ハムレット:目次 ------------------------------------------------------------------------------- 坪内逍遙(1859-1935)譯のシェークスピヤ作「ハムレット」です。 底本:昭和八年九月十五日印刷、昭和八年九月二十日發行の中央公論社、新修シェークスピヤ全集第二十七卷。 ------------------------------------------------------------------------------- ハムレット シェークスピヤ 作 坪内逍遙 譯 * 登場人物 * 第一幕 第一場 * 第一幕 第二場 * 第一幕 第三場 * 第一幕 第四場 * 第一幕 第五場 * 第ニ幕 第一場 * 第ニ幕 第二場 * 第三幕 第一場 * 第三幕 第二場 * 第三幕 第三場 * 第三幕 第四場 * 第四幕 第一場 * 第四幕 第二場 * 第四幕 第三場 * 第四幕 第四場 * 第四幕 第五場 * 第四幕 第六場 * 第四幕 第七場 * 第五幕 第一場 * 第五幕 第二場 ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:登場人物 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 登場人物 * クローディヤス、デンマーク國王。 * ハムレット、先王の子にして現王の甥。 * フォーチンブラス、ノーウェー王子。 * ポローニヤス、侍從長。 * ホレーショー、ハムレットの信友。 * レーヤーチーズ、ポローニヤスの男。 * ヴォルチマンド、廷臣。 * コーニーリヤス、同。 * ローゼンクランツ、同。 * ギルデンスターン、同。 * オズリック、同。 * 紳士役一人。 * 僧官一人。 * マーセラス、武官(組頭)。 * バーナードー、同。 * フランシスコー、兵卒。 * レーナルドー、ポローニヤス家來。 * 俳優若干。 * 道外方(墓堀男)二人。 * 旗頭一人。 * 英國使節數名。 * ガーツルード、デンマーク王妃、ハムレット母。 * オーフィーリヤ、ポローニヤスの女。 其他、廷臣、官女、吏員、兵士、水夫、使者役、從者等。 * ハムレット父王の亡靈。 場所 エルシノーア、デンマーク國の都。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第一幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第一場 エルシノーア。宮城前の高臺。深夜。 兵卒フランシスコー立番してゐる。 こゝへ組頭バーナードー出る。 バー 何者《なにもん》ぢゃ? フラン いや、先づ、そッちから。止れ、名を名宣《なの》れ。 バー 今上萬歳! フラン バーナードーどのか? バー さやう。 フラン 刻限通りに、ようこそお出下されました。 バー 恰《ちよう》ど十二時を打った所ぢゃ。退《さが》って休まっしゃい。 フラン お庇《かげ》で助かりました。嚴《きつ》ゥい寒さで、眞底疲れ果てました。 バー 何も別條はござらなんだか? フラン 鼠一疋《ぴき》出ませなんだ。 バー む、休まっしゃい。若し身共が夜詰の同役、マーセラスとホレーショーに出逢ふたらば、 急いで參られいと言うて下され。 フラン 見えられたらしい。……や、止れ!何者ぢゃ? 若き學者ホレーショーと組頭マーセラス出る。 ホレ 此國土の良友。 マー 當王家の忠僕。 フラン では御機嫌よろしう。 マー おゝ、お手前にも。何人が代られたな? フラン バーナードーどのでござる。……御機嫌よろしう。 フラン入る。 マー やァ〜!バーナードーどの! バー いや、先づ……や、ホレーショーどのか? ホレ ま、其邊の者で。 バー ようこそホレーショーどの。ようこそマーセラスどの。 マー え、彼の物は、今宵もまた出ましたかな? バー いや、何も見ませなんだ。 マー ホレーショーどのには、何事も我々の氣の迷ひぢゃと申されて、 お互ひが再度までも見ました怪異を眞《まこと》とはせられませぬ。 それゆゑ今宵は、もろ共に張番いたし、怪しい物が出ましたなら、目前《まのあたり》に於て實否をたゞし、 一問答せらるゝやう御誘引申してござる。 ホレ はてさて、何の出ることがござりませうぞ。 バー まゝ、お懸けなされ。決して信ずまいと取堅めてござる其お耳の砦を、二晩までも見つづけました物語りで、 もう一度襲ひませう。 バー 正《まさ》しう昨夜の事でござる。北斗星の西に當る、あれ、あの星が、 恰《ちよう》ど唯今光りをる邊《あたり》へ參つたるころ、 マーセラスと身共とが張番を致してをると、折しも鳴渡る一時の鐘…… マー しッ、おだまりなさい。あれ、そこへ現れました! 先の王ハムレットの亡靈現れる。 バー お崩《かく》れあった先君をそのまゝのあの姿。 マー お手前は學者ぢゃ程に、言葉を掛けて御覽なされ。 バー ホレーショーどの、先君のお姿に其儘《そのまま》でござらうがの? ホレ いかにも。不思議とも叉怖しいとも、……身の毛がよだちまする。 バー どうやら物を言うてほしさうな。 マー 何か問ふて御覽なされ、ホレーショーどの。 ホレ 汝本來何者なれば、故《もと》のデンマーク大君《おほぎみ》の武《たけ》しく莊嚴《いつく》しい御軍裝を僭《か》り奉《たてまつ》って、 斯樣《かやう》なる深夜に横行するぞ?敢て汝に命令する、語れ。 マー 氣に逆《さか》うた。 バー あれ、だん〜と立退《たちの》きまする! ホレ 待て!語れ、語れ!敢て汝に命令する、語れ。 亡靈消える。 マー 消えた。返答は好まぬげにござる。 バー 何と、ホーレーショーどの?顫《ふる》うて蒼ざめてゐめさる。氣の迷ひとばかりも申されますまいがの? 何とでござる? ホレ 神《しん》以て、此肉眼の正《まさ》しき證明がござらなんだら、迚《とて》も能《よ》う信じますまい。 マー 先君に似申してをりませうがの? ホレ 其許《そのもと》が其許《そのもと》に似てをらるゝやうに。 あの甲冑こそは傲慢なノーウェー王とお手合せの折の物具《もののぐ》。 あの憤怒《いきどほり》の面持も言葉戰《ことばだゝかひ》は無益《むやく》しとて、 ポーランドの氷原にて、橇に乘ったる敵兵を懲らされし折の御眼光《おんまみつき》。ても不思議な! マー 正に此通り、再度まで、時刻も同じ眞夜中に、我々が見張の間近を、出陣の歩調《あしどり》で過《よぎ》られました。 ホレ 仔細《つぶさ》には考慮《かんがへ》も及びませぬが、唯#大旨《おほむね》を申さうに、 こりゃこれ何事か當國に珍變の起る前表《しらせ》。 マーはて、先づお下《しも》にござれ、承知《うけたまは》りたい儀がござる。 近頃何とも心得がたいは、國内を擧《こぞ》り、斯く嚴重に、夜の目をも合せぬ警戒《とりしまり》、 毎日の大砲鑄造、其上外國より夥《おびたゞ》しい武噐《えもの》の買入、 剩《あまつ》さへ船大工を驅集《かりあつ》めて休日《やすみ》も與《く》れぬ苛酷《いらひど》い賦役《ぶやく》。 如何な大事がさしかゝって、此樣な晝夜兼行、火急の準備《てくばり》には及び申すか? どなたか御案内ならばお聞せ下され。 ホレ その儀は我等がお話申さう。とにかく噂は斯樣でござる。現に今がたも見えさせられた先君の御在世中、 かた〜゛も知らるゝ通り、前《さき》のノーウェー王フォーチンブラスが不遜なる高言を怒らせられ、 一騎打のお手合せあったる所、名に負ふ勇猛の先君とて、フォーチンブラスは其場に落命。 豫《かね》て武門の掟に照らして取結ばれたる契約によれば、フォーチンブラスは一命もろとも其邦土をも失ふべき筈。 もっとも、之に對して相當の所領を賭けられたれば、此方《こなた》の御不利となったるときは、 それが敵方のが御手に入ったり。然る所、一子同苗フォーチンブラス、血氣無謀の若者、 此たびノーウェーの邊疆にて、事を好み餌に群《むらが》る命知らず暴徒《あぶれもの》をこゝかしこより驅催すは、 一定暴威を以て父が舊領を取戻さん結構と廟議一決、さてこそは此#手配《てくばり》、 徹夜の警戒《みはり》も、國内上を下への騷動も、畢竟はこれが爲と存ずる。 バー 何さま、それに相違ござるまい。さすれば、あの物の怪が、此#軍《いくさ》には因縁深き先君さながらの甲冑姿で、 夜通しに現るゝも有理《ことわり》でござる。 ホレ これっぞ心の眼を痛むる微塵。むかしローマ全盛のころ、大シーザー落命の少しき前かた、 墳墓#悉《こと〜゛》く主を失ひ、墓衣《はかぎ》を被《き》たる亡者どもローマの街頭にをめき叫び、 白日に光なく、星は火焔《ほのほ》の尾を曵き、血の露降り、大海原を自在に扱ふ大陰も、 世の果《はて》かとばかり、全く光を失ふたとやら。それによう似た異變の前表、凶事の前驅《しらせ》、 不祥の兆《きが》を當國人《みくにびと》に見する天地の變象。……や、しづかに。あれ、また、あそこへ。 亡靈再び現れる。 どりゃ遮って見よう、祟をば受けうとまゝ。……待て、怪しきもの!汝聲あらば、能《よ》う物を言ふならば、 予《われ》に語れ。……予《われ》には功徳ともなり、汝には心安めともなる事のあらば、予《われ》に語れ。 ……知らば避けらるゝ國家《みくに》の不祥《わざはひ》を知りてあらば、おゝ、語れ!…… 或は噂の如く、生前地中に埋《うづ》めおいたる不淨財に執念殘って、能《え》い浮ばずに彷徨《さまよ》ふか? ならば、語れ!…… 鷄鳴く。 お止めなされ、マーセラス。 マー 此鉾で打ちませうか? ホレ とゞまらずばお打ちなされ。 バー こゝぢゃ! ホレ こゝぢゃ! マー 消えてしまうた! 亡靈消える。 あのやうな氣高い物をば手荒う扱ふたは惡《あし》うござった。空氣も同樣に何の手ごたへもござらぬのに、 毆打擲《うちちやうちやく》は效《かひ》ない調戲ぢゃ。 バー 物を言ひさうでござった處に、鷄めが啼いたので…… ホレ 怖しい招喚《よびだし》を科人《とがにん》などが受けたやうに、怖れ戰《おのゝ》いたる其風情。 傳へ聽く、旦《あした》を知らする鷄《くだかけ》が朗《ほがら》かな喉《のんど》を開いて大日輪を呼覺せば、 海中、火中#乃至《ないし》土の中を彷徨《さまよ》ふ精靈《すだま》も懾《おそ》れ隱ると、 證據を見しは今が始めて。 マー げに鷄の聲で消え失せました。救世主の御降誕をお祝ひ申す季節となれば、お威徳のあらたかさに、 曉告鳥《あけつげどり》は夜すがら唄ひ、亡者も畏《おそ》れて出歩かず、眞夜中も無事息災、 星や變化《へんげ》も能《よ》う祟らず、魔を使ふ婆も其通力を失ふとやら。 ホレ 我等もさやう聞及んで半《なかば》は眞《まこと》とも信じまする。が、あれ、御覽なされ、 朝日が紅の衣《ころも》を被り、かなたに高き東方《ひんがし》の岡邊の露を蹈昇《ふみのぼ》る。 夜の見張も、はや是まで。何と、昨夜の顛末をばハムレット樣に聞え上げようではござりまいか? 吾等に答へぬ亡靈も王子《みこ》には口を開きませう。御同意ならば、さやう致さう、 それが王子《みこ》を思ふ吾々の眞情《まごころ》とも忠勤《つとめ》とも申すものでござる。 マー それこそ望む所でござる。幸ひ今朝彼の君にお目にかゝる便宜《びんぎ》の場所を身共心得をりまする。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第一幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第二場 同じくエルシノーア王城。城内の大廣間。 喇叭の聲の中《うち》に國王クローディヤス先に、妃ガーツルード、つゞいて王子ハムレット、 侍從長ポローニヤス、其男《そのなん》レヤーチーズ、朝臣ヴォルチマンド、コーニーリヤス、其他の廷臣、 侍者多勢《おほぜい》出る。 王 親兄故ハムレット王崩御の記憶今も尚鮮かなれば、おの〜深き悲歎《なげき》に沈み、 全國擧《こぞ》って一つ眉根に顰《ひそ》まんが相應しき振舞なれども、 哀んで傷《やぶ》らんは愚かなれば、吾等分別を以て至情と戰ひ、 深く故王を哀みながらも國主たる身の本文《つとめ》をも忘れず。 すなはち堪へがたく悲歎を忍んで、悲喜哀歡を等分に、一眼には涙《なんだ》を埀れ、一眼には笑《ぇみ》を含み、 祝ふては故王の葬儀を了《を》へ、泣いて新婚の式を行ひ、 前《さき》の嫂《あによめ》たるガーツルードを此度《このたび》改めて妃となし、此デンマークの主權を分てり。 また豫《あらかじ》め此儀については、廣く聰明の御身等に詢《はか》り、十二分の談合を經たりし條、 深く滿足に思ふぞよ。……さて改めて申すべきは、面々もぞんじの如く、若輩者のフォーチンブラス、 予をば庸主と侮ってか、但しは親兄の崩御によって、國内亂れたりと臆測《おしはか》ってか、 夢のやうなる優越をば恃みとなし、煩しく使者を送り、先年其父フォーチンブラスが、 契約の明文《おもて》によって、我勇敢なる兄君に獻げ奉りし舊領地を取り戻さんず結構。 彼れが事はこれまで。……さて今日一同をかく集へつる仔細は、右フォーチンブラスが叔父ノーウェー王こと、 近年、老病にて臥床を離るゝこと叶はざれば、かかる陰謀あるを知らず、 されども此度の徴集《めし》に從ひまた其賦役に應ずる輩は何れも彼れが配下の者ゆゑ、 之を制《おさ》へ止《どゞ》めんことは彼れが力に能はん筈。すなはち其旨を認《したゝ》めおいたり。 ……コーリニヤス、ヴォルチマンドの兩卿には、この挨拶の使者となって、老ノーウェーが許《もと》に下向あるべし。 たゞし、御身らに委ぬる所は、かまへて此書中に認《したゝ》めたる細目の外に出べからず。 さらばぢゃ、すみやかに命を果して忠勤の程を見せてくりゃれ。 コー、ヴォル 如何なる儀の嚴命にもあれ、忠勤を盡し奉りまする。 王 さもあらう〜。恙なうお往きゃれ。 ヴォルチマンド、コーニーリヤス入る。 さてレヤーチーズよ、そちの申條《まうしでう》は如何《どん》な事ぢゃ? 願事《ねがひごと》とおしゃったが、それは何ぢゃ? 道理に合《かな》うた請願《ねがひ》ならばデンマーク王が聽かいでならうか? レヤーチーズよ、御身が請ふことならば、請はれてやがて遣《つかは》すのでなうて、 此方《こち》から望んでも遣《つかは》すのぢゃ。御身が父御《てゝご》とデンマーク王座との交情《なか》は、 心と頭《かうべ》、手と口とよりも懇親《ねんごろ》ぢゃわい。 レヤーチーズよ、おぬしの望とは何ぢゃ? レヤ 惶《おそ》れながらフランス國へ再遊の儀を何卒《なにとぞ》御裁可下されませう。 御即位を賀し奉らんため、喜び立歸ってはござりますれど、大典滯りなく相濟み、 公務も果てましたる上は、改めてフランス國へ立戻りたき微臣が衷情、何卒《なにとぞ》御仁察下しおかれませう。 王 して父御《てゝご》には依存無いか?ポローニヤス、御身の意《こゝろ》は? ポロ 惶《おそ》れながら、倅《せがれ》めが切なる請願《ねがひ》、 押問答の末に餘儀なう彼れが願文《がんもん》へ承引の仕《つかまつ》りました。 何卒《なにとぞ》お聽屆遣《つかは》されますやう願上げまする。 王 レヤーチーズよ、此上は世の春はお主のものぢゃ。心任せに樂しい日を送るがよいぞ。 ……さてハムレットよ、きのふは甥、今は我子…… ハム (傍を向いて)親族以上だが、肉親《しんみ》以下だ。 王 はて、心地でもあしいか、いつも曇りがちな其顏色? ハム いゝや、曇りどころか、いっそ日あたりが好過ぎまする。 妃 ハムレットよ、その愁《うれ》はしげな目の色をふりすてゝ、なつかしらしうわが君を仰ぎめされ。 いつまでも目を伏せて冥府《よみぢ》の父君をのみ慕ひたまふな。生ある者は必ず死す、 此生《このよ》を經て永劫に赴《おもむ》くのは、人の世の常といふもの。 ハム 母上、いかにも常でござります。 妃 なりゃ何で其方《そなた》の目には常ならぬことゝ見ゆるぞ? ハム 見ゆるとや、母上?見ゆるとやらは知らぬ、正に其通りにあるのぢゃ。 眞實、心の有りのまゝを見するものは、此墨汁《インキ》色の外套《うはぎ》でなく、 此#定例《ぢやうれい》の喪服でなく、わざとらしう吐《つ》く吐息で無く、川と溢るゝ涙でも、萎れ顏のへし口でも、 いゝや、ありとあらゆる愁歎の式、作法、外容《げよう》ではない。なるほど、是等は見ゆるものぢゃ、 誰れにでも擬事《まねごと》の出來るものぢゃ。其等は只#愁傷《かなしみ》の飾《かざり》や衣《ころも》。 が、此ハムレットが心中には目には見えがたいものがござる。 王 ハムレットよ、しかし亡き父御《てゝご》に對して、 哀悼の務めをお盡しゃるは孝子の殊勝なる情操《こゝろばえ》と感じ入ることなれども、 またよう弁へたまへや、父御《てゝご》も嘗《かつ》て其父御《てゝご》を失ひ、 其失はれし父御《てゝご》とてもまた其父御《てゝご》をば失はれた。 後れたる子が喪に籠って、暫く哀悼の禮を盡すは、まことに然あるべき情誼なれども、 さりとて頑なゝる哀傷は、神を信ぜざる振舞、二つには男らしからぬ愁歎、すなはち天に對しては非禮、 心に信仰の守護《まもり》無き證《あかし》、短慮無智愚昧の證據。何故と言やれ、 かくあるは必然にして世の常事《たゞごと》ぞと悟ったる以上、 などいつまでも思ひ入りて、さしも氣むづかしう歎き悲む?あさましゝ〜!かくの如きは神に背き、死者に背き、 自然に背き、最も道理《ことわり》に悖《もと》ったふるまひ。父親の先だつは古今の定理、 世に最初《はじめて》の死屍《しかばね》あってよりこのかた、理は常にかくの如きを「必然の理」と呼んだものぢゃ。 こりゃ、ハムレットよ、詮無き哀傷を地に抛《なげう》って予をば實《まこと》の父とも思やれ。すなはち、 國民に、御身は即《やが》て王位を繼ぐべく、また予が恩愛は眞《まこと》の父に異ならずと知しめ給へ。 さて彼のウィッタンバーグの大學へ再び赴《おもむ》かんの思立は、予の最も好まぬ所、願はくは、 近親《うから》とも、重臣《おとゞ》とも、我#愛子《まなご》ともなって、我等が目を慰むべく留りめされ。 妃 なう、ハムレットよ、此母の祈をば徒《いたづ》らになお爲《し》やっそ。こゝにゐやれ。 ウィッタンバーグへは往かしますな。 ハム 精々、おほせに從ふやうに、力《つと》めませう。 王 はて、それこそは殊勝な返答。さらばデンマークに留って、吾等同樣に世を樂しく。……妃よ、いざ。 ハムレットの從順《おいらか》な承諾にて、心の花も打笑む心地ぢゃ。其めでたさを祝はんため、 只今より酒宴を開き、同時に賀砲を雲に放たば、天また王家の賀宴を祝ふて、地上の霹靂に饗應せん。 ……いざ、彼方《あなた》へ。 喇叭の聲の中《うち》に皆々入る。ハムレット一人殘る。 ハム おゝ、此硬き剛《こわ》き肉が、何とて溶け融解《とろ》けて露ともならぬぞ! せめて自殺を大罪とする神の掟がなくばなァ!おゝ!おゝ! 現世一切の業務《いとなみ》が悉《こと〜゛》く厭《いと》はしうも、 あさましうも、あじきなうも、無益《むやく》しうも、思はるゝわい! ちぇッ、あさましい!毒草を拔きもやらぬ荒庭、それが實を結んで、 臭い穢《きたな》いものゝみが一面にはびこってゐる。 かほどにならうとは!御逝去の後只二月!……いや、まだ二月にもなるまい。 あのやうな比類《たぐひ》稀なる國王!それと彼《あ》れを比ぶれば日の神と羊の怪物。 母上の面《おもて》を荒い風にさへもあてまいと愛しがりなされた父上。情ない!あさましい! それを思ひ出さねばならぬか?睦じうなさるゝにつれて、彌々《いよ〜》愛が募るかとばかり、 離れがたげにも見えさせられた母上が……一月も經たぬうちに……いや〜、もうそれを思ふまい。 ……あゝ、脆きものよ、女とは汝が字《あざな》ぢゃ!……たった一月! ……ナイオービーのやうに涙にそぼって、柩をば送らせられた其#履《くつ》もまだ古びぬのに。 ……母上が、母上すらも……おゝ!……分別の無い獸類《けだもの》とても今暫《いましばし》は歎いたであらうに ……叔父御と再婚、我父の弟とはいへ、此ハムレットがハーキュリーズに似た程にも似ぬ弟と。 一月も經たぬ間に?空涙に摺りあかめた瞼《まぶた》の色さへもあせぬうちに。おゝ、無慚非道! 邪淫の床へ、あゝも待兼ねたやうに急ぐとは!こりゃ決して善い事ぢゃない、大不祥事のもとゝもならうぞ。 ……(や、誰れか來た。)胸が裂けうとまゝ、默ってゐねばならぬ。 ホレーショー、マーセラス、バーナードー出る。 ホレ 御前の御安泰を祝しまする。 ハム 堅固でめでたいなう。や、ホレーショー……或ひは予《わし》の僻目か? ホレ 御意の通り、臣ホレーショーでござりまする。 ハム こりゃ、兄《けい》よ、その呼名は取換へッこにしようぞ。何としてウィッタンバーグから此處《こゝ》へは? ……おゝ、マーセラスか? マー 御前…… ハム よう來てくれたの。……(バーナードーに對ひ)おゝ、ようこそ。 ……(ホレーショーに)實際、どういふわけでウィッタンバーグから遙々《はる〜゛》こゝへは? ホレ のらくら根性からでござります。 ハム いや、そんな惡口はお身の敵からでも聞きたうないのに、自身で惡ういうて、 それを予《わし》に信ぜさせようとは以ての外ぢゃ。どうしてお身が懶惰漢《のらくらもの》であらうぞ。 したが、此エルシノーアへお來やった用事は何ぢゃ?ようせぬと、逗留中に暴酒《おほざけ》を飮むことを教へられうぞ。 ホレ 實は、御父君の御葬儀を拜し奉らうとて參りました。 ハム はて、弄《なぶ》るまい。多分、おふくろの婚儀を觀やうためであらう。 ホレ さうおっしゃれば、間も無う御慶事。 ハム な、それ、儉約!儉約!葬式に用《つか》うた其#炙肉《あぶりにく》をば其まゝ婚禮の膳部へも廻す冷いもてなし。 あんな有樣を見る程なら、怨《うらみ》重なる讐敵《かたき》と天上で逢ふたはうがましぢゃわい! 父上が……父の顏が見ゆるやうぢゃ。 ホレ え!何處にでござります? ハム はて、予《わし》の心の眼《まなこ》に。 ホレ 手前も嘗《かつ》てお目通りを致しましたが、眞《まこと》に氣高い大君。 ハム 何處から如何《どの》やうに査《しら》べて見ようと、又とはあるまじい人であった。 ホレ 御前、昨夜正にお目にかゝったやうに存じまする。 ハム お目にかゝったとは、そりゃ誰れに? ホレ 御父君に。 ハム 父君に! ホレ まゝ、暫く御驚愕《おどろき》を鎭めさせられて、只今#聞上《きこえあ》げまする不思議なる一條をお聽下されませう、 證據人は此れなる人々。 ハム さ、その仔細を早う聽かせい。 ホレ 二夜までも引續き、此なる兩士、マーセラス、バーナードーが夜詰の折節、草木も眠る眞夜中に、 世にも不思議なる姿を見たり。其姿たるや、頭《かしら》より爪先まで、甲冑《ものゝぐ》隙間もなく取りよろひ、 御父君をさんがらの容態にて現れ出で、おごそかなる出陣の歩調《あしどり》にて、 怖れ戰《おのゝ》れる兩士の面前僅か二三尺を隔て、徐々《しづ〜》と通行せり。 兩士は餘りの怖ろしさ、膽魂《きもたましひ》も熔解《とろく》る心地、口を緘《つぐ》みて立ったるまゝ、 物を言ひかけも能《えい》せなんだと、さも怖ろしげに、内々にて物語。手前すなはち兩士と共に、 第三夜の夜詰を仕《つかまつ》りしところ、聞きしに違はず、時刻も、姿も、片言の相違無く、 現れいでし怪しい幻影《まぼろし》。先君を存じをりまするが、其お姿に似たとはおろか、 此兩《ふた》つの手の似たる程にも。 ハム して其場所は? ホレ 我々どもが見張を致しをりましたる高臺にござりまする。 ハム 物言ひかけてはお見やらなんだか? ホレ 言ひかけては見ましたなれども、返答は仕《つかまつ》らず、尤も、 一たびは頭《かしら》を擡《もた》げて何か言ひたげにも相見えましたが、 折から啼き出す鷄の聲に戰《おのゝ》き縮んで消え失せました。 ハム ても不思議な。 ホレ 憚りながら、此儀神以て相違ござりませぬゆゑ、有りのまゝに言上いたすを、 臣下《われら》の本文《つとめ》と存じまして。 ハム いかにも〜。とはいへ何とも心がゝり。今宵もお身たちは夜詰をするか? マー、バー 御意にござりまする。 ハム 甲冑を着けてゐたと申すか? マー、バー さやうにござりまする。 ハム 頭《かしら》より爪先までも? マー、バー 御意の通り頭《かしら》より爪先までも。 ハム では顏は見えなんだな? ホレ いや、見えましてござる、顏當《かほあて》が引上げてござりました。 ハム え、不興げに見えたか? ホレ 御不興と申さうよりも寧ろ悒鬱《いふうつ》のお面持《かほもち》。 ハム 蒼白う見えたか、但しは赤かったか? ホレ いや、きつう蒼ざめて。 ハム お身をば見詰めてゐたとお言やるか? ホレ まじろぎもなされず。 ハム 予《わし》も其場に居合せたかったわい! ホレ すれば、嘸愕《さぞおどろ》かせられましつらう。 ハム さもあらう〜。長う留ってゐたか? ホレ されば相應に急ぎまして百を算《かぞ》へまする程の間。 マー、バー いや〜、まちッと長う。 ホレ 手前が見た折には、たかゞそれ程。 ハム 髭は灰色であったか?……どうぢゃ? ホレ 御存生中にお見受申しました通り、黒い中に銀色が混ってをりました。 ハム 予も今宵は見張をせう。或はまた出て來るでもあらう。 ホレ 必ず出ませう。 ハム 父上の御姿を裝《よそは》ふからは、たとひ地獄が脚下に開いて、物を言ふなと禁《とゞ》むるとも、 予は誓って言葉をかけよう。時に、おの〜に依頼《たのみ》がある、今日まで此儀を祕し隱しくれた以上、 此上とも口をつぐみ、今宵如何樣の事が起るとも、只胸の中《うち》に合點して、 きッと口外は致すまいぞ。御身等の誠心《まごころ》には早晩《やがて》報ゆる時もあらう。さらばぢゃ、 十一時と十二時の間に於て、見張場でまた逢はうぞ。 三人 謹んで任務を盡しまする。 ハム はて、お互ひに誠心《まごころ》をば。さらばぢゃ。 ハムレット殘り皆々入る。 父上の亡魂《なきたま》が甲冑姿で!不祥の前表。では隱れた惡行があるのぢゃな。えゝ、夜の來るまでが待遠しい! ……やい、それまでは肅《じつ》としてゐよ、我心よ。……惡事はやがて露《あら》はれようぞ、たとひ大地が人の目を遮るとも。 ハムレット入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第一幕 第三場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第三場 ポローニヤス邸の一室 レヤーチーズと其妹オフィリヤと出る。 レヤ 必要の品々も積込んでしまうたれば、さらばぢゃ。いもうとよ、出船、順風《おひて》の便宜のあるたび、 居眠ってをらいで消息《たより》を爲《し》やれよ。 オフ すまいとばし思ふて? レヤ ハムレットさまの、あの空《あだ》めいたおいとしがりはな、結句一時の浮氣心、若い氣分のざれ事、 いはゞ春育ちの菫の花ぢゃ、早咲ぢゃ程に萎《すが》るゝも早い。美しうはれども當座の詠《ながめ》ぢゃ。 香も慰みも徒《ほん》の束の間、只それほどゝ思ふがよいぞよ。 オフ 只それほどの? レヤ 只それほどゝ思ふてゐやれ。總別、人の育つは筋力や身の嵩ばかりではない、五體の太うなるにつれて、 心や魂の、内の作用《はたらき》も大きうなる。今こそは彼の君、そなたを可憐《いとし》うおもうて、 假にも欺《たば》からうなどいふ汚いお心もおはすまいなれど、安心の出來ぬ仔細は、下賤とは事かはり、 御自身のお意《こゝろ》さへ我物にして我物ならず、萬事お氣儘にもなされにくい、大切な御身分柄ぢゃ。 君たる人の去就一つに國中の安危が係る以上、下々一同の意見を御諮詢の上でなうては、 お妃定めなども出來ぬ筈。なりゃ、可愛《いとし》いと仰《おほせ》あるとも、其格段な御身分で能はん程の御約束、 所詮は、デンマーク國中が應と言はねば、いつ、何時《なんどき》、反古となるとも知れぬと思ふて、 眞にうけぬが聰明《りこう》といふもの。輕々しう彼の君の甘い言葉に耳を傾け、 情《こゝろ》の限《たけ》を打込み、放埒な仰《おほせ》のまゝ二つない操の寶《たから》を穢す時は、 取返しのならぬ一期の身の辱《はぢ》。いもうとよ、恐れても又恐れませうぞ。とかく、 情《なさけ》の後陣に退《さが》って邪淫の矢鋒《やさき》を避くるが肝腎。 謹愼《つゝしみ》深い處女《をとめ》は月に素顏を見するをさへ不檢束《ふしだら》と思ふとやら。 淑徳の權化でさへ能《よ》う免れぬは世の讒謗《かけごと》。