ヂュリヤス・シーザー:目次
坪内逍遙(1859-1935)譯 シェークスピヤ作「ヂュリヤス・シーザー」。
底本:新修シェークスピヤ全集第二六卷,中央公論社,昭和九年二月廿五日印刷,昭和九年三月三日發行。
ヂュリヤス・シーザー
シェークスピヤ 作
坪内逍遙 譯
更新日: 2003/02/16
登場人物
登場人物
- ヂュリヤス・シーザー。
- オクテーヰ゛ヤス・シーザー、シーザー死後の三執政官。
- マーカス・アントーニヤス、(或ひはマーク・アントニー)シーザー死後の三執政官。
- マーカス・イーミリヤス・レピダス、シーザー死後の三執政官。
- シセロー、元老議官。
- パブリヤス、元老議官。
- ポーピリヤス・リーナ、元老議官。
- ケーヤス・キャシヤス、ヂュリヤス・シーザーを除かんとする徒黨。
- マーカス・ブルータス、ヂュリヤス・シーザーを除かんとする徒黨。
- キャスカ、ヂュリヤス・シーザーを除かんとする徒黨。
- トリボーニヤス、ヂュリヤス・シーザーを除かんとする徒黨。
- ケーヤス・ライゲーリヤス、ヂュリヤス・シーザーを除かんとする徒黨。
- ディーシャス・ブルータス、ヂュリヤス・シーザーを除かんとする徒黨。
- メテラス・シンバー、ヂュリヤス・シーザーを除かんとする徒黨。
- シンナ、ヂュリヤス・シーザーを除かんとする徒黨。
- フレーギヤス、平民保護官。
- マラヽス、平民保護官。
- アーチミドーラス、ナイドスの一學究。
- 一豫言者。
- シンナ、詩人。
- 他の一詩人。
- リューシリヤス、ブルータス、キャシヤスの黨人。
- チゝニヤス、ブルータス、キャシヤスの黨人。
- メッセーラ、ブルータス、キャシヤスの黨人。
- 若ケートー、ブルータス、キャシヤスの黨人。
- ヲ゛ーラムニヤス、ブルータス、キャシヤスの黨人。
- ワ゛ーロー、ブルータスの從者。
- クライタス、ブルータスの從者。
- クローディヤス、ブルータスの從者。
- ストレートー、ブルータスの從者。
- リューシヤス、ブルータスの從者。
- ダーデーニヤス、ブルータスの從者。
- ピンダラス、キャシヤスの從者。
- キャルパーニヤ、シーザーの妻
- ポーシャ、ブルータスの妻。
-
元老議官等、市民等、護衞等、侍者等、其他。
場所
大概はローマ市。後にはサーディス及びフィリッパイ附近。
(人名の發音は茲にに記すものを以て、最も正しきに近きものとす。然れども譯詞との調和上、
本文にては、わざと改めおきたる箇所もある。 例へば、「キャ」と發音すべきものを悉く「カ」としたるなど。)
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第一幕 第一場
第一幕
第一場 ローマ。街頭。
-
フレーヰ゛ヤス、マラヽス及び多勢の平民出る。
- フレー
- さァ〜、歸れ〜、懶惰漢め、家へ歸れ。やい、今日は休業日か?えッ?
職人の癖に、知らんか?仕事日にゃ、職業の目標を附けんで、出歩いちゃならん筈だぞ。 汝の商賣は何だ?
- 市民一
- へい、あの、大工で。
- マラヽ
- 革の前埀や定規は何處にある?餘所行服を被て何をしてゐる?…… おい、足下の商賣は何だ?
- 市民二
- 正直、品のえい職人衆に比べましたらなァ、高が補綴屋でもありませうけどもな。
- マラヽ
- いや、商賣は何だと訊くんだ?眞直に返答せい。
- 市民二
- さァ、其商賣をな、予は日頃から惡いことぢゃとは思ふてをりませんのぢゃ。 底が惡けりゃ直しますんでなァ。
- マラヽ
- 其處とは何處だ?えゝ、此唐變木めが。汝の商賣を訊いてゐるのだ?
- 市民二
- あゝ、もし、そんなに機嫌をお損じなさいますな、貴下方の損じを直すのが商賣ぢゃけどもな。
- マラヽ
- 何だ?直す、見事、乃公を!
- 市民二
- いゝえなァ、貴下のお靴をな。
- フレー
- ぢゃ、靴直しか、汝は?
- 市民二
- はい、全くのところ、錐一本が予の資産でござります。
外の商人衆と張合もしませねば、どこの女子しゅとも突合もしませぬ。
ぎり〜のところ、古靴の外科醫者でござります。どんな靴の難病でも、
すぐ治して御覽に入れます。凡そ柔皮を蹈まッしゃりますお歴々で、 御用を仰せつけられん方はござりません。
- フレー
- だが、何故今日店を空けるんだ?何だって此手合をあっちこっちと引廻してゐるんだ?
- 市民二
- 正直、歩かせりゃァ靴が傷みますから、手前の商賣が繁昌しまする。
いや、全くのところ、シーザーさまのお目出たい勝軍のお祝に、 仕事を休んだのでござります。
- マラヽ
- 何故祝ふんだ?何が目出たいんだ?如何いふ勝軍だと思ってゐるんだ?
シーザーの戰車の鎖に敵國の名譽の捕虜でも繋がれて來るのか?……
おゝ、木とも石とも無感覺とも言ひやうのない無情酷薄な町民めら!
ポンピーどのを知らん汝らか?汝らは、大ポンピーどのがローマへ凱旋するのを待ち構へて、
幾たびも〜石垣や城壁や塔や窓や烟突の頂上へまでも攀登ったぞよ、
腕には幼兒を引抱へて、氣長にも一日がかりで。
さうして其戰車が微とでも見えて來ると、 汝らは何時も〜一齊に大喝采をしをったので、
タイバー河の凹んだ岸が其爲に反響して、河底が震動した位のものだ!
然るに、今となって、其樣に晴衣を被飾り、職業までも休んで、
ポンピーどのゝ血族を滅して凱旋する其男の馬前に花を撒くとは何だ?
去っちまへ!家へ駈戻って、土下座をして、神さまに詫びろ、さうでないと、
今に天罰の疫病が恩を知らぬ汝らの頭の上へ降って來るぞ。
- フレー
- さァ〜、お前たち、早く歸って、此罪ほろぼしに同輩の職人どもを驅輯めて、
タイバー河へ伴れて行って、懺悔の涙を河へ泣き込め、それが爲に河の水が増えて、 波が岸を越すほどまでに。……
平民等みな〜入る。
下等な奴等でも、言ひ聞かせりゃ、流石に感動しますわい。惡かったと思ふと見えて、
何にも言はんで去っちまった。……君は、其方の方を、
議事堂の方を見廻って下さい。予は此方を見廻らう。
王冠などを被せた像があったら、引剥いで下さい。
- マラヽ
- 引剥いでも可からうかね?今日はリューパーカルの祭日だが。
- フレー
- かまはない。シーザーの爲にする飾物は、決して容赦すべきでない。
見附次第、予は平民どもを追拂ひませう、君も、彼奴等が集ってゐたら、
さうして下さい。シーザーの翼の小羽根が段々と殖えるのを、今の中に拔いてしまへば、
彼奴高翔が出來なくなるが、さうでないと、目も逹かんやうな處まで舞上るだらう。
すると、我々は目下に見られて、始終戰々してゐねばならぬ。
二人とも入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第一幕 第二場
第一幕
第二場 同處。大通り。
-
音樂につれて行列をして出て來る。眞先にシーザー、
つゞいて競走の身支度をしてゐるアントニー(アントーニヤス)、
カルパーニヤ、ポーシャ、ディーシヤス、シセロー、ブルータス、カシヤス及びカスカ。
其後より市民大勢其中にまじりて一人の豫言者。
- シーザ
- カルパーニヤ!
- カスカ
- しッ〜!シーザーのお發言だ。
音樂止む。
- シーザ
- カルパーニヤ!
- カルパ
- はァ、お前に。
- シーザ
- アントーニヤスの直前に立っておいでなさい、彼れが競走を始めたら。 ……アントーニヤス!
- アント
- シーザー閣下。
- シーザ
- アントーニヤス、君が駈出した際に、忘れないでカルパーニヤに觸ってやって下さい。
老人連の話によると、子の無い女も、此神聖な競走で、男子に觸って貰ふと、
石婦の呪をまぬかれるといふから。
- アント
- 心得ました。シーザーが「斯う爲い」とお命じある以上、實行は必然でございます。
- シーザ
- はじめい。決して式を略くな。
音樂はじまる。
- 豫言
- シーザー!
- シーザ
- や!呼ぶのは誰れだ?
- カスカ
- 物音をやめろ。しッ〜、もう一度、靜かに〜!
音樂止む。
- シーザ
- 群衆中で俺を呼ぶのは誰れだ?樂の音よりも甲走った聲で「シーザー!」と呼んだ。
返辭をしろ、シーザーは耳を向けてゐるぞ。
- 豫言
- 三月の十五日を御警誡なさい。
- シーザ
- あれは何者だ?
- ブルー
- 豫言者らしい者が三月の十五日を御警誡なさいと申します。
- シーザ
- こゝへ伴れて來なさい、其奴の面を見よう。
- カスカ
- やい、そこから出て來て、シーザーどのをお見上げ申せ。
豫言者群集中から前へ出る。
- シーザ
- 俺に何を言はうといふのだ?もう一度言へ。
- 豫言
- 三月の十五日を御警誡なさい。
- シーザ
- こいつは空想家だ。うっちゃっておいて、さ、さ。
セネット調の喇叭と共に一同入る。ブルータスとカシヤスだけ殘る。
- カシヤ
- 競走の式を御覽にならんのですか?
- ブルー
- 見ません。
- カシヤ
- さうおっしゃらんで、御覽なさいよ。
- ブルー
- 予は遊戲事を好きません、アントニーのやうなあゝいふ快濶な氣分が乏しいんですから。
カシヤス、どうか、予にはお介意なく。予はこれでお別れします。
- カシヤ
- ブルータス、つい近頃心附いた事だが、
貴下の予を見る目附に以前のやうな柔和みもなけりゃァ愛情も見えない。
貴下は信友に對して、妙に取方附けて、 よそ〜しうばかり振舞ふてござるやうに思ふ。
- ブルー
- カシヤス、誤解をしちゃいけない。或ひは一皮かぶったやうな顏附をしてゐたことがあったかも知れないが、
それは心配顏を只一へに自分にのみ見せようとしたからです。
(他人に見せたくなかったからだ)。予は近來兩立させがたい二つの情の爲に苦しんでゐる、
それで素振が變って見えたでもあらう、が、それが爲に親友に……カシヤス、貴下が其一人だが
……貴下なんぞに心配を掛けたくない。或ひは無愛想な振舞をしたかも知れないが、
それは全くブルータスの心中に苦しい戰爭がある爲で、他の理由があるなぞと思って下さるな。
- カシヤ
- ぢゃ予は大變に貴下の感情を誤解してゐた、
それが爲に、大切な、是非話さねばならんことを今日まで此胸に藏めてゐた。
ねえ、ブルータス君、貴下は自分の目で自分の顏が見えますか?
- ブルー
- 見えない。目は何物かの反射を借りないぢゃ其れ自身を見ることは出來ない。
- カシヤ
- 其通り。……ブルータス、それが甚だ歎かはしいのです、貴下が自分の隱れた價値を、
自分の影を、おのが目に見せるだけの鏡を有っておいでなさらないのが歎かはしいのです。 わたしは……あの神のやうなシーザーだけは別だが、
……現代の軛に壓へ附けられて呻吟いてゐるローマの諸名士が、
貴下の噂をしては、「あゝ、ブルータスどのに目があったら」と殘念がってゐるのを聞きました。
- ブルー
- カシヤス、貴下は予を如何いふ危險へ誘はうとするのだ、
予が有ってゐもしないものを有ってゞもゐるやうに思はせて?
- カシヤ
- ですから、ブルータス君、まあァお聽きなさい。貴下は自分で自分を照らして見る事は出來ない。
だから、わたしが鏡になって、 貴下の心附いてゐない貴下みづからを貴下に見せようとするのです。
ブルータス君、予が危險がるには及びません。
予が平生戲談口を吐いたり、出逢ひ放題に莫逆を誓ったり、
前では追從を言って抱擁して、蔭で惡口したり、宴席なぞで、
そこに居る限りの者を信友にしてのけるやうな男でゝもあったら、危險ともお思ひなさるが可い。
喇叭の聲が盛んに起って喝采する聲が聞える。
- ブルー
- や、あの喝采は?若しや民衆がシーザーを王に選んだんぢゃないか知らん。
- カシヤ
- では、貴下はそれを心配なさるね?
すると、シーザーを王にするのは貴下は欲しない所だと考へていゝわけですね。
- ブルー
- 欲しない、が、予はシーザーを愛してゐる。……
が、何故貴下は斯うして何時までも予を引留めるのです?
何を予に話さうとおふのです?若しそれが國家全般の利福に關する事なら、
一眼には正義を、一眼には死をお見せなさい、予は雙方を無差別に見よう。
神々も照覽なされ、予は死を恐れるよりも寧ろ正義を重んじる。 (大義名分の爲になら決して一命を惜まない。)
- カシヤ
- ブルータス、貴下のさういふ節操の有ることは、予が善く知ってゐる、
貴下の顏を知ってゐる程に。ところで、予の言はうとするのは、
其正義といふことなんだ。貴下や他の人逹は目下の生活を如何思って居られるか知らんが、
少なくも予としては、自分と同樣んお人間なんかを怖れて生きてる位なら、
死んだ方が優だと思ふ。予はシーザー同樣に自由の國民に生れたんだ。
貴下とてもだ。我々とても彼れ同樣に飮食もすりゃ冬の寒さを耐へもする。
現に、甞て風のすさまじく吹荒れて、タイバー河の奔流が岸に激する或冬の日、 シーザーが予に言ふには「どうだ、カシヤス、
此怒濤の中へ予と一しょに飛込んで對岸へ泳ぎ拔く勇氣があるか」と。
予は、それを聞くや否や、衣類を着たまゝ飛込んで、
さァ尾いて來いと言ったれば、奴も同じく飛込んだ。轟き渡る急流を、何、
これ式にと血氣の腕節、拔手を切って、掻き分け、蹴分け、一文字、まだ對岸へは着かんうちに、
もうシーザーめは「助けてくれ、カシヤス、沈む沈む」とわめきをった。 わが太祖のイーニヤスが、トロイ落城の其砌、
火焔の中から老父アンカイシーズを肩に掛けて救ひ出した時の樣に、
自分はタイバーの波間から、疲れ果てたシーザーをば救ひました。
然るに、今、其男は活神と崇められ、カシヤスはみじめな只の人間、
若しシーザーめが頤を一つしゃくりでもすれば、此腰を屈げねばならん。……
スペインに居った頃、彼奴ァ瘧をわづらって、發作が始まると、おそろしく慄へをった、
世界を戰かす其眼も光を失ひ、うん〜と唸きをりましたぞよ。
いや、全くだ、今日口を開けば全ローマ人に耳を欹てさせ、
片言隻句をも其手帖に書留さする其舌が「あゝ苦しい!チゝニヤス、何か、飮むものを〜」 と病んでゐる小娘のやうに叫きましたぞよ。
あゝ、實に竒怪千萬、あんな弱蟲めが此大世界の先登者となって、只獨り勝利の名譽をほしいまゝにしをるとは!
喝采の聲。喇叭の聲。
- ブルー
- また大勢でわめいてゐる!何かシーザーへ重ね〜゛榮譽を獻げようとするものがあるのであらう、
それが喝采するのに相違ない。
- カシヤス
- ねえ、足下、彼奴はまるで巨漢のように世界を狹しと蹈みはだかって居るのに、
我々小人どもは、其巨きな脚の間に跼蹐って、
みじめな墓場を搜さうと覗いてゐる。ねえ、ブルータス、人間が時としては其運命を司ることがあるよ。
我々が斯な劣者となってゐるのは、罪が運星にあるんぢゃなくて、我々の心にあるんだ。
ブルータスとシーザー。其「シーザー」といふ名前に何が有る? 何故其名前が貴下の名前よりも大層らしく口にされるか?
書並べて見ても優劣はない、呼んで見ても呼聲に上下は無い。衝噐に懸けても輕重は無く、
呪文に使へば「ブルータス」も「シーザー」同樣、精靈を祷り出す役に立つに相違ない。
一體、全體、シーザーめは、そも〜何を食ひをって、あんなに偉くなりをったか?
あゝ、現代よ、汝は大恥を掻いてゐるんだ!ローマよ、 汝は英邁果敢の血統を失ってしまったんだぞ!
大洪水このかた、英雄は只一人しか無かったといふやふな時代があったか? ローマの過去を語るに當って、
此宏大な城壁が只或一人をのみ圍繞したなぞと假にも言ひ得た者があるか?
ローマは大共和國だ、たった一人だけを容るになら、成程、へッ、大でもあらうかい!
おゝ!貴下も予も豫て親共から聞いてゐる筈だ、
昔ブルータスといふ人がゐて、王を戴く位なら、惡魔をローマに君臨させたはうが優だといったと。
- ブルー
- 貴下が予を愛して下さることは、毫も疑はん、又、
何を予にさせようとしてゐなさるかも略察してゐる。
それにつき、又現下の形勢についての予の考へは、後日改めて話しませう。
今日は、お願ひだ、これだけにしておいて下さい。貴下の言はれた事を熟考もしようし、
更に言はうとなさる事をも猶とくと聽きませう、 さういふ大事をば聽いたり答へたりするのに都合の好い時を求めて。
それまでのところ、此一言を含味しておいて下さい。ブルータスは、
現代が我々に課さうとするこんな酷い條件の下でローマ市民となってゐるよりは、 只の一村男となったはうが優だと思ふと。
- カシヤ
- 予の薄弱な語がブルータスに衝突って、
それほどの火花をでも發せしめたかと思ふと、滿足です。
- ブルー
- 競戲が了ったから、シーザーが歸って來ますよ。
- カシヤ
- 彼等がこゝを通る時分に、カスカの袖を引いて御覽なさい、すれば彼男、 例の皮肉な口吻で、今日の重要な事件を話しませう。
シーザー及び其陪從者等出る。
- ブルー
- さうしませう。……が、カシヤス、御覽なさい、シーザーの額は例の癇癪で赤くなってをり、
他の者は皆な叱られた陪從といふ顏をしてゐる。
カルパーニヤの頬は蒼ざめ、シセローの目は[けものへん|蒙]鼠の目のやうに眞赤だ、
甞て議事堂で元老等に反對演説をされた時に、ちょうどあんな凄い目附をしたっけが。
- カシヤ
- カスカに訊きゃ、仔細がわかるでせう。
- シーザ
- アントーニヤス!
- アント
- シーザー?
- シーザ
- 予は肥った者ばかりを左右に置きたい、滑ッこい頭附の(髮を綺麗に撫附けてゐる)、
夜も善く眠るやうな奴をなう。あそこにゐるカシヤスなどは、痩せて、
空腹さうな顏をしてゐる、考へてばかりゐる。あゝいふ男は危險だ。
- アント
- 御心配めさるな、シーザー、危險な男ぢゃありません。立派な善い性質のローマ人です。
- シーザ
- もっと肥ってゐりゃ安心だが!いや、心配なぞはせんよ。 が、假に此シーザーが心配したり恐れたりすることがあるとすれば、眞先に、
彼痩せたカシヤスを遠ざけるだらう。讀書家でもあれば、觀察にも長じてゐる、
行爲の最底までも見透す。演戲などは好かん、
お前のやうに。音樂も好かん。笑ふことも稀だ、たまに笑へァ自ら嘲るやうに笑ふ、 かりにも笑ったおのが心をさげすんでゐるかのように。
あゝいふ手合は自分以上の者を見ると不安を感ずる、だから危險だ。
だが、こりゃ恐るべき物は何かといふことを話したまでだ、予が恐れてゐるのぢゃない、
予はいつだってシーザーだからなう。右の方へ來てくれ、此方の耳は聞えん。
え、お前は彼男を如何思ふ、正直に話してくれ。
セネット調の喇叭。シーザー及び其陪從者一同入る。カスカ後に殘る。
- カスカ
- 貴下は予の袖を引いたね、何か用がありますか?
- ブルー
- あります。如何な事件がありましたね今日?シーザーが不快げな貌をしてゐましたが。
- カスカ
- おや、貴下はシーザーと一しょにゐなすったんぢゃないか?
- ブルー
- ゐたんなら、君に訊ねる必要はない。
- カスカ
- 何ね、王冠をシーザーに獻げた者があったんですよ。ところが、其獻げた王冠を、大將、
手の背で以て、如是鹽梅に排斥しました。すると公衆は大喝采。
- ブルー
- あの二度目の騷ぎは何でした?
- カスカ
- さァ、それも同じくでさ。
- カシヤ
- 三度喝采しましたぜ。一番終のは何の爲でした?
