(さてお)き、兩人(ふたり)は先づ是で用事も盡きたと見え立掛けたが、 侯爵の方は又何か思ひ出して「當夜の衣服は何う致しませうか」伯爵「貴方は軍服に限ります、 多分はお國の家扶(かふ)から屆ける行李の中に佐官の服や勳章なども有りませうから成る可く正式に成さるが宜しい」 軍服ならば此人の(ぎこち)ない姿勢に最も似合ふ筈だから、贋物と分る恐れが無い、 小侯爵「私は」伯爵「貴方は書生上がりの事ゆゑ、餘り華美(はで)には及びません、 成る可く小意氣に爾して上品に、如何にも大家の若殿だと感心せらるれば好いのです」 六かしい忠告だけれど、(もと)より永太郎の柄に在るのだ。 侯爵「心得ました」小侯爵「心得ました」

是れで兩人は辭し去つた、伯爵は(たゞち)に窓の所へ行き、 其立去る状を見たが、全くの親子の樣に兩人(ふたり)手に手を引合つて密接して歩んで居る、 伯爵は笑つて呟いた「アノ樣に揃も揃つた兩人(ふたり)が、眞の父子(おやこ)で無いのは殘念だ、 兩人(ふたり)とも牢かだ出されて間も無い身で、魂性(こんじやう)まで同じ事だのに」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四七 空前の竒觀


此翌日は金曜日である、大仕事の序開(じよびら)きと思はれる土曜日の晩餐會が直ぐ明日に押寄せたのだ、 若し伯爵が晩餐會に就て何か準備を要するならば、此日の中に運ばねば成らぬだらう。

準備は大抵調ツて居る、唯だ伯爵の氣に掛るは、場所が吹上小路であるが爲めに、 若しや肝腎の蛭峰が、自分の舊惡を思ひ出し恐れて出席を斷りはせぬかとの懸念である、 既に蛭峰の妻からは無論參上と云ふ返辭を得て居るけれど、猶も念の爲蛭峰自身から直接に固い返辭を聞いて置かねば成らぬ、 之が爲に伯爵は先づ蛭峰の(やしき)を指して家を出た。

併し伯爵は此外にも多少の用事を持て居る、 其の一は蛭峰の家の後街(うしろまち)に當る大尉森江眞太郎の一家を()ふ事である、 伯爵は何時でも此邊へ來れば森江の許へ立寄らずには歸り得ぬ、 全く森江一家に此世に於ての唯一つの善人の家と思ひ大尉森江眞太郎を我兒とも云ふ程の(いつく)しんで、 嬉しさにも悲しさにも總て彼れの顏を見度いのだ、 其れと見れば嬉しさは益々度を増し悲しさは忽ち消えると云ふ程の状である、 是れが爲に此日も蛭峰の家よりも前に先づ眞太郎の家に立寄つた。

*    *    *    *    *    *    *

若し蛭峰の家へ先に立寄つたならば大變な椿事を見ることが出來る所で有ツた、 蛭峰の家には彼れが伯爵へも話した通り今猶ほ其の父の野々内彈正が活て居て、 中風の爲、全身不隨とは云へ心だけは確であツて奧庭の隱居所は入つて來たのは蛭峰の先妻の娘、彼の華子である、 多分は今日も垣根越に眞太郎と何か話でも仕て居て祖父に藥を勸める刻限となツた爲分れて茲へ來たので有らう、 顏には猶だ心配の色が殘ツて居る、此姿を見て病人は「オヽ待つて居た」と云ふ樣に、 嬉しく其(まなこ)を光らせた、全身中で動くのが唯だ(まなこ)ばかりとは憐む可き病では有る。

先づ藥を呑ませた上、靜かに祖父の顏に顏を寄せ「祖父(おぢい)さん、大變な事に成りましたよ、 愈々毛脛安雄さんの歸朝の日が極ツたと云ふ事です、今朝阿父さんから私へ其話が有りまして -- 爾して」 と言掛けて祖父の顏を見るに、一々聞取つて合點して居ると見え、(まなこ)を張開いて居る 「爾してねえ、何うしても婚禮の證書へ署名せよと云ひ、無理に私を承知させました、 多分後程には阿父さんと阿母さんとが其證書を以て茲へ來るのでせう、 何うしたら好いでせうねえ」

問ふたとて返事の出來ぬ病人へ、何の甲斐が有る者ぞ、併し華子は猶も語を繼ぎ 「今も眞太郎さんに逢ひ其事を相談しましたけれど、()の方も途方に暮れて、 最う此上は自分が父の樣に頼みとする巖窟島伯爵へ相談して見る許りだと云ひました、 巖窟島伯爵とは、ソレ先日私がお話し申したアノ阿母さんと重吉とを救ツて下さつた方ですよ、 眞太郎さんの云ふには、此方は眞に人間以上とも云ふ程の力が有り何事をでも自分の意の儘に振替る事が出來、 其れに此家の阿父さんからも尊敬を受けて居るから、何うか工風が有らうも知れぬと、 此樣に云ふのです、若し伯爵の力で行かねば其上は最後の非常手段に訴へるのだと云ひました、 非常手段とは何事だか知りませんけれど()の樣に熱心な方ですから私は、 自殺でもする氣で有るまいかとホンに悲しくなりましたわ、エ祖父さん、先日、 私と毛脛安雄と婚禮の出來ぬ樣に遮ツて遣ると受合つて下さツたが、オヽ遮ると云つたとて此お身體で、 何を成さる事も出來ず、祖父さん、祖父さん、今でも何か其の工風がお有りでせうか」 祖父「有るよ」

「有るよ」と口で云ふ事は出來ぬ、目で云ふた、(そもそ)も此の野々内彈正の目で云ふ言葉を聞取る事の出來るのは華子と、 父の蛭峰と、永年彈正に仕へて居る一人の老僕との三人である、 蛭峰夫人の如きは數年此室へは來るけれど、目の言葉に對しては聾同樣である、 少しも解する事が出來ぬ、又解し樣ともせぬのだ、 華子「では今直に遮り止めて下さいますか、今で無くば、婚禮證書へ署名させられた後では何とする事も出來ませんが」 彈正「然り」華子「其れでは直に阿父さんを茲へ連れて來て戴きませうか」彈正「然り」

「然り」と云ふ時には、 靜かに兩の目を閉ぢて安心の状を示すのだ「否」と云ふ時には忙しく瞬潑(まばたき)するのだ、 其外に右の目のみを閉ぢるのと、左の目のみを閉ぢるのと都合四個(よつつ)の符牒が有る、 とは云へ唯四個(よつつ)だけの符牒で、何うして婚禮を推留て破談にさせると云ふ樣な込入つた掛引が出來るだらう、 覺束なさの限りである、けれど華子は覺束無いと思はぬか、 聊か力を得た樣子で茲を立去り、(たゞち)に父蛭峰を連れて來た。

蛭峰は()と嚴重な顏をして彈正の枕頭(まくらもと)に坐し「何か華子の婚禮の事に付き、 私へお話が有りますか」彈正「「然り」と答へて次に「否」と答へた、 蛭峰は半華子に向ひ「ソレ『然り』と『否』とを混同成さる程だから、 最うお心も確で無い、何事もお耳に入れぬ方が好いだらう」 早や父の干渉を跳退けて居る、彈正の(まなこ)は鋭く開き、 殆ど叱り附ける樣に蛭峰の顏を射た、其の意味は能く分ツて居るけれど蛭峰は分らぬ風で 「アヽお可哀想に、一日一日、お心が混亂すると見える」何たる不孝な男だらう、 華子は父に向ひ「イエ、爾では有りませんよ、『然り』と『否』とを重ねて仰有るは、 婚禮の事にも話が有り、婚禮で無い事に就ても話が有るとのお知らせです、 今迄も度々成さる符牒です、ねえ祖父さん」彈正「然り、然り」 蛭峰「爾う澤山のお話が一時に出來るものか、強てすれば御病氣に障るに極つて居る」 彈正は異樣な(まなこ)で室の隅をジツと眺めた、華子は其意を察し 「アヽ室の隅に在る字引を持つて來るのですか」と云ひ直に立つて、 手輕な一册の字引を持つて來た、爾してABCの頭字を順に指示すと、 Nの字に到ツて「然り」と目を閉ぢた、Nの字で初まる言葉は千萬無量の數である、成るほど其れを一々に探して居ては、 (とて)も澤山の話は出來ぬけれど華子は氣轉を利かせ、自分の口で母音の五文字を徐々(しづ〜)と繰返すと、 Oの字に到ツて又(まなこ)の言葉が有ツた、 今度は更に字引のNOの部で順に一字づゝ指さして行くとnotary(のーたりー)の語に及んで留まツた、 是れは公證人と云ふ心なのだ、華子「では公證人を呼んで來るのですか」 彈正「然り」蛭峰は驚いた「公證人とは遺言か何か作るので無くては用事の無い人ですが、 貴方は遺言でも作り度いのですか」彈正の(まなこ)「勿論然り」 全身不隨、口さへも利けぬ人が、遺言状を作るとは空前の竒觀である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四八 公證人


全身不隨とは云へ野々内彈正は確に遺言状を作る資格が有る、 何故ならば此人は息子蛭峰の家に隱居して居るけれど蛭峰の厄介に成つて居るのでは無く自分で獨立の財産を以て居るのだ、 死ぬる前に遺言状を作り此財産の始末を附けて置くのが當然である。

財産の高が如何ほどであるかは蛭峰も知らぬ、けれど(ちつ)とや(そつ)とで無い事は判ツて居る、 昔は共和黨の大部分が殆ど此人の財産を運動費の(おも)なる出所と仰いで居た事も有るのだから、 通例世間で財産家と言囃されて居る人の財産よりは多いかも知れぬ、 若し此人が遺言状を作らずに死ぬる日には父と云ひ子と云ふ縁で自然に其の財産が蛭峰の物になるのだ、 今が今まで蛭峰は内々之を當にして居た。

所が今茲で故々(わざ〜)遺言を作り度いとは、蛭峰より外の者へ其財産を遺し度いと云ふ意味に極つて居る、 蛭峰は驚いて、加勢の爲に我が妻を呼びに行つた。

其後で華子は祖父彈正の眼に迫立(せきた)てられ老僕を公證人の許へ迎へに出した、 引違へて蛭峰は妻と共に茲へ來た、妻は()と神妙に彈正の顏を(のぞ)き、 優しい聲で「阿父さん[、]阿父さん」と日頃餘り用ひた事の無い親身の呼方を用ひ 「貴方は遺言を作ると仰有るなら華子を相續人に成さるお積りでせう、 幾等華子が貴方の御介抱を引受けて居るとは云へ、少しは公平と云ふ事を考へて下さいまし、 華子は既に母御から遺された財産が、 婚資には餘るほど有つて其上に米良田の祖父さんも祖母さんも有り丈の財産を華子へ遺す事に極めて有ります、 最う華子の身には多過ぎるほどの遺産が附いて居ます、一切を積れば何百萬と云ふ高に成ります、 其上に又貴方の遺産を加へては必ず多過ぎて決して華子の幸福には成りませんよ」 と自分の慾心を露出(むきだし)にして(いと)無遠慮に口説き立てた 「ねえ祖父さん、貴方は華子を相續人に成さるのでせう」彈正の(まなこ)は「否」爾では無いとの意を示した。

爾では無い、華子では無い、其れなら誰だらう、蛭峰夫人は驚くと同時に喜んで 「オヽ祖父さん、華子で無くて私の子重吉を相續人に仕て下さるのですか、 アヽ其れでは公證人をお呼び成さるも御無理では無い、 イヽエ爾ですとも、華子とても、重吉とても、同樣に貴方の孫で、 殊に重吉の方は男、後々財産次第で何れほどの出世が出來るかも知れません、 其れに彼れは、可哀想に未だ誰からも遺産などは受けて居ません、 貴方が彼れを相續人にして下されば -- 」彈正の眼は先刻から引切無しに瞬潑(まばたき)して 「否」「否」「否」と續けざまに拒絶しに居る、夫人は初めて氣が附いて()と腹立しく 「オヤ重吉でも無いのですか、其れなら誰です、誰を貴方は遺言状へ書入るのです」 問ふたとて返辭の出來る筈は無い、彈正は唯だ(まなこ)を見開いて、 (あたか)も「此の慾深き女奴が」と云ふ樣に夫人の顏を睨み附けた、 けれど夫人は仲々めげぬ「アヽ矢張り祖父さんは、最うお心まで衰へて、 能くは物事がお分り成さらぬのだ、御覽よ華子、()の樣に目を大きく成さるのは符牒には無いのだらう、 然りとか否とか云ふ符牒を間違へてアノ樣にお睨み成さるのだらうよ」 憐れむ可き老父に對し斯る言葉を加へるとは實に鬼のする樣な仕業(しわざ)だけれど、 此夫人の後々の所業を見れば、是くらゐの鬼々しさは怪しむにも足らぬのだ。

斯る所へ老僕に迎へられ、近所の公證人が入ツて來た、 蛭峰は遽たゞしく之に向ひ「イヤ御苦勞では有りますが、 御覽の通り遺言を作る可き本人が全身不隨で、聲を出す事も出來ず、 無論自分の思ふ所を正當に言現はす手段が無いのですから、 此有樣をお見屆けの上、一家の不幸を釀さぬ樣に願ひます」 とは遺言を作る資格の無い廢疾の人と見做して立去り呉れとの謎であるけれど、 此公證人は、來る路で詳しく老僕から話を聞き、 (まなこ)の言葉と華子孃の通譯とで如何なる問答も出來る事を知つて居る、 其れのみか斯る空前の遺言状を自分が引受けて作ツた上、 其顛末を法律雜誌にでも寄書すれば自分の盛名は(とみ)に揚がり、 巴里第一流の公證人に數へられる事も出來ると、一方(ひとかた)ならぬ熱心を以て茲へ來たゆゑ、 容易に蛭峰の手には乘らぬ「イヤ本人の容體などはお使の方から能く聞きました、 兎も角も、何等かの手段を以て思想を現はすことの出來る人なら御存知の通り遺言状を作る權利が在ツて、 其れを公證人たる者が無視する事は出來ません」勿論蛭峰は廿有數年來自分が法律を取扱ふ職に居て、 今は全國に一人の大檢事と云ふ地位をまで占むる丈けに「御存じの通り」と云はれても仕方が無い 「イヽエ知りません」と云ふ事は出來ぬ、公證人は猶も熱心に 「確本人が(まなこ)で發する言葉を、イヤ合圖を、 孫娘の方が正當に通譯する事が出來る樣に聞ましたから、 私は第一に其の(まなこ)の合圖が果して正當に當人の意思を現はして居るかを試驗し、 第二に孫娘の通譯方が果して正當で有るかを見屆け、其上で自分の職務を行ふ可きだと思ひます、 勿論非常に責任の重い譯ですから、實は唯今道寄して同業の一人を立會人に頼んで來ました」 成程別に一人の同業者をまで立會はせてする事なら最早や遮る口實は無い、 蛭峰が()と不興げに口を(つぐ)む所へ、丁度其の一人の同業と云ふのが又遣つて來た。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一四九 婚姻政略


(やが)て此二人の公證人は、妻子に向ひ、野々内彈正が何の樣な方法にて話するかを問ふた、 華子の返辭は、公證人の來る道で老僕から聞いた所と同じである、 少しも疑ふ所は無い、けれど念の爲に直々彈正の顏の前に行き 「貴方は『然り』と云ふ意を現はすには眼をお閉ぢになりますか」彈正「然り」 公證人「否と云ふ時には何う成されますか」彈正は斯すると云ふ如くに目を瞬いた、 果して此符牒が間違ひ無しに行はれるので有らうか、 公證人は試みに二三の事を問ふて見たが、少しも間違ふ所は無い、 「貴方は遺言を作り度いとお思ひですか」彈正「然り」 公證人「其れを作るに就て、貴方の意思の通譯人に華子孃を用ひて差支が無いと思ひますか」彈正「然り」

最早躊躇する所は無い、公證人は更に蛭峰に向ひ「此樣な次第ならば吾々は職務として、 此の當人の依頼に應ぜねば成りません」と言渡した、蛭峰も最早仕方が無い、不承不承に屈服して了ツた、 是より愈々華子の通譯で、遺言に書入る可き彈正の望みを問糺(とひたゞ)した、 勿論容易には運ばなんだ、或は先刻華子の用ひた方法の通り字引を用ひたり、數字を「零」より「九」まで記して置いて、 一々指示して財産の高を問ふたり、一取りの手數では無かツたが、併し驚く可きである、 此の無口無聲の病者が、終に自分の希望だけを可成精密に公證人へ知らせる事が出來た。

其の結果を(つま)んで云へば、彈正の財産は株劵で九十萬圓ある、 爾して、四歩の保證利息が附いて居る、全體ならば華子へ讓る可きだけれど、 華子の婚禮が不承知ゆゑ讓る事が出來ぬ、若しも此縁談を破り、 更に華子自身の氣に入つた所天(をつと)を持たせるならば(あらた)めて相續人を定むるか爾無きに於ては此九十萬圓は共和黨の倶樂部へ寄附すると云ふのである、 兎に角も彈正は此遺言で以て華子への約束を守つたのだ、華子と毛脛安雄との婚禮を妨げやうと勤めたのだ、 流石は昔共和黨の首領とも云はれた剛の者の所爲である、 併し果して此遺言の意旨が、彼の縁談を破る迄に蛭峰の心を動かし得るであらうか。

之を聞終つた時の蛭峰の立腹は一通りでは無かツた、其れも無理は無い、 此の一家一族の内に在る九十萬の大身代が唯此一擧で形無しに成つて了ふのだもの、 彼れは叫んだ、「私は爭ひます、爭ひます、若しも此財産を貧民院へ寄附するとでも云ふならば、 間逆に貧民の幸福を奪ふには忍びませんから喜んで服しも致しますけれど共和黨の資本に成ると有つては爭はずに居られません」 中々旨い口實を用ひる、成程、是も流石である、大檢事を勤むる人の口である、 誰も一言の此評を加へる事が出來ぬ、唯だ一人、先刻(さつき)公證人を迎へに行つた彼の老僕が、 一同の鎭まり返ツた中に嘲ツた「爭ふとて爭ふ道は有りません、 孃樣と毛脛安雄さんとやらの縁談を取消さへすれば其れで好いのだ、 安雄と云ふのは昔彈正樣の敵で有ツて誰かに殺されたとか河へ溺れて死んだとか云ふ毛脛將軍の息子だから、 彈正樣が此縁談をお歡び成さるは尤もだ」

如何にも此言葉の通りである、此縁談を破りさへせば九十萬圓は矢張り此一家一族より外へは出ぬのだ、 蛭峰夫人は所天(をつと)を諫めた、「此縁談を取消さうでは有ませんか、 何も九十萬圓を捨てまで、安雄さんを婿夫(むこ)にせねば成らぬ筈は無いでは有ませんか」 此夫人の心では、兎に角にも此九十萬圓を保存して置けば遲かれ早かれ自分の息子重吉の物に成るのだと見込んで居る、 併し蛭峰は仲々應じ相な氣色は無い。

彼れの本來の性質から考へて見れば、九十萬圓を取留る爲には一も二も無く此縁談を取消し相に思はれるけれど、 實は此縁談は九十萬圓にも代られぬ意味があるのだ、 其を何故かと云へば世に能く例の有る婚姻政略と云ふ者で、 自分の「家[」]へ大なり光を添へたのだ、毛脛の家は代々の國王黨で、 殊に安雄の父が共和黨に殺されたが爲め朝廷でも毛脛將軍を眞に勤王隨一の人で有つたかの如く見做して居る、 之れに反して蛭峰は自分一代の俄拵(にわかごしら)への勤王黨で有るが爲めに、 ()し朝廷の信認が深い樣でも(やゝ)もすると物足らぬ所がある、 殊に自分と出世を競ふ同僚者などからは、(をり)さへあれば蛭峰は共和黨の家筋だなどと風聽せられる、 若しも今自分の家が婚禮で以て勤王隨一の家柄と結び附けば、 自分は大檢事たるのみか大宰相にも成れるのだ、 今までとても既に其心があツて米良田家の令孃禮子を我妻にしたけれど禮子は華子を生落した許りで此世に無い人と爲つた、 若しも其後更に何等かの手段を以て他の勤王の家柄に結び附き、 朝廷に於ける自分の名譽と勢力とを揚げて置いたなら、今既に、イヤ幾年前に、 大宰相にも成つて居る所なのだ、斯樣な深い仔細がある爲め、仲々九十萬圓の爲にも此縁談を取消す事は出來ぬ、 彼れは斷乎として言ひ切ツた「何の樣な事情がありとても安雄と華子は夫婦です」と、 爾して席を蹴つて立去ツた、妻も續いて去ツたが丁度此時其家の客間には巖窟島伯爵が來て居た。

其れは扨置(さてお)き、後に華子は絶望して「何うしませう祖父さん、 貴方が折角心を盡して下さツても水の泡です」とて泣いた、彈正の眼は「否、否」と瞬きした、 華子「オヤ、否と仰有れば、()た此外の工風がお有りですか」彈正「然り」 華子「其の工風は確に效能がありませうか」彈正「然り、然り」 年は既に八十に逹し、身は不隨の病に罹りながら、猶ほ自分の息子蛭峰の如き豪者(えらもの)と健鬪するとは、 此人の名が歴史の上に今以て輝いて居るのも偶然で無い、 併し唯だ其の工風と云ふのが何の樣な工風だらう、果して、其「然り」と云ふ通り 「確に效能が有る」だらうか、亦見るものゝ一つと云ふ可きだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五〇 運の神、福の神


是より二時間の後、二人の公證人は野々内彈正の遺言状を正式に作り了ツて此家を辭し去ツた。

其れは扨置(さてお)き彈正の所爲を怒ツて憤々(ぷん〜)として自分の居間に引上げた蛭峰は、 續いて入來る我妻より客間に巖窟島伯爵が待つて居ると聞き、 苦い顏して漸く怒りを押鎭め、妻と共に客間に出た、 けれど夫婦とも腹の中は彈正の遺言状に對する無念が滿ちて居る爲、 自ら言葉が其方へ反れた、最初に口を開いたのは妻の方で、 其言葉は「伯爵、()アお聞き下さい、人の家には思はぬ不幸の有るものでは有りませんか、 私共では今日一日に九十萬圓の財産を損失致しましたよ」と云ふので有ツた、 伯爵は此樣な事を聞に來たのでは無く、明夜(あした)の晩餐會にい蛭峰を缺席させぬ爲に、 云はゞ約束へ釘を打ちに來たのだけれど、何しろ此家の内事を聞く事は何よりも有難い所である、 實は内事を聞くが爲に兼て探りの人を入込ませて有る程の次第である、 今は其れが、直接に夫婦の口から自分の耳へ聞き取る事が出來るのだから、 逸すべからざる好機會と云ふものだ「オヤ、九十萬圓、其れは又大變な御損失です、 通例の身代ならば一時に消滅もする程でせうに」煽る言葉に夫人は勢を得て喋々と遺言状の一條を語り出で、 最後に及びて「けれど蛭峰も、餘り頑固では有りませんか、其れでも自分の言條を通し、 何うしても華子を毛脛安雄の妻にすると言切りました、今時に此樣な人が有りませうか、 九十萬圓の損をしても自分の言葉を守ると云ふ樣な -- 」伯爵は茲ぞと思ひ只管(ひたす)ら感服の色を示して 「イヤ言葉を守ると云ふ事は人間の最上の美徳です、 毛脛氏へ娘を遣ると約束したから、九十萬圓の損失を忍んでも其約束を守るのは、 如何にも蛭峰さんの本領でせう、此本領がお有り成さればこと大檢事と云ふ重い職責が盡されるのです、 全く彿國(ふらんす)の司法權が獨立の美名を保ち能く其威信を繋いで居るのも此樣な方が有る爲です」 蛭峰は此襃め言葉に初めて顏を柔げ「イヤ自慢では有りませんが、 生れて曾て言葉を()んだ事の無いのは私でせう」嘘ばかり云つて居る、 伯爵「オヽ其れでは最う、明夜の晩餐會のお約束も私から念を押すは却て無禮に當りますね、 實は今日(こんにち)其爲に參ツたのですけれど」と巧に利き所を見て釘を打つた。

蛭峰「無論です、一旦お約束を申した上は、何事を捨置いても出席します、 シタガ矢張りエリシー街のお(やしき)ですね」夫人は(かたはら)より 「アレ貴方、田舍の別莊に於てと云ふ事が昨日の招待状に在つたでは有りませんか」 言葉を重んずると云ふ人が、場所を忘れて居たと有ツては聊か極りが惡い、 實は忙しさに紛れ能くは讀まなんだので有らう、 蛭峰「オヽ爾々、田舍の御別莊、其れならば猶ほ結構です、此頃は煩はしい俗務ばかりで、 一(せき)何處か靜かな所で、清い談話に耳を洗ひたいと思つて居りました、確か御別莊は -- 」 伯爵「ハイ別莊はオーチウルです、爾して時刻は六時から」オーチウルと聞いて、 極めて(かすか)だけれど何だか蛭峰の顏に雲が掛るかと思はれる樣に見えた、 蛭峰「オーチウルの -- 」伯爵「吹上小路です」蛭峰「エ、吹上小路」果して彼れの眉間(みけん)(しか)んだ、 伯爵「ハイ吹上小路二十八番邸」蛭峰「エ,二十八番邸」と、驚かぬ樣に見せて驚き叫んだ、 此の時の蛭峰の顏は實に何とも譬へ樣が無い、本統に(はらわた)へ釘でも打たれたかと思はれる(ばか)りで有ツた、 併し(もが)いたとて既に(おそ)い、夫人は其の仔細を知らぬから 「ソレ先日私と重吉とが馬車で伯爵に救はれた所ですよ」蛭峰は前額(ひたひ)に脂汗を埀らして居る、 伯爵「イヤお出で下さると判ツて安心しました」蛭峰「行きますよ」血を吐く想ひとは此事だらう。

凡そ卅分ほど經つて後に伯爵は茲を出て、門に待たせて有る馬車に乘つたが、 腹の中は可笑さに堪へぬと見え、(やゝ)もすれば其顏が頬の邊から崩れ相に見えた、 併し(やが)て氣を取直した容子で「オヽ蛭峰が九十萬圓の損をしたとは、 此方(こつち)の思ひ設けぬ所だ、猶だ今日は時間が有るから段倉にも少し許り損をさせて遣らうか、 彼は先日來西班(すぺいん)國の公債を煽り立て六百萬圓ほど買占めて居ると云ふから、 二割方相場を下げて遣れば百萬圓以上の損だ、 何うせ彼の身代は元も子も無い迄に仕て遣るから今急ぐにも及ばぬけれど少しづゝ番狂はせを食はせるも面白い」 と呟いた、爾して衣涯(かくし)から財布を取出し其中を(あらた)めて 「アヽ電信技師に若し是丈けの金が有れば二エークルや三エークルの田地を買ひ、 其の上郵便貯金をしても利子で生涯を安樂に暮す事が出來るから、 爾だ何の樣な技師でも免職されるを厭はぬ、必ず買收に應ずるだらう」 斯う云つて更に馬車を何處へか知らぬけれど急がせた。

多分は其結果だらう此日の暮れる前に相場市場に恐慌の波が立て、 西國(すぺいん)公債は叩き落すほど下落した、買方の大將と云ふ段倉男爵は血眼になつて買煽ツた、 夜の七時頃に段倉の(やしき)へ馳せ着けたは例の内閣官房長出部嶺である、 彼れは段倉夫人に逢ツて(あわたゞ)しく「直に貴女は男爵に西國(すぺいん)公債を賣飛ばさねば(いけ)ません、 明朝になれば反古同樣の値に下落します」夫人は色を失つて「其樣な電報が」 出部嶺「ハイ生憎私より先き宰相の手に渡つたものですから、 宰相が日頃の相場好で直に市場の手下の者へ洩らしました、 私は今其の讀粕(よみかす)を見て飛んで來ましたが今度こそは幾度買煽つても追附きません、 今夜の八時迄に賣飛ばさねば、其中に新聞紙が號外を出しますよ」

果して八時迄に段倉は買集めて居た凡そ八百萬からの公債を、二割の損で唯だ一聲に賣飛ばした、 間も無く新聞紙の號外が町々に呼立てられた「西班(すぺいん)國王の逃亡、 バルセロナ町に大いなる一揆軍起る」と、之を讀んだ第二流の相場師は(いづ)れも段倉の機敏に驚き、 「此樣な事が新聞よりも先に分り、買方が咄嗟の間に賣りに廻つて、(わづか)の損失で逃れるのだもの、 何うせ我々は叶ふ筈が無い」と(いづれ)も殆ど舌を卷いた、 段倉自身は凡そ二百萬圓の損失に不機嫌では有つたけれど大難を小難で逃れたとて妻に謝して 「我が運の神よ福の神よ」とて只管(ひたすら)に襃めそやしたが、 翌朝になつて見ると、此運の神が大なる不運不福の神で有つた、新聞紙は澄ましたもので 「昨夜の號外は其筋の電信の誤譯に出たり」と一行で取消して、 世に云ふお茶を濁す爲に政府の事務の疎漏なのを攻撃して有る、 西國(すぺいん)公債の相場は元の値よりも更に二割方上に登ツた、 定めし伯爵は手を()つて笑ツたゞらう。

是だけが土曜日の晩餐會の前に在つた事どもの概略である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五一 愈よ土曜日


愈々土曜日の夕、晩餐會の時は來た、場所は樣々の因縁の有る吹上小路廿八番邸、 嗚呼此會を眞に巖窟島伯爵の大仕事の序開(じよびら)きとすれば、何の樣に始まツて何の樣に終るのだらう。

昔ドアンチン公爵は國王路易(るい)十四世の目障りになると云ふが爲に一夜の中に大木の林を切平げ芝生の庭に造り替へて了ツたとの話がある、 古來土木の工事で是れほど早く行つた仕事は無い、 併し伯爵が此廿八番邸に手入を加へた早さも殆ど其れに匹敵する、 門口(かどぐち)から玄關から庭木から室室の造作まで唯だ三日許りの間に悉く取替て誰が見ても今までの廿八番邸とは認め得ぬ程にした、 書齋も出來た、盆栽室も出來た、球突場(たまつきば)も出來た、 凡そ贅澤な紳士の別莊として一點の非難を加へる事が無い、併し唯だ二ヶ所だけ少しも手を着けぬ所がある。 其れは昔H・N男爵夫人と云ふ素性の知れぬ未亡人が寢間(ねま)として居た一室から裏庭へ降りる階段までの總體と、 蛭峰の手で私生兒を埋めたと云ふ裏庭の其の部分とである、 イヤ實は此二ヶ所へも手を着けた、着けたけれども少し變更を加へぬのだ、 昔()戸帳(とばり)の掛ツて居た所へ、其通りの()戸帳(とばり)を掛け、 昔芝草の茂ツて居た所へ其通りの芝草を植るなど、若し昔此寢間(ねま)と此庭とを知つて居た人が今此の所へ來たならば、 其頃の事を思ひ出さずには居られぬ樣に拵へたのだ。

(ついで)に記して置くが、此等の仕事一切を任せられて監督したのは家扶(かふ)の春田路良助である、 彼れは伯爵から渡された明細の差圖書を以て三日前に茲へ來た、 其れだから此前々日に侯爵皮春博人と小侯爵皮春永太郎とがエリシー街の伯爵の本邸で父子の對面を遂げた時も彼れは伯爵の許に居なんだ、 今以て彼の父子の事は知らぬ、のみならず顏さへも見た事が無いのだ、 其れから此別邸へ來て以來、伯爵の差圖書と首ツ引をする樣にして綿密に監督し、 到々豫定の時間通りに豫定の仕事を仕上げて其の他晩餐に就ての一切の準備をも調へ了ツて爾して伯爵のお出を待つて居た。

午後の五時半に伯爵は茲へ來た、爾して彼を從へて一切の設備を見廻ツた、 實に彼れが伯爵に對するは犬が飼主に對するよりは猶ほ忠順である、伯爵の見廻る間、 若しや茲が惡いとか彼所(かしこ)不可(いけぬ)とか小言を云はれはせぬかと眞に戰々兢々の状であツた、 (やが)て總體を見終ツて伯爵が「アヽ能く出來た」と下した一語に彼れは初めて重荷を取卸された樣に、 ホツト安心の息を()いた。

六時近くなると玄關に荒々しい馬の足音が聞えた、 伯爵は直に出迎へて見ると來客の一人森江大尉である、 大尉は打解けた言葉で「伯爵、先日貴方に戴いた此馬は天下の逸物ですよ、 今來る道で、一時間に六哩を走ると云ふ段倉男爵夫婦の馬車を追拔き、 續いて官房長出部嶺の馬をも拔きました、 出部嶺は總理大臣が急使に用ふると云ふ名馬を借てゐますけれど此馬の樣な輕足は出ないのです」 と滿面に嬉しさを湛へて居る、(そもそ)も此馬に就ても一場の竒談がある、 餘事ながら是も(ついで)ゆゑに茲に記して置くが、 此時より一週間ほど前に催された競馬倶樂部の秋期競爭に誰の持馬とも知れぬ馬が出た、 番組には「鬼小僧」と云ふ名が附いて居たけれど、何處の牧場で産し、 何の樣な快速力を持つて居るか巴里中の博勞にさへ一人も知る者が無い、 見物は勿論審判者までも怪しんで居るうち、愈々出場と爲ると、 十六七の男裝した女では無いかと疑はれる華奢な騎手が之に乘り、 名高い駿馬のみの一列を追拔いて、金牌を初めとして、當日第一等の名譽ある大賞品を占斷した、 滿場の驚きは云ふ迄も無かツたが、見物の中に一人、 最も尊敬せられる某貴婦人が居て、深く贔屓の心を(おこ)され特に 「鬼小僧」の騎手に逢ひ度いと所望された、けれど騎手は馬と共に掻消す如く姿を隱し、 更に尋ねる(よし)も無かツた、所が其夜、其貴婦人が(やしき)へ歸られて見ると、 彼の馬の得た金牌が、呈上品として其許に屆いて居た、實に合點の行かぬ爾して面白い事柄なので、 其後此話が上流社會の一の佳話(かわ)として口から口に傳はツた、 けれど翌日になると大抵の人が此事を目下名高い巖窟島伯爵の好謔(いたづら)だらうと言囃す事になつた、 伯爵で無くて誰が此樣な名馬を持ち得た賞牌を惜氣も無く人に與へなどするものか、 殊に一人、確に伯爵の仕業(しわざ)と見破り得た者がある、 其れは外でも無い彼の野西武之助なのだ、彼れは初めて鬼小僧の名を聞いた時、 忽ち羅馬の山賊を思ひ(おこ)し伯爵の馬と氣附き、 爾して更に華奢な騎手(のりて)の顏を見て其身が戒食節(かあにばる)の終後の夜に美人と思ふて馬車に同乘し、 胸の(あた)りへ短銃(ぴすとる)を差し附けられた其の少年である事を知つたのだ、 此の一條の事件の爲にも伯爵の名が高く爲つたは勿論であるが更に本統の事を云へば此の武之助の推量さへも未だ事實を盡しては居ぬ、 實は巖窟島伯爵が自分の大仕事の運動の爲に駿足の馬を幾頭も要するので兼て鬼小僧へ馬の周旋を命じて有る、 即ち此馬も彼が伯爵へ遣ひ物として寄越したのだが、 丁度競馬の前日に此の巴里へ着いた爲め、 彼れは幸ひに其の駿足な事を事實の上に證明して伯爵のお目に留まらせて樣と思ひ、 假りに「鬼小僧」と名を附けて競馬に出したのだ、伯爵自身は其時までも知らなんだのだ、 併し此樣にして得たものを喜んで我物としては鬼小僧の出過ぎた振舞を奬勵する樣にも當るから、 金牌は此馬の勝利を喜ばれた貴婦人に贈り、馬は兼て駿足の得難いことを嘆じて居る森江大尉に遣つて了ツた。

其れは扨置(さてお)き、森江の嬉しげに云ふ言葉を聞き伯爵は、 「フム其れでは出部嶺や、段倉夫妻も程無く來ますね、シタガ蛭峰氏には遭ひませんでしたか」と問返した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五二 掌中から何か紙切


森江は答へた「ハイ蛭峰氏には遭ひませんでした」 肝腎の此會へ蛭峰が來なくば大變であると巖窟島伯爵は氣遣ふた、 併し能く思へば昨日()の通り釘を打つて置いたのだから來ぬ筈は決して無い、 森江「併し伯爵、猶だ約束の時間より五分ほども早いではありませんか、 刻限には(きつ)と來ますよ、唯私丈は馬の駿足を試し度くもあり且又誰も來ぬ間に貴方へお話し申し度い事があつて、 其れで此通り急いで來たのです」伯爵「エヽ私へ話し度いとは」 森江「ナニ、私の妹と其の夫江馬仁吉が、毎日の樣に貴方の事ばかり言暮してゐますから、 何うか此後ともお暇のある毎に必ず尋ねてお遣り下さる樣に願ひ度いのです」 是れ伯爵に取つては願ふたり叶ふたりと云ふものである、 伯爵は江馬仁吉夫婦の家を此世に唯だ一つの清淨な家庭と爲し今までも折さへあれば尋ねてゐる上に、 猶ほ此後も爾う仕たいのである、伯爵の顏には嬉しげなる笑が見えた 「其の事ならば私の方で望む所だとお傳へ下さい」

言葉の(わづか)に終る所へ又二頭の馬が着いた、是は出部嶺と砂田伯である、 二人が馬を下るが否や又着いたのは段倉夫妻の馬車である、 之には先頃伯爵が一旦買取つて直に返した彼の栃色の馬二頭が附いてゐる、 此馬車が止まると見るが否や出部嶺は直に其窓に近づき手を出して段倉夫人を之に(すが)らせた、 夫人は(すが)りつゝ誰にも知さず自分の掌中から何か紙切の樣なものを出部嶺に握らせた、 其の技の早い事は全く誰の目にも留まらなんだが、唯だ巖窟島伯爵の烱眼のみには見て取られた、 伯爵は(ひそか)點首(うなづ)いた「アノ早い所を見ると兩人(ふたり)の間に永く仕慣てゐる事と見える、 現在夫の目の前で(あだ)し男と平氣で密書の遣取りをするとは、 爾だ此樣な不義の樂しみが持つて生れた彼の夫人の癖かも知れぬ」 夫人に續いて段倉男爵も馬車から出た、彼の顏色は(いつ)も赤味ばしツて活々(いき〜)してゐるのに、 今日に限つて殆ど土の樣である、其の仔細は問ふに及ばぬ、昨夜から今日へ掛けて、 運の神、()た福の神たる自分の妻の爲に株式市場で二百萬圓からの損を蒙らされた爲である、 實際の損は二百萬圓でも、彼の西國(すぺいん)公債を賣らずに居たなら確に二百萬圓儲かる所で有つたのだから、 其取逃がした儲けを加へると四百萬の損である、 何れほど(えら)い相場師でも一朝に四百萬圓の損は顏色に現はさぬ譯に行かぬ、 ()して段倉の如き既に充分の位地が出來て、 公債と云ふ樣な手堅い物の買占にのみ着手し最早相場師と云はれにほどに手を締め極確實に遣つて居る者の身に取つては、 殆ど囘復の道の無い大打撃である。

伯爵は氣味能く思ふ心を隱して彼れを迎へた、爾して是より此人々に、 盆栽室から美術室などを示したが、全く伯爵の富の度には誰も驚かぬ事は出來ぬ、 壁に掛けた一枚の畫と(いへど)も、床に飾ツた一塊の置物と(いへど)も、 皆其れ〜゛に有名な來歴が有ツて、或は朝廷が所望したけれど持主が手放さなんだとか、 或は餘り高價の爲に博物館が買入れ得なんだとか云ふ如き品のみである、 一應是等を見終ツて、客室へ歸ツた時、取次の聲として「皮春侯爵及び皮春小侯爵がお見えに成りました」と聞え、 聲と共に金色燦然たる勳章四五個を胸に飾ツた(ぎこち)ない老軍人と紅顏の一美少年とが入つて來た。

伊國(いたりや)の古い貴族名鑑を見た人なら、誰も皮春と云ふ一族が何れ程に舊家であるかは無論知つて居る、 一同は此名を聞いた丈で多少の尊敬の念を生じた、中に段倉は伯爵に向ひ 「皮春とは伊國(いたりや)の皇族から出た家筋だと云ひますが財産は何うですね」と問ふた、 伯爵が聊か嘲る樣に「伊國(いたりや)の貴族には貧乏が附物では有りませんか、 歳入が(わづか)に五十萬圓ですもの」歳入五十萬圓の貧乏とは驚く可しだ、 大金滿家と自信して居る段倉自身よりも富んで居る、段倉は胸に思ふた 「フム此伯爵が、斯う嘲る樣に云ふ所を見ると、必ず財産に於て此伯爵と雄を爭ふほどの敵なんだな」、 と爾して又問ふた「何の爲に此巴里へ來たのでせう」伯爵「生意氣に金を使ひに來たなどゝ云つて居ます、 ナアニ親代々の儉約家ですもの、使ふと云つたとて、幾等使ひますものか、 併し彼れの財政上の事は私より貴方が能く知つて居ませう、一昨夜私が逢つた時、 段倉銀行を指定されて居るが確實だらうかなどと聞きました、其だから私は今夜貴方が爲に彼を招いたのです」 傍に居た段倉夫人は浮氣な性分の常と見え「アノ小侯爵と云ふ方は大層美しい方ですねえ」 伯爵「ハイ彼は此國の學校で先日まで修業して居たのですから(おやぢ)よりは幾等か金を使ふ道も知て居ませう、 何でも巴里で妻を搜すのだ相です」段倉夫人「アレ()ア小子爵より餘ツぽど男が好いでは有りませんか」 小子爵とは自分の娘夕蝉の婿として見立てゝある野西武之助の事である、 早や武之助より此永太郎に乘替へたい心を起したのかも知れぬ、 伯爵は腹の中で滿足に堪へぬ「兎も角も小侯爵の肩書丈けで、 諸所の令孃逹に目を附けられませうから、一月と經たぬうちに令夫人の候補者が一ダース位は出來ませう」 と煽り立てる樣に云ふた、此時又も取次の聲が聞えた「蛭峰氏及び令夫人がお見えになりました」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五三 荊の路、針の蓆


全く蛭峰と其妻との馬車が着いた、客一同は玄關の方を見た、 此時其の馬車より出る蛭峰の顏は、先刻段倉の顏の青かツたよりも更に青い、 殆ど幽靈の樣に見える、アヽ彼れは廿年目に我が舊惡の地を踏むのである、 人に疑はれまいと思ふだけ益々心が萎縮(いぢ)けるのだらう。

巖窟島伯爵は、此状を見て思ふた「此樣な所になると、男より女の方が餘ツぽどズウズウしい、 女は未だ顏色さへも變へずに(うま)(ごま)かして居る」 女とは誰を云ふのか讀者には(ほゞ)見當が着いて居やう、兎も角も是で客の數は揃ふた、 段倉夫妻、蛭峰夫妻、皮春侯爵父子、砂田、出部嶺、森江之に主人伯爵を合せて十人の晩餐會である、 何しろ伯爵の催しだから定めし馳走の獻立も亦非凡だらうと、 一同は(ひそか)に食堂の開くを待ちつゝ思ひ〜に或は窓より庭を覗き、 或は打群て雜談などする間に、伯爵は一寸と次の室に退き家扶(かふ)春田路を呼び寄せた、 爾して彼に向ひ、何氣も無き小聲で「食堂の用意は好いのか」 春田路「ハイお客の數はお揃ひに成つたでせうか」 伯爵「揃ツたか揃はぬか自分で數へて見よ、(おれ)を除いて九人だと言つて置いたぢや無いか」 言葉に應じて春田路はソツと座敷を覗いたが、忽ち顏の色を變へて 「アヽ()の夫人、()の夫人」と、打驚いて身を退いた、 伯爵「何だ()の夫人とは、何を其樣に驚くのだ」 春田路は猶も驚きの鎭まぬ聲で「アノ大層華美(はで)に着飾つて、 柱の傍に立つて居る()の若作りの夫人です、()れが昔此家に居た姙娠の未亡人です、 私が此家の庭から掘出して育てたと先日お話し申しました辨太郎の母親です」 と段倉の妻を指さした、けれど伯爵は驚かぬ、充分爾と知ツた上に唯だ念のため春田路に見させたのだ 「餘計な事を云はずに先づ一々數へて見よ」春田路は再び首を出して見直した上、 「彼は確に私の短劍に(たお)れましたのに、其後で蘇生したのでせうか」 伯爵「春田路、コルシカ人の復讐(ベンデタ)肋骨(あばらぼね)の六枚目と七枚目の間を刺すに極つて居るにの、 其方は手練の足らぬ爲め外の所を刺したのだらう、其れだから彼が生返ツたのだ、 其れとも其方が刺したと思ツたのは、或は疲れ寢の夢で有つたのかも知れぬ、 サア早く數へぬか」

春田路は三たび(かうべ)を出して數へたが、最後の九人目に到り、 今度は殆ど尻餠を()かぬ許りに飛び退(さが)ツた、 「人間(わざ)では有りません天運です、天運です」伯爵「其方は何を云ふのか」 春田路「辨、辨、辨太郎が彼處(あすこ)に居ます」 伯爵「小侯爵皮春永太郎君を辨太郎などと無禮な事をいふな、客數が滿ちて居れば、 早く食堂を開く樣に差圖せよ」

廿年前の同じ家に、 同じ密夫(みつぷ)密婦(みつぷ)而も此間に出來たる同じ私生兒の辨太郎まで茲に揃ふとは春田路の目に天運の循環と見えるのも無理は無い、 けれど彼は伯爵に對して犬よりも從順である、 食堂を開けといふ嚴かな命令に返す言葉も無く縮み込む其のまゝ引下つた、 後に伯爵は再び客の間に出たが、是より五分間ばかりを經ると又も春田路が閾の所へ現はれた、 彼は必死の想ひで自分の心を制して居ると見え、 確では有るけれど少しも餘韻の無い聲で「食堂が開けました」と報じて去つた、 伯爵は其()(みづか)ら直ちに蛭峰夫人の手を引き 「サア皆樣食堂へ參りませう」といひ、特に蛭峰に向つては「サア蛭峰さん、 貴方が段倉夫人の手を引てお上げ成さい」蛭峰は身震ひしたけれど、無言で其言葉に從ふた、 アヽ當年のH・N夫人、同じ密夫(みつぷ)の其人に手を引かれて食堂に歩み入るとは、引く人、 引かれる人、共に何の樣な想ひがするだらう、 (とげ)の路、針の(むしろ)とは、此樣なもので有るまいか。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五四 食堂


食堂に入りても矢張り蛭峰と段倉夫人とを並べて(すわ)らせた、 爾して巖窟島伯爵は絶えず二人の顏色を讀む事の出來る樣に、其の前に座を占めた。

勿論食堂の贅澤は云ふの及ばぬ、何一つ來客を驚かさぬは無い程であつた、其中で一例を記せば、 獻立の中に露國(ろしや)のオルガと伊國(いたりや)のフサロ湖より外では得られぬ魚があつた、 露國(ろしや)産の方は世界の食物通を以て自任する砂田伯が看破し、 伊國(いたりや)産の方は皮春侯爵が心附き、 何うして其の樣な遠國(ゑんごく)から取寄せたかと客一同の大疑問とは成ツたが伯爵は(たゞち)に給仕長を呼び、 二個(ふたつ)の大樽を客の間に(かつ)ぎ出させた、 樽の中には猶だ雙方の魚が雙方の湖水の特種なる藻と共に活活(いき〜)して泳いでゐる、 伯爵は説明した「一個(ひとつ)の樽に八人の人夫が係ります、 露國(ろしや)の方からは十二晝夜、伊國(いたりや)の方からは四晝夜、 二時間毎に人夫を取替晝夜の別無く急がせて取寄せました、 幾等此魚が強くても樽の水では二週間以上活きてゐる事は出來ません」 客一同は返事が出なんだ、唯だ九人の客の爲に爾まで手を盡す贅澤は歴史の上にも曾て無い、 更に伯爵が「ナニ是れは皆樣の爲に故々(わざ〜)取寄せた譯では無く、 常に私は自分の膳に上る品を世界の各地から取寄せてゐるのです」 と言譯するに及んで食物道樂の砂田伯は埀涎萬丈と云ふ景状(ありさま)で 「其れ許りは羨ましい」と嘆じた。

必然の結果として話は伯爵の贅澤を襃立る一點に集まツた 「イヤ若も伯爵の命令が其の下僕(しもべ)に行はれる樣に裁判所の命令が快速に行はれたならば、 私は世の中に罪人と云ふ者を一人も無い樣にしてお目に掛ますけれど」 といつたのは蛭峰である「此のお座敷の工事などもドアンチン侯爵以來の早さでせう、 何でも三日か四日の間に修繕を成さつたと思はれます」之は出部嶺の口から出た、 砂田伯「何から何まで嘆服(たんぷく)の外は無い、實は私も此家を、 數年前に持主の米良田伯が賣物に出したと聞いた時、買ふ積りで見に來ましたが、 餘り荒れてゐて化物でも出るか、或は舊い犯罪でも潛んでゐるかと疑はれる程でしたから匆々に立去りました」 偶然にも舊い犯罪との語が出たので蛭峰の顏を異樣に曇つた。

「オヤ此の(やしき)の持主は米良田伯でありましたか」と問ふたのは森江大尉である、 米良田伯ならば自分と思ひ思はれてゐる蛭峰華子孃の母方の祖父に當ると知つてゐるから何と無く聞いて見たいと見える、 伯爵「イヤ一切家扶の者が買取の手續きを濟ましたので私は誰が持主だか今までも知りませnでしたが、 (さて)は米良田伯でしたか」と蛭峰に向ツて問ふた、蛭峰は詮方(せんかた)無く 「ハイ實は米良田伯が私の娘華子の婚資の一部分に充てよとて私へ托してありましたが私も更に公證人へ托して置きましたから、 誰が買取つたのか知りませんでした、併し華子の婚禮も愈々近く成りましたので、 私は買手の有つたのを喜んで居たのです」今度は森江大尉が顏色を變へた、 華子の婚禮が近づいたとの一語に、全く口さへ開けぬ事になツた。

砂田伯は猶も犯罪論を繰返して「確に私は幽靈の出る家だらうと思ひました、 若し大檢事の嶽父(しうと)の持家で無かツたならば誰とても此家に犯罪の有つたのを疑ひますまい、 其を何うも斯まで陽氣な家に作り替て了ふとは益々伯爵の手腕が分るでは有りませんか、 ねえ、蛭峰君」犯罪論は全く伯爵の手際を引立たせる爲の下染であツた、 蛭峰は返事が出ぬ、彼の夫人が之の答へて「爾ですとも、 伯爵のお手が障れば犯罪の場所でも幽靈の家でも直に極樂園の樣になります」

話の中に晩餐會は終り、更に席を他へ移す可き時とは成ツた、 伯爵は今の話の緒口(いとぐち)()らへて「イヤ私とても買取つてから初めて見た時は、 犯罪だか幽靈だか(いづ)れにしても深い因縁の籠つて居る家だらうと云ふ樣な氣が致しました、 其の中にも一個(ひとつ)、貴婦人の寢室にでも用ひたかと思はれる室がありますがね、 ()(とばり)が埀れて居まして、何んと無く凄い樣な感じを(おこ)させます、 餘り不思議ですから私は他の人も其室を見れば同じ感じがするだらうかと思ひ、 元の儘にして手を着ずに置いてありますが、今夜は皆樣に其室を見て頂きませう」といひ、 更に蛭峰に向ひ、貴方は此家を托されて居たとしても御自分で見た事はありますまい、 犯罪には始終(しよつちゆう)直接なさる御職業ゆゑ、其室を見たとても吾々の樣に、 異樣に神經を騷がせる樣な事はありますまいけれど先づ一緒の御覽下さい、 イヤ段倉夫人も共々に、サア皆さん行きませう」一同は伯爵の後に(したが)つて座を立ツた、 唯だ蛭峰と段倉夫人は(あたか)も其席に釘附けにせられた状である、 異樣に恐れを帶びた(まなこ)で互に問ふ如く顏と顏を見合せた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五五 罪の深い或品物


顏見合せた段倉夫人と蛭峰との心持は何の樣だらう、 眞逆(まさか)に伯爵が自分等の舊惡を知つて(わざ)と自分等を其舊惡の室へ連れて行く者とは思はれぬけれど、 家中の室を悉く見違へる程に作り直しながら唯だ其舊惡の室のみ殊更に昔の儘に存してあるとは、 偶然にしては餘り異樣だ、夫人の方は終に細語(さゝや)いた 「餘り妙では有りませんか」實に妙だ、併し蛭峰の方は氣が確だ 「恐れる状を示して疑ひを招くは愚の至りです。何事もありますものか、サア行きませう」 とて大膽に夫人の手を取り、此室を出た。

室の外には猶ほ伯爵が待つて居て、恭々しく此二人を遣過ごして後に立ツた、 伯爵の顏には笑が浮んで居る、此笑を二人は唯だ伯爵の愛嬌の外に猶意味のある事を看破し得たなら、 二人とも身振ひする所だツたかも知れぬ、 (やが)て一同は彼の室へ集ツたが唯だ段倉男爵だけは彼の皮春侯爵を連れて喫煙室に入ツた、 其の仔細は彼れ早や此の侯爵を驚く可き金滿家と見て、特別の懇意を結び資本を引出さうと言ふ目算なのだ、 其の説く所は侯爵の領地だらうと思はれる伊國(いたりや)のフロレンスからレグホン港へまで鐵道を敷く計畫である 「此鐵道を布けば、株だけでも餘ほど儲かります」と言ふのが彼れの聲で 「私は金を儲ける事は面倒で嫌ひです」と答へるのが侯爵の聲だ 「侯爵は伯爵の差圖を能く呑み込んで仲々旨く掛引して居る、 言葉も行ひも最早金といふ事の必要を感ぜぬほどの大金持らしい、段倉は益々勉める許りだ。

此方(こなた)の室では客一同が「成るほど陰氣な室ですねえ」とか 「室總體に何だか歴史的の趣味があります」とか(うま)く伯爵に相槌を打つて居るが、 唯だ蛭峰と段倉夫人のみは無言である、無言も道理や餘りの事で聲が出ぬのだ、 室の中に唯だ茫乎(ぼんやり)と一個の燈火(ともしび)が點ツて居る、 是れが昔蛭峰とH・N夫人の姿を照らした蘭燈(らんとう)である、 置かれた場所までも同じ事だ、爾して壁には、何の飾氣も無いが二個(ふたつ)の繪額が掛ツて居る、 是れも昔のを其儘だ、伯爵は此額を(ゆびさ)して「此室の中で何の樣な事が有つたか、 其れを見て居たのは此額の中に人物のみでせう、名覽(ごらん)なさい此人物の顏が何だか 『隱したとて(おれ)が知つて居るぞ』と云ふ樣に見えるではありませんか」と、 特に段倉夫人の方に向ツて云ふた、夫人は蛭峰と共に知らず〜逡巡(しりごみ)して閾の外に出た、 茲に至つては「恐れる状を示して疑ひを招くのは愚の至りです」との約束も其功が消えたと見える。

伯爵も身を轉じて外に出た「併し皆樣、室の中の陰氣なのは此の裏梯子に及びません、 時々茲から忍び男でも出入した樣に見えるでは有りませんか」忍び男を聞いて、 今度は段倉夫人のみか蛭峰の顏まで變つた、出部嶺や砂田伯などは何事とも知れぬけれど唯だ伯爵の言葉に釣込まれ 「左樣さ、何うしても忍び男の出入道です」と砂田伯がいへば 「爾すると今の室には何々夫人といふが閉ぢ籠つて居た樣に思はれます」と出部嶺はいふた、 伯爵は又段倉夫人に向ひ「貴女は何とお思ひです、若しも忍び男が夜の夜中に、 罪の深い或品物を小脇に挾み、神に隱すことは出來ずとも人目にだけは見られまいと、 大事を取つて一段づつ此梯子を降つたと想像すれば、何だか其の状が目に見える樣ではありませんか、 今も其の忍び男が此邊に居る樣な氣が致します」

夫人は聞くに堪へ得で、重く蛭峰の腕に(たふ)れ掛つた、面色は土の如しである、 氣絶では無いけれど殆ど氣絶の際に逹したのだ、第一に驚いたのが出部嶺である 「段倉夫人、何うか成されましたか」夫人は必死の想ひで身を引起し、 「イヽエ、少しも、少しも」と元氣を示した、蛭峰は(たしな)める樣に伯爵に向ひ 「貴方が餘り氣味の惡い想像話を成される者ですから -- 」 伯爵は詫入る樣に「之は全く濟みませんでした、イヤ段倉夫人、 何も此梯子を忍び男のみが上つたと云ふでは無く定めし醫者だの看護婦なども上つたでせう、 生れた許りの可愛い罪の無い赤兒も此梯子から抱卸されたでせう」 赤兒の一語は、(わづか)に殘つて居た一縷の生氣を段倉夫人から奪つて了つた、夫人は全く氣絶した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五六 此伯爵は大變者


段倉夫人は全く氣絶した、何故の氣絶だらう、其仔細を知る者は蛭峰と夫人自身を除いては巖窟島伯爵の外に無い。

伯爵は直に蛭峰夫人の傍に寄り小聲で「先日差上げた氣附藥をお持ちではありませんか」と問ふた、 氣附藥とは即ち毒藥である、極少し用ふれば(たゞち)に人を活し、 聊か餘計に用ふれば、忽ち人を殺すとは伯爵が曾て此夫人に説明して與へた所である、 女の身として宴會の場所にまで斯る危險な最劇藥を持つて出るとは、 餘り尋常な事では無いのだから、若しも伯爵が「貴方は先日の毒藥をお持ではありませんか」と問ふたなら、 夫人は直に「否」と拒む所だツたらう、唯だ「氣附藥」をと、而も小聲で聞いたから 「ハイ持つて居ます」と答へた、併し此答へも聊か極り惡げで有ツた、若し小聲で無く、 人に聞える聲だツたら矢張り「否」と答へたかも知れぬ、 伯爵は斯る際疾(きはど)い忙しい際にさへも此蛭峰夫人が何れほど彼の毒藥を珍重して居るかを試驗し、 胸の中に頷いて直に其の小さな瓶を受取り、其の藥を(こつぷ)の中に唯だ一滴落して、 瓶は(たゞち)に蛭峰夫人に還し、藥は氣絶して居る段倉夫人の口に注いだ。

其の效目(きゝめ)は驚く可しだ、段倉夫人は直に呼吸(いき)を吹返した、 けれど恐れは猶ほ其の心中に徘徊して居ると見え「オヽ恐ろしい、恐ろしい、何だか夢の樣に」と叫んだ、 若しも此の半は正氣半は夢の樣な状態で昔の事を口走りでもせられては大變だと驚き(おそ)れたは蛭峰である、 彼れは(あわた)だしく夫人の肩を搖すぶツて「段倉夫人、夢では有りませんよ、氣を確に、 貴女の良人段倉男爵もお出ですから」と引立てた、引立るのは實は豫防である、 夫人は猶も震へる聲で、「爾でしたか、私は又昔の -- 」アヽ昔の事を語られて(たま)るものか、 蛭峰は必死である、直に此夫人を何處か人の居ぬ所へ連れて行かねば安心ならぬ、 頓智に長けた彼れは叫んだ「新しい空氣、空氣、早く新鮮な空氣を呼吸させて上げねば」 此の口實で夫人を庭へ連れて出る積りである、併し巖窟島伯爵の頓智は更らに其の上を越した 「新鮮な空氣ならば蛭峰さん直に貴女が其の儘庭へ抱いて行つてお上げ成さい、 此の裏梯子を降れば直に庭ですから」蛭峰は此語に從ふ一方である、 詮方(せんかた)無しに蹌踉(よろめ)く夫人の肩を(たす)け、 數々の因縁有る彼の裏梯子を降ツて行つた。

是を竒觀と云はずば何をか竒觀と云はう、廿年間の密夫(みつぷ)密婦(みつぷ)、 今は全くの他人でありながら手を引き引かれて又も其の昔降ツた梯子を昔の通りに下るとは()し天の配劑にしても斯うまで竒妙に行く者でない、 伯爵の心の中の滿足は何の樣だらう、直に伯爵は續いて其の梯子を降ツた、他の客も亦降つた、中に砂田伯は、 笑談(ぜうだん)で此騷ぎの熱を消すのが客たる者の義務で是を交際術の奧の手とでも思ツたと見え()と快活な聲で 「イヨー蛭峰君が爾して降りて行く所は、今伯爵の話された忍び男の影に能く嵌まるぜ、 出部嶺君爾では無いか」と打笑ツた、此聲が蛭峰の耳へは何の樣に響いた事やら。

愈一同が裏庭には出た、此時は早や蛭峰が夫人の耳へ何事をか細語(さゝや)いたと見え、 夫人は確に足踏〆めて立つて居る「誠に皆樣をお騷がせ申しました」と立派に挨拶をさへ述べた、 是だけで最早や伯爵が今夜の此宴會の目的は充分に逹した筈であるけれど猶だ一つ聊か逹せぬ所が殘ツて居る、 若し是だけで止めては佛作ツて魂を入れぬ樣な者である、 伯爵は其の魂を入れる積りで(ひそ)かに折を待つて居ると、 客一同は代る代る段倉夫人の前に行き(いた)はる樣な世辭なぞを述べ初めたが其中に又砂田伯は 「イヤ夫人が神經をお動かし成さツたのだ道理ですよ、如何にも此家には一方ならぬ陰氣な所が有つて、 此庭さへも、表庭の陽氣な状に引替へ、何となく陰鬱です、斯う云つては主人公へは失禮か知れませんけれど、 男子でさへも少し胃の重い時には自然と物凄い感じなどが起ります」 全く夫人に成り替はツて其氣絶を辨解する樣な言葉だから夫人も有難相に眼を上げて謝意を表した、 蛭峰も心の中で、成るほど交際家と云ふ者は旨く何人にも跋を合せて、 八方を取繕ふ者である、と感服したけれど、其の感服は僅の間で有ツた、 (ぢき)に伯爵が其尾に就て茲ぞと魂を入れに掛ツた「イヤ全く砂田伯のお説の通りです、 殊に此庭の此邊は何方(どなた)よりも私が神經を動かします、 實を申せば先日改築の爲め今私の立つて居る此木の下を掘ました所、 恐ろしい犯罪の證跡(しようせき)が現はれました」 犯罪の證跡と云ふ如き非常な言葉は何の場合にも人の注意を引かずには止まぬ、 一同は我知らず伯爵の立つて居る所に目を注いだ、 伯爵「此の土の二尺ほど底から一個の箱が現はれ、 何うでせう其中から生れた許りの小兒だらうと思はれる小さな骨が出たのです」 一同は身を震はせた、伯爵「茲は墓地では無いのですから必然犯罪の證跡です、 多分は活埋にしたのかも知れません」 段倉夫人は再び氣附藥の厄介に成り相に見えて全く蛭峰の手に再び蹌踉(よろめ)き掛つた、 けれど客一同は伯爵の足許に目を注いで夫人の状には氣が附かぬ、 其間に蛭峰は夫人の手を(しか)と握ツて注意を與へ且つ夫人に細語(さゝや)き告げた 「此伯爵は大變者です、明日篤と貴女に話さねば成りません」 夫人「爾ですか、何處で」蛭峰「司法省の官房へお出下さい、 官房なら誰も怪しみませんから、極めて無難に話が出來ます」司法省の官房を、 密夫(みつぷ)密婦(みつぷ)の密會の場所に用ふるとは、 餘りと云へば大膽である、官規も何も有つたものでは無い。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五七 乞食


何か蛭峰は巖窟島伯爵の所爲に付いて思ひ當ツた事でも有るに違ひない、 爾無くば此伯爵を「大變もの」と云ふ筈も無く又段倉夫人を司法省の官房へ來て下さいと謂ふ筈も無い、 知らず彼は何事を思ひ當ツたゞらう、爾して段倉夫人に密會して何事を相談する積りだらう。

兎に角も彼は是より全く無言の人と爲つた、此席の終るまで多くは人の蔭に身を置き、 何氣無く見せ掛けながらも深く物思に沈んで居た、 其うちに夜も次第に更け一同の歡は未だ盡きたと云ふでは無いけれど散會の時刻に成ツた、 彼は自分の妻及び段倉夫人と三人にて自分の馬車に乘り、段倉は皮春侯爵と同乘した、 其外の人逹は銘々に乘つて來た馬に乘り、皮春永太郎は父と共に乘つて來た馬車へ唯一人乘つた。

勿論(いづ)れも無事に歸り着いたに極ツて居るが獨り皮春永太郎のみは爾ほど無事でも無かツた、 彼は宴會の間、成る可く注意して口數を利かず、偶々(たま〜)利けば必ず人に感心せられる樣な事のみを云つて居た爲め、 客一同から多少の尊敬を得て、成るほど侯爵の息子ぞと思はれる迄に至り、其上に又、 凡そ交際の景状(ありさま)や人々の氣質なども分り、 若し此次に此樣な席へでも出れば一入(ひとしほ)巧に掛引が出來るとの案も()ぼ胸の中に定まツたから大に滿足して緩々(ゆる〜)と歩み出て、 馬車を自分の後に從へて一丁ほども歩んだのは最早馬車にも乘飽きたと云ふ人の樣に見えた、 (やが)て一つの曲り角まで來て馬車に乘らうとすると誰やら背後(うしろ)から肩を叩いた者がある、 振向いて見ると馬車の(ともしび)に散らりと光る其者の顏と姿が確に乞食らしく見えた、 彼は氣にも留めぬ樣に其まゝ乘つて了ツたが、乞食は追縋る樣にして「コレ辨太郎、辨太郎」と呼掛けた、 辨太郎とは誰も知らぬ本名だのに、(そもそ)も此乞食は何者だらう、 小侯爵は馬車の隅に小さく成ツたが、早くも御者が聞咎め 「ナニ、(おれ)の名は辨太郎と云ふものぢや無いわ、 コレ乞食の癖に此深夜にマゴ〜して居ると巡査に捕まツて竊盜(せつたう)の罪に落されるぞ」 乞食は(あかり)の前に自分の(きたな)い顏を突き出し、 (あたか)も馬車の中なる辨太郎に此の顏を見ろと云ふ樣に仕向けつゝ御者に向ひ 「おゝお前さんの姿が私の知つて居る辨太郎と云ふ御者に能く似て居たから呼んだのだが -- 」 と旨く(ごま)かし、更に「ナニ私は乘つて居る旦那に用事が有るのだよ、 ねえ旦那、此樣な風をして居るけれど乞食ぢや無い、今から二週間ほど前に此旦那から少し探し物を頼まれ、 其の結果を報告したいのだよ旦那、旦那、今夜私の報告をお聞き成さらずとも宣いのですか、 エ旦那、()れとも明日お宿へ伺ひませうか」妙に事情を作ツて云ふは一通りの相手で無い、 今夜茲で追拂へば(あだ)(かへ)すぞとの意が、御者には分らぬけれど小侯爵には能く分る、 小侯爵は止むを得ず調子を合せて「オヽお前だツたか。幾等私立探偵會社の役員にもせよ、 乞食の風をして(おれ)の馬車へ近づかれては困るぢや無いか、報告なら今夜聞かう」と云ひ、 ヒラリと馬車から降りたのは詮方(せんかた)盡きての事と云へ此方(こなた)も仲々の氣轉である、 爾うして乞食を暗い道傍まで連れて行き小聲ながらも少し腹立しい調子で 「(おれ)に何の用事がある」乞食「用事の次第は緩々(ゆる〜)話すが、先づ(おれ)を一緒に馬車へ乘せて呉れ、 今御者の云ふ通り此樣な(きたな)い状でマゴマゴして居ては巡査に捕まる恐れが有る、 巴里の市中まで行つて卸して貰はう」乞食らしく無く横柄である、 小侯爵は無言で衣嚢(かくし)を搜し初めた、乞食「ナニ、話の濟まぬうちに小遣錢を貰はうとは云はぬ、 お前が馬車に乘れば(おれ)だツて馬車に乘度いぢや無いか、 同じツーロンの牢の中で、一緒に臭い飯を食つて居たのだもの」 斯う成つては何うしても出世して居る方が弱味で、小侯爵は又詮方(せんかた)無く馬車に歸り、 御者には然る可き口實を設けて不相應な小遣錢を與へ、 酒でも呑んで他の乘合馬車にでも乘つて歸れと云ひ、其の喜んで立去る状を見屆けた上、 更に彼の乞食と共に今の馬車に乘つた、乞食は勝誇る樣な語調で 「オヽ流石に辨太郎だよ、幼い時には(おれ)を叔父さん叔父さんと呼んだ事もある -- 」 小侯爵「誰がお前を叔父さんなどゝ云ふ者か」乞食「其樣な事は何うでも好いワ、 ()ア爭ふまい、エ辨、少しの間に大層出世したなア、 お前が出世すれば(おれ)もお蔭で樂が出來る樣な者だから、 ナニ(おれ)はお前の出世を妨げやうとは云はぬよ、コレ辨、辨、 何で其樣に恐い顏をする、お前此の毛太郎次が、お前に嫌がられる樣な惡人で無い事は能く知つて居るぢや無いか」 ()ては此の乞食が昔の尾長屋の主人である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五八 年金とは幾等


尾長屋の主人毛太郎次が珠玉商人(たまあきんど)を殺した事から、 其の終に捕はれて終身の獄に投ぜられた迄は春田路の物語に依り讀者の既に知る所である、 而も今茲に現はれて來た所を見れば彼何うかして脱牢したのだ。

小侯爵は彼に向ひ「お前は牢破りの罪の有る暗い身で、 (おれ)(ゆす)らうとは餘り大膽ぢや無いか」 毛「コレ辨や辨、お前だツて前科者の癖に、何してだか貴族の仲間へ潛り込んで居るでは無いか、 洗ひ立すれば(おれ)もお前も五分々々だから互に舊い事は言ひツこ無しにして、 牢の中でも折々話合つた事の有る通り、互に助け合はうでは無いか」 何うしても毛太郎次に方が一段上だ、小侯爵は默ツた、併し默り切では無い、 一方の手で(ひそか)に腰の衣嚢(かくし)短銃(ぴすとる)を探ツて居る、 毛太郎次は其れと察し手早く隱し持つた庖丁を取出し 「野暮は止せと云ふ事よ、(おれ)だツて素手で來て居るのでは無いのだから」 とて其刄を小侯爵の目の前へ閃かせて見せた、爾して(やが)て物凄く 「ホホヽヽ」と笑つて其庖丁を衣嚢(かくし)に收めた。

最う小侯爵は彼に意に從ふ一方である、口の中に「惡人」と呟いて、 更に「何うすれば好いんだ」と問ふた、毛太郎次「其れはお前の收入次第さ、 お前の收入が少しなら(おれ)も少しで我慢すると、お前が多く取れば(おれ)も多く貰はねば成らぬ」 (まる)で株主の樣な事を云つて居る、「併し辨、お前は何うして斯う出世した、 牢を出てから未だ一月と經たぬぢや無いか、本統に感心だよ、何でも(おれ)は昔から爾う思ツて居た、 此兒は智慧が逞しいから、人並外れた事をするだらう、と其れにしてもコレ辨、 何うして出世した、話で聞かせ」小侯爵「本統の父に廻り合つたのさ」 毛太郎次「アヽ父に、爾々お前は常に爾う云つて居たなア、 何處かに本統の父が居るに違ひ無いから何うか尋ね出して子を捨てた罪を散散に思ひ知らせて遣りたいと、 併しお前を斯う貴族社會へ入れて呉れる樣な父なら滿更憎くも無いだらう、誰だ、誰だ、其父と云ふのは」 小侯爵「伊國(いたりや)の皮春侯爵だよ」毛「大層立派な父だなア、 其れで最うお前の身は生涯食はぐれの無い事に極つたから、(おれ)に生涯の年金を呉れ、 (おれ)も最う取る年だから、仕事をせずに生涯を樂に暮したい」 小侯爵「年金をとて何時(なんどき)勘當されるかも知れぬ、 お前の樣な者が此通り馬車へ合乘すると分れば直にも勘當せられるよ」 毛「だから年金を呉れと云ふのだ、呉れさへすれば決して合乘などの所望はせぬ、 お前が勘當せられては(おれ)も口が乾揚がるから、成る丈けお前の爲を計るよ、 エ辨、お前が勘當されたら其日限りに止めると云ふ約束で(おれ)に年金を拂つて呉れ、 (おれ)は最う眞實惡事が厭に成つた」小侯爵「年金とは幾何(いくら)」 「爾さ月に四十圓」と云つて小侯爵の顏を見、其驚かぬ状を見認めて 「爾さ四十圓あれば何うか斯うか暮しは附くが、實は五十圓も慾しいよ、五十圓か六十圓も有れば」 と段々顏を見て糶上(せりあ)げ「(おれ)は樂隱居の眞似をして毎朝顏を剃つてよ、 垢の附かぬ着物を着て、日の暮から大通の珈琲店へ行き新聞でも讀んで、 苦なしに日を送るのだ、(おれ)も最う其上の慾は無い、 爾するには少し又臨時の費用も斯るから月に七十圓と思つて呉れ」 四十圓が到頭七十圓になつた、小侯爵は此上の梯子登りを恐れるから直に財布を探つて八十圓取出し 「サア是が最初の一ヶ月分だ」毛太郎次「八十圓か有難い有難い今の内は是で足りる」 小侯爵「足りても足り無くても其上は知らないよ、 來月から毎月初めに(おれ)の宿へ來れば執事から拂ひ渡す事に仕て置く」 毛「エ、執事、大層お前は貴族らしく成つたなア、だけれど辨や、執事とはお前の雇人ぢや無いか、 (おれ)はお前と取引するのだよ、雇人には用事が無いよ」 小侯爵「では(おれ)の手から直々(ぢき〜)遣らう」 毛「爾して呉れ、其中に又口でも有れば何處かの貴族の家へ執事とか家扶(かふ)とか云ふ樣な者に住み込ませて呉れ」

是れで先づ用は濟んだと云ふ用に彼は馬車の外を見廻したが、最早巴里の町へ入つて居る 「オヤ辨、其の帽子を(おれ)に貸せ」と云ひ小侯爵の頭から帽子を取り、 更に御者臺に在る御者の外套を手早く着て 「其では來月又逢はう」小侯爵「コレ〜其れを持つて行つては困る」 毛「ナニ帽子と外套が無ければ(おれ)は巡査に怪しまれるよ、お前は風に帽子を取られたと云へば其れで濟む、 御者の外套は新しく買つて遣れ」言ひ捨て彼毛太郎次はヒラリと馬車を降り早や(やみ)に姿を隱した、 後に小侯爵は深く感じた樣に「アヽ此世の中には、邪魔者の無い本統の幸福と云ふ者は無いと見える」 呟いて且嘆息した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一五九 妻の室に飛で行つた


小侯爵の馬車よりも一時間ほど先に巴里へ歸り着いた馬車が二臺ある、其一臺は蛭峰の乘ツた馬車で、 之は先づ段倉の家の前に着き、中に相乘した、段倉夫人を其玄關に卸して置いて去ツた、 此玄關には此馬車よりも猶ほ先に騎馬で歸つて來た出部嶺が待つて居て、 馬車から降りる段倉夫人を扶け引いて家の中に入つた。

今一臺の馬車は段倉男爵の馬車で、之は矢張り相乘して居た皮春侯爵を其旅館へ送り屆け、 爾して前の馬車より少し遲れて段倉家に歸り着いた。

此馬車から降りた主人段倉は、何故だか異樣に顏が曇つて居る、 出迎へる下僕(しもべ)どもには振向きもせず直に自分の居室へ引込み、 長椅子に向つたまゝ手を組んで考へ初めた、 「何うも一昨日(をとゝひ)から不思議に運が傾いて來た、 伯爵の馳走は立派だツたが四百萬からの損失を考へると箸も取る氣もせなんだ、 何だツて西國(すぺいん)公債へ(あれ)も影響を及ぼす樣な馬鹿げた電報の間違ひが有つたのだらう、 此損失は(どう)しても皮春侯爵の資本を引出し伊國(いたりや)の鐵道株を動かす外は無い、 大分今夜は侯爵の機嫌を取つて置いたから追々資本引出しの道も開けるだらうけれど、 彼の侯爵に少しも山氣が無いのだから始末が惡い、 金は正金で持つて居るほど安心な事は有りませんと許りで、 (まる)で金儲けを恐れる樣に逡巡(しりごみ)する、 併しナニ()の息子と夕蝉とを縁組させる樣に仕向ければ四五百萬圓は取り出せる事に成らう、 先づ細工は流々だ、息子の方から手懷(てなづ)ける行くと仕やう」と呟き終るか終らぬに、 下僕(しもべ)の一人が手紙の樣な物を持つて來て至急の書類だとて 「唯今銀行の書記が持つて參りました」と云つて退いた、 段倉は封を切つて讀むが否や、獨り腹立しげに絶望した「何だ伊國(いたりや)のマンフレダイ銀行が破産した、 エヽ惡い時には惡い事ばかり續く者だ、是も其實は西國(すぺいん)公債の影響かも知れぬ、 アノ銀行へは百萬圓以上の貸越に成つて居る、又百萬圓の損失か、 (あんま)り甚い、(あんま)り甚い、此樣な損失が引續いては、 待て、待て、富村銀行から取附に逢つた爲と書いて有る、 富村銀行ならば伯爵に頼んで其の取附を猶豫して貰へば好かツたのに、 と云つた所で今は後の祭りだ、情無いなア、此樣な事ばかり續いては幾等己の段倉銀行の信用が厚くても、 遠からず世間から疑ひを受ける事になる、此不運と云ふも總て其元は妻が餘計な口出をするから出て來るのだ、 出部の樣な口先の旨い奴に欺されて、好し、一思ひに叱り懲して呉れねば腹が癒えぬ」

金錢の事より外に餘り立腹する事の無い丈に、金錢の事と云へば親身をも忘れる程に怒るのだ、 (たゞち)に彼は妻の室に飛んで行つたが、茲には妻と出部嶺が何か密々話して居る、 多分は先刻(さつき)伯爵別邸で、馬車から卸りる時手渡した密書にて出部嶺を呼寄せた者と見える、 妻は驚いて「オヤ貴方は、今夜株式の方へお廻りで無かつたのですか」 段倉は大聲に「此頃の亂高下に仲買は徹夜して居やうけれど、一晝夜に四百萬圓の損をした此段倉は最う仲買などに用は無い」 出部嶺は氣色を察して立上り「イヤ夫人、段倉さん、今夜は失禮のみ致しました、又明日伺ひます」と云ひ、 コソ〜と辭して去つたのは、立場を失はぬうちに逃て行く如才無い掛引で有る、 すると今迄出部嶺の膝に居た一匹の狆兒(ちんこう)が更にお世辭を呈する樣に段倉の膝へ來た、 段倉は直に首の邊の皮を無慈悲に掴んで最う此樣な贅澤な物などは飼つて置かれぬ、 ズツと暮し向を儉約して貰はねば」とて室の隅へ投附けた、八つ當りとは此事だらう、 幾等狆兒(ちんこう)が贅澤でも幾百萬幾千萬の身代に此れ一匹が影響を仕まいのに、 夫人は其身に弱みが有つても默ツては居られぬ「又お極りを成さツては困りますよ、 幾等貴方が株式で損をしたとて、狆兒(ちんこう)が知つた事ですか、 金の爲の御立腹なら、金の爲に雇ふて有る銀行の書記や手代にお當り成さい」 段倉「書記や手代は月給以上に働いて居る、何も己に間違つた電報などを教へて四百萬圓の損は掛けぬ、 和女(そなた)は四百萬圓の金を何れほどの高だと思ふ、 金貨で積めば此室へ入り切れぬ程で有るのに」夫人は痛く夫を賤しむ樣に尻目に掛けて 「開けても暮ても金々と、だから私は銀行家の妻は厭だと云つたのですよ、 生れた里でも前の夫糊菅(のりすが)男爵の家でも、家内の間で金と云ふ事は一言も云つた事が有りません」 段倉「其れは其筈さ、言ひ度くも云ふ丈の金の無い家だもの」と惡口雜言に入り掛けた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六〇 二ケ條の宣告


夫の惡口雜言に妻も仲々負ては居ぬ 「朝から晩まで金々と私は金の音と貴方の聲とが何よりも嫌ひです」 聲が嫌ひとは無言て立去れと云ふ事である。

妻として夫に對し、是ほどの侮辱が又と有らうか、 若しも彼の僞電報を作爲した人の目的が段倉を苦しめる爲めで有つたとすれば、 其目的は二重に逹したと云ふ者だ、彼に金錢の損失を掛けたが上に、 彼の夫婦仲を破ツて一家の平和をも擾亂した、(あたか)も石一ツで鳥二羽を殺し得た樣な者である、 段倉は眞赤になり「今まで和女(そなた)から政治上の祕密を聞き、 其れで金儲けをした場合には必ず二割五分を和女(そなた)へ配當して來たのだ、 私が百萬圓儲ければ和女(そなた)も廿五萬圓の利益に成ツた、 此計算で今度の四百萬圓の損失に就き和女(そなた)の財産から百萬圓は支出させねば成らぬ、 其れが共同營業の原理だから」妻は冷やかに笑ツて「其樣な金が有る者か」と呟く樣に云つた、 段倉「無い、愈無いとならば出部嶺へ注ぎ込んだのだ、彼に出させるが好い」 妻は猶も落付いて居る、段倉は殆ど操る樣に「和女(そなた)は、知らぬは亭主ばかりなどと思つて居るだらうが、 和女(そなた)のした事で、私の知らぬ事は一個(ひとつ)も無い、 夫婦に成つて後の事は勿論、其前の事とても、知つては居ても營業と家の信用が大事だから、 知らぬ顏で默ツて居るのだ、其れが爲に最う四年以來夫婦と云ふは上部(うはべ)ばかりで、 別居同樣にして居るでは無いか、知らぬ亭主は馬鹿の樣に見えると云ふけれど知つて知らぬ顏を仕て居ればこそ、 出部嶺だとて私に頭が上らぬでは無いか、今も私が入ツて來れば孤鼠々々(こそ〜)と去つて了ふでは無いか、 出部嶺のみか蛭峰とても其通りだ、 大檢時と云ふ(えら)い職には居るけれど私の前では誰の前よりも小さく成ツて居る」 此言葉で見れば、營業の爲に妻の不しだらを默許して居るのだ、 此樣な人間が上流社會に在るだらうかと怪しむのは(そもそ)も野暮だ、 此頃の彿國(ふらんす)の上流社會は大抵此樣な者で有ツた、 併し夫人は蛭峰の名の出たのに殆ど顏色を失ツて落着いた状は全く消え「蛭峰さんが何ですか」 と叫んだ。

叫ばずには居られまい、今夜彼と二人で舊惡の場所に立ち、氣絶する迄に驚き恐れて今も猶ほ其心が鎭まらず、 明日司法省の官房で彼に逢ふと云ふ約束を唯だ一個(ひとつ)の頼みの綱として居たのだから、 今度は段倉の方が冷やかに笑ツて「何ですかなどと私に問ふより、 和女(そなた)の前の夫糊菅(のりすが)男爵が何で死んだかを思ひ出して見るが好い、 可哀想に男爵は九ヶ月の旅から歸つて見ると最愛の妻が姙娠して六ヶ月に成つて居た、 爾して其相手が蛭峰と分り、悔しさに急に病氣が重ツて血を吐いて死んだぢや無いか」 夫人は返す言葉も無い、唯だ「(あんま)りな疑ひです」と再び叫び尻餠()いて長椅子の上に沈んだ。

夫は勿論介抱もせぬ、唯だ宣告する樣に「敢て濟んだ事を咎めるのでは無い、 兎も角も四百萬圓の損失は、出來る丈け和女(そなた)の財産から取立て、 猶不足の分は此後の配當で差し引くから、 爾う思つて居るが好い、但し其れ丈では未だ足らぬから、娘夕蝉をも、 誰か大身代を持つて居る人の息子に縁附ける、是も横合から口を容れて貰ツては困る」 と二ヶ條を言ひ聞けて立ち去つた、(さて)は唯舊惡を鳴らすのが目的では無かツた、 舊惡を責めてグーの音も出ぬ樣に凹ませて置いて、爾して二箇條を無理往生に押附ける爲で有ツた、 仲々外交の掛け引が旨い、日頃の默許も無理が無かツた。

此翌日である、妻は約束の刻限までに蛭峰を司法省に尋ねる積りで、 只管(ひたすら)夫の外出を待つて居ると、夫の方は二ヶ條の中の一ヶ條、 娘の夕蝉の縁談に就て地歩を進める運動の爲家を出た、爾して行く先は巖窟島伯爵の邸であツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六一 濃い覆面の一婦人


夫段倉が伯爵を尋ねんとて家を出た後、果して妻張子は蛭峰を()はん爲に家を出た。

雙方ともに此物語の大なる波瀾を捲き起す紀元とはなツた。

但し伯爵との面會は表面極めて平穩無事で有ツた。唯だ其平穩無事の中に、 一つの黒點が籠つて居る、他日天一面に擴がる陰惡な雲とは爲ツたのだ、 先づ夫の方より記して行かう。

段倉は伯爵家の接見室で十四五分待たされた[、]其中に外から、法師姿の老人が入ツて來て、 段倉に默禮したまゝズツと奧へ通ツて了ツた、()ては餘ほど伯爵と懇親な老僧と見える、 此樣な客が有つて若し話が長ければ又出直して來やうと聊か考へ込む所へ 「イヤ來客の爲に大にお待たせ申しました」と機嫌能く伯爵は出て來た[、] 段倉「ハイ御來客の有る事は唯だ今茲を通られた老僧でも分つて居ます」 伯爵は()と輕く「アヽ()れですか、()れは何に、 暮内法師とて伊國(いたりや)では有名な方ですけれど、 多年別懇の仲ですから幾等待たせても構ひません」とは云ふけれど、 自ら言葉の中に長居は迷惑との意味が見える、段倉は其れと察し 「イヤ私は事務家ですから極手取早く申しますが、 昨夜お目に掛つた皮春侯爵の巴里滯在の眞の目的は(いづ)れに在るのでせう」 と前置も無く問出した、伯爵は(わざ)と賤しむ樣に 「息子を交際社會へ出し、嫁を得させたいと云ふので、 私へも頼むなどと云はれましたけれど、何しろ吝嗇とも云ふ可き程の儉約家ですから、 私は先づ嫁を搜すよりは金を使ふ事を稽古せよと云ひました、 金さへ使へば隨分嫁の候補者も出來ませうけれど、爾無くば -- 」 段倉は短兵急に「イヤ貴方は爾お思ひでせうが、私の如き實業家は却つて其儉約な所を見込むのです、 金を使はぬのが()の方の値打だと思ひます」 伯爵「爾う仰有ると何だか貴方が嫁の候補でも持つて居る樣に思はれますが」 段倉「其通りです、實は私は()の方の氣質に感じましたから」 金力に感じましたとは云はぬ「娘夕蝉を小侯爵の妻としては何うかと思ひ、 既に妻とも相談して其贊成をも得て居るのです」 伯爵は打笑ツて「成る程貴方は手取早い、其れで無くば、第一流の實業家には成れぬ筈です」 襃める樣に云ひ、(やが)て又眉を(ひそ)め「イヤ段倉さん、其れはお止めなさい、 貴方の樣な華美(はで)は方と、()の陰氣な侯爵とは肌の合ふ筈が有りません、 親類に成つて長く附き合へば必ず喧嘩する事になります」 伯爵は斯う妨げる方が却て益々段倉の熱心を増す事を見拔いて居る、 段倉「イヤ肌の合はぬは私の心の持ち樣に在る事ですから、其點は御安心の上、 成る可く侯爵父子の心の動く樣に貴方の御加勢を願ひ度いのですよ」 伯爵「其れは出來ません、今云ふ通り私は此縁組を贊成し無いのですから、 ハイ贊成の出來ぬ理由が二個(ふたつ)有ります」段倉「二個(ふたつ)とは」 伯爵「第一は今云ふ通り貴方と侯爵とは未だ懇意が淺い、從つて他日深く知合ば喧嘩する恐れが有る」 段倉「其理由は理由に成ません」伯爵「第二には夕蝉孃と野西次郎の息子武之助との間に縁談が始まつて居ると聞ます、 野西父子も私の友人ですから」段倉「成る程野西父子に對しても贊成が出來ぬ、 此理由は分りました、併し伯爵、武之助と夕蝉とは當人同志が互に厭がツて居るのです」 伯爵「其れにしても同じ事です」段倉「のみならず、 私は野西次郎が先年希臘へ援軍に行き非常な大金を作つて歸國した事に就て聊か疑ひが有ります、 貴方は始終希臘から伊國(いたりや)の邊にお住ひ成さツた容子ですから、 多少其邊の事を聞込では有りますまいか、イイエ、 是は私の外にも薄々怪しんで若しや彼野西は何か不義の金でも得たでは有るまいか(など)と其頃噂した人も有りました、 果して其樣な事ならば私は不義で出世した金持と縁者と成る事は好みません」 不義を憎む樣な言葉が段倉の口から出るとは眞に口は調法である、 勿論伯爵は野西次郎の大金を得た次第を能く知つて居る、 實は之を知るが爲に曾て莫大の辛苦を費したのだ、けれど爾は云はぬ 「イヤ私は能く知りませんが、ヤミナ州に在るヤミナ銀行へ問合せば分りませう、 何でも()の頃ヤミナ銀行が軍用金を取扱ツて居ましたから」 唯だ此ヤミナ銀行へ問合せと云ふ一語が、穩やな青天に一點現はれる雲の種とも云ふ可き者であツた、 一點の雲の種が、他日何の樣に廣がツて、何の樣な風雷を引起すかは誰とても豫想が出來ぬ。

併し段倉は此言葉を聞いて喜んだ、皮春侯爵との縁組に付き伯爵の贊成を得ぬのは殘念だけれど、 若しやヤミナ銀行へ問合せて野西との縁談を破る口實でも得れば其殘念は埋合はすには足るのだ、 彼は猶ほ一言二言話した上、全く手取早くヤミナ銀行へ問合せの手紙を出す爲に伯爵に分れを告げて去つた。

*    *    *    *    *    *    *

是れと(ほゞ)同じ刻限である、濃い覆面に顏を隱した一婦人が司法省に出頭し、 官房の戸を叩いた、取次の男は兼て長官の命でも含んで待つて居たかの樣に 「貴方は蛭峰大檢事へ、裁判上の參考になる材料をお告げ申す爲めに來た方ですか」 と問ひ、夫人が點首(うなづ)くが否や、直に戸を開いて内に入れた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六二 證據が有ります


若い時の惡事は、年取るに從ツて次第に身を責る事に成つて來る、 蛭峰大檢事と段倉夫人も、今は若い時の惡事の爲め斯は苦しい思ひをしてまで密會せねば成らぬ事に成つたので、 密會したとて詮方(せんかた)が有らうとは思はぬけれど、密會して相談せねば、 心を落付かぬ、何と無く不安心だ。

罪深き男、罪深き女、人の罪を(たゞ)すと云ふ司法省の官房で、 顏と顏とを合せて立ツた、(やが)て蛭峰檢事は用心らしく四邊(あたり)を見廻した、 勿論此室へ出入りする人の無い樣に、朝から口實を設けて手筈をして有る、 取次が退けば誰も邪魔をする者は無い、而も蛭峰は入口の戸に錠を卸し、 念の上にも念を推して爾して夫人の前に立返ツて座に就いた。

今は昔の互に夢中で有ツた頃とは違ふ美しい他人同志の仲と成つて、 綺麗に附合つて居る丈に雙方聊か極りの惡い想ひもある、 けれど夫人の方は其極りの惡いよりも昨夜の恐ろしさが先に立ち、 震へるかと思はるゝ聲で口を開いた「廻り合せと云ふ者でせうか、 餘り不思議では有りませんか」言葉と共に帽子と覆面とを取脱(とりはず)した、 時は爾う暑くも無いのに前額(ひたい)に汗が浮いて居る、 蛭峰も青い顏で「ハイ廻り合せとしては餘り不思議過ぎますよ、 昔の事を悉く思ひ出さねば成らぬ樣な場合に立つたのですもの、 眞に貴女のお辛かツたはお察し申します」 夫人「顏色を變へては成らぬ素振に現はしては成らぬと、 必至の想ひで身を支へて居ましたけれど、ツイ氣絶する事に成りました、 誰か私の樣子を怪しいと見て取つたでせうか」蛭峰は考へて居る 夫人「眞逆(まさか)に誰も、譯あツての氣絶などと思ひますまい、思ふ筈が無いのです、けれど -- 」 蛭峰「イヤ其れが怪しいのです、貴女が正氣に(かへ)つた時、 巖窟島伯爵が貴女の顏を見た目の光りを御覽なさツたか」 巖窟島には屬魂(ぞくこん)心服して居る夫人である 「ナニ()の方なれば、田舍から出て來た許りで別に惡氣も無く、 又交際場裡に永く居る人の樣に邪推なども成さるまいと思ひますが、若しや貴方の奧方に -- 」 蛭峰「イヤ()の方ならばと、爾う安心なさるのが間違ひでは無からうかと私は思ひます、 ()の別莊を買取つたが巖窟島伯爵では有りませんか、 賣別莊は澤山あるのに何故に伯爵が()の別莊を選んだのでせう、 伯爵はエリシー街に本邸が有るのに何故(なにゆへ)()邊鄙(へんぴ)な所へ故々(わざ〜)招いたのでせう」 夫人「其れだから私は廻り合せだといふのです、廻り合せが恐ろしいのです」 蛭峰は承知の出來ぬ面持で「イヤ廻り合せなら恐れるに足りませんが、 私は廻り合せよりもモツと恐ろしい事では無からうかと氣遣ひました」 夫人「エ、モツと恐ろしいとは」蛭峰「サア其處です、 實に私は餘り合點が行かぬから昨夜も眠らずに明しました、 第一()の伯爵が私を()の別莊へ招いた時の素振から怪しいのですよ、 私はオーチウルと聞いた時、出席を斷らうと思ひましたのに旨く言葉を廻して斷る事の出來ぬ樣に仕向けられました、 私は自分の否と思ふ事を斷り得なんだのは殆ど是が初めてゞす、實に巖窟島伯爵といふ人は掛引の旨い方ですよ、 大變者ですよ」夫人「其れでは()の伯爵が、貴方と私との昔の事を知つて居て」 蛭峰「爾です、若しや知つて居て、 私と貴女とを(いぢめ)る樣な目的の爲に仕たのではないかと疑はねば成らぬ事に成つて來ます」 夫人「其れは」蛭峰「()の室に限り昔の儘に殘して置いたろ、 又彼の裏梯子を説明した言葉など、何うしても偶然では有りません」 夫人「だから私は恐ろしい廻り合せだと思ひ、氣絶する事に成つたのです、 是が廻り合せでないとすれば、貴方は何で伯爵が其樣な事をするといふ確なお心當りでも有りますか」

滿更心當りの無い筈は無いだらう、卅年來、人に憎まれる檢事の職に居て、 爾して自分の我意の爲め野心の爲め、人情をも浮世の義理をも殆ど踏躙(ふみにじ)つて來たのだから[。] 併し彼は思ひ當らぬと見え「ハイ、爾う思つて色々考へ廻しましたが、 何うしても私の方には心當りが無いのです、何だか或時は伯爵の顏を、 昔見た事の無いでも無い樣な氣もしますけれど、確に其れは迷ひです、 昔から私とは何等の關係も持つた人では無いのです、其れで私は終に思ひ定めました、 多分貴女の爲だらうと」夫人「エ、私の爲」蛭峰「ハイ何か貴女に對して戀の恨みとか云ふ樣な -- 」 夫人は又恐ろしげに身を震はせた、(もと)より此夫人の越方には、 人の戀の遺恨を受く可き樣な筋合は澤山有らう、二口や三口に止まり相も無い、 併し夫人は斷言した「イヽエ、決して私の方には其樣な事は有りません」

斯う成つては更に分らぬ、雙方ともに少しの心當りも無い、 イヤ有るか知らぬけれど思ひ出されぬ、夫人は暫くして、(あたか)も嘆願する樣な語調で 「ですが蛭峰さん、()の伯爵が遺旨とか遺恨とか持つた爲の仕業(しわざ)などと爾う恐ろしく考へずに、 私の云ふ通り單に廻り合せと考へて、何とか私に安心させて下さる言葉は有りませんか、 私は成る可く輕く考へて、何うか恐ろしく無い樣に仕たい、 出來る事なら(すつ)かり忘れても了ひ度いと此樣に思ひますのに」 蛭峰は()と重々しく「其れは私も同感です、出來る事なら伯爵が(わざ)と此樣な事をするなどとは思はずに、 唯だ偶然の廻り合せと思つて了ひたいのですが、茲に爾う思へぬ一つの大なる證據が有ります、 ハイ悲しい哉、伯爵が確に故意を以て我々を(うかゞ)ふて居ると云ふ爭ふ可からざる確證が有るのです」 何の樣な確證だらう、夫人は益々顏の色を失ふのみである、 イヤ夫人よりも實は蛭峰の方が猶ほ顏色を失ふて居る。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六三 聞かせて下さい


密夫(みつぷ)密婦(みつぷ)との間に私生兒の出來たと云ふ事は、 世間に例の無い事で無いかも知れぬ、けれど其私生兒は密夫(みつぷ)密婦(みつぷ)の生涯の氣掛りとは爲るに違ひ無い、 ()して其私生兒を、生れるや否や人知れず裏庭に埋めるとは、是も例の無い事では無くとも、 生涯不安心の種で有らう、更に密夫密婦が、年經て後に、其兒を埋めた場所に立ち、 足に其土を踏まねば成らぬ事になるとは、之を偶然の廻り合せとしても、 恐ろしき限りである、又更に、若し之れが偶然の廻り合せでは無くて誰かの仕業(しわざ)だと分ツたなら何うで有らう、 其れこそ居ても立つても居られぬと云ふ程の心地がしやう。

今蛭峰大檢事は、即ち之を偶然の廻り合せでは無いといふのだ、 巖窟島伯爵の故意の仕業(しわざ)だと云ふのだ。果して故意の仕業(しわざ)ならば、 誰も知るまいと思ふ此祕密を伯爵に知られて居る事も無論である、 爾うと聞いて段倉夫人の(おのゝ)くも無理は無い、 聞く夫人よりも話す蛭峰の方が更に顏色を失ふのも當り前と云ふ可きだ、 夫人は人間の聲とも思はれぬ程の情無い聲で又問返した「エヽ、其證據とは」

蛭峰は壁に聞かれるをさへ恐れる程の容子で、ズツと夫人の顏に顏を寄せ 「夫人、私は此恐ろしさを生涯自分の胸に疉み、自分獨りで苦しむと云ふ覺悟でしたが、 今はお氣の毒ながら貴女に話さねば成らぬ事に成りました、 話せば貴女の此後に一寸の間も安心と云ふ事の無い樣に成りますが其れでも貴女は聞きますか」 眞に情無い場合とは成ツた、夫人は灰の如く顏を白くし「ハイ聞きます、聞きます、 聞かせて下さい」蛭峰「では云ひませう、巖窟島伯爵が彼の木の蔭の芝生を掘つたら年經た赤兒の死體が出たと云つたでせう」 夫人「ハイ」蛭峰「アノ言葉が嘘ですよ、僞りですよ」夫人「エ、エ、何と、 其れでは彼の兒を彼處(あすこ)へ埋めたでは無いのですか」 蛭峰「イヤ夫人、埋めた事は彼處(あすこ)へ埋めたのです、 全く伯爵が茲と足で踏んだ其の下へ埋めたのです、けれど伯爵が數日前に掘出したと云ふのは跡方も無い事です、 數日前は()て置き。數年前、十數年前に、既に其の死骸は彼の所に無い事に成つて居ました」 夫人「では貴方が改葬でもして下さつたのですか」

蛭峰は溜息を()いた、爾して更に考へた末「サア改葬したのなら、 今更爾までにも驚きませんが、改葬では無いのです、何うか夫人、氣を確にしてお聞き下さい、 極の初めから話ますが」とて又々溜息を洩らした末、「彼の赤兒の生れた時、 幸ひ貴女のお産は爾う重くも有ませんでしたけれど、其兒が聲も出さねば呼吸(いき)もせなんだでせう、 其れだから私も貴女も、死體で生れた者と思ひ」是れまでは澱みも無く言ひ來ツたが、 忽ち彼は聲さへも咽喉に詰るが如く喘ぎ初めた。

其仔細は分ツて居る、決して赤兒が聲も呼吸(いき)も無かツた者では無い、 當り前に活々して生れたのを、直に蛭峰が自身で取上げ、自分の手で絶息させたのだ、 夫人が後産に苦しんで夢中の状で居る間に、手早く(ひね)り殺して聲も呼吸も出來ぬ事にして、 爾して漸く生氣に附いた夫人へは死體で生れたと思はせたのだ、 爾無くば彼此所まで話て來て斯うまで言葉の苦しくなる筈は無い、漸く彼は聲を絞り出して 「直に有合せた箱へ入れ、私が自分の脇に挾み、裏庭へ降りて行つて埋めたでせう、 所が埋め終ツて立たうとするとき、背後(うしろ)に人影が現はれました、 其れは兼て私へ復讐(ベンデタ)を加へる積りで、附狙ツて居たコルシカ人です、 ハツと思ふが否や、私は脾腹(ひばら)を刺され人事不肖に爲つて(たふ)れました、 暫く經て後生氣に(かへ)り、今赤兒を埋めた所を見ると、土は埋め終ツた時の儘に成つて居て、 コルシカ人は早立去つた後なんです、何しろ彼は鋭利を以て有名なコルシカ短劍で、 爾して幼い時から稽古して居る特有の手練を以て刺した者ですから、其割に出血も少く、 私は創口に手を當た儘、何うやら斯うやら身を引摺り、縁側の所まで行つて貴女の名を呼びました、 常ならば仲々聞える程の聲では無かツたのですけれど、 世間の寢靜まつた夜更と云ひ、殊に貴女が庭から私の戻りの遲いを氣遣ひ、 耳を澄して容子を聞いて居て下さツた所ですから、其聲が貴女に聞えたと見え」 夫人「ハイ(かすか)だけれど聞違へる事の出來ぬ樣に聞えました、 何んでも貴方の身に大變な變事が有つたに違ひ無いと、私は重い身體を無理に起し、 這ふ樣にして二階を降り、縁側まで行つて見ますと貴方が()有状(ありさま)ゆゑ驚きましたが、 何しろ一刻も捨置かれず、寢込んで居る老僕を起し、貴方の怪我は全く祕密で而も名譽ある決鬪の爲だと言做し、 出來ぬながら及ぶだけの手當をして夜の明けぬ中に吊臺に載せ」 蛭峰「爾して私の妻の許まで送り屆けて下さツたのですが、 妻も勿論決鬪の爲めとしか思はず、若し事を公にして職務に障ツては成らぬと云ふ私の口實を誠と思ひ、 其々に介抱の末、二ヶ月を經て私は凡そ元の身體に(かへ)り、暫く海濱へ行つて養生しました、 其間も絶えず私の心に掛ツたのは何事でせう、埋た赤兒の事ばかりです」 夫人「私とても其通りです」蛭峰「誰にも知られぬならば兎も角、 確にコルシカ人に知られたに違ひないから、若しも其コルシカ人が私の生返ツた事を知れば、 自分の復讐(ベンデタ)の仕損じを怒り、再び私に(あだ)を初め、 私の埋めた者を掘出して利用するに至るかも知れぬと、 只其れのみが心配に堪へませんでした[。]其れ故、私は身體が堪へる樣になると直樣、 海濱から歸りました、歸つて聞くと貴女は段倉男爵に縁附て居られました、其れは兎も角、 何より先に彼の埋めた者を掘出し、更にコルシカ人は勿論何人も知らぬ所へ改葬せねばならぬと思ひ、 吹上小路の()の家を指して行きました」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六四 紋の片割


