番茶會談 : 目次


タイトル:番茶會談 (1911)
著者:幸田露伴 (1867-1947)
底本:現代日本文學全集第三十三篇,少年文學集
出版:改造社
履歴:昭和三年二月二十五日印刷,昭和三年三月一日發行


番茶會談

幸田露伴 著


目次


更新日:2004/01/29

(一)讀書會

測り知ることの出來るものは大きくとも小い。測り知ることの出來ないものは眞に大きい。 此の意味に於て眞に大きな未來を有つて居るものは少年である。

其の大きな未來を有つて居る少年の一團で、讀書會と名を呼ぶ會合を組み立て、 毎月何程かづゝの出金を爲て、會員中で一番大きな書齋を有つて居る松山秀雄君の許を會場と定め、 新刊の雜誌だの書籍だの、時には古い廉價の書籍だのを會員多數の意見に依つて買ひ求めては隨意に閲覽することを爲て居る。 斯樣(かう)すれば少許(すこし)の金額を出して多くの書を讀み雜誌を見ることが出來るので、 しかも成るべく迅速に閲讀した後、保存を必要とせぬものは賣拂つて終つて、 其金を(また)購買資金に廻すといふ賢い方法を取つて居るため、 會員は中々侮り難い程に(まなこ)を百科の書に曝して、智を古今の載籍(さいせき)から吸收して居る。 其ばかりでは無く、時々松山君の處で番茶會を催す。番茶會といふのは、 世間の多寡(たか)の知れた富や地位を有して居る人々が、 晩餐會などゝ云ふ贅澤な飮食の會を催すのゝ(むかう)を張つて、 番茶ばかりで御菓子も無い會だから番茶會も()からうと、 大未來を有して居る英雄豪傑の諸君が合議して設けた實に立派な會で、 御馳走は無い代りに知識の交換が有る、興味と利益との多い眞の談話會である。

今夜は其の番茶會の催された夜で、會主の松山君を(はじめ)として、 竹川君、梅浦君、檜隈(ひのくま)君、柏原君、柳井君、杉谷君等以上七人、 いづれも他日實業界に打て出て大業を成し大功を()てようと思つて居る少年であるが、 代る代る其の所感や議論や氣焔(きえん)やを吐露して談話に花を咲かせて居た。 が檜隈君は毎々(いつも)の通り人の説を默聽(もくちやう)して居るばかりで、 何の言をも發しない。一體檜隈君と今夜不參の槇尾君は此讀書會の會員中のたゞ二人の貧學生で、 其の家庭の事情から、晝間は或る勞働に服して、そして其の所得を以て夜學をしたり、 此の會の會費を支辨したりて居る所謂苦學生であるからして、 おのづから他の少年諸君よりも才能が勝れて居るといふのでは無いが、 思慮も()け、書を讀むにも眼の光りでたゞ紙を()でゝ行くといふのでは無く、 心で()んで味つて行くといふ風なので、一同中の最年長者で(もつとも)學識ある松山君も尊敬して居たのであるが、 其中にも檜隈君は槇尾君の氣焔萬丈で機鋒嶮峻であるに引代へ、重厚沈着なので特に重視されて居るのである。

(二)カード式の便利は唯商業簿記のみに限らず

今夜は、竹川君が、カード式の事に就て一言したのが第一番の談話であつた。 其の言うたところは、

往時(むかし)は何事を記載したり調査したりするにも綴帳(つゞりちやう)を用ゐたが、 綴帳を用ゐるよりは一定した大きさのカードを用ゐた方が甚だ便利で、獨り商業者の簿記法に於てのみでは無い。 我等の勉學にも其カード式で個々の牌紙樣(ふだがみやう)のものに抄録なり記述なりを()し置いて、 そして其を或は五十音に從つて辭書的に并列(へいれつ)し、 或は事件の性質に從つて類書的に分類して、別に小なカード索引を作つておくと非常の便利を得る。』

といふことを説いたのであつた。此は或書を讀んで後、竹川君の思ひ付いて實驗したところを言うたのであつたらしい。

(三)飛行機を手捕りにする説

次に梅浦君は、飛行機の最近歴史を語つて、

『飛行機は將來必ず今日の各般の缺點を補ひ得て安全に空中を飛翔するに至るであらう。』

といふことを言つた。それには柏原君が交ぜツ返しを入れて、

『今のところでは、飛行機其物は我等には何等の痛痒をも感ぜしめない。 若し十二分に其が成功したところで、唯軍事上に偵察の功を爲すとか、 爆裂藥を擲下(てきか)するの功を爲すとかに過ぎ無いが、其樣なものが實用をなす程に出來る時分には、 僕は非常に輕くて細い合金の金線(はりがね)で魚を()る刺網のやうな金網を作つて無人繋留氣球で空中に張つておいて、 そして飛行機が其に觸ると同時に強度の電流が通じて飛行機を燒打にしてやる。 ヒルテンに、(とり)が罹つたり、刺網に魚が(かゝ)つたりするよりも面白いだらう。 ナアニ飛行機が其網を見て逃げるだらうナンテ、ソンナ心配は少しも要らないよ。 一時間に非常な距離を飛ぶ程の飛行機から何樣(どう)して徑一分や二分のものを遠望し得るものでは無いから、 飛行機先生が金網を見つけたところで、オヤッと思ふ中にもう自分の(はね)が電氣で燒き落されて仕舞ふサ。 其他飛行機の襲撃に對して要塞だの都府だの策源地だのを防御する術は幾程(いくら)でも有るよ。 水中に水雷を敷設すると同樣に、空中にも雷發し電撃するところのものを無數に多く(うか)べておくことも出來る。 人は何も乘つて居ないので、たゞ危險性の爆發物を大形小形の繋留輕氣球で空中の浮ばせておくことは、 安直で且つ無造作に出來る。そして其の氣球と爆發藥を裝置したものとの間は金線(はりがね)で保たせるから、 よし氣球を認め得ても危險物は小形にして置くから之を認め得ないで、 たま〜其の氣球を認め得た場合はたゞ飛行機に乘つて居るものをして怖畏(おそれ)を感ぜしむるのみである。 まして二個の同じ浮泛力(ふへんりよく)を有した氣球と氣球との間に、 強靱性の細繩(さいじよう)若くは線鐡(はりがね)を引き渡して置けば、 空中に眼の及ばぬ横筋を引いて置くことは甚だ容易であるから、 綱を河流に横へて(ふね)を惱ましたやうな古い歴史を空中に繰り返すことも出來る。 微細な故障に逢つても直に破損顛落するのは飛行機のやうな精緻な機械の免れぬところだから、 ただ些細の故障を惹起(ひきおこ)すに足るだけの損害を與へれば其で宣いのである。 だから龍動(ロンドン)マンチェスター間の飛行機競爭の如きに際して、 僕をして少許(せうきよ)の設計を爲さしむれば、 飛行機が其の飛行に對する妨害計畫に逆らつては如何に無力であるかといふことを遺憾無く(あら)はして見せ得ると思ふ。 ツェッペリンの飛行船の如きは迂愚論ずるに足らない。 砲の仰角度を改良して自由の取扱の叶ふやうにし、 徑の小さい代りに長さの長い(たま)を採用して、壓搾された空氣が常態に復する作用を借りたり、 著發信管を有する破裂彈を送つてやる時は、少い費用を以て手痛い打撃を與へることが出來る。 別にむずかしい考案を費すまでも無い、無造作に退治し得る。 要するにスガ絲の網は(しぎ)(つぐみ)を獲ることが出來る、 餠網の親方のやうなものを御曼荼羅のやうにダラリを空中に埀れておけば、 飛行機の百羽や二百羽は無造作に捕れる。 網が見えるだらうなぞと思ふのは飛行機の速力と距離との關係を忘れて居る論である。 また飛行機の如き(ばか)(おほい)なるものを退けるのは、 吹矢で驢馬を脅すよりも猶滑稽な事だ。』

と放言したので一座の大喝采を博した。

併し杉谷君は又此説を評して。

往時(むかし)黒船の來たといふ騷擾(さわぎ)の時分に、 外國人の如くきは恐るゝに足らぬといふ説を立てた人が有つて、 其説に、「ナアニ外國人といふものは(すこし)も恐るゝに足らない。 (かま)はないで置て上陸させれば屹度(きつと)上陸するには相違無い。 其時に濱の眞砂地(まさごち)薯蕷汁(とろゝじる)を澤山振撒いて置けば萬事其で濟で仕舞ふ。 ソレ外國人といふものは皆靴を穿いて居る。靴で薯蕷汁の上を歩いては堪る譯のものでは無い、 滑り轉んで顛倒(ひつくりかへ)つて終ふのは十が十までだ。 そこを日本刀で斬て斬て斬りまくる日には、(はたけ)の南瓜を斬るよりも造作は無い事だ、」と云ふので、 大に威張つたといふことを僕の祖父(ぢゝい)の笑話に聞いて居るが、 柏原君の飛行機 (くみ)し易しの論は蓋し其薯蕷汁論に近くは無いかと思ふ。』

と遣つたので、一座は再び割れる許りに拍手して笑ひ(くつがへ)つた。

柳井君は餘り飛行機談に乘地になつて居なかつた。 機械學的の事に平常(ふだん)から興味を有つて居らぬ所爲(せゐ)でもあらうが、 人々の笑聲(わらひ)の收つた頃、 (おもむ)ろに世界の交通の徑路の變化に伴つて起るべき商業界の變化のことを説き出した。 勿論何かの雜誌の受賣には相違無いが、其を咀嚼し得て人々に分り易く傳へたところは、 日頃 其樣(さう)いふ問題に注意が深くて、(いやしく)も目前の事にのみは心を用ゐて居ないで、 中々遠大のところに眼を著けて居る故で、一座も眞面目になつて傾聽して居た。

(四)清正公の素裸成功訓

柳井君の談が濟んで一同は少時(しばし)沈默して居たが、 やがて松山君は座上を見廻して、

『今夕は諸君の種々有益のお話を聞くを得て大に面白かつたですが、 檜隈君だけが何も談話(はなし)を爲てくれないのは(いさゝか)物足らぬやうに思はれる。 何樣(どう)です、檜隈君、何か談話(はなし)は有りませんか。』

といふと、

然樣(さう)々々、檜隈君、君ばかり默つて居ては狡猾だ、何か(はな)したまへ。』

と衆口一齊に攻撃するやら催促するやらした。檜隈君は多勢(おほぜい)に促されて少し笑ひながら、

『それでは僕は一問題を提出して諸君の談話(はなし)種子(たね)としよう。』

(おもむろ)に其の重い口を開いた。人々は此の人何を語り出すかと樂しんで耳を(そばだ)てた。

檜隈君は()かず慌てず語り出した。

『諸君、僕は一つの疑を諸君に(たゞ)さうと思ふ。僕は、 實は先日 清正公(せいしやうこう)即ち加藤清正公の事を書いたものを讀んで見たところが、 其中に僕をして感ぜしめ、又僕をして疑はしめた事が有つたのだ。 それは何かといふと、斯樣(かう)いふことなのである。 清正公が既に大名に成り得た後のこそであるが、一日其の臣下等に閑話をなされた折、 「()は民間の一 賤夫(せんぷ)より身を起して、太閤殿下の御知遇を蒙つて今日あるを致し得たが、 よく予を知らぬものは仕合が好き故とのみ思ふも有らう。 併し予は今にもあれ、家隸郎黨(いへのこらうとう)も無く、 朋友も無く、家財噐物も何も有たに素裸(すはだか)に下帶一つの身となつても、 我が噐量だけの事をば仕出し得ると思ふ。」と物語られたので、 「如何に勇武の我君でも、下帶一つの身となり玉ひては、如何とも詮方無く(こう)じ果玉ふべし。」 と訝り問うたところ、「イヤ全く予は一時の座興に虚言(うそ)詐瞞(いつはり)を云うたのでは無い」 と答へられた。そこで、「それならば如何に爲玉ふ。」と(おそ)る〜(なじ)り氣味に尋ねると、 「さればである。若も全くの素裸にて、何處(いづく)かに(はふ)り出されたものとすれば、 予は先づ風呂屋を見出して其許に入り立たんと思ふなり。 那里(いづく)如何なるところにも人里ある以上は風呂屋無きこと無ければ、 風呂屋に立寄りて兎角の詮議も無しに先づ其の風呂屋の爲に或は水を汲み或は薪を運び、 又は打割り、或は風呂場の流しを洗ひ、桶を洗ふといふやうに、 何くれとなく目に當りたる用事を爲し遣る時は、 風呂場なんぞにてのことなれば素裸も苦しからず、 働けば身内の温熱(あたゝかさ)も起りて徒居(たゞゐ)よりは(まし)なり。 さする時は、假令(たとひ)召抱へて奉公人と爲さざるまでも一飯を呉れざるほどの事は有るべからず。 まして此方(こなた)の望を少くし、働きを(よろ)しくし、 正直に陰陽(かげひなた)なく打振舞はんには、 人を使ふものは常に宜しき人を使はんと思ひ居るものゆゑ、 召抱へざるといふこと有るべからず。たゞ此方(このはう)の心掛だに宜しく、 働きさへ甲斐々々しければ、自づと飯を食ふほどの途は開くるものなり。 さて試みに使はるゝにせよ、身を寄するところを得れば、 二三日は素裸にても有べし、三四日も過ぎて忠實(まめやか)なる心さまを見知れんには、 如何に(しは)き主人にても、古單衣(ふるひとへもの)の破れ果たるもの一つ位は呉れざること有るべからず。 既に身を被ふものをだに得れば、又如何やうにも主取を爲すを得べく、 次第々々に奉公人一人前として(はづか)しからぬ衣服(きもの)を得れば、 少の給金なりとも積み貯へ、奈良刀の脇差一本を買ひ取るべし。 此の奈良刀の一本を買ひ取るころまでは辛苦一方ならざるべきも、 脇差の一本を吾が手に入るゝを得たらんには、其より後は、 男兒(をのこ)一人なり、腕骨次第に吾が運を切り開いて、 雜兵(ざふひよう)より端侍(はしたざむらひ)、其より百貫千貫の身ともなり、 遂には天の冥加にさへ叶はば、一國一城の(あるじ)ともなるべし。」と語られたので、 一同夢の覺めたるが如く、「如何にも御道理(ごもつとも)にして世の實際(まこと)に外れぬ御話なり。」 と感服したといふことである。僕の今 饒舌(しやべ)つた言葉と本文とは違ふかも知らぬが、 然樣(さう)いふ意味が書いて有つたのだ。ところで、 僕の疑ふといふのは其處の段であつて、其の清正公の談は非常に好い教訓であるとは感ずるが、 (さて)其を單に書物上の事のみと爲ないで、(たゞち)に之を我輩等の身上に引移して見ると、 昔と今との差は有るに相違無いが、何樣(どう)も合點の行き兼ねるところがある。 といふのは今 (たゞち)に僕が素裸で飛び出したとすれば、 左樣(さう)清正公のやうに立身する徑路が分明(ぶんみよう)に見えて居ないからネ。 諸君は何樣(どう)思ふか知らないが、實際清正公の言は徹底して居る好い(ことば)のやうに思へるが、 然し僕等の今の身にそれを當嵌ると不都合を免れ無い。素裸で無いまでも著のみ著のまゝで出たのでは、 僕には何樣(どう)も世に立つて行くことが出來るやうな氣はせぬから、 時勢の差でもつて出來ない相談なのかとも思ふ。 諸君誰か此の清正公の言葉のやうなことを、今日の世態でも爲し得ると思ひますか。 僕には何樣も出來ぬ相談のやうに思はれてならないのですが、 諸君は何と思ひますか。誰か清正公のやうに身を立つるの徑路を分明に見得て居ますか。』と云つた。

(五)紀文は治世の清正公なり

此の、「清正公のやうに能く爲し得るもの有るか、」との問には皆沈默させられて仕舞つた。 誰も敢て能く爲し得るといふことは一寸出來難いからである。 併し松山君は默し通しは仕なかつた。

『それは君、僕等は今直と立派な答は出來ないサ。けれども僕が思ふには、 其は清正公の言に無理が有るのでは無くて、僕等が實は清正公だけ偉くないから答を見出し得ないのだらうと思ふ。 何も戰亂の世と治平の世との時勢の差によつてのみ難易があるといふのでも有るまいよ。 それに就ては僕も思ひ出した(はなし)が有るが、これは治平の世の事である。 彼の有名な紀國屋文左衞門に(むか)つて或男が度々無心を言ひ込んだのである。 紀文は其度々に快く金子(きんす)を與へたが、餘り度々なので、 終には與ふることを(がへん)じないで、「(おまへ)は商賣の資本々々と云ふから度々貸して進ぜたが、 何時(いつ)になつても其商賣の成り立たないのは困つた人である。 手腕(うで)の有るものならば四文の錢からでも取り付けると云ひ傳へて居る。 今こゝに四文あるから、これを(おまへ)()げる。これで取りついて立派な商人になるが宜しい。」 と云つたといふことである。そこで其の男が顏を膨らして、 「四文では何樣(どう)することも出來ませぬ、(おまへ)さんでも仕方有りますまい、 さあ何樣(どう)すれば宣いのです。」と(なじ)り問うた時、 紀文は笑つて、「それなら教へてあげようが、其の四文で飴を買ひなさい。 そして其飴を桶屋の子供に()つて巧く機嫌を取つて、 (さう)して竹の屑を貰ひ、小刀を借り、斯樣(かやう)々々といふものを造つて子供に賣るがよい。」 と教へた。其品(それ)が簡易飛行機とでも云ふべき彼の蜻蛉(とんぼ)といふ玩具(おもちや)だといふことで、 其品(それ)で其男は蜻蛉(とんぼ)から取りついて、それから米俵のサンダラボッチを買つて、 錢緡(さし)をつくり、(すさ)を造り、零米(こぼれごめ)を集め、 次第々々に廢物利用に著眼して、鰻上りに身代をこしらへたといふことを聞いて居る。 だから僕等も紀文のやうに智慧が有れば、清正公のやうに出世も出來るに相違ないと思ふ。 何樣(どう)だらう諸君、僕の説は間違つては居まい。』

と云つた。

一同此説には實際同感で有つた。併し何人も紀文の智のやうな智を即座に出して、 治平の此の世に差當つて功を立つべき路を示したものは無かつた。

杉浦君は一寸滑稽を云つた。

『あゝ僕が亂世に居れば清正公になるのであつたが、明治の世に生れたし、 徳川期に生るれば、紀文となるのであつたが、二十世紀に生れたし、 旨い事は不殘(のこらず)昔の人にやられて仕舞つたので困る。 蒸氣を發明しようと思へば、ワットが()つて居るし、 電信機を發明しようと思へばモールスが良いものを造つて居るし、 水雷も、飛行機も、紡績機械も、寫眞も、みんな前人に發明されて仕舞つて居るので、 僕ほどの智慧者の智を用ゐる場處が無い。それで檜隈君の説に對しても威張つて説明することが出來ない。 アヽ誰か斯樣(かう)々々いふことを爲たら宣からうといふ問題を出す人は無いカナ。 問題さへあれば此の鼻坊拙者が(たゞち)に大事業をなして見せるがナ。』

