イワ゛ンヂェリン : 目次 ------------------------------------------------------------------------------- タイトル:イワ゛ンヂェリン (Evangeline, 1847) 著者:ロングフェロウ (Henry Wadsworth Longfellow, 1807-1882) 譯者:幡谷正雄 (1897-1933) 底本:新潮文庫第百十三編『イワ゛ンヂェリン』 出版:新潮社出版 履歴:昭和九年八月五日印刷,昭和九年八月十二日發行 ------------------------------------------------------------------------------- イワ゛ンヂェリン ロングフェロウ 著 幡谷正雄 譯 ------------------------------------------------------------------------------- 目次 * 序歌 * 第一部 * 第二部 * 註釋 * 解説 ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/07/18 イワ゛ンヂェリン : 註釋 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 註釋 序歌 古への豫言僧 ドルイド僧は古代ケルトやブリテンの僧侶で、槲の木を崇拜した。 第一部 一 グラン・プレ フランス語で、「大きな牧場」の意。 マイナス灣 フィンディ灣の東北にある小さな灣。 ブロミドン マイナス灣口にある數百呎の高い巌の岬。 ヘンリー王朝 一五七四年から一六一〇年迄フランスを治めたヘンリー二世、三世及び四世。 ノルマンディー フランスの東北にある地方。アカディー人は多くこの地及びバアガンディーから來たものである。 牛草膝 天主教會で撒水に用ゆる木。元來、舊約に犠牲の血を撒くに使った木として書かれてゐる。 マリヤの聖像 天主教會で、旅人の便利のために路傍に立てられた祠をいふ。 悔い改めたペテロ ペテロが三度基督を拒んだ後、鶏の鳴いた故事を指す。路加傳二十二章六十節 -- 六十一節、 並びに馬太傳十四章二十九節 -- 三十節及び六十六節 -- 七十二節。 不思議な石 フランスの傳説に據《よ》れば、燕の雛が盲目の時には、 親鳥が海邊から視力を與へる石を見附けて來るといはれてゐる。 聖ユウラリの日の光 聖ユウラリとは二月十二日で、この日に太陽が輝くと、林檎がよく熟るといふノルマン人の諺がある。 二 天蠍宮 十二宮の一で、十月二十三日頃太陽はこゝに隱れるといふ。 ヤコブ 創世記三十二章二十四節より三十節。 萬聖節 十一月一日のこと。最初の降雪に續いて好天気である。米國では"Indian Summer"(小春)といふ頃。 ペルシヤの王 史家ヘロドタスの説によれば、ベルシヤ王ザクスシズ小亞細亞を通って希臘征伐に赴く時、 美しい篠懸《すゞかけ》の木を見てこれに寶石とマントルを飾り附けたといふ。 ノルマンの果樹園 フランスに於けるノルマンディーの果樹園。 バアガンディーの葡萄畑 フランスの東部地方で、葡萄と葡萄酒で名高い。 ガスペロ グラン・プレの近くを流れてマイナス灣に入る川。 ルイスバアグ ケイプ・プレトンの島にある要塞町で、アメリカのジブラルタルと稱せられてゐたが、 一七四五年に英国の手に歸した。 ボウ・セヂュウア マイナス灣の北にあるフランス人の建てた町であったが、一七一〇年に英国に占領せられた。 今はアナポリスといふ。 ルネ・ルブラン 實際の名であるといふ。 三 レティシュ 夜現はれる白い動物で、洗禮前に死んだ子供の幽霊であるといはれてゐる。 牝牛 舊教徒の間にはクリスマスの夕べ、牝牛は眞夜中に跪いて救世主を禮拜するといはれてゐる。 胡桃の殻 生きた蜘蛛を入れた胡桃の殻を首に吊してゐると熱病が癒るといはれてゐる。 四つ葉のクローワ゛ 馬の蹄鐵と共にこれを見出した者には幸運が來るといはれてゐる。 古い町 伊太利のフロレンス。 イシュマエル イシュマエルと母のハガアとはアブラハムの天幕から追はれて沙漠をさ迷った。 創世記二十一章九章 -- 二十一章。 四 『シャアトルの市民』 『ダンカアクの鐘』と共にフランスの古い歌。 エリヤ 豫言者エリヤは火の車に乘せられて天に行った。列王記略下二章十一節 -- 十二節。 豫言者モオゼ シナイを下ったモオゼはその顏が輝いたので、イスラエルの子供等は彼を恐れた。 出埃及記三十四章二十九章 -- 三十五章。 生ける人の奥津城 アカディーの村人が閉ぢ籠められたこの聖チャアルズ教會。 聖パウロ 使徒行傳二十七章 -- 二十八章。メリタはマルタのこと。 ネブラスカ プラッテ川ともいはれる。ミズウリに注ぐ。 第二部 一 ニュウファンドランド ノワ゛・スコシアの近くにある大西洋の島。 聖カザリンの髪 アレキサンドリヤ(埃及)及びシエナ(伊太利)の聖カザリンが獨身を誓ったことから、 一生獨身で暮すことをいふ。 二 ウォバッシュ インディアナとイリノイ州との間を流れて、オハイオに入る川。 アカディーの海岸 ミシシッピイ河口の地方。 オペルウサス ルイジアナにある地方。 ゴールドン・コースト ミシシッピイ川の岸邊。 プラクミーン ミシシッピイ河畔にある町の名。 アッチャファライア ルイジアナの湖。 ヤコブ ヤコブは雲の中にある梯子によって天に昇る天使を見た。創世記二十八章十節 -- 十二節。 テッシュ ミシシッピイ川に入る川。 バッカスの神 酒の神で、これに仕へる者は奔放な歌と踊によって彼に禮拜した。 三 フロリダ苔 本名はスペイン苔といひ、南合衆國の森に生ずる長い灰色の苔で纖維のやうに木から埀れ下ってゐる。 黄金の斧 ドルイド僧に槲の木に寄生木を見附けた時はこれを天から與へられた賜物として神聖にし、 白衣を着て木に登って黄金の斧で切り取り、それを宗教的儀式に用ひた。 アデイ テクサスの北部にある町。 オザアク山 アルカナサスとミズウリの間にある山。 オリンパス 神々の住んでゐたといふ希臘の山。 ナキトシュ ルイジアナにある町。 農園 この地方は元來フランス人が開拓したものであった。ルイジアナは一七六三年にスペイン領となったが、 一八〇一年に再びフランス領となり、一八〇三年に合衆國がこれを買ひ入れた。 クレオル人 西印度のスペイン人に與へられた名。 カアシュジャン派 一〇八六年聖ブルノオが開いた一派。 ウパルシン ベルシャザル王の饗宴の席上で、壁に天使の手が現はれて、"Mene Tekel, Upharsin"と書いた。 ダニエルはこの警告を『王の死』と解釋した。但以理書五章二十五節 -- 二十九節。 神の託宣 デルファイの洞穴で神々が人々に託宣を傳へた故事に似せたもの。 涙もて マグダレンがイエスの足を洗ったことより出づ。路加傳七章三十六節 -- 三十八節。 放蕩息子 路加傳十五章十一節 -- 二十四節。 愚かな娘 馬太傳二十五章一節 -- 十二節。 四 オレゴン コロンビア川。 ウォールウェイとオワイヒー オレゴン川に注ぐ川。 風河山脈 ロッキイ山脈の一部。 ネブラスカ プラッテ川。ロッキイ山からミズウリ川に注いでゐる。 フォンテン・クィ・ブー川 アルカナサス川に注いでゐる川。 スパニッシュ 山脈ウタとニュウ・メキシコにある峨々たる山の名。 イシュマエルの子 アメリカ・インディアンは彼等の放浪性と戰爭好きな性質のためにイシュマエルの子孫だと信じてゐる。 創世記二十一章十四節 -- 二十一節。 ファータ・モーガーナ 蜃氣樓の伊太利名。 カマンチェ メキシコやテクサスにゐるインディアンの種族。 ショニイ インディアンの一族。 昔の戀の傳説 モーイスとリリノウのインディアン物語 墨染の衣 黒衣を着てゐる舊教の僧侶。 道標べの花 草野ではその葉が南北を指して旅人に方角を示すといふ。 忘憂藥 ホオマアその他の古代の人によって言ひ傳へられてゐる藥液で、 これを服用すれば苦痛や悲愁を拂ふ不思議な效力があるといはれてゐる。 シヤグマ百合 ギリシヤの詩人によれば、この美しい花は來世の美しい野原に澤山あるといふ。 サギノー川 ミシガンにあり。 モラヴィア人の修道院 一七七二年オーストリアのモラヴィアに設けられた宗教團體であるが、 三十年戰役のために彼等の住居を破壊せられたので米國に移住して修道院を開いた。 五 ペン ウィリアム・ペンのこと。彼は一六八二年にペンシルヴァニア(ペンの森の國の意)を、 又一六八三年にフィラデルフィアを建設した。 森の木の名 フィラデルフィアの町は'Chestnut', 'Walnut', 'Pine', 'Oak'等の木の名をとって町名としてある。 疾病[誤:疫病] 一七九三年フィラデルフィアには非常に恐るべき黄熱病が流行した。 クライスト・チァーチ フィラデルフィアにある新教の教會。 スウェーデン人 スウェーデン人は一六九八年にフィラデルフィア郊外ウィカコで教會を開いた。 ヘブライ人 ヘブライ人は門柱に羊の血を塗って、死の天使が家を通過するやうにした。 出埃及記十二章三節 -- 三十一節。 異る民 英國の住民。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/07/18 イワ゛ンヂェリン : 序歌 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 序歌 こゝは神代《かみよ》ながらの原始林。 風に嘶《うそぶ》く松の幹に苔蒸して蔦 纒《まつ》はり、 日影うすれゆく夕べとなれば、 古《いにし》への豫言僧[1]のごとく悲しき聲をあげ、 胸に髯埀るゝ白髪の弾琴師《ことひき》の如く聳え立つ。 洞《うつろ》の巖《いは》より海の音《ね》は呻くが如く高鳴りて、 森の木立の悲しき調《しらべ》に應《いら》へてぞ嘆く。 こゝは神代《かみよ》ながらの原始林。 さあれ森の中に獵人《かりうど》の聲を聞きし時、 小鹿の如くをのゝきし人々は今は何處《いづこ》ぞ? 草もて葺《ふ》ける賤《しづ》が伏屋《ふせや》のアカディーの村は今は何處《いづこ》ぞ? 森を流るゝ川のごと生命《いのち》の流れ去りし村人も 今は地の影に隱されて、唯空の姿の映るのみ。 かの樂しき畠《はた》も荒れ果てゝ、耕す人も永久《とは》に消え失せぬ! 野分《のわき》の風の強うして、木の葉のごとく散り?゛に 遠く海の彼方《かなた》に吹き散らされて村人は永久《とは》に歸らず、 殘るは唯美しき村の傳説《いひつたへ》のみ。 愛は望みて忍ぶべきものと信ずる人よ、 少女《をとめ》の操《みさを》の美しさと強さを信ずる人よ、 森の老松《おいまつ》の今も尚 奏《かな》づる古《いにし》への悲しき傳説《つたへ》に耳假《みゝか》せよ、 幸《さち》多かりしアカディーの悲しき戀物語を聞けよかし。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/07/18 イワ゛ンヂェリン : 第一部 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第一部 一 アカディーの國のグラン・プレ[2]の小さな村は、遠く都を離れた片田舍の豐饒《みのりゆたか》な谷間に、 マイナス灣[3]を控へて、靜かに横《よこたは》ってゐた。 廣い緑の野原は遠く東に連《つらな》って、 「大きな草野《くさの》」といふ意味のこの村の名も相應《ふさは》しく、 數知れぬ羊飼ふ牧場《まきば》は此處彼處《ここかしこ》に見える。 村の百姓達が絶えず働いて築きあげた堤防《つゝみ》は、寄せ來る潮《しほ》を防いでゐるが、 定《き》まった季節には折々水門が開かれて、海水が思ひのまゝに野面《のづら》を浸すこともある。 西と南は平《たひ》らかな畠《はたけ》で、亞麻畑や、果樹園や、 玉蜀黍《たうもろこし》畑が遠くまで擴がって、眼を遮《さへぎ》るものもない。 北の方には遠くブロミドン岬[4]が高く峙《そばだ》って、山の頂には古い森の木立が見え、 山の上高く海霧《うみぎり》は白い天幕《テント》を張り、 大西洋から立ち昇る靄《もや》はこの美しい谷の上に漂うてゐるが、 雨となって落ちることはない平和の光景よ! この樂しい畠《はたけ》の只中にアカディーの村は静かに横ってゐた。 村の家々は槲《かしは》と栗の材木で堅固に造られ、 恰《あたか》もヘンリー王朝[5]の時ノルマンディー[6]の農夫の作った家のやうに、 屋根は草で葺《ふ》かれて、小さな明り窓が附き、 切妻が地間《ぢのま》の上に突き出て、入口を蔽うてゐるといふ奇妙な形《かたち》の家であった。 靜かな夏の夕べ、燦爛と輝く夕陽が村の街《まち》を照らし、 煙突の風信機《かざみ》がそよ吹く風に廻る頃、村の主婦と娘等は、 緋と青と緑の色染めの上衣《うはぎ》に、雪白《せっぱく》の帽子を戴き、 黄色い亞麻を紡ぐ絲取竿《いととりざを》をもって機織臺《はたおりだい》に向って坐った。 と、まもなく家毎に喧《かしま》しく廻る絲車の音と、 投げる梭《をさ》の音に交って、少女《をとめ》等の唄ふ聲が聞えて來た。 この村で一番尊ばれてゐるのは、教區の僧正フィリシアンであった。 彼が嚴《いか》めしげに街《まち》を通ると、子供等は遊びをやめて、 彼等を祝福するために差し伸べた僧正の手に接吻した。 僧正が子供等の間を虔《つゝ》ましさうに歩いてゐると、 主婦と少女《をとめ》等は立ち上って、靜かに近づき來る彼に言葉も優しく挨拶した。 やがて農夫が畑《はた》から歸ると、靜かに夕陽は沈んで、 四邊《あたり》には薄明《うすあかり》が充ちて來る。 忽ち鐘楼から入相《いりあひ》の鐘がしめやかに鳴り出で、 平和と歡喜に充ちた團欒の家々の竈《かまど》からは、 青白《あをざ》めた煙の柱が、恰《あたか》も香煙《かうえん》のやうに、 村の家々の屋根の上に立ち昇った。 かうした純朴なアカディーの農夫等は、共に愛の世界に住んでゐた。 即ち彼等は神を敬ひ、人を愛して平和に暮してゐた。同樣に専制國の恐怖も、 共和國の嫉妬も、彼等には影にも見られぬほどであった。 家々の戸口には錠を閉ざすこともなく、又窓には横木を渡すこともなく、 人の心の打ち開かれてゐるやうに、戸口は夜でも開けてあった。 こゝでは富める者と貧しき者との區別は更になく、すべての人々が豐かに暮してゐた。 この村を稍《やゝ》隔てゝ、マイナス灣に近い處に、 ベネディクト・ベルフォンテンは廣大な地所に住んでゐた。 彼はグラン・プレで一番富んだ農夫で、妻は今は死んでゐないが、 この村の花と呼ばれる優しい愛娘《まなむすめ》イワ゛ンヂェリンに家事を執《と》らせてゐた。 彼は既に七十の坂を越えてゐたが、筋骨尚逞しく、恰《あたか》も雪中《せっちう》の槲《かしは》のやうに、 矍鑠《かくしゃく》とした気丈な老人であった。その頭髪は雪にやうに白く、 頬は槲《かしは》の葉のやうに陽に焼けて褐色《かばいろ》になってゐた。 十七の花の盛りのイワ゛ンヂェリンは、見るからに美しい娘であった。 彼女の眼は路傍《みちばた》の茨《いばら》に結ぶ漿果《ベリイ》のやうに黒く、 その瞳は卷髪の褐色《かばいろ》の蔭に優しく輝いてゐた。 又その呼吸《いき》は野に遊ぶ牝牛の吐息のやうに甘く柔かく通ってゐた。 暑い収穫《とりいれ》の季節になると、灼けつくやうな正午《まひる》の畑を歩いて行って、 麥刈る人達に、手製の冷たいビールを運んでやるのが常であった。 あゝ!誠に彼女は心も姿も美しい少女《をとめ》であったので、若きも、 老いたるも、貧しきも、富めるも一樣に彼女を愛したのであった。 それにもまして美しいのは、日曜日の朝、鐘楼の鐘が鳴って、 僧正が牛草膝《ヒソプ》[7]の枝で會衆に水を灌《そそ》いで祝福を與へる時にやうに、 神々しい響《ひゞき》を空中に漂はす時、彼女がノルマン帽と青い胴衣《チョッキ》を身に纏《まと》ひ、 昔フランスから將來して世々の寶物《はうもつ》として、 永い間母から子へと傳へられた耳輪を附け、珠數と御經《おきゃう》を手にして、 長い街《まち》を通ってゆく時の容姿であった。 けれども神々しい光が??一入《ひとしほ》美しい光が??