春の幼い花の蕾はまだ咲かぬうちに螟蛉《むし》に食はれ、 人もうら若い水の出花の春先には、とかく根を枯らす毒氣に觸るゝ。かんまえて油斷すまいぞ。 用心は萬全の策《はかりごと》。若い時分には我れから誤つ、傍らから誘はずとも。 オフ その教訓《おしへ》を、妾《わたし》の心の見張役にして、きッと其通りに守りませう。 したが兄上、不品行《ふしだら》な牧師《ぼうさま》たちは、他人《ひと》には天に往けというて、 險阻な荊棘路《いばらみち》を教へておき、自身は放埒な人たち同樣、おのが訓《をし》へを守りもせず、 あだ美しい花の咲く自墮落な道を通るとやら。そのやうなことをなされますなや。 レヤ おゝ、予《わし》が事は氣づかひ無用。つい時刻を過した。や、父御《てゝご》が見えた。 ポローニヤス出る。 二重のお祈祷《いのり》をいたゞくは二重のお恩惠《めぐみ》にござります。 再度お暇乞《いとまごひ》を仕《つかまつ》るは圖《はか》らぬ幸福《しあはせ》。 ポロ まだこゝにゐるのか、レヤーチーズ?さゝ、船へ〜。どうしたものぢゃ! 帆は既《とう》に風を孕んで、一同が待ちかねてをるわい。……さ、おぬしの冥福! さて聊《いささ》か申聞かせおくべき條々、心に彫《え》りつけておきめされ。 ……考慮《かんがへ》をうかと舌に出すな、機《おり》に合はぬ考慮《かんがへ》は行ふな。 友とは親《したし》め、さりながらかんまえて狎《な》れるな。 試驗《ためし》濟の友逹は迯《にが》さぬやうに鐡箍《かなたが》をはめておけ。 但しまだ翼《はね》も生え揃はぬ巣立たぬ知合と握手して手の掌《ひら》の皮を厚うするな。 喧嘩口論には關係《かゝづら》ふな、されども關係《かゝづら》うた上は骨のあることを敵手《あひて》に知らせい。 誰が言葉にも耳は貸せ、口は誰が爲にも開くな。誰が意見も聞くは可《よ》し、我意見は言はぬが可《よ》し。 財嚢《さいふ》が許すならば身の廻りには金目を吝《おし》むな、但し異樣な好みはすな。 立派は可《よ》し、華美《はで》はわるし。衣裳は數々《しば〜゛》人を表す。 別けてフランスの上流は此道の大通生粹。借手にもなるな、貸手にもなるな。 借金《かり》は儉約の刄鋒《きつさき》を鈍くし、 貸金《かし》は動《やゝ》もすれば其元金《もと》を失ひまた其友をも失ふ。 最後に、最も大切なる訓《をしへ》……己れに對して忠實なれ、さすれば夜の晝に繼ぐが如く、 他人に對しても忠實ならん。さらばぢゃ。我#祈祷《いのり》の功徳を以て長う其方《そなた》の心に銘せん。 レヤ 謹んでお暇乞《いとまごひ》を申上げまする。 ポロ さゝ、時刻が迫って僕《しもべ》共が待ちかねてをるわさ。 レヤ いもうと、さらば。今言うたことを忘れまいぞよ。 オフ 此胸に錠をおろして、鍵はお前の手にあづけておきます。 レヤ おさらば。 レヤーチーズ入る。 ポロ むすめ、兄がそなたに言うた事とは何ぢゃ? オフ あの、ハムレットさまの事でござります。 ポロ はて、それは好う氣が着いたわ。聞けば此中から王子《みこ》がたび〜お内密《しのび》にて、 そなたの許《もと》へ入らせられげな、 すると其方《そなた》が何の斟酌もなう甚《いか》う御入魂《じゆこん》にしやるげな ……用心せいと言うて俺に告げた者があるが……若しも定《やぢう》ならば、 きっと言うておかねばならぬ、其方《そなた》は俺の女《むすめ》であり、 またまだ嫁入せぬ身でもあるといふことを好う合點してゐやらぬやうぢゃぞよ。彼の君との情交《なか》は何とぢゃ? 有體《ありてい》に俺に言やれ。 オフ 此中、幾度も〜、お優しい約束《かねごと》をばおっしゃって下されました。 ポロ おやさしい!わっけもない!此道の怖いことを夢さら知らぬげの其#處女《うぶ》らしい言草わい! 其方《そなた》は其……約束《かねごと》とやらを眞實ぢゃと思ふてゐるか? オフ さァ、どう思ふてよいやら。 ポロ はて、教へてやりませう。こりゃ、其方《そなた》は嬰兒《ねんねえ》も同じぢゃぞよ、 そのやうな約束《かねごと》をば、正眞正銘の金貨《かね》同樣に、やがて支拂うて貰はれようと思ふは。 これからは萬事に一段と氣がねしやれ。 さうでないと……斯《か》う洒落のめしては洒落の息が切れさうぢゃ…… 俺を阿呆《うつけ》者に爲かねぬわい。 オフ でも王子《みこ》さまは、ちッとも狎褻《みだり》がましい御樣子はなう、眞實らしうおっしゃって…… ポロ へゝ、らしうでもあらうかい。はて、馬鹿な! オフ ……僞《いつはり》でない證據にとて、あるかぎりの誓言をばなされました。 ポロ そ、それが阿呆鳥《やましぎ》を捕へる罠ぢゃ。血のくわッと燃える頃には、 誓言は口から出たらめ。これ、女《むすめ》よ、そのくわッと燃えるものを火と思ふは誤り、 光程に熱は無く、剩《あまつ》さへ約束してゐる最中にさへ消えるものぢゃ。 以後は處女《むすめ》だてらに輕々しう男まじらひ遠慮しやれ。よし逢はうとあっても、 切に頼まれねば逢はぬ程の見識《きぐらゐ》が大切ぢゃ。さて、ハムレットさまの御意はぢゃ、 何がさて、まだお年は若し、婦女《をなご》ろはちがうて、萬事伸縮《のびちゞみ》が御自由な御身分ぢゃと思や。 所詮は御誓言を眞に受けやるなやぢゃ。誓言といふものは、 人を欺《だま》さう爲ばかりに竒特らしう經文をさへも口ずさむ女衒を宛然《そのまゝ》のもの、 肚《はら》と衣《ころも》とは雲泥の不貞節《ふしだら》を勸める仲人ぢゃ。畢竟ずるに、 有體《ありてい》に言へばぢゃ、 以後は暫時たりともハムレットさまと言葉を交し乃至《ないし》お物語仕《つかまつ》ること罷《まか》りならぬ。 きッと申附けたぞよ。さゝ、來やれ來やれ。 オフ はい〜、畏《かしこま》りました。 二人とも入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第一幕 第四場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第四場 高臺。 ハムレットを先にホレーショーとマーセラスと從《つ》いて出る。 ハム 身を斫《き》るやうな風ぢゃ。いかう寒いの。 ホレ まるで摘み切らるゝやうでござります。 ハム もう何時《なんどき》ぢゃの? ホレ まだ十二時にはなりますまい。 マー いや、もう打ちました。 ホレ え、打ちましたか?つい聞きおとしました……では、もう程なく亡靈の現れまする刻限でござる。 奧にて喇叭の聲、大砲の音。 ありゃ何でござりませう? ハム 今宵は王が徹夜《よすがら》の御宴ぢゃゆゑ、互ひに賀盃を取換《とりかは》して、 足元もしどろに猥《みだ》りがはしく踊り狂うてゐるのぢゃ。王がライン酒の盃《さかづき》を擧げられると、 其都度喇叭を吹き、銅太鼓を鳴らし、酒戰《さけいくさ》の譽《ほま》れを讚め讚へる。 ホレ 御慣例でござりますか? ハム おゝさ、慣例ぢゃ、が……あんな慣例は、予は此國に生れ、見馴れ、聞馴れて生ひたったれども、 守るよりも破ったはうが、遙かに面目ぢゃと思ふわい。東西遠近の外國人に、 豚よ、泥醉漢《えひどれ》よと嘲り罵らるゝは、かういふ亂酒の慣習《ならはし》があるゆゑぢゃ。 我國人のする事は、此上も無い手柄までが、そのために其名譽の髓を失ふ。 かやうな事は一人にの身の上にも間々ある。例へば、或瑕瑾を生れいづると同時に得たとする…… こりゃ本來《もとより》其者の罪では無い、どう生れようと、それは人力の及ばぬところぢゃ…… 然るに其天然に得たる疵《きず》が追々に増長して、道理の範圍《さかひ》を越ゆるに至れば…… 又は或癖が度を過して世人の所謂行儀作法に叶はぬときは、他に如何な美徳があらうと、 宿命が與へた此#徽章《めじるし》、造化が與れた此制服《しきせ》を脱がぬ間は…… 如何に此上《こよ》なう純潔でも……此一點の疵《きず》の爲に腐蝕せられ、世の嘲侮《あざけり》を招くに至る。 只分厘の苦味《くみ》のために、拔群なる美味の全部をも食ふに堪へずとなすが習はし……。 ホレ や、御前、あれ〜、あしこへ! 亡靈現れる。 ハム 南無天使、諸天善神、護らせはまへ!……神靈にもあれ、惡鬼にもあれ、 天の[景|頁;#1-94-05]氣《かうき》を持ち來るとも、地獄の妖氣を携へ來るとも、底意は善にもあれ、惡にもあれ、 かゝるいぶかしい姿にて來る上は、問答せん。予は汝をハムレットと、王と、父と呼び參らせうぞ。 おゝ、デンマークの大君よ、お答へあれ!疑惑を以てわが心を破らしめたまふな。 神聖《たふと》き護法《みのり》の式を盡して正しう葬られたまうた御躯《おんみ》が、 何とて盤石の顎《あぎと》を開いて、叉も御骸《おんむくろ》を吐出だしたるぞ? 何とて甲冑《ものゝぐ》まで隙なく着させて、さらでも凄き月の夜半《よは》に、 斯くはあくがれいでたまひしぞ?人智の及ばぬ不思議を現じて、造化の侏儒たる人間を怖れをのゝかせん御底意か? 語らせられたい。何故《なにゆゑ》でござる?何の爲に?何かわれらに御用がござるか? 亡靈ハムレットを招く。 ホレ 他聞を憚《はばか》る事でもありげに、あれ〜、御前を招きまする。 マー あれ〜、うや〜しう手を靡《なび》かせ、別所へと御前を招きまする。 なれどもおこしなされますな。 ホレ 必ずおこしなされますな。 ハム こゝでは物を言はぬな。では、そちへ行かうぞ。 ホレ あゝ、もし、かまへて…… ハム はて、何の恐るゝことがあらう?針程にも惜まぬ命ぢゃ。また魂は彼れ同樣不滅のもの、 害を受けよう筈はない。……また招きをる。さうぢゃ。 ホレ あ、いや〜、或は大河へ誘《おび》きよせて、もしくは海中へ突出たる物凄き絶壁に立たせなどして、 そこにて恐しき姿を現じ、御正氣を奪ひ亂心せしめ奉る例《ためし》もあること。 さらでも千仞の海を瞰下《みおろ》し、鳴り轟く怒濤を聞くときは、不思議に心が惱亂しまする。 ハム まだ招きをる。おゆきゃれ、ついて往かう。 マー かまへておこしなされますな。 ハム えゝ、放せ! ホレ いや〜、おとゞまりなされませい。 ハム 我宿命の促す所ぢゃ。五體にありとあらゆる動脈#鐵《くろがね》の如くに張り滿ち、ニミヤの獅子の筋をも凌ぐわ。 まだ俺を招いてをる。……放しめされ。…… と劍を拔く。二人手を離して退《すさ》る。 妨碍《さまたげ》すると斬り殺すぞ!えゝ、退《さが》れ!……おゆきゃれ。從《つ》いて行かう。 亡靈についてハムレット入る。 ホレ お心が惱亂して我歟《われか》の辧《わきま》へもあらせられぬ。 マー 御後《おんあと》を尾《した》ひませう。命《おほせ》に從ふべき場合でござらぬ。 ホレ では、お後を。……行末はどうなることやら? マー 何かデンマークに善くない事があるのでござらう。 ホレ いづれとも天の導き。 マー ま、お後を尾《した》ひませう。 二人入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第一幕 第五場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一幕 第五場 高臺の他の一部。 亡靈先にハムレットついて出る。 ハム どこへ予《わし》をつれてゆくのぢゃ。答へい。わしはもう行かぬぞ。 亡 申すことをよく聞けよ。 ハム はゝァ。 亡 阿鼻焦熱の苛責の焔に、此身を委ねる時刻は迫れり。 ハム はれ、いたましい! 亡 かひなき憐みを寄せずもあれ、心を定めてわが語る一大事をよっく聞け。 ハム はゝァ。語らせられい。 亡 聞いた上は、必ずともに、復讐を忘るまいぞよ。 ハム や、何と? 亡 われこそは汝が父の亡靈なれ。只眞夜中の若干時《そこばくどき》のみ、 閻浮《えんぶ》にさまよふ許《ゆるし》あれども、娑婆にて犯しゝ罪業の燒き淨めらるゝそれまでは、 焦熱地獄の餓鬼の苦み。もしあの世の祕事《ひめごと》を語るを禁ぜられずもあらば、只一言をだに洩《もら》さんに、 魂は慄へ戰《をのの》き、若き血汐は氷とこゞり、二つの眼《まなこ》は星の如くに、其圓座より躍《をど》りいで、 縮れたる其#頭髮《かみのけ》も、怒る豪豬《やまあらし》の蓑毛のやうに、一筋毎に逆立つべきぞよ。 さもあれ冥府の一大事は、人間の身に傳へがたし。聞けよ〜、おゝ、聞けよ! まこと亡き父を愛する心#切《せつ》ならば。…… ハム おゝ!おゝ! 亡 非義非道の弑逆の怨を晴らせ、ハムレット。 ハム なに、弑逆とな! 亡 おほよそ弑逆に非道ならぬはなしといへども、これこそまことに例《ため》しも知らぬ、 非義非道の弑逆ぞや。 ハム とく其委細をお語りあれ。刹那に千里を走るといふ戀の思ひの翼よりも、默想の羽がひよりも、 尚とく[(自/(三&ノ))|羽;#1-90-35]翔《かけ》りて復讐せん。 亡 たのもしげなる其言葉。かく聞きてだに感動せざるやうならば、 物忘れ川に生ひ朽つるてふ益なき艸《くさ》の鈍きに劣らん。 いで、さらば、よっくお聞きゃれ。我園内に眠れる間に、毒蛇來って螫《さ》し殺しぬと、 實《まこと》しやかに言ひ拵《こしら》へ、うま〜國中を欺いたれども、まこと此父を螫《さ》しつる毒蛇は、今、 其#頭《かうべ》に、黄金《こがね》の冠を戴きをるぞよ。 ハム すりゃ、わが心の知らせにたがはず!あの……叔父御か! 亡 いかにも、亂倫とも邪淫とも、言はうやうなき人畜生……天成人を惑亂《たぶらか》す不思議の奸智に長けたれば…… 貞操無二とも見えたりしわが妃を説き惑はし、竟《つひ》に恥づべき邪淫を遂げたり! おゝ、ハムレットよ、是れ何といふ悖戻《はいれい》ぞや!大婚の式場にて、契りつる言葉をつゆ違へず、 深くも愛せし予《われ》に背いて、彼奴の如き醜《しこ》じものに心を移し從ふとは!…… さりながら眞《まこと》の操は、よし神人と化現して邪淫來って誘ふとも、曾《かつ》て心をば動かすまじく、 輝く天使につれそふとも、淫婦は淨樂の床に倦んでやがて腐肉《くされにく》に思《おもひ》を寄する…… や、はや吹きそむる朝けの風。言葉短かに物語らん。日ごろの習ひ、眞晝過に、予《われ》園内に眠れる折から、 油斷を見すまし、忍びより、汝の叔父が小瓶より我耳に注ぎ入れし大毒液の效力《きゝめ》は覿面《てきめん》、 水銀のやうに、我五體のありとあらゆる血管を走り傳って血汐に觸るゝや譬《たと》へば、 乳汁に酢の滴りを注ぐが如く、鮮血忽《たちま》ち濁りこゞって、滑かなりし我#肌《はだへ》を見る〜掩ふ瘡《かさ》ぶたは、 癩病やみさながらの、目もあてられぬ醜さ、穢《きたな》さ。……まッその如く、假寢の間に、現在弟の手に罹《かゝ》り、 命をも王冠をもまた妃をも一時に、奪ひ取られて罪業の、花の盛りにあさましや、聖禮も受けず、懺悔もせず、 最期《いまは》の油を塗らるゝこともなく、頭《かうべ》に夥しき咎めをいたゞき、神の御前に引出されし怖ろしさ! ハム おゝ、おゝ、おそろしや〜! 亡 汝孝心の心あらば、ゆめ此怨を忍ぶ勿《なか》れ。デンマーク王家の閨房《ふしど》を邪淫の床ならしむるな。 とはいひながら、忘れても、母には害を加へまいぞよ、天の捌《さば》きに打任せて、心の鬼に身を責めさせよ。 さらばなり、ハムレット。闇を照らせる螢火の效《かひ》なき焔の薄るゝは、はや曉の近づく知らせ。 さらば、さらば、おゝ、さらば!わがいひつけを忘るゝなよ! 亡靈消える。 ハム おゝ、ありとある天の神々!下界にありとあらゆる神!地獄にありとあらゆる惡魔も!何を馬鹿な! おゝ、こたへをれ、わが心。おのれ、我五體の筋肉、ゆめ俄《にはか》に老い朽つるなよ、 しかと此身をさゝへをれやい。……なに、命令《いひつけ》をわすれるなとや! いふにや及ぶ、あさましき亡き靈《たま》よ、惑亂したる此#頭《かうべ》に記憶の力の存する間は、 いひつけを忘るなとや!念にや及ぶ、我記憶の帳づらより、をさなき耳目の寫しおいたる格言、名句、 色、形、あらゆる記録を拭ひ去って、我頭腦の卷中には、只尊靈の嚴命ばかりを、 餘事をまじへず記留《しるしとど》めん。おゝさ、天に誓ふたぞよ!……あさましき非道の女性《によしやう》! ……たぐひなき大惡人!面《おもて》に笑をたゝへながら…… さうぢゃ、覺帳《おぼえちやう》に書きとめておくが當然ぢゃ。…… 面《おもて》に笑をたゝへながら、笑みつゝ尚かくの如き大惡事を行ふ者の世にありとは! ともかくも此デンマークには現の證據が……どうぢゃ、叔父貴、まッ此通り。 いで、此上は、大切な命令《いひつけ》を。 むゝ……さらば、さらば、おゝさらば。わがいひつけを忘るゝなよ!きッと天に誓ふたぞよ。 此時奧にてホレーショー、マーセラスの聲にて下の如く呼ぶ。 ホレ 御前、御前…… マー ハムレットさまいのう…… ホレ 天よ君を護らせたまへ! マー 何卒《なにとぞ》! ホレ ほうい〜!御前さまいのう。ほうい! ハム ほうい〜!こゝへ來う。ほうい〜! ホレーショー、マーセラス出る。 マー いかゞわたらせられまする? ホレ 何とでござりましたぞ? ハム おゝ、竒怪千萬! ホレ 御模樣をお聞かせ下されませ。 ハム いや。言うたらば人にいはう。 ホレ いや、誓って口外はいたしませぬ。 マー 手前とても、他言は仕りませぬ。 ハム したら、まァ、何と言ふぞ?人間の念頭に曾《かつ》て思ひ及ばうことか?……他言はすまいな? 二人 神以て他言はいたしませぬ。 ハム 此デンマーク廣しと雖《いへど》も、内に住める惡漢にして世に怖しい大惡人でない奴はゐぬわい。 ホレ はて、それしきの事は、あの世から亡靈が來て告げまする程でもござりますまい。 ハム むゝ、さうぢゃ。いかにもさうぢゃ。ぢゃによって、もう〜迂廻《まはりくど》い事はやめにして、 互に手を振合ふて別れたがよからう。人はめいめい用も務もあるならひぢゃ。……お身たちはお身たちの務めを ……予《わし》は予《わし》で、歸って祈祷でもしようわい。 ホレ これはいかなこと、とりとめもないことを仰《おほ》せられまする。 ハム はて、氣にさはったら堪忍しやれ。予《わし》がわるかった。はて、予《わし》がわるかったによって。 ホレ めっさうな、何のおわるいことがござりませう。 ハム いゝや、あるぞよ。パトリック上人《しやうにん》も照覽あれ、しかもおそろしいわるい事があるぞよ。 最前の幻影《まぼろし》はな、ありゃ全く正しい精靈、とばかりいうておく。さて何を語らふたか、 定めて聞きたからうが、こらへてくれ。さて改めていふぞよ、御身らは予《わし》の信友でもあり、 學者でもあり、武人でもあるによって、予《わし》の只一つの頼みをば聽いてくりゃれ。 ホレ 何事でござります?承りませう。 ハム こよひ見たことどもを、かんまへて口外すまいぞ。 二人 畏《かしこま》りましてござりまする。 ハム いやさ、誓言をせい。 ホレ 神以て他言いたしませぬ。 マー 手前とても神以て口外はいたしませぬ。 ハム 此劍かけて。 劍を拔き、十字形の其 [木|霸;#2-15-85]《つか》を三人の方へ差し出す。 マー もう誓言は仕りましてござりまする。 ハム 眞實、これなる劍にかけても。 此時地下にて 亡 誓言! ハム や、おぬしもさういふか?正直者、そこにゐるのか?……さゝ…… お聞きゃったか、地の下でも誓言せいといひをるわい。……さゝ、誓言せい。 ホレ 本文を仰せられませい。 ハム 御身らが見た事を、かんまへて他言せぬと、この劍にかけて誓言せい。 亡 (地下にて)誓言! ハム むゝ、現處また一切處な!では居どころ改めよう。……さゝ、こゝへ〜。ま一度此劍に手を載せて、 御身らが聞いたことをかんまへて他言せぬと、此劍にかけて誓言せい。 亡 誓言! ハム ほゝう、出來た。鼠《うぐろ》どの!ても速うおわたりゃるな!立派な工兵ぢゃわい! さ、ま一度こゝへ、變へた〜。 ホレ これはいかなこと!竒怪千萬!不思議とも、何とも! ハム ぢゃによって、只何事も知らぬ振をして聞いておきゃれ。この天地の間にはな、所謂哲學の思も及ばぬ大事があるわい。 さゝ、こゝへ。……な、最前の通り、かんまへて……すれば後世《ごせ》の冥福があらう…… たとひ向後《きやうこう》、予がどのやうな樣子をしようと…… 或は殊更に竒怪な擧動《ふるまひ》をすまいものでもないが……其折、決して、ま、このやうに腕を組み、 頭《かうべ》を振り、若しくは意味ありげに、「はて、あれには仔細が」とか、 「口外してよくば」とか、曖昧なことをいうて、予が一身の内密を知ったるがやうに見せまいぞよ。 ……すれば必ず大事の期《ご》に、神が冥助を下されよう。誓言せい。 亡 誓言! ハム はて、さい氣を揉まずとも、安心めされ〜! 二人劍の[木|霸;#2-15-85]《つか》に接吻する。 此上は予《わし》も眞情《まごころ》のあるたけを御身らに酬ゆる積りぢゃ。ハムレットづれの凡夫が、 朋友の信義を能《えい》盡《つく》す限り、神慮にさへ叶はゞ、必ず違へることではない。 共に城内へゆかうぞ。な、口元に指をあてて……頼んだぞよ。(傍を向きて)此世の關節が外れたわい! ……何たる惡因縁ぢゃ、俺が反正の任に帶《お》んで、此樣な世に生るゝとは! (二人に對ひて)あ、いや、來やれ、一しょに行かう。 ハムレット先に皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第二幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第一場 ポローニヤス邸の一室。 ポローニヤスと家來レーナルドーと出る。 ポロ 此金と此書面を倅《せがれ》に渡してくりゃれ。 レー 畏《かしこま》りました。 ポロ 倅《せがれ》を訪ぬる前に、先づ其#行迹《ぎやうせき》を探って見るのが上策であらうぞ。 レー 私もさやう存じをりました。 ポロ ほゝう、出來た、あッぱれ!よいか、先づ、パリーには、何樣《どのやう》な、何といふデンマーク人がをるか、 如何樣に暮し、何處に住む、何樣《どのやう》な仲間と交際《つきあ》うて、其#費用《いりめ》は何程かと問ふて見やれ。 さて、かやうに迂曲《とほまはし》に問ふて、敵手《あひて》が倅《せがれ》を存じてをると分かったらば、 又一段話を運び、「それがしは彼《あの》仁の父者《てゝぢや》も友逹も存じてをります、 また當人をも幾らか」と些《ちと》は倅《せがれ》をも存じてをるらしう見せかけるぢゃ。……心得たか? レー はい、心得ましてござる。 ポロ 「當人をも幾らかは、さりながら善うは存じませぬが」と言うて、 「したが、其お人が小生《それがし》申す所の仁でござらば、中々の氣儘者、云々《しかじか》の道樂もござる」などゝ、 何なりと心任せに作りすまいて言うがよい。が、倅《せがれ》の不名譽《なをれ》になるやうなことは、 努《ゆめ》言ふまいぞよ。必ず共に氣をつけやれ。 但し若氣の我儘には附物のやうに知れ渡ってをる放逸や亂暴や不埒ならば關心《かまひ》は無い。 レー 博奕《かけごと》をあんらしまするなぞと? ポロ さやう。又は酒を飮む、劍術をつかふ、喧嘩口論をする、惡所入りをする、そこどころまではよい。 レー それではお名前にさはりませうが。 ポロ 氣も無いこと。そこがおぬしの言ひ廻しぢゃ。が、今言うた外の誹謗《かけごと》は、例へば、 荒淫《いろごのみ》ぢゃなぞとは假初《かりそめ》にもお言やるまいぞ。それは俺の本意で無い。 結句、倅《せがれ》の過失《あやまち》は、猛《たけ》しい心の溢れで、血氣剛《けつきさかん》な、 躾の足らぬ頃には有りがちの不埒と見ゆるやうに、味よう言ひ做《な》してくれい。 レー ではござりまするが…… ポロ 何故にそのやうなことを致しまするか? レー 全く、それが承《うけたまは》りたうござりまする。 ポロ はて、それは斯樣《かやう》ぢゃ。そも〜、是は天下晴ての謀計《はかりごと》ぢゃ、斯く、 譬《たと》へば、製作をしてをる間に、ふと疵の着いた品などのやうに、倅《せがれ》にさばかりの難を附くれば、 おぬしの話敵手《はなしあひて》が、よいか、自然pぬしが探らうとしておりゃる其當人が、 右噂のあった不埒どもを曾《いつぞ》か犯してをるのを見たことがあれば、一定、おぬしに調子を合せて、 ま此やうのも言はう、「えゝ、其許《そのもと》樣は」といふか、 或は「お手前は」乃至《ないし》「貴殿は」といふか……これは身分にもより、其國風にもよることぢゃが…… レー 御意で。 ポロ そこで、その其男がぢゃ、其男が……えゝと、何やら言ひかゝってをったのぢゃ……はて、何とやら言ふ積りであったが ……何といふ所でしまうたか? レー 私に調子を合せまして、「お手前は」とか、乃至《ないし》「貴殿は」とか…… ポロ 「おぬしに調子を合せて」……それ〜。おぬしの言ふことに調子を合せて、先づ、此やうにも言はう、 「えゝ、其御仁ならば存じをります、えゝ、昨日」又は、「先日……云々《しか〜゛》の折にお目にかゝりましたが、 お連れは云々《しか〜゛》の方々で」、又はおぬしが言うたやうに、或は「賭博《かけごと》をしてゐた」とか、 「亂醉してをった」とか、「庭球《テニス》で喧嘩をした」とか、或は又「さる賣店へ入るのを見た」とか…… といふのは女郎屋のことぢゃ……其他、さま〜゛の事を言はう。何と、如何《どう》ぢゃ? ……虚《うそ》の餌で實《まこと》の鯉を釣上ぐる。まッ此如く、ナニガ、遠見のある智慧者は、 いつも遠廻りをして間道から本城を陷《おと》すことぢゃ。おぬしも、最前から言うた通りにして、 倅《せがれ》の内情《やうす》をば探りゃれ。合點が往たか、どうぢゃ? レー 合點いたしました。 ポロ 堅固でお往きゃれ!さらばぢゃ。 レー 御機嫌ようござりませう! ポロ 己が眼《まなこ》でも素振を見やれよ。 レー 心得ました。 ポロ 好きな音色をば出させたがよいぞよ。 レー 心得ました。 ポロ さらばぢゃ。…… レーナルドー入る。 オフィリヤあわたゞしげに出る。 何とした、オフィリヤ!何事が出來《でけ》たのぢゃ? オフ おゝ、父樣《とゝさま》、々々。眞《ほん》に怖うござりました? ポロ はてさて、何としたのぢゃ? オフ 父樣《とゝさま》、つい今、居間で縫物をしてをりましたら、ハムレットさまがな、外套《うはぎ》のお胸元は開いたまゝ、 帽子も着《め》さず、靴下も汚れ、解《ほど》けた紐は踝《くるぶし》へ埀《さが》りはうだい、 お顏の色はシャツほどに蒼ざめて、膝はがた〜、怖しい事を告ようために地獄から出された人かのやう、 それは〜情ないお顏持で、つい今しがた妾《わたし》の前へ。 ポロ そもじに焦れて氣が狂《ちが》うたか? オフ さァ、そりゃどうか知りませねど、さうらしうも思はれてなァ。 ポロ して何と言はせられた? オフ 妾《わたし》の手頸をきゅッと捉へ、お手の延びるだけ身をそらして、一方《かた〜》の手を斯う翳《かざ》し、 肖顏画《にがほゑ》でも描くがやうに妾《わたし》の顏をじいッと見つめてでござりましたが、 長いことさうしてゐてから……妾《わたし》の手頸を輕う振って、頭《つむり》を斯う三度#上下《あげさげ》して ……躯《み》も摧《くだ》け、命も盡きさうに、いとほしげな深《ふかァ》い溜息をして、それが濟むと手を放し、 肩越に頭《つむり》だけ此方《こつち》へ向け、眺めずとも見えるかのやうに、 目の助けをば借らで外へ出で行かせられました、いつまでも妾《わたし》を見詰て。 ポロ さ、來や。こりゃ王にお目にかゝらねばならぬわ。それこそ戀の氣狂ぢゃ。 天《あめ》が下一切の煩惱何《いづ》れも人間のわづらひぢゃが、ナニガサテ、戀の激しい特質《もちまへ》は、 第一に自ら害《そこな》ひ、果は何樣《どのやう》な怖しいことをもしかねぬ。あゝ殘念な…… え、これ、何か近い頃に、無情《つれな》いことでも申上げはせなんだかの? オフ いゝえ、何にも申しませぬ。したが、父樣《とゝさま》の命令《おつしやりつけ》ゆゑ、お艷書《ふみ》をば突戻し、 入らせられましても逢ひませなんだ。 ポロ さてこそ氣が狂《ちが》はせられた。さて〜殘念や、一段深う分別して樣子を觀なんだのが脱落《ぬかり》ぢゃ。 一時の戲《ざれ》にそもじを疵物にさっしゃらうかとばかり思ひ込んだのは、おのれやれ、邪推であったか! 南無三寶!とかく老人の過慮《おもひすごし》と若い者の無分別。……さァ〜、王の御許へ參らう。 こりゃ直《すぐ》に聞上げねばならぬは。戀の顛末を申したなら、お憎《にくし》みを受けうも知れぬが、 隱しておいたなら、尚一段のお哀みともならう。さゝ、來やれ〜。 入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第二幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第二幕 第二場 城内の一室。 