と云つたので一同はどつと笑つた。

『有るぞ有るぞ、問題は有るぞ、問題なら何程(いくら)でもあるぞ。』

と檜隈君は絶叫した。

(六)妙な人

杉浦君が滑稽的に歎息して、『問題さへ有れば大事業を爲て見せる。』と云つたのに對して、檜隈君が、 『有るぞ有るぞ、問題は有るぞ、問題なら何程(いくら)でもあるぞ。』と云つたので、 一同は思はず檜隈君の顏を見た。實際檜隈君は決して不快活な人ではないが、 竒智縱横妙計百出と云つたやうな才略を有して居る人ではないと衆人が思つて居たからである。 然るに其の檜隈君が問題なら何程も有ると絶叫したので、 之を怪んで其の顏を見たのであるが、辯説の爽利(さうり)な柏原君は默つては居なかつた。

『君に其の樣な妙智慧が有るのか、驚いたナア、偉いものだぞ。 サア早く其の何程(いくら)でも有る問題を一つでも二つでも(はな)して聞かせ玉へ。』

(なじ)るやうに云ふと、檜隈君は正直に一寸困つた風をして、我知らず頭上(あたま)に手を觸れたが、 又急に笑顏になつて、

左樣(さう)短兵急に攻め立てられては僕も閉口する。 實は此頃僕の知合になつた一人の中老人がある。何樣いふ人だか()くは知らないが、 僕等のやうな貧學生やなんぞを非常に愛して呉れて、 そして問ふに應じて種々の面白い談話を聞かせて呉れるのである。 其の人のところへ行つて斯樣(かう)いふ談話(はなし)の成行を話して問題を尋ねたならば、 屹度(きつと)何程(いくら)でも竒々妙々の問題を提供して呉れるだらうと思ふ。 實に何だか知らないが一種の妙な人なのだよ。』

と實際を白状した。

『ウム妙な人。そいつは面白からう。ぢやあ一つ多勢(おほぜい)で其の人を尋ねて見たら宣からう。』

と柏原君が云ふと、沈著な松山君は、

『學問が有る人かネ。』

と問うた。檜隈君は、

『そこは僕が無學だから能くは判らないが、僕よりは(たし)かに物を識つて居る。』

と答へた。竹川君はすかさずに、

『然し經濟的な知識の無い人は、やゝもすれば竒拔な高尚な談話をするものだが、 多くは何の(やく)にも立たない。其の妙な人も矢張り非經濟的の頭腦を有つた竒人の類では無からうか。 若しも左樣(さう)なら僕は所謂竒人の類を非常に好まないから訪問するのは諸君だけに任して置かうと思ふ。』

と云つた。成程竹川君の冷靜機敏の頭腦では竒人を嫌つて世に益なきものとするのも無理は無い。 世に算盤の桁外れといふ人物ほど下らないものは無いのである。 座に居たものゝ半分は言はず語らず竹川君の言に同意したのである。 然し檜隈君は、

『それも僕には分らないが、餘り度外れの事を云ふ人でもない。 談話(はなし)の中から數字の脱けて居る人ではない。 却つてやゝもすれば數字を擧げて談話(はなし)をする人だ。』

と答へた。そこで松山君は、

『では年長者の談話(はなし)を聞くことは有益なものであるから、 檜隈君に紹介して貰つて、今夜の談話(はなし)(ひつさ)げて其の人の許を訪問し、 衆人(みんな)で種々の事を聞いて、 何樣(どん)()のする鐘だか試しに撞鳴(つきな)らして見たら何樣だらう。 まんざら無益に終るやうなことは無からうと思ふ。』

といふと、皆々『面白からう〜。』と贊成して、次の土曜の夜、 其の人を()ふことに決した。

柏原君は何處までも爽利(さうり)である。

『諸君、何でも宣いから面白いことを考へて置いて、 檜隈君の所謂其の妙な人を包圍攻撃しようぢやないか。』

と云つたので衆口一齊に、

『ヒヤ、ヒヤ、ヒヤ。』

(七)智慧が無いナア

其の夜は來つた。兼て檜隈君の許から、彼の妙な隱者の承諾を得て置いたといふ通知が松山君の處まで來て居たので、 皆打揃つて、面白がつて檜隈君を尋ねて連れて行つて貰つた。

隱士の家は見苦しいといふ程でも無いが、餘り立派でも無かつた。 測り知るべからざる未來を有して居る少年豪傑連は、目白押しに押合つて其の六疊敷きほどの座敷に詰めかけた。 五十許りの、一見何の竒も無い隱士は丁寧に挨拶した一同を見渡して、

『よくおいでなすつた。みんな麒麟兒(きりんじ)鳳凰雛(ほうわうすう)といふ方々だ。 さあ御遠慮なしに仕ませう。番茶は此土瓶に、茶碗は此處に、御 各自(めい〜)勝手に(あが)つて下さいナ。 ウン檜隈君、君接待掛りを仕て呉れたまへ。』

と何の隔意も無い。一同は忽ち心安く思つた。檜隈君は茶を出したりなどして、 亭主側になつて細々と働いた。

やがて松山君は先夜の清正公の素裸談を概説して、我等少年間に疑問の起つたことを(はな)すと、 爽利(さうり)鋭敏の柏原君は忽に口を入れて、

『今日の事ですから素裸といふことは無いとしましても、 假に僕等が素裸同樣になつたと致しましたら、僕等も何樣(どう)斯樣(かう)も爲樣が無いのであります。 それで皆の間に疑問が起つたのですが、智慧さへ有れば其でも何樣かなるのでせうが、 先づ差當つて其を伺ひたいのですが。』

と云ふと、主人は少しく笑を含みながら檜隈君を顧みて、

『檜隈君、君は其の位な智慧は有つた筈だが。』

と云つた。檜隈君は顏を赤くして、

『ハイ、僕は別に妙案も有りません。僕の今爲て居ます通り牛乳配逹でもするよりほかには。』

(いささ)か氣羞しさうに答へた。すると、

左樣(さう)さ、そんな事で宣いでは有りませんか。』

柏原君は默つて引込まない。

『でも成るべく人には使はれたくない、獨立獨行で頭を抑へられずに遣つて行きたいとしましたら?』

『人力車でも挽けと云ひたいところだ。』

『が、年齡(とし)が足りず力量(ちから)が相應しません。』

衆人の腹の中で柏原君の鋭利なのに感服して、サア此の主人が何と答へるかと思つた。 主人は又少し笑ひながら、

(わし)も智慧が無いので此樣(こん)(ざま)を爲て居る位だが、 何にせよ清正公の(はなし)を疑ふ氣にはならない。何樣です諸君の中に、 好い智慧は有りませんか。』

『何樣も好い智慧は有りません。』

と松山君、柳井君、梅浦君、杉谷君、竹川君は揃ひも揃つて答へたが、其の尾に付いて、

『惡い智慧も有りません。』

と柏原君は例の鋭利な調子で遣りつけた。檜隈君ばかりは默つて居た。

主人は直に檜隈君を見出して、

貴君(きみ)は。』

と問ふと、

『私は寫字の口でも搜しませうと思ふばかりで。』

と遠慮深く答へた。主人は點首(うなづ)いた。

『先づ其邊でせうが、もう他に何君(どなた)も案は有りませんか。』

『有りません。』

『有りません。』

『ございません。』

と包圍攻撃、砲彈連射といふ形勢だ。主人は又笑ひながら、

『智慧が無いナア。』

『そんなら何樣します?』

と烈し鋭く一彈を(むく)いた。

『ハヽヽヽ、そんなに攻めては困りますな。 併し剃刀の磨置(とぎおき)と智慧の出し置きと云つて、 (いづれ)も短い程役に立たぬものゝ譬喩(たとへ)に云ふ位ですから、 (わし)蟇口(がまぐち)の中に然樣(さう)いふ智慧を持合せて居る譯では有りません。 すべて智慧といふものは(はがね)が石に撃たれて火を發したり、 水が石を(うが)たれたため地底から滾出(わきだ)したりするやうに、 其の人が或事に會ひ或場に臨み或機會に際して、其の頭腦から閃出(せんしゆつ)したり流出したりするものであつて、 其の人も()まらず其の場合も(しか)として居ないことを假想して、 そして豫定的に確實に智慧を得ようとすることは本來無理であります。 あて事と越中犢鼻褌(ゑつちうふんどし)は向うから(はづ)れると云ふのも、 假想に本づく豫定の無益なことを言つたのです。けれども今強ひて申して見ようならば、 素裸同然で一少年が窮しても猶人の僕從となるを(がへ)んずに獨立獨行で遣つて行かうといふに際して、 其の人が東京に馴れて居るなら、檜隈君の言つた通り寫字なんどをするのが最も宣い。 寫字は筆のアタリの見える程の端嚴な體裁でもつて、 十行二十字假名交り文四十枚を一日に()し得るのが立派な一人前の仕事で有つて、 それが出來れば妻子を養つて行かれる程であるが、そこまでに()れるのは、 首骨が痛んで曲げることも何樣することも出來ない樣な苦しい瀬を通り越して來ねば、 細い楷書を綺麗に書くことの出來る筆逹者の人でも、 中々もつて出來ることではない、と聞いて居ます。 左樣(さう)まで行かずとも筆耕(ひつかう)でも一人口は樂に過せるものです。』

(八)獨立獨行の道は多い

『又東京に馴れないものと云へば田舍出の人で有らうが、寫字をせぬとしても、 東京は最大都會で、「無益(むだ)なものさへ賣れて行く京で」有るから、 何を爲たつて、下らない色氣をさへ離れゝば身を立つる端緒(いとぐち)の金錢や、 口に糊するほどの金錢を得られぬことはない筈です。サア皆さん智慧をお出しなさい、智慧をお出しなさい。 餘り仕舞ひ込んで置くと智慧が(さび)()はれたり、 フケて終つたり爲ます。サア君、何とか智慧をお出しなすつて御覽。』

と柏原君は指をさゝれて急に逆に(せま)られた。流石の鋭敏な人も一寸面食つて、

『ど、どうも好い智慧は全く有りません。』

()するやうにして言ふと、主人は眞面目に、

『それ、其處です。貴君は見受けるところ父兄の有力な方を保護者として有つて居られて、 そして不足無く學事に身を入れて居られるらしいから、中々假定豫想でもつて今日を過す道などは考へ出されない譯で、 其人其場でなければ、眞の智慧は出ないのです。若し貴君が眞の田舍出の人で、 眞に困窮して居られるならば、君の樣な鋭利聰明な人は、 眼を開いて一ト睨みすると、直に糊口の道位は見出せる筈なのです。 試みに市中を御覽なさい。紙屑拾ひは拾ひ物を商賣として居るのですが、 それでさへ兎に角過して行くでは有りませんか。又川や川尻で流れ寄りの雜物を拾つて居る商賣が有りますが、 あれでさへ月に十五圓から二十圓の收入にはなります。 青藻(あをさ)取りや、マサゴ掘りなぞいふのは樂でない勞働ですが、其代りには中々好い立前になります。 隅田川中川の縁へ行けば、何處にでも居る辨慶蟹を捉へる位は誰にでも出來て、 手拭を袋にしたのを容噐(いれもの)にさへすれば、五十匹や七十匹は直に取れませうが、 それですら一匹五厘や一錢で、日本橋京橋の子供には賣れますから、 蟹賣になても懶惰漢(なまけもの)で無ければ食へます。田に居る田貝は蟹よりも捉へるに造作は無い。 草地に居る赤蛙は小摚網(こたも)さへ有れば、二百や三百は容易に取れる。 其の田貝さへ貧民窟では賣れ、其の赤蛙さへ格外に高く賣れるのが、 都會の都會たるところで田螺(たにし)蝗子(いなご)でさへ賣買の出來るのが東京です。 何の役に立たぬキシャゴのオバケでさへ、淺草で賣つて居た春が有つて、 小兒(こども)が爭つて買つて居たのを見ました。 棒切れ一本有れば冬田の水の無いところに泥鰌(どじやう)氣孔(あな)を見出して之を掘り取るメボリといふことは、 十一二歳の小兒(こども)でも出來ますが、泥鰌(どじやう)は東京では一升何程するとお思ひです。 天蓋網一つあれば(たなご)小鮒(こぶな)(はや)の類は捕れますが (はや)(たなご)まで只五尾六尾を串刺にして、 一ト串五厘も取るのが都會の恐しいところでは有りませんか。 松露や防風は十里五里離れたところから來るからまだしもの事だが、 鼻の先にある土筆(つくし)さへ、桝で量つて賣る東京ですから、 年中 鶯の野禽(のとり)を取つて鳥屋へ賣るのを商賣にして居るものも有れば、 秋啼く蟲の卵を掘つて食つて居るものも有る位です。 (いやしく)も自己の勞働を提供して自己の智慧の指揮(さしづ)に從はせさへすれば、 清正公の如く必ずしも湯屋奉公をせずとも遣つて行かれるのです、 蟹を取り、メボリをしても取り付けむことは無く、 現に某醫學博士は東京でない遠い偏土の田舍に在つてさへ泥鰌(どじやう)取りをして學資を助けた其の氣象の堅確(けんかく)なところから、 今の榮逹を得たといふでは有りませんか。其の場で、智慧の眼さへ光れば、 勞働の提供の程度次第、清正公の如く、紀文の如く、身を伸し出して行かれぬといふことは有りますまい。』

と種々の實例を引いて縷々と説き聞かされたので、一同は、此は面白い、 其小なることは既に聞いた、然らば其大なる問題を聞き取らうと、皆々同じ心に膝を乘り出した。

(九)泥鰌(どじやう)要石(かなめいし)

杉谷君は滑稽な事を云ふのが一寸上手である。莞爾(にこ〜)として笑ひながら少し座を進めて、

泥鰌(どじやう)、泥鰌。 僕はもう泥鰌のメボリといふ事を覺えましたから食つて行けないことは無いと決めました。 併し泥鰌掘りを遣つて居たのでは、泥鰌髭を生やす程の身分にもなりません。 泥鰌掘りを卒業したら鰻、鰻を卒業したら鯰、鯰を卒業したら要石(かなめいし)でも掘りませうか知らん。 要石を掘り出しても何にもなりませんかナア。』

と云つたので、クス〜と笑ひ出したものもあつた。主人も可笑がつて笑を含んだ。

柏原君は例の如く智慧が早い。

『そりや君、無類の用ゐどことがあるよ。 ソレ淺草の觀音の五重の塔は大材を吊柱(つりばしら)にして其の(おもさ)の力でもつて風にも地震にも耐へるやうにしてあるといふぢやアないか。 要石を掘り出したらば、此の次の大博覽會に千五百重の記念塔でも建てゝ、 其塔の吊柱に使つたら何樣だ。エーフェル塔 跣足(はだし)だらう。』

といふと、主人も聲を出して笑ひ出して、

『要石が吊柱なら、地震にやあ大丈夫でせう。』

と贊成したが、又言葉を足して、

『其場其人其時で智慧といふものは出ると云つたのは其處です。 今要石の戲談(じやうだん)が出ると、直に千五百重の塔の吊柱といふ戲談(じやうだん)の工夫が出るやうなもので、 すべて智慧や工夫といふものは、アテ無しには出て來ないのです。 併し貴君(きみ)は偉い。咄嗟の間に戲談(じやうだん)にせよ然樣(さう)いふ工夫をなさつたのは感心だ。 無用のものも用ゐやう次第のもので、鼠の尻尾は(きり)(さや)空井(からゐど)は梯子の入物と云つた毛剃九右衞門以來の智慧です。』

と笑つた。檜隈君は面白がつて、

『面白い、面白い。鼠の尻尾は錐の鞘、空井は梯子の入物。』

と詩か歌でも吟ずるやうに少し聲を永くして唸つたので、衆人(みんな)は又笑ひ出した。

柳井君は堅確(けんかく)頭腦(あたま)を有つて居るだけに、忽ち笑ひから脱して、

種々(いろ〜)面白い御話を伺つて有り難うございます。併し今日御邪魔を致しましたのは、 誰か斯樣(かう)斯樣いふことを爲たら宣からうといふ問題を出す人が有つたなら、 我々は其の問題を選んで我々の未來を託して大事業を爲したいが、 といふところから起つたのですから、何か面白い事業の問題を御示し爲て頂きたいのですが。』

と大分眞面目くさつて云つた。其尾に()いて杉谷君も少し眞面目になつて、

『どうも泥鰌(どじやう)ばかり捕つたところで仕方も有りませんし、 要石も戲談(じやうだん)の材料にしかなりませんが、譬へば同じ地から掘り出すものにしても、 まだ今日の我等に解決されないで殘つて居る問題といふやうな事業が無いものでせうか。 我々は皆長遠な未來を有つてゐるのですから、問題さへ心に叶へば、 よしんば必ずしも其の事に從はないまでも、其に類した事に心身を委ねて見たいと思つてゐるのですが。』

と云つた。


更新日:2004/01/29

(十)未來は諸君の希望次第

主人は欣喜(よろこび)の色を浮べて、

眞實(ほんと)左樣(さう)です。すべて未來は未來を有して居る人によつて作り出さるゝものです。 未來は(はこ)の中に入つて居る貨物で、 そして其の(はこ)の蓋が時間の經過によつてから開かれた時に現れ出て來るといふのでは有りません。 未來は未だ建てられず未だ設計されぬところの樓閣のやうなもので有つて、 設計の意匠と其の材料と技術と知識と時間とが、 堅固な又は不堅固な意志によつて按排組織されて、そして現はれて出て來るもので有ります。 それですから人間界の未來は自然物と云はうよりは寧ろ御手製で出來るものだと云つた方が宜しいのです。 今日の交通機關でも通信機關でも戰鬪機關でも、皆何人かの御手製に成つて現れ出たもので有ります。 社會制度や商業や政治組織も自然によつてのみ出來たとは云はれません。 されば諸君の未來は諸君の御手製次第如何樣にもなりますから、 御遠慮なドシ〜と御手製に御取掛り下すつたらば、且は諸君自身のため、 且は國家の慶福の爲め、甚だ祝賀すべき事が生じて來ようと思ひます。 「爲せば成る爲さねば成らぬ成るものをならぬならぬで日を暮すエヽ。」といふ俗歌も面白い歌で、 我々の未來は我々の手製で出來るものと思ふと、非常に愉快でも有り頼もしくも有るでは有りませんか。 御手製!御手製!細工は流々御仕上を拜見したいもので有ります。 (さて)それに就て問題との御話ですが、それも前に申した通り、 智慧は其人其場其時で出るもので有りまして、たとへば家を建てるにしても、 註文は其人其場其時から出て來るのが本當で、横合から(くちばし)を容れたところで何の(やく)にも立たぬものです。 けれども折角の御尋ねですから、(わし)の及ぶ限りは何の御話でも致しませうが、 諸君の如き英才が問題が無いなぞとは甚だ聞苦しい御話ですナ。 設計もむづかしい、建築は猶更むづかしい。併し註文なんぞは婦人小兒でも出來ることでは有りませんか。 問題なんぞは何程でも有りませう。問題は即ち註文であつて、解決は即ち實現でありますから、 何の註文でも之を實現することこそ難けれ、註文を出す位は譯はないことで有りませう。』

