渡邊譯:通俗伊蘇普物語
渡部温 (1902-1927)譯の通俗伊蘇普物語。
底本:吉野作造編輯擔當代表,明治文化全集第十四卷「飜譯文藝篇」,日本評論社,昭和二年十月一日印刷,昭和二年十月五日發行。
原典:伊蘇普 著,渡部温 譯,通俗伊蘇普物語(和綴本全六卷,木版,半紙刷),山城屋,明治五〜八年出版。
通俗伊蘇普物語 (Aesop's Fables)
伊蘇普 (Aesop, c. 620-c. 564 B.C.) 著
無盡藏書齋主人譯述(渡部温 (1902-1927年)譯)
目録
通俗伊蘇普物語 目録 終
更新日: 2003/03/16
通俗伊蘇普物語:例言
例言
- 此度予が譯述せし此伊蘇普氏の寓話譬諭は、 徳教を婦幼の説示す徑捷にて、
いかなる村童野婦といへども、其事理を解し易き事、 恰も我邦の落話に異らず。
故に今其譯言をも易解を主旨として、 原文の意に隨つゝ、俗語俚語にて書取たり。
願くば看官唯其説話の有益なると、意味の深憂なるとに注意して、
猶又一層の分解を加へ、童蒙へ説諭せらるゝ事あらば、予が本懷是に過ず。
若夫行文の拙惡と譯字の鄙陋とを論駁するものあらば、 大に譯人の意に違へりとす。
- 譯書は原文の面目を改ざるを以て尊とする事は論を待ず。
されど予が此譯述は、意味徹底を旨とすなれば、前後の文氣と斡旋轉換の勢とに因て、
文を辭に代へ、辭を文に換へ、大小段落を前後にする等の事ありて、
原文を離合して書取たり。見るもの、請ふ、疑ふ事なかれ。
-
若し此書の欵題を原書に因て譯述する時は、間同題のものありて混亂を生じ易し。
故に今重複せる欵題を改めて、更に探覽の便を増たり。
- 餘此書を譯述するに、先づ俚耳に入易きものを抄譯して、意味の解し難きものを殘したり。
後日閑暇のときあらば、是をも拾遺補譯して、以て梓に上せんとす。
原書を看る人、此書を讀み、脱落ありと思ふ事なかれ。
- 原書に、或人他人などゝありて、話説に勢を失ふ處は、假に其名を設爲して、
甲乙などゝ書きたるなり。
- 又井と譯すべき字を大溝と譯し、亡牛と譯すべき處を家牛と譯したる類少からず。
是には話頭の都合により、敢て原字に拘泥せず。 看官一を執て論ずる事なくして可なり。
- 或は吸ふてと書くべきを吸つてと書き、老爺と書くべきをぢいさんと書きたる類多し。
是れは閭里の口調に隨ひ、假名遣ひの正否にかゝはらず。
- 頓と丁度などいふ字の如く、只音を假て書きたる類あり。是れは別に意義あるにあらず。
讀者宜く察すべし。
- (補)と書きたるは、論贊を予が増補せししるしなり。
又(經)と記したるは、經濟説畧にある話説を撮合せて譯したるものなり。
- (13)の如く西洋數字を毎章に附したるは、
既に予が刷行でし此伊蘇普物語の原書の欵數に引合せんための便に供へたるものなり。
- ギリシヤの如く右の方に雙柱を引きたるは地名、
又ヘルキュスの如く右の方に單柱を引きたるは人名物名等なり。 文意によりて諒解あるべし。
温 又 識
更新日: 2003/03/16
通俗伊蘇普物語:第一〜十
第一 狐と葡萄の話(1)
或日狐葡萄園にはいり、赤く熟せし葡萄の高き棚より披鈴にさがりたるを見て、
是は甘さうぢやと皷舌して賞揚て、幾度となく躍上り踊上りたれどもとゞかず。
そこで狐が怒を發て、「ヨシ、なんだこんなものを、葡萄はすツぱいぞ。」
なんでも手前勝手のものぢや。自分の思ふ樣になれば賞る、ならねば誹る。
こゝが情の私する處ぢやゆゑ、常に戒めねばらぬぞ。(補)
第二 狐と野羊の話(4)
或狐溜井に落て、上らんとするに手がゝりなければ、如何にせんと思案する内に、
野羊水を飮むと其處に來り、狐の首を出したるを見て、 やぎ
「狐公、水は好御座りますか、たんとありますか」ととへば、
狐誠の事を推隱し、「イヤモウ、好水で御座ります。
サア此處へ下りなさい。なか〜たいそうあつて私には飮盡せませぬ」といふ故、
野羊何の遠慮もなく直に躍こむ。さうすると狐がすかさず角へ手をかけ、
首を踏へて跳上り、心よしの野羊をふりかへりみて冷笑ひ、 狐
「もし汝が髭の半分ほども智惠をもつてゐたなら、跳下る前によく見たらうに。」
第三 狼と鶴の話(5)
或狼、咽に大い骨をたてゝ、彼地此地狂ひ歩き、吾この苦痛を救ふものあらば、
好報をなさんと號ぶ。鶴その苦しみを見て氣の毒におもひ、
ひとつには好物を贈んといはるゝに心動き、吾救ひまうさんと、
長きくちばしを狼の口にさしいれ、ほねを引きぬき、さらば襃美を給はれと、 丁寧に乞ひ求たれば、狼目を瞋せ牙をむき出し、
「ナニ、この恩しらずめ。汝こそ狼の腮へ首を入れたぢやアねえか。
夫を噬切られぬのは最僥倖だ。
なんで襃美がいるものか、おしの太え癡鈍生め」とのゝしり答たるとなり。
むくひを得たいの、または禮をもらひたいのと思て人をすくふものは、
たま〜惡人でもすくひあてゝ、禮どころではなく、却て惡口せられたとて仕方がない。
何でも人を助けたり人に施したりするものが、報を目的にするのは了見違ひぢや。
第四 呆鴉の話(6)
或呆鴉、いかにもして身を飾り、仲間鴉に誇らんものをと、
窃に孔雀の脱羽を拾ひ、己が尾羽根の間にさしこみ、
今迄の朋輩を輕蔑で、美しき孔雀の群へ飛いると、
孔雀は直にこのまぎれものを見出し、にくき奴かなと其假羽を剪とり、
汝は汝の事をしなせえと云つて、觜をそろへて衝逐したり。
そこで呆鴉は、外に行べき方もなければ、また故の處へ立かへり、
ふたゝび仲間へ入らんとすると友鴉ども承知せず。 さきに彼奴の誇りたる顏色がにくしと云ひて、
なか〜仲間入をばさせず。ときに古老の鴉が親切に説諭して、
「コレ、汝、造物者賦與之分際を守つて居たなら、
なんと長上のものに罰れもせず、同輩のものに窘められもせまいに。」
第五 蟻と𧑉螽の話(7)
夏もすぎ秋もたけ、稍々冬枯の頃になりて或る暖なる日、
蟻ども多く打あつまり、夏の日にとり收たる餌を日の晒とて、
穴より引出し居たり。かゝるところに、いと飢つかれたるきり〜゛す蹣跚來て、
命をつなぐため、いさゝか其餌を分ち給はれと乞へり。其時古老の蟻ふりかへり見て、 「如何樣御邊はきり〜゛すよな。
汝は夏中何をして暮されしや。何故食に困らるゝや」と問へば、
きり〜゛す驕色に答へて、「夜はいと面白こそありつれ、
花に戲れ葉に眠り、口には露、身には羅衣、謠ひもしつ舞もしつ」と、
いひもきらぬに蟻打笑ひ、「さらば合力は御無用なり。
我等は夏の炎天に脊をさらして餌を運び、此冬枯の用意をなしたり。故の今日の安心あり。
永の夏中踏歌ひて徒に日を消りしものは、
冬になりては飢べきはずなり。我は知らず」と答へたるとぞ。(經)
夏に稼ぎし餘徳は、冬になりて顯るゝものぢやぞ。
第六 鼠の仕業する話(10)
むかし或山烈しく震動して、内より何か出現するといふ評判が高くなり、
遠近より見物人多く集り來て、是は定てめづらしきものゝ出るなるべし、
何ならんと、人々待かねたりしに、須臾ありて大に地響すると、
一疋の小鼠が孤然跳出して、チウ。
此はなしは、廣大の趣工をいひふらしながら、 細小ぬ仕事をするものを誹りたるのぢや。
第七 鷄と寶珠の話(11)
或日雄鷄が雌鷄のために餌を啄ふとて、 不圖藁の中から寶珠を見出し、
をんどり 「オヤ、是は結構な玉ぢや。好む人はさぞほしがるだらう。
しかし私は世界中の眞珠より、一粒でも麥の方が好。」
此鷄はよく解理せしものぢや。世の中には善惡の見分もつかずに、
何が寶か知らずして、徒らに看過す愚人が多い。
第八 羔と狼の話(12)
羔、屋の上より下を通る狼を見下し、頻りに惡口すると、
狼立止り睨あげて、「ナニ此の卑怯ものめ、乃公を馬鹿にするな、
何も汝が強いのぢやアねえぞ、居處がいゝからの事だ。」
