やまとうたは、昔あめつち開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原中国の言の葉として、稲田姫素鵞の里よりぞつたはれりける。しかありしよりこのかた、その道さかりに興り、その流れいまに絶ゆることなくして、色にふけり、心をのぶるなかだちとし、世をおさめ、民をやはらぐる道とせり。
かゝりければ、代々のみかどもこれを捨てたまはず、えらびをかれたる集ども、家々のもてあそびものとして、詞の花のこれる木のもとかたく、思ひの露もれたる草がくれもあるべからず。しかはあれども、伊勢の海きよき渚の玉は、ひろふとも尽くることなく、泉の杣しげき宮木は、ひくとも絶ゆべからず。ものみなかくのごとし。うたの道またおなじかるべし。
これによりて、右衛門督源朝臣通具、大蔵卿藤原朝臣有家、左近中将藤原朝臣定家、前上総介藤原朝臣家隆、左近少将藤原朝臣雅経らにおほせて、むかしいま時をわかたず、たかきいやしき人をきらはず、目に見えぬ神仏の言の葉も、うばたまの夢につたへたる事まで、ひろくもとめ、あまねく集めしむ。
をのをのえらびたてまつれるところ、夏引の糸のひとすぢならず、夕の雲のおもひ定めがたきゆへに、緑の洞、花かうばしきあした、玉の砌、風すゞしきゆふべ、難波津の流れをくみて、すみ濁れるをさだめ、安積山の跡をたづねて、ふかき浅きをわかてり。
万葉集にいれる歌は、これをのぞかず、古今よりこのかた七代の集にいれる歌をば、これを載する事なし。たゞし、詞の苑にあそび、筆の海をくみても、空とぶ鳥のあみをもれ、水にすむ魚のつりをのがれたるたぐひは、昔もなきにあらざれば、今も又しらざるところなり。すべてあつめたる歌二千ぢ二十巻、なづけて新古今和歌集といふ。
春霞立田の山に初花をしのぶより、夏は妻恋ひする神なびの郭公、秋は風にちる葛城の紅葉、冬は白たへの富士の高嶺に雪つもる年の暮まで、みなおりにふれたる情なるべし。しかのみならず、高き屋にとをきをのぞみて、民の時をしり、末の露もとの雫によそへて、人の世をさとり、たまぼこの道のべに別れをしたひ、あまざかる鄙の長路に都をおもひ、高間の山の雲居のよそなる人をこひ、長柄の橋の浪にくちぬる名をおしみても、心中にうごき、言外にあらはれずといふことなし。いはむや、住吉の神は片そぎの言の葉をのこし、伝教大師はわがたつ杣の思ひをのべたまへり。かくのごとき、しらぬ昔の人の心をもあらはし、ゆきて見ぬ境の外のことをもしるは、たゞこの道ならし。
そもそも、むかしは五たび譲りし跡をたづねて、天つ日嗣の位にそなはり、いまは八隅知る名をのがれて、藐姑射の山に住処をしめたりといへども、天皇は子たる道をまもり、星の位はまつりごとをたすけし契りをわすれずして、天の下しげき事わざ、雲の上のいにしへにもかはらざりければ、よろづの民、春日野の草のなびかぬかたなく、よもの海、秋津島の月しづかにすみて、和歌の浦の跡をたづね、敷島の道をもてあそびつゝ、この集をえらびて、永き世につたへんとなり。
かの万葉集はうたの源なり。時うつり事へだたりて、今の人しることかたし。延喜のひじりの御代には、四人に勅して古今集をえらばしめ、天暦のかしこきみかどは、五人におほせて後撰集をあつめしめたまへり。そののち、拾遺、後拾遺、金葉、詞華、千載等の集は、みな一人これをうけたまはれるゆへに、聞きもらし見をよばざるところもあるべし。よりて、古今、後撰のあとを改めず、五人のともがらを定めて、しるしたてまつらしむるなり。
そのうへ、みづから定め、てづから磨けることは、とをくもろこしの文の道をたづぬれば、浜千鳥あとありといへども、わが国やまと言の葉始まりてのち、呉竹のよゝに、かゝるためしなんなかりける。
このうち、みづからの歌を載せたること、古きたぐひはあれど、十首にはすぎざるべし。しかるを、今かれこれえらべるところ、三十首にあまれり。これみな、人の目たつべき色もなく、心とゞむべきふしもありがたきゆへに、かへりて、いづれとわきがたければ、森のくち葉かず積り、汀の藻くづかき捨てずなりぬることは、道にふける思ひふかくして、後の嘲りをかへりみざるなるべし。
時に元久二年三月廿六日なんしるしをはりぬる。
目をいやしみ、耳をたふとぶるあまり、石上ふるき跡を恥づといへども、流れをくみて、源をたづぬるゆへに、富緒河のたえせぬ道を興しつれば、露霜はあらたまるとも、松ふく風の散りうせず、春秋はめぐるとも、空ゆく月の曇なくして、この時にあへらんものは、これをよろこび、この道をあふがんものは、今をしのばざらめかも。
1 春たつ心をよみ侍りける
みよし野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり
2 春のはじめの歌
ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山かすみたなびく
3 百首歌たてまつりし時、春の歌
山ふかみ春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
4 五十首歌たてまつりし時
かきくらし猶ふる里の雪のうちに跡こそ見えね春は来にけり
5 入道前関白太政大臣、右大臣に侍ける時、百首歌よませ侍けるに、立春の心を
今日といへば唐土までも行く春を都にのみと思ひけるかな
6 題しらず
春といへば霞みにけりな昨日まで波間に見えし淡路島山
7 題しらず
岩間とぢし氷も今朝は解けそめて苔のした水道もとむらむ
8 題しらず
風まぜに雪は降りつつしかすがに霞たなびき春は来にけり
9 題しらず
時はいまは春になりぬとみ雪ふる遠き山べにかすみたなびく
10 堀河院御時百首歌たてまつりけるに、残りの雪の心をよみ侍りける
春日野の下萌えわたる草のうへにつれなく見ゆる春のあわ雪
11 題しらず
明日からは若菜摘まむとしめし野に昨日も今日も雪は降りつつ
12 天暦御時屏風歌
春日野の草はみどりになりにけり若菜摘まむと誰かしめけむ
13 崇徳院に百首歌たてまつりける時、春の歌
若菜摘む袖とぞ見ゆるかすが野の飛火の野辺の雪のむらぎえ
14 延喜御時の屏風に
行きて見ぬ人も忍べと春の野のかたみにつめる若菜なりけり
15 述懐百首歌よみ侍けるに、若菜
沢に生ふる若菜ならねど徒らに年をつむにも袖はぬれけり
16 日吉社によみてたてまつりける子日の歌
さざ波や志賀の浜松ふりにけり誰が世に引ける子日なるらむ
17 百首歌たてまつりし時
谷河のうち出づる波も声たてつうぐひすさそへ春の山かぜ
18 和歌所にて、関路鶯といふことを
鶯の鳴けどもいまだ降る雪に杉の葉しろきあふさかの関
19 堀河院に百首歌たてまつりける時、残りの雪の心をよみ侍ける
春来ては花ともみよと片岡の松のうは葉にあわ雪ぞ降る
20 題しらず
まきもくの桧原のいまだくもらねば小松が原にあわ雪ぞ降る
21 題しらず
今さらに雪降らめやも陽炎のもゆる春日となりにしものを
22 題しらず
いづれをか花とは分かむふるさとの春日の原にまだ消えぬ雪
23 家百首歌合に、余寒の心を
空はなほかすみもやらず風冴えて雪げにくもる春の夜の月
24 和歌所にて、春山月といふ心をよめる
山ふかみなほかげさむし春の月空かきくもり雪は降りつつ
25 詩を作らせて歌にあはせ侍しに、水郷春望といふことを
みしま江や霜もまだひぬ蘆の葉につのぐむほどの春風ぞ吹く
26 詩を作らせて歌にあはせ侍しに、水郷春望といふことを
夕月夜しほ満ちくらし難波江のあしの若葉を越ゆるしらなみ
27 春歌とて
降りつみし高嶺のみ雪解けにけり清滝川の水のしらなみ
28 春歌とて
梅が枝にものうきほどにちる雪を花ともいわじ春の名だてに
29 春歌とて
あづさゆみはる山近く家居して絶えずききつるうぐいすの声
30 春歌とて
梅が枝に鳴きてうつろふ鶯のはね白たへにあわ雪ぞ降る
31 百首歌たてまつりし時
鶯のなみだのつららうちとけてふる巣ながらや春を知るらむ
32 題しらず
岩そそぐたるひの上のさ蕨の萌えいづる春になりにけるかな
33 百首歌たてまつりし時
あまのはら富士の煙の春のいろの霞になびくあけぼののそら
34 崇徳院に百首歌たてまつりける時
朝がすみふかく見ゆるや煙たつ室の八島のわたりなるらむ
35 晩霞といふことをよめる
なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふおきつしら浪
36 をのこども詩を作りて歌にあはせ侍しに、水郷春望といふことを
見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけむ
37 摂政太政大臣家百首歌合に、春の曙といふ心をよみ侍ける
霞立つすゑのまつやまほのぼのと波にはなるるよこぐもの空
38 守覚法親王、五十首歌よませ侍けるに
春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるるよこぐもの空
39 如月まで梅の花さき侍らざりける年、よみ侍ける
知るらめやかすみの空をながめつつ花もにほはぬ春を嘆くと
40 守覚法親王家五十首歌に
大空は梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月
41 題しらず
折られけりくれなゐ匂ふ梅の花今朝しろたへに雪は降れれど
42 垣根の梅をよみ侍りける
あるじをば誰ともわかず春はただ垣根の梅をたづねてぞ見る
43 梅花遠薫といへる心をよみ侍ける
心あらばとはましものを梅が香にたが里よりか匂ひきつらむ
44 百首歌たてまつりし時
梅の花にほひをうつす袖のうへに軒漏る月のかげぞあらそふ
45 百首歌たてまつりし時
梅が香にむかしをとへば春の月こたへぬかげぞ袖にうつれる
46 千五百番の歌合に
梅のはな誰が袖ふれしにほひぞと春や昔の月にとはばや
47 千五百番の歌合に
梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月
48 梅花にそへて大弐三位につかはしける
来ぬ人によそへて見つる梅の花散りなむ後のなぐさめぞなき
49 返し
春ごとに心をしむる花の枝に誰がなほざりの袖か触れつつ
50 二月雪落衣といふことをよみ侍ける
梅散らす風も越えてや吹きつらむかをれる雪の袖にみだるる
51 題しらず
とめこかし梅さかりなるわが宿を疎きも人はおりにこそよれ
52 百首歌たてまつりしに、春歌
ながめつる今日は昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな
53 土御門内大臣の家に、梅花留袖といふ事をよみ侍けるに
散りぬればにほひばかりを梅の花ありとや袖に春風の吹く
54 題しらず
ひとりのみながめて散りぬ梅の花知るばかりなる人はとひこず
55 文集嘉陵春夜詩、不明不暗朧々月といへることを、よみ侍りける
照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき
56 祐子内親王藤壺に住み侍けるに、女房・上人など、さるべきかぎり物語りして、春秋のあはれ、いづれにか心ひくなど、あらそひ侍けるに、人々おほく秋に心をよせ侍ければ
浅みどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月
57 百首歌たてまつりし時
難波潟かすまぬ浪もかすみけりうつるもくもるおぼろ月夜に
58 摂政太政大臣家百首歌合に
今はとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空
59 刑部卿頼輔、歌合し侍けるに、よみてつかはしける
聞く人ぞなみだは落つるかへる雁なきて行くなるあけぼのの空
60 題しらず
故郷にかへるかりがねさ夜ふけて雲路にまよふ声きこゆるなり
61 帰雁を
忘るなよたのむの沢をたつ雁も稲葉の風のあきのゆふぐれ
62 百首歌たてまつりし時
帰る雁いまはのこころありあけに月と花との名こそ惜しけれ
63 守覚法親王の五十首歌に
霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る
64 閑中春雨といふことを
つくづくと春のながめの寂しきはしのぶにつたふ軒の玉水
65 寛平御時后の宮の歌合歌
水の面にあや織りみだる春雨や山の緑をなべて染むらむ
66 百首歌たてまつりし時
ときはなる山の岩根にむす苔の染めぬみどりに春雨ぞ降る
67 清輔朝臣のもとにて、雨中苗代といふことをよめる
雨降れば小田のますらをいとまあれや苗代水を空にまかせて
68 延喜御時屏風に
春雨の降りそめしよりあをやぎの糸のみどりぞ色まさりける
69 題しらず
うちなびき春は来にけり青柳のかげふむ道に人のやすらふ
70 題しらず
みよし野のおほ川のべの古柳かげこそ見えね春めきにけり
71 百首歌の中に
嵐吹く岸のやなぎのいなむしろ織りしく波にまかせてぞ見る
72 建仁元年三月歌合に、霞隔遠樹といふことを
高瀬さす六田の淀のやなぎ原みどりもふかくかすむ春かな
73 百首歌よみ侍ける時、春歌とてよめる
春風のかすみ吹きとくたえまよりみだれてなびく青柳のいと
74 千五百番歌合に、春歌
しら雲のたえまになびくあをやぎの葛城山に春風ぞ吹く
75 千五百番歌合に、春歌
青柳のいとに玉ぬく白つゆの知らずいく世の春か経ぬらむ
76 千五百番歌合に、春歌
薄く濃き野辺のみどりの若草にあとまで見ゆる雪のむらぎえ
77 題しらず
あらを田の去年の古根のふる蓬いまは春べとひこばえにけり
78 題しらず
焼かずとも草はもえなむ春日野をただ春の日に任せたらなむ
79 題しらず
よし野山さくらが枝に雪降りて花おそげなる年にもあるかな
80 白河院、鳥羽におはしましける時、人々、山家待花といへる心をよみ侍けるに
さくら花咲かばまづ見むと思ふまに日かず経にけり春の山里
81 亭子院歌合歌
わが心春の山辺にあくがれてながながし日を今日も暮らしつ
82 摂政太政大臣百首歌合に、野遊の心を
おもふどちそことも知らず行き暮れぬ花のやどかせ野べの鶯
83 百首歌たてまつりしに
いま桜咲きぬと見えてうすぐもり春に霞める世のけしきかな
84 題しらず
臥して思ひ起きてながむる春雨に花の下紐いかに解くらむ
85 題しらず
行かむ人来む人しのべ春かすみ立田の山のはつざくら花
86 花歌とてよみ侍ける
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ
87 和歌所にて歌つかうまつりしに、春の歌とてよめる
葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかるしら雲
88 題しらず
いそのかみ古き都を来て見れば昔かざしし花咲きにけり
89 題しらず
春にのみ年はあらなむ荒小田をかへすがへすも花を見るべく
90 八重桜をおりて、人のつかはして侍ければ
白雲のたつたの山の八重ざくらいづれを花とわきて折らまし
91 百首歌たてまつりし時
白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふらし
92 題しらず
吉野山はなやさかりに匂ふらむふるさとさらぬ嶺のしらくも
93 和歌所歌合に、羇旅といふことを
岩根ふみかさなる山を分けすてて花もいくへのあとのしら雲
94 五十首歌たてまつりし時
尋ね来て花に暮らせる木の間より待つとしもなき山の端の月
95 故郷花といへる心を
散り散らず人もたづねぬふるさとの露けき花に春かぜぞ吹く
96 千五百番歌合に
いそのかみふる野のさくら誰植ゑて春は忘れぬ形見なるらむ
97 千五百番歌合に
花ぞ見る道のしばくさふみわけて吉野の宮の春のあけぼの
98 千五百番歌合に
朝日かげにほへる山のさくら花つれなく消えぬ雪かとぞ見る
99 釈阿、和歌所にて九十の賀し侍しおり、屏風に、山に桜さきたるところを
さくら咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな
100 千五百番歌合に、春歌
いくとせの春に心をつくし来ぬあはれと思へみよし野の花
101 百首歌に
はかなくて過ぎにしかたを数ふれば花に物思ふ春ぞ経にける
102 内大臣に侍ける時、望山花といへる心をよみ侍ける
白雲のたなびく山のやまざくらいづれを花と行きて折らまし
103 祐子内親王家にて、人々、花の歌よみ侍けるに
花の色にあまぎるかすみたちまよひ空さへ匂ふ山ざくらかな
104 題しらず
ももしきの大宮人はいとまあれ桜かざして今日もくらしつ
105 題しらず
花にあかぬ歎はいつもせしかども今日の今宵に似る時は無し
106 題しらず
いもやすくねられざりけり春の夜は花の散るのみ夢にみつつ
107 題しらず
山ざくら散りてみ雪にまがひなばいづれか花と春にとはなむ
108 題しらず
わが宿の物なりながら桜花散るをばえこそとどめざりけれ
109 寛平御時后の宮の歌合に
霞たつ春の山辺にさくら花あかず散るとやうぐひすの鳴く
110 題しらず
春雨はいたくな降りそさくら花まだ見ぬ人に散らまくも惜し
111 題しらず
花の香にころもはふかくなりにけり木の下かげの風のまにまに
112 千五百番歌合に
風かよふ寝ざめの袖の花の香にかをるまくらの春の夜の夢
113 守覚法親王、五十首歌よませ侍ける時
この程は知るも知らぬも玉鉾の行きかふ袖は花の香ぞする
114 摂政太政大臣家に五首歌よみ侍けるに
またや見む交野のみ野のさくらがり花の雪散る春のあけぼの
115 花歌よみ侍けるに
散り散らずおぼつかなきは春霞たつたの山のさくらなりけり
116 山里にまかりてよみ侍ける
山里の春の夕ぐれ来て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける
117 題しらず
桜散る春の山べは憂かりけり世をのがれにと来しかひもなく
118 花見侍ける人にさそはれてよみ侍ける
山ざくら花のした風吹きにけり木のもとごとの雪のむらぎえ
119 題しらず
はるさめのそぼふる空のをやみぜず落つる涙に花ぞ散りける
120 題しらず
雁がねのかへる羽風やさそふらむ過ぎ行くみねの花も残らぬ
121 百首歌めしし時、春歌
時しもあれたのむの雁のわかれさへ花散るころのみ吉野の里
122 見山花といへる心を
山ふかみ杉のむらだち見えぬまでをのへの風に花の散るかな
123 堀河院御時百首歌たてまつりけるに、花歌
木のもとの苔の緑も見えぬまで八重散りしけるやまざくらかな
124 花十首歌よみ侍けるに
ふもとまで尾上の桜ちり来ずはたなびく雲と見てや過ぎまし
125 花落客稀といふことを
花散ればとふ人まれになりはてていとひし風の音のみぞする
126 題しらず
ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ
127 題しらず
山里の庭よりほかの道もがな花ちりぬやと人もこそ訪へ
128 五十首歌たてまつりし中に、湖上花を
花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで
129 関路花を
あふさかやこずゑの花をふくからに嵐ぞかすむ関の杉むら
130 百首歌たてまつりし、春歌
山たかみ峰の嵐に散る花の月にあまぎるあけがたのそら
131 百首歌めしける時、春歌
山たかみ岩根の桜散る時はあまの羽ごろも撫づるとぞ見る
132 春日社歌合とて、人々、歌よみ侍けるに
散りまがふ花のよそめはよし野山あらしにさわぐみねの白雲
133 最勝四天王院の障子に、吉野山かきたる所
みよし野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春のあけぼの
134 千五百番歌合に
桜色の庭のはるかぜあともなし訪はばぞ人の雪とだにみむ
135 ひととせ忍びて大内の花見にまかりて侍しに、庭にちりて侍し花を硯のふたにいれて、摂政のもとにつかはし侍し
今日だにも庭を盛とうつる花消えずはありとも雪かとも見よ
136 返し
さそはれぬ人のためとやのこりけむ明日よりさきの花の白雪
137 家の八重桜をおらせて、惟明親王のもとにつかはしける
八重にほふ軒端の桜うつろひぬ風よりさきに訪ふ人もがな
138 返し
つらきかなうつろふまでに八重桜とへともいはで過ぐるこころは
139 五十首歌たてまつりし時
さくら花夢かうつつか白雲のたえてつねなきみねの春かぜ
140 題しらず
恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば
141 題しらず
はかなさをほかにもいはじ桜花咲きては散りぬあはれ世の中
142 入道前関白太政大臣家に、百首歌よませ侍ける時
ながむべき残の春をかぞふれば花とともにも散るなみだかな
143 花歌とてよめる
花もまたわかれむ春は思ひ出でよ咲き散るたびの心づくしを
144 千五百番歌合に
散るはなのわすれがたみの峰の雲そをだにのこせ春のやまかぜ
145 落花といふことを
花さそふなごりを雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風
146 題しらず
惜しめども散りはてぬれば桜花いまはこずゑを眺むばかりぞ
147 残春の心を
吉野山花のふるさとあと絶えてむなしき枝にはるかぜぞ吹く
148 題しらず
ふるさとの花の盛は過ぎぬれどおもかげさらぬ春の空かな
149 百首歌中に
花は散りその色となくながむればむなしき空にはるさめぞ降る
150 小野宮の太政大臣、月輪寺花見侍ける日よめる
誰がためか明日は残さむ山ざくらこぼれて匂へ今日の形見に
151 曲水宴をよめる
からびとの舟を浮かべて遊ぶてふ今日ぞわがせこ花かづらせよ
152 紀貫之、曲水宴し侍ける時、月入花灘暗といふことをよみ侍ける
花流す瀬をも見るべき三日月のわれて入りぬる山のをちかた
153 雲林院の桜見にまかりけるに、みな散りはてて、わづかに片枝にのこりて侍ければ
尋ねつる花もわが身もおとろへて後の春ともえこそ契らね
154 千五百番歌合に
思ひ立つ鳥はふる巣もたのむらむ馴れぬる花のあとの夕暮
155 千五百番歌合に
散りにけりあはれうらみの誰なれば花のあととふ春の山風
156 千五百番歌合に
春ふかくたづねいるさの山の端にほの見し雲の色ぞのこれる
157 百首歌たてまつりし時
初瀬山うつろう花に春暮れてまがひし雲ぞ峰にのこれる
158 百首歌たてまつりし時
吉野川岸のやまぶき咲きにけり嶺のさくらは散りはてぬらむ
159 百首歌たてまつりし時
駒とめてなほ水かはむ山吹のはなの露そふ井出の玉川
160 堀河院御時、百首歌たてまつりける時
岩根越すきよたき川のはやければ波をりかくるきしの山吹
161 題しらず
かはづなく神なび川に影見えていまや咲くらむ山吹の花
162 延喜十三年、亭子院歌合歌
あしびきの山吹の花散りにけり井手のかはづは今や鳴くらむ
163 飛香舎にて藤花宴侍けるに
かくてこそ見まくほしけれよろづ代をかけてにほへる藤波の花
164 天暦四年三月十四日、藤壺にわたらせ給ひて、花おしませ給ひけるに
円居して見れどもあかぬ藤浪のたたまく惜しき今日にもある哉
165 清慎公家屏風に
暮れぬとは思ふものから藤の花咲けるやどには春ぞひさしき
166 藤の松にかゝれるをよめる
みどりなる松にかかれる藤なれどおのが頃とぞ花は咲きける
167 春の暮つかた、実方朝臣のもとにつかはしける
散り残る花もやあるとうちむれてみ山がくれを尋ねてしがな
168 修行し侍けるころ、春の暮によみける
木の下のすみかも今は荒れぬべし春し暮れなば誰か訪ひこむ
169 五十首歌たてまつりし時
暮れて行く春のみなとは知らねども霞に落つる宇治のしば舟
170 山家三月尽をよみ侍ける
来ぬまでも花ゆゑ人の待たれつる春も暮れぬとみ山辺の里
171 題しらず
いそのかみふるのわさ田をうち返し恨みかねたる春の暮れかな
172 寛平御時后の宮の歌合歌
待てといふに留らぬ物と知りながら強ひてぞ惜しき春の別は
173 山家暮春といへる心を
柴の戸をさすや日かげのなごりなく春暮れかかる山の端の雲
174 百首歌たてまつりし時
明日よりは志賀の花園まれにだに誰かは訪はむ春のふるさと
175 題知らず
春過ぎて夏来にけらししろたへの衣ほすてふあまのかぐ山
176 題知らず
惜しめどもとまらぬ春もあるものをいはぬにきたる夏衣かな
177 更衣をよみ侍りける
散りはてて花のかげなきこのもとにたつことやすき夏衣かな
178 春を送りて昨日のごとしといふことを
夏衣きていくかにかなりぬらむ残れる花は今日も散りつつ
179 夏のはじめの歌とてよみ侍りける
折りふしもうつればかへつ世の中の人のこころの花染の袖
180 卯花如月といへる心をよませ給ひける
卯の花のむらむら咲ける垣根をば雲間の月のかげかとぞ見る
181 題知らず
卯の花の咲きぬる時はしろたへの波もてゆへる垣根とぞ見る
182 齋院に侍りける時神館にて
忘れめやあふひを草にひき結びかりねの野辺の露のあけぼの
183 葵をよめる
いかなればそのかみ山のあふひ草年は経れども二葉なるらむ
184 最勝四天王院の障子に淺香の沼かきたる所
野辺はいまだ浅香の沼に刈る草のかつみるままに茂る頃かな
185 崇徳院に百首歌奉りける時夏の歌
桜あさのをふの下草しげれただあかで別れし花の名なれば
186 題知らず
花散りし庭の木の間もしげりあひてあまてる月の影ぞ稀なる
187 題知らず
かりにくと恨みし人の絶えにしを草葉につけてしのぶ頃かな
188 題知らず
夏草は茂りにけりなたまぼこの道行き人もむすぶばかりに
189 題知らず
夏草は茂りにけれどほととぎすなどわがやどに一声もせぬ
190 題知らず
なく声をえやは忍ばぬほととぎす初卯の花のかげにかくれて
191 賀茂に詣でて侍りけるに人の時鳥鳴かなむと申しける曙片岡の梢をかしく見え侍りければ
郭公こゑ待つほどはかた岡の森のしづくに立ちや濡れまし
192 賀茂に籠りたりける暁ほととぎすの鳴きければ
郭公み山出づなるはつこゑをいづれの里のたれか聞くらむ
193 題知らず
五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまたなかむかも
194 題知らず
おのがつま恋ひつつ鳴くや五月やみ神なび山の山ほととぎす
195 題知らず
郭公一こゑ鳴きていぬる夜はいかでか人のいをやすくぬる
196 題知らず
郭公鳴きつつ出づるあしびきのやまと撫子咲きにけらしな
197 題知らず
二声と鳴きつと聞かば郭公ころもかたしきうたた寝はせむ
198 待客聞時鳥といへる心を
郭公まだうちとけぬしのびねは来ぬ人を待つわれのみぞ聞く
199 題知らず
聞きてしも猶ぞ寝られぬほととぎす待ちし夜頃の心ならひに
200 神館にてほととぎすを聞きて
卯の花のかきねならねど時鳥月のかつらのかげになくなり
201 入道前關白右大臣に侍りける時百首歌よませ侍りける時鳥の歌
むかし思ふ草のいほりのよるの雨涙な添へそ山ほととぎす
202 入道前關白右大臣に侍りける時百首歌よませ侍りける時鳥の歌
雨そそぐ花たちばなに風すぎてやまほととぎす雲に鳴くなり
203 題知らず
聞かでただ寝なましものを郭公なかなかなりや夜半の一声
204 題知らず
誰が里も訪ひもや来ると郭公こころのかぎり待ちぞわびにし
205 寛治八年前太政大臣高陽院歌合に時鳥を
夜をかさね待ちかね山のほととぎす雲居のよそに一声ぞ聞く
206 海邊時鳥といふことをよみ侍りける
二声と聞かずは出でじ郭公いく夜あかしのとまりなりとも
207 百首歌奉りし時夏歌の中に
郭公なほひとこゑはおもひ出でよ老曾の森の夜半のむかしを
208 時鳥をよみける
ひとこゑはおもひぞあへぬ郭公たそがれどきの雲のまよひに
209 千五百番歌合に
有明のつれなく見えし月は出でぬ山郭公待つ夜ながらに
210 後徳大寺左大臣家に十首歌よみ侍りけるによみて遣しける
わが心いかにせよとてほととぎす雲間の月の影に鳴くらむ
211 時鳥の心をよみ侍りける
ほととぎす鳴きているさの山の端は月ゆゑよりもうらめしきかな
212 時鳥の心をよみ侍りける
有明の月は待たぬに出でぬれどなほ山ふかきほととぎすかな
213 社間時鳥といふことを
過ぎにけりしのだの森の郭公絶えぬしづくを袖にのこして
214 題知らず
いかにせむ来ぬ夜あまたの郭公またじと思へばむらさめの空
215 百首歌奉りしに
声はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそぐ宵のむらさめ
216 千五百番歌合に
ほととぎす猶うとまれぬ心かな汝がなく里のよその夕ぐれ
217 題知らず
聞かずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉のむらだち
218 題知らず
郭公ふかき峰より出でにけり外山のすそに声の落ち来る
219 山家暁時鳥といへる心を
をざさふく賤のまろ屋のかりの戸をあけがたに鳴く郭公かな
220 五首歌人々によませ侍りける時、夏歌とてよみ侍りける
うちしめりあやめぞかをる郭公啼くやさつきの雨のゆふぐれ
221 述懷に寄せて百首歌よみ侍りける時
今日はまた菖蒲のねさへかけ添へて乱れぞまさる袖のしら玉
222 五月五日薬玉遣し侍りける人に
あかなくに散りにし花のいろいろは残りにけりな君が袂に
223 局ならびに住み侍りけるころ五月六日もろともにながめ 明してあしたに長き根を包みて紫式部に遣しける
なべて世のうきになかるる菖蒲草今日までかかるねはいかが見る
224 返し
何ごととあやめはわかで今日もなほ袂に餘るねこそ絶えせね
225 山畦(さんけい)早苗といへる心を
さ苗とる山田のかけひ漏りにけりひくしめ縄に露ぞこぼるる
226 釈阿に九十賀給はせ侍りし時、屏風に五月雨
小山田にひくしめ縄のうちはへて朽ちやしぬらむ五月雨の頃
227 題知らず
いかばかり田子の裳裾もそぼつらむ雲間も見えぬ頃の五月雨
228 題知らず
みしま江の入江の真菰雨降ればいとどしをれて刈る人もなし
229 題知らず
真菰かる淀の沢水ふかけれどそこまで月のかげはすみけり
230 雨中木繁といふ心を
玉がしは茂りにけりなさみだれに葉守の神のしめはふるまで
231 百首歌よませ侍りけるに
さみだれはをふの河原の真菰草からでや波のしたに朽ちなむ
232 五月雨の心を
たまぼこのみち行人のことづても絶えてほどふるさみだれの空
233 五月雨の心を
さみだれの雲のたえまをながめつつ窓より西に月を待つかな
234 百首歌奉りし時
あふち咲くそともの木蔭つゆおちて五月雨晴るる風わたるなり
235 五十首歌奉りし時
さみだれの月はつれなきみ山よりひとりも出づる郭公かな
236 大神宮に奉りし夏歌の中に
郭公くもゐのよそに過ぎぬなり晴れぬおもひのさみだれの頃
237 建仁元年三月歌合に雨後時鳥といへる心を
五月雨の雲間の月の晴れゆくを暫し待ちけるほととぎすかな
238 題知らず
たれかまた花橘におもひ出でむわれもむかしの人となりなば
239 題知らず
行くすゑをたれしのべとて夕風に契りかおかむ宿のたちばな
240 百首歌奉りし時夏歌
かへり来ぬむかしを今とおもひ寝の夢の枕に匂ふたちばな
241 百首歌奉りし時夏歌
たちばなの花散る軒のしのぶ草むかしをかけて露ぞこぼるる
242 五十首歌奉りし時
さつきやみみじかき夜半のうたたねに花橘のそでに涼しき
243 題知らず
尋ぬべき人は軒端のふるさとにそれかとかをる庭のたちばな
244 題知らず
郭公はなたちばなの香をとめて鳴くはむかしの人や恋しき
245 題知らず
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしのそでの香ぞする
246 題知らず
ことしより花咲き初むる橘のいかでむかしの香に匂ふらむ
247 守覺法親王五十首歌よませ侍りける時
夕ぐれはいづれの雲のなごりとて花たちばなに風の吹くらむ
248 堀河院御時、后の宮にて、閏五月郭公といふ心を、をのこどもつかうまつりけるに
郭公さつきみなづきわきかねてやすらふ声ぞそらに聞ゆる
249 題知らず
庭のおもは月漏らぬまでなりにけり梢に夏のかげしげりつつ
250 題知らず
わが宿のそともに立てる楢の葉のしげみに涼む夏は来にけり
251 摂政太政大臣家百首歌合に、鵜川をよみ侍りける
鵜飼舟あはれとぞ見るもののふのやそ宇治川の夕闇のそら
252 摂政太政大臣家百首歌合に、鵜川をよみ侍りける
鵜飼舟高瀬さし越す程なれやむすぼほれゆくかがり火の影
253 千五百番歌合に
大井河かがりさし行く鵜飼舟いく瀬に夏の夜を明かすらむ
254 千五百番歌合に
ひさかたの中なる川の鵜飼舟いかに契りてやみを待つらむ
255 百首歌奉りし時
いさり火の昔の光ほの見えてあしやの里に飛ぶほたるかな
256 百首歌奉りし時
窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢
257 鳥羽にて竹風夜涼といふことを人々つかうまつりしに
窓ちかきいささむら竹風吹けば秋におどろく夏の夜のゆめ
258 五十首歌奉りし時
むすぶ手にかげみだれゆく山の井のあかでも月の傾きにける
259 最勝四天王院の障子清見關かきたる所
清見がた月はつれなき天の戸を待たでもしらむ波の上かな
260 家百首歌合に
かさねても涼しかりけり夏衣うすきたもとにやどる月かげ
261 摂政太政大臣家にて詩歌を合せけるに水邊自秋涼といふことをよみ侍り
すずしさは秋やかへりてはつせ川ふる川の辺の杉のしたかげ
262 題知らず
道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ
263 題知らず
よられつる野もせの草のかげろひてすずしく曇る夕立の空
264 崇徳院に百首歌奉りける時
おのづから涼しくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨のなごりに
265 千五百番歌合に
露すがる庭のたまざさうち靡きひとむら過ぎぬ夕立の雲
266 雲隔遠望といへる心をよみ侍りける
十市には夕立すらしひさかたの天の香具山雲隠れ行く
267 夏月をよめる
庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな
268 百首歌中に
ゆふだちの雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしの声
269 千五百番歌合に
夕づく日さすや庵の柴の戸にさびしくもあるかひぐらしの声
270 百首歌奉りし時
秋近きけしきの森に鳴く蝉のなみだの露や下葉染むらむ
271 百首歌奉りし時
鳴く蝉のこゑも涼しきゆふぐれに秋をかけたる森のした露
272 螢の飛びのぼるを見てよみ侍りける
いづちとかよるは螢ののぼるらむ行く方知らぬ草のまくらに
273 五十首歌奉りし時
螢飛ぶ野沢にしげるあしの根の夜な夜なしたにかよふ秋風
274 刑部卿頼輔歌合し侍りけるに納涼をよみ侍りける
ひさぎおふる片山蔭にしのびつつ吹きけるものを秋の夕風
275 瞿麦露滋といふことを
白露の玉もて結へるませのうちに光さへ添ふとこなつの花
276 夕顔をよめる
白露のなさけ置きけることの葉やほのぼの見えし夕顏の花
277 百首歌よみ侍りける中に
黄昏の軒端の荻にともすればほに出でぬ秋ぞ下にこととふ
278 夏の歌とてよみ侍りける
雲まよふ夕べに秋をこめながらかぜもほに出でぬ荻のうへかな
279 太神宮に奉りし夏の歌の中に
山里のみねのあまぐもとだえしてゆふべ涼しきまきのした露
280 文治六年女御入内屏風に
岩井汲むあたりの小笹たま越えてかつがつ結ぶ秋のゆふ露
281 千五百番歌合に
片枝さす麻生の浦梨はつ秋になりもならずも風ぞ身にしむ
282 百首歌奉りし時
夏衣かたへ涼しくなりぬなり夜や更けぬらむゆきあひの空
283 延喜御時、月次屏風に
夏はつる扇と秋のしら露といづれかまづはおきまさるらむ
284 延喜御時月次の屏風に
みそぎする河の瀬見れば唐衣ひもゆふぐれに波ぞたちける
285 題しらず
神なびのみむろの山の葛かづらうら吹きかへす秋は来にけり
286 百首歌に、初秋の心を
いつしかと荻の葉むけの片よりにそそや秋とぞ風も聞ゆる
287 百首歌に、初秋の心を
この寝ぬる夜の間に秋は来にけらし朝けの風の昨日にも似ぬ
288 文治六年女御入内屏風に
いつも聞く麓の里とおもへども昨日にかはる山おろしの風
289 百首歌よみ侍りける中に
昨日だに訪はむと思ひし津の国の生田の森に秋は来にけり
290 最勝四天王院の障子に、高砂かきたるところ
吹く風の色こそ見えねたかさごの尾の上の松に秋は来にけり
291 百首歌たてまつりし時
伏見山松のかげよりみわたせばあくるたのもに秋風ぞ吹く
292 守覚法親王、五十首歌よませ侍りける時
明けぬるかころもで寒しすがはらや伏見の里の秋の初風
293 千五百番歌合に
深草の露のよすがをちぎりにて里をばかれず秋は来にけり
294 千五百番歌合に
あはれまたいかに忍ばむ袖のつゆ野原の風に秋は来にけり
295 千五百番歌合に
しきたへの枕のうへに過ぎぬなり露を尋ぬる秋のはつかぜ
296 千五百番歌合に
みづぐきの岡の葛葉も色づきて今朝うらがなし秋のはつ風
297 千五百番歌合に
秋はただこころより置くゆふ露を袖のほかとも思ひけるかな
298 五十首歌たてまつりし時、秋歌
昨日までよそにしのびし下荻のすゑ葉の露にあき風ぞ吹く
299 題しらず
おしなべて物をおもはぬ人にさへ心をつくる秋のはつかぜ
300 題しらず
あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原
301 崇徳院に百首歌たてまつりける時
みしぶつき植ゑし山田に引板はへて又袖ぬらす秋は来にけり
302 中納言、中将に侍りける時、家に山家早秋といへる心をよませ侍りけるに
朝霧や立田の山の里ならで秋来にけりとたれか知らまし
303 題しらず
夕暮は荻吹く風のおとまさる今はたいかに寝覚せられむ
304 題しらず
夕されば荻の葉むけを吹く風にことぞともなく涙落ちけり
305 崇徳院に百首歌たてまつりける時
荻の葉も契ありてや秋風のおとづれそむるつまとなりけむ
306 題しらず
秋来ぬと松吹く風も知らせけりかならず荻のうは葉ならねど
307 題を探りて、これかれ歌よみけるに、信太のもりの秋風をよめる
日を経つつ音こそまされいづみなる信太の森の千枝の秋かぜ
308 百首歌に
うたたねの朝けの袖にかはるなりならすあふぎの秋の初風
309 題しらず
手もたゆくならす扇のおきどころわするばかりに秋風ぞ吹く
310 題しらず
秋風は吹きむすべども白露のみだれて置かぬ草の葉ぞなき
311 題しらず
朝ぼらけ荻のうは葉の露みればややはださむし秋のはつかぜ
312 題しらず
吹きむすぶ風はむかしの秋ながらありしにも似ぬ袖の露かな
313 延喜御時、月次屏風に
大空をわれもながめて彦星の妻待つ夜さへひとりかも寝む
314 題しらず
この夕べ降りくる雨は彦星のと渡るふねのかいのしづくか
315 宇治前関白太政大臣の家に、七夕の心をよみ侍りけるに
年を経て住むべき宿のいけ水は星合のかげも面馴れやせむ
316 花山院御時、七夕の歌つかうまつりけるに
袖ひぢてわが手に結ぶ水のおもにあまつ星合の空を見るかな
317 七月七日、たなばた祭する所にてよみける
雲間よりほしあひの空見渡せばしづこころなき天の川波
318 七夕の歌とてよみ侍りける
たなばたの天の羽衣うちかさね寝る夜すずしき秋風ぞ吹く
319 七夕の歌とてよみ侍りける
たなばたの衣のつまはこころして吹きなかへしそ秋の初風
320 七夕の歌とてよみ侍りける
たなばたのと渡る舟の梶の葉にいく秋かきつ露のたまづさ
321 百首歌のなかに
ながむればころもですずしひさかたの天の河原の秋の夕ぐれ
322 家に百首歌よみ侍りける時
いかばかり身にしみぬらむたなばたのつま待つ宵の天の川風
323 七夕の心を
星あひの夕べすずしきあまの河もみぢの橋をわたる秋かぜ
324 七夕の心を
たなばたのあふ瀬絶えせぬ天の河いかなる秋か渡り初めけむ
325 七夕の心を
わくらばに天の川浪よるながら明くる空にはまかせずもがな
326 七夕の心を
いとどしく思ひ消ぬべしたなばたの別のそでにおける白露
327 中納言兼輔家屏風に
たなばたは今やわかるるあまの河かは霧立ちて千鳥鳴くなり
328 堀河院御時百首歌中に、萩をよみ侍ける
河水に鹿のしがらみかけてけり浮きてながれぬ秋萩のはな
329 題しらず
狩衣われとは摺らじ露しげき野原の萩のはなにまかせて
330 題しらず
秋萩を折らでは過ぎじ月くさの花ずりごろも露に濡るとも
331 守覚法親王、五十首歌よませ侍りけるに
萩が花まそでにかけて高円のをのへの宮に領巾ふるやたれ
332 題しらず
置く露もしづこころなく秋風にみだれて咲ける真野の萩原
333 題しらず
秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも
334 題しらず
さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置けるしらつゆ
335 題しらず
秋の野を分け行く露にうつりつつわが衣手は花の香ぞする
336 題しらず
たれをかもまつちの山の女郎花秋とちぎれる人ぞあるらし
337 題しらず
女郎花野辺のふるさとおもひ出でて宿りし虫の声や恋しき
338 千五百番歌合に
夕さればたま散る野辺の女郎花まくらさだめぬ秋風ぞ吹く
339 蘭をよめる
ふぢばかまぬしはたれともしら露のこぼれて匂ふ野べの秋風
340 崇徳院に百首歌たてまつりける時
薄霧のまがきの花の朝じめり秋は夕べとたれかいひけむ
341 入道前関白、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに
いとかくや袖はしをれし野辺に出でて昔も秋の花は見しかど
342 筑紫に侍りける時、秋野をみてよみ侍りける
花見にと人やりならぬ野辺に来て心のかぎりつくしつるかな
343 題しらず
おきてみむと思ひし程に枯れにけり露よりけなる朝顏の花
344 題しらず
山がつの垣ほに咲ける朝顏はしののめならで逢ふよしもなし
345 題しらず
うらがるる浅茅が原のかるかやの乱れて物を思ふころかな
346 題しらず
さを鹿のいる野のすすき初尾花いつしか妹が手枕にせむ
347 題しらず
をぐら山ふもとの野辺の花薄ほのかに見ゆる秋のゆふぐれ
348 題しらず
ほのかにも風は吹かなむ花薄むすぼほれつつ露にぬるとも
349 百首歌に
花薄まだ露ふかし穂に出でばながめじとおもふ秋のさかりを
350 摂政太政大臣、百首歌よませ侍けるに
野辺ごとにおとづれわたる秋風をあだにもなびく花薄かな
351 和歌所歌合に、朝草花といふことを
明けぬとて野辺より山に入る鹿のあと吹きおくる萩の下風
352 題しらず
身にとまる思を荻のうは葉にてこのごろかなし夕ぐれの空
353 崇徳院御時、百首歌めしけるに、荻を
身のほどをおもひつづくる夕ぐれの荻の上葉に風わたるなり
354 秋歌よみ侍りけるに
秋はただものをこそ思へ露かかる荻のうへ吹く風につけても
355 堀河院に百首歌たてまつりける時
秋風のややはださむく吹くなべに荻の上葉のおとぞかなしき
356 百首歌たてまつりし時
荻の葉に吹けば嵐の秋なるを待ちける夜半のさをしかの声
357 百首歌たてまつりし時
おしなべて思ひしことのかずかずになほ色まさる秋の夕暮
358 題しらず
暮れかかるむなしき空の秋を見ておぼえずたまる袖の露かな
359 家に百首歌合し侍けるに
物おもはでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮
360 をのこども詩を作りて歌にあはせ侍しに、山路秋行といふことを
み山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲のゆふぐれの空
361 題しらず
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮
362 題しらず
心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ沢の秋の夕ぐれ
363 西行法師すゝめて百首歌よませ侍りけるに
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ
364 五十首歌たてまつりし時
たへでやは思ありともいかがせむ葎のやどの秋のゆふぐれ
365 秋歌とてよみ侍ける
思ふことさしてそれとはなきもの秋の夕べを心にとぞとふ
366 秋歌とてよみ侍ける
秋風のいたりいたらぬ袖はあらじただわれからの露の夕暮
367 秋歌とてよみ侍ける
おぼつかな秋はいかなる故のあればすずろに物の悲しかるらむ
368 秋歌とてよみ侍ける
それながら昔にもあらぬ秋風にいとどながめをしづのをだまき
369 題しらず
ひぐらしのなく夕暮ぞ憂かりけるいつもつきせぬ思なれども
370 題しらず
秋来れば常磐の山の松風もうつるばかりに身にぞしみける
371 題しらず
秋風の四方に吹き来る音羽山なにの草木かのどけかるべき
372 題しらず
あかつきの露もなみだもとどまらで恨むる風の声ぞのこれる
373 法性寺入道前関白太政大臣家の歌合に、野風
高円の野路のしの原末さわぎそそや木がらし今日吹きぬなり
374 千五百番歌合に
ふかくさの里の月かげさびしさもすみこしままの野辺の秋風
375 五十首歌たてまつりし時、杜間月といふことを
大荒木のもりの木の間をもりかねて人だのめなる秋の夜の月
376 守覚法親王、五十首歌よませ侍けるに
有明の月待つやどの袖のうへに人だのめなる宵のいなづま
377 摂政太政大臣家百首歌合に
風わたる浅茅がすゑの露にだにやどりもはてぬ宵のいなづま
378 水無瀬にて十首歌たてまつりし時
武蔵野や行けども秋のはてぞなきいかなる風か末に吹くらむ
379 百首歌たてまつりし時、月歌
いつまでかなみだくもらで月は見し秋待ちえても秋ぞ恋しき
380 百首歌たてまつりし時、月歌
ながめわびぬ秋より外の宿もがな野にも山にも月やすむらむ
381 題しらず
月影の初秋風とふきゆけばこころづくしにものをこそ思へ
382 題しらず
あしびきの山のあなたに住む人は待たでや秋の月を見るらむ
383 雲間徴月といふ事を
しきしまや高円山の雲間よりひかりさしそふゆみはりの月
384 題しらず
人よりも心のかぎりながめつる月はたれともわかじものゆゑ
385 題しらず
あやなくも曇らぬ宵をいとふかなしのぶの里の秋の夜の月
386 題しらず
風吹けば玉散る萩のした露にはかなくやどる野辺の月かな
387 題しらず
今宵たれすず吹く風を身にしめて吉野の嶽の月を見るらむ
388 法性寺入道前関白太政大臣家に、月歌あまたよみ侍けるに
月見れば思ひぞあへぬ山高みいづれの年の雪にかあるらむ
389 和歌所の歌合に、湖辺月といふことを
鳰のうみや月のひかりのうつろへば浪の花にも秋は見えけり
390 百首歌たてまつりし時
ふけゆかばけぶりもあらじしほがまのうらみなはてそ秋の夜の月
391 題しらず
ことわりの秋にはあへぬ涙かな月のかつらもかはるひかりに
392 題しらず
ながめつつ思ふも寂しひさかたの月のみやこの明けがたの空
393 五十首歌たてまつりし時、月前草花
故郷のもとあらのこ萩咲きしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ
394 建仁元年三月歌合に、山家秋月といふことをよみ侍し
時しもあれふるさと人はおともせでみ山の月に秋風ぞ吹く
395 八月十五夜和歌所歌合に、深山月といふことを
深からぬ外山の庵のねざめだにさぞな木の間の月はさびしき
396 月前風
月は猶もらぬ木の間もすみよしの松をつくして秋風ぞ吹く
397 月前風
ながむればちぢにもの思ふ月にわが身一つの嶺の松かぜ
398 山月といふことをよみ侍ける
あしびきの山路の苔の露のうへにねざめ夜深き月をみるかな
399 八月十五夜和歌所歌合に、海辺秋月といふことを
心あるをじまの海士のたもとかな月宿れとは濡れぬものから
400 八月十五夜和歌所歌合に、海辺秋月といふことを
わすれじな難波の秋の夜半の空こと浦にすむ月は見るとも
401 八月十五夜和歌所歌合に、海辺秋月といふことを
松島やしほ汲む海士の秋の袖月はもの思ふならひのみかは
402 題しらず
こと問はむ野島が崎のあまごろも波と月とにいかがしをるる
403 和歌所の歌合に、海辺月を
秋の夜の月やをじまのあまのはら明けがたちかき沖の釣舟
404 題しらず
憂き身にはながむるかひもなかりけり心に曇る秋の夜の月
405 題しらず
いづくにか今宵の月の曇るべきをぐらの山も名をやかふらむ
406 題しらず
心こそあくがれにけれ秋の夜のよふかき月をひとり見しより
407 題しらず
かはらじな知るも知らぬも秋の夜の月待つほどの心ばかりは
408 題しらず
たのめたる人はなけれど秋の夜は月見て寝べきここちこそせね
409 月を見てつかはしける
見る人の袖をぞしぼる秋の夜は月にいかなるかげか添ふらむ
410 返し
身に添へるかげとこそ見れ秋の月袖にうつらぬをりしなければ
411 永承四年内裏歌合に
月影の澄みわたるかな天の原雲吹きはらふ夜半のあらしに
412 題しらず
たつた山夜半にあらしの松吹けば雲にはうときみねの月かげ
413 崇徳院に百首歌たてまつりけるに
秋風にたなびく雲のたえまよりもれ出づる月の影のさやけさ
414 題しらず
山の端に雲のよこぎる宵の間は出でても月ぞなほ待たれける
415 題しらず
眺めつつ思ふに濡るるたもとかないくよかは見む秋の夜の月
416 題しらず
宵の間にさてもやぬべき月ならば山の端近きものは思はじ
417 題しらず
ふくるまでながむればこそ悲しけれ思ひもいれじ秋の夜の月
418 五十首歌たてまつりし時
雲はみなはらひはてたる秋風を松にのこして月をみるかな
419 家に月五十首歌よませ侍ける時
月だにもなぐさめがたき秋の夜のこころも知らぬ松の風かな
420 家に月五十首歌よませ侍ける時
さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫
421 題しらず
秋の夜のながきかひこそなかりけれまつにふけぬる有明の月
422 五十首歌たてまつりし時、野径月
行くすゑは空もひとつのむさし野に草の原より出づる月かげ
423 雨後月
月をなほ待つらむものかむらさめの晴れゆく雲のすゑの里人
424 題しらず
秋の夜はやどかる月も露ながら袖に吹きこす荻のうはかぜ
425 題しらず
秋の月しのにやどかる影たけておざさが原に露ふけにけり
426 元久元年八月十五夜、和歌所にて、田家見月といふ事を
風わたる山田のいほをもる月や穂波にむすぶ氷なるらむ
427 和歌所歌合に、田家月を
雁の来る伏見の小田に夢覚めて寝ぬ夜の庵に月をみるかな
428 和歌所歌合に、田家月を
稲葉吹く風にまかせて住む庵は月ぞまことにもりあかしける
429 題しらず
あくがれて寝ぬ夜の塵のつもるまで月にはらはぬ床のさむしろ
430 題しらず
秋の田のかりねの床のいなむしろ月やどれともしける露かな
431 崇徳院御時、百首歌めしけるに
秋の田に庵さす賤の苫をあらみつきとともにやもり明かすらむ
432 百首歌たてまつりし秋歌に
秋の色はまがきにうとくなりゆけど手枕馴るるねやの月かげ
433 秋の歌のなかに
秋の露やたもとにいたく結ぶらむ長き夜飽かずやどる月かな
434 千五百番歌合に
さらにまた暮をたのめと明けにけりつきはつれなき秋の夜の空
435 経房卿家歌合に、暁月の心をよめる
おほかたの秋のねざめの露けくはまた誰が袖にありあけの月
436 五十首歌たてまつりし時
払ひかねさこそは露のしげからめ宿るか月の袖のせばきに
437 和歌所にて、をのこども歌よみ侍りしに、夕べの鹿といふことを
下紅葉かつ散る山の夕時雨濡れてやひとり鹿の鳴くらむ
438 百首歌奉りし時
山おろしに鹿の音高く聞ゆなり尾上の月にさ夜や更けぬる
439 百首歌奉りし時
野分せし小野の草ぶし荒れはててみ山に深きさをしかの声
440 題知らず
嵐吹く真葛が原に啼く鹿はうらみてのみや妻を恋ふらむ
441 題知らず
妻恋ふる鹿のたちどを尋ぬればさやまが裾に秋かぜぞ吹く
442 百首歌奉りし時秋の歌
み山べの松のこずゑをわたるなり嵐にやどすさをしかの声
443 晩聞鹿といふことをよみ侍りし
われならぬ人もあはれやまさるらむ鹿鳴く山の秋のゆふぐれ
444 百首歌よみ侍りけるに
たぐへくる松の嵐やたゆむらむおのえにかへるさを鹿の声
445 千五百番歌合に
鳴く鹿の声に目ざめてしのぶかな見はてぬ夢の秋の思を
446 家に歌合し侍りけるに鹿をよめる
夜もすがらつまどふ鹿の鳴くなべに小萩が原の露ぞこぼるる
447 題知らず
寝覚して久しくなりぬ秋の夜は明けやしぬらむ鹿ぞ鳴くなる
448 題知らず
小山田の庵ちかく鳴く鹿の音におどろかされて驚かすかな
449 白河院鳥羽におはしましけるに田家秋興といへることを人々よみ侍りけるに
やまざとの稲葉の風に寝覚して夜ふかく鹿の声を聞くかな
450 郁芳門院の前栽合によみ侍りける
ひとり寝やいとど寂しきさを鹿の朝臥す小野の葛のうら風
451 題知らず
立田山梢まばらになるままに深くも鹿のそよぐなるかな
452 祐子内親王家歌合の後、鹿の歌よみ侍りけるに
過ぎて行く秋の形見にさを鹿のおのが鳴く音も惜しくやあるらむ
453 摂政太政大臣家の百首歌合に
わきてなど庵守る袖のしをるらむ稲葉にかぎる秋の風かは
454 題知らず
秋田守る仮庵つくりわがをればころも手さむみ露ぞ置きくる
455 題知らず
秋来ればあさけの風の手をさむみ山田の引板を任せてぞきく
456 題知らず
郭公鳴くさみだれに植ゑし田をかりがねさむみ秋ぞ暮れぬる
457 題知らず
今よりは秋風寒くなりぬべしいかでかひとり長き夜を寝む
458 題知らず
秋しあれば雁のつばさに霜振りて寒き夜な夜な時雨さへ降る
459 題知らず
さを鹿のつまどふ山の岡べなる早稲田は刈らじ霜は置くとも
460 題知らず
刈りてほす山田の稲は袖ひぢて植ゑしさ苗と見えずもあるかな
461 題知らず
草葉には玉と見えつつわび人の袖のなみだの秋のしらつゆ
462 題知らず
わが宿の尾花がすゑにしら露の置きし日よりぞ秋風も吹く
463 題知らず
秋といへば契り置きてや結ぶらむ浅茅が原の今朝のしら露
464 題知らず
秋されば置くしら露にわがやどの浅茅が上葉色づきにけり
465 題知らず
おぼつかな野にも山にも白露のなにごとをかは思ひおくらむ
466 後冷泉院のみこの宮と申しける時尋野花といへる心を
露繁み野辺を分けつつから衣濡れてぞかへる花のしづくに
467 閑庭露滋といふことを
庭のおもにしげる蓬にことよせて心のままに置ける露かな
468 白河院にて野草露繁といへる心ををのこどもつかまつりけるに
秋の野の草葉おしなみ置く露に濡れてや人の尋ね行くらむ
469 百首歌奉りし時
物思ふそでより露やならひけむ秋風吹けば堪へぬものとは
470 秋の歌中に
露は袖に物思ふ頃はさぞな置くかならず秋のならひならねど
471 秋の歌中に
野原より露のゆかりをたづね来てわが衣手に秋かぜぞ吹く
472 題知らず
きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかり行く
473 守覚法親王家五十首歌中に
虫の音もながき夜飽かぬふるさとになほ思ひそふ松風ぞ吹く
474 百首歌中に
跡もなき庭の浅茅にむすぼほれ露のそこなる松虫のこゑ
475 題知らず
秋風は身にしむばかり吹きにけり今や打つらむ妹がさごろも
476 題知らず
衣うつおとは枕にすがはらやふしみの夢をいく夜のこしつ
477 千五百番歌合に秋歌
衣うつみ山の庵のしばしばも知らぬゆめ路にむすぶ手枕
478 和歌所歌合に月のもとに衣を打つといふことを
里は荒れて月やあらぬと恨みてもたれ浅茅生に衣打つらむ
479 和歌所歌合に、月のもとに衣をうつといふことを
まどろまで眺めよとてのすさびかな麻のさ衣月にうつ声
480 千五百番歌合に
秋とだにわすれむと思ふ月影をさもあやにくにうつ衣かな
481 擣衣をよみ侍りける
故里に衣うつとは行く雁や旅のそらにも鳴きて告ぐらむ
482 中納言兼輔家屏風歌
雁なきて吹く風さむみ唐衣君待ちがてにうたぬ夜ぞなき
483 擣衣の心を
みよし野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒くころもうつなり
484 擣衣の心を
千たびうつ砧のおとに夢さめて物おもふ袖の露ぞくだくる
485 百首歌奉りし時
ふけにけり山の端ちかく月さえてとをちの里に衣うつこゑ
486 九月十三日夜月くまなく侍りけるを詠めあかしてよみ侍りける
秋果つるさ夜ふけがたの月見れば袖ものこらず露ぞ置きける
487 百首歌奉りし時
ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ
488 摂政太政大臣、大将に侍りける時、月歌五十首よませ侍りけるに
ひと目見し野辺のけしきはうらがれて露のよすがに宿るつきかな
489 月の歌とてよみ侍りける
秋の夜はころもさむしろかさねても月の光にしく物ぞなき
490 九月ついたちがたに
秋の夜ははや長月になりにけりことわりなりや寝覚せらるる
491 五十首歌奉りし時
村雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋のゆふぐれ
492 秋の歌とて
さびしさはみ山の秋の朝ぐもり霧にしをるるまきの下露
493 河霧といふことを
あけぼのや川瀬の波のたかせ舟くだすか人の袖のあきぎり
494 堀河院御時百首歌奉りけるに霧をよめる
ふもとをば宇治の川霧たち籠めて雲居に見ゆる朝日山かな
495 題知らず
やま里に霧のまがきのへだてずは遠方人の袖も見てまし
496 題知らず
鳴く雁の音をのみぞ聞く小倉山霧たち晴るる時にしなければ
497 題知らず
垣ほなる荻の葉そよぎ秋風の吹くなるなべに雁ぞ鳴くなる
498 題知らず
秋風に山飛び越ゆるかりがねのいや遠ざかり雲がくれつつ
499 題知らず
はつ雁の羽かぜすずしくなるなべにたれか旅寝の衣かへさぬ
500 題知らず
雁がねは風にきほひて過ぐれどもわが待つ人のことづてもなし
501 題知らず
横雲の風にわかるるしののめに山飛びこゆる初雁の声
502 題知らず
白雲をつばさにかけて行く雁の門田のおもの友したふなる
503 題知らず
大江山傾く月のかげさえて鳥羽田の面に落つるかりがね
504 題知らず
むら雲や雁の羽風に晴れぬらむ声聞く空に澄める月かげ
505 題知らず
吹きまよふ雲ゐをわたる初雁のつばさにならす四方の秋風
506 詩に合せし歌の中に山路秋行といへることを
秋風の袖に吹きまく峰の雲をつばさにかけて雁も鳴くなり
507 五十首歌奉りし時、菊籬月といへる心を
霜を待つ籬の菊のよひの間に置きまよふいろは山の端の月
508 鳥羽院御時内裏より菊を召しけるに奉るとて結びつけ侍りける
九重にうつろひぬともしら菊のもとのまがきを思ひわするな
509
今よりはまた咲く花もなきものをいたくな置きそ菊の上の露
510 枯れゆく野べのきりぎりすを
秋風にしをるる野辺の花よりも虫の音いたくかれにけるかな
511 題知らず
寝覚する袖さへさむく秋の夜のあらし吹くなり松虫のこゑ
512 千五百番歌合に
秋を経てあはれも露もふかくさの里とふものは鶉なりけり
513 千五百番歌合に
いり日さすふもとの尾花うちなびきたが秋風に鶉啼くらむ
514 題知らず
あだに散る露のまくらに臥しわびて鶉鳴くなる床の山かぜ
515 千五百番歌合に
とふ人もあらし吹きそふ秋は来て木の葉に埋む宿の道しば
516 千五百番歌合に
色かはる露をば袖に置き迷ひうらがれてゆく野辺の秋かな
517 秋の歌とて
秋ふけぬ鳴けや霜夜のきりぎりすやや影さむしよもぎふの月
518 百首歌奉りし時
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む
519 千五百番歌合に
寝覚する長月の夜の床さむみ今朝吹くかぜに霜や置くらむ
520 和歌所にて六首歌つかうまつりし時秋の歌
秋ふかき淡路の島のありあけにかたぶく月をおくる浦かぜ
521 暮秋の心を
長月もいくありあけになりぬらむ浅茅の月のいとどさびゆく
522 摂政太政大臣、左大将に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに
鵲の雲のかけはし秋暮れて夜半には霜や冴えわたるらむ
523 櫻のもみぢはじめたるを見て
いつの間に紅葉しぬらむ山ざくら昨日か花の散るを惜しみし
524 紅葉透霧といふことを
薄霧のたちまふ山のもみぢ葉はさやかならねどそれと見えける
525 秋歌とてよめる
神なびのみむろの梢いかならむなべての山も時雨するころ
526 最勝四天王院の障子に鈴鹿川かきたる所
鈴鹿川ふかき木の葉に日かずへて山田の原の時雨をぞ聞く
527 入道前關白太政大臣家に百首歌よみ侍りけるに紅葉を
心とや紅葉はすらむたつた山松は時雨に濡れぬものかは
528 大堰川にまかりて紅葉見侍りけるに
思ふ事なくてぞ見ましもみぢ葉をあらしの山の麓ならずは
529 題知らず
入日さす佐保の山べのははそ原曇らぬ雨とこの葉降りつつ
530 百首歌奉りし時
立田山あらしや峰によわるらむわたらぬ水も錦絶えけり
531 左大将に侍りける時、家に百首歌合し侍りけるに、柞(ははそ)をよみ侍りける
柞原しづくも色やかはるらむ森のしたくさ秋ふけにけり
532 左大将に侍りける時、家に百首歌合し侍りけるに、柞(ははそ)をよみ侍りける
時わかぬ浪さへ色にいづみ川ははその森にあらし吹くらし
533 障子の絵に、荒れたる宿に紅葉散りたる所をよめる
故郷は散るもみぢ葉にうづもれて軒のしのぶに秋風ぞ吹く
534 百首歌奉りし、秋歌
桐の葉もふみ分けがたくなりにけり必ず人を待つとならねど
535 題知らず
人は来ず風に木の葉は散りはてて夜な夜な虫の声よわるなり
536 守覺法親王家五十首歌よみ侍りけるに
もみぢ葉の色にまかせて常磐木も風にうつろふ秋の山かな
537 千五百番歌合に
露時雨もる山かげのした紅葉濡るとも折らむ秋のかたみに
538
松にはふ正木のかづら散りにけり外山の秋は風すさぶらむ
539 法性寺入道前関白太政大臣家歌合に
鶉鳴く交野に立てる櫨紅葉散りぬばかりに秋かぜぞ吹く
540 百首歌奉りし時
散りかかる紅葉の色は深けれど渡ればにごるやまがはの水
541 題知らず
飛鳥川もみぢ葉ながる葛城の山の秋かぜ吹きぞしくらし
542 題知らず
あすか川瀬々に波よるくれなゐや葛城山のこがらしのかぜ
543 長月の頃、水無瀬に日頃侍りけるに、嵐の山の紅葉、涙にたぐふよし、申し遣はして侍りける人の返り事に
もみぢ葉をさこそあらしの払ふらめこの山もとも雨と降るなり
544 家に百首歌合し侍りける時
立田姫いまはのころの秋かぜにしぐれをいそぐ人の袖かな
545 千五百番歌合に
行く秋の形見なるべきもみぢ葉も明日は時雨と降りやまがはむ
546 紅葉見にまかりてよみ侍りける
うち群れて散るもみぢ葉を尋ぬれば山路よりこそ秋はゆきけれ
547 津の國に侍りけるころ道濟がもとに遣しける
夏草のかりそめにとて来しかども難波のうらに秋ぞ暮れぬる
548 暮の秋思ふこと侍りけるころ
かくしつつ暮れぬる秋と老いぬれどしかすがに猶物ぞ悲しき
549 五十首歌よませ侍りけるに
身にかへていざさは秋を惜しみ見むさらでももろき露の命を
550 閏九月盡の心を
なべて世の惜しさにそへて惜しむかな秋より後の秋の限りを
551 千五百番歌合に初冬の心をよめる
おきあかす秋のわかれの袖の露霜こそむすべ冬や来ぬらむ
552 天暦の御時、神な月といふ事を上におきて、歌つかうまつりけるに
神無月風にもみぢの散る時はそこはかとなくものぞ悲しき
553 題知らず
名取川やなせの浪ぞ騒ぐなる紅葉やいとどよりてせくらむ
554 後冷泉院御時、うへのをのこども、大井河にまかりて、紅葉浮水といへる心をよみ侍りける
いかだ士よ待てこと問はむ水上はいかばかり吹く山の嵐ぞ
555 後冷泉院御時、うへのをのこども、大井河にまかりて、紅葉浮水といへる心をよみ侍りける
散りかかる紅葉流れぬ大井河いづれゐぜきの水のしがらみ
556 大堰川にまかりて落葉滿水といへる心をよみ侍りける
高瀬舟しぶくばかりにもみぢ葉の流れてくだる大井河かな
557 深山落葉といへる心を
日暮るれば逢ふ人もなしまさき散る峰の嵐の音ばかりして
558 題知らず
おのづから音するものは庭の面に木の葉吹きまく谷の夕風
559 春日社歌合に落葉といふことをよみて奉りし
木の葉散る宿にかたしく袖の色をありとも知らでゆく嵐かな
560 春日社歌合に落葉といふことをよみて奉りし
木の葉散るしぐれやまがふわが袖にもろき涙の色と見るまで
561 春日社歌合に落葉といふことをよみて奉りし
移りゆく雲にあらしの声すなり散るかまさ木のかづらきの山
562 春日社歌合に落葉といふことをよみて奉りし
初時雨しのぶの山のもみぢ葉を嵐吹けとは染めずやありけむ
563 春日社歌合に落葉といふことをよみて奉りし
しぐれつつ袖もほしあへずあしびきの山の木の葉に嵐吹くころ
564 春日社歌合に落葉といふことをよみて奉りし
山里の風すさまじきゆふぐれに木の葉みだれてものぞ悲しき
565 春日社歌合に落葉といふことをよみて奉りし
冬の来て山もあらはに木の葉降りのこる松さへ峰にさびしき
566 五十首歌奉りし時
からにしき秋のかたみやたつた山散りあへぬ枝に嵐吹くなり
567 頼輔卿家歌合に落葉の心を
時雨かと聞けば木の葉の降るものをそれにも濡るるわが袂かな
568 題知らず
時しもあれ冬は葉守の神無月まばらになりぬもりの柏木
569 題知らず
いつのまに空のけしきの変るらむはげしき今朝の木枯の風
570 題知らず
月を待つたかねの雲は晴れにけりこころあるべき初時雨かな
571 題知らず
神無月木々の木の葉は散りはてて庭にぞ風のおとは聞ゆる
572 題知らず
柴の戸に入日の影はさしながらいかにしぐるる山辺なるらむ
573 山家時雨といへる心を
雲晴れてのちもしぐるる柴の戸や山風はらふ松のしたつゆ
574 寛平御時后宮の歌合に
神無月しぐれ降るらし佐保山のまさきのかづら色まさりゆく
575 題知らず
こがらしの音に時雨を聞きわかで紅葉にぬるる袂とぞ見る
576 題知らず
時雨降る音はすれども呉竹のなどよとともに色もかはらぬ
577 十月ばかり、常磐の杜を過ぐとて
時雨の雨染めかねてけり山城のときはの杜のまきの下葉は
578 題知らず
冬を浅みまだき時雨とおもひしを堪へざりけりな老の涙も
579 鳥羽殿にて旅宿時雨といふことを
まばらなる柴のいほりに旅寝して時雨に濡るるさ夜衣かな
580 時雨を
やよ時雨もの思ふ袖のなかりせば木の葉の後に何を染めまし
581 冬歌中に
深緑あらそひかねていかならむ間なくしぐれのふるの神杉
582 題知らず
時雨の雨まなくし降ればまきの葉も争ひかねて色づきにけり
583 題知らず
世の中に猶もふるかなしぐれつつ雲間の月のいでやと思へど
584 百首歌奉りしに
折こそあれながめにかかる浮雲の袖も一つにうちしぐれつつ
585 題知らず
秋篠やとやまの里やしぐるらむ生駒のたけに雲のかかれる
586 題知らず
晴れ曇り時雨は定めなき物をふりはてぬるはわが身なりけり
587 千五百番歌合に冬歌
今はまた散らでもながふ時雨かなひとりふりゆく庭の松風
588 題知らず
み吉野の山かき曇り雪ふればふもとの里はうちしぐれつつ
589 百首歌奉りし時
まきの屋に時雨の音のかはるかな紅葉や深く散り積るらむ
590 千五百番歌合に、冬の歌
世にふるは苦しきものをまきの屋にやすくも過ぐる初時雨かな
591 題知らず
ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風
592 題知らず
もみぢ葉をなに惜しみけむ木の間より漏りくる月は今宵こそ見れ
593 題知らず
吹きはらふ嵐の後の高峰より木の葉くもらで月や出づらむ
594 春日社歌合に暁月といふことを
霜こほる袖にもかげは残りけり露より馴れしありあけの月
595 和歌所にて六首歌奉りしに冬歌
ながめつついくたび袖にくもるらむ時雨にふくる有明の月
596 題知らず
さだめなくしぐるる空の叢雲にいくたび同じ月を待つらむ
597 千五百番歌合に
今よりは木の葉がくれもなけれども時雨に残るむら雲の月
598 題知らず
晴れ曇る影をみやこにさきだててしぐると告ぐる山の端の月
599 五十首歌奉りし時
たえだえに里わく月のひかりかな時雨をおくる夜半のむら雲
600 雨後冬月といふ心を
今はとて寝なましものをしぐれつる空とも見えず澄める月かな
601 題知らず
露霜の夜半におきゐて冬の月見るほどに袖はこほりぬ
602 題知らず
もみぢ葉はおのが染めたる色ぞかしよそげに置ける今朝の霜かな
603 題知らず
をぐら山ふもとの里に木の葉散れば梢に晴るる月を見るかな
604 五十首歌奉りしに
秋の色をはらひはててやひさかたの月の桂に木からしの風
605 題知らず
風さむみ木の葉晴ゆく夜な夜なにのこる隅なき庭の月かげ
606 題知らず
我が門の刈田のおもにふす鴫の床あらはなる冬の夜のつき
607 題知らず
冬枯の森の朽葉の霜のうへに落ちたる月のかげのさむけさ
608 千五百番の歌合に
冴えわびてさむる枕に影見れば霜ふかき夜のありあけの月
609 千五百番の歌合に
霜むすぶ袖のかたしきうちとけて寝ぬ夜の月の影ぞ寒けき
610 五十首歌奉りし時
影とめし露のやどりを思ひ出でて霜にあととふ浅茅生の月
611 橋上霜といへることをよみ侍りける
かたしきの袖をや霜にかさぬらむ月に夜がるる宇治の橋姫
612 題知らず
夏刈の荻の古枝は枯れにけり群れ居し鳥は空にやあるらむ
613 題知らず
さ夜ふけて声さへ寒きあしたづは幾重の霜か置きまさるらむ
614 冬歌中に
冬の夜の長きを送る袖ぬれぬあかつきがたの四方のあらしに
615 百首歌奉りし時
笹の葉はみ山もさやにうちそよぎ氷れる霜を吹くあらしかな
616 崇徳院御時百首歌奉りけるに
君来ずは一人や寝なむささの葉のみ山もそよにさやぐ霜夜を
617 題知らず
霜がれはそことも見えぬ草の原たれに問はまし秋のなごりを
618 百首歌中に
霜さゆる山田のくろのむら薄刈る人なしにのこるころかな
619 題知らず
草のうへにここら玉ゐし白露を下葉の霜とむすぶ冬かな
620 題知らず
鵲のわたせる橋に置く霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける
621 上のをのこども菊合し侍りけるついでに
しぐれつつ枯れゆく野辺の花なれど霜のまがきに匂ふ色かな
622 延喜十四年尚侍藤原滿子に菊宴賜はせける時
菊の花手折りては見じ初霜の置きながらこそ色まさりけれ
623 同し御時大堰川に行幸侍りける日
影さへに今はと菊のうつろふは波のそこにも霜や置くらむ
624 題知らず
野べ見れば尾花がもとの思草かれゆく冬になりぞしにける
625 題知らず
津の国の難波の春は夢なれや蘆のかれ葉に風わたるなり
626 崇徳院に十首歌奉りける時
冬深くなりにけらしな難波江の青葉まじらぬ蘆のむらだち
627 題知らず
寂しさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里
628 東(あづま)に侍りける時、都の人に遣はしける
あづま路の道の冬草繁りあひて跡だに見えぬわすれ水かな
629 冬歌とてよみ侍りける
むかし思ふさ夜の寝覚の床さえて涙もこほるそでのうへかな
630 百首歌奉りし時
立ちぬるる山のしづくも音絶えてまきの下葉に垂氷しにけり
631 題知らず
かつ氷りかつはくだくる山河の岩間にむせぶあかつきの声
632 題知らず
消えかへり岩間にまよふ水の泡のしばし宿かる薄氷かな
633 題知らず
枕にも袖にも涙つららゐてむすばぬ夢をとふあらしかな
634 五十首歌奉りし時
水上やたえだえこほる岩間よりきよたき川にのこるしら波
635 百首歌奉りし時
かたしきの袖の氷もむすぼほれとけて寝ぬ夜の夢ぞみじかき
636 最勝四天王院の障子に、宇治川かきたる所
橋姫のかたしき衣さむしろに待つ夜むなしき宇治のあけぼの
637 最勝四天王院の障子に宇治川かきたる所
網代木にいさよふ波の音ふけてひとりや寝ぬる宇治のはし姫
638 百首歌の中に
見るままに冬は来にけり鴨のゐる入江のみぎは薄氷りつつ
639 摂政太政大臣家歌合に、湖上冬月
志賀の浦や遠ざかりゆく波間より氷りて出づるありあけの月
640 守覺法親王家五十首歌よませ侍りけるに
ひとり見る池の氷に澄む月のやがて袖にもうつりぬるかな
641 題知らず
うばたまの夜のふけ行けば楸おふる清き川原に千鳥鳴くなり
642 左保の川原に千鳥の鳴きけるをよみ侍りける
行く先はさ夜更けぬれど千鳥鳴く佐保の河原は過ぎうかりけり
643 陸奥國にまかりける時よみ侍りける
夕されば汐風越してみちのくの野田の玉川ちどり鳴くなり
644 題知らず
白浪にはねうちかはし浜千鳥かなしきものはよるおひと声
645 題知らず
夕なぎにとわたる千鳥波間より見ゆるこじまの雲に消えぬる
646 堀河院に百首歌奉りけるに
浦風に吹上のはまのはま千鳥波立ち来らし夜半に鳴くなり
647 五十首歌奉りし時
月ぞ澄む誰かはここにきの国や吹上の千鳥ひとり鳴くなり
648 千五百番歌合に
さ夜千鳥声こそ近くなるみ潟かたぶく月に汐や満つらむ
649 最勝四天王院の障子に鳴海の浦かきたる所
風吹けばよそになるみのかたおもひ思はぬ浪に鳴く千鳥かな
650 同し所
浦人のひもゆふぐれになるみ潟かへる袖より千鳥鳴くなり
651 文治六年女御入内屏風に
風さゆるとしまが磯のむらちどり立居は波の心なりけり
652 五十首歌奉りし時
はかなしやさても幾夜か行く水に数かきわぶる鴛のひとり寝
653 堀河院に百首歌奉りける時
水鳥のかもの浮寝のうきながら浪のまくらにいく夜経ぬらむ
654 題知らず
吉野なるなつみの川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山かげにして
655 題知らず
閨のうへに片枝さしおほひ外面なる葉広柏に霰降るなり
656 題知らず
さざなみや志賀のから崎風さえて比良の高嶺に霰降るなり
657 題知らず
矢田の野に浅茅色づくあらち山嶺のあわ雪寒くぞあるらし
658 雪のあした基俊がもとへ申し遣し侍りける
常よりも篠屋の軒ぞうづもるる今日はみやこに初雪や降る
659 返し
降る雪にまことに篠屋いかならむ今日は都にあとだにもなし
660 冬歌あまたよみ侍りけるに
初雪のふるの神杉うづもれてしめゆふ野辺は冬ごもりせり
661 思ふこと侍りけるころ初雪降り侍りける日
ふればかくうさのみまさる世を知らで荒れたる庭に積る初雪
662 百首歌に
さむしろの夜半のころも手さえさえて初雪しろし岡のべの松
663 入道前關白右大臣に侍りける時家の歌合に雪をよめる
降り初むる今朝だに人の待たれつるみ山の里の雪の夕暮
664 雪のあした後徳大寺左大臣のもとに遣しける
今日はもし君もや訪ふとながむれどまだ跡もなき庭の雪かな
665 返し
今ぞ聞くこころは跡もなかりけり雪かきわけて思ひやれども
666 題知らず
白山にとしふる雪やつもるらむ夜半にかたしく袂さゆなり
667 夜深聞雪といふことを
明けやらぬねざめの床に聞ゆなりまがきの竹の雪の下をれ
668 上のをのこども暁望山雪といへる心をつかうまつりけるに
音羽山さやかにみする白雪を明けぬとつぐる鳥のこゑかな
669 紅葉の散れりける上に初雪の降りて侍りけるを見て
山里は道もや見えずなりぬらむ紅葉とともに雪の降るらむ
670 野亭雪をよみ侍りける
寂しさをいかにせよとて岡べなる楢の葉しだり雪の降るらむ
671 百首歌奉りし時
駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ
672 摂政太政大臣、大納言に侍りける時、山家雪といふことをよませ侍りけるに
待つ人のふもとの道は絶えぬらむ軒端の杉に雪おもるなり
673 同し家にて所の名を探りて冬歌よませ侍りけるに伏見里の雪を
夢かよふ道さへ絶えぬくれたけの伏見の里の雪のしたをれ
674 家に百首歌よませ侍りけるに
降る雪にたく藻の煙かき絶えてさびしくもあるか塩がまの浦
675 題知らず
田子の浦にうち出でて見れば白たへの富士の高嶺に雪は降りつつ
676 延喜御時歌奉れと仰せられければ
雪のみやふりぬとは思ふ山里にわれも多くの年ぞつもれる
677 守覚法親王、五十首歌よませ侍りけるに
雪降れば峰のまさかきうづもれて月にみがける天の香具山
678 題知らず
かき曇りあまぎる雪のふる里を積らぬさきに訪ふ人もがな
679 題知らず
庭の雪にわが跡つけて出でつるを訪はれにけりと人は見るらむ
680 題知らず
ながむればわが山の端に雪しろし都の人よあわれとも見よ
681 題知らず
冬草のかれにし人のいまさらに雪ふみわけて見えむものかは
682 雪のあした大原にてよみ侍りける
尋ね来て道わけわぶる人もあらじ幾重もつもれ庭のしら雪
683 百首歌中に
このごろは花も紅葉も枝になししばしな消えそ松のしら雪
684 千五百番歌合に
草も木も降りまたがへたる雪もよに春待つ梅の花の香ぞする
685 百首歌召したる時
御狩する交野のみ野に降る霰あなかままだき鳥もこそ立て
686 内大臣に侍りける時家の歌合に
御狩すと鳥だちの原をあさりつつ交野の野辺に今日も暮しつ
687 京極關白前太政大臣高陽院歌合に
御狩野はかつ降る雪にうづもれて鳥立も見えず草がくれつつ
688 鷹狩の心をよみ侍りける
狩りくらし交野の真柴折りしきて川瀬の月を見るかな
689 埋火をよみ侍りける
中々に消えは消えなで埋火のいきてかひなき世にもあるかな
690 百首歌奉りし時
日数ふる雪げにまさる炭竈のけぶりもさびしおほはらの里
691 歳暮に人に遣はしける
おのづからいはぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに歳の暮れぬる
692 年の暮によみ侍りける
かへりては身に添ふものと知りながら暮れ行く年を何慕ふらむ
693 年の暮によみ侍りける
へだてゆく世々の面影かきくらし雪とふりぬる年の暮かな
694 年の暮によみ侍りける
あたらしき年やわが身をとめくらむ隙行く駒に道を任せて
695 俊成卿家に十首歌よみ侍りけるに歳暮の心を
歎きつつ今年も暮れぬ露の命いけるばかりを思出にして
696 百首歌奉りし時
思ひやれ八十ぢの年の暮なればいかばかりかはものは悲しき
697 題知らず
昔おもふ庭にうき木を積み置きて見し世にも似ぬ年の暮かな
698 題知らず
いそのかみ布留野のをざさ霜を経て一よばかりに残る年かな
699 題知らず
年の明けてうき世の夢の醒むべくは暮るとも今日は厭はざらまし
700 題知らず
朝毎のあか井の水に年暮れてわが世のほどのくれぬるかな
701 百首歌奉りし時
いそがれぬ年の暮こそあはれなれ昔はよそに聞きし春かは
702 年の暮に身の老いぬることを嘆きてよみ侍りける
かぞふれば年の残りもなかりけり老いぬるばかり悲しきはなし
703 入道前関白、百首歌よませ侍りける時、歳暮の心をよみて遣はしける
いしばしる初瀬の川のなみ枕はやくも年の暮れにけるかな
704 土御門内大臣家にて海邊歳暮といへる心をよめる
行く年ををじまの海士のぬれごろもかさねて袖に波やかくらむ
705 土御門内大臣家にて海邊歳暮といへる心をよめる
老の波越えける身こそあはれなれことしも今はすゑの松山
706 千五百番歌合に
今日ごとに今日や限と惜しめども又も今年に逢ひにけるかな
707 みつぎ物ゆるされて、国富めるを御覧じて
高き屋にのぼりて見れば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり
708 題知らず
はつ春のはつねの今日の玉菷手にとるからにゆらぐ玉の緒
709 子の日をよめる
子の日してしめつる野辺の姫小松ひかでや千代のかげを待たまし
710 題知らず
君が世の年のかずをばしろたへの浜の真砂とたれかしきけむ
711 亭子院六十御賀屏風に若菜摘める所をよみ侍りける
若菜生ふる野辺といふ野辺を君がため万代しめて摘まむとぞ思ふ
712 延喜御時屏風歌
木綿だすき千年をかけてあしびきの山藍の色はかはらざりけり
713 祐子内親王家にて櫻を
君が世に逢ふべき春の多ければ散るとも桜あくまでぞ見む
714 七條の后の宮五十賀屏風に
住の江の浜の真砂をふむ鶴はひさしきあとをとむるなりけり
715 延喜御時屏風歌
年ごとに生ひそふ竹のよよを経てかはらぬ色を誰とかは見む
716 題知らず
千歳経るをのへの松は秋風のこゑこそかはれ色はかはらず
717 題知らず
山川の菊のしたみづいかなればながれて人の老をせくらむ
718 延喜御時屏風歌に
祈りつつなほなが月の菊の花いづれの秋か植ゑて見ざらむ
719 文治六年女御入内屏風歌
やまびとの折る袖匂ふ菊の露うちはらふにも千世は経ぬべし
720 貞信公家屏風に
神無月もみぢも知らぬ常磐木によろづ代かかれ峰の白雲
721 題知らず
山風は吹けど吹かねどしら浪の寄する岩ねは久しかりけり
722 後一條院生れさせ給へりける九月月隈もなかりける夜に大二條關白中將に侍りけるに時若き人々誘ひ出でて池の舟に乘せて中島の松陰さし廻す程をかしく見え侍りければ
曇なく千年にすめる水の面にやどれる月の影ものどけし
723 永承四年内裏歌合に池の水といふ心を
池水のよよに久しく澄みぬればそこの玉藻もひかり見えけり
724 堀河院の大嘗會御禊に日ごろ雨降りてその日になりて空晴れて侍りければ紀伊典侍に申しける
君が代の千歳のかずもかぎりなく曇らぬ空の光にぞ見る
725 天喜四年皇后宮の歌合に祝の心をよみ侍りける
住の江に生ひそふ松の枝ごとに君が千歳の数ぞこもれる
726 寛治八年關白前太政大臣高陽院歌合に祝の心を
万代をまつの尾山のかげしげみ君をぞ祈るときはかきはに
727 後冷泉院をさなくおはましける時卯杖の松を人の子に賜はせけるによみ侍りける
相生の小塩の山のこ松原いまより千代のかげを待たなむ
728 永保四年内裏子の日に
子の日する御垣の内の小松ばら千代をば外の物とやは見る
729 永保四年、内裏子日に
子の日する野辺の小松を移し植ゑて年のを長く君ぞ引くべき
730 承暦二年内裏歌合に祝の心をよみ侍りける
君が代は久しかるべきわたらひや五十鈴の川の流絶えせで
731 題知らず
常磐なる松にかかれる苔なれば年の緒ながきしるしとぞ思ふ
732 二條院御時、花有喜色といふ心を、人々つかうまつりけるに
君が世に逢へるは誰も嬉しきを花は色にも出でにけるかな
733 同し御時南殿の花の盛りに歌よめと仰せられければ
身にかへて花も惜しまじ君が代に見るべき春の限りなければ
734 百首歌奉りし時
天の下めぐむ草木のめもはるにかぎりも知らぬ御世の末々
735 京極殿にてはじめて人々歌つかうまつりしに松有春色といふことをよみ侍りし
おしなべて木のめもはるの浅緑松にぞ千世の色はこもれる
736 百首歌奉りし時
敷島ややまとしまねも神代より君がためとやかため置きけむ
737 千五百番歌合に
濡れてほす玉ぐしの葉の露霜に天照るひかり幾世経ぬらむ
738 祝の心をよみ侍りける
君が代は千代ともささじ天の戸やいづる月日の限なければ
739 千五百番歌合に
わが道を守らば君を守らなむよはひはゆづれすみよしの松
740 八月十五夜和歌所歌合に月多秋友といふことをよみ侍りし
高砂の松もむかしになりぬべしなほゆく末は秋の夜の月
741 和歌所の開闔になりてはじめて參りし日奏し侍りし
もしほ草かくとも尽きじ君が代の数によみ置く和歌の浦波
742 建久七年入道前關白太政大臣宇治にて人々に歌よませ侍りけるに
嬉しさやかたしく袖につつむらむ今日待ちえたる宇治の橋姫
743 嘉応元年、入道前関白太政大臣、宇治にて、河水久しく澄むといふ事を、人々よませ侍りけるに
年経たる宇治の橋守こととはむ幾代になりぬ水のみなかみ
744 日吉の禰宜成仲七十賀し侍りけるに遣しける
七十ぢにみつの浜松老いぬれど千代の残りはなほぞはるけき
745 百首歌よみ侍りけるに
八百日ゆく浜の真砂を君が代のかずにとらなむ沖つ嶋もり
746 家に歌合し侍りけるに春の祝の心をよみ侍りける
春日山みやこの南しかぞおもふ北の藤なみ春にあへとは
747 天暦御時大嘗會主基備中國中山
常磐なる吉備の中山おしなべて千歳をまつのふかき色かな
748 長和五年大嘗會悠紀方風俗歌近江國朝日郷
あかねさす朝日のさとの日影草豐のあかりのかざしなるべし
