マクベス:目次 ------------------------------------------------------------------------------- 坪内逍遙(1859-1935)訳のシェークスピヤ(1564-1616年)作「マクベス」です。 底本:昭和十年一月廿五日印刷、昭和十年二月五日発行の中央公論社、新修シェークスピヤ全集第二九卷。 ------------------------------------------------------------------------------- マクベス シェークスピヤ 作 坪内逍遙 譯 * 登場人物 * 第一幕 第一場 * 第一幕 第二場 * 第一幕 第三場 * 第一幕 第四場 * 第一幕 第五場 * 第一幕 第六場 * 第一幕 第七場 * 第ニ幕 第一場 * 第ニ幕 第二場 * 第ニ幕 第三場 * 第ニ幕 第四場 * 第三幕 第一場 * 第三幕 第二場 * 第三幕 第三場 * 第三幕 第四場 * 第三幕 第五場 * 第三幕 第六場 * 第四幕 第一場 * 第四幕 第二場 * 第四幕 第三場 * 第五幕 第一場 * 第五幕 第二場 * 第五幕 第三場 * 第五幕 第四場 * 第五幕 第五場 * 第五幕 第六場 * 第五幕 第七場 * 第五幕 第八場 ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:登場人物 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 登場人物 * ダンカン、スコットランドの王。 * マルコム、其王子。 * ドナルベイン、其王子。 * マクベス(王の從兄弟)、王軍の將。 * バンクヲー、王軍の將。 * マクダッフ、スコットランドの貴族。 * レノックス、スコットランドの貴族。 * ロッス、スコットランドの貴族。 * メンチース、スコットランドの貴族。 * アンガス、スコットランドの貴族。 * ケイスネス、スコットランドの貴族。 * フリーアンス、バンクヲーの一子。 * シーワード、ノーサムバランド伯、英軍の將。 * 少シーワード、其息。 * シートン、マクベスに仕ふる一士官。 * 少年、マクダッフの子。 * イギリス王の侍醫。 * スコットランド王の侍醫。 * 一武官。 * 一門衞。 * 一老人。 * マクベス夫人。 * マクダッフ夫人。 * 一侍女、マクベス夫人に仕ふる女。 * ヘカチー(或ひはヘケート)、女魔神。 * 三妖巫。 * 幻像。 貴族、紳士、士官、兵士、刺客、侍者役及び使者役。 場所 スコットランド及びイングランド。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第一幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第一場 荒れ地。 雷鳴電光。三人の妖巫《ヰッチ》 妖の一 いつ又三人が一しょにならう、鳴る時か、光る時か、降る時かに? 妖の二 騷動《ごたくさ》が終《す》んだ時分に、勝敗《かちまけ》の決った時分に。 妖の三 そいつァ日沒《ひのいり》前だらうよ。 妖の一 場處は何處で? 妖の二 例《いつも》の荒れ地で。 妖の三 彼處《あそこ》でマクベスを待ちうけやう。 此時、あちこちで此妖巫《ヰッチ》らの使役する魔物の鳴く聲が聞える。 妖の一 今往くよ、灰毛猫《グレーモルキン》! 妖の二 蟇《ひき》が呼んでるよ。 妖の三 あいよ、今直《す》ぐ。 三人が手を取合って、踊りながら歌ふ。 三人   清美《きれい》は醜穢《きたない》、   醜穢《きたない》は清美《きれい》、   狹霧や穢《きたな》い空氣ン中を翔ばう。 三人ともに入る。 (惡魔の使徒である妖巫《ヰッチ》らは、常に人間の災禍《わざはひ》の下るのを希望してゐるから、 其自然觀は人間のそれとは逆である。人間の善、美、清淨、愉快、便利とするものは、彼等の惡、 醜、汚穢、不愉快、不便利とするものであり、而して其反對が彼等の善、美、清淨、愉快、便利なのである。 天候とても同斷。晴朗は彼等の忌む所、陰鬱な瘴烟や、毒霧が彼等の得意の舞臺なのである。 風雨、雷電を喜ぶのも同じ理由。以上は當時の民間信仰にもとづいた説。) [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第一幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第二場 フォレス附近の陣營。 奧にて警報(太鼓又は喇叭。)スコットランド王ダンカン、其第一王子マルコム、 第二王子ドナルベイン、貴族レノックス及び侍者多勢《おほぜい》が出る。 と他方から手負の一武官が出て、行き逢ふ。 ダンカ あの血みどろの男は何者ぢゃ?あの有樣なりゃ、必ず、叛賊共の最近の状況を報じ得るであらう。 マルコ 彼《あ》れは、先だって私が捕虜《とりこ》にならうとしたました際に、勇敢な働きをして、 救ってくれました士官です。……や、御機嫌やう!君の目撃して來た戰場の模樣を、王へお話しなさい。 武官 いづれが勝ちとも見分けかねました。譬《たと》へば、二人の泳ぎ手が、疲れ果てゝ絡み合ひ、 拔き手を切るべきやうもなく、共に溺れようとしました如くに。あの殘忍なマクドナルド、 邪惡《よこしま》な根性が豐かなため、謀叛人にはふさはしいマクドナルドは、 西方の群島から輕裝兵や重裝兵を夥しく驅り輯めてまゐりました、で、一時は例の運命めは、 彼れの非道の企《くはだて》に笑顏を見せて、賊の娼婦と成り果《おほ》するかとも見えました。 が、要するに、いづれも無效。其名に恥ぢぬ猛將軍のマクベスどの、運命には目もくれず、 武勇其者の祕藏子でゝもあるかのやうに、血烟立ったる大太刀を揮《ふ》り閃かし、 驀地《まつしぐら》に敵中に割って入り、遂に賊將めに邂逅《めぐりあ》はれました。が、いッかな、 握手したり告別辭《さよなら》を申されたりなさればこそ、 臍《へそ》から頤《あご》へ掛けて彼奴《あいつ》を眞二《まツぷた》つに斫《き》り割《さ》いて、 首をば胸壁に掛けられました。 ダンカ あゝ、勇敢な從弟どんぢゃ!偉い仁ぢゃ! 武官 然るところ、譬《たと》へば、旭日《あさひ》のさし昇る東方から、 怖ろしい霹靂《いかづち》や船を摧《くだ》く大あらしの起りまする如く、身方《みかた》が慰安の源泉から、 思ひがけない不安が湧き出でました。大王陛下、もし、お聽き下されませ。さるほどに、官軍が、 正義を補《たす》くるに武勇を以てし、逃足輕き輕裝兵をさん〜゛打敗《うちやぶ》りましたる其途端に、 隙を窺《うかゞ》うたるノーヱー王、研ぎ立ての武噐と新手の兵とで、又ぞろ攻めかゝってまいりました。 わが兩將、マクベスやバンクヲーも、それにはさすがに狼狽《うろた》へたるか? 武官 はい、鷲が小雀に、獅子が仔兎にでも襲はれましたかのやうに。 正直に申し上ぐれば、兩將軍は、宛然《まるで》二重に裝彈《たまごめ》をした大砲か何ぞのやうに、 二層倍の勢ひで敵軍に當られました。血の海で浴《ゆあ》みばなされる積りか、 でなくば第二の髑髏が丘を築かれまするかと存ずる程の凄じいお働き、…… が、息苦しうなりました、傷口が痛んで叶ひません。 ダンカ 手傷と言ひ、申すことゝいひ、汝《そち》はあっぱれな武士《さむらひ》ぢゃぞ。 ……(侍者に)それ、彼れの爲に外科醫どもを…… 侍者らが武官を介抱して入る。 (彼方《むかう》を見て)來たのは誰れぢゃ? 貴族ロッスの領主が出る。 マルコ ロッスの領主どのです。 レノク 大あわてゞで參ったと見えまするあの目刺《まなざし》! あの樣子では容易ならん御報告をいたされさうにございます。 ロッス (王に向ひて)神よ、王を護らせたまへ! ダンカ 何處から參られたな? ロッス ファイフからまゐりました、ノーヱー軍の大旆《おほばた》が、大空にて羽撃《はゞた》きいたし、 身方《みかた》の膽《きも》を冷させをりまするファイフの戰場から。さても、ノーヱー王は、 親《みづか》ら大軍を引率致し、彼の大不忠の謀叛人コーダーの領主の後援として、凄じい勢ひで攻め寄せましたが、 我が軍神《いくさがみ》(ベローナ女神《によしん》の御婿君)のマクベス將軍、百錬鐡《れんてつ》の甲冑に身を堅めて、 駈け向はれ、一劍と一劍、一騎打の勝負によって、 忽《たちま》ちのうちに彼れが不遜を取挫《とりひし》がれましたる結果、つまり、 身方《みかた》の大勝利と相成ってございます。 ダンカ さて〜、喜ばしいことぢゃ! ロッス すなはち、ノーヱー王スヰーノーは、目下、和議を望みをりまする。されども、 聖《セント》コーム島にて、資金一萬弗《ドル》を我が軍に獻納致しませぬ以上は、 敵の死骸の埋葬さへも許し遣《つか》はすまじき所存なのでございます。 ダンカ 此上は、コーダーをして二度と信任に背かしむべきでない。直ぐ往って彼れに死刑を申し渡し、 其爵をマクベスに授けて、歡迎して來て下さい。 ロッス かしこまりました。 ダンカ 彼奴《かやつ》の失ふたものをば、あのあっぱれなマクベスが手に入れたわい。 皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第一幕 第三場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第三場 同處。フォレス附近の原野。 陰鬱な空合《そらあひ》。雷鳴。三人の妖巫《ヰッチ》が出る。 妖の一 姉さん、何處へ往ってゐたね? 妖の二 豚を殺してゐたのさ。 妖の三 姉さん、お前は何處へ? 妖の一 ある船頭の嬶《かゝ》が、前掛に栗を入れて、もり〜もり〜と食ってやがったから、 「おれにも與《く》んな」といったら、「えゝ、魔法使ひめ、去《い》ッちまへ!」 と怒鳴りゃがったわな、肥ッちょうの下司女め。あいつの亭主は、 タイガー號の船長で、アレッポーへ往ってゐる。今に見ろ、篩《ふるひ》に乘っていって、 尾《しつぽ》のない鼠に化けて、思ふ存分に、やッつけてくれる、やッつけてくれる〜。 妖の二 ぢゃ、おらが(その駕《の》ってゆく)風を與{や}らうよ。 妖の一 おかたじけ。 妖の三 おらも一手《ひとて》(の風)を。 妖の一 其他(の風)は俺の手にあるんだから、風の逹《とゞ》く限り、風の知っている限り、船乘の繪圖に載ってる處は、 濱でも、港でも、思ふまゝだ。今に血を絞って、奴めを枯草のやうにしてくれる。夜だって、晝{ひる}だって、 目を閉《つぶ》らせるこッりゃァないぞ。奴め、呪{のろ}ひに取ッ附かれて、 うんざりする七日七夜を、九九八十一度も重ねりゃァ、引ッ縮んで、痩せて、萎びッちまふだらう。 奴の船を沈めッちまふことァ出來ないけれども、さん〜゛な目に合せてくれよう。 ……おらの持ってる物を見な。 妖の二 見せなよ、見せなよ。 妖の一 こりゃァ、本國へ歸る途中で、難船して死んだ水先案内の母指《おやゆび》だァな。 此時、奧で陣太鼓の音が聞える。 妖の一 太鼓だ、太鼓だ!マクベスが來たんだ。 と三人が互ひに手を取りあひて、輪形になって、踊り廻りつゝ歌ふ。 三人 運勢扱ふ姉妹われら、 海でも、陸でも一時《とき》千里、 手に手を取合ひ、ぐるりや、ぐるり。 おまひが三度で、おいらが三度、 も一つ三度で、ちょうど九つ。 しいッ!もう可《い》いんだ。 此途端に、マクベスとバンクヲーが、凱旋の途次といふ風體で、天候が激變して、晴朗であったのが、 急に深靄《ふかもや》の陰鬱な空合《そらあひ》となったのを不審がって話しあひつゝ出る。 (騎馬姿であるべきだが、當時の舞臺では、支那劇に於ける如く、只鞭のみを携へて出たのである。) マクベ 如是{こんな}穢《むさく》るしい清らかな日は、曾{かつ}て見たことがない。 バンク フォレスまでは、何位《どのくら》ゐあるといふのです?…… といひかけてふと三妖巫《ヰッチ》に目を附ける。 や、彼奴{あいつ}らは何だ?萎びた顏をして、狂人めいた裝《なり》をして、地上に住んでゐる者とも見えないが、 現にあそこに出て來てゐる。…… おのしらは生きてゐるのか?人間と物を言ひ合ふことの出來る者か?…… 俺の言ふことが解るらしいな、ひゞわれた指を、三人ともに皺《しわ》だらけの脣へ當てるのを見ると。 女には相違ないが、髭が生えてるから、さうとも思はれん。 マクベ 物を言へ、言へるなら。汝《きさま》らは何だ? 妖の一 萬歳、マクベスどの!萬歳、グラーミスの御領主! 妖の二 萬歳、マクベスどの!萬歳、コーダーの御領主! 妖の三 萬歳、マクベスどの、ゆく〜は國王さまともならっしゃるマクベスどの! マクベスぎょッとする。 バンク 何故貴方は吃驚《びツくり》するのです?大變にめでたい預言ぢゃありませんか?…… やい、汝《きさま》らは幻影《まぼろし》のやうな者か、又は實際外面に見えてゐる通りの者か? 眞實《ほんと》の事を言へ。おれの同僚殿を汝《きさま》らは現爵で呼び掛け、且つ未來の榮進を祝し、 更に國王にまでもなられると言ったので、彼の人はあの通り茫然としてをられる。 汝《きさま》らは俺には何《なンに》も言はん。若し汝《きさま》らに、 「時」の胎内にある事件の種子《たね》を看破する力があって、どの粒が生長し、 どの粒が生長しないかを預言することが出來るならば、さ、言って見ろ、 俺は汝《きさま》らに贔屓されようとは思はねば、憎まれるのを恐れてもゐないのだ。 妖の一 萬歳! 妖の二 萬歳! 妖の三 萬歳! 妖の一 あんたはマクベスどのよりは小さくはあるが、大きくもある。 妖の二 マクベスどのほどに好運ではないが、其倍がたも運が好い。 妖の三 王さまにはならっしゃらんが、王さまをば幾人も生まっしゃる。……ぢゃによって、 マクベスどのも萬歳!バンクヲーどのも萬歳! 妖三人 マクベスどのも萬歳!バンクヲーどのも萬歳! と三妖巫《ヰッチ》は退き去らうとする。 マクベ 待て、曖昧なことを言ふ奴らだ、待て、もう一度言へ。父サイネルが亡なったから、 俺をグラーミスの領主と呼ぶのは分ってゐるが、コーダーとは何だ? コーダーの領主は、まだ生きてゐて、榮えてゐる。それから、國王になるなぞといふことは、 コーダーの領主になるのよりも、尚ほ一層信ぜられんことだ。如何《どう》いふわけで、 汝《きさま》らは、こんな荒野原で待ち構へてゐて、 そんな預言めいた祝辭を述べるのだ?是非返辭をしろ。 このうちに三妖巫《ヰッチ》は消え去る。 バンク 土にも泡が有ると見える、あれがそれだ。……何處へ消えたか? マクベ 空氣の中へ。形が有るやうに見えてゐたのに、まるで息が風の中へ溶けるやうに消えてしまった。 あゝ、引止めておきたかった! 實際、噂をしているやうな者が此處《こゝ》にゐましたらうか? 或ひは、理性を虜《とりこ》にする彼の狂亂草の根でも、お互ひに食ったのぢゃないかね? マクベ 貴君《あんた》の子供たちは王になられると言ひましたぜ。 バンク 貴下《あなた》はまた、御自身が王になられると。 マクベ それから、コーダーの領主にもなると。さう言ひましたらう? バンク 全く、その通り。……(彼方《むかう》を見て)誰れだらう? 貴族のロッスとアンガスが(ダンカン王の使者として)出る。 ロッス マクベスどの、陛下は貴下《あなた》の大成功を聞《きこ》しめされて、 非常の御滿足でありました。貴下《あなた》が親《みづか》ら謀叛人共と戰って、 勇敢な働きをなされた報告書を御覽になって、暫くは驚異と賞讚と、 何《どち》らを主にしたものかとまで感激させられたが、やがてお心を沈着《おちつ》けられ、 尚《な》ほ同日中の他の報告を御覽になると、今度は貴下《あなた》が、 彼の頑強なノーヱー軍の眞中へ切り入って、怖しい死人の山を築きながら、 更に恐るゝ色もなかった勇猛の記事を讀ませられた。 おッかけ〜來る注進は、悉《こと〜゛》く國家の干城《かんじやう》としての貴下《あなた》の大功を賞讚し、 さながら霰《あられ》の如くに、王の御前に降り注ぎました。 アンガ で、吾々《われ〜》は、王の命《おほせ》を承はり、取敢ず御感謝のお言葉だけを貴下《あなた》に傳へまする、 すなはち、吾々《われ〜》は御前へ貴下《あなた》を御案内する爲に參上致したに過ぎません。 ロッス 更に大いなる御榮譽の預證《よしよう》として、 取敢ず貴下《あなた》をコーダーの領主とお呼び申せといふお申し附けでありますから、 貴下《あなた》の將來のお呼び名である該《その》稱號でお祝ひ申す、おめでたうござる、コーダーの御領主! バンク (獨語のやうに)え、惡魔が眞實《ほんと》の事を言ったのか? マクベ (ロッスらに)コーダーの領主は、まだ存命の筈だのに、どうして拙者にそんな借衣《かりぎ》をばお着せなさる? アンガ 故《もと》の領主は、尚《な》ほ存命ではございますが、重いお咎めを蒙って、 將に其 命《めい》を失はんとをります。果してノーヱーと合體したのやら、 たゞ内々謀叛人に應援したのやら、或ひは兩樣ともに行って祖國の顛覆を企てたのやら、解りませんが、 とにかく、大逆の證據《しようこ》が擧り、白状も了《す》み、彼れは滅亡と定《きま》りました。 マクベ (傍白)グラーミスとコーダーと!一番大きいのが殘ってゐる。…… (ロッスとアンガスに)いや、どうも御苦勞千萬で。……(バンクヲーに傍白) あんたは、子供たちが、行く〜王になられるだらうと思ひませんか? わたしにコーダーを與《く》れた奴らが、あんたは然《さ》ういふ風に約束しました。 バンク それを本氣にお信じなさると、つい、コーダーだけでなく、王冠までも欲しくなりませうぜ。 ……が、こりゃ不思議なことだ。どうかすると、惡魔めが、人間を邪道へ誘はうとして、 わざと眞實《ほんたう》の事を告げることがある、一寸した驗《げん》を見せておいて、 重大な事でおとしいれようために。……兩君、一寸お話がしたい。 三人は立離れる。 マクベ (傍白)二つは的中《あた》った。王國を主題とした雄大な劇《しばゐ》の開場詞としては幸先が好い。 ……(ロッスらに)御苦勞でした。……(傍白)此竒怪な胸騷ぎは、決して惡い兆《しらせ》ぢゃない、 善い兆《しらせ》でもない。惡い事なら、何も事實で始めて、成功の保證なぞを與へる筈がない。 俺は現にコーダーの領主だ。……善い事なら……、なぜ如是《こんな》誘惑が萠《きざ》して、 怖ろしい幻影が目に見えるか?それを想像すると、身の毛が彌立《よだ》って、例になく、心臟が、 肋骨《あばらツぽね》へぶッつかるやうに、鼓動する。現在の怖ろしさは想像の怖ろしさ程ではない。 今は只弑逆《しいぎやく》を空想してゐるだけなのだが、その爲にわが心《むね》の王國は擾亂して、 種々の臆測に統一は破れ、思慮は窒息し、只空《くう》な幻影ばかりが目に見える。 バンク (ロッスらに)御覽なさい、同僚は氣拔のやうになってゐます。 マクベ (傍白)運で王になるのならば、手を下さんくっても、運でなれさうなものだ。 バンク (ロッスらに)新たに榮譽を賜ったのは、著《き》なれない服を著《き》るやうなもので、 慣れないうちは、とかく密着《しつくり》しないものです。 マクベ (傍白)どうともなれだ、大あらしの日だっても、時間は經つ。 バンク マクベスどの、御都合次第で、お伴しませう。 マクベ 御免下さい。忘れてゐたことを思ひ出さうとして、つい茫然《ぼんやり》してゐました。 いや兩君のお骨折は、心の帳簿に録《かきと》めて、毎日拜讀いたします。 では、王の御許《おんもと》へ參りませう。 ……(バンクヲーだけに)今日の事を御一考なすっておいて下さい、何《いづ》れ後日、 とくと考へておいて、お互ひに胸襟を披《ひら》きませうから。 バンク 承知しました。 マクベ 今日《こんにち》は、ま、これで。……(アンガスらに)さ、兩君。 皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第一幕 第四場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第四場 フォレス(又はフォリスとも)王宮の一室 喇叭を盛んに吹き鳴す。王ダンカン、王子マルコム及びドナルベイン、 貴族レノックス竝びに侍者らが出る。 ダンカ コーダーの死刑は執行したか?