高位に居て下の人をあなどるは、恰も鳶の狼を罵るに異らず。(補)
第九 鷲と狐の話(13)
或大木の梢に雌鷲巣をかけ、狐その下に穴をつくり、互に厚情に交通ゐけるが、
一日狐母他行せし間に、鷲惡心をおこして、
我栖所は高みなれば彼より報復はなし得じと、狐兒を攫さらひ、
我兒の餌食に持去けり。やがて狐母歸り來て、隣交の有まじき事と怒り、
奪はれし兒を返されん事を乞ひしに、鷲少しも承知せず。よつて狐は怨に堪ず、
近き神社の燈明を取來て、樹下より火を放ち、
己が狐兒と諸ともに、鷲の雛をば燒亡ぼし、忽ち仇をかへしけるとぞ。
暴君一時勢に乘じて、殘虐を民に加ふるとも、いかんぞ其復讐を免るべき。
第十 鹿兒と鹿母の話(14)
或日、鹿兒鹿母に向ひ、「母さま、汝は犬よりも大くもあり、
疾くもあり、其上護身にある角をさへ持給ふに、何故犬を恐れ給ふや。」
母鹿莞爾として 「汝のいふ通りぢや、私もさう思つて居ます。雖然、
私の耳へ犬の吠聲がはいりますと、なんだか知らぬが此足が、 むやみに私を率去てしまひます。」
此樣な臆病ものには勇氣を付ける言葉がない。
更新日:2003/06/07
通俗伊蘇普物語:第十一〜二十
第十一 狐と獅子の話(16)
未だ獅子を見た事のない狐が、初て途中で獅子と邂逅たる時、
殆んど恐死せんとせり。其後また邂逅たり時、少し恐れたるさまをかくさんとする心生じたり。
夫より後に又邂逅たる時、今度はずつと接近つて、
「イヤ、大王、どうで御座ります」といふ樣に、なれ〜しくなりたりとぞ。
狎昵は輕侮を生ず。
第十二 老いたる犬の話(16)
昔日は勢も盛に、いつも功を顯したる獵犬が、
よる年浪に衰へて、既や役に立ぬ樣になれり。これ犬或日主に從つて豬を駈出し、
その耳に喰ひつきけるに、牙しまらずして豬脱去れり。其時主人追迫り、
獲をしんがせし罪を罵り、鞭を揚て打たんとしければ、 犬
「年のよつた私を助けて下さいませ。何も勝手でにがしたのでは御座りませぬ、
全く力が衰へたゆゑで御ります。今日の過失を激怒なく、 どうぞ昔の功勞を思つて下さりませ。」
人もその如く、昔勢ひ盛にして戰場に功をあらはせしも、 遂に焦悴れば役に立ずなりゆく。
主として昔の功を思はず、只虐逆ふものは、此狩人の異らず。(補)
第十三 馬と圉夫の話(17)
或圉夫飼馬の豆秣を窃んで己が所得となし、
主人に怪まれじと永の夏中よく働いて、その馬の蹄鬣を剪り浴ひなどし、 美しく見せんと骨折ゐたれば、
馬 「汝そんに私をよく見せ樣と御思ひなさるなら、
マア梳洗のを大抵にして食物を充分下さりませ。」
是は本をすてゝ末を務むるものを誹たる諭言なるべし。(補)
第十四 田舍漢と蛇の話(20)
冬の夕暮に或農夫畑より歸りくる途中で、垣のもとに凍死なんとする小蛇を見かけ、
憐なりと覺えければ、懷にして我家へ歸り、地爐のそばにさし置きけるの、
暫時の内に蛇蘇り、漸くにして首をあげしが、
爐のまはりに遊ゐたりし童兒を見て舌を吐き、 追かけ追まはしたりければ、老農大に怒を發ち、
ありあふ手斧をおつとつて、忽ち是を打ひしげると。
人もまたその如く、もし恩を受て恩と思はず、かへつて惡事をなすものは、
人の怒を免れず。
第十五 蛙と鼠の話(21)
むかし或處に蛙と鼠と心安く暮せしが、今迄の地は住惡しとて、
ともに他郷へ移る事を約し、相伴て出立せり。 その道に蛙至つて親切に見えて、朋友の路を踏違へぬ樣にと、
鼠の前足を己が後足へしばりつけ、案内をして躍行しが、
忽ち小河の涯に出たり。そのとき蛙は鼠を勵し、いざ渡んと水に躍込、
ともに河中まで泳ぎ行しが、蛙忽ち本心をあらはし、鼠を水中へ引入んと、
急に水底へくゞり入る。しかるに鼠は引込れじと、水面にありて騷動せり。
時に一羽の鳶河上に騷ぐ鼠を攫んで、たゞ一翼に翰飛れば、
蛙もともに空の吊され、同じ禍にかゝりけるとぞ。
勘辨なく損友と遊べば、果は禍にかゝるべし。
また隣人を傷はんと機巧めば、自己も其禍に連累に至らん。
第十六 漁人笛を吹くの話(22)
或笛自慢の漁人、漁に出、海面に魚の多く群たるを見て、
吾もし茲にて面白く笛をふかば、魚はその調子に乘て濱へ踊りあがるなるべし。
これ網を投より上策なりと、例の笛を吹出せしが、
魚は一向感ぜざりけり。そこで漁人は立上り、此手ぢや行かぬと笛をおき、
網を取り打入たれば、數多の魚鱗一網にかゝり、砂の上へあげられたり。
其時漁人魚の活溌のを見て笑ひながら、「チヨツ、吾が笛を吹たとき、
汝輩が踊らねえから、汝輩が今踊たとて、 吾は少も構ヤアしねえぞ。」
時と道とによつて爲すを、策の最も上なるものとす。なんぞ笛を吹いて魚を捕る事を得べき。
第十七 樵夫と山靈の話(23)
或山の麓に住ける樵夫、山靈と懇意になり、 一夕栖所へ尋行しに、
ころしも極寒にて冷くありければ、 きこり指を口に當て吹くと、主人怪んで、それは何をなさるのぢやととふ。
きこり指先が餘り凍えて覺えなきゆゑ、暖めるので御座いますと答ふ。
やがて食物を出せしに熱くして食ひ難ければ、きこり皿を口へあてゝ吹くと、
主人また何をなさるぢやととふ。きこり、羹が餘り熱きゆゑ、
冷すので御座りますといふと、山靈忽ち色を變へ、 吾は以後御邊と交通まじきぞ、
同じ口より熱くも冷くも、其ときなりに息を出す人とは、何事をも共になしがたきぞといひける。
是は人と交るに、言毎にかはり信なきものは、
終に友を失ふといふ諭言なり。(補)
第十八 犬と牛肉の話(24)
犬、牛舖より肉一塊盜出し、
引くはへたまゝ溝をわたるとて橋の中ほどに至る時、其影の水へ寫れるを見て、
他の犬己のくはへ居るより大きな肉を銜居るよと心得、
夫をもまた吾ものにせんものをと、水に寫れる肉にくらひ付きしに、
今まで己が銜し肉水底に沈み、前に得しものをさへ一時に併せ失ひけるとぞ。
諺に、影を握んで實を失ふといふ事あり。凡世の人々は、
浮雲たる富を慕ひては、固有せる眞の寶を失ふ、淺ましき事ならずや。
第十九 狼と羊兒の話(26)
或狼、流河の上流に徘徊し、 遙か下流に羊兒のあそび居るのを伺ひ、
如何にしてか手に入れんものをと、まづ己が辭をこしらへて、 羊の方へかけ來り、 狼
「此愚羊、汝は我が飮んで居る水を濁しやがつたな」といへば、
羊丁寧に答へて、「私は下流で飮んで居ましたのだから、
假令濁しましても上流には絶と害は御座りませぬ。」 狼
「夫はさうだとて、汝は一年前の吾を惡く云つたな。」 羊ふるへながら
「えゝ、汝一年前には私はまだ生れませぬ。」 狼
「イヽ、假令汝でないとて、汝の爺翁がさう云つた。 やツぱり汝が云つたも同然だ。
それが乃公の餌食をのがれる謝辭になるものか。」と云つて、
直に弱羊に躍かゝり、寸々に引裂き食ひけるとぞ。
暴人に向つて分解は通り難し。たとへ無辜正理の人なりとも、
惡人の威勢ひ熾んなる時には、これに勝事あたはずと知るべし。
第二十 蠅と密壺の話(27)
或砂糖類を商ふ店にて、蜜蜂の壺割れ、蜜こぼれいでければ、數多の蠅群り來て、
一滴も殘まじと是を貪り居たり。然るに少時たつといづれも足重く氣ふさがりて、
飛むとするに飛べず。そこで蠅が皆歎息して、「アヽ、我輩實に愚だつた。
只一時の飮樂のために大切な命を失します」と、口々に悔合ひけるとぞ。
更新日: 2003/03/16
通俗伊蘇普物語:第二十一〜三十
第二十一 軋る車の話(28)
牛に車を引かせて、惡き路をかゝりたるに、車の軋る事甚だし。
牛奴大に叱て、「此畜生、 なぜ汝は其樣に呻りやアがる、
重い荷を引いてゐる牛は默つてゐるのに。」
大聲でうなるものが何時も一番苦しいのだといふわけでもない。
第二十二 熊と狐の話(29)
或時熊が狐に向ひ、熊は人間を敬ふといふ説を主張して、
「我輩は人が死んで居るときつと避けて損害をいたしませぬ」といへば、