と云ふと、杉谷君は口を插んで、

『御話の中ですが、其の註文を出すのにも、何も知らない僕等は、見聞も狹いし、 慾心もまだ有りませんし、全く思ひつきといふものが無いので有りますが、 それほど問題を提出することが容易で()して澤山有りますならば、 試みに今申したやうなことに就いてゞも何か示して下さいませんか。』

(せま)るやうに言つた。

『願ひます。』

『願ひます。』

と三四人が語を續けると、檜隈君も、

『何か話して下さい。』と附加へた。

(十一)亞鉛精練のできない意氣地無さ

『左樣サネ、地を掘るやうな事で何か適切な註文と!アヽ有りました。 これは掘り出すことに連なつて居ることですが、彼の亞鉛といふものを諸君は知つて居ませう。 (わし)は專門家ではないから間違つたことを言ふかも知れませんが、 諸君亞鉛は何樣(どう)して吾人(ごじん)の手に入り吾人(ごじん)の用をなすものだと思つてゐます。 第一亞鉛は漢語でせうが、其の日本語を知つてゐる人がありますか。』

と、()も〜諸君は知るまいと云はぬばかりに言ふと、柏原君は忽ち聲を擧げて、

『トタン。』

と叫んだ。

主人は笑ひながら。

『ソレ、其位な事だらうと思つて居ました。成程トタンといふ語は今は日本語になつて居ませうが、 「スヾ」や「ナマリ」といふやうな日本語とは性質が(ちが)つて、之を日本語で解決することの出來ない語、 即ち日本語の中に親族語を有つて居ない語で有ります。スヾは其音のすゞしいのよりか、 或は同じやうなものであり鉛に比して清いよりかして出來て居る語で、 大根を(すゞ)しく白き故にスヾシロと云つたり、能く(すゞ)しく鳴るものを鈴と云つたり、 練らぬ生絲(きいと)織のの薄く輕くてすゞしげなるものを「スヾシ」と云つたりする其等の語と同系統の語ですから、 (まさ)に日本語中に親族を有して居る日本語で有ります。 ナマリは又ナマルといふ鈍いこと、ナマといふ未だ固まらぬこと、 ナマルといふ言語の末々の正しからずなること、ナマクラナマケルなどいふ語と血統の連續(つなが)つて居る語で、 金の類の中で一等柔らかな(なま)なところから負うた名で有りませうから、 これも明らかに日本語でありますが、トタンは日本語中に親族も無く、 血統も明らかで有りません語ですあから、蓋し外國語でして、日本語では無いのでせう。 さて此の亞鉛は昔時(むかし)から日本で製したといふことを聞きませんし、 いつも外國から輸入を仰いで居たと聞いて居ます。今日でもやはり輸入を仰いで居るのですが、 其の癖此の亞鉛を日本で得られぬかといふと、亞鉛鑛は日本には澤山有るのでして、奧州や羽州には隨分有りますし、 福島縣 (あた)りや栃木縣あたり、北海道あたりにも其の鑛山は有るのであります。 飛騨にも有るさうですし、まだ他にも出所は有りませう。 それで亞鉛といふものの日本語はありませんが、亞鉛を含んで居るもの、 即ち亞鉛鑛の日本語は有るのでして、古來これを「やに」と呼んで居るのです。 御存知でせうが羽後に名高い阿仁鑛山などは、最も此の「やに」を多く産するところですから、 「アニ」の名を負うて居るのも、或は此の「ヤニ」の語に本づいて居はすまいかと思はれる位です。 併しこれは戲談(じやうだん)同樣で當にはなりません。 「ヤニ」といふ語は樹から吹き出るヤニや煙草のヤニなどに連がつて居る語でゝも有りませう()。 石炭を伊賀あたりで「ウニ」と呼びます、其の「ウニ」に續いて居る語でせう()。 それ等の詮議は語學者に讓つて置くとしまして、兎に角日本語が存在して居るほど其の鑛物は澤山有るのです。 それだのに今でも猶亞鉛は之を輸入に仰いで居るのでして、内地では碌に産出しないのです。 最も少しは精煉(せいれん)(くはだて)を爲て居るものも有りませうが、 目立つほどの結果は世に現れないのです。亞鉛の製法位は外國の冶金術の書を見れば直にも分ることで、 原鑛を()いて、其を木炭と共に熱して蒸餾(じようりう)し出しさへすれば宣いのです。 詰り酸化亞鉛に炭素を與へて、炭酸と亞鉛とに()き出し分け爲さへすれば宣いのですが、 何事も經驗と技術と設備とが完全で無ければ不可(いけん)ですから、 亞鉛の如く飛散し易く處理し難いものを製すのは、一寸と云ふ譯には行きません。 そこで日本では極々上等の原鑛だけを選みぬいて、之を外國、主に獨逸なんぞに賣つて、 そして(また)製された亞鉛を買つて居るのです。大馬鹿な頓癡竒(とんちき)極まつた話では有りませんか。 印度で出來た綿が英國 商人(あきんど)の手に掛つて、散々利潤を取られた上で、 英國の船に乘せられて又運賃をしたゝかに取られ、それから英國の紡績業者の手で絲にされ、 織物業者の手で織物にされ、染物業者の手で染められ、そして又船賃を取られて東洋へ逆戻りをする、 其間で一々 商人(あきんど)に得を取られ、税關で税を取られる、其の馬鹿々々しさと同樣なことを爲て居るのですナ。 遙々(はる〜゛)の運搬費や、廉くない精煉費や、關係 商人(あきんど)商利(しやうり)や、 それ等の一切のものを含有されたのが即ち精煉された亞鉛の(あたひ)ですから、 吾々が若し我が國内で亞鉛を煉出するとすれば、それだけ廉價に、若くは廉價でないにせよ、 それだけ金を國内に落して、()して亞鉛を手に入れることが出來るのに、 亞鉛精煉の事業が無いために少くない損失を我は負ひ、 少くない利益を外人は得て居る譯なのです。日本の冶金家だつて化學者だつて、 馬鹿ばかり揃つてゐる譯ではないのですから、其の技術上の事や、 理論上の事の研究が出來ないのではないが、かういふ問題として論じたり考へたりするよりも、 少しでも多く工夫の力でも絞つて原鑛を賣つて利を見る方が好い位の考でゐるし、 資力家はかゝる問題の澤山有ることをも知らないで、 何か利廻りの好い事は無いか位に一個(ひとり)の慾ばかり考へて居るので、 年々外人に少からぬ利を與へて居るのです。トタン引の鐡板だの、 眞鍮や白銅(ニッケル)の成分となつたりして、亞鉛の吾人(ごじん)の用に立つて居ることは中々多いのです。 (さはら)や杉は年々に高くなつて、手桶はバケツに化けて行く世の中です。 亞鉛精煉ははじまらずには居ない事業ですが、要石を掘り出して吊柱に爲ようといふ位なら、 眞面目過ぎて面白くは無いが、これを試みても宣いではありませんか。 どうです諸君、誰君(どなた)か經濟學の(ほん)を覗いた方も有りませうが、 原料を賣つて精製品を買ふのが文明國でせうか野蠻國でせうか、 原料を買つて精製品を賣るのが野蠻國でせうか文明國でせうか、 そして那方(どちら)が經濟上に賢いのでせうか。』と云ふと、

『分りきつて居ます。』

と腹立聲で誰だかゞ叫んだ。すると主人は、

『でせう。其位の事も分らない人は今日に生存して居る權利が無いと云つても好い位です。』

と澄して落付いて居る。

(十二)天地 顛倒(ひつくりかへ)る大變事

柳井君は眞面目な顏つきで、

『亞鉛の御話は有り難うございました。他に何か最も大きな問題が有るならば御話を爲て下さいませんか。』

といふと、柏原君は、

『地を掘る事なんぞより天へでも昇る事の方が面白うございます。 此の梅浦君が空中飛行機の最近歴史を語つたのを僕が交つ返して先夜は諸君を笑はせましたが、 空中飛行機や飛行船の未來は一體 何樣(どう)いふものでせう。』

と尋ねる。梅浦君は自分が趣味を有つて居る問題だから一ト膝乘り出して、

『飛行機飛行船は既に大發逹を遂げて居るやうですが、まだ何樣(どう)吾人(ごじん)の理想には甚だ遠いやうです。 併し機關の構造や、氣球の作り方や、 推進機や羽翼(つばさ)舵機(かぢ)の形式なんぞは隨分研究が行屆いて居るやうですから、 何か別途に破天荒な考案でも無い以上は、智慧も工夫も行詰まつて居るやうですが、 たとへ出來ないまでも何か面白い案は無いものでせうか。』

と問ふと主人は一 (さん)の茶を啜り終つて、

『ヤ、無いことは有りません。問題だけならば有ります。これは飛行機のみに關した事ではない、 世界が顛倒(ひつくりかへ)つて仕舞ふやうな大變な事ですが、出來るか出來ぬかは、 (もと)より今之を斷言することは出來ません。もつとも何事でも出來て仕舞へば人は之を疑ひませんが、 出來ない間だ誰しも否定したがるものですから、此の企圖もまた百人が百人これを出來ない相談だと云ひませう。 寫眞の發明者のダゲールの妻は、夫が職業の()を描くことを爲ないで、 何だか得知れぬ苦心を仕て居るのを見て、當時の偉い化學者のヂューマに(むか)つて、 「(わたし)の夫は物の影を(とら)へようとしてして居ますが、 一體そんな事は出來るものでせうか、それとも發狂したのでせうか。」と云つて尋ねたと云ふ(はなし)が有ります。 言語を記録する蓄音機や、肖像を電氣作用で遠方に送るコルン博士の噐械やなんぞ、 それから無線で電信を通ずるマルコニの工夫やなんぞだつて、出來ない間は誰がそんな事を成り立つであらうと思ひ得ませう。 ですから此事も必ず出來るとも云へぬ代りに、又必ず出來ないと云つて排斥することも難いので有ります。 それは何かと云ふと

電力の無線輸送

で有ります。一切の事は「力」によつて()さるゝので有ります。 其の大切なる「力」の中で輸送され得る力は電力で有りまして、一本の線さへあれば大力量が傳へられるので有ります。 電車の中に發電機が有る譯では有りませんが、空中の彼の線からポールを通して車内に力が入り込む、 其の力でもつて容易に走るのです。今日鬼怒川だの桂川だので水力發電の會社の出來たのも、 水力では輸送する事が出來ないから、之を電氣に變じて、そして遠距離に輸送して其のさきで役に立てる。 [さんずい|堂](だう〜)と流れる谷川の水力は大層なものですが、 其場で直に用ゆれば(わづか)に水車でも仕懸けて米でも()かせるほかは有りません。 併し其を輸送し得る電力に化することを爲れば、其の水力の存在地より五里も十里も、 猶多くも(へだ)たつた地に送つて、そして工業にでも運輸にでも何にでも用ゆることが出來、 或は又其を變じて光線や熱にすることも出來るので有ります。 ですから電力以外にも、蒸氣力であるとか、爆發力であるとか、 風力水力等種々の力は有るが、電力は其の輸送し得る力であるといふことに於て非常に卓絶な地位を占めて居るのです。 ところが此便利な「輸送し得る力」たる電力も、電線を假らねば甲の地より乙の地へは傳送されぬのである。 其電線も金屬の性質と導電の作用との關係からして、廉價の鐡線を用ゆるといふ譯には行かず、 それから又電氣の抵抗や何ぞの種々の理由からして、餘り細い線を用ゐる譯には行かず、 中々太い線を用ゐなければならぬ。其の他にも種々の理由が有つて、電信線なら地球を一周させても其の效を得ることが出來るが、 電力傳送線の方は然樣(さう)巧くは行かない。加ふるに高價の線を用ゐねばならぬといふ經濟上の理窟が()いて廻るので、 實際に於ては「電力を傳送し得る距離は或限界を()ゆることが出來ぬ」のである。 即ち鬼怒川の水力を電力にして東京まで引張つて來て使はうといふことは出來ない相談になるのである。 そこで深山の中の激流や邊鄙の地の大河やなんぞに絶大な水力が有つても、 それを變化すれば莫大の電力を得られるのかゝはらず、距離上の關係から見す〜之を打棄てゝ置くといふ事實が有るので、 まして然程(さほど)でもない水力の如きは、皆無益に棄てられて居るのである。 造物主は毎日々々莫大な力を費して、「人間に智慧が有るなら此の大な力を使はせて遣らう」といふやうに、 素敵な水音を廣告にして、[さんずい|堂](だう〜)囂々(がう〜)と瀧を落したり激流を(たぎ)らせたりして居るのである。 さあ是に於て英靈底(えいれいてい)の男兒たるものは一ト工夫したくなるではないか。 即ち若し無線にして電力を輸送し得るの道を發見すれば、造物の無盡藏の力は、 取つて以て吾が牛馬となして使ふことが出來る算盤(そろばん)になるのである。 「無線なら經濟上の支障は先づ除くことが出來る。」山間僻地の動力が皆活用されることになる。 世界の状態は世界初まつて以來の大變革を起すのである。ところが其樣(そん)な事は到底出來まいといふ假想が先へ起る。 けれども電信の最初出來た時には、必ず二本の線を用ゐたもので、スタンハイルが大地を一本の線に代へることを發明して後に、 初めて單線になつたのである。モーニングクロニクル新聞社が電信を採用しはじめた頃は、 ホイートストンの電信機、即ち五本の線によつて通信し得るやうな拙い裝置のものを用ゐたのである。 それが(やが)て何の式の電信も單線で通信し得るやうになつたのである。 搖針式(えうしんしき)といつて針の動き方によつて通信し得る式のものや、 音響式のもの即ち音響の斷續の状を假りて通信し得る式のものも、 印字式といつて、眞田紐のやうな細長い紙に長短斷續した線を記し得る裝置によつて通信するものも、 ホイートストンの自動式(アウトマチック)のゝも、 即ち通信を自動的に紙の孔を通して動かうとする針の運動の逹不逹によつて爲し得る非常に敏速なものも、 皆單線で之をなし得るやうになつたのであります。それから又進歩して、 單線から甲乙兩局から、一時に用ゐ得る二重使用式が、ギンツルやスタークやスターンによつて發明され、 即ち一線の二分の一で通信することが出來るやうになつたかと思ふと、又一進歩して、 エヂソンの四重電信式といふのが發明されて、四重に一線を使用することが出來るやうになつて、 それから又一大進歩して、マルコニが終に無線電信式、即ち全く線無しで通信し得ることを成就したのです。 何樣(どう)です世の中の進歩の恐ろしいことは、實に吃驚(きつきやう)(あたひ)するでは有りませんか。 五本の線を用ゐたことも有るものが段々進んで二本となり、一本となり、一本の半分となり、 又其の半分となり、終に無線になつたのである。これを思へば、 電力輸送を無線で成功させようといふのも、今では出來ぬことだが、永く出來ぬことだとは云へません。 然し、電信とは違つて、電力輸送を無線で爲ようといふに就ては、 そこに面倒千萬な理窟が頑張つて居て、一通りの事では出來ない譯が有ります。 サアこゝです。難關が有ればこそ、誰にも今まで出來ずに居るのだが、 難關を踏み破つて通るのが即ち英雄であり豪傑で有ります。 誰か電氣界に於て千里獨行の關雲(くわんうん)(ちやう)たり得るものでせう。」

と、談話(はなし)には今まさに(おほい)(あぶら)が乘つて來た。聽くものもまた興に入つて來た。

(十三)無線電信と無線電力輸送との大相違

柏原君は餘程批判力に()けて居る人だ。默つては聞いて居ない。 忽ち槍を入れかゝる。

『無線で電信が通じ電話が通じるならば、無線で電力輸送だつて、出來さうなものですが。』

といふと、主人は待つて居たと言はぬばかりに、

『如何にも一寸考へると、其の通りなのであります。併し電信が無線で通ずるのは、 有線で通ずるのとは(おほい)(ちが)ふので、有線で通ずるのは假令(たとひ)極々少しの電氣にせよ、 電氣其の物が直に線を傳はつて、甲地より乙地へ逹するのですが、無線電信は、其樣(さう)いふ筋合のものではないのです。 皆さんも御承知でせうが、無線電信の裝置は、電波を起して發信し、電波を感じて受信するもので、 直接に電氣の流路を授けたり、受けたりするとは、(おもむき)(ちが)ひます。 細長い棒の一端を他人が推して、そして他の一端を此方(こつち)で持つて居て、 其の推されたのを知るといふやうなのが普通の電信の裝置で、 彼方(あちら)で拍子木をたゝくと、河の此方(こちら)で其のたゝいたのを知るやうなのが無線電信の裝置です。 電氣火花が閃く、エーテルに歪みが出來る、其の電波に感じて金屬粉が攪亂される。 それが即ち無線電信の授受の状態なので、今ではニッケル粉だの、鐵粉だのを用ゐて居ますし、 電解を利用して電解現波噐を作つたり、熱を生じると抵抗の急に増加することを利用して、 熱現波噐を作つたりして居ます。それから又 鞦韆(ぶらんこ)が左へ動かうとする時に當つて右から推す時は、 其の推す力は微少でも大きに運動を助けるといふやうな道理、 即ち共鳴作用といふところの作用を應用して、發信噐と受信噐との裝置をする時には、 微少(すこし)の力も比較的明皙に受取らるゝといふばかりでなく、同調でないところの電波には感じないので、 或約束の有るもの、即ち受信噐に相應した發信裝置の發信だけを受取ることが出來るのです。 かういふ理窟ですから、無線電信は出來ても、無線電力輸送は一寸出來無さゝうなのであります。』

(十四)電力輸送の出來た曉

『併し若し無線電力輸送が出來た曉には、假令(たとひ)少距離だけ出來たにしても、 大變な變動が世界に起ります。差當り、目前の問題の飛行機飛行船などゝいふものは(たゞち)に解決されて仕舞ふのですね。 今の飛行機飛行船は、皆其の進行する裝置を動かす所の動力を發する處のものを携帶して、 そして空中を行かうといふのです。それで發動機及び發動力材料をも(あは)せて空中に携帶するのですから、 携帶し得るものには限りが有れば、(したが)つて又重量のものを空中に保る必要からして、 無益に大なる浮泛(ふへん)力と機械力とを其の爲めに消費せなければならぬのですが、 若し地上から空中に向つて電力の輸送が出來るとすれば、電車が發動力を自己の車體内に有せずして疾走し得るやうに、 飛行機なども其の自己の體に比例して非常に大なる力を有することが出來るやうになるので、 一切の事は非常に樂になるのですから、それこそ何樣に長足の進歩をするか知れないのです。 飛行機は()いて言はぬとしても、何しろ無線電力輸送が出來れば、 動力が非常に廉價で供給されることになるから、工業でも農業でも水陸の運輸でも、 何でんもが非常に容易になつて、()して世界の状態が大變化を遂げるに至るだらうと言ふことは前に言つた通りです。 たゞ何樣(どう)も電波と電力とは同一にはならないですから、出來るか出來ぬかはもとより疑問です。 通信の方は非常に進歩して、今では單に無線で通信するばかりでなく、スラビーは二重無線電信を發明し、 千九百年に獨逸帝に示したといひます。たゞ無線でさへ驚嘆に値するのに、 無線の上に共鳴不共鳴の道理に應用して二重に受信し得る裝置を案出したのなどは、實に感服なことです。』