喇叭の聲。王、妃、廷臣ローゼンクランツ、ギルデンスターン及び侍臣#若干《そこばく》出る。 王 おゝ、ようこそ、ローゼンクランツ、ギルデンスターン!久しう逢見たう存じてをった上に、 折入って頼みたい仔細もあって、取急ぎ召寄せた。仄《ほのか》にはお聞きゃッつらうが、打って變ったるハムレットが此頃、 外なる人も、内なる人も、往時《ありし》には似ぬ變りやうぢゃ。かやうに我歟《われか》をも忘るゝに至ったる事の因《もと》は、 父王の死去の外には、何としても思ひ及ばぬ。御身等へ頼《たのみ》とは是《こゝ》の事ぢゃ、 幼きより共に育ち、彼れが若氣の氣心をも善う呑込んでおゐやる御身等、、暫く當城に留って、近しう相交り、 慰事《なぐさみごと》に彼れを誘ひ、吾等の未だ存ぜぬことにて、 聞知らば療治の術《すべ》もあるべき彼れが病患《わづらひ》の原因もあらば、どうか折を得て探出しておくりゃれ。 妃 なう、方々、御身がたの事をばハムレットも折々噂話、御身等程に和子と心の合はん人の又と二人世にあらうとも思ひませぬ。 暫時《しばらく》宮中に留りゃッて、我等が望を遂げさすべく、禮儀、深切を盡してたもれ、 さすれば、此度の參内に對しては、王の感謝に相應《ふさは》しい報酬《むくひ》をば得られませう。 ロー 兩陛下《おふたかた》には、我々に君臨せさせられまする無上大權の御力に依って、 御意のまゝ御嚴命あってこそ然るべきに、お頼みとは恐入りまする。 ギル なれども兩人とも御受《おんうけ》の仕り、謹んで微躯を獻じ、力の及びまする限り、 忠勤を拔《ぬき》んでまするでござりませう。 王 かたじけない、ローゼンクランツ、ギルデンスターン。 妃 かたじけなうござる、ローゼンクランツ、ギルデンスターン。では直にも見舞ふてたもれ、變り果てたわく子を。 ……誰そ、ハムレットがゐやる處へ、兩卿を案内しや。 ギル 天よ、願はくは、我々の參向と忠勤とを王子《みこ》の御意に稱《かな》はしめたまへ、お役に立たしめたまへ! 妃 アーメン!(しかあらしめたまへ!) ローゼンクランツ、ギルデンスターン、一二の侍臣に案内せられて入る。 ポロ 申上げまする、お使者がノーウェーより吉報を齎《もたら》して、歸朝仕ってござる。 王 いつもながら足下《そこ》は吉左右《よいしらせ》の祖《おや》ぢゃ。 ポロ でござりますか?恐れながら、それがし神に對し奉りましても、陛下に對し奉りましても、 誓って本分を盡し奉りまする、恰《あたか》も此靈魂を神に獻げ參らせをりまするが如くに。 なればこそどうやら嗅ぎ附けました……でなくば此頭腦が、最早昔日のやうに機敏《はしこ》うはござらぬのぢゃ ……いや、正しく能い探りましたぞ、ハムレットさま御喪心の眞《まこと》の理由《いはれ》を。 王 おゝ、語りめされ、それこそは待兼たわ。 ポロ 先づお使者逹に拜謁の仰附けられませう。 小官《それがし》が御左右は其御大饗の點心《ごだん》と遊ばしたがようござりませう。 王 足下《そこ》みづから優待して、此處へ伴ひめされ。…… ポローニヤス入る。 ガーツルードどの、和子が亂心の源泉《みなもと》を悉く探出したと申すわ。 妃 覺束なう思ひまする。……父王の崩御とか、吾等の早まった婚儀とか、恐らく大筋の事に過ぎますまい。 何《いづ》れとも取糺《ただ》して見よう。…… ポローニヤス先に、ヴォルチマンド、コーニーリヤス出る。 ようこそ、面々!してヴォルチマンド、ノーウェー王の返答は何とぢゃ? ヴォル 殊なう鄭重なる御挨拶。はじめての謁見にて、直樣《すぐさま》お使を遣《つかは》され、 甥の殿の軍準備《いくさようい》を差止められてござります。右はポーランド征伐の爲とのみ思召されし由《よし》の處、 詮議の末、陛下《かみ》への御#謀叛《むほん》と相分り、さては老病不能の爲かゝる不覺と歎かせられ、 すなはちフォーチンブラス殿召捕のお使者差遣はさる。彼人所詮は命に服し、王のお譴責《しかり》を蒙り、 結局、陛下《かみ》に對し奉って、向後干戈《きやうかくかんくわ》を動すまじくと、 叔父君の御前にて誓言ある。老王殊なう御喜悦あって、年額三千クラウンの知行所を賜はり、 且また徴集《めしあつ》められし軍兵を以てポーランド征討の儀差許さる。それにつきての委細は此書《これ》に (と書面を差出し)相見えまするが、何卒《なにとぞ》右#企《くはだて》の爲、 當御領内を平和の通行御裁可下されまするやうとのお願、途中の安全を圖りまする條々は、 此書《これ》に認《したゝ》めてござりまする。 王 滿足々々。間《ひま》を得て讀んだる上、篤と勘考して返答せん。先づそれまでは、兩人とも大義千萬、 まかんでゝ休息しやれ。夜に入らば共に飮まうぞ。ようこそ歸朝! ヴォルチマンド、コーニーリヤス入る。 ポロ 此御用向も先づ以て首尾よう。……我君、お妃、そも〜君王の稜威《みいづ》とは何ぞや、臣下の本分とは何ぞや、 乃至《ないし》晝は何故に晝、夜は何故に夜、また時は何故に時なるかなどゝ論議《あげつろ》ひまするは、 是れ只夜や晝や時を浪費するに過ぎませぬ。畢竟、簡潔は智慧の精神《たましひ》、 冗漫は手足や虚飾《そらかざり》でござりますによって、それゆゑ手前は簡潔に申上げます。 王子《みこ》さまはお狂氣、いかにもお狂氣と申上ぐる、何故なれば、 豫《あらかじ》め狂氣の本義を定めようと致すなどは、要するに、狂氣も同樣の振舞ではござりませうに依って。 が、それはそれと致して…… 妃 なう、語《ことば》の文飾《かざり》よりも肝腎の事柄をば。 ポロ お妃、何の手前が虚辭空言《かざりごと》を申しませう。王子《みこ》お狂氣とは事實《まこと》でござる。 眞《まこと》に以てお氣の毒でござる、さてお氣の毒でござるが事實《まこと》でござる。 いや、鈍《おそ》い文飾《くちあひ》。もはやおさらばでござる、潤色《かざり》などは用ひませぬ。 では先づお狂氣と相定めまして、さて殘りましたは吾等が右結果の原因を發明に及びましたる一條…… と申すよりも、或ひは右の缺陷《けつかん》の原因と申したが當然でもござりませうか? 何故と仰せられい、かやうな缺陷《けつかん》がちの結果は所詮原因無うては叶ひませぬからでござる。 これが即ち申し殘しで、さて殘りました一條は如是《かやう》でござる。とくと御賢察下されませい。…… 手前に一人の女《むすめ》がござりまする。……もっとも、右は手許に置きまする間の事…… 其者が孝順にも、お聽下されませう、此書《これ》をば手前へ渡しました。いざ、御推察下されませい。 ト艷書《えんしよ》を取出して讀む。 「天津姫とも思ふ我魂の本尊《みほとけ》、こよなうも艷麗《あて》なるオフィリヤの君へ。」…… こりゃ拙《まづ》い、拙《まづ》い文句ぢゃ。「艷麗《あて》なる」は拙《まづ》い句ぢゃ。 ともかくも其後を聽せられませ。かうでござる。 ト又讀む。 「君のいみじき白き御胸に、これなる句どもを、云々《しか〜゛》。」 妃 それを、あの、ハムレットがオフィリヤへ? ポロ お妃、まゝ、暫く。有體《ありてい》に申上げませう。 ト又讀む。 「星の火を無しとも思せ。 昇る日を停るとも思せ。 まことをも僞《いつはり》とおぼせ。 しかはあれ、予《われ》に二心《ふたごころ》ありと思すな。 あはれ、なつかしきオフィリヤよ、予《われ》は句を綴るに拙《つたな》し。 予《われ》は字數を限りて呻吟《うちうめ》く術には長ぜず。 さもあれ御身を戀ふる我心のいとも〜切にして更に〜切なるを信じたまへ。さらば。 いとも戀しき姫へ、此形骸の我有たらん間は、長永《とこしなへ》に御身の有たるハムレットより。」 此書《これ》をば女《むすめ》が命令《いひつけ》通り手前へ渡しました、のみならず、いつ、 いづこにて、いかさまに言寄せられたかをも悉く申聞えましてござる。 王 して、それに對するオフィリヤの行動《しうち》は? ポロ 手前をば如何な者と思召されまする? 王 誠忠な名譽の男と。 ポロ その通りにありたうござる。さりながら何と思召され」ませう。……手前が此激しい戀の羽ばたきを見ました折…… こりゃ豫《あらかじ》め申置かいでは適ひませぬが……女《むすめ》から聞きまする前に、 とくにも其儀をば見て取りましたが……何と思召されませう、陛下《かみ》にせい、お妃にせい、其際《そのをり》、 手前が机の抽出か覺帳かのやうに、若し凝《じい》と目の暝《つぶ》って無言《だんまり》で見過しましたならば…… 何と兩陛下《おふたかた》には思召されませう?いや〜、手前は眞直《まつすぐ》に着手《とりかゝ》って、 まッこのやうに女《むすめ》めに申しました。「ハムレットさまは王子《みこ》ぢゃぞよ、其方《そち》とは分が違ふ、 とっても無いことぢゃ」とさ申聞せ、王子《みこ》がお出入の場所々々へな、かんまへて參らぬやう、 お使をも遠ざけ、賜品《たまはりもの》をも戴くな、と庭訓《ていきん》を與へましたる所、 女《むすめ》め其通りに仕りました。さて王子《みこ》は撥破《はねつ》けられて……手取早う申しますれば…… 御#悒鬱《ゆううつ》にならせられ、それからして御斷食、それからして御不眠、それからして御衰弱、 それから又御喪心と、つい漸々《だん〜》と募らせられて、只今の御狂亂、さて〜嘆かはしいことでござる。 王 (妃に對ひて)お事も然《しか》おぼさるゝや? 妃 なるほど、然《さ》うもあらうかと思ひまする。 ポロ 手前が「これは如是《かやう》でござる」、と確《てい》ッと申上げました際《をり》に…… 承りたうござる。……それが然《さ》うでなうござったことが、見事、一たびでもござりましたか? 王 予は存ぜぬわい。 ポロ (頭と肩とへ指ざし)これからこれを奪《と》らせられい、萬一にも間違ひましたら。 手懸《てがゝり》さへござりますれば、どのやうな内密をも、 地球の中央《ただなか》に押匿《おしかく》してござりませうと、探出いてお目にかけませう。 王 此上は、何として實否を糺《たゞ》さうぞ? ポロ 御存じあらせらるゝ通り、王子《みこ》には、時折、此大廣間の御廊下を幾時となう歩かせられまする。 妃 なるほど、其通りぢゃ。 ポロ さやうの折柄に、わざと王子《みこ》へ女《むすめ》をば放ちませう。 さて、陛下《かみ》と手前とが帳《たれぎぬ》の蔭に隱れて、其#會合《であひ》をば窺《うかが》ひませう。 萬一にも王子《みこ》が女《むすめ》をば戀はせられず、またお心も狂うていらせられぬやうでござらば、 手前が職を罷《や》めさせられませ、水飮百姓とも相成りませうず。 王 ともかくも試みるであらう。 妃 あれ、あしこへ和子めが、何か讀みつゝ來ます、いぢらし悄然《しほた》れて。 ポロ いざ、あちへ入らせられい。兩陛下《おふたかた》とも、いざ〜。すぎに物を申掛けて見ませう。 王、妃、侍臣入る。 ハムレット本を讀みながら出る。 はれ、お許《ゆる》されませう。ハムレットの御前には、如何わたらせられまするな? ハム おゝ、堅固ぢゃ〜〜。 ポロ 手前を御存じでござりまするか? ハム うん、よう存じてをる。魚商《さかなや》ぢゃ。 ポロ ではござりませぬわい。 ハム なりゃ、せめて彼奴《あいつ》程の正直者であって欲しい。 ポロ 正直者? ハム さやう。正直者は、今の世では、一萬人中の一人ぢゃ。 ポロ こりゃ、御尤もぢゃ。 ハム (讀みながら)「何が故に然云ふ。夫れ天日の淨《きよ》き光とても、 好んで壤爛《ゑらん》の肉に觸るれば、狗兒の屍《しかばね》に蛆を釀す。……」……女《むすめ》があるかい? ポロ はい、ござります。 ハム 晝は外へ出さぬがよい。世間をおぼえるは可《よ》いことぢゃが、ともすると、とはうもないことをおぼえる。 氣を附けるがよい。 ポロ え、何と御意なされまする?……(傍を向いて)まだ女《むすめ》の事を思込んで居らるゝ。 が、初手は手前を見知らいで、魚商《さかなや》ぢゃなどとゝ申された。いやも深しう惑溺《はま》られたことかな、 首ったけぢゃ。いかさま、自分とても若い時分は甚《いか》う色戀で苦悶《くるしみ》もした、 ほとんどあのやうにもあった。も一度物を言うて見よう。……何を讀ませられまする? ハム 文句ぢゃ。文句、々々。 ポロ え、何事でござりまする? ハム 事とは、そりゃ誰が? ポロ いや、其讀ませられまする事は何事でござりまする? ハム 誹謗《わるくち》ぢゃよ。惡舌漢《くちわる》めが茲《こゝ》に斯《か》う言うてをるわい、 老人には白き髭あり、其#面《かほ》は皺くちゃにて、目よりは濃き琥珀色の桃の脂《やに》を流す、 而して智は夥しく不足し且又膝節は弱しとある。こりゃも悉く其通りぢゃが、 さりとて斯《か》う歴々《まざ〜》と書いておくのは、些《ち》と無作法であらうわい。何故と言やれ、 御身ぢゃとて、若し蟹のやうに逆樣《さかさま》に這はうならば、予《わし》と同年でもあらうによって。 ポロ (傍を向いて)狂人の言ふことながら理《すぢ》が立ってゐる。……えゝ、ちと浮世離れを遊ばされませぬか? ハム あの世へでも行くか? ポロ なにさま、それも浮世離れでござる。……(傍を向いて)さてはや、折々は手際な返答をせらるゝ! ともすると狂人が旨いことを言ふ、生中《なまなか》正氣の分別があっては、あのやうな飛び離れた理窟は言はれぬ。 今はまづ分れて、不意と女《むすめ》に出逢《でくは》さするやうに工夫せう。…… 恐れながら、これにてお暇《いとま》を戴きたうござります。 ハム はて、それほど遣したうてならぬものはないわい。……命は別ぢゃが、命は、命は。 ポロ 御機嫌よう渡らせられませ。 ポローニヤス離れる。 ハム うるさい奴の!阿呆め! ローゼンクランツとギルデンスターンと出る。 ポロ ハムレットさまをお尋ねかな?あしこにいらせらるゝ。 ロー (ポローニヤスに)御機嫌よろしう! ポローニヤス入る。 ギル 御前樣! ロー 王子《みこ》樣! ハム おゝ、さて〜、なつかしい!どうぢゃ、ギルデンスターン?……あゝ、ローゼンクランツか! ……兩人《ふたり》とも、如何《どう》ぢゃ、よい景氣かの? ロー 先づ世間並にござりまする。 ギル 仕合せ過ぎませぬといふ意味合で、仕合せにござります。運命の神の帽子の飾紐《つまみ》ではござりませぬので。 ハム かの女神の靴の底でもないか? ロー でもござりませぬ。 ハム では彼の女神が腰の邊《あたり》、取りも直さず、御#恩惠《めぐみ》の中央《ただなか》程にゐるのぢゃの? ギル 眞實、私共には、女神もお目をかけさせられます。 ハム 何ぢゃ、おめかけ?あゝ、聞えた、いかさま彼神《あいつ》は淫婦ぢゃなう!何ぞ珍聞は無いか? ロー 何もござりませぬが、世の中はおひ〜と正直になりまする。 ハム すれば、世の果も既《も》う近い。が、そりゃ虚報《うそ》ぢゃ。時に立入って問はうが、如何な科《とが》があって、 御身等は、運命の女神の爲に、如是《こんな》牢獄へは送られたのぢゃ? ギル 牢獄と仰せられまするは! ハム デンマークは牢獄ぢゃ。 ロー では此世界とても。 ハム 立派な牢獄ぢゃ。其中に監禁所《おしこめじよ》もあれば獄室《ひとや》もあり、穴牢もある。 デンマークは下々の下の一つぢゃ。 ロー 私共はさやうには心得ませぬ。 ハム はて、然《しか》らばお身たちにはさうで無いのぢゃ。總別、思做《おもひな》しの外には事物の善も無く、惡も無い。 予《わし》に取っては牢獄ぢゃ。 ロー はて、それならば御大望の爲《せゐ》でござりませう。お望に比べては、お國が狹うござりまするでがな。 ハム おゝ〜!胡桃の殼に押籠められてゐようと、無邊際の主《あるじ》とも思はうものを、惡い夢をさへ見なんだなら。 ギル その、夢と御意あるが、取りも直さず、御大望でござる。何故と仰あれ、所謂大望の本體は夢の影に過ぎませぬ。 ハム 夢も影ぢゃ。 ロー いかにも。私は大望をば果敢《はか》ない、影の影とも申すべき空《あだ》なものと心得まする。 ハム すれば乞食共が本體で、彼の帝王や驕乘《のさば》り歩く英雄や豪傑は其乞食共の影ぢゃとも言はるゝ。 ……何と、宮中へ行くまいかの、俺ゃもう問答は出來ぬわい。 ロー、ギル お陪從《とも》仕《つかまつ》りませう。 ハム わっけもないこと。予《わし》は御身らをば餘の從臣どもと同列にはしたうない。なぜと言やれ、 正直に言はうならば、予《わし》は世にも怖ろしう奉侍せられてゐるのぢゃ。時に、友逹づくに遠慮なう問ふが、 エルシノーアへな何しにお來やった? ロー 御前を御訪問のために。外に仔細はござりませぬ。 ハム 予《わし》は乞食の境涯ぢゃによって、謝禮は乏しい、さりながら禮は言ふ、御身らの深切に比ぶれば、 一定#高價《たかね》でもあらうなれど。……迎ひを受けたのでは無かったか?自身の好みか? 全く任意の訪問か?さ、正直に言やれ。さ、言やれといふに。 ギル 何と申しませうやら? ハム はて、何とでも……只要旨を。呼寄せられたのであらうがの?それ〜、御身らの顏の色に、 さすがに廉恥心の隱しおほせぬ白状の影が見ゆるわ。兩陛下からお使が參ったのであらう? ロー 何の爲にでござります? ハム それを予《わし》が問ふてをるのぢゃ。こりゃ、ローゼンクランツ、ギルデンスターン、 友たるの信義を思ひ、諸共に生長《おひた》った幼い折の交り、莫逆と契った互ひの友誼、 其他、もっと辯舌のよい者の申し立てさうな信友の義務を思はゞ、包まず眞直《まつすぐ》に話してくれ、 お迎ひを受けたのか、どうぢゃ? ロー (傍を向きてギルに)どうしたものであらう? ハム (傍を向きて)いや、そちらがさういふ心ならば……(ギルに對ひ)眞情《まごころ》があるなら、 分け隔てをしやるな。 ギル お迎を受けましたのでござります。 ハム その仔細は予《わし》が話さう。すれば御身らの白状を遮り、 他言はせぬと兩陛下にお誓やった義理は秋毫《しうがう》も損ぜぬ道理ぢゃ。予《わし》は近來《ちかごろ》…… 何故かは知らぬが……悉く歡樂《たのしみ》を失ふてしまうたわい、諸藝をも廢《すて》てしまうた。 能《え》い堪へられぬ憂愁の、我胸臆に鬱積して、地球といふ此立派な大組織も、 予《わし》に取っては荒れ果てた岬も同然。此空といふ世にも美麗な天蓋も、あれ、あの、莊嚴な穹窿《きゆうりう》も、 燃ゆる黄金《こがね》を鏤《ちりば》めたる雄大無雙の碧落も……はて、我目には、只もう汚《むさ》い、 穢らしい、毒瓦斯の漲《みなぎ》る場所とばかり見ゆるわい!人間は、ま、何たる造化の妙工ぢゃ!理智には秀で、 能力には限がない!風姿《すがた》といひ、擧動《はたらき》といひ、いみじうもあり、ふさはしうもあり! 行爲《おこなひ》は天使の如く、智慧は神にも似た此人間!世界の華とも萬靈の長とも思ふ此人間! その人間が、予《わし》に取っては、只の塵埃《ちりひぢ》ぢゃ。嬉しうない、心に適はぬ。 いや、女とてもぢゃ、笑ふのは女ならばと言やらうでの? ロー 以ての外の儀にござります。 ハム では何故にお笑やった?予《わし》が嬉しうない、心に適はぬと言うた時に。 ロー 眞《まこと》の人間さへお氣に適ひませぬやうならば、人間の眞似をする俳優《やくしや》どもは、 嘸《さぞ》かしお手薄なお待遇《もてなし》を戴きませうと存じまして。先刻、彼等をば追越しました、 程なうこれへ御奉公申上げようとて參りまする。 ハム はて、王の眞似をする奴なら歡んで迎へてくれうぞ。……貢《みつぎ》をも獻じようわ。 遍歴騎士《みしやしゆぎやう》役には劍や楯の技《うで》を揮はせよう。 情人《いろをとこ》役も無報酬では泣かせぬ。變人《きむづかし》役には勝手放題に振舞はせ、 道外《だうけ》方には、指が觸っても吹出すやうなる輩《ともがら》をば笑はしめよう。 また女方《をんながた》は、委細かまはず、無遠慮に、白《せりふ》をいふがよい、でないと、 白《せりふ》の口調がわるうならう。して其俳優とは? ロー 以前御贔屓に遊ばしました都方の悲劇俳優でござります。 ハム 旅へは如何《どう》して參ったか?都にゐたはうが、名の爲、利の爲によさゝうなものぢゃに。 ロー 御改革で興業が出來ませぬかと存じまする。 ハム 彼等の評判は、予《わし》がゐたころに變らぬか?同じ樣に持囃されてゐるか? ロー いや、さやうには參りませぬ。 ハム どうして?もう老込んだか彼等は? ロー いや、相變らず出精致してをりまするが、近頃は子供連と申して、鷹の雛のやうに、 思切って甲高に白《せりふ》を陳《の》べまする怖しい人氣の一座がござりまする。 それが當今の流行にて、在來のをば並の劇場《しばゐ》なぞと誹謗致しまするによって、 細劍《ほそみ》を佩《は》いた紳士《れき〜》なぞは、鵝筆《がペン》が怖うてか、 在來の劇場へは、先づ足蹈《あしぶみ》をば能《え》い致しませぬ。 ハム 何ぢゃ、子供ぢゃ?誰れが扶持をする?給料は如何《どう》支拂ふぞ? 其奴らは甲《かん》の聲の出る間ばか俳優《やくしや》をして居ようちいふのか? 格段の工夫もない分には、彼等とても早晩《いつかは》一度並の俳優とならねばなるまいが、 その曉には、他人に言うたことが、取りも直さず、おのが後身の惡口ともなるによって、 身で身を害《そこな》ふも同樣ぢゃ、と作者共に苦情をば言ふまいか? ロー 眞實、雙方の爭鬪《あらそひ》は甚《いか》う激しうござりましたが、世人はまたそれを興がり、 いろ〜と使嗾《けしか》けまする、それがため、一頃は、作者と俳優《やくしや》とが口論する一段がござりませねば、 其作は賣口が無いと言ふ程でござりました。 ハム 虚事《うそ》のやうぢゃの! ギル 折々は大立廻りをも致しました。 ハム 童連《わらべれん》が勝ったか? ロー はい、御意の通り。ハーキュリーズも、所領もろとも、一切降參にござります。 ハム それも強《あなが》ち不思議で無い。叔父御がデンマークの王とならるゝと、 父上存生の砌《みぎり》には、侮り賤めてゐた輩までが、叔父御が方寸の肖像画《にがほゑ》をば、或は二十金、 四十金、乃至《ないし》五十金、百金をも吝《おし》まずして、爭って贖ひ求むる。 あッぱれ、是にこそ尋常《よのつね》ならぬ理由があらうて、學問で探られるものなら。 奧にて盛んに喇叭の聲 ギル 俳優《やくしや》どもでござりまする。 ハム がた〜゛、ようこそ此エルシノーアへ。さゝ、手を〜。東道《あるじ》ぶりの附物は當時流行の禮式ぢゃ。 お身たちと斯《か》うしておかぬと、俳優《やくしや》どもへの擧動《しこなし》が、 こりゃ是非とも愛相ようせにゃならぬによって、お身たちに對してよりも一段と鄭重《ねんごろ》にも見えよう程にの。 お身たち、さてようお來やったの。…… したが、叔父の父も、母ぢゃの叔母も、甚《いか》い誤解《おもひちがへ》ぢゃわい。 ギル え?と仰せられまするは? ハム 北々西だけが狂うてゐるのぢゃ、風が南なれば鷹と鷺との見分はつくわさ。 ポローニヤス出る。 ポロ これは御兩所、萬福々々! ハム (ポローニヤスを遠目に見て二人に)こりゃ、ギルデンスターン。……御身も〜……耳を〜。 あれ、あの大きな赤兒《あかんぼ》はまだ襁褓《むつき》を離れてをらぬ。 ロー 多分、二度目の襁褓《むつき》でござりませう、老いては幼兒《こども》に返ると申しまする。 ハム 定、俳優《やくしや》共の事を告げに來たのぢゃ。聽いてゐやれ。……(わざと無心《けろり》として二人を相手に) 成程、お言やる通りぢゃ。月曜日の朝。なるほど、さうであった。 ポロ 殿下《ごぜん》、申上げまする儀がござりまする。 ハム 殿下《ごぜん》、申上げまする儀がござりまする。むかし〜ロッシヤスがローマの俳優たりしころ…… ポロ 俳優共が參りました。 ハム ブッズ、ブッズ、ブッズ! ポロ 何がさて…… 俳優おの〜驢馬に騎り…… ポロ ……彼等こそは天《あめ》が下の名優でござる、悲劇にもよく、喜劇にも宜しく、 歴史物、山野《まきば》物、山野《まきば》がかりの喜劇、歴史がかりの山野《まきば》がかり、 乃至は悲劇仕立の歴史物、悲劇仕立の喜劇混りの歴史がかりの山野《まきば》がかりにもよろしうござれば、 場面を變へぬ作にも、制限《しきり》の無い作にもよろしい。セネカとても重過ぎませず、 プロータスとても輕過ぎませぬ。定型物《かたもの》まれ、即興物まれ、類無しの技倆者《うできゝ》でござりまする。 ハム あはれ、ヂェフサ、イズラエルの士師《さばきのつかさ》、 ……てもおぬしは見事な寶物《たからもの》をお有《も》ちゃッたなう! ポロ どのやうな寶物《たからもの》を有《も》ってをりましたな? ハム はて…… 花の娘を只一人、 又無き者とも愛でけるが…… ポロ (傍を向きて)相變らず女《むすめ》の事を。 ハム なう、ヂェフサの叟《おぢい》よ、何とさうであらうが? ポロ 手前をヂェフサと呼ばせらるゝか?いかさま、手前に女《むすめ》が一人ござりまする、はい、 又なきものと愛でておりまする。 ハム いや、さうはならぬは。 ポロ なりゃ如何《どう》なりますな? ハム はて…… 業因果《やくそくごと》んいや、神ぞ知る。 その次は 思はぬ事こそ起りけれ。 あとは彼唄の劈頭《はじめ》を見やれ。……もう中止《やめ》ぢゃ、あそこへ氣を換へる物が來た。…… 四五人の俳優出る。 おゝ、ようお來やったの、師匠たち。皆よう來たな。一同逹者でめでたいなう。ようお來やった。 ……おゝ、おぬしか!(髭に目を附けて)先度とは異《ちが》うて、顏に目覺しい飾《かざり》が出來たの、 こりゃ予《わし》の方から卑下をせにゃならぬわ!……(女方に向つて)や、若姫御兼奧方ぢゃな! 姫神も照覽あれ、御も久しう見なんだうち、恰《ちよう》ど繼足《チョーピン》の長《たけ》ほど、 天へ近うなりゃったの。祈祷をしやれ、な、聲が、不通用《つかはれぬ》金貨のやうに、輪の中へ割込んではならぬ程に。 ……師匠たち、皆よう來てくれたの。時に、フランスの鷹匠ではないが、見かけたが最期ぢゃ、 すぐに何か一白《ひとくさり》聽かうぞ。さゝ、技《うで》を見せい。 さァ〜、何か悲壯な條《くだり》を。 俳優長 何に仕りませう。 ハム いつぞや汝《そち》に或#長白《ながぜりふ》を聽いたことがあったが、それは舞臺には掛けられなんだものぢゃ。 掛けたにせい、一度以上はなかった。何故なれば、俗は受けなんだものぢゃ、 彼等には[酉|奄;#1-92-87][魚|面]《カピヤー》であった。なれども予が聽いた所、 また此道にかけては遙かに予に立勝った人々の評判では、場面も善う整ふて、 巧妙でもあり穩健でもあるといふ立派な作ぢゃ。今でも記《おぼ》えてをるが、或人が言うたに、 強ひて味を附けうとて藥味を撒《ふりか》けたといふやうな句もなければ、 氣取った作者ぢゃと難癖を附けられさうな文意も見えぬ、いはゞ正路《まつたう》な作法《かきかた》、 口當りも佳いが毒も無い、そして美しうもあるが、拵《こしら》へすましたのではなうて自然《おのづから》ぢゃと言うた。 其中の最《いつち》好もしう思ふた長白《ながぜりふ》はイニヤスがダイドー御前への物語ぢゃ、 とりわけ、プライヤムの最期を語るあたりぢゃ。まだ記《おぼ》えておゐやるならば、此句から始めてくりゃれ。 かうッと、かうッと…… 「さても荒々しきピーラスは、彼のヒルカニヤの獸のごと」…… さうでは無い。……はじめは「ピーラス」ぢゃ。 「さても荒々しきピーラスは……ゆゝしき馬腹に臥したりしが、心も黒く、鎧も黒く、 げに烏婆玉《うばたま》の夜にも紛ふ、面《おもて》、頭《かしら》、爪先まで、 隈なく塗ったる唐紅は、主殺さるゝを無慚にも照らす都の兵燹《いくさび》に、 燒け凝《こご》りたる父、母よ、女《め》の子、男《を》の子の血汐なり、 斯く凝血を塗り被って、眼《まなこ》はさながら紅玉の、烈火と猛って鬼ピーラスは、 老いたる王をぞ尋ねける。」 さ、この後を附けたり。 ポロ さて〜お巧者なことぢゃ、抑揚《めりはり》と言ひ、お氣の入れかたと申し。 俳優長 「やがて彼れに逢ふ。いたはしや老の身の、手馴れし劍《つるぎ》も心に任せず、 あしらひかねて立ったる處に、兎を覘《ねら》ふ荒鷲の、ピーラス颯《さつ》と驅寄せて、猛って撃てば、 覘《ねらひ》は外れて太刀風に、よろめきまろぶ老人《おいびと》よ!さすが非情の城樓《しろやぐら》も、 此一撃にや感じけん、炎々たる其頂上、雷火と碎けて落ちければ、ピーラス暫く耳聾《みゝし》ひたり。 見よ、白頭の老翁を、斫《き》らんとて揮上《ふりあ》げし、劍《つるぎ》は空にとゞまって、 画《ゑが》ける猛者のそれかとも、斫《き》りもやらず、助けもやらず、立縮《たちすく》む。 