渡邊譯:通俗伊蘇普物語 ------------------------------------------------------------------------------- 渡部温 (1902-1927)|譯の通俗伊蘇普物語。 底本:吉野作造|編輯擔當代表,明治文化全集第十四卷「飜譯文藝篇」,日本評論社,昭和二年十月一日印刷,昭和二年十月五日發行。 原典:伊蘇普 著,渡部温 譯,通俗伊蘇普物語(和綴本全六卷,木版,半紙刷),山城屋,明治五〜八年出版。 ------------------------------------------------------------------------------- 通俗伊蘇普物語 (Aesop's Fables) 伊蘇普 (Aesop, c. 620-c. 564 B.C.) 著 無盡藏書齋主人譯述(渡部温 (1902-1927年)|譯) 目録 * 例言 * 例言 * 第一〜十 * 第一 狐と葡萄の話(1) * 第二 狐と野羊《やぎ》の話(4) * 第三 狼と鶴の話(5) * 第四 呆鴉《あはうがらす》の話(6) * 第五 蟻と[自/(虫|虫),#2-87-83]螽《きり〜゛す》の話(7) * 第六 鼠の仕業《しごと》する話(10) * 第七 鷄と寶珠《たま》の話(11) * 第八 羔と狼の話(12) * 第九 鷲と狐の話(13) * 第十 鹿兒《かのこ》と鹿母《はゝ》の話(14) * 第十一〜二十 * 第十一 狐と獅子の話(16) * 第十二 老いたる犬の話(16) * 第十三 馬と圉夫《べつたう》の話(17) * 第十四 田舍漢《ゐなかうど》と蛇の話(20) * 第十五  蛙と鼠の話(21) * 第十六 漁人《れふし》笛を吹くの話(22) * 第十七 樵夫《きこり》と山靈《やまのかみ》の話(23) * 第十八 犬と牛肉《にく》の話(24) * 第十九 狼と羊兒《こひつじ》の話(26) * 第二十 蠅と密壺の話(27) * 第二十一〜三十 * 第二十一 軋《きし》る車の話(28) * 第二十二 熊と狐の話(29) * 第二十三 田舍鼠と都鼠の話(30) * 第二十四 獅子と鼠の話(31) * 第二十五 犬と鷄と狐の話(32) * 第二十六 蛙と牛の話(36) * 第二十七 兎と龜の話(38) * 第二十八 蟹兒《こかに》と蟹母《はゝかに》の話(41) * 第二十九 寺へ逃込んだ羔《こひつじ》の話(42) * 第三十 牧童《ひつじかひ》と狼の話(43) * 第三十一〜四十 * 第三十一 鷄と猫の話(44) * 第三十二 狐と山番の話(46) * 第三十三 鴉と水瓶《みづがめ》の話(47) * 第三十四 片眼《めつかち》の鹿の話(48) * 第三十五 胃腑《ゐぶくろ》と支躰《てあし》の話(49) * 第三十六 旅人と熊の話(50) * 第三十七 獅子と驢馬と狐の話(51) * 第三十八 牛部屋へ逃込んだ鹿の話(52) * 第三十九 兎と獵犬《かりいぬ》の話(53) * 第四十 海豚《いるか》と鰮魚《いわし》の話(54) * 第四十一〜五十 * 第四十一 燒炭人《すみやき》と暴布人《さらして》の話(55) * 第四十二 獅子の戀慕の話(56) * 第四十三 風と日輪の話(57) * 第四十四 百姓と兒輩《むすこ》の話(58) * 第四十五 樹と斧の話(59) * 第四十六 驢馬と狒狗《ちん》の話(60) * 第四十七 狼と羊の話(63) * 第四十八 獅子へ奉公する狐の話(64) * 第四十九 歳徳神《としがみ》と駱駝の話(65) * 第五十 驢馬ときり〜゛すの話(66) * 第五十一〜六十 * 第五十一 ヘルキュス權現と車引の話(67) * 第五十二 兎と蛙の話(70) * 第五十三 農夫《ひやくしやう》と鸛《かう》の話(71) * 第五十四 釣師と小魚《こうお》の話(72) * 第五十五 猿と駱駝の話(73) * 第五十六 牝獅子の話(75) * 第五十七 薪の束の話(76) * 第五十八 武夫《ぶし》と獅子の話(77) * 第五十九 乳母《はゝ》と狼の話(78) * 第六十 猿と海豚《いるか》の話(79) * 第六十一〜七十 * 第六十一 犬に噛れた狼の話(81) * 第六十二 燕と鴉の話(86) * 第六十三 燈火《ともしび》の話(87) * 第六十四 牧人《うしかひ》と家牛《かひうし》の話(88) * 第六十五 橡[木|解;#1-86-22]《かし》と蘆の話(91) * 第六十六 水星明神と樵夫《きこり》の話(93) * 第六十七 鶴と雁の話(94) * 第六十八 獅子と他《ほか》の獸《けだもの》と狩に出た話(95) * 第六十九 蚊と牛の話(98) * 第七十 神彿天上の話(99) * 第七十一〜八十二 * 第七十一 日輪の妻迎《つまむかへ》の話(100) * 第七十二 盜人《ぬすびと》と母の話(101) * 第七十三 猫と鼠の話(102) * 第七十四 獅子王と相談獸《さうだんにん》の話(103) * 第七十五 一雙《ふたつ》の壺の話(106) * 第七十六 醫者と病人の話(107) * 第七十七 衆鼠商議《ねずみだんがふ》の話(108) * 第七十八 獅子と野羊《やぎ》の話(109) * 第七十九 鶩《あひる》黄金《こがね》の卵を産む話(110) * 第八十 餐饗《ちそう》に招かれた犬の話(112) * 第八十一 蛙の主人を求る話(115) * 第八十二 驢馬と主人の話(116) * 伊蘇普小傳 * 伊蘇普小傳 通俗伊蘇普物語 目録 終 ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:例言 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 例言 * 此度予が譯述せし此|伊蘇普《いそつぷ》氏の寓話譬諭は、 徳教を婦幼《をんなわらべ》の説示す徑捷《ちかみち》にて、 いかなる村童野婦といへども、其|事理《わけあひ》を解《げ》し易き事、 恰も我邦《わがくに》の落話《おとしばなし》に異らず。 故に今其譯言をも易解《わかりやすき》を主旨《むね》として、 原文の意に隨《したがひ》つゝ、俗語俚語にて書取《かきとり》たり。 願くば看官《みるひと》唯其|説話《はなし》の有益なると、意味の深憂なるとに注意して、 猶又一層の分解を加へ、童蒙《こどもしゆ》へ説諭せらるゝ事あらば、予が本懷是に過ず。 若|夫《それ》行文の拙惡と譯字の鄙陋《ひろう》とを論駁するものあらば、 大に譯人《やくじん》の意に違へりとす。 * 譯書は原文の面目を改《あらため》ざるを以て尊《たつとし》とする事は論を待ず。 されど予が此譯述は、意味徹底を旨とすなれば、前後の文氣と斡旋轉換の勢《いこほひ》とに因て、 文を辭《ことば》に代へ、辭を文に換へ、大小段落を前後にする等の事ありて、 原文を離合して書取たり。見るもの、請ふ、疑ふ事なかれ。 * 若し此書の[(ヒ/矢)|缺,#1-86-31]題《もくろく》を原書に因て譯述する時は、間《まゝ》同題のものありて混亂を生じ易し。 故に今重複せる[(ヒ/矢)|缺,#1-86-31]題《もくろく》を改めて、更に探覽《たんらん》の便を増《まし》たり。 * 餘此書を譯述するに、先づ俚耳に入易きものを抄譯して、意味の解し難きものを殘したり。 後日閑暇のときあらば、是をも拾遺補譯して、以て梓《あづさ》に上《のぼ》せんとす。 原書を看る人、此書を讀み、脱落ありと思ふ事なかれ。 * 原書に、或人他人などゝありて、話説《はなし》に勢を失ふ處は、假に其名を設爲《まうけな》して、 甲乙などゝ書きたるなり。 * 又|井《ゐ》と譯すべき字を大溝と譯し、亡牛《うせうし》と譯すべき處を家牛《かひうし》と譯したる類少からず。 是には話頭《はなしくち》の都合により、敢て原字に拘泥せず。 看官《みるひと》一を執て論ずる事なくして可なり。 * 或は吸ふてと書くべきを吸つてと書き、老爺《ぢゝさま》と書くべきをぢいさんと書きたる類多し。 是れは閭里《りより》の口調に隨《したが》ひ、假名遣ひの正否にかゝはらず。 * 頓《とん》と丁度などいふ字の如く、只音を假《かり》て書きたる類あり。是れは別に意義あるにあらず。 讀者《よむもの》宜く察すべし。 * (補)と書きたるは、論贊を予が増補せししるしなり。 又(經)と記したるは、經濟説畧にある話説《はなし》を撮合《とりあは》せて譯したるものなり。 * (13)の如く西洋數字を毎章に附したるは、 既に予が刷行《しゆつぱん》でし此伊蘇普物語の原書の[(ヒ/矢)|缺,#1-86-31]數《ばんすう》に引合せんための便に供へたるものなり。 * ギリシヤの如く右の方に雙柱《にほんすぢ》を引きたるは地名、 又ヘルキュスの如く右の方に單柱《いつぽんすぢ》を引きたるは人名物名等なり。 文意によりて諒解あるべし。 温 又 識 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:第一〜十 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第一 狐と葡萄の話(1) 或日狐|葡萄園《ぶだうばたけ》にはいり、赤く熟せし葡萄の高き棚より披鈴《すゞなり》にさがりたるを見て、 是は甘《うま》さうぢやと皷舌《したうち》して賞揚《ほめた》て、幾度となく躍《とび》上り踊上りたれどもとゞかず。 そこで狐が怒《はら》を發《たつ》て、「ヨシ、なんだこんなものを、葡萄はすツぱいぞ。」 なんでも手前勝手のものぢや。自分の思ふ樣になれば賞《ほめ》る、ならねば誹《そし》る。 こゝが情の私《わたくし》する處ぢやゆゑ、常に戒めねばらぬぞ。(補) 第二 狐と野羊《やぎ》の話(4) 或狐|溜井《ためゐ》に落て、上らんとするに手がゝりなければ、如何にせんと思案する内に、 野羊《やぎ》水を飮むと其處に來り、狐の首《あたま》を出したるを見て、 やぎ 「狐公《こんさん》、水は好《よう》御座りますか、たんとありますか」ととへば、 狐|誠《まこと》の事を推隱《おしかく》し、「イヤモウ、好《よい》水で御座ります。 サア此處へ下りなさい。なか〜たいそうあつて私には飮盡せませぬ」といふ故、 野羊何の遠慮《かんべん》もなく直《ぢき》に躍《とび》こむ。さうすると狐がすかさず角《つの》へ手をかけ、 首《あたま》を踏《ふま》へて跳上り、心よしの野羊をふりかへりみて冷笑《あざわら》ひ、 狐 「もし汝《きさま》が髭の半分ほども智惠をもつてゐたなら、跳下る前によく見たらうに。」 第三 狼と鶴の話(5) 或狼、咽《のど》に大い骨をたてゝ、彼地此地《あちこち》狂ひ歩き、吾この苦痛を救ふものあらば、 好報《よきむきひ》をなさんと號《さけ》ぶ。鶴その苦しみを見て氣の毒におもひ、 ひとつには好物《よきもの》を贈んといはるゝに心動き、吾救ひまうさんと、 長きくちばしを狼の口にさしいれ、ほねを引きぬき、さらば襃美を給はれと、 丁寧に乞ひ求たれば、狼目を瞋《いから》せ牙をむき出し、 「ナニ、この恩しらずめ。