柏原君は又一言を插んだ。

『無線の上に又二重だなんて、どこまで西洋人はアコギに慾張つて居るか知れませんネ。 然し無線電力輸送位は、そんな西洋人のことですから思ひつかずには居りますまい。 たゞ到底出來る見込みの無い事ならば著手もしますまいが。』

(十五)出來ないといふことを確定するも亦英雄

『イヤ、出來る出來ぬは豫想で決定する譯にはまゐるません。たゞ困難であるといふ事だけは現前して居る事實です。 で、何事によらず新らしいことを企圖すれば、出來る方は百の一か千の一で、 出來ない方は萬々です。併し新らしい企畫(くはだて)を敢てして、 そして其の(くはだて)の全く出來ないものであるといふことを確知し得たらば、 其の功は之を成し得たのと餘り大差は無いのです。何故となれば、 新らしい企の全く成らぬものであるといふことを確證し得たのも、 亦其のことについては(ふたた)び世人を勞せしめぬに至るのであるから、 出來た方は、或る物を人界の増加したので、出來ない方は或る消費を人界から削除し盡したので、 プラスとマイナスとの差は有るが、其の價値は殆ど同じやうな理窟です。 千圓の富を加へたのと千圓の冗費を節したのと、積極消極の差は有るが、 千圓たるに於ては同じやうな譯です。無線電力輸送の如きも、 出來るとなれば(もと)より大幸(たいこう)なり、 出來ないと()まつても其の出來ないといふことを確めれば、 之を確めた功は決して少くないのです。無線電力輸送の如き大業は、 出來るとしても一朝夕の事ではないが、既に之を出來さうなことの考へるだけは考へ得て、 そして其の企圖に(むか)つて力を注いで居る一英雄がある。 それは米國人ではないが現に米國に居るテスラとかいふものである。 此の人は矢張り發明の天才のある人で、既に他のことに就ては多少の發明をも爲して居るのであり、 其の熱心と才能とは幾許(いくばく)の後援者を有するにも至つて居るのであるが、 既に可なりの歳月と金錢とを此の企の爲めに費して居るのである。 出切れば喝采し、出來ねば嘲笑し、出來れば偉人とし、出來ねば山師とする勝手放題の世のガスモク野郎共の中に立つて、 斯の如き事を企てるのは其の人一個に就て言へば寧ろ損であるかも知れないが、 成敗は「未來」が知つて居るばかりであるとして、是の如き大業に取つてかゝるのは兎に角英雄の氣象である、 如樣(どう)です諸君、諸君もまた是の如き大業の取つて掛つては。』

梅浦君は斯樣(かう)いふ事には興味を有して居るので、熱心に聞いて居たが、

『面白いです。實に然樣(さう)いふ事を企てるのは英雄の氣象です。 (せい)不成(ふせい)は兎に角、僕等も然樣(さう)いふ大業の取りかゝりたいです。 無線電力輸送が出來さうなことか出來無さゝうな事かは、僕等の今の學力では何とも言へませんが、 成程大事業はまだ未來に多く存在してゐるものだといふことを此の一例で深く悟りました。』

と感謝の意を表した。

(十六)常燈銀行

柳井君は、獨創的よりは整理 ()に長けて居る人でゝもあるか、 無線電力輸送には餘り興を惹かぬらしかつたが、一段落 談話(はなし)の切れたところで(おもむろ)に口を開いた。

『今のお話は大層面白かつたですが、 商業的や交通的や社會的の事でも矢張り(あらた)に興すべき事や努むべき事が澤山有りませうか。 若し有るとすれば何か一つ二つ實例を示して下さいませんか、 僕等の啓發されるところは少くはないと思ひますが。』

と問うた。主人は茶を啜り終つてこれも(おもむろ)に、

『それは矢張り無いことは有りますまい。たゞ發明やなんぞは一般的で、 さういふ事は談話(はなし)が地方的になりますから、 談話(はなし)が實際に密著すれば密著する程小さいやうな感じが仕ませう。 日本の現在、英國米國の現在、又南洋の小島の現在といふやうにい、地方的で商業状態や交通状態や社會状態等は、 大きくもあれば小さくも有り、進歩して居るのも有れば進歩して居ないのも有り、 甲の地には珍らしくないことが乙の地には(まる)で未だ成立つて居らぬといふ事も有るものですから。』

と説き聞かせた。柳井君は點首(うなづ)いて、

『成程 然樣(さう)です。でも構ひません。日本の現状に於て、 斯樣(かう)いふものが成立つたらと言ふ事で御話し下さいませんか。』

と問うた。主人は笑ひながら、

『それは餘り談緒(だんしよ)が多過ぎて、何から話して可いか、一寸困りますが、 マア口から出任せに話しませうなら、 銀行に就ても保險に就ても鐵道に就ても何程(いくら)でも新設や新經營の餘地は有りますね。 そして其等の新らしい事は皆諸君の手や頭の未來の働きに待つて居るやうに(わし)は思ひます。』

と答へた。柳井君は、

『では銀行業ではマア何樣(どん)な事でせう。』

と問うた。主人は又笑つた。

『どうせ現在に無い事は、現在には不必要と思はれたり、 無理な出來ぬ相談と思はれたりすることで有ると思つて御聞きなさらなくてはいけません。 たとへば銀行で、若しこゝに常燈銀行といふのが有つて、執務時間を他の銀行よりずつと長くしたと考へて御覽なさい。 其の銀行の爲めに商業界は恐ろしい刺激を受けますよ。今の銀行は休日が多過ぎます。 日本では日曜を休む商家は少いのです。社會は耶蘇教國とは違ひますから、日曜でも何でも活動して居ます。 學校と役所とは日曜を休むのですが、取引所や銀行も日曜を休みますのは譯が分りません。 若しこゝに一大銀行が有つて、他の銀行の休む日に休まずに居たら何樣(どう)でせう。 他の銀行が其の日に受け入れる預け金だけは、其の銀行が其の日に受け入れることになるでは有りませんか。 日歩といふ關係から、見す〜其の銀行へ預け入れゝば何程(いくら)の利を得るとなれば、 人は預けずには置かない譯でせう。又若し他の銀行が、日沒で店を閉ぢるとなつて居る際に、 常燈銀行は午後十二時までは執務するとしたらば、何樣(どう)でせう。 商家の多くは其の日、其の日營業勘定を大抵午後の十時十一時十二時頃にするのです。 若しこゝに其の日の勘定が濟んで仕舞つた後、其の餘を預け入れて、 (さう)して何分かの日歩を出してくれる銀行が有るとすれば、 非常に便宜でも有り、且つ無益に正金を店に置かずと濟むといふ便利が有れば、 弗筐(ドルばこ)さへ要らない位であり、店の現金に對して店員其の他に就て種々の懸念をする必要も無くなるから、 各商店の勘定の濟む頃に猶執務して居る銀行が有れば、大に便利とせらるゝに相違ない。 此の繁劇(はんげき)になつて行く世の中の趨勢上、必ず今に然樣(さう)いふ銀行も出來るに疑は無いが、 今日ではまだ銀行が常燈的でないから、商業も夕方からはもう半休止の形である。 商業も夕方からは半休止であるから、銀行も常燈的でない。 兩方相待つて薄ノロマな事になつて居るのであるが、電燈もあれば、瓦斯燈も有り、 行燈(あんどん)八間(はちけん)の時代は過ぎて居るのだから、 そんなに遠慮して夜を使はずに居なくても宣いのである。 都市の繁榮と人民の活氣とは、燈火の明るさで知れるといふが、 日本も東京以西は京都を除いては概して大都市の夜は明るい。 京都は商業地で無いから比較的に言へば名古屋より暗い。 丁度それに比例して手形交換高も名古屋の方が多いと言はれて居る。 東京以北の都市になると、ずつと夜は暗い。燈火の多いといふのは畢竟實務繁劇の結果なのである。 常燈銀行で出來れば、小賣業者小商業者などに利益を與へる事も非常なもので、 且つ貯蓄を容易にするといふ心理作用からの結果は屹度(きつと)莫大なものである。 一日の商業の決算を濟ませて、先づ幸に今日の總收入は千何百何十圓、此の中幾分は貯金に、 餘分は營業資金に廻す分として、オイ小僧、常燈銀行へ行つて、 これ〜の金はこれ〜に、これ〜の金はこれ〜に預けて來いといふやうにすることが出來る樣な譯になります。 又大きい商業者に取つても、夜間の現金取引が非常に敏活になるから、 其の益は決して少いことでは有りません。誰か勉強な銀行家がもう始めさうなものですがな。』

一同は道理(もつとも)のやうに聞いたが、まだ自分逹が銀行といふものを餘り利用したことが無いので、 深い興には入らなかつた。

(十七)普通警察署の兼業

『保險にも何か新らしいことが有りませうか。』

柳井君は又問うた。

『有ります。まだ我が(くに)には「盜難保險」といふのが有りません。 地震、雷、火事、親父といふ中で、親父を生命保險へ入れて置くと、親父の不幸の爲に惱むことは幾分減殺されます。 元來親父を火事や地震に比べたのは、親父の叱言(こゞと)を怖がつて怖いものとしたとしては、 惡い解釋になりますナ。地震の搖る事、雷の落つる事、火事の發する事、 親父の逝く事、此等は皆恐るべき不幸といふ事なのです。 世の中に親父位宣い者は有りはしません。殊更 (すね)の太い親父などは齧りでが有りますからね。 ライオン齒磨で磨いた齒でがり〜齧つたり何かした日には此位結構なものは有りは仕ますまい。ハヽヽヽヽ。 冗談は扨置いて、其の親父は生命保險へ入れておく、火事は又火災保險へ頼んでおく、 雷や地震は希有なことだから先づ宣いとして、盜難は一寸困りものです。 そこで誰しもが警視廳を立てゝおいて、租税を其の爲めに幾分かづゝ使つて居るので、 言ひ換へれば警視廳を保險會社にして、盜難の危險を(うけあ)つて貰つて居る、 其の被保險金として租税を出して居るやうなものです。ところが此の保險會社—— と云つては不道理であるが、先づ假に保險會社と云はせて貰ひたい警視廳は、 保險金を拂ふといふことの無いものであるから、盜難を未發に防いで呉れる有難さは山々だが、 (さて)盜難に罹つた時は何樣(どう)で有るかといふに、屆書の書き方が惡いとか、 戸締りが不十分で有つたらうとか云つて、其の社員の末班から被難者がくど〜云はれる位が結局(おち)です。 そこで若し盜難保險會社が起されたら人はどの位便利を受けるか知れません。 尤も外國では火災保險生命保險と同樣に、盜難保險會社も有るさうですが、殘念なるかな我 (くに)では、 まだ公徳が發逹して居ないので、計畫した人が無いでは無いが實行を見るに及ばないで止んだと云ひます。 鑄掛屋に二三度も掛つて、絆創膏みたやうなものが(へば)りついて居る古藥罐などを盜られても、 黄金瓶(きんびん)を盜まれましたなどと申し出された日には、會社は幾ら資本金が有つたつて足りる筈は有りません。 若し人々の公徳心が發逹して居て、眞實に百圓の(あたひ)の物を盜られた時に百圓の物を盜られたと云ふならば、 會社は相當の被保險金を徴しさへすれば、十分に成り立ち得る算盤(そろばん)なのであります。 併し今日ではダメです。が、必要は存在して物件は存在せぬといふ缼陷の有るところは、 有爲有手腕の人の働き處では有りませんか。』

然樣(さう)ですとも。』

(わし)の思ふには、盜難保險は警視廳自身が爲ると宣いといふのです。 現今(いま)でも人民は警察機關の恩を受けて居るが、若し警察機關が別途に盜難保險の道を開いて、 被保險者あkら掛金を受け取つて、其の掛金の幾分を費して、それだけ警察機關を擴張し、 巡査哨卒の數を多くするならば、それだけ盜難に罹る者の數を減ずることが出來る道理で、 且つたゞ防盜夜警を事とする人物ならば、普通警察官よりは知識の低い者でも間に合ふから、 小額の金圓で多數の人が得られる便利が有る。如是(かく)して罹難率を低くして人民の安全を増す。 一方には萬一盜難に罹つたものには、其の難の多少に應じて保險金を渡すこと、 たとへば物品火災保險の如くにする時は、被保險者は大なる便利を得る譯である。 これは第一案であるが、若し又民間事業としても、

(十八)新案民設盜難保險會社

を成立させ得る道が全く無いでは無い。冬季になると都會で火災を恐れて一町内組合つては出金し合つて夜警を爲るが、 あゝいふ風に、小 區劃(くくわく)内に被保險者を密集させるやうにして、 そして其の密集が或程度に逹した時は保險掛金をも(やす)くし、 夜警をも爲るといふやうにして行けば、(ぢき)に成立つことで、 又大きい地主や大きい家作持(かさくもち)を加入させ得れば、 其の持地や家作(かさく)内に住居する者は、 少し地代や家賃が高い代り盜難保險の付いてゐる土地家屋の内へ住居するといふことも出來る譯である。 本郷西片町十番地の地内の家作(かさく)に住居する者は、 他の地より一戸に就いて二圓づゝ高く地代を取られるとしても、盜難に罹る(うれひ)も無く、 又盜難に罹つた時、(たゞち)に保險金を受取つて其の損害を填補することが出來るとなれば、 二圓位は喜んでも出金しませう。千戸有るとすれば二千圓です。 千戸位は一戸の占有する地積が六十坪平均と見て(わづか)に六萬坪、 ざつと三町に六町位のものと見なして、人間ばかりで夜警したところが二十人あれば十分です。 一人十圓乃至二十圓として何程の費用にもならない。拍子木を()つて廻らせなくても、 巡囘したか爲ないかを()噐械(もの)種々(いろ〜)に出來て居ますから、 十分に其の責任を果させる事は出來ますし、又教練した小狗(こいぬ)を多く使つたり、 通路に木戸の制度に似た制度を設けたり、種々(いろ〜)の智慧を用ゐて廉價に賊を發見したり防いだりすることは出來ます。 江戸の昔は市中の警察制度は今のやうに周到では無かつたが、それでも濟んだのは、 町々に木戸といふものが有つたのが、大に之を助けて居たのです。 一、二、三等道路などに木戸は設けられないが、小い通路には、木戸などでは無くとも木戸のやうなものを設ければ、 確に惡意を有するものゝ出入を不便ならしめることが出來ます。 又今の警視廳は飼主なき(いぬ)を殺させてゐますが、此の事ほど狗殺し業者に幸福な事は無く、 そして又惡漢に便利なことは無いので、惡漢の一番困るのは戸内の狗と、飼主の無いノラ狗、 即ち其の町の共有の狗とでは有りますまいか。狗ほど直覺的に惡意を有する者を知る者は無いのです。 そして又地に臥して居る場合ほど狗も能く人の足音に氣の付くことは無いのです。 箱の中で柔かな藁などにくるまつて寢て居る狗などは、 夜の大道(だいだう)の眞中に寢て居る狗ほど惡漢の邪魔には成りますまい。 それは別として、多數の小狗を訓練して夜警に隨伴(とも)さあせる時は、 實に驚くべき效果を現すことは豫想せられるので、暗さと見る眼と、 微妙な嗅覺と、懶惰氣の無い奔走とは何程の(やく)を爲するか知れ無い。 夜廻りの眼をば盜賊先生は五遁の術で逃れても、小狗は(たゞち)に看破するでせう。

(十九)捕盜裝置

又非常に盜賊を怖れて多額の保險を付ける珠玉商や貴金屬商などに對しては、 特別の設備も出來ることゝ思ひます。即ち自動發火裝置を爲て置て、 惡漢(わるもの)が或る場處を踏む時は——出入りに是非 ()まねばならぬ要地を踏む時は、 それだけの重量が其處へかゝるのですから、其を利用して電氣と電燈が通じる樣にするならば、 梁上(どろばう)先生うま〜と仕事を仕了つて、大願成就かたじけねえ、とすた〜と行きかゝる、 曲者待つた、とお誂への奴さんが出さうなところを、誰も咎めないから安心してのこ〜去る。 途端に踏石か溝板(どぶいた)か或は小徑なり大路なりに足が掛るや否やパッと、 サーチライト程で無くても眩しい電光が射す、或はドンとマグネシヤ粉末に鹽酸加里末を合せたものなどが爆發する、 さうすると塀の節穴などゝ思つて居たものゝ中に、思ひきや寫眞噐械が有つて、 黒裝束に百日鬘(ひやくにちかづら)曲者面(くせものづら)、 或は鳥打帽子に紺の鯉口などゝいふ時代今樣いづれにもあれの御面相がちやんと映つて仕舞ふ。 發光裝置の方に自記磁辰儀だの、警報 鳴鐘(ベル)だの、 電話の呼出しだのと連絡が付いて居た日には、二三町も行くと先方(むかう)から警察官が出て來て(たゞち)に捉へる。 其方事は昨夜何時何十分 何某(なにがし)方に於て惡事を爲したる事は、 現状を撮取(うつ)したる此の寫眞、立會證人たる此の時辰儀(とけい)等によつて證據明白なり。 懲役何年に處すと明日の午前には一切落着になつて仕舞ふのです。ハヽヽヽヽ。 さうすると此文明の世の中に一番惡い難しい馬鹿げた商賣は盜賊(どろばう)で、 大々的茶人か畸人でなければ()ぬ事になつて仕舞つて、 石川五右衞門實は千の利休、或は又大盜タルピン實はダイオゼニスなどゝいふ筋書きでも作らなければ、 何樣(どう)も理窟が分らないと、芝居を見る人が評をするやうになつて、 金錢貴重物等を得んと慾して盜を爲すといふ理は無い、金錢等は慾しければ眞面目に働くべき筈だ、 などゝ批評家が論ずる程になり、金錢を慾する爲めに盜を爲す脚色(しくみ)などを爲た作者輩は、 イヤハヤ二十世紀式の憫れむべき古風の作意だなんぞと言はれるやうになりませう。