「さもあらばあれ荒るゝ日に、大空暫く寂寞と、雲は鎭《すわ》り、風に聲なく、下界も死んだる折ふしに、 雷《いかづち》虚空を裂く如く、ピーラスやがて敵意を復し、血汐したゝる大劍《おほつるぎ》を、 老王めがけて打下《うちおろ》す。神世のむかしサイクロップが不滅の鎧をマーズのために鍛ひに鍛ひし鐵槌とても、 よもかばかりには無仁ならじや! 「にっくし、にっくし、おのれ淫婦《たはれめ》、運命神!八百萬の神々よ、あはれ神《かん》ぱかりに謀らせたまひて、 彼奴が力を奪はせてたびたまへや、彼れが有《も》ったる小車の、[車|罔;#1-92-45]《わぶち》も輻《や》をも打摧《うちくだ》いて、 殘る轂《こしき》を久堅《ひさかた》の、天の丘より鬼住ふ奈落の底まで抛《な》げうちたまへ。」 ポロ こりゃ些《ち》と長過ぎるわ。 ハム (ポローニヤスを尻目に)刈込ませたがよからう、その髯と一しょに。……さゝ、續けてくりゃれ。 道化節か淫猥《いろごと》話でゝも無ければ眠《ね》てしまふ男ぢや、さァ〜、ヘキューバの條《くだり》を。 俳優長 「さはさりながら人誰れか、包める后《きさき》を見し誰れか」…… ハム 「包める后《きさき》」? ポロ 結構ぢゃ。「包める后《きさき》」は結構ぢゃ。 俳優長 「眼《まなこ》昏《くら》む涙雨に、燃ゆる火も消よとばかり、昨日までは瓔珞《えうらく》の懸りし老の額には、 あさましや古襤褸《ふるつゞれ》、多くの子逹を生みましし其弱腰を纒へるは只一重の毛織物、 赤跣足《あかはだし》にて彼方《あち》此方《こち》と走らせたまふを見し誰れか ……毒に浸せる舌を揮《ふる》って運命神を罵らざる?天上の神々も此有樣を見そなはさば、 ピーラスが不仁にも彼女が夫を斫《き》り責《さいな》み、老いたる后《きさき》の斯くと見て悲み叫ぶ聲音には ……人界の哀傷に神の心の動かずばいさ……天《あま》つ眼《まなこ》の焔《ほのほ》も濕って、神の御胸も痛まん。」 ポロ あれ、御覽ぜ、太夫は顏の色を變へ、眼中には涙をさへ湛《たた》へをりまする。 ……(俳優に對ひて)もはや止めておくりゃれ。 ハム けっこうぢゃ。殘りはやがて演じて貰はう。……なう、卿よ、太儀ながら此俳優《やくしや》共を接待してくりゃるまいか? え?こりゃ、彼等をば懇切《ねんごろ》に扱ふてやりめされ、俳優は當代の粹を見する簡單な活歴史《いきれきし》ぢゃ。 死後の碑文は如何《どう》あらうと、生きてゐるうちに彼等に惡しう寫されぬがよいぞ。 ポロ 相當に扱ひ遣すでござりませう。 ハム はッて、そこどこではならぬわ!強ひて相當に扱ふならば、笞をまぬかるゝものが世にあらうか? 此方《こち》の身分相當に相手をば勞《いたは》りめされ。待遇《もてなし》が相手の分に過ぐれば、 それだけ、お主の恩惠が裕《ゆたか》になるわさ。伴《つ》れて往きゃれ。 ポロ 從《つ》いて往きゃれ、明日は劇を觀うぞ。 ポローニヤスに從《つ》いて俳優長《ざがしら》の他、皆々入る。 こりゃ〜、師匠。「ゴンザゴー殺し」をば演じておくりゃらうかの? 俳優長 はい〜、畏《かしこ》まりました。 ハム 明日の晩に演じてほしい。事によったら、十二行乃至十六行程の白《せりふ》を予が書下して插入れようと思ふが、 何と諳誦《おぼ》えておくりゃらうかの? ハム はい〜、畏《かしこ》まりました。 ハム よし〜。あの卿に尾《つ》いてゆきゃれ。したが、弄物《なぶりもの》にすまいぞよ。…… 俳優長《ざがしら》入る。ローゼンクランツとギルデンスターンに對《むか》ひ らた〜゛、晩景に又逢はう。ようこそ此エルシノーアへはお出でやったの。 ロー 御前、さやうならば! ハム おゝ、さらば、機嫌よう! ローゼンクランツ、ギルデンスターン入る。 今こそは只一人。おゝ、何たる無頼漢《ならずもの》の土百姓《つちほぜり》ぞ俺は! てもさては竒怪千萬!あれ、あの俳優めは、只#假初《かりそめ》の假作事《つくりごと》の哀傷《かなしみ》に、 我れと我心の底までも感動させ、それがために顏色は蒼ざめ、目には涙を湛へ、見るからに物狂ほしく、 物言ふ聲も斷々續々《とぎれ〜》に、一擧手一投足の末までも其人柄其儘ともなりをるではないか? ……かくまでに歎き狂ふ彼れに取って、ヘキューバはそも〜何者ぢゃ?またヘキューバに取って、彼れは何者ぢゃ? 彼れに我が有《も》ったる程の大悲憤の因由があり所縁《きつかけ》があらば、如何な事をなしをるであらうぞ? 涙を以て舞臺を溺らせ、怖しい白《せりふ》を以て聽衆《けんぶつ》の耳を突裂き、身に覺あるものを狂せしめ、 覺無き者をも畏れしめ、辧別《わきまへ》無き者をも惑はしめて、目をも耳をも騷《おどろか》さん。 然るに俺は!鈍根愚妹の横道者《わうだうもの》、拔作、鈍太郎のやうに、十二分の因縁ありながら、 徒《いたづ》らに因循し、只一言をも能《え》い言はぬ、王權をも生命をも奸賊の爲に失ひたる現在の父、 國王の爲にすらも。俺は卑怯者か?俺を惡漢と呼ぶのは誰れぢゃ?此#素頭《すかうべ》を打割り、 此髯を毟取《むしりと》って此面上に叩きつけ、此鼻柱を引捩《ひんねじ》って俺を虚言吐《うそつき》、 大虚言吐《おほうそつき》と罵るのは誰れぢゃ?何處の何奴《どいつ》ぢゃ? や!…… 無念千萬!……なれどもその通りぢゃと言はねばならぬ、成程、俺は臆病者で、 虐《しへた》げられても腹を立つだけの意地さへも無いに相違ない。でなくば、夙《とう》に、 彼の人外めの腐肉を以て大空中の鳶の腸《はらわた》を肥した筈ぢゃわ。おのれ、 荒淫無慚の惡漢!殘忍非道、不倫醜褻《ふりんしうせつ》の惡漢めが!…… おのれ、此怨!…… はて、俺は何たる大阿呆ぢゃ!えゝ、立派ぢゃわい、竒特ぢゃわい、現在の父を殺され、 天地共に復讐を責促《せめはた》るに、口先ばかり賣女のやうに氣安めの言句を竝《なら》べ、 只はしたなく詛《のろ》ひ罵る、腐卑女《くされめらう》のやうに。……賤婢《あまつちよ》!…… あさましい!えゝ、あさましいわい!やい、此腦めは活動《はたら》かぬかい!……傳へ聞く、 さる罪惡の覺ある者曾《かつ》て演劇を見物せしが、巧《たくみ》なる筋立の身につまされ、 即座《たちどころ》に舊惡を白状せしとか。げに、人殺の罪に舌はなくとも、いつかは不思議に露《あら》はるゝ。 俳優《やくしや》どんい吩咐《いひつ》けて、叔父王が面前に、父が最期に似通ふたる事を演ぜしめ、 顏色に心を着け、彼れが急所に探を入れう。びくとでもするならば、我取る道は定まる道理ぢゃ。 いつぞや見た亡靈は惡魔かもはかられぬ、惡魔は好もしい姿を粧《よそほ》ふといふ。或は、此日頃、 心氣#頻《しきり》に衰勞して憂愁に沈んでをるゆゑ…………かういふ際《をり》には、 とかく乘ぜられ易いといふ……陷れう底意かも圖《はか》りがたい。確《たしか》な證據がほしいものぢゃ。 王が本心を探る手段《てだて》は……む、演劇こそは其物! 入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第三幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第一場 城内の一室 王、妃、ポローニヤス、オフィリヤ、ローゼンクランツ及びギルデンスターン出る。 王 では、如何に遠廻しに問試むるも、何故、安らかに送らっるゝ身を、しかく故意《わざと》らしう荒狂ひ、 人をも危《あやぶ》ませ、自らをも苦しむるのか、其仔細を申さぬとな? ロー 御自身にも御不例とはおしゃられまするが、何故とも仰せられませぬ。 ギル 探られまいと思召すげに、とかうして御本心を伺はうと致しますると、狂人めいた事を仰せられ、 巧みに紛らしておしまいひなされまする。 妃 兩卿《かた〜゛》への待遇《あしらひ》は何樣《どのやう》でござったぞ? ロー いかにも正しいお行儀ぶり。 ギル しかし、何とやらんおむづかしげなる御景色にも相見えました。 ロー お話は好ませられませぬものゝ、問ひまゐらすれば、十分御返答は遊ばされました。 妃 何ぞ慰樂《なぐさみ》を勸めて見てたもったか? ロー さればでござります、參る途中にて、圖らず或俳優共を追越しましたゆゑ、其儀を申上げましたる所、 どうやらお喜悦《よろこび》の御樣子。彼等は既に參向致し、今夕《こんせき》御前にて、 何か演じまするやう仰付けられましたげにござりまする。 ポロ 其通りにござります。兩陛下《おふたかた》にも上覽あらせらるゝやう願ひくれい、とのお言葉にござります。 王 喜んで覽ようず。彼れの心が遊興事へ向かたとは何よりも喜ばしい。……兩卿《かた〜゛》には此上とも、 其志の鈍らぬやう、傍《かたは》らから介添ひしておくりゃれ。 ロー 畏《かしこま》ってござります。 ローゼンクランツとギルデンスターンと入る。 王 ガーツルードどの、お事も暫し此場を。ふとオフィリヤに逢はすべく、 唯今#是《こゝ》へハムレットを窃《そツ》と招かせておいたによって。ポローニヤスと吾等とは、 法の許す蝶者となって、物蔭に潛み、二人が出會の樣子を窺《うかが》ひ、昨今の煩悶《わづらひ》は、 戀病か、さもないかを其#擧動《そぶり》で判斷しようと存ずる。 妃 御意に從ひませう。……なう、オフィリヤ、 ハムレットの心が狂うたのは和女《そもじ》の標致《きりやう》ゆゑであれかしと念じまする。 すれば和女《そもじ》の優しい氣立が彼《あ》れを正氣にする縁《よすが》ともなり、 二人が面目ともならうゆゑに。 オフ 御意通りであれかしと念じまする。 妃入る。 ポロ オフィリヤよ、和女《そなた》は此#邊《あたり》を歩いてゐやれ。……憚りながら、陛下《ごぜん》、 物蔭に忍びませう。……(又オフィリヤに對ひ)此書《このほん》を讀んでゐやれ、 さういふ行をしてをれば獨りゐても怪《け》しうは見えまい。ともすれば、人間は、かういふ不埒をするものぢゃ。 信心らしい面附《つらつき》と殊勝らしい行體で、惡魔根性に口當りのよい外被《ころも》を掛くる。 それがまた、そこにもこゝにもあるためしぢゃ。 王 (傍を向いて)おゝ、全く其通りぢゃ!今の一言は我良心に鋭き笞《しもと》を加へをるわい! 塗立てゝ美しげに見ゆる賣女の頬が、紅白粉《べにおしろい》に比べて穢いよりも、 我行ひは、我極彩色の言葉を比べて、尚幾段も穢いわい。おゝ、つらやの! ポロ 見えさせられたやうにござる。こちへ入らせられませい。 王とポローニヤスと入る。 ハムレット出る。 ハムレット 世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ。殘忍な運命の矢や石投を只管《ひたすら》堪へ忍んでをるが男子の本意か、 或は海なす艱難を逆《むか》へ撃って、戰うて根を絶つが大丈夫の志か?死は……ねむり……に過ぎぬ。 眠って心の痛が去り、此肉に付纏ふてをる千百の苦《くるしみ》が除かるゝものならば…… それこそ上もなう願はしい大終焉ぢゃが。……死は……ねむり……眠る!あゝ、おそらくは夢を見よう! ……そこには故障《さはり》があるわ。此形骸の煩累《わずらひ》を悉く脱した時に、其醒めぬ眠の中《うち》に、 どのやうな夢を見るやら?それが心懸りぢゃ。憂世の苦厄《くるしみ》を自分《われ》と長びかすも、 畢竟は是が爲ぢゃ。短劍の只一突で易々と此生《このよ》が去らるゝものを、誰がおね〜と忍んでをらうぞ? 世の凌虐や侮辱を、虐主の非道や驕る奴輩《やつばら》の横柄や、成就《かな》はぬ戀の切なさ、 長びく裁判のもどかしさ、官吏《やくにん》らの尊大を、 堪忍すればよいことにして君子、大人《たいじん》をも虐ぐる小人《せうじん》共が無禮などを…… もし死後の危惧《あやぶみ》がなくば……誰が此#厭《いや》な世に、汗を流して呻吟《うめ》きながら、 此樣《かやう》な重荷を忍んでをらうぞ?曾《かつ》て一人の旅人すらも歸って來ぬ國が心元ないによって、 知らぬ火宅に往くよりはと現在の苦を忍ぶのであらう。……ま、其樣に、良心が人を臆病者にならせをる、 また決心の本來色が蒼白い憂慮の爲に白ちゃけ、重大緊要な企圖《くはだて》も、そのために逸《そ》れ、 果ては實行の名を失ふ。……(オフィリヤに目を着けて)しッ、まてよ!うつくしきオフィリヤ! ……(オフィリヤに對ひ)なう、姫神よ、予《わし》が罪の消滅をも祈り添へておいてたもれ。 オフ 御前さま、此中は如何わたらせられまする。 ハム 忝《かたじけな》うござる。健康《たつしや》ぢゃ〜。 オフ 御前、御#記念《かたみ》の賜り物をば、とうからお返し申さうと存じてをりました。お受取下されませ。 ハム いや、わしは知らぬ、予《わし》は何も與《や》った覺えは無い。 オフ いゝえ、御前さま、いたゞいたを能《よ》う覺えてをりまする。 いみじいお言葉を添ふたりゃこそ忝《かたじけな》う存じましたが、其香が失せましたからは、お納め遊ばせ。 氣位の高い者は、どんな貴い賜《たまもの》も、眞情《まごころ》が添ふてゐねばあさましう存じまする。 さ、どうぞ。 ハム はゝゝゝ!和女《そもじ》は貞女か? オフ え? ハム 美人かよ? オフ なぜ其樣なことをおっしゃります? ハム はて、貞女でそして美人ならば、貞女と美人は親しうさせぬがよいといふことぢゃ。 オフ 貞女と美人となら、好《よい》朋輩ではござりませぬか? ハム けもないこと。なぜと言やれ、操を墮落さする美の力を引上ぐる操の力の幾層倍ぢゃ。 それが不合理と思はれた頃もあったが、今はそれが尋常《あたりまへ》ぢゃ。 以前は和女《そなた》を可憐《いとし》いと思ふてゐた。 オフ 眞實、妾《わたし》も其やうに存じてをりました。 ハム さう思ふてゐやったら、大間違ぢゃ。徳はどう接木《つぎゝ》して見ても惡しい臺木の元の氣は脱けぬ。 可憐《いとし》う思ふてはをらなんだ。 オフ では大きな思違へをしてをりました。 ハム こりゃ寺へ往きゃ、寺へ。何の爲に罪業者《つみつくり》共を鞠育《やしなひそだ》てようとは爲《し》やるぞ? 予《わし》などは、隨分正直な生得《うまれつき》ぢゃが、母御が生んでくれらなんだらと怨めしう思ふ程に、 高慢で、執念深うて、野心が激しうて、自身で許しさへすれば、夥《おびたゞ》しう惡事をもしかねぬ。 たゝそれを調整《とゝの》へる思案とそれを像《かた》附くる想像とそれを行ふ時と場合とが無いばかりぢゃ。 天地の間に匍匐《はひまは》る俺のやうなものが何事をか能《えい》せうぞい。 人は悉く怖しい惡漢《わるもの》ぢゃ。誰れをも頼《たより》に爲《し》やるな。 尼寺へお往きゃれ。……父御《てゝご》は何處にぢゃ? オフ 宿にをりまする。 ハム よう閉込んでおいたがよい、我家でもない所で、えせ猿がうをお爲《し》たらぬために。さらば。 オフ (傍を向いて)おゝ、神々さま、どうぞ王子《みこ》をお救ひなされて! ハム (行きかけて又戻り)もし嫁入を爲《し》やるなら、祝儀物《いはひもの》の代りに、 此#呪詛《のろひ》をくれてやらう。……假令《たとひ》和女《そち》が、氷のやうに清淨であらうと、 雪のやうに潔白であらうと、世の惡口はまぬかれぬぞよ。……寺へ往け、寺へ。さらばぢゃ。 ……(行きかけて又戻り)又は如何《どう》あっても嫁入をするならば、阿呆の妻になれ。聰明な男は、 汝逹《そちたち》が彼等を如何な怪物《ばけもの》にならするかを能《よ》う知ってをるによって。 寺へ、さ、片時《へんし》も早う、さらばぢゃ。 オフ (傍を向いて)おゝ、神々さま、どうぞ正氣にお戻しなされて。 ハム (又戻って來て)そちたちが紅白粉《べにおしろい》で塗りこくって、神の下されたのの他に、 面《つら》を作るといふことも、よう聞いて知ってをる。跳《をど》る、品をする、甘たれる、 神の作物に渾名《あだな》を附ける、淫蕩《ふしだら》をも無智ゆゑなぞと言拔ける。 もう〜堪忍がならぬわ、俺はそのために氣が狂うた。結婚はもうさせぬぞ。既に結婚した者は、 只一人の外は、そのまゝにさせておかう、他の者は今のまゝで一生を送るがよい。さ、寺へ。 ハムレット入る。 オフ おゝ、こよなう高尚《けだか》いお心もあのやうに亂れ果てゝしまうたか! 殿上人の眼附《まみつき》に博士の辯舌、武士《ものゝふ》の武噐業《うちものわざ》、國の花よ、 末々の力よと皆人に頼《たのま》れなされて、 風流《みやび》の鑑《かゞみ》とも躾の型とも崇《あが》められていらせられたに、 もう〜無效《だめ》ぢゃ、もう無效《だめ》ぢゃ!生中天《なまなかてん》の樂のやうな御誓言の蜜を吸ふたゆゑ、 世の中の女子《をなご》中で最《いつち》あじきない身となったわ!盛りの花のお姿も狂亂の嵐に萎《しほ》れ、 高尚《けだか》いお心も、調子外れに荒々しう振合せた鈴の樣に、ゆかしかった音色の名殘も無い。 おゝ、何たる因果ぢゃ、以前に見た目で今を見るとは! 王とポローニヤスと出る。 王 戀ぢゃ?いや〜、戀ではないわい。只今彼れが言うたことは、聊《いささ》か條理《ことわり》を缺いてをれど、 狂人のやうでもない。何か心中に鬱々と孚《はごく》み育つるものがあるわい、 若しそれが孵ったなら容易ならぬこおとが出來よう。それを豫《あらかじ》め禁《とゞ》むるため、 只今#咄嗟《さそく》の思立《おもひたち》、多年怠ったる貢物催促のため、彼れをイギリスへ遣《つかは》すべし、 異なる國の山水、風物、見るもの、聞くものが珍しければ、 我歟《われか》を忘れ果つるまでに蟠《わだかま》った惱《なやみ》も解けん。 御身の意見は? ポロ 一段の儀にござりませう。併《しか》しお病患《わずらひ》の原因《ことのもと》は、 やはり叶はなんだ戀ゆゑぢゃと存じまする。……どうぢゃ、オフィリヤ!あゝ、いや、 王子《みこ》仰せのことは申すに及ばぬ、殘らず聞いたわ。……御意の通りに遊ばされませう。 したが、御異議なくば、演劇の果《はて》ましたる後、御母妃、王子《みこ》とお差對《さしむかひ》にて、 御病患《わずらひ》の仔細立入ってお訊問《たづね》あったらば、如何《いかゞ》にござりませう? 御意により、手前そと傍聞《かたへぎゝ》仕《つかまつ》りませう。お妃の力にも及びませずば、其折、 イギリスへなり、また御賢慮のまに〜、幽閉所《おしこめどころ》へなり、 お移しあらせられて然るべう存じまする。 王 そのやうにはからはう。位高き者の亂心は打棄てゝはおかれぬわい。 皆入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第三幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第二場 城内の一室 ハムレット先きに俳優等出る。 ハム 白《せりふ》は、予が物したやうに、輕うすら〜と言廻して貰ひたい。例のわざとらしい白《せりふ》廻しを聽く程なら、 町の呼報者《あるき》に吩咐《いひつ》けて叫《わめ》かせたはうが優《まし》ぢゃわ。 また手でもて此やうに空を切るまい。總別しとやかに物したがよい。畢竟、情が高ぶって、早瀬、暴風《あらし》、 乃至#旋風《つむじょかぜ》のやうに狂ひ亂るゝ最中ぢゃとて、必ず程といふことを學んで、 ふくらみを失はぬやうにするが肝腎ぢゃ。おゝ!予は彼の荒事師どもが、 たわいもない默劇《みぶりしばゐ》や空騷の外は能《よ》う賞翫《しようくわん》せぬ土間連の氣を取らうとて、 荒廻り叫立《わめきた》つるを觀るたびに、何とも堪忍がなりかぬる。暴風神《ターマガント》を演過《しすご》したり、 暴君《ヘロツド》を演過《しす》したりするを見ては、打懲《うちこら》してもやりたいと思ふわい。 あのやうなことは止めてくれい。 俳優長 畏《かしこま》りましてござります。 ハム ぢゃというて穩柔《やはらか》過ぎてもならぬぞ。そこはめい〜心を師として、科介《しぐさ》に白《せりふ》を合はせ、 白《せりふ》に科介《しぐさ》を合はせたがよい。とりわけ大切なは、自然の程合を過さぬことぢゃ。 そも〜演劇《しばゐ》は、今も昔も、いはゞ造化に鏡を捧げて、正邪美醜の姿容《すがたかたち》や當國《そのくに》、 當世《そのよ》の有りのまゝを寫して見する筈のものぢゃによって、度を過しては本意に外るゝ。 尤も、過不及《くわふぎう》とも、初心の觀者《けんぶつ》は興じもしようが、 數千人の客よりも只其一人にこそと日頃思ふてゐねばならぬ筈の、其見巧者にはあさましう思はれうぞ。 然るに、ともすると、人間の役を演じながら、殆《ほとん》ど基督教を信ずる人間の聲、 擧動《こなし》とは思はれぬ程に、いや、異教徒もしくはトルコ人とすらも思はれぬ程に、只もう荒狂ひ、叫《わめ》き立てゝ、 恐らく是は造化翁の傭手《てつだひ》めが下手々々と作りをった人間でもあらうかと思はするやうな俳優《やくしや》もある、 それをまた方量もなう襃立つる輩もあったわ。 俳優長 その邊は隨分と改めました心得にござります。 ハム はて、悉く改めたがよい。次に、道外《だうけ》方には定めの文句の外は言はすまいぞ。ともすると、 本筋の邪魔となるをば思はで、無智の見物を笑はせうために、我れから馬鹿笑ひをする輩もある。 わるい癖ぢゃ。かやうなことを名聞とする道外《だうけ》方は笑止千萬ぢゃわい。さゝ、支度させい。 俳優長《ざがしら》入る。 ポローニヤス先に、ローゼンクランツとギルデンスターンと出る。 どうでござったの?王は劇《しばゐ》を觀させられうかの? ポロ お妃も御一しょにて直《すぐ》さま成らせられまする。 ハム 俳優共を急がせてくりゃれ。 ポローニヤス入る。 お身たちも手傳ふて催促してくれまいか? ロー、ギル 心得ました。 ローゼンクランツとギルデンスターンと入る。 ハム おうい!ホレーショー! ホレーショー出る。 ホレ お前に。御用でござりますか? ハム ホレーショー、おぬしこそは予《わし》が交際《まじら》うた人の中の眞《まこと》の君子人ぢゃ。 ホレ はて、是はまた…… ハム あゝ、いや、追從とば思ふまい。高潔な魂の外には、何一つ衣食の料となる收入《みいり》もないおぬしから、 何で予《わし》が推擧《ひきたて》を望まうぞ。貧者は追從をされぬものぢゃ。 蝶番の自在な膝は諂《へつら》うて利のある處で曲げ、砂糖漬けの舌では高ぶり驕る愚人共を舐めたがよい。 こりゃ、予《わし》の此心が物を選分くる主となって、人の性《さが》を能《え》い見別くるやうになってからは、 おぬしに無上といふ印を捺した。何故にと言やれ、おぬしは運命の賞をも罰をも一樣に甘んじ受け、 如何な事に出會ふても動ずる色が無い。あゝ、彼《かの》(運命の)神に弄ばれて、心にも無い音を出す笛のやうでは無く、 血氣と分別とを等分に備へてゐる手合こそは仕合せものぢゃ。情の奴《やつこ》とならぬ男を予《わし》にくれい、 此胸の中央《まんなか》に、底の底に、おぬしと同じに安置して、守本尊ともするわい。…… つい餘計なことを言うた。……今宵、王の前で、演劇を催す筈、其中の一場面は、我父の最期の樣によう似てをる。 幕が開いたら、魂を凝《こら》し、叔父者の樣子を窺ふてたもれ、 若し彼れの隱匿が或#一白《ひとぜりふ》にだに現はれずば、いつぞやの亡靈は惡魔ぢゃ、 そして吾々の想像はヴァルカンの鐡砧《かなしき》のやうにむさいのぢゃ。 よう氣を着けて見てたもれ、予《わし》も彼れが面《おもて》を見つめ、後にて互ひに語りあうて、其上で判斷しよう。 ホレ 心得ました。演劇中にそっとでも目を盜まれましたら、其#賠償《つぐなひ》は私がいあたしまする。 ハム はや觀覽《けんぶつ》に參った樣子ぢゃ。予《わし》は氣が狂うてゐねばならぬ。な、おぬしも何處ぞで。 デンマークの進行曲《マーチ》を奏する。喇叭の聲の中《うち》に王、妃を先に、ポローニヤス、オフィリヤ、 ローゼンクランツ、ギルデンスターン及び他の廷臣ら、炬火《たいまつ》を携へたる衞兵など出る。 王 ハムレットよ、如何《どう》お過しぢゃな? ハム 全く、いみじい物づくめで。三度とも七色蜥蜴《カミリオン》めの好きな物。空約束といふ空氣ばっかり食ふてをまし。 鷄は斯《か》うしては飼はれませぬぞ。 王 何をお言やるやら、それは予《わし》への言葉にはならぬ。 ハム はて、もう俺の言葉でもない。……(ポローニヤスに對ひて)卿よ、おぬしは、むかし、 大學で演劇を演たとかお言やったなう。 ポロ 御意の通り。しかも上手ぢゃといふ評判でござりました。 ハム して如何《どん》な役を演じたのぢゃ? ポロ ヂュリヤス・シーザーを演じまして、神殿《カピトル》で殺されました。ブルータスが殺しをりました。 ハム 何ぢゃ、噛取る?人の命を噛取るとは、さて〜虎のやうな奴ぢゃの。……俳優共の準備《ようい》はよいか? ロー はい。御意を相待ちをりまする。 妃 ハムレットや、こゝへ來や、わしの傍へおすわり。 ハム いゝや、母上、こッちに引力の強い金屬《かね》があります。 とオフィリヤの傍へ寄る。 ポロ (王に對ひて)おほう!あれを御覽じませい。 ハム 姫《ひい》さん、暫く御裳を借りませうぞ。 といひつゝオフィリヤの裳裾に近く横になる。 オフ あ、もし、…… ハム はて、裳の裾へちょっと頭を載せるばかりぢゃ。 オフ はい、どうぞ。 ハム みだらな事でもすると思ふて? オフ いえ、あの、何とも……。 ハム はて、美人の脚間に枕などゝは善い思附ぢゃわい。 オフ え、何と御意遊ばす? ハム なにさ。 オフ いかう浮かれてお出で遊ばす。 ハム だれが、予《わし》が? オフ 御意。 ハム おゝ!わしは徒《ほん》の戲歌《ざれうた》作者ぢゃ。かういふ折に浮かれいで何としようぞ? あれ御覽ぜ、母上の嬉しさうな顏附、父上がなうなってから、恰《ちよう》ど二時間ぢゃ。 オフ いゝえ、二月の、もう二倍にもなりまする。 ハム え、そんなになる?なりゃ黒《ブラツク》は鬼に被せたがよい。俺ャ貂皮《セーブル》でも 被てくれよう。あゝ〜!二月も前にお死にゃったのに、まだ世間から忘られもせぬ? すれば、權門豪族《えらいひと》の名は半年位は死んでからも持つと見ゆるなう。 したが、寺でも建てんければ、所詮は彼《あ》のホニホロ馬のやうにならう。彼奴の碑文は斯《か》うぢゃ 「見やれ、お見やれホニホロ馬も、いつか忘られ、棄てられた!」 木笛《オーボエ》を吹く。默劇《みぶりしばゐ》の俳優出る。 王に扮したる者と、妃に扮したる者と、いかにも睦じげに擁抱《いだ》きあひつゝ入來る。 妃は膝まづいて何事か王に對ひて主張する介《こなし》。 王は妃を扶け起して其#頭《かしら》におのが頭《かうべ》をもたせかくる、 やがて草花の咲亂れたる堤に身を横たへる。妃は王の眠れるを見て出行く。 すると、一人の男入來りて王の王冠を奪ひて之に接吻し、王の耳へ毒液を注入《そゝぎい》れて入る。 妃歸來り、王の死せるを見附けて悲歎の科介《こなし》をする。 以前の毒殺者は二三の默優《したまはり》を伴《つ》れて又入來り、妃と共に悲む爲《まね》をする。 死骸を荷《にな》ひ去る。毒殺者は何か贈物をなして妃を説《くど》く、 しばらくは否み嫌ふ介《ふり》をしたる妃、竟《つひ》に其心に從ひ、共に睦しげに抱擁《いだきあ》うて入る。 オフ あれは何でござります? ハム はァて、あれは隱匿……惡だくみといふことぢゃ。 オフ 今の默伎《みぶり》が劇《しばゐ》の筋でござりますか? ハム 此奴で一切が解らうわい。俳優は祕《かく》してをることの出來ぬものぢゃ、何もかも口外《しやべ》ってしまふ。 オフ 今の默伎《みぶり》の解明《ときあか》しをいたしますかえ? ハム うん、如何《どん》な擧動《みぶり》の解明《ときあか》しをもする。見するを恥かしうさへ思やらねば、 如何《どん》な事でも恥かしうは思はいで解明すわ。 オフ またそんないやなことを。どれ、劇《しばゐ》を見てゐませう。 序詞役 吾等が爲、まった吾等が悲劇の爲に、 茲《こゝ》に寛仁なる方々の御前《みまえ》に屈《こゞ》みて、 御心長う御覽ぜられ候へかしと願ふ。 入る。 ハム 序詞か、指輪の銘か? オフ ほんに短うござりますな。 ハム 女の戀のやうに。 王と妃とに扮したる二人の俳優出る。 劇の王 いかに后《きさき》、御身と予《われ》とが、互ひに深う相思ふて、ハイメン神の許《ゆるし》を受け、 妹背の契を結びてより、太陽《ひ》の太神《おんがみ》の御車は、ネプチューン神の汐路をも、 テラス神の圓陸《まろくが》をも、三十度《みそたび》までこそ廻行《めぐ》りたれ、 又三十返り十二の月は、借れる光の燦然《けざや》かにも、十二返り、三十度まで、 此#現世《うつしよ》をぞ照《てら》いたる。 劇の妃 さばかり長き旅路を、日も月も又こそ辿り候ふべけれ、吾等の戀の果てんまでには。 