汝《うぬ》こそ狼《おれ》の腮《くち》へ首を入れたぢやアねえか。 夫《それ》を噬切《くひき》られぬのは最僥倖《めつけもの》だ。 なんで襃美がいるものか、おしの太え癡鈍生《おほべらぼう》め」とのゝしり答たるとなり。 むくひを得たいの、または禮をもらひたいのと思て人をすくふものは、 たま〜惡人でもすくひあてゝ、禮どころではなく、却て惡口せられたとて仕方がない。 何でも人を助けたり人に施したりするものが、報を目的《めあて》にするのは了見違ひぢや。 第四 呆鴉《あはうがらす》の話(6) 或|呆鴉《あはうがらす》、いかにもして身を飾り、仲間鴉に誇らんものをと、 窃《ひそか》に孔雀の脱羽《ぬけばね》を拾ひ、己《おの》が尾羽根の間にさしこみ、 今迄の朋輩を輕蔑《さげすん》で、美しき孔雀の群へ飛いると、 孔雀は直《ぢき》にこのまぎれものを見出し、にくき奴かなと其|假羽《かりぎ》を剪《はぎ》とり、 汝《おめえ》は汝《おめえ》の事をしなせえと云つて、觜《くちばし》をそろへて衝逐《つきだ》したり。 そこで呆鴉は、外に行べき方《かた》もなければ、また故《もと》の處へ立かへり、 ふたゝび仲間へ入らんとすると友鴉《ともからす》ども承知せず。 さきに彼奴《きやつ》の誇りたる顏色《つらつき》がにくしと云ひて、 なか〜仲間入をばさせず。ときに古老の鴉が親切に説諭《いけん》して、 「コレ、汝《きさま》、造物者賦與之分際《てんたうさまがさづけさつしやつたぶんざい》を守つて居たなら、 なんと長上《めうへ》のものに罰《しから》れもせず、同輩《なかま》のものに窘《いぢ》められもせまいに。」 第五 蟻と[自/(虫|虫),#2-87-83]螽《きり〜゛す》の話(7) 夏もすぎ秋もたけ、稍々《やゝ》冬枯の頃になりて或る暖《あたゝか》なる日、 蟻ども多く打あつまり、夏の日にとり收たる餌を日の晒《ほす》とて、 穴より引出し居たり。かゝるところに、いと飢つかれたるきり〜゛す蹣跚《よろぼひ》來て、 命をつなぐため、いさゝか其餌を分ち給はれと乞へり。其時古老の蟻ふりかへり見て、 「如何樣《いかさま》御邊《ごへん》はきり〜゛すよな。 汝《そなた》は夏中何をして暮されしや。何故食に困らるゝや」と問へば、 きり〜゛す驕色《ほこりか》に答へて、「夜はいと面白《おもしろく》こそありつれ、 花に戲れ葉に眠り、口には露、身には羅衣《うすもの》、謠《うた》ひもしつ舞《まひ》もしつ」と、 いひもきらぬに蟻打笑ひ、「さらば合力《がふりき》は御無用なり。 我等は夏の炎天に脊をさらして餌を運び、此冬枯の用意をなしたり。故の今日の安心あり。 永《なが》の夏中|踏《まひ》歌ひて徒《いたづら》に日を消《おく》りしものは、 冬になりては飢べきはずなり。我は知らず」と答へたるとぞ。(經) 夏に稼ぎし餘徳は、冬になりて顯《あらは》るゝものぢやぞ。 第六 鼠の仕業《しごと》する話(10) むかし或山烈しく震動して、内より何か出現するといふ評判が高くなり、 遠近より見物人多く集り來て、是は定《さだめ》てめづらしきものゝ出るなるべし、 何ならんと、人々待かねたりしに、須臾《しばらく》ありて大に地響《ぢひゞき》すると、 一疋の小鼠が孤然《ひよつくり》跳出して、チウ。 此はなしは、廣大《たいそう》の趣工をいひふらしながら、 細小《くだら》ぬ仕事をするものを誹《そし》りたるのぢや。 第七 鷄と寶珠《たま》の話(11) 或日|雄鷄《をんどり》が雌鷄《めんどり》のために餌を啄《ひろ》ふとて、 不圖《ふと》藁の中から寶珠《たま》を見出し、 をんどり 「オヤ、是は結構な玉ぢや。好む人はさぞほしがるだらう。 しかし私《わし》は世界中の眞珠より、一粒でも麥の方が好《いゝ》。」 此鷄はよく解理《ものわかり》せしものぢや。世の中には善惡の見分もつかずに、 何が寶か知らずして、徒らに看過す愚人が多い。 第八 羔と狼の話(12) 羔《こひつじ》、屋《やね》の上より下を通る狼を見下し、頻りに惡口すると、 狼立止り睨《にらみ》あげて、「ナニ此の卑怯ものめ、乃公《おれ》を馬鹿にするな、 何も汝《うぬ》が強いのぢやアねえぞ、居處がいゝからの事だ。」 高位に居て下の人をあなどるは、恰も鳶の狼を罵るに異らず。(補) 第九 鷲と狐の話(13) 或|大木の梢に雌鷲《わし》巣をかけ、狐その下に穴をつくり、互に厚情《こんい》に交通《つきあひ》ゐけるが、 一日《あるひ》狐母《おやぎつね》他行せし間に、鷲惡心をおこして、 我|栖所《すみか》は高みなれば彼より報復《あだがへし》はなし得じと、狐兒《こぎつね》を攫《かき》さらひ、 我兒の餌食に持去けり。やがて狐母《おやぎつね》歸り來て、隣交《となりがら》の有まじき事と怒り、 奪はれし兒を返されん事を乞ひしに、鷲少しも承知せず。よつて狐は怨に堪ず、 近き神社《やしろ》の燈明《とうめう》を取來て、樹下《きのした》より火を放ち、 己が狐兒《こども》と諸ともに、鷲の雛をば燒亡ぼし、忽ち仇をかへしけるとぞ。 暴君一時勢に乘じて、殘虐を民に加ふるとも、いかんぞ其復讐を免るべき。 第十 鹿兒《かのこ》と鹿母《はゝ》の話(14) 或日、鹿兒《かのこ》鹿母《はゝ》に向ひ、「母《かゝ》さま、汝《あなた》は犬よりも大くもあり、 疾《はや》くもあり、其上|護身《まもり》にある角《つの》をさへ持給ふに、何故犬を恐れ給ふや。」 母鹿|莞爾《につこり》として 「汝《おまへ》のいふ通りぢや、私もさう思つて居ます。雖然《だがね》、 私の耳へ犬の吠聲《ほえるこゑ》がはいりますと、なんだか知らぬが此足が、 むやみに私を率去《つれてつ》てしまひます。」 此樣《かやう》な臆病ものには勇氣を付ける言葉がない。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:第十一〜二十 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第十一 狐と獅子の話(16) 未だ獅子を見た事のない狐が、初《はじめ》て途中で獅子と邂逅《ゆきあつ》たる時、 殆んど恐死せんとせり。其後また邂逅《ゆきあつ》たり時、少し恐れたるさまをかくさんとする心生じたり。 夫より後に又邂逅《ゆきあつ》たる時、今度はずつと接近《すりよ》つて、 「イヤ、大王、どうで御座ります」といふ樣に、なれ〜しくなりたりとぞ。 狎昵《こゝろやすだて》は輕侮《あなどり》を生ず。 第十二 老いたる犬の話(16) 昔日《むかし》は勢も盛に、いつも功《てがら》を顯《あらは》したる獵犬《かりいぬ》が、 よる年浪に衰へて、既《もは》や役に立ぬ樣になれり。これ犬或日主に從つて豬を駈出《かりいだ》し、 その耳に喰ひつきけるに、牙しまらずして豬|脱《にげ》去れり。其時主人追迫り、 獲《えもの》をしんがせし罪を罵り、鞭を揚て打たんとしければ、 犬 「年のよつた私を助けて下さいませ。何も勝手でにがしたのでは御座りませぬ、 全く力が衰へたゆゑで御ります。今日の過失《そさう》を激怒《おしかり》なく、 どうぞ昔の功勞《ほねおり》を思つて下さりませ。」 人もその如く、昔勢ひ盛にして戰場に功をあらはせしも、 遂に焦悴《おひくつ》れば役に立ずなりゆく。 主として昔の功を思はず、只|虐逆《むごくつか》ふものは、此|狩人《かりうど》の異《ことな》らず。(補) 第十三 馬と圉夫《べつたう》の話(17) 或|圉夫《べつたう》飼馬の豆秣《かひば》を窃《ぬす》んで己《おの》が所得《まうけ》となし、 主人に怪まれじと永の夏中よく働いて、その馬の蹄鬣《つめかみ》を剪《き》り浴《あら》ひなどし、 美しく見せんと骨折ゐたれば、 馬 「汝《あなた》そんに私をよく見せ樣と御思ひなさるなら、 マア梳洗《すりみがく》のを大抵にして食物《くひもの》を充分下さりませ。」 是は本をすてゝ末を務むるものを誹《そしり》たる諭言《たとへごと》なるべし。(補) 第十四 田舍漢《ゐなかうど》と蛇の話(20) 冬の夕暮に或農夫畑より歸りくる途中で、垣《かきね》のもとに凍死《こゞえし》なんとする小蛇を見かけ、 憐《あはれ》なりと覺えければ、懷《ふところ》にして我家へ歸り、地爐のそばにさし置きけるの、 暫時の内に蛇|蘇《よみがへ》り、漸《やうや》くにして首《かうべ》をあげしが、 爐のまはりに遊《あそび》ゐたりし童兒《こどもら》を見て舌を吐き、 追かけ追まはしたりければ、老農《おやぢ》大に怒《はら》を發《た》ち、 ありあふ手斧をおつとつて、忽ち是を打ひしげると。 人もまたその如く、もし恩を受て恩と思はず、かへつて惡事をなすものは、 人の怒を免れず。 第十五  蛙と鼠の話(21) むかし或處に蛙と鼠と心安く暮せしが、今迄の地は住惡《すみにく》しとて、 ともに他郷へ移る事を約し、相伴《うちつれだち》て出立せり。 その道に蛙至つて親切に見えて、朋友《ともだち》の路を踏違へぬ樣にと、 鼠の前足を己が後足へしばりつけ、案内をして躍行《とびゆき》しが、 忽ち小河の涯《ほとり》に出たり。そのとき蛙は鼠を勵し、いざ渡んと水に躍込《とびこみ》、 ともに河中まで泳ぎ行《いで》しが、蛙忽ち本心をあらはし、鼠を水中へ引入んと、 急に水底へくゞり入る。しかるに鼠は引込れじと、水面にありて騷動せり。 時に一羽の鳶|河上《かし》に騷ぐ鼠を攫《つか》んで、たゞ一翼《ひとのし》に翰飛《とびあが》れば、 蛙もともに空の吊され、同じ禍《わざはひ》にかゝりけるとぞ。 勘辨なく損友《あしきとも》と遊べば、果は禍《わざはひ》にかゝるべし。 また隣人を傷はんと機巧《たく》めば、自己《おのれ》も其|禍《わざはひ》に連累《ともなふ》に至らん。 第十六 漁人《れふし》笛を吹くの話(22) 或笛自慢の漁人《れふし》、漁に出、海面《うみのうへ》に魚の多く群たるを見て、 吾もし茲《こゝ》にて面白く笛をふかば、魚はその調子に乘《のり》て濱へ踊りあがるなるべし。 これ網を投《うつ》より上策《はやでまはし》なりと、例の笛を吹出せしが、 魚は一向感ぜざりけり。そこで漁人は立上り、此手ぢや行かぬと笛をおき、 網を取り打入たれば、數多の魚鱗《こうを》一網にかゝり、砂の上へあげられたり。 其時漁人魚の活溌《をどりはねる》のを見て笑ひながら、「チヨツ、吾《おれ》が笛を吹たとき、 汝輩《てめえたち》が踊らねえから、汝輩《てめえたち》が今踊たとて、 吾《おれ》は少《ちつと》も構ヤアしねえぞ。」 時と道とによつて爲すを、策の最も上なるものとす。なんぞ笛を吹いて魚を捕る事を得べき。 第十七 樵夫《きこり》と山靈《やまのかみ》の話(23) 或山の麓に住ける樵夫《きこり》、山靈《やまのかみ》と懇意になり、 一夕《あるゆふ》栖所《すみか》へ尋行《たづねゆき》しに、 ころしも極寒《ごくかん》にて冷《つめた》くありければ、 きこり指を口に當て吹くと、主人怪んで、それは何をなさるのぢやととふ。 きこり指先が餘り凍えて覺えなきゆゑ、暖めるので御座いますと答ふ。 やがて食物を出せしに熱くして食ひ難ければ、きこり皿を口へあてゝ吹くと、 主人また何をなさるぢやととふ。