- カスカ
- さァ、それも同じく。
- ブルー
- ぢゃ、三度王冠を獻げたんですか?
- カスカ
- いかにも、其通り。ところで、彼れは三度とも排斥しました、後ほど手柔かにね。
すると、其排斥するたびに、正直者の先生たち喝采しました。
- カシヤ
- だれが王冠を獻げたんです?
- カスカ
- はて、アントニーでさ。
- ブルー
- カスカ君、その時の模樣を話して下さい。
- カスカ
- それを話すくらゐなら、いっそ縊殺されッちまったはうがいゝ。
全く馬鹿々々しい。よくは見ても居ませなんだがね。マーク・アントニーが王冠を獻げるのを見ましたがね、
王冠とは名ばかり、例の月桂樹を綰ねた奴さ。すると、今も言った通り、
奴は直ぐそれを排斥しました、が、わたしの察しぢゃ、いかにも欲しさうだった。
と、アントニーは二度目それを彼れに獻げた。と、又排斥した、が、察する所、
奴それが引掴みたくてならなかったらしい。すると、アントニーが三度それを彼れに獻げた、
と、彼れは三度それを排斥した。ところで、奴がそれを辭退するたびに、 愚民群は喝采した、びゞ割れた手を叩くやら、
汗臭い夜帽を抛上げるやら、 シーザーが王冠を辭したといって堪らん臭い息を吐きかけて呶鳴り立てた、
その爲に、シーザーは息を塞らせ、噎せかへって、とう〜卒倒してしまッたんです。
をかしくッてたまらなんだが、予は能う笑はなんだ、 うっかり口を開けぁ惡い空氣が入って來るからね。
- カシヤ
- ま、ちょいと。え?シーザーが卒倒しましたか?
- カスカ
- 公會場の眞中で卒倒しました、口から泡を吹いて、全く無言で。
- ブルー
- ありさうなこと。癲癇は彼男の持病に有る。
- カシヤ
- いや、シーザーには無い、が、貴下は予やカスカ君には顛倒病といふ持病がある。
- カスカ
- そりゃどういふ意味だか知らんが、シーザーの卒倒したのは事實ですよ。
寄集ってた襤褸共は、まるで劇場で俳優を扱ふやうに、
シーザーの爲る事が奴等の氣に入りゃ手を叩く、氣に入らねば罵る、 こりゃ全く僞の無い話です。
- ブルー
- 正氣に返った時、シーザーは何といひました?
- カスカ
- さァ、卒倒する前に、平民共が彼れが王冠を辭するのを喜ぶのを見て、
彼れは手づから其下被の胸元を押開けて、公衆に向って、 さァ此喉を切れち言ひましたよ。あゝ、
若し予が町の職人であって而も奴の言葉を該時實行せなんだなら、
世間の惡黨と同じに地獄へ落ちても遺憾なしだ。そこで以て卒倒したんです。
それから我に返っていふには、若し予が何か間違った事を爲たり言ったりしたなら、
諸君は何卒それを予の病ひだと思ってくれ、と斯う言った。
予の傍にゐた三四人の女郎は「あらま!お氣の毒なお方!」とわめいて、
眞底奴に同情してゐましたが、彼奴らは沙汰の限りでさ。
シーザーの爲に實母を突殺されてゐたっても同じやうなことを言ひかねない奴等だからね。
- ブルー
- ぢゃ、其後で歸って來たのですな、あんなに鬱いで?
- カスカ
- さやう。
- カシヤ
- シセローは何か言ひましたか?
- カスカ
- さやう、希臘語でね。(陳奮漢語でね)。
- カシヤ
- どんなことを?
- カスカ
- いや、それがお話し申せたら、又とはお目にかゝりにくい。併し解った手合は、
互ひににや〜笑って、首を振ってゐましたが、予に取っちゃ
(諺通り)全くの希臘語でね。それからまだお話がある。
マラヽスとフレーヰ゛ヤスはシーザーの像から飾物を引剥いだといふんで謹愼を申し附けられましたよ。
さよなら。まだ〜馬鹿な事もあったんだが、忘れてしまった。
- カシヤ
- 今夜御一しょに晩食をいたしたいんですが、如何でせう?
- カスカ
- いや、既に前約があります。
- カシヤ
- ぢゃ明日の晝食はどうです?
- カスカ
- さァ、予が幸ひに生きてをり、貴下の氣も變らず、其御馳走が又食ふに足ればね。
- カシヤ
- けっこう。お待ち申すよ。
- カスカ
- どうぞ。さやうなら、兩君。
カスカ入る。
- ブルー
- 樸訥な男になったものだ。學校に通ふ頃には機敏な方であったが。
- カシヤ
- いや、今でも機敏です。何か大膽な又は大きな計画を行る段となると、
表面を懶惰げに粧ってはゐるが。
あの不作法な口吻が持前の皮肉に味を附けて、奴の語を一段面白く思はせ、 喜んで咀嚼させ賞翫させます。
- ブルー
- なるほど。今日はこれでお別れしよう。若し明日話をして下さるやうなら、お宅へ伺はう。
或ひは宅へ來て下さるなら、待ってゐませう。
- カシヤ
- 伺ひませう。それまでに、世の中の事を考へおいて下さい。……
ブルータス入る。
はて、ブルータス、お前は高潔な人だ。併しお前の公明正大な性質も持前でない方へ捻ぢ向けられないこともない、
それゆゑ君子は常に君子を友とするが當然だ。何故なら、決して誘惑されんやうな堅固な人間が何處にあらう?
シーザーは俺には辛く當るが、ブルータスをば愛してゐる、若し俺がブルータスで、
ブルータスが俺であったら、彼れは俺の氣を誘ふことは出來まい。……
今夜、種々の書風で書面をしたゝめ、種々の市民からよこしたやうにつくろって、
彼れが家の窓へ抛入させておかう、 ブルータスの名に對して非常な信用を抱いてゐるやうにしたゝめた書面を。
其書面にはシーザが野心を抱いてゐる事を暗示かしておかう。 それでも尚シーザーの位置がゆるがぬやうなら、人力の及ばん所だ、
一段の不幸を忍ぶより外は無い。
カシヤス入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第一幕 第三場
第一幕
第三場 同處。街頭。
-
雷鳴電光。カスカ、劍を拔き持ちて一方より、又一方よりはシセロー出る。
- シセロ
- 今晩は、カスカ。シーザーを送り屆けましたかい?何故息を切ってゐなさるのだ? 何故さう目を据ゑてゐなさるのだ?
- カスカ
- 貴下は駭かんのか、釣合が狂って地球がぐら〜と動いてゐるのに?
おゝ、シセロー!予は度々大あらしに逢って、 瘤々だらけの槲の幹を怒る風の裂くのをも見たし、
大海が大それた望を起して、逆卷き、怒り、泡立って、 落ちかゝらうとする黒雲へ撞着らうとするのをも見た。
けれども決して今夜までは、決して今日までは、火の降るあらしには出逢はなんだ。
天上界に内亂でも起ったか、或ひは人間が神に對して餘り不作法なので、 神が怒って破滅を降すのか?
- シセロ
- はてね、其外にもまだ、何か不思議なものを御覽じたかね?
- カスカ
- 貴下も見知ってうをられる彼役所の奴隸が、左の手をさしあげてゐましたが、
それがまるで炬火二十本も合はせたやうに炎々と燃えてゐました、
しかも手は燒けもせず、爛れもせず。そればかりでなく、議事堂の前まで來ると、
予は獅子に出逢ひました、それ以來、劍を鞘に納めません。
奴予をじっと睨んで、凄い貌をして行過ぎました、何の害をも加へず。
それからまた、凡そ百人ほどの女どもが一團となり、
眞蒼な貌をして、人心地もなく怖れ、戰き、
今がた全身火となった人逹が街を驅廻ってゐるのを慥かに見たと斷言しました。
それから、昨日はまた、眞晝間に梟が市へ降りて、フー〜と啼きました。
斯う種々な凶い兆が一致して起るからには、
「これは云々の學理に因る當然の現象だ」
なぞと言っちゃをられません。何か不祥な事が此國に起る知らせに相違ない。
- シセロ
- 成程、不思議な時節柄です。併し人は、とかく、めい〜思ひ思ひに、
事物の本來には無關係な解釋を下すものです。シーザーは明日議事堂へ來ますかい?
- カスカ
- 來ます。現に、アントニーに明日出席の事を貴下に傳へろと吩咐けてゐました。
- シセロ
- では、お休みなさい、カスカ。かういふ荒れる晩には出歩けませんわい。
- カスカ
- 御機嫌よう。
シセロー入る。
カシヤス出る。
- カシヤ
- 誰れだ?
- カスカ
- ローマ人。
- カシヤ
- カスカだな、其聲は?
- カスカ
- 聰い耳だ。カシヤス、何て晩だらう?
- カシヤ
- 正しい人間にゃ愉快な晩だ。
- カスカ
- こんな怖ろしい天の威嚇があらうとは、よもや豫期してゐたものはあるまい。
- カシヤ
- 罪過だらけの人間界を知ってゐる者なら、豫期してゐるべきだ。
予なぞは、此危險な雷雨中を、先刻から彼地此地歩き廻ってゐた、
此通り肌衣を押開けて、雷石に胸を曝して。 十字に閃く電光が天の胸元を開くやうに見える途端に、
ちょうど其眞正面へ此身體を持出してゐた。
- カスカ
- だが、何故貴下は、そんな、神をからかふやうな事をするんだ?
強大な神々が怖ろしい前兆を下して、我々を駭かす時分にゃ、 恐れ戰くのが當然ぢゃァないか?
- カシヤ
- カスカ、君は鈍感な男だ、君はローマ人の缺くべからざる生の火花を有つてゐないのか、
或ひは有つてゐて用ひないのか?眞蒼な顏をして、目を見張って、
天の此竒怪な憤激を只怖れたり驚いたりしてゐる。が、若し君が其眞因を考へたなら……
何故あんんあ焔が燃え立ち、何故あんな幽靈が現れ、何故禽獸が其質を變じ、
何故老人が愚に返って、子供が却って未來を語るか、何故世上のあらゆる者が其定めにも、
本來にも、持前にも背いて、竒怪至極な性質を現すに至ったかを考へたなら、 天が、つまり、此竒怪な現象を以てして、
人間界の状態の不自然なのを諷示し警告するのだといふことが解る筈だ。 カスカ、予は、現に、或一人を名指すことが出來る、
其奴は此怖ろしい夜同樣に、雷ともなり、電ともなり、墓をも發き、
議事堂前の獅子のやうにも吼え猛る。個人としては、君や俺に比べて決して偉くはない、
が、次第に忌々しい勢力を得て、今ぢゃ此不思議なあらしのやうに怖ろしいものになってゐる。
- カスカ
- そりゃシーザーの事だらう?え、カシヤス?
- カシヤ
- 誰であらうと關はん、ローマ人が其先祖に恥ぢん筋骨を具へてゐる以上は。
が、情ないこった!父親の精神は死んでしまった、 我々は母親の魂魄に支配されてゐるんだ。
意氣地なく軛を掛けられて得るのを見ると、吾々は皆な女だ。
- カスカ
- 成程、さういへば、明日は元老がシーザーを王にするといふ噂だ。
さうなりゃ奴は、イタリーだけを除いて、海陸各地の王となるんだ。
- カシヤ
- さうなれば、何處に此短劍を帶ぶべきかを俺は知ってゐる。 カシヤスが此カシヤスを奴隸の境涯から救ってやる。あゝ、神々よ、
貴下方は斯うして弱い人間を最も強き者になさる。あゝ、神々よ、 貴下方は斯うして世上の暴虐者の鼻をあかせんさるんだ。
どんな石の塔獄も、どんな黄銅の城壁も、どんな深い穴牢も、
どんな堅固な鐡の鎖も、斯うと決心した精神を抑制する力は無い。
人が一たび此生の羈絆に倦み果てたとなれば、生を絶つ力は何時でも吾に在る。
俺が之を知ってゐる以上、世間の者も心得ておけ、今俺が忍んでゐる此專横は、 拂はうとさへ思や、わが手で拂ひ除けることが出來るんだ。
雷鳴尚つゞく。
- カスカ
- 俺にだって出來る。いや、どんな奴隸だって、羈絆を脱する力だけはめい〜自分で握ってゐる。
- カシヤ
- ぢゃ、何故シーザーが專横を働くに至ったか?憫然に!あの男、まさか、
狼にならうとは思ふまい、ローマ人を羊も同樣と見くびらなけりゃァ。
獅子にゃならなかったらう、ローマ人が牝鹿でなけりゃァ。急に大きな焚火をしようとする者は、
先づ藁屑で火種を作る。ローマは何たる斷片だ、何たる破片だ、
何たる襤褸だ、シーザーのやうな卑劣人を照し輝す無益な用に使はれるとは!
あゝ、併し、憤慨の餘り、つい飛んだことを口走ったが、それを聞いた男は、
甘んじて奴隸になってゐる氣かも知れない。若しさうだと、此責任を負はんけりゃならん。
が、覺悟は夙にしてゐるから、危險なんざ無頓着だ。
- カスカ
- 相手はカスカだ、讒訴や嘲弄をする男ぢゃァない。さ、握手しませう。
弊害を革正するために、同志をお募りなさい。踏込むからにゃァ、予は決して人後に落ちない。
- カシヤ
- さァ、これで約束は濟んだ。では、お話しするが、予は既に、
最も高潔なローマ人若干名を説落して、公明正大な、併し頗る危險な、
重大計畫に一味させておきました。多分、今ごろはポンピー座の表廊下で予を待ってゐるだらう、
といふのは、かういふ晩にゃァ人通なんかは丸でなし、 折柄の空模樣も我行はうとしてゐる事に似て、殘酷でもあり、
猛烈でもあり、怖ろしくもあるのがふさはしいから。
- カスカ
- ちょいと、お潛びなさい、誰だか急いでやって來ます。
- カシヤ
- シンナだ。歩き附きで解る。彼れも同志です。……
シンナ出る。
シンナ、急いで何處へ行くんだ?
- シンナ
- 貴下を搜しに。そりゃ誰れです?メテラス・シンバー?
- カシヤ
- いや、カスカだ。吾黨の企に同意した一人だ。予を待ってやしないかね?
- シンナ
- (カスカに)それは悦ばしい。何て怖ろしい晩でせう? 不思議なものを見たといふ者が二三人ありますよ。
- カシヤ
- 予を待ってやしないかね?え?
- シンナ
- あゝ、待ってますよ。……おゝ、カシヤス!
若し貴下の力であのブルータス君を身方にすることが出來りゃァ……
- カシヤ
- まァ〜。シンナ君、君は此書面を持ってって、町奉行(ブルータスの職名)
の椅子へ載せておいて下さい、ブルータスがつい見附けさうな處へ。 それから、此れをブルータスの宅の窓から抛込んで下さい。
此れは、老ブルータスの像へ蝋で貼附けて下さい。それが皆な濟んだら、
ポンピー座の表廊下へおいでなさい、予共は彼處にゐるから。
ディーシャス・ブルータスやトリボーニヤスは彼處にゐますか?
- シンナ
- メテラス・シンバーの他は皆なゐます。シンバーは貴下を搜しにお宅へ往きました。
ぢゃ予は急いで往って、お吩咐の通りに處分しませう。
- カシヤ
- 濟んだらポンピー座へおいでなさい。……
シンナ入る。
さァ、カスカ、二人で夜の明けんうちにブルータスを訪ねよう。あの男、
七部は既に此方のものだから、もう一談判で全部此方のものになるに相違ない。
- カスカ
- おゝ!あの男は衆人に尊信されてゐる。我々がすりゃ罪惡と見られることも、
あの男が贊成すりゃ、恰も巧妙な錬金術が鉛を金に化けさせるやうに、 それが美徳ともなれば功績ともなる。
- カシヤ
- あの男の人徳、あの男の我々に必要な所以は、全く君のいはれる通りだ。
さ、出掛けませう、もう眞夜中を過ぎた。夜明前にブルータスを訪ねて確かめておかう。
二人ともに入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第二幕 第一場
第二幕
第一場 ローマ。ブルータスの庭園。
-
ブルータス出る。
- ブルー
- こら、リューシヤス!おい!……星の位置だけぢゃ、推測が附かん、夜が明けたのか、
明けないのか。……リューシヤス、こら!……あんなに眠込んでしまへる癖は羨ましいわい。
……おい〜、リューシヤス!こら、起きろ!こらッ、リューシヤス!
侍童リューシヤス出る。
- リュー
- お呼びになりましたか?
- ブルー
- リューシヤス、書齋へ蝋燭を持ってゆけ。明りが點いたら、來て知らせろ。
- リュー
- かしこまりました。
リューシヤス入る。
- ブルー
- 彼れの一命を絶つより外に法はない。自分としては何の怨みもない、
排けようとするのは一へに公共の爲めだ。……王となりたがってゐる彼れ、
さうなったら、性質が如何變るか、それが疑問だ。麗かな日には足元の用心をせねばならん。
毒蛇の這ひ出るのはさういふ日だ。……彼れを王にする!するとだ!
刺を與へるやうなものだ、それで以てどんな危害を釀すやら圖られない。
權力の弊害は、權に驕って慈悲を忘れる時に始まる。……が、併し、
シーザーの爲めに辯ずれば、彼れの理性が情の爲めに昏まされた例などは曾てない。
が、謙遜は、嫩い野心が青雲に志す其初めに、先づ目を附ける階梯なのだ、
登ってしまふと、其階梯に脊中を向ける。さうして、雲中で睥睨して、
最初用ひた低い足がかりを賤むのが定例だ。
シーザーもさうかも知れない。……で、さうさせないために、先んじて制する。……
だが、現在のまゝでは名分が立たんから、斯ういふ風に觀る、今の彼れが次第に増長して、
斯樣々々の甚しい事を行ふやうになるとする。すなわち、彼れは毒蛇の卵である、
それが孵って蛇となれば大害を釀すに相違ない。だから、卵の間に碎く。
リューシヤス出る。
- リュー
- お書齋へ蝋燭を點けました。燧石を搜しますとて、窓で、
如是な風に封をした書面を見附けました。先刻床へ入ります時分にはありませんでした。
一通の書状をブルータスに渡す。
- ブルー
- また床へ入れ、まだ夜は明けん。……こりゃ、明日は三月の祭日か?
- リュー
- 存じません。
- ブルー
- 暦を査べて來い。
- リュー
- かしこまりました。
リューシヤス入る。
- ブルー
- 流星が空を走るから、其光で讀めさうなものだ。……
書状の封を切る。
ブルータスよ、汝は眠れるなり。覺醒して汝自らを見よ。
ローマは徒らに、云々。口を開け、手を下せ、弊を除け!
「ブルータスよ、汝は眠れるなり。覺醒せよ!」…… かういふ文意の書面は今までも度々落してあるのを拾った。
「ローマは徒らに、云々。」……こりゃ斯う補はんけりゃならん。 ローマは徒らに一個の人間を畏恐れて、
其奴隸たる境涯に甘んぜざるべからざるか?……何、ローマが?……先祖のブルータスは、
ローマの街から、その頃、王と呼ばれてゐたタークヰン一家の者を追出してしまった。
……「口を開け、手を下せ、弊を除け!」……俺に口を開け、手を下せと頼むのか?
……おゝ、ローマよ!承知したぞ。もし果して弊を除くことが出來れば、
汝の願望は悉くブルータスの手で遂げられるのだ!
リューシヤス出る。
- リュー
- もし、三月はもう十五日になってをります。
- ブルー
- よろしい。(奧にて叩く音)木戸口へ行け。誰やら叩く。……
リューシヤス入る。
カシヤスの説かれてシーザーを殺さうと思って以來一睡もしない。 ……怖ろしい事を思ひ立って彌々それを實行するに至るまでの間は、
凄い幻影か、怖ろしい夢かを見てヰるやうな心持だ。
精神と肉體とが協議をはじめる、人の心の中が小王國の亂れたやうに攪亂する。
リューシヤス又出る。
- リュー
- もし、お目にかゝりたいとおっしゃいますのはお兄弟(義妹の夫)のカシヤス樣でございます。
- ブルー
- 獨か?
- リュー
- いゝえ、他の方もいらっしゃってゞございます。
- リュー
- 汝が知ってゐる人か?
- リュー
- いゝえ。耳元まで帽子を引冠って、お顏を外套で隱していらっしゃいますから、 どんな方だかお顏を見ることが出來ません。
- ブルー
- こちらへ通せ。……
リューシヤス入る。
きっと徒黨の者だ。……おゝ、陰謀よ!汝は夜ですら人に面を見られるのを恥ぢるか、
罪惡が自在に横行する夜ですら?おゝ、では、 迚も白晝は其竒怪な顏色を隱すに足るような暗い洞はありまいぞ!
陰謀よ、隱れ所を搜すのを止めて、笑の裡や愛嬌の中に身を隱せ、
持前の顏附で出歩いたら、黒闇地獄の闇を以てしても、一目に掛らぬやうに、 汝を隱し了せることは出來なからう。
徒黨の者出る。カシヤス、カスカ、ディーシャス、シンナ、メテラス・シンバー及びトリボーニヤス。
- カシヤ
- お寢み中を甚だ失禮。お早うございます。御迷惑でせうか?