段倉夫人は(しが)み附く樣に聞いた「爾して彼の死骸を改葬して下さツたのですか」

蛭峰は思ひ出すさへ心の穩かならぬ容子である、(とみ)には答へもせず、 先づ前額(ひたひ)の汗を拭いて「サア其處です、私は誰にも心附かれぬ樣に、 矢張り夜に入つてから吹上小路へ行きました、勿論()の家は、 貴女が立去ツて後には誰も住んだ人が無かツた故、 何も彼も元の儘に存して居ました、私は(やゝ)安心して、夜の十時過では有りましたが、 兼て用意の鍬を持つて、丁度小兒を埋た所と確に見覺えの有る場所を掘返しました、 所が何うでせう、死骸が箱ぐるみ紛失して影も形も留めぬのです」 夫人は絶叫した「エ、エ、私の兒の死骸が棺と共に紛失した、では改葬して下ささなんだのですか」 蛭峰は(あわ)てゝ夫人を制する樣にし「イヤ爾う驚きなすツては(いけ)ません、 高い聲を立てぬ樣にして下さい、其れから私は搜しました、 若しや自分の思ひ違ひで間違ツた場所を掘つたのでは無いかと、 其近邊を廿坪も掘返し、猶ほ翌日に及んでは家の内をまで詮索しました、 けれど赤兒の死骸は有りません、全く誰かゞ掘出して盜み去つたのに極つたのです」

夫人は再び驚いた「エ誰かゞ盜み去つたと仰有(おつしや)りますか、 其れにしては昨夜伯爵が、箱から死骸が出たと云はれたのは」 蛭峰「サア其れが何より怪しい點です、死骸が無いのに死骸が出たと云ふ所を見れば、 伯爵は(いつは)りです、(いつは)りだけれど、 兎にも角にも私と貴女が赤兒を彼處(あすこ)へ埋めた事を知つて居るのは明白です、 其れを知つて居て(わざ)と彼の樣な事を云ひ特に二人を苦めたのです」 夫人は全く腰を拔かした状である、(しば)しがほどは何の言葉も出ずに唯だ喘ぐのみで有つたが、 (やゝ)あつて自ら心を落着け「外國から初めて此國へ來た伯爵が其樣な事を知つて居るとは」 蛭峰「サア爾すれば伯爵が外國から初めて此國へ來たと云ふさへ怪しいでは有ませんか」 夫人「其れは爾です、けれど外國から初めて來たで無いにしても、誰一人知れぬ祕密の()の方が -- 、 ()うも知つて居る筈が有りません、若しや蛭峰さん貴方の紛失したと思つたのが間違ひで、 貴方の堀殘した所に矢張り()の死骸が有つたのでは有りますまいか、 其れを全く伯爵が數日前に掘當て其れで昨夜 ()の樣な話をしたのでは有りますまいか」

蛭峰は太い息を吐いた「若しも爾う考へる事が出來るなら何も心配は無いのです、 成らう事なら私も爾う考へ度い、けれど夫人、茲に一つ、()うしても爾うでない事實が有るのです、 其の死骸をば、私が掘るより前に箱ぐるみ掘り出して持ち去つた者が確に有るのです」 夫人「其れは」蛭峰「斯うです、私は其時必定彼のコルシカ人が盜み去つたのだと思ひ、 爾うすれば近日再び私へ(あだ)を爲す(ため)、其死骸を何處かへ持ち出すだらう、 持ち出せば直に捕へて其證據の湮滅(いんめつ)する樣にせねば成らぬと、私は人知れず八方に氣を配り、 且は及ぶだけ手を延ばして用心して居ました、丁度此の頃です、 私は内閣から招れて書記長官に取立てられる沙汰を得ました、 是こそは兼て望む出世の道で、遠からず大臣にも成れる緒口(いとぐち)とは思ひましたけれど、 折角出世した所で此祕密を持ち出されては堪らぬから、 矢張り口實を設けて元の通り檢事の職に据置いて貰ひました、 全く私は之が爲大事の出世を取り逃がしたのです、けれど檢事の職にさへ居れば、 (よし)曲者(くせもの)が其死骸を持出して來ても()うか出來ると、 唯だ斯う思ふが爲に凡そ一年の間と云ふ者は、夜の目の寢ぬほどに注意しました、 所が死骸を持出しては來ぬのです、(そもそ)も死骸と云ふ者は、 掘り出してから一年置けば證據たる效力を失ひます、私は(いさゝ)か安心し初めました、 又氣が附きました、イヤ彼の赤兒は、私の埋めた時、或は死骸でなかツたのかも知れぬ、 死んだと見え猶だ命が存して居たかも知れぬ」夫人「エ、其れでは貴方は私の兒を生埋にしたと仰有(おつしや)りますか」 蛭峰「イヤ生埋では有りませんが、死んだと思ツて葬ツた者が、 意外に活返るなどといふ事は全くない(ため)しでも有りません、 其れで私は思ひました、若やコルシカ人が、私を刺した後で、直にアノ箱を掘出して持つて行き、 何處かで開いて見ると中から猶だ息の有る赤兒が出た、 と斯うすれば彼は其赤兒を何う取り扱ふだらう、河へでも投込むか、 (いさゝ)か慈悲の心が有れば育兒院の前へでも捨るか、 多分此樣な事に違ひないと其れから急に育兒院の方を詮議し初めましたが、 (やうや)くに分りました、オーチウルの育兒院の前へ、 其同じ夜の一時半頃に赤兒を捨てた者が有ります」斯う聞いては流石兒を思ふ親の(なさけ)である、 段倉夫人は乘出して「オヽ私の兒が育兒院で育ちましたか」 蛭峰は、之には答へずに話を續け「其兒は白い(きれ)で包んで有ツて、 (きれ)の端には男爵の位に相當する紋章の附いて居るのを二つに引割(ひきさ)き紋が半分だけ殘ツて居て、 其下にはHの字が有つた相です」夫人「其のHの字は、私の名の、 張子の頭字です、私の手許に有つた風呂敷其他の布切は總て男爵の紋とH・Nの字を附けて有ましたから」 蛭峰「兎も角育兒院では其兒を保管して育てゝ居ましたが、六ヶ月の後に或年取つた女が、 其布切の半分、即ち紋の片割とNの字の附いたのを持つて來て其れを證據に其兒を引取つた相です」 段倉夫人は是まで聞いて殆んど狂氣の状である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六五 油斷の出來ぬ強敵


産落したまゝ死んだ事とのみ思ひ、廿年來寢覺の惡く感ぜられた我兒が、 地の底から掘出されて生返り、育兒院へ入れられて爾して何者にか連去られたと分ツては驚かずには居られぬ、 段倉夫人は全く狂氣の状である「エヽ私の兒が、活て居て育兒院から其樣な老婆に連去られたと云ひますか、 其老婆は何者です、其兒を何處へ連て行つたでせう、其兒は今活て居ませうか、 活て居るなら()う立派な年頃にも成つて居ませうのに」と、疊み掛けて問ふた。

蛭峰「夫人、貴女の胸に在る疑ひは總て私の胸に在る疑ひです、 貴女は今初めて知つて初めてお疑ひ成さるけれど私は凡そ廿年一日として其等の疑問に攻められぬ日は無いのです」 夫人「では今以て其疑問は解けませんか」蛭峰「ハイ其老婆が何者か、 何の爲に其兒を引取つたか、イヤ多分は他日私へ仇を返す爲に違ひ無いと思ひますから、 其後は其老婆の行方を探る爲めに殆ど全力を盡しました、 けれど私の其事を聞知つたのが既に老婆の去つてから半年も餘の後で有ました爲め、 何等の手掛をも得ませんでした、其れでも其老婆が其兒を抱いてシヤロンの方へ行き或宿屋に一泊した事までは分りましたが、 其後は少しも分りません、私が檢事の職權を利用してさへ之ですから最早や全く尋ねる道の絶えた者と云ふ外は有りません」 夫人は絶望の聲を發した「何にしても貴方は、生きながら私の兒を埋ました、 埋る前に能く注意して下されば此樣な事にはならなんだでせうに」

尤も千萬な恨みである、蛭峰「イヤ私は其過ちの爲に出世の機會をさへ取逃がして居るのですから許して戴かねば成りません、 其れよりも夫人、差當り巖窟島伯爵が何うして此祕密を知つて居るかを突留るのが大切です、 彼の樣な人の手に此祕密を握ツて居るとすれば、何の樣な事になるかも知れません」 斯う云はれて見れば、なるほど其兒に就ての疑問よりも巖窟島伯爵に就ての疑問が差迫ツて居る樣にも思はれる、 「爾仰有ると、昨夜(ゆふべ)の晩餐にも、巖窟島伯爵は()れほどの珍味を人に勸めながら自分では、 話に紛らせ何一品喰べぬ樣にしてお出でした、若しや客一同を毒害するのでは有るまいかと私は一しきり此樣に思ひました」 蛭峰「けれど毒害の目的で無かつた事は我々が此通り少しも健康を損ぜぬので分ツて居ますが、 ()て分らぬは、何うして伯爵が()の庭に赤兒の死骸の有つた事を知つて居たのかの一條です、 私から洩れたで無いは無論ですが(もし)や貴女の方からでも」 夫人「何で私から洩れませう」蛭峰「貴女は誰にも()の事を、覺とられる樣な言葉を吐た事は有りませんか」 夫人「決して、決して有りません」蛭峰は考へて「若や貴女は日記帳でも書いては居なされませんか」 夫人「私は自分の身が恥かしい程ですから、有つた事でも早く忘れて了ひ度いと思ひます、 何で日記などを附けますものか、其れこそ若い頃から手帳一册持つた事も無いのは私でせう」

蛭峰は又考へて「(しか)し祕密と云ふ者は何の樣な事から洩れて出るか殆ど想像にも餘る程の者です、 何うかすると寢言から洩れる事さへ有ます、貴女は若や寢言をいふ癖でもお有りでは有りませんか」 夫人は躊躇もせず「寢言をいふ所か夢も見ません、私が(まる)で子供の樣に熟睡する事は、 貴方が覺えてお出でせう」と云つたが、流石に恥かしい所が有ると見え、 言葉と共に顏を紅めた、蛭峰は「爾でした」と答へたけれど之も心の咎める樣な小聲であツた。

暫くして彼は又いふた「貴女からでも無く私からでも無いとすれば、 伯爵は彼の赤兒を掘出して行つたコルシカ人の方から此祕密を聞いた者と思ふ一方です、 爾すれば伯爵が何者であるかといふ事が益々疑はしい、 ()しや其祕密を聞いたにしても故々(わざ〜)其家まで買取つて、吾々を其處へ招き、 爾して暗に吾々を(いぢ)める樣に、其祕密を仄めかすのが、 決して故無い事では有ますまい」夫人も合點のいつた樣に「なるほど、 只の廻り合せと思つたのは私の間違ひでしたかねえ」 蛭峰「ハイ只の廻り合せでは無いのですから、其れで私が今特に貴女へ此密會を願つたのです、 夫人、何うか此後は伯爵を、疑はしい人だと思ツて氣をお附け下さい、 斯う思つて氣を附ければ()の人のする事は疑ふ可き(かど)ばかりです、 此後とも何か看破る事が出來るかも知れません」伯爵は又と無い人の樣に思つて居た夫人の夢は醒めた 「ハイ心得ました」蛭峰「私も今から彼が何者かといふ事を詮索に取り掛ります、 ナニ彼何の樣に素性身分を曖昧に仕て居たとて、私が調べれば分らぬといふ事は有りません」 殆ど奮然として言ひ切つた、若し此時の蛭峰の顏を伯爵に見せたならば、 伯爵とても全く油斷の出來ぬ強敵が現はれたと思ふだらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六六 警視總監から


蛭峰が巖窟島伯爵の身分を疑ふことに成つたとは、伯爵に取つて容易ならぬ次第では有るまいか、 定めし彼蛭峰は熱心に伯爵の本性を詮索するに違ひない。

けれど伯爵も、數年の辛苦を以て、工風に工風を重ね、準備に準備を盡して、 只の一歩たりとも踏損じのない樣に大事に取つて掛ツて居る仕事だから、 蛭峰の一囘や二囘の詮索に脆く敗北する筈もなからう。

既に蛭峰が段倉夫人と密會した其日の夕刻である、伯爵は家令 春田路(はるたぢ)を呼び 「未だ彼は歸ツて來ぬか」と聞いた、彼とは誰の事か知らぬけれど春田路は合點して居る 「ハイ唯今歸りました、今朝から司法省の門前を嚴重に見張つて居ました所、 大檢事は朝の九時半に出勤しました」伯爵「すると間もなく濃い覆面に顏を隱した婦人が -- 」 春田路は此推量の當つたに驚いた容子で「ハイ其通りです、十時頃に司法省の門を入り、 大檢事の官房を尋ねて行きました」伯爵「爾して其面會は」 春田路「凡そ一時間半ほど續いたと申します」伯爵「フム一時間半ほどか、 仲々話が長かツたと見える、其れから」春田路「其れから婦人は司法省を出てメリン街まで歩み其處から辻馬車に乘り、 蛭峰氏の私邸へ行き」伯爵「フム所天(をつと)と密會して置いて、 其妻に疑はれぬ爲め歸途に妻の(もと)を訪問したのか、 餘程其樣な事に慣れて居るな」春田路「茲でも一時間ほどを經て、 今度は徒歩の儘で段倉家へ行つたといひます」伯爵「行つたのではない歸つたのだ、 シテ大檢事の方は」春田路「午後の二時頃に退出して警視廳へ立ち寄り、一時間ほど經て私邸へ歸りました」 伯爵は別に驚く容子もない、唯だ呟いた「分ツた分ツた警視廳を便りにするならば猶組し易い」

斯ういつて春田路を退けた後で又獨り考へて居たが、此所へ丁度野西武之助が尋ねて來た、 彼は母と共に伯爵の彼の土曜日の晩餐會を避けて海濱へ保養に行つたのだ、 今は晩餐が終ツたから歸つて來たのだ、彼が第一の言葉は「伯爵、四日の間海濱で母と二人が貴方の噂ばかりして居ました」 と云ふので有つた、武之助の母の事は伯爵が心を動かさずには聞き得ぬ所である、 殊に自分が其人の口に噂されたと聞いては何うやら顏の色まで變る樣に見えた、 けれど勉めて何氣無く粧ひ「爾でしたか」と輕く云つて、更に二言三言海濱の景色などを聞いたが、 武之助は取急ぐ容子で「伯爵、私は家へも寄らずに直に此方(こちら)へ參ツたのです、 實は母が一夕宴會を開いて貴方をお招き申したいと云ひ、 其日限までも私と二人で取極めましたから、其れを貴方へお知らせ申す爲に」 伯爵は(いさゝ)か當惑の色が見えた、武之助「今度こそはお斷りには成りますまい、 若しも差支へが有るとでも仰有れば、確に貴方は私の母をお避けなさるのです」 伯爵「何で貴方の母御を避けます者か、世間一般から貴婦人の(かゞみ)とも云ふ程に敬はれて居る方ですもの、 (しか)し -- 」武之助「ソレ其 (しか)しが餘計では有りませんか」 伯爵「(しか)し何の樣な方々をお招きです」 武之助「巴里中の名高い人を五六十人招きます、段倉男や蛭峰氏を初めとして」 蛭峰の名は伯爵の躊躇を掻消した、彼に逢ふ機會とさへ有らば決して取逃してはならぬ[、] 伯爵「參りませう、日は何時(いつ)です」武之助「貴方の土曜日の晩餐會に因み、 矢張り土曜日と極めました、來る第三の土曜日です」伯爵は手帳を出して直に其日を書とめた。

伯爵は蛭峰を狙ふ樣に蛭峰も無論油斷なく伯爵を狙つて居る、 此翌日である、蛭峰の手許へ警視總監から左の報告が屆いた。

「巖窟島伯爵と稱する人の巴里に來りし以前の事を知れる人は絶えて無し、 唯だ目下此國に來遊中と聞く英國の柳田卿は數年前より彼を知れりと察せらる、 又何事かに於て彼と競爭し彼と互に敵意を抱けるに似たり、 外に一人シヽリー島の有名なる老僧暮内法師は折折彼の(やしき)へ出入せりと聞く、 此人も目下多分巴里に滯在せるならん、此兩人の宿所は取調べ中なり」

是れに引續き、今度は兩人の宿所や日頃の動作などを詳しく記した第二の報告書が屆いた、 すると間も無く蛭峰の邸から一人の特務巡査が出てサルピス街なる暮内法師の寓を指して行つた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六七 特務巡査


蛭峰の家から出た此の特務巡査の尋ねて行く暮内法師とは(そもそ)も何者であらう。

凡そ十年ほども前からサルピス街に極小さい一件の家を借り、 之を清淨な僧庵の樣に造作して、一人の番人に守らせて置いて、 一年に二度三度づつ、伊國(いたりや)から茲に來て、短きは一二週間、長い時は四五十日も逗留して去る法師が有る、 是が暮内法師なのだ、在庵の時は餘念も無く讀經に身を委ね、 外へ出る時は或は貧民を尋ねて惠みを施し或は臨終の病者を慰めて往生の安樂を得させるなど、 慈悲善根をのみ積んで居るので、今は上流の歸向をさへ得て歴々の家へ招かれて行く事も多い。

特務巡査が此家を訪づれたは夜の八時頃であツた、一度は面會を拒絶せられたけれど(たつ)て番人を説き附け、 一通の手紙を取次がせた、是は警視總監から法師へ宛た者である、多分は手紙の力だらう、 特務は間も無く法師の(へや)に通される事になツた。

法師は餘り明るくない硝燈(らんぷ)の下で、(いつ)も通り經文を開いて居たが、 特務の席に就くと見るが否や、急に明りを掻立てゝ、 火屋(ほや)に被せてある黒い傘を引上げ、特務の顏にパツと光の射す樣にした、 特務は(あわ)てゝ「イヤ法師、私は、此頃眼病の爲め強い光を嫌ひます、 何うか硝燈(らんぷ)は元の儘に」といひつゝ、青い眼鏡を取出して目を隱した、 法師は其請ひに應じ、再び硝燈(らんぷ)を暗くしつゝ「警視總監のお手紙では何かお取調べの爲と有りますが、 探偵の方が眼病では(さぞ)御不自由でせう」(いさゝ)か冷かす樣な語氣を帶びて居るけれど爾とも氣附かぬ 「イヤ私は、目を以てする樣な低い探偵ではなく、多く耳を以てする地位ですから別に不自由も有りません、 今夕の用向も其通りで、實は巖窟島伯爵といふ方の素性を伺ひ度いのです、 (かね)て貴方が御知り合の事と、種々(しか〜゛)の方面から分つて居ますので」 法師「ハイ私は彼の父と懇意にしました爲め幼い頃から彼を知つて居ますが」 幼い頃からとの一語は一方(ひとかた)ならず此の特務を滿足させた。

是より特務の問ひ出す言葉に對し法師の一々答へた所を擧ぐれば、 巖窟島伯爵は地中海なるマルタ崎の造船者左近といふ者の息子なる事、 十八九の時より航海に身を委ね、印度に行きて鑛山を發見し、大いなる身代を作りたる事、 其後は矢張り東方に在りて慈善と道樂とに身を委ね、多く東方諸國の國王に愛せられて數多(あまた)の勳章を持てる事、 爾して其後 伊國(いたりや)にて貴族の株を買ひ伯爵と爲り、 又其領地として地中海中の巖ばかりなるモンテ、クリスト島を手に入れ自ら巖窟島伯爵と稱するに至ツた事などで有つた、 特務は最後に問ふた「シタが此頃、彼の伯爵がオーチウルの吹上小路へ別莊を買つたのは何の爲でせう」 法師は此問を待受て居たらしい「其れは直々伯爵にお問ひ成さる外は有りますまい、 私では唯だ斯うではないかといふ自分の推量を申上げるに止まります」 特務「イヤ推量でも宜しい伺ひませう」法師「實は數年前に、私が伯爵に向ひ、 彿國(ふらんす)には狂人が多いから完全な瘋癲院を建てたなら大なる功徳だらうといつた事が有ります、 其時伯爵は、彿國(ふらんす)の何處へと聞きましたゆゑ、 巴里の市外なら何處でも宣い、取分けてオーチウル邊が適當だらうと答へました、 或は此問答を覺えて居て彼の買つた所では有るまいかと思ひます」 特務「では瘋癲院を建る爲だらうとお思ひですね」法師「ハイ私は爾う推量します」 餘り(あて)に成つた返事では無い、特務は肝腎の所で要領を得ぬのが如何にも殘念らしい容子である 「貴方の外に誰か伯爵の事を能く知つた人は有りませんか」法師は充分考へて「何うも思ひ當りません」 特務「英國の旅行家柳田卿とやらが伯爵と懇意な樣に聞ますが」 法師「何うですか、先年伯爵が柳田卿と喧嘩の末決鬪した事は聞いて居ますが懇意に交ツて居るか否は知りません」 特務は却て喜んだ、決鬪もする程の敵ならば必ず大に伯爵の暗所を探り知つて居るだらうと、 爾して此法師には別れを告げた。

法師は特務を門口(かどぐち)まで送つた後で、(へや)に歸ツて微笑みつつ呟いた 「太陽の光を恐れて夜中に來て、又も硝燈(らんぷ)の光を恐れて眼鏡を掛ると云ふ樣では蛭峰先生、 未だ姿を變へる初歩も知らぬ、此暮内などは暮内と見られるのに十餘年も苦勞したのだ」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六八 僞りの動物


若し俳優が舞臺の上で早變りをする樣に、尋常の人が自由自在に姿を變へ忽ち老人と爲り又忽ち小兒と爲る樣な事が出來たら、 (さぞ)人を欺くに便利な事だらう、人を欺くのみでない、 萬事の掛引に總て都合が好いだらう。

其らから(いづ)れの國 (いづ)れの時代にも、多少は此姿を變るといふ事が行はれる、 假鬘(かつら)も有れば附髭も有り、顏を彩る(べに)白粉(おしろい)も有れば眼を隱す目鏡も顏を隱す覆面も有る、 いはゞ總ての動物の中で人間だけが最も姿を變るに都合の好い樣な境遇や習慣を持つて居るので、 是れが若し牛馬や犬猫ならば常始終裸體で居て身體の全部を露出(むきだ)して通るのだから到底充分に姿を變る手段は無い、 是に就けても人間は僞りの動物である、同類同胞を(だま)す事ばかり考へて居る、 其中にも此の、姿を變ると云ふ技術が最も進歩して居るは彿國(ふらんす)で、 又其彿國でも最も其技術の(さかん)に行はれたのは丁度巖窟島伯爵の住んで居た頃である、 一千八百年代の上半期である、其頃の彿國(ふらんす)は陰謀の時代と云はれ、 顏を隱した宴會さへも行はれた、貴婦人でも淑女でも姿を變ると云ふ術を多少は稽古せぬ者は無く、 ()して男子に至ツては父子親戚の間にさへ姿を變へ欺き合つた話も多い、 此樣な場合だから取分けて巖窟島伯爵の如き、 大の祕密を持つて大の陰謀を抱いて居る人は大に其術を研究し學習したに違ひ無い、 又實際姿を變る爲に用ふる材料の製作も餘ほど行屆いて居た、大檢事蛭峰さへも自分で特務巡査に化ける樣な事をした、 凡そ是等の事に就ては數多(あまた)の考證が存して居るけれど茲に詳しく記すには及ぶまい。

特務巡査として暮内法師に逢つたけれど蛭峰は充分滿足する程の結果を得なんだ、 巖窟島伯爵が左近と云ふ造船者の息子としても、何故オーチウルの彼の別莊を買つたり、 何うして其庭に(かつ)て私生兒の埋められた事を知つて居るか、 又何故に其れを蛭峰と段倉夫人へ思ひ出させる樣な狂言を演じたのか、少しも分らぬ、 何でも何等の因縁で此身を恨む者には違ひ無いと思ふけれどマルタの造船者や其息子などに恨まれる覺えは毛ほども無い。

されば蛭峰の不安心は暮内法師に逢つて後も、逢はぬ以前に少しも變らぬ、 イヤ逢はぬ以前より(かへ)つ[注:却ての誤りか?]て怪しさが深く成つたと云つても好い。 最早斯うなれば自分が職を奉じて以來今までの履歴を、悉く取調べ、 凡そ自分を恨み相な人の名前だけ書拔いて、其中で彼れか是れかと取調べる外は無い、 爾だ、爾すれば或は思ひ當る事が出て來るかも知れぬ、斯う思ふて彼は此翌日より古い書類を取調べに掛ツた、 勿論官に就て以來卅幾年の間、多い日は五件にも十件にも關係し幾人幾十人の密告者、被嫌疑者、 罪人、未決人に接したのだから、其書類だけでも容易の(かさ)では無い、 文庫からも出れば箪笥からも出る、長持にも葛籠(つゞら)にもといふ状だ、 唯だ取揃へる丈にも時日が掛る、仲々何時調べ終ると云ふ豫定は出來ぬ。

併し此取調べが、巖窟島伯爵に取つて何よりも恐ろしい、暮内法師に逢ふとか、 柳田卿を()ふとか云ふ樣な事は蛭峰が勉めれば勉めるだけ益々伯爵の術中に陷るのだから、 伯爵は却つて之を喜び、蛭峰の愚を嘲る種にして居るけれど、蛭峰自身が自分の越方を取調るに至つては、 伯爵の力で何と之を妨げる事も出來ぬ、猶ほ是のみで無い、蛭峰は自分で越方を取調べる外に、 嚴重に警視總監に頼んで、伯爵の越方を、伊國(いたりや)、希臘邊へまで問合させる事にした、 眞に伯爵が、重なる恨みを蛭峰に(かへ)したいと爲らば、餘ほど急がねば成らぬ。 グズ〜して居ては先を越される、併し伯爵の仕事は、成る可く人の疑ひを引かぬ樣に、 自然の成行に任せて、其都度に其成行を利用しやうと云ふ工風も多いのだから、綱附けて引く樣には運び難い。

丁度蛭峰が右等の書類を大方取揃へ得た日の晩方である、 是から其順序を附け、次に取調に着手しやうと、大體の方略を定めて居る所へ、 柳田卿からの返辭が來た、是か兼て警視總監の名を以て、一名の特務巡査に面謁を與へて呉れと、 卿の寓居へ申込んで有つたに對し、卿から總監へ返辭したのを總監から蛭峰へ廻して來たのだ、 夜の十時と云へば太陽の光を恐れる蛭峰には最も好い時刻だ、 彼は直に鏡に向つて自分の姿を變へるに着手し、二三時間も經て漸く思ふ通りの特務巡査には化果(ばけおほ)せた、 爾して柳田卿の宿を指して家を出た。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一六九 其記念が鮮かです


果して蛭峰は伯爵の素性を見破る事に成るのだらうか、若し見破つて此人が實は昔の團友太郎で有ると知れば、 其れこそ伯爵の身に取つて、伯爵の計畫に取つて、由々しき大事である、 蛭峰が丁度伯爵に匹敵するほどの恐る可き男である事は今までの閲歴にも分つて居る、 一旦斯うと思ひ詰ては、何の樣な事を仕てゞも通さずには置かぬ、 何れほど陰險奸惡な手段でも決して施すに躊躇はせぬ、之を思ふと伯爵も誠に厄介な敵を持つた者だ、 此男に(あだ)(かへ)さうなどと危險な大望を思ひ立つたものだ。

蛭峰自身は最う確信して居る、何うしても伯爵は此身に深い恨みを懷く人に違ひ無いと、 爾うして又其素性も遠からず分るに違ひ無いと。

其分る手段の第一は警視廳に探偵せしめる事だ、第二は自分で探偵するに在る、 第三は今までの自分の扱つた事件の書類を悉く取調べる事だ、此手段をば、 (いづ)れを重く(いづ)れを輕しともせず彼は一樣平均に力を盡して居る、 併し其實伯爵の身に取つて最も恐る可きは第三の手段に在るのだ、 蛭峰は自分の履歴を繰返して古い書類を調れば、團友太郎と云ふ名は餘り遠くも無い中に出て來る筈だ。

實際彼は書類を大方取揃へて了つた、(いよ〜)是から調べると云ふ一段に成つて、 丁度柳田卿と云ふに面會する道が開けたから、書類は其まゝ疊んで置いて、 自分が又も警視廳の特務巡査に化け、サン、ジョルヂュのホンテン街五番地と分つた卿の寓居へ、 夜の十時頃に尋ねて行つた。

(そもそ)も此卿は何者だらう、 今までに既に讀者の見た通り其名前は船乘新八や暮内法師などの名と共に(しば〜)伯爵の口から出て伯爵に利用されて居る、 實際英國の貴族名鑑には幾等も有る名前だ、柳田一家は其の一族が幾個(いくつ)にも分れて居る、 政治家も有れば商業家も有り地主もあり、中には印度に渡つたのも、 豪州へ移住したのも、旅行家も竒癖家も澤山ある、其中の何れだかは知らぬけれど、 此柳田卿は十年ほど前から(いつ)も贅澤な遊山船に乘つて、 彿國(ふらんす)の港などへは度々來る、爾うして(くだん)のホンテン街五番地を假寓として買入れたのは七八年も前の事で、 其後は巴里へ來る度に大抵は茲へ立寄る容子である、今蛭峰が警視廳の報告に由つて知つて居る所で見ると、 此卿は非常に傲慢な我儘な人で、殊に英國の貴族に特別な大の國自慢である、 英國の事と云へば理を否に曲げても辯護して彿國(ふらんす)の事柄は憎むことが甚だしい、 其一例を擧ぐれば、人に對して決して彿蘭西語の言葉を使はぬ、 此言葉を使ふと唾が粘ツて口が臭くなると罵ツて居るけれど、 其實此言葉を知らねば不自由だから來る毎に内々で教師を雇ひ稽古をして居るのみならず人が彿蘭西語で惡口でも云ふと直に其意味を合點して事に託して決鬪を吹掛ると云ふ事である、 仲々危險な相手だから蛭峰はブル(ドツグ)にでも近づく樣に充分用心して其家の戸を叩いた。

(たゞち)に應接室へ通されたが、室一面に硝燈(らんぷ)の光りが殆ど晝の樣に輝いて居る、 彼は又も目が惡いと云ふ口實で、硝燈(らんぷ)(しん)を小さくして貰つた、 爾して例の青い目鏡を取出して居る所へ、通常の人よりは聊か背の高く見える主人(あるじ)の卿が、 英國風に反返ツて入ツて來た、服が悉く金釦(きんぼたん)である所など愈々以て英國流だ、 卿は先づ室中を見廻して眉を顰め「イヤ此室の暗い事は、 エヽ彿國(ふらんす)の給使は主人の油をまで儉約するから其れだから氣に喰はぬ」 と勿論英語で傍若無人に呟いた、蛭峰も英語で「イヤ是は、私の目の(しやう)の惡い爲め特に暗くして戴いたのです」 と云ひつゝ目鏡を掛けて了ツた、自分で姿を變るのが旨く無いと知つて居ると是だけの弱味が有る、 卿は嘲る樣に「オヽ爾でしたか(それ)は失禮、ナニ英人の眼には其樣な眼病などは無い者ですから」 と自慢八分に言譯して更に「何の御用か知りませんが、此室で彿國語を使ふのは始めからお斷り申して置きますよ」

其發音は英人の外は決して口に出ぬ口調である 蛭峰「致し方が有りません、不束(ふつゝか)ながら英語で申しませう」卿は大に滿足の樣子で 「イヤ貴方は關心に英語が巧だ、全く我々英人の口調です、是ならば私も何事をでも隔て無く申しませう」 蛭峰「ハイ有難う存じます、實は今夕伺ひましたのは、兼てお知り合と聞く巖窟島伯爵の事を聞き度いと思ひまして」 卿は又眉を顰めた「エヽ巖窟島伯爵の事 -- イヤ其では御免蒙ります、私は彼奴と、 イヤ彼の伯爵と始終の(かたき)ですから私の云ふ事は決して公平で有りません」 蛭峰は却て感心した、大抵の人ならば、自分の敵の事だから、 警視廳より聞かれては得たり(かしこ)しと惡し樣に言立てる所だのに、 流石は卑怯な事を嫌ふ英國の貴族である「イヽエ貴方が御自分で公平で無いとお氣附ならば却て其れだけ公平に成る譯ですから、 恭しく聞取ります」卿は仲々快活である「でも私と彼との間は、 公平に感ずる事の出來ぬ仕宜(しぎ)に成つて居るのです、既往七年間の間に三度決鬪した程ですもの」 三度の決鬪とは暮内法師も噂した、蛭峰「何う云ふ譯で爾う度々決鬪を」 卿「ハイ彼が英國に居る時に私の親友の妻に無禮を加へたが起りです」 親友の妻と云ふは實は自分の妻だらう爾も無くば爾う執念深く三度まで鬪ひはせぬと蛭峰は悧巧げに察して 「シテ其結果は」卿「最初の一囘は彼が勝ちまして私の胸へ窓を開けました、 次のは矢張り同じ事ですが私が負まして肩先を斬られたのです、 三度目のは、一昨年の事で其記念が猶だ鮮かです、此れ此通りだ」と云ひ、 袖口を捲くり上げて左の手の腕を示した、腕には薄暗い燈火(あかり)にも歴々と赤い傷の跡が殘つてゐる 蛭峰「オヽ是は大變なお怪我ですねえ」卿「ハイ三度とも負かされて默つて居られませうか、 近々四度目の決鬪を言込む積です、今日も私はグリセル先生の道場で三時間稽古して來ました、 今度こそ彼に十々滅(とゞめ)を刺して呉れます」蛭峰は眞實に腹の中で此人が十々滅(とゞめ)を刺す事を祈つた、 「御尤もです」卿「所が彼、實に卑怯では有りませんか、私が頻りに撃劍の稽古して居るのを聞き、 今度は叶はぬと臆したと見え、オーチウルの隅の方へ別莊を買ひ、此頃では其中へ潛んで居る容子です」 成ほど此人は我儘と臆斷とに過ぎて事の皮相(うはつら)より知る事は出來ぬのかと、 蛭峰は聊か失望の想ひをしたが併し此樣な氣質ならば、知つて居る丈は少しも包まずに云ふだらうと又自分で取直した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七〇 肝腎の記憶の筋


是より蛭峰の問出す言葉に柳田卿は()と無遠慮に答へ初めたが、 其答へは總て皮相(うはつら)の事のみで有ツた、併し大體に於て暮内法師の言葉と大して違ひはなかつた。

巖窟島伯爵がマルタ港の造船者の子であるから、船に乘つて多く東方の諸國を歴巡(へめぐ)り、 後に鑛山を發見した事なども同じである、 唯だ法師の方は其鑛山が何處かと云ふ事を知らなんだが柳田卿の方が明かに其れを指した、 希臘のセサリーに在る金鑛で、伯爵が其國王に何か忠勤を盡した爲め襃美の意味で其採掘を許されたのだとの事である、 成るほどセサリーに意外の金脈が見附かツたと云ふ事は幾年前に蛭峰も聞及んだ所である、 最後に蛭峰は卿と伯爵と何うして知り合に成つたと聞いたら、其れは卿が印度で英國の兵の一部を指揮して居る頃、 其軍隊へ伯爵が品物を賣込む許可を願出た爲であるとて、其頃の伯爵が唯だ單に一個の冐險者で有つた状などを誹謗しつゝ語り、 更に轉じて其後英國で逢つた事、又其れより後屡卿の遊山船と伯爵の遊山船と地中海などで逢ふ事が有るのに、 其度毎に伯爵のが無禮に卿のを追拔いて行く事などを語り、()と悔しげに、 「ナアニ私は造船者の息子では有ませんから、何うせ船の水滑りの好い樣に造る事は船大工の息子には叶ひませんワ」 と嘲ツた、此容子で見ると兎に角作り話しでは無い、と蛭峰は思ツた。

併し是だけの所で、別に參考になる樣な(ふし)は無い、と云つて此上に聞き出す事も無いから蛭峰が別れを告げやうとすると、 卿は更に誇る樣に「此樣な譯ですから私は常に彼の身を隱し目附を附けて有ります、 彼がオーチウルの別莊を買つた事なども誰よりも先に知り、其公證人の名まで知つて居ます、 何しろ彼は山師ですから何時(いつ)法律に觸れる樣な事をするかも知れません、 其時には直に警視廳へ知らせて上げます」 と非常な乘氣を示して云ふた、蛭峰は兎も角も計らぬ手助けを得たと云ふ樣な思ひで 「ハイ何うか其節は警視總監宛で親展書を認めてお出し下さい」 卿「其代り何うか貴方の方でも何か彼の事に付き、私へ知らせて差支の無い樣な事が有れば其都度茲へ來てお知らせ下さい」 蛭峰は口先ばかりの積りで無く「ハイ自分で來るか或は親展書でお知らせ申しませう」 是れで別れたのは早夜の十一時過であツた。

勿論此長い面會の間に柳田卿は一言も彿國語を用ひなんだが、 若し用ひたならば或は其言葉の癖に巖窟島伯爵と能く似て居ると蛭峰に思はれる所が有ツたかも知れぬ。

夜更けて家に歸つたけれど、蛭峰は寐もせずに朝まで彼の澤山の書類を調べて居た、 翌朝も出勤の時刻まで書齋を出なんだ、出勤して後は(いつ)もの樣に公務を執り、 終つて警視總監の(やしき)へ立寄つた、爾して午後の五時頃に家に歸つた、 歸ると又書齋に閉ぢ籠つた。

斯うまで彼が綿密に且熱心に過越方を調べて居るとは巖窟島伯爵の知らぬで有らう、 此日は丁度子爵野西次郎の(やしき)に彼の伯爵の土曜日の晩餐會に因んだ夜宴を催さるゝ當日である、 無論蛭峰は妻と共に案内を受けて居る、けれど彼は其事を忘れた容子で、 夜に入つても猶取調べて居る、其進み方も仲々早い、今は早順を附けて積重ねた書類の中から、 人の名を書拔いて居る、其れも既に罫紙へ廿枚ほどは書いて了つたが、 餘り根を詰めた爲、少しは氣が屈したのか、靜かに机から頭を上げて獨語した 「アヽ最う少しで、己が檢事補で有つた時代だけが終る。 次は檢事の時代へ移るのだ」と云つて、今寫した最後の名前を見た、 其れは「團友太郎」と書いて有る、丁度此處へ彼の妻が靜かに入つて來た 「オヤ貴方は未だお調べ物ですか、最う徐々(そろ〜)お仕度を成されねば、遲れますが -- 」 彼は合點の行かぬ樣に「遲れるとは何か」妻「アレ子爵野西家の宴會を貴方はお忘れですか」 蛭峰「オヽ爾だツた、けれど私は調べ物の爲今夜は行かれぬ」 妻「行くと返辭を送つて有りますのに、其に巖窟島伯爵も必ずお出でせうから、 先夜の晩餐會のお禮も貴方から云つて戴かねば」彼は「オヽ巖窟島伯爵か」 と云つて猶も紙の上の名前を眺めつゝ「急に頭痛がするから來られぬ事に成つたと、 何うか和女(そなた)が獨り行つて、然る可く斷ツて呉れ、 最う少しで調物が一段落着く所だから手が離されぬ、今氣を拔くと肝腎の記憶の筋が途切れるから」 到頭妻一人で野西家の宴會には行く事に成ツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七一 死、生、疑


蛭峰の妻は終に夫の言葉に從つて此室を去つた、蛭峰は其去つたか去らぬかには氣に附かぬ容子である、 彼は唯だ自分の寫し掛けた其罫紙を見詰めて居る、罫紙の表面には、多くの名が有ツて其一番終りには「團友太郎」と有る。

彼の(まなこ)は切に此「團友太郎」の名に注いで居る、けれども特別の意味が有つて之に注ぐ譯では無い、 唯だ寫して來た最終の名である爲めに注ぐのだ、彼は暫らくして呟いた、 「己が大檢事に成つて後に取扱ツた分は、比較的に新しいから、 未だ其中の人が己に忘れられて居るだらうと安心して、己の傍へ近寄る筈は無い、 (よし)や近寄ツても己の方で思ひ出す、然るに彼の巖窟島伯爵に至つては何うも何も思ひ出されぬ、 何だか昔見た事の有る顏の樣にも思ツたけれど、心に浮ばぬ、是で見ると大分昔に違ひ無い、 果して己が取扱ツた罪人の内だとすれば、何うも大檢事時代では無い、 其前の檢事時代か、或は未だ前の檢事補時代、爾さ今朝から斯う書拔いた此中に在るかも知れぬ、 或は更に近く此ページの内に無いとも限らぬテ」言葉と共に又も「團友太郎」の邊を眺めた。

危い哉 岌々乎(きふ〜こ)たりとは此時の巖窟島伯爵の運命である、 誰れも爾う危いとは氣が附かぬけれども茲で若し蛭峰の心機が唯だ一轉すれば、 イヤ一轉せずとも(わづか)に微動して、團友太郎の昔の顏をでも思ひ出したなら、 其が巖窟島伯爵の最後であるかも知れぬ、併し、併し、 能く考へて見ると爾う容易に考へ出す筈が無いかも知れぬ、其れとも有るかも知れぬ、 何しろ何百と書列ねた名の中だから今は特に團友太郎の事をのみ思ひ出すと云ふ端緒が出て來ぬ、 然り、今は出て來ぬけれど後には出て來るかも知れぬ、其れに又此蛭峰と團友太郎との間柄を考へて見るのに、 友太郎の方から云へば實に終天の恨を釀しても猶足らぬ程の苦しみを受けて居るけれど、 之を蛭峰の方から云ふと、彼が友太郎の顏を見たのは、廿年より先の以前で而も唯一日である、 時間にすれば一時間に足るか足らずだ、自分の檢事補の室へ被告人として連れて入り簡單に取調べたのみである、 (たと)ひ其取調べ方が他の取調べ方と違ツて居たにせよ、 又其取調べには空前絶後とも云ふ可き一種の事情が因縁(まつはつ)て居たのもせよ、 其被告の顏を今でも覺えて居ぬのは尤もである、 唯だ其事件は生涯忘れられぬ事情が有つて今でも時々彼の心へ浮んで來るかも知れぬけれど、 其れが爲に友太郎の顏をまで猶だ覺えて居ると云へば其れこそ却て怪しむ可きである。

彼は又呟いた「イヤ唯だ此樣に名を書く丈けでは()けぬ、 名の上へ何か印を附けて區別せねば、爾だ明かに死んだ奴は再び現はれて來る筈が無いから用事は無い、 死んだ奴には名の上へ「死」の字を附け、活て居る者には「生」の記しを加へて置かう、 併し死んだと思つても其實活て居る奴も有る、此樣な奴が最も怪しいテ、 フム此樣な奴には「疑」の字を附ければ好い、譬ば死んだと爲つて居るけれど何處で死んだのか分らぬとか、 或所は分ツて居るが其死骸が分らぬとか、爾うだ何の樣な事で其樣な奴が逃れて居るかも知れぬ」

仲々彼の思想は綿密である、斯う綿密に部を分けて調べて行けば何だか意外に早く分り相にも思はれる、 (しか)も彼の思想は茲に至ツて又 一入(ひとしほ)綿密に成つた「待てよ巖窟島伯爵の年齡は幾歳(いくつ)だ、 一寸と見れば卅四五にしか見えぬが、暮内法師や柳田卿の云つた履歴や其今の事どもから考へて見ると四十位だらう、 五十には決して成らぬ、爾すると己より年下の奴を調べれば好い、假に四十とすれば、 さうだ己が檢事補の頃調べたのなら十八九の少年で有ツたのだ、 此割合で此名前の人逹の年齡を區別するが肝腎だ、宜しい、早く檢事補時代だけを寫し終ツて 「生」「死」「疑」の三つの印と其年齡とを分けて見やう、ナアニ彼奴が何の樣に隱したとて分らぬ筈が有る者か、 之が分らぬ程なら己は蛭峰とは云はれぬ、大檢事とは云はれぬ」

驚く可き程の自信である、()にや自信の強き者は必ず目的を遂げ(おほ)せると云ふが、 其言葉が事實と爲るのは何時(いつ)だらう、果して今夜の中だらうか、 或は明朝だらうか、兎も角も彼は此決心に從ツて又殘る部分を寫し初めた、 凡そ二時間の後には早檢事補時代の分を寫し終り、爾して彼の三つの印と年齡とをば初めの方から區別を附けに掛ツた、 けれど今夜の中には其仕事が出來上らぬ運命に極つて居たと見え、 夜の十一時に成つて何うしても此仕事から手を離さねば成らぬ樣な一椿事が湧いて起ツた、 其椿事は後に廻す。

*    *    *    *    *    *    *

併し、此蛭峰より外に、蛭峰にも劣らぬほど切に伯爵の素性を氣にして居る者が一人ある、 或は伯爵に取つては其の方が一入(ひとしほ)恐る可きかも知れぬ、 其方が蛭峰よりも先に伯爵の素性を見破るかも知れぬ、或は既に見破ツて居るかも知れぬ、 其れを誰かと云へば武之助の母なのだ、野西伯爵夫人露子なのだ、 昔は西國村(すぺいんむら)のお露と云はれた、見る影も無い漁師の娘であツた、 爾して團友太郎の許嫁であツた、此露子夫人が初めて巖窟島伯爵の逢つた時の尋常(たゞ)ならぬ容子は既に記した通りである、 其後も伯爵の事をのみ氣にして居る事も讀者の知る所であらう、 今夜催した夜會とても、多くの貴紳を招いたけれど、 其眞の目的は或は最一度巖窟島伯爵を招いて詳しく容子を見て取りたいと云ふに在るのでは無からうか、 何うも前後の事情が其樣にも思はれる、けれど伯爵は爾とも思はぬ、 約束の刻限に其 (やしき)を指して行つた、 或は最早伯爵が眞の素性を見破られる樣な時節が到來して居るのでは有るまいか、 何しろ伯爵の樣に名高くなれば、其名高さの増すと共に、 右からも左からも其素性を怪しむ人が増して來る樣な事が有りはしまいか、 誠に疑へば限りも無いが其疑ひは讀むに從ひ、自然に何方(どつち)にか分ツて行かう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七二 廿餘年前の彼は


露子夫人を會主とする子爵野西家の宴會に招かれた人逹が非常の名譽と心得て我先に推掛けた所である、 巖窟島伯爵が之に臨んだのは、遲くも無かツたけれど早客の來揃ふた後であツた。

若し伯爵の知つて居る丈け此家の主人野西次郎の素性が一般に知られてをるなら、 誰も此宴會に爾う急いでは行かぬであらう、廿餘年前の彼は漁師村の若者で有つた、 肴賣であツた、戀の爲には人を密訴密告する樣な卑劣な男であツた、 今は其れが子爵と云ふ榮譽の上に陸軍の中將である、殊に希臘の戰爭から歸つて以來大金持の一人にさへ數へられる、 實に三拍子揃つた勢力家であるのだ、誠に變れば變る者と伯爵は多少の感慨を催しつゝ其家には入つたが、 見れば自分が第一に逢ひ度いと目指して來た蛭峰大檢事の姿が見えぬ、 彼とても我身の擧動には目を離さぬ程にする筈だのに、今夜來ぬのは、 何か深い仔細が有る爲では無からうかと、流石寸刻の油斷も無い鋭敏な心に早や不審の念を起し、 直に一方の窓下に居る蛭峰夫人の許に行き「今夜蛭峰氏は如何成されました」 と問ふた、夫人は頭痛の爲と云ふ樣に命ぜられては來たけれど、夫の勉強を誇り度くも有る 「貴方だから申しますが、廿餘年前初めて職に就た時からの書類を集めて綿密に取調べて居りますよ、 何でも世間を驚かせる樣な大事件が初まり掛けて居るだらうと思ひます、 愈其事件が法定へ現はれる事にも成れば第一に貴方へ、私から傍聽劵をお送り申します」 伯爵は唯默禮して茲を去つた、蛭峰が何の爲に廿餘年前からの書類を調るか大抵は見當が附いた樣だ。

其れが爲だか否かは知らねど是より伯爵は何と無く氣掛りの(てい)で總ての擧動が沈み勝に見えた、 其れと見て第一に慰めに來たのが森江大尉で、次に來たのが當家の子息武之助である、 大尉は頻りに伯爵の好む馬の話を語り出で近々に遠乘りを爲さらぬかなどと勸めて居たが、 武之助の方は方面を變へ「伯爵、貴方と私との舊知己が愈此巴里へ歸つて來る事に成りました」 伯爵「エ、舊知己とは」武之助「私が貴方を尊敬すると同じ程矢張り貴方を尊敬して居る毛脛安雄ですよ、 彼の手紙が今朝着きましたが、彼は手紙より一日後れて羅馬を出發すると申します」 又蛭峰夫人も茲へ來た「ハイ安雄あんは私共へも其通りの手紙をお寄越しでした、 巴里へ着けば直に私共の華子を結婚の式を擧げますから其時は伯爵も是非御臨席を願ひます」 此言葉を聞いて青くなツたは森江大尉である、彼は座にも堪へぬ状で伯爵を捨て去つた、 眞に華子と安雄との婚禮が爾うまで差迫ツたとは彼に取つて世界絶滅の期が近づいた樣な者だらう、 伯爵も大方は森江大尉の事情を察したらしかツた。

此樣な事で益々伯爵は陰氣に成つたが其中に幾番の舞踏なども有り又食事も初まツた、 來客一同は興に入つて、殊更伯爵に目を留める人も無い樣に見えたが、 唯だ今夜の會主露子夫人のんみは爾で無かツた、初て伯爵の入つて來た(そもそ)もの初めから此夫人の眼は、 其れとは無しに伯爵の身に注いで居たが、食事の半頃になると、 (あたか)も堪へ兼た事の有る樣に我子武之助を一方に呼び聲を潛て 「其方(そなた)は氣が附いたか知らぬけれど、今夜伯爵は何の珍味にも箸をお取成さらぬ樣子だが」 武之助「其はお腹が滿て居る爲でせう」露子「此樣な夜會へ來るのにお腹を滿して來る方も無いものだ、 其方(そなた)は何とも思ふまいけれど、女と云ふ者は詰まらぬ事でも氣に掛る者だから、 何うか其方(そなた)が伯爵へ、何か召上る樣に勸めて見てお呉れ」 武之助「何を貴方は其樣にお氣に成さります」 露子「ナニ伯爵は兼てから此家で物を()べるのを避けて居らツしやる樣だもの、 私の氣の迷ひかも知らぬけれど、(かたき)の家で物を()べれば神の怒りに觸れるなどと云ふ宗教も有るし、 此家へ來るお客が物を()べぬとは」武之助「ナニ其樣な事が有りますものか、 伯爵は初めて巴里へお出の時、私と共に食卓(てーぶる)へ着いたでは有りませんか」 露子「イヽエ其方(そなた)の家と父次郎の家とは、同じ家でも棟が違ひます、 お宗旨で云ふのは(かたき)と同じ棟の下で鹽を食るなと云ふのです」 武之助は輕く笑ひ「其れでは伯爵が阿父(おとう)さんを(かたき)と思ふのですね、 其樣な事が有りますものか」露子「其れでも先づ勸めて見てお呉れ」 武之助「勸めたとてお腹が滿()ちければ誰だツて()べませんよ、 併し勸めて見ませうよ」と云ひ捨て武之助は立去ツた。

猶も露子夫人は此方(こなた)より、伯爵の方をのみ眺めて居ると、 (やが)て武之助が、一皿の珍味を特に伯爵の前に置いて勸めた樣である、 けれど伯爵が嚴重に拒んで居る状も見えた、露子夫人は絶望の嘆息(ためいき)と共に 「アヽ此疑ひが間違ひで有れば好いのに」と()と悲しく呟いて、 立つて[居]る足の震へる樣に蹌踉(よろめ)いた、 其中に食事も終り客の數人は冴え渡る月を踏んで散歩する心と見え打群て庭に出た、 茲ぞと露子夫人は心を固めた容子で靜かに伯爵の傍に寄り「サア伯爵、御一緒に庭へ出ませう、 何うか私の手をお()き下さい」とて伯爵の腕を求めた、 伯爵は不意に恐る可き者にでも逢つた樣に、驚いて此方(こなた)を向き、 (しば)し夫人の顏を眺めた末、漸くに心を鎭め得たと見え「ハイ」とのみ短く答へて腕を與へた、 斯樣に縋り、斯樣に縋らせたのは廿年前の夢である、縋る手の心持、 縋らせる腕の感じは、昔に比べて何の樣だらう、 二人ともに一種名状の出來ぬ恐れに震へる身を震へまいと唯其れのみが必死の思ひであツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七三 盆栽架


「此疑ひが間違ひで有れば好いのに」と露子夫人が心配する其疑ひの何で有るかは知らぬけれど、 兎も角も巖窟島伯爵が此家で何一つ()べぬより起ツた疑ひに違ひ無い、 夫人が強て伯爵の腕を求め其れに縋ツて震へ震へ伯爵を庭の(おもて)に誘ひ出したのも全く其疑ひを晴らし度い爲なんだらう。

縋ると云ふは名のみにて、實は巖窟島伯爵の腕に、唯だ露子夫人の指先が一寸障ツて居るに過ぎぬ、 廿餘年の昔手を引き手を引かれたとは大層な違ひと云ふもの、 併し是だけが兩人(ふたり)の精一ぱいで有るのだ、此上深く縋る事も縋らせる事も出來ぬ、 (やが)て二人は盆栽架(ぼんさいだな)のの方へ行つた、茲には他の客も來て居るから勿論密會と云ふ樣な状では無い、 唯だ何方(どちら)から言葉を發するかと雙方ともに待つ容子で殆ど果しが無く見えたが、 漸く夫人の方が口を開いた「秋は月も冴え果物(くだもの)なども熟しまして、 春よりも好い季候ですねえ」異存を云ふ可き言葉で無いから伯爵は唯「ハイ」と答へた、 確に嚴重な用心の状が見える、夫人「御覽なさい、此の熟した秋葡萄が、 月影に(まる)で地に描いた繪の樣では有りませんか」伯爵が「如何にも」と答へて地を見る間に、 夫人は早くも露の埀る樣な秋葡萄の一房を、埀れた(つる)から摘み取つて 「貴方のお愛し成さる東方の果物には及ばぬかも知れませんが、 是は故々(わざ〜)アルジールから取寄せた種ですから此國には餘り類が無いと云ひ、 皆人樣がお襃めに成ます、一つ召上ツて品定めを願ひます」と伯爵に差出した、 來客の身に取つて是ほど手厚い持做(もてなし)が又と有らうか、 主人自ら珍重する盆栽の果物を摘み、手づから差出して、 而も夫人自らは(いや)と云はせぬ樣に早や其一粒を啄んで居る、 誰とて此場合に之を斷る事は出來ぬ、伯爵は靜かに顏を上げた、 照添ふ月に其色の青い事は葡萄の葉にも優るかと疑はれる、誠に伯爵の身に取ツては命の瀬戸とも云ふ程の試驗である、 併し伯爵は遂に云ふた「イヽエ夫人、私は葡萄は()べません」

若し日頃の伯爵ならば同じ斷るにも少しは愛嬌の有る言ひ廻しをするだらうが、 今は心に、言葉を飾る丈の餘裕が無いのだ、夫人は此言葉に泣出さん許りに嘆息(ためいき)したが、 直に又品を替へ「では此桃を召上ツて戴きませう」とて隣に熟した桃の實を摘まふとした、 伯爵は(あわ)てる樣に「イヽエ夫人、私は果物は()べません」夫人が「オヤ是もですか」 と云つた聲は全く泣聲を強て壓した樣な音であツた、爾して更に 「本統に貴方は、私の折角のお願ひを」と、(なかば)恨の樣に、 又半笑ひに紛らせる樣に、言繕はふとしたけれど後の句は唇より外へは出なかつた、 夫人の辛さも全く伯爵の辛さに劣らぬのだ。

(しば)し無言とは爲つて又他の方へ歩を轉じたが夫人は猶彼の葡萄に房を一方の手に持つて居る、 爾して程合を見て、今度は雜話の樣に「伯爵、貴方は大層旅も成され又艱難も成さツた樣に聞きますが」 伯爵「ハイ隨分悲しい事を經て來ました」夫人「爾して、今では最う、 喜ばしい事ばかりの御身分にお成りなされて——」 伯爵「ハイ誰も私の嘆くのを聞かぬから喜ばしいと云ふのでせう」 何と無く苦い意味が籠つて居る、夫人「シタが貴方はお一人ですか、奧方は」 伯爵は驚いた樣に「エ、奧方、私に其樣な者は有りません」 夫人「でも劇場へは(いつ)も希臘風の美しい御婦人をお連だと聞きますが」 伯爵「彼れは私が土耳古(とるこ)で買取つた女奴隸です。 餘り可哀相な身の上だと思ひましたので」夫人は問へるだけ問ふて見る氣に成つたらしい 「では、一人も親身の方がお有り成さらぬのですか伯爵「ハイ一人も」 夫人「父上も母御も」伯爵「今は有りません」夫人「お子樣も、姉妹兄弟も」 伯爵「ハイ何にも」夫人「其れで()ア、何を樂しみに此世をお過ごし成されます」 何を樂しみに、嗚呼、何を樂しみに、樂しみの爲に活て居る身では無い、 唯恨と云ふ一念の、晴らさねば成らぬ者[の]有るが爲に、 人も分らぬ此暗い年月を送つて居るのだ、我が名に有らぬ名を稱へ、 身分に有らぬ身分を作り、殆ど人とだも云はれぬ人と爲つて、 人に怪しまれ疑はれつゝの艱難辛苦、(そもそ)も誰の爲に起ツた事ぞ、 今問ふ人は、事の起りとは爲つた其人である、之を思ふと、 兼ねて心を鐡石に鍛ひ固め如何なる情にも動かされぬと覺悟して居る伯爵も異樣に感慨の(たか)ぶツて殆ど自分で制する事が出來ぬ 「ハイ夫人、此樣な一人者と爲つたのも自分で求めての事では有りません、 曾て此女こそは[と]思ふ一少女も有りましたけれど——」と心の底を語る樣な語を發した、 夫人は恐ろしい幽靈にでも逢つた樣に、一足 背後(うしろ)に退いた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七四 氣味惡く聞える節


幽靈にでも逢つた樣に、一足 背後(うしろ)へ退いたけれど、其後を聞かずにはゐられぬ、 氣を取り直して又進み出で

「其から其女は何うしました」

伯爵は聲の震へるを隱さんとてか()と沈みたる小聲にて 「ハイ、私と結婚する許りに成りましたが、折惡く其時は(いくさ)が起り、 私は軍隊に運び去られました」夫人「爾して」 伯爵「其れでも(いくさ)の終るまで其女が多分は私を待つて居る事と思ひ、 (いくさ)が濟むと直にマルタへ歸つて來ましたが、其れは私の空頼みでした、 其女は早他人の妻と爲つて居ました」言ひ掛けて餘り自分の言葉を熱心過ると思ふてか、 更に伯爵は異樣に打笑ひ「ハヽヽヽ幾等も世間には類の有る話ですよ、 併し其頃は私も猶だ年が若くて、餘り正直過ぎた者ですから、 其れ切り妻帶と云ふ念を絶ち、到頭今まで獨身で來ましたのです、 思へば愚な話ですよ」言終つて又笑つた、夫人は成る可くは何氣無く笑つて調子を合せ度い、 けれど心に其樣な餘裕が無い、唯だ(わづか)に「其後貴方は其女に逢ふ折が有りましたか」 と問ふが(やつ)とであつた、伯爵「其れ切り逢ひません」 夫人「其女は今でもマルタに居るのですか」伯爵「ハイ人の妻と爲つて、或は母と爲つて、 多分無事で居る事でせう」夫人「でも貴方は猶だ其女を恨みますか、 其れとも心の中で、其——不實を——其罪を——許してお遣りに成りましたか」 ハイ其後、世の中を經廻つて人情とは何の樣な者かと云ふ事を多少は知り、 其女だけは許しました」夫人「其女だけですか、女を貴方から引離した人逹は猶だ許して遣らぬのですか」 伯爵は曖昧に「今更恨んだとて追附きませんよ」

露子夫人は此返辭を何と悟つた事か、最早伯爵の心に何の恨みも殘ツて居るぬと思つたゞらうか、 又も先ほどの葡萄を差出し「伯爵、何うか一つお上り下さい」 伯爵は先ほど答へたと同じ樣に「イヽエ夫人、私は葡萄は()べません」 唯だ簡單な一句であるけれど決して恨みを忘れた人の言葉では無い、 何處にか氣味惡く聞える(ふし)がある、夫人は絶望に堪へぬ樣に、 口の中で「エヽ氣強いにも程がある」と呟いて、其葡萄を(かたへ)(くさむら)に投棄てたが、 丁度此處へ武之助が走ツて來た爲め此上の問答が出來なくなツた。

阿母(おかあ)さん、阿母さん、大變な不幸が出來ましたよ」と云ふのが彼の(あわたゞ)しい言葉であツた、 何の樣な場合でも「不幸」と言ふ語は決して爽かには耳へ響かぬ。露子夫人は驚いて「エ、不幸とは」 武之助「今蛭峰大檢事が故々(わざ〜)夫人と華子孃とを此家へ迎へに來ましたがネ——」 露子夫人「何うして」武之助「何事だか知りませんけれど、急に變ツた事が出來たと見え、 大檢事の顏色が眞青でした、爾して何か夫人の耳に細語(さゝや)くと傍に居た華子孃が驚いて氣絶しました、 座敷は大騷ぎでした、尤も直に手當して孃は正氣に歸りました故蛭峰氏が夫人と共に馬車へ載せ最う連れて歸りましたけれど、 外のお客が之れの爲に何だか興が醒めた樣ですから、其れで私が貴女を探しに來たのです」 夫人は(あわ)てゝ座敷に歸つた、 爾して再び客の興を引立たせやうと勉めたけれど夫人自らの心が引立つて居ぬ爲か充分には成功せずに此夜會は終ツた、 尤も伯爵は終らぬ先に歸り去ツた。

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此話は是だけにして置いて、少し長いかも知れぬけれど「蛭峰家」と題を置き、是から數囘の間蛭峰の家の事を述べねば成らぬ。

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蛭峰家 一

(さて)も蛭峰は、何うしても伯爵の素性を見破る爲に、夜の更くるまで古い書類を調べ、 書拔いた名前を「生」「死」「疑」の三點に記し分けて居たが、彼は又何か思ひ出した樣に獨語して 「アヽ職務の上で(かたき)を作つたのみで無い、己は其外にも敵を作つた事が數々ある、 若し職務上關係した人間を取調べて分らぬならば、更に祕密の方面を調べねば成らぬ」と呟いた、 祕密の方面とは、云ふ迄も無く「戀」と云ふ曲物(くせもの)である、 彼は世間幾多の好色家と同じく、其半生を、怪しげなる、祕密なる「戀」と云ふ事に委ねた男である、 其頃の彿國(ふらんす)の紳士一般の風としては怪しむに足らぬ樣な者の、 其れが爲に、思ひも寄らぬ敵を作つた事は定めし少い數では有るまい、 其時にこそは、血氣の勇に任せ、敵を作るを恐ろしとも思はずに居たけれど、 今の樣に自分を恨む人の名を取り調る場合に爲ツては、區域の廣い丈に益々面倒に成つて來るのだ、 其れは扨置(さてお)き彼が呟き終る所へ、何者か、けたゝましく戸を開き、 泣聲と共に室の中へ入つて來た、兼て誰をも通さぬ樣に玄關の番を嚴重にして有るのにと蛭峰は怪しみつゝ振向けば、 硝燈(らんぷ)の光に照らされて蛭峰の背後(うしろ)に立てるは、 年七十にも近からうと思はれる一婦人である、蛭峰は狼狽の状で書類を疊みつゝ「おや阿母(おかあ)さん」と打叫んだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七五 蛭峰家二


蛭峰に「阿母(おかあ)さん」と呼ばれる此婦人は何者だらう、他でも無い、 蛭峰家の先妻禮子の母なる米良田(めらだ)伯爵夫人である。

此老夫人は夫伯爵と共に、久しい前に巴里の本邸を立ち、馬耳塞(まるせーゆ)の別莊に行き、 何時歸るとも極ツて居なんだのに、突然茲へ現はれたから、蛭峰の驚くも無理は無い、 「エ阿母(おかあ)さん何うして茲へ、阿父(おとう)さんも御一緒ですか」 老夫人は俄破(がば)と蛭峰の前に泣伏し「聞いてお呉れ重輔、阿父さんは——私の夫は ——アノ米良田伯は、巴里へ來る途中の宿屋で亡なりました」蛭峰は目を見張ツた 「エヽ、米良田伯がお亡なり、其れは何うして」老夫人は涙と共に「ハイ、數日前から少し勝れぬ御容子で有つたけれど、 其方(そなた)から華子の婚禮が近よツたとの手紙が來た爲め、 其婚禮の間に合ふ樣にと、私と共に馬耳塞(まるせーゆ)を出たが、 途中の宿屋で晝食した後、兼ねての持藥を召上つた所、間も無く眠けを催したと仰有り、 少しの間とてお(やす)み成さツたが、其まゝ目の覺ぬ事と成りました」 蛭峰「爾して醫者には」老夫人「ハイ直に土地の醫者を招いて見せました、 多分は腦卒中だらうと診斷はしたけれど最う縡切(ことき)れた後であツた、 勿論葬式は此巴里でせねば成らぬ故、御遺骸は棺に收め、後から從者が持つて來ます、 多分は明後日(あさつて)あたり着くだらう、 私は葬式の用意も有り且は其方の娘華子が伯の相續人と極つて居るから直に華子にも逢はねば成らず晝夜無しに馬車を急がせ遺骸より先に此通り歸つて來ました、 サア華子は何處に居る、華子を(これ)へ呼んでお呉れ」

實に思ひ設けぬ事變である、外の事の爲なら到底書類の取調べを止めぬ蛭峰だけれど是では止めぬ譯に行かぬ、 「少しお待下さい、阿母(おかあ)さん華子は母と共に、一寸外出した所ですから直に私が呼んで來ます」 眞逆(まさか)に此悲しみの中で、夜會に行つて居るとは云ひ得ぬ、 老夫人が聊か聞咎める樣に「エ、母と一緒に、華子の母は亡なツた禮子です、繼母(まゝはゝ)は決して母では有ません」 此中でさへ斯樣に異存を(とな)へる所を見れば、何れほど此老夫人と蛭峰の今の妻と不和合かと云ふ事が推量られる。

蛭峰は言葉の端を言爭ふ場合で無いから無言で書類を悉く抽斗(ひきだし)に入れ、 錠を卸し、爾して馬車を命じて自分で野西家へ迎へに行つた、 野西家で華子は何の樣に驚いたかは既に前囘の武之助の言葉に見えた通りである、 間も無く華子と繼母(まゝはゝ)と蛭峰と、三人一緒の馬車で歸つて來たが、 老夫人は爾無きだに衰へた身體を以て生涯に又と無い不幸を受け、 其上三晝夜を休息せずに急いで歸京したが爲め、此家へ着いて早や氣も弛んだと見え、 蛭峰の居間で給使の持て來た飮物にさへ手を觸れず長椅子の上に居眠つて居る、 爾して三人の物音を聞き、目を開いて飛び起きたけれど、 最早疲れに勝つ氣力が無い、唯だ華子の手を取つて「早く婚禮して曾孫の顏を見せてお呉れ」 と云ひ、暫らくして又、「和女(そなた)の夫になる毛脛安雄と云ふは昔暗殺せられた毛脛將軍の息子だと云ふから、 萬一 和女(そなた)の死んだ後で直に後妻を迎へる樣な不實な紳士では無いだらう」 と甚く蛭峰に當附けた語を吐くのみである、蛭峰の妻は餘ほど不興の(てい)だけれど、 (あらは)に立腹する場合で無いとん見たか、穩かに 「阿母(おかあ)さん、貴女は不意の御不幸に、餘り身體をお使ひ過ぎに成りました、 大凡(おほよそ)の容子は私も蛭峰から聞いて知りましたが(さぞ)、御愁傷な事でせう、 此上心配をお續け成さツてはお身體に障りますから今夜は直にお(やす)み成さい、 又明朝色々伺ひませう」とて手を取つた、老夫人は又忌々しいと云ふ樣に目を開き 「なに、私の世話は孫の華子がするから好いよ、華子 和女(そなた)には色々話しが有る、 サア私を外の室に連て行つてお呉れ」

華子は蛭峰から目配せゝられ、其まゝ老夫人の手を取つて、之を二階の寢室へ連て行つた、 老夫人は身を支へる力も無い(てい)で、直に寢床には就たけれど、 餘り疲れ過ぎた神經には本統の眠りは來ぬ、(やゝ)久しく華子の手を握ツたまゝ 「早く安雄と婚禮して此老婆に安心させてお呉れ」との事をのみ殆ど囈語(うはごと)の樣に繰返した、 華子は「安雄と婚禮」と云はれる毎に、身を切られるよりも辛い、 けれど此方さへ是ほどに望まれるからは最早逃れる路は無い事かと、 詮方なく逆らひも得ずに聞いて居るうち、何うやら老夫人が本統に眠つたらしく見えたので茲を去ツた。

此翌朝である、再び華子が此 寢室(ねま)に入つて見ると、老夫人は容易ならぬ容體である、 昨夜は唯だ疲れの爲とのみ思はれたのに今朝は爾で無い、熱が有つて全くの病人と爲り仲々起き出る容子も無い、 華子は其顏に顏を寄せて「祖母(おばあ)さん何か召上り度くは有りませんか」 老夫人は病體に似ぬ決然たる聲で「外の人へは云はぬけれど和女(そなた)だから云ふが、 私は最う何にも(たべ)ぬ、(たべ)れば毒殺せられます」華子は根も無い囈語(うはごと)の樣に思ひ 「其樣な事が有りますものか」老夫人「イイエ私は昨夜(ゆうべ)、夢だらうと思ツたが夢で無かツた、 誰だかそツと此室へ忍び入り、枕許の(こつぷ)を何うかして立ち去つたよ、 暫らくして私は其 (こつぷ)で水を飮んだが其時から咽喉(のど)が焦附く樣な氣持がします、 何でも(こつぷ)へ毒を埀らして立去つたに違ひ無い、けれど此樣な事は誰にも話さずに居てお呉れ」 餘り恐ろしい言葉だから華子は顏の色も變つたけれど又病氣の爲の根無し言と思ひ()し、 其まゝ室を出で醫師を迎へた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七六 蛭峰家三


迎へに應じて來た醫師は、兼て此蛭峰家へ十年以上も出入する老 國手(こくしゆ)有國(ありくに)博士とて、 其道には仲々名譽の高い人である、 此人 (たゞち)に華子と共に米良田伯爵老夫人の寢室に行き診察したが病の徴候に合點の行かぬ所がある容子で頻りに老夫人へ食物の事などを聞いた、 併し老夫人は先刻華子に話した毒藥の疑ひなどは少しも此國手には洩らさなかつた。

診察を終へて國手は猶も不審の眉を顰めて此室を出で、華子に向つて 「暫し貴女の阿父(おとう)さんにお目に掛り度く思ひます」と()と重々しい調子で云つた、 何か容易ならぬ疑ひのある事は其語調でも察せらる、 華子は直に其意に從ひ父蛭峰の室へ馳せて行つて爾して戸を開いて見ると父は年若い一紳士と慇懃に何事をか相談して居て直に華子を招き寄せ 「此方が毛脛安雄君である、毛脛さん之が娘華子です」と引合せた、 華子はハツと思ふと共に顏を眞紅に染做した、是れが父の定めた我が夫である、 夫たる可き人である、此人が羅馬を立つて歸國の途に上つたことは既に昨夜も聞いたけれど、 早歸着して而も此室に居やうとは思ひ設けぬ所である、 日頃行儀作法には正しい華子だけれど、今は一語をも發し得ぬ、 全く身の破滅する時が來た樣に感じた、爾して唯 (わづか)に父の耳へ 「阿父(おとう)さん有國國手が貴方を待つて居ます」と細語(さゝや)いたまゝ、 行儀にも作法にも構はず、逃る樣に馳出した、後に蛭峰は安雄に對し、娘の不作法が極り惡い樣に 「アノ通り未だホンの子供だから致し方がありません、何うぞお氣永く充分面倒を見て遣つて戴きます」 と云つた、併し安雄は華子が一方(ひとかた)ならず羞らふた状を決して憎くは思はなんだ、 實際誰とて華子を見て、而も其顏の眞紅に染做さるゝを見て、憎くなど思ふ事が出來るものか。

蛭峰は(やが)て安雄に暫しと斷つて座を立ち爾して有國國手の待つて居る室へ來た、 國手は口數を利かぬ、唯だ簡單に「若しや此家に貌律矢(ぶるしん)を蓄へては有りませんか」と問ふた、 貌律矢(ぶるしん)とはストリキニーネと並び稱せられる程の劇藥で、 曾て巖窟島伯爵が此家の令夫人に其作用などを説明した事も有る、 蛭峰は唯だ其名を聞く丈けにすら驚いて「何で其樣な毒藥をば素人の家に蓄へて有りませう」と斷言した、 國手は猶ほも合點の行かぬ状で「若しや私から野々内彈正に與へてある藥が此家へ紛れ込む樣な事は有りませんか」 蛭峰は怪しむ如くに「父彈正の服藥には貌律矢(ぶるしん)を用ひて有るのですか」 國手は自分の職業上の事を、素人に問はれるのを好まぬ 「或は用ひて有るかも知れません、或は用ひて無いかも知れません、其れよりも私の今の問にお返辭を願ひます」 大檢事でも醫者の前では醫者の權威に從はねば成らぬ 「ハイ父彈正の居る隱居場と此家とは御存じの通り廊下續きでは有りますけれど、 父の服藥が此方(こつち)へ紛れ込むと云ふ樣な恐れは少しもありません、 ですが國手、何で其樣な事をお問に成ります」國手は「未だ此問に返辭す可き時でありません」と言ひ切り、 其まゝ猶も(いぶ)かしく考へつつ立去つた。

其れは扨置(さてお)き、華子は安雄の前から逃出すが否や、國手の居る室へも來ずに、 直に祖母米良田伯爵夫人の寢室(ねま)に驅け入り「何うしませう祖母(おばあ)さん」 とて其枕邊に泣伏す樣に身を投げた、老夫人は先程に比べると餘ほど心も落着いて居て、 華子の此状に打驚き「此子は()ア何を其樣に(あわたゞ)しう」 華子「イヽエ祖母さん、私は少しも知りませんでしたが、毛脛安雄さんが、 早や羅馬から歸つたと見え、今阿父さんの室へ來て居ます」 老夫人は却つて安心の容子である「其では安心だ私も何うか安雄さんに逢ひ、 出來る事なら今日の中にも婚禮の約束を取決め、其約定書へ、 和女(そなた)と安雄さんとに調印させる所を見たい」華子は助け船に水の洩れ入る樣な思ひである 「婚姻とて、今其樣な事が出來ます者か、未だ祖父さんのお葬式さへ濟まぬでは有ませんか、 何うか祖父さんのお葬式の濟む迄でも婚禮の事を云はぬ樣に、エ祖母さん貴方のお力で延ばす樣にして下さい」 一週間でも一日でも延ばし度いのである、延ばしたとて(もと)より逃れる道は無いけれど、 延ばす中には何うかなるだらうと云ふ樣な氣のするのが世間知らずの若い者の常である、 老夫人は飛んでも無いと云ふ面持で、「イヽエ祖父さんも此婚禮には大の贊成で、 早く取決め度いのみ云つてお出だツたから、儀式は兎も角も調印だけは葬式の前に濟まさねば成ません、 調印さへせば、夫婦も同然で、裁判を經ねば取消すと云ふ事が出來ぬから、何が何でも調印は今日の内、 其れが出來ずば明日は必ず——」

華子は後の言葉を聞く力が無い、今日か明日より延びぬ事にまで極つたとは、 何と云ふ情無い事だらう、唯絶望に前後も忘れ、又茲を馳せて出た、 爾して行く先は何處だら、(いつ)も獨りで、心の(うさ)を晴らしに行く裏庭の深い木蔭である、 樹の葉より外に聞く人の無い所で、泣度いだけ泣きでもすれば幾等か心も鎭まるのだ、 斯う思ふて直に裏庭へ迷ひ入つたが、茲には唯だ塀一重隔てた先に、是も同じ思ひの森江大尉が佇んで居る、 塀の(すき)から華子の姿を見るより早く「モシ華子さん、華子さん」 華子「オヽ森江さんですか、能う茲に居て下さツた」と馳せ寄る状の嬉しさ、 此樣な二人を引分けるとは眞に罪である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七七 蛭峰家四


華子は我名を呼ぶ森江大尉の聲に、嬉しげに塀の際には走寄つたが、 垣一重隔てた此方と彼方で何の樣な話をする事やら。

(そもそ)も森江大尉は昨夜野西家の宴會で、 華子の許婚(いひなづけ)の夫毛脛安雄が早や羅馬を立つて歸國の途に上つた樣に聞き、 最早全く華子を失はねば成らぬ時が來たと思ひ、死刑の宣告をでも受た人の樣に落膽して歸宅したが、 其れより夜一夜を考へ明したけれど、到底華子を失ふて此世に活て居る心は出ぬ、 眞に命よりも深い愛が心の底に根ざして居る者と見える、併し又思へば、華子とても心は此の身と同じ事にて、 此身が華子を失ふの辛さと同じく華子も此身に別れては生存(いきなが)らへる氣もせぬであらう、 此樣な(あひだ)で有るのに何も浮世の義理に隔てられ辛い思ひをするに及ばぬ、 互に心を合せて他國へ驅落すれば好い事だと、身分をも名譽をも打忘れ、終に驅落を華子に勸めると云ふ氣になつて、 今朝は早くから此處に佇み、華子の姿を見ゆるのを待つて居たのだ、 若しも華子が愛よりも義理を重しとし、其樣な短慮は出來ぬと云へば其時には自殺する迄の事、 自殺は仕ても其れでも猶華子を斷念(あきら)める事は出來ぬから、 自殺よりは何うしても華子を説き伏せねば成らぬと、一心凝り固まツた状で有ツた。

此樣な(あひだ)であるから二人は垣一重隔てゝ泣きもした嘆きもした、 けれど親を捨て義理を捨てゝ驅落すると云ふ事は、深窓の中に育つた華子に取つては餘り恐ろし過ぎる事柄である、 爾ればとて之を否と云へば森江大尉は死ぬのだ、 大尉を殺すか家を棄てるかと云ふ(あひだ)に挾まれては眞逆(まさか)に大尉を殺す方に決心する事は出來ぬ、 ()して其身とても大尉が死んでは活て居る事が出來ぬ、 詰り二個(ふたつ)の命が無くなると云ふ場合である、華子は終に大尉の意に從ふ方に決した、 勿論斯る年頃で、義理と云ふ事を爾う深く噛分る事は出來ず却て愛と云ふ事に氣も心も眩んで了ツたのである、 併し其れも有るだけの故障を言ひ盡し、出るだけの涙も流し盡した後であツた、 爾して愈々二人の極めた約束は、華子の婚禮の調印が最早何うしても明日の晩よりは延びぬ故、 愈々其場合と爲つて到底逃るゝ事が出來ぬとなれば、華子は言葉を設けて其場を外して此所(こゝ)へ逃げて來る事、 其時には森江大尉が、旅行の馬車を此垣の外に置いて直に華子を載せて共々に他國へ去る事と云ふのであツた、 誠に若氣の爲めとは云へ無分別の至りである。

斯くて愈々翌日になると午後の二時頃に華子から森江の許に走り書の手紙が來た、 婚禮の調印は夜の七時に極つたと書いて有る、森江は最早驚きもせぬ、 唯其手紙を華子の眞心の籠つた者と知るが爲に幾度も讀返した上で肌身に着け、 直に其れより種々の用意には着手し、七時より餘ほど前に馬車を調へて約束の所へ來て待つて居た、 所が約束の七時には成つたけれど華子より音も沙汰も無い、或は愈と云ふ場合に華子の決心が弛み、 詮方無く調印したでは有るまいか、其れとも逃出して來る道で捕ツたか、 或は心に恐れを抱き何處か途中で氣絶でもして倒れて居るのではあるまいかと其から其へと心配して、 氣が氣で無い程の思ひをしつゝ終に九時過までも待つたが、最う到底待つ事は出來ぬ、 思案も何も盡きて了ひ、兼ねて華子を抱へて塀を越す爲に調へてある繩梯子を馬車の中から取り出して苦も無く塀を乘越えた、 爾して蛭峰の屋敷の中に入ツた。

中の案内は日頃華子に聞きなどして能く知つて居る、先野々内彈正の隱居所を廻ツて本家(おもや)の裏口に近づかうとすると、 其裏口から背の高い紳士が歩み出た、是は確に蛭峰である、 見咎められては大變と(あわ)てゝ庭木の背後(うしろ)へ身を隱したが、 續いて又一人の紳士が出た、是は或は毛脛安雄ではあるまいか、早婚禮の調印を濟ませて、 蛭峰と共に嬉さを語り合ふために庭の(おもて)を散歩に來たのではあるまいかと樣々の疑が湧き起ツて、 (はらわた)も千切れる樣な思ひである、けれど飛び出して安雄かと疑はれる其紳士に飛び附く譯にも行かぬから、 據所(よんどころ)無く息を詰めて二人の言葉を聞いて居た。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七八 蛭峰家五


蛭峰の後に付いて庭に出た此紳士が果して毛脛安雄だらうか、木の蔭から息を凝して(うかが)ふて居る大尉森江眞太郎は必定彼だと思ツたのだけれど、 暫らくして此兩人が窓から差す燈火(あかり)の前を通ツた時、兩人の顏が明かに森江の目に映ツた、 違ふ、違ふ、毛脛安雄では無い。

安雄の顏は未だ見た事が無いけれど、此紳士の顏は幾度(いくたび)も見た事がある、 即ち有名な醫師有國國手なのだ、何の爲に有國國手が此夜半に蛭峰と共に庭の(おもて)へ出たのだらう、 秋も早寒い頃だから、決して涼みや散歩では無いと、森江は(いぶ)かる暇も無く有國醫師は小聲で蛭峰に向ツて云ふた、 「今夜死ふとは、昨日までも思ひませんでした」(さて)は此家に、死んだ人があるのだ、 若や華子孃ではありまいかと森江は胸を轟かした 蛭峰「私も意外ですが、併し米良田夫人は取る年ですから」成るほど華子では無い、 米良田夫人が死んだのだ、有國醫師は聞咎める樣に「イヽエ蛭峰さん、 米良田夫人は決して取る年の爲に死んだのでは無いのですよ、 其れだから私が特に貴方へ祕密のお話があると云ひ此庭へ出て戴いたのです」 何だか重大な事件らしい口振である、蛭峰「取る年の爲で無いと云へば何だか變死の樣にも聞えますが」 醫師「爾です變死の疑ひがあるのです」蛭峰「之は()しからん、寢床の中で死んだ者を變死などとは」 醫師「ハイ毒殺された疑ひがあるのです」蛭峰は飛び上ツた容子である。

「エ、エ、毒殺、毒殺」と彼は叫び、更に泣出し相な聲で、 「國手、國手、何うか其樣な恐しい事を云ふて下さるな、其れで無くとも私は近來不幸な事が續き、 非常に急いで取調ねばならぬ書類もありますのに其調さへ出來ません、 其れに加へて今夜は義理ある母が死に、何うして()ア此樣に辛い事のみ續くかと、 恨めしい程に思つて居ますのに、其母が變死とは、毒死とは」 醫師「イヤお氣の毒ではありますけれど、私の疑ひだけはお耳に入れて置かねば成りません」 蛭峰「單に貴方の疑ひと云ふだけの事ですか、確に毒死と云ふのでは無く」 醫師「ハイ確に毒死と云ひ度いのですが、貴方が大檢事と云ふ嚴重な職務の方だけに、 私は云ひ切る事が出來ません、貴方へ言ひ切るには、 裁判所の證人に呼び出されたも同樣ですから宣誓する程の心でなくば成りません、 眞逆(まさか)に爾う譬ふ譯にも行きませんけれど、米良田夫人の死際の痙攣の有樣が何うも病氣の爲ではない、 貌律矢(ぶるしん)と云ふ毒の爲だと思ひます」蛭峰「では病氣で死ぬ人はアノ樣に身體が引き()りませんか」 醫師「強直症と云ふ病氣で死んだのが、丁度 貌律矢(ぶるしん)の中毒と同じ痙攣です、 其れだから私は必ず毒殺だとは云ひ得ません、或は強直症かも知れぬと言ふ疑ひがあるのです、 けれど昨日私が診察したとき、強直症の兆候は少しも無く、 却つて既に中毒の容體が見えましたから、其れで貴方に聞いたのです、 若し野々内彈正の藥が此家に紛れ込みはせぬかと」蛭峰「ハイ其時私は決して紛れ込まぬとお答へ申しました、 爾して彈正の藥に貌律矢(ぶるしん)が入つて居るかと貴方へ問ひました」 醫師「ハイ、入つて居ます、之は何うか彈正氏に口や手足の自由を恢復させ度いと思ひ數ヶ月前から少しづつ量を増してありますから、 殆ど六分ほどの貌律矢(ぶるしん)が入つて居ます、彈正氏は呑み慣れて居ますから、 仲々六分では死にませんけれど、初めての人が六分も呑めば必ず死にます、 全體 貌律矢(ぶるしん)と云ふ毒は竒妙な働きがあつて、 少しづつ呑み増して行けば段々多量に呑んでも中毒せぬ樣に成るのです」

暫し考へた末蛭峰は「それでも父の藥が本家へ紛れ込む樣な事は何う考へてもあり得ません」 醫師も亦考へた爾して更に重々しく「爾すると蛭峰さん、 全く之は容易ならぬ事柄ですよ、今申す通り貌律矢(ぶるしん)を呑まされた死状は強直症の死状と同じ事で、 餘ほど熟練した醫師とても見分を誤る程の次第ですから、此毒藥を用ふる者は、 よほど毒藥の事に詳しい恐る可き相手です、眞逆(まさか)に素人の家に此毒藥を用ふるほど藥劑の理を研究した人があらうとは思はれません、 其だのに貴方の家に此巧妙な毒藥の用ひ方を知つて居た人が有るとすれば——」 蛭峰「何で私の家に其樣な不屆きな者が」醫師「イヤ無くば米良田夫人の死が更に合點が行かぬ事になります、 全體夫人に藥を呑ませた看護人は何方(どなた)ですか」蛭峰「華子です」 醫師「夫人を殺して利益を受ける人は何方(どなた)です」 (あたか)も大檢事が問ふ樣な事を却つて大檢事に問ふて居る、其れも無理では無い此有國國手は、 醫學の名譽が高い爲め今まで裁判所の證人又は鑑定人と爲つた事が幾度(いくたび)と云ふ數を知らぬ、 自然に斯る詮索の心をも持つて居るのだ、蛭峰は充分には呑み込み得ぬ(てい)で 「エ、利益を受けるとは」醫師「米良田夫人の遺産を相續する人は」蛭峰「其れは華子——」 と云ひ掛たが、自分で自分の聲に驚いた樣に「有國さん餘り恐ろしい言ひ分です、何で華子が」 醫師「左樣、華子さんに其樣な事の無いのは私も確信します、矢張り其れでは彈正氏の藥でせうか、 兎も角隱居所へ行つて調べて見ませう」

拒むにも拒まれぬ、殆ど蛭峰は引立てられる樣にして彈正の隱居所へ行つた、今までヤツと我慢して聞いて居た森江大尉は、 兩人が立去ると共に直に樹の蔭から忍び出て此家の二階には兼ねて華子の室と聞く窓に未だ燈火(あかり)が見えて居る、 彼は自分の見現はさるゝを忘れた状で、今しも蛭峰と醫師とが出た裏口から忍び入り、 二階なる華子の室を推して上ツて行つた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一七九 蛭峰家六


森江大尉は眞に夢中の状である、唯だ華子の身が氣遣はしさに、自分が見咎められるなどの懸念は少しも思はず、 今しも蛭峰と有國國手との出た裏口から忍び入り、華子の室を指して二階に登ツた、 華子の室は何處に在る、見廻す迄も無く廊下の一方に(かす)けく燈火(あかり)の洩れて、 中から女の泣聲が聞ゆるかと思はれる室が有る、大尉は戸を開いて中に入ツた。

果して華子の室である、大尉は其無事な顏を見て先づ安心した、 勿論華子の驚きは一通りでは無かツたけれど其れは管々(くだ〜)しく記すには及ばぬ、 兩人は樣々に問ひつ問はれつして、大尉が茲に來た次第も華子に分り、 華子が今夜約束の場所へ來なんだことも大尉に分ツた、其れは外でも無い米良田夫人の死んだ爲、 毛脛安雄との婚禮の調印が延びたのだ、延びは延びても止まつた譯では無いのだから、 又遠からず其調印の日が來るに極まツて居る、大尉は迫立(せきた)てる樣な聲で云ふた 「其れにしても華子さん、今夜茲を脱け出ませう、馬車の用意も出來て居ますから」 華子も心を極めて居ると見え、此性急な言葉を聞いても別に驚く容子は無い、 併し應ずる色とても無く「米良田夫人のお葬式を濟ませる迄は何うしても此家に居ねば成りません、 私の爲に大恩ある祖母さんですもの、其遺骸を捨てゝ茲を去れば何の樣な罰が當るかも知れません」 是れには大尉も異存を云ふ言葉が無い、唯だ悄然として「でも調印は、 取り込の中でも出來ますから、若し葬式の前に父上が其手續を運べば何うします」 華子「其れは私も氣遣ふて居るのですが、祖母さんも息を引取る前に父に向ひ、 婚禮は兎も角も調印だけは直にさせる樣にと云ひ、又父も兼ねてから大層調印を急いで居ますから、 明日にも私へ迫るかも知れません」大尉「其れでは愈絶望ではありませんか、 矢張り今夜逃ませう、逃げませう」華子「ですけれど、唯だ一つ私には見込みがあるのです、 ソレ兼ねて貴方へ話しました祖父野々内彈正が——」 大尉「エ、彼の中風の祖父さんですか、手足も口も利けぬ人が此樣な際に何の頼みに成りませう」 華子「()ア爾う云はずにお聞下さい、御存じの通り彈正は兼ねて私を毛脛安雄の妻にはさせぬと請合て居て呉れるでせう、 其れだから今朝私は其枕許へ行き何も彼も打明けて了ひました、 所が彈正は(いつ)もの通り眼で以て私へ安心して居よとの意を傳へますから、 其れでは私は無事に森江大尉の妻に成れませうかと問ひましたら勿論との返辭を傳へました、 ですが私が聞いたゞけでは未だ森江さんが安心しませんから、祖父さんは貴方は若し森江さんが此枕許へ來れば、 彼の方に向つても矢張り同じ樣に請合つて呉れますかと念を推しましたら、 爾だとの意を答へました、若し何か祖父さんが、毛脛樣と私との間を絶つ不思議な力を持つて居るので無ければ、 決して此樣に請合ふ筈は有りません」

森江は(いぶ)かしげに考へて「イヤ華子さん、外の人が請合つて呉れるのなら、決して私は當にしませんが、 野々内彈正氏は昔一世に恐れられた英雄で、私の父なども首領と仰ぎ深く敬服して居た方ですから、 ()しや年は取り身體は不隨に成つても、眞逆(まさか)に確な見込みの無い受合は成さらぬでせう、 何うぞ私を彈正氏の枕許へお連れ下さい、彼の方が受合つて下さると見込が付けば、 私は其れだけを信じて、今夜の逃亡を貴女のお言葉通り葬式の濟むまで延ばします」 言ふ中に隱居所の方から蛭峰と國手と共に歸つて來て、裏口の戸を(とざ)す音も聞えた、 其戸が締ツては、(いや)でも應でも彈正の室を潛ツて去る外は無い。

華子は(いた)く喜んだ、爾して自分で立つて階段の所に行き、 父が國手と共に居間へ引つ込んだ事を見屆けて又歸り、今度は森江を案内して(いと)靜かに、 二階へ下り廊下を傳ふて無事に隱居所なる彈正の傍には着いた、 實に彈正は見るも憐な状である、(つと)に一世を驚仆(きやうにう)して歴史の幾ページを(みた)した英雄が、 身も足も舌も動かず、唯だ果た末路と云ふ可きである、彼は唯森江の顏を、 異樣に見詰むるより外、何事をも爲し得ぬ、華子は此樣を見て「祖父さん此方が森江さんですよ」 森江も恭しく「多年先生と主義を同じくしました森江良造の嫡子眞太郎です」 彈正の(まなこ)は嬉しげに輝いた、華子「祖父さん貴方は私と毛脛安雄さんとの婚禮を妨げて下さいますか」 彈正の(まなこ)「然り」森江は心底より謝する樣に「唯だ一人の孫娘華子孃を私へお任せ下さるとは生涯の大恩人です、 (ひとへ)に貴方の御助力を頼みと致します」彈正は實に嬉しげである、知らず、 此全身不隨の老英雄、胸に何の樣な竒略を蓄へて居る事やら。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八〇 未熟な男で無い


全身不具の老英雄野々内參上に果して何の樣な竒略があるか、其は「蛭峰家(七)」以下の記事と共に暫く後に讓り、 話頭は段倉家に移る。

*    *    *    *    *    *    *

世に手堅い樣で其實極めて危いのは銀行の身代である、少し評判が宣くなれば、世の人先を爭ふて取引を開く爲め、 世間の金が集まつて來る状にもなれど、其代り一朝宣からぬ評判でも立てられて、 少し信用が傾く日には、直に預け金を取付けに來る人が門前に市を爲し、同業者の取引や融通も忽ち止まりて、 昨日まで全國の財權を一手に握るかと見えし者が今日は早や戸を閉ぢて身代限りの間際まで推寄せる(ためし)も、 隨分今まであつた事だ、其れと此れとは事 (かは)れど、(さて)も段倉銀行の頭取男爵段倉喜平次は、 先頃電報の間違ひのため西班公債で一夜に四百圓の損をした上巨額の貸越と爲て居るマンフレダイ銀行の支拂停止に遭ひ是にも百萬以上の損失は逃れ難く見える場合とは爲り、 今まで絶えて損と云ふ事に出會(でつくは)した覺えの無い身だけに、 内心甚く落膽して我が妻にまで其損失の幾分を割附けんとさへ(あせ)つて居たが、 幸に是だけの事では未だ信用が傾くと云ふ程には成らず、多少の取付けには逢つたけれど、 上部(うはべ)だけは平然と澄ます事が出來て居た所、日頃の運の神が彼を見捨てたのか、 彼の野西家の夜會の翌日又フロレンス商會が破産したと云ふ知らせを受けた、 此商會は段倉が伊國鐵道の企業の爲に、見込を立てゝ餘ほどの資本を注込んであつたのだから、 其損失は殆ど前の二口の損失を合せたよりも多い程である、 (そもそ)も此商會を破産させたのは誰の仕業(しわざ)か知らぬけれど伊國(いたりや)の大株主が何か意見の違ひの爲に手を引いて其株劵が暴落した爲めとの事で如何とも仕方が無い、 幾等段倉銀行が盛大でも斯う一月(ひとつき)と經ぬ間に引續いて彼れ此れ一千萬からの損失を受けては信用に關せぬと云ふ保證は出來ぬ、 既に巴里の同業者中には其れと無く段倉銀行に對して手を()めた向も有り、 又手を()めねば成るまいとて密々相談する者も出來たとやら噂される程にも至ツた。

頭取たる身に取つては、何れほどか辛い事だらう、彼段倉は晝頃から自分の居間に閉籠り、 帳面を開いては嘆息し、嘆息しては又帳面を繰返しなどして居たが、最早や氣も盡きたと見え、 (かうべ)を擧げて暫く前額(ひたひ)に手を當てた、此時は午後の六時頃で、 妻の居間には親しい來客が有ると見え、先ほどから談笑の聲も起り、 時々は音樂の()さへ聞えて居た、唯だ段倉の煩悶した耳へのみは入らなんだが、 何うした拍子かフト彼は聞附けた、爾して其方に振向いて「何だなア、騷々しい、 實に——所天(をつと)の心配も知らずに、面白さうに」と呟いたが忽ち思ひ直し 「イヤ()の音樂は、妻で無い、娘だ、アヽ娘夕蝉が小侯爵と合奏して居るのだ」 とて直に顏の(おもて)を柔げた「旨い、旨い、此向きでは()の小侯爵が愈々近日の中縁談を言込んで來る、 フム小侯爵皮春永太郎か、姓名も何と無く貴族的だ、父の歳入が一年五十萬圓と云ふのだから、 其身代は二千萬圓からの身代だ、己などならナニ千萬圓以下の金を以ても五十萬圓の歳入を得る事は容易だけれど、 金儲けを知らぬ伊國(いたりや)の貴族だから財産總體を皆働かせると云ふ事は出來ず、 其れに古金を集て地の底へ埋て置いたり、珠玉を倉に仕舞つて置のを誇たり不生産的な事ばかりして喜んで居るのだから事に依ると五千萬からの身代かも知れぬ、 之を縁組が出來れば、ナニ幾等でも見捨た譯では無いな、夕蝉と野西武之助との縁談を急がずに置いて好い事をした、 彼等兩人は幼い頃からの許嫁とは云へ、何も其後改めて武之助の父次郎が愈々婚禮させると言ひ込んで來た譯では無し、 今斷つて破談にするのは譯も無い事だ、 爾々其破談の口實は先日巖窟島伯爵の言葉から思ひ付いて希臘のヤミナ銀行へ問合せて置いた、 其返事が來さへすれば必ず次郎の舊惡がイヤ新惡が分るから其れを利用すれば好い、 何事も旨く運ぶワ」漸く思ひ直して破顏一笑する所へ、書記が手紙を以て來た、 見ればヤミナ銀行から出たものである。

「來た、來た」と段倉は書記の退く姿を見送りつゝ嬉しげに呟き、 直に封を切つて讀下したが、仲々長い手紙である、けれど彼は呼吸(いき)をも繼がずに讀終ツた、 餘ほど彼に取つて都合の好い事を書いてあると見え、彼は其笑を顏中に推廣げ 「驚いたなア、次郎奴此樣な惡事をして居やがる、是では希臘で大身代を作ツて歸つた筈だ、 ヤミナ城を敵の土耳古(とるこ)國王へ賣渡して、イヤ是くらゐの惡事は仕兼ぬ奴だよ、 其上に城主の妻、城主の娘まで」と言ひ掛けて猶ほ終らぬ所へ 「ヤア段倉さん今日は令夫人をお尋ねに來ましたが、(ついで)に貴方へお知らせ申す事が有ますよ」 言ひつゝ入つて來たのは巖窟島伯爵である。

段倉は(あわ)てゝ手紙を推隱し、懷かしげに迎へた 伯爵「フロレンス商會が破産しました」段倉は我財政上の弱點を人に悟られる樣な未熟な男では無い、 何の利害をも感ぜぬ(てい)で「爾ですか」と輕く答へた 伯爵「でも貴方は大株主では有りませんか」段倉「ナニ(わづか)數百萬圓ですよ」 とは伯爵の口調を學び得た者と見える、伯爵「イヤ貴方が爾う輕く觀て居れば私も安心ですよ、 若し御心配でも有れば多少は御用立やうかと思ひました、 ドレ是から夫人の御機嫌を伺ツて來ませう」と何氣無く伯爵は奧の間を指して立ツた、 段倉は又 (あわ)てゝ引止め、小聲になツて「ですが伯爵、 何うか奧に居る皮春侯爵へは此破産事件を話さぬ樣に願ひます」とは咄嗟の間にも仲々用意が綿密である、 伯爵は含首(うなづい)たまゝ奧へ行ツた、直に其後へ野西次郎と其息子武之助が入ツて來た、 來る時には來るものだ、斯と見て段倉は、(さて)は縁談の爲では無いか無いかと、 破談の口實を持ちながらも、先を越され相な心配にギクリとした。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八一 言葉は明々白々


子爵野西次郎は何の爲其子武之助と共に段倉の許へ來たのだらう、 段倉の恐れる通り縁談の爲めだらうか。

若し爾とすれば段倉と何等かの衝突無しには濟まぬ筈である、 段倉の方では此數年來内約に成つて居る縁談を斷る爲に遙々(はる〜゛)ヤミナ州へまで手紙を遣つて口實の材料を集めて居る程なんだから直ぐに段倉は思ふた、 先が言ひ出さぬうちに奧の間へ連れて行き、娘夕蝉が皮春侯爵と()と親しげに合奏など仕て居る状を面前(まのあたり)に見せ附けて遣れば、 父子とも氣色を損じて言ひ出さずに歸るかも知れぬ、或は其上に立腹して終に縁談を先から取り消す事に成るかも知れぬと、 若し爾でもなれば面倒無しに目的は屆くのだからと何に付けても掛け引の上手な(たち)だけに、 咄嗟の間に思案を極め「サア子爵、此室は取り込んで居るから何うぞ奧の間へ、 奧の間には妻も娘もゐます、巖窟島伯爵も娘夕蝉の好きな皮春小侯爵も來てゐられる、 誰も氣の置ける人はありませんから」と閾から内へは入れず、直ぐに自分が先に立つて案内した。

娘の好きな皮春小侯爵とは、許嫁の相手 父子(おやこ)に對して餘りな言ひ分である、 けれど武之助の方は之を聞いて(ひそか)に喜んだ、 彼は何うかして夕蝉孃を我妻には仕たく無いと心に祈つてゐるのだから、 但し父の方は爾は行かぬ、眉の間に八字の皺が現はれ掛けた。

若段倉が猶豫を與へたなら父の方は何か言ひ出す所であツたかも知れぬが、 段倉は早くも眉間(みけん)の八字を見て、自分の言葉に效能があつたを喜び、 唯だ「サア、サア」と迫立(せきた)ツて奧の間へ連れて入ツた、 茲には全く段倉夫人もゐる、娘も伯爵も小侯爵もゐる、 斯くと見て野西子爵は先段倉夫人に向ひ「今日は、私共の夜會へ御出席下さツた御禮を申しに參つたのです」 (さて)は縁談の爲では無かつたのかと、段倉は聊か自分の恐れ過たを感じた。 子爵は語を繼ぎ「貴族院からの歸に其々御禮に廻る積りで、蛭峰氏の家から茲へ來ました、 蛭峰氏は餘程お取り込中の御容子でした」夫人は蛭峰と聞いて、 司法省の官房で密會した一條から猶遡ツて昔の罪深い事柄などをも思ひ出したか、 異樣に巖窟島伯爵の顏を(ぬす)み見た、 併し伯爵の顏は單に平和で何の色とても現はれてゐぬから安心の(てい)に子爵に向ひ、 「其れは御念の入りました」子爵「爾しましたら丁度 此方(こちら)の門前で武之助に逢ひましたから、 夕蝉孃の機嫌をも伺はせ度いと思ひ此通り連れて來ました」 「イイヤ縁談の爲で無いでも無いと又段倉は思ひ直して「何うです子爵、 娘と皮春小侯爵と()あして(なら)んで居る所は能く似合ふでは有りませんか、 誰でも爾う云ひますよ」此深い掛引の有る言葉は、殆ど石 一個(ひとつ)で鳥二羽を打つた樣な效能が有ツた、 小侯爵皮春永太郎と成濟まして居る春田路辨太郎は之を聞いて腹の中で、天にも上つた心地がして、 明日にも縁談を言ひ込まねば成らぬと思ひ、又言ひ込みさへせば直に承諾を得られると見て取つて心に勇み、 野西子爵の方は同じく此言葉に前よりも深く眉を顰めたかれど何もいふはずに、(やが)て知らぬ振で聞流した。

併し聞流さぬ人が一人あつた、其れは巖窟島伯爵である、伯爵は直に「段倉さん一寸」と云ひ、 彼を室の隅まで連て行き、誰れにも聞えぬ小さい聲で「貴方の今の言葉は失言では有りませんか」 と問ふた、段倉は假忘(とぼ)けて「エ、今の言葉とは」 伯爵「夕蝉孃と武之助とは久しい許嫁だと云ふでは有りませんか、其間へ皮春小侯爵などを入れて、 若しもの事が有れば——イヤ無くとも野西子爵が感情を害する樣な事でも有れば第一私が子爵に濟みません、 子爵は必ず巖窟島が餘計な小侯爵などを連て來るから此樣な事に成るのだと私を恨みますが」 段倉は又小聲で「イエ、イヽエ、何の樣な事が有らうとも決して貴方には迷惑は掛けません、 何うぞ私の娘の縁談は私の家の云はゞ内所事ですから、私にお任せ置き下さい」 伯爵は不興氣に「成るほど貴方が爾仰有れば他人の私が口を出す可き事柄では有りません、 けれど段倉さん、貴方の擧動が何だか小侯爵と夕蝉孃との間を結び附け度い樣に見ゆるのは、 私の贊成せぬ所ですよ、私は之が爲に若しも野西子爵から恨まれる樣な事に爲るのは(いや)ですよ」 段倉「イヽエ、決して貴方が野西子爵に恨まれる樣な事は私が致しません、 ()しや娘を武之助に遣らずに小侯爵へ遣る樣な事に成らうとも其れには又其れ丈けの手續が有り、 野西子爵にはグーの音も出させません」 伯爵「其樣な事を仰有つて、他日貴方が後悔する樣な事が有らうとも私は知りませんよ」 段倉「勿論です、後悔するなら私が一人で後悔するのです、 私は早く其後悔を仕たいと云ふ程に思つて居ます」とは是れ早く小侯爵を娘の婿夫(むこ)に定め度いとの意味である。

