昭和二十年八月九日の太陽が、いつものとおり平凡に金比羅山から顔を出し、美しい浦上は、その最後の朝を迎えたのであった。川沿いの平地を埋める各種兵器工場の煙突は白煙を吐き、街道をはさむ商店街のいらかは紫の浪とつらなり、丘の住宅地は家族のまどいを知らす
長崎医科大学は今日も八時からきちんと講義を始めた。国民義勇軍の命令の、かつ戦いかつ学ぶという方針のもとに、どの学級も研究室も病舎も、それぞれ専門の任務をもった医療救護隊に改編され、防空服に身を固め、救護材料を腰につけた職員、学徒が、講義に、研究に、治療に従事しているのだった。いざという時にはすぐさま配置について空襲傷者の収容に当たることになっており、事実これまで何回もそうした経験がある。ことに、つい一週間まえ大学が被爆した時など、学生には三名の即死、十数名の負傷者を出したけれども、学生、看護婦の勇敢な活動によって、入院・外来患者には一人の犠牲者も出さなかったほどである。この大学はもう
警戒警報が鳴りわたった。病院の大廊下へ講堂から学生の群が流れだし、幾組かのかたまりになってそれぞれの持ち場へ散っていった。本部伝令がいちはやくメガホンで情報を叫びながら廊下を走り去った。相変わらず今日も南九州に大規模な空襲があるらしい。引きつづいて空襲警報が鳴りだした。空を仰ぐと澄みきった朝空にちかちか目を射る高層雲が光り、どうやら敵機の来そうな気配がする。目に見えぬ音波がうす気味わるく、あとからあとからあちこちのサイレンがうなり出す。もうわかってるよ、そんな不吉な音はもう真っ平だと耳を押さえたくなるまで、うなっては休み、うなっては休む。これは少なくとも勇気を振るいおこす音ではない。
さるすべりの花が真っ赤だ。夾竹桃の花も真っ赤だ。カンナはまったく血の色だ。病院の玄関を待機所にさだめられている担架隊の医専一年生たちが、この赤い花の陰の防空壕にひそんで、いざという時を待ちかまえている。
「一体全体、戦況はどうなんだろう」鹿児島中学から来たのがいう。
「俺が同級生もずいぶんたくさん予科練でいっとるばって」
「友軍機はどないしとるんやろ」大阪弁が壕のなかから聞こえる。「つまらへんな。こんなこっちゃ、なんぼう頑張ってもあかんで」
誰も返事をしない。この大阪の考えていることにうすうす気づいていないでもないのだが、しかし祖国日本は今生死の関頭に立っているのではないか。戦争は勝つために始めたにちがいない。まさか負けるつもりで、政府がこんな悲劇の幕を開けたのではなかろう。しかし、サイパン欠陥いらい大本営発表の用語に、なにか臭い陰影を帯びていることが、敏感な学生にいつとはなく、ある不安を起こさせていたのは事実である。
「おい、級長、どう思う。この戦争はどうなる」大阪弁の男が壕のせまい口から赤い顔をだした。ロイド眼鏡をかけている。なるほどこれは蛸壷だ。
級長藤本はさっきから青桐の下に腕組みをしたまま突っ立って、じいっと空をにらみつづけていた。小柄ながら肝のすわった男で、鉄兜から黒巻脚絆のきりりとしまった脚の先まで隙もない厳重な身固め、これまで何回となく血の中から負傷者を担ぎだした体験は、よく級友の輿望をあつめて、この小男が先頭きって飛びこむ煙の中へ、級友は一つの玉になって突っ込んだものだった。おやじの望遠鏡を持ちだして腰につけている。敵機が頭上に来るとそれをおもむろに取りだし、首をぐるぐる回しながら、敵機の行動を報告するのが、この男の趣味である。
「級長、どうなるんやろ、戦争は」大阪がしつこく繰り返した。
「戦争をどうするか——だ」藤本が押さえつけるようにいった。「戦争によって僕たちの運命が決められるんじゃない。僕たちによって戦争の運命が決められるんだ。僕たち相戦う若い者、アメリカの学生と日本の学生との力比べによって、勝利がどちらへ転ぶかが、決まるんだ」
「でもなあ、あんまりやないか、近ごろのざまは。物量の差がひどすぎるさかい、僕らのちっぽけな努力なんざあ、屁にもならん」
「そりゃそうかもしれんたい。しかしだ。とにかく今この下の町へ爆弾が落ちたら、理屈も議論もなか。すぐ飛びだしていって、血止めをせにゃならん。僕は最後まで僕の本分を尽くすばい」藤本が決然といい放った。大阪は納得しなかった。そこへ大きな角材をかついで副級長がやって来た。副級長は小倉中学出身で黙々と仕事をする男、今も監視壕の補強工事のため独りで汗を流しているのだった。
「敵がほんまにここへ上陸して来よったら、どないするん、おい、副級長」
「死生命あり」小倉の男は腰から扇子をとって汗をあおぐ。「生きるも死するも、人に笑われんごと」
ひっそりとなった。さるすべりも夾竹桃もカンナもよどんだ血のように動かない。その中を脈打つような蝉の声が向こうの山王神社の大楠から流れてくる。
この日は防空当番教官にあたっていた私が、病院の玄関から入って大廊下を裏門まで見回る。どの病室の入口にも甲斐甲斐しく服装をととのえた看護婦、学生が身構えしている。
バケツは水でいっぱいだ。水道ホースも延びている。火叩き、
「がんばれよ」と私は礼を返しながらいった。上野は、はにかんで頭をかいた。
「このあいだは、お袋から叱られましたたい。人様の目につくことをしてよか気になるもんじゃなか。もう子供じゃなかけん……、と」
裏門には手押しポンプ隊がたむろしていた。すべては、焼夷弾と爆弾とに対してはまずまず大丈夫であった。私は満足して、こんどは病棟の東側を通ってみた。このあいだの爆弾にやられた外科、婦人科、耳鼻科のあとは、人の体の怪我よりもむごたらしかった。その傍らには、ここにもまた夾竹桃が血の色に咲いていて、ひっそりと石炭酸が匂っている。私はふっと不吉な予感を覚えた。
警報解除のサイレンが、身体じゅうの疑いを解いてくれるためのように鳴りわたった。教室へ帰ってくると、皆ががやがやいいながら鉄兜の紐をほどくところであった。情報係の井上看護婦が、くりっとした眼をなおさらくるくるさせて、ちょっと小首を傾けながら「九州管内敵機なし」とラジオのいったとおりを報告した。赤らんだ頬に軽く汗が浮いて、髪の毛が三すじくっついている。
「ただちに授業始め!」本部伝令が、また叫んで通った。学生はそれぞれ教室に入り、大学は再びひっそりした真理探求の象牙の塔となった。病院の臨床学科のほうは患者が受付に押しよせて、予診をとる学生の白衣がその間を縫うて動いている。私の教室と廊下を隔てた向かい側の内科では、学長角尾教授の臨床講義の快い口調が扉からもれてきている。
地本さんは川平岳で草を刈っていた。ここからは浦上が西南三キロのやや斜め下に見おろされる。浦上の美しい町と丘の上に、真夏の太陽はこともなげに輝いている。地本さんは突然妙な微かな爆音を耳に聞きとめた。鎌をもったまま腰をのばして上を仰いだ。空は大体晴れていたが、ちょうど頭の上には手のひら形をした大きい雲がひとつ浮いている。爆音はその雲の上だ。しばらく見ていると出た。B29だ。手のひら雲の中指にあたるその突端から、ポツリ銀色に光る小さな機影、高度八千メートルくらいかなあと思って見ていたら、あっ落とした。黒い一つの細長いもの。爆弾、爆弾、地本さんはそのままそこへひれ伏した。五秒、十秒、二十秒、一分、時間は息をつめているうちに、だいぶん経過した。
ぴかり、いきなり光った。大した明るさだった。音は何もしない。地本さんはこわごわ首をもたげた。やった。浦上だ。浦上の天主堂の上あたりに、つい今までなかった大きな白煙の塊が浮かんでいて、それがぐんぐん膨張する。それにもまして地本さんが肝をつぶしたことには、その白煙の下の浦上の丘を山原をこちらへ向けて猛烈な勢いで寄せてくる一つの浪があるのだ。丘の上の家といわず、山原の木といわず、ありとあらゆるものを将棋倒しに押し倒し、粉砕し、吹き飛ばしつつ、あ、あ、あっという間に、はや目の前の小山の上の林をなぎ倒し、この川平岳の山腹を駆け上がってくる。これはなんだ。まるで目にみえぬ大きなローラーが地ならしをしてころがって来るとしか思われない。今度こそは潰されると地本さんは両手を合わせ、神様神様と祈りながら、またも地面に顔を押しつけた。ががが——とすさまじい響きに耳が鳴ったのと、ひれ伏したままの恰好でふわりと吹き飛ばされたのとが同時だった。五メートルばかり離れた畑の石垣にいやというほど叩きつけられ、地本さんは目をあけて見回した。あたりの立木がみんな目通りの高さからぽきぽき折り倒され、木といわず草といわず、葉はみんなどこへ消えたのやら——さむざむと