彼女の顏を照らして、 その姿を彩る時は、禮拜《らいはい》が終って、 神の祝[しめすへん|壽;u79B1]《しゅくたう》を受けた彼女が、 家路をさして静かに歸って行く時であった。彼女が通り過ぎてしまった時は、 恰《あたか》も美妙な音樂がハタとやんだかのやうに、 見る人々に心淋しさを起させるのであった。 イワ゛ンヂェリンの家は、海を見下す山腹に、槲《かしは》の栴《たるき》もて堅固に打ち建てられ、 忍冬《すひかづら》の一面に纏《まと》った戸口には篠懸《すゞかけ》の木が茂ってゐた。 ポーチには粗削の彫刻がしてあって、下には椅子がある。そして、 廣い果樹園の中にある小徑は、遠く牧場《まきば》に連《つらな》ってゐた。 篠懸《すゞかけ》の木の樹蔭には、聖母マリヤの像[8]と、 慈善箱を蔽うてゐる廂に蜜蜂の箱が幾つとなく懸けてあるのを、 旅人が遠く路傍《みちばた》に眺めながら行くのであった。 遙か下の丘のスロープには井戸があって、苔蒸した釣瓶《つるべ》が鎖で結んでかけてあり、 その近くには刳鉢《くりばち》もあって馬が佇《たゝず》んでゐる。 嵐を避《よ》けるために、北側には納屋と裏庭が設けられ、そこには、 廣輪の荷馬車や古い鋤《すき》や耙《まくは》が納めてあった。 又羊の小舍《こや》や、家禽の檻があって、誇り顏の七面鳥はその翼を擴げて歩き、 鷄《にはとり》はその昔、悔い改めたペテロ[9]を驚かした時と同じ聲で鳴いてゐる。 納屋には山なす乾草《かれくさ》が貯へられてある。切妻が屋根からずっと突き出て、 軒下の梯子を登ると、香《かをり》のよい穀物が貯へてある。 又、かたはらには鳩小舍もあって、罪のない優しい雌雄の群が常に愛を囁いてゐる。 變りやすいそよ風が屋上を過ぎると、無數の風見が面白く鳴り出すのであった。 かうした平和な田園に、グラン・プレのベネディクト父子は人に情《なさけ》を施しながら、 樂しい團欒《まどゐ》を作って暮してゐた。 若者等が寺に詣《まゐ》って、御經《おきゃう》を聞く時、多くの視線は彼女の注がれ、 信仰の深い聖女として崇められてゐた。彼女の手に、否《いな》、 その着物の裾にだに觸れ得る人は幸《さいはひ》なるかな! 黄昏《たそがれ》ともなれば、愛を求める村の多くの若者は、彼女の家を訪れ、 扉《と》を叩いては出て來る彼女の足音を待ち焦れてゐたが、彼等の胸の鼓動は、 叩き金《ノッカア》の音よりも高かったであらう。或は又、村の氏神《うぢがみ》の樂しい祭日が來ると、 厚顏《あつかま》しくも彼女と共に踊り、手をとっては、 音樂の一部とも思はれるやうな聲で、愛の言葉を急ぎ囁く者もあった。 けれどもイワ゛ンヂェリンを訪れ來る若者の内で、彼女の款待を受ける者は、 唯ガブリエルのみであった。鍛冶屋バジルの一人息子であったガブリエル・ラアヂュネスは、 村でも力強い若者で、人々から敬はれてゐた。あらゆる時代、 あらゆる國民を通じて、鍛冶といふ職は人々の尊敬を受けてゐる。 鍛冶屋のバジルも亦 鰥夫《やもめ》でベネディクトの竹馬の友であった。 ガブリエルとイワ゛ンヂェリンは幼い時から互に兄妹のやうに育てられ、 村の僧正であり、師匠である教父フィリシアンもこれを非常に誇《ほこり》として、 自分の本で彼等に文字《もんじ》を教へ、又讃美歌や唱歌をも一緒に教へた。 讃美歌が終り、一日の課業がすむと、彼等二人の子供は逸早《いちはや》くバジルの工場へと急いだ。 彼等は不思議な眼で、バジルが玩具でも弄《もてあそ》ぶやうに馬の蹄《ひづめ》を革の裾袋の上に載せて、 釘を打つのを立って眺めてゐた。彼の傍《そば》には荷車の輪となる鐵が、 燃滓《もえかす》の環の中で圓く渦卷き、焔の蛇のやうに横はってゐる。 こゝへ來ることは何より樂しいことで、彼等は飽かずに眺め、 そして、鐵砧《かなしき》の鳴る音のやうな面白い音樂はないやうに思ってゐた。 秋の夕べ、戸外が次第に暗くなって來ると、鍛冶場の炭火の光は折々隙間を洩れて輝き、 鎔鐵爐《ようてつろ》で暖まりながら彼等は喘《あへ》ぐ鞴《ふいご》を見詰め、 やがて鞴《ふいご》も喘ぎをやめて、火花が灰に消えてゆく時は、 二人は互に笑ひ興じて、『まあ、禮拜堂へ入って行く尼さんのやうだ!』と語り合った。 寒い冬の日、二人は橇《そり》に乘って、恰《あたか》も鷲が飛ぶが如く、 速かに山腹を下って、牧場を滑走することも折々あった。 又、納屋の梁木《はりぎ》に昇って、數多《あまた》の巣の中に、 燕が雛の目を開けるために、濱邊からもって來る不思議な石[10]を、 熱心に見出さうとしたことも[尸/婁;u5C62]々《しば?》あった。 それは巣の中からこの石を見出した者には、 幸運が來ると言ひ傳へられてゐるからである。 かくて幾歳《いくとせ》かは過ぎ去って、今や彼等二人は最早や子供ではなくなった。 ガブリエルは雄々しい若者となり、その顏は東雲《しのゝめ》の光が地上を照すやうに輝き、 彼の思想も次第に發達して、行爲に現はれるまでになって來た。 イワ゛ンヂェリンも、今は深い情と希望を懷《いだ》く身となり、 村の人々から、『聖ユウラリの日の光』[11]と呼ばれるやうになった。 それは果樹園の林檎を熟《みの》らす尊い光として、 農夫等に信ぜられてゐたもので、イワ゛ンヂェリンも亦やがては、 薔薇色に輝く嬰兒《みどりご》を生みて、 歡喜《よろこび》と平和《やはらぎ》とに溢るゝ團欒《まどゐ》を作るであらうと思はれてゐた。 二 夏もすぎて、うす寒さをそゞろ夜膚に覺え、日脚短くなり、やがて、 太陽が天蠍宮《てんかつきう》[12]に隱れるといはれる秋も半ばの頃となれば、 渡鳥《わたりどり》の群は、氷の閉《とざ》すわびしい北の海から、 暖かい南の國の島へと、重苦しい空を翔けてゆく。 収穫《とりいれ》が集められ、十一月の木枯《こがらし》が森の梢《こずゑ》に吹きしきるさまは、 昔ヤコブ[13]が天使と力を競ふにも似てゐるやうに思はれた。 すべての現象《ありさま》は寒さ烈しい冬の長い季節を豫示《よじ》してゐる。 蜜蜂は冬の用意に對する豫言的な本能で、箱に溢るゝばかりに蜜を貯へ、 狩《かり》する土人は、狐の毛皮の濃くなってゆくのを見て、 來る冬の寒いことを占ふのであった。 これらのすべての光景が、淋しい冬の到來を示してゐる。 それから敬虔なアカディーの農民が、萬聖節[14]と呼ぶ樂しい季節になる。 大氣は夢見るやうな魔術的な光に充ち、山も野も、ものみなすべて、 嬰兒《みどりご》の如く新らしい創り出されたやうに鮮かになって來る。 地上には平和が充ち、をやみなき海原も靜かになごんで、 すべての音が、みな美しい調べを奏でゝゐる。子供等の戯れる聲、 農園に歌ふ鶏の聲、物憂い空を飛ぶ鳥の翼の音、 鳩の鳴き聲などすべてが和げられて、戀の囁きのごとく低く、 太陽は金色《こんじき》の靄《もや》の中から輝く愛の眼を注いでゐる。 同時に褐色《かばいろ》と眞紅と黄色の光が葉末《はずゑ》の露から反射して、 森の木立にきらめく樣は、 昔ペルシヤの王[15]が寳石とマントルとを飾り附けた篠懸《すゞかけ》の木を思はせた。 やがて安息と慈愛と静謐の時とはなった。 燃ゆるがごとき暑い日は暮れて、黄昏《たそがれ》の薄明りも消え、 宵の明星は空に現れて、家路に急ぐ家畜の群は、大地を踏む足音も高く、 互に首と首とを寄せて、爽かな夕べの微風《そよかぜ》を吸ひながら歩んでゆく。 群の先頭に歩む牛はイワ゛ンヂェリンが自慢の美しい若い牝牛で、 首に飾紐を結び、鈴さへつけて、雪白《せっぱく》の毛を誇り顏に、 人間の愛情を知るかのやうに靜かに徐《おもむ》ろに歩んでゐた。 心地よい牧場のある海邊からは、羊の群を連れて羊飼が歸って來た。 その後には見張りの犬も從《つ》いて來る。根氣よく、 尊大な面構《つらがまへ》で己《おの》が本能を誇るやうな態度で、 房々した尾を元氣よく振りながら、犬は左右に走って、 列に後れた羊の進行を促してゐる。羊飼ふ子の眠ってゐる間も、 羊の群を見守り、星の輝く靜かな夜、森で狼の吠え叫ぶ折にも、 犬は羊の保護者であった。 東の空に月の昇る頃、 荷馬車は潮の香《か》のする刈草《かりぐさ》を載せて澤地から晩《おそ》く歸って來た。 樂しげに嘶《いなゝ》く馬の鬣《たてがみ》や距毛《あしげ》には露を置いて、 その背には重々しい鞍が、輝く色で彩られ、眞紅《まっか》の總《ふさ》で飾られて、 花で重くなった蜀葵《たちあふひ》のやうに、美しく列《なら》んで頂埀《うなだ》れてゐた。 搾乳女《ちゝしぼりをんな》が乳房を握り絞ると、牝牛はしばし、 動かずに彳《たゝづ》んでゐる。そして音高く泡立つ乳は手桶の中に溢れるばかりに流れ込む。 家畜の啼く聲、人の笑ふ聲は農園に響き、穀倉《こくぐら》にも聞える。 やがてその聲も靜まり、穀倉《こくぐら》の戸は重く軋《きし》りつゝ閉ざゝれ、 閂《かんぬき》の音が響きわたると、しばし萬象は沈默の世界に入った。 家の中ではベネディクトは大きな爐の傍《そば》の肘掛椅子になすこともなげに坐って、 さながら、燃ゆる城下に敵味方が合戰するやうに搖れ合ふ火[(ク/臼)|炎;u71C4]を、 ぢっと見詰めてゐた。 後の壁にも身振もをかしい彼の大きな影が頷《うなづ》いたり嘲《あざけ》ったりしてさま?゛に動き、 又闇に消えてゆく。 彼が坐った肘掛椅子の背後には、[木|解;u6A9E]《かしは》の木に不器用に刻まれた顏が、 打ち搖《ゆ》らぐ焔の中に笑ってゐるやうに見え、食器棚の錫鍋には、 軍《いくさ》の楯が日の光に燦《きら》めくやうに、爐の焔と反映してゐる。 一 齣《せつ》、又一 齣《せつ》とベネディクトは唄ひ始めた。それは昔、 ノルマンディーの果樹園[16]は、美しいバアガンディーの葡萄畑[17]で、 先祖等が歌ったクリスマスの歌や、民謠などであった。 父の傍《そば》近く優しいイワ゛ンヂェリンは、 部屋の隅にある機織臺《はたおりだい》に向って未來の家庭を作る爲めに入用な麻を紡いでゐた。 しばしば踏木《ふみき》も靜まり、梭《をさ》も休んでゐたが、 やがて車を廻す單調な音が、風笛《ふうてき》のごとく響くと、 老人の歌も續いて聞えて、面白く打ち交って來る。 教會で唱歌隊の合唱がやんだ時、側堂《そくだう》で足音が聞え、 又は聖壇で僧正の言葉が聞えるやうに、ベネディクトの歌の止んだ間は、 時計の音のみがチクタクと響くのであった。 かく二人が坐ってゐると、突然戸外に足音がして、[金|((己|己)/共);u9409]《かけがね》の音がすると、 戸口がパッと開《あ》いた。 ベネディクトはその靴音で、訪れて來た者は鍛冶屋のバジルであることが分った。 この時イワ゛ンヂェリンの胸は高鳴った。 それはバジルと一緒に來た戀人のあることを知ってゐたからである。 『やあ!ようこそ來ましたね』と、二人が敷居を跨《また》いだ時、 ベネディクトは挨拶した。 『さあ、バジルさん!爐に近くかけたまへ。その椅子は君が來ないと坐る者もないのだ。 上の棚から煙管《きせる》と煙草盆を取ってくれたまへ。 君のなつかしさうな快活さうな顏が、煙管《きせる》の渦卷く烟か、 又は爐にいぶる煙を透して、沼の霧の中を冴えた秋の月が輝くやうに、 丸く赤く見えなくては君らしくないね。』 バジルは滿足の微笑を浮べて、輕快に爐邊のかけ慣れた椅子に腰を下しつゝ答へた。?? 『ベネディクトさん、あなたはいつも冗談と歌とが上手ですな! 世の人が心配な顏をして、何か不仕合せなことでも起りはしないかと恐れてゐる時にも、 あなたはいつも上機嫌で樂しく歌ひ、毎日馬の蹄鐵を拾ってゞもゐるかのやうに幸福に見えますよ。』 イワ゛ンヂェリンが彼に煙管《きせる》を差し出したので、暫く口を噤《つぐ》んで、 爐の餘燼《もえさし》で火をつけながら、靜かに話を續けた。?? 『妙なことだが、ガスペロ[18]の河口《かはぐち》に英國の汽船が吾々に砲口《つゝぐち》を向けて、 碇泊してからこのかた、今日で四日目になります。何の計劃かは知りませんが、 明日、村人一同は寺に集まれとの命令を受けました。 そこではこの國の法律として、英國皇帝の勅令が下されるのださうです。 あゝ!村人はそれ迄は種々《いろ?》の臆測で恐れてゐます。』 するとベネディクトはバジルの恐怖心を笑って快活に答へた。?? 『恐らく英國の船は吾々に何か通商でも求めに來たのだらう。 英國では時ならぬ雨や暑さのために収穫がないので、 国内の飢饉を防ぐために吾々から供給を仰ぎに來たのかもしれない。』 『いや、村人はさう考へてゐません』と、バジルは疑惑の念に驅られて頭を振りつゝ、 熱心に言った。そして深く嘆息しながら、言葉を續けた。?? 『ルイスバアグ[19]も、ボウ・セヂュウア[20]も、ポート・ロイアルもみな英國に取られて了ひました。 そこで村人の中では恐れて既に森に逃げた者も澤山あり、 又町はづれに隱れて、わからない明日の運命を氣づかひながら待ってゐる者もあります。 それに尚更悪いことには武器といふ武器は皆奪ひ取られて、 鎚《つち》と草刈鎌の外は何も殘ってゐないのです。』 陽氣な微笑を洩らしてベネディクトは答へた。?? 『君は餘りそのことを悲觀し過ぎるよ。正直に暮してゐる吾々に何も危害を加へないよ。 吾々の牧場《まきば》や玉蜀黍《たうもろこし》畑の中では武器のないのが却って安全ではないですか。 吾々の祖先が城壁の中に在って銃砲に圍まれるよりも、 この平和な堤防の蔭に住む吾々の方が遙かに安全ではないかねえ。 バジルさん、不幸を恐れるには及ばぬ。兎に角今宵は悲しみの影はこの家には差し込みませんよ。 今夜は子供等の婚約の目出度い夜だから。子供等のために、 家と穀倉《こくぐら》は丈夫に建てられてあります。 四邊《あたり》の地面もよく手入がしてあり牧草《まきぐさ》は納屋に充ち、 一年間の食糧は庫《くら》に貯へてあります。 公證人のルネ・ルブラン[21]は、紙と筆とをもって直ぐにこゝへ來るだらう。 紙に署名して僧正に見せる外には何もないぢゃありませんか。 さあ心配はすべて忘れて子供のために喜び祝ひ、 彼等の喜びを共によようぢゃありませんか。』 その間イワ゛ンヂェリンは窓から少し離れて戀人ガブリエルに手を握られたまゝ、 顏を赤らめて父の言葉に耳を傾けてゐたが、ベネディクトの言葉が終ると、 扉《ドア》が開《あ》いて、村の公證人ルネ・ルブランが入って來た。 三 大海の怒濤の中に動く櫂《かい》のやうに、村の公證人は老年のために腰は曲ってゐたが、 でもその顏には壯年に劣らぬ元氣さがあった。 黄金色の髪の毛は玉蜀黍《たうもろこし》の絹の房毛《わたげ》のやうに、肩迄埀れて、 額は廣く、角《つの》の弦《つる》の眼鏡を鼻根《はなね》に据ゑ、 この世には見られぬ智者のさまを示してゐた。彼は二十人の子供の親で、 百人にも餘る孫達がゐた。 曾《かつ》て佛蘭西と英吉利の植民地の間に戰爭があった時、 ルブランは英國の味方と見做され、四ヶ年捕虜の身となって、 佛蘭西の古い堡《とりで》の中で非常な苦しみを受けた。 彼は今や齡《よはひ》は傾いて、 用心深くはなってゐるが、狡計《わるだくみ》や猜疑《うたがひ》の心は更になく、 智徳は圓滿に忍耐強く、子供のやうな純眞な心の持主であった。 彼は誰にも好かれたが、殊に子供等には最も慕はれてゐた。それは折に觸れて、 森の中で子供を奪ふために狼になった昔話を語り聞かせたり、 又馬に水をやらうとして、夜半に忍び來る妖怪の物語や、 神を信ぜずに死んだので、地獄に行き、子供の部屋に人知れず覗きに來る、 子供の幽霊のレティシュ[22]の運命物語等を聞かせたからであった。 又クリスマスの夕べ、牝牛[23]が小舍で話し合ったこと、 又胡桃の殻[24]の中に入れられた蜘蛛が熱病患者を癒《なほ》したこと、 又、四ツ葉のクローワ゛[25]や馬の蹄鐵が不思議な力をもってゐること、 その他、村の傳説となってゐることなどすべて子供等に語り聞かせたのであった。 さてバジルは煙管《きせる》の灰を叩いて、爐邊《ろばた》の椅子から立ち上り、 やをら右手を伸べて、ルブランと握手しつゝ叫んだ。 『ルブラン殿、あなたは村人が語り合ってゐることを委細御存知でせう。 どうぞ、あの船の齎して來た報知を聞かして貰ひたいものです。』 すると、謙遜な態度で公證人は答へた。?? 『實際私の聞いたことは人の噂話にすぎないのです。