役目の者共は既《も》う歸って來たか? マルコ まだ歸っては參りません。しかし彼れの臨終に立合ふた者に聞きますれば、 彼れは謀叛の次第を尋常に白状いたし、陛下の御宥恕《ごいうじよ》を乞ひ願ひ、深く後悔の意を表し、 預《かね》て研究致してをった者の如く、最も大切な一命を、取るに足らぬ物を抛《なげう》つがやうにして、 相果てましたのは、彼れが一生中の一等立派な振舞ひであったと申しまする。 ダンカ 容貌で人の心術を知察する法は無い。彼奴《あいつ》は、予《わし》が絶對に信用してをた男であったに。…… マクベス、バンクヲー、ロッス及びアンガスが出る。 おゝ、大功勞の從弟どの!今も今とて、君の功勞に能《よ》う報いんでゐるのを、 濟まんと思ふてゐた處ぢゃ。如何《どん》な速い翼《はね》の報償があったとしても、 君の足早な功績には追ひ附きかねるわい。手柄がも少《ちツ》と尠《すくな》かったなら、 感謝も報償も予《わし》の力で相應に出來たであらうに! 如何《どう》したって、斯うしたって、報い切れん程のお手柄ぢゃといふより外に言葉はない。 マクベ 忠勤は臣下の當然でございますから、首尾よく勤めますれば、それで最早《もう》報酬は十分なのでございます。 陛下は只それをお受け下されば宜しいのです。私共は王室の兒孫《じそん》、國家の臣僕でございます、 陛下に對し、一《ひと》へに愛敬の微衷に背きませんやうに相勤めまするのが本分でございます。 ダンカ ま、善うこそ、予《わし》が手で植ゑ附け始めたからは、十分生長させずにはおかんよ。 ……(バンクヲーに)バンクヲーどの、君の功勞も決して劣らない、叉、其劣らないといふ事を、 同じやうに認められんければならんのぢゃ。さ、胸と胸とが觸れるやうに、予《わし》に抱かせてくれ。 バンク 若し其お胸の下で實りましたなら、どうか、御收穫はお心任せに。 ダンカ (感涙を拭ひつゝ)あまり嬉し過ぎるので、喜びめが溢れ出して、つひ悲し涙の中へ隱れをる。…… 倅《せがれ》らよ、親族たちよ、領主逹よ、其他、予《わし》に親近な人逹よ、此際、どうか、 承知しておいてくれられい、予《わし》は嫡子マルコムを嗣子《あとつぎ》と定めて、 今後は彼れをカンバランドの公爵と呼ぶことにする。但《たゞ》し、それと同時に、 すべて功績ある人逹の頭《かうべ》にも、榮譽の章《しるし》を正に星の如くに燿《かゞや》かす筈ぢゃ。…… (マクベスらに)では、これからイン・ネスへ行きませう、毎度御苦勞ながら同行して下さい。 マクベ お役に立たんと思ひますと、休息してをるのが、却って苦勞でございます。 小官《てまへ》が先觸れ役を勤めまして、お成りの事を妻《さい》に知らせて喜ばせませう。 では、御免を蒙りまする。 ダンカ (見送って)いや、立派なコーダー! マクベ (行きかけて傍白)カンバランドの公爵!此一《ひと》つの蹈段《ふみだん》で、 俺が蹉躓《けつまづ》いて倒れるか、うまく跳び越すか、行く先に横たはってゐるんだから。…… 星よ、光りを韜《つゝ》んでくれ、俺の此眞黒な、底企《そこだく》みを照らしをるな。 目は手をば見ぬふりをしろ。ともかくもやッつけよう、爲果《しおほ》せりゃ、見るのを目が怖れるやうな事を。 入る。此間、ダンカンはバンクヲーと何か話してゐる。 ダンカ (バンクヲーに)いかにも、君のいふ通りぢゃ、彼《あ》の男は全く勇敢ぢゃ。 彼《あ》れの賞讚を聞くのは、予《わし》に取っては此上もない饗應《もてなし》で、 滿腹の喜びぢゃ。……後を追ふて行かう、彼《あ》れは予《わし》を歡迎しようとて、 氣を揉んで先きへ行ったわい。親族中にも類《たぐひ》のない男ぢゃ。 喇叭盛奏。皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第一幕 第五場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第五場 イン・ネス。マクベスの居城の一室。 マクベス夫人が夫の書翰を讀みつゝ出る。 夫人 「予《よ》ノ彼等ニ逢ヒシハ凱旋ノ當日ナリ。予《よ》ハ十分ノ證據《しようこ》アリテ、 彼等ガ人智ノ及バザル事ヲ知レル由《よし》ヲ承知セリ。 サテ、尚《な》ホ詳シク聞キ糺《ただ》サント心ヲ焦《いらだ》ツウチニ、 彼等ハ忽《たちま》チ空氣ノ中《うち》ニ消滅シ去リタリ。 予《よ》ガ駭《おどろ》キ怪ミテ、茫然タリシ折カラ、王ヨリノ使節來リ、 予《よ》ヲコーダーノ領主ト呼ビ掛ケテ祝賀セリ。其呼ビ名ヲ、 彼ノ竒《あや》シキ巫女《ふじよ》ラハ、ソノ以前ニ予《よ》ニ對シテ用ヒタルノミナラズ、 尚《な》ホ予《よ》ガ將來ヲ祝シテ、「王トナラル、人、萬歳!」ト呼ベリキ。 約サレタル行末ノ榮光ヲ分ツベキ卿《おんみ》ガ、其慶ビヲ知ラデ在《おは》スルヤウナル事アリテハト、 此事知ラセ申スナリ。トクト考ヘタマヘ。サラバ。」 グラーミスの領主でもあり、コーダーの領主でもある。して見りゃ、預言通りの身分にもお成りだらう。 けれども貴郎《あんた》の氣質が心配になる。手取り早くやってのけるには、甘過ぎる、柔和《やさ》し過ぎる。 偉い人にならうといふ希望もあるし、大望もないではないけれど、それを遂げるには、 是非共なくちゃならん横道《わうだう》な心が無い。無上に欲しがってゐながら、 不淨な手段は用ひまいとなさる、不義を行ふのを厭がってゐながら、不正な望みを抱いておいでだ。 グラーミスどの、貴郎《あんた》の手に入れたがってをなさるものは「これが欲しければ、 斯《か》う〜しなければ不可《いけな》い」と呼んでゐますよ。 けれども貴郎《あんた》には、それを實行する勇氣は無いんだ、實行したくないのぢゃないけれど。…… さ、早く、此處《こゝ》へおいでなさい、 わたしの精神《たましひ》を貴郎《あんた》の耳の中へ注《つ》ぎ込むから。さうして、 運命や不思議な援助《たすけ》が貴郎《あんた》に授けようとしてゐる黄金《きん》の冠の邪魔になるものを、 此舌の力で、叱り飛ばしてやるから。…… 使者役の者が出る。 何の用だい? 使者 王さまが今晩お成りになります。 夫人 ま、狂人めいたことを。王のお傍には殿がお在《いで》だらうぢゃないか? そんな事があれば、準備《したく》をするやうにと、預《あらかじ》めお知らせがあるべきです。 使者 失禮ながら、全くでございます。殿さまもお歸りでございます。同輩が一人、お先觸れに驅《か》け附けましたが、 吐く息も絶え〜゛、やッとお使ひの趣旨《おもむき》だけを申し述べました。 夫人 いたはっておやり。容易ならん報道《しらせ》を持って來た奴です。…… 使者役入る。 鴉《からす》さへも嗄《しやが》れ聲をして、不運なダンカンが予《わし》の此城へ來るのを知らせる。…… (原詞のravenは俗に「大鴉《おほがらす》」と譯してゐる渡り鴉である。 由來、鴉《からす》は内外とも不祥を知らす鳥となってゐる。こゝでは、 ダンカンの來著を報ずる早打ちが息もたえ〜゛に傳言したといふのを人の死を預告する鴉《からす》と見て、 「今夜限りの命とも知らないで、うか〜此城へ來て宿らうといふは平人ならぬ國王である。 大鴉《レーヴン》其者とても、斯《か》ういふ大不祥事を知らせる場合には、 例《いつも》以上に聲を嗄《しやが》れさせるであらう、使者が息たえだえに報告をしたも其筈だ」 といふ風の聯想。) さァさ、怖ろしい企事《たくみごと》の介添をする精靈共よ、早く來て予《わし》を女でなくしてくれ、 頭から足の爪先まで、酷い、殘忍な心で、充溢《いつぱい》にしてくれ! 予《わし》の血を凝結《こゞら》せてくれて、慈《やさ》しい心の通路《かよひみち》を斷ッちまってくれ、 憫《あは》れむ心なんかゞ働いて、酷い企《たくみ》をぐらつかせたり、實行の邪魔をしたりせない爲に! さァ、此の女の胸へ入って來てくれ、やい、人殺を職《しごと》にする精靈共よ、 此の甘ッたるい乳を苦い膽汁《たんじふ》に變ッちまってくれ、目に見えない姿をして、 人間の惡事を手傳ふ汝等《おのしら》、今、何處にゐるか知らないが!さァ、眞暗《まツくら》な夜よ、 汝《おのし》も來て、黒闇《こくあん》地獄の黒烟で、押し包んでしまってくれ、 予《わし》の鋭い劍に己が切る傷口を見せないために、天が昏闇《くらやみ》の幕越しに隙見《すきみ》をして、 「待て、待て!」と呼ぶやうなことのないために。…… 此途端にマクベスが出る。 大グラーミスどの!大コーダーどの!(走りよって、抱擁して)其二つよりも、もっと〜偉大な貴下《あなた》、 未來を祝福した預言によると!わたしは、お手紙を讀んだので、何《なンんい》も知らないでゐた現在から、 つい未來へ一足飛びに伴《つ》れて行かれてしまひましたのよ。 マクベ なァ、お前さん、ダンカン王が、今夜こゝへ來られるんだ。 夫人 さうして何時《いつ》お立ちなさるのです? マクベ 明日といふ預定だ。 夫人 おゝ、其明日をば、決して太陽は見ますまいぞよ!……貴下《あなた》、 貴下《あなた》の面《かほ》は誰れの目にも竒怪《ふしぎ》な事の書いてある書籍《ほん》のやうに見える。 周圍《はた》を欺《だま》すには周圍《はた》と同《おンな》じやうにしていらっしゃい。目にも、手にも、 舌にも歡迎の意《こゝろ》を示して、罪のない草花と見せかけて、 其蔭《そのかげ》の蝮《まむし》になってゐなくちゃいけません。 さ、來る人の待受けをせねゃなりますまい。今夜の大切な爲事《しごと》は萬事わたしにお任せなさいまし、 未來永遠に無上の權力を得ると得ないとは、それで決るんですから。 マクベ 尚《な》ほ篤と相談しよう。 夫人 只晴々した顏をしていらっしゃい。面色《かほいろ》の變ってゐるのは、胸に怖れのある徴《しるし》ですから。 他の事は、萬事わたしにお任せなさい。 共に入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第一幕 第六場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第六場 同じ處。城門の前。 木笛《オーボエ》を吹き鳴す。把火《たいまつ》を持ったる者が數人出る。 つゞいて、ダンカン王、マルコム、ドナルベイン、バンクヲー、レノックス、マクダッフ、 ロッス、アンガス及び侍者らが出る。 ダンカ こりゃ氣持の好い處ぢゃ。爽《さわや》かな、柔かな空氣の肌に觸るのが、いかにも好い心持ぢゃ。 バンク 寺院を好みまする、あの、夏の客の岩燕が熱心に鏝《こて》細工をやってをりますのを見ましても、 此邊《こゝら》では、天の息が懷しらしう薫ってをりますことが分ります。 檐先《のきさき》、長押《なげし》下、控へ壁、其他便宜の隅々に、彼れめが吊床《つるしどこ》をこしらへて、 雛の搖籃を掛けてをらん處はございません。彼《あ》の鳥が好んで巣をくひまする處は、經驗によりますと、 空氣がよろしうございます。 マクベス夫人が出る。 ダンカ 見い〜、奧さんが見えた……(夫人の敬禮を受けて)あんまり好かれて附き纒《まと》はれても迷惑なものぢゃが、 好かれたゞけは有難く思ふのが人情ぢゃ。貴女《あんた》も予《わし》の爲に冥福を祈って下さい、 斯《か》う附き纒《まと》って貴君《あんた》逹を煩はすのを有難く思ふて。 夫人 私共が、御奉公を二倍に致した上に、更に二倍に致しましたとても、 陛下が當家に下しおかれまする深大な光榮に比べますれば、物の數とも存ぜられません。從來のゝ上へ、 更に積み加へさせられました御授爵に對しまして、私共は永く御冥福を祈りまする。 ダンカ コーダーの領主は何處にをられる?すぐ馬で後を追ふて、設備係りを勤めようと思ふたのであったが、 本來が馬術の逹人であるのに、熱烈な忠誠が拍車同樣に馬の足掻を速めさせたので、 吾等よりもずッと前に歸邸された。……奧さん、今夜は御厄介になりますぞ。 夫人 御家來たる私共は、家の者も、自身も、財産も、みんなお借り申してをるのでございますから、 御意次第で、いつでも決算をして御返納する積りでをりまする。 ダンカ お手を。御主人の許《もと》へ案内して下さい。予《わし》は御主人が大好きぢゃ、 さうしていつまでも渝《かは》らん積りぢゃ。……御免なさい。 夫人の手を式《かた》の如く取りて、竝《なら》んで入る。他の人々もつゞいて入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第一幕 第七場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第七場 マクベスの居城内の一室。 木笛《オーボエ》を携へたる者、把火《たいまつ》を持ちたる者が出る。 其後より、配膳係りの者竝《なら》びに皿、鉢、膳等を携へたる種々の家僕共が出て來て、 舞臺を通り過ぎる。とマクベスが出る。 マクベ (獨白)やってしまへば、それで事が濟むものなら、早くやってしまったはうが好い。 暗殺といふ一網を下しさへすれば、一切の結果を羅《ら》し盡《つく》してしまへるものなら、 此一撃で以て萬事が終局となるものなら、それが此世での、「時」の此方《こちら》岸、 此淺瀬での終局であるのなら、未來なんか關ったことはないんだ。が、斯《か》ういふことゝなると、 必ず現世で制裁が有る、不仁を教へるやうな事をすると、それが忽《たちま》ち應報して其教へた者を苦しめる。 公道の公平な手は、毒盃を盛った者の脣へ、其同じ毒酒を注《つ》ぎ込む。…… 彼れは二重に信頼する理由が有って、此處《こゝ》へ來てゐるのだ。先づ、俺は彼れの近親でもあり、 臣下でもある、だから、決してさういふ惡事なぞをしさうにないと思ってゐる。 次ぎに、俺は東道《あるじ》だ、假にも逆意ある者をして近寄らsめないやうに守るのが當然だのに、 自身で刄を揮《ふる》ふなぞは以ての外だ。のみならず、あのダンカンは、温和、寛仁に、 從來どういふ缺點もなく、國君としての職責を盡して來てゐる。 だから、彼れを殺すやうな大非道を行った時分にゃァ、彼れの平素の淑徳が、 喇叭舌の天使の如く、罪なくて殺害《せつがい》された不條理を述べ立てるであらう。 さうして世間の同情は、烈風に駕《の》った生れ立ての赤子歟《あかごか》、 目に見えぬ、空の早馬に跨《またが》った天童歟《てんどうか》のやうに、此怖ろしい惡業を人々の目へ吹き込み、 其烈風も和《な》ぐ程の涙の雨を催させるであらう。 (かう考へて來ると)俺が乘ッかってゐる此|企謀《くはだて》を刺戟するべき拍車は、一つもない、 只跳ね上る野心めが、つい跳ね上り過ぎて、とんでもない方へ墜落《おツこ》ちようとしてゐるばかりだ。…… 夫人が出る。 夫人 どうしたのです!如何《どう》かしたのですかい? 夫人 お夜食はもう大概お了《す》みですよ。何故貴下《あなた》はお外しなすったの? マクベ 何とか俺の事を訊ねられたかい? 夫人 ぢゃ、貴下《あなた》はあれを御存じぢゃなかったの? マクベ なァ、あの事は、ま、やらないでおくことにしようよ。…… 王は、いろ〜の榮譽を予《わし》に與れられたばかりの處だ。さうして貴賤、上下ともに、今、 俺を非常に尊敬してゐる。此新たに得た名譽や信用の燦々《きら〜》してゐるのを、身にも著《つ》けないで、 むざ〜棄てるでもあるまいと思ふ。 夫人 (呆れて)ぢゃ、先刻《さツき》まで身に著《つ》けていらしった彼《あ》の「希望《のぞみ》」は、 ありゃ正氣ぢゃなかったんですか?あの「希望《のぞみ》」が、あれから一睡眠《ひとねいり》したんですか? さうして今、目を覺して、先刻《さツき》は平然として正視し得た事を、馬鹿ァな顏して、 眞蒼《まツさを》になって見てゐようといふんですか?……今日からは、 わたしに對する貴郎《あんた》の愛情もそれと同《おンな》じだと思ひます。 斯《か》うしたいと望みながら、それを勇敢に實行することが出來ないの、貴郎《あんた》は? 一生の貴い飾りになるものを手に入れたいと望みながら、自分でも臆病者だとお思ひな程に意氣地なく、 下世話に謂ふ猫と同じに、「欲しい〜」といふ其同じ口で「だが、俺にゃァ出來ない」とおっしゃるんですか? マクベ ま、しづかに。人間のすべきことなら、何でもやる、が、それ以外をするのは人間ぢゃァない。 (「人間」の原詞manは、此作者の癖として、折々兩義に使用する。 即ち、「男子」、「大丈夫兒」といふ意味を含ませる。 マクベスは「人間」といふよりも「大丈夫たる者」といふ意味に使用してゐるらしい。 それを夫人はわざと「人間」といふ意味に取って、「ぢゃ、さッきわたしに大事を打明けさせたのは獸でしたか?」 と嘲弄するのである。) 夫人 ぢゃ、どういふ獸類《けだもの》でしたの、先刻《さツき》貴郎《あんた》に勸めて、 わたしにあの一大事を打明けさせたのは?思ひ切ってお打明けなすった時こそ、 貴下《あなた》は男子であったのです。ですから、あれ以上の事をなさりゃ、 いよ〜男子らしくおなりの筈です。あの時にゃ、時も處も思ふやうぢゃなかったんです、でも、 それを整へてまでもとお思ひなすったでせう。今、其二つが自然に整って、好い都合になったのに、 貴下《あなた》は却って逡巡《しりごみ》をなさる。わたしは乳汁《ちゝ》を飮ませたことがあるから、 赤兒《あかんぼ》の可愛さは善く知ってゐます、けれども、若し わたしが貴下《あなた》がお誓ひなすったやうに、一旦斯《か》うしようと誓ったなら、 其赤兒《あかんぼ》がわたしの顏を見て、莞爾《にこ〜》してゐる最中にだって、 其ぶよ〜した齒齦《はぐき》から無理やりに乳首を引ッ奪《たく》って、 其 腦膸《なうずゐ》を叩きつけて微塵にしてお見せします。 マクベ だが、若し爲《し》損じると? 夫人 爲《し》損じる!しッかり勇氣をお出しなさい、さうすりゃ爲《し》損じやしませんよ。 ダンカン王がよく眠入ってゐる時分に、……けふ一日の旅疲れで、よく眠入るでもありませうから、 ……わたしは、あの二人《ふたアり》の侍士《さむらひ》に葡萄酒を勸めて、祝盃を重ねさせます、 すれば、腦の番人の記憶力も烟りとなり、理智に噐《いれもの》も蒸溜鑵《ぢょうりうくわん》同然になりませう。 彼奴《あいつ》らが酒びたしになって、豚のやうに眠込んでしまった以上、衞《まも》り手のないダンカンです、 貴下《あなた》とわたしとで、如何《どう》とも勝手にならうぢゃありませんか? 弑逆罪は悉《こと〜゛》く海綿《スポンヂ》同然の侍士《さむらひ》どもにおッかぶせることも出來ようぢゃありませんか? マクベ (感歎して)男の兒ばかりお生なさい、其不敵な精神《たましひ》ぢゃ男性以外を製《こしら》へることは出來まい。 ……同じ室に臥《ね》てゐる二人に血を塗り附け、さうして短劍も其奴《そいつ》らのを使ふことにすりゃ、 奴等がした事と思ひさうなもんだなァ。 夫人 さう思はなくッてさ、わたしたちはけたゝましく聲を揚げて、王の變死を歎いて、騷ぎ立てませうから。 マクベ ぢゃ、決心した。全力を引絞って、此怖ろしい爲事《しごと》に取掛らう。 さ、さ、あッちへ。何事もないやうな顏附きをして人目を欺かう。心に僞《いつは》りがある時は、 面《かほ》を僞《いつは》りで包んでゐにゃならん。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第二幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第一場 マクベスが居城内の庭 バンクヲーを案内して、其子のフリーアンスが把火《たいまつ》を持って先に立ちつゝ出る。 フリーアンスは少年。 (バンクヲーも妖巫《ヰッチ》の預言に動かされて、 自分ながら殆《ほとん》ど制し切れない不逞な野心の衝動を感じてゐるので、 惡夢を見るのを恐れて、わざと漫歩してゐるのである。) バンク もう何時《なんどき》だ? フリア 月は落ちましたが、時計の音は聞こえませんでした。 バンク かうと、月は慥《たし》か十二時に沈む筈だ。 フリア もう少《ちツ》と晩《おそ》いかと思ひます。 バンク 待て、此劍を持ってくれ。……天にも儉約といふことがあると見える。 燭臺(星)がみんな消えてしまった。……これも持ってくれ。……眠くて、 眼蓋《まぶた》が鉛で壓《おさ》へられるやうだ。が、眠りたくはない。…… 慈悲深き神々よ、何卒《なにとぞ》睡眠中に念頭に浮ぶ非道な考へを取挫《とりひし》ぎたまへ!