更新日:2004/01/29

(二十)惡漢監視法

一體 (いにしへ)は今に比し、(おろか)に相違無い。然し惡人の額に目印の(いれずみ)だのなんぞを爲たのは、 社會の安寧を保ち、罪跡搜索を容易にするには大に怜悧な爲方(しかた)である。 たゞし今日は人の改悛を慾する仁義的の議論から、然樣(さう)いふ事は出來ぬのであるが、 人間に決して知られぬやうに、惡事を(ふたた)び爲さうな奴、 即ち監視せねばならぬものには、或時期だけの間、或 (しるし)を付けておくと宣い。 或藥物を考へて注射をして置くと、其の注射の利いて居る間だけは或臭がする、 人間同志では分らぬが狗の或種には分る、といふやうにして置くのである。 さうすると其の梁上先生が(ふたた)び惡事を爲ようとしても、 保險會社の訓練を受けた狗は先刻承知して居て、(あや)しい臭がするナと吠え立てるから、 先生如何ともすることが出來なくなり、自然に正しきに歸するやうにもならう。 雉子が草の上を歩いた二日後位でも、良い狗は甚だ明白に此處を雉子が歩いたナと悟るものである。 惡い奴の(しるし)に雉子の脚のエキスを(くるぶし)へでも注射した日には、 若し其の臭に對して吠えるべく教へられさへすれば、間違なく狗はワン〜吠える。 即ち不良者が闇所通行を爲て居ることを自然と人に知らすことになつて、 又おのづから不良者も正しきに歸するより他に道は無いやうになる。 其の注射藥だけは保險會社で考へ出すがよろしい。ハヽヽヽヽ。』

柳井も終末(しまひ)が滑稽に成つたので、笑ひ出さずには居なかつたが、 何處までも堅い少年であるから、

『若し被害金額を實價より恐ろしく誇張して云ひましたら、會社は大なる損をするでは有りませんか。』

『いや、二千圓取られて三千圓取られたと云へば、千圓の詐欺取財になりませう。 十圓の時計を奪はれて百圓の時計を奪はれたと云へば、 會社はよしや百圓を拂つたにせよ、後に十圓の其の時計が出た時に百圓戻して貰ふ談判が成立ちませう。 (わし)は法律は知らぬが、相手がそれで不承知なら詐欺取財で訴へて勝訴になる理が有ると思ひます。』

『成程。』

(二十一)大親分

『警視廳は博徒を取締りました。是は大に宜しい。然し(わし)が若し博徒の大親分で有つたらば、 警視廳の意を奉じて博徒たることを止める代りに、盜難保險會社を組織して、全國に氣脈を通じ、 大に警視廳の仕事を助けてやりますネ。盜難にあつた人に(むか)つて、ハア、左樣か、屆書を出せ、 なんとか云つて居る警察と、イヤそれはお氣の毒な事ですと、早速被害高に應じ保險額に應じて、 會社から金を拂つて遣つて、そして平常(ふだん)は盜難設備をしてやる會社と、何方(どちら)が文明的で、 何方が正義的で、何方が一般社會の爲めに益すると思ひます。 (わし)が大親分なら火災保險を兼ねて盜難保險を創始し、 ()して大に今の警察と對立しようと(つと)めて見たいですネ。』

竒異で滑稽で突飛な(はなし)に、一同は笑ひ、且つ呆れた。

(二十二)二少年の再訪

主人の廣長舌に釣り込まれて、番茶會の少年連は膝の進むのをば覺えたが、 時の立つのを忘れて居た。併し松山君は年長者だけに心づいて、 衆人(みんな)に代つて主人の厚意を謝して其夜は歸つた。 無論再訪を約して、再び有益有趣の談を聽かんことを乞うたのであつた。

知識を吸收せんことを慾すること渇者(かつしや)の水を慾するが如くなる人々の中でも、 取り別けて新竒なことを悦ぶ梅浦君と、他の人々に比較しては時間の餘裕を有して居る柳井君とは、 二人で相談して衆人(みんな)の再訪に先だつて又一度訪問した。 主人は相變らずの顏色、相變らずの態度で、二人を引見した。

柳井君は先づ口を開いて、

『先夜は遲くまで種々の御話を伺ひまして有り難うございました。 又御邪魔に出ましたが御 閑暇(ひま)でございますなら、 衆人(みんな)と一緒では有りませんが、(ちと)御噺を聞かせて戴きたうございます。』

といふと、主人は、

『私にやうなものゝ談話(はなし)でも、特地(わざと)聽かうといふので御來臨(おいで)になつたのですから、 何なりと存じた事や想つたことなら御談(おはなし)いたしませう。』

と、至つて氣輕だ。

『有り難いツ。』

と梅浦君は眞卒(しんそつ)千萬なので、主人も(いささ)(おもて)に笑を浮べた。 そして又梅浦君は言ひ足した。

『柳井君は、交通に關する御 談話(はなし)を何でも宣いから聞きたいと云ふのですがネ。 僕は餘り其は問題が眞面目過ぎるから、興味が無いと(ちと)困ると云つたのでして、 けれども僕の方が讓歩して仕舞つたのです。ですから少しは突飛過ぎた事でも附加へて、 願はくば僕をして興味を以て聽聞させて戴きたいので。』

『ハヽヽ、君は正直で宣い。談話(はなし)の御註文は(ちと)恐れ入つたが、 ナアニ、宣うござんす。(ちつと)茶利(ちやり)を交ぜませうか。 何樣(どう)せ議會に立つて政府委員が説明を爲して居るといふのとは違ひますから、ハヽヽヽ。』

何樣(どう)か。』

『イヤ、併し矢張り成るべく御眞面目に。』

と梅浦君柳井君性質各々異なりで、言ふところも亦各々異なりだ。

『ハヽヽヽ、宣うございます。眞面目で戲れて、ふざけて眞面目に(はな)しませう。 一ト口に交通と言つても、汽船帆船も交通機關なら、汽車電車も自動車自轉車馬車人力車も交通機關ですが、 其の中で先づ汽車から話しませう。』

(二十三)笑話的交通機關の發明

笑話に斯樣(かう)いふのが有りますネ。乃公(おれ)は東京と大阪との間に汽車よりも(はや)いものを考へ出した。 ゴムの恐ろしく強いのを大阪の梅田から東京の新橋まで引張つて置くのだ。 そして其の端に車室を付けて置いて、乘客が充滿したところで、ヒョイと放して遣るのだ。 ソレ一瞬間に梅田まで飛んで行くだらう。どうだ、恐ろしい智慧だらう。 と云ふと、人々は成程と大きに感心したが、中に一寸理窟の解る男が、 モシ〜其のゴムは何樣(どう)して引張ります()と尋ねると、 ムヽ其處までは未だ考へて置かなかつた、と行詰る。 スルト傍に居た賢立(かしこだて)をする男が矢張り汽車で引張らせるが宣い。 と云つたといふ(はなし)が有ります。ハヽヽヽ。』

柳井も梅浦も知つた話ながら、少し樣子が換へられて居るので、新らしく笑つた。 主人は一向長笑ひもしないで又話し出した。

(二十四)無益の發明

『素人に天文學上の發見をする權利は無いと言ひますが、天文學ばかりでは有りません、 理學上などでも素人の考は多くは今の話の汽車以上の交通機關のやうなもので、 大抵は馬鹿げた事に陷るのが多いのですから、座談には宜しいのですが、 實際には又役に立たない案ばかりを素人は出す者です。 これも矢張り役に立たない案の一つですが、或竒人は、汽車のレールが汽車から受取る壓力をば、 たゞ(いたづら)に捨てるのは惜しいものである、 汽車が通る度毎に受取る壓力を利用して、豆をひかせるとか、 米を()かせるとかの(はたらき)をさせたいものだと言ひましたが、 それも矢張りゴムを汽車に頼んで引張らせる類ですナ。ハヽヽヽ。』

と笑つた。梅浦柳井は口を揃へて言つた。

『では汽車については何も新案は無いのでせうか。』

『イヤ、役に立つ立たぬは事實の判斷に任すとして云へば、先づ一分間停車場を悉く廢して仕舞ふのですナ。』

柳井も梅浦も一寸驚いた。

『でもそれでは、大變に困るのでは有りませんか。』

『イヽエ、困りません。それだけの設備をするのです。』

『そうしますのですか。』

『さればです、

(二十五)移動昇降場

を設けるのですね。』

『移動昇降場とは。』

『普通の車室と殆んど同じやうな車室で、それに乘客劵所有者を乘せて置いて、 そして其の車は本線路と竝行した別の線路の上に待たせて置くのです。 勿論機關車も何も付けるのでは有りません。そこで本線路を上りなら上り、 下りなら下りの汽車が通ります。通常(いつも)なら一分間停車を其の小さな停車場の前で爲るのですが、 そこを停車しないで汽車は幾分か徐行しながら走りつゞけるのです。すると此方(こつち)の車、 即ち其の驛から乘らうと云ふ客を載せて居る車室を汽車の車室に竝行させて連結機で連結するのです。 汽車は無論走つて居る、此方(こつち)の車も伴はれて走る、雙方共に走りながら、 乘り手は此方(こつち)の車から本線路の汽車に乘り込む、 下りる人は本線路の車から此方(こつち)の車へ移る。 それが濟んだところで連結機をはづせば、此方(こつち)の車は或る地點で止まる。 下りる人は其處から下りるといふ事になるのです。つまり一分間停車場のやうな小驛のプラットホームを車室に爲て仕舞つて、 そして移動することの叶ふやうにするのです。さすれば汽車は一分停車も爲ないで、 たゞ少距離だけを徐行すれば宣い譯になります。それから停車場だどゝいふ事々しいものを設備せずとも、 其の移動昇降場即ち副線の上を行く車室の内に、少許(すこしばかり)の役人さへ居れば濟むのです。 費用のかゝるのは少距離間の副線を設けるばかりです。 一體汽車の車室は急速力を以て走るものですから大に堅牢でなければ用に堪へず、 少し古くなつたのは用にならぬ位ですが、徐行するのみで決して急行せぬ車室ならば、()のみ堅牢をを要せず、 從つて費用も少く出來ませう。それでないにしても汽車をして停車せしめないで濟むといふことは、 どの位利益になるか知れませぬ。もう一段進んで汽車の便利と敏速とを増すのは、

(二十六)隨意昇降場

を設けるのです。これは外國に存在して居るところが有るのですが、 我が(くに)ではまだ行はれて居りません。隨意昇降場は停車場も何も無しで、 たゞ少しばかりの間、或地點を限つて汽車が徐行すると、乘客は勝手に飛び下り飛び乘りをするので、 此の位簡便で手早いことは有りませぬ。別に設備の要るでは無し、 たゞ汽車中の乘車係りが少し世話を燒いてやれば宣いのです。 老人小兒には不適當かも知れませぬが、曠野の中や山間僻地には、 (かく)の如き方法を取つて貰ふのも、有るは無きに勝ります。 道路には國道、縣道、里道、村道、騎馬徑(きばけい)徒歩徑(とほけい)、 不定道路の七種を假別(かりわけ)することが出來ますが、 汽車の方でも停車場を發著停車場、繼換(つぎかへ)停車場、五分停車場、 二分停車場、それから移動昇降場、隨意昇降場と假別して、 何でも停車時間を短縮することを大方針としたらば、 同じ現在の汽車でも餘程時間經濟を圖ることが出來ますと同時に便利を多くすることも出來さうに思ひます。 まして移動昇降場の如きは汽車の上下を交互に利用する樣に設備したらば、 別に多くの面倒を要せぬことでせう。猶汽車鐵道其物に就て言つたなら、 狹軌は廣軌に及ばず、廣軌は單軌に及ばずで、將來は蓋し

(二十七)單軌鐡道

が大に設けられるやうにならうかと思ひます。獨逸人の發明した單軌鐡道は、 (たとへ)を以て言へば、獨樂(こま)に綱渡りをさせるやうな趣向で、 甚だ無益に動力を使用するのですから感心できませんが、 若し速力が大ならば(たが)廻しの遊戲(あそび)(たが)が廻轉されて居る間は倒れず、 二輪自轉車(バイシクル)(はし)つて居る間は倒れない道理が有りますから、 其の道理を利用して、單軌鐡道で汽車を走らせ得ることが可能(ポツシブル)です。 停車や發著に際しては、汽車の下部の左右に鐡條を附著させて置いて、 停車場の方が車輪の縱列を以て之を受ければ濟むのです。 即ち汽車の止まる時や走り出す場合には、普通と反對(あべこべ)に車輪が有り、 車に鐡軌が附いて居て、其の滑走を妨げず、且つ傾倒を支へるといふやうにするのです。 そこで汽車が必要速度の速力を出し得た時には、定設されてゐる單軌上を疾走するといふことになり得るやう裝置したら、 ナアニ單軌でもつて十分安全に走り得ようと思ひます。 勿論車内の積載重量の甚だしい不平均を避けるやうにしなければならぬのは知れきつた事ですが、 それ等は何程も方法が有りませう。少くとも貨物なんぞは最大速力を用ゐて單軌で走らせた方が有利に相違無いのです。 誰かゞ必ず將來に於て此の計畫を爲し遂げるで有らう。元來道路交通運輸の事は、 最初は鹿や(しゝ)兎と同じく「自然道路」に依つて居り、 次に人類が進歩して(たか)きを削り(くぼ)きを(うづ)めて「修治道路」を造つて之に依り、 其の次に煉瓦甃(れんがだゝみ)石磚甃(いしだゝみ)や、木だゝみや、 アスハルト路や、セメント路の如き「作爲道路」を造つて之に依り、 迅速を慾するの(おもひ)は又「鐡路」を設け出して車輌をして之に由らしむるやうに發逹して來たのですが、 進歩に進歩したら「鐡路」は「單軌」を用ゐるに及び、 「單軌」は終に「無軌」となつて蒸氣を用ゐるか何を用ゐるかは知らぬが、

(二十八)大空道路

が成立つて、人間の運輸交通が之に由るやうになりさうな形勢を示して居ます。 飛行機や飛行船を軍事上にのみ用ゐるようといふやうな、 ケチ臭い考案さへ未だ十分に出來上らぬ今日では、前途甚だ遠いやうに思へますが、 遠くて近きは空想と實際とです。何樣(どう)です、「單軌鐡道」で、 東京神戸間が四時間位で走り著けたらば、ハヽヽヽ。』

『單軌で無くてさへ脱線するのですから、中凹車輪にせよ單軌鐡道などは怖ろしいことですネ。 僕は乘客になるのは御免です。』

梅浦君が眞面目に言つたのは却つて滑稽に聞えた。

『他はまた別に、出來さうで出來て居ない何か交通運輸上の方案は無いでせうか。』

柳井君は飽くまで實著だ。

『有りまする。先づ

(二十九)無機關車

で、車が鐡路の上を走つたら何樣(どう)でせう。一體交通運輸機關の如きものは、 國々により、地理上の約束を受けるので有りますから、 甲の國と乙の國とは大に状態を異にしても宣い理なのです。 我が(くに)の如く海岸線が甚だ長くて()して從つて恆信風(こうしんふう)の利を多く蒙つて居る國では、 風力を利用せぬといふことは無い譯です。諾威(ノルウエイ)に風車が發逹して居るのは、 風が多いからでして、風車の音は(いつ)も其の國の小説の中などに出て來る位で、 日本では風車を拵へることは時々見受けるが、(いつ)も失敗に終るやうです。 意氣地の無いのも甚だしいと云ひたいです。寒國(かんこく)では氷上の橇を風力によつて走らせるとことも有ります。 若し風力によつて鐡路の上を滑走する運輸機關を設計したら、小距離小規模たるは免れないが、 必ず成立ち得る餘地が有りませう。石材、穀物、木材等の運輸は海岸線では船舶に依り得るものですが、 地形上船舶運輸も屡々不利不便の位置に立たねばならぬところが有ります。 且つ船舶は積荷の上下(あげおろし)に非常に手數と勞力とを要するものです。 自轉車に乘つても「強風」以上の時は、背に受くる風によつて送られ得るのです。 「強風」は一秒に十メートルを走るものですから、其樣(さう)いふ風は日々は得られぬにしても、 「和風」以上は殆ど毎日得られるのが海島(かいたう)國の天惠です。 多大の運搬費を要してはならぬ粗物(そぶつ)の運輸には、水上にせよ陸上にせよ、 空中にせよ、風力を利用するが最も得策です。鑛山で用ゐて居るところの


更新日:2004/01/29

(三十)空中導索

は、多く地形上の便宜を利用して居るのですが、 若し空中導索によつて吊下されながら走る彼の(ふね)に帆を利用したならば、 海岸地に於ては破天荒の廉價な運搬作用を爲し得るでせうでは有りませんか。 そんな變なことをと云つて笑ふ人も有るでせうが、 何も諾威(ノルウェイ)人にばかり風を利用させることも無いのです。 これは何處でもと云ふ譯には行きませんが、或土地に限つて設計したらば、 ケチな事では有るが却つて實益を見るか知れません。 ケチな(はなし)ついでに、今一つ言へば、

(三十一)人力車

なんぞといふ非人道のものを廢して、自動車のやうな大がゝりで無く、 馬車の如く厄介なもので無く、丁度在來の人力車同樣のもので濟むところの便利にして清潔なもので、 そして挽手(ひきて)も要らなければ、蒸汽機關や、電池なども要らないものを世に推薦したい事ですネ。』

『それは又 何樣(どう)いふものです。』

と二人は思はず語を一つにした。

(三十二)爪哇(ジャワ)の郡長さま

主人の談話(はなし)の中には、(たしか)にわざと二少年にからかふやうな諧謔な部分も有つた。 しかし又其の中には不眞面目から成立つて居る虚誕(うそ)ばかりが充ちて居るのでも無かつた。 聰明な二人は其の意を猜破(さいは)して、敢て主人の出來ぬ相談のところへ突掛つて、 主人をして哄笑を發せしめようとも爲ないで、 たゞもう主人が出す談話(はなし)(いと)を手繰つた。

今主人が人力車を罵つたのを聞いて、二人は直ちに口を揃へて其の(はなし)を聞かうとしたが、 中にも梅浦は、

『人力車は非人道的だと仰やいますけれど、賃金を拂つて勞働を請求し、 勞働を提供して賃錢を取るのですから、別に咎め立てをするほどの事は無いと思ひますが。』

と云ふと、主人は、

『それは然樣(さう)です。然し同じ人間を牛馬の樣に使役して、 心臟を甚しく惡くさせたりなんぞするのは、(ちと)忍び難いことでは有りませんか。 そればかりではありません、彼の外觀は何樣(どう)でせう。 梶棒につかまつて駈け出すところを、横合から虚心平氣に御覽なさい。 何樣(どう)したつて「野蠻國の風俗の畫圖」たるを免れませんや。 車の上で昂然として威張つて居る人を見ると、 何樣(どう)爪哇(ジャワ)とか勃泥(ボルネオ)とかいふ國の小隊長か郡長かなんどを見るやうな氣がしてなりません。 貴所等(あなたがた)然樣(さう)いふ氣がしませんか。』