又私とても別に人樣より賢い譯ではないから、 彼等の使命が何であるか委《くは》しいことは知りません。ですが、 何も惡意を懷いてやって來たのだとは考へられません。私共は平和に暮してゐるではありませんか。 何の杞憂を懷いて自から苦しむ必要がありませう?』 この時バジルは稍《やゝ》怒氣を帶びて、言葉も荒く、 『一體、吾々は何事にもあれ、どんなに、何故と、その原因理由を訊ねる必要があるでせうか? 世には日々不正が行はれ、強者は弱者を虐げ、權力が常に正義と認められるのではありませんか?』 けれどその怒《いかり》には心を留めないで、公證人は言葉をつゞけた。?? 『人は不義でも神は正しいのです。そして正義は最後の勝利者です。 私は折々私を慰めてくれる一つの話をよく思ひ出します。 それは曾《かつ》てポート・ロイアルにある古いフランスの堡《とりで》で、 私が捕虜の身となってゐた時に聞いてゐたことです。』 それはこの老人の好きな話で、何か不正がこの世で行はれて人々が不平をいふ時には、 常に繰り返して語り聞かせることを好んだ話である。 そして村人はいつもこの話を注意深く聞いた。 『昔ある古い町[26]に、その名はもはや忘れましたが、 公園の辻廣場の高い圓柱《まるばしら》の上に正義の神の銅像が立ってゐました。 左手には天秤を支へ、右手には劍を握ってゐました。それはその國の法律や、 家庭や、人々の心の上に正義がよく行はれることの表象でありました。 小鳥でさへも日光に輝くこの劍を恐れもせず、その天秤の中に巣喰ふのでした。 そしてこの銅像は、正義が行はれないでゐることの表徴として目隱しされてゐました。 然し年月の經つにつれて、その國の法律は無視せられて、權力が正義と見做され、 弱者が虐げられ、權勢ある者が世に跋扈《ばっこ》する時となりました。 その時ある貴族の宮殿で、眞珠の首飾が失はれたことがありました。 永い間疑惑の眼はこの家に仕へる孤兒《みなしご》の少女に注がれてゐました。 そして形ばかりの訊問があった後、遂に無實の罪でこの少女は死刑の宣告を受けました。 そしてあはれにもこの一少女は、正義の銅像の下で死刑臺上の露と消えました。 その罪なく靈は天なる父の御許《みもと》に歸ったが、見よ! 忽ち暴風は全市を襲ひ、雷《いかづち》は銅像を打って、 怒《いかり》の餘りその左手から天秤の皿を敷石の上に投げ落したのです。 そして人々がそれを拾ひ上げて見ると天秤の凹んだ皿の中には鵲《かさゝぎ》の巣があって、 土で作られた巣の壁の中に眞珠の首飾が編み込まれてありました。』 バジルは黙ってこの物語を聞いてゐたが、でも心服しなかったので、話を終った時、 何事か云はうとして起ち上ったが、言葉は口に出なかった。 恰《あたか》も水蒸氣が冬の窓硝子に異様に凝《こ》りつくやうに、 彼の思《おもひ》はすべて顏の皺となって凝結してゐるやうに見えた。 イワ゛ンヂェリンは卓上の眞鍮のランプに火を點《つ》けて、 白鑞《しろめ》の大盃に溢るゝばかりに酒を注《つ》いだ。 その酒は榛《はしばみ》の實《み》の色をした褐色《かばいろ》のビールで、 この家で造られ、強い酒としてグラン・プレの村でも名に聞えたものである。 公證人は懐《ふところ》から、紙と筆とを取り出して、執《と》る手も鮮かに、 二人の年齡や、結婚の日附を書き入れ、羊の群、牛の群等、 花嫁の持參すべき品目を認《したゝ》めた。 すべての手續は順序よく運んで正しく終り婚約の證印が記録の端の太陽のごとく大きく捺印せられた。 かうしてガブリエルとイワ゛ンヂェリンとの婚約は目出度く結ばれたのである。 その時、ベネディクトは革の財布から多くの銀貨を卓上に取り出して、 老人に三倍の手數料を支拂った。すると公證人は起ち上り、花嫁と花婿の爲めに、 盃を高くあげて健康を祝福した。 彼は唇を拭うて、恭々《うや?》しくお辭儀をして立ち去った。 バジルとベネディクトが無言の儘 爐邊《ろべり》に坐ってゐると、 イワ゛ンヂェリンは部屋の隅から碁盤を持ち出して來た。 やがて碁が始まった。面白い競技に、彼等は勝っても、負けても樂しく笑った。 それは明日の不安をも打ち忘れた樂しい夜であった。 その間この面白さうな遊び場を離れて窓際の灯影《ほかげ》の淡い處に、 若い二人の愛人は相寄って、蒼白《あをざ》めた海の上に静かに昇りゆく月や、 白銀《しろがね》色の牧場の靄《もや》を眺めながら、 永久《とこしへ》の愛を互に囁き合ふのであった。 静かに、一つ又一つ、はてしなき夜の大空には、 天使の勿忘草《わすれなぐさ》ともいはれる美しい星が燦《きらめ》き出した。 かくて樂しい夕べは次第に更け始めた。忽ち村の寺の仕事納めの鐘が、 高く九時を打ったので、客人はツト起って家を辭し去ると、 部屋は森閑として絶えて物音も聞えなかった。 幾度《いくたび》か戸口で交された別れの言葉が、いつまでもイワ゛ンヂェリンの胸の中に殘って、 嬉しさに暫しは我を忘れるばかりであった。 やがて爐に燃え立つ薪《たきゞ》に注意ぶかく灰をかけて、 槲《かしは》の梯子をベネディクトが登ってゆくと、 間もなくイワ゛ンヂェリンもその後から、足音輕く登って行った。 暗い部屋の中まで灯《ひ》は運ばれたが、 灯《ひ》の光も少女《をとめ》の輝く顏には及ぶべくもない。 イワ゛ンヂェリンは徐《おもむ》ろに廊下を通り抜けてわが部屋へと入った。 部屋は質朴ながら、白い窓掛や、高く大きな押入があって、 その棚には、イワ゛ンヂェリンの手づから織ったリンネルや、 毛織の衣物《きもの》が丁寧に綺麗に疊《たゝ》んで列《なら》べてあった。 これは家庭の主婦となるべき彼女の技倆の證左《あかし》として、 羊や牛の群にも優る貴い品物であった。 やがて彼女はランプの火を消した。玲瓏《れいろう》と輝く月の光は窓から流れ込んで部屋を照らし、 大洋に漲《みなぎ》る潮《うしほ》のやうに、少女《をとめ》の胸は高鳴って來た。 あゝ!月光の流れ込む部屋の床の上に、雪白《せっぱく》の素足で立ってゐる彼女の美しさよ! イワ゛ンヂェリンの胸は戀人の思ひに充ちてゐた。 彼女は果樹園の木の中に彳《たゝず》んで待ってゐる彼女の戀人が、 部屋の明るさや、窓に映る彼女の影に見惚《みと》れてゐることを知ってゐたであらうか? 否《いな》彼女は夢にも知らなかった。 さあれ帆走る雲が月光を遮って、暫し彼女の部屋や、床が暗くなった時、彼女は戀人を思ひつゝ、 悲しみの影にわが魂を蔽はれるやうな遣瀬《やるせ》なさを折々身に感じるのであった。 月が再び雲間から現はれて、静かにみ空を翔けてゆくと、星一つその後を追うて、 その昔、アブラハムの天幕《テント》から、いたいけのイシュマエル[27]がその母ハガアと共にさまよひ出た樣を、 窓に倚《よ》りつゝ彼女は思ひ偲《しの》んだ。 そして中天にかゝる月を見るときイワ゛ンヂェリンの悲しみは消え去るのであった。 四 翌日、グラン・プレの村には、いつものやうに麗《うらゝ》かな陽が差し昇った。 太陽は柔かく心地よい空氣の中に麗《うらゝ》かに輝き、 マイナス灣頭に碇泊してゐる船は、打ちゆらぐ影を波に映してゐた。 今日はイワ゛ンヂェリンとガブリエルの結婚式である。 村では永い間騒いでゐたが、夜の明けるのも遲しと待ちあぐんだ朝は來た。 四邊《あたり》の村から、もよりの小村から、 快活なアカディーの農夫等は祭日の立派な裝《なり》でベネディクトの果樹園を指して集まって來た。 若人《わかうど》等の嬉しさうな挨拶や、樂しさうな笑聲は、 朗かな空氣を一入《ひとしほ》輝かせ、芝原には車の轍の跡以外には道も見えぬ數多《あまた》の牧場から、 アカディーの村人の群が、後から後へと現はれ來て村の大通りに一緒になっては過ぎてゆく。 正午の餘程前から、村の人々は業《げふ》を休み、街路には人山が築かれた。 戸《こ》毎に人々は快い日光を浴びながら、樂しさうに語り合ってゐた。 いづこの家も旅舍《りょしゃ》のやうに客人を迎へて饗應《もてな》した。實に、 兄弟のやうに互に睦《むつ》まじく暮してゐる純朴なアカディーの村人は、 喜びも悲しみもすべて共にして暮してゐたからである。 殊にベネディクトの家では一入《ひとしほ》人々に款待をつくしてゐた。 イワ゛ンヂェリンは父の來客の間にまめまめしく立ち働いた。 彼女の顏は微笑で輝き、挨拶の言葉は彼女の紅い唇から洩れ、 眞白い手を伸べてさし出す盃にも彼女の幸福が充ちてゐるやうであった。 廣々とした青空の下《もと》、果樹園の香《かん》ばしい空氣の中に、 金色《こんじき》の果實が熟《みの》ってゐる蔭に、樂しい婚姻の祝宴は開かれた。 ポーチの蔭には村の僧正と公證人が坐ってゐた。ベネディクトとバジルも同じ場所に座を占めた。 そこより餘り隔てぬ所にあるサイダーの製造機と蜜蜂の箱の傍《そば》に、 弾琴者《ことひき》のミカエルが樂しさうに坐ってゐた。 光と影が木の葉から交々《こも?゛》洩れて來て、 風に搖れる雪白《せっぱく》の髪毛《かみのけ》にちらつき、 餘燼《もえさし》から灰をとった時の炭火のやうに、ミカエルの樂しさうな顏は輝いた。 老人は琴の打ち顫《ふる》へる音に合せて、『シャアトルの市民』[28]や、 『ダンカアクの鐘』の歌を面白く唄った。 そして忽ち彼の木履《ぼくり》で音樂に合せながら拍子を取り始めた。 すると、この音《ね》に合はせて、果樹園の木蔭や牧場に行く道まで、 老若男女は入り亂れあって樂しく踊り始めた。この踊り狂ふ群の中で、 目立って眉目《みめ》よき處女《をとめ》は、ベネディクトの娘イワ゛ンヂェリンで、 あらゆる若者の中で、目立って貴く見えた者は、バジルの息子ガブリエルであった。 かくして午前は過ぎた。つと、この歡樂の闌《たけなは》なる中に、 村人を寺に召集する鐘は鐘楼から高く響き、牧場には陣太鼓も聞えて來た。 寺は間もなく男の群で溢れた。外の中庭では村の女達が待ってゐる。 墓場の傍《そば》に立って待ってゐる女達は、秋の草花や、 森の鮮かな常盤木《ときはぎ》の枝で作った花輪を墓前に捧げなどしてゐた。 それから間もなく英船からの守衛の兵士が寺の門に入ると、見る間に、 變調子な太鼓の音が寺院の隅々迄響き渡った。 併《しか》しその響きの聞えたのは束の間で、 やがて入口の重い扉《ドア》が靜かに閉されて、 村人等は無言の儘英國皇帝の命令を待ってゐた。 司令官は徐《おもむ》ろに立ち上って皇帝の委任状を高くさゝげながら、 聖壇の階段で語り始めた。 『諸君は英國皇帝陛下の命に依り、今日こゝに召喚せられたのである。 陛下には仁慈寛容にましますが、諸君はこれにいかに應《こた》へまつるかを考へて貰ひたい。 私がこれから話さうとすることは、私にとっては苦しいことであり、 諸君にも亦悲しいことであらうと推察する。然し國王の命令には私も服從しなければならぬ。 今や諸君の土地と住宅と、家財家畜は一切沒収せられ、 諸君の全家族はこの土地から他國へ轉住を命ぜられたのである。 そこで諸君は一層忠實な臣下として、幸福な平和な民として他郷に住んで貰ひたい。 諸君は今捕虜の身となったのである。乘船するまでこの寺に止まってゐなくてはならぬ。 之れ實に英國皇帝陛下の命令である。』 それは恰《あたか》も眞夏の頃の朗かな空に、俄《には》かに嵐が吹き起り、 霰《あられ》が烈しく田畑の穀物を叩き、窓の硝子を打ち揺《ゆす》り、 陽は沒《かく》れて闇となり、屋根の葺藁《ふきわら》は風に抜き散らされ、 家畜の群が鳴き騒いで、柵を破り出ようとするかのやうに?? 群衆の心は司令官の言葉に依って掻き亂された。 餘りに意外な出來事に人々は驚いて、暫し無言の儘顏を見合せて居たが、 軈《やが》て憤怒と悲壯な叫び聲は、いやが上にも高まっていった。 そして狂ふが如く群衆はどっと戸口に走って行った。 けれども扉《ドア》は錠を下してあって、逃るゝ途のあらばこそ。 ??只泣き叫ぶ聲と烈しい呪ひの聲が神の家なる寺の中に響き渡るのみであった。 この時群衆の中から手を高くあげて、バジルは聲の限りに叫んだ。 その樣は、荒れる怒濤に搖れ狂ふ帆柱のやうであった。彼の顏は怒氣に燃えて、 『英國の暴君を倒せ!誰が英國へ降伏を誓ったものがあるか? 此處《こゝ》にゐる英國の兵士を殺してしまへ。此奴《こいつ》等は、 吾々の家や、田畑《でんばた》を掠《かす》める泥棒だ!』 彼は更に言葉を續けようとしたが、無殘にも兵士等は彼の口を塞いで叩き伏せてしまった。 斯うした烈しい騒擾と爭鬪の最中に、見よ!内陣の扉《ドア》が開いて、 僧正フィリシアンは嚴《おごそ》かな姿を現して聖壇に上った。 彼は靜かに手を伸べて、打ち騒ぐ群衆を鎭めつゝ徐《おもむ》ろに語り出すのであった。 その語調は深く嚴《おごそ》かに、然《しか》もその抑揚は悲しく、 恰《あたか》も警鐘の後に時計の判然と鳴るが如くに聞えた。 『我が子らよ、この騒擾は何事ぞ、何たる狂態ぞ。 私は四十年間御身等の中に在って、教へを垂れたのではなかったか。 只々言葉に於てのみならず、行爲に於て互に相愛《あひあい》せよと! 嗚呼これが私の骨折りと祈[しめすへん|壽;u79B1]《いのり》との結果か! 御身等はかうも速かに、愛と寛容の教訓を全く忘れたのか! こゝは平和の家で、かうした暴行や、憎惡の心を持って神の家を汚してはならぬではないか。 見よ、彼處《あすこ》に十字架のキリストは御身等を見詰めたまふではないか! 見られよ、その優しい眼にも潔《きよ》い情《なさけ》のこもれるを! 聞かれよ!尚も「父よ彼等を赦し給へ!」と祈りたまふではないか。 惡事が我々を襲ふ時は、我々もこの祈りを繰り返さう!』 僧正の戒めの言葉は短くはあったが、人々の心に深く徹し、 一同は跪いて懺悔しつゝ、『父よ、彼等を赦し給へ!』と繰り返して祈るのであった。 かゝる間に夕べの勤行の時とはなった。 蝋燭の灯《ひ》は聖壇に輝き、僧正の熱心な聲に、人々もこれに合せて共に祈った。 その唇のみならず眞心 罩《こ》めて。そして聖母マリヤへの祈りを捧げ、 跪いて禮拜《らいはい》した。その祈りは古《いにし》への豫言者エリヤ[29]の如く、 神の宮居《みやゐ》まで屆くやうに思はれた。 外で待ってゐた女達は、何か恐ろしい事が起ったのであらうと思ってゐた。 軈《やが》て悲しい報知《しらせ》が彼等の耳に入った。彼等の家財を纒めて、 グラン・プレの村を去らなければならぬことを知って、 女や子供等は泣きながら、家から家へとさまようた。 彼等は五日眼にはこの地を去ってゆかねばならぬ命令を受け、 如何なる事があっても出發を延期することは許されなかった。 そこで彼等は家具を取外して、死よりも辛い旅の準備に泣く?着手した。 その間、男達は四日間も寺の中に閉ぢ込められて置かれたのであった。 イワ゛ンヂェリンは家の戸口に立って、右手を額に翳《かざ》して、夕陽を遮りながら、 永い間父の歸りを待ってゐた。夕陽は街路を輝かし、 草葺《くさぶき》の屋根と窓硝子の上に美しい光を投げてゐた。 既に食卓には雪白《せっぱく》の布が擴げられ、そこにはパンと、 甘い香りのする蜜と、ビールの壜と新しい乾酪《チーズ》を備へ、 食卓の上座には父の大きな安樂椅子が据ゑてあった。 かうして父の歸るを今や遲しと、戸口に立って待ってゐたのである。 けれどこの凶報を耳にした彼女は非常な失望を感じたのであった。 夕陽の光が木立の長い影を芳《かん》ばしい草野《くさの》に投げる時、 彼女の心にも亦深い影が射して來たが、忽ち彼女の魂からは尊い香《かをり》が氣高く立ち昇った。 それは慈愛と希望と寛容と、忍耐とであった。 それから、彼女は全く我を忘れて、村の街路にさまよひ出た。 黄昏《たそがれ》ゆく野路《のぢ》の中を一家の事を思ひ、 疲れ果てた幼兒の足をいたはりつゝ躊躇《ためら》ひ勝ちに家路を辿る女達の淋しい心も、 イワ゛ンヂェリンの優しい姿を見ると自から心は慰められ力づけられるのであった。 赤い夕陽は彼方《あなた》に沈んで、金色《こんじき》に燦《きら》めく靄《もや》の中に、 さながら、シナイの山を下った豫言者モオゼ[30]の如く、輝く顏は包まれてゆくのであった。 此の時、暮れ六つを告げる入相《いりあひ》の鐘が、いとも妙《たへ》に村の空に響き渡った。 暫くして子供等も床《とこ》に就いて、村の街《まち》も淋しくなった時、 暗闇の中に、イワ゛ンヂェリンは寺の庭にさまよひ着いた。 