小公子 : 目次


タイトル:小公子 (Little Lord Fauntleroy, 1886)
著者:フランシス・イライザ・バーネット (Frances Eliza Burnett, 1849-1924)
譯者:若松賤子 (1864-1896)
底本:現代日本文學全集第三十三篇,少年文學集
出版:改造社
履歴:昭和三年二月二十五日印刷,昭和三年三月一日發行

小公子

バアネツト 著

若松賤子 譯


目次


更新日:2004/04/16

小公子 : 前篇自序


前篇自序

母と共に野外に逍遙する幼子(をさなご)が、 幹の屈曲(くねり)尋常(なみ〜)ならぬ一本の立木に指ざして、 『かあさん、あの木は小さい時、誰かに踏まれたのですねい。』と申したとか。 考へて見ますと、見事に發育すべきものを遮り、素直に生ひ立つ筈のものを屈曲(くね)らする程、 無情なことは實は(まれ)で御座ります。心なき人こそ、幼子(をさなご)を目し、 生ひ立ちて人となるまでは(まこと)に數に足らぬ無益の邪魔者の樣に申しませうが、 幼子(をさなご)は世に生れたる其日とは言はず、其前父母がいつ〜にはと、待設ける時分から、はや自から天職を備へて居りまして、 決して不完全な端た物では御座りません。されば私どもが濁世(にごりよ)蓮花(はちす)家庭(ホーム)天使(エンジェル)とも推すべき彼の幼子(をさなご)の天職は、 いとも輕からぬことで御座ります。然るに世の浪風はこれを屈曲(くね)らせ、心なき同胞は、あたら若木を踏みにじりて、終に花は汚れ、 天使は墮落するに至る景況を歎かぬ人はありますまい。邪道(よこしま)に陷らうとする父の足をとゞめ、 卑屈に流れ行く母の心に高潔の徳を思ひ起させるのは、神聖なるミッションを(にな)ひたる可愛の幼子(をさなご)に限るので、 是に代つて其任を果すものは他に何も有りません。幼子(をさなご)(たはぶ)れ聲のせぬホームの空氣は、殊に(つめた)く、 宛然(さながら)下宿屋の心地がします。そして其家の夫婦は、相互に、又世の同胞に對して、多少 寛優(ゆたか)ならぬ處があるのは往々見る事です。是より推して、假に幼子(をさなご)の住まぬ世を想像いたしますれば、 利慾に奔走する人心(ひとごゝろ)が、此上どの樣に罪深くなることでせうかと、 恐ろしい樣に思ひます。(さて)又、ホームの教導者を先づ教へ導き、 其清素爛漫の容姿(すがた)を發揮させ、其ミッションを(まつた)うさせるのは、 亦兩親初め其同胞の(つとめ)です。即ち世の中の關係は、總て相支へ相扶(たす)くるの道理に基くので、 例へば、私どもが棲息(やすら)うて雨風を凌ぐ家は、矢張り私どもの手に成らねばならず、 淺瀬を教ふる子供は、是非負うて行かねばならぬと同じ道理で御座りませう。

私は深く幼子(をさなご)を愛し、其恩を思ふ者で、殊に共々に珍重す可き此客人(まらうど)を尚一層優待いたし度く、 切に希望いたします。夫故(それゆゑ)幼稚園、小學校などの設けは、私の心にとつていとも尊く、悦ばしいものです。 夫已(それのみ)ならず、近來少年文學の類がポツ〜世に見える樣になつて來ましたが、 これも眞心より感謝して居ります。それ故、只今譯して此小さき本の前編を出しますのも、 一つには、自分が幼子(をさなご)を愛するの愛を記念し、 (いさゝ)か亦ホームの恩人に對する負債(おひめ)を償ふ端に致し度いのみです。

賤子しるす

更新日:2004/04/16

小公子 : 第一囘


セドリックには、誰も云うて聞かせる人が有りませんかツたから、何も知らないでゐたのでした。 おとツさんは、イギリス人だツたと云ふこと丈は、おツかさんに聞いて、 知つてゐましたが、おとツさんが、おかくれになつたのは、極く小さいうちの事でしたから、 よく記憶(おぼ)える居ませんで、たゞ大きな人で、眼が淺黄色(あさぎいろ)で、 頬髯が長くツて、時々肩に乘せて、座敷中を連れ廻られたことの面白さ丈しか、瞭然(はつきり)とは、 記憶(おぼ)えてゐませんかツた。おとツさんがおなくなりなさつてからは、 おツかさんに餘りおとツさんのことを云はぬ方が、好いと云ふことは、子供心にも解りました。 おとツさんの御病氣の時、セドリックは他處(よそ)に遣られてゐて、 歸つて來てた時には、もう一切、跡片付は濟んでゐて、大層お(わづら)ひなすツたおツかさんも、 (やうや)く窓の側に椅子に起き直つて入らツしやる頃でしたが、 其時、おツかさんのお顏はまだ青ざめてゐて、平生綺麗なお顏の笑靨(ゑくぼ)が、 すツかりなくなつて、お眼は大きく、悲しさうで、そして、おめしは、まツ黒な喪服でした。

かあさま、とうさまは、もう、よくなつて?

と、セドリックが云ひましたら、つかまつたおツかさんの腕が、震へましたから、 ちゞれ()の頭を擧げて、おツかさんのお顏を見ると、何だか、泣きたい樣な心持がして來ました。それから、また、

かあさま、おとうさまは、よくおなんなすツたの?

と同じ事を云つて見ると、どういふ譯か、急におツかさんの(くび)に兩手を廻して幾度(いくたび)も〜、 キッスをして、そして、おツかさんの頬に、自分の柔軟(やはらか)な頬を、推當てゝ上げなければならない樣になりましたから、 その通りにして上げると、おツかさんが、もう〜決して離さないといふ樣に、 しツかり、セドリックを抱締めて、セドリックの肩に自分の顏を押當てゝ、聲を(をし)まずに、お泣きなさいました。

さうだよ、もうお(なほ)りなすツたのだよ、もう……すツかり、 よくおなりなのだよ。だがね、おまへとわたしとは、ふたり切りになつてしまツたのだよ。 たツた、ふたりで、もう外に何人(だれ)もないのだよ。

と、曇り聲に云はれて、セドリックは、幼心(をさなごゝろ)の中に、 あの立派な、年若なおとうさまは、もうお歸りなさることがないのと、合點が行きました。 人の事でよく聞く通り、おとツさんはお死になすツたのだらうと、解りはしたものの、 どういふ不思議な譯で、こんな悲しい有樣になつたのか、はツきりと、 會得が出來ませんかツた。自分がおとツさんの事を云ひ出せば、おツかさんは、 いつも、お泣きなさるから、これは、餘り度々言はないはうが、好いのだらう、 いふまいと、内々心にきめて、さうして、煖室爐(ストーブ)のまへや、窓の側に、 ぢツと默つて坐つて入らツしやる樣な時には、打捨てゝ置いてはいけないといふことも分りました。 おツかさんと自分との知人(しりびと)といふは、極く僅少(わづか)で、人に云はせれば、 大層淋しい生涯を送つてゐたのですが、セドリックは少し大きくなつて、 なぜ人が尋ねて來ないといふ譯が解る迄は、淋しいと云ふことも知りませんかツた。大きくなツてから、おツかさんは孤兒(みなしご)で、 おとツさんがお嫁にお貰ひになさるまでは此廣い世界に、たツた一人で、身寄も何もなかつたのだと初めて知りました。おツかさんは、 大層な御姿色好(ごきりやうよ)しで、其時分、ある金持の婦人の介添になつて入らしツた處が、 其婦人といふが、極く意地惡な人で、或日のことカプテン、エロルといつて、 後にセドリックのおとツさんになつた人が、丁度、その家に來合せてゐた時、 何か事があつた末、おツかさんが睫毛(まつげ)に一杯涙の露を持たせて、急ぎ足に二階にお上りなさる處を、其お方が御覽なすツて、 あどけなく、(しを)れかへつた可愛らしい、其姿を忘れることが出來ず、續いて色々不思議な事が有つて、互に心を知合ひ、 愛し合つて、とう〜婚姻をなさる樣になつたのでした。さて此婚姻に付いては、 さま〜゛の人に、わるく思はれたのでしたが、其中で、一番に腹をたてたのは、カプテン、エロルの(おやぢ)さまで、是は英國に住んでゐて、 お金の澤山ある剛氣(がうぎ)な華族さまでしたが、癇癪持で、アメリカとアメリカ人とが大のお嫌ひでした。此方(このかた)は、 カプテン、エロルの上に、二人の息子をお持ちでしたが、英國の法律では、家に屬する爵位も財産も、何も彼も、皆長男が受繼いで、 若し長男が死ねば、次男が跡を讓り受くることに(きま)つて居りましたから、此お方は大家(たいけ)に生れはしたものの、三男のことで、 ひどく有福になる見込はありませんかツた。然るに、カプテン、エロルは、二人の兄逹の生れ付かぬ天才美質を備へて居りました。 美麗な其容貌、屈強な其姿、快活なる其笑、華やかなる其音聲、其大膽で、 慈悲深いこと、人に接して温順なる其擧動などは、多くの者の敬愛を一身に引寄せました。 さて二人の兄は、是に反して、外貌も美麗でなく、何の才も有たず、心に美質を備へても居りませんかツた故、 イトンの(やしき)内にあつても、人に(よろこ)ばれず、 大學に修學する折も、學問は大嫌ひで、其處に居る間、只時日を無益に消費する(ばか)りで、 親友も多くは出來ませんかツた。父なる侯爵殿は、此二人の息子には非常に失望し、失望のみならず、常々大層迷惑の(てい)でした、 自身の世を讓る嫡子は、先祖の家名に光澤を添へぬのみか、男らしく、凛々しい性質は一つも備へず、只自身の慾を(ほしいまゝ)にし、 遣ひ拂ふことを知つてゐる(ばか)りで、世に何の益なき人物でした。 然るに(さん)も位もなかるべき、末子(ばつし)が他の二人が缺いで居る伎倆も、 徳も、美貌をも、兼ね備へて居るとは、父にとつて、如何にも遺憾千萬の事どもでした。 時としては、巍々(ぎゝ)たる其位爵、壯麗なる其産業に附屬す可き美質をば、他に與へずして獨り占したる此 若年者(わかもの)が、却つて父の心には憎くなりました。併し一方には又、傲慢頑固なる其心の底に、此 末子(ばつし)を大に寵愛せずに居られず、二つの情は互に戰つて居りましたが、或時、此忌々しさが癇癪玉となつて、 むら〜と外に破裂し、(にはか)に、三男をば米國へ旅行に遣はしました。 是は二人の放蕩、無頼な息子の擧動に(こう)じ果て、末の子の從順なるに比較しては、 一層腹の立つからに、末子(ばつし)を暫く遠ざけて見ようと、思ひ付かれたからの事でした。 然るに、六ヶ月もたゝぬうちに、早や淋しさを感じ始めて、(ひそ)かに、 末子(ばつし)の顏が見たくなり、直ぐ文通して、歸國を命じました。其手紙と引違つて、着した、カプテン、エロルの書状に、米國で出逢うた、 或妙齡の婦人のことと、これと婚姻する決心をしたことが書いて有りました。 侯爵殿が此手紙を讀まれた時は、(それ)こそ、非常の立腹でした。生來、癇癪持では有りましたが、此時程、其癇癪をひどく起したことは、 無い位でしたから、手紙の來た時、丁度居合せた給仕が、其時の樣子を見て、 御前は、ひよツと卒中でもお發しはなさらぬかと、心配した程でした。凡そ一時間程は猛虎の如くに(たけ)り立ち、其あげくに、 一通の端書(はがき)をカプテン、エロルに(したゝ)め遣はし、以後(やしき)に近寄ることは一切ならぬ、又親兄弟にも文通を禁ずる、 今後如何樣なる生活を爲すとも、何處(いづこ)に果てようとも、一向かまはぬ、 ドリンコートの家よりは永遠に切離した者と見做して、父の存命中は、何の補助も受けられぬことと覺悟せよと申し送りました。 カプテン、エロルは此端書(はがき)を一讀して、愁歎に堪へませんかツた。此人は故郷も懷かしく、自身の生れた、美麗な家も至つて戀しく、 癇癖(かんぺき)ある老父にも親んで居つて、是迄、父が色々失望したことを、氣の毒に思うて居りましたが、此文通があつてからは、 最早親子の間の親交(よしみ)は全く斷絶したといふことを、心ならずも餘儀なく、覺悟いたしました。初めはどうせんかと、方向に迷ひました。 是迄の育ちが育ちでしたから、働いて活計(くわつけい)を立てることには慣れず、 事務上の經驗も有りませんかツたが、併し勇氣も決斷力も十分でしたから、 先づ陸軍士官の下部を賣却してしまひ、樣々の困苦の末、(やうや)くニューヨークの都會で、 勤め先を見つけ、間もなく婚姻を致しました。(さて)、大英國某侯爵家の若殿とも云はれる身分が、 斯く落ちぶれての生計は、昔に比べて、非常な懸隔(けんかく)でしたが、併しまだ血氣が(さか)んで、世の中の面白味が多い時でしたから、 勉勵(べんれい)せば、何事か成らざらんと、(しき)りに前途を樂んで居りました。 住居(すまゐ)をいふは、物靜な町のちんまりした家で、その中、 男子(をとこのこ)が一人生れてからは、萬事を尚さら、質素にしましたが、其後も、物事 ()べて珍らしく、いよ〜愉快になり行きまして、夫故(それゆゑ)、 只餘りの愛らしさに不圖(はからず)(おもひ)を寄せ、其人にも亦愛されて、 人の介添といふ程の身分のものを妻にしたことを後悔したことは、 只の一度もありませんかツた。此婦人といふは、如何にも愛らしい人物でしたから、 生れた男子(をとこのこ)も兩親に能く似て居りまして、此通り、邊鄙(へんぴ)な安ツぽい家居(いへ)に生れたには似ず、其果報は、 誰にも劣らぬ程でした。第一、此子はいつも壯健(たつしや)でしたから、誰にも面倒を掛けませんかツた。第二に、氣立が柔和で、 誠に可愛らしい子でしたから、人毎に嬉しがられました。第三に、姿色(きりやう)の好い事は、()に書いた樣でした、 (かしら)赤子(あかご)によくある、禿頭の樣なのには少しも似ず、 生れた時から、(やはらか)くツて、細い金色(こんじき)髮毛(かみのけ)が、 澤山で、六ヶ月たつ中に、くる〜と可愛らしくちゞれ、又眼は大きく茶色勝(ちやがち)で、 睫毛(まつげ)は長く、顏は極く愛嬌ある(たち)でした。筋骨は珍らしく逞しい方で、八ヶ月たつと、急に歩く樣になりました。其上、大層 人懷(ひとなつ)こく、小さい手車に乘つて、市街(まち)を運動して居る時分、 誰でも近寄つて、あやす者があれば、例の茶勝(ちやがち)な眼で、ぢツとまじめに見つめるかと思ふと、直ぐ可愛らしく笑ひかけて、 造作もなくおなじみになつてしまひました。此通りゆゑ、此物靜な町の中で、 此子を見て、あやすのを樂みにせぬものはなく、向う角の萬屋(よろづや)の亭主で、 世に癇癪持とは、あの人と云はれる位の人まで、此子には眼がないのでした。

段々月日が經つに(したが)つて、綺麗に可愛らしくなりましたが、(やゝ)成人して、 短い着物を着、大きな帽子を冠り、小さな車を引ぱツて、乳母と外を歩いてゐる處は、 實に見物(みもの)で、よく往來の人の足を止めました。乳母が家に歸つては、 『奧樣、今日は馬車に乘つた貴婦人が、坊ツちやまを見るツて、態々(わざ〜)馬を止めさせ、 坊ツちやまに言葉をかけましたよ。さうして、坊ツちやまが臆面なく、舊くからのお友だちか、なんかの樣に、お話を遊ばすので、大層、 嬉しがツて行きましたよ。』などと、セドリックの母に話すことは度々でした。 殆んど、不思議に思はるゝ程の、此子の愛嬌は、多分、少しも怖氣(おぢけ)なく、 極く容易(たやす)く人に(なつ)く處に在るのでせうが、これは生れ付、人を信ずる(たち)で、人を思ひ遣る深切な心の中に、 自分も愉快になり、人も愉快にしたいと思ふ天性に起るものと思はれます。 それで、人の氣を迎へることが大層早い方でしたが、是は兩親(ふたおや)か互に相愛(あひあい)し、 相思(あひおも)ひ、相庇(あひかば)相讓(あひゆづ)る處を見習つて、自然と其風に、感化されたものと見えます。 家に在つては、不深切らしい、不禮な言葉を一言も聞いたことはなく、いつも寵愛され、柔和(やさ)しい取扱はれましたから、其幼い心の中に、 深切氣と温和な情とが充ち滿ちて居りました。例へば父親が母に對して、極く物和(ものやはら)かな言葉を用ゐるのを、自然と聞き覺えて、 自身にも其眞似をする樣になり、又父が母親を(かば)ひ、保護するのを見ては、自分も母の爲に氣遣ふ樣になりました。 それ故、父がもう歸らないことになつて、母がそれを悲しんでゐる鹽梅を見てとると同時に、 さあ、これからは、自分が一生懸命に慰めなければならないのだといふことを覺悟して、 其心持になりました。まだ、年は行かず、赤ン坊の樣なものでしたが、 母の膝に攀ぢ登つて、キッスをして、ちゞれ頭を母の(えり)にすり寄せる時でも、 又自分のおもちやや、繪草紙を持つて來て、見せたり、長い椅子の上に横になつてゐる母の側に、 ずツとすり寄つて、猫の樣にまるくなる樣な時でも、必ず其心持が有つたのでした。 年の行かぬ身には、爲す(すべ)も知れませんかツたから、出來る丈のことをして見たのでしたが、 自分の思ふよりは、結句、十分の慰めが出來たのでした。或時、母が、以前から居る雇女(やとひをんな)のメレといふのに、『アノ、メレや、 あの子は子供心に、わたしを慰める積りでゐるのだよ、きツと、さうだらうよ、 時々可愛い、不審さうな顏付(かほつき)をして、氣の毒さうに、わたしを見て居ると思ふと、 側に來てわたしに、甘えつくとか、何か見せるとかするもの、ほんたうに成人(おとな)の樣な處があるから、 今度氣を付けて御覽よ。』と、云つたこともありました。 一つ(づゝ)年を重ねる中に、此子の如何にも可愛い風采が、大層に人を嬉しがらせました。 母に取つては、此上もない好い相手で、母はセドリックの外に朋友(とも)を求めぬ位でした。 それ故散歩するにも、話をするにも、遊ぶにも、皆一處でした。極く小さい時から、本を讀むことを習ひ始めて、少し讀めるやうになつてから、 夜、煖室爐(ストーブ)の前の毛革(けがは)の上に横になつては、 さま〜゛のものを聲高に讀み〜しました。其讀むものの中には、子供の悦ぶ談話(はなし)もあり、時々は成人(おとな)の讀みさうな書物も、又 (まれ)には、新聞などもありました。さうして、さいふ折には、大層奇妙なことをいふので、奧樣が面白さうに、 お笑ひなさる聲をメレが、臺所で聞き〜しました。これをまたメレが、萬屋(よろづや)の亭主にかう云つて、話しました。

ほんたうに、誰だツて、笑はずにゐられやしませんよ、あんな愛らしい樣子をして、 妙なことをお言ひなさるのだものを。まあ聞いておくんなさい。此間大統領さまの選擧があつた跡で、 臺處へ來て、兩手をポッケットに突ツ込んで、火の前にお立ちなすツた處は、丸で繪にでも書き度い樣でしたがね、 何をおいひなさるかと思へば、まあ、かうなんですよ。『メレや、僕は共和黨だよ、かあさまも、 さうなんだよ、おまへもさうかえ?』とおツしやるから、わたしが、いゝえ〜、どういたしまして、メレは民權黨の固まりですよ。』といふと、 それは〜氣の毒さうな顏付をして、『さうかえ、それは大變だよ、國が亡びるよ、 民權黨はいけないんだから。』といつて、それからといふものは、 わたしを共和黨にするといツて、毎日の樣に、議論にお出でなさるぢやありませんか。

メレは此子が大好きで、さうして、いつも大自慢でした。 此女はセドリックの誕生の頃から居るので、主人がなくなつてよりは、お三どんも、小間使も、兒守も、何も彼も一人で兼ねて居ました。 此女はセドリックの文雅(しなやか)で、屈強な(からだ)つきと、愛らしい樣子 (など)が自慢なので、殊に額の邊に波打つて、肩に埀れかゝつて、一層(ひとしほ)の愛嬌を添へる、頭髮(かみのけ)の艷やかな處が、 何より、鼻が高いのでした。それ故、朝は早く起き、夜は夜なべまでして、 セドリックの小裁(こだち)の着物の仕立や、修繕(つくろひ)の手傳をしました。

さうさ、あれが本當の品とでもいふのだらうよ。大家(たいけ)の坊ツちやまだツて、 うちのやうな姿色(きりやう)や、推出しの好いのは、ほんたうにありやしない。奧樣の舊いおめしを直して、(こしら)へたのだけれど、 あの黒天鵝絨(くろびろうど)の服を着て、外を歩いていらツしやるもんなら、 どんな男だツて、女だツて、子供だつて、ほんたうに振り返つて見ないもんはありやしない、 丸で華族樣の若樣の樣だ。

と人に云ひ〜しました。

セドリックは自分が若殿樣のやうだか、やうでないか知りませんかツた。 全體若殿樣といふものが、どんなものかといふことさへ、知らないのでした。 自分の一番の友だちといふは、角の萬屋(よろづや)の亭主で、音に聞えた癇癪持でしたが、 セドリック丈には一度も怒つたことがないといふ評判でした。名はホッブスといひました。セドリックは此人を大層尊敬してゐまして、 彼の人は餘程の金持で、えらい人物だと思つてゐました。なぜかといふと、其人の店先には、李子(すもゝ)無花果(いちじゆく)、蜜柑、 ビスケットと種々樣々の品物が(なら)べてある上に、馬と荷車とが置いて在つたからです。 セドリックは牛乳屋も、麺包屋(パンや)も、林檎屋のおばあさんも、好きでしたが、 中で此ホッブスといふ人程好きな人はなく、例へば毎日逢ひに行つて、(むか)ひ合つては、其時々の事をいつまでも話してゐたといふ丈でも、 どの位懇意だツたといふことが分ります。二人が寄れば、いつも、 話が盡きなかつたといふことは、實に不思議な樣でした。先づ七月四日の獨立祭の事などが話の種で、 獨立祭の話が始まれば、實に(きり)がない樣でしたが、ホッブスは英人と云へば、 大の反對で、或時革命の話を、すつかりセドリックに爲て聞かせました。其中には敵の奸惡、身方(みかた)の勇士の功名などに付いて、隨分、 異樣に聞える愛國的の談話が(まざ)つてゐました。其上獨立の宣告文まで、 言つて聞かせました。セドリックが此話を聞いてゐる(うち)は、 眼が光り、頬が赤くなり、()がびしや〜に汗になるほど、一生懸命でした。 家に歸つて、母に話をするのを、御膳の濟むまで待てない位でした。セドリックが政治の事に注意する樣になつたのは、全く最初、 ホッブスの仕込があつた故でした。さてホッブス(うぢ)は、新聞を讀むのが大好きでしたから、 ワシントン府にある事柄などは、いつも(くは)しく話して聞かせました。 それで、セドリックは、かう〜で、大統領が義務を盡してゐるとか、又かいだから、義務を盡さないのだといふ話をも、 感服(かんぷく)して聞いてゐました。一度、選擧があつたときなどは、セドリックは大層夢中になり、何でも剛勢(がうせい)なもんだと思ひ、 自分とホッブス(をぢ)さんとが居なければ、隨分國の安危(あんき)にも(かゝは)らうといふ威勢(いきほひ)でしたが、 ホッブスが、ある時セドリックを連れて、炬火(たいまつ)の行列を見に行きました。 行列の人の中には、其時、瓦斯(ガス)燈の側に立つてゐる、 (ふと)つてづんぐりとした人の肩車に乘せられてゐた、小さな、綺麗な男の兒が、 大聲に萬歳を呼びながら、高く帽子を振つてゐたことのあるのを、 記憶して居る人が有りませう。(それ)が即ち、セドリックとホッブスとであつたのです。 丁度、此選擧騷ぎの直ぐ跡で、セドリックの七歳と八歳との間の頃でしたが、此子の生涯に大變動を起した一大事が起りました。 (さう)してまた、丁度此日にホッブス(うぢ)が、英國や、英國女王(によわう)の話をばしてゐて、米國には例のない、 貴族といふものの講釋をして、大層烈しい事を云ひ、殊に侯爵とか伯爵とかいふものに對して、非常に憤つてゐましたが、 跡で、思ひ合すれば、此日は實に不思議な日でした。

其日は朝から大層暑くツて、セドリックは、友だちと一處に兵隊の眞似をして遊んでゐて、 恐しく熱くなりましたから、休息しようと思つて、ホッブスの店に這入つて行きましたら、 ホッブスは折節朝廷の儀式の圖のやうな、插繪(さしゑ)のあるロンドンの或る繪入新聞を讀んで、 大層すさまじい顏をしてゐました。そして、

ヨシ、いまの中、さんざ高上(たかあが)りをして、下々(しも〜゛)の人を蹈みつけるが好い。 今に見ろ、蹈みつけた人たちに、いやといふほど飛ばし擧げられるから。 (是は暴徒ヂナマイトの類を指して云ふ也。)わしのいふ(こと)に間違はない、みンな眼を開いて見てゐろ。

と言ひました。セドリックは此時、いつもの通り、高い椅子に、ちよんぼり腰かけて、 ホッブス(うぢ)に敬禮を表する爲、帽子に後を推しやり、兩手をポッケットの中に突ツ込んでゐましたが、ホッブス(うぢ)に向ひて、 かう尋ねました。

をぢさんは、侯爵だの、伯爵だのといふ人、たんと知つてるの?

ホッブスは、少し腹立ち氣味に、

そんな奴知つてゐてたまるものかよ、(わし)(ところ)へでも這入つて見るがいゝ、 どうしてやるか。弱いものいぢめをする壓制貴族めらを、こゝらの明箱(あきばこ)へなんぞ、 腰をかけさせてたまるものか。

四方(あたり)を睨まへながら、大威張に持論を()べて、 汗でぽつ〜と湯氣だつ額を拭つてゐました。セドリックは、譯は分らぬながら、どうか、 不仕合らしく聞ゆる其侯伯たちが、ひどく氣の毒になり、

をぢさん、(それ)は何にも知らないもんだから、侯爵なんぞになるンでせう?

と云ひました。すると、ホッブスが、

どうして〜、大威張なんだ。なに、生れつき道理(わけ)が分らないンだ。不埒千萬な奴等だ。

と、話の眞最中に、下女のメレが顏を出しました。セドリックはお砂糖でも買ひに來たのかと思ひましたが、 さうではなく、何かびツくりしたといふ樣子で、少し顏色が變つてゐましたが、

坊ツちやま、お歸りなさいよ、かあさまが御用ですから。

と云ひました。セドリックは、彼の高い椅子から滑り降り、

さうかえ、かあさんと一處にとツかへ行くのかえ? をぢさん、さやうなら、又來ますよ。

と云つて、メレと一處に出かけましたが、メレが肝がつぶれて、物がいへないといふ顏付で、 自分をぢツと見てゐるのを、何故(なにゆゑ)かと思ひ、引ツ切りなしに首を振つてゐるのに、不審をうちました。

メレや、どうしたのだえ?暑いのかえ?

と尋ねました。

いゝえ、ですがねえ、どうも不思議な事になつて來たと、思つてるンです。
なにかえ、かあさんが日向(ひなた)へ出て、頭痛がなさるのかえ?

と、心配さうに聞きました。併しさうでもなかツたのでした。家に歸つて見ると、戸の外に小馬車が()めてあつて、誰か、 小座敷におツかさんと、話をして居たものがありました。メレは二階にと自分を急がせて、白茶フラネルの餘處行(よそいき)の着物に、 (はで)兵兒帶(へこおび)を締めさせて、髮のもつれを(とか)してくれました。メレは口の中で、

ヘン、華族だツて、上方(うへツがた)だツて、しやうがあるもんか、 侯爵だツて、まあ、とんでもない……

と、ぶつ〜言つてゐました。セドリックは何だか不思議でなりませんが、母の處に行つたら、何事も話して貰はれると信じ、 メレが(しき)りに不足らしく口小言(くちこごと)を云つてゐるのを、默つて聞いてゐて、何も尋ねませんかツた。さて支度も濟んで、 下に走り下り、座敷に這入りますと、(せい)の高い優しげな、鋭敏らしい、老紳士が、 安樂椅子に腰をかけてゐて、其側に母が、是も少し(かほ)の色を變へて、坐つてゐましたが、見れば眼に、涙が溜つてゐた樣でした。

オヤ、セデーかえ……

と聲をたてゝ走り寄り、兩方の腕で子供を抱へ、キッスをした樣子が、 何か驚いたことか、心配なことでもありさうでした。脊の高い紳士は、椅子を離れ、彼の鋭い眼で、セドリックを眺め、眺めながら、 瘠せた頬を骨ツぽい手で撫でてゐましたが、先づ滿足せぬでもないといふ顏付でした。やがて緩々(ゆる〜)とした調子で、

ハヽア、左樣なら、これがフォントルロイ殿で御座るか?

と云ひました。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第二囘


これから後、一週間の内といふものは、セドリックは、驚く事(ばか)りで、 (よろづ)、夢の樣に感ぜられました。第一おツかさんのいつて聞かせて下さる事が、 皆不思議でたまらず、二度も三度も聞き直さない中は、會得が出來ませんかツた。 さうしてホッブスをぢは、まあ、何と思ふだらうかと、自分にも想像がしかねてゐました。先づ第一に、華族といふことが其話の始まりでした。 (そもそ)も、自分のまだ見たことのない、お祖父樣が、侯爵の華族さまださうで、 それから、其跡を繼いで、侯爵におなりなさるべき、伯父樣といふが、 落馬しておなくなりなさる。其次には、二番目の伯父樣が、其爵位をお受けなさる筈なのが、 是も(にはか)にロームといふ處で、熱病でお隱れになつて仕舞ふ。さあかうなつてからは、セドリックのおとうさまが存命ならば、 其跡にお直りなさる可きを、みンな、此世に入らツしやらないで、セドリック丈が殘つてゐるのだから、お祖父樣のお跡には、 自分が侯爵になることだといふ話でした。今の處では、ドリンコート侯爵の跡を讓り受くべき人が、(あらかじ)め名のるといふ、 フォントルロイ殿と云ふ尊號は、取りも直さず、自分の新らしき名と云ひ聞かせられました。 セドリックが始めて此話を聞きました時は、思はず顏の色を變へました。

かあさん、僕は侯爵になり度くないよ、だツて僕の友だちに、 侯爵なンかになるものは、一人もいないンだもの。かあさん、侯爵にならなくツちや、どうしてもいけないの?

といひました。然るに、此事は免れられぬものと見えて、其晩、二人は表の窓から、外の見すぼらしい町を眺めながら、 久しい間其話をしてゐました。セドリックは常の通り、兩手で片膝を抱へ、低い椅子の上に坐つてゐましたが、どうやら迷惑さうな、其顏は、 つめて考へた(せゐ)か、ぽツと赤らんでゐました。畢竟、お祖父樣が、 セドリックを英國へ來る樣にと、(むかひ)をおよこしなさツたので、おツかさんが、 行かなければ、いけまいと思ふとおツしやるのでした。おツかさんが悲しさうな眼つきで、窓から外を眺めながら、

セデーや、おとうさんが入らしツたら、矢張りさうさせ度いと思召すだらうと、 わたしは思ふのだよ。おとうさんは大層、おうちを戀しがツて入らツしやつたお方だツたよ。さうして、おまへは、まだ年も行かず、分るまいが、 そこには色々考へなければならぬ都合もあるのだからね。全體、わたしが、お前を引留めて遣らなければ、大層我儘な母になるのだよ。おまへが、 やがて成人すれば、何も彼もすツかり分りますよ。

とお云ひでした。セドリックは、氣がなささうに、(かしら)を振つて、

僕はね、ホッブスをぢさんに分れるのが厭で、しやうがないンです。僕も淋しいだらうし、 をぢさんだツて、さびしがるに違ひないンだもの、それから、みンなと分れるのが、大變厭だもの。

といひました。さて英國からフォントルロイ殿が迎にとて遣はされた、 ドリンコート家附屬の代言人、ハヴィシャムといふ人が、翌日此家に來ました時、セドリックは、尚 種々(いろ〜)の話を聞きました。併し、成人の後、滅法富貴な身分になり、此處彼處(こゝかしこ)に城郭を所有し、 美麗なる花苑(くわゑん)、廣大なり鑛山、立派なる借地、借家が、皆、自分のものになると聞いても、それがセドリックの慰めにはならず、 たゞホッブスをぢのこと許りが、氣に掛つてゐました。それ故、朝飯(あさはん)を濟ますと直ぐに、心配しい〜、彼の店にと出掛けました。 ホッブスは丁度新聞を讀んでゐた處でしたが、セドリックは何日(いつ)にもなく眞面目な顏で、側に寄りました。 自分が斯樣々々(かやう〜)の事があつたらと、唐突(だしぬけ)に申したら、さぞ(きも)をつぶすだらうから、どうかして、 おだやかに其話がしたいと、セドリックは道々考へながら來たのでしたが、ホツブスは突然(いきなり)

イヤアー、お早う。

と聲を掛けました。セドリックの方でも、

お早うー。

といひました。此日は何故(なにゆゑ)か、側の高い椅子には乘らず、 そこに有る明箱(あきばこ)の上に坐つて、膝をかゝへて、ぢツとしてゐたことが、 やゝ暫時(しばらく)でしたから、ホッブスはやがて、不審顏に、新聞の上から見上げて、

イヤアー、どうした?

と云ひました。セドリックは、此時、一生懸命に氣を落着けて、かう云ひました。

をぢさん、昨日(きのふ)の朝こゝで話をしてゐたこと、覺えてゐますか?
さうさ、イギリスの事だツけな。
エー、それから、そら、丁度メレが這入つて來た時ね?
さうだ〜、ヴィクトリヤの事だの、華族の事なンか、話してゐたツけな。
それからね、そら……、そら(と口籠りながら)、あの、侯爵の事ね、覺えてゐないの?
ほんに、さうだツけなあ、あいつ等の事も話したツけ。

セドリックは額の(ほとり)に、ふさ〜としてゐる髮の根本まで、眞赤になり、 凡そ一生涯に、これほど間がわるかツたことはないと、自分は思ひ、ホッブスをぢも、いくらか間がわるくはないかと、氣遣ひながら、

をぢさん、こゝらの明箱(あきばこ)へ、 侯爵なンかに、腰はかけさせないツて、いつたねい?

と、又言葉をつぎました。ホッブスは、少し威張加減に、

さうとも〜、こゝらへ腰でもかけようもんなら、ひどい目に逢はせてやるわ。
をぢさん、さういふけれども、此箱の上に腰をかけてゐるのは、侯爵だよ。

と聞いて、ホッブスは、殆んど椅子から跳び落ちさうな氣色(けしき)でした。

何を言ふンだなあー。

と、びツくり聲で云ひました。セドリックは、遠慮氣味に、

エー、でも、僕が、侯爵なンです。あの、これから、それになるンです、 (うそ)いひやしませんよ。

といひました。ホッブスは、これは、大變だといふ顏付で、(にはか)に立上つて、 寒暖計を見に行きました。振り向いて、ぢツと、セドリックの顏を、見詰めながら、

暑氣(しよき)にちツとやられてるな、今日はまた、すてきに暑いからなあ。 全體、どんな氣持がするんだ?どツか痛いのか?いつから、そんな心持になつたんだ?

と立續けに問ひ掛けて、セドリックの頭髮(かみのけ)の中に、 大きな手を突込みました。處で、益々間がわるく、(おく)せ氣味に、

をぢさん、心配してくれて有難う。だが、僕は何ともないンです、頭はどうもしやしません。 ねい、をぢさん、僕もそれが、ほんとだツて云ふのは、厭だけれど、昨日(きのふ)、 メレが僕を連れに來たのも、それなんで、ハヴィシャムさんが、僕のかあさんに、 其事を話しに來たンです。さうして其人は代言人ですと。

ホッブスは、此時、椅子にどツかり居直り、ハンケチで(しき)りに額を拭ひながら、

なんでも、どツちか、霍亂(くわくらん)でもするにちげいねいンだ。

と、とんきやう聲で云ひました。

いゝえ、をぢさん、そんなことはないンですよ、ねい、をぢさん、 仕方がないから二人とも、諦めなくツちやね。だツて、ハヴィシャムさんが、 態々(わざ〜)イギリスから其話を聞かせに來たんで、僕のお祖父さんがよこしたンですと。

ホッブスは、呆氣に取られて、セドリックの眞面目な、あどけない顏を、見詰めながら、

おまへのおぢいさんとは、それは一體誰なんだ?

と尋ねました。

セドリックは、ポッケットの中に手を入れて、丸ツこい、子供らしい手蹟(しゆせき)で、覺束なささうに書いた紙切を取出し、

僕はよく覺えてゐられなかツたからね、これに書付けて置いたンです。 (といひながら胡亂(うろん)な調子で、ドリンコート侯爵、ジョン、アーサ、モリノー、エロルと讀上げ) これが僕のお祖父さんの名なンです。さうして、お城に住んでゐるンですと。 さう〜、二つも三つもお城があるンですと。僕のとうさんね、死んだ僕のとうさんは、 一番の末子(すゑッこ)で、僕は、とうさんがおなくなりなさらなければ、 侯爵になんか成りやしないンで、それから、とうさんの兄さんが二人おなくなりなさらなけりや、 とうさんも侯爵にならない處だつたんだけれど、みンな亡くなツちまつて、 僕きり殘つてゐて、他に男の子がないからね、僕がならなけりや、いけないンですと。 だから、僕のお祖父さんが、イギリスへ來いツて、迎ひによこしたンですよ。

ホッブスは、ます〜(のぼ)せ上つた樣子で、額と頭の禿のおけしとを、 絶間なく拭ひながら、(しき)りに(せは)しい、息づかひをしてゐました。 何うやら不思議なことが、實際あつたのだといふことは、少しづつ呑み込めては來ましたが、 眼の前にあどけない、氣遣はしさうな顏付をしたセドリックが、明箱(あきばこ)の上に腰かけてゐて、見れば以前と少しも變つてはゐず、 矢張り昨日(きのふ)見た時の紺の服に、赤い頸飾をつけた姿色(きりやう)よしで、 心易くツて、(きつ)さうな童兒(こども)に相違ない故、華族がどうしてかうしての話が、中々一寸合點が行きませんかツた。 其上、セドリックの話振が、あまりに、無邪氣で、さツぱりとしてゐて、 自分には大したこととも、一向氣がつかずにゐる樣子ゆゑ、尚更仰天したのでした。

おまへの名は……なんだツけな?

と問ひかけました。

あの、フォントルロイ殿、エロル、セドリックといふンです、 ハヴィシャムさんが、何んでもうさういひましたツけ。僕がね、 最初座敷に這入つて往つたらね、『これがフォントルロイ殿で御座るか。』ツていひましたツけよ。
フーン、おらあ、あきれツちまつた!

ホッブスをぢの、此言葉は、いつも非常に驚いたとか、氣の揉めるとかいふ時によく出ましたが、 差當り、仰天のあまり、他にいふことを思ひ付かなかツたのでした。 セドリックは、矢張り是が相當な、差支のない歎息の言葉と許り思つてゐました。 ホッブスを非常に敬愛して居る處から、(すべ)て其言葉までが、 尤もに感じられて、いつも敬服してゐました。未だ世間の交際も知らぬセドリックには、 ホッブスの、餘り禮儀正しい人物でないことは、氣が付きませんかツたが、 (もと)より自分のおツかさんと較べて見れば、ホッブスの違つてゐたところは、分りました。 併し、おツかさんは、婦人のことゆゑ、婦人と男子とは、どうしても違ふものと、自分に道理をつけてゐました。此時、何か物足りなささうに、 ホッブスを見詰めてゐましたが、暫くして、

をぢさん、イギリスは大變遠いンだね?

と尋ねました。

さうさ、大西洋といふ海を渡つて、向うだよ。

と答へました。

僕は、それが厭なンですよ、ひよツとすると、いつまでか逢はれないね。 をぢさん、僕はそれを考へると、厭でしやうがないの。
親友も、離れざるを得ず、といふことがあるわ。

と、ホッブスがいひました。

さう、をぢさんと僕とは、幾年か親友だツたんだね。
さうとも、おまへが生れるとからだ、おまへがはじめて此町を抱かれて歩いたのは、 何でも、生れてから四十日程たつてからだツけ。

セドリックは、溜息をつきながら、

アヽ〜、僕は其時分、侯爵なんかならなけりや、いけないツて、思はなかツたツけ。
おまへ、よす譯には、いかないのかな?
どうも、さうは行かないやうですよ。かあさんがね、とうさんが入らツしやれば、 きツとさうさせ度いツておツしやつるだらうて云ひましたよ。だがね、僕はどうしても、侯爵にならなくツちやいけないンなら、 かうする積りですよ。ねい、僕は極く好い侯爵になるンです、壓制家になんかはならないンです。さうして、 も一度アメリカと戰爭しようなんていはうもンなら、僕が一生懸命に止めませうね?

これから、ホッブスと、久しき間、仔細らしく話をしてゐました。最初の不審が解けてからは、ホッブスは存外愚癡(ぐち)ツぽくなく、 餘儀なこととして、觀念した樣子でした。セドリックが(いとま)を告げる迄には、 さま〜゛な事を尋ねました。セドリックは、思ふ樣に返事が出來ませんかツたから、 自分で自由に理窟を付けて、段々侯爵、伯爵の談話に油が乘つて來てから、かういふもんだ、あゝいふもんだの講釋は、ハ氏にでも聞かせたら、 さぞ肝をつぶさせましたらう。

併し、ハヴィシャム氏の驚いたことは、まだ外にいくらも有りました。 是は、イギリスに一生を送つて、米人と米國との風俗は、少しも見慣れて居らなかツた故でした。 職務上、ドリンコート家には、四十年間も關係して居りまして、之に附屬してゐる莫大の富も、 威光も好く知つてゐることゆゑ、自分は、全體、冷淡な(たち)で、職務上の外は、 容易に口を開かぬといふ人物なるにも拘らず、遠からず、一切を受繼いで、 ドリンコート侯爵の尊號を名乘る可き此童兒を、流石に輕忽(おろそか)に見做しませんでした。 此人は、長男、次男が、老侯の意に叶はなかツたことも、カプテン、エロルが、米國婦人と結婚したのを、烈しく憤られたことも、 其未亡人を忌み嫌はるゝこと、今猶ほ以前に異ならず、其人の話になれば、(いつ)も言葉を荒らげ給ふことも、 承知して居りました。老侯はいつも、此婦人こそ、我子が侯爵家の子息たるを見込み、手練(てくだ)を以て欺きたる、卑劣なる人物と斷じて、 罵り居られました。ハヴィシャム氏も、左樣なこともあらうか位に、思案して居りましたが、隨分勝手、氣儘な人物にも、亦貪慾な人物にも、 多く出逢うたことのある人でして、其上米國人をば餘り好く思ひませんかツたこと故、 かく邪推するも無理ならぬことでした。さて、御者の案内で、馬車が、とある下賤らしき町へ這入り、安ツぽい、小さな家の前に止まつた時は、 實際ぎよツとしました。(いや)しくも、ドリンコートの城主と呼ばるべきものが、 角に萬屋(よろづや)らしき小店のある、下賤極まる家に生れて、成長したといふは、 どう思うても餘りに相應(ふさは)しからぬことと、感じました。生れし男兒といふは、如何なる人品、又母たるものの人柄は、 いかゞであらうと氣遣ひつゝも、心は一向進まず、有難くもなき對面と、 少し躊躇の氣味でした。自身が、これ迄久しき間、其公務を引受けて居つた大家(たいけ)の事ゆゑ、 自然贔屓も出來て見れば、亡夫の故郷と其家の尊嚴などとの事に、考への及ばぬ、卑劣貪慾なる婦人と掛引せねばならぬ仕合は、 迷惑千萬なることと思はれたでせう。此老成なる代言人は、生來冷淡で、且つ鋭敏なる事務家でしたが、 高名なる此舊家に對しては、容易ならぬ尊敬心を懷いて居りました。 メレの案内に連れて、通つた座敷を見、批評的に眺めましたが、質素にしつらへてある中にも、 案外、小ざツぱりとして、住み好ささうでした。周圍(まはり)には、 安ツぽい虚飾的(はで)な置物や、額が見えず、壁に掛つた、多くもあらぬ額面は、 品好きもの(のみ)で、婦人の手に成つたらうと思ふ、綺麗な飾付が、外に少し許り有りました。先づ、これ位ならば、大して惡くはないが、 カプテン、エロル殿の嗜好(このみ)が好かツた(せゐ)かも知れぬと、 心の中に思ひました。併し、エロル夫人が、座敷に這入つて來たのを見ると同時に、どうやら其人柄が、矢張り其 包圍(まはり)と釣合つて居るといふことに氣が付きました。此人が若し沈着で、物に動ぜぬ老紳士でなかつたならば、夫人を見た時の驚きが、 必ず容貌に表はれたに相違有りません。其質素な黒い喪服が、窈窕(たをやか)な姿をよくも裝うた處は、七歳になる童兒の母といはうよりは、 寧ろ、まだうら若き處女(をとめ)と思へる樣でした。其の若々しい顏は、綺麗に(しを)らしく、其大きやかな茶勝(ちやがち)の眼には、 何處となく、優愛で、おぼこ氣な樣子が現はれてをりました。此一體に萎々(しを〜)としたとした處は、夫に名ごりを告げて以來(このかた)、 まだ全く、去り切らぬ樣子振りでした。セドリックは、此樣子をよく見慣れて居りましたが、 暫時、其の憂はしさが消失せて、母の(かたち)のさえ〜゛するのを見るのは、只自分が一處に遊ぶときとか、話をしてゐる中に、何か思はず、 妙なことをいふ時とか、又は新聞を讀んで覺えたか、ホッブスの談話(はなし)で聞いた、 可笑しな、ませた言葉をつかつた時とかの折許りでした。セドリックは、六ヶしい、長い言葉をつかふのが好きでして、 おツかさんのお氣に入るらしいのは嬉しいけれど、自分は一生懸命で言ふのに、 なぜ人には可笑しいか知らんと思つてゐました。さすが代言人丈あつて、彼の人は、 人物を見るのは得意でしたから、セドリックの母を、一目見ると、すぐに、老侯がエロル夫人をば、 下賤で、貪慾な人物と看做(みな)した判斷の、大誤りで有つたことの合點が行きました。 ハヴィシャムといふ人は、一生獨身で送つた人で、戀といふことさへ知りませんかツたが、 此可愛らしい聲の、(しを)らしい眼付の若い婦人が、カプテン、エロルと結婚したのは、 全く其優しい心を盡して、其人を愛戀した故で、侯爵家の子息といふ損益上の考へに這入つたことは、 必ず無いと判定が屆きまして、先づ是なれば、掛引の面倒もない、 又若年のフォントルロイ殿も、ドリンコート家にとつて、さまでの厄介者でもあるまいと思はれて來ました。 それから、又カプテンは生來、美男子であつて、此婦人も美人のこと故、其子は多分 姿色(きりやう)が惡いことはあるまいと考へました。

最初、先づエロル夫人に來意を告げました時、夫人は忽ち顏色を變へました。

オヤ、左樣ですか、左樣ならば、私は、あの子を手離さねばならぬのでせうか? まあ、あの樣によく(なつ)いて居りますに。只今まで心を盡して養育いたしますのが、 此上もない樂みで、そして他に何の樂みもない私にとつては、人の知らぬ程大事な子で御座りますのに……

といふ聲の震へた處は、如何にも愛らしく、眼には涙を一杯に(たゝ)へてゐました。 彼の代言人は、咳嗽(しはぶき)して、かういひました。

ちと申し(にく)い事ですが、老侯は尊夫人(あなた)に對して、エー、その…… ひどく打ちとけては居られぬので、イヤ御承知の通り、老人と申す者は、兎角偏頗(へんぱ)な者でな。老侯も其 偏頗心(へんぱしん)の甚だ強い方で、一度思ひ込んだことは中々解きにくいのです。殊に米國といひ、 米國人といへば、一途に嫌ひな(たち)で、實は御子息の御結婚の事に付いては、 イヤ大した立腹で御座りました。愚老も(じつ)以て、面白からぬ御沙汰の使者として推參致すは、 迷惑な次第です。併し早い話が、老侯は尊夫人(あなた)とは斷じて顏を合すまい、 たゞフォントルロイ殿は手元に引取り、自ら其教育の任を執り度いとの御所存で御座る。 元來、老侯は、ドリンコート城には餘程執心で、お住居(すまゐ)はおも御城中で、 炎症痛風を惱まるゝが爲、都には餘り御滯在はないのです。それ故、フォントルロイ殿も、 矢張りおもドリンコート城に御住ひになることで御座らう。尊夫人(あなた)はコート、ロッヂと申して、此城郭に遠からぬ、家屋を呈し、 又之に加へて適當なる歳入も差向けらるゝ御所存で御座る。且フォントルロイ殿が、 (こゝ)にお出入有つて母君の御機嫌を伺はるゝことは自由にいたし置かるゝ筈でござる。 只差留置かるゝは、御對面のことと城郭への御出入とのみで御座る。 只今申し上ぐる通り故、先方の申分も、さほど無理ならぬことかと存じます、テ。殊に申す迄もなく、斯くなる上はフォントルロイ殿にとりては、 教育其他萬事に如何程に御利益か測られませぬこと故、(とく)と御勘考を願ひます。

と述べ立て、さて婦人は兎角涙もろいもの、かう聞いて泣出されては、 苦々しきことと、心密(こゝろひそ)かに其樣子を(うかゞ)つて居りましたが、 其樣子もなく、たゞ窓際に立寄つて、暫く顏を背向(そむ)けて居たのは、心の動搖を靜める爲で有つたのでした。幾ほどもなく、

カプテン、エロルも、ドリンコートを大層に慕うて居られました。 お國の事と云へば、何事もひどく懷かしく思召して、お家を離れて居らるゝが、始終御苦勞の種で有つたのでして、お家の事も御家名の事も、 格別大切に思はるゝ方でしたから、其子に故郷(ふるさと)の立派な處も見せ、 殊には又未來に賜はるといふ、爵位に對して、相應な教育を受けさせたいと、 若し御存命ならば、思召すは必定で御座ります。

といひ(なが)ら、席に戻り、ハヴィシャム氏を、しとやかに打見遣り、

夫が、矢張りその通りに致し度いと、思ふだらうと存じます上は、 私には他の考へも御座りません。仰せの通り、子供の爲には結構なことで御座りませう。 そしてあの侯爵樣は、まさか子供が此母を嫌ふ樣には、お躾け遊ばすことも、あるまいかと存じられます。萬一、左樣に躾けようと思召したとて、 子供の害にはなりますまいかと思ひます。(まこと)に父によく似て、 温和で忠實な(たち)ですから、假令(たとひ)、長の年月顏を合せませんとても、 私を思ふことには、變りは御座りますまい。まして折節の對面をお許し下さるとならば、格別申分は御座りません。

と何氣ない言葉を聞いて、老人は心の中に、さては心得たる婦人、自分の勝手とては、露ほども思はぬと見えて、 別段先方に要求らしいことも申し出さないのかと考へ、

イヤ、尊夫人(あなた)只管(ひたすら)、御子息の行末のためにと、 御配慮あるは、此老人も實に感服に存じまする。フォントルロイ殿も、御成人なりたる上、如何ほど悦ばるゝか、計られませぬ。 以來フォントルロイ殿の御一身、御幸福の爲には、老侯にも十分御盡力ある御所存なれば、 其邊は御心易く思召して、宜しからうと存じます。きツと老侯には尊夫人(あなた)に代つて、どこまでも御保護、御 鞠育(きくいく)あることはお請合致して置きます。