古江さんは道ノ尾から浦上へ帰る途であった。ちょうど兵器工場の前を自転車で走っているとき、妙な爆音を聞いたような気がした。ひょいと頭をあげたら、松山町の上あたり、大体稲佐山の高さぐらいの青空に、一点の赤い火の玉を見た。目を射るほどの光輝はなく、ストロンチウムを大きな提灯の中で燃やしているような真っ赤な火の玉だった。それがすーっと地面に近づく。なんだろうと眼鏡に片手をかけて見直す瞬間、すぐ目の前にマグネシウムを爆発させたと思われるばかりの閃光が起こり、身体が宙に浮いた。……水田の中に、これもまた吹き飛ばされた自転車の下敷きとなっている自分に古江さんが気づいたのは、何時間か後であり、一方の目はすっかり盲目になっているのを知った。
浦上から七キロ離れた小ヶ倉国民学校の職員室で、田川先生は防空日誌に今朝の警報記事を書きこんでいたが、ちょっと顔をあげて窓の外へ目を休めた。目の前に小さな山裾があって、その上に長崎港の空が青かった。その青空が瞬間さっと輝いたのである。その光は鋭く眼を射た。真夏の真昼間の太陽の明るさがその次の瞬間にひどく暗いものに感じられたのだったから、この光度は太陽の何倍かであったにちがいない。昼間に照明弾とはこれいかにとつぶやいて田川先生は腰を浮かしたが、突然異様な物を認めた。「あれ、あれ、あれ、なんだろう」田川先生の叫びに職員室じゅうの先生がたは窓へ走り寄った。長崎の浦上あたりの上空に一点の白雲があらわれ、それが横のほうへも上のほうへも、ものすごい勢いでむくむくむくむくと膨張してゆくではないか。「なんだ、なんだ」と騒いでいるうちに直径一キロ以上のふくれた饅頭ができた。そのとき、だあーんと爆風が到達し、職員室は
「爆弾投下、校舎に命中、退避」田川先生はこう叫んで、そのまま裏山の防空壕へ飛びこんでしまった。そして、ちょうどこの時刻に浦上の自宅では、妻と子供たちが自分の名を呼びながら息絶えつつあることを神ならぬ身の知る由もなく、田川先生は、ぽつねんと冷たい土の中に座っていた。
大山という地区は長崎港の南、八郎岳の山腹にあって、浦上から八キロ離れている。ここから望むと、浦上の盆地は長崎港のさらに向こうにうっすら霞んで見える。加藤君は牛をつれて草原に出ていた。ぴかりを見たのは、緑の中に草苺の光るのを見つけて一つ二つ頬ばったところだった。びっくりして牛も首をあげた。浦上の空に白い、濃い濃い綿のような雲が生まれ、ぐいぐいと大きくなる。その色はちょうど
高見さんは牛をひいて木場へ帰ろうと浦上から二キロの踊瀬の道を歩いていて、「ぴか」にやられたのであった。ぴかと光った時に、火鉢にあたるほどの熱さを感じたのだったが、牛も自分も熱傷を受けた。そのあとへ、しゅうとうなって火の玉の雨が降ってきた。その一つは足にあたった。そこで白煙をあげて消えたが、パラフィン
大学は爆弾破裂点から三百メートルないし七百メートルの範囲に建物を並べていた。まず爆心圏内にあるとみてよい。基礎医学教室は、爆弾にも近かったし、木造だったから瞬間に押し潰され、吹き飛ばされ、燃やされて、教授も学生も皆死んだ。臨床医学教室のほうは、少し遠かったのとコンクリート建だったために、運よく生き残った者もいくらかはいた。
時計は十一時を少し過ぎていた。病院本館外来診察室の二階の自分の室で、私は学生の外来患者診察の指導をすべく、レントゲン・フィルムをより分けていた。目の前がぴかっと閃いた。まったく青天のへきれきであった。爆弾が玄関に落ちた! 私はすぐ伏せようとした。その時すでに窓はすぽんと破られ、猛烈な爆風が私の体をふわりと宙に吹き飛ばした。私は大きく目を見開いたまま飛ばされていった。窓硝子の破片が嵐にまかれた木の葉みたいにおそいかかる。切られるわいと見ているうちに、ちゃりちゃりと右半身が切られてしまった。右の眼の上と耳あたりが特別大傷らしく、生温かい血が噴いては
私は爆弾、少なくとも一トンくらいの大型が病院の玄関付近に落ちたと、さらに判断を新たにした。怪我人は数百名だ。これをどこへ送って、どう処置するか、とにかく教室員を集めなければならぬ。その教室員もおそらく半数はやられているだろう。とにかくこの埋没から脱け出さねばと、膝を動かし、腰を突っ張って苦心しているうち、すうと暗くなって、両眼ともすっかり見えなくなってしまったのである。これには弱った。はじめは眼のあたりに怪我しているのだから、眼底付近に出血でもしたのかなと思ったが、目玉を動かしてみると動く。眼が見えなくなったのではないと決まったら、はじめて
隣のレントゲン撮影室には橋本看護婦がいた。運よく図書棚の間にいたので、かすり傷ひとつ負わなかった。万物が魔法によって生物となったかのように、がらがらとものすごく跳ね回る恐ろしい時間は、壁によりそってじっと隠れているうちに、十秒二十秒と経過して、あたり一面埃と土煙とが咽喉をふさぐほどに立ちこめてはいたが、大きな品物は大体また床の上か地の上へ落ちついたらしかった。橋本君はさて救護だと崩れた図書棚の裏からはいだして、あっとたまげてしまった。なにもかも滅茶苦茶だ。がらくたを踏み越え窓から顔を出してみて、さらにどきっと胸を衝かれた。これは一体どうしたというのだ。つい今の今先まで、この窓の下に紫の浪と連なっていた坂本町、岩川町、浜口町はどこへ消えたのか? 白く輝く煙をあげていた工場はないではないか? あの湧き上がる青葉に埋まっていた稲佐山は赤ちゃけた岩山と変わっているではないか? 夏の緑という緑は木の葉、草の葉一枚残らず姿を消しているではないか? ああ地球は裸になってしまった!
玄関車寄せに群がっていた人々は? と見おろす広場は、所狭いまでに大小の植木がなぎ倒され、それにまざって幾人とも数えきれぬ裸形の死人。橋本君は思わず両手で目をおおった。地獄だ、地獄だ。呻き声ひとつたてるものもなく、まったく死後の世界である。目をあけて首を回してみるけれども、物音ひとつせず、糸ひとすじも見えぬ真の闇。この世の中にただひとり生き残ったと思ったとたん、背筋がずーんとして足がすくんでしまった。死神の爪はやがて私の頸筋をつかまえるだろう。ふるさとの家がぼうと見えた。母の顔が見えた。橋本君はわっと声をあげて泣きだそうとした。まだ十七歳の女の子だった。と、その時「おーい、おーい」と呼ぶ声が聞こえてきた。すぐ近くの足もとらしくもあり、何枚か壁を隔てた向こうらしくもある。「おーい、おーい」また叫んだ。部長先生の声だ。部長先生が生きている。先生と二人生き残っているのなら、あれだけの玄関の死人の処置もやれるにちがいない。橋本君はたちまち、べそをかく小娘から勇敢な看護婦にたちかえった。そうして声をたよりに隣に室へ行こうとすると、レントゲン撮影台らしい物やら電流コードやら、闇の中のゆくてを阻んで足を運ぶことができない。スコップを置いてあった隅へ手さぐりで行ってみると、どこへ飛ばされたのかなくなっていて、その代わりにメガホンが手に触れた。階下の透視室には鍬もあり、婦長さんたちもいるのを思い出し、これはみんなの加勢を受けるほうがよいと判断して、撮影室を出て行った。毎晩灯火管制で歩きなれた廊下ではあったが、二、三歩行くと、ぐにゃりとしたものにつまずいた。しゃがんで撫でてみると人間。べっとりと血らしいものが手のひらについた。腕を伝わって手首を握ってみると、脈はない。かわいそうに、橋本君は合掌をして、そこからまた二、三歩行くと、またも倒れている人につまずいた。髪がぬらりと手首にねばりつく。まだあたりは真っ暗だ。この闇の、私のまわりに一体何人死んでいるのだろう。橋本君は脈をさぐりながら見えぬ目を開いて、あたりを見回した。
突然ぽうと赤くなった。窓の外で火が燃えだしたのだった。ちろちろと炎は次第に大きくなる。そのうす赤い火に照らしだされた目の前の光景は! 橋本君は思わず死人の脈を手放して突っ立った。広い病院の廊下に赤い逆光線を受けて、転がっている人の肉体。うつ伏し、横ざま、あおむけ、膝をまげているのもあり、虚空をつかんでいるのもあり、立とうともがいているのもある。橋本君はこれは独力では手がつかぬ。まず救護隊が集まり、組織的な団体活動でなければだめだと悟った。それではとにかく皆を部長先生の埋まっている所へ集めよう。ご免ね、ご免ね、とことわりをいいながら死人をとび越えて、階段を透視室へと下っていった。