きこり、羹《すひもの》が餘り熱きゆゑ、 冷《さま》すので御座りますといふと、山靈《やまのかみ》忽ち色を變へ、 吾は以後|御邊《ごへん》と交通《つきあふ》まじきぞ、 同じ口より熱くも冷くも、其ときなりに息を出す人とは、何事をも共になしがたきぞといひける。 是は人と交るに、言毎《ことごと》にかはり信《まこと》なきものは、 終に友を失ふといふ諭言《たとへごと》なり。(補) 第十八 犬と牛肉《にく》の話(24) 犬、牛舖《うしや》より肉|一塊《ひときれ》盜出《ぬすみいだ》し、 引くはへたまゝ溝をわたるとて橋の中ほどに至る時、其影の水へ寫れるを見て、 他の犬|己《おのれ》のくはへ居るより大きな肉を銜居《くはへを》るよと心得、 夫をもまた吾《わが》ものにせんものをと、水に寫れる肉にくらひ付きしに、 今まで己《おのれ》が銜《くはへ》し肉水底に沈み、前に得しものをさへ一時に併せ失ひけるとぞ。 諺に、影を握《つか》んで實《もの》を失ふといふ事あり。凡《すべて》世の人々は、 浮雲《うき》たる富を慕ひては、固有せる眞の寶を失ふ、淺ましき事ならずや。 第十九 狼と羊兒《こひつじ》の話(26) 或狼、流河《ながれがわ》の上流《みなかみ》に徘徊し、 遙か下流《かはしも》に羊兒《こひつじ》のあそび居るのを伺ひ、 如何にしてか手に入れんものをと、まづ己が辭《いひぶん》をこしらへて、 羊の方へかけ來り、 狼 「此|愚羊《ひつじめ》、汝《うぬ》は我《おれ》が飮んで居る水を濁しやがつたな」といへば、 羊丁寧に答へて、「私は下流《かはしも》で飮んで居ましたのだから、 假令《たとへ》濁しましても上流《かはかみ》には絶《とん》と害《さはり》は御座りませぬ。」 狼 「夫はさうだとて、汝《うぬ》は一年前の吾《おれ》を惡く云つたな。」 羊ふるへながら 「えゝ、汝《あなた》一年前には私はまだ生れませぬ。」 狼 「イヽ、假令《たとへ》汝《うぬ》でないとて、汝《うぬ》の爺翁《おやぢ》がさう云つた。 やツぱり汝《うぬ》が云つたも同然だ。 それが乃公《おれさま》の餌食をのがれる謝辭《いひわけ》になるものか。」と云つて、 直《ぢき》に弱羊《こひつじ》に躍《とび》かゝり、寸々《ずた〜》に引裂き食ひけるとぞ。 暴人に向つて分解《いひわけ》は通り難し。たとへ無辜正理の人なりとも、 惡人の威勢《いきほ》ひ熾《さか》んなる時には、これに勝事《かつこと》あたはずと知るべし。 第二十 蠅と密壺の話(27) 或砂糖類を商ふ店にて、蜜蜂の壺割れ、蜜こぼれいでければ、數多の蠅群り來て、 一滴《いさゝか》も殘《あます》まじと是を貪り居たり。然るに少時《しばらく》たつといづれも足重く氣ふさがりて、 飛むとするに飛べず。そこで蠅が皆歎息して、「アヽ、我輩《わしども》實に愚だつた。 只一時の飮樂《いんらく》のために大切な命を失します」と、口々に悔合《くやみあ》ひけるとぞ。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:第二十一〜三十 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第二十一 軋《きし》る車の話(28) 牛に車を引かせて、惡《あし》き路をかゝりたるに、車の軋《きし》る事甚だし。 牛奴《うしかひ》大に叱て、「此畜生《こんちくしやう》、 なぜ汝《うぬ》は其樣《そんな》に呻《うな》りやアがる、 重い荷を引いてゐる牛は默つてゐるのに。」 大聲でうなるものが何時も一番苦しいのだといふわけでもない。 第二十二 熊と狐の話(29) 或時熊が狐に向ひ、熊は人間を敬ふといふ説を主張《じまん》して、 「我輩《わしたち》は人が死んで居るときつと避《よ》けて損害《がい》をいたしませぬ」といへば、 狐笑ひながら、「もし汝等《おまへたち》が、平日《ふだん》生てゐる人を食なければ、 吾《わし》も汝《おまへ》の説《はなし》を眞實《ほんたう》だと思ふのさ。」 人を死後に敬はんより、人を死より免れしむべし。 第二十三 田舍鼠と都鼠の話(30) 或時田舍の鼠、都の友鼠を招きし事ありしが、もとより田舍の事なれば物事よろづ節儉《しつそ》にして、 よき物とてはなけれども、むかし馴染の事なれば、豆麥酪糟《まめむぎしめかす》何くれとなく、 あるに任せてもてなすに、都鼠は口に適《あは》ねば、只|彼是《あちこち》と喰ちらし、 主《あるじ》の鼠が麥を穗のまゝ甘《うま》さうにかぢるのを見て、 都鼠 「なんと汝《おまへ》はマア、よくこんな生産《くらし》を忍耐《がまん》なさるぞ。 まるで穴に居る蟇《ひきがへる》同然だ。どうして此樣《こん》な淋しい岩や樹ばかりある僻地《けちなところ》が、 車や人が盛んに往來する繁華な町のくらべものになるものか。 實《ほん》に汝《おまへ》は面白くもなく月日をお送りだ。吾《わし》なんでも生て居る内は、 強盛《ごうせい》な生産《くらし》をしなければならない。なんと鼠が百萬年生きられるものでもあるまい。 さうぢやありませぬか。サア吾《わし》と一緒に來《おいで》なさい。 吾《わし》の生産《くらし》も都中《みやこ》の樣子も御目にかけたい」と云へば、 主《あるじ》の鼠は急に都の景状《さま》が見たくなり、さらば御同伴《ごいつしよ》にまゐりませう」 と打連《うちつれ》だちて出立せり。かくて田舍鼠は都鼠にともなはれて、 或日|黄昏《ゆふぐれ》に紛れつゝ、都中《みやこのうち》に忍入り、漸く夜半と覺しきころ、 とある大家に至りたり。これぞ都鼠の住家《すみか》にて、 聞きしに勝る結構《かまへ》なり。やがて導《ひか》れて内へいり、 いと奧深き處に至れば、綾の衾錦《ふすまにしき》の帳《とばり》、 金銀珠玉象牙の彫工《ほりもの》、處狹《ところせまき》まで飾てあり。 扨|一方《かた〜》を見かへれば、酒宴ありたる跡と見えて、山海の珍味を取散し、 噐《うつは》ものゝ數知れず、都に有名《なだたる》割烹店《れうりや》を、 盡《みな》占買《かひしめ》たといふ有樣なり。其時都鼠は田舍鼠を上座にすゑ、 自ら東西《あちこち》奔走して、皿に皿を添へ、美味《ちそう》に美味を重ね、 至つて丁寧《ねんごろ》に待遇《もてなせ》ば、田舍鼠は滿足して、 如何樣|吾もこゝに住み、榮燿榮華を受けたきものぞ、生きて居る内此|高運《しあはせ》に逢しは、 此上もなき幸福《さいはひ》なり、今迄の吾|田舍住居《ゐなかずまひ》はいと愚なりきと思ひつゝ、 賓《きやく》も主《あるじ》と打とけて、かたり樂む眞最中、部屋の戸ががらりと押開き、 一組の醉客《なまゑひ》突入れば、鼠どもは仰天し、臺より下へ轉び落ち、 狼狽《うろたへ》る事大方ならず。命から〜゛にげ迷ひ、漸く隅のかくれけrづが、 稍しばらくして人も去り、風波《きはぎ》再びしづまりければ、田舍鼠はそろそろ這出し、 都鼠にわかれをつげ、 田舍鼠 「こんな生産《くらし》を好く人は好くだらうが、 吾《わし》は恐敷《おそろしい》事や氣遣敷《きづかはしい》事のある處で甘《うま》いものを食《くふ》より、 寧《いつそ》落付た安心の處で麥飯を食ふ方が餘程|好《よう》御座ります」とそこ〜に云放《いひすて》て、 己が住家《すみか》へ歸りけるとぞ。 第二十四 獅子と鼠の話(31) 或日獅子王|洞《ほら》に在りて假寐《まどろみ》ける時、鼠あちこち駈《かけ》あるく拍子に、 獅子王の鼻へかけ上り、午睡《ひるね》の夢をおどろかしければ、 手をさしのばし、ふるへ居る鼠を押へ、只一潰しになさんとせしに、 鼠|哀《かなし》げなるこゑをあげ、「不思《つひ》いたしたので御座います、 どうぞ助けて下さりませ。私の樣な小身の奴に、貴い御手を御汚しなされましては勿體なう存じます」と云へば、 獅子王鼠の恐れたる樣を見て、笑ひながら許しけり。後ほどなく、 獅子王獸を駈《かつ》てはしり廻るとき、獵夫《れうし》の設《かけ》たる罠にかゝり、 逃れんとするに逃れられず、そこで大きな聲をあげて、吼狂ひゐると、 以前助けられたる鼠が遙かに聞つけ、彼聲《あれ》はなんでも恩をうけた獸《かた》に違ひないと、 直《ぢき》に其處へかけて來て、獅子に纒《からま》りたる繩を噛切り、無難《なんなく》救ひ出しけるとぞ。 他《 ひと》へ親切をするのは決して無益《むだ》にはならぬ。 どの樣のものでも、恩を受て恩を報ふ事の出來ぬといふ樣なことはないぞ。 第二十五 犬と鷄と狐の話(32) 犬と鷄と懇意になり、ともに或處へ出かけたりしに、歸路並木にかゝりける時、日の暮れければ、 さらば此處にて一泊いたさんと、鷄は樹の枝へ栖《とま》り、犬は草の叢《しげみ》に臥けり。 さて昧旦《あけがた》になると、鷄ははやく起き、例の通り朝誦經《あさかんきん》を始め、 東天紅《こけつこう》と唱ひ出すと、近處の狐が忽ち聞きつけ、好餌食ぞとかけ來り、 樹の上にとまり居る鷄に向ひ、「イヤ汝《あなた》は可愛しい好鷄《よいとり》ぢや。 なんでも羽蟲《とり》の中では一番役に御立なさる。殊に御聲も亦妙ぢや。マア茲へ御下りなさい。 御一緒に朝の御勤をいたしませう」と云へば、鷄はその意を覺り、「それは有難御座ります。 彼所《あすこ》に同行の鐘打坊が居りますから、ちよツと呼で下さりませ。 誦經《おかんきん》に鐘がないのは、どうも調子が惡いもので御座ります」といふ故、 狐が、「それぢやア呼で參りませう」と出かけると、恰度犬が走《とん》で來て、 忽ち是を喰殺ける。 他《 ひと》を罠にはめ樣とすると、却て己《おのれ》が罠にかゝるものぢや。 第二十六 蛙と牛の話(36) 或日牛|澤《さはべ》に出て草を食《は》み、あちこちあるきけるとき、 蛙兒《こがひる》の一群になつてゐるのを思はず踏潰すと、其内の一疋が危き場を逃れ、 蛙母《はは》の許《もと》へ注進して、「ヤア阿孃《おつかさん》、 それはマア四足のある大きな獸《けだもの》だが、それが同氣《みんな》をふみつびしました」 といへば蛙母《はゝがへる》驚いて、「エ、大きかつたか、それはどんなに大きかつた」 といひながら、自分が滿氣《ふく》れあがり、「こんなに大きかつたか」と云へば、 こがひる 「それ處ぢやア御座りません、もつと大《おほき》う御座りました。」 はゝ 「ヨシ、夫はそんなに大きかつたか」といひながら、ぐつと滿氣《ふくれ》あがると、 蛙兒《こがひる》は仰むいて見て、「イヤア阿孃《おつかさん》、中々半分にも及《おつつき》ませぬ」 といふゆゑ、 蛙母《はゝがひる》 「夫ぢやア此樣《かう》か」と勢一ぱい息張ると、腹が破れて死にけるとぞ。 己が及びもせぬ巨大《たいそう》な事を仕樣とすると、多くは自滅するものぢや。 第二十七 兎と龜の話(38) 兎、龜の行歩《あるきかた》の遲きを笑ひ、愚弄《ばかに》して、「コウ、こゝへ來や、 競走《かけつこ》をしよう。乃公《おれさま》の足は何で出來てると思ふゾ」と威張れば、 龜は迷惑には思へども一ツ處へおし並び、サアと云はれて寸度《ちつと》も猶猶豫せず、 例の通り遲々《のそ〜》とあるき出す。されど兎は固《もと》龜を侮つて居る事なれば、 一向に遽《せき》もせず、 うさぎ 「吾《おれ》はマア一睡《ひとねむり》して往くから、急《いそい》で往《やん》なせえ、 直《ぢき》に追越すよ」と云つて微睡《とろり》とする内に、 龜の影が見なくなつた故、兎|膽《きも》を消《つぶ》し、急に躍出《はねだ》して約束のところへ至つて見れば、 龜は先刻到着しt、缺伸《あくび》をして居たりけると。 