と聞いて、優しい母心に、少し思ひ迫つて、震へ聲になり、

どうぞ侯爵さまには、セデーにお目かけられて、愛して下されば好うございますが、 あれは氣立が誠に人懷こい方で、これまで優しく扱はれつけて居りますから……

といひましたが、ハヴィシャム氏は之には速答が出來ず、手持なさに又しはぶきしてゐました。 心の中に、どうか彼の痼疾(こしつ)ある、癇癖(かんぺき)な老侯が、大して人を愛する樣なことは、間違つてもないかと思ひました。 併し自分の後を繼ぐ可きものを(なつ)けて置くは、利益で有つて見れば、先づ深切には扱ふであらう。又人物が自分の氣に叶へば、隨分、 人に對して自慢する樣になるかと思ひ、

フォントルロイ殿は、きツとお氣樂には相違御座りません。畢竟 尊夫人(あなた)が近隣に御住ひなさる樣、お取計ひあつたと云ふも、 フォントルロイ殿のお心の中を、推測つての御配慮で御座る。

と賢くも答へました。ハヴィシャム氏も、流石侯爵殿の申された通りを、 其のまゝ傳へるに忍びず、(わざ)と言葉を和げて、滑らかに聞える樣に注意致しました。 さて、エロル夫人が、メレに子息を尋ねて連れ歸る樣に申し付けて、メレが其 在處(ありか)を申した時、老紳士は又もどツきり致しました。

へい〜、造作もなく見つかりますとも。又いつもの通り、今時分は、 ホッブスさん(とこ)の帳場の(わき)に、お腰をかけて、政事の話をして入らツしやるか、さうでなけりやあ、シャボンや、 蝋燭や、馬鈴薯(じゃがいも)のあるなかで、御機嫌で遊んで入らツしやるに、ちげい御座いませんよ。 え、どうもお利發(りこう)で、お可愛いンですからね。

と、メレがいひました。エロル夫人は、其跡を繼いで、

はい、あの、ホッブスと申す人は、セデーが生れた時から御存じで、 大層深切にして下さるので、セデーが、(まこと)にお近しいのでござります。

自分が角を過つた時、ちツと目に這入つた馬鈴薯(じやがたら)や林檎の箱、 其他種々の雜多の貨物(しろもの)の、散亂してゐる小店のことを、此時、思ひ出しまして、ハ氏は又心に疑ひを生じました。 いかさま英國では、(いやし)くも紳士の家に生れたものは、 萬屋(よろづや)の亭主などと友誼を結ぶといふ樣なことはありませんかツたから、 今聞いたことが、餘程不思議な所業に思はれました。もし、其子供が行儀賤しく、 下鄙(げび)た人の交際を好む樣ならば、それこそ當惑な事を考へました。老侯が何よりも不面目に感じられたことは、長男次男の兩人が、 下賤の者の交際を(たしな)んだことでしたから、此子が萬一、實父の見識を受繼がず、 却つて伯父たちの惡癖を遺傳しはせぬかと、少し氣遣はしく思ひ始めました。 エロル夫人と談話の最中、此事に就いて心安からず思つて居りましたが、 其中戸が開いて、子供が座敷に這入つて來ました。最初、戸が開きました時、 何故(なにゆゑ)ともなく子供と顏を合せるが嫌に思はれて、ちよツと躊躇(ためら)ひました。 然るに、手を擴げて迎へる母の方に走り寄る子供を見ると同時に、此老紳士の心の中に起つた、得も云はれぬ感情を、平素其 實着(じつちやく)、沈靜な氣象を見拔いて居たものが知りましたら、 餘ほど不思議なことに思うたでしたらう。さて、かくまで非常にハ氏の心を動かしたものは、 一種反動的の感情でして、一見して其童兒が嘗て見たことのないほどな秀逸(すぐれ)ものと分つた時、 起つたので、殊に容色(きりやう)()いことは非常なものでした。 其體つきの屈強で(しな)やかな處、幼顏(をさながほ)の雄々しき處、(かうべ)をしやんと(もた)げて、 進退する動作の勇ましい處等の一々亡父(なきちゝ)に似て居ることは、實に不思議な程でした。髮は黄金(こがね)色で父に()、 眼は母の茶勝(ちやがち)な處そツくりでしたが、其眼付には、悲しさうな處も、臆せ氣味な處もなく、只あどけない中に、 毅然とした處のあるは、一生涯、なににも()ぢたことなく、疑つたこともないといふ氣配でした。ハ氏は、心の中に、 是は又大した上品で、立派な童兒(こども)だとおもひましたが、 口に出しては極く淡泊に、『左樣ならば、これがフォントルロイ殿で御座るか。』といひました。 此後、其童兒を見れば見る程、意表に出づることが多くありました。 ハ氏は英國で見た子供の數の(いと)も多い中に嚴重、丁寧に抱への師匠に躾けられた、 姿色(きりやう)好しの、立派な童男(どうなん)童女(どうによ)も多くありました。 中には、控へ目の(たち)もあり、又騷々しいのも有りましたが、()れる近づいて、()て子供といふは、どういふものと、 氣を留めて見ようと思つた程のは有りませんかツた。尤もハ氏の如き四角張つた、 嚴整(きちやうめん)な老成代言人にとつては、子供などは別段面白いことはなかつたでせう。 然るに、セデー丈には、不斷と違つて、よく注意したといふものは、此童兒(こども)の運命は、自分の利益に關係の多い處からで有つたのか、 又はさうでないのか、兎に角、知らず識らず、注意を惹起(ひきおこ)されてゐました。 セドリックの方では、自分に眼を着けられて居るとも何とも氣付かず、たゞ平生の通りの擧動(ふるまひ)をして居りました。 自分がハ氏に紹介された時、いつもの通り丁寧に握手して、ホッブスと應答すると變つた調子もなく、 問はるゝ毎に造作もなく返事をしましたが、其樣子は、(おぢ)けた風もなく、 さりとて差出がましき處も有りませんでした。又ハ氏が、自分の母と話をしてゐた間、 ぢツと聞いて居つた樣子は、丸で成人(おとな)かと思はれる位でした。

御子息は、誠にお巧者の(たち)に見受けられます。

と、母に向つて申しました。

左樣で御座います、ことによると、さうかと存じます。物覺えは極く宜しい方で、 只今まで、主に年上な人と許り居りましたから、聞き覺えや、讀み覺えの六ヶしい言葉を遣ひましたり、 ませたことを申したりする癖が御座りまして、折々大笑ひをいたします。仰せの通り、どちらかといへば、巧者な性質(たち)でせうが、 又時としては矢張り、極々子供らしう御座ります。

此後、ハ氏が再びセドリックに出逢ひました時、母の申されたことを思ひ合せて、 (ほん)に子供らしい子といふことが分りました。馬車が角を曲ると、一組の童兒(こども)が目に這入りましたが、見れば何か大層 息急(いきせ)きしてゐました。其二人は今しも競走(はしりくらべ)にかゝらうといふ處でしたが、 二人の中の一人は未來の侯爵殿で、朋輩に負けず、劣らずの騷ぎをして居られました。 丁度今、相手の子供と(なら)びたつてゐて、赤い靴足袋(くつたび)を穿いた(はぎ)を、 向うへ一歩踏み出してゐる處でしたが、主唱者は大聲に、

みンな好いかえ?一ツちで始まり……二ツで確乎(しつかり)……三ツでやれい——

と呼ばはつてゐました。ハ氏は我知らず首を馬車窓の外に出して、大層實を入れて勝負を眺めてゐましたが、 合圖の言葉と共に跳出した若侯(わかぎみ)の立派な赤い(はぎ)が、膝切ズボンの後に躍り上り、殆ど宙を飛ぶかと思ふ樣な鹽梅は、 未だ曾て見たことのない壯觀だと思ひました。セドリックは、小さい手と手とをしツかり握つて、 風に逆つて走りましたが、きら〜した髮は、浪々と後に吹流されて居ました。朋輩の男兒(をとこのこ)等は、夢中になつて足蹈をしながら、 狂ひ聲に呼びたて呼びたて、

セデー、ヤッツケローイ。ビレー!負けるナーイ。ヤレイ!ヤッツケローイ!

ハ氏は獨語(ひとりごと)に、

矢張りこちらが勝ちさうだ。

といつてゐました。彼の赤脛(あかはぎ)の跳工合、朋輩(ともだち)等の高聲(たかごゑ)赤脛(あかはぎ)に少し後れてゐても、中々輕蔑の出來ぬビレの鳶色の(はぎ)が夢中に競爭すると、 何れもハ氏の心を苛立(いらだ)てる原因でした。

どうぞして、勝たせて見度いものだ。

と又我知らず獨りごちて、あとで人もゐぬに、間のわるさうに咳嗽(しはぶき)してゐました。 丁度此時跳上り、躍り廻つて居つた兒等童(こどもら)が、一齊に鬨聲(ときのこゑ)を作つたと思ふと、 未來のドリンコート侯爵は、最後の大奮發の一躍(ひととび)で、角のガス燈の柱に逹しましたが、 これはビレが息を切つて、其柱に飛掛つたニセコンドほど前のことでした。

ヤア、やツたな、セデー、エロル!えらいぞッ!

と朋輩等が叫びました。ハ氏は、此時暫し馬車の窓から首を引こめて、にこ〜しながら、後に寄り掛りました。

フォントルロイ殿、(おほ)でかしで有つた。

と、又獨語(ひとりごと)を言ひました。自分の馬車が、エロル夫人の家の前に着いた頃には、 勝負を了へた兩人が、がや〜どや〜と立騷ぐ、一群の兒等童(こどもら)に後を推されて參りましたが、 セドリックは、ビレと(なら)んで歩いて居つて、何か言つて居りました。 其いらだつた顏は眞赤で、ちゞれた其髮は熱して、汗ばんだ額にくツついて居つて、其兩手は、ポッケットの中に這入つて居りました。

ねえ君、僕が勝つたのは、僕の(すね)が君のより少し長いからだらうよ。 なんでも、それにちがひない。ねえ君、僕は君よりか三日早く生れたらう、 だから、それが僕の得になつたんだね。僕は三日丈、君の上なんだもの。

と勝負に不首尾な自分の競爭者を慰める積りか、言つて居ました。かう思つて見ればビレも心わるくない、段々白い齒を露しかけました。 そして、其中に却つて自分が勝ちでもしたかの樣に、少し威張り氣味に成りました。 セデー、エロルは、どういふものか、人の不機嫌をなだめる方法を知つてゐました。自分が勝利を得て心の浮々してゐる時でも、負かされた人は、 自分ほど愉快ではあるまい、かうならば勝てたものと思はれゝば、 幾分かの心遣りになるだらうと、人の心の中を(すゐ)する徳を持つてゐました。

*    *    *    *    *    *    *

其日、ハヴィシャム氏は、彼の走り(くらべ)大關(おほぜき)と、 (やゝ)暫く話をしてゐる其間、幾度(いくたび)か惜しさうな笑を傾けながら、骨ツぽい手で(あご)を撫でることが有りました。 折しもエロル夫人は、所用あつて、暫時(しばらく)座敷を離れ、跡はハ氏とセドリック丈でしたが、初めに、ハ氏は何を云はうかと、 思案いたしました。何れ、祖父なる老侯と對面する心構もさせねばならず、 又セドリックが一身上に起つた、大變化のことも心得させて置かねばなるまいと思ひましたが、 セドリックはまだ、英國へ行つた後、どの樣な物事に接することか、又どういふ家に迎へられるかといふことも、一向夢中でゐた樣子でした。 自分の母が自分と同じ家には住まぬのだといふことさへ、まだ知らずにゐました。 是は驚かせることが餘り多いので、先づ段々にいうて聞かせる方が好いと、 はたで注意したからのことでした。此時ハ氏は開いた窓の方の安樂椅子に()つて居りましたが、 是と對して、向うにも一つそれより大きな安樂椅子が有つたのに、セドリックは座を占めて、 ハ氏を見て居りました。此大椅子に、深くちよんぼり腰を据ゑ、ちゞれ頭を蒲團の付いた椅子の背に寄せ掛け、(すね)()の字にして、 兩手をポッケットの中にずツと突込んだ樣子は、よくもホッブスに()せて居りました。母が座敷に居る間から、 ハ氏は(しき)りに眼を注いで居りましたが、母の席を立つた跡も、 矢張り仔細有り氣に其顏を見詰めて居りました。エロル夫人が外へ行かれた後は、 暫く談話が途絶えまして、セドリックはハ氏の樣子を伺ひ、ハ氏は又セドリックの樣子を考へて居りました。 ハ氏は、自分の如き老成人が、走り(くらべ)に勝つたり、又椅子に深入りをすれば、足先が下に屆かない位の(すね)に、 短い膝切(ひざきり)ズボンと赤の靴足袋(くつたび)とを穿く年恰好の子供に、何を云つて好いものか、一寸思ひ付きませんかツた。 然るにセドリックの方から、急に話をしかけられ、(やうや)くほツとしました。

あなた知つてますか?僕は侯爵といふものは、どんなもんだか知らないンですよ。
さやうでござるか?

とハ氏に云はれて、

エー、知らないンです。ですが、僕みた樣に、侯爵になる人は、 知つてなくツちやいけませんかね?どうでせう?
左樣さ、まあ、そんなものでせう。

と、ハ氏が答へました。セデーは慇懃に、

あなた、僕にセイメイ(説明)して下さいな。(折々長い言葉を遣ふ時は少し誤ることあり。) 全體誰に侯爵にされるンです?

ハ氏は、此問に對して、

最初は君王とか、女皇とかが、其侯爵を授け給ふので、 大抵は、何か主君に對して勳功が有つたとか、大事業を起したとかの爲に、侯爵に擧げられるのです。

と、答へましたら、

アヽ、さうですか?そんなら大統領も同じものですね?

と、セドリックが申しました。

左樣か?お國の大統領の選擧されるのは、全く左樣な譯ですか?
エー、大變な好い人で、色ンなこと知つて居れば、大統領に選ばれるンです。 それから炬火(たいまつ)で行列をしたり、樂隊が出たり、 (みンな)が演説をしたりするンです。(此時侯爵になり度くなかツたのだと思はせて、ハ氏の氣を損じてはと心配し、言葉 (せは)しくいひ替へて、)あの僕だツて、 侯爵といふもの知つてたら、なりたかツたかも知れませんよ、だけど知らなかツたんですからね。

と、いひました。

それは、大統領になつたとは少し譯が違ひます。

と、ハ氏が説明いたしました。

さうですか?そんならどんなに違ふンです?炬火(たいまつ)の行列なんかないンですか?

ハ氏は、今度は自分の(すね)()の字にし、右の手の指尖(ゆびさき)を左の手の指尖(ゆびさき)に一本(づゝ)、 順にゆる〜と合せまして、さて、此子供に委細の事譯(ことわけ)を言聞かせる時期が來たと思ひ、先づ説き出してかう云ひました。

第一、侯爵といふものは、大層な格のあるものです。

と聞いて、セデーは、話の鉾尖(ほこさき)を突込んで、

大統領もさうなンですよ。松明(たいまつ)の行列は、二里も續くンです、 さうして花火を揚げたり、樂隊がなつたりするンです。 ホッブスをぢさんが連れてツて見せて呉れたンです。

ハ氏は、説明の腰を折られて、少し手持無沙汰に感じつゝ、

侯爵といへば、大抵は極く舊い門閥なンです。

と跡をつゞけました。

エー、それは何の事です?

と、セデーが問ひました。

大層舊い家がらのことです、甚だ舊いのです。

と聞いて、セデーは兩手を尚深く、ポッケットの中に突込みながら、

アヽ、さう、そんならあの公園の側の、林檎屋のお婆さんとおなじことですね。 あの人はきツとその舊いもん……もんぱつ(門閥)でせう。だツて、どうも年をとつて〜、 どうして歩けるかと思ふ樣です。きツともう百位でせうよ。ですけれど、雨が降る時でも、やツぱり彼處(あすこ)へ出てゐるンです。 僕大變可哀さうだと思ふンです。さうして僕の友だちも氣の毒がるンです。(せん)ツにね、ビレが一圓ほど金を持つてゐましたから、 僕がね、其お金が、みンなになるまで、毎日五錢づつ林檎を買つて遣り給へツて云つたンです。 さうすると、二十日になるンです。ですけど、一週間たつとビレが林檎が厭きツちまツたンです。 それでも、その時は、大變好い鹽梅でね、僕が丁度餘所(よそ)のをぢさんに五十錢貰つてね、 其代りに僕が買つたンです。だれだツてあんなに貧乏で、舊いもん……もんぱつの人は可哀さうですわね、 其おばあさんの、もんぱつなンかは、骨の中に這入ツちまツたンださうで、 雨が降れば尚わるくなるンです。

こゝに及んで、ハ氏は、對坐してゐる相手のあどけない、まじめ顏を眺めて、又手持無沙汰で、暫く言葉を續けられませんかツた。

あなたは、此老人の云ふことが、よく分らなかツたのでせう。 舊い門閥といへば、年をとつたといふことではないのです。舊い門閥といへば、其家の名が昔から世の人に知られてゐるのです。 大抵何百年といふほど、其名が人に知られ、國の歴史に載つてゐるものの事です。
それぢや、ワシントンの樣なンですね。僕なンかもう(せん)、 生れた時から聞いて知つてますよ。さうして、其前も、(せん)ツから人が知つてるンですよ。 ホッブスをぢさんがいつになつても、人が忘れやしないツて云ひましたよ。 それは、あの獨立の布告や何かのせゐです。それから七月四日の祭もあります。大變えらい人なンですもの。
(そもそ)も第一世ドリンコート侯爵は、四百年の昔に位爵を授けられたお方です。

と、ハ氏は、嚴格に又説き始めました。

オヤ〜、それは大變な昔のことですね。あなた、それを僕のかあさんに話しましたか? きツと面白がりますよ。だツて、珍しいこと聞くのが、大好きですもの。 今にこつちへ來たら、二人で話して聞かせませう。侯爵が授けられてから、それからどうするンです。
其中で、英國の政事をとつたものも多くあります。 又は豪傑で、昔の大戰爭に出たのも有ります。
僕もさういふことがして見度いンです。僕のとうさんは、戰人(いくさにん)だツたンです。 さうして、大變な豪傑だツたんです。ワシントン見た樣な豪傑だツたンです。 だから、死ななければ侯爵になつたのかも知れませんね。僕は、侯爵が豪傑なら、 大變嬉しいンです。豪傑では、大層な利イキ()です。僕は(せん)はね、 恐かツたンです。暗い處なンかね……だけど、革命の時の(いくさ)の事や、 ワシントンの事なンか考へたら、もう直ツちまつたンです。

ハ氏は、例のゆる〜した調子で、妙な顏付をして、鋭い眼を、セデーに注ぎながら、

侯爵になれば、まだ他に利益が有ります。侯爵は、大抵は、大金持です。

と云つて、此童兒が、金の勢力といふものを知つて居るか居らぬかと、 眼を(そばだ)て、樣子を伺ひ見て居るのを、セドリックは何氣なく、

お金が有れば、大變好いものですね、僕も、お金が澤山ある方が好きです。
左樣か?それは又何故です?

と、ハ氏は(わざ)と問ひました。

だツて、金が有れば、色ンなことが出來ますもの、あの林檎屋のおばあさんに、 僕が金が有れば、あの露店(みせ)を入れる天幕と、火鉢を買つてやり、さうして、 雨が降る日には、(いつ)でも一圓づつ遣りますわ。さうすれば、 店を出さずと、家にゐられますもの。アー、それから……あの腰掛一つ遣りますわ、それがありさへすれば、骨がそんなに痛くはないンです。 あのね、あのお婆さんの骨は、僕たちのとは違つて、動けば痛いンですからね、骨がそんなにいたければ大變困るでせう、あなたや僕たちだツて。 僕がお金が有つて、それ丈、みンなして遣れば、骨がよくなるか知らんと思ふンです。

ハ氏は、

エヘン(と咳嗽(しはぶき)し、)それから、お金が有れば、まだ何をするお積りです?
まだ〜色ンなことをしますわ。第一、かあさんに、色ンな綺麗な物買つて上げます。 針簿(はりさし)だの、扇だの、金むくの指貫や指環だの、大字書だの、それから、 馬車だの買つて上げますわ。自分の馬車が有れば、乘合が來るの、待つてゐなくツても好いですからね。 それから、桃色の絹の着物が好きならば、買つて上げるけれど、黒のが一番好きなンです。 だから、大きな店へつれて行つて、色ンな物見せて、かあさんの一番好きなもの、 なんでも、おとンなさいツて云ひますわ。それから、ヂックね……
ヂックとは、誰のことです?

と、ハ氏が問ひました。

ヂックといふのはね、靴磨人(くつみがき)で、さうして、 大變好い靴磨人(くつみがき)なンです。いつでも、下町の角に立つてゐますよ。 さうして、僕は、もう幾年か前から知つてたンです。(せん)にね、 僕がまだ小さかツた時、僕がかあさんと一處に、外あるいてゐてね、かあさんが、 僕にぽん〜飛ぶ綺麗な(まり)買つて下すツてね、僕が持つて歩いてたら、 馬車だの馬だのゐる通りの眞中へ飛んでツちまつたでせう。だもんだから、 僕が大變失望して、泣いてたンです……僕、まだ小さかツたもんですからね、まだ女の子の着る着物なンか着てたンですもの。其時に、ヂックが、 人の靴を磨いてましたツけが、『イヤアー』と云ひながら、馬の歩いてる中へ駈け込んで、其(まり)を取つて來てね、さうして、 自分の着物で拭いて、『ソレ坊ツちやん、何んともないよ。』ツて、僕に呉れたンです。だもんだから、かあさんが、大變感心して、 僕も感心して、それからツていふものは、僕たちが下町へ行くたンびに、ヂックにものをいふンです。ヂックが、『イヤアー』ツていふから、 僕も『イヤアー』ツていつて、それから少し話をして、ヂックが、 商賣がどうだなンて話すンですが、近頃は不景氣だツていひましたよ。

と、若侯(わかぎみ)は、自分には至極面白い計畫を熱心になつて述べ立てました。

左樣ならば、あなたは、其ヂックとやらに、何かして遣り度いと仰しやるのですか?

(おとがひ)を撫でながら、片頬に笑を含みながら、ハ氏が問ひました。

エー、僕は、金で、ジェークの(かた)をつけて仕舞ひたいンです。
ハヽア、其ジェークとは、又誰のことです?
ジェークツていふのはね、ヂックの商賣仲間なンです。さうして、 どうも大變わるい仲間なンです。ヂックが、さういふンです、ちツとも正直でなくツて、 あゝいふ人がゐると、商賣の爲にわるいツて。よく人を(だま)かしては、 ヂックを怒らせるンです。あなただツて、一生懸命に靴を磨いてゐて、 始終キチャウメンにしてゐて、あなたの仲間が、ちツとだツて、 キチャウメンでなくツて、ずるい事許りすりやあ、おこるでせう。 ヂックは、人に好かれるンで、ジェークは嫌はれるンです。だから、二度と、ジェークの處へは來ないンです。ですから、僕がお金が有れば、 お金を遣つて、ジェークの(かた)をつけて、ヂックには目にたつ看板を買って遣り度いンです。 ヂックが、看板があれば、大變都合が好いンだツて云ひますもの。それから、新しい着物と、新しい刷毛(はけ)を買つて遣つて、 とりつかせて遣り度いンです。ヂックが、何でも初めのとりつきが出來さへすれば、 好いツていつてるンです。

と聞き覺えたヂックの鄙語(ひなことば)を、其まゝ堂々と(まじ)へての若侯(わかぎみ)の話振りは、 誠にあどけなしとも、可愛らしとも、申し樣のないほどでした。其心の中には、 自分の老成な話相手が、矢ツ張り自分と同じ樣に、其話に身を入れるだらうといふことに、 一點の疑ひも入れない樣でした。ハ氏は、實際、其話に身を入れて居つたことは居りましたが、どちらかといへば、ヂックは林檎賣の事よりも、 友人(ともだち)を思ふ情の(こま)やかな此若侯(わかぎみ)が、 (おのれ)を忘れて、細々と人の爲に謀ることに、注意して居つたのでした。やがて、

あなたは何か……金持になつたら、あなたは、御自分の物に買ひ度いものは有りませんか?

と尋ねました。フォントルロイ殿は早速に、

それは澤山有りますわ。だけど、それより、メレの妹にお金を遣りますわ。 だツて、子供が十二人有つて、亭主が仕事がないンですもの。いつでも、こゝへ來ては泣くンです。さうしてかあさんが籠の中へ入れて、 なんや遣ると、また泣いて、『どうも奧さま、お禮は申し切れません。』ツていふンです。それから、ホッブスをぢさんに、金の時計と、鎖と、 ミヤシャムの煙管(きせる)とを置土産に上げ度いと思ふンです。 それから、こんどは、僕がし度いことが有るンです。

と云ふのを聞いて、(さて)はと、ハ氏が、

それは、また、どういふことです?
僕はね、共和黨の時の樣に、行列がして見度いンです。僕の友だち、 みンなと、僕との制服を拵へて、さうして、行列をして、調練するンです。 僕が金持ならば、かういふことを一つ遣つて見度いンです。

セドリックが、ます〜いきせきと話をしてゐる所へ、戸が開いて、エロル夫人が座敷に這入りました。

據處(よんどころ)ないことで、ひどく手間どりまして、誠に失禮いたしました。 只今、大層困窮をして居る女が、逢ひ度いと申して參つたので……

と、ハ氏に會釋して申しました。

ハヽ左樣で御座りましたか。イヤ只今御子息がさま〜゛御朋輩(ともだち)のことや、 金滿家と成つた上は朋友の爲にかう〜して遣らうなどと、お話最中の所でした。
矢張りセデーが友だちと申す人で御座りますが、只今臺處で、 夫の病氣、彼是(かれこれ)で、ひどく困難いたす樣に申しまして。

此時、セドリックは、彼の大椅子の上から滑り下り、

僕、ひとつ行つて、逢つて來ませう。さうして、あの人の病氣を尋ねて遣りませう。 病氣でないときは、いくら好い人だか。いつか僕に木の(かたな)を拵へて呉れましたよ。大變な才子です。

といひながら、座敷を駈出しました。ハ氏は、此時少し座を正して、何か、エロル夫人に、改めて言ひ出づる樣子でした。

ハ氏は、猶暫く躊躇してエロル夫人の樣子を窺ひ、さて申しますに、

愚老が、ドリンコート城を出立致す前、老侯にお目通り致して、取計ひ方に付き、 種々(いろ〜)御指圖を蒙りましたが、御嫡孫に於て、此度(このたび)英國へお引移相成ること、(ならび)に初對面のことなども、 成る可く(よろこ)んで御待ちうけ相成る樣、注意いたせといふ仰せで御座りました。 それ故、御一身上大變動の起つたに付いては、御年輩相應な物でお悦びになるものは、 何に限らず、調へて差上ぐる樣、又お望の事は、何なりと御滿足ある樣致して、 ()べて老侯の(たまもの)と申し上ぐる筈に御座りますれば、 貧民を補助するなどのことは、或は老侯の御意中に無かツたこととは存じますが、是とて、フォントルロイ殿の御懇望とあれば、是非ないこと、 矢張り、御滿足ある樣御取計ひ申さずば、御勘氣を蒙るは必定で御座ります。

此時も亦(はゞか)つて、老侯の言葉のまゝは述べませんかツた。老侯が、セドリックの望のものを買與へよ、又 金子(きんす)もとられよと命ぜられたは、全く純粹な好意より出でたるものではなく、みな爲にする處が有つたのでしたから、 若しセドリックにして優愛、温和なる性質を有つて居りませんかツたならば、 多少人となりを害された事でせう。セドリックの母も、亦極めて温柔な(たち)でしたから、 惡意が有りてのこととは努力(ゆめ)(すゐ)せず、只子供を(こと〜゛)(うしな)うた淋しい、 不幸な老人が、セデーに優しくして、其愛と信用とを得ようとして居らるゝことと許り思ひ、 今セデーが彼の貧困な人を救ふことが出來るとは、何よりと喜び、 自分の息子に向いて來た不思議な好運が、人に慈善を施す手段(てだて)になるとは、誠に有難きこととおもひ、今しも其綺麗な、 若々しき(かんばせ)に、嬉しさがほんのり色に(あら)はれて居りました。

それは〜、侯爵さまの御深切、誠に有りがたう存じます。セデーも、 さぞ悦ぶことで御座りませう。ブリジェットと申す其女と、其つれあひとは、 大層セデーの氣に入りで御座りまして、一體誠に實直な好い人たちなので御座ります。 私も、始終、もそツと(どう)か致して遣り度いと思つて居りますが、兎角手が廻り兼ねまして…… 其つれあひと申すは、平生丈夫な時には、誠に實體(じつてい)に働く方で御座りますが、久しい間 (わづら)つて居りまして、高價な藥や、時候相應な着物、又滋養物などもなくてはならぬので、大層困難をして居ります。 兩人とも、頂戴したものを麁末(そまつ)にいたすことは必ず御座りますまい。

と申しました。ハ氏は、此時、痩せた手を胸のかくしに入れて、大きな紙入を取出しましたが、其鋭敏な容貌には、 何とも一寸鑑定のつかぬ思ひ入が現はれて居りました。其實、ハ氏は、心の中に、フォントルロイ殿が、 先づ第一に所望されたことの趣は斯々(かく〜)と老侯の言上(ごんじやう)致したら、何と仰せらるゝだらう。生來癇癖(かんぺき)ある、 世俗に染んだ氣隨(きずゐ)な老侯のおもはくは、如何(どう)あらうかと、不審を抱いたのでした。今エロル夫人に向ひ、

まだ御承知にはなりますまいが、ドリンコート侯爵は、至極御富裕で、 フォントルロイ殿の御所望とあらば、多少御氣隨な向も、決して遠慮せず、御滿足ある樣取計ツて差支は御座りません。 却つて老侯のお氣に叶ふ位のことゆゑ、只今フォントルロイ殿をおめし寄せ下さらば差むき、 五ポンド丈、お話の貧民救助として、お渡し申すで御座りませう。

と聞く、エロル夫人は嬉しげに、

五ポンドと申せば二十五圓に當ります。兩人にとつては、大金で御座ります。 思ひ掛けないことで、私までが夢の樣に存じられます。

ハ氏は、例の冷淡らしい笑顏になつて、

イヤ、御子息の御生涯には、既に大變動が有つたので、 以來は容易ならぬ權力をお握りなさることで御座る。
さうおツしやれば、ほんにさうで御座ります。まだ、あの通り頑是ない子で…… 誠に頑是ないので御座りますに、私がまあなんとして、其權力を暴用せず、適宜に、用ゐますやう教へたら宜しう御座りませう、 私は子供の爲に(まこと)に氣遣はしう存じます、あの樣に幼いので御座りますもの!

流石、ハ氏の冷淡、世才的の心も、夫人の茶勝(ちやがち)な眼に溢れた優愛(やさ)しさと、 氣遣はしさとに動かされた(てい)で、又少し咽喉(のんど)を拂ひ、

イヤ、今朝(こんてう)フォントルロイ殿にお目通りして、お話しいたしたことより愚考いたしまするに、 ドリンコート侯爵の位に登らるゝ上も、人を忘れて、(おのれ)の爲に謀るなどというお擧動(ふるまひ)は、 必ず御座りますまい。只今は、まだ御幼年では在らせられますが、決して、御心配には及ぶまいと愚考いたします。

此時夫人は、セドリックを迎へに行かうとして座を立ち、つれ歸る道すがら、 セドリックが、何か(しき)りに母と話をする聲が聞えました。

かあさん、あの(きん)…… 焮衝(きんさう)リャウマチだツてね、 大變なリャウマチなンですね。それから、家賃が拂へないことなンか考へると、 其きん……きんさうが尚わるくなるンだツて、ブリジェットが言ひましたよ。 それから、バット(息子の名なるべし。)も着物さへ有れば、小僧に行かれるツてねえ、かあさん。

といふ聲が聞えて、さて座敷に這入つた時の顏は、大層に心配らしく、(しき)りにブリジェットを氣の毒がつて、ハ氏に向ひ、

あなたが、僕、呼んで入らツしやるツて、かあさんがいひましたよ。 僕は、あの、ブリジェットと、話をしてたンです。

ハ氏は、暫時(しばし)セデーを見詰めてゐましたが、少し度を失つた氣味で、 躊躇しながら、セデーの母が今も云つた通り、まだ〜、何をいふも頑是ない子供であるよとおもひ、

ドリンコート侯が……

と云ひかけて、跡はお頼み申すといはぬ許りに、エロル夫人の(かた)に、我知らず眼を放ちました。 母は、我子の側に急にすり寄り、さも可愛いといはぬ許りに、兩手でセデーを抱へ、

セデーや、侯爵さまは、おまへのお祖父樣なのだよ、おまへのおとうさんの、 ほんたうのおとう樣なのだよ。其お方は、大層御深切で、おまへの樣な、御自分のお子たちは、みンなおなくなりなさツたもんだから、 おまへを大變可愛く思召して、一つには、おまへがおぢいさまにお(なつ)き申す樣にさせ度い、 又一つにはおまへを樂しませ、人を助けることも自由にさせて遣り度いと思召して、 御自分は大層御有福で、おまへの慾しい物は何でも遣り度いとツて、 ハヴィシャムさまにさう仰しやつて、おまへのに澤山のお金をおよこし遊ばしたのだよ。 そして今其お金をいくらかブリジェットに遣つても宜しいのだよ。あの、家賃を拂つたり、亭主に何もかも買つて遣られる丈ね。 セデーや、好いだらう、嬉しいだらう、好いおぢいさまぢやないか?

と云つて、子供の丸々した頬にキッスをしましたが、其頬は、今おもひ掛けなく聞いたことに仰天して、逆上(のぼ)せたと見えて、 ぽツと赤らんでゐました。母をぢツと見てゐた眼を、ハ氏の方に(そら)せ、いきなり、

今、頂戴な、僕、直と遣つて來ても好いですか? もうぢきに行つてしまひますもの。

ハ氏は、(くだん)の金を、セデーに渡しましたが、青色の新しい紙幣で、 綺麗に揃へて捲いてありました。セデーは、それを持って、座敷を駈け出しました。 息急(いきせ)き臺處に飛び込むか、飛び込まぬに、聞えた聲は、

ブリジェットや、一寸お待ちよう、さあ、お金を遣るンだよ。お前のだから、 家賃を拂ふんだよ。僕のおぢいさんが、僕に下すツたンだよ。おまへとミチェルに遣れツて。

ブリジェットは、仰天聲、

アレ、セデーさま、どうしますべい。二十五圓ぢや御座りましねいか? 奧さま、まあ、どこにおいでなはる?

これを聞いて、エロル夫人は、座を立ちながら、

どれ、私が一寸行つて、よく譯を云つて聞かせて參りませう。

跡にハ氏は獨り殘されて、窓ぎはに立寄り、つく〜゛思案顏に、外を眺めてゐました。 心の中に考へて居つたは、今ごろ、ドリンコート城中の壯麗を極めた書齋の中に、身は奢侈と華美とに圍まれてこそ居れ、痼疾(こしつ)に惱み、 心より愛敬するものとては一人もなき彼の淋しき老侯の事でした。人に敬愛されぬといふは、()と自分がこれ迄に、誰一人、 人に愛を施したことがない故で、誠に氣まゝで、傲慢で、性急な人物で有つたのでした。一生涯、ドリンコート侯爵なる(おのれ)と、 (おのれ)の樂しみの事とをおもうて、人の上を考へる(いとま)なく、 (おのれ)の富も權勢も、(おのれ)の高名、尊位に基く一切の利益も、 皆な(おの)(ほしいまゝ)に用ゐて、安逸と歡樂とに供す可きものと許り考へて居りましたが、 さて歡樂と放蕩とを極めた結局は、今の老人となつて、疾病(やまひ)に惱み、 癇癖(かんぺき)はます〜募り、世を忌み、世に忌まるゝものに成果てたことでした。 斯く許り榮燿(ええう)ある尊位を占めながら、ドリンコート侯爵ほど人望のない、 寂しさうな老人はない位でした。(もと)より招待状を送つて城内(かまびす)しき迄に、 來客を充滿させることは、心のまゝで、立派な夜會や、(さかん)な遊獵の宴を催すことも自由でした。 然るに、(おのれ)の招待に應ずる人々は、何れも、心の中(ひそ)かに(おのれ)の餘り愛想好からぬ面相と、 嘲弄、刺戟的の物いひとを忌恐れて居るといふことを承知して居りました。 老侯は、殘忍な性質に、酷薄な物言(ものいひ)を併せ用ゐて、人が神經質だとか、 高慢だとか、卑怯だとかいへば、好んで嘲笑して、不愉快にさせる癖が有りました。 ハ氏は、老侯の無情、殘虐なる性質を見拔いて居りまして、今しも狹隘(けふあい)な、 靜かな町を眺めながら、(しき)りに考へて居つたことは、最前、彼の大椅子に腰かけて、優に、無邪氣に、餘念なく、自分の友といふ、 ヂックや林檎賣の話をして居た、氣輕な、姿色(きりやう)よしな童兒と老侯との大懸隔(だいけんかく)のことでした。 それから、深くポッケットの中に突込んだ、フォントルロイ殿の小さな、 ぽちや〜とした手に、追ては握らる可き莫大な歳入や、美麗、壯嚴なる産業や、 善にも惡にも用ゐらる可き權力の事などを思うて、獨言(ひとりごと)に、 『イヤ大した變革だらう、大した變革になるに違ひない。』と申して居りました。セドリックと、其母とは、間もなく座に戻りました。 セドリックは、大勢(おほいきほひ)でした。ハ氏と母との間の自分の椅子に腰かけて、膝の上に手を載せて、妙な風付(ふうつき)になり、 ブリジェットを助けて悦ばせたといふ嬉しさが、滿面に溢れてゐて、かういひました。

まあ、泣いてましたよ!さうして、嬉しくツて泣くんだツて云ひましたよ。 僕、嬉しくツて泣く人、初めて見ましたよ。僕のお祖父さんは、大變な好い人なんですね、僕はそんなに好い人だツて知らなかつたンです。 それからね、侯爵になるのは、あの……僕が思つたよりはよツぽど好いもんですねい。 僕は侯爵になるの……あの隨分……大變嬉しくなつて來ましたよ。

更新日:2004/04/16

小公子 : 第三囘


次の週の内に、セドリックは、侯爵になり利益をます〜知り始めましたが、 併し何事でも自分の望む通り殆ど叶へられぬことのないといふことは、 中々セドリックの心に呑込めぬ樣子で、いつまでも十分には合點が行かなかツたのでした。 併しハ氏と段々話をする中に、自分の差當り望むことは、皆叶へられるといふこと丈は、 やう〜呑込めて來た樣でした。それは又セドリックの望の單純なことと、 其滿足しての悦びを見る事とは、ハ氏に取つて餘程の娯樂(なぐさみ)でした。 英國へ向けて出帆する前の一週間には、色々珍しい事が有りましたが、ある朝、 ハ氏はセドリックと一處に、彼のヂックを訪問に下町へ出かけたこと、 又同日の午後には、彼の門閥家なる林檎賣婆の露店先(みせさき)に立つて、 天幕と、火鉢と、肩掛と、婆には莫大に思はれた金圓とを遣るというて肝をつぶさせたこと、 是皆ハ氏が奇異の餘りに久しく記憶(おぼ)えて居つたことどもでした。 セドリックは、可愛らしく、彼の女に事の譯を説き聞かせて、さてかういひました。

だツて、僕はイギリスへ行つて華族になるんだもの。さうしてね、 僕、雨が降るたんびに、お婆さんの骨のこと考へるのは厭だもの。僕の骨なんかはね、ちツとも痛くはないんだよ。だから、 僕はどんなに痛いんだか知らないけれど、僕はお婆さんが氣の毒でね、早くよくなければ好いと思ふんだよ。

さて露店のあるじは、餘りの事に、自分に格外な果報の向いて來たことは合點行かず呆氣にとられて、 開いた口も塞がらぬ中に、兩人ははや立歸りました。セドリックは、

あの林檎屋のお婆さんは、大變好い人ですよ。(せん)にね、僕がころげて膝を擦りむいた時、 たゞで林檎を呉れたンですもの。それから、僕は始終あのお婆さんのことを忘れないんです。 誰だツて、深切にして呉れた人、忘れられませんわねい。

と云ひましたが、其正直、單純な心には、人の深切を忘れるものが世には數多(あまた)あらうとは、 思ひもよりませんかつた。ヂックとの應接も、亦中々面白いことでした。ヂックは、ジェークといふ朋輩と、何か爭論(いさかひ)をした處で、 氣のなささうな顏をして居りましたが、セドリックが大した金子(きんす)を出して、 後の(わざはひ)(こと〜゛)逐除(おひの)けて遣らうと云ふのを聞いて、 物も云へぬほど仰天しました。フォントルロイ殿が來意を述べられた樣子は、 誠に淡泊、無造作で、側に聞いてゐたハ氏は、殊に感服した樣子でした。 ヂックは、自分の朋友と思うてゐた人が、何々殿といふ位に上つて、それから、 命さへあれば侯爵に飛登るのだといふ話を聞いて、眼をむき、口を()いて、 仰天した拍子に、帽子を落してしまひました。それを拾ひながら妙なことを云ひましたが、 ハ氏には只不思議に聞えました。併しセドリックには、其意味が分つたことと見えました。

ナンデイ!かつがうたツて、知つてらあ!

若侯(わかぎみ)は是を聞いて、(まさ)しく辟易した樣子でしたが、大膽にも氣を取り直して、かういうて説明いたしました。

あのね、誰だツて初めは本當ぢやないかと思ふんだよ。ホッブスをぢさんなんかも、 僕が霍亂(くわくらん)してゐるのかと思つたンだよ。僕も、初めは厭でたまらなかツたけれど、今はもう慣れてよくなつたンだね。 今の侯爵樣はね、僕のお祖父さんで、なんでも、僕が仕度い樣にしろツて、大變深切な人だよ、さうして本當の侯爵なンだよ。それから、 ハヴィシャムさんに預けて金をたんと僕によこして呉れたンだから、 ジェークのかたをつける樣に、君に少し持つて來てやつたンだねい。

畢竟(つまり)結局は、ヂックがジェークの(かた)を付けて、 一手に客をとる樣になり、其上新しい刷毛(はけ)や、非常に眼にたつ看板と服とが出來たことでした。 然るに、彼の門閥家の林檎屋と同然で、一寸には自分の果報が(まこと)と信じられぬ樣子で、 夢の中に辿つてゐる人の樣に、恩人なる若侯(わかぎみ)の顏をぢツと見詰めて、何時(いつ)眼が覺めるかと思うてゐる鹽梅でした。 さうして、セドリックが暇乞(いとまごひ)をしようとして手を出した迄は、丸で無感覺の樣でした。

それならもう失敬!これから繁昌したまへ。僕は君と別れて行くのは厭だけれど、 僕が侯爵になつたら、又來るかも知れないよ。君と僕とは親友だから、 手紙をよこしてくれ給へ、これは手紙をよこす時の所書(ところがき)だよ。さうして僕の名は、セドリック、エロルぢやないよ、 フォントルロイ殿といふンだよ、失敬!

と、何氣なく云はうとしても、聲が少し震へて、さうして例の大きな茶色の眼を妙に(まばた)きさせてゐました。 ヂックも眼ばたきしてゐて、(まぶた)(ほとり)(しめ)ツぽい樣でした。 此靴磨は、教育のない者で、自分の心に感じた事を云ひ現はすことが出來ませんから、 言ひ現はさうともせず、たゞ眼をぱちつかせて、咽喉(のんど)に上つて來た塊物(かたまり)を、 (やうや)くに呑込んでゐました。やがて、かす〜した聲で、

行ツちまはなけりや好いなあ。

と云つて、ハ氏に向ひ、會釋しながら、

旦那、どうも色々有難う。逢ひに連れて來て呉れて有りがたう。どうも妙な子で、 大變可愛くツて、ヘイ、エイ……其威勢の好い奴で、エー……エー……妙な子で。

と口籠りながら云ひました。さうして、セドリックの威勢の好い姿が、 脊高く、武張(ぶば)つたハ氏に伴つて行く跡を、立つたまゝぼんやりして見てゐましたが、 眼の中の曇りと咽喉(のんど)塊物(かたまり)とは、まだ去り兼ねてゐました。(さて)出立の其日まで、若侯(わかぎみ)は間を見ては、 ホッブスの店に行つて居ました。近頃、ホッブスは、兎角氣鬱になり勝で、 セドリックが置形見の金時計と鎖とを、大勢(おほいきほひ)で持つて來ました時などは、 ろく〜挨拶も出來ぬ位で、其箱を自分の膝の上に載せたまゝ、たゞ幾度も〜手ひどく鼻をかんでゐました。セドリックは、

をぢさん、なんか書いてあるよ、箱の中に、僕が、書いてくれツて頼んだンです。 ねい、『ホッブス(うぢ)に呈す、舊友フォントルロイより。』でせう。

ホッブスは又烈しく鼻をかみました。さうして、ヂックの樣な、かす〜した聲で、

わしは忘れやしないが、おまへも英國の貴族の中に這入つて、わしを忘れちや困るよ。
僕、だれの中へ這入つたツて、をぢさんを忘れるものかね。僕は、をぢさんとゐた時が、一番嬉しい時だツたもの。 いつか、をぢさん、僕に逢ひに來て下さいな。僕のお祖父さんは、きツと大變嬉しがりますよ。僕が行つてをぢさんのこと話せば、 をぢさんにお出でなさいツて、手紙をよこすかも知れませんよ。をぢさん……をぢさん、あの、僕のお祖父さんが、侯爵なの、 かまやしないねい?あの若しお出でなさいツて云つたら、侯爵だから厭だなンて云やしないねい?

ホッブスは寛大らしく、

よし〜、さうしたら逢ひに行かう。

と云ひまして、そこで侯爵殿から、ドリンコート城に暫時來遊あれと、 丁寧なる招待状の來ることがあれば、ホッブスが、共和主義の僻見(へきけん)を捨てて、 旅支度をするといふ條約が、早速こゝに調ひました。

遂に、旅支度も(こと〜゛)く整ひ、荷物を蒸氣船に運ぶ可き日も來り、 其中、馬車も戸口に止りましたが、セドリックは、此時、妙に淋しい心持になりました。 暫く、自分の部屋に閉籠つて居つた母が、下に降りて參りました時、母の眼が大きく濡れて居つて、愛らしい口元は震へてゐました。 セドリックは、思はず側に寄りまして、母が屈んだ處に抱き附いて、共にキッスをしました。何故(なにゆゑ)とは分らず、 兩人ともうら悲しい心持になつてゐたのを、セドリックは先づ承知して、(しを)らしいおもひを、口に出してかう云ひました。

かあさん、ふたりとも此家好きだツたンですね? いつまでも好きになつてゐませうねい?

母は、低い優しい聲で、

セデーや、ほんにさうだよ。

それから馬車に乘り移つた時も、セデーは、殊さらに近く母にすり寄り、母がなごり惜さうに馬車窓から振り返つて見てゐました時、 セデーは母の顏を(のぞ)いて、さうして、母の手を撫でながら、 しツかり握つてゐました。さうかうする中、間もなく、恐ろしい混雜の中に蒸氣船に乘り移りました。 客人を乘せた馬車は、(しき)りに往復して、其客人は荷物の遲くなるのに氣をもんでゐました。 大きな(ひつ)や箱を投げ出しては引きずり廻る者が有れば、船頭たちは、 繩を解いて、こゝかしこに奔走してゐました。貴婦人や紳士、子供や、守りは、 追々と乘込んで來て、笑つて嬉しさうな顏付の者が有れば、口を閉ぢて悲しさうな樣子の人もあり、 其中に二三の人は、泣きながらハンケチで眼を拭つてゐました。セドリックは、 何處を見ても面白くないものはなく、繩の積んだのや、捲いた帆や、蒼い炎天を殆ど突くかとおもふ程高い帆柱などを見るにつけ、 船頭たちに話しかけて海賊といふもののことを聞き出さうといふ心算が、もう心に浮びました。 最早出立の極く間際と云ふ時になつて、セドリックが甲板の欄干(てすり)()り掛りながら、 船頭や波止場人足の騷動を面白く思ひながら、最後の準備(ようい)を見て居る時に、 自分に遠からぬ一群(ひとむれ)の中に、何やら少し込み合ふ樣子のあるに氣がつきました。 誰か、其群集の中を(くゞ)り拔けて、自分の方に來ると見れば手に何か赤い物を持つた男兒であつて、 よく〜眼を据ゑて見ると、息急(いきせ)き、セドリックの方に近よるものは、紛ひもなきヂックでした。

イヤア、駈けツ通して來たンだよ、おまへに逢はうと思つて、大變な繁昌でね、 昨日の儲けで之を買つたンだ。おまへ、えらい人ンとこへ行つたら、持つて歩きねえよ。下で上げねえツていふもンだから、おれが騷ぐ内に、 包み紙が、とツか行ツちまツたんだ。そら、ハンケチだぞ。

と、のべつに言つて、セドリックが何とも返事の出來ぬうちに、合圖の鐘の鳴るのを聞いて、又 一躍(ひととび)に駈けて行つてしまひました。行く前に息を切りながら、

さいなら!えらい人ンとこへ行つたら、持つて歩きねえよ。

といふ聲を殘して、影は見えなくなりましたが、間もなく、込み合ふ中をくゞりぬけて、下の甲板に下り、波止場に足をかけるかかけぬに、 棧橋は船に引上つてしまひましたが、波止場に立ち止つて(しき)りに帽子を振つて居りました。 此方(こちら)には、セドリックが、今貰つたハンケチを手に持つて、 向うを眺めて居りましたが、好く見れば、紫色の馬靴と馬の(かしら)とが飾に附いた、 眞赤な絹のハンケチでした。其中、一層烈しい混雜の中に、(きし)る音や、引張る音が凄じくなつて來まして、波止場に立つ人は、 船の上の人を望んで叫び、船の上の人は、送つてくれた朋友を呼んで、暇乞をする其聲が、

さよなら!皆さん、さよなら!忘れては厭ですよ!リヴァプールに着いたら、 手紙をおよこしなさい!さよなら!さよなら!

と誰云ふとも知らず、暫く鳴りも止まず、きこえました。フォントルロイ殿は、欄干に()つて、ずツと前に身を伸しかけ、 大威勢(おほいせゐ)に、

ヂックや、さよなら、有難うよ、ヂックや、さよなら!

と呼ばはつて居ました。すると、大きい蒸氣船は、靜かに動き出し、人々はまた大聲に呼ばはる。セドリックの母は、 覆面(かほおほひ)をことさらに眼の上に埀らす。海岸では大した混雜でしたが、ヂックはフォントルロイ殿のぱツちりした可愛らしい顏と、 きら〜光つて、風に吹き流されてゐる頭の(かみのけ)とをながめて居つて、 他は一向に夢中でした。フォントルロイ殿は、精一杯な幼聲(をさなごゑ)で、

ヂックや、さよなら!