…… マクベスが把火《たいまつ》を持てる一從者を從へて、出る。 (きょッとしてフリーアンスに)其劍を。……誰れだ? マクベ 大事ない者です。 バンク や、まだお寢《やす》みぢゃなかったのですか?……王は既《も》う御寢《ぎよしん》なりました。 今日は非常の御機嫌で、當家の御家來衆へは、それ〜゛夥《おびたゞ》しい下賜物《たまはりもの》がありました。 叉、此|金剛石《ダイヤモンド》は、懇篤な待遇を受けた感謝の章《しるし》だと仰せられて、奧方へとのお沙汰です。 限りなく御滿足の體《てい》であらせられました。 マクベ 何分にも不意の事で、萬事足らはぬ勝《がち》で、思ふやうにお饗應《もてなし》が出來ませんでした。 バンク 萬事上首尾でした。……時に、わたしは、先刻《さツき》、例の三人の妖しい巫女を夢に見ました。 彼等《あれら》が貴下《あなた》に言ったことは大分|中《あた》った。 マクベ わたしは、つい彼件は忘れてゐました。……が、其中《そのうち》お間暇《ひま》があったら、 あの件に就いて、少々御相談したいと存ずることがあります、時間を繰合して下さりゃァ。 バンク いつでも、御都合次第で。 マクベ 若し、其際《そのおり》、御同意下さるやうですと、彌々《いよ〜》となった曉、 それは御名譽を倍加することに相ならうと思ひます。 バンク 生中《なまなか》、倍加しようとして、名譽を失ふやうなことがなく、心に疚《やま》しさも覺えず、 忠勤をも缺《か》きませぬやうなら、何でも御相談に參與《あづか》りませう。 マクベ まづ、御機嫌やう、お休みなさい! バンク ありがたう。貴君《あんた》にも! バンクヲーとフリーアンスは入る。 マクベ (從者に)奧さんの許《とこ》へ往って、例《いつも》の飮物が出來たら、鐘《ベル》を鳴して下さいと言へ。 退《さが》って寢《やす》め。…… 從者入る。マクベスは、此途端に、ふと虚空に短劍の浮んでゐるのを見て、駭《おどろ》く。 や、ありゃ短劍か、あそこに見えるのは、[木|霸;#2-15-85]《つか》が此方《こツち》へ向いて?…… さァ、掴んでくれよう。……掴まれん、が、見えちゃァゐる。…… あゝ忌はしい幻影《まぼろし》、目には見えても、手には取られんのか? 汝《きさま》は只心が見せる劍なのか?逆上した腦作用が生んだ僞物《ぎぶつ》なのか?まだ見える。 (劍を拔きて)今拔いた此短劍と全然《まるで》同じやうだ。…… 俺が往かうとしてゐる方へ案内しようとするのだな。 恰《ちやう》ど然《さ》ういふものを使はうとしてゐたところだ。目が他の感覺に馬鹿にされてゐるのか、 或いは目ばッかりがたしかなのか?まだ見える、のみならず、刄や[木|霸;#2-15-85]《つか》に、 前には見えなかった生血が凝《こゞ》り附いてゐる。……(やっと我れに復りて)いや、 そんな物は有りゃァしない。殘忍な事をしようとしてゐるから、あんな物が目に入るのだ。…… 今、世界の半面では、萬物が死んだやうになってゐる。帳中の眠りも惡夢に襲はれてゐる。 魔術使ひの女共は、蒼白《あをざ》めた顏《かほ》のヘカチーに供物《そなへもの》をする、 憔悴《やせが》れた殺人者《ひとごろし》は、其見張役を勤めて吠える狼の聲に促されて、 ま、斯《こ》んな風に拔足《ぬきあし》して、荒淫無慚なタークヰンの足附で、 其目的の方へ、幽靈のやうに近づく。……やい、堅牢な地面よ、其足が何方《どツち》へ往かうと、 其音を聞くな、其邊《そこいら》の石共が俺の居處《ゐどこ》を口走って、 今の場合にふさはしい此物凄さを失《なく》してしまっちゃァならんから。…… 威嚇してゐる間は、彼れは生きてゐる。實行の熱烈に比べると、言葉は餘りにも冷い微風だ。 往きゃァ直ぐに事が了《す》んでしまふ。…… (「實行の熱烈に比べると」の原詞の意味は、本譯とは全く別樣にも解釋される。 例へば、一九三〇年版の・リチーの註釈では、「多辯は徒《いたづ》らに實行しようとする熱心を冷却するもの」 といふ意味に解してあり、わが官學の沙翁學者は大概それを是《ぜ》としてをられる。 が、「言舌《げんぜつ》で威嚇してをる間は彼れは生きてゐる」といふ原詞の次ぎにはコロンが置かれてあるのだから、 思想脈の轉換が餘り唐突のやうに思はれる。「往きゃァ直ぐに」云々との聯絡も覺束ない。 かた〜゛、自分は辭句を改修したゞけで、舊譯のまゝを存しておいた。 マクベスの性格をハムレットと同型と解する見地から、・リチーの釋が重んぜられるのでもあらうが、 こんな場合に、たった一語、右の新釋のやうな反省語が持ち出されるのは寧ろ非沙翁的ではあるまいか?) 奧にて鐘《ベル》が鳴る。 ありゃ呼び出しの鐘だ。……あの音を聞きなさんな、ダンカン。 ありゃお前さんを天堂だか、地獄だかへ呼び迎へる臨終《いまは》の鐘だ。 入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第二幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第二場 同じ處。 マクベス夫人が出る。 夫人 彼奴《あいつ》らを醉はせた酒でわしは大膽《だいたん》になった。彼奴《あいつ》らは寢入ッちまったg、 わしの心の火は煽り立って來た。……おや!しッ!今啼いたのは梟《ふくろふ》らしい、 凄い〜聲で「お休み」と啼き立てるあの忌はしい夜番の鳥!……今、行ってゐなさるんだ。…… 扉《ひらき》は開けておいた。侍士《さむらひ》共は、たらふく飮み食ひをして大鼾《おほいびき》で眠《ね》てゐる、 おのが職務を馬鹿にしてるかのやうに。麻醉藥酒《しびれざけ》を飮ませたから、 生と死が鬪ってゐる、あいつらを生かさうか、死なさうかと。 マクベ (奧にて)だれだ?おい、こら! 夫人 (ぎょッとして)あら!目を覺したのぢゃないか知らん、爲遂《しと》げないうちに。…… 爲《し》かけて爲遂《しと》げないと、身の破滅になる。……(聞き耳を立てゝ)おや!…… 短劍《けん》はちゃんと出しといたんだから、見附からない筈はない。…… 寢顏がお父さんに似てさへゐなかったら、先刻《さツき》行《や》ッちまったんだけれど。…… マクベスが血みどろの二本の短劍を持って出る。 夫人 ねえ、あなた! マクベ やッちまったよ。音がしやしなかったかい? 夫人 梟《ふくろふ》と蟋蟀《こほろぎ》の啼くのが聞えたばかし。何とかおっしゃったやうでしたのね? マクベ 何時《いつ》? 夫人 つい今。 マクベ 降りて來た時に? 夫人 えゝ。 マクベ (ふと聞き耳を立てゝ)やッ!……だれだ次の間に臥《ね》てるのは? 夫人 ドナルベインです。 マクベ (血に染みたる我が手をながめて)なんて、なさけない樣だ。 夫人 馬鹿なことを、なさけないなんて。 マクベ 一人が、眠《ね》てゐながら、笑ひ出すと、一人が「人殺し!」と呼號《どな》った、で、 二人とも目を覺した。俺が突ッ立って聞いてゐると、二人は祈祷をはじめて、叉、眠《ね》てしまった。 夫人 二人は一しょに眠《ね》てゐますのよ、あそこで。 マクベ 一人が、「神さまお助け下さい!」といふと、一人が「何卒《アーメン》!」といった、 人殺し係りのやうな此手を見附けたらしい。奴らが怖《おび》えて「お助け下さい!」といふのに、 それを聽いてゐながら、俺ァどうしても「何卒《アーメン》」と言へなかった。 そんなに思ひ込まない方がようござんす。 マクベ だが、何故「何卒《アーメン》」と言へなかったんだらう?俺こそお助けの必要を最も痛切に感じてゐたんだ、 それだのに「何卒《アーメン》」が喉に塞《つか》へた。 夫人 斯《か》ういふ事は、そんな風に、考へ込んぢゃいけませんよ。氣が變になッちまひますから。 マクベ 何處かで呼號《どな》ってる聲が聞えるやうに思へた、「もう安眠は出來んぞ! マクベスが安眠を殺しッちまった」と。……あの、罪の無い、心の縺《もつ》れを好い鹽梅に整へてくれる安眠を、 其日々々の生の寂滅とも、勞苦の浴《ゆあ》みとも、傷ついた精神《こゝろ》の藥膏《ぬりぐすり》とも、 大自然が供する二の膳とも、生命の主要《おも》な滋養物ともいふべき安眠を…… 夫人 何をいってるんですよ。 マクベ 家中に向っていつまでも呼號《どな》ってゐた、「もう安眠は出來んぞ! グラーミスが安眠を殺しッちまった。だから、コーダーも最早《もう》安眠は出來ない。 マクベスも最早《もう》安眠は出來ない。」 夫人 誰れです、さう呼號《どな》ってゐたのは?……ねえ、貴下《あなた》、 そんな風に馬鹿らしい事ばッかりお考へなさるのは、立派な御噐量を自分でだらしなくしておしまひなさるんです。 ……さ、水を取って來て、其穢《きたな》い手の證據《しようこ》を洗っておしまひなさい。…… 何で其二本の劍を持って來たんですよ?あそこに置かなくちゃいけないんです。 さ、持ってッて、血を眠《ね》てゐる侍士《さむらひ》共に塗り附けていらっしゃい。 マクベ 俺ァもう往くまい。行《や》った事を考へるのがいやだ。二度とあれを見る勇氣はない。 夫人 ま、いくぢのない!……其劍をおよこしなさい。眠《ね》てる者や死んでる者は、画像も同樣です。 画《え》にかいた鬼が怖がるのは子供です。……血が出てゐたら、侍士《さむらひ》共の顏へ塗り附けて來よう、 あいつらの爲《し》た事と思はせにゃならない。 夫人は劍を持って入る。 此時、奧にて門を叩く音が聞える。 マクベ や、何處かで叩く?……どうしたのだ俺は?音のするたびに悸々《びく〜》する。…… (手を見て)あ、何といふ手だ?えッ!目の玉が引摺り出されさうだ。 大 海神《ネプチューン》の大洋の水を傾けても、此手を清めることは出來まい。 いや〜、あの限りない碧《あを》い波が、却って眞紅《まツか》になッちまふだらう。 夫人が叉出る。 夫人 わたしの手も貴下《あなた》のと同じ色になった。けれども、心臟は、 貴下《あなた》のやうに白《しら》ッちゃけちゃァゐませんのよ。…… 叉も戸口を叩く音が聞える。 南の門を誰れだかが叩いてをる。室《へや》へ戻りませうよ。水で一寸洗ひさへすりゃ、 爲《し》た事ァ消えッちまひますよ。造作《わけ》ァ無いぢゃないの! 度胸を何處へか去《や》ッちまったのね貴郎《あんた》は。…… 叉、門を叩く音が聞える。 あれ!叉叩いてゐる。早く部屋着をお召しなさい、ふいと呼び出された時に、 寢ずにゐたことを勘附かれるといけない。そんな情けない顏をして、ぼんやりしッちまッちゃァいけません。 マクベ 爲《し》た事を憶《おも》ひ出すまいとすると……茫然《ぼんやり》してるのが一等可《い》い。…… 叉、門を叩く音。 其音でダンカンを起してくれ!さうして貰ひたい、出來るもんなら。 二人ともに入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第二幕 第三場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第三場 同じ處。 門番が出る。奧では戸を叩く音がつゞく。 門番 えらく叩きゃがるわい!これが地獄の門番であらうものなら、嘸《さぞ》鍵扱ひの忙しいことだらう。 (叩く音)叩く、叩く、叩く!どなただね、惡魔長《ビヱルゼバツブ》さんの名で訊ねますぞ? や、豐年さうなので、首を縊《くゝ》ったお農夫《ひやくしやう》かね?恰《ちやう》ど好い時に來たよ。 手巾《てぬぐひ》の準備《ようい》は可《い》いかい?今に油汗を出さにゃなるまいぜ? (叉、叩く音)叩く、叩く、叩く!もう一人の惡魔さんの名前で聞くが、だれだね? あゝ、成程、お前は兩天秤の二枚舌で、眞赤な空誓文をした人だね。神さまのお爲に、 さんざッぱら嘘ゥ吐《つ》いた調法な舌も、天へ行く役にゃ立たなかったと見える。 さ、お入り、二枚舌どん。(叩く音)叩く、叩く、叩く!だれだね?成程、イギリスの裁縫師《したてや》だね、 フランス式の太筒袴《ずぼん》の寸を盜んだので墮ちて來たんだね。さ、お入り、裁縫師《したてや》。 火熨斗《ひのし》を炙《あぶ》るにゃ茲《こゝ》は上等だ。(叉叩く音)叩く、叩く、のべつだ! だれだねあんたは?……だが、こゝは地獄にしちゃァ寒過ぎる。もう地獄の門番は止さう、 櫻草の咲く道を通って、消えずの花火へやって來る手合は、 どの職業のも二三人づるは通してやらうと思ってたんだが。 (叩く音)只今、只今!どうぞ門番(へお心附け)をお忘れなさらないやうにね。 門を開ける。 マクダッフとレノックスが出る。 マクダ (門番に)斯《か》うおそくまで眠《ね》てゐるのを見ると、 昨夜《ゆうべ》はよッぽど遲くなってから寢たものと見えるな? 門番へい、二番鷄が啼くまでも飮んでをりました。彼《あ》の三件《みツつ》は、とかく酒ゆゑに募ります。 マクダ 特に彼の三件《みツつ》といふのは何だ? 門番 へい、小便と鼻の赤くなるのと眠くなるのとでございます。淫情《いろけ》は募りもしますが、 衰へもします。其氣は盛んになりましても力が脱けます、ですから、大酒は、淫情《いろけ》から見ると、 何方《どツち》附かづです、立てたり、仆《たふ》したり、けしかけたり、止めて見たり、勇ませたり、 落膽《らくたん》させたり、ふんばらせたり、逡巡《しりご》みさせたり、とゞのつまり、 胡魔化して寢せつけて、此二枚舌めと惡態を吐《つ》いて去《い》ってしまひます。 マクダ 汝《おまひ》も、昨夜《ゆうべ》は、酒に然《さ》ういはれたらしいな。 門番 へい、さん〜゛馬鹿にしをりましたので、返報《しかへし》をしてやりました。 奴となら、負けるこッちゃありませんから、時々|脚下《あしもと》が危ッかしくなりましたっけが、つまり、 [口|云;#1-14-87]《うん》と突き戻してくれました。 マクダ 汝《おまひ》の御主人は起きられたか?…… 此時、マクベスが出る。 われ〜が叩いたので起きられたと見える。あそこへ見えた。 レノク (マクベスに)お早うございます。 マクベ お兩人《ふたり》ともお早う。 マクダ 御領主、王はもうお目覺めですか? マクベ まだです。 マクダ 朝早く起こしてくれといふ仰せでしたっけが、あぶなく後れるところでした。 マクベ ぢゃ、御案内しませう。 マクダ 喜んで御東道役をなさるとは申せ、やはり御心勞とお察し申します。 マクベ 喜んでする勞力には苦痛を覺えません。……こゝが御寢所口です。 マクダ かまはず推參いたしませう、預《かね》てのお吩咐《いひつけ》なのですから。 マクダッフ入る。 レノク 王は今日はお立ちなのですか? マクベ さやう。然《さ》うお決定になってゐます。 レノク 昨夜は騷がしい晩でしたなァ。吾々共の宿では、烟突《けむだし》が吹き倒されました。 世上《せじやう》の噂では、空中に泣聲が聞え、今が斷末魔かと思はれる竒怪な叫び聲や、 此わるい時節に際し、新たに生み出されるおそろしい騷動、珍事を知らせ顏の物凄い聲音が聞え、 叉、例の夜の鳥(梟《ふくろふ》)も夜通し啼いてゐたといふことです。或ひは、 大地が瘧《おこり》に罹《かゝ》ったやうに震へたともいひます。 マクベ さう〜゛しい晩でした。 レノク 手前などの若い記憶中には對例を求めることが出來ません。 マクダッフがあわてふためいて出る。 マクダ あゝ、怖ろしや〜〜!口にもいはれない、心に思ひ附くことさへも出來ない! マクベ、レノク どうしたのです? マクダ 此上もない大破壞が行はれたのです!冐涜至極の大逆が、神聖なる御本堂を切って破って、御尊體を盜み去りました。 マクベ え、何とおっしゃる?御尊體ッ? レノク とおっしゃるのは、陛下の事ですか? マクダ 自身で御寢所に近づいて、現《いま》ゴードンを御覽なさい。一目見りゃ目が潰れッちまひませう。 わたしに言へとおいひなさるな。御自分で見て、御自分でお評しなさい。 マクベスもレノックスも急いで入る。 (奧に向ひて)お起きなさい、お起きなさい!非常鐘を、非常鐘を、大逆罪を働いた者があります! バンクヲーどの、ドナルベインどの!マルコムどの!お起きなさい〜!死の僞物の熟睡を拂《はら》ひ落して、 眞物《ほんもの》の死を御覽なさい!起きた〜、早く起きて、大審判日の面影を御覽なさい! マルコムどの!ドナルベインどの!此怖ろしさに釣合ふために、墓から蘇った幽靈のやうに歩いておいでなさい。 非常鐘、非常鐘! 非常鐘が鳴り渡る。 とマクベス夫人が出る。 夫人 如何《どう》したのでございますか、忌はしい非常の知らせが邸《やしき》中の眠《ね》てゐる者を呼び輯めますのは? おっしゃって下さい、おっしゃって下さい! マクダ あゝ、もし、奧さん、わたしにそれが言へるにしても、貴女《あなた》がお聽きなさるべき事ぢゃァない。 婦人は、只聽いたばかりでも、忽《たちま》ち命を失ひませう。…… バンクヲーが出る。 おゝ、バンクヲーどの、陛下は弑《しい》せられておしまひなすった! 夫人 まァ!どうしたらよからう!え、此邸《やしき》内で? バンク それが何處であらうと、無慚千萬。おい、マクダッフ、 どうぞ、今、君のいはれたことは間違ってゐたと言ってください。 マクベスとレノックスが出る、ロッスも共に。 マクベ 此一時間前に死んでゐたなら、幸福な一生を送ったと言へたものを。 今から最早《もう》此生《このよ》に、眞實、大切な物は何もなくなってしまった。 取るに足らんものばかりだ。譽《ほまれ》も徳も絶えてしまった。 人心に勢ひを附ける命の酒が酌み干されてしまって、只|滓渣《おり》ばかりが此穴倉の中に取殘されてゐる。 マルコムとドナルベインが出る。 ドナル 何か兇變が起ったのですか? マクベ 貴下《あなた》がた御自身のお身の上なのです、それをまだ御存知なさらん。 貴下《あなた》がたの御血統の泉が、源が止ったのです。御本源が止りましたのです。 マクダ 御父上が弑《しい》せられなすったのです。 マルコ え、だれに? レノク お傍仕《そばづかへ》の二人の者らしうございます。彼等は、手も足も血だらけ、 其枕元には彼等の短劍がまだ拭はないでありました。……二人とも目を据ゑて、 亂心いたした體《てい》。到底、人命を委託しおかれさうにない人物どもだと見えました。 マクベ あゝ、併《しか》し、今更、つい憤激の餘りに、彼等を殺したのを後悔します。 マクダ 何故殺しッちまったのです? マクベ どうして出來ませう、同じ瞬間に、狼狽《うろた》へながらも善く分別し、憤激しながらも沈着《おちつ》き、 忠義を存じながらも冷淡に振舞ふなぞといふことが?誰れにだって出來ません。 御變死を悲しむ義憤の念が、思慮分別を跳《をど》り越へてしまったのです。…… こゝには、ダンカン王が、韓紅《からくれな》ゐの血汐に白金の御肌を染めさせて、 横たはっていらせられる。切り裂かれた創口《きずぐち》は、破滅めが無法に闖入した跡も歴然《あらは》に、 人體の崩潰口かとも見え、叉、此方《こなた》には逆臣共と、其惡行の色に浸った逆賊どもと、 凝《こゞ》り附いた血が鞘代りになってゐる彼等の短劍。忍耐《がまん》なんか出來なからうぢゃありませんか、 苟《かり》にも君を思ふ眞情があって、それを實にする勇氣がありゃァ? 此問答のうちに、夫人は顏色を變へて 夫人 あちらへ伴《つ》れていって下さいわたしを、あちらへわたしを! と夫人が氣絶しさうになる。 マクダ それ、奧さんを。 これにて人々は夫人の介抱しようとして立騷ぐ。 マルコ (ドナルベインに傍白)何故お互ひに默ってゐるんだ、こりゃわたしたちこそ眞先に問題とすべき事なのだのに? ドナル (マルコムに傍白)こゝで何が言はれるもんですか?どんな凶運が潛んでゐた錐の穴から飛び出して來て、 わたしたちを取ッ捉まへるかも知れないんだから。彼方《あツち》へ行きませう。……まだ涙は出ない。 マルコ さうさ、まだ激しい悲しみを發表する段取になっちゃゐない。 バンク 奧さんに御注意なさい。…… 人々が夫人を介抱して奧へ入る。 吾々とても、此|薄衣《うすぎ》のまゝで、夜風に當るのは如何はしいから、 服を改めて會議を開いて、此無慚至極な暴逆事件を更に深く取査《とりしら》べませう。 今は恐怖と疑惑とで、お互ひに心が落著きません。拙者《てまへ》は神の御手《みて》に信頼して、 如何なる祕密の惡企《わるだくみ》があるとも、それと戰ふ積りです。 マクダ 私《てまへ》も御同樣です。 皆々 われ〜とてもです。 