狐笑ひながら、「もし汝等が、平日生てゐる人を食なければ、
吾も汝の説を眞實だと思ふのさ。」
人を死後に敬はんより、人を死より免れしむべし。
第二十三 田舍鼠と都鼠の話(30)
或時田舍の鼠、都の友鼠を招きし事ありしが、もとより田舍の事なれば物事よろづ節儉にして、
よき物とてはなけれども、むかし馴染の事なれば、豆麥酪糟何くれとなく、
あるに任せてもてなすに、都鼠は口に適ねば、只彼是と喰ちらし、
主の鼠が麥を穗のまゝ甘さうにかぢるのを見て、 都鼠
「なんと汝はマア、よくこんな生産を忍耐なさるぞ。
まるで穴に居る蟇同然だ。どうして此樣な淋しい岩や樹ばかりある僻地が、
車や人が盛んに往來する繁華な町のくらべものになるものか。
實に汝は面白くもなく月日をお送りだ。吾なんでも生て居る内は、
強盛な生産をしなければならない。なんと鼠が百萬年生きられるものでもあるまい。
さうぢやありませぬか。サア吾と一緒に來なさい。
吾の生産も都中の樣子も御目にかけたい」と云へば、
主の鼠は急に都の景状が見たくなり、さらば御同伴にまゐりませう」
と打連だちて出立せり。かくて田舍鼠は都鼠にともなはれて、
或日黄昏に紛れつゝ、都中に忍入り、漸く夜半と覺しきころ、
とある大家に至りたり。これぞ都鼠の住家にて、 聞きしに勝る結構なり。やがて導れて内へいり、
いと奧深き處に至れば、綾の衾錦の帳、 金銀珠玉象牙の彫工、處狹まで飾てあり。
扨一方を見かへれば、酒宴ありたる跡と見えて、山海の珍味を取散し、
噐ものゝ數知れず、都に有名割烹店を、
盡占買たといふ有樣なり。其時都鼠は田舍鼠を上座にすゑ、
自ら東西奔走して、皿に皿を添へ、美味に美味を重ね、
至つて丁寧に待遇ば、田舍鼠は滿足して、
如何樣吾もこゝに住み、榮燿榮華を受けたきものぞ、生きて居る内此高運に逢しは、
此上もなき幸福なり、今迄の吾田舍住居はいと愚なりきと思ひつゝ、
賓も主と打とけて、かたり樂む眞最中、部屋の戸ががらりと押開き、
一組の醉客突入れば、鼠どもは仰天し、臺より下へ轉び落ち、
狼狽る事大方ならず。命から〜゛にげ迷ひ、漸く隅のかくれけrづが、
稍しばらくして人も去り、風波再びしづまりければ、田舍鼠はそろそろ這出し、 都鼠にわかれをつげ、
田舍鼠 「こんな生産を好く人は好くだらうが、
吾は恐敷事や氣遣敷事のある處で甘いものを食より、
寧落付た安心の處で麥飯を食ふ方が餘程好御座ります」とそこ〜に云放て、
己が住家へ歸りけるとぞ。
第二十四 獅子と鼠の話(31)
或日獅子王洞に在りて假寐ける時、鼠あちこち駈あるく拍子に、
獅子王の鼻へかけ上り、午睡の夢をおどろかしければ、 手をさしのばし、ふるへ居る鼠を押へ、只一潰しになさんとせしに、
鼠哀げなるこゑをあげ、「不思いたしたので御座います、
どうぞ助けて下さりませ。私の樣な小身の奴に、貴い御手を御汚しなされましては勿體なう存じます」と云へば、
獅子王鼠の恐れたる樣を見て、笑ひながら許しけり。後ほどなく、
獅子王獸を駈てはしり廻るとき、獵夫の設たる罠にかゝり、
逃れんとするに逃れられず、そこで大きな聲をあげて、吼狂ひゐると、
以前助けられたる鼠が遙かに聞つけ、彼聲はなんでも恩をうけた獸に違ひないと、
直に其處へかけて來て、獅子に纒りたる繩を噛切り、無難救ひ出しけるとぞ。
他へ親切をするのは決して無益にはならぬ。
どの樣のものでも、恩を受て恩を報ふ事の出來ぬといふ樣なことはないぞ。
第二十五 犬と鷄と狐の話(32)
犬と鷄と懇意になり、ともに或處へ出かけたりしに、歸路並木にかゝりける時、日の暮れければ、
さらば此處にて一泊いたさんと、鷄は樹の枝へ栖り、犬は草の叢に臥けり。
さて昧旦になると、鷄ははやく起き、例の通り朝誦經を始め、
東天紅と唱ひ出すと、近處の狐が忽ち聞きつけ、好餌食ぞとかけ來り、
樹の上にとまり居る鷄に向ひ、「イヤ汝は可愛しい好鷄ぢや。
なんでも羽蟲の中では一番役に御立なさる。殊に御聲も亦妙ぢや。マア茲へ御下りなさい。
御一緒に朝の御勤をいたしませう」と云へば、鷄はその意を覺り、「それは有難御座ります。
彼所に同行の鐘打坊が居りますから、ちよツと呼で下さりませ。
誦經に鐘がないのは、どうも調子が惡いもので御座ります」といふ故、
狐が、「それぢやア呼で參りませう」と出かけると、恰度犬が走で來て、 忽ち是を喰殺ける。
他を罠にはめ樣とすると、却て己が罠にかゝるものぢや。
第二十六 蛙と牛の話(36)
或日牛澤に出て草を食み、あちこちあるきけるとき、
蛙兒の一群になつてゐるのを思はず踏潰すと、其内の一疋が危き場を逃れ、
蛙母の許へ注進して、「ヤア阿孃、
それはマア四足のある大きな獸だが、それが同氣をふみつびしました」
といへば蛙母驚いて、「エ、大きかつたか、それはどんなに大きかつた」
といひながら、自分が滿氣れあがり、「こんなに大きかつたか」と云へば、 こがひる
「それ處ぢやア御座りません、もつと大う御座りました。」 はゝ
「ヨシ、夫はそんなに大きかつたか」といひながら、ぐつと滿氣あがると、
蛙兒は仰むいて見て、「イヤア阿孃、中々半分にも及ませぬ」 といふゆゑ、
蛙母 「夫ぢやア此樣か」と勢一ぱい息張ると、腹が破れて死にけるとぞ。
己が及びもせぬ巨大な事を仕樣とすると、多くは自滅するものぢや。
第二十七 兎と龜の話(38)
兎、龜の行歩の遲きを笑ひ、愚弄して、「コウ、こゝへ來や、
競走をしよう。乃公の足は何で出來てると思ふゾ」と威張れば、
龜は迷惑には思へども一ツ處へおし並び、サアと云はれて寸度も猶猶豫せず、
例の通り遲々とあるき出す。されど兎は固龜を侮つて居る事なれば、 一向に遽もせず、
うさぎ 「吾はマア一睡して往くから、急で往なせえ、
直に追越すよ」と云つて微睡とする内に、
龜の影が見なくなつた故、兎膽を消し、急に躍出して約束のところへ至つて見れば、
龜は先刻到着しt、缺伸をして居たりけると。
遲緩なりとも弛ざるものは、急にして怠るものに勝つ。
第二十八 蟹兒と蟹母の話(41)
蟹母、蟹兒に向ひ、「何故此子はそんなに横斜なあるき樣をするぞ」 と云へば、
こがに 「阿母、汝の行歩なさり樣を御見せなさい。
私はあなたの眞直なおあるきなさり樣を見習ひませう。」
指圖せんよりまづ手本を見せよ。己正からざれば人を正しうすることあたはずと云はずや。
第二十九 寺へ逃込んだ羔の話(42)
羔、狼に追かけられ、寺の内へ逃込むと、狼せん方なく外から聲をかけ、
「コウ、汝、坊主につかまると殺されぜ。」 こひつじ
「さうだらう。雖然、汝に食はれるより神さまの牲になる方がましだ。
羊といへどもよく死所を知れり。
第三十 牧童と狼の話(43)
村近の野に畜付たる羊の番をする牧童、
毎日見張り居るばかりゆゑ退屈して、一日不圖狼ダ〜と呼あるくと、
村中のものどもが聞きつけて、四方より駈集まり、
空に大騷動したるを見て、至極面白事と思ひ、夫より後は二度も三度も同じ騷を仕出しては遊びけり。
然るに或日眞に狼出來りたれば、牧童大に仰天して、大聲揚てかけまはり、
一生懸命に加勢を呼べども、村のものは耳にもかけず、又例の戲謔だと一向に出合ねば、
數多の羊一疋も殘らず皆狼に喰れけるとぞ。
平常虚言を談ものは、
緊要時に實事を云ても決して信ぜられぬものぞ。
兒輩よ虚言をつくまいぞ。
更新日: 2003/03/16
通俗伊蘇普物語:第三十一〜四十
第三十一 鷄と猫の話(44)
或鷄病で塒につくと、猫親切に見舞に來て、枕頭へすわりより、 ねこ
「足下、奠恙は如何で御座ります。なんぞ御用があるならいたしませう。
なにか御入用の物でもありますか。なになりとも世間にあるものなら、私が持つて參りませう。
御遠慮なくさうおつしやりませ。イサヤ決して御騷ぎなさるな。落付て御出なさい」といへば、 にはとり