遲緩《ゆるやか》なりとも弛《たゆま》ざるものは、急にして怠るものに勝つ。 第二十八 蟹兒《こかに》と蟹母《はゝかに》の話(41) 蟹母《はゝがに》、蟹兒《こがに》に向ひ、「何故此子はそんなに横斜《よこつてふ》なあるき樣をするぞ」 と云へば、 こがに 「阿母《おつかさん》、汝《あなた》の行歩《おあるき》なさり樣を御見せなさい。 私はあなたの眞直なおあるきなさり樣を見習ひませう。」 指圖せんよりまづ手本を見せよ。己《おのれ》正からざれば人を正しうすることあたはずと云はずや。 第二十九 寺へ逃込んだ羔《こひつじ》の話(42) 羔《こひつじ》、狼に追かけられ、寺の内へ逃込むと、狼せん方なく外から聲をかけ、 「コウ、汝《おめえ》、坊主につかまると殺されぜ。」 こひつじ 「さうだらう。雖然《だが》、汝《おまへ》に食はれるより神さまの牲《にへ》になる方がましだ。 羊といへどもよく死所《ししよ》を知れり。 第三十 牧童《ひつじかひ》と狼の話(43) 村近《むらぢ》の野に畜付《かひ》たる羊の番をする牧童《こぞう》、 毎日見張り居るばかりゆゑ退屈して、一日《あるひ》不圖《ふと》狼ダ〜と呼あるくと、 村中のものどもが聞きつけて、四方《はう〜゛》より駈集《かけあつ》まり、 空に大騷動したるを見て、至極面白事と思ひ、夫より後は二度も三度も同じ騷を仕出しては遊びけり。 然るに或日眞に狼出來りたれば、牧童《こぞう》大に仰天して、大聲揚てかけまはり、 一生懸命に加勢を呼べども、村のものは耳にもかけず、又例の戲謔《わるふざけ》だと一向に出合ねば、 數多の羊一疋も殘らず皆狼に喰れけるとぞ。 平常《へいぜい》虚言《うそ》を談《つく》ものは、 緊要《まさかの》時に實事《まこと》を云ても決して信ぜられぬものぞ。 兒輩《こども》よ虚言《うそ》をつくまいぞ。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:第三十一〜四十 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第三十一 鷄と猫の話(44) 或鷄|病《やん》で塒《とや》につくと、猫親切に見舞に來て、枕頭《まくらもと》へすわりより、 ねこ 「足下《あなた》、奠恙《おあんばい》は如何で御座ります。なんぞ御用があるならいたしませう。 なにか御入用の物でもありますか。なになりとも世間にあるものなら、私が持つて參りませう。 御遠慮なくさうおつしやりませ。イサヤ決して御騷ぎなさるな。落付て御出なさい」といへば、 にはとり 「難有《ありがたう》御座ります。私にはドウモ足下《あなた》の御心配《おかまひ》下さらぬのが、 一番|好《よう》御座ります。」 來てもらひ度くない客人は、別辭《いとまごひ》の時に、イヤよく御歸んなさるといふわけぢや。 第三十二 狐と山番の話(46) 狐、狩人《かりうど》に追ひかけられ、山番小屋の近所へ逃て來て、 番人の木を鋸《きつ》て居るのを見て、「旦那、ちよつと隱れさせて下され」と云へば、 番人が「彼所《あそこ》へ」と云ひながら番小屋を見かへるゆゑ、狐其意を領《さと》り、 喜んで内へ跳込み、方隅《かたすみ》に隱れて居ると、やがて馬に乘た相公《とのさま》二三人|追來《かけきた》り、 「ヤイ、山番、狐が來ヤアしねえか」と云へば、番人が否《いゝえ》と云ひながら、隅の方へちよつと指を點《さ》す。 されど相公《とのさま》は一向悟らず、「夫ぢやアもつと先だ」と、また鞭を揚て駈出す。 そこで狩人《かりうど》の影《すがた》が見えなくなると、 狐がヤレうれしやと逃出《とびだ》して往《ゆく》を、番人見付けて、 「ヤイ畜生め、助けてもらつて禮も云はずにゆく奴があるものか」と云へば、 狐ふりかへり、難有《ありがた》イ旦那さんぢや、もしあなたが口のやうに御親切なら、 どうして御挨拶をせずに去《いき》ませう。」 如何《どの》やうに口上がよくとも、する事が惡ければやはり不好《いけませぬ》。 第三十三 鴉と水瓶《みづがめ》の話(47) 或鴉|渇《かつ》に堪《たへ》かねたる時、はるか向《むかふ》に水瓶《みづがめ》のあるを見付け、 よろこんで其處へ飛おりて見ると、水低うして啄《はし》とゞかず。 さればとて瓶を破《わら》んにも覆《かへ》さんにも力はなし。 如何せんと當惑して居たりしが、不圖《ふと》思ひついて、傍にある砂石《じやり》を啄《くは》へ、 一ツづゝ瓶の内へ落すと、水量《みづかさ》が段々増て來て、終《つひ》に縁まであがりし故、 是を飮んで死を免れたりしと。 既《もは》や力が及ばぬといふ處で、巧智《ちゑ》と忍耐《がまん》とが功を奏《なしま》す。 そこで窘迫《ひつし》といふ事が、いつも發明の根《もと》で御座る。 第三十四 片眼《めつかち》の鹿の話(48) 一日《あるひ》片眼《めつかち》の鹿、海邊《かいへん》に出て草をはむに、 失《しひ》たる眼を海の方にし、明《みえ》る眼を陸《をか》の方にし、 是では假令《たとへ》狩人《かりうど》が來ても、眞に一目瞭然だと、 安心して遊んで居ると、武士兩三人|舟遊《ふなあそび》に出かけ、 あちこち漕《こぎ》まはつて、海岸に鹿の居るのを見つけ、 有合ふ弓に矢を注《つが》へ、忽ち是を射てけり。其時鹿肩息ついて云ひけるは、 「嗚呼|吾《わし》ほど運の微《わるい》ものはないゾ。 なんでも危殆《けんのん》だと思つた方は安泰で、大丈夫だと見込んだ方から敵が來《ござ》た。」 なんでも災害《わざはひ》は思ひもよらぬ方から來るものぢや。 第三十五 胃腑《ゐぶくろ》と支躰《てあし》の話(49) 或時人の四肢五官《てあしくちなど》、胃腑《ゐぶくろ》に向つて一揆を起し、 各申合けるは、我々はかく晝夜となく働いて、頻りに食物《くひもの》を仕送るに、 彼は座して食ふのみにて、絶《とん》と我等に報ひんともせず、 所詮|我輩《わがともがら》今日より働を止め、此|怠惰《ぶしやう》ものゝ仕送りをせざるに如《しか》ずと、 足は食堂《しよくじべや》へゆく事を止め、手は食物を口へ持込む事を止め、 口は是を受取る事を止め、齒は是をかむ事をやめ、鼻は是をかぐ事を止め、 目は是を見る事を止め、耳は飯時《めしどき》の半鐘を聞く事を嫌ひ、 如此《かくのごとく》にして兩三日たつと、胃腑《ゐぶくろ》全く飢渇《ひあがつ》て、 手足は痿《よわ》り、目は眩み、全體の衰弱きはまりたり。 其時胃腑|一揆黨《いつきがた》に向ひいひけるは、「ナント汝輩《おまへたち》は馬鹿な衆ぢや。 是で今分りましたらう。今まで吾《わし》の處へ仕送つた食物をば、 何も吾《わし》が自分の用にばかり遣《つか》ひはしませぬ。 いつも夫を結構な液《しる》に釀《こな》して、血の製造場《とひや》へ送りました。 夫が即ち汝輩《おまへたち》が吾《わし》を養ふ事に勞《かゝつ》たとおいひなら、 吾《わし》も亦|汝輩《おまへたち》に食物拵《くひものごしら》へにばかり暇を費したといひます。 マアいひづくにすると其樣《そん》なものだから、ナント皆の衆|折合《をりあひ》て、 以來よく働きませう。さうせぬとおたがひの爲になりませぬ。」(經) 第三十六 旅人と熊の話(50) 朋友《ともだち》ふたり聯立《つれだち》て旅行せしが、山路《やまみち》にて熊に出逢たり。 壹人《ひとり》は遠《とほく》より來る熊を目ばやく見付けて膽《きも》を消《つぶ》し、 同伴《みちづれ》にはとんと構ひもせずに、唯我獨《いつさんまい》に樹の上へかけ上る。 然るに後《あと》の壹人は少《ちつ》と遲く見つけたゆゑ、既ににげる間合《まあひ》もなく、 又手に何も持《もた》ぬゆゑ防ぐ事も出來ず。 そこで熊は死人に構ぬものと兼《かね》て聞てゐた説《はなし》を頼《たのみ》にして、 死んだ眞似をして地に倒れて居ると、熊はやがて近付來て、耳や鼻や胸のあたりをあちこちと嗅廻り、 しきりと氣息《きそく》を伺ひたれど、絶《たへ》て生て居る樣子なければ、これは例の行倒《ゆきだふれ》ぢやと、 冷然《すご〜゛》と立去ると、樹の上へにげた友人《ともだち》がする〜と降來て、 下に居た友人《ともだち》に向ひ、「今熊が汝《おまへ》に何か耳語《みゝこすり》した樣だが、 何を云ひました」といへば、倒て居た友人《ともだち》がおかしさをこらへて、 「イヤサ、さしたる密談《ないしよばなし》でも御座らぬ。彼《あの》熊のおしへたに、 なんでも危急《けんのん》な時に爲身《みがまへ》ばかりして友人《ともだち》を見捨るものと交接《つきあふ》には、 如此《かう》々々せよと云つたのさ。」 第三十七 獅子と驢馬と狐の話(51) 獅子、驢馬、狐、倶《とも》に云ひ合せて狩に出て歸りしに、獲物甚だ澤山なり。 獅子驢馬に命じて是を分たしむ。驢馬其肉を三分《みわけ》し、獅子と狐の前にさし置き、 「サア各位《ごめい〜》御引取なされ」と云へば、獅子甚だ不適意《ふきげん》にて、 一言にも及ばず驢馬を引裂《ひきさき》たり。そこで獅子又狐を呼《よび》、 肉を分《わか》てと云付けると、狐委細|領承《かしこまつ》て、以前の肉を一堆《ひとまとめ》にし、 其内より己《おのれ》の分と云つて只|纔《わづか》の肉を取りのけ、 あとを殘らず獅子の前へさし出すと、獅子王忽ち氣色《きげん》が直り、 「誰が這樣《こん》な至公《たゞし》い分ケ方を卿《きさま》に教《をしへ》た。」 狐 「ヘエ、ナニ私は驢馬の薄命《ふしあはせ》から知りました。」 自から不幸に遇て悟らんより、他《 ひと》の不幸を以て鑑戒《いましめ》とせよ。 第三十八 牛部屋へ逃込んだ鹿の話(52) 獵人《かりうど》に追れて逃迷《にげまよつ》たる鹿、或百姓を見かけると駈込んで、 恰好《ちやうど》あけてある牛部屋へ跳込み、 片隅に積んである藁の中へ隱ると、繋《つなが》れて居る牛聲をかけ、 「汝《おまへ》は何でこんな人目の多い處へ逃こんだのだ。」 鹿 「マアいゝから默つて居て呉《くん》なせへ。 好機會《いゝまあひ》を見ると直《ぢき》に他處《わき》へ行《ゆく》から」と云つて、 彼是する内|薄暮《ゆふぐれ》になると、 牛奴《うしかひ》が夕秣《ゆふがひ》をやりに來る、作男が何か急《いそが》しさうに度々出入りする、 番頭さんが見廻りに來てあちこちと[去|曷;#2-14-24]來《うろつい》てゆく。 しかし隱れて居た鹿には誰も氣が付かずに仕舞ふと、 鹿は萬端相濟《ばんたんあいすん》で安心の時候《ばあひ》になつたと、 藁の中から聲をあげ、牛へ庇蔽《かくまは》れた禮をのべ、勃然《むく〜》と起かけると、 牛が低い聲で「アヽ、もうちつと待なせへ。 まだ此家《こゝ》に百人前の眼珠《めのくりだま》を持《もつ》てる人があります。 若し夫が來チヤア汝《おめへ》の命は危《あぶない》ものだ。」と話して居る處へ、 當家の主人|晩餐《ゆふめし》を喰畢《くひしまひ》、夜の樣子を一巡り見て來やう、 なんだか此頃は牛の樣子が惡い樣だと、先づ牛部屋へずつと這入、槽《かひをけ》を見て大聲をあげ、 「なぜこんなに秣《かひ》を少くする。