と答へた。成程言はれて見れば人力車に乘つて、威張つて居る奴の圖は、 野蠻國の風俗畫にでも有りさうな趣がある。

然樣(さう)ですネ。餘り宣い圖では有りませんナ。』

『それ御覽なさい。それですから差當り人力車といふものは、廢絶させたいのです。 然し何人にm、最低廉ので千餘圓を値する自動車を備へさせ、 そして又其の要する經費を繼續して支出させるといふことが、 我が(くに)の人の富の程度に比して一寸困難なのです。

(三十三)乘物の類は種々

或人は二人乘の人車を馬に()かせたり、又或人は騾馬(らば)や驢馬に曵かせましたが、 いづれも何となく不釣合で、滑稽で、宣くないために、何時となく然樣(さう)いふことも已んでしまひました。 支那の宮園の内では、羊車(やうしや)の用ゐられた例も有り、 佛教の中には種々の動物を車に曵く用にした事も見えて居ますから、 動物で車を曵く用に供せらるゝものが牛馬や驢騾(らろ)以外に澤山あることは明らかですけれども、 (さて)それなら差當つて何を用ゐたら宜しいかといふと、 羊も(おほいぬ)も餘り感心出來ませんし、驢馬の如くは無く聲からしてが可厭(いや)なものです。 そして動物は如何に下等な動物でも個々の感情もあれば、性癖も有りますから、 これを訓練して吾が用をなさしむるには相當の手數もかゝりますし、 それから又訓練が工合よく出來たにしても、疾病もあれば斃死(へいし)もありますし、 健康の時でも食餌や排泄物に就いて人の手數を(わづら)はすことが多いものです。 そこで人類は長い間の歴史上の關係をも棄てゝ、彼の馬車をさへ(やうや)(いと)ひ果てた結果、 空中飛行機の出來損ひの自動車を用ゐ出したのです。 動物は使用せぬ時でも餌料(じれう)を與へ排泄物の世話をも爲てやらなければなりませんが、 機關は然樣(さう)いふ事を要せぬですから、自動車ほど吾人(ごじん)に取つて理想的なものは今のところでは無いのです。 たゞし今の普通の自動車は人力車に比しては甚だ大きくて、動力發生機を個々に備へて居るのですから、 重量も重く、機關も複雜ですし、從つて價格も高く、萬般(よろづ)が小どり廻しになりません。 で、馬車を備へておくことの出來るほどの人は、之を使用も爲ますが、そこまでの力の無い人や、 或は又 儉素(けんそ)みづから守る人は、やはり人力車を用ゐて居るので、 この野蠻國の風俗畫の如き圖は我が(くに)には絶えないのです。』

『しかし實際便利なものですからね。』

然樣(さう)です。便利なものには相違有りません。』

『それで、此に代るべき

(三十四)小取廻しの便利なもの

と云ひますと先づ()の樣なものでございます。』

『それが既に出來て居るのなら、面倒も無い代りに、君等のやうな未來の事業家に()つところも無いのですが、 御承知の通り何も無いのです。そこで、此もまた微小な問題では有るが、 未來に於て處理されるべく殘つて居る一事業なのです。何樣(どう)です。 一つ君等の手でもつて解決しては。』

然樣(さう)ですネエ。成程仰やる通り何樣(どう)かしらたば宣いことだと思ひます。』

と柳井君は眞面目に老成な挨拶をした。

『宣いことだと思ひます位ではいけません。直にも解決しようと(つと)めても宣いぢや有りませんか。 それに微小な問題のやうでは有るが、必ずそも然樣(さう)微小な問題でも有りません。 工合宣く成就すれば、可なり大きな仕事ですよ。 一體運輸の事の原力(げんりよく)を人の脚に()つなぞといふ野蠻未開な事があるものではありませんよ。 と云つて石油發動機やガソリン發動機を人力車のやうな小さなものに据ゑつけて、 ガタ〜ピシ〜させながら、市中を歩くといふものも感心しませんし、 第一重量が發動機の爲めに増加して、小取廻しとか輕便とかいふことを打壞して仕舞ひます。 自轉車に小さな機關の附いて居るのはありますが、あれでも五六百圓はかゝりますし、 不快な音などを立てゝ面白く有りませんネ。』

『ぢやあ何を動力にしたらば宣さゝうです。』

『自動車の用ゐて居るは、石油發動機が第一多數で、經濟的で實用的では有りますが、 併し不清潔的不安靜的です。電氣自動車を用ゐれば如何にも清潔安靜で、 種々の不快を除き去ることが出來ますが、其代り蓄電池の重さが大き過ぎて、 そして多くの哩數を馳せることが出來なく、何樣(どう)も割合が惡いといふことを免れません。 一番成立ちやすいのは、石油機關を採用するのです。けれども、惡臭の瓦斯(ガス)を出したり、 (いと)はしい音を立てたりすることを免れません。 若し日本橋の上を通る人力車が悉く石油機關を用ゐる小車(こぐるま)と成つたと假定すれば、 (たしか)に通一丁目だの室町だのに住んで居る人は鼓膜に龜裂(ひゞ)が入るか、 然らずんば進化の理によつて鼓膜がシブトク厚くなつて、 農夫(ひやくしやう)掌上(てのひら)が煙草の火ぐらゐには左程感じないやうに、 普通の談話(はなし)の聲位は善く感じないやうになるかも知れません。』

『鼓膜が雪駄の革やうになつちや堪りません。ハヽヽ。』

梅浦君は笑ひ出したのである。

『其の代り丈夫向お徳用筋になつて宣いかも知れません。ハヽヽ。 で、蒸汽機關にすれば石油機關のやうな面倒な裝置なぞも要らないし、 臭い瓦斯も出ないが、矢張り重いし、種々の不便が有ります。 けれども今日では大進歩をして、汽罐の製作法を改良し、 鐡も木材と同樣に纖維性が有るから、其の性に從つて之を用ゐると、 量の多くを要せずして力の強いものをこしらへ得るアムストロング以來の新法によつて、 ピアノ線の鐡線で卷いた汽罐を作り出したりなんぞしたので、 今や隨分小形で小取廻しの出來るのも生じて來た。 しかし人力車位のものを應用するには未だ不適當のやうです。 電動機は宣いけれども前に言つた通りで、しかし今では不經濟的です。』

『それぢや何も無いぢやありませんか。』

『いや、無いことは有りませんが、たゞ其方(そつち)を利用するまでの準備と經驗とが缺けて居るのです。』

『何です其の原力は。』

『先づ第一に宣さゝうなのは、

(三十五)壓搾空氣

ですネ。壓搾された空氣が原形に復せんとする時には、必ず其處に力が生ずる理です。 そして其の力は最初壓搾された時に受けた力の量と殆ど同じかるべき理です。 ですから今若し壓搾された空氣が車の腰掛の下に澤山あるとすれば、 それを調攝噐(ちようせつき)でもつて小出しにして使つて、 其の力によつて車を前進させることは必ず出來るべきことです。蒸汽が車を動かすのも道理は一つです。』

『成程、それは屹度(きつと)出來ませう。』

『そこで、壓搾空氣を使用するのですから、空氣を汚すことも無ければ惡臭を放つこともなく、 石油の爆發的燃燒によつて起るやうな喧騷な音を立てずとも濟む譯ですから、 此樣(こん)な理想的なものは他には無いのです。』

『サア、こゝが面白いところです。一體力の中で運輸することの出來るのは電氣であることは前夜に申したところですが、 壓搾空氣や液體空氣より生ずる力は電氣についで輸送の出來る便利なものでして、 輸送と享受との準備が有れば電氣力は如何なる土地でも使用することの出來るやうに、 壓搾空氣も亦之を輸送享受する準備さへあれば容易に之を使用することが出來て、 別に石油機關や蒸汽機關の如き發動機關を個々に備へなくても「力」を使ふことの出來る便利があります。そこで、

(三十六)壓搾空氣製造會社

といふ大會社が有つて、各小賣處へ或便利な容噐(いれもの)に入つて居る壓搾空氣を賣り下げる、 小賣處は又之を要する人々に賣り(さば)くといふやうにすれば、 何程市内の小工業やなんぞは發逹するか知れません。 同一工作を確實に繰返すやうな事に對しては壓搾空氣位便宜に其の力を供給するものは有りません、 彫物、研ぎ物、磨き物、攪拌(かきまぜ)春擣(うすつき)細截(ほそきり)、 およそ種々の仕事で、そして始終石油發動機なぞを据ゑ付けて置くべきほどの力は要せぬが、 併し時々に持續する或る力を要して、 已むを得ず職工や徒弟の力を其の爲に費すといふやうな向へは壓搾空氣の供給ぐらゐ至便至利の事は無いのであります。 紙鐡砲や空氣銃や吹矢や、 やゝ大きいものでは水雷發射などの働きをするのも皆壓搾された空氣が原形に復せんとする力の結果で、 壓搾空氣はまだ研究の餘地が甚だ多く(あま)されて居る却々(なか〜)味のあるものですが、 まだ今日我が(くに)では餘り利用されて居ず、從つて一般民衆も知らぬやうです。 併し壓搾空氣賣捌所があつて、何處でも一寸買えるやうになれば、 種々の小工作の機械と關連させて隨分便利で、小噐用な働きを此に依つて爲せることが得るのです、 自動車なんぞと譯が違つて、人用人力車の一日に用ゐられる延里數といふものは何程でもありませんから、 毎朝何程かの量の壓搾空氣を買つて仕込んで置けば無造作に濟みます。 長距離を走らうといふには途中の或賣捌處で買えばそれで宣い理窟で、大酒家に逢つた際に、 壜詰 麥酒(ビール)は一本づゝ買つても洋盃(コツプ)さへ有れば酒席の續けられる道理です。 假に三立方尺の或濃度の壓搾空氣の一 (はこ)が若干錢と定まればそれだけで何里何町走れるかといふ計算も確然と出來る譯ですから、 此樣(こん)な便利で確實なことは有りません。此の壓搾空氣の利用の

(三十七)空氣力車

の機關は少し機械學の知識のある人が工夫す()のみ困難で無く出來上りませうが、 壓搾空氣をこしらへて賣るといふことは、 單に機械的では無くて社會的組織の上に成立ち得るだけの準備が無くてはなりませんから、 (ちと)大がかりです。政府も智慧が無い。 鹽だの煙草だのを賣らずとも(ちと)工夫をして空氣でも賣つたら宣さゝうなものだと思ひます。 ハヽヽヽ。空氣ならば無際限に賣れますからナ。ハヽヽ。』

『空氣の濃いのを賣るのは面白いですナ。』

「炭酸瓦斯を壓縮して拇指の頭位の鐡の(びん)の中へ入れたのを賣つて居ますが、 (わづか)に其位なものでも四合位の水に爽快な味を與へて、そしてサイホンから悉く噴き出させて仕舞ひます。 スパークレッドと云つて夏季の飮料に洒落者が用ゐますから、君等も既に知つて御いでゝせうが、 氣體の壓縮されて容量を減ずることは非常なものですから、 それだけに又膨脹して原形に復する時は大きな働きをしますものです。 日本は一等國だなんて云つても、市場(まち)で賣つて居るものは多くは天然物です。 天然物を多く市場で賣つて居る國は原始的即ち野蠻状態に近い證據です。 商品として壓縮された空氣や其他の瓦斯體などを賣つて居るやうにならなくては、 國は文明だと誇る譯には行きません。液體空氣なども、最初は一オンス六千圓したのを、 今では二升五合で二十五錢位に英國では賣つて居ますし、 遠からずして液體空氣の需要が殖えさへすれば、 二升五合を二錢か二錢五厘か猶それよりも廉價に賣り得ることは確實だと云ひます。 此の液體空氣に木炭を浸して爆發裝置をすれば、 普通の爆藥即ちニトログリスリンより二倍の效力が有ると云ひますから、 他日若し英才の人物の苦心の結果、

(三十八)液體空氣の爆發を動力として使用する

時代が來つたならば、石炭を燒いたり石油を爆然として燃えしめたりして居る今日の状態の如きは、 愚劣な全世紀の仕業(しわざ)として笑はれるやうになるでせう。

第一今日の似而非(えせ)才子は、やゝもすれば二十世紀呼はりをして癡漢(こけ)を脅して居ますが、 二十世紀だなんて云つても、飮水がやつと水道の濾過水になつて、溷水(どぶみず)を飮むのを免れた位の事で、 空氣は穢れきつた溷水同樣のを吸つて居るので、病院でさへ濾過した空氣とか、 消毒した空氣とか、或は酸素の多い空氣とかを供給して居るのでは無い[注:「か」が拔けている?]。 液體空氣が液體酸素より速く蒸發する道理によつて、液體空氣は普通空氣より酸素の量が多い。 かういふ鍵が吾人(ごじん)の手に握られて居る以上は、一ガロン二厘か三厘で液體空氣を製するやうにして、 そして何等かの工夫を以て病院内の空氣ぐらゐは普通空氣より良い空氣にしたら宣さゝうなものですナ。 生水を飮むなと衞生家らしい(つら)つきの物體振りが説法しても、 生空氣を吸はせて居ての文明論だから有り難くは無い。 生空氣でも健康體には何とも無い道理なら生水でも何とも無い道理もあると、 横紙破りの論も(ちと)出したくなるので、 二十世紀ぐらゐを偉いものだ進歩したものだ結構なものだと思つて居るやうな頓癡竒(とんちき)な位なら、 いつそ生水を呑んで幸福を感じて居る印度の恆河(ガンジス)の傍の古い人民の方が増しかも知れないのです。 夏になれば毎年のやうに暑い〜と苦んで居て、アスハルトで道路を拵へた悧巧氣な紐育(ニューヨーク)の人民が、 おのれが似而非(えせ)知識の應用から出た(むくい)として、 アスハルトの放射する熱の爲めに年々何十人何百人づゝ日に()けた(かはら)へ跳ね上つた鮎みたやうに焦げて死ぬなぞは二十世紀式で、 イヤハヤ感服なものだと云ひたいですナ。

(三十九)暑氣を減ずる法

ぐらゐは、二十世紀の人でも出來さうなものでは有りませんか。 暑いからといつて氷を咬んだり、或は又大氷塊の後から扇風噐で風を出すなどゝいふのは、 襤褸(ぼろ)の中に鹽温石(しほをんじやく)を包んだり、燒芋を懷中にして寒さを防ぐのよりも、 扨々(さて〜)澤山(たんと)智慧の有る二十世紀の文明人の爲さることでござると申したいですナア。 ハヽヽ。暑氣が減じたければ、雨を降らすのも()い、空氣を冷やすのも宣い。 壓縮された空氣を急に膨張させれば温度を下降するといふ道理が知れて居るのだから、 雨はとにかく空氣だけの處理でも何樣(どう)にかなりさうなものだ。 煖爐の反對の冷室噐ぐらゐのものは、餘り二十世紀づらをする奴が多いから、 今の似而非(えせ)才子や似而非學者に教へてやるのも厭だが、何樣(どう)だ君逹で一寸工夫して見たまへ。 ナアニ日本人だつてアスハルトで路をこしらへて焦げて死ぬ心配をしない位の無遠慮な料簡にさへなれば何樣(どん)な發明でも出來ますわネ。 ハヽヽヽヽ。

二人はこゝに至つて二十世紀の崇拜者たるを慾しなくなつて、 そして又歐米の餘塵(よぢん)を浴びて揚々たるやうな氣にはなれなくなつた。


更新日:2004/01/29

(四十)第三囘訪問

柳井君梅浦君は少からぬ興味を感じて立歸つたが、何樣(どう)も面白いばかりでは無く、 心の何處かに、或刺戟を受けるやうな氣のする主人の談話に、また直と何か變つた問題に就いての談話が聞き度くなつて、 松山君以下の人々を促し立てゝ、或雨の日曜日の午後から押寄せた。 主人は例に依つて例の如くの調子で、

『ヤア諸君、又 (わし)談話(はなし)を手繰り出さうと思つて御來臨(おいで)なすつたネ。 併しマア宣うございますわ。別に諸君に不利益(ふため)になるといふことも無いでせうから、 時々 諧謔(ちやり)は入れますけれども、(まる)で出鱈目ばかりを云ふといふのでも無し、 侠客傳(けふかくでん)や戀愛譚のやうな、 諸君の感情にのみ訴へるところの弊害の多い(はなし)をするといふのでは無し、 出來さうな事で、そして出來したい事で、それでまだ出來て居ない事を語るといふのですから、 萬一 (わし)の談話によつて、未來に諸君の頭腦や手腕を待つて居る

(四十一)事業は非常に澤山ある

ものだといふことを諸君に感じさせることが出來れば、それで(わし)は滿足するのですと()めて置いて、 何でも(わし)饒舌(しやべ)れることは御話し致しませう。 諸君も其の積りで聞いて下されば、十二分に(わし)は悦びます。 (さて)今日は何樣(どん)な類の談話(はなし)を聞きたいと御思ひになつて御來臨(おいで)ですか、 幸に持合せました種子(たね)さへありますれば、何でも御註文の應じますから。アハヽヽヽ。』

と至つて氣輕だ。

松山君は衆人(みんな)を代表して、

『有り難うございます、衆人(みんな)面白がつて拜聽しますことでございます。 何でも宜しうございますから、御氣の向きました御談話(おはなし)を願ひたいので。』

といふ尾に付いて、滑稽好な杉谷君は、

『併し折角註文をしろと御主人が云つて下さるのですから、 御遠慮なしに小生(わたくし)は御註文申したいのですが。』

莞爾(にこ〜)しながら附加へた。

衆人(みんな)が杉谷君が何を云ふかと思つてゐると、 主人も笑ひながら、

『意地の惡い難問でさへ無ければ、何樣(どん)な事でも試みに言つて下さい。 答へられなければ御斷りするばかりですから。』

夷然(いぜん)として答へた。

『それぢやあ申します、容易に小規模で出來ることで、()して利益が澤山有つて、 旨いものゝ食へるといふ策は有りませんか。』

『アハヽヽヽ、そんな事だらうと思ひましたよ。さういふ策は、到底(とても)有りませんよ。 すべて容易に出來る事に竒利(きり)の伴つて居る事は有りません。 美術の外に小規模で出來ることは、經濟的の道理が完全や利益といふことの成立を許しません。 我が(くに)の一切の文明が、何樣(どう)も歐米人の下に居る(かたむき)の有るのは、 (しゆ)として小規模を喜び、個人的、手工的で、 其の結果を得ようとして居るの(とが)に坐して居るのです。 大規模、大計畫を立てゝ、分業的、連絡的、機械的に事業を進行させ成立させることを考へなければ、 低價でそして良好なものゝ出來る道理は有りません。これは經濟學上の道理ですから、 爭ふことは出來ないのです。