透視室の連中はレントゲン透視台を組み立てている最中だった。びゅうんと奇妙に甲高い爆音を聞いた。看護婦生徒の椿山が「あれ、なんでしょう?」という。「ありゃB29の爆音たい」せっせとペンチを動かしながら技手の史郎がいう。「爆弾落としたぜ」このあいだの爆撃で腿をやられた経験のある長老技手がいう。「かくれようか」「うん」「婦長さん、退避、退避」三人は大きな卓の下へもぐりこんだ。ぴかっ、どん! と来た。「また落ちたばい」史郎の声もがちゃがちゃ室中を暴れ回る爆風にもみ消されてしまう。みんなじっと鎮まるのを待った。椿山が呼吸をしない。「おい、やられたかい?」「いや、あなたは?」「どこも痛くねえ」「おーい、婦長さあん!」大声で呼んでみる。「はーい」とすぐ隣の部屋からいつものとおり愛嬌のいい返事が返ってきた。「ちょっと待ってくださいよ。何やかや私の上に乗っかってるんですもの」
そのうちに汽車がトンネルにはいる時のように、あたりはごうごううなっていながら、真っ暗になってしまった。向かい合っている椿山の白い顔がたちまちなくなった。
「これは一体なんだい?」長老の声。
「新型爆弾だぞ、例の広島の」史郎の声。
「いや、太陽が爆発したんじゃないかな」長老。
「うん、そうかもしれん。急に気温が下がったごたる」史郎が考え考えいう。
「太陽が爆発したら、世界はどうなります?」
椿山看護婦がおろおろ声で尋ねた。
「地球も終わりさ」長老がぼっさり答えた。みんな黙って待っているが、やっぱり明るくならない。一分たった。闇の中で時計の秒を刻む音が印象深い。
「それで、ひるめしはどうする?」史郎。
「さっき食っちまったさ。お前持っとるか?」
長老がこの世の名残に一口食いたそうにいう。
「うん、死なぬうちに分けて食おうや」
すると汽車がトンネルを出る時のように、あたりが静かになりながらすうと明るくなって、長老の白い歯が見え、史郎の長い鼻が見え、椿山のちっちゃいえくぼも見えてきて、「ああ、太陽は大丈夫だったんだなあ」と史郎がいい、「しかし昼飯は分けておくれよ」と長老がいって、三人は窮屈な卓の下から、硝子の粉、機械の断片、椅子の残骸、電線の網の中へ、はいだしてきた。
「いったいどこへ落ちたんだろう? これだけ壊すにはこの室に命中しなきゃならんはずだが、天井に孔もあいとらん」
「爆弾の落下音を聞いたかい?」
「いや聞かなかった」
「それじゃ…空中爆雷かしら?」
「とにかく、すごいやつだぜ、こいつは」
そこへ隣の室から久松婦長さんが手まりみたいな姿をあらわした。乱れた髪の毛を両手で撫でつけながら「みんな大丈夫?」と聞いた。その後から看護婦生徒の一年生が飛び出して、婦長の腰にしがみついて泣き始めた。
「お馬鹿さんだね、あんた。生きとるじゃないの」
一年生がしゃくりあげた。友だちが、すぐそばで死んだらしい。
「さあさ、防空頭巾をかむって、繃帯袋を捜していらっしゃい」
久松婦長さんは、しゅうしゅうと水を噴いている水道管の所へ行って両手を丁寧に洗い、顔を洗い、うがいをした。「なんだかガスを吸ったような気がする」といい、肺の奥まで洗いたいような勢いで、四回も五回もうがいをした。
「椿山さんも来て手を洗いなさいよ。そんな土だらけの汚い手でガーゼを扱ったら、傷がすぐ化膿します。友清さん、あんたも顔と手を洗いなさい。施さん、さっさと用意をしてくださいね。負傷者はだいぶん多いようです」婦長さんが手を拭き拭きいった。
友清史郎君は「はあ」と答え、施長老は「おい」と答えて、すぐに準備にとりかかった。
ぱちぱち音が聞こえる。窓際へとんでいった椿山君が「火事です、火事です」と叫んだ。五人はそこに転がっていたバケツを拾うなり水槽へ我おくれじと駆けだした。旧レントゲン教室の疎開後のまだ材木を片づけていない広場は、まだ炎のたけは低いけれども一面火の海である。五人はかねて防空演習でやりつけたとおり、一方の隅からバケツの水をぶっかけ始めた。しかし火の手はここばかりではなかった。病院の廊下はすっかり吹きとんで跡形もなく、食堂も潰れて一面に火を噴いている。残っているのはぽつんぽつんとコンクリートの病棟ばかり。木造の建物はすべてなくなって、その代わりに炎がたっている。しばらく水をかけていたが、消える面積よりは燃えひろがるほうが速い。とてもバケツ注水では間にあわぬという見通しがついた。
「機械を取り出そう」史郎がいった。
「負傷者の手当てをしよう」と長老がいう。
「入院患者を避難させましょう」と椿山がいう。
炎はみるみる黒煙をあげて大火になる勢いを見せる。
「部長先生の指揮を受けましょう」と久松婦長がいった。
そこへ橋本君があらわれた。
「部長先生が生き埋め」皆顔をみ合わせる。
「まあ、あんげん太かとば、どんげんするえ?」と小さい椿山がもらした。
「大丈夫、よかよか」
長老がそういいざま走りだした。橋本のあとから五人は木を越え机を越え、手をひき、ひかれつつ撮影室へと駆けあがる。正常の通路は潰れ、塞がれ、通れないので、窓をのり越え、パイプにつかまり、回り回って、おやじ救出に走ってゆく。薬局の高窓をのり越えるには人梯子をつくらねばならなかった。長老がガス・メーターをつかんで台になり、その上に史郎君が重なり、その膝、背、肩と伝って、婦長さんも橋本君も椿山君も、よじ登って高窓を越えた。それから史郎がとび上がり、最後にみんなで長老の長い手長海老みたいな両手をひっぱったら、「おっこらしょ」と、いつもの癖の掛け声を出してとび上がってきた。
現像室では施先生が肺のレントゲン写真をちょうど現像タンクから引き出すところだった。裏山に立っている対空監視の学生が「怪しい飛行機が頭上に侵入しまあす。退避、退避」と突然怒鳴るのを聞いた。妙に甲高い爆音をその次に聞いた。急降下爆撃だと考えてその場に伏せたが、写真が駄目になってはならぬと水洗いして定着タンクに静かに入れた。それから伏せようとするのと、どかんと潰されたのとが同時だった。気がついた時にはぴっしゃり胸を何か材木で挟まれて床にのびていた。どうにかこうにか動いてみると、腰が自由になり、両腕がわがものとなり、それを使って順々に自分の上に積み重なった木材をとりのけて抜け出すことができた。定着タンクの中の写真はどうなったろうと見回すが、眼鏡がとんでしまって、あたり一切はピントがぼけている。そばでいっしょに仕事をしていた森内君はどうしたろう。何べんも呼んでみるが返事がない。そこらに木材の下を捜しても、手もなく足も見えない。うまくはい出したものらしい。がらくたの山を越え、廊下へ出てみてびっくりした。まるで知らぬ家へはじめて来たようだ。何もかも様子が変わっている。眼鏡がなくなったせいかしら、と二度も三度も眼をこすっては見回した。
これまでの話は、コンクリート建築物の中にいて放射能の直射を受けなかった幸運の仲間についてである。屋外にいた者はどうであったろうか。清木先生は、薬学専門部の裏の防空壕を学生と一緒にせっせと掘っていた。先生が掘り役で、学生はその土を外に運び出していた。ちょうどその瞬間、壕の外へ出ていた者は死のくじを引き、中へ入っていた者が生のくじに当たろうとは、誰が予知していたであろう。みんなパンツ一枚の姿でせっせと土に挑んでいた。ここは爆心点から四百メートル。
ぴかっと壕の奥の土が輝いた。どーっと鳴った。壕の入口に
幾分か経過したらしい。炎と煙とが渦巻いている壕の中に倒れている自分を、清木先生ははっと意識した。熱い空気がごうごうと壕の中へ吹きこむ。先生はよろめく足をふみしめ、死にもの狂いでその炎を突破した。一気に壕口に届いて、「やれやれ助かった」……と、眼をみはって、口をあんぐりあけたまま、さっきから握りしめていた鍬が手から落ちるのも知らず、その場に呆然と立ちすくんでしまった。
薬学専門部の大きな幾棟かの校舎がない! 生化学の教室がない! 薬理教室もない! 柵もない! 柵の外の民家は? これもない! 何もかもなくなってしまって、一面の火の林!