- ブルー
- もう起きてゐました、終夜眠れませなんだので。御一しょの諸君は予のお知合ですか?
- カシヤ
- はい、何れもお知合です。何れも貴下を尊敬してをられる。
そして、どうか、ローマの衆名士が貴下に對して抱いてゐるやうな考へを、
貴下御自身にも抱かれるやうにしたいと望んでをられます。 ……これはトリボーニヤスです。
- ブルー
- ようこそ。
- カシヤ
- これはディーシャス・ブルータス。
- ブルー
- ようこそ。
- カシヤ
- これはカスカ。……これはシンナ……そしてこれはメテラス・シンバー。
- ブルー
- 何れもようこそ。如何いふ御心配があって、諸君はお寢みなさらないのです?
- カシヤ
- 少々申したいことがある。
カシヤスとブルータスとだけ立離れて、耳語する。
- ディシ
- こちらが東だ。日は此邊から出ませうな?
- カスカ
- いゝや。
- シンナ
- おゝ!失敬だが、出ますよ。あの雲の灰色の縞が出來てゐるのは日の出る先驅です。
- カスカ
- 兩君とも間違ってますよ。それ、予の此劍の方角から太陽は昇ります、すなはち、
ずッと南へ寄ってゐます、季節がまだ春先ですから。もう二三ヶ月も經つと、
一段高く北の方から昇りはじめます。眞東は議事堂と同じで、ちょうど此邊です。
- ブルー
- 諸君、お一人づつ、順にお手を戴かう。
- カシヤ
- さうして決心の誓ひをしませう。
- ブルー
- いや、誓ふには及びません。若し公衆の顏の色や、吾々の精神の苦悶や此目前の弊害が……
これらが尚ほ動機としては不足であるなら、すぐ解散して、各人床へ入ってねてしまったはうがよろしい。
角鷹のやうな高慢な專制者に生殺與奪の全權を任せてしまふがよろしい。
併し今言った三ケ條が果して憶病者の心をも燃立たせ、 鉛のやうな女の精神をも鋼鐡とならせる力があるなら、
我々が國弊を除かんとするに當って、此志以外の刺戟は要らない筈です。約束した、變心しない、
と明言した以上、二枚舌を有たないローマ人に、どんな、他の羈絆が要りますか?
正義の士が正義の士に對して、かやう〜にしよう、若し間違ったら一死あるのみ、 と明言する以上に、如何いふ誓が要りませう?
誓ふのは僧侶や憶病者や腹黒な輩を侮辱する半死の老骨や卑屈の徒輩に限ることです。
惡事を企てゝ互ひに疑ひ危めばこそ誓ふのです。併しながら此公明正大な企を、
此抑制しがたい果敢の精神を穢すやうな振舞をなさるな、其爲に誓が要るなぞと思って。
各ローマ人の體内の高潔な血も、一滴毎に不正な、穢はしい血を混へてゐるといはねばなりません、
若しローマ人が其口から發した約束を分厘たりとも破るやうなら。
- カシヤ
- 併しシセローは如何しませう?そびいて見ませうか?身方にすれば大きな後援ですが。
- カスカ
- 是非お加へなさい。
- シンナ
- 無論ですよ。
- メテラ
- おゝ!どうかさうしたいものだ。あの銀色の頭髮はきッと我黨の爲に好評を買ひます、
輿論をして我々の爲た事に贊成せしめます。我々の手は彼れの分別を經て働いたのだと言はれる、
すれば血氣とか粗暴とかいふ嫌疑は彼嚴格な顏色の底に隱れてしまひます。
- ブルー
- いや!彼れはお止しなさい、彼男には打明けないはうが可い。
彼れは何でも他人の始めた事を、其後から奉じて行く男ではありません。
- カシヤ
- では除きませう。
- カスカ
- 成程、彼男は不可ますまい。
- ディシ
- 時に、吾々が手を下すべきはシーザーばかりですか?
- カシヤ
- ディーシャス、好い處へお心附でした。
予はシーザーにあれほど愛せられてゐるマーク・アントニーを生しておくのは宜しくないと思ふ。
彼奴恐らく油斷のならんことを企てませう。それに彼れが實力は、
彌々十分に利用する段となると、我々に大害を及ぼしませうから、先んじて制するために、
シーザーと共に、行つけませう。
- ブルー
- いや、さうしては我々の所爲が餘り殘酷過ぎませう。首を切った上に手足までも切離すとなると、
憤怒にはじまって憎惡に終るのである、アントニーは、たかゞシーザーの手足ですから。
カシヤス、我々は神に犧牲を供へる神官になりたい、牛豚を屠る屠者にはなりたくない。
我々一同が敵と目指すのはシーザーの精神です。精神には血は無い。
おゝ!出來るならシーザーの精神だけを誅戮したい、
彼れが肉體には手を加へないで。しかし、あゝ!シーザーは之が爲に是非とも血を流さねばならん。
諸君よ、大膽に彼れを殺すとも、殘忍には殺しますまいぞ。神への供物を調理する心で刀を揮ひませう、
獵犬に與へる古肉のやうには扱ひますまいぞよ。 我々は、老獪な主人が僕に命じて一旦の怒を實行させながら、後に之を叱るやうに、
我手の爲た事を罵りたいのです。さうすれば、私怨、私憤でなく、國の爲に已むを得ず弊を除くのである、
と公衆の目にも分るから、隨って虐殺者の惡名をばまぬかれます。 マーク・アントニーは打棄っておゝきなさい。
彼れはシーザーの片腕以上の働きをなし得る男ではありません、シーザーの首がなくなりゃァ。
- カシヤ
- 併し予は心配です、何故なれば、彼れはシーザーに對して極めて深い恩誼を……
- ブルー
- あゝ!カシヤス君、彼れの事は心配なさるな。よしシーザーに對して恩誼を感じてゐるにもせよ、
彼れが爲し得る事は個人的で、たかゞ哀愁に沈んでシーザーの爲に悶死する位のものです。
それだけの事でもすれば大した事だ。何故なれば、彼れは遊戲好で、放蕩者で、 交際の樂しみに我を忘れる男ですから。
- トリボ
- 彼れは恐れるに及びません、殺さないことにしませう。
彼奴は平氣で生きてゐて此度の事を笑ひ話にするやうな奴です。
時計の音聞える。
- ブルー
- 靜かに!時計をお算へなさい。
- カシヤ
- 三つ打ちました。
- トリボ
- 別れる時刻ですぞ。
- カシヤ
- 併しシーザーが今日來るか、來ないかゞ、まだ疑問です。 何故なれば、近來大分迷信家になってゐますから、
神經作用や夢や前兆を信じないといふ彼れの以前の主張とは大ちがひに。
或ひは今夜のやうな斯ういふ怖ろしい珍事や竒怪不思議な事があって見ると、占者共の言葉を信じて、
議事堂へ出るのを見合せるかも知れません。
- ディシ
- 其御心配には及ばん。若しさう決心してゐるやうであったら、自分が説落して伴れて來ます。
何故なれば、彼れ、平生、犀は立樹を以て欺くべく、熊は鏡を以て欺くべく、象は陷穽を以て、
獅子は罠を以て、人は追從を以て欺くべしといふ格言を聽くことを好んでゐます。
が「併し閣下は追從はお嫌ひで」と自分が言ふと、彼奴、成程、と大得意です、
おそろしく追從されてゐるのに氣が附かんで。……自分が試って見ませう。
氣に入るやうに持込んで議事堂へ引張って來ませう。
- カシヤ
- いや、我々共も後から參りませう。彼れを伴れ出すために。
- ブルー
- 八時にですか?おそくも。
- シンナ
- おそくも其時刻に。ではお間違へないやうに。
- メテラ
- ケーヤス・ライゲーリヤスは、嘗てポンピーの事を善く言ったのでシーザーに罵られ、
それ以來シーザーに遺恨を抱いてゐます。誰も彼男の事を言はれんのは不思議です。
- ブルー
- メテラス君n、君、どうか彼れの宅へ寄って下さい。彼男は深く予を愛してゐる、
それには理由のあることです。こゝへ來させてさへ下されば、予が巧く説きませう。
- カシヤ
- もう朝です。ブルータス、お別れしませう。諸君、解散なさい。 併し何方も先刻いはれたことを忘れないで、
眞のローマ人たる證據をお見せ下さい。
- ブルー
- 諸君、生々とした快濶な顏色をしておいでなさい、顏に計畫を見せびらかさないやうに。
我國の俳優共のやうに、飽迄も活溌に、陽氣に、沈着に、立派に行動なさい。 さやうなら、何方も御機嫌よう。……
ブルータスだけ殘りて皆々入る。
こら!リューシヤス!眠込んでしまったな?よろしい、蜜のやうな重い眠の露を思ふ存分に賞翫せい。
忙しい苦勞や心配が腦髓の中へ畫いて見せる妄想だの幻像だのを見たことがない汝。 だから其樣に善く眠るられるんだ。
ポーシャ出る。
- ポーシ
- ブルータスどの!
- ブルー
- ポーシャ、あんた、どうしたんだ?今頃何故起きたのです?朝の此寒い風に弱い身體を當てるのはよくありません。
- ポーシ
- 貴下だってよくありません。ブルータス、窃と床をお脱け遊ばしたのは餘りでございます。
昨日のお夕飯にも、不意に起って腕組をして、考へ込んで、溜息をしながら、
彼方此方とお歩きなすった、で、わたしが如何なさいましたと申したら、
こはい貌をしてお睨みなすった。尚ほ押してお訊ねしましたら、
頭を掻いて腹立たしさうに足踏をなすった。けれどもわたしは尚ほ押してお訊ねしました。
けれども貴下は御返辭をなさらないで、腹立たしさうに彼方へ行けといふ手眞似をなすった。
で、わたしは退りました、酷く激していらっしゃるのをお募らせ申してはと心配もしましたし、
二つには、これは誰にも有りがちの、ほんの一時の御不機嫌であらうと思ひましたから。
ところが、それが爲に、貴下は物も食らなければ物もおっしゃらず、
お眠りもなさらない。若しもお氣質は變ったほどにお姿まで變ったなら、ブルータス、
わたくしは貴下を見分け得ない程でありませう。貴下、何卒、
其御心配の原因をわたくしに知らせて下さいまし。
- ブルー
- 予は身體の工合がわるい。それッきりなのだ。
- ポーシ
- ブルータスは愚かな方ではありませんから、若しお身體の工合がわるければ、 それを治す方法をお採りなさるでございませう。
- ブルー
- だから、さうしてゐますよ。ポーシャさん、床へお歸りなさい。
- ポーシ
- ブルータスはお加減がわるい?それだのに、
だらしなくお下衣の胸を披けて濕っぽい朝の空氣をお吸ひなさるのが御養生になりませうか?
まァ!ブルータスは御病氣だのに、衞生に好い筈の床の中を脱け出して、
わざと夜の毒氣を冐したり穢れた空氣に觸れたりして、彌が上に惡い病を招かうとなさるのですか?
いゝえ、ブルータス、貴下は何か胸の中に、切ない、辛い、病の種を持っておいでなさるに相違ない、
それを妻たるの權利を楯にして、わたしは是非承はらねばなりません。それで、
かう土下座をして祈りまする、嘗ては賞めて下さいましたわたしの美しさを呪文にして、
愛すとおっしゃった其誓言を呪文にして、吾々二人を夫婦にし、同心一體とならしめた其盟約を呪文にして、
わたしは貴下に祈ります、打明けて下さいまし。わたしは貴下の半身でございます、
貴下みづからでございます、何故そんなに鬱いでおいでさなるのです、
暗の夜にすら顏を隱す六七人の人逹が先刻見えてゐましたが、あれは如何いふ人逹でございますか、
打明けて下さいまし。
- ブルー
- ポーシャさん、土下座なんぞなさるな。
- ポーシ
- かうする必要はありません、貴下がやさしうさへして下されば。婚禮の規約の中に、もし、
ブルータスどの、妻は夫の身に關する祕密を聞くことは出來ないといふ箇條がございましたか?
夫婦は同心一體とは言へ、限りがあって、言はゞ只三度の食事を共にしたり、
お寢間の伽をしたり、時折お話をする位に過ぎんのでございますか?
わたしは貴下の愛情のほんの外廓に住んでゐるのでございますか?
若しさうならば、ポーシャはブルータスの妻ではなくて、娼妓同樣でございます。
- ブルー
- あんたは予の眞實立派な妻です、
予の此切なる心へ往來する眞赤な滴りほどに大切な、大事の妻です。
- ポーシ
- それが眞實でございますなら、是非祕密を打明けて下さいまし。
成程、わたしは女でございます、けれどもブルータスどのが娶って妻となされた女です。
成程、わたしは女でございます、けれどもケートーの實女です、 世に名を知られた女でございます。貴下は、わたくしをば、
さういふ父や夫を有つてゐても、只の女々しい女に過ぎないと思召しますか? 祕密をお話しなされませ、決して口外はいたしません。決心すれば、
如何な苦痛をも忍耐し得る證據は、手づから此股に傷を負はせて、
いつぞやお見せ申しました。それから忍び得たわたしが夫の祕密を忍び得ますまいか?
- ブルー
- おゝ、神々よ!此立派な妻に恥ぢざる身とならしめたまへ。……
奧にて戸を叩く音。
や!だれか叩く。ポーシャ、暫く奧へいってゐて下さい。今に心中の祕密を話ませう。……
一切の事件を打明けます、わしの心配顏に現れた一切の事を。……さ、早くあちらへ。……
ポーシャ入る。
リューシヤス、誰れだ叩くのは?
リューシヤス、ライゲーリヤスを案内して出る。
- リュー
- 御病氣の方がお目にかゝりたいとおっしゃいます。
- ブルー
- メテラスが噂をしたケーヤス・ライゲーリヤスだ。こりゃ、傍へ寄れ。……
ケーヤス・ライゲーリヤス!如何です?
- ライゲ
- 御免下さい、病人の口から御挨拶を申しまする。
- ブルー
- おゝ!ケーヤス君、折もあらうに、惡い時に、病魔に襲はれなすった! 貴下が病氣でなかったらばと思ふに!
- ライゲ
- 予は病人でない、若しブルータスが大義名分に恥ぢない重要な計畫をしてござるならば。
- ブルー
- ライゲーリヤス、予は正にさうした計畫をしてゐます、 貴下の健康がそれに聽くに堪へるならば。
- ライゲ
- ローマ人の拜するあらゆる神々、きこしめされい、自分はもう病人ではござらん。
あゝ、大ローマの精靈!名譽の血統を傳へ受けられた豪傑!貴下は、修驗者のやうに、
自分の病魔を祈り伏せて、死にかゝってゐた自分の精神を祈り起してくれられた。
さァ、驅け向へとおっしゃりゃ、どんな困難とも鬪ひますぞ、きっと克って見せますぞ。 どういふ事をします?
- ブルー
- 病んで仆れてゐる人々を強健にしようといふのです。
- ライゲ
- それと同時に、今強健でゐる或る男を斃さなけりゃなりますまいな?
- ブルー
- それも必要です。くはしい事は、ケーヤス、目指す其者の宅へ參る途中でお話しませう。
- ライゲ
- お出掛なさい、勇氣が俄に奮ひ起りました、何をするのか知らんが、 ブルータスが先導とありゃ、澤山です。
- ブルー
- では、御案内しませう。
二人とも入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第二幕 第二場
第二幕
第二場 同處。シーザーの館。
-
雷鳴電光。シーザー夜間服(樂著姿)で出る。
- シーザ
- 今宵は天地ともに穩かでなかった。三度までもカルパーニヤが夢を見て大きな聲で
「助けて下さい、シーザーどのを殺さうとしてゐます!」と叫んだ。……だれかゐるか?
一從者出る。
- 從者
- 御前!
- シーザ
- 神官にすぐ犧牲をするやうに吩咐けろ、
さうしてそれが神慮に合ったか、如何か、結果を聞いて來い。
- 從者
- かしこまりました。
從者入る。
カルパーニヤ出る。
- カルパ
- 如何なさいました、シーザー?お出掛遊ばすお積り?今日は御外出なされてはいけません。
- シーザ
- いや、出掛ける。此シーザーを嚇さうとした者共もあったが、 曾て正面に向ひ得た者はなかった。
シーザーの面を見りゃ忽ち消えてなくなッちまふ。
- カルパ
- シーザー、わたくしは曾ぞ前兆なんかを信じたことはありませんでしたが、
今日は怖ろしう思ひます。わたくしどもが見聞きしたことの外に、
それは〜恐ろしい物を夜廻りの男が見たと申してをります。牝獅子が街中で仔を産むやら、
墓穴が口を開いて死骸を吐き出すやら、狂暴な、猛烈な武人が雲の中で戰ふやら、
列を作り、隊伍を整へ、正式の軍の通りに。すると、
其血が雨のやうに議事堂の上へ降り灑ぎ、空中では打合ひ犇めく物音がして、
馬は嘶なく、手負はうめく、剩へ幽靈がをめき叫んで、
街中を驅廻ってゐましたさうな。おゝ、シーザー、こりゃ全く只事ぢゃありません。 わたくしは怖ろしう思ひます。
- シーザ
- 大いなる神逹が斯うと思ひ立ってなされることを人力で避けることは出來ん。
予は、やっぱり、外出ける。はて、何かの凶兆かも知れんが、
世界一般に對しての知らせだ、シーザー一人に對してゞはない。
- カルパ
- 乞食が死ねばとて彗星は現れませんけれど、王侯の亡くなる時には、 天に輝り物が現れて、それを知らせます。
- シーザ
- 憶病者は死ぬまでに幾度も死ぬ。勇者は只た一度の外死の味を知らん。
今まで聞いた世の中の不思議な事の中で、予が最も竒怪に思ふのは、
死を恐れるといふことだ。死は所詮まぬかれがたいものである以上、來る時には來る。……
從者出る。
神官は何と言った?
- 從者
- 今日の御外出は御無用と申しまする。御犧牲の臟腑を引出して見ました所、
その獸に心臟がなかったと申します。
- シーザ
- 神が憶病者を耻しめようとなさるのだ。予が若し今日恐れて家に留まるやうであると、
シーザーは心臟の無い獸とならざるを得ない。いや、シーザーは留らん。危險めは十分知ってゐる筈だ、
シーザーの方が彼れよりも危險なことを。俺と彼れは同日に生れた二頭の獅子だが、
俺の方が兄だから一層怖ろしいのだ。……シーザーは外出ける。
- カルパ
- あゝ、悲しや!御自信が過ぎてお智慧の鏡が昏るました。 今日はお外出んされては不可ません。
貴下ではなく、わたくしが心配してお引留め申したとおっしゃいまし。
元老院へはマーク・アントニーを遣しまして、今日は御不快だと申させませう。
膝を突いてお願ひ申します。お聽入れ下さいまし。
- シーザ
- お前の氣休めの爲に、では、マーク・アントニーに予は不快だと傳へさせて、 邸に留ることにしよう。……
ディーシャス・ブルータス出る。
ディーシャス・ブルータスが來た、彼れにさう言はせよう。
- ディシ
- シーザー、御安泰を祝します!お早うございます、シーザー閣下。 元老院へお迎ひの爲に參りました。
- シーザ
- ちょうど好い時に來て下すった、元老逹へ、予は今日は往かんと傳へて下さい。
往かれないと言っては譃だが、往き得ないと言っては尚ほ譃だ。
今日は往かない、とさう言って下さい。
- カルパ
- シーザーは御不快だと言って下さい。
- シーザ
- 何の爲にシーザーが虚僞を傳へさせる? 遙かなる外國までも此腕で伐從へたシーザーだ、
何の爲に白髮の老人共に事實を語ることを恐れるか?ディーシャス、只、 シーザーは往かない、と言って下さい。
- ディシ
- シーザー閣下、何か理由をお聞かせ下さい、只さう申したばかりでは、 わたしが嘲弄されまする。
- シーザ
- 理由は予の意志にある。往かうと思はない。元老への返辭はそれで十分だ。
が、予は君を愛してゐるから、君の滿足のために言ふが、 此カルパーニヤが、妻が止めるのだ。といふのは、
昨夜妻が夢に予の像が夥しい噴水口を有つてゐる噴水盤のやうに盛んに鮮血をほどばしらしてゐると、
其處へ多勢の強健げなローマ人が莞爾笑ひつゝやって來て、
頻にそれへ手を浸すのを見た。で、それを妻は、
何か災厄の知らせであり前兆であると考へて、今日は決して外出してくれるな、 と膝まづいて予に頼んだのだ。
- ディシ
- 其お夢の御解釋は全く間違ってゐます。それで結構な、めでたいお夢です。
閣下の像が血を吹出してゐる處へ、多勢のローマ人が莞爾笑ってやって來て、
それへ手を浸すといふのは、大ローマは畢竟閣下の血を啜って復活するのでありますから、
そこで歴々のともがらが群り來った、閣下の血で紋章を染めたり、印跡を捺したり、
記念品を作ったり、目標を製したりいたすといふ意味なのでありまする。 それが奧方のお夢に善う現れてをります。
- シーザ
- さう解釋したはうが當を得てゐるやうだ。
- ディシ
- 當を得てをりますことは、只今申上げることをお聽になると、それが一層判然いたしませう。
お聽き下さい。元老會は本日を以てシーザー閣下へ王冠を獻ずべく決定しました。
若しおいでにならんと申遣されました時分には、氣が變るかも知れません。 のみならず、或ひは之を嘲弄の好いかゝりに、
元老會はシーザーの奧方がもっと吉い夢を見られるまで解散したがよからうなぞと申すものもございませう。
シーザーが引隱んでお出掛なさらんとなると、「あれを見よ!シーザーは怖ってゐる」
なぞと耳語をしかねますまい。御免下さい、シーザー。
閣下の御行動に對し、深い愛敬を持してをります餘りに、つい有るのまゝを申上げてしまひました、
とかく分別が情に負けてしまひまするので。
- シーザ
- カルパーニヤ、どうです、あんたの心配は、愚にもつかないことであったのだ!それを取上げたのを恥かしく思ふ。
禮服を持って來て下さい、外出るから。……
パブリヤス、ブルータス、ライゲーリヤス、メテラス、カスカ、トリボーニヤス及びシンナでる。
あゝ、あそこへパブリヤスが予を迎へに來た。
- パブ
- お早うございます、シーザー。
- シーザ
- ようこそ、パブリヤス。やァ!ブルータス、君の斯んなに早く起きたのか?……
お早う、カスカ。……ケーヤス・ライゲーリヤス、大層痩せましたね。
シーザーは君に對して君を惱ました瘧ほどの敵意は有つてゐませんぞ。……何時だね?