「難有御座ります。私にはドウモ足下の御心配下さらぬのが、 一番好御座ります。」
來てもらひ度くない客人は、別辭の時に、イヤよく御歸んなさるといふわけぢや。
第三十二 狐と山番の話(46)
狐、狩人に追ひかけられ、山番小屋の近所へ逃て來て、
番人の木を鋸て居るのを見て、「旦那、ちよつと隱れさせて下され」と云へば、
番人が「彼所へ」と云ひながら番小屋を見かへるゆゑ、狐其意を領り、
喜んで内へ跳込み、方隅に隱れて居ると、やがて馬に乘た相公二三人追來り、
「ヤイ、山番、狐が來ヤアしねえか」と云へば、番人が否と云ひながら、隅の方へちよつと指を點す。
されど相公は一向悟らず、「夫ぢやアもつと先だ」と、また鞭を揚て駈出す。
そこで狩人の影が見えなくなると、 狐がヤレうれしやと逃出して往を、番人見付けて、
「ヤイ畜生め、助けてもらつて禮も云はずにゆく奴があるものか」と云へば、
狐ふりかへり、難有イ旦那さんぢや、もしあなたが口のやうに御親切なら、 どうして御挨拶をせずに去ませう。」
如何やうに口上がよくとも、する事が惡ければやはり不好。
第三十三 鴉と水瓶の話(47)
或鴉渇に堪かねたる時、はるか向に水瓶のあるを見付け、
よろこんで其處へ飛おりて見ると、水低うして啄とゞかず。 さればとて瓶を破んにも覆さんにも力はなし。
如何せんと當惑して居たりしが、不圖思ひついて、傍にある砂石を啄へ、
一ツづゝ瓶の内へ落すと、水量が段々増て來て、終に縁まであがりし故、 是を飮んで死を免れたりしと。
既や力が及ばぬといふ處で、巧智と忍耐とが功を奏す。
そこで窘迫といふ事が、いつも發明の根で御座る。
第三十四 片眼の鹿の話(48)
一日片眼の鹿、海邊に出て草をはむに、
失たる眼を海の方にし、明る眼を陸の方にし、 是では假令狩人が來ても、眞に一目瞭然だと、
安心して遊んで居ると、武士兩三人舟遊に出かけ、 あちこち漕まはつて、海岸に鹿の居るのを見つけ、
有合ふ弓に矢を注へ、忽ち是を射てけり。其時鹿肩息ついて云ひけるは、 「嗚呼吾ほど運の微ものはないゾ。
なんでも危殆だと思つた方は安泰で、大丈夫だと見込んだ方から敵が來た。」
なんでも災害は思ひもよらぬ方から來るものぢや。
第三十五 胃腑と支躰の話(49)
或時人の四肢五官、胃腑に向つて一揆を起し、
各申合けるは、我々はかく晝夜となく働いて、頻りに食物を仕送るに、
彼は座して食ふのみにて、絶と我等に報ひんともせず、
所詮我輩今日より働を止め、此怠惰ものゝ仕送りをせざるに如ずと、
足は食堂へゆく事を止め、手は食物を口へ持込む事を止め、
口は是を受取る事を止め、齒は是をかむ事をやめ、鼻は是をかぐ事を止め、 目は是を見る事を止め、耳は飯時の半鐘を聞く事を嫌ひ、
如此にして兩三日たつと、胃腑全く飢渇て、
手足は痿り、目は眩み、全體の衰弱きはまりたり。
其時胃腑一揆黨に向ひいひけるは、「ナント汝輩は馬鹿な衆ぢや。
是で今分りましたらう。今まで吾の處へ仕送つた食物をば、 何も吾が自分の用にばかり遣ひはしませぬ。
いつも夫を結構な液に釀して、血の製造場へ送りました。
夫が即ち汝輩が吾を養ふ事に勞たとおいひなら、
吾も亦汝輩に食物拵へにばかり暇を費したといひます。
マアいひづくにすると其樣なものだから、ナント皆の衆折合て、
以來よく働きませう。さうせぬとおたがひの爲になりませぬ。」(經)
第三十六 旅人と熊の話(50)
朋友ふたり聯立て旅行せしが、山路にて熊に出逢たり。
壹人は遠より來る熊を目ばやく見付けて膽を消し、
同伴にはとんと構ひもせずに、唯我獨に樹の上へかけ上る。
然るに後の壹人は少と遲く見つけたゆゑ、既ににげる間合もなく、 又手に何も持ぬゆゑ防ぐ事も出來ず。
そこで熊は死人に構ぬものと兼て聞てゐた説を頼にして、
死んだ眞似をして地に倒れて居ると、熊はやがて近付來て、耳や鼻や胸のあたりをあちこちと嗅廻り、
しきりと氣息を伺ひたれど、絶て生て居る樣子なければ、これは例の行倒ぢやと、
冷然と立去ると、樹の上へにげた友人がする〜と降來て、
下に居た友人に向ひ、「今熊が汝に何か耳語した樣だが、
何を云ひました」といへば、倒て居た友人がおかしさをこらへて、
「イヤサ、さしたる密談でも御座らぬ。彼熊のおしへたに、
なんでも危急な時に爲身ばかりして友人を見捨るものと交接には、
如此々々せよと云つたのさ。」
第三十七 獅子と驢馬と狐の話(51)
獅子、驢馬、狐、倶に云ひ合せて狩に出て歸りしに、獲物甚だ澤山なり。
獅子驢馬に命じて是を分たしむ。驢馬其肉を三分し、獅子と狐の前にさし置き、
「サア各位御引取なされ」と云へば、獅子甚だ不適意にて、
一言にも及ばず驢馬を引裂たり。そこで獅子又狐を呼、
肉を分てと云付けると、狐委細領承て、以前の肉を一堆にし、
其内より己の分と云つて只纔の肉を取りのけ、 あとを殘らず獅子の前へさし出すと、獅子王忽ち氣色が直り、
「誰が這樣な至公い分ケ方を卿に教た。」 狐
「ヘエ、ナニ私は驢馬の薄命から知りました。」
自から不幸に遇て悟らんより、他の不幸を以て鑑戒とせよ。
第三十八 牛部屋へ逃込んだ鹿の話(52)
獵人に追れて逃迷たる鹿、或百姓を見かけると駈込んで、 恰好あけてある牛部屋へ跳込み、
片隅に積んである藁の中へ隱ると、繋れて居る牛聲をかけ、 「汝は何でこんな人目の多い處へ逃こんだのだ。」
鹿 「マアいゝから默つて居て呉なせへ。
好機會を見ると直に他處へ行から」と云つて、 彼是する内薄暮になると、
牛奴が夕秣をやりに來る、作男が何か急しさうに度々出入りする、
番頭さんが見廻りに來てあちこちと朅來てゆく。 しかし隱れて居た鹿には誰も氣が付かずに仕舞ふと、
鹿は萬端相濟で安心の時候になつたと、
藁の中から聲をあげ、牛へ庇蔽れた禮をのべ、勃然と起かけると、 牛が低い聲で「アヽ、もうちつと待なせへ。
まだ此家に百人前の眼珠を持てる人があります。
若し夫が來チヤア汝の命は危ものだ。」と話して居る處へ、
當家の主人晩餐を喰畢、夜の樣子を一巡り見て來やう、
なんだか此頃は牛の樣子が惡い樣だと、先づ牛部屋へずつと這入、槽を見て大聲をあげ、
「なぜこんなに秣を少くする。エ、なぜ藁をたんと敷ネへ。
エ、膽がつぶれラア。云付けた蛛網がまだ掃へねヘナ。
此少許の事にいつまでかゝるのだ」と小言を云ひながら、
東西見廻して、藁の中から角尖がちよつと出て居るのを見つけ、 主人
「ヤア、鹿が居た、鹿が居た」と、叫號と、若ものが大勢駈つけて來て、
忽ち手捕にしたりけるとぞ。
なんでも主人ほど目の屆くものはない。
第三十九 兎と獵犬の話(53)
獵犬、茂叢中から兎を毆[注:驅出の誤り?]出して、
遠くまで追かけしに、兎運強くしてにげのびたり。時に途中で行合たる野羊飼が、
犬の失意立歸るのを見て笑ひながら、「二疋の内ぢやア中々兎の方が疾足ぢや」といふと、
犬がこたへて「汝、獨りは食ふが爲にかけるのに、獨りは命の爲にかけるのじやものを。」
なんでも命がけにするものが一番強サ。
第四十 海豚と鰮魚の話(54)
いづれの頃にか有けん、海豚と鯨との間に軍旅起りし事ありけり。
戰盛なる時に當つて、鰮魚其場へ罷出、 雙方をなだめ引分けんと周旋しければ、一疋の海豚聲をあらゝげ、
「足下打捨て置きなせへ。 汝の取扱で生るくらひなら、打合て死ぬ方がましだ。」
仲人に出て物事を治るのも、夫ほどの威望がなければ人が承知しませぬ。
餘り輕擧な事をせぬ方がよい。(補)
更新日: 2003/04/07
通俗伊蘇普物語:第四十一〜五十
第四十一 燒炭人と暴布人の話(55)
或燒炭人、小屋を廣くして明部屋ありければ、
外を通る暴布人を呼で、「ヲイ、吾舍に不要の部屋があるぜ。 來て一緒に住ねへか」と云へば、
さらして 「夫は難有、雖然汝と一緒に住居てゐたら、