マクベ まづ、早速、きりゝとした服に被替《きか》へて、大廣間へ集まることにしませう。 皆々 さうしませう。 マルコムとドナルベインの外は皆入る。 マルコ お前さんは如何《どう》する?彼《あ》の手合とは一しょになるまいよ。 眞情《まごころ》のない者に限って、心にもない愁歎をして見せるものだ。 わたしはイギリスへ往かうと思ふ。 ドナル わたしはアイヤランドへ往きます。運を別々にするのが、お互ひの安全の爲でせう。 こゝには笑みの裡《うち》に刄が有る。血の近い者ほど血なまぐさい事をしさうです。 マルコ 弑逆の鏑箭《かぶらや》は、今まだ切って放したばッかりで、何處に落ちるやら分らない。 とにかく、其覘《ねら》ひを避けるのが安全だ。だから、早く馬に。 暇乞《いとまごひ》の挨拶なんぞ彼れ此れ言ってゐる場合ぢゃない。 そッと脱け出さう。他に助かる道のない時には、自分の命を盜むのは、許さるべき窃盜罪だ。 二人共に入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第二幕 第四場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第四場 城外。 ロッスと一老人が出る。 老人 此七十年間の事は善く記《おぼ》えてをります。其長い一卷の中《うち》で、 怖ろしい時節をも、竒異《ふしぎ》な物をも見ましたが、今晩の凄さに比べますと、 それらは何でもございません。 ロッス あゝ、お爺《とツ》さん、天も人間の殘忍な所業をお歎きなさるものと見えて、 あの通り、陰鬱に曇って見える。時計では白晝《ひるま》だが、 夜の闇があの巡行《まはりある》く燭《ラムプ》の光りを蔽ってしまってゐる。 こりゃ、夜が威《ゐ》を擅《ほしいま》まにしてゐるのだといはうか、 晝が恥ぢて逡巡《しりごみ》してゐるのだといはうか、活々《いき〜》した光りの照すべき時刻に、 こんなに地上が眞暗《まツくら》なのは? 老人 竒異《ふしぎ》なことでございます、昨晩の珍事同樣に。先の火曜日には、 空の上で誇りかに舞ふてゐた鷹が、鼠を捕る梟《ふくろふ》めの爪にかゝって死にました。 ロッス それから、ダンカン王のお乘馬が……竒怪な事だが事實だ……立派な逸物で、 其種の中《うち》での可愛がられものだったが、俄《には》かに氣が荒くなって、 廏を破って飛び出して、まるで人間と戰鬪《いくさ》でもしようとするかのやうに、叛抗した。 老人 馬同士も咬み合ったとか申します。 ロッス その通り。それを御手《みて》わたしは實に駭《おどろ》いた。……あ、あそこへマクダッフどのが見えた。…… マクダッフ出る。 其後の模樣は如何《どん》なです? マクダ まだお氣が附きませんか? ロッス あの大逆を行った當人は、だれだか分かりましたか? マクダ マクベスどのが誅戮《ちゆうりく》せられた彼《あ》の二人でせう。 ロッス やれ〜!何の爲にあんな事をしたでせう? マクダ 教唆《けうさ》されてしたのでせう。マルコム、ドナルベインの二王子は、 窃《そつ》と脱走せられたので、嫌疑は專ら二王子に懸るのです。 ロッス いよ〜以て竒怪千萬です!自分の命の綱を喰ひ切るといふのは、ま、何といふ亂暴な慾心だらう! ぢゃ、多分、王權はマクベスどのゝ手に入るでせうな。 マクダ もう既に指名も濟んで、即位式を行ふためんいスコーン(又はスクーン)へ出かけられたのです。 ロッス で、ダンカン王の御遺骸は? マクダ 御先祖代々の御埋骨所の、あのコームキルのお廟《たまや》へ持ってゆきました。 ロッス 貴下《あなた》はスコーンへお出向きですか? マクダ いや、わたしはファイフへ歸る積りです。 ロッス 私《てまへ》はスコーンへ參る積りです。 マクダ ぢゃ、あちらで萬事めでたくお濟しなさるやうに。今のうちに御機嫌ようと言ひませう、 新しい服は舊い服よりも被心《きごころ》が惡いかも知れないから! ロッス (老人に)お爺《とツ》さん、さよなら。 老人 御機嫌よろしう。惡をも善とし、仇をも友となされる人逹に、神の御惠《みめぐみ》常に下れ。 二人とも入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第三幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第一場 フォレス宮殿中の一室。 バンクヲーが出る。 バンク お前は預言通りになった。……王にも、コーダーにも、グラーミスにもなった、 あの妖しい女どもの約束した通りに……さうして、それが爲に、お前は非常な不正手段を行ったらしい。 が、過日の預言によると、それはお前の子孫には傳はらないで、未來の諸王の先祖には、 俺がなるといふことであった。もし彼女《あのをんな》らの言ふことが中《あた》るとすると、…… マクベス、お前の場合には中《あた》った……お前のが一々中《あた》ったのによって見ると、 俺とても、彼件《あれ》を神託と思って、未來に望みを懸けて好い譯《わけ》になる。が、しッ!もう止さう。 セネット調の喇叭。王の資格にてマクベス、王妃の資格にてマクベス夫人、レノックス、ロッス、 其他の貴族、貴婦人及び侍者らが出る。 マクベ (バンクヲーに目を著《つ》けて、夫人に)こゝに肝腎のお客人が居られた。 夫人 あの方が見えないでは、折角の祝宴に大きな空所が出來たも同樣で、何もかも不體裁になりましたでせう。 マクベ (バンクヲーに)今夜わたしどもは、一大祝宴を開く積りですから、 貴君《あんた》にもどうか御臨席なすって下さい。 バンク 御鄭重なお言葉で恐れ入ります。出席しろとお命じにさへなれば、是非とも仰せに從ひますのが、 私《てまへ》の務めでございます。 マクベ 此午後には何方《どちら》へかお出かけかな? バンク はい、出かけます。 マクベ もしお出かけでなけりゃ、午後の會議に出て、意見を述べて貰ひたかったのだが…… 貴君《あんた》の意見をば、常に最も大切な、有效なものとしてゐるのだから。 が、それはまた明日のことにしよう。……遠方へお出かけですかな? バンク 只今から參って、晩餐の頃までには、立歸る積りでございます。馬の足掻が思ふ程でありませんと、 一二時間夜に入るかも知れません。 マクベ 宴會に後れなさらんやうに。 バンク 承知いたしました。 マクベ 聞けば、あの暴逆な同族どもは、イギリスとアイヤランドとに落ち留まってゐるさうな、 さうして、父王を殘忍にも弑《しい》したことなぞは白状せんで、 却って怪しからん拵《こしら》へ事を申し觸《ふら》してゐますさうな。 が、その邊の事は、明日改めてお話し爲ませう、協議を要する他の國家の重大事件と共に。 急いで馬にお騎《め》しなさい。さよなら、叉、晩にお目に掛りませう。……フリーアンスも御一しょかな? バンク はい、一しょに參ります。では、もう時刻ですから。 マクベ お騎《の》りの馬が、強健で且つ俊足であるやうに。 ぢゃ、その馬共の背へ御兩所を委ねますぞ。さやうなら。…… バンクヲー入る。 夜の七時までは、めい〜隨意に、時をお過しなさるが可《よ》い。一段の愉快を以て、 宴會を迎へるために、晩餐時刻までは、皆さんに離れてゐよう。ぢゃ、それまでは、いずれも、御機嫌よう!…… マクベスの他の貴族らは殘らず入る。侍者が只一人殘る。 おい、一寸|汝《きさま》に用がある。例の奴等は控へてゐるか? 侍者 宮門外に控へてをります。 マクベ こゝへ伴《つ》れて來い。…… 侍者入る。 斯《か》うしてゐるだけでは何にもならん、安心して斯《か》うしてゐられなければ。…… バンクヲーを怖ろしく思ふのには、深い仔細がある。奴の立派な性格に、先づ怖れざるを得ない理由が存ずる。 第一、勇敢である。其不敵な精神《たましひ》に搗《かて》て加へて、其勇氣を巧く利用する知略にも秀でてゐる。 彼奴《あいつ》ほど、俺が氣ぶっさく思ふ者は他にはない。俺の守護神《まもりがみ》が、 彼奴《あいつ》に逢ふと辟易する、 恰《ちやう》どマーク・アントニーの守護神《まもりがみ》がシーザーを怕《おそ》れたと言ひ傳へられたやうに。 奴は、彼《あ》の女共が、初めて俺を王と呼び掛けた時分に、女共を叱って、奴に對しても何とか言へといった。 すると、女共は、預言者らしく、奴を歴代の王の先祖だといって祝した。つまり、奴等は、 俺の頭上には實《み》を結ばん王冠を載ッけ、俺の手には、 軈《やが》て他人の手で[てへん|宛;#1-84-80]《も》ぎ取られるべき子を生まん王梃《セプター》を握らせたのだ。 俺の血統は、一代限りで絶えるものとして。果して然《さ》うだとすると、俺は、 バンクヲーの子孫の爲に、此手を血で汚したのだ。奴等の爲に慈悲深いダンカンを殺したのだ。 心の平和の盃《さかづき》へ苦いものを注ぎこんだのだ、只|彼奴《あいつ》等の爲に。 さうして俺の此不死の靈寶を惡魔の有《いう》に歸せしめてしまったのだ、彼奴《あいつ》等を王にする爲に、 バンクヲーめの子孫を王にする爲に!そんな事をする位《くら》ゐなら、さァ、運命め、 自分でやって來い、汝《きさま》か、俺か、必死の勝負をしてくれよう!……誰れだ? 侍者が刺客《せきかく》役になる浮浪人二人を伴《つ》れて出る。 (侍者に)戸口へ往って、呼ぶまで控へてゐろ。…… 侍者入る。 (刺客らに)打合せをしたのは昨日だったなう。 刺の一 さやうでございます。 マクベ ところで、俺の言ったことを考へて見たか?先年來、汝《きさま》逹を不幸《ふしあはせ》な目に逢はせたのは、 汝《きさま》等が誤解してゐたやうに、俺の知った事ではなくって、彼《あ》れの爲《し》たことだ。 その事は、昨日段々と話して、十分に證明した筈だ、汝《きさま》逹が、如何《どう》飜弄されてゐたか、 如何《どう》はぐらかされたか、誰れが彼等の手先となって働いたか、其他一切の事を明細に話して、 「成程、これはバンクヲーの爲《し》た事だ」と、假令《たとへ》魂が半分しか無い者でも、 狂人でも、言はんけりゃなるまいと思ふ程に、證明した筈だ。 刺の一 へい、拜承《うけたまは》りましてございます。 マクベ それから、更に進んだ話をもした筈だ。それが今日の會合の要點なのだ。 汝《きさま》たちは、それを打ッ棄《ちや》っておくほどに、堪忍強いのか? 汝《きさま》たちは無法に抑へ附けて、墓穴へ押し込み、 おまけに其子や孫まで浮ぶ瀬もなくしてしまった彼《あ》の善人と其子孫との爲に、冥福を祈らうといふ程に、 汝《きさま》たちは宗教心が深いのか? 刺の一 手前共だっても、人間でございます。 (こゝにも第一幕第七場、夫人とマクベスとの問答と同工の言葉のアヤがある。 刺客《せきかく》らはmanを「男子」といふ意味で使ったのでもあらうが、 マクベスはわざと「人間」といふ意味に取って、獸類《けだもの》と比較するのである。 沙翁ほどの大作家でも、時々、其同一傑作の中にすら同じ口吻を、 同じ言葉のアヤを別人物中のセリフ中に使用させる。「リヤ王」にもこれに似たことがある。) マクベ さうさ、名簿面では汝《きさま》たちも人間だらう。獵犬でも、グレー・ハウンドでも、 雜種犬《モングレル》でも、西班犬《スパニエル》でも、野犬《カー》でも、尨犬《むくいぬ》でも、 水犬《ウオーター・ラツグ》でも、半狼《デミ・ウルフ》でも、みんな犬といはれてゐるやうになう。 が、價格附《ねだんづけ》の添へてある番組では、速い奴、緩《のろ》い奴、機敏《はしこ》い奴、 番犬、獵犬なぞと、潤澤な自然がそれ〜゛に賦《わか》ち與へた天性に應じて、 特別な名前を得て、只一樣に書き竝《なら》べる目録から區別される。人間とても然《さ》うだ。 さァ、汝《きさま》たちも、其|價格附け《ねだんづけ》の番組に入ってゐるのなら、 人間の最下級でないのなら、然《さ》うだと言へ。さうすりゃ、汝《きさま》たちに、 極密《ごくみつ》の用向を吩咐《いひつ》ける、それを吩咐《いひつけ》通りに行《や》り果《おほ》せれば、 汝《きさま》たちの仇敵《かたき》を除くと同時に、俺の信任を得て、寵用されることになる。 俺は奴が生きてゐる限りは、病人同樣の有樣なのだ。 刺の二 御前、手前は、今まで世間から、酷烈《こツぴど》く毆《ぶ》ったり撲《はた》かれたりしましたので、 癪に障ってなりませんから、もうこれからは向う見ずに、何でも關《かま》はず、 世間へ害をしてやらうと思ってゐるんでございます。 刺の一 手前も、運命めに引摺り廻されて、不幸《ふしあはせ》續きで厭倦《うんざり》しッちまひましたんで、 此上はもう、一か撥《ばち》かの運だめしをするより外に爲樣《しやう》がないと思ってをります。 マクベ ぢゃ、バンクヲーが汝《きさま》たちの敵《かたき》だったといふことァ分ったな。 二人 全く然《さ》うなのでございます。 マクベ 俺の爲にも敵《かたき》なんだ。しかも至極きはどい關係なので、彼《あ》れが一分間生きてゐりゃァ、 其一分間だけづつ、俺の急所に劍の鋭鋒《きツさき》が觸れようといふのだ。俺は、 公然俺が命じたといって、彼《あ》れを面前から逐い拂ふことも出來んことはないが、 それをしちゃならん仔細は、彼《あ》れにも俺にも親友である者があって、 其手合の感情を害するに忍びない、いや、寧ろ自分で殺しておきながら、 それを歎いて見せねばならんやうな關係なのだ。そこで、汝《きさま》たちに助力を乞ふのだ、 種々《いろ〜》重大な理由があって、世間の者には此事を見せんやうにしなけりゃァならん。 刺の二 御前、如何《どん》な事でも、お吩咐《いひつけ》の事を致しませう。 刺の一 よしんば命がけ…… マクベ いや、性根は見えた。もう一時間と經たんうちに、待伏せする場所をも、恰《ちやう》ど事を行ふべき時刻をも、 詳しく査《しら》べて指圖しよう、是非、今夜、宮城から少し離れた處でやッつけにゃァならんのだ。 俺は全く無關係だといふ事を忘れてはいかんぞ。それから、彼《あ》れと一しょに…… 後腹《あとばら》の患《や》めんやうに手際よくしておきたいから…… 彼《あ》れの伴をしてゐる倅《せがれ》のフリーアンスをも、彼奴《あいつ》の居なくなることも、 親父同樣、俺に取っちゃ必要なんだから、其|暗撃《やみうち》の次手《ついで》にやッつけてくれ。 退《さが》って、とっくりと心を決めろ。叉、直ぐに會はう。 二人 もう腹は決ってをります。 マクベ すぐに、叉呼ばう。彼方《あちら》で待ってゐろ。…… 二人ともに入る。 マクベ これで決まった。……バンクヲー、汝《おまへ》の靈魂《たましひ》が、萬一、天堂へ行くものなら、 今夜の中《うち》に、其方角へ飛ばなけりゃならんぞ。 入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第三幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第二場 宮殿内の他の一室。 マクベス夫人が一從者と出る。 夫人 バンクヲーは退出したのかい? 從者 へい、さやうでございます。が、叉、今晩戻って來られます。 夫人 王へ申し上げな、御間暇《ごかんか》の際《をり》に、わたしが一寸申し上げたい事があると。 從者 かしこまりました。 從者入る。 夫人 何《なん》にもならない、みんな無駄になッちまふ、望みは遂げたっても、滿足が得られなけりゃ。 人殺しまでして、危惧《あやふや》な樂しみしか得られない位《くら》ゐなら、 殺された當人になった方が氣樂で好い。…… マクベスが物思ひに沈みつゝ出る。 ま、如何《どう》遊ばしたのです!何故いつも獨りッきりで、陰氣に考へ込んでばかりいらっしゃるんです? 考へる其目的が亡なった以上、一しょに亡しッちまはなけりゃならないことを、 何故いつまでも育てるやうになさるんですよ?療治の屆かない事は、放擲《うツちや》って置きなさるべきです。 濟んだ事は濟んだ事です。 マクベ 蝮《まむし》をやッつけながら、息の根を止めておかなんだから、奴の傷が治ると、 生中な事をした吾々《こちとら》は、叉咬まれさうだ。あゝ、悸々《びく〜》して三度の食事をしたり、 毎晩厭な夢に魘《うな》されて眠《ね》る位《くら》ゐなら、萬物の組織も秩序を打毀《ぶちこは》れて、 天も地も滅茶々々になってしまへ!心を拷問にかけられたやうに、苦しみ悶えてゐる位《くら》ゐなら、 此望みが遂げたい爲に大往生を遂げさせた其亡者と同《おンな》じになった方が優《まし》だ。 ダンカンは今墓の中にゐる。定めない人生の熱病を了《すま》して、安樂に眠ってゐる。 叛逆が爲し得る限りの災厄《わざはひ》は爲し盡された。刄も、毒藥も、内亂も、外寇《ぐわいこう》も、 もう彼《あ》れを苦しめることは出來ん。 夫人 さ、行きませう。……ねえ、御前、そんな嚴《いかつ》い顏をなさらないやうにして、愉快に、 樂しさうにして、今夜の客をお饗應《もてなし》なさいまし。 マクベ さうしよう。あんたも然《さ》うして下さい。就中《なかんづく》、バンクヲーに氣を附けて、 目でも、言葉でも、特に彼れを優待するやうにして下さい。不安な境遇だ、國王でありながら、 こんな風に阿諛追從に身を浸して、顏を心の假面にして、本性を包み隱してゐなけりゃァならんやうぢゃァ! 夫人 もうお止しにならなくちゃいけません、そんな風のお考へは。 マクベ あゝ、此胸の中は蝎《さそり》の巣だ!ねえ、お前も知ってる通り、 バンクヲーも其|倅《せがれ》のフリーアンスもまだ生きてる。 夫人 でも、いつまでも死なゝい父子《おやこ》ぢゃァありますまい。(彼等の生命所有權には限りがありませう。) マクベ さ、それがまだしも慰めだ。やッつけようと思へァやッつけることが出來る。だから陽氣にしていらっしゃい。 蝙蝠が寂しく飛び出し、あの堅羽根の甲蟲《かぶとむし》が、おそろしい魔女神《ヘカチー》に呼び出されて、 眠さうな羽音を立てゝ、夜の缺伸《あくび》を促し顏に鳴り渡る前に、 容易ならん怖ろしい事が爲遂《しと》げられる筈だ。 夫人 え?とおっしゃるのは? マクベ ま、知らないでいらっしゃい。ねえ、濟んぢまってから賞《ほ》めとくれよ。…… さァ、目を掩《おほ》う夜の暗《やみ》よ、慈悲心を起させ易い晝の優しい目を包んでしまへ。 さうして、汝《きさま》の殘酷な、無形の手で、 俺を蒼醒《あをざめ》させる彼《あ》の大證文《おほじようもん》(バンクヲー)を取消してくれ、 寸々に破いてくれ!……暗くなった。鴉《からす》が塒《ねぐら》へ急ぐ。 白日《ひる》を主とする善良なものが、悉皆《みんな》首を埀れて眠りかけると、 夜を專《もつぱ》らにする邪な者が、餌食を得ようとて競ひ起《た》つ。…… (夫人に)さゝ、不審がってゐなさるね。が、ま、沈着《おちつ》いておいで。 惡で始めた事は惡の力で堅固になる。……だから、さ、一しょにおいでなさい。 二人ともに入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第三幕 第三場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第三場 宮城門前の苑。 三人の刺客《せきかく》役が、いづれも覆面して、出る。 其うちの二人は前《さき》にマクベスと應對した浮浪人だが、他の覆面の一人は新入者である。 で、不審を感じて 刺の一 (刺客の三に向ひて)が、誰れが俺逹と一しょになれとおめへに吩咐《いひつ》けたんだ? 刺の三 マクベスどのです。 刺の二 (刺客の一に)疑ふにゃ及ぶまいよ、吾徒《こちとら》の爲《し》ろと吩咐《いひつ》けられた事を、 一々まッたうに述べ立てたんだから。 刺の一 ぢゃ、手助けして貰はう。……(向こうを見て)まだ西にゃ幾らか夕日の影がちらついてる。 つい、夜に入ったので、旅人《りよじん》が宿を取り後れまいと、足を速める頃だ。 吾徒《こちとら》が待ってるお敵が近寄って來るのも直《ぢき》だ。 刺の三 や!蹄《ひづめ》の音が聞える。 バンク (奧にて)おい、把火《たいまつ》を與《く》れ! 刺の二 ぢゃ、奴だ。招待を受けてゐる他の連中は、もう疾《とツく》に參内しッちまった。 刺の一 馬は彼方《あツち》へ行くやうだ。 刺の三 一哩《マイル》ほど彼方《あツち》へ廻るんだ。彼男《あのをとこ》は、こゝから御殿の入口まで、 徒歩《かち》で行くのが定例《きまり》だ、他の手合も然《さ》うだが。 