と呼ばはつて居りましたが、汽船の(しづ)かな進行と共に、 フォントルロイ殿は、故郷を離れて、まだ知らぬ先祖の國へ旅立いたしました。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第四囘


此の船旅の(うち)に、セドリックの母は、自分の住居(すまゐ)とセドリックの住居(すまゐ)とが、 別々になるのだと云ふことを、初めて云つて聞かせました。セドリックがそれと(やうや)く合點の行きました時、 驚き歎くことが非常でしたから、ハ氏も、母を()めて近い處に住まはせて、折々對面の出來る樣にした、老侯の取計ひに感服した位でした。 さもなくば、到底母と引別けることは爲し難い樣に思はれました。併し、母の慈愛を籠めた優しいなだめにより、左程に遠く離れるのではなく、 (まこと)の離別ではないといふことが分つて、(やうや)く少し諦めた樣子でした。

セデーや、わたしの家といふのは、お城から大した遠いのではないよ、 少うし許りしか離れてゐないから、おまへが毎日駈けて來て逢へる位なのだよ。それから、おまへが色々かあさんに話すことが出來るだらうし、 いくら嬉しいか知れないよ、ねい?お城といふのは、大層美しい處だツて、 とうさまが、ようく話をなすツたツけよ。とうさんは、大層そこがお好きだツたが、おまへも、きツと好きになるよ。

と、其話が出る度に、かう申してはなだめました。セドリックは、大歎息で、此話を聞き、

さう、それでも、かあさんも一處なら、尚ほ好きになるわ。

と、云ひました。子供心に、母と自分とを別々の家に引別けるといふ不思議な取計ひがどういく譯かと、 思ひ惑はずに居られませんかツた。實は、何故(なにゆゑ)かといふ都合になつたかの理由(ことわり)は、 セドリックに知らせぬが却つて好からうと、母が思つたので、ハ氏に(むか)つて、此通りに云ひました。

わたくしは、どうも云つて聞かせぬ方が良いかと思ひます。 聞かせました處で、よくわかりも致しますまいし、却つて驚いて、心持をわるくする許りで御座いませうから。それから又、 お祖父樣が、わたくしをそれ迄にお嫌ひ遊ばすといふことを承知いたさぬ方が、 心置きなく其まゝ、お(なつ)き申さうかと存じます。セデーは、これまで、 凡そ、憎しみとか不人情とかいふことを、一切見聞きいたしたことが御座りませんから、 だれか、わたくしを憎む者があるなどと申しましたら、それこそ、大した驚きで御座りませう。あの通り、やさしい子でござりますのに、 わたくしを思うて呉れますのが、亦一通りならず深いので御座りますから。 どうしても、ずツと年をとりますまでは、申して聞かせぬ方が、自分の爲のみか、 侯爵さまのお爲にも、宜しからうかと存じられます。若しさもなくば、セデーが、 あの通りな子でも、矢張りお祖父樣との間に隔てが出來ようかと存じます。

それ故、セドリックは、自分が、年をとるまでは、分らない理由があつて、 かういふ都合になつて居るので、大きくさへなれば、それが話して貰はれるかと思つてゐました。 尤も、不審に考へられることは考へられましたが、畢竟何故(なにゆゑ)に母と引別けられるかといふ其譯が、 此子供には左ほど氣になるのではないのでしたから、母が丁寧に幾度(いくたび)も繰返して色々と云ひ聞かせて慰め、 なる丈樂しい方を思はせる樣にいたします中に、面白くない方は段々と消失せる樣になりました。 併し折々妙な風をして、海面を眺めながら、まじめ(がほ)に大層考へてゐるところを、 ハ氏が見たことが有りました。又さういふ時には、子供には似つかはしからぬ歎息の聲が聞えました。 ある時、ハ氏に、例の尤もらしい樣子で、話をしてゐまして、かういひました。

僕はどうもそれが厭なンです、どの位厭だか、あなたが知らないほど厭です。 だけど、世の中には色々苦勞があるもので、誰でも辛抱しなければならないツてね。 メレもよくさういひ〜しましたし、ホッブスをぢさんも、さういつたことが有りましたよ。 それから、かあさんが、お祖父さまのお子がみンな死んでしまツたんで、 それは大そう悲しいことだから、お祖父さまと御一處にゐるのが好きにならなくツちやいけないツて、 さういひましたよ。ねい、誰だツて子供がみンな死んぢまツたなんていへば、氣の毒ですわねい。 おまけに、一人は急に死んだんだツて。

若侯(わかぎみ)知己(ちかづき)になつた人々を、いつも悦ばせたことは、 何か談話(はなし)に身が入つた時の調子づいた風采と、ませた物の言ひ樣とで、 殊にくり〜した幼貌(をさながほ)の、極くあどけない處と、仔細らしい處とに、 言ふに云はれぬ興味があつたのでした。實に眼のさめるほど綺麗なセドリックが、 可愛い姿でちよツと腰をかけ、ぽちや〜した手で膝を抱へ、事有りげに話をしてゐるのを珍重して、 聞かぬ者は有りませんかツた。追々は、ハ氏でさへが、セドリックと同行するのを、 心の中に大層樂しむ樣になりました。ある時、ハ氏が、

それなら、あなたは、老侯が好きになる樣にして見ようと、思召すのですか?

と云ひますと、セドリックが、

エー、だツてお祖父さまは僕の親類でせう、誰だツて親類が好きでなくツちやいけませんわ。 それから、お祖父さまは、僕に大變深切なンですもの、人が色ンなことして呉れて、 何でも好きなもの遣るなンていへば、親類でなくツたツて、好きになるでせう。 だけれど、親類で、そんなにして呉れゝば、尚好きになるぢや有りませんか。

と云ふのを聞いてハ氏が試みに問ひました。

どうでせう、お祖父さまは、あなたが好きでせうか?

セドリックは何氣なく、

エー、好きでせうよ、だツて僕は又お祖父さまの親類なんでせう。 それから僕はお祖父さまの息子の子供でせう、だから好きに極つてるぢやありませんか。 好きでなきやあ、僕の慾しいもの、なんでも遣るなンて、云ひやしませんだらう。 さうして、あなたを迎へになンか、よこしやしませんぢやないか?
アヽ、なるほど、さういふ譯なのですか?
エー、さうですとも、あなただツて、さうだと思ひませんか? 孫の好きでないお祖父さんなンか、ありやしませんでせう。

さて、船醉で引籠つて居つた人々も、追々甲板の上に出て來て、長椅子に()つてゐて、 いづれも船中の徒然(つれ〜゛)を感じて居ましたが、誰云ふとなく、フォントルロイ殿の小説めいた履歴は、一般の評判となり、 毎日船中をかけ廻つたり、母か又は彼の瘠せて脊の高い、老成代言人と運動したり、 水夫などと話をしてゐる彼の童兒に、注意せぬものはない程になりました。 セドリックは、誰にでも氣に入られました。行く處に近しい人が出來ました。 甲板を運動する紳士が、セドリックを呼んで、一處にと申しました時などは、 凛々しく大股に蹈み出しまして、戲談(じやうだん)を云はれゝば、矢張り其調子で、 面白い返答をいたしました。又、セドリックが、婦人たちが談話をする時分には、 取圍んだ一群(ひとむれ)のなかに、きツと大笑ひをして打興じることが有りました。 又、セドリックが同船の子供たちと遊べば、何か、極々珍しい遊戲がないといふことはありませんかツた。 水夫の中にも、心易いものが大分出來まして、海賊や、破船(はせん)や、 無人島に漂泊したことやなどの、得も云はれぬ面白い話を聞かせました。丁度自分が持つてゐたおもちやの舟で、帆を擧げることや、 繩をつなぐことを覺え、水夫どものつかふ、外では聞きなれぬ言葉などをも、 驚くほどよくおぼえまして、例の何氣ない調子で、妙なことをいつては、 紳士や貴婦人たちに笑はれることがまゝ有りました。そして、笑はれゝば、何故(なにゆゑ)笑はれるかと、びツくりする樣子でした。 中にも、よく話をして聞かせて呉れる人は、ヂェレと云ふ水夫で、此(おやぢ)實驗談(じつけんばなし)を聞いて見ると、 何でも二三千囘も航海したかとおもはれる樣で、其度々に人を殺して食べるといふ、鬼の樣な恐ろしい人の住んでゐる島に、 漂着したさうで、又其話の續きを聞いてゐると、ヂェレは身を切られて燒いて食はれた事も度々で、 頭の皮を剥がれたことは、十五囘や二十囘は有つたやうでした。セドリックは、母に此話をして聞かせて、かういひました。

それだから、あの人があんなに頭が禿げてるンですよ、だツて幾度か頭の皮を剥がれゝば、 もう髮が生えやしませんからね。一番しまひに、 パロマチャウィーキン人の王が、ウォップレスレマンプキイ人の酋長(かしら)の髑髏で拵へた庖丁で、 やられてからは、髮が生えませんかツたと。 此時ほど危い目にあつたことは、まあないンですと。其手に庖丁を振廻された時は、 大變とびツくらしたもんだから、かみの毛がちよツきりおツ立ツちまツて、 どうしても()ませんかツたと。さうして、其王が、今其まンまで、 ヂェレの皮を被つてゐて、丸でブラシ(刷毛)の樣ですと。かあさん、僕は、 ヂェレをぢのした樣な、經驗(けいけん)した人見たことがないンです。 それで、ホッブスをぢさんに、すツかり話してやり度くツて、たまらないンですよ。

時々、天氣が惡くツて、人々は甲板に出られないで、下の座敷に閉ぢ込められてゐる時、 セドリックに勸めて、ヂェレのけいけんばなしを話させました。 すると、セドリックは大層得意な調子で、熱心に話をしましたが、一同 (こぞ)つて面白さうに聞いてゐる處を見れば、凡そ大西洋を渡つた人の中で、 これほど人に珍重されたものがあらうかと、思はれるほどでした。何でも、人の興にならうとおもへば、及ばずながら、快く自分の出來る丈は、 して見ようといふ風で、あどけない中に、自分は決して隅に置かれぬ人物とおもふ樣子が、 尚ほ可愛いのでした。ヂェレの話をし終つてから、母にかういひました。

あのね、かあさん、みンなは、ヂェレの話を大層面白さうに聞いてましたよ。 だけれど、かあさん、あの僕は……ひよツよしたら、そんなことをいふのは、 わるいかも知れないけれど……みンな、ほんたうぢやないかも知れないとおもふ時があるンですよ。 みンなヂェレが出逢つたこツちやないのだかと思ふンです。でも、みンな自分だツていひますね、どうも、妙ですね。かあさん、 アヽ、ひよツとしたら、少し忘れてまちがふのかも知れませんよ。 度々(たび〜)、頭の皮をはがれたからね。幾度(いくたび)も頭の皮をはがれゝば、 忘れツぽくなるかも知れませんわねえ。

さて、セドリックが同行の人々と、リヴァプールへ(ちやく)しましたのは、 彼のヂックに別れてから十一日目でして、その翌夜(あくるよ)、三人同車で、 ステーションから、今後セドリックの母の住居(すまゐ)にならうといふ、コート、ロッヂと申す家の門に着きました。最早暗がりで、 家の模樣は分りませんかツたが、門に這入る時、セドリックの眼に止りましたのは、雙方から覆ひかゝつて、アーチの樣になつた大きな木の下に、 馬車道のあることで、こゝにずツと乘り込むと、戸が開いてゐて、 燈火(あかり)がてか〜戸外(そと)()してゐるのが、直ぐ見えました。 さて、メレは、セドリックの母の侍女(つきそひ)に成つて同行致しましたが、 此時、もう先に此家に着して居りまして、セドリックが馬車から跳び降りた時、 廣い、てか〜した廊下に、他の婢僕(ひぼく)と共にお出迎へして居りました。 フォントルロイ殿は、いきなり、彼の老婢(らうひ)に飛びついて、嬉しさうな調子で、言葉をかけました。

オヤ、メレや、お前、もう來て居たかえ?かあさん、メレが來てゐますよ。

といひながら、メレの餘り滑かならぬ(あか)ら顏に、自分の顏をすりつけました。

メレや、わたしは、お前がこゝに居て呉れて嬉しいよ、おまへの顏をみた許りで心が落着く樣だよ。 所慣れないで變なのが、いまへが居るので、よつぽど心やりになるよ。

と低い聲で云つたのは、エロル夫人でした。メレは、其言葉と共にさしのべられた小さな優しい手を、しツかりと握り締めました。 心の中に、母の身になつて、遠く故郷(ふるさと)を離れた許りに、 又一人子を見ず知らずの人手に渡すのは、どの位つらからうと、(しき)りに氣の毒に思ひました。 家附の英人の僕婢(ぼくひ)たちは、皆眼を丸くして、しげ〜と親子を見て居りました。 兩人については、早くも、とり〜゛の風評(うはさ)を聞いて居りまして、 老侯の憤怒、エロル夫人を別居させる理由、若侯(わかぎみ)が將來莫大の産業を受繼がる可きこと、 癇癖(かんぺき)酒風症(しゆふうしやう)とで、殆ど野蠻に近い老侯の氣質などの事を、みな知りぬいて居りました故、

やつこどの、可哀さうに、中々樂は出來まいよ。

と、互にひそ〜話して居りました。併し僕婢(ぼくひ)どもは、今度お入りになつた若侯(わかぎみ)のことは一切知らず、 (もと)より未來のドリンコート侯たる可き人の性質などは、 少しも分らずに居たのでした。セドリックは、平常(ふだん)、人の手を待ちつけぬので、 無造作に外套を脱いでしまひました。それから、先づあたりを見廻しますと、 廣い廊下の飾りつけには、鹿の角や、さま〜゛珍しきものが有りました。平生の家に、かういふ飾りつけを見たことは、是が初めてゆゑ、 セドリックの眼には、隨分不思議に見えました。

かあさん、これは大層きれいな家ですねい?かあさんが、これから、 こゝに入らツしやるんだから、好いことねい。さうして、隨分大きい家ぢや有りませんか?

といひました。なる程、ニューヨークの彼の疲弊した町に有つた家と比ぶれば遙か綺麗で、 爽快な住居(すまゐ)でした。メレの案内で、二階に登れば、眼の覺める樣な白紗の窓掛がさがつた寢間(ねま)に、 火が()いて有り、大きな雪の樣な白いペルシャ(だね)の大猫が、眞白な毛革(けがは)の敷物の上で、氣樂さうに寢て居りました。 メレは之を指さして、

あの、奧樣あ、此猫は、御殿の奧の取締が、よこしたんでございますよ、 まあなんといふ深切な人ですか。さうして、奧樣がおいでなさるツて、なんていことなく、みンな支度をしたんださうですよ。 わたしも一寸お目に掛りましたが、あの、なくなつた旦那さまを、大層祕藏にしたさうで、大へんに惜しいことをしたツて、 云つて居りましたよ。それから、猫でもゐたら、ちツたあ、うちの樣な氣がするかもしれないツて、およこしなせいましたよ。 それから、カプテン、エロルは、お小せいツから、知つてゐたんだツていひましたツけが、押出しの好い可愛い子だツけ、 さうして大きくなつても、えれい人にも眼下(めした)の人たちにも優しくツて、ほんたうに立派な人だツけツていひますツけ。せいから、 わたしも、かういひましたよ。こんだおいでなさる坊ツちやまが、とンと、そんなですよ、わたしや、あんな立派なお子、 見たことが有りませんてね。

さて此部屋で、少しみなりをとり繕ひましてから、又下に降りて、こんどは大きな立派な座敷に通りました。此座敷の天井は、 殊さらに少し低く、周圍(まはり)の道具などは一體にどツしりして、 美しく彫刻して有つて、椅子などはすわり込みの深い、()り掛りの高くツて、 がツしりしたのでした。花壇や違棚(ちがひだな)は大そう風雅で、その上には、 見事で、極く珍しい置物がならべて有りました。煖室爐(ストーブ)の前には、 大きな虎の皮が敷いて有つて、兩側に安樂椅子が据ゑて有りました。 彼の(いかめ)しい白猫は、はや、フォントルロイ殿に(なつ)き始めまして、 跡について下に降りましたが、今の革の敷物の上に寢ころんだ側にすり寄つて、 『これから、お親しく願ひます。』とでもいひさうな(ふう)つきでした。 セドリックは、嬉しく、自分の(かしら)の猫の(かしら)の側によせて、手でおもちやにしながら横になつてゐまして、ハ氏と母とが、 ひそ〜(はな)してゐたことは耳に這入りませんかツた。 エロル夫人は、少し顏の色がわるくツて、何か心に安からぬ思ひがある樣子でした。

今夜は參らなくとも宜しうござりませうね。(せめ)て今晩丈は、 一處に居つても宜しうございませう。あなたの思召(おぼしめし)は如何で御座ります?

と低い聲でいひますと、ハ氏が又同じ樣な調子で、

左樣で御座るて、今晩はまづお入りにならずとも宜しからうと存じます。 愚老が食事でも濟ましませば、先づ參上いたして、御來着の(おもむき)を老侯に通じるで御座りませう。

エロル夫人は、セドリックに、眼を移しますと、彼の黄と黒との毛革(けがは)の上に、 たわいのない中に、しなやかな樣子して、寢そべつて居りまして、少しぽツとした姿色好(きりやうよし)幼顏(をさながほ)の上と、 毛革(けがは)の上とに、ふさ〜と亂脈に散り廣がつてゐた髮の毛は、 煖室爐(ストーブ)の火を照り返して居りました。彼の大猫は、さも安樂さうに、ごろ〜いひながら、寢むさうな顏してゐまして、 セドリックの優しい可愛い手で撫でられるが嬉しい樣でした。エロル夫人は、この樣子を眺めて、我知らずほゝ笑みましたが、 其ほゝ笑が外に表はれるか表はれぬに、急に(また)しを〜として顏付に變りまして、

侯爵さまは、私が、あれを手離します苦しみの、半分も御承知有りますまいと存じます。

と、いつて、少し改まつて、ハ氏に向ひ、かういひました。

あなた、どうぞ、あの金子(きんす)の事は私がお斷り申したと、 侯爵樣にお傳へ下さいますまいか?
金子(きんす)!其金子(きんす)とおツしやるのは、老侯が歳入として、 お定めあらうといふものの事では御座りますまい?

と、不審さうにいはれて、又何氣なく、

さやうでござります、その事を申すので御座ります……全體、此家を頂戴するのも、 子供の側に居るに上都合と申すだけで、餘儀なくお受をいたしたので、 其外は、質素にさへいたしますれば、不自由はせぬほどの用意は御座りますから、金子(きんす)の事は、先づお斷りいたしたうござります。 侯爵さまが、私をば、さまでにお憎しみ遊ばす處ですから、若し金子(きんす)を戴けば、 どうやら、セドリックを金子(きんす)に引換へる樣で、心よく御座りません。 今セドリックをお引渡しするといふのは、たゞあれの利益とおもひますれば、母の情愛で、自分の事は忘れて居りますのと、かうなることは、 亡父(なきちゝ)も望む所であらうと考へますからのことで御座ります。
それは甚だ思寄らぬ仰せで御座ります。老侯にも、あなたのお心を汲みかねて、 御立腹になることであらうと思はれます。
侯爵さまも、少しお考へ下されば、必ずお分りになるだらうと思ひます。わたくしは、其 金子(きんす)がなければ困難いたす譯でもない處を思ひますれば、私をお憎しみ遊ばして、御自身の孫にあたるセドリックを、現在、 母とお引分けになる其方の御給與なさるもので、贅澤をいたさう心には、どうもなれません。

ハ氏は、暫時默考して居りましたが、やゝあつてから、

さやうならば、お言葉通りに申し上ぐるといたしませう。

彼是(かれこれ)する中に、食事を持ちこみまして、一同食卓に着きましたが、 彼の大猫も、セドリックの(かたはら)の椅子の上に、ちやンと座を占めまして、 食事の最中、大威張りに、ごろ〜咽喉を鳴らして居りました。さて、 これから間もなく、ハ氏がお屋敷に伺ひました時、(ぢき)お目通を仰付けられました。老侯は此時 煖室爐(ストーブ)の側の、贅澤を極めた安樂椅子によつて、 彼の酒風症(しゆふうしやう)に惱んだ御足(おみあし)を、足臺の上に休めて居られましたが、 ふさ〜した眉の下の鋭い(まなこ)は、ハ氏をきツと睨まへて居りました。 そして、外貌(うはべ)は沈着に見えても、心の中は、(ひそ)かに、 いら〜して、お胸が騷立つて居るといふことは、ハ氏もよく承知して居りました。

イヤ、ハヴィシャム、歸つたかな?どうで有つた?
御意に御座ります。フォントルロイ殿は、母君と共に、 コート、ロッヂに()らせられます、御兩人とも、海上甚だ御無難で、御機嫌うるはしう御座ります。

老侯はこれを聞いて、なにか待ちどほで、氣が()くといふ調子で、手をもぢ〜しながら、先づ鼻で、『フン!』といひ、

それは結構といふものだ、それはそれでよしと。ハヴィシャム、くつろぐが好い、 一杯やつて、落着いたら、其跡を聞かう。
フォントルロイ殿は、母君と彼の處に御一泊あつて、明朝は、 御同道いたして、お屋敷に伺ふ筈で御座ります。

老侯は、椅子の横に(ひじ)を休めて居られましたが、其手を擧げて、(まなこ)(かざ)し、

フヽン、其跡はどうだ?此件に付いては、巨細(こさい)を申し送るに及ばぬといつて置いたから、 まだ何事も知らずに居るのだ。全體どんな奴だな、其小息子といふは? なに、お袋のことは聞かずとも好い、子供はどうだ?

ハ氏は、手づからコップについだポウト酒を、一口飮んでまだ酒杯(さかづき)を手に持ち、(ひか)へめに、

御意に御座りますが、何分七歳といふ御弱年で御座りますから、 御性質等の御尋問に對しては、一寸、お答へに苦しみますて。

これを聞いて、老侯の疑惑、掛念は、ます〜(さかん)になり、早くも彼の眼光をハ氏の(かた)に放つて、粗暴に、

なに、馬鹿か?たゞし、犬ツ子の樣な不器用者か? 腹がアメリカだといふ處が、現然と見えて居るといふのか?
イヤ、お腹がアメリカの御婦人で、此弊が有るといふ處は、 一向見えぬ樣で御座ります。愚老は子供のことは至つて(うと)い方で御座りますが、 いづれかといへば、先づ立派な若君と鑑定いたしました。

例の沈着、冷淡な調子で答へました。ハ氏の物言ひは、全體、平生が落ちついて、油の乘らぬ方でしたが、 此時は殊更不斷より(ひか)へ目にしたといふものは、侯爵どのが餘り(くは)しく實際を御承知ない中、 不意に孫息子に面會されて、自身に判斷を下された方が、兩方の爲に宜しからうと、怜悧にも考へたからでした。

どうだ?壯健(たつしや)で、よく伸びた方かな?
御意に御座ります、殊の外御壯健で、御發育も甚だ宜しい樣見受けました。

侯爵どのは、一層()き込んで、

なにか、手足なども、すらりとして、外見(みば)は好い方か?

此時、ハ氏は、薄い脣の(へん)に、それとも分らぬほど(かす)かな微笑を現はしましたが、 コート、ロッヂで見て、今も眼の先に有る樣なセドリックの姿、 さも樂しさうに、虎の革の上にしどけなく横になつて()に書きたいほど見事な處、きらきらした毛が革の上に亂れ散つて居た鹽梅、 櫻色のぱツちりした幼顏(をさながほ)のことなど、思ひ出して、

先づ一と通り、立派な御人品の樣見受けましたが、此邊は、愚老の判斷、 甚だ覺束ないものと、御猶豫を願ひます。併し御前のお眼に止りました本國生れの童兒と、 多少趣味の變つた所は、必ず御座りませう。

老侯は急に足部(そくぶ)を襲つた酒風症(しゆふうしやう)の苦痛に、息卷き荒く、

さうあらう〜。米國の子供といへば、禮儀作法も知らぬ乞食めらだといふことは、 いつも聞くことだ。
御意に御座りますが、若君に限つて不作法のお振舞は決して御座りません。 只今本國の子供と違ふと申し上げましたは、判然とは申し(にく)う御座りますが、 同年輩の者よりは、成人(おとな)に交はられた故かして、幼稚らしい處に、 又成熟らしき處の混淆して居る風采の事を申し上げたので御座ります。
イヤ、それが即ち米國風の出過と申すのだ、兼ねて聞いて存じて居るわ。 きやつ等は、それをば、早熟とか快活とか名をつけてをるわ。(いづ)れ、氣色に障るほど不作法に違ひあるまい。

ハ氏は又少しポウト酒を飮みました。此人は侯爵どのに(むか)つて、 決して論辯を試みたことはありませんかツた。別して御足(おみあし)の御持病に侵されて、 惞衝(きんしよう)して居る時などには、寄らず、觸らずに應接(あしら)ふが上策でしたから、 此時、數分間雙方沈默でした。其うち、ハ氏が、

エロル夫人より、御前に申し上ぐる御傳言が御座ります。

老侯は、又獅子の吼える樣な御聲に息卷いて、

傳言だと、あれからならば聞きたくもない。あの女のことは、 なる丈聞かせぬ樣にして貰ひたいわ。
御意には御座りますが、此御傳言は、ちと大切な一條で御座ります、 と申すは夫人に御恩賜あらうといふ年給を、御斷り申し上ぐる旨、申し出でられた次第で……

侯爵どの、ぎツくり驚かれた樣子で、又大聲に、

なに、何と申す?それはまたなんだ?

ハ氏は、前申した通りに、再び陳じました。

夫人は決して其金子(きんす)を頂戴する必要はない樣に申されます。 ()して御前との御交りも、御親密と申すではなし……

此時老侯は烈火の如く怒り、さながら言葉を吐きだすが如く、

なに、親密でないと申すか?ヘヽン、親密どころでは有るまい。 あの女のことはおもうても胸がわるいわ。ちよツ!舌長い、貪慾なアメリカ女め! 見度くもないわ。
御前樣、恐れながら、夫人を貪慾と仰せられますは、ちと愚老の胸に落入り兼ねます。 一事(ひとこと)の請求をなされた譯ではなし、 たゞ御恩賜の金子(きんす)をお請けせられぬ許りでは御座りませぬか?
それも是も策だわ。

と、跳ねつける樣な調子に、老侯どの、

(わし)をひとつ()めて、面會でもささうといふのだらう。 只今の樣に申すのも、畢竟わしに精神を感服させて、一仕事と考へて居るのだらうが、 さうは參らぬ。わしは一向感服致さぬて。それが米國風の出過といふものだ。此屋敷近い處に、非人如き生活をされては、わしの迷惑だ。 フォントルロイの母で有つて見れば、生活も相應な格にさせねばならぬと云ふものだ。兎に角金は取らするが好い。
たとひ、金子(きんす)をお遣はし有つても、お用ゐはあるまいと存じられます。

老侯は又くわツとして、

遣はうが遣ふまいが、それに構ひはない、どうでも遣る物は遣るとせう。 わしが何もして遣はさんから、非人の生活をせにやならぬなどと、 世間へ觸れられては、大した迷惑ぢや。ハヽア、ひとつは子供をわしにわるく思はせうといふ手だな。 さもなくとも、わしの惡口は十分吹き込んだのだらう。
イヤ、左樣なことは一切御座りますまい。夫人より傳言の御座りました處をお聞きとりなされませば、 左樣なことは一向ないことが判然いたしませう。

老侯は憤怒と、苛立と、痛症とにて、苦しげに太い息をつき、

左樣なことは聞く耳持たぬわい!

と怒鳴らせ給ふも、構はず、ハ氏は、靜に其傳言を述べました。

夫人が、申し出られまするには、御前が自身を忌み給うて、フォントルロイ殿をお引別になつたといふことは、 なるべくフォントルロイどのに知らせぬ樣御注意を願ひ度い、と申す譯は、フォントルロイ殿が、深く自身を慕はるゝ處から、萬一、 老侯に對して隔意を生じてはと、掛念されるので、到底(まこと)の理由は御會得の出來ぬものと看做しますれば、 若君が多少御前を(はゞか)つて、御前に對する情愛が薄くなるは誠に殘念と思はれる樣子です。 若君には、只今御幼稚で御會得は六かしい事故、(いづ)れ御生長の後、委細御承知にならうと申し上げてあるさうで御座ります。 初對面に隔意のない樣といふのが、夫人の切に配慮致さるゝ點で御座ります。

御前は仰向けにどツかと椅子の背に(もた)れて居られましたが、 秀でた眉の下には、(たけ)しい、窪んだ老眼が人を射て居りました。(せは)しい息遣ひは、まだ治まらぬ樣子で、

なんと申す?其事はお袋が云うて聞かせぬと申すのか? 左樣では、よもやあるまい?

ハ氏は冷淡に、

イヤ、御前、其事は一言も申して御座りません、それ丈は保證いたします。 若君は、最も情愛深き御祖父樣と信じて居られます。誠に完全無缺の御性質と確信して居られます點に、 疑ひを惹き起すことなどを、お聞かせ申したものは一切御座りませぬ。 ()してニューヨークに於きましては、一々御指揮の通り取計ひましたれば、 御前をば非常な慈悲寛大の御方(おんかた)と、思召して居られます。
それに相違ないか?
イヤ、其事許りは愚老が幾重にも保證いたし置きます。さて、これから御對面で御座ります。 舌長しと、お叱りを蒙るかは存じませぬが、母君のことは一切惡しざまには仰せなき方が、 御上策かと愚考いたします。
ヘン、七歳の小僧が、何を(わきま)へやうぞ?
御意には御座りますが、其七年間、始終母君が御付添で御座りますから、 若君が此上もなく親愛して居られます。

更新日:2004/04/16

小公子 : 第五囘


さて翌日、フォントルロイ殿と、ハ氏とが乘つた馬車が、ドリンコート城に行かうといふ長い竝木道を通りました時は、 正午(ひる)も餘程過ぎて居りました。老侯の仰せに、フォントルロイ殿を晩餐に間に合ふ樣、連れて參れと有りました。 又、何か特に思召が有つたものと見えて、老侯が獨り待ち受けられるお居間に、付添ひ()なく、たゞ獨り、遣はせといふお言葉でした。 馬車は、彼の竝木の間を轟く音高く走る中、フォントルロイ殿は、 ゆツくりと立派な羽蒲團に()つて、四方の景色を餘念なく眺めて居られましたが、見る物聞くもの、面白くないものは有りませんかツた。 きら〜した馬具の付いた、立派な大馬の曳く馬車にも、見事な揃を着た、 (せい)の高い御者や馬丁(べつたう)にも心を付けられ、殊に大門の扉に彫り付けて有つた、 冠の模形に目が留りまして、どういふ理由(いはれ)のあるものか研究をするとて、 (ねんごろ)馬丁(べつたう)知己(ちかづき)になりました。それから、馬車がお庭の御門の前に來ました時、入口の兩側に有つた、 石造の獅子をよく見ようとして、馬車窓から首を出しました。此時、蔦が蒼々と覆ひ被せた家を出で、御門を開いた者は頬の色の好い、 母らしい女でしたが、二人の子供が跡に續いて駈出して來ました。丸い、大きな眼をして馬車の中の若ぎみを眺めて居りました。 お袋らしい彼の女は、微笑みながら、腰を屈めました。さうして、子供等も、お袋に催促されて、(かしら)をさげて辭儀をしました。 フォントルロイ殿は、

あの女は僕を知つてるンでせうか?知つてると思ふンでせうね?

と云つて、黒天鵝絨(くろびろうど)の帽子を脱いで、こちらからも笑ひかけました。又例のさえた調子で、

今日は!御機嫌は如何?

といひますと、女が嬉しさうな顏つきをした樣に、セドリックには見えました。 初めから、微笑んだ口が、いよ〜廣く開きまして、眼元にも深切さうな處が現はれて來ました。

若樣、よくお入りで御座いました。まあお見事な若樣で入らツしやいますこと! 御好運と御幸福とを幾久しく祈り上げます!

と申しました。フォントルロイ殿は帽子を振つて、再び會釋する中に、馬車は、女の側を通つて、先に進みました。

僕は、あの女がなんだか好きです、子供が好きな樣な顏して居ますもの。 僕は時々こゝへ來て、あの子供たちと遊び度いもンですね。
まだ外にも大勢、子供が有りますかしら?

ハ氏は、門番の子供などと遊び朋輩(ともだち)になることは、許されさうもないこととはおもひながら、あとでも申せることと、 (ひか)へて、なんとも答へませんかツた。さて、馬車はずん〜進行いたしました。此馬車道の兩側に、 見事な大樹が生ひ繁つて居つて、雙方から覆ひ重つた枝葉が、生きた緑門(アーチ)になつて居りましたが、セドリックは、 こんな(いかめ)しい立派な樹木を見たことが、有りませんかツた。ドリンコート城は、大英國中の城郭で、どれに劣つてるといふことはなく、 其庭の廣いことと、見事なこととに於ては、指を折られる中で、殊に其樹木と竝木道とは、他に(なら)ぶもののない位といふことを、 其時セドリックは未だ知りませんかツた。併し何も彼も、美しいといふこと丈は、知つて居りました。凄じい大樹の間から、 午後の光線が黄金(こがね)(ほこ)を差通してゐる鹽梅、四面聲なく、沈々とした趣、風にゆら〜と戰いで居つた大枝の間から、 ちら〜見える樹苑の景色、一々セドリックの心を悦ばせ、眼を慰ませぬものは有りませんかツた。時々は蒼々とした、 丈の高い羊齒(しだ)が、毛氈(まうせん)を敷き詰めた樣に生えた處を眺め、 又處々には、微風(そよかぜ)(なび)く桔梗の薄色(うすいろ)が、空と見紛ふ許りに咲き亂れて居つた處を通りました。 ある時は、青葉の下から、不意に兎が跳出しまして、短い白い尾をちらりと後に見せて、又(いづ)れへか走り去るのを見て、 セドリックは躍り上つて大笑ひをいたしました。一度は、間近くから突然に雉子の一群(ひとむれ)が、羽敲(はばたき)して飛び出し、 又、飛び去りました。この時、セドリックは大聲を揚げ、手を()つて、

ハヴィシャムさん。どうも綺麗な處ですね?
僕はこんな綺麗な處、見たことがないンです、 あのニューヨークの中央公園よりか、まだ綺麗ですね。

行く(みち)に大分暇どれたのを、少し不審に思つたと見えて、

全體、門から入口まで、どの位あるンです?

と問ひました。

左樣、三英里(えいり)か、四英里も有りませうか?
さうですか、自分のうちの門から、そんなに離れてるツて、大變ですね。

セドリックは、ひとつ驚いて幾分も過ぎないに、またびツくりして感服すべき新しいものに出逢ひました。 或時は、青草の上に横になつたり、又は馬車音に驚き、綺麗な角の生えた(かしら)を竝木道の方に向けて、びツくりした顏で、 立つて居る鹿を見付け、まるで夢中でした。セドリックは聲の色を變へて、

アヽ、こゝに見せ物でもあつたンですか。それとも、いつでも、 こゝに住んで居るンですか?一體誰のなンです?

と問はれて、ハ氏は、

いつも、こゝに居るのです。それは侯爵樣、即ち、あなたのお祖父樣のものです。

是から間もなく、お城が見えて來ました。其眼の前に巍々(ぎゝ)として突立(とつりつ)した處は、 (まこと)に見事に錆びて居りまして、數々の窓には、夕陽の光線が目映(まばゆ)く輝いて居りました。井樓(せいろう)もあれば、 凸字壁(とつじへき)や、砲臺も見える。其幾方かの壁には、蔦蔓(つたかづら)がはひ(まと)うて、 古色を増して居りました。お城の四方には、觀樓(ものみ)や、芝生や、 美麗な草木の植付が有つて、今を盛りと咲き亂れて居る花さへ(おびたゞ)しくありました。 セドリックのくり〜した顏は、嬉しさに逆上(のぼせあ)がつて、ぽツと櫻色になり、

どうも僕は、こんな綺麗な處、見たことがないンです、王樣の御殿の樣ですね、 いつか、御殿の()畫草紙(ゑざうし)で見たことが有りましたツけ。

といひました。さて、這入らうとする玄關の扉は、雙方開いて有つて、 召使どもは二列に居竝(ゐなら)んで、セドリックを見て居る樣でした、 セドリックは、何故(なにゆゑ)にあの樣に(なら)んで、立つて居るのかとおもひ(なが)ら、 揃の服の見事なに、感心しました。セドリックは、此召使たちが、程なく、此城郭と()べて是に附屬する物との主領とならうといふ、 此若君に敬禮を表して居たとは、知りませんかツた。畫草紙(ゑざうし)の宮殿めいた、 此壯麗な城郭も、立派な樹苑も、(いかめ)しい樣な大木も、兎が遊ぶ草原(くさはら)も、芝生を寢床に起伏した、(まだら)色な、 眼の大きい鹿も、みんな(やが)て、セドリックの所有になるのでしたが、思うて見れば、馬齡薯(じやがたらいも)や鑵詰物の眞中に、 ホッブスをぢと腰かけて、高い臺から兩足をぶら下げて居つたのは、つい二週前の事で、其時は猶更、今でも、こんな立派な物に、 大した關係がある樣には思はれませんかツた。召使の居竝(ゐなら)んだ、(かしら)の方に、眼立たぬながら、立派な姿(なり)をした、 老成らしい婦人が居りましたが、セドリックが這入りますと、外の者よりも、間近く立つて居て、何か言ひさうな顏付に見えました。 セドリックの手を引いて居つたハ氏は、一寸足を止めました。そして聲をかけて、

メロン夫人、フォントルロイ殿で御座りますぞ。 若樣、取締のメロンと申す婦人で御座ります。

セドリックは眼付に嬉しい情を現はし、握手の手を延べて、

あなたでしたか、あの猫をよこしてくれたのは?どうも有りがたう。

といひますと、メロン夫人は、門番の妻の顏ほど、嬉しさうな顏になつて、ハ氏に向ひ、

いづれでお眼通りいたしても、若樣をお見違へ申すことは御座りますまい。 お顏も、御樣子も、そツくりエロル樣で御座ります、あなた、今日は誠におめで度い事で御座ります。

といひましたが、セドリックは、何がおめで度いのかと、不審に思ひました。デ、メロン夫人の顏を不思議さうに見ますと、ちよツとの間、 眼に涙が浮んで居た樣でしたが、悲しさうでもなく、セドリックを見つめて、にツこりいたしました。

あの親猫は見事な小猫を二ツ、こゝに殘して參りましたから、 早速、お居間に差上げて置きませう。

といひました。それから、ハ氏は何か、低い聲で二言三言いひますと、メロン夫人が答へて、

あなた、書齋で御座いますよ。若樣をお獨りで、そこに差上げる筈で御座います。

それから、暫時、待合せる内に、矢張り揃の服を着た、(せい)の高い給仕が書齋の入口までセドリックを案内して、戸を開け、殊更 武張(ぶば)つた聲で、『御前、フォントルロイ殿のお入りで御座ります。』と注進いたしました。 身は給仕風情でこそあれ、當家の嫡孫が、(やが)て、受け()ぎ給ふ可き領地に御到着有つて、 老侯に初見參(うひげんざん)に入り給ふ案内は、容易ならぬ、榮譽と思つたことでせう。セドリックは、續いて閾を越え、 座敷に這入りました。是はまた大して、廣い立派な座敷で、 置付けの道具は、皆な豪氣な彫物のした品で、幾層と、數の知れぬほどの書棚(ほんだな)に、書籍(しよじやく)ががぎし〜゛詰つて居ました。 置道具は(すべ)て黒色で、窓掛や、(へだて)の懸幕はいづれもどツしりして居て、 菱形の玻璃(ガラス)窓は殊に間深(まぶか)で、室の隅から、隅までの隔りが、いかにも、遠いものでしたから、光線のうつりも薄く、 一體の氣色(けしき)朦朧(ぼんやり)と、小氣味わるい位でした。セドリックは、初め一寸の間、誰も室にゐぬ樣だと思ひましたが、 暫くする中に、大きな煖室爐(ストーブ)の火の()いてある邊に、大きな安樂椅子が有つて、誰か其椅子に腰掛けて居るのが見えました。 初めには、此人物は未だセドリックの方を見向きませんかツたが、他の一方には、セドリックに眼をつけたものが有りました。 安樂椅子の(かたはら)の床に、すばらしい、茶色のマスチフ(だね)大犬(おほいぬ)()て居りましたが、 體も四足も獅子ほど有りました。此の大の犬が凛然として靜かに床を離れ、彼の小息子に向つて、どし〜足音をさせて歩いて參りました。 此時、初めて、彼の椅子の上の人物が聲を發して、『これ、ダガル、こちらへ參れ!』と命じました。併し若君の心には、不深切もなければ亦 怖氣(おぢけ)もなく、一體英氣ある生れでしたから、誠に何氣なく、 此大犬の頸環の上に手を置きながら、犬と一處に徐々(しづ〜)と進みました。ダガルは歩みながら、頻りに鼻を(うご)めかして、 臭を嗅ぐ樣子でした。此時侯爵どのは、初めて顏を擧げられましたが、先づセドリックの眼に止つた者は、頭髮も眉毛も白くふツさりして、 (くぼ)い烈しい兩眼の間の鼻の、さながら鷲の(くちばし)に似た、 恰幅の大きな、老人でした。侯爵どのの眼に止つた者は、黒天鵝絨(くろびろうど)の服に、レースの領飾(えりかざり)の付いたのを着た、 しとやかな子供の容姿(すがた)で、尋常で凛とした、顏の邊には、愛嬌毛が浪うつてゐて、何となく、親しげに自分を見て居りました。 若し此城郭を昔話の御殿とすれば、セドリックは、そツくり、 其中の若殿に見立てたい樣でしたが、自分では少しも左樣な事に氣が付きませんかツた。 然るに老侯が、斯くまで、屈強に見えた孫息子を見、大犬の(うなじ)に手を載せながら、 一向、臆面なく、自分の顏を合せる樣子を察して、其烈しい御心の中に、急に喜悦と高慢の情とが燃えて來ました。セドリックが、 犬にも自分にも()ぢ恐れた樣子の少しもないのが、非常に(たけ)しい老侯の氣に叶うたのでした。 セドリックは、門番の女や、取締を見たも同樣な調子に、老侯を見て、ずツと側まで歩み寄りました。

あなたが侯爵さまですか?僕はハヴィシャムさんが連れて來た、あなたの孫ですよ、 フォントルロイです。知つて入らツしやるでせう?

と云つて、侯爵さまでも握手をするのが禮儀で、適當なことに違ひないと思ひ、手を伸べながら、又大層なれ〜しく、

御機嫌は如何ですか、僕は今日あなたにお眼にかゝつて、大變嬉しいンです。

といひました。侯爵どのは、妙に眼を光らせながら、握手の禮をしました。 一寸初めには、少し呆れ氣味で、言葉も出ませんかツたが、被せかゝつた樣な眉毛の下から、 ()に書いた樣な、セドリックを見つめ、頭の(さき)から爪先まで、餘す處なく觀察を遂げられてから、やツと、

さうか、貴樣はおれに逢つて嬉しいと云ふのか?
エー、大變嬉しいンです。

セドリックの側に椅子が有りましたが、先づ之に腰をかけました。これは()り掛りも、脊も大層高い椅子でしたが、 これに腰を落着けますと、兩足が下に着きませんかツた。併し、矢張り樂しさうにちやンとしてゐて、(いかめ)しいお祖父樣のお顏を、 少し(ひか)へ目ながら、眼を離さず眺めて居りました。其中、かういひました。

僕はあなたがどんな人かと思つて、始終考へてましたよ。お船で寐臺(ねだい)の上に寢てゐる時分、 あなたがひよツと僕のとうさんに似て入らツしやるか知らと、思つてましたよ。
フン、さうして、似て居る樣か?

と尋ねられて、

さうね、おとうさまがおなくなりなすツた時、僕は大變小さかツたから、 顏をよく覺えて居ないのかも知れませんが、何だか、似て入らツしやらない樣です。
それぢやあ、貴樣失望だらうな?
いゝえ、なに。そりやあ、誰だツて自分のおとうさんに似てゐる人は好きだけれど、 おとうさんの顏に似てないツて、お祖父さんの顏ならば、好きぢや有りませんか。 あなただツて自分の親類なら、誰だツて好きでせう?

侯爵どのは後に反り返つて、セドリックを見詰めて居られました。 自分の親類に親しむ妙味(あじはひ)は、侯爵どのにまだ分らぬ位でした。 なぜといふに、是まで時につれ、折に觸れては、隨分親類共と烈しい喧嘩をしたり、 出入を禁じたり、誹謗の名呼ばはりをしたことも有つて、親類どもは、眼の(かたき)に憎んで居たからのことでした。 フォントルロイ殿は、又言葉を續け、

さうして、誰だツて自分のお祖父さんは、好きに()まつてますわ、 あなたみた樣に深切なお祖父さんなら、尚ですわ。

老侯の眼は、又妙に光りまして、

ハヽア、さうか、おれは貴樣に深切なのか?

フォントルロイどのは、威勢づいて、

エー、さうですとも、ブリジェットだの、林檎屋だの、ヂックだのに、どうも誠に有難う。
何を申して居る?ブリジェットに、林檎賣に、ヂックだと?
エー、そら、あの人たちに遣れツて、あんなにお金を下すツた人のことです。 そら、僕が入れば遣れツて、ハヴィシャムさんにさうおいひなさつたでせう?
ハヽア、あの事か、さうか?貴樣の好きにつかへといつた金か。 全體あれで何を買つた?聞かせるが好い。

此時侯爵どのは、少しく、彼の秀でし眉を(ひそ)めて、鋭くセドリックを見詰められました。 畢竟、此童兒が、どういふ事を樂しみにするかと、頻りに聞きたくなつたのでした。

アヽ、さうでしたね。あなたは、ヂックや林檎屋のお婆さんや、 ブリジェットのこと、知らなかツたんでしたね。あなたがこんなに遠方に入らツしたの、 僕、忘れてましたよ。三人とも、僕の親友なンです。それから、あのミチェルが熱病でね……
ミチェルとは又誰のことだ?
ミチェルといふのは、ブリジェットの亭主なンです。そして大變、困つてたンです。 人が病氣で、働けないで、十二人も子供があれば隨分大變でせう? ミチェルと云ふのは、いつでも極くかたい人なンです。さうして、 ブリジェットが僕の家に來ては、泣くンです。それからあのハヴィシャムさんが、僕の家に來た晩なんかにや、食べる物がなんにもなくなツて、 家賃が拂へないツて、臺處で泣いてたンです。それから、僕が逢ひに行つてからハヴィシャムさんが、呼びによこして、 あなたが僕にお金を下すツたのを、預かつて來て、云つたンです。それから、僕が臺處に急いで駈けてツて、ブリジェットに遣つたら、 もうみンな大變、よくなツちまつたンです。ブリジェットはあんまりびツくらして、初めはほんとにしないンですもの。 だから、僕があなたに有難いンです。

侯爵どのは、例の沈んだ調子で、

ハヽア、貴樣が好きに金を遣つたといふのは、さういふ鹽梅なのかな。 それから外に何をした?

彼の大犬のダガルは、セドリックが席に着きました時、其側に坐つてゐましたが、 幾度(いくたび)か、セドリックを見上げて、始終の話に、身が入つてゐるかと、 思ふ樣な素振りをしてゐました。ダガルといふのは、中々嚴格な犬で、自分の犬柄に對しても、輕々しく世に處することは出來ぬと、 おもつてゐる樣子がありましたが、此犬の平生を好く知つて居られた老侯は、 それとはなしに注意して、其の樣子を見て居られました。ダガルは、中々、 粗忽に知己を拵へる樣な犬では有りませんかツたから、セドリックが撫でるのを何ともせずに、 靜かに坐つて居たのを見て、多少、不審に思はれました。そして丁度此時、ダガルは泰然と構へながら、フォントルロイ殿を熟視して、 滿足したものか、今度は、すさまじい獅子の樣な(かしら)を、黒天鵝絨(くろびろうど)の小さな膝の上に麗々と載せました。 セドリックは、小さい手で、新たに出來た友だちを撫でながら、問に答へて、

それから、そら、ヂックね。あなた、きツとヂックが好きですよ、 どうも大變キチャウメンですもの。

侯爵どのは、流石、此俗語は初耳と見えて、

全體それは、どういふ譯なのだ?

フォントルロイ殿は、暫く思案してゐました。 自分にもキチャウメンの意味が判然(はつきり)、分つて居たのではなく、 たゞヂックが好んで用ゐた言葉ですから、好いことに相違ないと信じて使つたのでした。

僕は、ヂックが、誰も(だま)したり、自分より小さな子を()ツたりしないで、 人の靴を磨く時は、出來る丈光る樣にするといふ譯かと思ふンです。ヂックは靴磨が職業なンです。
さうして、それが貴樣の知己か?
エー、僕の舊い友だちです。ホッブスをぢさん程、年をとつては居ないけれど、 隨分、大きいンです。船が出帆する前に、進物(しんもつ)をくれたンです。

此時、セドリックは手をポッケットの中に入れて、綺麗にたゝんだ赤い物を引出し、 鼻高々と、これを擴げました。それは、例の紫の馬の首や、馬の(くつ)が織り出して有つた、赤い絹のハンケチでした。

これを呉れたンです。僕はいつまでも持つてるンです。ね、そら、(くび)にも卷けますし、 ポッケットに入れて置いても好いでせう。僕が、ジェークにお金を遣つて、 ヂックに新しい刷毛(はけ)を買つて遣つてから、儲かつたお金で、(すぐ)と買つて呉れたんで、 ヂックの餞別なンです。ホッブスをぢさんに時計を遣る時、『是を見て僕を記念し給へ。』と書いたンですが、僕はこれを見れば、いつでも、 ヂックのことを思ひ出すンです。

(さて)、尊きドリンコートの城主が、段々の話を聞かれて、 心に起された感覺は、容易に名状することも出來ぬ、一種特別の感覺でした。 隨分世なれた、老成貴族で、輕々しくは、物に動じる樣なことはない(たち)でしたが、 こん度といふ今度こそ、出逢うた者の、餘り異樣なのに呆れて、殆ど、言葉も出ぬ程でした。 此御方は、一體、子供はお嫌ひで、御自分の樂しみに屈託して、子供などに構ふお暇がないのでした。 御自分の子供逹が幼少な時分、別段可愛いと思はれたことは有りませんかツたが、 たゞセドリックの父丈を立派な、勇ましい子と思つたことのあるのを、 時々思ひ出す位のことでした。御自身が此迄、(よろづ)、勝手氣儘を通されて、 人の互に相讓る、美しい處を見る(いとま)さへ無かツたのでした。心立(こゝろだて)の好い子供といふ者は、どの位優しく、信實で、 愛の深い者か、あどけなく、無心な擧動の中に、どの位清素、仁愛な情が籠つて居るかといふことは、丸で御承知なかツたのでした。 男兒といふものは、極く嚴しく制限しなければ、いつも、我儘で、物ねだりしたり、 騷々しくする、至極迷惑な、動物だと許り思つて、居られました。この二人の息子どもは、絶えず、師匠どもを困らせ、苦しめた樣でした。 それに、末の子に付いては、餘り苦情を聞かないで濟んだのは、畢竟、末で餘りはゞがきかなかツた(せゐ)と想像して居られました。 さて、此度(こんど)は又、孫息子が自分の氣に叶はうかなどとは、少しもおもって居られた譯ではなかツたので、 只幾分かの名譽心に迫られて、セドリックを迎へに遣られたのでした。兎に角、其子供が未來には、自分の跡を繼ぐので有つて見れば、 教育もない、下郎の家名を繼がせて、人の物笑ひになつても、 折角と思はれ、かつは、米國で、其儘、成人させたらばいよ〜下賤な者になり(おほ)せるだらうと、 たゞ掛念された丈の事で、セドリックに對し、愛情などの有つた譯では決してなかツたのでした。 可成(なるべく)は、姿色(きりやう)も見憎からぬ程で、外聞のわるいほど馬鹿でなければ好いと思つて居られたものの、 年上の息子どもには失望を極め、末のカプテン、エロルには、米國人との結婚一件で、恐ろしく憤つて居られましたから、 婚姻の結果として、何も結構なことが有らうなどとは、一切考へず、給仕がフォントルロイ殿のお入りと注進した時には、自分が、 かくあらうかと掛念して居つた、快からぬことを、今目前(まのあたり)、見ることかと、子供に顏を合すが嫌で堪へられぬ位でした。 いツそ、失望す可きものならば、其失望を人に見らるゝが忍び難いといふ、 高慢心が先だつて、畢竟(つまり)、さし向ひの對面も命じられたのでした。 かういふ處故、猶更、セドリックが怖氣(おぢけ)なく、手を大犬の(くび)の上に置きながら、 泰然(ゆつたり)と濶歩して進んで來た時には、傲慢頑固な心も、飛び立つ樣でした。思ひ直して、極々高く、望を持つた時でさへ、 こんな孫息子があらうとは存じの外で、顏を合せるさへ憚りに思つた者、 又自分があれまでに嫌つた女の生んだ子が、これ程美麗で、品格が高いとは、 餘りの僥倖(こぼれざいはひ)で、夢かと思はれる程でした。流石の老侯も、此驚きに對しては、嚴格な居構へさへ崩れさうでした。それから、 對話になりましたが、なほ〜妙な感覺を生じ、皆々不審が晴れなくなりました。 第一、自分の前に來ては、大抵の人が恐さうで、何が間が惡さうに、もぢ〜するのを見慣れて居られましたから、 孫も矢張り恥かしがつて、臆して居ることと極めて居られました處が、 セドリックは犬も怖れないが、亦侯爵を恐がる樣子は少しも有りませんかツた。 決して、出過といふではなく、たゞ無邪氣に、人懷(ひとなつ)こいので、何故(なにゆゑ)に間がわるかツたり、こはかツたりするのか、 其譯さへ一向知らなかツたのでした。老侯は、セドリックが高い椅子に腰をかけて、 誠に何氣なく話をしてゐる處を御覽じると、自分を疑ふ處などは毫末(すこし)もなく、人が見ては(こは)らしい大きな老人でも、自分には、 どこまでも、深切と思ふより外の考へもない樣でした。さうして、此通りの面會して話をするのが嬉しく、どうぞお祖父樣にお氣に入つて、 お悦ばせ申し度いといふのが頑是ない處置の中によく見えて居りました。老侯は(もと)より癇癪持で、頑固で、世俗的の人物でしたが、 さて此通りに信じられて見ると、自然、心の中に一種新たな愉快な感じが起りました。 自分を狐疑(こぎ)することも、忌み憚ることもせず、自分の性質の嫌ふ可き處を、 見現はした樣子でもなく、清らかな、淀まぬ眼で、ぢツと見られるのは、黒天鵝絨(くろびろうど)の服を着た小息子にでも、どうやら、 心持の惡いことは有りませんかツか。それ故、老侯は、椅子に(もた)れてゐながら、 セドリックが自分のことをずん〜話せる樣に問ひかけて、さうして、妙な眼をして、 頻りに其樣子を見て居られました。一方では、一々其問に對して、 造作もなく答へまして、例のなれ〜しい樣な、仔細らしい樣な調子で、引も切らず話を續けました。 其話といふは、ヂック、ジェークのことや、林檎屋のばばのことや、ホッブス(うぢ)のことで、中にも國旗や、松明(たいまつ)や、 花火で(にぎや)かな獨立祭の話が有りました。此話になつて、これから革命の一段に一生懸命にならうといふ處で、何か、 ふと考へた樣子で、急に話を止めました。

なんだ?なぜ其先を申さぬのだ?