嘘か誠か伯爵は苦々しい顏をして「爾まで仰有れば致し方が有りません」 とて嘆息して更に皮春小侯爵の傍に行き細語(さゝやい)た 「何か此家に取込が有り相ですから今日は此まゝお歸り成さい」人の戀路を邪魔すると、 口には云はぬが、小侯爵は恨めしげに伯爵の顏を見た、併し伯爵の心は損じても元も子も無くなる身分だから眞に詮方なく 「ハイ」と答へて立上つて、立上りつゝも彼の心にフト一つの疑ひが浮んだ 「オヤ斯うまで我が擧動に心配し干渉する此伯爵が我が爲に何者だらう、 若しや此身の本統の父では有るまいか」と、此疑ひの起ると共に彼は忽ち從順になり、 殆ど懷かしいと云ふ樣な聲で「伯爵私は少し用事を思ひ出しましたからお先へ失禮致します」 と云ひ更に他の人々へも然る可く挨拶して茲を去ツた、間も無く伯爵も 「イヤ私も大變な用事を控へて居ます」と云ひ同じく然る可く挨拶して立去ツた。

若し伯爵の斯る仕ぐさが掛引に出た者ならば段倉の掛引よりも更に上を越す手際と云ふ可きである、 是れも石 一個(ひとつ)で鳥二羽を打つた樣な者だ、是を見て段倉は思ふた 「アヽ伯爵は小侯爵を自分の連れて居る鞆繪姫とか云ふのに縁組させる内意が有る、 其れだから心配するのだ、フム伯爵の大身代で猶縁組を望む程なら皮春侯爵家の身代は底が知れぬ、 何うしても(おれ)の方で先を越して夕蝉に結び附けねば成らぬ」 又野西次郎の方は、伯爵が夕蝉と我子武之助との縁談を妨げまいとの親切の爲に(わざ)と小侯爵を連れ去つたのだと思ひ、 其親切に對して早く此縁談を運ばねば成らぬと決心した。

決心しては少しも躊躇せぬが、野西次郎の本來の性質にある、 罪の無い人を密告したり自分の與る城を賣つたりする事をさへ躊躇せぬ程の氣質だから直ぐに段倉に向ひ、 「貴方へ眞面目な御相談が有りますよ、何うかお居間へ」段倉は當惑氣に 「今日全く取込んで居ますので」野西「イヤ手間の取れる事では無く、一言で決するのです」 無理に段倉の居間へ連れて行き「兼て約束に成つて居る私の息子と貴方の令孃との婚禮の日を取極めませう」 一言の誤解をも許さぬ、言葉は明々白々である 段倉「成るほど、昔は其樣な話しも有ツたかの樣にも覺えて居ますが」 曖昧此上無い返事に、野西子爵の前額(ひたひ)には青筋が隆起した、 當年の次郎と段倉、何方(どちら)が何の樣に勝つか負けるか、此取組は見ものである。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八二 賣國奴の一項


次郎は軍人肌、段倉は商人肌、一は嚴しく一は(ずる)い、 昔の素性は兎も角も、今は雙方 (おの〜)一癖を具へて居る、 眞に見ものゝ談判である。

段倉が空とぼけて、妙に落附いた状に對し次郎は掴み掛らんほどの見幕と爲つて 「エ、エ、段倉男爵、貴方は此約束を忘れて居たと仰有るか『成るほど昔は其樣な話も有つた樣だ』などと」 段倉「忘れたと云ふでも有りませんが、其れほど眞面目な堅い約束とも思ひませんでした」 次郎「()しからん事を仰有る、息子 息女(むすめ)を夫婦に仕やうと親と親との結んだ許嫁を、 堅い約束で無いなどと、若しや貴方は外に私の息子武之助より優つた婿夫(むこ)を見出したと云ふ樣な爲では有りませんか、 爾うなら爾と明かに云つて下さい、私には私丈の考へが有りますから」 何の樣な考へかは知らぬけれど、其言葉の鋭さで見れば、決鬪を言込むとの意味らしい、 決鬪などは段倉に取つて最も禁物である、此上も無く恐ろしい事柄である。

けれど彼は容易に此縁談を破る丈の材料を持つて居る、先程ヤミナ州から受取つた手紙が其れなのだ、 何も茲で劇しく言ひ爭はずとも、此材料を使用さへせば、忽ち我目的は逹するのだと心で多寡(たか)(くゝ)つて居る 「イヽエ野西子爵、何も私は貴方の息子を非難するのでは有りません、息子には罪は無いのです」 息子には罪は無いとは角立たぬ樣で角立た言分である、聞咎めよと言はぬ許りである、 次郎は果して其手に乘つた「ナニ息子に罪は無い、では父の方に罪が有るとでも云ふのですか」 段倉「サア、無いと言ひ切る譯にも行きますまいて」と(うそ)ぶいた、何だか氣味の惡い話がある。

爾無きだに激怒して居た野西子爵は、脱いで卓子(てーぶる)の上に置いて有つた手袋を攫み潰すかと思はれる程に握り 「失敬な」と云つて立つた、其まゝ戸口を指して立去らうとした、けれど段倉の方は猶落着いて居る、 ナニ自分の身に暗い所の有る奴は眞實に怒り得る者では無いと自分自身の經驗に照して見拔いて居る、 果せる哉だ、次郎は戸口から又引返した、爾して忽ち今度は昔の極親しかつた時代の打解けた口調に返り 「コレ段倉君、君の態度が僕には少しも合點が行かぬよ、お互に何も罪だの罪で無いのと、 他人がましく洗ひ立す可き仲では無いよ、君の娘も早年頃だし、間違ひの無い中に話を極めて婚禮を濟ませやうぢや無いか、 僕と仲を違へて君は何の利益が有る」段倉は少しも打解けぬ、殆ど初めよりも一層恭しい口調で 「イエ、野西子爵、利益の問題では無く名譽の問題です」 次郎「では武之助と夕蝉とを夫婦にするのが名譽に障ると言はれるか、 僕と親類續きに成るのを君の家の不名譽と云はれるか」

詰問の樣に問はれて、段倉は言葉を濁した「其れにしても子爵、 此縁談は今日取極めるに及びません、私に二三日考へさせて下さい」 次郎「十年も約束して、今更二三日考へるとは、僕には合點が行かぬ、 君から此樣な仕向を受けては僕は勿論息子の武之助の顏にも掛る」 段倉「イヤ何に縁談の破約と云ふ事は、男の顏よりは、餘計に女の顏に掛ります、 私も辛いけれど、此頃世間の噂を聞込んだ事も有り、何だ何でも兩三日考へねば御返事が出來ません」 次郎は怒氣滿面、再び立つた、今度は戸口から引つ返す容子は無い。

「では世間の此野西子爵の事を、惡樣に云ふ者が有ると云ふのだな、 何の樣な噂だか知らぬけれど其れに多年の親友たる段倉男爵が耳を傾け縁談の故障をするとは餘り甚い、 其樣な輕薄な友人ならば無い方が幸ひです」云ひ捨てゝ立去つた。 此翌日の朝である、彼の猛田猛(たけだたかし)の主宰せる獨立新聞の紙上へ「賣國奴」と題して、 野西子爵に關する容易ならぬ記事が出た、段倉は(いつ)も五六種の新聞を讀終りて獨立新聞を最後に讀む男だのに、 此朝に限つて、何か待設ける事でも有る樣に其新聞を一番先に選出して打開き、 紙面全體を熱心に探した末、其「賣國奴」の一項に目を注ぎ「占た、占た」と叫び更に 「之が出れば幾ら野西次郎がズウ〜しくとも自分の名譽が地に落た事を知り、 名譽の高い段倉家へ最早縁談を言込もせぬだらう」と呟いた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八三 歌牌が出來ました


「賣國奴」世に之ほど恐ろしい言葉は無い、誰でも彼でも、一たび此言葉を加へられゝば直に死んで了ふのだ、 肉體の命は存するけれど名譽の命は死んで了ふ。

何の樣な威名赫々(ゐめいかく〜)の政治家でも、賣國奴と云はれゝば其地位を保つ事が出來ぬ、 大軍人でも貴族でも、直に社會から(よはひ)せられぬ事になる、今此恐ろしい言葉が、 何の爲め、又誰の仕業(しわざ)だか知らぬけれど新聞紙の上で、子爵野西次郎に加へられたのだ、 彼此汚名を雪ぐ事は出來れば好し若し出來ずば政治的、社會的、 交際的に死んで了はねば成らぬ、又此世に顏を出す事は出來なくなるのだ。

男爵段倉が此新聞を見て嬉しげに呟いたに引替へ、同じ朝の同じ時刻に、 此新聞を見て怒髮逆立ち目眦(まなじり)裂くるほどに立腹した人がある、 其れは外で無い、斯く賣國奴と指目された野西次郎其人の息子武之助である、 彼は此新聞の主筆記者 猛田猛(たけだたかし)と懇意な丈けに、毎朝何の新聞より先に此獨立新聞を讀んで居る、 目に立つほどの大記事では無いけれど左の如く書いてある。

ヤミナ州の通信(彿國の賣國奴)希臘に在る通信員より驚く可き一報を傳へ來れり、
聊か舊聞には屬すれども先にヤミナ州が土耳古の兵を受けて戰ひ敗れたるは、
通例の敗北に非ずヤミナの城中に一の賣國奴あり、敵軍より重賄を得て、
其城と其軍との機密を土耳古皇帝に賣り渡したるより起りし者なりと云ふ、
是れだけならば敢て今更新しく報ずるに足らざれど茲に慨嘆す可きは、
其賣國奴が悲しくも我が彿國人なるに在り、初めヤミナ州が大敵土耳古を引受けて義戰するや、
我が彿國の軍人は多くヤミナの義擧に感じ、()せ參じてヤミナ軍に加はりたり、
此義侠を籍口(しやくこう)せる軍人中に賣國奴あらんとは誰が知る可き、
而も賣國奴はヤミナ城の最も深く信任したる次郎と云へる者なりと云ふ。

之を讀終ツて武之助は「餘り失敬な事を書く」と打叫んだ、勿論單に「次郎」と有ツて野西子爵とは無いけれど、 ヤミナ城主の最も深く信任したと云ふ丈けでも自分の父とは分る、 ()して「次郎」と云ふ名まで添ふからは誰とて子爵野西次郎と一目に見て取らずには置かぬ 「エヽ、昨日まで親友として交はツて居る猛田猛が、其新聞へ此樣な事を書かうとは思はなんだ、 彼と決鬪して此汚名を雪がねば此身は世間へ顏を出す事も出來ぬ、父上も此家も、 恥辱の底へ沈んで了ひ、又と浮む瀬が無くなるのだ」 彼は血氣の滿滿た年頃だけに唯だ腹立しさの一念のみで他の考へは少しも浮ばぬ、 此樣な汚名が果して決鬪で雪げるや否やなど云ふ事は毛ほども彼の思ふ所で無い、 直ちに彼は其新聞を衣嚢(かくし)に入れ、馬車に飛乘つて家を出た。

爾うして只管(ひたすら)走らせる中に思ひ出した、決鬪には介添人が要る、 先づ其人を定めた上、其人から言込まねば成らぬ、介添人は誰にしやう、 第一に彼の心を浮んだのは巖窟島伯爵である、直にエリシー街なる伯爵の邸へ馬車を向けた、此時は朝の八時前である、 未だ伯爵が起きて居ぬかも知れぬとは思ひつゝも其玄關に飛んで入ると伯爵は卅分ほど前に外出したとの事である、 此早朝にと、怪しんで更に聞直すと、八時半には歸るから其時刻に朝餐の用意を仕て置けと言ひ殘して出た事が分つた、 其れでは八時過に來れば逢はれるから、其刻限まで散歩しやうと、馬車から降りてエリシー園の外を歩むうち、 行くとも無しに射的場の前まで行つた、(いたづら)に散歩するより、 少しでも射的の稽古を仕て置けば決鬪の補足に爲るかも知れぬと、 (たゞち)に其中へ入つて見ると、早先客が一人ある、的に向ツて短銃(ピストル)を手にして居る。

短銃(ピストル)の朝稽古とは熱心な人も有る者だと靜かに其 背姿(うしろすがた)を見れば巖窟島伯爵の樣である、 直に聲を掛けやうかと思ふうち又も目に留まつたのは其的である、 的の所に丁度 歌牌(かるた)ほどの形に切つた紙の札を十枚並べて有つて伯爵は其中の何れかを狙つて居る樣にも見える、 何の爲めに紙切を的にするのか餘り不審だから聲を潛めて猶ほも背後(うしろ)から見て居ると、 伯爵は第一發で左の端の紙切の眞中を射貫いた、其紙切が丁度トランプで云ふ歌牌(かるた)の一點の樣に見える事に成ツた、 次に二發三發で其次の一枚へ二點の穴を開けた、是も全く歌牌の樣に見える、 不思議にも其丸の(あた)ツた所が(まさ)しく歌牌の二點の記號(しるし)が付いて居べき所である、 次に又三發打つて三番目の紙をば歌牌の三點の樣に射貫き是で六發の(たま)が盡きた、 爾して伯爵は餘念も無く更に又 彈丸(たま)を籠めて居る。

若し偶然で無いとすれば、此伯爵こそは世界に唯一無二の短銃(ピストル)射的の名人である、 武之助は伯爵に此樣な武藝が有らうとは知らなんだから、 眞に開いた口が塞がらぬほど感心して猶も立つたまゝ見て居ると、 伯爵は六發打盡して彈丸(たま)を込め又打ツては又込め直し、 到頭十枚の紙札へ順々に歌牌の一點から十點までも射貫いて了ツた、妙、(しん)に入るとは此事だらう、 何の點も何の點も悉く定木を當て書いた樣に正しい所へ當り一分一厘も狂ツて居ぬ樣に見える、 武之助は思はず感嘆の聲を發して「絶妙」と叫んだ、伯爵は初めて此方(こなた)を向いたが、 何か惡事をでも見留められたかの樣に其青い顏を聊か赤めた、併し之は(わづか)の間であツた、 直に打笑ツて「オヤ詰らぬ(いたづら)を見附かりました、久しく武噐を手にせぬから若し狙ひ方を忘れはせぬかと、 今朝は食事前に試して見ましたが、子爵何うでせう、彼の歌牌を檢めて下さい[」] 武之助は直に的の所へ行き、射貫かれた紙十枚を拾ひ上げ「全く歌牌が出來ました、伯爵、 何の樣な決鬪者でも貴方の短銃(ピストル)の前に立つ勇氣は有りますまい」 と嘆賞した、勿論、他日其身が伯爵の短銃(ピストル)の前に立つ場合が有らうとは思ひも寄らぬのだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八四 一城の主の姫君


之より直に武之助は、巖窟島伯爵に向ツて、決鬪の介添人に成ツて貰ひ度い旨を頼んだ、 其れを聞くと共に伯爵は眉を顰めた。

「イヤ(いけ)ません、私は何の樣な決鬪に對しても決して關係致しません、 固く嚴正中立を守ると云ふのが日頃の主意です」 一も二も無く承諾して呉れやうと思つた人が此仕置なので武之助は案外の思ひに堪へぬ、 けれど伯爵としては無理の無い所である、日頃の主意は(いづ)れとするも伯爵に取つて武之助は其實 (かたき)の末である、 勿論父を恨むが爲に其子までを敵の樣に思ふ事は伯爵のせぬ所で有るけれど、 去ればとて伯爵には一種の堅い信念が有る、確に其身が神の助けを得、 神に代つて人間に天の裁判を下すが爲に活て居る者と思ひ詰て居るのだから、 少しでも自分の奉ずる宗旨に觸れる樣な事はせぬ、其父を恨ながら、 其子の決鬪に加擔する如きは神の命で無いと思つて居る、 若しも外の人から此樣な頼みを受ければ或は承知するかも知れぬ、 武之助からでは決して出來ぬ、又同じ武之助からでも外の事を頼んだなら必ず承知するだらう、 決鬪の介添人と爲る事は決して承知が出來ぬ。

伯爵は武之助の案外に思ふ顏を見て、説き明す樣に云ふた 「本來私が決鬪と云ふ事に贊成せぬは、先に羅馬で死刑を見物した時に貴方と毛脛安雄君に話したでは有りませんか、 人から辱めを受ければ、其受けた通りの辱めを其人に(かへ)せば好い、 自分が負るやら勝つやら分らぬ決鬪の樣な手弛(てぬる)い手段で決して滿足が出來るものでは有りません」 暗に自分の目的を仄めかして居る。

「目を(えぐ)らるれば目を(えぐ)り返せです、私は法律の裁判さへ滿足で無いと思ひます」 暗に御身の父へ法律にも無い程の罰を加へるとの意味では有るましか、 爾とすれば此伯爵、或は既に今朝の新聞を見て武之助の父が賣國奴の汚名を()せられた事を知つて居るのでは有るまいか、 猶一層深く疑へば此汚名さへも幾等か伯爵の方寸から出た事では有るまいか、 ()しや伯爵から出ぬにしても、伯爵が却つて之に贊成し、或は之を大復讐の好き發端と思ツて居るのでは有るまいか、 併し伯爵の顏には武之助に對する無限の憐みが現はれて居る、少しも武之助は伯爵の心に隱れた念慮が有らうとは疑はぬ。

彼は熱心に又云ふた「併し伯爵、其れならば貴方は何故 短銃(ピストル)の稽古などを成さいます、 仲々貴方の射撃の旨い事は、(いたづ)らや慰みに稽古した物とは思はれません、 何うしても誰某(たれそれ)を射殺さねば成らぬと決心して深い目的の爲めに稽古した樣に見えます、 貴方の紙切を的にして狙ツて居る姿までが恨ある人の心臟を狙ツて居る樣に見えました」 伯爵は物凄く笑つた「イヽエ伯爵、貴方は久しく武噐を手にせぬからと仰有ツたけれど、 短銃(ピストル)ばかりは外の武噐とは違ひますよ、之を以て鳥や兎を()りに行くと云ふ物でも無ければ、 戰爭に行く武噐でも有りません、殆ど一 ()の爭ひに相手を射殺すと云ふより外に用は無いのです、 云はゞ決鬪の爲と限つて居る程の品です、其品を以て貴方が熱心に稽古成すツた所を見れば決鬪をせぬ人とは思はれません、 貴方の態度は確に世界隨一の決鬪者です」伯爵は妙に眞面目に 「イヤ私は短銃(ピストル)ばかりが巧者では有りません、 貴方は何か私のする仕事で是が下手だと云ふ事を見た事が有りますか」 成るほど何一つ人に優れて居ぬと云ふ所は無い、武之助「併し伯爵、 其お言葉は未だ貴方が人と決鬪せぬと云ふ證據には成りません、 根本から決鬪を嫌ふ人が何故に短銃(ピストル)を」 伯爵「イヤ自分では決鬪をせぬけれど人から挑まれた時に應ぜぬ譯に行きません、 ですが貴方は誰と決鬪するお積りです」武之助「猛田猛とです」 伯爵「エ、猛田猛、アノ新聞記者の、ソレ御覽なさい、彼は貴方が親友だとて私へ紹介した方では有りませんか、 此國に居れば何時(なんどき)親友からでも決鬪を申込まれるか分りません、 今日(こんにち)親友の猛田猛に決鬪を申込む貴方が明日は私へ決鬪を申込まぬと限らぬでは有りませんか、 私は其樣な時の用意に短銃(ピストル)を稽古するのです」武之助は笑つて 「其時には歌牌(かるた)心臟印(ハート)を射貫く樣に私の心臟を射貫き成されるでせう」 伯爵「ハイ心臟を」笑談(ぜうだん)の返辭だけれど何と無く物凄い、 武之助は思はず知らず身震ひした「イヤ伯爵の丸面(たまおもて)には立たぬ樣に用心しませう、 歌牌にせられるは未だ早過ぎますハヽヽ」伯爵「私は決して自分から決鬪を申込みません、 決鬪するほどの恨みが有ればモツと好い方法に訴へます」

「併し兎も角も、私の家へお出なさい、爾して能く事情をお聞かせ下さい」 とて伯爵は更らに武之助を自分の(やしき)へ連て歸ツた、 爾して武之助から彼の新聞を示されて立腹の次第を聞いた、 一應思案した上「併し次郎と云ふ名は最も有り觸れた名前です、 ヤミナへ援軍に行つた數千の彿蘭西人に必ず五六人は有りませう、 何も貴方が自分の父だなどと自分から辱めるには及びますまい」 武之助「其樣に誰も云ふ言種(いひぐさ)では私の胸が癒えません」 伯爵「其れならば決鬪を申込む前に、先づ事實を(たゞ)し、 猛田猛に紙上で明白に取消させるが好いでせう」 武之助「事實を(たゞ)して居る間に、世間の人は()の記事を爭ツて讀んで居ます、 其れから其れへと、私の一家を侮辱する樣な噂が世間え廣まります、 其れに事實を證明する人とても有りませず」伯爵「有りますよ、有りますよ、 誰よりも能く、其ヤミナ城の陷ツた次第を目撃した證人が此私の家に居ります」

(さて)は伯爵自身がヤミナ城の陷落を目撃した人だらうかと武之助は目を見開き 「其れは誰です」伯爵「私が希臘の皇女と云つて(いつ)も劇場などへ連て行く鞆繪姫です」 武之助「エ、()の美人が、何うして」伯爵「何うしてとて、姫君は、 イヤ鞆繪姫は當時ヤミナ城に籠つて居た一人です」武之助「其れは併し」 伯爵「ヤミナ城主 有井宗倫(ありゐそうりん)の娘です、 世が世ならば、一國一城の主の姫君、其れが今では自分の家も、 イヤ自分の身分さへも無い奴隸です」異樣に伯爵は自分の言葉に感動した容子である、 (まなこ)の底に涙が輝いて居る樣に見える、不憫の爲の涙だらうか、 言葉には何やら悔しさの響きも有る 武之助「オヤ其樣な身分の方ですか、道理で自然に品位が備はツて居ると思ひました」 伯爵「鞆繪姫の室へ一緒に行きませう」武之助は暫し考へ「イヽエ、 事實を問糺すと云ふ事は何だか私自ら父を疑ひ、若しや此樣な所業が有つたのかと怪ぶむ樣に當ります、 事實の無根と云ふ事は無論ですから、問ほ糺す必要は有りません、 是から私は出部嶺(でぶれい)砂田(いさだ)伯かを介添人に頼みます」 伯爵も亦考へて「けれど武之助さん、介添人を立てたり、決鬪を言ひ込だりする前に、 貴方一人で猛田に逢ひ立派に記事を取消せと掛合ふのが當然です、 彼が穩かに取消せば其れで濟みます、其手續をせずに貴方の口から此『次郎』とは(おれ)の父を指したのだと、 假令(たと)へ出部嶺や砂田伯へたりとも吹聽する樣な所業は宣く有りません」 此道理は武之助も聞き分けた「成ほど爾です、先づ猛田猛へ直接に談判して謝罪の意を表させませう」 と云ひ彼は猶豫も無く新聞社を指して茲を去ツた、後に伯爵は、殆ど神に感謝する樣に天を仰ぎ 「アヽ愈愈時機が熟して來た、何も彼も我が思ふ樣に進んで來る、 全く神が導いて下さるのだ、此上にも猶ほ神の御心を以て首尾よく此大任を果さねば成らぬ」 呟く聲は一種の祈祷の樣に聞えた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八五 決鬪の條件


伯爵の許を去た野西武之助は、直に其足で獨立新聞社を訪ひ、主筆記者猛田猛の室へ走り込んだ。

新聞社の主筆記者と云へば其天職は重いけれど、餘り立派な室に住んで居る者では無い、 書損じの原稿から見古しの新聞紙が其處此處に散ばツて、云はゞ反古の捨場とも云ふ可き中から首ばかり出して居る有樣だ。

武之助の足音を聞くより猛田猛は何か忙しく書いて居た原稿紙から顏を上て 「オヽ野西君、早朝から是は意外、應接の室に待つて居て下されば、モット綺麗ですのに」と挨拶した 武之助「イヤ待つて居られる樣な緩々(ゆる〜)した話では有りません、 貴方に汚された一家の名譽を囘復に來たのです」云ふ言葉が其 見脈(けんみやく)と共に如何にも荒々しいので、 猛田は初めて尋常(たゞ)で無いと見て取り「全體何の樣な用事です」

問ふ尾に付いて「今朝私の來る事は、問はずとも御存じの筈です、此樣な事を書かれて、 私が默ツて居るとは思ひますまい」と武之助は自分で持つて來た新聞紙を猛田の前へ差し附けた、 猛田は訝怪(けげん)な顏で彼のヤミナ通信の一項を讀んだけれど合點が出來ぬ。

「ヤヽ此樣な事項は通信部の主任記者が私共へ相談せずに載せるのですから——」 武之助「其樣な事を云つて貴方が責任を逃れるなら、二人の介添人を茲へ送る外は有りません、 私は初めから決鬪の積りです」自分の言度い事ばかり云ふて、 相手に分るや分らぬやら考へる暇を與へぬ、今まで呆氣に取られて居た猛田猛は、急に眞面目になり、 「私には何の事だか分りませんが貴方の言葉は殆ど暴言です、 日頃の懇意の爲め私は恕して居ますのに、貴方が其樣な紳士らしく無い態度を續ければ、 摘み出す外は有りません、此室は亂暴者の闖入を許す場所では無いのです」と嚴重に言渡し、 武之助の益々怒らうとする状を見て「其れとも貴方は穩かに説明しますか、其れならば私も聞きますが」

此言葉に逢ふて武之助は聊かながら我に(かへ)ツた 「私には貴方が分ツて居る事を(わざ)僞忘(とぼ)けて居るのだと思ひますけれど、 説明せよとならば説明しませう」と云ひ、是れより彼の記事が確に自分の父を指したに相違無い旨を述べ、 更に事實無根として少しの疑ひも(のこ)らぬ樣に明白に取消しますか、 若し其れが出來ずば決鬪せよと迫ツた。

猛は迷惑げに武之助の顏を眺めたけれど仲々治る容子が見えぬので又暫く思案した末、 ()と重々しい語調で「全體ならば此記事は猛田猛の知らぬ事ですから、 責任者たる通信部長へお掛合ひ成さいと刎ね付ける所ですが、 其では貴方が又責任を避けるなどと立腹するでせうから」 武之助「無論です、避け樣とて避けさせません」猛「イヤ避けは仕ません、 相手が貴方だけに、日頃の交誼を重んじて、私が責任に當ります、 ハイ充分の責任を以てお返辭します、能くお聞き成さい、 新聞紙が一旦掲げた事を取消すと云ふのは一種の自殺ですから容易には出來ぬのです」 武之助「出來ぬなら私と決鬪する一方です」猛「宜しい決鬪しませう、 けれど此決鬪たるや貴方から申込む決鬪ですから、其條件は私が取極めます」 武之助「何の樣にでもお取極め成さい」猛「貴方に異存は言はせませんぞ」 武之助「何で卑怯に條件に對して異存など云ひます者か」 猛「では日取を極めます、今日から起算して廿二日目の朝と云ふ事に」

「廿二日目、其樣に待たれます者か」と武之助は叫んだ、 猛「異存は云はぬと云ふ口の下から、其異存は卑怯では有りませんか」 武之助「でも」猛「イヽエ、でもでは有りません」 武之助「でも三週間を無駄に過ごすとは譯が分りませんもの」 猛「私に取つては三週間の準備が無くては決鬪は出來ません、 外の事とは違ひ貴方の父上に關する次第ゆゑ、私も先づ充分に事實を取調べ、 事實無根と分れば明白に取消して謝罪したい、 無根で無いと分れば貴方の方が無禮ゆゑ私は貴方と決鬪するに少しも躊躇はせぬのです、 充分に良心の贊成を得て命の取遣りをするのです、貴方は三週間の猶豫を承知するか、 決鬪を取消しと兩方を思ひ(とま)るか二つに一つをお選び成さい」 何うして思ひ止まる事が出來やう、武之助は詮方無く「其では三週間待ちませう、 三週間も掛つて貴方が充分詮索すれば、事實無根に極つて居ますから、 私も紙上で明白に謝罪(あやま)らせるのを好みます」 決鬪するに三週間の猶豫とは類の無い事だけれど全く武之助は記事の無根が分るに極つて居る樣に安心し蟲を殺して此條件に從ふたが、 若し、其三週間の後に、事實無根で無いと分ツたら何うするだらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八六 蛭峰家七


話は追々枝葉が多くなツて來た、三週間後と極つた武之助と猛との決鬪は何うなるのだらう、 段倉の娘夕蝉と小侯爵皮春永太郎との仲は何の樣に成り行くのだらう、 又全身不隨の野々内彈正が請合つた華子と安雄との婚禮の調印は果して妨げる事が出來やうか、 總て其れや是やの別々の事柄が、知らず知らずに巖窟島伯爵の大復讐へ流れ込んで行きつゝあるのだ、 其状は(あたか)も東西南北樣々の方角に流れて、互に何の縁も無さ相に見える別々の川が、 其實自然に一個(ひとつ)の大海へ流れ込んで行く樣な者である、 此れは天地の間に存する自然の道理、彼れは人情の上に現はれる大なる天意と云ふ可きである、 茲には先づ野々内彈正の件に立戻ツて話の歩を進めやう。

*    *    *    *    *    *    *

口さへも利けぬ末路の英雄野々内彈正に何の樣な竒略がある、 彈正の傍を離れぬ華子さへも且怪しみ且危ぶんで居たが此翌日は此蛭峰家から二個(ふたつ)の葬式が一緒に出た、 一つは馬耳塞(まるせーゆ)から着いた米良田伯爵の死骸で今一つは此家で有國醫師に毒殺と疑はれた米良田老夫人の死骸である、 何しろ悲しむ可き事柄では有るけれど老たる夫婦が凡そ時を同じくして死し同じ日に同じ家から棺を出て同じ處に葬られるとは世に云ふ偕老同穴(かいらうどうけつ)の諺に叶ふた者として諦める外は無いと、 悔みに來た中の或る人は云ふた、何にしても主人蛭峰に取ては一方(ひとかた)ならぬ取込と云ふ者で、 是れが爲に彼の大事の取調は日一日と延て居る、「エヽ此樣な事さへ無くば、 最う()くに巖窟島伯爵と云ふ彼の怪物の本性は分つて居るのに」 と彼蛭峰は墓地に行つてまで呟いた、其心中の忙しさ察す可きである、 併し彼は忙しさに驚く樣な弱い男では無い、忙しさに連れ益々心が激しくなる方で 「ナニ此葬式が濟めば、直に華子の調印を濟ませ、又即座に彼怪物の取調べに着手するのだ」 と心に誓ひ、葬式の場所で早や會葬人の中から毛脛安雄を見附け出して、 今夜是非とも我邸に來て調印を濟まされよと乞ふた。

安雄も是には驚いた、何が何でも二個(ふたつ)葬式を出した其家で、 其夜に婚禮の調印とは餘り心持の能く無い事だから、(せめ)ては明日にと逹て(いな)み、 其場は是れで分れたが、()て翌日になると愈其積りで蛭峰の方では公證人も呼び、 總て調印の用意を運び盡して待つて居る、其所へ安雄が來た、 是れが安雄と華子との二度目の顏合せである、華子は敢て安雄を憎いと思ふ譯では無い、 家柄と云ひ男振と云ひ且は心榮まで誰の所天(をつと)としても耻かしからぬ人ではあるけれど、 外に此人に優る大尉森江眞太郎が有つて心が既に其人の物と爲つて居るのだ、 何うして祖父彈正が此調印を妨げて呉れるだらう、 手段があるなら今其手段を施さねばと、殆ど氣が氣で無く、 調印の卓子(てーぶる)に向ツても幾度(いくたび)か隱居所の方を振向き、 只胸のみ騷がして居るうち、愈公證人が婚姻約定書を讀聞かせやうとする間際に成ツて、 隱居所の方から多年彈正に附いて居る老僕忠助が急いで來た、 華子は有難いと思ふ心を推し隱して之に向ひ「忠助、 祖父樣(おぢいさま)が急にお惡くでも有はせぬのか」と問ふた、 忠助「ハイ先刻から何だか御容子が違つて居る樣に見えますから、 色々伺ひましたら婿夫(むこ)と爲る方を一度も隱居所へ連れて來ず調印するとは不服だとの御立腹の樣に私には思はれますので」 華子は父蛭峰の顏を見た、是は顏に父の返辭が現はれるだらうと思つての事なんだ、 蛭峰は眉を顰め「何だ餘計な」と呟き、更に聲を發して「何も隱して調印する譯では無し、 只此樣な事は寸善尺魔(すんぜんしやくま)とさへ云ふのだから、急いで居るのだ、 調印が濟めば直に毛脛安雄氏を隱居所へ御案内してお引合せ致しますと爾う申して呉れ」 華子は大變と「でも阿父さん」と叫んだ、けれど後に續く言葉は出ぬ、 若し此時に天から邪魔でも降つて來なくば彈正の何の樣な竒略も施すに(よし)無くして、 調印は無事に運ばれ相に見えた。

幸なる哉、邪魔は天から降つて來ぬが毛脛安雄の口から出た 「イヤ是は全く私の失念でした、大事のお孫娘と縁組するのに、 一度も祖父樣(おぢいさま)にお目に掛らぬとは、申し譯の無い不作法です、 兎に角御隱居所へ行き、一應お目に掛ツて來て、其れから調印を致しませう、 公證人、何うか手間は取らせませんから少しお待ち下さい」」と云つて立つた、 是れは必ずしも毛脛安雄で無いとても云はねば成らぬ事である、 人の孫娘を妻にするのに、其祖父に顏さへ見せずに調印するとは誰とて氣の濟まぬ事柄である、 獨り蛭峰のみは、蟲が知らせると云ふ者か、何だか此安雄を彈正に逢はせるは宣く無い樣に感じ、 既に顰めて居る眉と眉の間を一層狹くしたけれど、引留る口實は無い 「では私が御案内致しませう」とて澁々立つた、自分で連て行きさへすれば、 ()し萬一に何か面倒の起り相に見えても直に引分けて連れ來る事が出來るのだ、 華子も後れずに立上つた、眞に祖父さんが妨げて呉れる事が出來るか知らんと、 猶だ危ぶむ念は胸に滿々て居るけれど、兎に角一旦は虎口の難を逃れたのだ、 イヤ難を幾時の間か後へ送る事が出來たのだ、之れに蛭峰の妻を合せ四人打連れて隱居所を指して行ツた、 (そもそ)も此隱居所に於て大なる活劇が演ぜられるとは誰も知る者も無い。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八七 蛭峰家八


安雄は野々内彈正の枕邊に寄り、先づ其顏を差窺(さしのぞ)いて恭恭しく初對面の挨拶から不思議の縁で孫娘と婚禮する事になツた嬉しさを、 場合相應の言葉で述べた、(もと)より彈正は唯だ(まなこ)を動かす外、 何の返辭をも爲し得ぬ身では有るけれど、異樣に落着いて居る、 何だか此婚禮を妨げるに就ての充分な謀略(はかりごと)が胸に有ツて、 必勝を信じて居るらしい、大軍師が戰場に臨む前夜とても斯まで落着き拂ふ事は出來ぬ。

彼の(まなこ)(わづか)に安雄の顏に注ぎ直に轉じて華子の顏に移ツた、 華子は胸を轟かせつゝ進み出て「祖父さん、私は貴方の言葉を通譯せよと仰有るのですか」 彈正の(まなこ)「爾うだ」華子は定めし辛い通譯だらうと思ふけれど我身の浮沈が繋がる所だから、 充分其役を果さねば成らぬと覺悟して居る、 直に先づABC(いろは)文字(もんじ)を並べ記して表を取り一字一字指示して彈正の意を(うかが)ふに、 彈正の眼は遂に「ひみつばこ」も文字を綴り出した 華子「箪笥の中から貴方の祕密箱を取り出して茲へ持つて來るのですか」彈正「然り」

華子は其通りにした、一同は如何なる箱かと目を注いだが、 通例世間で大事の手紙などを入れるに用ふる小さな文庫である、 此中に大なる活劇の種が有らうとは誰も思はぬ、先ほどから唯だ彈正のする事をのみ、 心配して居る蛭峰さへも、或は祝ひの記標(しるし)に何か孫 婿夫(むこ)へ與へる積りだらうかと位にしか思はなんだ、 華子は「此箱は何うしますか」と問ひ、又も樣々の管々(くだ〜)しい手續きを得て漸く 「中に在る書類を茲で安雄に朗讀させて呉れ」と云ふ意味を探り得た、 誠に異樣な注文である、茲に至ツて初めて蛭峰は異樣に危む念を起し、 「ナニ毛脛さん、今讀まずとも後で(ゆつ)くり御覽成さツて宣いでせう」と忠言した 安雄「イヽエ、祖父樣のお指圖は神聖です」斯う恭々しげに返辭して直に華子が蓋を開いて出す其箱を受取り、 中から古い一通の書を取出した、書には(おもて)に「千八百十五年二月五日、 祕密共和黨會合の顛末略記」と書いてある、是れだけの文字(もんじ)に安雄の顏色は早變ツた、 變るも道理や此年月日は幼い頃から深く安雄の胸中に刻まれて消すに消されぬ所である、 千八百十五年二月五日、是れ安雄の父毛脛將軍が暗殺された其日である、 而も其暗殺は茲に記した祕密共和黨の密會の席から歸る途中で有ツたのだ。

唯だ標題(みだし)の文字だけで安雄は、他の何事をも打忘れた(てい)である、 熱心に其書を取上げ、嚴かに讀み初めた、初めの方には先づ、 將軍が拿翁(なぽれおん)の流されて居るエルバ島から歸つた事から筆を起し、 將軍が充分世間から拿翁(なぽれおん)の腹心で有る如く疑はれた爲め祕密黨の首領が内々將軍に面會し其黨の密會場へ出席せられよと請ふた次第を記して有る、 是等の事は既に本篇の初めに記した通り、其頃の警視廳が探り得て新聞紙にも乘つた事で、 其れから將軍が自分から承知して自分の目を隱し祕密黨の首領の馬車に同乘して其會場へ行つた事まで世間の人は知つて居る。

讀んで其處に至ると、蛭峰は大に心配を初めた、彼は「毛脛さん、毛脛さん、 其れは今讀む可き書類では有りません、先づ私にお渡し成さい、 御存じの通り公證人も待つて居ますから、婚禮の調印を濟ませて其後で見る事と成さい、 サア私が預かりませう」と遮つて實際に手をまで出した、けれど最う安雄は心と書面とが一體に爲ツた如くである、 其言葉を耳にも掛けぬ、爾して次の如く讀み續けた。

吾々黨員は首領の連れ來りし毛脛將軍の目隱しを取脱したるに、將軍は目を開きて、 列座せる七十人ほどの黨員を見廻し、痛く驚きたる(てい)なりき、 座に在る中の過半數は兼ねて將軍と懇意なる軍人にして皆朝廷の忠臣と信ぜらるゝ人々なりしかば、 將軍は聲を揚げ、イヤ君方も此黨員なりしか、(さて)は人を此處へ連れ來るに、 用心に用心を加へ、道順や場所を知らしめぬ爲め目隱しを施すは當然なりと、 賞讚する如き語を發したり、黨員の多くは、將軍の加入を得て、 我々早大望を成就せし心地すと叫び、熱心に將軍と握手したり。

既にして議事に掛れり、勿論將軍は初めての列席ゆゑ自分より發言する程の意見も無かりしと見え始終無言にて黨議を打聽き、 其半に至り、手帳を取出して心覺えに筆記せんとしたれば、 首領は之を制止し、我黨の祕義は唯だ書記に筆記せしむるのみ、決して黨員銘々に書き留むるを許さずと云ひたるに、 將軍は又感服し、成るほど爾無くては眞の祕密は保たれまじと云ひて其手帳を收めたり。

此時の評議は拿翁(なぽれおん)がエルバ島より脱し來るに就き、 全國黨員が到る處に旗揚して朝廷を(くつが)へす手筈の打合せなりし爲め、 黨に取りては此上も無き重大の機密なりき、 斯て評議は終り黨員中の軍人は(おの〜)自個の連れ來たる可き兵士の數と、 向ふ可き方面とを首領の耳に細語(さいご)して順々に血判し、 軍人ならぬ者は自個の相逹す可き軍用金や又身に引受く可き勞働や奔走などを密約し是も其れ〜゛血判して、 愈將軍の血判すべき順番と成りたるに將軍は躊躇せしのみか、 拙者は朝廷より將軍の軍職を受け、朝廷の録を()み、 朝廷より榮爵をまで授かれる者にして朝廷の忠臣なれば未だ此祕密黨には入籍せざる者なりと言放ちたり。

黨員の面々は此一語に怒髮の逆立つ如く怒り、將軍の肉を食らふとも足らずと云ひ 「殺せ」「殺せ」の聲は叱咤の聲と共に凄じく沸き起りたり。

讀來る安雄の聲は、鍛へたる鐡を打合すかと思はれる程に冴えた、蛭峰さへも一語を發する事が出來ぬ、 華子は(かうべ)を埀れて顏を兩手に隱して居る、多分は(ひそか)に泣いて居る者らしい。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八八 蛭峰家九


讀むに從つて毛脛安雄は、其身が全く父將軍の位置に立ち、 將軍の當夜の境遇に入つた樣に感ずると見える、一心不亂の有樣で讀續けた。

將軍は活せて歸しては黨の破滅なれば即座に將軍を殺す可しとの意は黨員全體の心に滿ちたる者の如し、 此時若し黨の首領が、諸君將軍を殺す可きかとの一問を發せしならば將軍は確に全會一致を以て死を宣告せられたる可し。

將軍は逃れぬ場合と察したるや、罠に(かゝ)りたる猛獸の如く狂ひ立ち 「七八十人の力を合せて此一人を壓殺するとは能くも卑怯者のみ揃ひしもの哉、 一人と一人の決鬪なら私も甘んじて應じますが、爾無くば諸君の所業を虐殺の所業と云ふに躊躇しません、 衆を恃んで一人に向ふ卑怯者よ、揃ひも揃ひし破廉恥漢よ」と罵りたり、 此時首領は衆を制して立ち、()と嚴かなる聲にて將軍に向ひ 「將軍よ、未だ我黨は貴下を殺すに決した譯では有りません。暴言は謹み成され、 將軍よ、貴方は、我々が無理に此場へ連れて來たと云ふで無く、 唯だ私の勸誘に從ひ自分の隨意に茲へ來た事を忘れましたか、 我々は貴方に目隱しを施しましたけれど是も貴方が自分の手で結んだのです、 否と云ふのを無理に我々が施した譯とは違ひます、其時には貴方も充分に、 此會が祕密黨の會で有る事を知り、他人が入込む可き場所で無い事を知り、 之に入込むには黨員の式に從はねば成らぬ事を知つて居たのでせう、 我々が貴方を我黨の贊成者と認めたのは無理の無い所です、 (しか)のみならず、貴方は此場に來て我黨の幾人と握手しました、 若し我黨の贊成者で無くば何故に目隱しまでして茲に來ました、 何故に握手しました、何故に決議の前に斷りませんでした、併し將軍よ、 之は敢て咎めません、唯だ我黨を侮辱する事をお止め成さい、 我黨は決して能くも揃ツた卑怯者では有りません、何よりも廉恥を重んじます、 其證據として、若し貴方が今夜の祕密を生涯他言せぬと云ふ誓ひを立つれば、 無事に貴方を貴方の(やしき)まで送り屆けます、何うです其誓ひを立てますか」

將軍は嘲笑(あざわら)ツて「他言せぬとは即ち此黨へ加擔すると同じ事です、 現に國王の朝廷を(くつが)へすと云ふ企てを聞き知つて之を國王に知らさずに居れば、 自ら國王を倒すと同じ事です、私は國王の忠臣です、其樣な誓ひは立てられません」 此言葉にて觀れば將軍は國王の爲に我黨の祕密を探らんとて、 此席へ我黨の贊成者らしく見せ掛けて入込みし者と認めらるゝ外なければ、 黨員一同は再び激動し「死刑」「死刑」と連呼したり。

首領は再び將軍に向ひ「其誓ひを立てぬとならば、生きて此場を出る事は出來ません、 誓ひを立てるか、生きて還るか、二者の一をお選び成さる前に、 今一應 (とく)とお考へを願ひます」將軍は又も滿場を見廻したが、 黨員一同が首領の言葉を當然として鎭まり返つて居る状を見、 決して其死刑と云ふ語の、虚喝(きよかつ)に有らぬを知りし如く 「然らば誓ひを立てます、今夜の事は決して口外致しません」 と云ひ更に首領の指圖に從ひ、名譽を賭したる正式の宣誓を行ひたり。

黨員中には多少不服に思ひ、()しや宣誓の式に從ひたりとて、 猶將軍を生かし還すは危險なりと呟く者あるしかど、 首領が唯一言「私が責に任じます」と言切るを聞きて滿足したるに、 將軍は初め來し時の如く、自ら又も目隱しを施し、 又も首領及び御者三人と共に馬車に乘りたり。

馬車の中にて、將軍は猶も罵詈の言葉を止めず、頻りに黨員一同を卑怯なりと責むるにぞ、 首領は聞き兼ね「將軍、最早會議の席では有りませんから、 卑怯と云ふ事は有りません、少し言葉をお謹み成さらねば、聞捨には致しませんぞ」 と制止(おしとゞ)めたるに、將軍は(あざわら)ひて 「ヘン未だ貴方がたは四人と一人だから強い事を云ふのです、 單に一人と一人に成つたなら、私と決鬪する者は一人も貴方がたの中には在りますまい、 此の毛脛將軍の長劍(さーべる)は惡人に向つて容赦は無いのです」 首領は堪忍の力も盡きたり「將軍、茲はセイヌ河の橋の上です、 サア目隱しを取つて此馬車からお降り成さい、降りた上で、 猶も一人と一人の決鬪が御所望なら、私がお相手致します、私の持つて居る此仕込杖も、 貴方の長劍(さーべる)と同じく惡人に向つて容赦は無いのです」 將軍は勇み立つ如く「ナニ一人と一人、小癪な」と呟いて直に目隱しを取外し、 自分より先に飛出る如く馬車を降りたり。

(さて)は我父の死んだのは暗殺では無く一種の決鬪であつたかと安雄は初めて氣が附いた容子である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一八九 蛭峰家十


此長々しい始末書が何の樣な恐ろしい結果に終るかは誰も知る者が無い、安雄は猶も讀續けた。

將軍が飛び降りたるに續き、我黨の首領も馬車を(くだ)れり、 首領も直に將軍に問へり「將軍よ、立會人無しに鬪ひませうか」 將軍は暫らく考て「イヤ、私が貴方を殺した後で、貴方の手下どもから、 何時までも首領の(かたき)だなどと云つて蒼蠅(うるさ)く附け狙はれる樣な事が有つては困りますから立會人を定め、 此鬪ひが全く公明な決鬪で有つて暗殺で無いと云ふ事を後々までも證明せしめる用意に供しませう」 將軍は少しも自分の身に萬が一つも負可しとは思はざりしに似たり、勿論劍道に掛けては當時彿國第一と云はれ、 幾度決鬪してんも必ず相手を殺したる程なれば此決鬪も必ず其身が勝つ可きを思ひ、 後の面倒を迄も豫防し置かんと計りたるは無理なき所ならんか、 首領は合點し「立會人と云つた所で、他所(よそ)から呼んで來る譯にも行きませず、 私の馬車の居る御者の中、二人を其れと定めては如何でせう」 將軍「宜しい、最も宜しい、貴方の黨員を立會人とすれば、 黨員全體に後々まで私へ言ひ掛りなどする口實が無くなりますから私は殊に望む所です」 始終將軍の言葉は自分の必勝を期して首領に對し侮辱の意を含みたり、 而も首領は毫も其意を感ぜざるが如くなりき。

(やが)て定められたる二人の立會人は雙方の劍を受取りて(あらた)めたるに、 將軍の劍は長劍(さーべる)なれば立派な(つば)あれども、 首領の劍は仕込杖の身なれば(つば)あること無く、 而も將軍の劍より五寸ほど短かりしかば「斯く武噐に優劣が有ツては公平な決鬪とは認められません」と云へり、 將軍「此場に及んで其樣な事を云つても仕方が無いよ、劣ツた劍を持合せて居た方が不運だと諦めませう、 若し不幸にして私の劍が劣つて居る場合でも私は決して苦情は云ひません」 首領「勿論です、私は用ひ慣れて居ますから此鍔の無い短い劍をも通例の長劍(さーべる)と同じ樣に使ふ事が出來るのです」 是れにて決鬪の準備は終れり。

決鬪の場所は橋の下なる空地なり、立會人は先づ馬車の(らんぷ)を取り來りて橋の桁に懸け、 兩人の鬪者は外套を脱ぎて其處に下り來れり、立會人よりの合圖と共に決鬪は開始したり、 將軍は唯一打と思ひし容子にて始めより攻勢を取りたるも打込む(たび)に巧に(かは)され其目的を逹せざるより 「エヽ小癪な」との語を連呼して益々燥だつのみなりしが、 凡そ五六合に至り、將軍は凍りたる地盤に足を滑らせ横さまに打倒れたり、 此時若し我黨の首領が將軍の不利に乘ずれば容易に勝を得べかりしも首領は先刻より幾度(いくたび)か將軍に卑怯などと罵られたる語の耳に存すれば益々以て自個の度量を示さんとする如く、 (たゞち)に劍を投捨て自ら將軍を抱起して立たしめ 「猶ほ決鬪を繼續しますか」と問へり、將軍も此度量には聊か感心をせし如く、 幾等卑怯者の中でも、流石に首領は首領だけ武士の禮儀を知つて居られる、イヤ是には感心しました」 と評し更に「無論決鬪を繼續します、一方が命の盡るまで」と云ひ再び鬪ひを開きたり。 而れども其幾合が進むに從ひ、首領の手練が將軍の手練に優ること徐々に現れ來り、 將軍は歩一歩に自個の地盤を失ふ如くに見えしが、終に首領の打降す劍先を(かは)し損じ左の肩先に傷を負ひたり、 併し將軍は氣丈にて「イヤ初めて手答の有る敵に逢つた、之は愉快」と叫び、 奮迅の勢を以て切込みしが、之には首領も、左の手先を傷つけられたり。

是よりは雙方の爭ひは益々激しく、或は攻め寄せ、或は攻め寄せられ、果しも無く思はるゝうち、 首領は最後の手練を示し、鋭く劍を突出せり、將軍は二囘まで之を受け損じ、 殊に二囘目は狙ひ(たが)はず心臟を刺したれば、將軍は「殘念」と叫びて仰向けに打ち仆れ、 ()た起上ること(あた)はず、(かすか)な聲にて「顏を、顏を」と細語(さゝや)きたり、 首領は其意を察し(たゞち)に橋桁の(あかり)を取り、 其れに照して自分の顏を將軍の目の前に出したるに、將軍は「餘り劍を()るのが巧妙だから專門の撃劍師かと思ツたが、 成るほど爾で無い、專門の撃劍師なら此國中に私に知られぬ者は一人も有りませんから」 首領「イヤ將軍の手練こそ專門家以上です、コレ此通り」とて自分の左の手に受けたる傷を示したるに、 將軍は之を見たれど一語を發する力無く、其儘に息絶えたり、 首領は(つるぎ)の血を拭ひて鞘に收め、馬車に歸りて、殘れる一人の御者に馬車を遣らせ、 後を見ずに立去れり、後に二人の立會人は將軍の死骸を水際に推落し、 立會人の役を濟せて之も去れり。

以上は後日の疑ひを根絶せん爲め立會人二人、誠意を以て其夜の中に(たゞち)に認めたる始末書なり、 少しも事實に(たが)はざることを、名譽に賭て誓ふ者なり。

    年 月 日         兩人 署名

安雄は青い顏で讀終ツた、けれど騷がぬ「父の死した顛末は、 兼て私が知り度いと心に願ふて居た所です、深く謝さねば成りませんけれど、 私は何うか父を殺した此首領が誰であるかを知り度いのです、 祖父樣、彈正樣、貴方は此書類をお持ち故、定めし首領の姓名を御存じでせう」 野々内「然り」安雄「其れなら何うかして私へお知らせ下さい、 サア何うかABC(いろは)の表に依り、其姓名をお綴り下さい」とて早彼の表を示した、 今まで詮方なく無言で控へて居た蛭峰は必死の思ひで「姓名を問ふたとて無益です、 彈正は知らぬでせう」遮るにも拘はらず、彈正は綴り初めた、 爾して愈々綴り終ツた文字を見れば「我れ也」とある、 安雄は椅子から轉げ落ちぬが不思議である「エヽ其時の祕密黨首領は貴方ですか」 彈正「然り」安雄「私の父男爵毛脛將軍を殺したのが、野々内彈正、 貴方自身だと仰有るのですか」彈正「然り」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九〇 蛭峰家十一


「然り、然り」と彈正は目を閉ぢて、確に其身が毛脛安雄の父を殺したとの意味を明白に現はした、 安雄は全く椅子の上に尻餠を()いて、爾して暫しがほど彼は唯だ目を屡叩(しばたゝ)くのみで有ツたが、 漸くにして「分りました」と云ひ、又更に「此始末書は私が頂いて歸ります」と獨り語の樣に云ふて彼の書面を卷收めた。

彼が此時の心持は何の樣だらう、漸く縁談が調ふて、殆ど巴里第一とも云ふ程の美人が我妻と事定まる間際に及び、 其美人は我父を殺した人の孫娘だと分ツたのだ、知らぬ中は兎も角も、 知つて何うして此縁談が纒められやう、彼は土の如き面色(かほいろ)の儘立上り、 「貴方のお蔭で多年の疑問が解けました」と言捨て、蹌踉(よろめ)く如くにして此室から立去ツた、 彼に續いて蛭峰も妻も亦立つた、若し立たずに居たならば、 或は蛭峰は此全身不隨と爲つて居る父彈正の咽首を攫み潰したかも知れぬ、 父の爲に大事の政略的結婚が妨げられたのだから此時彼は眞實に我父を憎いと思つた。

爾して蛭峰は直に客間へ歸ツたけれども毛脛安雄の姿は見えぬ、 (さて)はと思つて玄關を(のぞ)いて見れば、早や安雄は待せて置た馬車に乘つて去る所である、 今更追掛て呼び返す口實とても無いのだから詮方無く斷念し、公證人は少し事情が有つて調印が延びたからと云ひ、 漸く其場を繕ふて歸したが、是より一時間と經たぬうちに、安雄から手紙が來た、 其筆跡の震ふてゐる所を見ても彼の心が未だ鎭まツてゐぬ事が分る、 其文言は「(あらた)めて申上ぐる迄も無き事情の爲め、 拙者と華子孃の間に到底縁談の纒まらぬは最早御承知の事を存じ候、 拙者は全身不隨の老人を親の(かたき)などと今更恨む程の執念深き者には無之(これな)く、 (せめ)て今の中に此事の分りたるを雙方の幸ひとして却つて老人に感謝いたし候、 拙者と孃との利害も名譽も未だ傷つかざる中なれば、拙者は是れ限りにて一切斯る縁談さへも有りし事を忘るゝ爲め、 再び外國の公使館へ赴任致し候、告別まで斯の如くに御座候頓首」とあツた、 誠にサツぱりとした手切れの文句である、勿論斯う無くては成らぬ筈だ。

父の煩悶に引替て全く重荷を卸した想ひをしたのは華子孃である、 孃は其後で深く祖父彈正に謝し「貴方が此縁談を妨げて下さるとは仰有ツたけれど、 斯うまで手際能く妨ぐる事が出來やうとは思ひませんでした」 と云ひ幾度(いくたび)か彈正の前額(ひたひ)に接吻した末、 裏庭へ忍び出で、(いつ)もの所で心配しつゝ待つてゐる森江大尉に、 (いつ)もの通り垣一重隔てゝ逢ひ、 兎も角祖父彈正が約束を果して呉れたから安心せよとの意を傳へた、 斯と聞いた森江の喜びは讀者の推量に任せて可からう。

孃が斯く立去た後へ又入來つたのは繼母(まゝはゝ)なる蛭峰夫人である、 彈正は其姿を見るより、(まなこ)に餘り喜ばぬ色を示したが、 夫人は(いつ)に無く打解けた容子で彈正に枕邊に身を卸し 「祖父さん華子と毛脛氏との縁談は全く破れて了ひました故、 今更私は何事も申しませんが、唯だ一つ私の口からで無くば申上ぐる事の出來ぬお願ひが有ますよ」 と何だか氣味の惡い樣な前置を以て言出した、彈正も何の事かと合點が行かぬらしい、 唯だ怪しげに夫人の顏を眺めてゐる、夫人は眺められるを恐れもせず 「ハイ其事は第一華子の爲、第二には蛭峰家總體の爲でありますけれど、 華子の口からも蛭峰の口からも云ふ事は出來ません、私は華子には繼母、 蛭峰には妻ですから其義務を以て申ます、何うか先日貴方が公證人にお作り成さツた遺言状をお取消し下さい、 ()の遺言状は華子と安雄との婚禮に御不同意の旨を示す爲め、 貴方の財産一切を他へ寄附する樣にお作りでありましたけれど、 最う愈華子と安雄の縁談が破れて見れば、其必要はありませんから、 何うか元々通り華子を貴方の相續人として別に遺言状をお作り下さい」 殆ど誠心を(ひら)いて請ふた、日頃華子を目の(かたき)の樣に(いぢ)めて居る此繼母が、 華子の爲に斯る事を請ふとは、何か深い仔細の有る爲では無からうか、 誠に油斷の出來ぬ事柄では有るけれど、 兎も角彈正の思惑も此通りで有つたのだから彈正は直ぐに承知し此翌日又も公證人を呼び華子を自分の財産全體の相續人と云ふ事に新しい遺言状を作らせた、 後に思ふと是が果して波瀾の本であツた、華子に取つて難有い樣で難有く無かツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九一 蛭峰家十二


年中あくせくと稼いで居る人は容易に金持と爲る事は出來ぬけれど、運や果報の向いて來た人は寢て居ても大金持になる事が出來る、華子の如きは即ち其れなんだ、 死んだ母親が少からぬ財産を遺して呉れて有るが上に、 母親の兩親たる米良田伯と其夫人とが一時に亡なられた爲、 血筋の順序として當然に其 兩個(ふたり)の財産も轉がり込み、 今は又祖父野々内彈正が蛭峰夫人の請ひを容れて遺言状を書直した爲め、 是れも死ぬれば九十萬からの身代が華子の物と爲るに極つた、 (わづか)に一週間ばかりの間に五百萬からの財産の持主とは爲つたのだ、 華子自らは金の事などは何とも思はぬから、別に氣に留めもせぬ容子だけれど、 若し深く考へて見れば、唯運や果報といふ許りでは無く何か仔細が有るのでは無からうか、 米良田伯夫妻の死方なども何だか怪しかつたでは無いか、疑ふ人に疑はせれば、 誰かゞ深い目的を以て華子の身へ財産を集めて居るのでは有るまいか、華子の身へ集めて置いて、 爾して華子を何かして一擧に其財産を横領するといふ樣な計畫でも有るのでは無からうか、 餘りな事で此樣な疑ひの餘地さへ出て來るのだ。

兎も角華子は幸福である、今まで父と繼母との手に壓附られ幸福の何たるかを知らなんだ身が急に此樣な大金持と爲ツて、 數ヶ月來何うしやうかと心配して居た安雄との縁談も破れた、 茲暫くは殆ど云ふ芽が出ると云ふ景状(ありさま)である、のみならず彈正が、 安雄の縁談を破つた(ついで)に、思ひ思はれて居る森江大尉との縁談を充分に固めて遣り度いとの心を起し、 不自由な身體で少しづつ其意味を孃に告げ知らせ、 二日ほど掛ツて漸く一種の相談を取纒めた、其大意は第一に、 外へ隱居所に宛可き相當の家屋を探し其れを買求めて、 彈正自ら華子と共に其家へ引越す事、第二に、引越しさへせば森江大尉も自由に其處へ出入する事が出來るゆゑ、 其間には益々華子と相互の氣質も分り、又彈正も(とく)と大尉の心榮(こゝろばえ)などを見て取る事も出來るゆゑ、 其上にて婚禮の條件や日取などを取り極る事、と云ふので有ツた、 實に局面が一變した樣な者だ、手に手を取つて驅落する外、到底夫婦になる道が無からうとと決して居た兩人(ふたり)が、 何うやら天下晴れて許嫁と爲る事が出來る場合に成つて來たのだ。

此相談が極るや否や、 彈正は一方に建物會社へ人を遣り然る可き家屋の詮索を命じ又一方には兎に角大尉に逢つて是れだけの事情を告げ知らせ、 短氣な事をせぬ樣に(いまし)めて置きたいと云ひ、老僕忠助を大尉の許へ使ひに遣つた、 勿論大尉は彈正からの使ひと聞き宙を飛ぶ程の勢で老僕忠助を追拔いて遣つて來たが、 (やが)て彈正の枕許に坐し、華子の通辯や自分の氣轉で右の次第を聞いて居る中に、 飛んでも無い一事件が此靜かな隱居所に起つた。

其れは外でも無い、老僕忠助が大尉の後から喘ぎ〜歸つて來て、 華子に向ひ「孃樣、最う年取つては(いけ)ません、 (わづか)に十丁か十五丁許りの道が、若い方と一緒に走る事が出來ず、 咽喉(のど)干涸(ひから)びて了ひました、孃樣、茲に在るレモンを少し戴きますよ」と云ひ、 華子が彈正の爲に用意して置いたレモン水を(こつぷ)に注ぎ一息に呑乾した、 此時華子は「アレお前、年寄の癖に冷たい物を」と制する樣な言葉を發したけれど其れは間に合はなんだ、 忠助は呑乾して暫し休んで居る(てい)で有ツたが忽ち苦痛の聲を發し 「アヽ死に相だ、恐ろしい眩暈(めまひ)がする、耳も破れる樣に音がする」などと叫び、 (やが)て又「頭が張裂けます、張裂けます」とて空を掴んで(もが)き初めた[、] 勿論華子は驚いて「忠助何うした」とて其場に行き、森江大尉も「何事です[」]と同じく出て來たが、 此時、本家(おもや)よりも、忠助の悲鳴を聞き、誰やら驅け附ける樣に思はれたから、 華子は忙しく大尉に向ひ「若し父上に咎められては面倒ですから貴方は裏の方から、 (そつ)とお歸り下さい、爾して再び迎へを上げたとき又來て下さい」とて大尉を此場から避けさせた。

引違へて此場へ現はれたは蛭峰夫人である、夫人も氣が轉倒したかと思はれるほど(あわ)てた状で 「オヽ忠助が、お祖父さんの召上るレモンを呑んだのかえ」と云ひ、 直に其 (こつぷ)と瓶とを取つて「()ア此樣な物は片附て置かねば」」とて自分で臺所なる流し場の所へ持て行つた、 引續いて又蛭峰と有國醫師とが一緒に來た、醫師は唯一目、忠助の容子を見、 蛭峰に向ひ「米良田伯夫人と同じ容體です、同じ原因です、同じ最期を免れません」と連呼し、 直ぐに今しも蛭峰夫人の行つた臺所へ行き、彼の(こつぷ)を持つて來た 「孃さま、忠助は此 (こつぷ)でレモンを呑んだと云ひますか」と華子に問ひ、 華子が「爾です」と答へるのを待つて、又直ぐに蛭峰を引立てぬ許りに 「蛭峰さん此方(こつち)へお出下さい、至急です至急です」と云ひ本家(おもや)の方へ去つた。

爾して猶ほも蛭峰を捕へたまゝ蛭峰の居室(いま)に入り「是れが毒殺で無いと云はれますか、 貴方は御自分の家に、大なる犯罪が有るのに、何で其方へ目を注がず、 古い書面などを持出して調べて居ます」殆ど叱り附ける口調である、 蛭峰「エ、犯罪」有國「若し毒殺が此國の法律で無罪とせられて居れば兎も角、 叫無(さな)くば此家に、確に犯罪が行はれてゐます、其證據を見せませう」 と云ひ一片の白い試驗紙を取り出して、猶だ濡れて居ゐる(こつぷ)の中に露を拭いた、 露に從つて試驗紙は所々青く變色した「ソレ御覽なさい、貌律矢(ぶるしん)です、貌律矢です、 味や匂では分りませんが、試驗紙に現はれます」蛭峰「貌律矢(ぶるしん)などと、 誰が其樣な毒藥を」有國「誰が用ふるか其れを探すのは、大檢事たる貴方の職務では有りませんか、 犯罪に依つて利益する人を疑へとは貴方の職務の第一歩では有りませんか」 蛭峰「誰も忠助などを殺して利益を得る樣な人は」 有國「イヤ、忠助では無く野々内彈正氏に呑ませるのを忠助が誤つて呑んだのです、 彈正氏を殺して利益する人は有りませんか、彈正氏の財産は誰が相續します、 米良田伯爵夫人の財産は誰の手に轉がり込みました」此言葉は明かに華子を指す樣な者だ、 蛭峰は只呆れて「有國國手、貴方の問ひは餘り邪慳です不道理です」と泣く樣な聲で叫んだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九二 蛭峰家十三


確に有國國手は華子を疑ふてゐる、成るほど其疑ひに一應の道理が無いでは無い、 米良田伯爵夫妻の死んだのも華子の利益と爲つた、野々内彈正が若毒殺せらるゝとせば其れも同じく華子の利益には歸するのだ、 爾すれば華子は、野々内彈正が新に遺言状を作つて自分を相續人と定めたに就て、 今が彈正を殺す可き時だと思つたのだらうか、今殺さねば再び彈正が遺言状を書改めるかも知れぬ、 再び、書改めては取返しが附かぬから、其事の無い中にと、 深くも謀つて用意した毒藥が誤つて忠助を殺す事とは爲つたのだらうか、 然し有國國手は確に爾う思つて居る、けれど父蛭峰の身として何で此樣な恐ろしい疑ひが信ぜられやう、 ()しや此上に倍も二倍も強い證據が出たとしても眞逆(まさか)に我が娘に其樣な鬼心が有らうとは信ぜぬ、 彼は叫んだ「有國さん、犯罪に依つて利益する人を疑へと云ふ古諺(ことわざ)ほど明白な語は有りませんが、 又此語ほど多く無實の人を罪に陷れた言葉も無いのです、 眞誠(しんせい)の裁判は決して此樣な簡單な言葉で決せられる者では有りません」 有國國手が理が非でも自分の言葉を推通さうと云ふ人では無い。

「爾です、全く爾です、故に私は其言葉を根據として誰某(なにがし)が其犯罪人だと指すのでは有りません、 唯だ此家に犯罪の有る事を貴方へ告げるのです、其犯罪人が誰であるか其れを見出すは貴方の職務、 敢て私の嘴を容れる所では有ませんが、 兎も角も此家で一週間と經ぬうちに同じ貌律矢(ぶるしん)で毒殺された人が二人まである事は認めねば成りませぬ、 之を認めれば詮議せずに捨て置く事は猶更出來ぬでせう、其れだから私は、 貴方に詮議成さいと云ふのです、貴方が若しも一家の名譽を(いと)ふが爲に、 之を詮議せずに捨置くならば、私は醫師たる自分の職務として更に相當の手續を踏み、 相當の官衞へ訴へます、唯是だけを申すのです」

唯是だけと云ふ其「是だけ」が恐ろしい、如何に蛭峰が裁判所に大勢力の有る身分とても之を妨ぐる譯には行かぬ、 彼は情無いと云ふ口調で「有國さん、全く蛭峰家の亡ぶる時が來たのです、 する事爲す事悉く間違つた道へのみ流れ込んで」 有國「イヤ其れはお察し申ますが貴方は大檢事として我家に起つた此毒殺事件を詮議するのですか、せぬのですか」 蛭峰「詮議します、ハイ詮議はしますが——」國手「詮議するならば其れで宜しい、 私は此上に云ふ所は有りません」と云つて立去つたは、 實に我が職掌の上の義務は一歩も曲げぬと云ふ嚴重な方針を守つた者で流石に信用の厚い醫師だけの事は有る。

勿論忠助は其まゝで死んで了ツた、其後に蛭峰は熟々(つく〜゛)と其身の否運を感じた、 一方に巖窟島伯爵の本性を見破る爲めに、 必勝の手段を取つて古い書面を取調べて居れば、落着いて其取調べを續けられぬ樣な事ばかり起り、 又一方には一身一家の計畫が悉く外れて、 今は自分の大檢事と云ふ職務を以て我が家内から罪人を搜し出さねば成らぬと云ふ辛い詮議まで降つて湧いた。

猶ほ是れのんみでは無い、忠助の變死には下女下男一同に至るまで戰き恐れ、 一人が此家に死神が祟ツて居ると言出せば、一同が成るほど其れに違ひ無いと云ひ、 其夜臺所に寄集まツた上、評議を固め、直に一同で暇を取る事と爲ツた、 是れは小事の樣で大事である、雇人一同に立去られて主人たる者が何うして家を治めて行く事が出來る者か、 蛭峰と妻と共に力を合せ、給金を増すから何うか留まツて呉れとて一人一人に説いたけれど甲斐が無かツた、 翌朝は水汲む者さへ無い程の始末と爲ツた、廣い蛭峰家が殆ど火の消えた後の樣だ。

併し蛭峰家の事は是だけで止めて置いて話は又も小侯爵皮春永太郎の事に移る。

*    *    *    *    *    *    *

(さて)も永太郎は段倉の家で巖窟島伯爵の我身に對する仕種(しぐさ)を見て、 何うも伯爵が自分の本統の父では無からうかとの疑ひを起した爲め、 靜かに立去つて其夜を朝までも考へ明したが、何うも爾うせねば伯爵の今までの振舞が合點が行かぬ、 第一伯爵が日々我身に與へて使はせる金だけでも莫大な者で有る、 父で無く子で無くば何で此樣な無益な事をする者か、多分は我身を、 巖窟島伯爵の相續人として恥かしからぬ性質で有るか無いかと樣々の誘惑を加へて試驗して居るに違ひ無い、 我が父と云ふ皮春大侯爵の使ふ費用とても其實伯爵から出て居るのは勿論の事で、 察するに伯爵は、此身を自分の手近く住はせて置くのに然る可き口實が無いから、 父で無い父を拵へて爾して世間體を作ツて置くのだらう、其うちには必ず(をり)を見て此身へ眞實の事を打明け、 親で有ツたか子で有つたかと名乘り合ふ事となるに違ひ無い、 と考へるに從ツて益々確らしく思はれるから、終に其日の暮頃に及び伯爵の許へ行き、 其とは無しに問ふて見た「若も伯爵、此私が妻を娶つて一家を構へる場合には、 差當り私の父は何れほどの身代を分て呉れるでせうか」と、 遠廻しだけれど仲々適切な問方で有ツた、伯爵は驚かぬ 「貴方には母方の財産、即ち小品(こしな)侯爵令孃折葉姫の遺産が二百萬圓も有つて是は或人が保管して居る筈ですから、 父上の承諾如何に拘らず是だけは貴方が家を持つと同時に貴方の物に成りませう、 更に父上が貴方へ幾等分與へるか、其は先日露國へ立つた父上が歸つて來た上でなければ分りません、 けれど兎に角貴方が令夫人と共に侯爵と云ふ身分を支へて行くに足る丈けの元金即ち五百萬圓は直に分與へる樣に私が忠告しませう、 果して父上が五十萬圓の收入の有る方なら其れぐらゐの事を(いや)とは云ひますまい」と答へた、 永太郎は益々自分の信じて居る所を深くしたが、伯爵は永太郎の立ち去る間際と爲り、 更に(ついで)の樣に「併し小侯爵、貴方が段倉男爵の娘夕蝉孃を娶らうと云ふなら私は其れに關係する事は出來ませんよ、 私の位置は義理にも彼の令孃の野西武之助との縁談を贊成せねば成らぬ事に成つて居ますから」 と言ひ足した、永太郎は心の底で含首(うなづ)いた、是れは伯爵が暗に夕蝉孃を早く貰へとの謎である、 其身は義理の爲め口を添へる事が出來ぬから獨りで事を運ぶ樣にせよ、 爾すれば夫婦の一家の立つ樣には計らツて遣ると請合つて呉れたのも同じ事だ。

果して伯爵の心が此通りだか否やは分らぬけれど、永太郎は全く斯と信じ、大膽にも此翌日、 (たゞち)に段倉の家へ縁談の言込に自分で出掛けた、 段倉の方も殆ど其言込を待つて居る程の状であツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九三 其實、本統の父


小侯爵皮春永太郎には好運が向いて居たと見える、 彼が縁談の話の緒口(いとぐち)を切ると段倉の方では其緒口を()らへて引出す樣に迎へた、 スラスラと事も無く話が進んだ。

永太郎は云ふた「斯樣な大事な相談に巖窟島伯爵が贊成して下さらぬのが誠に殘念で、 定めし貴方の方でも私の言葉丈では不安心にお思ひでせう、 けれど伯爵は野西家に對する義理合で何うも私の方へ加擔する譯に行かぬと仰有います」 段倉は其事情を充分察して居る容子で、而も嘲笑ふた、 「ナニ伯爵は野西が賣國奴と云ふ事を未だ御存じ無いから彼へ義理立するのです、 今に野西の舊惡が(もつ)と能く分ツて來れば必ず伯爵は彼に義理立したのを後悔なされますよ」 段倉の眼中には唯だ皮春家の身代が有る許りだ、此身代と自分の娘とを結び附けるには誰が贊成して呉れずとも構はぬのだ、 永太郎は充分其邊の心意氣を見て取つて、開いた段倉の口へ牡丹餠(ぼたもち)を投込む樣に 「でも伯爵は私が妻を持つと云ふ事には贊成です、 私の母折葉姫の遺産を二百萬圓だけ誰だか伯爵の知人(しりびと)が預かツて監督して居ます相で、 私が婚禮すると同時に是だけは私へ呉れると云ひます」段倉「其れは伯爵の知人が預ツて居るのでは無く多分伯爵自身が預かツて居るのでせう」 永太郎も實は爾思ふて居る、けれど(わざ)と兒供らしく 「イヽエ伯爵は確に自分の知人だと云ひました、其上に又私の父へ勸告し、 差當り五百萬圓の財産を分け與へる樣にするから其財産に年々十五萬の利子を産ませる樣にして其れで夫婦の經濟を支へよと云はれました、 貴方は銀行家だから此邊の事情は御存じでせうが、二口併せて七百萬圓から十五萬圓の歳入を得る事は出來ませうねえ」 段倉「其れは私の手腕で年に廿萬圓の利子は容易に産ませて上げます」 三朱に足らぬ利子だもの、抛つて置いたとて産まれて來るのだ、手腕も何も要る者では無い、 永太郎は安心の風を示し「其れでやつと重荷が卸りた樣な氣が仕ます、では直に、 婚禮が濟むと同時に七百萬圓は貴方へ預ける事に致しませう」

立派な家筋と爵位の上に七百萬圓の身許金まで供へて、 其れで銀行家から縁談を斷られるなら世は逆樣(さかさま)に成るのだ、 幸にして此場合には世が逆樣(さかさま)に成らずに濟んだ、 平たく云へば縁談が纒ツた、永太郎は段倉の承諾を得た上で夕蝉姫の承諾も得た、 爾して點燈時(ひともし)の後に及んで笑崩れた顏で此家を辭し去ツた、 玄關まで送つて出た段倉の顏も劣らぬほど笑崩れて居た、 後の事は兎も角も是だけの所は先づ目出度いと云はねば成らぬ。

けれど永太郎が宿へ歸つて見ると、彼の顏から其笑を(むし)り取る樣な事が出來て居た、 其れは卓子(てーぶる)の上に横はツて彼の歸りを待つて居る一通の手紙で有る、 差出人が彼の毛太郎次である事は筆跡で分ツて居る、其文句は「親しき辨太郎よ、 御身の前途が益々目出度く喜ばしき事は、御身自ら知れるだけ餘も知れり、 餘は段倉男爵の他人に非ず、今若男爵の許へ餘が舊交を言ひ立てゝ顏を出さば、 御身は餘り有難く思はぬならん、御身若し餘が段倉男爵の耳へ、 御身の本名を細語(さゝや)くことを止め度く思ふならば直に餘が宿に來れ」とある、 何たる邪慳な書き方だらう、けれど仕方が無い、之に從ふ一方である、 永太郎は悔しげに拳を固め此手紙を二度三度叩き伏せた、 爾して餘り人目に立たぬ着物に着替へて又宿を出た、 指て行く先はモンタン街の靜かな下宿屋である。

此下宿屋に毛太郎次は、公債證書の利子で暮す有福な商人の隱居と云ふ積りで、 月々永太郎から貰ふ事に成つて居る口留の手當錢で日を暮して居る、 彼は先づ不機嫌な永太郎の顏を見て「今日は(ほゞ)縁談が旨く行つた筈だのに何で陰氣な顏をするのだ、 コレ辯や、夕蝉孃が何と云つた、其話でもして、 手前の身の上をのみ心配して居る此親切な(おやぢ)に安心させて呉れ」早や此樣な事をまで知つて居るとすれば、 此惡人絶間も無く此身の擧動を見張つて居るに違ひ無いと永太郎は荒肝(あらぎも)を拔かれて了つた、 爾して腹立しげに「何でお前は、私の身の上などを心配するのだ、心配せられて迷惑だよ」 仲々是くらゐの叱りに驚く相手では無い「()ア爾う怒るなよ、 お前が(つまづ)けば(おれ)も倒れる樣な者だから、丁度親が子を思ふ樣に心配するのさ、 爾よ、心配すればこそ(おれ)は先逹てお前に逢つて以來、 色々とお前の身の上を考へ、お前の行く所へは大抵見え隱れに護衞して行く樣にして居るが——」 永太郎「ナニが護衞だ、止めて呉れ、止めて呉れ、お前の樣な者が附纒ふて居ると分れば大事の仕事が皆潰れて了ふのだよ」 毛太郎次「爾で無い、其れが爲にお前の氣の附かぬ事まで(おれ)が氣が附いてチヤンと考へて居る、 お前アノ巖窟島伯爵を何と思ふ」永太郎「大きにお世話だ」 毛太郎次「(おれ)は樣々に考へたが、()の人が其實お前の本統に父では有るまいかと思ふ」 是には永太郎の氣が移つた、此頃自分の疑ひ初めた所と一つである 「エ、エ、何でお前は其樣に思ふのか」と我れ知らず其 (かうべ)を突出した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九四 最う一ヶ月ぐらゐ


何うも伯爵が我父らしい、愈々爾なら天にも上る心地がする、早く爾と云ふ確證が有れば好いと、 此樣に心を焦して居る永太郎だから、思はず毛太郎次の言葉に釣込まれ(かうべ)を突出して問返したが、 毛太郎次とても勿論確證の有る譯で無い「爾とでも思はねば伯爵が餘りお前を可愛がり過るからよ、 (おれ)はお前の暮し方を見て月々伯爵から貰ふ小遣も莫大だらうと思ツて居る、 其れに就けても、(おれ)への分前も、ズツと引上げて貰はねば成らぬ」と云ふのが彼の返辭で有つた。

何事を云ふにも總て最後の一句は金を呉れろとか分前を引上ろとかの言葉へ落ちて行くので永太郎は蒼蠅(うるさ)くて成らぬ、 出來る事なら叩き殺してゞも振捨て度い程に思ふけれど、此樣な手に乘る相手で無い、 振捨て樣とする氣振でも見せれば反對に何の樣な目に逢ふかも知れぬから、只詮方無しに話の相手に成つて居ると、 毛太郎次は樣々の言ひ(ぐさ)を持出して遠廻しに巖窟島伯爵の家の容子から伯爵の日頃の振舞を聞出さうとする樣に見える、 永太郎は(ひそか)に悟ツた、此奴め、 伯爵の留守を伺ひ其 (やしき)へ忍び入つて此身の誕生に關する書類でも盜み出す積で居るのでは有るまいか、 其樣な書類を探し出し此身を確に伯爵の子と突留れば、又も先へ廻ツて強請(ゆすり)の種を作るに違ひ無い、 其れとも或は、爾まで深い企みは無く、金子(きんす)だけでも盜み出す了見か知らん、 何れにしても伯爵家へ忍び入る底意だけは明白である。

斯くて見て取つたけれど、此方(こなた)も爾る者である、少しも見て取つたらしい素振を示さぬ、 却つて謀事(はかりごと)の裏を行く樣な一計を咄嗟の間に案じ出し、 向ふの問ふが儘に正直に伯爵家の案内を話し聞かせ、 且は伯爵が明日より茲二三日オーチウルの別莊に行き巴里の(やしき)(まる)で空にする筈で有るとの事を告げた、 是は嘘で無い、今朝伯爵に逢ひ、直々に聞いた所である。

遂に毛太郎次は必要だけの事を聞取つたと見える、爾して今度は何氣も無い樣な容子で永太郎の手に在る指環に目を留めた 「オヽ大層光る指環だな、是ぐらゐの夜光珠(だいやもんど)は仲々安く無いだらう」 此言葉の眞意は流石の永太郎も計り兼た、何の爲の用も無い指環などを襃めるのか多少 (いぶ)かしく思はれるから 「ナーニ夜光珠(だいやもんど)の値打は、所持した經驗の無い人には話たとても分らぬものさ」 嘲りて探りを入れた、毛太郎次は癪に障つた(てい)で「(おれ)だツて夜光珠(だいやもんど)を持つて居た經驗は有るさ、 其倍ぐらゐの立派な奴を」成る程彼は暮内法師から五萬圓の値打の有る立派な夜光珠(だいやもんど)を惠まれた事が有る、 其經驗は生涯忘れ得ぬ所で有らう[」]、永太郎「では眞物(ほんもの)(にせ)との見分けぐらゐは附くのかい」 毛太郎次「ドレ貸して見な、夜光珠(だいやもんど)(にせ)眞物(ほんもの)かは斯うすれば一番好く分るのだ」 と云ひつゝ其指環を脱き取つて窓の所へ持つて行き、硝子板に傷を附けて見て 「アヽ此箇(こいつ)眞物(ほんもの)だ、硝子が切れるワ、此指環を(おれ)に呉れ」 唯だ窓板を傷つけた瑣細な振舞を見て永太郎の胸には(あたか)も電光の輝く樣に一種の合點が差込だ、 併し其樣な色を見せず、唯だ腹の底で笑み「お前が呉れと言ひ出す以上は應ずる迄又樣々に(おど)すだらう」 毛太郎次「勿論さ」永太郎「仕方が無い、遣ると仕やう併し是で今月の金の無心は御免だよ」 毛太郎次「()ア兎も角も此指環を貰つて置かうよ」

*    *    *    *    *    *    *

此翌日である、巖窟島伯爵は朝から執事を差圖して家の内を取片附けて居る、 多分は昨日永太郎に話した通りオーチウルの別莊へ立つ爲めだらうが、 其れにしても特別に片附けるとは當分茲へ歸らぬ所存でも極たのでは有るまいか、 (やが)て片附き終ツた所へ、家扶の春田路が現はれた。

彼は先日伯爵がトレボー邊の海岸に船着きの好き別莊を買求めさせる爲めノルマンデーへ向け出張させ、 彼の土曜日の晩餐會以來久しく不在であツたのだが、今漸く歸つて來たと見える、 猶だ衣服も旅被(たびぎ)の儘で道途の(ほこり)(まみ)れて居る、 伯爵は其れと見るより「オヽ御苦勞だツた、今歸ツた、爾して用事は」 春田路「(おほせ)の通りに運びました、丁度好い賣別莊が海岸に在りまして」 伯爵「其れは好かツた、シテ舟は」春田路「ハイ舟は先日御注文のがゼノアから出來て來ました、 其別莊の下へ繋いで有ります、スハと云へば五分間も經ぬうちに別莊から乘込んで出帆できるのです」 伯爵「最も()し、其れから馬は」春田路「ハイ馬も仰の通り、此町 (はづ)れから五里毎の村々へ人を雇ふて有ります」 伯爵「十時間に百二十哩走ツて行く事が出來るか」春田路「ハイ(いづ)れも試驗濟の馬ですから一時間に十二哩以上確です」 伯爵は滿足した、併し何の爲めに此樣な用意を爲させるだらう、トレボーの海岸まで五里毎に馬を置き、 一日百哩以上を疾驅して、五分の間に別莊から船に乘るとは、 非常に急いで此國から逃げ去る樣な場合でも有るのだらうか、伯爵は更に 「(おれ)の此國の逗留も最う一ヶ月位で終るだらうから其間少しも馬の俊足を鈍らせぬ樣に注意せよ」 春田路「心得ました」()ては最早、後一ヶ月ぐらゐにして、 企みに企みたる大復讐が首尾能く終ると云ふ見込か知らん、爾うすれば刮目して觀る可きである。

斯くて家扶春田路が退くや、引違へて執事の一人が今屆いたらしい一通の手紙を持つて來た、 伯爵は直に受取つて封を切つたが無名である、爾して文句は 「密告す、今夜閣下の不在を探知して貴邸に忍び込み閣下の書齋に在る祕密箪笥を探らんとする曲者(くせもの)あり、 容易ならぬ目的を抱けること確なれば不在と見せて誘き寄せ、 捕へし上にて詮議を加ふるが得策なる可し、曲者(くせもの)は閣下の一身上の敵なるに似たり、 此密告者は偶然の事にて曲者(くせもの)の計畫を知り得たれば茲に閣下に警戒を與ふるなり、 然れども閣下之を警察に訴ふる事を爲さば一方(ひとかた)ならぬ煩累を他日に遺す恐れあり、 閣下密告者の言を信ずるならば必ず警察の力を假ること(なか)れ」とある、 伯爵は「ハテな」と云つて二度三度讀返した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九五 曲者一


何者の密告か知らぬが、兎に角今夜此邸に忍び込む曲者(くせもの)の有る事は確である、 巖窟島伯爵は二度三度彼の密書を讀返したが「今夜閣下の不在を探知し」とあるも架空の言葉では無い、 全く我身は今夜此邸に居ないのだ、「書齋に在る祕密箪笥を探らん」と云ひ 「容易ならぬ目的を抱けること確なれば」と記せる如きも總て根據の有る言葉である、 (そもそ)曲者(くせもの)自身は此家此身の事柄を知つて居るのか、 其れとも此手紙を書いた密告者が知つて居るのか、(いづ)れにしても多少は萬事の案内を取調べての上の企てに違ひ無い。

伯爵の最初の決心は直にオーチウル行を見合せて、今夜自ら此家を守ると云ふに在ツたけれど手紙の文句には 「不在と見せて曲者(くせもの)を誘き寄せよ」と云ふ樣な忠告が籠つて居る、 成るほど其れも爾だ、誘き寄せて捕へた上、其曲者が何者かと云ふ事を見屆けるが得策だ、 次に伯爵の心に浮んだのは、(たゞち)に此手紙を警察に持つて行き事情を訴へて今夜巡査の出張を請はんとするに在つたけれど、 是れも密書に斷つてある、[「]閣下之を警察に訴ふる事を爲さば一方ならぬ煩累を他日に遺す恐れあり」 云々(うんぬん)「必ず警察の力を假ること勿れ」云々、密告者の意は明白である。

(もと)より伯爵は曲者の來る如きを恐ろしと思ふ人では無い、 凡そ人間の危險と云ふ危險を冐し盡して身をも腕力をも鍛へ固めた人である、 危險な事を思へば、(あたか)も勇士が戰場に臨む(あした)の樣に、 武者震に身を震ふ程である、殊に大業を企てる身分だけに自分の敵も澤山にあることを自覺して居る、 名の分つて居る敵も有れば思ひも寄らぬ敵も有らう、今夜忍び入る曲者は「閣下の一身上の敵なるに似たり」と有り、 我が思ひ設けてゐる敵の中には眞逆(まさか)に窃盜の如く夜半に我家へ忍び込む者の有らうとは思はれぬけれど、 併し巖窟島伯爵とは其實何者ぞと既に疑ふてゐる人も無いでは無ければ、 其等の人が手下を送ツて、此身の素性の分る樣な書類をでも探させやうと企まぬとも限らぬ、 其れとも此身の思ひ設けぬ敵ならば猶更ら捕へて、自ら後々を警戒する參考とせねば成らぬ、 取つ置いつ思案して(やが)て最後の決心が定まツた、 伯爵は誰にも知らさず腹の中で點首(うなづ)いて何氣なく右の密書を衣嚢(かくし)に收めた。

爾して定まツて居る通り、オーチウルへ向けて立つた、是で此邸は年老た番人を除く外、 全くの空に成ツた、曲者が忍び入るには屈強である、其中に日も暮れた、 老番人は唯だ此家が空家や貸家で無いと云ふ記しだけに、 階下(した)の入口に一箇所、二階なる正面の室へ一箇所の(らんぷ)を附け、 餘り夜の寒くならぬ中にと自分の室へ籠り、温かに寢て了ツた、 是れは年取ツた番人の常である、斯くて此番人が最早や眠ツたゞらうと思はれる頃、 二人の曲者が庭の裏木戸を開いて忍び入ツた、イヤ是は曲者では無い、 伯爵と黒奴 亞黎(あり)とである、曲者を捕へる爲に忍び歸ツたのだ。

是より伯爵が何の樣な用意をしたかは管々(くだ〜)しく記すには及ばぬ、 兎に角曲者を捕へるに少しも手落の無い丈に運びを附けた、 爾して矢張り亞黎(あり)と共に書齋の次の室に身を置いて曲者の入來を待ち受けた、 斯うなると待遠い思ひもする、八時から十一時迄も待つた、曲者は仲々來ぬ、 時に立つのが至極遲い、其中に十二時の鐘をも聞いたが、 世間は最早 寂然(ひつそり)と靜かである、 其靜けさに引込れて伯爵は椅子に(よつ)たまゝ我知らず微睡(まどろん)だが、 幾分幾十分を經たか知らぬ、忽ち我背を推す者あるに心附き、 驚き覺めて目を開けば亞黎(あり)が唇に指を當て「靜かに」との意を示して居る、 アヽ曲者が來た爲に亞黎(あり)が此身を搖り起して呉れたのだ。

無言の儘に伯爵は耳を澄ませた、聞けば二階の(いづ)れかの窓の當り(かすか)に物音が聞える、 初めて聞く音では無い、何うやら夜光珠(だいやもんど)を持つて窓の硝子を切破ツて居るらしい、若しも伯爵にして、 昨夜彼の小侯爵皮春永太郎は毛太郎次に夜光珠(だいやもんど)の指環を與へた事を知つて居るなら此曲者が誰かと云ふ事を大抵は推量するだらうけれど勿論其樣な事は知らぬ、 (まづ)曲者が多勢(おほぜい)であるか小人數であるかを確めて置かねば成ぬ、 直に伯爵は立上ツて、彼音のする窓を尋ね拔き足で近づいた、窓は横町へ面した方に二階である、 曲者は繩梯子を掛て壁を攀ぢ、二階の窓まで上ツて來て居るのだ、 其手際を見れば成るほど只者では無い、生憎月の無い夜とて能くは分らぬけれどエリシー街の角に在る常夜燈の光りが遠く射して、 透かせば黒く曲者の姿が分る、多勢(おほぜい)では無く一人である、其れとも下には相棒でも居るか知らんと更に他の室へ行き彼方此方を透かして見ると、 外の往來に一人、之は塀に身を添て立つて居る、分ツた曲者は唯だ二人である、 一人が家に忍び入り一人が外を見張つて居るのだ。

再び伯爵は前の室に歸ツた、曲者は猶だ硝子を切つて居る、 伯爵の足音は室に敷詰めた苔の樣な絨氈(じうたん)に沒して曲者には聞えぬ、 曲者は厚い板紙を窓の硝子に當て、之を定木にして、切ては又切り、 四角に穴を開ける積りらしいが、世間並の硝子とは違ひ、 餘ほどの厚板だから急には切盡せぬ、伯爵は其れと見て靜かに元の室に歸ツた、 併し是から間も無いうちに曲者の仕事は終ツた、切た硝子が外より推す力の爲め、 四角に(はづ)れて、絨氈(じうたん)の苔の上へ餘り甚い音もせずにパタリと落ちた、 其穴から曲者は手を差込み、窓の内なる彈き金を易々引起して置いて、 爾して窓を開き、身輕く室の中へ入ツて立ツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九六 曲者二


場合に依ると、多勢の曲者より只一人の曲者が恐ろしい、 只一人で此堅固な邸へ忍び入る其度胸の強さを考へて見ると流石の伯爵も聊か氣を呑まれる樣な思ひがした。

其うちに曲者は、暗い室中を探り探りて凡その案内が分ツたと見え、 (ふすま)を開いて伯爵の書齋に入り、爾うして彼の密告状に在つた通り祕密の箪笥に近づいた、 此状で見ると此曲者確に此家の案内を能く知つて居る者に違ひ無い、 自分で此家へ度々來た事が有るか、其れとも度々に來た事の有る人より聞いたのか、 爾無くば此樣な暗い所で目的の箪笥を易々と探り當る筈は無い、 幸に伯爵の(まなこ)は暗闇で物を見る事の出來る迄に兼て其視力が鋭くなツて居るから、 曲者の大凡(おほよそ)の状を次の間の襖の間から見て取ツた。

(やが)て曲者は、忍び提燈を取出して其目的とする箪笥を照した[、] 爾して錠前の所を(とく)(あらた)めたが鍵は附いて居ぬ、 是には聊か失望だらうと思ひの外、彼は(あたか)も錠前直しを商賣にする職人の樣に一束の合鍵を取出した、 其數の多いことは驚く可しだ、餘ほど是まで諸々方々の箪笥や弗箱を推し開いた奴に違ひ無い、 と斯う思ふと伯爵は我知らず失望した、餘ほど謂はれの有る曲者かと思ツて居たら何だ詰らぬ、 唯通例の窃盜か」と呟くを制し得なんだ。

併し此時、曲者は箪笥へ俯向(うつむ)き掛ツた爲め忍び提燈の明りがパツと其顏に差した、 伯爵は之を見て驚いた、成るほど仕業(しわざ)は通例の窃盜であるけれど、 其顏は、其人は、通例の曲者で無い、直に伯爵は立上り、又拔足で衣裝室へ退き、 路易(るい)十六世が着たと同樣の鐡板の襦袢を下に着込み槍でゞも短劍でゞも突く事の出來ぬ樣に身を固め、 其上へ僧服を着け僧帽を戴いて少しの間に暮内法師の姿になツた。

爾して迂囘して曲者のゐる向ふ側の室に出で外の容子を見廻した、 是れは伯爵の用意の綿密な所で、内を攻むるには先づ外を用心して置くのだ、 所が不思議な所が有る、彼の外を見張つて居るだらうと思はれた先刻の一人が、 矢張り(たゝず)んでゐるけれど、此奴、外を見張つてゐるのでは無い、 外を何の樣な人が通るか其樣事(そんなこと)には無頓着で、 唯だ熱心に此家の内の容子をのみ伺つて居るらしい、 ()ては尋常の相棒では無い、見張番と云ふより外に、 猶ほ深い目的を持つて居るのだと、伯爵は早くも合點し、又も亞黎(あり)の傍に行つて 「其方は單に外の曲者にのみ目を附けてゐよ」と命じ、 爾うして其身は内の曲者が仕事をしてゐる書齋に入り靜かに、曲者の(かたはら)に立ツて 「オヤ毛太郎次殿、お前は今時分茲に何をして居られるか」

全く曲者は毛太郎次である、問はれて彼の驚いたは非常である、 彼は法師を幽靈かと疑ふばかりに後樣に手を突いて法師の顏を見「オヤ貴方は暮内法師!」 叫んだまゝ後の語は出ぬ、伯爵「オヽ暮内だよ、シタがお前に逢つたのは最う十年も前の事、 其れを覺えてゐられるとは頼もしい」毛太郎次は「法師、法師」と繰返した 法師「シタが夜半(よなか)に巖窟島伯爵の留守へ忍び込み、盜みなど企つるとは()しからぬ」 毛「イヽエ、盜みなどの目的では」法師「無いとは眞逆(まさか)に云はれまい、 窓の硝子を切拔いて、泥坊の用ふる忍び提燈を持ち、爾して澤山の合鍵まで」 一々證據を指示(ゆびさ)されては爭ふ可き餘地も無い 毛「ですが法師さん、全くの貧窮の爲に!」法師「オヽ貧窮の爲にと云ふのか、 成るほど貧窮の爲に、人の臺所へ行き食殘りの(パン)を請ふと云ふのなら聞える、 又通り合して店先から何か一品持逃するとでも云ふなら是も聞える、 唯だ貧窮の爲めに巖窟島伯爵の邸へ忍び込むとでは少し受取り難いよ、 爾すれば先年私の與へた夜光珠(だいやもんど)を五萬 (ふらん)に賣つた時、 其 珠玉(たま)商人(あきんど)を殺したのも矢張り貧の爲めと云ふのだらう」 毛太郎次は唯だ縮み込むのみである「何うか法師今夜の所はお見逃し下さる樣に願ひます」 全く手を合せて法師を拜んだ。

法師「正直に私の言葉に返辭すれば、許して遣らぬ者でも無い」 毛「返辭します、正直に」法師「全體お前はマンドレー島の牢屋で終身服役して居る筈だのに、 何うして牢を出されたのか」毛「英國の或人に救はれました」法師「或人とは」 毛「柳田卿と云ふ方です」法師「オヽ爾か、アノ卿なら私も能く知つて居るから、 其方が嘘を云つても直に分る、全體何故柳田卿が其方を救ふて呉れたか」 毛「私と一個(ひとつ)鐡鎖(くさり)に繋ぎ合はされて、共に苦役して居た囚人が有つたのです、 其者を助ける爲めにと私をまで共に助けて呉れました」法師「其者の名は」 「辨太郎と云ひコルシカ島で育ツた捨子です」法師「助けられて其れから何うした」 毛「其れから稼いで食つて居るのです」法師「嘘を申すな」 毛「イエ嘘では有りません」法「嘘である、嘘である[、]矢張り辨太郎と助け合ひ、 彼から送る金子(きんす)を以て身を支へて居るのだらう」 毛太郎次は拒みかね「致し方が有りません、其通りです、けれど構ひませんよ[、] 辨太郎は大層な大金持の息子と分りましたから」法師「何うして」 毛「能く世間に在る奴です、大金持の落胤と分ツたのです、私生兒です」 法師「大金持とは誰」毛「巖窟島伯爵です、彼は伯爵の私生の兒なんです」 今度は伯爵の方が驚かされた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九七 曲者三


辨太郎を巖窟島伯爵の私生兒とは餘り間違つた推量である、暮内法師の姿と爲つて澄してゐる伯爵も、 打驚いて又打笑ツた、毛太郎次は論證せんとする樣に自分の兒で無くば何で伯爵が月々澤山の金錢を與へますか、 何で(にせ)の父親をまで充行(あてが)ひますか、彼辨太郎は小侯爵皮春永太郎などと立派な名前で、 立派な縁談まで整ひ掛けてゐる程です」法師は聊か怒りを示し 「アヽ段倉家の令孃と縁組の出來掛けてゐる()の小侯爵、 ()れが辨太郎と云ふ脱牢の罪人か、其れは()しからん、 お前は其樣な惡人が名譽の高い段倉家を欺いて婿夫(むこ)に成らうとしてゐるのを、 知らぬ顏で見てゐるのか」鋭く睨んで叱り付けた、其状は如何にも段倉家の名譽を愛護(いと)ふ人の樣である、 毛太郎次は情無い聲で、何も私が段倉家の名譽の汚れるのを喜ぶ譯では有りませんけれど折角相棒が ——イヤ折角辨太郎が出世し掛けてゐる者を私が妨げる譯には行きません」 法師は決然と「()し、可し、其れでは(おれ)が段倉家へ告げて遣る」 告げられては辨太郎も失敗し自分も金の(つる)を失ふのだ「何うか法師、 其ればかりはお許し下さい」法師「成らぬ、成らぬ、 (なんぢ)と共に牢を破り罪の上に罪を重ねてゐる辨太郎とやら云ふ者を、 立派な段倉家と縁組させるとは、何うして知らぬ顏でゐられやう、 夜の明け次第に(おれ)の口から何も彼も告げて了はう」 毛「告げるとは、誰に告げます」法師「知れた事よ、段倉男爵」 毛太郎次は最早止める道が無いと知つた、忽ち衣嚢(かくし)の中より、 用意してゐる短刀を拔出して「爾はさせぬ」と叫ぶが否、 躍り掛つて法師の胸に打込んだ、けれど法師は此樣な事の用意に鐡板の鎧の胴を着込んでゐる、 短刀は其の儘辷ツて跳返され、爾して短刀持つた手は、力ある法師の手に、 強く打首(てくび)を握られた、毛太郎次は顏を顰め「痛い、痛い、 法師さん貴方の手先は何と云ふ力でせう最う少し弛めて下さい」 法師「神が(おれ)には、汝の樣な惡人を懲す爲に此通りの力を與へて下さツた、 (おれ)は神に代ツて神の意を行ふのだ、茲で汝を攫み潰すは易いけれど、 神の御心は猶だ汝に爲さしめる事が有る、茲に筆紙墨を與へるから(おれ)が云ふ通りに書面を作れ」 毛太郎次「私は字を書く事を知りません」法「僞ると斯うだぞ」 と法師は又握れる手を()め上げた、毛太郎次は又 (もが)いて 「痛い、痛い、何とでも書きますから弛めて下さい」法師は直に紙筆墨を與へ、 文句を口授して左の如く認めさせた。

段倉男爵よ、小侯爵皮春永太郎と稱して貴家に出入し遠からず貴家の令孃と結婚せんとする少年は、 其實罪人なり、先頃餘と共にツーロンの牢を破りて逃げ來りたる者なり、 餘は五十八號の、彼は五十九號の札附たる囚人にて常に同じ鐡鎖(くさり)に繋ぎ合されて服役しゐたり、 彼は辨太郎と云ふ名前にて姓も知らず父母も知らざる捨兒の成長したる者なり、 舊惡の數々は監獄事務官に問合さば明白ならん。

之に署名させ封筒に入れた上、段倉の宛名町名番地をまで認めさせ終つて、 爾して法師は之を自分の懷へ入れた、之れは其昔段倉が認めた密告状と(ほゞ)同じ樣な密告状である、 暮内法師其實巖窟島伯爵は此密告状を何の樣に用ふるや暫らくの間疑問である。

「サア是れで用事は濟んだ、立去れ」とは直に法師が毛太郎次に言渡した言葉である、 毛太郎次は怪訝な顏で「最う許して下さるのですか、警察へも引渡さずに、 エヽ直に立去て好いのですか」法師は無言で窓から外の(やみ)(のぞ)き猶も先刻の怪しき一人が、 戸外(おもて)此方(こなた)を見張つてゐる状を見屆けて 「ウム之で此場だけは許して遣る、併し茲を立去て何處まで汝が無事に行かれるかは(おれ)には分らぬ」 何だか意味有りげな言葉で有るが聞く當人は怪しみもせぬ「イヽエ、 茲を立去れば何處へ迄も無事に去ります」法「爾うか若し汝の宿まで無事に歸り着く事が出來れば、 其れは神が猶ほ汝を保護してゐる記標(しるし)だから(おれ)も汝を保護して遣る、 直に汝は何處へでも外國へ落延びよ、 爾して再び惡事をせずに正直に身を支へて行く以上は(おれ)から少しづつ年金を送ツて遣る」 毛「本統ですか本統に年金を下さるなら、私は外國で正直に——」 法師「サア行け」

促されて毛太郎次は、前に破ツた硝子窓から以前の繩梯子を下り初めた、 法師は自ら手燭を取ツて其窓の所に差出した、其状は(あたか)も外に見張つてゐる一人に 「サア今此者が立去るぞ」と合圖して、見て取らせる爲めの樣に見えた、 (やが)て毛太郎次の身が地に着くと(ひと)しく法師は(あかり)を消し、 更に他の戸外(おもて)を眺めるに都合の好い窓に行き、 暗がりの儘で(まなこ)を張開いてゐた。

其うちに毛太郎次は庭を傳ふて塀に再び繩梯子を掛けて上り、 更に其塀の頂邊(てつぺん)より又繩梯子を埀れてスラスラと下り初めたが、 全く法師の云つた通り、宿へ着くまで神の保護が續かなんだと見える、 彼の足が往來の大地へ着かぬうち、何處からか突々(とつ〜)と走つて來て彼に近寄つたのは先程から見張つてゐた彼の一人である、 此者は直に短劍を持つて、猶だ宙にブラ下ツてゐる毛太郎次の脾腹(ひばら)を刺した、 爾して毛太郎次が落ちて(たふ)れるが否や、更に十々滅(とゞめ)を刺す樣に、 但し所も選ばずに、二刀(ふたかたな)刺して逃去つた。