エ、なぜ藁をたんと敷《しか》ネへ。 エ、膽《きも》がつぶれラア。云付けた蛛網《くものあみ》がまだ掃《はら》へねヘナ。 此少許《これんばかり》の事にいつまでかゝるのだ」と小言を云ひながら、 東西《あちこち》見廻して、藁の中から角尖《つのさき》がちよつと出て居るのを見つけ、 主人 「ヤア、鹿が居た、鹿が居た」と、叫號《どなる》と、若《わかい》ものが大勢駈つけて來て、 忽ち手捕《てづかまへ》にしたりけるとぞ。 なんでも主人ほど目の屆くものはない。 第三十九 兎と獵犬《かりいぬ》の話(53) 獵犬《かりいぬ》、茂叢中《ぼきのなか》から兎を毆出[注:驅出の誤り?]《かりだ》して、 遠くまで追かけしに、兎運強くしてにげのびたり。時に途中で行合たる野羊飼《やぎかひ》が、 犬の失意《すご〜》立歸るのを見て笑ひながら、「二疋の内ぢやア中々兎の方が疾足《かけて》じや」といふと、 犬がこたへて「汝《あなた》、獨りは食ふが爲にかけるのに、獨りは命の爲にかけるのじやものを。」 なんでも命がけにするものが一番強《つよい》サ。 第四十 海豚《いるか》と鰮魚《いわし》の話(54) いづれの頃にか有けん、海豚《いるか》と鯨との間に軍旅《いくさ》起りし事ありけり。 戰盛なる時に當つて、鰮魚《いわし》其場へ罷出《まかりいで》、 雙方をなだめ引分けんと周旋しければ、一疋の海豚《いるか》聲をあらゝげ、 「足下《きさま》打捨《うつちやつ》て置きなせへ。 汝《おめへ》の取扱で生るくらひなら、打合て死ぬ方がましだ。」 仲人に出て物事を治るのも、夫ほどの威望《かほ》がなければ人が承知しませぬ。 餘り輕擧《ちよこざい》な事をせぬ方がよい。(補) [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:第四十一〜五十 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第四十一 燒炭人《すみやき》と暴布人《さらして》の話(55) 或|燒炭人《すみやき》、小屋を廣くして明《あき》部屋ありければ、 外を通る暴布人《さらして》を呼《よん》で、「ヲイ、吾舍《おれのうち》に不要の部屋があるぜ。 來て一緒に住《すまは》ねへか」と云へば、 さらして 「夫は難有《ありがてへ》、雖然《だが》汝《おめへ》と一緒に住居《すまつ》てゐたら、 吾《おれ》が折角|暴《さら》した反物《たんもの》が直《ぢき》に又黒くなるだらう。 是|許《ばかり》は御斷りだ。」 餘り異《ちが》て居る間柄には、心が中々合はぬものじや。 第四十二 獅子の戀慕の話(56) むかし或山に住《すみ》ける獅子、樵夫《きこり》の娘に戀慕して、爺《おやぢ》に迫り娘を娶らんと乞へり。 爺《おやぢ》、是を嫌へども、もし大王の機嫌を損ぜば、如何なる災害《わざはひ》にかゝらんともはかりがたしと、 とつおひつ猶豫せしが、きつと一計を案出し、直《ぢき》に獅子の許へ至り、 「此度御申込の趣は、誠に以て冥加至極、難有存奉ります。 しかし大王の御齒や御爪の樣では、何處の處女《むすめ》もおそれ奉らぬものは御座るまい。 仰ぎ希《ねがは》くは御齒を拔き御爪を剪《き》り、ちと男振《をとこぶり》をつくらせ給へ。 然らば娘もさぞ惚《ほれ》奉り、我婿殿にも相應《ふさはし》く候はん」と、 恐る〜のべければ、獅子王即座に領承し(どんな男でも情人《おつこち》にはなんでもウン〜で御座ります)、 齒を拔かせ爪を剪《とら》せ、そこでいよ〜婿になりたいと、娘の方へ出かけて來ると、 既《もう》身に備《そなへ》の無《ない》ものは少《ちつと》も可懼事《こわいこと》はないと、 爺《おやぢ》急に強くなり、天秤棒《てんびんぼう》をおつとつて、押かけ婿をたゝき出せしとぞ。 既に爪牙を失つたる後は又如何すべき。 第四十三 風と日輪の話(57) 或時日輪と風の間に、いづれの力が強からんとせんさく有りて、爭論果しなし、 さらばとかう云により、今|茲《こゝ》に通りかゝる旅人に雨衣《かつぱ》をぬがせたらんかた力勝れりと定めんと、 風まづ術《わざ》を施して、寒くはげしき嵐を起せば、旅人はかたく雨衣《かつぱ》をおさへ、 吹取られじと身に纒へり。其時日輪|雲間《くもま》より出て、赫々たる和光を放ち、 霧を拂ひ寒《さむさ》を除けば、旅人は暖氣を愉快《こゝろよ》しとし、 日のます〜照すに從ひ、遂に熱さに堪へかねて、覺《おぼえ》ず雨衣を脱ぎすてたりと。 そこで日輪の方《かた》勝《かち》たり。 暴を以て事を遂げ、威を以て人を伏せんより、物柔かに説諭して人の心緒《こゝろ》を解くにしかず。 第四十四 百姓と兒輩《むすこ》の話(58) 某村《それのむら》の百姓|何某《なにがし》死に臨めるとき、 兒輩《むすこたち》を集め、死後の事を遺言して、「吾《おれ》の命はもうこれ限《ぎ》りじや。 さて吾《おれ》が汝等《そちたち》へ讓《ゆづろ》うといふものは外にない、 只葡萄畑の内よ。なんでも出精して稼ぐがよい」と、 言終ると息絶たり。そこで兒輩《むすこたち》は先づ埋葬《とりおさめ》の事を濟せ、 さて亡父の遺言を判斷して、なんでも亡父《おやぢ》の彼《あの》畑の内に、 黄金《かね》を埋て置たに相違はないと、各自《てんで》に耒耜《すきくわ》持出し、 毎日々々葡萄の畑を隅から隅まで掘返して、草をふるつて見た處が、 夫ぞとおもふものもなし。去《され》ど草を取り土をゆるめたるゆゑにや、 はからず葡萄の蔓葉《つるは》茂り、其出來秋に至りては例年《いつも》にまさる結果《みのり》ありて、 利市《りえき》數倍なりければ、亡父の遺言《ことば》は是なりけりと、 兄弟初めて其意を悟り、いよ〜出精しけるとなり。 家業勉強は富を得る基と知るべし。 第四十五 樹と斧の話(59) 樵夫《きこり》林の中に來り、衆樹《なみき》に向ひ腰を屈《かゞめ》て、 斧の柯《ゑ》になるべき細き木を與給はれと乞へり。 其|頼《たのみ》方至つて慇懃《ていねい》なりければ、大木ども領承して、 極下賤なる秦皮《とねりこ》を渡し遣《つかは》せり。 樵夫《きこり》是を得てまづ斧の柯《ゑ》作り、そこで大木へ伐《きり》かゝると、 [木|解;#1-86-22]樹《かしのき》大に後悔し、となりの杉樹《すぎのき》へ耳語《さゝや》く樣、 「アヽ、惡い事をしました。 可憐《かはいさう》に彼《あ》の從順《おとな》しい秦皮《とねりこ》を彼奴《あいつ》の手へ渡さなかつたなら、 我輩《わしたち》はまだ生延《いきのび》ましたに。」 他《 ひと》の不爲《ふため》は吾《わが》不爲といふ事を知れ。 第四十六 驢馬と狒狗《ちん》の話(60) 或人|狒狗《ちん》と驢馬とを畜《か》ふに、驢馬をば遠く廏につなぎ、 飼ふに豆や草を以てし、狒狗をば近く左右《かたはら》におき、 飼ふに膏味《かうみ》を以てして、時にふれては膝へ上げ、 愛玩する事甚し。驢馬常に思ひけるは、狒狗は毎日遊び戲れ、 旦那へざれては可憐《かあい》がられる、夫に引かへ吾《わし》はマア、 用ばかり多くして、晝は木を牽き、夜は車を廻し、 骨の折れる事ばかり、ナント狒狗が樂でゐられるのは羨敷《うらやましい》わけじやアないか、 吾《わし》も狒狗と同じ樣に旦那樣へじやれ付いたら、彼《あれ》と同樣に可憐《かわい》がられるだらうと、 或日|絆《たづな》をふり切つて座敷の上へ駈上り、爬《かい》たり躍《はね》たり妙な容態《そぶり》で狂ひ廻り、 果は主人の飯を喰て居る處へ跳込むと、食机《ぜん》は倒《かへ》る汁は覆《こぼ》れる、 皿小鉢は踏こはされる。驢馬はこゝぞと圖に乘て、主人へ抱付き尾を振て、 口をなめんとしたりけるが、恰好《をりよく》臺所より男どもが駈付けて來て、 スハ、旦那の一大事と、手に〜棒をふりひらめかし、主人を救ひ驢馬を打倒し、 半死半生になしければ、驢馬は頻りに歎息して、「吾《おれ》はマア、 まぜ自己《じぶん》の本文《もちまへ》を守らなかつたらう。 呆狗《くだらねえやつ》の眞似をしてとんだめに逢《あつ》た。」 第四十七 狼と羊の話(63) 或時狼の方より羊の方へ使者以て申上る口上に、 「いつまで御互に斯《かく》讐敵《あだがたき》の思を爲し申すべき、 畢竟|御邊《ごへん》の方に彼《かの》犬と申す奸奴《わるもの》があつて、 我等共を吠罵《ほえのゝし》り候故、兎角騷動を引起し申すなり。 願《ねがは》くは彼犬どもを速に追のけ玉へ。然る上は御交際《おつきあひ》に付、 以後いさゝかも故障なく、永久御懇意なるべし」とありければ、 羊は何の氣も付かず、狼の言《こと》理《もつと》もなりと、直《ぢき》に犬を追出すと、 其後は護るものがなくて、數多《あまた》の羊一疋も殘らず皆狼に喰《くはれ》けるとぞ。 第四十八 獅子へ奉公する狐の話(64) 或狐、獅子|某《それがし》に奉公する事を定《き》めて、 己《おのれ》は餌食となる獸《けだもの》を見出す事を勤め、 獅子は是を捕《と》る事を職として、各々その分を守りゐて、 至極都合宜かりしが、後々に至つては、狐我慢の心を生じ、 吾《おれ》だとてなんで彼に劣《まけ》るものかと、 直《ぢき》に獸《けだもの》を捕《と》る免許《ゆるし》を乞ひ、 或日|獨《ひとり》で狩に出かけると、忽ち獵師に見付けられ、却て獲物にせられけるとぞ。 自己の分を守れ、分を守るときは身安かるべし。 第四十九 歳徳神《としがみ》と駱駝の話(65) むかし駱駝|頭《あたま》に角を添へん事を歳徳神《としがみ》へ祈り、 「他の獸にはいと勇敷《いさましく》強げなる角あるに、 何とて吾には天の惠給はざるよ」と怨《えん》じければ、 神、願を聞き給はぬのみならず、却てうるさき奴かなとて其耳を切縮《きりつめ》給ひしとぞ。 餘り多く得んとすれば、前に得し些少《わづか》の物をさへ併せ失ふに至らん。 第五十 驢馬ときり〜゛すの話(66) 驢馬きり〜゛すの唱ふを聞き、妙聲《うまきこゑ》なり、 吾も如彼《あん》な聲を持たいものだと、きり〜゛に向ひ、 「汝《おまへ》はマア何を喰《くひ》なさつて、そんな好《いゝ》聲を出しなさる」と問へば、 きり〜゛す答へて、「ナニ、別に食物《くひもの》もありませぬ。 たゞ露ばかり啜《すつ》て居ます」といふ故、驢馬が、夫では己《おれ》も露だと、 其後は露ばかり甞《なめ》て居たれば、ほどなく飢《うゑ》て死にけるとぞ。 他人《 ひと》に藥となるものが、自分には毒となる事あり。 構《かま》へて人のものを慾し、人の事を羨しなど思ふべからず。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:第五十一〜六十 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第五十一 ヘルキュス權現と車引の話(67) 或|農夫《ひやくしやう》馬に車を引かせ、泥濘《ぬか》る小路にかゝりけるに、 車輪《くるまのわ》、泥土《ねばつち》の深みへめりこみ、馬いさゝかも進まれず。 そのとき男是を推出さんと骨を折らずに、只一心にヘルキュス權現を祈り、 此難儀をすくひたまへ、助け給へと願ひければ、權現さすがに見過し給はず、 忽ち天降《あまくだり》まし〜て、「汝|徒《いたづら》に我のみを頼む事なかれ。 