と、お祖父樣がお咎めになりました。

フォントルロイ殿は、椅子の上でもぢ〜して居りましたから、老侯は何か思ひ出して、間がわるくなつたかと、氣が付かれました。

僕はね、あなたがひよツと、其話、厭かと思つたンですよ。誰か、 あなたの親類か、なんかが、あの時に、ゐたかも知れませんからね。 僕は、あなたが英國の人だツたの、忘れツちまつたンですもの。
なに好い、ずん〜話すが好い、おれの附屬のものなどは、 それに關係はないから。だが、貴樣は、自分の英國人だといふことを忘れて居るな。

セドリックは口ばやに、

いゝえ、僕は、アメリカ人です。

老侯は、苦々しいといふお顏で、

貴樣は矢張り、英人だ、貴樣の父が、英人ではないか?

老侯はかういひながら、心の中に少し、をかしく感じられましたが、セドリックには少しも、をかしいどころでは有りませんかツた。 いかに自分の身に變化があらうとも、まさか、かういふことにまでならうとは、前もつて思ひ設けぬことでしたから、 頭髮(かみのけ)根下(ねもと)まで熱くなつた樣な氣がしまして、

僕はアメリカで生れたンでせう、アメリカで生れゝば、だれだツて、 アメリカ人にならなくツちや、いけないぢや有りませんか。(此時一層眞面目になつて、言葉丁寧に、) どうもあなたのおツしやることと反對しまして御免なさい。ですがね、ホッブスさんが、こんど(いくさ)が有れば、 僕はアメリカ人で居なくツちや、いけないツて言ひましたもの。

此時、老侯は淋しさうな笑ひ樣をなさいました。短くツて、淋しい樣でしたが、矢張り、笑ひは笑ひでした。

さ樣か、アメリカ人になるのか?

と、たゞ云はれました。米國も米人も大嫌ひな侯爵殿でしたが、 此年若な愛國者が、かくまで、眞面目で、熱心なのを面白く思はれて、國を愛する米人ならば、 成人の後は、矢張り、國を愛する英人になるだらうと思はれたのでした。

フォントルロイどのも、少し遠慮氣味で、彼の革命の話に又深入りしない中に、 晩餐の時刻となりました。セドリックは席を離れ、お祖父さまのお側へ行つて、 ()痛處(いたみしよ)のある、おみ足を眺め、大層慇懃に、

お祖父さま、僕が少し手傳つて上げませうか?僕に()り掛つて入らツしやいな。 (せん)にね、ホッブスさんが林檎の樽が轉つて、足を怪我した時、僕に()り掛つて歩きましたよ。

お側に居合せた、脊の高い給仕は、思はず、ほゝ笑んで、危くしくじる處でした。此者は、上等な華族 (がた)のお(やしき)に許り使はれて、殊に上品な給仕で、決して殿方の御前などで、微笑むなどの失策は、 したことのない方で、假令(たとひ)何事が出來(しゆつたい)しようとも、 自分の分限を忘れて、ほゝ笑むといふ樣な、以ての外の振舞があれば、それこそ、大層な恥辱と平生から、覺悟いたして居りました。 (しか)るに、此時許りは、既に危き處を、(やうや)く免かれましたのは、侯爵さまの御頭(おつむり)の丁度上當りに、 甚だ醜い畫像の有つたのを側眼(わきめ)もふらず、見詰めたお蔭で有つたのでした。侯爵どのは、大膽にも、 進んで用逹(ようだ)たうとした小息子を、頭から足まで見下し、雜駁(ざつぱくに)に、

貴樣、出來るとおもふか?
まあ、出來るだらうと思ふンです、僕、きついンですもの、 もう、七歳なンですもの。あなた、片ツ方は、其杖をついて、片ツ方は僕にお()りかゝりなさいなね。あの、ヂックもさういつたンです、 僕はたツた七つにしちやあ、隨分骨があるツて。

此時セドリックは手を握り、肩の上まで持つていつて、ヂックが()めたといふ力瘤を、侯爵どのにお目に掛けましたが、 其顏が餘りにまじめで、一生懸命なので、彼の給仕は又前の額面を一心不亂に見詰めました。

よし!そんなら、やつて見い!

と云はれて、セドリックは先づお杖をお渡し申し、それから侯爵さまの席をお立ちになる、お手傳ひをし始めました。 平生は、給仕が此役を務めまして、御前のお痛處(いたみじよ)が不斷より御困難の時分などには、 隨分烈しいお言葉を頂戴いたしました。侯爵さまは、決して人の氣分を損ねることなどを(いと)(かた)で有りませんかつた故、 近侍の人々が、御氣色(おけしき)によつては、恐ろしさに内々、震へる樣なことが有りました。(しか)るに、此時は、 御足(おみあし)(いたみ)の烈しいにも拘はらず、 一度(ひとたび)も鳴らせ給はなかツたのは、一つセドリックの力量だめしをしようといふ、 (くはだて)が有つたからのことでした。先づ靜かに立つて、勇ましく進めた、セドリックに小さな肩に、御手を置き給ふと共に、 セドリックは痛處(いたみじよ)のある御足(おみあし)に觸れぬ樣、注意して、自分の足を一歩、前に進めました。そして、侯爵さまを慰めて、 威勢をつける積りか、

僕、靜かに歩きますからね、ずつと()り掛つて入らつしやいよ。

といひました。侯爵どのは、平生、此樣にして歩行し給ふ時は、お側でお手を取る者の方に御體を遠慮なく寄せかけて、 杖は(わざ)と、輕くつき給ふこと故、此時も其通りにして、十分力量をためさうとなさいましたから、 隨分セドリックの爲には重い荷で有つたのでした。數歩行く中に、 セドリックの顏は大層熱して來る、胸はどき〜しましたが、しつかり踏み占めて、 ヂックに()められた骨組のことを考へて、息を切り、

あなた……かまはず……僕に()り掛つて入らつしやいよ。 あの……あンまり……あンまり遠くでなきやあ、僕、大丈夫ですよ。

食堂までは、左程、長い間では有りませんかツたが、セドリックには、食卓の(かしら)の椅子に來る迄、 隨分の道程(みちのり)の樣に思はれました。肩に載せられた手は、一歩(ひとあし)毎に重くなり、顏はます〜赤く、 ます〜熱く、息はいよ〜(せは)しくなつて來ましたが、止めようとは決して思はず、首を擧げ、筋を張つて、 跛足(ちんば)の樣に歩む中も、老侯を頻りに慰めて居りました。

あなた、立つていらツしやる時、大變足が痛いンですか? あの、湯に芥子(からし)を交ぜた中に入れて見たことがありますか? 「アーニカ」ツていふ物は、大變好いツてね。

といひました。()の大犬も、そろ〜側に歩き、給仕も、跡に從つて參りましたが、小さな(なり)のセドリックが、 精一杯の力を出して、快く重荷を負うて行くのを見て、妙な顏付をして居、又侯爵さまも眞赤になつた、 小さな顏を流眄(ながしめ)に御覽じて、是も意味ある氣なお顏でした。食堂に(やが)て來て見ると、是も亦立派な廣間で、 侯爵さまの御着座にならうといふ椅子の後に、立つて居た給仕は、じろ〜、セドリックを見てを居りました。それで、 やう〜椅子の處まで辿りつき、御手は(やうや)く肩の上から下り、 侯爵さまは無事に御着座になりました。セドリックはヂックのハンケチを出して、額を拭ひました。

どうも熱い晩ですね。あなたは足が痛くツて、 それであの火が入るンでせうが、僕にやあ、少し熱いンです。

セドリックは、侯爵さまの周圍(まはり)にある物に、餘計なものが有る樣なことを申して、御機嫌を損つてはと氣遣ひました。

貴樣は、隨分骨を折つたからだらう。

といふお言葉に對し、

なに、そんなに骨が折れやしませんかツたがね、 すこしあつくなつたンです。夏になれば、だれだツてあつくなりますわ。

といひながら、例のはでやかなハンケチで、頻りに、汗で()れた縮れ毛を拭ひました。 セドリックの座は、お祖父樣の眞向うで、食卓の向ひの端でした。其椅子は臂掛のある、 セドリックよりは、ずツと大きい、成人(おとな)の掛ける椅子で、其外、これまで眼に觸れた一切のもの、天井の高い廣間の數々を始めとして、 置付の道具も、給仕どもも、飼犬も、侯爵どのまでも、實に柄の大きなもの許りで、 セドリックは、ます〜、自分の小さなことを感じました。併し、それが決して氣になりはしませんかツた、セドリックは、自分が大した人物とも、 えらい人とも思つたことが有りませんかツたら、これはと少し臆せる位の物事にも、 自分から、務めて慣れて見ようと思つて居りましたが、今、食卓の一方の大椅子に坐つた處は、 實に、これ迄になく、小さく見えました。侯爵は一人住ひでこそあれ、暮しむき萬端、中々大したもので、殊に、好食家の方でしたから、 膳部の調理なども、隨分やかましいものでした。セドリックは、立派な玻璃器(はりき)や皿鉢のきら〜して、慣れぬ眼には、 目映(まばゆ)い樣な間から、遙かに、侯爵の方を見て居りました。さて、大廣間に制服を着た、脊の高い、給仕どもに(かしづ)かれ、 照り輝く數々の燈火(ともしび)や、(きらめ)玻璃(はり)白銀(しろがね)器具(うつは)(つら)ねて、 上座には、(たけ)しい老貴人が座を占めて入らツしやる。遙か下つて、大椅子にちよンぼり腰をかけた實に小さなセドリックを見るものは、 誰もをかしく思ひませう。食事といへば、他に樂しみの少ない侯爵には、 中々容易ならぬことでした。それのみか、御前が不斷より御機嫌が好くないとか、 御食氣(ごしよくけ)が進まぬとかいふ時には、料理人までが、色を失ふことがありました。 (しか)るに此日は、調理の風味、鹽梅などの外に、御心(みこゝろ)を掛けさせられることが有つた所爲(せゐ)か、 御食氣も平常よりは、いくらか、好い樣でした。その思うて入らツしやる事といふは、 他ではなく、即ち孫息子どのの事で、始終、眼を離さず、セドリックを眺めながら、 自分では格別、何も云はず、どうにかして、セドリックに話をさせる樣に持ちかけて居られました。 是迄は、子供に話をさせて、心遣りにするなどとは思ひもよらぬことでしたが、 さて、セドリック丈は、合點の行かぬ樣な處もあり、又面白い處もありましたから、 どの位の度胸と耐忍とがあるものか、試さう許りに、思ひ切つて、小さな肩に自分の身を()せかけて御覽じた處が、セドリックが、 少しも狼狽しなかツたことと、爲始めたことを、止めるといふ樣な氣色(けしき)が、 一向に見えなかツたこととを、頻りに思うては、非常に御滿足でした。

フォントルロイ殿は、いと丁寧に、

あなたは、始終(かんむり)を被つて入らツしやらないンですか?

老侯は、例の澁さうな笑ひを見せて、

イヤ、おれには似合はないから、被つて居ないのだ。
あの、ホッブスさんが、いつでも被つて入らツしやるんだ、といひましてね、 又考へ直して、イヤさうぢやない、帽子を被る時には、脱ぐンだらうといひましたツけよ。
その通りだ、時々脱ぐんだ。

と老侯がおツしやると、お側に居つた給仕が、急に側を向いて、 口に手をあてながら、妙な咳嗽(せき)をしました。

セドリックは先づ、食事を終りまして、椅子に(もた)れながら、ずツと座敷を見廻しまして、

どうも立派な(うち)ですね、あなた、こんな家に居て、嬉しいでせう、僕、こんな立派な家、 見たことがないンです。だけど僕はまだ七歳(なゝつ)にしかならないンで、 たんと、方々見たことがないンですからね。
それで、おれが滿足に思ふだらうといふのか?
エー、誰だつて滿足ですわ。僕だツて、こんな家が有れば、大威張ですわ。 どうも何でも、かんでも綺麗なんだもの。あのお庭だの、木だのね、 どうも綺麗だツたこと、葉なンか、がさ〜音がして。

斯う云つて、一寸口を閉ぢ、又何か言ひたさうに、向うを見て居て、

たツた、二人切りにやあ、あンまり、大き過ぎますね?どうでせう?
二人の住居(すまゐ)にやあ、十分の様だが、大き過ぎるとおもふのか?

セドリックは少し、躊躇して、

僕はね、考へてたンです。二人でもあンまり仲の好くない人が、 一處に居るんだツたら、時々淋しいか知らんと考へたンです。
どうだ、おれは一處に住ふには好い相手だらうか?
エー、さうでせうよ。だツて、ホッブスをぢさんと僕は大變仲が好かツたんですもの。 僕は一番、好きな人の次にやあ、あの人と、大仲好しでしたもの。

侯爵さまは、急に眉を(ひそ)めて、

一番好きな人とは、誰だ?

セドリックは低い、靜かな聲で、

僕のかあさんのこツてす。

さて、いつも(とこ)に着く時刻は、近づきますし、それに、二三日前からごた〜した所爲(せゐ)で、セドリックは、 少し疲勞(つかれ)が出て來た樣でした。又疲勞(つかれ)を感じると共に今夜からは、 自分と一番、仲が好いといつた、優しい母さんが側に守つてゐてくれて、 いつもの所で寢るのでないと考へては、何となく、妙に淋しい感じが起つて來ました。 セドリックは、これ迄、年若な母と、親子と云はうよりは、寧ろ仲の好い朋友(ともだち)の樣でした。 此時も、母の事が思はれて、仕方がなく、母の事を思へば思ふ程、話が爲難くなつて來て、 食事が終る頃には、さえ〜゛してゐた、セドリックの顏に、薄く雲がかゝつた樣なのを、侯爵も氣がつかれました。併し勇氣は中々 (くじ)けず、書齋に歸る時にも、給仕が以前の一方にお附添ひ申しはしましたが、矢張り片手は、セドリックの肩に載つて居ました。 たゞ最初ほど、重くは有りませんかツた。給仕が御用を濟まして、退(さが)つて仕まひ、侯爵と二人になりました時、セドリックは、 毛革(けがは)の上に、ダガルの居る側に坐り、暫時犬の耳を撫でながら、 沈默(だま)つて、煖爐の火を眺めて居ました。侯爵は、眼を据ゑて、セドリックを御覽じると、 何か、物足りなささうなのが、眼付までに現はれて、頻りに考へてゐて、 一二度、そツと溜息をつきました。侯爵は眼を離さず、ちツと見て居られて、(やが)て、

フォントルロイ、貴樣、何を考へてゐるのだ?

被仰(おほせら)れると、フォントルロイは氣を(はげま)して、(やうや)く、にツこり笑ひ、

僕、かあさんのこと考へてたンです、僕……何だか變ですから、 ちツと、あツちこツち、歩いて見ませう。

といつて立ち上り、小さなポッケットに兩手を突込んで、あちらこちらと歩き始めました。セドリックは情を忍んで、 眼を(うる)はせ、脣を堅く結んで居りましたが、(かしら)(もた)げて、 しツかりしツかり歩いて居ました。ダガルは、不安心といふ調子で、見て居ましたが、やがて立つて、セドリックの居る方に歩み寄り、 何か落着かない樣子で、セドリックの行く方について行きました。セドリックは、片手をポッケットから出して、犬の頭に載せながら、

おまへ、好い犬だね、僕の友だちだね、僕の心持を知つてるね。

といひますと、侯爵が、

どんな心持がするンだ?

此子供が初めて家を離れて、頻りに淋しがるのを見て、侯爵は快く思召しませんかツたが、併し又それを辛抱し(おほ)せようとして、 きつくなつて居るのが、お氣に叶つて、幼いながらの勇氣を、殊勝に思はれました。侯爵は、セドリックに向つて、

こゝに來い!

セドリックは、直ぐとお側に行つて、例の茶勝(ちやがち)な眼に、困つたといふ思はくを現はし、辯じて申しました。

僕はね、一度もまだ餘處(よそ)へ泊りに行つたことがないンです。 初めて自分の家を出て、人のお城へ泊るなンていへば、誰だツて變でせう。だけど、かあさんはそんなに遠方に居るんぢやないンですからね。 かあさんが僕に、その事覺えておいでツて、さういつたンです。それから、もう僕は七つになつたンだから……あのそれから、 かあさんが下すツた寫眞を見て居られるから、好いンですよ。

といつて、ポッケットに手を入れて、藤色天鵝絨(びろうど)で張つた小さな箱を出し、

これですよ、ね、此ばねを、かう推すと開きますよ。ほら、中に居ましららう!

セドリックは、ずつと椅子の側に來て、其箱を取出す時は、臂掛から、お祖父樣の腕に、いつも凭掛(よりかゝ)りつけたかの樣に、 心置きもなく、凭掛(よりかゝ)つて居ました。箱を開けながら、

ほら、居るでせう。

といつて、につこり笑つて、上を向きました。

侯爵は、眉を(ひそ)められました。兎に角、其寫眞を見るのは厭に思はれましたが、 我知らず、ちらりと見ると、イヤ、案外、綺麗で、若々した顏が、そこから覗いて居て、其顏がまた、自分の側に居る子供に、 餘り生寫しの樣に似て居たので、びツくりされる程でした。

貴樣は、お袋を大層、好きだと思つて居るのだらうな。

フォントルロイ殿は何氣なく、優しい調子で、

エー、さう思ツてるンです。さうして、僕本當に、好きなんだと思ふンです。 あのホッブスをぢさんも、ヂックも、ブリジェットも、メレも、ミチェルも、みンな僕の友だちですけど、あのかあさんは、まあ、 僕の大變な親友なンです。さうして、僕と二人は、いつでも、何でも話しあひツこするンです。僕のとうさんが、いつまでも、 よく世話をしろツていつて入らツしたんだから、僕は成人(おとな)になると、 働いて、かあさんのに、お金を儲けるンです。

侯爵は、

何をして、金を儲けるつもりだ?

セドリックは辷り下りて、元の毛革(けがは)の上に坐り、手に(くだん)の寫眞を持ちながら、眞面目に、考へて居る樣子で、 暫くしてから、

僕はね、ホッブスをぢさんと一處に、商賣をしやうかと思つてたンですがね、 どうかして、大統領になり度いとも思ふンです。
其代りに、貴樣を貴族院に遣らうわ。

といふ、お祖父樣の言葉を聞いて、

さうですね、どうしても、大統領になられないで、その、今の事が好い商賣なら、(それ)でも好いですわ。 萬屋(よろづや)は時々不景氣でいけませんもの。

セドリックは、心に今の事を考へ比べて居たものか、それから、大層靜まつて、 少しの間火を見て居た樣でした。侯爵も何も仰しやらず、椅子に(もた)れて、 セドリックを眺めて居られました。其間、種々雜多な妙な考へが、老貴人の心に浮びました。 ダガルはずツと四足を伸ばし、前足の間に顏を突込んで、眠つてしまひ、暫くの間、四方に音も有りませんかツた。

半時間もすると、ハヴィシャム氏は、案内につれられて、座敷に通つて來ました。 大廣間は殊に物靜かで、侯爵はまだ椅子に凭掛(よりかゝ)つた儘で、居られました。 ハヴィシャム氏が、お側に近付かうとすると、侯爵は手眞似をして、 何か心付けられましたが、(それ)()ようとしての手眞似ではなく、 するとはなく、我知らず、爲されたかの樣でした。ダガルはまだ眠つて居て、 其大犬のすぐ側に、ちゞれ頭を腕に(もた)れさせて、 横になつてゐたのは、フォントルロイ殿で、是も熟睡の(てい)でした。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第六囘


翌朝、フォントルロイ殿が眼を覺まされると、(前夜寢處に抱かれて連れられた時は、 眼が覺めなかツたので、)すぐ耳に這入つたのは、煖室爐(ストーブ)の火の燃える音と、 人が小聲で、話をしてゐるのとでした。誰か、かういつて居ました。

ドウソンや、おまへ氣を付けて、其事は何とも、申すのではないよ。 おツかさまが、御一處でない譯は、一向に御存じないのだから。 そツくり其まゝ、お知らせ申してはならないのだからね。

すると、他の聲で、

あなた、御前の仰せならば、默つても居ませう。ですがね、わたくしの樣なお(はした)で、 こんなことをあなたに申し上げて、どんなもんですか存じませんが、 あんなに綺麗で、お若くツて、連添ふ方に別れたお方を、今度は又血を別けたお子樣までも、 離しておしまひなさるツて、本當に、情ないなされ樣だツて、わたくしなンぞは可哀さうで仕方が御座いませんよ。 それにまあ、どうでせう、あの若樣のお美しいこと。どう見ても、 殿樣に生れついておいでなさるぢや有りませんか。ヂェームスどんや、タマスどんが、 昨夜(ゆうべ)、下に退(さが)つて來て、まあ、二人、口を揃へて、 云ふンでございますよ。あの若樣の樣な若樣、生れてから、見たことがないツて。 おまけにねい、あなたの前でさう申しては、何ですが、時よりはほんたうにあンまりで、 わたくしどもでさへ、くやしくツて、がう腹でこゝが煮えかへる樣なことのある其お方と、 お食事を遊ばすのに、子守地藏見た樣な、さも、優しい人とで、 入らツしやる樣な、あどけない調子で、行儀も好く、お可愛らしかツたことツて申してね。 それから、あなた、ヂェームスどんとわたくしとを、お呼びになつて書齋から、 お二階までお連れ申して、參れツて仰しやるので、ヂェームスどんが、其まゝお抱き申すと、あの可愛らしいお顏が、ぽツと櫻色になつて、 ヂェームスどんの肩の處へ、おつむりを載せて、お(ぐし)のきら〜と綺麗に下つてゐた處の、 美麗(うつくし)くツて、可愛くツて、何とも云へません樣でしたこと、あんなとこ、ほんたうに見度いとツて見られやしませんよ。さうしてね、 御前だツて、まんざら、お眼がなかつた樣でもないンですよ。でも、何だか頻りに見て入らツしツて、ヂェームスどんに、 『氣を附けて、眼を覺させぬ樣にしろ。』ツておツしやるンですもの。

此時、セドリックは寢反りをして、眼を開けて見ました。部屋の中には、 二人の婦人が居りました。さうして、花模樣のはでな白紗の窓掛や、 幕がそろへて有つて、(しつ)は萬事、綺麗で、爽快(さはやか)に出來て居りました。 煖室爐(ストーブ)には、火が()いて有つて、蔦が一面に絡み着いた窓からは、 朝日が()し込んで居りました。間もなく、二人が一處に側に來るのを見ると、 一人は取締のメロン夫人で、もう一人は深切で、極く氣立の優しさうな顏をした、 一寸見ても頼母(たのも)しさうな中年増でした。メロン夫人が、セドリックに言葉をかけて、

若樣、お早う存じます。昨夜は、よくお休みになりましたか?

セドリックは眼を(こす)つて、にツこり笑ひました。

お早う、僕ね、こゝに居るの知りませんかツたよ。

といひました。取締は、

其筈で御座います、うたゝ寢を遊ばした處を、そツとお二階にお連れ申したので御座いますもの。 これが、只今から、若樣のお寢間(ねま)になるので、こゝに居りますのは、 ドウソンと申して、これから、若樣のお世話を致すので御座います。

セドリックは(とこ)の上で起き直り、丁度侯爵さまに握手するとて、手を伸べたと同じ調子に、ドウソンに手を出しました。

あなた、御機嫌は如何?僕を世話しに來てくれて、誠に有難う。

といひますと、取締が、微笑みながら、

若樣、これから、御用の時は、ドウソンとお呼び遊ばしましよ。 ドウソンと呼ばれつけて居りますから。

といひますと、セドリックが、

あの、ミス(孃の意)ドウソンといふンですか、ミセス(夫人の意)ドウソンといふンですか?

と問ひますと、ドウソンは、メロン夫人の口を開くのを待たず、顏中一杯に笑ひを見せて、

まあ、ミスも、ミセスも入つたこツちやございませんよ、勿體ない。 さあ、お眼ざめならば、ドウソンが、お召替をおさせ申して、それから、 お居間で御膳をめし上ることに致しませうでは御座いませんか?

といひますと、セドリックが答へて、

有難う、だツて、僕はもう幾年か前に、自分で着物を着るのを習ひましたよ。 かあさんが教へてくれたンです。メレ一人でするンでせう、洗濯でも何でも。 だからそんなに世話やかせちや、いけねいンですもの。僕は湯にだツて、 一人で這入れますよ、隨分よく洗へるンです。あとで、隅の方さへ少しあた()めてくれゝば。

ドウソンと取締とは、何故(なにゆゑ)か、此時顏を見合せて居りました。メロン夫人はまた、

若樣、何でも御用を仰しやれば、ドウソンが致しますよ。

といひますと、ドウソンが慰める樣な、人の好ささうな聲で、

致しますとも〜、何でもいたします。若樣、お好きなら、お一人でお召替へ遊ばしまし。 ドウソンは、お側でお手傳ひをして宜しい時はいつでも致しますから。
どうも有りがたう、ボタンをかける時、ちツと六かしいですからね、 その時は誰かに頼まなくツちや。

セドリックは、ドウソンが大變深切な人だと思つて、湯浴(ゆあみ)と着物とが濟まない中に、 大層仲好しになつて、さま〜゛、ドウソンの事を尋ね出しました。ドウソンの亭主が兵卒で有つて、本當に(いくさ)で討死したといふことと、 息子は船乘りで、久しい前から航海に行つて居るといふことと、此人が、海賊や、人食島や、支那人や、土耳古人を見て來て、 珍しい貝殼や珊瑚のかけなどを採つて歸つて來てゐるといふことと、ドウソンが自分の(ひつ)の中に入れて持つて居るのが有るから、 いつでも見せて呉れるといふこととなど、みんなセドリックに面白い話でした。ドウソンは昔から、子供の世話許りして居たさうで、矢張り、 これまでも英國のある大家(たいけ)で、ウィンニス、ヴォーンと云ふ、可愛らしい姫君のお世話をして居たのださうでした。此話をして、 ドウソンがいひますのに、

さうして、其ひいさまは、若樣の御親類續きで御座いますから、いつか、 お逢ひになるかも知れませんよ。
さうですかね、僕は女の子の友だちは持つたこと、有りませんけれど、 僕いつでも、女の子見るのが好きですよ。綺麗だことね。

さて、朝飯(あさはん)を食する爲に、次の座敷に行きまして、其大きいのに驚き、ドウソンに聞くと、まだそれに續いて座敷が有つて、 それも、自分のと云ふことを知りました時、自分のいかにも、小さい者で、 これほどの用意をして、待たれるに相應(ふさは)しくないといふことを、 又深く感じまして、膳立の綺麗にして有る處に、腰をかけながら、ドウソンに向ひ、大層意氣込んで、かう言ひました。

僕、こんなに小さい子だのに、こんな大きなお城の中に住んでゐて、 大きな部屋を、さういくつも持つてゐるなンて、なんだか、大變ですね。

ドウソンは、慰めて、

なんのまあ、初めは少し變なお心持がなさるかも知れませんが、ぢツきに、 お慣れ遊ばしますよ。さうして、どんなに、宜しうございませう。こんなに、美しい處で御座いますもの。

セドリックは、細い溜息をついて、

それは、綺麗な處だけど、かあさんがこんなに、戀しくさへなければ、よツぽど好いわ。 だツて、僕、いつでも朝御膳を一處にたべたンですもの。さうして、 かあさんのお茶へ、乳だの、砂糖だの入れて上げたり、燒パンを上げたりしたンですもの、 そんなに仲よくしたンですもの。

ドウソンは、又慰めようとし、

アヽ、それに違ひ御座いますまいがね、それでも毎日、お眼にお掛り遊ばすのでせう。さうすれば其時どんなにか、 おツかさまにお話し遊ばすことも澤山出來、どんなにお樂しみでせう。それからまだ〜、お樂しみなことが有りますよ、今に少し、 方々お(ひろ)ひ遊ばして御覽じろ。犬だの、お(うまや)の中に澤山繋いで有るお馬だの、 さう〜、それから其中に、若樣がきツと御覽になりたいのが、一匹をりますよ……

セドリックは、聲をたてて、

オヤ、さう……僕は馬が大好きです、僕、ヂムツて云ふのが大好きでした。 それはね、ホッブスさんの荷車についてた、馬でしたよ、剛情張らない時は、隨分綺麗な馬でしたよ。
さ樣で御座いますか、兎も角、あのお(うまや)の居るのを御覽遊ばせ。 それはさうと、まあどうしませう。まだ、お次の御座敷も御覽にならないぢや有りませんか。

セドリックは、

そこに何があるの?
御膳をお濟まし遊ばすと、御案内いたしますよ。

かう聞いて、自然、何が有るかと頻りに見たくなり、(せい)出して、 食事にかゝりました。ドウソンが餘り樣子有り氣な、妙な顏をして居る處を見れば、 きツと其座敷には何か、大した物があるに違ひないと思ひました。暫くしてから、椅子を辷り下り、

もうおしまひ、さあ、いつて見度いもンですね。

ドウソンは點頭(うなづ)いて、先に立つて行きましたが、猶仔細らしい樣な、とぼけた樣な顏をして居りましたから、 セドリックはます〜、一生懸命になりました。

ドウソンが戸を開けますと、セドリックは閾に立つたまゝ、目を丸くしながら、びツくりして見廻して居りました。まだ口も開き得ず、 たゞ兩手をポッケットの中に入れて、額まで赤くなつて、覗いて居りました。 竝々(なみ〜)の子供でもかういふ處を見れば、隨分びツくりしますから、セドリックの驚いたも無理ならぬことでした。 此座敷は矢張り、大きい座敷で、セドリックには他の座敷よりも、まだ〜美しく見えた譯が有りました。此座敷の中の道具は、 セドリックが下で見た廣間の道具の樣に、がツしりして、時代物らしいのでは有りませんかツた。下幕(さげまく)や、敷物や、 壁の塗は、花やかで、眼の醒める樣な色どりでした。書棚(ほんだな)には、本が一杯詰めて有り、卓子(だい)の上には、 數々の手遊びが有りましたが、(いづ)れも見事に(たくみ)を極めた物で、 セドリックが、ニューヨークに居る時分、店の玻璃(ガラス)窓の中にあるのを見て、 樂しんだ珍しい物に好く似て居りました。暫くしてから、溜息をついて、

誰か子供の部屋の樣ですが、全體誰のお部屋なンです。

ドウソンは、

まあ中へお這入り遊ばして、ようく、御覽遊ばせ、若樣ので御座いますから。
エー、僕のだツて!本當に僕のですか!なぜ、僕のなンです? 誰がくれたンでせう?

聞いたことが餘りのことに、信じられない樣でも有つて、セドリックは嬉しさうな聲をたてながら、 中に飛び込みました。さうして、星の樣に光つた眼をして、

お祖父樣ですね、お祖父樣に極まつてますわね。
左樣で御座いますよ、御前で御座います。さうしてね、若樣がおとなしく遊ばして、何かにつけて、くよ〜遊ばさずに、 有る物をお樂しみ遊ばして、毎日お氣樂に遊ばせば、何でも慾しいとおツしやる物を下さいますと。

此朝は中々氣の揉める朝でした。(あらた)めて見る物や、試みて見る物が、餘り澤山でしたから、眼新しい物を一つ見始めると、 中々實が這入つて、容易には他に移れず、氣が()く程でした。 さうして、セドリックは何も彼も、自分の爲に備へて有つたので、自分がまだ、 ニューヨークを離れもしない前から、自分が住む部屋といふのを飾りつけるとて、態々(わざ〜)人がロンドンから來て、自分の氣に叶ひさうな、 書物や手遊びを支度したことを聞いて、不審に堪へられませんかツた。今ドウソンに向つて、

ドウソンは、そんな深切なお祖父樣、持つてる子があると思ひますか?

ドウソンは暫く、曖昧な顏付をして居りました。此女は、侯爵樣を左程、 徳の高い方とは思つて居りませんかツた。まだ自分は幾日も此お(やしき)に居ないのでしたが、 それに、もう、下々で、御前の蔭事をとり沙汰するのを十分聞いて仕舞ひました。彼の一番脊の高い給仕が、

イヤ、わしがこれまでお仕着せを頂戴した殿樣で、ひどく意地がわるくツて、 がむしやらで、癇癪持だといふ奴を、みンな(なら)べたツても、 いツかな〜、こいつにかなふこツちやねえよ、どうして!

といひましたが、此タマスといふ人物は又、セドリックの來着に對して、 (くだん)の準備を相談最中、御前がハヴィシャム氏に對して申されたことを、 下に退(さが)つてから、朋輩に傳へたことも有りました。御前のお言葉に、

なんでも、勝手にさせて、部屋に手遊びでも一杯持つて來て置くが好からう。 何か、面白がりさうな物を、あづけて置けば、お袋の事などは造作もなく、忘れて仕舞ふに極まつて居るわ。遊ばせて、氣を紛らせさへすれば、 面倒なことはあるまい、子供はみンなそれだからな。

侯爵樣は、子供といふ者は皆、此通り容易(たやす)くまぎらすことの出來る者と許り、 思召して入らツした處が、セドリックの昨夜(ゆうべ)の樣子では、多少あてが違つて、(あンま)りお心持の好いことは有りませんかツた。 そして、(とこ)に就かれても十分お休みにならなかツたので、翌朝は、お寢間(ねま)をお離れになりませんかツた。(ひる)になつて、 食事を果されてから、セドリックを迎へに遣はされました。フォントルロイは、直ぐと、(おほせ)(したが)ひ、先づ、 廣い梯段(はしごだん)を飛降りて來て、廊下を走つて參りました。侯爵樣は其足音を聞いて居られると、間もなく、戸が開きまして、 這入つて來たセドリックの眼が光つて、頬は眞赤でした。

僕、待つてましたよ、あなたがお呼びなさるのを、もう(さツき)から、 支度して居たんです。色々な物下すツて、誠に有難う、ほんたうに有りがたう。僕、朝ツから持つて遊んでましたよ。
アヽ、さうか、貴樣はあゝいふものが好きか?
好きですとも、どの位好きだか、云へない程好きですよ。

と、フォントルロイは嬉しさを滿面に現はして、

あの、あの中に、ベース、ボールに好く似たおもちやが有りますよ、 僕、ドウソンに教へようと思ひましたが、始めてだから、好く分らない樣でしたよ。 女の人だから、ベース、ボールなンかして、遊んだことがないンでせう。 ねい、それから、僕が教へて遣るのも、そんなに上手でなかつたかも知れませんよ、 だけど、あなたはよく知つて入らツしやるでせう?
おれも知らない樣だ、アメリカの遊びだらうな。クリケットに似て居るか?
僕は、クリケット、見たことは有りませんよ。だけど、ホッブスさんが、 ベース、ボールを見に幾度も連れてツて、くれたンです。どうも、面白いものですこと、みンな、どうも、一生懸命になつてね。 僕、行つてあのおもちやとつて來て、あなたに教へて上げませうか? あなた面白くツて、足の事、忘れるかも知れませんよ。今朝、 あなたの足大變いたいですか?
餘り有りがたくない程痛むな。

セドリックは心配さうに、

さうですか?それぢや忘れられないでせうね。そンなら、 あの遊びのことなンか話されたら、うるさいでせう。どうでせう、面白いでせうか、うるさいでせうか?

侯爵さまは、

行つて持つてこい!

侯爵樣にとつて、實にこれこそ珍しい慰みでした、遊びを教へようといふ子供を相手にするとは。 併し、其珍しいのが却つてなぐさみになつたのでした。彼の遊び道具の箱を腕に抱へながら、 セドリックが座敷に歸つて來た時は、老侯のお口の周圍(まはり)に、 どこかほゝ笑が(ひそ)んで居る樣でした。さうして、セドリックの顏には、 何か、一生懸命に實が入つて居ることが現はれて居りました。セドリックは、

僕、あの小さな卓子(だい)をあなたの椅子の側へ引つぱツて來ても好いですか?

老侯は、

なに、呼鈴(よびりん)を引いて、タマスを呼べ、どこへでも、持つて來るから。
僕、獨りで持ツて來られますよ。だツて、そんなに重くはない樣ですもの。

お祖父樣は、『よし』と答へて、セドリックが色々支度を整へるのを御覽じて入らツしやると、 セドリックが餘り熱心になつて居るので、顏のどこかに隱れてゐた、ほゝ笑が、 段々外に現はれて來ました。先づ、彼の小さき臺を前に引き出して、 老侯の椅子の側に置き、おもちやを箱の中から、とり出して、其上に(なら)べました。それから説明にかゝつて、かういひました。

あなた。初めて見ると、中々面白いですよ。ねい、そら、 此黒いのがあなたの方で、此白いのが僕の方ですよ。木で出來てるけれど、人間の積りなンですよ……

と、それから何が外れで、何が勝だといふこと、この筋、あの筋が何々になる、 といふ(くは)しい説明を致しまして、それから、本當のベース、ボールではどうするのだといふこと、 ホッブス(うぢ)と、其勝負を見に行つた時、どういふ面白い景況であつたといふことを、 巨細(こまか)に物がたるにつけて、自身に立つて、しなやかな、小さな體を色々に働かせて、 其勝負を(あたか)も見るが如くに、演じましたが、聞く者は兎も角も、 セドリックが幼心(をさなごゝろ)の一筋に、其遊戲を樂しむのを見るが快い樣でした。 (やが)て、説明も形容も終りまして、眞剱勝負になりました時も、矢張り、老侯は倦み給はず、面白く思はれました。一方では、 冗談處ではなく、一心不亂の勝負でした。(うま)くあてた時の嬉しさうな笑ひと、 一週(ひとめぐ)りして來た時の滿足と、自分が勝つた時も、向うの相手が勝つた時も、一向變らず同じ樣によろこぶこととは、 どんな勝負事を誰としても隨分愛嬌になりさうなことでした。若し、一週間前に誰かドリンコートの城主に向つて、御前はいつ〜、 おみ足の痛症(いたみ)も、御氣分のわるいのもお忘れになつて、ちゞれ毛の小息子を相手に、色取りのした板の上で、 黒白の木切をお玩弄(もてあそび)なさることがありませうと、申し上げる者があつたら、どンな、御不興を蒙つたか、知れません。 然るに、暫くして、タマスが戸を開けて、客來(きやくらい)を注進しました時分は、 (まさ)しく、(おのれ)を忘れて現に此遊びをして居られました。

此時の來客といふのは、黒羅紗(くろらしや)の服を着た老成らしい紳士で、とりも直さず、此 (ほとり)(ぼく)する宣教師でしたが、座敷に通つて、いきなり、眼に這入つた有樣に餘り甚だしく驚いたので、思はず、 二足三足、後に退(さが)る途端、すでのことに、案内に來たタマスに突當る處でした。

一體、モドント教師は、其職務上、必要の事情で、ドリンコート城に推參する時ほど、 不愉快に感じることは、ありませんでした。城主は其都度、權柄に任せて、存分、 牧師を不愉快にさせて、お歸しなりました。此城主は、概して、教會とか、慈善といふことは、大のお嫌ひで、小作人どもが貧窮に陷るとか、 病痾(やまひ)に罹るとかして、救つて遣らねばならぬといふ時には、此小民どもがすき好んで、態々(わざ〜)さういふ境界(きやうがい)に、 陷りでもしたかの樣に、恐ろしいお憤りでした。酒風症(しゆふうしやう)のお痛みが烈しい時ででもあれば、 聞苦しい貧困話などは、耳障りで煩はしいとて、遠慮もなく、其まゝ、お突き戻しになりましたが、お病ひが、さ程でなく、 お心が幾らか(やはら)いでゐる時分ならば、聞くに堪へられぬほど心のまゝに、教師をおいぢめなさり、 小作人一同の怠惰、柔弱なことをお(なじ)りなさつた擧句に、やう〜幾分かの金圓(かね)をお惠みになるのでした。 併し、御機嫌の好い惡いに拘はらず、いつも意地のわるい、刺衝的の事を仰しやつて、 人を(くる)しめなさらぬことはなく、流石のモドント教師も、折ふしは、宗教の(のり)(たが)はず、差支のないことならば、 何か重い物でも投げつけ度いと思ふ位でした。モドント教師が、ドリンコート城の領地を牧し始めてより、今日(こんにち)に至るまで、 多年の間、城主が、故意に人に深切をなされたとか、何事が出來(しゆつたい)しようと、自分を置いて、他を顧みるとかいふ樣な御所行が、 只の一度も有つたことは思ひ出されぬ位でした。今日推參したといふのは、別して困難な、一條を陳述して、救濟を請ふ爲でしたが、 二つ程理由が有つて、今日の訪問を、格別厭におもひました。第一御前には數日前より、 持病に惱まされて、寄りつけぬやうな、御不機嫌だとて、城下で評判する程でした。 これは、城の若いお女中の中に、城下に小店を出してゐる姉が有つて、針、絲、駄菓子を商ふのに、世間の噂話を景物に添へるので、結構、 活計(くわつけい)が立つといふ處に持つて行つて、御樣子を傳へたからのことでした。 お城の内幕から、百姓家の内情、城下で何處に何がある、誰が何をしたことの顛末まで、 此おかみさんが知らぬ程の事ならば、別段話にならぬのだと、人に思はれる位、 世間が明るいのでした。そしてお城の事は尚さら、自分の妹が奧づとめの女中で、それが又給仕のタマスには別して懇意でしたから、何もかも、 承知して居つたのでした。帳場の向うに坐つて居て、此おかみさんの云ひますに、

だツて、まあお聞きなさいよ、タマスどんがヂェーン(妹の名)に(ぢか)にさういひましたと。 この頃、御前の癇癪と怒鳴方とは恐れるツて。さうして、つい二日前のこツてすと。 どうでせう、まあ燒パンを載せて有つた皿を、突然(いきなり)、タマスどんにぶツつけたンですとさ。だけど、朋輩は好し、 他のこツて填合(うめあは)せがついてるから好い樣なもんの、 さもなければ、直ぐとお暇をとるんだツて、いつたさうですよ。

教師の耳にもこの話が這入つたといふのは、どこへ行つても、 侯爵さま許りは噂の種で、茶飮話には、きツとお名前が出ないことはなかツたからでした。

第二の理由といふのは、近頃新たに起つたことで、未だに(ちまた)の風評がやかましいといふ丈に、 一層、難澁な樣でした。先づ世間にかくれもない話といふは、末息(ばつそく)どのが、米國婦人と結婚した時の老侯のお憤りと、 カプテンを逆待されたこと、續いて、御一族の中で、たツた一人、名望の有つたといふ、立派で、威勢が好かツた若人(わかうど)が、 金もなく、勘當を受けたまゝで、他郷の鬼となつてしまつたこと。それから其妻で有つたといふが、罪もない若い婦人をば、可哀さうに、 老侯のお憎みなさることは一通りでなく、()いて、出來た子供までが憎く、對面は決して許されぬ積りの所が、長男、次男が亡くなつて、 儲嗣(あとつぎ)になる可き者も一人も殘さなかツたゆゑ、孫息子をいよ〜迎へることになつた處で、情愛があるでも無ければ、 樂しんで待たるゝ譯でもなく、米國生れで有つて見れば、定めし下賤で、不作法で、出過ぎもので、名家の名折になるに相違ないと、 心に決めて居られると云ふことなどは、誰一人、知らぬものは有りませんかツた。 自慢と憤怒とで胸を燃した老貴人は、(おの)が心の情は一切、人に漏れぬことと思はれて、自分の感じたことや懸念したことを、 敢て推測した人があらうとか、()して、人の口の()にかゝる樣なことがあらうかなどとは、 少しも思ひよられぬのでした。然るに、眼耳の(さと)婢僕(めしつかひ)どもは、御 氣色(けしき)を讀み、御不機嫌、御憂鬱の原因を察して、其解釋を(しも)に下つては相傳へ、相評するもので、御前が下々の奴原は、 十分遠ざけて、内情を蔽ひ盡したと、安堵して居られる時分に、タマスがヂェーンや、 コックや、パン燒や、給仕仲間に、この通り自分の説を述べて居りました。

イヤ、親玉は今日は、餘計やかましい樣だぜ、こんだ來るツていふ孫どののこと考えてよ。 なに、あンまり見てくれの好い方ぢやあるめいツて、心配してゐるのさ。 だが、あたりめえだ、仕方があるもンか、矢ツぱり、自分がわりいンだもの。アメリカなンて、下司許り生れる國で、不自由に育つた者が、 なに好いものにならう、なあ?

そこで、モドント教師が竝木の間を歩みながら、考へられると、此いかゞな孫どのは、丁度其前夜、來着になつた都合でした。 して見ると、十が九まで、老侯の氣遣ひ通りであつたらうと推量して、さて譯もしらぬ小息子が、老侯を失望させたとすれば、十が十までも、 今頃は煮えかへるほど、猛り立つて居られて、運わるく、一番に出逢つた人が憤怒の矛先に當るので、其人は即ち多分、 自身であらうと思ひました。

此通り故、タマスが書齋の戸を開けるや否や、嬉しさうな子供の笑ひ聲が響き渡るのを聞いて尚さら驚いたことでした。 いきせきした可愛い、さえた聲で、

そら、二つ外れましたよ!ねい二つ外れでせう!

といつて居ました。

見れば、そこに侯爵さまの椅子もあり、足臺も有つて、痛處(いたみしよ)の有るおみ足はちやンとそこに載つて居りました。 其外、お側の小さな卓子(つくゑ)の上に、遊び道具が載せて有つて、ずツと間近く磨寄(すりよ)つて、 現に侯爵の腕と健全(ぢやうぶ)な方のお膝とに(もた)れて居るのは、 何か一心になつた所爲(せゐ)か、眼は踊り、顏がぽツと赤くなつた小息子でした。 此見知らぬ小息子が、『そら二つ外れたでせう!こんどはあなたの方が、まづかツたんですよ。』といつて、ふと老侯と同時に向うと見ると、 誰か這入つて來て居ました。侯爵さまは例の癖で、眉を(ひそ)めながら、あたりを見廻されましたが、這入つて來た者が誰と分つた時は、 (たけ)しいお顏が尚ほ(たけ)しくはならず、却つて少し和らいだのを見て、 モドント氏の不審はます〜深くなりました。實に、侯爵さまは、此時許り、御自分の平生人に對して不愛想なことと、お心一つで、 どの位人を苦しめることが出來たといふことを、お忘れなさつた樣でした。 此時、お聲こそ變らね、多少打とけたかの樣に、握手の手を伸べて、

イヤ、モドントか、お早う、わしも、この通り、ちと新しい職掌を見付けたのだ。

といひながら、左の手をセドリックの肩に載せ、少しく前に進ませて、

アヽ、時に、これが今度のフォントルロイだ。フォントルロイ、 領内の牧師を務める、モドント氏だ。

と云はれる中に、喜悦(よろこび)の情がお目に現はれて居りました。定めし世繼たる可き立派な孫息子を紹介する心の底には、 十分高慢氣が有つたことでせう。フォントルロイは、宣教師の服を着けた紳士を見上げて、 手を出し、ホッブス(うぢ)が新しい顧客(とくい)と挨拶する口誼を一二度、 聞いたことがあるのを思ひ出し、宣教師には、別して慇懃にせねば濟まぬものと覺悟して、

あなた、初めてお目に掛ります、何分よろしく。

といひますと、モドント氏は我知らず、ほゝ笑つゝ、セドリックの顏を眺めて、 手を握つたまゝ離し得ずに居りました。モドント氏は、見るとすぐ、 セドリックを愛する念が起りました。一體、誰でもセドリックを愛したといふのは、其美麗なのと、風采の潔いのとは言ふまでもなく、 其外に最も多く感じた譯は、此小息子の心の中に、湧き出る泉の樣な清素優愛が溢れて、妙に成人(おとな)びたことをいふ時でも、 それが何となく心よく、信實らしく聞える處でした。教師がセドリックを眺めて居る中は、侯爵の事はさツぱり忘れて仕舞ひましたが、 實に世の中に、深切な心ほど強いものはありません。さうして、其深切を包んで居るのは、誠に小さな子供の心でしたが、此薄暗い樣な、 鬱陶しい樣な、廣間の空氣を拂ひ清めて、明るく、爽快にする樣でした。教師はフォントルロイに向ひ、

手前こそ、フォントルロイ殿のお眼通りをいたして、誠に悦ばしう存じます。 大層長い旅をかけての御來着でしたが、一同、御安泰なのを承つて、悦ぶことで御座りませう。
エー、どうも、中々長いでしたよ。だけど、かあさんが一處でしたからね、 僕、淋しくなかツたんです。誰だツて、自分のかあさんと一處ならば、 淋しくはないですわね、さうしてどうも船が綺麗でしたこと。

侯爵は、

モドント、まあ、かけるが好い。

モドント氏は腰かけて、フォントルロイ殿を見、亦侯爵を見て、特に言葉に力を入れ、意味有りげに、

御前、誠におめで度う存じます。

といひましたが、侯爵は心の情を人に見られるを(いと)ふものの樣に、(わざ)と言葉を粗暴にして、

イヤ、おやぢに似て居るわ、併し行状は似てくれねば好いがと思ふのだ。 それはさて置いて、今朝は何用だ?誰が困窮して居るといふ譯だ?