原子を専攻していた理学博士の清木先生もこの瞬間に、これは原子爆弾だ、とは気がつかなかった。まさか米国の科学陣が今日ここまで成功していようとは想像していなかったのである。
学生は? 清木先生は足もとへ眼を転じ、いきなり氷水をぶっかけられたかのように、全身が凍るのを感じた。この物体のようにころがされているのが私の学生なのか? いや、私はさっき壕の中で背中をやられたっきり、まだ意識を回復していないのだ。悪夢だ、悪夢だ。こんな悲惨な事実が、たとい戦争とはいえあり得るはずがない。先生は
先生はまず足もとの黒変した肉体に飛びついた。「おい、おい」返事がない。両肩に両手をかけて引き起こそうとしたら、皮がぺろりと水蜜桃のようにはげた。岡本君は死んでいた。その隣のが「うーん」と呻いて反転した。「村山君、村山君、しっかりしろ」先生はべろべろに皮のはげた学生を膝に抱いた。「先生、ああ、先生」そういったきり村山君ががくっとなった。「あーあっ」先生は深い溜息をつき、村山君の冷えゆく裸身を土の上に横たえ、合掌して、次の荒木君の上にしゃがんだ。荒木君は南瓜のようにぶくぶくに膨れ上がり、ところどころ皮のはげた顔の中に、細い白い眼をみひらいて、「先生、やられました」と静かにいった。「もう駄目らしいです。お世話になりました」
耳と鼻から血の流れ出ているのがある。頭蓋底をやられて即死らしい。よほど強く地面に叩きつけられたのだろう。口から血泡を吹いているのもある。富田君がその間を水をのませ、言葉をかけつつ、
「お母さーん!」
先生はめまいを感じてまた倒れた。しばらくして目をあけてみると、空いちめん固体のように濃厚な魔雲に埋められ、太陽は光を失い、赤ちゃけた円板に見える。あたりは日暮れのようにうす暗く、ひやりと寒かった。耳をすまして聞くと、助けを求める声はいくつか減って、お母さんを呼ぶ幼児は、もう焼け死んだらしかった。
一年の学生はしずかにノートをとっていた。まだ耳なれぬラテン語の解剖学の講義を受けている自分が、なんだかもう一人前の医者になったような気がして、自分の書いた横文字を自ら誇りたげに見送りながら教授の言葉を追ってペンを走らせていた。かっと光り、どっと潰れた。教授の声がまだ途切れていなかった。頭を上げてあたりを見るひまもなかった。教室にきちんと並んで座ったまま、その位置で重い屋根の下に埋められてしまったのである。級長藤本君は、腰を梁か何かで軽く挾まれている自分を見いだした。しかし真っ暗だ。塵と土煙とを吸いこんではむせて咳をした。机と机との底の狭い空間で、ようやく我が身の自由をとりもどした。すぐ横でうんうん呻いている。おーい、おーい、と呼ぶのもいる。しかし八十名の級友のうち、声を数えるといくらも生き残っていないらしい。そのうちに狭い木材の隙間からすうと物の焼ける匂いが流れこんできた。やがて熱っぽい、いがらっぽい煙が流れこんできた。火が燃え始めたらしい。まごまごできぬと焦り始めた。上へぬけ出そうと押してはみるが、梁やら桁やら、
かえりみはせじ——歌は終わった。「諸君、さよなら——僕は足から燃えだした」あと二分したら、僕も燃えだす。藤本君は運命を知った。合掌してじっとしていると、父の顔が見えた。「じたばたするな」といった。母の笑顔が見えた。弟の正夫が浮かんだ。正夫が僕の代わりに医者になってくれるだろう。レントゲン室の仲間が一人一人思い出された。角帽をかむる日まで、レントゲン技術員として勉強していた教室、ああ、一緒に入学試験を受け、同じく角帽の栄冠を得た
細菌学教室の裏の窓をあけて、今停車場から切符を買って帰った山田先生と辻田君とが、風を入れて休んでいた。二人はこれから東京の伝染病研究所へ血清製造法を習いに出張するところだった。いよいよ長崎籠城の日が近まり、こんな方面にも急いで準備をせねばならぬ仕事があった。男子がほとんど戦場に出ているので、この二人の若い女性科学者は、これから大きな責任を負わされることになっていたのだ。テニスコートも夏草に荒れて、スポーツを楽しむなどというのどかさは何年か前に忘れられ、すべては戦争一本であった。コートの向こうにすくすくとのびた楠と松の木立があり、それをすかして今は増産の芋畑に変わった運動場があり、その上に赤い大きな天主堂がそびえている。テニスコートをよこぎりながら、こちらへ手をふる二人のもんぺ姿がある。レントゲン科の看護婦の浜さんと大柳さんらしかった。以前にレントゲン科で技手をしていた辻田君の顔を窓に見いだして合図したものだった。辻田君はつと立ってハンカチを振った。運動場の芋畑にはレントゲン科の山下さんや吉田さんや井上さんがしゃがんで草をとっている。浦上の丘の段々畑には、突襲の切れ間のしばしを利用して草とりをしている農民の姿が、あちことに点々と見える。天主堂へは信者が引き続き参詣している。路にもちらちら日傘が光る。
「長崎はいつ見てもきれいですねえ」
「二か月あとで私たちが東京から帰ってきた時、やっぱりこのままでしょうか」
「私はなんだか長崎がなくなりそうな気がする」
「私はなんだか長崎だけは残りそうな気がする」
そこへ「ピカドン」が来た。
山田先生はやっとのことで床下へ出て助かった。隣に埋まった辻田君の「苦しい、苦しい」とただ二言いったきりで息絶えたのが夢のようである。細菌教室はたちまち一塊の火となった。脱出したのは山田先生独りだった。内藤教授以下全員即死したものと思われる。
外へはい出してみるとうす暗く、風がそうそうと空に鳴っていた。見晴らしがきくと思っていたら、松と楠の木立は根こそぎ払われ、あたりの校舎講堂はみな潰れていた。向こうの天主堂は高さ五十メートルもあった鐘塔をはじめとして、全体が三分の一の高さぐらいに吹き払われ、
八月九日午前十一時二分、浦上の中心松山町の上空五百五十メートルの一点に一発のプルトニウム原子爆弾が爆裂し、秒速二千メートルの風圧に比すべき巨大なエネルギーは瞬時にして地上一切の物体を圧し潰し、粉砕し、吹き飛ばし、次いで爆心に発生した真空はこの一切を再び空中高く吸い上げ、投げ落としたのであり、九千度という高熱が一切を焼き焦がし、さらに灼熱の弾体破片は火の玉の雨と降ってたちまち一面の猛火を起こしたのである。推定三万の人が命を失い、十余万人が重軽の創傷を負い、さらに放射線による原子病患者は数限りなく発生せんとするのである。空中に生じた爆煙と土煙とは、一時まったく太陽光線をさえぎったため、下界は日蝕のように暗闇となったが、三分もたつと煙の膨張拡散するにともない、その密度が小さくなって、再び太陽の光と熱とをわずかに通過せしめるようになった。
独力で私が脱出して撮影室にあらわれたところへ施先生が顔を見せ、橋本君、婦長さんの一団が駆けつけた。「よかったわ、よかったわ」口々に叫んで私に抱きついた。私は一人一人の顔を見た。尊い生命だ、よく生きていてくれた。けれどもまだ足らぬ。山下君は? 井上君は? 梅津君は?