749 永承元年大嘗會悠紀方屏風近江國守山をよめる
すべらぎを常磐かきはにもる山のやま人ならし山かづらせり
750 寛治二年、大嘗会屏風に、鷹の尾山をよめる
とやかへるたかの尾山の玉椿霜をば経とも色はかはらじ
751 久寿二年大嘗會悠紀方屏風に近江國鏡山をよめる
曇なきかがみの山の月を見て明らけき世を空に知るかな
752 平治元年大嘗會主基方辰日參入音聲生野をよめる
大江山越えていく野の末とほみ道ある世にも逢ひにけるかな
753 仁安元年、大嘗会悠紀歌奉りけるに、稲舂歌
近江のや坂田の稲をかけつみて道ある御世のはじめにぞつく
754 寿永元年大嘗會主基方稲春歌丹波國長田村をよめる
神代より今日のためとや八束穂に長田の稲のしなひそめけむ
755 元暦元年大嘗會悠紀歌青羽山
立ちよれば涼しかりけり水鳥の青羽の山のまつのゆふかぜ
756 建久九年大嘗會主基屏風に六月松井
常磐なる松井の水をむすぶ手の雫ごとにぞ千代は見えける
757 題しらず
末の露もとの雫や世の中のおくれさきだつためしなるらむ
758 題しらず
あはれなりわが身のはてやあさ緑つひには野べの霞と思へば
759 醍醐の御門かくれ給ひてのち、弥生のつごもりに、三条右大臣につかはしける
桜散る春の末にはなりにけりあままも知らぬながめせしまに
760 正暦二年諒闇の春、桜の枝につけて、道信朝臣につかはしける
墨染のころもうき世の花盛をり忘れても折りてけるかな
761 返し
あかざりし花をや春も恋つらむありし昔をおもひ出でつつ
762 弥生のころ、人にをくれて歎きける人のもとへつかはしける
花ざくらまだ盛にて散りにけむなげきのもとを思ひこそやれ
763 人の、桜をうへをきて、その年の四月になくなりにける、又の年はじめて花さきたるを見て
花見むと植ゑけむ人もなき宿のさくらは去年の春ぞ咲かまし
764 年頃すみ侍ける女の身まかりにける四十九日はてて、なを山里に籠りゐてよみ侍ける
誰もみな花のみやこに散りはててひとりしぐるる秋のやま里
765 公守朝臣母、身まかりてのちの春、法金剛院の花を見て
花見てはいとど家路ぞ急がれぬ待つらむと思ふ人しなければ
766 定家朝臣、母の思ひに侍ける春の暮につかはしける
春霞かすみし空のなごりさへ今日をかぎりの別なりけり
767 前大納言光頼、春身まかりにけるを、桂なる所にてとかくして帰り侍けるに
立ちのぼる煙をだにも見るべきに霞にまがふ春のあけぼの
768 六条摂政かくれ侍りてのち、植へをきて侍りける牡丹のさきて侍けるをおりて、女房のもとよりつかはして侍ければ
形見とて見れば歎のふかみぐさ何なかなかのにほひなるらむ
769 おさなき子の失せにけるが植へをきたりける昌蒲を見て、よみ侍りける
あやめ草たれ忍べとか植ゑ置きて蓬がもとの露と消えけむ
770 歎くこと侍りけるころ、五月五日、人のもとへ申つかはしける
今日くれどあやめも知らぬ袂かな昔を恋ふるねのみかかりて
771 近衛院かくれ給ひにければ、世をそむきてのち、五月五日、皇嘉門院にたてまつられける
菖蒲草引きたがへたる袂にはむかしを恋ふるねぞかかりける
772 返し
さもこそはおなじ袂の色ならめ変らぬねをもかけてけるかな
773 住み侍りける女なくなりにけるころ、藤原為頼朝臣妻、身まかりにけるにつかはしける
よそなれど同じ心ぞ通ふべきたれもおもひの一つならねば
774 返し
一人にもあらぬおもひはなき人も旅の空にや悲しかるらぬ
775 小式部内侍、露をきたる萩をりたる唐衣をきて侍りけるを、身まかりてのち、上東門院よりたづねさせ給ひける、たてまつるとて
置くと見し露もありけりはかなくて消えにし人を何に例へむ
776 御返し
思ひきやはかなく置きし袖の上の露を形見にかけむものとは
777 白河院御時、中宮おはしまさでのち、その御方は草のみ茂りて侍りけるに、七月七日、わらはべの露とり侍けるを見て
浅茅原はかなく置きし草の上の露をかたみと思ひかけきや
778 一品資子内親王にあひて、昔のことども申出だしてよみ侍ける
袖にさへ秋のゆうべは知られけり消えし浅茅が露をかけつつ
779 例ならぬことをもくなりて、御髪おろし給ひける日、上東門院、中宮と申ける時、つかはしける
秋風の露のやどりに君を置きてちりを出でぬることぞかなしき
780 秋のころ、おさなき子にをくれたる人に
別れけむなごりの袖もかわかぬに置きや添ふらむ秋の夕露
781 返し
置き添ふる露とともには消えもせで涙にのみも浮き沈むかな
782 廉義公の母なくなりてのち、女郎花を見て
女郎花見るに心はなぐさまでいとどむかしの秋ぞこひしき
783 弾正尹為尊親王にをくれて歎き侍けるころ
ねざめする身を吹きとほす風の音を昔は袖のよそに聞きけむ
784 従一位源師子かくれ侍りて、宇治より新少将がもとにつかはしける
袖ぬらす萩の上葉の露ばかりむかしわすれぬ虫の音ぞする
785 法輪寺に詣で侍とて、嵯峨野に大納言忠家が墓の侍けるほどに、まかりてよみ侍ける
さらでだに露けき嵯峨の野辺に来て昔の跡にしをれぬるかな
786 公時卿母、身まかりて歎き侍けるころ、大納言実国もとに申つかはしける
悲しさは秋のさが野のきりぎりすなほ古里に音をや鳴くらむ
787 母の身まかりにけるを嵯峨野辺におさめ侍ける夜、よみける
今はさはうき世のさがの野辺をこそ露消えはてし跡と忍ばめ
788 母身まかりにける秋、野分しける日、もと住み侍りける所にまかりて
玉ゆらの露もなみだもとどまらず亡き人恋ふるやどの秋風
789 父秀宗身まかりての秋、寄風懐旧といふことをよみ侍ける
露をだに今はかたみの藤ごろもあだにも袖を吹くあらしかな
790 久我内大臣、春ごろうせて侍ける年の秋、土御門内大臣、中将に侍ける時、つかはしける
秋深き寝覚にいかがおもひ出づるはかなく見えし春の夜の夢
791 返し
見し夢を忘るる時はなけれども秋の寝覚はげにぞかなしき
792 忍びてもの申ける女、身まかりてのち、そのいゑにとまりてよみ侍ける
馴れし秋のふけし夜床はそれながら心の底の夢ぞかなしき
793 陸奥国へまかれりける野中に、目にたつさまなる塚の侍けるを、問はせ侍ければ、これなん中将の塚と申すと答へければ、中将とはいづれの人ぞと問ひ侍ければ、実方朝臣の事となん申けるに、冬の事にて、霜枯れの薄ほのぼの見えわたりて、おりふしものがなしうおぼえ侍ければ
朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄形見にぞ見る
794 同行なりける人、うち続きはかなくなりにければ、思ひ出でてよめる
ふるさとを恋ふる涙やひとり行く友なき山のみちしばの露
795 母の思ひに侍ける秋、法輪にこもりて、あらしのいたく吹きければ
うき世には今はあらしの山風にこれや馴れ行くはじめなるらむ
796 定家朝臣母、身まかりてのち、秋ごろ墓所ちかき堂にとまりてよみ侍ける
稀にくる夜半もかなしき松風を絶えずや苔のしたに聞くらむ
797 堀河院かくれ給てのち、神無月、風のをとあはれにきこえければ
物思へば色なき風もなかりけり身にしむ秋のこころならひに
798 藤原定通身まかりてのち、月あかき夜、人の夢に殿上になん侍とて、よみ侍ける歌
故郷をわかれし秋をかぞふれば八とせになりぬありあけの月
799 源為善朝臣身まかりにける又の年、月を見て
命あればことしの秋も月は見つわかれし人に逢ふよなきかな
800 世中はかなく、人々おほくなくなり侍けるころ、中将宣方朝臣身まかりて、十月許、白河の家にまかれりけるに、紅葉のひと葉のこれるを見侍て
今日来ずは見でややみなむ山里の紅葉も人も常ならぬよに
801 十月許、水無瀬に侍しころ、前大僧正慈円のもとへ、ぬれて時雨のなど申つかはして、次の年の神無月に、無常の歌あまた詠みてつかはし侍し中に
思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れがたみに
802 返し
思ひ出づる折りたく柴と聞くからにたぐひも知らぬ夕煙かな
803 雨中無常といふことを
亡き人のかたみの雲やしぐるらむゆふべの雨にいろはみえねど
804 枇杷皇太后かくれてのち、十月許、かの家の人々の中に、たれともなくてさしをかせける
神無月しぐるる頃もいかなれや空に過ぎにし秋のみや人
805 右大将通房身まかりてのち、手習ひすさびて侍ける扇を見出だして、よみ侍ける
手すさびのはかなき跡と見しかども長き形見になりにけるかな
806 斎宮女御のもとにて、先帝のかゝせ給へりける草子を見侍て
尋ねても跡はかくてもみづぐきのゆくへも知らぬ昔なりけり
807 返し
いにしへのなきに流るるみづぐきは跡こそ袖のうらによりけれ
808 恒徳公かくれてのち、女のもとに、月明き夜しのびてまかりてよみ侍ける
ほしもあへぬ衣の闇にくらされて月ともいはずまどひぬるかな
809 入道摂政のために万灯会をこなはれ侍けるに
水底に千々の光はうつれども昔のかげは見えずぞありける
810 公忠朝臣身まかりにけるころ、よみ侍ける
物をのみ思ひ寝覚のまくらには涙かからぬあかつきぞなき
811 一条院かくれ給ひにければ、その御事をのみ恋ひ歎き給て、夢にほの見え給ひければ
逢ふ事も今はなきねの夢ならでいつかは君をまたは見るべき
812 後朱雀院かくれ給て、上東門院、白河にこもり給にけるをきゝて
憂しとては出でにし家を出でぬなりなど故郷にわが帰りけむ
813 おさなかりける子の身まかりにけるに
はかなしといふにもいとど涙のみかかるこの世を頼みけるかな
814 後一条院中宮かくれ給てのち、人の夢に
故郷に行く人もがな告げやらむ知らぬ山路にひとりまどふと
815 小野宮右大臣身まかりぬときゝてよめる
玉の緒の長きためしにひく人も消ゆれば露にことならぬかな
816 小式部内侍見まかりてのち、常にもちて侍ける手箱を誦経にせさすとて、よみ侍ける
恋ひわぶと聞きにだに聞け鐘の音にうち忘らるる時の間ぞなき
817 上東門院小少将身まかりてのち、常にうちとけて書きかはしける文の、ものの中に侍けるを見出でて、加賀少納言がもとへつかはしける
誰か世にながらへて見む書きとめし跡は消えせぬ形見なれども
818 返し
亡き人を忍ぶることもいつまでぞ今日の哀は明日のわが身を
819 僧正明尊かくれてのち、久しくなりて、房なども石蔵にとりわたして、草おひ茂りて、ことざまになりにけるを見て
亡き人の跡をだにとて来て見ればあらぬさまにもなりにけるかな
820 世のはかなきことを歎くころ、陸奥国に名あるところどころ書きたる絵を見侍りて
見し人の煙になりしゆうべより名ぞむつまじき塩釜のうら
821 後朱雀院かくれ給ひて、源三位がもとにつかはしける
あはれ君いかなる野辺の煙にてむなしき空の雲となりけむ
822 返し
思へ君燃えしけぶりにまがひなで立ちおくれたる春の霞を
823 大江嘉言、対馬になりて下るとて、難波堀江の蘆のうら葉にとよみて下り侍にけるほどに、国にてなくなりにけりときゝて
あはれ人今日のいのちを知らませば難波の葦に契らざらまし
824 題しらず
夜もすがら昔のことを見つるかな語るやうつつありし世や夢
825 俊頼朝臣身まかりてのち、常に見ける鏡を仏に造らせ侍とてよめる
うつりけむ昔の影やのこるとて見るにおもひのます鏡かな
826 通ひける女のはかなくなり侍にけるころ、書きをきたる文ども、経の料紙になさんとて取り出でて見侍けるに
書きとむる言の葉のみぞみづぐきの流れてとまる形見なりける
827 禎子内親王かくれ侍てのち、?子内親王かはりゐ侍ぬときゝて、まかりて見ければ、なに事もかはらぬやうに侍けるも、いとゞ昔おもひ出でられて、女房に申侍ける
有栖川おなじながれはかはらねど見しや昔のかげぞ忘れぬ
828 権中納言道家母、かくれ侍にける秋、摂政太政大臣のもとにつかはしける
限りなき思のほどの夢のうちはおどろかさじと歎きこしかな
829 返し
見し夢にやがてまぎれぬ吾身こそ問はるる今日もまづ悲しけれ
830 母の思ひに侍けるころ、又なくなりにける人のあたりより問ひて侍ければ、つかはしける
世の中は見しも聞きしもはかなくてむなしき空の煙なりけり
831 無常の心を
いつ歎きいつ思ふべきことなれば後の世知らで人の過ぐらむ
832 無常の心を
皆人の知りがほにして知らぬかな必ず死ぬるならひありとは
833 無常の心を
昨日見し人はいかにと驚けどなほながき夜の夢にぞありける
834 無常の心を
蓬生にいつか置くべき露の身は今日のゆふぐれ明日のあけぼの
835 無常の心を
我もいつぞあらましかばと身し人を忍ぶとすればいとど添ひ行く
836 前参議教長、高野に籠りゐて侍けるが、病かぎりになり侍ぬときゝて、頼輔卿まかりけるほどに、身まかりぬときゝて、つかはしける
尋ね来ていかにあはれとながむらむ跡なき山の峰のしら雲
837 人にをくれて歎きける人につかはしける
亡き跡の面影をのみ身に添へてさこそは人の恋しかるらめ
838 歎くこと侍ける人、問はずとうらみ侍ければ
哀とも心に思ふほどばかりいはれぬべくは問ひこそはせめ
839 無常の心を
つくづくと思へば悲しいつまでか人の哀をよそに聞くべき
840 左近中将通宗が墓所にまかりて、よみ侍ける
おくれゐて見るぞ悲しきはかなさをうき身の跡となに頼みけむ
841 覚快法親王かくれ侍て、周忌のはてに墓所にまかりて、よみ侍ける
そこはかと思ひつづけて来て見れば今年の今日も袖は濡れけり
842 母のために粟田口の家にて仏供養し侍ける時、はらからみなまうで来あひて、古き面影などさらにしのび侍けるおりふししも、雨かきくらし降り侍ければ、帰るとて、かの堂の障子に書きつけ侍ける
たれもみな涙の雨にせきかねぬ空もいかがはつれなかるべき
843 なくなりたる人の数を卒塔婆に書きて、歌よみ侍けるに
見し人は世にもなぎさの藻塩草かき置くたびに袖ぞしをるる
844 子の身まかりにける次の年の夏、かの家にまかりたりけるに、花橘のかほりければよめる
あらざらむ後忍べとや袖の香を花たちばなにとどめ置きけむ
845 能因法師身まかりてのち、よみ侍ける
ありし世に暫しも見ではなかりしをあはれとばかりいひて止みぬる
846 妻なくなりて又の年の秋ごろ、周防内侍がもとへつかはしける
問へかしな片しく藤の衣手になみだのかかる秋の寝覚を
847 堀河院かくれ給てのち、よめる
君なくてよるかたもなき青柳のいとどうき世ぞおもひ乱るる
848 通ひける女、山里にてはかなくなりにければ、つれづれと籠りゐて侍けるが、あからさまに京へまかりて、あか月帰るに、鶏鳴きぬ、と人々いそがし侍ければ
いつのまに身を山がつになしはてて都を旅と思ふなるらむ
849 奈良の御門をおさめたてまつりけるを見て
久方のあめにしをるる君ゆゑに月日も知らで恋ひわたるらむ
850 題しらず
あるはなくなきは数添ふ世の中にあはれいづれの日まで歎かむ
851 題しらず
白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを
852 更衣の服にてまいれりけるを見給ひて
年経ればかくもありけり墨染のこは思ふてふそれかあらぬか
853 思ひにて人のいゑに宿れりけるを、その家に忘草の多く侍りければ、あるじにつかはしける
亡き人をしのびかねては忘草おほかる宿にやどりをぞする
854 病にしづみて、久しく籠りゐて侍けるが、たまたまよろしくなりて、内にまいりて、右大弁公忠、蔵人に侍けるに、会ひて、又あさてばかりまいるべきよし申て、まかり出でにけるまゝに、病をもくなりて限りに侍ければ、公忠朝臣につかはしける
悔しくぞ後に逢はむと契りける今日を限といはましものを
855 母の女御かくれ侍りて、七月七日よみ侍ける
墨染のそでは空にもかさなくにしぼりもあへず露ぞこぼるる
856 うせにける人の文の、ものの中なるを見出でて、そのゆかりなる人のもとにつかはしける
暮れぬまの身をば思はで人の世の哀を知るぞかつははかなき
857 陸奥國に下りける人に装束贈るとてよみ侍りける
玉鉾の道のやまかぜ寒からば形見がてらに著なむとぞおもふ
858 題知らず
忘れなむ世にも越路のかへる山いつはた人に逢はむとすらむ
859 浅からず契りける人の、行き別れ侍りけるに
北へ行く雁の翅にことづてよ雲のうはがきかき絶えずして
860 田舎へまかりける人に、旅衣つかはすとて
秋霧のたつたびごろも置きて見よ露ばかりなる形見なりとも
861 陸奥國に下り侍りける人に
見てだにも飽かぬこころを玉鉾のみちの奥まで人の行くらむ
862 逢坂の關近きわたりに住み侍りけるに遠き所にまかりける人に餞し侍るとて
逢坂の関にわが宿なかりせば別るる人はたのまざらまし
863 寂昭上人入唐し侍りけるに装束贈りけるに立ちけるを知らで追ひて遣しける
きならせと思ひしものを旅衣たつ日を知らずなりにけるかな
864 返し
これやさは雲のはたてに織ると聞くたつこと知らぬ天の羽衣
865 題知らず
ころも川みなれし人のわかれには袂までこそ浪は立ちけれ
866 陸奥國の介にてまかりける時範永朝臣のもとに遣しける
行末にあふくま川のなかりせばいかにかせまし今日の別れを
867 返し
君にまたあふくま川を待つべきに残すくなきわれぞ悲しき
868 大宰師隆家下りけるに扇賜ふとて
すずしさはいきの松原まさるとも添ふる扇の風なわすれそ
869 亭子院宮の滝御覧じにおはしましけるに御共に素性法師召し具せられて參りけるを住吉の郡にていとま給はりて大和に遣しけるによみ侍りける
神無月まれのみゆきに誘はれて今日別れなばいつか逢ひ見む
870 題知らず
別れての後もあひ見むと思へどもこれをいづれの時とかは知る
871 成尋法師入唐し侍りけるに母のよみ侍りける
もろこしもあめの下にぞありと聞く照る日の本を忘れざらなむ
872 修行に出で立つとて人のもとに遣しける
別路はこれや限りのたびならむ更にいくべきここちこそせね
873 老いたる親の七月七日筑紫へ下りけるに遥に離れぬる事を思ひて八日の暁追ひて舟に乘る所に遣しける
天の河そらにきこえし舟出にはわれぞまさりて今朝は悲しき
874 實方朝臣の陸奥國へ下り侍りけるに餞すとてよみ侍りける
別路はいつもなげきの絶えせぬにいとどかなしき秋の夕暮
875 返し
とどまらむ事は心にかなへどもいかにかせまし秋の誘ふを
876 七月ばかり美作へ下るとて都の人に遣しける
みやこをば秋とともにぞたちそめし淀の河霧いくよ隔てつ
877 みこの宮と申しける時太宰大貳實政学士にて侍りける甲斐守にて下り侍りけるに餞賜はすとて
思ひ出でばおなじ空とは月を見よほどは雲居に廻りあふまで
878 陸奥國の守基頼の朝臣久しく逢ひ見ぬよし申していつ上るべしとも言はず侍りければ
帰り来むほど思ふにも武隈のまつわが身こそいたく老いぬれ
879 修行に出で侍りけるによめる
思へども定なき世のはかなさにいつを待てともえこそ頼めね
880 にはかに都を離れて遠くまかりにけるに女に遣しける
契り置くことこそ更になかりしかかねて思ひし別ならねば
881 別の心をよめる
かりそめの別と今日を思へどもいさやまことの旅にもあるらむ
882 別れの心をよめる
帰り来むほどをや人に契らまし忍ばれぬべきわが身なりせば
883 守覺法親王五十首歌よませ侍りける時
誰としも知らぬわかれの悲しきは松浦の沖を出づる舟人
884 登蓮法師筑紫へまかりけるに
はるばると君が分くべき白浪をあやしやとまる袖にかけつる
885 陸奥國へまかりける人に餞し侍りけるに
君いなば月待つとてもながめやらむ東のかたの夕暮の空
886 遠き所に修行せむとて出でたちける、人々、別れ惜しみてよみ侍りける
たのめおかむ君も心やなぐさむと帰らむ事はいつとなくとも
887 遠き所に修行せむとて出でたちける、人々、別れ惜しみてよみ侍りける
さりともとなほ逢ふことを頼むかな死出の山路を越えぬ別は
888 遠き所へまかりける時師光餞し侍りけるによめる
帰り来む程を契らむと思へども老いぬる身こそ定めがたけれ
889 題知らず
かりそめの旅のわかれと忍ぶれど老は涙もえこそとどめね
890 題知らず
別れにし人はまたもやみわの山すぎにしかたを今になさばや
891 題知らず
忘るなよやどる袂はかはるともかたみにしぼる夜半の月影
892 都の外へまかりける人によみて贈りける
なごり思ふ袂にかねて知られけり別るる旅のゆくすゑの露
893 筑紫へまかりける女に月いだしたる扇を遣はすとて
都をばこころをそらに出でぬとも月見むたびに思ひおこせよ
894 遠き國へまかりける人に遣しける
別路は雲居のよそになりぬともそなたの風のたより過ぐすな
895 人の國へまかりける人に狩衣遣はすとてよめる
色深く染めたる旅のかりごろもかへらむまでの形見とも見よ
896 和銅三年三月、藤原の宮より奈良の宮にうつり給ひけるとき
飛ぶ鳥の飛鳥の里をおきていなば君が辺は見えずかもあらむ
897 天平十二年十月、伊勢国に行幸(みゆき)し給ひける時
いもにこひわかの松原見わたせば汐干のかたにたづ鳴き渡る
898 もろこしにてよみ侍りける
いざこどもはや日の本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらめ
899 題知らず
あまざかる鄙のなが路を漕ぎくれば明石のとよりやまと島見ゆ
900 題知らず
ささの葉はみ山もそよに乱るなりわれは妹思ふ別れ来ぬれば
901 帥の任はてて、筑紫より上り侍りけるに
ここにありて筑紫やいづこ白雲の棚びく山の西にあるらし
902 題知らず
朝霧に濡れにし衣ほさずしてひとりや君が山路越ゆらむ
903 あづまの方にまかりけるに、浅間の岳に煙のたつを見てよめる
信濃なる浅間の嶽に立つけぶりをちこち人の見やはとがめぬ
904 駿河の国うつの山にあへる人につけて京に遣はしける
駿河なる宇都の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
905 延喜御時屏風の歌
くさまくらゆふ風寒くなりにけり衣うつなる宿やからまし
906 題知らず
白雲のたなびき渡るあしびきの山のかけはし今日や越えまし
907 題知らず
東路のさやの中山さやかにも見えぬ雲居に世をやつくさむ
908 伊勢より人に遣しける
人をなほ恨みつべしや都鳥ありやとだにも問ふを聞かねば
909 題知らず
まだ知らぬ故郷人は今日までに来むとたのめしわれを待つらむ
910 題知らず
しなが鳥猪名野を行けば有馬山ゆふ霧立ちぬ宿はなくして
911 題知らず
神風の伊勢の浜荻をりふせてたび寝やすらむあらき浜辺に
912 亭子院御ぐしおろして山々寺々に修行し給ひける頃御供に侍りて和泉國日根といふ所にて人々歌よみ侍りけるによめる
故郷のたびねの夢に見えつるは恨みやすらむまたと訪はねば
913 信濃のみ坂のかたかきたる繪に園原といふ所に旅人宿りて立ち明したる所を
立ちながら今宵は明けぬ薗原や伏屋といふもかひなかりけり
914 題知らず
都にて越路の空をながめつつ雲居といひしほどに来にけり
915 入唐し侍りける時いつほどにか歸るべきと人の問ひ侍りければ
旅衣たちゆく浪路とほければいさしら雲のほども知られず
916 敷津(しきつ)の浦にまかりて遊びけるに、舟にとまりてよみ侍りける
船ながらこよひばかりは旅寝せむ敷津の浪に夢はさむとも
917 いそのへちの方に修行し侍りけるに一人具したりける同行を尋ね失ひてもとの岩屋の方へ歸るとてあま人の見えけるに修行者見えばこれを取らせよとてよみ侍りける
わが如くわれを尋ねばあまを舟人もなぎさのあとと答へよ
918 湖の舟にて夕立のしぬべきよし申しけるを聞きてよみ侍りける
かき雲り夕立つなみの荒ければ浮きたる舟ぞしづごころなき
919 天王寺に參りけるに難波の浦に泊りてよみ侍りける
さ夜ふけて葦のすゑ越す浦風にあはれうちそふ波の音かな
920 旅の歌とてよみ侍りける
旅寝してあかつきがたの鹿のねに稲葉おしなみ秋風ぞ吹く
921 旅の歌とてよみ侍りける
わぎも子が旅寝の衣薄きほどよきて吹かなむ夜半の山かぜ
922 後冷泉院御時上のをのこども旅の歌よみ侍りけるに
葦の葉を刈り葺くしづの山里にころもかたしき旅寝をぞする
923 頼み侍りける人に後れて後初瀬に詣でて夜泊りたりける所に草を結びて枕にせよとて人のたび侍りければよみ侍りける
ありし世の旅は旅ともあらざりきひとり露けき草まくらかな
924 堀河院百首歌に
山路にてそぼちにけりな白露のあかつきおきの木木の雫に
925 堀河院百首歌に
草まくら旅寝の人はこころせよありあけの月も傾きにけり
926 水邊旅宿といへる心をよめる
磯馴れぬこころぞ堪へぬ旅寝する葦のまろ屋にかかる白浪
927 田上にてよみ侍りける
旅寝する葦のまろ屋の寒ければつま木こり積む舟急ぐなり
928 題知らず
み山路に今朝や出でつる旅人の笠しろたへに雪つもりつつ
929 旅宿の雪といへる心をよみ侍りける
松が根に尾花刈りしき夜もすがらかたしく袖に雪は降りつつ
930 陸奥國に侍りける頃八月十五夜に京を思ひ出でて大宮の女房のもとに遣しける
見し人も十布の浦風おとせぬにつれなく澄める秋の夜の月
931 關戸の院といふ所にて羇中見月といふ心を
草枕ほどぞ経にけるみやこ出でて幾夜か旅の月に寝ぬらむ
932 守覚法親王家に五十首歌よませ侍りけるに、旅の歌
夏刈の葦のかりねもあはれなり玉江の月のあけがたの空
933 守覚法親王家に五十首歌よませ侍りけるに、旅の歌
立ちかへりまたも来て見む松島やをじまの苫屋波にあらすな
934 守覚法親王家に五十首歌よませ侍りけるに、旅の歌
こととへよ思ひおきつの浜千鳥なくなく出でしあとの月影
935 守覚法親王家に五十首歌よませ侍りけるに、旅の歌
野辺の露うらわの浪をかこちてもゆくへも知らぬ袖の月影
936 旅歌とてよめる
もろともに出でし空こそ忘られぬ都の山のありあけの月
937 題知らず
都にて月をあはれと思ひしは数にもあらぬすさびなりけり
938 題知らず
月見ばと契りおきてしふるさとの人もや今宵袖ぬらすらむ
939 五十首歌奉りし時
明けばまた越ゆべき山のみねなれや空行く月のすゑの白雲
940 五十首歌奉りし時
故郷の今日のおもかげさそひ来と月にぞ契る小夜のなか山
941 和歌所月十首歌合の次に月前旅といへる心を人々つかうまつりしに
忘れじと契りて出でし面影は見ゆらむものをふるさとの月
942 旅の歌とてよみ侍りける
東路の夜半のながめを語らなむみやこの山にかかる月かげ
943 海濱重`夜といへる心をよみ侍りし
いく夜かは月をあはれとながめきて波におりしく伊勢の浜荻
944 百首歌奉りし時
知らざりし八十瀬の波を分け過ぎてかたしくものは伊勢の浜荻
945 題知らず
風寒み伊勢の浜荻分け行けばころもかりがね浪に鳴くなり
946 題知らず
磯馴れてこころも解けぬこもまくら荒くなかけそ水の白浪
947 百首歌奉りし時
行末は今いく夜とかいはしろの岡のかや根にまくら結ばむ
948 百首歌奉りし時
松が根のをじまが磯のさ夜枕いたくな濡れそあまの袖かは
949 千五百番歌合に
かくてしも明かせばいく夜過ぎぬらむ山路の苔の露の筵に
950 旅にてよみ侍りける
白雲のかかる旅寝もならはぬに深き山路に日は暮れにけり
951 暮望行客といへる心を
夕日さす浅茅が原の旅人はあはれいづくに宿をかるらむ
952 摂政太政大臣家歌合に覊中晩嵐といふことをよめる
いづくにか今宵は宿をかりごろもひもゆふぐれの嶺の嵐に
953 旅歌とてよめる
旅人の袖吹きかへす秋かぜに夕日さびしき山のかけはし
954 旅歌とてよめる
故郷に聞きしあらしの声も似ずわすれぬ人をさやのなか山
955 旅歌とてよめる
白雲のいくへの峰を越えぬらむ馴れぬあらしに袖をまかせて
956 旅歌とてよめる
今日は又知らぬ野原に行き暮れぬいづれの山か月は出づらむ
957 和歌所歌合に羇中暮といふことを
ふるさとも秋は夕べをかたみとて風のみおくる小野の篠原
958 和歌所歌合に羇中暮といふことを
いたづらに立つや浅間の夕けぶり里とひかぬるをちこちの山
959 和歌所歌合に羇中暮といふことを
都をば天つ空とも聞かざりき何ながむらむ雲のはたてを
960 和歌所歌合に羇中暮といふことを
草まくらゆふべの空を人とはばなきても告げよ初かりの声
961 旅の心を
ふしわびぬ篠のを笹のかり枕はかなの露やひとよばかりに
962 石清水歌合に旅宿嵐といふことを 藤原有家朝臣
岩がねの床にあらしをかたしきて独や寝なむさよの中山
963 旅の歌とて 藤原業清
誰となき宿のゆふべを契にてかはるあるじを幾夜とふらむ