刺の二 (向うを見て)把火《たいまつ》、把火《たいまつ》! バンクヲーが出る、フリーアンスが把火《たいまつ》を持ちて從ふ。 刺の三 奴だ。 刺の一 しっかりやんな! バンク (フリーアンスに)今夜は降りさうだな。 刺の一 それ、やッつけろ。 三人一度にバンクヲーを襲ふ。 バンク あゝ、騙し打に逢った!フリーアンス、逃げろ〜、早く逃げろ、早く! 此|讐《かたき》を復《と》ってくれ。うぬ、畜生! バンクヲー死す。把火《たいまつ》消える。フリーアンス逃げる。 刺の三 だれだ、火を消したのは? 刺の一 不可《いけな》かったか? 刺の三 一人しか殺《や》れちゃゐない。倅《せがれ》は逃げッちまった。 刺の二 爲事《しごと》の大切《だいじ》の半分をやりそこなったなァ。 刺の一 ま、とにかく往って、爲《し》ただけの事を知らせて來ようよ。 三人ともに入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第三幕 第四場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第四場 同じ處。宮殿中の大廣間。 大饗宴の準備《ようい》に、大《おほ》いなる食卓、其れを圍繞《ゐねう》して夥多《あまた》の椅子、 よき處に王及び王妃の座席。マクベス、同じく夫人、何《いづ》れも盛裝して、 ロッス、レノックス、其他の貴族、侍者らを從へて出る。 マクベ 諸君はそれ〜゛御身分を御存じの筈だ。さ、着席して下さい。一擧に、一齊に御挨拶します、 善うこそおいで下すった。 貴族ら ありがたうございます。 マクベ わたしも御同席して、主人《あるじ》役を勤めませう。女主人《をんなあるじ》は、 まだ妃の座に著《つ》いたまゝでゐるが、いづれ好い頃に、御挨拶させませう。 夫人 どうぞ、わたくしに代って、御挨拶を遊ばして。心では、十分に皆さんを御歡迎してをりますのですから。 貴族らは、之を聽いて恭々《うや〜》しく敬禮する。 此途端に、前の場の刺客《せきかく》の一が一隅《ぐう》の扉《と》を少しく開いて顏を出す。 マクベスぎょッとする。 マクベ (夫人に)御覽、皆なが心底喜んで、あんたに答禮をしてゐる。…… 此中《このうち》に一同は大食卓の兩側に着席する。マクベスも同じ食卓に近づいて 兩方平等だね。わたしは此眞中に坐らう。寛《くつろ》いで歡を盡《つく》して下さい。 今に大盃で、萬遍なく健康を祝し合ふことにしよう。…… と言っておいて、そしらぬ顏で、そっと扉口《とぐち》に近づき (刺客の一に)顏に血が附いてゐるぞ。 刺の一 ぢゃ、バンクヲーの血でございます。 マクベ (獨語的に)彼奴《あいつ》が内に來てゐるよりは汝《きさま》が外に來てゐる方が優《まし》だ。…… 行《や》ッちまったか? (此原詞には異釋がある。本譯のやうに釋したのもあるが、 outとwithinを專らbloodに關係させて、 「バンクヲーの血が汝《きさま》の顏の外部に付著してゐるはうが、(物すごくはあるが)、 バンクヲー自身の體の内部に留存してゐるよりは、(俺の爲には)好都合だ」と釋したのもある。 本譯は、實演上の適否を考へて、後者を採用することを躊躇した。) 刺の一 御前、喉笛を掻ッ切りました。手前が行《や》ったんでございます。 マクベ 汝《きさま》は人殺しの逹人だ。が、フリーアンスをやった奴も感心な奴だぞ。 それも汝《きさま》なら、汝《きさま》は無類の名人だ。 刺の一 御前樣、フリーアンスは逃げッちまひました。 マクベ (眉を顰めて)ぢゃ、また不安が起る。彼れをやッつけてしまやァ、俺は最早《もう》大理石のやうに大丈夫に、 盤石のやうに堅固に、此周圍の大氣のやうに自由な、博大《ひろ〜゛》とした心持になれたものを。 それが、狹い處へ押込められ、禁錮されてゐなけりゃならん、煩《うるさ》い疑惑や恐怖に縛られて。…… が、バンクヲーは大丈夫か? 刺の一 大丈夫でございます。頭に二十ヶ所の大創《おほきず》を受けて、溝ン中に臥《ね》てゐます。 最《いツ》ち小さいのだって致命傷でさ。 マクベ 御苦勞、御苦勞。ぢゃ、親蝮《おやまむし》は死んぢまった。逃げた子蛇は、 早晩蝮《まむし》にゃなるだらうが、さしあたり、牙に毒を有《も》っちゃゐない。…… 退《さが》れ。明日、叉、改めて話をしよう。 刺客《せきかく》の一入る。 夫人 御前、あなたはお款待《もてなし》を十分に遊ばさんぢゃりませんか? すべて饗應は、饗應してゐる間中、繰返し〜歡待の情を口にしてをないやうでは、儀式的になってしまひます。 只飮食するのなら、自宅が最《いツ》ち善いのが本來でせうから、他家《よそ》での食事には、 是非歡待といふ添味がなくてはなりません。それが無けりゃ、宴會は殺風景でございませう。 マクベ よう氣を附けて下すった!……さァ〜、存分に飮食して、十分に消化して下さい、 さうしてます〜健康《すこやか》になって下さい! レノク どうぞ、陛下にも、お著席下さいますやうに。 此時、バンクヲーの亡靈が、血みどろの姿で、何處《いづこ》よりともなく出て來て、 マクベスの掛けようとする椅子に掛ける。マクベスはそれに氣附かずにゐる。 此亡靈はマクベス以外の者には終《しま》ひまで見えぬ體《てい》。 マクベ これで、あのバンクヲー君さへ來てくられゝば、 國中の名族は、悉《こと〜゛》く一室内に集《あつま》られた譯なのだが、何卒《どうか》、 あの仁の見えんのは、何か兇變があった爲ではなく、不實な男だなぞと非難でもするやうな理由で、 來られないのであれば可《い》いが! ロッス お約束しておきながら、缺席せられるのは、不都合でございます。……失禮ですが、どうか、陛下にも、 お著席下さいますやう。 マクベ (席を見渡して)席は一ぱいぢゃないか? レノク こゝにお席が取ってございます。 マクベ 何處に? レノク こゝにございます。…… 此時、はじめてバンクヲーの亡靈と顏を見合せて、マクベスは大《おほ》いに驚き、棒立ちになる。 如何《どう》遊ばしたのでございます。 マクベ (指ざしゝて)だれが如是《こんな》ことをしたんだ? 貴族ら へえ?何でございます? マクベ (バンクヲーの靈に)よもや俺が所爲《せゐ》だとは言へまい。 そんなに血みどろの頭髮《かみのけ》を掉《ふ》り立てるな。 ロッス 諸君、お起《た》ちなさい。陛下は御不例のやうです。 夫人 (急いで人々を制して)いゝえ、お掛けなさい、皆さん。斯《か》ういふことは折々あるのです、 幼い時分からです。何卒《どうぞ》席に著《つ》いて下さい。發作は一時の事です。 すぐ囘復《よくな》りませう。あんまり皆さんが目をお附けですと、 尚《な》ほと機嫌がわるくなって、惱亂が長引きます。 見ない振《ふり》をして物を召食《めしあが》って下さい。…… (マクベスの傍へ立寄って、小聲にて)あなたは男ぢゃないの? マクベ いゝや、男だ、しかも大膽な、惡魔だって怖れ戰くやうなものをでも見つめてゐる男だ。 夫人 (小聲で、皮肉に)おや、ん、お立派だことね!そりゃ貴郎《あんた》の臆病心が見せる画姿《ゑすがた》ですよ。 ダンカンの寢所へ貴郎《あんた》を御案内したかとおっしゃった空な短劍と同《おンな》じものですよ。 ねえ、そんなものに慄《おび》えるのは、怖れるにも事を缺《か》いて、そんな贋物《まがひもの》に、 冬の爐《いろり》の傍で、女子供が、お祖母さんの保證附で話す怪談なんかにこそ似合ってゐます。 男子の恥です!何故そんな顏をなさる?つまり、あなたは只椅子を見ていらっしゃるんですよ。 マクベ (指ざしゝて)そこを見て下さい!御覽!そら、そこを!そら、如何《どう》だ!…… なに、何關《なにかま》ふもんか?點頭《うなづ》くことが出來るなら、 物を言ッて見ろ。廟や墓穴が、一旦埋葬したものを叉出してよこすやうだと、 鳶《とんび》の胃袋を埋葬所に代用した方がましだ。 亡靈消える。 夫人 え、正氣をなくしておしまひなすったんですかよ。 マクベ (やッと我れに復って)こゝに俺が立ってゐるのが確かなら、確かに見た。 夫人 ま、馬鹿なことを! マクベ 血は今までに屡々《しば〜》流された、社會を盪滌《たうでき》する仁義の法律が、 まだ制定せられなんだ太古《おほむかし》には、屡々《しば〜》血が流された。いや、それから後とても、 聞くも怖ろしい虐殺が行はれた。が、昔が、腦漿が地に塗《まみ》れりゃ、人間は死んで、 それで事が終ったんだが、今は頭に二十ヶ所の致命傷を受けても、叉起きて來て、 人を椅子から排除《おしの》けようとする。虐殺其者の竒怪よりも、そのはうがずッと竒怪だ。 夫人 御前、皆さんが先刻《さツき》から待ち兼ねておいでになさるんですよ。 マクベ (我れに復って)あゝ、然《さ》う〜、どうか、諸君、氣に掛けて下さるな。 わたしにゃァ妙な持病があるのです、知ってゐる人逹には何でもないのだが。…… さ、諸君の健康を祝さう。ぢゃ、席に著《つ》かう。……さ、酒を持て。滿々《なみ〜》と注げ。 滿堂の諸君の爲、叉、こゝに居られん予《わたし》の親友バンクヲー君の爲に、慶賀の盃を擧げる。 あゝ、彼《あ》の仁がこゝにをると好いのに!諸君の爲及び彼《あ》の仁の爲に、 乾杯する、一同の萬福を祈りますぞ。 貴族ら ありがたく御祝盃を頂戴いたします。 亡靈が叉出る。とマクベスは色を失って マクベ (亡靈に)退《さが》れ!目通りを避けろ!地の中へ入ッちまへ! 汝《きさま》の骨には髓が無く、汝《きさま》の血は冷く、汝《きさま》の目には物を見る力は無い筈だ、 そんなに、じろ〜見つめたって。 貴族らが駭《おどろ》いて叉席を起《た》たうとする。 夫人 (人々を制して)皆さん、あれは只ほんの癖だと思って下さい。全く然《さ》うなんですから。 只、折角の興を醒まして、まことに。 マクベ (亡靈に)人に敢てする事なら、何でもする。すさまじいロシヤ熊の姿で來い、角の生えた犀《さい》なり、 ヒルケーニヤの虎なりの姿で來い。其姿さへ止してくれゝば、 此堅固《しつかり》した筋肉が假にも慄《ふる》へるやうな事はないのだ。 でなくば、生き返って來て、荒地で眞劍勝負を挑め。其時、若し慄《ふる》へて引ッ籠ってゐるやうだったら、 俺を小娘の人形だと惡口しろ。退《さが》れ、怖ろしい影め!空な僞物《ぎぶつ》め、退《さが》れ!…… 亡靈消える。 あゝ、去ッちまったな。去ッちまひさへすりゃ、もう大丈夫だ。…… (貴族らに向ひて)どうか、席にゐて下さい。 夫人 あなたが大變に竒異《ふしぎ》な、取亂した樣子を遊ばしたので、折角の宴會の興がさん〜゛になってしまひました。 マクベ あゝいふものが、夏の夕立のやうに押ッ覆《かぶさ》って來るのに、驚き怪しまないでをられるか? 實際、自分で自分を異《あや》しむ程に駭《おどろ》かざるを得ない、君たちが彼物《あれ》を見ながら、 どうして平氣で……わしは怖ろしさに眞蒼《まツさを》になってをるのに…… 頬の赤みを失はんでをられるかと思ふと。 ロッス 何を見て、とおっしゃるのでございます? 夫人 どうぞ何《なンに》も言はないで下さい。だん〜樣子がわるくなる。 問答をすると、尚《な》ほ激します。……すぐお開きにしませう。 退席の順序なんぞにゃ關《かま》はず、さ、すぐにお退《さが》り下さい。 さやうなら。陛下が速《すみや》かに御全快遊ばされますやう! 夫人 では、どなたも御機嫌よう! マクベスと夫人の外は皆入る。 マクベ 血を流したがってゐるのだ。血を流した者は血を流したがるといふ言ひ傳へだ。 石が動き、木が物を言った例《ためし》もある。占者《うらなひじや》が、 預《かね》て知られてゐる相關の理法によって、 鵲《かさゝぎ》や脚赤鴉《すねあかがらす》や嘴白鴉《はししろがらす》を使って、 巧みに隱し果《おほ》せてゐた殺人罪を發見したことがある。……もう何時だ? 夫人 もう、夜だか、曉方《あけがた》だか、分らない時分です。 マクベ あんた、どう思ふ、來いと命じたのに、マクダッフが斷ったのを。 夫人 使者《つかひ》をおやりになったの? マクベ いゝや、間接に聞いたのだ、いづれ使者《つかひ》も遣らう、 が、だれの邸《やしき》にも一人ぐらゐは俺が買收しておく家來のをらん處はない。…… 俺は、明日早朝に、例の巫女の許《とこ》へ往って、もっと詳しく將來を言はせることにしよう、 斯《か》うなった以上、どんな惡い手段を行ってゞも、どんな惡い事までも知りたいと思ふから。 自分の利益の爲に、もう何もかも犧牲にするんだ。血の河の中へ、斯《か》う深く蹈み込んぢまった以上、 渉《わた》り果《おほ》するより外に爲樣《しやう》がない、今更戻らうたって、 道程《みちのり》は同じやうに困難《おつくう》だ。變な物が、此頭の中に在る、 今に手へ傳はって來さうだ。そいつァすぐ實行せにゃならん、 とやかくと調査《しら》べられたり何かせんうちに。 夫人 (心配さうに)あんたには、生に必要な、眠りとい保養《やしなひ》が不足してゐますのよ。 マクベ さ、寢ることにしよう。妙な幻影《まぼろし》を見たり何かするのは初心で臆病なからだ、 鍛練しなけりゃならん。惡い事にかけてまだ幼稚なのだ。 二人ともに入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第三幕 第五場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第五場 荒れ地。 雷鳴。例の三|妖巫《えうふ》が出て來て魔女神《まぢよじん》ヘカチーに行き逢ふ。 ヘカチーは大不興の體《てい》である。 妖の一 おや、ヘカチーさん、如何《どう》なすったの!怒ってゐなさるのね。 ヘカチ 怒るのが當然《あたりまへ》ぢゃないか、圖々しい、恥ッ知らず惡婆どもめが? よくも勝手にマクベスに謎なんか掛けて、人間の生死《いきしに》に關した事をば取引したね? 汝《おのし》等の師匠でもあり、一切の禍厄《わざはひ》の元締でもある俺《おいら》にァ沙汰なしで、 俺《おいら》に立派な通力を出させようともしないで。不都合はそれッきりぢゃァないぞ、 助けちゃァならない男を助けた。あの男は、執念深い、意地くねの曲った、酷い男なんだ、 他の凡人と同《おンな》じに、只|自己《うぬ》が都合上で事をするんで、 汝《おのし》等の爲なんか思ッちゃゐないんだのに。…… さ、其償ひをしな。これから直ぐ出掛けて、アケロンの沼で、明日の朝、俺《おいら》(の行くの)を待ってゐな。 あそこへあの男が、運命を知らうとてやって來る筈だ。道具や、魔藥や、呪符《まじなひ》や、 其他入用なものは、悉皆《みんな》持ってッときな。俺《おいら》はこれから空中を飛んで行くんだ。 今夜一晩は凄い怖ろしい事に使ふんだ。午前《ひるまへ》に、偉大《どえら》い事をしなくちゃならん。 弦月《ゆみはりづき》のあの隅ッこに、あの玄妙な蒸氣《ゆげ》が溜ってゐる。 あれを、地上《ぢべた》へ落《おツこ》ちないうちに、取って、魔術で蒸溜すると、 不思議な幻影《まぼろし》を現出させることが出來る、それに感動したりといふと、あの男、 自分で自分を滅すのも關《かま》はないやうになる。運命をも蹴飛ばす、死神をも輕蔑《ばかにす》る、 智慮も天惠も危惧《おそれ》も度外視《そツちのけ》にして、空な望みを抱く。 さうなりゃ占めたもんだ。ね、油斷は人間の大敵だらう。…… 奧にて音樂と歌。「ござれや、ござれや、ヘカチーどんや、ござれ」云々《しか〜゛》と聲を揃へて歌ふ。 これはミッドルトンの『妖巫《えうふ》』といふ脚本中に見えてゐるのと同じ歌である。 おや!呼んでるね。あれ、見な、小ちゃい精靈めが靄《もや》の中に坐って、 俺《おいら》(の行くの)を待ってゐらァ。 ヘカチー入る。 妖の一 さァ〜、急いでゆかうよ。叉、直ぐに歸って來なさるんだから。 皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第三幕 第六場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第六場 フォレス宮殿内。 レノックスと一貴族が出る。 レノク 以上申した事は、只一寸お考へに觸れたまでゝす、更に一歩を進めて御解釋下さることが出來ませう。 わたし共は、只、どれも〜竒怪千萬な鹽梅式であったと申すまでゝす。 (次第に皮肉な口吻で)あの慈悲心の深いダンカン王のお亡くなりになったのをマクベスどのが哀悼される。 其筈です、亡くなられましたからね。それから、あの勇敢なバンクヲーは、夜に入ってまで、 歩いてをられた。で、或ひはフリーアンスが殺したとおっしゃってもよろしい、 フリーアンスは脱走しましたからね。うっかり夜歩きは出來ませんよ。 え、誰れだって竒怪千萬だと思はずにゃをられますまい、あの慈悲深いダンカン王を殺したのは、 マルコム、ドナルベインの二王子だったのですからね!義憤の餘り、直ちに犯罪者を二人寸斷せられました、 酒の奴《やつこ》となり、眠《ねむり》の奴隸となった不埒者二人を。立派な處分ぢゃありませんか? いや、賢明な爲方《しかた》ともいへませう。何故なれば、 若し然《さ》うでないなぞと奴等が辯解するのを聞きゃァ、だれだって憤激せざるを得なかったでせうからね。 ですから、マクベスどのは、萬事巧くやられたといふのです。で、若し此上、 あの二王子を取ッ占めておしまひなさる段となりゃ……そりァ天のお許しがなくちゃ出來ますまいが…… 二王子とも親殺してものは如何《どん》なもんだか、思ひ知られるでありあんせう。 フリーアンスとても同樣です。……が、叱《しツ》、叱《しツ》!……何故とおっしゃい、 あのマクダッフは、あんまりぱっぱっと喋説《しやべ》ったのと、僭主どのゝ宴會へ參上せなかった爲とで、 日陰者になったといひますよ。あの仁は、何處へ潛んだか、貴下《あんた》御存じぢゃありませんか? 貴族 あの僭主に王位を奪はれたマルコムどのは、イギリスの宮中に迎へられて、 あの聖人のやうなエドワード王の優遇を蒙ってをられます、 薄運《ふしあはせ》の爲に落魄《おちぶ》れられたとはいへ、 人に畏敬せらるべき資格を具《そな》へてをられますから。マクダッフは、そこへ參って、 あの聖王に願って、ノーサムバランド候と其勇敢な子息のシーワードとを呼び起して應援せしめ、 それによって……神明の冥助を頭《かうべ》に戴き…… もう一度安心して食ったり眠《ね》たりする事の出來るやうに、 叉、饗應や祝典の席上から血腥《ちなまぐさ》い劍を取拂って、 正當な忠義に正當な榮譽官職を得させるやうにしたいと努力してをられるのです、 さうしてそれは總《すべ》て、吾々一同の切望する所なのです。で、マクベスどのは迚《とて》も腹を立てゝ、 戰爭の準備に掛られました。 レノク マクダッフへ使者《つかひ》を送られましたかね? 貴族 送られました。ところが、斷然、「伺ひません」と答へたので、使者は、怖い顏をして、後を見ながら 「こんな返辭を持って歸らせるのを、今に後悔するぞ」といふらしく、 何かぶつくさ言ったさうです。 レノク すると、彼《あの》仁は、智慧の及ぶ限り、遠方にをるやうに注意しなけりゃなるまい。…… あゝ、何とかいふ天使さん、早くイギリスの宮中へ飛んで行って、彼《あの》仁が往くよりも先きに、 其用を傳へてください、毒手に苦しめられてゐる此國へ、片時《へんし》も早く天福の戻って來ますやうに! 貴族 わたしはその天使さんへ誠意の祈祷をことづけます。 二人とも入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第四幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第一場 洞窟。中央に煮え立ってゐる釜。 雷鳴。三人の例の妖巫《えうふ》が出る。 妖の一 虎斑猫《とらふねこ》が三度鳴いたよ。 妖の二 蝟《はりねずみ》めが三度と一度鳴いたよ。 妖の三 妖鷲《ハーピヤー》が呼んでゐる、もう恰好《いゝ》よッて。 妖の一 (聲に調子を附けて) 釜の周邊《まはり》をぐる〜廻り、 抛《な》げ込む〜、毒のある臟腑《わた》を。 蟇《ひき》よ〜、冷たい石の、其下に、 三十一日、三十一夜、 眠《ね》込んで、汗して、毒を泌《ひ》る蟇《ひき》よ、 煮えろ〜、呪釜《まじなひがま》で、先づ煮えろ、 一同 (ぐる〜釜の周邊を廻りながら) 辛苦も勞苦も、倍増し、倍増し。 