「人殺し、助けて、助けて」との叫び聲は深傷(ふかで)に惱む毛太郎次の口から(かすか)に出た、 此時には早法師と亞黎(あり)が此處へ馳附けてゐた、法師は直に亞黎(あり)に向ひ 「早く行つて醫者を呼び、直に其足でオノレ街へ行き大檢事蛭峰氏の臨檢を請ふて來い」と命じた、 亞黎(あり)は唯だ含首(うなづい)て急ぎ去ツた、後に法師は毛太郎次の傷口に手巾(はんけち)を宛などしつゝ 「曲者を逃がしたは殘念だつた」毛太郎次は(かすか)に聲が殘つてゐる 「何の樣にでも手當して何うか私を少しの間活せて置いて下さい、曲者を告訴します」 法師「告訴するとて曲者の名が分つてゐるのか」眞に毛太郎次は悔しげで有る 「分つてゐます、確に其顏を見認ました、エヽ悔しい、旨く彼奴(あいつ)に謀られた、 彼奴め、(おれ)を殺す爲に此家は案内を教へ、窓硝子を切る樣に夜光珠(だいやもんど)の指環までも與へたのだ、 爾して外に待伏してゐて」法師「彼奴(あいつ)とは誰れだ」毛太郎次「辨太郎です、皮春小侯爵と云ふ辨太郎です」 悔しげに言ひ切つた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九八 曲者四


毛太郎次に此家の案内を教へ其上に窓を破る夜光珠(だいやもんど)をまで與へて置いて、 爾して(ひそか)に待伏せして茲で毛太郎次を殺したとは、 彼辨太郎の心の奸惡實に驚く可きである、毛太郎次が死にも得ずに悔しがるも無理は無い

けれど巖窟島伯爵の暮内法師は敢て驚かぬ、 實は(やみ)の中をも見るほどの視力ある其 (まなこ)で先程既に小侯爵皮春永太郎と云ふ辨太郎の姿を認めたのだ、 認めて大概の容子を察したので其れだから毛太郎次に向ひ 「汝が無事に行かれるか否は(おれ)には分らぬ」と云ふたのだ、 併し伯爵は面前(まのあたり)に毛太郎次の死に惱む状を見て、又辨太郎の事を思ひ合せて、 深い深い感慨を催し來り暫しは言葉をも發し得ず、(こぶし)を握ツて毛太郎次の顏を見詰めた、 是れは何の爲めの感慨だらう、他では無い唯だ此一時に歴々(あり〜)と神の意が現はれて居ると思ふ爲めである、 辛苦に辛苦を重ねた大復讐が唯だ此一事で緒口(いとぐち)を開くのだと感じた爲めである。

毛太郎次は(もど)かしげに「法師、法師、何うか私の口供(こうきよう)を寫し取り、 檢事へ出し、辨太郎を刑に處して下さい、彼を殺さねば私は此無念が癒えません、 ソレ斯う云ふ中にも私は少しづつ死んで行きます、早くして下さらねば間に合ひません」 法師は急いで家の内に入り紙筆と、別に一瓶の氣附藥を持つて來た、爾して 「サア望み通り汝の口供(こうきよう)を寫して遣る」と云ひ、 「餘は今コルシカ島無宿父母不明の辨太郎と云ふ者に殺されて茲に死する者なり、 辨太郎はツーロンの獄に在りたる五十九號の脱走囚にして今は此巴里に在り」 手早く記し終ツて讀み聞かせ「汝の口供(こうきよう)は此通りだらう、 爾なら此末へ自筆で署名せよ」毛太郎次は紙筆を受取つたけれども署名する力が無い、 伯爵は其れと見て氣附藥三滴を彼の口に注いだ、誠に藥の力は爭はれぬ、彼は筆を取上げて署名し得た 「此藥で私は蘇生(いきかへ)ります、最う三滴、最う三滴!」と後を強求(ねだつ)て口を開いた、 法師「此上呑めば頓死するワ」毛太郎次「でも私は檢事の來る迄活て居て、 モツと辨太郎の罪を訴へ度いけれど法師、私が死んだら何うぞ貴方の口から充分に檢事へ言つて下さい、 何うしても辨太郎の逃れぬ樣に、是れが私の死際のお願ひです」 今果(いまは)の際にも自分の罪は悔いずして人の罪を罰する事をのみ氣に掛るとは何たる惡人と云ふ者だらう、 法師は併し之を慰め「()し、汝の知らぬ事を迄、(おれ)が檢事へ言立てゝ遣る」 毛「エ、私の知らぬ事とは」法師「例へば今夜汝の忍び入る事を、 今朝既に辨太郎が密書を以て伯爵へ告げた事や——」毛太郎次は又驚き 「エ、辨太郎が、密書を送つて伯爵へ、私の忍び込む事を知らせましたか、 惡人め、エエ悔しい、悔しい」法師「爾よ、辨太郎から密書が來たけれど生憎伯爵は不在で有つた、 爾して來合せた(おれ)が其密書を受取つたから今夜 此家(ここ)で汝の來るのを待受けて居たのだよ」 毛太郎次「爾とは知らず、エ、辨太郎の罠に罹りました」 法師「其上に最一つ(おれ)が檢事へ云ふて遣るのは、汝の後を辨太郎が尾けて來て、 初めから此家の外に待伏せをして居た事よ」毛「其れを貴君は御存じでしたか」 法師「爾さ窓の外を(のぞ)きて其状を見認めたから、多分は汝が殺されるだらうと思つた[、] 其れだから(おれ)は云ふた、若しも汝が無事に宿まで歸り着く事が出來れば、 神が汝を保護して居る記標(しるし)だから(おれ)も暫く汝の罪を許して遣る」 と聞き得て毛太郎次は死物狂の(こぶし)を握り詰め「其れでは貴方も辨太郎と同樣の惡人です、 辨太郎の待伏を知つて居ながら私に知らせて呉れず、(あかり)を取つてまで私を送り出して辨太郎に殺させるとは、 是が法師のする事ですか、惡魔、惡魔」法師「法師で有ればこそ(おれ)は汝に辨太郎の待伏を告げなんだのだ、 待伏するのは辨太郎だけれど、實は神が辨太郎の手を假りて汝を殺さうとして居たのだ、 惡を以て惡を打つ天意の巧妙な配劑が見えて居たから、天意を妨げては成らぬと思ひ(おれ)は謹んで知らぬ顏で居た、 汝今死際の身と爲つて辨太郎を恨むよりも謹んで神を恐れよ、悔悟には何の樣な罪も亡びる、 今死際でも神の宥しを願ふのは遲くは無い」

法師の言葉、眞に神の言葉で有る、毛太郎次の頭も揚がるまいと思はれる程に嚴かに響いたけれど、 彼は神をば知りもせず感じもせぬ「何だ、天意の、配劑のと、 何處に其神の證據がある」法師は更に又嚴かに、(あたか)も天の宣告をでも讀み聞かせる樣に 「證據は汝の身に在るのだ、汝自身が何よりの證據である、能く聞け、汝は天の惠を得て、 人に劣らぬ健康の身體を以て生れながら、自分で天の賜物を粗末にして酒や蕩樂に身を持崩し、 人の踏む可き正直な道は踏まず親友を賣る樣な惡人の中に交はり、 一言で妨げる事の出來る惡事を妨げもせず、其親友を再び此世へ返る事の出來ぬ所へ追ひ落とした事も有らう、 其事は曾て汝が尾長屋の店で(おれ)に告げた言葉の中にも有ツた、 其れだけれど神は猶ほ、一時に汝を罰すると云ふ事をせず、 今の中に悔改めよと云ふ警報(いましめ)の爲めに汝へ先づ貧苦を下した、 汝は其時も恨んで居た、世に若し神が有らば何故自分の樣な正直者が榮えぬだらうと、 其れが汝の間違ひである、正直だのに榮えぬでは無い、汝の正直が足らぬから榮えぬのだ、 其時神は猶も汝を(いまし)める爲めに、此 (おれ)の手を以て、 通例の人には見る事も出來ぬ程の寶物を汝に與へた、汝は其寶を以て正直な榮を求めたか、爾で無い、 其時には神の惠を思ひ知つたと云ひながら直に其夜に珠玉(たま)商人(あきうど)を殺したでは無いか、 殺して二重の寶を奪ひ得たけれど、其れは神の許さぬ所である、 直に神が汝の手から其寶を奪ひ去り汝は終身の牢に入れられた、 是を汝は人間業と云ふだらうが、人間の手を借り人間の法律を假りて神が怒を示し給ふのだ」 毛太郎次は又叫んで「爾で無い、爾で無い、神が其樣に不正直を罰するなら、 毛太郎次よりも不正直な次郎や段倉が何故榮える、不公平だ、不公平だ」 法師「神の公平不公平を裁判する力は人間に與へられて居ぬ、 次郎や段倉が何時まで榮えるか、重い罪には重い罰が有る、重い罰には用意の月日が掛るのだから遲いのだ、 猶ほ聞け、其時には神は汝に三度目の慈悲を現はし英人柳田卿の手を假りて又も汝をツーロンの獄から救ひ出し、 正直に餘命を送られる丈の手當を與へた、其をも汝は不足に思ひ、 猶も人の家に忍び入るなど、神の怒りを犯す樣なことばかりする爲に、 最早許しては置かれぬと、今夜此處に、此 (おれ)の滿て居る前で神は辨太郎の手を假りて汝に致命の罰を加へた、 是でも猶だ證據が分らぬと思ふのか」不思議にも毛太郎次は猶ほ口を利く力がある 「でも正直な人に襃美を神が賜はツた實例(ためし)は無い」 法師「有るよ、有るよ、其 (ためし)は己を見よ、汝は此己を誰と思ふ、 己の顏を見忘れたか」法師は云ひつゝ法師の假鬘(かつら)を脱ぎ捨て、 顏を毛太郎次の前に()り寄せた、毛太郎次は驚いて「エヽ柳田卿」 法師は再び顏の假作(かさく)を拭ひ去り「柳田卿より猶其前を能く考へて見よ」 再び()り寄つた顏の(おもて)には、 眞の人間を離れた如き靜かな穩かな所が有つて唯だ(まなこ)のみ()と異樣に輝いて居る、 毛太郎次は恐れを顏に現しつゝも右見左見(とみかうみ)した 「何だか見覺えは有る顏だ、昔——昔——アヽ思ひ出されぬ、最う頭が混亂して——誰です、 誰です——神樣の樣な貴方の顏は」法師は毛太郎次の耳に口を寄せ細い聲で囁いた、 自分の耳にさへも自分の名の入るを恐れる(てい)である、其れも道理や、 廿幾年來、人に向つて告げた事無く、自分でさへも思ひ出すのを恐ろしと思ふ姓名である、 「己か、己の姓は……だよ、己の名は……だよ」姓は團名は友太郎、 唯だ一語で毛太郎次の胸には今まで思ひも寄らなかつた一切の明りが、稻妻の如く煌々と差込んだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 一九九 一册の始末書


法師の囁いた此人の姓、此人の名に、毛太郎次は、忽ち何も彼も思ひ出した、 是が驚かずに居られやうか、無實の罪に(とく)の昔死んだとのみ思ふた其人が、 イヤ死んだとより外思ふ道の無い其人が柳田卿と爲り暮内法師と爲つて今は我が目の前に居る、 眞に神の(わざ)、神の業としても猶ほ合點の行かぬ程である、 彼は力盡きて最う聲も出ぬ程の咽喉で叫んだ「エヽ貴方が彼の、 次郎や段倉に密告せられて行方も知れぬ事に成ツた——」 法師「爾よ、爾して今は巖窟島伯爵と云はれるのだ」巖窟島伯爵と聞いて彼の驚きが又加はツた 「世界一の大金持、爾です、爾です、巖窟島伯爵と云ふ貴方の姿は、 幾度(いくたび)も見て知つて居ます、成るほど其面影が、昔の彼——に違ひが無い、 アヽ神の業、神の業、此樣な神の力を信ぜずに今が今まで道ならぬ事ばかりして居たのは恐ろしい、恐ろしい」 全く彼は死際に神の力を信ずる事が出來た、法師は言葉を柔げて「神の證據を合點する事が出來たなら幸だ、 遲くは無いから罪の亡ぶる樣神に祈つて、心易く往生を遂げよ、己も汝の爲めに祈つて遣る」 と云ひ眞に法師が死際の人の爲めに神の救ひを求める樣に祈りを捧げた、 毛太郎次は幾度(いくたび)も口の中で「彼の友太郎が——あの暮内法師——不思議だ——恐ろしい」 など唱へて絶命した。

是より約半時の後、醫師も來た、大檢事蛭峰も來た、 けれど唯死骸の傍に暮内法師が殊勝氣に祈つて居るのを見るのみで何の活劇の跡をも認め得なんだ、 但し蛭峰大檢事は職掌柄として、法師に種々の事を問ふた、法師は之に答へた、 自分が今夜巖窟島伯爵の留守へ來て、其書齋に入つて、徹夜して古い教書を調べて居る所へ此者が忍び込んだ故、 不心得を悟して追返した所、此塀を下る所へ他の曲者が待伏して居て御覽の通り此者を殺したのだと、 爾して打明けられるだけの事は打明けて最後に毛太郎次の彼の口供(こうきよう)を出して示した、 蛭峰は受取ツて開き讀み「アヽ毛太郎次確二十年前 馬港(まるせーゆ)に在職した頃聞いた事の在る名前だ」 と云ひ更に辨太郎の名をも讀んでハテな「此樣な脱走囚なら外にも惡事が有らうから直に捕へる事が出來やう」 とは呟いたけれど、此辨太郎が目下皮春小侯爵と云つて段倉家に出入りして居る貴公子とは思ひ寄る筈が無かツた、 殊に父母不明と故々(わざ〜)書いて有る、其分らぬ父母が誰であるらうと云ふ事などは微塵も心に浮ばなんだ。

*    *    *    *    *    *    *

是より凡そ一週日の間は、巴里到る處に此曲者の事が噂に上ツた、 何しろ巖窟島伯爵の一擧一動は悉く新聞紙に報ぜらるゝ程の状だから、 伯爵の家に入つた曲者と云ひ、曲者が又曲者に殺されると云ふ椿事は國家の大問題か何ぞの樣に言囃された、 中には尋常(たゞ)の窃盜では無く巖窟島伯爵を暗殺する爲に忍び込んだ刺客だけれど、 伯爵が其夜偶然にオーチウルの別莊で泊つたのは伯爵の幸運祝す可しだなどと、 死んだ曲者から直接に聞取ツたかの如く書いた新聞紙も有ツた、 從ツては伯爵の許へ追從 (かた〜゛)見舞に來る人も多く、 其中の段倉男爵などは、矢張り蛭峰と同じく昔 馬港(まるせーゆ)に同じ名の惡人が有つたなどと二三の人に明言した、 けれど其惡人が、或る仕事の時には自分と相棒も同樣であツた(など)の事は胴忘(どうわす)れしたと見え(おくび)にも出さなんだ。

毛太郎次の噂に連れて、第二の曲者辨太郎が何者かと云ふ事も仲々噂が(さかん)で有ツた、 取分けて蛭峰大檢事は、此辨太郎を捕へて糺問(きうもん)せば或は自分の調べて居る巖窟島伯爵の本性が分る緒口(いとぐち)に成りはせぬかとの念を浮かべ、 今まで熱心に調べて居た古い書類の詮索は二の次に廻し、一意の辨太郎の捕縛に力を集めた、 之が爲に凡そ巴里中の窃盜や前科者は、大抵嫌疑を以て捕へられ、 爾して現場審問を施す爲に一々巖窟島伯爵の邸へ連れて來られて綿密に蛭峰大檢事から尋問せられた、 獨り巖窟島伯爵のみは何故に大檢事が斯うまで熱心であるかを察し、人知れず頬笑んで居た。

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(かは)つて、 (さて)も小侯爵皮春永太郎に自分の許嫁夕蝉孃を讓つてホツと安心した野西武之助は一つ叶へば又一つとやら、 自分の父野西子爵が新聞の記事でヤミナ事件の賣國奴と(のゝし)られ其記者猛田猛に決鬪を言込んで以來、 約束の三週間の猶豫を(もど)かしく思ひ、只管(ひたすら)に指を折つて其の期限の盡くるを待つて居たが、 待つ身には長くとも三週間は終に盡きて、廿二日目の日とは成つた、 今日こそは猛田猛に紙上で謝罪せしむるか()た介添人を差向くるか二つに一つの定まる日なれと早朝に起きて衣服も莊重にし、 猛の監督する新聞社へ又も行つた、猛は何とやら氣の無い顏で出迎へたが、 來意は勿論分ツて居るから、直に自分の方から口を開き「イヤ今日は私からお返辭に參上する積りでした」 武之助は皆まで聞かず「其返事は事實無根として紙上に取消を掲ぐるに在るのですか、 其れとも決鬪の武噐を通知する爲ですか」猛「イヤ前者でも後者でも有りません」 武之助「取消でも無く決鬪でも無いとすれば、アヽ分ツた又も口先で瞞過(ごまか)すお積りですね」 猛「イヤ其れでも有りません」武「では——」猛「先づお返辭する前に、 私が猶豫の三週日を何の樣に費したかを申し上げます」 云ひつゝ旅行劵や所々の關所の通過檢印を出して示し「私は事實取調の爲に、 自分で希臘のヤミナ州まで出張して來たのです、餘り責任の重い譯ですから」 ヤミナ州まで出張したとは成程責任を重んじた仕方である、 表面無責任の樣に見る新聞社も實は斯まで責任を盡す者かと、武之助は聊か意外に思ひ、 多少は猛田猛に對し尊敬の念を深くした。

猛は語を繼ぎヤミナ州へ行くのに一週間掛りました、之より早く行かれません、 彼の地へ着いて檢疫の爲め四日間遮斷せられました、爾して滯在取調の日數が三日、 歸り途が又一週間、都合で廿一日掛つて昨夜歸り着いたのです」 武之助「實地を取調べて(いよ〜)無根と分ツたでせう」猛は氣の毒に堪へぬと云ふ状である 「イヤ野西さん、私は實に此結果を貴方へ打明けるに忍びません、 私を友人と思ふなら貴方は何にも言はずに私を助けて下さい」實に異樣な言分である、 武「出來ません」猛は暫し無言と爲り、深く考へた上「アヽ止むを得ん、野西さん、 私の取調の結果は此書類に明瞭です」と云ひ一册の始末書を卓子(てーぶる)の上を擴げた、 中には何の樣な事を書いてある。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇〇 大活劇の幕開


猛田猛の差出した始末書を、武之助は受取つて(ひら)き讀んだ[、] 此書にはヤミナの城が何うして土國(とるこ)軍に破られたかを書いてある。

最初の一頁を讀だのみで早や武之助の顏色は變ツた、全く自分の父野西次郎の賣國の證據が滿ちて居るのだ、 今が今まで我が父を眞正の名譽ある軍人、正直な貴族、 心の清い眞人間、と思へばこそ、(わづか)ばかりの新聞の雜報にも腹を立て、 決鬪してまで父の名譽を護らんと思ひしなれ、其れが全くの賣國奴、 人として(よはい)する事の出來ぬ樣な賤しむ可き振舞の有つた者と分ツては、 何うして悲しまずに居られやう、始末書は爾う長くは無いけれど、 中に記した父の汚辱は百年千年消ゆる事は無い、讀むに從ひ武之助の顏は低く低く埀れて、 再び猛田猛を仰ぎ見ることも出來ず、果は唯だ男泣きに(かしら)を動かすのみと爲つた、 實に何れ程か悔しからう、今まで清淨潔白を誇つて居た自分の身體も、 血管の中には賣國奴の血が滿ちて居るのだ、洗ふにも拭ひ清めるにも(よし)が無い、 猛田猛は此状を見、不便(ふびん)に堪へぬ「野西さん、御尤もです、 けれど父の罪が子に傳はると云ふ昔の倫理は(すた)りました、 父は父、子は子です、貴方の身は何處までも清いのですから、最う此始末書を無い者にして、 知らぬ顏で父の恥を隱す外は有りますまい、新聞の記事は既に三週間も前の事で今は誰も忘れて居ます、 此儘に伏せて了へば誰が再び思ひ出して賣國奴次郎などと云ふ噂を仕ますものか、 ()しや思ひ出す人が有つても、次郎が即ち貴方の父野西子爵だと云ふ事を誰も疑ひはせぬのです、 此私が無言で居さへすれば、貴方の一家の恥は(やみ)から(やみ)へ消えて了ひます、 勿論私は貴方への友誼に對し、生涯他言する筈は無く此場限りで此事を忘れます、 爾して此始末書は貴方へ上げて了ひますから、サア思ひ直して父上の名譽を安全に保ち成さい」

是ほどの信切が又と有らうか、三週間も旅行して調上げて來た始末書を、 其まゝ與へて再び他言もせぬと云ふのだ、武之助は(かうべ)を擧げも得ぬけれど深く其實意を感じた、 爾して暫くの後、涙を收め「私は憤死しても足りません、 此始末書はヤミナ城主有井宗隣の遺臣とも思はれる希國(ぎりしや)の立派な紳士が四人までも自署して事實の正確な事を保證して有りますから一點の疑ひをも插む所は有りません、 全くの野西次郎は賣國奴です、假令(たと)ひ父とは云へ子とは云へ、 其樣な者を私は此上父と思ふことは出來ませんから自分の身は始末します、 其れにしても父の名譽を再び傷かぬ樣にするのは私の義務と思ひますから、 お言葉に甘えて此始末書は私が戴きます」猛「ハイ貴方がこの始末書を絶滅して再び父の名の傷かぬ樣にすれば、 其れこそ貴方が廿餘年養育の恩を返すに足りませう、貴方は今時に珍しい高潔な心が、 浮氣の樣な振舞の底に籠つて居ますから、父の汚辱の爲に身を汚されぬ樣にするが肝腎です、 何も彼も取返しの附かぬ不運と斷念(あきら)め、善後の道を誤らぬ樣に成さい」 眞に友人の忠告である、武之助は蹶然(けつぜん)として立上がツた、爾して「お言葉に從ひます」と一言叫び、 彼の始末書を取るが否や(かたはら)に燃て居る煖爐(すとーぶ)の火に()べて了つた。

是で我が父の罪惡は跡方も無く消えた、全く親に對する子の義務を果したと云ふ者だ、 併し是が爲に最早心が清々したと云ふ程に感ずる譯には行かぬ、 猛に顏を見らるゝさへ恥かしい「猛田さん、私は最う、貴方に合せる顏が有りません、 イヤこの國に居て總ての知人に顏を見られる勇氣が無いのです、 併し此後 ()しや何の樣な遠國へ行かうとも貴方の恩は忘れません」と悄然として謝した。

勿論猛田は之を勵ました、既に恥辱の證據が湮滅(いんめつ)した上は何も其樣に自ら縮むには及ばぬ、 今までの通り大手を振つて推も推されもせずに、交際し、そこで父の名譽を保護する事も出來るのだなど、 充分氣の引立つ樣に言葉を盡した、此道理には武之助も聊か服し、 成るほど自分から恥かしげに肩身を狹くしては、却て人に父の汚辱を疑はれる素か知らんとも思ひ初めたけれど、 其れにしても何と無く氣が重い、何うやら今までの天地とは急に天地が狹くなツた心地がする、 兎に角今一應、能く考へて見ねば成らぬと、猛には猶ほ幾度も禮を云ふて茲を出た。

爾して外の冷たい空氣に(かうべ)を晒して見ると、成るほど自分から恥て逡巡(しりごみ)するのは益々惡い、 其上に全體誰が父の恥を(あば)き出した者か、 其人を詮索して復讐もして見たい、爾だ過去つた罪惡を新聞紙に書かせ今更此身にまで肩身を狹くさせる樣な人は、 猶ほ此後も何の樣な事を仕やうも知れぬから、出來る者なら其人を尋ね出して充分に懲らして呉れねばならぬと、 此樣な氣が起るに連れ、大に心も引立つたけれど、 其れにしても當分は何處か靜かな所へ身を置き度い、爾して此敵が何の邊から出た者か、 其れ等の事も能く考へて見たい。

其れから其れと考へて歩むうちに、我知らず巖窟島伯爵の家の前に來た、 此時丁度伯爵の家から馬車に乘つて出た一紳士が武之助に默禮して去つた、 此紳士は小侯爵皮春永太郎である、彼は愈々段倉夕蝉孃と縁談が出來たに付て何か伯爵へ相談に來たのだらう、 其樣な事は何うでも好い、自分も伯爵に逢ひ旅行先をでも相談して見やうと、 フト思ひ附いて其儘伯爵の邸に入つた、伯爵は直に出迎へたけれど之も何だか(いつ)もより不機嫌である、 爾して呟く樣に武之助へ云ふた「實に困ツて了ひます、皮春小侯爵と段倉の娘が(いよ〜)近日婚禮するなどと、 其れでは私が貴方や貴方の御兩親に濟ぬから、今も其樣な婚禮に立會ふ事は出來ぬと小侯爵を叱ツて歸しました」 斯樣な事は武之助の耳には入らぬ「其れは伯爵、何うでも好いぢや有りませんか、 誰も貴方が小侯爵と夕蝉孃との婚禮に責任が有るとは思ひませんから、 其れよりも伯爵、私は當分靜かな所へ旅行し度いと思ひますが何處か好い所は有りますまいか」 伯爵は忽ち心を轉じた樣に「アヽ旅行ならば私も其積りです、 實は此頃ノルマンデーの海岸へ別莊を作りましたから今日夕方から行く積りですが」渡りに船とは此事である 武之助「何うか私をもお連れ下さい」伯爵「御兩親に御異存が無くば」誠に話は早い、 直に同行の相談が極ツた。

(もと)より伯爵の樣な人が、態々(わざ〜)ノルマンデーの海岸へ別莊を作り、 其處へ行くと云ふには何か深い目的が無くては成らぬ、 其別莊を作る爲に伯爵が何れほど家令春田路に差圖したか、 又何の樣にして其道筋へ駿馬を配り、其別莊の下へ早船を繋ぎ、 スワと云へば咄嗟の間に此國を立去る用意を調へて有るかは、 既に讀者が知つて居る所である、けれど武之助は其れらを知らぬ、 定めし伯爵の別莊と云へば立派な所だらうと思ひ、直に用意の爲め我家に歸つた、 歸つた後で伯爵は、之も直に二階に上り、何の爲かは知らぬけれど、 彼のヤミナ城主有井宗隣の一女と云ふ鞆繪姫の室に入り、 凡そ二時間ほども姫と何事をか話をした、話の中には互に泣きもした笑ひもした、 餘ほど深い相談でも有つたものと見える、漸く其れが果て再び下へ降つて來た時は、 眉間(みけん)に何やら尋常(たゞ)ならぬ決心が刻まれて居る樣に見えた、 けれど其所へ丁度用意を調へて武之助が來た爲めに眉間(みけん)の刻みは直に嬉しげな笑と爲つた、 爾して武之助が、「母も貴方と御一緒ならと云ひ大層喜びました」 と云ふを合圖に其まゝ二人は馬車に乘り、ノルマンデーを指して鞭を擧げた、 後で思へば是れが全く大なる活劇の幕開きであつた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇一 議場空前の光景


親の因果が子に報うとは、野西武之助の樣な場合であらう、 彼は自分の父野西子爵に全く賣國奴たる振舞の有つたのを知ツて、 父の汚名が直ちに自分の身に纒綿(まつは)る樣に感じた、 ()しや其汚名は猛田猛の慈悲に依り證據を掻消して了ツたとは云へ、 是で以て人を欺く事は出來ても自分の心を欺くと云ふ事は出來ぬ、 此巴里に居るは人に顏見らるゝ度に何だか自分が辱められる樣な氣がする、 兎も角も當分の中は靜かな田舍へ引込んで深く考へて見やうと思ひ、 巖窟島伯爵に從ツて伯爵のノルマンデーの別莊へ向けては立ツた、 此別莊で靜かに心を落着けて考へ廻す中には、 誰が斯う執念深く我父の舊惡を{[訐]](あば)}くのか其邊の見當も附くだらうと、 出發の時には此樣に思つて居たが、後で思ふと眞に此出發が前囘の末に記した通り活劇の幕開きであツた、 實に悲しい恐ろしい幕開きであツた。

爾とも知らずに彼は伯爵の馬車に伯爵と共に乘り、 只管(ひたすら)に急がせた、實に伯爵の贅澤は今に初めぬ事ながら只驚く外は無い、 ノルマンデーまで約五十里の間に七ヶ所も伯爵私設の馬繋ぎ場が有ツて茲には夜も晝も絶間無く駿馬の用意をして待つて居る、 此方(こちら)から伯爵の馬車が着けば直に其疲れた馬を初めての馬に取替へ、 力を(あらた)にして出發する、假令(たと)へ國王の急使とても斯うまで充分な眞似は出來ぬ、 巴里を立つたは午後の四時で有ツたけれど、之が爲に夜の十二時にノルマンデーへ着いた、 五十里の路を馬車で只八時間とは恐らく前後に無い實例だらう、 而も別莊には夜半ながら入浴の用意まで出來て居る、 巴里第一流の旅館(ほてる)とても斯うまでは手が屆くまい。

入浴が終ツて、()と輕い品で夜食を濟ませ、 (なみ)の音を聞きながら寢に就たは夜の十二時である、 交際にのみ身を委ねて居る武之助に取つては二時に寢るのは早い中とも云ふ可きだ、 尤も心に有耶無耶(うやむや)の有るが爲に寢心(ねごゝろ)は餘り能く無かツた、 幾度(いくたび)か惡い夢に(うな)されなどして、漸く明方から熟睡し、 十時に至ツて目が覺めた、爾して床を離れて縁側に出て見ると、 何しろ彿國の海岸中で第一等の場所と云はれる丈けに、 目の前には廣い海のパノラマが横はツて、而も海の温度は冬の寒さを消し、 得も云へぬ快き心持である、俯向(うつむ)いて直に別莊の下を眺めると、 伯爵の持物だらう、見事な遊山船が繋がれて居て、其 周圍(まはり)には網船釣舟も許多(あまた)浮て居る、 只伯爵の口から一言の差圖さへ出れば何の樣な漁獵(すなどり)でも出來るのだ、 其上に更に右手の方を見ればデイフの高い岬が茲から徐々(そろ〜)上りの地續きと爲つて峠までの間に青い草原も林も牧場も狩場も有る、 是が總て伯爵の別莊に附屬して居る事は馬車の中で伯爵に聞いた話にて分ツて居るが、話にも優る場所である。

仙境に入つたとは是だらうと此日も翌日も自分の身を忘れる迄に打寛いで居たが三日目には、 青天の霹靂とも云ふ樣に此靜かな場所へ(ひづめ)の音高く巴里から早馬の急使は何の用である、 巴里に於て武之助の父野西次郎の身に掛ツた所謂(いはゆ)る活劇を知らせて來たのだ。

説き出す、武之助が立た翌々日である、巴里で最も信用の厚い政府方の新聞紙、 世間では半官報とまで尊ふて居る紙上に野西子爵に對する容易ならぬ非難の記事が載せられた、 其れには先頃猛田猛の主宰する新聞に出た記事を一層詳しくした者を、 明かに姓名をまで指して、賣國奴の罪を武之助の父に塗附けてある、 短いけれど爭はれぬ、其本文は()の通りだ。

▲先頃某新聞にヤミナ城の陷落せしは全く同城に籠りたる彿國士官中、 敵軍土耳古に通ずる者あり、報酬の爲に城を賣りたるに()る旨を記し、 大に世間を驚かしたるが、悲しくも今は其記事の事實なるを確め得るに至れり、 某新聞には其賣城賣國の奴を次郎とのみ記せしが、此次郎は其後お有りに歸り、 今は陸軍の中將にまで登され子爵の肩書を有して貴族の中に列なれり、 知らず我彿國の貴族總體は斯の如き醜奴の其同族中に在るを知りて恬然(てんぜん)顧みる所無きや、 吾人は是れを驅逐して我國の貴族總體の名を雪消(せつせう)する爲め、 併せて目下開院中なら貴族院の參考に供する爲め特に其姓名を發表す、 其醜奴其賣國奴は野西次郎なり。

實に驚く可き嚴責の文字である、之のみで無い、猶ほ他の信用の厚い二三新聞にも、 多分は同じ根據から出たであらう、似寄つた意味の文が出て、 是等には更に其詳報として當時野西次郎が敵の軍隊を案内してヤミナの城門を内から開き不意に城主有井宗隣の室にまで敵の將士を連れ込たる殘酷な所行から、 宗隣の夫人及び其幼い姫君が逃惑ひて老僕バシリキと云ふ者に助けられ、 (わづか)に落延びんとする所を案内詳しい次郎が自ら追掛けて之を捕へた状、 及び忠臣セリームと云ふ者が奮鬪して城主と共に敵彈に斃れた事まで其時の憫れな状を其儘に記したのも有る、 實に是れ等の記事が巴里の上下全社會を驚かせたは殆ど一世を震動せしめたと云ふ可き程である。

中にも彼の猛田猛は折角野西武之助に對する自分の信切が水の泡と爲たのを嘆き、 朝飯をも喫せずに早速是等と同業諸社を廻り、如何にして斯る記事を載せる事とは成つたかと糺した所、 此前日ヤミナ州から人が來て、幾束の證據書類を以て各社を廻り、 若し此社で出さずば他社へ出させると掛合たる爲め、各社ともに斯る大椿事を他社に先驅せられるの辛さに、 我れ後れじと出した者と云ふ事が分つた、其れにしてもヤミナ州から故々(わざ〜)野西子爵の舊惡を訴へる爲め、 證據を以て此巴里へ出て來たのは何者だらう、多分は亡國の恨み未だ消えも遣らぬ遺臣等の中だらうと猛一人は合點し得た。

何しろ是ほどの大暴露を貴族院が默つて居る筈は無いとて市中の人は吾も〜と貴族院へ推し掛けた、 之を默つて居る程では貴族院が自ら貴族の信用と體面とを保護し得ぬのだと、 誰も云ひ彼も罵り、其廣い傍聽席は定刻の前に滿ちて了つた。

議員とても其通りである、日頃休み勝の人までも悉く出席した、 (いづ)れも手には一枚又は數枚の新聞紙を悔しげに握り、 事の眞相を詮議する丈けの嚴重な議決をせねば成らぬと憤つて居る状が、 (かほ)にも(かたち)にも現はれて居る、此中に唯だ一人未だ今朝の新聞を見ぬ人が有る、 其れは外で無い、賣國の醜奴と名を指された當人野西子爵である、 子爵は(いつ)に變らず議場に歩み入り、他の人々が常より早く出揃ふて居る状に、 聊か不審を催したと見え、右を左をと見廻した、議場空前の光景とは(まさ)に是れだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇二 總身の剛ばツた樣に


野西子爵は居並ぶ一同の議員を見廻し、誰の顏にも侵し難い嚴かな色の現はれて居るに驚いた。 何事の莊重な議事だらう、何か外交の方面にでも容易ならぬ事件の起ツたのだらうかと、 (いたづら)に訝かツたけれど自分の身が賣國奴の名を受けて今裁判せられるが爲だとは思ひもよらぬ。

賣國奴、賣國奴、唯だ簡單な此一語が、此場合に於て何故斯くも人々を憤らせるので有らう、 是は外でも無い、ヤミナの戰ひは全彿國の人と云ひ度いが實に全歐羅巴、 全基督教國の人々が悉く同情を表した所で、殊に此彿國からは許多(あまた)の有志が援兵に馳せ向つた、 野西子爵も其一人であつた、爾して此城の陷ツた時には、殆ど歐羅巴中に泣かぬ人とては無かツた程である、 其上に其城の亡びたと共に、彿國の援兵は殆ど殘らず死して了ツた、 其れだから其城を敵に賣つたと云ふ事が彿國人が彿國の國民を賣つたと云ふのと同じ程重く聞える、 人の國人の城を賣つたのでは無い、全基督教國の同情を賣つたのだ、義勇なる同胞兵士の生命を賣つたのだ、 之れが憎まれず、怒られずに居る筈は無い。

併し氣の毒なのは此朝野西子爵が新聞を見ずに議場へ出て來た事である、 新聞は一日一日の出來事を報ずる者で、何時自分に何の樣な關係の有る事が出やうも知れぬから、 世に立つ人は一日の事務の前に必ず新聞を讀まねば成らぬ、殊に貴族社會の人々は文學の趣味とても深い爲に、 只其趣味の爲めにも朝々新聞を讀まずには耐へ得ぬ程であるのに、 其處に至ツて野西次郎は(にはか)貴族の悲しさである、何事も他の貴族と(かは)らぬ樣に飾り立てゝ居るけれど、 幼い頃からの文學の素養が無い爲めに、新聞を讀まぬのを爾までの苦痛とは思はぬ、 此朝も認む可き二三の手紙が有ツた爲め其方を先にして新聞紙を後にし、 其中に貴族院へ出席する刻限と爲ツたゆゑ、何の心配も無く出て來たのである。

けれど議場の趣が餘り(いつ)もと違つて居るから、何事なるかを他の議員に問ふて見やうかと思ふた、 併し問ふも聊か極りが惡い、其うちに誰れか發言でもせば直に合點が行くだらうと思ひ直して控へて居た。

(いつ)もとは違ツて議長も何だか重々しく構へたまゝ口を開かぬ、 又議員一同も誰れが此重大な口切をするのだあうと互に人の發言を待つて、 云はば睨み合の姿である、何しろ人一人の存亡に關するのみか貴族總體の榮辱となる事件だから、 發言者の責任が仲々重い、此分では誰れも彼も云はずに濟ますには至らずやと殆ど氣遣はれる程であつたが、 終に一人、日頃から野西子爵と何事をも爭ふ癖の有る貴族が議長を呼んで立つた、 一同、自分が口切の役を免れたのを喜ぶ樣である、直に發言は許された、直に其人は壇に登つた。

彼は先づ、貴族總體の令聞に關する件だから私情を捨て一同の傾聽せられん事を望むの意を述べ、 (いや)が上にも莊重に説き初めた、聽く人も今まで是ほど謹んで此人の言葉を聽いた事は無い、 彼は次に新聞紙を自分の前に開き「私は同僚たる貴族院議員の一人に對し、 非難の聲を發するの辛さを避けん爲め、茲で此新聞を讀上げます、新聞の記事が私に代つて一切を云ふのです」 と云ひ、落着いた調子で其記事を讀初めた、一同は水を打つた如く鎭まつて(かうべ)を埀れ、 唯だ野西子爵より背後(うしろ)に坐して居る人だけが野西子爵の容子を(ぬす)み視た、 併し傍聽者の視線は前と後との別なく子爵の身に集まツた。

發言者が、讀んで「ヤミナ城の陷落」と云ふや子爵の顏は直ちに青くなツた、 傍聽人は其變り方の激しいのに身を震はした、次に「今は其記事を事實なるを確め得たり」と云ひ、 「次郎は其後巴里に歸り云々(うんぬん)今は陸軍中將にまで登され云々(うんぬん)」 と云ふに至ツて彼は充分の勇氣を絞り集めやうと悶えた、けれど無益である。 更に其最後に及び、「其醜奴其賣國奴は子爵野西次郎なり」 と讀終るに至ツて彼は自ら呼吸をも爲し得ぬほど總身 (こは)ばツた樣に見えた、 發言者は氣味好しと云ふ状を無理に隱して「私は我が最も尊敬する議員の一人に對し、 斯る事實無根の、イヤ事實無根たるを望ましく思ふ如き醜き風説の(あらは)れたを悲しみ、 此風説の擴がらぬ前に黨院に於て詮議を盡し、善後の處置を取られんことを望みます、 先其處置としては此件を廣く議員の討議に付し次には詮議の爲に委員を設けんことを望みます」 と云つて壇を降ツた。

之に何等かの答辯の無くては成らぬのは野西子爵自身である、 けれど彼が咽喉は最早涸て彼の一語を發するをも遮斷する樣である、 彼は殆ど身動きさへも得せぬ、(わづか)に眼を動かして虚呂々々(きよろ〜)と同席者の顏を見るのがヤツとである。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇三 委員會一


喉は(かわ)いて聲も出し得ず身は(こは)ばつて動きも得せぬ野西子爵の此状は、 自分の身に罪の覺えが有る爲だらうか、其れとも覺えは無いけれど唯餘りの驚きに一時度を失つた爲だらうか。

眞逆(まさか)に今までの此子爵の名譽から考へると賣國奴と云ふ程の醜い所行が有つたゞらうとも思はれぬ、 爾れば議員の半分は此事を無實の疑ひと思ひ、半分は子爵に罪の有る者と思ふた、 けれど誰も彼も子爵の容子の餘り尋常(たゞ)ならぬには怪しみと(あは)れみとの交々(こも〜゛)起るを制し得なんだ、 間も無く議長は一同に問ふた、委員を設けて此事件を審問す可きや否やと、 滿場は委員を設くる方に投票した、爾して委員十二名、直ぐに其席で選ばれた、 最早此事件は曖昧の間に揉み消す事は出來ぬのだ、 日を定めて野西子爵を委員十二名の前に呼出し一々當時の事柄を詮議するのだ、 詮議の結果、若し子爵が、自分に賣國の振舞が無いと云ふ立派な證據を示し得れば好いけれど、 證據を示す事が出來ぬ場合は全く賣國奴の罪に落つることは無論である、 賣國奴の罪に落つるは人間として此上も無い汚辱に陷るのだ、 名譽も身分も悉く消滅して今まで名譽の高かツた陸軍中將野西子爵は人間の交りも出來ぬ事に成つて了ふのだ。

議長は更に野西子爵に向つて問ふた「何日(いつ)貴方は委員會に出て御自分を辯護します、 其日取は貴方の御都合に依つて定めませう」何たる寛大な問であらう、 併し此時までに野西子爵は少しづつ少しづつ、自分の勇氣を呼び集め、 變ツた顏色をも常に復し、騷ぐ胸をも推鎭めて、此恐ろしい場合に相應するだけの度胸を定めて居た、 最早ナニ恐れる所は無い、恐れては益々自分の身の暗いのを人に疑はれるのだ、 何の、と云ふ状で傲然と立上ツて答へた「議長よ」呼掛ける聲も確である 「罪の無い者が、罪の無い事を言ひ開くに、何で熟考の時間などが要りませう、 私は斯樣な()しからぬ疑ひを受けて一刻でも忍ぶ事は出來ません、 委員會に出て審問せられるのが早いだけ好いのです」眞に立派な答へである、 子爵を罪有りと信ずる人も之には確に其信念を動かされた、議長は暫し考へて 「然らば今夕の八時から黨院の委員室で開きませう、若しも一夕で終らねば、 終るまで毎夜八時から開く事に致しませう」誰一人異議は無い、議長は再び 「野西子爵は其れまで言ひ開きの材料を取揃へ成さる爲めに、 此席をお退き成さるが好いでせう」子爵「然らば議長の好意に從ひませう」 言ひ放ツて野西子爵は、高く頭を空に(そび)やかし、罪も汚れも無い己の顏を見て呉れと云ふ状で退席した。

(かね)て彼は、斯る事も有らうかと、集められるだけ材料を集め何の樣な嫌疑をも言ひ開く事の出來る樣に手を盡しては有る、 之は自分に落度の有る人の常である、何時其落度を發見せらるゝも知れぬとの心配が常に心に絶えぬから、 何うしても其邊の手當をするのだ、 併し議員や傍聽者や一般の人々は子爵の一時拭涸れ[注:喉涸れの誤りか?]身剛ばツた状を忘れぬ、 子爵が果して明白に此嫌疑を拭ひ得るだらうかと危ぶんだ事は無論である。

是より委員會の開かれる夜の八時まで世間の噂は大變であツた、 寄ると障ると今夜の委員會を噂せぬ者は無い、中には子爵が委員會へ出席し得ぬだらうと云ふも有り、 機敏な新聞社などは早くも其筋へ手を廻し若しも子爵が外國へ落ちて行く爲め(ひそか)に旅行劵の下附を願ひ出はせぬかと網を張ツて待つたのも有る、 勿論委員會は祕密の記事で、傍聽を許されぬので有るけれど、 通手(つて)から通手を求めて、或は次の間へまで入らせて呉れとか、 或は書記又は從僕、又は給使として其席へ出入りさせて呉れとか、 甚だしきは卓子(てーぶる)の下へ忍ばせて呉れなど無理な運動をする者さへ有ツた、 其中の二人や三人は目的を逹したらしい。

(やが)て定めの刻限とは成ツた、委員は殘らず委員室に集まつた、 野西子爵は旅行劵を願ひ出もせず、嚴めしい禮服を着け、 (あたか)(いにし)への武人の樣に、胸の(ぼたん)を首の所まで掛け上げて、 眞に威儀堂々と此室へ歩み入つた、右の手に革の疊み鞄を持つて居るは云はずと知れた云ひ開きの證據品を入れて居るのだ、 此眞面目な、爾して武骨な、而も品格の有る軍人に賣國の罪が有らうとは思はれぬ程である、 委員の中の三四人は少しも子爵を疑はぬとの好意を示す爲め故々(わざ〜)席を離れて子爵と握手した、 最早何の樣な疑ひでも微塵に云ひ碎いて了ふとの自信力が此一時で更に子爵の胸に強くなツた樣に見える。

子爵が席に着かふとする此一瞬間であツた、一人の給使が一通の手紙を持て入來り、 恭しく議長の席に之を置いて去つた、是れ此手紙、何人が何の爲めに寄越した者か、 若しも野西子爵にして手紙の中の事を知つたなら、必ず此委員會も平和には終らぬ事を察し得たで有らう、 併し手紙の中を想像し得る筈は無い、議長とても此手紙に重きを置かぬ、 手に取上げはしたけれど、イヤ(あたか)も手癖の附いて居る樣に其封じ目を開いたけれど、 自分では封を切つたとも氣の附かぬ振で、其まゝ又 卓子(てーぶる)の一方に置き、 見向きさへもせずに委員總體に向ひ「サア、之より委員會を開きます」と報告した、 封だけを開かれた今の手紙は「早く中を讀んで呉れ、讀んで呉れ」と請求するかの樣に見えた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇四 委員會二


議長の報告と共に委員會は始まツた、會の目的は主として野西子爵の辨解を聞くに在るのだ、 子爵は今朝ほどの身も舌も(こは)ばツた状とは大變な違ひで有る、 最早何の樣な疑ひでも微塵に碎く事が出來ると云ふ確信が附いたと見え、 横柄な素振の中に深く落着いた所も見え、人を嘲る樣な笑さへ口の兩側に浮べて居た。

爾して(やが)て議長の許しを得て立ち上り、先づ其身が義勇兵としてヤミナを(たす)けに赴いた旨意から説き初めた、 充分に考へて有る事と見え、言葉の順序も正しく其意味の筋道も立つて辯舌も極めて爽快である、 殊にヤミナの敵なる土耳古の憎む可きを説き出した所など、眞に雄辯とも云ふ可き程で、 土耳古を人道の敵なりと罵り「自分が一片の侠骨は、憎む可き人道の大賊が、 孤弱憐む可きヤミナを虐ぐるを見るに忍びず、憤然起つて妻子を振捨てヤミナ軍に馳せ加はりました、 他日に至り此行爲が利慾とか金錢とか云ふ如き心事に解釋せられやうとは(もと)より思ひも寄らぬ所でした、 ()して賣國の所業などとは之を口にすうる人の有るさへも合點がゆきません」 と説破し、更に進んで其身が忠勤を以てヤミナ城主有井宗隣の參謀長にまで進められ、 更に間も無く全權使として談判の爲め敵軍に赴いたけれど、 談判は不調に歸したので、再び戰ふ決心を以て城に返つた所、 早や城主有井宗隣、今果(いまは)の際に在り、自分の妻子の後事を托して死んだとの事に至るまで、 悲壯な口調を以て説明し、最後に其等の證據として其身が城主から受けた辭令書の外に、 城主が盟約を締結するに用ひた金印を議長の前に出し「此金印は城主が肌身離さぬ程に大切にして居た品です、 若しも自分の擧動に少しでも疑はしい所が有れば城主が其れを氣附かぬ筈が無く、 (いやしく)も氣附いたならば此品を私へ與へる筈が有りません、 此品は城主が息を引取る間際に、今まで忠實に働いた襃美として手づから肌身から取出して私へ渡されたのです」 眞に立派な言開きで有る、成るほど此人に賣國の所業の有る筈が無いと云ふ委員の過半は思ひ込んだ、 此時に若し議長が先刻の手紙に氣が附かなんだなら直に野西子爵は委員室から勝誇つて出る人と爲つたかも知れぬ。

議長は、彼の手紙を手先で(もてあそ)びつゝ子爵に向ひ「城主が貴方に托したと云ふ妻子は其後何うなりました」 誠に輕い問である、併し何と無く子爵の顏は不快を感ずる樣に見えた、 「ハイ、悲しい哉其妻と鞆繪姫と云ふ子を私が手下に命じて城から連出させましたけれど、 何しろ城の陷る如き敗軍ですから、其者が何處かで戰死したと見えます、 其後詮議の道さへも無いのが此野西次郎の深く遺恨とする所で有ります」 議長「貴方の其言立には誰か生て居る證人は有りませんか」 子爵「當時ヤミナの城に籠つた中でも無事に生殘つたのは、 私の外に殆ど二三人しか有りますまい、若し其二三人の中誰でも獨り今茲へ現はれて呉れるなら、 私は自分の口からは言憎い樣々の手柄をも必ず其人が言立てゝ呉れて私の言葉が事實と云ふ事は、 イヤ事實の半分にも足らぬと云ふ事が直ぐに分りますのに、其人の無いのは殘念に堪へません」 此一語は悄然として述べた、眞に生た證人の殘つて居ぬのが殘念な事だらう。

議長は()ぼ滿足した容子で、今まで(もてあそ)んで居た彼の手紙を、 念の爲めと云ふ樣に推し開き、スラ〜と讀下したが忽ち顏の容子を變へて 「アヽ丁度貴方の其御殘念を償ふ證人が現はれましたよ」と云つた、子爵はギクリとして 「エ、エ、何と」議長は之に返辭せず委員一同に向ひ「此樣な手紙を寄越した人が有ります、 讀みますからお聞き下さい」斷つて置いて讀み下した。

拜啓野西子爵が先年ヤミナに於て爲せし事柄に付き大切なる證據を所持致し居候間、 委員の方々にお知らせを申度く候、 此手紙の筆者は其時ヤミナ城主の死する枕許に在りたる一人にして城主の妻と娘鞆繪姫の其後の事をも詳しく存じ居候故、 委員の方々に一應わが陳述を御聞取りあらんことを請ふ可き充分の權利ある身分と存じ候、 今は應接室に控へ居り候間御都合宜しき時間に御呼入れ下され度候。

眞に野西子爵の爲には屈強の證人である、然るに子爵は今殘念と云ひたる言葉にも似ず痛く狼狽の状を示し 「其樣な人の有る筈は有りません、必ず私を憎む何者かゞ私を陷入れる爲に(にせ)の證人を作つたのです、 議長は、私が今まで數々の戰場に於て、何れほど國家に忠義で有つたかを考へ其樣な手紙に耳を傾けぬ樣に願ひます、 (いやしく)も忠義の心の缺く者が陸軍の中將にまで昇進する事が出來ませうか」 議長は聞かぬ振りである、其儘委員に向ひ「此手紙の差出人を呼入れて其陳述を聞きませうか、 其れとも子爵の辨解を最早充分の者として此者を追返しませうか」 眞に子爵の運命は委員の返事一つに懸つて居る、一髮千鈞(いつぱつせんきん)を繋ぐとは此場合である、 委員の一人は答へた「兎に角呼入れて陳述を聞きませう」「贊成」「贊成」と續いて叫ぶ者が有つた。

直ぐに議長は守衞を呼び「此手紙の差出人を(これ)へ呼べ」と命じた、 (そもそ)も何の樣な人が現はれやう、定めし其時に戰死する事を免れた老軍人に違ひ無いと、 一同待つて居る所へ、守衞の後に從つて歩み入つたは、一人に從者を連れた姿も、 (しとや)かな婦人である、爾して顏は濃い覆面に隱れて見えぬ、 誰とて意外に思はぬは無い、議長は婦人に請ふて先其覆面を取除けた、 取除けた覆面の跡に現はれた其顏は殆ど滿場に輝き渡る程の美しさである、 委員一同、呼吸(いき)の聲さへ立てる者が無い。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇五 委員會三


此婦人 (そもそ)も何者であらう、委員も議長も眞に其美しさに呆氣に取られた、 爾して知らず〜婦人と野西子爵との顏を見比べた。

アヽ野西子爵の此時の顏、眞に見物(みもの)と云ふ可きである、今までの勝誇つた樣な色、 嫌疑を嘲る樣な笑は總て一度に掻消えて、云はゞ罠に罹つた狼の、 齒を剥出して咆えるかと思ふ樣な容貌とは爲つた。

無理も無い、唯だ此婦人の唇に此野西子爵の死と活とが懸つて居る、 命をまで此一婦人の手に握られて居るのだ、 確に野西子爵は唯一目で此婦人が誰かと云ふ事を見て取つたらしい、 確に舊い見覺えが有るらしい。

議長及び委員の面々は野西子爵の此樣を見て、(さて)は此婦人決して今まで野西子爵に逢つた事の無い身では無い、 決して此事件の證人とするに足らぬ人では無いと、急に此婦人を重い證人と見る事に成つた、 イヤ今までとても意外な爾して大切な證人とは思つて居たけれど、 其思ひが一入(ひとしほ)加はツたのだ、議長は先婦人に椅子を與へたけれど、 婦人は之を辭して立た儘である、之に反して今まで立て居た野西子爵は立て居る力が無い、 立て居たくも足が云ふ事を聞かぬと見え、折れる樣に椅子の(おもて)へ曲り込んだ。

婦人は端然と議長の問を待つて居る、議長は問ふた「貴女は此委員會へ大切な證據を示すと云ふお申込みの樣ですが、 果して此事の見證人ですか」婦人「ハイ其れに相違有りません」 其語は聊か外國の訛が有るけれど純粹な彿國語で、其音調は場合に相當する丈の悲しさを帶びて爾して顏に相當して美しい。

「ですが婦人」と議長は呼んで「現場を見た證人としては餘り貴女のお年が若過ぎる樣に思ひますが」 婦人「ハイ其時私は唯だ四歳でした、けれど自分の身、自分の一家に此上も無い大切の事柄ゆゑ、 幼心に痛く感じまして其後は忘れる暇も無く今も歴々(あり〜)と覺えて居ます」 議長「一家の大事とは、貴女は何者です」との此問ひは、 先刻から委員總體の唇に出掛けて居たのだ、彼等は婦人の顏から片時も目を離さぬ程にして居たけれど、 此返辭を待受けて又 一入(ひとしほ)(まなこ)に力を入れた。

婦人は何と答へるだらう、少しの間が待遠い樣で有ツた、 「ハイ私は、ヤミナ城主有井宗隣の一女鞆繪です」言葉と共に兩の頬が聊か紅らんだ。

鞆繪姫、鞆繪姫、今しも一同が野西子爵の口から聞いた其名である、 有井宗隣の一女と云へば、世が世ならば公女である。姫君と(かしづ)かれて通例の人は其顏を拜む事さへ出來ぬ筈である、 其名を聞いて委員の中の或者等は急に其衣服へ目を着けた、 成るほど今までは氣が附かなんだけれど希臘の皇族の着る被物(きもの)である、 華美(はで)に飾つて居ぬけれど、高價な織物で仕立たもので自然と爭はれぬ品位も備はツて居る樣に思はれる、 中には又此名を聞き、(さて)はと彼の巖窟島伯爵を思ひ出した人も有る、 如何にも夜芝居で伯爵の棧敷に居て、何處の何うした美人かと多くの人に怪しまれた美人なのだ。

倩々(つく〜゛)と其姿を見つゝ議長は「貴女の其お言葉には何か證據が有りませうか、 確に有井宗隣の一女鞆繪姫と云——」鞆繪姫「ハイ有ます、 私の父及び家老二人の調印した誕生證書マセドニヤ及びエピラス州の管長から授かツた宗籍の寫し其れから」 其れからとの一語に力を入れたのは最も力ある證據を云ひ出す用意らしい「其れから最後に、 私がアルメニヤの奴隸商人エルコバーと云ふ者へ母と共に女奴隸として賣渡されました其賣買の證書が有ります、 私を其奴隸商へ賣渡しました人は、外でも無く、父宗隣に參謀長とまで取立てられた彿國の士官で、 父の城を土耳古を賣渡した上に、私と母とを數々の分捕品(ぶんどりひん)と共に捕へ、 自分の獲物の一に加へた野西次郎と云ふ者です、 私と母とを賣渡した其價が四十萬 (ふらん)と云ふ事まで書いて有ります」

成るほど是れに勝る證據は無い、野西次郎は人の城を賣つた上に猶人身賣買と云ふ事をまで行ふたのだ、 野西次郎の顏は鞆繪姫が言葉の一句一句に、(けん)益々 (けん)と爲つて、 (まなこ)には血の色が射し、殆ど姫に飛びも掛らんかと思はれる樣に見えた、 併し姫の方は彼が(もが)けば(もが)くだけ益々態度が落着いた、 其落着いた状に、却つて荒狂ふよりも恐ろしい力が有つて、靜かな言葉が一々に野西子爵の頭から釘を打つ樣に(こた)へた、 委員一同も全く手に汗を握るに至つた。

言終ツて姫は其證據書類を取出して議長に渡した、最後の一通は土耳古語で(したゝ)めてある、 議長自らは土耳古語が讀めるけれど、誰か外の人に讀ませ度いと委員の顏を見廻すと、 兼て語學の力を誇つて居る人、二人が現はれ、立會つた上で其一人が()の如く讀下した、 是れが全く野西子爵を金縛りにする程の恐ろしい證據物である。

「餘は土耳古王の後宮に女奴隸を納むる御用奴隸商アルメニヤ人エルコバーと云ふ者なり、 此女はヤミナ城主、故有井宗隣の娘にして年は十一歳なり、其城の沒落の時、 土耳古王の内命を含みて彿國の軍人が生捕りたるを、 餘が王の御用に依り買受けたる者にして今は又國王の許しを得て之を伯爵巖窟島友久に賣渡す者なり。

巖窟島伯爵は此女奴隸の身を買取る償金として土耳古王の慾する碧玉(えめらるど)三個、 一個の價凡そ八十萬 (ふらん)(づゝ)なるを國王に納めたれば何人も此女奴隸を所有する巖窟島伯爵の權利を爭ふこと能はざる可し、 伯爵に之を賣渡したる餘エルコバーは七年前に此女奴隸を其捕獲主たる彿國の軍人野西次郎と云ふ者に四十萬 (ふらん)を與へ直接に買取り、 今まで育て上げたれば又何人も此女奴隸を巖窟島伯爵に賣渡す餘の權利を爭ふ者無し、 國王の御璽を迄得て後日の爲めに此證書を作る者なり。

成るほど國王の御璽も据ツて居る、年月日もエルコバーの署名も確である、此上の證據は又と無い。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇六 委員會四


人として他人の身體を賣るは罪惡の極である、而も自分を信認し自分を參謀長にまで取立てた大恩人の妻と兒を、 奴隸商人に賣渡すとは、人の城を賣り國を賣り同胞の生命を賣つた罪の上に一段の仕揚を加へた樣な者である、 是より上の卑劣と罪惡とは心に描くことさへ出來ぬ。

此奴隸商の賣買證書を讀終るや滿場は死の境に入つた如く靜まツた、 誰も彼も野西子爵が何事をか辨解するのかと待つて居たけれど子爵は辨解せぬ、 口も動かぬ身も動かぬ、唯其 (まなこ)を鞆繪姫の身に注ぐのんみである、 注ぐ積りで注ぐのか()た恐ろしさに姫の姿より其眼が剥がれぬのかは疑問である、 何うも注ぐまじとすれど無意識の眼が其方へ轉ずる樣である。

議長は又も鞆繪姫に向ひ「一應巖窟島伯爵へ問合せませうか」と問ふた 姫「イヽエ、私が父同樣に思ふて居る伯爵は、一昨日ノルマンデーの別莊へ行き、此巴里へは居ませんのです」 議長「其れなら貴女は誰に相談して今日(こんにち)此所へお出に成りました」 姫「若し巖窟島伯爵が居れば必ず私を推し留る所でした、 伯爵は決して此樣な事に贊成はして下されません、けれど私は兼てから、 何うか父の仇を(かへ)し度いと今日(こんにち)を待つて居ました、 此巴里へ來ましてからも、家に引つ込んでは居ましても毎日、新聞や雜誌を讀み、 父の仇野西次郎が何の樣な事をして居るかと蔭ながら知つて居ました、 今日こそは天から彼の罪を(あば)く時を與へられた事を思ひ、 誰にも知らさず茲へ來たのです、ホンに二度とは無い機會だと思ひました」 議長は再び野西子爵の返事を待つた、けれど子爵の状は初めの通りである。

「野西子爵、貴方は何とか辨解の辭は有りませんか」と議長は氣の毒げに問ふた、 猶も返辭は無い、議長は更に「然らば私から問ひませう、 第一に貴方は此婦人を有井宗隣の娘鞆繪姫だと認めますか」 子爵は忽ち力を得て立上つた「イヽエ認めません、此女は必ず詐欺でせう、 誰か私を怨む者が、此狂言をして私を陷れる計略でせう」 殆ど死物狂ひの叫びである、此言葉を聞くよりも鞆繪姫の冴えた(まなこ)は鋭く子爵の顏を射た、 爾して聲は裂帛(れつぱく)の響きがある。

「オヽ貴方は私の顏に見覺え無いと云はれますか、私が四歳の時ゆゑ、 見違へるかも知れませんが、私の顏は母に生き寫しです、 鏡に向ふても分つて居ます、母の顏はよもやお忘れには成りますまい、 貴方は私の父を殺した後で、後宮へまで追つて入り、 母と私とを守護して落延びる忠臣を殺し、母と私とを捕へたでは有りませんか、 奴隸商人エルコバーに引渡したでは有りませんか、父の代理として土耳古朝廷に使ひしたも貴方です、 和議充分に調へたからと云つて歸り城中一同へ油斷をさせたのも貴方です、 爾して土耳古の攻撃軍を城の中へ案内したのも貴方です」一聲は一聲よりも急に叫び、 爾して最後に殆ど十々滅(とゞめ)を刺す樣に「私の父を不意に殺して、 其首を槍先に高く差上げたのが貴方では有りませんか、 貴方の身にも有井宗隣の怨みが(まと)ふて居ます、貴方の前額(ひたひ)には有井宗隣の血が注いで居ます、 貴方は未だ其血を拂ひ去りも得ぬでは有りませんか」 眞に心の底より溢れる如く湧き出づる(いか)りには誰とて敵することは出來ぬ、 委員一同、全く野西子爵の前額(ひたひ)に今も猶だ其血が着いて居るのかと疑ふ如く子爵の顏に振向いた、 爾して子爵自らも自分の前額(ひたひ)に氣味惡き感じが起つたと見え、 (あわた)だしく手の甲を以て前額(ひたひ)を撫でた、 之が彼の最後の力で有ツた、彼は「ウーン」と一聲絶望の聲を洩らして又も椅子の(おもて)に挫け込んで了ツた。

今まで()し野西子爵に罪無しと思ひ人が有つたにせよ、此樣を見ては、 誰か又其思ひを支へる者ぞ、唯一齊に子爵を汚らはしい人も認めた、 併し議長一人は親切である、彼は猶も丁寧に 「子爵よ何の樣な證據が有らうとも吾々は貴方が充分の反證を提出する事を望みます、 反證が無いとならば委員の中より二名だけを急にヤミナ州へ派遣し貴方の請ふが儘に反證を集めさせますが何うです、 何うすれば反證が上りますか」何んで反證が擧がる者か、 ヤミナへ人を遣れば此上にも賣國の證據のみが出て來るのだ、子爵は又も無言と爲つた、 議長は暫らく待つた末、又も「サア貴方の返辭は如何です」 子爵は(やう)やく聞える程の(かすか)な聲で「最早や返辭は有りません」

是れ全く服罪である、議長は聲を張上げて「然らば鞆繪姫の云ふ所が事實ですか、 貴方は自分の無實を言張る材料が無いのですか、眞に貴方は新聞紙に疑はれた如き罪惡の人ですか」 と念を推す樣に問ふ言葉も實は宣告と同じ事である、子爵は四度び立上ツた、 併し今度は辨解の爲では無く、逃去るが爲で有ツた、一應は委員の顏を見廻したけれど、 總ての顏に宣告が現はれて居る、最早斷念の外は無い「アヽ」 と一聲叫んだまゝ兩手に(つか)んだ自分の短[衣へん|同{[]](ちよつき)}を右左に引裂たは胸の壓迫せらるゝ樣に感ずるを掻除(かきの)けん爲であらう、 爾して網を破ツた猛獸の如く、狂ひ狂ふて廊下に出た、後は唯だ廊下の外に彼の不揃な足音が次第に遠く聞えるのみで有ツた、 暫くして其足音は急ぎ去る馬車の遠音と代ツて了ツた、多分は乘つて來た馬車に乘つて自分の家へ逃げ歸つたのであらう。

後に議長は委員全體に向ひ「諸君は野西子爵に賣國の所行が有つた者と認めますか」 返辭は滿場一致である「認めます、認めます」鞆繪姫は全く議事の終るまで茲に居た、 別に嬉しげにも心地好げにも其顏を變ぜぬけれど、父の仇を(かへ)し得て胸に滿足の意の滿渡る事は、 何と無く神々しい其振舞の總てに現はれて居る、爾して最後に議長に向ひ 「今日(こんにち)は實に私の爲めに光榮ある一日で有りました」との一語を殘し、 附添ふ下僕(しもべ)に從ふて茲を去ツた、其姿はヴァジルの(うた)ふた希臘の女神かと思はれる許りであつた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇七 翌日の午後


人間が世に立つには隨分悔しい恥かしい事も有る、 これど此委員會で鞆繪姫に言込められた野西子爵の樣な甚い場合は、澤山は無いだらう、 是れで全く彼の生涯は盡きた樣な者だ、最早貴族と成つて居る事も出來ず、 陸軍中尉で居る事も出來ず、全く人間の仲に顏出をする事も出來ぬ、 無慘、無慘、眞に無慘の極である、彼此後を何うするか知らぬけれど、 夜逃でもして外國に落ち延びる外、殆ど活て居る道も有るまい、 イヤ外國へ落ち延びたとて、此樣な大耻辱が其身に着き廻らずに居るものか、 何處に此樣な人の活られる世界が有らう、其れも年でも若ければ又格別、 彼は最う、知らぬ他國で再び艱難辛苦すると云ふ年頃でも無い、 何處を何う考へても世間に彼の居る可き位地は無い。

(あゝ)彼何で此樣な大耻辱を受たので有らう、自分の犯した罪惡の報ひとは云へ、 其罪惡は既に一昔以前の事で、世間が一人殘らず忘れて了ツた「舊惡」である、 のみならず此事の當時ですら此國には誰れ一人知つた者の無い筈で有ツた、 其れが計らずも今茲に廻ツて來て、痛く嚴しく恐ろしく身に報ゆるとは、 天意天罰としても餘り殘酷だ。

眞に誰の仕業だらう、之を若しも巖窟島伯爵が復讐の爲めに仕組んだ者とすれば、 充分に復讐の目的は屆いたと云はねば成らぬ、 成るほど巖窟島伯爵が此野西子爵から昔受けた屈辱と艱苦とは眞に世に類の無い類ででは有つたけれど、 野西子爵の今の屈辱も類の有る類では無い、若し天秤に掛けて較べて見れば、 其時の苦痛に於ては或は伯爵の方が長かツただけ甚いかも知れぬけれど、 伯爵の方は盛返して來て復讐を加へる丈けの年齡は殘つて居た、 云はゞ殺されて猶ほ活返る道が有つたのだ、イヤ道が有つた譯では無い、 到底活て此世へ(かへ)る道の無いのを、 無理に自分で道を(つく)ツて活返ツた樣な者では有るけれど兎も角も活て返ツた、 兎も角も再擧が出來た、けれど子爵の此度の場合には金輪ざい活返るのと云ふ道が無い、 是れだけが雙方を平均させると差引と云ふ者だらう、 何にしても非常な損害に對して非常な復讐で有ツたと云はねば成らぬ。

是れでも見ると野西子爵よりも猶 一入(ひとしほ)罪の重く、猶ほ一入(ひとしほ)恨みの深い、 段倉と蛭峰とに對しての復讐も思ひ遣られる、果して伯爵の胸の中に充分の成案が有るとすれば、 眞に此伯爵こそは其自ら云ふ通り此大なる復讐の爲に天の(たす)けを得て居るのだ、 人間業では出來ぬ程の事をするのだ。

其れは扨置(さてお)いて此恐ろしい事件の知らせがノルマンデーなる伯爵の別莊に着いたのは丁度委員會の翌朝であツた、 之れは新聞記者猛田猛から、伯爵の別莊に居る野西の息子武之助へ急使を以て知らせて遣ツたのだ、 併し伯爵の方は此知らせが無くとも必ず事の大體を推量して心待に待つて居たのだらう、 イヤ此急使より外の方面から必ず通信を得た事だらう、 伯爵がノルマンデーに別莊を作り其途中や其界隈に加へた一方ならぬ準備から考へて見れば、 確に別の方面から通知せられるだけの道はある、何でも巴里總體の事、 イヤ其身の戰ふて居る戰場總體の事は悉く手に取る樣に分ツて居るのだ、 全く或人の評した通り、巖窟島伯爵が社會の暗所に戰ふた用意と手柄と竒運とは、 事に初めに間接ながら少からぬ關係の有ツた拿翁(なぽれおん)の國家の明所に戰つた用意や手柄や竒運にも劣らぬのだ、 否、寧ろ優つて居るのだ。

急使に接して野西武之助が驚いたのは無論で有る、 彼は我が父に對する賣國の非難が再び新聞紙に現はれて今度は貴族院が特別に委員會を開く事に決した迄を知つて、 直に巴里へ引返す氣に成つた、父の大事、家の大事、引返さずには居られぬと直に伯爵へ其旨を告げた所伯爵も驚いた容子で、 直に歸れと云ひ、歸るには遠慮無く我が早馬を使へと云ひ、猶ほ暫らく考へた末 「イヤ何しろ大變な事件だから私も一緒に巴里へ歸りませう」と云つた、 爾して武之助と共々に馬車に乘つた、馬車の上で八時間、 唯だ不思議な事は一言も伯爵が途中で武之助を慰めなんだ一事である、 武之助も同じく無言だ、唯だ巴里を見詰めて、矢の樣に走る馬車を(もど)かしとした、 伯爵も殆ど其通りである、(やうや)く巴里へ着くが否、 伯爵は本邸へ、武之助は猛田猛の新聞社へと右左に分れた、是れは委員會の有ツた翌日の午後四時頃であツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇八 彼の仕業


ノルマンデーから急ぎ歸ツて、伯爵と右左に分れた野西武之助は、 直ぐ其足で新聞記者猛田猛の許を()ふた、訪ふて猛の出て來るを待つ間さへも(もど)かしい、 自分の父野西子爵が再び賣國奴と疑はれるに到つた迄は猛の手紙で知つて居るけれど、 其後が何う成つたか、一刻も早く聞知り度い、其れも新聞紙を買つて讀めば分るけれど、 新聞紙を讀むのが恐ろしい、又忌々しい、 慈悲も無く情も知らず唯だ事實の有り儘を冷酷に報道する新聞記者の筆から我父の舊惡を知らされるのは子として實に忍び難い所である。

彼は應接の()に在つて殆ど地團太を踏まぬ許りである、全體何者が斯も執念深く我父我一家を傷けやうと企むだらう、 父に賣國の振舞が有つた事は(さき)に猛がヤミナ迄出張して調て來た所で分ツては居るけれど、 其罪惡を十年餘の今と爲つて(あば)き立てるとは實に憎むにも餘りある憎さである、 父に愛想の盡きたことは無論だけれど、其れが爲に此敵を許して置く事は出來ぬ、 此敵 假令(たとひ)社會の何の樣な隅に隱れて居やうとも必ず探し出して目に物を見せて呉れねば成らぬと、 獨り悔しさの數々を心の中に呼起しては自分の肝へ刻み附る樣に繰返して居た、其處へ漸く猛田猛は出て來た。

彼は氣の毒さに堪へぬ状で、容易には口を開かなんだが、切に武之助より促されて遂に委員會の一部始終を語り初めた、 勿論一たび口を開く以上は少しも隱し又は飾る可きで無い、 彼が新聞記者として委員の人々や其議長などから聞集めた所を事細に話し出したので、 彼の委員會の景状(ありさま)が手に取る如く武之助に分ツた、 我父野西子爵が何の樣にして自ら辯護し、何の樣にして鞆繪姫の現はれ出たのに對し、 又何の樣に言葉窮して何の樣に會場から逃出したか、父の一擧一動から委員の其時其時の顏色まで悉く目に見える樣に感じた。

聞終つて彼は悔し涙の雨の如く降り來るを制し得ぬ「猛田さん、猛田さん、最う私は何處へ行つても賣國奴の息子です、 廣い此巴里に、猶ほ私を友人と思ツて呉れる者は、貴方や出部嶺(でぶれい)や心の廣い巖窟島伯爵の外に幾人も有りますまい、 ()し有ツたとて何の顏さげて巴里の市中を徘徊しませう、私は直ぐに此國を去り世界の果てへ身を埋めて了ひます、 ですが其前に此敵を探し出して仇を(かへ)さねば成りません、仇を復すと云つても決鬪する外は無く、 若し其決鬪で殺さるれば其れ迄ゆゑ外國へ隱れに行く面倒も無くて濟みます、 若し勝てば幾分の恨も消ゆると云ふ者、何うか貴方は私の心を察し、此敵の分る樣にして下さい、 全體何者が私の父の事を新聞紙に出したのでせう、 貴方の手紙にはヤミナ州から澤山の證據書類を持つた人が故々(わざ〜)出て來て各新聞社を廻ツたと有りましたけれど、 必ず此巴里に住んで居る人の中に、張本人が有りませう、 最初に貴方の新聞紙へ唯だ彿國の士官次郎と云ふ短いアノ記事を出させたなどは決してヤミナから來た人では有りません、 此人が即ち今度の記事をも出る樣に仕組んだ事は、考へる迄も無く分つて居ますから、 即ち此人が誰で有るか、少しでも貴方に心當りが有れば、何うか私へお知らせ下さい、 眞に一生のお願ひとは此事です」

他事も無い願ひに猛田は默然として考へたが「イヤ少しも心當りは無いのです、 けれど外ならぬ貴方ゆゑ、私は自分の聊か異樣に感じた事實だけを申ますが、 イヤ之を責任の有る言葉の樣に思はれては困りますよ、單に貴方の參考の一つに供して下さい」 武之助は熱心に「ハイ決して貴方に責任を持たせる樣な事は仕ません、何の樣な事實です、何の樣な」 猛「イヤ事實と云ふには足りませんが、實は先日私がヤミナへ行つた時、 同地の有名な銀行者に就て聞きました、其箇條はヤミナ城の沒落に次第と、 爾して其事件は何か彿國の士官で次郎と云ふ者が關係が有るだらうかと云ふ二點でしたが、 之を聞いて銀行者は眉を顰め、實に妙な事が有る者だ、先逹ても巴里かれ其れと同じ事の問ひ合せを受けたと云ひました」 武之助「エヽ、貴方より猶ほ前に巴里から其事を問ひ合せた者が有ると云ふのですか、 其者こそ——」猛「ハイ私も其者こそは新聞紙の出所に多少關係の有る人だらうと思ひ、 其れは誰だと聞きました」武之助「聞いたら誰でした」 猛「イヤ聞いて聊か案外な思ひをしました、巴里の取引銀行の頭取段倉男爵だと答へました」

武之助は殆ど飛び上ツて「イヤ段倉男爵、其れは決して案外では有りません、 彼です彼です、彼の仕業です、第一彼は夕蝉孃を皮春小侯爵へ縁付ける爲に私との縁を切る必要が有つたのです、 ナニ私の方は此方(こちら)から縁を切る樣に仕向けた程ゆゑ、 向ふで何も其樣な面倒な手數を取るには及びませんけれど、 唯だ私の父は熱心に此縁談を實行する決心で有りましたから、 段倉男が父に對して破談の口實を作る可き必要が有つたのです、爾です其れで益々分りました、 先日父が段倉へ催促に行きました所、彼は異樣に答へ、 何だか父の名譽が遠からず地に落つるかの樣に云ふた相です、是れは父から聞きました、 爾して其翌日か翌翌日に次郎の賣國奴と云ふ事が貴方の紙上に出たのです、 是で見ると其時から既に段倉氏は新聞に()の記事の出る事を知つて居たのです、 彼が自分で記事の種を出したので無くば何で前以て其樣な事を知つて居ませう」

殆ど星を指す程に明白には聞えるけれど眞逆(まさか)に巴里第一の銀行家とも云はるゝ者が、 爾う陰險な手段を取らうとも思はれぬ、猛「御尤もの樣にも聞えますが、 單に貴方と夕蝉孃の縁談を破る爲ならば餘り狂言が大き過ぎるでは有りませんか、 其に今では其縁談も破れて居ますから、()しや第一囘の記事は彼から出たとしても此度の第二囘の記事は」 武之助「サア其邊は少しも私には合點が行きませんけれど、兎に角彼は昔から私の父と、 名譽と財産とで競爭して來たのです、財産の方では彼が勝つたでせうけれど名譽の方では父の方が勝ちましたから、 彼は決して父の名譽を傷つけるに躊躇せぬ男です、 何でも彼が此事件に關係が有るに違ひ無いのです、爾無くば何でヤミナ銀行へ其樣な事を問合せますか、 何が何でも私の敵は段倉です、是れから直に彼の許へ行き、 私は詰問します、其結果に從つては無論決鬪です、何うか貴方も私と同行して下さい、 其れが出來ずば貴方も最う私の敵に組した者と見る外は有りません」殆ど氣も顛倒したかと思はるゝ状である、 此樣な事に成りはせぬかと思つたればこそ猛は前以て責任を負はぬ(よし)を斷ツたのである、 併し斯う成ツては今更引くにも引かれぬ「致し方が有りません、 同道して私がヤミナの銀行で聞いたと云ふ事だけは證言しませう」 武之助は殆ど血眼で茲を出た、爾して猛田猛の手を引立て引立て、段倉の家を指して急いだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二〇九 伯爵だ伯爵だ


猛田猛を引立てる樣にして、(やが)て武之助は段倉の家に着き、玄關で案内を請ふた、 取次の返事は、「今來客中ゆゑお目に掛られぬ」と云ふに在ツた。

其來客は誰かと云ふ事は玄關先に待つて居る華奢な小馬車で分ツて居る、 小侯爵皮春永太郎なのだ、勿論永太郎が此家に入びたりの樣に來て居るのは怪しむに足らぬ、 唯だ其爲に我に逢ふ事の出來ぬとは何事ぞ、(さて)は此身を賣國奴の息子として早や擯斥(ひんせき)の氣味を示すのかと、 武之助は前額(ひたひ)に青い筋を立て「ナニ面會の出來る出來ぬと問はせぬ在宅か不在かと問ふのだ」 と云ひ取次の男を突倒さぬ許りにして家の中に躍り入り、 猶も猛田を引立てゝ段倉の居室(いま)に闖入した、 爾して小侯爵と段倉との驚き立つを知らぬ振で聲も鋭く 「段倉さん、段倉さん、今日は貴方の言開きを求めに來ました、 言開きか決鬪か二つに一つをお選び成さい」眞に當る可からざる見脈とは之である。

何の仔細か知らぬけれど、小侯爵は嶽父(しうと)の大事と見て進み出た、 武之助は之にも向ひ「オヽ貴方が相手をすると云ふのですか、勿論私は相手を選びません、 貴方でも宜しい、サア」と詰寄せるは前後も忘れた状である、後に從ふ猛までも呆氣に取られ、 何として好いやら知らぬ、段倉は此状に(さて)は戀の遺恨でゞも來たのかと思ひ、 漸く心を落着け得て、二人の間に入り「ナニ娘夕蝉を小侯爵の妻と定めたは、 小侯爵の責任で無く斯く云ふ段倉の責任です、云ふ事が有るならば——」 武之助「ナニ娘夕蝉、夕蝉が何處の馬の骨の妻に成らふと其樣な事では有りません、 私が言開きを求めるのは、父に對する貴方の所業です」段倉は初めて合點が行つたと見え、 嘲る樣に打笑つた「之は可笑しい、貴方の父野西子爵の舊惡が露見したのを私に辨解せよと云ふのですか」 武之助「勿論です、貴方は今より一月(ひとつき)ほど前にヤミナの銀行へ問合せの手紙を出した事が無いと言張りますか、 ヤミナ城沒落の次第から其當時に於て私の父の所行を詳しく取調べて知らせて呉れとの手紙を送つたのが貴方で無いと言張ますか、 私は其樣な言拔けをせぬ爲め、茲へ實地を取調べて來た證人まで連て來て居るのですが」 何たる性急の言葉であらう。

段倉は初めて武之助の後に猛の(つい)て居る事を知つた、けれど別に驚く謂も無い、 彼は一層落着いて「私は何も言拔は仕ませんよ、 如何にもヤミナの同業へ貴方の父上の事に就き問合せの手紙を出しました、其れが何うしたと云ふのです」 武之助は(こぶし)を固め「其れが何うしたとは猛々しい、何の必要で其樣な手紙を」 段倉「何の必要で、左樣さ、其樣な事は返辭の限りでは有りませんけれど、 (たつ)てとならば云ひませう、野西子爵に賣國の舊惡が有らうと知らぬから、 問ひ合せても構はぬと思ひました、詰り貴方の父上を信用し過ぎたのです、 痛い古創(ふるきず)の有る方と知れば遠慮する所で有ツたのに、誠にお氣の毒でした」 妙に捻けた冷やかな言葉に中に、得も云へぬ毒が有る、 之を聞いて武之助の拳が段倉の前額(ひたひ)に降り下らぬが不思議である、 彼は眞正に齒切(はぎしり)して「エヽ、其言分は聞捨て成らぬ」言葉と共に又一歩段倉に詰め寄ツた。

此時若し段倉が折れて出ずば何の樣な騷ぎにも成らうも知れなんだ、 けれど彼は根が臆病者である、婿夫(むこ)たる小侯爵の居る前なればこそ、 其れに對して強くoは出た者の、眞に攫み掛らんとする武之助の勢を見ては又氣味の惡い所も有る、 更に聊か其言葉を丁寧にし 「ナニ其頃は貴方と娘夕蝉の縁談が有りましたから親の役目として貴方の父上の財産の出所を調に掛ツた迄の事です、 其れも自分の意見で無く、人から忠告を受けましたから」早や人の忠告と、 責任を人の肩へ讓り初めた、武之助「エ、人から忠告、其れは本統の事實ですか」 「何で事實で無い事を私が言ひませう、實は其人に向かひ縁談の話しから、 野西子爵が何うして希國で大身代を作つたのか一應調べ度いと申しましたら、 其人が其れならヤミナへ問ひ合すが近路だと忠告して呉れましたので」 武之助「其れでヤミナへ問ひ合せたと云ふのですか、其れから」 段倉「其れから、ハイ、實に驚く可き返事を得ましたけれど、イヤ少しお待ち成さい、 斯う云ふと貴方は、直ぐに私が此事件の曝露にまで關係の有る樣に疑ひませうけれど、 私は少しも關係が無いのです、ヤミナから得た返事の意味は誰に他言した事も有りません、 何しろ貴方の父上の名譽に係る事と、深く祕密して居ましたのに、 何處からか洩れたのです、洩れた次第は新聞紙でも分りますが、 決して、決して、私では在りません、私は其深く祕した(かど)で、 貴方から禮を言はる可き程に思つて居るのです」

明白な言開きである、眞に其通り祕したとすれば段倉に罪はない、 彼は猶も疑ひを避ける爲か「私は初めからヤミナと云ふ事さへも氣が附かなんだのです、 私の頭をヤミナの方へ向けたが惡いと云ふならば、其れは私が惡いのでは無く、 私へ忠告した人が惡いのです」幾等立腹した武之助でも此道理は聞分けぬ譯に行かぬ。

其れなら其忠告した人は誰ですか、其人が分らねば貴方の言葉丈で信用する事は出來ません」 段倉「信用するとせぬとは御勝手ですが、忠告して呉れた人は——」 武之助「其人は——」段倉「巖窟島伯爵です」武之助「エ、エ、巖窟島伯爵が」 段倉「ハイ、巖窟島伯爵です」

自分の罪を逃れん爲に、人の名を晒け出すとは、卑怯である、 卑怯は卑怯でも茲では立派な言開きには成ると云ふ者、 又段倉の平生の根性から考へれば是れくらゐの卑怯は輕い中だ、 武之助は伯爵の名前に、暫し度を失ふ體で有つたが、 段々に思ひ浮んで來る事も有る、第一委員會で我父を粉碎するほどに證言したのは伯爵の養ふて居る鞆繪姫である、 第二には丁度此事件の起る間際に我身を巴里かれ連れ去つたも矢張り其伯爵である、 第三は共々巴里へ歸つて來る馬車の中でも伯爵の容子が尋常とは思はれなんだ、 手近い所だけで此通り、猶遠い所まで思ひ廻せば心に當る事ばかりである、 武之助は初めて目の開いた樣な心地がして、何も彼も見透いた、 彼は忽ち躍り上ツた「アヽ伯爵だ、伯爵だ、此敵は伯爵だ、決鬪に相手は伯爵だ、、 何としたとて逃すものか」昨日までの恩人友人、今は仇、親の(かたき)「エ、知らなんだ」 と又も叫んで一散に此家を走り出た。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二一〇 母への孝行


敵は段倉と思ひの外、巖窟島伯爵である、武之助は段倉の家を立去ツて驀地(まつしぐら)に伯爵の邸を指して行くのだ。

之は大變な違ひである、段倉が敵であるのと伯爵が敵であるのと、 段倉なれば大して深い仔細は無い、唯だ武之助の父野西次郎と名譽の上で競爭し其身が負形(まけかたち)と成つたから、 野西次郎を陷るゝ氣に成ツたと、云ふ丈の説明で分ツて居るけれど、 伯爵の方は爾で無い、何で我が父野西次郎を恨むのか、 何故父の舊惡を斯くまで執念深く(あば)き立てる氣に成つたのか 更に合點が行かぬ或は其身が愛し育てゝ居る鞆繪姫の爲に復讐をさせて遣り度いとの目的に出たのかも知れぬけれど、 單に其樣な義侠の爲に斯まで力を盡さうとも思はれぬ、 何か我父と伯爵の間に深い恨でも横たはつて居たのかも知れん、 イヤ爾とすれば父が兼てから伯爵に對して用心する筈である、然るに用心の状も無く、 全く初對面の人の樣に、イヤ一見舊知の如しと云ふ意氣相投じた間柄の樣に見えて居た。

何う考へても合點が行かぬ、合點は行かぬけれど、此相手は伯爵と云ふ事は確である。 武之助は今まで深く伯爵を信じた丈に、又深く伯爵を恨みに思ふ 「エ、何うしても伯爵を殺さねば」と走りながらも口走つた。

彼に從ふ猛田猛は心配げに「野西さん、愈之を伯爵の仕業とすれば、 貴方が爾う立腹するは無理も無いけれど、餘ほど手剛(てごは)い敵ですから、 用心して掛らねば(いけ)ませんよ」武之助は敵の力などを計る餘裕も無い状である、 「段倉だとて伯爵だとて敵とする日には同じことです」 猛「イヤ大變な違ひが有ります、段倉は金を愛するのみの人間ですから容易の事では決鬪せず、 此方(こつち)が眞に怒れば向ふから折れて出ますけれど、 巖窟島伯爵は、今まで私の研究した所では、斷乎たる男子の氣風が有つて、其れに一種の侠骨と、 崇高な貴族の魂を備へて居ます、此方(こつち)が強く出れば向ふも何處までも相手に成ります」 武之助「其れが私の幸ひです、私は強い相手を恐れません、唯だ段倉の樣に、 折れて決鬪を避ける相手を恐れます」猛「でも巖窟島伯爵が何れほど武藝の逹人かと云ふ事を知つて居ますか」 武之助「知つて居ます、先日 短銃(ピストル)で射撃をして居る所を見ましたが、 歌牌の樣な紙の表へ一から十まで順にトランプの星數を射貫きました、 一分一厘の狂ひも無い所を見れば恐らく世界に二人とは無い武藝の名人でせう」 猛「其れ御覽なさい、其上に馬に乘る所を見ても其上手な事は姿勢で分ツて居ます、 私は又先日伯爵の許へ招かれた撃劍の指南師から聞きましたが、 短劍でも長劍でも、何うして()れほど稽古が出來たからと其指南が舌を卷いて居りました、 斯樣な人を相手にして決鬪するとは」武之助「構ひません、 私とても全く武藝の(たしな)みが無い譯では無く又實地に決鬪した覺えも有ります、 伯爵の狙ひが正しければ私の狙ひも正しい、 伯爵の(たま)が私の心臟へ當ると同時に私の彈も伯爵の心臟へ當りますから、 伯爵とても此世に亡い人と爲つて了ひます」 猛「爾う旨く行けば宜しいけれど」武之助「イヽエ()しや私の狙ひが外れて、 伯爵は助かり、私は死んだとしても構ひません、 父の汚名を雪ぐ爲に鬪ツて死んだとなれば本望です、 生て居るよりも名譽です」猛「貴方は爾うでも、貴方が死ねば後で母御が悲しみの爲に泣き死にます」

母御と云ふ一言には武之助も暫し淀んだけれど(やが)て決然として 「其れでも構ひません、母は此まゝで居れば父の耻辱を苦に病んで、 耻かしさに泣き死にます、其れよりは私を失つた悲しさに泣き死ぬるのが嬉しいでせう、 私も其れが母への孝行です」猛「では何う有つても貴方は伯爵と決鬪するのですね」 武之助「ハイ其れも勿論です、私は伯爵と決鬪して死ぬ外に、行く道の無い身の上と爲つて居ます」 猛も決然たる語調で「宜しい、其れでは私が出部嶺と共に介添人と爲り其決鬪の申込に行きますから貴方はお控へ成さい、 斯う極つた上では當人同士顏を合せる必要は有りません、決鬪の作法に(そむ)きます」 武之助「成るほど決鬪の作法から云へば事の極つた上でで當人たる私の行くのは宜しく無いかも知れません、 けれど猛田さん、此度ばかりは許して下さい、常例の場合では無いのですから、 私は直々に伯爵に逢ひ言ひ度い丈の事を云はねば氣が濟みません、 ハイ散々に彼を罵り辱め、今私の腹立たしく思ふだけ彼にも腹を立てさせれば其れで幾分か蟲が治まりますから、 其上で命の遣取です、サア、何うか私を伯爵の前に出して下さい」 猛「其れ程に思ふなら、仕方が有りません、一緒に行つて先づ伯爵に逢ひませう」 二人は間も無く伯爵の邸の前に着いた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二一一 眞に潛々と


若し伯爵が在宅ならば、武之助との間に餘ほどの騷ぎが起るに違ひ無い、武之助は直に其玄關に進んだ、 彼の(おと)なふ聲の應じて出迎へたのは家扶春田路の次に附く破布池(はふいけ)と云ふ執事である、 勿論武之助を知つて居る「伯爵は在宅ですか」問ふ武之助の言葉は(いつ)もより嚴格である 破布池「ハイ、今丁度御入浴中ですが、其後で食事を成さツて、其れから一時間お休みに成り、 爾して今夜は劇場へお出向との事で正八時に馬車の用意の出來る樣にとお言附が有りましたから、 お目に掛られる暇は有るまいと思ひますが」暇が有らうが無からうが武之助は其樣な事に頓着は無い、 其まま湯殿へまでも暴れ込うかと云ふ程の見幕で居るけれど、劇場との一語に、 フト思ひ附く事が有つて「爾ですか」と穩かに受引いた、 劇場ならば巴里の貴族社會、交際社會が(こぞ)ツて集まる所だから伯爵を立腹させるには屈強である、 何も今無理に此家の中に闖入して面會を求め、誰も見ぬ所で爭ふより、 萬目の注ぎ集まツて居る棧敷の中で、彼伯爵をば人に顏向けも出來ぬほど辱めて呉れゝば、 我父野西子爵の仇も幾分かは返されると云ふ者、 其れにしても伯爵とても公衆の前で侮辱せられて眞逆に決鬪せぬと云ふ譯にも行くまい、 よし、よし、決鬪の緒口(いとぐち)を開く手順は定まツた、 是が天の與へる好機會と云ふ者だらうと、心の中に一方ならず滿足し、 破布池には「では明日でも又伺はふ」と何氣なき言葉を殘して茲を去ツた、 爾して門の外で猛田猛に向ひ、「今夜八時には必ず劇場へ來て下さい、 出來る事なら何うか出部嶺や砂田伯も誘ふて」猛は武之助の心中を見拔いて居る 「承知しました」と短く答へて立分れた。

直に武之助は家に歸つた、爾して第一に毛脛安雄や森江大尉や、其他懇意な者へ當て、 今夜是非とも劇場へ行くやうにとの誘ひ手紙を出した、云はゞ背水の陣を布く樣な者である。 斯うして人々を(いざな)ふて置けば、眞逆に其場に及んで我が心の鈍る事も有るまい、 又伯爵も益々以て逃げるに逃げられぬ事に成らうと、 何から何まで考へを行渡らせたので、次には母の機嫌をも伺ふて置き度いと其 居室(いま)を指して行つた、 思へば先の日ノルマンデーに行くとて母に分れを告げてより(わづか)に三日しか經たぬけれど、 其三日の間に我が一家が變り果てた状とは成つた、 出る時は多勢(おほぜい)下僕(しもべ)ども我れ先にと送り出て流石に名譽幸福共に滿々て居る貴族の家らしく思はれたけれど、 歸つて見れば一家窒息の状で出迎へる者も無く、數多い雇人共、何をして居るのか、 常に絶間も無く何の室からも洩れて居た笑語の聲も絶えて、廊下に足音一つ聞えぬ、 其れも是れも父が世間に(ためし)も無い大汚辱を受けたから出た事、父は今何の樣にして居られる事か、 イヤ眞に賣國の罪を犯す樣な見下げ果てた父ならば最う父でも無い子でも無いと數日前に猛田猛にも云ひ、 堅く我心にも誓ふて居るから最う父の容子などは氣に掛けまい、 其れにしても(いた)はしいは母上である、定めし斯ほどの舊惡ある所天(をつと)とも知らず廿年の上も連添ひ、 肩身廣く世にも交り、貞女の(かゞみ)とも云はれ交際場裡の明星とも立てられて來た者が、 一朝思ひも設けぬ所から(わざはひ)が起り世間に顏も向けられぬ淺猿(あさまし)き境涯に陷入つたと有ツては、 何れほどか辛い事やら、夜も晝も打鬱(うちふさ)いでのみ居られる事であらうと自分から泣き出し度い程の胸を推鎭め、 無人の卿かと疑はれるほど物淋しい廊下を通り、二階に上ツて其居間を窺いて見た、 茲にも人の影は無い、扨はと思つて更に其寢室に入つて見ると、 寢臺(ねだい)(おもて)に打臥して、房々と猶ほ若く美しい髮の毛のみ見えて居るのが母である 「阿母さん、阿母さん、武之助が今歸つて參りました」云ふ聲も靜かな室の四壁に響き物凄い樣に聞える 「オヽ武之助か」と答へて母は起き直り「能う早く歸つて呉れた」と語を繼いで、 武之助の顏を見上げ、次には其兩手を捕へたが、今まで憂きを語らふ相手無き爲め、 胸の中に悶え悶えて居た事が一時に泣聲と爲つて洩れ出で「オヽ、此世に最う、 頼りとするは其方(そなた)ばかり」言ひ差して泣き伏した、 眞にさめざめと泣くと云のは此事だらう、何時其 (かうべ)が上ツて來るやら知れぬ程に見えた。


更新日:2004/12/30

巖窟王 : 二一二 母の情


泣く母の傍に立つて、武之助は暫しがほど無言で居た、母の涙の盡るのを待つて居るのだ。

漸く母は泣き止んだ、泣く丈け泣けば一時心の安まるのが人の情である、 武之助は母の幾分か落着いた状を見澄まし、 「阿母さん[、]野西子爵に何の樣な敵の有ることを貴方は御存じでは有りませんか」 問ひ掛けるのは、若しや巖窟島伯爵と我父との間に舊い恨みでも有りはせぬかを探り度いのだ、 けれど我父とは云はずに他人らしく「野西子爵」と云ふは最早父子の縁を絶つたとの意が洩れたのである、 母は斯く父に對して餘所々々(よそ〜)しい武之助の言振に驚きはしたけれど咎めはせぬ 「爾さ何うせ阿父さんの出世成さる方には祕密の敵が幾等も有らうよ、 けれど敵と分ツて居る敵よりも、敵と分らぬ敵が本統に恐ろしいと云ふ者です」 眞に其通りである、敵と分らぬ其恐ろしい敵を知り度いのだ 武之助「ですから貴女に伺ふのです、貴女は他人の氣の附かぬ所まで能く細かにお察し成さるから——」 母「でも何で其樣な事をお問ひだ」武之助「何でとて、先づ(たとへ)ば先頃貴女が夜會を開いた時なども、 巖窟島伯爵だけが、何一つ()べぬと云ふ事を貴女が心附き成さツたでは有りませんか」 伯爵の名に母御はギクリとした「エ巖窟島伯爵とや、伯爵が何か其方(そなた)の今の問ひに關係でも有るのかへ」 問ふ方も餘所事らしく、答へる方も餘所事らしい、 武之助「ハイ御存知の通り伯爵は、云はゞ東方の人でせう、 東方の習慣では敵の家で物を(たべ)ぬ樣にして居れば神から充分の復讐を許されると云ひますからね」 母御は顏を青くした「エ何とへ、では伯爵を此家の敵だと、飛んでも無い、 誰が其樣な事を云ふ、伯爵は信切一方の方では無いか、羅馬で其方(そなた)の一命を救ふて下さるし、 爾して此家へ初めて招待したのも其方自身では無いか」 口には云へど心に何れほど伯爵を恐ろしく思ふて居るか知れぬ、 恐ろしく思へばこそ我子を伯爵の敵に成らせまいと用心するのだ、 「武之助、武之助、嘘にも伯爵を敵だなどと疑ふなら、直に其心を捨てお了ひ、 伯爵は敵では無い、其方を助けて下さる方だから、何處までも其方は親密にして行かねば——」 武之助は聞咎める樣に「何か阿母さん、貴女は特別に私を伯爵と懇意にさせて置き度い仔細でもお有りなのですか」 殆ど灸所を衝く樣な問である「エ私が」と母御は言ひ差し、忽ち顏を赤くし又青くした、 爾して後の語は續かぬ、武之助「爾です、何も伯爵が此家を敵とせぬと限つた事は無いでせう」 母御は恐ろしげに身震しつゝ(やが)て又キツと武之助の顏を眺めて 「其方は何だか伯爵を疑ふ樣に見えるけれど其れは間違ひだらう、 三日前まで伯爵を此上も無い親友として居たでは無いか、伯爵の別莊へ泊りに行つて居たでは無いか」 成るほど泊りには行つたけれど、其れは敵なればこそ伯爵が自分の邪魔と成らぬ樣に此土地から連れ去ツたのだ、 伯爵の手段に乘せられたのだ。

爾と明ら樣には云はぬけれど武之助の口の邊には苦々しい笑と共に、其心が現はれた、 母御は其れを見た丈けで何も彼も合點が行つた、流石は母の情である、けれど暫しは何も云はぬ、 武之助も何も云はぬ、此間に母御の心は何の樣に急がしく働いたか、 (やが)て何氣ない調子で「今夜其方は、母の機嫌を問ふ爲に歸つたのゞらう、 御覽の通り私は氣持も優れぬから、何うも何處へも行かぬ樣に、今夜だけは家に居てお呉れ」 若し外出させて伯爵を敵として何の樣な喧嘩をするも知れぬと明かに見拔いて居る、 武之助「阿母さん今夜ばかりは、止むを得ぬ用事が有つて、外へ出なければ成りません」 止めたとて無益である、母御は聊か恨めしげに「母の威光で逹てとは云はぬから、 では隨意に何處にでもお出で成さいよ」武之助は言葉に意味を覺とらぬ振で一禮して茲を去ツた。 其後直に母御は氣の許せる下僕(しもべ)一人を呼寄せ、 今夜武之助が何處へ行くか見屆けて、直に歸つて來て報知(しら)せよと云ひ附け、 次に又侍女を招き餘所行の衣服を出させ、病氣同樣の身を引立てゝ之れに着替へた、 腹の中は問ふ迄も無い、今の下僕(しもべ)が歸り次第に、 場合に寄りては何處までも出掛けて行き武之助を保護せねば成らぬとの親心である。

勿論 下僕(しもべ)の仕事は容易であツた、武之助は母に分るゝが否や、 自分の室に歸り、(いつ)もより一入(ひとしほ)氣を附けて之も着物を被替へ、 八時より十分前に、尋ねて來た砂田伯爵を迎へ、共々に馬車に乘り、劇場を指して行つた、 未だ此時は幕の開く前である、今に伯爵が來るだらうと氣を配ツて待つて居た、 眞に此一夜は、昨夜貴族院の委員會で父の運命が決したと同じく、息子の運命、 其れに合せて巖窟島伯爵の運命が決する時である、ハテ何の樣に決するか。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二一三 お相手に成りませう


劇場は(いつ)もより大入である、是ならば巖窟島伯爵を辱しむるに屈強と、 野西武之助は先づ滿足の(おもひ)をした。

けれど伯爵は未だ來て居ぬ、其中に來るだらうと、兼て伯爵の買切と爲つて居る棧敷を絶間無く見張つて居た、 果せる哉、第一囘の幕が終り第二囘の幕が開いた時、伯爵は大尉森江眞太郎と共に入つて來て悠然と座に着いた、 何の樣な場合でも巖窟島伯爵の居る所へは人に視線が集まらずには止まぬ、 古今無類の大金持、又巴里第一等の贅澤家としてする事爲す事皆他の人と違ツて居る神の樣な人として、誰も噂に聞いて居る、 殊に今夜は兼て伯爵に養はるゝ鞆繪姫と云ふが賣國奴事件の證人で有つた事さへ口から口に傳はツて居る丈に 若し其鞆繪姫が伯爵の棧敷へ現はれるだらうと疑ふ人も有り一時舞臺の方よりも伯爵の方に向く人が多い程で有ツた、 けれど鞆繪姫は現はれぬ。

武之助は此方(こなた)より、只管(ひたす)ら伯爵の容子を見て居るに、 其落着いた状から、滿場の視線を受けて何の感じをも起さぬ樣に見える状が、 日頃は尊敬の種で有つたけれど今夜は憎らしく思はれる、 其中に此方(こなた)を向き我が顏を見るだらうと待ち受けたけれど、 伯爵は一應場内を見廻したまゝ舞臺に向ひ、今は脇目も振らぬ、 然し伯爵が此身の茲に居る事を知らぬ筈は無い、知つて殊更に知らぬ顏をして居るかと思へば又腹立しさが湧返る樣である。

今に見ろと、武之助は拳を握つて待つて居たが、(いつ)まで待つても果しが無い、 では愈 此方(こつち)から出掛けて行かうと、先づ立上ツて場内を見渡すと、 自分の友逹にして伯爵とも懇意な人は大抵此場に集まツて居る、 眞に又と無い場合である、好しと呟いて廊下に出で、 直に伯爵の棧敷を目掛て闊歩して行くと、其れと見た猛田猛も其後に隨つて來た。