汝先づ汝の肩を車にかけ、手をもつて輪を一塗《いつさん》に押《おす》べし。 天は只自から助からんと力を盡すものを扶《たす》くるものぞ」と、教解《けうげ》し給ひけるとなり。 如何に信仰すればとて、自から勉めざるものは、神佛も扶け給ふに術《みち》なし。 第五十二 兎と蛙の話(70) 或頃兎ども四方より敵をうけて、最早仕合の取直《とりなほ》しかたもなく、 自滅するより外なしとおもひつめ、一同いひ合せて水中へ身を沈《なげ》んと、 池の方へ脱走《かけゆき》たり。此とき多くの蛙が池の邊《ほと》りに出て遊び居りけるが、 今兎の群《むらがり》來るのを見て、あわてさわいで水の中へとびこむと、 眞先に進んだる兎立止り、「我友《みんな》マア待なせへ、 我輩《おれたち》はまだそんなに思ひ切る場合でもなかつた。 此處に吾人《おれたち》よりもつと薄命《ふしあはせ》の奴があるぜ。」 他人《 ひと》の不幸に比べて吾心を安んずるな。 但し氣力をつけよ。なんでも世には吾より勝る薄命《ふしあはせ》のものがありと思ふべし。 第五十三 農夫《ひやくしやう》と鸛《かう》の話(71) 或|農夫《ひやくしやう》、蒔《まき》つけたる田を啄荒《くひあら》す鶴を捕《と》らんと、 [四/瓜]《ひるてん》を仕かけ、夕方になりて往《いつ》て見れば、 多くの鶴かゝりゐて、内に鸛《かう》の鳥一羽交り居たり。 時に鸛哀れな聲を出して、「私は鶴では御座りませぬ。 私は決して汝《あなた》の御蒔《おまき》なさつた穀物を喰《くひ》はしませぬ。 私は罪のない可哀《かわいさう》な鸛《かう》の鳥で御座ります。 どうぞおゆるし下さりませ。どうぞ御助け下さりませ」といへど、 農夫《ひやくしやう》は中々承知せず。いよ〜首筋を取詰て、 「なるほど汝《てめへ》のいふ處は皆|誠實《ほんたう》だらう。 しかし汝《てめへ》は穀物を荒す奴と一緒に己《おれ》の手に捕たのだから、 汝《てめへ》も共に難儀をしなければならねへ。」 友惡ければ、其身正しといふとも人信ぜず。 第五十四 釣師と小魚《こうお》の話(72) 或處に魚を釣《つり》て生業《なりはひ》とするものあり。 夏日《なつのひ》終日《いちにち》釣をしても所獲《えもの》なく、 夕方になりて歸らんとする時、漸く小鮮《こざかな》を一|尾《ぴき》釣りあげたり。 其時小鮮《こざかな》あわれな聲を出して、「御助け下され。私はまだ小さう御座ります。 中々|食料《あがりもの》にはなりませぬ。どうぞ河へ返《もど》して下さりませ。 私が大《おほき》うなりまして、丁度|食《あが》れる頃になりますと、 必《きつと》此所《こゝ》へ參りまして、又御手にかゝります。」といへば、 釣師首をふつて、「否々《いや〜》吾《おれ》は今|汝《てめへ》を捕へた。 もし汝《てめへ》を水の中に返《もど》したなら、其時汝《てめへ》は、 サア捕《とつ》て見サイナだらう。」 諺に、手にある鳥は、林の内の二羽にも充《むか》ふと云ふぞや。 第五十五 猿と駱駝の話(73) 或時|走獸《けだもの》の大會ありしに、猿席上に於て所謂|猿樂《さるまひ》を奏したり。 衆皆《みな〜》是を見て興に入り、喝采《ほめたて》る事かまびすし。 其時駱駝|勃然《むつと》してたちあがり、負ずに踏舞《すゝはきおどり》を始めると、 誰も是を見るに堪《たへ》ず。果はひとしく立ちかゝつて、 拳《こぶし》を揚て打ちなやませ、構《かまへ》の外へ追出しけると。 諺に、袖のかゝる所より外へ手を出すなといふ事あり。 必ず自己《おのれ》に不應《かなひ》もせぬ要らざる所業《まね》を爲す事なかれ。 第五十六 牝獅子の話(75) 或時|毛蟲《けもの》あつまりて、眷族《けんぞく》の多きを誇爭《ほこりあ》ふ事ありしが、 其論次第に片付きければ、遂に獅子と其多少を比べんと、 群獸《みな〜》獅子の洞窟《ところ》に來り、先づ牝獅子に向つて、 「汝《あなた》は何疋子を擧《うま》しやツた」といへば、 牝獅子目を怒《いから》せ肱を張り、「我《わたし》には唯一疋でも此雄兒があります。」 質《しろもの》惡くして數多からにより、 寧《いつそ》少くとも質《しろもの》の好《よか》らん方《かた》勝なり。 第五十七 薪の束の話(76) 或|[にんべん|倉;#2-01-77]父《ゐなかうど》、 家兒《こども》兄弟喧嘩して家眷《かない》の[門&兒]墻《おだやかなら》ぬのを憂へ、 是を和睦させやうと、種々《いろ〜》言葉を盡したれど聞入れず。 依つて譬を設けて是を諭す事を工夫し、或日|家翁《おやぢ》兄弟《こどもら》を呼寄せて、 吾《おれ》の前へ薪を一把持て來いと云ひ付けたり。やがて兒輩《こどもら》薪を持來りたれば、 緊々《しつかり》と是を束ね、此儘是を折れと云ひ付けたり。 よつて兄弟代る〜゛に手をかけ足をかけて折らんとすたれどもをれず。 そこで家翁《おやぢ》束を解て、各々《めい〜》一本づゝあてがつて、 サア是を折れと云ひ付けたり。此度《こんど》は兄弟《こどもら》易《たやす》く是を折得たり。 其時|家翁《おやぢ》莞爾《わら》ひながら、「それだから吾兒《こども》よ、 汝輩《そちたち》中よく合體して居る内は、力が強く仇を防ぐに充分なれど、 もし分裂《わかれ〜》になる時は、力が弱つて守るに足ぬぞ。 以後は決して喧嘩をするな」と、懇《ねんごろ》に戒めたりけるとぞ。 同心合力は勢《いきほひ》を生《な》す。 第五十八 武夫《ぶし》と獅子の話(77) 或|武夫《ぶし》獅子と聯立て歩行《ある》きながら、 互に力自慢をして、イヤ人間が強い、ナニ獅子が強いと云募《いひつの》る折ふし、 路傍《みちばた》に勇者が獅子を踏《ふま》へてゐる石像の立《たて》てあるのを見て、 武夫 「コウ、是より汝《おまへ》の方が強いと云ふ何ぞ證據があるか。」 獅子 「夫は手前勝手の云方《いひかた》じや。もし我輩《わしたち》が石工《いしく》であつたなら、 人間の足の下に一疋の獅子といふ處へ、獅子の足の下に二十人の人間だらう。」 人は只自分の方へばかり、都合の好樣《いゝやう》な事をいふものじや。 第五十九 乳母《はゝ》と狼の話(78) 或夜狼餌をさがして、東西《あちこち》あるき廻り、或家の窓下《まどした》を通りかゝると、 丁度小兒の泣聲がして、乳母《はゝ》の叱る聲聞えたり。 狼何事にやと佇立《たちどま》り、耳を聳《たて》て是を聞くに、乳母《はゝ》の聲にて、 「サア、坊や泣《なき》なさんな、聞ないと狼に投與《くは》せます」といふゆゑ、 狼、しめたり、好《いゝ》下物《くひもの》にあり付いたと、 軒下に潛然《じつ》として待て居ると、やがて夜もふけ兒も泣止めば、 再度《ふたゝび》乳母《はゝ》の聲にて、「ウム、好《いゝ》兒だ、 もし狼が喰《くは》ふとて來たなら打殺してやるぞ、ウム、打殺してやるぞ」といふゆゑ、 狼は全《まる》であてがはづれて、これは山窟《うち》へ歸るのが遲くなつた、 腹がへつたとつぶやきながら、急いで山へ走歸《かけかへ》りけるとぞ。 人は多く口でいふ事と腹で思つてゐる事と、表裏《うらおもて》のものじや。 諸君《みなさま》油斷をなさりますな。 第六十 猿と海豚《いるか》の話(79) 昔日《むかし》廻船《くわいせん》に乘込むに、狒狗《ちん》か猿を携へて、 船中に與具《もてあそび》にする風習《しくせ》ありけり。 某《ある》人|海旅《うみぢをゆく》に猿を連れて廻船に乘込みしが、 その船アツチカ(ギリシヤの地名)のソニュームといふ岬をかはせて駛《はし》る時、 颶風《はやて》にはかに吹起り、船|覆《くつがへ》りて乘組のもの皆海中へ落入たり。 時に海豚《いるか》、猿の水中に浮沈《うきつしづみつ》するを見て人かと思ひ、 己《おのれ》是を救はんと、直《ぢき》に猿を脊の上に乘せ、きしを目がけて泳行しが、 やがてアテネ(ギリシヤの都の名)の港なるピレースの向《むかふ》へ近付きたり。 其時、海豚聲をかけて、「相公《だんな》、汝《あなた》はアテネの御人《おかた》で御座るか。」 猿 「ヱヽ、左樣サ、其地《そこ》の有名《なだゝ》るものゝ壹人で御座る。」 海豚 「夫じやア汝《あなた》はピレースを御存知の筈じや。」 猿早のみ込にてピレースを豪富《なだゝ》る町人の名と心得、 「ヱヽ、夫は私の最《もつとも》近敷《ちかしく》する朋友《ともだち》の壹人で御座る」といへば、 海豚は猿の説[言|荒;#2-88-68]《うそつき》にあきれはて、 「足下《おまへ》の樣な説[言|荒;#2-88-68]《うそをつく》人はどうでも隨意《かつて》になさるが好《いゝ》」と云つて、 波の底に沈みけるとぞ。 知らざるを知らざるとの聖言《をしへ》を守らず。是が所謂猿悧巧なるべし。(補) [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:第六十一〜七十 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第六十一 犬に噛れた狼の話(81) 或狼、犬に噛れて大によわり、少《ちつと》も身動《みうごかし》をする事が出來ず。 一日《あるひ》羊が近傍《そば》を通りかゝるのを見て、 近處《きんじよ》の河から水を持つて來て貰ひ度《たい》と思ひ、 臥居《ねてゐ》ながら聲をかけて、 狼 「もし足下《おまへ》が水をさへ持つて來て下されば、食物《くひもの》をば自分で見付けます。 どうぞ御頼み申します」といへば、羊中々油斷せず、 「なるほどさうで御座りませう。僕《わたし》が水を持つてズウツと膝前《おそば》へ寄ますと、 そこで貴兄《おまへさん》の喰物《くひもの》が出來るので御座りますな。」 平日|他《 ひと》に畏憚《こはがら》れるものは、困る時に柔和にしても、 人が中々近親《ちかよ》りませぬ。實にまた、よわつたと云つても、 惡人は油斷のならぬもので御座ります。(補) 第六十二 燕と鴉の話(86) 燕と鴉と出合ひ、イヤ吾《わし》が好鳥《よいとり》じや、 ナニ吾《おれ》が美鳥《うつくしいとり》じやと云ひ爭ひ、果なかりしが、 鴉大音をあげて、「汝《おめへ》の羽儀《うつくしい》のは夏の内計りよ。 吾《おれ》の好《いゝ》のは何年でも冬を越すぞ。」 耐久《もち》の好《よい》のは美觀《みかけ》の好《よい》より益《とく》じや。 第六十三 燈火《ともしび》の話(87) 大集會《おほよりあひ》の時、十分油をふくんで光りかゞやき居る燈火《ともしび》、 滿座の中にあつて、「ナント、日や月や星などより明るからう」と大言《たいげん》を拂ふと、 折から風が[羽/人/彡;#2-84-91]々《フウツ》と吹いて來て、燈火忽ち滅《けさ》れたり。 時に壹人|火奴《つけぎ》で明《あかり》を點けながら、「コウ、光《ひか》ンなせへ。 燈公《とうこう》、以來口をきゝなさんな。ヱ、天の光は決《けつし》て吹滅《ひきけさ》れやアしねへぜ。」 前後《あとさき》見ずに餘り大言を拂ふと、直《ぢき》に頭を壓《おさへ》られるものじや。(補) 第六十四 牧人《うしかひ》と家牛《かひうし》の話(88) 或|牧人《うしかひ》家牛《かひうし》を失つて、何所へ行つたかと山や林を尋ねあるけども見當らず。 