吾が折角暴した反物が直に又黒くなるだらう。 是許は御斷りだ。」
餘り異て居る間柄には、心が中々合はぬものじや。
第四十二 獅子の戀慕の話(56)
むかし或山に住ける獅子、樵夫の娘に戀慕して、爺に迫り娘を娶らんと乞へり。
爺、是を嫌へども、もし大王の機嫌を損ぜば、如何なる災害にかゝらんともはかりがたしと、
とつおひつ猶豫せしが、きつと一計を案出し、直に獅子の許へ至り、 「此度御申込の趣は、誠に以て冥加至極、難有存奉ります。
しかし大王の御齒や御爪の樣では、何處の處女もおそれ奉らぬものは御座るまい。
仰ぎ希くは御齒を拔き御爪を剪り、ちと男振をつくらせ給へ。
然らば娘もさぞ惚奉り、我婿殿にも相應く候はん」と、
恐る〜のべければ、獅子王即座に領承し(どんな男でも情人にはなんでもウン〜で御座ります)、
齒を拔かせ爪を剪せ、そこでいよ〜婿になりたいと、娘の方へ出かけて來ると、
既身に備の無ものは少も可懼事はないと、
爺急に強くなり、天秤棒をおつとつて、押かけ婿をたゝき出せしとぞ。
既に爪牙を失つたる後は又如何すべき。
第四十三 風と日輪の話(57)
或時日輪と風の間に、いづれの力が強からんとせんさく有りて、爭論果しなし、
さらばとかう云により、今茲に通りかゝる旅人に雨衣をぬがせたらんかた力勝れりと定めんと、
風まづ術を施して、寒くはげしき嵐を起せば、旅人はかたく雨衣をおさへ、
吹取られじと身に纒へり。其時日輪雲間より出て、赫々たる和光を放ち、
霧を拂ひ寒を除けば、旅人は暖氣を愉快しとし、
日のます〜照すに從ひ、遂に熱さに堪へかねて、覺ず雨衣を脱ぎすてたりと。 そこで日輪の方勝たり。
暴を以て事を遂げ、威を以て人を伏せんより、物柔かに説諭して人の心緒を解くにしかず。
第四十四 百姓と兒輩の話(58)
某村の百姓何某死に臨めるとき、
兒輩を集め、死後の事を遺言して、「吾の命はもうこれ限りじや。
さて吾が汝等へ讓うといふものは外にない、 只葡萄畑の内よ。なんでも出精して稼ぐがよい」と、
言終ると息絶たり。そこで兒輩は先づ埋葬の事を濟せ、
さて亡父の遺言を判斷して、なんでも亡父の彼畑の内に、
黄金を埋て置たに相違はないと、各自に耒耜持出し、
毎日々々葡萄の畑を隅から隅まで掘返して、草をふるつて見た處が、 夫ぞとおもふものもなし。去ど草を取り土をゆるめたるゆゑにや、
はからず葡萄の蔓葉茂り、其出來秋に至りては例年にまさる結果ありて、
利市數倍なりければ、亡父の遺言は是なりけりと、 兄弟初めて其意を悟り、いよ〜出精しけるとなり。
家業勉強は富を得る基と知るべし。
第四十五 樹と斧の話(59)
樵夫林の中に來り、衆樹に向ひ腰を屈て、 斧の柯になるべき細き木を與給はれと乞へり。
其頼方至つて慇懃なりければ、大木ども領承して、 極下賤なる秦皮を渡し遣せり。
樵夫是を得てまづ斧の柯作り、そこで大木へ伐かゝると、
檞樹大に後悔し、となりの杉樹へ耳語く樣、 「アヽ、惡い事をしました。
可憐に彼の從順しい秦皮を彼奴の手へ渡さなかつたなら、
我輩はまだ生延ましたに。」
他の不爲は吾不爲といふ事を知れ。
第四十六 驢馬と狒狗の話(60)
或人狒狗と驢馬とを畜ふに、驢馬をば遠く廏につなぎ、 飼ふに豆や草を以てし、狒狗をば近く左右におき、
飼ふに膏味を以てして、時にふれては膝へ上げ、 愛玩する事甚し。驢馬常に思ひけるは、狒狗は毎日遊び戲れ、
旦那へざれては可憐がられる、夫に引かへ吾はマア、 用ばかり多くして、晝は木を牽き、夜は車を廻し、
骨の折れる事ばかり、ナント狒狗が樂でゐられるのは羨敷わけじやアないか、
吾も狒狗と同じ樣に旦那樣へじやれ付いたら、彼と同樣に可憐がられるだらうと、
或日絆をふり切つて座敷の上へ駈上り、爬たり躍たり妙な容態で狂ひ廻り、
果は主人の飯を喰て居る處へ跳込むと、食机は倒る汁は覆れる、
皿小鉢は踏こはされる。驢馬はこゝぞと圖に乘て、主人へ抱付き尾を振て、
口をなめんとしたりけるが、恰好臺所より男どもが駈付けて來て、
スハ、旦那の一大事と、手に〜棒をふりひらめかし、主人を救ひ驢馬を打倒し、
半死半生になしければ、驢馬は頻りに歎息して、「吾はマア、 まぜ自己の本文を守らなかつたらう。
呆狗の眞似をしてとんだめに逢た。」
第四十七 狼と羊の話(63)
或時狼の方より羊の方へ使者以て申上る口上に、 「いつまで御互に斯讐敵の思を爲し申すべき、
畢竟御邊の方に彼犬と申す奸奴があつて、 我等共を吠罵り候故、兎角騷動を引起し申すなり。
願くは彼犬どもを速に追のけ玉へ。然る上は御交際に付、
以後いさゝかも故障なく、永久御懇意なるべし」とありければ、
羊は何の氣も付かず、狼の言理もなりと、直に犬を追出すと、
其後は護るものがなくて、數多の羊一疋も殘らず皆狼に喰けるとぞ。
第四十八 獅子へ奉公する狐の話(64)
或狐、獅子某に奉公する事を定めて、 己は餌食となる獸を見出す事を勤め、
獅子は是を捕る事を職として、各々その分を守りゐて、 至極都合宜かりしが、後々に至つては、狐我慢の心を生じ、
吾だとてなんで彼に劣るものかと、 直に獸を捕る免許を乞ひ、
或日獨で狩に出かけると、忽ち獵師に見付けられ、却て獲物にせられけるとぞ。
第四十九 歳徳神と駱駝の話(65)
むかし駱駝頭に角を添へん事を歳徳神へ祈り、 「他の獸にはいと勇敷強げなる角あるに、
何とて吾には天の惠給はざるよ」と怨じければ、
神、願を聞き給はぬのみならず、却てうるさき奴かなとて其耳を切縮給ひしとぞ。
餘り多く得んとすれば、前に得し些少の物をさへ併せ失ふに至らん。
第五十 驢馬ときり〜゛すの話(66)
驢馬きり〜゛すの唱ふを聞き、妙聲なり、 吾も如彼な聲を持たいものだと、きり〜゛に向ひ、
「汝はマア何を喰なさつて、そんな好聲を出しなさる」と問へば、
きり〜゛す答へて、「ナニ、別に食物もありませぬ。
たゞ露ばかり啜て居ます」といふ故、驢馬が、夫では己も露だと、
其後は露ばかり甞て居たれば、ほどなく飢て死にけるとぞ。
他人に藥となるものが、自分には毒となる事あり。
構へて人のものを慾し、人の事を羨しなど思ふべからず。
更新日: 2003/04/07
通俗伊蘇普物語:第五十一〜六十
第五十一 ヘルキュス權現と車引の話(67)
或農夫馬に車を引かせ、泥濘る小路にかゝりけるに、
車輪、泥土の深みへめりこみ、馬いさゝかも進まれず。
そのとき男是を推出さんと骨を折らずに、只一心にヘルキュス權現を祈り、
此難儀をすくひたまへ、助け給へと願ひければ、權現さすがに見過し給はず、
忽ち天降まし〜て、「汝徒に我のみを頼む事なかれ。
汝先づ汝の肩を車にかけ、手をもつて輪を一塗に押べし。
天は只自から助からんと力を盡すものを扶くるものぞ」と、教解し給ひけるとなり。
如何に信仰すればとて、自から勉めざるものは、神佛も扶け給ふに術なし。
第五十二 兎と蛙の話(70)
或頃兎ども四方より敵をうけて、最早仕合の取直しかたもなく、
自滅するより外なしとおもひつめ、一同いひ合せて水中へ身を沈んと、
池の方へ脱走たり。此とき多くの蛙が池の邊りに出て遊び居りけるが、
今兎の群來るのを見て、あわてさわいで水の中へとびこむと、 眞先に進んだる兎立止り、「我友マア待なせへ、
我輩はまだそんなに思ひ切る場合でもなかつた。 此處に吾人よりもつと薄命の奴があるぜ。」
他人の不幸に比べて吾心を安んずるな。
但し氣力をつけよ。なんでも世には吾より勝る薄命のものがありと思ふべし。
第五十三 農夫と鸛の話(71)
或農夫、蒔つけたる田を啄荒す鶴を捕らんと、
罛を仕かけ、夕方になりて往て見れば、 多くの鶴かゝりゐて、内に鸛の鳥一羽交り居たり。
時に鸛哀れな聲を出して、「私は鶴では御座りませぬ。 私は決して汝の御蒔なさつた穀物を喰はしませぬ。