(やが)て荒々しく伯爵の棧敷の戸を背後(うしろ)から引開けた、伯爵は驚きもせず、 只 (いつ)もの如く笑しげに此方(こなた)を向き「オヽ武之助さんサア(これ)へ」 と其身の傍へ迎へんとした、武之助は腹立しさに震ふ聲で「イヤ伯爵、 虚々(そら〜゛)しい貴方の世辭を聞きに來たのでは有りません、 辨解を求めに來たのです」只此一語だけで既に一方ならぬ侮辱である、 人の挨拶の語を捕へて直に虚々(そら〜゛)しい世辭などと、之が聞捨に成らう事か、 伯爵は(いぶか)る樣に「エ、辨解を求める、私の、ハテな、私は未だ能く巴里の風俗に慣れませんけれど、 茲は其樣な場所では有るまいと思ひます」武之助「場所で無くとも相手が、 ソレ今は入浴中だの、ヤレ其後では一時間眠るのと、玄關番に斷らせて、容易に面會せぬ上は、 場所を選んで居られません、何時でも捕へ次第に辨解を求めねば」益益無體な言ひ樣である、 而も其聲が高いので、早や四邊(あたり)の人は此方(こなた)を向いて目と耳とを(そばだ)てた、 伯爵は最う何も彼も悟つて居る、けれど騷がぬ「エ、容易に面會が出來ぬとは、 是は可笑しい、昨日まで私の家に私と一緒に居たでは有りませんか」 武之助「ハイ、其れは未だ貴方の本性を知らなんだ爲です、貴方の僞りを看破し得なんだのです」 と益益亂暴な云ひ分とは成つて來る、此方(こなた)に振り向く人も益々多い、 斯うまで聞いては伯爵も立腹せぬ譯に行かぬ「全體貴方は何處から來ました、 氣でも違つたとしか思はれませんが」武之助「ハイ貴方の奸策を能く見拔いて、 是から貴方へ復讐せねば成りません、其れを貴方が承知すれば、ナニ常識に缺けた事は云ひません」 伯爵は斷乎として「茲は私の棧敷です、暴言を放てば摘み出します」 武之助「獨りでは出て行きません、一緒に出ませう」愈喧嘩が物に成つた、 武之助は萬人の目の前で、伯爵の顏に手袋を叩き附ける積りで、脱いで握り詰めて居る 伯爵「分りました、何でも彼でも喧嘩を賣る積りですね、宜しい、 併し野西さん多勢の前で其樣な事をするは、品格にも關しますから」 云ふ聲の切れぬ中に武之助は、手袋を振上げて伯爵の顏を目掛けて叩き附けんとする一瞬間に、 彼の手は森江大尉に捕へられた、伯爵「イヤ私を立腹させ、 喧嘩の相手と爲らせるには何も故々(わざ〜)手袋を叩き附けるには及びません、 それ丈で澤山です、私は實際に顏に手袋を叩き附けられた者と見做してお相手に成りませう」 滿場の視線は再び此棧敷に集まつたけれど、 其中に子を氣遣ふ熱心な母の(まなこ)が籠つて居るとは誰れも知らぬ所であつた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二一四 命と命の取換


萬人の目の前で、散々に罵られ、無禮をば加へられ、其揚句に、顏へ手袋まで、 叩き附けられては、誰とて默ツて居る譯には行かぬ、巖窟島伯爵が「喧嘩の相手になりませう」と云ひ切つたは止むを得ぬ。

深く思へば伯爵の身は、多年苦心した大望が、未だ悉くは成就して居ぬのだ、 先づ七八分まで漕ぎ着けた樣なものゝ是からが大事の場合、 決して横道へ歩み入て輕々しく命の遣り取などす可きで無い。 其れは伯爵自身が能く知つて居る、如何に武術に長けた身とて勝負は時の運では無いか、 何の樣な間拍子で何の樣に負と爲つて、何の樣に命を失ふとも限らぬ、 若しも命を失ふては今までの苦心が全く水の泡と成つて了ふ、 實に殘念な限りである、伯爵の心中には此殘念が滿々て居る、アヽ決鬪などしては成らぬ、 敵を恐れるでは無いけれど、我が事業が大事なのだ、 けれど斯う成つては仕方が無い、此喧嘩に應ぜねば巖窟島伯爵と云ふ體面が支へられぬ、 儘よ、相手を殺す迄で有る、可哀相でも決鬪に勝て彼を殺し、 我事業を助けねば成らぬ、神に誓ふた大復讐を、遣る所まで遣り(おほ)さねば成らぬ。

斯う決心しては最早伯爵の眼中に、野西武之助は此世に無い人である、 決鬪に死んで了ツた死骸も同樣な者である、何も此上に彼是れと思ひ煩ふには及ばぬと、 伯爵は再び何氣無き體に還ツて物靜かに舞臺の方に向いた、 此威儀と勇氣の備はツた態度には誰も流石に伯爵だと感心した。

武之助の方は、叩き附ける積りの手袋を森江大尉に遮られたのが聊か殘念では有るけれど、 併し伯爵の「相手に成る」との一言を聞いた上は先目的を逹したのだから、 餘温(ほとぼり)の冷めぬ中に決鬪の條件を定めるが肝腎と思ひ、 では直ぐに介添人を寄越しますと、言葉を(つが)へて茲を出た、 爾して直に猛田猛に一切の事を托した。

猛は引違へて伯爵の棧敷に入り、先づ一通り武之助の無禮を謝した上で 「兎も角彼は自分の父の受けた大打撃に、氣も顛倒して居るのですから、 何うか伯爵、貴方の口から唯一言鞆繪姫が委員會へ出て證言したのは此巖窟島伯爵の差圖で無いと言切つて下さい、 私は貴方の其一言を土産に何とか武之助を(なだ)めますから」 極穩かな調停では有るけれど、散々侮辱を受けた上に其樣な謝罪めいた辨解がせばれる[注:せられるの誤りか?]者か、 伯爵は力ある調で「ハイ巖窟島伯爵は巖窟島伯爵と云ふ自分へ頭を下げる外は誰にも頭を下げません」 猛「御尤もでは有りますけれど、爾う仰有つては決鬪は避けられません」 ハイ決鬪は既に話が極つて居ます、全體ならば私が侮辱を受けた方ゆゑ私が武噐を選ぶ可きですが、 子供の樣な者を相手に其れも大人氣無い譯ですから武噐は武之助君に選ばさせませう、 武噐と場所とをお知らせ下さい、(いつ)でも其場所へ行きますから」 其外に用は無いとの意が分ツて居る、斯く云はれては却て巖窟島伯爵の得手と聞く短銃(ピストル)を選ばねば卑怯である 猛「然らば武噐は短銃(ピストル)、場所はビンセンの公園、時刻は明朝の七時」 間違ひの無い樣に、明白に云て猛は退いた、 短銃(ピストル)ならば幾等伯爵が上手でも伯爵の(たま)此方(こちら)へ屆く時には此方(こちら)の彈も伯爵の身に屆くから命と命との取替であると武之助の云ふた事も有る、 雙方とも、滿足であらう。

後には伯爵は森江大尉に向ひ「此樣な場合と爲つては外に介添人に頼む人は有ません、 何うか貴方と、貴方の妹緑夫人の所天(をつと)江馬仁吉君に願ひます」と云つた、 勿論森江は快く引受けた、此言葉の後は、伯爵の擧動に少しも常と違ツた所は無い、 靜かに且つ面白氣に最後の幕まで見て了ツた、眞に何れほどの度胸か深さが知れぬ。

けれど其實、心の底では面白い譯では無からう、 屋敷に歸ツて自分の居間に入るが否や伯爵は暫し默然として考へた末執事破布池を呼び短銃(ピストル)を取寄せて、 二度三度と狙ひ、敵を射る眞似をした、斯して自分の腕の狂はぬか否やを試すのだらう、 外に澤山の用事も有るけれど先づ腕試しが氣に掛るのだ、 用事の第一は萬一其身の死んだ後での、鞆繪姫の身に振方、雇人の處分、屋敷別莊の處分、 其れ〜゛考へ定めて細かな遺言状を(したゝ)めて置くに在るのだ、 併し伯爵の心中に自分が殺されると云ふ念慮は少しも無い、 今まで何事も神の助けを得て自分ながら殆ど人間業で無いと思ふ程に(うま)く運んで來た者が唯だ決鬪の一事に至つて(つまづ)くと云ふ筈は無い樣に思はれる、 隨ツて遺言などの事は氣が急がぬ、下僕(しもべ)どもの寢鎭まツた後で好いと此樣に思つて居る、 若し此心が間違ひで無くば伯爵の爲に幸甚と云ふ者だらう。

斯くて又も伯爵は短銃(ピストル)を取上げたが、何だか腕の具合に氣に食はぬ所が有る、 燈火(ともしび)の下に迫寄(すりよ)り、綿密に短銃(ピストル)(あらた)め初めた、 四邊(あたり)寂然(ひつそり)と靜かである、爾して燈火(ともしび)の光りは、 研き立てた短銃(ピストル)に映じ、又青白い伯爵の顏に照返して物凄い景状(ありさま)を寫し出した、 若しも此際に此状を見る人が有れば、靜かな一室に殺氣の滿ちて居るに驚き、 身を震はせて逡巡(しりごみ)もするで有らう、所が實際、此時に伯爵の背後から此状を見る一人が有ツた、 伯爵は何だか人の氣配がすると思ひ、其れとは無く振向いて見ると、此室の入口の閾の上に、 黒い服を着け顏を覆面に隱して立つた女の姿が有る、何だか幽靈の樣にも見えた、 伯爵は且つ驚き且つ訝かり「婦人よ、貴方[注:貴女の誤り?]は何方(どなた)です」と問ふた、 婦人は答ふるより前に先 四邊(あたり)を見廻し、誰も見聞く人の無きを見濟まして突々(つか〜)と歩み入り、 伏拜む樣に伯爵の前に膝を折り「友さん、友さん」と叫んだ、 アヽ伯爵は誰かに「友さん」と呼ばれたのは何十年昔だらう、 其頃ならば耳に嬉しく懷かしくも響いた聲で有らうけれど、今は殆ど聞忘れて隔世の思ひがある、 伯爵は唯だ物凄く感じて一歩(ひとあし)背後(うしろ)に退いた、婦人は再び叫んだ、 殆ど絶望の聲である「友さん、私は息子の命乞に參りました」 自分さへ忘れた程の昔の名を今も知つて居て繰返すは誰れ、()しや其名は覺えて居やうも、 其「友さん」が、今の巖窟島伯爵と知る人のある筈は無い、伯爵「貴女は誰の名を呼ぶのです」 聲と共に手に持つた短銃(ピストル)も落ちた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二一五 友太郎とお露一


「友さん、友さん」足許より起る聲も伯爵に取りては眞に天から來る聲かと聞えた 「貴方[注:貴女の誤り?]は誰の名を呼ぶのですか」 と問返して伯爵の手から短銃(ピストル)の落ちた時には婦人も早覆面を脱して居た、 (あゝ)是れ野西次郎の妻子爵夫人露子である、伯爵が殺さうと決心して居る武之助に其母である 「エ、エ、子爵夫人」と叫んで伯爵は蹌踉(よろ)めく樣に後に(しざ)ツた、爾して夫人の顏を見詰めた。

子爵夫人は答へる樣に「誰の名、ハイ貴方のお名です、多分他の人は貴方を忘れたでせうけれど、 私許りは忘れません、友さん、友太郎さん、斯うして貴方に願つて居る私は子爵夫人では無く、 お露です、お露です」此名、此人、伯爵が泥阜(でいふ)の土牢に在る滿十四年の間、 (あした)(ゆふべ)に戀焦れ叫び通した其名、夜に晝に思ひ續けた其人である、 牢を出て又十有幾年、艱難も恨みも總て此名此人に繋がり、 何かに附けて心に浮ばぬ日とては無い程で有ツた、愛か憎みか、 勿論愛では無い、伯爵の樣な深い恨みが此女から引起ツて猶ほ愛の續かふ筈が無い、 けれど恨みと云ふ通例の恨みでも無く、其中には憎さも有つた、恐ろしさも有ツた、 斯うと一言には盡されぬ千滿無量の思ひが(もつ)れ搦んで籠つて居た、 今此「お露です」と云ふ聲を聞いて、伯爵は茫乎(ばうこ)と喪心した樣な人と爲つた、 勿論、お露である、お露が子爵夫人に成つた事は土牢を出て間も無く聞いた所である、 其後幾度も目で親しく見た所である、 けれど其お露の口からお露と直々に名乘るを聞いては萬感交々(ばんかんこも〜゛)胸に湧く想ひがするのだ、 終に伯爵は呟いた「エ、お露、お露は久しき以前に死にましたよ、子爵夫人、 其後私はお露と云ふ名の女を知りませんが」

是れが恨みも未練も無い平淡な人の口から出る言葉だらうか、 我れは其友太郎では無いと拒む言葉に當るだらうか、爾で無い、 知らず識らずに自分が團友太郎と云ふ事を白状すると同じ事だ、 何から何まで思ひ定めて身を石心鐡腸に固めて居ると云ふ巖窟島伯爵としては斯る言葉を吐くとは不覺の至りでは有るまいか、 けれど此言葉は伯爵が云ふまじと思ふよりも先に口を出たのだ、 伯爵自身の心よりも更に力の強い胸中の一種の發動が、内より此言葉を突出したのだ、 ハツと思ふたけれど()も舌に及ばぬとは茲である、今更如何とも仕方がない。

「イヽエお露は死にません」と子爵夫人は叫び、更に「ハイお露は未だ生て居ます、 活て居て、誰も知らぬのに巖窟島伯爵を、友さんだと知りました、 初めてお目に掛ツたとき直に——イヤ未だお目に掛らぬうち、 襖を隔てゝ伯爵の話聲を聞いたとき、愈爾だと氣が附いて、魂も消ゆる程に驚きました、 伯爵自身は誰も知るまいと、サア誰にも氣附かれ、 看破られはせぬ事を思ふてお出で成さつたででせうけれどお露は其時から恐れ(おのゝ)き、 心配もし、苦勞もして絶えず伯爵を、イヤ貴方を見張る樣にして居ました、 此度野西子爵が()の樣な目に遭つたに就ても、野西子爵を打つた手は誰の手だか、 お露には能く分つて居ます、問ふにも隱すにも及びません」

成るほど此夫人の今までの擧動を察すれば初めて逢ふた其時から伯爵を昔の友太郎と見拔いて居たに違ひは無い、 伯爵自身若しや見拔かれはせなんだかと危んだ事が無いでも無かつた、 けれど其口から親しく爾うで有つたと聞いては又 一入(ひとしほ)(おもひ)が有る、 或は此女の爲に我が身の運が盡が來はせぬかと迄に恐ろしく感ぜられる所も有る、 其れも能く思へば無理では無い、伯爵が伯爵として此巴里に現はれて以來、 伯爵の身分を疑ふた人がお露で丁度三人目だ、 第一は彼の蛭峰で今以て(しき)りに伯爵の身上を必ず看破らうと勉めてゐるけれど、 勉めれば勉める丈け愈詮索が脇道に反れて行く樣、(あたか)も力負と云ふ姿で有つて、 眞に恐ろしい敵だけれど却て今の所だけは恐れるには足らぬ、次に伯爵を疑ふたは野西武之助である、 けれど是れは明朝決鬪して殺して了ふのだから蛭峰よりも恐れるには足らぬ、 唯だ第三番目に現はれた此お露、此野西子爵夫人こそは最も纖弱(かよわ)い相手ながら其實最も恐ろしい相手では有るまいか、 伯爵の企てを根本から覆へして了ふにも至りはせぬだらうか。

兎も角も伯爵は、最う隱しても無益と知つた、云ふ丈の事を云つて斷念させる外は無い、 今まで(おくび)にも出さなんだ事柄を、愈々宣告の樣に言開かせねばならぬ時が來たのだ 「エヽ夫人、爾う昔の名前を思ひ出すなら、成るほど野西子爵にも何だか名前が有りました、 此度友太郎が打倒したのは野西子爵では無く、漁師次郎でせう、 友太郎は馬港(まるせーゆ)の漁師次郎をこそ恨め、野西子爵とやらを知る筈も無いのです」 徐々(そろ〜)と云ひながらも漁師次郎と云ふ聲と共に、 (まなこ)には得も云へぬ恨の火が燃えて居る、子爵夫人は恐ろしさに殆ど平伏(ひれふ)さん容子ながらも 「それ御覽なさい、私の見る所に間違ひは有りません、其れにしても友太郎さん、 何うか私の息子武之助だけはお許し下さい」伯爵は合點の行かぬ顏で 「私と武之助との間に敵意の有る事を誰に聞きました」子爵夫人「其れは誰にも聞きません、 私の目で見ました、多分其樣な事では無からうかと、子を思ふ親の情で大方推量しましたから、 劇場へまで後を附けて行つたのです、爾して何も彼も見て知りました」流石の伯爵も爾とまでは知らなんだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二一六 友太郎とお露 二


子爵夫人露子が武之助の後を附け劇場まで行つてゐたとは流石に慈母の情と云ふ者である、 其れならば實際武之助と伯爵との喧嘩の起りを目撃したのだ。

伯爵は聊か驚いたけれど騷ぎはせぬ、最早何う有つても我が復讐の次第を此露子夫人に一々言聞さねば成らぬ場合と胸を固め、 宣告する樣な嚴かな語調で「オヽ爾でしたか、貴女は劇場で私と武之助との爭ひを見て居たのですか、 其れでは愈々私が武之助を殺さねば成らぬ事が分りませう、萬人の見る前で、 故無く私を罵つて果は私の顏に手袋を叩き附けやうとまで仕たでは有りませんか、 之れを若し懲さねば、巖窟島伯爵と云ふ名前は明日から到る處で笑種(わらひぐさ)にせられます」 露子も服せぬ「友さん、友さん、爾う云へば甚く武之助が惡い樣に聞えますけれど、彼は故無く貴方を罵つたのでは無く、 自分の父の身に降掛ツた不幸を貴方の仕業と思ツた爲に——」 伯爵は冷やかに「エ、父の身に降掛ツた不幸、イヤナニ()れは不幸と云ふ者ではありません、 天罰です、天が私の手を假て彼に罪惡相當の罰を下したのです」到頭自分の仕業と云ふ事を白状した。

露子は情無い聲で「エ、エ、何で天罰、何で貴方の手が天の手です、 ()しや野西子爵に罪惡があらうとも、其れは年經て世間の人が皆な忘れて居ますのに、 何で貴方一人が執念深く其れを覺えて居ました、ヤミナの城は貴方の城ではありますまい、 ()しや其城主有井宗隣とやらに對し、子爵が不實不親切の擧動をしたとしても、 何も貴方が横合から、復讐呼はり——天罰呼はり——には及びますまい」 ジリ〜と伯爵に詰寄る程の見幕である 伯爵「夫人、如何にも有井宗隣の事は其一女鞆繪姫と野西子爵との間の事件で私の知る事では有りません、 私の復讐と云ひ天罰と云ふのは、 先刻も申した通り野西子爵に對してゞは無く西國村(すぺいんむら)のお露を妻にした漁師次郎と云ふ者に對してです」 夫人「漁師次郎に對してならば、オヽ其漁師次郎がお露を妻としたと云ふ事は誰の罪でも無く茲に居る此お露の罪です、 其れを()の樣な復讐とは餘りに恐ろしい仕方です、罪の有るのはお露ばかり、 サア天罰ならば此お露の身へ下して戴きませう、貴方が婚禮の間際に居無く成つて、 お露は唯一人取殘され其淋しさを我慢する丈の辛抱が無かツたのです」 伯爵「サア其處です、何故婚禮の間際に私が居なく成りました、 何故貴女が唯一人に成りました」夫人「其は貴方が捕縛せられ牢に入れられたとやらの爲に」 伯爵「何故私が捕縛せられ、何故牢に入れられました、何故、サア何故」 夫人「其仔細までは知りませんでしたけれど」伯爵「成るほどお知り成さるまい、では云ひませう、 婚禮と云ふ前夜に、段倉と云ふ男が、私を恐ろしい罪人として檢事に宛てた誣告(ぶこく)の手紙を書き、 馬港(まるせーゆ)酒店(さかみせ)へ捨て置きました、其を次郎が後へ廻ツて拾ひ取り郵便箱へ入れたのです」 云つゝ伯爵は立つて、手文庫の中から古い一枚の書面を取出した、之が其手紙である、 曾て伯爵が馬港(まるせーゆ)の典獄から森江商會へ預けてある廿萬圓の金の證書を買取る時、 古い記録から切取ツて來たのである「サア是を御覽成さい」 と子爵夫人の目の前に差附けた、其文句は團友太郎を最も過激な共和黨の一人とし、 拿翁(なぽれおん)の爲に朝廷を顛覆する陰謀を企てゝ居る樣に書いてある、勿論爭ふ可き餘地は無い。

一目に讀みて露子は叫んだ「是はまア恐ろしい——」伯爵「ハイ私は此手紙を廿萬圓に買取りました、 けれど是で貴女の合點が行けば」夫人「此手紙の爲めに」 伯爵「此手紙の爲め私は泥阜(でいふ)の土牢に十四年入れられました、其十四年の間、 毎日私は復讐の誓ひを立て毎日呪ふ樣に仕て居たのです、けれど夫人、 ()もや此 讒言(ざんげん)者がお露を迄も奪ふて妻に仕たとは知らず、 又自分の父が饑渇の爲に苦しみ死んだとも知りませんでした」夫人「エ、其樣な事が」 伯爵「ハイ其れは十四年を經て牢から出て、初めて聞いて知つたのです、 其れですもの私の復讐するのが無理でせうか、艱難辛苦を重ねた今、 ヤツと復讐に逹したのです、復讐を見たのです」夫人の前額(ひたひ)には脂汗が湧き出て居る、 夫人は手を擧げて之を拭ひつゝ「でも其手紙を郵便箱に投込んだのが次郎だとは、 其は確な事ですか、誰も見た人が有る譯でも有るまいし」伯爵「見ずとも確に分ツて居ます、 確に彼は投凾しました、加之(のみならず)彼は此彿國に歸化して居ながらウオタローの戰場では敵に内通を計りました、 彼は西國(すぺいん)の人間でありながら西國(すぺいん)を敵として戰ひました、 彼はヤミナの恩を受けてヤミナを敵國に賣りました[、] 恩に(そむ)き信を賣るのが彼の天性ではありませんか、 讒誣(ざんぷ)の手紙を投凾して私を(おとしい)れる位の事は彼に取つて極輕い方です、 併し私に對した事は戀の爲ゆゑ、彼の妻と爲つて居る貴女の目には重大とも見えますまいが、 貴女と婚禮の極つて居た私は、貴女が其を見る樣に輕い事と視る事は出來ません、 夫人よ、我が彿國も此 反逆(うらぎり)人を處分しませんでした、西國(すぺいん)も此惡人を懲し得ませんでした、 ヤミナ州も此負徳、負恩、賣國の奴を取逃しました、是れが天道人道の(よみ)する所でありませうか」 言來る伯爵の言葉は、一語は一語よりも切に眞に天の先刻かとも疑はるゝ程に聞えて居るが、 茲に至ツては又一入聲を張揚げ、金を(なげう)つ樣な鋭い響きを帶びて 「有井宗隣は定めし此者を恨みつゝ墓の底に齒を剥出して居ませうが、 私は爾で有りません、此者に()ひられ此者に陷害(かんがい)せられ、 此者に埋められて、今は此者を罰する爲に、天の冥助(みやうじよ)を得て墓の底から起上ツて來たのです、 爾して茲に此通り立つて居ます」夫人は(さな)がら百雷に(かしら)を壓せられた如くである、 (かうべ)は地に附き腕は埀れ、爾して全身は震ひ(おのゝ)き「友さん、何うか許して下さい、 友さん、友さん、昔の愛の爲にも許して下さる事は出來ませんか」聞くも哀れとは此聲である。


更新日:2004/12/30

巖窟王 : 二一七 友太郎とお露三


伯爵の云ふ言葉は眞に人間の至情である、 廿幾年積りに積り凝りに凝た怨みの一念が(あたか)も噴火山の潰裂(かいれつ)する如く口を衝破ツて迸り發するのである、 誰とて此言葉の正面に立つ事が出來る者か、子爵夫人が身を震はして平伏したのも無理では無い。

けれど子爵夫人も子を思ふ母の至情を以て武之助の命乞ひに來て居るのだ、 其至情と云ふ事に於て伯爵の至情に劣る筈は無い、 伯爵の復讐も仕遂ねば成るまいが此方(こつち)の命乞ひも仕遂ねば成らぬ、 幾等伯爵の言葉が有理(もつとも)だとても、其れなら私の息子をお殺し成さいと承知して歸り去る事が出來やうか、 何で母として子の殺さるゝのを有理(もつとも)と思はれる者か、 何が何でも伯爵の口から武之助を殺さぬとの約束を得ねば成らぬ、 至情と至情の此爭ひは何所(どこ)に何う落着する事に成るだらう、(あゝ)(あゝ)

夫人は打伏したまゝに叫んだ「友さん、貴方の復讐は最う濟んだのでは有ませんか、 野西子爵が委員會で受た樣な辱めが又と人間の世に在りませうか、 子爵は最う子爵では有りません、元の漁師次郎と云ふ卑しい身分に歸る事さへ出來ません、 子にも妻にも合す顏は無く、唯だ恥の中に死んで了ふ一方です、 貴方の泥阜(でいふ)の土牢は何れほど苦しかツたとしても、若し逃出せば猶だ、 其外に廣い世界がありました、次郎の恥は逃出す世界がありません、 死んで冥府(あのよ)に入らうとても冥府(あのよ)に彼を容れて呉れる所がありませうか、 彼は未來永々身の置所が無いのです、盡きる所の無い苛責の中に落ちたのです、 それでも貴方は足りませんか、貴方の恨みは未だ盡きぬと云ふのですか、 オヽ、餘り恐ろしい、其樣な執念の深い友さんでは無かツたのに、 イエイエ貴方は猶だ憎いお露が復讐を受けずに殘つてゐると仰有るのでせう、 お露は次郎にも増す程の復讐を受けました、今からお露に行き所が何處にあります、 ()れ見よ、賣國奴の妻だとてお露に後指を差さぬ人が何處にあります、 お露は此樣な恥を、恥とも思はぬ女でせうか、 貴方の云ふ泥阜(でいふ)の牢の中には不幸は有つても恥と云ふ事は無かつたのです、 不幸と恥と何方(どちら)がお露には辛いでせう、其れのみで無く能くお聞下さい友さん、 お露が所天(をつと)をした人は顏を隱して世の人の憎みや辱めの底に沈み、 妻の目からも早く消えて了つて呉れゝば好いと思ふ程の状ですのに、一方に、 お露が所天(をつと)とせなんだ人は世界を足許に平伏(ひれふ)させ、 高い(ほまれ)と榮華の上に立ち、汝の所天(をつと)と見較べよと云ふ樣にお露の目の前に現はれてゐるのです、 雪と炭、雲と泥ほどの違ひを絶えずお露に思ひ知らせてゐられるのです、 女の身として之が苦しみで無くて何でせうか、此上の辛さが何處に在りませう、 是でも貴方は、未だお露が復讐を逃れてゐると云ふのですか、是でも足らずに、 猶だお露の息子武之助の命をまで取らねば成らぬと仰有るのですか、 餘まりです、餘まりです、貴方の胸には露ほども慈悲の涙が無いのですか」

慈悲の涙が無いでは無い、涙あればこそ天に代つて人を懲し千年百年此世に惡人の根を絶んと迄に思ふのだ、 其れが爲にこそ、慈悲の涙をも自分から涸して石心鐵腸に身心を鍛へ固めて此世に出て來たのだ 「では夫人、惡人の一族を壓潰す(なかれ)と云ふのですね、 漸く成就の間際まで漕附けた此大願を捨て仕まへと云ふのですね、出來ません、出來ません」 と伯爵は自分の胸を掻むしる樣に(もが)いて叫んだ、 けれど子爵夫人の今の言葉に何れほど其石心鐵腸さへも搖るがせられたかは、 平れ伏してゐる露子夫人を(やが)て引起して長椅子に寄らせたのでも分ツてゐる、 是れは猶ほ其心の底に昔の愛の根が深く殘つてゐる爲であらうか、 其れとも——イヤ爾で無い、眞逆に今まで愛の根が枯れずに居やうとは伯爵自ら思ひはせぬ、 唯だ其天性の中に寛仁大度と云ふ廣い度量の備はツて、消すにも消されぬ憐れみの心がある爲に、 (さて)は委員會の一撃が其れほど野西次郎に(こた)へ又其妻さへ其れほど辛さを感じてゐるのか、 我が復讐が其れほど功を現はしたりと、聊か心に弛みが出たのだ。

併し「武之助」を許すとの言葉は出ぬ、其れが出るまで露子夫人は繰返しても願はずにはゐられぬのだ 「友さん、私が此通り昔に返つて貴方を友さん友太郎さんと云ふ樣に、 貴方も、私を、お露よ、お露さんと呼んで、昔に返つて聞いて下さい」 些細な願の樣ではあれど、異樣に伯爵の心の底に浸込んだ「お露よ」 伯爵は覺束無い聲で繰返し、引續いて「成るほどお露さん、此美しい名前は、 恨めしくも未だ私の口に由縁(ゆか)しい響きを存してゐます、 此名を此口で、斯う明かに呼ぶのは何年目であらう」云ひつゝも恍惚とし、 伯爵は暫し考へ「オヽお露よと、此名を私は土牢の底の、(やみ)の中で恨めしい聲でも呼び、 悲しい聲でも呼び、果はハイ絶望の聲でも呼びました、幾度(いくたび)、幾百度、 石の床の寒さに凍えつゝも此名を呼び、最う此世に生きてゐる辛抱が盡きたとて自殺を決心した間際にもお露お露と叫びました、 十四年の間、十四年友太郎は泣き、友太郎は嘆き、友太郎は呪ひました、 祈りました、一身が唯だ復讐に凝り固まりました、父母から此樣に、 情も無く涙も無い子に産んで呉れたでは無い友太郎が、何で此樣な、鬼の樣な心には成りました、 何の爲、何の爲、お露よ、お露さんよ、友太郎は復讐せねば成りません、 十四年の間、毎日毎夜、我が心に刻み附けた此復讐を思ひ止まる事は出來ません」 と十四年の苦しさを今更の如く呼起して叫ぶは露子の言葉に我心の動かさるゝを恐るゝ爲である、 是くらゐの事に此復讐の心を弛ませては成る者かと死力を盡して自分の心を守つてゐる、 けれど自ら心に弛むを恐れるだけ實は早や心が弛んだと云ふ者ではあるまいか、 露子夫人の言葉には從ふことが辛いと同樣に從はぬことも又辛い、眞に之が斷腸の思ひと云ふ者である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二一八 友太郎とお露四


柔能く剛を制すとは人情の弱點を看破ツた名言である、 如何なる英雄豪傑とても泣く兒には勝つことが出來ぬ、 今巖窟島伯爵も殆ど此樣な想ひがするのでは有るまいか、 敵が若し自分より強くして、力を以て自分を壓倒せんと掛るならば、 何の樣にも引受けて戰ふて見る、強ければ強いだけ其戰ひに愉快が有る、 ()しや自分が負けるにしても負ける悔しさの一念で全く力の盡るまで戰ふ事が出來るのだ、 唯だ相手が女で有つて、言葉よりも涙が多く、力よりも情が先に立ち、 爾して自分の正面を襲はずに足許へ()れ伏すと云ふ樣な景状(ありさま)に至つては力を加へる所が無く、 (くじ)くにも(くじ)き樣が無い、殆ど如何とも仕方の無い仕宜(しぎ)になるのだ、 伯爵は早や此樣な仕宜に立到つたと感じた、自分で情を動かしては成らぬと思ふけれど自分に拘らずに情の方が動き初める、 イヤ動かされ初める、若しも斯樣な脆い情の爲に多年の辛苦經營を茲で躓かせる樣な事が有つては成らぬから、 土牢に居た十四年の苦しみを悉く思ひ出して(あたか)も燃ゆる火に薪を加へる樣に我が怨みに力を添へ、 殆ど、何と露子夫人の云ひ返す言葉も無い樣に云ひ切つた「復讐せねば成りません」 と云ふ伯爵の言葉は靜かな室の中に耳を(つんざ)く樣に響いた。

露子夫人は逡巡(たじろ)ぐほどで有たが又踏こたへて 「それだから貴方の復讐を無理だとは申しません、復讐なさい、復讐なさい、 怨み重なる次郎と、罪の深い此お露に、思ふ存分に復讐して、 唯だ息子武之助だけは許して下さいと云ふのです、彼に何の罪があります、 何にも知らぬ彼をまで助ける事が出來ぬとは情けないではありませんか」 實に武之助には罪は無い、伯爵は答へる言葉さへ思ひ出さぬ、 唯だ胸の中の苦しさを呻吟(うめき)の聲に發し、自分で自分の頭の毛を、掻きむしる樣に掴んで煩悶した、 露子夫人は又一歩進み出て「友さん、友太郎さん、貴方も苦しんだでせうけれど、 私の苦しみも輕くは無かつたと思ひませんか、貴方の姿は私の心の中に、 絶えず鏡へ物の寫つて居る樣に、消えた時とては有りません、 貴方が居無くなつて後、片時も私は貴方の爲に神へ祈りを絶たなんだのです。 其後に何の音沙汰も無い爲に、多分は牢の中か何處かで死んだ事と思ひました、 ハイ死んだと思ふ事になツて後は、毎日心の中で泣いて居ました、 泣くのと神に祈るより外に、女の身として何が出來るでせう、 友さん私は十年の間、貴方の夢を見ぬ夜とては一夜でも無かツたのです、 其後、新聞紙で團友太郎と云ふ者が泥阜(でいふ)の牢で脱牢を企てたと云ふ事を讀みました、 (さて)は友さんが未だ死はせなんだかと驚きも悲しみも仕ましたけれど、 其記事は唯貴方が其時に死んだ事を確める許りでした、貴方が他の死人の袋に入り、 高い崖から海の中へ投込まれる時崖下の空中で叫び聲を發したので、 牢番等は初めて、活た人を投込だと氣が附いたけれど、直ぐに深さも知れぬ水の底へ貴方が沈んで了ツたと有りました、 此事を知つて後私は毎夜の夢に、海の際の崖の上で、牢番の樣な人が袋を持ち、 其れを振動かして惰力(はずみ)を附け、爾して海へ投込んでゐる所を見ました、 爾して袋の中から出る魂消(たまげ)る樣な貴方の叫び聲を聞いては目を覺しました、 一夜でも私は此叫び聲に(うな)されずに寢た事は有りません、友さん、友さん、 貴方も苦しんだでせうけれど、私も苦しみました、 ハイ世の女には類の無いほど私も苦しみました」

伯爵は又も自分の頭を掻むしりつゝ「成るほど苦しむ事は苦しんだでせう、 けれど貴女は自分の父が自分の留守に餓死(うゑじぬ)ると云ふ樣な辛い場合に逢つた事が有りますか、 自分が終身出る事の出來ぬ土牢の底に沈み、死ぬ許りの苦しみを仕てゐる間に、 自分の命とまでもと言交した女が、自分の戀の敵ハイ——自分の密告者に—— 手を差延べてゐると云ふ樣な苦しみに遭つた事が有りますか」 と眞に人生痛苦痛恨の極を描いて猶も引續き問ひ掛けやうとした、 露子夫人は之を妨げ「イヽエ、其樣な苦しみに逢つた事はありませんけれど、 自分が昔命までもと言替(いひかは)して愛した人が、今は自分の子を殺さうと仕てゐる樣な苦しみには遭ひました」 アヽ其苦しみと此苦しみと(いづ)れが辛き、眞に露子夫人の此言葉は、最後に悲鳴である、 聞くにも忍びられぬ程に凄絶の聲であツた、流石の伯爵も咽喉に(むせ)び聲の自ら起り來るを妨げ得なかつた。

(あゝ)(あゝ)、柔は能く剛を制した、復讐者の石心鐵腸も碎けて了ツた、 伯爵「では何うせよと仰有るのです、息子武之助を助けよと云ふのですか、 致方がありません、助けませう」助けませうの一語、伯爵に取りては生血を絞りて出すよりも猶ほ辛い所である、 けれど絞りて、出した、露子夫人の此時の驚喜は譬ふるに道が無い、 伯爵の(まなこ)にも自ら涙の迸り出るほどに映じた、けれど伯爵の涙は千金萬金にも換へ可きで無い、 眞に人間の情の美の極まる所から發する者ゆゑ、神が惜みて斯る涙は人間に(こぼ)させない、 伯爵の(まなこ)は直ぐに乾いた、露子夫人は熱心に伯爵の手を取り之れを我が唇まで上げ 「オヽ、本統に武之助を許して下さる、私は謝する言葉を知りません、友さん、友さん、 貴方は常に私の心の鏡に寫ツてゐた通りの慈悲深い寛大な方です、 斯樣な美しい氣質と知ればこそ私の尊敬は絶えぬのです、貴方は人の中の神樣です」 感謝されるは惡く無いけれど、唯だ此武之助を赦すと云ふ短い言葉が伯爵に取つて何れほど重大な事柄だらう、 武之助を赦すとは武之助を赦す丈けでは濟まぬ、今まで運んだ一切の大計畫を是れ限り捨て了はねば成らぬ、 (つゞ)めて云へば武之助を活すのは伯爵自身を殺すのである、 伯爵は泣くにも泣かれぬ苦い笑を帶び悄然として答へた 「ハイ友太郎は最う永く貴女に爾う尊敬せられる餘年が無いのです、 彼は復讐の爲に墓の底から生き返つて來た死人ですから、ハイ幽靈ですから、 死人は最う元の墓場へ歸らねば成りません、爾です、幽靈は暗闇へ退かねばなりません」何たる物凄い言葉だらう、 最早大事業を思ひ切り此世に用の無い身と爲つた爲め死んで此世を去らねばならぬとの淋しい心が暗に言葉の中にもツて居るのである。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二一九 友太郎とお露五


人は有情の動物である、情の激動した場合には何の樣な事をでもする、 唯情の爲に一切を忘れるのだ、巖窟島伯爵が「武之助を助ける」と約束するに至つたも是れでは有るまいか、 巖窟王とも云はれる人が情の爲に一切を忘れるとは餘りの事に受取り難い程で有るけれど伯爵は元來情の人で有る、 唯だ彼は土牢を出てから後、今まで全く情を動かさぬ鐡石の如き人と爲つて居たのは其決心の強い爲でも有るけれど、 一つは今夜ほど恐る可き相手に出合はなんだのだ、情は大抵自分より強い相手には動かされずに弱い相手に動かされる、 實に露子夫人が伯爵の情を動かし得る唯だ一人の相手で有つた、全く伯爵は此夫人の子を思ふ母の情に感動し、 成るほど武之助が我が身の爲に殺されるは母たる者の身に取つては何れほど辛からうと、 憫れみ察する情が一時に湧き起り、殆ど自分の心を制すると云ふ氣さへ出ぬ間に「助けませう」 と云ふ約束の言葉が口に出たのだ、言切つて直ぐ後で早後悔の念が犇々(ひし〜)と身を責めたのは無論である、 けれど仕方が無い。

全く武之助を助けるのは自分の身を殺すのだ、今まで二十五六年、 海も之に比べては猶淺く山も之に比べては猶低しとする程の艱難辛苦を復讐の爲に重ね、 爾して其復讐が最早屆くと云ふ間際になつて之れを捨てゝ世を去るとは人間に出來る事だらうか、 ()し出來ずとも伯爵は之をせねば成らぬ「死人は元の墓に歸り、幽靈は暗闇に退かねば成らぬ」 と伯爵が淋しい言葉を吐くのは當然である、けれど露子夫人は怪しんで 「エ、エ、貴方は何と仰有います」と問返した、伯爵「貴方の命令です、私は死ぬるのです」 露子「死ぬる、誰が貴方に死ぬる事を望みました、何で死ぬるなどと云ふ言葉をお用ひ成さる」 合點の行かぬも無理では無い、伯爵は絶望の聲で「死ぬる外は無いでは有りませんか、 私に比べれば猶だ子供も同樣な武之助に、衆人の前で彼の樣に侮辱せられ、 其れを懲さずに泣寢入に成つたと云へば、世間の人は此巖窟島伯爵を何と云ひます、 泣寢入では無い許して遣つたのだと辨解が出來ませうか、相手は許されたのを自分の勝利の樣に吹聽し、 世間の人は許したのを私の臆病に歸するのです、此樣な状と爲つて、 何で生きて居る氣が有りませう、露子さん、露子さん、 私が何よりも深く愛したのは貴女ですが、貴女の次に愛したのは自分の身です、 私は自分の身の品位を愛し、他人に勝れて決心の強いのを愛するのです、 此強いのが私の生命です、然るに今は貴女の爲に此強い決心が(くじ)かれました、 生命とする所の者を掻消されました、是れで私は死ぬるのです」

「でも、決鬪を止めて下されば好いでは有りませんか、 貴方が最う武之助の無禮を許して下さツたのですから、エ無禮を赦せば決鬪の箇條が消えるでは有りませんか」 と露子夫人は(あわ)てゝ云つた、伯爵「イヤ決鬪は致します、 唯だ私が武之助を射殺すのを止めて、武之助に射殺されるのです」 實に驚く可き決心である、流石の露子夫人も之には絶叫の聲を發し(あたか)も射殺される人を抱止めるかの樣に、 身を躍らせて前に進み出たが、忽ち又思ひ直したと見え、其足を踏止めて 「友さん、私は唯だ神の守護を願ふ外は有りません、貴方が泥阜(でいふ)の海を死なず此通り活て居るのも、 斯うして兩人再會するのも神の守護が有ればこそです、 猶此上に私は神の守護を祈りつゝも、兎に角貴方のお言葉を當にします、 貴方は武之助を助けて下さると云ひましたわね」 一方には神が何方(どつち)をも死なしめざるを祈りつゝ一方には今の約束の念を推すのである、 伯爵「ハイ御安心成さい、武之助は無事に生存しますから」 請合ひはする者の、全く自分が武之助の爲に犧牲にせられる樣な者だと思へば、 何で露子が此身の是ほどの損害を氣の毒とも思はずに請引のか殆ど合點が行かぬ樣な氣もする、 幾等兒を思ふ親心にもせよ、我子の爲に人の命を失はせるとは、(せめ)ては辭退らしい言葉でも發し相な者である。

けれど露子には、言葉だけにも辭退や辭儀の氣は少しも無い、唯だ嬉しげに 「友さん、貴方はホンに此世に又と無い、心の立派な美しい爾して(えら)い方ですわ、 私とても何うか貴方に恥ぢぬ丈の事は仕たいと思ひますが、兎に角武之助の事は呉々も宜しく願ひます」 と念の上にも念を推した、勿論伯爵は念を推される迄も無い、 確に我言葉を守る積りでは居るけれど、實に情け無さの想ひに堪へぬ「露子さん、 貴女は未だ、之が爲に私の迷惑が何れほどかといふ事を知りません」 迷惑と云ふ樣な有觸れた言葉で言盡せる遺憾では無い 「今此の場合に私が命を失へば、何も彼も——何も彼も——」と、 伯爵は滿腔の不平、怨恨、苦痛、絶望などを叫ばんとしたけれど、叫ぶとも無益である、 又叫び盡せる言葉とても無い、露子は其うちに身繕ひした 「友さん、又お目に掛りませう、何うか何分にも宜しく願ひます」三たび念を推して、 伯爵が茫然自失してゐる間に立去ツた、其後に伯爵は殆ど人事不省の樣に考へ込んで居たが、 露子夫人の立去る馬車の音に、氣が附いて後を追ふかとする樣に立上ツた、 けれど最う仕方が無い、又 蹌踉(よろめ)いて椅子の上に(たふ)れ「エ、エ、此身ほどの愚人は無い、 復讐を思ひ定めた時に、何故自分の心を割いて此弱い情を(えぐ)り捨て了はなんだらう」 と悔しがツた、誰が思ふても全く其通りである、伯爵の心の底に猶ほ慈悲愛憐などの念の存して居たのは、 千秋の遺憾と云はねば成らぬ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二〇 死の前夜一


巖窟島伯爵ほどの大決心を以て大計畫を運んで來た人が、 其計畫が最早九分九厘まで漕附けた今と爲つて、自分の命を捨ると云ふ心に成れる者だらうか、 けれど伯爵は命を捨てねば成らぬ破滅に立至ツたのだ。

實に伯爵の煩悶は見るも憐れである、暗い靜かな書齋の中に、 獨り地團駄踏む如くに(もが)いて居る、幾等悶いても外に道は無い、 決鬪の相手野西武之助の命を許すには自分が空砲を放つて武之助に殺される一方である、 我が命を武之助に代へねば成らぬ、嗚呼彼が如き、爲す事も無き一少年の命が、 天地の大任務を負ふと信ずる我が一命に代へられやうか、否、否、否、 と云つた所で代る外は無い、彼に殺される外は無い[、] 是れが確に自分の此口で露子夫人に約束した言葉の意味である。

(やが)て伯爵は、深い〜絶望の爲に(もが)く力も無くなツた、 室の一方に在る長椅子へ尻餠を()く樣に身を(もた)らせた、 爾して空しく溜息を()いた、斯うなると又も樣々の感慨が胸に集まるのみである、 今が今まで此身に天の(たす)けと神の許しとが籠つてゐて、 何の樣な難い事も總て我が意の如く成る者と信じ實際人間業とは思はれぬほどの大業を遂げて來たのに、 今と爲つて天意神心は何故に此身を見捨て、斯くも詰らぬ故障に躓かせるのだらう、 天の(たすけ)、神の許しと此身の信じたのが間違ひだらうか、 矢張り此世は神も無く慈悲も無い罪惡 跋扈(ばつこ)の世界だらうか、 若し其れならば誰が此身を泥阜(でいふ)の土牢から出る事の出來る樣に仕向けて呉れたのだらう、 何が爲に此身をモンテ、クリストの島に着かせ、限り無い(たから)の持主とは仕たのだらう、 天の意を行ふ爲で無くば此寶は何の爲に()た何の道に使ふ可き者だらう、 イヤイヤ、天の意は明かである、確に此身へ天の裁判が托されたのだ、 人間の惡を懲して善を勸めよと命ぜられたのだ、 けれど此身の其神意天命を遂げ果せる丈けの力無く詰らぬ愛の爲め情の爲めに心を動かし、 踏む可き道を自分から踏損じた爲めに、神は罰として此身から其祐助を取上げて、 今茲に、此身を死るより外は無い此破滅に立到らせたのだ、斯う思へば最早仕方が無い、 唯此天罰に服し、天助神祐を空しくした此 活地(いくぢ)の無い一命を天に返す一方である、 其れにしても唯だ悔しいのは、何故此身の心の底に情と云ふ樣な弱い心が潛んで居たのだらう、 何故に昔の愛にイヤ愛では無い、愛は既に忘れたのである、 忘れたかれど昔愛した女の情願の爲にツイ動かされる樣な情無い弱味が有つたのだらう、其れを知らずに、 此身此心をば、全く天に代るに耐へる迄に練固め鍛へ果せた者と信じて居たのが此身の愚鈍(おぞま)しさであツた。

其れから其れと憾みは盡きぬ、其うちに又もフト思ひ出したのは、 露子夫人が餘り易々と此身の言葉を承け引いた容子の怪しさである、 此身が死ぬると云ふが否や夫人は直に打喜び、殆ど其れなら死ねと云はん許りの景状(ありさま)で立去つたのだ、 幾等母の情で我子の助けられるのが嬉しいとて、人が其爲に死ぬると云ふのを、 好い事の樣に思ひ、何の辛さも感ぜずに人を我子の身代りに立たされる者だらうか、 お露と云ふた其昔は決して其樣な、邪慳な卑怯な魂性(こんじやう)では無かツた、 確に人間の中の神であるかと思はれるほど慈悲深い所に有る心根であツた、 如何に其後、人の妻と爲り人の母と爲り、心も持方が違ツたにしても、 此身を自分の子の代りに死なせるのを當然の事の樣に思ふとは餘りである、餘りな事で事實とは思はれぬ、 勿論人の爲に身を犧牲(いけにえ)にすると云ふは善事には違ひ無いが善事でも度を過ぎれば罪惡と爲る事が有る、 此身が是だけの大計畫を抱へて居ながら、其れを捨て人の身代りに立つとは、却て罪惡と云ふ者では無からうか、 其罪惡を此身に強ふる露子夫人のする事は更に重い罪惡では無からうか、 ()もや夫人が罪惡を知つて喜ぶ筈も無からうにと、全く見込みの無い爲にまで見込を附けて、 何か我爲に都合の能き道理は出て來ぬかと求むるは、死ぬる人の未練と云ふ者で、 何事をも(わきま)へた伯爵の如きすらも猶ほ免れぬ所と見える、 未練、今と爲つて幾等繰返したとて何の甲斐が有らう、けれど此未練は又一つの考へを搜し出した、 アヽ分ツた、露子夫人は決鬪の間際に成り、此身と武之助の間に割つて入り、 其身が雙方の彈丸(たま)を受けて死ぬるか、爾無くば決鬪を止めて了ふ積りで有らう、 爾だ其れに違ひ無いと、思ひ初めると同時に、伯爵の心には(かすか)に一道の希望が浮き出る樣に思はれたが、 又忽ち消えて了ツた、エヽ、其樣な事をせられては、此身の折角の決心が(まる)で狂言じみて了ふ、 ()けぬ、可けぬ、巖窟島伯爵とも云はれる者が、相手の母の止めぬ來るを見込んで決鬪に負る約束をしたと有つては、 物笑ひの種と云ふ者、此身は辛い思ひで身を犧牲にする考へを定めたのに、 其れが却て物笑ひとは自分の名に泥を塗るのだ、其れよりは、爾うだ、若しも其樣な事が有れば其場で手早く自殺するが好い、 自殺して(せめ)ては名前だけでも汚れぬ樣にせねば成らぬ。

漸く茲に思ひは極ツた、其れにしては其次第と其決心の能く分る樣に我が遺言へ特別に書入れて置かねば成らぬ。 死んだ後で人が見れば、成るほど斯うも辛い決心をしたのかと、 ()しや感心はして呉れぬ迄も我を物笑ひの種とはせぬだらうと、 獨り呟いて身を起し、机に向つて紙筆を取上げたが此時又も室の外で、 女の絹摺の音かと思はれる(かすか)な物音が有ツた、 けれど早や二時を過て人の入り來る筈は無い、伯爵は少しも物音に氣が附かなかつた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二一 死の前夜二


夜は早二時を過ぎて眞に草木も眠るかと思はるゝほど靜かである、 伯爵は室の外に在ツた(かすか)な物音には氣が附かず、 兼て認めてある遺言状に特別の書入を施した、其文意は、 唯だ自分が此度の決鬪に勝つては成らぬ事情が出來た爲め自殺するのだとの意を明かにした丈である、 書終ツて讀み直したが意味は充分に通じて居る「アヽ是で好い、是で好い、 何も空砲を以て武之助に向ひ、決鬪の眞似事をして殺されるには及ばぬ事だ、 爾うしては、武之助を初め、誰とて此身が自殺をしたとは思はぬ、 全く決鬪に負た者だと思ふ、其れでは餘り殘念だ、矢張り短銃(ピストル)へは當り前に實彈(たま)を込め、 愈々相手と立向ツて、爾して其場へ露子夫人が現はれやうが、現はれまいが、其れには頓着せぬ、 愈々と云ふ場合に、敵に向つて放つ(たま)を、自分に向つて放てば好い、 (あゝ)、我身を保護せんが爲にこそ、多年練習した武藝が、今は我身を碎かんが爲めに用ひられるのだ」 呟き終ツて多少の滿足を感じたけれど、我が身の亡ぶると共に大計畫の亡ぶる事は、 如何に考へても憾みに耐へぬ、知らず此恨みは誰に訴へて好いだらう、 誰にとて矢張り天に訴へる外は無い、今が今とて、天も無く神も無い暗黒の世かと叫んだ口を以て又神を呼んだ 「アヽ神よ、我れは御身の榮光を汚さじと、()た我が姓名を損ぜじと、 殊更に斯くはするなり、初めは土牢の十四年、獨り絶望の中に復讐の誓ひを立て、 後は此世に出て十有年一年、其誓ひは神に通じ、神より復讐の手を借された者と信じ晝夜身を致し又心を盡したるに、 今は自ら蹉跌(さてつ)して自ら身を殺すなり、自ら殺さずば敵に殺されん、 敵に殺さるゝは神の榮光を汚すなり、茲に其意を明記するは、神よ、 彼等惡人、彼の野西の如き、蛭峰の如き、段倉の如きをして、 其罪惡に相當する必然の天罰をば我が偶然の死の爲に免れ得たちと思はざらしむる爲なり、 神よ、彼等をして此我が明記に依りて知らしめよ、彼等が必罰を免るゝは、免るゝにあらで、 延べられたるに止まることを、此世に於て近く我が手より降す可かりし刑罰の、 遠く次の世に及び、直々に神の手より降さるゝ事を、知らしめよ、知らしめよ、 一時の責、一時の罰が、永久の苛責、永久の刑罰に變ぜしに止まる事を」

殆ど熱心な祈りとも云ふ可き者である、是でも伯爵の心は安まらぬけれど、 此外には猶更休まる所が無い、祈り終つて再び(かうべ)を擧げた時は最早三時過でも有らうか、 又も戸の外に(かすか)な物音が響いた、今度は伯爵の耳に入ツた、 怪しみつゝ伯爵は立ツて戸を開いた、けれど何の氣配も無い、 更に室に歸り、手燭を取ツて、廊下を越え次の間に入つて見た、 物音の出た元は茲に在る、茲の長椅子に依つたまゝ顏を仰向にして眠つて居る一人の女の姿、 之は誰あらう彼の鞆繪姫である、姫は何の爲に茲に眠れる、其譯は問ふ迄も無い、 伯爵の室へと來たけれど、容子が聊か異樣に思はれる爲め、 用事の濟んで伯爵の出て來るのを待つ積りで晝間の疲れにツイ眠ツたのだ、 是れは年の若い爲である、伯爵は手燭を差上げて熟々(つく〜゛)と姫の顏を見た、 眞に絶世の美人とは之である、今迄一日に幾度と無く見、見る度に美しく成長し來ると感じたけれど、 今此手燭の下に、伯爵の入來るをも知らずに眠ツて居る顏ほど美しく感じた事は無い、 全く姫の寢顏を見るは今が初めてゞある、否有體に云へば、伯爵は生れて四十年を越したけれども、 幼い頃に母を失ひ、母に抱かれて寢た事も覺えねば、母の寢顏をだに見た事は無く、 總て女の寢顏は見た事が無い、見るのは今夜此顏が初めてゞある。

此寢顏が伯爵の胸に何の樣な感じを催させたかは知らぬ、 けれど世に若し天使と云ひ天女と云ふ者が有るならば、其消息は、 此罪も無く汚れも知らで安々と眠れる清き顏にこそ通はしめ、若し亦極樂と云ふ者が有るならば、 其 音信(たよ)りは今此呼吸の調子も整ひて春の若草よりも靜かに、 池の(おもて)の水よりも穩かなる姫の(おもて)にこそ讀まれん、 伯爵は透通る如き姫の顏色の奧にまで見入りて心の底をも知らうと思ふ如く、 又近く進み、手燭をかざし〜て我が顏をも前に突出し、 (なかば)俯向(うつむ)きたるまゝ茫然として立つこと凡そ五分間の上にも及んだ。

若し心の忙しい此伯爵の生涯に暫したりとも世を忘るゝ時が有ツたせば、 ()は必ず鞆繪姫の寢顏に差俯向いて居た此少しも間こそは眞に世をも身をも何事をも、 全く忘れ盡した姿である、若又伯爵が、人生に復讐と云ふ者より外に、 清き樂しき生涯の有る事を悟る事が有るとせば、其れも亦必ず此僅の間に於てゞ無くては成らぬ、 此僅の間こそ、天が伯爵に授けた慰めの時間では有るまいか、 兎も角も伯爵は此顏の美しさに、知らず知らず何事をか悟ツたに違ひ無い、 (やが)て兩の(まなこ)には、露の樣な輝きが見えて來た、 けれど能く思へば此悟りは遲過ると云ふ可きだらう、 明日死ぬと定まツた今に及び初めて此世に復讐よりも美しい境涯が有ると知るは、 知らぬが増しでは無からうか、何等の時ぞ何等の想ひぞ、人生に恨事多しとは斯る場合を指すのでは有るまいか、 (あゝ)(あゝ)


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二二 死の前夜三


人の一生には危機一髮と云ふ時が有る、善人が善を忘れて惡の中に墮落するも此一髮の間際である、 此間際に、心の舵の取樣一つが生涯の運命を決するのだ、 今巖窟島伯爵が恍惚として鞆繪姫の寢顏に見とれた際が所謂る危機一髮と云ふ時では有るまいか、 爾なきだに伯爵は宵の程から露子夫人の涙に動かされ、既に一段の危機を踏み外して、 心の底が掻亂れて居る、云はゞ「英雄の心緒亂れて絲の如しとも云ふ可き場合である、 若し伯爵にして、其 (みだ)れた心の絲を露ほどでも操り損じたなら、 此時限り伯爵は一種情魔の奴隸と爲ツて、人生一切の行路を打忘れ、 身も名も心も其事業も消えて了ふ事に立到るかも知れぬ、 死ぬと決心した明日(あした)の決鬪場にさへ出る氣力が無くなつて此場から驅落する事に成らぬとも限らぬ、 誠に危き極みである。

此危機一髮の時に臨んで伯爵は何う心の絲を操ツた、兩眼に涙を浮べたが、 (やゝ)あつて「オヽ」と叫び、恐ろしげに身を震はし、深い深い嘆息を共に呟いた 「爾うだ、露子夫人は息子の身の上を氣遣ふ爲め、()の通り此身に説いた、 此身は今死ぬと云ふ場合と爲り、我が娘も同樣な此鞆繪姫の後々を氣遣はずに置かれようか、 死んだ後でも此姫の行末の立つ樣に、(とく)と手當を定めて置かねば」 と云ひ、靜かに四邊(あたり)を見廻して又書齋に引返したのは、亂れた心緒を取纒めて元の伯爵に立返り得たのである、 一先は無事に危機の(おもて)を通過し得たのである。

爾して再び机に向ひ、先刻書入れした遺言状の外に、又新な遺言状を認めた、其文は、

「餘は餘が身代の一部として、モンテ、クリストの巖穴に貯へある正金を森江大尉眞太郎の遺す者なり、 眞太郎にして若し今猶ほ心に思ひ定めたる妻無くば亡ヤミナ城主有井宗隣の一女鞆繪姫を妻と爲す可し、 姫は餘が餘の娘の如くに愛し、又餘を其身の父の如くに敬ひて、餘の育て上げたる所なり、 餘は姫を餘の眞正の相續人と定め、英國(いぎりす)彿國(ふらんす)蘭國(おらんだ)墺國(おーすとりー)に在る地所家屋、株劵等を合せて相續せしむ、 其他は餘の忠實なる召使に分配す可し、委細は既に認めある別の遺言状に(つまびら)かなり、 而して此遺言状の執行者は家扶春田路をして當らしむる者なり」

斯くは認め終ツた時しも、伯爵の背後(うしろ)の方から女の叫び聲が聞えた、 伯爵は驚いて筆を取落し、直ぐに振返ツて見たが、立つて居るのは鞆繪姫である 「オヽ姫、何で和女(あなた)は——イヤ和女(あなた)は之を讀んだのか」 姫は殆ど叱る樣な聲で「何で貴方は此夜深に此樣な書き物を、 爾して何故私に財産を遺すなどと」伯爵は當惑して「イヤ當分旅行せねば成らぬから—— 若しも途中で何の樣な不慮の災難が有らうとも知れず」と勉めて何氣なく云ふたけれど、 聲にも語調にも、隱し切れぬほどの悲しさが籠つて居る、 姫「(いつ)も旅行は成さるけれど此樣な書物をお作り成さらぬでは有りませんか、 (いつ)もの旅行と、今度の旅行は違ひますか」其問ふ状が、日頃唯柔順な姫の口調では無く、 殆ど責め問ふ樣な語氣である、伯爵を唯だ主人と思ひ、 唯だ父の樣に思ふのみの口から此樣な語氣が出る者だらうか、 伯爵は爾と氣が附いて、心底から自分の身を搖るぎ出す樣に感じたけれど、 強て其感じを押止め「若しもの事の有つた時、我が娘の身に不幸を及ぼしては成らぬから」 アヽ伯爵は「和女(そなた)」と云ふ事をすら憚り、()げて我が娘と云ふのである、 姫「若しもの事とは死ぬると云ふ事ですか」 伯爵「人は何の場合にも死る事は考へて其れ丈けの用意を定めて置かねば成らぬ」 姫「其樣な爲の用心ならば、私で無く、誰か外の人を相續人にお定め成さい、 貴方がお亡くなり成されば、私も——私は何にも要りませんから」 伯爵と共にこそ死ね、其後に生存へる心は無いとの意が、自ら現はれて居る、 伯爵の胸の中の急に(こは)ばる樣な思ひがして、返す言葉も容易には出ぬ、 姫は言葉と共に遺言状を取上げて引裂き、床の上に投げた、投げると共に、 最早身も心も力盡きた者か(だう)(うし)ろ樣に反り(たふ)れた、 今度は眠つたのでは無く氣絶したのである。

(あわ)てゝ伯爵は走り寄り、我が(かいな)の上に抱起したが、美しい其顏は、 先程の寢顏と同じ顏であるけれど唇の(ほとり)に何やら物言度げな風情が見え、 爾して眉と眉との間が、恨みにか悲しみにか聊か顰んで居る、 此眉と唇は何の消息を傳へるのだらう、伯爵は初めて疑ふた、 此身の死を氣遣ひて氣絶したのは云ふ迄も無いけれど、何故爾うまで氣遣ふだらう、 父の樣に愛し主人の樣に敬ふのみで無い、命を賭てと思ふ迄に此身を慕ふて居るのでは有るまいか、 とは云へ悲しい哉、最早此身に半日とは壽命が無い、早夜は白々と明け初めて、 臺所の邊りには召使の者の起き出た樣な音さへ聞える 「アヽ姫が此樣な心と知れば、此身に——此身にさへも、 猶だ多少の嬉しさが殘ツて居たのだらうに、多少幸福な生涯を營む事も出來たらうに」 ()と本意無げに呟いたまゝ姫を抱いて次の間に出で、 鈴を鳴らして召使ひを呼び、姫の介抱を之に托して、其身は三度び元の書齋に入り、 姫の破ツた遺言状を拾ひ集め更に同じ文句を書直して、机に納めた、 是で死ぬる準備は整ふた「最う何にも用事は無い」 と四邊(あたり)を見廻して立つた時には顏に何だか苦い樣な笑が浮んで居た、 丁度此時、門の外に馬車の(とゞ)まる音がした、 介添人森江大尉が決鬪の戰場へ附添ふて行く爲に來たのだ、是が死の迎へとも云ふ可きである。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二三 決鬪場一


門前へ着いた馬車の音に、伯爵は直に窓の所に行きて外を見た、 果して馬車からは森江大尉と江馬仁吉とが降り立ちつゝある、愈々死の迎へである。

伯爵は自ら玄關まで出て此兩人と握手した、森江は感心の體で 「イヤお手先の確かさには敬服です、私は幾度も決鬪場へ出掛ける人と握手しましたが、 軍人中にすら手先の震へぬ人は殆ど有りません、是で勝利は必然です」 自殺と決心した身に取つては此襃め言葉が有難くも何とも無い、 伯爵は唯だ苦笑ひをするのみである、江馬仁吉も尾に附いて「私共は昨夜心配の餘り一睡も致しません」 伯爵「イヤ他人ながら爾うまで私の運命を氣遣ふて下さる方が有るとは本望の至りです、 私は最う死んでも遺憾は有りません」死んでもとの一句に妙に力が籠ツて聞えた 森江「貴方は何だか負る覺悟で居らツしやる樣に見えますが」 伯爵「ハイ私の覺悟を見せますが、先づ此方(こちら)へ」とて兩人を書齋へ連れて行つた、 爾して彼の遺言状を示し「萬一の時には何うか之をお讀み下さい」と云ひ、 更に執事破布池を呼び「(おれ)が茲を出れば直に此遺言状を公證人へ屆けて呉れ」と手渡した。

大尉は眞逆に此書中に自分へ大金を紀念(かたみ)とする旨が記されて有らうとは思はぬけれど、 伯爵の口調で何か自分へ後事を托して有るに違ひないと察した、 併し爾る空漠な推量などよりも差當り介添人の義務として報告せねば成らぬことが有る 「伯爵、實は昨夜の中に先方の介添人砂田猛田の兩人と、 トルトニの割烹店に會し決鬪の條件を相談しました、 私は長劍をと主張しましたけれど、砂田伯が或撃劍師から貴方が長劍の大名人と云ふ事を聞知つて居て應じません、 推問答の末、短銃(ピストル)と云ふことに一決しました、 長劍ならば何方(どつち)かゞ微傷を負ふた時介添人が見計らひで引分ける事も出來ますから却て危險は少いのに短銃(ピストル)では一發灸所に(あた)れば其れ切りです、 實に不安心に堪へませんが其代り切に私が主張して交互(たがひ〜)に發射する方法を定め、 貴方の方が被害者ゆゑ最初の一發は貴方が打つ事に致しました」 若し伯爵にして自殺の決死を以て居るなら、却つて敵から發射させるのを男らしゝとして喜ぶ所だらうけれど、 自分で自分を射殺すと決して居る丈に此取極を嬉しく感じた、 自分の方が第一彈を發射するなら敵から傷つけられぬうち立派に自殺する事が出來る。

斯う極つては萬に一つも自殺の仕損じはない、嬉しいけれど又殘念でないでもない、 伯爵「イヤ段々の注意の程は深く謝せねば成りませんが、(いづ)れにしても私は敗北です、 敗北の樣な氣が致します」森江「其樣な不吉な事を」 伯爵「併し貴方がたの御安心の爲に私の短銃(ピストル)の發射法をお目に掛けて置きませう」と云ひ、 兩人(ふたり)が何の意かと合點し得ぬ間に伯爵は直に短銃(ピストル)を持て裏庭に出で、 兼て出來て居る射場の的に五點の記しのある骨牌(かるた)一枚を貼附け 「森江さん、今日の決鬪は幾歩離れて射撃します」 森江「聊か遠過るか知れませんが、成る可く雙方の無難を計る爲め二十四歩の距離を以て」 伯爵「宜しい此處ですね」とて、的より廿四歩を退き、 充分に狙ひをも定めぬ程の早さを以て五囘連け打に發射するに驚く可し一彈も外れずして骨牌(かるた)の五點を悉く射貫て了つた、 大尉は呆氣に取られ「貴方は神手です、是ならば最初の一發で野西武之助を射殺すこと必然ですが、 併し伯爵、何うか彼を殺さぬ樣に、右の腕の附根の邊をでも射貫いて下さい、 爾すれば、彼は短銃(ピストル)を取上げる事が出來ませんから決鬪は貴方の名譽に歸して終ります、 彼を殺すのは可哀相です、彼には母が有りますから」伯爵「ハイ彼には母が有ります私には母も有りません」 何と沈痛なる言葉であらう、森江「イヤ、是れほどの神手で有りながら彼の命だけ助けて遣れば、 誰とて貴方の寛仁大度なことを感心せずには居られません」 伯爵「ナニ御安心成さい、彼は決鬪場から無事に、自ら歩いて歸宅する事が出來ますから」 森江「爾して貴方は」伯爵「()つがれて歸るでせう」江馬「其樣な事が有ります者か」 伯爵「イヽエ、出掛けに料理店へ立ち寄り、 歸りに食ふからとて料理を注文して置いて決鬪場へ出る巴里人の流儀とは私の流儀は違ひますから」

嘲りの中に何と無く一種の覺悟が現はれて居る、併し森江も江馬も伯爵の今の手際に安心して、 大に心配も薄らいだ、(やが)て三人は馬車に乘り定めの場所を指し出發したが、 獨り伯爵のみは常に似ず打鬱(うちふさ)ぎ、何事にか深く未練が殘ツて居る樣に、 馬車が其門を出る時なども振向いて長く我家の二階を眺め、(かすか)に嘆息の聲を洩らした、 二階には鞆繪姫の室が有るのだ。

此状に森江は聊か不審を抱いたけれど、伯爵の心の底の祕密を知る筈は無い、 直ちに又思ひ直し「イヤ伯爵、臆病な奴に限り、此樣な時に空元氣を示し、 饒舌(しやべつ)たり笑つたりする者です、貴方の沈着な態度は却て眞の勇士の状でせう」 伯爵「ハイ、廿年ほどの間死生の地に立つた身は、敢て死と云ふ事を恐れませんけれど——」 恐れぬけれど何うしたのだらう、其後の語は發せぬ、是より全くの無言にて八時少し前の約束のビンセンの公園に着いた。

爾して馬車を樹の蔭に(とゞ)めて三人は降り出たが彼方を見れば、 向ふの介添人猛田砂田の兩人が、同じく馬車を控へて待つて居る、 森江が其許を指して行かうとするを伯爵は暫しと留めて物蔭に連て行き、 低い聲で「私は死ぬる前に——イヤ決鬪する前に、貴方の問ふて置き度い事が有ります、 少し異な事柄では有りますが」森江「何なりと」伯爵「貴方の心は猶だ自由ですか」 森江「エ何と」伯爵「イエ、未だ妻と思ひ定めた女が無いのですか」 森江は子供の如く顏を紅くし「有り、有ります」 返事の尋常(たゞ)ならぬ状に伯爵は、(さて)は人通りならず深く言替はした女が有ると見て取り、 失望はしたけれど、猶も念の爲にと「其れは到底思ひ切る事の出來ぬ樣な」 森江は初めよりも勇氣が出て「ハイ自分の命よりも其女を愛します」 最う疑ふ餘地は無い「宜しい直に決鬪に着手する樣に運んで下さい」 何氣無く大尉を去らせたけれど、伯爵は殆ど絶望の體である 「アヽ一度運が傾けば、何も彼も絶望に終る許りだ、 決鬪すれば自分が自分を射殺さねば成らぬ事になるし、 是ばかりはと見込んだ鞆繪姫の件までも見込通りには行かぬ(あゝ)(あゝ)」 と又嘆息した、眞に伯爵の運勢が傾き初めたと云ふ者だらうか。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二四 決鬪場二


森江大尉は先方の介添人砂田猛田の前に進み然る可く挨拶した、 爾して武噐其他一切の準備を檢査したが、(いづ)れも斯る事に慣た人逹の仕た事とて少しも非難す可き所は無いが、 併し、唯だ當人なる野西武之助が未だ見えぬ。

「野西君は何處に居ます」と大尉は問ふた、猛田「最う來る時分です」砂田伯は時計を見て 「ナニ今八時五分過ですから、大して約束の時間より後れたと云ふ譯では有りません」 と武之助の遲刻を辯護する樣に云ひ、爾して更に町の方を見「ソレ彼所(あすこ)へ早や馬車が來ました」と指さした。

全く其通りである、町の方から一輌の馬車が來て一同の傍に近寄り、中から一紳士、 イヤ二人の紳士が現はれた、見れば武之助では無く出部嶺と毛脛安雄である、 一同が怪しんで顏を見合す間に兩紳士は進み來り「我々は今朝早く野西武之助君から手紙を得、 茲に出張して呉れと請はれました故、此通り來たのですが未だ決鬪は濟みませんか」 決鬪の場へ、介添人の外に斯かる友人を呼集めるとは竒怪である、 けれど森江大尉が第一に合點して「アヽ分りました、彼は昨夜も我々を劇場に呼び集めましたが、 其時は自分が巖窟島伯爵に侮辱する状を成る可く多數の知人に見せ度いとの心でした、 今朝も決鬪の實際を成る可く多くの知人に見て貰ひ度いのでせう」 猛田砂田も合點して「成るほど爾です」と一齊に返辭した。

斯かる折しも又町の方から馬に乘つた一紳士が近づいた、今度は全く野西武之助である、 砂田伯は其姿を見て「エヽ短銃(ピストル)の決鬪に、 馬に乘つて馳せて來る奴が有る者か、昨夜も()れほど言ひ聞かせて置いたのに、 馬などでは降りた後でも手が震へて充分の狙ひは出來ぬ」」 と氣遣はしく罵しるも友人の眞情と云ふ者だらう、猛田も同じ思ひと見え 「其れに彼は、白い袗衣(シヤツ)の胸板を出して、()の樣な服裝では、 敵の爲に胸へ的を懸けて居るも同樣だ」云ふ中に武之助は馬を降り、 一同の傍に來たが、彼の顏色は其服裝よりも更に氣遣はしく思はるゝ所が有る、 (あたか)も昨夜一夜を心配に明した樣に兩の(まなこ)が腫れて居る、 決して勇士の決鬪に臨む状では無い、併し彼は踏む足も(たしか)げに進み出でて、 ()と嚴かに「イヤ介添人を初め知人諸君が私の爲に早朝より茲に集まられたのは深く謝さねば成りません、 謝した後で巖窟島伯爵に一言申し述べ度い事が有ります」

決鬪の間際に當人同士、語を交へると云ふ事は餘り好い作法では無い、 森江大尉は猶豫せずに「其れは謝絶します、昨夜貴方は伯爵を侮辱する爲に故々(わざ〜)知人を呼び集め、 今朝又も知人の前で伯爵を罵るのですか」武之助「イヽエ罵るのではありません、 兎も角も伯爵に逢はせて下さい」云ふ中に早や伯爵は自ら進み來て、 武之助の目前から二間ほどの所に立つた。

伯爵の顏色とても、武之助に讓らぬ程惡い、日頃血色の青い人が、 今朝は又益々青く殆ど此世に(いとま)を告ぐる人かとも思はれる、 實に一同は意外の感に堪へぬ、此兩人の決鬪こそは、 他に類も無い程に勇ましく且つ立派に行はれて、後々まで話の種と爲り介添人にまで肩身の廣い心地がするだらうと、 (ひそか)に期して居た所とは全くの反對である、けれど若し能く伯爵の心を知れば其顏色の惡いのは無理も無い、 決鬪の爲に茲へ來たのではなく、自殺の爲に來たのである、 決鬪には勝つ見込みも有るが、自殺には逃れる道が無い、 其身は敵が一彈を放つ前に我れと我が短銃(ピストル)で、我が心臟を打貫くのだ、 而も其爲に今までの大事業が何の樣に成るかと思へば、水の泡に歸するは扨て置き、 物笑ひの種に成り兼ねぬのだ、幾等勇氣を鼓して斷念(あきら)めるても眞に斷念(あきら)め盡す事は出來ぬ、 顧みて二十年來の艱難辛苦を思へば唯だ情無さの限りである、 隨分世には辛い悲しい位地に立つ人も有るけれど此身の今の樣な場合に立つ人が又と有らうか、 昔 泥阜(でいふ)の牢の中でも絶望に死を求めた時の心も今に比べて辛しとするに足らぬ、 其辛さを人に悟られるのも辛し、唯だ決鬪の時刻の、 イヤ自殺の時刻の一刻一刻に近づくに連れて伯爵の胸の中は八裂きにせられる如くである、 今茲に歩み出て武之助の傍近く進んだのも、實に最早身の置き所さへ無い程に感ぜられる爲である、 自分の態度や自分の顏色なぞは更に顧みる暇が無いのだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二五 決鬪場三


顏の色土よりも青き伯爵と、(まなこ)を夜一夜の心配に()らして居る武之助と、 相對して立つた、未だ介添人の決鬪の開始を宣告せぬ前に斯く當人同士睨み合ふて立ち向ふとは例の無い事である、 唯だ偶然に斯かる景状(ありさま)に立ち至ツたのだが、雙方の介添人は聊か呆氣に取られた状で、 之を引分く可きか()た捨置く可きかの思案さへ浮ばぬに伯爵は又進みて、 僅に武之助と一間程の距離となツた、「諸君、(とく)とお聽き下さい」 とて嚴かな一言が、此とき前置の樣に武之助の口から出た、 彼は伯爵に告げ度いと所望した事を茲で言出づる積りと見える、 介添人も、後から來た二人の紳士も耳を傾けぬ譯には行かぬ、 (あたか)も説教の聽衆の樣に武之助と伯爵との左右に立つた。 武之助は聊か震へる聲で「唯今私が諸君に申します事は後で諸君に於て隨意に世間へ吹聽して宜しいのです、 私は成る可く明かに成る可く廣く私の心事を良解して貰ひ度い」 言葉と共に聲も次第に確な響きを帶て來た、伯爵は是まで聽いて「ハイ其お説を伺ひませう」 と促した、武之助は語を繼いだ。

「私は子爵野西次郎の舊惡を暴露した巖窟島伯爵の所行を憎み、 殆ど許す可からざる無禮と思ひ、伯爵に決鬪を挑みました、 是は決して野西次郎に舊惡が無いと信じた爲では有りません、 悲しい哉野西子爵がヤミナ州に於ての擧動は暴露せられた通りで有ります、 けれども一個人の舊惡をば巖窟島伯爵が何の權利を以て暴露するのか私は全く伯爵に權利の無い事を思ひ詰ました故、 其れで伯爵を責めました、伯爵に暴行を加へました、所が今は合點が行きました、 決して伯爵は野西次郎の舊惡を暴露する權利が無いのでは無く、充分其權利が有つたのです、 伯爵はヤミナ城主の恩に背いた子爵野西次郎を罰したのでは無く伯爵其人に對して容易ならぬ虚僞の擧動の有つた漁師次郎を懲らしたのです、 漁師次郎に仇を(かへ)したのです、伯爵の仕た事は一一尤もです、 私自身が伯爵の地に立つとも矢張り伯爵と同樣の事を致します、諸君よ、 私は次郎の息子で有りながら悉く伯爵の仕た事を正當と認めるのみならず、 伯爵が猶一層の手嚴しい手段を容赦せられた事を深く茲に謝するのです」

決鬪の爲に來て、決鬪の相手を辯護し、謝罪の辭を陳ずるとは、 是れが世間に有る事だらうか、()して武之助の氣に強い氣質として、 何うして此樣な事が出來るだらう、一同は唯だ驚いた、 ()し百雷が一時に足下(あしもと)に落下するとも斯う迄は驚かぬだらう、 武之助は更に斷言した「私は是れ等の事情を知らぬ間こそ伯爵を責め、 決鬪して伯爵を殺すか伯爵に殺される積りで有りましたが伯爵の所行を正當と知る以上は決鬪する權利が有りません、 伯爵に對して、一時たりとも決鬪の意を起した我身の罪を謝するので今日(こんにち)茲へ決鬪に來たのではなく、 成る可く多く知人の居る面前に於て、明かに謝罪する爲に來たのです」 戰ふは易く、戰ひ止めるは實に難い、()して決鬪の相手たる人に對し、 明かに謝罪するとは、良心の勇氣が人に百倍する人でなくては出來ぬことだ、 是は千古の美談と稱しても()い。

聽くに從ひ巖窟島伯爵の胸には無限の感慨が湧き起ツた、 最早自殺の必要もない決鬪の必要もない、自殺せずして、決鬪せずして、 露子夫人に約束した通り武之助の一命を無難にする事が出來るのだ、 何たる有難い仕合せだらうと知らず識らず顏を上げ感謝の意を以て天を仰いだ、 (そもそ)も是れは何の爲に出た事だらう、問ふ迄もなく露子夫人の勢力なのだ、 夫人が夜一夜を費して武之助に説いたのだ、是れを思へば夫人が、 伯爵の死ぬると云ふたのを止めもせずに、當り前の事の樣に聞做して立去ツた其時に既に成算が有ツたのだ。

武之助は更に主として伯爵に向ひ「若し是だけの陳謝をお聽き下さるならば、 何うか私と握手して下さい、今まで貴方の爲さることは眞に妙算神の如しで、 萬に一つの過ちも有りません、是は私の及ぶ所では有りませんが、 私の勉むる所は唯だ過ツて改むるを憚らぬだけの事です、過ち多い人間の行爲としては、 私は自分の所行を人間たるに恥ぢぬと思ひますが、更に貴方に所行は人間以上です」 眞に伯爵が武之助を助けん爲に身を殺さんと決心したのは人間以上である、神々しい行ひである 武之助「今日(こんにち)貴方と私と決鬪せば何方(どちら)か一方が死ぬるに極つて居たのです、 之を助けるは神の使より外は有りません、其神の使が昨夜降つて我々を助けました、 貴方と私とが再び今までの通りの親友に立返る事は遺憾ながら事情が許しますまいけれど、 神の使の力で我々は互の間に永く尊敬の存す事が出來るのです」

伯爵は聽き終つて、彼が請ふ如く手を差延べた、此れを彼は、 (あたか)も神の手をでも握るが如く深く尊敬と畏怖とを以て握り、 爾うして又一同に向ひ「全く私は巖窟島伯爵に對して輕率疎漏で有りました、 斯く陳謝して其罪を償ひました、唯だ世間では定めし私を臆病者と云ふ者がありませう、 臆病であるかないか、疑ふ人があれば何時でも試驗に應じます」 誰とて彼の此擧動を臆病から出たと思ふ者か、事情を知らぬ砂田、出部嶺、猛田、 毛脛等は聊か怪しむ念も有つたけれど「何時でも試驗に應じる」との最後の一言が此人々の口を(とざ)した。

是れで決鬪の一場は終ツて了ツた、此一同の中で、 言葉にも形のも現はし樣の無い程に深く心を動かしたのは全く巖窟島伯爵である、 伯爵は默然と(かうべ)を埀れて退いたけれど胸は感慨に塞がつて其身が何を爲しつつ有るかを知らぬ、 暫くして森江と江馬との間に立ち、馬車を繋いだ邊に返つて、初めて思ひ()る事が出來た、 是れに就けても露子夫人の働きは女丈夫と云ふに足るのだ、 昨夜息子武之助に命乞して歸つた後で、武之助に對して何も彼も打明けたに違ひ無い、 親として子に向ひ、過去つた恥を説くは、 永く其孝心を傷けると云ふ者で通例の人の忍び得る所で無いけれど夫人は之を爲した、 爾して此身が武之助に代つて死するとの決心を起した事をまで説き立てた爲に遂に武之助も感動して今日の美しい擧動に出たのだらう、 之を思へば未だ天意は現はれて居る、(さて)は天意に見捨てられたかと悔んだのは間違ひであツた 「アヽ矢張り此身は天の大任を托せられて居る、今と云ふ今、沁々(しみ〜゛)と思ひ知ツた」 腹の中に呟いて、廿年來蓄積した大勇氣を、一時に倍し二倍して取返した樣に見えた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二六 一家離散の時


決鬪の場所に臨みて敵に謝罪して決鬪を止めるとは、恐らく彿國(ふらんす)の決鬪史に其例の無い事だらう、 事情を知れば實に千古の美談では有るけれど、若し事情を知らずに見れば此上も無い臆病である、 再び交際場裡に紳士として(よはひ)する事は出來ぬ。

()しや事情を話した所で人が其れを信ずる者では無い、 又餘りに込入り過ぎて居て詳しく話す事さへ出來ぬ、 其れだから武之助は事情を話さぬと云ふことに決心し、唯だ「昨夜神の使が現はれた」 とのみ云ふた、其上の事は少しも云はぬ、勿論覺悟は極めて居るのだ、 最う何うせ交際場に入る事は出來ぬ、賣國奴の子と、 決鬪を恐れる臆病者よと世に言囃されて何うして此國に居る事が出來やう、 是を思へば彼の所爲は益々非常な良心の勇氣から出た者である、通例の人ならば、 賣國奴の子と云はれるからは破れ(かぶと)に決鬪して(せめ)て勇士と云ふ名だけも取留めたく思ふ所だ、 眞に彼は神の使の感化を受た者に違ひ無い。

其うちに巖窟島伯爵は江馬、森江と共に馬車に乘つて立去ツた、 此方(こなた)の介添人及び知人は直ぐに武之助を取圍み 「全體今日の君の所爲は何うしたと云ふのだ」と口々に問ふた、 武之助は唯だ「君方の見もし聞きもした通りであるのさ」と答ふる外に一語も吐かぬ、 一同の中で獨り猛田猛は思慮の深い男だけに 「イヤ野西君、君が是ほどにするからは定めし深い仔細が有らう、 其仔細たるや人の祕密にも渡るだらうから吾々は強て聞き度くは無い、 聞かずに君を信じやう、君が決鬪を止めたのは決鬪を行ふたよりも猶ほ勇氣ある所行に違ひ無い、 けれど君、吾々は斯う信じても世間の人が悉く斯う信ずると云ふ事は出來ぬ、 今日(こんにち)以後君は世間から餘り好い顏をせられぬ事を覺悟し給へ」 武之助は悄然と打凋(うちしほ)れては居るけれど今更驚く容子は無い、 「勿論爾う覺悟はして居る」と答へた、次に口を開いたのは毛脛安雄である 「僕ならば、人の噂の鎭まるまで二三年外國へ旅行する」武之助「其れは僕も覺悟して居る」

友人中の一人が斯る次第で外國へ旅行するとは殘る人々に取つて餘り心持の好い者では無い、 安雄は更に慰める樣に「併し君、君が世界の果へ行かうとも、 吾々の同情は絶えず君の身の添ふて居るから氣を確に持ち給へ」 他の三人も贊成して「勿論吾々の同情は何處までも消えはせぬ」と口を揃へて云ふた、 武之助「イヤ、諸君の此同情に對しても、僕は阿容(おめ〜)と此國に居て君方の顏を汚す事は出來ぬ、 野西武之助は決して知己の恩に(そむ)く男では無いから諸君安心して下さい」 是れだけの言葉を殘して彼は乘つて來た馬にヒラリと乘り茲を去つた。

斯くて彼が此公園を出るや、樹の陰から立現はれ同じく馬で彼の後に附いて去つた者が有る、 是れは彼の從者である、彼の運を氣遣ふて初めから()いて來たのだ、 彼は馬の上から此從者を顧みて「オヽ、今に初めぬ其方の主人思ひは此武之助深く感謝する」と云ふた。

間も無く武之助はヘルダー街の我家に着いた、着いて歩み入らうとする時、 二階の窓からチラリと人の顏が見えた、之は父陸軍中將野西子爵である、 子爵は我子武之助が我が汚名を雪ぐ爲に今朝巖窟島伯爵と決鬪することに爲つた事を何うしてか聞知つて、 我子に合す顏の無い身ながらも嬉く思ひ、我が居間なる二階の窓から首を出して眺めて居たのだ、 今武之助の無事に歸つて來た状を見て、決鬪に勝つた者と定めて嬉しくは思ふたゞらうが、 喜ぶ状を見らるゝをさへ耻ど入つて(あわ)たゞしく顏を隱さねば成らぬとは、 心柄是非無しとは云へ亦笑止の限りである、武之助は知らぬ振で直に自分の室へ入つたが、 最早一刻も此家に躊躇する事は無い、指して行く先は定まらずとも兎も角此家此土地此國から離れねば成らぬ、 其れにしても父が賣國の所行を以て得た汚らはしい金錢財寶を塵ほども身に着けて去るは身の汚れと爲り、 他日再び身を立つる時の妨げにも成らうから、今まで我物とした品物一切は取調べて置去りにせねば成らぬと、 先づ箪笥其他を開き(あらた)め、納むる可きは之を納めなどし、悉く室中を片附けたる末、 抽斗押入れ一切に錠を卸し、其鍵には父に分る樣目印の合符(あひふだ)を附け、 明白に卓子(てーぶる)の上に置いた、斯る所へ入つて來たのは先刻の從者である、 武之助は少し驚き「誰も其方を呼びはせぬよ」早く立去れとの氣を示した、 從者は當惑氣に「イヽエ唯今將軍が私を召ましたゆゑ」將軍とは父子爵を指すのである、 武之助「將軍が召したなら將軍の室へ行くが好い」 從者「ですが、行けば必ず決鬪場の容子をお尋ねが有りませう、 何とお返事して宜しいか貴方に伺つてからと思ひまして」 武之助「問はれたなら有りの儘を返辭せよ、武之助は決鬪場に於て、 介添人及び知人の前に立ち、決鬪はせずに相手の巖窟島伯爵に謝罪して歸つたと云へ、 少しでも間違ツた事を云ふと承知せぬぞ」從者は唯々として退いた、 アヽ武之助の此一言は眞に父將軍に對する最後の裁判とも云ふ可きだらう、 父將軍は嬉しい息子の手柄と、憎い我敵の倒れたのを聞く積りで武之助の從者を呼んだのに、 其口から却て息子の謝罪の顛末を聞いては現在息子からまで斯も賤しまれ擯斥(ひんせき)せられるかと思ひ知り、 彼の上院の委員會の審問よりも猶辛く、眞に死刑の宣告を受けた樣に感ずるだらう。

武之助は此後で猶も室の壁に懸れる幾個の額面を取卸しなどして凡そ半時間ほどをも費したが其間に父は今の從者より宣告の如き報告を聞いたと見え、 荒々しく二階を下り、直に馬車に乘つて何へか出去る音がした、 けれど武之助は何處へ出去るのかと怪しむ事をすらもせぬ、 漸くに方附け終つて母を餘所(よそ)ながら暇乞(いとまごひ)の爲に其室を()ふた、 所が不思議や母露子夫人も同じ決心と見え、武之助と同じ樣に室を片附け、 抽斗などの鍵に(ふだ)を附け、机の上に置き、最う此上に手落は無いかと室中を見廻して居る所である、 一家離散滅亡の時が來たと云ふ可きだらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二七 父將軍は何處へ行つた


親子の縁は如何に深しと(いへど)も、父父たらざれば子子たらずである、 父が非義不徳の振舞が爲に名を汚し身を汚し世に顏向けも出來ぬ状と爲るに當り、 子たる者は、曲りたる父に組し父と共に恥の谷底へ沈む可き者だらうか、 其とも父と縁を切り()めては自分の身だけをも清くして、 一家の名譽を後々に囘復す可き者だらうか、是は國々の教に依り多少の相違も有らうけれど、 父が惡人で有るが爲に子も惡人と爲り、父が汚らはしい振舞をしたが爲に、 子も其汚れに染まぬが孝行で無いと云ふのは餘り邪慳な教では有るまいか、妻と夫の間として其通りである、 夫が世に(ゆる)されぬ大罪を犯した場合に妻たる者が其罪に加擔せねば貞女と云はれぬ者だらうか、 妻にまで汚名を及ぼす樣な夫は夫の義務を過つて自分から夫と云ふ權利を捨るも同樣だから、 其妻たる者は(せめ)て自分の身だけを清くするが人道と云ふ者ではあるまいか。

今、野西武之助と其母との決心した所は是である、父たり夫たる野西將軍が斯迄卑劣な人とは知らなんだのである、 知つて見れば斯樣な人非人を夫として居る事が出來ぬ、父として共々人非人の汚名を負ふ事は出來ぬ、 母と子と一時に同じ考へを起し、今まで住慣れた此家を鬼の住家(すみか)の樣に思ひ、 立去る心を起したのも尤もである、 けれど子の方は母をまで自分と共々に此家から立去らせ明日から何處に寢ると云ふ宿無しの境遇に陷らせるには忍びぬ、 又母の方も子をまで自分と共々に立去らせる心は無い、唯自分一人で此後の貧苦艱難を忍ぶ積である、 (され)ば武之助は母の室に入り母が自分と同じ樣に室の中を片附て居る状を見て打驚き 「阿母さん貴方は何を成されます」と問ふた、母は何も彼も見て取つた 「私に問ふより其方(そなた)こそは何をして居た」と問返すのが母の返辭で有つた、 最う武之助は隱す心は少しも無い「イヽエ阿母さん、貴方は女でも有りお年も爾う若くは無し、 (とて)も私と同じ樣な艱難辛苦は出來ません」 母「イエ、其方(そなた)こそは此家を承繼(うけつ)ぐ身だから——」 武之助「貴方の息子が、賣國奴の家として世間に赤面せねば成らぬ樣な其んな家を相續して好いものですか」 健氣(けなげ)な言葉に母は忽ち泣出し「オヽ能く云ふて呉れた、其れは私から其方に言はねば成らぬ意見であるのに、 私の心が弱い者だから、其方に艱難させるが辛く、其方だけは此家に殘して置く積りに成つて居たが」 武之助「ハイ私も是から後は日々の食物迄自分の手から稼ぎ出さねば成らぬ境涯ゆゑ貴女に其樣な艱難をお知らせ申すは不孝と思ひ、 餘所(よそ)ながらお暇乞(いとまごひ)して獨り立ち去る積りでしたが、 貴女は其樣なお考へなら、御一緒に阿母さん」母「オヽ一緒に、武之助と」 母子暫しがほど抱合ふて涙に呉れた、若し此状を畫にでも寫せば、 「人間の最も美しい悲しみ」を描き出した者として名畫の中に加はるだらう。

()やありて武之助は母の手から身を離し「斯うと極れば直に立出る事にしませう、 町盡(まちはづ)れの靜かな所に、 丁度世を忍ぶに好い小さい家を持つて居る知人が有りますから 其者に請へば家も前金無しに貸して呉れ其上多少の金子(きんす)も暫らは融通して呉れますから 一先(ひとまづ)其處へ落着いた上で後の相談を致しませう、 幸ひ今し方將軍が何處へか出て行かれた樣ですから今ならば誰にも見咎められる事は有りません、 直に私が箱馬車を雇ふて裏門の所へ着けますから馬車の戸を閉ぢて立ち去りませう」 と細かに手筈を定めて先づ父將軍の室を差窺くに未だ歸つて來ぬ容子である。

父將軍は此場合に何處へ行つただらう、武之助の從者から決鬪場に於ての一部始終を聞き、 血眼に成つて、今度は自分が巖窟島伯爵と刺違へて死なんとの死物狂の決心を起し、 ()れに()れて伯爵の(やしき)を指して行つたのだけれど武之助は爾うとは知らぬ、 唯だ好い機會とのみ思ひ、其儘 戸表(おもて)に出で、 一輛の馬車を雇ふて裏門に着けた、爾して再び家に入らうとすると、 何處から現はれたか知らぬけれど、不意に背後から我名を呼び 「何うか至急に之を御覽下さい」と一通の手紙を差出した男がある、 見れば巖窟島伯爵の家扶春田路である、爾して受取つた一通は伯爵の筆の(あと)と看て取れる 「承知した」と云ひ再び顏を上げて見れば早や春田路の姿は見えず、 手に殘る手紙ばかりが眞事(まこと)である、(さて)は返辭に及ばぬ書面と見えると打呟き、 持つたまゝ母の室に歸つて母と共に讀下した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二八 我家からの落人


武之助が母と共に讀下した巖窟島伯爵の手紙は左の如くである。

親友武之助よ、餘は御身が母御と共に住慣れし家より立去らんとするを知る、 如何にして知りしやと怪しむこと勿れ、兎も角も知れるなり、 家を去りて貧苦に身を投ぜんとする御身の覺悟は健氣なれど母御にも其貧苦を共にせしめんとするは餘り(いた)はしい事に非ずや、 失禮ながら餘の言を聞け、今より廿五年前、餘が或商船に乘込み長き航海より歸りし時、 餘は兼て許嫁の仲なりし最愛の一婦人に婚資の如くに贈らん爲め、 三千圓ほどの金を持ちたりしが、船乘の身の危險を(おもんば)かり、 兎も角其金をば餘が父の住たりし馬港(まるせーゆ)アリー街の家の庭に埋めたり、 庭の片隅に餘が父の手づから植たる柏の樹、今は見上る許りに生茂れるが、 其根の所こそ其金の有る所なれ、餘は此頃其地を過ぎ、今の猶ほ其金の存するにやと怪しみ、 (ひそか)に立寄りて掘り試みたるに金は鐡の箱に入りたるまゝ無事に存したり。

武之助よ、其家は御身の母御能く知れり、 餘は其時に於て其婚資を其最愛の婦人に贈る能はざりしを憾むと雖も今は幾多の悲しむ可き變遷を經て猶ほ其金を同じ目的に用ひ度く思ふなり、 武之助よ、今の餘は人に百萬千萬の金を贈るも自由なれど、 而も其自由を用ふる能はずして僅に昔の三千金を贈るに止めざるを得ざる事情の辛きを察せよ、 此三千金は正當に御身の母御の物たるなり、武之助よ、 御身若し此金を辭退する如き事あらば、()は餘りに狹量なり、 殊に母御の生活を奪ふなり、此金は即ち御身の父の爲に、 老たる父を餓に死なしめられたる不幸なる一人の贈り物なるを思ひ、 其人の憫れむ可き心情を察せよ、之を察せずして此贈り物を拒絶するが如き邪慳なる振舞ひに出づること勿れ。

(つゞ)めて云へば馬港(まるせーゆ)に行きて母と共々に其金を掘出して母の生活費に充てよとの心に歸すのだ、 三千圓は(わづか)(たか)で有るけれど贈る人の情は無量とも云ふ可きもの、 殊に母子の今の境涯として殆ど無くては成らぬ金である、武之助は讀み終ツて母の返辭を待つた、 母は文殼(ふみがら)を悄然として肌に納め、爾して()と靜かな言葉で 「ハイ、此贈り物は受けませう、昔は婚禮の元手と爲る筈で有つた金が今は尼寺に入る元手になるのだ」 言ひ終つて淋しげに笑を浮かべると共に、何やら露の樣な物が其眼から一粒落ちた。

けれど思ひに沈んで居る場合では無い、裏門には馬車が待つて居る、 母と子と無言の儘で手を引合ひ、靜に此室を立出で二階を降つた、 我が家からの落人(おちうど)である、差して行く先は何處(いづこ)、 兎も角も馬港(まるせーゆ)なるアリー街に到るのであらう。

*    *    *    *    *    *    *

却つて説く、巖窟島伯爵は、江馬森江の兩人と共に、馬車に乘て決鬪場を引上げたが巴里の入口まで歸ると、 道の(かた)へに(あたか)も番兵の如く家扶春田路が直立して居た、 伯爵は手早く車から降り彼に何事かを差圖し彼が心得て一散に馳て去る後姿を見て再び馬車に返つたが、 間も無く江馬の方は早く家に歸り、 氣遣ふて待つて居る妻緑に決鬪の無事に終つた事を告げて安心させ度いと云ひ分れて去つた、 伯爵は森江と馬車の中に差向ひと爲り、彼に向ひ、 今日は我家に行き晝餐を共にしやうと案内したが、日頃伯爵の言葉に辭退したことの無いに引替へ 「イヤ今日は少しも食氣は催しませんので」と斷ツた、 伯爵は先刻聞いた此の大尉の言葉などから思ひ合せて 「オヽ軍人が食氣の無くなるほど氣に掛るは、戀か戰爭の二個(ふたつ)だと云ふが、 戰爭は差當り有る筈も無し、では先刻の戀と見えますね、 食事より先に逢はねば成らぬ約束でも有りますか」大尉は正直に笑つて 「爾で無いとは申しません」伯爵は大尉を子の如く思ふ丈けに、喜んで且氣遣ひ 「私は其祕密を聞き度いと所望するのでは有りませんが、若しも貴方の手に餘る樣な事が有れば、 遠慮無く私に打ち明け成さい、貴方の爲めには何の樣にも力を盡しますから」 大尉も其身と蛭峰華子との間には恐ろしい程込み入つた事情が有るのだから何時(なんどき)有力な伯爵の助けを得ねば成らぬかも知れぬ事と信じて居る、 「ハイ伯爵、多分遠からず貴方のお力を煩はさねば成らぬかと心配して居ます」 伯爵「其樣な場合には直に私の許へ驅け付ける事をお忘れ成さるな」 大尉は深く氣強く思ふ状で喜んだが、間も無く馬車が伯爵の屋敷近くに着くが否や分れを告げて降り去つた、 後に伯爵は唯だ一人で自分の家の門まで來ると、茲に又以前の春田路が立つて居る、 伯爵は降りて小聲で「何うだツた、春田路」春田路「御推量の通りです愈夫人は落て行きます」 伯爵「息子武之助は」春田路「是も從者の見た所では落て行くと見え、 母と同じく直に室の取方附に掛ツた相です、其上二人とも何一品持たずに」 伯爵「爾う無くては成らぬ、其方には猶だ用事が有る、此方(こつち)へ來い」 斯く云つて居間へ春田路を伴ひ行き、手早く認めて渡したのが即ち最前野西親子の讀んだ彼の手紙である。

春田路が之を持つて立去るが否や、(あたか)も待つて居た樣に此室へ鞆繪姫が入ツて來た、 伯爵も姫の嬉しげなほど嬉しげに決鬪の無事に濟んだ事を語り、 猶ほ嬉しさの餘りにや姫の取られ度げに差延べる手を取つて 「最う此上は何うか和女(そなた)に心配を掛ぬ樣に仕たい者だ」と云へば姫は婀娜(あどけ)なく 「今度夜前の樣な事が有れば、私は何も申さずに死んで了ひます」と答へ、 限り無く親しげに見えて居たが、此所へ今度は執事破布池が(あわた)だしく來て 「野西さんがお出に成りました」と傳へた、伯爵「野西とは武之助の方か」 破布池「イエ、野西將軍です」將軍が茲へ來たとは死物狂に最後の大論判の爲であることは問はずとも分ツて居る。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二二九 將軍と伯爵一


是れぞ伯爵に取つては、一生の運命を決する時である、 昨夜野西武之助との決鬪に死を決したよりも猶ほ重大な決心を呼起さねば成らぬ、 武之助の父野西將軍は全く伯爵と刺違へて死ぬる積で來たのだ、 死物狂であるのだ、武之助との決鬪從ツて伯爵の自殺は幸ひにして免るゝを得たけれど、 野西將軍の此怒りには逃れる道が有り相にも思はれぬ。

伯爵は直に其れと知つた、確に將軍は我が命を奪ひに來たのだ、 けれど何として之に應ず可きか深く考へる暇も無い、 殊に傍には鞆繪姫が附いて居るので驚く顏色さへも見せたく無いのだ、 爾れば唯だ泰然として「野西將軍を客室へ通して置け」と答へた、 鞆繪姫は野西の名を聞き、美しい(まなこ)に怒りの光を現はして 「野西將軍とは()の次郎では有りませんか伯爵」 伯爵「ナニ次郎では有るけれど和女(そなた)が氣に掛るには足らぬ」 姫「恨みを返しに來たのでは無からうかと思はれます、其れならば私が」 伯爵「恨みを返すとて自分が當然の天罰を受けたのに、 何も我々を恨む事は無い、何も彼も此方が引受けて、 イヤ充分に言ひ懲して返すから和女(そなた)は安心して居間へ退いて居るが好い」 姫「だツて」伯爵「イヤ、だツてに及ばぬ、安心してサア室へ」 伯爵の言葉は時として人の爭ふを許さぬ樣に力強く聞える場合がある、 別に鋭く云ふでは無いけれど、何と無く威嚴があるのだ、姫は言葉を返し兼ね 「ハイ貴方がさう仰有れば安心して退きます、貴方のお言葉は神の言葉です」 云ひつゝ伯爵の前額(ひたひ)に接吻を殘して去つたが、 輕い接吻では有るけれど伯爵は總身に電氣の波が浸徹るかの如く感じた、 爾して姫の立ち去る後姿を見送つたが、 朝夕に見る姿ながら取分けて愛らしく又懷かしい思はれて大切の用事を控へながらも殆ど目を離し得ぬ程で有つた、 嗚呼伯爵の爲に第二のお露が現はれたと云ふ者では有るまいか、 伯爵自ら最早此世に、愛の幸福を得るなど云ふ若やいだ心は全く枯れ盡し、 木石の如き身木石の如き心に成り果た者と思ひ、唯だ人間を恨めしくのみ思ふて居るけれど、 猶心の底に(いづ)れかに愛しもし愛されもする蜜の樣な甘い柔かい情の泉が潛んで居るでは有るまいか、 今は樣々の事情から一時涸た樣に見えた其泉が再び噴水する(とき)と成ツたのでは有るまいか、 何だか其樣な思ひが心の底に動いて來た樣に伯爵自ら感ずるのである 「アヽ人間の幸福は終に、愛せられると云ふ事より外には無いのか知らん、 此身にも猶其樣な幸福が有るのか知らん」と自ら怪しんで呟いた、 爾して野西將軍を通した客間へ出向いて行つた。

此場合に若し野西將軍の顏を見る人は我知らず二足三足 逡巡(しりごみ)するだらう、 一昨日(をとゝひ)の委員會から唯だ悔しさに打沈んで、 人にも逢はぬ程に仕て居たのが、今は巖窟島伯爵を殺して自分も死ぬる外は無いと思ひ詰めて出て來たのだから、 顏一面が暗く(しゞ)みて、今にも迅雷の鳴り出さんとする空の樣に見え、 人に限り無く恐ろしさを感じしめる、若し人間の顏が怒り張裂ける事の有る者なら此時の將軍の顏が張裂ける顏と言へるだらう、 全身の血液悉く顏に上つて居る、のみならず今乘つて來た馬車には二個(ふたつ)長劍(さーべる)を積んである、 其 一個(ひとつ)を巖窟島伯爵の手に渡し、全く刺違ひの決鬪を強ひる積りである。