「他の者を捜して救い出せ、五分間後ここに集まれ!」
一団はさっと各部屋へ散らばって行った。施先生と史郎君が現像室でがらくたを引き上げ引き上げ、下をのぞいて「おーい、おーい」と呼んでは耳を傾けている。反応はない。史郎が「森内君、死んどるのか?」と怒鳴った。
レントゲン治療室の機器の間から、長老が重傷の梅津君を救い出してきた。ぐったりとなって、鮮血にまみれた梅津君は廊下へべたりと座って「目の無かばい」といった。長老が「何いうか、目はあるばい」といいながら、傷をあらためている。目の上がざくりと割られ、その他大小一面の傷だ。婦長さんが、「大丈夫よ、大丈夫よ」と励ましながら手際よく
私たちはそこでただちに応急手当てを始めた。三角巾も繃帯も間もなく使い果たし、こんどはシャツを切り裂いては、傷に巻いていった。十人、二十人、処置を終われば、後から後から「助けてください」と叫んで新しい傷者があらわれ、いつまでもきりがない。私は片手で自分の傷を押さえておらねばならず、仕事がしにくいが、つい患者の傷につられて手を離して手当てをしていると、まるで水鉄砲で赤インクをとばすように私の傷口から血が噴いて、横の壁といわず婦長さんの肩といわず赤く染めてしまう。こめかみの動脈を切られているのだ。しかし、この動脈は小さいから、まあ、あと三時間は私の身体ももてるだろうと計算しながら、時々自分の脈の強さを確かめつつ、患者の処置をつづける。
友を捜しに行った橋本君と椿山君とが帰ってきた。「いません。運動場の畑へ行ったと思います。運動場へ行こうとしましたが、もう途中は倒れ木と火と死骸とで通れません。基礎教室の建物はみんな見えません。一面の火です。病院の中央は大火事で、裏門との連絡はつきません。負傷者の数は見当つきません」こういう報告である。山下、井上、浜、大柳、吉田、五人の看護婦の顔が次々目の前に浮かぶ。死んだのだろうか、今息の絶えるところだろうか、重い傷を受けてこの目の前の患者のようにのたうち回っているのではなかろうか、それともなにかの陰に無事に退避しているのかしら。生きてさえいれば、必ずここへ帰ってくる。
それにしても、これは戦争の常識にない一大事である。予想だにされなった大規模な惨害である。おそらくは歴史的な事件に数えられるものにちがいない。腰を据えてかからねばならぬ。私は撮影室にどっかりあぐらをかいた。施先生と婦長さんとが私の傷に薬をつけ、ガーゼを押しこんで圧迫止血をしてくれ、その上から三角巾でぎりぎりと締めつけた。しかし動脈出血だから三角巾はみるみる真っ赤になり、
「みんなで器械をしらべておいで」
一同はまた私の周囲からさっと散って部屋部屋へ分かれて入った。その間、私はじっと考えた。ここはまさしく血河の戦場と化した。われわれは衛生隊であり、その活躍はこれからだ。断然踏みとどまらねばならぬ。敵はさらに引き続きこの爆弾を落とすであろう。そうして一週間以内に上陸戦闘を展開するであろう。浮き足だったらおしまいだ。混乱に陥ったら何もできなくなってしまう。まず隊の集結、編成、衛生材料の確保、食糧の調達、野営の準備、それができてから上下左右の連絡、野戦病院の位置選定だ。いずれここは艦砲射撃の弾巣になるだろう。患者を大急ぎで近郊の谷間へ集めねばならぬ。
どの窓を見ても炎の林だ。周囲はすっかり大火になってしまった。この建物の一角にも火は燃え移ったらしく、ぱちぱち音がし始めた。器械をしらべていた仲間が次々に帰ってきた。
「もう滅茶苦茶です」「管球類は全部破損」「
みんなが私の口の開くのを待って、じっと私をみつめている。他の科の先生や看護婦や生徒が、血まみれになって二人三人手をつなぎながら、ものもいわずにそばを走り去る。ごうと火炎の鳴るのが聞こえ、窓から火の粉が吹きこんでくる。どうしたらよいか。私もみんなの顔をじろじろ見回すばかり、こんな時にはあわてては駄目だ。落ち着いていたら焼き殺される、あたりまえにしているわけにもゆかぬ。そう考えて私は思わず、にやりと笑った。あまり唐突に笑ったので、皆もつい、ぷっと吹き出した。「わっはっはっは」一同声をたててひとしきり笑った。
「お互いのざまをみろ。それじゃ戦場へ出られんぞ。さあ、きちんと身支度をして玄関前へ集まろう。お弁当を忘れるな。腹が減っては戦はできぬぞ」
「よいしょ、よいしょ」みんな元気な掛け声を出して、自分自分の部屋へ帰って行った。その後ろ姿をいちいち見送りながら、私はみんなが平常心を取りもどしているのを知った。
施先生が靴を捜してくれ、婦長さんが鉄兜や上着を見つけてきてくれた。私はのろのろと玄関のほうへ出て行った。婦人科の前の廊下を看護婦が一人、眼を
しかし、このおびただしい傷者と、なくなった薬と、迫りくる炎と、少ない私たちの手と——私は三人手当てをしてから、これは大局に目をつけねば、折角繃帯を巻いた怪我人もろとも火炎の中に巻き込まれんとする危地にあることを知った。
すでに被爆後二十分、浦上一帯は火の森林と化した。病院も中央から燃え広がりつつある。わずかに火の見えないのは東側の丘のみ。ポンプ、バケツ、水槽、元気な人間、消火に必要なものは一瞬になくなっているのだから、ただ火の燃え広がるのに任せるばかり。生き残った者も強力な放射線に貫かれ、着物は剥ぎとられて素裸のまま、下の町から炎を逃れてよろめきつつ山へ登ってくる。子供が二人で、死んだ父親を引きずって通る。首のない赤ん坊を抱きしめた若い女が走る。年寄り夫婦が手をつないで喘ぎ喘ぎ登ってゆく。走りながらもんぺがぱっと燃え上がってそのまま火の玉となってころがるのもいる。火に取り巻かれた屋根の上でしきりに歌いながら踊っている人が見える。気がふれてしまったのだろう。後ろをふり返りふり返り走るのもあり、頭もふらず突っ走るのもある。姉はおくれる妹を叱り、妹は姉に待ってとせがむ。後ろへすぐ炎は迫っている。
こうして炎の中から運よく逃れ得た者は、十人に一人くらいのものだろう。あとは今、目の前で家の下敷きとなったまま焼かれつつある。ごうと火がうなっては風向きが変わり、遠く近く救いを求める声が相続く。私は腕組みをして凝然と立っていた。この時ほど自分という者の無力を悟ったことはない。この目の前に苦しみつつ死にゆく人を助ける術はどうしてもないものか。
「先生、不動明王のごたるですばい」
医専三年の長井君と堤君とがやって来た。レントゲン科の仲間もきちんと身支度を整えて集まってきた。壕の中へ飛びこんでいた森内君も、無事な顔をみせた。そこへ転げるように走って来て婦長さんに抱きついたものがいる。婦人科レントゲンの小笹技手だった。髪の毛が焼けちぢれて臭い。もんぺも破れている。火の中から看護婦二人を救い出し、炎をくぐって無我夢中でここまで駆けつけたという。あとは皮膚科、外科のレントゲン技手の崎田君と金子君だけだ。
「器械はあと回し。人間を救い出そう」
私はこう決めた。二人ずつ組になって燃える病棟の中から患者を担ぎだすのである。小笹君と森内君は崎田と金子を捜しに火炎の中へ入っていった。長老が梅津君を背負って裏山へ登ってゆく。まるで日露戦争の絵のようだ。私たちが再び入ってゆく建物からは、ようやく物の下敷きから抜け出した人々が、まったく命からがらといったふうで、目の色を変えて走り出してくる。言葉をかけても返事もせず、ふり返りもしない。おそらくは無我夢中なのだろう。大学病院から離れて一体どこで誰に診てもらうつもりなのか。私は一人一人に「あわてるな」と声を浴びせかけた。地下室の手術場へ入ってみると、水道管が破裂して大洪水だ。隣の衛生材料置場に入ってみてさらに暗然となった。担架すらばらばらにちぎれ飛んでいる。手術器械はそこら一面にばらまかれ、水薬と粉薬と注射液と、いずれも容器が壊れて内容が入りまじり、その上に惜しげもなく水道管から水をふり注いでいる。ああ! 今日のためにこそこの材料を集めたのではなかったか。今日のためにこそ担架の演習や救護の講義を繰り返したのではなかったか。何もかも大失敗だ。脚をもがれた蚊のように、はさみを取られた
それでも私のまわりに医員と学生と看護婦と二十人ばかり踏みとどまって最後の救出作業に従った。二人組は次から次へと部屋に倒れている患者を手運びで救い出してきた。それは皆、玄関横のコークス置き場に並べられた。火の粉の落ちぬのは今ここだけだった。私はその真ん中にただのっそりと立っていた。火勢はいよいよ烈しく、空は黒煙渦を巻き、また例の魔雲も火の色を反映して、赤くあやしく輝いている。なんだか心細い情景である。