964 羇中夕といふ事を 鴨長明
枕とていづれの草に契るらむ行くをかぎりの野べの夕暮
965 東の方へまかりける道にてよみ侍りける 民部卿成範
道のべの草の青葉に駒とめてなほ故郷をかへりみるかな
966 長月のころ初瀬に詣でける道にてよみ侍りける 禅性法師
初瀬山夕越え暮れてやどとへば三輪の桧原に秋かぜぞ吹く
967 旅の歌とてよめる 藤原秀能
さらぬだに秋の旅寝はかなしきに松に吹くなりとこの山風
968 摂政太政大臣家歌合に、秋旅といふことを
忘れなむ待つとな告げそなかなかにいなばの山の峰の秋風
969 百首歌奉りし時旅歌
契らねど一夜は過ぎぬ清見がた波にわかるるあかつきの空
970 千五百番歌合に
故郷にたのめし人もすゑの松待つらむそでになみやこすらむ
971 歌合し侍りける時旅の心をよめる
日を経つつみやこしのぶの浦さびて波より外の音づれもなし
972 堀河院御時百首歌奉りける時旅歌 藤原顕仲朝臣
さすらふるわが身にしあれば象潟や蜑の苫屋にあまたたび寝ぬ
973 入道前関白家百首歌に旅の心を
難波人葦火たく屋にやどかりてすずろに袖のしほたるるかな
976 題知らず
また越えむ人もとまらばあはれ知れわが折りしける峰の椎柴
974 題知らず
道すがら富士の煙もわかざりき晴るる間もなき空のけしきに
975 述懐百首歌よみ侍りける、旅の歌
世の中はうきふししげし篠原や旅にしあればいも夢に見ゆ
977 千五百番歌合に
おぼつかな都にすまぬ都鳥こととふ人にいかがこたへし
978 天王寺に參り侍りけるに俄に雨降りければ 江口に宿を借りけるに貸し
世の中を厭ふまでこそ難からめかりのやどりを惜しむ君かな
979 返し 遊女妙
世の中を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ
980 和歌所にてをのこども旅の歌つかうまつりしに
袖に吹けさぞな旅寝の夢も見じ思ふかたより通ふうら風
981 和歌所にてをのこども旅の歌つかうまつりしに
旅寝する夢路はゆるせ宇都の山関とは聞かずもる人もなし
982 詩を歌にあはせ侍りしに、山路秋行といへる心を
みやこにも今や衣をうつの山ゆふ霜はらふ蔦の下みち
983 詩を歌にあはせ侍りしに、山路秋行といへる心を
袖にしも月かかれとは契り置かず涙は知るやうつの山ごえ
984 詩を歌にあはせ侍りしに、山路秋行といへる心を
立田山秋行く人の袖を見よ木木のこずゑはしぐれざりけり
985 百首歌奉りし、旅歌
さとりゆくまことの道に入りぬれば恋しかるべき故郷もなし
986 初瀬に詣でて歸さに飛鳥川のほとりに宿りて侍りける夜よみ侍りける
故郷へ帰らむことはあすか川わたらぬさきに淵瀬たがふな
987 東の方へまかりけるによみ侍りける
年たけてまた越ゆべしと思ひきやいのちなりけりさ夜のなか山
988 旅の歌とて
思ひ置く人の心にしたはれて露わくる袖のかへりぬるかな
989 熊野へまゐり侍りしに、旅の心を
見るままに山風あらくしぐるめり都もいまは夜寒なるらむ
990 題知らず
よそにのみ見てややみなむ葛城や高間の山のみねのしら雲
991 題知らず
音にのみありと聞きこしみ吉野の滝は今日こそ袖に落ちけれ
992 題知らず
あしびきの山田守る庵に置くかびの下焦れつつわが恋ふらくは
993 題知らず
石の上布留のわさ田のほには出でず心のうちに恋ひや渡らむ
994 女に遣はしける
春日野の若紫のすりごろもしのぶのみだれかぎり知られず
995 中將更衣に遣しける
紫の色にこころはあらねども深くぞ人をおもひそめつる
996 題知らず
みかの原わきて流るるいづみ河いつ見きとてか恋しかるらむ
997 平定文家歌合に
その原やふせやに生ふる帚木のありとは見えて逢はぬ君かな
998 人の文つかはして侍りける返り事にそへて、女に遣はしける
年を経ておもふ心のしるしにぞ空もたよりの風は吹きける
999 九條右大臣の女にはじめて遣しける
年月はわが身に添へて過ぎぬれど思ふ心のゆかずもあるかな
1000 返し
諸共に哀といはずは人知れぬ問はずがたりをわれのみやせむ
1001 天暦御時歌合に
人伝に知らせてしがな隠沼のみごもりにのみ恋ひや渡らむ
1002 はじめて女に遣しける
みごもりの沼の岩垣つつめどもいかなるひまに濡るる袂ぞ
1003 いかなる折にかありけむ、女に
から衣袖にひとめはつつめどもこぼるるものは涙なりけり
1004 左大将朝光、五節舞姫奉りけるかしづきを見て、遣はしける
天つ空豊のあかりに見し人のなほおもかげのしひて恋しき
1005 つれなく侍りける女に師走の晦日に遣しける
あら玉の年にまかせて見るよりはわれこそ越えめ逢坂のせき
1006 堀河関白、文などつかはして、「里はいづくぞ」と問ひ侍りければ
わが宿はそことも何か教ふべきいはでこそ見め尋ねけりやと
1007 返し
わがおもひ空の煙となりぬれば雲居ながらもなほ尋ねてむ
1008 題知らず
しるしなき煙を雲にまがへつつ世を経て富士の燃えなむ
1009 題知らず
煙立つおもひならねど人知れずわびては富士のねをのみぞなく
1010 女に遣しける
風吹けば室の八島のゆふけぶり心の空に立ちにけるかな
1011 文遣しける女に同し司の上なりける人通ふと聞きて遣しける
白雲のみねにしもなど通ふらむ同じみかさの山のふもとを
1012 題知らず
今日も又かくやいぶきのさしも草さらばわれのみ燃えや渡らむ
1013 題知らず
筑波山端山繁山しげけれど思ひ入るにはさはらざりけり
1014 また通ふ人ありける女のもとに遣しける
われならむ人に心をつくば山したに通はむ道だにやなき
1015 はじめて女に遣しける
人知れずおもふ心はあしびきの山した水の湧きやかへらむ
1016 女を物越しにほのかに見て遣しける
匂ふらむ霞のうちのさくら花おもひやりても惜しき春かな
1017 年を經て言ひわたり侍りける女のさすがにけ
幾かへり咲き散る花を眺めつつもの思ひ暮らす春に逢ふらむ
1018 題知らず
奥山の峰飛び越ゆる初雁のはつかにだにも見でややみなむ
1019 題知らず
大空をわたる春日の影なれやよそにのみしてのどけかるらむ
1020 正月雨降り風吹きける日女に遣しける
春風の吹くにもまさるなみだかなわがみなかみも氷解くらし
1021 たびたび返事せぬ女に
水の上に浮きたる鳥のあともなくおぼつかなさを思ふ頃かな
1022 題知らず
かた岡の雪間にねざす若草のほのかに見てし人ぞこひしき
1023 返事せぬ女の許に遣はさむとて人のよませ侍りければ二月ばかりによみ侍りける
あとをだに草のはつかに見てしがな結ぶばかりの程ならずとも
1024 題知らず
霜の上に跡ふみつくる浜千鳥ゆくへもなしと音をのみぞ鳴く
1025 題知らず
秋萩の枝もとををに置く露の今朝消えぬとも色に出でめや
1026 題知らず
秋風にみだれてものは思へども萩の下葉の色はかはらず
1027 忍草の紅葉したるに付けて女のもとに遣しける
わが恋も今は色にや出でなまし軒のしのぶも紅葉しにけり
1028 和歌所歌合に久忍戀といふことを
いそのかみふるの神杉ふりぬれど色には出でず露も時雨も
1029 小野宮歌合に、忍恋の心を
わが恋はまきの下葉にもる時雨ぬるとも袖の色に出でめや
1030 百首歌奉りし時よめる
わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐなり
1031 家に歌合し侍りけるに、夏恋の心を
空蝉の鳴く音やよそにもりの露ほしあへぬ袖を人のとふまで
1032 家に歌合し侍りけるに、夏恋の心を
思あれば袖に螢をつつみてもいはばやものをとふ人はなし
1033 水無瀬にて、をのこども、久恋といふことをよみ侍りしに
思ひつつ経にける年のかひやなきただあらましの夕暮のそら
1034 百首歌中に、忍恋を
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
1035 百首歌中に、忍恋を
忘れてはうち歎かるるゆうべかなわれのみ知りて過ぐる月日を
1036 百首歌中に、忍恋を
わが恋は知る人もなしせく床のなみだもらすな黄楊の小まくら
1037 百首歌よみ侍りける時、忍恋
忍ぶるにこころの隙はなけれどもなほもるものは涙なりけり
1038 冷泉院、みこの宮と申しける時、さぶらひける女房を見かはして、いひわたり侍りける頃、手習しける所にまかりて、物に書き付け侍りける
つらけれど恨みむとはたおもほえずなほ行くさきを頼む心に
1039 返し
雨こそは頼まばもらめたのまずは思はぬ人と見てをやみなむ
1040 題知らず
風吹けばとはに波こす磯なれやわがころも手の乾く時なし
1041 題知らず
須磨の蜑の浪かけ衣よそにのみ聞くはわが身になりにけるかな
1042 薬玉を女に遣はすとて男にかはりて
沼ごとに袖ぞ濡れけるあやめ草こころに似たるねを求むとて
1043 五月五日馬内侍に遣しける
時鳥いつかと待ちし菖蒲草今日はいかなるねにか鳴くべき
1044 返し
さみだれはそらおぼれする時鳥ときになく音は人もとがめず
1045 兵衞佐に侍りける時五月ばかりによそながら物申し初めて遣しける
時鳥こゑをば聞けど花の枝にまだふみなれぬものをこそ思へ
1046 返し 馬内侍
時鳥しのぶるものをかしは木のもりても声の聞えけるかな
1047 時鳥の鳴きけるは聞きつやと申しける人に
心のみ空になりつつほととぎす人だのめなる音こそなかるれ
1048 題知らず
み熊野の浦よりをちに漕ぐ舟のわれをばよそに隔てつるかな
1049 題知らず
難波潟みじかき葦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや
1050 題知らず
み狩する狩場の小野のなら柴の馴れはまさらで恋ぞまされる
1051 題知らず
有度浜の疎くのみやは世をば経む波のよるよる逢ひ見てしがな
1052 題知らず
東路の道のはてなる常陸帯のかごとばかりも逢ひ見てしがな
1053 題知らず
濁江のすまむことこそ難からめいかでほのかに影を見せまし
1054 題知らず
時雨降る冬の木の葉のかわかずぞもの思ふ人の袖はありける
1055 題知らず
ありとのみおとに聞きつつ音羽川わたらば袖に影も見えなむ
1056 題知らず
水茎の岡の木の葉を吹きかへし誰かは君を恋ひむとおもひし
1057 題知らず
わが袖に跡ふみつけよ浜千鳥逢ふことかたし見てもしのばむ
1058 女の許より歸り侍りけるに程もなく雪のいみじう降り侍りければ
冬の夜の涙にこほるわが袖のこころ解けずも見ゆる君かな
1059 題知らず
霜こほりこころも解けぬ冬の池に夜ふけてぞ鳴くをしの一声
1060 題知らず
なみだ川身も浮くばかりながるれど消えぬは人の思なりけり
1061 女に遣しける
いかにせむくめぢの橋の中空に渡しも果てぬ身とやなりなむ
1062 女の杉の實を包みておこせて侍りければ
たれぞこの三輪の桧原も知らなくに心の杉のわれを尋ねる
1063 題知らず
わが恋はいはぬばかりぞ難波なる葦のしの屋の下にこそたけ
1064 題知らず
わが恋はありその海の風をいたみ頻りによする波のまもなし
1065 人につかはしける
須磨の浦に蜑のこりつむ藻塩木のからくも下にもえ渡るかな
1066 題知らず
あるかひもなぎさに寄する白波のまなく物思ふわが身なりけり
1067 題知らず
あしびきの山下たぎつ岩浪のこころくだけて人ぞこひしき
1068 題知らず
あしびきの山下しげき夏草のふかくも君をおもふころかな
1069 題知らず
をじかふす夏野の草の道をなみしげき恋路にまどふころかな
1070 題知らず
蚊遣火のさ夜ふけがたの下こがれ苦しやわが身人知れずのみ
1071 題知らず
由良のとをわたる舟人かぢをたえ行方も知らぬ恋のみちかな
1072 鳥羽院御時上のをのこども寄風戀といふ心をよみ侍りけるに
追風に八重の塩路を行く舟のほのかにだにもあひ見てしがな
1073 百首歌奉りし時
かぢをたえ由良の湊による舟のたよりも知らぬ沖つしほ風
1074 題知らず
しるべせよ跡なきなみに漕ぐ舟の行方も知らぬ八重のしほ風
1075 題知らず
紀の国や由良の湊に拾ふてふたまさかにだにもあひ見てしがな
1076 法性寺入道前關白太政大臣家の歌合に
つれもなき人の心のうきにはふ葦の下根のねをこそはなけ
1077 和歌所歌合に忍戀をよめる
難波人いかなる江にか朽ちはてむ逢ふ事なみにみをつくしつつ
1078 隱名戀といへる心を
蜑のかるみるめをなみにまがへつつ名草の浜を尋ねわびぬる
1079 題知らず
逢ふまでのみるめ刈るべき方ぞなきまだ波馴れぬ磯のあま人
1080 題知らず
みるめ刈るかたやいづくぞ棹さしてわれに教へよ海人の釣舟
1081 五十首歌奉りしに、寄雲恋
下もえに思ひ消えなむけぶりだにあとなき雲のはてぞ悲しき
1082 摂政太政大臣家百首歌合に
靡かじなあまの藻塩火たき初めて煙は空にくゆりわぶとも
1083 百首歌奉りし時戀歌
恋をのみすまの浦人藻塩垂れほしあへぬ袖のはてを知らばや
1084 恋の歌とてよめる
みるめこそ生ひぬる磯の草ならめ袖さへ波の下に朽ちぬる
1085 年をへたる恋といへる心をよみ侍りける
君恋ふとなるみの浦の浜ひさぎしをれてのみも年を経るかな
1086 忍戀の心を
知るらめや木の葉降りしく谷水の岩間に漏らす下のこころを
1087 左大将に侍りける時、家に百首歌合し侍りけるに、忍恋の心をん
洩らすなよ雲ゐるみねの初しぐれ木の葉は下に色かはるとも
1088 恋歌あまたよみ侍りけるに
かくとだに思ふこころをいはせ山した行く水の草がくれつつ
1089 題知らず
洩らさばやおもふ心をさてのみはえぞやましろの井手の柵
1090 忍戀の心を
恋しともいはば心のゆくべきにくるしや人目つつむおもひは
1091 見れど逢はぬ戀といふ心をよみ侍りける
人知れぬ恋にわが身は沈めどもみるめに浮くは涙なりけり
1092 題知らず
物思ふといはぬばかりは忍ぶともいかがはすべき袖の雫を
1093 忍戀の心を
人知れず苦しきものはしのぶ山下はふ葛のうらみなりけり
1094 和歌所歌合に忍戀の心を
消えねただしのぶの山の峰の雲かかる心のあともなきまで
1095 千五百番歌合に
限あればしのぶの山のふもとにも落葉がうへの露ぞいろづく
1096 千五百番歌合に
うちはへてくるしきものは人目のみしのぶの浦のあまの栲縄
1097 和歌所歌合に依忍増戀といふことを
忍ばじよ石間づたひの谷川も瀬をせくにこそ水まさりけれ
1098 題知らず
人もまだふみみぬ山のいはがくれ流るる水を袖にせくかな
1099 題知らず
はるかなる岩のはざまに独ゐて人目思はでものおもはばや
1100 題知らず
数ならぬ心の咎になしはてて知らせでこそは身をも恨みめ
1101 水無瀬戀十五首歌合に夏戀を
草ふかき夏野わけ行くさを鹿の音をこそ立てね露ぞこぼるる
1102 入道前關白右大臣に侍りける時百首歌人々によませ侍りけるに忍戀の心を
後の世をなげく涙といひなしてしぼりやせまし墨染のそで
1103 大納言成通文遣しけれどつれなかりける女を後の世まで恨み殘るべきよし申しければ
たまづさの通ふばかりに慰めて後の世までのうらみのこすな
1104 前大納言隆房中將に侍りける時右近の馬場の引折の日まかれりけるに物見侍りける女車より遣しける
ためしあればながめはそれと知りながら覚束なきは心なりけり
1105 返し
いはぬより心や行きてしるべするながむる方を人の問ふまで
1106 千五百番歌合に
ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮の空
1107 雨の降る日女に遣しける
思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る
1108 水無瀬戀十五首歌合に
山がつの麻のさ衣をさをあらみあはで月日やすぎ葺けるいほ
1109 欲言出戀といへる心を
思へどもいはで月日はすぎの門さすがにいかが忍び果つべき
1110 百首歌奉りし時
逢ふことはかた野の里のささの庵しのに霧散る夜はの床かな
1111 入道関白、右大臣に侍りけるとき、百首歌の中に忍恋
散らすなよ篠の葉草のかりにても露かかるべき袖のうへかは
1112 題知らず
白玉か露かと問はむ人もがなものおもふ袖をさして答へむ
1113 女に遣しける
いつまでの命も知らぬ世の中につらき歎のやまずもあるかな
1114 崇徳院に百首歌奉りける時
わが恋はちぎの片そぎかたくのみ行きあはで年の積りぬるかな
1115 入道前關白家に百首歌よみ侍りける時遇はぬ戀といふ心を
いつとなく塩焼く海士のとまびさし久しくなりぬ逢はぬ思は
1116 夕恋といふことをよみ侍りける
藻塩焼くあまの磯屋のゆふけぶり立つ名もくるし思たえなで
1117 海辺恋といふことをよめる
須磨の蜑の袖に吹きこす塩風のなるとはすれど手にもたまらず
1118 摂政太政大臣家歌合によみ侍りける
ありとても逢はぬためしの名取川朽ちだにはてね瀬々の埋木
1119 千五百番歌合に
歎かずよいまはたおなじ名取川瀬々の埋木朽ちはてぬとも
1120 百首歌奉りし時
なみだ川たぎつ心のはやき瀬をしがらみかけてせく袖ぞなき
1121 摂政太政大臣、百首歌よませ侍りけるに
よそながらあやしとだにも思へかし恋せぬ人の袖の色かは
1122 戀の歌とてよめる
忍びあまり落つる涙をせきかへし抑ふる袖のようき名もらすな
1123 入道前關白太政大臣家歌合に
くれなゐに涙の色のなり行くをいくしほまでと君に問はばや
1124 百首歌の中に
夢にても見ゆらむものを歎きつつうちぬる宵の袖のけしきは
1125 語らひ侍りける女の夢に見えて侍りければよみける
覚めて後夢なりけりと思ふにも逢ふは名残の惜しくやはあらぬ
1126 千五百番歌合に
身に添へるその面影も消えななむ夢なりけりと忘るばかりに
1127 題知らず
夢のうちに逢ふと見えつる寝覚こそつれなきよりも袖は濡れけれ
1128 五十首歌奉りし時
たのめ置きし浅茅が露に秋かけて木の葉降りしく宿の通ひぢ
1129 隔`河忍戀といふことを
忍びあまり天の河瀬にことよせむせめては秋を忘れだにすな
1130 遠き境を待つ戀といへる心を
たのめてもはるけかるべきかへる山いくへの雲の下に待つらむ
1131 摂政太政大臣家百首歌合に
逢ふ事はいつといぶきの嶺に生ふるさしも絶えせぬ思なりけり
1132 摂政太政大臣家百首歌合に
富士の嶺の煙もなほぞ立ちのぼるうへなきものはおもひなりけり
1133 名立戀といふ心をよみ侍りける
なき名のみ立田の山に立つくもの行方も知らぬながめをぞする
1134 百首歌の中に戀の心を
逢ふことのむなしき空の浮雲は身を知る雨のたよりなりけり
1135 百首歌中に、恋の心を
わが恋は逢ふをかぎりのたのみだに行方も知らぬ空の浮雲
1136 水無瀬戀十五首歌合に春戀の心を
面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしの袖のなみだに
1137 冬戀
床の霜まくらの氷消えわびぬむすびも置かぬ人のちぎりに
1138 摂政太政大臣家百首歌合に暁戀
つれなさのたぐひまでやはつらからめ月をもめでじ有明の空
1139 宇治にて、夜恋といふことを、をのこどもつかうまつりしに
袖のうへに誰ゆゑ月は宿るぞとよそになしても人の問へかし
1140 久戀といへることを
夏引の手びきの糸の年へても絶えぬおもひにむすぼほれつつ
1141 家に百首歌合し侍りけるに、祈恋といへる心を
幾夜われ波にしをれて貴船川そでに玉散るもの思ふらむ
1142 家に百首歌合し侍りけるに、祈恋といへる心を
年も経ぬいのるちぎりははつせ山をのへの鐘のよそのゆふぐれ
1143 かた思ひの心をよめる
うき身をばわれだに厭ふ厭へただそをだにおなじ心と思はむ
1144 題知らず
恋ひ死なむ同じうき名をいかにして逢ふにかへつと人にいはれむ
1145 題知らず
明日知らぬ命をぞ思ふおのづからあらば逢ふ世を待つにつけても
1146 題知らず
つれもなき人の心はうつせみのむなしきこひに身をやかへてむ
1147 題知らず
何となくさすがにをしき命かなあり経ば人や思ひ知るとて
1148 題知らず
思ひ知る人ありあけの世なりせばつきせず身をば恨みざらまし
1149 中関白かよひそめ侍りける頃
忘れじの行末まではかたければ今日かぎりの命ともがな
1150 忍びたる女をかりそめなる所に率てまかりて歸りてあしたに遣しける
限なく結びおきつる草まくらいつこのたびをおもひ忘れむ
1151 題知らず
思ふには忍ぶる事ぞまけにける逢ふにしかへばさもあらばあれ
1152 人のもとにまかり初めてあしたに遣しける
昨日まで逢ふにしかへばと思ひしを今日は命の惜しくもあるかな
1153 百首歌に
逢ふことを今日まつが枝の手向草いく世しをるる袖とかは知る
1154 頭中将に侍りける時、五節所のわらはに物申し初めて後、尋ねて遣はしける
恋しさにけふぞたづぬるおく山の日かげの露に袖は濡れつつ
1155 題知らず
逢ふまでの命もがなと思ひしはくやしかりけるわが心かな
1156 題知らず
ひとごころうす花染の狩衣さてだにあらで色やかはらむ
1157 題知らず
逢ひ見てもかひなかりけりうば玉のはかなき夢におとる現は
1158 題知らず
中々に物思ひ初めてねぬる夜ははかなき夢もえやは見えける
1159 忍びたる人と二人臥して
夢とても人に語るな知るといへば手枕ならぬ枕だにせず
1160 題知らず
枕だに知らねばいはじ見しままに君かたるなよ春の夜の夢
1161 人にもの言ひはじめて
忘れても人に語るなうたたねの夢見てのちもながからぬよを
1162 女に遣しける
つらかりし多くの年は忘られて一夜の夢をあはれとぞ見し
1163 題知らず
今朝よりはいとどおもひをたきましてなげきこりつむ逢ふ坂の山
1164 初会恋の心を
葦の屋のしずはた帯のかた結び心やすくもうち解くるかな
1165 題知らず
かりそめにふしみの野辺の草まくら露かかりきと人に語るな
1166 人知れず忍びけることを文など散らすと聞きける人に遣しける
いかにせむ葛のうら吹く秋風に下葉の露のかくれなき身を
1167 題知らず
あけがたきふた見の浦に寄る浪の袖のみ濡れておきつしま人
1168 題知らず
逢ふことの明けぬ夜ながら明けぬればわれこそ帰れ心やは行く
1169 九月十日あまりに、夜ふけて和泉式部が門をたたかせ侍りけるに、聞き付けざりければ、朝(あした)に遣はしける
秋の夜の有明の月の入るまでにやすらひかねて帰りにしかな
1170 題知らず
心にもあらぬわが身の行きかへり道の空にて消えぬべきかな
1171 近江更衣にたまはせける
はかなくも明けにけるかな朝露のおきての後ぞ消えまさりける
1172 御返し
あさ露のおきつる空もおもほえず消えかへりつる心まどひに
1173 題知らず
置き添ふる露やいかなる露ならむ今は消えねと思ふわが身を
1174 題知らず
思ひ出でて今は消ぬべし夜もすがらおきうかりつる菊のうへの露
1175 題知らず
うばたまの夜の衣をたちながらかへるものとは今ぞ知りぬる
1176 夏の夜女の許にまかりて侍りけるに人靜まる程夜いたく更けて逢ひて侍りければよめる
みじか夜ののこりすくなく更け行けばかねてもの憂き有明の空
1177 女みこに通ひ初めてあしたに遣しける
明くといへばしづ心なき春の夜の夢とや君を夜のみは見む
1178 彌生の頃終夜物語して歸り侍りける人の今朝はいとど物思はしきよし申し遣したりけるに
今朝はしも歎きもすらむいたづらに春の夜ひと夜夢をだに見で
1179 題知らず
心からしばしとつつむものからに鴫のはねがきつらき今朝かな
1180 忍びたる所より歸りてあしたに遣しける
わびつつも君が心にかなふとて今朝も袂をほしぞわづらふ
1181 小八條の御息所に遣しける
手枕にかせる袂の露けさは明けぬと告ぐるなみだなりけり
1182 題知らず
しばし待てまだ夜は深し長月の有明の月は人まどふなり
1183 「前栽の露おきたるを、などか見ずなりにし」と申しける女に
起きて見ば袖のみ濡れていとどしく草葉の玉の数やまさらむ
1184 二条院御時、暁帰りなんとする恋といふことを
明けぬれどまだ後朝になりやらで人の袖をも濡らしつるかな
1185 題知らず
おもかげの忘らるまじきわかれかななごりを人の月にとどめて
1186 後朝戀の心を
又も来む秋をたのむの雁だにもなきてぞ帰る春のあけぼの
1187 女のもとにまかりて心地例ならず侍りければ歸りて遣しける
誰行きて君に告げまし道芝の露もろともに消えなましかば
1188 女の許に物をだに言はむとてまかれりけるに空しく歸りてあしたに
消えかへり有るか無きかのわが身かなうらみて帰る道芝の露
1189 三条関白女御入内のあしたに遣はしける
朝ぼらけ置きつる霜の消えかへり暮待つほどの袖を見せばや
1190 法性寺入道前關白太政大臣家歌合に
庭に生ふるゆふかげ草のした露や暮を待つ間の涙なるらむ
1191 題知らず
待つ宵に更けゆく鐘の声聞けばあかぬわかれの鳥はものかは
1192 題知らず
これもまた長きわかれになりやせむ暮を待つべき命ならねば
1193 題知らず
有明はおもひ出あれや横雲のただよはれつるしののめの空
1194 題知らず
大井川ゐせきの水のわくらばに今日とたのめし暮にやはあらぬ
1195 今日と契りける人のあるかと問ひて侍りければ
夕暮に命かけたるかげろふのありやあらずや問ふもはかなし
1196 西行法師、人々に百首歌よませ侍りけるに
あぢきなくつらき嵐の声も憂しなど夕暮に待ちならひけむ
1197 戀の歌とて
たのめずは人を待乳の山なりと寝なましものをいさよひの月
1198 水無瀬にて戀十五首歌合に夕戀といへる心を
何故と思ひも入れぬ夕べだに待ち出でしものを山の端の月
1199 寄風戀
聞くやいかにうはの空なる風だにもまつに音する習ありとは
1200 題知らず
人は来で風のけしきもふけぬるにあはれに雁の音づれて行く
1201 題知らず
いかが吹く身にしむ色のかはるかなたのむる暮の松風の声
1202 題知らず
たのめ置く人もながらの山にだにさ夜ふけぬればまつ風の声
1203 題知らず
今来むとたのめしことを忘れずはこの夕暮の月や待つらむ
1204 待戀といへる心を
君待つと閨へも入らぬまきの戸にいたくな更けそ山の端の月
1205 恋歌とてよめる
たのめぬに君来やと待つ宵の間の更け行かでただ明けなましかば
1206 恋歌とてよめる
帰るさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらの有明の月
1207 題知らず
君来むといひし夜毎に過ぎぬれば頼まぬ物の恋ひつつぞ経る
1208 題知らず
衣手に山おろし吹きて寒き夜を君来まさずは独かも寝む
1209 左大將朝光久しう音づれ侍らで旅なる所に來あひて枕のなければ草を結びてしたるに
逢ふことはこれや限のたびならむ草のまくらも霜枯れにけり
1210 天暦の御時間遠にあれやと侍りければ
馴れゆくはうき世なればや須磨の蜑の塩焼衣まどほなるらむ
1211 逢ひて後逢ひがたき女に
霧深き秋の野中のわすれ水たえまがちなる頃にもあるかな
1212 三條院みこの宮と申しける時久しう問はせ給はざりければ
世の常の秋風ならば荻の葉にそよとばかりの音はしてまし
1213 題知らず
足引の山のかげ草結び置きて恋ひや渡らむ逢ふよしをなみ
1214 題知らず
東路に刈るてふ萱のみだれつつ束の間もなく恋ひや渡らむ
1215 題知らず
結び置きし袂だに見ぬ花薄かるともかれじ君しとはずは
1216 百首歌中に
霜の上に今朝ふる雪の寒ければ重ねて人をつらしとぞ思ふ
1217 題知らず
ひとり臥す荒れたる宿のとこの上にあはれ幾夜の寝覚しつらむ
1218 題知らず
山城の淀のわか菰かりに来て袖の濡れぬとはかこたざらなむ
1219 題知らず
かけて思ふ人もなけれど夕されば面影絶えぬ玉かづらかな
1220 宮仕し侍りける女を語らひ侍りけるにやむごとなき男の入り立ちて言ふけしきを見て恨みけるを女あらがひければよみ侍りける
偽をただすのもりのゆふだすきかけつつ誓へわれを思はば
1221 人に遣しける
いかばかり嬉しからまし諸共に恋ひらるる身も苦しかりせば
1222 片思ひの心を
わればかりつらきを忍ぶ人やあると今世にあらば思ひあはせよ
1223 摂政太政大臣家百首歌合に契戀の心を
ただ頼めたとへば人のいつはりを重ねてこそは又も恨みめ