併し巖窟島伯爵とても、兼て斯樣な場合に立至る事を思ひ寄らなんだ譯では無い、 心に深く期した所が有るのだから、却つて此場合の早く來たのを嬉しく思ひ、 一旦の驚きが通り過ぎては、我れながら怪しい程に心が落着いて、 單に日常通例の客を迎へる如くに靜かに且 (たいら)かな面持で客間に入つた、 爾して張裂ける樣な將軍の顏に對したけれど(ゑま)しげに、 「イヤ野西子爵、今日(こんにち)は何の幸で貴方の御光榮を得たのでせう」と問ふた、 將軍は伯爵の顏を睨み附けて凡そ五分間ほども無言で有つたが、 漸く涸渇(しやが)れた樣な聲で「其樣な空世辭は最う止めませう、 貴方と私とは(かたき)同士では有りませんか」 敵同士との一語に、(さて)は我本相を知つたのかと伯爵は聊か驚いたけれど 「エヽ何と仰有る」將軍「私の昔の事柄を(あば)き立たのが貴方だと云ふでは有りませんか、 上院の委員會に證人として怪しい女を出したのも貴方だと云ふでは有りませんか、 貴方は此野西將軍に何の恨みが有ツて」(あゝ)、何の恨みが有ツて、 是れを問ふ樣では未だ眞に、敵同士なる所以を知つて居る者では無い、 伯爵は敵の知識の深さ淺さを知つて又落着いた、將軍は益々聲を張上げて 「今日(こんにち)是れが爲に貴方は私の息子武之助と決鬪したでは有りませんか、 エ、爾で無いと言ひ張りますか」伯爵「今日(こんにち)の決鬪は其れが爲では有りません、 武之助の無禮に對し、私から決鬪を挑んだ次第です」 將軍「其武之助の無禮が矢張り此事から出たのでせう、 彼は父に代つて貴方を懲らし度いと云ふ孝心の爲に伯爵を侮辱したのでせう、 其れが決鬪の起りです、私は知つて居ます」 伯爵「「或は爾かも知れませんが決鬪無しに濟みました、 武之助は決鬪の場で明白に私へ謝罪しました」將軍「エヽ」と、 將軍の驚く状を見れば、流石に武之助の從者が、將軍に向ひ、 武之助の謝罪とまでは打明け得なんだ者と見え、 伯爵「其謝罪は、雙方の介添人及び其場へ來合せた知人までも傾聽して充分の謝罪と認めました、 ()れだから私も決鬪せずに滿足したのです」將軍「何故に伯爵に謝罪」 伯爵「彼は私を恨むべき奴と思ひ詰めて居たのですが其過ちを悟り眞に憎むべき奴は私の外に在る事を知つたのです、 彼の仕た事は美事です、過ちを改めたのです、彼は其謝罪の言葉の中に、 明かに其憎むべき奴を指名し、其者の卑劣な罪を宣言しました」將軍「其憎むべき奴とは何者です」 伯爵「ハイ、彼武之助の父、陸軍中將野西次郎です」將軍「エ、エ、何と」 將軍の顏は張裂けた、イヤ張裂けなんだのが不思議である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三〇 將軍と伯爵二


我が息子武之助が、我が敵の巖窟島伯爵よりも、自分の父たる此我身を恨むべしとし、 罪深き奴として巖窟島伯爵に向けるべき(つるぎ)を却つて我に向け、 介添人も知人も居る決鬪の場所に於て決鬪を爲し得ずして却つて此我身の罪を鳴らし、 敵たる巖窟島伯爵に謝罪するとは、眞に有らう事か有るまい事か、 (よし)や天地が覆へらうとも是ほどの逆さ事は有り得ぬだらう、 將軍は是だけを言ひ聞かせられ、其父と云ふ位地に對して、 此上もない大打撃を受けた如くに感じた、而も此事を巖窟島伯爵の口より聞かさるゝに至ツて、 打撃に二重の力がある、誰とても此場合に顏の張裂けるほど怒らずに居られやう。 將軍は猛り狂ふた、將軍は地團駄踏んだ、爾して將軍は絶叫した 「エ、エ、武之助が此私を巖窟島伯爵よりも憎む可しなどと、 爾して決鬪を止めて、貴方に謝罪、アヽ何たる不孝な、臆病なたわけ者だらう」 伯爵「臆病では有りません、非常に正直な心と、非常な勇氣とを持つて居ればこそ其樣な事が出來たのです」 伯爵の言葉は將軍の耳には入らぬ「イヽエ臆病です、理が非でも既に決鬪場へ臨んだ上で、 決鬪を止めるなどと、勇氣の有る者に其樣な事が出來ますか、而も自分の父の罪を認むるなどと、 何故私の子に其樣な者が出來たでせう、何故彼奴は茲へ來ません、 來れば私が合點の行く樣に言ひ聞かせて遣ります、何故彼は父の意に背いて——」 止め度も無く叫び立て、何處迄我が子を罵るかも知れぬ、伯爵は冷淡に之を遮り 「イヤ貴方が息子の行ひを善惡(よしあし)するのは、其れは一家の内所事ゆゑ、 私は聞くのを御免蒙りたい、愈息子の仕事がお氣に召さぬとならば、 何うかお宅へ歸つた上で、叱るとも懲らすとも御隨意に」 將軍は初めて我が言葉が、腹立ち紛れに枝道へ反れたに氣附いた「其れは爾です、 貴方が云はずとも息子を懲らす事は歸宅の上で隨意に仕ます、ですが其前に、 爾です、我が息子を處分する前に、貴方を處分して行かねば成りません、 能くお聞き成さい巖窟島伯爵、息子が貴方と戰ひ得なんだなら、 父の私が其後を引受けます、私が貴方と鬪ひます確に私は貴方と決鬪する權利が有ります、 最早此場に及んで遁辭(にげことば)などは許しませんぞ」勿論許さるゝに及ばぬ、 廿年來 ()した(つるぎ)は唯此將軍に一撃を試みん爲である 「ハイ遁辭(にげことば)は用ひません、何も云はずに單にお相手致しませう」 伯爵の言葉は物凄いほど冷やかである、早や氣に於て將軍を呑んで居るのだ、 勝敗の數は決して居ると云つても()い。

「單にお相手、フム、之は面白い、イヤ有難い、決鬪は長劍(さーべる)を用ひます、 私は其爲に長劍(さーべる)二口(ふたふり)を從者に持たせて馬車へ乘せて來て有るのです 貴方の用意は好いのですか」伯爵は唯だ「ハイ宜しい」 將軍「武噐が無いなどの口實は用ひさせません、二人は刺違へて死ぬる事に致しませう、 イヤ昔ならば爾ですが、今の決鬪は少し違ひますから、 何方(どつち)か一方が死ぬるまで鬪ふて、十々滅(とゞめ)を指して初めて終ると云ふことに致しませう」 伯爵「宜しい」將軍「場所は此室で、介添人は用ひずに、サア今直に初めませう」 伯爵「勿論、介添人などは邪魔に成ります、貴方と私とは兼て何も彼も知り合つた間柄ですから、 何の儀式にも及びません」知り合つた間柄との一語を殊更に推し附けて云ふた、 將軍「エ、知り合つた間柄、爾です、何だか私は、初めて逢つた時から、 長く知つて居た樣な氣がしました親しくは挨拶もしたけれど、 何だか親しみの間に憎む可き所が在つて、長く長く貴方を憎んで居る樣に感じました、 今日の決鬪は何の途逃れぬ運命です、私は貴方を憎むほど人を心底から憎んだ事は有りません、 蟲の好かぬと云ふ者でせうけれど相互の身分に至ツては少しも知る所が無いのです」 伯爵「イヤお待ちなさい、少しも知る所が無では無く、私の方では能く知つて居ます、 ウオタローの戰ひの前宵に、脱走して敵軍の便利を計らふとした兵卒次郎は貴方では有ませんか、 其後西彿の戰爭に、自分の生國 西班(すぺいん)へ間諜の如く入込み、 佛軍の爲に案内者を勤めた士官次郎は貴方では有りませんか、 ヤミナの義軍に加はツてヤミナを敵國に賣渡し、 又も敵兵を案内して恩人有井宗隣を殺したのも確次郎と云ふ男で有つた樣です、 是等の賣國背恩の所行が積重なつて終に今日(こんにち)の陸軍中將士爵野西次郎と云ふ貴方の立派な履歴が出來上ツた樣に思はれます、 何と是だけ知つて居れば能く知り合つた間柄では有ませんか」 靜かに舊惡を數へ立てゝ侮辱の上に侮辱を加ふるは、唯滑かに決鬪するのが餘り惜い爲である、 勿論通常の決鬪だけで腹の癒ゆる樣な有觸れた恨みとは恨みが違ふ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三一 將軍と伯爵三


成ほど何も彼も知り合ふた間柄である、將軍の妻子さへ知らぬ事を伯爵は知つて居る、 將軍は斯くと面と向ツて我舊惡を數へられ、 (あたか)も熱鐡を以て前額(ひたひ)に我罪名を燒附けられた樣に感じた。

其れにしても斯くまで我舊惡を調べ上げて居る此巖窟島伯爵は何者ぞとの疑ひに堪へぬ 「オヽ、惡人奴」と將軍は叫んだ、爾して更に「此身と命の遣取をする間際に、 イヤ事に依れば此身を殺すかも知れぬ此間際に、此身の恥を數へ立てるとは、 エヽ、貴方は何者です、此頃初めて逢つたでは無く、 多分昔何處かで知り合つた人とは思ひますけれど、貴方が私を知つて居るほど私は貴方を知りません、 貴方は、貴方は」と云ひ鋭く伯爵の顏を見詰たけれど猶ほ思ひ出す事が出來ぬ 若し思ひ出したなら何うだらう。

敵を何物と看破り得ぬ悔しさに將軍は又絶叫した「知つて居ます、知つて居ます、 貴方は惡魔の(ともしび)を以て私の暗い履歴を悉く讀んだのです、 けれど、私の履歴は恐らく貴方の履歴ほど(きたな)くは無いでせう、 貴方は此國では巖窟島伯爵と自稱し、伊國(いたりー)では船乘新八と云ひ、 マルタ島では又何とか別の名を用ひて居ました、榮華と贅澤に人の目も(まばゆ)きほど身を飾り立てゝは居ても、 決して私より以上の正直な人では有りません、此數々の僞名の外に必ず本名が有るでせう、 其本名をお名乘りなさい、私は、貴方の胸に長劍(さーべる)で刺し貫いた上で、 小氣味能く貴方の本名本姓を呼んで引導を渡さねば氣が濟みません、 サア決鬪の前に「本名を本姓を」とて詰寄せた。

是ぞ伯爵が待設けた所である、伯爵の顏は青いながらも青い火の樣に照輝き(まなこ)も熱心に燃て居るかと疑はれた 「心得ました」と唯だ短い言葉を殘し、急いで次の間に退いた、是は何の爲であらう、 將軍が聊か怪しんで待つ間も無く伯爵は次の間で(あわた)だしく我が衣服を(むし)り捨て、 兼て蓄へて有る水夫の服を着け、水夫の帽を戴き、全く廿五年前、 商船巴丸に乘て馬港(まるせーゆ)へ歸つた時の姿と爲り、爾して水夫の癖を其儘に胸に手を組み、 帽子の下からは長い黒い髮の毛を喰出させて雀躍りに踊る許りに勢で將軍の前に現はれた、 將軍は猶も合點の行かぬまゝに此状を見詰て居たが、見るに從ひ、少しづつ合點が行き初めたと見える、 眞に暗夜に幽靈に逢つた人とても將軍の此時の景状(ありさま)ほど顏に恐れを現はす事は出來ぬ、 伯爵が一歩進めば將軍は一足退き、一歩又一歩、 ついタヂ〜と(うしろ)蹌踉(よろめ)き室の眞中に在る卓子(てーぶる)に到ツて漸くに身を支へた、 けれど其足は其身を支ふるを拒む如くに震ふて居る。伯爵は若々しい聲で 「將軍よ、イヤ次郎さん、私は數々の僞名の中で、唯一つの本名本姓を名乘りませう、 之を名乘れば貴方も必ず合點しませう、イヤ名乘る迄も無く最う徐々(そろ〜)思ひ出したでせう、 廿年に餘る艱難辛苦に私は年こそ寄つたけれど今は多年の心願成就して復讐の時の來た嬉しさに、 昔貴方に分れた時の顏に若がへりました、能く御覽成さい此顏を、 幾等貴方が惡人でも、私の許嫁お露を妻としてて以來此顏を夢に見て、 寢覺の惡かツた曉も有つたでせう、此顏に(うな)された夜も、無かツたのですか」 啾々(しうしう)(やみ)に響く鬼の言葉とても斯まで物凄くは聞えぬだらう、 將軍は最早退くにも場所無くして、徒に首をのみ(うしろ)へ反らせたが漸くにして壁を探り、 倒れ掛る身を支へ支へて、室の出口の戸の方へ(にじ)り寄ツた、 其間も絶えず口に何事か云つて居るけれど、喉が渇き盡して聲も爲さぬ、 出口の所にまで到ツた時、初めて聲と爲ツて伯爵の耳に聞取る事が出來た、 其れは「アヽ團、友太郎、友太郎」と云ふので有ツた。

爾して到底人間の聲とは聞えぬ呻きを殘して轉がる樣に茲を逃げ出し、玄關に待つ馬車の許まで行つて、 馬車の中に空しく二口(ふたふり)長劍(さーべる)の番して待つて居る從者の扶け上げられ、 其まゝ我家へ逃て歸ツた、(あゝ)我家は今何の状ぞ、將軍は顛倒して表口までは行く能はず、 裏門に馬車を着けた、茲には妻露子に息子武之助の落ちて行かうとする辻馬車が着いて居る、 何の意味かは知らぬけれど、唯だ我が一家の沒落と云ふ便り無い感じのみが胸に滿ちた、 是もヤミナの城を沒落せしめた報ひとして天が巖窟島伯爵の手を借りて配劑する[の]で有らう、 我家ながらも將軍は化物屋敷にでも入る思ひで猶も身震ひしつゝ二階なる我室へ上らうとすると上から足音が聞えて來る 最早鬼胎に襲はれた身は此足音にも(おのゝ)いて(かたは)らに在る小室に身を避けた、 爾と知つてか知らずにか此小室の前を通る二人は、露子と武之助である、 露子「住み慣れた此家も名譽の爲には捨てゝ立ち去らねば成らぬ」全く涙聲に聞える 「ナニ阿母さん、此樣な汚れた家は我家では有りませんよ」勵ますのは武之助である、 聲と共に早二人は階段を下つて了つた。

母と子との此聲は全く將軍に對して最後の宣告である、舊惡は露見する、 世間から爪彈きを受ける、到底此身を攻亡ぼさねば止まぬ意外の仇敵は巖窟島伯爵と云ふ名を以て現はれる、 其 (つゞま)りに最愛の妻、最愛の子が、父に愛想を盡かし、 我が家を我が家で無いと云ふて逃げ去るを聞く此上の不幸と云ふ者が有り得やうか、 將軍は惡魔の相好で小室を出、自分の室へ馳入つた、此時裏門の外には母子を載せた馬車の軋り去る音が聞えた、 母子の落ち行く先は何の樣な所だらう、此音で何も彼も終りを告げたと知つたゞらう、 將軍の室の中で轟然一發、何事と疑ふ餘地の無い音がして室の硝子も破れ、其穴から濃い重い煙が出た、 是れは將軍の自殺した短銃(ピストル)(たま)が將軍の咽喉を射貫いて猶も硝子を打ツたのだ、 流石に馬車の中なる露子夫人は車窓から振向いた、けれど兼て斯うだらうと期して居る武之助が 「阿母さん他人の家に二階を(のぞ)くは見つとも無いものですよ」 と推し留めて再び後をも見ずに立ち去ツたは哀れ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三二 又も蛭峰家一


野西將軍の自殺で、伯爵の大願は先づ一部だけ成就した、 所謂る漁師次郎に對する復讐が終ツたのだ。

思へば妙な復讐で有ツた、伯爵の恨みの深いだけに其 (いぢ)め方も酷かツた、 彼の名譽を奪ひ愛を奪ひ、爾して其家を沒落させ、 彼を廣い世界に身を置く所も無き迄にして悲歎と憤怒と絶望の中に自殺せしめた、 而も其事柄が眞に天運の循環とも見ゆる樣に、自然々々と釀させて、 谷に落入る轉石の勢で凄じい速度を以て其極度に逹した、 伯爵が自ら其身をば天の使命を受けて人間世界に勸善懲惡の大活劇を爲すが爲に生存(いきながら)へて居る如く信ずるも無理は無い。

併し大活劇は之に終らぬ、之は唯初めの幕である、次には蛭峰にも及ぶだらう、 段倉にも及ばねば成らぬ、蛭峰と段倉は、罪に於て野西將軍より重からうとも輕くは無い、 何の樣な復讐が天降る事やら、今まで記した二百餘囘の物語りで、 既に天運の準備が熟した樣に見えて居るから、讀者の中の烱眼な人逹には(ほゞ)推察し得た方も有らう、 併し伯爵の運命と仕事とは人間の想像に超絶して居る、(とて)も推察などの屆く範圍では無さ相だ、 話は是より又も蛭峰家、續いては段倉家などに移り、此兩家と伯爵との間に跨り錯綜(いりみだ)れて進んで行く。

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()ても決鬪場の歸りに伯爵の馬車から降りた介添人の一人森江大尉は、 其足で直に蛭峰華子を尋ねて行つた、 是は此頃に至り孃の祖父野々内彈正から一週間に二囘づつ孃の許へ來て()いとの許しを得、 父蛭峰の目を忍んで彈正の枕許で互に顏見る事に爲つて居る爲である、 一週間に二度と云へば隨分繁々の逢ふ瀬では有るけれど思ひ思はるゝ同士に取つては唯の二日目が待遠く、 今日が漸く其日とは爲つたので千秋の想ひで馳附けたのである、 蛭峰の家は此頃の打續く不幸に何と無く陰氣な上に、 此とき森江大尉を出迎へた孃の顏が(いつも)に無く青褪めて見えた、 森江は挨拶よりも先づ氣遣はしげに「貴女は何うか成さつたのですか、 氣分にお變りは無いのですか」と、問ひながら彈正の室に導かれた、 彈正の(まなこ)に嬉しげな光が現はれたは云ふ迄も無い、 孃は座に着くが否や今の問に答へて「ハイ此兩三日少し頭痛が致しまして、 其れに食物も何だか進みません、けれど祖父樣(おぢいさん)の言附で、 有國醫師から祖父樣へ下さつた水藥を毎朝少しづつ戴いて居りますので——」 祖父彈正への藥には何か劇藥が入つて居る樣に聞いた覺えも有る、 森江は驚いて彈正の顏を見るに、氣遣ふに及ばぬと保證する樣な色が(まなこ)に在る、 森江「爾ですか、其れには又——」華子「大層苦い藥ですよ、 最初は小さい(さじ)に唯だ一杯ヤツとの思ひで呑ましたが、 矢張り祖父さんのお差圖で段々に量を殖し、今朝は其匙で四杯までに成りました」 森江は彈正の意を[計?]兼て唯だ空しく調子を合せ「爾ですか、毒藥でも少しの分量から初めて、 段々に呑増して行けば、後には二人の人を殺す程の量を一度に呑んでも()ほど(こた)へぬ樣に成ると云ひますから」 孃は猶も前の(いとぐち)を繼なぎ「餘り苦いので口の中に其苦さが殘ツてゞも居るのですか、 今次の室で薄い砂糖湯を呑みましたのに其れさへ何だか苦い樣に思ひましたから半分呑んで止して來ました」 砂糖湯が苦いとは、道理に於て無い事である、 森江「其れは何か混物でも有つたのではありませんか」 森江が怪しむよりも彈正は全く驚いた容子で其 (まなこ)が焔の樣に輝き初めた、 けれど華子は爾とも知らず、「其上に何だか眩暈もする樣に感じました、 最う少しで(こつぷ)を取落す所でした」物を呑みて眩暈がするとは、 先頃此家で米良田伯爵夫人が死に又老僕忠助が死んだのと同じ兆候では有るまいか、 森江は爾とまでは氣附かぬけれど彈正は確に氣が附いたらしい、 (まなこ)の焔は燃上る程に見えた、華子は漸く其れと見て「祖父さん、 何うか成されましたか」問はれて「大變だ、大變だ」との言葉が(まなこ)の外に浮出る樣に現はれた、 直に華子は例の通りABC文字の表を取り、詳しく祖父の意を問はふとしたが、 此とき本家から下女が來て華子に向ひ「段倉男爵夫人と夕蝉孃と共にお出に成りました、 直に客間へと阿母樣が貴女をお召です」 段倉夫人の來たのは此頃噂の高い皮春小侯爵と夕蝉孃との間に縁談の纒まツた披露の爲に違ひ無い、 其れならば顏を出さぬ譯には行かぬ、華子は祖父にも森江にも暫しと斷ツて座を立つた。

後に森江は彼のABC文字の表を取りて彈正に「華子さんの代りに私が貴方の御意中を伺ひませう」 と云ひ表の文字を順々に指示しつゝ凡そ十分間ほどを費して漸く彈正の意味を解し得た、其れは 「孃が半分呑だと云ふ苦い砂糖水の殘つた(こつぷ)と其水を(たら)した水盤とを此室へ取寄せよと云ふので有ツた、 森江は(たゞち)に孃の侍女(こしもと)を呼び、其意を傳へると侍婢(こしもと)は平氣な顏で 「其 (こつぷ)のお砂糖湯は、殘つて居る分をお孃樣が呑乾してお出に成りました」 森江「爾して水盤の方は」侍婢「其れは坊樣が家鴨に呑ませるとて水盤ぐるみ庭の方へ持つて行きました」 半分呑みてさへ眩暈がしたと云ふ其砂糖水を呑乾したとは、 全く砂糖水の苦さを我が口の爲と思ふたのであらう、 米良田夫人も忠助も咽喉の渇くを訴へた所から見ると孃も渇したに違ひ無い、 彈正は侍婢(こしもと)の返辭を聞くが否や忽ち(まなこ)に涙を浮べ、 孃の今立去つた戸口を(きつ)と睨み詰めつゝ瞬潑(まばたき)もせぬ、 森江は()ほどに深く事情を知らぬから、彈正の涙を合點し得ぬけれど、 若し合點せば孃が客間から生て歸るか否やをさへ氣遣ふ所だらう、 全く彈正の(まなこ)は華子を死人と思つて泣くのらしい。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三三 又も蛭峰家二


祖父彈正が氣遣ふ程でも無いと見え、華子は死人に成りもせず、 無事に客間へ歩み入ツた、茲には早や華子の繼母蛭峰夫人が段倉男爵夫人と其娘夕蝉とを待遇(もてな)して居る。

兩女(ふたり)の來た用向は果して婚禮の披露で有ツた、 唯だ聊か華子の異樣に感じたのは母の方が婿たる皮春小侯爵と此上も無く襃むるに引替へ肝腎の當人夕蝉の顏に少しも嬉しげな状の見えぬ一事である、 爾ればとて別に羞づかしげな所も見えぬ此樣に冷淡で、幸福な婚禮を遂げることが出來るだらうか、 婚禮と云へば女一生涯の大運命を決する瀬戸であるのに其間際に何うして斯うも平氣で居られるだらうと、 華子は(ひそか)に怪しんで、果は我身に較べて夕蝉孃の心の雄々しさを感心した是は全く爾である、 夕蝉孃は野西武之助をさへ嫌ツた程で日頃婚禮をば女の厄難の樣に思ひ其身は美術音樂を以て獨立するなどと男の樣な考へを以て居るのだ、 其れだのに何うして皮春小侯爵の縁談に從ふ事に成つたのか、 多分は父の方が深く娘の心を顧みずに取極めて、其上に母の方が一も二も無く小侯爵に惚込んで娘を煙に卷いて了ツたのだらう、 此樣なのは世間に幾等でも例の有る事で有るが只だ餘り幸福に終るのは珍しいのだ。

其れは扨置(さてお)き、華子は斯く一同と話など仕て居る間に、何時と無く氣分が變り、 人の言葉も能くは聞分け得ぬ樣に成つた、次第に顏色まで變じて來た、 其と第一に心附いたは段倉夫人で、尋常事(たゞごと)では有るまいから直に室へ歸つて休むが好からうと勸め、 次に繼母も成るほどと贊成したので、當人も客 兩人(ふたり)に詫を述べて此室を退いたが、 (やが)て隱居所の廊下まで來ると(わづか)に三段ほどの(きざはし)を踏外し俯向(うつむ)けに打仆(うちたほ)れた、 其物音に先ほどから氣遣ふて居た森江大尉は飛んで出で、直に抱き起して改めると、 當人は唯だ眩暈(めまひ)がしたと云ふのみである、此家で眩暈とは實に恐ろしい事の前兆なので、 猶も心配して其まゝ彈正の室へ連れて入ツた、スルと一旦は心持好げに顏を上げ 「私は()ア何で階段を踏み外すなどと其樣に茫乎(うつかり)して居たのでせう」 と云つたけれど、是切りで又目を塞ぎ、力無く椅子に(もた)れた、 此時彈正が何の樣な(まなこ)をして居るか、其等の事は見る暇も無く、 直に大尉は聲を發し「誰れか、誰れか」と呼立てた、 呼ばれて入來たのは先に死んだ忠助の後に雇はれた老僕と孃の侍婢(こしもと)であるが、 二人とも今までの慘事に懲り、恐れ(おのゝ)いて居るのだから、 斯くよと見るより大尉の指圖をも待たず(あわ)てゝ廊下に出で、之も 「誰か早く來て下さい」と本家の方に向つて吐鳴(どな)つた、 「何事だ」と本家から、同じく驚いて問ひ返したのは主人蛭峰の聲である、 大尉は當惑して彈正の顏を見た、彈正にこそ一週間に三囘づつ孃の許へ來る事を許されて居る、 蛭峰には内密だから茲で見咎められては大變である、彈正は其れと見て、(まなこ)を襖に注ぎ、 其 背後(うしろ)に隱れよとの意を示した、是れは先に初めて此隱居所に來た時も隱れた場所である、 大尉は脱いで置いた帽子と手袋を取るが否や、襖を開けて其背後に辷り入ツた、 暇も有らせず、茲へ來たのは蛭峰である、彼は華子の、死んだ樣な姿を見て、 「エヽ、今度は華子の順番が來たのですか」と云ひ、悲しみやら驚きやらに(こぶし)を握つたが、 忽ち又心附て「何より早く醫者を呼びに遣らねば成りません」と云つた所で、 先頃から大抵の召使は暇を取り、後に雇ふた召使は化物の住む家へでも來た樣に()じ恐れ、 殆ど三日とは居附かぬので、使ひに遣る者が無い「エヽ私が自分で行つて來ます」と云ひ、 引返して家を出で、辻馬車に飛び乘ツて有國國手の家に急がせた、 此時蛭峰の家を辭して外に出た段倉夫人は此蛭峰の騷々しい状を娘と共に認め、 何事かと怪しんで呼留たけれど其聲は蛭峰の耳には入らなんだ。

蛭峰が去ると共に森江も襖の影から出た、彼も斯うして居る場合で無い、 再び蛭峰が歸つては逃げ端を失ふから、其前に何とかせねば成らぬ、と云つて別に工夫も無い、 直に最前の侍婢(こしもと)を呼び孃の介抱を托して置いて此家を出たが、 斯る時の頼みとなるのは巖窟島伯爵より外には無い、先刻も別れるに臨み、 何か力に餘る事が有れば直に頼んで來る樣に勵まされた、 眞逆に伯爵とて神では無いから我身より以上の工夫が出る筈は無い者の、 無限の金力は無限の勢力である、今まで伯爵の仕た事柄で人間以上の力を現はして居ぬ者は殆ど無い、 此場合とても又何の樣な助力が出來ぬと限る者かと直ぐ其足で伯爵の家に行つた、 丁度此時は伯爵の家から野西將軍が立去つて(わづか)一時間の後である、 知らず伯爵は何の樣な事を仕て居るやら。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三四 又も蛭峰家三


森江大尉の來た時、丁度伯爵は家扶春田路から野西將軍の自殺や其露子の落て行つた先などを聞き取つて居る所で有つたが、 森江の名を聞いて直に春田路を退け、泰然と靜かなる顏色を以て大尉を迎へ入れた。

大尉は顏色を見て此伯爵が今も野西將軍と畢生の大爭ひをした後とは知る(よし)が無い、 直に自分が頼みの筋が有ツて來た旨を述べ、伯爵が快く耳を傾くるに勵まされて落も無く心配の次第を打明けた、 唯だ蛭峰家と云ふ名前だけは包んだけれど、 最初自分が其家の主人と出入の醫師とが毒殺の事に就て何か爭ひ居たるを聞きし事より今は其家に三人目の死人が現はれんとする状を語り 「何とか伯爵、貴方のお力で、今死に掛けて居る不幸な娘を救ふてお遣り下さる工夫は有りますまいか」 と訴へた、聞き終つて伯爵は曾て此大尉に向つて見えた事の無いほど嚴重な顏と成つて 「其を救ふ工夫は有りません、蛭峰の家に其樣な不幸の續くのは、()し毒殺にもせよ天罰だから」 と云ひ切つた、大尉の驚きは一方ならぬ「何うして貴方は蛭峰の家と御存じです」 伯爵「巴里中を見廻して貴方の話に適合するのは蛭峰家の外に在りませんから」 眞に何うして斯う明かに何から何まで見極めて居るだらう、 大尉が呆れて二の語を繼ぎ得ぬ間に、伯爵「華子孃が毒に死ぬれば其次は野々内彈正と云ふ祖父が殺される番に成るのです」 大尉は腹立しい程の調子で「爾まで御存じなら貴方に其れを救ふ工夫が無くては成りません、 何だつて貴方は」伯爵「ハイ天の配劑へ横合から手を出して邪魔を試みるは愚です」 大尉「でも死ぬる者の身に成れば」伯爵「イヤ死ぬる者も、殺す者も私の目から見れば輕重は有りません、 殺される者を見殺しにするが罪ならば、殺す者の目的を齟齬させるのも矢張り罪です」 餘りの言ひ樣である、大尉は躍氣と爲つて「殺す者と殺される者と貴方には輕重が無いかも知れませんが、 私に取つては大變な違ひです、今殺されて居る華子孃は私の許嫁です」 伯爵は飛返らん許りに驚いた「エ、エ、()の華子が貴方の許嫁」 大尉「ハイ未だ父蛭峰には知られませんけれど、私は命よりも華子を愛します、 祖父彈正からは確な許しをも得て居ます、 其華子が今死に掛て居るのですから其れで貴方に工夫が有るなら助けて下さいと願ふのです」 伯爵は繰返して「あの華子が貴方の許嫁——貴方は蛭峰重輔の娘を愛するのですか」 と問ふたまゝ一言をも發せずに大尉の顏を睨み附けた、眞に大尉は是ほど威嚴の有る恐ろしい眼光に接した事は無い、 何だか自分の身が小さく(すく)んで了ふ樣に感じた。(やが)て伯爵は俄然として後悔の色を浮かべ 「アヽ餘り人の災難を冷淡に見過ぎたので、天が誡めを下された、人の災難が我が身の災難とは成つた、 (あゝ)森江さん、森江さん、貴方の許嫁と爲らば、私は華子を自分の娘の樣に思はねば成りません、 唯嘆いて居ても甲斐の無い事ですから、救ひませう、救ひませう、 ナニ森江さん私が引請たから、安心なさい、斯う云つて居る今が今、 若しも華子が未だ死に切らずに居るならば決して殺しません、ハイ私が助けます、 毒藥の働き方が私には能く分つて居ますから請合ひます」

何の樣にして救ふかは知らぬけれど大尉は深く伯爵を尊敬する丈け、 此言葉に間違ひは無いと安心し、猶ほ念をも推し又説明もして、(いや)が上にも頼み込んだ。

*    *    *    *    *    *    *

其れは扨て置き辻馬車に乘つて有國國手を尋ねて行つた蛭峰も殆ど森江と同じ情である、 彼は案内を請ふさへ(もど)かしと直に國手の室に躍り入り「大變です、三人目の死人が出來掛ました」 と叫んだ、國手は兼て蛭峰を誡めた通り、三人にも四人にも及ぶ事を期して居た程だから直に合點して 「今度こそは蛭峰さん貴方の大檢事たる職掌としても事の起りを公に詮議せねば成りますまい」 蛭峰は泣かぬ許りの聲で「詮議します詮議します、今度こそは——ですが國手、 今度貴方の推論と違つて居ます、(たふ)れたのが華子です」華子の名に、 初めて國手は驚いた「エ、華子自身が—— アヽ其れで毒害の本人を華子かと疑ふた私の推論は間違つて居て先づ目出度い イヤ其華子が毒に逢つては目出度い事も何にも無い、 其れにしても詮議は詮議ですから貴方は大檢事と云ふ職掌をお忘れ成さるな」と云ひ、 更に、「最う手遲れかも知れませんけれど、サア直に出張しませう」

斯う云つて國手は、蛭峰の乘つて來た辻馬車に同乘し、蛭峰の隱居所に馳せ附けて、 何より先に華子の身體を診察したが、全く九死に入つては居るが未だ死に切ては居ぬ、 蛭峰は此診斷を聞いて「エ、未だ死に切て居ぬとは、エヽ何たる心細いお言葉でせう」とて泣いた、 追つては死に切るとの意味が國手の言葉には籠つて居る樣にも聞えるのだ、 國手は更に華子の侍婢(こしもと)から彼の苦い砂糖水の一條などを聞取ツて、 益々不審の體と爲り「兎も角も感じ易い女の身で、一縷だけでも死に切らずに居るのが合點が行かぬ、 天祐とでも云ふのでせう、何にしても手當をするは今の中です」とて手早く處方を(したゝ)めて蛭峰に渡し 「之れは貴方が自分で藥劑師の許に行き人手に渡さずに持つて歸つて服用せしめねば(いけ)ません」 人手に渡せば何の樣な工夫で毒を混ぜられるかも知れぬとの意が意味の中に明白である、 蛭峰は「勿論です」と答へて直に自分で飛び出した。

國手は再び華子を診察し益々不審に堪へぬ如く首を左右に傾けて考へたが、 遂に彼のABC文字の表を取り、彈正に向ツて聞いた、其結果として分ツたのは、彈正が此頃華子の身を氣遣ふて、 自分の用ふる貌律矢(ぶるしん)の入つた水藥を毎朝少しづつ量を殖して分け與へ今朝は四匙まで服さしめたとの事である、 國手は手を打ち「其御用心が悲しくも功を奏しました、其れが爲に華子は未だ死に切れずにゐるのです、 如何ほど(かすか)たりとも命の繋がツてゐる間は即ち希望が繋がツてゐるのです」 とて彈正を慰め、更に口の中で「是で二重の事柄が明了した、 確に此家に毒害者のゐる事と、其毒藥が兼て見拔いた通り貌律矢(ぶるしん)である事」 と云ゝも終らぬ所へ蛭峰夫人も來た、夫人の且驚き且悲しむ状は夫蛭峰よりも誰よりも深い樣に見えた。

*    *    *    *    *    *    *

此日の猶ほ暮れぬ間に、此蛭峰の隣の家へ引つ越して來た人が有る、 何うして今までの住人を立退(たちの)かせたか知らぬけれど、 一年分の前家賃で借入れたとの事であるが、 家の土臺が朽てゐるとの口實で直に大工などを入れ修繕に取掛ツた其物音が彈正の隱居場へまで聞えて來る、 (そも)借主は誰だらう、伊國(いたりや)の僧侶暮内法師と云ふ事である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三五 段倉家一


蛭峰家の隣に越して來た暮内法師が何をするか、華子孃の運命は何うなるか、 是は暫く後の事に讓り、話頭(はなし)は段倉家の事柄に移る。

既に段倉夫人が蛭峰の家へ知らせて來た通り段倉孃と皮春小侯爵との縁組は全く話が極り愈々土曜日の夜を以て段倉邸に約定取替はせの式を行ふ事に成つた。

約定の取替はせは殆ど婚禮と同じ事である、其翌々日を以て婚禮するのだ。

段倉男爵は此婚禮を以て、傾き掛けた我が銀行の信用を囘復せんとし、 大に其式を(さかん)にする計畫を定めた、 凡そ巴里の貴顯紳士で段倉家から此式場に列なる可き招待状を受ぬ人とては無い程であつた、 巴里全體が段倉家に集まると云つても()い。

花嫁の婚資が五十萬 (ふらん)、 是さへ既に驚く可き程であるのに花婿の持參金は其六倍三百萬 (ふらん)と云ふのである、 勿論巴里中の人々が羨みつゝ口々に噂した、是だけの金は雙方が約定取替はせの式場へ持つて行き、 調印と共に公證人の手へ渡し、新夫婦の名義を以て段倉銀行へ預け入れる定めである、 併し是れは唯差當りの金額である、婚禮が濟んだ後に花婿及び其父から段倉銀行へ預ける金は何れほどの高に及ぶか知れぬ 先祖代々皮春家が吝嗇と云はるゝほど儉約して、 或は穴倉に蓄へ或は地の下に埋め或は井の底に沈めなどして有る無數の金が悉く段倉銀行へ移り、 鐵道や其他の事業に用ひて利殖せられる事に成るだらうとは、耳の早い人々の密々(ひそ〜)話である 果して其通りになる日には全く株式市場や金融界の相場を狂はせるに足るだらう。

とは云へ此羨むべき縁談は、少しの骨折も無く熟した譯では無い、 段倉男爵が夕蝉孃を説き附けると云ふ程の面倒にも及ばずして、 唯父の威光を以て推し附ける事も出來やうけれど、 孃は仲々に氣の強い(たち)で、兼て結婚と云ふ事を嫌ひ、 其身は音樂を以て終身獨立すると云ひ、數年前から網里女史とて其道に堪能なる婦人を内教師に雇ひ、 猶ほ其上に畫をも習ひて、今では隨分、畫と音樂と(いづ)れを職業としても身を支へられる丈の腕前には成つて居る、 爾して日頃望んで居る所は、何處か伊國(いたりや)邊へ修業に行き音樂道の奧義を究め度いと云ふに在つて、 時々網里女史に其相談を持掛ける(よし)である、 斯樣な娘を説くのであるから段倉も一通りの力では行かず、 此數日前に及び、終に我が銀行の實際の事情を内明け折入つて頼み込んだ。

段倉銀行の大約(おほよそ)の内幕は讀者の知る通りである、 西班(すぺいん)公債の失敗に引續き東方の取引銀行が何う云ふ譯か不意に二ヶ所まで破産して少からぬ影響を受け、 金を引出す人のみ有つて拂ひ込む人の更に無い有樣とは成つて居る、 斯樣な場合に立至つては平生幾千萬の融通を自由にし殆ど金の利殖法に困る程の大銀行でも、 意外に早く絶命する者で、平生の取引が廣ければ廣いだけ、益々其危險が多く、 愈其死に際が脆いのだ、殊に段倉男爵が心を痛めて居るのは兼て巴里市慈善協會から委托せられて居る五百五十萬と云ふ大口の拂戻しの期限に差迫つて居る一事である、 疑ひ深い同業者の中には段倉銀行が無事に此期限を通過し得るや如何にと内々氣を附けて居るも有る程ゆゑ、 男爵は必死の力を以て其れ丈の金の工面に掛り、漸く關所を越えられる丈の見込がツイ兩三日前に附いたものの、 此金を無事に拂ひ出した其後が恐ろしい、其時こそは皮春小侯爵の持參金を利用する外に活路が有り相にも思はれぬ。

其代り結婚の約定が無事に濟みさへせば直ちに取引先の思惑も一變し、 其れにて又兼て許可を得て居る鐵道敷設の企業も有る事ゆゑ、 三百萬の金は一週日の中に其十倍の實益と爲つて、 段倉銀行が何の破産をも知られずに今までの地位を支へ得るは無論である、 (つまづ)くに早く起き直るのも亦早いのが此道の常である。

段倉男爵は是だけの實際を、娘の心に分るだけに、イヤ暗き所は實際よりも暗く殆ど恐れを抱かしむる程に、 又明るい所は實際よりも明るく嬉しさに堪へざらしむる程に、 言葉巧みに説いた爲め、孃も遂に我を折つて父の意に從ふ事とは爲つた、イヤ從はねば成らぬ事とは爲ツた。

併し孃が心の底には猶だ何だか解け切れぬ所が殘つて居る 「私は少しも安心する事が出來ません、野西武之助とても()の通りでは有りませんか、 若しも急いで婚禮を濟ませたなら、今私は何う成つて居るでせう、 世間からは笑はれ辱められ、身の置き所も無い程だらうと思ひます、 此事を考へると婚禮と云ふ言葉を聞く度に私は身が震へますよ」 と云ふのが孃の漸く承知した後の愚痴でも、蟲の知らせると云ふ者では無からうか、 野西武之助との縁談を破ツて皮春小侯爵の妻と爲るは水を逃れて火に入る樣な者では有るまいか、 若し巖窟島伯爵に孃の此言葉を聞かすれば、女の神經の靈妙の作用に驚き、 何の樣な顏をするだらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三六 段倉家二


「なんの、野西武之助は()の通りでも、此父の目鏡に叶つた皮春小侯爵に限つては間違ひは無い、 全く和女(そなた)が生涯を托するに足るのだ」と段倉は娘の愚痴に對して慰める樣に言ひ切つた、 夕蝉孃は別に慰められた容子も無く「ナニ阿父さん、私が婚姻の約定書に調印さへすれば其れで好いのでせう、 其後で()の方に生涯を托するか托せぬとは私の勝手では有りませんか」 何だか調印はするけれど婚禮はせぬと云ふ樣にも聞える、段倉は目を圓くし 「何だ、調印はしても生涯を托さぬとな、其樣な奴が有る者か、 調印が即ち婚禮ではないか婚禮が即ち生涯を托すると云ふ者では無いか、 調印はしたが婚禮はせぬと云ふ譯には行かぬ」孃「ナニ調印も婚禮もするのですよ、 何でも貴方のお言葉の通り、段倉銀行の助かる樣にはしますけれど、其後は私の隨意でせう」 何だか眞に婚禮する氣が無い樣に聞えるけれど、餘り奧の奧まで強附けては折角承知させた事を又打毀す恐れが有る、 實は親ながらも孃の一方ならぬ強情を恐れて居るから成る可くは無事に機嫌を取つて置かんと 「爾さ何でも約定が圓滿に運んで此難場を逃れる事さへ出來れば其れで好い、 愈段倉銀行が第一流の信用を支へて父の事業が滯り無く進む樣になれば、 父は何の樣にでも和女(そなた)に禮をし、和女(そなた)の云ふ事をも聞きますよ」 孃は何やら獨り頷き「兎に角調印に滯りは有りませんから其れ丈は御安心成さい」 と奧齒に物の挾まツた樣な言葉を殘して去ツた。

斯る間に孃の所天(をつと)たる可き皮春小侯爵の方は何の樣な事をして居るだらう、 彼は自分の巧な掛引で愈々巴里第一流の銀行家から妻を得る迄に漕附けたのは、 勿論嬉しくて成らず、此婚禮が即ち自分の身に大保險を付けると同じ事で、 是さへ濟めば又と其身の破滅する樣な時は來ぬと、 唯だ喜びに滿ちて居るけれど、調印の時には三百萬の大金を積むと云ふのが聊か氣懸である、 自分の身代(しんだい)とては月々巖窟島伯爵の手から出る五千金の外に何にも無い、 唯伯爵の言葉を當にし其時までに何うか成る事と信じて居るけれど、 未だ其三百萬が父皮春侯爵と云ふ名前で手許へ屆いた譯でも無く、 又巖窟島伯爵から受取つた譯でも無い、爾して婚禮と云ひ調印と云ふ事は早目の前に推し寄せて居る、 何でも今一度伯爵に逢ひ、堅く頼み込んで置かねば成らぬと、二度も伯爵を尋ねたけれど不在で有つた、 三度目は愈々今夜が調印と云ふ其日の朝で有ツたが、 伯爵の邸を指して行く道で丁度伯爵が何處からか馬車に乘つて歸るに出逢ふた、 小侯爵は直に其馬車に寄り「伯爵、閣下にお願ひが有りまして幾度も御留守へ伺ひました、 失禮ですが丁度幸ひですからお馬車の端へお乘せ下さいお宅へ着く迄に話して了ふ丈けの短い事柄ですから」 若しエリシーの大通りを伯爵の馬車に相乘してsく事が出來れば唯其れ丈でも金錢に替へられ程の大信用を得られる譯だ、 日頃の伯爵ならば一も二も無く「サア此れへ」とて座を讓る筈で有るのに、 唯簡單に「後からお出なさい」と何だか無愛想に言ひ切つて了ツた、 併し後からでも「來い」との一語が有る丈は安心だから、 直に續いて伯爵の邸へ行き、恭しさの中へ嬉しさを混雜(こみまぜ)て「第一閣下に喜んで頂かねば成りません、 愈々夕蝉孃と今夜結婚の調印式を擧げることに成りました」 伯爵は善いとも惡いとも、口にも顏にも現はさず、單に「其れから」 小侯爵「就きましては父公爵は露國へ行くとて先頃出發したまゝ未だ歸りませず、 誰か父の代りに父分として私を導いて下さる方が無くては不似合ですから何うか貴方に——」 彼は先にも記した通り内々伯爵を自分の誠の父だらうと推量して居る、 此言葉で其れを試す事も出來るのだ、伯爵「何うか私に其父分を勤めて呉れと云うのですか、 其れは出來ません」小侯爵は父に甘える子の樣に「何うか爾仰有らずに」 伯爵「イヽエ、(いけ)ません、第一私は初めから此婚禮に不贊成です、貴方へも段倉氏へも、 幾度(いくたび)か其旨を告げました」第一流の大金持との縁組を不贊成とは、 流石眞の父だけに是よりも更に立ち優る縁談を考へて居るのか知らん、 併し爾うまで慾張つて待つては居られぬ「でも今更破談にも出來ませんから御不滿足でも何うか父分を」 伯爵「私が其れを勤める事に出來ぬ第二の理由は、 私は土耳古にも埃及(エジプト)にも幾個の后宮を有し、 數十人の(めかけ)を蓄へて居ます、此一夫多妻の實行者が、 一夫一婦の制度を取る此國の婚禮へ、客として招かれるは格別、 父分などとして後で何れほど非難を受るかも知れません、 貴方に父分に成つて呉れと所望せられるのは五百萬の金を貸せと云はれるよりも辛いのです、 金なら何うでも成りますけれど」叱るのか勵ますのか譯が分らぬ、 小侯爵は世に云ふ牡丹餠(ぼたもち)で頬を打たれる樣な氣持で直に其金と云ふ語に獅噛(しが)み附き 「ハイ金も願はねば成りません、調印の時に積む三百萬の金が、愈父から來るのでせうか」 伯爵「其れは來ませう父上皮春侯爵が送ると云はれた以上は必ず途中に在るのでせう」 小侯爵「若し其着くのが間に合はぬ時は」伯爵「調印を延べても好いでせう」 此冷淡な言葉にが(ぎよつ)として「其れは出來ません、 既に巴里中へ招待状まで出しました、貴方のお手許へも來て居ませう」 伯爵「爾です來て居ます、成ほど日取は今更替へる事が出來ず、其れでは斯うしませう、 私の考へでは必ず調印の間際に其席へ屆く事を、父上が取計ツて有るだらうと思ひますけれど若し着かぬ時は、 左樣さ私が用意としてロスチャイルドの三百萬の引出切手を衣嚢(かくし)へ入れて行きますから、 其れを貴方に渡しませう」小侯爵は浮び上ツた 「オ、阿父さん」の言葉が我知らず口まで突いて出たけれど父の方で隱して居る祕密を此方(こつち)から破る樣にして不興を受けては元も子も無くなるとの念が、 流石 際疾(きわど)い場合に慣て居る丈け此咄嗟の場合に起り、思ひ直して 「イヤ此件に付き閣下の御盡力は謝する言葉が有りません」伯爵は之をも聞き咎め 「此件に付き何を私が盡力しました、今も云ふ通り此婚禮に私は徹頭徹尾の反對者では有りませんか」 小侯爵「ですけれども最初私を段倉にお引合せ下さツて」 伯爵「之は()しからぬ、何時私が引合せました、 單に私のオーチウルの晩餐會に招かれて、其席で貴方は自分で段倉と話を初めたでは有りませんか、 私は引合せた覺えが有りません」小侯爵「爾ですけれど、私が皮春家の息子と云ふ事も、 貴方が誕生證書まで取寄せて證明して下さツて」伯爵「オヤ其れも聞違ひでせう、 ()の書類は柳田卿から貴方に渡して呉れとて送つて來たのを、 私は唯だ其頼みに從ツて貴方へ渡した迄の事です、 柳田卿からは()し禮を云はれる事は有らうとも貴方から謝せられる道は有りません」 小侯爵「ですが月々の小遣ひも下さツて」伯爵「イヽエ小遣ひとても私は貴方に一錢も遣つた事は有りません、 貴方は自分の父上の許した丈しか使ツて居ぬでは有りませんか、 今夜の調印に()しや三百萬を立替るとても其れは矢張り柳田卿への友誼の爲で、 貴方の爲では有りません、直に其金は皮春侯爵から利子を付けて返して貰ふのですから、 私は唯だ金貸の本分として自分の儲け爲事(しごと)をするに止まるのです」 斯う餘所餘所しく云ふを聞いても小侯爵の心に父と云ふ念は失せぬ、父なればこそ、 此樣に不信切らしく見せて信切にして呉れるのだ、彼は唯だ柔順に 「(いづ)れにしても私は謝する言葉を知りません」 唯だ柔順にして他日貴方から謝する事を許される時を待つ他は有りませんと 全く我父の(きも)の底へでも(こた)へるだらうと云ふ積りで其實全く見當違ひの言葉を殘して去つたは笑止である。

後で伯爵は唯頬笑んだ、全く段倉家にも天の裁判の落下する時が來た樣だ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三七 段倉家三


慾、慾ほど人の(まなこ)を暗ませる者は無い、大抵の賢者でも慾に心が動く時は愚人にも笑はれる程の愚なる事をする、 今、段倉男爵が皮春小侯爵と云はるゝ一少年を我娘夕蝉の夫と定めたるが如き全く其適例である、 如何に伊國(いたりや)の舊家と稱すればとて、 又如何に巖窟島伯爵と懇意らしい間柄ならばとて、今までの素性經歴が分つてゐる譯では無し、 實に何處の馬の骨とも知れぬ者と云ふ可きである。

イヤ何處の馬の骨でも無い、コルシカ島に育ツた私生兒の辨太郎である、 何の樣な罪、何の樣な惡事を犯してゐるか、段倉男爵こそ知らぬ、 年に似合ぬ長い履歴を持つてゐて、若しも其筋に知られたならば殆ど首が二個(ふたつ)有つても足らぬ程の男である、 其れに段倉が惚れ込むとは、惚れ込まねば成らぬ樣に配劑する人が有るにしても實は慾心に誤られたので有る 一旦惚れ込んだ後は、(たと)へば巖窟島伯爵の如きが諫めれば諫めるだけ益々熱心の度を増すのだ、 一つは彼の運命が傾いてイヤ不義の富貴の盡る時が來て當然の天罰の加はると云ふ者で有らうけれど、餘り氣の毒だ。

彼段倉の見込みは唯だ此婚禮に依つて我が銀行の財政を救ふと云ふに在るけれど、 其れは慾の慾たる所以である、無事に行つた所で一家の汚辱、若し無事に行かぬ日は耻の耻、 何方(どつち)にしても最う逃れぬ災難の網に罹ツてゐるのだ、 巖窟島伯爵が獨り頬笑むも無理では無い。

其れは扨置(さてお)き愈調印式の當夜とは爲つた、調印式は即ち婚禮の披露の式なのだ、 案内の時間は夜の九時と云ふのだけれど、 其時間に行つては混雜の爲め段倉夫婦及花婿花嫁へ充分の歡びを述べる事が出來ぬも知れぬと手廻しの好い人逹は宵の程から詰掛て定刻前に幾百幾千の客が集つた、 式が濟めば饗應も有る舞踏も有る、徹夜の宴に歡樂と云ふ歡樂は仕盡すのだ、 勿論 其れ〜ゞ用意も行渡りて居る、第一の客間なる大廣間の中央に聊か高く式場を設け、 第二第三の客間まで見るも(まばゆ)き程に飾り立て、 照り添ふ燈火(ともしび)の光りに不夜城の景状(ありさま)も想像せられる、 式場の近くに集ふのは(いづ)れも當家と特別の懇意か又は世間に最も高く尊敬せらるゝ人逹で、 段倉夫婦及花嫁花婿も大抵は其邊を離れぬ樣に勉めて居るらしい、 斯くて愈々九時の時計の鳴る頃には、入來る人の數 (いや)が上にも多く、 一々に其姓名を報告する取次人の聲も能くは聞分けられぬ程であつたが、 其中に一同をして忽ち鳴を鎭めさせたのは「巖窟島伯爵」との一聲である。

別に伯爵の衣服が目立つと云ふ譯では無い、却つて他の人々より質素な程に作ツて居るけれど其勢は磁石が鐡の砂を吸附ける如くである、 主人は(もと)より來客の中にも伯爵の傍に馳寄つたのが幾人と云ふ數を知らぬ、 伯爵は一樣に此人々へ短く挨拶したが、聊か他より長かツたのは蛭峰夫人へ對してゞある、 尤も外の人は大抵夫婦連だのに此夫人が單身で來て居る爲め特別に慰め問ふたので有らう 「蛭峰さんは何方(どちら)に、イヤ令孃は何う成されました」 夫人は娘華子が過日來病氣で今以て床を離れ得ぬ事から蛭峰が公用の爲に妨げられて來會し得ぬ旨を答へた、 公用と聽いて伯爵は聊か顏色を變へ、 何事をか云はふとしたけれど丁度此所へ網里女史に手を引かれて花嫁夕蝉孃が來た爲めに言葉を止めた。

花嫁の挨拶に續いて網里女史も伯爵に向ひ 「先日は伊國(いたりや)の音樂師に宛て紹介状をお(したゝ)め下さツて有難う御座います、 (いづ)れ遠からず彼國へ行きますからお蔭樣で萬事都合好く道が開けるだらうと思ひます」と云ふた、 斯くて女史が退くと共に伯爵は又蛭峰夫人に向ひ、今言ひ掛けた言葉を繼がふとしたのに、 今度は花婿小侯爵が近づいた、彼は調印の時刻が近づくに連れ、 父より送る三百萬の大金が最う來るか、最う來るか、來れば何の方面から現はれるだらうと只管(ひたす)ら氣を揉んで居たけれど、 伯爵の顏を見てヤツと安心した、確に伯爵の衣嚢(かくし)には晝間約束した通り三百萬の手形が一枚入つて居るのだから其れを忘れられては困る、 忘れさせぬ用心の爲め彼は「先刻のお言葉で私は生返つた心地が致して居ます」 と婉曲に念を推した、伯爵は輕く頷いたが、 其意味は「ナニ三百萬の金よりも(もつ)(えら)い材料を持つて來た」と云ふに在つたは、後に至ツて合點せられた。

小侯爵の去ると共に伯爵は三度蛭峰夫人に向ツた、けれど又も遮られた、 今度は公證人が「是より愈々調印に取掛ります、 其順序は第一が段倉男爵、第二が夫人、第三が皮春小侯爵の父上の代人、 第四が皮春小侯爵、第五が夕蝉孃」と呼び上た爲であツた、 此聲に續き伯爵は直に段倉の許に行き其耳に何事をか細語(さゝや)いたが多分 「皮春小侯爵より提供する三百萬圓は私が立替ます」との言葉で有つただらう、 兎に角小侯爵だけは爾う合點した。

客の中には伯爵が三度まで蛭峰夫人に云はうとして言ひ得なんだ事柄は何で有らうと怪しむ人が隨分有つた、 是等の人々は只管(ひたすら)伯爵と蛭峰夫人とに目を注ぎ耳を傾けて居たが、 未だ伯爵の口を開く場合は來ぬ、伯爵よりも先に段倉夫人が蛭峰夫人を占領して 「今段倉が調印しますと次は私ですから、何うか貴女が附き添ふて來て下さい」 蛭峰夫人「ハイお言葉に從ひませう、けれど蛭峰が公用の爲に來て居ぬのが殘念です、 夫婦でお附添をすれば好いのですのに」段倉夫人「本統ですねえ、 何の樣な御用か知りませんが私共の爲に一夜だけ公用を延ばして下さつたとて好いでは有りませんか、 私は蛭峰さんを恨みますよ」伯爵は兩夫人の間へ進んだ「イヤ蛭峰さんよりも私をお恨み下さい 大檢事に急に公用の出來たのは全く私の不注意の爲です」是れだ、是れだ、伯爵が三度まで言ひ掛けたは是れなんだ、 何で伯爵の不注意から大檢事に其樣な公用が出來たのだらう、 凡そ何の場合に於ても大檢事の公用と云ふほど、人に物凄く聞える者は無い、 定めし何か恐ろしい犯罪が露見して來たのだらうと誰も思ふのだ、 先刻から怪しんで居た人々は勿論其他の人まで釣込まれて、 唯だ伯爵の次の語如何と耳を傾け、忽ち前後左右に多勢が立ち集まツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三八 段倉家四


大檢事の公用とは何であるか、巖窟島伯爵が何の樣に其れに關係が有るか、 是れ一同が怪しまれずには居るられぬ所である、 巖窟島伯爵の言葉は唯だ蛭峰段倉兩夫人に對しての私語であるけれど傍に居る人々は公の演説をでも聞く如くに鎭まツた、 爾して其靜かさが段々四方に傳へはツて、擴がツて行く樣であツた。

中にも花婿の皮春小侯爵は最も耳を澄した一人である、 彼は何氣なく構へては居るけれど其實氣遣はしさに堪へぬ心を以て聞いて居る事は、 其 (まなこ)が巖窟島伯爵の方に注ぐよりも、室の總ての方面に注ぎ、 眞逆の時の逃道と搜して居る樣に見えたので察せられる、 全體檢事とか警察官とか云ふ名を聞いて、第一ん耳を傾け又第一に用心するのは何の場合に於ても其身に暗い所が有る人である。

伯爵は我が言葉が大抵の人の注意を引いた事は見濟まし、其れとは無く口を開いた

「實はネ、先夜私の家に忍び入り爾して立去る時に變死した盜坊(どろばう)が有つたでせう」 蛭峰夫人「爾です、爾です、新聞にも出て居ました」 段倉夫人「新聞どころか今でも世間で言ひ傳へて噂して居るでは有りませんか」 巖窟島伯爵「アノ盜坊(どろばう)の變死は、繩梯子で塀から降りる所を、 下に待つて居た相棒が刺し殺した者だらうと警察でも鑑定を附たのです」 段倉夫人「爾です、爾です」答ふる所へ段倉も調印を濟まして徐々(しづ〜)と歸つて來た、 伯爵の語は次の如く進んだ。「警察官が其現場へ來て、彼の傷所を檢たむる爲め、 着る物を脱がせましたが、檢ため終ツて再び其着物を着せた時、 何たる疎匇(そそう)でせう其中の短袍(ちよつき)だけを取落して去つたのです」 取落したのでは無い實は伯爵、イヤ其時の暮内法師が、警官の來ぬうちに取除けて置いたのだ、 茲まで聞いて皮春小侯爵の目づかひは、 誰も氣が附かぬけれど益々不安心の状に成つたのみならず實際其身を人の後へ、後へ、 と少しづつ引下て段々戸口の近い所へ寄つて行く樣に見えた、 伯爵「所が今日に成ツて私の下僕(しもべ)が下水の溝の中に其 短袍(ちよつき)の落て居るのを引上げたのです、 見ると總體が血塗れになツて、脇の方には短劍で刺した穴まで有るのです」 貴婦人の幾人は恐ろしげに身をも震はし又聲をも發した、併し恐ろしいだけ猶聞き度い 伯爵「其れを下僕(しもべ)が檢めて更に其 衣嚢(かくし)の中から一通の手紙を引出しました、 之は其奴(そやつ)が郵便に出す積りで、未だ出さずにゐたのだと見え印紙までも貼つて有るのですが、 何うでせう、其宛名が」と云つて今座に着いた段倉を顧み「段倉さん貴方に宛て有つたのですよ」 段倉とても決して良心の清い人間では無い、過た昔を顧みると何の樣な惡人とも掛り合が有るかも知れぬ、 彼の顏の色は目に附くほど變ツたけれど流石は事に慣れてゐるだけ直に取直して最も(たひら)な容子んい返り 「銀行頭取と爲つて居ますと、譯の分らぬ奴等が色々の無心状を送りますので」と旨く反らせた、 段倉夫人も日頃夫と罵り合つてのみ居るにも拘らず、此樣な場合には夫の不名譽が自分の身に及ぶから、 幾等か援兵と云ふ意味で「では伯爵、其お話は、今夜蛭峰さんが茲に出席なさらぬ事柄とは關係が無いでは有りませんか」 餘計な枝葉を話さずに早く筋道だけをお話し成さいとの横槍である、 伯爵「何しろ非常な證據物件だらうと思ひましたから直に其 短袍(ちよつき)を手紙の入つたまゝ蛭峰大檢事へ送つたのです、 今夜大檢事が茲へ來ぬのは、至急に其事を取調べる爲に相違有りません、 何しろ段倉さん此巴里に於て最も私の愉快に感ずる事の一つには、 犯罪事件が手早く取調られ罪の委細から連累の範圍が容易に分るに在りますよ、 貴方に宛た手紙は有つても勿論貴方の顏さへも知らぬ奴だと云ふ事は今頃蛭峰大檢事の手で能く分つて居るでせう」 とて異樣に慰めた、併し彼の曲者が滿更ら段倉の顏さへも知らぬ樣な者で無い事は、 其名の分ると共に蛭峰に分るだらう、先ほどから後へ後へと退つて居た皮春小侯爵は連累の範圍が容易に分ると聞いたとき、 (きツ)と伯爵の顏を見たが、彼は人の顏色など讀む事に妙を得て居るだけ、 伯爵の是等の語が深い目的無しに出て居るので無いと見拔いたか、 第一の客室から早第二の客室へ辷り入つた、何だか此婚禮は圓滿に終りさうに見えぬ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二三九 段倉家五


伯爵の話は是れで(ほゞ)一段落を告げた、今夜蛭峰大檢事の來ぬ仔細は先づ分つた、 段倉夫人は(たゞち)に立ち蛭峰夫人に連れられて調印臺に進んだ。

段倉は猶氣に掛る所が有ると見え、小さい聲で伯爵に向ひ、 「ですが其殺された奴の名は何と云ひます」伯爵は能くは記憶せぬ體で 「何だか變な名でした、爾々毛太郎次と云ひました、 今まで既に懲役に行つた事の有る奴だ相です」段倉の顏は聊かだけれど又青くなつた、 伯爵は此時 四邊(あたり)を見廻して、初めて氣の附いた樣に 「イヤ詰らぬ話をして皆樣のお耳を(けが)しました、斯まで皆樣が熱心に聽いて居るとは思ひませんでした」 と詫るのも無理は無い、全く滿堂の客が聲を潛めて伯爵の話しに聞入つて居たのだ、 其中に調印の式は進み、段倉夫人は再び座に歸り、更に公證人の「小侯爵皮春永太郎君」と呼び立つる聲が聞えた、 調印は彼の番である。

「小侯爵」「小侯爵」「オヤ、小侯爵は何處に」と客は口々に訝かり問ふた、 今まで確に此邊にゐた小侯爵の姿が見えぬ、客の中の少年紳士等は小侯爵とは隔て無く交はツてゐるを自慢として 「永ちやん」「永ちやん」と略稱をさへ呼び立てた、段倉は眉を(ひそ)めて立上り 「小侯爵は何處へお出成さツたでせう調印の順番が來たからお呼び申せ」 と給使の者に云ひ、其語調を以て只管(ひたす)ら小侯爵が深く尊敬せらる可き人なるを示した。

此時忽ち客の群は、入口に近い邊から人波を打つて騷ぎ初めた、 ツイ今まで伯爵の話に聞入つて鎭まり返つてゐた状とは全くの違ひである、 何の爲、何事と、奧の方にゐた人々は怪しみ合つたけれど仔細は分らぬ、 (いづ)れも足を爪立て人の頭の上から入口を見やうとした、 爾して只事では無い、火事か、喧嘩か、イヤ其樣な事も此嚴重な席ではある筈が無い、 「何だ何だ」と聲は波の樣に八方に擴がツた。

併し長く怪しむ間は無かツた、仔細は(やが)て人々に能く分ツた、此婚禮の席へ捕吏が踏込だのである、 仲々以て昔し馬港(まるせーゆ)で團友太郎と云ふ者の婚禮の席へ捕吏が入込だ樣な騷ぎでは無い、 其百倍千倍にも及ぶのだ、第一第二第三の客間の入口には二人 (づゝ)の番兵が立塞がつて騷ぐ客を騷がせぬ、 嚴重に出入を止めた、此番兵を指揮するのは捕吏の長である、 (たすき)の樣な胸掛を肩から斜に懸けて法律の威を光らせてゐる、 其下に使はるゝ幾人の捕吏は、誰でも逃げる者は容赦無く捕へるぞとの劍幕を示して鋭い目を客々の顏々に配ツてゐる、 騷ぎは深い〜暗い〜恐れと爲つて客一同の胸中に滿ち渡り、 滿堂 (せき)と靜かになツて、(あたか)も歌舞音樂の場が燒け跡と爲つた樣である。

捕吏(とりて)の長は闊歩して段倉の傍に進んだ、靜かな中に段倉夫人の驚き叫ぶ聲が(つんざ)く如く聞えた、 段倉自身も穩かな顏は支へ得ぬ、落着かぬ良心から落着かぬ色が顏に上るのある、 獨り段倉の傍に在ツて心の確なのは巖窟島伯爵である、伯爵は聊か腹立たしげに立て、 咎める樣に捕吏(とりて)に向ひ「何の爲に此席へ闖入します」 捕吏(とりて)は之には答へず單に「小侯爵皮春永太郎と云ふ人は茲にゐますか」 今も今、客が日頃其人との懇意を誇り、見せびらかせる程にした其皮春永太郎が捕吏の目的と爲つてゐる、 是ほどの椿事が又と有らうか、客一同は神經も麻痺してか暫しは何事をも考へ得ぬ程と成ツた、 其うちに捕吏(とりて)は手を分けて、搜し又搜したけれど永太郎の姿は見えぬ、 (やゝ)あつて段倉は恐る恐る問ふた「皮春永太郎は何者です」 捕吏「重懲役の刑期中にツーロン獄から逃亡した脱牢人です」 アヽ牢破り、牢破り、此恐ろしい名が客一同の胸に浸込んだ 「エヽエヽ脱牢者、重懲役、其罪で捕縛されるのですか」と段倉は我れ知らず問ふた、 捕吏「イヤ今夜捕縛されるのは新たな犯罪の爲です」段倉「新たな犯罪」 捕吏「ハイ殺人罪です、彼と共に脱牢した毛太郎次と云ふ者が先夜巖窟島伯爵の(やしき)に忍び入つた時、 永太郎は外に待伏せして居て、其出て來る所を刺殺したのです」 巖窟島伯爵は目早く客室總體を見廻したが、永太郎は早逃去つた後である、 捕吏(とりて)の手配りが遲かツたか、イヤ永太郎の逃方が早かツたのだ、流石に脱牢者の手際である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四〇 段倉家六


愈々皮春小侯爵は逃げたと極ッた、捕吏(とりて)は失望して()と不機嫌に立去ツた。

(あゝ)、此一事は段倉家に取つて何れほどの打撃である、實に想像にも餘るのだ、 野西將軍が唯だ一日で世間に顏向けも出來ぬ状に立至ツたに比べて、優るとも劣りはせぬ、 此後誰れが段倉に近づく者か、最も名譽ある婿を迎へる樣に言觸らせて人を集め、 爾して斯樣な殺風景を演出し、客一同をして聞くも恐ろしい牢破りの前科者に、 殺人の大罪人に、辭誼をさせ、歡びを述べさせ、尊敬の有る限りを盡させた、 眞に巴里中の紳士貴婦人をして彼の罪人よりも猶ほ(ひく)い地位に立たせたのだ、 全交際場を汚辱したのだ、()しや知らぬ事としても自分の不注意、 不詮索か又は慾心から出たのだから、其罪に變りは無い。

全く誰れ一人怒らぬ者は無かつた、大抵の人の不幸は、氣の毒がられ、 (いた)はられ、悔みをも述べられる者だけれど、今夜の段倉の不幸に至つては、 氣の毒と思ふ人が無い、(いづ)れも捕吏(とりて)の引上るを待兼て、 (あたか)も恐ろしい傳染病の家からでも逃去る如くに急ぎ去つた、 段倉夫婦が何れほど落膽してゐるか、花嫁が何の樣に悲しんでゐるか(など)は振向いて見やうともせぬ 「眞に失敬極まる、大罪極惡の人間を我々の社會へ披露して」と罵るも有れば 「我々をして、五分間たりとも捕吏(とりて)が戸口を守つてゐる其室の中に、 禁錮されたと同樣に立たせて置くとは許す可からざる失態では無いか」と怒るも有つた。

併し是れ等は猶輕いのである、少し落着いた人は段倉の財政の困難を見て取つた、 巴里第一流とも云はれる銀行家が、若し財政が豐かならば何で輕率に、不詮索に、 此樣な婿を取る事に運ぶ者か、只財政の上に、如何とも仕難い困難が有ればこそ、 結婚で以て其れを救ふ心を起し、深くは身許なども調べもせずして結婚式を擧ぐるまでに至ツたのだとは、 容易に推量の屆いた所である、今まで皮春小侯爵が大財産家と信用され、 此婚禮の爲に段倉銀行が金の置所も無い程に富むだらうと思はれてゐただけに、 此失敗が信用を傷つくることも激しいのだ、凡そ銀行家をして是れほど一時に信用を落さしむる事情は多く類が無い、 殆ど店先に支拂停止の札を掛けたのと同樣である、 何でも段倉銀行の運命は此月の卅日限りだとは此夜の中に大方全市中へ行渡ツた噂である。

捕吏も去り、客も去り、ガラ空と爲つた廣い客間の眞中に脂汗の光る前額(ひたひ)を銀燭の明りに照させ、 時の移るをも知らずに只一人考へ込んだは段倉である、彼は殆ど喪心して溜息さへも出ぬのだ、 夫人の方は泣て自分の室へ引込んだ、爾して今何をしてゐる、 又段倉が何時まで此通り考へ込んでゐる、其等は顧みる必要が無い、唯氣の毒なは花嫁夕蝉孃である。

併し其實、家内中で一番悲しまぬのは此孃であツた、孃は騷ぎの初まツた時、 怒つた女王の退く樣に、威儀ある姿で傲然として、傍目(わきめ)も振らずに自分の居間へ引取つたが、 既に分つてゐる通り、兼てから婚禮を嫌ひ、 無事に調印式をさへ濟ませば婚禮の終らぬうちに網里女史と共に伊國(いたりや)へ逃げて行く覺悟であツた、 爾れば自分の室に入つてより勿論一旦は悲しみもして、 其身の後に()いて來た網里女史に向ひ「私には不名譽と云ふ事が附いて廻るのか知らん、 賣國奴の息子をヤツと免れたかと思へば今度は人殺しの罪人と名を並べる樣になツた」 と苦い言葉を吐いて眼に涙を光らせたけれど、其れは少しの間で、容易に心を取直し 「サア網里さん、直ぐに伊國(いたりや)へ行きませう、誰も吾々二人に氣の附かぬ間に此家を立ちませう」と促した。

野西武之助が其母と共に住慣れた家を去ツたとは少し趣が違ふ、 彼は二人とも暗黒へ入る旅立なので、心は唯悲しみに滿ちてゐたが、此れは悲しみの中にも氣に引立つ所が有る、 兼ねて伊國(いたりや)へ修業に行き度いと二人で言ひ暮してゐた程だから、 一旦の悲しみが過ぎては最も少しの未練も無い、既に出發の用意は數日前に出來て居る、 夕蝉は身分の低い町家の娘の打扮(いでた)ち、網里女史の方は男の姿と爲り、 人が見れば平民的の新婚旅行かとも見える樣に服裝までも調へて有る、 其れに旅費も孃一人の貯金が三萬 (ふらん)も有る上に、 夜光珠(だいやもんど)其他の飾物などが幾十萬 (ふらん)の値打には上るのだ、 是れ丈を持つて行けば生涯でも安樂に暮される、殊に其うちには孃の聲と女史の音樂とで立派な報酬を得る事には成るだらう。

段倉男爵が猶だ客室に考へ込み、其夫人は猶だ一室で泣入つて居る間に、 此家の裏門から驅落の男女と見える兩人が忍び出て、通り合す馬車に乘り、 何處(いづく)とも無く消えて了ツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四一 落人一


爾るにても、段倉家に斯樣な大打撃を降下らせた本元は何うしたゞらう、 本元とは小侯爵皮春永太郎である、イヤ今少しの所で巴里第一流の銀行家の婿と爲る所であツた無宿者の辨太郎である。

彼は捕吏(とりて)の入り來るに會ひ誰よりも驚く可き筈であるのに、 其實誰よりも最も落着いて居た、諸人(もろびと)が何事ぞと氣も顛倒する程の際に、 彼は早第二の客室から第三の客室に辷り入り、更に轉じて段倉男爵夫人の居間に入つた、 茲には男爵夫人が宵の程に、是れか彼れかと取出して選り殘した指環や頭の飾などが猶ほ取散らされた儘である、 何れを見ても夜光珠(だいやもんど)紅珠(ルビー)などの嵌まつて居ぬは無い、 大抵は一個幾千圓幾萬圓と云ふ品である、 行掛の駄賃とは是れだと其中に目ぼしく見えるものを先づ五六品を衣嚢(かくし)に詰込んだ、 確に十萬圓からの(あたひ)が彼の身に着いたのだ、 斯くして直ぐに窓を飛び出し裏から潛り戸を經て外に出た、是等の時間は五分とも(たゝ)ぬ程で有ツた、 客間には丁度捕吏の長が室の戸口々々を番卒を配り附けて居る頃で誰とても肝腎の花婿が斯う早く逃げ去らうとは思はなんだ。

捕吏(とりて)さへも確に皮春小侯爵が猶客間に居る事と信じて居た、 勿論調印式の主人公とも云可きで居ねば成らぬ筈で有つて、 其上に捕はれねば成らぬ樣な手配りと、捕はれねば成らぬ程の早さ及び祕密を以て遣つて來たのだから、 逃た事とは思はぬ、逃る道逃る間の有らうとも思はぬ、 其れだから裏口の方は警戒も不必要として番卒を立てゝ無い、云はば開ツ放しである、 永太郎イヤ最う小侯爵の狂言も終つて永太郎では無い辨太郎だ、 辨太郎は潛り戸の外で一應 四邊(あたり)を見廻し、早くも自分の逃方の旨かつた事を見て取り、 是ならば生なか走りなどしては人に怪しまれると思ひ、 通常に道行く人の樣に見せ掛け、但し成る可く暗い所を選んで迂廻はしたけれど悠々と歩み去つた、 其去る先は巴里市の北の口とも稱す可きセント、デニスの方角である、 何にしても此土地に居る事は出來ぬのだから、外國へ落ちねばならぬ、 外國行には旅行劵が無いのだから國境を越える事が出來ぬけれど、 兎も角も今夜の中に此土地を離れるが肝腎である、後の事は行く道々で考へるのだと、 是だけは心に決してゐる。

セント、デニスの間近へ行つて時計を見ると夜の十一時を(わづか)に過ぎた許りである、 先づ居合す馬車を呼び、怪しまれぬ樣に口實を作り「(おれ)は友人の田舍の別莊へ牧狩に行くので、 其友人の馬車が此邊で待てゐる筈で有つたのに、(おれ)の來るのが遲れた爲め、 友人は先に立たと見える、何うだ此馬車で友人の馬車に追附く事が出來るだらうか」と問ふた、 馬車の主は先づ乘せる迄は何の樣な無理でも聽く「私の馬なら何の樣な馬車にでも追附ますよ」 辨太郎「三時間の中に追付けば四十 (ふらん)の賃を遣る」驚く可き賃錢では有るけれど、 行かぬ友人に追付く筈は無いのだから辨太郎は安心してゐる、 馬車の主「若し追付かねば」辨太郎「追付かずとも大急ぎに急げば規定の賃錢の倍を遣る、 コンベーイン街道を指して急げ」とて早引いて來る馬車に乘つた、 馬車の主は獨り合點してゐる容子で、「今より卅分ほど前に、其れかと思ふ馬車が茲を通りました、 若い男と女とが旅裝束で乘りまして」旅裝束の若い男女、女は今少しの事で辨太郎の妻と爲る所であツた段倉夕蝉孃、 男は男裝をした網里女史とは、流石の辨太郎も氣が付かぬ、 其れを追掛けて若し追付けば又一場の喜劇が出來は仕まいか、 其樣な事は思ひ設けぬ「オヽ或は其れかも知れぬ、兎も角急げ急げ」。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四二 落人二


辨太郎の乘つた馬車は其主の自慢した程でも無かツた、急ぎは急いだけれど、 先の馬車と云ふに追付きもせず、爾してルーブルまで行くと疲れて一歩も進まぬ事に成つた。

けれど辨太郎に取つては是れ却つて幸である、馬車から降りて其主には充分の賃錢を與へ、 其身は道を轉じて更に新しい馬車を雇ふた、斯うして置けば()し追手が來た所で詮索が六かしいのだ。

彼の懷中には段倉夫人の室から攫ツて來た大變な金目の品々の外に、 兼て惡人だけ萬一の用意として肌に着けてゐる紙幣が可なり澤山ある、 先づ三月や半年旅から旅へと逃て廻る旅費には困らぬ、此點は安心だが唯だ何處を何う逃るかとの工風が附かぬ、 何でも落着く先は白耳義(べるぎー)邊と思つてゐる、落着いた上、 (くだん)の金目の品々は通貨に替さへすれば一資本は有るのだから是を太い短い夢を見た餘得だと思へば巴里で數ヶ月の間、 小侯爵とまで立られて居たのが儲け者、其末が露見と爲り、 捕吏(とりて)に追掛けられる落人(おちうど)の身と爲つたも仕方が無い、 又好い運の向いて來る時もあらうと、年の若いだけ斷念(あきら)め方も淡泊だ、 只合點が行かぬのは何で巖窟島伯爵が此身を()の樣な榮華の波の中を泳がせたのか、 若し今まで思ひ詰てゐた通り此身の祕密の父ならば、 ()の大金力と大勢力とを以て此身の災難を豫防して呉れる筈だのに、 イヤ實は伯爵も婚禮の席へ捕吏(とりて)が來やうとは思ひ寄らなんで、 其れが爲に自分の私生兒を此樣な目に遭はせたのか知らん、 併しナニ此後の長い月日の間には必ず又伯爵に廻り合ふ時も有らう、 今度逢つたら何の樣な事をしてゞも伯爵と此身の眞の關係を伯爵の口から白状させねば置かぬと、 其れから其れへと考へて終に夜の二時にコムベインと云ふ小都會に着いた、 茲は世人も知る通り一頃は國王の行宮(あんぐう)も有つた小都會で、種々の方面から旅人も入込み、 仲々詮索の出來難い所だから外國へ落て行く惡人等が多くは立ち寄ツて思案を極める場所である。

二時とは云へど猶ほ起きてゐる宿屋が有ツた、幸と其れに入り、 何でも捕手らしい人の若し徘徊する樣な場合に直に見認め得る便利の爲に二階の角に在る一室を借り度いと思ひ、 帳場の者へ相談すると、其室は先刻巴里から着いた若い一男一女の客に塞がれたと云ふ事である、 此一男一女の客とはセント、デニスで先に行つたと聞いた其一男一女では有るまいか、 併し其事は辨太郎の心に最う消えてゐる、兎に角其室が塞ツてゐるなら成る丈け其れ似た室をと更に所望し、 帳場の直ぐ上に當り、矢張り戸外(おもて)の能く見える室に入れられた。

此時は最も彼の心と此後の方針が極つてゐる、何でも明朝早く起き、 無理に勘定を濟せて、餘り人目の觸れぬ間に山手へ行き、森林の中へ潛むのだ、 森林とても樵夫(きこり)(そま)の家は有るのだから成るたけ深く分け入つて、 其樣な家を尋ね、餘り世間を知らぬ其主人を(だま)し、森林の景を寫す爲に來た畫工だとでも言つて宿を求め、 少しの金で喜ばせて遣れば、樵夫(きこり)の服を手に入る事も出來るだらう、 兼ねて(すゝ)などを以て我が皮膚を塗り黒め、日に()けた人の樣に見せる術は、 ツーロンの牢にゐたとき先進の惡人共から幾度も聞いて()く知つてゐるのだから、 其後は山から山を傳ひ、時々日暮などに人里に出て(ぱん)を求め、 (うゑ)さへ凌げば何の樣な艱難をしても國境を越えられぬ事は無いと、 大體を案じ定めた、實際旅行劵の無い者が外國へ出るには是れより外に手段は無いのだ。

愈々斯うとすれば早く寢るのが肝腎だと直に床には就いたが、 思案の定ツた安心と晝からの疲れなどで場合不相應に熟睡し、 朝になツて目の覺めたのは九時である、山へ潛り入るには少し人目が多過ぎる樣に思ふけれど仕方がない、 一刻でも早くと思ひ、先づ戸外(おもて)の容子を(うかが)ふと、 何うだらう此家の眞前に憲兵が一人立つてゐる、 是れは此頃警察の爲に使用せられる事に成つた電信の作用で、 今朝巴里の警視廳から此樣な落人(おちうど)を捕へよと辨太郎の人相風貌の概略までも報じて來た爲である、 爾と迄は思はぬけれど、心に(きず)持つ身のハツと驚いて更に廊下に出、 耳を澄して聞くと帳場へも憲兵が來て「昨夜二時頃に何でも此家の邊でルーブルから乘つた客を降ろした馬車があるが」 などと云つてゐる、確かに此身を捕縛の爲であると心附くより早く元の室に馳せて入つた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四三 落人三


馳せて自分の室に入つて、辨太郎は「最う駄目だ」と叫んだ、眞に駄目なんだらう、 逃れる道は一つもない、昨夜のは旨く逃れたけれど今朝のは駄目である、 何うしても捕まらねば成らぬ、捕まれば輕い罪とは違ふのだから直に裁判所に引出され、 直に宣告せられ、直に死刑、直に執行である、恐れずに居られやうか。

彼は今まで聊か心に頼みとする所が有つた、其一は巖窟島伯爵である、 伯爵が此身の捕はるゝのを防ぐため運動して呉れるだらう、其二は段倉である、 兎に角其家の婿夫(むこ)とまで極めて居た者が捕はれて裁判所に引出されては其家の耻辱だから是も何とか運動するだらう、 誠に頼み少い頼みでは有るけれど之が有る爲餘ほど心が氣強かつた、 今は此頼みも駄目である、駄目な證據には早や憲兵が此家を取圍み、帳場から詮索を初めて居る。

彼は得も云へぬ當惑の色を眼に浮かべて室中を見廻した、何處かに逃げる穴は有るまいか、 何處からに好い工夫の材料は無からうかと、爾して目に留まツたのは一方に在る卓子(てーぶる)と其上の紙墨筆である、 流石惡人の本性は此危い場合に現はれて、彼は筆を取上ぐるよりも早く書いた 「相濟まぬ事ながら餘は一錢も無き旅客なり、併し食逃げは氣の毒故襟飾の金の留針を代價として茲に殘し置き、 誰も起きぬ間に出發する故、後にて此留針を賣拂ひ宿賃を取つて下され度し」 と(あたか)も早朝に立ち去つた樣に見せ掛け、宛名は「當旅館の番頭殿」と記し、 爾して留針を紙の眞中に打込だ、無論憲兵が此室に來れば第一に此手紙に目を着けるだらう。

併し彼は自分の身體を何う掻消す積だらう、唯枕元に脱いである外被(うはぎ)を引掛れば其れで好い、 直に其れを引掛けた、爾して丁度食逃げをした後の樣に、(わざ)と出口の戸を開け放した、 茲から逃げましたと云はぬ許りである、 之だけの紛らはしい形跡を作ツて置いて其身は直に煖爐(すとーぶ)の中へ潛り込み灰に殘る自分の足跡を旨く撫で消して置いて必死の力で煙突の中を上り初めた、 此所へ憲兵二人「番頭殿」に案内せられて遣つて來たが戸の開け放しになつて居るのを見て、 「ヤ彼奴は幸先(さいさき)が惡い、何だか逃げた跡の樣だ」と叫んだは若い方の憲兵である 「拂ひさへもせずに」と室中に目を配つたは「番頭殿」である、 何より先に「拂ひ」の事に氣の付くは之は流石だ、年取つた方の憲兵は無言で室の中に入つたは仲々思慮の有る人らしい、 直ぐに卓子(てーぶる)に寄行きて置手紙を讀み、 自分の手を紙の(おもて)へ宛て見ると手の(ひら)へ未だ墨汁(いんき)がつく、 書いた文字が乾いてさへ居ないのだ「誰も起きぬ間に出發」した者では無さ相だ、 彼は無言で番頭に此手紙と留針とを指示し、宿屋に損は無いとの意を悟らせて置いて、 更に小聲で「直ぐに藁を一束持つて來い」と命じ、 又若い憲兵に向ツては「此 屋後(うしろ)に在る寺の塔へ登り、此家の屋根を見張つて居ろ」と命じた。

(やが)て番頭の怪みながら持つて來た藁束を煖爐(すとーぶ)に投込み、 燐寸(マツチ)を擦つて之に火を付けた、黒い煙が煙突一ぱいに成つて立ち登ツた、 煙突の中のお客樣は何したゞらう、熱さの爲にも煙の爲にも最う落ちて來ねば成らぬのに音も無い沙汰も無い、 老憲兵は初めて怪しんだ「ハテナ本統の喰逃げか知らん」

音沙汰の無い筈である、お客樣は早煙突の外に居る、他の人には出來ぬ技だけれど小侯爵には出來る、 彼は煙突の中を黒雲の樣な煙が立上ツたので何も彼も合點して 「オオ(すん)での所で丸燒に成る所で有つた」と呟き、 是れから逃路はと開く目にパツと映ツたのは殆ど自分を頭の上から俯瞰(みおろ)す樣に聳えて居る裏の寺の塔である、 若し憲兵に之へ登られては大變だ、勿論此頃の憲兵は今のと違ツて逃げる人を射殺す權利が有ツた、 塔の窓から短銃(ピストル)を出されゝば其れ迄だと、憲兵の智惠だけの智惠を持つて居る辨太郎は身震ひした。

直ぐに彼は屋根に並んで突出て居る次の煙突の所まで行き、又次へ、又次へと、 唯だ煙突の蔭を頼りとして逃げ初めたが、四番目五番目の煙突へ身を添へた時に、 塔の窓から憲兵の頭が突き出た、煙突の蔭だけでは隱し切れぬ、 其穴へ身を入れねば、又彼は煙突の穴に入つた、幸ひ此煙突には火氣も煙も無い、 茲から下の室へ出れば又何處かへ逃る事も出來やうかなど急がしく思案する間に手足が辷ツた、 猿も木から落ちると云ふ者だらう、彼の身は凄じい物音がして二階の一室へ落ち込んだ、 落ち込むと共に、其室の中で魂消(たまげ)る樣な女の聲が、 而も二人の口からゝしく「アレー」「アレー」と續いて聞えた、 ハテナ何物の室へ(さき)の皮春小侯爵は天降ツたのであらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四四 落人四


若しや辨太郎の落込んだ此室が空間であツたならば彼は助かる所だツたかも知れぬ、實際彼は能く茲まで逃たのだ、 煙突を潛り屋根を傳ひ取圍む憲兵に認められずして再び他の煙突に潛り込むなど(とて)も通常の人には出來ぬ事だ、 ()しや必死の場合とは云へ、是れほど逃る事が巧だから、 室の中で聲を立てる人さへ無くば、又此上を何の樣に旨く逃たかも知れぬ。

彼が煙突の底へ落ち込んだ物音と共に室の中に起きた叫び聲は全く二人の女の口から出たのである、 室の一方に在る寢臺(ねだい)の上に年の若い美しい女が、二人抱合ツて眠ツて居たが、 最う目の覺める時刻の所へ、尋常(たゞ)ならず物音が仕たので兩人(ふたり)とも我知らず驚き叫び、 寢卷のまゝで轉げる樣に寢臺(ねだい)から爭ひ下ツた。

辨太郎の方も實は此叫び聲と此 景状(ありさま)とに驚いたけれど、 彼は驚いてなどゐられる場合で無い、煖爐(すとーぶ)から出て相手が女だけに却つて仕易いと思ツたか直に低頭平身の(さま)兩人(ふたり)に近づき、 充分聲に憫れを聞かせて「何うか孃樣逹、人を一人お助け下さい、 暫し此間へ私をお(かく)し下さらねば、私は命の無い事に成ります、 ()ア聲などをお立て成さるな、何も恐い人間では有りません」 女の一人は又叫んだ「アレ昨夜の小侯爵、イヤ皮春永太郎ですよ孃樣」 辨太郎は前よりも更に驚き、斯く云ふ女の顏を見れば、 昨日まで段倉家に居た網里女史で今一人、女史の背後(うしろ)に呆れた顏で立て居るのは昨夜自分の妻として生涯の運を定める、 イヤ運を失ふ所であツた段倉夕蝉孃である、 何故 兩人(ふたり)が茲に居るかと云ふ事も我が先に行つたと聞いた馬車が此二人で有つた事も、 忽ち辨太郎には合點が行つた「貴女がたの室へ此通り落ちて來たのは天命です、 よもや天命に背いて迄も私を助けて下さらぬとは仰有いますまい」 何と云ふ厚顏な言ひ方だらう氣丈の夕蝉孃は恐れもせぬ却つて腹立たしげに辨太郎の顏を睨み詰めて 「惡人、惡人」と叱ツた、叱る丈では未だ腹が癒えぬ、 網里女史の方は度を失ツた容子で直に戸の所へ行き呼鈴(よびりん)の線を切れよと許りに引き立てた。

此時帳場の所には、先ほどの老憲兵が不審な顏で立つて居たが激しい(りん)の鳴方に忽ち二階の方を見上げ 「ヤ、ヤ、變だぞ」と云ふ所へ塔から一人の憲兵が馳附けて來た 「屋根へは姿が現はれません、事に寄ると又他の煙突に隱れたのでは有るまいと思ひます」 老憲兵は「占めた」と叫び、外に居る二人の手下を呼ぶより早く、 一度に階段を二個づつ飛んで二階へ上つた、二階では今 (まさ)に辨太郎が兩人(ふたり)の女を困らせて居る所である 「私が捕はれゝば夕蝉さん、貴方のお名前にも係はるでは有りませんか、 何うかして助けて下さい、憲兵に追詰められた所ですから」 腹は立つても女は女だけだ、其れに自分の名の汚れるも恐ろしい、 深くは思案も行渡らぬけれど、「では今來た道からお歸り成さい、 後で憲兵が來ても、何にも知らぬ樣に答へますから」と云ひ煙突の所を指さした、 如何にも辨太郎に取つては元の煙突より外に道は無い、 彼は又 煖爐(すとーぶ)の所へ馳寄つたけれど最う遲かツた 「茲に居る、茲に居る」と連呼して老憲兵が先に立ち、 戸を蹴破るほどの勢で入ツて來た、爾して手も無く辨太郎を捕へ得た、 愈々駄目と斷念(あきらめ)て辨太郎は「最う尋常に捕縛されます」 とて手を差延べて、素直に手錠を嵌められたのは仲々捕縛せられるに慣れた者だ。

兩人(ふたり)の女は手を擧げて顏を隱した、實に視て居るに忍びぬのだ、 斯うなると辨太郎は惡人の本性として少しの情も無い、 今夕蝉から元の道を逃げよと言はれた其優しい言葉の恩をさへ感ぜずに孃に振向き 「夕蝉さん、阿父さんや阿母さんにお言傳(ことづけ)へは有りませんか私は馬車で送られて是らから巴里へ歸るのですが」 夕蝉は網里女史に抱き附いて女史の胸へ顏を埋めた、 實に何れほどか四邊(あたり)の人に耻かしい事だらう、 猶も辨太郎は減らず口で「有難うとか何とか返事しても好いでせう、 昨夜まで私と夫婦に成る所だツたでは有りませんか」 老憲兵は「默れ」と肱搗(こづ)き廻す樣にして後の(ことば)は云はせずに引立てた。

嗚呼是れが辨太郎の捕縛せられた實情である、 昨日まで皮春小侯爵として至る處に尊敬せられた身が、 打つて變つて恐ろしい殺人の罪人として裁判所へ現はれる日には巴里の全社會を動かさずには止まぬ、 定めし傍聽席には紳士貴婦人の黒山を築くことだらう、其れのみで無い、 彼が身は祕密又祕密に纒はツたものなのだから、何の樣な所へ何う飛走(とばつちり)が行かうとも知れぬ。

其れは()て置き兩人(ふたり)の女は是れより二時間ほどの後、 網里女史も今度は女姿に返つて、濃い覆面に顏を隱して、 此宿屋の入口から馬車に乘り、其上に馬車の戸をまで閉ぢて茲を出た、 其れでも噂を聞いて集まツた群衆の人は我先にと馬車の中を(のぞ)いた、 兩人(ふたり)は消えも入りたい心地して馬車を急がせ無事に外國へ着いたとの事である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四五 誰の身の祕密が


辨太郎のコンベインで捕はれたとの報道が巴里に逹した時、巴里人の騷ぎ方は一通りで無かツた。

何しろ昨日まで貴公子と崇められ、巴里第一流の銀行家段倉の婿夫(むこ)とまで極つて居た者が、 婚禮披露の席に及び忽ち舊惡が露見して世にも恐る可き僞物と分ツたので、 誰一人彼の眞の素性を知り度いと思はぬは無く、何者だらう、 何うして僞公子に成る事が出來たゞらうなどと口から口に問ひ傳へ、 愈裁判と爲る日には何の樣な白状をする事かと殆ど手に汗を握る程の思ひで其日を待つた。

*    *    *    *    *    *    *

其日が遠いか、近いかは、段倉夫人と蛭峰大檢事との問答で(ほゞ)推量する事が出來る、 夫人は婚禮披露の席へ捕吏(とりて)が入つて、早や小侯爵の逃げ失せたと分ツた時、 顏を隱して蹌踉(よろめ)きつゝ自分の室に退いたが、室の中の大切な品物を小侯爵に攫ツて行かれた事などは翌日の晩方、 取形附に掛る時まで氣が附かず、其まゝ一時間ほども泣いて居たが、 (やゝ)心が鎭まつて見ると後の始末を何うして好いか、誰かに相談せねば成らぬ、 通例の夫人ならば無論夫と相談する所だけれど此夫人と夫段倉の中は度々記した通り夫婦と云ふは名ばかりで少しの同情も殘つて居ぬ、 斯る場合の相談相手は彼の出部嶺の外に無い、 未だ夜は十一時に成らぬから夫人は覆面して家を出で兼て知つて居る彼の倶樂部に尋ねて行つて彼に逢つた、 彼の忠告は中々に人情が有る、娘夕蝉の名譽を保護するが爲には、 まだ小侯爵の捕縛されぬ中に他の名譽ある人を婿に選び咄嗟の間に孃と結婚させて了はねば成らぬ、 爾も無くば孃の不名譽は消すに(よし)なく孃の生涯を誤るものだと云ふが一ヶ條、 其れに就ては蛭峰大檢事に頼み小侯爵の捕縛を成可く猶豫してお貰ひ成さいと云ふだ第二條、 差當り孃に名譽ある婿夫(むこ)を見出し難くば、 婚資の高に依つては不肖ながら斯く申す(それがし)が候補者たるを辭せぬと仄めかすのが第三條であツた、 夫人は感心して歸り翌朝早く此忠告に從ひ蛭峰の(やしき)を指て又家を出た、 併し此時もまだ夕蝉孃が逃亡したと云ふ事には氣が付かず、 其室の戸の締つて居るを見て猶ほ寢て居る事だと思つて居た。

蛭峰は自分の一家の不幸のみ手續いて殊に娘華子が生死の境に往來して居る場合だけれど此夫人に逢はぬと云ふ事は出來ず、 逢つて其頼みを聞くが否や顏を顰めた「イヤ昨夜貴女の家の騷ぎは妻から聞いて驚きました、 今朝はお見舞に出ねば成らぬと思つて居た所ですが、併し夫人、貴女のお頼みは私の力に及びません」 夫人は恨めしく「裁判所の事で、何一つ貴方の力に及ばぬと云ふ事柄が有ますものか」 蛭峰「イヽエ全くです、今朝既に各地方へ辨太郎捕縛の嚴しい電報を發した、 のみならず、既に彼がコンベイン地方に逃げた形跡さへ分りましたから、 最う今頃は捕まツて居るかも知れません」夫人は反り返る程落膽したが、 暫くして又「其れでは斯うして下さい、彼が捕まツても其事を當分世間へ知らさぬ樣に」 蛭峰「裁判に附すから知らさぬ事は出來ません」夫人「其裁判を延ばして下さい」 蛭峰は恐ろしいほど(まなこ)を光らせジツと夫人の顏を見詰めた末 「反對に私は彼の裁判を急ぐのです」夫人「其れは何故」 蛭峰は聲を低くし、爾して言葉には力を込めて「貴女は曾て私が約束した事をお忘れですか」 夫人「約束とは」蛭峰「ソレ、何うしても巖窟島伯爵の本性を見現はさねば成らぬとの事を、 エヽ彼の伯爵が吾々の吹上小路の祕密を知り、 何だか怪しい事ばかり仕て居るから彼の本性を暴露して此方(こちら)から反對の擧動に出でねば——」 夫人「覺えて居ます覺えて居ますけれど蛭峰さん今に成つて見ると其疑ひは無用でした、 巖窟島伯爵は何にも吾々に對して深い所存の有る方では有りませんよ、 吹上小路の事とても吾々が疑ひ過ぎたのです」 蛭峰「大違ひ、大違ひ、私の目には益々彼の只者で無い事が分ります、 何での早く彼の眞相を見現はさねば成らぬと私は八方へ手を廣げて居ますけれど生憎く()の時から不幸な事ばかり續き心に一寸の暇も出來ぬのです、 ()の時直に調べ掛けた書類さへ未だ調(しらべ)が終らずに有る程です」 夫人「けれど其事は何も小侯爵、イヤ辨太郎に關係は」 蛭峰「無いとは限りません、私は何だか辨太郎を嚴しく調べれば自然に伯爵の身の祕密も分ると云ふ樣な氣が致します」 アヽ彼を嚴しく取調べて果して誰の身の祕密が分るだらう、人を呪ふて穴を掘る者は自分が陷らぬ樣に用心して掛らねば成らぬ、 蛭峰は此用心に心附いて居るだらうか。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四六 華子一


嚴しく辨太郎を取調べて巖窟島伯爵の身の祕密を看破せんとは流石に蛭峰大檢事である、 茲へ目を付けたのは多年の職掌から得た烱眼と云ふ可きであらう。

併し段倉男爵夫人は何うあツても此取調べを延ばして貰ひ度い、 我娘夕蝉が更に然る可き所天(をつと)を定めぬうちに辨太郎の噂が益々世に立つ樣で有つては、 娘が生涯身を定め損ふのみか母たる自分の名譽に迄も少からず影響すると思ひつめてゐる、 其れは勿論無理も無い所であらう。

夫人は此心を以て猶も及ぶだけ説いた、けれど蛭峰が承知せぬので、 果は腹立てゝ聲も荒く「貴方は職務の爲め、何うしても罪人を取調べねば成らぬ事柄が有りませう、 内の罪人は捨て置いても外の罪人は調べると仰有るのですか」と叫んだ、 是れは確に蛭峰の家に怪しい死人のみ引續くに蛭峰が職掌ながら其原因を調べず打棄て置くのを指した者である、 既に世間で密々(ひそ〜)噂して居る所なんだ、 蛭峰は(かつ)て赤らんだ事の有るまいと思はれる顏を火の樣にして面目無げに俯向(うつむい)て了ツたが、 (やゝ)あツて辨解の樣に「イヤ夫人、世間で私の家の不幸に對し樣々の噂の有る事は知らぬでは有りません、 今は貴方まで其噂にかぶれ、其樣な事を仰有るは誠に私の遺憾とする所では有りますが、 既に證據の上ツて居る罪人と、未だ誰とも目指す事の出來ぬ事件とは、事譯が違ひます、 私の家の不幸とても明かに誰の所爲と認める事が出來るなら、 私は決して容赦は致しません、蛭峰の一身は一身で無く法律の道具ですから、 丁度辨太郎を嚴重に取調べる如く我家の者をも嚴重に調べます、けれど夫人、 此家の事は唯だ世人の疑ひに止まツて何等の取留める所も無いのです」 殆ど自分で自分の穴を掘る樣な言葉では有るまいか、 夫人「イヽエ私は(たつ)て御自分の内をお調べ成さいと云ふのでは無いのです、 御自分の内を延ばして置く樣に小侯爵イヤ辨太郎とやらの件をも延ばして下さいと云ふのです」 蛭峰「サア其れが出來ぬのです」夫人は何と云ふも甲斐無きを悟り、 殆ど席を蹴る程の劍幕で立去ツた、是で辨太郎の裁判も遠くは無いと云ふ事に極ツて了ツた。

*    *    *    *    *    *    *

其は扨置(さてお)き、此樣にまで云はれる蛭峰の家は實際何うだらう、 生死の境に推寄せてゐた華子は何うなツたゞらう。

今の猶華子は生死の間に徘徊(さまよ)ふてゐる、夜の無く晝と無く、 唯だ昏々と病床に眠つてゐるが眞に眠つてゐるかと見れば醒てゐる、 醒てゐるかと見れば眠つてゐる、是れが斯る病人の常なんだ、 斯うなると絶えず當人の目の前には樣々の幻影が現はれる、 或は父が來るかと見れば或時は戀しい森江大尉が我顏を差覗いてゐる樣に見え、 時によると飛んでも無い巖窟島伯爵が何か藥を注で呉れる樣な事も見える、 何れ丈が眞事(まこと)で有つて何れ丈が幻であるか、其は當人にも分らぬ。

イヤ此日朝頃から聊か其區別がつき掛けて來た、其れだけ病が好い方に向いたのだ、 午後に成ると又 一入(ひとしほ)其區別が明かになり、 夕方に及んで醒めて居るのだと合點し、「アヽ()んなに心まで弱くなつた」 と呟いて笑を浮かべ爾して笑のまゝ眠つて了ツた、眠るのが何よりの藥である、 夜の十二時頃に及び再び目の醒めるまでも猶ほ其笑が殘ツて居たのは眞に百藥にも優るほどの好い眠で有つたのだらう、 目の醒め方も今までに無いほど穩かに、先づ唇を動かし次に手を動かし、 最後に身體を動かして目を開いたが、其まゝ四邊(あたり)を見廻して 「アヽ最う病は無く成ツた、夢か知らぬが、昨夜も目を覺したとき咽喉が渇いて、 枕元に在つた赤い水藥を呑んで、急に身體の爽かに成る樣な心持がした、 今夜も彼の通り渇いて居る、(きつ)と彼のお藥で此樣に()くなるのだわ」 云ひつゝ枕元の臺に手を差延べると、怪しや襖の影から、 黒い服を着けた人の姿が現はれ、臺の上の(こつぷ)を取り、 中の藥を水鉢に移し更に赤い色の水を注いで出した、 華子は未だ深く思案する事は出來ぬ、其まゝ受取つて之を呑むと又總身が健々(すが〜)しく、 目の覺めた上に又目の覺めた氣持に成つた、世に云ふ甘露の味とは此樣な者でも有らうか、 爾して更に、今其藥を注いで呉れた人の顏を見ると怪まずには居られぬ 「オヤ猶だ夢を見て居るのだらうか」其人は柔かな聲で 「夢では有りません、華子さん、今夜で丁度四宵の間、私が此通り、寢ずに潛んで、 貴女を見張つて居たのです、最う貴女は助かります」華子「誰に頼まれて」 其人「ハイ森江大尉の爲めに」華子「大尉の爲に——私の爲に、何故」 其人「私は森江をも貴女をも我子の樣に思ふのです、私を父とお思ひ成さい、 少しも心配は有りませんから」言葉が更に怪しくも無く、 一々華子の胸の中に解けて入る樣に感ずるは猶だ心に多少の幻が殘つて居る爲でも有らうか 華子「父と思つて好いのですか」其人「父と思つて私の言葉に從へば病も治り、 心配が無くなります」華子「本統ですか巖窟島伯爵」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四七 華子二