かう聞いて、モドント氏は、思つたより好都合と、悦びながらも、しばし口籠つて、

ヒッギンスの一條で御座ります。なに、エッヂ、ファームのヒッギンスで御座りますが、 昨年の秋は自身に病み、又候(またぞろ)、子供に熱病を(わづら)はれ、 不運が引續いて、困難いたし居ります。極く締りの好い方とは申されませんが、不運の重なつた爲、(よろづ)不手廻りになつて、只今の處、 何分家賃を納め兼ねて居ります處が、御差配のニューウィックが、早速納めぬとならば、立退(たちの)く樣に申し聞けましたさうで御座ります。 然るに、目今(もくこん)、同人の妻も病氣で、立退(たちの)くと申せば、家族一同にとつて、容易ならぬ難澁故、何卒(なにとぞ)、 暫くの御猶豫を手前より御前に歎願する樣に、依頼致しまして御座ります。暫時、御猶豫を願ひさせ致せば、 又どうにか都合の致し樣も有ると申して居りまする。

侯爵殿は、はや、お顏の色を變へて、

フン、みンな同樣な事を云ひ立てて居るな。

フォントルロイは、少し前に進んで、初めよりお祖父樣と客人との間に立つて居つて、一生懸命に耳を傾けて居りましたが、(ぢき)、 ヒッギンスの事が氣になり出しました。子供は幾人あるのだらう、さうして、 熱病のあとは大層弱つて居るのか知らと思ひ、モドント氏の段々との話に、 一層(ひとしほ)實が這入つて、大きく開けた眼を離さず、モドント氏を見て居ました。 教師は又も一際(ひときは)願を強めようとして、

ヒッギンスは正直な人物です。

御前は、

隨分厄介な店子(たなこ)らしいな。 いつも、不手廻りに許りなる樣に、ニューウィックが申して居つた。

教師は又、

何樣、今の處、非常に難澁いたして居ります。殊に同人も妻子をひどく不憫に思ふ樣子で御座ります。 田地をお取り上げになると致せば、明日(みやうにち)よりも饑渇(きかつ)に迫る場合で、()して、熱病後衰弱いたし居る二人の子供に、 醫師の命じられた滋養物などは、思ひもよらぬことで御座りませう。

かう聞いて、フォントルロイは、今一足前に進みました。さうして突然、

ミチェルも、丁度、其通りなンでしたよ。

此時、侯爵どの、びツくりされました。

なんだ、貴樣が居たのだツけ。おれは慈善家がこゝに居るのをさツぱり忘れて居た。 其ミチェルといふのは誰のことだ?

と仰しやつた、老侯の凹んだ目に、是も一興といふ樣な一種特別な思はくが現はれました。フォントルロイは答へて、

ミチェルといふのは、ブリジェットの亭主で、熱病をわづらつた人なンです。 それで、家賃も拂へず、葡萄酒だの色ンな物が買へなかツたンです。 だから、お祖父さまが僕に、助けて遣るお金を下すツたンぢや有りませんか?

老侯は異樣な八の字を額におよせなさいましたが、一向こはらしい八の字では有りませんかツた。そして、 モドント氏に向つて、眼を放ち、

どうだらう、かういふのはどんな地主になるかな、 實はこれの欲しがる物はなんでも遣はす樣に、ハヴィシャムに申し付けて遣つたのだ。 すると、ねだつた物が乞食にやるといふ錢ださうだ、アッハッハ……

フォントルロイは、まじめで、

なに、乞食ぢやないンですよ。ミチェルは立派な煉瓦職人でしたよ。 それから、其他の人もみンな、かせいだンですもの。

侯爵は、これは、しくじつたといふ調子で、

其通りだツたな。みンな立派な瓦職人だの、靴磨きだの林檎屋だツたな。

さう仰しやつて、暫くフォントルロイを見詰めて居られましたが、ふと新しい考へが極く高尚な情から起つたとは、確言されませんが、 ()りとて惡い考へでは有りませんかツた。間もなく、ふいと、

こつちへ來い!

と仰しやつたのを聞いて、フォントルロイは進んで間近く差寄り、 わるいおみ足丈には觸れない樣にして居りました。御前は改めて、

かういふ時に、貴樣なら、どうする?

この時、モドント氏は、心の中に妙な感覺を起しました。元來、極く考への深い方で、富めるも、貧しきも、正直で、 勤勉なるも、不正で、怠惰なるも、領内の小民を知り盡して居りましたから、 今彼の茶勝(ちやがち)(まなこ)を大きく見張り、兩手を深くポッケットに入れた、何氣ない小息子が、未來には善にもあれ惡にもあれ、 心の儘に振ひ得可き大權(たいけん)を握るのだと、今更の如くに心付き、 さて、傲慢放逸な老人の一時の娯樂の爲に、心のまゝを働く自由を今よりも與へられて、 萬一、其子供が質朴、慈善的な(たち)でなければ、(たゞ)に小民共の爲(のみ)ならず、 其子自らの爲に、どの位の憂を來すか知れぬと考へ付き、(しき)りに懸念して居ました。侯爵は、又も言葉を推して、

どうだ、貴樣なら、かういふ時には、どうする?

といはれて、フォントルロイは又少し差寄り、極く仲の好い友だちにでも、 しさうに、片手を侯爵の膝の上にのせ、誠に心置きのない調子で、

僕は小さくツて、何も出來ないから、仕方がないけれど、大變な金持ならば、 逐ひ出さずに、貸しといて遣つて、それから、子供にいろンな物遣りますわ。 だけど、僕、まだ小さいから、しやうがないわ。

といつて、一寸、口を閉ぢると思ふと、急に、顏がさえ〜゛して、

だけど、お祖父さんなら何でも出來るですねい。

といひますと、御前は、其顏をぢツと見詰めて、

ムー、貴樣はさう思つてゐるのか?

と仰しやつて、少しも、御不機嫌の樣子は有りませんかツた。フォントルロイは、

僕ねえ、お祖父さんが、誰にでも、何でも好きなもの遣れるツて、 いふ積りなンですよ。ニューウィックツて、誰です?

侯爵樣は、答へて、

それは、差配人の名だ、小作人には厭がられる奴だ。
お祖父さん。今ニューウィックに手紙をお遣りなさるの? 僕、筆や墨、持つて來ませうか。さうすれば、此 卓子(だい)の上のおもちや、とツちまひますわ。

さういふ處を聞くと、人に厭がられる樣なニューウィックが、手ひどい事をするのを、侯爵が捨て置かれるとは、 一寸も考へなかツた樣子でした。侯爵はまだぢツと顏を見詰めながら、少し躊躇し、

貴樣は、手紙がかけるか?
エー、書けるけど、よくは出來ないンです。
それでは、卓子(だい)の上の物を退()けて、おれの机から、 筆と墨と、紙を一枚と、持つて來い。

と命じられるのを聞いて、モドント氏は只管(ひたすら)、注意して居りますと、 フォントルロイは手早く、云ひつけられたことを致して、暫時の間に、 紙と大きな墨壺と、筆との用意が出來ました。フォントルロイは、嬉しさうに、

さあ、お書きなさい。

といひますと、侯爵さまは、

なんだ、貴樣が書くンだ。

フォントルロイの額は急に桃色になり、驚いた樣な聲をたてて、

僕、書くンですか?僕が書いたんでも、間に合ふンですか? 僕字引がなくツて、誰にか聞かなければ、綴字が好く出來ないンですもの。

侯爵は、

間に合ふとも、ヒッギンスは綴字が惡いとて、苦情はいふまい。 全體、おれが慈善家なのではない、貴樣なのだから、まあ、筆に墨をつけろ。

フォントルロイは筆をとり、インキつぼに入れ、居住ひを直して、卓子(だい)()り、

なんと書くンです?

侯爵は、

當分、ヒッギンスを、其まゝ差置く可し。』と書いて、下にフォントルロイと記すが好い。

フォントルロイは、又筆を墨壺に入れて、尚居住ひを直して、書き始めました。 さて中々丹精な、(のろ)い仕事でしたが、一心になつて、掛りましたから、 暫くすると、書付が出來上りまして、にツこり笑ふ中に(いささ)か氣遣ひな樣子をして、お祖父樣にそれを渡しました、さうして、

どうでせう?それで好いでせうか?

といひますと、侯爵は受けとつて、書付を見、お口の周圍(まはり)が少し許り、妙にもぢ〜する樣でした。

()し、ヒッギンスは大滿足に違ひない。

と仰しやつて、其まゝ、モドント氏にお渡しになりました。モドント氏は書いたものを見ると、宛名のニューウィック、 又ヒッギンス其他の綴字が變に間違つて居て、ミストルのMが小さい字で書いて有つた外に、 『差置く可し。』の上に『何卒(なにとぞ)』といふ意が添へて有りました。 さうして終りに、『フォントルロイ、敬白。』と記して有りました。

あの、ホッブスをぢさんは始終、手紙のしまひへ、さう書き〜しましたよ。 それから、お祖父さんはさう仰しやらないけれど、『何卒(なにとぞ)』ツて書く方が好いかと思つたンです、 『差置く』と書くのは、それで好いンですか?

侯爵は、

字引に有るのとは、ちツと、違ふ樣だな。
僕も、さうか知らと思つて心配したンですよ、僕聞けば好かツた。何でも六かしい字は、字引で見なくツちや。 さうすれば、大丈夫ですね、僕、も一度、書き直しませう。

といつて、こんどは、注意して、一々侯爵樣に綴字法(てつじはふ)を質問しながら、中々立派な寫しを拵へて、かういひました。

どうも綴字(てつじ)ツて變なもんですね。考へて見て、かうかしらと思ふのと大變違ふンですもの。 僕、Please(プリーズ)と書くのは、p-l-e-e-sと綴るのかと思つてたら、 さうぢやないンですものね。それからdear(デーア)は、聞いて見ない中は、 d-e-r-eかと思へますわね。僕、時々厭になツちまふンです。

さて、モドント氏が(いとま)を告げて歸ります時に、其手紙を持つて行きましたが、まだ外に、家に土産に持ち歸つた物が有りました。 (それ)を何かとなれば、是まで、ドリンコート城に推參して、歸途、彼の竝木道を通る時分に、曾て心に味つたことのない愉快と、 希望とでした。フォントルロイは、玄關まで、教師を見送つてから、お祖父樣のお側に歸り、

さあ、これから、かあさんの處へ行つても好いですか?かあさん、 僕の來るのを、待つてるだらうと思ふンですから。

といひますと、侯爵樣は、暫く、默つて入らツしやいました。そして、

其前に、貴樣が見度いだらうと思ふ物が(うまや)にあるが、 どうだ、呼鈴(よびりん)を引かうか?

フォントルロイは、急にぽツと顏を赤くし、

お祖父さん、誠に有りがたう。だけど、僕、それは、明日(あした)見た方が好いですよ。 かあさん、僕が來るか〜と思つて、待つてるンですもの。
さうか、それなら好い、馬車を云ひ付けよう。

と、仰しやつてから、又暫くして、無造作な調子で、

なに、小馬が居るンだ。

フォントルロイは長い息をつき、聲をたてて、

小馬!誰の小馬なんです?
貴樣のだ。
アレ、僕の?二階の色ンな物みた樣に、僕ンですか?
さうさ、貴樣、見度いか、見たければ、こゝへ引出させようか?

フォントルロイの(さう)の頬は、ます〜赤くなりました。

僕、小馬なンか持たうと思ひませんかツたよ!ちツとも、そんなこと、 思はなかツたンです。かあさん、どんなに、嬉しがるか知れませんよ。お祖父さん、僕になんでも下さるのね。

侯爵は、また、

貴様、見度いか?

フォントルロイは、又長い息をつき、

僕、見度いのなンて。僕、見度くツてしやうがないけれど、暇がないかも、 知れないンですもの。
貴樣、どうしても、お袋の處へ、今日行つて、逢はなければ、ならんと云ふのか? 貴樣、延ばす樣には行かないのか?
エー、だツて、かあさんも、けさツから、僕のことを考へてたンですし、僕も、 かあさんのこと、考へたンですもの。
ハヽア、さういふ譯か、そんならば、呼鈴(よびりん)を鳴らせ。

さて、同車で竝木道の青葉の蔽ひかゝつた間を辿る中、老侯は沈默でしたが、フォントルロイは中々、さうでは有りませんかツた。 其小馬の話を頻りにして居ました。どんな色で、どの位大きいといふこと、 其名はなんといつて、何が一番好きといふこと、今いくつだといふこと、あしたの朝、何時に起きたら、見られるといふことなどを尋ねました。 話の合間々々には、『かあさん、どんなに嬉しがりますか。』と、頻りに云つて居ました。それから又、

かあさん、お祖父さんが、そんなに、僕に深切にして下さるの、 どんなに有りがたがりますか。僕小馬が大好きなの、かあさん、よく知つてるけれど、僕だツてかあさんだツて、僕が小馬持つだらうなんて、 ちツとも思はなかツたンですよ。あの、五丁目に小馬を持つてた、子が有つたンです。さうして、毎朝乘つては歩いてたンです。 それから、いつか、かあさんと僕、其人の家を通つて、居るか知らと思つて、見て見たンです。

といつて、あとは、蒲團によりかゝつて、頻りに老侯のお顏を見守つて、 暫く、だまつて居りました。(やが)て、大層仔細らしく、

僕、お祖父さんの樣な人、どこにだツてないと思ふンです。だツて、 いつでも好いこと許りして入らツしやるんだもの。さうして、他の人の事(ばか)し考へて入らツしやるんだもの。 かあさんが度々さういひましたよ、自分のこと、考へないで、人のこと、考へるのが一番、好いこツたツていひましたよ。 デ、お祖父さんが丁度そんな人だと、僕、思ひますよ。

御前は、大層結構らしい人物に(ゑが)き出されたので、流石に、 氣後れがして、何と言葉の出し樣もなく、返答のしやうも思ひ付かずに居られました。 實に幼心(をさなごゝろ)の單純なる一つで、其卑劣な私慾の目算を一々、 善良、優愛的な趣意に(すゐ)し違へられるといふは、殿の身にとり、一種特別な經驗でした。

フォントルロイは賞嘆の眼……いかにも、ぱツちりした、涼しさうな、あどけない眼を離さずに、又いひました。

お祖父さんは、どうも人を幾人(いくたり)も悦ばせたこと。 そらね、勘定して見ますよ。ミチェルとブリジェットと十人の子供とでせうね。 それから、林檎屋のおばあさんと、ヂックとホッブスさんと、ヒッギンスさんと、ヒッギンスのおかみさんと、モドントさんとですよ。だツて、 モドントさんは嬉しがツたに極つてますからね。それから、馬だのなんだの、いろンなことで、僕と、かあさんでせう。そら、僕、 今、指で勘定して見たら、お祖父さんの深切にした人、丁度、 二十七人をりますよ、大變ぢや有りませんか、丁度二十七人です。
ハヽア、それぢや、(おれ)(みンな)に深切にしたといふ譯なのか?
エー、さうですとも、お祖父さんが、みンなを悦ばせたンです。

かういつて、少し遠慮氣味に(ひか)へて、

あの、お祖父さん、知つてますか。人が、侯爵の事よく、知らないと、 時々間違つてますよ。ホッブスさんも、さうでしたよ。僕、手紙を遣つて、ようく話して遣らうと思ふンです。
ホッブスは侯爵の事を、どんなに考へてたんだ?
あのね、かういふ譯なンです。ホッブスさんは、侯爵なんか、一人も知らないで、 たゞ本で許り、讀んでたンでせう。さうしてかう思つてたンです。…… お祖父さん、氣に掛けちやいけませんよ。あの、暴虐な壓制家だと思つてたンです。 だから、自分のお店へなンか足踏みもさせないなンて、いつたンです。それだけど、お祖父さん知つてたら、丸で、考へ直すに決つてますよ。 だから、僕、あなたのこと話して遣るンです。
何ていつて、話すんだ。

フォントルロイは一心になり、

なんていふツて、僕、あなたの樣な、深切な人、見たことがないツて、 さうして、いつでも他の人の事許り考へて居て、悦ばせて許り入らツしやるツて、 話しますわ。それからあの、僕、大きくなつたら、丁度お祖父さんの樣に、なり度いツていひますわ。

御前はさえ〜゛した其顏を見詰めて、

なに、丁度おれの樣になり度いといふのか?

と仰しやつて、流石にかしげたお顏の(おもて)に、それとも分か[ら]ぬほど、 ぼんやりと赤みがさしました。そして、(にはか)に眼を背けて、馬車窓から外面(そとも)をお眺めなさいましたが、 大きな山毛欅(ぶな)の樹の艷々した茶色の葉は、日影に照り渡つてをりました。

フォントルロイは恥かしさうに、

エー、丁度、あなたの樣になり度いンです。

と云つて、又後から、

さうなれゝばですよ。僕、そんなに好い人になれるか、 どうだか知れないけれど、まあ遣つて見るンです。

さて馬車は、木々の緑が影をなす合間々々に、黄金(こがね)の光を漏してゐる、 壯嚴なる竝木道を(とゞろ)かせつゝ走りました。フォントルロイは、羊齒(しだ)が生ひ繁り、 桔梗の微風(そよかぜ)に招かれて、(なび)(なび)いてゐる、美しい氣色(けしき)や、草深い處に立つたり()たりしてゐて、 馬車の音に驚かされ、大きなびツくりした眼をこちらに向ける鹿の群や、茶色の兎が跳ねて通るのなどを眺めたことは前日の通りでした。 又雉子の美しい羽を見、小鳥が(さへづ)り呼び合ふ聲を聞いて、何も彼も、前日よりは一入(ひとしほ)見事の樣におもひ、 四方(よも)の美に圍まれてゐる心に、得も云はれぬ愉快が滿ち〜て居りました。老侯も亦同じ樣に目こそ外面(そとも)を眺めて居られながら、 見聞きなされた物事は、是とは丸で違つて居りました。此時、老侯の眼の前に、何か外事(よそごと)の樣に、歴々と見えたものは、 慈善らしき(わざ)も、深切めいた思ひ遣りも、皆無の長い生涯でした。元來、春秋に富み、健康で、財産にも權力にも不足のなかつた者を、 日を過ごし、年を經るに隨つて、たゞ〜(おのれ)一人の逸樂を謀り、年月をつぶさうが爲に、雄壯な精神も、富も、權力(ちから)も、 (こと〜゛)消費(つひや)し盡して、さて、其果に春秋は()いて、再び呼び戻す(すべ)なく、老衰の襲ひ來る時分になつて、 有餘る(たから)の中に坐りながら、しよんぼりとして、(まこと)朋友(とも)一人もなく、 自分を嫌ひ、恐るゝもの、或は追從し、(へつら)ふ者は有りながら、自分の損得に關らぬ限り、此老人が生長らへようと、死なうと、 意に介するものさへない、寂寞な境涯を思ひ廻して居られました。老侯は現在、遙かに、眼も及ばぬ田畑(でんばた)は、御自身の所有で、 面積はどの位、價値(あたひ)にしてどの位、又是によつて、生活を立てて居る、 小民どもの數はどの位といふことなど、まだフォントルロイが知らぬことまでも、 此時思ひ廻して居られました。それに加へて、またフォントルロイの知らぬことで、 此時、老侯の心に浮んだことは、さしも廣い領地に生活して居る小民どもの中で、 (かみ)(しも)も、推なべて、老人の財産や、門閥や、權力を(むさぼ)つて、 出來れば、甘んじて、自分等のものにしようと、思ふ者こそあれ、假にも殿樣を善良な人とか、その性質に似度いなどと此純潔な子供の樣に、 思ふものは、唯の一人もないといふことでした。さて七十年の久しい年月の間、 (おのれ)を以て足れりとして、自分の安逸か、さなくば娯樂(たのしみ)に關係せぬ限り、 世間の人が自分を何と思はうと、一向に頓着せぬ厭世的な、世なれた老人でも、かう考へては、流石に心地の好い事は有りませんかツた。全體、 かういふことは一切考へ起さぬ樣に、平生構へて、居られたのでしたが、一人の幼い子供が、 自分を善良な人と信じて、其足跡を踏み行ひ、其手本に習はうと云つたに付いて、實際、自分が、人の手本になるに適當で有らうかといふ、 ちと新奇な疑問を、心に呼び起されたのでした。フォントルロイは、老侯が(その)を眺めながら、眉を頻りに(ひそ)め給ふのを見て、 さては、おみ足の痛むのであらうと心得、幼いには、珍しいほどの斟酌をして、 なる丈、邪魔にならぬ樣に、沈默に、外面(そとも)氣色(けしき)を樂しんで居りました。 さうかうする中に、馬車は門を過ぎ、暫く、緑の生籬(いけがき)の間を鳴り渡らせてから、 (やが)て止りました。則ちコート、ロッヂに着したので、丈の高い給仕が、 馬車の戸を開ける間も有らせず、フォントルロイは下に跳び下りました。老侯は急に追想の幻を破られて、びツくりし、

なに、もう來たのか?
エー、さあお祖父さんの杖をあげますよ。お下りなさる時、 僕にずツと()つかゝつて入らツしやいよ。

御前は雜駁に、

おれは、下りはしないのだ。

フォントルロイは、さも驚いたといふ顏で、

アレ、……かあさんに逢ひに來ないンですか?

老侯は冷淡に、

イヤ、御免を蒙るのだ、貴樣行つて、新しい小馬の見たさも、 逢ひたさには代へられないかツたといふが好からう。
かあさん、失望しますよ、きツと、お祖父さんに逢ひたがつて居ますもの。
なに、さうでもあるまい、歸りに又迎ひによるぞ。これ! タマス。ヂェッフリーズに、もう參れといへ!

仰せにタマスは、馬車の戸を閉ぢました。フォントルロイは、 まだ不審顏をして居りましたが、(やが)て家に行く馬車道を駈け出しました。 此時、御前は、ハヴィシャム氏が前に一度見たことがあると云ふ、走つては殆ど地に着かぬ程(すみや)かで、屈強なる(さう)の足を、 いま目のあたり眺める折を得られました。其足の(ぬし)は、此時、 一分時も、暇を惜しむ者であつたことが明白でした。馬車は(しづ)かに進行いたしましたが、 御前は、暫く後に()り掛らずに、外を眺めて居られました。植込の間から、家の戸が見えましたが、其中、戸をずツと、 押開けるものがある。こちらからは小さな人が、一躍(ひととび)階段(だん)を上る。 も一人、是も柔和(なよやか)な、若さうな、黒の着物の人が、走り出して來る、と見る中に、雙方から飛んで來て、一所になつたかの樣に、 フォントルロイは、母の腕に(すが)り、(くび)を抱いて、 其可憐な、若々しい顏を處えらばず、キッスのしつゞけをいたしました。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第七囘


此次の日曜に、モドント氏の説教を聞かうとて、(つど)うた聽衆は平常よりも、 餘程多數で、モドント氏は、禮拜堂に嘗て是程に群集すたことの有つたのを、 殆ど、記憶されなかツた位で、平生、教師の説教を聞きに來たことの無い者まで、 此日には席に臨んで居りました。それのみか、モドント氏の受持でない、隣村からまで、人が見えた程でした。其群集中には、氣の好ささうな、 日に燒けた百姓もあれば、頼母(たのも)しさうな、どツしりして、頬の色の好い、おかみさんも居つて、(いづ)れも、今日を晴れと、 仕まひ置きの衣裳を着て居りました。さうして、一家内に付て、平均、六人位は子供を連れて來てゐました。お醫者夫婦も來れば、仕立屋も來る。 代診も來れば、藥種屋の丁稚も來る。少くとも一家族から一人はどうしても、 見えた樣でした。前の一週の間といふものは、此領内にフォントルロイの評判のない處はない位で、 殊に彼の城下の荒物屋のおかみさんの處に、針を一本か、眞田紐(さなだひも)を一尺位買ひに來ては、 其話を聞きたがるので、店の戸につけてある鈴は、往來の烈しさに、殆ど、 振り切れる樣でした。此おかみさんは、若樣のお部屋はどういふ飾り附がしてあるといふこと、 新しく買つた結構なおもちやの値段が、いくら〜といふこと、見事な栗毛の小馬と、 (それ)相應に(なり)の小さい馬丁(べつたう)まで揃へて、備へてあるといふ事、又其外に、銀製の馬具が着いた、 小さな馬車も拵へてあるといふことまで一々委細に承知してゐて、若樣の御到着の當夜、下部(しもべ)どもが一目見た處で、若樣の事を、 何と申したといふこと、又お(はした)だちは、あの可愛いお子を、おツかさまの手から離すとは、餘りむごたらしいことだと、 一同氣の毒がツたといふこと、又自分が本當に尤もだと思ふといふこと、さうして、其お子がお祖父樣がいらツしやる書齋に、たツた、 一人で遣られた時は、みンなが、冷々した。なぜといへば、侯爵樣がどんな取扱ひ樣をなさるかしれぬ、不斷から、子供はさて置いて、 自分たちの樣な、隨分好い年をした者でさへも、こらへ切れぬほどひどい(かん)だからと、 いつて居たといふことを、一々聞き傳へたまゝ、人毎に話して聞かせました。荒物屋さんが、二人來てゐた中、一人のおかみさんに向ひ、

一寸、ヂェンスのおかみさん、タマスどんがさういひましたよ。可哀想に、あの子は、何にも知らないで、御前を見て、 にこ〜して、生れ落ちた時から、心安くした人かなんぞの樣に、御前にずん〜お話をしたので、御前の方が却つて後れが來て、 眉毛の下から、ぢツと、見詰めたまンまで、たゞ其話を聞いてお出ででしたと。

といつて、忙がしさうに又一人に向ひ、

それからね、お聞きなさいよ、ベーツのおかみさん。タマスどんが、 御前は心の底では、悦んで自慢して入らツした樣だツた。それも尤もだ。今時の子供の樣でこそないが、姿色(きりやう)といひ、 行儀といひ、あんな子、見たことがないからツていひましたよ。

それから又、ヒッギンスの話も出たのでした。モドントさんが家に歸つて、食事の時に、家族の者に話して居た處を、小使が聞いて居て、 臺處で話すと、それから其噂が、野火ほど足速に四方へ廣がりました。それから、市日(いちび)になると、ヒッギンスが町に出て來たので、 四方八方から、其事柄を尋ねる。それから、どういふ始末で有つたと質問されるので、 ニューウィックも、二三人の人たちに、フォントルロイ殿の名の記してある手紙を出して見せました。

そこで、百姓どもは、澁茶を呑みにより合ふ時も、買物に出掛ける時分にも、 話をする(たね)が澤山出來て、思ふ存分餘す處なく、聞いては傳へ、聞いては傳へしたので、間もなく其評判が領分一杯になりました。 さて待ちまうけた日曜になれば、此女たちはいち早く、教會に歩いて行くか、 さもなければ夫に勸めて、小馬車を(やと)うて貰ひました。 又夫とても、追つては大殿の跡を繼いで、地主にならうといふ若君が、どの樣な人物かと、見度いと思ふ心がなくも有りませんかツた。 侯爵は平生、教會に出席なさるゝことなどは、ごく(まれ)でしたが、 併し此時は殊更、フォントルロイを伴つて、ドリンコート家の定まつた席にお臨みになりました。 此朝に限つて、人々は會堂にすぐ這入らず、會堂の裏や、通路(とほりみち)にも、 物待顏にぶら〜して居る者が大勢有りました。門には、入口にも、 あちらにも、こちらにも、一塊(ひとかたま)りづつ、人が(つど)つて居りまして、 大殿が御出席にならうか、なるまいかと頻りに評議して居りました。其評議が最も(さかん)になつた時分、何か(にはか)に聲をたてて、 かう云つた女が有りました。

アレ、〜、あれはきツと、おツかさまだらうよ。まあ若くツて、 姿色(きりやう)の好いこと!

かう聞いた者は、誰も彼も一時に、振り向いて、こちらに歩いて來る、 黒づくめの服裝(なり)をした、優柔(しとやか)な姿に眼をつけました。喪服についた顏蔽(かほおほひ)は、ずツと後に跳ねて有つて、 眼鼻だちの(あで)やかで、尋常な處も、子供のほど(やはらか)で艷やかな髮が、黒い質素な帽子の下から見えて居りました。

エロル夫人は(あたり)(あつま)つて居る人々には氣も付かず、 頻りにセドリックのこと、セドリックが自分に逢ひに來た時の事をおもうて、 新しい、小馬を貰つたのを嬉しがり、つい其前日これ見てといはぬ許りの顏付をして、さも悦ばしさうに、戸口まで乘つて來た時、 鞍付(くらつけ)も大層ちやんとして立派で有つたことなど、考へ〜、歩いて來ましたが、人々が自分に眼をつけて居て、 自分が通ると見て、何やら、人氣がさわだつて來る樣なのに、 ふと氣がつきました。最初、其事に氣がついたのは、華美(はで)な上着を着た老母が、 頻りに自分に辭儀をした時で、それから又、もう一人も頭を下げて、『奧樣の爲に幾久しく御幸福を祈ります。』と祝つてくれました。 それからといふものは、自分が通るのを見て誰も彼も皆帽子を脱いで禮をしました。 暫時、何故(なにゆゑ)かと、譯が分りませんかツたが、フォントルロイの母だといふ處で、 敬禮を表して呉れるのと心づいては、少し恥かしく、顏の赤らむのを覺えつゝ、 にツこり笑つて、自分も辭儀をし、祝つてくれた老母に『有りがたう。』と優しい聲で答へました。 是まで雜沓(ざつたふ)を極めた米國の都會に、人知れず住んで居つたものが、この通り質朴に眞心から禮儀を表されたは、大層物珍しく、 初めは少し間がわるい樣でしたが、畢竟(つまり)、人情の温かな處に感心して、 自から其風俗をも好む樣になりました。夫人が石造の入口を通つて、會堂に這入るや否や、人々が待ち設けたに(たが)はず、 勇ましい馬や、揃の服の附添を從へた、お城の馬車が轟々の音を先にたてつゝ、角を曲り、緑の生籬(いけがき)の間を通つて來ました。 立竝(たちなら)んでゐる人々は口々に、

ソラ!來たぞ!

といふ中に、はや、馬車は止つて、タマスは先づ馬車を下り、戸を開けると、 黒天鵝絨(くろびろうど)の服を着た小さな男の兒が、ふツさりして、きら〜して居る髮を後に波打たせて、先に跳び下りました。 すはと男も女も子供も、一同に瞳を据ゑて見て居りますと、フォントルロイの父を見知つて居た者は申し合せた樣に、

イヤ、カプテンを其まゝだ、カプテンに丸で生寫しだ!

といつて居ました。フォントルロイは、タマスが殿を助けて馬車からお下し申す(かたはら)に、 親しい大事な人の爲に、さも氣遣はしいといふ樣子をして、態々(わざ〜)日向(ひなた)に立つて居ました。さうして、 自分が役に立つ時分と思ふと、すぐ手を出し、肩を進めた處は、六尺の男子に擬して居りました。そこで見て居る人々は、 他の者は兎も角、孫殿丈にはフォントルロイ侯爵も恐ろしがられて入らツしやらないことを、 初めて悟りました。其孫どのは、かういつて居ました。

お祖父さん、僕にずツと()りかゝつて入らツしやいよ。 みンながお祖父さんを見て、どうも嬉しがツてることね、さうして、誰でもお祖父さんを知つてる樣だことね!

侯爵は、

フォントルロイ、貴樣帽子を脱がないか、貴樣に辭儀をして居るではないか!
なに、僕にですか。

と、フォントルロイ殿は急いで、帽子を脱ぎ、ぱツちりした眼で不審さうに群集した人々の方を眺めて、 いちどきに、みンなに禮をしようとして、あせつて居ました。

前に夫人に物をいつた、よく頭を下げる、華美(はで)な上着を着た老婆は又、

若樣に神樣の御祝福を祈り申し上げます、幾久しく、お榮え遊ばせ!

といひますと、フォントルロイは、

おばあさん、有難う!

と答へて、それから直ぐと禮拜堂に這入つてからも、兩側に人の居竝(ゐなら)んだ間を通つて、(しとね)や、 掛幕(かけまく)の立派に備へてある定席(ぢやうせき)に着くまで、人の目標(めじるし)になつて居ました。

(さて)フォントルロイが、とう〜席に着きましてから見た事で、二つ嬉しい事が有りました。一つは、會堂の向うの方で、 自分の見て居られる處に(おツか)さんが坐つて入らツして、自分を見て、にツこりして下すツたこと。も一つは、自分たちの腰かけてゐた、 長椅子の奧の方の壁に、面白さうな石の彫物が有つたことでした。これは、二人の異樣な人が、向き合つて、跪いて居る姿でした。二人の間には、 石造の經本を二つ載せた丸柱樣(まるばしらやう)の物が有つて、兩人とも祈念に凝つて居る處と見えて、(さう)の手を合せて居ります。 服裝は餘程古代の物らしく、下の(いしぶみ)に書いてある字を(やうや)くに拾ひ讀み致しますと、『第一世、ドリンコート侯爵、 グレゴレ、アルサ(なら)びに夫人アリソン、ヒルデガードの墳墓』といふことが記して有りました。古文の事 (ゆゑ)、綴字は今と多少、趣きが變つてゐて、たとへば、今、(アイ)を遣ふ處に(ワイ)の遣つてあるのは、his wifeなどがhys wyfeと書いてある類で、又字の終りに、(やく)にもたゝぬと見えるe(イー)の文字が附してあるのは、 body, Earlとあるべきをbodye, Earleと書いてある類でした。フォントルロイ殿は、不審が晴したくて、堪らぬ樣で、 とう〜思ひ切つて、老侯の耳に口をよせて、

お祖父さん、そツと耳こすりしても好いですか?
何だ?
あの、此人たちは誰なンです?
あれか?あれは貴樣の御先祖で、幾百年も昔の人なんだ。

フォントルロイどのは、今度は、勿體なささうに眺めて、

さうですか?それぢや、僕の綴字は、此人たちに似たのかも知れませんねい。

それからは、禮拜式の書物を開きましたが、音樂が始まりますと、起立して、にこ〜しながら、母の方を眺めて居りました。 フォントルロイは、唱歌が大好きで、母と一處に、度々歌つたことが有つたのでしたから、 讚美の歌が一齊の時は、自分も人と同じ樣に歌うて居りましたが、其聲の清く、可愛く、高い處は、宛然(さながら)鳥の歌ふ樣に、 冴え渡つて居りました。自分も、其歌の樂しさに、(おのれ)を忘れて居りましたが、侯爵さまも、掛幕(かけまく)の深みに居寄つたまゝ、 孫に見惚れて、自分(おのれ)を忘れて居られました。セドリックは、手に、大きな讚美歌の本を持つて、勢一杯に歌うて居りましたが、 悦ばしげに少しく、顏を(もた)げた處に、一條の光線が、 こツそり映じ入りまして、染玻璃(そめガラス)の金色の物を(なゝめ)に横切つて、 ふさ〜と幼顏(をさながほ)に埀れかゝつた髮をきらめかせました。此趣きを向うから(うかゞ)ひ見た母は、愛情に迫つて、 身が震へる心地で、同時にいとも切なる、祈念を(さゝ)げました。 それは、幼子(をさなご)の純潔、單一なる心の幸福(さいはひ)何卒(なにとぞ)、永遠に續く樣にといふこと、不思議にも出逢うた幸運が、 人にも我にも(わざはひ)を來さぬ樣にといふことでした。今日此頃はいとゞ優しい母の心を、千々に碎く事のみ多く有りました。 其前の夜も、我子を抱きしめて、(いとま)を告げてゐながら、

アヽ、セデーや、セデーや、わたしはおまへの爲許りにでも、どうぞして發明になつて、 色々爲になることが云つて聞かせて遣り度いと思ふよ!だがね、おまへ、 心掛を好くし、正しい道を守り、いつも深切と眞實(まこと)とを盡しさへすれば、 それで好いので、さうさへすれば、一生、人の害になることは決してなく、多くの人を助けるといふ立派なことも出來るのだよ。 このかあさんの小さい子が生れた爲に、廣い世界の人が、いくらか善くなるかもしれないのだよ。それでね、セデーや、 もうそれに越したことはないのだよ。一人の人間が世に出て、其人の爲に、 世の中の人が少しでも、ほんの〜少し許りでも、善良(よく)なつたといふのが、何よりかより結構なものだよ。

謹んで教を承つたフォントルロイが、お城に歸つてから、お祖父樣に其通りをいつてお聞かせ申し、其擧句に、かう云ひました。

それからね、かあさんが、さういつた時、僕、お祖父さんのこと考へたンですよ。 だから、僕、云つたンです、なんでも、お祖父さんが世の中へ入らツしたンで、 よつぽど人がよくなつたにちがひないツて。それから、僕も其眞似をする積りだツて。

御前は、少し安からぬといふ樣な(おも)もちで、

そこで、お袋が、なんと答へた。
それは結構なこツたから、なんでも、人の好い處を探し出して、 一生懸命で、それに(なら)はなくツちやいけないツて、いひましたよ。

此時、老侯は、赤幕の埀れ間から、眼光を放ちながら、前の事柄を考へて入らツしたのかも知れません。 老侯は、多くの聽衆の頭を越えて、向うに、我子の嫁が獨り坐つて居つた方に眼を放つて、 勘當受けたまゝ歿した人の愛した、美しい姿色(きりやう)と、今、自分の側に坐つて居る子供に、好くも似た眼付とに、 氣に留めて居られましたが、心の中は矢張り、執念(しふね)く、頑固で有つたか、 或は少しは柔いで居つたか、其邊は甚だ知り難いことでした。老侯の一行が會堂を出られると、 禮拜式に(あづか)つた者の中で、多くお通りを待つて、立つて居りました。 門に近づいた頃に、手に帽子を持つて立つて居る人が、一歩前に進んで、猶ほ躊躇して居りました。此人は、壯年過ぎた、百姓らしい者で、 浮世の苦勞に面瘠(おもやつ)れして居りました。侯爵は早くも、

どうだ、ヒッギンス?

フォントルロイは、急に振り向いて、彼を見ました。さうして、

アヽ、此人がミストル、ヒッギンスですか?

侯爵は、冷淡な調子で、

さうだ、大方、新しい地主樣にお目通りに出て來たのだらう。

ヒッギンスは、日に燒けた顏を、赤らめつゝ、

御前、其通りで御ぜいます。ニューウィック樣のお言葉に、若樣が、 此下郎の事を、とりなして下さツしたといふことで御ぜいましたから、 御免の蒙つて、一度お禮を申したいと存じて、ヘイ……

思ひ掛けなく、自分の大難を救つて呉れた者が、この通り誠に幼い子で、運に拙い自分の子供と違つたこともなく、威張る處などは、 少しも見えず、あどけない顏をして、自分を見て居られる樣子に、少し驚いて、フォントルロイに向ひ、

若樣、誠に、お禮の申し樣も御ぜいません、誠に、有難う存じます、あの……

フォントルロイは、其言葉を遮り、

なに、僕は、たゞ手紙を書いた許りですよ。それを爲すツたのは、 お祖父さまです。だけれど、お祖父さまは、いつでもなんですものね、 誰にだツて、好いンだもの。細君はもう好くなりましたか?

ヒッギンスは、少し氣後れがした樣子でした。此人も亦、大殿が美徳を積んだ、慈善的の人物の如くに(たゝ)へられるのを聞いて、 多少驚きました。いま答へをしようとして、少し(ども)りながら、

あの、なに……若樣其通りで御ぜいます。(かゝ)も心配がなくなつて、 大いに宜しくなりました。病よりも苦勞の方で、弱つて居たもンで……ヘイ。
それは、好かツたこと。僕のお祖父さまも、あなたの子供が、 腸チブスだツて、大變氣の毒がツて、僕も氣の毒でしたよ。 お祖父樣も、子供が有つたンですからね、僕はお祖父さまの子の又子ですよ、知つてませうね?

かう聞いて、ヒッギンスは、たまげて倒れさうになりました。併し、氣を利かせて、侯爵樣のお顏をなる丈、見ない樣にして居りました。 侯爵さまの親子の間がらの(うと)いことは、 年に二度位しか息子共にお逢ふなさらぬ程で、又其折も、ひよツと子供の病氣といふ樣なことが有れば、 醫者や、看護人がうるさいとて、早速ロンドンへお立退(たちの)きになツてしまひましたほど故、 此事を知るヒッギンスは、氣の毒さに堪へませんでした。果して、侯爵は、 其通りで、他人が腸チブスを患ふのを、意に介することなどがあるかの樣に云はれて、 間が惡く、例の太い眉の下から鋭い眼光が輝いて居りました。侯爵は見事に澁い笑ひ顏を見せて、

ヒッギンス、此通り、貴樣だちは、おれの人物を誤つて居つたンだ、 フォントルロイ丈はおれを本當に見て居るのだから、おれに性質等に付いて、 確實な所が知りたくば、こゝへ來て尋問するが好いぞ。さあ、フォントルロイ、馬車に乘れ。

フォントルロイは、すぐと飛び込みました。そして、馬車は緑の生籬(いけがき)をごろ〜と、轟かせ走りましたが、 大道(だいだう)に出る所の角を曲つてからも、老侯の、澁さうな笑顏は、まだ失せませんかツた。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第八囘


日を經るに隨つて、ドリンコート城主は、彼の澁さうな笑ひ顏をなさる折が幾度も有りました。 そして、孫息子と追々親しまれる程、其笑顏をなさるのが度々になるので、遂には其澁さうなのが殆んど失せた時も有りました。 フォントルロイ殿が現はれ出づる前には、老侯は(おのれ)の淋しさと、酒風症(しゆふうしやう)と、 七十歳といふ(よはひ)とにいとゞ倦み果てて居られたことは疑ふ可くも有りませんかツた。 一生、歡樂と放逸とを盡したるものが、壯麗を極めた座敷の中に、片足を足臺に支へながら、一人坐つて居て、癇癪を起し、 おぢ〜して居る給仕どもに怒鳴りつけるより外、心遣りがないといふのでは、 餘り面白くも有りませんかツたでせう。老侯は流石、(おろか)でない丈に、 僕婢(ぼくひ)どもが自分を見ることさへ厭がるほど嫌つて居るといふことを、 能く知つて居られました。又人によつては、物好きに老侯の誰にも斟酌のない刺衝的な、 鋭い言葉(ものいひ)を面白がる者も有りましたが、大概、來客といへば、自分を愛して來るのでないといふことをも承知して居られました。 壯健で有つた間は眞の樂しみは得られぬながら、人には遊興と見せて、 此處、彼處(かしこ)と見物して歩かれましたが、體に(やまひ)を覺え始めてからは、 何事も(ものう)くなつて、持病と、新聞紙と、書物とを相手に、ドリンコート城に閉ぢ籠められる樣になりました。 併し讀物(よみもの)するにも際限があり、段々物事がうるさく厭になつて來ました。 晝夜のいかにも長々しいのに(あぐ)み果て、我慢はます〜募り、 癇癪はいよ〜烈しくなる許りでした。かういふ處へ、フォントルロイが來たので、 侯爵は一眼見ると、直ぐと氣に入りました。一體高慢氣のある老人に、かく非常に氣に入つたと云ふのは、此息子の爲に何よりの幸福でした。 若しセドリックの姿色(きりやう)(わる)かツたものならば、他の事には其まゝで有つても、一途に嫌つてしまつて、其美質などは、 一向心にお留めにならなかツたかも計られません。併し、老侯はセドリックを見るに付け、容姿(みめかたち)の美しく精神の奇拔な所が、 ドリンコートの血統(ちすぢ)と格式とにとつて殊更面目と思はれ、至極滿足されたのでした。それから又、子供の話す處を聞くと、 自分の新たに得た格式の辨知(わきまへ)などは、一切ない樣でも、心に持つた品は又格別で、其あどけなさが却つて、可愛く、 これまで(ものう)く許り見えた世の中が、どうやら面白くも思はれて來ました。ヒッギンスの難を救ふ事にさへ、 (わざ)と子供に其權を與へたのは又一つの娯樂(なぐさみ)でした。 御前はヒッギンスの貧困な有樣に對して、惻隱の心をお(おこ)しなされたのではさら〜なく、かういふことで孫息子が小民どもに評判され、 子供の中から小作人どもの人望を得るで有らうといふことが、 一寸其お氣に叶つたのでした。それに又、セドリックと同車で禮拜堂に行かれた時分に、 待設けた人々の騷ぎと心入れとを見て、一層(ひとしほ)滿足に思はれました。 老侯は群集の人々が、定めて、子供の姿色(きりやう)のことから身體(からだ)の屈強なこと、嚴然とした風采のこと、目鼻立の尋常なこと、 頭髮の見事なことなどに付いて評し合ふであらうと思うて居られましたが、果してある女が小聲で、『ほんたうに、頭から足の先まで、 どつからどこまで、華族さまだ。』と言ふのを小耳に(はさ)まれました。 此ドリンコート城主は全體、傲慢な老人で、門閥や、格式が容易ならぬ誇の種でしたから、 (いよい)よドリンコート家に其尊嚴なる爵位にふさはしい世繼が出來たのを、世に(おほやけ)にするのが非常に愉快なのでした。 新しい小馬を試した朝などは、老侯は殆ど持病の惱悶(なやみ)を忘れるほど悦ばれました。 馬丁(べつたう)が其見事な駿馬を朝日の()す庭先に引出しましたが、 馬は艷々した栗色の頸を弓形にし、美しい(かしら)(もた)げて居りました。 老侯は書齋の窓の開いた處に坐つて、フォントルロイが初めての馬術の稽古を、 御覽じて入らツしやいました。子供が初めて馬乘の稽古をする時分には、 こはがるのが常でしたから、フォントルロイは卑怯な氣質を見せるかと危んで居られました。 然るにフォントルロイは、大悦びで之に(またが)り、(そもそ)も馬に乘つたは是が初めてでしたから、大層 (さかん)な威勢でした。馬丁(べつたう)のウィルキンスは、 馬の(くつわ)を採つて書齋の窓の前を、幾度となく往來(ゆきき)しました。稽古も終つて、(うまや)に歸りました時、ウィルキンスが、 にこ〜しながら、人にかういつて話しました。

中々威勢の好い奴よ、ムー、子供だツて、あんなのを、乘せるなあ、わきやないわ。 成人(おとな)だつて初めてななあ、鞍付なンかあんなもンよ。奴がかう云ふンだ、なあ、おれに、『ウィルキンスや、僕、これで眞直かえ、 あの、馬驅(うまかけ)ぢや、みンな眞直に、しやんと乘つてるからね。』ツて云ふのよ。 それから、おれが、『若樣、眞直ですよ。矢の樣に眞直に乘つて入らツしやる。』ツていつて遣つたら、 えらく嬉しがツてな、笑ひながら、『さうかい、若し眞直でなかツたら、 さういつておくれよ、ウィルキンス。』ていふのよ。

併し、鞍の上で眞直だといふことと、手綱を採られて、あちらこちらと歩かせられる許りでは、 もはや滿足の出來ない樣になつて、窓から眺めてゐるお祖父さんにかう云ひました。

お祖父さん、こんど一人で乘ツちや、いけませんか? さうして、も少し早く歩かせても好いですか? あの五町目の兒は、とツ〜〜〜と樂乘(らくのり)をしたり、それから、又ほんたうに驅けさせたりしましたもの。
貴樣、もうさう出來ると思ふのか?
僕、やつて見度いンです。

御前は、ウィルキンスに、手眞似で、何かお云ひ付けなさると、ウィルキンスは心得て、 自分の馬を引出し、是に乘つて、フォントルロイの小馬の手綱を持ちました。老侯は、

さあ、樂乘(らくのり)を一つ遣つて見い!

これから、暫くの間は、此小さい馬乘も一生懸命でした。樂乘(らくのり)をするのは、たゞ靜かに歩かせるとは違つて、中々 容易(たやす)くは有りませんかツた。そして、馬の足が早くなれば、 早くなるほど、段々と六かしくなつて來ました。息を切り〜ウィルキンスに、

ず……ずゐ分……ゆ……ゆれることねい。そ……さうぢやないかえ? お……おまへは、ゆ……ゆれやしないかえ?

といひますと、ウィルキンスが、

若樣、なに、ぢツき慣れツちまひますよ。(あぶみ)へ足をしツかり掛けて、 ちやんとしてゐて御覽なさい。
僕、始……始終、そ……さうやつてるンだよ。

フォントルロイは、ゆすぶられたり、上げられたり、落されたりしながら、餘り心地好ささうでもなく、もまれてゐました。 息は切れ、顏は赤くなりましたが、一生懸命に(つか)まつて、なる丈しやんとする樣にして居ました。老侯は、遙か向うから、 其樣子を實檢して居られましたが、兩人の馬乘者(うまのり)暫時(しばし)、 木隱れに見えなくなつて、そして又、聲の逹しる程間近に歸つて來ました時、 フォントルロイの帽子は無くなつて居て、頬は罌粟(けし)の花の樣に眞赤で、 脣をきツと結んで居ましたが、まだ元氣よく、樂乘(らくのり)をつゞけて居ました。お祖父さんは、

一寸、待て、貴樣は帽子をどうした?

ウィルキンスは、自分の帽子に手をかけて、禮を表し、面白さうに、

先程落ちましたが、手前が拾ひ上げる暇もない程で、御座りました。

老侯は冷淡に、

餘りこはがる方ではない樣だな、どうだ?
御前、どういたしまして、そんなこたあ、ちツとも御存じない樣です。 手前も、これまで隨分若樣方に馬乘のお稽古を申したことが有りますが、 此若樣みた樣にきつくツて、一生懸命なあ初めてです。

侯爵は、フォントルロイに向ひ、

どうだ、くたびれたか?もう下り度いか?