くわつくわと燃えろ、ぶつ〜煮えろ。 妖の二 (やはり、歌ふ調子で) 沼の蛇の大切肉《おほきりみ》 釜の中で、煮えろ〜。 蠑[虫|原;#1-91-60]《ゐもり》の目の玉、蟇《ひき》の指、 蝙蝠《かうもり》の羽の毛、犬の舌、 蝮《まむし》の刺《はり》と盲蛇の刺《はり》と、 蜥蜴《とかげ》の脚と梟《ふくろ》の翼《はね》と、 大わづらひの呪ひに、 煮えろ〜、ぶつ〜煮えろ、 地獄の雜炊煮るやうに。 一同 (叉、廻りながら) 辛苦も勞苦も、倍増し、倍増し。 くわッくわと燃えろ、ぶつ〜煮えろ。 妖の三 (叉、同じ調子にて) 惡龍の鱗に狼の牙、 魔女の木乃伊《みいら》に、大海原の 大慾鱶《おほよくぶか》めの[月|咢;#1-90-51]《あぎと》と咽喉《のんど》、 暗《やみ》の夜に掘って來た毒草の根、 耶蘇《イエス》を惡口したユダヤ人の肝の臟、 山羊の膽汁と月蝕の晩に 折った櫟《いちゐ》の小枝と小枝、 トルコ人の鼻と韃靼人の脣、 辻娼《よたか》が溝《どぶ》で生み落し、 直ぐにも縊《くび》った赤子の指も、 雜炊を濃くしろ、ぬる〜させろ、 も一つ、虎の臟腑《はらわた》入れろ、 釜の内容《なかみ》を濃くするために。 一同 (叉、廻りながら) 辛苦も勞苦も、倍増し、倍増し。 くわつくわと燃えろ、ぶつ〜煮えろ。 妖の二 さ、狒々《ひゝ》の血で以てそれを冷しな、 さうすりゃ呪ひは出來ッちまはァ。 ヘカチーが叉出る。 ヘカチ おゝ、關心々々。御苦勞だったね。此|利益《まうけ》は、山分けにさせるよ。 さァ〜、釜の縁を廻って、歌ひな〜、子供や妖精が輪踊《わをどり》をする時のやうに、 さうして内容《なかみ》に呪ひをば利かせるんだ。 音樂と歌。「黒い精靈、白い精靈、赤い精靈、灰色の精靈」といふ文句で始って、 「成れ〜、成れ〜、一しょに成ァれ」とつゞき、最後に「わるい事ァ何でも、走り込め〜、 いゝ事ァ何でも、出てけ〜」といふ歌を唄ふ。この歌もミッドルトンの『妖巫《えうふ》』中に載ってゐる。 但《たゞ》し此歌はレヂノルド・スコットの有名な 『妖巫《えうふ》術の顯露《ヂスカ・リー》』中に在るものなのだから、 ミッドルトンの創作でないことは慥《たし》かだといふ。ヘカチーは物かげへ退く。 妖の二 指がぴく〜するとこを見ると、何か不正《よくな》い者がやって來るね。 開けよ門《かど》の戸! 誰が叩ことも! とマクベスが出る。 マクベ やい、こら、深夜に密かに物すごい事をする婆ァども!何をしてゐるんだ? 一同 名の(附けやうの)ない事をしてゐるんぢゃ。 マクベ 汝《きさま》逹は、どうして預言するか知らんが、果して預言する通力が有るなら、懇願する、返答してくれ。 よしんば其爲に「風」が釋《と》き放されて寺々をさへ震動さする暴風《あらし》が起らうと、 怒濤が捲き起って船舶を呑み込まうと、穀類が莢《さや》から叩き散されようと、 樹木が吹き倒されようと、城塞《とりで》が衞兵の頭の上へ顛覆《ひつくりかへ》らうと、 宮殿や三稜塔《さんりようたふ》が土臺へ傾《かし》がうと、破壞其者すら厭倦《うんざり》する程、 貴い萬物の種《たね》がことごとくごッちゃにならうと、關《かま》った事ァない、 俺が今訊ねることに返答してくれ。 妖の一 お言ひなさい。 妖の二 お訊きなさい。 妖の三 答へませう。 妖の一 わしらの口から聞きなさるかね、師匠の口から聞きなさるかね、どッちだね? マクベ 師匠とやらを呼んで、俺に會はせろ。 妖の一 さァ〜、注ぎ込みな、仔豕《こぶた》を九|疋《ひき》食った豕の血を。それから、 火の中へは、絞罪臺《くびしめだい》から滴《た》れ落ちた、あの殺人犯《ひとごろし》の脂肪《あぶら》を。 一同 さァ〜、お出やれ〜、高いのでも、卑《ひく》いのでも。出て來て、手練《てぎは》をお見せ。 雷鳴。第一の幻影《まぼろし》として、兜を被った首が、せり出しで現はれる。 マクベ やい、汝《きさま》は如何《どう》いふ魔神だか知らんが…… 妖の一 お前さんの肚は知ってるよ。聽いてりゃ可《い》いんだ。口をきいちゃいけない。 幻の一 マクベスよ!マクベスよ!マクベスよ!マクダッフに警戒《ようじん》しな。 ファイフの領主に警戒《ようじん》しな。……暇をくれ。もう是れで可《い》い。 幻像せり下る。 マクベ 何者だか知らんが、好い忠告をしてくれた、有難う。汝《きさま》は俺の内々恐れてることを言ひ中《あ》てた。 が、もう少し聞きたいことがある…… 妖の一 命令しようたって駄目だよ。そら、他のが出て來た、今のよりも一層《もツと》偉いんだ。 雷鳴。第二の幻像《まぼろし》として、血みどろの小兒がせり出しで現はれる。 幻の二 マクベスよ!マクベスよ!マクベスよ! マクベ 若し耳が三つあったら、殘らずで以て聽いてゐるぞ。 幻の二 思ひ切り酷く、大膽に、勇敢に行《や》んな。人間の力なんか關《かま》ひなさんな。 女に生み落された者で、マクベスを害し得る者はないんだ。 幻像《まぼろし》せり下る。 マクベ ぢゃ、マクダッフ、生きてゐろ。汝《きさま》を恐れるにも及ぶまい! が、たしかな上にもたしかにしておくために、運命から證文を取っておかう。 汝《きさま》の息の根を止めッちまはう、俺の臆病な根性を叱りつけて、 どんな雷が鳴っても、平氣で寢てゐられるやうに。…… 雷鳴。第三の幻像《まぼろし》として、冠をかぶった小兒が、手に木の枝を持って、せり上る。 ありゃ何だ、王の子らしい樣子をして、浮き上ったのは其小さい額の上には、 主權者の標章《しるし》の金の輪を附けて? 一同 聽いてなさいよ、口をきいちゃ不可《いけな》い。 幻の三 獅子の心になって傲然としてゐな。だれが怒らうと、むづからうと、謀叛を企まうと、 關《かま》ふな。マクベスは、あの大きなバーナムの森が、ダンシネーンの高い丘の上へ、 攻め寄せて來ないうちは、戰《いくさ》に負けるといふことはないんだから。 と言ひをはると共に幻像《まぼろし》はせり下る。 マクベ そんな事ァあらう筈がない。だれが森を徴發することが出來よう、 地に生え著《つ》いてゐる木をだれが動かし得るものか? 愉快な預言《しらせ》だ!絶妙《けつこう》!叛逆の頭は、バーナムの森が持ち上るまでは、 決して持ち上らないとすると、高御座《たかみくら》にゐるマクベスは、天然の期限だけ、 式《かた》の如く、年々歳々吐《つ》く息を支拂って、生き延びることが出來る譯だ。 だが、まだ一つ聽きたくて堪らんことがある。こら、此事も汝《きさま》の力で告げられるなら言へ…… バンクヲーの子孫が此國に君臨することがあるのか? 一同 もう聽かうとしなさんなよ。 マクベ 是非聞かせてくれ。否《いや》だといふと、汝《きさま》らに永久の天罰が下るぞ! さ、知らせろ。…… 此途端に釜が地中にせり下る。と木笛《オーボエ》の聲が何處ともなく聞える。 マクベ や、何故釜が沈むんだ?あの音は何だ? 妖の一 お見せ! 妖の二 お見せ! 妖の三 お見せ! 一同 お見せよ彼仁《あのひと》の目に、さうして澤山泣かせてやるが可《い》いやね。 影のやうにして出て來て、さうして消えておしまひ。 王の服裝《みなり》をした者が八人、徐《しづ》かに列をなして出て來る。 最後の一人は手に鏡を携へてゐる。バンクヲーの亡靈が其の最も後につゞく。 マクベ 汝《きさま》はバンクヲーの幽靈に似過ぎてゐる。 退《さが》れ!汝《きさま》の冠の光りで此目玉が燒ける。……お、すぐ後から、 同じやうに金の冠をかぶって來る奴の面《つら》も、前の奴に似てゐる。……三番目のも、やッぱり似てゐる。 ……うぬ、惡婆どもめ!何故こんなものを見せやがるんだ?……四番目!……目の玉め、 いっそ飛び出してしまへ!……や、こりゃ何處まで續く?審判日の霹靂《おほかみなり》まで續くのか? ……まだ來る!……七番目!……もう見んぞ。……まだ八番目が出て來る、鏡を手に持ってゐて、 まだ幾らも來るのを見せてゐる。中には、玉を二つ、王梃《セプター》を三本持ってゐるのが見える。 あゝ、怖ろしい現象だ!……ぢゃ、いよ〜さうだな、血みどろのバンクヲーが此方《こちら》を向いて、 にや〜笑って、己《おれ》の子孫だといふらしく指ざしをしてゐる。…… 幻像《まぼろし》消える。 (妖巫らに)え、いよ〜斯《か》うなのか? 妖の一 あい、全くさうなんだよ。が、何故マクベスどんはそんなに茫然《ぼんやり》してござっっしゃる? ……さァ〜、みんなであの人を慰めて、面白いものを見せてやらうよ。 おいらは空氣に呪ひをして好い音をさせるから、お前たちは變妙《おつりき》な踊りをおはじめ、 此王さんが、わしらが善くお務めして、御好意に報いたと言はっしゃるやうに。 音樂。妖巫《えうふ》らは暫く踊り戲れて、とゞヘカチーと共に消える。 マクベ 何處へ去《い》ったか?去《い》ッちまったらしい!あ、此|可厭《いやア》な日は、 永久に暦《こよみ》の中の不祥日にすべきだ!……おい〜、外にゐる者! レノックスが出る。 レノク 何か御用でございますか? マクベ 妖しい巫女どもを見ましたか? レノク いゝえ、見ません。 マクベ あんたの傍を通らなかったかい? レノク いゝえ、何も通りませんでした。 マクベ 彼奴《あいつ》らの乘る空氣は病毒の巣となッちまへ、彼奴《あいつ》らを信ずるやうな奴らは地獄に墮ッちまへ! ……馬の駈けて來る蹄《ひづめ》の音が聞えたが、だれが來たのです。 レノク ありゃァ、三人の者が、マクダッフがイギリスへ脱走しましたことを(只今)お知らせに參ったのです。 マクベ イギリスへ脱走した! レノク さやうでございます。 マクベ (傍白)「時」よ、折角の俺の凄い爲事《しごと》が、汝《きさま》の爲に、先きを折られてしまった。 目論見が、如何に飛ぶやうに先きに往っても、實行が附いて行かなけりゃ、追ひ附かれずじまひになってしまふ。 將來《これから》は、心で生むや否や、手でも生むやうにしよう。さうだ、斯《か》う言ふ今、 直ぐ、思想《かんがへ》に實行を伴はせるために、考へる、すぐに行ふことにしよう。 マクダッフの居城を不意に襲はう。ファイフを乘ッ取って、あれの妻《さい》、 子供及び彼《あ》れの血縁に繋る不運な奴らは、悉《こと〜゛》く劍の刄に掛けてくれよう。 愚人《ばかもの》のやうに、口でばかり言ッちゃをらんぞ。目論見の冷却せんうちに直ぐさまやッつけッちまふ。 ……もう變な物なんか見んぞ。……(レノックスに)其|士《さむらひ》どもは何處にゐるんだ? さ、ゐる處へ案内して下さい。 二人とも入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第四幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第二場 ファイフ。マクダッフが居城内の一室 マクダッフ夫人と幼い其一子及び親戚のロッスの領主とが出る。 夫人 ま、夫は何をいたしたんで、脱走なんかしましたんでせう? ロッス 奧さん、ま、ま、落ち着いていらっしゃらなくちゃ不可《いけ》ません。 夫人 いゝえ、落ち着いてをないのは夫なんです。脱走するなんかァ、狂氣めいてゐます。 何も惡い事をしない者も、臆病で、おど〜した爲に、謀叛人と見做されるやうなことがあります。 ロッス お逃げなすったのは、智慧、分別の結果だか、臆病だか、まだ分りませんよ。 夫人 分別の結果ですッて!妻をも子をも家をも打ッ棄《ちや》っておいて、脱走するのが? 夫はわたし共を愛さないのです。人情がないのです。あの憫《あは》れな、小ちゃい〜鷦鷯《みそさゞい》でさへ、 巣に雛がをれば、梟《ふくろふ》とでも戰ふぢゃありませんか? みんな臆病からです、少しも愛情がないのです。分別だってあらう筈はない、 まるで理に外れた逃げ方をしてをるんですもの。 ロッス まァ〜、奧さん、氣を靜めて下さい。御主人は立派な、賢明な、目の高いお人ですから、 最も善く時勢の發作を知ってをられます。是れ以上は、今はわたしには言へない。 とにかく酷い時代です。吾々は謀叛人にされてゐるのだが、自分ぢゃ知らない、 不安に感ずる所から噂を信ずるものゝ、如何《どう》用心したか可《い》いか分らないで、 荒海の上を、只あッちこッちと漂ってゐたのです。……お暇《いとま》いたします。 いづれ、叉、程なく伺ひませう。凶極まれば止むか、でなけりゃ、前の位置へ向上することになりませう。 ……(幼き子に)可愛い坊さん、はい、御機嫌よう! 夫人 この子は、お父さんがありながら、無いのです。 ロッス わたしは愚人《ばか》だ、此上長居をすりゃァ、自分は恥をかいた上に、 貴女《あなた》を困らせるやうなことになりさうだ。すぐお暇《いとま》します。 ロッス入る。 夫人 (幼き子に)これよ、あんたのお父さまは死んぢまったのよ。あんた、これから如何《どう》しようといふの? どうして生きてゐようといふの? 一子 鳥のやうにして生きてるの。 夫人 え、ぢゃ、蛆や蠅を喰べて? 一子 何でも取れるものを取ってよ。鳥は然《さ》うするわ。 夫人 可愛さうに!お前《まひ》のやうな鳥は、網も黐《もち》も穽《おとしあな》も羂《わな》も怖がらないだらうね。 一子 何故怖がるの?憫然《かはい》さうな鳥なんかに、だァれもそんなもの掛けやしないでせう。 お父さまは死にゃァしないや、お母さまそんなこといったって。 夫人 いゝえ、亡なりましたの。お父さまの無いのを、お前《まひ》、如何《どう》するの? 一子 いゝえ、母さまは如何《どう》するの、旦那さまのいないのを? 夫人 なァに、街へ往って、十人も二十人も買って來ますのよ。 一子 ぢゃ、買っといて、賣らうてんでせう。 夫人 ま、有ッたけの智慧を出してさ。けどもお前《まひ》のしては旨いことをいふわね。 一子 お父さまは謀叛人、え、母さま? 夫人 あい、さうなのよ。 一子 謀叛人といふのは何? 夫人 さうね、堅い約束をしといて、それを破る人なの。 一子 さういふことをする人は、みんな謀叛人? 夫人 あい、さういふことをする人は、みんな絞罪《かうざい》といって、絞め殺されなけりゃなりません。 一子 約束して破った者は悉皆《みんな》? 夫人 悉皆《みんな》。 一子 だれが絞め殺すの? 夫人 そりゃ、お前《まひ》、正直な人がさ。 一子 ぢゃ、約束を破って、そんな目に逢ふ奴は馬鹿だ、だって嘘吐《つ》いたり約束を破ったりする奴で、 幾らも正直者を撲ったり絞め殺したりする奴があるもの。 夫人 まァ、どうしたらよからう、此兒は!だが、お前《まひ》、お父さまの無いのを如何《どう》するの? 一子 父さまが眞個《ほんと》に死んだのなら、、母さまが泣くでせう。若し泣かなきゃ、 もう直《じツき》に新しい(別の)父さまが出來るんでせう。 夫人 ま、此お饒舌《しやべり》さんの言ふことは! 此時、使者役が出る。 使者 奧さま、初めてお目にかゝります!お見知りはございますまいが、御身分柄を手前は善う存じてをります。 御危難がお身に逼《せま》ってをるやうに存じますから、手前如きの申すことをお採用下さいますなら、 早速、お小さいのをお伴《つ》れ遊ばして、此處《こゝ》をお立退きなさいまし。 こんなにお駭《おどろ》かし申すのは亂暴過ぎるとは存じましたが、 それ以上の事がお身に逼《せま》ってをりますのを打棄てゝおくのは非義非道だと存じましたのです。 天がお護りまさいますやうに!もう片時も猶預《いうよ》しちゃをられません。 急いで入る。 夫人 何處へ逃げよう?惡い事をした覺えはない、けれども人間界に住んでゐるのだ。 此世では惡い事をするのが、どうかすると、却って賞められ、善い事をするのが、危險な、 馬鹿な事とせられてゐる。して見りゃ、惡い事をした覺えはないなんて、 女の分疏《いひわけ》をしたって何にならう?…… 刺客《せきかく》役の者が數人出る。 おや、あの顏は? 刺の一 御主人は何處にゐます? 夫人 よもやお前《まひ》たちが見附け得るやうなそんな汚はしい處にゃゐますまいよ。 刺の一 御主人は謀叛人ですぞ。 一子 嘘を吐《つ》け、此毛むくぢゃらめ! 刺の一 何だと、此卵めが!…… 忽《たちま》ち幼き子を劍で刺す。 謀叛人のお玉ぢゃくしめ! 一子 あれい、母さま、お逃げよう、お逃げよう! 夫人は「人殺し!」と叫びつゝ入る。それを追ふて刺客《せきかく》らも入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第四幕 第三場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第三場 イギリス國。イギリス王の宮殿の前。 マルコムとマクダッフが出る。 マルコ 何處か人の居ない處を搜して、そこでお互ひに、胸の晴れるまで、泣きませう。 マクダ 寧ろ、勇士らしく、殺人劍を握って、くつがへされた我が生得權の擁護に力《つと》めませう。 新しい朝の來る毎に、新しい寡婦《ごけ》が殖え、泣き叫ぶ孤兒《みなしご》が殖え、 慟哭の聲が天の面《おもて》を撲《う》つので、天も、スコットランドに同感したかのやうに、 同じ悲しい調子で、反響してゐます。 マルコ 信ずれば歎きもしようし、知れば信じもしようし、叉、救ふことが出來る限りは、 時節が到來すりゃ、救ひもしませう。貴君《あんた》の言はれた事は、多分、事實でもありませう。 名を口にしたばかりでも、舌が水腫《みづぶくれ》になりさうな彼《あ》の暴君も、 嘗《かつ》ては君子のやうに思はれてゐた。現に貴君《あんた》も彼れを敬愛してをられた。 彼れも貴君《あんた》にはまだ手を觸れなかったぢゃないか?わたしは若輩者ではあるが、 利用なされば、貴君《あんた》が彼れに取入る役に立つかも知れん。 怒ってゐる神を鎭めるために、弱い、罪のない、不便《ふびん》な羊を犧牲《いけにへ》にするのは、 聰明《りこう》な處置《やりかた》です。 マクダ (心外さうに)私《てまへ》は二心《ふたごころ》を抱いちゃをりません。 マルコ が、マクベスは抱いてゐます。立派な人格も、帝王の威嚴を以て命令せられると、 横へ逸れ易いものです。併《しか》し御免なさいよ。貴君《あんた》の本性は、 わたしが如何《どう》疑ったからって、わるくならう筈はない。 天使は永久に光輝いてゐる、假令《たとひ》第一等の天使が墮落して其|光輝《ひかり》を失ったからって。 いかに汚い者が顏ばかり美しく粧《よそほ》ふ世の中だからって、 美はやはり美な顏をしてゐるより外に爲樣《しやう》がない。 マクダ (歎息して)私《てまへ》は失望してしまひました。 マルコ わたしが疑ひを抱くに至った其點が、或ひは貴君《あんた》の失望を招いたのでせう。 何故貴君《あんた》は妻子を、人情の貴重な動機を、其強い結節《むすびめ》を、 暇乞《いとまごひ》もしないで、敵の手に委ねて來たのです? わたしに疑はれたからって侮辱されたんだと思はないで下さい、これは自衞に過ぎないんだから。 實際、貴君《あんた》は正しい人なのでせう、わたしが如何《どう》思はうとも。 マクダ (歎息して)あゝ、血を流せ〜、不幸な國土よ!大暴政よ、基礎を固めろ、 美徳も汝《きさま》を抑止しようとは能《え》しないのだから。勝手に横道《わうどう》を働け、 汝《きさま》の權利は認められたんだ!……御機嫌よろしう。私《てまへ》は、 よしんば彼《あ》の簒奪者が握ってゐる全土に、搗《かて》て加へて、東方の(いかな)富國を貰ったからって、 貴下《あなた》が思っていらっしゃるやうな惡漢にならうとは思ひません。 マルコ 腹をお立てなさるな。わたしは、必ずしも貴君《あんた》を疑って斯《か》ういふのぢゃない。 わたしだって、本國が軛《くびき》で壓《おさ》へ附けられてゐるのを思はんことはない。 本國は泣いてゐる。血を流してゐる。毎日、古創《ふるきず》の上へ、叉、 新しい創《きず》が加へられる。それから、わたしの爲に、 臂《ひぢ》を揮《ふる》ってくれる者のあることをも思ふ。 任侠なイギリス王からは、數千人の援兵を送らうといって來てゐる。 それにも係《かゝは》らず、わたしが彼《あ》の暴君の首を脚下に蹂躙し、又は劍に貫く段となったら、 憫れむべき國家には、以前に勝る種々の弊害が發生し、繼いで立った君主の爲に、更に多くの、 更に複雜な難儀を蒙ることになるであらう。 マクダ 其君主といふのは誰れです? マルコ といふのは、わたしです。