しかし、寺院は靜まり返って、入口や、窓から覗いて見ても、 耳を傾けても、すべて甲斐ないことであった。 感極まって、彼女は『ガブリエル!』と戰《わな》なく聲で戀人の名を高く呼んだ。 しかし、何の答《こたへ》もなく、彼女の近く永久に眠れる人の奥津城《おくつき》と等しく、 否《いな》、それよりも陰鬱な生ける人の奥津城《おくつき》[31]とも見えるこの寺は、 深い沈默に満たされて居た。 やがて彼女は徐《おもむ》ろに、人影も見えぬ我家にと歸って來た。 爐には火が燻《くす》ぶり、卓上には夕餉《ゆふげ》の支度がその儘に置かれてあった。 部屋の中はしんとして恰《あたか》も妖怪でも出るやうな物凄さがあった。 彼女が階段や床を歩む音は、物悲しく周圍に響くのであった。 小夜《さよ》更けてから、雨はショボ?と降り出て、窓ぎはの無花果の萎れた葉に音たて始めた。 やがて凄じく稻妻《いなづま》は閃き、雷鳴は轟いて、 天には神のゐまして、自ら造り給ひし此の世を統べ給ふ事を告げてゐた。 その時、イワ゛ンヂェリンは、ルブランから聞いた正義の神の物語りを思ひ起して、 彼女の惱める心もそれによって自ら和らげられ、夜の明ける迄安らかに睡《ねむ》ったのであった。 五 四度陽は昇って又沈んだ。今日は早くも既に五日目の朝となり、 鷄《にはとり》は聲高く鳴いて、眠れる村の少女《をとめ》達の夢を覺ました。 間もなく黄金《こがね》色に色づいた野原を、無言のまゝ進む悲しい行列が、 四邊《あたり》の小村から續いて來た。それはアカディーの女達が、 荷車に家具を重さうに積んで、濱邊を指してゆく姿であった。 紆《うね》った道と森地《もりぢ》のために、 なつかしい我家の隱れるのを彼女等は立止まって名殘惜しげに見返りつゝ、 盡に涙に袖を濡らすのであった。 彼等の傍《かたはら》にはいとけない子供等が手に玩具《おもちや》を持ちながら、 何も知らぬやうに、唯駈け寄って牡牛の歩みを急がせてゐる。 かうして彼等はガスペロ河口に急いだ。波打ち際には農夫達の家具が入り亂れて山と積まれてあった。 濱邊と船の間には艀《はしけ》が通ひ、終日長い荷馬車の列は村から濱邊へと續いた。 その日の午後となって夕陽も將《まさ》に沈まうとする頃、 遠く野山に反響しながら太鼓の轟《とゞろき》が寺の庭から聞えて來た。 この音に、女子供は寺の庭へと皆集まって來た。やがて、寺の扉《ドア》が開いて、 護衛兵が現れ、次いで長い間捕虜の身となって堪へ忍んでゐたアカディーの農夫達が列を作って、 愁《うれ》はしげな陰鬱な顏をして海岸へ進んで行くのであった。 聖地巡禮の群が、故郷を離れて遠くの國を旅する時、 國々に巡禮の歌を唄って旅路の疲れを忘れるやうに、 アカディーの農夫達も歌を口づさみつゝ、寺から妻子の待ってゐる海邊へと行くのである。 先頭には若者の一團が、戰慄《をのゝ》く唇に聲高く、 天主教徒の聖歌を唄ふと、後《うしろ》から續く老人達もこれに合して唄った。 『救世主の聖《きよ》き心! おゝ盡きせぬ泉! 我等が心を今日ぞ力と和順《わはらぎ》と忍耐に充たしめ給へ!』 路傍に立ってゐた女の群も、この聖歌に調べを合せて唄った。 そして木々の梢に夕陽を浴びつゝ囀る小鳥は、 死人の魂の聲のやうな哀調を彼等の歌に混へた。 村から海邊へ行く道の中程に、イワ゛ンヂェリンは悲しさに氣も落さず、 無言の儘立って待ってゐた。落着いてはゐるが物悲しさうな表情は彼女の顏から隱すことは出來なかった。 やがて、行列は近づいて來た。見るとガブリエルの顏は蒼ざめて、 憂《うれひ》の色を帶てゐた。 彼女は双眼に涙を充しつゝ急ぎ近寄って、ガブリエルの手を握った。 そして己《おの》が頭を彼の肩に寄せつゝ囁いた?? 『ガブリエルさん!しっかりして下さい!私達が互に、ほんとに愛し合ってゐるなら、 たとへ、どんな不幸が起っても、決して私達を害《そこな》ふことはありません!』 微笑みながら彼女はかう語った。その時突然彼女は言葉を斷《き》った。 それは彼女の父が疲れた足を、徐《おもむ》ろに運んでゐるのが目に附いたからであった。 あゝ!その姿の打ち變れる樣よ!その血の色は全く失せ、その眼には何の輝きもなく、 歩む足取りさへ、胸の疲れと共に、いと重々しく見えるのであった。 この時イワ゛ンヂェリンは深い嘆息を抑へつゝ、微笑みながら、父の首に抱きついた。 然し彼女の慰藉の言葉も悲しみに沈んでゐる彼の耳には今は何の甲斐もなかった。 彼は青天の霹靂のやうなこの不幸に只目を眩《くら》まされてゐるやうであった。 かうして、この行列は、ガスペロの河口をさして悲しさうに歩み續けて行った。 混雜した濱邊は人々の乘船と積荷の爲めに、非常に騒擾を極めた。 艀《はしけ》は忙しく通ひ、その混亂の中を、妻は夫から、 子は親から取り離され、今は最後の握手も叶はなかった。 かうして、バジルとガブリエルも亦、別々の船に乘せられ、 一方イワ゛ンヂェリンは失望の胸を抑へつゝ、 父と共に濱邊に取殘されてしまった。 夕陽は沈んで黄昏《たそがれ》の薄明りは次第に深まり、 四邊《あたり》は夜の帷《とばり》に鎖《とざ》されたけれども、 積荷は未だ半ば殘って居た。この時、急に引潮になって白砂《はくさ》は遠く現れ、 種々《いろ?》の海藻が、漂よひ流れて來た木屑と共に砂地に散在してゐた。 後方にうづ高く積まれた家具や荷馬車に交って、 恰《あたか》もジプシイの群か又は戰後の陣營のやうに彼等は夜明まで野宿をした。 その間歩哨兵は家もなく、逃れる途を斷たれた村人を見張ってゐた。 遠い彼方《かなた》の洞穴《ほらあな》まで波打つ海の潮は干《ひ》いて、 礒邊には砂礫が轉がり、長い干潟が出來、艀《はしけ》は濱の上に幾つも乘り上がってゐる。 やがて夜の帷《とばり》が牧場に降りる頃、牝牛の群は歸って來た。 その乳房から流れる乳の香りが打ち混って、しめやかな夕べの空氣は甘く漂うた。 靜かな夜風を浴びて牝牛の群は、牧場の入口の勝手慣れた横木の下に鳴きながら長い間待ってゐたが、 乳搾る少女《をとめ》は遂に來なかった。 街路は鎭まり返ったが、寺の塔からは入相《いりあひ》の鐘も鳴らず、 又家々からは煙の昇らず、窓より洩れ來る灯《ひ》の影も見えなかった。 然し、海邊には、漂うて來た難破船の木片《きぎれ》を集めて、 夕べの篝火《かゞりび》があちらこちらに焚きつけられ、 その周圍には不幸な運命に落ち入ってゐるアカディーの農夫達が陰鬱な顏をして集まってゐて、 男女の話し聲に混って、子供等の叫ぶ聲が聞えてゐた。 忠實な僧正は、篝火《かゞりび》から篝火《かゞりび》へと、 さながら、己《おの》が教區の家々を訪れるやうに、 慰藉と祝福の言葉を與へながら巡《まは》り歩いてゐた。 その樣は、昔メリタの淋しい海邊に難破した聖パウロ[32]を想はしめた。 かうして僧正はイワ゛ンヂェリンとその父の傍《そば》に來て揺《ゆら》めく火の中に老人の顏を瞶《みつ》めた。 その顏は痩せ衰へて恰《あたか》も時計の針を取去ったやうに、 何等の思想も感情もないやうに見えた。 イワ゛ンヂェリンの心盡しの言葉も亦捧げる食物《しょくもつ》も受けず、 しかも身動きもせず、見向きもせず、口も開かず、只茫然と、 打ち搖《ゆ》らぐ焔をたえず瞶《みつ》めてゐた。 『祝福あれ!』と僧正は同情の籠った聲で囁いた。そして何か云はうとしたが胸は迫って、 恰《あたか》も嬰兒《みどりご》の足が閾に躓《つまづ》くやうに言葉は彼の唇から出なかった。 この悲慘な場面を見て僧正は黙して了った。 やがて無言の儘僧正はイワ゛ンヂェリンの頭に手を置いて涙に溢るゝ眼を上げ、 空に輝く無言の星を眺めた。あゝ!それらの星は下界の不正と不幸を他處《よそ》にして、 只々 一條《ひとすぢ》に己《おの》が道を歩んでゐるのではないか! そこで僧正は彼女の傍《そば》に坐って二人は無言のまゝ涙の袖を絞った。 突然南の方から一つの光が立ち昇った。それは赤い血色をした秋の月が、 地平線から水晶のやうに澄み渡った空を翔け昇り、 野にも山にも巨人のやうな數限りなき焔の手を伸ばして、 岩をも河をも捕へて、厖大な陰影を投げてゐるやうな光景にも似てゐた。 その焔はいやましに擴がって、村の家々に輝き、更に空にも海にも映り、 終には港に碇泊してゐる船にも映った。 物凄い焔の柱は烈火の閃《ひらめき》と共に、殉教者の打ち震へる手の如く、 雲の襞を破って立ち昇り、鎭《しづ》まらうとしては、 又燃え立つのであった。それから、風は焔と草屋根を吹き散らして、 火柱は空中高く舞ひ上り、忽ち全村は一面に火の海と化してしまった。 船や、濱邊でこの物凄い光景を眺めてゐた人々は、如何ばかり驚いた事であらう。 初めは言葉もなく只々茫然としてゐたが、遂に悲痛な聲を高く上げて泣き出した。 『あゝ!グラン・プレの我れ?の家は最早二度見ることは出來なくなった!!』 鷄《にはとり》は夜が明けたとでもおもったか、忽ち農園で聲高く鳴き始めた。 又家畜の鳴き聲も夜の微風《そよかぜ》と共に聞え、 氣味惡い犬の遠吠も遙かに打ち交って聞えて來た。 次いで恐ろしい叫び聲が聞えた。それは野馬が疾風の如く駈け廻り、 野牛の群が高く鳴きつゝ河の方に逃げて行く時、遠くネブラスカ[33]の河の邊《ほとり》に在る森や、 西方の牧場に睡《ねむ》れる野營兵を驚かすやうな物音であった。 かうした夜陰《やいん》の物音は、檻の家畜がその柵を破って怒り狂ひつゝ牧場を飛び廻るからであった。 この光景に打ち驚きつゝも猶無言に僧正とイワ゛ンヂェリンとは、 眼前に渦卷く紅焔《ぐえん》を瞶《みつ》めてゐたが、 やゝあってこの二人が何事かを語らうとして、沈默せるベネディクトの方へ振向いた時、 あはれや、ベネディクトは呻きながら己《おの》が腰掛より倒れ落ち、 濱邊に手足を伸ばして横はり、遂に彼の靈はとこしへに消え失せた。 僧正は靜かにその屍《かばね》を抱き起した。イワ゛ンヂェリンはそのかたへに跪いて、 よゝとばかりに泣き崩れたが、忽ち彼女は失神して父の冷たい胸に頭を載せた儘倒れてしまった。 長い夜を彼女は深い昏睡に落ち入って居たが、やがて半ば我れにかへって眼を開けば、 數多《あまた》の人々は彼女の傍《そば》に坐って介抱してゐるのであった。 人々の顏はいづれも青白《あをざ》めて、目には涙さへ湛《たゝ》へ、 もの悲しさうな瞳を注いでゐた。 燃え止まぬ焔は夜も野山を照し、天を焦し、又人々の顏に映って戰慄せる彼女の心には、 最後の審判《さばき》の日が訪れたかのやうに見えた。 その時、彼女には夢見てゐるかのやうに、聞き慣れた人の聲が聞えて來た。 『ベネディクトをこの濱邊に葬らうではないか。 行方も知らぬ配流《はいる》の國から再びこの故里《ふるさと》に歸って來る時があったなら、 その時こそ、この聖《きよ》い骸《むくろ》を寺の墓地に、 恭々《うや?》しく埋葬しようではないか。』 それは僧正フィリシアンが衆人に語ってゐる言葉であった。 そこで、村の焼ける火を野邊の送りの炬火《たいまつ》に代へつゝ、 葬りの鐘も鳴らず、葬りの經《きゃう》も讀まれず、 農夫ベネディクトはこの淋しい濱邊に遽《あわたゞ》しく葬られたのである。 僧正フィリシアンが、嚴《おごそ》かに葬りの祈りを述べると、 大勢の會衆の聲のやうに海の潮もこれに和して、 人々の唱へる埋葬の哀歌に調《しらべ》を合せるものゝやうに、 いとも悲しく鳴り響いた。 その時寄せ來る潮《うしほ》は、大海原の遙か彼方《かなた》から、 明けゆく空と共に次第に高まりつゝ濱邊に押し寄せて來た。 しばらくして、再び積荷や乘船が喧《かしま》しく始まった。 そして潮《うしほ》の干《ひ》くと共に殘った人々を乘せた船は、 港を後に、日の暮れぬ内に出帆した。只々後に殘るは、 今し海邊に葬られたベネディクトの新墓《にひはか》と、 灰燼に歸したグラン・プレの村のみであった。 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/07/18 イワ゛ンヂェリン : 第二部 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 第二部 一 グラン・プレの村が灰燼に歸してから、幾多の歳月はわびしく過ぎ去った。 彼《か》の英國船が潮《うしほ》に乘じてマイナス灣を抜錨《ばつべう》して、 數多《あまた》の傳説を有してゐるアカディーの人々を、 家財諸共に遠く限りのない配流《はいる》の身としたことは物語にも又とない悲慘な事の限りであった。 遠く相隔った國の海邊に彼等は別れ?に上陸した。 東北の風がニュウファンドランド[34]海岸を罩《こ》めて暗くする濃霧を劈《つんざ》いて眞横に吹きつける時、 亂れ降る如く、彼等は諸所方々にちり?゛ばら?になった。 幾年も幾年も友もなく、家もなく、望《のぞみ》もなく、彼等は町から町へ、 寒い北の湖畔から、暑い南の草原へ、又、潮風香るノワ゛・スコシアの海邊から、 ミシシッピイ河が丘々を繞《めぐ》り、大海原まで流れ、 巨象《マンモウス》の骨を此處彼處《こゝかしこ》に砂深く埋めるといはれてゐる陸地をさすらひ歩くのであった。 彼等は互に友を求め、家族を求めて歩いたが、すでに草葉の露と消え果てゝ、 あはれや寺の庭に立ってゐる墓石にその痛ましい履歴を物語ってゐるに過ぎなかった。 かうして彼等は絶望の底に沈んだまゝ、失意の胸を抱いてさすらはねばならなかった。 これらさまよひ歩く人々の中に一人の少女《をとめ》があった。 彼女は謙讓で柔和な心の持主で、しかもすべての苦しみを包みつゝ、 只々一途に失った愛人ガブリエルを探して歩いてゐるのであった。 彼女は齢若く美しくあった。けれど、あはれや彼女の眼前に、廣漠として展開してゐる人生の沙漠には、 彼女に先だって悲痛と鬪った多くの人々の墳墓が横はってゐて、 それらの人々の情熱も、亦希望も永久《とこしへ》に消え果てゝ、 恰《あたか》もサハラや、アラビヤの沙漠を旅行く人の道に、露營の跡や、 日に曝《さら》された骨が見出されるやうにも似てゐた。 さりながら、イワ゛ンヂェリンは、自らの生活に何物か足らあぬ思ひを禁ずることは出來なかった。 さながら六月の朝、美しい日光が樂しい小鳥の歌諸共に忽然《こつねん》み空にとゞまって、 その昇り出た東に再び沈んでゆくやうな想ひを感ずるのであった。 時には町を彷徨《さまよ》ひ歩くこともあったが、 その心の熱愛に動かされ、小止みなき憧れに促され、魂の飢渇に迫られて、 再び果てしもない捜索の途《と》に旅立つのであった。 或る時は又、墓畔《ぼはん》をさまようて、十字架や墓石を眺め、 無名の墓標を見出しては、これが或ひは我が愛人の永久《とこしへ》に眠ってゐる墓ではないかと思って、 彼女はその傍《かたはら》に永遠の眠りにつきたいとも思ふこともあった。 又、或る時は、人の風説や噂を聞き、心細くさすらふのであった。 又或る時はガブリエルを見識ってゐると語る人に出逢ったこともあったが、 それは遠い過去の事で遙か隔った國に於ての話であった。 又、中にはかう言ふ人もあった。 『ガブリエル?さやう!私達は見ました。彼は鍛冶屋のバジルと共にゐましたが、 今まで二人とも原野の地方に行ってしまひました。 彼等は森の案内者で、又有名な獵師です。』 又、中にはかう言ふ人もあった。 『ガブリエル?私達も彼等を見ました。 彼は南の方の數百 哩《マイル》隔ってゐるルイジアナの低地で船頭をしてゐます。』 かうして年月の過ぎゆく内に、イワ゛ンヂェリンに求婚しようとする多くの若者もあった。 『娘よ!何故 貴女《あなた》はそんなに長く彼を待ってゐるのか。 ガブリエルのやうに美しい若者も他にゐるではないか。 彼に劣らず親切で優しい尚《たふと》い心を持ってゐる若者もあるのに! それは公證人の息子でバプティスト・ルブランといふのがゐるよ。 長い間、貴女《あなた》を慕ってゐるので彼に貴女《あなた》の手を與へて、 共に幸福に暮してはどうか。 貴女《あなた》は聖カザリンの髪[35]を結んで一生獨身で暮すには餘りに惜しいね!』 といふ者もあった。?? けれどイワ゛ンヂェリンは悲しさうではあるが落着いた聲で、『いゝえ!』と答へた。 『私の心のゆくところへ私の體はゆくので他へはゆきません。 心の勇んでゆく時には灯《ひ》が點《とも》ってゐるやうに行手が照されて、 すべてのものが明らかに見えますが、さうでない時は闇に隱されて見えません。』 