「学長先生をお救いいたしました」友清君の声にふり返ると、玄関に真っ赤な風呂敷をおんぶしている。駆けつけてみると、真っ赤なものは角尾先生だった。白髪から顔から、白衣からズボン、脚絆まですっかり血で染まっていらっしゃる。眼鏡はない。「ああ、永井君、大変だね。ご苦労だね」と申された。私は脈を拝見したが、格別弱くもなく不整でもなかった。裏の丘が安全だから、ここから二百メートルほど登って適当な所に休んでもらうよう友清君にいいつけた。施先生が注射の用意をもってついて行った。学長先生は外来患者の診察最中にやられたのだった。黄先生も重傷を負っていたが、学長を助けて廊下まで出たものの、自らは出血のため起つ能わず、そこへ友清君が捜しに行って救い出してきたものだった。しばらくして、内科の前田婦長が病棟から飛び出してきて、私を見るなり「学長先生は?」と聞いた。「裏の丘、二百メートル、施先生もついている、大丈夫」と私は答えた。婦長は眉の上から血を垂らして、真っ青だ。いきなり裏の丘へ走り去った。あんな肥っちょの婦長さんが、こんなにすばしこく岩山をはい登り、坂を駆け上がるのかと、私はぽかんと後ろ姿を見送った。
橋本君は十七歳、椿山君は十六歳、どちらも身体の縦と横との釣り合いが変調をきたし、愛称を樽ちゃんといい、豆ちゃんと呼ぶ。このずんぐりの樽ちゃんと豆ちゃんが予診室へ入ってみると、患者と学生と入りまじって七人うなっている。二人は、入口の大きな男を引き起こし、縦抱きの要領で静かに抱き上げ、そのまま階段を下ってコークス置き場へ運んだ。すぐ引き返して、同じように次の学生を運ぶ。三人、四人、一室がすむと次の検査室。ここには顔見知りの看護婦さんがいた。それを抱いて階段を下りながら、樽ちゃんは生まれて初めて知る歓喜の念を覚えた。それはなんともいえぬ崇高な幸福、歓喜だった。この浜崎さんは、私に抱かれて火の中から出ようとしていることも知らず、かすかに呻いている。豆ちゃんも私のことを口外しないなら、浜崎さんは永久に私たちから救われたことを知らないだろう。もし万一助かることがあったら、廊下などで会った時、何も知らずに通り一遍の会釈をして行き過ぎるだろう。そう思うと、知らず知らずに頬の肉がゆるんでくるのを感じた。幼い日に赤いぐみの実をクリームの空瓶に塩漬けにし、私一人知っている納屋の隅の味噌桶の裏に隠して、姉にも知らせず、弟の目をもはばかり、朝夕こっそりその味を試しに入って、艶々しいぐみの実を、まるでルビーかなにかの宝石のように見つめた、あの純粋なほのかな歓喜を連想した。
豆ちゃんはまた違ったことを考えていた。今日の大人の人はなぜこんなに軽いのだろう。かねて傷者運搬演習や、診察室で輸送車から透視台に患者さんを移す時など、三人がかりでもあんなに重かったのに……と不思議だった。おそらく出血のため体重が減っているのだろう。それにしても、永井先生の防空演習はあまりに激しかった。実戦がこのくらいの恐ろしさ、苦しさ、難しさであるのなら、演習をあんなに恐ろしく、苦しく、難しくやらなくてもよかったろうものを。看護婦養成所へ入学すると、間もなく肝試しをやらされた。暗室のほの暗い明かりの中に技手の方たちや上級生の看護婦さんが死人や重傷者を真似て呻いている所へ、一人一人まだ解剖さえ習わぬ一年生を行かせて脈をしらべさせられた。あの時のぞっとした感じなど、今日本物の死人と負傷者を抱いたってちっとも起こりはしない。運搬演習だって、あの
二人が次の傷者を救いに上がってくるたびに、一室一室と火炎の占領する室は増していた。しかし、火と煙の渦巻いている室に手拭いでしっかり鼻と口とを押さえて這い込み、傷者を引きずり出すのが、今はなによりも楽しくうれしかった。出てきて熱い熱いと思うと袖口に火がついていた。二人はほんとうに看護婦であることの幸福をさとった。
気絶している患者はむしろ楽だったが、意識のある患者は、傷が痛いとか、苦しいからゆっくり運べとか、忘れ物を取ってきてくれとか、ちり紙を捜せとか、苦情を並べて手間取らせ、思わず時間を浪費してしまった。その上この爆撃の大惨害を知らず、この病棟に火の回っていることも悟らずにいるものだから、腹の立つほどのんきなわがままをいいたてて困らせた。内科の病棟には全身の急性関節リューマチスの患者がいて、大倉先生と山田君とが抱いて出ようとすると、痛い痛いとわめきだし、そんなに痛い目にあわすのならこのままおいといてくれといった。仕方なく他の患者から運び出して、とうとう最後にこのリューマチスだけになった。もう一度抱きかかえると、担架でなけりゃ嫌だと駄々をこねる。二人はあちこち捜し回るけれども、役に立つ担架は一つもない。だいぶん時間を費やして、仕方がないからとさらに病室へ行ってみたら、そこにはもう火炎がまいていた。大倉先生は私の所に駆けつけて、「一人だけどうしても出ません」と訴える。私は「それだけ尽くしたらもういいです。その患者の責任は私が負いましょう」といった。しかし大倉先生と山田君とは、人殺しをしたような顔をして、炎の舌の舞うあの病室を見上げている。
腕時計はすでに二時を回っていた。いつのまに三時間もたったのだろう。火炎は今が最も盛んである。風はさっきから西風だった。何十メートルの炎が見上げるばかりの大空にお互いの高さを競い、風に押されては東へ崩れかかる。大学は町の風下になっているので、このコークス置き場も危険になった。私は、患者をさらに丘の上の畑に移す決心をした。これは、なかなか難しい作業だった。なにしろ路が狭いうえに家屋の破壊物で塞がれているので、岩肌や石垣をよじ登って瀕死の傷者を次から次と運び上げるのである。私も二人背負ってはい上がったが、三人目にはもう力がぬけてしまっているのを自分で知った。こめかみ動脈の出血が依然止まらず、あれから三度三角巾を取り替えたほどである。婦長さんが顔色が青いと注意してくれた。なるほど脈もよほど細くなっている。樽ちゃんと豆ちゃんとが軽々と大きな男を背負って上がる。赤ん坊の泣き声がする。母親は重傷で意識がない。二か月ぐらいの赤ちゃんが出べそをふくらまして、横で泣きたてている。もう火は近いので、私はせめて子供なりと助けようと抱き上げて上の畑へ登り、浜崎君の隣に寝せた。そのとき浜崎君が突然うーんとうなってぐったりとなった。私はああ駄目だと思い、鋏を出して彼女の前髪を切り取り、ポケットにおさめた。山田君と婦長さんとが親と子を離してはかわいそうだといい、下から母親を抱き上げてきた。赤ん坊を胸の所に添えて寝かせると激しく泣きたてた。意識のない母親の手が赤ん坊の所へ動いた。
大粒の雨がぽたぽた降りだした。指頭大の黒い雨で、くっついた所は重油か何かのように色がついた。これは上の魔雲から落ちてくるようだった。情景はいよいよ凄惨を極める。空気中の酸素が燃焼に費やされたのと、酸化炭素の発生がいちじるしいのとで、この火炎の谷の中では呼吸が重苦しい。誰も犬みたいにはあはあ息づいて働いている。その次に時計を見たら四時だった。患者はすっかり安全な丘の畑に並べて寝せた。どこか屋根のある所をと、学生の斥候は四方に走ったが、どこも火ばかり、ここよりほかに適当な個所はなかった。
私たちはそこに座って飯を食った。胸がいっぱいでという看護婦たちにも、これから何日何か月、こんなことが続くかわからんぞといって、とにかく皆がかねての非常食を食べた。腹ができると自然に落ち着いてきた。それから一人一人患者の訴えを聞いて、丁寧な手当てをやり始めた。止血帯を締めなおす。傷の縫い合わせをする、三角巾を巻きなおす、
「ああ標本室が火を吐く」長井君が叫ぶ。ああ、十数年苦心して集めた学術標本、再び手に入れられぬ貴重な症例写真が今一陣の煙と化しつつある。「ああ撮影室が燃える」「治療器械もさようならか」患者の救出に時間をとられて、ついに器械と標本を取り出すことができなかった。私たちの日々の知識の糧であった文献も、学術進歩の記念だった標本も、わが子のように、わが腕のごとく愛し親しんだもろもろの器械も、今すべて赤い炎と変わって天に昇ってゆく。すべての希望、かずかずの思い出が今この目の前に黒い煙となって消えてゆく。私たちはただ茫然とそれを見つめて立っていた。火勢はいよいよ猛烈で、ついにフィルム倉庫に引火したとみえ、どす黒い煙と炎とがどっと吹き出し、どうどうと炎が鳴り始めた。私は膝の力が抜けるのを感じ、「おしまいだ」と呟くと、ぐたぐたと畑の上にへばった。婦長さんをはじめ看護婦たちが、しくしく泣き出した。