巖窟島伯爵が、華子の枕邊を見張つて居るは全く四日目である、 ()しや親身の父と雖も是れほどの辛苦は出來ぬ、 併し此事は華子と室を並べて居る野々内彈正の外は誰も知らぬ、 時々は彈正の室に行きて彼を慰め又時々は華子の室に來などして、 詰まる所一身で兩人(ふたり)を守護して居るのだ。

華子は猶ほも弱い聲で「貴方にまで御心配を掛けるなど、何して私は此樣な病氣に成つたのでせう」 伯爵は低いけれど嚴かな聲で「驚いては(いけ)ませんよ、 毎夜此室へ忍び込んで貴女のお藥へ毒を埀らして去る者が有るのです」 華子「エ、エ、其樣な人が」伯爵「ハイ其れだから私が潛んで居て、 直に其後へ廻り、其毒を取捨てるのです、今夜も今し方、 其人が立去りました」華子は誠とも思ひ得ぬ「でも私に毒を呑ますなどと餘り恐ろしい事では有りませんか」 伯爵「恐ろしくとも事實です、米良田老伯爵も其夫人も忠助も皆同じ毒手で殺されたのです」 華子「誰です、誰です、其毒手とは」伯爵「誰であるか、明夜は貴女に能く分る樣に其人の顏を見せて上ます」

華子は是だけの問答に打疲れて又眠つた、爾して翌朝目の覺めたとき歴々(あり〜)と覺えては居たけれど、 巖窟島伯爵が我が爲に四宵も不寢番(ねずばん)をしたと云ふが怪しく、 又我が飮む藥に毒を入れる人の有ると云ふのも猶更合點が行かぬゆえ、 (さて)(いつ)もの夢か幻想(まぼろし)で有つたのかとばかり、 今夜こそは氣を確にして能く見屆けやうと、夜の來るのを聊か待遠い樣にも覺えたが、 其中に夜とは爲り又何時の間にか眠ツて了ツた、爾して何時間の後かは知らぬけれど、 柔かに身體を(ゆす)る者の有る樣に覺えて目を醒まし、 誰かと見れば矢張り巖窟島伯爵である、華子は氣強く感じ 「オヽ夢では無い、矢張り貴方が見張つて下さるのですね」と云ふを、 伯爵は唇に手を當て制し「夜前約束をした毒手が今來ますから、 寢た振をして(とく)とお見屆成さい」華子は恐ろしさにゾツとして幾等か殘つて居た眠氣の全く消え、 之ならば夢でも幻想(まぼろし)でも無いと深く心の底に刻んだ。

此時伯爵は幽靈の消える樣に襖の後へ消えて了ツたが間も無く廊下の床板が忍び足の重さに鳴り初めた、 聞く中に其音が此方(こちら)へ近づいて來る、華子は愈々恐ろしく(いつ)そ見ずに居やうかと目を閉ぢたが、 一命の繋がる所と思へば閉ぢても居られぬ、別に寢た振をする譯では無いけれど、 身體は(すく)んで、寢るよりも猶靜かになり唯だ眼瞼(まぶた)だけを細く開いて待つて居ると、 室の入口の埀幕をソツと開いた者が有る、其手の細さ又白さ。

(やが)て埀幕の間から黒い服の女姿が現はれ滑かに華子の寢臺(ねだい)に寄つて、 其細い白い手を華子の口の(ほとり)(かざ)した、 是は寢息を伺ふのである、寢息は聊か(みだ)れて居る、 けれど目を覺まして居るとは見えぬ、安心と思つたか黒い姿は隱し持つた小さい瓶を取出し、 其中の水藥を華子の(こつぷ)へ幾滴か埀らし、 再び華子を見顧ツて、元の通り滑かに立去ツた、 華子は初めから終りまで此者の顏を見たが泣いても泣かれぬとは何事であらう、 毒手は自分の母である、イヤ母と爲つてゐる繼母の蛭峰夫人である。

直に伯爵は現はれて來た「何うです合點が行きましたか」 華子は泣き聲で「私は何うすれば好いのでせう」伯爵「嚴重に云へば繼母を訴へるのです、毒殺者として」 華子「其樣な事がせられます者か、最う助かる道が有りません、 (いつ)そ死んで了ツた方が」云ひつゝ毒の有る(こつぷ)へ早手を延べ掛けた、 伯爵は其 (こつぷ)を取り「中の毒藥は他日の證據に毎夜私が集めて有ります」 華子「其お蔭で私は死ななかつたのですネ」伯爵「イヤ其お蔭よりもお祖父樣のお蔭です、 野々内彈正は此樣な事を見拔いて貴女へ少しづつ貌律矢(ぶるしん)を飮ませて置きました、 其れが爲に貴女の身が毒藥に抵抗する事が出來たのです、 お祖父樣の此用心が無くば貴女は忠助同樣に最初の毒藥で死んで了ふ所でした」 華子「アヽ私は死んだが好い、死んだが好い、何う考へても」 伯爵「貴女が死ぬれば森江眞太郎は絶望の爲め此後の生涯の無い人と爲つて了ひます、 貴女が死ぬれば全身不隨のお祖父樣を誰が介抱成されますか」 華子「矢張り生てゐねば成らぬ、活てゐるには阿母さんの——」 伯爵「ハイ阿母さんの罪を訴へずに活てゐられる道は唯一つ有るのです、全く私に縋つてさへお出に成されば」 死ぬと云つても眞實に死に度い筈は無い、華子は少し引立ちて 「何の樣な道でも、貴方にお縋り申します、阿母さんにも障りが無く爾して私も助かるなら」 伯爵「全く非常の手段ですが問ひも何もせずに私の言ふ通りに從ひますか」 華子「ハイ從ひます」伯爵「何の樣な事が有らうとも驚いては(いけ)ませんよ、 目も見え無く成り、呼吸(いき)も止まり、脈さへ無くなツて了ツても私を信じて安心してお出なさい」 華子「分りました」

何の樣な非常手段かは知らぬけれど、全く相談が固まつた。

爾して其翌朝、猶だ誰も寢込でゐる四時と云ふ刻限に、 再び毒手蛭峰夫人が此室へ忍んで來た、其状は以前に來た時と少しも變らぬ、 ソツと寢臺(ねだい)に近寄つて華子の寢息を伺つたが、 今度は息が絶えてゐる、次には其肌に觸れて見たが冷固まつてゐる、 アヽ蛭峰夫人の目的は是で逹した、華子は早死骸と爲つてゐるのだ、 此場合に於て夫人の落着き加減は又驚く可きである、 靜かに振向いて先づ先程の(こつぷ)を見た、(こつぷ)を飮み乾した樣に、 底に露氣が殘つてゐるのみである、 此露氣を分析でもされては成らぬと思つたか手巾(はんけち)を出して綺麗に濕りを拭ふて取つた、 爾して再び華子を顧み、顏に死相の現はれてゐると見てニツと笑み、 又元の通り歸つて了つた、此度胸は人間だらうか、 後に到つて識者が此夫人を一種の狂性(まにや)と鑑定したのも無理の無い所である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四八 華子三


華子の死は實に多くの人を驚かせ且悲しませ、一昨日(をとゝひ)から昨日へ掛けて餘程容體が好い方へ向き、 醫者も是れならばと()や見込みをつけ初めたのが、今朝は忽然死體と爲つて、 早冷切てゐるので、意外と思はぬ者は無い、父蛭峰は悲鳴を揚げた、 繼母蛭峰夫人は涙が止まらぬとて自分の室へ引込んだ儘である、祖父彈正は(まなこ)膨上(はれあが)らせてゐる、 多分は誰の悲しみよりも此泣きも何もせぬ老英雄の悲しみが、一番深いので有らう、 イヤ是よりも猶ほ深く悲しむ者が一人ある、誰ぞ、森江信太郎である、 彼は華子が病氣になつて以來は毎朝一度つつ此隱居所に來て彈正に逢ひ次に華子の室に入り、 親しく其容體を見屆けて歸る事になツてゐる、今朝も其通りに遣つて來た、 イヤ今朝は定めし華子と一言か二言は談話(はなし)も出來るだらうと思ひ、 (いつ)もよりも樂しんで遣つて來た、そして先づ彈正の室へ入つたが彈正の容子が餘ほど異樣で有る、 (はれ)た目で華子の室を睨んだまゝ森江が來たのにも氣がつかぬ、 森江は是を見て(ぎよつ)とした、我が運命が一時に消えたかの樣に感じた、 直に次の間に踏込んだ、此時有國國手が華子の死骸を檢査して父蛭峰に向ひ、 「全く昨夜の二時から三時の間に絶命した者です」と斷言してゐる所であつた、 丁度此言葉が森江の耳に入つた「オオ華子が死にましたか」 と叫ぶより早く彼は狂氣の樣で其寢臺に飛び掛り、醫師と蛭峰とを跳退(はねの)ける程にして、 死骸の顏に顏を差つけ「オヽ華子さん、華子さん、何で貴女は死にました」聲と共に泣いた、 蛭峰は此の樣に合點し得ぬ、直に森江を推退(おしの)けて、法律家の句調を以て 「貴方は何故他人の家宅へ侵入しまう、殊に此家は今取込の際ですのに」 森江は腹立しげに起き立ツて叫んだ「何で、何で、エヽ私の茲に來るのを何でなどと咎めますか」 と云ひつゝ刄物でも有らば蛭峰を斬殺さん所存かと疑はるゝ程の劍幕で室中を見廻したが、目に留まる刄物も無い、 直に思ひついた樣に又彈正の室へ飛び歸り殆ど信ぜられぬ程の怪力を出して寢臺(ねだい)のまま彈正を引提げて來て華子の寢臺(ねだい)と並べて置き、 「彈正、彈正、此人は、イヤ蛭峰氏は何で此家へ侵入するなどと私を咎めます、 侵入せずに居られませうか、貴方の口から其仔細を言聞かせて下さい、 サア貴方の口から其仔細を言聞かせて下さい、サア貴方の口から」と促した處で聲の出る口では無い、 其聲が出る程なら何も目を泣膨(なきはら)しなどはせぬのだ 森江は(もど)かしげに「サア私が華子の許嫁の夫森江信太郎で有る事を貴方の口から言ふて下さい、 最う華子さんが死んだ上は此死骸は誰れの物でも無く、此森江の物である事を云ふて下さい」 彈正の(まなこ)も眞に(もど)かしげに騷いでゐる、蛭峰は又聞き咎めて 「何ですと、貴方が華子の許嫁、其れは又誰れの許しを得て、エヽ貴方は全くの發狂者です」 森江「發狂者か發狂者で無いか彈正にお聞なさい、彈正と當人との承認を得て、 長い以前に許嫁となつてゐます」蛭峰は腹立しげに彈正の(まなこ)を見 「此人の云ふ通りですか」彈正「然り」蛭峰「貴方も華子も此人を許嫁と認めましたか」 彈正「然り」彈正の(まなこ)が如何に然りと云ふても、 若し此森江の姿の人に勝れた威嚴が無くば蛭峰は容赦も無く(つま)み出す所だらう、 けれど森江には侵し難い威嚴の上に燃ゆる樣な熱情が顏にも身體にも現はれてゐる、 蛭峰は詮方無く我を折つて「其樣な許嫁を、法律上有效とは認めません、 けれど、貴方の狂態を許しますから、サア早く華子の死骸を見て是れまでの縁と斷念(あきら)めてお歸り成さい」 蛭峰の口から是れだけの柔かな言葉が出た、森江は返辭もせず再び華子の顏に顏を當てたが泣いてゐるのか祈つてゐるのか、 何か華子に話す樣に、長く〜細語して離れ相にも見えぬ、蛭峰は堪忍が盡きた容子で 「何時までも其樣な事を爲さツては迷惑です」森江は卒然と顏を上げた、 蛭峰「最早醫師の檢屍を經て、全く死人と極ツた者の室ですから僧侶の外に必要はないのです、 此頃隣家へ移つて來た伊國(いたりや)の暮内法師が最う華子の靈の爲に祈祷に來て呉れる刻限ですからサアお歸り成さい」 仲々森江は歸る可き状はない、却つて高く聲を張上げ「僧侶よりも此室には猶必要な者が有ります」と異樣に叫んだ 蛭峰「僧侶よりも必要とは何者です」森江「華子の爲の復讎者です、此森江大尉です」 蛭峰「復讐者とは」森江「華子の死は通例の病死では有りません、 殺されたのです、毒殺です、其毒害者を此家から搜し出し法律に訴へ、 相當の裁判を經させるのが許嫁の夫たる私の役目です」 蛭峰は前額(ひたひ)に青い筋を浮上らせて「()しからぬ事を云ふ、 毒殺などと、幾等發狂者の言葉にしても」森江「發狂者などと、 貴方こそ()しからんのです、私は華子の毒殺された證人として第一に茲に居る有國國手の證言を求めます、 第二の證人は野々内彈正です、國手よ、有國國手よ、貴方は華子の死を毒害の結果で無いと言切りますか」 少しの容赦も無く國手の顏を見て問つめた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二四九 華子四


國手の顏を見て問ひ詰たけれど、國手は少し返辭が淀んだ、 之は森江大尉の餘り熱心な言葉に暫し氣を呑まれたものだらう。

大尉は此状を(もど)かしと又續け叫んだ「有國國手は之れを知らんと云ふ事は出來ません、 蛭峰大檢事も有國國手の知ツてゐる事を知らんと云ふ事は出來ません、 お二人ともまだ忘れは成さるまい、米良田伯爵老夫人が此家で亡なられた其夜、 貴方がたお二人は此家の暗闇で何と云ひました、有國國手が確に貌律矢(ぶるしん)の毒を以て害せられたのだと云ひ、 大檢事の職として詮議せずに置く事は出來まいと迫りました、 其時は誰れも聞いてゐぬ事と思つたでせうけれど生憎、 イヤ幸ひに此森江信太郎が樹の蔭に居合せました、 私は今も有國國手が其時蛭峰氏に迫ツたと同じ樣に蛭峰氏に迫ります、 蛭峰氏よ、蛭峰氏よ、貴方は華子の父として、最も悲しむ事は充分に悲しみました、 父の役目は濟んだのですから、サア之からは大檢事の役をお盡し成さい、 華子が毒殺された事を私から訴へますから貴方は大檢事の職として、 其罪人を詮索成さい、證人は國手と彈正です、國手よ、貴方は證人に成らぬと仰有いますか」 國手は仲々其樣な卑怯な人で無い、今まで同じ旨意を以て蛭峰を責た事が幾度と云ふ數を知らぬ、 終に(おもむ)ろに口を開き「勿論私は森江大尉に同意です、 蛭峰家の名譽の爲に聊か躊躇したのが私の卑怯でした、蛭峰氏よ、 私からも大檢事と云ふ貴方の職務に對して訴へます」最早如何とも仕方が無い、 蛭峰は萬一の逃げ路を父彈正の顏の求める事が出來やうかと、 泣き出さん許りの色を以て彈正に振向いた、彈正の顏は大尉の顏にも劣らぬほど怒りの色を浮かべてゐる。

斯と見て直に大尉は、横より彈正に問ふた「貴方は毒害者を御存じですか」 彈正「然り」大尉「華子の爲に復讐を慾しますか」彈正「然り」 然りと瞬潑(まばたき)はしたけれど何だか其外に猶ほ言ひ度げな所が有る、 言ふ事の出來ぬ爲め(もど)かしさに堪へぬ状が、騷ぐ(まなこ)に充分分つてゐる、 大尉は其れと察し「貴方は吾々三人の中の誰か一人に祕密に言ひ度い事でも有りますか」此言葉は的に當つた 彈正「然り、然り」大尉「其れは誰にです、私にですか」「否」「有國國手にですか」「否」 「蛭峰氏にですか」彈正「然り」

彈正の意は尊敬せぬ譯に行かぬ、大尉は國手の手を引き、 蛭峰だけを彈正の許に殘し次の間に退いた、蛭峰は彈正と共に(やゝ)半時間も語つてゐたが、 漸く話が終つたと見え、國手と大尉を再び引入れ、恐ろしさに震ふ聲で 「毒害者が分りました、彈正から聞きました」大尉「では直に處分するでせうネ」 蛭峰「無論です、私は父彈正にも、處分する事を約束しました、 併し彈正の名を以て切にお二人に願はねば成らぬ事があります、 其れは私が處分に着手するまで、此毒害と云ふ事を誰にも祕密にして戴き度いのです」 大尉「エ、祕密に」蛭峰「ハイ其代り私は日限まで約束します、 今より一週間の中と云ふ事に、若し一週間を經て私が處分しなかつたなら其時には、 曝露するとも訴へるとも御隨意に仕て下さい」

眞に蛭峰は毒害者を處分する事が出來るだらうか、毒害者は誰れ、アヽ誰と彈正が告げたのだらう、 蛭峰の妻に非ずば巖窟島伯爵である、有國國手は傍より 「立派に處分なさるのですか」蛭峰は異樣に(まなこ)を光らせて 「ハイ立派に處分します、私が處分すると云ふ日には、何の樣な大膽な奴でも戰慄するほどの手段を取ります」 何だか自分の妻を目指しての言葉では無さ想だ、或は彈正の口から巖窟島伯爵の名をでも聞いたのではなからうか、 森江大尉の方は一週間の猶豫が殘念に堪へぬ如く口さへ開かぬ、 有國國手は承知した容子で先づ彈正に向ひ「一週間祕密を保つて呉れと云ふ事は全く貴方のお望みに違ひないのですか」 彈正は熱心に「然り」との意を示した、國手は仕方なく蛭峰に向ひ 「全く彈正の意と見えますから、私は一週間祕密を守りませう」蛭峰は大尉に向ひ「貴方も何うぞ」 大尉は悔しげに(こぶし)を握つた、けれど眞實彈正の意と有つては否とは云へぬ、 顧みて彈正の(まなこ)に所望の意の現はれてゐるを見、其儘身を轉じて華子の枕許に坐し、 其青い冷たい死骸の顏へ接吻したが、是れが彼の堪忍の果である、 彼は最う亂麻の如く結ばれた自分の心を治める事が出來ぬ、 狂人の如く立ち、狂人の如く走つて、此室から出で去つた、眞に彼の實情は察す可きである。

彼が馳走るとき、出口の所で突當る如く出會ふた人が有つた、 其れは華子の靈の爲に祈りに來た隣家の暮内法師に外ならぬ、 大尉の方は氣もつかずに馳去つたけれど、法師は振向いて彼の去る姿を氣遣はしげに打眺めた、 併し餘り見惚れては顏の地金が現はれるかも知れぬと心づいたか(やが)て又神妙な顏をして、 華子の死骸の室に來た、蛭峰は一禮して「何うか不幸な娘の爲にお祈り下さい」と云ひ、 更に又「當家には最早雇人なども充分には有りませんから、貴方の出入の度に出迎へ見送りなども出來ません、 其代り此隱居所の鍵をお預けして置きますから何うか御隨意に出入なさツて下さい」 鍵を渡されるは法師が願ふても無い幸ひとする所だらう、 法師は差出すを受取つて華子と彈正の枕邊に跪坐(ひざまづ)いた、 最早有國國手も用はないから分れを告げた、蛭峰も國手と共に廊下まで出て 「私は最う、氣を紛らせる事でもなければ發狂します、爾うだアノ取調べ、取調べ」 と再び自分の書齋を指して走つた、併し蛭峰を眞に發狂させる程の(えら)い打撃は、 今は未だ落ちて來ぬ、追て落ちて來させる爲に誰やらが掌中(てのひら)に握ツてゐるのだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五〇 段倉の笑顏一


此日一日、及び夜に入つて明けるまで、暮内法師は華子の枕邊で祈り明した。

祈りの間には又時々野々内彈正の枕許に坐し、懇々と何事をか語り聞かせたが、 彈正は全く其言葉に慰められたと見え終に華子の死んだと云ふ事さへ忘れた如く、 顏に大安心の色を浮べて眠りに入つた。

翌朝法師の歸つた後で蛭峰は、此室に來て唯驚いた、 昨日まで(あれ)ほど華子を悲しんだ彈正が何うして斯うも安々と眠る事になつたかと。

斯て愈々、華子の葬儀とはなつた、最う昨夜の中に葬儀社の方で其れ〜゛用意を運んで有るので少しも暇取る所はない、 出棺は朝の十一時である、日頃蛭峰を知る者は大抵來り集まツたが、只暮内法師と巖窟島伯爵とは見えぬ、 法師の方は他の家に死人が有つて其れが爲に招かれ去つたとの事である、 巖窟島伯爵の方は何故だか分らぬが、客の一人の言ふ所に由れば、 十時半頃に段倉の家は入るのを見受けたとの事である。

何故に段倉の家へ、之は一應記して置かねばならぬ。

*    *    *    *    *    *    *

彼の皮春小侯爵の舊惡露見、娘夕蝉の逃亡と打續いた大椿事に、 段倉の家は殆ど火の消えた状である、彼が大銀行家として信用も地に落ちた、 其れも其筈、唯 伊國(いたりや)の金滿家と聞いたのみで深く本物か贋者かの詮議もせずに殺人の犯罪人を婿とする樣な失策が有つて誰が其人の懷を見拔かずにゐる者か 未だ支拂停止の札をこそ掛けぬけれど、(まなこ)ある人は少しも段倉銀行に油斷はせぬ。

けれど段倉は只者でない、此苦しい際に當り猶も體裁を粧ふて塗炭場(どたんば)をも漕拔る積りである、 集め得られるだけの金を集め、滿面に笑を浮かべて客に接する状は非常に嬉しい事でも有るかの樣に見える、 之れが泣より辛い笑である、人間は此樣な笑を絞り出す毎に壽命が縮むのだ、 假令(たとへ)生血は絞り出すとも決して笑を絞り出す可きではない、 斯る所へ段倉にも負けぬ程の笑を浮かべて入つて來たのは巖窟島伯爵である、 但し此方(こなた)の笑は多分壽命を延ばす方なんだらう、伯爵は快活に 「段倉さん、今日は五百萬 (ふらん)の正金を受取に來たのです」 流石の段倉の笑の此一語には命と共に消え相に見えた、 一枚の金も剥がして二枚に使ひ度い程の此場合に五百萬 (ふらん)取去られて(たま)る者か、 けれど伯爵は充分の勝算を立てゝ來たのだ、 今日段倉銀行が五百萬 (ふらん)を慈善協會へ拂はねば成らぬ事も突留め其れを拂ふて信用を囘復する爲に、 四苦八苦で其れだけの算段を仕て有る事も知つてある、 其金を先へ廻つて引拔いて行けば後で慈善協會から受取りに來ると同時に、 銀行は戸を閉ぢねば成らぬ、伯爵の心算は神の如しだ、段倉は血を吐く思ひで又笑ひに紛らし 「貴方には私から拜借に出やうかと思つてゐました」伯爵は平氣な調子で 「お出成さいな、貸す時には幾等でも貸しますよ、 貴方に金を貸さぬと云ふは愚の至りですもの、其代り借る時には借らねば成りませぬ」 云ひつゝ目早く四邊(あたり)を見廻すは何でも段倉だ慈善協會に拂ふ金を是見よがしに何處へか積上げ、 誰の目にも分る樣に見せびらかせて有るの違ひ無いと思ふ爲である、 何でも銀行家は苦しければ苦しいだけ益々金を見せて置くものである、 果せる哉だイヤ實は段倉の運が盡たと云ふ者だらう、 卓子(てーぶる)の上に中央銀行に宛た引き出し手形が一枚百萬 (ふらん)づつ五枚段倉自身が署名して墨を乾かせる樣に廣げてある、 伯爵は大笑して「笑談(ぜうだん)を仰有るにも程が有ります、 此樣な大金を卓子(てーぶる)の上に轉がして置いて、 イヤ段倉さん、貴方の金力には驚きますよ、之で宜しいから私は戴いて行きます」とて、 直に其五枚を重ね取つて衣嚢(かくし)に入れた、段倉は命を取られた樣な者である、 殆ど伯爵に攫み掛るかと疑はれたが又辛い笑ひに紛らせ「其れは(いけ)ません、 今直に慈善協會から受取に來るのですから」 伯爵「來れば其時又此通りの紙切を五枚作れば好いぢや有りませんか」 段倉「イエ本統です、幾等中央銀行に信用せられてゐても爾う取出ては」 伯爵「怪痴(ばか)な事を仰有るな、サア之は私の受取書です、 私は直ぐに受取ると云ふ積りで此通り(したゝ)めて來ました、 五百萬 (ふらん)と記して有ります、之を羅馬の富村銀行に送れば五百萬の上へ十萬だけ利子が付いて直ぐに屆きます」 とて紙に記した受取を段倉の前に投げ、更に「之から私は蛭峰家の葬式に行くのですから、 貴方に揶揄(からか)はれてゐる譯にも行きません、左樣なら」と、來た時と同じ活溌な調子で去ツた。

伯爵の此手際には歐洲第一流の外交官と雖も舌を卷くだらう、 爾して廊下まで出ると外から入來る慈善協會々長と擦れ違ツた、 會長は手代に案内されて段倉の室へ進む所である、 手代は主人が今如何なる景状(ありさま)に呻いてゐるも知らず 「ハイハイ、當銀行では今日(こんにち)お拂ひ渡し申す積りで、 既に其れ丈の用意を致して有ります」と餘計な事まで言ひ言ひ小歩(こあし)に歩んでゐる、 伯爵は腹の中で「一歩後れゝば大變だツた」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五一 段倉の笑顏二


呻いて居た段倉は、慈善協會長の入來るを見、 又も急に壽命を絞り出す樣な笑を浮かべて之を迎へた、心の底は協會長を攫み殺し度い程にも思ふのだらう。

爾して協會長が一語をも發せぬ先に「貴方は今廊下で巖窟島伯爵にお逢ひ成さツたでせう」と問ふた、 少しでも言葉を紛らせ、思案の猶豫を得たいのだ、協會長「アヽ今の方が有名な巖窟島伯爵ですか、 (えら)い金滿家だと聞きますが」段倉「金滿の上に慈善家です、年々慈善の爲に五十萬は費すでせう、 貴方が孤兒や貧民の爲に寄附を言込むぬは屈強です、私から紹介の手紙を書いて上げても構ひません」 協會長は喜んで「アヽ其は是非書いて戴きませう、 幸な事には吾々の事業も追々世の同情を得て來まして既に野西夫人の如きは」 段倉は耳を(たて)た「エヽ野西夫人とは、()の露子夫人ですか」

耳を立るも無理はない、彼は野西將軍の自殺から以來、何だか異樣に神經を動かしてゐる、 (そもそ)も野西と自分とは同じ樣な出身で、廿餘年前、馬港(まるせーゆ)にゐた時からの懇意、 其後は互に名譽や金錢の競爭の爲め心の打解けぬ所もあつたけれど、 其人が前代未聞の汚辱を受けて自殺まで遂げたと爲つては何だか隣の家に火が付いた樣な思ひもする、 其上に自分の家が僅の間に土臺から傾いて、思はぬ災難のみ(かさ)み、 爲す事が皆齟齬する此頃の不運を思ふと幾等惡人でも心細くない譯には行かぬ、是れのみでない、 同じ樣に馬港(まるせーゆ)に縁があつて(ほゞ)似寄つた出世を遂げた蛭峰家とても少しの間に四人まで死人を出し 確に運勢の傾いた事が見え透いてゐる、其れも通例の傾き方ではなく、 氣味の惡い樣な傾き方である、本來ならば今日の華子孃の葬式にも自分は行かねば成らぬ筈だけれど、 辨太郎の件以來、公衆の前へ顏を出せば、直に其顏で人の笑ひが掛る樣な氣もせられ、 當然 此方(こつち)から遠慮す可き境遇とは爲つて居る、 其れ是れを思ひ合すと愈々以て居心(ゐごゝち)が惡い、 其れでも笑ひ顏は作ツてゐねば成らぬ「儘よ、今夜の中に逃亡するのだ」 とは彼が心の底に据ゑた度胸である。

飛ぶ鳥を落すとまで謂はれた段倉銀行の主人が今夜にも逃亡するとは協會長の思ひも寄る所では無い、 彼は珍聞を披露する人の樣に物體らしく身構へて「爾です露子夫人です、 夫人と其息子武之助とは、野西將軍から遺された財産を一文殘らず慈善協會へ寄附しました、 實に美談では有りませんか」段倉の耳には美談と云ふ事が合點が行かぬ、 唯馬鹿げた所行の樣に聞える「シタが總額は何れほどです」 協會長「正金は十四五萬ですが、邸宅財寶、其れに株劵を加へれば五百萬以上です、 何しろ篤志の至りゆゑ協會では七百萬と評價して受取りました」 其七百萬を(おれ)に呉れればと段倉は咽から手の出る程に思ふた。

「オヽ七百萬と云へば、今日(こんにち)私は五百萬を受取つて行かねば成りません」 協會長は自分の用事を思ひ出した、段倉は事も無げに「今日で無くとも明日(あした)で好いのです」 協會長「ハイ、明後日總會が有るのですから、明日中に取揃へて置けば好いのですが、 其れが爲に、今日受取ります方が」段倉は我前に有る巖窟島伯爵の受取りを捻り廻しつゝ 「ナニネ、貴方へ當て五百萬だけ中央銀行から今朝取り寄せて置きましたけれど、 巖窟島伯爵が急に入用だと云ふので貸て遣りました、 是れ此れの請取が正金ですから、直ぐに中央銀行へ行けば好いのですが」 五百萬や千萬の金は塵芥(ちりあくた)と思ふ樣に見せ掛けてゐる、 協會長「では待つてゐますから中央銀行から取寄せて戴きませう」 段倉は驚いても驚かぬ「宜しい、取寄せませう」云ひつゝ呼鈴(よびりん)を鳴し掛けて又思ひ出し 「其代り今日ならば貴方に五萬 (ふらん)の損が立ちますよ」 協會長「エヽ其れは何故」段倉「イヤ、私と中央銀行の間には、 一日に五百萬より以上取出せば百分一の手數を拂ふ事に極めて有ります、 だから其手數の五萬 (ふらん)だけは貴方に負擔して戴かねば—— ナニ其代り明日なら其樣な事は有りませんけれど」五萬 (ふらん)の負擔が何うして協會長に出來る者か、 五ヶ年間の月給にも當るのだもの、(しか)も唯だ一日の差で其れを取られるとは恐ろしい程に思はれる、 彼は身を震はして「其れは堪まりません明日で宜しい宜しい」とて早や立掛けた、若しも外へ出て人に聞き、 五萬 (ふらん)の手數料などと其樣な理不盡な事が有る者かと言聞かされ引返してゞも來る樣な事が有つては大變だから、 段倉は直に釘附にする樣な手段を取ツて「少しお待ちなさい、 巖窟島伯爵に紹介状を(したゝ)めて上げませう、少くも廿萬 (ふらん)以上を寄附する樣に」 斯う喜ばせて置けば大丈夫である、協會長はホクホク喜び段倉の(したゝ)める照會状を持ち虎の兒の樣に納めて去ツた。

段倉はホツと息して前額(ひたひ)の脂ら汗を拭き「自分ながら、手も有れば有る者だ」とて笑ツた、 今度は壽命に關係の無い笑ひらしい、爾して直に又筆を取り長々と手紙を(したゝ)めたが、 之は妻に宛てた書置である、次には机の抽斗から旅行劵を取出して 「アヽ未だ期限が切れてゐぬ」とて檢めた、彼は巖窟島伯爵の受取證を以て直に他國へ出奔する積りである、 出奔しても羅馬の富村銀行へ立寄り伯爵の受取證と引替に五百萬 (ふらん)受取れば他國で再び旗擧げして、 此國へ又も銀行王と爲つて歸つて來る事も出來る樣に自信してゐる生憎く其羅馬が、 眞に自分の(かたき)を取られる塗炭場(どたんば)であツたなら何うだらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五二 大尉と伯爵一


段倉の家を出た巖窟島伯爵は、直に其足で蛭峰家に行き、葬式の列に加はツた。

葬式は早家を離れ幾丁か進んだ所で有つたので、伯爵は其最後に立て隨行したが、 絶えず馬車の窓から横手に首を出し前の方を眺むるは會葬者の中に()る人の居るか居ぬかを認め度い容子である。

けれど何分多勢の會葬人と云ひ、殊に背後(うしろ)からでは思ふ樣に見分けを附ける事が出來ぬ、 果は(もど)かしく成つたと見え、馬車を降りて徒歩と爲り、 列の前の方に進み行つゝ、殆ど一人々々檢める程にしたが、伯爵の目指す人は會葬人の中には居ぬらしい。

目指す人とは誰だらう、他に非ず森江大尉である、大尉が如何に立腹して蛭峰の家に荒れ行き、 又如何に絶望して其家を立去つたかは、伯爵の(ほゞ)知つてゐる所である、 イヤ暮内法師が蛭峰の家に迎へられたとき、入口で擦れ違つて親しく認めた所である、 大尉の日頃の氣質を考へれば、此樣な絶望に逢つて、爲す事も知らずに穩かに泣寢入る如き人でない、 必ず何か非常の事を仕出來して取返しの附かぬ樣に成りはせぬかと、 伯爵は只管(ひたすら)に其れを氣遣ひ、油斷なく大尉の身を見張つて居たいのである。

併し大尉は何の樣な非常の事を仕出來すのであらう、最早華子が死んだ事ゆゑ、 是れも大概は分つてゐる、華子の後を追うて自殺するのだ、 確に伯爵は大尉が心中に自殺の決心を起したと見拔いてゐる、 自殺の場所は多分墓場に違ひない、何う有つても是だけは推し止めずばと、 充分に注意して終に墓場まで着いたけれど、大尉の姿は見えぬ、 けれど此葬式に大尉の來ぬと云ふ筈はないから(やが)て埋葬も濟んで一切の人が歸り盡した後までも伯爵は踏み留り、 物蔭に身を隱してゐた所が果せる哉である、一方に在る小高い森の中から、靜かに大尉が現はれた。

彼は先づ四邊(あたり)を見て、邪魔する人のなきに安心したか、 (おもむろ)に今建た許りの墓標に近づき、其前に足を折つた、 丁度伯爵のゐる所は大尉の(うしろ)の方に當るので、 大尉には見られずして、大尉の姿を見る事が出來る、 見れば何うやら腰の邊りに短銃(ピストル)を隱してゐる。

誠に森江大尉の如き、若手武官中にも名譽高く、後々の見込も充分に富んでゐる人が、 一婦人の死の爲に、後より命を捨ると云ふ事はなさ相にも思はれるけれど、 爾う思ふのは未だ、華子に對する大尉の愛の深さを知らぬのだ、 世には今日親しみて明日忘れ合ふ樣な淺い愛も有るけれど、 命と云ふ事を何とも思はぬ深い〜愛も有る、其深い〜[愛]に至つて、 若し一方が死する時は到底殘る片割れが(ながら)へてゐる事が出來ぬ、 名譽も幸福も義理も人情も、總て忘れて了ふ、此樣な愛と愛とが若し纒まる事が出來れば、 人生は又と無い無限の喜びに入りもするだらうけれど、 不幸にして末遂げずば雙方とも此世に無い人とは爲る、 (いづ)れの國の情史にも其例の多過るほど有る所ではあるまいか、 今大尉の愛の如きは全く此種類である、巖窟島伯爵は、自ら夜々に華子を介抱し、 又日々に大尉にも接し、確にさう見拔いてゐる、今は悲しや其見拔いた所が當ツたのだ。

墓の前に膝を折つて大尉は何か祈つてゐる樣で有ツたが、 其中に一聲高く「オヽ華子よ」と叫ぶ聲だけが伯爵の耳に聞えた、 是れが眞情の(あつ)まツて溢れ出る聲なんだらう、 最早猶豫はしてゐられぬ、伯爵は物影より立出でて、 靜かに大尉の背後(うしろ)に行き「オヽ森江さんですか」 と云つて其肩に手を置いた、大尉は驚いたけれど騷ぎはせぬ、 (やゝ)久しく伯爵の顏を見詰め、聊か恨みを帶た低い聲で 「貴方の受合つて下さツたのが、此通りに成りました」 伯爵は()と靜かに「イエ猶だ受合つてゐるのです」

死だ後に及び、受合つてゐるとは、何を何う受合ふのだらう、不思議千萬な言葉では有る、 けれど大尉は聞咎めやうともせぬ、全く最う死ぬる氣の爲、 細かな事には頓着せぬのだ、此樣なのが本統に恐る可しだ、 誰に何と云はれても思ひ直すと云ふ事が無い、 伯爵は更に「少しも貴方は絶望するに及ません、充分の希望を抱いてお出なさい」 大尉は相變らず無頓着である「サア伯爵、お參りに來たのならお參り成さい、 後で私は祈祷するのですから」伯爵「イヽエ私は濟みました、 貴方が祈祷を終るのを待ち馬車を共にして歸りませう」 大尉「私は別に歸ります、獨りで」愛想も世辭も無い。

伯爵は猶ほ立つてゐた、大尉は最早邪魔者の來たからは茲で望みは果されぬと思ツたか、 又暫らく跪拜した上立上り、伯爵には冷淡に「左樣なら」と一禮したまゝ立ち去ツた、 伯爵は少し遣り過ごして其後に()き、 見え隱れに(したが)つて行つたが何處へ何う落着くのだらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五三 大尉と伯爵二


伯爵が森江大尉を眞に我子の如く思ふてゐる事は、今までの一切の所行で能く分ツてゐる、 大尉が若し自殺すれば伯爵は自分の一命の半分を失ツた氣がするだらう。

何うしても大尉を救はねば成らぬとの決心で見え隱れに()けて行くと大尉は終に自分の家へ入ツた。

五分ほど後れて伯爵は其家に着いたが、見れば門の内に大尉の妹なる緑夫人が下僕(しもべ)に指圖して草花を培はせてゐる、 之に向ツて大尉の事を問ふと「今歸つて來て、自分の居間へ入つた樣です」との答へである 「爾ですか」と何氣なく點首(うなづ)いて直ぐに其室を指して上つて行ツた。

勿論伯爵は日頃から我家の樣に此家へ出入てゐるから、 此方(こちら)に遠慮もなければ向ふに氣兼もない、大尉の室は離れ座敷の二階である、 伯爵は足音を潛めて階段を上り、先づ硝子戸の外から(のぞ)いたが、 中には大尉が忙しげに書状を(したゝ)めてゐる、 爾して其傍に短銃(ピストル)を置いて有る所を見れば、 自殺の前に妹か其夫かへ一筆書殘す者で有らう、最う少しも猶豫は出來ぬ、 書いて了へば直ぐに短銃(ピストル)を取上げるに違ひない、 とは云へ戸には錠が掛ツてゐるのだから引き開ける事は出來ぬ、 若し訪なへば大尉が振向き、伯爵の顏を見て、最う其意を察してゐるから、 戸を開けずに直ぐに自殺して了ふだらう、其れは日頃の氣質で推し量られる。

困難の有る度に、咄嗟に智惠の働くが伯爵の持前である、 直ぐに(こぶし)を擧げ鐵槌の如き勢いを以て硝子戸を叩き(こは)した、 其凄じい物音に流石の大尉も驚いて此方(こなた)を向いた、 伯爵は輕く笑み「餘り廊下の拭き掃除が能く屆いてゐる者だからツイ辷つて硝子を一枚 (こは)しました」 と云ひつゝ其 毀目(われめ)から手を入れて掛鎖(かけがね)(はづ)し事も無げに中に入つた、 大尉の不興は一方ならぬ、

先づ伯爵は四邊(あたり)を見廻し「貴方は自殺する積りですね」 大尉「旅に立つ積りです」伯爵「旅に立つ者が短銃(ピストル)は何事です、書置は何の爲です」 最う隱しても隱し切れぬ「私が何を仕やうと、其れは餘計な御心配です」 伯爵「イヤ貴方の心中は察しますが、併し自殺は早過ぎます、 貴方は一旦、何も彼も私へ任せたでは有りませんか、 私の手に何の樣な力のあるも知らず、短氣な事を仕ては(いけ)ません、 兎に角も氣を永くして——」大尉は辛抱が盡た状である、 聊か怒りの調子と爲り、「貴方は何の樣な力があります、 人間社會の事は皆御自分の手の中に在る樣に仰有つて、 華子の毒害せられるのさへ()める事が出來なんだでは有りませんか、 貴方を頼みにさへ思はなんだら、假令(たとひ)華子は死ぬるにしても、 私の介抱を受けて死ぬる所でした、唯だ貴方を信じた許りに、 私の知らぬ間に死んだのです、私は華子の末期に、一言も慰めて遣る事さへ出來なんだのも全く貴方の爲と思ひます、 最う貴方を信用しません、幾等邪魔しても無益ですから此室をお去り下さい、 全く私は自殺するのです、お去り下さらずば貴方の目の前で自殺する許りです」 散々に伯爵を罵ツた末、手早く短銃(ピストル)を取上げた。

若し伯爵に、人間以上の非常なる力でも非ずば最早如何とも仕樣が有るまいと思はれた、 けれど伯爵は騷がぬ、(あたか)も人間以上の力でも持つて居る人の如くに落着いて居る、 爾して()と嚴かな聲で「爾はさせません、お待ち成さいお止め成さい」 眞に當然命令する權利でも有る樣な語調である、 大尉「貴方は何の權利を以て他人に干渉するのですか、餘計です、餘計です」 伯爵は恐ろしいほど烈しい聲で「サア私は誰でせう、 廣い世界に唯一人貴方に向ひ命令する力を持つた身分です、眞太郎、眞太郎、 森江良造の子たる者が此樣な事で、父の與へた貴重の命を失ふことは決して成らぬ」 父の命令とても是れほど嚴重には聞えぬ、大尉は異樣に心動き、 「父の名を勝手に用ひ、爾して父の云ふ樣な事を云ふ、貴方は、何者です、何故に父の名を」 伯爵「オヽ何故に、丁度貴方の父が今の貴方の通りに短銃(ピストル)を以て自殺する許りに成つて居たのを、 止めたのが私です、父の自殺を推し留めた私は子の自殺をも推し留る權利が有るのです、 貴方の妹緑孃に赤い皮の巾着を授けたのも私です、 巴丸の亡びた後で同じ巴丸を造つて馬港(まるせーゆ)に入港させたのも私です、 貴方が未だ頑是も無い頃、膝に抱上げて守したのも私です、 貴方の父上の信認を得て、父上のする丈けの事は何でもする樣に許されて居た團友太郎は私です、 貴方は父上が死際に呟いた團友太郎と云ふ名を忘れましたか、 私が團友太郎です、今日(こんにち)は昔父上に許された其力を以て貴方の事にも干渉するのです」 大尉は短銃(ピストル)を投捨てた、爾して椅子から轉げ落ちた、 更に立上りはしたけれど蹌踉(よろめ)いて居る、蹌踉(よろめ)くまゝに戸口に行き、 本屋(おもや)(かた)に向ひ聲を限りに「緑、緑、江馬さん、江馬さん、早く茲へ、早く」 と呼び立てた、廿餘年を經た主從の名乘合は是である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五四 大尉と伯爵三


人間業では無い神の業だと一同が思ふ迄の不思議な手段を以て昔此一家を救ふた大恩人が此巖窟島伯爵で有つたのか、 更に此巖窟島伯爵が其又昔の團友太郎で有ツたのか。

今まで何者とも知らぬ乍らも此一家は其大恩人を神と立て、明け暮に拜まぬ許りに敬ふて居た、 今其人が目の前に現はれたと有つては、驚かずには居られぬ、森江大尉が蹌踉(よろめ)いて戸口に行き、 妹と其夫とを呼び立てるも無理は無い。

何事かと緑夫人と仁吉とは馳せて來た、(たゞち)に大尉は之に向ひ 「サア平伏して、平伏して」と云ひ、譯も説かずに先づ兩人(ふたり)を伯爵の前に膝を折らせ 「父上を救ふて下さツた大恩人が此巖窟島伯爵だと分ツた、矢張り、 父上の云はれた通り團友太郎で有ツた、サア、日頃のお禮を云ひ度いと其れのみ心掛けて居た吾々一同、 早くお禮を申さねば成らぬぢや無いか」餘り迫込んだ言樣に兩人(ふたり)は急に合點も爲し得ぬ程で有つたが、 漸く其れと分るに連れて江馬は右より緑夫人は左より伯爵の手に取縋つた、 中にも緑夫人の方は伯爵の顏を熟々(つく〜゛)眺め 「爾仰有れば、()の時私へ船乘新八と云ふ名前で手紙を下さつた方の顏が、 何うやら貴方のお顏に——オヽ其手紙の指圖に從ひ私は其以前に團友太郎の父が住んで居たとやら云ふ家に行き赤い皮の財布を授かりました」 仁吉も薄々思ひ出したか「富村銀行の書記とか手代とか云つたのも矢張り貴方で」 大尉「爾とも、爾とも、新しい巴丸を入港させて下さつたのも此伯爵」 仁吉「何とお禮を申して好いか、此通りで御座います」と殆ど額を床に着けた。

眞に有難涙に暮れるとは此事だらう、暫しが程は室の中に唯だ一同の涙に(むせ)ぶ聲の聞ゆるのみで有つたが、 緑夫人は漸くに再び伯爵の顏を見上げて「其れなら爾と、早く知らせて下されば今までに、 お禮の申樣も有りましたらうに」伯爵も感慨に鼓動する如き聲を發し 「イヤ私は何時までも云はずに居る積りでしたのに、大尉が私の口から此祕密を絞り出したのです」 仁吉「是ほどの大恩をお掛け下さツて、其れでお禮を申す事さへ出來ぬ樣に、 何時までも隱してお出成さらうとは餘りのことで邪慳に當ります」 伯爵「イヤ全く私は禮なぞ云はれては濟まぬと思ひましたが、今斯う分ツて貴方がたから此樣な言葉を聞けば、 過去つた廿餘年の艱難辛苦も其甲斐が有つたと思ひます、 私の胸には人生に對する不平の塊が滿ちて居ますけれど今日は氷の解けて、 初めて幸福の何かと云ふ事が分りました」全く其言葉の通りに嬉しげである。

其うちに一同の心も(やゝ)落着いた、緑夫人は願ふ樣に「何うか貴方は吾々の保護神として、 何時までも永く此巴里にお留まり下さい、先逹てのお話しでは遠からず何處へかお立ちの樣に伺ひましたが」 伯爵「ハイ私は善人に賞を下し、惡人には罰を下すと云ふ目的の爲め、 此巴里へ來て居ます、程なく其目的も屆きませうから、其時は又他國へ立ち去らねば成りません」 緑「其れでは餘りお分れが惜しいでは有りませんか」 伯爵「其代りに私の行く時は此大尉を同道して行きますよ」

何時まで話したとて言葉は盡きぬ、けれど爾う手間取つても居られぬので、 伯爵は然る可く言葉を設け大尉を連れて庭に出た、爾して四邊(あたり)——に人の無きを見定めて 「最う心を取直しましたか」と問ふた、大尉は恨めしげに「ハイ貴方に免じて、 短銃(ピストル)で自殺すると云ふ事だけは止めませう、けれど伯爵、 私は到底長くは生て居られません、悲しみの爲に段々魂が消えて行く樣に思ひますから、 自然の死を待つ事に致します」伯爵「イヤ其れが惡い、其れだから心を取直せと云ふのです、 一旦死を決した人は誰でも此後に(とて)も心の休まる境遇は無い樣に思ひます、 (たとへ)ば貴方の父上が短銃(ピストル)を取上て時計の針を眺め詰て居た時に、 誰が何と云つたとて此世に生存へる事が出來やうとは露程も思はなんだでせうけれど、 實際に生存へる道が出來て其後を樂しく送ツたでは有りませんか」 大尉「其れは貴方が有ツたからです、貴方の力で天祐が降つた爲です」 伯爵「貴方も矢張り私をお信じ爲さい、天祐をお信じ成さい」 大尉「でも私の場合は違ひます、既に華子が葬られた後で、 何處から慰めて呉れる者が出て來ませう、最う天祐を信ずる期限が過ぎました」 伯爵「イヤ爾で無い、私は長くとは云ひません、今から一ヶ月の間私を信じて下さい 爾さ今日は九月の五日ですから十月の五日まで氣を取直してお待下さい、 必ず貴方の前へ心の慰む樣な者を出し、アー生きて居て好かツたと思はせて上げますから」 大尉「若し其時に其慰める者が出なんだら」伯爵「其時には私が、 貴方の前へ短銃(ピストル)を出し、サア是れで自殺なさいと云つて上ます」 大尉は初めて納得した「宜しい、何うせ死ぬると極つた命を一ヶ月待たれぬと云ふ事は有りませんから、 大恩人たる貴方のお言葉に免じ一ヶ月待ちませう」伯爵「其言葉をお忘れ成さるな」」 大尉「忘れません、十月の五日ですね」伯爵「ハイ十月の五日の午前十時までゞす」 とて互に固く言葉を(つが)へた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五五 十月五日まで


「では十月五日まで私は自分の身體を貴方に捧げて置くのです」と大尉は悄然として繰返した、 十月の五日と云へば今より一ヶ月の後である、其日に至り何の樣な事があるかは、 神より外に、イヤ神と巖窟島伯爵とより外に知る者は無い。

伯爵は大尉が言葉の後に就いて「では今日から貴方は私の家へ來て同居成さい」 大尉「エヽ貴方と同居を」伯爵「ハイ既に一身を私に捧げたからは何も云ひ分は無いでせう」 大尉「其れは爾です」とて唯だ伯爵の云ふが儘に任さんとする容子なるは、 全く何も彼も此世に望みを絶つた爲である、伯爵「幸ひ私の家には、 今まだ鞆繪姫の居た室が空いて居ますから」大尉「オヤ鞆繪姫は何處かへ行きましたか」 伯爵「ハイ野西將軍の事件以來、毎日の樣に新聞や雜誌に名を出されますので、 其れが辛いと云ひ、私より先に此國を立去りました、爾して旅先で、 私の行くのを待つて居るのです」大尉「では愈々貴方の此國を立去るのも遠くは有りませんね」 伯爵「爾です遲くとも十月五日より前です、貴方をも連れて立去るのです」

話は是で極ツた、さうして大尉は愈々巖窟島伯爵の家に同居した。

*    *    *    *    *    *    *

    富と恥

巴里の中でも極靜かと云はれる町盡(まちはづ)れのドブレー街に小さい一軒の下宿屋が有る、 此のほど茲の一室を借りて身を落着けたは、野西武之助と其母露子夫人である、 兩個(ふたり)は斯かる所ならば、到底巴里の中心に住む知人などに認められる筈は無いと思ふて居る、 けれど必ずしも爾で無い、巴里の中央にも矢張り人目を(いと)ふ用向の爲に故々(わざ〜)淋しい場所を求めて來る人がある、 其樣な人同志が、思はずも出會して「オヤ貴方は何うして此樣な所へ」 「イヤ貴方こそ何うして」と互に極りの惡い思ひで、顏見合せて驚き合ふ例は折々ある。

其れと此れとは事 (かは)れど、此同じ家の別の一室を餘ほど以前から借切て、 時々密會する男女がある、女は無論覆面で少しも顏を見せぬ樣にして居るが、 男の顏も此家の人は見た事がない、寒い時は外套の襟を鼻の上までも締揚げ、 暑い時は戸口へ來るが否や大きな手巾(はんけち)で鼻をかむ、 其れで顏を見せずに通る、餘ほど其手際の慣れた者だ、 今日も此人は手巾(はんけち)を顏の眞中に當てゝ入つて來たが、暫くすると覆面の婦人が來た 兩個(ふたり)室の中に入つて初めて露出(むきだ)した顏は、 段倉夫人と内閣官房長の出部嶺である、此 兩個(ふたり)の間柄は既に記した所で讀む人は知つて居やう、 出部嶺は先づ無遠慮に「昨夜出奔した相ですね段倉氏が」 夫人「私へ宛てゝ此樣な手紙を殘してありました」差出すを出部嶺は讀下した 「天晴れ貞女なる妻よ、最早夫婦と云ふ空な名の爲に互を蒼蠅(うるさ)く思ひ合ふには及ばぬ事と成れり、 餘は明日慈善協會の五百萬を拂ひ得ぬ爲め御身をも家をも捨てゝ出奔す、 幸御身には、外に頼みとする人ある爲め、餘は此場に臨んで御身の事は心配するに及ばず、 是だけが日頃不和なりし賜なり、御身が其人と結び合ひ餘に掛構ひなく巧に商法して、 後々困らぬ丈の資本を作り得たる事は、 御身が此數ヶ月間の段倉銀行の負債數千萬に上りたることを知るが如く餘の明かに知る所なり、 勿論餘は其金を御身に借うとは云はず、男らしく分るゝ者なり、 御身餘が妻と爲りし時は、富と恥とを以て餘が家に來れり、 今分るゝ時も富と恥とを殘せる故元々なり、此上は益自由に何人をなりと頼みとせられよ、 今は他人の段倉喜平次」と署してある、出部嶺は此苦々しい文句に顏色を變へたけれど少しの間である、 直に嘲笑ふ調子で「此亭主、知つて居やがツた」と云ひ更に 「でも貴方を妻にする事は御免ですよ」何たるズウズウしい言葉だらう、 併し女も負ては居ぬ「私の方で眞平です、サア勘定して分れませう、 今までの儲けで、貴方が正直に勘定して呉れゝば生涯安樂に暮されます、 儲けを山分けと云ふ約束で資本は私が出し、相場の掛引は貴方が仕たのですから、 サア一年間の儲けの半分と資金と、資金の利子とをお寄越し成さい、 ナニ計算は私の手帳で分ります、百三十八萬 (ふらん)に成つてゐるのです」 精密な勘定に驚いたけれど間違ひが無いのだから仕方が無い、 出部嶺は一萬 (ふらん)の銀行劵百餘枚を出し「爾です、是だけが貴女の分です」 とて渡した、(やゝ)あツて婦人の方が先に歸ツた。

*    *    *    *    *    *    *

    貧と(ほまれ)

壁一重隔てた隣の室には、武之助が、母の前に(わづか)に四百 (ふらん)の金を並べて説明して居る 「愈野西將軍の財産を慈善協會へ寄附して了ツて、最う此土地に用は無いから直に馬耳塞(まるせーゆ)へ立ちませう、 私は兵籍に身を登記して、愈阿弗利加へ行く事に成りましたから、 此通り旅費を貰ツて來ましたよ、此家の勘定は先刻濟ませて來ましたから、サア立ちませう、 私は馬耳塞(まるせーゆ)で貴女の身の落着くを見屆けた上、 便船に乘込みます、是だけあれば充分です」母は悲しい事ばかりで口をも開かぬ、 開けば直に泣聲が止められぬのだ、唯だ息子の云ふが儘に手を引かれ、 別に支度とてするに及ばぬ今の身輕さは直に此家を立出でた、 此時 (あたか)も顏の眞中に手巾(はんけち)を當てた彼の紳士が室の出口に居て、 容子を察した、何事にも驚かぬ氣質だけれど流石に感慨を催したか 「アヽ富と恥とを持た婦人の後を、貧と(ほまれ)とを持つた婦人が行く、世は實に状々だ」と呟いた、 併し此紳士よりも猶深く感じた人が、町の曲り角の邊に潛んで居た、 此人は母子が辻馬車に乘るのを見て泣かぬ許りに獨語(ひとりごと)した 「アヽ罪ある其父を罰した爲に、罪の無い妻子を此樣な悲境に陷らせた、 何とかして此母子には、追つて相當の幸福と平安とを與へねば成らぬ、 其れを與へる事が出來ねば惡を懲し善を勸めると云ふ天職に背く譯だ」 此人が巖窟島伯爵である事は云ふ迄も無い。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五六 獅子の穴一


地に落る千萬點の雨の粒は、皆思ひ〜に草を打ち、木に留り、 屋根を洗ひ、土を濡らすなど別々の目的を持つて居る樣に見ゆるけれど、 何時の間にか地の凹い所へ流れ寄り、其處此處に集まツて溜り水とは爲るのだ、 其溜り水が又其處から此處からと次第々々に(どぶ)へ落ち、 (どぶ)から溝へ溝から河へ、河から海へと、果は浩々たる唯一つの大洋へ流れ入り、 合して大なる水とは成つて了ふ。

若し之が草の葉の上に唯だ一點留まツて、落も得せず流れも得せずに居る時に當りては、 誰が見て、其終に大海へ注ぐ運命を持つて居る者と思ひ得やう。

巖窟島伯爵を中心として居る、此長い物語りが丁度其れである、 點々の雨の樣な細かな澤山の事柄が一粒々々皆大海へ落ちて行きつゝあるのだ、 而も其大海は最う遠くも無い、小侯爵と云はれた辨太郎の裁判、大檢事蛭峰の身の上、 逃亡した段倉の行末などが、其大海の波瀾である、其波瀾が何の樣に卷起つて來る事やら、 粒々の雨を見た許りでは分らぬ、けれど粒々の雨から見て行かねば又分らぬ、 とは云へ粒々の雨は最早大方見盡した、殘るは唯だ一二點である。

*    *    *    *    *    *    *

辨太郎が捕はれて何處の獄に居るかは、係官の外に多く知る人は無いが、 其實彼は至急に裁判に附せらるゝ爲め、ラ・フォース監獄の一部サンベルナーと云ふ區劃(くくわく)に入れられて居る、 此區劃は重い見込の囚人のみを置く處で、俗に獅子の穴とは異名する、其謂れは、 囚人が(やゝ)もすれば檻の中の獅子の樣に貫木(くわんぬき)を噛ぢツたり、 番人に噛付いたりする爲である、是だけで此穴に入れられる者が如何に絶望し煩悶して居るかゞ分る。

けれど辨太郎はさほど絶望しては居ぬ、彼は確に、自分の身へ大なる保護者が附いて居るを信じ詰て居るのだ、 保護者が無ければ今までの自分の身の波瀾が分らぬ、何の足場とても無い身を以て夢の樣に小侯爵と爲り、 夢の樣に巴里第一流の銀行家の婿とまで經上ツた、 唯だ最後の今一歩と云ふ所で階段から辷り落ちたには全く自分が惡かツた、 毛太郎次の樣な者を殺した爲である、イヤ實は自分の運が未だ熟さなんだ 毛太郎次を殺さねば成らぬ樣な破滅に到り及んだのが不運で有ツた、 定めし彼の保護者は此身の失敗を殘念に思つて居るのだらう、 此身が自ら思ふより一入(ひとしほ)切に思ふて居るかも知れぬ。

さすれば今此身が監獄の底に沈んで居るとても保護者は決して見捨ては仕まい、 其大金力と大勢力とを以て必ず此身を救ふに違ひ無い、其れは何う救ふ、 牢番に賄賂(まかなひ)して此處から逃出す事の出來る樣にして呉れるか、 或は裁判官を買收して輕い宣告を爲さしめて呉れるか、何でも其邊に違ひない。

斯う思ツて彼は、其 衣服(みなり)なども矢張り婚禮の當夜のを着け紳士然小侯爵然と構へ、 或は手巾(はんけち)で靴を拭ふて光らせたり、小石で爪の先を磨いたりして居る、 尤もコンベーインの宿屋で二度まで煙突を(くゞ)ツた爲め外被(こーと)筒袴(ずぼん)は仕立卸しとは見えぬけれど、 其れでも塵一つ留めては居ぬ、獅子の穴と云はれる此獄に此樣な垢拔けのした人の居るのは之が殆ど初めてだらう、 併し斯かる間にも絶えず彼の氣になるのは、其保護者が誰だらうと云ふ疑問である、 其れは確に我父に違ひ無い、我身には祕密の、本統の、父があるのだ、 其父は誰だらう、誰で有らうと探し出さずには置かぬ、何うしても探し出す、 探し出して我身を私生兒にした恨をも報い、 我身を幾度(いくたび)も牢に入れるほどの情無い境涯に捨て置いた其邪慳をも思ひ知らせて呉れねば成らぬ、 是れを思ひ知らせた後にこそ親は親らしく子は子らしくなりもすれ、此身の運は其上で開きもすれだ。

既に入牢から數日を經て、斯樣な見込は持ちながらも、 猶淋しさ心細さに堪へぬ状とは爲つた頃、面會を求める人が有るとて呼び出された、 面會を求める人と云へば決して判事や檢事では無い、 何でも保護者からの使であらう、保護者が此身に氣を(くじ)かせぬ爲めに、 慰謝(なぐさめ)として人を寄越したのに違ひ無いと、 彼は早胸の中の躍る樣な心持して、押丁に導かれて面會室に入つた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五七 獅子の穴二


面會室に入りながらも辨太郎は胸を躍らせた、面會者は誰だらう、 此身の保護者に違ひ無い、然らずば其使ひである。

彼は面會室に入つて其人を見た、薄暗いけれども顏は分る、自分が幼い頃から育てられた養父春田路である、 辨太郎は「ヤ、貴方ですか」と驚いた。

驚くも無理は無い、初めから巖窟島伯爵が、春田路の我家に雇はれて居る事を辨太郎には知らさなんだ、 若し知らせては何の樣な疑ひを起して事の妨げを釀すかも知れぬと思ふたのだが、 其れが爲に最初オーチウルの晩餐の時には春田路をして辨太郎を見せしめたけれど、 辨太郎には春田路の姿を見せず、間も無く春田路をノルマンデーの別莊に送り、 猶其外に多くの地方に出る用向を言ひ附けて互に掛け違はせる樣にして置いた、 其れだから辨太郎は未だ春田路が伯爵の雇人とは知らず、 何うして茲へ面會に來たのかと先づ怪しく思ふのだ。

春田路は落着いた調子で「何も驚く事は無い、子が牢に入れば、 父が見舞に來るは當り前である」と答へた「でも私が茲へゐる事を何うして知りました: 春田路「新聞紙に出たのだもの、誰だツて知つてゐるワ」 斯う云はれては根も葉も無い、けれど辨太郎は、未だ疑ひが解けぬ、 我身の如き囚人に面會を求めて許しを得るのは容易の事で無いのだから、 何でも餘ほどの勢力のある人が、内々運動して此面會を仕組で呉れたのだと思ひ、 念の爲に振向いて戸口を見ると、嚴重に見張つてゐる可き筈の番人も見張つてゐぬ、 愈番人にまで鼻藥が屆いて居るのだ、是れだけに手の屆くのは、巖窟島伯爵で無くて誰だらう。

何でも伯爵の手先に使はれて居るに違ひ無いとの疑ひが早鋭い彼の心に起ツた 「だけれど誰かに頼まれて來たのでせう」春田路は笑ツた「誰が貴樣などの爲に、 頼む樣な事をする者か、父なればこそ——」 辨太郎「イヤ違ひます、貴方の力では此樣な面會の道は開けません、知つて居ますよ、 何でもエリシイ街の伯爵が」俗に云ふ鎌を掛けて探ツた、春田路は少し驚いたけれど、 平氣の状で「(おれ)は其樣な人は知らぬ」辨太郎「知らぬ筈は有りません、 今の世に巖窟島伯爵を知らぬ者が何處に在ります」春田路「其伯爵が何うしたと云ふのだ」 辨太郎「今まで私を保護して呉れたのです、今でも保護して居て呉れゝばこそ貴方が面會に來る事に成つたのです、 ねえ爾でせう、私は巖窟島伯爵を阿父さんと呼んで好いのでせう」 春田路は怒ツた「飛んでも無い事を云ふな罰が當るぞ」

言葉に嚴しさで愈伯爵の廻し者と見て取れる、 辨太郎「では私の阿父さんは誰ですか」春田路「(おれ)よ」 辨太郎「貴方は育てゝ呉れた阿父さんです、私の實の父は」 春田路は初めの見幕ほど怒りもせぬ、却つて四邊(あたり)を見廻して聲を潛め、 「實はな、(おれ)は最う、貴樣が死刑に處せられるに極つたと思ふから、(せめ)て此世で、 實の父の名だけも知らせて遣り度いと思ふて來たのだ、貴樣は本統に不幸な奴だ、 (おれ)が拾ひ上げる迄に種々(さま〜゛)の事が有ツた、其れさへ知らずに、 ナア、自分の身が何者で、何の樣にして世に出たかも無我夢中で、殺されて了ふとは、 餘り可哀相な譯だから、(おれ)は何も彼も知らせて遣り度いと思ひ、 アヽ貴樣とても、何も初めから罪人として生れたのでは無からうに、イヤ、イヤ、 矢張り貴樣は罪に生れた罪の子と云ふ者か知らん」嘘か誠か知らぬけれど、 春田路の眼には涙が光ツた、辨太郎は熱心に、殆ど獅噛(しが)み附く樣に 「何うか知らせて下さい、私は殺されても構はぬから知らせて下さい」

*    *    *    *    *    *    *

斯て春田路が何を辨太郎に知らせたかは分らぬけれど、()ても、 此辨太郎を裁判に附する爲め其罪状を取調べて居る蛭峰大檢事の容子は又見ものである。

彼は華子の葬式が濟んで以來、書齋へ閉ぢ籠つたまゝ、妻にさへ顏を見せぬ、 時々裁判所や警視廳へ使を出して書類を取寄せはするけれど、其暇さへ待遠しげである 「何でも是を調べれば巖窟島伯爵へ關係が出て來るのだかとは彼の最初に斷言した所である。

三日三夜、彼は調べ續けた、調べては書き書いては調べ、 終に立派な論告書を作り上げた、けれど未だ滿足せぬ、其煩悶の状は、 調べに着手した初めの時と少しも變らぬ、イヤ初めよりは一層甚だしい。

「アヽ此樣な事では(おれ)は終に發狂する、併し辨太郎の罪跡が明々白々だから、 後は裁判所で彼に白状せしむれば好い、彼の白状の言葉を(とら)へ、 又綿密に突込めば彼の事まで分るだらう、爾うだ、 其れならば斯うまで心配するには及ばぬ、けれど待てよ、 此裁判は此身に取つて、殆ど生涯の大戰爭だ、 自分の身にも非難の無い樣に萬に一つも間違ひの無い樣に仕て置かねば成らぬ、 アヽ實に、此樣な事を——此樣な妻を、イヤ妻とて容赦は出來ぬ、 最う此通り世間の疑ひも妻に掛りのみならず爭はれぬ多くの證據が有る上は、 大檢事の職として、何で捨置かれる者か」

辨太郎に對し、巖窟島伯爵に對し、()た自分の妻に對し彼は三樣に煩悶して居たのである、 けれど心は決したと見え、卒然立つて妻の室に入つた、此室には妻が息子重吉を遊ばせて居る、 直に蛭峰は重吉に向ひ「少し外へ出て遊んで來い」と言渡した、 其語調が其顏の曇り方と共に一通りで無い、腕白な子だけれど、一言の答へも無く、 唯だ恐ろしげに父の顏を見返つたまゝ外に出た、後に蛭峰は無手(むず)と妻の手を捕へた、 爾して夫の口調で無く、大檢事と云ふ嚴かな口調を以て 「貴女は(いつ)も使用する毒藥を何處へ隱して有りますか」 尋常(たゞ)ならぬ態度と、尋常(たゞ)ならぬ言葉に、 妻は早や顏色土の如しである「エ、エ、何と」問返す聲も咽喉に(つかへ)る樣に聞える、 蛭峰は更に烈しく「エ、(いつ)も使用すると云へば分りませう、 米良田伯爵を殺し、其夫人を殺し、忠助を殺し、華子を殺した其毒藥を貴女は何處に(しま)つて有りますか」」 凛として侵し難い、眞に秋霜烈日の如き言葉とは之である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五八 死刑臺か毒藥か


「何處に毒藥を隱して有る」と、最早辭解をも遁辨をも許さぬ言葉である、 全くの詰問と云ふ者なんだ、夫人は答ふる所さへ知らぬ、只僅に「貴方は何を仰有りますか」 少しでも的面(まとも)に立つを避け度いと(もが)いた。

けれど避けさせぬ、蛭峰は一入(ひとしほ)冷やかな(むご)い言葉で「ナニ夫人、 貴女は問ふのでは有りません、私の問に答へるのです、何處に毒藥を隱して有ますか」 夫人は退引(のつぴき)ならぬ、又 (もが)いて問ふた「答へるとは夫へですか、大檢事へですか」 蛭峰「大檢事へです、大檢事蛭峰へです」夫人は眞に逃れぬ時が來たと知つた、 唇までも青くなつた、けれど答へる言葉は出ぬ「其れは貴方——其れは貴方」 恨めしげに呻くのがやつとである。

「其樣な事を云はずにお答へ成さい」と蛭峰は見るも恐ろしい程の顏して責め、 更に其顏よりも猶恐ろしく見ゆる笑を浮かべて「アノ返辭が出來ぬのですね」 (はらわた)へ手を入れて探る樣な言葉である、猶も返辭は無い、 唯だ見開いた目で室中を見廻すのみである、蛭峰「四人も人を毒殺して、 毒藥の在る所を忘れたと云ふのですか」夫人は初めて言葉を發し得た、 「さう嚴しく仰有らずと、何うかお察し下さツて——」 蛭峰は皆まで言はせぬ「未だ其樣な卑怯な事を云ふのですか、 コレお聞き成さい、四人まで人を殺すには餘ほどの覺悟が無くては成らぬ、 若し露見した時は斯うと、無論自分の死ぬる事は知つて居る筈です、 今は何うしても逃れぬ時が來ましたから、サア五人目です、五人目です、 五人目を殺す毒藥は何處に在ります、貴女は五人目は誰だと云ふ事も合點し得ぬのですか、 末の末までも此恐ろしい罪を巧む程の心を以て、 最後には誰を殺さねば成らぬと云ふ考へが無かツたのですか、 イヤ爾は云はせません、必ず最後の毒藥を、 イヤサ人に用ひたより猶 (きつ)い猶確な毒藥を自分の爲に取つて有るのでは無いのですか、 其れ丈の用心忘れましたか」 サア最後の毒藥を、最後の毒藥を明かに自分で呑んで自殺せよとの言ひ聞せである、 夫人は全く合點が行つた、合點が行くと共に、俄破(がば)と床の上に平伏した、 爾して拜む樣に兩の手を差延べた。「アヽ伏罪ですね、其れは駄目です、 懺悔に罪が亡びると云ひますけれど、大檢事に問ひ詰められて後の懺悔では遲いのです、 詮方盡きての後悔で、何で刑罰が弛まりませう、死刑臺か()た毒藥です」 死刑に處せられるが否なれば毒藥を呑めと云ふのだ「其ればかりは何うぞ許して」 蛭峰「許してとて、許す力は誰にも有りません、四人まで人を毒殺した罪人は、 國王と雖も死刑臺に登る事を妨げ得ません、世間の人が既に疑ツて既に知つて居る罪人は夫と雖も祕密に附する事が出來ぬのです、 死刑臺に上らぬ工夫は、唯だ毒藥です、サア貴女は毒藥を何處へ置いて有るのですか」 夫人は俯伏した顏をを擧げもせずに「何うか赦して、お赦し下さツて」 蛭峰「此れを赦せば彼れと爲ります、毒藥を逃るれば死刑臺です、 貴女は死刑臺に登ツて此蛭峰の家名を此上にも汚さうと思ひますか、 大檢事とも云はれる者は、自分の身内に、少しも非難の無い樣にせねば成りません、 貴女は同じ死の中で、何故に、何故に、最も家名に係る方を選びます、 同じ死ぬるなら少しでも家の恥に成らぬ方を何故に取りませんか、サア、 お選び成さい、お選び成さい、二つに一つを選ばせるだけが、(せめ)てもの慈悲と云ふ者です、 サア、人を殺したより猶強い猶早い最後の毒藥は何處に在ります」

是ほど迄に責附けるは流石に大檢事であるとは云へ實は是より外に道は無いのだ、 けれど夫人は猶ほ返辭をせぬ、蛭峰は最早勘辯の絲が切れた、 今まで丁寧で有ツた語調は忽ち捨てゝ「エヽ臆病者——此未練者」と打叫んだ、 殆ど踏みも(にじ)り度いほどの状である「でも貴方——貴方の妻では有りませんか、 何うぞ、何うぞ」アヽ斯う迄も死ぬのは辛い者だらうか、此場に及んで猶ほ逃れる道を求めて居る、 蛭峰「妻だとて承知は出來ぬ」夫人「重吉の母では有りませんか」 蛭峰「コレ、能く聞け、大檢事と云ふ職は假令(たとひ)國王と雖も罪あれば告發せねば成らぬ職だ、 妻で有らうが、子の母で有らうが其樣な區別は無い、是れだけ云へば、 最う能く分つて居やう、人を殺した度胸を以て、自分の身に向ふが好い、 此上は何にも云はぬ、此方は裁判所へ行くのだから今日は大事の裁判をするのだから、 遲れては成らぬ、此方の留守の間に汝は汝を裁判せよ、 若し此方が裁判所から歸つて來て、猶ほ其方の自分の裁判が終つて居ぬなら、 直に此方が告發して死刑臺へ上すのだから、エヽ、汝の如き未練な奴は仕方が無い、 死刑臺に上るとも其恥だけを逃るゝとも最う勝手にするが好い」 眞に鐡案を宣告した、爾して其身は直に室に入り、直に仕度をして裁判所を指して行つた、 是れは辨太郎の裁判の爲である、知らず、何の樣に裁判して何の樣に歸つて來るだらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二五九 裁判一


嗚呼辨太郎の裁判、恐らくは是ほど巴里の人心を引寄せた事件は此頃に無いだらう、 今日が即ち其日である、蛭峰大檢事が急いで家を出たのも、此裁判に於て、 有らん限りの雄辯を(ふる)ひ、被告の罪を數へ立てん爲である、 爾うして猶ほ表面に現はれぬ深い深い祕密の事を迄も(えぐ)り出さん爲である。

裁判所へは、午前七時から傍聽人が詰め寄せた、凡そ巴里の上流は悉く茲に集まツたと云ふても好い、 其れは何の爲だらう、餘り事柄が意外な爲である、昨日まで幾千萬の財産を受嗣(うけつ)ぐ可き小侯爵と思はれ、 其家筋は詩人のダンテの神曲に謠はれて居る皮春の血統なりと敬はれて居た者が、 巴里第一流の銀行家の令孃と婚禮を披露する(ゆふべ)に忽ち恐る可き殺人者、 ()た牢破りの罪人と分ツたのだから、是が世の人を驚かさずば世に驚く可き事は無い。

殊に彼が小侯爵で居た間は、公園の如き盛り場へも出て、 第一流の貴族と同じく馬車を(なら)べて練歩くことも仕た、有名な料理店などに入つて贅澤を競ひもした、 夜會と云ふ夜會には大抵招かれ引く手 數多(あまた)と云はれる令孃逹と手を引合つて踊ることもした、 全く誰からも尊敬す可き貴公子と思はれ、時めく程で有ツたのだ、 其時限は短いけれど、短い丈けに華やかで有ツた、華やかな丈に澤山の知人も出來た、 此樣な人が殺人の大罪人として法廷に立つたのだもの、誰が驚かずに居る者か。

大抵の人は、何か此裁判で、非常な祕密が現はれて來るだらうと信じて居る。 辨太郎の美しい顏優しい姿とを見、又其流暢な言葉を聞いて只の普通の殺人者とは思ひ得ぬ、 何か非常に込入つた事情が有つて、止むに止まれぬ所から其樣な事に成つたのだらうと云ふも有れば、 裁判の何處からに間違ひが有つて、其れが辨太郎の口から現はれるだらうと云ふも有る、 極めて常識に富んだ人とても牢破りの罪人が貴公子と立てられるに至ツた道中には必ず非常な智慧とか、 非常な工風とかゞ有つたゞらうと云ふ事丈は(いな)み得ぬ、 (あたか)も此裁判をば餘ほど珍しい芝居の幕開きの樣に思ふて居る。

定刻前に滿場と爲ツた傍聽席には、其れ等の樣々の噂が沸騰(わきたつ)る樣に立つて居る。

甲「併し彼を巴里へ連れて來たのは彼の父皮春大侯爵と云ふ武人だと云ひますよ」 乙「サア本統の惡人は其武人だらう、彼は唯だ其人の手品の種に使はれたに過ぎますまい」 丙「でも其侯爵は(つと)に露國へ行つたとか云つて其姿が見えぬでは有りませんか、 何の爲に辨太郎を皮春小侯爵として社會に出したか其目的が更に分らぬ」 丁「其分らぬ所が面白いから我々は來たのです、事に依ると父と云ふ人まで、 捕まつて法廷に出されるかも知れませんぜ」戊「何しろ此事件で第一番に馬鹿を見たのは巖窟島伯爵でせう、 伯爵は最初に小侯爵を信じて、何十萬圓とやら立替たと云ふ事です、 彼が小侯爵として身を支へて居たのは全く其金でせう」 巳「アノ樣な大金持は其樣な事で身代を減せるが好い」 庚「併し今日は未だ伯爵が此傍聽席に見えぬ樣ですね、其樣な事が、 極りが惡くて自ら遠慮して居るのでせうか」

漸くにして定めの時間とは爲り、芝居ならば幕が開いた、裁判長も入つて來た、 陪席判事も座に着いた、次ぎに陪審員も席を構へた、此時までも檢事長の席だけは空て居たが、 (やが)て一方の戸口を推開いて悠然歩み出たのが蛭峰其人である、 彼は書類を入れた鞄包(かばん)を携へ、裁判長に默禮して席に就いた、 此人が今日(こんにち)被告の罪を數へ立てる職である、 此人の雄辯は罪人が戰慄して恐れる所で、傍聽者の胸の波は多く此人の爲に打つので、 今日は殊更に莊重に、又嚴めしく見えて居るのは腹の底に何の樣な材料を蓄へて居るのだらう、 (あたか)も一人の千兩役者が、獨りで舞臺を壓して居るが如くに、 唯だ此一人で殆ど全法廷の重きを爲して居る。

「被告を是れへ」との裁判長の命令も下ツた、鎭まツた傍聽人の首は一時に、 被告の引出されて來る隅の方の戸に振向いた、其戸は開けた、被告は警官に連れられて歩んで來た。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六〇 裁判二


辨太郎は警官に連れられて此法廷に歩み入つた、有罪と極る日には無論死刑に處せらる可き筈だから、 定めし落膽の状が其容子に現はれて居るだらうと誰も豫期した、所が彼は少しも打萎れた容子が無い。

眞に彼は平氣である、茲を法廷と知つて居るだらうかと怪しまれる。 或は唯だ通例の懇意の家の客間へでも通される樣な氣で居るのでは有るまいか、 顏の(おもて)の靜かさは平生の人に少しも(かは)らぬ、恐れも悲しみも()た嬉しさも、 何事をか心待に待設ける樣な色も何にも無い、單に平氣である。

爾して身の(こな)しも別に顏色を違ふ所は無い、矢張り平氣の人である、 法廷に入つて先づ居並ぶ裁判官を見た、中にも裁判長は最も長く見た、 次には大檢事蛭峰の顏を、之は裁判長の顏を見たよりも長く見た、爾して定めの席に就く時に輕く傍聽席を見廻した、 別に或る罪人の如く勉めて愛嬌を播くでは無いが、併し彼の顏には天然に多少の愛嬌がある、 傍聽者の意見は二派に分れたらしい「餘ほど法廷に慣れて居るな」と云ふも有り 「彼は堅く自分の無罪を信じて落着いて居るのだ、 何でも非常に意外な事を言立てるに違ひ無い」と云ふのも有つた、 併し二派とも益々法廷が面白いと思ひ、早や手に汗を握ツたのは同樣である。

彼の次に彼の辯護人が着席した、事情に通じた人の説に由ると、 彼辨太郎は自ら辯護人を頼む事を嫌ひ「ナニ其樣な者には及ばぬ、 自分の身は自分で辯護する」と云ふた相だ、此一語で胸に何事をか蓄へて居る事が益々分る、 其れで此辯護士は、規則の通り裁判所が選んで附けたとの事であるが、 餘ほど新米の人と見え年も若く、爾して被告の平氣な状に引替へ一方ならず心を騷がして居るらしい。

斯う席が定まるが否や、裁判長は大檢事に、論告に取掛らせた、 サア是が實に聽き者である、何時とても蛭峰の辯論は流石に大檢事だと傍聽人に敬服せられるが、 此日のは殊に雄辯の妙を極めたと云つても好い、簡單で、明白で、 爾して力が強い、或る所は針で刺す樣に、又或所は鐵槌で叩く樣に、 ()と痛快に被告の罪を數へ、其心根を責め、斯る者を生存せしむる社會の危險と之を鎭滅する裁判の職責とを説き、 (わづか)に廿分ばかりの間に、傍聽人總體の心をば、悉く辨太郎の方へ振向けた、 唯だ獨り此雄辯に感動せず、初めの通りに平氣の色を支へて居るのは辨太郎である、 首をも埀れねば眼をも動かさぬ。

是れは聊か大檢事の見込にも目的にも違ひのだ、何でも彼をして恐懼、悔恨、()た慚愧、 措く所を知らざらしむる迄に責附けねば成らぬ、顏に顏色を變させ、 身を(おのゝ)かせる迄に感動を與へねば成らぬ、大檢事は更に、 其廿餘年の職務上の實驗から得た人間の心理の微妙なる絲筋を手繰り、 一層は一層よりも深く辨太郎の心も最も痛かる可き所を衝いた、 是れが檢事の奧の手である、此手に罹ツて搖るがぬ者は今までに一人も無い、 けれど辨太郎のみは搖るがぬ、此上も無い平氣な状が猶ほ其上に度を増す樣にも見える、 檢事は全く手段が盡きた、此上に説くのは却て今までの自分の言ふた事の力を減らしこそすれ、増しはせぬ、 一旦茲は論を結んで更に然る可き場合を待ち、新に雄辯を持出す外は無い、 唯だ幸ひな事には、被告が平氣なれば平氣なる丈、傍聽人が其厚顏を憎み、 二派に分れて居た同情が全く一團と爲つて被告を見捨て、 檢事の方へ雪崩れ込んだ樣子だから、之を(せめ)てもの慰藉として蛭峰は席に就いた、 併し此向では、兼て被告に何うしても白状させねばと思つて居るだけを白状せしめ得るや否や覺束ない。

此次は被告が尋問せらる可き順である、裁判長は被告に向ひ、先づ姓名を問ふた、 被告は春田路辨太郎と答ふ可きである、けれど意外にも彼は 「私は自分で答ふ可き事柄の順序を定めて居ますので、其順序に違つたお返辭は致しません、 何うか姓名は後へ廻して下さい」と請ふた、餘り不思議な請ひである、 (さて)こそ愈々意外な陳述が出るだらうと傍聽人は又熱心の度を増した、被告は更に 「若し何うしても姓名から問はねば成らぬと仰有るなら私は幾等お問ひに成さツても返辭はしません、 無言で死刑に處せられます」と度胸の底を打播いた、裁判長は(たつ)て爭はぬ 「然らば年齡から問はう、何うだ年齡の次に職業と、此樣な順番に問へば返辭は出來るか」 被告「ハイ、其れならば出來ます」何の爲であるか殆ど分らぬ 裁判長「幾歳ぢや」被告は「滿廿一歳になる所です」と明かに答へ、 更に檢事長の顏を見て「能く注意を願ひます、私の生れたのは千八百十七年の九月廿七日の夜中です」 檢事長は次に立つ可き辯論の爲に何やら急がしげに手帳へ書留て居たが、 此年月日を聞くと共に頭を上げた、ハテナと、特に氣を留める容子である、 裁判長「何處で生れた」被告「巴里の廓外オーチウルで生れました」 此地名に大檢事は再び頭を上げ、今度は被告の顏を見てジツと眺め、 聊か自分の頬に血の色を動かした、被告も之と同時に目早く大檢事の顏を見たが、 直に又知らぬ顏に(かへ)り、絹の手巾(はんかち)を出して口許を拭ふた、 其口許には異樣な笑が浮んである、何だか樂し相にも見える、裁判長「シタが汝の職業は」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六一 裁判三


「シタが汝の職業は」アヽ職業は何であらう、辨太郎は此問を待設けて居たらしい。

彼は滿場に聞ゆる冴けた聲で「私に職業と云ふ者は有りません、 けれど若し糊口の道を立てゝ行く仕事をば職業と謂ふならば、 私は最初に詐欺師で有りました、詐欺の手段で糊口しました、 次には窃盜に轉業しました、詐欺の職業は餘り手數が掛りますゆえ其れで簡單に人の物を盜む事に改めたのです、 爾して近い頃では又其業を替へ人殺しと爲りました、人殺しと爲つた爲め此通り法廷へ引出されるに至ツたのです、 後にも先にも此外には職業が有りません」何たる恐ろしい答へだらう、 凡そ法廷が開けて以來、此樣な陳述は無い、裁判長さへも、一時は驚いて顏を傍向(そむ)けた、 陪審員は呆れて嘆息した、傍聽人は顏と顏とを見合した、 此中に蛭峰大檢事は何うして居るだらう、誰も彼の顏を見る者は無い、 併し彼は一同の中で最も驚いた一人である、忽ち顏を青くして、 次には赤くし、爾して遂に手を揚げて前額(ひたひ)を抑へた、 多分は頭が割ける樣に感じたのだらう、是でも猶ほ落着き得ぬ、 何か發言し度さうに立上ツて又坐り直した、全く落着く所が無いと見える。

獨り此状を見て取つた辨太郎は、最も恭々しい態度で 「貴方は何か品物をお搜しですか」と問うた、眞に蛭峰の動作は物を搜し居る樣に見立て可きだ、 けれど蛭峰は返辭をせぬ、(やが)て裁判長は叱る樣に辨太郎に向ひ 「其方は罪の重いのを自慢にするのか、自分の罪を(いや)が上にも誇張して人を驚かせ、 爾して於て自分の名を名乘る積なのだな、サア、名を申せ」 辨太郎は何處までも恭々しく構へて「イヤ裁判長閣下、閣下のお察しには敬服致しました、 如何にも私は身の汚らはしい事を述べて、其上で其汚れた家名を述べる積です、 私の數々の汚らはしい行ひが誰の家の名を汚したか、又何の爲に出たかと云ふ點に深く御注意を願ひます」 實に、妙な迂遠(まはりどほ)い言ひ方である、併し何が爲に此樣な事を言ふのだらうと、 訝かり怪しむ傍聽人の不審の念は殆ど頂上に逹した、裁判長「サア姓名は」

辨太郎は少し悲しげな調子を帶び「裁判長閣下、私は自分の姓名を知りません、 イヤ姓名が無いと云ふのが適當でせう、私は父から其姓を與へられず、 名をも附けられた事の無い身です、父の姓名ならばお答へします」 滿場は針の落つるも聞ゆるかと思はれるほど靜かになツた、何の樣な父の名だらう、 裁判長「然らば父の姓名を申せ」辨太郎「私の父は大檢事です」 低い細い聲だけれど滿場に物凄く響き渡つた。

裁判長は又驚いた、爾して自分よりも蛭峰大檢事が何の樣に驚いて居るかには氣を附ける(いとま)が無い、 實に蛭峰の顏の騷ぎ方は非常である、裁判長「ナニ大檢事とな、大檢事とな」 繰返して問ふも尤もである、辨太郎「ハイ大檢事の職に居ります、 茲で其姓名を云ひますからお聞き取りを願ひます、姓は蛭峰、名は重輔、確に職務は大檢事と存じます」 今までは傍聽人も陪審員も、陪席判事も、唯だ裁判所の尊嚴を思ふ爲に自ら制して鎭まツて居たけれど、 此一語を聞くに及んで全く何も彼も忘れた體である、一同の口から一時に樣々の聲が出た、 驚いて叫ぶも有れば、被告の横着を叱るも有り「是は意外」と口走るも有る、 けれど總體に於て、被告の餘り亂暴だと思ふ人が多かツた、併し被告は平氣である、 今に此騷ぎが鎭まらば、自ら自分の言葉が通る事になると(かた)く信じて居るらしい、 けれど容易には鎭まらぬ、裁判長は聲を限りに叱咤した 「其方は裁判所の威嚴を無視して、其秩序を(みだ)さん爲に其樣な事を申すのか、 此樣に法廷を騷がすとは實に後々へ惡例を遺すと云ふ者、不屆きである」

けれど辨太郎の言葉は、效能が無くは無かつた、幾多の人々爭ふて蛭峰大檢事の状を見た、 中には直に彼の許へ馳せ附ける人も有る、實に彼は氣の毒である、 殆ど椅子の(おもて)に沈む込み、起きも得あがらぬかと怪しまれる、 勿論人々は彼をば故無く侮辱せられた者と思ふて居る、 從つて出來るだけ慰藉の言葉を加へもした、勵ましもした、爾して充分の同情を加へた。

此間に傍聽席では一人氣絶した婦人がある、顏は濃い覆面に隱れて居て誰だか分らぬ、 けれど隣人が直に嗅藥を嗅がせた爲め我に(かへ)り誰の厄介をも受けぬ事と爲ツた、 併し辨太郎の油斷無き目は(たゞち)に此婦人に注いだ、 長く見詰はせなんだけれど此婦人と蛭峰の顏とを等分に眺め分けた。

其中に總體が(やゝ)靜まツた、斯と見て辨太郎は裁判官の叱りに答へ、 (かた〜゛)滿場へ言譯をする如くに其淀みの無い言葉を以て 「私は別に法廷を騷がせる心とては有りません、唯だ正直に裁判長のお問に答へて居ります、 知る事は知ると云ひ知らぬ事は知らぬと申し、少しでも事實で無い事は加へません、 是で法廷が騷ぐのは私に於て致し方が有りません、 或は私が父の名を持出したのが惡いのでせうか、是は自分に姓名が無いのですから、 父の名を申立てる外有りません、私の父は大檢事蛭峰です、 私は間違ひの無い爲に最一度言直します、言切ます、 私の父は大檢事蛭峰重輔です、私は直に茲で其證據を提出する事が出來るのです」 彼の言葉には力がある、確信がある、熱誠がある、滿場は此言葉に壓せられた如く又鎭まツた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六二 裁判四


是ほど人を驚かせる申立が、他に在る事が出來やうか、 蛭峰大檢事を我父と云ひ、證據を提出することが出來ると云ふのだ。

常は落着いた裁判長も我れ知らず迫込(せきこ)んだ、殆ど顏が赤くなツた、爾して云ふた、 「其れは豫審廷の申立と違ふぢや無いか、又豫審廷に於ては、名を辨太郎と云ひ、 コルシカ島の者だと云ひ立て居る」辨太郎「ハイ豫審廷では出鱈目を申ました」 裁判長は怒ツて「出鱈目を」 辨太郎「ハイ公判の時で無くば云ふたとて仕方が無いと思ひ眞の事實を今日(こんにち)まで隱して蓄へて置く爲に其樣な事を云ふたのです、 今日茲で云ふ所は、活た證人を出す事も出來れば、實物の證據をも一々お目に掛る事が出來ます、 私は誠意を以て斷言します、此私が檢事長蛭峰重輔の私生兒である事を」 之を事實とすれば、餘りの怪事である、若し事實で無いとすれば、餘りの暴言である、 裁判長は殆ど、一時裁判を閉ぢやうかと迄思ふたらしい、暫し默然として考へた。

併しホンの暫しで有る、勿論被告が何を云はふとも裁判を中止する謂はれは無い、 相當に問ふ可き丈の事は問ひ言ふ可き丈を言はねば成らぬ」 「(もつ)と詳しく述べて見よ」と云ふのが裁判長の直に發した言葉である、 辨太郎は滿足げに、前より一入(ひとしほ)落着いて 「私は既に申しました通り千八百十七年九月廿七日に生れましたが、其時刻は夜の九時過でした、 其場所は、先刻オーチウルと云ひました、此れも詳しく云へば、 吹上小路廿八番邸で、赤い戸帳(とばり)の掛つた二階の一室で生れました、 今でも此室が餘り其頃と變らぬ景状(ありさま)で存して居る事は多分私の父蛭峰大檢事も見たでせう、 私も遠からぬ以前に見ました、丁度 裏階子(うらはしご)へ降らうと云ふ所に在ります」 一語一語聞くに連れて蛭峰の恐れは増す容子である、 彼の恐れが増せば増す丈け辨太郎の言葉は愈々調子附いて愈々力が増す、 辨太郎は語を繼いだ「私の生れ落つるや否や、父は私を壓し殺しました、 イヤ壓し殺し得たと思つたでせう、母に向ひ、此兒は死んだと云ひ聞かせ、 布に私を包みました、其布にはH・Nの二文字を縫附けて有りますので今でも分ります、 此二文字は多分私の母の姓名の頭字だらうと思はれます、其れから父は私を箱に入れ、 小脇に挾んで自ら今申す裏子(うらばしご)を降り庭の樹の下へ埋めました、裁判長閣下、 父は私を活埋めにしたのです、其時私は未だ死んで居なんだのです、 死なねばこそ今日(こんにち)此通り、活て居て此法廷に父の人と爲りを告ぐる事が出來るのです、 私は深く此事實に()つて公明なる裁判を願はねば成ません」

眞に滿場の人々は金縛りにせられた樣で有る、此恐ろしい陳述が何う終るかと、 手に汗握る想ひはしても、總身が(こは)ばツて、嘆息を洩らす事さへ得せぬ、 裁判長「併し其樣な詳しい事柄が其方には何うして分る」辨太郎は此問を待つて居たらしい、 直に又答へ初めた「ハイ私は是非とも其事を聞いて頂かねば成りません、 私の父蛭峰重輔は、何か其前に、人に恨まれる樣な事でも仕たと見え、 コルシカ島の何某(なにがし)と云ふ男が彼に復讐(ベンデタ)を言ひ込みて隈間無く彼を附け狙ふて居たのです、 此夜も彼をオーチウルの家まで()けて行き、其庭んい隱れて居て、 父が樹の下に穴を掘る所から怪しい箱を埋める所を悉く見たのです、 爾して埋終ツた時、(くさむら)から躍り出て直に彼を刺殺しました、 イヤ彼の其儘倒れたを見て刺殺し得た物と思ひました、裁判長閣下、 茲で一應御注意を願ツて置きます、今でも彼の身體を檢すれば確に其傷が跡を留めて居るでせう、 私は彼の身體の何處と云ふ事を明かに指す事も出來るのです、 其れ丈けで未だ足らぬとならば、彼を刺した其當人をも指名する事が出來るのです、 幸に其當人は今も逹者に生き(ながら)へて居ますから證人として呼出して戴く事も六かしくは有りません、 其れから其人は父の倒れたを見て、安心はしましたが、今埋めた箱に不審を起しました、 事に依ると祕密の寶物で有るかも知れぬと云ふ樣な慾心の爲めに、 其箱を掘り出しました、運び去つて蓋を開きました、中から出たのが私で有ツて、 猶ほ活て居ました爲め、驚いて之を其附近の育兒院へ投込みました、 併し他日の證據にと思ひ、其 (くる)んだ布に在るH・Nの縫字を、 半分だけ切取つて持去りました、直に私は、夜の明けぬうち育兒院へ收容せられました、 私は第二十七號孤兒と云ふ札を附けられ、暫らく其處で養育せられました、 斯くて三ヶ月の後に、此育兒院へ私を受取りに出た女が有ります、 此れはコルシカ島から、今申す布の片切を持て故々(わざ〜)出張したのです、 布の片切が何よりの證據ゆゑ私は直に其女に渡されました、 是れで以て私が、巴里に生れた身ながら遠いコルシカ島で育て上げられた次第が能く分りませう」 と云い來ツて辨太郎は、涙を隱さん爲の樣に目を屡叩(しばたゝ)いた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六三 裁判五


人跡絶えた空谷とても、此時の此法廷ほど靜かでは無いだらう、誰一人何の物音もさせぬ、 裁判長は辨太郎の目し屡叩(しばたゝ)くをも知らぬ振で、「其れから」と後を促した、 辨太郎は眞に感慨に堪へぬ樣な語調で「裁判長閣下、其後の事は私は自分ながら情無い想ひがして詳しく述べる事が出來ません (ひとへ)に閣下のお察しを願ひます、私は斯の如くにしてコルシカ島に育てられました、 ハイ立派に育てられたと云ふても良いのです、捨てた誠の親の薄情とは違ひ、 拾ふた義理ある親は實に善人でした、信切でした、親身も及ばぬ慈愛を以て私を育てました、 若し私が人並の人間ならば必ず其慈愛に感じ、愛に染み、心も清い通常の人間に成る事が出來たでせうに、 悲しい哉私は生れた時の事情が既に捻けて居た如く、心の底に何處か到底人並には延る事の出來ぬ曲つた所が有つたと見えます、 何か善人に成らねばならぬ、何う育てゝ呉れる人の惠みを思はねば成らぬ、 と(あした)(ゆうべ)に心には思ひながらも段々に惡い方へ傾きました、 實に私は情無いと思ひました、此樣な事では行末が何うなるだらうと人からも氣遣はれ、 自分でも恐れましたゆゑ、或時養父母の前で、イヤ其時は未だ養父母とは知りませんでした、 既に私は十三四歳で有りました、けれど誠の父母とのみ思ひ、其前で泣いて叫びました、 如何ならば此身には天が心の底に惡い罪惡の種を植附けたのであらう、 自分で除かうとしても其種を取捨る事が出來ず唯だ日々に其種が増長して自分の一切の善心を皆枯らして了ふ樣な氣がする、 眞に神が恨めしい、何故此身にのみ、人と違ツて此樣な強い惡の種が天賦されたで有らうと云ひました、 全く私は腹の底に惡魔の卵子(たまご)を懷いて居る樣に感じました、 其 卵子(たまご)が自分の意の拘らず日々成長する樣に感じました、 其卵子さへ無くば、或は善人で有ツたかも知れません、何うか善人に成り度いと云ふのが私の唯一つの願ひでした、 其れだのに惡の方が次第々々に増長するから情無いでは有りませんか、 養父母は私が此樣に悔しがり、天を恨み、神を罵るを聞き兼た者と見え、 或日私の泣入つて居る時に云ひました、汝其樣に神を恨んでは罰が當る、 又自分を恨むには及ばぬ、汝の心の底へ惡魔の種を蒔いたのは神でも無ければ己の所爲(せゐ)でも無い、 全く汝の父の過ちが子の報うたと云ふものである、生ながら汝を地獄へ埋めたゆゑ、 汝は地獄の底で惡魔の息を吹込まれて蘇生(いきかへ)ツたのだ、 若し恨むならば汝の父を恨めと、斯う云はれました、是から私は全く絶望し、 到底眞人間には成れぬものと唯父をのみ恨みました、父を恨むのが無理でせうか、 如何なれば父は、罪惡の中へ私と云ふ種を卸し、如何なれば其身の非を悟る事はせずに、 生れるが否や私を殺したのでせう、如何なれば惡魔の息を吹込まれて此世へ出る樣に私を活埋にしたのでせう、 其後と云ふ者は、私には少しも人間らしい心持の無い事になりました、 自分一身が全く惡魔に成つて了ツたかと思ひました、其れでも又時々は樣々の事情にも逢ひ、 消え掛ツて居る善心が動いて、アヽ今度こそは善心に立返る事が出來るか知らんと、 此樣に希望を起した時も有りますが、 惡魔の子には到底人並に神の惠みや人の愛を得る時は來ぬ者と見え(いつ)も毎も其希望が無駄に成りました、 其度に私は益々父を恨む心を起りました、其心が矢張り此魔の心から出るのでせう、 此頃に至り皮春小侯爵などと人に云はれる樣に成つても、 矢張り今度こそは是で善人に歸り度いと、祈らんでは有りませんでした、 斯う云へば身分を(かた)る樣な惡人に、其樣な心が有る者かと疑ふ方も有りませうが、 是とても私が自ら(かた)る氣が有つて騙るのでは無く、種々(いろ〜)の事情や種々の人が、 私の知らぬ間に私を皮春小侯爵と推立てゝ呉れたのです、 其れだから或は天の助けが來たのかと喜びました、 其後は天の力か惡魔の仕業か自分でも合點が行かぬほど運が開け、 高い高い所へ引上される樣な氣が致しましたゆゑ、 愈々惡魔の網が切れ、人間の中へ救ひ取られる時が來たと只管(ひたす)ら喜んで居ました所が、 何うでせう、矢張り惡魔は惡に終り、今度は死刑の宣告を待つ罪人として、 人も有らうに自分の父から論告せられ、罪の上に罪を數へられる事に成りました、 勿論私は罪が有るゆゑ罰せられるは當然です、 けれど私は今此瞬間に於てほど父の憎さを浸々(しみ〜゛)と感じた事は有りません、 論告される私が罪でせうか、論告する父が罪でせうか、裁判長閣下、 是だけの事實に依つて、若し益々私を憎む可しとすればお罰し下さい、 惡魔は惡魔の如く滅ぼされます、若し憐む可き者とすれば、再び眞人間に返る時間をお與へ下さい」 殆ど陳述では無くて辯論である、裁判長は爾う長く言はせては置かれぬと見てか 「シタが汝の母は」と直に問ふた。

母と聞かれて辨太郎は、得も云へぬ悲しみを帶び「何うか母の事はお問ひ下さるな、 母に何の罪が有りませう、母は父の言葉に欺かれて私を死んだ者と思つたゞけです、 實に憐れむ可きです、私は斯う云ふ中にも深く母上の惠みを感じます、 父は私の罪を數へても母上は必ず憐れんで居られませう、 助ける事の出來る者ならば、何うか助けて遣り度いと、今が今まで私の身から目を離さず、 人知れず泣いて居て下さる事が私の神經には通じます、 何で此大恩の有る母上の事を此法廷などで申されませう」 夫れは全く涙聲で有る、此聲と共に忽ち傍聽席で氣絶した婦人が有る、 此れは先刻も氣絶して隣人の世話に成つた彼の覆面夫人である、 今度は嗅藥でも直らぬ、直に警吏が其許に馳せ附けた、爾うして抱き上げる拍子に顏の覆面が(はづ)れた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六四 裁判六


誰も彼も今氣絶した婦人の方に振向いた爲め此時蛭峰の顏色が何の樣で有つたかを知らぬ、 若し知れば其相格の恐ろしさに化物かとも思ふだらう、彼は實に今までの蛭峰では無い、 (まなこ)なども開いた目から飛び出し相に見えて、 前額(ひたひ)の邊は種々樣々の青筋に(から)まれて居る、 頬も引痙(ひつゝ)つた樣に見える、或は彼は發狂するのでは有るまいか、 斯うまで彼の相の(みだ)れて其れで發狂せずに居られるなら人で無い、鬼である。

婦人は其氣絶したまゝに、憲兵の手で場の外へ運び去られた、 其時に覆面の(はづ)れて現はれた顏は、既に讀者の察して居る通り段倉夫人である、 此夫人が何故に氣絶したか、誰も知る者は無い、又深く怪しむ者も無い、 實は今の辨太郎の陳述で、大抵の婦人は氣絶しかねぬ程に神經を騷がせた、 イヤ婦人で無くとも、男子でも、少し感じの鋭い人は心を攪擾(かきみだ)す樣に成つて、 氣絶する人の有るは當り前だと思つた。

婦人の顏の見えた時、蛭峰は何か目に見えぬ手で首筋を捕へて引立てられる樣に立上ツた、 爾して前の方に身體を突出し、運び去られる夫人の身體を引留めんとする如く兩手を延ばして空を掴み、 (やが)て呻きの聲と共に又椅子の上に、尻餠を()いて沈んだ、 眞に彼の心の中は旋風(つむじかぜ)の吹卷く樣な状であらう、 けれど裁判長は無慈悲である、嚴重である、少しも彼の苦しみを知らぬ、 イヤ彼の方へ振向いて見さへもせぬ、相も變らぬ確な、冷やかな、 而も鋭い語調で辨太郎に向ひ「其方の申立は常識を以て信ずる事の出來ぬ種類である、 斯る異常の事柄を主張するには、證據の上にも證據が無くては成らぬ、 サア證據が有るか、有るならば悉く提出せよ、サア證據を、證據を」

茲が辨太郎の待つて居た所だらう、彼は只た今泣き聲で段倉夫人を氣絶させたに引替へ、 今度は全くの嘲る聲と爲り、「エヽ、證據を示せと仰有いますか、證據が無くば私の陳述が信じられぬのですか」 裁判長「爾だ、證據が無くば一言たりとも事實とは認められぬ」辨太郎は再び嘲笑ツた、 爾して蛭峰を尻目に掛けつゝ「證據が御必要と爲らば、先づ蛭峰大檢事の態度を御覽下さい、 然る後に私から證據をお見せ申します」此一言に滿場の視線は悉く蛭峰のお一身に集まツた、 眞に幾百千の(まなこ)の光りに彼の身が燒殺されぬのは不思議である。