かやうに彼女の心は長く失はれてゐる愛人に忠實であった。 そこで彼女の不斷の友であり師である教父フィリシアンは微笑みながら、 『おゝ娘よ、神樣がお前にさう言はせ給ふのである。 無駄な愛情を口にしてはならぬ。眞の愛は決して無駄にされるものではない。 若しお前の愛情が、相手の心にまで屆かぬとも、水は再びその源《みなもと》に歸り來るもので、 恰《あたか》も川から立ち上った水蒸氣が雨となって、再び泉に新鮮さを滿たすやうなものである。 忍んで汝が愛を完《まった》うせよ。悲哀と沈默は力に富み、 堪へ忍ぶ心こそは神の如く尊いものである。 お前の心が神の如く純化せられ、強められ、完《まった》うせられて、 一層聖化するまで、お前の愛の働きを成就しなさい!』 と、慰めながら彼女に語った。 親切なるフィリシアンの言葉に慰められて、イワ゛ンヂェリンは又もや、 此處彼處《こゝかしこ》と捜索を續けるのであった。 然《しか》も彼女の心には尚も大洋の悲しい挽歌を耳にしたが、 海の音にも「失望するな!」といふ囁き聲が混ってゐるやうに思はれた。 かうしてこの哀れなイワ゛ンヂェリンは、 慰めもなく只々困苦と悲哀を懷いて曠野をさまよひ續けたが、 浮世の憂《う》さは恰《あたか》も皿の破片《かけら》や茨《いばら》の刺《とげ》が素足を傷つけるやうに常に彼女を惱ますのであった。 あゝ!ミュウズの神よ!吾々をしてこのさまよひ人の足跡をたどらせたまへ!?? すべて彼女が迷ひ歩いた道筋、すべて彼女が生き存《なが》らへた遷《うつ》りゆく年月をたどらずに、 旅人として谷間を流れる小川に沿うて進まうではないか。 岸邊を遠く離れては折々 彼方此方《かなたこなた》開《ひら》けた所に水の光を眺め、 又時には岸邊に近づき、薄暗い森は流《ながれ》をかくして、 假令《たとひ》それを見なくとも絶えぬ囁きを聞く事が出來る。 そして遂に、その流れが大洋に注ぎ入る河口まで達する所を見出したならその旅人は幸《さいはひ》である。 二 時は樂しい五月であった。自然が喜ばしげに微笑んでゐる時、 美しい川に舟を浮べてオハイオ川の岸邊を過ぎ、ウォバッシュ[36]の河口をも過ぎて、 渺茫《べうばう》として果てしないミシシッピイ河の黄金《こがね》色なす波間を漂ひゆく一隻のボートがあった。 それは彼《か》の配流《はいる》の身なるアカディーの人々の漕ぎゆく舟であった。 この追放された一行は、恰《あたか》も大船が難破に遭ひ、 岸邊に漂ひ着いた木材が、再び水に浮かんで集まり、 同じ運命の綱で結ばれて組みなされた筏のやうであった。 男も女も亦子供達も一 縷《る》の望《のぞみ》に繋がれ或ひは又、 人の噂に頼りながら、アカディーの海岸[37]や、美しいオペルウサス[38]の野原迄、 僅かな土地を持って住んでゐる百姓の中を、各自《めい?》の知己や身寄りをたづねてまはるのであった。 この一行の中にイワ゛ンヂェリンも加はってゐて、 教父フィリシアンは、その保護者として彼女に附き添ってゐた。 川を下る彼等は低く沈んだ砂洲《すなす》を通り、樹かげ暗い曠野を抜け、 日に?波立つ川を下り、夜な?篝火《かゞりび》を焚いて川岸に露營した。 或る時は又、白い羽毛のやうにも綿の實《み》が熟してゐる緑の島々の間の早瀬を過ぎて、 廣々として湖上に出ると、銀色の砂洲《すなす》が水の中に所々現れてゐて、 漣《さゞなみ》寄する汀《みぎは》には雪のやうな白い羽根を輝かしたペリカンの群が渉《わた》ってゐるのが見えた。 平坦な陸地は遠く連り、川邊には栴檀《せんだん》が茂ってゐて、 美しい庭園の中には黒人の小舍《こや》と、鳩の巣箱を持った耕作者の家々が建ってゐた。 そこは常夏の熱帶地で、ゴールドン・コースト[39]を抜け、 香高いオレンヂやシトロンの熟《みの》る森を貫いて、 大きく彎曲したミシシッピイ河は東に向って流れてゐる。 一行は又進路を曲げてプラクミーン[40]の入江に入って、 間もなく緩やかにしかも迂囘してゐる迷路に姿を沒した。 そこは鐵條網のやうに四方八方に水流の錯綜してゐる所であった。 彼等の頭上には聳え立つ絲杉が枝を交へて暗く茂り、 アーチ形をなしてゐる。苔蒸した幹には垂れた寄生木《やどりぎ》が絡んで、 古い寺院の壁に懸ってゐる旌旗《はた》のやうに搖れてゐた。 四邊《あたり》は森閑として音もなく、唯日の暮れる頃杉の木の塒《ねぐら》に歸る蒼鷺《あをさぎ》か、 又は惡魔のやうな笑《わらひ》をして月を迎へる梟《ふくろふ》の外にはこの死のやうな靜寂を破るものとてはないやうに思はれた。 月は水の面《おも》に輝き、アーチを支へる絲杉の柱を優しく照し、 そのアーチの丸天井の裂目からは、 さながら廢《すた》れた家の隙間から洩れるやうに月光が斜《なゝめ》に差込んでゐる。 四邊《あたり》はすべて夢の如く朧《おぼろ》にして奇異なものゝみであった。 そして彼等の心の中には恐怖《おそれ》と悲愁《かなしみ》の情が湧き上るのであった ??目にも見えず又解し難い不思議な不吉の前兆が! 馬の蹄《ひづめ》の音が原野の草に響く時、 含羞草《ねむりぐさ》の葉が萎れ閉ぢるやうに運命の蹄《ひづめ》の悲しい不幸の前兆は、 事實の未だ到らぬ先に、人の心を萎れさすものである。 然しイワ゛ンヂェリンの心は月光を透して彼女を招く幻が眼前《めのまへ》を微《かす》かに漂ふやうに思はれて強く己《おの》が心を保ってゐた。 彼女が幻影を見るのは心の所爲《せゐ》であった。 小暗《をぐら》い木の間の水路を通り抜けて彼《か》のガブリエルの彷徨《さまよ》ふ姿が見え、 棹《さを》さす毎に彼の姿は次第に近く進んで來るやうに思はれたのであった。 我れに歸って見ると、ボートの舳《へさき》に立ってゐるのは彼ガブリエルではなくして、 漕ぎ手の一人の青年がこの陰鬱な暗い眞夜中に他にも舟を漕ぐ者がありはせぬかと、 合圖の角笛を吹くのであった。その時暗い柱と葉に蔽はれた廊下《わたどの》に強い響《ひゞき》が起って、 沈默の封印を破り、森に大きな舌を與へた。 寄生木《やどりぎ》の組合った音なき旌旗《はた》も今は喧《かしま》しく音樂を奏でゝ震ひ始めた。 山彦は水底《みなそこ》に、又震ひ動く木々の梢に谺《こだま》しては遠く消え去った。 然し人聲は聞えず、暗闇の中から應《こた》へる聲も聞えなかった。 暫くして山彦の音《ね》の止んだ時には、痛々しい感じを與へるやうな沈默となった。 それからイワ゛ンヂェリンは眠りに就いたが、 漕手《こぎて》は夜を罩《こ》めて櫂《かい》を休めなかった。 彼等は暫し沈默を續けては、又カナダの舟歌を唄った。 それは嘗《かつ》て彼等がアカディーの川で唄ったものであった。 そして夜の闇を透しては遠くの曠野から、波の音とも森の嵐とも辧《わきま》へ難い神秘な音が聞えて來て、 それには鶴の鳴き聲や物凄い[魚|((口/口)&王&(口/口));u9C77]魚《わに》の唸り聲も混って聞えるのであった。 翌日の正午《ひる》近く森の茂みを出ると、彼等の前には金色《こんじき》の陽の光を浴びて、 アッチャファライア[41]の湖が横はってゐた。 幾千の睡蓮の葉は棹《さを》にて描く小さな波紋の爲めに搖られ、 美しく輝く蓮華《れんげ》は漕手《こぎて》の頭よりも高く黄金《こがね》の花冠《はなかんむり》を擡《もた》げてゐた。 木蘭《もくらん》の花の香りと、眞晝の暑さで空氣は醉ってゐるやうに思はれた。 そして森なす無數の島々には自然の籬《まがき》をなしてゐる香りよい野茨《のばら》が一面に咲き亂れてゐた。 これらの島々で岸近く舟を走らせた時彼等は眠りに誘はれた。 やがてその一番美しい島に漕ぎ着き、水際に生えてゐる柳の木蔭に恙なく舟を繋ぎ、 疲れた棹《さを》をかけ、芝原の上に漕ぎ疲れた舟人達は直ちに微睡《まどろ》んだ。 彼等の上には絲杉の枝が廣く伸びて、その大きな枝からは、 紫[くさかんむり/威;u8473]《のうぜんかづら》や野葡萄の蔓《つる》が垂れ下ってゐて、 恰《あたか》もヤコブ[42]が夢見た梯子のやうに、 花から花へ忙しく飛び廻る蜂雀は、その垂れ下った階段を昇降する天使のやうに見えた。 イワ゛ンヂェリンは木蔭で暫し眠った時に、かやうな夢を見た。 彼女の心は強い愛に充たされてゐて、 明けゆく空の曙《あけぼの》の光りは眠る天國の榮光と共に彼女の魂を、 いと神々しく照らすのであった。 彼等が熟睡してゐる間に、無數の島々の中を輕快な一隻のボートが獵師達の強い腕《かひな》で漕がれて、 島の向う側を速かに走って行った。 そしてその舳《へさき》を北方に向けて野牛や海狸《うみだぬき》の棲む陸上をめざして漕いだ。 その舵には思慮に充ちた一人の青年が失望と憂《うれひ》に惱んだ顏付をして坐ってゐた。 彼は鬱々として娯《たのし》まざる顏をして、幾千の星の輝いてゐる暗い夜の空を痛ましく眺めてゐた。 その黒い髪は亂れたままに額に垂れ懸り、 悲しみの影は歳にも似ず彼の顏面にあり?と深く刻まれてゐた。 それは不幸と、頼りない邂逅《めぐりあひ》と、 をやみなき心の疲れと、自らの心の悲しみを忘れるために友と打ちつれて、 遠き西の荒野に狩《かり》に出かけるかのガブリエルであった。 ボートは早く走って、ある島の風下に行ったが、 その島の向岸《むかうぎし》に近い棕櫚《しゅろ》の木蔭に舟を止《とゞ》めた。 そこからは柳の木蔭に繋がれてある彼《か》のイワ゛ンヂェリンの一行のボートは見えなかった。 そして棹《さを》さす音にも疲れて眠る彼等の夢は掻き亂されることもなく、 又 少女《をとめ》の眠りを覺ますエンゼルも現はれなかった。 濃ぎ手[誤?:漕手《こぎて》]は草原《くさはら》を流れる雲のやうに早く舟を走らせた。 棹《さを》の音が遠くに消えてゆく頃、不思議な昏睡から人々は目を覺ました。 少女《をとめ》は嘆息しながら僧正にいった?? 『あゝ、フィリシアン樣、何物かゞ私の心に囁いて、ガブリエルが私の近くにゐることを告げました。 それは愚《おろか》な夢でせうか、又は空しい心の迷《まよひ》でせうか、 それともエンゼルが現れて私の心に眞實を告げたものでせうか?』 彼女は顏を赤らめつゝ尚も言葉を續けた。 『瞞《だま》され易い私の空想の生んだこんな譫語《たはごと》は、 あなたのお耳には無意味でございませう。』 敬虔な僧正は笑って答へた?? 『お前の言葉は決して無駄でもなく、又私の耳には無意味ではない。 人の情《なさけ》は深くて靜かなもので、 表面《うはべ》に現れる言葉は錨の在所《ありか》を示す浮漂のやうに、 心の奥底を示すものである。そこでお前の眞情に從ひ、 世の人が夢と呼んでをることにも頼みをかけなさい。 ガブリエルはほんとにお前の近くにゐるのである。 南の方テッシュ河[43]の岸に遠からずサン・モオルとマアタンの町がある。 そこでは長くさまようた花嫁は、再びその花婿を與へられ、 そして長く孤獨であった羊飼も、再び羊の群を與へられるであらう。 そこは美しい草地で森には果樹が茂り、足元には百花咲き亂れて花園があり、 頭上には緑の大空が擴がって、森の上に丸天井をなし、 その地に住む人々は、此處《こゝ》をば「ルイジアナのエデンの園」と呼んでゐる。』 これらの慰めの言葉に元氣づけられて一同は又もや旅路を續けた。 靜かな夕暮も近づいて太陽は彼《か》の奇術師が黄金《こがね》の棒を振るやうに、 西に方水平線から金色《こんじき》の光を四邊《あたり》の野山へ投げてゐた。 水面からは蒸氣が立ち昇って空も水も森も觸れ合って燃え、 それが共に溶け合って打ち混ってゐるやうに見えた。水と空との間を、 銀色に縁取られた雲のやうにボートは搖《ゆる》ぎもせぬ水面を靜かに棹《さを》さして走った。 イワ゛ンヂェリンの心は、えも云へぬ喜びに充ち、魔力に觸れたかの如く、 その清らかな感情は、周圍や空や水と等しく愛の光に輝いた。 折りしも近くの薮から物眞似鳥が水に枝さし伸べた柳の木の枝に飛んで來て、 その小さな喉から溢るゝばかりの喜びの歌を唄ったので、空と水と森とは、 無言のままこの歌に耳を傾けてゐるやうに見えた。 初めの内はその歌の調子は悲しかったが、やがて狂ほしい聲となって、 あの狂暴なバッカスの神[44]に仕へる尼の饗宴《うたげ》の跡を追ひ、 或は又先導してゐるやうに聞えた。いつしか鳴く聲も單調になり、 低く淋しい哀歌となり、恰《あたか》も驟雨《しうう》の後に一陣の風が梢を過ぎ、 水晶の如き雨滴《あまだれ》を降り落すかにやうに、 小鳥は嘲笑《あざわら》ってその調べを高く奏《かな》でるのであった。 かやうな前奏曲を聽きながら、感慨無量の中に緑のオペルウサスの平和を縫って行くテッシュ河へと、 彼等の舟は靜かに入って行った。 そして森の上を蔽ふ琥珀色の空の彼方《かなた》に人家から立ち昇る煙の柱が見え、 又角笛の響きや、遠くの家畜の鳴く聲などを耳にしたのであった。 三 河の岸邊の近く、槲《かしは》の木蔭に靜やかに羊飼の家が建ってゐた。 茂ってゐる槲《かしは》の木の枝には、ドルイドの僧達が、 冬の祭に黄金《こがね》の斧[46]を用ひて切り取るやうに、 フロリダ苔[45]と、珍らしい寄生木《やどりぎ》の花環が、 美しく搖れ動いてゐた。家を圍《かこ》む花園には千々の草花が爛漫と咲き亂れ、 馥郁《ふくいく》たる芳香は、四邊《あたり》の空氣を充してゐた。 家は絲杉の材木を集めて注意深く組み建てられ、屋根は大きくはあるが低く、 廣いヴェランダの柱には薔薇や葡萄の蔓《つる》が、 花環のやうに卷き附いてゐた。そして蜂雀や、蜜蜂がその周圍に集ひ、 家の四隅に設けられてある鳩小舍は愛の永久の表象のやうに、 多くの鳩は互に愛を求めて鳴いてゐた。 四邊《あたり》は沈默に充ちてゐて、 木々の梢には葉影と日光が搖れ合って閃いてゐる頃、 家も影に包まれて來て、煙突からは、夕べの空に、 薄青い煙の柱が立ち昇ってゐた。 家の背後《うしろ》の庭に門から槲《かしは》の並木路を抜けて、 小徑が果てしない原野迄通ってゐた。 そして花咲く曠野の海の彼方《かなた》には夕陽が靜かに沈んでゆく所であった。 夕陽の光を浴びて、熱帶地の波穩かな水面を走る船の帆柱に帆が影を投げて懸ってゐるやうに、 森地に彳《たゝず》む多くの木々には、葡萄蔓が入り亂れて纒《まと》ってゐた。 森林と花波打つ野邊との境に、スペイン風の鐙《あぶみ》と鞍とを置いた馬に、 鹿皮の胴着と脚絆《きやはん》をつけた羊飼が跨《またが》ってゐた。 茶褐色の顏をした彼は大きなスペイン帽を冠り威嚴ある眼でこの平和な光景《ありさま》を眺めてゐた。 彼の周圍には無數の牝牛の群が靜かに草を食《は》み、 河から立ち昇る水蒸氣のために濕氣を帶びた新鮮な空氣を呼吸してゐた。 この羊飼は脇に懸けてゐた角笛を取り上げて、廣い胸を一杯に擴げ一吹高く吹き鳴らすと、 その音は露けき夕べの靜かな空氣を透して遙か遠くまで心よく響き渡った。 その時、突然、草蔭から家畜の白く長い角《つの》が寄せ來る潮《うしほ》のやうに現はれたので、 暫し眺めてゐたが、やがて小牛の群は牧場の方へ飛んでいって、 遠く雲のやうに集まってしまった。 これを見た羊飼は、馬を家路に向けた折しも、庭園の門を潜っての僧正と處女《をとめ》とが、 彼に會はうとて急ぎ進んで來るのに出會った。忽ち彼は馬から降りて、 驚きの餘り飛び上がり、兩手を差し伸べて叫びつゝ前に進むと、 二人はこの羊飼が昔の鍛冶屋バジルであったことを知ったのである。 彼の喜びは如何ばかりであったらう。會釋を取換すた後彼は花咲く庭園に案内し、 薔薇に圍《かこ》まれた四阿《あづまや》の中で盡きせぬ身の上話に、 互の眞心を談《かた》り合って更に友情を新にし、 或は泣き或は笑ひ、果ては共に黙して考へ込むのであった。 この時イワ゛ンヂェリンは何故思案に暮れたのであらう? それはガブリエルの姿が見えなかったからである。 この疑問が處女《をとめ》の心に暗い影を投げた。 そこで彼女はバジルに向って、ガブリエルの居所を訊ねたのであった。 バジエル[誤:バジル]も亦この一事に心を惱まして、沈默を破って云った。 『若しお前がアッチャフィライア湖の傍《そば》を通ったとするならば、 途中どこかでガブリエルの舟に會ったに相違ないよ。 今し方ボートで立った許りの所だから。』 バジルの言葉を聞いてイワ゛ンヂェリンの顏は忽ち曇り、 眼には涙さへ湛《たゝ》へながら、戰《をのゝ》く聲で、 『行かれましたって!