- ブルー
- シーザー、八時を打ちました。
- シーザ
- わざ〜御出迎下すった諸君の勞を感謝します。……
アントニー出る。
御覽じろ!夜通し飮明すアントニーまでが起きて來ました。……アントニー、機嫌よう。
- アント
- シーザー閣下にも御機嫌よろしう。
- シーザ
- 侶の者に準備させい。斯う諸君を待たせては濟まん。……や、シンナ。
……やァ、メテラス。やァ、これは、トリボーニヤス!君には一時間たっぷり話すことがある。
必ず今日訪ねて下さい、忘れないでな。君に忘れさせないやうにしたいから、予の傍にゐて下さい。
- トリボ
- 承知しました。始終お傍にをりませう、貴下の最上の御親友がたは、 爲に目を欹てられまするほどに。
- シーザ
- 諸君、奧へ來て、予と一しょに一杯飮んで下さい。それから直ぐに聯立って出掛ませう、 無二の親友らしく。
- ブルー
- (傍白)らしい者が必ずしも其者ではない、と思ふと、おゝ、シーザー!此胸が痛くなる。
一同入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第二幕 第三場
第二幕
第三場 同處。議事堂附近の街頭。
-
學究アーチミドーラス一葉の書附を讀みつゝ出る。
- アーチ
- [「]シーザーよ、ブルータスに用心せられよ。カシヤスに油斷あるな。
カスカに近づきたまふな。シンナに目を附けられよ。トリボーニヤスを信任せらるゝな。
メテラス・シンバーに善く注意あれ。デシヤス・ブルータスは御身を愛する者にあらず。 ケーヤス・ライゲーリヤスは御身を怨める者なり。
此等の徒輩はシーザーに敵意を抱く點に於て悉く一致せり。
御身にして不死不滅ならざる以上は、自家の身邊に留意せられよ。油斷は大敵なり。 強大なる神々よ、シーザーを護りたまへ!
御身を愛敬する アーチミドーラス。」
シーザーが通るまで此處に立ってゐて、訴訟人らしくもてなして、
之を渡さう。情ないことぢゃ、どんな徳があっても、嫉妬の牙をまぬかれることは出來ん。
若しお前さんが之を讀めば、おゝ、シーザー!お前さんは助かるが、若し讀まっしゃらぬよやうぢゃと、
運命は叛逆人の身方になってしまふ。
アーチミドーラス入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第二幕 第四場
第二幕
第四場 同處。同じ街の他の一部。ブルータスの宅の前。
-
ポーシャとリューシヤスと出る。
- ポーシ
- どうぞ、お前、走って元老院まで往って來とくれ。わたしに返辭なんかしないでも可いから、早くよ。
……何をしてゐるんだよ?
- リュー
- でも、奧さん、御用をうけたまはりませんでは。
- ポーシ
- わたしゃ直に往って直に戻って來て貰ひたいんだ、
用なんか吩咐けてゐる間に。……おゝ、忍耐よ、克己よ!
わしの身邊を離れてくれるな、しっかり身方になってゐてくれ、
此心と舌との間に大きな山を築いてくれ!心は男でも、力は女なんだ。あゝ、
女の身で祕密を守るといふことは、何て、ま、辛いものだらう!……まだそこにゐるのかい?
- リュー
- 奧さん、何を致すんでございます?議事堂へ驅けて行くだけでございますか?
それから戻って來るだけでございますか?
- ポーシ
- さうだ、旦那の身に何も變りはないか見て來とくれ、出がけに、如何にも御氣分がわるさうだったから。
それから、シーザーが如何いふことをなさるか、どんな訴訟人がシーザーの傍へ寄るか、
それを見て來るんだ。や!……あの騷ぎは何だらう?
- リュー
- 奧さん、何にも聞えやしません。
- ポーシ
- よう耳をすましてお聽き。ぐわァといふ物音が聞えました、
叩き合ひをしてゐるやうな物音が。風につれて議事堂の方から。
- リュー
- 奧さん、ほんたうに何にも聞えやしません。
豫言者の老人出る。
- ポーシ
- ちょいと、お前さん。お前さんは何方にゐましたか?
- 豫言
- 自宅にをりました。
- ポーシ
- 今は何時です?
- 豫言
- 九時頃でございます。
- ポーシ
- シーザーはもう議事堂へ往かれましたか?
- 豫言
- 奧さん、まだでございます。わしはこれから場所を取りにまゐりますのぢゃ、
シーザーさまが議事堂へ往かッしゃるのを見るために。
- ポーシ
- お前さんは、何かシーザーさまにお願ひがあるんですか?
- 豫言
- いかにも、ございます、もしシーザーさまがわしの訴訟を聽かっしゃるほどお身を大切になさりますれば。
わしはシーザーさまにお身を大事になされませと願ふのでございます。
- ポーシ
- ぢゃ、何か、シーザーさんに害を加へようといふ企でもありますか?
- 豫言
- 有ると知れてゐる事は一つもございませんが、有りさうな虞れは幾らもございます。
……さやうなら。……こゝは街が狹い。シーザーの後からは元老逹だの、
奉行逹だの、並の訴訟人だのが群って從いて來をるから、
弱い者は押殺されてしまふだらう。もっと人少なの處を搜して、 そこでシーザーさんに物をいひかけよう。
豫言者入る。
- ポーシ
- もう歸らんけりゃならん。あゝ、情けない!何て弱いものだらう女の心は!
おゝ、ブルータス!天の助けで首尾よう本望をお遂げなさるやうに。……
(傍白)きっと、彼れに聞かれたに相違ない。……ブルータスの訴訟事は、多分、
シーザーさんが聽いてくれないだらう。……(傍白)おゝ!氣が遠くなる。
……リューシヤス、驅けて往って、旦那に言傳をしておくれ、
わたしは快濶だッて。それから、直戻って來て、旦那が何とお言ひなされたかを聞かしとくれ。
左右に別れて入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第三幕 第一場
第三幕
第一場 ローマ。議事堂前。元老議員等一段高き處に著席してゐる。
-
一群の公衆。其中にアーチミドーラスと預言者。喇叭亂吹。
シーザー、ブルータス、カシヤス、カスカ、ディーシヤス、メテラス、トリボーニヤス、
シンナ、アントニー、レピダス、ポーピリヤス、パブリヤス及び其他出る。
- シーザ
- (預言者に)三月十五日は來たぞ。
- 豫言
- さやう。併しまだ過去りはしませんぞ。
- アーチ
- シーザー公、御機嫌よろしう……此書面をお讀み下さい。
- ディシ
- トリボーニヤスが願ひをります。御閑暇に此請願書を御一讀下されますやう。
- アーチ
- おゝ、シーザー!先づ、手前のをお讀み下さい。これはシーザー御自身に關した大切な御訴訟でございます。 お讀み下さい〜。
- シーザ
- 予の身に關したことなら、最後に處分すべきだ。
- アーチ
- いや〜、御猶豫なさいますな、直樣お讀み下さい。
- シーザ
- やァ!此奴は狂人か?
- パブり
- こりゃ、退れ〜。
- カシヤ
- やァ!其方は街頭で強ひて直訴をしようとするのか?議事堂へ參れ。
シーザー元老院へ登り行く。他の者も續く。元老議員等起立する。
- ポピリ
- (カシヤスに)御計畫の成功を祷りまする。
- カシヤ
- え、ポーピリヤス、計畫とおっしゃるは?
- ポピリ
- 御機嫌よう。
シーザーの方へ進む。
- ブルー
- (カシヤスに)何をいひました、ポーピリヤス・リーナは?
- カシヤ
- 我黨の計畫の今日成功せんことを祷ると言ひました。 我々の陰謀が洩れたらしい。
- ブルー
- や、シーザーの傍へ行きますぞ。御注意なさい。
- カシヤ
- カスカ、手早くおやんなさい、邪魔が入るかも知れない。……ブルータス、どうしたらよからう?
露見すれば、カシヤスか、シーザーか、何方かゞ此門を出ない、 おれは自殺しッちまふから。
- ブルー
- カシヤス、安心なさい。ポーピリヤス・リーナは我黨の計畫を密告してゐるのぢゃない。
あれ、あの通り笑って話してゐる、シーザーも平氣でゐる。
- カシヤ
- トリボーニヤスは機を心得てゐます。ブルータス、御覽なさい、 邪魔になるマーク・アントニーを伴れ出します。
アントニーとトリボーニヤスと入る。シーザー及び元老等、席に著く。
- ディシ
- メテラス・シンバーは何處にゐます?さ、早くシーザーに請願させませう。
- ブルー
- とうに準備してゐる。手近に居て應援なさい。
- シンナ
- カスカ、眞先に手を下すのは君だぜ。
- シーザ
- 用意は可いかな?……シーザーと元老會とで矯治せねばならんやうな事が何かありますか?
- メテラ
- 高大無比にして權勢並ぶ者もなきシーザー閣下、メテラス・シンバー、 かくの如く恭々しく御前に膝まづきまして……
と膝まづく。
- シーザ
- シンバー、君の言葉を遮らざるを得ない。その如く膝を屈し、その如く言葉を卑うして言はれると、
尋常人は其慢心を煽られた嬉しさに、一旦嚴重に言渡したことを、小兒の法律同樣に、
すぐ又取消すまいものでもないが、此シーザーにそんな卑しい血が……
甘い言葉や低い腰や犬のやうな追從の爲に其心を蕩され其本性を失はしめられるやうなそんな卑しい血が……
通ってゐると思ったら愚の至りだ。君の兄貴は國法で追放に處したんだ。 今更君が彼れの爲に腰を曲げて祷ったって、犬のやうに追從したって、
予は只君を犬の如く蹴返すばかりだ。シーザーは不正をしないと同時に、 故なくして罪を赦すこともしない。
- メテラ
- こゝに居らるゝ人々のうちに、自分よりも徳が高くて、 自分の聲よりもシーザーの耳に快く響く聲を有たれた方はうぃられませんか、
兄の追放赦免の儀をお願ひ下さる方はないか?
- ブルー
- シーザー、貴下の手に接吻します、併し、こりゃ追從ぢゃありません、
どうかパブリヤス・シンバーの追放を速かに赦免しておやり下さい。
- シーザ
- えッ、ブルータス!
- カシヤ
- どうか、御宥免を、シーザー。どうか、御宥免を。此通りカシヤスが膝まづいてお願ひします、
パブリヤス・シンバーの御赦免を願ひます。
- シーザ
- 自分が貴下のやうな男であったら、さう願はれりゃ當然心を動すでもあらう、
また人を動す爲に祈ることの出來る男であったら、祈られて心も動しもするだらうが、自分は動かない、
確固不動を特質とすることに於て、碧落中に又と類ひのない北極星の如くに。
大空を彩る無數の火花は、ありゃ悉く星だ、そして悉く光り輝いてゐる。
が、其中で不動の地位を保ってゐるのは只た一つ。人間界とても同じくだ。
夥しい數の人間がおの〜血肉を又智を具へてゐる、
しかも其多數の中で如何なる事にも動かされないで嚴として其地位を保ち得る者はといふと只た一人だ。
それは予だ。その一證を見せよう。自分は曾て斷乎としてシンバーを追放した、
すなはち斷乎として其まゝにしておく。
- シンナ
- おゝ、シーザー!
- シーザ
- 退れ!オリンパス山を動す積りか?
- ディシ
- 大シーザー閣下、……
- シーザ
- ブルータスが膝まづいてさへも無效だったぞ。
- カスカ
- もう……此上は……腕づくだ!
とカスカ眞先きに一撃を下す。つゞいて一同競ひ起ってシーザーを襲ふ。
暫く立廻り。とゞ、ブルータスがシーザーを刺す。
- シーザ
- や、ブルータス、お前までが!ぢゃ、もう!
シーザー倒れて死す。
- シンナ
- 自由萬歳!自主萬歳!專制政治は死んぢまった!驅けて行って、觸れ廻れ、街の中を呼ばって歩け。
- カシヤ
- 誰れか公演壇へ往って呼ばはりなさい「自由、自主、解放」と呼ばはりなさい。
- ブルー
- 民主逹も、元老諸君も、怖れるには及びません。お逃げなさるには及ばん。
じッとしてお在なさい。野心家を罰したまでゞす。
- カスカ
- ブルータス、貴下は演壇へお出なさい。
- ディシ
- カシヤスもお出なさい。
- ブルー
- パブリヤスは何處に居られる?
- シンナ
- こゝにをられます、今の騷動で、驚いて、茫然としてをられます。
- メテラ
- 諸君、お集りなさい、或ひはシーザーの黨派の者が……
- ブルー
- いや、集るには及ばない。……パブリヤス、御安心なさい。 貴下の身に、いや、何人にも、害を加へようとしてはをりません。
パブリヤス、どうか、人々に然うお傳へ下さい。
- カシヤ
- 速く此處を御退席なさい、公衆が群って來て、犇くはずみに、
御老體に害を及すやうなことがあるとわるい。
- ブルー
- さうなさい。此行爲の責任は、一へに吾々のみが負ふべきである。
トリボーニヤス再び出る。
- カシヤ
- アントニーは?
- トリボ
- 驚いて自宅へ迯歸りました。男も女も子供も目を見張って、
大審判日が來たやうにわめきたて、走り廻ってをります。
- ブルー
- 運命を司る神々よ、あゝ、能ふべくば、豫め汝逹の意志が知りたい。
早晩死ぬものとは誰しも知ってゐる。人の重きを置くは、 何時死ぬか何時まで生きてゐるかといふことである。
- カシヤ
- して見れば、生命を二十年縮めてやるのは、 死を怖れる苦痛を二十年だけ縮めてやるやうなものだ。
- ブルー
- さァ、さう見れば、殺すのは恩惠である。 すなはち死を怖るゝ年數をシーザーの爲に短縮してやった吾々は彼れが親友に相違ない。……
さァ〜、ローマ人諸君、シーザーの死骸の傍へ屈んで血汐に手をお浸しなさい、
めい〜の腕の附根までも。めい〜の佩劍にもお塗りなさい。
御一しょに市の中央へ出張して、お互ひに、頭上に紅ゐの劍を揮閃かして、
「平和、自由、自主、萬歳」と一齊に呼ばはりませう。
- カシヤ
- さァ〜、屈んで手をお浸しなさい。……あゝ、此後幾百年を經る間に、
今日我黨が演じた此壯烈な舞臺面が、又幾たび演ぜられることやら、
まだ生れない國土に於て、まだ知られない國語を以て!
- ブルー
- 又、幾たびシーザーが(劇に仕組まれ)戲れに血を流すことやら、
今ポンピーの像下に倒れて、塵埃同樣に見えてゐるシーザーが!
- カシヤ
- 又、其劇のたび毎に、國家に自由を與へた志士と我々の名は唱はれませう。
- ディシ
- え?出掛けますか?
- カシヤ
- さ、さ、諸君、出掛けませう。ブルータス君を先導にして、此のローマの最も勇敢な、
最も高潔な吾々一同が其後に從ひませう。
一從者出る。
- ブルー
- ま、お待ちなさい!誰れか來ました。アントニー方の者だ。
- 從者
- ブルータスどの、かやうに膝まづけと主人が申しつけました、 かやうに土下座せいとマーク・アントニーが申されました、
さて平伏した上で、かやうに申せといはれました。……ブルータスどのは高潔で、
賢明で、勇敢で、正廉であり、シーザーどのは偉大で、大膽で、高邁で、慈愛深くあらせられた。
アントニーはブルータスどのを愛し且つ敬し、シーザーどのを畏れ、敬ひ、愛しもしてをったと申せ。
若しブルータスどのが、アントニーをして安全に參向することをお許し下され、
且つシーザー御殺戮の止みがたかった所以を御説明下されますならば、
マーク・アントニーに於ては、死せるシーザーよりも生けるブルータスどのを愛敬いたし、
此後、形勢が如何相成りませうとも、悉く忠實にブルータスどのに隨從し、
事をも運命をも共にすべく決心してをりまする、と斯樣に主人アントニーが申されます。
- ブルー
- 御主人は賢明な、勇敢なローマ人だ。予は決して彼人をわるく思ったことはない。
歸ってお言ひなさい、若し此方へお出下さるならば、十分辯明をいたさうし、
わしの名譽に掛けて、何事もなくお歸し申さうと。
- 從者
- すぐに伴れて參ります。
從者入る。
身方にすりゃ有利です。
- カシヤ
- さうゆきゃ結構だが、どうもあの男は頗る油斷がならないやうに思はれる。
それに、予の疑ひは、とかく適中することが多いんですから。
アントニー出る。
- ブルー
- いや、もうあそこへやって來た。……ようこそマーク・アントニー。
- アント
- (シーザーの死骸に)おゝ、偉大なるシーザー!あゝ、こんなみすぼらしい姿となられたか?
百戰百勝の光榮も名譽も戰利品も、只これッぱかりの大きさに縮小してしまったか?さやうなら。
……諸君、自分は貴下方の御趣意は心得てをりません、他に血を流すべき者があるか、
如何か、誰れが誅せらるべきであるか、心得てをりません。
若し自分が其一人であるならば、シーザーの最期の時に優す死時はありません。
又、貴下がたの其劍で、……全世界中の上もない貴い鮮血でぬられた貴下がたの其劍で
……殺されるほど名譽なことはありません。自分をお憎しみならば、
今貴下方の手が韓紅に薫り烟立ってゐる最中に、
どうぞ御存分に願ひたい。よし一千年存命するとも、今日只今ほどに喜んで死ぬ日はありますまい。
如何なる場合も、どんな死方も、こゝでシーザーと枕を並べて、 一代の烈士英傑たる諸君の手にかゝって死ぬほど本望はありません。
- ブルー
- おゝ、アントニー!吾々に向って死をお求めになさるな。此手や此行爲を御覽なさりゃ、
吾々は如何にも殘酷な血を好む徒輩とも見えませうが、 それは此手と此手がした殘忍な結果を見て吾々の心を御覽なさらんからだ。
吾々は飽迄も慈悲、惻隱の心でしたのである。ローマ全國を痛ましいと思ふ心が、
火が火を消すやうに、一人を痛ましく思ふ小さい慈悲心を壓倒して、
シーザーを殺すに至らしめたのです。貴下に對しては、マーク・アントニー、
貴下には吾々の劍も鈍り、腕力も脱けて、心も兄弟のやうになり、 愛敬の好意を表して、うや〜しくお迎へいたします。
- カシヤ
- 貴下の發言權は、これから役員の任免黜陟するに當って、
他の諸君のと同等に、重んずる心得です。
- ブルー
- 只しばらくお俟ちを願ひたい、恐怖の餘り我を忘れてゐる公衆共を鎭撫してしまふまで。
其上で、殺す其間際までもシーザーを愛してゐた自分が、何故かういふ行動をしたかをお話しませう。
- アント
- 諸君の賢明を疑ひはしません。御めい〜の血に染みたお手をいただきたい。まづ、
ブルータス君に握手を願ひます。次に、ケーヤス・カシヤス君、貴下の手を。
さァ、ディーシヤス・ブルータス、貴下のを。さ、貴下のを、メテラス。
貴下のを、シンナ。それから勇敢なカスカ、貴下のを。最後に、
併しながら最少の好意を以てゞはなく、トリボーニヤス君、貴下のを。
……諸君よ、……あゝ、自分は何と言はう?自分の信用は今あぶなく地に滑り落ちさうになってゐる、
諸君は二つの惡名の何れかを自分に與へようとなさるに相違ない、自分を卑怯者と見るか、
輕薄な諂諛者と見るか。……おゝ、シーザー、予は足下を愛してゐたんだ、
それが眞實である以上、若し今、足下の亡魂が此あたりにさまよってゐるなら、
かうしてアントニーが足下の死骸の前で、其仇敵の手を、
ローマの烈士英傑の血に染みた手を握るのを見て、殺されたより一層無念に思はないだらうか?