私は罪のない可哀な鸛の鳥で御座ります。 どうぞおゆるし下さりませ。どうぞ御助け下さりませ」といへど、
農夫は中々承知せず。いよ〜首筋を取詰て、 「なるほど汝のいふ處は皆誠實だらう。
しかし汝は穀物を荒す奴と一緒に己の手に捕たのだから、 汝も共に難儀をしなければならねへ。」
友惡ければ、其身正しといふとも人信ぜず。
第五十四 釣師と小魚の話(72)
或處に魚を釣て生業とするものあり。 夏日終日釣をしても所獲なく、
夕方になりて歸らんとする時、漸く小鮮を一尾釣りあげたり。
其時小鮮あわれな聲を出して、「御助け下され。私はまだ小さう御座ります。
中々食料にはなりませぬ。どうぞ河へ返して下さりませ。
私が大うなりまして、丁度食れる頃になりますと、
必此所へ參りまして、又御手にかゝります。」といへば、
釣師首をふつて、「否々吾は今汝を捕へた。
もし汝を水の中に返したなら、其時汝は、 サア捕て見サイナだらう。」
諺に、手にある鳥は、林の内の二羽にも充ふと云ふぞや。
第五十五 猿と駱駝の話(73)
或時走獸の大會ありしに、猿席上に於て所謂猿樂を奏したり。
衆皆是を見て興に入り、喝采る事かまびすし。
其時駱駝勃然してたちあがり、負ずに踏舞を始めると、
誰も是を見るに堪ず。果はひとしく立ちかゝつて、 拳を揚て打ちなやませ、構の外へ追出しけると。
諺に、袖のかゝる所より外へ手を出すなといふ事あり。
必ず自己に不應もせぬ要らざる所業を爲す事なかれ。
第五十六 牝獅子の話(75)
或時毛蟲あつまりて、眷族の多きを誇爭ふ事ありしが、
其論次第に片付きければ、遂に獅子と其多少を比べんと、 群獸獅子の洞窟に來り、先づ牝獅子に向つて、
「汝は何疋子を擧しやツた」といへば、
牝獅子目を怒せ肱を張り、「我には唯一疋でも此雄兒があります。」
質惡くして數多からにより、
寧少くとも質の好らん方勝なり。
第五十七 薪の束の話(76)
或傖父、
家兒兄弟喧嘩して家眷の[門&兒]墻ぬのを憂へ、
是を和睦させやうと、種々言葉を盡したれど聞入れず。
依つて譬を設けて是を諭す事を工夫し、或日家翁兄弟を呼寄せて、
吾の前へ薪を一把持て來いと云ひ付けたり。やがて兒輩薪を持來りたれば、
緊々と是を束ね、此儘是を折れと云ひ付けたり。 よつて兄弟代る〜゛に手をかけ足をかけて折らんとすたれどもをれず。
そこで家翁束を解て、各々一本づゝあてがつて、
サア是を折れと云ひ付けたり。此度は兄弟易く是を折得たり。
其時家翁莞爾ひながら、「それだから吾兒よ、
汝輩中よく合體して居る内は、力が強く仇を防ぐに充分なれど、 もし分裂になる時は、力が弱つて守るに足ぬぞ。
以後は決して喧嘩をするな」と、懇に戒めたりけるとぞ。
同心合力は勢を生す。
第五十八 武夫と獅子の話(77)
或武夫獅子と聯立て歩行きながら、 互に力自慢をして、イヤ人間が強い、ナニ獅子が強いと云募る折ふし、
路傍に勇者が獅子を踏へてゐる石像の立てあるのを見て、 武夫
「コウ、是より汝の方が強いと云ふ何ぞ證據があるか。」 獅子
「夫は手前勝手の云方じや。もし我輩が石工であつたなら、
人間の足の下に一疋の獅子といふ處へ、獅子の足の下に二十人の人間だらう。」
人は只自分の方へばかり、都合の好樣な事をいふものじや。
第五十九 乳母と狼の話(78)
或夜狼餌をさがして、東西あるき廻り、或家の窓下を通りかゝると、
丁度小兒の泣聲がして、乳母の叱る聲聞えたり。
狼何事にやと佇立り、耳を聳て是を聞くに、乳母の聲にて、
「サア、坊や泣なさんな、聞ないと狼に投與せます」といふゆゑ、 狼、しめたり、好下物にあり付いたと、
軒下に潛然として待て居ると、やがて夜もふけ兒も泣止めば、 再度乳母の聲にて、「ウム、好兒だ、
もし狼が喰ふとて來たなら打殺してやるぞ、ウム、打殺してやるぞ」といふゆゑ、
狼は全であてがはづれて、これは山窟へ歸るのが遲くなつた、
腹がへつたとつぶやきながら、急いで山へ走歸りけるとぞ。
人は多く口でいふ事と腹で思つてゐる事と、表裏のものじや。
諸君油斷をなさりますな。
第六十 猿と海豚の話(79)
昔日廻船に乘込むに、狒狗か猿を携へて、 船中に與具にする風習ありけり。
某人海旅に猿を連れて廻船に乘込みしが、
その船アツチカ(ギリシヤの地名)のソニュームといふ岬をかはせて駛る時、
颶風にはかに吹起り、船覆りて乘組のもの皆海中へ落入たり。
時に海豚、猿の水中に浮沈するを見て人かと思ひ、
己是を救はんと、直に猿を脊の上に乘せ、きしを目がけて泳行しが、
やがてアテネ(ギリシヤの都の名)の港なるピレースの向へ近付きたり。
其時、海豚聲をかけて、「相公、汝はアテネの御人で御座るか。」 猿
「ヱヽ、左樣サ、其地の有名るものゝ壹人で御座る。」 海豚
「夫じやア汝はピレースを御存知の筈じや。」 猿早のみ込にてピレースを豪富る町人の名と心得、
「ヱヽ、夫は私の最近敷する朋友の壹人で御座る」といへば、
海豚は猿の説b0a;にあきれはて、
「足下の樣な説b0a;人はどうでも隨意になさるが好」と云つて、
波の底に沈みけるとぞ。
知らざるを知らざるとの聖言を守らず。是が所謂猿悧巧なるべし。(補)
更新日: 2003/04/08
通俗伊蘇普物語:第六十一〜七十
第六十一 犬に噛れた狼の話(81)
或狼、犬に噛れて大によわり、少も身動をする事が出來ず。
一日羊が近傍を通りかゝるのを見て、 近處の河から水を持つて來て貰ひ度と思ひ、
臥居ながら聲をかけて、 狼
「もし足下が水をさへ持つて來て下されば、食物をば自分で見付けます。
どうぞ御頼み申します」といへば、羊中々油斷せず、
「なるほどさうで御座りませう。僕が水を持つてズウツと膝前へ寄ますと、
そこで貴兄の喰物が出來るので御座りますな。」
平日他に畏憚れるものは、困る時に柔和にしても、
人が中々近親りませぬ。實にまた、よわつたと云つても、 惡人は油斷のならぬもので御座ります。(補)
第六十二 燕と鴉の話(86)
燕と鴉と出合ひ、イヤ吾が好鳥じや、 ナニ吾が美鳥じやと云ひ爭ひ、果なかりしが、
鴉大音をあげて、「汝の羽儀のは夏の内計りよ。 吾の好のは何年でも冬を越すぞ。」
耐久の好のは美觀の好より益じや。
第六十三 燈火の話(87)
大集會の時、十分油をふくんで光りかゞやき居る燈火、
滿座の中にあつて、「ナント、日や月や星などより明るからう」と大言を拂ふと、
折から風が翏々と吹いて來て、燈火忽ち滅れたり。
時に壹人火奴で明を點けながら、「コウ、光ンなせへ。
燈公、以來口をきゝなさんな。ヱ、天の光は決て吹滅れやアしねへぜ。」
前後見ずに餘り大言を拂ふと、直に頭を壓られるものじや。(補)
第六十四 牧人と家牛の話(88)
或牧人家牛を失つて、何所へ行つたかと山や林を尋ねあるけども見當らず。 終に尋ねあぐんで、なんでも{[他]
ひと》に奪去れたに相違はないと、 山の神や土地の神へ願をかけ、「もし盜賊を見付ける事が出來ましたなら、
御禮に羊一疋獻備申ませう、南無大明神、南無大明神」と祈りながら、
東西へ巡歴りあるき、不圖ある山の背へあがると、
獅子が失つた大牛の死骸を押へて、殆喰はんとする處を見出したり。
牧人是を見て驚愕し、「南無大明神、南無大明神、此災難を逃させ給へ。 逃了る事が出來ましたなら、
必と御禮に彼牛を拜具ませう」と云ひけるとぞ。
神佛への願事が、悉皆御聞屆けになつたなら、
さぞや多の人が自分の願つたので困る事が出來るだらう。
第六十五 橡檞と蘆の話(91)
或河堤に生長たる橡檞、
大風の時に根返りして河を流れ下りけるに、汀に無事に茂りゐる蘆を見て、
「是は如何に、かやうに細く軟弱なるものゝ嵐に保ちぬるとは不思議なり。
吾如き太き強きものゝ堪へざりしには似ざりき」とつぶやくを、