ガブリエルは?』 とその顏をバジルの肩に隱しながら訊ねた。そして悲しさと失望の餘り潛々《さめ?゛》と泣くのであった。 するとバジルは答へた??彼の聲はイワ゛ンヂェリンを元氣附けるかのやうに快活になった?? 『娘よ、悲しんではならぬ。あれが出發したのはホンの今朝の事、あの息子は! 唯俺一人と家畜の群とを殘して行ったのだ。何事にか飽き果て氣難しくなった彼は、 この變化のない靜かな生活に堪へることが出來なくなったのだ。 明暮《あけくれ》お前のことを思ひ、いつも無言のまゝ悲しんでゐて、 語ることは只お前のことゝ、自分の煩悶のみであった。 遂に人々に否《いな》、俺にさへ飽いた樣子だから、 俺も同意してあの息子をスペイン人を相手に騾馬《らば》の商《あきなひ》をさす事にして、 北方のアデイ[47]といふ町にやったのだ。そこからインディアンの足跡を辿ってオザアク山[48]に入り、 森で野獸を獵し、河では海狸《かいり》を捕《と》るだらう。 だから決して失望して呉れるな。さあ一緒に彼の跡を追って行かう。 彼は未だ多くは行くまい。それに幸《さいはひ》なことには川も逆に流れてゐるから、 明朝早く起きて露の玉の赤う輝く東雲《しのゝめ》の空に出發して、 彼の跡を逸早《いちはや》く追ひ、ガブリエルを連れ戻さうではないか??』 この時大勢の[口|喜;u563B]々たる聲がして川岸から友の腕に高く擔《にな》はれつゝ弾琴者ミカエルがやって來た。 彼は追放の身となってから長い間、バジルの家にオリンパス[49]の山に住む神のやうに住んでゐて、 多くの人達に音樂を奏でゝ聞かせることの外は何の憂《うれひ》もなく暮してゐたのであった。 彼の銀髪と提琴とは、遠くまで音に聞えて名高いものであった。 『ミカエル萬歳!勇ましいアカディーの音楽師!』 と一同は叫びながら凱歌を擧げて彼を持ち上げながら歩いた。 フィリシアンとイワ゛ンヂェリンは、この老人を迎へ、 昔を思ひ出しては感慨に耽ったが、バジルは[口|喜;u563B]々として聲高く笑ひ、 昔の仲間とうち興じ、人々を打ち喜ばせるのであった。 昔の鍛冶屋の打って變った今の富裕な樣を見て人々は打ち驚くのであった。 その土地、その家畜の群、その立派な生活振りに皆《みんな》の者は敬意を表するのであった。 又この地の土壌や氣候の話を聞いて彼等は驚き、 この大平原の無數の家畜が各自の所有になると聞いて、 我も我もとこの地に留まって牧畜業をなさうと考へるのであった。 かくして一同は階段をのぼり、風通しのよい廊下を通って、 母屋《おもや》の廣間に入ると、其處《そこ》には既に夕餉《ゆふげ》の支度は用意されて、 バジルの歸りが待たれてあった。一同はこゝで樂しく休らって晩餐を共にした。 樂しい饗宴の酣《たけなは》なる時、いつしか日は暮れて外面《そとも》はひっそりと聲なく、 美しい月は野山を銀色に染めて彼方《かなた》の空に昇り、 幾千の星も亦空に輝いた。然し屋内では灯《ひ》の光を浴びた人々の顏は、 更に、これらにも増して輝いて見えた。 食卓の上座に坐ってゐるバジルは、葡萄酒を滿々《なみ?》と杯に注ぎ、 煙管《きせる》にはナキトシュ[50]の香り床しい煙草を填《つ》めてそれを燻《くゆ》らしつゝ、 一同に語ると、客人達は微笑みながら彼の談《はなし》を聞くのであった。 『長い間、友もなく家もなくさまようてゐた私の友達を、 此處《こゝ》に再び迎へた私の喜びは如何ばかりでせう。 嘗《かつ》て住んだ家よりも恐らく更に結構な家に諸君を再び迎へ得たことも如何ばかり嬉しいことでせう? 此處《こゝ》は冬、川の水を凍らすやうに、吾々を凍えしめる飢饉もなく、 又 此處《こゝ》では石多い土で農夫を怒らせることもない。 鋤《すき》は恰《あたか》も鏡の如き水面を走る小舟のやうに、 滑らかに土の上を通ってゆくのです。一年中オレンヂの花が咲き、 草は一夜の中に、カナダの一夏程も成長します。 此處《こゝ》では又幾百の家畜の群が所有主《もちぬし》もなく自由に成長し、 土地も欲しいだけもつことが出來るのです。諸君が家を建てられるにも森の樹は自由に伐《き》られるのです。 家を建て田畑を作っても英國のジョウジ陛下が農園[51]から諸君を追ひ出す憂《うれひ》もなく、 又住宅を焼かれ田畑や家畜を奪はれる心配もないのです。』 かやうに語りながらバジルはその鼻から渦卷く煙を吐き、 茶褐色の大きな掌《てのひら》で卓上を叩いた。 それは昔英國の與へた不正を想ひ出したからである。 餘りの音に客人達は驚いて立ち上った。僧正フィリシアンも亦驚いて、 吹きかけてゐた煙草を不意い止めたのであった。 然し勇敢なバジルは再び話を續けた。その言葉は更に温和《おとな》しくて愉快さうであった。?? 『諸君よ、此處《こゝ》では只々一つ氣を附けなければならぬことがあります。 それは熱病です。假令《たとへ》蜘蛛の入った胡桃の殻を首に懸けてゐても、 此處《こゝ》はアカディーとは氣候が全く違ってゐるので、なか?癒らないのです。』 この時、戸口で人の聲がして、間もなく階段や廊下を歩いて來る足音が聞えて來た。 それは近所の小さな町に住むクレオル人[52]及びアカディアの耕作者でバジルに招かれて來たのであった。 懷かしい昔の友達や、隣人の集まったこの邂逅《めぐりあひ》の樂しさよ! 友と友は互に手を取り合って打ち喜び、 以前には相知らなかった人達も配所の旅では互に眞の友となり、 同じ故郷に生れた彼等は互に胸襟を開いて語るのであった。 やがてミカエルの提琴の調べが隣の部屋から床しく鳴り出でた。 一同は萬事を忘れて子供の如く喜び、はては立ち上って、 その音樂の調べに合せて、眼を輝かし、裳裾《もすそ》を飜《ひるが》へしながら、 夢心地で踊り狂ふのであった。 その間食堂の上座に僧正とバジルは一同から離れて坐り、過去、現在、 未來の事に就いて互に語り合ってゐた。一方イワ゛ンヂェリンは、 失神した者のやうに一人立ってゐた。蓋し彼女の心には追憶《おもひで》に堪へがたいものがあって、 樂《がく》の音《ね》の中にも彼女は悲しい海の音《ね》を耳にし、 抑へられぬ悲しみに心を捉《とら》へられて、人知れず花園に忍び出たのであった。 夜の景色は美しく、黒い森の彼方《かなた》からは白銀《しろがね》の月が昇ってゐた。 此處彼處《こゝかしこ》の木の間を洩れて打ち震へる月光は靜かな河面《かはおも》に閃き、 さながら樂しい戀の思《おもひ》が暗く悲しむ魂を照し輝くにも似てゐるやうであった。 彼女の周圍には種々《いろ?》な花が咲いてゐて床しい香《かをり》にその心を注いでゐた。 それは沈默を守るカアシュジャン派[53]の僧侶の如く、 夜に捧げる花の懺悔と祈[しめすへん|壽;u79B1]《きたう》とであった。 處女《をとめ》の心は不安な影と夜の露とが重たげにその身に附き纒《まと》うてゐる花にも優《ま》して香氣に滿ちてゐた。 そして花園の門から槲《かしは》の並木の蔭を通って果てしない曠野の端に通ずる小徑を過ぎて行く時、 魅力ある靜かな月光は、處女《をとめ》の心に無限の渇望を充してゐるやうに見えた。 銀色の靄《もや》は靜かに野原を蔽ひ、閃き廻る無數の螢は飛び交《か》うてゐる。 頭上には神の想《おもひ》を示す幾千の星が尊く輝いてゐるが、 不思議な年が廻《めぐ》り來て、『王の死《ウパルシン》』[54]と印《しる》されたやうな彗星が、 天の一角に現れる時の外、人の心は星に驚異と崇拜の念を起させぬものである。 處女《をとめ》の心は星と螢との間を只一人さまよふのであった。 『あゝ!ガブリエル!あゝ我が戀人よ!あなたはそれ程私の近くにお出でゝす。 それでも私はあなたを見ることが出來ません。又あなたの聲は私の耳に屆かないのです。 あゝあなたはこの小徑を幾度お歩き遊ばしたでせう?又 幾度《いくたび》か、 あなたはあの森を眺められ、仕事から歸ってこの槲《かしは》の木の下に憩《いこ》ひ、 その假睡《まどろみ》の中にも私を夢見て下すったことでせう? あゝ何時《いつ》、あなたの姿を見、何時《いつ》あなたの腕に抱《いだ》かれるのでせう?』 森に響く笛の音《ね》のやうに怪鴟《よたか》の鳴く聲が突然近くに聞えた。 でも近くの森を通って遠くに飛んでゆき、夜は再び沈默の世界に歸った。 「忍耐!」と、暗い洞穴《ほらあな》から神の託宣《おつげ》[55]のやうに槲《かしは》の木は囁き、 月光に輝された牧場からは「明日!」と答へるやうな嘆息が聞えるやうに思はれるのであった。 明くれば輝く陽は再び昇って花園の花はすべて露の涙もて[56]輝く日脚《ひあし》を濡らし、 水晶の花冠《はなかむり》の中に貯へた香ばしい香油を日光の長い髪に注いだ。 僧正は影暗い入口に立って言った。?? 『さらばバジル君よ、饑饉で斷食をしてゐるお前の放蕩息子[57]を連れ歸って見せ給へ。 又花婿の來る時に眠ってゐる愚《おろか》な娘[58]も一緒に。』 と諧謔の中に二人を見送れば『御機嫌よう』と處女《をとめ》は答へて微笑みながら、 バジルと共に河岸さして歩んで行った。そこには既に船頭が待ってゐた。 かくの如くに彼等は約束通り朝の樂しい陽の光と共に北の方へ旅立ったのである。 二人はガブリエルの行手を速かに追うて行くのであった。 恰《あたか》も沙漠に舞ふ枯葉のやうに運命の風に吹かれて進んだ。 然しその日も、亦その翌日も亦その翌日も、 ガブリエルの足跡は湖にも森にも河にも見出し得なかったのである。 幾日か探しても彼の姿を見ることは出來なかった。 只々怪しい曖昧な風聞のみを頼って見知らぬ淋しい國をさまよふのであった。 遂に疲れ果てた二人はアデイといふスペイン人の町の小さな宿舍《やどや》に着いた。 此處《こゝ》で計らずも話し好きな宿の主人は、 ガブリエルがその全日馬と同僚を引き連れてこの町を去り、 人跡もない原野の道を辿って行ったことを告げた。 四 遙か西方の荒地には高い山脈が連り、その頂は四時不滅の雪を戴き、 紆餘曲折した深い谷々の間は移民の荷車さへ通るに困難な峡路《けふろ》であって、 其處《そこ》にはオレゴン川[59]が支流のウォールウェイとオワイヒーの川[60]と共に西方に流れ、 東の方は風河《ふうが》山脈[61]と呼ばれる山の中の峻《けは》しい甘水谷《かんすいこく》をネブラスカ川[62]が蜿蜒《えん?》として流れてゐる。 南の方にはフォンテン・クィ・ブー川[63]や、峨々たるスパニッシュ山脈[64]から、 曠野を吹く風に追はれて、川の流《ながれ》は岩を怒らせつゝ無數の瀧となり、 小やみなき音を立てゝ、さながら、 竪琴《ハアプ》が高く嚴かに震動するものゝやうに響いて海へ下るのであった。 これらの河川の間には不思議な程美しい草野《くさの》が擴がってゐて、 波打つ叢《くさむら》が陰となり陽《ひなた》となりつゝ風に靡《なび》き、 此處彼處《こゝかしこ》には紅薔薇や紫の荳《まめ》の花が群って美しく咲き競ってゐる。 この平野の中を野牛《のうし》の群や麋《おほしか》や小鹿が飛び廻り、 又狼や乘る人もない野馬《のうま》の群がさまよひ、野火が燃え、 生温い風の吹く草原《くさはら》にイシュマエルの子達[65]を散在したといふ未開の土人がさまようてゐる。 彼等は掠奪の血もて野面《のづら》を赤く染め、 彼等の恐しく疾走する頭上には戰《たゝかひ》に倒れた酋長の執念深い靈が、 眼に見えぬ梯子を登って空を翔け廻るが如く、 鷲や鷹が嚴《いか》めしさうに翼を擴げて空高く翔け廻ってゐるのであった。 これら掠奪を事としてゐる蠻人の住家《すみか》からは白い煙が立ち昇り、 彼方此方《かなたこなた》急流の流れる邊《ほとり》には森が並び立ち、 沙漠の隱者のやうな物凄い無口な熊は、小川の邊《ほとり》の木の根を掘らうとして暗い谷を下ってゆく、 かうした景色の上には、水晶のやうに澄み切った朗かな空が神の守《まもり》の手の如く横ってゐた。 オザアク山の麓《ふもと》に擴がってゐるこの不思議な國に、 彼《か》のガブリエルは獵師等を從へて山深く入って來た。 一方 彼《か》の娘とバジルは、土人を案内者として、 來る日も來る日もガブリエルの跡を探して行くのであった。 そして日一日と彼に追ひつくやうな思《おもひ》をしてゐたのである。 時としては二人は夜明の空に遠くの野原から、 ガブリエルの野營の煙かと思はれるやうなものを見出したこともあったが、 かうした時に彼等は前速力で急ぐのであった。 そして夜に及んで其處《そこ》に着いて見ると、 只 薪《たきゞ》の燃え殻と灰のみが殘ってゐるのであった。 二人の心は悲しく、その體は疲れてゐるけれども、 彼《か》の魔女ファータ・モーガーナ[66]が魔術を用ひてるといふ、 現れては又消ゆる湖水の蜃氣樓を見るやうな、果敢《はか》ない希望に導かれて、 猶も北へと進んで行くのであった。 或る日の夕方焚火を圍《かこ》んで彼等が坐ってゐると、 一人の土人の女が入って來た。彼女の顏には、 イワ゛ンヂェリンのそれのやうに深い悲しみと強い忍耐の跡が判然と刻まれてあった。 彼女はその夫なるカナダ人が、 土人のために殺された遠いカマンチェ[67]の獵場から己《おの》が故郷へ歸るショニイ族[68]の女である旨を話した。 彼女の物語に心を動かされた一同は、彼女を快く迎へて慰め勞《いたは》り、 野牛《のうし》の肉や、鹿の肉を焚火で焼き、夕餉《ゆふげ》を共にしたのであった。 かうして食事の終った時、バジルと他の人々は長い一日の旅行と、 鹿や野牛《のうし》を追った疲れで手足を伸したまゝ、 直《すぐ》に眠りに就いたのである。 そこには微《かすか》に搖《ゆら》ぐ灯《ひ》の光が彼等の陽に焦《や》けた頬を照してゐた。 イワ゛ンヂェリンは眠れる人々に毛布をかけてやった。 彼《か》の土人の女はイワ゛ンヂェリンの天幕《テント》の入口に坐って、 靜かに聲も低く聞き慣れぬ土人の言葉で彼女の戀物語を語り、 それがいとも不幸に終った一部始終を徐々ともの語った。 イワ゛ンヂェリンも世に自分と同じ運命に泣く同性のあることを知って、 思はず涙の袖を絞るのであった。 處女《をとめ》は深い同情の涙に泣いたけれども、 この女土人の物語は、彼女の心を慰めるものであった。 そこでイワ゛ンヂェリンも亦 己《おの》が不幸な身の上を語った。 ショニイの土人は驚き乍ら黙って聞いてゐたが、 彼女の語り終った後も尚ほ黙って考へ込んでゐた。 然し神秘な恐怖が遂に彼女の心を襲ったかのやうに再び口を開いて、 古《いにしへ》の戀の傳説[69]を物語り出した。?? 『雪の花婿のモーイスは清い處女《をとめ》と結婚しましたが、 翌日朝日の光でその家から出ると、酒を消しました。 花嫁は森の中を遠く迄探して歩きましたが、 遂にその愛人の姿は見えませんでした。』 それから例の美しい低い聲で、不思議な咒文をとなへるやうに、 美しいリリノウの物語をした。 『リリノウは妖怪に言ひ寄られましたが、 その妖怪は黄昏《たそがれ》の薄明りに父の家を蔽うてゐる松の木の中から、 夕べの風のやうにリリノウに愛を囁くのでありました。 彼女は夫の姿を追うて遂に森の中に入り、 打ち搖らぐ彼の緑の羽冠《はね》の跡をつけて行きましたが、 彼は再び歸って來ず、又再び人々に顏を合すこともありませんでした。』 不思議な驚きに言葉もなく、イワ゛ンヂェリンは女土人の魔術のやうな話に耳を傾けて聞いてゐたが、 果ては、四邊《あたり》のものまでが魔術を掛けられたやうに見え、 鳶色の顏をした彼《か》のショニイの女が魔術使の如くにも見えるのであった。 この時、オザアクの山の頂には月が靜かに昇ってゐて、 小さな天幕《テント》を照らし、神秘な光は樹々の陰氣な葉末《はずゑ》を明るくし、 林や森をその光の中に抱擁してゐた。 四邊《あたり》にはさゝやかな音を立てゝ小川が流れ梢も微《かす》かに囁いて風に搖れてゐた。 イワ゛ンヂェリンの心は愛の思ひに充ちてゐたが、 今や苦痛と恐怖がその心中を匍ひ廻り、さながら、 毒蛇が燕の巣に匍入るやうな感がするのであった。 それは神秘な恐怖であって、幽冥界から來る氣息は夜の空氣の中に漂ふ如く思はれて、 イワ゛ンヂェリンも亦、暫くは彼の物語にあった處女《をとめ》の如く、 妖怪が追ひつゝあるかのやうに感ずるのであった。 かうした思ひの中にも疲れていつしか眠りに就くと、 樂しい夢路に妖怪の姿も恐怖の念も消え去って了ふのであった。 