此傷口の數程の目が予に有つて、其傷口から鮮血が湧出るやうに涙を流したはうが、
足下の敵と和睦なんかするよりゃ予に似つこらしい仕草でもあらうに。
……赦して下さい、シーザー!……あゝ、勇敢な鹿よ、汝はこゝで追詰められて、
こゝで命を落した、さうして其獵師等は、汝の最期の血で韓紅に染まって、
此處に立ってゐる。おゝ、大世界よ!汝は辛と此大鹿を容れ得る所の森たるに過ぎなかった、
さうして此大鹿は、おゝ大世界よ、其森の主であったに。 あゝ、多勢の貴公子の獵矢にかかって射すくめられた鹿同樣な、
あさましい此死樣!
- カシヤ
- マーク・アントニー、……
- アント
- 失禮、ケーヤス・カシヤス。シーザーの仇敵でも、斯う言ひませう、さすれば親友としては冷淡な弔辭です。
- カシヤ
- いや、貴下がシーザーを賞讚せられたのを咎めるんぢゃない、
貴下は吾々と如何いふ協約をしようといふのか、それを聞かうとしたのです。
我黨一味の中に列しようとせられるのか、或ひは吾々は貴下に頼らず行動すべきか、 それが承知りたい。
- アント
- いや、無論、その爲に握手をしたのです。が、シーザーの死骸を見て、つい我を忘れたのでした。
自分は諸君と合體します、諸君に好意を表します、シーザーが誅せられなければならなかった理由は、
十分説明して下さるものと信じますから。
- ブルー
- その説明が出來ないやうなら、これは無慚な暴擧です。いや、十分に推重せらるべき理由がある。
アントニー、たとひ貴下がシーザーの男であっても、滿足せられるでありませう。
- アント
- 自分の要求はそれだけです。もう一つのお願ひは、シーザーの遺骸を公會場へ持って參って、
演壇に於て、友人としての弔辭を演べることをお許し下されたい。
- ブルー
- そりゃ差支ありませんよ。
- カシヤ
- ブルータス、ちょいと。……(ブルータスだけに)いけませんよ、うっかり承諾なすったが、
アントニーに弔辭なんかやらせないはうがよろしい。公衆が彼れの言ふことを聞いて、 どう感動すまいものでもないから。
- ブルー
- 失禮だが、眞先に予が演壇に上って、シーザーを誅するに至った所以を明かにする。
それから、アントニーの弔辭は吾々が許してやらせるのだと言ひます、
シーザーの葬儀を正式に執行させるのも、吾々の承諾の上の事だと主張します。 だから、我黨の利となるとも害にはなりません。
- カシヤ
- どんなことが起るまいものでもない。感心しないねえ。
- ブルー
- マーク・アントニー、さ、シーザーの死骸を持っておいでなさい。 弔辭をお演べなさる時分に、我黨を非難する口吻のないやうに、
併しシーザーの美所は如何お賞めなされても、それは關はん、
只吾々の許可の上でと斷って下さい。でなきゃ貴下をシーザーの葬儀に參ぜしめることは出來ん。
それから、予が往って演説する其同じ演壇で、予の演説の濟んだ後でやって貰ひたい。
- アント
- よろしい。それ以上を望みません。
- ブルー
- ぢゃ、葬儀の準備をして、後からお出なさい。
アントニーだけを殘して皆入る。
- アント
- おゝ!赦して下さい、血に塗れた土塊となり果てたシーザーよ、
俺が汝を屠り殺した奴等と睦じさうにしてゐるのを堪忍して下さい。
あゝ、汝は淙々として休むこと無き時の潮流中に生存した人間中の、
最も高い、最も偉いなる者の遺骸だ。かういふ貴い血をむざ〜流しをった奴等め、
今に思ひ知りおらう。俺は汝の傷口に對って豫言しておく…… 物を言はない多くの口のやうに、一つ一つに眞赤な脣を開いて、
どうぞ成代って怨を演べてくれと求めてゐる此傷口に對って豫言しておく……
天罰は人々の四肢五體に降り下って、内亂起り、骨肉相食み、イタリー全國到る處死骸の山を築き、
殺傷破壞は尋常一般の事となり、怖ろしい事も見慣れ、聞慣れ、
現在の母親が其幼兒の兵刄に切り裂かれるのを平氣で笑って見るほどともなり、
殘忍な所行ははびこり、慈悲の息の根は止るであらう。さいなりゃ、シーザーの亡靈は、
今こそ復讎をすべき時と、焦熱地獄から驅け來った復讎神を身側に從へ、
こゝらあたりを俳諧して國王らしく大音聲に、「かゝれ〜!」と號令を下して、
彼の兵(には附きもの)の三疋の犬(饑餓、劍害、兵燹)を放つであらう。
さうなりゃ、此無慚な所行は、埋葬されないで唸き苦しむ死骸と共に、 地上に惡臭を漲らすであらう。……
一從者出る。
君はオクテーヰ゛ヤス・シーザーさんに仕へてゐる人ぢゃないか?
- 從者
- さやうでございます。
- アント
- シーザーどのは、過日、オクテーヰ゛ヤスさんにローマへ參らるゝやうに申し送られた筈だが。
- 從者
- 其御書面を入手せられましたので、主人は參らるゝのでございます、就きましては、
口上を以て手前から貴下さまへ……おゝ、シーザー!
死骸を見て驚く。
- アント
- 胸が一ぱいになったなら、彼地へ往って泣くが可い。……
愁歎は傳染する、お前の目に涙の珠の宿るのを見たら、予の目も濡って來た。…… 御主人はもうぢき見えるか?
- 從者
- 今晩はローマから十里以内の處に宿られまする筈でございます。
- アント
- 急いで戻って行って、此大變を傳へて下さい。目下のローマは喪中のローマだ、
危險千萬なローマだ、オクテーヰ゛ヤスさんに取って安全なローマぢゃない。
急いで歸って、然ういひなさい。……いや、一寸俟った。……
予が此死骸を公會場へ持って行くまでは歸っちゃ不可。 予は彼處で演説をして、
公衆が此殘忍な所行を如何感ずるかを探らうと思ふ。其結果を見てから、
事情をオクテーヰ゛ヤスさんへ傳へて貰ひたい。手を貸しなさい。
シーザーの死骸を携へて、二人ともに入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第三幕 第二場
第三幕
第二場 戸外の公會場。
-
ブルータスとカシヤスが出る。其後に附きて多勢の市民。
こゝはローマの公會場で正面にはフォーラム(演壇)がある。
- 市民ら
- 其理由を聞かして貰はう、理由を聞かして貰はう。
- ブルー
- ぢゃ、從いて來て、聽いて下さい。……カシヤス、君は彼方の街へ往って下さい、
聽衆を二手に分けよう。……予の演説を聽かうとする諸君は此處にお留りなさい。
カシヤスに從いて行く人逹は彼方へお出なさい。 國家の爲にシーザーを誅戮した所以を演説しよう。
- 市民一
- わしはブルータスの説を聽かう。
- 市民二
- わたしはカシヤスのを聽かう。さうして雙方のを比べて見ることにしよう、別々に聽いておいて。
カシヤス市民若干をひきつれて入る。ブルータス演壇に上る。
- 市民三
- ブルータスどのが登壇せられた。靜かに〜!
- ブルー
- 濟むまで靜肅にして下さい。……ローマ人よ、國人よ、親友諸君よ!
予の理由を聽いて下さい、理由を聽くために靜かにして下さい。
予の人格を信じて下さい、信じて下さるために予の人格に重きを置いて下さい。
諸君の賢明な批判を乞ひます、賢明な批判者たるに適するために、十分分別を奮ひ起されたい。
……此群集中にシーザーの眞の親友が居らるゝなら、予は其人に對って言ひます、
ブルータスのシーザーを愛する心も決して其人に劣らなかったと。
では何故ブルータスはシーザーに敵對したか、と若し其人が問はれるなら、予は斯う答へる。
それはシーザーを愛する心が淺かった爲ではない、ローマを愛する心が更にそれよりも深かった爲であると。
諸君は、シーザーが生きてゐる爲に、一同が奴隸となって死ぬのを望まれるか、 シーザーが死んだ爲に、一同が自由の人民となるよりも?
……シーザーは予を愛してくれたゆゑに予は彼れの爲に泣く。
彼れは幸運であったゆゑに、予はそれを歡ぶ。彼れは勇敢であったゆゑに、
予は彼れを尊する。けれども彼れは非望を抱いてゐたゆゑに、
予は彼れを誅戮しました。愛に報ゆるには涙を以てし、
幸運を祝ふには歡びを以てし、勇敢を稱するには名譽を以てしたが、
其非望を罰するには死を以てせざるを得ない。奴隸となるのを願ふやうな卑劣人が此處に一人でもありますか?
有るなら、お言ひいなさい。予は、其人に對しては、罪を犯した。
こゝにローマ人たることを欲しないやうな野蠻な人間が一人でもありますか?
有るなら、お言ひなさい。其人に對しては、予は罪を犯した。
こゝに其國を愛しないやうな下劣な人間が一人でもありますか?有るなた、お言ひなさい。
其人に對しては、予は罪を犯した。予は御返答を俟ちます。
- 市民ら
- ありません、ブルータス、ありません。
- ブルー
- ぢゃ、何人に對しても、予は罪を犯さなかった。予がシーザーに對して爲た事は、
(今後)諸君が此ブルータスに對してなさるべき事に外ならんのです。
シーザーを誅した理由一切は、議事堂の記録に載せてあります、
彼れが榮譽功績に屬する事をも減殺せず、又誅されるに至った所以の罪惡とても決して誇張してはありません。……
アントニー及び其他がシーザーの死骸を擔荷ひつゝ出る。
あおsこへ、シーザーの死骸を持って參った、マーク・アントニーが喪主となって。
彼れはシーザー誅戮の企圖には與るませなんだが、
其利益は享樂して、此共和國に於ける相當の地位を得る筈です。それは諸君とても同樣です。……
お別れするに臨んで、もう一言。……予はローマの幸福の爲に無上の親友を殺したのである以上、
同じ短劍の此身に對しても使用されんことを望みます、萬一、 我國が予の死を欲するやうな場合となったら。
- 市民ら
- ブルータス、萬歳!萬歳!萬歳!
- 市民一
- 大喝采をしてブルータスを自宅まで送ってゆきませう。
- 市民二
- 先祖のブルータスのと竝べて肖像をおったてませうよ。
- 市民三
- シーザー(の代り)にしようぜ、あの男を。
- 市民四
- シーザーの美點だけが、(さうなりゃ)あの仁に依って發揮されようといふものだ。
- 市民一
- みんなで大喝采をして囃し立てゝ、ブルータスを自宅まで送ってゆかう。
- ブルー
- 國人諸君よ……
- 市民二
- しッ!しッ!靜かに〜!ブルータス君の御演説だ。
- 市民一
- 靜かに〜!
- ブルー
- 國人諸君よ、予は一人で歸らして下さい。お願ひです、諸君はアントニーと共に此處に留って下さい。
シーザーの遺骸に敬意を表して、彼れが舊功を稱するアントニーの弔辭をお聽き下さい、
わたし共の許諾を得て述べるのですから。お願ひします、アントニーの弔辭が濟むまでは、 一人も退場なさらないやうに望みます。
ブルータス入る。
- 市民一
- 待ったり〜!マーク・アントニーの弔辭を聽あくよ。
- 市民三
- アントニーを演壇へ上らせませうぜ。弔辭を聽きませう。……アントニー君、お登んなさい。
- アントニー
- ブルータス君のお庇で、諸君、ありがたく存じます。
- 市民四
- ブルータスの事を何と言ったい?
- 市民三
- ブルータス君のお庇で、諸君、ありがたく存じますと言ったよ。
- 市民四
- こゝぢゃブルータスの惡口なんか言はないのが上策だからなア。
- 市民一
- あのシーザーて奴は酷い奴だったねえ。
- 市民三
- そりゃ君、定ってるよ。あんな奴の居なくなったのはローマの幸福だよ。
- 市民二
- しッ〜!アントニーが如何なことを言ふか、聽きませうぜ。
- アント
- 温厚なるローマ人諸君よ……
- 市民ら
- おい〜、しづかに!ねえ、聽きませうよ。
- アント
- 親友よ、ローマ人よ、國人諸君よ、御靜聽を煩はしたい。自分が此處へ參ったのは、
シーザーの葬儀を行はう爲で、彼れを稱讚しよう爲ではない。人の行った惡事は其死後までも殘るが、
善事は往々にして其骨と共に埋沒しまう。シーザーをもまた然うあらしめませう。……
ブルータスどのはシーザーは非望を抱いてゐたと申された。果して然らば、
それは甚だ痛ましい過失であって、シーザーは甚だ痛ましい應報を蒙ったのであります。
こゝにブルータスどのをはじめ其他の人々の許諾を得て……と申すのは、
ブルータスは公明正大の人格者であり、其他の人々とても悉く公明正大の人々でありますから……
許諾を得て、こゝにシーザーを葬るの辭を演べるのであります。……彼れは自分の親友であった、
自分に對しては忠實な、公平な友であった。が、ブルータスは、彼れは非望を抱いてゐたといはれる、
其ブルータスは公明正大の人格者である。……シーザーは嘗て夥多の捕虜をローマへ伴ひ還った、
其償金は悉く國庫に收められた。 此、シーザーの行爲が非望家らしく見えましたらうか?
……嘗て貧民が饑餓に叫ぶのを聞いてシーザーは泣きましたぞ。 非望は一層峻酷な素質のものでなければならん。
けれどもブルータスは彼れは非望を抱いてゐたと言はれる、其ブルータスは公明正大の人格者である。
……諸君は何れも見られたであらう、リューパーカルの祭日に、 自分は三度までも王冠をシーザーに呈した、それを彼れは三度までも辭した。
あれが非望でありませうか?……けれどもブルータスは彼れは非望を抱いてゐたと言はれる、
其ブルータスは確かに公明正大の人である。自分は決してブルータス君の言はれたことを論駁しようとするのぢゃない、
只知ってゐるだけの事實を申すのである。……諸君は何れもシーザーを愛してをられた、 それには相當の理由があった筈です。然らば、
どういふ理由で諸君は彼れを哀悼することを差控へられるのです?……おゝ、判斷力!
理非を判ずる分別力は、今の獸類なぞの有に歸して人間は理性を失ってしまったのか?
……御免なさい。予の精神はシーザーと一しょに此柩の中に入ってゐる、
それが戻って來るまでは物が言はれません。
- 市民一
- 大ぶ言ってゐることに道理があるやうだね。
- 市民二
- 正當に考へて見ると、シーザーは非常な冤罪を蒙ったんだねえ。
- 市民三
- ね、諸君、さうでせう?もっと惡い奴が出て來て代るまいものでもないからね。
- 市民四
- アントニーの言ったことにお氣が附きましたか?シーザーは王冠を受けようとしませんでしたよ。
ですから、確かに彼れは非望家ぢゃァなかったのでさ。
- 市民一
- 果してさうだとすると、何處の手合が嚴重い目に逢ふことになりませうぜ。
- 市民二
- やれ〜、氣の毒なこった!涕で以て目が火のやうに赤くなってゐる。
- 市民三
- ローマ中にアントニーほどの偉い人はないなァ。
- 市民四
- さァ、聽いたり〜。又始めますよ演説を。
- アント
- つい昨日まではシーザーの一言は全世界に匹敵することも出來たのであった。
今や彼れは此處に横たはり、如何な卑しい匹夫さへも彼れに敬意を表しようとはしない。
……おゝ、諸君よ、若し自分が假にも諸君を煽動して憤激させ、叛抗心を起させたりするやうだと、
それはブルータスを傷け、カシヤスを傷けることになる、彼人逹は、 諸君御存じの通り、公明正大の人格者である。
自分は彼の人々を傷けるよりは、寧ろ世に亡き者を傷け、自分を傷け、諸君を傷けたはうがいゝと思ふ。
……併しながら此處にシーザーの捺印を經た一葉の書面がある。シーザーの納戸内で發見したのですが、
これは彼れの遺言状です。若し平民諸君が、只一寸でも此遺言状の主旨をお聽きなすったなら……
御免なさい、無論、自分は讀みはしないが……若しお聽きなすったら、諸君はシーザーの死骸に驅寄って、
其傷口に接吻し、其神聖な鮮血に各自の手巾を浸すどころでなく、
其頭髮一筋をも後の紀念にと爭ひ求めて、
御自分が死なうとせられる其間際には、遺書中にそれを記入し、永く子孫に讓り傳へる寶物ともなさるであらう。
- 市民四
- 其遺言状が聽きたい。讀んで下さい、マーク・アントニー。
- 市民
- 遺言状、々々々!シーザーの遺言状が聽きたい。
- アント
- まァ〜、お鎭りなさい。遺言状を讀んではなりません。
シーザーが深く諸君を愛してゐたことを諸君が知られるのは宜しくない。諸君は木でも石でもなく、
人間である。既に人間である以上、シーザーの遺言状を聽かれたなら、必ず感激して、
狂人のやうになられるだらう。諸君はシーザーの財産の相續人だといふ事は知られないがいゝ。
若しそれを知られると、おゝ!何樣な事になるか知れない。
- 市民四
- 遺言状を讀んで下さい!是非聽きたいんです、アントニー。 是非、遺言状を讀んで下さい、シーザーの遺言状を。
- アント
- まゝ、ま、しばらく待って下さい。……あゝ、つい不覺的口走ってしまった。
公明正大の目的の爲に、短劍の亂撃でシーザーを刺殺した人逹を傷けることにならなけりゃいゝが、 あゝ、困ったことになった。
- 市民四
- 彼奴等は謀叛人です。公明正大どころか!
- 市民ら
- 遺言状を!其書面を!
- 市民二
- 彼奴等は惡黨です、人殺しです。遺言状を!遺言状を讀んで下さい。
- アント
- どうしても遺言状を讀めと言はれるんですか?ぢゃ、シーザーの遺骸の周圍へ環形におなんなさい、
遺言状を製した當人を諸君に見せませう。……壇を降りませうか? 下りてもよろしいんですか?
- 市民ら
- お下りなさい。
- 市民二
- 降りたまへ。
- 市民三
- よろしいです。
アントニー壇を下る。
- 市民四
- 環形だ。圍繞くんだ。
- 市民一
- 柩から離れろ。死骸から離れろ。
- 市民二
- アントニーさんの道を開けろ。どうも實に偉いもんだアントニーさんは。
- アント
- これ、さう押しては不可。ずっと離れて下さい。
- 市民ら
- 退れ!開けろ!退れ〜!
- アント
- 諸君に若し涙があるなら、今こそ流す準備をなさい。 ……諸君は何れも此外套を御存じであらう。
予はシーザーが初めて之を著用した日を記えてゐる。
それは或夏の夕方、勁敵ナーヰ゛アイ族を征伐して大勝利を得た其日に、
陣營中で被たのであった。御覽なさい、これ此處をカシヤスの短劍が刺貫いたのだ。
御覽なさい、奸惡なカスカめが如何なに斫ったか? 此處をば子のやうに愛されてゐたブルータスが突通したのだ。
そして彼れが其惡むべき刄を拔取った其途端に、御覽なさい、
シーザーの鮮血が其後を追って、さながら人が戸口から走り出るやうに流れたのを、
今無慚な叩き方をしたのは、よもや、ブルータスぢゃあるまいが、と見定めようとしたかのやうに。
何故なれば、ブルータスは、諸君も御存じの通り、シーザーの守神も同樣であったからです。
如何に深くシーザーが彼を愛してゐたかは、おゝ、神々よ、あなたがたが御承知のことだ!
これこそ最も殘忍無慈悲な切口であったのだ。流石の大シーザーもブルータスが自己を刺すを見ては、
……謀叛人の力よりも遙かに怖ろしい彼れが恩知らずの振舞を見ては……流石の大勇氣も打挫かれ、
おのが外套で面を掩うて、ポンピーの像の脚下にすらも、
大シーザーは倒れたのだ、血汐が迸り流るゝ間に。おゝ!國人よ、同胞よ、
シーザーが倒れたのは國が倒れたのも同樣ですぞ、それと同時に、自分も、諸君も、
吾々悉くが倒れたのだ、而して殘忍無慈悲の叛逆人等は倒れた吾々を眼下に見下し、
凱歌を奏して勝誇った。……おゝ!今こそ諸君は泣く。して見ると、流石に惻隱の感には堪へられんと見える。
あゝ、其涙こそは恩を知り、義を知る涙だ。……やァ!諸君、これは只シーザーの外套に傷が附いたに過ない、
然るに諸君は之を見てさへもお泣きなさるか?……さ、これを御覽なさい、これが本人です、
これ、この通り、謀叛人共に切りさいなまれた本人です。
- 市民一
- おゝ、氣の毒な有樣だ!