さもあれ、うれたきは此頃の御#衰弱《おとろへ》なり、安き心も候はぬぞとよ。安き心はあらずとも、 御心にな掛けたまひそ。愛と憂《うれひ》との均しきは女子《をうなご》心の常なり、或時は共に無く、 或時は限際《きはみ》無し。君ぞ知る妾《わらは》が愛情《まごころ》、其#愛情《まごころ》の深ければ、 唯いさゝめの疑ひも惧《おそ》れと成り、さゝやかなる惧《おそ》れもいや増しに募るぞ戀の習ひなる。 劇の王 いやとよ、我妹子《わぎもこ》よ、我身力衰へぬれば、遠からずして訣《わか》れつべきなり。 尊まれ、愛《いとほし》まれて、御身は世に存《ながら》へたまへ。また頼もしき人をも見立てゝ、後の夫とも…… 劇の妃 な宣給《のたま》ひそよ餘れる語《ことば》を。さる心こそは二心《ふたごころ》ぞ。 又の夫こそは禍《わざはひ》なれや!始《はじめ》の夫を殺す程の女子《をなご》ならでは後の夫には見えまじきを。 ハム (傍を向きて)苦いぞ〜! 劇の妃 又の婚姻を思ふ心は、戀情《なさけ》にはあらず利慾とこそ。後の夫に掻抱かれ候はん日は、 先の夫を改めて殺し候ふ日よ。 劇の王 其御言葉の、御心と一つなるを信ずれども、人は心にしかと思ひ定めたることをも破りさふらふ。 志望《こゝろざし》は記憶の奴隸《やつこ》にして、生るゝ勢ひは猛なれども、生長《おひた》つことは覺束なし。 熟《う》まぬ程こそあれ、秋來れば熟果《このみ》の如く、振《ふる》はざれども[手|票;#2-13-45]落《へうらく》す。 我心の負債《おひめ》は拂ふを忘るゝこと必然なり。哀しきにつけ、樂しきにつけ、情の思立たせつる事は、 情盡きては力を失ふ。喜び極まる所に悲み極まり、悲喜立地《たちどころ》に顛倒す。 人生は無常なり、切なる愛と雖《いへど》も利運と共に消長す、何の不思議かあらん。 愛と利との先後《せんこう》は如何《いかに》?豪家も倒るゝときは、寵人も走りて避け、貧者も世に出づれば、 敵《かたき》も身方《みかた》となる。利は先にして愛は後なり。富むとこは友に事缺かねど、 事缺きて友を求めば、友も即《やが》て敵《かたき》とならん。さもあれ、立戻って、正しう申さんずるが、 志《こゝろ》と運命とは背き易く、人の計画《はかりごと》は常に破る、思念《おもひ》は我有《わがもの》なれども、 事は我有《わがもの》ならず。今こそは又の夫に見えまじとも宣給《のたま》へ、 予《われ》死なば御心の動かんずらん。 劇の妃 予《われ》、君に別れて、再び人妻となりもせば、地は食を與へず、天は光明《ひかり》を賜ずもあれや! 晝夜《ひるよる》の慰安《なぐさめ》も知らで、頼みも望みも盡きよ! 獄舎《ひとや》なる苦行者と憂日《うきひ》を送りて、喜の色を奪ふあらゆる不幸は、 ありとある我#吉事《よごと》を滅せかし!此世にも、後の世にも、禍災《わざはひ》の身に纒《まと》へとこそ! ハム あれを破ったなら! 劇の王 深くも誓はせられ候ふよ。我妹子《わぎもこ》よ、暫《しば》し彼方へ。いたう疲れぬれば、假寢して紛らし候はんず。 眠る。 劇の妃 御眠に御心を休められ候へ。あはれ、災禍《まがつみ》よ、ゆめ我等が身の上には來らずあれ。 入る。 ハム 母上、お氣にめしましたか? 妃 妃がちと言過はすまいかと思ひます。 ハム いや、言うたことは守りませう。 王 此筋立をばお知りゃってか?何も不都合な事はあるまいの? ハム 何の〜、ちッとも。ほんの戲《たはぶ》れぢゃ、戲《たはぶ》れに毒害するのぢゃ。 王 何といふ表題《けだい》ぢゃな? ハム 鼠おとし。はて、如何《どう》して?比喩《たとへ》ぢゃ。ヴィエンナであった弑逆を仕組んだので、 大公はゴンサゴー、妃《みだい》はバプチスタと言うて、やがて解らせられうが、 怖しい奸計《わるだくみ》の話ぢゃ、が、かまうたことはない。陛下にせい、誰れにせい、 心の潔白な者には不相關《かけかまひのな》いこと。脚《すね》に傷有《も》つ馬こそ跳ぬれ、 こちの脊骨《せぼね》は…… 惡漢《わるもの》ルーシエーナスに扮したる俳優出る。 あれは王の甥のルーシエーナスといふ奴ぢゃ。 オフ 筋語役のやうに、何事も善う御存じでござりますなァ。 ハム おゝさ、ぢゃらついてゐる操人形《あやつり》さへお見せやらば、汝《おこと》と情人《よいひと》との胸の中をも、 見事#解中《ときあ》てゝ見せうぞ。 オフ ほんに、まァ、鋭いお口。 ハム 此鋭さを鈍らせようとしたら、大唸《おほうめ》きに唸《うめ》かずばなるまい。 オフ ま、善うも又惡うも。 ハム さういうて夫を迎へにゃならぬわ。……やい、殺人者《ひとごろし》、はじめい、百癩、其醜い面《つら》を止て、 早う始めい。さゝ、怨を晴らせ、と大鴉《おほがらす》の、啼く聲も皺枯るゝ。 ルシ 心は黒く夜も黒し、藥も利きて手も冴えたり。折もよしや人も無し。汝眞夜中の暗《やみ》に摘みて、 三たび魔王《ヘケート》の呪詛《のろひ》に萎《しほ》れ、三たび毒氣に染みぬる草の臭き液《しる》よ、 汝が怖しき天然の魔力を以て、すぐにも健かなる命を奪へ。 と毒液を眠れる王の耳に注ぐ。 ハム 彼奴《あやつ》は王位を奪はうために園内で王を毒害しをる。王はゴンザゴーというて、眞實有った話ぢゃ、 巧妙《たくみ》なイタリー語で綴ってある。やがて彼#殺人者《ころしたやつ》めが妃を騙《たら》して手に入れをる。 オフ あれ、王がお起ち遊ばす! ハム 何ぢゃ。僞《うそ》の火を怖しう思ふてか! 妃 何となされたぞ? ポロ 劇《しばゐ》を止めい、劇《しばゐ》を! 王 燭火《あかし》を持て。……あちへ〜。 皆々 御#燭火《あかし》、々々々、々々々! ハムレットとホレーショーの外皆々入る。 ハム 傷を負ふたる鹿は泣くとも 脚《すね》に傷無き牡鹿《かせぎ》は遊ぶ。 眠《ね》るもあり、眠《ね》られぬも あらさま〜゛の浮世や。 何と、これで一束の羽飾とプロヴァンスの薔薇の二箇も着けたなら…… 俺の運命が如何《どう》變らうと……俳優《やくしや》共の仲間に入って、何と株持になられうがの? ホレ いかにも、半株程は。 ハム 何の、全《まる》一株ぢゃよ。 知らずや御身デーモンどの、 チョーヴの神の高御座《たかみくら》も、あさましや、今は主をかへて、 羽ばたくは、嗚々《をゝ》、嗚呼《をこ》の……孔雀。 ホレ 韵《ゐん》をお合せになつたはうがよろしいのに。 ハム なう、ホレーショー、予は亡靈の言うたことを十千萬兩にも買はうぞ。お見やったか? ホレ はい、たしかに。 ハム 毒害しようと言うた時に? ホレ 正しく見屆けました。 ハム えゝ、何と!さゝ、音樂ぢゃ〜!さゝ、笛を持て、笛を!…… 殿さま狂言お嫌ひならば、 はて、さもうさうず、……お嫌ひあるも有理《ことわり》。 さァ〜、音樂々々! ローゼンクランツとギルデンスターンと又出る。 ギル 憚りながら、一言申上げたい儀がござりまする。 ハム はて、千萬言でも聽かうわい。 ギル えゝ、陛下《かみ》におかせられましては…… ハム うん、陛下《かみ》が何となされた? ギル お奧に渡らせられまして後、きつう御不快の御氣色にあらせられまする。 ハム 御酒が過ぎたか? ギル いや、御腦氣ゆゑにござります。 ハム はて、それならば、侍醫にさうお通じなされるが當然の計《はから》ひであっつらうに。 予等《われら》などが生中《なまなか》の配劑を試ようものなら、一段と御腦氣が募らうわい。 ギル 恐れながら、さやうな埒も無いこおとを仰せられませいで、當面《さしあた》る公用《ごようむき》をお聽き下されませう。 ハム では柔順《おとなし》うする。いうた〜。 ギル 御母君の於《おか》せられましては、殊の外御心痛の遊ばされ、我々兩人をお遣しにござります。 ハム ようこそ御#入來《じゆらい》。 ギル これはいかなこと!いや、なに、まったうな御返辭を賜はりませうならば、御母君の御諚をば申聞えませうが、 さなくば、もう斯うお暇《いとま》を賜はりまする。 ハム そりゃ出來ぬわ。 ギル え、何と仰せられまする? ハム まったうな返辭をせいといふ、予が心は健全《まつたう》でないから出來ぬわい。 予に出來る返辭ならば、お身がたの命《めい》のまゝぢゃ、いや、母上の命《めい》のまゝぢゃによって、 そな事は止にして、肝腎の用を言やれ。さて母君が…… ロー 御母君御諚には、今夕《こんせき》の御擧動には、殊の外御驚愕遊ばされましたとの事にござります。 ハム 何ぢゃ、現在の母親を驚愕させた?はれ、驚嘆すべき倅《せがれ》ぢゃの! 只それきりか、驚愕の後段は無しか? ロー つきましては、御寢なりまする前に、密々御居間にて御對談あらせられうとの御意にござります。 ハム 心得た。母上が十層倍母上であつた程にも命《おほせ》に從はうというてたもれ。 まだ何ぞ用事があるか? ロー 御前、以前は小官《それがし》をば御心友ともおぼしめされたと存じまする。 ハム 今とてもぢゃ、此#雙手《ふらちもの》掛けて。 ロー ならば承りまする、なぜ御鬱懷にわたらせられます?心友と仰せられながらお包みあるは、 御自ら世を狹う遊ばさるゝのでござる。 ハム 實は、出世が出來ぬからぢゃ。 ロー これはまた異なお言葉。王《かみ》お納得にて御世子にわたらせらるゝではござりませぬか? ハム それはさうぢゃが、草が長《の》びる中《うち》に……いや、此諺も最早《もう》陳腐《ふる》いわい。 俳優共笛を携へて出る。 おゝ、笛か!こゝへ持て。……こッちへ來てくりゃれ。(とギルデンスターンを傍へ伴《つ》れゆき) 何で御身は予が風上へ廻るのぢゃ、係蹄《わな》に掛けうとでもするやうに? ギル めっさうな!萬一にも慮外の御奉公にござりましたなら、御前を思ひ過しましたる不躾にござります。 ハム 何の事やら能《よ》う解せぬわ。これをお吹きゃるまいか? ギル 小官《それがし》には吹けませぬ。 ハム どうぞ吹いてたもれ。 ギル 迚《とて》も手前には吹けませぬ。 ハム 頼むと申すに。 ギル でも一向に吹きかたをば存じませねば。 ハム 虚言《うそ》を吐《つ》くよりは容易《たやす》い位ぢゃ。母指と他の指とで、それ、 斯《か》う此穴どもを壓《おさ》へて、息を斯《か》う吹込めば、おのづから善い音色を自由自在に發するわい。 それ、これが歌口ぢゃ。 ギル でもござりませうが、それを善い音色の出るやうに扱ふことが出來ませぬ。手心を心得ませねば。 ハム はて、これは如何《どう》ぢゃ?すればおぬしは予をば一管の笛にも劣る癡者《しれもの》と思ふたのぢゃな! いや、現に予を弄ばうとお爲《し》やったわ。予が歌口を調べ、予が心の奧祕をもあなぐり、 ありとあらゆる予が本音をば吐せうとお爲《し》やったではないか?此小《さゝや》かな一管にも、 見ん事、いみじい音樂がある、それをおぬしは能《え》い鳴らさぬといふ。 すれば予をば笛よりも弄び易いものと思やったのか?こりゃ、予を樂噐扱ひにするのは隨意《まゝ》ぢゃが、 其手際では、所詮好い音色は出まいぞや。…… ポローニヤス出る。 や、機嫌やうて! ポロ 申上げまする、お妃の御意にござります、すぐさま御對顏あらせられませい。 ハム あゝ、あの雲をお見やれ、どうやら駱駝のやうではないか? ポロ はて、いかさま、駱駝のやうに相見えまするわい。 ハム どうやら鼬《いたち》のやうに見ゆるわい。 ポロ 脊附《せつき》が鼬のやうにも見えまする。 ハム いや、鯨のやうではないか? ポロ いかさま、鯨のやうにも見えまする。 ハム では、わがて奧へ往かうわ。(傍を向きて)堪忍ならぬほどに阿呆扱ひにしをる。……すぐ參るというてたもれ。 ポロ さやう申上ぐるでござりませう。 ポローニヤス入る。 ハム 口ですぐと言ふのは容易《やす》い。……かた〜゛も退《さが》ってよからう。 ローゼンクランツ、ギルデンスターン等入る。ハムレット一人殘る。 今こそ夜の丑三つ時、墓は口を開き、地獄よりは毒氣を送る。今ならば熱血をも能《え》い飮まう、 晝が見ば戰《おのの》く業《わざ》をも今ならば能《え》い爲《し》ようぞ。まて、しばし! 先づ母上に。……おゝ、心よ、ゆめ〜本性を失ふなよ。ニーローが魂をば決して此胸に入らすなよ。 殘忍の子とはなるとも不幸の子とはなるまじいぞ。舌を劍《つるぎ》とするとも、 手には劍《つるぎ》を取るまじいぞ、言行表裏といはれようとも。言葉では如何に罵らうと、 ゆめ〜手形をば押すまいぞよ。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第三幕 第三場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第三場 城内の一室 王先にローゼンクランツとギルデンスターンと出る。 王 心に叶はぬばかりではない、あのやうな狂人を打棄ておくは、吾々の身の不安なれば、 御身等に伴はせ、直《すぐ》にもイギリスへ遣《つかは》さうと存ずる。 急ぎ國書を認《したゝ》めう程に、出立の準備《ようい》を爲《し》やれ。 刻々に募りゆく彼れが狂態、國の爲なれば是非に及ばぬ。 ギル 支度#仕《つかまつ》るでござりませぬ。大君を命の綱と頼み奉る國民の安危を思はせらるゝは、 有りがたくも又尊い御配慮にござりまする。 ロー 匹夫さへも禍危《わざはひ》を避けうためには智慧の限りを盡しまする。 まいてや億兆の生死《しやうじ》に係はる上《かみ》御一人の御身の上。王は單獨《ひとり》にては亡びず、 譬《たと》へば大渦の卷くが如く、あたりの一切が引入れられて諸共に亡ぶと申す。 若しくは山上の大車輪の如く、自然崩れ落つることもござらば、其#巨《おほ》いなる輻の一々に、 嵌め添へた限の無數の小噐《こもの》は、悉く破滅をまぬかれませぬ。 大君の御#歎息《といき》は、取りも直さず、國民の呻吟《うめきごゑ》とござりまする。 王 此上は、何卒《なにとぞ》出帆を急いでおくりゃれ。放し飼の狂犬をば、早う鎖に繋ぎたいわい。 ロー、ギル 取急ぎまするでござりませう。 ローゼンクランツとギルデンスターンと入る。 ポローニヤス出る。 ポロ 申上げます、王子《みこ》には御母君の御居間へ入らせられまする。小官《それがし》お帳の蔭に潛み、 始終を窺《うかが》ひ奉りませう。一定お妃には嚴しう御意見のあらせられませう。最前も御意ありし通り、 何が、骨肉の御中とて、御贔屓もありがちなれば、 何人か便宜《びんぎ》に傍聽《かたへぎゝ》仕《つかまつ》らんこと至極の御意見と存じまする。 ご機嫌よういらせられませい。何《いづ》れ、御寢前に、伺候いたし、委曲を申上げませう。 王 かたじけない。 ポローニヤス入る。 おゝ、穢き我罪の此臭みは大空へも逹《とゞ》かうわい!此世界《このよ》開けて最先の大逆罪……兄殺し! えゝ、情《なさけ》なや、祈ることが出來ぬわ。祈りたい思ふ心は心底より起れども、罪の深さを思ふときは、 其覺悟も破れ、一時に二事行はんとする輩のやうに、あちこちと迷ふて、何《いづ》れをも能《よ》う果さぬ。 ……よし此呪はれたる手に、兄の血が凝着いて二倍の太さとなってをらうと、天#憐愍《れんみん》の雨をさば、 雪よりも淨《きよ》うなりさうなもの!罪人の身に照臨なくば、大慈悲も何の役に立つぞ? 祈るときは墮落をまぬかる、また墮落しても救ひを得るとか。此二つの功徳がなければ、祈祷の效《かひ》は無い。 さうぢゃ、此上は神に縋《すが》らう。俺の科《とが》は過去の事ぢゃ。……が何というて祈ったものであらう? 非道の毒害をゆるさせられませ?いやいや、これではならぬわ。 殺して取った王位、王冠、王妃をば其儘《そのまま》にしておいて、罪だけを免《ゆる》さるゝことが出來ようかい? 此#亂離《らんり》の現世では、罪を犯した手と雖《いへど》も、黄金で鍍金《めつき》すれば、 正義公道をも曲げ、ともすると、非道に得た財貨《たから》の力で、國の掟をも買取る。 なれども天上の法庭《しらす》では、何事も見透し、毛頭もいつはることは出來ぬ。此上は何としよう? 懺悔には如何な罪をも滅すといふ。いで〜懺悔の誠を以て……とはいふものゝ、眞《まこと》の懺悔の出來ぬときは? ……おゝ、あさましや〜!死の闇にも似た我此胸!改心せんと思へども、黐《もち》に取られた小鳥のやうに、 もがけばもがくほど罪障の元の絆に引戻さるゝ心の苦しさ!助けたまへ、神々!試みい。 こゞみをれ、頑固《かたいぢ》な此膝め、やい、鋼鐡《はがね》のやうな此心め、 赤兒の筋のやうに柔軟《やはらか》になりをれやい!諸願成就々々々々。 王#一隅《かたすみ》に退《さが》りて、膝まづきて祈る。 ハムレット出る。 ハム 今こそ遂げう、恰《ちよう》どよい、祈の最中。(と劍を拔きて)いで、怨《うらみ》を。 ……すると、彼奴は天へ往き、俺の怨《うらみ》が晴れる。こりゃ思案ものぢゃ。惡漢あって父を殺す、 其子其#報《むくい》に件《くだん》の惡漢を天へ送る、天へ。……おゝ、それでは傭はれ仕事ぢゃ、 復讐《あだうち》にはならぬ。父上が彼奴の爲に、御最期をなされた折は、 塵慾《じんよく》尚#胸宇《きようう》に漲《みなぎ》り、罪障は彌生《やよひ》の百花と咲誇ってゐたであらう。 人事を推して他世《あのよ》の捌《さばき》を想像《おもひや》れば、嘸《さぞ》かし咎めが重からう。 それに何ぢゃ?今彼奴《あいつめ》は後世《ごせ》を祈る最中ぢゃ、今殺さば極樂へも往きをらう、 こりゃ返報《しかへし》の法でないわ。……さうぢゃ、今は討つべき時でない。 醉臥すか、邪淫に耽るか、乃至#嗔恚《しんに》、毒舌、遊戲、何にてもあれ、 御救《みすくひ》の道無き程に魂の汚れたる機《おり》を俟《ま》って横さまに薙倒さば、 彼奴が踵は天を蹴って黒闇地獄へ眞逆樣、永劫の苛責を受けう。……母上のお待兼。 ……暫《しば》し命を延し置くは、只其病ひを長めようためぢゃぞ。 ハムレット入る。 王 語《ことば》は空へ上っても、心めが地を離れぬ。心にはぐれた語《ことば》は天へは逹《とゞ》かぬ。 王入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第三幕 第四場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三幕 第四場 王妃の居間。 妃とポローニヤスと出る。 ポロ やがて入らせられまする。お手づよう仰せられませい。餘りと申せば方量もない御#惡戲《てんがう》に、 王《かみ》お腹立あらせられたを、陛下《こなた》御中に立たせられ、樣々お調停《とりなし》の終始《もとすゑ》、 篤とお物語遊ばされい、いや、もう默りませう。必ず共にお手づよう仰せられい。 ハム (奧にて)母上々々々々! 妃 心得ました。氣遣あるな。お退《さが》り。あれ、聲が聞ゆる。 ポローニヤス埀帳《たれぎぬ》の蔭にかくれる。 ハムレット出る。 ハム 母上、何御用でござります? 妃 ハムレット、そなたは父君に對して大不埒をお爲《し》やったぞよ。 ハム 母上、こなたこそ父上に對して大不埒をなされた。 妃 はれ、ま、わっけっもない返答をお爲《し》やる。 ハム はて、道に外れた尋ねやうをなさるゝ。 妃 ま、どうしたのぢゃ、ハムレット! ハム はて、何となされたのぢゃ? 妃 わしをば見忘れましたか? ハム いゝや、忘れませぬ、十字架掛けて忘れぬ。こなたは妃ぢゃ、こなたの夫の弟に再縁なされた…… 忘れられたらよからうに!……現在の母上ぢゃ。 妃 此上は、問答の出來る者を呼んで糺明させます。 妃#起《た》ちて室外へ行かうとする。 ハム まゝ、お下《しも》にござれ、お起《た》ちなさるな。あなたの心の奧底までも鏡に掛けて見さす程に、 そこ一寸もお起《た》ちあるな。 妃 何としやる?わしを殺さうでな?……あれ、誰れぞ來て、あれい! ポロ (埀帳の蔭にて)やァ〜!出あへ〜! ハム (劍を拔きて)や!鼠?こたへたか、うぬ! と埀帳《たれぎぬ》越しに突く。 ポロ (中にて)おゝ!やられたァ! と倒れて息絶ゆる。 妃 おゝ、おゝ!まァ、何をお爲《し》やったぞ? ハム 何をしたか、予《わし》は知らぬ。今のは王か? 妃 ても、まァ、手荒い、むごたらしい、何といふ大惡行! ハム 何、むごたらしい大惡行?王たる人を弑《しい》しておいて、其弟と夫婦《めうと》になったに比べたら、 惡行でもござりまいぞ。 妃 なに、王たる人を弑《しい》すると? ハム いかにも、その通りぢゃ。 とハムレット埀帳《たれぎぬ》を[寒%~/衣;#1-91-84]《かゝ》げる、ポローニヤスの死骸現れる。 おのれ、けうこつな、あさましい出過者、さらばぢゃ!汝《おのれ》よりは目上の者と思ふたに、 自業自得ぢゃわい。餘りに手出しや口出しをすれば危いと悟りをったか?…… (妃に對ひて)これ、手を振絞るのをお止めまされ。ま、靜に!はて、まア、お坐りなされ、 道理の搾木《しめぎ》で、こなたの心をこそ振絞って見せ申さう程に、邪曲非道《よこしまひだう》に慣らされて、 性根が鐡石となったら知らず、かりにも道理が徹《とほ》るものなら。 妃 わしがどのやうな事をしたればか、現在の母にむかうて、其樣にはしたなう聲高に? ハム どのやうなとは、これ、母上。廉恥の面《おもて》に泥を塗り、淑徳をも僞善と呼ばせ、 清淨の戀の額から薔薇の章《しるし》を剥取って水腫物《ふきでもの》を代りとなし、 堅き夫婦の契約をも博徒《ばくちうち》の誓言と一つにさする御所業ぢゃわ! 神に誓ふた約束から其#精神《たましひ》を拔去って、 有難い宗教《みをしへ》をも讒語《たはごと》とする御所業ぢゃわ! 天もこれを見て面《おもて》を赤うし、此堅い大塊も、愀然《しうぜん》として色を失ひ、 世界が今にも滅ぶるばかりに憂へ悲む御所業ぢゃわ! 妃 そりゃまア、どんな所作ぢゃ?幕の開かぬ中《うち》から凄じい其騷ぎ。 ハム これ、御覽ぜ、此繪姿と此肖像、血を分けた兄弟ながら、此君の氣高さ、立派さ。太陽神《ハイピリオン》の縮髮、 ヂョーヴ神の高額、軍神んおやうな此眼には三軍戰き服すべく、 又此立姿は使神《つかひがみ》マーキュリーが雲に冲《ひい》る高峯に降立たしたる御風情。 姿容《すがたかたち》の美を輯めて、あっぱれ人間の鑑《かゞみ》ぞとあらゆる神々が極印を捺させられたとも見ゆる、 是れこそは前《さき》の御夫《おんつれあひ》。さて此方《こち》を御覽ぜよ、これが今の御夫ぢゃ。 黴の着いた麥の穗同然、健かな兄穗を枯らす人非人《ひとでなし》。母上、あなたは目が無いか? 此樣な美《うるは》しい山の牧場に飼はれた身で、ようも此樣な泥沼で餌をあさらうとはなされたな? これでもお目があるのか?よもこれを思案の外、戀の習ひぢゃとはおッ言《しや》るまい。 分別盛りのお年齡《としばへ》、狂ふ血は鎭まって、事々に辧別《わきまへ》のあるべきに、 何として此像《これ》から此像《これ》へお心が移ったぞ?情慾があるからは、感覺も必ずあるべきに、 其感覺が麻痺《しび》れましたか?いかに狂うた感覺でも、 斯程雲泥と違ふ物を選誤《えりちが》へうほどには狂はぬ筈を。 如何なる惡魔が魅入りをってこなたを捉迷藏《めんない》にしてのけたぞ?感《かんじ》はなくも目があらば、 目がなくも感《かんじ》があらば、手も目もなくも耳あらば、何もなくも鼻あらば、いゝや、 狂うた感《かんじ》の只一つだにあるならば、これほどまでには惚《ぼ》けまいものを。……おゝ羞恥心よ! 世の中に汝の血統《ちすぢ》は絶えたか?邪淫に老女の心も狂ふ、血の氣湧立つ若い男女が、 其心の情炎《ほのほ》にて謹愼《つゝしみ》が蝋と溶《とろ》け、身を誤るは道理《もつとも》至極ぢゃ、 恥ぢしむるには及ばぬわい。思慮分別も邪淫を勸め、霜の中にも火が燃ゆるわ。 妃 おゝ、ハムレット、もう何もいうてたもるな!そなたの語《ことば》で初めて見た此魂のむさくろしさ。 何ぼうしても落ちぬ程に、黒々と沁込んだ心の穢れ! ハム いや、膏《あぶら》ぎった汗臭い臥床《ふしど》に寢浸り、豕《いのこ》同然の彼奴《あいつ》と睦言…… 妃 おゝ、もう何も言うてたもるな。そなたの言葉は劍《つるぎ》のやうに此耳を刺すわいの!もう何も! ハム 極重惡人、人非人、前《さき》の御夫に比ぶれば百分の一にも足らぬ奴、王の中の半道役者、 國を盜む巾着切、人目を掠めて王冠をおのが懷中《かくし》へくすねこんだ…… 妃 あゝ、もう何も! ハム 接綴布子《つぎはぎぬのこ》の斑王《まんだらわう》…… 亡靈現れる。 大空にまします神々、何卒《なにとぞ》我身を護らせたまへ……如何なる御用あって尊靈には此處へ? 妃 かなしや、心が狂うたな! ハム 身不省にして氣を鈍らせ、徒《いたづ》らに月日を過し、 嚴命あった一大事を遷延さする不甲斐なさを御譴責あらうとてか?おゝ、語らせませ。 亡靈 ゆめ〜忘るゝなよ。こよひ姿を現したは汝《そち》が鈍ったる決心《こゝろざし》に研《とぎ》を加へうためぞ。 さりながらあれを見よ、怖れ惑ふてをる母が樣を!孱弱《かよわ》い者ほど一段と、我と我身を責め苦しむる。 懇ろにいたはって、問ひ慰めい、ハムレット。 ハム 如何《どう》なされた、母上? 妃 まア、そなたこそ如何《どう》爲《し》やった?物も無い虚空を見つめて、最前《さつき》からたッた一人で、 何事をお言やってぢゃ?目をば狂人のやうに瞠《みは》り、髮毛は一筋々々生きてをるものゝやうに、 眠ってゐた番卒共が驚いて起ったやうに、伏《ふさ》ってゐたのが皆逆立ち……これ、ハムレットや、 上すまい、氣をしづめや、落ちつきゃ。汝《そなた》は何處を見てゐやる。 ハム あゝ、あれを!あれ、御覽ぜ、蒼ざめたあの顏附!あのお相《すがた》で此お怨み、 たとひ非情の木石でも理由を聽いたら震ひ動かう。……あゝ、わたくしを御覽なさるな。 そのやうな憫然《いぢらし》い擧動《ふり》をなされますと、金鐡と誓ふた心も鈍り、血を流す勇氣も萎えて、 涙が血のかはりになりませうから。 妃 そりゃ誰れに言やる? ハム こなたには何も見えぬか? 妃 どこにも……何も見えぬわいの。 ハム 聲さへも聞こえませぬか? 妃 おいの、お互ひの聲の外は。 ハム はて、それ、あれを!音もさせいで影のやうに!あれ、御覽ぜ、父上が、ありしにかはらぬ裝束《めしもの》にて! それ、今そこへ行かせらるゝ、あれ〜、最早扉の外へ! 亡靈消える。 妃 それこそは心の迷ひぢゃ。亂心したる折ふしには、ありもせぬ物の形を上手に心で作るもの。 ハム なに、亂心!兒《わし》の手の脈は、これ、此通りに健全ぢゃ、こなたのと比べても、間拍子が少しも違はぬ。 最前《さつき》から言うたことの、亂心狂氣で無い證據は、さ、お試しなされ、 一語《ひとこと》もちがへずに言うて見せう、狂人ならば外《よそ》へ逸れて、繰返すことは出來ぬ筈ぢゃ。 これ、母上、後世《ごせ》安樂を願はうとなら、おのが邪念に媚びて、良心をばお騙《たら》しなさるな。 おのが罪ゆゑとは心づかいで、只此ハムレットが亂心ゆゑとのみ思はせらるゝは、譬《たと》へば、 惡性の腫物《ふきでもの》が内攻して膿み爛れ、はや一命にもかゝはれど、 上邊を包む薄膜に欺されて命を失ふに能《よ》う似た愚さ。天に對《むか》うて懺悔めされ、過去を悔み、 きっと未來をば愼みめされ。雜草に肥料《こやし》を與《く》れて臭い匂ひを募らせめさるな。…… 恕《ゆる》せ、我淑徳よ、澆薄の世の習ひとて、淑徳が却って不徳に對うて、語《ことば》を卑《ひく》うし、 頭《かしら》をも下げて、許容《ゆるし》を乞はねばならぬわい。 妃 おゝ、ハムレットや、そなたは予《わし》の此胸を眞二つにお裂きゃったわ。 ハム おゝ、其#一片《かたはれ》の惡しい方をば抛棄《なげす》てゝ、殘った善い方で淨《きよ》い餘生をお送りなされ。 では、御機嫌よう。……叔父者の臥床《ふしど》へはお渡りあるなよ。操はなくとも、 せめて有りげな體《ふり》をなされ。習慣《ならはし》といふ怪物は、惡いといふ事をつい忘れさする惡魔ぢゃが、 善い行爲《おこなひ》にも四季施《しきせ》を着せて、おひ〜に身をそぐはす。今宵ほどをお忍びあれ、 すれば次の夜はやゝ容易《たやす》く、又其次は一段容易《たやす》い。習《なはひ》は性をも變へる、 惡魔めを壓《おさ》へつくるか、或ひは不思議の力を以て、彼奴を放出してしまふは定ぢゃ。では、 改めて、御機嫌よう。冥福を祈るお心にならせられたら、私もこなたのお祝福《いのり》をば乞ひませう。 ……時に、此老人を。 とポローニヤスを見て 不便《ふびん》なことをしたわい。が、これとても天の配劑、天は之を以て俺を懲らし、 俺をかりそめの道具として此奴等を罰せしめらるゝのであらう。死骸をかたづけて、犯した罪は身で負はう。 では、もう一度御機嫌よう。