終に尋ねあぐんで、なんでも他《 ひと》に奪去《とら》れたに相違はないと、 山の神や土地の神へ願をかけ、「もし盜賊《どろぼう》を見付ける事が出來ましたなら、 御禮に羊一疋|獻備《おそなへ》申ませう、南無大明神、南無大明神」と祈りながら、 東西《あつちこつち》へ巡歴《へめぐ》りあるき、不圖《ふと》ある山の背へあがると、 獅子が失《なくな》つた大牛の死骸を押へて、殆《すんでに》喰はんとする處を見出したり。 牧人《うしかひ》是を見て驚愕《びつくり》し、「南無大明神、南無大明神、此災難を逃させ給へ。 逃了《にげおふせ》る事が出來ましたなら、 必《きつ》と御禮に彼《あの》牛を拜具《さしあげ》ませう」と云ひけるとぞ。 神佛への願事《ねがいごと》が、悉皆《みな》御聞屆けになつたなら、 さぞや多《おほく》の人が自分の願つたので困る事が出來るだらう。 第六十五 橡[木|解;#1-86-22]《かし》と蘆の話(91) 或|河堤《つゝみ》に生長《おひたち》たる橡[木|解;#1-86-22]《かしのき》、 大風の時に根返りして河を流れ下りけるに、汀《みぎは》に無事に茂りゐる蘆を見て、 「是は如何に、かやうに細く軟弱《たをやか》なるものゝ嵐に保ちぬるとは不思議なり。 吾《わが》如き太き強きものゝ堪へざりしには似ざりき」とつぶやくを、 蘆遙かに聞きとりて、「左樣に驚き給ふな、御邊はあの樣な嵐に逆《むかつ》て只一筋に曲《まがる》まじとせられしゆゑ、 吹倒されたるなり。吾《われ》は輕《わづ》かの風にさへ伏《ふし》つ曲《まが》りつ避《さく》るゆゑ、 いつも無難に候ぞ」と云ひける。 第六十六 水星明神と樵夫《きこり》の話(93) 赤貧《ごくひん》のきこりが、一日《あるひ》河畔《かはのほとり》にて樹を伐り居たりしに、 過《あやまつ》つて斧を水中に取落し、忽ち生業《なりはひ》の資本《たつき》を失つて、 歎き哀しむ事限りなし。其時河の守護神なる水星明神忽然とあらはれ給ひ、 きこりの願《ねがひ》を納受あつて、直《ぢき》に水中に沈《しづみ》給ひしが、 しばらくして金の斧を持出給ひ、「汝の斧は是なりりや[注:しやの誤り?]」と問ひ給ふ。 きこり是を見て、「否《いな》是は僕《やつがれ》のにては候はず」といふ。 神《しん》また水中にいり、此度は銀の斧を持出給ひ、 「是こそ汝の斧にて有るべけれ」といひ給ふ。きこり是を見て、 「否《いな》是にても候はず」といふ。神《しん》また水中にいり、 鐡の斧を持出給ひ、「是なりしや」と問ひ給ふ。きこり是を見て踊躍《こをどり》し、 「是こそ僕《やつがれ》の失たる斧にて候、あら嬉しや」と云ひければ、 神《しん》其正直を賞《ほめ》給ひ、鐡の斧へ金銀の斧を取添へて、 ひとしくきこりにあたへ給へり。扨此きこり夕方になりて、村の内へ立歸り、 ありし事どもを仲間のものへ話すと、その内の慾の深い男が、 己《おのれ》も同じ利運《まうけ》にあり付きたいことだと、 其|明日《あくるひ》に同《おなじ》處へ尋《たづね》ゆき、 樹を伐る樣な眞似をして斧を水中へ投《はう》り込み、こゝぞと河原に打伏て、 いと哀しげに立ち居たれば、水星明神果して出現あつて、 願《ねがひ》の譯を聞き給ひ、忽ち水中にいり給ひしが、須臾《ほどなく》金の斧を持出給ひ、 「汝の斧は是なりしや」と問ひ給ふ。男あわてゝ手をさし出し、 「是ぞたしかに我《わが》失《うしなつ》たる斧にて候」と云ひて、 殆《すで》に握《つかま》んと爲しければ、神《しん》大に怒り給ひ、 その邪曲《よこしま》をいたく惡《にく》んで、金の斧を授け給はぬのみならず、 前に落せし斧をさへ、返《もど》し給はざりけりと。 正直こそ益《とく》を取るよき手段《てだて》なれ。 第六十七 鶴と雁の話(94) 或日鶴と雁と同じ畑に降りて、餌をあさり居たるが、 忽ち狩人《かりうど》出來《いできた》りたり。鶴は痩て輕きゆゑ、 是を見ると鼓翼《はねばたき》をして、唯一途《いつさんまい》に飛び去りしに、 雁は肥《ふとつ》て重きゆゑ、急に逃去る事が出來ず、つひに狩人に獲《と》られけると。 世の中騷動する頃は、重きものより輕きものこそましなれ。 第六十八 獅子と他《ほか》の獸《けだもの》と狩に出た話(95) 獅子と他《ほか》の獸《けだもの》と狩に出て、肥たる鹿|一頭《いつぴき》を獲《とり》たり。 その時獅子自ら行司と稱し、是を三つに引裂いて、扨云ひけるは、 「拙者|獸長《とりどり》の事なれば、官資《やくれう》として先づ一ツ引き取るべし。 其次は拙者狩に加りたる事なれば、自身の所得としてまた一ツ引取るべし。 第三分《みわけめ》に至りては、誰にもあれ吾言《わがこと》を肯《うけが》ふもの是を引取るべし。」 威勢の盛なるものには、我意《がい》の振舞多きものと知れ。(補) 第六十九 蚊と牛の話(98) 牛の頭の廻りをぶん〜舞《まはつ》て居た蚊が、角《つの》の上にちよつと止り、 「うしさん、まつぴら御免なさい。もし私が重《おもく》て御迷惑なら、 直《ぢき》に立去りませう、どうぞそうおつしやつて下され」 牛 「何《なあ》に、汝《おめへ》が止たとて、吾《わし》の頭の迷惑になりはしませぬ。 イヤモウ御去《おたち》なさらうとも、御止りなさらうとも、御勝手次第。 實情《ほんたう》を申さうなら、 何處に汝《おまへ》が御座るのだか少《ちつと》も知れやしませぬ。」 心が小ければ考も亦小さい。 第七十 神彿天上の話(99) 歳徳神《さいとくじん》、海王權現、才智菩薩、天上に會合せられしとき、 各《おの〜》法力を以て能調《よくとゝの》へる一物を制作《つくりいだ》さんとの申合せありたり。 そこで歳徳神は人をこしらへ、才智菩薩は家をこしらへ、 海王權現は牛をこしらへらるゝ。時に諧謔尊者《なんだらそんじや》なるもの、 いまだヲリンピュス(ギリシヤの靈山)より來會《きたり》たまはざりければ、 幸ひ尊者を判者《はんじや》の役にあてゝ、 誰の制作《さいく》が能《よく》行屆《ゆきとゞい》て闕畧《ぬけめ》がないといふ事を定めさせんと待れたりしに、 ほどなく尊者これを見て莞々《から〜》と打笑ひ、先づ牛を指《さし》て曰く、 此角は敵を突く時に目の見えんがために、眼《まなこ》の下にあつてよし。 次に人をさして曰く、心の邪正《じやしやう》の見ゆべきために、 胸のあたりに窓ありたきものぞ。次に人家をさして、風儀の惡い隣家を避んがために、 なぜ車を付けさつしやらぬぞといはるゝと、歳徳神が突然《つゝと》立つて、 尊者を座より引出して曰、短所《あら》をいふ奴は決してすかれやアしねへぞ、 自分で一番|好物《いゝもの》を拵《こしらへ》た上で、 他《ほか》のものゝ月旦《へう》を打《うち》アがれ。 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:第七十一〜八十二 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 第七十一 日輪の妻迎《つまむかへ》の話(100) 極熱《こくしよ》の時分に日輪妻を迎給ふとの評判あつて、 鳥も獸もめでたしと祝し、蛙もともに歡合《よろこびあひ》けるを、 古老の蛙が聞込んで眉をひそめ「是は中々歡《よろこ》ぶ處ではあるまい、 憂ふべき事だらう。獨《ひとり》の時日《このてんたう》さまでさへ、 堪られぬほど沼を乾上さつしやるのに、 小い日輪《てんたう》さまがこの上|副《ふえ》さつしやつたなら、 我輩《わしども》はマア如何《どう》なる事ぞ。」 暴君の民に厭《いとは》るゝ事如此し、如何ぞ遺種《ゐしゆ》ある事を慾せられんや。 第七十二 盜人《ぬすびと》と母の話(101) 或手習子|手癖《てくせ》惡くして、朋輩《ほうばい》の筆紙などをしば〜盜んで持歸りしが、 母叱りはせずして、却て働きものなりと譽《ほめ》けり。 その子成長するに從ひ、盜《ぬすみ》ごと次第に増長して、 貴重《ねうち》のものをさへ盜む樣になりしかば、 果《はて》は公儀の手にかゝり、法場《おきてのには》に引かれたり。 その時母はかなしみに堪ず、いかにもして最後を見屆け、 念佛をも申さんと、泣々群集に立ちまぎれ、後に尾《つき》つゝゆきたるが、 その子は目早く見て取て、附添の役人に打向ひ、「彼處《あそこ》に來る我母へ、 何卒最後の一言を演《のべ》申|度《たし》」と云ひければ、事もなしとて許されたり。 そこで母は涙を拭ひ、「何事をいひ置くぞ、いざ申されよ」といひながら、 耳を口もとへさし寄すれば、其子は只怨めしやといふ一言にて、 母の耳朶《みゝたぶ》を噬《く》ひきりたり。此|騷《さわぎ》にて人々打寄《うちより》、 母をいたわり介抱して、實に汝《おまへ》の息子殿は人でなし、 今までの罪はさて置て、此度の事は大惡無道と、いたく罵り噪《さわ》ぎゐたれば、 其子靜に囘顧《ふりかへつ》て、「列位《みなさま》左樣におつしやるな。 私を此極《こゝ》に至らせましたは、固《もと》はといへば母の所爲《わざ》。 私がまだ幼少《ちひさ》いときに、朋輩《ほうばい》のものを盜《とり》ましたのを、 嚴く叱て下されば、今日の事はありませぬ。嗚呼|怨《うらめ》しイ」といひけるとぞ。 惡事をば萠芽《めだし》の内に摘切《つみき》るがよい。 なんでも棒を手そばに置いて、童兒《こども》の折檻を怠るな。 第七十三 猫と鼠の話(102) 猫|年老《としとつ》て壯時《まへかた》の樣に鼠を追駈《おつかけ》る事が出來ず。 そこで如何《どう》かして手の屆く處へ、鼠を誑誘《おびきよ》せんと思ひ、 自ら體を袋に入れ、首と手足をさし出し、死たる猫の吊された樣に見せて、 低架《たな》の腕木へ足を踏みかけ、手を下へつき、倒態《さかさま》になりて息を殺して居ると、 やがて老鼠《ふるねずみ》二疋天井より降來て、遠くより是を伺ひ、 中々傍へは寄も付かず。一疋の鼠が友鼠《ともねずみ》に囁く樣、 吾《おれ》はマア今まで幾箇《いくつ》も袋を見たが、 まだ猫の首の付いて居る袋を見た事はない。 友鼠 「イヤ嫗公《おばあさん》、いつまでも其處へ御勝手に下《さがつ》て御座れ。 假令《たと》へ汝《おまへ》が藁で箱詰になつたとて、 手の屆くところへナニ往《ゆき》はしませぬ。」 老鳥は籾《もち》でつかまりはせぬ。なんでも年が重《よ》れば見わけが付いて來るものじや。 第七十四 獅子王と相談獸《さうだんにん》の話(103) 獅子王羊を呼び、近頃我息は臭きやととふ。羊答へて、左樣で御座りますといふと、 獅子王、馬鹿な奴じやと云つて其の首を喰切たり。 次に又狼を呼び、我口の臭《にほひ》は如何にと問ふ。 狼答へて、至つて佳香《よいにほひ》で御座りますといふと、 獅子王また怒《いかつ》て、此|諂諛《へつらひ》ものめと云て寸斷《ずた〜》にひき裂《さい》たり。 そこでまた狐をよび、我息はどんな臭《にほひ》じやといふと、狐|畏《かしこまつ》て、 臣《わたくし》は近頃|冐寒《ふうじや》で御座りまして、絶《とん》と鼻がきゝませぬ。 悧巧のものは危いときに何とも云はぬものじや。 第七十五 一雙《ふたつ》の壺の話(106) 或河に一雙《ふたつ》の壺流れ下る。