- 市民二
- おゝ、偉い〜シーザーどのを!
- 市民三
- おゝ、情ないことだ!
- 市民四
- おゝ、謀叛人めら!惡黨めら!
- 市民一
- おゝ、無慚な〜有樣!
- 市民ら
- 復讐をしよう!……出かけろ!……搜せ!……燒討しろ!……火をつけろ!
……殺せ!……やっつけろ!……謀叛人めらは一人でも生かしておくな。
- アント
- お待ちなさい、お待ちなさい。
- 市民一
- しッ〜!アントニーさんが何か言ってゐる。
- 市民二
- おい〜、あの仁の言ふことを聽かう、あの仁に從いて行かう、あの仁と一しょに死なう。
- アント
- 深切なる諸君、親友諸君よ、自分の申したことが原因となって、
諸君が然う妄に唐突に暴擧に及ばれるやうなことがあっては成りません。
此度の事を行った人逹は、何れも公明正大な人々でありませす。
如何なる私怨、私憤があって、嗚呼!かやうな事を敢てせられたか、それは自分の知る所でない。
ともかく、彼等は賢明でもあり、又、公明正大でもあるから、無論、諸君に對して、
道理らしい辨解をせられるであらう。親友諸君よ、自分は諸君の心を盜まうとして來たのではない。
自分はブルータスのやうな雄辯家ではない。否、諸君の豫て御存じの通りの、
質樸な、木訥な、只友を愛するだけの男である、
それをまた彼等が知ってをればこそシーザーの爲に公けに演説することをも許したのである。
無論、予は才智もなければ、文字もなく、徳もなく、身振手眞似も下手なれば、
表白法も知らず、辯舌も拙く、迚も人の血を攪亂するやうな力は無い。
予は只眞直に辯じ得るのみである。諸君の知ってをられる事實其儘を諸君に話して、
なつかしいシーザーの傷口を……哀れな、無慚な、物を言ひ得ない口を……諸君に見せて、
予は代って語らせたまでゞある。が、若し予がブルータスで、
ブルータスが予であったなら、必ずや諸君の心を攪亂して、ローマ街頭の石をすらも奮起せしめ、
立地に暴動を起さすやうな雄辯をシーザーが一つ〜゛の傷口から發せしめたでもあらうものを。
- 市民一
- ブルータスの家を燒いてくれよう。
- 市民三
- ぢゃァ、出掛けろ!さア〜、徒黨の奴等を搜し出せ。
- アント
- まァ、お聽きなさい、諸君。まァ、予の言ふことをお聽きなさい。
- 市民
- しッ〜!……聽け〜、アントニーさんの言ふことを。……えらいもんだなァ、アントニーさんは。
- アント
- 諸君よ、君がたは理由をよう承知しないで事をしゆとしてをられる。
シーザーは何故にそれほどまでに諸君に愛慕せられるべきであるか、御存じか?
あゝ!諸君は御存じでない。では、それを改めてお話せねばならん。 諸君は先刻申した遺言状の事をお忘れなすったのだ。
- 市民
- さう〜!遺言状!諸君、待ったり、遺言状を聽かうよ。
- アント
- これがシーザーの捺印を經た遺言状です、シーザーはローマ市民各自で、 一人々々へ、七十五ドラクマをお贈りします。
- 市民二
- 實に、どうも、立派な人だシーザーは!復讐をしよう。
- アント
- 靜かにして聽いて下さい。
- 市民ら
- しッ〜!
- アント
- 尚ほ其上に、彼れは自分の遊歩地を悉く諸君にお讓りしました。
即ち彼れの私有に屬する各處に屬する各處の凉亭をはじめ、
近時新たに樹木を植附けさせたタイバー河の此方岸の各處の庭園をば、
諸君及び諸君の子孫に、永久に讓渡し、諸君をして其處で享樂せしめ、
自由に逍遙せしめ、疲勞を慰めしめんことを望んでゐます。シーザーは斯ういふ人であった!
何時、又、斯くの如き人が出て來るでありませうか?
- 市民一
- もう決して出て來ません、もう決して!……さァ〜、出掛けろ出掛けろ!
齋場へ往って遺骸を火葬にして、それから、其燃さしを炬にして、 謀叛人共の家を燒かう。……死骸を持上げろ、死骸を。
- 市民二
- さ、火を取って來い、火を。
- 市民三
- 腰掛をぶったふせ。
- 市民四
- 長床几をぶったふせ、窓を毀せ、何もかも叩き毀せ。
死骸を携へて、市民ら皆わめき騷ぎて入る。
- アント
- さ、やッたり〜。……災厄よ、手始めをしたからは、好きなやうにあばれるがいゝ。
一從者出る。
何だ?
- 從者
- オクテーヰ゛ヤスどのは既にローマへ著せられました。
- アント
- 何處にをられる?
- 從者
- レピダスどのと御一しょにシーザー邸にをられます。
- アント
- すぐ訊ねることにしやう。ちょうど待ってゐたところだ。運命の神の機嫌は好い、
此體ぢゃ如何な願ひでも叶へてくれさうだ。
- 從者
- 噂によりますと、ブルータスとカシヤスは、まるで狂人のやうに馬を走らせて、
ローマの都門を脱出しましたさうにござります。
- アント
- 多分、おれが公衆を感動させたことを洩聞いた爲であらう。…… オクテーヰ゛ヤスの處で案内せい。
アントニーも從者も入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第三幕 第三場
第三幕
第三場 同處。一街頭。
-
詩人シンナ出る。
- シンナ
- 昨夜シーザーの宴會へ招ばれる夢を見た。何だか不吉な鹽梅式に神經が働いて困る。
外出する氣は無いのだが、何となく出ずにはをられない。
市民ら出る。
- 市民一
- 君の名前は?
- 市民二
- 君は何處へ往くんだ?
- 市民三
- 君は何處に住んでるんだ?
- 市民四
- 君は妻が有るか、獨身者か?
- 市民二
- 各自へ返答なさい、眞直に。
- 市民一
- さうだ、簡潔に。
- 市民四
- さうだ、賢明に。
- 市民三
- さうだ、眞實に……返答するのが當然だ。
- シンナ
- え、わたしの名?え、何處へ往く?え、何處に住ってゐる?
妻があるか、獨身者か?……ぢゃ御各自へお答へします、眞直に、
簡潔に、賢明に、眞實に。 ……ぢゃ、先づ、賢明なお答、わたしは獨身者です。
- 市民二
- さういふと、何だか、妻を持つてると答へる奴は馬鹿だといふやうに聞えるぞ。
こら、そんなことをいふと、一本お見舞申すかも知れないぞ。……それから、さ、眞直に。
- シンナ
- 眞直に、これからシーザーどのゝ葬式へ參ります。
- 市民一
- 身方としてか、敵としてか?
- シンナ
- 身方です。
- 市民二
- こりゃ眞直な返辭だ。
- 市民四
- 君の住所は?さ、簡潔に。
- シンナ
- 簡潔に、議事堂脇です。
- 三市民
- 名前は?さ、眞實のところ。
- シンナ
- 眞實のところ、名はシンナ。
- 一市民
- やッつけろ。徒黨の一人だ。
- シンナ
- わたしは詩人のシンナです、詩人のシンナです。
- 四市民
- やッつけろ、拙い詩を作りゃァがった罰だ、惡い詩を作りゃァがった罰だ。
- シンナ
- わたしァ徒黨のシンナぢゃない。
- 二市民
- かまったことはない、名がシンナだ。野郎の心臟から名前を引こ拔いて、おッ拂ッちまへ。
- 三市民
- やっつけろ〜。さァ〜、燃さしを持って來い、燃さしを!炬火々々!
ブルータスのとこへ往け、カシヤスのとこへ。みんな燒いっちまへ。 だれかディーシャスの家へ往け、それから誰れかカスカのとこへ。
だれかライゲーリヤスのとこへ。あっちへあっちへ!さァ〜!
皆々入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第四幕 第一場
第四幕
第一場 ローマ。アントニーの宅の一室。
-
アントニー、オクテーヰ゛ヤス及びレピダス出る。
- アント
- では、此連中は死刑とします。名前に記號を附けました。
- オクテ
- 貴下の兄貴も死刑にせにゃならんが、御承諾ですか、レピダス?
- レピダ
- 承諾はしますが……
- オクテ
- 記號を附けて下さい、アントニー。
- レピダ
- 其條件として、マーク・アントニー、貴下の姉御の子息パブリヤスも同刑に處することにして貰ひたい。
- アント
- 彼れも生かしちゃ置きません。御覽なさい、此通り點を附けて死罪仲間にします。
……時に、レピダス、君はシーザーの邸へ往って、例の遺言状を取って來て下さい。
こゝで協議して、遺産の支拂額を多少削減することにしませう。
- レピダ
- え!此處へ持參すりゃいゝのですか?
- オクテ
- 若しこゝにゐなければ議事堂にゐます。
レピダス入る。
- アント
- やくざな、長所の無い男だ、使に行く位が相應だ。
天下を三分した場合に、奴に其一分を有たせるのは當然でせうかな?
- オクテ
- 當然だとお思ひなすったればこそ、貴下は公敵宣言の協議にも與らせ、
死刑相當者の取査にも彼男の贊否をお求めなすったのぢゃァないかね?
- アント
- オクテーヰ゛ヤス、予は貴下よりも年を取ってゐますよ。
讒誣誹謗の因となる負擔を吾々のみで負はないために、わざと、
一時、奴に榮職を荷はせておくものゝ、つまり、彼奴は、譬へば、
驢馬が金貨を荷って行くと同じ格で、其榮譽を荷ってゐるのです。
吾々が方向を指圖するに隨って、引張られたり追立てられたりして、重荷の爲に汗を流して唸きながら、
吾々の欲する處へ寶物を運んで行く、やがて其荷物を下してしまへば放免する、と、
ちょうど身輕になった驢馬のやうに、長い耳を一振揮って、 協同牧場で飼草にありつかうといふ仲間です。
- オクテ
- お好み通りになさるのは結構でせうが、彼男も中々場數を踏んだ勇敢な武人ですから。
- アント
- 予の馬がさうです、オクテーヰ゛ヤス。で、予は、それに對して、
平生十分の飼草を與へておきます。予が教へて戰はせもする、
ぐるりと廻らせもする、止らせもする、驀地に突進させもする、
要するに、一進一退、悉く予の意志のまゝなのです。
そこで、或意味に於て、レピダスが全くそれです。あれは教へたり馴したりした上に號令をかけねば役に立たん。 働きの無い男だ。{[他人]
ひと》の使ひ棄を拾ったり、人眞似で智慧を補ったり、 しかも世間ではもう夙に廢滅に歸した頃に、珍しげにそれをやりかける男です。
彼れは、只もう小道具同樣だとお思ひなさい。……さて、そこで、オクテーヰ゛ヤス、
大切な事件があります。ブルータスとカシヤスは頻りに兵を募ってゐるといふことだ、
此方も速かに集合せねばならん。ですから、先づ同盟者共を糾合し、
有力な手合を身方にし、十二分に軍備を擴張しませう。同時に、
如何にして公然の危害を鎭壓すべきか、又如何にして未發の陰謀を探偵すべきか等、 早速御相談に取掛りませう。
- オクテ
- さうしませう。吾々は杭に縛り附けられた熊同樣に、敵を八面に控へてゐる。
笑顏を見せてゐる手合も、胸には百萬の害心を包藏してゐるらしいから、油斷が出來ません。
二人ともに入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第四幕 第二場
第四幕
第二場 サーディス附近の陣營。ブルータスの天幕前。
-
太鼓。ブルータス、リューシリヤス、リューシヤス及び兵士等出る。
チヽニヤスとピンダラスは他方より出でて前の一群と相逢ふ。
- ブルー
- とまれ!
- リュー
- 合言葉を!とまれ。
- ブルー
- おい、どうだね、リューシリヤス!カシヤスは來るかね!
- リュー
- 直見えます。ピンダラスが御主人の吩咐で、御挨拶の爲に參られました。
- ブルー
- それは御丁寧なことだ。……ピンダラス、御主人は、近來人柄が一變せあっれたのか、
或ひは下役に不都合な者があった爲かも知れんが、 あゝいふ事は決してせられるべきでないと思ふやうな事をせられた。
然し程なく此處へ見えるとあれば、十分に辨解されるでもあらうが。
- ピンダ
- 手間におきましては、主人は飽迄も立派な人物だと信じてをります。
- ブルー
- さうもあらう。……リューシリヤス、一寸。 ……彼男が先日君を待遇した模樣は何樣なでした?
- リュー
- 慇懃に、且つ頗る鄭重に。
併し其以前のやうに極打解けて覆藏なく親友らしく話をせらるゝといふやうなことはありませんでした。
- ブルー
- それでよく分ります、熱かった友誼の冷却した有樣が。リューシリヤス、常に注意なさい、
眞の愛情が衰へはじめると、言葉遣ひや其他が故意らしく鄭重になるものです。
生地の儘の信實には何の小技工もないが、心の誠の無い者は、
平生、手で引立てられる時に荒廻る馬の樣に、勇敢さうに見えてゐて、
存外、實戰の役には立たず、忽ち首をうなだれてしまふ、ちょうど然ういふ駄馬同樣に、
いざといふ時の頼にはならん。……彼れの兵は來ますか?
- リュー
- 今晩はサーディスに宿泊することになってゐます。大部分、即ち騎兵全部がカシヤスどのと共に參ります。
奧にて調子低く進軍の樂聞える。
- ブルー
- や!來たらしい。……徐に進め、出迎ひをしよう。
カシヤス兵をひきつれて出る。
- カシヤ
- とまれ!
- ブルー
- とまれ!めい〜合言葉を。
- 第一兵
- とまれ!
- 第二兵
- とまれ!
- 第三兵
- とまれ!
- カシヤ
- 大兄、貴下は予に對して不正な事をなすった。
- ブルー
- 神々も照覽なされ!自分が曾て敵に對してゞも不正な事を働いたことがあるか?
若し無いとすれば、如何して兄弟に對って不正を働くか?
- カシヤ
- ブルータス、さういふ沈着拂った顏をしてゐて、
貴下は内々不正なことをなさる。貴下が不正を……
- ブルー
- カシヤス、まァお待ちなさい。靜かに不平をお述べなさい。 予は貴下の性質を善く知ってゐる。
お互ひに部下の者には何等不和もないやうに見せておかねばならん、 こゝで爭論するのは止めよう。カシヤス、彼等を退かせておいて、其後、
予の天幕内に於て、十分に不平を述られるが可い。 とくと承はりませう。
- カシヤ
- ピンダラス、將官共に、部下の者を少々遠ざけるやうに申しつけろ。
- ブルー
- リューシリヤス、其方も同樣に取計らへ。密談の濟むまでは、
だれも天幕へ來てはならんぞ。……リューシリヤスとチヽニヤスは入口の番をして下さい。
皆々入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第四幕 第三場
第四幕
第三場 ブルータスの天幕内。
-
ブルータスとカシヤスと出る。
- カシヤ
- 貴下が不正な事をなすったといふ證據は斯うだ。
貴下はリューシヤス・ペラが此處でサーディヤ人から賄賂を取ったといふので、
彼れを告發して罪名をお附けなすった、それについて、予は彼れの爲に宥免を乞ふ書面を送って……
といふのは、彼れが貶辱を受けた上に放逐せられたと聞いたからで……
- ブルー
- あのやうな場合に調停の書を送るなどは、貴下みづからを侮辱するやうなものだ。
- カシヤ
- あのやうな場合には、瑣末な犯罪は成るたけ寛大に見迯すべきです。
- ブルー
- カシヤス、予は敢て言ふが、君みづからが大分貪婪家だといふ非難がある。
黄金の爲に無能な者に官職を賣るといふ非難がありますぞ。
- カシヤ
- 予が貪婪家だ!ブルータス、君は、
それを言ふのはブルータスだと承知して言はれるんだが、さうでなくば、今の一言は、 必ず、君の最後の言葉でありましたらうぞ。
- ブルー
- カシヤスといふ名前があるので、賄賂請託の醜を掩ふ。 さうでなくば、とうに懲罰が下るべきだ。
- カシヤ
- 懲罰!
- ブルー
- お忘れなさるな三月を、三月の十五日をお忘れなさるな。 大シーザーが血を流したのは正義公道の爲ではなかったか?
彼れを殺すに與った者で、正義公道の爲でなくって、
彼の身體に手を觸れた卑劣漢が一人でもあったか?えッ!盜賊を扶掖するやうな行爲があったればこそ、
それが爲にこそ現代無比の英傑を誅戮した吾々が今更穢い賄賂に指を汚して、
斯うして掴める程の目腐れ金に代へて、宏大無邊な大切な名譽が賣られるか?
そんなローマ人になる位なら、寧ろ犬になって月に吠えたはうが優だ。
- カシヤ
- ブルータス、さう咬附くやうにお言ひなさるな、堪忍に限りがありますぞ。
予を束縛しようとするのは自己を忘れた振舞ですぞ。 予は武人だ、兵事にかけては君よりも年を取ってゐる、
將校任免の手心なぞも君より年功ですぞ。
- ブルー
- 何の、そんなことがあるものか?
- カシヤ
- あります。
- ブルー
- いゝや、ない。
- カシヤ
- 大抵になさらんと、何をするか知れませんぞ予は。
身の安否を考へて、あんまり予を挑發なさらんが可い。
- ブルー
- 去ッちまへ、小人!
- カシヤ
- どうも、實に!
- ブルー
- これ、よくお聽きなさい。君が癇癖を起したからッて、予が讓歩する必要が何處にあるか?
狂人が目を怒らしたからッて、予がそれを怖れる必要が何處にあるか?
- カシヤ
- おゝ、神々よ!神々よ!これほどに言はれても、忍耐せねばならんか?
- ブルー
- 勿論だ!これ以上をも。其高慢な心の臟が破裂するまで腹を立つが可い。
其癇癪を君が使ってゐる奴隸に見せて、戰へ慄かすが可い。
予が何の必要があって辟易し、何の必要があって君の機嫌を取らうぞ?
君が癇癪を起したからッて、何の必要があって突立ったり平伏したりしようぞ?
君は勝手に、自分で癇癪の毒を始末するがいい、胸が裂けようと、腹が裂けようと。
これから以後、君が癇癪を起しゃ、予はそれを好い慰み、好い笑柄にする積だ。
- カシヤ
- 餘といへば……
- ブルー
- 君は、今、予よりも優った武人だといった。其證據が拜見したい。
其高言の實證を見せて下されば、滿足の至だ。自分は喜んで英邁の士の教へを受けようと思ってゐる。
- カシヤ
- 君は實に酷いことを言ふ。君は實に酷い、ブルータス。予は、
武人として君よりも年長だと言ったばかりです、優ってるとは言やァしない。 優ってるといひましたか?
- ブルー
- いったっても關はん。
- カシヤ
- シーザーが生きてゐたっても、これほどまでには、敢て俺を怒らせはせなんだであらうに。
- ブルー
- 默れ、お默りなさい!君は迚もこれほどまでには彼れを挑發し得なかったのだ。
- カシヤ
- 挑發し得なかった?
- ブルー
- さうさ。
- カシヤ
- えッ?予がシーザーを挑發し得なかったと?
- ブルー
- 命が惜しいから、挑發し得なかったのだ。
- カシヤ
- あんまり予の愛をお頼みなさるな。予は自分で後悔するやうな事をしかねませんぞ。
- ブルー
- 君は後悔せねばならんことをしたのだ。カシヤス、君が幾ら威しても予は少しも怖ろしくない。
予は正義の甲冑で堅固に身を固めてゐるから、君の恐嚇は空吹く風同樣、
念頭に置かない。予は君の處へ使者を送って…… 君はそれを拒んだが……若干の金員を借りようとした……
といふのは、予は卑劣な方法で金を取立てることは得爲ないからだ。
信實、百姓共の彼の硬い掌から穢しい端金を捩取る位なら、
此心臟を貨幣に鑄させて、滴る鮮血の一滴々々うぃドラクマの代りに使ったはうがいゝ。
予は部下に拂ひ渡す金を借りにやったのだに、君は拒んだ。
それがカシヤスらしい行爲か?ブルータスがカシヤスにあんな返辭をしたであらうか?
マーカス・ブルータスが目腐れ金を親友に惜むほどに、さほどに鄙吝になったならば、
おゝ、神々よ、速かに天雷を下して、彼れを微塵となさせたまへ!