1224 女を恨みて今はまからじと申して後なほ忘れ難く覺えければ遣しける
つらしとは思ふものからふし柴のしばしもこりぬ心なりけり
1225 頼むる事侍りける女わづらふ事侍りけるがおこたりて久我内大臣のもとに遣しける
たのめこし言の葉ばかり留め置きて浅茅が露と消えなましかば
1226 返し
あはれにも誰かは露を思はまし消え残るべきわが身ならねば
1227 題知らず
つらきをも恨みぬわれに習ふなようき身を知らぬ人もこそあれ
1228 題知らず
何か厭ふよも長らへじさのみやは憂きに堪へたる命なるべき
1229 題知らず
恋ひ死なむ命は猶も惜しきかな同じ世にあるかひはなけれど
1230 題知らず
あはれとて人の心のなさけあれな数ならぬにはよらぬ歎を
1231 題知らず
身を知れば人の咎とも思はぬにうらみ顏にも濡るる袖かな
1232 女に遣はしける
よしさらば後の世とだにたのめ置け辛さに堪へぬ身ともこそなれ
1233 返し
頼め置かむたださばかりを契にてうき世の中の夢になしてよ
1234 中将に侍ける時、女につかはしける
宵々に君をあはれと思ひつつ人にはいはで音をのみぞ泣く
1235 返し
君だにも思ひ出でける宵々を待つはいかなるここちかはする
1236 少将滋幹につかはしける
恋しさに死ぬる命を思ひ出でて問ふ人あらばなしと答えよ
1237 恨むる事侍りて、さらにまうで来じと誓言して、二日ばかりありてつかはしける
別れては昨日今日こそ隔てつれ千世しも経たる心地のみする
1238 返し
昨日とも今日とも知らず今はとて別れしままの心まどひに
1239 入道摂政久しくまうで来ざりけるころ、鬢掻きて出で侍けるゆするつきの、水入れながら侍けるを見て
絶えぬるか影だに見えば問ふべきを形見の水は水草ゐにけり
1240 内に久しくまいり給はざりけるころ、五月五日、後朱雀院の御返事に
方々に引き別れつつ菖蒲草あらぬねをやはかけむと思ひし
1241 題しらず
言の葉の移ろふだにもあるものをいとど時雨の降りまさるらむ
1242 題しらず
吹く風につけても問はむささがにの通ひし道は空に絶ゆとも
1243 后の宮久しく里におはしけるころ、つかはしける
葛の葉にあらぬわが身も秋風の吹くにつけつつうらみつるかな
1244 久しくまいらざりける人に
霜さやぐ野辺の草葉にあらねどもなどか人目のかれまさるらむ
1245 御返し
浅茅生ふる野辺やかるらむ山がつの垣ほの草は色もかはらず
1246 春になりてと奏し侍りけるが、さもなかりければ、内より、いまだ年もかへらぬにやとのたまはせたりける御返事を、かへでの紅葉につけて
霞むらむ程をも知らずしぐれつつ過ぎにし秋の紅葉をぞ見る
1247 御返し
今来むとたのめつつふる言の葉ぞ常磐に見ゆる紅葉なりけり
1248 女御の下に侍けるにつかはしける
玉ぼこの道は遥かにあらねどもうたて雲居にまどふころかな
1249 御返し
思ひやる心は空にあるものをなどか雲居にあひ見ざるらむ
1250 麗景殿女御まいりてのち、雨降り侍ける日、梅壺女御に
春雨の降りしくころは青柳のいと乱れつつ人ぞこひしき
1251 御返し
青柳のいと乱れたるこの頃はひと筋にしも思ひよられじ
1252 又つかはしける
青柳の糸はかたがたなびくとも思ひそめてむ色はかはらじ
1253 御返し
浅みどり深くもあらぬ青柳は色かはらじといかがたのまむ
1254 早うもの申ける女に、枯れたる葵を、みあれの日つかはしける
古へのあふひと人は咎むともなほそのかみの今日ぞわすれぬ
1255 返し
枯れにける葵のみこそ悲しけれ哀と見ずや賀茂のみづがき
1256 広幡の御息所につかはしける
逢ふ事をはつかに見えし月影のおぼろげにやは哀ともおもふ
1257 題しらず
さらしなや姨捨山の有明のつきずもものをおもふころかな
1258 題しらず
いつとても哀と思ふをねぬる夜の月は朧げなくなくぞ見し
1259 題しらず
更級の山よりほかに照る月もなぐさめかねつこの頃のそら
1260 題しらず
天の戸をおしあけがたの月見れば憂き人しもぞ恋しかりける
1261 題しらず
ほの見えし月を恋しと帰るさの雲路の浪に濡れて来しかな
1262 人につかはしける
入る方はさやかなりける月影をうはの空にも待ちし宵かな
1263 返し
さして行く山の端もみなかき曇りこころのそらに消えし月影
1264 題しらず
今はとて別れしほどの月をだに涙にくれてながめやはせし
1265 題しらず
面影のわすれぬ人によそへつつ入るをぞ慕ふ秋の夜の月
1266 題しらず
憂き人の月は何ぞのゆかりぞと思ひながらもうち眺めつつ
1267 題しらず
月のみやうはの空なる形見にて思ひも出でばこころ通はむ
1268 題しらず
隈もなき折りしも人を思ひ出でてこころと月をやつしつるかな
1269 題しらず
物思ひて眺むる頃の月の色にいかばかりなるあはれ添ふらむ
1270 題しらず
曇れかしながむるからに悲しきは月におぼゆる人のおもかげ
1271 百首歌の中に
忘らるる身を知る袖のむら雨につれなく山の月は出でけり
1272 千五百番歌合に
めぐりあはむ限はいつと知らねども月な隔てそよその浮雲
1273 千五百番歌合に
わが涙もとめて袖にやどれ月さりとて人のかげは見えねど
1274 千五百番歌合に
恋ひわぶるなみだや空に曇るらむ光もかはるねやの月かげ
1275 千五百番歌合に
いくめぐり空行く月もへだてきぬ契りしなかはよその浮雲
1276 千五百番歌合に
いま来むと契りしことは夢ながら見し夜に似たるありあけの月
1277 千五百番歌合に
忘れじといひしばかりのなごりとてその夜の月は廻り来にけり
1278 題しらず
思ひ出でて夜な夜な月に尋ねずは待てと契りし中や絶えなむ
1279 題しらず
忘るなよ今は心のかはるとも馴れしその夜のありあけの月
1280 題しらず
そのままに松のあらしも変らぬを忘れやしぬるふけし夜の月
1281 題しらず
人ぞ憂きたのめぬ月はめぐり来てむかしわすれぬ蓬生の宿
1282 八月十五夜和歌所にて、月前恋といふことを
わくらばに待ちつる宵もふけにけりさやは契りし山の端の月
1283 八月十五夜和歌所にて、月前恋といふことを
来ぬ人を待つとはなくて待つ宵の更け行く空の月もうらめし
1284 八月十五夜和歌所にて、月前恋といふことを
松山と契りし人はつれなくて袖越す浪にのこる月かげ
1285 千五百番歌合に
ならひ来し誰が偽もまだ知らで待つとせしまの庭の蓬生
1286 経房卿家歌合に、久恋を
あと絶えて浅茅がすゑになりにけりたのめし宿の庭の白露
1287 摂政太政大臣家百首歌よみ侍けるに
来ぬ人を思ひ絶えたる庭の面の蓬がすゑぞ待つにまされる
1288 題しらず
尋ねても袖にかくべきかたぞなきふかきよもぎのつゆのかごとを
1289 題しらず
かたみとてほの踏み分けしあともなし来しは昔の庭の荻原
1290 題しらず
なごりをば庭の浅茅に留め置きて誰ゆゑ君が住みうかれけむ
1291 摂政太政大臣家百首歌合に
忘れずはなれし袖もや氷るらむ寝ぬ夜の床の霜のさむしろ
1292 摂政太政大臣家百首歌合に
風吹かば峰に別れむ雲をだにありしなごりの形見とも見よ
1293 百首歌たてまつりし時
いはざりき今来むまでの空の雲月日へだててもの思へとは
1294 千五百番歌合に
思ひ出でよ誰がかねごとの末ならむ昨日の雲のあとの山風
1295 二条院御時、艶書の歌めしけるに
忘れゆく人ゆゑ空をながむればたえだえにこそ雲も見えけれ
1296 題しらず
忘れなば生けらむ物かと思ひしにそれも叶はぬ此世なりけり
1297 題しらず
疎くなる人をなにとて恨むらむ知られず知らぬ折もありしを
1298 題しらず
今ぞ知る思ひ出でよと契りしは忘れむとてのなさけなりけり
1299 建仁元年三月歌合に、遇不遇恋の心を
あひ見しは昔がたりのうつつにてそのかねごとを夢になせとや
1300 建仁元年三月歌合に、遇不遇恋の心を
あはれなる心の闇のゆかりとも見し夜の夢をたれかさだめむ
1301 建仁元年三月歌合に、遇不遇恋の心を
契りきや飽かぬわかれに露おきし暁ばかりかたみなれとは
1302 建仁元年三月歌合に、遇不遇恋の心を
恨みわび待たじいまはの身なれども思ひ馴れにし夕暮の空
1303 建仁元年三月歌合に、遇不遇恋の心を
忘れじの言の葉いかになりにけむたのめし暮は秋風ぞ吹く
1304 家に百首歌合し侍けるに
思ひかねうちぬる宵もありなまし吹きだにすさめ庭の松風
1305 家に百首歌合し侍けるに
さらでだにうらみむとおもふ吾妹子が衣の裾に秋風ぞ吹く
1306 題しらず
心にはいつも秋なる寝覚かな身にしむ風のいく夜ともなく
1307 題しらず
あはれとて問ふ人のなどなかるらむもの思ふ宿の荻の上風
1308 入道前関白太政大臣家の歌合に
わが恋は今をかぎりとゆふまぐれ荻吹く風の音づれて行く
1309 題しらず
今はただ心の外に聞くものを知らずがほなる荻のうはかぜ
1310 家歌合に
いつも聞くものとや人の思ふらむ来ぬ夕暮のまつかぜの声
1311 家歌合に
心あらば吹かずもあらなむよひよひに人待つ宿の庭の松風
1312 和歌所にて歌合侍しに、あひてあはぬ恋の心を
里は荒れぬ空しき床のあたりまで身はならはしの秋風ぞ吹く
1313 水無瀬の恋十五首の歌合に
里は荒れぬ尾上の宮のおのづから待ち来し宵も昔なりけり
1314 水無瀬の恋十五首の歌合に
物思はでただおほかたの露にだに濡るれば濡るる秋の袂を
1315 水無瀬の恋十五首の歌合に
草枕結びさだめむかた知らずならはぬ野辺の夢のかよひ路
1316 和歌所の歌合に、深山恋といふことを
さてもなほ問はれぬ秋のゆふは山雲吹く風も峰に見ゆらむ
1317 和歌所の歌合に、深山恋といふことを
思ひいる深き心のたよりまで見しはそれともなき山路かな
1318 題しらず
ながめてもあはれと思へおほかたの空だにかなし秋の夕暮
1319 千五百番歌合に
言の葉のうつりし秋も過ぎぬればわが身時雨とふる涙かな
1320 千五百番歌合に
消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露
1321 摂政太政大臣家歌合に
来ぬ人をあきのけしきやふけぬらむうらみによわるまつ虫の声
1322 恋の歌とてよみ侍りける
わが恋は庭のむら萩うらがれて人をも身をあきのゆふぐれ
1323 被忘恋の心を
袖の露もあらぬ色にぞ消えかへる移ればかはる歎せしまに
1324 被忘恋の心を
むせぶとも知らじな心かはら屋にわれのみたけぬ下の煙は
1325 被忘恋の心を
知られじなおなじ袖には通ふともたが夕暮とたのむ秋かぜ
1326 被忘恋の心を
露はらふねざめは秋の昔にて見はてぬ夢にのこるおもかげ
1327 摂政太政大臣百首歌合に、尋恋
心こそゆくへも知らね三輪の山杉のこずゑのゆふぐれの空
1328 百首歌中に
さりともと待ちし月日ぞうつりゆく心の花の色にまかせて
1329 百首歌中に
生きてよも明日まで人はつらからじこの夕暮を問はばとへかし
1330 暁恋の心を
暁のなみだやそらにたぐふらむ袖に落ちくる鐘のおとかな
1331 千五百番歌合に
つくづくと思ひあかしのうら千鳥浪の枕になくなくぞ聞く
1332 千五百番歌合に
尋ね見るつらき心の奥の海よ汐干のかたのいふかひもなし
1333 水無瀬の恋の十五首歌合に
見し人のおもかげとめよ清見潟そでにせきもる浪のかよひぢ
1334 水無瀬の恋の十五首歌合に
ふりにけり時雨は袖に秋かけていひしばかりを待つとせしまに
1335 水無瀬の恋の十五首歌合に
かよひ来しやどの道芝かれがれにあとなき霜のむすぼほれつつ
1336 水無瀬恋十五首歌合に
白栲の袖のわかれに露おちて身にしむいろの秋かぜぞ吹く
1337 水無瀬恋十五首歌合に
おもひいる身はふかくさの秋の露たのめしすゑや木枯の風
1338 水無瀬恋十五首歌合に
野辺の露は色もなくてやこぼれつる袖より過ぐる荻の上風
1339 水無瀬恋十五首歌合に
恋ひわびて野辺の露とは消えぬとも誰か草葉を哀とは見む
1340 水無瀬恋十五首歌合に
問へかしな尾花がもとの思草しをるる野辺の露はいかにと
1341 家に恋十首歌よみ侍ける時
夜の間にも消えゆべきものを露霜のいかに忍べとたのめ置くらむ
1342 題しらず
あだなりと思ひしかども君よりはもの忘れせぬ袖のうは露
1343 題しらず
同じくはわが身も露と消えななむ消えなばつらき言の葉も見じ
1344 頼めて侍ける女の、のちに返事をだにせず侍ければ、かのおとこに代りて
今来むといふ言の葉もかれゆくに夜な夜な露の何に置くらむ
1345 頼めたることあとなくなり侍にける女の、久しくありて問ひて侍ける返事に
あだごとの葉に置く露の消えにしをある物とてや人の問ふらむ
1346 藤原惟成につかはしける
打ちはへていやは寝らるる宮城野の小萩が下葉色に出でしより
1347 返し
萩の葉や露の気色もうちつけにもとよりかはる心あるものを
1348 題しらず
よもすがら消え返りつるわが身かな涙の露にむすぼほれつつ
1349 久しうまいらぬ人に
君がせぬわが手まくらは草なれや涙の露の夜な夜なぞ置く
1350 御返し
露ばかり置くらむ袖のたのまれず涙の川の滝つせなれば
1351 陸奥の安達に侍ける女に、九月ばかりつかはしける
思ひやるよその村雲しぐれつつあだちの原に紅葉しぬらむ
1352 思ふこと侍ける秋の夕暮、独りながめてよみ侍ける
身に近く来にけるものを色かはる秋をばよそに思ひしかども
1353 題しらず
色かはる萩の下葉を見てもまづ人のこころの秋ぞ知らるる
1354 題しらず
稲妻は照さぬ宵もなかりけりいづらほのかに見えしかげろふ
1355 題しらず
人知れぬ寝覚の涙ふり満ちてさもしぐれつる夜半の空かな
1356 題しらず
涙のみうき出づる蜑の釣竿の長き夜すがら恋ひつつぞぬる
1357 題しらず
枕のみ浮くと思ひしなみだ川いまはわが身の沈むなりけり
1358 題しらず
おもほえず袖に湊の騒ぐかなもろこし舟の寄りしばかりに
1359 題しらず
妹が袖わかれし日より白たへのころもかたしき恋ひつつぞ寝る
1360 題しらず
逢ふことのなみの下草みがくれてしづ心なくねこそなかるれ
1361 題しらず
浦にたく藻塩のけぶり靡かめや四方のかたより風は吹くとも
1362 題しらず
忘るらむとおもふこころの疑にありしよりけにものぞ悲しき
1363 題しらず
憂きながら人をばえしも忘れねばかつ恨みつつなほぞ恋しき
1364 題しらず
命をばあだなる物と聞きしかどつらきがためは長くもあるかな
1365 題しらず
いづ方に行き隠れなむ世の中に身のあればこそ人もつらけれ
1366 題しらず
今までに忘れぬ人は世にもあらじおのがさまざま年の経ぬれば
1367 題しらず
玉水を手にむすびても試みむぬるくば石のなかもたのまじ
1368 題しらず
山城の井手の玉水手に汲みてたのみしかひもなき世なりけり
1369 題しらず
君があたり見つつを居らむ伊駒山雲なかくしそ雨は降るとも
1370 題しらず
中空に立ちゐぬ雲の跡もなく身のはかなくもなりぬべきかな
1371 題しらず
雲のゐる遠山鳥のよそにてもありとし聞けば詫びつつぞぬる
1372 題しらず
昼は来て夜はわかるる山鳥のかげ見るときぞ音は泣かれける
1373 題しらず
われもしかなきてぞ人に恋ひられし今こそよそに声をのみ聞け
1374 題しらず
夏野行くをじかの角のつかのまもわすれず思へ妹がこころを
1375 題しらず
夏草の露わけごろも着もせぬになどわが袖のかわくときなき
1376 題しらず
みそぎするならの小川の川風に祈りぞわたる下に絶えじと
1377 題しらず
うらみつつ寝る夜の袖の乾かぬは枕のしたに潮や満つらむ
1378 中納言家持につかはしける
あしべより満ち来る汐のいやましに思ふか君が忘れかねつる
1379 中納言家持につかはしける
塩釜のまへに浮きたる浮島のうきておもひのある世なりけり
1380 題しらず
いかに寝て見えしなるらむ転寝の夢より後はものをこそ思へ
1381 題しらず
うち解けて寝ぬもの故に夢を見て物思ひまさる頃にもあるかな
1382 題しらず
春の夜の夢にありつと見えつれば思ひ絶えにし人ぞ待たるる
1383 題しらず
春の夜の夢のしるしはつらくとも見しばかりだにあらば頼まむ
1384 題しらず
ぬる夢にうつつの憂さも忘られて思ひ慰むほどぞはかなき
1385 春夜、女のもとにまかりて、朝につかはしける
かくばかり寝で明しつる春の夜をいかに見えつる夢にかありけむ
1386 題しらず
涙川身も浮きぬべき寝覚かなはかなき夢のなごりばかりに
1387 百首歌たてまつりしに
逢ふと見てことぞともなく明けぬなりはかなの夢の忘れ形見や
1388 題しらず
床近しあなかま夜半のきりぎりす夢にも人の見えもこそすれ
1389 千五百番歌合に
あはれなりうたたねにのみ見し夢の長き思にむすぼほれなむ
1390 題しらず
かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ
1391 和歌所歌合に、遇不逢恋の心を
夢ぞとよ見し面影も契りしも忘れずながらうつつならねば
1392 恋歌とて
はかなくぞ知らぬ命を歎きこしわがかね言のかかりける世に
1393 恋歌とて
過ぎにける世々の契も忘られで厭ふ憂き身の果ぞはかなき
1394 崇徳院に百首歌たてまつりける時、恋歌
思ひわび見し面影はさておきて恋せざりけむをりぞこひしき
1395 題しらず
流れ出でむうき名にしばし淀むかな求めぬ袖の淵はあれども
1396 おとこの久しくをとづれざりけるが、忘れてやと申侍ければ、よめる
つらからば恋しきことは忘れなでそへてはなどかしづ心なき
1397 むかし見ける人、賀茂の祭の次第司に出で立ちてなん、まかりわたるといひて侍ければ
君しまれ道のゆききを定むらむ過ぎにし人をかつ忘れつつ
1398 年ごろ絶え侍にける女の、くれといふ物尋ねたりける、つかはすとて
花咲かぬ朽木の杣の杣人のいかなるくれにおもひいづらむ
1399 久しくをとせぬ人に
おのづからさこそはあれと思ふまに誠に人のとはずなりぬる
1400 忠盛朝臣かれがれになりてのち、いかゞ思ひけん、久しくをとづれぬ事をうらめしくやなどいひて侍ければ、返事に
習わねば人の問はぬもつらからで悔しきにこそ袖は濡れけれ
1401 題しらず
歎かじな思へば人につらかりしこの世ながらの報なりけり
1402 題しらず
いかにしていかにこの世にありへばか暫しも物を思はざるべき
1403 題しらず
嬉しくば忘るることもありなましつらきぞ長き形見なりける
1404 題しらず
逢ふことの形見をだにもみてしがな人は絶ゆとも見つつ忍ばむ
1405 題しらず
我身こそあらぬかとのみたどらるれ問ふべき人に忘られしより
1406 題しらず
葛城やくめ路にわたす岩橋の絶えにし中となりやはてなむ
1407 題しらず
今はとも思ひなたえそ野中なる水のながれは行きてたずねむ
1408 題しらず
思ひ出づやみののを山のひとつ松契りしことはいつも忘れず
1409 題しらず
出でていにし跡だにいまだ変らぬに誰が通路と今はなるらむ
1410 題しらず
梅の花香をのみ袖にとどめ置きてわが思ふ人は音づれもせぬ
1411 斎宮女御につかはしける
天の原そことも知らぬ大空におぼつかなさを歎きつるかな
1412 御返し
なげくらむ心を空に見てしがな立つ朝霧に身をやなさまし
1413 題しらず
逢はずしてふる頃ほひの数多あれば遥けき空にながめをぞする
1414 女のほかへまかるを聞きて
思ひやる心も空にしら雲の出で立つかたを知らせやはせぬ
1415 題しらず
雲居より遠山鳥の鳴き行くこゑほのかなる恋もするかな
1416 弁更衣久しくまいらざりけるに、賜はせける
雲居なる雁だに鳴きて来る秋になどかは人の音づれもせぬ
1417 斎宮女御、春ごろまかり出でて、久しうまいり侍らざりければ
春行きて秋までとやは思ひけむかりにはあらず契りしものを
1418 題しらず
初雁のはつかに聞きしことづても雲路に絶えてわぶる頃かな
1419 五節のころ、内にて見侍ける人に、又の年つかはしける
小忌衣去年ばかりこそならざらめ今日の日影のかけてだに問へ
1420 題しらず
すみよしの恋忘草たね絶えてなき世に逢へるわれぞ悲しき
1421 斎宮女御まいり侍りけるに、いかなる事かありけん
水の上のはかなき数もおもほえず深き心しそこにとまれば
1422 久しくなりにける人のもとへ
長き世の尽きぬ歎の絶えざらばなににいのちをかへて忘れむ
1423 題しらず
心にもまかせざりける命もてたのめも置かじ常ならむ世を
1424 題しらず
世の憂きも人の辛きもしのぶるに恋しきにこそ思ひわびぬれ
1425 忍びて語らひける女の親、聞きていさめ侍ければ
数ならばかからましやは世の中にいと悲しきは賤のをだまき
1426 題しらず
人ならば思ふ心をいひてましよしやさこそは賤のをだまき
1427 題しらず
わがよはひ衰へゆけば白たへの袖の馴れにし君をしぞおもふ
1428 題しらず
今よりは逢はじとすれや白たへのわがころも手の乾く時なき
1429 題しらず
玉くしげあけまく惜しきあたら世を衣手かれて独かも寝む
1430 題しらず
逢ふ事をおぼつかなくてすぐすかな草葉の露の置きかはるまで
1431 題しらず
秋の田の穂むけの風のかたよりにわれは物思ふつれなきものを
1432 題しらず
はし鷹の野守の鏡えてしがなおもひおもはずよそながら見む
1433 題しらず
大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる波かな
1434 題しらず
白波は立ち騒ぐともこりずまの浦のみるめは刈らむとぞ思ふ
1435 題しらず
さして行くかたはみなとの浪高みうらみてかへる海人の釣舟
1436 入道前関白太政大臣家、百首歌よませ侍りけるに、立春の心を
年暮れし涙のつらら解けにけり苔の袖にも春やたつらむ
1437 土御門内大臣家に山家殘雪といふ心をよみ侍りける
山かげやさらでは庭に跡もなし春ぞ来にける雪のむらぎえ
1438 圓融院位去り給ひて後船岡に子日し給ひけるに參りて朝に奉りける
あはれなりむかしの人を思ふには昨日の野辺に御幸せましや
1439 御返し
引きかへて野辺の気色は見えしかど昔を恋ふる松はなかりき
1440 月あかく侍りける夜袖の濡れたりけるを
春来れば袖の氷も解けにけり漏り来る月のやどるばかりに
1441 鶯を
谷深み春の光のおそければ雪につつめるうぐひすの声
1442 梅
降る雪に色まどはせる梅の花うぐひすのみやわきてしのばむ
1443 枇杷左大臣の大臣になりて侍りけるよろこび申すとて梅を折りて
遲くとくつひに咲きぬる梅の花たが植ゑ置きし種にかあるらむ
1444 延長のころほひ五位藏人に侍りけるを離れ侍りて朱雀院承平八年またかへりなりて明くる年睦月に御遊び侍りける日梅の花を折りてよめる
百敷にかはらぬものは梅の花折りてかざせる匂いなりけり
1445 梅の花を見給ひて
色香をば思ひも入れず梅の花常ならぬ世によそへてぞ見る
1446 上東門院、世をそむき給ひにける春、庭の紅梅を見侍りて
梅の花なに匂ふらむ見る人の色をも香をもわすれぬ世に
1447 東三條院女御におはしましける時圓融院つねに渡り給ひけるを 聞き侍りて靭負の命婦が許に遣しける
春霞たなびきわたる折にこそかかる山辺はかひもありけれ
1448 御返し
紫の雲にもあらで春がすみたなびく山のかひはなにぞも
1449 柳
道の辺の朽木の柳春来ればあはれむかしとしのばれぞする
1450 題知らず
昔見し春は昔の春ながらわが身ひとつのあらずもあるかな
1451 堀河院におはしましける頃閑院の左大將の家の櫻を折らせに遣はすとて
垣越しに見るあだびとの家桜はな散るばかり行きて折らばや
1452 御返し
をりにことおもひやすらむ花桜ありし行幸の春を恋ひつつ
1453 高陽院にて花の散るを見てよみ侍りける
万世をふるにかひある宿なれやみゆきと見えて花ぞ散りける
1454 返し
枝ごとの末まで匂ふ花なれば散るもみゆきと見ゆるなるらむ
1455 近衞司にて年久しくなりて後上のをのこども大内の花見にまかれりけるによめる
春を経てみゆきに馴るる花の蔭ふりゆく身をもあはれとや思ふ
1456 最勝寺の櫻は鞠のかゝりにて久しくなりにしをその木年古りて風に倒れたるよしを聞き侍りしかば をのこどもに仰せて異木をその跡に移し植ゑさせし時まかりて見侍りければあまたの年々暮れにし春まで立ちなれにける事など思ひ出でてよみ侍りける
馴れ馴れて見しはなごりの春ぞともなどしらかわの花の下蔭
1457 建久六年東大寺供養に行幸の時興福寺の八重櫻盛りなりけるを見て枝枝に結び付け侍りける
故郷とおもひな果てそ花桜かかるみゆきに逢ふ世ありけり
1458 籠りゐて侍りける頃後徳大寺左大臣白川の花見に誘ひければまかりてよみ侍りける
いさやまた月日の行くも知らぬ身は花の春とも今日こそはみれ
1459 敦道のみこの許に前大納言公任の白川の家にまかりて 又の日みこの遣
をる人のそれなるからにあぢきなく見しわが宿の花の香ぞする
1460 題知らず
見ても又またも見まくのほしかりし花の盛は過ぎやしぬらむ
1461 京極前太政大臣家に白河院御幸し給ひて又の日花の歌奉られけるによみ侍りける
老いにける白髪も花も諸共に今日のみゆきに雪と見えけり
1462 後冷泉院御時、御前にて、翫新成(しんじやうの)桜花といへる心を、をのこどもつかうまつりけるに
桜花折りて見しにも変らぬに散らぬばかりぞしるしなりける
1463 後冷泉院御時、御前にて、翫新成(しんじやうの)桜花といへる心を、をのこどもつかうまつりけるに
さもあらばあれ暮れ行く春も雲の上に散る事知らぬ花し匂はば
1464 無風散花といふことをよめる
桜ばな過ぎゆく春の友とてや風のおとせぬよにも散るらむ
1465 鳥羽殿にて花の散り方なるを御覧じて後三條内大臣に給はせける
惜しめども常ならぬ世の花なれば今はこのみを西に求めむ
1466 世をのがれて後、百首歌よみ侍りけるに、花歌とて
今はわれ吉野の山の花をこそ宿のものとも見るべかりけれ
1467 入道前關白太政大臣家歌合に
春来れば猶この世こそ忍ばるれいつかはかかる花を見るべき
1468 同し家の百首歌に
照る月も雲のよそにぞ行きめぐる花ぞこの世の光なりける
1469 春の頃、大乗院より人に遣はしける
見せばやな志賀の唐崎ふもとなるながらの山の春のけしきを
1470 題知らず
柴の戸に匂はむ花はさもあらばあれ詠めてけりな恨めしの身や
1471 題知らず
世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ
1472 東山に花見にまかりて侍るとてこれかれ誘ひけるをさしあふ事ありて留まりて申し遣はしける
身はとめつ心はおくる山ざくら風のたよりに思ひおこせよ
1473 題知らず
さくらあさのをふの浦波立ちかへり見れどもあかず山梨の花
1474 橘爲仲朝臣陸奥に侍りける時歌あまた遣しける中に 加賀左衞門
しら波の越ゆらむすゑのまつ山は花とや見ゆる春の夜の月
1475 橘爲仲朝臣陸奥に侍りける時歌あまた遣しける中に 加賀左衞門
おぼつかな霞たつらむたけくまの松の隈もる春の夜の月
1476 題知らず
世をいとふ吉野の奥のよぶこ鳥ふかき心のほどや知るらむ
1477 百首歌奉りし時に
折りにあへばこれもさすがにあはれなり小田の蛙の夕暮の声
1478 千五百番歌合に
春の雨のあまねき御代を頼むかな霜に枯れ行く草葉もらすな
1479 崇徳院にて林下春雨といふことをつかうまつりけるに
すべらぎの木高き蔭にかくれてもなほ春雨に濡れむとぞ思ふ
1480 圓融院位去り給ひて後實方朝臣馬命婦と物語し侍りける時山吹の花を屏風の上より>投げこし給ひて侍りければ
八重ながら色も變らぬ山吹のなど九重に咲かずなりにし
1481 御返し
九重にあらで八重咲く山吹のいはぬ色をば知る人もなし
1482 五十首歌奉りし時
おのが浪に同じ末葉ぞしをれぬる藤咲く田子のうらめしの身
1483 世をのがれて後、四月一日、上東門院太皇太后宮と申しける時、衣がへの御装束奉るとて
唐衣花のたもとに脱ぎかへよわれこそ春のいろはたちつれ
1484 御返し
から衣たちかはりぬる春のよにいかでか花の色を見るべき
1485 四月の祭の日まで花散り殘りて侍りける年その花を使少將のかざしに賜ふ葉に書きつけ侍りける
神代にはありもやしけむ桜花今日のかざしに折れるためしは
1486 いつきの昔を思ひ出でて
ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ
1487 左衞門督家通中將に侍りける時祭の使にて 神館に泊りて侍りける暁齋院の女房の中より遣しける
立ち出づるなごりありあけの月影にいとどかたらふ時鳥かな
1488 返し
いく千世と限らぬ君が御代なれどなほ惜しまるる今朝の曙
1489 三條院の御時五月五日菖蒲の根を時鳥の形に作りて 梅の枝に据ゑて人の奉りて侍りけるをこれを題にて歌つかうまつれと仰せられければ
梅が枝にをりたがへる時鳥こゑのあやめも誰か分くべき
1490 五月ばかりものへまかりける道にいと白くくちなしの花の 咲けりけるをこれはなにの花ぞと人に問ひ侍りけれど申さざりければ
打ちわたす遠方人にこととへど答へぬからにしるき花かな
1491 五月雨空晴れて月あかく侍りけるに
五月雨の空だに澄める月かげに涙のあめは晴るる間もなし
1492 述懷百首歌中に五月雨
五月雨はまやの軒端のあまそそぎあまりなるまで濡るる袖かな
1493 題知らず
ひとりぬる宿のとこなつ朝な朝ななみだの露に濡れぬ日ぞなき
1494 贈皇后宮にそひて春宮にさぶらひける時、少将義孝ひさしく参らざりけるに、撫子の花につけて遣はしける
よそへつつ見れど露だになぐさまずいかにかすべき撫子の花
1495 月あかく侍りける夜人の螢を包みて遣したりければ雨降りけるに申し遣しける
思あらば今宵の空は問ひてまし見えしや月のひかりなりけむ
1496 題知らず
思あれば露は袂にまがふかと秋のはじめをたれに問はまし
1497 后宮より内に扇奉り給ひけるに
袖のうら波吹きかへす秋風に雲のうへまですずしからなむ
1498 業平朝臣の装束遣して侍りけるに
秋や来る露やまがふと思ふまであるは涙の降るにぞありける
1499 早くより、わらはともだちに侍りける人の、年頃へて行きあひたる、ほのかにて七月十日頃、月にきほひてかへり侍りければ
廻り逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜はの月かげ
1500 みこの宮と申しける時、少納言藤原統理(むねまさ)、年頃なれつかうまつりけるを、世を背きぬべきさまに思ひたちけるけしきを御覧じて
月影の山の端分けて隠れなばそむくうき世をわれやながめむ
1501 題知らず
山の端を出でがてにする月待つと寝ぬ夜のいたくふけにけるかな
1502 參議正光朧月夜に忍びて人の許にまかれりけるを見あらはして遣しける
浮雲は立ちかくせども隙もりて空ゆく月の見えもするかな
1503 返し
浮雲にかくれてとこそ思ひしかねたくも月隙もりにける
1504 三井寺にまかりて日ごろ過ぎて歸らむとしけるに人々なごり惜しみてよみ侍りける
月をなど待たれのみすと思ひけむげに山の端は出で憂かりけり
1505 山里に籠りゐて侍りける人の問ひて侍りければ
思ひ出づる人もあらしの山の端にひとりぞ入りし有明の月
1506 八月十五夜和歌所にてをのこども歌つかうまつり侍りしに
和歌の浦に家の風こそなけれども波吹く色は月に見えけり
1507 和歌所歌合に、湖上月明といふことを
夜もすがら浦こぐ舟はあともなし月ぞのこれる志賀の辛崎
1508 題知らず
山の端におもひも入らじ世の中はとてもかくても有明の月
1509 永治元年、譲位近くなりて、夜もすがら月を見てよみ侍りける
忘れじよ忘るなとだにいひてまし雲居の月のこころありせば
1510 崇徳院百首歌奉りけるに
いかにして袖に光のやどるらむ雲居の月はへだてこし身を
1511 文治の頃ほひ、百首歌よみ侍りけるに、懐旧歌とてよめる
心にはわするる時もなかりけりみよの昔の雲のうへの月
1512 百首歌奉りし時、秋歌
むかし見し雲居をめぐる秋の月いまいくとせかそでにやどさむ
1513 月前述懷といへる心をよめる
うき身世にながらへばなほ思ひ出でよ袂にちぎる有明の月
1514 石山に詣で侍りて月を見てよめる
都にも人や待つらむいし山のみねにのこれる秋の夜の月
1515 題知らず
淡路にてあはとはるかに見し月の近きこよひはところがらかも
1516 月のあかゝりける夜あひ語らひける人のこの頃月は見るやと言へりければよめる
徒らに寝てはあかせどもろともに君が来ぬ夜の月は見ざりき
1517 夜更くるまで寢られず侍りければ月の出づるをながめて
天の原はるかにひとりながむれば袂に月の出でにけるかな
1518 能宣朝臣大和國待乳の山近く住みける女の許に夜更けてまかりて逢はざりけるを恨み侍りければ
たのめこし人をまつちの山の端にさ夜更けしかば月も入りにき
1519 百首歌奉りし時
月見ばといひしばかりの人は来でまきの戸たたく庭のまつ風
1520 五十首歌奉りしに山家月の心を
山ざとに月は見るやと人は来ず空ゆく風ぞ木の葉をも訪ふ
1521 摂政太政大臣大將に侍りし時月歌五十首よませ侍りけるに
有明の月のゆくへをながめてぞ野寺の鐘は聞くべかりける
1522 同し家の歌合に山月の心をよめる
山の端を出でても松の木の間より心づくしのありあけの月
1523 和歌所歌合に深山暁月といふことを
よもすがらひとりみ山野まきの葉にくもるもすめる有明の月
1524 熊野に詣で侍りし時奉りし歌の中に
奥山の木の葉の落つる秋風にたえだえみねの月ぞのこれる
1525 熊野に詣で侍りし時奉りし歌の中に
月澄めばよものうき雲そらに消えてみ山がくれを行く嵐かな
1526 山家の心をよみ侍りける
ながめあびぬ柴のあみ戸の明方に山の端ちかくのこる月影
1527 題知らず
暁の月見むとしもおもはねど見し人ゆゑにながめられつつ
1528 題知らず
ありあけの月ばかりこそ通ひけれ来る人なしの宿の庭にも
1529 題知らず
住みなれし人影もせぬわが宿に有明の月のいく夜ともなく
1530 家にて月照水といへる心を人々よみ侍りけるに
住む人もあるかなきかの宿ならし葦間の月のもるにまかせて
1531 秋の暮に病にしづみて世をのがれ侍りにける、又の年の秋九月十余日、月くまなく侍りけるによみ侍りける
思ひきや別れし秋に廻りあひてまたもこの世の月を見むとは
1532 題知らず
月を見て心うかれしいにしへの秋にもさらにめぐり逢ひぬる
1533 題知らず
夜もすがら月こそ袖にやどりけれむかしの秋をおもひ出づれば
1534 題知らず
月の色に心をきよくそめましやみやこを出でぬわが身なりせば
1535 題知らず
棄つとならば憂世を厭ふしるしあらむ我には曇れ秋の夜の月
1536 題知らず
ふけにけるわがみのかげをおもふまにはるかに月の傾きにける
1537 題知らず
ながめして過ぎにしかたを思ふまに峰より峰に月はうつりぬ
1538 題知らず
秋の夜の月に心をなぐさめてうき世に年のつもりぬるかな
1539 五十首歌召しし時
秋を経て月をながむる身となれり五十ぢの闇をなに歎くらむ
1540 百首歌奉りしに
ながめても六十ぢの秋は過ぎにけりおもへばかなし山の端の月
1541 題知らず
心ある人のみ秋の月を見ばなにをうき身のおもひでにせむ
1542 千五百番歌合に
身のうさに月やあらぬとながむれば昔ながらの影ぞもり来る
1543 世をそむきなむと思ひ立ちけるころ月を見てよめる
ありあけの月よりほかにたれをかは山路の友と契り置くべき
1544 山里にて月の夜都を思ふといへる心をよみ侍りける
都なる荒れたる宿にむなしくや月にたづぬる人かへるらむ
1545 長月の有明のころ山里より式子内親王に贈れリける
思ひやれなにを忍ぶとなけれども都おぼゆるありあけの月
1546 返し
有明のおなじながめは君も問へ都のほかも秋のやまざと
1547 春日社歌合に暁月の心を
天の戸をおしあけがたの雲間より神代の月のかげぞ残れる
1548 春日社歌合に暁月の心を
雲をのみつらきものとて明かす夜の月や梢にをちかたの山
1549 春日社歌合に暁月の心を
入りやらで夜を惜しむ月のやすらひにほのぼの明くる山の端も憂し
1550 月あかき夜定家朝臣に逢ひて侍りけるに歌の道には志深き事はいつばかりよりの事にかと尋ね侍りければ若く侍りし時 西行に久しくあひ伴ひて聞き習ひ侍るよし申してそのかみ申ししことなど語り侍りて歸りてあしたに遣しける
あやしくぞ帰さは月の曇りにし昔がたりに夜やふけにけむ
1551 故郷の月を
故郷のやどもる月にこととはむわれをば知るや昔住みきと
1552 遍照寺にて月を見て
すだきけむ昔の人はかげ絶えて宿もるものはありあけの月
1553 あひ知りて侍りける人の許にまかりたりけるにその人ほかに住みていたう荒れたる宿に月のさし入りて侍りければ
八重葎しげれるやどは人もなしまばらに月の影ぞすみける
1554 題知らず
鴎ゐるふぢ江の浦のおきつ洲に夜舟いさよふ月のさやけさ
1555 題知らず
難波がた汐干にあさるあしたづも月かたぶけば声の恨むる
1556 和歌所歌合に、海辺月といふことを
和歌の浦に月の出しほのさすままによる啼く鶴の声ぞかなしき
1557 和歌所歌合に、海辺月といふことを
藻汐くむ袖の月影おのづからよそにあかさぬ須磨のうらびと
1558 和歌所歌合に、海辺月といふことを
明石がた色なき人の袖を見よすずろに月もやどるものかは
1559 熊野へ詣で侍りしついでに切目宿にて海邊眺望といふ心を男どもつかうまつりしに
ながめよと思はでしもやかへるらむ月待つ波の海人の釣舟
1560 八十に多く餘りて後百首歌召ししによみて奉りし
しめ置きて今やとおもふ秋山のよもぎがもとに松虫の鳴く
1561 千五百番歌合に
荒れわたる秋の庭こそあはれなれまして消えなむ露の夕暮
1562 題知らず
雲かかる遠山畑の秋さればおもひやるだに悲しきものを
1563 五十首歌人々によませ侍りけるに述懷の心をよみ侍りける
風そよぐしのの小篠のかりのよを思ひ寝覚に露ぞこぼるる
1564 寄風懷舊といふことを
浅茅生やそでにくちにし秋の霜わすれぬ夢を吹くあらしかな
1565 寄風懷舊といふことを
葛の葉のうらみにかへる夢の世を忘れがたみの野べのあきかぜ
1566 題知らず
白露は置きにけらしな宮城野のもとあらの小萩末たわむまで
1567 法成寺入道前太政大臣女郎花を折りて歌よむべきよし侍りければ
女郎花さかりの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ
1568 返し
白露はわきても置かじ女郎花こころからにや色の染むらむ
1569 題知らず
山里に葛はひかかる松垣のひまなくものは秋ぞかなしき
1570 秋の暮に身の老いぬることを嘆きてよみ侍りける
百年の秋のあらしは過ぐし来ぬいづれの暮の露と消えなむ
1571 頼綱朝臣津の國の羽束といふ所に侍りける時遣しける
秋果つるはつかの山のさびしきに有明の月を誰と見るらむ
1572 九月ばかりに薄を崇徳院に奉るとてよめる
花薄秋の末葉になりぬればことぞともなく露ぞこぼるる
1573 山里に住み侍りける頃嵐烈しきあした前中納言顕長が許に遣しける
夜半に吹くあらしにつけて思ふかな都もかくや秋は寂しき
1574 返し
世の中にあきはてぬれば都にも今はあらしの音のみぞする
1575 清涼殿の庭に植ゑ給へりける菊を位去り給ひて後おぼし出でて
うつろふは心のほかの秋なれば今はよそにぞきくの上の露
1576 長月のころ野宮に前栽植ゑけるに
頼もしな野の宮人の植うる花しぐるる月にあへずなるとも
1577 題知らず
山河の岩ゆく水もこほりしてひとりくだくる峰の松かぜ
1578 百首歌奉りし時
朝ごとにみぎはの氷ふみわけて君につかふる道ぞかしこき
1579 最勝四天王院の障子に阿武隈川かきたる所
君が代にあふくま川のうもれ木も氷の下に春を待ちけり
1580 元輔が昔住み侍りける家のかたはらに清少納言住みける頃雪いみじう降りて隔ての垣も倒れて侍りければ申し遣しける
あともなく雪ふるさとは荒れにけりいづれ昔の垣根なるらむ
1581 御惱み重くならせ給ひて後雪のあしたに
露の命消えなましかばかくばかり降る白雪を眺めましやは
1582 雪に寄せて述懷の心をよめる
杣山や梢におもる雪折に堪へぬなげきの身をくだくらむ
1583 仏名のあした、けづり花を御覧じて
時過ぎて霜にかれにし花なれど今日は昔のここちこそすれ
1584 花山院下りゐ給ひて又の年御佛名に削り花につけて申し侍りける
程もなく覚めぬる夢のうちなれどそのよに似たる花の色かな
1585 返し
見し夢をいづれを世ぞと思ふ間に折をわすれぬ花の悲しさ
1586 題知らず
老いぬとも又も逢はむと行く年に涙の玉を手向けつるかな
1587 題知らず
大方に過ぐる月日をながめしはわが身に年の積るなりけり
1588 朱鳥五年九月紀伊國行幸の時
白波の浜松が枝のたむけぐさ幾世までにか年の経ぬらむ
1589 題知らず
山城の岩田の小野のははそ原見つつや君が山路越ゆらむ
1590 朱鳥五年九月、紀伊国行幸の時
葦の屋の灘の塩やき暇なみ黄楊のをぐしもささず来にけり
1591 題知らず
晴るる夜の星か河辺の螢かもわが住む方に海人のたく火か
1592 題知らず
しかの蜑の塩焼く煙風をいたみ立ちはのぼらで山にたなびく
1593 題知らず
難波女の衣ほすとて刈りてたく葦火の煙立たぬ日ぞなき
1594 長柄の橋をよめる
年経ればくちこそまされ橋柱むかしながらの名だに変らで
1595 長柄の橋をよめる
春の日のながらの浜に船とめていづれか橋と問へど答えぬ
1596 長柄の橋をよめる
朽ちにけるながらの橋を来て見れば葦の枯葉に秋風ぞ吹く
1597 題知らず
沖つ風夜半に吹くらし難波潟あかつきかけて波ぞ寄すなる
1598 春須磨の方にまかりてよめる
須磨の浦のなぎたる朝は目もはるに霞にまがふ海人の釣舟
1599 天暦御時屏風の歌
秋風の関吹き越ゆるたびごとに声うち添ふる須磨の浦なみ
1600 五十首歌よみて奉りしに
須磨の関夢をとほさぬ波の音を思ひもよらで宿をかりける
1601 和歌所の歌合に關路秋風といふことを
人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにし後はただ秋の風
1602 明石の浦をよめる
あま小舟苫吹きかへす浦風にひとりあかしの月をこそ見れ
1603 眺望の心を
和歌の浦を松の葉ごしにながむればこずえに寄する海人の釣舟
1604 千五百番歌合に
水の江のよしのの宮は神さびてよはひたけたる浦の松風
1605 海邊の心を
今さらに住み憂しとてもいかがせむ灘の塩屋の夕ぐれの空
1606 娘の齋王に具して下り侍りて大淀の浦に禊し侍るとて
大淀の浦に立つ波かへらずは松のかはらぬ色を見ましや
1607 大貳三位里に出で侍りにけるを聞しめして
待つ人は心ゆくともすみよしの里にとのみは思はざらなむ
1608 御返し
住吉の松はまつともおもほえで君が千年のかげぞ恋しき
1609 教長卿名所歌よませ侍りけるに
打ちよする波の声にてしるきかな吹上の浜の秋の初かぜ
1610 百首歌奉りし時海邊歌
沖つ風夜寒になれや田子の浦の海人の藻塩火たきまさるらむ
1611 海邊霞といへる心をよみ侍りし
見わたせば霞のうちも霞みけりけぶりたなびく塩釜の浦
1612 大神宮に奉りける百首歌の中に若菜をよめる
今日とてや磯菜摘むらむ伊勢島や一志の浦のあまのをとめ子
1613 伊勢にまかりける時よめる
鈴鹿山うき世をよそにふり捨てていかになりゆくわが身なるらむ
1614 太神宮に奉りける百首歌中に、若菜をよめる
世の中を心高くもいとふかな富士のけぶりを身の思にて
1615 東(あづま)の方へ修行し侍りけるに、富士の山をよめる
風になびく富士の煙の空に消えて行方もしらぬわが思かな
1616 五月のつごもりに、富士の山の雪しろくふれるを見て、よみ侍りける
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
1617 題知らず
春秋も知らぬときはの山里は住む人さへやおもがはりせぬ
1618 五十首歌奉りし時
花ならでただ柴の戸をさして思ふ心のおくもみ吉野の山
1619 題知らず
吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ
1620 題知らず
厭ひてもなほ厭はしき世なりけり吉野のおくの秋のゆうぐれ
1621 千五百番歌合に
一筋に馴れなばさてもすぎの庵に夜な夜な変る風の音かな
1622 守覺法親王五十首歌よませ侍りけるに閑居の心をよめる
誰かはと思ひ絶えてもまつにのみ音づれて行く風は恨めし
1623 鳥羽にて歌合し侍りしに山家嵐といふことを
山里は世の憂きよりも住みわびぬことのほかなる峰の嵐に
1624 百首歌奉りしに
滝の音松のひびきも馴れぬればうちぬるほどの夢は見せけり
1625 題知らず
ことしげき世を厭れにしみ山辺にあらしの風も心して吹け
1626 少将高光、横川にまかりて、かしらおろし侍りけるに、法服つかはすとて
奥山の苔のころもにくらべ見よいづれか霧の置きまさるとも
1627 返し
白露のあした夕べにおくやまの苔のころもは風もさはらず
1628 能宣朝臣大原野に詣でて侍りけるに山里のいとあやしきに住むべくもあらぬ樣なる人の侍りければ何處わたりより住むぞなど問ひ侍りければ
世の中を背きにとては来しかどもなほ憂き事はおほはらの里
1629 返し
身をばかつをしほの山と思ひつついかに定めて人の入りけむ
1630 深き山に住み侍りける聖のもとに尋ねまかりけるに庵の戸を閉ぢて人も侍らざりければ歸るとて書きつけける
苔の庵さして来つれど君まさでかへるみ山の道ぞつゆけき
1631 聖後に見て返し
荒れ果てて風も障らぬ苔の庵にわれはなくとも露はもりけむ
1632 題知らず
山深くさこそ心は通ふとも住まであはれを知らむものかは
1633 題知らず
山かげに住まぬ心はいかなれや惜しまれて入る月もある世に
1634 山家送年といへる心をよみ侍りける
立ち出でてつま木をりこし片岡のふかき山路となりにけるかな
1635 住吉の歌合に山を
奥山のおどろが下も踏みわけて道ある世ぞと人に知らせむ
1636 百首歌奉りし時
ながらへて猶君が代を松山の待つとせしまに年ぞ経にける
1637 山家松といふことを
今はとてつま木こるべき宿の松千世をば君となほ祈るかな
1638 春日歌合に松風といへることを
われながらおもふか物をとばかりに袖にしぐるる庭の松風
1639 山寺に侍りけるころ
世をそむく所とか聞く奥山はものおもふにぞ入るべかりける
1640 少將井の尼大原より出でたりと聞きて遣しける
世をそむく方はいづくもありぬべし大原山はすみよかりきや
1641 返し
思ふことおほ原山の炭竈はいとどなげきの数をこそ積め
1642 題知らず
たれ住みてあはれ知るらむ山里の雨降りすさむ夕暮の空
1643 題知らず
しをりせで猶山深く分け入らむ憂きこと聞かぬ所ありやと
1644 題知らず
かざしをる三輪の繁山かき分けて哀とぞ思ふ杉立てる門
1645 法輪寺に住み侍りけるに人の詣で來て暮れぬとて急ぎ侍りければ
いつとなきをぐらの山のかげを見て暮れぬと人の急ぐなるらむ
1646 後白河院栖霞寺におはしましけるに駒牽の引分の使にて參りけるに
嵯峨の山千世にふる道あととめてまた露わくる望月の駒
1647 嘆くこと侍りけるころ
佐保川の流ひさしき身なれどもうき瀬にあひて沈みぬるかな
1648 冬の頃大將離れて嘆くこと侍りける明る年右大臣になりて奏し侍りける
かかるせもありけるものを宇治川の絶えぬばかりも歎きけるかな
1649 御返し
昔より絶えせぬ川の末なれば淀むばかりをなに歎くらむ
1650 題知らず
もののふの八十うぢ川の網代木にいさよふ波の行方知らずも
1651 布引の滝見にまかりて
わが世をば今日か明日かと待つかひの涙の滝といづれ高けむ
1652 京極前太政大臣布引滝見にまかりたりけるに
みなかみの空に見ゆるは白雲のたつにまがへる布びきの滝
1653 最勝四天王院の障子に、布引の滝かきたる所
ひさかたの天つをとめがなつごろも雲居にさらす布引の滝
1654 天の川原を過ぐとて
むかし聞く天の河原を尋ね来てあとなき水をながむばかりぞ
1655 題知らず
天の川通ふうき木にこと問はむ紅葉の橋は散るや散らずや
1656 堀河院御時百首歌奉りけるに
真木の板も苔むすばかりなりにけり幾世経ぬらむ瀬田の長橋
1657 天暦御時屏風に國々の所の名を書かせさせ侍りけるに飛鳥川
定めなき名には立てれど飛鳥川早く渡りし瀬にこそありけれ
1658 題知らず
山ざとに独ながめて思ふかな世に住む人のこころながさを
1659 題知らず
山里にうき世いとはむ友もがな悔しく過ぎしむかし語らむ
1660 題知らず
山里は人来させじと思はねどとはるることぞ疎くなりゆく
1661 題知らず
草の庵をいとひても又いかがせむ露のいのちのかかる限りは
1662 都を出でて久しく修行し侍りけるに問ふべき人の問はず侍りければ熊野より遣しける
わくらばになどかかは人のとはざらむ音無川に住む身なりとも
1663 相知れりける人の、熊野に籠り侍りけるに遣はしける
世をそむく山のみなみの松風に苔のころもや夜寒なるらむ
1664 西行法師百首歌すすめてよませ侍りけるに
いつかわれ苔のたもとに露おきて知らぬ山路の月を見るべき
1665 百首歌奉りしに山家の心を
今はわれ松のはしらの杉の庵に閉づべきものを苔ふかき袖
1666 百首歌奉りしに山家の心を
しきみ摘む山路の露にぬれにけりあかつきおきの墨染の袖
1667 百首歌奉りしに山家の心を
忘れじの人だに訪はぬ山路かな桜は雪に降りかはれども
1668 五十首歌奉りし時
かげやどす露のみしげくなりはてて草にやつるる故郷の月
1669 俊恵法師身まかりて後年頃遣しける薪など弟子どもの許に遣すとて
煙絶えて焼く人もなき炭竈のあとのなげきを誰かこるらむ
1670 老いて後津の國なる山寺にまかり籠れりけるに寂蓮尋ねまかりて侍りけるに庵の樣住み荒らして哀れに見え侍りけるを歸りて後とぶらひ侍りければ
八十ぢあまり西の迎へを待ちわびて住みあらしたる柴のいほりぞ
1671 山家の歌あまたよみ侍りけるに
山里に訪ひ来る人のことぐさはこのすまひこそうらやましけれ
1672 後白河院隱れさせ給ひて後百首歌に
斧の柄の朽ちし昔は遠けれどありしにもあらぬ世をもふるかな
1673 述懷百首歌よみ侍りけるに
いかにせむ賤が園生の奥の竹かきこもるとも世の中ぞかし
1674 老の後昔を思ひ出で侍りて
あけくれは昔をのみぞしのぶ草葉ずゑの露に袖ぬらしつつ
1675 題知らず
岡のべの里のあるじを尋ぬれば人は答へず山おろしの風
1676 題知らず
古畑のそばのたつ木にゐる鳩の友よぶ声のすごきゆふぐれ
1677 題知らず
山賤のかた岡かけてしむる野の境に立てる玉のをやなぎ
1678 題知らず
しげき野をいくひと村にわけなして更に昔を忍びかへさむ
1679 題知らず
むかし見し庭の小松に年ふりてあらしのおとを梢にぞ聞く
1680 三井寺燒けて後住み侍りける坊を思ひやりてよめる
住み馴れしわがふるさとはこの頃や浅茅が原に鶉啼くらむ
1681 百首歌よみ侍りけるに
ふる里はあさぢがすゑになりはてて月に残れる人のおもかげ
1682 題知らず
これや見し昔住みけむ跡ならむよもぎが露に月のかかれる
1683 人のもとにまかりてこれかれ松の陰に下りゐて遊びけるに
蔭にとて立ちかくるればからころも濡れぬ雨ふる松の声かな
1684 西院の邊りに早うあひ知れりける人を尋ね侍りけるに菫摘み侍りける女知らぬよし申しければよみ侍りける
いそのかみふりにし人をたづぬれば荒れたる宿に菫摘みけり
1685 主なき宿を
古へを思ひやりてぞ恋ひわたる荒れたる宿の苔のいはばし
1686 守覺法親王五十首歌よませ侍りけるに閑居の心を
わくらばに問はれし人も昔にてそれより庭の跡は絶えにき
1687 ものへまかりける途に山人あまた逢へりけるを見て
なげきこる身は山ながら過ぐせかし憂き世の中に何帰るらむ
1688 題知らず
秋されば狩人越ゆる立田山たちても居てもものをしぞ思ふ
1689 題知らず
朝倉や木のまろ殿にわがをれば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ
1690 山
足曳きのかなたこなたに道はあれど都へいざといふ人のなき
1691 日
天の原あかねさし出づる光にはいずれの沼かさえ残るべき
1692 月
月毎に流ると思ひしますかがみ西の浦にもとまらざりけり
1693 雲
山別れ飛びゆく雲の帰り来るかげ見る時はなほたのまれぬ
1694 霧
霧立ちて照る日の本は見えずとも身は惑はれじよるべありやと
1695 雪
花と散り玉と見えつつあざむけば雪ふる里ぞ夢に見えける
1696 松
老いぬとて松はみどりぞまされけるわが黑髪の雪の寒さに
1697 野
筑紫にも紫生ふる野辺はあれどなき名かなしぶ人ぞ聞こえぬ
1698 道
刈萱の関守にのみ見えつるは人もゆるさぬ道べなりけり
1699 海
海ならずたたへる水の底までに清きこころは月ぞ照らさむ
1700 鵲
彦星の行きあひを待つかささぎのわたせる橋をわれにかさなむ
1701 波
流れ木と立つしら波と焼く塩といづれかからきわたつみの底
1702 題しらず
さざなみや比良山風の海吹けば釣するあまの袖かへる見ゆ
1703 題しらず
白波の寄する渚に世をすぐす海士の子なれば宿もさだめず
1704 千五百番歌合に
舟のうち波の下にぞ老いにけるあまのしわざも暇なの世や
1705 題しらず
さすらふる身は定めたる方もなしうきたる舟の浪に任せて
1706 題しらず
いかにせむ身をうき舟の荷を重みつひの泊やいづくなるらむ
1707 題しらず
蘆鴨のさわぐ入江の水の江の世にすみ難きわが身なりけり
1708 題しらず
あしがもの羽風になびく浮草の定めなき世を誰かたのまむ
1709 渚の松といふことをよみ侍ける
老いにける渚の松の深みどり沈める影をよそにやは見る
1710 山水をむすびてよみ侍りける
あしびきの山下水に影見れば眉しろたへにわれ老いにけり
1711 尼になりぬと聞きける人に、装束つかはすとて
馴れみてし花の袂をうちかへし法の衣をたちぞかへつる
1712 后に立ち給ひける時、冷泉院の后の宮の御額をたてまつり給へりけるを、出家の時、返したてまつり給ふとて
そのかみの玉の簪をうちかへし今はころものうらを頼まむ
1713 返し
尽きもせぬ光の間にもまぎれなでおいて帰れるかみのつれなさ
1714 上東門院出家ののち、黄金の装束したる沈の数珠、銀の箱に入れて、梅の枝に付けてたてまつられける
かはるらむころもの色をおもひやる涙や裏の玉にまがはむ
1715 返し
まがふらむ衣の玉に乱れつつなほまだ覚めぬここちこそすれ
1716 題しらず
潮のまによもの浦々尋ねれど今はわが身のいふかひもなし
1717 屏風の絵に、塩釜の浦かきて侍けるを
古への海人やけぶりとなりぬらむ人目も見えぬしほがまの浦
1718 少将高光、横河に登りて頭下し侍にけるを聞かせ給てつかはしける
都より雲の八重立つおく山の横川の水はすみよかるらむ
1719 御返し
ももしきのうちのみ常に恋しくて雲の八重立つ山はすみ憂し
1720 世をそむきて、小野といふ所に住み侍けるころ、業平朝臣の、雪のいと高う降り積みたるをかき分けてまうで来て、夢かとぞ思おもひきやとよみ侍けるに
夢かとも何かおもはむうき世をば背かざりけむほどぞ悔しき
1721 都の外に住み侍けるころ、久しうをとづれざりける人につかはしける
雲ゐ飛ぶ雁の音近きすまひにもなほ玉章はかけずやありけむ
1722 亭子院降りゐ給はんとしける秋、よみける
白露は置きてかはれどももしきの移ろふ秋はものぞ悲しき
1723 殿上離れ侍りてよみ侍ける
天つ風ふけひの浦にゐる鶴のなどか雲居にかへらざるべき
1724 二条院、菩提樹院におはしましてのちの春、昔を思ひ出でて大納言経信まいりて侍ける又の日、女房の申つかはしける
いにしへの馴れし雲居を忍ぶとや霞を分けて君たづねけむ
1725 最勝四天王院の障子に、大淀かきたる所
大淀の浦に刈りほすみるめだに霞にたえてかへる雁がね
1726 最慶法師、千載集書きてたてまつりける包紙に、墨をすり筆を染めつゝ年ふれど書きあらはせることのはぞなきと書き付けて侍ける御返し
浜千鳥ふみ置く後のつもりなばかひある浦に逢はざらめやは
1727 上東門院、高陽院におはしましけるに、行幸侍りて、堰き入れたる滝を御覧じて
滝つ瀬に人の心をみることはむかしに今もかはらざりけり