其一ツは陶《やきもの》にして、 其一ツは唐銅《からかね》なり。唐銅《からかね》後より聲をかけ、 「オイ陶《すゑ》さん、一寸御待ちな、同伴《いつしよ》に參りませう。 成丈け側へ御寄りなさい。私が保護《かはつ》て上るから」といへば、 すゑ 「夫は難有《ありがた》う。しかしそれが私には一番の禁物で御座ります。 汝《あなた》が遠ざかつて居りさへ下されば、私は無難で下りますが、 もし汝《あなた》が近くよつて、錚然《ごつきり》とでもおやんなさると、 私は直《ぢき》に破滅《まゐつ》て仕舞ます。」 餘り強いものゝ近邊《そば》には居らぬがよい。 何かもめが出來るといつでも弱い方が負《まけ》だ。 第七十六 醫者と病人の話(107) 何庵《なにあん》とかいへる庸醫《やぶい》、或病者を預りしに、例の伎倆《てぎは》なれば、 治療屆かずして病人|死《しに》たり。葬禮の日に醫者親類ととも〜゛供に立ち、 路にて醫者 「アヽ、此佛さまも酒を控へ養生を能《よく》なさつたら、今日の事はありませぬのに」と云へば、 施主の壹人が勃然《むつと》して、「なる程貴老の御言葉じやが、 夫を今おつしやるのは無益千萬、なぜ當人が生てゐる内、其事をおいひなさらぬ。」 好《いゝ》勘辨は兎角|後期《あと》から出るものじや。 第七十七 衆鼠商議《ねずみだんがふ》の話(108) 或頃鼠どもが猫に手ひどく苦《くるしめ》られ、此害をのぞく好き手腕もがなと、 一夜《あるよ》衆鼠《ねずみ》會同《よりあひ》をなして、 [商,(八/口)@古;#2-04-04]議《だんがう》をはじめたり。 そのとき席上において種々《いろ〜》の獻策《まをしたて》ありて、夫々詮議を遂げられたれど、 是ぞとおもふ謀計《はかりごと》もなし。 然るに最後《ごくをはり》に至つて遙か末座より一疋の小鼠が進出《すゝみいで》、 いと驕色《ほこりか》に申し立つる樣、「我輩《わがともがら》の彼《かの》猫に多く取らるゝは、 畢竟彼の近寄るを知らずして各《おの〜》油斷するがゆゑなり。 よつて此後は彼《かの》猫の頂領《くびたま》に鈴をつけ置《おか》む。 然るときは彼の來る事知れ易くして我逃げ事遲からじ」と。 衆皆《みな〜》此|謀《はかりごと》を聞いて感伏《かんぷく》し、 異口同音に可然《しかるべし》とぞ同じける。 その時|傍《かたはら》に默然として控へたる老鼠《ふるねずみ》、 恐る〜進み出で、座中をきつと見渡して、物靜に申立つる樣、 「此|策《はかりごと》極めて妙なり。其效能も亦|著明《いちじるし》かるべし。 但し茲《こゝ》に承る度き一事あり、誰殿が猫の領《くび》に鈴を付けに參らるゝや。」 議論は議論、實地は實地なり。 第七十八 獅子と野羊《やぎ》の話(109) 三伏の夏の暑さに堪かねて、生靈《しあゆるい》のなやみ喘《あへ》ぐ頃、 清水の湧出る處へ獅子と野羊と同時に水を飮《のみ》に來て、 イヤ吾《おれ》が先じや、汝《てめへ》が後じやと、相互ひにいひつのり、 果は噬合《かみあ》ひ掴み合ひ、死すとも負じ讓らじと、 挑み爭ひ居たりけるが、餘りに息切れ堪難きゆゑ、暫時雙方|相引《あひびき》にして、 頭上《あたまのうへ》を見上げたれば、一群《ひとむれ》の[亶|鳥;#1-94-72]《とび》翼をのして、 孰《どちら》でも死だ方を餌にしませうと、歡舞《よろおびまひ》をして居るゆゑ、 獅子も野羊も始めて氣がつき、「イヤ御互に[亶|鳥;#1-94-72]《とび》や鴉の餌にならうより、 是から中よくいたしませう」と、直《ぢき》に喧嘩はやみたりとぞ。 外寇は内憂を鎭むるの一助なるぞ。 第七十九 鶩《あひる》黄金《こがね》の卵を産む話(110) 或人|鶩《あひる》を飼《かひ》しに、日々|黄金《こがね》の卵一ツを産めり。 主人是をよろこぶ事かぎりなし。雖然《されど》かく日に一ツづゝにては益《とく》の付方甚だ遲し、 如かず一度に寶を得たらんにはと、やがてあひるをしめころして腹のうちをせんさくするに、 さらに尋常のあひるにことなる事なかりしと。 日々少しづゝの得分《まうけ》あらば扨やみなん、 餘りあこぎに得んとすると本銀《もとで》までも失ふものぞ。 第八十 餐饗《ちそう》に招かれた犬の話(112) 或|大家《たいけ》饗應《ちそう》を設け、友人を招きしに、 友人の飼犬主の後に尾《つい》て同じく其家に入れ來れり。 其とき主家《あるじ》の飼犬も我主の脇に立て友犬《ともいぬ》を出迎へ、 「これはよう御いでなされた。今晩は御一處に山海《ちそう》を食べませう」といへば、 客方《きやくがた》の犬|謝辭《れい》をのべ、饗應《ちそう》の用意があるのを見て、 「イヤア盛んな御料理だ。これは好《よい》時候《をり》に參りました。 緩々《ゆつくり》と拜甞《いたゞき》まして、今晩|多量《たんと》食置《くひおき》をしませう、 明日はなにも食物《くひもの》がありますまいから」と獨言《ひとりごと》をいひながら、 嬉しまぎれに尾を揮《ふる》と、其|揮《ふつ》た尾が料理人の目に留り、 料理人 「イヤアこれは何處の犬だ」と、ズツと寄つて引掴《ひつつかま》へ、 窓の外へ投《はう》り出すと、近處の犬が數疋駈寄り、 「コウどんな佳味《ちそう》を食ひなさつた」ときけば、 投《はう》り出された犬痛さをこらへ冷笑《あざわらひ》をしながら、 「私《わし》はどうして内から出たか知らぬほど飮過たから、イヤモウ、 絶《とん》とわすれました。」 他《 ひと》の尾《しり》に附《つい》てはいるものは、 窓から投《はう》り出される憂があります。 第八十一 蛙の主人を求る話(115) むかし或池に群蛙《かひる》すみて、何事もゆるやかに心まかせなりけるに、 互に我慢の振舞まさりて、終《つひ》に治まりがたくなりければ、 ある日蛙等相集り、天を仰で諸共《もろとも》に、 「我輩《われともがら》を統御ゆべきよき主人をたまはれ」と、 願ひ訴へ申したり。天神《てんしん》是を聞き給ひ、 益《やく》もなき事なりと笑つて、只一本の丸柱《まるはしら》を天上より投下し給ふ。 其水を打ち波を揚げたる音いとすさまじかりければ、今まで打寄り噪居《さわぎゐ》たる蛙等、 おのゝき恐れ、水をくゞりて皆泥の中に潛みかくれ、しばらく出も得ざりしが、やがて先がけの蛙ありて、 水の面《うへ》に首さし出し、事の樣《さま》を伺ひしに、 柱の落ちたるなりければ、さらば新主人の噐量を試んと、獨り柱へ近付くを、 他の蛙共遙に見て、我も〜と浮み出で、柱の側に伺候せり。 されども固《もと》より無心の木なれば、蛙は次第に恐懼《こわき》を忘れ、 果は主人へ跳上り、狎侮《なれあなど》るにいたりたり。其時蛙は、 かく主人のおとなしくして氣力のなきを甚だ不足の事に思ひ、再び天を打仰《うちあふい》で、 「何卒|他《ほか》の勢《いきほひ》ある主人を授け給はれ」と、 願ひ訴へ申したり。天神《てんしん》是を聞き給ひ、惡《にく》き奴等が願かなと、 一羽の鷺《さぎ》を送り給ふ。その鷺下界に降るや否や、直《ぢき》に蛙を取り初て、 次第々々に餌となしければ、蛙どもは驚き恐れ、天を仰いで打歎き、 「なにとぞ憐《あはれみ》をたれ給へ、救ひ給へ」と大聲をあげて、 水神を以て詫《わび》奉れば、天神是を聞き給ひ、 「如今汝等の天罰は、則《すなはち》自業自得なり。 然らば此後は折合つて互に仲よく世を送《わた》れ、 決して天の賦與《あてがひ》を不足として益《やく》もなさぬ事を願ふな。」 と懃ろに戒め給ひしとぞ。 第八十二 驢馬と主人の話(116) 或驢馬最初百姓に飼れたるに秣《かひ》少く且骨が折て勤づらく思ひ、 歳徳權現へ願をかけて、どうぞ此|辛苦《くるしみ》を救ひ給へ、他家へ移し給はれと祈ければ、 權現|惡《にく》き奴かなとて、是を車屋へ遣はし給ふ。 因《よつ》て驢馬は以前よりは重載《おもに》を引き、 骨が折れて堪《こた》へられず。そこでまた權現へ願をかけて、 なにとぞ此難儀を救ひ給へ、たすけ給へと祈りければ、權現ます〜怒り給ひ、 今度は革屋へ送り給ふ。かく驢馬は主がへをする度毎に、段々造化《しあはせ》が惡くなり、 骨の折れかたもましたれば、或日主人の仕事をして居るのを見て、 歎息していふ樣、「アヽ、吾《おれ》ほど運のわるものはないぞ。 以前の旦那へ奉公したが一番よかつたつけ。己《おれ》が當時勤て居る旦那は、 生て居る内|殘酷《むごく》遣はつしやる許りじやアねへ、 死だ後も免《ゆる》さつしやりヤアしない。」 一處《ひとつところ》に安んずる事を知らぬものは、生涯心落つかずして、 他所《ほか》へ移る度毎に不運《ふしあはせ》になるものじやぞ。 (松崎實|校) [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08 通俗伊蘇普物語:伊蘇普小傳 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- 伊蘇普小傳 希臘亞《ギリシヤ》の賢人|伊蘇普《イソツプ》は、紀元前五六百年の際《あひだ》に當り、 小亞細亞の比利西亞《ヒリシヤ》といふ處に生れたる人なり。 此人少時はなはだ薄命《ふしあはせ》にて、 希臘亞《ギリシヤ》の雅典《アテネ》の市人に身を鬻《ひさ》ぎて奴《ど》となり、 既にして復《また》小亞細亞|沙摩斯《サモス》島の撒入斯《ザンジユス》氏及び邪的門《ヤドモン》氏へ轉賣《うりかへ》られ、 茲《こゝ》に數年の星霜を送りたるに、或功勞を立てたるにより遂に其身を贖《あがな》ふ事を得て、 始《はじめ》て不羈《じいう》の身となりたり。是に於て伊蘇普は四方周遊の志を發《おこ》し、 王侯に説き士庶《しみん》に諭すに專ら寓言諧詼《ぐうげんかいくわい》を以《もつて》せり。 故に榮時《そのかみ》才學の富贍《ふせん》なる事を世に知られ、 後世《のちのよ》になりては寓言譬諭の鼻祖《せんぞ》と稱せらるゝに至れり。 扨此時に當りて小亞細亞の里地亞《リヂヤ》國といふは天下|比《ならび》なき富強の國なりしが、 其王|挌爾索《ケルシユス》、伊蘇普の高名を聞き、禮を厚うして宮中に招き給ひ、 其才識を試みられしに、實に海内無雙《かいだいぶさう》の賢才なりければ毎事《ことごと》に諮問《しぶん》ありたり。 因て伊蘇普は暫く其朝に止《とゞま》り居られたるに、 或時王の密旨《ないめい》を受けて得爾比《アルヒ》に使《つかひ》せられし事ありける。 然るに或事より國人の暴怒《いかり》を起し、遂に兇人《わるもの》の手に捕はれて、 名に聞えたら得爾比《アルヒ》山の絶頂より百仞の谷底へ投落《なげおと》され、 こゝに非命に身を終りたると云ふ。 伊蘇普氏の傳則ち前擧《まえあぐ》る處の如し。其|詳《つまびら》かなる事は諸書に就て考ふれども證跡たしかならず。 今暫く其大畧を擧げ、此書を讀むものに、其人の尊むべく其道の信ずべき事をいさゝかしらしむるために記すと云爾。 明治五年龍集壬申夏五月 渡 部  温|識 [目次] [前章] [次章] ------------------------------------------------------------------------------- osawa 更新日: 2003/04/08