大学は完全に一塊の火となった。今は最後である。大学長角尾教授はあのとおり重傷である。病院長内藤教授の姿をみかけた者はいないから、おそらくは病院と運命を共にされたのであろう。連絡学生の報告では、元気なのは古屋野、調両教授のみ。他はほとんど皆姿を見ず、ただ北村、長谷川両教授が血塗れになって医員から助けられつつ、裏の山へ登られたのを見かけたのみだという。学生、看護婦の八割は死んだらしい。生きている者も傷者が多く、今この上の丘で活躍をしている外科を中心とする一団と、裏門付近で働いている皮膚科・小児科を中心とする一団を合わせても、元気な者は五十名くらいだろうという。基礎医学教室は全員絶望との話だから、大学は人的にも物的にも全滅したと認むべきである。丘の上に立って燃える大学の最後の姿を見下ろしている私たちは、まさに昭和の白虎隊だった。
大倉先生が病室から白い大きなシーツを取り出してきた。私は自分の
私たち教室員はうち揃って学長の寝ておられる畑へ行った。芋畑の隅に外套をかぶり、丸くなって雨にぬれておられるのを見て、つい涙が出た。調教授を中心とする医員学生の一団が駆け回って手当てに忙しい。私は学長に報告を終わり、二十歩ばかり行くと
「頸動脈を押さえろ」施先生が叫んでいる。頸筋をぐっと押さえられた。眼を開けて仰ぐと、赤い雲の下に施先生と婦長さんと豆ちゃんと、どうしたかと心配していた金子技手の顔がのぞいていた。「結紮糸、コッヘル、ガーゼ、ガーゼ」あわただしく先生が怒鳴って、私の耳の辺りの傷の中へ何か痛い物を突っ込む。冷たい金属の触れあう音がして、時々どっとあったかい血が頬へあふれる。「押さえて、拭いて、ガーゼ」先生がしきりに怒鳴る。時々コッヘルの先で神経繊維をはさむものとみえ、全身の痛覚が一挙に目ざめて、足の爪先がぴんと突っ張る。私は思わず手に触れた草を握りしめた。
調教授が駆けつけてくださった。施先生が何かぼそぼそいっている。脈が握られた。私は観念の眼をとじた。「動脈の断端が骨の陰に引っ込んでるんだね」と教授はいわれた。またも何回か私の足先はぴんと突っ張り、手は草の根を握りしめなければならなかった。けれども手術は手際よく成功した。「永井君、大丈夫だ。血は止まったよ」そういって教授は立ち上がられた。私はお礼を申し上げた。そして全身が急にだるくなり、気が遠くなっていった。
日は落ちた。地上は炎々と未だ燃えさかり、空一面にひろがった魔雲は赤くあやしく輝いている。西のほう稲佐山の上のみがわずかに空をすかせて、三日月が細く鋭く覗いている。高南病棟の上の谷間に男組は板を拾い
のっそりと裸の大男があらわれた。
「おっ、永井先生。見つけたぞ」
「あら、清水先生。生きていましたか」
「わし一人じゃ」どたりと尻餅をついた。手についてきた焼け残りの角材がからから音を立てて倒れた。ふうふう肩で息をしている像は、まさに傷つける闘牛か。
「すぐ来てください。学生たちが死にかけとる。もう半分以上は死んじもうた。注射しに来てくださいよ。見殺しじゃけん。薬専の壕じゃ」
「すぐ行きます。さあ、まあ南瓜でもお上がりなさいよ」
「いや、南瓜どころじゃなか。南瓜を何百食ったって学生は助からん。すぐ行きましょうや」
施先生、婦長、橋本君、小笹君が医療袋をもって立ち上がった。清木先生は史郎から手をひいてもらって、やっと立ち上がることができた。
「大学はなくなってしもうた。とにかく、えらいこっちゃ。みんな死んでしもうた。途中はひどいんだぜ。たった三百メートルしかないのに一時間かかった。それじゃ、また来ます。ああ、よかった。学生が助かります」
先生は婦長さんの肩につかまり、よろよろしながら再び燃える大学の中へ入って行った。この一隊はこの夜を基礎医学教室の裏丘を中心に、残りの大倉先生、山田君らの一隊はここの仮小屋を中心に夜間の救護をつづけるのである。私と梅津君とは仮小屋の藁の中に寝せられた。虫も死に絶えたものとみえて、あたりは寂莫としている。
地に満ち空を焦がす大火の反映の明かりを頼りに呻き声にひかれて傷者に近づき、傷を巻き注射をし、これを抱いて引きあげてくる。路は思いがけなく炎の屏風にさえぎられ、転ずれば倒木縦横に交じりて越すに由なし。ある時は吹き崩された石垣をよじ登り、ある時は板橋の吹き飛ばされたのも知らず患者もろとも溝にはまる。足蹠はすでに幾度か釘踏み抜いて一歩毎に痛みをおぼえ、膝頭はガラスに擦り切られてもんぺとくっついている。救護隊は医学専門部の高木部長を発見して収容する。石崎助教授、松尾教授を相次いで担ぎ込む。仮小屋もようやく呻き声に満ちてきた。谷薬局長の令嬢も重態だ。通りかかった保険の集金人がころがりこむ。二人の囚人も宿を求めた。
敵機は二回来た。ビラ弾のはじけるにぶい音がした。
夜半火勢はようやく衰えはじめた。死に果てたのか、諦めたのか、疲れて眠ったのか、叫びはまったく絶えて、天地寂として声なく、まことに厳粛なひとときである。げにさもありぬべし、まさにこの時刻東京大本営において天皇陛下は終戦の聖断を下したもうたのであった。地球の陸と海とを余す所なく舞台として展開された第二次世界大戦は、次第に高潮し、さらにいかなる波乱を巻き起こすやと気遣われていたが、突如原子爆弾の登場によってクライマックスに達し、ここににわかに終幕となったのである。たしかに厳粛な一瞬である。私は放射能雲のあやしく輝いて低迷する空を胸のつまる思いで眺めていた。この放射能原子雲の流れゆく果てはどこか。前途は凶か吉か? 正か、はたまた邪か? この一瞬、この空から新しい原子時代は開幕せられるのである。
八月十日の太陽は、いつものように平凡に金比羅山から顔を出したが、その光を迎えたのは美しい浦上ではなくて、灰の浦上であった。生ける町ではなくて死の丘であった。工場は無造作に圧しひしゃがれて煙突は折れ、商店街は
私たちは早暁薬専の壕に移動して、基礎医学教室の救護に当たる。運動場の片隅にトタンをかむって寝ている者がいるので、行ってみると細菌数室の山田先生だった。辻田君最後の模様を初めて知る。そこで細菌教室へ行ってみると、実験室の焼け跡の灰の中に先生方であろう幾つかの黒焦げの骨がある。大体部屋の見当をつけて女性の骨を見つけた。これが辻田君であろう。この骨はもう「ネエ、ほほ!」とは笑わない。紙に拾い集めながら、夢ならば夢ならば、と繰り返し思う。蛸ちゃんが授業を受けていた講堂の焼け跡に来る。しらじらと陽に光る灰の中に、ああ、整然と並んでいる幾十の黒骨。この中にわが片岡君もまじっているのか。ノートとるペンを握ったまま一瞬に若い生命を奪われた学生たち。昨日の朝はあんなに元気で角帽を頂いて校門をくぐったのだったのに。
予期してはいたが希望していなかった恐ろしいことが、運動場の増産畑に見える五つの屍体に近づいた時、現実となってしまった。いくら待っても来ぬはずだった。いくら呼んでも応えぬはずだった。ここでこんなにして、片手を上げた格好で。多分山下君、吉田君、井上君が先に働いているところへ、後から浜君と小柳君とがやって来て声をかけたのだろう。三人が立ち上がって手を握った。二人も手をふって駆け出した。その瞬間に叩きつけられたものにちがいない。三人と二人とは離れて倒れている。「秀ちゃん」「ミッちゃん」と婦長さんが肩に手をかけてゆさぶったほど、あどけない死に顔だった。こんなに早く死ぬ子なら、あんなに叱らねばよかったと、山下君のかわいい鼻を見つめていて思う。こうして冷たくなった子供の頭をなでていると、一度も叱らなかった井上君よりは、しよっちゅう叱っていた山下君のほうがいとしい。小さな犬のバッジも胸にそのままに、うすい唇には土がついている。
ただ一発でこれだけの生命を奪い、これだけの破壊を
あっ、原子爆弾!
私の心はもう一度、昨日と同じ衝撃を受けた。原子爆弾の完成! 日本は敗れた!
なるほどそうだ。この威力は原子爆弾でなければならぬ。昨日からの観察の結果は、予想されていた原子爆弾の現象と一々符節を合わすものだ。ついにこの困難な研究を完成したのであったか。科学の勝利、祖国の敗北。物理学者の歓喜、日本人の悲嘆。私は複雑な思いに胸をかき乱されつつ、
竹槍が落ちていた。蹴ったら、からんからんと虚ろな音をたてた。拾って空に構えて涙が出た。竹槍と原子爆弾! ああ、竹槍と原子爆弾、これはまたなんという悲惨な喜劇であろう。これでは戦争にならぬ。これは戦争ではない。国民はただ文句なしに殺されるために国土の上に並ばされるのである。ビラにはこう書いてあった。
日本国民に告ぐ!