- カシヤ
- 予は拒んだ覺えはない。
- ブルー
- いゝや、拒んだ。
- カシヤ
- 拒んだ覺えはない、きッと予の返辭を傳へた奴が馬鹿なんだ。…… ブルータスの言ったことで此心は突裂かれた。
其友の過失を忍耐してくれてこそ親友であるのに、 ブルータスは俺の過失を其實よりも大きくしようとする。
- ブルー
- 大きくはしない、予に對してすらそれを行ふから止むを得ないのだ。
- カシヤ
- 君は俺を愛してゐない。
- ブルー
- 君の過失を好く譯にはいかん。
- カシヤ
- 親友は決してさういふ過失なんか見附け得ない筈だ。
- ブルー
- 諂諛者なら故と見んやうにもするであらう、オリンパスほどの大きな過失をも。
- カシヤ
- 來をれ、アントニー!青二才のオクテーヰ゛ヤスも來をれ! 俺ばかりを敵にして思ふ存分にやッつけてくれ。
カシヤスはもう此の世に厭き果てた。愛する友には憎まれ、兄には侮辱され、
奴隸のやうに罵り辱しめられた以上は、ありッたけの過失を數へ立てゝ、
手帖に書留めて、熟讀して暗誦して、我面へ叩き附けられた以上は。
おゝ!俺は悔し泣に泣いて〜、命を泣きつぶすことも出來ようわい。 さ、こゝに俺の短劍がある、さ、これが俺の赤裸々の胸だ。
此胸の中にはプルートーの金庫よりも夐に貴い心臟がある。
君が見事なローマ人なら、それを取れ。金を君に拒んだ俺が、君に自分の心臟をくれてやる。
さァ、斬れ、君がシーザーをやッつけたやうに。君はシーザーを最も深く惡んでゐた時でも、
カシヤスを最も深く愛してゐた時よりは愛してゐたんだ。
- ブルー
- 鞘へお容れなさい劍を。怒りたい時には怒るが可い、思ふ存分に。
君が如何な不名譽なことをしようと、一時の氣分と見ておくから。 おゝ、カシヤス!君の相手は小羊だ、怒氣を帶んだッても、
燧石が火氣を帶ぶやうなものだ、手酷く衝突られりゃ火花を發するが、 すぐ又冷たくなッちまふ。
- カシヤ
- 此カシヤスは、ブルータスの好い慰みになるために、好い笑草になるために、今日まで生きてゐたのか?
憤慨に堪へないでゐるのに、持病の癇癖に苦しめられてゐるのに!
- ブルー
- つい、然う言ったけれども、それは其つい癇癪の餘りに言ったんだ。
- カシヤ
- え、さうまでに言ってくれるか、君?……手を下さい。
- ブルー
- (握手して)此心をも。
- カシヤ
- おゝ、ブルータス!
カシヤス泣く。
- ブルー
- どうしたんだ。
- カシヤ
- 君は俺を堪忍してくれるだけの深切心はないのか?お袋の遺傳の癇癖の爲に、 つい前後を忘却する事のある時分に。
- ブルー
- 堪忍するよ、カシヤス。これからは、君が予に無理な事を言ったら、
あゝ、又、お袋が噛々言ひ出したのだと思って、氣にかけんことにしよう。
奧にて騷がしい人聲。
- 詩人
- (奧にて)大將がたの樣子を見て來ませう。何か仲たがひをしてござりやうだ。 さしむかひにして置くのは好くありません。
- リュー
- (奧にて)往かんはうが可い。
- 詩人
- (奧にて)いや、生きてる以上、往きます。
詩人出る。曾呂利新左衞門といふ格の變人。其あとからリューシリヤス、チヽニヤス及びリューシヤス出る。
- カシヤ
- 何だ!如何したんだ?
- 詩人
- 御大將がた、如何なされたのです!如何いふ御料簡です?
「愛しあうて仲よしどちとならせませ、いさかひたまふ年齡でなし。」
「わが言葉聽入れたまへ、お二方、あなた方より年長の我れ。」
- カシヤ
- はゝはゝはゝ!此口惡屋めが思ひ切った腰折を竝べをる!
- ブルー
- あっちへ行け、あっちへ。無禮者め、あっちへ!
- カシヤ
- 堪忍なさい、ブルータス。これは彼奴の癖です。
- ブルー
- 場所柄さへ辧へてすれば、恕してもやるが。
駄洒落歌を詠む阿呆者が戰場に何の用がある?……あっちへ行け!
- カシヤ
- あっちへ〜!ひっこめ。
詩人入る。
- ブルー
- リューシリヤスとチヽニヤスは、將校共に今夜軍隊を宿泊させる準備をしろと吩咐けて下さい。
- カシヤ
- さうして君逹には、メッセーラをつれて直ぐ戻って來て貰ひたい。
リューシリヤスとチヽニヤスと入る。
- ブルー
- リューシヤス、酒を持って來い。
リューシヤス入る。
- カシヤ
- 君があんなに腹を立てようとは思はなかった。
- ブルー
- 予には種々堪へられない悲痛があるんだ。
- カシヤ
- 偶然の不幸なんぞは、例の哲學でお諦めなさるのが當然ぢゃありませんか?
- ブルー
- これ以上に忍び得る者はない。……ポーシャが死んだのだ。
- カシヤ
- えツ!ポーシャが!
- ブルー
- 死んだんだ。
- カシヤ
- ようまァ予は殺されなかったぞ、さうも知らず君にあんなに腹を立たせて!
おゝ、實に殘念とも、痛ましいとも、言ひやうのない大不幸だ!……どういふ病氣で?
- ブルー
- 予と永く別れてゐるのに堪へかねたのと、
オクテーヰ゛ヤスとマーク・アントニーが合體して勢力が強大になったのをば苦に病んで……
二人が合體した事は妻の死去と一しょに知らせて來た……
それで精神が錯亂して召使の者の居らん間に、火となった石炭を呑んだのです。
- カシヤ
- さうして亡くなったのですか?
- ブルー
- さうだ。
- カシヤ
- おゝ、神々!
リューシヤス酒と蝋燭を持って出る。
- ブルー
- 妻の事はもう言はんことにして下さい。……酒盃をくれ。 此中へ一切の不快や無情を葬ってしまふ。
- カシヤ
- 其御誓約の酒盃を、信實あるがたくいたゞきますぞ。…… リューシヤス、注いでくれ、なみ〜と溢れるほど。
ブルータスの愛の盃は幾ら飮んでも足らないばかりだ。
- ブルー
- お入りなさい、チヽニヤス。……
リューシヤス入る。
メッセーラをつれてチヽニヤス出る。
ようお出なすった、メッセーラ。……さ、この蝋燭の周圍へ集って、 緊急の件を協議しませう。
- カシヤ
- あゝ、ポーシャは逝っちまったか?
- ブルー
- もうそれは止して下さい。……メッセーラ、予はこゝに通信を受取ってゐる、
それによると、オクテーヰ゛ヤスとマーク・アントニーが大軍をひきゐて攻寄せるといふことです、 急にフィリッパイの方へ進軍して。
- メッセ
- わたくしも同主意の通信を受取ってをります。
- ブルー
- 何等か別報が添はってゐましたか?
- メッセ
- 公敵宣言をいたしました上に、國法保護撤囘をも行ひまして、
オクテーヰ゛ヤス、アントニー、レピダス、三人の手で、一百名の元老官を死刑に處したと申すことです。
- ブルー
- 其點は予の受取った通信と合はん所がある。
予のには其公敵宣言で刑せられたのは七十人の元老とある、シセローも其一人で。
- カシヤ
- シセローも其一人!
- メッセ
- シセローも殺されました、其公敵宣言で。閣下は奧さんからの御通信をお受取になりましたか?
- ブルー
- いゝや。
- メッセ
- 奧さんの事は、通信に何も書いてありませんでしたか?
- ブルー
- 何にも。
- メッセ
- それはどうも、不思議ですなァ。
- ブルー
- 何故それを訊くのです?君の受取った通信中には、何か妻の事がありましたか?
- メッセ
- いえ、何も、その。
- ブルー
- これ、君がローマ人である以上、事實をお話しなさい。
- メッセ
- では、閣下も、ローマ人らしく、わたくしがお話し申すことをお耐へ下さい。……
奧さんはお果なさいましたぞ、しかも竒怪な方法で。
- ブルー
- では、ポーシャよ、さよなら。……人間は死なざるを得ないものです、メッセーラ。
妻も早晩死すべき筈のものだと悟りゃ、忍ぶことあ出來ます。
- メッセ
- 大きい人物は、正にさういふ風にして、大きい悲痛を忍ぶんですなァ。
- カシヤ
- 予だって貴下同樣の修業をして來た積りなんだが、 性來がそれを忍ばせ得ない。
- ブルー
- さ、活きた仕事に取掛らう。……フィリッパイへすぐ進發するか、どうか? 貴下は如何思ふ?
- カシヤ
- 予は不利だと思ふ。
- ブルー
- といふのは?
- カシヤ
- それは斯うです。敵をして我軍の存在を探さしめるはうがよろしい。
さうすれば敵は其力を浪費し、其兵力を疲勞させ、おのれ自身に害を加へることになる、
其間、我軍は、じッとしてゐるから、十分休息もすれば防禦の準備も出來る、 隨って敏捷活溌であるといふ利益が生ずる。
- ブルー
- 善い理由も更に善い理由があれば棄てなければならん。
フィリッパイと此地の間に住んでゐる人民は、止むを得ずして我黨に好意を表してゐるのである、
それは彼等が厭々徴發の應じたのでも分る。 で、若し敵軍が彼等を經過して進軍し來るやうであると、必ずや彼等を身方にし、
大いに新手の人數を加へ、英氣を幾倍して攻寄せて來ることになるであらう、
然るに若し吾々が此等二心の徒を我軍の後へにして敵をフィリッパイで逆へ撃つやうにすれば、
さういふ利益を悉く敵軍から切離すことが出來る。
- カシヤ
- 併し大兄……
- ブルー
- いや、失禮だが。……それに、考へて貰はんければならんことは、
吾々は身方の者に最早最上の力を盡させてゐる。吾軍隊は英氣既に溢れてゐる、
即ち我軍機は熟し切ってゐる。敵の兵力は日毎に加はるが、頂點に逹した我兵力は今にも衰へんとしてゐる。
潮時は人間の行動にも有る、滿潮に乘じて事を行へば首尾よく運ぶが、其機を誤るといふと、
一生中航海毎に淺洲や暗礁に乘上げて、淺ましい最期を遂げる。 我軍は今ちょうど滿潮の海に滿潮の海に浮んでゐるのだ、此潮流を利用するか、
難船して貨物を失ふか、何らかを取らんけりゃならん。
- カシヤ
- では、貴下のお好み通りになさい。此方から進んで行って、
フィリッパイで逆へ撃つことにしませう。
- ブルー
- 話をしてゐたら、知らない間に夜が更けた。自然の必要に逆らふことは出來ない、
お互ひに少し眠て、疲れを休めよう。もう何も言ふことはあるまい?
- カシヤ
- もうありません。……お寢みなさい。明朝は早く起きて出發しませう。
- ブルー
- リューシヤス!……
リューシヤス出る。
俺の上衣を。……
リューシヤス入る。
御機嫌よう、メッセーラ。……お寢みなさい、チヽニヤス。…… カシヤス、カシヤス君、さやうならお寢みなさい。
- カシヤ
- おゝ、大兄!宵にはつい不慮い事でしたが、
二人の間に二度とかういふやうな行違のないやうに!ねえ、ブルータス、二度とは。
- ブルー
- よろしい、大丈夫。
- カシヤ
- お寢みなさい。
- ブルー
- お寢みなさい。
- チヽニ,メッセ
- 御機嫌よろしう。
- ブルー
- さやうなら、諸君。……
カシヤス、チヽニヤス及びメッセーラ入る。
リューシヤス上衣を携へて又出る。
上衣をくれ。……汝の樂噐は何處に在る?
- リュー
- こゝに天幕の中に在ります。
- ブルー
- や!眠さうな返辭をするなう!かはいさうに、無理もない。汝は眠が足らんのだ。
クローディヤスと他に誰れか部下の者を呼んでくれ。此天幕の蒲團の上に眠させておかうと思ふから。
- リュー
- ワ゛ーロー!とクローディヤス!
ワ゛ーローとクローディヤス出る。
- ワ゛ーロ
- お召になりましたか?
- ブルー
- どうか君たち此天幕の中で眠てゐてくれ。 後程カシヤスどのゝ許への用で起すかも知れんから。
- ワ゛ーロ
- では、張番をいたしてゐまして、御意を俟ちませう。
- ブルー
- それには及ばん。横になってゐて下さい。考が變るかも知れんから。……
こりゃ、リューシヤス、書籍は此處にあったわい、
先刻搜した書は。上衣の衣嚢へ容れといたのだった。
ワ゛ーローとクローディヤスと横になる。
- リュー
- たしかおあづかり申した記憶はないと思ひました。
- ブルー
- 堪忍してくれ、俺は大へんに忘れっぽくなった。……眠いだらうが、少との間耐へて、
一二曲樂噐に觸ってくれんか?
- リュー
- はい、かしこまりました。お氣に入りますなら。
- ブルー
- 氣に入るとも。氣の毒だなう、併し善う言ふことを聽いてくれる。
- リュー
- これはわたくしの義務でございます。
- ブルー
- 汝の力以上の義務をさせてはならんのだ。若いうちは眠い筈のものだからなう。
- リュー
- 眠ましたのです先刻既。
- ブルー
- そりゃ可かった、又眠るが可い。長くは引張らん。……俺が生きてゐれば可愛がってやるぞ。……
リューシヤス樂噐を彈じて歌を唄ふ。
さて〜、眠い節だ。おゝ、感覺を殺す睡眠が樂を奏してゐる此少年の頭の上へ鉛の槌を打下すと見える!
……小僧よ、寢め寢め。起すのさへ氣の毒でならん。……
がっくりと俯向くと樂噐を毀すぞ。……此方へ取ッといてやらう。
……小僧よ、寢め〜。……かうッと、かうッと。讀み殘した處がないかな?…… むゝ、此處だったらう。……
シーザーの亡靈出る。
どうも暗い蝋燭だ!……や!だれだ、そこへ來たのは?……こりゃ目の故だらう、
あんな竒怪な者の見えるのは。……此方へやって來る。……何か其處にゐるのか?
汝は何かの神か、何かの精靈か、何かの惡魔か、おれの血を冷くし、
身の毛を彌立たせる汝は?言へ、汝は何者だ?
- 亡靈
- お前に祟をする精靈だ、ブルータス。
- ブルー
- 何故來た?
- 亡靈
- フィリッパイで又逢ふといふことを知らせに。
- ブルー
- よろしい、ぢゃ又逢ふのか?
- 亡靈
- さうだ、フィリッパイで。
- ブルー
- ぢゃ又フィリッパイで逢はう。……
亡靈消える。
や、勇氣が附いたと思ったら、消えッちまったな。あゝ、まだ汝に言ひたいことがあったに。
……こら!リューシヤス!……ワ゛ーロー!クローディヤス!起きてくれ、起きてくれ! クローディヤス!
- リュー
- 此絃は役に立ちません。
- ブルー
- まだ彈いてゐる氣だ。……リューシヤス、起きろ!
- リュー
- へい!
- ブルー
- リューシヤス、夢を見てゐたか?汝は大きな聲をしたぞ。
- リュー
- わたくしは存じません、大きな聲をしましたのを。
- ブルー
- いや、した、何か見たか?
- リュー
- いゝえ、何にも見ません。
- ブルー
- 眠ろ、又眠ろ。……こら、クローディヤス!(ワ゛ーローに)こらこら!起きろ!
- ワ゛ーロ
- へい!
- クロー
- へい!
- ブルー
- 何故お前たちはあんな大きな聲をした、眠てゐて?
- クロー
- へ、いたしましたか?
- ブルー
- うん。何か見たか?
- ワ゛ーロ
- いゝえ、わたくしは何にも見ません。
- クロー
- 手前も何にも。
- ブルー
- あっちへ往ってカシヤスどのに宜しくと言って、それから早朝に部下をひきゐて先發してくれられるやう傳へてくれ、
われ〜は後から往くから。
- ワ゛ーロ,クロー
- かしこまりました。
皆々入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第五幕 第一場
第五幕
第一場 フィリッパイの平原。
-
オクテーヰ゛ヤス、アントニー及び其軍勢出る。
- オクテ
- アントニー、到頭此方が望んだ通りになりましたぞ。
貴下は、敵は侵って來ないで、岡の方や小高い場處を守るだらうと言はれたが、
さうでなかった。敵の軍隊は咫尺に迫りました。彼等は此處で、
フィリッパイで、此方から仕掛けんうちに逆襲する積りと見えます。
- アント
- へッ!彼奴等の腹は分り切ってゐる、予は何故彼等がさうするかを知ってゐる。
内々は他處にゐたいのであるが、わざと怖ろしげな擬勢を示して侵って來たのです、
かういふ樣子を見せたなら、勇敢な敵だといふ感じを吾々に與へるだらうと思って。 ところが、ねッから勇敢ぢゃァない。
使者出る。
- 使者
- 將軍がた、御準備なさい。敵はいかにも勇敢げに寄せてまゐりまする。
血の色をした開戰の目標を陣頭に掲げてをります。 直に何かせねばなりません。
- アント
- オクテーヰ゛ヤス、しづかに貴下の軍隊をお進めなさい、平原の左手の方へ。
- オクテ
- 予は右手へ往きます。左は君に頼まう。
- アント
- 何故、かういふ際どい場合に、予に反對をなさるんだ?
- オクテ
- 反對ぢゃァない。が、予は反對側へ往きます。
進軍の樂。
太鼓。ブルータス、カシヤス及び其軍隊出る。リューシリヤス、チヽニヤス、 メッセーラ及び其他も出る。
- ブルー
- 敵は、止った所を見ると、陣頭會見をする氣らしい。
- カシヤ
- チヽニヤス、君はちゃんと控へてゐて下さい。吾々は出ていって問答をせにゃならん。
- オクテ
- マーク・アントニー、開戰の合圖を與へようか?
- アント
- いや、シーザー、先方から掛かるのを俟って應じませう。
……陣頭へお進みなさい。敵將共は何か言はうとするのらしい。
- オクテ
- (軍隊に)合圖をするまで動くな。
- ブルー
- (アントニーらに對って)手を下すに先だって言を盡す。國人よ、さやうか?
- オクテ
- お前たちのやうに、手を下すよりも、言を弄することを好むが爲ではないぞ。
- ブルー
- オクテーヰ゛ヤス、正しい言は邪曲な手に優りますぞ。
- アント
- ブルータス、君は正しげな言を口にしながら邪曲な手を下した男だ。
シーザーの胸部を貫きながら、君は「シーザー萬歳!」と叫んだ男だ。
- カシヤ
- アントニー、君の手の味はまだ知らんが、君の言葉は實に甘い、 ハイブラの蜜蜂も爲に其蜜を奪はれッちまふ。
- アント
- 刺をも奪はれはしませんかな?
- ブルー
- おゝ、其通り、其聲までも奪ったのだ。それなればこそ、刺す前にがや〜と口がしこく人を威す。
- アント
- 奸賊らめ!汝らこそさうしたのだ、 シーザーの身邊へ群り競って卑劣な短劍を揮った時分に。
汝らが猿のやうに齒を露し、獵犬のやうに尻尾を揮り、
奴隸のやうに腰を屈め、シーザーの足に接吻してゐる其途端に、
罰當りのカスカが、臆病犬の如く後から飛びかゝって、シーザーの頸元を斫ったのだ。 おゝ、此諂諛者めら!
- カシヤ
- 諂諛者だ!……おい、ブルータス、御自分に禮をお言ひなさい、
今日こんな無禮な雜言を聞くことはなかったんだ、若しカシヤスの言ふことが通ってゐたなら。
- オクテ
- さァ〜、開戰!言葉戰にすら汗を流すやうなら、
實際の勝負では血の汗を流すであらうぞ。……見い。……徒黨の者に對して拔いた此劍が、
何時鞘に戻ると思ふ?シーザーが受けた三十三ヶ所の傷が悉く復讐されるまでは、
若しくは第二のシーザーまでは叛逆人の劍の錆とならん限りは、決して其鞘には戻らんぞよ。
- ブルー
- シーザー、お前さんは叛逆人に殺されることは出來まい、仲間中に叛逆人がゐればとにかく。
- オクテ
- さうもあらう。ブルータスなんぞの手にかゝるやうにゃ生れついてはゐない。
- ブルー
- おゝ、お前さんがどんな立派な血統の人であらうと、若輩者の癖に、
ブルータスの手にかゝりゃ非常な名譽でありませうぞ。
- カシヤ
- いや、そんな名譽なんか與へるだけの價値もないやんちゃ小僧、
それに同伴って來たのは劇好の大酒家だ。
- アント
- 依然たるカシヤスだ!
- オクテ
- さァ〜、アントニー。あっちへ!……叛逆人共、其雜言は汝等の面上へ叩き戻す。
敢て戰ふ勇氣があるなら、今日すぐ、戰場へ出ろ、で無きゃ氣の向いた時分に。
オクテーヰ゛ヤス、アントニー及び其軍隊入る。
- カシヤ
- さァ、此上は、風が吹かうと、波が立たうと、船が泳がうとだ!暴風が來た以上、
一かばちかだ。
- ブルー
- こら!……リューシリヤス、おい、ちょいと。
- リュー
- へい?