實例を一つ擧げて申せば、團扇(うちは)の如き小さなものでも然樣(さう)です。 あれは我國の工業製作品中では、甚だ巧みに整頓された製作次第によつて製造されて居るもので、 即ち骨子(ほね)を割く人、それを編む人、紙を貼る人、紙上の()を彫刻する人、 ()をかく人、文字を書く人、周圍(まはり)()つ人、 縁の紙を貼る人、曰く何、曰く何と、數十人の手を經て、やうやく一本の團扇(うちは)が成立つので有りますが、 其の分業的、連絡的の方法が巧みに運用されて居る爲めに、 隨分廉價に且つ良好に團扇(うちは)其物が供給されるので有ります。 試みに三角定規だとか、竹の麻姑(まご)の手だとか、何でも宜しいから、 竹木製品の或る物を取つて、()して其の(あたひ)團扇(うちは)(あたひ)とを比較して、 割合上 那方(どちら)(やす)いかを考へて御覽なさい。 團扇(うちは)が其の材料、其の工手間(くでま)から考へると、 著しく(やす)いものであるといふことが明らかに解るでせうが、 其の(かく)の如く低廉に有用物品を供給し得る所以(ゆゑん)は、分業的連絡的に、

(四十二)製造工程の整理

が行屆いて居る故だといふに歸するのであります。 唯手工的の製造でさへ此の通りですから、若し愈々大規模大計畫によつて分業的連絡的且つ機械的に整頓處理さるゝ、 一の製造業が有るとすれば、其の結果の低價で良品を供給し得るで有らうといふことは、 推測するに難くはないので有ります。假に一人で團扇(うちは)を造るとして御覽なさい。 一日に何程の團扇(うちは)をば製造し得るでせうか。 決して十人で分業的連絡的に製造し得る數量の十分の一だけは造り得ますまい。 しかのみならず、非常に多くの工作具や工具の修理材料を要して、 大不經濟を致し、且又結果たる製品が粗惡 陋劣(ろうれつ)なるを致すことは疑ひ無いところでせう。 で、小規模、小計畫、孤獨的、手工的の不利益で有ることは、 經濟學上の道理で、鐡の定規の如く定まつて居るのです。 屋根板だのヘギ板だのといふものを、若し手工のみで造り出さうとしたら何樣(どう)でせう。 一々刄物をもつて餘程巧みに注意して割らなくては出來ぬので有ります。 然樣(さう)したら、薄い板一枚の價も、餘程高いものにならずには居ますまいが、 幸に瀧割(たきわり)といふ方法が發明されて居て、人は材木の小口へ刀痕(きりめ)を與へるだけのことで、 後は瀧の力、即ち落下する水力でもつて機械的に割るといふ方法が行はれて居る爲めに、 非常に廉く供給されるのです。若し水力應用といふ機械的工作が無いものとすれば、 長さ三尺もある片板(へぎいた)は、一枚でも數圓でなければ吾人(ごじん)の手には入りますまい。 此等は明白の道理で、考へれば誰にでも解ることで有りますが、 それを兎角に、小規模の孤獨的、手工的の方法で、利益を多く得ようとするのは、 著手に容易なる事をのみ望んで結局圓滿なる事を望むのを忘れて居る過失です。』

眞面目に説き諭されたので、杉谷君は頭を掻き掻き、

『イヤ、僕が間違つて居ました。』

と、樸直(ぼくちよく)に降伏して仕舞つた。

そこで主人は杉谷君の負惜氣の無いのに却て感服して、其の非を飾り、 又は非を遂げようとする樣子の無い洒脱の態度を悦んだのでも有らうか、

然樣(さう)、おとなしく仰やるのは、容易の事のやうで實は容易で無い。 人は自分を辯護したがるものですが、君は坦懷(たんかい)である。

(四十三)尊い性格

を有つて居らるゝ。日本人の負嫌ひなは非常に宣いが、甚だ公平の判斷と分別とに缺けて居て、 (がいじやう)で意地張で、ヤヽもすれば自尊心を道理の埒外にまで發揮する。 從つて和衷(わtう)協同といふ精神に缺けて居るので、其の商工業は團體的には發逹せず、 其の政治は圓滿に運用せられず、其の事業は何によらず無益に摩擦と障礙(しやうがい)とを有し勝で、 一切の社會的事巧は、遂行の敏速といふ事を(たつと)ぶことを忘れて居るために、 甚しい損耗を受けて居るが、日本人は少しも其を愚劣なことゝ考へないで、 却て極力に、自己の小さな主張を()げざることを以て男らしいことゝする(あやま)つた感情に支配されて居る、 と(ある)西洋人が觀察評價したといふ談は、實に吾が同胞の上に適當した評語で、 官吏の規則呼はりより、農夫(ひやくしやう)習慣(ならはし)呼はりまで、兎もすれば變に理窟ばつて、 自己の蚤の眼玉のやうな小さな眼で睨んだ其の()とするところをば意地になつて主張したがるものです。 それで、其の爲めに、變にギクシャクとこだはつて、物事の進捗しないのが惡い癖です。 此の爲めに何々組合、何々會社、何々委員會などゝいふものが、 折角最初は美はしい正しい精神から成立つたものであるに關はらず、 餘り功を收めずに終つて仕舞ふ例は甚だ多いのです。商工業なとは、 今言つた連絡的に成立たせるのが非常に大切なことですから、 從つて坦懷(たんかい)虚心といふことや公平從順といふことも、 當務者に取つては甚だ必要な資格であります。然樣(さう)いふ人が多いやうにならなければ、 すべての事が敏活に圓滿に進捗は爲ないのであります。 馬も大陸の馬は温順で、日本の馬は癇強(かんづよ)で、毛嫌と云つて、 同列の馬の毛色が氣に入らぬと、暴れたりなんぞしまして、馭者の意に從はぬもので有りますが、 人にも何樣(どう)然樣(そん)な傾が有りますので、 一致團結とか、協同服務とかいふ事になると、彼の支那人にさへ劣つて居つて、 それが爲に商業上などでは、屡々劣敗者の地位に立つことを餘儀無くされる場合が有りますのは遺憾です。 杉谷君の其弊に陷らないのは實に敬服です。』

と賞讚した。

賞讚されて杉谷君は少し變な顏をして居た。松山君はすかさずに、

『で杉谷君のやうな人が多いとして、差當り比較的に小規模の事で、 比較的に有利の事業は有りますまいか。()して杉谷君の言つたやうに、 比較的に旨いものゝ食へると云つたやうな事は?』

と、比較的といふ語を附けて、最初に杉谷君の言つた通りのことを言つた。

主人は笑はずには居られなかつたらしい。

『ハヽヽ、比較的といふ語を附けて、巧く御尋ねですな。 ムーン、カウト。然樣(さう)ですネ。無いことも有りますまい。』

何樣(どん)なことでございます。』

『さればですな。旨いものゝ食へるといふ條件が(ちと)慾張つた條件ですからネエ。 返事が一寸むづかしいのですが。アヽ有りました〜。

(四十四)養鷄事業

ですネ。

『養鷄事業といひますと、(とり)千羽飼(せんばがひ)ですか。』

『ハヽヽ、養鷄といふと直に千羽飼(せんばがひ)と思はれるのですから困ります。 アレはいけませんよ。』

『では何樣(どう)いふのです。』

『マアお聞きなさい。養鷄事業は小さいことですが、 それですら十分には行はれて居ませんのは何たる事でせう。元來日本のやうに、 傾斜地の多い土地では、養鷄などは最も賢く其の傾斜面を使用し得る事業で、 傾斜面の土地では出來難い事も澤山有るのですが、 養鷄などは傾斜面の土地でも何でも差支なく出來るのですからネ。』

『成程、山地では山葵(わさび)は出來ても、蘿菔(だいこん)は出來ませんからネ。』

『ハヽヽ、善く御存知です。田や畠は傾斜地ではうまく行きません。』

(とり)なら平氣で歩きます。』

然樣(さう)です。如何なる山地でも、野獸の害さへ防ぎ得れば、(とり)は飼ひ得るのです。 山嶽地の甚しいのになりますと、畠も碌には出來ません。そこで最も甚しい山嶽地になると、 (わづか)燒畠(やきばたけ)といふ耕種(かうしゆ)になるのです。』

『燒畠と申しますと。』

『燒畠と云ひますと、山の甚いところで、土壤(つち)さへ少いやうな土地ですることですが、 先づ、野生の雜草木竹類をしたゝかに燒くのでして、 さて、其の燒け跡の灰分のあるところを頼りにして、 そこへ穀物の種子(たね)を蒔くのです。多くは先づ蕎麥(そば)でありますが、 蕎麥は非常に強いものでして、隨分不毛の地にも未開墾の地にも成育し得るものです。 平地でも何でも、笹の生ひ茂りました地などは、之を刈り燒きまして、 そして蕎麥を播きますと、笹の殘根が何程(いくら)組み合つて居ても、 蕎麥は障礙(しやうがい)されずに成育するものでして、 そして何時となく笹の根に打克つとさへ言ひ傳へられて居ます。 熊笹は熊が出るやうなところにあるから、熊笹といふので無くて、 葉が九枚づゝになるから九枚笹だなどゝいふことも聞いて居ますけれど、 歌詞(うたことば)のさゝがにの蜘蛛も、小さい蟹に似た蜘蛛では無くて、 笹が根の組むに掛けた(ことば)だと云ふ方が、 菅の根の長きなどゝいふ他の歌詞(うたことば)の例にも通じて宜しいやうです。 何にしろ甚く根の組み合ふ笹で、燒き(たひら)げたにせよ、 其の根を掘り去らうといふ段になれば、恐ろしい手間を掛けなければなりませんが、 蕎麥を作る日には其の勞を省けるのです。で、燒畠へはそばを作るのですが、 然樣(さう)いふ土地でも、そばなり何なり賤しい穀物が出來さへすれば、 (とり)は飼へますから、養鷄は是非奬勵したいのです。 野獸なんぞを(つく)して仕舞ふのは、今日の吾人(ごじん)には造作も無い事ですからナ。』

『野獸が然樣(さう)容易に(つく)せませうか。』

『數千里離れた絶海の肭膃臍(をつとせい)獵虎(らつこ)でさへも、 人間が獲らうとする段になれば、直に亡くなつて仕舞ふ世の中ぢや有りませんか。』

『成程。』

『日本人に

(四十五)肉食の奬勵

をしても、國が小さくて廣野は少いし、牧畜を盛んにしようとしても、 牛は繁殖力が遲緩(ちかん)で、家豬(ぶた)は滋養素が乏しいのですから、 何樣(どう)しても家禽飼養を(さかん)にするより良い案は有りません。 家鷄(かけい)は繁殖力が強い上に、其肉其卵は滋養素に富んで居ますから、 日本人に肉食材料を供給しようと云ふならば、(とり)を主にするのが得策です。 牛肉は東京で今日良肉一斤六十錢に近いのです。牛の繁殖力が弱くて、 之を屠殺するのが多い結果として、此樣(こん)なに高價になつたのですが、 濠洲や亞米利加から來る鑵詰牛肉は、脂分などの少いのが正確に一斤入つて居て三十五六錢で小賣されて居ます。 鑵詰にする爲めの加工費、鑵の價、商人の手數料、金利、税關の税、 それやこれやを加へて三十五錢なのですから、これを生肉一斤六十錢もする我が(くに)に比べて見ると、 如何に日本の牧畜業が幼稚で、そして食料に對する國民の富の度が貧弱で有るかを知ることが出來ませうが、 餘りと云へば殘念なことです。國民一般の富の度が低ければ、 よしや牛肉の値が同じであつたにせよ、我が國民は高い肉を食ふ譯になるのですのに、 しかも殆ど二倍の値の肉を喫するやうなことでは、 何樣(どう)して國民が強健な身體を維持するに足る丈の榮養を得て行けませう。 汽車へ乘つて旅行するたびに、同室の西洋人と日本人との顏の色や身體の強さを比較して考へて見ると、 實に可厭(いや)に思ひ程日本人は尫弱(わうじやく)な青しよぼたれた樣子をして居ますが、 芋や蒟蒻(こんにやく)ばかりばかり食べて居るのでは無理も無い事だと情無くなります。 せめて日本人全體に、鷄卵一個位づゝは毎日食べさせたいとは御思ひになりませんですか。』

『それは一個どころでは有りません、十個位づゝも食べさせてやりたいと思ひます。』

『併し日本人の數を假に五千萬人とすると、日に鷄卵一個 (づゝ)で五千萬個、 一年では百八十二億五千萬個になりますよ。牝鷄の産卵の多い良種で、 そして産卵の最盛期でも一年に二百個を得るのはむづかしいのです。 まして凡鷄(ぼんけい)で最盛期でもないものを勘定に入れると、 一羽で一年に百個さへ覺束ないのです。假に百個としても、 一億八千萬羽の牝鷄が無ければ、其丈の卵は得られないのです。』

『大層なものですナア。』

『鷄卵一個、小賣相場三錢だなんぞといふ馬鹿げた高價で勘定すると、 日本人が日に一個づゝ鷄卵を食べると、一年に五億四千七百萬圓を食べる譯になりますが、 今の日本人が一年に五億圓からの金高を、 榮養に取つては御 呪詛(まじなひ)同樣しか效も無さゝうな一日 僅々(たつた)一個の鷄卵の爲めに使用し得るだらうか何樣(どう)だか、 考へて御覽なさい。』

『成程。』

『鷄卵なぞは、一個三厘か五厘かでゝも有つたら何樣(どん)なな民でも食べられるでせうが、 今のやうに高くては仕方がありません。鷄卵は小は十 (もんめ)より大きくて十八九匁までのものですから、 十五匁平均とすれば、今の小賣相場なら一匁二厘です。 一匁二厘なんといふ高いものを、月給二十五圓で、家内四五人なんといふものが食べられるか何樣(どう)か、 考へて御覽なさい。』

何樣(どう)も驚きましたナア。成程。』

『對岸國の支那では少し内地へ行けば十錢で二十個以上も買へます。』

『オヤ〜。』

『ですから、支那卵の輸入はすばらしいものですが、其の輸入が有つてさへ此樣(こん)なに高いのは、 實に馬鹿げて居ます。』

千羽飼(せんばがひ)!千羽飼!』

と誰かゞ叫んだ。

『ソレ、ソコで誰しも養鷄の利を思ひますから、

(四十六)千羽飼

と云ふことを思ひ立つのですが、所謂 千羽飼(せんばがひ)をして良い結果を收めた例は稀です。 千羽飼は大抵失敗に終ります。それには失敗すべき理由が有るからです。 千羽飼なんぞといふケチな飼鷄法では(とて)もいけません。』

『では萬羽飼。』

『愈々いけません。前にも(くど)く申した孤獨的、個人的、小規模的の考であればこそ、 一人で千羽飼はうの萬羽飼はうのといふ愚なことを思ふのです。 若し能く連絡的、分業的に、養鷄といふことをするならば、 一戸で十羽飼つたり三十羽飼つたりして居ても、全國では好い成績を擧げ得ますが、 孤獨的には大計畫をしても然樣(さう)うまくは行きません。』

『解りませんナア、何樣(どう)いふ譯です。』

『養鷄のやうな瑣細な事でも、()く考へて見ると複雜した事情が有ります。 サアこれから諸君の内誰かゞ志を立てゝ遣り出せば、養鷄の如き微々たる事でも、 國家に取つて一年に何億圓といふ多大な結果を(おく)ることになるといふ法を(はな)しませう。』

何樣(どう)か其の方法を説示(ときしめ)して下さい。』

『ハヽヽ、一子相傳の祕法でも何でも有りませんから、御話し致ますとも。 併し(わし)の説は、前に申しました通り、一個人のみの利益を圖るところから割り出したものでは有りませんから、 直接には何君(どなた)にも目ざましい利を與へることは出來ぬかも知れません。 が、其代りには國家に取りては確に有利なことになります。 すべて一個人の利のみを圖るといふことになりますと、 甲の利とするところと、乙の利とするところが衝突して、そして互に爭奪(とりあひ)を敢てする結果、 雙方の利益を打碎(うちこは)して事業の發展をも沮害し、 成立をも妨げるに至るものです。で、農業は農業上の道徳、工業は工業上の道徳、 商業は商業上の道徳が權威を有するやうになつて居なければ不可(いけ)ぬのでして、 其の道徳の力が根柢に無いと、一切の産業は發展成立しないのです。 斯樣(かう)いふ實例が有りますから、一つ御話をしておいて、 一個人の利益のみを圖ることが烈しくして、道徳の念が薄いと、 何樣(どう)いふ結果を其の事業の上に來すかといふことを理解して戴きませう。 養鷄とは(ちと)飛び離れた

(四十七)鑵詰業

の御話ですが、北海道の或好い漁場に文野(ふみの)(假に(なづ)けました)といふ有力な漁業家がありました。 其の人は資力も(ゆたか)に、心掛も遠大で、却々(なか〜)立派な事業上の履歴を有して居るのでしたが、 早くから其家(そこ)では鮭の鑵詰を製して、經驗を積むに從ひ改良々々と熱心に研究した結果、 比較上餘程よろしい鑵詰を出し得るに至りました。すると黄金は巖の中に隱れて居ても、 人がたゞではおかぬ世の中ですから、佛蘭西の或商業者から、 一年三十萬鑵の製品を渡し得るや否やといふ照會に接しました。 其家(そこ)では(かね)てより外國輸出の路をも開いて、大に業務を發逹させようと思へばこそ、 多年苦心して居たのですから、大に悦んで其の(もとめ)に應じました。 併し日本の商人は兎角約束通りの事を爲ないで、數量を不足にしたり品質を粗惡にしたりする例が多かつた爲め、 外國商人も遺算無く其等の事を豫想しまして、いよ〜賣買の契約を結ぶ時に至り、

「それでは、當方では必ず來る何月何日には三十六萬鑵を引受けます。 決して中途破約等の事は致しませぬ。其代り貴方の方でも、必ず數量品質期限を誤つてはなりませぬ。 當方では貴店を信用して、右三十六萬鑵を引受け、之を賣捌(うりさば)く爲めに、 相當の賣捌き準備を致しますから、萬々一數量不足や、品質不良や、 受渡失期(うりわたししつき)等の不幸の生じた場合には、三十六萬罐を基礎とそて、 準備致した費用に對し當然の理として、貴方(きはう)から損害賠償金を受けます。 當方が不幸の事情に際會して、其爲めに貴方へ損害を與ふる場合にも、 勿論當方からも損害賠償を差出します。」

といふ申出を添へました。そして其の賠償金は、賠償金といふよりは、 罰金と云つた方が宣い程に重大なるものでした。

これは十萬罐受渡しの手付金を受取つておいて、 期限になると一萬罐だけしか渡さなかつたりなどするやうな惡い商人や製造業者が、 本邦人の間に多かつたからの結果で、斯樣な嚴酷な契約を彼が提出するに至つたのですが、 文野は却々(なか〜)確固(しつかり)した店ですから、 却つて此を喜びこそすれ、(いな)みはしませんでした。 そこで、製造に取掛るにつけては、技師長も十二分に注意し、 製罐も手落なく精良にし、實質及び作業も萬々非難される點の無いやうにとしました。