蘆遙かに聞きとりて、「左樣に驚き給ふな、御邊はあの樣な嵐に逆て只一筋に曲まじとせられしゆゑ、
吹倒されたるなり。吾は輕かの風にさへ伏つ曲りつ避るゆゑ、
いつも無難に候ぞ」と云ひける。
第六十六 水星明神と樵夫の話(93)
赤貧のきこりが、一日河畔にて樹を伐り居たりしに、
過つて斧を水中に取落し、忽ち生業の資本を失つて、
歎き哀しむ事限りなし。其時河の守護神なる水星明神忽然とあらはれ給ひ、
きこりの願を納受あつて、直に水中に沈給ひしが、
しばらくして金の斧を持出給ひ、「汝の斧は是なりりや[注:しやの誤り?]」と問ひ給ふ。
きこり是を見て、「否是は僕のにては候はず」といふ。 神また水中にいり、此度は銀の斧を持出給ひ、
「是こそ汝の斧にて有るべけれ」といひ給ふ。きこり是を見て、 「否是にても候はず」といふ。神また水中にいり、
鐡の斧を持出給ひ、「是なりしや」と問ひ給ふ。きこり是を見て踊躍し、
「是こそ僕の失たる斧にて候、あら嬉しや」と云ひければ、 神其正直を賞給ひ、鐡の斧へ金銀の斧を取添へて、
ひとしくきこりにあたへ給へり。扨此きこり夕方になりて、村の内へ立歸り、 ありし事どもを仲間のものへ話すと、その内の慾の深い男が、
己も同じ利運にあり付きたいことだと、 其明日に同處へ尋ゆき、
樹を伐る樣な眞似をして斧を水中へ投り込み、こゝぞと河原に打伏て、 いと哀しげに立ち居たれば、水星明神果して出現あつて、
願の譯を聞き給ひ、忽ち水中にいり給ひしが、須臾金の斧を持出給ひ、
「汝の斧は是なりしや」と問ひ給ふ。男あわてゝ手をさし出し、 「是ぞたしかに我失たる斧にて候」と云ひて、
殆に握んと爲しければ、神大に怒り給ひ、
その邪曲をいたく惡んで、金の斧を授け給はぬのみならず、 前に落せし斧をさへ、返し給はざりけりと。
正直こそ益を取るよき手段なれ。
第六十七 鶴と雁の話(94)
或日鶴と雁と同じ畑に降りて、餌をあさり居たるが、 忽ち狩人出來りたり。鶴は痩て輕きゆゑ、
是を見ると鼓翼をして、唯一途に飛び去りしに、
雁は肥て重きゆゑ、急に逃去る事が出來ず、つひに狩人に獲られけると。
世の中騷動する頃は、重きものより輕きものこそましなれ。
第六十八 獅子と他の獸と狩に出た話(95)
獅子と他の獸と狩に出て、肥たる鹿一頭を獲たり。
その時獅子自ら行司と稱し、是を三つに引裂いて、扨云ひけるは、
「拙者獸長の事なれば、官資として先づ一ツ引き取るべし。
其次は拙者狩に加りたる事なれば、自身の所得としてまた一ツ引取るべし。
第三分に至りては、誰にもあれ吾言を肯ふもの是を引取るべし。」
威勢の盛なるものには、我意の振舞多きものと知れ。(補)
第六十九 蚊と牛の話(98)
牛の頭の廻りをぶん〜舞て居た蚊が、角の上にちよつと止り、
「うしさん、まつぴら御免なさい。もし私が重て御迷惑なら、 直に立去りませう、どうぞそうおつしやつて下され」
牛 「何に、汝が止たとて、吾の頭の迷惑になりはしませぬ。
イヤモウ御去なさらうとも、御止りなさらうとも、御勝手次第。 實情を申さうなら、
何處に汝が御座るのだか少も知れやしませぬ。」
心が小ければ考も亦小さい。
第七十 神彿天上の話(99)
歳徳神、海王權現、才智菩薩、天上に會合せられしとき、
各法力を以て能調へる一物を制作さんとの申合せありたり。
そこで歳徳神は人をこしらへ、才智菩薩は家をこしらへ、 海王權現は牛をこしらへらるゝ。時に諧謔尊者なるもの、
いまだヲリンピュス(ギリシヤの靈山)より來會たまはざりければ、 幸ひ尊者を判者の役にあてゝ、
誰の制作が能行屆て闕畧がないといふ事を定めさせんと待れたりしに、
ほどなく尊者これを見て莞々と打笑ひ、先づ牛を指て曰く、
此角は敵を突く時に目の見えんがために、眼の下にあつてよし。 次に人をさして曰く、心の邪正の見ゆべきために、
胸のあたりに窓ありたきものぞ。次に人家をさして、風儀の惡い隣家を避んがために、
なぜ車を付けさつしやらぬぞといはるゝと、歳徳神が突然立つて、
尊者を座より引出して曰、短所をいふ奴は決してすかれやアしねへぞ、 自分で一番好物を拵た上で、
他のものゝ月旦を打アがれ。
更新日: 2003/04/08
通俗伊蘇普物語:第七十一〜八十二
第七十一 日輪の妻迎の話(100)
極熱の時分に日輪妻を迎給ふとの評判あつて、 鳥も獸もめでたしと祝し、蛙もともに歡合けるを、
古老の蛙が聞込んで眉をひそめ「是は中々歡ぶ處ではあるまい、 憂ふべき事だらう。獨の時日さまでさへ、
堪られぬほど沼を乾上さつしやるのに、 小い日輪さまがこの上副さつしやつたなら、
我輩はマア如何なる事ぞ。」
暴君の民に厭るゝ事如此し、如何ぞ遺種ある事を慾せられんや。
第七十二 盜人と母の話(101)
或手習子手癖惡くして、朋輩の筆紙などをしば〜盜んで持歸りしが、
母叱りはせずして、却て働きものなりと譽けり。 その子成長するに從ひ、盜ごと次第に増長して、
貴重のものをさへ盜む樣になりしかば、 果は公儀の手にかゝり、法場に引かれたり。
その時母はかなしみに堪ず、いかにもして最後を見屆け、 念佛をも申さんと、泣々群集に立ちまぎれ、後に尾つゝゆきたるが、
その子は目早く見て取て、附添の役人に打向ひ、「彼處に來る我母へ、
何卒最後の一言を演申度」と云ひければ、事もなしとて許されたり。
そこで母は涙を拭ひ、「何事をいひ置くぞ、いざ申されよ」といひながら、 耳を口もとへさし寄すれば、其子は只怨めしやといふ一言にて、
母の耳朶を噬ひきりたり。此騷にて人々打寄、
母をいたわり介抱して、實に汝の息子殿は人でなし、
今までの罪はさて置て、此度の事は大惡無道と、いたく罵り噪ぎゐたれば、
其子靜に囘顧て、「列位左樣におつしやるな。
私を此極に至らせましたは、固はといへば母の所爲。
私がまだ幼少いときに、朋輩のものを盜ましたのを、
嚴く叱て下されば、今日の事はありませぬ。嗚呼怨しイ」といひけるとぞ。
惡事をば萠芽の内に摘切るがよい。
なんでも棒を手そばに置いて、童兒の折檻を怠るな。
第七十三 猫と鼠の話(102)
猫年老て壯時の樣に鼠を追駈る事が出來ず。
そこで如何かして手の屆く處へ、鼠を誑誘せんと思ひ、
自ら體を袋に入れ、首と手足をさし出し、死たる猫の吊された樣に見せて、
低架の腕木へ足を踏みかけ、手を下へつき、倒態になりて息を殺して居ると、
やがて老鼠二疋天井より降來て、遠くより是を伺ひ、 中々傍へは寄も付かず。一疋の鼠が友鼠に囁く樣、
吾はマア今まで幾箇も袋を見たが、 まだ猫の首の付いて居る袋を見た事はない。 友鼠
「イヤ嫗公、いつまでも其處へ御勝手に下て御座れ。 假令へ汝が藁で箱詰になつたとて、
手の屆くところへナニ往はしませぬ。」
老鳥は籾でつかまりはせぬ。なんでも年が重れば見わけが付いて來るものじや。
第七十四 獅子王と相談獸の話(103)
獅子王羊を呼び、近頃我息は臭きやととふ。羊答へて、左樣で御座りますといふと、 獅子王、馬鹿な奴じやと云つて其の首を喰切たり。
次に又狼を呼び、我口の臭は如何にと問ふ。 狼答へて、至つて佳香で御座りますといふと、
獅子王また怒て、此諂諛ものめと云て寸斷にひき裂たり。
そこでまた狐をよび、我息はどんな臭じやといふと、狐畏て、
臣は近頃冐寒で御座りまして、絶と鼻がきゝませぬ。
悧巧のものは危いときに何とも云はぬものじや。
第七十五 一雙の壺の話(106)
或河に一雙の壺流れ下る。其一ツは陶にして、 其一ツは唐銅なり。唐銅後より聲をかけ、
「オイ陶さん、一寸御待ちな、同伴に參りませう。 成丈け側へ御寄りなさい。私が保護て上るから」といへば、
すゑ 「夫は難有う。しかしそれが私には一番の禁物で御座ります。
汝が遠ざかつて居りさへ下されば、私は無難で下りますが、 もし汝が近くよつて、錚然とでもおやんなさると、