ブルータスとリューシリヤスとは立離れて耳語する。
- カシヤ
- メッセーラ!
- メッセ
- 何ですか、將軍?
- カシヤ
- メッセーラ、今日は予の誕生日だ。カシヤスは丁度今日生れたんだ。
手をくれ、メッセーラ。君、證據人になってくれ、予は、不本意ながらポンピー同樣に、
吾々の大切至極な自由を悉く此一戰に賭してしまはんければならんことになった。
君も知ってる通り、予は平生エピキュラスを信じ又其説を奉じてゐたが、
今は心が變って、物の前兆といふことを信じかけて來た。サーディスから此處へ來る途中、
二羽の大鷲が偶然陣頭の旗標の上へ降り止って、
兵士が手で以て與へる餌を貪り食ひ、フィリッパイまでは從いて來たが、
今朝になって、何處かへ飛去ッちまって、其代りに、鴉だの、鳶だのが吾軍の頭の上を飛び廻り、
まるで吾々を死にかゝってゐる餌食のやうに見下してゐる。 彼奴等の影は不吉な忌はしい天蓋で、吾々は今にも亡者にならうとして、
其下に臥てゐるといふ風に見える。
- メッセ
- そんな風にお信じにならんがよろしい。
- カシヤ
- 必ずしも信じちゃゐない、予は勇氣充滿してゐて、 毅然としてあらゆる危險にぶッつからうとしてゐるんだから。
- ブルー
- (リューシリヤスとカシヤスとの話を了りて)その通り、リューシリヤス。
- カシヤ
- さて、ブルータス君、願はくは、今日神々の冥助のよって、
戰ひに勝って、お互ひに平和時代の親友となることを得て、老年までも睦じく暮したいと思ひます!
併し人生の事は常に不定ですから、萬一最惡の結果となった場合には、
如何すべきかといふことを考へておきませう。若し此戰ひが不利となれば、
お話をするのもこれが最後です。其場合には貴下は如何なさる決心ですか?
- ブルー
- 曾てケートーの自殺を……其理由は明かではないが……非難した其哲學上の原理に照して考へると、
將に來らんとする災厄を恐れて、自ら命數うぃ縮めるのは卑怯な振舞だと思ふ、
むしろ忍耐して下界の吾々の支配する或高い力の攝理を俟つのが當然です。
- カシヤ
- ぢゃ、敗軍となった場合に、貴下は捕虜となって、 ローマの街頭を引廻されるのを甘んじようといふのですか?
- ブルー
- いゝや、決して。貴下は立派なローマ人だ、ブルータスがローマへ引かれてゆくなぞとお思ひなさるな。
そんな目に逢ふには、彼れの精神が大き過ぎます。それはさうと、
三月十五日に始めた業は今日を以て終局とせねばならん。
お互ひに又逢ふか、逢はんか、圖られんから、永訣をしておきませう。 ……いつまでも又いつまでも御機嫌ようお暮しなさい、カシヤス!
若しまた逢へたら、此告別を笑はうし、逢へなんだら、 よい時に告別をしたと思はう。
- カシヤ
- いつまでも又いつまでも御機嫌よろしうお暮しなさい、ブルータス!
若し又逢へたら、いかにもお互ひに笑ひませう、若し逢へなんだら、成程、
斯うして告別をしておけば、心殘りがないといふもんだ。
- ブルー
- さァ、此上は、進軍しませう。……おゝ!其日の仕事の結果を豫め知ることが出來たならば!
併し日には果がある以上は、やがて事の果も知られる道理だ。 ……さァ〜!あっちへ!
一同入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第五幕 第二場
第五幕
第二場 同處。戰場。
-
警鐘亂打。ブルータスとメッセーラ出る。
- ブルー
- メッセーラ、急いで、早馬で、此書類を向う側の諸隊へ渡して下さい。……
警鐘さわがしく鳴渡る。
すぐに攻掛らして下さい、オクテーヰ゛ヤスの一翼は如何にも勇氣沮喪して見えるから、
突然襲撃すれば一みじきになるだらう。メッセーラ、早く、早く、大急ぎで。 一度に攻掛らせて下さい。
二人とも入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第五幕 第三場
第五幕
第三場 戰場の他の一部。
-
警鐘亂打。カシヤスとチヽニヤス出る。
- カシヤ
- おゝ、見たまへ、チヽニヤス、見たまへ、どッ畜生共が迯げやァがる!
つい予までが身方に對して敵の役をしッちまった。
この旗手めが迯出しゃァがったので、即座に卑怯者を誅戮して、 旗を取上げッちまった。
- チヽ
- おゝ、カシヤス!ブルータスが早まって號令を掛けられたのです。
オクテーヰ゛ヤスを襲って利を得たので、あの人の部下は好い氣になって、 分捕なんかはじめてるうちに、
此方は悉くアントニーに圍まれてしまったのです。
ピンダラス出る。
- ピンダ
- もっと遠くへお迯げなさい、旦那さま、もっと遠くへ。
マーク・アントニーがもう御陣所へ乘込みました!ですから早くお迯げなさいまし、
カシヤスさま、もっとずっと離れたところへ。
- カシヤ
- 此丘をずっと離れてゐる。……あれを御覽、チヽニヤス。あれは俺の天幕か、火の手の揚ってるのは?
- チヽ
- はい、さやうです。
- カシヤ
- チヽニヤス、若し君が予を思ってくれるなら、直ぐ予の馬に乘って、
思ひ切り拍車を入れて、あれ、あの軍隊まで驅けて往って又直に驅戻って下さい。
あの軍隊が敵だか、身方だかを確めたい。
- チヽ
- すぐ戻って參ります。
チヽニヤス入る。
- カシヤ
- こら、ピンダラス、あの丘のずっと上へ登って往け。俺の目は霞んで駄目だ。
チヽニヤスを氣を付けて見てゐて、戰場の模樣を知らしてくれ。……
ピンダラス丘の上に登る。
けふは俺がはじめて生れた日だ。時運巡環して生を始めた日に生を終るんだ。
俺の一生は一巡りしッちまった。……やい、樣子は如何だ?
- ピンダ
- (丘の上にて)おゝ、旦那さま!
- カシヤ
- どうしたんだ?
- ピンダ
- あれ〜、チヽニヤスどのは、四方から驅けて來る騎兵に圍まれッちまひます、
あれ〜、騎兵が驅けて來ます。けれどもチヽニヤスは尚ほ驅けてゆかれます。
あゝ、もう敵が迫りました。あゝ、もうチヽニヤスは!あゝ、大ぶ降ります。
おゝ、チヽニヤスも降りられました。あゝ、もう生捕られてしまひなすった!……
歡呼の聲聞える。
あれ〜!勝鬨を擧げてをります。
- カシヤ
- 降りて來い。もう見るな。……おゝ!俺は卑怯者だ、大事の親友が鼻の前で、 生捕られるのを見るまでも生きてゐるとは。……
ピンダラス降りて來る。
やい、こゝへ來い。……俺が汝をパーシヤで捕虜にした時に、
命を助けてやって、堅い約束をしておいた、俺が爲ろと命ずる事は何でも必ず爲ろと。
さ、今、其約束を守れ。今日から自由の人間になれ。此、シーザーの腹を貫いた利劍で以て、
此胸を貫け。……ぐづ〜してゐるな。こら、此|𣠽d;を握れ。
さうして俺が面をおほった途端に、それ斯ういふ風に、うまく劍を扱へ。
……シーザーよ、お前の敵は討てるぞ、お前を殺した其同じ劍で。
ピンダラス突く。カシヤス死す。
- ピンダ
- これで俺は自由の身になった。が、若し俺の本心通りにしたら、自由にはなれなんだのだ。
……おゝ、カシヤス!ピンダラスは今から遠い外國へ立退きます、 二度とローマ人の目に掛らん遠い國へ。
ピンダラス入る。
チヽニヤス先に、メッセーラ從いて出る。
- メッセ
- まァ、取換だ、チヽニヤス。オクテーヰ゛ヤスがブルータスどのの爲に大敗をしたんだから、
ちょうどカシヤスの一隊がアントニーに敗られたやうに。
- チヽ
- さう報道したなら、カシヤスも大きに心を慰められるだらう。
- メッセ
- 君は何處で別れたんだ?
- チヽ
- 此丘の上で。奴隸のピンダラスと一しょに、全く落膽してをられた。
- メッセ
- 彼人ぢゃないか?地面に倒れてゐるのは。
- チヽ
- 生きてるやうぢゃないぜ。……おゝ!
- メッセ
- 彼人ぢゃないのか?
- チヽ
- 彼人ぢゃない、彼人はもう此世にはゐなくなッちまった。……
おゝ、沈んで行く太陽よ、眞赤な光綫を浴びて、汝が闇へ沈むやうに、
カシヤスといふ日輪も眞赤な血の中へ沈んぢまった。ローマの太陽が沈んだんだ。
吾々の日は暮れたんだ。雲も來い、露も來い、危險も來い。吾々の仕事は終ったんだ。
俺が善い報を持っては來まいと思ひ過して、斯ういふことをせられたんだ。
- メッセ
- 迚も善い報は來まいと思って、斯ういふことをせられたんだ。
あゝ、怨めしいは誤解だ、悒鬱の産む誤解よ! 何故ありもせぬ事をあるやうに思はせて、人の心を惑はすぞ?
おゝ、誤解といふものは忽ち人心に胚胎れるが、決して安産はせんで、 懷姙した母親を殺すのが定例だ。
- チヽ
- おい、ピンダラス!何處にゐる、ピンダラス?
- メッセ
- 奴をお搜しなさい、チヽニヤス、其間に、予はあっちへ往ってブルータスどのに逢って、
此事を知らせ、耳を突裂いて來よう。あゝ、突裂くんだ、
こんな報知よりは鋭い鎗や毒を塗った投箭の方がブルータスの耳には有難からうから。
- チヽ
- 急いで往って下さい、メッセーラ、予は其間にピンダラスを搜さう。……
メッセーラ入る。
カシヤスどの、何故お前は俺を使にやったんだ?お前の親友逹に俺は逢ったぢゃないか? そして彼等は俺の額に、
此通り勝利の木葉冠を載ッけてこれをお前に渡せといったぢゃァないか?
歡呼の聲をお前は聞かなかったのか?あゝ〜!お前は何もかも誤解しッちまったんだ。
しかし、これをお取りなさい、お前の額へ此木葉冠をお載せなさい。
お前の親友のブルータスが持ってって渡せと言ったんだから、俺は其通りにする。
……ブルータス、早く來て、俺がケーヤス・カシヤスを如何樣に尊敬してゐたかを見てくれ。
神々樣、御免下さい。これはローマ人の本分です。……さァ、カシヤスの劍よ、 チヽニヤスの心を見て來い。
自ら心臟を貫いて死す。
警鐘亂打。メッセーラを先にブルータス、ケートー、ストレートー、
ヲ゛ーラムニヤス及びリューシリヤス出る。
- ブルー
- 何處に、何處に在る、メッセーラ、彼れの死骸は?
- メッセ
- あれ、あそこに。チヽニヤスが歎いてをります。
- ブルー
- チヽニヤスは仰向になってゐる。
- ケート
- 殺されてゐるんだ。
- ブルー
- おゝ、ヂュリヤス・シーザー!お前はまだ偉い力を有ってゐる。
お前の亡靈がさまよってゐて、吾々をして手づから其肚を貫かしめるのだ。
低く警鐘聞える。
- ケート
- 勇敢なチヽニヤス!……御覽なさい!カシヤスの死骸へ冠をかぶせましたのを。
- ブルー
- 此二人のやうなローマ人が、尚二人と生きてゐようか?…… (カシヤスの死骸に)全ローマ人の最後の典型、さやうなら!
ローマが二度とお前の同輩を養成しようとは望まれない。……
諸君よ、予は此死人には、中々こんなことでは拂ひ盡されん涙の負債がある。
……カシヤスよ、今に拂はうぞ、今に。……だから、さ、此死骸はサーソスへ送って下さい。
陣中では葬式を行ふまい、身方の勇氣を沮喪させる虞れがあるから。
……さァ〜、リューシリヤス。さァ、ケートー。さ、戰場へ、 レービオとフレーヰ゛ヤスとは軍隊を進めてくれ。ちょうど三時ぢゃ。
ローマ人よ、夜にならんうちに第二戰をして運命を試みようぞ。
一同入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第五幕 第四場
第五幕
第四場 戰場の他の一部。
-
警鐘亂打。兩軍の兵士等鬪ひつゝ出る。其後、ブルータス、ケートー、
リューシリヤス及び其他の者出る。
- ブルー
- まだ〜、國人よ、おゝ!まだ〜頭を埀げては不可ぞ。
- ケート
- ローマ人の血を受けた限りは、誰れが頭を埀げるものか?俺と一しょに進む者はないか?
敵中を驅廻って名を名宣ってくれよう。やァ〜、俺はマーカス・ケートーの一子だ。
專制君主の仇敵を以て任じ、國家の親友を以て居る所の、マーカス・ケートーの一子だ!
- ブルー
- それから俺はブルータスだ、マーカス・ブルータスだ。國家の親友たるブルータスだ。 ブルータスを見知っておけ。
二人ともに入る。
- リュー
- おゝ、けなげなケートー!お前もやられたか?はて、チヽニヤスに劣らない勇ましい最期だ、
ケートーの子たるに恥ぢない名譽の戰死だ。
敵兵出る。
- 第一兵
- 抵抗すると、殺すぞ。
- リュー
- 殺してくれるなら、抵抗しない。……さ、これだけお前に遣るから、直に殺してくれ。……
敵兵に金を與へる。
ブルータスを討取ってお前の手柄にしろ。
- 第一兵
- そりゃ出來ん。こりゃ容易ならん捕虜だ!
- 第二兵
- おい、そこを開けたり!アントニーに報告さっせ、ブルータスを生捕ったと。
- 第一兵
- さうしよう。……あゝ、將軍が見えた。……
アントニー出る。
ブルータスを生捕りました、ブルータスを生捕りました。
- アント
- 何處にブルータスがをゐる?
- リュー
- いや、アントニー、ブルータスは無事です。いかなる敵もブルータスを生捕にすることは出來ません。
神々よ、願はくは彼れを護ってさういふ恥辱を與へさせられまするな!生死ともに、
ブルータスは、ブルータスらしくして、お目にかゝられませう。
- アント
- こりゃブルータスぢゃない、が、此者を生捕ったのも立派な手柄だ。
取逃さんやうにして、十分鄭重に取扱へ。かういふ手合は敵にするよりも身方に有ちたい。
……往け〜。ブルータスの生死を取調べろ、一切の報告はオクテーヰ゛ヤスの陣所へ持って參れ。
皆々入る。
更新日: 2003/02/16
ヂュリヤス・シーザー:第五幕 第五場
第五幕
第五場 戰場の他の一部。
-
ブルータス、ダーデーニヤス、クライタス、ストレートー及び、ヲ゛ーラムニヤス出る。
- ブルー
- さァ〜、打洩らされた身方の人逹、此巖の上でお休みなさい。
- クライ
- スタチリヤスが炬火を見せましたっけが、とう〜戻って來ませんでした。
生捕られたか、殺されたか、どちらかでせう。
- ブルー
- お掛けなさい、クライタス。殺すといふことが合言葉だ、又流行の所行でもある。 ……ちょいと、クライタス。
耳語する。
- クライ
- え、わたくしに?いや、とんでもないことです、決して。
- ブルー
- しッ!ぢゃ默って。
- クライわたしは寧ろ自分をやります。
- ブルー
- ちょいと、ダーデーニヤス。
又耳語する。
- ダーデ
- どうしてそんな事をわたくしが!
- クライ
- (ダーデーニヤスに)おゝ、ダーデーニヤス!
- ダーデ
- おゝ、クライタス!
- クライ
- 君に何かブルータスが不吉なことを頼んだのか?
- ダーデ
- 殺してくれッて。……御覽なさい、何か考込んでをられる。
- クライ
- あゝ、あの立派な噐が悲歎で一ぱいになって目から溢れ出しさうになってゐる。
- ブルー
- こゝへ來てくれ、ヲ゛ーラムニヤス。ちょいと。
- ヲ゛ラム
- 何でございますか?
- ブルー
- 外でもない、ヲ゛ーラムニヤス、シーザーの亡靈が二度まで、二晩までも出た。
サーディスで一度、それから昨夜、此フィリッパイの原でも。 予の死期が來たのだ。
- ヲ゛ラム
- そんなことはありません。
- ブルー
- いゝや、たしかに來たのだ。ヲ゛ーラムニヤス、世の事態は分ってゐるだらう。
吾々は敵の爲に殆んど死地におとしいれられようとしてゐる。……
低く警鐘聞ゆる。
陷擠されるまで踟躊いてゐるよりは、自ら躍込んだはうが立派だ。
ヲ゛ーラムニヤス、君は記えてゐるだらう、二人で一しょに學校通ひしたことを。
其昔の愛情があるなら、どうか此劍の𣠽を持ってゐて下さい、
予がそれへぶッつかるから。
- ヲ゛ラム
- こりゃ友人のすべきことぢゃありません。
警鐘尚つゞく。
- クライ
- お迯げなさい〜!ぐづ〜しちゃをられません。
- ブルー
- では、さやうなら。……さやうなら。……さやうなら、ヲ゛ーラムニヤス。
……ストレートー、汝は先刻から始終居眠ってゐたな。ストレートー、さやうなら、汝も。
……國人逹よ、予は一生中、
未だ曾て一人と雖も予に對して不忠實であった人を知らなんだので、
實に嬉しく思ふ。戰爭には負けても、予は、
オクテーヰ゛ヤスやマーク・アントニーが卑劣な勝利で得る以上の榮譽を荷ひませう。
……では、これが最後の告別の言葉だ。 ブルータスの舌はこれでもう殆んど其一生の歴史を語り盡したのだから。
夜が予の目におほひかゝってゐる。予の骨は休息を求めてゐる、 今日あるを期して多年働いて來た予の骨は。
警鐘。「逃げろ〜!」と奧にて呼ぶ。
- クライ
- 早くお逃げなさい、早く!
- ブルー
- あっちへ〜!予は後から往く。……
クライタス、ダーデーニヤス及びヲ゛ーラムニヤス入る。
ストレートー、どうぞ汝は留って手助をしてくれ。
汝は中々立派な男だ。名譽と言っても可い程の經歴のある男だ。
だから、俺の此劍を持って、面をそっちへ向けてゐろ、俺がぶッつかるから。 可いか、ストレートー?
- ストレ
- 其前にお手を下さいまし。……さやうなら。
- ブルー
- さやうなら、ストレートーよ。……シーザーよ、今こそ安心なされい。
予はお前さんを此半分ほども甘んじては殺さなんだのだ。
ストレートーが持ってゐる劍へ走りかゝり自ら貫いて死す。
警鐘。退陣。オクテーヰ゛ヤス、アントニー、メッセーラ、リューシリヤス及び兵士等出る。
- オクテ
- ありゃ何者だ?
- メッセ
- 主人が使ってゐる者です。……ストレートー、御主人は何處にござる?
- ストレ
- メッセーラ、貴下のやうに捕っちゃァござらない。勝った手合だって、
旦那を如何することも出來ん、焚くより外は。ブルータスどのは自分で自分を打取らっしゃったんだ、
誰だって、それを己の手柄にすることは出來ん。
- リュー
- ブルータスの最期はさうなくちゃならんのだ。有難い、ブルータス、
お前はリューシリヤスの言ったことを證據立てゝ下すった。
- オクテ
- ブルータスに仕へてゐた者は、これから予が優待して遣す。……
(ストレートーに)こりゃ、汝、俺に奉公するか?
- ストレ
- メッセーラどのが推薦してくれますなら、御奉公します。
- オクテ
- メッセーラ、さうしてやれ。
- メッセ
- ストレートー、御主人は如何して死なれた?
- ストレ
- 予が劍を持ってると、馳けて來てぶッつからッしゃった。
- メッセ
- オクテーヰ゛ヤスどの、では御召使ひ下さい。これは手前主人に最期の忠勤を盡した男でございます。
- アント
- (ブルータスの死骸に)こりゃ徒黨中の最も高潔なローマ人であったのだ。
此男一人の他は、何れも大シーザーを嫉み憎むの餘りにしたのだ。
此男のみが、全く公共の爲に、一般の利福の爲に、正しい考で其仲間に加はってゐたのだ。
其生活は高雅で、其禀賦は、如何にも程よく、種々の要素を混淆してゐた、
造化みづから立上って、全世界に向って「これこそ人間!」と呼號したであらうほどに。
- オクテ
- 彼れをば其徳相當に取扱って、葬儀其他鄭重に執行することにしよう。
今晩は予の天幕内に遺骸を休ませ、萬事名譽の士にふさはしいやうに儀式を執り行はせよう。
……では、遍く戰場へ休息を觸れ出せ。それから、お互ひに彼方へ參って、 此めでたい勝利の榮譽を分つことにしよう。
皆々入る。
ヂュリヤス・シーザー(完)
更新日: 2003/02/16