……(傍を向きて)只もう爲を思ふばかりに酷いこともせねばならぬ。 一つの惡は濟んだが、まだ大きなのが殘ってゐる。……母上、もう一言。 妃 どういふ事をすればよいのぢゃ? ハム はて、予《わし》が言うたことは皆な棄てゝ、どのやうな事でもなさるがよい。 叉も青脹《あをぶく》れ殿に誘はれて、閨の中の穢《むさ》い戲れ、頬摺やら、接吻やら、 汚らはしい手で頸《くびすぢ》を抱きしめられ、いとしいの、可愛いのと甘ったるい言葉に騙《たら》されて、 何もかも打明け、予《わし》の亂心とても實《まこと》は計略の爲ぢゃとおッ言《しや》れ。 はて、何事も明しておしまひなさるがようござる。さうある筈ぢゃ、希有な淑女、賢女、貞女でなうて、 誰れが此一大事を隱し果《おほ》せうぞ?あの蟾蜍《ひきがへる》に、あの蝙蝠《かうもり》に、 あの牡猫に、隱し果《おほ》する筈がない。いや、祕密も分別も要らぬ、寓言で名高い猿のやうに、 屋背《やのむね》で籠を開けて鳥を逃し、試に其籠へ這込んで、おの首の骨を打折ったがようござりませう。 妃 氣づかひ爲やるな、言葉が息から出で、息は命から出るものなら、 そなたが今宵お言やった事をば口外するやうな息はない、命もない、 ハム 兒《わし》はイギリスへ往かねばなりませぬ、御ぞんじか? 妃 おゝ、忘れてゐた。そのやうに定《きま》ってゐる。 ハム 既に國書の御印も濟んで、幼友逹ではあれど蝮《まむし》とも思ふ兩人《ふたり》の者が、 使節となって行手を拂ひ、まんまと兒《わし》を陷井《おとしあな》へ案内爲よう魂膽。 勝手にしをるがよい。おのが仕掛けた地雷火で、奴らが打上げらるゝを見るも一興。 先方《むかう》で穿《うが》つ穴よりも三尺下を此方《こつち》で堀り、 月を目がけて奴等をば打上げなんだら竒怪《ふしぎ》であらうぞ。 雙方の目算《もくろみ》が同じ綫で撞着《でつくは》ッしたら面白いわ。…… (といひつゝポローニヤスの死骸を見て)此奴めが用をさせをる。隣室《つぎのま》へ此食倒れ牽いてゆかう。 ……御機嫌よう。……生きてをった間は、口數の多い阿呆《うつけ》であったが、かうなっては沈毅《ちんき》嚴肅、 てもよい顧問官ではあるぞ。さゝ、おぬしの始末をつけうぞ。……御機嫌よう。 とハムレットはポローニヤスを摺引《ひきず》りて一方へ、妃は他方へ別々に入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第四幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第一場 城内の一室 王先きに妃、ローゼンクランツ及びギルデンスターン出る。 王 其#歎息《ためいき》は只事でない。其喘ぎ、其深い息づかひの仔細は何と? 事情《ことわけ》を予に語りめされ。和子は何處に? 妃 かた〜゛には暫《しば》し此場を。 ローゼンクランツとギルデンスターンと入る。 あゝ、もし、わが夫《つま》、世にも怖しい目をば見ました! 王 や、何と?ハムレットが何としました? 妃 浪《なみ》と暴風《あらし》とが鬪ふやうに、狂い騷ぐ狂氣の餘り、物蔭に何者か搖《うご》くを見つけ、 劍を拔いて走り寄り、鼠々!といふやいな、見さかひもない亂心から、帳の蔭の老人を突殺してのけました。 王 おゝ、ても忌々《ゆゝ》しき惡行!若し予がそこに居合はせたら、同じ目に逢ふたであらうぞ。 彼れを手放しておくは皆の者の身の上ぢゃ。お事も、予《わし》も、たが身の上も危ぶない。 あゝ、此亂行を何というて國民に分疏《いひわけ》せうぞ?齡のゆかぬ狂人は、豫《あらかじ》め取締って、 人交《まじ》らひなどさすまじきが君父たる者の務《つとめ》ぢゃによって、非難《そしり》は吾等が負はねばならぬ。 惡い疾《やまひ》に罹《かゝ》った者が、人の知るを厭ふて療治の機を誤り、空《むな》しう一命を失ふと一般、 愛に溺れてゐて、すべきことをせなんだからぢゃ。して彼れは何處へ往んだぞ? 妃 死骸《なきがら》を取納めに何處やら。何の價値《ねうち》もない岩の間に黄金《こがね》の脈が燦《きらめ》くやうに、 狂氣の中《うち》にも眞情《まごころ》はあると見え、殺したことを歎いてをります。 王 おゝ、ガーツルード、さゝ、奧へ!旭日《あさひ》が山の端に觸るゝやいな、船して彼れを送り出さん。 こよひの惡行は、我威勢と智慧とも以て、何とか巧みに言拵《こしら》へて、取繕はねばならぬわ。 ……やア〜!ギルデンスターン! ローゼンクランツとギルデンスターンと又出る。 かた〜゛には尚餘人を呼集《よびつど》へい。ハムレットが狂氣の餘りポローニヤスを殺害し、 妃の居間より何處へか引行きたり。とく彼れを尋ねいだし、言葉靜に和《なだ》めこしらへ、 ポローニヤスの死骸《なきがら》は拜堂に納めさせい。取急いで計《はから》ひくりゃれ。 ローゼンクランツとギルデンスターンと入る。 さゝ、ガーツルード、思慮ある輩《ともがら》を呼集へて、此珍事を語り、又我所存をも語り聞かせん。 世の讒謗《かげごと》は、譬《たと》へば石火矢の如く、こなたの端より彼方の端まで轟き渡るが習ひなれど、 かやうに先《さきだ》って計《はから》ひおかば、其#覘《ねらひ》は吾々が名を外れ、傷附けがたき空を撃たうぞ。 さゝ、あちらへ!心が驚愕《おどろき》で掻亂さるゝわ。 王と妃と入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第四幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第二場 城内の他の一室 ハムレット出る。 ハム これでよしぢゃ。 ロー、ギル (奧にて)ハムレットさま!ハムレットの王子《みこ》さま! ハム や、あの聲は?呼ぶのは誰れぢゃ?おゝ、もう來をった。 ローゼンクランツとギルデンスターンと入來る。 ロー 死骸《なきがら》は如何《どう》なされましたぞ? ハム 一所にしてしまうた親類の土や埃《ごみ》と。 ロー それは何處でござります?拜堂へ納めねばなりませぬ、お教へ下されませ。 ハム とさ思はぬがよい。 ロー 何とおほせられまする? ハム はて、足下《おぬし》らの祕密ばかりを大事にして、おのがのは明放しぢゃ、 などゝ思はぬがよいといふことぢゃ。且は王子ともあらうものが、海綿《すぽんじ》に問はれて、 どう返答《へんじ》が成らうぞ? ロー 小官《それがし》を海綿《すぽんじ》ぢゃとおほせられまするか? ハム いかにも。王の恩寵やら、襃美やら、官位、俸祿、何くれとお吸やるではないか?したが、 さういふのが王に取っては上もない重寶、足下《おぬし》らを飼ふておくのは、 恰《ちよう》ど猿猴《えてもの》が頤《おとがひ》の隅に栗の實を貯へておくやうなものぢゃ、 取っておいてやがて呑む。まッ其通り、足下《おぬし》らが吸溜めたものが入用となれば、手間は要らぬ、 一締《ひとしめ》きゅうと搾るが最期、海綿《すぽんじ》はついまた乾枯《ひから》びてしまふわい。 ロー 一向に解しかねまする。 ハム それで幸ひ。惡舌も拔けた耳にはぢゃ。 ロー もし、死骸《なきがら》は何處へおかくしなされました。是非共にお知らせあって、吾々と共に王の御前へ。 ハム さ、其#死骸《なきがら》は王と一しょぢゃ、が、王は一しょでない。そも王の物たる…… ギル へ、「物」とおっしゃりまするは? ハム はて、何でもないもの。案内せい。そりゃ狐を隱したぞ。おっかけい。 ハムレット先に皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第四幕 第三場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第三場 城内の他の一室。 王が侍臣を從へて出る。 王 彼れを尋ねて死骸《なきがら》を探し出して參れと命じておいた。 彼れを手放しておくは如何にしても危い。さりとて辧別《わきまへ》なき愚民らが深く彼れを愛してをれば、 嚴しい刑《しおき》にも行ひがたい。總別、無智の民は遠き思慮《おもんぱかり》を以て是非を判ぜず、 唯《たゞ》目を見てのみ判斷する故、犯人《つみんど》の罰重きときは、 これを憫むに急にして犯せる罪の大いなるを忘る。事を滑かに治めうには、卒爾に海外へ出だしやるをも、 多年の踟[足|厨;#1-92-39]《ちゝゆう》と見せねばならぬ。危篤となった病には危險な療治が必要、でないと…… ローゼンクランツ出る。 如何《どう》ぢゃ!何としたぞ? ロー 死骸《むくろ》を何方《いづかた》へおかくしありしやら、如何にしてもお明しなされませぬ。 王 でハムレットは何處にをる? ロー 彼方に。御意を伺ひまするまではと、附添を添へまして。 王 予が前へ伴ひ參れ。 ロー なう〜、ギルデンスターン!王子《みこ》を此方《こなた》へ。 ハムレット先に、ギルデンスターン出る。 王 さて、ハムレット、ポローニヤスは何處にをる? ハム 夕食中ぢゃ。 王 なに、夕食中?何處でぢゃ? ハム いや、食ふてをるのではなうて、食はれてをるのぢゃ。さる蛆蟲共が談合會を始めて、 今恰《ちよう》ど宴會ぢゃ。や、蛆といふやつは、ほんに會席の王さまぢゃ。 何故と被言《おしや》れ、先づ我々人間がおのが食物にせうとて、ありとある動物を肥らする、 そして澤山食べて肥る、さて其肥った果が蛆蟲の餌食ぢゃ。すれば肥った王も痩せさらばうた乞食も、 蛆蟲の目からは唯もう種の違ふた獻立、皿は二種《ふたいろ》でも食ふ口は一つ。さて、 それがトゞの結局《つまり》ぢゃ。 王 はれやれ! ハム すれば王を食ふた蟲を餌に魚を釣るまいものでもなし、又其蟲を食ふた魚をば人が食ふまいものでもなし。 王 何のためにそのやうなことを被言《おしや》るぞ? ハム はて、どんなことで王が乞食の腸《はらわた》を巡幸すまいものでもないといふことを知らせうためぢゃ。 王 ポローニヤスは何處にをるぞ? ハム 天に。使を遣って御覽ぜ。もし其使が能《よ》う逢はなんだらAもう一ヶ所を御自分でお尋ね。 それでも今月中に見つからなんだら、表廣間へ行く道の階子《はしご》あたりで、彼奴め、 きっと匂ひをるであらう。 王 それ、表廣間のあたりを探してみよ。 從臣二三人急いで入る、 ハム 汝等《そちたち》が往くまで迯げゃせぬわい。 王 ハムレットよ、予は深くお事の身の上を案ずるによって、此度の所行を甚《いか》う歎はしう思ふぞよ。 此上は、是非もない、火急に海外へ遣さねばならぬ程に、出發の支度を爲やれ。船も既に準備《ようい》整ひ、 風都合もよし、供奉《ぐぶ》の輩《ともがら》も今は唯イギリス行の沙汰あるを待つばかり。 ハム すりゃイギリスへ? 王 いかにも。 ハム よろしい。 王 さういはいでは叶はぬ所ぢゃ、予が志好《こゝろざし》をお知りあらば。 ハム それを見透しの天使が目に見ゆる。……さ、往かう、イギリスへ!……母上、おさらばでござる。 王 ハムレットよ、此父にも。 ハム 母上にぢゃ。父と母とは夫婦《めをと》ぢゃ、夫と婦《つま》とは同心一體、ぢゃによって、母上、おさらば! ……さ、イギリスへゆかうぞ! ハムレット入る。 王 おぬしらは跡を尾《した》ひ、すかして早速船に乘らせい。猶豫は無用ぢゃ、今宵のうちに出發させい。 あちへ〜!手筈は萬事整ふてゐる、急いでおくりゃれ。……(獨白のやうに)いかに、イギリス王、 足下《そこ》若し我愛を重んずるならば……往《いに》しデンマークの劍瘡《つるぎきず》がまだ生々と赤きがまゝにて、 自ら降參を求めた程に予が威力《いきほひ》を知るならば……よも予が命令《いひつけ》を冷《ひやゝ》かには扱ふまい。 委細は書中に認《したゝ》め、すぐさまハムレットを殺すべしとある予が嚴命を、必ず遂げよイギリス王。 彼奴はさながら邪熱の如くに、我血中に荒《すさ》び狂ふ、それを治するは足下《そこ》の任務《つとめ》ぢゃ。 此事成就までは、何が如何《どう》ならうと、我心は樂まぬ。 王と共に皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第四幕 第四場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第四場 デンマーク國内の平野。 ノーウェーの王子フォーチンブラスを先きに、一人の旗頭、一隊の兵卒を從へて進軍の體《てい》にて出る。 フォ いざ、旗頭、デンマーク王の御許《おんもと》に參って、 フォーチンブラス儀#豫《かね》ての御契約によって御許《みゆるし》を蒙り、 御領内を進軍仕《つかまつ》ると奏してまゐれ。會合の地は心得てをらう。若し御用ともあらば、 やがて參朝しよう程に、其儀をも申せ。 旗 畏《かしこま》ってござる。 フォ しづかに進め。 フォーチンブラス兵をひきゐて入る。 ハムレット先にローゼンクランツ、ギルデンスターン其他の從者出る。 ハム これは何方《いづかた》の御軍勢でござるの? 旗 ノーウェー國のでござる。 ハム 何の爲にでござるな? 旗 ポーランドを攻めようためでござる。 ハム して御大將は? 旗 ノーウェー王の甥の殿、フォーチンブラスどのでござる。 ハム 征伐あるはポーランドの本國でござるか、或は其邊土でござるか? 旗 いや、實《まこと》を申せば、有體《ありてい》の所、 名ばかりで何の益《やく》にも立たぬ小さい地面を略《と》らうためでござる。 唯の五兩を拂うてゞも、餘り借りたうな無い地面、私領地を賣りこましたところで、ポーランドの手にも、 ノーウェーの手にも、それ以上の金高は入りますまいてや。 ハム はて、然《しか》らばポーランド人は防ぎ戰はうとも致すまい。 旗 いや〜、既に戍《まもり》の兵を置いてござる。 ハム 二千人の命と二萬兩の金だけでは此藁屑の解決は着くまい。是れぞ國富みて事無き餘りの膿瘍《ふきでもの》、 外目《よそめ》には見えざれども、内より潰乱《ゑらん》して命を奪る。……忝《かたじけな》うござった。 旗 おさらばでござる。 旗頭兵をひきゐて入る。 ロー お出かけ遊ばされませうや? ハム やがて追附かう程に、ちと先へお行きゃれ。 ハムレットの他皆入る。 見る事、聞く事が俺を譴《せ》めて鈍った宿志《こゝろざし》を勵ましをる! 人間が何ぢゃ、若し食ふたり寢たりの外に、何一つ一生の大事が無いなら?獸類《けだもの》に過ぎぬわい。 必定、前をも見、後をも見る此大智見力を賦與せられたからには、この神のやうな智慧と力とを用ひさせもせで、 錆附かすは天意で無い。本來、俺は獸《けだもの》のやうに忘れ易いか? 又は餘りに思過し、遠く細《こまや》かに思案するゆゑ、それゆゑ決斷がつかぬのか? ……我#想《こゝろ》を四分したなら、智慧は唯一分ばかりで、殘る三分は臆病根性 ……爲《せ》ねばならぬ理由《いはれ》もあり、意《こゝろ》も力も手段《てだて》までも備はりながら、 口に「爲《な》すべし」といふばかりで日を過すは何の爲ぢゃ? 大地程に明白な先例が幾らも俺を勵ましをる。あの軍勢を見い、人數も費用も莫大なあの軍勢を、 まだ嫩弱《うらわか》い貴公子が神々しい大望のあればこそ如是《あのやう》に引率して、 見えぬ行末を物とも思はず、有爲無情の一身を運や死や危險に曝して卵の殼ほどの獲物を爭ふ。 大いなる故なくして動かんは偉人の振舞にあるまじいが、大義名分の繋《かゝ》る處には、 唯一筋の藁屑の爲にも鬪ふべきぢゃ。すれば、俺は如何《どう》ぢゃ?父を殺され、母を辱められ、 理に於ても、情に於ても忍ぶべからざるを忍んでいるとは!眼前、二萬の壯丁《ますらを》が、 俺に恥ぢよとばかり、幻影《まぼろし》同然の譽の爲に、寢所に往くがやうに、 おのが死場所に赴《おもむ》くではないか?戰ふ人數を容れかぬる程の、 戰死《うちじに》した兵卒を埋《うづ》むる墓地にも足らぬ程の一小土のために! おゝ、けふより後は、俺もまた心を鬼としようぞ、さなくば、寸毫の價値《とりえ》も無いわ。 ハムレット入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第四幕 第五場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第五場 エルシノーア。城内の一室。 妃先きにホレーショーと一紳士役と出る。 妃 逢ひますまい。 紳士 しきって拜謁を願ひまする。全く心亂れし體《てい》、不便《ふびん》に存ぜられます。 妃 何を願ふのぢゃ? 紳士 とかく亡父の事を申しまする。此世には種々《いろ〜》陰謀《たくらみ》があるげなゝどと申しては咳拂を致し、 胸を叩き、忌々しげに藁を蹴散らし、唯半分だけ意《こゝろ》の通ずる曖昧《おぼろげ》なことを申しまする。 申すことこそたわいなけれ、正體がわかりませぬだけに、聽く者に心あって、めい〜の當推量、 あゝか斯《か》うかと補綴沙汰《つゞくりざた》を致しまする。何さま、 彼れが目まぜや手眞似や小點頭《こうなづき》を致して曖昧《あやふや》に申すを聽きますれば、 どうやら容易ならぬ不祥な事がありげにも存ぜられまする。 ホレ 會ふてお言葉をお掛け遊ばすがよろしうござりませう。肚《はら》黒きやからの心に、 如何なるゆゝしい臆測を蒔き附けようもしれませぬによって。 妃 呼入れてたも。(ホレーショー入る。妃傍を向いて)疵《きず》ある心には、 些細の事さへも大凶事の前觸かと驚かるゝ。愚かなは覺えある身の狐疑《うたがひ》、 顯るゝを憚る素振に却って其罪が現はるゝ。 ホレーショー心狂ひたるオフィリヤをつれて出る。 オフ デンマークのお妃さまは何處にぢゃ? 妃 どうしやった、オフィリヤ? オフ (歌ふ) そして殿御の其 扮裝《いでたち》は? 杖に草鞋に一しほ目だつ 笠につけたる帆立貝。 妃 あゝ、オフィリヤ、其歌の意《こゝろ》は? オフ え、何とおっしゃります?はて、まァお聽きなされませ。 (歌ふ) 今は此世になう方ざまよ、 足にゃ墓石、頭上《つむり》には いつも緑の八重もぐら。 お、ほう! 妃 いや、なう、オフィリヤ…… オフ まゝ、お聽きなされませ。 (歌ふ) 雪と見るよな蝋かたびらよ…… 王クローディヤス出る。 妃 あゝ、あれを御覽じませ。 オフ (歌ふ) 花でつゝまれ、涙の雨に 濡れてお墓へしょぼ〜と。 王 オフィリヤよ、どうぢゃ、無事かの? オフ あい、おかたじけにござります!梟といふ鳥は麺麭屋《ぱんや》の娘であったといな。 今日の事は分れど、明日は如何《どう》なることやら。こなたのお茶の間へは神さまがござらしゃりますやうに。 王 亡父を思ふと見えた。 オフ どうぞな、もう何にもいはいで。したが、もし何の事ぢゃと問ふ人があったら、ま、斯《か》ういはしませ。 (歌ふ) あすは十四日ヴァレンタインさまよ、 門《かど》へ行こぞや、引明方に、 ぬしのお方になろずもの。  それと見るより門《かど》の戸あけて、 ついと手を取り引入れられたりゃ 純潔《うぶ》の處女《むすめ》ぢゃ戻られぬ。 王 はて、いぢらしいオフィリヤ! オフ え、實《じつ》!誓文なしに、つゝともう歌ふてのけょ。 (歌ふ) ほんに思へば、思へばほんに、 なんぼ殿御の習ひぢゃとても そンれはあんまりどうよくな。 わしを轉《ころ》ばすッィ前までは きッと夫婦《めをと》というたぢゃないか、 と怨む女子《をなご》に無情《つれな》い男。 おれも誓文その氣でゐたが、 一夜寢て見て氣が變はった。 王 このやうに成ってから久しいか? オフ 何事もやがておめでたうなりましょ。人は辛抱が肝腎ぢゃ。というて、泣かいではをられぬ、 冷い處に臥《ね》かされてござると思へば。今に兄者が知らしゃらう。御深もじの御意見、 かたじけなうござります。……さァ〜妾《わたし》の馬車《くるま》を!……さやうなら、どなたも。 さやうなら、あなたも。さやうなら〜。 オフィリヤ入る。 王 彼れが後を追ひ、萬事氣をつけておくりゃれ。…… ホレーショー入る。 おゝ、これこそは深き哀傷《なげき》の併毒、畢竟、父を亡《うしな》うたのが源《もと》ぢゃ。 おゝ、ガーツルード、ガーツルード、總別、禍厄《わざはひ》は敵方の牒者《まはしもの》の如く、 一個《ひとり》では來たらいで大擧して寄するが常!ポローニヤスが非業の最期、 自ら招いた科《とが》とはいへ、和子が海外への流寓《さすらへ》、 予《われ》思慮《おもんぱかり》足らずして窃《ひそか》に死骸《なきがら》を埋《うづ》めしため、 愚民らが邪推《わるずゑ》の騷擾、オフィリヤが我歟《われか》の歎き、非情にひとしき狂氣の體《てい》、 とりわけて心懸りは彼れが兄なるレヤーチーズ、ひそかにフランスより歸り來り、道路の蜚語《ひご》に動されて、 深くも予《われ》を疑ふ樣子。おゝ、ガーツルードよ、それやこれやに我胸は、 石火矢の霰彈《あられだま》に撲《う》たるゝ思ひぢゃ。 騷がしき物音聞ゆる。 妃 あれ、あの騷ぎは? 王 スヴィッツルの力士は何處にある?彼等に戸口を固めさせい。…… 一人の廷臣出る。 何事ぢゃ? 臣 急ぎ此場を落ちさせられませ。大津浪の寄せたる如く、暴徒《あぶれもの》をひきゐてレヤーチーズが、 宮中へ亂入いたし、官人らを撃靡《うちなび》かし、唯今にも此處《このところ》へ。 暴徒《あぶれもの》は彼れを王と呼び、世界が今#新《あらた》にはじまりでもしたかのやうに、 一切の掟たり柱たる古代を忘れ、習慣を捨て「われ〜が推擧する、これからはレヤーチーズ殿が國王ぢゃ」 と帽を投上げ、手を打叩き、「レヤーチーズを王とする、レヤーチーズは國王ぢゃ。」 と雷《いかづち》のやうに罵《のゝし》りまする。 妃 行きべき獸逕《みちすぢ》を追ふてもゆかいで、何を誇らしげに吠ゆることぞ! おゝ、途惑ひをする愚かな此國の獵犬《かりいぬ》ども! 奧にて凄じき物音。 王 や、戸を破ったわ。 レヤーチーズ甲冑姿にて劍を堤《ひつさ》げて出る。デンマークの暴民後よりつゞく。 レヤ 王は何處にをる?……かた〜゛は暫時それに控へてござれ。 暴徒 いや、我らも入りまする。 レヤ まゝ、吾等にお任せ下され。 暴徒 では、お任せ申す。 暴徒らは戸外へ退き去る。 レヤ かたじけない。戸口を守りめされ。……おゝ、おのれ、非道の王。さ、父を渡せ。 妃 ま、落着きゃ、レヤーチーズ。 レヤ やァ、此期に及んで落着くやうな血が、只の一滴でもあるならば、此レヤーチーズが身體は、 父の形見ではなく、奸夫《あだしをとこ》の胤《たね》であると、清淨潔白の母の額に、 淫婦の烙印《やきいん》を打つも同然。 王 どうしたのぢゃ、レヤーチーズ?かく巨人《ジヤイアント》の荒るゝがやうに叛逆を企つるは? 棄てゝ置きゃれ、ガーツルード。予が身には氣遣ひ無用。國王の身邊には神々しい墻壁《しやうへき》あって、 逆賊が窺ふても、只垣間見るのみで、志は能《え》遂げぬ。……レヤーチーズよ、 などてしかく哮り狂ふぞ。……ガーツルード、棄置きめされ。……語れ、どうぢゃ? レヤ 我父は何處にをる? 王 此世にはをらぬ。 妃 というて、それは王の所爲《せゐ》ではない。 王 はて、存分に言はせたがよい。 レヤ 如何《どう》して世を去ったのぢゃ?おのれ、欺《だま》されはせぬぞよ。君臣の盟約は、 けふ限り、地獄へ棄てた!惡魔に與《く》れた!良心も恩誼も七里けっぱいぢゃ! 後世《あのよ》も無ければ現世《このよ》も無い。たちひ地獄の最底《どんぞこ》へ墮ちようとも、 存分に此怨《うらみ》を晴さにゃおかぬわ。 王 たが力を借らば、おぬしを取抑へることが出來るであらうか? レヤ 俺の意《こゝろ》が諾《うん》と言はねば、世界中の力を以てもいっかな取抑へることは出來ぬ。 微力なれど、其微力を目覺しう使ふて見せうぞ。 王 レヤーチーズよ、おぬしは父御《てゝご》が横死した顛末を審明《つまびらか》にしたいと望んでゐるが、 さて復讐の段となっては、敵、身方《みかた》の弁別《みさかひ》なく、善惡共に、一攫《ひとさらひ》に討つ心か? レヤ いゝや、目ざすは父の敵《かたき》ばかりぢゃ。 王 では其#敵《かたき》が知りたいか? レヤ 父の良友に對しては、まッ此樣に兩腕《もろて》を開いて、かの、子の爲に命を惜まぬペリカン鳥のやうに、 我血を絞っても饗應《もてな》す心ぢゃ。 王 はて、それでこそ孝子らしくもあり、名士らしくもあるわい。父御《てゝご》の横死については、 予に曲事の無きは勿論、深う哀悼してをるてふことは、少しく分別お爲《し》やらば、日を見るやうに明かなことぢゃ。 暴徒 (奧にて)入らせい〜。 レヤ 何ぢゃ!あの騷ぎは? オフィリヤ前よりも一段取亂したる狂氣の體《てい》にて(いろいろの草花を頭《かしら》や襟に着けて)出る。 おゝ、熱よ、我腦漿を乾し盡せ!八しほに苦き此涙に、物見る力も爛れ果てい!やい、妹、そちが狂氣の此怨《うらみ》は、 此兄が天に誓ひ、量《はかり》に掛けたら秤皿《はかりざら》の顛覆《ひつくりかへ》るまで報うてやるぞよ。 彌生《やよひ》の春の花薔薇《はなしやうぶ》!いとほしの妹、なつかしの處女《をとめ》、 可憐《かはい》のオフィリヤよ!……ても、情ない!うら若い處女《むすめ》心も、老人の命同樣、 かう脆う死ぬるかいやい?性は愛慕によって妙《たへ》にもなるとか、其#妙《たへ》なる魂が、 戀慕ふ影の後を追ふて、歸らぬ處へあこがれたか? オフ (歌ふ) 顏もかくさいで柩車《くるま》に載せて、 ヘイノンノンニー、ヘイノンニー、 墓に降ります涙の雨が。…… おさらばでござります! レヤ 正氣で敵《かたき》を取ってくれいと、せがんだとても、此樣には、俺の心を動すまいわい。 オフ かう歌はにゃならぬわいな。 (歌ふ) ダウン、ナ、ダウン、もしかアダウナと呼ばしゃるならば。 おゝ、何とまァよう似合ふたぞ!そのなァ、娘《いと》を盜んだ不義者は其家の番頭ぢゃげな。 レヤ たわいの無いのが、意《こゝろ》あるより百倍ぢゃわい。 オフ さァ、こゝに迷迭香《まんねんかう》がある。萬年も替らぬ證《しるし》の記念《かたみ》ぢゃ。 これはお前へ。いつまでも忘れいでや。それからこれが胡蝶草ぢゃ、物を思へといふぞや。 レヤ 狂氣の中《うち》にも訓《おしへ》がある。忘れいで物を思へとは有理《ことわり》。 オフ さァ〜、(王に對ひ)御前《こなた》には茴香《ういきやう》の花と小田卷草。 (妃に對ひ)お前には返らぬ昔を悔み草ぢゃ、妾《わたし》も一つ取っておこ。 これをば安息日の惠《めぐみ》の草ともいふぞや。おゝ、着け方は更へてぢゃ。 それからこれが雛菊。お前には、菫をば與《おま》したう思ふたれど、 父者《てゝぢや》がお死にゃったら悉皆《みんな》萎《しほ》れてしまうた。 めでたい往生ぢゃと言うてぢゃ。……(歌ふ) わしが好きなは、あのロビンさん。…… レヤ 憂も苦痛も艱難も、焦熱地獄の苛責までも、なつかしらしう物しをるわい。 オフ (歌ふ) 歸らしゃんせぬかいな? 歸らしゃんせぬかいな? 何の歸らしゃろ、お死にゃったれば、 おのが命の際《きは》まで待とゝ。  お髯にゃ雪の白々と、 頭《つむり》も麻の亂れ髮、 泣くも效《かひ》なや歸らぬ人の。 あの世を救ふてたびたまへ! 皆さまの後世《ごせ》をも祈りますぞや。……恙なういらせられませい! オフィリヤ入る。 レヤ あれを御覽ぜ。ても情ない! 王 レヤーチーズよ、其哀傷を吾等に分ちゃれ、さらずば好意《まごゝろ》を無にする道理ぢゃ。 此上は汝《おぬし》の心に適ふたる思慮ある輩《ともがら》を呼集へ、 是非曲直を判ぜしめい。假初《かりそめ》にも彼等予に罪ありと申さば、此國も、 此冠も、此命も、ありとあらゆる我財寶をも償《つぐのひ》として汝《おぬし》に與《とら》せう。 さりながら、若し罪無しと定まらば、心を鎭めて予が言ふことをお聽きゃれ、 さすれば汝《おぬし》に力を協《あは》せて、きっと望をば遂げさせう。 レヤ む、さやう仕《つかまつ》らう。我父が非業の最期、あさましい埋葬式《はうむりかた》、 遺骨を飾る記念《かたみ》もなく、劍、紋章《もんどころ》も懸けられず、 何一つ表立って儀式とても施さぬ其あさましい葬式が、天から奈落へ遠く程に怨憤《うらみ》の聲を揚ぐるからは、 罪を糺《たゞ》さにゃなりませぬわい。 王 はて、さやう致すがよい。罪科《とが》のある處に報罰の斧を下ぢゃれ。いざまづ、諸共に奧へお來やれ。 王と共にレヤーチーズ入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第四幕 第六場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第六場 城内の他の一室。 