わたしには、ありとあらゆる惡徳が植ゑ附けられてゐるんだから、 それが發展した日には、あの眞黒なマクベスが行きのやうに白く見え、 憫《あは》れな國家は、彼《あ》れを小羊のやうに思ふでせう、 わたしの害惡の限りの無いのに比べると。 マクダ いや〜、地獄の惡魔群の中にだって、マクベス以上の、無慚な惡魔があらう筈がありません。 マルコ わたしとても、彼《あ》れは殘忍で、女好きで、慾が深くて、不義不信で、一轍短慮で、意地が曲ってゐて、 苟《いやし》くも名の附く限りの罪惡の臭ひのする男だと認めてゐる。 けれども予《わたし》の好色と來ては底が知れない。人の妻、人の娘、既婚者、未婚者の數を盡しても、 予《わたし》の邪淫の水溜を充すには足るまい。予《わたし》の色慾は、 其意志に叛抗するあらゆる障礙《しやうがい》を壓倒するんだ。 そんな者が君主になるよりはマクベスの方が優《まし》でせう。 マクダ 限りのない生得《うまれつき》の不節制《ふしだら》も一の惡政には相違ありません。 それが爲に、幸福な王座が、屡々《しば〜》時ならずして顛覆し、幾多の王者が滅びました。 が、何も正當に貴下《あなた》の有《いう》たるべきものをお取りなさるのを、 御懸念なさるに及びません。十分にお樂しみなさりながら、表面は冷《ひやゝ》かげにお見せなすって、 さうして世間の目をお眩《くらま》しなさる事も出來ます。喜んで御意に從ふ女が幾らもあります。 如何に貴下《あなた》が角鷹《くまたか》のやいでお在んなさろうと、思召《おぼしめし》を察して、 自ら進んで御意に應じようとする女だけをも、召し食《あが》り盡すことは出來ますまい。 マルコ それにまた、予《わたし》は、極めて宜しくない生得《うまれつき》で、[厭/食;#2-92-73]《あ》くことを知らない程に、 慾が深いから、王になりゃ、其領地の欲しさに、貴族共の首を切りもしようし、甲の寶石を欲しがったり、 乙の邸《やしき》を欲しがったりするだらう。さうして得れば得るほど、 それが慾心を増長させる縁になるばかりであらう。無法な喧嘩を無理に忠誠な者にも吹き掛けるであらう、 其財産を奪ひたいばっかりに。 マクダ 貪慾の方は、夏に似て短期な色慾よりも根が深く、叉、有害なことも一倍で、 古來|夥多《おほく》の國王を殺した利劍であったのです。が、御心配なさるな。 スコットランドは、貴下《あなた》の御所有に屬するだけでも、十分お望みを充すに足るほどに豐かです。 すべて、さういふ御缺點は忍耐《がまん》出來ます、他に善い點がお在んなさいますから。 マルコ ところが、わたしには善い點が一つもない。彼の王者らしい諸徳、即ち、公正とか、眞實とか、 節制とか、鞏固《きようこ》とか、寛大とか、不撓不屈とか、慈悲とか、謙遜とか、 敬虔とか、堪忍とか、勇氣とか、剛毅とかいふものは、予《わたし》は毛ほども有《も》ってゐなくって、 ありとあらゆる罪惡の斷片《きれツぱし》をば、十分に具へてゐて、 而《しか》もそれが縱横に働くのです。さやうさ、若し權力を得りゃ、樂しい平和は、 之を悉《こと〜゛》く地獄に葬り、世界中の安寧を攪亂し、此地上の有らゆる一致を叩き毀してしまふだらうよ。 マクダ (長太息して)あゝ、スコットランドよ、スコットランドよ! マルコ さういふ人間が君となって國を治めるに適するでせうか?予《わたし》は全く然《さ》ういふ人間なんだ。 マクダ 國を治めるに適するどころか!生きてゐるにすらも適しません。 あゝ、血まみれの王梃《セプター》を握る簒奪君主に支配されてゐる淺ましい國民よ、 おのしは何時《いつ》になったら、また安らかな日を見るであらう? おのしの國の正しい王嗣《わうし》たる御當人は、自分で自分に罪名を下して、 おのが血筋を侮辱してゐなさるんだから。……御父上は聖人のやうなお方でしたぞ。 叉、貴下《あなた》をお生みなされたお妃は、 立っていらせられるよりも跪いていらせられる方が多い位《くら》ゐの方で、 毎日半死の苦行をなされた。……さやうなら! 貴下《あなた》が夥《おびたゞ》しい惡徳を有《も》ってゐるとお自白なすったので、 私《てまへ》は最早スコットランドを去るより外に爲樣《しやう》がなくなりました。 あゝ、我が胸よ、汝《きさま》の望みは最早《もう》絶えたぞ! マクダッフは胸を撲《う》って歎く。 マルコ (やうやく信じて)マクダッフどの、正直な心から生れる其高潔な悲歎《なげき》は、 予《わたし》の心の僻《ひが》みや疑ひを拭ひ去って、 貴君《あんた》の誠心《まごころ》と貴君《あんた》の正義とを信ぜしむるに至った。 實は、あの惡魔のやうなマクベスめが、今まで種々の僞計を以て、わたしを陷れようと試みたんで、 勢ひ輕々しく人を信じないやうに警戒せざるを得なかったのです。が、神よ、 願はくは吾々二人の間に、斡旋の御勞《おんいたづき》を取らせられませ! 斯《か》ういふ即刻只今から、予《わたし》は貴君《あんた》の指圖を受ける、先刻、 自分に對して言った事は悉皆《みんな》取消す、 先刻竝《なら》べた過失や惡徳は予《わたし》の性質《もちまへ》には無いことなのです。 予《わたし》はまだ女と關係したことはない、曾《かつ》て僞誓《ぎせい》したこともない。 自分の有《もの》でない物を欲しがったことも殆《ほとん》どなければ、つひぞ約束を破ったこともなく、 惡魔だって其仲間にすら賣らうとは思はない。誠實を愛することは生命を愛するのに劣らない。 予《わたし》が[言|虚;#2-88-74]《うそ》を吐《つ》いたのは、今日が初めてなのです。 予《わたし》の本性は貴君《あんた》の命のまゝ、我が國家の命のまゝです。 實は、貴君《あんた》が來られる前に、叔父シーワード將軍が、一萬人の勇兵を徴集し、 それを率ゐて、既に本國へ出發しました。さァ、一しょに事を謀らう。 願はくは我が名分の堅實である如くに、成功の機會も亦《ま》た堅實であるやうに! ……何故默ってゐるのです? マクダ 善い事と惡い事とが斯《か》う一しょくたに來ては、調和させるのが困難です。 マルコ (マクダッフに)なるほど。…… 醫師(イギリス王の侍醫)が出る。 (醫師の來たのを見て)尚《な》ほ後ほど。……(醫師に)王はお出ましですか? 醫師 さやうでございます。 御療治を戴かうとしてをりまする憫《あは》れな輩《てあひ》が多勢《おほぜい》參ってをります。 彼等の病ひには、如何に名譽の醫術も功を成しませんのですが、陛下がお手に觸れさせられゝば、…… さういふ靈力を天からお授りになりましたのですから……彼等は直ぐ恢復いたします。 醫師入る。 マクダ 如何《どう》いふ病ひなのでございます? マルコ 「王の病ひ」と呼びならはしてゐる。イギリスへ來て以來既に屡々《しば〜》目撃したことだが、 彼《あ》の御仁の最も不思議な事業なんだ。如何《どう》天を祈って、あゝいふ靈力が得られたか知らんが、 竒怪な病ひに惱む輩《やから》を、見るも氣の毒な風に、すっかり腫れて、膿み爛れて、 醫師も匙を抛《な》げたやうなのを、王は、誠心《まごころ》を籠めた祈祷をして、 同時に其病人の頸元《えりもと》へ金貨を一つ掛けてやられると、直ぐ治る。噂によると、 王は、此有りがたい治療力を其子孫にも遺傳されるといふことです。王は、 此不思議な力の外に、預言の通力をも授ってをられる。 つまり、種々《いろ〜》な天福《てんぷく》が王位を圍繞《ゐねう》して、 天佑の豐かな君だといふことを宣言してゐる。 ロッスが出る。 マクダ あれへ誰れやら參りました。 マルコ 國の者だが、知らない男のやうだ。 マクダ (迎へて)おゝ、君でしたか?ま、ようこそ。 マルコ あゝ、やっと分った。……(迎へて)神よ、願はくは吾々共を疎隔する所以のものを取除かせたまへ! ロッス 御同樣に祈りまする。 マクダ スコットランドの有樣は相變らずですか? ロッス あゝ、情けない國!おのれの眞《まこと》の状態を敢て知ることを恐れる程の有樣! 墓地とは呼ばうとも、母國とは呼びかねまする。苟《いやし》くも物心を知る以上は、 かりにも笑ふといふことのない國です。 歎息や呻き聲や空氣を突ン裂くけたゝましい叫び聲が聞えても、 今は氣に懸ける者もない。今では如何《どん》な激しい悲しみも、平凡な狂態と見えます。 今は葬式の鐘を鳴しても、だれが死んだと言って訊ねる者もない。強健《ぢやうぶ》な者が、 帽子に插した花よりも早く凋落します、病氣にもならんで死にます。 マクダ あゝ、餘《あンま》り微細《こまか》過ぎるやうだが、事實には相違ない! マルコ 最近には如何《どん》な慘い事がありました? ロッス 一時間前の慘い事なんぞを話すと嘲弄《てうろう》されまする、 毎分時に何か新しい慘い事が起りますので。 マクダ 妻は如何《どう》してゐます? ロッス (一寸たゆたって)さァ、御無事です。 マクダ それから、子供らは? ロッス 同じくです。 マクダ 暴君は、彼等の平安を打毀《うちこは》すやうなことをしやしませんでしたか? ロッス いゝえ、みんな平安にしておいでゝした、お別れした時分には。 マクダ 語《ことば》をお吝《をし》みなさるな。え、如何《どん》な模樣です? ロッス 私《てまへ》が、悲しい報道を齎《もたら》して、此方《こちら》へ參らうとする際《をり》、 健氣な人々が義兵を起したといふ噂を聞きましたが、途中で暴君の軍勢が出陣するのを目撃しましたから、 いよ〜以て其噂の實であることを信ずるに至りました。(マルコムに)今が拯《すく》ふべき時期でございます。 貴下《あなた》がスコットランドへお顏をお見せになれば、兵士逹は忽《たちま》ち出來ます、 女と雖《いへど》も戰ひます、塗炭の苦しみを免かれたさに。 マルコ 國の者共が喜ぶが可《い》い、もう既に出陣してゐる。任侠なイギリス王は、 予《わたし》にシーワード將軍と一萬人の兵士とを貸してくれられた。 將軍は、キリスト教國に又とない老巧の武人なんだ。 ロッス あゝ、其喜ばしいお知らせに報ゆるに足るお知らせが出來たらなァ!わたしの持って來たお知らせは、 荒れ地か何かで、人の聞いてゐない處で、吠えてこそ相應なことです。 マクダ 何に關した事です? 一般に關したことですか?又は或一箇人の私有に屬する悲しみですか? ロッス 苟《いやし》くも正義義士たる者は傷《いた》まざるを得ないことです。 けれども主として貴君《あんた》に關してゐる。 マクダ わたしに關することなら、とりおきにしないで、直ぐ知らせて下さい。 ロッス どうぞわたしの舌を永久に憎がって下さるな、貴君《あんた》の耳が曾《かつ》て聞いたことのないやうな、 辛い、情けないことを言ひますから。 マクダ えッ!わかった。 ロッス 貴君《あんた》の居城へ、敵の手の者が不意に寄せて、奧さんや子供衆も、 無慚な最期をお遂げなされた。それを詳しく話すのは、其殺された鹿の死骸の山へ、 貴君《あんた》をも積み重ねようとするも同樣です。 マルコ 何といふ情けないことだ!(マクダッフ)にこれさ! 帽子で顏をお隱しなさるに及ばん。お泣きなさい〜。口に出さない悲しみは、心臟にばッかり囁くので、 遂《しま》ひにはそれを傷めるやうになる。 マクダ 子供らも悉皆《みんな》? ロッス 奧さんも、子供衆も、家來たちも、居合せた者を殘らず。 マクダ そこにゐて救ふことも出來なかったか!……妻《さい》も殺されたのですか? ロッス さうです。 マルコ ま、そんなにお歎きなさるな。其大悲歎を療治するために、どうか、共同の大復讐といふ良藥を調合して下さい。 マクダ 子を有《も》たないからだ。…… (此原詞He has no childrenの「彼れ」はマクベスを指すか、マルコムを指すかに異論がある。 後者なら、此|白《せりふ》は獨語的で、「子を有《も》ったことがないから、あんな無情なことをいはれる」 とつぶやいたことになるが、マクベスだとすると、「子のない彼れなればこそさういふ無慚な、殘忍な、 虐殺を敢てしをったのだ」と憤激して言ったことになる。 譯としては、どちらにでも取れるやうにしておくが穩當であらう。) (ロッスに)可愛い子供らも悉皆《みんな》?え、悉皆《みんな》ですか?……おのれ、鬼鳶めが! ……悉皆《みんな》?え、可愛い雛をも、母鳥をも、只一攫《つか》みに? マルコ 男らしく引ッ堪《こた》へなさい。 マクダ 引ッ堪《こた》へませう。けれども斯《か》う感ずるのも亦《また》男の習ひです。 此上もなく大切な、あゝいふ物があったことを思ひ出さずにはをられません。 天は、見てゐながら、助けてもくれなかったのか?罪の深いマクダッフよ、汝《きさま》の故《せゐ》で、 彼等《あれら》は悉皆《みんな》殺されたのだ!何といふ碌でなしだ俺は? あれらに罪があってゞはなく、俺の故《せゐ》で彼等《あれら》が屠り殺されたのだ。 天よ、どうぞ、彼等《あれら》を安樂にしてやって下さい! マルコ それをば貴君《あんた》の劍の砥石になさい。悲しみを怒りにお轉じなさい。 精神を鈍らせちゃいけませんぞ、ます〜激勵なさい。 マクダ 目は女の役をしてゐて、さうして口では大言壯語することが出來りゃ、調法だけれど! ……いや、慈悲深き神々よ、あらゆる介在物を切り縮めて、 あのスコットランドの惡魔めとわたしとを相面せしめて下さい、 此劍の逹《とゞ》く處に彼奴《あいつ》を立たせて下さい。それで若し免れゝば、天も彼れをお赦しなされませ! マルコ それでこそ男らしい。……さァ、王の許《もと》へ往かう。出陣の準備は整ってゐる。 暇乞《いとまごひ》さへすれば可《い》い。マクベスは熟んだ果物だ、只一振りすれば可《い》い。 天使たちが吾々を勵まして下さる。出來る限り心をお慰めなさい。 永久に明けないと思へばこそ夜が長いのである。 皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第五幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第一場 ダンシーネン。場内の溜《たまり》の間。 醫師と一侍女が出る。 醫師 二晩徹夜して御一しょにお見張りをしましたが、おっしゃったやうな事は無いぢゃありませんか? 最近にお歩きなすったのは何日《いつ》でした? 侍女 御前樣が御出陣遊ばした以後です。お床をお離れになって、夜のお召をお著《ちやく》しになって、 お戸棚の錠を開けて紙を出して、それを折って何やらお書きになって、それを讀んで、 封じて、叉、お床へお歸りになりましたの。 けれども、其間始終よッくお眠り遊ばしていらっしゃるのでございましたの。 醫師 甚しい惱亂状態だ、熟睡中に覺醒同然の作用をするといふのは!その、御睡眠中の亢奮状態で、 お歩きになったり、何か實際に遊ばしたり外に、 曾《かつ》て何かお言ひになったのをお聞きなすったことはありませんか? 侍女 それは、その、どうもおっしゃいました通りには申し上げかねますので。 醫師 わたしにゃおっしゃってもよろしいでせう。おっしゃるのが當然です。 侍女 貴下《あなた》にも、何人《どなた》にも申されません、 わたくしの申すことの實否を保證する人がございませんから。…… 此時、マクベス夫人が夢遊病の體《てい》で、夜の服のまゝ、燭を携へて出る。 あれ、お出で遊ばしましたよ!あゝいふ風なのでございます。たしかに、 よくお眠り遊ばしていらっしゃるのです。よう御覽遊ばせ。靜《そツ》となすって。 醫師 どうしてあの燭火《あかり》を手にお入れなすったのだらう? 侍女 なァに、お傍にございましたのよ。始終《しよツちゆう》燭火《あかり》をお傍にお置き遊ばします。 さういふお吩咐《いひつけ》なんでございます。 醫師 ごらんなさい、目は開いておいでゝすよ。 侍女 さやうです、けれどもお見えなさりはしません。 醫者 ありゃ何をなさるんでせう?あ、お手を頻りと擦っておいでなさる。 侍女 あれはお定《きま》りでございますの、あゝいふ風に手をお洗ひ遊ばしていらっしゃるやうなのが。 物の十五分もあゝしていらっしゃることがあります。 夫人 (獨白)まだこゝに汚點《しみ》が附いてゐる。 醫師 あ!何かお言ひなさる。書き留めておかう、しっかり記憶しておく必要上。 夫人 (獨白)えゝ、厭ァな汚點《しみ》!消えッちまへと言へば!……一つ。二つ。 おや、ぢゃ最早《もう》時刻なんだ。……地獄は暗い凄い處! まァ、何ですねえ貴下《あなた》は!……武人《いくさにん》でありながら、 こんなことが怖くって?氣取られるのを恐れる必要はないぢゃありませんか? 主權者を裁判することが出來る筈はありませんのですもの。……けれども、 誰れだって、老人に如是《こんな》に澤山血があらうとは、思ひがけてやしない。 醫師 あれをお聞きですか? 夫人 (獨白)ファイフの領主には(以前は)奧さんがあったんだ、何處へ去ッちまったんだらう?…… え、いつまで經っても、清淨《きれい》にはならないのか知らん此手は!…… ねえ、最早《もう》お止しなさいまし、もうそんなことはお止しなさまし。 そんなに悸々《びく〜》なさると、何もかもめちゃ〜になってしまひます。 醫師 おや〜、とんでもないことを御存知なすってゞす。 侍女 とにかく、とんでもないことをおっしゃってしまひましたわねえ、 如何《どう》いふことを御承知なんだか知りませんけれど。 夫人 (獨白)こゝにまだ血の臭ひがする。アラビヤ國中の香料を使ったって、 此小さい手の厭な臭ひは消されさうにない。おう、おう、おう! 醫師 何といふ溜息だらう!お心に一ぱいの苦しみがあるのだ。 侍女 よしんば五體が女王さまになられたからって、胸であんな思ひをするのは厭でございますねえ。 醫師 なるほど、なるほど。…… 侍女 どうぞ、よろしくおなり遊ばしますやうにねえ。 醫師 此御病氣は、迚《とて》もわたしの力には及ばない。睡眠中に歩いたもので、 尋常に床で果てた者もありますけれど。 夫人 (獨白)手をお洗ひなさい、夜の服をお召しなさい。そんな蒼い顏をなさらないでさ。…… バンクヲーは墓の中に埋められてゐますてばね、出て來る筈はありません。 醫師 さういふ譯か? 夫人 (獨白)さァ〜、お休みなさい!だれだか門を叩いてゐます。 さ、さ、さ、さ、さ、手をお貸しなさい。爲《し》てしまった事は、爲《し》てしまったことです。…… さァ〜、お寢《やす》み、お寢《やす》み! マクベス夫人入る。 醫師 これでお寢《やす》みなさるでせうか? 侍女 はい、直ぐに。 醫師 よくない噂が、こそ〜言ひ觸されてゐる。常規を逸した惡行は、とかく常規を逸した惱亂《わづらひ》を釀し易い。 毒に傳染《かぶ》れた心は、其祕密の苦しみを耳のない枕に打明ける。 お妃には醫師よりも聖僧《おしやうにん》さんの方が必要です。……神よ、願はくは吾々共の罪をお赦し下さい。 ……(侍女に)お妃によく御注意なさい。お身に害になるやうなものは、何一つお傍に置かないやうにして、 絶えず御監督なさい。……さよなら。目も心も、驚いた餘りに、混亂してしまった。思ってゐることはあるが、 うっかり口には出されない。 侍女 さやうなら、お休みなさいまし。 二人とも入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第五幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第二場 ダンシーネン附近の地方。 太鼓と軍旗を持った者が出る。其後からメンチース、ケイスネス、アンガス、レノックス及び兵士らが出る。 メンチ マルコムどのや叔父君シーワードどのやマクダッフどのゝ引率せられたイギリス軍が程なく著します。 復讐の念があの人々の心中に燃え立ってゐます。それも其筈です、そも〜此度《このたび》の事件は、 例の、死んだ人間にも生々と血を流させて、物凄い聲を發せしめるに足る事件なんですから。 アンガ バーナムの森の近邊で彼《あ》の人逹に逢ふことになりませう、あそこへやって來る筈ですから。 ケイス ドナルベインどのは兄君と御一しょでせうか、どうでせう? レノク たしかに、御一しょぢゃありません、自分《てまへ》は上流子弟全部の名簿を持ってゐますが、 其中にはシーワードの子息も入ってゐれば、其他、 今やっと丁年《をとこ》になったばかりの髭の無い若者連が多勢《おほぜい》入ってゐます。 メンチ ところで、暴君は如何《どう》してゐます? ケイス ダンシネーン城を嚴重に防備してゐます。