若樣は快濶に、有のまゝを、

あの、中々思つたよりか、ゆすぶれるンです。さうして、 ちツとはくたびれるけど、まだ下り度くはないの。僕、早くおぼえたいンですもの。 僕、息の切れるのが直ると、あの帽子を拾ひに行つて來ますよ。

たとひ世に如才ないといふ如才ない人が、フォントルロイの擧動に拔目なく眼をつけて居られた老侯の氣に入る樣にと、 フォントルロイに入知慧をした處が、(とて)もかう(うま)く成功する策を授くることは出來なかツたでせう。 小馬が再び早足に竝木の方に曲つて行きました時、(たけ)しい老侯のお顏は、(うツす)ら赤くなり、ふツそりした眉の下の兩眼は、 世を味氣なく觀じた御前が、(また)も心に覺えようとも思さなかツた愉快の爲に、 さえ〜゛として居りました。(さて)、今か〜と待ち待たれた蹄の音が再び聞えて、 兩人の顏が現はれました時には、馬は前よりか餘程足を早めて居りました。 フォントルロイは帽子を脱いで居て、ウィルキンスが之を手に持って居りました。其(さう)頬は、前よりも(くれなゐ)に、 其頭髮は耳の(ほとり)に飛散つて居りましたが、馬を(いきほひ)よく走らせて來ました。 手綱を(ひか)へて、馬を下りようといふ時、フォントルロイは、まだ息を切つて、

そらあ、僕とう〜驅けさせて來たでせう。僕、あの、五町目の兒の樣に、 (うま)くはないけど、驅けさせたことはかけさせて、さうして、僕、おツこちやしなかツたもの。

此後、フォントルロイは、ウィルキンスと極く仲が好くなりまして、大道(おほぢ)や青葉の繁る小道を二人して、乘廻るのを、 田舍の人が見ない日は一日もないぐらゐでした。田舍家の子供たちは、 凛然(りゝ)しい若殿が、立派な小馬に、居住ひ正しく乘つて入らツしやる處を見ようとして、 外面(そと)にかけ出せば、其若殿が、帽子を脱いで振りながら、『イヤー、お早うー!』と一々挨拶をなさる處は、殿樣らしくはなくとも、 優しいお心は十分現はれて居ました。時としては、馬を()めて、 子供たちと話をなさいましたが、或日、ウィルキンスが、お城に歸つての話に、 フォントルロイ殿が、(ちんば)で、疲れて居た兒を自分の馬に乘せて、家に歸らせるとて、 止めるのを聞かずに或る村内の學校の(ほとり)で、馬を下りたさうでした。 ウィルキンスが、(うまや)で其話をしてかういひました。

まあ、なんちツたつて聞かねえのよ。『ぢやあ、わたくしが下りませう。』 ツていつたら、『大きな馬ぢや、あの兒が乘心が惡いだらう。』だとさ。それから仕方がねえもんだから、其兒が乘ツちまふとな、若との、 兩方の手をポッケットへ入れて、帽子を後の方へ滑らかして、 平氣で口笛を吹いたり、其兒に話しかけたりして、(わき)を歩いて行くぢやないか。 それから、とう〜其兒の家まで來たあ。すると、お袋が何がおツぱじまつたかと思つて、出て來る。處で、どうだらう、若との、帽子を脱いでな、 『をばさん、をばさんの子が痛いつて云つたから、連れて歸つて來ましたよ。 あの棒許りぢや、歩き(にく)いだらうから、僕のお祖父さまに頼んで、()り掛りの附いた兩杖を拵へさせて上げよう。』だとよ、 其調子だもの、其お袋だツて肝を消しツちまふぢやないか。 尤もだあな、だが、おらあ、もうちツとで、噴出しツちまふ處よ。

侯爵は此話を聞かれて、ウィルキンスが氣遣つたとは違つて、 少しも怒られず、却つて大笑ひに笑はれてフォントルロイを態々(わざ〜)呼んで、 自分の口から一部始終を話させて置いて又お笑ひなさいました。是から現に數日たつてから、ドリンコート城のお馬車が、 此跛の兒の住居(すまゐ)のある小道に止まりました。すると、フォントルロイが中から跳び出して、丈夫で輕さうな新しい兩杖を、 鐡砲を(かつ)ぐ樣に肩に掛けて、戸の處まで行き、お袋に渡しながら、

お祖父さまが宜しくツて仰しやつて、そして、これをあの兒に遣つて下さいツて。 どうぞよくなれば好いツて、お祖父樣も僕も思つてるンですよ。

馬車に歸つてから、侯爵に向つて、

あの、お祖父さん、さうおツしやらなかつたけど、お忘れなさつたンだと思つて、宜しくツて、さういひましたよ。 それで好いですか、え?好いでせう?

侯爵は又お笑ひなさつて、それは惡かつたとは仰しやられませんかツた。實際、此 祖父孫(ぢゝまご)の間は、一日増しに親密になり行き、フォントルロイが御前の慈善と美徳とを信任することもいよ〜深くなりました。 フォントルロイはお祖父樣が最も氣立の優しい、慈悲の深い老紳士だといふことは、露ほども疑ひませんかツた。

中にも自分の望などは殆ど口に出すか出さないに、もう叶へられました。 さうして上が上に與へられた賜物や、備へ置かれた樂しみが餘り(おびたゞ)しいので、 時としては自分の所有品ながら、眼移りがする位でした。凡そ欲しいと思ふものは何でも調へられぬこととてはなく、 して見たいといふことに、してならぬことはない樣でしたが、 元より年の行かぬ子供を躾けるに、かういふ方法では決して好結果の有らう筈が有りません。 たゞフォントルロイ丈は不思議にも其弊害を免れました。尤も、此子供の率直な性質も、左樣な取扱ひでは、或は變じて、 多少、我儘な風になつたか知れませんが、コート、ロッヂに住へる、用心深く、優しい母、即ち、フォントルロイの最も仲の好い友が、 始終側から注意しましたので、終に其害を蒙りませんかツた。此二人は逢ふ毎にいつも、山々の話をいたしまして、母に(いとま)を告げて、 別れる毎に、何かしら、心得になる樣な分り易い、教訓の言葉を耳にとめて城に歸らぬことは有りませんかツた。 一つ子供心に甚だ思ひ迷うたことが有りました。其不審を幾度(いくたび)か心の中に繰返し〜てゐた事は、 誰も推量せぬ程でした。母さへもそれほどまでに、思ひ沈む程になつてゐるのを知りませんかツたから、 ()して老侯などは久しい間、一向左樣なことが有らうとも、氣付かれませんかツた。然るに敏捷な此子供には、 母と祖父(ぢい)とが一度も對面したことのないのが、不思議に思はれてたまりませんかツた。 どうも顏を合せたことはない樣子……いや實際、一度の對面も無いに相違有りませんかツた。 ドリンコート城の馬車が、コート、ロッヂに行きました時も、老侯は決して馬車をお下りなさつたことがなく、又時たま、 老侯が禮拜堂に御出席の時も、フォントルロイ一人丈殘されて、母と戸口で、もの云ふか、さもなければ、家まで送ることをゆるされました。 さうかと思へば、毎日お城から、コート、ロッヂにお使が立つて、(むろ)から珍しい菓物(くだもの)や、花などを送られました。

併し、遂に、セドリックが理想の頂天にお祖父樣を推し擧げたことは、初めての日曜にエロル夫人が、附添もなく歩いて家に歸られた、 (ぢき)あとで有つたことでした。此日セドリックが母を()ひに行かうとした時、 戸口に來てゐたのは、いつもの二頭曳の大馬車ではなく、見事な栗毛の馬の附いた、綺麗な小馬車でした。

侯爵は唐突(だしぬけ)に、

それは、貴樣からお袋に行く進物(しんもつ)だ。田舍廻りは(とて)も歩いては出來まい。 馬車は是非無ければなるまい。そして御者になつて居る奴が、 世話をすることにして置いた。よしか、貴樣からお袋に遣る進物(しんもつ)なのだぞ。

フォントルロイは、中々悦びを述べ盡すことも出來ませんかツた。 母の住居(すまゐ)に來るまで、ぢツとして居ることがむづかしい位でしたが、 母は折しも庭で、薔薇(しやうび)の花を摘んで居ました。見ると、突然(いきなり)、小馬車を下りて、母の側にとんで行き、

かあさん!ほんとですよ、(うそ)だと思ツちや、いや。 これはね、かあさんのですよ、僕からかあさんに上げるんだツて、かあさんのだから、 どこへでも、乘つて歩けるンですよ!

フォントルロイは、餘りの嬉しさに、自分が何を云つてるか、夢中な程でした。 母は自分を讎敵(あだがたき)の樣に思うて居る人から來た物でも、受納(うけをさ)めることを拒んで、子供の折角の大悦びを打消すに忍びず、 據處(よんどころ)なくも、薔薇花(しやうび)を手に持つたまゝ、其馬車に乘りまして、あちらこちらを引廻されるに任せました。 母と一處に乘つてゐるフォントルロイは、お祖父樣の慈善の事と優しい事などの話をして、 母に聞かせましたが、其話といふは餘りあどけないので、時には少し可笑しくなつて、思はず笑ふ樣でした。併し全體 身方(みかた)(すくな)い老人の()む可き處許り、見ることが出來るのを嬉しく思つて、我子を抱いてずツと側に引付け、 頬の(あたり)にキッスを致しました。

其翌日はフォントルロイ早速、ホッブス(うぢ)に手紙を(したゝ)めました。 其書面は殊の外長文で、一旦草稿したのをお祖父樣の處に持つて來て、添削を請ひました。

だつて、綴字があンまりいけなさうですもの。お祖父さんが見て、 間違つてる處、言つて下されば、僕、も一度書き直しませう。

といひましたが、書いた文面は句讀もなく、のべつゞけで、綴字や用字などの過失(あやまり)は、ヒッギンス一件の手紙に類して居つて、 其趣意は、一寸こんな鹽梅でした。

一筆啓上 僕お祖父さまのことお話し申し度候 侯爵でもあんな侯爵はないと存じ候 侯爵は壓制家だと申すも間ちがひに候 お祖父さまは少しも壓制家でなく候 をぢさまおつきあひなされば仲よくなると存候 きツとさうだと存候 お祖父さまの足にはしゆうふうせうといふものありて大變いたいものに御ざ候 併し大層辛棒づよい故僕毎日だん〜好きになり候 持論だれでも世の中の人に深切な侯爵ならば好きにならずに居られないと存候 をぢさんあつて話して御覽なされば好いにと存候 何でも僕聞くこと知つて居る樣で御座候 しかしまだベースボールは見たことないそうで御座候 お祖父さまは僕に小馬も車も下され母さまには綺零な馬車下され候 僕は部屋三ツとをぢさんが驚くほどたくさんおもちやあり候 お城も樹園もをぢさんが好きそうだと存候 お城は大變大きい故をぢさんなぞでもまい子になりさうで御座候 ウィルキンスが申候 ウィルキンスは僕の馬丁(べつたう)で御座候 城の縁の下に牢があると申候 樹園の中は何でも綺令故をぢさん驚くだらうと存候 大きな木や鹿や兎や雉子なぞ澤山居り候 お祖父さまは大層金もちで御座候 併しをぢさんが侯爵といふものはどれでも高慢で威張つて居ると仰しやつたけれどお祖父さまは少しもさうでなく候 僕はお祖父さまと一處に歩くのが大好きで御座候 人々はみんなお祖父さまに丁寧で深切で御座候 みんな帽子をとつて禮をいたし候 女の人はおぢぎをして時々祝して神樣のお惠みを若樣の爲に祈りますと申候 僕今はモウ馬に乘ること上手になり候 併し始め樂乘(らくのり)した時ゆすぶれ候 貧究の人家賃を拂ふこと出來ない時にお祖父さま逐ひ出さずに置いてやりなされ候 さうしてメロンさんが病氣の子供にぶどう酒や色々の物持つて行つてやりなされ候 僕はをぢさんに逢ひ度いと思候 さうして母樣もお城に一處に居られゝば好いと思候 併し大變こひしい時でなければいつも(さいはひ)で御座候 僕はお祖父さまが好きで御座候 だれでもさうで御座候 をぢさん手紙を下され度存候
      舊友
 …月…日   エロル、セドリック拜
愛するホッブス樣
二白 牢の中には誰も居らず候 お祖父さまは牢の中に人を入れて(くる)しめたことないそうで御座候 大層好い侯爵さまでをぢさんに似て居ると思候 お祖父樣は大變人望が御座候

侯爵は是を讀み果てて、

貴樣は大層お袋が戀しいか?
エー、僕、いつでも戀しいンです。

と答へて、フォントルロイは侯爵に近寄つて、顏を見ながら、お膝の上に手を載せました。そして、

お祖父さんは戀しくはないンですね。

といひますと、老侯は少し面倒なといふ調子で、

おれは知らないのだ。
僕、さうなの、知つてるンですよ。だから、僕、不思議でしやうがないンですよ。かあさん、 僕に何か聞きだてするンぢやないツていつたから……だから聞きやしないけれど、僕、時々考へずに居られないンですよ。ねい! それで不思議で〜仕方がなくなるンです。だから、僕、戀しくツてしやうがない時は、毎晩僕にツて、 かあさんが燈火(あかり)()けて置いて呉れる處を窓から見てるンです。 大變向うの方だけれど、かあさんが暗くなると、直ぐ窓ンとこへ、置いといて呉れるから、木の間から遠くの方で、 ぴか〜〜〜してるのが見えると、あの燈火(あかり)が、かういふんだなと思つてるンです。

御前は、

それが何と云つてるンだ?
あのね、『セデーや、お休みよ、神樣が今夜も、一晩中守つて居て下さるよ。』ツて一處に居た時、 仰しやつたとおンなじことです。夜になれば、毎晩さういつて、朝になれば、『今日も一日中神さまがお守り下さるよ。』ツて仰しやつたから、 僕はいつでも、始終大丈夫なンですよ、ねい、ね。

御前は冷淡に、

ウヽン、大丈夫に違ひなからう。

と仰しやつて、彼の秀でた眉をずツと下にさげ、(やゝ)久しく、ぢツと、フォントルロイを見詰めて居られましたから、 子供心に何を考へて入らツしやるのかと思ひました。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第九囘


當時ドリンコート侯爵は曾て心の思うたことのない、さま〜゛な事を考へられましたが、其考へといふは、(いづ)れの道、 孫息子に關係して居りました。此老人の性質の中で、最も強い處は、其傲慢氣でしたが、孫息子は一から十まで其傲慢氣を滿足させて居りました。 そして、此性質のある爲に、世の中が急に面白くなつて來ました。第一、(おのれ)の世繼たるべきものを世の人に示すが、 快樂の(もとゐ)となつたと云ふのは、世間一般、侯爵が息子逹に、失望されたことを承知して居りましたから、人を失望させる氣遣ひのない、 新たなるフォントルロイ殿を公然、世の人に紹介する時、 一層鼻が高く、愉快な感じが有りました。一ツには孫息子にも(おのれ)の權勢の及ぶ處、格式の(いかめ)しい處が心得させ度く、又、 世間の人にも十分(わきま)へさせ度く思はれて、頻りに前途の計畫を致されました。時として、心の中、 (ひそ)かに(おの)が過去の履歴を追想しては、自分の世渡りが、も少し道に叶つて居て、純潔な子供心に一部始終を知られても、 忌み憚ることが、實際()めて(すくな)ければと、我知らず、思ふ時も有りました。現在、此お祖父さまが、 『ドリンコート侯のわる』と惡名(あだな)されて居たことがると、 何かの拍子で、其子供の耳に這入ることが有つたら、其見事な、あどけない顏が、どんなになるだらうと思へば、何となく、 快く有りませんかツた。此事を考へると、どうやら、薄氣味わるい樣になつて來て、何はさて置き、子供に其事を知らせない樣にと決心しました。 時としては此新たな屈託が出來た爲に、持病さへも忘れることが有つて、 暫くする中に、(からだ)の工合も餘程よくなつて來て、 出入の醫者さへ、意外のこととて、驚く位でした。侯爵の御氣分の快方に向はれたのは、 近頃は退屈なさることが(すくな)く、他に考へることが出來て、 自然苦痛を紛らしたからの故でせう。ある朝、人々がフォントルロイ殿が例の通り、 馬でおでましの處を見ると、同伴(つれ)はいつものウィルキンスでないのを見て、 殊の外驚きました。此新たな同伴者(つれ)は、ねずみ毛の立派な大馬にまたがつて、 紛ひもない、侯爵どのでした。實は此事を思ひ立つたのはフォントルロイで、ある時、 自分が馬に乘らうとして、お祖父樣に向ひ、少し殘念さうに、

僕、お祖父さんも一處に入らツしやるんだと好いけどねい。 僕、あツちへ行ツちまへば、お祖父さんは獨りで、此大きいお城に入らツしやるんだもの。僕、その事考へると、自分も淋しくなツちまひますよ。 だからお祖父さんも馬に乘れると好いことねい。

それから急に、御乘馬のスィーリムをば、殿がお召しに付いて、 支度くをするのだといふ下示(げじ)が出たので、(うまや)などでは大騷動でした。 この後といふものは、スィーリムに鞍を置くことが毎日の樣で、さうして人々は、(なり)の小さいフォントルロイ殿を乘せた小馬の側に、 丈高く立派ながら、(たけ)しく、鷲の樣な容貌の、白髮(しらが)老人を乘せた、 大馬を見ることに慣れてしまひました。それから、この通り二人して、青葉繁る小道や、景色の好い田舍道を乘り廻る中に、 段々と親しく、隔意(へだて)なくなりまして、老侯は聞くともなしに、かあさんのこと、 かあさんの日々の仕業(しわざ)などに付いてさま〜゛の話を聞かされました。 フォントルロイが彼の大馬に()いて樂乘(らくのり)をして行く中には、 何くれとなく、調子に乘つて、しやべりました。一體、性質が輕く、悦ばしい(たち)でしたから、人のお相手には持つて來いといふので、 話をするのは大抵自分許りで、殿の方は口を開かずに、たゞ嬉しさうな、さえ〜゛した其顏を眺めながら、話に聞き惚れて居られました。 時としては孫に命じて小馬に鞭をあてて一走りさせ、フォントルロイが異議もなく、一跳び驅出して一向に(おぢ)ける氣色(けしき)なく、 しやんと(またが)つて居る樣子を後から見て、餘程鼻を高くし、機嫌が好い樣でした。斯く一走りしてのちに、フォントルロイが、 笑ひ聲に呼はつて、帽子を振りつゝ、元の處に歸つて來ます時などには、何だか殊さらお祖父さまと仲の好い樣な心持がしました。

侯爵が早くも見出されたことは、嫁が中々怠惰な生活をしては居らないといふことでした。 到着の日から幾程も經ない中に、貧民どもがよく夫人に(なつ)いて來たことがお目に止りました。 どこかに病人があるとか、悲しい人があるとか、貧に迫つて居る者が有るとかいへば、 (きま)つた樣に其家の戸口に、夫人の馬車が止つて居りました。フォントルロイがある時、お祖父さまに、

あのね、お祖父さん、みんなが、かあさんを見さへすると、 『神さまの御祝福を祈り上げます。』ツていひますよ。さうして、子供なんかは、 みんな嬉しがりますよ。それから裁縫を、をそはりに家へ來る人も有るんですよ。 かあさんはね、大變お金持になつた樣な心持がするから、貧乏な人が助け度くツて、しようがないツて云ひましたよ。

侯爵どのは、世とりの母に當る人が、若々しくツて、 姿色(きりやう)も勝れてゐ、さうして何々侯爵の御臺所(みだいどころ)と云はれて、少しも恥かしからぬ品格が有るといふことを承知して、 決して機嫌のわるいことは有りませんかツた。それから又、其人が人望が多く、貧民どもに敬愛せらるゝといふことも、 一方から見て、心持の惡いことも有りませんかツた。併し又フォントルロイが子供心に一番に慕うて居て、 誰よりも親しい人と、すがり付いて居る樣子を見れば、嫉ましさと、憎さとが、一時胸を刺すことを、 免れませんかツた。老人には競爭者などなく、獨り占に子供の愛が得度く思はれたのでした。 丁度其朝、二人馬を揃へて乘り廻つた廣野の、とある小高見(こだかみ)に登つて、遙かに眼も及ばぬほどの所領地を鞭を振り擧げて指し示し、 フォントルロイに向ひ、

貴樣、この地面が一切、おれのだが、知つてるか?
さうですか?一人でそんなに持つてるツて、大變ですね。さうして、大變、綺麗だこと!
いつか、みンな貴樣のものになるンだが、知つてるか?

フォントルロイは、どうやら、毒氣が拔かれた樣子で、

アレ、僕のですか?いつ?
おれが死ねば、直ぐだ。
ぢや、僕、欲しかないです。だツてね、お祖父さんはいつまでも、 生きて入らツしやる方が好いもの。

侯爵は例の冷淡な調子で、

中々深切なことをいふな。だがな、兎に角、貴樣のになる時が來るわ…… 貴樣はいつかしら、ドリンコート城主になるのだ。

フォントルロイ殿は暫時(しばし)默つて、靜かにして居ました。其間頻りに、廣い野や、青々とした田舍の見事な木立や、 其間の百姓家や、城下の綺麗な所や、巍然(ぎゝ)として、年錆びた、城郭の物見が樹木の向うに見えて居る所を眺めて居りましたが、 (やが)て、妙な嘆息をしました。

貴樣、何を考へて居るのだ?
僕は、僕が大變小さな子だと思つて、それからかあさんのいつたこと、考へてたンです。
何といつたンだ。
あの、かあさんがね、さういつたンです。大變金持になるのは、 さう容易(やさ)しいことぢやなからうツて。自分が始終、いろンなものが澤山あれば、 外の人はそんなに運が好くないツていふ事、時々忘れるだらうツて。 だから、お金のある人はいつでも氣を付けて、人のこと考へなくツちや、いけないツて、僕はお祖父さんが大變、人に深切だツて話してたら、 それは結構なこツたといひましたよ。でも、侯爵なンていふものは、大變な權力があるんだから、自分の樂しみのこと許りかまつて、 領分に(すま)つて居る人のこと考へなければ、其人たちが困つて、自分が助けられることでも、知らずにしまふだらうツて。 だけれど、人が大變大勢居るし、隨分六かしいこツたらうと思つてるンです。 僕、今あそこいらに澤山ある家見て、僕が侯爵になつたら、あの人たちのこと、知れる樣によく尋ねなくツちやいけないツて考へてたンです。 お祖父さんは、どうして、みンなのこと知れたンです?

侯爵が小作人どもを知つて御座るといつても、誰々が年貢を滯りなく納め、誰々が納めぬといふこと丈に止まつて、 納めぬ者は早速に引立つるといふ都合になつて居りましたから、 此問には容易に答へられませんかツた。それ故、『ニューウィックが探報(たんぱう)するのだ。』 と仰しやつて、白髮(しらが)の八字髭を引張つて、心惡(こゝろわる)さうに、 質問した小さな子供を見詰めて入らツしやいました。それから又、『さあ、もう家に歸らう、さうして、貴樣が侯爵になつたら、 おれよりも上等のにならンぢやいかんよ。』と仰しやいました。

侯爵は歸り途にも沈默でした。生涯に誰をも心を盡して愛したことのないのが、今はさまでに此小息子に執着するとはと、自分ながら、 不思議に思はれる樣でした。最初は先づ、セドリックの姿色(きりやう)の好い處と、 凛然とした風采とが氣に入り、人に對して誇る丈でしたが、今となれば、どうやらそれ許りでなく、外の情が混つて居つた樣でした。 よく〜考へて見れば、自分はいつでも此子を側に引付けて置きたく、其聲を聞くのが何よりの樂しみで、たわいない子供と知りつゝも、 頻りに其心が得たく、好く思はれたいのが胸に一杯でしたが、 かう思ふ度に、我と我心が可笑しくなり、人知れず、彼の澁さうな微笑を傾けて居られました。

心の中に、『おれもよく〜年をとつて、子供がへりしてしまつたので、 他に考へることがなくなつたから、畢竟かうもなるのだらう。』と思うて見て、 又まんざら、さうでもないと考へ直されましたが、も一層、心に立入つて考へて見ましたらば、 其子供の性質の中で、一番に氣に適つて、我知らず、引きつけられる樣な心持のするのは、 自分には嘗て持つたことのない徳、即ち取繕ひなく、優しい眞心のある處と、 人を信じ愛して、決して其惡しきを思はぬ處とだといふことが、分りましたでせう。

これから丁度一週間ほど後の事でしたらう。セドリックは、ある日、母を訪問して歸つて來て、困つて思ひ沈んだといふ顏付をして、 書齋に這入つて來ました。初めて此城に到着した時、腰をかけた、彼の(せい)の高い椅子に恁[誤:凭{[]](よ)}つて、 暫くはたゞ煖室爐(ストーブ)の中の火を眺めて居りました。侯爵は何事かと思ひつゝも、また物も言はずに、其顏を眺めて居られました。 セドリックは何事か深く考へて居たといふ丈は明らかでしたが、(やが)て、顏を擧げて、

あの、ニューウィックは、みンなのこと好く知つてるンですか?

侯爵さまは、

さうだ、それがあれの職掌なのだ、何か怠つて居ることがあるのか?

此小息子が管轄の小民どものことに注意して、彼是(かれこれ)(いたは)る樣なことほど、 不思議に侯爵さまのお氣に適ひ、又實際お爲になつたことはないのでした。 自身にはさういふことに注意なされたことは、少しも有りませんでしたが、セドリックがたわいなく、幼遊(をさなあそ)びに屈託して、 餘念もなささうに打興じて居る中に、亦かういふ眞面目な考へが、其ちゞれ頭の中に働いてゐるとは、これも亦一興と思はれたのでした。

フォントルロイは、大きく眼を見張り、恐ろしくてたまらぬといふ顏付で、

あのね、村の向うツの外れに大變な處があるンですと。かあさん見て來ましたと。家なンか、どうもくツついてて、 丸で倒れさうで、息がつかれない樣ですと。それから人がみンな貧乏で〜、大變ですと。熱病なンか度々あつて、さうして子供が死ぬンですと。 それから人がそんなに貧乏で、苦しんでると、段々惡い人になるンですと。ミチェルだのブリジェットだのよりか、まだわるいンですと。 さうして屋根から雨がどツどツと漏るンですと。かあさんがそこに居る貧乏なおばあさん、見舞に行つたンです。 僕、行つてたら、自分が歸つて來て、着物をみンな着替へるまで、側に來させないンですもの。それから、その話して居た時、 かあさん、ぼろ〜(なみだ)流してるンですもの。

フォントルロイは今此話をしながら、自分も(なみだ)ぐんで居ましたが、(なみだ)の中に又ほゝ笑んで居ました。

僕ね、おぢいさん知つて入らツしやらないンだから、 行つて話して上げるツて言つて來たンです。

と言ひながら、飛び下りて、侯爵さまの椅子に()り掛りました。そして、

おぢいさん、みンなよく出來るのね。あのヒッギンスのこと、 よくして下すツた樣にね。いつでも誰でものことみンな好くしておやりなさるンだもの。だから、僕、かあさんにさう言つたンです。 ニューウィックがきツとおぢいさんに話すの忘れたんだらうツて言つて來たンです。

侯爵さまは自分の膝の上に載つた手を御覽じました。ニューウィックは實際其話を申し上げるのを忘れた譯では有りませんかツた。 今フォントルロイの話の村外れに、俗にアールス、コートといふ處の、如何にも廢頽して居る有樣の事を申し陳ずる爲に、一度ならず、 足を運びましたのでした。それ故、傾いて、見る影もない長屋のことも、 打捨てある下水溝(げすゐどぶ)のことも、濕氣(しつけ)でじみ〜した壁や、窓の破れて居る所も、屋根の漏ることも、貧困極まることも、 熱病のことも、一切の難澁を知り盡して居られました。モドント教師は、言葉を盡して、其状況を陳じ訴へたことが有つた時に、 老公は又それに對して、亂暴極まる斷言をなされました。そして殊に御持病の煩悶の烈しい頃には、其アールス、コートの人民どもが、 みンな死に絶えて、地の下に埋まつた方が結句世話なしで好いなどと、放言されたことさへ有りました。然るに今膝の上の小さな手を見、 それから、まじめで、正直で、眼に天眞な處を現はした顏を眺めるに付けてどうやら、 其アールス、コートのこと、又自分のことが、恥かしくなつて來ました。

何だ?貴樣は、おれに人の見て雛形にする樣な貸家を建てさせうと云ふのか?

と言ひながら、今迄になく、子供の手の上に自分の手を載せて、おもちやにして居られました。

フォントルロイは、大層熱心に、

今の家はみンな倒してしまはなくツちやね、かあさんもさう言ひましたよ。 アヽ、おぢいさん、明日(あした)、二人で行つてみンな崩させてしまひませう、ねい? みンなおぢいさんが行けば、どんなに悦びますか! だツて、おぢいさんが助けに入らツしたんだと思ひますもの!

と言ひながら、話に身が入つた故か、眼が丸で星の樣に輝きました。侯爵は椅子を離れて、子供の肩の上に手を載せ、 ムフヽヽッと一聲笑ひながら、

さあ二人で外に行つて廊下を散歩しよう、そこですツかり、話をつけるとしよう。

それから、天氣の好い時は連れ立つて、いつもこゝで散歩する例に隨つて、廣い石造の廊下をあちらこちらと、往來する中に、 二三囘もお笑ひなさいましたけれど、何か氣に適はなくもないお考へをなさつてゐる樣子でした。 そして、矢張り小さな相手の肩の上に手を載せて入らツしやいました。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第十囘


廣野の方から見ては、如何にも()に書いた樣な景色に眺められる小村落の内に、 近く立入つて、貧民どもの有樣を視察したエロル夫人は、見ること、聞く事に哀れを感ずることが多く有りました。どの樣なものでも、 近くで見れば、遠方で見たほど全備しては居らぬもので、此村内にも、人々が其業務に勵めば、自然、衣食住も滿ち足る可きに、 萬事に鈍く、怠惰に陷つた結果には、貧困者が多く見當りました。暫くする中に、此エールボロといふ村は其 近邊(きんぺん)で最も疲弊した評判の村といふことが分りました。夫人は内情の困難なことと、救濟の道の殆ど絶えて居つたこととを、 モドント教師からも聞き、自分にも發見しました。村長を選擧するにも、 侯爵のお氣に入りさうなのを選んだので、小民どもの貧困に墮落した有樣を矯正するものは、 一向に有りませんかツた。()して(のき)は傾き、住民は意氣地なく、 宛然(さながら)半病人の如き者許り居るアールス、コートの哀れな有樣は、 侯爵家にとつても外聞な程でした。夫人が初めてこゝに行つた時などは、實に戰慄(みぶるひ)する樣でした。場處の醜猥なことと、 人々の遣放(やりぱな)しなることと極貧のことなどとは、田舍は都より又一層甚しい様に思はれました。そこで都は兎に角、 田舍ではかういふことは仕方のつけ樣がある筈と思ふにつけ、罪惡の中に畜生ほど、投げやりに育つ(きたな)らしい子供を見、 壯麗な城内に王子の如くに保護(まも)られ、(かしづ)かれて、希望(のぞみ)とて叶へられぬことはなく、富裕、安樂、 美麗でないことは見聞きもせぬほどの境界(さかひ)にある我子を思うて居る中に、 怜悧に優しい母が心の中に、ふと勇斷(おしき)つた目論見が起りました。 さて子供にとつては大幸福(おほしあはせ)にも、不思議なほど侯爵のお氣に入つたことは、 人も見、又母にも段々分つて來ました。さうして、子供の望む處は、何事でも侯爵の拒み給ふことは、殆どないと云ふことも分つて來ました。 それ故、モドント教師に、

侯爵さまは、セデーの氣隨(きずゐ)な望までも、叶へてお遣りなさらぬことは御座りませんものを、 其お與へなさる自由を他人の爲に用ゐたとて、何の(さは)りが御座りませうか。この事は是非、 手前がひとつ心配いたして見ませう。

優しい幼心(をさなごゝろ)を知りぬいてゐる母は、アールス、コートの話を(とく)として聞かせなば、 申さずともセデーは、祖父に其話を持つて言つて傳へるは必定、さうすれば、望み通りの結果があるだらうと待つて居りました。

然るに、思つた通り、好結果の有つたことは、人々が(あや)しむほどでした。 侯爵を動かすに預つて大いに力あるものは、孫息子が自分に對する心置きなき信任でした。即ち、セドリックが、お祖父さまは、いつも、 仁義のある處をお行ひなさるといふことを、堅く信じて居つたことでした。 侯爵さまは、自分の心には、人に對して慈善を施し度い心持は一切なく、 善惡などに拘はらず、いつでも自分の思ひ通りに爲度いのだといふ内實を、 構はず孫息子に悟られる氣には、どうもなれませんかツた。人類に取つての大恩ある人、 又は(すべ)て高尚なるものの理想の如くに(あが)められて居る心に得る樂しみは、格別な者故、優愛に滿ちた茶勝(ちやがち)な眼で、 ぢツと見詰められながら、『おれは勝手亂暴な不埒な者で、一生涯、人に慈善を施したことの覺えもない老人。アールス、コートも、貧民も、 構ふものではない。』と明らさまに言はずとも、矢張りさういふと同一な結果になることを、 言つて快しとはどうしも思へませんかツた。金色の愛嬌毛を房つかせて居る小息子の可愛さには、 例に戻つて、たまたまは慈善的なことをしても、仕方がないと諦める樣にもなりました。 それ故自分で、自分が可笑しい樣でしたが、少し考へたあとで、ニューウィックを呼びに遣し、コートのことを長々と談義し、 畢竟(つまり)、彼のぼろ〜長屋を取り崩して、新たなのを建築することに(きま)りました。

例の淡泊な調子で、

なに、實はフォントルロイの建議で、是非にと主張するのだ。 始終は(ため)(よろ)しいといつてな。店子(たなこ)どもにも、 フォントルロイの發議(ほつぎ)だと、いつて聞かせるが好からう。

と言ひながら、毛革(けがは)の上に横になつて、ダガルと遊んで居る若侯(わかぎみ)を見下して居られました。 例の大犬は、此子供の始終の友逹で、歩行の時は、嚴然として威儀正しく濶歩して、跡に隨ひ、 馬や、馬車の上ならば、凛然其後を追うて走りました。

田舍の人も、町の人も、借屋改築の噂を早くも傳へ知りまして、 初めはそれを事實と信ぜぬものが多くありました。併し、一揃ひの職人が來着して、 蹣跚(よろめ)いてゐる樣な見すぼらしい借家を引倒し始めました時に、人々はまたもフォントルロイ殿のお蔭で、かういふ結構なことになり、 頑是ない執成(とりなし)でアールス、コートの醜聞も消えることと漸くに分りました。 フォントルロイは、此人々が行く處に自分の噂をなし色々に()めたて、 生立の上は成し遂げるだらうといふ、大した事の預言を聞きましたならば、 (さぞ)驚くことでしたらう。併し自分はかういふことがあらうとはさツぱり知りませんかツた。 矢張り、相變らず淡泊で、氣輕な子供らしい生涯を送りました。樹苑に跳ね廻つたり、兎を追廻して穴に追ひ詰めたり、 芝生の木影に横たはつて見たり、書齋の毛革(けがは)の上に()て見たり、 珍奇(めづら)しい書物を讀んで、お祖父さまにも又母にも其話をしたり、ヂックやホッブスに長い手紙を書いて、それ相應な返事を貰つたり、 お祖父さまと一處か、又はウィルキンスを供に連れて、馬に乘つてあるいたりして居りました。人が(いち)に集る町を通る時分に、 人々は振り返つて見て脱帽して禮をする時、大層悦ばしさうなのに、氣が付きましたが、これは全く、お祖父さまと一處だから、 みンなが、悦ぶのだと思ひました。一度は例のさえ〜゛した笑ひ顏で、御前のお顏を見ながら、

どうも、みンながお祖父さま好きだことね。お祖父さまをみると、あんなに嬉しがツてゐるの御覽なさいよ。こんだ、 僕もあんなに好きになつて呉れると好いけどねい、一人なしみンなに好きがられてて大變好いでせうね。

といつて、左程に珍重され、愛せられる人の孫だと思へば、大威張りだと考へました。

貸家を建て始めました時分には、フォントルロイはお祖父樣と一處に見に行き〜しまして、 フォントルロイは大層熱心でした。自分の小馬を下りて、職人と知己(ちかづき)になりに行きまして、 建築のことや煉瓦の(なら)べ方に付いて、色々質問したり、米國での事を話して聞かせたりしました。二三度もかういふ話をしてから、 家に歸る道すがら、煉瓦置の祕訣を侯爵に教へることが出來る位でした。さうして、後でかう言ひました。

僕はかういふことが聞いて知つて居り度いンですよ、 だツて人はいつどんなになるか知れないつてね。

フォントルロが行つてしまひますと、職人たちの仲間で噂をしては、 妙なあどけない言葉を笑ひ〜しました。此人たちも、フォントルロイが好きで、 手をポッケットの中に入れ、帽子をちゞれ()の下つてゐる後の方に推し遣り、 幼顏(をさながほ)を仔細らしくして、立ちながらの話を聞くことが大好きでした。さうして互に、

あんななあ、めつたにねえなあ、それにはき〜物をいつて、心持が好いわ、いけねえ奴等(貴族を指す)の種だたあ、 思へねえやうだなあ。

といひ〜しましたが、それから又家に歸つて、其話を女房どもにして聞かせる。女房どもは亦他の女たちに、話をして聞かせるので、 フォントルロイの若君がどうして、かうしての話を、何かしら聞いて、知つてゐない者はない位になりました。 さうして、追々には、『侯爵どののわる』が、とう〜可愛がるものが出來たといふこと、頑固陰險な老人の心情を動かし、 暖めるものが、漸くに見付かツたといふことを、誰も知らぬもののない樣にまりました。

併し其心は、どの位暖まつたかといふと、此老人が生涯に初めて信用されて見て、 其子供に心の(きづな)が日に〜堅く結びつけられるのを、御自分でも、 それ程と分らぬ位といふことを、(とく)と知るものは有りませんかツた。侯爵はセドリックが見事成人して血氣盛んな若者となり、 前途の望が遙か向うにある時分を追想して見て、今に異ならぬ優愛な心を持つて、人に望を屬されたらば、どの樣な手柄をたてるであらう、 自分についた資力權力を、どの樣に働かせるだらうかと、頻りに想像されました。 子供が煖室爐(ストーブ)の前に横になつて、何か大きな書物に眼を(さら)して、 餘念もない處に、光線が映じ入つて、風情を添へてゐるのを御覽じてゐて、 お眼はさえ〜゛とし、お顏の色が、いつもになく色づくことが有りました。さういふ時分には、心の中に、

この子ならば、何をさせても出來る、出來ないことといふはあるまい。

といつて居られました。併し、セドリックに對する自分の情愛のことなどに付いては、 口に出して何とも人に仰しやつたことは有りませんかツた。何かの拍子で、人にセドリックのことをいふことが有れば、 (わざ)と例の澁さうなほゝ笑を見せて居られました。然るに、フォントルロイはお祖父さまが自分を愛して下さつて、いつも、 お側に居るのをお好みなさるといふこと、例へば、書齋に居れば、お祖父さまのお席近く、食卓に着いてならば、お祖父さまのまン向うに、 馬や、馬車に乘るとか、手廣い物見で晩景に逍遙するとかの時には、 お側近くゐるのがお好きといふことを、(ぢき)に知る樣になりました。

ある時、セドリックが彼の毛革(けがは)に横になりながら、見て居た書物から眼を擧げて、

お祖父さん、僕が來た初めての晩、二人仲が好くなきやあツていつたの、 覺えて入らツしやるの?お祖父さんと僕ほど仲の好い人は、どこへ行つたツて有りやしませんわね。
さうさ、隨分仲の好い方だらうな、一寸、ここへ來い。

フォントルロイは掻きたくる樣に側に寄りました。すると侯爵樣が、

貴樣、まだ何か不足があるか、ないもおで、欲しいものが?

此時、子供は彼の茶勝(ちやがち)の眼を大きく開け、言ひ度くて、言ひ兼ねるといふ鹽梅に、お祖父樣を見詰めました。そして、

あの、たツた、ひとつ有るンです。
それは又何だ?

フォントルロイは又暫時(しばし)躊躇(たゆた)ひました。 そして獨り(しば〜)思ひ屈して居た故で、餘程仔細の有りさうな樣子でした。侯爵は再び催促して、

何だ〜。

フォントルロイは、漸くに、

あの、かあさんです。

老侯は少しくたゆたつて、

だが、貴樣、毎日の樣にお袋に逢ふぢやないか。それでもまだ足りないのか。
でも、(せん)には、いつでもかあさん見てゐましたもの、夜 ()る時『お休み』いひに行けば、キッスしてくれたし、朝起きて見れば、いつでも、そこに居たし、それから、とツとかずに何でも、 話しツこ出來たンですもの。

此時兩方沈默で眼と眼とを見合せ、侯爵の方では、(やゝ)眉を(ひそ)められました。そして、

貴樣、そんなら、お袋を忘れたことは一切(言葉に力を入れ、)ないのか?
エー、決してないンです。さうして、かあさんも、僕、決して忘れないンです。 だツて僕、お祖父さんと一處に居なくなつたツて、矢ツ張り忘れやしないぢや有りませんか、ねい? 僕はなほ、お祖父さんのこと考へますわ。

老侯は、猶暫く、ぢツと考へて、

イヤ、こりやあ、さうだらう、さうに違ひあるまいな。

全體フォントルロイが、母を慕ふことに付いては、多少羨ましく思はれて居られる處、かう聞いて、一層其感じが強くなつた樣でした。 これは(もと)より老人が子供を寵愛されることが、いよ〜深くなつた故でした。

然るに、幾程もたゝぬ中に、まだ〜忍び難い、心痛の事件が起りまして、 暫くは、嫁が憎いといふことさへ忘れる程でした。さて其事の起りといふは、 又至つて不思議な事で、實にこれらが青天の霹靂(へきれき)とでも、いひさうな事柄でした。

アールス、コートが落成する前、ある夜、ドリンコート城に大宴會が有りました。 かういふ會合は、此城にも近年稀な位のでした。其數日前には又、サア、ロリデールが、夫人とも〜゛此城に來遊されましたが、此夫人といふは、 老侯の一粒の妹で、此時の來遊は、稀有(けう)の事で、市中などでは、殊に大評判で、例の荒物屋の呼鈴(よびりん)が夢中に、 がら〜と鳴りも止まなかツた譯は、ロリデール夫人は三十五年といふ昔に結婚して以來(このかた)、 ドリンコート城に只一度の外は絶えて訪問されたことがないからでした。此婦人は白髮(しらが)がよくも風采を裝うて、 頬には愛嬌の笑靨(ゑくぼ)と桃色との去りやらぬ立派な老婦人で、人品も中々好い方でしたが、兄弟の缺點を非難することに於ては、 世の人と(かは)つたこともなく、それ(のみ)ならず、確乎とした説を立てて、遠慮なく之を主張する性質でしたから、自然、 老侯と(しば〜)爭論(いさかひ)することもあり、隨つて多年疎遠になつて居りました。

この通り、兄妹の間が隔離(へだた)つて居る中に、夫人は侯爵に付いて、快からぬ風説を聞くことも度々でした。 第一妻に對して、優しくないこと、續いて同人が不幸な生涯を終つたこと、侯爵が子供に付いて無頓着なこと、總領、次男が人好きのせぬ上に、 尫弱(わうじやく)、無頼で、爲に父にも家にも名折だといふこと、 此二人に取つて此夫人は叔母ながら、一度も對面したことがないのでした。 然るに或時、十八歳許りの丈高く、れツきとした、立派な壯年が(やしき)に尋ねて來て、 夫人甥セドリック、エロルと名乘り、母の話に聞いた叔母さまに、一度お目に掛りたさに、近隣を通つたを幸に、お尋ね申すと云ひました。 ロリデール夫人は、此若人(わかうど)を見て、いとゞ懷かしさに、(よろづ)を忘れ、 強ひて一週間程引き止め、こよなき者の如くに寵愛し、饗應(もてな)して歸しました。 此若人は氣立も優しく、快濶で、其上有爲の氣象が見えて居るので、歸つた其後も頻りに、顏を見たく思つて居りました。 然るに其後は、打絶えて此處を()うたことのないといふ譯は、エロルが歸城した時、折あしく、父君が不機嫌で、ロリデール、パークに、 再び足踏みすることを固く禁じられたからでした。併しロリデール夫人はエロルを思ひ出す度に、 心に優しい情を起し、米國の結婚は向う見ずな所業と思ひはしても、父が斷じて家から切り離して、何處(いづこ)の果に、 どの樣な暮しをしてゐるか分らぬと聞いた時、()しからぬ始末と、ひどく(いか)りました。其中死去した噂を聞き込み、續いて、 不思議に他の二人も卒去(しゆつきよ)したので、米國生れの子供を尋ね出して、新たなるフォントルロイ殿として、 迎へるのだといふことが又聞えました。其時夫人は、夫に向つてかういひました。

大方、他の子供と同然、()しからぬ人間にされてしまふのでせうよ。それとも、お袋が立派な人物で、 正當な教育が出來る丈の確乎(しつかり)した處が有れば好う御座いますが。

然るに、其母をば子供と引別けるのだと聞いた時は、又も言葉もない程に殘念に思ひました。そして、かういつて歎きました。

どうも()しからん、一寸、あなた考へて御覽遊ばせ。 そんな年の行かない子供を、お袋の手を離して、私の兄みた樣な人間の相手に致すツて、 まあ飛んでもない事ぢや御座いませんか?それこそ、子供をみじめに扱ふか、さもなければ、途方もない持餘し者にする迄に、 吾儘放題をさせますよ。手紙でも遣つて忠告して詮が有ればですが……

さうするとサア、ロリデールが、

なに、おまへにそんなことが(やく)に立つものか? エー、どうも無益でせうよ。ドリンコート侯は、 それが(やく)に立つ樣な人物ならば結構ですが、併し、どう考へても、無法な處置ですよ。

小フォントルロイの噂をした者は、貧民や、百姓たち許りでなく、まだ外にも傳へ聞いたものが有りました。其評判する者が多く、又其 姿色(きりやう)の好いこと、氣立の優しいこと、人望のあること、侯爵を左右する權力のあつたことなどに付いて、 一口話の世間に流布(ひろ)まつてゐることが多いので、其噂が田舍住ひの紳士の耳にまで這入りまして、其名の遠く及んだことは、 英國中の一郡一卿に限られませんかツた。宴會の席には人々が其話をし合ひ、婦人たちは其母を憫然(びんぜん)(いたは)り、 其子が評判ほど姿色(きりやう)が好いかなどと心配し、男子(をとこ)たちの方で侯爵の平生を知つてゐる者は、 其息子が御前の慈善心を信じ切つて居る話をしては、抱腹しました。

ある時、アッシャウ、ホールのサア、タマス、アッシと云ふ貴族が、 エールボロを通り掛つて、ふと侯爵が孫息子とも〜゛馬に乘つて居らるゝに出逢ひ、 乘物を止めて、挨拶をして御血色の打つて變つて好くなつたこと、 酒氣症の平癒したことを悦びに申しました。あとで此人が其時の話を人に語つて、

イヤ、其時、御老人も餘程天狗になつて御座つた。併し、さうあらう筈ですよ、 孫どのがあの姿色(きりやう)と品格とぢやあ。僕などもあゝいふのは、とンと見た覺えは御座らんからね。骨柄の立派なこと、 そして小馬に跨つた鹽梅は、丸で騎馬武者かなんぞの威勢でさね。

この通り故、ロリデール夫人も追々に其子供の話を聞き込みました。其話の中には、彼のヒッギンスのことや、跛の息子のこと、 アールス、コートのこと、其外に尚さま〜゛有りました。それ故、どうかして、其子供を一度見度いと思つて居た處へ、突然、城主から、 良人とも〜゛ドリンコートに御來遊あれといふ書状を得て、竝々(なみ〜)の驚きでは有りませんかツた。

誠に夢の樣ですこと、あの小息子がとンと魔法でも遣つたかの樣に、 物事を變へたといふ話でしたが、これを見ると本當かと思ふ樣ですね。 私の兄は子供に夢中で、少しの中も見ずに居られない程だと、人が申しますよ。さうして、餘程の自慢ださうですから、矢ツ張り、 私どもにも見て貰ひ度いのでせうよ。

といつて、早速招待に應ずる旨を申し送りました。

さて夫と共にドリンコート城に逹しました時は、はや夕日が西に入る頃でしたから、直ぐに用意の間に通り、 兄に逢はぬ中に、裝服(みなり)を繕ひ、客間に這入りますと、煖室爐(ストーブ)の前には侯爵の(いかめ)しい姿が見えました。 其側に黒天鵝絨(くろびろうど)の服に、立派なレースの襟飾りを着けた小さな兒が坐つて居りました。 この小息子の丸いさえ〜゛した顏が殊に見事で、夫人に向けた眼がいかにもあどけなく、美しかツたので、驚きと嬉しさとで、 思はず聲をたてました。それから、侯爵と握手する時分に、ともに子供であつた時分から、 絶えて用ゐたことのない幼名(をさなな)を呼びました。

オヤ、モリノーさん、あれがお話の子ですか?
イヤ、カンスタンシャか、その通りだ、これ、フォントルロイ、 貴樣の大伯母のロリデール夫人だぞ。

すると、フォントルロイが、

さう、大伯母さん、御機嫌はいかゞ?

[と]いひますと、ロリデール夫人は、其肩に手を載せ、暫時(しばし)上に(もた)げた顏を眺めてから、 大層可愛いといはぬ許りにキッスをしました。

わたしは、おまへのカンスタンシャをばだよ。おまへのおとうさまは、 わたしの祕藏だツたが、おまへは亦大層よう似ておいでだよ。
僕、とうさんに似てるツて、いはれるの大好きですよ。 だツて、みンなとうさんが好きだツた樣ですもの。かあさんとおンなじこツてすよ、 みンなに好かれて丸でかあさんの通りですね……カンスタンシャをばさん。(と少し口籠つて)

ロリデール夫人は大悦びでした。又も一度下を向いて、キッスをしまして、その時からは、兩人が誠に親しくなりました。 あとで兄に向つて、人知れず、かういひました。

まあ、モリノーさん、こちらで註文したツて、これに越したことはありませんね。

侯爵は、いつもの浮かぬ調子で、

おまへのいふ通りだ、中々見處のある奴で、大分おれとは仲よしだ。 おれを此上もない氣の好い、慈善家だと思つて居るのさ。それはさうと、カンスタンシャ、おれが言はずとも、きツと知れることだから、 先に白状して置くが、實はおれも、あれにかけては、いくらか、子供返りのした老耄(おいぼれ)になりさうなンだ。

ロリデール夫人は例の率直な調子で、

それで、あのお袋はあなたをなんと思つて居ります。

侯爵は少しく眉を(ひそ)めながら、

まだそんなことは、尋ねて見たことはなしだ。
さうですか、先づ遠慮のない處を初めツから申し上げて置きますがね、 わたくしは、どうもあなたの御處置に不同意ですよ。デ、わたくしは早速エロル夫人を訪問する積りですから、 若しあなた御異存があるなら、おツしやつて頂戴したう御座いますよ。どうも評判を聞きますと、子供の人となりも全くあの婦人の教育ひとつで、 あの通りだと思はれる樣ですし、御領内の人民逹も神樣か何かの樣に尊敬してゐるといふ噂が、 ロリデール、パークに居てさへ聞えますもの。

侯爵は(あご)でフォントルロイの居た處を指し示して、

なに、之を崇拜してるのだ。併しエロル夫人も一寸美人で、其 容色(きりやう)を子供に遺傳した丈は、(かたじけ)なく思つて居るのだ。 おまへいつて逢ふなら、差支の有る筈もない。たゞコート、ロッヂに引込んで居つて呉れて、 おれが對面することさへ、御免を蒙れば、それで構ひはないのだ。

と仰しやつて、また少し眉を(ひそ)められました。夫に向つて此後かういひました。

併しね、(せん)ほどはあの婦人を憎んで居ない樣ですよ。 わたくしにそれ丈は分つて居ります。そしてね、あの人も多少變つて居りますよ。 そして、不思議な樣でも、あのあどけない、人懷(ひとなつ)こい小息子のお蔭で、どうかかうか、人間らしくされて行く樣だと思ひますよ。 まあ、あの子が亦虚言(うそ)の樣に(なつ)いて居るのですよ、坐つてる椅子のそばだの、膝だのに(もた)れ掛つたりしましてさ。 兄の子供たちなぞは、虎のそばに寄り添ふ心持でなければ、あんなことは、出來ませんでしたらうよ。

其翌日は早速、エロル夫人を訪問に行きました。歸つてから、兄にかういひました。

モリノーさん、まああの夫人の樣な樣子の好いのに、私は逢つたことが御座いませんよ。 聲といつたら、銀の鈴の樣にさえ〜゛してをて、そして、 あの子をあれまでにしたのは、あの婦人の功名ですよ、よツぽどお禮を仰しやらなくちや。 あなたが仰しやる樣に、姿色(きりやう)の好い處を讓つた位なことぢや有りませんよ。 そして、あなた、勸めてこゝへ入れて、何かの取締をしてお貰ひなさらないのは、 大間違ひですよ。私はロリデールへ呼取らうかと思ひますわ。
あの兒を離れて、どこへ行くものか。
そんならば、あの子も一處に連れて行かなくツちやなりますまいよ。

とロリデール夫人が、笑ひながら言ひましたが、併しフォントルロイは、中々自分に預けられることもないことは、十分承知してゐて、 祖父孫(ぢゝまご)の間がいかにも睦まじく、殆ど離し難いこと、傲慢、頑固な老紳士の將來の希望も、愛情も、一に其子供一身に集つて居て、 無邪氣優愛なる此子供が此上もない信任と忠實とを以て、其慈愛に報いて居つたことと、日に〜承知しました。

その外、今度宴會を催されたのも、自分の孫なり、儲嗣(あとゝり)なりを世の人に示して、兼て人の評判にかゝつた其子供が、 噂に勝る人品(ひとがら)と、人々に知らせ度いが最大目的といふことも承知して居りました。

ビーヴィスや、モーリス(侯爵の子息)は、いかにも外聞のわるい子供でしたからね、 誰も知らぬ者は無いのでしたもの。可愛がるどころではなく、 親ながら憎くなつた樣子でした。それに今度は又、大威張りに威張れるといふのですから。

と夫に申しました。此宴會に招待を受けた人の中で、フォントルロイ殿を見たく思ひ、 此宴會に出席するだらうか、如何だらうかと思ひつゝ、來ない人はない位でした、侯爵は此時に、

行儀はよし、人の邪魔になることなどはあるまい。子供といふは全體馬鹿でなければ、 うるさいものだ。おれのなどは兩方だツた、併しあれ丈は人に物を言はれゝば、 返答もし、さもなければ、默つて居るから好い、人の氣障(きざは)りには必ずならん奴だ。

と仰しやいました。

併し、フォントルロイは、久しく口を開かずに居られませんかツた。みンなが何かしら言葉を掛けては、話をさせたがりました。 婦人たちは可愛がツて、頻りに色々なことを問ひかけ、紳士たちも話しかけたり、冗談を言つたりすることは、 大西洋を渡つた時分と同じ鹽梅でした。フォントルロイは自分が返事する度に、人々が笑ふ樣なのを不思議に思ひましたが、又考へて見れば、 自分の眞面目な時に、人が面白がることは度々あるので、格別氣に掛けはしませんかツた。そして其晩は始めから終りまで、 誠に愉快なことだと思つて居ました。いとゞ壯麗を盡した廣間が、此晩は數知れぬ(あかり)できら〜してをり、花は多く、 人は皆浮々してゐる。婦人たちは身に珍しい見事な着物を着、 (かしら)(くび)には、(きら)びやかな(かざり)を附けて居りました。 其中にロンドンで交際社會の(にぎは)しき(しゆん)を過ごして來た、一人の若い婦人が有つて、其人が餘り綺麗な婦人なので、 人々が目を離すことが出來ない位でした。此婦人といふは、一寸(ちよいと)丈高く、凛として高尚な風采が有つて、 ()は柔く、眞黒で、其さえ〜゛した眼は、紫の遊蝶花(いふてふくわ)の色に似、 頬や脣の色は、薔薇に似て居りました。着物は見事に純白(まツしろ)で、(くび)には眞珠の飾が有りました。此令孃に付いては、 ひとつ不思議なことが有りました。紳士たちが幾人も側に立つて居て、其機嫌をとらうとして心配してゐる樣子でしたから、 フォントルロイはお姫さまの様な人かと思ひ、自分も頻りに引寄せられる樣な心地がして、我知らず、段々側に近づきました。 すると、とう〜此婦人が振り向いて、言葉を掛けました。可愛らしくほゝ笑みつゝ、

フォントルロイの若樣、一寸こちらへ入らツしやいましな。そして、 あなたがそんなに、ぢツと私を見て入らして、何を考へて入らツしやるか伺ひませう。

若樣は一向臆面なく、

僕、あなたがどうも綺麗な人だなと、考へたンです。

といふのを聞いて、紳士たちは一同失笑(ふきだ)し、彼の令孃も少し笑つて、ほんのりとした顏の色が一層 (くれなゐ)になつた樣でした。そして、紳士の中で一番高笑ひをした一人が、

イヤ、フォントルロイ、今の中、言ひ度い事を澤山いふが好い。 今に、成人すると、それ丈の事をいふ勇氣がなくなるから。

フォントルロイは、ます〜無邪氣に、

だツて、誰だツてさう言はずに居られないでせう。あなたなンかに言はずに居られますか? あなた(力を入れ)あの方、綺麗だと思ひませんか?