翌朝早くから一同は又も旅路を續けた。途中ショニイの女はこんな話をした。 『あのオザアクの山の西側の山腹に小さな村があって、 其處《そこ》には「墨染の衣」[70]と呼ばれるエスイタ教派の一僧正が住んでをられます。 彼は村人にマリヤやイエスのことを語り、 聞く人は喜びに充たされて笑ひ、或は又、悲しみに沈んで泣くのです。』 急に不思議な感じに打たれたかのやうにイワ゛ンヂェリンは、 『其處《そこ》へ行って見ませう、或はよい音信《おとづれ》が私達を待ってゐるかも知れません。』 といった。そこで一行はその村に馬を向けて進んだのであった。 山の彼方《かなた》に夕陽が舂《うすづ》く頃彼等は村人の聲を耳にした。 そして川の傍《そば》に擴がってゐる緑の牧場の中にエスイタ教徒の天幕《テント》の數々が見えるのであった。 村の眞中にある高い槲《かしは》の木蔭に、 彼《か》の墨染衣の僧正が子供等と共に跪いてゐる。 十字架は木の幹に高く結びつけられ、葡萄の葉も木に纒《まと》ひ茂って、 木蔭で跪いてゐる人々の顏を見下してゐるやうであった。 此處《こゝ》は片田舎の禮拜所《らいはいじょ》で木の枝が參差《しんし》として入り込んで形造ったアーチを通して、 夕《ゆふべ》の祈《いのり》の歌聲は高く天に昇り、その調《しらべ》は木の梢の柔かな囁きと混りあふのであった。 旅人等は帽子を脱いで靜かに近づき、芝原に平伏して夕《ゆふべ》の禮拜《らいはい》に連《つらな》った。 かくして禮拜《らいはい》が終り、 祝[しめすへん|壽;u79B1]《しゅくたう》の言葉が種蒔く人のやうに手を差し伸べて僧正の口から洩れてから、 僧正は徐《おもむ》ろに旅人に近づいて一行を迎へるのであった。 一同がこれに挨拶すると、彼は温和な表情をもて微笑み、 この森に於て母國語の愉快な言葉を聞いて喜びながら、 親しく我家に一同を案内した。其處《そこ》で蓆《むしろ》や毛皮の敷いてある上に一同は憩《いこ》ひ、 玉蜀黍《たうもろこし》の菓子の饗應を受け、 葫蘆《へうたん》の水を貰って渇《かつ》を醫《いや》すのであった。 間もなく彼等は一部始終を物語ると、僧正は嚴かに答へた。?? 『ガブリエルが我が傍《そば》の蓆《むしろ》に?? 今、處女《をとめ》の坐ってゐる蓆《むしろ》を去ってから未だ六日とはならないのである。 彼も亦、これと同じやうな悲しい物語を話して、再び淋しい旅路に上ったのである。』 僧正の言葉は優しく愛情を籠めて語られたが、イワ゛ンヂェリンの心には、 この言葉は恰《あたか》も小鳥が秋の末南の方に去って殻となった淋しい巣の中に、 冬の雪が降るやうに冷たく響くのであった。 僧正は猶も言葉を續けて言った。 『ガブリエルは遠く北の方に旅立ったが、獵が終って、 秋になったら再び此處《こゝ》に歸って來るでせう。』 イワ゛ンヂェリンもこれを聞いて、聲も優しく僧正にいった。 『ガブリエルが歸るまでどうぞあなたと一緒に此處《こゝ》に置いて下さいませ。 私の心は憂《うれひ》と悲しみに堪へられないのでございます。』 かうしてガブリエルを待つことが最も賢い方法であるやうに一同も考へた。 僧正も亦惱めるこの處女《をとめ》の願ひを心よく容れた。 そこで翌朝バジルは處女《をとめ》に別れを告げて、 メキシコ馬に跨り土人の案内者諸共に、サン・モオルの家路を指して歸って行った。 イワ゛ンヂェリンはこの小さな村に只一人殘って、 人々に仕へて己《おの》が悲しみを慰めようとした。 光陰は矢の如く過ぎ去って、初めて彼女の訪れた頃、 青く芽生えてゐた玉蜀黍《たうもろこし》は今は畑に高く成長し、 その長い葉を風に飜《ひるがへ》し、烏《からす》や栗鼠《りす》が穀物の掠奪に集まる季節となった。 麗《うらゝ》かな秋の日に玉蜀黍《たうもろこし》が収穫され、皮の剥がれる時となって、 多くの娘達はその赤い實粒《みつぶ》を見る毎にその頬を赧くするのであった。 これは戀人の來る表徴《しるし》であると昔から言ひ傳へられてゐるからである。 又 實粒《みつぶ》が曲ってゐる時には、彼女等は笑ひながらこれを畑泥棒と云ふのであった。 然し幸運の來るといふその赤い玉蜀黍《たうもろこし》の實も、 イワ゛ンヂェリンにはその愛人を與へなかった。彼女は全く意氣沮喪してしまった。 然し僧正は慰めて云った。?? 『堪へ忍びなさい。信じて待ちなさい。さうすればあなたの祈《いのり》はきかれるでせう。 これらの弱々しい植物を御覽なさい。それが叢《くさむら》から頭を擡《もた》げる時、 その葉は磁石のやうに正しく北を指します。 これは果てしなく道もない海の如き曠野をさまよふ旅人に、 方角を示す爲め、脆い莖の上に咲いてゐる神の羅針盤とも云ふべき「道標《みちしる》べ」の花[71]です。 信仰上のことも亦、かやうなもので、美しい花は芳香に充ちて輝いても只々われ?を欺くのみで、 忽ちその香《かをり》は消え失せるものですが、この人に觀られない卑しい植物だけは、 浮世を旅する人のよい案内者となり、 彼《か》の世では忘憂藥《ネペンテ》[72]の露に沾《うるほ》ふシヤグマ百合[73]の花が魂の道を飾るのです。』 かくして秋は來り又過ぎ去って冬となった。 然《しか》もガブリエルは未だ歸っては來なかった。 そしてやがて春の花は咲き、駒鳥や青鳥《あをどり》が丘に森に聲高く囀る頃となったけれど、 遂にガブリエルは歸って來なかった。 然し夏の風がそよ吹く頃となって一つの風聞《うはさ》が傳はって來た。 それは小鳥の唄にも、亦花の香《か》にもましてイワ゛ンヂェリンの心を喜ばすものであった。 それは遠い東北のミシガンの森の中、 サギノーの河畔[74]にガブリエルが家を建てゝ住んでゐると云ふことであった。 かうした噂を耳にして、イワ゛ンヂェリンの疲れ果てた心には、 再び希望が起った。そこで、彼女はこの地に悲しい別れを告げて、 聖ロオレンスの湖畔をさして又もや旅立ったのであった。 幾日も幾日も彼女は危い道を歩き、疲れ疲れて漸くミシガンの森の奥へと辿り着いたが、 あはれや、其處《そこ》には、獵師の小舍《こや》は既に廢《すた》れて人影も絶えて見えなかった。 かやうにした長く悲しい歳月《としつき》は過ぎ去った。彼女は身を浮草に託して氣候異り、 場所異る所を遙か遠くに迄さまよひ續けた。或る時は優しいモラヴィア人の修道院[75]に、 又或る時は獨立戰爭の干戈《かんくわ》の交へらるゝ戰場の騒がしい野營の中に、 又或る時は忙しい都會の巷《ちまた》に、又或る時は靜かな片田舎の村に幽霊の如く人知れず現れ、 幻の如く立ち去るのであった。 初めて希望を懷いて旅路に出た時には彼女はうら若く、 容貌《みめ》よき處女《をとめ》であったが、歳月《としつき》の過ぎ去った今となっては、 彼女の額には銀の條《すぢ》も現はれるやうになった。 過ぎ行く年と共に、彼女の美しい顏からは何物かゞ奪ひ去られ、 その痕《あと》には悲しみの影のみを殘してゐた。今やその髪にも白い條《すぢ》が雜《まじ》り、 恰《あたか》も東の空に夜明の光が現はれるやうに、この地上の闇夜が水平線から去って、 やがて彼女の新しい世界の黎明《しのゝめ》が來る喜ばしい前兆とも思はれるやうに見えるのであった。 五 デラウエヤ川の清く流れる邊《ほとり》に、 嘗《かつ》てクエイカア教徒のペン[76]が打ち建てた都のフィラデルフィアがある。 其處《そこ》には、桃の花が美しく咲いて、四邊《あたり》の空氣を香《か》んばしく馨《かを》らせ、 街路には森の樹の名[77]がつけてあって、 人の心を惱ます彼《か》の森に住むドライアッドの女神の怒りを宥《なだ》めるかのやうである。 波打つ海からイワ゛ンヂェリンはこの町に上陸した。 其處《そこ》はその昔、初めて彼女が追放人《おはれびと》として上陸した所であった。 イワ゛ンヂェリンはこの町に上陸した。そこはその昔、 初めて彼女が追放人《おはれびと》として上陸した所であった。 イワ゛ンヂェリンはペンの家に寄寓してクエイカア宗の人々の間に暮してゐた。 聞けば、彼《か》の公證人ルブランも此處《こゝ》で死んだとのことであるが、 その多くの子孫の中で彼の臨終の床《とこ》に侍《はべ》った者は只一人であったと云はれる。 この町はイワ゛ンヂェリンには何等かの親しみがあって、 何事か彼女の心に囁くものがあり、異国の者とも思はれぬ感じがするのであった。 彼女の耳は「おゝ兄妹《きゃうだい》よ!」と呼び交すクエイカア教徒の言葉に喜ばされるのであった。 それは自由と、平等と、平和の國である彼《か》のグラン・プレの昔をそゞろ想起《おもひおこ》したからである。 今やイワ゛ンヂェリンの永年の捜索の旅は何等甲斐なく終って、 最早この世では成す可き術《すべ》もなく、木の葉が日の光りに向ふやうに、 今や彼女の心は足と共に、唯々來らんとする光明の世界に向けて、 この世に愛人の姿を求めて歎くまいと決心したのであった。 山の頂から朝の靄《もや》が晴れて行く時、眼界遠く見渡すと、 川も、町も、村も、輝く朝日に照らされて見えるやうに、 彼女の心からも今や惱みの雲が晴れて、見渡す世界には最早や闇はなく、 すべてが愛に輝いて、自ら遠く攀ぢ登って來た過去の坂道さへも、 今は遠く彼方《かなた》に平《たひ》らかに美しく横たはってゐるのである。 然し彼女は決してガブリエルを忘れたのではなく、 彼女の心には別れた時と同じやうに、若く美しい愛の衣に包まれたガブリエルの姿が宿ってゐた。 そして死の如き沈默の中に、恍惚として想像するガブリエルの姿こそは、更に美しいものであった。 ガブリエルを想ふ念は、移り行く月日にも何等變ることはなかった。 そして又ガブリエルの姿も昔のまゝに變らなかった。 彼女の心にはガブリエルは永久に眠った人のやうに思はれたが、 然しこの世に姿のない人とは思はれなかった。忍耐と克己、 獻身と犠牲の精神こそは悲しい生涯が彼女に與へた教訓であった。 かうしてイワ゛ンヂェリンの崇高な愛は、獻身的事業へと向けられた。 あたかも香《かをり》よき香料が四邊《あたり》の空氣を芳《かんば》しくするやうに、 彼女の愛は空しく空費されたのではなかった。今や、 彼女には人生に對する何の希望も願ひもなく、たゞ?敬虔な歩みをもって、 靜かに救世主の御足《みあし》の許《もと》へと從ふのみであった。 かくて數年間彼女は尼僧となってこの町に住んだ。不幸と窮乏に見舞はれ、 又病氣と悲しみに惱まされる巷《ちまた》に並ぶ軒《のき》の間の貧しい家を、 彼女は時々訪れて慰めるのであった。町の人々が眠ってゐる時、 夜番は平穩無事と、聲高く唱へながら嵐吹く町を通る時、 イワ゛ンヂェリンが高く持つ細い燭火《ともしび》の影が、 寂しい窓に映ってゐるのが見えた。 又朝な朝な、明けゆく巷《ちまた》に花や果實を携へて市場に行く百姓達は、 青白《あをざ》めた顏をしてはゐるが優しい彼女の出會った。 それは彼女が憐れな兄妹等を終夜見まもってから、 人知れず家路にと歸る途上であった。 然《しか》るに、或る年、この町に疫病[78]が流行した。怪しむ災殃《わざはひ》の前兆が現はれ、 野鳩《のばと》の群は陽を掠めて飛び廻り、 その嘴《くちばし》に槲《かしは》の實を啣《くは》へて持ち運んだ。 そして秋に海の潮《しほ》が高まり、銀色の河の流れが溢れてあたかも牧場は湖水となるやうに、 死が生を侵し、自然の川岸を乘り越えて、人の生命の清らかな流れを濁った泥海と化して了った。 財寶もこれを贖《あがな》ふ力はなく、又如何なる美も、 この暴威の前には何等の偉力をも示し得ないで、多くの人々は、 神の怒りの笞《しもと》にも似たこの疫病の爲めに、悉く斃れるのであった。 友もなく、看護する人もない貧民は、家なき人々の収容所である養育院に匍ひ行き、 其處《そこ》で絶命する者も多くあった。 この養育院は以前郊外の牧場と森地の眞中にあった獨逸街《ドイツがい》に建ってゐたが、 今は町の眞中になってゐる。然し、華やかな只中に、 その粗末な門の壁んは「貧者《まづしきもの》は常に爾曹《なんぢら》と偕《とも》に在り」といふ聖句が、 靜かにも反響してゐるかのやうにも思はれた。 この病院に、慈悲の女神なるイワ゛ンヂェリンは、 晝となく夜となく訪れては病める人々を見舞った。 將《まさ》に眼を閉ぢて死にゆく人々も彼女の顏を見上げると、 この世の者とも思はれぬ清らかな光が彼女の額を取圍んでゐるやうに思はれた。 恰《あたか》も畫家が聖徒や使徒の肖像を描く時、 その額の周圍に畫《ゑが》く光輪や、又夜、町の空遠く輝く極光にも似て、 病める人々の眼には彼女の輝く顏は天國の都の灯火《ともしび》とも見え、 輝くその都の門に間もなく入って行きたいと思はれるのであった。 或る安息日の朝、寂しい迄に靜まった市街を通って、 イワ゛ンヂェリンはいつものやうに病院へと急いだ。 夏の風は心地よく吹いて、花園の花は香り床しく匂ってゐた。 彼女は暫し立ち留まって、その美しい花を採り集め、 死に逝く人の枕邊《まくらべ》を今 一度《ひとたび》、 美しい花の香《かをり》で慰めたいと思った。 やがて彼女が東風《こち》に吹かれつゝ廊下へと階段を登って行くと、 クライスト・チャーチ寺[79]の鐘楼から鐘の音《ね》がしめやかに響き、 同時に牧場の彼方《かなた》、ウィカコの教會からはスウェーデン人[80]の聖歌が聞えて來た。 彼女の心の上には、鳥が翼を休めようと下り來るが如くに、 深い靜けさが迫り來るのであった。それは彼女の心の中に何物かゞ、 『汝の試練の時も遂に終った』と告げたからであった。 かうしてその顏に歡《よろこ》びの色を漂はせつゝ、 イワ゛ンヂェリンは病人の臥してゐる部屋へと入って行った。 眞心籠めて看護してゐる人々の傍《そば》に靜かに近づくと、或る者は、 病人の熱い唇を水で霑《うるほ》し、そして痛める額を冷やし、 或は又無言の儘死人の眼を閉ぢその顏を布《きれ》もて覆ふ者もあった。 藁褥《しとね》の上には多くの病める人々が、 路傍《みちばた》に積る雪のやうに横はってゐた。 イワ゛ンヂェリンが入って來ると、衰へ果てた人々も皆な、 その顏を上げて彼女を見ようとするのであった。 げに彼女の優しい顏はさながら獄舍《ひとや》に射す日光の如く、 哀れな病人達に映ったのである。彼女が四邊《あたり》を見廻すと、 死に神が人々を見舞って、永久《とは》に彼等の生命《いのち》を奪ふ樣が彼女の眼に映るのであった。 夜になると彼女の知己の人々の姿は消え失せ、 忽ち他の見知らぬ人でその跡は塞がるのであった。 驚愕《おどろき》と恐怖《おそれ》の感情に襲はれたかのやうに、 イワ゛ンヂェリンは突然ぢっと立ち止った。 その色を失った唇は開いたまゝブル?と震へた。彼女は、思はず、 その手から花束を落した。その眼と頬は夜明の空のやうに紅色《べにいろ》に輝き、 やがて彼女の唇から恐ろしい苦悶の叫び聲が出る。 と、今し死なんとする人々もその聲を聞いて枕から頭を擡《もた》げた。 彼女の眼前《めのまへ》の藁褥《しとね》には一人の老人が病める體を横へてゐる。 その髪は長く灰色となってゐるが、朝の光を浴びてゐる彼の顏には、 暫しの間昔の若やいだ面影が宿って來たのが見えた。若い姿の再現! それは死に行く人が、終臨《いまは》の際《きは》に折々示す顏であった。 彼の唇は熱の爲めに赤く爛《たゞ》れ、さながら昔ヘブライ人[81]が、 死の神をそっと通す誓ひの印《しるし》として、家の門に血を塗り附けたやうに見えた。 身動きもせず、五官も失せて、微《かすか》に呼吸《いき》をしつゝ横はってゐる彼は、 眠りと死の境の暗い闇の中を通って、底なき淵に永久《とこしへ》に、 沈んでゆくやうに見えた。 それから暗黒の境を通り、喧《かしま》しい反響の中に彼は女の苦痛の叫び聲を聞いた。 それに續いて聖者のやうな優しい聲で『ガブリエル!あゝ我が愛人よ!』と囁く聲を耳にした。 そしてその聲が消え去ると彼《か》の老人は夢見るやうに今一度、 幼き日の故里《ふるさと》を思ひ出すのであった。緑のアカディーの牧場、 銀色に流れる清らかな川、村と山と森の木蔭をさまよふ處女《をとめ》、 若き日のイワ゛ンヂェリンの姿が、まざ?と現はれるのであった。 涙に咽《むせ》びつゝ夢から覺めたガブリエルは、靜かにその眼を開いた。 見ればイワ゛ンヂェリンはその傍《かたはら》に泣きながら跪いてゐる。 