1728 権中納言通俊、後拾遺撰び侍けるころ、まづ片端もゆかしくなど申て侍ければ、申合せてこそとて、まだ清書もせぬ本をつかはして侍けるを見て、返しつかはすとて
あさからぬ心ぞ見ゆる音羽川せき入れし水の流ならねど
1729 歌たてまつれと仰せられければ、忠峯がなど書き集めてたてまつりける奥に書き付けける
言の葉のなかをなくなく尋ぬれば昔の人に逢ひ見つるかな
1730 遊女の心をよみ侍ける
独寝て今宵も明けぬ誰としもたのまばこそは来ぬも恨みめ
1731 大江挙周はじめて殿上ゆるされて、草深き庭に下りて拝しけるを見侍て
草分けて立ちゐる袖のうれしさに絶えず涙の露ぞこぼるる
1732 秋ごろわづらひける、をこたりて、たびたびとぶらひにける人につかはしける
嬉しさは忘れやはする忍草しのぶるものを秋のゆふぐれ
1733 返し
秋風のおとせざりせば白露の軒のしのぶにかからましやは
1734 ある所に通ひ侍けるを、朝光大将見かはして、夜一夜物語りして帰りて、又の日
忍草いかなる露かおきつらむ今朝はねもみな顕はれにけり
1735 返し
浅茅生を尋ねざりせばしのぶ草思ひ置きけむ露を見ましや
1736 わづらひける人の、かく申侍ける
長らへむとしも思はぬ露の身のさすがに消えむ事をこそ思へ
1737 返し
露の身の消えばわれこそさきだためおくれむものか森の下草
1738 題しらず
命だにあらば見つべき身のはてを忍ばむ人のなきぞ悲しき
1739 例ならぬこと侍りけるに、知れりけるひじりの、とぶらひにまうで来て侍ければ
定めなき昔がたりを数ふればわが身もかずに入りぬべきかな
1740 五十首歌たてまつりし時
世の中の晴れゆく空にふる霜のうき身ばかりぞおきどころなき
1741 例ならぬこと侍けるに、無動寺にてよみ侍ける
頼み来しわが古寺の苔の下にいつしか朽ちむ名こそ惜しけれ
1742 題しらず
繰返しわが身のとがを求むれば君もなき世にめぐるなりけり
1743 題しらず
憂しといひて世をひたぶるに背かねば物思ひ知らぬ身とやなりなむ
1744 題しらず
背けどもあめの下をし離れねばいづくにもふる涙なりけり
1745 延喜御時、女蔵人内匠、白馬節会見けるに、車よりくれなゐの衣を出だしたりけるを、検非違使のたゞさんとしければ、いひつかはしける
大空に照るひの色をいさめても天の下には誰か住むべき
1746 例ならで太秦に籠りて侍けるに、心細くおぼえければ
かくしつつ夕べの雲となりもせばあはれかけても誰か忍ばむ
1747 題しらず
思はねど世を背かむといふ人の同じ数にやわれもなりなむ
1748 題しらず
数ならぬ身をも心のもちがほにうかれてはまた帰り来にけり
1749 題しらず
おろかなる心のひくにまかせてもさてさは如何につひの思は
1750 題しらず
年月をいかでわが身に送りけむ昨日の人も今日はなき世に
1751 題しらず
うけがたき人の姿にうかび出でてこりずや誰もまた沈むべき
1752 守覚法親王、五十首歌よませ侍けるに
背きても猶憂きものは世なりけり身を離れたる心ならねば
1753 述懐の心をよめる
身の憂さを思ひ知らずはいかがせむ厭ひながらも猶過ぐすかな
1754 述懐の心をよめる
なにごとを思ふ人ぞと人問はば答へぬさきに袖ぞ濡るべき
1755 述懐の心をよめる
いたづらに過ぎにし事や歎かれむうけがたき身の夕暮の空
1756 述懐の心をよめる
うち絶えて世に経る身にはあらねどもあらぬ筋にも罪ぞ悲しき
1757 和歌所にて、述懐の心を
山里に契りし庵や荒れぬらむ待たれむとだに思はざりしを
1758 和歌所にて、述懐の心を
袖に置く露をば露としのべどもなれ行く月や色を知るらむ
1759 和歌所にて、述懐の心を
君が代にあはずは何を玉の緒の長くとまでは惜しまれじ身を
1760 和歌所にて、述懐の心を
おほかたの秋の寝覚の長き夜も君をぞ祈る身をおもふとて
1761 和歌所にて、述懐の心を
和歌の浦や沖つ潮合に浮かび出づるあはれ吾身のよるべしらせよ
1762 和歌所にて、述懐の心を
その山とちぎらぬ月も秋風もすすむる袖に露こぼれつつ
1763 和歌所にて、述懐の心を
君が代に逢へるばかりの道はあれど身をば頼まず行末の空
1764 和歌所にて、述懐の心を
惜しむともなみだに月も心から馴れぬる袖に秋をうらみて
1765 千五百番歌合に
浮き沈み来む世はさてもいかにぞと心に問ひて答へかねぬる
1766 題しらず
われながら心のはてを知らぬかな捨てられぬ世のまた厭はしき
1767 題しらず
おしかへし物を思ふは苦しきに知らずがほにて世をや過ぎまし
1768 五十首歌よみ侍けるに、述懐の心を
長らへて世に住むかひはなけれども憂きにかへたる命なりけり
1769 五十首歌よみ侍けるに、述懐の心を
世を捨つる心は猶ぞなかりける憂きを憂しとは思ひ知れども
1770 述懐の心をよみ侍ける
捨てやらぬわが身ぞつらされいともと思ふ心に道をまかせて
1771 題しらず
憂きながらあればある世に故郷の夢をうつつにさましかねつつ
1772 題しらず
憂きながらなほ惜しまるる命かな後の世とて頼みなければ
1773 題しらず
さりともとたのむ心の行末も思へば知らぬ世にまかすらむ
1774 題しらず
つくづくと思へばやすき世の中を心と歎くわが身なりけり
1775 入道前関白家百首歌よませ侍けるに
河船ののぼりわづらふ綱手縄くるしくてのみ世を渡るかな
1776 題しらず
老らくの月日はいとどはやせ川かへらぬ浪に濡るる袖かな
1777 よみて侍ける百首歌を、源家長がもとに見せにつかはしける奥に、書き付けて侍ける
かき流す言の葉をだに沈むなよ身こそかくてもやまがはの水
1778 身の望みかなひ侍らで、社のまじらひもせで籠りゐて侍けるに、葵を見てよめる
見ればまづいとど涙ぞもろかづらいかに契りてかけ離れけむ
1779 題しらず
同じくはあれないにしへ思ひ出のなければとても忍ばずもなし
1780 題しらず
何処にも住まれずは唯住まであらむ柴のいほりの暫しなる世に
1781 題しらず
月のゆく山に心を送り入れてやみなる跡の身をいかにせむ
1782 五十首歌の中に
思ふことなど問ふ人のなかるらむ仰げば空に月ぞさやけき
1783 五十首歌の中に
いかにして今まで世には有明のつきせぬものを厭ふこころは
1784 西行法師、山里よりまかり出でて、昔出家し侍しその月日に当りて侍ると申たりける返事に
うき世出でし月日の影の廻り来てかはらぬ道をまた照らすらむ
1785 大神宮歌合に
おほぞらにちぎるおもひの年も経ぬ月日もうけよ行末の空
1786 前僧都全真西国の方に侍ける時、つかはしける
人知れずそなたを忍ぶ心をばかたぶく月にたぐへてぞやる
1787 前大僧正慈円、ふみにては思ふほどのことも申つくしがたきよし、申つかはして侍ける返事に
陸奥のいはでしのぶはえぞ知らぬかき尽してよつぼの石ぶみ
1788 世中の常なきころ
今日までは人を歎きて暮れにけりいつ身の上にならむとすらむ
1789 題しらず
道芝の露に争ふわが身かないづれかまづは消えむとすらむ
1790 題しらず
何とかや壁に生ふなる草の名よそれにもたぐふわが身なりけり
1791 題しらず
来し方をさながら夢になしつれば覚むる現のなきぞ悲しき
1792 松の木の焼けけるを見て
千歳経る松だにくゆる世の中に今日とも知らでたてるわれかな
1793 題しらず
数ならで世にすみの江の澪標いつをまつともなき身なりけり
1794 題しらず
憂きながら久しくぞ世を過ぎにけるあはれやかけし住吉の松
1795 春日社歌合に、松風といふことを
春日山谷のうもれ木朽ちぬとも君に告げこせ峰のまつかぜ
1796 春日社歌合に、松風といふことを
なにとなく聞けばなみだぞこぼれぬる苔の袂に通ふ松風
1797 草子に葦手長歌など書きて、奥に
皆人のそむきはてぬる世の中にふる社の身をいかにせむ
1798 臨時祭の舞人にてもろともに侍けるを、ともに四位してのち、祭の日つかはしける
衣手のやまゐの水に影見えしなほそのかみの春ぞこひしき
1799 返し
古への山ゐの衣なかりせば忘らるる身となりやしなまし
1800 後冷泉院御時大嘗会に、ひかげの組をして、実基朝臣のもとにつかはすとて、先帝御時思ひ出でて、添へていひつかはしける
たちながらきてだに見せよ小忌衣あかぬ昔の忘れがたみに
1801 秋夜きりぎりすを聞くといふ題をよめと、人々に仰せられて、おほとのごもりにける朝に、その歌を御覧じて
秋の夜のあかつきがたのきりぎりす人づてならで聞かましものを
1802 題しらず
みづぐきの中にのこれるたきの声いとしも寒き秋の声かな
1803 題しらず
木枯の風にもみぢて人知れずうき言の葉のつもる頃かな
1804 述懐百首歌よみける時、紅葉を
嵐吹く峰のもみぢの日に添へてもろくなりゆくわが涙かな
1805 題しらず
うたたねは荻吹く風に驚けどながき夢路ぞ覚むる時なき
1806 題しらず
竹の葉に風吹きよわる夕暮の物のあはれは秋としもなし
1807 題しらず
夕暮は雲のけしきを見るからにながめじと思ふ心こそつけ
1808 題しらず
暮れぬめり幾日をかくて過ぎぬらむ入相の鐘のつくづくとして
1809 題しらず
待たれつる入相の鐘の音すなり明日もやあらば聞かむとすらむ
1810 暁の心をよめる
暁とつげのまくらをそばだてて聞くもかなしき鐘の音かな
1811 百首歌に
暁のゆふつけ鳥ぞあはれなる長きねぶりを思ふまくらに
1812 尼にならんと思ひ立ちけるを、人のとゞめ侍ければ
かくばかり憂きを忍びて長らへばこれよりまさる物もこそ思へ
1813 題しらず
たらちねのいさめし物をつれづれと眺むるをだに問ふ人もなし
1814 熊野へまいりて大峰に入らんとて、年ごろ養ひたてて侍りける乳母のもとにつかはしける
あはれとてはぐくみたてし古へは世をそむけとも思はざりけむ
1815 百首歌たてまつりし時
位山あとをたづねてのぼれども子をおもふ道になほ迷ひぬる
1816 百首歌よみ侍けるに、懐旧歌
昔だに昔と思ひしたらちねのなほ恋しきぞはかなかりける
1817 述懐百首歌よみ侍けるに
ささがにのいとかかりける身の程を思へば夢の心地こそすれ
1819 夕暮に蜘蛛のいとはかなげに巣かくを、常よりもあはれと見て
ささがにの空にすがくも同じことまだき宿にも幾夜かは経む
1820 題しらず
光待つ枝にかかれる露の命消えはてねとや春のつれなき
1821 野分したる朝に、おさなき人をだに問はざりける人に
荒く吹く風はいかにと宮城野のこ萩が上を人の問へかし
1822 和泉式部、道貞に忘られてのち、ほどなく敦道親王かよふと聞きて、つかはしける
うつろはでしばし信太の森を見よかへりもぞする葛のうら風
1823 返し
秋風はすごく吹けども葛の葉のうらみがほには見えじとぞ思ふ
1824 病限りにおぼえ侍ける時、定家朝臣、中将転任のこと申とて、民部卿範光もとにつかはしける
小笹原風待つ露の消えやらでこのひとふしを思ひ置くかな
1825 題しらず
世の中を今はの心つくからに過ぎにし方ぞいとど恋しき
1826 題しらず
世を厭ふ心の深くなるままに過ぐる月日をうち数へつつ
1826 題しらず
一方に思ひとりにし心にはなほ背かるる身をいかにせむ
1827 題しらず
何故にこの世を深く厭ふぞと人の問へかしやすくこたえむ
1828 題しらず
思ふべきわが後の世はあるか無きか無ければこそは此の世には住め
1829 題しらず
世を厭ふ名をだにもさはとどめ置きて数ならぬ身の思出にせむ
1830 題しらず
身の憂さを思ひ知らでややみなましそむく習のなき世なりせば
1831 題しらず
いかがすべき世にあらばやは世をも捨ててあなうの世やと更に思はむ
1832 題しらず
何事にとまる心のありければ更にしもまた世の厭はしき
1833 題しらず
昔より離れがたきはうき世かなかたみに忍ぶ中ならねども
1834 歎く事侍りけるころ、大峰に籠るとて、同行どももかたへは京へ帰りねなど申てよみ侍ける
思ひ出でてもしも尋ぬる人もあらばありとないひそ定なき世に
1835 題しらず
数ならぬ身を何故に恨みけむとてもかくても過ぐしける世を
1836 百首歌たてまつりしに
いつかわれみ山の里の寂しきにあるじとなりて人に問はれむ
1837 題しらず
うき身には山田のおしねおしこめて世をひたすらに恨み侘びぬる
1838 年ごろ修行の心ありけるを、捨てがたき事侍りて過ぎけるに、親などなくなりて、心やすく思ひ立ちけるころ、障子に書き付け侍ける
賤の男の朝な朝なにこりつむるしばしの程もありがたの世や
1839 題しらず
数ならぬ身はなきものになし果てつ誰が為にかは世をも恨みむ
1840 題しらず
たのみありて今行末を待つ人や過ぐる月日を歎かざるらむ
1841 守覚法親王、五十首歌よませ侍けるに
長らへて生けるをいかにもどかまし憂き身の程をよそに思はば
1842 題しらず
うき世をば出づる日ごとに厭へどもいつかは月の入る方を見む
1843 題しらず
なさけありし昔のみ猶忍ばれて長らへまうき世にも経るかな
1844 題しらず
長らへばまたこの頃や忍ばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき
1845 寂蓮、人々勧めて百首歌よませ侍けるに、いなび侍て熊野に詣でける道にて、夢に、なにごとも衰へゆけど、この道こそ世の末に変らぬものはあれ、なをこの歌よむべきよし、別当湛快、三位俊成に申と見侍て、おどろきながらこの歌をいそぎよみ出だしてつかはしける奥に書き付け侍ける
末の世もこの情のみ変らずと見し夢なくばよそに聞かまし
1846 崇徳院に百首歌たてまつりける、無常歌
世の中をおもひつらねてながむればむなしき空に消ゆる白雲
1847 百首歌に
暮るる間も待つべき世かはあだし野の末葉の露に嵐たつなり
1848 津の国におはして、みぎはの蘆を見給ひて
津の国の長らふべくもあらぬかな短き葦のよにこそありけれ
1849 題しらず
風はやみ荻の葉ごとに置く露のおくれさきだつ程のはかなさ
1850 題しらず
秋風になびく浅茅のすゑごとに置く白露のあはれ世の中
1851 題しらず
世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ
1852 題しらず
知るらめや今日の子の日の姫小松生ひむ末まで榮ゆべしとは
1853 題しらず
なさけなく折る人つらしわが宿のあるじ忘れぬ梅の立枝を
1854 題しらず
補陀落のみなみの岸に堂たてていまぞ榮えむ北のふぢなみ
1855 題しらず
夜や寒き衣や薄きかたそぎの行きあひの間より霜やおくらむ
1856 題しらず
いかばかり年は経ぬとも住の江の松ぞふたたび生ひ変りぬる
1857 題しらず
むつまじと君はしらなみ瑞垣の久しき世より祝ひ初めてき
1858 題しらず
人知れず今や今やとちはやぶる神さぶるまで君をこそ待て
1859 題しらず
道とほし程もはるかに隔たれり思ひおこせよわれも忘れじ
1860 題しらず
思ふこと身にあまるまでなる滝のしばしよどむを何恨むらむ
1861 題しらず
われ頼む人いたずらになしはてばまた雲わけて昇るばかりぞ
1862 題しらず
鏡にもかげみたらしの水の面にうつるばかりの心とを知れ
1863 題しらず
ありきつつきつつ見れどもいさぎよき人の心をわれ忘れめや
1864 題しらず
西の海立つ白波の上にしてなに過ぐすらむかりのこの世を
1865 延喜六年日本紀竟宴に神日本磐餘彦天皇
白波に玉よりひめの来し事はなぎさやつひのたおまりなるらむ
1866 猿田彦
ひさかたの天の八重雲ふりわけて下りし君をわれぞ迎へし
1867 玉依姫
飛びかけるあまの磐舟たづねてぞ秋津島には宮はじめける
1868 賀茂の社午日うたひ侍りける歌
やまとかも海にあらしの西吹かばいづれの浦に御舟つながむ
1869 神樂をよみ侍りける
置く霜に色もかはらぬ榊葉の香をやは人のとめて来つらむ
1870 臨時祭をよめる
宮入の摺れるころもにゆふだすきかけて心を誰によすらむ
1872 大将に侍りける時、勅使にて太神宮に詣でてよみ侍りける
神風や御裳裾川のそのかみに契りしことのすゑをたがふな
1872 同し時外宮にてよみ侍りける
契ありて今日みや川のゆふかずら長き世までもかけて頼まむ
1873 公繼卿勅使にて大神宮に詣でて歸り上り侍りけるに齋宮女房の中より申し贈りける
うれしさもあはれもいかに答へまし故里人に訪はれましかば
1874 返し
神風や五十鈴川波かず知らずすむべき御代にまたかへり来む
1875 大神宮歌中に
ながめばや神路の山に雲消えてゆふべの空を出でむ月かげ
1876 大神宮歌中に
神風やとよみてぐらに靡くしでかけてあふぐといふも畏し
1877 題知らず
宮柱したつ岩ねにしきたててつゆも曇らぬ日の御影かな
1878 題知らず
神路山月さやかなる誓ありて天の下をば照らすなりけり
1879 伊勢の月讀の社に參りて月をよめる
さやかなる鷲の高嶺の雲井より影はやはらぐる月よみの森
1880 神祇の歌とてよめる
やはらぐる光にあまる影なれや五十鈴河原の秋の夜の月
1881 公卿勅使にて歸り侍りける一志のむまやにてよみ侍りける
立ちかへり又も見まくのほしきかな御裳裾川の瀬々の白波
1882 入道前関白家、百首歌よみ侍りけるに
神風や五十鈴の河の宮ばしら幾千世すめとたてはじめけむ
1883 入道前関白家、百首歌よみ侍りけるに
神風や玉串の葉をとりかざし内外のみやに君をこそ祈れ
1884 五十首歌奉りし時
神風や山田の原のさかき葉に心のしめをかけぬ日ぞなき
1885 社頭納涼といふことを
五十鈴川空やまだきに秋の声したつ岩ねの松のゆふかぜ
1886 香椎宮の杉をよみ侍りける
ちはやぶる香椎宮の綾杉は神のみそぎに立てるなりけり
1887 八幡宮の權官にて年久しかりける事を恨みて御神樂の夜參りて榊に結び付け侍りける
榊葉にそのいふかひはなけれども神に心をかけぬ間ぞなき
1888 賀茂に參りて
年を経て憂き影をのみみたらしの変る世もなき身をいかにせむ
1889 文治六年女御入内屏風に、臨時祭かける所をよみ侍りける
月さゆるみたらし川に影見えて氷に摺れるやまあゐの袖
1890 社頭の雪といふ心をよみ侍りける
ゆふしでの風に乱るる音さえて庭しろたへに雪ぞつもれる
1891 十首歌合の中に神祇をよめる
君を祈るこころの色を人問はばただすの宮のあけの玉垣
1892 みあれに參りて社の司おのおの葵をかけけるによめる
跡垂れし神にあふひのなかりせば何に頼みをかけて過ぎまし
1893 社司ども貴布禰に參りて雨乞ひし侍りけるついでによめる
大み田のうるほふばかりせきかけてゐせきにおとせ河上の神
1894 鴨社歌合とて人々よみ侍りけるに月を
石川やせみの小川の清ければ月もながれを尋ねてぞすむ
1895 辨に侍りける時春日の祭に下りて周防内侍に遣しける
万年を祈りぞかくるゆふだすき春日の山の峰のあらしに
1896 文治六年女御入内屏風に春日祭
今日まつる神のこころや靡くらむしでに波立つ佐保の川風
1897 家に百首歌よみ侍りける時神祇の心を
あめの下みかさの山の蔭ならで頼む方なき身とは知らずや
1898 家に百首歌よみ侍りける時、神祇の心を
春日野のおどろの道のうもれみづ未だに神のしるしあらはせ
1899 大原野の祭に參りて周防内侍に遣しける
千世までも心して吹けもみぢ葉を神もをしほの山おろしの風
1901 日吉社に奉りける歌の中に二宮を
やはらぐる影ぞふもとに雲なき本のひかりは峰に澄めども
1902 述懐の心を
わがたのむ七のやしろの木綿だすきかけても六の道にかへすな
1903 述懐の心を
おしなべて日吉の影はくもらぬに涙あやしき昨日けふかな
1904 述懐の心を
もろ人のねがひをみつの浜風にこころ涼しきしでの音かな
1905 北野によみて奉りける
覚めぬれば思ひあはせて音をぞ泣く心づくしのいにしへの夢
1906 熊野へ詣で給ひける道に花の盛りなりけるを御覧じて
咲きにほふ花のけしきを見るからに神の心ぞ空に知らるる
1907 熊野に参りて奉り侍りし
岩にむす苔ふみならすみ熊野の山のかひある行末もがな
1908 新宮にまうづとて、熊野川にて
熊野川くだす早瀬のみなれ棹さすが見なれぬ浪のかよひ路
1909 白河院熊野に詣で給へりけるに御供の人々鹽屋の王子にて歌よみ侍りけるに
立ちのぼる塩屋の煙うらかぜに靡くを神のこころともがな
1910 熊野へ詣で侍りしに岩代の王子に人々の名など書き附けさせてしばし侍りしに拝殿の長押に書き付け侍りし時
岩代の神は知るらむしるべせよたのむうき世の夢のゆく末
1911 熊野の本宮燒けて年の内に遷宮侍りしに參りて
契あればうれしきかかる折に逢ひぬ忘るるな神もゆく末の空
1912 加賀守にて侍りける時白山に詣でたりけるを思ひ出でて日吉の客人の宮にてよみ侍りける
年経とも越の白山忘れずはかしらの雪をあはれとも見よ
1913 一品聡子内親王住吉に詣でて人々歌よみ侍りけるによめる
すみよしの浜松が枝に風吹けば波の白木綿かけぬまぞなき
1914 ある所の屏風の繪に十一月神祭る家の前に馬に乘りて人のゆく所を
榊葉の霜うちはらひかれずのみ澄めとぞ祈る神のみまへに
1915 延喜御時屏風に夏神樂の心をよみ侍りけるに
河社しのにをりはへほす衣いかにほせばか七日ひざらむ
1916 題しらず
なほ頼めしめぢが原のさしもぐさわれ世の中にあらむ限りは
1917 題しらず
何かおもふ何かはなげく世の中はただ朝顏の花のうへの露
1918 智縁上人、伯耆の大山にまいりて、出でなんとしけるあか月、夢に見えける歌
山深く年経るわれもあるものをいづちか月のいでて行くらむ
1919 難波の御津寺にて、蘆の葉のそよぐを聞きて
葦そよぐ塩瀬の浪のいつまでかうき世の中にうかび渡らむ
1920 比叡山中堂建立の時
阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわがたつ杣に冥加あらせたまへ
1921 入唐時歌
法の舟さして行く身ぞもろもろの神も仏もわれをみそなへ
1922 菩提寺の講堂の柱に、虫の食ひたりける歌
しるべある時にだに行け極楽の道にまどへる世の中の人
1923 御嶽の笙の岩屋に籠りてよめる
寂莫の苔の岩戸のしづけきになみだの雨の降らぬ日ぞなき
1924 臨終正念ならんことを思てよめる
南無阿弥陀仏の御手にかくる糸のをはり乱れぬ心ともがな
1925 題しらず
われだにもまづ極楽にうまれなば知るも知らぬも皆迎へてむ
1926 天王寺の亀井の水を御覧じて
濁なき亀井の水をむすびあげて心の塵をすすぎつるかな
1927 法華経廿八品歌、人々によませ侍けるに、提婆品の心を
わたつ海の底より来つる程もなくこの身ながらに身をぞ極むる
1928 勧持品の心を
数ならぬ命はなにか惜しからむ法とくほどをしのぶばかりぞ
1929 五月許に、雲林院の菩提講に詣でてよみ侍ける
むらさきの雲の林を見わたせば法にあふちの花咲きにけり
1930 涅槃経よみ侍ける時、夢に、散る花に池の氷もとけぬなり花ふきちらす春の夜の空、と書きて、人の見せ侍ければ、夢のうちに返すとおぼえける歌
谷川のながれし清く澄みぬれば隈なき月の影もうかびぬ
1931 述懐歌の中に
願はくはしばし闇路にやすらひてかかげやせまし法の燈火
1932 述懐歌の中に
説くみ法きくの白露夜は置きてつとめて消えむ事をしぞ思ふ
1933 述懐歌の中に
極楽へまだわが心ゆきつかずひつじの歩みしばしとどまれ
1934 勧心如月輪若在軽霧中の心を
わが心なほ晴れやらぬ秋霧にほのかに見ゆるありあけの月
1935 家に百首歌よみ侍ける時、十界の心をよみ侍けるに、縁覚の心を
奥山にひとりうき世は悟りにき常なき色を風にながめて
1936 心経の心をよめる
色にのみ染みし心の悔しきを空しと説ける法のうれしさ
1937 摂政太政大臣家百首歌に、十楽の心をよみ侍けるに、聖衆来迎楽
むらさきのくもぢに誘ふ琴の音にうき世をはらふ峰の松風
1938 蓮花初開楽
これやこのうき世の外の春ならむ花のとぼそのあけぼのの空
1939 快楽不退楽
春秋もかぎらぬ花に置く露はおくれさきだつ恨やはある
1940 引摂結縁楽
たちかへり苦しき海に置く網も深きえにこそ心引くらめ
1941 法花経廿八品歌よみ侍けるに、方便品 唯有一乗法の心を
いづくにもわが法ならぬ法やあると空吹く風に問へど答へぬ
1942 化城喩品 化作大城郭
思ふなようき世の中を出で果てて宿る奥にも宿はありけり
1943 分別功徳品 或住不退地
鷲の山今日聞く法の道ならでかへらぬ宿に行く人ぞなき
1944 普門品 心念不空過
おしなべてむなしき空とおもひしに藤咲きぬれば紫の雲
1945 水渚常不満といふ心を
押しなべてうき身はさこそなるみ潟満ち干る汐の変るのみかは
1946 先照高山
朝日さす峰のつづきはめぐめどもまだ霜深し谷のかげ草
1947 家に百首歌よみ侍ける時、五智の心を、妙観察智
底清くこころの水を澄まさずはいかがさとりの蓮をも見む
1948 勧持品
さらずとて幾世もあらじいざやさは法にかへつる命と思はむ
1949 法師品 加刀杖瓦石 念仏故応忍の心を
深き夜の窓うつ雨に音せぬはうき世をのきのしのぶなりけり
1950 五百弟子品 内秘菩薩行の心を
いにしへの鹿鳴く野辺のいほりにも心の月はくもらざりけり
1951 人々勧めて法文百首歌よみ侍けるに、二乗但空 智如蛍火
道のべの螢ばかりをしるべにてひとりぞ出づる夕闇の空
1952 菩薩清涼月 遊於畢竟空
雲晴れてむなしき空に澄みながらうき世の中をめぐる月かげ
1953 栴檀香風 悦可衆心
吹く風に花たちばなや匂ふらむ昔おぼゆる今日の庭かな
1954 作是教已 復至他国
闇深き木のもとごとに契り置きて朝たつ霧のあとの露けさ
1955 此日已過 命即衰滅
今日過ぎぬ命もしかとおどろかす入相の鐘の声ぞかなしき
1956 悲鳴[口幼]咽 痛恋本群
草深き狩場の小野を立ち出でて友まどはせる鹿ぞ鳴くなる
1957 棄恩入無為
背かずは何れの世にか廻り逢ひて思ひけりとも人に知られむ
1958 合会有別離
あひ見ても嶺にわかるる白雲のかかるこの世の厭はしきかな
1959 聞名欲往生
音に聞く君がりいつかいきの松待つらむものを心づくしに
1960 心懐恋慕 渇仰於仏
別れにしその面影のこひしきに夢にも見えよ山の端の月
1961 十戒歌よみ侍けるに、不殺生戒
わたつ海の深きに沈むいさりせで保つかひある法を求めよ
1962 不偸盗戒
浮き草のひと葉なりとも磯がくれおもひなかけそ沖つ白波
1963 不邪婬戒
さらぬだに重きが上のさよ衣わがつまならぬつまな重ねそ
1964 不[酉古]酒戒
花のもと露のなさけはほどもあらじ酔ひな勸めそ春の山風
1965 入道前関白家に十如是歌よませ侍けるに、如是報
うきもなほむかしの故と思はずはいかにこの世を恨みはてまし
1966 待賢門院中納言、人々に勧めて廿八品歌よませ侍けるに、序品 広度諸衆生 其数無有量の心を
わたすべき数もかぎらぬ橋柱いかにたてける誓なるらむ
1967 美福門院に、極楽六時讃の絵に書かるべき歌たてまつるべきよし侍けるに、よみ侍ける、時に大衆法を聞て、弥歓喜瞻仰せん
今ぞこれ入日を見ても思ひこし弥陀のみくにの夕暮の空
1968 暁いたりて浪の声、金の岸に寄するほど
いにしへの尾上の鐘に似たるかな岸うつ浪のあかつきのこえ
1969 百首歌の中に、毎日晨朝入諸定の心を
しづかなる暁ごとに見わたせばまだ深き夜の夢ぞ悲しき
1970 発心和歌集の歌、普門品 種々諸悪趣
逢ふ事をいづくにてとか契るべき憂き身の行かむ方を知らねば
1971 五百弟子品の心を
玉かけし衣の裏をかへしてぞおろかなりけるこころをば知る
1972 維摩経 十喩中に、此身如夢といへる心を
夢や夢現や夢とわかぬかないかなる世にか覚めむとすらむ
1973 二月十五日の暮れ方に、伊勢大輔がもとにつかはしける
常よりも今日の煙のたよりにや西をはるかに思ひやるらむ
1974 返し
今日はいとど涙にくれぬ西の山おもひいり日の影をながめて
1975 西行法師を呼び侍けるに、まかるべきよしは申ながらまうで来で、月の明かりけるに、門の前をとおると聞きて、よみてつかはしける
西へ行くしるべとおもふ月影の空だのめこそかひなかりけれ
1976 返し
立ち入らで雲間に分けし月影は待たぬけしきや空に見えけむ
1977 人の身まかりにけるのち、結縁経供養しけるに、即往安楽世界の心をよめる
昔見し月のひかりをしるべにて今宵や君が西へ行くらむ
1978 観心をよみ侍ける
闇晴れてこころのそらにすむ月は西の山辺や近くなるらむ