すると、其紳士が、

僕たちはね、思ふことを言ふのも禁じられてるのだ。

と云ふと、外の者はいよ〜高笑ひに笑ひました。然るに、ヴィヴィアン、ヘルベルトといふ其美人は手を出して、 セドリックを自分の方に引寄せました。そして、なほ〜綺麗に見えました。

フォントルロイ樣は、何でも思しめすことを自由に仰しやつて下さいまし。 そして、あなたのお言葉は、何事もお心のまゝと存じますから、誠に有難く頂戴致しますよ。

といつて、頬にキッスをしました。フォントルロイは感歎に餘るといふ、無邪氣の眼で、令孃を見詰め、

僕はね、かあさんを()ければ、あなたの樣な綺麗な人見たことがないと思ふンです。 だけどまあ、かあさんほど綺麗な人有りやしませんからね。僕、かあさんは世界中で、一番の美人と思つてるンです。
それはさうに違ひ御座いますまいよ。

とヴィヴィアン孃がいつて、又笑つて、頬にキッスをしました。

彼の令孃は其夜宴會の終り頃迄、フォントルロイを側に引きつけて置きましたから、 兩人を中心にしたる一群(ひとむれ)は、誠に(にぎ)やかなことでした。 フォントルロイは、自分でも、どうしてさうなつたか、譯が分りませんかツたが、つい知らぬ中に、アメリカの事、共和黨の集會の事、 ホッブス、ヂックの事を話す樣になり、しまひに、鼻高々とポッケットから出して見せた物は、ヂックの餞別で、 即ち赤い絹のハンケチでした。そして、

今夜はね、宴會だツたから、ポッケットの中へ入れたンですよ。 ヂックが宴會なンかへ持つて出れば、嬉しがるだらうと思つたンです。

そして火の附いた樣な色の、大きな形のある其品は、いかにも無風流にをかしくとも、 あまり眞面目で、懷かしさうに、かういひましたから、聞いてゐる人たちは笑ふことも出來ませんかツた。

ヂックは僕の朋友なンでせう、だから僕、これが好きなンです。

といひました。此通り始終話しかけられましたが、侯爵の仰しやつた通り、 誰の邪魔にもなりませんかツた。人の話をする中は、靜かに聞いてゐることが出來ましたから、 うるさいと思ふ人は有りませんかツた。時々お祖父さまの椅子に近く行つて、 立つてゐたり、間近に有る足臺に腰を掛けたりして、頻りに其顏を打守つたり、其お口から出る言葉を聞き惚れてゐるかの樣に、 一言々々熱心に耳を立ててゐるのを見る人の中に、意味有りげにほゝ笑む人がいくらも有りました。 一度などはお祖父樣の椅子の臂掛に()り掛つてゐて、自分の頬がお肩につく位になりました時に、 一同にツこりしたと氣がついた侯爵は、御自分も少し笑はれました。御自分でも傍觀者たちが、何の心でほゝ笑むかといふことを御承知で、 御自分に付いて世間一般の考へと同じ考へをしても、 決して不審のない此小息子と、左程迄仲の好いのを、人に見せるのが愉快な樣でした。

ハヴィシャム氏は午後に來着の筈でしたが、不思議なことに、此夜は少し遲刻しました。此人物がドリンコート城に出入りを始めて以來、 かういふことは曾て無かつたことでした。餘り遲いので、客たちは待たず食卓に就かうとして居りました所に漸く來着しました。 先づ侯爵に會釋しようとして、近づきました時、侯爵は其顏を打守つて驚かれた樣子でした。 といふは、氏は平常の沈着と打つて變つて、何かやきもきしたものか、さもなくば心が騷立つて居るかの樣で、艷氣のない、 俊邁な其老顏は、實に青ざめてをりました。そして低い聲で侯爵にかういひました。

思はず、遲刻いたしました、非常な事件が起りまして。

物に動じるなどといふは、此嚴格老成な代言人に、至つて(まれ)な事でしたが、 此時は餘ほど非常な出來事と見えました。食卓に着きましても、食物が(のど)を通らぬかの樣で、二三度人に話し掛けられた時も、 よく〜放心して居て、どツきり驚きました。食事も(なかば)過ぎて、フォントルロイが座敷に來ました時には、何か安からぬ樣子振りで、 もぢ〜して見詰めて居たことが、一度ならず有りました。フォントルロイも其顏を見て、不思議だと思ひました。 自分とハ氏とは全體仲が好いので、顏を見合せさへすれば、 互ににツこりするのでしたが、ハ氏は此晩に限つてほゝ笑むのまで忘れてしまつた樣でした。

實は、其夜の中に是非老侯のお耳に入れねばならぬと決した、不思議な凶報の外、何事でも忘れて居つたのでした。其報告といふは、 實に稀有の大事で、萬事の體面を變ずることと、承知して居つたのでしたが、 壯麗な廣間や、華美(はでやか)な集會を見るにつけ、他の事はさて置き、 此見事な若君を見ようが爲許りに、かく賑々(にぎ〜)しく集つて居る處を眺めるにつけ、 傲慢な老貴人を見、其側ににこ〜してゐるフォントルロイ殿を見るにつけ、 自分が世なれて、(なさけ)に負けることを知らぬ代言人で有るにも拘はらず、非常に心を痛めました。自分が今報ぜんとする事一つで、 (まさ)に惹き起さうとする驚歎の恐ろしさよと思つて居ました。

實に山海の珍味を盡して、長々と引延びた宴會に、(はんべ)つたハ氏は、其始め終りが、どの樣で有つたか、 夢路を辿る者の如く、一向夢中でしたが、たゞ侯爵が不審顏に自分を打守つて居られるのに、ふと氣がつきました。

さて、會食も終り、紳士婦人は食堂を離れて客室に移りましたが、其折にフォントルロイは、 近頃ロンドンの交際社會で大評判の美人ヴィヴィアン、ヘルベルト孃と共に腰かけて居る處でした。 兩人は何か畫本の樣なものを見て居た樣子で、フォントルロイは令孃に、これを見せて呉れた禮を言つて居た處に戸が開きました。

僕に深切にして下すツて有りがたう。僕はね、まだ宴會なンかに行つて見たことがないンです。 だから僕大變面白かツたンです。

餘り面白かツた爲か、紳士たちが又々ヘルベルト孃の周圍に集つて、話をし始めたのを聞いて居て、笑ひながらいふことを聞きとつて、 意味を解さうとしてゐる中に、(まぶた)が少しづつ重げに埀れ始めました。殆ど眼が閉ぢてしまふ時分には、ヘルベルト孃の、 低い可憐な笑ひ聲で、呼び醒され〜して、又二秒程も眼を開いて居りました。自分は、決して眠るまいと決心しても、(かしら)は、 後にあつた大きな黄繻子の蒲團に沈む樣に收まり、(まぶた)もとう〜埀れ切りに埀れてしまひました。 久しく過ぎてからの樣に思はれましたが、誰か來て、其頬に輕くキッスをした時でさへ、眼が全くは開きませんかツた。 其人がいふは、とりも直さず、ヘルベルト孃で、歸りがけに、低い調子で、捨言葉をして行きました。

フォントルロイの若樣、御ゆツくりお休み遊ばせ、御機嫌よう。

自分が此時眼を開けようとして、口のうちで、もが〜、

お休みなさい……僕……あなたに、あ……あつて嬉しいンです。あなたは大變……綺麗……

といつたのも、朝になつては知りませんかツた。たゞ此時紳士たちが又何か大笑ひをして、自分では、 何事か知らと思つたのを、朦朧(ぼんやり)覺えて居りました。

さて、客人が一人殘らず立去つた後で、ハ氏は火の側を離れ、 長椅子に近寄つて、そこに()て居る若殿の姿を立つたまゝ眺めて居ました。フォントルロイ殿はゆツくりと休息して居りました。 兩足は()の字になつて、長椅子の端に懸り、片手は(つむり)の上に投げ出した樣に廻り、 其靜かな顏には、ぽツと紅色(べにいろ)がさして居て、(あた)かも健康で、氣樂な幼子(をさなご)の安眠を()に書いた樣でした。 きら〜と光る髮のもつれが、繻子の蒲團の上にさまよつて居る鹽梅などは、實に畫にしても、見事な畫でした。ハ氏は此姿を眺めつゝ、 手を擧げて、つる〜した(あご)を撫でながら、當惑極まる顏をして居りました。

突然、後に老侯の粗暴な聲で、

イヤ、ハヴィシャム、何事だ?何か新しく起つたのだな。 容易ならぬ非常の事件と申したのは、何事か。いつて聞かせるが好い。

ハ氏はまだ(あご)を頻りに撫でながら、長椅子に後を向けて、

御前、凶報で御座ります、非常な凶報で、手前も誠に申し上げにくう御座ります。

侯爵は、最前からハ氏のたゞならぬ樣子振りを見て、安からぬ思ひをして居られたのでしたが、此お方は、心に安からぬことが有れば、 必ず不機嫌なのでした。此時も、心中のいらだちを聲に現はして、

ハヴィシャム、なぜ又其子供を左樣に眺めて居るのだ? 全體最前から眼を離さず見て居るのは……これ、ハヴィシャム、 蛇が小鳥を見込んだ樣に、子供を眺めてゐる理由を申さぬのか? 第一、其凶報がフォントルロイと何の關係があるのだ?
御前、ごく手短かに申し上げませう。此凶報と申したのは、 一切フォントルロイ殿の關係で御座ります。其一條を假に(まこと)と致しますれば、 彼處(かしこ)御寢(ぎょしん)遊ばすのは、フォントルロイ殿ではなく、カプテン、エロルの御子息と申す丈に止まりますので。 實のフォントルロイ殿は、御嫡子ビーヴィス君の御子息で、 現在、ロンドンなる下宿屋に投宿されて居る御方で御座ります。

侯爵は此時兩手に青筋が太々と見える迄に椅子の臂掛を握り締められ、額にも同樣の物が(あら)はれて、其烈しい老顏は、 殆ど赤黒くなりました。そこで大聲に息卷いて、

貴樣は何を申す?亂心でも致したか?さもなくば、だれの詐欺に乘つたのだ?
先づ(いつはり)と致しましても、誠に實際に類した話で御座ります。 イヤ、いかにも苦々しいことで、實は今朝一人の婦人が拙宅を()ひまして、 六年以前に御嫡子、ビーヴィス君が結婚遊ばされた人と申し立て、結婚證明状を持參いたしまして御座ります。其人の申立に、 婚姻の一年程後、御兩人の間に何か口論(いさかひ)が有つた末、とう〜若干(いくばく)金子(きんす)を頂戴して、 お別れ申すことになりましたのださうで御座ります。處が、五歳許りの男子(をとこのこ)を連れて居るので御座ります。其人と申すは、 ごく下等の米國人で、先づ無學な方で、昨今までも、其子供が申し受けらる可き特權の事も存じ寄らなかツた次第で御座ります。 然るに代言人と語り合ひまして、我が子が(まさ)しくフォントルロイ殿で、 追つて、ドリンコート城主たる可き者と承知した(よし)で、そこで、 手もなく、その權利を主張いたすので御座ります。

此時、黄繻子の上なるちゞれ頭が一寸動きまして、()むさうで長い歎息が、 開いた脣からそうツと出まして寐返りをいたしましたが、少しももぢ〜したり、心地のわるさうな處は有りませんかツた。自分が瞞着者で、 フォントルロイ殿でもなければ、ドリンコート城主などに登ることは、 決してないといふ證據が上つて、それが安眠の邪魔になる樣子は、一向有りませんかツた。たゞ嚴肅に其顏を眺めて居つた老人に、其 薔薇(さうび)色の顏を尚よく見せるかの樣に向けました。

老侯の立派な澁いお顏は、見るも氣味わるい樣になり、それで、極く冷たく、毒氣のある嘲笑が見えて居りました。

イヤ、卑劣破廉恥極まる其所業が、ビーヴィスに有りさうなことでなければ、 一言半句も今の話を(まこと)とは信ぜぬが、ビーヴィスには、さも有りさうなことだ。あれは不名譽極まる奴で有つた。 イヤおれの嫡子ビーヴィスほど荏弱(じんじやく)で、不正直で、 卑劣なことの好きな人非人はないわ。其女も無學で賤しい者と申すか。
申すも憚りでは御座りますが、無教育なことは御自身の姓名を記すさへ漸くで、 それで、憚る處なく金錢を見込んで、此申立をするので御座ります。 金錢の外に目指す事も無い樣で御座ります。容貌丈は下品ながら美麗では御座りますが……

嗜好の六かしい老成代言人は、此時口を(つぐ)み、思ひ出したことが有つたと見えて、身震ひいたしました。

老侯の額の青筋は、紫の打紐の如くに太々と現はれ、憤怒極まつて、冷たき汗の滴りさへ見えて居りました。 今、ハンケチを取出して、それを拭ひ、其冷笑はます〜毒氣を帶びて、

然るにおれは、も一人の女を憚つて居たのだ。あれ……あの子供のお袋を、 おれはあれさへ嫁と認めなんだのだ。姓名を記す位は差支へのない方を憎んだが、これが其應報でも有らう。

かういつて、突然椅子から跳ね上り、室内をあちら、こちらと歩き始め、猛烈極まる言葉が其お口から湧き出づるかの樣に發しました。 憤怒と、憎惡(にくしみ)と、非常な落膽とが集つて、暴風が木を震はすが如くに、老侯の一身を震ひ(うご)かしました。 老侯の心の亂脈は見ると恐ろしい樣でしたが、さりとて、猛り立つて、 最も恐ろしい時も、彼の黄繻子(きじゆす)の上に()むれる姿を忘れる樣子はなく、 それを覺す丈の聲をも出されなかツたことは、ハ氏も氣がつきました。

イヤ,さもあらう、あいつら(子供たちのこと)は生れた其初めから、 おれの外聞であつたのだ。おれも、あいつらは大嫌ひで、あいつらもおれを憎んだのだ。其中ビーヴィスは一層わるい奴で有つた。 併し此事はまだ全く信用を置かぬから、こちらも十分探索し通してやらう。だが、考へて見ればビーヴィスには有りさうなことだなあ、 どうもその位のことは有つたことだらう。

かういつて又憤激し、頻りに其婦人のこと、又證據物のことなどに付いて委細に尋問し、 室内をあちらこちらと歩みながら憤激の情を抑へようとしても、顏色は青くなつたり、紫色になつたりしました。 終に一部始終を聞き終つて、そして、ごく心配になる廉々(かど〜)を了知しました時、ハ氏も老侯の爲に氣遣つて、お顏を見た位でした。 此時は最早顏色は、丸で青ざめて、落膽極まる樣子でした。老侯は憤怒を發し給ふ度に、多少身に疲勞を覺えられましたが、 此度は又純粹の憤怒でなく、他の情が加はりましたから、尚さらがツかり弱られたのでした。

終りに長椅子の側に歸り、立ちながら、低いよろめいた樣な、かす〜した聲で、

たとひ人が(あらかじ)めおれに子供を寵愛なさることが有らうなどと申したとて、 容易に信じる處ではなかつたが、おれは全體子供は大嫌ひで、中にも自分のは厭に思つたが、おれは此子丈は誠に可愛く思ふのだ。 あれも亦よう(なつ)いて居るのだ。(といつて苦々しいといふほゝ笑を口元に見せ、) おれは、人望はないのだ。初めから人望はないのだが、此子丈はおれが好きだ。おれを怖がりもせず、いつもおれを信じて居るのだ。 それで此子は、おれよりも立派な城主になつて、 家名の(ほまれ)を揚げることになるであらうと、承知してゐるのだ。

此時腰を屈めて、可愛い寐顏を見詰め、彼のふさ〜とした眉を恐ろしく(ひそ)められましたが、 少しも容貌に烈しい所は有りませんかツた。それから手で子供の額から、きら〜した()を拂ひ()け、 (やが)て、振り向いて呼鈴(よびりん)を鳴らされました。 彼の丈高き給仕がお召によつて立現はれました時、老侯は長椅子を指さし、

それ(といつて、少し調子を變へ、)フォントルロイを寐間(ねま)に連れて參れ。

更新日:2004/04/16

小公子 : 第十一囘


ホッブス(うぢ)は子供ながら朋友と思つた者が、(たもと)を分つて、ドリンコート城に乘り込み、フォントルロイ殿の稱號を取り、 さほど親しき交りをした人を(おのれ)との間をば、大西洋が隔てて居ると、 判然了解する(いとま)がある時分には、よく〜淋しく感じ始めました。實はホ氏といふは才識のある人でも、怜悧な人では有りませんで、 一口に申せば、先づ遲鈍な性質故、知己とても多くはなく、殊に自分の慰みを趣向する丈の伎倆も有りませんでしたから、 先づ新聞を讀むとか、勘定をして見るとかして、精一杯の樂しみにして居ました。勘定調べさへも、此人にとつては容易ならぬことで、 ちやんと合せるまでは餘程暇どるので、石盤と指との兼用で、かなり加法位出來て來たフォントルロイ殿の、居つた時分には、 一寸ホ氏の手傳にもなつたことが有りました。それで、全體、人の言葉に身を入れて聞くたちのフォントルロイ故、 新聞紙上の事柄を大層面白がり、革命とか、英人とか、選擧とか、共和黨とかいへば兩人の談話がいつも長くなるのでしたから、 その去つたあとは萬屋の店が、物足らなくなつたのは尤もなことです。ホ氏はセドリックが遠方へ出立した心持には中々なれず、 どうしても又歸るだらうと思つて居ました。そして、新聞紙を讀んでゐると、 ふと向うに例の白い服に赤の靴下を穿き、麥藁帽子を頭の後に滑らかして、戸口に來て立つてゐる處を見ることが、いつかあるだらう、 そして氣輕な調子で、『イヤアー、をぢさん、けふはよツぽど暑いね。』といふであらうと思ふ樣な心地がして居りました。然るに、 段々と月日がたち、かういふことは一向ないので、ホ氏も餘程ぼんやりして、 つまらなく感じて來ました。昔の樣には新聞紙さへ樂しまぬ樣になり、一枚讀んでしまふと、膝の上に置き、自分の側の彼の丈高き椅子を、 ぢツと眺めてゐることも度々有りました。其椅子の足に見覺えのある疵痕(きずあと)を見ては、 鬱憂(うついう)に堪へられなかツたのでしたが、これこそ、取りも直さず、未來にはドリンコート侯爵たる可き人が其椅子に坐つて、 話しながら兩足をぶらつかせた時分の記念でした。侯爵にならうとする人でも、 腰かけてゐる椅子の足を蹴る癖のあるもので、たとひ、血統は尊く、門閥は立派でも、かういふことなどには(かは)りがないと見えました。 此疵を暫く見てから、例の金の時計を取り出し、蓋を開けて、『ホッブス樣へ、舊友フォントルロイより、是れを見て僕を記憶し給へ。』 と書いてあるのを見、また暫く眺めてから、ぱちんと音をさせて、蓋を閉ぢ、大嘆息をして、それから、席にも堪へにかの樣に、 ()ちて戸口の林檎の箱と馬鈴薯(ぢやがたら)の樽との間にたゝずんで、 通りの當途(あてど)もなく見て居りました。夜に入つて店を閉づれば、 吸附煙管(すいつけぎせる)(くはへ)へ、敷石のしてある通りを氣のなささうな歩き方をして、 元、セドリックが住まつて居た家の前に來て、相變らず、『かし家』と張札のある側につツ立つて、 よく〜之を眺め、(かしら)を振り、煙管(きせる)をすツぱ〜と吸ひまくり、暫くするとは又不勝々々に家路をさして歸りました。

セドリックの出立後二三週間も、この通りにして居て、何も新しい考へは起りませンでした。元來遲鈍な(たち)故、 新しい考へを出すまでには、中々長くかゝつたのでした。そして一體新しいことは嫌ひで、(ふる)いことの方を取る風でした。 併し、二三週間もたつ中に、段々淋しさも(いや)増して、爲すことに實が這入らなくなる時分、そろ〜新たな工夫を致しましたが、 これが又此人にとつては、容易ならぬ思付で有つたのでした。その事は別段でもない只ヂックに逢ひに行かうといふことでした。 此決着に到るまで、吸殼を驚くほどいくつも拵へ、そして漸くに、それと決着が出來たのでした。『さうだ〜、ヂックに逢ひに行かう、 セドリックの話に、(くは)しく聞いてゐるヂックに。』と考へて、其目的はと問へば、昔を(はな)し合うたら、ヂックに逢ふも結句、 心遣りにならうといふことでした。

そこで、ある日のこと、ヂックが顧客(とくい)の靴を精出して磨いて居りました時、 顏はどんより、(かしら)はぴか〜、(せい)の低い、ずんぐりした人が敷石の上に(たゝず)んで、 ヂックの看板を二三分間も、しげ〜見て居りました。餘り長く(たゝず)んで居るので、 ヂックの方も大方客であらう、うツかり出來ぬと見て、ある顧客(とくい)の靴を磨き終るや否、

旦那、一つやりませうか。

といひますと、其ずんぐりした人が、ぽく〜近よつて來て、足臺に片足載せました。

アヽ遣つておくれ。

といつて、ヂックがすかさず仕事を始めると、其ずんぐりが、ヂックを見ては看板を見、看板を見ては、 ヂックを見まして、(やが)て、

おめえ、あれはどうしたんだ。
あれですか、あれはね、ともだちに貰つたンです。小さい息子に、みンな揃へて貰つたンです。 あんな子なんてあるもんか、今イギリスに居るンです。華族になりに行つたンでさあ。

此時ホッブス(うぢ)は、例のどんよりした調子で、

何か、それ、あの……フォ……ムー……フォ……フォントルロイ殿ツて言つて、 あとで、ドリンコート侯爵になるのぢやねえか?

ヂックはかう聞いて、刷毛(はけ)を落しそくなひました。

なんでい、旦那も知つてるンか?

ホ氏は熱くなつて來て、額を撫でながら、

おれなンか、あれが生れるときから知つてるんだ。 終生の朋友(ともだち)なんだ、あれとおれは。

この話をするにどうやら、心がどきつく樣でしたが、ホ氏はポッケットから、彼の立派な金時計を出し、 之を開いて、ヂックに、かぶせ蓋の中を見せました。

なあ、そら、『これを見て、僕を記憶し給へ。』とあるだらう。それが、あれからおれへ呉れた置形見なンだ。 『僕を忘れちや厭ですよ。』なンていつたツけが、なに、おれは何ひとつ呉れねえツて、 あとは影も形も見ることがねえツて、忘れるどころぢやねえンだ。 (といつて(かしら)を振り、)誰だツてあんな奴忘れられねえわ。

すると、ヂックが、

旦那、わたしもあんな好い奴見たことがねいンです。せいから、 よツぽど硬骨(ほね)のある奴です。おらあ、あんな、(ちつ)ちえい子に、あんなに硬骨(ほね)ののあるのを見たことがねえんです。 わたしも大變と好きで、兩方から仲が好かつたンです。あの小せいのとおらと、初めツからだツたンです。一度ね、 馬車の下から(まり)を取つて遣つたンです。それをいつまでか、忘れねえンでね、お袋だの、(もり)だのと、こけい來ちや、どなるンだ、 『イヤー、ヂックかえ。』ツて、丸で成人(おとな)の樣にさ。膝からいくらもなくツて、女の着るもん着てゐた時分さ。 ていげい威勢の好い奴で、何かが(うま)くいかねえ時分にや、何か言葉でもかけられると、氣色が直る樣でね。
それよ、それに違ひねえンだ。あんなの、侯爵にするなンて、勿體ねえ話よ。 萬屋か、乾物屋でもさせて見ねえ、どんな立派なもんになつたか知れねえわ。とんでもねえ立派な者によ。

といひながら、遺憾千萬といふ調子で又(かしら)を振りました。

兩人が話し合つて見れば見るほど。話が盡きない樣で、(とて)も一度には六かしき處から、いツそ明日の晩、 ヂックがホ氏の店に出掛けるといふことになりました。ヂックは大悦びでした。此兒は生れ落ちると直ぐから、 あちらこちらと流浪して歩きましても、惡いことは、したことがなく、も少し上等な生活がして見度いと、 心の中に始終願つて居りました。自分が獨立の職業に就てから、野宿丈は止めて、屋根の下に雨露を凌ぐ丈になりましたが、 も一層生活の度を進め度いと、思ひ始めて居た處でした。それ故、角店の主人(あるじ)で、 其上に馬と荷車とを置いた一廉(ひとかど)の商人に招待されるといへば、容易ならぬ名譽の樣に思ひました。ホ氏が此時、

おめえは、侯爵だの、城だのといふこと何か知つてるか? おれはもツと(くは)しいことが、知りたいと思ふンだ。
なんい『一錢小説』ツていふ新聞に、そんな話が出て來て、わしらの仲間で、買つて讀んでる人がありますぜ。 中々おもしろいでさあ。
フン、さうか、おめえ來る時、持つて來ねい。おれが代を拂ふから、 侯爵のことが書いてあるンなら、どれでもみンな持つて來るが好いぜ、侯爵のが無けりやあ、伯爵でも、子爵でも好いや。だが、 あれは伯爵だの子爵だのツていつたことはねえ樣だツけよ。いつか兩人(ふたり)(かんむり)の話をしたツけが、あいにく、 又おれが一度も見たことがねえもんだから、こけいらにやあ、丸でねいもんの樣だね。
大店なンかにあ、ありさうなもんですがね。だが、わたしらあ、 見たつて知れねいだらうと思ふね。

ホ氏は自身にも、どうも見て、それと見分けがつくまいとは、 明言しませんかツたが、たゞ樣子有りげに又も(かしら)を振りました。

たんと、人が買はねいンだらう。

といつて、其話はそれ切りになりました。

これが縁となつて、此二人は續懇(ぞくこん)朋友(ともだち)となりました。 ヂックが彼の店に來ます時は、ホ氏はいつも歡んで迎へまして、林檎樽のある(ほとり)の、戸の(そば)に寄せかけてある椅子に招じ、 ヂックが腰をかけた時分に、煙管(きせる)を持つた手で、中の林檎に指さしをして、

おめえ、勝手に食ふが好いよ。

と愛想しました。それから、例の小説新聞を讀み、あとは英國の華族の話をするのに、ホ氏は頻りに煙草を吹かし、 頭を振りました。格別、深い因縁(いはれ)(きず)を足に持つた、高い椅子を指さす時などには、最もひどく振りました。そこで、 言葉に力瘤を入れて、

それ、あそこにあるのが、あれの蹴つた跡だわ、まがひもねいあれの靴の跡なんだ。 わしはぼんやりいつまでも眺めて居ることがあるンだ。なる程、世の中の浮沈とはいふが、そこへ坐つて、箱の中から菓子パンを出して食ひ、 又樽の中から林檎を出して食つて、(しん)を外へ投げた者が、今となれば、華族で、お城住ひだなンてな、して見ると、 あれも華族樣の足の跡だぜ。追つては侯爵さまの蹴跡になるんだ。 色々獨り考へてな、『たまげたあこつた。』ツて言つてるのよ。

この通り繰返し〜昔を語りつゞけて居て、ヂックが尋ねて來るのが何よりの慰みらしいのでした。 ヂックを宿に歸す前に、後の小さな室で共に食事をするに付けて、店から菓子パンや鑵詰物を運びまして、ヂックにも馳走をしました。 終りにホ氏は生姜の沸騰水を二瓶持つて來て、(うや〜)しくこれを開き、コップ二つにあけて、

さあ、これであれを祝はう。それでどうかしてあれが行つた爲に、 侯爵だのお伯爵だのといふ奴たちを、すツかり改良すれば好いなあ。

其夜は先づそれ切りで(たもと)を分ちましたが、其後も兩人はしば〜出逢ひまして、ホ氏も淋しさを減じて、慰めを得ました。 二人して一錢小説や、外に面白い物を讀み、貴人、華族たちの風俗を知る樣になりました。 併し其風俗といふものは、この通り輕蔑された人々が、若し聞き知れば驚く程、法外な話でした。ある日ホ氏は書物を買はうとて、 わざ〜下町の本屋にと出かけました。さて帳場に坐つて居る番頭に向ひ、

もし、侯爵の事の書いてある本が欲しいンだ。

といふと番頭が不審さうに、

なんです?
なに、侯爵の事が書いてある本が欲しいンだ。

番頭は妙な顏をして、

お氣のどくさまですが、さういふ物はおあいにくです。

すると、ホ氏が、心配さうに、

さうか、そんなら伯爵でも、子爵でも好いわ。
どうも、さういふ本は存じませんな。

ホ氏はこゝに至つて、餘程心痛いたしました。先づ下を見、又上を見て、

それぢや、女の侯爵のこツても好いが、それもないのか?

番頭は可笑しさをこらへて、

どうもおあいにくですな。
おいらあ、たまげツちまツた。

と此時ホ氏が言つて、どし〜店を出ようとした時、番頭が一寸と呼びとめて、 華族が重立つた人物になつてる小説で、間に合ふか、と尋ねました。ホ氏は推ツ通し侯爵の事が書いてあるのが無いとならば、 それでも間に合せるといひましたに付いて、エーンスウォスといふ人の書いた、 『ロンドン府の牢獄』といふ小説を一册賣りまして、ホ氏は先づこれを持ち歸りました。

そこで、ヂックが來ました時、それを讀み始めました。これは珍しく、ごく面白い本で、血塗(ちまみ)れメレと仇名された、 英國の女王の、名高き治世中の話でした。そして、ホ氏がメレ王が薪木(まき)を割るほど無造作に、 人の首を刎ね、或は人を拷問に掛け、又は生き(なが)ら燒いたことなどの所業を聞いては、 非常に心配し始めました。先づ絶えず口にあつた煙管(きせる)を出して、 ヂックの顏を呆氣にとられて見詰めて居りました。それから顏から流れる汗を拭ふとて、赤いハンケチをポッケットから出しました。

それぢや、あれも危えぢやねえか。險難々々(けんのん〜)、女なンどが位に坐つても、 そんな指圖をするんぢや、今どんなことになつてるか知れやしないぜ。大丈夫どこぢやねえわ。そこに書いてある女の樣なのが、 怒り出した日にやあ、誰だツて危くねえ者はねいぞ。

ヂックも多少心配らしい顏をしながら、

だがね、今切り廻しをしてるなあ、この女ぢやないンですぜ。ほれ、 今のはヴィクトレとかいふンで、此本にある奴あ、メレちいひましたらうが。

ホ氏はまた額を頻りに(こす)りながら、

さうだツけな、さう〜。拷問だの、焚殺(ひあぶり)だのツていふことは、 新聞にもねい樣だな……それでも、そんな、へんてこれんな奴らと一所になつてれば、 なんだか、あれも險難(けんのん)の樣だな。なんと聞きねい、 七月四日祭(フォース・ジュライさい)せい、守らねい樣な奴ださうだぜ。

此後、數日間、ホ氏は心中誠に安からぬ思ひをして居りました。そして、フォントルロイから來た手紙を、幾度か自分にも讀み、 又ヂックにも讀み聞かせ、同時にヂックに來たのを讀むまでは、容易に心が落着きませんかツた。

併し兩人とも貰つた手紙を、何より珍重し、二人して繰返し〜之を讀み、一字々々が樂しみの樣でした。そして自分たちの送る返事も、 幾日もかゝつて書きまして、貰つた手紙ほど幾度も讀み直しました。

ヂックが返事を書くのは中々容易なことでは有りませんかツた。自分が讀書を覺えたのは、自分の兄と同居してゐて、 夜學に通つて數月間に習うた丈でしたが、鋭敏(するど)い子でしたから、其暫時に得た知識を利用して、新聞紙を拾ひ讀みしたり。 敷石や、塀や、垣根に白墨の切れで手習ひをしました。それでヂックは自分の履歴話を、ホ氏に委細話したことが有りましたが、 自分のまだ小さい中に母が歿して、其後は兄が隨分深切に保護してくれたのでした。尤も父は其前になくなってしまったのでした。 兄の名はベンといひまして、ヂックが(やゝ)成長して、新聞賣りになるまで相應な世話をして居りましたが、追々 成人(おとな)になつて、役に立つ樣になる中に、ベンも可なりな生計(くらし)を營むやうになり、 一寸した店に奉公住みする程までに立身致しました。この話をして來て、こゝになると、ヂックが愛想の盡きたといふ顏付をして、

それから、旦那、家兄(あにき)は嫁なンか貰やしなけや、よかツたんよ。 なんだか、女にのろけて、馬鹿見た樣になつてね、それで、とう〜嫁に貰ツちまつて、 裏屋で世帶を持ツちまつたンです。其女ツていふのは、またしやうがない奴で、 丸で暴れ猫みた樣なんでね、機嫌の惡い時なンぞにや、何でもびり〜引ツさいてね、さうして、いつだツて、おこつて居ない時はねいンでさあ。 丁度又自分の通りな赤ンばうが有りましたツけよ……夜晝鵝鳴(がな)りツ通してね、 それで、わたしに(もり)をさせてね、鵝鳴(がな)るたあ、わたしに何でもとつて、放りつけるんでさあ。一度なンか皿あぶツつけると、 丁度赤ンばうに當ツちまつて……(あご)(きず)拵へちまつたンです。 醫者が、なんでも死ぬまで癒るまいつて、言ひましたツけよ、イヤアーとんだお袋だツたんでさあ。 家兄(あにき)とわたしと其小坊主と三人して、イヤ大騒ぎをやらかしましたツけよ。 全體、其女は家兄(あにき)が早く(ぜに)をこしれいねいツて、怒るンだ。それだもんだから、牧畜をやるだツて、相手を拵へて。 西國(さいこく)の方へ出てツちまつたンです。すると一週間もたたねいに、 ある晩、わたしが新聞賣つて歸つて來る、見ると戸に錠が下して有つて、 内は空ツぽになつてる、隣のおばあが、おミナは行ツちまツたツていふンです。逃亡したンです。誰だツけか、子供のある奧樣に附いて、 海を渡つて遠國へ行ツちまつたンだツて言ひましたツけ。それからツていふものは音信不通さ。家兄(あにき)にだツて、 一向音沙汰なしなんでさあ。わたしなら、心配なンかしてやりもしねいが、流石家兄(あにき)も、たんとしねい樣だツたンです。だが、 初めは丸で首ツ丈で、夢中になつてたツけ。だが着物でも着せないツて、怒つて居ねい時なンかは、餘ツぽど綺麗な女でしたツけ。 眼ツてば、眞黒で、でツかくツて、頭髮(かみのけ)ツてば、矢ツ張り、 眞ツ黒で、膝ンとこまでもあるんだ。なんでも、編めば男の腕ぐれい太くなつてね、 それを頭中ぐる〜捲いてたツけ。眼なンてば、なんかの珠玉(たま)の樣にてか〜してたツけ。 なんでも、半分はイタリヤ(だね)だなンて、いふ人が有りましたツけ…… お袋とか(おやぢ)とかがあつちの方から來たンで、それで妙な處が有るんだなンてね。 どうも、そんなもんか知れないと今ぢや思つてるンです。

時々此女と自分の兄のこととの話をホ氏にしましたが、兄が西國へ行つてからも、一二度は手紙も來た樣に言ひました。 ベンも中々好い運に有りつかず、此處、彼處(かしこ)徘徊(うろつ)き廻りました。 併しヂックがホ氏と知己になつた當時には、カリフォルニヤ州の牧畜場に這入つて働いて居ました。

家兄(あにき)もあの女にすツかり、骨を拔かれツちまつた樣なもンで、 時々わたしも可哀さうになつて來たンです。

此時二人は、相變らず、戸口に坐つて居て、ホ氏は煙管(きせる)に煙草をつめて居ました。 それで、マッチ箱を取るとて、立ちながら重々しい調子で、

全體、嫁なンぞ貰はなければ好いンだい、女なんぞ。 わしなンぞは、あんなものはどこは好いンだか、さつぱり分らねいな。

さて箱を開けて、マッチ一本出さうとするはずみに、足を止めて、帳場を見ると、

ヤア、手紙が來てるの、ちツとも、知らないでゐた。わしが氣がつかん時に配逹が置いてツたらうか。それとも、 新聞が今まで載ツかツて居たンだらう。

さて手にとつて(とく)とこれを見て、びツくり聲に、

イヤ、あれから來たンだ、ちげひねえンだ。

そこで、すツかり煙管のことは忘れて、息急(いきせ)きしながら、 元の椅子に歸り、懷中ナイフを取り出して、封筒(ふうじぶくろ)を開き、

こんだは何の便りだかな?

といつて、開いて讀んだ手紙は此通りでした。

大急ぎで一筆(ひとふで)したゝめ候 それは大變珍しいことができてをぢさん聞きなされば驚きなさるとおもふからに候。 (せん)からのことはみンなまちがひで僕華族ではなく侯爵にならずとも好いのに候 僕の伯父さまでビーヴィスといふ人の嫁になつた婦人が子ども一人持つて居り候 そして其兒がフォントルロイ殿で御座候 英國では侯爵のそうりやうのむすこがいつでも侯爵になるので御座候 みンな死ねばで御座候 とうさまやぢいさまが死ねばで御座候 僕のおぢいさまは死なないけれどをぢさまは死んだので御座候 それ故をぢさまの兒がフォントルロイ殿で僕はさうでなく候 それは僕のとうさまは末のむすこであつたからで候 僕の名はニューヨークに居つた時と同じでエロル、セドリックと申すのにて候 そしてなんでもみンな其兒の物になるのに候 初めは僕の車や小馬もやらなければならないのかと思ひ候 併しおぢいさまは遣らずとも好いと仰しやり候 僕のおぢいさまは大變こまつてお出なさり候 そして其婦人が好きでない様だと思ひ候 併し僕が侯爵になられないから僕と僕のかあさんが厭だらうと思つて入らツしやるのかも知れず候 僕は初め思つたよりか今侯爵になるたく候 此お城は大變綺麗で僕みンなが大變好きだからで候 そして大層金があれば色々のことができるからで候 併し僕はもう金持ではなく候 なぜといへばとうさまが末の息子ならば誰でも金持ではなく候 僕母さまを世話できるやうに働く積りで御座候 僕ウィルキンスに馬丁(べつたう)の仕事のこと尋ね候 僕馬丁(べつたう)か御者になるかも知れず候。 あの婦人は子供をつれてお城へ參りおぢいさまとハヴィシャムさまとが逢つて話なさり候 あの婦人は怒つたのだらうと存じ候 大きな聲で話をいたし候 僕のおぢいさんも怒りなされ候 僕おぢいさまの怒つたの始めて見たのに御座候 みンながあんなに怒らなければ好いと存じ候 僕はをぢさまとヂックにすぐ話さうと思ひ候 其譯はあなた逹が聞き度いだらうと思つたからに候 この手紙はこれ切りでやめ申候
     舊 友
       エロル、セドリック
     (フォントルロイ殿ではなし)
  愛する
     ホッブス樣

ホッブス(うぢ)は椅子にどツかと(もた)れ、其手紙が膝の上に落ち、 懷中ナイフは床の上に滑り、封筒(ふうじぶくろ)も同じく下に落ちました。

フーン、おらあ呆れけいツた!

と鐡砲を放す樣に言ひました。餘り動じ樣がひどいので、歎息の聲まで平生とは違つて居ました。ヂックは側から、

そんなら(そう)破裂なんですね。
イヤ、大破裂だ、だが、わしはあの子が米國人だといふので、 權利を奪はうツていふンで、何でも英國の貴族めらが仕組んだこツたらうと思ふンだ。 あの革命以來わしらの國に對して怨みがあつてたまらん處だから、 今あの子に意趣がへしをするんだらうぜ。わしがなんでもあれが險難(けんのん)だツていつたが、 それ見さツせい。ひよツとしたら、政府がみンなかゝつて、 法律の上であの子のと(きま)つた物を取らうといふのかも知れねいぜ。

ホ氏は大層心痛の(てい)でした。最初にセドリックの境遇の變るのが不贊成でしたが、 近頃は追々思ひ直す處も出來、殊にセドリックに手紙が來てからは、自分の舊友と思ふ者の出世を内々自慢に思ふ位になつたのでした。 全體侯爵といふ者は相變らず、嫌ひでしたらうが、米國にても金といふものは、かなり調法なものでしたから、 財産や、段々聞き傳へた豪勢なことが、爵位に伴つて行くものならば、其爵位のなくなるのは多少の迷惑だらうと思つたのでした。

なんでも、あの子につくものを、うばはうとしてゐるにちがひねえ。 金のある人がちツと世話やいてくれゝば好いになあ。

そして、其夜はヂックを遲くなるまで引きとめて置き、歸る時には角まで送つて行きました。 そして歸る途には例の空家の前に立ちどまり、非常に心配しい〜煙草をふかして、『かし家』の札を(やゝ)暫く眺めて居ました。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第十二囘


ドリンコート城で彼の宴會が有つて幾日も經ぬに、英國中凡そ新聞紙を讀む人で、 此お城に新たに起つた、小説めいた話を、知らぬ者は有りませんかツた。 實に此一條を其まゝ巨細(こさい)に話せば、隨分面白味のある小説になりました。 第一、フォントルロイ殿として英國へ迎へられた米國生れの小息子のことが有りましたが、 これは容色(きりやう)人品(ひとがら)も尋常でない樣に評判されてゐて、 はや人の望が一般是に歸して居りました。第二に、儲嗣(ちよし)に付いては大自慢の老侯が有り、 又第三には、カプテン、エロルと結婚した爲に受けた不興が今に解けぬ、 彼の若い美人の母のことが有りました。其上今や世にない先のフォントルロイ殿なるビーヴィス君の、 初めて(あら)はれた結婚のこと、誰も見知らぬ其夫人が急に子供を連れて立ちあらはれ、 我子こそ(まこと)のフォントルロイ殿ぞと權利を主張するといふのですから、 段々との[誤?:段々とその]事件をしやべりたて、書きたてまして、世間では一方(ひとかた)ならぬ騷動をして居ました。さうかうする中に、 ドリンコート城主が此度(こんど)起つた事件と其成行とに(すこぶ)る不滿で、言立に對して法律上控訴されるに付いては、一大 公事(くじ)になるかも知れぬといふ風評が、()いで聞えました。エールボロの村のあり(こほり)中に、 曾て是程の騷動の起つた(ためし)は有りませんかツた。市日(いちび)などには、成行はどうであらう、かうであらうの話をする人々が、 群をなして居りました。百姓のかみさんたちは、聞いたこと、思ふこと、又人が思つてゐると推することまでも、互にしやべりくらべして、 樂しまうが爲に態々(わざ〜)茶呑に朋輩を招きだてする位でした。 侯爵の憤怒の事、新たなるフォントルロイ殿を、それと認めまいの強情に付いて、原告の母なる婦人に對しての憎惡(にくしみ)などに付いては、 さま〜゛珍奇(めづら)しい噂話(うはさ)をいたしました。併し話の最も多いのは、矢張り、彼の荒物屋のおかみさんで、 以前より亦一層繁昌いたしました。

彼の婦人の言葉に、

イヤハヤ、飛んでもないことになりさうですよ、 さうしてそんなことは大きな聲ぢや言へませんがね、あんな可愛らしい人を意地わるく、 子供まで取り上げてしまつた(ばち)ですよ。でも、おまへさん、其子が又可愛くつて〜、祕藏で〜自慢で〜しやうがないもんだから、 こんどのこツて、丸で狂氣の樣ですと、それにねい、おまへさん、こんどのは(せん)の若樣のお袋さんとは大違ひで、 お品も何もない女ですと。何だか、シャアツクで、眼玉の黒い變なンですと。だもンですから、制服を着て務める位の身分の者が、 あんなもんに遣はれるのは外聞がわるいツてね。それでお(やしき)に這入るツていふのなら、 おれは直ぐと退()くなンていつてましたよ。それに、こんどの子ツていふのは(せん)のと較べれば、月と(すつぽん)といはうか、 まあ(とて)比較(くら)べ樣もない樣なンですと。そこで、おしまひにはどんな騷動がおツぱじまるか、 何時(いつ)(かた)がつくこツたか分りませんよ。わたしツてばね、ヂェーンが來て、其話をする時なンか、肝が潰れて、 さはつても倒れさうでしたよ。

城中でも上から下まで騷ぎでない處はない位でした。侯爵とハ氏とが協議して居られた書齋にも、タマスやパン燒や、 他の僕婢(ぼくひ)たちが引も切らず、噂をしては囁き合ふ僕婢(ぼくひ)の部屋にも、 ウィルキンスが鬱憂(うついう)極まる顏色で仕事をしてゐる(うまや)にも同樣でした。 ウィルキンスは例の茶色の小馬をとり別け、丁寧に世話をし、御者に向つて悄々(しを〜)と、

おらあ、あんなに造作もなく馴れツちまツて、あんなに威勢の好いのに馬術(うま)、をせいたこたあねえんだ。 あゝいふンなら後から供をしてツても、心持が好いや。

といひました。併し此大騷動の眞最中に、ごく靜にして、一向狼狽もせぬ人が有りました。其人といふは、 最早フォントルロイ殿でもなんでもない樣に思はれて來たフォントルロイ殿で、初めに事情を明細に説き聞かされた時は、少しく心配にも、 亦當惑の樣でも有りましたが、併しこれとても、出世の大望が外れた爲では決して有りませんかツた。

侯爵が彼の一條で話し聞かせられてゐる間は、膝を抱へ(なが)ら低い臺に腰かけてゐましたが、 これは精神()の這入つたことを聞く時分、いつもする癖で有つたのでした。 其話の終る頃には、平常にないまじめになりました。そして、

僕、なんだか變な心持がしますよ。なんだか……變です。

といひました。侯爵は沈默に子供を見て居られました。御自身のお心持も變でしたが、實際生涯に、 かういふ變な心地がした(ためし)がない位でした。そして、いつも、さも嬉しげな可愛い顏が、今日に限つて當惑さうなのを見て、 尚さら變に感じられました。此時セドリックは少し震へた樣な心配さうな聲で、

あの人たちがかあさんの家だの、あの……馬車だの、とつてツてしまふでせうか?
なに、そんなこと、(と侯爵さまが聲高に、)何もとつて行くことは出來んのだ。

セドリックは先づ一安心といふ調子で、

アヽ、さう?とつてけないンですか?

さういつて、お祖父樣のお顏を仰向いて見詰め、少し掛念する事がある樣子で、大きな眼を(うる)ませながら言ひかけて、 尚こは〜゛に、

あのあつちの子ね。お祖父さま、あの……子がこんどツから……お祖父さまの ……あのお祖父樣の子にならなくツちやならないンでせう……あの今までの僕みた樣に。
なに、そんなことがあらう!

と仰しやつた侯爵のお聲が餘り(たけ)しく、大きかつたので、セドリックは飛び上るほどびツくりしました。

あれ、さうでもないの!(と不審さうに、)さうならないンですか。 僕、さうかと思つたンですよ。

といつて、急に腰かけを離れ、

僕、侯爵にならなくツても、矢ツ張り、お祖父さまの子なンですか? (せん)の通りにお祖父さまの子?

といつた顏が(くれなゐ)で、そこに、返事を待つ一心が現はれて居ました。

どうもこの時の老侯が、頭から足の先まで、セドリックを御覽なさり樣といへば、實に非常でした。彼のふツさりした眉の寄せ鹽梅といひ、 其下の(くぼ)い眼の光り樣といひ、實に平生と違つて居りました。

おれの子かなンて、おれの息のある中は貴樣はいつまでもおれの子だ。 それに貴樣の樣に、おれの子だと思つたのは、他に誰もない氣がするンだ。

と仰しやつた聲いろが、非常に震つた樣で、ちぎれ〜の樣で、(しはが)れた樣で、前よりも殊さら一層きつさうに物を仰しやつても、 侯爵らしい處は有りませんかツた。セドリックの顏は頭髮(かみのけ)の根まで赤くなりました。 心の落着と嬉しさとで赤くなつたのでした。そこで兩方の腕を深くポッケットの中に突込み、 お祖父さまのお顏を、此度(こんど)は一向怖氣なく見上げて、

お祖父さま、ほんたうにそんな心持がするンですか?ぢや、僕、侯爵だの何だのツて、 そんなこと、どうでも好いですよ。僕、侯爵になンかならなくツても好いです。 僕ね、かう思つたンです、あの侯爵になる子の方がお祖父さまの子にもなるのかと思つたンです。 ねい?さうすれば、僕さうぢやないンだなツて思つたンです。だから、僕、變だツたンです、ねい?