私は直に破滅て仕舞ます。」
餘り強いものゝ近邊には居らぬがよい。
何かもめが出來るといつでも弱い方が負だ。
第七十六 醫者と病人の話(107)
何庵とかいへる庸醫、或病者を預りしに、例の伎倆なれば、
治療屆かずして病人死たり。葬禮の日に醫者親類ととも〜゛供に立ち、 路にて醫者
「アヽ、此佛さまも酒を控へ養生を能なさつたら、今日の事はありませぬのに」と云へば、
施主の壹人が勃然して、「なる程貴老の御言葉じやが、
夫を今おつしやるのは無益千萬、なぜ當人が生てゐる内、其事をおいひなさらぬ。」
好勘辨は兎角後期から出るものじや。
第七十七 衆鼠商議の話(108)
或頃鼠どもが猫に手ひどく苦られ、此害をのぞく好き手腕もがなと、
一夜衆鼠會同をなして、 啇議をはじめたり。
そのとき席上において種々の獻策ありて、夫々詮議を遂げられたれど、 是ぞとおもふ謀計もなし。
然るに最後に至つて遙か末座より一疋の小鼠が進出、
いと驕色に申し立つる樣、「我輩の彼猫に多く取らるゝは、
畢竟彼の近寄るを知らずして各油斷するがゆゑなり。 よつて此後は彼猫の頂領に鈴をつけ置む。
然るときは彼の來る事知れ易くして我逃げ事遲からじ」と。 衆皆此謀を聞いて感伏し、
異口同音に可然とぞ同じける。 その時傍に默然として控へたる老鼠、
恐る〜進み出で、座中をきつと見渡して、物靜に申立つる樣、 「此策極めて妙なり。其效能も亦著明かるべし。
但し茲に承る度き一事あり、誰殿が猫の領に鈴を付けに參らるゝや。」
議論は議論、實地は實地なり。
第七十八 獅子と野羊の話(109)
三伏の夏の暑さに堪かねて、生靈のなやみ喘ぐ頃、 清水の湧出る處へ獅子と野羊と同時に水を飮に來て、
イヤ吾が先じや、汝が後じやと、相互ひにいひつのり、 果は噬合ひ掴み合ひ、死すとも負じ讓らじと、
挑み爭ひ居たりけるが、餘りに息切れ堪難きゆゑ、暫時雙方相引にして、
頭上を見上げたれば、一群の鸇翼をのして、
孰でも死だ方を餌にしませうと、歡舞をして居るゆゑ、
獅子も野羊も始めて氣がつき、「イヤ御互に鸇や鴉の餌にならうより、
是から中よくいたしませう」と、直に喧嘩はやみたりとぞ。
外寇は内憂を鎭むるの一助なるぞ。
第七十九 鶩黄金の卵を産む話(110)
或人鶩を飼しに、日々黄金の卵一ツを産めり。
主人是をよろこぶ事かぎりなし。雖然かく日に一ツづゝにては益の付方甚だ遲し、
如かず一度に寶を得たらんにはと、やがてあひるをしめころして腹のうちをせんさくするに、
さらに尋常のあひるにことなる事なかりしと。
日々少しづゝの得分あらば扨やみなん、
餘りあこぎに得んとすると本銀までも失ふものぞ。
第八十 餐饗に招かれた犬の話(112)
或大家饗應を設け、友人を招きしに、 友人の飼犬主の後に尾て同じく其家に入れ來れり。
其とき主家の飼犬も我主の脇に立て友犬を出迎へ、
「これはよう御いでなされた。今晩は御一處に山海を食べませう」といへば、
客方の犬謝辭をのべ、饗應の用意があるのを見て、
「イヤア盛んな御料理だ。これは好時候に參りました。
緩々と拜甞まして、今晩多量食置をしませう、
明日はなにも食物がありますまいから」と獨言をいひながら、
嬉しまぎれに尾を揮と、其揮た尾が料理人の目に留り、 料理人
「イヤアこれは何處の犬だ」と、ズツと寄つて引掴へ、 窓の外へ投り出すと、近處の犬が數疋駈寄り、
「コウどんな佳味を食ひなさつた」ときけば、 投り出された犬痛さをこらへ冷笑をしながら、
「私はどうして内から出たか知らぬほど飮過たから、イヤモウ、 絶とわすれました。」
他の尾に附てはいるものは、
窓から投り出される憂があります。
第八十一 蛙の主人を求る話(115)
むかし或池に群蛙すみて、何事もゆるやかに心まかせなりけるに、
互に我慢の振舞まさりて、終に治まりがたくなりければ、 ある日蛙等相集り、天を仰で諸共に、
「我輩を統御ゆべきよき主人をたまはれ」と、 願ひ訴へ申したり。天神是を聞き給ひ、
益もなき事なりと笑つて、只一本の丸柱を天上より投下し給ふ。
其水を打ち波を揚げたる音いとすさまじかりければ、今まで打寄り噪居たる蛙等、
おのゝき恐れ、水をくゞりて皆泥の中に潛みかくれ、しばらく出も得ざりしが、やがて先がけの蛙ありて、
水の面に首さし出し、事の樣を伺ひしに、 柱の落ちたるなりければ、さらば新主人の噐量を試んと、獨り柱へ近付くを、
他の蛙共遙に見て、我も〜と浮み出で、柱の側に伺候せり。 されども固より無心の木なれば、蛙は次第に恐懼を忘れ、
果は主人へ跳上り、狎侮るにいたりたり。其時蛙は、
かく主人のおとなしくして氣力のなきを甚だ不足の事に思ひ、再び天を打仰で、
「何卒他の勢ある主人を授け給はれ」と、
願ひ訴へ申したり。天神是を聞き給ひ、惡き奴等が願かなと、
一羽の鷺を送り給ふ。その鷺下界に降るや否や、直に蛙を取り初て、
次第々々に餌となしければ、蛙どもは驚き恐れ、天を仰いで打歎き、 「なにとぞ憐をたれ給へ、救ひ給へ」と大聲をあげて、
水神を以て詫奉れば、天神是を聞き給ひ、 「如今汝等の天罰は、則自業自得なり。
然らば此後は折合つて互に仲よく世を送れ、 決して天の賦與を不足として益もなさぬ事を願ふな。」
と懃ろに戒め給ひしとぞ。
第八十二 驢馬と主人の話(116)
或驢馬最初百姓に飼れたるに秣少く且骨が折て勤づらく思ひ、
歳徳權現へ願をかけて、どうぞ此辛苦を救ひ給へ、他家へ移し給はれと祈ければ、
權現惡き奴かなとて、是を車屋へ遣はし給ふ。 因て驢馬は以前よりは重載を引き、
骨が折れて堪へられず。そこでまた權現へ願をかけて、 なにとぞ此難儀を救ひ給へ、たすけ給へと祈りければ、權現ます〜怒り給ひ、
今度は革屋へ送り給ふ。かく驢馬は主がへをする度毎に、段々造化が惡くなり、
骨の折れかたもましたれば、或日主人の仕事をして居るのを見て、 歎息していふ樣、「アヽ、吾ほど運のわるものはないぞ。
以前の旦那へ奉公したが一番よかつたつけ。己が當時勤て居る旦那は、 生て居る内殘酷遣はつしやる許りじやアねへ、
死だ後も免さつしやりヤアしない。」
一處に安んずる事を知らぬものは、生涯心落つかずして、
他所へ移る度毎に不運になるものじやぞ。
(松崎實校)
更新日: 2003/04/08
通俗伊蘇普物語:伊蘇普小傳
伊蘇普小傳
希臘亞の賢人伊蘇普は、紀元前五六百年の際に當り、
小亞細亞の比利西亞といふ處に生れたる人なり。 此人少時はなはだ薄命にて、
希臘亞の雅典の市人に身を鬻ぎて奴となり、
既にして復小亞細亞沙摩斯島の撒入斯氏及び邪的門氏へ轉賣られ、
茲に數年の星霜を送りたるに、或功勞を立てたるにより遂に其身を贖ふ事を得て、
始て不羈の身となりたり。是に於て伊蘇普は四方周遊の志を發し、
王侯に説き士庶に諭すに專ら寓言諧詼を以せり。
故に榮時才學の富贍なる事を世に知られ、 後世になりては寓言譬諭の鼻祖と稱せらるゝに至れり。
扨此時に當りて小亞細亞の里地亞國といふは天下比なき富強の國なりしが、
其王挌爾索、伊蘇普の高名を聞き、禮を厚うして宮中に招き給ひ、
其才識を試みられしに、實に海内無雙の賢才なりければ毎事に諮問ありたり。
因て伊蘇普は暫く其朝に止り居られたるに、 或時王の密旨を受けて得爾比に使せられし事ありける。
然るに或事より國人の暴怒を起し、遂に兇人の手に捕はれて、
名に聞えたら得爾比山の絶頂より百仞の谷底へ投落され、 こゝに非命に身を終りたると云ふ。
伊蘇普氏の傳則ち前擧る處の如し。其詳かなる事は諸書に就て考ふれども證跡たしかならず。
今暫く其大畧を擧げ、此書を讀むものに、其人の尊むべく其道の信ずべき事をいさゝかしらしむるために記すと云爾。
明治五年龍集壬申夏五月
渡 部 温識
更新日: 2003/03/16