彼は今一度イワ゛ンヂェリンの名を呼ばうとしたけれど、 聲は口より最早出なかった。彼は又立ち上らうとしたがそれは今は空しいことであった。 然し彼の眼のみは過去を決して忘れはせず、又彼の愛は彼女の愛と同じく永久《とこしへ》に變らず、 永遠不死のものであることを語ってゐるのであった。 イワ゛ンヂェリンは、死に逝く人を抱いて次第に冷めてゆく唇に接吻した。 ガブリエルの瞳は暫し美しく輝いたが、やがて永久《とこしへ》の闇に沈んで、 恰《あたか》も窓の灯火《ともしび》が一陣の風に吹き消されたかのやうに、 いとも果敢《はか》なく消え失せた。 嗚呼!萬事はこゝに終った。希望《のぞみ》も、恐怖《おそれ》も、悲哀《かなしみ》も、 胸の痛みも、止む事なき憧れも、深い心の惱みも、堪へ忍んだ苦悶も消え去った! かくて彼女は今一度戀人の冷たい頭《かしら》を固くその胸に抱きつゝ、 優しくその頭《かうべ》を垂れて、『父よ!感謝す』と祈った。 今も猶 神代《かみよ》ながらの森あれど、 遠く離れし衢《ちまた》の中の寺庭に居並びて 二人の戀人は無縁の墓に眠れども、 花を手向けに訪《と》ひ來る人は絶えてなく 唯人の世の潮《うしほ》のみ日毎に寄せ來るのみ。 一度《ひとたび》こゝに來りては 人々の胸は永久《とは》に憩《いこ》ひ、 人々の頭《かうべ》は鎭《しづ》まりぬ。 世の業務《なりはひ》にいそしむ人の手は永久《とは》に休み、 浮世の旅に疲れし足も今は旅路を終へぬ。 今も猶 神代《かみよ》ながらの森あれど、 木蔭には言語《ことば》と風習《ならひ》の異る民[81]住みて、 狭霧《さぎり》漂ふ大西洋の荒磯近く アカディーの民僅かに住まふのみ。 その祖先等古里の濱に死なんとて 配所《はいしょ》よりさまよひ歸りし者ならん。 漁士《あま》の家には絲車と機《はた》の音《ね》今も尚響き、 手弱女《たをやめ》等は昔のノルマン帽と手織の衣を纒《まと》ひ、 夕べの爐を圍《かこ》みつゝアカディーの戀物語を語る時、 洞《ほら》の巖《いは》より海の音は呻くが如く高鳴りて、 森の木立の悲しき調べに應《いら》へてぞ嘆く。 ??了?? [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日:2004/07/18 イワ゛ンヂェリン : 解説 [目次] [前] [次] ------------------------------------------------------------------------------- 解説 『イワ゛ンヂェリン』の作者 『イワ゛ンヂェリン』の作者ロングフェロウは、『人生の歌』、『向上の歌』、『村の鍛冶屋』等の作者として、 中學校や女學校に學ぶ若い人たちにも廣く知られてゐる有名な詩人である。 彼はアメリカの最大詩人であり、英語で書いた最もポピュラアな詩人である。 子供の詩人として、平民的な詩人として、初期の文學慾に柔かな趣味を加へ、 その思想の健實なる點、その情趣の高潔なる點に於いて、彼は歐米詩人中稀に見る人である。 十九世紀初頭の十年間に於いて、米國文壇には俄然として諸文星が輩出した。 散文家としてのエマスン、小説家としてのホオソオン、ホウムズ、詩人としてのロングフェロウ、 フヰティア等がそれである。この中にあって、 最もニュウ・イングランドらしい感じのする詩人はわがロングフェロウである。 彼が米国文學への最大貢獻は、『イワ゛ンヂェリン』と、『ハイアウォサ』の二大敍事詩と、 數十篇の短詩である。次ぎに初學者のために作者の略歴を述べて見よう。 ヘンリ・ワヅワス・ロングフェロウ(Henry Wadsworth Logfellow)は一八〇七年二月二十七日、 米國メイン州ポオトランド市に生れた。父は學識ある法律家で、 社會的位地高く、母は容姿端麗なる淑女であって、詩歌を愛誦した。 かうした兩親の膝下に撫育せられた彼は、早くより完全な教育を受けて、 天賦の才能を十分に發達せしめることが出來た。 彼はこの繪のやうな美しい古い港町で幼時を送った。三歳の時既に學校に入り、 六歳にして羅典語を學んだ、彼は沙翁、ミルトン等を始め、『ドン・キホオテ』、 『アラビアン・ナイト物語』を愛讀したが、 殊にアアヴィングの『スケッチ・ブック』を熟讀反復したことを告白してゐる。 一二歳の時に既に詩を作って、詩人としての才能を示したといはれてゐる。 十五歳の時、ボウドウン大學に入學し、後日の大作家ホオソオンと同級生であった。 在學中幾多の詩や散文を物して投稿してゐた。 そして卒業の前年に將來文學によって身を立てようと決心した。 一八二五年、十九歳のロングフェロウは優等で學業を卒へ、 間もなくボウドウン大學の近代語の講座を受持つことゝなった。 そこで彼はその準備として歐洲大陸に留學し、一八二六年より四年間、 フランス、ドイツ、スペイン、イタリイの文學及び國語を研究し、 一八二九年(二十三歳)に歸国して母校で數年間近代語を教授した。 一八三五年ハアヴァード大學に轉職し、再び歐洲留學を命ぜられて、 一八三一年に結婚した夫人を伴って、オランダ、スウェーデン、フィンランド、 デンマアク、イギリス、ドイツ等に學び、北歐文學及び獨逸文學を専攻した。 然し途次愛妻に逝かれて、堪へられぬ打撃を感じた。翌年帰朝して、 ハアヴァードに近世後の講座を擔當し、一八五四年まで十八年間在職した。 一八四一年三度目の歐洲外遊の途に上った。この際彼は英國でディッケンズに逢った。 滯在一年にして歸国し、一八四三年更に賢妻を迎へて再び清福の人となり、 爾來詩作に専心した。 ロングフェロウが詩人として世に認められるに至ったのは一八三九年からである。 この年、小説『ハイペリオン』と、詩集『夜の聲』を出し、更に、 一八四一年に『バラッド集』が出て、詩人としての名聲は益々高まった。 爾來彼が發表した作品の著名なものを擧げると、外國文學の移植に於いて米國人の渇望を醫した 『ブウルゼの鐘楼』(一八四五年)を初め一八四二年には一生の傑作たる『イワ゛ンヂェリン』を出し、 一八五一年には獨逸の詩に基いた『ゴルドゥン・レヂェンド』を出し、 『ハイアウォサ』(一八五五年)によって、詩界の霸王となった。 次いで有名な詩に『マイルズ・スタンディシュの求婚』がある。 一八六一年その愛妻が不時の出來事で焼死してより、流石の平和詩人も絶望の淵に沈んで、 殆んどそのなす所を知らなかった。茲に於いて彼はダンテの『神曲』の飜譯に専心して、 一切を忘却しようと努めた。この飜譯は一八六七年より七十年の間に完成し、 文學的反譯[誤?:飜譯]の傑作として今尚有名なものである。 彼は永眠する迄ケムブリッヂの住居に二十餘年住んでゐたが、 この住居へは海の内外から幾多の文人が訪れた。一八六一年四度目の歐洲漫遊を企て、 主として英國に滯在して朝野名士の歡迎を受け、翌年歸国した。 最後の詩集は『世界の果て』(一八八〇年)であった。一八八二年三月二十四日(明治二十九年) 七十五囘の誕生日後間もなく、一代の平和詩人は、哀惜の中に平和な眠りに就いた。 彼は人格が氣高く、その詩も清純にして、感傷味を帶び、 平易流麗の詩句に富んで、何人をもチャアムする魔力を有ってゐた。 『イワ゛ンヂェリン』の由來 『イワ゛ンヂェリン』(Evangeline)はロングフェロウの一生に於いて最も榮ある傑作であると同時に、 最も廣く知られた敍事詩で、詩人の經歴に一時期を劃したものである。 從來の彼の詩は特別に米國的なものが少くて、その韻律法もまだ獨特のものとはいはれなかった。 然るに、この詩に於いて彼は自國の材料をとり、且又從來米國で見られなかった唯一の長篇敍事詩として、 大なる成功を収めたのであった。この詩を書いた時は、 ロングフェロウがハアヴァード大學に教鞭を執ってゐた時で、 英國ではテニスンの『王女』が上梓された年である。 この詩が出來るに就いては一つの面白いエピソオドがある。 彼は豫てからニュウ・イングランドの歴史に深い興味をもち、 詩材を漁ってゐたが、偶々或日のこと、 ホオソオンと共に南ボストンの教區長コノリイを招いて晩餐を共にしたことがあった。 食卓を圍んで互に話に花が咲いた時、コノリイは檀徒のハリバアトンから聞いた話として、 英國のためにアカディーに住んでゐたフランスの移民が追放せられた結果、 二人の戀人が別れるやうになった哀話を小説に書くやうにホオソオンに勸めたが、 ホオソオンは氣乘りがしない樣子であった。然しロングフェロウはこの話に非常な詩的感興を惹起し、 『若し君がこの材料を小説にしたくないなら、僕に敍事詩を書かしてくえ給へ』といふと、 ホオソオンは直ちに快諾した。そこでロングフェロウは苦心惨憺してこの一篇を作り上げたのである。 この戀の哀史に就いての歴史的事実を述べることは、無用のことであるやうであるが、 原詩の事実と對照して、詩人が如何にその詩的想像を逞うしたかを知ることは、 非常に興味あることであると考へたので、讀者のためにその由來の梗概を述べて見よう。 英領カナダの、大西洋の波に洗はれてゐるノワ゛・スコシアは、元來フランスの植民地で、 アカディーと呼ばれてゐた。それは今から二百年前のことで、 フランスの移民はこの地で平和な生活を送ってゐた。彼等は土地を耕し、林檎を作り、 羊を飼ってゐる純樸な農民であった。この平和な地に大なる波瀾を起したのは、 全く英佛兩植民地間の勢力爭ひに基づくものである。 フランスの移民は初め、一六〇〇年にアナポリス(その當時のポート・ロイアル)に來て、 インディアンと毛皮の商ひをしてゐたが一六二一年にスコットランド人の一隊が移住して來て、 ノワ゛・スコシア(ニュウ・スコットランドの意)といふ名に更へた。 それ以來英佛兩國に絶えず爭ひが起り、 終に一七一三年にフランスはニュウ・ファウンドランドを英國に割譲することゝなった。 これが抑々悲劇の序幕となったのである。 英佛兩國民の葛藤の甚しきに引き更へて、アカディーの土人は、質朴で平和を愛した。 然し中には英國に束縛せられることを快しとしないものもあったので、 フランス人は土人を煽動して[尸/婁;u5C62]々騒擾を醸し、英國人を苦めたことが少くなかった。 そこでこの問題をいつ迄も抛棄して置くことは、將來の禍因であると考へ、 ジョウジ二世は終に純朴な農民をアカディーから追放して、他の英國植民地に分散することを命じた。 世界の歴史を通じて最も悲しむべき不正の一つであるこの追放は、 ウインズロウ中佐の手によって行はれる事となった。彼は一七五五年の八月下旬にグラン・プレに到着し、 九月五日の金曜日に、マイナス地方に住む十歳以上の男子は教會に集まるやうにと布令を出した。 その日四百十八人の男子は指定の時間に教會に集まった。 彼は周圍に守護兵を置いて、恐ろしく又殘酷な英國皇帝の命令を傳へた。 彼等農民は意外にも捕虜の身となり、全村七百戸は焼き拂はれ、 五日間の後にはこの地を永久に去らねばならなかった。 九月五日秋風の吹き始める頃、アカディーの男子はガスペロ河口に碇泊してゐた五隻の船に乘せられた。 又殘った人々は他の船によって遠く運び去られた。 かうして二千にも近いアカディーの農民は英領植民地へ散在せしめられた。 多くの人はルイジアナに着いた。中には森に逃げて寒さと飢のために死んだものもあり、 中には近隣のフランス植民地に逃げたものもあった。 この遽しい混雜に紛れて、親は子と別れ、妻は夫を失ひ、 少女はその戀人と永久に別れねばならなかった。 わが『イワ゛ンヂェリン』は實にこの間に起った哀別の物語である。 アカディーの少女イワ゛ンヂェリンは鍛冶屋の息子ガブリエルと戀仲で、 互に偕老同穴の未來を樂しんでゐた。所が二人の結婚式の夕べ、 圖らずも英軍が追放の命令を下したのでその混亂の中に、 二人は終に別れねばならぬ運命に陷った。けれども、眞實の愛情は忘れ難く、 イワ゛ンヂェリンは一意己が戀人に逢はうとして、 西に東にあてもなき捜索の旅を續けた。けれどもそれは效ないことであった。 その内に、いつしか彼女は頭に白い霜を戴く身となったので、 今はこれまでなりと斷念して、フィラデルフィアの病院の看護婦となった。 所が一とせ、疫病が流行して、彼女は苦しめる多くの患者を熱心に介抱したが、 その時死にゆく一人の老人が目に止まった。 それは思ひきや永年尋ねてゐた愛人ガブリエルであった。 彼はイワ゛ンヂェリンの名を呼ばうとしたが、既に最後の息を引き取る時であった。 イワ゛ンヂェリンは滅入るやうな悲しみに堪へつゝも、 臨終の一刹那に二人の戀人を結んでくれたことを神に感謝した。 その後イワ゛ンヂェリンは再び元氣を囘復して、博愛事業に身を捧げたが、 間もなく彼女もガブリエルの後を追うて彼の世に旅立ち、ガブリエルと並んで葬られた。 人類の悲劇に尊敬的憐憫を感ずるロングフェロウは、 アカディーのこの悲劇に痛く心を動かされ、特に女性の愛と操の美と力とに感激して、 種々歴史的材料を研究した結果、一八四五年に長篇敍事詩に着手して、 一八四七年十月三十日に上梓せられるに至った。その題名に就いては色々迷って、 初めは『ガブリエル』ともして見たが、終に『イワ゛ンヂェリン』とすることに決定した。 この詩が世に現はるゝや、忽ち洛陽の紙價を高からしめ、ホオソオンは、 人生に於ける眞の活畫であると祝辭を寄せ、エマスンは、 米國小説中未曾有の絶好のスケッチであると賞讚した。 この書は六ヶ月間に六千部を賣り、十年間には約三萬五千部を賣り盡したといふ一大成功を示した。 苟くも英語の行はれる所、『イワ゛ンヂェリン』は米國が生んだ最も美しい物語詩として愛誦せられ、 アカディーの遠い兄弟なるカナダのフランス人も、 その國民的詩人の中にロングフェロウを加へてゐる。 彼等は『イワ゛ンヂェリン』を愛誦し、又原詩の儘で讀みたいとて、 態々英語を學ぶ者も少くないといふ。而して今では既に少くとも三十種以上の飜譯が各國で試みられ、 今尚ほ多感の士女を感泣せしめてゐる傑作である。 『イワ゛ンヂェリン』は、ゲエテの『ヘルマンとドロテア』のやうに美しい牧歌であって、 六韻脚《ヘクサミイタア》で書かれてゐる。この詩形は元來ホオマアの『イリアッド』、 『オディッシイ』及び、ヴァージルの『イニイド』に用ひられたものである。 當時英國では、ホオマア式のものが往々用ひられてゐたが、 米國に於いてこの六韻脚の詩形は『イワ゛ンヂェリン』を以て嚆矢とするものである。 しかも彼の詩形は在来のものでなく、全く彼獨特の新しい詩形であった。 この美しい詩は、曾て幸《さち》多かりしアカディーの民と純樸な彼等の家庭生活の描寫的記述に富んでゐる。 村の平和と、追放の混亂、北の森林に富んだ村と、南の肥沃な土地、 結婚の日の若者と處女の喜びと、死の床に於ける老いたる男女の諦め等が巧みに對照せられてゐる。 しかも單純な言葉で悲劇の活畫が描かれてゐる。優しく、美しく、自然に、 作者はこの戀の哀史に深い同情を起させる。 作者はこの詩の推敲に非常な苦心したことを告白してゐる。 最初と最後に附してある詩はそれ?゛全篇の内容を總括的に歌ったものである。 第一部に描かれてゐる事件は一七五五年に起った事であり、 第二部にはそれ以後のアカディーの配流《はいる》の有樣と、 イワ゛ンヂェリンがガブリエルを捜索する過程を描いてゐる。 その話の面白く類似してゐる點で、スコットランドの詩人トマス・カメルの 『ジャートル・オブ・ワイオミング』と對擧せられてゐる。 本書はこの物語詩の散文譯である。 その内容からいって我國の一般讀者には散文體にした方が寧ろ適當かと考へたので、 この大膽な試みを敢てした。この拙譯によって本詩の根本精神を多少でも傳へることが出來るとすれば、 譯者の勞は酬いられて餘りあるものである。本詩は、地理的歴史的※[?の]事實に基いてゐる關係上、 極めて簡單ながら、卷末に註譯[誤?:註釋]を加へて初學者の便に供した。 尚、詩中の人名地名の呼び方に就いては、フランス讀みと英國讀みとは多少異ってゐるが、 隨意便宜な稱呼に從ひ、又必ずしもジョオンズ式に據ってゐないことを斷って置く。 ??了?? 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