侯爵はお手を其肩の上に載せて、自分の方にずツと引きよせ、太い息をつきながら、

おれの力の及ぶ丈は、何も彼も抑へて、取らせはせん。おれはまだ信ぜん。 あいつらが貴樣の物に、手をつけることが出來ようとは信ぜん。どうしても、 貴樣には此位が備つてゐるのだ。それで矢ツ張り、貴樣のになるかも知れん。 だがな、何事が有らうと、おれの力にいきさへすれば、何もかも貴樣に遣るぞ、一切遣るぞ。

かう仰しやるお聲とお顏とに非常な決心が現はれてゐまして、丸で子供に物を言つて居られるとは、思へない樣でした。 我と我が心に誓約(ちかひ)をされるかの樣に聞えました。そして實際さうで有つたかも知れません。

今が今まで、どれ程までに、子供を寵愛し、どの位自慢で有つたか、御自分でも御承知がなかつたかの樣で、其屈強な處も、 美質のある處も、容色(きりやう)の立派さも、是程とはと、今さら眺められる樣でした。其頑固極まる性質にとつては、 左程堅く心に決めたことをやめるといふことは殆どなし難い、一體左樣なことはない筈としか思へませんかツた。それ故、 よし權利を人手に渡すにしても、十分遣合うてからでなければと、斷然決心されたのでした。

ハ氏に面會した數日後に、フォントルロイ夫人と言ひ立てた婦人が、お城にと推參して、彼の子供を引連れて居りました。 併し早速に追ひ返されました。取次に出た給仕が、侯爵さまは面會お斷りで、出入の代言人に、委細取計はせるで有らうと申し傳へました。 (かみ)からのお取次をしたのは、彼のタマスで、あとで、僕婢(ぼくひ)の部屋で、滔々と此婦人に付いての考へを陳述しました。 タマスの言葉に、

わしは華族方のお(やしき)で、制服勤を長らくしたお蔭には、此婦人が、 どの位に品のある者か、知れないでたまるもンか。それで、 あの女が貴婦人だといふなら、わしの女を見る眼は腐つて居るツていふもンだ。

といつて、一層自慢らしく、

憚りながら、あのロッヂに居る方は、そりや、アメリカ生れだらうが、さうでなからうが、 あれこそ、本當の品のある方よ。片眼しか開いてないだツて、その位はこちとらにやあ知れらあ。 それだから、あそこへ初めて行つた時、ヘレンにさういつたンだ。

姿色(きりやう)こそは好けれ、下卑た其顏を、怖々ながら、恐ろしい權幕にして、此女は(よんどころ)なう引き返しました。 ハ氏は段々と度々面會する内に、此女が非常な癇癪で、行儀は粗暴に(いや)しく許り有つて、 談判は中々器用に行かず、又存外度胸も坐つて居ないといふことを發見しました。時としては、自分ながら大層な請求をし始めたと、 我ながら氣おくれのする氣味があつて、どの道、これほど攻撃を受けようとは、夢にも知らなかツた樣子でした。 ハ氏がエロル夫人に此女の樣子をして、かう言ひました。

此婦人といふは(まさ)しく、下等社會の人間で御座ります。 何事にも、教育とか、躾とかいふものは、皆無の樣子で御座りますから、われ〜どもと相對して、同等の交際をする(すべ)さへ知らず、 自分も途方にくれる鹽梅が見えてをります。お城に推參しても、餘程毒氣を拔かれたものと見えますて。イヤ恐ろしい權幕で腹をたてても、 餘ほど毒氣を拔かれて居るのです。侯爵は面會はお斷りになりましたが、手前がお勸め申して、投宿して居る宿にお連れ申したのです。 先づ侯爵がお入りになるのを見ると、肝を消しましてな、眞青になつたと思ふと、(にはか)(たけ)り立ちまして、 息もつかず(おど)して見たり、請求をしたり、イヤハヤ、大騷動で御座りました。

此時の實況を申さば、侯爵が先づ(いかめ)しい貴族的の(がう)の者の如くに、 つか〜と大股に室に踏み込み、突立つたまゝ秀でた眉の下からぢツと女を見詰めながら、 敢て一言もおツしやらなかつた鹽梅は、何か、極く忌はしい物ながら、珍奇(めづら)しさに、見る眼を離されぬといふ調子で、 只頭の(さき)から足の(さき)まで、と見かう見して居られました。 そして、自分は一向口を開かず、其女が疲れ果てるまでしやべらせた後で、

貴樣はおれの長男の女房ださうだ、まツこと、貴樣のいふ通りで、 證據が(たしか)ならば、是も非もなく、法律上、貴樣の方が勝利だ。萬一さうとすれば、貴樣の生んだ子がフォントルロイに違ひはないが、 事實は土ン底まで確める覺悟で居るから、さう思ふが好いぞ。貴樣の申立が其通りとなれば、正當丈の事はして遣はさうが、それにしても、 おれの息のある中は、貴樣も、貴樣の生んだ子も一切眼に觸れて貰ふまい。 おれが眼を(ねぶ)つてからは、貴樣ふぜいに、あの城を手もなく蹂躙されるのだが、それは(よんどころ)ないのだ。全體おれの長男なら、 丁度貴樣たちの樣な者に(かゝづら)ふ奴だと、斷念(あきら)めて居るのだ。

と仰しやり殘して、其まゝ立つて、つか〜と來られた時と同じ調子に又立去られました。

これより數日後に、小座敷で書物をして居たエロル夫人に、下女が來客を報じました。下女は取次をして、 何かどぎまぎした樣子で、眼を丸くして居りました。そしてまだ年若で、ものなれぬ處から、奧樣の爲に非常に氣遣つて居る(てい)でした。 それで、何か恐ろしくて、びく〜して居るといふ聲で、

奧樣、まあ……あの侯爵さまで御座いますよ。

エロル夫人が客間に這入りました時、丈高く、凛然とした老人が虎の革の敷物の上に立つて居られました。 其立派な老顏には、どことなく澁味があり、横顏は鷲の顏を見るの趣きが有り、長く延ばした八字髭は眞白で、容貌は一口に頑固といふ方でした。 先づ言葉をかけて、

エロルの(さい)であらうな?
左樣で御座ります。
おれはドリンコートだ。

と言はれて、自分の顏を何氣なく、見上げた顏に、我知らず一寸眼を止めると、數月以來、一日に幾度となく、自分と見かはす、げんきな、 愛くるしい、幼い眼に生寫しなので、妙な心持になり、唐突(だしぬけ)に、

あの子供は、よくも貴樣に似て居るな。
御意で御座ります。左樣に申すものも澤山御座りますが、 矢張り父に似て居る樣にも考へまして、樂しみに致しますので。

ロリデール夫人が、嘗ていつた通り、エロル夫人の聲は(まこと)にすゞやかで、 其風采はいかにも單純に、上品でした。夫人は侯爵の思ひもよらぬ御入來を、 (いささ)かも迷惑に思つた樣子は有りませんかツた。そこで侯爵も、

さうだ、おれの……子にも……似て居る。

と仰しやつて、手持なさに、彼の八字髭を遺恨でも有りさうに、頻りに引張りながら、

貴樣、おれが今日こゝへ來た譯を知つてるか?
あの、ハヴィシャムさまにお目に掛りましたら、 今度(このたび)云々(しか〜゛)言立(いひたて)をする人が御座りますさうで……
それで、力の及ぶ限り攻撃する積りだ。それでは法律上差支の無い限り、 保護する心だから、その事を言ひに來たのだ。子供の權利は……

夫人は優しい聲で押しとゞめ、

たとひ法律がゆるしましても、正義にかけて所有權のないものならば、 決しておとらせ下さりません樣に願ひます。
イヤ、法律上で子供のものになりさへすれば結構だが、 それさへ出來さうもないのだ。彼の無法千萬の女親子が……

夫人は再びしとやかに、老侯の言葉を遮り、

併し御前樣、其婦人にいたしても、手前がセドリックに對すると、同じ情愛を持つて居ることで御座りませう。それで、 其婦人が(まさ)しくお世とりで有らせられた方の夫人とならば、 其お子がフォントルロイ殿で、手前のは左樣でないことは極く明白で御座ります。

かういふ樣子の素直で、一向怖氣のない處は、よくもセドリックに()て居て、自分を見る顏付も亦セドリックの通りでした。それで、 一生涯人を壓制しあぐんだ身には、却つて、心の中に愉快を感じられました。 何故と言ふと、侯爵に返言(かへしごと)をいふ人は極く(まれ)でしたから、 物珍しくも面白く思はれたのです。そこで、(わざ)と少し眉を(ひそ)めて、

貴樣は全體子供がドリンコート侯にならぬ方が、勝手と申すのだらう。

此時夫人は、花やかな其顏を赤らめ、

どういたしまして、ドリンコート侯爵と申せば、大した格式で御座ります。 併し手前は、子供が何はさて置き、第一に父に(なら)ひまして、萬事に雄々しく、 正義を守る樣致し度いので御座ります。

老侯はかう聞いて、少し嫌味に、

ハヽア、祖父(ぢゞい)とは、なる可く正反對に有らせ度いといふのだらうな。
憚りながら御祖父樣にはお知己(ちかづき)で御座りませんので、 何とも申し上げられません。併し子供は誠によく信…… (言ひさして、暫し口を(つぐ)み、靜かに老侯のお顏を打守り、) セドリックが御前樣にお(なつ)き申して居ることは、ようく承知致して居ります。

侯爵は極く味氣なく、

どうさらう、貴樣を城に迎へない譯を知らせても、矢張りおれに(なつ)いたらうかな?
どうもさうは參りませんでしたらう。それ故、手前が是非知らせ度くないと存じたので。

御前は唐突に、

だが、それを言はない位の女は、たんとないな。

と仰しやつて、益々八字髭を引張りながら、座敷をあちらこちらと濶歩し、

さうだ。あれはおれを好きな樣だし、おれもあれを愛してるのだ。 おれは全體、誰も好いた覺えがないのだが、あれ丈はどうも可愛いのだ。初めから、氣に入つてしまつたのだ。おれも年をとつて、 生活(いきてゐる)(ものう)くなつて居た處だツたが、あれが來て、長生の仕甲斐が出來たといふものだ。それで、人にも自慢して、 おれのない跡は、あれが家の首領になるのを滿足に思つて居たのだ。

といつて、夫人の坐つて居た前に來て、突立ち、雜駁にかういはれました。

おれは不愉快極まるのだ。

御樣子を窺へば、なる程、さこそと思はれる樣でした。平生我慢なたちも、手と聲との震へをとゞめることが出來ない位でした。 一寸其時には、(くぼ)(たけ)しいお眼が涙で(うる)んでゐたかの樣に見えました。 眼を見張つて言ふが、まだ少し殘念さうに、

おれは非常に不愉快な所爲(せゐ)で、貴樣の處に來る氣にもなつたのだ。 一體おれは貴樣を憎い奴と思つてゐたのだ。それから又貴樣のことを、あつかんだことも有つたのが、今度不名譽極まる事件が起つて見ると、 萬事の體面が變つて來た。おれの長男の女房と名乘る、あの嘔吐(むねわる)い女を見てから、 貴樣と顏を合せれば、却つて氣色が直るかと思つて來たのだ。おれもよツぽど頑固(かたいぢ)(おい)ぼれで、 貴樣に對しては、濟まぬこともあらう。ところで貴樣はあの子に似てゐるが、 あの子の爲におれも生きてゐる樣なものだから、今度の事件で不愉快極まる處から、 あの子に似て居る貴樣にも逢ひ、あの子を思ふ處が貴樣もおれも同一(ひとつ)だから、 それで、畢竟、こゝに來る氣になつたのだ。貴樣も子供に免じて、おれをひどく惡く思つて呉れるな。

かういはれた聲は左程優しくはなく、いづれかといへば粗暴な樣でしたが、 兎に角餘り落膽されて居る樣子振りに、エロル夫人は氣の毒さが心に溢れ、立つて安樂椅子を少し前に進め、極く優しく、可愛らしく、 同感の情を籠めた調子で、

まあ、兎に角、おくつろぎ遊ばしましな。此頃御苦勞の多いので、餘ほど御疲勞(おつかれ)遊ばしてです。 存分お(いと)ひ遊ばしませんでは。

率直に自分の言つたことを反對されるが珍しければ、優しく飾りげなく物をいはれたり、 眞心から介抱せられるのも、亦老侯にとつて珍しいのでした。又しても、セドリックによく似た處よと思ひつゝ、 言はれるまゝに座に着かれました。かく落膽し、かく不愉快を感じられたことは、老侯にとつて、屈強な懲戒(こらしめ)で有つたのでしたらう。 不幸な境遇に落ちなければ、相變らず、夫人を憎んで居られたかも知れません。併し、今の處では對面が結句心遣りになつたのでした。それに、 フォントルロイ夫人と比較(くら)べては何事も愉快と見えたことでしたらうし、()してエロル夫人は誰が見ても、容貌や聲が可愛らしく、 進退も誠にしとやかでした。暫くする中に、靜かに、温かな周圍(まはり)の空氣に同化されて、 心地が漸く、すが〜しくなつた處で、また、少し言葉を續けられました。

何事が有らうとも、子供の爲には適當の用意はして置くぞ。 今も未來にもおれが必ず、不自由はさせぬ。

というて、立ちかけて、座敷を見廻し、

どうだ?此家は氣に入つたか?
誠に結構で御座ります。
中々小ざツぱりした座敷だな。又時々に來て、話しても差支ないかな?
御意に叶ひましたら、いつ何時(なんどき)でもお入り遊ばしませ。

そこで、馬車に乘つて、お立ち歸りになりましたが、タマスやヘレンなどは、今度のなり行の異樣なのに、 (きも)を消して、物も言へぬ位でした。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第十三囘


フォントルロイ殿一條で、ドリンコート城に騷動が起ると共に、 英國新聞は探訪の屆く丈詳細に書き立てて、間もなく米國新聞にも傳説致しました。 此一件は中々輕く看過(かんくわ)す可からざる程、面白みのある新聞種でしたから、世評がとり〜゛に騷がしいことでした。それ(のみ)か、 諸新聞に出た雜報が區々(まち〜)(ちが)つて居て、 一々買ひ集めて傳説の比較をしたら、餘程の興味(おもしろみ)が有らうと思はれる樣でした。 ホッブス(うぢ)などは、氣が煩亂するまであらゆる雜報を讀み盡しました。一つの新聞には、セドリックを乳呑兒の如くに申し、も一つは、 オックスフォルド大學に於て、才學の聞え高く、グリキ語の詩作で、名の現はれた壯年の如くに書き立て、 外の一つは『さる、華族の令孃と結婚の約束が(あたか)も調うた折から、』 などと訛傳(くわでん)し、又、も一つは最早結婚の式を擧げられたと述べました。 併しちゞれ頭で、體格の屈強な、七歳と八歳との間の小息子といふ實際を云ふものは、 一つも有りませんかツた。それ(のみ)か一つの新聞には、 先にフォントルロイと名乘り出たものは、ドリンコート侯には一向因縁のないもので、 米國まで儲嗣(ちよし)を尋ねに送られた代言人をば、其お袋が瞞着し(おほ)せたまでは、 ニューヨークの市中をごろついた無頼婦(ならずもの)だと申し傳へました。それから又新しいフォントルロイ殿と其母との傳説になりました。 一説には其お袋をヂップセと言つて、隊を組み人の物を掠めなどして、 覺束ない日を送る舶來乞食の仲間とし、又一説には女俳優(をんなやくしや)とあり、又一説には美容あるイスパニヤ婦人と有りました。併し、 ドリンコート侯が之を敵視して、力の有らん限り、攻撃し、構へて其息子を儲嗣(ちよし)と認められぬといふ一事丈に於ては、 諸新聞が同説の樣でした。そこで、其婦人が所持した證據物書類に、 (いささ)か不審の(かど)が有つて、此度(このたび)法廷に持ち出されるに付いては、 裁判は餘程長引くで有らう、又これまでにない、面白い事件で有らうといふ評判でした。 ホ氏は頭腦に取止のなくなるまで新聞を讀みつゞけ、日が暮るれば、ヂックと其話をすツかりし直しました。さうする中には、 ドリンコート侯といへば、どの位の格のあるもの、財産はどの位有つて、所有地は幾ヶ所、現在住居(すまひ)される城郭が、 どれ程壯麗といふことなどを追々と知り始めました。そして、詳細が分れば分るほど、兩人(ふたり)が氣を揉み出しました。 そこで、ホッブス(うぢ)が、

なあ、さうぢやねえか、おいらみた樣に侯爵でねいツて、 そんな大した物をみざ〜人に、せしめられてたまるものかなあ。

併し實際何と言つても、自分たちが助太刀の仕樣もなさに、たゞ二人して音信(おとづれ)を通じて、友誼の變らぬことと、 同感の情とを申し送りました。彼の報を得るや否や、早速其手紙を(したゝ)めて、互に見せ合ひました。 ヂックの手紙をホ氏の讀んだのは、()の通りでした。

ホッブス旦那のとこへもわしところへもおめえの手紙がとゞいた。おめえも運のまはり合せがわりくなつて氣の毒だ。 なんでもしツかりふンばつてゐねい。人にいゝかげんのことされちやいけねい。よツぽどふんどしい堅く〆めてゐねいと、 どろばう根性のものにいゝやうにされるぞ。かういふのもおめえがこつちに居るじぶん恩になつたことを忘れねいからだ。 だから外にしかたがなけりやこつちへ來てわしといつしよにやるがいゝ。 この頃は大分繁昌してる、それでおれがおめえの世話して困らねいやうにしてやるわ。 どんなやらうが來たツてわしが居れば大丈夫だ。こんどはこれ丈にして置かう。

ホ氏の手紙で、ヂックが讀んだのはかういふのでした。

御書状拜見容易ならぬ一條で御座候と奉存候。何でも拵へごとで仕組んだ奴は其儘にしては置けないと奉存候。 二ヶ條の申進(まうししん)じ奉候 私もきツと此事一つ調べ申し奉候事貴殿内々にして置いて被下候。 其内私代言人と相談いたし候て盡力いたし奉り候。そこで(うま)く行かず侯爵のやつらにまけ候はゞ貴殿成長被成候上 萬屋(よろづや)の株半分差上奉る可候。私貴殿を引取り世話奉り申す可候也。再拜頓首
    サイラス、ホッブス拜

それでホ氏が、

あれが侯爵にならねいつて、かうして置きや、二人で差支のねい樣に世話が出來るわな。

すると、ヂックが、

さうとも。わしはどこまでも加勢する氣なンです。あんな好いた樣な子はなかつたから。

其翌朝ヂックの顧客(とくい)の一人が驚いたことが有りました。此 顧客(とくい)といふは、開業した許りの若代言人で、若代言人の例として、 ごく金はないのでしたが、怜悧、活齑な若者で、 鋭敏で、氣質も優しい方でした。丁度ヂックの店を出す側に見すぼらしい事務所を持つて居て、 ヂックが毎朝、其靴を磨きました。其靴といふのも折ふし水の通らない限りでも有りませんかツたが、 ヂックにいつも深切に(ことば)をかけるか、冗談を云ふかして行きました。 其朝臺の上に足を載せる時に、手に一枚の新聞紙を持つてゐました。其新聞紙といふは、近頃大景氣のあるので、人物や、 物品の插畫(さしゑ)もありました。今丁度それを讀み通したと見え、兩方の靴も(やが)て磨き終るのを待つてヂックに是を渡し、

それ、新聞を遣らう。おまへの朝飯を食ひに行く時分見るが好いぜ。英國の城の圖も、侯爵華族の嫁樣の畫像もあるぞ。 これ一人で、中々えらい騷動を起したンだが、頭髮(かみ)なんどの澤山ある立派な女だわ。 おまへも貴族華族も、いくらか知つて居ないといけないよ。 先づ(かしこ)くも、ドリンコート侯爵さまとフォントルロイ令夫人にお近づきするが好い。 (と言つてヂックの樣子振りに氣がつき、)イヤー、これはしたりどうしたんだ?

若人(わかうど)の話の()といふは、新聞の表に有りまして、それをぢツと眺めて居た、ヂックの眼と口とは、大きく開いて、 其驚いた顏は、青くなつて居ました。そこで、不審に思うた其人が又、

これはしたり、ヂック、どうしたのだ?なんでそんなに(きも)を潰してるンだ?

ヂックは、容易ならぬ一大事が出來(しゆつたい)したといふ顏つきをして居ました。 さうして、主張者の母、フォントルロイ夫人と下に記した()を指しましたが、その()といふは、黒々とした頭髮を太く編んだのが、 ぐる〜と頭に捲いてある、眼の大きい一寸立派な女でした。

この女なら、おらあ、旦那知つてるより、好く知つてるんだ。

彼の紳士は笑ひ出しました。

ヂック、おまへどこで出逢つたんだ?エー、ニューポートへ避暑に出かけた時か、 それとも、パリへ見物に行つた時でも有つたか?

さういはれても、ヂックは笑ふことさへ忘れた樣でした。そこで一寸もさし置けぬ大事が起つて、 當分家業も打捨てるのかと思はれる樣子で、刷毛(はけ)其外の物を片づけ始めました。

まあ、どうでも好いが、知つてることは知つてるンだ。今朝は、仕事も何もおしまひだ。

と捨言葉をして、そして五分も經ぬ中に、彼のホ氏の角店指して一走りに行きました。 帳場の向うに坐つて居つたホ氏も相變らず、手には新聞紙を持つて駈込むヂックを見てびツくりしました。 餘り急いで走つた故、ヂックは息をきつて居りました。それで新聞を帳場の机の上に投げました切り、暫く口もきけぬ程でした。

ホッブス(うぢ)は、

ヤアー、何を持つて來たんだ。
まあ、見ねい、此畫の女を見ねい、これが華族なんかでたまるもんかよう。 (とさも見下げたといふ聲で、)華族のかみさんなンかであるもンか、是がおミナでなけりやあ、おらあ旦那に食はれツちまツたツて構はねい。 おミナよ、おミナに(きま)つてらあ。どこに居たつて、知れらあ。 ベン(にい)だツてすぐ分らあ、(うそ)なら聞いて見ねい。

ホ氏は、腰を拔かした樣でした。

だから、わしが言はねいこツちやねい、仕組んだ狂言に違いねいツてだ。 あれがアメリカ生れだツていふンで、はめたにちげいねいンだ。

ヂックは、呆れ聲で、

なに、てツきり此女さ、此女が拵へた狂言と、おらあ思ふンだ。 だツて、いつでも惡戲(いたづら)許りして居やがツたもの。でね、此()を見ると直ぐと心に浮んだことがあるンだ。 そらね、こなひだ讀んだ新聞に、其女の連れて來た子のことね、そら、(あご)ンとこに(きず)の跡があるツて、書いて有つたらう。 なあ、それとこれと一處にして見ねい、其疵ツていふなあ、こいつの拵へたのよ。だから、そいつの連れて來た兒ツていふなあ、 華族處か、あれが華族ならおれも華族だ。そりや、ベン(にい)の兒よ、 そら、おれに皿あ投げつけた時あてた兒よ。

ヂックは全體鋭敏な兒で、大きい都でもまれ〜して、尚一層鋭敏になつたのでした。いつでも目端を利かせ、 いつも頓智を廻して居ましたが、此時發見した一大事に付いて、氣を(いら)つて騷ぐのは結句面白半分の樣でした。 其朝、若しフォントルロイ殿が其店を(うかゞ)ふことが出來たならば、たとひ自分には關係なく、他の兒の運定めになる相談や、 計畫であつたにしろ、餘ほど興あることに思つたでせう。

ホ氏は此一條につけて、新たに起つた自分の大責任に壓倒されて、殆ど夢中の(てい)でした。そして、ヂックの威勢も、 いざ討ち出さうといふ鹽梅でした、先づベンに向けて手紙を書き始め、彼の()を切り拔いて封入しました。ホ氏も亦、 セドリックに一通、侯爵に一通、手紙を(したゝ)めました。兩人が手紙を(したゝ)める眞最中に、 ヂックが急に思ひ出した事が有りました。

ねい、あの新聞をわしに呉れた人ねい、あれは代言人だが、 こゝでどうしたもンか、一つ尋ねて見ようぢやねいか。代言人なンかなら、知つてるに(きま)つてるだらう。

かう聞いて、ホ氏はヂックの思ひつき、ヂックの如才ないことに、大感服に感服しました。

さうよ、さうだツけ。かういふ事にや、なんでも代言人が入用(いる)ンだ。

そこで、店を手代りに頼んで、外套も大急ぎに引ツ掛け、ヂックと下町へ出かけ、 彼のハリソンといふ代言人に、小説めいた話を持つて行きました處が、 彼の紳士も一方(ひとかた)ならず驚きました。此若紳士は餘程名を起さうといふ心掛が有つて、 十分手を開いて居つたから好かつたが、さもなければ、此二人の申立を、容易に取り上げなかツたかも知れません。なぜといふに、其話といふは、 いかにも、とつて着けた樣に、奇妙不思議に聞えました。併し差當り、仕事はなく、ヂックの人となりを(ほゞ)察し、 又運よくヂックの話し樣も簡略で、尤もらしく聞えました。そしてホッブス(うぢ)の言葉に、

おまへさん。一時間いくらといふのでもかまはねいから、よく調べて貰ひていンだ。わしが一切呑み込んでるから。 ブランク町の角の萬屋(よろづや)ホッブスといふンだ、宜しうがすか。

すると、ハリソン氏が、

左樣さ、これが思ひ通りにいけば、大したことになります。 フォントルロイ殿は(もと)より、僕にとつても非常な運定めになります。それで、兎に角事實の探索にとり掛つて、差支は有りません。 新聞で見ると引連れて來た兒の事に、少し曖昧が有つた樣子です。其女が其年齡(よはひ)の話になつて、前後揃はぬことを言つたとかで、 既に疑惑を起してるンです。そこで、第一ヂックの兄と、ドリンコート家の抱への代言人とに手紙を出しませう。

そこで、其日の晩方までに、二通の大事な書面が投凾になりました。一通はニューヨークの港から便船(びんせん)で、英國へと走り、 も一通は、客や手紙を載せてカリフォルニヤに通ずる、汽車を飛ばせて行きました。一通は『ハヴィシャム殿』、 今一通は、『ベンジャミン、チプトン』と表面に書いて有りました。

其夜は店を閉めると、ホッブス(うぢ)、ヂックの兩人は、奧に夜半(よは)まで話しつゞけて居ました。


更新日:2004/04/16

小公子 : 第十四囘


時としては、ごく(わづか)の時の間に不思議な事があるもので、 曾てはホッブス(うぢ)の店先の高い椅子から赤い(すね)をぶら下げて居た小息子の運命が、 ほんの數分時間に一變して、今まで物靜かな町に質素といふ質素な生活をして居たものが、 侯爵といふ位階に添ひて、廣大な所有を受繼ぐ身分に早變りして仕舞ました。さうかと思へば、又英國の華族のうちに數へられた者が、現在、 (おの)がものとして、樂しんで居る榮華に對して、毫末の權利もない、一文なしの瞞着者とまで落されるのも、 僅か數分時間の樣でした。すると、又此度(このたび)(よろづ)の體面を再び飜へし、 既に失ふ許りで有つたものを、元の通りに恢復するは、幾程も經たぬ内で有つたといふは、實に不思議千萬な事です。

此事體が案外早く方づいたといふものは、(おのれ)をフォントルロイ夫人と主張した女が、 仕組んだことの惡いに比較しては、存外、(たくみ)ならぬ處が有つた故で、 其結婚と子供とについては、段々詰問される中に、一言、二言云ひ誤りをして、 疑惑を引起しました處から、度を失ひ、(はて)は癇癪を起しては、尚ほ一層内幕を見現はされたのでした。女の言ひ違ひましたといふは、 畢竟(つまり)子供に關して許りの樣でした。先のフォントルロイ殿と結婚し、爭論の末、手切金を取つて別れたといふ事實には、 相違(ちがひ)なかツた樣でした。併し其子供がロンドンのある處に生れたといふ話は(いつはり)で有つたといふことは、 ハ氏が發見しました。そして丁度其發見に付いて、起つた騷動の眞最中に、ニューヨークの代言人とホ氏等とからの書状が着したのでした。 此二通の手紙が到着しまして、侯爵とハ氏とが書齋の中で、處置法に付いて協議された時は、又大層な騷ぎでした。ハ氏の言葉に、

手前が婦人に面會いたして三囘に及びます頃、餘程心に疑を生じて參りました。 第一見る處で其子供の年齡が申立よりは、多い樣に見受けられました。其中に、出生の月日を尋ねられたはずみに、一寸、 口を滑らせたことが有りました。尤もすぐ其場はつくろひましたが、此二通の書中にある趣きが、手前の心の疑惑によくも符合いたします。 そこで、ごく望のある方法と申すは、ごく祕密に此チプトン兄弟を電報で呼びよせ、 突然引合せるといふので御座ります。彼の婦人も斯くは仕組んでも、 至極不器用な方で御座りますから、手前の考へでは、すぐ其場でぎツくり度を失ふはずみに、 後尾(しつぽ)を現はすは、必定と存じるので。

と申しましたが、其計畫が思ひ通りの結果を奏しました。 其女には一向何も知らさず、疑を起ささぬ爲に、ハ氏は其申立を取調中と(とな)へて、 折々對面をして居りました。そこで描いた狂言も圖星を外さず、萬願成就の期も近きにあると思ひ込み、女もおひ〜大柄な調子になつて來たとは、 さも有りさうなことでした。

然るに或る好天氣の朝、事の成つた上には、どうかうと、宿屋の座敷で結構極まる目算をしてゐる最中、 ハ氏の來訪を告げる者が有りました。通る處を見ると、後にぞろ〜續いて這入る人が三人有りました。 第一に機敏らしい小息子、第二に、丈の高い壯年、第三には例の侯爵さまでした。

此時其女は思はず跳上つて、萬事これまでといふ樣な大聲を立てました。不意の事とて、そ知らぬ顏にとぼけることも出來ませんかツた。 今眼のまへに見えた中で、二人の事などは、久しく思ひ出す(いとま)もなくツて居りましたが、 萬一思ひだすことが有つても、數千里の遠きに有るものとも考へて居りました。 それ故一座に顏を合せることなどが有らうと思うて居りませんかツた。流石にヂックは其顏を見て、にた〜と笑ひました。そして、

イヤー、おミナさんか?

といひました。ベンといふ丈の高い壯年は、暫く沈默して顏を見て居りました。

ハ氏は二人の顏を交互(かはる〜゛)見て、

どうです、お二人とも、同人を知つて御座るのか?

といひますとベンが、

知つて居ますとも、わしも、此女を知つて居れば、此女もわしに見覺えが有るンです。

といつて、一向平氣で女に後を向け、顏を見るも厭といふ調子で、窓際に立つて外表(おもて)を眺めて居りました。すると、 其女が狂言のうらをかかれ、惡事露見と知つてか、狂ふが如くに(たけ)り廻りましたが、 これはベンやヂックが、毎々見慣れて居たことでした。其樣子を見、さま〜゛自分たちの名呼ばはりをするのを聞いて、 ヂックは尚一層、にた〜と大口に笑つて居ましたが、ベンは振返つて見もしませんかツた。それで、ハ氏に向ひ、

旦那、どこへ出ても、この女が(たしか)にそれといふ證據は、 きツと立てますし、まだ外に證據人がお入用なら、幾人でも出しませう。 尤も此女の(おやぢ)といふは、賤しい家業こそしても實直(たしか)な人間です、 此お袋といふのは、矢ツ張り、これによく似てゐる奴でしたが、これは歿()くなつて、(おやぢ)丈は生きてゐるンです。 いや現在の親が此女にかけちや、外聞をわるがツてる位なンです。其(おやぢ)を引出せば、此女が何者だか、 わしのかゝあになつたことがあるかないかが、直ぐと分りまさあ。

といつて、急に口惜しさうに、(こぶし)を振つて、女に向ひ、

これ、あの子供はどこへやつた?もうおれが連れてツてしまふから、 あれも貴樣と親子の縁は切るし、おれももう貴樣に用はないぞ。

といつて居る中に、隔ての(ふすま)が少し開いて、次の間から、男の子が顏を出して覗きましたが、 これは、最前からの高話(たかばなし)を何事かと思つて、出て來たらしいのでした。此小息子といふは別段 容色(きりやう)の好いことは有りませんかツたが、一寸小綺麗な顏付で、誰が見てもベンに好く似て居て、其 (あご)には、三角の疵痕(きずあと)が有りました。 ベンは其兒の側に寄つて、其手を採りましたが、自分の手はぶる〜して居りました。

此兒もたしかです、出る處へ出て、云ひ立てても好うがす。さあ、 トムや、おれは貴樣の(おやぢ)で、今日は貴樣を連れに來たのだが、貴樣の帽子はどこだ?

其子供は帽子の置いてある椅子を指し、自分が餘處(よそ)へ行くのだと聞いて機嫌でした。 近頃自分の一身に起つた不思議千萬な事に慣れてゐて、見知らぬ人に、おれは貴樣の(おやぢ)だといはれても、 さほど驚きませんかツた、實は數年前に、自分が赤兒の時から居た處に、 一人の女が來て、突然(だしぬけ)御前(おまへ)の母と名乘つた其人を、 何となく、厭に思つて居ましたから、も一度かはつて外に行くのを何とも思ひませんかツた。 ベンは(くだん)の帽子を持つて、戸外(そと)へ出で行きました。そしてハ氏に、

又御用が有つたら御承知の處へお便(たより)を願ひます。

といつて、女を振返つても見ず、其子供の手を引いて行つてしまひました。女は一層烈しく狂ひ廻つて居りましたが、 侯爵は眼鏡を鷲の(はし)に似た貴族的のお鼻の上に悠々と載せ、泰然と其動作(やうす)を睨んで居られました。するとハ氏が、

これ、御婦人、()しからぬ始末ではないか? 暗い處に入れられるが厭なら、少し謹むが好からう。

いつた調子が、中々馬鹿に出來ぬ處が有つたので、この場合になつては、身を退()くが、上分別と思つたか、 恐ろしい顏色が一眼ハ氏を睨まへ、裾を蹴立てて、次の間に這入り、ぴツしやり戸を閉ぢました。ハ氏は、

もう、これで面倒は御座りますまい。

と申しましたが、其言葉の通り、其夜直ぐと宿屋を出立し、ロンドン行の汽車にのり込み、影を(かく)しまして、以後 近邊(きんぺん)に姿を見せませんでした。

*    *    *    *    *    *    *

侯爵が此立合を濟まして、馬車に乘られると、タマスに、

コート、ロッヂに參れ。

下示(げじ)されました。すると、タマスが御者の居る馬車前に登りつゝ、

コート、ロッヂと仰しやるぜ。とツぴやうしもないことになつて來さうだな、 どうも奇妙だな。

馬車がコート、ロッヂに止まりました時には、セドリックは母と共に客間に居りました。 侯爵は案内もなく、通られましたが、近來の苦勞で、曲りさうな腰も延びて、丈も先頃よりは一二寸高く見え、 幾年(いくつ)かお(とし)さへ若くなられたかの樣でした。(くぼ)い其お眼も艷々して居ました。突然(いきなり)

フォントルロイはどこだ?

と言はれました。エロル夫人は顏を赤めて、前に進み、

あの、矢張り、フォントルロイで御座りますか、本當で御座りますか?

といひますと、侯爵が手を出して、しツかり握手なさいました。そして、

矢張りさうだ。

と仰しやつて、片手をセドリックの肩に載せ、例の唐突な武張(ぶば)つた調子で、

フォントルロイ、貴樣、おツかさんが城に引移つて呉れるか尋ねてみい。

と仰しやると、フォントルロイは母の(うなじ)に抱へつき、

かあさん、これから僕たちと一處に居て呉れるンですよ。いつまでか一處に居るンですよ。

此時侯爵はエロル夫人の顏を御覽じ、エロル夫人は侯爵の顏を(のぞ)きますと、 御前は全く眞面目になつて居られた樣でした。此計ひも、なる可く、取急ぐ方が好いと心づかれながら、母と知己になるが、 まづ好都合と考へられてから、言ひ出されたのでした。エロル夫人は、しとやかににつこりし、

手前が參る方が、きツと御都合が宜しいのですか?

と問ひますと、侯爵が又雜駁に、

さうとも、實は初めツから、其方が好かツたのだが、 ついそれと知らなかツたのだ。どうぞ都合して來て貰ひ度いものだ。

更新日:2004/04/16

小公子 : 第十五囘


それでベンは早速子供を引連れて、カリフォルニヤ州なる牧場に歸りましたが、 此度(このたび)の事件の爲に、却つて好運が向いて來ました。出立前にハ氏が當人に面會して、ドリンコート城主が、すンでのことに、 フォントルロイ殿となるので有つたベンの實子の爲に、何かして遣り度いと、 特別の思召が有るに付いては、御自身が牧畜の株を(あがな)はれて、 ベンの其監督をさせ、當人の報酬も十分有り、且つ子供の未來の用意にもなる樣にするが、 上策と決定された趣きを傳へました。それ故、ベンがカリフォルニヤ州へ立歸りました時には、到底(つまり)自分の所有の樣なり、 又追つては現に(おのれ)がものになる可き牧場の主任者となつて行つたのでした。此牧場は數年間に(まさ)しくベンの物になりました、 そしてトムは成長して立派な壯年になりました。此兒は非常に父を慕ひまして、父子とも〜゛誠に(むつま)じい月日を送りましたから、 過去の困難は一切、トム一人の爲にとり返しがついたと、ベンが言ひ〜しました。

さて此度(このたび)の事件のなり行を見ようとして、態々(わざ〜)出て參つたホッブス(うぢ)もヂックも、 彼と變つて暫く歸國を見合せて居りました。侯爵がヂックの世話をなされて、相應な教育を受くるまで資金を遣はされたといふことは、 最初から()められたことでした。そして、ホ氏の方は、 店を實直な手代に任せて來たに付いては、フォントルロイ殿の八歳の誕生を記念する時に、催される宴會を見てから歸らうと決定して居ました、 當日は領内の小民を(こと〜゛)く招き集め、樹園の中で會食、 歌舞遊戲等を催し、夜に入つては、花火、仕掛花火など打揚げるといふことでした。此話の時に、フォントルロイ殿がかういひました。

丁度、七月四日の祝日の樣にするンですよ。僕の誕生日が七月四日だとねい、好かツたけれど、さうすれば、 兩方一處に守れたツけもの。

最初はホ氏と侯爵との間の交際は、極めて(ねんごろ)といふ程では有りませんかツたが、 如斯(かくのごと)きは英國の華族一同にとつて、或は不利で有つたかも分りません。 實際、侯爵は萬屋(よろづや)の主人といふ樣な人に知己が(すくな)く、 ホ氏も侯爵に懇意が多く有りませんかツた。それ故、(まれ)に面會される時も、 談話の途切れることが多いのでした。其外、フォントルロイが務めて見せてくれた、 立派な物事に、流石のホ氏も餘程氣を拔かれて居ました。

第一、入口の門と石の獅子、竝木道などが大にホ氏を歡ばする程になりましたが、 現に城郭、花苑、花室(はなむろ)、物見臺、孔雀、城内の牢獄、武具、大階(おほきざはし)(うまや)、 制服の僕婢(ぼくひ)どもを目前(まのあたり)見ました時は、餘程氣後れがしました。併し最も感佩(かんぱい)に堪へなかツた一事は、 先祖代々の畫像の連ねて有つた廣間でした。ホ氏が此見事な廣間に這入るとフォントルロイに、

これは博物館といふ樣なものかな?

と問ひました。フォントルロイは(すこ)しく胡亂(うろん)さうに、

いゝえ、博物館ぢやないでせう。僕のお祖父さまは、 みンな僕の祖先の畫像だツて仰しやるンです。

すると、ホ氏が、

なんだ、そ、そ、せんとは何のこツた?

といつて、非常に不審がりましたが、フォントルロイ殿は、漸くの事で自分の知つて居る丈の譯を説き聞かせました。 それでメロン夫人を呼び寄せて、誰が其の畫像をいつ〜書いたといふこと、又畫に描いた其人物が、(いづれ)も爵位のある人たちで、 其方に付いては、どういふ珍らしい履歴が附いてゐたといふことを、一々話させました。ホ氏は漸くの事で、祖先の意義を解し、 其人々に關して、世にも面白い話を聞く中に、何事も結構盡しと思はれて來、特に畫像陳列處が氣に入つた樣でした。 そして市街(まち)の宿屋から、毎日の樣にお城に出掛けて來ては、半時間も、もツとも此廣間を逍遙して、畫姿の殿樣や奧方を眺め、 眺められて、頻りに(かしら)を振つて居ました。

これらあ、みンな侯爵とか、なんとかいふ樣なもンださうだ。 あれもいつかかういふのになつて、みンな自分の物にするンださうだ。

内々は侯爵や、其生活向の事に付いて、曾て思うた程厭でなくなり、城郭のこと、祖先其他の事を段々(くは)しく聞くに隨つて、 兼ての共和主義も、嚴然元の通りで有つたか、どうかといふ點に於ては少しく疑はしいことです。 兎も角或日非常に、思ひ掛けぬ感じを口に出して申したことが有りました。

おれなンども侯爵になつたツて、たんとわるくなかツた。

といひましたが、これは實に此人にしては、非常に寛大な申分でした。

フォントルロイ殿の誕辰(たんしん)を祝ふ當日は、亦豪氣な事でした。そして若君は殊に大喜びでした。樹園に群がる人々は、 今日を晴れと着飾り、城の屋根や幔幕(まんまく)から(ひらめ)くフラフの、 賑々(にぎ〜)しく見事でしたこと。今日こゝに來る都合の出來る限り、一人も來會せぬ人は有りませんかツた。 なぜといふに小フォントルロイ殿が依然元のフォントルロイ殿で、 追つて萬事を總轄(そうかつ)なさるといふことを、悦ばぬ者は有りませんかツた。 誰もかれもフォントルロイ殿と、非常に人望の出來たお袋さまとに、 お眼通りが仕度く思ひました。それ(のみ)ならず、若君が左ほど侯爵を信じ、 (なつ)いて居られるといふことと、侯爵にも近來(ちかごろ)儲君(ちよくん)の母君に親まれ、 丁寧に扱はれるといふので侯爵さまに對しての感情も自然(やわら)ぎ、多少好く思ふ樣にさへなつて來ました。それにまた、 侯爵はお袋さまがお氣に入る樣になつて來て、若君とお袋さまとのお蔭許りで、侯爵さまも追々善い氣質に化せられるに付いては、 一同の繁盛(はんせい)と仕合せとになるかも知れぬといふ評判が(もつぱら)でした。

さて當日となつて木の下や天幕の中、又芝生の上などに群集した人の數々は、(おびたゞ)しいことでした。これらは皆百姓ども、 晴着を着たおかみさんたち、若いものや、娘たち、戲れて互に逐ひ廻す子供たち、好い折と噂話を樂しむ老婆どもでしたが、 お城の中にも亦、(にぎ)はしさを見たり、侯爵に祝辭(いはひ)を述べたり、 エロル夫人を見ようとして來た紳士貴婦人が、別に一群を爲して居りました。其中にはロリデール夫婦、サア、タマス、アッシ氏と令孃たち、 ハヴィシャム氏などは勿論、ヴィヴィアン、ヘルベルト孃といふ、かの美人が見事に際立つ衣裳姿にレースの日傘をさして居られましたが、 相變らず紳士たちが側に附き纏うて居ました。併し此婦人は亦紳士たちより誰より、フォントルロイが一番好きな樣でした。 そして、フォントルロイが孃を見て側にかけよつて、其(くび)に抱きつくと、 孃は自分の祕藏の弟にでもしさうに、接吻して、そして、

フォントルロイ殿のお可愛いこと?此度(このたび)は結構なことでしたと、 私は大層嬉しう御座いますよ。

そして此あとで、一處に庭を廻り歩いて、フォントルロイが何くれと指して見せるに任せました。 それでホッブス(うぢ)とヂックとが居る處に行きました時、フォントルロイが二人に紹介して、

ミス、ヘルベルト[、]これはね、僕の(ふる)い〜朋友(ともだち)のホッブスさんです。 それからこれが、も一人の(ふる)い友だちで、ヂックといふンです。僕が、あなたが大變綺麗な人だから、誕生日に來れば、 見られるツて、いつて置いたンですよ。

孃は二人に一々握手し、立止つて例のしとやかな調子に言葉をかけ、米國のこと、船旅のこと、英國へ來てからのことなどを尋ねました。 其間フォントルロイは側に立つて居て、ホ氏にもヂックにも孃が氣に入つた樣だと思ひ、 讚嘆の眼を離さず守つて居て、頬は嬉しさに眞赤になつて居りました。ヂックがあとで極くまじめで

ありや、よツぽど綺麗な人だなあ、花の樣だなあ、丸で……まあ花だ、ちげいねいンだ。

誰もかも、此令孃の通る跡を見、又フォントルロイ殿のあとを見ました。 そして天氣は晴朗(ほがらか)に、フラフは飜り、人々は遊び戲れ、悦び跳りなぞして、一同歡樂を盡しまして、祝日も終る時分までには、 若君も實に嬉しさが心一杯になつた樣でした。全世界が此子供には美しく見えました。まだ其外にも悦んだ者が有りました。

それは生涯、富と(たふとき)とを我がものにして居ても、無邪氣に物事を樂しめなかツた一人の老人でしたが、 心が幾分か樂しくなつたといふのは、幾分か心が善良(よく)なつたからのことでせうと思はれます。 (もと)よりフォントルロイが想像した通りに善くなられた譯では有りませんが、 兎に角、ひとつ愛する者が出來まして、幼子(をさなご)の無邪氣深切な心に思ひ起して、 お勸め申した慈善的な事をする中に、一種の樂しみを覺えたことが(しば〜)あつて、 それが先づ一心の變る始めなのでした。それに又一つ増しに嫁が氣に入る樣になりましたから、 人々がエロル夫人さへ御寵愛なさる樣になつたといふも、空言(そらごと)では有りませんかツた。其可愛い聲を聞き、 其可愛い顏を見、どうやら好きになり、御自身は安樂椅子に坐りながら、 母が子に物を言ふ樣子振りを(うかが)ひ、其聲色に耳を澄して居られました。 そして自分には、ごく耳新しい慈愛を籠めた、優しい言葉を聞くにつけて、初めて悟られたことは、ニューヨーク都會の片外れに住ひをして、 萬屋(よろづや)と知己で、靴磨と親しくしたといふ者が、なに故この通り品よく、雄々しくツて、運の廻り合せで、英國に城郭を構へた、 侯爵の尊位を相續す可きものとなつても、誰の外聞にもならぬかの理由でした。

畢竟、甚だ分り易い事柄でした。斯ういふ心の深切な優しな人の側に成長して、 いつも人のことを深切に考へ、(おのれ)をあとにする樣に躾けられ、 教へられたからでした。これ丈のことは誠に瑣細なことでも有りませうが、 何よりも立派なことです。此小息子は侯爵が、どの位に格のあるものか、お城が如何なるものかと云ふことは、一向(わきま)へず、 武張(ぶば)つたことも、華々しいものも夢中でした。併し自分が質朴で、人を愛することを知つて居ましたから、 いつでも人に愛せられました。人間と生れて、これ丈の事さへあれば、王者の家に生れたも同然です。

ドリンコート侯爵が此日フォントルロイの、群集の中をあちらこちらと歩み、 見知りの者に言葉をかけたり、人に挨拶されゝば、手早く辭儀をしたり、ヂックやホ氏を饗應したり、母やヘルベルト孃の側に立つて、 其話を聞いて居る處を御覽じて、至極(しごく)孫息子に付いて滿足を感じられました。 そしてフォントルロイと同伴で、ドリンコート領内の小民どもの中でも、先づ上席につく可き人々が、會食の饗應を受けてゐた、 一番に大きな天幕に行きました時ほど、滿足に感じたことは有りませんかツた。

此人々は、侯爵の御齡(おんよはひ)(ことぶ)きて、杯を擧げて居りましたが、これまで御名を唱へて、祝詞を申した時とは餘程 (かは)つて、言葉も一層誠實に熱心を籠めて有つた樣でした。第二はフォントルロイ殿に對する御祝詞を述べました。 そして若君の人望如何に付いて、萬一疑を容れる者が有つたとしますれば、此時にこそ全く氷解(とけ)てしまはぬことはよも有りますまい。 喝采の聲は杯を當てる音と同時に、どツと揚つて八釜しい程で、人々の情愛の深いこと、若君を思ふことが非常な處から、 御奧の方樣が臨席になつて居るのも、一向憚らぬ樣子でした。一時にわツとどよめいた聲がなくなりますと、一二の優しさうな女が、 お袋樣と侯爵樣との間に立つて居られた若君を望んで、眼に涙を(たゝ)へ、互に、

お可愛らしい若樣に天慶(おめぐみ)を祈りませう。

といひました。小フォントルロイはます〜興に入りました。にこ〜ながら立つて居て、嬉しさに髮の根下(ねもと)まで眞赤になり、 頻りに人々に會釋して居りました。さうして母に、

かあさん、みンなが僕好きだからですかね?さう、かあさん? 僕、嬉しくツて。

といひました。すると侯爵が子供の肩に手を載せて、

フォントルロイ、貴樣は一同の深切に對して、禮をいつたら好からう。

フォントルロイは先づお祖父さまのお顏を見、それからお袋の顏を見ました。それで少しく臆せる氣味に、

かあさん、しなくツちや、いけませんかね。

といひますと、母は只にツこりして、側のヘルベルト孃も同じ樣ににツこりしました。 それで二人が點頭(うなづ)くのを見て、一足前に進みますと、一同が眼を注いで見て居りました。そこに出た處がいかにも見事に、 無邪氣な小息子で、其容貌といへば、いかにも雄々しく、又愛らしくも有つて、天下に敵なしといふ氣配が有りました。 さて一段聲を高め、幼聲(をさなごゑ)晴朗(ほがらか)に申した事は、

僕、みンなに有りがたしツていひ度いンです。僕は今日の誕生日が大變面白かツたから、 みンなも面白かツたら、好いと思ふンです。それから……僕、侯爵になるの嬉しいンです。 僕初めは侯爵になるの、嬉しいなンて思はなかツたけど、もう嬉しくなつたンです。僕はこゝも大好きです、 どうも綺麗だと思つてますの……(それ)から…… 僕侯爵に成つたら、一生懸命で、僕のお祖父さんの樣に好い人になる積りです。

さうして一同の拍手喝采が鳴り止まぬ中に、先づ役濟といふ調子で、一寸溜息をつきながら又一足退(さが)り、 侯爵の手につかまり、にこ〜しながら、近く寄り添つて居ました。

*    *    *    *    *    *    *

こゝで此説話(はなし)も終りになる處ですが、其前に一寸一言不思議な事を、 お知らせ申して置かねばなりません。といふは、ホッブス(うぢ)が非常に貴族的の生活に心醉し、 且、舊友と(たもと)を別つが厭さに、とう〜ニューヨークの角店を賣つて、エールボロの(まち)の落着き、小店を開いたといふ一條です。 此小店はお城の贔屓を受ける處から大繁昌になりまして、そしてホ氏と侯爵とは別段懇意にはなりませんでしたが、 一珍事といふは、ホ氏は侯爵より誰より貴族的になり、毎朝官報を讀むまでになつて、貴族院の樣子なども、 (くは)しく知つて居たといふ事です。そして十年程過ぎてヂックが修行を了へて、 カリフォルニヤ州なる兄の(もと)に尋ねようといふ時、萬屋(よろづや)さんに米國へ歸り度くないかと問ひますと、 まじめになつて(かぶり)を振り、

どうして〜、あつちへ落ちつくことなんどはまツぴらだ。わしはこれでもあれの側に居て、一寸 後見(うしろみ)をして居る積りなんだ。若い働きのあるものには結構な國だらうが、 矢ツ張り、惡い處もあるな。全體、祖先なンといふことさへないし、侯爵といふものはなほのことだ。

と云ひました。


更新日:2004/04/16