ホレーショーと一侍者と出る。 ホレ 予《わし》にあひたいといふは誰れぢゃ? 侍者 舟子どもでござります。書面を持參したと申しまする。 ホレ お通しなされ。…… 侍者入る。 世界の何處からでも消息《たより》のありさうな當《あて》はない、ハムレット樣からでなくば。 舟子ども出る。 一舟 御息災であらせられませい! ホレ おぬしたちもなう。 一舟 ありがたうござります。お前がホレーショーさまのやうに承りましたが、 それならこれがお前へのお手紙でござります。……イギリスへ往かしゃれました筈のお使者からでござります。 ホレ (讀む) ホレーショー足下、此書を披見せられたらば、此#輩《ともがら》をして王に謁するの機を得しめよ。 王に獻《たてまつ》るべき書を携へたり。海に出でゝ未だ三日ならざるに、我船は剽悍なる海賊に襲はれたり。 船足遲うして逃ぐるに術《すべ》なく、止むを得ず勇を鼓して接戰し、予は賊船に乘移りぬ。 此時雙方の船相隔たりしかば、予は賊の虜《とりこ》となんぬ。賊の予を遇するや寛厚なりき、 思ふに予によりて後に利する所あらんとするか。王に予が書を獻じおきて、 足下は命《めい》を賭し中を飛んで急々に我許《わがもと》に來れ。 語らば足下をして唖とならしむべき許多の竒聞あれど、語は到底意を盡くすに足らず。 此#輩《ともがら》をして案内せしめらるべし。ローゼンクランツとギルデンスターンとはイギリスへ赴《おもむ》けり。 彼等につきても語るべきことあり 草々。 足下の莫逆ハムレット さゝ、持參の書面を陛下《かみ》へ參らする手續をせう。早うそれを果して、予をば先方へ案内しておくりゃれ。 共に入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第四幕 第七場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四幕 第七場 城内の他の一室。 王とレヤーチーズと出る。 王 父御《てゝご》を殺した者が予を殺さうと企てた仔細が斯く明白となった上は、 もはや予を疑ふ心は釋けて、無二の信友とも予を思やるが當然ぢゃぞよ。 レヤ いかさま、有理《もつとも》と存ぜらるゝ。さりながら斯樣な曲事をば、 斯樣な容易ならぬ罪惡をば、何とて打棄てゝはおかれましたぞ? 安危を思しめす賢慮のござらば、打棄てゝはおかれぬ筈。 王 おゝ、それには二條の仔細《いりわけ》がある。おぬしにはさまで肝要とも見えまいが、 予に取っては緊《きつ》い事ぢゃ。先づ、彼れが母たる妃は、 彼れが面《おもて》を見ねば殆《ほとん》ど能《よ》う生きてはゐぬ。 また予に取っては、徳か不徳かは知らず、妃は我命の綱ぢゃ。星の星座を能《よ》う離れぬが如く、 予《われ》また妃を離れては、恐らくは存《ながら》へがたい。次に、表立って罪を問ひにくい第二の仔細は、 彼れに對する愚民等が愛情ぢゃ。彼等が贔屓目の浸すときは、化石泉が木を石に化するがやうに、 如何な罪をも美徳と化する。されば生中《なまなか》に彼れを罰せうと覘《ねら》ふ矢は、 世論の逆風《さかさかぜ》に吹飛ばされ、弓を持つ手に跳戻るわさ。 レヤ すりゃ、それが爲に、むざ〜大切な父を失ひ、剩《あまつさ》へ妹まで狂人にしてのけたか! 遡っても襃めらるゝものならば、何一つ足はぬことの無い、今西に匹儔《たぐひ》稀な女子《をなご》をば! 見よ、此怨《うらみ》を報うてくれうぞ。 王 其儀ならば心安かれ。口髯に火のつく危さを興がる程の虚氣《うつけ》者と吾等をば思ふまい。 やがて改めて語らふ。予《われ》、父御《てゝご》をもいとしう思へば、もとより我身をもいとしう思ふ、 すれば、おのづから…… 書面を携へて使者役の者出る。 何事ぢゃ? 使者 ハムレットさまよりの御書にござります。これなるは御前へ、これなるはお妃さまへ。 王 ハムレットよりとや?何者が持參したぞ? 使者 舟子#體《てい》の者の由《よし》に申しまする。小官《それがし》は逢ひませず、 クローディオの手より受取りましたが、彼れは持參の當人より入手の由《よし》に申しまする。 王 レヤーチーズ、お聽きゃれ。……退《さが》れ。 使者入る。 (讀む) 恭しく闕下《けつか》に啓し奉る、それがし赤裸々にして罷歸《まかりかへ》りて候ふ。 謹みて乞ふらくは、夜明けて龍眼に咫尺《しせき》し奉らんことを。若し卑願をしも許させられなば、 其折此卒爾なる歸朝の更に竒異なる顛末をも上奏し奉らんと欲す。畏《かしこ》みて申す。ハムレット。 これはまた如何《どう》したことぢゃ?餘の者も皆歸りをったか?或は根も無き譎詐《いつはりごと》か? レヤ 書風にお見覺はござりませぬか? 王 ハムレットの手蹟ぢゃ。「赤裸々にして」……返し書にも「單身《ひとり》」とある。おぬしの意見は? レヤ 一向に合點が參りませぬ。しかし歸朝は望む所。さう聞いては萎えたる勇氣も百倍いたす、 王子《みこ》に面と打對って「覺えがあらう」と糺《たゞ》し申さん。 王 レヤーチーズよ、若し歸國したが定ならば……如何にして歸國したか? せぬとは思はれぬが……若し定ならば、予が意《こゝろ》に從やるか、如何《どう》ぢゃ? レヤ 從ひませう、武士の名折となりませずば。 王 名を立てさせうと思へばこそぢゃ。彼れ氣まぐれにも中返りして、又と渡航せぬ心ならば、 予《われ》彼れを説き勸めて豫《かね》て計画《もくろみ》置いたる一事《あること》を試みさせうに、 彼れ之が爲に落命せでやは。しかるも一言の惡評無く、現在の母妃までも、謀計とは心附かいで、 不慮の變事と思ふであらう。 レヤ さすれば御意に從ひ申さう。自然#小官《それがし》を事に當らせて下されうならば、一段でござる。 王 思ふ壺ぢゃ。おぬしは豫《かね》て外遊以來、屡々《しば〜》噂の種となった、 しかもハムレット面前《まのあたり》にて、とりわけ足下が堪能ぢゃといふ其一藝について折々の取沙汰。 おぬしの才藝一切よりもハムレットは只それをこそ嫉ましう思ふた樣子、予が見る所では、 そは數ならぬものとも見えたが。 レヤ と仰せらるゝ其藝は? 王 いはゞ、若人の帽子《かぶりもの》に着くる飾紐なれども、無うて叶はぬものぢゃ。 老後となれば養生と品格とを第一とした薫《くす》んだ服裝《みなり》が似合ふやうに、 若い者には端手な闊逹な衣裳が似合ふ。今よりは二月前、さるノーマンの武士《ものゝふ》が參った。 ……拂人《フランスじん》の馬術に長じたることは予は親しく戰場にて彼等と鬪ふて存じてをるが、 件《くだん》の武士《ものゝふ》に至っては殆《ほとん》ど一種の神通力。 鞍壺に生着き、神變不思議に乘廻し、さながら駿馬と合體して、人獸、性を分けたがやう。 何ぼう想像を逞うしても、所詮、其實には及ばなんだわやい。 レヤ ノーマン人でござりましたか? 王 ノーマン人ぢゃ。 レヤ 一定、ラモンドでござりませう。 王 正にそれぢゃ。 レヤ あの男ならば、よう存じをりまする。彼れこそは彼の國人どもの國の盛飾《かざり》にござります。 王 其男が兜を脱いで、おぬしが手練の噂をしたわい。護身術の鍛練といふが中にも、 とりわけ細刄《ほそみ》扱ひにかけては、かりそめにも敵手《あひて》となる者があらば觀物《みもの》ぢゃ。 いや、フランスの劍客などは足下《おこと》の向うへ廻っては、進退も攻防も着眼も何もあったものでない、 とまでに圖なう賞めたわい。此物語がハムレットに甚《きつ》う嫉妬心《そねみごゝろ》を起させ、 おぬしが不意に歸朝をして試合を致すやうの事あれかし、と切に希願《こひねが》ふに及んだのぢゃ。 さて之を縁《かゝり》として…… レヤ それを縁《かゝり》と致して? 王 レヤーチーズ、父御《てゝご》は眞實なつかしいか?但しは涙は人前だけで、心と肚《はら》とは別々か? レヤ 何故さやうなことを? 王 父御《てゝご》を愛する孝心が足下《おこと》に無かったとは存ぜねども、總じて愛は時によって始められ、 又時の爲に火勢を更《あらた》む、是れ我#他《ひと》の親しく見聞する所ぢゃ。 燃ゆる愛の焔の裡《うち》にやがては燃えさして暗うなる燈心のやうなものが出來《でく》る。 凡そ物として長《とこしな》へに善なるは無い、何となれば善も過ぐるときは、爲に滅ぶ。 爲《し》ようと思ふ事は爲《し》ようと思ふた時に爲《な》すべきぢゃ、さなくば其「思ふ事」がいろ〜に變化し、 舌の數、手の數、事の數の世にある限り、遷り變る。さある時は、所謂「爲《な》すべきぢゃ」も放蕩者の溜息同樣、 生中《なまなか》只一時の心の安め、所詮は其身の害ともなる。それはともあれ、肝腎なはハムレットが歸國の一條、 おぬし若し孝子たるの本分を言葉の外に證せんとせば、果して如何な事を爲《な》さんず心ぢゃ? レヤ 教會堂の眞中央《まつたゞなか》にて、王子《みこ》が喉を掻切り申さん。 王 何さま、如何やうの靈場とても、殺人《ひとごろし》の大罪をば能《よ》う庇ふまいぢゃまで。 復讐《あだうち》に界《さかい》は無い。したがレヤーチーズよ、もしさる決心があらば、當分の間、 門外へは立出めさるな。ハムレットの歸りなば、おことが歸朝の由《よし》告知らせ、 且つ人をして足下《おこと》が武藝を賞立てさせ、彼の拂人《フランス人》が言ひおいたる評判の上塗なし、 とかくして彼れを煽り、究竟は雙方に賭物《かけもの》して、試合をばさすことにしよう。 計略なんどは嘗《かつ》て知らぬ眞正直の粗忽者、劍を檢《あらた》むることなどもすまじければ、 おことは聊《いささ》かの詐僞《たばかり》を以て、鋒《きつさき》を圓《まろ》めぬ劍を擇《えら》び、 計略の一突にて、父御《てゝご》の怨《うらみ》を晴らすは容易《やす》し。 レヤ 御意の通りに仕りませう。幸ひ其ために劍に塗るべきものこそござれ。 小官《それがし》嘗《かつ》てさる野師より贖《あがな》ひ置いたる油藥、一たび尖鋒《きつさき》に之を塗れば、 聊《いささ》かの微傷《かすりきず》を負ふたる者だに、必ずや命を落す。 月の下にありとある靈草を以て調整せる名膏の力でも救ひがたし。 小官《それがし》其毒をば劍尖《きつさき》に塗り申さう、さすれば、微傷《かすりきず》を負はせたるばかりにても、 彼れを殺さんこと必定でござる。 王 尚此上にも案を凝して、我目算に叶ふやうに、時機《をり》や方法《てだて》の便宜を査《しら》べう。 萬一にも手筈を誤り、それがために事露見に及ぶべくんば、初めより爲《な》さぬに如かず。 されば此#企《くはだて》には、よし先なるが破るゝとも、立代って望を遂ぐる後詰の工夫が無うては叶はぬ。 ……むゝ!まて、暫時《しばし》!……先づ、表立って雙方の手練に賭物をなし……う、思ひついた。 ……一上一下の其間に體熱し口渇くは必定なれば、……もっとも、然《しか》あるやう、 故《わざ》と激しう物しやったがよいぞ。……すなはち、彼れが何か飮料《のみもの》を求めん折の爲に、 予は酒盃《さかづき》を準備《ようい》しおかん、それを只#一嘗《ひとなめ》せば、 よし毒刄《どくじん》をばまぬかるとも、此方の覘《ねらひ》は外れぬ。やゝ、あの物音は?…… 妃あわたゞしく出る。 妃 踵を接《まじ》ふる不幸と不幸。……レヤーチーズよ、其方《そなた》の妹は溺れて死にゃった。 レヤ なに、溺れて!おゝ、何處で? 妃 斜《なゝめ》に生ふる青柳が、白い葉裏をば河水の鏡に映す岸近う、雛菊、いらぐさ、毛莨《きんぽうげ》…… 褻《みだら》なる農夫《しづのを》は汚らはしい名で呼べど、 清淨な處女《むすめ》らは死人の指と呼んでをる…… 芝蘭《しらん》の花で製《こしら》へた花鬘《はなかづら》をば手に持って、狂ひあこがれつゝ來やったげなが、 それを掛けうとて柳の枝に、攀《よ》づれば枝の無情《つれな》うも、折れて其身は花もろともに、 ひろがる裳裾にさゝへられ、暫時《しばし》はたゞよふ水の面《おも》。 最期《いまは》の苦痛をも知らぬげに、人魚とやらか、水鳥か、歌ふ小唄の幾くさり、 そのうちに水が浸《し》み、衣も重り、身も重って、歌聲もろとも沈みゃったといの。 レヤ あら、悲しや、妹は溺れ死んだか? 妃 おいなう、おいなう! レヤ これ、妹、水はたんとお飮みゃっつらうによって、兄は涙は流さぬぞよ。 というても癖ぢゃ、涙めが出をるわ。笑はゞ笑へ、癖には勝てぬ。これが果てたら、女根性も出てうせう。 ……おさらばでござる。……烈火と燃立つ言分はあっても、此鈍なものに消されてしまふわ。 レヤーチーズ泣きながら入る。 王 いで、彼れが後を尾《した》はう。彼れが怒を鎭むるため、夥《おびたゞ》しう骨を折ったわ! 此事が原《もと》となって再發すまいものでもない。いで、尾《つ》いて行かう。 王と妃と入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第五幕 第一場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第一場 墓場 甲乙二人の道化役、鍬、鶴嘴等を携へて出る。 甲 すれば自業自棄で死をった其#女子《をなご》を本式通りに葬るといふか? 乙 其通りぢゃ。ぢゃによって、早よ墓ァ掘ってくれさっしゃい。お役人衆が檢分して本式で可《え》いといはしった。 甲 我身を庇ふて身を投げたでもないに、本式ちふことがあるかいやい? 乙 でも、それがお役人さまの言渡しぢゃ。 甲 うんにゃ、本葬式にするには、自身暴擧でなけにゃならん筈ぢゃ。えいか、かういふわけぢゃ。 予《おれ》が自身も合點で身ィ投げるわ、えいか、それを所行といふ。所行には三つ小分があるわ、 第一を行ふことちうて、第二を爲《す》ることちうて、第三は成すことちふわ。 かるが故にぢゃ、あの女子《をなご》は、結句、自身合點の上で身ィ投げたものとせにゃならんわ。 乙 でもなァ、小父さァ、えおりゃ然《さう》もあろけれどな…… 甲 ま、まて。此許《こゝもと》に水がある、えいか?此許《こゝもと》に人が居るわ、えいか? もしか、此人が此水へ、自身で出かけて往って身ィ投げたりゃ、好かうと、好くまいと、そりゃ自身からしたのぢゃ。 が、えいか、こゝが肝腎ぢゃ。もしか其水が彼方《あち》から此方《こち》へ來て、 其人を溺いたとすれば、そりゃ入水《みなげ》ぢゃないわ。かるが故にぢゃ、我と我身で命を縮めない分には、 自殺ちふことにゃなりゃせぬわい。 乙 それがお上の御法かいの? 甲 さればいやい、これが檢視方の御定法ぢゃ。 乙 寧《いつ》そ眞《ほん》の事を言はうか?身分の良い衆であればこそぢゃ、地下《ぢけ》の女子《をなご》なら、 これが何で本葬式になろぞい。 甲 出來た!それ〜。身分の高い衆ほど、平の信者に比べて、首#縊《くゝ》るにも身ィ投げるにも便宜の多いのが笑止ぢゃ。 ……どりゃ、仕事にかゝらうかい。誰れの家柄が古いちうて、庭師と溝堀と墓堀ほど古いお武家はありゃせんわい。 アダムさまのお職掌を其儘引繼いでゐるんぢゃからなう。 乙 アダム樣はお武家樣だったかいの? 甲 はて、最初《いつちはじ》めにアームズを持ってござらっしゃらった人ぢゃ。 甲は最初アームズを武家の定紋の義に用ひ、後に道具又#腕《かひな》の義に使用す。 乙 アダム樣に定紋《アームズ》があるものかいの。 甲 や、わりゃ邪宗門か?お聖書《ふみ》さまの中に「アダムが掘らしった」と書いてあるわさ。 腕《アームズ》(道具)が無うて掘れるかい?序《ついで》に今一つ問ふてこまそ、 此返答が出來んやうなら、すぐに白状して…… 乙 まァさ! 甲 石工よりも、大工よりも、船大工よりも、もそっと手堅固《てじやうぶ》なものを作るのは誰れぢゃ? 乙 絞首臺《くびつりだい》を作る人ぢゃろ、主が千人と交代《かは》っても破壞《こは》れぬがな。 甲 こりゃ中々旨いことを言ふわい。絞首臺《くびつりだい》は可《え》い。可《え》いは可《え》いが、 何の爲に可《え》い?惡い事をしをる奴を懲らしめる爲には可《え》いが、 教會堂《おてらさま》よりも堅固《じやうぶ》ぢゃなんぞいふは、甚惡《えらわる》い事ぢゃによって、 絞首臺《くびつりだい》は結句おのしのやうな奴に可《え》い。さァ、修正《やりなほし》ぢゃ。 乙 「石工よりも、大工よりも、船大工よりも、もそっと手堅固《てじやうぶ》なものを作るのは誰れぢゃ」ってかや? 甲 さうじゃ。早う解いて荷ィ下《おろ》せ。 乙 や、解せたわ。 甲 何と? 乙 はれ、解せぬわいの。 遠くへハムレットとホレーショーと出る。 甲 もう鈍腦《どたま》を撲《ぶ》たぬが可《え》い。阿呆馬は何ぼ叩いても驅出しゃせぬわい。 此度《こんど》此謎を掛けられたら、墓堀男《はかほり》ぢゃと言へ。はて、墓堀男《はかほり》が作る家《すまひ》は、 大審判《おほさばき》の日までも繼續《つゞ》くわさ。やい、早うヨーアンの許《とこ》へ往て、 酒を一壺《ひととくり》取って來いやい。 乙の道外役入る。甲は墓を堀りながら小歌を歌ふ。 おらも若い時ゃ色戀もしたが、 色は浮世のなぐさみなれど、 時が約《つま》れば、オ、此身の、ア、爲かよ、 今ぢゃそれもこれもあほらしい。 ハム 彼奴《あいつ》はおのが爲《す》る事をば何事とも辧《わきま》へをらぬか、墓を掘りながら唄を歌ふとは? ホレ 慣れて平氣になったのでござりませう。 ハム まったくさうぢゃ。使ふことの少ない手は細かしいことにも感ずるわい。 甲 (歌ふ) いつの間にやら年波ゃ寄せて、 おらが首玉しっかと掴む。 果は島根に抛《な》げあげられて、 變り果てたよ如是《こんな》ものに。 と歌ひつゝ頭蓋骨を抛上《なげあ》げる。 ハム あの髑髏にも舌があって、曾《かつ》ては唄なども能《え》い歌ふたであらうものを、 元祖の殺人者《ひとごろし》ケインが頤骨《おとがひぼね》でゝもあるやうに、 彼奴《あいつ》めが叩きつけをる。今こそは如是《あんな》匹夫に飜弄せらるれ、或は、昔は、 神の目をもくらました策士の頭《かうべ》かも知れぬわい、なう、ホレーショー。 甲また骨を抛上《なげあ》げる。 ホレ かも知れませぬ。 ハム 或はまた殿上人などの頭《かうべ》で「や、これはお早うおはす、某殿《なにがしどの》! いかに渡らせらるゝ?」なぞというたかも知れぬ。或は、此頭《これ》が、後で與《くれ》いといはう爲ばかりに、 甲某殿《なにがしどの》の馬を激賞《ほめた》てた乙某殿《くれがしどの》であったかも知れぬわい、 なう、ホレーショー。 ホレ 御意にござりまする。 ハム はて、正にさうぢゃ。しかるに今は只蛆蟲の典侍《つぼね》の所有《もちもの》。 頤《おとがひ》も無うなって寺僕《てらをとこ》の鍬の刄で腦天を打叩かるゝ。 ても幽妙な有爲轉變、吾々人間の目にこそ見えざれ。あゝ、 これらの骨どもは斯く抛棒戲《ばうなげ》に使はるゝ爲にのみ養成《そだ》てられたのか? 考へると胸が痛うなるわい。 甲 (歌ふ) 鍬に鶴嘴、鶴嘴に鍬に、 附けて添へたが蝋帷子《らうかたびら》よ。 土の住居《すまひ》を造らうために、 如是《こんな》お客にゃそれ相應の。 と又一つ髑髏を抛上《なげあ》げる。 ハム 又一つ。此頭《これ》がさる代言人の髑髏《がいこつ》であるまいものでない。 あゝ、彼れが得意の詭辯や故事附理窟や判決例や所有權や騙詐《まやかし》は如何《どう》なったか? 何故此樣な農夫《ひやくしやう》の泥まぶれの[金|産;#1-93-37]《すゝ》で腦天を打叩かれながら默ってをるか? 何故毆打の訴訟《うつたへ》を起すぞといはぬか?ふむ!或は此男、存生中には、澤山《いかいこと》田畑を買取り、 スタチュートとか、リコグニザンスとか、乃至《ないし》終結讓與、二重證人、 返納讓與なぞと持って廻った奴でもあらうに、あゝ、かく無慚にも土を盛られて、頭蓋骨を抛出《なげいだ》さるゝが、 其所謂終結讓與の終結であるか、返納讓與の返報か?所謂證人も最早彼れの買收權に關して何等有利の證言もしてはくれぬか、 二重證人があっても只《たツた》一枚の契符《わりふ》だけの役にも立たぬか? 此凾の中《うち》には地所讓渡の證文さへもあるまい。え、讓受けた當人さへも如是《かゝ》る有樣とならねばならぬか? ホレ 御意の通りにござります。 ハム 證文用紙《パーチメント》は羊の皮で製《つく》るかなう? ホレ はい、犢《こうし》の皮でも製しまする。 ハム さやうな品を當《あて》にするは犢《うし》や羊の行爲《ふるまひ》ぢゃわい。 ……彼奴《あいつ》と問答して見よう。……(甲に對ひ)こりゃ、其墓は誰人のぢゃ? 甲 予《わし》のでござります。……(歌ふ) 土の住居《すまひ》を造らうために、 如是《こんな》お客にゃそれ相應の。 ハム いかさま、汝《そち》のでもあらうわい、其穴《そこ》に入ってをるからなう。 甲 これはお前樣のではおりない、今#餘所《よそ》から入ってござらしたばかりぢゃによって。 はて、予《わし》が入るのではありゃせんが、こりゃ予《わし》のでござります。 ハム 其穴《そこ》に入ってゐながら、汝《そち》のぢゃといふは解《きこ》えぬわい。死人が物を言はうか? 何と、解《きこ》えたか? 甲 聞えたかと問はっしゃるのは聞えたが、解《きこ》えぬと言はっしゃるのは解《きこ》えぬ。 それ、また御手許《そつち》へ御返禮ぢゃ。 ハム 汝《そち》ゃ何者の爲に墓を掘るのぢゃ? 甲 物の爲ではおりない。 ハム はて、何處の人の爲にと聞くのぢゃ。 甲 人の爲にでもおりない。 ハム すれば何を葬るのぢゃ? 甲 生きとる中《うち》は女の人ぢゃったが、なんまみだぶ、死《ご》ねてしまひましたがな。 ハム 此奴め、七むづかしい奴ぢゃ!辭令表でも見比べて物を言はぬと、忽《たちま》ち擧足を取らるゝわい。 誓文、ホレーショー、此三年以來心附いたことぢゃが、時勢がおひ〜尖って來て、 今は農夫《ひやくしやう》の爪先が殿上人の踵に逹《とゞ》き、凍傷《しもやけ》を摩《こ》するほどぢゃ。 ……(甲に對ひ)汝《そち》ゃいつごろから墓堀男《はかほり》にはなったぞ? 甲 一年三百六十日の中《うち》で、予《わし》が此仕事にかゝったは、 先のハムレット王樣がフォーチンブラスに勝たっしゃりました日でござります。 ハム してそれは最早《もう》何年になるぞ? 甲 それをお前樣知らしゃらぬかいの?どのやうな癡人《あほう》でも知ってをるがや。 若ハムレット樣が生れさっしった日ぢゃ、それ、氣が狂うて此間イギリスへ遣られさっしたハムレット樣の。 ハム うん、さうか?何でまたイギリスへは遣られたのぢゃ? 甲 はて、氣が狂うたによって。彼國《あそこ》にゐめされば、定、正氣に復《もど》らっしゃらうず。 復《もど》らっしゃらぬてゝ、關《かま》ふことはおりない。 ハム なぜぢゃ? 甲 彼國《あそこ》ならば目立つまいがな、傍《あたり》が皆な狂人ぢゃによって。 ハム ハムレットどのは何として氣が狂うたのぢゃ? 甲 それが苛《えら》う不思議ぢゃて言ひますわい。 ハム どう不思議ぢゃ? 甲 ほんの事ぢゃ、正氣をなうしてしまはしゃったといの。 ハム いやさ、其#原因《もと》は何ぢゃ? 甲 はて、本來《もと》は王子樣ぢゃがな、此デンマーク國の。予《わし》こゝに三十年をりますぢゃ、 小兒《がき》の時分から。 ハム 人は地に入って腐るまでに何年經《かゝ》るぞ? 甲 さいの、前から腐ってさへをらねば……近時《このせつ》は瘡毒《かさかき》の死骸が澤山《いかいこと》來まする。 其奴《そいつ》ア迚《とて》も耐《も》たんが……腐ってさへをらねば、八九年は耐《も》ちましょかい。 柔革屋《なめしがはや》は九年は耐《も》ちましょ。 ハム 柔革屋《なめしがはや》は久しう耐《も》つか? 甲 はァて、お前樣、商賣柄で皮が柔《なめ》してあるによって、大分の間水を彈きまする。 がいに死骸めを腐らせるのは、先づ水でござります。……これ、此髑髏《しやれこつ》は、 二十三年も土の中に入ってをりますのぢゃ。 ハム それは誰れのぢゃ? 甲 ろくでなしの氣狂和郎のでござります。たれのぢゃと思はしゃります? ハム いや、知らぬわ。 甲 氣狂和郎め、時疫にでも罹《かゝ》りをれやい! 此奴は昔時《むかし》予《わし》の頭へ葡萄酒を一罎《ひととくり》浴びせをりました。 はて、此骸骨《しやれこつ》はヨリックの髑髏でござります、王樣の弄僕《おどうぼう》でござりましたわい。 ハム え、これが? 甲 へい〜。 ハム 見せい。(髑髏を手に取りて)……はれ、不憫なヨリック!……ホレーショー、予《わし》は此者をば存じてをったが、 戲謔《むだぐち》にかけては眞《まこと》に窮極《きわま》る所を知らぬ、いや、拔群な竒想《おもひつき》に長じた奴。 予《わし》をば幾千度も背に負ふて歩いたものぢゃ。それを今にして想ひ起すと、厭らしうも怖ろしうもあるわい! えゝ、胸が惡うなる!此邊に脣があったのぢゃ、それに幾たび接吻をしたか知れぬ。……こりゃ、 汝《そち》の惡まれ口は如何《どう》したぞ?道外踊《だうけをどり》は?歌は? 滿座を笑ひ顛覆《くつがへ》らせた滑稽戲謔は何としたぞ?齒を露出《むきだ》した此顏を誰一人相手にするものも無いか? 笑ふことさへも出來ぬか?こりゃ、今、姫逹《ごたち》の部屋《つぼね》へ參って、如何《どん》な厚化粧を施しても、 假令《たとへ》一寸程厚うても、所詮は如是《こんな》顏にならねばならぬと言うて笑はせて來たがよい。 ……ホレーショー、聞きたいことがある。 ホレ 何でござりまする? ハム アレクサンダーも地中に入っては、やはり此樣に見えたであらうかの? ホレ でござりませう。 ハム そしてまた如是《こんな》臭氣《にほひ》が?ペッ〜! と髑髏を下におく。 ホレ さやうにござりませう。 ハム 死んだ後には如何《どん》なあさましい用に使はれうも知れぬなう! 想像で辿って見れば、アレキサンダー大王の遺骨とても、塵や土と化した末には、 酒樽の穴塞《あなふさぎ》なぞに用ひられまいものでもない。 ホレ さうお考になりまするは、御穿鑿過にござりませう。 ハム いや、ちッとも。穩當に考へて然《さう》ぢゃ、有るらしいことぢゃ。 先づ斯《か》うぢゃ、アレキサンダーが死ぬ、埋葬する、塵埃と化する、塵埃といふは土ぢゃ、 土から粘土《へなつち》が出來る、 そこで其アレキサンダーの化成たるに外ならぬ粘土《へなつち》を以て麥酒《ビール》樽の詮とすることもありげではないか? 萬乘のシーザーも粘土と化しては、 徒《いたづ》らに風前の罅隙《こげき》をや塞がん。 あはれ〜、嘗《かつ》て世を震駭せし土、 今は只嚴冬に破壁をつゞる! が、しッ!しづかに!彼方《あち》へ!あれ、王が來るわい。 僧官其他行列を正して出る。オフィリヤの遺骸を先に、レヤーチーズ及び哀悼者#多勢《おほぜい》、 王、妃其他從臣等。 妃をはじめ廷臣#共《ども》。何者の葬送《のべおくり》ぢゃな?剩《あまつ》さへ不具の儀式は? 疑ひもなく、こりゃ當の亡者は、亂心の餘り自殺をしたといふ標章《しるし》ぢゃ。 身分の低うない者であるらしい。暫時かくれて樣子を見よう。 ホレーショーと共に物蔭へ退く。 レヤ 外には式とてもござらぬよな? ハム あれはレヤーチーズぢゃ、立派な若者ぢゃ。見てゐい。 僧長 妹御の御葬儀は、宗法の許し申す限り、鄭重に仕ってござる。御最期が疑はしうござったによって、 大命がござりませずば、此程《かばかり》恆例を曲ぐることも致さず、何の式も行はいで葬り、 審判《おほさばき》の喇叭の響くまで其儘に致しおき、また石、瓦、礫《じやり》のたぐひを、 後世《ごせ》を願ふ祷《いのり》の代りに、死骸《むくろ》の上にも抛下《なげか》くべきを、 處女《をとめ》相當の花冠、式の如き撒花、鐘を鳴らしての送込までも許されましたは、 何《いづ》れも格外の處分《はからひ》でござる。 レヤ では以上《このうえ》には最早《もう》何も叶はぬと被言《おしや》るか? 僧長 此上《このうえ》には叶ひませぬ。正しう世を逝《さ》ったる人々と同列に、これなる亡者に喝《け》を唱へて、 安樂往生を勸め申すは、埋葬の禮を涜《けが》す畏れ。 レヤ (激して)土の中へ遺骸《それ》を入れい。……淨《きよ》い美《うるは》しい妹の肉中《みうち》から、 菫が生えいでゝ咲けいやい!……やい、情《なさけ》知らずの僧官《ぼうず》どの、 おぬしが悶轉《のたう》って吠える時分に、一定、妹は天人ともなってをらうぞ。 僧侶の一群入る。 ハム や!すりゃオフィリヤが? 妃 (花を墓上に撒きて)いとしい處女《をとめ》にいとしい花を。さらばぢゃ! 和子ハムレットの妻ともならせます日を頼うでゐたに。いとしいオフィリヤよ、 そなたの新床を飾らうとこそ思ふたれ、墓地《おくつき》に花を撒かうとは。 