ところが原料たる鮭は、文野の所有する漁場で其の幾分を供給することは出來るのですが、 品質の均一を保つて佳良なものゝみを(えら)むといふ段になれば、 同じ此の地の他の漁業者から良い魚を買はなければ不足するので、 最初から文野は、他の漁業者へ(あらかじ)め交渉して置て、 しかも時の價よりは幾分値を好くして約束をして置いたのです。

然るに個人の利を圖るにのみ急なる他の漁業者等は、甲も乙も丙も、 文野に(えら)み魚を供する約束の有ることに氣が付くと同時に、 さては文野はどこからか知らぬが、多數の鑵詰製造の註文を受取つたに違ひ無いといふことを悟りまして、 其の中の一人は、探索の結果、佛國の某商會と文野との間の契約も價格も悉く聞き出しました。 そこで文野はこれこれの價格で、何月何日までに、三十六萬鑵を渡すことになつてゐるのだから、 (かま)ふ事は無い、儲けて遣れ、儲けて遣れ、といふので、 最初の契約を蹂躙しまして、地方相場を作りました上、 これ〜の値でなければ魚を渡せぬと云ひ張りました。

文野の方では、それでは自分の方の計算に合ひかねる事になるので、 色々と押問答して居りましたが、其の中に期日は(せま)つて來るし、 まご〜して契約履行が出來ませぬ時には、罰金を取られなければならぬので、 其の場合の損耗と不信用とを併せて得ることを考へますと、甚だ忌はしいことになるので、 已むを得ず他の漁業者の(ことば)通りの金を出して魚を揃へ、 そして契約だけは立派に履行しました。

流石に文野ですから、外國に屈辱を受けるやうなことは無しに濟ませましたが、 其の爲めに文野は多大の希望を水泡にして、そして骨折損をしたのみか、金錢上も損をしました。 そこで文野は、其の次の年から引續いて輸出をしたいのは山々ですが、 また同じ苦境に陷るのを豫想しては、手が出せません。社會の空氣が斯樣(かう)いふ空氣で、 そして道徳の權威が斯くまで地に墜ちて居る以上は、 到底アメリカのフレザー河(有名な鮭の産地)の漁業者や、 鑵詰業者を對面(むかう)に廻して鮭鑵詰業を擴張して行く譯には行かぬ。 と涙を呑んで前々通りに自家の漁場で獲れる分だけを鑵詰にして賣るより外に道は無いと決定し、 見す〜開けかゝつた輸出の道を自ら閉ぢて仕舞ひましたといふ事です。

何樣(どう)です。産業上の道徳が發逹して居らぬ結果は、非常な情無い事では有りませんか。 たま〜有志の人が有つても、斯樣(かう)いふ四圍の事情では、何事も成立ちません。 又一個人の利を圖るに賢かつたやうでも、文野を苦めた漁業者等も、 一年限りの小利を得たに過ぎませんから、餘り悧巧な遣口でもないでは有りませんか。 そして斯樣(かう)いふ事が、甲地にも乙地にも存在して、 其の爲めに産業の發逹を沮害し、國利を興さずして已み、 民福を(おほい)にせずして終るのが、何程だか分りませんのは、 實に慨嘆に堪へぬことであります。何と思ひます諸君。』

少年等は皆、主人の説くところを理解して、そして成程と合點した。

『解りました。

(四十八)社會全體の道徳

が發逹しなければ農業も工業も漁業も製造業も一切の産業は發逹しません。 今御話の文野を苦めた奴等の如きは實に國家の害敵です。』

然樣(さう)ですとも。併し其樣(そん)な事をするのも、 畢竟は教育が足りないで、無知識の爲めに、其で宣いと信ずるからなのです、 たゞ(みだり)に其人を憎むのも拙い論です、社會全體が經驗と教育とによつて、 自づから其樣(さう)いふ事をするのを不利と確信しるやうにならなければ、 道徳も鞏固(きようこ)には發逹せず、産業も十二分には發逹せぬのです。』

『解りました。』

『そこで養鷄の(はなし)(かへ)りますが、養鷄事業も眞面目に其の發逹を企圖すると、 何樣(どう)しても一般の道徳が進んで居なければ成立たぬ事を感ぜずには居られません。 何故と云へば(わし)の考へて居る方法は、孤獨的では無く聯絡的で、そして且又分業的なのですから、 (いきおひ)として各人相互の歩調(あしなみ)が揃つて、 いづれも堅實に誠意を以て事に當つて貰はなければならないからです。 前の御話し致した大ザッパな勘定でも、一億八千萬羽の牝鷄、これに雌十羽に雄一羽の割當を加へると、 約二億羽の鷄ですが、これがまあ何樣(どう)して容易に得られませう。 普通 伏雌(かへしどり)は一羽で十個内外の卵を抱きますが、 一年に二囘若くは三囘の孵卵をさせるとしても、孵卵用の鷄ばかりで千萬羽から七百萬羽の數を要する勘定になります。 小處から打算すると、物は容易なものですが、大處から打算すると何事も大層なもので、 容易ではないのです。たゞ卵を食用にするばかりで然樣(さう)なのですから、 若し國民一人が月に一羽づゝの鷄を食用にするとすれば、 一年に六億羽の鷄を食べて仕舞ふ勘定になりまして、實に恐ろしい數になります。 月一羽あてぐらゐには肉食をさせても可いでは有りませんか。』

『宣うございますとも。六百匁の(とり)として日に(わづか)に二十匁しか食べないことになるのですもの!』

然樣(さう)です。ですから、千羽飼などゝいふ計畫を爲る人も出來て、 能ふ可くば萬羽も十萬羽も飼はうといふのですが、 すべて失敗に歸した例が多いのには其の理由(わけ)が有ります。』

何樣(どう)いふ理由(わけ)ですか。』

『すべて動物は高等のものになるに從つて家族生活を爲し、 下等なものになるに從ひ群團生活をします。魚は群團生活をします。 で其の一塊團を邦語でナムラと云つて居ます。ナは魚の事、ムラは群の事です。 鳥の中でも、渡鳥 (など)は大群團をなします。(つぐみ)などは其例です。 鳥の中魚の中にも、百舌(もず)やトゲウヲの如く自尊心の強い(たゝかひ)を好むものも有ります。 家鷄(かけい)山鷄(さんけい)の進化したものゝ樣に考へられまして、 羽色、冠状、面部、(はし)、脚、骨格等に爭へぬ證據が殘留して居ますのみならず、 其の性質も同じことで、勝つことを喜び(たゝかひ)を敢てします。 それですから多數を一處に集むる時は、必ず(たゝかひ)を開始し、 若くは柵等を以て區劃(くくわく)して(たゝか)ひ得られぬやうにするとも、 他の聲を聞く度に心理状態は著しく激昂して相鬪はんと慾するものです。 それで千羽飼などゝいふのは、第一に鷄といふものゝ素質上から不可能の理が含まれて居ます。 それでも人間は智力が有りますから、種々の方法によりまして相爭はせぬやうにして、 其の殘害創傷(ざんがいさうしやう)を免れさせて、而して之を飼養しますが、 (とり)の心は修羅道に陷ちて居ます。ですから或養鷄に老いた人は、 無暗(むやみ)に狹隘な場所に多數の鷄を收畜するのを、目して、

(四十九)鷄監獄

と言ひましたが、實に(とり)の状態は、生理にも心理にも恰も監獄に投ぜられたものゝ如くで有りますから、 鷄監獄といふ語は適評です。

鷄監獄の中から何樣(どう)して其の健康や産卵や繁殖やを十分に望むことが出來ませう。 精神の不安は著しく動物の發育をも繁殖をも妨げますから、 鷄監獄の中から生じます現象は大抵推測することが出來ます。 且又よしや其の監獄の中で産卵し孵化して鷄が出來たにしろ、 其の鷄は必ず親鷄の惡い性質や體質を遺傳するが多くて、 良い性質や體質を遺傳することは少いのですから、鷄其物の惡化と事業の衰頽とを惹起(ひきおこ)さずには居ませぬ。 鷄は他の鷄の姿を見たり聞いたりするのみでも、其の影響を受けて、 純種の母鷄から雜種の子鷄が出來るものですから、良種の純粹を保たうといふ上からなどは、 特に多數の鷄を一處に置くといふことを大に忌まなければなりませぬ。 元來 家鷄(かけい)は山鷄と同樣に


更新日:2004/01/29

(五十)家族の生活

を悦ぶもので、其が即ち鷄の自然ですから、其の自然に多くの反ける飼養法は、 其の繁殖及び良種の保存には適せぬのです。』

『しかし、家鷄(かけい)に家族的生活をさせるといふことになれば、 極少數の鷄を飼ふよりほか致し方はないことになりますネ。』

然樣(さう)です。そこで養鷄業の成り立つことは非常に六ヶしいのです。 特にまた多數を柵の中で飼ひますと、初年や二年目は其の土地は健康地で有り得るのですが、 三年から後になると、鷄の排泄物の鹽分が地皮に浸潤して堆積する譯になります。 さうすると、鷄は餌を地上から拾ふ習慣のあるものですから、 (いきおひ)として不潔物を少量にせよ自體に攝取することになります。 すべて動物は自己の排泄物に圍繞(ゐねう)されたり、又其の排泄物を攝取したりすることになれば、 やがて廢滅に傾くものですから、不注意の千羽飼をした人の經驗談は、 必ず初年二年目位は猶可なるも、三年目位からは、漸々(だん〜)と不良結果に陷ることを證します。 ですから此の理由を(あは)せて以上三つ、即

 鷄の心理状態を惡しくすること。

 鷄種の純粹を保ち得ざること。

 飼養場の土地状態を惡しくすること。

此の三つの點からして、柵飼の多數飼養は不良の結果に陷ります。 今 (あらた)に分業的聯絡的方法によりまして、個人利益を第一問題にせずに、 國家全體の利益を主として考へますと、第一には、

(五十一)鷄種の良いもの

を多く産せしめて惡いものを無くならしむることを、先にせねばなりません。 野菜でも穀物でも選種といふことを大切にするのが、其農業の眞の發逹と功益とを大きくする源泉です。 養鷄も其通りで、需肉の目的、需卵の目的と、二つの目的が有りますが、 其 那方(いづれ)にもせよ、目的に叶うた良種の鷄を全國に配付して、 いづれの目的にも適せぬ不良種を驅逐して仕舞ふ必要が有ります。 若し孵卵噐か、假母噐(かぼき)等を用ゐないで、 天然繁殖に依るとすれば、右の外に孵化と雛の保育との長じた烏骨鷄(うこつけい)とか、 ポーランドかいふやうな鷄種を多く存せしむることも大に必要ですが、 保姆(こもり)の役目をする鷄などを別に仕立てるよりは、今日の進歩した世の中ですから、 孵化噐と假母噐(かぼき)とに其の役目をさせた方效果が大きくて、 而して煩瑣な手數が省けますのです。

(五十二)孵卵噐

といふものは、早くから支那には行はれて居たが、もとは生煉瓦を積んで(むろ)のやうなものを造り、 其の中に火氣を保らしめて平均温度を卵に與へ、そして家鴨(あひる)の雛をこしらへたのが最初であるといひます。 それを西洋人が見て感心して、それから段々と研究を積んだ後、 終に今日の如く完全のものを得るに至つたので、其事は或家禽書に出て居たと記憶して居ります。 日本は幸に、

(五十三)天然温泉

が各地に湧出して、しかも其地多く山間の生産力の乏しい方面ですから天然温泉を利用して、 大なる不斷孵化場をこしらへ、又其の温泉を利用して、大 假母噐(かぼき)をこしらへ、 專門に雛を仕立てることを爲たらば、受合つて容易に多數の雛を仕立て得ます。 孵化噐の作業の失敗の原因は、人爲的に油火(あぶらび)や何かで温度を與へる爲めに、 やゝもすれば温度の過不及(かふきゆう)を生じ、 又發温に費す所の原料を經濟的にせねばならぬといふ理合(りあひ)からして、 鷄卵(たまご)の上下四方同時に温を與へる事が出來ず、 (わづか)に其の一面に温を與へるのみである爲めに、人手をかけて、 時々 母鷄(おやどり)(はし)を以てするやうに卵を輾轉させて温を受ける部分に不平均無からしめる如くせねばならぬといふ煩勞(わづらひ)があります。 細い鐵管を以て縱横に上下に格子のやうなものを組立て、 其の内を平均温度の湯をして流れしむるやうにして、そして其の内に卵を置く時は、 無造作に此等の煩勞を除き、平均温度を卵に與へることは出來ます。 それから又孵卵噐で孵化する雛は、温度は母鷄の供給する通りの温度を受け得ますが、 濕度は母鷄が其の體から温度と共に與へるやうに、與へ得られぬ爲めに、 兎角不健康の傾が有りますが、温泉利用の大孵化室を造る段になれば、 室の或部分に温泉の細い流を暴露させて置けば、濕氣の供給はそれで濟むのです。

假母噐(かぼき)も温泉利用を爲ますれば、十二分の設備が非常に廉價で出來ます。 すべて、(かく)の如き事は外國に其例が少いのですが、それは火山國たる日本の如くに外國には温泉が多くはないからでして、 日本は此の天惠を利用して不斷孵化場を設ける時は、極めて少い費用で、 そして大規模の事を爲し、大效果を擧ぐる事は容易です。 普通の孵卵噐は燈火を用ゐて温熱を供給するので其の裝置の爲めに噐の構造が面倒になるのですが、 然樣(さう)なくて濟む日になれば、廉價で大規模のものが無造作に出來ます。 そして一日に百羽づゝ孵し得たにせよ、一年には僅々(きん〜)三萬六千餘羽、 一日に千羽づゝ孵し得たにしろ一年三十六萬羽ですから、何でもありません。 一日に二千羽づゝ孵化し得るところが千個處位日本に存在したところが差支は無いのです。 そして若し純良の種鷄を三百萬羽も日本國に播き散らすことが出來れば、 著しく日本國内の養鷄業は變化して進歩します。 で、其の孵卵場へ供給する卵は、其の附近の農家で、良種の鷄を、 大なる一家族だけ位飼養するやうにし、そして其の卵を普通食用卵よりは高く孵化場で購求することにし、 又孵化して獨自發育を爲し得るやうになつた雛は、 普通の食用雛よりは高價に各地へ販賣することにしたら大層良い結果を得ます譯です。 假に最小規模に計算に當つて見ませうなら、

  第一期。一孵卵場一日孵卵一百羽 (づゝ)
    此の種鷄、雄一雌八を一家族として、農家一戸に割宛、副業と爲さしむ。
    一年産卵數一羽二百個として千六百個。二十三戸にて三萬六千八百個。
費┌種鷄二百七羽、雄鷄一羽十圓雌鷄五圓見當、計六百三十圓
用│(右農家へ貸付飼養せしむ。其卵を買取りて漸次控除する約束)
概│孵化用卵。右農家より買取、一個五錢 (づゝ)、千八百九十圓(一家八十圓所得)
算└孵化場設備。雜費、雛生後一ヶ月間飼養費。計×××圓(土地状況により差異有り)
    計 ×××圓
 ┌生育雛二割減乃至三割減見當
 │  計三萬羽乃至二萬五千羽
收│   内
益│最優等雛  百分の一   (あたひ)××圓
概│第二級雛  百分の五   (あたひ)××圓
算│第三級雛  百分の二十  (あたひ)××圓
 │第四級雛  百分の四十  (あたひ)××圓
 └第五級雛  殘餘     (あたひ)××圓

百羽に一羽を選び出した鷄は、實に宜しい鷄種で無ければなりません。 又百羽に五羽選み出したのも中々優良種です。 そして此の二種だけを種鷄として、其の他を種鷄とせぬことにすれば、 七百餘羽ばかりの良種鷄を得ます。それを第二期の種鷄として行くといふやうにすれば、 種鷄はずん〜と進歩しますから、斯樣(かう)いふ方法を取れば、 最初は然のみ良い鷄種を飼はずとも、自然淘汰で

(五十四)日本種の良鷄

が成立つ位です。但し其の孵卵場で種鷄に用ゐぬ鷄でも、 勿論最初に良種を農家に貸與して卵を得たのであれば、 無論普通の鷄種よりは上等なもので、たゞ目方で賣買すべきものではありませんから、 無論相當の價に賣るべきです。(かく)の如くにして良鷄種を國内に播布し、 漸々(だん〜)に最良種を成立たすやうにすれば、十年の後には大層な相違を生じます。 たゞ斯樣な事を爲ようとしても、組織聯絡が必要で、且分業的でなければなりませんから、 道徳が進歩しなくては(とて)も物になりません。それから又以上に説いたのは、 本源たる鷄種鷄雛の上の事ですが、其の雛を孵卵場から買つて、採卵、又は需肉の目的で飼養するのは、 農業地、釀造地、漁業地等の廣闊豐饒(くわうくわつほうねう)な土地でなければなりません。 (かひこ)は蠶種をよくしなければなりません。林檎栽培は青森縣で成功して居ますが、 其の苗樹は埼玉縣でこしらへて居るのです。養鷄ばかりは、 卵も肉も種も、皆其の鷄を飼つて居る人一個で出來さうとして居るので、 然も慾張つて、レグホンもアンダルシャンもブラマもプリモスもバンタムのやうなものまでも、 一個人で得ようなどゝ爲て居るのですから、碌な結果などは決して得られません。 實に愚劣な情無いことです。山間で鷄雛(けいすう)を造り、穀菜の豐饒地で飼養をし、 家族的飼養法で良種を出し、大選評會で模範種鷄を定めるといふやうにすれば、 十年を出ずして日本の養鷄業は長足の進歩をしませうが、 皆分業的聯絡的に美しく成り立たねば畢竟 徒爾(とじ)です。 今のやうにケチなことをして居ては、何時まで經つても、高い鷄、 高い卵を國民は食べて居なければならぬ。そして養鷄家も、 入替り立替り失敗を繰返して居なければなりません。何樣(どう)です。 資金は比較的に少い事でも、結果は中々多大な事業も、爲せば成ることが有るでは有りませんか。』

『成る程分りました。』

『で、根本が成立てば、枝葉は榮えます。需卵の爲め雌鷄を飼ふためには雄鷄は多くは要りません。 雄が全く無くても雌鷄は卵を産みます。需肉の爲めに飼ふならば、 雄鷄は去勢して仕舞ふのが利益です。又肉量を多く爲ようとならば、 運動の爲めに體の成分を消費させる必要はありませんから、 靜止飼養法が有ります。此の靜止的飼養法は、西洋では近時の發見ですが、 支那では千年前にも既に發見されて居たので、其の證據は千年餘も古い書物の齊民要術などに其の證が有ります。 無造作な孵卵法には馬糞孵卵法なども有りますが、 猶研究工夫したら飼養や孵卵には幾多の方法が見出されませう。』

皆々は、如何にも聯絡的分業的でなければ生産の發逹は望めぬと感じた。


更新日:2004/01/29