イヤ燒殺されはせぬけれど、彼蛭峰は靜かに此視線を受て居る力が無い、 フラ〜と又も椅子から立上ツた、彼の毛髮(かみのけ)は何時の間に掻むしツたか蓬々(ぼう〜)と亂れて立つて居る、 彼の足には身を支へる力が無い、 蹣跚(よろ〜)蹌踉(よろめ)きつゝ卓子(てーぶる)の横手へ突出る樣に現はれて其卓子の隅を(しか)と杖に突き、 辨太郎を見卸した、其容子の物凄いことは何とも譬樣が無い、 辨太郎は彼の顏を見上げた、實に異樣な親子の對面である、猶も併し辨太郎は嘲る調子で 「阿父さん、阿父さん、裁判長閣下が證據を示せと云ひますが何うしませう、 證據を示さねば成りますまいか、證據を示して好いでせうか、エヽ阿父さん」 蛭峰の塗炭場(どたんば)は是れである、彼口を動かしたけれど、 (とみ)には聲も出ぬ、咽喉が乾き切つて聲を爲さぬのだ、 幾たび彼は唾を呑み込んだ事だらう、漸くにして涸た(かす)る樣な聲を絞り出して 「否々、其れに及ばぬ、證據は無用だ、無用だ」と打叫んだ、 裁判長は驚いたのみならず怒りを帶びた「之は()しからぬ、證據は無用などとは何の意です」と咎めた。

全く蛭峰は力が盡きた、如何に強情な天性でも是だけ明白に我罪を數へられては是に言勝つことが出來やうとは思ひ得ぬ、 彼の聲は悲鳴である「最早や私は爭ふ言葉が有りません、 重い明かな非難を以て此身を叩き碎かれました、是が天罰と云ふ者でせう、 復讐の神が私を捕へたのでせう、更に證據は要しません、此青年の——此被告の—— 言ふ所は悉く事實です」少しも疑ひを容れる所の無い白状である、服罪である、 滿場は靜か又靜か、殆ど薄氣味の惡い、けれど多くの人は蛭峰の言葉を(にはか)に信じ得ぬ、 恐らく發狂したゞらうと思ふた、裁判長も爾思ふた一人である 「何と仰有る蛭峰氏、貴方は此暴言に屈服しますか、正氣の沙汰では有りません、 日頃の貴方の明白な頭腦は何うしました、被告の餘り恐ろしい言立が心を顛倒せしめたのですか、 サア、サア、蛭峰氏、確乎(しつかり)成さい、其樣な事では()けません」 幾等勵ましたとて最う甲斐が無い、蛭峰は骨までも拔かれた樣にグツたりと(かうべ)を埀た、 先に戞々(かつ〜)と鳴つた齒の根を又 一入(ひとしほ)震はせて、喘ぎ喘ぎつ 「イヤ氣が顛倒は致しません、此通り最う外形は變りましたけれど」 眞に彼の外形は變り果たのだ「心は未だ確です、私には罪が有ります、 裁判さるれば有罪です、此青年の云ふ通りです、 只今私は此身を後任の大檢事に委ね然る可く裁判を經て相當の罪を受くるを待ちます」 是れが彼の最後の言葉である、彼は今まで杖として居た卓子(てーぶる)の隅を放し、 前に(つん)のめる樣に歩んで横手なる出入口の所に行つた、 最う此場に堪へずして(いづ)れへか立ち去るのである。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六五 斷末魔一


蛭峰が(つん)のめる樣に歩み寄つた其戸口の番人さへも呆氣に取られて居る、 彼は戸を開けて好いか開けぬが好いかをさへ知らぬ、けれど蛭峰を遮る勇氣は無い、 (あわ)てゝ戸を開いた、蛭峰は出で去ツた。

後で裁判所の混雜は一方ならぬ、今まで魔睡した樣に成つて居た傍聽一同、 初めに徐々に、次は急に、最後は海嘯(つなみ)の推寄せる程の勢で、目が覺めた、 眞に意外な、恐ろしい裁判で有ツた、イヤ裁判には成らずに止んだ、 けれど此樣な事を見た事が無い、口々に驚きや訝かりや樣々の事を語り合ひ初めた、 (かなへ)の湧く景状(ありさま)である、流石の判事一同及び裁判長までも蛭峰の去つて暫しの間は、 唯だ顏を見合せて、唖の状であツた、けれど遂に氣が附いて裁判長は宣言した 「今日の裁判は之で延期と致し、次囘の開廷期へ讓ります、 其間に必ず豫審の調べ直しと爲り、爾して裁判官の人を替へ更に裁判するに至るでせう」 吾々は最早斯樣な裁判は取扱ひ得ぬとの意を含んで居るのだ、 裁判長が是れほど迄に云ふは前後に殆ど類が無い、陪席判事も陪審員も、 無言で有るけれど、再び斯樣な恐ろしい裁判に關與(たづさは)り得ぬとの事は同感らしい。

傍聽人の言つて居る事柄などは千状萬態で茲に一々記す事は出來ぬけれど 「被告辨太郎は何うなるのだらう」と云ひ「蛭峰の舊惡には驚いた」と云ひ 「親が子を論告して、反對に子より舊惡を(あば)かれるとは全く天のする(わざ)だ」 など云ふのは多かツた、併し大抵の人が辨太郎は眞逆に死刑には成らぬだらう、 情状を酌量して終身刑に處せられるだらうと云つた可なり法律に通じた人も無論爾さと云つて居た。

其れは()て置き、戸を開いて出た蛭峰の状は見ものである、 彼は帽子を冠る事さへ知らぬは勿論の事、其身が足で歩して居るか頭で歩して居るかをも辯ぜぬ容子である、 夢遊病の患者が歩む樣にフラ〜と歩み石廊に出て走つた、茲には入後れた傍聽人や、 他の裁判の室へ出入りする人などが蟻集(ぎしふ)して居る、 此人々は、一人中から出て來る者の有る度に取圍んで中の容子を爭ひ聞くので、 直に蛭峰の周圍(まはり)へ馳寄つた、けれど一目蛭峰の顏を見て飛び退()いた。

實に蛭峰の顏は誰とて飛び退()かぬ事の出來ぬほど物凄い、 筋と云ふ筋には悉く血が(みなぎ)つて隆起して居る、 血走つた(まなこ)の光り、引痙(ひきつ)つた頬の(ゆが)み、 怒れる虎よりも恐ろしい、誰が此前に立つことが出來やう、 全く蛭峰は無人の境地を行く如く群衆の中を通り裁判所の出口まで出た、 幸茲に居合せたのが彼の馬車である、彼は誰の馬車とも見分けずに之に乘つた、 馭者は問ふた「お歸りですか」蛭峰は返辭をせぬ、 返辭の無いのは歸るのだらうと馭者は氣を利かせて家の方へ馬車を向けた、 全く蛭峰の身には、今裁判所の中で力の盡きた反動が出て來た、 死人の樣に見えて居た彼の顏は火の樣になツた、 震へて居た齒の根は切齒(はぎし)りする樣に堅く結ばれた、 手は手の(ひら)へ爪の立つ程に握り詰めた、爾して腦髓も電光の如く忙しく動き初めた、 けれど腦髓が動けば動くほど益々逃れる道の無い其身の末運が合點が行くのだ、 此後を何うして好いか思案が浮ばぬ、彼は考へて又考へた、 何うしても思案の無い苦しさに又叫んだ「考へるだけ無益だ、無益だ、 本統に、神の手で罰せられたもの、何としたとて逃れる事が出來る者か」

叫びつゝ狼が檻の中を見廻す如く馬車の中を見廻したが膝の脇なる(しとね)の上に一本の扇子の有るのが目に留まツた、 是は今朝彼の妻が自分で乘つて用逹(ようたし)に出る積りで外の品と共に入れたのをツイ取殘して置いたのだ、 此小さい一物が大なる動機である。

初め彼、心も無く之を取上げたが、手に置いて見直すと共に、 忽ち妻の事を思ひ出した、彼は不意に痛みを受けた樣に叫喚した、 (あゝ)彼は家を出る時其妻に何と云ツた、家の恥辱を雪ぐ爲め毒藥を以て自殺せよと命じた、 退引(のつぴき)の成らぬ樣に鐡案を宣告した、今は何うである、妻に此樣な宣告をする資格が有るだらうか、 妻が家名を汚さぬうちに自分が家名を汚したのだ、妻の汚し方よりも幾倍重い、 其れも事實を云へば今の妻を迎へぬ先に汚して居たのだ、今は唯だ其事を露見したと云ふに過ぎぬ、 此樣な身を以て妻に家名を汚すなとは何うして云つた、 妻を死なせるならば自分が先に死なねば成らぬ 妻には毒害せねば死刑臺に上されるぞとの意を繰返し〜言つて(おど)して、 アヽ死刑臺は自分の方が當然に上る可きである、 此樣な者の妻となつたればこそ所天(をつと)の心中に潛んで居る極惡が妻の身に感染したのだ、 此樣な者の妻となつて、誰だとて惡人と成らずに居られる者か、 鬼の妻に鬼神と云ふは是である「アヽ何うしても妻を死なせては成らぬ、 斯うなれば最う破れかぶれだ、妻を引連れ世界の果へまで出奔しやう」 惡人の後悔は善人の後悔とは違ふ、善人は後悔して善に還り、惡人は惡を遺して逃れるのだ、 惡を遂げるとは此事である、彼は全く其氣に成つた、 何でも妻と逃れる外は無いとは云へ妻は猶だ活て居るだらうか、 先刻鐡案を宣告して家を出てより未だ二時間とは經ぬ、 毒を呑んで死ぬるにしても後に殘る兒供の手當や、其外にも用意が有らう、 急いで歸れば未だ死なぬ所へ行く見込は有る。

斯う思ふと共に、彼は突然 (かうべ)を馬車の窓の外に出し、 馭者に令した「早く家へ、早く、早く」

(やが)て家には着いた、飛ぶ樣に内へ入り妻の室に馳せ附けた 生憎戸に錠が卸りて居る、アヽ遲かツたかと彼は胸を突かれる樣に感じた、 けれど叩いて見ると、中で何だか物音がする、有難や猶だ活て居るのかと思ひ 「開けろ、開けろ」眞に聲を限りである、けれど開けぬ、 彼は全身の重さを以て幾度も戸に突當り、漸くに戸を破り得た、 爾して轉がる如くに中に入れば妻は室の隅に立て居る、けれど最う遲過ぎた、 今までは未練な心で死にも得せずに居たけれど所天(をつと)の戸を叩く荒々しい音を聞き愈々逃れぬ時が來たと知り、 戸の破れると同時に最後の毒藥を仰ぎ呑んだ、立て居たのは是から倒れんとする所で有ツたのだ、 「オヽ」と叫んで蛭峰が近づくと同時に呑み乾て空になツた硝子瓶が力の無い手から落ちた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六六 斷末魔二


苦しみの時間は短くても長い、一夜の間に頭が全く白髮(しらが)になる人さへ有る、 此樣なのは、一夜に人生の五十年の苦しみを仕つくすのだ、 蛭峰が裁判所から我家へ歸る馬車の間は、時間にすれば極短かツた、けれど苦しみは長かツた、 彼に取つては殆ど五年十年にも向ツた。

彼は其間に、浸々(しみ〜゛)と自分の惡人と云ふ事を感じた、 惡を懲らす天の裁判が今は自分の身に降ツたと知り、幾度と無く、「天の裁判」と云ふ言葉を口走ツた、 其れのみで無い、自分が妻の惡事を咎めるのが無理と云ふ事も思ひ、 何うしても妻が自殺せぬ間に歸らねば成らぬと(あせ)り、 引續いては息子重吉の事にも思ひ及ぼし、斯うなる上は妻と二人で重吉を連れて他國へ逃げ、 夫婦とも善人に歸り、唯だ子を慈しむ愛の一心を以て餘命を幸ひに送られる樣に思ふた、 彼の心は唯だ此一念に集注し、妻の室の戸を破ツて其中へ轉がる如く入つた時は、 他の事は何にも思はなかつた。

轉がり込んで、中に立つて居る妻の姿を見た時には唯だ安心した、 妻の手から空瓶の落ちた事も知らぬ、其立つて居るのは之から(たふ)れるのだと云ふ事も知らぬ、 單に未だ活て居る者と思ふ嬉しさの爲に、彼は有難涙を埀らした、 今まで怒漲して居た滿面滿身の神經が、又悉く一時に茲で弛まうとした、 彼は兩手を擴げ「オヽ、妻か、未だ生きて居て呉れたのか」と叫び、 殆ど抱き附かうとしたが、此時に初めて氣が附いた。

勿論多量の毒藥を呑んで、今死んで倒れんとする許りの人だから相格に違ツた所が有る、 彼が先ほど裁判の室から蹌踉(よろめ)き出て、 廊下に滿ちて居る人々を驚かせ逃去らせた時の顏と今彼の見る妻の顏と何方(どつち)が恐ろしいだらう、 彼は裁判所の群衆が彼から逡巡(しりご)みした如く今妻の身から踟蹰(たぢろ)いだ、 妻は倒れ伏さうとして、彼が退くだけ進み出で、最早や此世の聲では無い聲で 「お言葉の通り、自分で、自分の身を裁判しました 是れで貴方は御滿足でせう」無限の恨みを帶びて云ひ、戸口の所まで蛭峰を追ふて倒れた、 是れが四人まで人を毒害した蛭峰夫人の最後である、人を殺す毒藥が最後に身を殺す事とは爲つたのだ。

蛭峰は倒れた妻の身に(しが)み附く所だけれど、 今見た景状(ありさま)の物凄さと自分の罪の恐ろしさに其勇氣が無く、 唯だ「(あつ)」と叫んで逃げて彼は何處へ行く、何處とも知らず自分の室に走り入らんとしたが、 直に又思ひ出した、妻は死んでも息子重吉が殘つて居る、重吉を連れて逃亡せねば成らぬ、 嗚呼重吉は何處に居る「重吉、重吉」と呼立つる聲は空な家中に山彦の如くに響いた、 今は下女下男も逃去ツて返辭する者が無い、彼は三度叫んだ「重吉、重吉は居ぬか、重吉は何處に居る」 自分の聲が直に自分の身へ襲ひ返る樣に感ぜられて恐れは益々加はるのみである、 遂に一人此問に返辭した者がある、其れは隱居所なる野々内彈正の傍に使はれて居る下男である、 「若樣は先刻奧樣がお呼びになり、奧樣のお居間へ入つて其れ切出て(いら)ツしやらぬ樣です」 其れでは今妻の死んだアノ室の何處かに重吉も居たのか知らん。

既に血眼に成つて居る蛭峰は、(まなこ)から火焔(ほのほ)を射て又も妻の室に飛んで行つた、 此室に入るのは恨を帶て戸口に倒れて居る妻の身を跨ぎ越えねば成らぬ、 鬼胎の極に逹して居る彼の神經には其れ丈の勇氣が無い「重吉は居るか」と又叫んだが答へが無い、 今度は恐る〜に(かうべ)を差延べ、室の中を(のぞ)いて見た、 一方の隅に在る長椅子に、有難や重吉は眠ツて居る、 イヤ眠つて居るのだらう、横に成つて頭のみ見えて居る「オヽ重吉、居て呉れたか」と云ひ、 嬉しさに我知らず妻の死骸を飛び越えて其傍に行き、 膝を折つて重吉の背に手を當て、「オヽ何にも知らずに眠ツて居る汝の可愛さ、 コレ重吉、父は若い頃からの不心得の爲め、汝をまでも母の無い子にして了つた、 許して呉れ、許して呉れ、其代り、今から、此父が汝を遠い所へ連て行つて可愛がツて遣る、 父は最う汝の外に、此世に可愛と思ふ者は無い、氣を紛らせる者さへ無い、 サア父が抱いて遣る、目を覺せ、目を覺せ、(いた)はツて抱き上げた、 其身體は早冷え切つて石の如しである、眠ツて居ると思ツたのは死んで居るのだ、 「エ、エ、エ」と蛭峰は三聲三樣に叫び分け、其頬に顏を當てた、 けれど生氣は殘つて居ぬ「()()、何うして死んだ、誰が殺した」 死骸の上に俯伏(うつぶ)して正體も無い程に見えたが、 暫くして跳返される樣に立ち、室中を見廻すと、初めて目に付いたは卓子(てーぶる)の上の手紙である、 此れは妻の書置きなのだ、取上げて讀むと文は短い「私は善き母にて候、 重吉の爲に四人まで人を殺し候、今は貴方の裁判に服し候、 爾れど善き母は子を捨て去る者に之れ無く候、重吉引連れて此世を立去り候」唯だ之だけである、 妻が其身よりも先づ重吉を殺したのだ、四人死んだ其上に妻、其上に又子、 全く蛭峰の家の種は盡きた。

彼は泣くに涙も無い、何うして善いか其れも分らぬ、最う何でも生て居る顏を見ねば自分の心が消え入つて了ふ、 誰にでも好いから一言慰めて貰ひ度い、茲が即ち人間最後の弱點と云ふ者であらう、 悲しみ極まれば誰かに慰めて貰ひ度い、下僕(しもべ)にでも()い、飼犬にでも構はぬ、 彼は斯る窮地に逹した、誰に慰めて貰はうか、誰にとても最う全身不隨の野々内彈正の外に此家には人は無い、 口の利けぬ相手でも好い、未だ活て居る其人の顏を一目見るだけでも、 死に顏から得た感想の幾分かを埋合す事が出來るだらう、 彼は再び妻の身を踏越え逃げ、隱居所に入つた、(あたか)も獵夫の懷に入る窮鳥の状である、 此隱居所で彼を迎へたのは誰れぞ、彼は彈正の外に誰も居ぬ事と思つてゐた、 所が他の人が來てゐた、其れは伊國(いたりや)の暮内法師である。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六七 斷末魔三


世には蛭峰の不幸ほど甚だしい不幸の(ためし)が有るだらうか、 自分の舊惡は露見した、而も巴里中の紳士貴婦人の集まつて居る裁判所で、 其舊惡の活た證跡とも云ふ可き私生兒に罵られて名譽ある大檢事席から引降ろされ逃げて我家に歸つて見れば、 妻は死んだ、息子は死んだ、一家一族の種が盡きて了つた、最早誰でも好い、 活た人の顏を見たい、活た人の聲を聞き度い、爾無くば發狂して了ふ、 イヤ最う(なかば)發狂して居るかも知れぬ、彼が父彈正の隱居所へ飛び込んだ容體は殆ど發狂人の状である、 顏の色、目の色、前額(ひたひ)の筋、口の歪み、人ならずば鬼、 鬼ならずば狂人である、彼は此状で暮内法師に出會(でつくは)した 「ヤ、ヤ、貴方は何うして此家に」と叫んだ。

法師も彼の物凄い顏には流石に驚き、思はず背後(うしろ)へ退かんとしたが、 直に踏留まり、其上に裁判所の一條をも見て取つた、 最早法師も自分の本性を露出(むきだ)して、彼に宣告する時が來たと思ふた、 法師の目は忽ち輝いた、其柔和忍辱の相は(にはか)に侵し難い程の嚴重な相に變じた、 爾して(きつ)と蛭峰の顏を睨み附くること凡そ二分間にも及んだが、 (やが)て熱い熱い息を蛭峰に吹掛つゝ大喝した 「蛭峰さん能くお聞き成さい、今日(こんにち)私が茲に來たのは、 最早貴方天罰が加はツたと思ひますから、其天罰の譯を言ひ聞かせて上る爲です」 今度は蛭峰の方が逡巡(しりごみ)した「エ、私に天罰、其樣な事を云ふ貴方は誰です、 法師では無いのですか、確に其聲は」法師「ハイ聞覺えの有る筈です、此顏を御覽なさい」 云ひつつ(かしら)から頭巾を取捨て、顏に施した樣々の假相を拭ひ捨つれば、 黒い艷ある髮の毛が額に懸ツて、法師は變じて巖窟島伯爵の姿が現はれた、 蛭峰は驚いたけれど退きはせぬ、身を引延ばす樣にして伯爵の顏を熟々(つく〜゛)見 「(さて)は、(さて)は、昨日迄も怪しい奴と見込を附け、 調に調を盡して見た巖窟島伯爵」伯爵「サア巖窟島伯爵が、巖窟島伯爵と見えますか、 猶其前に遡ツてお考へ成さい」蛭峰「前に遡れば、確かに何處かで見覺えある其顏、 聞覺えのある其聲」伯爵「爾です見覺え聞覺えは、今から二十四年前です、 馬耳塞(まるせーゆ)に於てゞす、貴方が米良田伯爵家の令孃禮子と結婚した頃の事をお考へ成さい」 蛭峰「(さて)は其頃の戀の(かたき)でゞも」 伯爵は「戀の(かたき)、戀の敵」と(いや)しむ樣な口調で繰返して冷やかに笑ひ 「ハハ戀の(かたき)が是ほど執念深い者でせうか戀と云ふくらゐの事で人を恨む者が、 一生涯を復讐の爲に捧げませうか」人を冷殺し又熱殺するとは此口調である、 蛭峰の胸には怪しさが滿ちて居たが今は恐ろしさと爲ツた、 彼は身を震はせた「エ、戀の(かたき)で無い、暮内法師で無い、 巖窟島伯爵で無い、何者です、何者です、一生涯を復讐に捧げるとは餘ほど」 伯爵「ハイ餘ほど深い恨みには違ひ無いのです」 蛭峰「其れ程に此蛭峰が、貴方に殘酷な事でも仕たのですか」 伯爵「せずば此樣な天罰が貴方に加はる筈が有りません、 貴方は此頃の引續く不幸の數々を天の怒りとは思ひませんか、人間業で此樣な事が出來ませうか、 貴方の罪惡は天の咎めを招いたのです、貴方は既に忘れましたか、 自分で氣が附かぬと云ふのですか、曾て自分の野心の爲に、 罪の無い者を罰した事が有りませんか、貴方は人をして生きながら地獄の責苦を受しめました、 斯く云ふ私の生涯を犧牲にし、私の父をまで死なせ——」 蛭峰「誰です、誰です、貴方の本の名は何と云ひます」 伯爵「誰でも無い幽靈です、唯だ恨みを晴らし度いのみの爲に、 墓の中から貴方を目掛て生返つて來た骸骨の樣な者です、 泥阜(でいふ)の土牢に十四年の間、恨を骨髓に刻附け、 漸く天の助けを得て貴方の舊惡を調べ上げ、今初めて本名を名乘る事の出來る場合と爲つた復讐の使です」 蛭峰は合點が行つた「エ、エ、泥阜(でいふ)要塞の土牢に、十四年、 爾して墓の中から生返つて」伯爵「ハイ水葬された海の底から生返つた團友太郎は私です、 團と云ひ友太郎と云ふ名さへも貴方の記憶には無いのですか」

蛭峰は氣絶せぬのが不思議である、多分は最う、先刻から續き續いた打撃の爲に神經が麻痺したのだらう、 若し日頃だけの正氣が有れば氣絶せずには居られぬ所だ、彼は呆れて目を開き、 更に悔しげに身を(もが)いて「エヽ、團友太郎と云ふ名前が先日來の取調中に、 目にも映り心にも浮かんだのは幾度と云ふ數も知れぬ、 其れが爲に特別の詮議を加へたけれど、彼は確に死んだ者と多くの證跡が有つた爲め、 自分で自分の疑ひを掻き消して居たが、矢張貴方が團友太郎、爾う云へば成ほど顏も薄々思ひ出しました」 伯爵「團友太郎と分ツて見れば、是ぐらゐの復讐は無理は無いでせう、 團友太郎の恨みを思ひ知りましたか」 蛭峰は伯爵の顏を見さへ得ぬ、太陽に晒される土龍(もぐら)の樣に、 (かうべ)を埀れ目を閉ぢて段々 背後(うしろ)へ退いたが、 其うちに今まで其身に振降ツた不幸の數々が明かに思ひ知られたと見える、 爾して又も悔しさが沸き返ツたと見え「エ、エ、何を復讐、オーチウルの事、 辨太郎の事、今日の裁判所での大打撃、其上に、妻まで、子まで、 是れを復讐と云へば餘り仕方が甚過ぎます」と云ひつゝ彼は身を躍らせて伯爵に飛び掛り、 爾して伯爵の手を(しか)と捉へ「では貴方の復讐の結果を見せて上げます、 サアお出で成さい、此方(こちら)へお出で成さい」とは伯爵を引立てる樣にするは何の爲ぞ、 全く正氣を失ツた沙汰では有るまいか。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六八 斷末魔四


蛭峰は伯爵を引立てゝ何處へ行く積りだらう、 荒々しく伯爵の手を取つて唯だ無性に引く状は殆ど狂人の所爲である、 けれど伯爵は逆らはぬ、引かるゝ儘に(つい)て行つた。

(やが)て蛭峰は己が妻の室に至り、唯だ「御覽なさい、御覽なさい」 と云つて指さすは妻の死骸及び子の死骸である、伯爵はハツと驚いた、 彼の妻、彼の子まで斯く無慘の死を遂げたとは知らなんだ、 蛭峰は又叫んだ「是れが貴方の復讐ですか」 今が今まで伯爵は自分が神の助けを得、神の意を奉じてゐるとのみ思つてゐた、 けれど此状を見ては、神の意よりも猶ほ一歩踏越して、 我が殺生の過ぎたことを見て取つた、全く伯爵の顏色は變つた 「オヽ、斯くまでは思はなんだ」叫ぶが否や室の中へ飛び入つて重吉の死骸を抱き上げた。 妻の方には充分の罪があるから伯爵は其死を以て悼む可しとはせぬ、 唯だ息子の死に至つては全くの罪の無い者にまで復讐を及ぼしたに當るから、 何うしても之を蘇生させねば成らぬとと決した如く、(あわた)だしく其心臟を撫で、 又 (あわた)だしく其目蓋を開きなどして猶ほ一點でも生氣の存して在るや否やを檢めたが、 最う事切れた後である「エヽ殘念だ、手後れとは」と得も云へぬ絶望の聲を發した、 けれど猶ほ捨つるには忍びぬと見え直に其死骸を抱き上げ、 (しか)と自分の身に添へたまゝ立つて走り、再び彈正の隱居所に走り入つた、 蛭峰は伯爵が何をするやを合點し得ぬ、 唯だ伯爵の後に從ひ同じく隱居所に行つたけれど早伯爵が戸を締め切つた後である、續いて入る事は出來ぬ。

凡そ廿分ほども經て伯爵は又も重吉の死骸を抱いたまゝ出て來た 「最う何としても此世へ呼返す事の出來ぬのは殘念だ」と云ひ再び蛭峰夫人の室へ其死骸を持つて行き、 口に祈祷を唱へつゝ夫人の死骸と枕を並べて之を寢臺(ねだい)の上に置き白い布を其上に當て 「此樣な思ひをするも全く復讐が過ぎたのだ」と殆ど後悔に堪へぬ如く呟いて茲を出たが、 其れにしても蛭峰其人は何處へ行つたか影さへ見えぬ、其處此處と見廻すうち、 隱居所に雇はれて唯一人此家に殘れる下僕(しもべ)の姿を認めたゆゑ、 (たゞち)に之に手招いて「蛭峰氏は何處へ行つた」 下僕「裏庭の方へ行かれた樣です」(たゞち)に裏庭へ出て見ると、 蛭峰は鍬を以て芝生の上を掘返し「重吉は何處へ行つた、何でも此邊に違ひ無い」 と口走ツて居る、其容子、其顏、最早疑ふ所は無い、全く發狂したのである、 伯爵は恐ろしさに堪へず、身を震はせつゝ傍に寄り「蛭峰さん、蛭峰さん」 蛭峰は見向きもせず「ナニ、此邊へ隱れたのだ、重吉、重吉、最う出て來い、 ヤ、ヤ、未だ出て來ぬぞ、來ねば何時でも斯うして掘るのだ」 聲まで聞くに堪へに程の恐ろしい響きを帶て居る、伯爵は最早踏留まる勇氣が無い、 又其必要も無い、直に此家を走り出で、逃ぐる如くに我家に歸つた。

我家には森江大尉が獨り退屈に堪へぬ如く此室彼室と經廻つて居る、 直に伯爵は之に向ひ「今夜の中に巴里を立去りませう」 大尉は嬉しくも悲しくも感ぜぬ、最う此世の事を思ひ絶つ状である、 單に「爾ですか」と云ひ、更に又「巴里で最う成さる事は有りませんか」と問ふた、 伯爵「ハイ、する事は仕過るほどに仕ましたから早く立去る一方です」

*    *    *    *    *    *    *

  告別

此日の夕方、伯爵は大尉の妹なる江馬夫人の家に行つて其夫婦に分れを告げた、 此外には誰に言葉を殘す可き用も無い、勿論夫婦が名殘を惜んだことは一方ならぬ程で有つたが其れを然る可く慰めつ、 大尉の手を引いて茲を出ると、外には四頭立の馬車が待つて居る、 馭者は彼の黒奴 亞黎(ありー)である、 伯爵は亞黎(ありー)に向ひ「先刻の手紙を老人に渡したか」 「老人は瞬潑(まばたき)したか」 「其傍には春田路が介抱して居たか」など重ねて問ひ亞黎(ありー)が一々「然り」 と點首(うなづく)を見て獨言(ひとりごと)の樣に 「アヽ老人が承知したなら安心だ、其中に春田路が安全に供して來るだらう」 と呟き直に馬に一鞭あてた。

馬車は矢の如くに走り初め、巴里の全市が蒼茫たる暮色の中に沒する頃、 早や馬港(まるせーゆ)に行く街道に出でビレヂフの(をか)の頂上に登つた、 茲から(かうべ)を廻らせば、巴里の全市は大なるパノラマを擴げた如く目の下に見ゆるのである、 伯爵は馬を止めて身を降り立て巴里を見返つたが、廣く限り無き(やみ)の中に、 星の海かと疑はるゝ如く千燈萬燈の(きら)めいて、 所々に火焔(ほのほ)の立昇るかと疑はるゝほど明るく見ゆる所みある、 之に對して伯爵の胸には何の樣な感慨が起つたゞらう、 (いくさ)に勝て凱旋する將軍が、千軍萬馬に踏躙(ふみにじ)つて戰場を振向いて見る時の心持も此樣だらうか、 (やゝ)久しく無言で眺め入つて居たが、遂には「嗚呼」と嘆息して大地に伏し、 生た人に物言ふ如く巴里に向つて「嗚呼巴里よ、大なる巴里よ、 我れ神の意に導かれて汝の巷に入りてより茲に半年、 今は天の使命を逹して汝に別れを告ぐるなり、 餘が使命の何なりしやは唯だ神の知るのみなれば汝も知らじ、 餘は汝の巷を去に臨み心に(やま)しき所無しと雖も何ぞ多少の悔恨無きを得んや、 巴里よ、巴里よ、餘は深く汝の肚裏(とり)を探りて、得べきを得、爲す可きを爲し得たるも、 其間に一點私慾の念を(さしはさ)まざりしは、天の照覽に開かなり、 餘は汝の肚裏(とり)に隱るゝ深き罪惡を拔き去りて、 今は汝に恩怨無し、再び神に導かれて汝の巷を去に臨み、 唯だ汝が餘の行動を妨げざりしことを謝して告別す、巴里よ、さらば 巴里よ、さらば」言葉は(たいら)かでも心は深い、 唱えへる聲は天風に吹き散じて大空に上ツて消えた、 天漠々、夜寂々、何處(いづこ)へ再び伯爵の身は現はれて出るやら。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二六九 結末一


伯爵と大尉とを載せた馬車は、夜の明くるまで馬耳塞(まるせーゆ)を指して走り續けた、 其間にも伯爵は唯だ自分の復讐が罪の無い人にまで及びはせなんだか、 慘酷に過はせなんだかとの疑ひに責られて氣も結ぼれ、 深く考へ込むのみで有つたが其身よりも大尉の(ふさ)ぎ方が更に甚いので、 慰めねば成らぬとの心を起し、馬港(まるせーゆ)の間近くまで行つた頃、 初めて口を開き「大尉よ貴方は私と共に巴里を立ち去つたのを後悔しますか」 と問ふた、大尉は答ふるさへ蒼蠅(うるさ)しとの容子がある、 「ハイ巴里には華子が埋まツて居ます、其土地を立去るのは再び華子に分れる樣な氣がしまして」 伯爵は笑ツた「其れは考へが足らぬ、華子の身體は巴里の墓地へ埋まツても、 其魂は貴方の胸の中へ埋まツて居ねば成らぬのです、私などは眞に、 自分の愛する友と胸の中に埋めて有つて」大尉は聊か感じた、 「貴方にも其樣な友がお有りせしたか」伯爵「ハイ第一が自分に生を與へた父母、 次には知識と心力を與へた師です」師とは昔 泥阜(でいふ)の土牢で數限り無き恩を受けた梁谷法師を謂ふのだらう 「斯樣な人は常に胸の中に居ますから、私は何處へ行くとも、 之を分れる樣な心地もせず、事ある度に自分の胸中を探つて教へを請ひます」 大尉は漸く悟つた容子で「成るほど私も今から其樣に思ひませう、 長い事は無い、十月の五日迄ですから、ネエ伯爵」念を推す腹の中は哀れである。

(やが)馬耳塞(まるせーゆ)に着いた、大尉は幾日かの間此土地に留まり度いと思ふて居る、 此土地は彼の故郷である、父の墓も茲に在る、他の土地よりは最も心を紛らせる便りが多い、 直に其旨を伯爵に告ぐると伯爵は點首(うなづい)た、けれど未だ大尉を離さぬ、 馬車から降りた其足で、港の波止場の所へ行き出船入船を見廻すは何か搜し度い心だらう、 併し大尉の方は何事よりも昔自分の最も心を動かした事柄を思ひ出し 「伯爵、丁度此所ですよ、貴方が下さツた巴丸が不意に入港して、 父が喜んで、短銃(ピストル)を捨て走つて來て、爾して天の助けだと歡呼したのは、 其時私は父に從ひ今立つて居る此石の上へ立つたのです、 其時の景状(ありさま)ばかりは幾年經つたとて、有の儘に覺えて居ます」 伯爵も暫し自分の用事を打忘れた状で「爾々、其時私は彼處(あすこ)の物見臺の蔭に立ち、 父上や貴方の喜ぶ状を見て居ました」眞に兩者とも昨日有つた事の樣に覺えて居て、 其れから其れと話は盡きぬ。

(やゝ)有つて伯爵は千船百船(ちふねもゝふね)の一を(ゆびさ)し 「貴方は()の船を何と思ひます」大尉「軍人の目には直に分ります、 阿弗利加へ軍噐軍人を送る兵船です」云ひつゝ其甲板を打眺めて 「アア甲板の上に手巾(はんけち)を持つて、陸の方へ向いて打振り、 誰かに分れを告げて居る士官が有ります、初めて此國を出る少尉ですね」 伯爵「少尉です、而も貴方の友人です」大尉「私の友人とは誰です、貴方には顏まで分りますか」 伯爵「ハイ幼い頃から航海に慣れたお蔭で、通例の人が望遠鏡を掛けたほど能く分ります、 けれど其誰かと云ふ事は船を見るより(おか)を見る方が近道です、彼處(あすこ)を御覽なさい」と云ひ、 見送り人や出迎へ人の群集して居る水際の岸の上を指した、大尉は言葉に從つて其方を見ると、 此方(こちら)にも一人同じく手巾(はんけち)を揚げ向ふに應じて打振つて居る婦人が有る、 多分は母と子との分れだらうと思へば何と無く氣の毒にも思はれたが、更に能く見て大尉は驚いた 「ヤ、ヤ、()れは衣服(みなり)こそ(やつ)れて居れど、野西子爵夫人では有りませんか、 アノ少尉は武之助でせうか」伯爵「爾です、武之助が阿弗利加へ立つのだから、 母御が見送つて居るのです」大尉「實に世の中は變る者です、 けれど不名譽な榮華を捨て自分の力で出世しやうとする其奮發は感心です」 伯爵「ハイ、私も此奮發を見屆けて安心しました、數年の中に此母子には必ず名譽ある榮華が(かへ)ツて來るでせう」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七〇 結末二


武之助の出發を見屆けて伯爵が安心したのは無理も無い、 實は武之助が少尉となり得たのも内々伯爵が運動した結果である、 其れだから伯爵は此 馬港(まるせーゆ)へ來るに付けても、 何うか彼の出發の間に合ふ樣にと殊更馬車を急がせて、着するが否や直に此波止場へ來たのだ。

是で武之助母子の身には再び花咲く春の(かへ)つて來る見込が附いた、 最早伯爵は我が信切の屆いた者と思つて好い、 けれど(まの)あたりに母子が別れの悲しげな状を見て、 又氣の毒な情に堪へず、我が復讐が甚過ぎたかとの疑ひが犇々(ひし〜)と身に(こた)へて來る、 此疑ひは何うすれば解く事が出來るだらう、アヽ其れには、 昔の我身の蒙つた災難を詳しく思ひ出して復讐の度合と比べて見るが然る可しである、 昔我身の蒙つた災難と云へば、泥阜(でいふ)の要塞に行き土牢を跡を見るが好い、 爾うだ直に泥阜(でいふ)へと、日頃何事にも思案に富んだ胸の中で咄嗟の間に思ひ定めた。

(あゝ)、此人にして再び彼場所を()ふとは、何れほどか心の動かさるゝ事だらう、 唯だ泥阜(でいふ)の名を思ひ出しただけで、早胸の騷ぐ樣に覺えた、 けれど何氣無く(よそほ)ひて先づ大尉に向ひ、 「是から小舟で海へ出て見ませんか」と誘へば、 大尉「イヤ私は此土地には種々の思ひ出す所が有りますゆゑ、 其れ等をば見廻り、且父の墓へも參り度いと思ひます、 暫く茲で分れませう」(さて)は此世の名殘として、 幼な(なじみ)の場所などをも見、父の墓にも(いとま)を告げる爲とは見えた、 伯爵は輕く「成るほど父上のお墓へ」と言ひ掛けたが、後の語は口から出ぬ、 之が父の墓ぞと目指す事の出來る樣な墓の有るのは此身に比べて何れ程の幸ひだらう、 我父は此身が土牢に居る十四年の間に餓死して共同墓地へ葬られは仕たけれど、 此身が出て來た時には一本の杭さへも立つては居ず、 何處が墓、何れが碑と指をさす目標(めじるし)も無くなツて居た、 果して何處に其骨が朽て居るやら今以て詣でたいにも詣づべき當度が無い、 此樣な恨みが、年月經つとも忘れることが出來るだらうか、 我知らず思ひにくれた、大尉は爾とも知らず「貴方も墓參は成されませんか」 伯爵「ハイ墓參を——其墓參を——イヤ後ほど致しませう、 四時か五時頃には墓地の方へ行きまして」大尉「では墓地で貴方をお待受け致しませう」 此言葉を殘して大尉は分れ去ツた。

後に伯爵は目を屡叩(しばたゝ)きつゝ、雇ふ可き小舟は有るまいかと見廻したが、 其目先に留ツたのは、今しも息子武之助を見送り盡して悄々(しを〜)と立去る露子夫人の姿である、 イヤ泥阜(でいふ)に行くは後にして此夫人を住居(すまゐ)まで()けて行き、 (せめ)ては慰めの言葉でも與へて遣らうと、フト心を變へ、 見え隱れに其後を隨ひ初めた、夫人の方は爾とも知らぬ、足の運びは遲いけれど、 埀れた(かうべ)傍目(わきめ)も振らず、歩み歩んで漸くに着いたのは、 昔此伯爵が父と共に住んで居た彼のメラン街の小さい家である、 ()ては此身の言葉に從ひ、庭に埋めた金を掘出し、 其れを以て此後の生活(くらし)にも當る覺悟で居るのかと思へば、唯だ不便を増すのみで、 暫しが程は入り兼て控へたけれど、何時まで控へても居られぬから漸く思ひ切つて歩み入つたは凡そ十分も經てからである。

成るたけ物音をさせぬ樣、夫人を驚かさぬ樣と靜かに戸を開き、 靜かに歩みて、茲が夫人の室と思はるゝ一間を(のぞ)くと(かすか)に聞ゆるは忍び泣く聲である、 又も跼足(ぬきあし)して中に入れば、室の隅に(かうべ)を埀れて居た夫人は、 膝の邊に落つる人影に驚いて顏を上げ、伯爵を一目見て「エ、エ、貴方が」と叫んだ、 伯爵「ハイ、武之助君が阿弗利加へ立つ所を餘所(よそ)ながら見送りまして」 夫人は(こら)へかねて泣聲を放ツた「私は最う此世に只一人と爲りました」 伯爵「イヤ其れが氣の毒ゆゑ、お詫やら又慰めても上げ度いと思ふて來たのです、 ナニ夫人悲しむのは今までの事で最う是からは運の開ける許りです、 武之助君が立派な軍人と爲つて尊敬せられるに至るのも二年か三年の中ですから」 夫人「イヤ爾は思ひますけれど、何分にも——」 伯爵「何分にも今の現在がお淋しい、御尤もです、其れと云ふのも總て私の所爲から出た事ゆゑ、 定めし私は恨まれて居る事かと思ひまして、其れ故お詫も申さねばと」 夫人は聲に力を込めて「何で貴方を恨みませう、武之助の命を助けて下さツたのも貴方では有りませんか、 斯うして私が茲に居られるのも貴方の爲です」 伯爵「其でも貴女が此樣な境遇に成つたが、總て私の復讐から、イヤ私は復讐が甚過ぎたかと今では自分で疑ふ所も有りまして」 夫人「イエ爾では有りません、貴方の爲すツた事は神の御心です、何も彼も惡いのは私です、 私は其昔何故に貴方の歸るまで待つて居る事が出來なんだでせう、 又先頃貴方が巴里へ現はれたとき、團友太郎だと知つたのは唯だ私一人でしたのに、 何故私は其時に貴方に謝罪(あやま)らなんだでせう、 所天(をつと)が天罰を受けたとき、何故私は其天罰を所天(をつと)よりも先に自分へ降る可きであると思はなんだでせう、 何故私は所天(をつと)に惡事の有るは妻の注意の足らぬ爲だと思はなんだでせう、 又何故に所天(をつと)の耻を身の耻とし所天(をつと)と共に死なんだでせう、 今思へば私のした事は初めから終りまで間違つた事ばかり、 其果が此樣な境遇に成ると云ふのも矢張り皆天罰です、貴方の復讐が第一に加はる可き此私に加はらなんだ爲め ——復讐が足らなんだ爲め——天が私に思ひ知らせるのです、 貴方の身に天の御心に添ふて居る事を最う誰が疑ひますものか」と、 只管(ひたす)ら身を責めて悲しむは全く天の降す應報とも云ふ可きだらうか、 伯爵は慰めに來て却て深く悲しませるのを當惑に感じた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七一 結末三


慰めに來て却て悲しませる程ならば初めから來ぬ方が好かツたのだ、 來たからには何うか慰めて遣り度いと伯爵は是より樣々に説いて、 殆ど有らん限りの言葉を盡した、けれど遂に露子夫人の心を説き得なんだ。

「此樣な深い罪の私に何うして此後の安樂が有りませう、 (いつ)そ死ぬるが増だとも思ひますけれど、未だ苦しみが足らぬと見え神がお膝許に引取つて下されませぬ、 此上は尼と爲つた心で祈祷に生涯を盡す許りです」と云ふのが、 伯爵の言葉を聞終ツた時の夫人の返辭であツた、何と云つても此決心を動かす道は無い、 伯爵は詮方なくて空しく分れを告ぐる事と爲り「併し此後に又お目に掛る時が有りませう」と云へば、 夫人は涙の乾かぬ目を上げて空を眺めた、之は死んだ後に天で逢はんとの心でゞもあらうか、 爾して最早座に得堪へぬ状で身を起し、逃る樣にして二階に登り去つた、 伯爵も「(あゝ)」と嘆息して茲を立ツた。

伯爵の心は愈々重い、唯大地を見詰めたまゝ先刻の港の方へ歩み去つたが、 幸ひ岸の邊に、雇ふに手頃な一艘の小舟がある、直に舟子を呼んで之を卸させ、 其身も乘つて港の外に漕ぎ出させた、指して行く先は當年の泥阜(でいふ)要塞である、 海の(おもて)に風は無くとも胸の波は高く立ち、 耳に其音の聞ゆるかと疑はる、(やが)て舟は西國村(すぺいんむら)の沖に差掛ツた、 昔其身が捕はれて此樣な小舟に乘せられ憲兵と護衞卒との前後を擁せられて此所を漕いで過ぎた時、 (やみ)の中に一點の燈火見え、是がお露の家であらうと幾度か振向いて見た其家は今 何處(いづこ)に在るや、 荒涼たる漁村の景色昔の面影は留めずと雖も、變り果たる人の身に比ぶれば、 (とこしな)へに(みどり)なる水と共に恨のも深くして盡きず、 悵然(ちやうぜん)(かうべ)を埀れて思ひに沈むこと幾時、忽ち聞く舟子の聲 「サア旦那、泥阜(でいふ)の下に着きました」

驚いて(かうべ)を擧ぐれば、目の前に(こつ)として聳つは泥阜(でいふ)の崖である、 眞に伯爵は之を見て、不倶戴天の仇が我前に立塞がつた樣に感じた、 今まで露子夫人の憐む可き境遇や、蛭峰一家の無慘な最後などを思ひ、 我が復讐が強過ぎたかと(ひそか)に氣遣ふて居た心の弱みも早や(なかば)消え、 (かたき)を目掛けて飛び掛るほどの見脈(けんみやく)で舟を降り、 直ぐ崖の上に登つた、見廻すと建物などの景状(ありさま)が其昔とは大いに違ひ、 殊に牢屋は多く(こぼ)たれて、囚人は他へ移され、殘れる幾棟は密輸入者を見張る税關官吏の出張所に充てられて、 二三の番人が預かつて留守居せる外には人の影とてみ見えぬ、 却て心安う見物の出來るを喜び伯爵は(たゞち)に番人の室へ行き、 其 (かしら)らしい一人に就き、見物する許しを得て、先づ其者を連れ出し、 境内を見囘りながらも、昔其身の囚はれて居た土牢が何うなツたかとの事のみ氣に掛る故、 其れと無く言葉を設けて問ふに、 番人「イヤ最う政府が度々變りますので、或は兵營にするとも云ひ、 或は燈臺を建るとも云ひ、牢屋の廢せられたと共に大抵の建物は取毀されましたつけれど土牢だけは未だ掘返しもせず、 昔の儘に成つて居ます、今は見廻る官吏も有りませんから、蝙蝠でも住んで居ませう」 伯爵「土牢の事は種々のお話にも傳はつて居るから、何うか其中を見せて貰ひ度い」 無論案内料を澤山に呉れる客だらうと番人は見拔いて居る、 譯も無く此言葉に從ひ、「時々其樣な事を仰有る方が有りますけれど、 大抵は入口の石段を半分降ツて、顏を(しか)めて逃て了ひます」 伯爵「其れは臆病な人だからよ、ナニ私はズツと中までも見て行き度い」 間も無く番人は伯爵を其石段の所まで連れて行き、底の薄暗い穴道を指示し 「御覽の通り氣味の惡い所です、是でも下まで降りますか」 全く氣味の惡い所である、之れに付けても其頃の我身の境遇が今更の樣に思ひ出され、 何とも知れぬ感慨が胸に滿ちた 伯爵「降らうとも、茲から(のぞ)いて見た丈では何の話にも成らぬ」 と云ひつゝ中に降り入つて「成るほど物凄い所も有る者だ、 此樣な中に入れられ何うして辛抱する事が出來るだらう」番人は嘲笑(あざわら)ふ樣に 「誰だとて辛抱は出來ませんけれど逃出す事が出來ぬから止むを得ず閉込められて居ますのさ、 されど悶え死ぬる人や發狂する者が隨分有つたと云ふ事です」 伯爵「如何にも其樣なものも有るだらう」番人は浮々と釣込まれ 「今でも話に遺つて居ますが廿七號と卅四號などは實に不思議な囚人で有つた相です」 伯爵は悸乎(ぎくり)とした、廿七號とは其頃の梁谷法師、爾して卅四號は自分である 「エヽ廿七號と卅四號不思議な囚人とは何の樣な」強ひて何氣なく(よそほ)ふて問ふた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七二 結末四


番人は足を(とゞ)めて話出した、勿論伯爵の知らぬ事では無い、 卅四號の囚人と廿七號の法師とが地の下に穴を穿(うが)ちて(ひそか)に交通して居た事から、 其法師の死ぬるに及び卅四號が死骸と爲つて袋に入り海に投込まれた次第までを殆ど自分で見た樣に語り終つた、 伯爵は餘所事の如く「袋の儘で海へ投入れられた其卅四號とやらは若し生返りはせなんだらうか」 番人は又嘲笑つた「何うして其樣な事が出來ますものか、先逹ても巴里の政府で何か取調べる必要が有るとて其卅四號の事を尋ねに來ましたよ、 矢張り貴方と同じ樣に若し蘇生(よみがへ)つた疑ひは有るまいか(など)とお問でしたが、 崖の高さや水の深さまで測量し、成るほど是では活返つた恐れは決して無いと鑑定して歸りました」 (さて)は是が彼の蛭峰から出た事であるのだ、 彼が巖窟島伯爵を若しや團友太郎かと疑ツて取調べて見たけれど友太郎は死だに相違無い事を見屆けて更に見當の附かぬ事に成つた旨は彼の自ら云つた所で分ツて居る、 其れにしても崖の高さや水の深さを測量する迄に綿密に調べたとは思はなんだが、 其樣にまで仕たとすれば實に此身に取り險呑な次第で有ツた、 少しの事で本性を見顯(みあら)はさるゝ一髮の間際まで押寄せて居たのだと伯爵は(ひそ)かに身顫して且は又蛭峰の憎さをも感じつゝ直に語を繼いで 「シタがお前は其頃此監獄に勤めて居たのか」と問ふた、 番人「イヤ私は其少し後に雇はれましたけれど、今では私が一番古いのです、 其れに私の來た頃は卅四號を海に投込だ人足や、 其土牢を預ツて居た安頓(あんとん)と云ふ番人などが皆揃つて居ましたから私は其者共から直接に聞きました、 少しも事實に間違ひは無いのです」爾うだ爾うだ、 成るほど其時の番人は安頓(あんとん)と云ふ男であつたと伯爵は其名を思ひ出すと共に其容貌から其我身を取ツた状をまで歴々(あり〜)と思ひ出し、 ()しや我が復讐が甚過たにしても、咎められる所は無いと云ふ樣な氣が起つた、 此上に若し其卅四號の室を見れば、愈々以て心の咎めは薄らぐ樣に思ひ 「何うぞ其囚人の居た室を見せて貰ひ度い」と請ふた。

併し伯爵は其室を見たいと云ふのは單に自分の氣の咎めを消し度いのみの爲では無い、 心の底に深い深い懷舊の情が湧き、唯だ何と無く見度いとの念に堪へぬ、 番人「貴方さへ恐れねば、茲まで來たから見せて上げませう」言葉と共に穴の樣な暗い廊下を奧へ奧へと入り 「サア(こゝ)です」とて但有(とあ)る入口を指示した、 伯爵は其入口を見る丈で愈感激を深くして唯だ其身が十有四年の間、 此樣な所に生存へ得たのを(いぶ)かしく思ひ、 天の意と神の助けに加はるに非ずば何うして今日の日が有る者ぞと、 只管(ひたすら)神に感謝する心が湧き出た、併し猶ほ室の中にまで入ツて見たい、 唯だ戸口には古い閂木(かんぬき)が、石に錆附いた鐡の棒などと共に殘り、 人の入るを遮る樣に成つて居るので自ら手を掛けて是等を(はづ)し開くと番人は驚いて 「貴方は此中へお入り成さるか」伯爵「折角來たのだから入るらねば話に成らぬ」 番人「だツて此暗い中へ、(とて)も入る事は出來ず()し入ツたとて何にも見えはしませんよ」 伯爵「ナニ(おれ)の眼は暗がりでも能く物を見る事が出來るから、大丈夫だ」 番人「では貴方のお目は丁度卅四號の囚人の樣ですね、 彼は此暗い所で針の樣な細い物をでも見分ける事が出來たと云ひます、 けれど旦那、私の目は爾では有りませんから、少しお待ちなさい提燈(らんぷ)と取つて參りませう」 伯爵「イヤ其れは御苦勞だ」と(ねぎら)ひつゝ握らせたは廿 (ふらん)の金貨である。

喜び勇んで番人の去つた後で伯爵は直に卅四號室の中に入つたが、我眼力は少しも其頃に比して衰へて居ぬ、 初めの程こそ多少の暗さを感じたれ、間も無く殆ど針ほどの物をも見分け得る樣になり、 先づ室の總體を見廻すに我身が輾轉反側(てんてんはんそく)した其 寢臺(ねだい)さへ未だ存して居る、 之を見ると實に舊友に廻り會つた樣な氣持がして一種の懷かしさが胸に溢れた 「オヽ汝は、永年汝と添臥した此情夫の返つて來た事も知るまい、 浮世の浪風に心も勞せず、一旦置かれた自分の位置を何時までも守つて居る汝こそ仕合せなれ」 と云ひ更に其 背後(うしろ)(のぞ)けば廿七號の梁谷法師と往通ふた穴の道には、 石が詰り、其形跡だけ殘つて居る、其れも此れも心を動かすの種のみであるのに、 又飜へツて一方の壁を見れば、茲には又 一入(ひとしほ)の記念が澤山にある、 第一に何かの數取の如く刻附けた凹い筋は初めの程、 月日を忘れぬ爲に規則正しく記した心覺えである、此れを頼りて父の年、 お露の年、又我身の逢ひ見ぬ年月を數へて居たのだ、又少し一方に寄れば血の跡が有る、 此れは我身が絶望の極、頭を碎いて死なうと思ひ、前額(ひたひ)を打附けた跡と分る、 アヽ此身は此ほど迄の虐待を受けて居た、之に對しては何れほど殘酷な復讐を遂げたとて足る者か、 是れさへあるに猶だ此上に其れよりも亦恐ろしい跡が有る、 伯爵は是等の記念を見較べる中に心が殆ど其頃の景状(ありさま)(かへ)ツて了ひ、 (やみ)の中に(まなこ)は物凄く光り初め、 口は恐ろしい呪語を洩らして、「エヽ復讐が過ぎはせぬ、 未だ足らぬと云つても好い、既に彼の段倉の如きは、此身の力で辨太郎を以て、 其家の名譽を破壞させ、名譽よりも更に大事として居る財産をも失はせ、 巴里に居る事の出來ぬ樣にして放逐したけれど、彼猶ほ五百萬 (ふらん)と云ふ此身の受取證を以て居る、 其れを羅馬の銀行で正金に引替て此上又何の樣に再擧するかも知れぬ、 (あらかじ)め其邊の命の盡くるまでは攻附けねば()けぬ、 天意が猶ほ此身に添ふて居るならば、必ず其通りに運ぶだらう」と充分の確信を呼起しつゝも悔しげに呟いた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七三 結末五


壁に殘つて居る數取の筋や、血の(あと)などは、 (いづ)れも伯爵に犇々(ひし〜)と昔の事を思ひ出させる種とは成つたけれど、 之にも増して更に伯爵の心を動かした記念が、同じ壁に存して居る。

其れは伯爵が鍋の柄の金を以て壁に書附けた文字である、其句は單に 「嗚呼神よ、我をして記憶の力を保存せしめよ」と云ふ短い言葉に過ぎぬ、 他の人が之を見れば何の意味かと云ふ事をさへ合點し得ぬだらうが伯爵に取つては眞に千百卷の書にも優るのだ、 血の文字か、火の文字か、唯此一語を見て全身の血液が煮え返る樣に感じた、 (そもそ)も此文字は伯爵が全く悔しさの極に逹した時、 最早自分で發狂するだらうと思ひ若しも發狂の爲め今日(こんにち)の此悔しさを忘れる樣に成つては成らぬ、 此悔しさを覺えて居れば何の樣な復讐でも出來ぬ事は無いと思ひ、 單に自分の記憶だけを失はぬ樣に仕度いとて書附けた者である、 人生に此樣な慘い境遇と此樣な悲しい語が又と有らうか、伯爵は之を讀んで(こぶし)を握り詰め 「アヽ(おれ)は殆ど此語に(そむ)き我が記憶を失ひ掛けて居た、 我が蒙ツた損害と苦痛とは何れほど甚かツたか、記憶さへ失はずば、 爾だ少くも此度の復讐を後悔する所は無い」と呟き、巴里を出て以來多少弛み掛けて居た心が又張切れると思ふ程に張詰めた。

此處へ彼の番人が提燈(らんぷ)を持つて歸つて來て「旦那樣、 貴方は間違ひを爲されましたよ、唯今戴いたお(あし)は銀貨では無く金貨でした」 伯爵「金貨でも好い、取つて置け、猶だ是から廿七號とやらの室にも案内して貰ひ度いから其れ位の案内料は當り前だ」 番人は直に廿七號へ案内した、茲にも見る物は總て伯爵の感慨に高くするのみである、 番人は今の金貨を有難げに(ひね)り廻し「何うも此樣に澤山に戴きましては」 と納めかねる容子で有つたが、何か思ひ出した樣に「此お禮には廿七號の囚人の遺留(かたみ)の品を差上げませう」 伯爵は飛び立つ樣に、「エヽ遺留(かたみ)の品、其れは何の樣な」 番人「ハイ私は廿七號に事を聞いた後に、 何でも一個(ひとつ)の室に廿年も居た囚人が何か遺留(かたみ)を遺して無い筈は無いと思ひ、 此室を、壁から床から綿密に叩き調べて見ましたが、果して壁に一ヶ所床に一ヶ所、 物を隱す場所が有りました、其處を開いて其れは〜精巧に出來た樣々の小道具を幾色と無く取出しましたが、 (いづ)れも何うして牢の中で此樣な出來たかと怪しまれる樣な品ばかりです、 其等は其後、見物に來る人にも土産の樣に分けて遣り又目ぼしい品は政府の監獄博物館などへも納め、 今は大方盡きましたけれど、一個(ひとつ)大變な品を殘して有ります」 伯爵「何だか知らぬけれど、其品を貰ツて行き度い者だ」 とて又同じ金貨を一枚出し、辭退するのを無理に渡した、 併し斯樣な無理は受ける方で餘り腹が立たぬと見え、辭退はしたけれど遂に受取ツて去つたが、 (やが)て急いで持つて來た品物を見ると兼て伯爵の心に掛ツて居た梁谷法師の獄中の著書「伊國統一論」である、 伯爵は思はず推戴いた、更に其表紙を見ると「汝雲間に翔る龍の牙を拔け、 野に狂ふ荒き獅子を踏殺せ」と云ふ古語を書附けてある、是れだ、是れだ、 龍の牙を拔き獅子を踏殺す勇氣が有らば人間世界に又何の恐れる所が有らう、 何の難い事業が有らう、法師は常に持してゐたのは此勇氣で我身とても之に引立られたのだ、 我身は命も、財産も、何も彼も總て此法師から與へられた者だけれど此勇氣こそ何よりも大切な賜物なれと、 再び法師に廻り逢ふた樣に喜び、又更に幾度か其書を推戴いた。

最う是れで長居する用は無い、番人には別に又 許多(あまた)の紙幣を包み 「私の立去ツた後で之を開いて見よ」と言聞け、 靜かに茲を立出でて、又も崖下に待たせてある舟の所へ行き、 之に乘ツて馬港(まるせーゆ)へ引返した、此時は最う午後の五時である、 森江大尉に約束した時刻だから直に上陸して墓地に行つたが、 大尉は言葉を(たが)へずに待つて居る、先づ大尉の父なる森江良造の墓に詣で、 終つて大尉に向ひ、今夜直に此地を立たうと云へば、 大尉は三四日逗留したいとの返事である、然らば十月の四日にバスキヤの港に行きエラウス號と云ふ舟を尋ねよ 其舟の船頭に委細の事を言含めて置く程に、森江大尉と云ふ名を細語(さゝや)けば直に乘らせて、 モンテ、クリストの島へ、十月五日の朝迄に漕行いて着けて呉れるで有らう、 十月五日は兼て約束の如く大尉の死生が決する日だから此身は早朝より其處に待受けて居やうとの言葉を(つが)へ、 伯爵は獨り又港に行き伊國(いたりや)を指して舟に乘た、今度は雇ひ舟で無い、 自分の遊船である、早く伊國(いたりや)に行つて彼段倉に追附かねば成らぬのだ。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七四 結末六


昔鐵道の開けぬ頃、彿國(ふらんす)より伊國(いたりや)に行く客は、 多く扶府(ふろれんす)からストルタの丘までの凸凹道を馬車に乘ツた、 爾して其丘に登ると、最う羅馬の立派な町が目の下に見えるので、 早や目的の地へ着いた樣な心地がして馬車の中で胸を躍らせるが常であツた。

丁度巖窟島伯爵が森江大尉に分れ、舟で馬港(まるせーゆ)を出たのと同じ日の午後である、 彿國(ふらんす)の紳士と見受けらるゝ一人の旅人が彼の凸凹道を馬車で來て、 遂にストルタの丘の上に着いた、けれど彼は胸を躍らせる樣子も無く、 馬車の中で靜かに四邊(あたり)を見廻して、誰も窓から(のぞ)き込む者の無いのを見定め、 聊か安心した面持で、今度はソツと胴卷から何やら紙切を取出した 爾して其表面の文字を一目見て「アヽ猶だ無事だ、是さへ有れば、 ナニ、何處へ行つたとて安心だ」と呟き、再び其れを胴卷に納めて莞爾(につこ)と笑んだ、 (そもそ)も此客は誰れ、其檢めた紙は何。

此人は先づ馬車を名高い富村銀行の店先へ着けさせた、最う夜に入つて銀行の時間は終つて居るけれど、 何か特別の約束でも有ると見え、直に其頭取の室に通され、 先刻丘の上で檢めた彼の紙切を取出して渡すと頭取は(とく)と見て 「確です、拂ひ渡しませう」と云ひ會計に命じて此人に驚く可き大金を拂ひ渡した、 其額は五百萬 (ふらん)である、一萬 (ふらん)の大紙幣を五百枚、 (かさ)は爾ほどでも無いけれど、此樣な大銀行ですら、 一時に之ほどの取引をする事は稀である、客は流石に斯ほどの大金を受取る丈け、 日頃から斯る事には慣て居ると見え、反古を扱ふ樣に其紙幣を扱ひ、 旨く身體の何處へやら納めて了ひ、何氣なく又元の馬車に乘つた、 併し馬車の中では自ら笑顏の(くづ)れ出るを制し得ず、口の中で 「アヽ若しも警察の手が廻つて居たなら何うしやうかと心配した、 先づ警察も(おれ)の用心には叶はなんだ、有難い有難い、 是だけあれば何處へ行つたとて銀行の王に成れる、 愈愈明日にはヴエニス市を經て澳京(びんな)に向ふのだ、 澳京(びんな)ならば東西兩邦の財産を握るにも都合の好い所だから十年と經ぬうちに又巴里の銀行家を平伏させる事が出來る」 と呟き自分で自分の智慧に感心した容子である、 勿論自分の智慧よりも猶だ上を越す智慧が他に有ツて遙に自分を狙ツて居るだらうなどとは思ひも寄らぬ。

今度は馬車をパストリニに旅館に着けさせた、茲は先年野西武之助と毛脛安雄とが泊ツて、 初めて巖窟島伯爵に逢つた其家である、客は室も定まり食事も濟んだ後で主人を呼び、 明日正午にヴエニスに向けて立つ故、其れまでに馬車などの用意を調へて置けと命じて床に就いた 「アヽ今日まで四夜眠ると云ふほど眠つた事は無い、色々心配はしたけれど、 (おれ)伊國(いたりや)方面へ落ちたとは誰も知る者が無く、 若し有るならば其れは巖窟島伯爵一人だが、ナニ伯爵とても他の人と同じく、 (おれ)白耳義(べるぎー)の方面へ行つた者と思つて居やう、 爾う思はねば成らぬ樣に萬事を仕組んで置いたのだから、 警察だとて白耳義(べるぎー)方面をこそ搜し居れ、 今の銀行の容子で見ても此邊へ少しも目を付けて居ぬ事は分る、今夜こそ緩りと寢やう、 何うしても十時間は眠らねば累日の寢不足が取返せぬ、斯う成つては愈々健康が大事だから」 と大なる未來を持つて居る人の樣に獨語(ひとりごと)して眠つて了ツた。

此頃、羅馬の宿屋で、十二時に出發の用意をと命じて置けば三時で無くては出發する事が出來なんだ、 總て時間に掛値が有つた、此客も午後の三時過に初めて出發する事が出來た 馬車は二頭立で、()しや凸凹道でも餘り震動を感ぜぬと云ふ上等の作りである、 けれど見掛ほど早くは無く、殊に町を(はづ)れてから一層歩みが遲くなつた樣で、 日が暮て餘ほど後に至つても猶ほ人里の見えぬ樣な所を徘徊してゐた、 客は空腹を感じたから、窓より首を出して行く手を見やうとすると荒々しい御者の聲で 「此邊で頭を出すと、立木に打附(ぶつか)つて碎けますよ」 と(おど)す樣に言聞けられた、夜は既に八時になつた、 餘り不審だから時計の磁石を手の(ひら)に置き、 燐寸(マツチ)を摺つて見るとヴエニスの方へは向かずに反對に羅馬の方へ馳せてゐる、 のみならず晝間見た羅馬の外郭の高い塀が何うやら(やみ)の彼方に見えてゐる樣にも思はれる、 何だか不安心だから「コレ御者元の道へ引き返してゐるのでは無いか」 御者は益々横柄だ「最う少しで約束の所へ着くから、安心して無言(だま)ツてお出なさい」 愈羅馬の外郭と思はれる所へ着いたが、馬首は更に右の方へ轉じて山手を指して進み、 其中に坂道を上り初めた樣である、茲に至ツて客は怪しみが驚きと爲り、 若しや噂に聞く山賊の馬車へ乘せられたのではあるまいかとの念が初めて起ツた 「少し馬車を止めて呉れ」御者「最う少しで約束の所へ着きますよ」 客「何でも好いから止めろと云ふに」御者「最う少しで約束の所へ着きますよ」 何と云つても御者の返辭は一つである。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七五 結末七


愈山賊に捕はれたに違ひ無しと、彼の馬車の中の客は思ふた、 羅馬の山賊が何の樣な事をするかは兼て旅人の話に聞き、其頭領の名が鬼小僧とやら云ふ事と共に知つてゐる、 嗚呼警察の目を逃れて、山賊の巣に落入るとは水に逃れて火に投ずる樣な者ではあるまいか。

眞に彼の客は齒の根も合はぬほどに驚いた、餘り勇氣のある人では無いと見える、 併し其れは少しの間で、暫くすると自分の地位を考へる事が出來る樣に成つた、 何うしても此儘ではゐられぬ、今の中に窓を開いて、飛び出して逃げやうか (やが)て彼は窓の戸に手を掛けた、すると直に例の御者の聲が聞えた 「お客樣、窓から頭を出すと打附(ぶつつか)つて碎けますぞ」 (さて)は外から一擧一動を見張つてゐるのだ、 何うしたら好いだらうと、(いたづら)に自分の心を苦しむること何十分に及んだが、 其中に馬車が止まり、窓は外から開かれて、客は荒々しい手で引出された、出て見ると四人の男が前後左右に取圍んでゐる。 「何だツて(おれ)一人に四人も世話を燒く」と客は叫んだ、 併し四人は答へる必要を認めぬ、此憫む可き人を無言で引立て、(やみ)の中を何處へか連れて行く、 愈々茲がサン、サバシヤンの山洞(さんどう)とやら聞いた穴である、 地盤が初めは上り坂に成り次には下り坂に成つて居る、 此取附が(ほら)の入口の所だらう、左右に番卒が立つて居る事が薄暗く分る、 爾して其番兵の聲が「誰だ、其處へ行くのは」と咎めるが聞えた、 四人は口々に「兄弟分だよ」と答へて茲を過ぎたが、 是から坂の道を曲る毎に同じ樣な番卒が同じ事を問ひ四人が同じ事を答へて進んだ、 何丁ほど入つたか知らぬが漸くにして薄暗い(らんぷ)の點つて居る邊へ出た、 見れば全く荒果てた古寺だ、サン、サバシヤンに相違ない、 (らんぷ)の下には多分頭領の鬼小僧と云ふ奴だらう、 机に(もた)れて何か讀んで居たが、四人の者を打見遣り「旨く連れて來たか」 四人の中の兄分らしい一人「ハイ」と答へた 鬼小僧「人違ひでは有るまいな(おれ)に言附けた人に相違無いだらうな」 今の一人斷乎として「ハイ相違ありません、確かに巴里の段倉銀行の頭取段倉喜平次殿です」 此名を聞いて安心する頭領よりも客の方は(びつく)りして尻餠を()かぬ許りであツた。

眞に全く此客は段倉喜平次なんだ、彼は巖窟島伯爵から得た五百萬 (ふらん)の受取證を持ち、 之で巴里の慈善協會へ債務を果す可きを、爾はせずして羅馬へ逃て來、 他日墺國の首府へ行き再擧を計ると云ふ目算で富村銀行で其證書を金に替へたのだ 是れ迄は何事にも旨く行つたのに、茲に至ツて山賊の手に落るとは何事ぞ、 天意だらうか、(そもそ)も誰れか人間の差圖だらうか 頭領は又命じた「どれ、念の爲だ、其顏を能く見せろ」四人の中の一人は直に明松(たいまつ)を段倉の顏に差附けた、 實に其差附け方も邪慳である、若し段倉が(あわ)てゝ首を引かなんだら眉の毛までも燒かれる所であつた、 勿論段倉の顏は血の色も無い、全く恐れの爲に灰色になツて居る、 頭領は點首(うなづ)いて「イヤ餘ほどお疲れの御容子だ、 直ぐに寢間(ねま)へ御案内して上ろ」言葉ばかり丁寧にするとは餘り馬鹿にした仕打だと段倉は恐れの中にも悔しかツた。

直に案内せられた其寢間と云ふは、(さき)に野西武之助から直接に聞いた通り崖に掘つた横穴で、 云はゞ一種の土牢である 入口も牢の通り鐡の閂木(かんぬき)が横たはり、床と云ふのは天然石の上に羊の皮を敷いてある、 其下には多少の藁や枯草も散つて居る、(とて)も寢間などと名に附けらる可き所で無い、 けれど茲に寢る外は無いのだから、段倉は羊皮の上に腰を置き、 足を延ばして見たが、少しも心が落着かぬ、全體何うして我が姓名を知つて居たゞらう、 警察さへも知らぬのに、流石に茲が山賊の技倆か知らん、 併し姓名の知れて居るが却て幸ひかも知れぬ、巴里第一流の銀行家として知られて居る者を、 眞逆に無下に扱ふ事もせぬだらう、アア分ツた、丁度武之助が命ぜられた通りに身請の金を取られるのだ、 爾して放免せられるのが明日の中だらう。

斯う思ひ初めると聊か心も休まツた、確武之助の身請金は四千 (ふらん)で有つた樣に聞いて居る、 (おれ)は名高い丈に其倍は取るだらう、イヤ一萬法でも好い、 或は其十倍の四萬法でも背に腹は替られぬのだなどゝ呟き、 先づ胴卷を探つて見ると富村銀行で受取つた五百萬法も無事である、 外に巴里を出る時洗ひ(さら)へ持つて來た五萬法の金も殆ど手附かずである、 好し、是ならば武之助のに十倍する程の身請金を拂つた所で、 大事の資本へは手が附かずに目的の地へ行かれると、漸く高を(くゝ)つて見ると、 未だ癒え切らぬ旅の疲れが出て羊の皮の上に眠つた、知らず翌朝は何の樣な境涯に目が覺めるだらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七六 結末八


翌朝段倉は、昨夜敷いて寢た羊の皮の上に目を醒ました、 太陽の光は屆かぬ穴の中から時刻は分らぬ、併し夜は明けて居る。

第一に彼は所持の大金を檢めたが胴卷の儘で無事である、 是れが何よりも安心だ、之さへあれば、後ほど身請の金を拂ふて、 茲を出去る事が出來るだらう、次に彼は時計其他の身に着く品を檢めた、 (いづ)れも同じく無難である、愈々以て此山賊の目的は分ツて居ると彼は思ふた、 流石に他國へまで名の響いて居る程の大賊だから詰らぬ細い盜坊(どろばう)はせぬ、 身請金を取さへすれば滿足するのだ、何でも細かな物をば少しの油斷に乘じて盜む樣な奴は到底大賊に成れぬ筈だと、 腹の中に盜賊の哲學とも云ふ樣な事を考へつゝ、 ()て時計を見ると朝の六時少し前である、番人は何處に居るのだらう、 其れとも逃る處の無い土牢の樣な所だから番人無しに(はふ)つてあるのか知らんと思ひ、 入口の鐡の閂木(かんぬき)の間から少し顏を出して見ると横手の方に臺を置き、 其れに腰を掛けて一人の男が嚴しく頑張てゐる、能く其男の顏を見て段倉は呆れて了ツた、 一昨日其身が扶府(ふろれんす)から乘つた馬車の御者である、 ()ては此身は一昨日(をとゝひ)から既に山賊の手に陷つてゐたのだ、 斯う思つてゐる中に、又一人の男が來て「サア六時だ、交代の時が來た、 之から二時間は(おれ)が預るのだ」と云つて代つた、 其新しい顏を見ると此奴は其又前日の馬車の御者である、益々以て驚く可しだ、 全體此山賊等は何れほど廣く網を張つてゐるのだらう、 ナニ平生から爾う廣く網を張つてゐる譯では無い、 特に段倉に對してのみ其樣に手配(てくばり)をしたのだ。

併し今に誰か頭立た奴が來て身請金の事を云ひ出すだらう 餘り恐れて居る容子を見せては却つて足許を見られるから、大膽に構へるが好いと、 傲然として石の床の上に足を投出し四五時間も待つて見た、けれど音沙汰が無い、 再び番人の方を(のぞ)いて見ると今度は見知らぬ奴がゐて、 薄黒い(ぱん)と葱の煮たので、食事の用意をしてゐる、 眞逆に(おれ)に食はせるのではあるまい、 ()の樣な臭い物が巴里の紳士の口の傍へ寄せ附けられる者かと顏を(しか)めて殆ど鼻を蔽はぬ許りにして此方(こつち)へ引込んだ。

けれど天然の規則は妙な者だ、幾等巴里の紳士でも時が立てば腹が空く、 午後の一時頃の及んでは、先ほどの葱の匂ひでも好い、 プンと風に送られて來て呉れゝばと鼻で小呼吸(こいき)をして見る樣に成つた、 最う何か食事を運んで來さうな者だ、 身請金を取らうと云ふ大事の客を爾う苦しめる筈は無いと、 自分の身體へ値打を附けて、待つ事凡そ二時間にも及んだが音沙汰が無い、 全く臺所の方で大切の客のある事を胴忘(どうわす)れして居るらしい、 其うちに又葱の香が匂つたから、又ソツと(のぞ)いて見ると、 今度は今朝初めて見た番人が又來て居る、先刻のと同じ樣な黒い(ぱん)を、 旨ま相に口の中へ詰込んで、湯氣の立つ肉汁(すつぷ)を咽を鳴らして吸ふて居る、 之れを見ると共に一入(ひとしほ)又空腹を感じ、 咽喉を通る者なら何でゞも好いと云ふ氣に成ツた、最う何うしても我慢が出來ぬ、 けれども餘まり()もじ相に見られるのも厭だから何氣無く構へて輕く番人を呼び 「コレ〜、茲の主人(あるじ)は何時までお客に腹を空させて置く積りだ」 と少し笑ひを帶びて問ふた、番人は此上も無く恭々しく 「アヽお客樣御空腹になりましたか」段倉「おゝ空腹とも本統に空腹だよ、 何か早く出來る者を持つて來て貰はう」番人「ハイお客樣に差上げるには土地第一等の料理番を雇ふて有りますから、 何でも出來ます、雛鳥の丸燒に魚味を加へた汁などは如何でせう」 段倉「結構、結構、何でも早いが好い」番人は心得て退いたが間も無く制服を着けた給使と共に來た、 給使の手には式の通りに雛の丸燒を皿に入れて持つてる「成るほど巴里の料理屋に行つた樣だ」 と云ひつゝ手を出して受取らうとすると、番人が遮ツて「少しお待ち下さい、 茲では食ふ物の代價を總て前金に戴きますから」段倉は急いで衣嚢(かくし)を探り 「好し」と云つて手に觸ツた一ルイ(廿法)の金貨を出して與へ 「此土地は鳥が安い所だから丸燒で十二錢か十五錢もするだらうが、釣錢はお前等二人で分るが好い」 一皿の丸燒を廿法とは全く何れの國にも無い大びらな拂ひ方である、 斯うして再び皿を受取らうとすると、番人は又遮り「猶だ少し足りません」 段倉「何だ雛一羽の()に對し、廿法で足らぬと云ふのか」 番人「ハイ此山洞では此一皿が十萬法即ち五千ルイですから、最う四千九百九十九ルイ戴きませねば」 段倉は笑談(ぜうだん)だと思ツた、併し一刻の猶豫も辛いほど腹が空いて居るので、 (たゞち)に又一ルイを取出して「サア」と投與へた、 番人「ハイ、最う四千九百九十八ルイ戴きませねば」笑談(ぜうだん)では無い極めて眞面目である、 段倉は怒ツた「人を馬鹿にするにも程がある」 番人「イヽエ、私の方から強て賣附けるでは有りません 代價をお拂ひ成さらねば品物を差上げぬ迄の事です」と云ひ捨て人も皿も退いて了ツた、 餘り癪に障る仕方だから「ナニ食はずに(こら)へて居れば好い」段倉は男らしく呟いて、 之れより凡そ卅分ほどは我慢して居たが、其卅分が全く一世紀ほど長く感じた、 今度は何うにも(こら)へられぬことに成つたから又番人を呼び 「先刻お前逹の()べて居た樣な黒い(ぱん)で好い」 (たゞち)に最前の給使が又更に盛つて黒い(ぱん)を持つて來た、段倉が受取らうとすると 番人「イヤお客樣、先刻二ルイ丈けは前金で戴いて有りますから殘る四千九百九十八ルイを戴きまして、 品物は其上でお渡し申します」段倉「其れは雛の()では無いか」 番人「ハイ何でも一品賣は十萬法づつです」


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七七 結末九


腹の空くと云ふ事が、何れほど恐ろしいかは誰でも知つて居る樣であるが實は知らぬ、 イヤ其知つて居る處より十倍も百倍も辛いのだ、空腹の極點は死亡に在る、 其死亡までに、時々刻々少しの絶間も無しに身體が内側から(けづ)られる、 顏の肉も手足の肉も胴の肉も、少しづつ胃の腑へ落ちて行つて消えて了ふ、 實に慘酷な譯である、若も自分の身體が外から一皮づつ剥かれ(けづ)られると云へば誰でも其痛さを知るだらう、 恐れて身顫ひするだらう、併し外から(けづ)るのも内から(けづ)るのも大した違ひは無い、 外から(けづ)れば血が出たり肉が切れたり其 (むご)たらしい樣が目に見えるから餘計痛い樣に思ふけれど、 内から(けづ)るのは苦しみが長い、長い苦しみを絶間無く味はつて居ねば成らぬ、 之が爲には眠りも消える、總ての機關が(こは)ばツて來る、 餘り辛くて發狂する者も有る、到底人間の力で否生物の力で(こら)へられる者では無い、 けれど死ぬまでは(こら)へて居ねば成らぬ、是れが本統の嬲り殺しと云ふ者である。

段倉の餓ゑたのは唯一日だけれど、一日の餓が最う何うにも(こら)へられぬ程に成つて居る、 死んでも好いから何か食度い食はねば生も死もする事が出來ぬ、 何と我慢の仕樣も無い、彼は叫んだ「一品賣が十萬法、 其れなら一度の食事は幾等取る」番人「矢張り一品づつ勘定します、十皿 (たべ)れば百萬法です」 段倉「其樣な大金を持つて居ぬ、何うして爾う拂ふ事が出來るものか」 番人「イヤお持合せの五百萬法の中で拂へば宜しいのです、 詰り貴方が五十皿と半分だけの食事をする資力があるのです」 笑談(ぜうだん)の樣な此一語で、段倉は全く敵の巧の深さを知つた、 自分の懷中をまで讀み盡して居るのだ、最う(もが)いても無益である、 兎も角も一皿は()べ、少し胃の腑を落着かせて其上で能く考へて見ねば成らぬ 「仕方が無い、さあ雛の丸燒を持つて來い」と云ひ五千ルイ投出した、 番人は「ではお釣りです」とて先刻のニルイを返して退いたが、直に雛の丸燒を持たせて給使を寄越した、 無論段倉は貪り食ツた、けれど次の用意にと思ひ骨や屑などを取つて置いて皿だけを返した。

翌日は取つて置いた骨と屑とで朝を凌いだが、今度は咽喉の渇きを催して耐へられぬ、 一杯の葡萄酒を請ふたが矢張り十萬法である、夫ならば水をと云へば之も同じ(あたひ)である、 餘り無法な仕方だから番人に向ひ「貴樣には分らぬ、頭分(かしらぶん)を茲へ連れて來い」と怒鳴つた、 番人は憎らしいほど柔順(すなほ)である、唯々として退いたが、引違へて頭分(かしらぶん)らしい者が來て 「私が此山洞の主人(あるじ)鬼小僧と云ふ者です」と名乘つた、 段倉は商賣の談判に能く慣れた日頃の口調で「幾等の借金を出せば私を放免して呉れますか」 向ふも簡單な商賣口調で「五百萬法です」段倉は白刄を差付けられた樣な氣がした 「五百萬法、其れ丈取られるは命を取られる樣な者です、一文無しになつて了ひます、 一思ひに殺して下さい」鬼小僧「イヤ此山洞で血を流す事は禁じられて居ますので」 段倉「貴方が主人だと云ふでは有りませんか、誰が禁ずるのです、 血を流すも流さぬも總て貴方の隨意でせう」鬼小僧「イヽエ私は此山洞の主人でも猶だ私に差圖する大將が外に有ります」 段倉「エヽ大將が——シテ其大將が私を此樣に取扱へと貴方に命じたのですか」 鬼小僧「ハイ其通りです」段倉「では百萬法出しますから許して下さい」 鬼小僧「(いけ)ません」段倉「では二百萬法、オヤ未だ(いけ)ませんか、 三百萬法、其れでも、エヽ仕方が無い思ひ切つて四百萬法まで出しませう」 鬼小僧は何か親切な事をでも云ふ樣な調子で「貴方は爾う贅澤に言葉を使ツたり腹立てたり成さツては不經濟です、 其れだけ餘計にお腹が空きますから、一品十萬法もする所では餘ほどお言葉から儉約して掛らねば エ、爾でせう、何度繰返しても五百萬法と確定してゐるのですから」 段倉「だツて一品十萬法づつ取られると、何うせ饑る時が、遠からず來ますから」 鬼小僧「ハイ其は遠からず來るのでせう」段倉「其時には饑死させるのですか」 鬼小僧「私の方で手を下しては殺しませんが、食費が盡きて貴方が自然にお死になさるのは妨げません」 饑死ぬれば其後で五百萬法を唯だ取られるのだ、何うしても逃れぬ場合とは悟つた、 けれど逃れぬ場合にも猶ほ逃れ道を探すのが段倉の本來の根性である 彼は思ふた、何な何でも長く我が金と我が命とを保存する一方である、 其中には何う云ふ事で助かる場合が現はれて來るかも知れぬ、 或は伊國(いたりや)の政府で山賊の害を認め、イヤ既に其害は充分認めてゐるだらうから、 憲兵を派して驅立を初めぬとも限らぬ、金と命を蓄へて其樣な不意の助けを待たねば成らぬ、 我慢の出來る丈は我慢しやうと、堅く決心して咽喉の渇いたのを又耐へた。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七八 結末十


(こら)へるとて何時まで(こら)へられる者か、 成るほど長い内には何の樣な助けが來るかも知れぬけれど、 其れは當に成らぬ事却つて饑の方は寸刻の油斷も無く推寄せて來る、 のみならず一刻は一刻よりも急に、明日は今日よりも必ず(きつ)い、 其 (きつ)さの増すに連れ、段倉は疑ひ初めた 「鬼小僧と云ふ此山洞の主人の外に猶だ大將があるとは、何の樣な大將なのだらう、 外の捕はれ人は皆身請金さへ出せば許さると云ふのに、 何故此身だけは身請金を出しても許されず、此樣に苦しめられるだらう イヤ身請金を出せば許して呉れるけれど、其金額が五百萬法何故斯くも高いだらう、 決して此身は此山賊から普通の取扱ひを受けて居るのでは無い、 特別の、無類の、甚い〜處分を受けて居る、 何か其大將が此身に對して深い恨みでも持て復讐を企てゝ居るのか知らん。

苦し紛れに大方、事の眞相に推量が屆き掛けたけれど、是より上は考へる事が出來ぬ、 考へたとて到底分らぬ、其うちに彼の心に、死ぬと云ふ恐ろしい觀念が見えて來た、 此樣に(もが)いたとて我慢したとて、何處からも助けの來る見込は無い、 全く此まゝ死なねば成らぬのか知らん、饑が此身を冥途へ追立て號令か知らん、 爾うだ、何うも死ぬ外は道が無い樣だ。

誰とて死の恐ろしく無いは無い、けれど段倉の如きは、曾て武士の教訓を受けた事も無く、 死を輕んずるなど云ふ念は一度も起した事が無いから、 命の惜さが又格別である、幾度び彼は此山洞から逃出す道は有るまいかと考へて見たかも知れぬ、 けれど其道は決して無い、 地を(くゞ)土龍(もぐら)とても此室の三面を圍んで居る天然の石の壁を貫いて去ることは出來ぬ、 唯だ一方だけ開いて居る戸口には鐡の閂木(かんぬき)が嵌ツて居る上に嚴めしい番人が立つて居て、 夜晝の區別が無い、逃やうなどとは、柔かな指先で天然の岩石へ隧道(とんねる)を掘らうと云ふ望みである、 望むだけ、自分の心を苦しめる丈け、損である、茲に到ツて最早何うにも仕樣が無い、 矢張り驚く可き大金を出して、食物を買ふ一方である、末は何うあらうとも、 食はねば直に命が續かぬ、總身を削られる樣な(きつ)い饑を我慢が出來ぬ。

彼は眞正に餓鬼の景状(ありさま)とはなツた、是れは彼のみで無い、 誰でも彼と同じ境遇に立てば同じ景状(ありさま)は免れぬのだ、 遂に彼は食事の爲に百萬法までの大金を取られて了ツた、 其れは只彼が鬼小僧に逢つてから二日目である、全く少し位の食物では、 却つて空腹の感じを鋭くする樣な場合と爲つたのだから此世の思ひ出に腹一ぱい()べて見たい、 爾すれば後の持こたへも却つて手易からうと此樣に思ふて、 殆ど未來永久の食溜と云ふ心で充分に()べた、 本統に腹が出來た、アヽ是れならば最う幾等饑たとて心は挫けぬと呟いた。

けれど此時の饑に耐へぬ人が、此よりも甚い此次の饑に何で耐へる事が出來やう、 生憎彼は胃の腑が健康だ、少し時が立つと、直に腹が空く、 爾して其空き方が鋭利だ、メリメリと音がして身體が萎びて行く樣に感ずる、 一度又一度、之れが本統の食ひ納めだと思ツては、金を取られ、 到頭十二日目には五百萬法を悉く取られ、只五萬法だけの蓄へとは爲ツた、 斯うなると此五萬法を全く命よりも惜い、最う之れを出したとて一皿の食を得る事が出來ぬ、 茲の定價に從へば唯だ半皿である、半皿の肉を食ふたとて何に成る者か、 一皿ですら()と少く盛つて有つて腹を滿たさうとするには十皿ぐらゐ()べねば足らぬのだもの、 何うせ饑る者ならば、此五萬法だけは保存して饑ねば成らぬ、 アア五萬法、五萬法、何が何でも是れだけは助けねばと、 必死に五萬法を守る事には成ツた。

昔團友太郎が泥阜(でいふ)の土牢で絶望の極に逹した時には、 唯だ自分の記憶だけを保存したいと神に祈ツた、 此時の段倉が殆ど其れである、彼は日頃神に祈つた事などは無いけれど此時ばかりは熱心に祈つた、 アヽ神よ我をして無事に此五萬法を保存せしめ給へと、 此だけの金さへ有れば助かつて世に出たとき、未だ何事かの商賣をする事が出來る、 身を支へる足場を得て、何とか再擧の峰に攀づる事も出來やう、 是れが無くては無一物である、茲を出たとて道路で餓死ぬる外は無い、 即ち此金が命である、命の盡るまで金を捨てぬ。

此決心に彼が執着した忍耐は聊か感ず可きであツた、 惡人にもせよ流石に貧賤から身を起して巴里第一流の銀行家と爲り出た丈の事は有る、 頬は落ち目の凹んだは無論の事、眩暈(めまひ)がして心も取紊(とりみだ)れ、 殆ど何事をも考へ得ぬ程に至ツてすらも猶ほ五萬法の事は考へて居た、 此樣なのが死んでも(しか)と金だけを抱締て居る人なんだらう。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二七九 結末十一


死んでも五萬法の金は放さじと、段倉は決心してから、一日、二日、三日、四日、 とは經つた、何うして彼の剛情が斯くまで續き得たかは殆ど不可思議である。

彼は全く餓鬼の境遇を通り過ぎた、最う自分で自分の身を動かす力も無い、 死人の如く床の上に横臥(よこたは)つて時々苦しげな呻吟(うめき)の聲を發して居たが、 果は其聲さへも出無くなつた、最う死を()ること唯一歩である、 併し此樣な場合に至つても餓の苦痛は止まぬ、 イヤ身體が弱れば弱る丈け益々募つて來る募り募つて何うにも耐へることが出來無く成つた時なんだらう、 彼は室中を轉がつて、床の上に若しや前に()べた(ぱん)の屑でも落てはゐぬかと探した、 探して唯だの一粒でも見當れば急いで口に入れた、斯うなまじか口に入る者が有ると其に刺激せられて餓の度が又強くなる、 次に彼は、最う何にも口に入れる者のない辛さに、床にある羊の皮を齧り初めた、 斯る極點に至ツては人と禽獸との差別は無い、眞に犬よりも甚だしい景状(ありさま)である、 能く世の人が石を噛むの土を食ひ附くのと云ふが、全く其樣な時が來たのだ。

流石の剛情も茲に至ツて(つひ)に挫けた、彼は或日の夕方其 ()せて疲れた身を戸口の所まで(ひき)づて行き、 番人に向ツて「一萬法の金を遣るから、何うかお前の喰殘しの(ぱん)屑片(かけら)でも骨の餘りでも呉れまいか」 と請ふた、凡そ何れほど嚴重な牢番でも一萬法の賄賂に動かぬは無い筈だのに、 此番人ばかりは動かぬ、全く段倉の泣き聲が耳に入らぬ振である、段倉は消え入る樣な聲で 「コレ、コレ、お前だとて人間では無いか、此通り同じ人間が、饑の爲に最う今夜にも死ぬと云ふ所まで迫つてゐるのに、 知らぬ顏で見殺しにするとは餘り甚い、何うか此方(こつち)を向いて私の言葉を耳にだけも入れて呉れ」 之れだけ云ふて氣力が盡き床の上に俯伏に(たふ)れた、最う彼の最後であらう、 此上に耐へる事も生存へる事も出來ぬ、其は身體が許さぬのだ、物質の規則が許さぬのだ。

(たふ)れたけれど又起き直つて最後の聲を發した「頭分(かしら)を、頭分(かしら)を、 鬼小僧とやらを」此方(こなた)では此聲を待つてゐたらしい、直に鬼小僧が現はれた 「私をお呼び成さツたのは何の御用です」 段倉「助けて下さい、助けて下さい、最う身請をする金もなし、茲に五萬法殘ツてゐるから、 之を差上げます、何うか命だけは助けて、私を此山洞の奴隸に使ふなりと何うなりとハイ何うか命だけ、命だけ」 到頭五萬法も思ひ切つた、是れで見ると段倉に取つて、五萬法よりは命の方が流石に(わづか)ばかりは重いと見える、 鬼小僧「隨分辛いと見えますね」段倉「辛い、辛い、死ぬるよりも辛い、殘酷です、無慘です」 鬼小僧は少しも心の動かぬ聲で「けれど世には貴方よりも辛い目に逢つた人が有ります、 饑て(つひ)に死んだ人さへ有るでは有りませんか」 段倉「其樣なのは極稀です、夫は何かの天罰です」 鬼小僧「貴方は天罰だと思ひませんか」段倉は顫ふ力さへない身ながら恐ろしげに顫ふた、 爾して「天罰ならば最う充分に受けました、今日(こんにち)までの苦しみは如何なる天罰にも優ります[」] 此とき鬼小僧の背後(うしろ)に當り、()と嚴重な聲が有ツて 「では此苦しみで充分に後悔しますか」何だか聞覺えに有る樣に思はれる、 段倉は最う視力さへ大方盡きた目を(いたづら)に見開いて其人を認めんと(もが)きつゝ 「後悔とは何を」其人「今まで行ふた惡事の數々を」段倉「ハイ全く後悔しました、 今までの事の爲に此樣な天罰が下るのなら、私は幾等後悔しても足りません」 誰だとて此樣な場合まで推寄せて後悔の念無しに居るられる者か、 其人「愈後悔したのなら赦して上げます」と云ひつつ進み出て鬼小僧よりも前に立つた、 段倉は其姿を見て、「エ、エ、巖窟島伯爵」と打叫んだが、 唯驚いた許りでは無い、眞に身の(すく)むほどの恐れを催した、 今までの饑の辛さよりも今の恐れの方が烈しい、彼の落ち込んだ目にも血の氣の無い唇にも、 削られた樣な兩の頬にも悉く恐ろしさが現はれた、 伯爵「イヤ、私は巖窟島伯爵では有りません」段倉「では誰です」 伯爵「サア誰でせう、誰ですなどと問ふよりも貴方は自分の記憶を探つて思出しませんか、 貴方の生涯の中で、最も深く損害を加へた人を考へて御覽なさい」段倉は唯戰慄するのみである、 伯爵「今より廿四年前、貴方が商船巴丸の荷物監督方を勤めて居た頃に立戻ツて能く私の顏を御覽なさい、 貴方の爲に父をも饑死にさせ、許嫁の妻をも失ひ、生命をも財産をも、 生涯の快樂をも、總てなくして、爾して貴方が今受けて居る丈の苦しみを、 十四年の間、泥阜(でいふ)の土牢で忍んで居た團友太郎が私です」 段倉は此力の盡た身體の何處に此樣な聲が籠つて居るかと疑はるゝ程の鋭い聲で 「アヽ」と長く打叫んだまゝ(たふ)れた、爾して氣絶して了ツた。

嗚呼段倉に對する伯爵の復讐は之で逹した、伯爵は最う自分の復讐が餘り度に過るを宜しからぬ樣に思つて居るから此上を追窮せぬ 「アヽ、三人の仇の中で、次郎は死に、蛭峰は發狂した、死ぬるよりも甚いと云ふ者、 此二人に比ぶれば段倉の方は未だ仕合せだ」云ふ中に段倉は呼吸(いき)を吹返した。


更新日:2003/12/29

巖窟王 : 二八〇 大團圓


段倉は息を吹返したけれど起き直る力はなく、(わづか)に其 (かうべ)を擧て伯爵の顏を見た、 伯爵は之れに向ひて嚴重に「貴方は折角持逃げした五百萬法の金を奪はれ、定めし失望に至りでせうが、 ()の金は貴方の物ではなく、慈善協會へ拂ひ渡す可き者でせう、 巴里の貧民幾千幾萬人の死活が()の金に繋がツて居るのです、 其れを盜んで自分が不思議の富貴を計る資本として濟みますか」と叱り附け、 更に「併し邪は終に正に勝ちません、()の金は既に私から巴里の慈善協會へ送り屆ける手續きを運びました」 段倉は又驚いて、漸く呟いた言葉は「貴方は眞に神の樣です」と云ふに在ツた、 伯爵は此上は追窮せぬ「貴方に對する懲らしめは猶だ輕いかも知れませんけれど是れで最う許して上げます」 と云ひ、更に傍に立つ鬼小僧に向ひ「腹一ぱい食事をさせて、其上で放免せよ、 彼が殘して居る五萬法の金も、最う取るに及ばぬ、彼の物として持たせて遣れ」 と言渡した、是れ全く大赦にも(ひと)しい言葉である、 今までの段倉ならば歡天喜地と云ふ可き程に躍り上ツて喜ぶ所だらうけれど、 彼は此伯爵が昔の團友太郎と知り、今までの事が總て復讐に出たと知つて餘りの驚きに喪心の景状(ありさま)と爲り、 深くは喜ぶことさへ知らぬ、唯だ運命の、(わづか)に人間を支配して、 善には(つひ)に善を報ひ、惡には遂に罰を來す無量の力あることを現實に身に感じて空恐ろしく思ふのみである。

命令を遺して伯爵の去つた後で、鬼小僧は其通り段倉に立派な食事を與へ、 五萬法の金を身に着けたまゝ放免した、 此時は夜に入つた後である、段倉は山洞の門を(さまよ)ひ出て、幾時か歩んだけれど、 路も分らず、且は充分の氣力も無い、木の根に身を(もた)せたまゝ夜の明けるまで休んだ、 やがて日の出る頃と爲り、咽喉の渇きを覺ゆる爲め、(かたはら)に流るゝ谷川に行き、 俯向(うつむい)て水を(すく)ふたが、此とき流れに寫る我姿を見て驚いた、 (あゝ)彼れ山洞に捕はるゝこと(わづか)に廿日ばかりで有ツたのに、 天の力は早や彼を見る影も無い老人にして了ツた、 之れを發狂した蛭峰に比べて見ると何方(どつち)の苦しみが重かツたゞらう、 雙方とも唯だ相當と云ふ外は無い。

*    *    *    *    *    *    *

斯る間に愈々十月の五日が來た、之れは伯爵が大尉森江眞太郎に約した死の日である、 大尉は約束の刻限にモンテ、クリスト島に着く積でバスチヤの港から舟に乘つたけれど、 風波の爲に遮られ、漸く其日も終りに入つて八時過ぐる頃、島に着き、 直に巖窟の中へ案内せられたが、中の立派な景状(ありさま)は驚く可きである、 けれど茲を自殺の場所と思ひ、遲くも今夜の十二時までが其刻限と思へば、 巖窟の中に何故斯る宮殿の如き住居(すまゐ)があるやなど怪しむ(いとま)がない、 直に伯爵に向ツて「私は華子の後を追ひ、冥府に入る時の來たのを歡びます、 貴方は十月の五日まで待てと仰有いましたけれど、今日と爲つては最う私の心を慰める手段は有りますまい、 イヤ私は冥府に行つて華子に逢ふのが、此上もない樂しみです」

何たる絶望の言葉で有らう、若し能く此絶望を掻き消して大尉に此世の幸福を得させたならば、 眞に廣大無邊の功徳と云ふ者で、今まで我身が復讐の種に重ねた許多(あまた)の罪も亡びるだらうと、 伯爵は堅く信じて、ハイ爾まで貴方が思ひ詰て居ては人間の力で慰める事は出來ませんから、 (せめ)てもの心盡しに、私は貴方の死際を安樂にして上げませう、 短銃(ピストル)で自殺するのは種々の不快を伴ひますから、 兼て私の祕藏する一種の靈藥をお呑み成さい、之れならば身體も傷つかずに快よく眠る如くに息が絶え、 天國に入つて目が覺めます」毒藥に死するも(つるぎ)又は銃に死するも敢て選ぶ所はない、 大尉「ハイ仰せに從ひませう」と云ひ、間もなく伯爵が持出した美しい噐の中から、 何やらん(かんば)しい緑色の濃い液を大匙に溢るゝほど(すく)ふて呑んだ。

果して靈藥と云ふ可きである、大尉は何時ともなしに夢幻の境に入り、 (やが)て天國に目覺めた心地がして、傍には()と美しい女一人、 來りて我身を介抱する樣にも思はれ、能く見れば其顏が段々華子の顏に見えて來る 「オヽ華子、天國で待つて居て呉れたのか」と云へば唯頬笑むのみで返辭はない、 其うちに又伯爵の姿も現はれ華子と何か話して居る、其言葉も夢か(うつゝ)か次第に明かである。

華子「此御恩は忘れません、伯爵」伯爵「イヤ恩などと云ふ事は有りませんが唯だ何うか、 行末までも鞆繪姫を貴女の妹として(いた)はツてお遣り下さらば」 華子「妹とも姉とも互に最う思ひ合つてゐますけれど、貴方が何時までも姫を保護してお上げなさるのに」 伯爵「イヤ私は何時死ぬる身かも知れず、又何處へ立ち去るか知れませぬゆゑ——」 何だか此世に最早望む所なくして死を決した人の樣にも見える、 「オヤ貴方は私一人を殘して何時死ぬるかも、何で其樣な悲しい事を仰有います」 と忽ち伯爵の背後(うしろ)から叫ぶ者がある、伯爵は振向いて鞆繪を認め、 「オヽ和女(そなた)は、和女は、若し此方(このはう)がゐなくなれば——」 鞆繪は恨めしげに「其樣な事をお問ひなさるは、華子さんに、 若し森江大尉がゐなくなればとお問なさるも同じ事です」一語で何も彼も分ツてゐる、、 伯爵は鞆繪の手を取り「オヽ許して呉れ、此方が惡かツた、此方が知らなんだ、 此世に最う何の用事も何の樂しみもなからうと思ふた爲め、 森江大尉が世を(はか)なんだ如く、此身も世を(はか)なみ、 今まで重ねた罪の報いとして、此身を神に捧げねば成らぬと思ひ、 覺悟を極めて居たけれど、唯だ和女の心を知らなんだ、未だ、 未だ、死なれぬ、此身にも幸福が有る、神が其幸福を和女の愛と云ふ形を以て此身に與へて下さるのだ、 オヽ神の恩、神の恩、猶だ生存へて和女を幸福にし、和女の幸福から此身の幸福を溢れ出させねば成らぬ」 とて暫し相擁して神に謝し又相擁して退いた。

大尉は是等の景状(ありさま)を夢路に見、怪しいとも思はぬ、 未だ華子の顏が猶も我が傍に輝いて居るを喜ぶ、 夢ならば醒めな、天國ならば長く長く天國の儘にあれとのみ思ふたが、 翌朝は天國が、此世と爲ツた、此世に目は覺めたけれど、華子は依然として傍に居る、 何うしてだらう之を怪しみ問ふ心も出ず、唯だ伯爵の力に違ひ無いと知るのみである、 直ぐに起きて手を引合ひ、雲よりも柔かな絨氈(じうたん)の上を浮か浮かと歩みて廻るうち、 洞門を開けて居たと見え、何時しか巖窟の外に出で、 水際の(やゝ)高い所へ行つて見ると、一天晴渡ツて海の(おもて)を射る日影も(まぶ)しいほどである、 斯る所へ、何處からか一人の舟子(ふなこ)が來て「此手紙を伯爵がお殘しでした」 とて一通を差出した「エ、伯爵が手紙を」と大尉は受取つて開き讀んだ。

「大尉よ、華子よ、水際の小舟を見よ、此手紙を預かれる其舟子ジヤコボが何も彼も心得居るゆゑ、 御身等二人乘りてレグホーンに上陸せよ、 其所には病氣の(なかば)直りて(ほゞ)歩行の自由を得たる野々内彈正が孫娘の婚禮を祝せんとて待てるなり、 巴里の餘の家、モンテ、クリスト島の巖窟及び、其財寶、通貨一切、凡そ一億法の價格を、 御身等二人に讓るなり、大尉よ、一億の資本は此世に於て高き尊き事業を遂ぐるに足らん、 御身等餘に謝する勿れ唯だ餘が爲に神に祈れ、四十餘年、安樂の何たるを知らずして煩悶せる不幸の男子も、 御身等の祈りと、鞆繪の愛とに安んずる所を知るを得んか、大尉よ、華子よ、幸福に生を得よ、 人生は茫々たるも自ら神の指さして渡る可き津頭(しんとう)を示し給ふ時あらん、 其時までは唯樂しみて而うして待て、待つと樂しむと是れ人生最大の良智なり」

讀み終津て大尉はジヤコボに問ふた「伯爵は今何處に居る」ジヤコボは沖合を指さして 「今朝早く姫樣と共に東方へ向けて出帆なされました、アレ()の船にお(いで)です」 大尉と華子とは、(かうべ)を擧げて水天髣髴の際を見ると、 (かもめ)かと思はれる樣に白帆の影が見えて居る、最早呼んだとて屆かぬ、 大尉「最う伯爵に逢ふ事は出來ぬだらうか」華子「伯爵のお言葉の通り樂しみて待ちませう」

「巖窟王」下卷
(終り)

更新日:2003/12/29