レヤ おゝ、三重の禍災《わざはひ》よ、十倍、三十倍ともなって、 殘忍な行爲《ふるまひ》をして汝《おこと》の正氣を顛倒させた彼奴が素頭《すかうべ》に落下れ! ……待て土を、暫く待て、も一度妹を抱かねばおかぬわ。 と墓穴の中へ躍り入る。 さァ、積め、土を積め、生身《いきみ》と死身《しにみ》の用捨は要らぬ、積んで〜積上げて、 此平地の中央《まんなか》へ、ピリオンはおろかオリンポスの雲に冲《ひい》る大峰をも、 眼下に瞰《みおろ》す山を作れ。 ハム (進み出でゝ)やァ、何者なれば業々しき其高言!汝が哀悼の語《ことば》には、 間斷無く廻《めぐ》る天の星も耳を騷《おどろ》かして停止《たちどま》らうぞ。 予《われ》こそはデンマークの王嗣《わうし》ハムレットぢゃわい! と同じく墓穴へ躍り入る。 レヤ おのれ、奈落に落ちをれやい! と二人掴み合ふ。 ハム そな事をいふは爲になるまいぞ。これ、喉の手を放せ。俺は怒り易うも無く、また粗暴でもないが、 いざとなれば怖しいことをもしかねぬ。用心するが利根であらうぞ。放せ! 王 兩人を引分けい。 妃 ハムレットや、ハムレットや!…… 多勢 お二人とも…… ホレ まゝ、お鎭《しづま》りあらせられい。 侍臣等二人を引分ける、二人とも墓穴より出る。 ハム はて、此事だけは、俺の眼蓋《まぶた》の動く間は、彼奴と爭はずにはおかぬわい。 妃 おゝ、ハムレット、此事とは? ハム オフィリヤを愛する此心の深さは、四萬人の實の兄が思ふ限りの愛を以ても、決して及ぶことではないわ。 ……やい、汝《おぬし》はオフィリヤのために如何《どん》な事をする積ぢゃ? 王 こりゃ、レヤーチーズよ、ありゃ狂人ぢゃ。 妃 どうぞ堪へてたも。 ハム さァ、誓文、何を爲よう氣か、それを見せい、泣くか、鬪ふか?斷食するか?うぬが身を裂くか? 酢を飮むか?鰐を食ふか?はて、俺もして見せうわ。汝《おぬし》は吠えようとて此處へ來たか? 墓穴へ躍込んで俺の面目を潰す心か?何ぢゃ、一所に埋められたい?はて、俺も一所に埋められたいわい。 山の高言を竝《なら》べうなら、三人の頭《かうべ》の上へ億萬坪の土をも積め、積んで〜積上げて、 オッサの高峯も疣《いぼ》かと見え、盛上がった大地の頂が日輪の火で焦げるまでも。 いやさ、高言なら、俺も負《ひけ》は取らぬわい。 妃 こりゃ全く亂心ぢゃ。暫時《しばし》あゝしておいたなら、やがては母鳩《めはと》が黄金色の雛を孵した時のやうに、 おしだまって鎭靜《しづま》らうわいの。 ハム これ、レヤーチーズ。何故に足下《おぬし》は予《わし》を此樣に扱ふのぢゃ。 予《わし》は足下《おぬし》を愛してをったに。……はて、關《かま》ふことはない。 ハーキュリーズが有りたけの力を盡くしても、猫は猫、犬は犬ぢゃ。 とハムレット入る。 王 大儀ながらホレーショー、彼れが左右《ほとり》に。…… ホレーショー入る。 (レヤーチーズに對ひ)昨夜《ゆうべ》言うたことを頼《たのみ》となし、今しばらく堪忍しやれ。 やがて彼の事を試よう。……ガーツルードどの、和子に心を附けめされ。 ……何《いづ》れ此#墓地《おくつき》には死なぬ碑《いしぶみ》を建てさせよう、 すれば天下はおのづと泰平。まづ、それまでは、何事も堪忍、堪忍。 皆々入る。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16 ハムレット:第五幕 第二場 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五幕 第二場 城内の大廣間。 ハムレットとホレーショー出る。 ハム 其事はそれだけぢゃ。さて他の一條ぢゃが、一部始終を記《おぼ》えておゐやるか? ホレ 記《おぼ》えて、とおほせらるゝは? ハム いや、なう、予《わし》は心中に苦悶があって、如何にしても眠られず、 鐡枷に呻吟する船の暴徒にだも劣る境涯よと嘆ずるうち、ふと向不見《むかうみず》に思立って…… あゝ、これぞ向不見《むかうみず》の功徳といふもの……深う計ったる事の敗るゝ場合に、 一向の無分別が却って大功を立つることがある。よし荒削《あらけづり》は人間がしようとしても、 所詮の仕上は神力《かんぢから》ぢゃわい。 ホレ それは全くでござります。 ハム そっと船室《ふなべや》から起出で、海上用の外套《うはぎ》を引掛け、暗中を探り探って、 目指す一品を求めたるところ、幸ひに望が叶ふて、件《くだん》の包をば手に入れた。 すなはち我室《わがへや》へ立戻り、身を思ふの餘り、作法などを顧る遑《いとま》なく、 大膽にも彼等が承り參ったる大命の書どもを開封したる處、何とホレーショー…… 驚き入ったる王が奸計!……デンマークの爲にも、イギリスの爲にも、ほッ! 予を生かし置くは怖しき事の限りなれば、此書一覽次第、寸時の猶豫も無く、 斧を研ぐ間《ひま》もあらせず、立地《たちどころ》に予が首《かうべ》を打落せ、 と種々樣々な口實をば繕ひ立てし王が嚴命。 ホレ あらう事としも存じられませぬ! ハム 其書面はこゝにある、後でゆっくり讀んだがよい。さて、其折、予が何と致したかを話さうか? ホレ 何卒《どうぞ》。 ハム まッ其如く、惡漢《わるもの》共に取圍まれたる絶對絶命…… まだ腦中に是といふ開場詞《まくあきのことば》さへも出來ぬうちに、智慧が働いて、 活劇をば演じはじめた。……で、わしは座に着いて、改めて國書を案文し、筆蹟を見事に書認《かきしたゝ》めた。 嘗《かつ》ては世の經世家と同じやうに、字を能《よ》う書くことなどは取るに足らぬ事と思ふて、 一旦習ふたをも強ひて忘れやうと力《つと》めたこともあったが、今度こそは、 それが忠僕の勤務《つとめ》をしたわい。さて、何と書いたかゞ知りたいか? ホレ はい、承りたうござります。 ハム 王よりイギリス王に宛てゝ懇《ねんごろ》なる依頼状《たのみじやう》、…… そも〜イギリスは忠誠無二の屬國なればとか、 兩國の信義は常磐木の如く榮ゆべき筈なればとか、 平和の神は常に小麥の花冠を戴いて兩國好誼の媒《なかだち》たるべければとか…… といふやうな負擔重き幾多の驢馬共を列《なら》べ記し、 書中一覽の上は最早寸分の躊躇もなく、懺悔をだに許さずして、 此書持參の兩人をば立地《たちどころ》に誅戮《ちゆうりく》せらるべしと認《したゝ》めたわ。 ホレ して御印は、何となされました? ハム はて、それにもまた天の配劑。予《わし》は平生《ふだん》お裡《うち》に、 父王の印璽を所持してをったが、それぞデンマークの國璽の模型《うつし》。 すなはち我認めたる命令書を式《かた》の如くに疉み、署名もし、捺印もして、安全に前《もと》の處に入れて置いた、 取換兒とは誰れにも知られず。さて、次の日が海上の戰鬪《たゝかひ》。 其後の事共は既にkはしうお知りゃっての筈。 ホレ ではギルデンスターンとローゼンクランツはさいうふ身の果と相成りましたか? ハム はて、あんな役廻りを我から求めた奴等なれば、苛酷《むご》いとも思はぬわい。滅亡は自業自得。 勇士が互ひに奮激して火花を散らす白刄《しらは》の間へ、匹夫下郎が入るのは兎角危いものぢゃわ。 ホレ さても〜驚き入ったる王の振舞! ハム 何と、此上は、當然の事では無いか?……我父王を弑し、我母を弄び、我登極の望を遮り、 剩《あまつ》さへ如是《かゝる》奸譎《かんきつ》なる手段《てだて》を以て我一命まで釣らうとした奴 ……かゝる奴を誅戮するは天の命ずる所ではないか?かゝる人間の[(矛|攵)/虫]賊《はうぞく》を生けおいて、 更に害毒を長ぜしむるは、それこそ墮地獄の大罪ではないか? ホレ 程なくイギリス表より、かなたにての事の次第を、一定、王の許《もと》へ申越すでござりませう。 ハム いかにも、程なく。其時までは我有《わがもの》ぢゃ。人の命は「一」と言ふ程の間さへも無い。 それはさうと、ホレーショー、予《わし》はレヤーチーズに對し、我れを忘れ、無禮を働いたを後悔するわい。 我身の上に引當て、彼れが心根を思ひやる。中直りをしてくれいと言はう。 とはいへ、餘りに業々しう歎きをったゆゑ、何ぼうにも堪忍がならなんだわ。 ホレ あ、もし、誰れやら參りました。 氣取りに氣取った服裝の廷臣オズリック出る。 オズ 殿下にはようこそ御歸朝遊ばされました。 ハム かたじけなうござる。……(ホレーショーに對ひて)此水蠅めをお知りゃってか? ホレ (ハムレットだけに)いや、存じませぬ。 ハム (ホレーショーだけに)では俺よりは運がよい、あんな奴を知ってをるのは曲事《くせごと》ぢゃ。 彼奴《あいつ》は良い地面を澤山《いかいこと》有《も》ってをる。牛や馬でも牛や馬仲間の領主となれば、 隨分王の食卓へ其#秣槽《かひばおけ》持込むことの出來る時勢。彼奴《あいつ》は阿呆鳥ぢゃが、 泥土《どろ》だけは、今いふ通り澤山《いかいこと》有《も》ってをる。 オズ 憚りながら殿下、自然#御間暇《ごかんか》に渡らせられますならば、 陛下《かみ》より御申附の儀を啓したうござります。 ハム おゝさ、謹み畏《かしこ》んで承りませうぞ。ま、其#帽子《かぶりもの》を正當《まつたう》に用ひめされい。 それは頭に載せておくものぢゃ。 オズ 忝《かたじけな》うござりまするが、酷《きつ》う暑うござります。 ハム いや〜、今日は酷《きつ》う寒い、北風ぢゃによって。 オズ 成程、隨分とお寒うござりまする。 ハム したが、酷《きつ》う蒸すによって、予のやうな性質《うまれつき》には大ぶ暑い。 オズ 殊の外、あの、ない酷《きつ》う蒸しまする、……どうやら、その……何でござりまする。…… いや、なに、陛下《かみ》より仰附られましたる儀は、此度#陛下《かみ》に於《おか》せられて、 洪大なる御賭を殿下のお爲に遊ばしました儀を啓し奉れでござりまする。えゝ、其仔細は…… ハム どうか、今言うたことを…… ハムレットはオズリックに帽子をかぶれと手で指圖する。 オズ いや、なに、殿下。全く、その、勝手にござりまする。えゝ、新歸朝のレヤーチーズどの儀は、實に、 彼人こそは何一つ缺所も無い名士でござって、拔群な種々の長所を具へをられ、 應對振も嫻雅《みやびや》かでござれば、擧止風采も立派で、いや、 實に剴切《がいせつ》に論評《あげつろ》ひませうならば、 活きた禮儀の早見表#乃至《ないし》作法の撮要録ともござりませうか、 かりそめにも士君子たらん者の望みまする限りの諸《もろ〜》の美徳をば、彼人は兼備へてをられまする。 ハム 評し得て遺憾なしぢゃ。もっとも、彼れが長所や才能を一々分析しはじめたなら、餘り數の多さに記憶力が狼狽して、 どう追驅ける見ても先方《むかう》の船足が速いので、予は彼れを大噐量人と信じてをるわい。 彼れが天分は、いかにも貴く又有りがたいによって、物に喩へて評しようと思ふても、 似た物とては鏡に映る彼れ自身の影ばかりぢゃ、況《いわ》んや彼れの摸倣《まね》をしようとする輩《ともがら》なぞは、 只彼れが影坊師たるに過ぎぬわい。 オズ 殿下の御評言は周到適切にござります。 ハム して理由《いはれ》は?いやさ、かやうな拔群な君子人を何故に蕪辭を以て推讚するのぢゃ? オズ へ? ホレ 他の口吻では解りませぬかな?な、もし、解りさうなものぢゃに。 ハム 彼人の噂をめされたは何の爲ぢゃ? オズ レヤーチーズどのゝ? ホレ (ハムレットだけに)財布がもう空らしうござります、金言をば費《つか》ひ果しまして。 ハム (オズに對ひて)いかにも彼れの。 オズ 豫《かね》てもお智識のあらせられまする通り…… ハム いや、無いかも知らぬて。あったところで格別嬉しうもない。ところで。 オズ お智識のあらせられまする通り、レヤーチーズどの長所の儀につき…… ハム いや、知ってをるとは能《え》い言はぬわ、彼れに劣らぬといふ自負自慢に類するのが厭ぢゃ。 善く人を知るは自ら知るの謂《いひ》ぢゃによって。 オズ 小官《それがし》が申すのは、武噐《うちもの》にかけてゞござりますが、 俗の評隲《ひやうしつ》に因りますれば、彼人の此長所は、天下無雙ぢゃげにござります。 ハム 武噐《うちもの》は何か? オズ 細刄《ほそみ》とで。 ハム それは彼れが武噐《うちもの》中の二種ぢゃ。が、さて…… オズ さて、陛下《かみ》には彼人に對してバーバリー馬六頭を賭けさせられましたる所、 それに對して彼人の質《ち》とせられましたは、承る所によりますると、 フランス製作の細刄《ほそみ》と短劍《みじかつるぎ》、合はせて六口、并《なら》びに飾帶、 劍鉤《つるぎつり》なんどといふ附帶品。就中《なかんづく》、釣懸機三箇は、優美の製作《こしらへ》で、 第一、[木|霸;#2-15-85]《つか》との調和もよろしく、風流を極めましたもので、雅致を盡した細工にござります。 ハム 釣懸機とお言やるは? ホレ (ハムレットだけに)とくと御合點なさるゝまでには、何れ註釋書がお入用と存じてをりました。 オズ 釣懸機と申すは劍鉤《つるぎつり》のことでござります。 ハム 腰に大砲でも埀下《ぶらさ》げてあるくやうになったら、其樣な言葉も似合はうが、 まづそれまでは劍鉤《つるぎつり》であってほしい。が、それから。六頭のバーバリー馬に對して六口のフランス劍、 其附帶品#竝《なら》びに雅致を盡した釣懸機か。とりも直さず、デンマーク對フランス賭ぢゃの。 なんでそんなものを、お身が言はるゝやうに、「質《ち》とせられた」のぢゃ? オズ えゝ、陛下《かみ》には、殿下と彼人と十二合お手合せあらせられまする間に、 三たびの中《あた》り以上を彼人の能《え》い贏《か》つことはあるまいとあって、 すなはち九に對する十二と賭けさせられ、自然殿下に於せられてお立合ひを許させられまするならば、 直《すぐ》にも御試合を催させられませうやうとの叡慮にござります。 ハム 立って逢ふのは否《いや》ぢゃと言うたらば、如何《どう》ぢゃ? オズ いや、武藝のお手合せを遊ばされますることを申しましたので。 ハム 此室内《ざしき》を歩いてゐよう。御意とあらば、恰《ちよう》ど予が遊技の時刻でもあるによって、 試合劍《はびき》をこゝへ持參したがよい。彼人にも依存なく、王の御意も變らぬならば、成るべくは勝ちもせうぞい。 爲損じたら、めったに突かれて恥を曝すばかりのことぢゃ。 オズ その通り復命いたしませいや? ハム おゝさ、潤色はお心任せぢゃ。 オズ 長《とこしな》へに臣が微衷を殿下に薦め奉《たてまつ》りまする。 ハム 過分々々。…… オズリック入る。 自身《われ》と自身《わがみ》を薦め奉《たてまつ》るも當然ぢゃわい。 彼奴《あいつ》の爲には誰一人口を利く者もあるまいによって。 ホレ あの鳧《たけり》は尚《まだ》殼が取れぬ癖に善う走ります。 ハム 彼奴《あいつ》は乳を吸ふ前に乳房に辭儀をしをったらう。彼奴《あいつ》をはじめ、 總別澆季の世に歡び迎へらるゝ小鳥どもは、纔《わづか》に時代の調子を手に入れ、辭儀、 口儀の只#皮相《うはつら》を能《よ》う諳《そら》んじたに過ぎぬわい。 泡沫同然の似而非《えせ》學問で、籤別《ひわ》け、扇ぎ別けて、七むづかしい世評の中をも潛り脱けをる。 したが、只人吹ふいて見やれ、石鹸玉《しやぼんだま》が消ゆるわ。 一紳士役出る。 紳士 殿下、陛下《かみ》先刻オズリックを以て思召《おぼしめし》を薦めさせられましたる所、同人立歸り、 殿下お廣間にて待受の旨を復命仕りましたるにつき、右レヤーチーズとお立合の儀尚御異存のござりませぬか、 或は御延期などにもござりませうや、承り參れとの御諚にござります。 ハム 予が心は變らぬ。王の御意次第ぢゃ。御都合さへ宜しくば、此方はいつでも宜しい。 今でもよし、いつでもよいわ、予の境遇《みのうへ》に異變《かはり》なくば。 紳士 兩陛下《おふたかた》をはじめ御一同、只今お渡りにござります。 ハム ちょうどよい。 紳士 お妃より殿下《みこ》に望ませられまするは、お立合に先だちまして、何卒《なにとぞ》レヤーチーズどのに對し、 御和睦の御挨拶どもござりまするやう。 ハム 御庭訓かたじけなう承ったぞ。 紳士役入る。 ホレ 此賭は御不利にござりませう。 ハム いや、さうは思はぬ。彼れがフランスへ參って以來、予も絶えず修業したわ。 それに數違ひなれば勝たうぞよ。……とはいへ、此胸が、何としたか甚《いか》う堪へがたなう惱ましい、 よもや、おぬしは……なにさ、かまうこおとではない。 ホレ はて、それは何となされたので…… ハム わっけも無いことぢゃ。恐らく婦人などなら、氣にもかけさうなことぢゃわい。 ホレ お心が進みませぬならば、お止になされませい。兩陛下《おふたり》のお渡りをお止《とゞ》め申し、 お障りの由《よし》を申しませう。 ハム 何の〜。前兆なぞを氣にゃせぬわい。雀が一疋落つるにも天の配劑。今來れば後には來ず、 後に來れば今來う、よし今は來ずとも、いつかは一度來うによって、何事も覺悟が第一ぢゃ。 殘してゆく世が我世でなくば、早う死なうとも何の事も無いわ。棄てゝおきゃれ。 王、妃、レヤーチーズ、廷臣ら多勢《おほぜい》、オズリック及び他の從臣、試合用《はびき》の劍、 籠手等を携へて出る。酒瓶《さかがめ》を載せたる卓子をも運び來る。 王 さゝ、ハムレット、こゝへお來やって此手をおとりゃれ。 王はレヤーチーズとハムレットとを握手さする。 ハム 予が罪を赦してくりゃれ。いつぞやは無禮な事をしたが、お身は紳士ぢゃ、赦しておくりゃれ。 列座の人々の知らるゝ通り、お身とても聞いたであらうが、予は狂氣の爲に痛くみづから身を罰した。 お身の情《こゝろ》を害《そこな》うたり、名を思ふ心を傷つけたり、 義憤を起させたりしたのは悉皆亂心の所爲《せゐ》ぢゃ。 ハムレットに於ては、未だ曾《かつ》てレヤーチーズに無禮を加へた覺えは無い。 若しハムレットの本心が其身を離れ、彼れにして彼れならぬ時に無禮をレヤーチーズに加へたとすれば、 それはハムレットの所爲《せゐ》ではない。ハムレットにはそんな覺えは無い。 では誰れの所爲《せゐ》ぢゃ?狂氣のした事である。すなはちハムレット自身も害を蒙った一人ぢゃ、 狂氣は不幸《ふしあはせ》なハムレット自身の仇でもある。……かた〜゛の面前で、 斯《か》う底意なく誓言する上は、いつぞやの過失《あやまち》は、譬《たと》へば、屋根越しに矢を放って、 圖らず同胞を傷けた一時の粗忽と恕しておくりゃれ。 レヤ 其お詞《ことば》で怨《うらみ》は晴れ、情《こゝろ》だけは釋けましたが、武門の面目は格別でござる。 然るべき長者の和解《あつかひ》によって、それがしが名折とならぬやう、 立派なる先蹤《せんしよう》の示されませぬうちは、いっかな和睦は仕りませぬぞ。 まづ、それまでは、其御懇情を、お言葉の儘に、いたゞおくでござりませう。 ハム 此上は隔心なく、お互ひに心を許して、同胞《きやうだい》づくの試合をせう。 ……試合劍《はびき》を持て。……いざ。 レヤ いざ、こちへも。 ハム レヤーチーズ、をさない予が技は、象嵌の地板も同然ぢゃ、おことの手練が照返されて、 暗《やみ》の夜の星のやうに輝かうぞ。 レヤ 戲言《ざれごと》をおほせらるゝ。 ハム いや、神以て。 王 オズリック、兩人に劍をとらせい。……ハムレットよ、賭の事をお知ゃってか? ハム はい。陛下《かみ》には弱い方へ重い賭物を遊ばしたさうな。 王 雙方の手並を知ってゐれば、懸念はせぬ。もっとも、レヤーチーズの上逹を思ふて、 數違ひにしておいた。 レヤ こりゃちと重いわ。他のを見せい。 ハム これが氣に入った。……長さには異《かは》りはないか? オズ 御意にござりまする。 二人立合の身支度する。 王 それなる卓子に酒瓶《さかがめ》を据ゑい。…… もしハムレットが第一合か第二合か乃至《ないし》第三合に於て相手方に報ゆるを得ば、 あらゆる壘壁《るゐへき》より祝砲を放たしめ、王はハムレットが未來を祝ふて酒盃《さかづき》を擧げうぞ。 また酒杯《さかづき》へは四代のデンマーク王が寶冠に著けた品にも優る眞珠を投ぜん。 盃《さかづき》をもて。いざや、王がハムレットの爲に只今祝盃を擧ぐる由《よし》を、銅太鼓を鳴らして喇叭手に傳へ、 九天をして更に大地に傳へしめい。……いざ、はじめい。……審判役《さばきやく》ども、ぬかるまいぞよ。 ハム いざ〜。 レヤ いざ。 と兩人激しく突合ふ。 ハム 一つ。 レヤ いや〜。 ハム 審判《さばき》。 オズ あたり、正しうあたり。 レヤ よろしい。も一度。 王 まて〜。注げ〜。……こりゃハムレット、この眞珠はおことのぢゃ。めでたう祝ふて飮むぞよ。 王盃中に眞珠を投ずる。喇叭を吹鳴らす。奧にて祝砲の音。 ハムレットに此祝盃をとらせい。 ハム いや、此一番を果しませう。先づ、そちらに。……いざ。 と激しく突合ふ。 も一つ。何と? レヤ まゐった、かすり手。 王 ハムレットが勝うたぞよ。 妃 肥り肉《じし》ゆゑ息が切れう。……これ、ハムレット、此汗拭で汗を拭や。 そなたの勝を祝ふ酒盃《さかづき》、妃が乾すぞや。 ハム かたじけなうござるが…… 王 ガーツルード、それは! 妃 いゝえ、失禮ながら。 王 (傍を向いて)毒を入れた酒盃《さかづき》!あ、もう手おくれぢゃ! ハム (妃に對ひて)それがしはまだ能《よ》う飮みませぬ。やんがて。 妃 こゝへ來や。汗をふいてやりませう。 レヤ (王に對ひて)今度こそは必ず手並を御覽に入れん。 王 おぼつかないわえ。 レヤ (傍を向きて)とはいへ、どうも心が咎めてならぬ。 ハム さ、第三合。レヤーチーズ、足下《おぬし》は本氣の立合をしやらぬな。 ある限りの力で突いて來やれ。予《わし》をなぶるのか? レヤ はて、さう被言《おしや》るならば……いざ。 ト又激しく突合ふ。 オズ まだ〜、まだ〜。 レヤ しめた。 レヤーチーズ一突ハムレットを突く。激しき接戰になりて互ひに劍を取り落すと同時に取りかへ、 とゞハムレット一突レヤーチーズを突く。 王 それ、引別けい!逆上したと見ゆるぞ。 ハム いや〜。もう一度。いざ〜。 此うち妃毒に中《あた》りて倒れる。 オズ やゝ、お妃には……やァ〜! ホレ や、雙方ともに手負の樣子。……殿下《ごぜん》、何となされました? オズ レヤーチーズどの、こりゃ何となされましたぞ。 レヤ わが係蹄《かけわな》に山鷸《やましぎ》の、我れからかゝる身の果。爭はれぬ惡の報い。 ハム 妃には何となされた。 王 二人が血を見て動顛したのぢゃ。 妃 いえ〜、その酒ぢゃ、その酒で……おゝ、ハムレットや!…… その酒で毒害……毒害にあうたのぢゃ。 といふつゝ息絶える。 ハム おゝ、さてこそ奸計!……やァ〜!戸口を固めませい!二心《ふたごころ》の者があるぞ! とく其奴をさがし出せ。 レヤ それこそすなはちこれに。ハムレットさま、あなたの命は早ゃなきもの。 天《あめ》が下にありとある如何な靈藥を用ひても、もう半時とは保《も》たぬお命。 今お手にある劍こそは、毒を塗った其上に、切先さへも尖ったまゝ、 其#奸計《わるだくみ》の報いは覿面《てきめん》身に返り、御覽ぜよ、まッ此如く急所の痛手に必死の有樣。 御#母妃《はゝうえ》は正しく毒殺。もはや物が言はれぬ。……王こそ……王こそは發頭人! ハム むゝ、切先に……毒までも塗ったるよな!……ならば見事、毒の效果《きゝめ》を! ト王を目がけて飛びかゝり王の胸元を貫く。 皆々 叛逆《ほんぎやく》、叛逆《ほんぎやく》! 王 おゝ、助けてくれ、人々。まだ手疵《てきず》を負ふたばかりぢゃ。 ハム やい、おのれ、非倫、無慚、殘虐、非道のデンマーク王……この毒を飮みほしをれ! おのれの眞珠とはこれか?母上のあとを追へやい! と毒を注ぎ入れる。王息絶える。 レヤ おのが盛った毒藥なれば、それぞ至當のおもてなし。ハムレットさま、最期《いまは》に互ひの罪を赦さん。 我々親子の怨《うらみ》は晴れたり、君にも我れをば怨ませたまふな。 と息絶える。 ハム 天が其罪を赦したまはん!後よりゆくぞ。……ホレーショー、予もこれまでぢゃわい。…… あさましい母上おさらばでござります!……此慘劇に參じて色を失ひ、慄へ戰き、 一言の白《せりふ》もなき仕出しとも見物とも見ゆる人々よ、われに餘んの時あらば、 冥府へ我れを驅立つる死の鞭の手の急ならずば、おゝ、語るべき事、いふべき事…… あゝ、それはともかくもぢゃ。……ホレーショー、もうこれまでぢゃ、御身は後に存《ながら》へて、 わが志を知らぬ輩に正當の事を傳へておくりゃれ。 ホレ その仰せには從はれませぬ。デンマーク人とは生れましたが、志はいにしへのローマ人にも劣らぬそれがし。 幸ひこゝに殘った毒酒が…… ハム 男なら、渡せ、放せ。これは俺が飮んでしまふわ。……おゝ、おゝ!……ホレーショー、 我が亡き後に如何なる惡名、仔細が知れずば、殘らうともはかりがたい。われを思ふ眞心あらば、 しばらく至幸《しあはせ》に遠ざかり、憂世に苦しき命#延《のば》はり、我がために一部始終を…… 進軍の喇叭。祝砲の音聞える。 や、あの勇ましい物音は? オズ あれこそはノーウェーのフォーチンブラスが、只今ポーランドより凱旋の折も折、 イギリス國より使節の來着、それを迎ふる禮砲にござりまする。 ハム おゝ、ホレーショー、今ぞ死ぬる!激しき毒に心氣全く衰へたれば、イギリスよりの知らせ待つ間も保たぬ命。 いまはに予は豫《あらかじ》めフォーチンブラスを推し立てゝ我國の王嗣《わうし》と定めう。 事のこゝに及びつる始終の仔細を、彼の人に、何卒《なにとぞ》語り……おゝ、餘は空寂! とハムレット息絶ゆる。 ホレ 拔群の御心も今こそ摧《くだ》けたれ!……ハムレットさま、おさらばでござります。 天使の歌に送られて安養世界へ登らせたまへ。……何とてこゝへ、あの軍《いくさ》太鼓は? 奧にて進軍の樂。フォーチンブラスを先に、イギリス使節、軍太鼓、軍旗等を携へさせ、 侍臣多勢を率ゐて出る。 フォ それは何處ぢゃ? ホレ 何物を御覽ぜうとや?慘《いた》ましきもの又駭《おどろ》くべきものを見ようとなら、 最早尋ねさせらるゝには及びませぬ。 フォ 大破壞を示す屍《かばね》の山!おゝ、傲り驕《たかぶ》る死の神よ! 如何に饗應《もてなし》の準備《こゝろまうけ》を、地下永劫の庖厨《くりや》にて、 汝が今なさうとはするぞ、かく無慚にも只一彈に數多《あまた》の貴人をば射殺すとは? 使節 ても慘《いた》ましい光景《ありさま》!イギリスよりの御消息も時後れとなったれば、 大命の通り、ローゼンクランツ、ギルデンスターンの兩人が世に無き由《よし》を聽かせられうずる耳も聾《し》ひたり。 何處《いづこ》にてか感謝《よろこび》の御言葉をば承らうぞ? ホレ 王御存命におはさうとも、感謝《よろこび》のお言葉は述べられますまい。兩人を死罪の儀は、 王の御意ではござらなんだ。それは格別、此大珍事の折柄に、君にはポーランド表より、兩卿にはイギリスより、 御來朝ありしぞ幸ひ、此#死骸《むくろ》どもを高う壇上に据置き、小官《それがし》御許を蒙って、 まだ仔細《ことわけ》を知らぬ世人に、事の顛末《もとすへ》を語りませう、かたがたにも聽聞あらせられませい。 邪侈、殘忍、不倫の行爲《ふるまひ》、つゞいて不慮の裁斷《とりさばき》、 まった思はぬ殺戮《ひとごろし》、餘儀なき苦肉の計略《はかりごと》乃至大詰の此參事、 企《たく》みし事の手筈狂うて企《たく》める者の頭上に應報せし一部始終を小官《それがし》つぶさに辯じませう。 フォ 疾《と》くそれを承らう。國内の最も身分高き人々をば呼集へい。 愁傷の折柄ながら、予は我運を抱き迎へう。予は本當國に若干《そこばく》の縁故あれば、此#機《をり》を幸ひに、 宿志を遂ぐる手續せん。 ホレ その儀につきては、傳へ申すべき事のさふらふ。すなはち、多衆の同意を引寄すべき御方の御遺言。 さりながら、先づ、只今の儀を行はせられませい、人心恟々たる今こそ肝腎、さなくば誤解陰謀などにて、 何樣の不祥《わざはひ》出來仕らんも圖りがたし。 フォ ハムレットどのゝ屍《なきがら》は、武士《ものゝふ》のそれらしう、旗頭ども四人にて、壇上に擔《か》きもて行け。 機《をり》をだに得ば、拔群の英主たるべかりし王子なり、武の樂を奏し、兵の禮を施し、 其長逝を四方に告げい。……それ、死骸《なきがら》を擔《か》き上げい。…… かやうな光景《ありさま》は戰場にこそふさはしけれ、こゝにては目もあてられぬわ。 ……いざ、砲を放たしめい。 死者を送るマーチの曲。死骸を擔荷《かきにな》うて一同入る。奧にて大砲の音。 ハムレット(完) [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/02/16