氣が狂ったといふ者もありますが、甚しく彼れを憎んでゐない者は、 勇敢な憤激なぞと評してゐます。 とにかく常規を以て其|亂離《らんり》の當勢《たうせい》を律して行くことが出來なくなって來てゐることは確かです。 アンガ 今になって弑逆や暗殺を行った業因をつく〜゛身に思ひ當ってゐるでせう。 刻々に起る背叛は、毎《つね》に彼れが大逆を罵り、彼れの配下の者も、只命ぜられて、 據《よんどこ》ろなく動くので、決して彼れを愛してはゐない。今となっては、自分ながら、 王の稱號の脱落《すりこ》けさうなのを感じてゐるでせう、 侏儒《いつすんぼし》が巨人《おほをとこ》の衣服《きもの》を被《き》た時のやうに。 メンチ して見ると、奴の惱亂した感覺が、尻込みをしたり、戰慄《びくつ》いたりするのも、 無理のない話です、己れ自身の内部さへも、自ら呪ひ罵ってゐるやうぢゃァ。 ケイス では、進軍して、正當に奉仕すべき處に、服從の義務を盡《つく》すことにしませう。 早速《さつそく》良い醫者を迎へて、我が國の病毒に下劑をかける手傳ひに、 お互ひに血の有《あり》ッたけを注射しよう。 レノク もしくは、やんごとない花を霑《うるほ》はせ、惡草の根を腐らす程度に血を流さう。 ……バーナムの方へ進軍しませう。 兵をひきゐつゝ入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第五幕 第三場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第三場 ダンシネーン。城内の一室。 マクベス、醫師及び侍者らが出る。 もう注進して來るには及ばん。逃げる奴は悉皆《みんな》逃げろ。 バーナムの森がダンシネーンへ動いて來んうちは、びくともせんぞ。 あのマルコムの小僧が何だ?女の生み落した人間ぢゃないか? 人間の運命一切に精通してゐる精靈共が、斯《か》う俺に告げた、 「恐れるな、マクベス。女が生み落した者の力では、汝《おまひ》を如何《どう》することも出來んから」と。 だから、逃げろ、二心《ふたごころ》の貴族らめ、さうしてイギリスの弱蟲共と一しょになれ。 國を御する此精神、此勇氣は、疑惑で衰へたり、恐怖で動搖《ぐらつ》いたりはせんぞよ。…… 一人の從者がひどく恐怖した體《てい》で出る。 惡魔に取ッ附かれて眞黒にでもなれ、うぬ、乳液面《クリームづら》の碌でなしめ! 何處でそんな鵝鳥面《がてうづら》を拾って來た? 從者 一萬あまりの…… マクベ 鵝鳥でも來たのか?馬鹿ッ! 從者 いゝえ、兵士が來たのでございます。 マクベ えゝ、其|面《つら》を引ッ擦って、其臆病面を赤くして來い、意氣地なしめ。 どんな兵士だ?馬鹿!汝《きさま》の其|白布面《リネンづら》は臆病者の相談相手だ。…… どんな兵士だ?白水面《しろみずづら》め! 從者 あの、イギリス勢でございます。 マクベ 其|面《つら》ァ引ッ込ませろ。…… 從者あわてゝ入る。 (奧に向ひて)シートン!……氣持がわるくなる……見ると。 やい、シートンはをらんか!……此一擧で永久に安樂を獲るか、直ちに王位を失ふかゞ決るのだ、 俺も最早《もう》相當に長生した。生きてをても、行く手は最早《もう》黄葉《くわうえふ》だ、 凋落の秋の暮だ。しかも老年に伴ふ筈の名譽や愛敬や從順や信友の群は、到底得られさうな望みはない、 いや、其代りに、 聲は低いが根の深い呪詛《のろひ》や口先さけの尊敬や空世辭《そらせじ》ばかりが附いて廻りをる。 それを、慘めな心が排斥したいと思ひながら、然《さ》うも爲《し》得ない。……シートン! シートンが出る。 シート 何か御用でございますか? マクベ 何かまた知らせが來たか? シート 前々の注進は、すべて事實だといふことが分かりました。 マクベ 此肉が骨から削り取られてしまふまでは戰ふぞ。甲冑《よろひ》をよこせ。 シート まだお召しになるには及びません。 マクベ いゝや、被《き》る。……もっと騎兵を出せ、國内を巡察させろ。 臆病風を吹かす奴は絞罪《しばりくび》にしろ。甲冑《よろひ》をよこせ。…… (醫師に向ひて)侍醫、病人は如何《どん》な樣子だ? 醫師 御病氣よりも、神經作用で御覽遊ばされまする幻像《まぼろし》の爲に、お惱みで、お休み遊ばしません。 マクベ それを治してやってくれ。汝《きさま》は、病んでゐる心を介抱して、其記憶から根深い愁ひを拔き去り、 腦髓に記録してある苦痛《くるしみ》を擦り消し、何か快い忘れ藥で以て、心《むね》が、 一ぱいに壓《おさ》へ附けられて、今にも破裂しさうになってゐるのを、 晴々と透《す》いてしまふやうにしてやることは出來んか? 醫師 さういふことは、御病人御自身の御工夫に待つより外はございません。 マクベ 藥なんか犬にくれッちまへ。俺にゃ入用はない。……(シートンに) さァ、甲冑《よろひ》を被《き》せろ。指令杖をよこせ。シートン、派遣しろ。…… 侍醫、領主共が陸續脱走するわい。……さ、早く。……侍醫、 若し汝《きさま》の力で、此の國の小水を檢査して、其病原を究めて、 故《もと》の通りの健康状態にしてくれることが出來るものなら、俺は汝《きさま》を大喝采してくれるがなァ、 其反響が、叉汝《きさま》を喝采する程に。……(シートンに)えゝ、それを除《と》るんだ。…… 大黄でも、旃那《せんな》でも、どんな下劑を掛けても、あのイギリス共を追ッ拂ッちまふことは出來んのか? 奴等の事を聞いたか? 醫師 うけたまはりました。御準備遊ばしますので承はりました。 マクベ (シートンに)それは後から持って來い。バーナムの森がダンシネーンへやって來るまでは、 死も破滅も怖くはないぞ。 醫師 (傍白)俺は此ダンシネーンから脱け出したい、さうすりゃ最早《もう》、どんな利得があらうと、 二度とこゝへ來るこッちゃない。 皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第五幕 第四場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第四場 バーナムの森の附近。 太鼓と軍旗。マルコム、老シーワード及び其息シーワード、マクダッフ、 メンチース、ケイスネス、アンガス、レノックス、ロッス及び兵士らが進軍しつゝ出る。 マルコ 諸君、もう程なく、何室《どのしつ》に寢ても安心だといふやうになりませうな。 メンチ 大丈夫、もう直《ぢき》でございます。 シワー あの、前のは、何といふ森です? メンチ バーナムの森です。 マルコ 兵士に、めい〜一枝づる木を切らせて、それを翳《かざ》して行進させませう。 さうして身方《みかた》の兵數を蔽ひ隱して、敵の斥候に間違った報告をさせませう。 兵士ら 承知いたしました。 シワー 簒奪者は、深く恃む所あるらしく、只ダンシネーンに肅《ぢツ》としてゐて、我が軍の攻め寄せるのを、 居ながらに防がうとのみ致してゐると承《うけたま》はりました。 マルコ 專《もつぱ》らそれを恃みとしてゐるのです。といふのは、苟《いやし》くも機會さへあれば、 大小名共は彼れに離畔し、今では、止むを得ず心にもなく止まってゐる者の外には、 彼れに仕へてゐる者はないのです。 マクダ 身方《みかた》の預想の誤ってゐないといふ事は、之を事實の上に證據立てることにして、 お互ひに勇士の職分を盡《つく》すことに奮勵しませう。 シワー 正當の裁決によって、成敗得失を明かにする時が近づきました。 空に考へてゐる中《うち》は、曖昧《あやふや》な望みが成立つのみです。 確實な結果を定める者は打撃です。其目的の方へ兵を進めませう。 みな〜行進しつゝ入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第五幕 第五場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第五場 ダンシネーン。城内。 マクベス、シートン及び兵卒らが、太鼓手及び軍旗係りと共に出る。 マクベ 外の城壁へ旗を立てろ。まだ「敵が來た、敵が來た」と叫んでゐる。 如何《どん》なに攻めたって、此堅固な城はびくともせんわい。 いつまでも圍《かこ》ませとけ、其中《うち》には飢饉と瘧《おこり》とで人種《ひとだね》が盡《つ》きてしまふ。 身方《みかた》の謀叛人共が應援さへしなけりゃ、此方《こツち》から打って出て、 髭と髭と相觸れるまでに接戰して、本國へ追ひ返してくれるんだが。…… 奧にて女らのけたゝましく叫ぶ聲がする。 や、あの騷ぎは? シート 婦人たちの泣き聲でございます。 シートンが急いで入る。 マクベ 怖ろしいといふ味は、殆《ほとん》ど忘れた。……夜の叫び聲を聞いて冷水を浴びるやうに感じた時代もあった。 凄い話を聞くと、頭髮《かみのけ》が逆立って、生きてゐるやうに、動いたこともあった。 隨分怖ろしい目にも逢って見た。今ぢゃァ人殺しにも慣れてしまったので、どんな怖ろしいことも、 もう俺を脅すには足らん。…… シートンが叉出る。 何であんな聲をしたのだ? シート お妃がお死去《かくれ》になりました。 マクベ (喟然《きぜん》として)やがて死なねばならなかったのだ。 いつかは一度然《さ》ういふ知らせを聞くべきであった。…… 明日が來り、明日が去り、叉來り、叉去って、「時」は忍び足に、小刻みに、 記録に殘る最期の一分まで經過してしまふ。總《すべ》て昨日といふ日は、 阿呆共が死んで土になりに行く道を照らしたのだ。……消えろ〜、束の間の燭火《ともしび》! 人生は歩いてゐる影たるに過ぎん、只一時、舞臺の上で、ぎっくりばったりをやって、 やがて最早《もう》噂もされなくなる慘めな俳優だ、白癡《ばか》が話す話だ、騷ぎも意氣込みも甚《えら》いが、 たわいもないものだ。…… 使者役が出る。が、注進を言ひ出しかねてゐる。 汝《きさま》は舌を動かしに來たんだらう。早く言へ。 使者 御前樣……たしかに見えましたことを御注進申し上げるのでございますが、何と申し上げて可《い》いか存じません。 マクベ ま、いって見ろ。 使者 丘の上で見張りを務めてをりまして、バーナムの方面を見ましたところ、 どうやら森が動き出しましたやうに存じました。 マクベ [言|虚;#2-88-74]《うそ》を吐《つ》け! 使者 もし間違ってをりましたら、どんなお怒りでも受けまする、が、御覽なさいまし、 こゝから三哩《マイル》の處をやってまゐります。へい、森が動いて來《まゐ》ります。 マクベ もし[言|虚;#2-88-74]《うそ》だと、すぐ手近の木に汝《きさま》を吊して、 飢死《うゑじに》するまで打ッ棄《ちや》っておくぞ。事實なら、俺を然《さ》うしたって關はん。…… 俺の決心がゆるんで、疑ひが起りかけた、惡魔めが、兩義語で、 眞實《ほんたう》らしい[言|虚;#2-88-74]《うそ》を吐《つ》いたのかもしれん。 「バーナムの森がダンシネーンへやって來るまでは怖れるには及ばん。」ところが、今、 森がダンシネーンへやって來た。……武噐だ、武噐だ、さァ、打って出ろ!…… 彼奴《あいつ》が證言する通りのものが出て來たとすると、逃げても、止まっても駄目だ。…… あゝ、日の光りを見るのが厭になった。此世界の秩序も最早《もう》めちゃめちゃになってしまへ。 ……非常鐘を鳴せ!……風も吹け、破滅も來い!せめて甲冑《よろひ》を身につけて死なう。 入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第五幕 第六場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第六場 ダンシネーン城の前。 太鼓手と軍旗係り、マルコム、老シーワード、マクダッフ及び彼等の部下の兵がめい〜木の枝を携へて出る。 マルコ もう此處《こゝ》で可《い》い。其翳《かざ》しの木を棄てゝ、有りのまゝの姿を現はしなさい。 叔父上、貴下《あなた》は從弟の御子息と一しょに、第一綫に當っていたゞきたい。 マクダッフどのとわたしは其他の作戰一切に任じませう、預定の計画に從って。 シワー 御機嫌よう。……今夜にも簒奪者の兵に逢へば、死を期して激戰しませう。 マクダ さァ、殘らず喇叭を吹き立てろ。どれにも息を入れろ、血を流し人を殺す其|喧《かしま》しい先觸役に。 皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第五幕 第七場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第七場 戰場の他の方面。 警報(鐘、太鼓又は喇叭)。マクベスが出る。 マクベ 俺を杙《くひ》に縛りつけやがった。逃げることは出來んけれども、熊が荒狂《あば》れるやうに奮鬪してくれう。 女に生み落されん男といふのは何奴《どいつ》だらう?そいつの他にゃ怖い者はないんだ。 少シーワードが出る。 少シワ だれだ?名を名宣《なの》れ。 マクベ 名を聞きゃ慄《ふる》へ上るぞ。 少シワ 地獄の大惡魔にも優る名を名宣《なの》ったからッて、何の怖れるものか? マクベ 俺はマクベスだ。 少シワ 惡魔の聲を聞くよりも、俺には憎く嫌はしく聞える。 マクベ のみならず、怖ろしく聞えるだらう。 少シワ [言|虚;#2-88-74]《うそ》を吐《つ》け、穢《けがら》はしい簒奪者め。此劍で以てそれが虚言だてことを證明してくれよう。 二人戰ふ。少シーワード殺される。 マクベ 汝《きさま》は女に生み落された奴だ。いや、劍も武噐も取るに足らんわい、 女に生み落された奴が揮《ふ》り廻すのなら。 入る。 警報(鐘、太鼓又は喇叭)。マクダッフが出る。 マクダ 此方《こツち》の方に聞えた。虐主め、面《つら》を見せろ! もし汝《きさま》が俺の手で討たれないやうだと、妻《さい》や子供らの亡靈が、 いつまでも俺に附き纒《まと》ふであらう。 傭《やと》はれて投槍を揮《ふる》ってゐる慘めな田夫《ひやくしやう》共を撃つには忍びない。 マクベス、汝《きさま》と戰ふか、でなきゃ俺は劍の刄一つ毀《こぼ》さんで、何もせずに、 叉鞘に收めなけりゃならん。……あそこにゐるに相違ない。あの甚《えら》い物音は、 だれか身分の優れた者のゐるといふ知らせだ。……運命よ、どうか奴を見附けさせてくれ! それ以上は望まん。 マクダッフ入る。 マルコムと老シーワードと出て來る。 シワー 此方《こちら》です。城は從順に引渡されました。虐主の部下の者は、兩派に分れて戰ひ、 領主連も健氣な働きを致しをります。勝利は殆《ほとん》どお手に入りました。 もう如何《どう》せんでも可《よ》い位《くら》ゐです。 マルコ 敵であって、身方《みかた》側で働いてをる者を予《わし》も見た。 シワー さ、御入城なさい。 皆々入る。警報。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 マクベス:第五幕 第八場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第八場 戰場の他の方面。 マクベスが出る。 マクベ ローマの愚人の眞似をして、己《うぬ》が劍で自殺なんかするには及ばん。 生きた奴に出逢ふ限りは、叩ッ切る方が優《ま》しだ。 斯《か》う言ひ〜、一方へ去らうとする。此時マクダッフが出る。 マクダ やい、地獄の番犬め、戻れ!戻れ! マクベ 汝《きさま》だけは避けるやうにしてゐたのに。……やい、歸って行け。 俺の靈魂《たましひ》は、もう既に、汝《きさま》の一族の血の負擔に堪へかねてゐる。 マクダ 問答しようとは思はん。俺の聲は此劍に在る。うぬ、言語道斷の情け知らずめ! 二人戰ふ。 マクベ 無駄な骨折だ、其劍で、俺に血を流させることが出來るやうなら、切ることの出來ん空氣にも切形が附けられるだらう。 其刄物は傷の附けられる頭の上へ打下すが可《い》い。俺の生命《いのち》には呪《まじな》ひがしてあるから、 女に生み落された男なんかにゃ、やッつけられる虞《おそ》れはないのだ。 マクダ その呪《まじな》ひは駄目だと思へ。 汝《きさま》が常往《ふだん》信仰してゐる守神《まもりがみ》に聞き直して來い、 マクダッフは、其母の腹を裂いて、生まれる前に取出された人間だぞ。 マクベ (愕然として)おのれ、憎や〜、其舌の根!其一言で俺の勇氣を挫きをったわい! あの[言|虚;#2-88-74]《うそ》つきの惡魔どもめ、兩義の語《ことば》で人を欺き、 耳へは約束を守るらしく聞かせておいて、肝腎の望みを失はせをる惡魔どもめ、 もう信ずるこッちやァないぞ。……(マクダッフに)汝《きさま》とは戰はん。 マクベ ぢゃ、降參しろ、卑怯者め。生存《いきながら》へて世間の見せものになれ。 珍しい妖怪《ばけもの》のやうに、汝《きさま》の画像《ゑすがた》を棹に埀下《ぶらさ》げて、 すぐ其下に「評判の虐主」と書かせてくれよう。 マクベ 降參なんかして、あの青二才のマルコムの脚下《あしもと》で、地面《ぢべた》を嘗めたり、 愚民共に呪ひ辱められるやうな目に逢ふものかい。たとひバーナムの森がダンシネーンへやって來ようと、 女に生み落されん汝《きさま》が立ち向はうと、最後の運試しをしてくれる。此通り、 楯は抛《な》げ棄てる。さ、打って來い、マクダッフ、戰ひ半ばに「待て!」と呼び掛けた者は地獄へ落ちるぞ。 二人戰ひつゝ入る。警報。 退軍。喇叭盛奏。太鼓及び軍旗と共にマルコム、老シーワード、ロッス及び他の貴族、兵士らが出る。 マルコ 今、此處《こゝ》にをらん身方《みかた》の人たちが、どうか無事に戻って來てくれゝば可《い》いが。 シワー 多少の戰死はまぬかれません。が見受ける所、割合に廉價に大勝利を買ひ得たわけです。 マルコ マクダッフが見えないし、お子息が見えない。 ロッス 御子息は武人《いくさにん》の負債をお拂ひになりました。一男子となられるまでの御壽命でした。 勇敢に一歩も退かず戰って、男子たることを證明せられるや否や、いかにも男子らしく戰死なされました。 シワー ぢゃ、戰死しましたか? ロッス はい、さうしてお遺骸は持ち歸りました。御子息の御戰死は、其徳を目安としてお量りなされた時分には、 お歎きに涯《はて》しがありますまいぞ。 シワー 創《きず》は向う創《きず》でしたか? ロッス はい、額の創《きず》です。 シワー それでは、神のお親兵《そばづかへ》となりをれ!尚《な》ほ外に、 頭髮《かみのけ》の數ほど倅《せがれ》があったとて、さういふ死方以上を望まうとは思ひません。 これで最早《もう》哀悼は終《す》みました。 マルコ いや、更に大いに哀悼すべきです、それはわたしが勤めませう。 シワー もう澤山です。立派な死樣をして、武人たるの責めを盡《つく》したといふことですから、 それで最早《もう》十分です!……あそこへ更に叉めでたい知らせ來ましたぞ。 マクダッフが、槍の先きにマクベスの頭《かうべ》を貫ぬいて、携へて出る。 マクダ 國王陛下萬歳!もはや王とならせられましたぞ。簒奪者の憎むべき首《かうべ》の此|體《てい》を御覽なされませ。 天下は泰平と相成りました。陛下を圍繞する國家の盛飾たる人々は、 いづれも私《てまへ》と同樣の祝詞を奏しようとしてをられると見受けまする、どうか、 私《てまへ》と聲をお合せ下さい、スコットランド王陛下萬歳! 皆々 スコットランド王陛下萬歳! 喇叭盛奏。 マルコ いづれ遠からんうちに、諸君のそれ〜゛の忠勤を取調べて、お報いを致す積りです。 領主たち及び近親の人たちは、以後《これから》は伯爵《アール》とお名宣《なの》りなさい、 スコットランドで此爵を名宣《なの》る最初の貴族とおなりなさい。同時に、 新たに爲すべき事は、彼の嚴しい虐主の見張りをのがれて、 辛うじて海外に流浪してゐる身方《みかた》の人たちを呼び返す事、あの殘酷な殺人者と其…… 自殺を遂げたといふ噂の……鬼妃に仕へてゐた非道な役人共を召喚する事、是れら及び其他の必要な事一切を、 神名の祐《たす》けによって、程と時と處《ところ》とを得て、實行することにしませう。 で、一齊に、各人に感謝します、さ、どうか、スコーンの即位式に參列して下さい。 喇叭盛奏。皆々入る。 マクベス(完) [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16