このビラに書いてあることを注意して読みなさい。
米国は今や何人もなし得なかった極めて強力な爆薬を発明するに至った。今回発明せられた原子爆弾は只その一箇を以てしても優にあの巨大なB‐29二千機が一回に塔載し得た爆弾に匹敵する。この恐るべき事実は諸君がよく考えなければならないことであり我等は誓ってこのことが絶対事実であることを保証するものである。
我等は今や日本本土に対して此の武器を使用し始めた。若し諸君が尚疑があるならばこの原子爆弾が唯一箇広島に投下された際如何なる状態を惹起したかを調べて御覧なさい。
この無益な戦争を長引かせている軍事上の凡ゆる原動力を此の爆弾を以て破壊する前に我等は諸君が此の戦争を止めるよう陛下に請願することを望む。
米前大統領は曩に名誉ある降伏に関する十三ヶ条の概略を諸君に述べた。この条項を承諾し、より良い平和を愛好する新日本建設を開始するよう我等は慫慂するものである。諸君は直ちに武力抵抗を中止すべく措置を講ぜねばならぬ。
然らざれば我等は断乎この爆弾並びに其の他凡ゆる優秀なる武器を使用し戦争を迅速且強力に終結せしめるであろう。
一度読んで肝を奪われた。二度読んで人を馬鹿にしていると思った。三度読んで何をぬかすかと憤った。しかし四度読むとまた気が変わって、これはもっともなことだと考えた。五度読み終わってこれは宣伝ビラではなく、冷静に事実を述べているのを知った。私は右手に竹槍をつき、左手にビラを握り、防空壕のところの、清木博士のもとへ帰っていった。
清木大人は「ウーム」とうなって、土の上にひっくりかえった。そして虚空を睨みつけたまま、小一時間ものをいわなかった。
原子が爆発したらそれから何が出てくるか——私は清木教授の裸体の隣に寝ころんでいて考える。巨大な原子力、微粒子、電磁波、熱、この四種類がまず頭に浮かぶ。原子力すなわち、原子が創造せられた瞬間から原子内ことに原子核内に潜在していた力、原子の形態を維持し、その作用の源泉となっていた力、それは原子の体積に比べていちじるしく莫大をエネルギーであり、実に万象流転の原動力たるものである。一部の学者は、太陽より昼夜不断に発せられる巨大なエネルギーは実に太陽の原子が時々刻々に爆発しつつ発する原子力である、とさえいっている。したがって原子爆弾は人工太陽とでも称していいかもしれない。この巨大な原子力は、原子の破裂と同時に解放せられ、一挙に万物を圧する。真空中、空気中、土中、水中でその起こる現象は異なるであろう。この度は空気中で破裂した。放出された大力がまず空気分子を八方へ押しやるので、偉大な風圧が地球上に八方に進行する。その内側には真空を生じるであろう。そして偉大な風圧の後から偉大な陰圧が従うであろう。さて、地形が浦上のような谷であれば、球面波がこれに衝突し反射する際、複雑な干渉を起こすであろう。こうして地面ではまず主圧が来て物体を押し倒し、押し潰し、粉砕し、吹き飛ばす。次いで陰圧が来てこれを逆に引き、吸い上げ、軽い物は空高く土煙として巻き上がってゆく。その後に複雑な風圧が入り乱れて暫時荒れ狂うであろう。その結果、なぜこのような方向に動かされたのか見当のつかぬ状態にしばしば遭遇するにちがいないのである。この爆圧の速度は大体音波の速度と同じくらいと考えられる。
微粒子として飛び散るものは原子構成粒子たる中性子、陽子、アルファ粒子、陰電子や原子核の分割によってできた新原子および割れない元の原子である。このうち最も大きな作用を示すのは中性子であろう。中性子は電気的に中性な小粒子だから、ある初速で原子核を飛び出すと、途中で電場磁場の影響を受けず、そのまま直進してよく物体を貫通する。その速度は、おそらく一秒間に約三万キロを突進するだろう。ただ水素原子に衝突すると停止する性質があるので、水、湿った土、パラピンではさえぎられる。アルファ粒子、陽子は陽帯電しており、陰電子は陰帯電しているから、ある初速で飛び出しても、途中で電場磁場の影響を受け、その速度を変じ、あるいは陰場合体したり、空中放電を起こしたりして、地上にはあまり多くは到達せず、空中に浮遊し終わるであろう。原子核の分割によって新たにできた元のものよりも小さい原子は一定時日不安定であって放射線を出し続けるが、このものは体積も大きいので進行途中に受ける抵抗も大きく、いつしか速度を失って同じく空中に浮遊するであろう。このものは放射能塵となって次第に地面に降下沈積し、もって今後かなり長月日の間、爆心地帯より当時の風下方向にわたり残留放射能の源となるであろう。さて、これらの微粒子群は爆発と同時にまず球形に拡散し、速度と重力と浮力と気圧その他の条件の支配を受けて、ある形をとるであろう。その微粒子を中心に水蒸気の凝結も起こるであろう。かの爆発直後に生じた魔雲の本態はこれであり、かの大きな黒い雨もこうしてできたものであろう。
かかる大変化が瞬間に起こるのだから、もちろん大なる熱エネルギーを生じる。爆心最近距離の物は、黒焦げとなる。たとえば薬学専門部入口の標柱はきれいに爆心に向いていた半面だけ黒焦げになって立っている。ことに熱を吸収する黒色の物体はひどく焼かれる。井上君の眼球の黒眼の部分だけ
原子内で帯電粒子の急激な位置移動が起こる結果として電場磁場の歪みを生じ、これが電磁波として輻射される。それを波長の短いものから並べてみれば、ガンマ線、エックス線、
清木先生を中心に長老たちがしきりに論じている。
「一体全体これを完成したのは誰だろう? コンプトンだろうか、ローレンスだろうか?」
「アインシュタインも大きな役割を持っているにちがいない。それからボーアやフェルミなど、欧州から米国へ追われた学者たち」
「中性子を発見した英国のチャドイックや、仏国のジョリオ・キュリー夫妻や」
「もう何年も学術鎖国で重要な文献が発表されないからわからないが、きっと新進大家がいるにちがいない。そしておそらくは米国のことだから、数千人の科学者を動員し、研究の分担を定め、能率的にどしどし仕事を進めていったものだ」
「こりや実験室だけの仕事じゃないから、材料の採掘、精錬、分析、純粋分離というだけでも大した工業力が要るんだぜ。きっとあとで発表になってみれば、日本の兵器研究所なんて向こうの規模に比べたら、まるで丸ビルの横丁に落ちているマッチ箱みたいなものだろう。多分何十万という労働者の力がこの一発の原子爆弾にこもっているよ。何十人か何百人かの女学生がこっそり紙と糊とで造った日本の秘密兵器とは
「材料といえば、一体何原子だろう? やっぱりウラニウムか」
「さあ、もしかしたらアルミニウムのような軽い原子じゃなかろうか」
「でもそんな小さな原子じゃ、解放される力も小さいだろう」
「しかし、ウラニウム原鉱は地上に少ないよ。これだけの大戦争に使用するためには、容易に手に入る元素がないと思う」
「なあに、ウラン鉱はカナダからいくらでも出るんだ」
「材料と関係のある話なんだが、一体どういう方法で、希望の瞬間に、大量一時に、原子爆裂を起こさしたものだろう」
「さあ、それだ。それが各国物理学者の知恵比べの焦点だったんだ。さっき、ローレンスの名が出たね、例のサイクロトロンで原子核破壊の第一人者だが」
「まさかあの爆弾の中にサイクロトロンを入れることはできまい。理化学研究所のを見てきたことがあるが、大きな建物一つほどのでっかいものだぜ」
「それをなんとか小型にしてさ」
「いや、高圧絶縁とか電磁石とかを考えれば、ちょっと小さくはされないね」
「ラジウムかなにかを使って、アルファ線のようなものを利用したら?」
「それとも宇宙線の中間子なんか利用できんか」
「あっ、思い出した。そうだ、フィッションだ」
「なんだ、なんだ。フィッションとは?」
「フィッションだ。核分割だ。マイトナー女史が見つけた、あの現象だ」
「マイトナー女史、あまり聞いたことのない名だなあ、どこ人だ?」
「オーストリア人だ。研究したのはコペンハーゲンでだ。ゃっぱりヒトラーから追われた学者の一人だ。ハン博士の助手だったが、今は六十歳をよほど越したお婆さんのはずだ。伊国のフェルミ教授の仕事に関連しているのだがね。ウラニウムの原子核に遅く飛ぶ中性子を当てると、ウラニウム原子がぽっかり二つに割れるのを見いだしたんだ。あまり速い中性子だと、原子核を単に貫通してしまってなんにもならないのだ。のっそり飛んできた中性子が原子核の中へもぐり込むと、もごもごしていて、突然核が二つに割れて離れる。そして核内に潜在していた巨大な原子力が解放されて噴出する」
「ほう。便利だねえ、中性子がありさえすりゃいいじゃないか」
「この時おもしろいことは、二つに割れた部分の質量が元の質量より減っているという事実なんだ。これはもう以前にアインシュタインが発表したエネルギーと質量の同等性という理論を事実において証明したもので、物理学の革命とも称すべき、科学界における最近の最も重大な開拓であったわけなんだね。つまり、核が二つに割れる際にその一部の質量が、いいかえれば物質が忽然として消滅し、それと同時に一定の同等量のエネルギーが発生するのだ。つまり原子爆弾のエネルギーがそれなんだ」
「物質がエネルギーに
「そうだ。物質の質量に光の速度の自乗を乗じた積が、その質量のエネルギーなんだ」
「光の速度が約三百億毎秒センチだから、その自乗とは素晴らしく大きい数だが、一グラムの質量がエネルギーに変わるとすると、一体どのくらいになるだろう」
「まあ概略の計算をすれば、一グラムの物質がエネルギーに変わると、一万トンの物を百万キロ運ぶだけの力となるね」
「うへえ!」
「この浦上を潰した原子爆弾にしたところで、そりゃ原子もかなり大量に使ったろうし、いろいろな器械で、弾体は魚雷くらいの大きさはあったかもしれないが、正真正味消費せられた原子の質量は、おそらくは何グラムという小さいものだろう」
「すごいな。だがたくさんの原子核を一時に分割するには中性子をどうして発射する?」
「それがまた都合のいいことには、ウラニウム原子核がフィッションを起こすと、ガンマ線も出るが、大体二個の中性子も飛び出すのだ。そしてこの二個の中性子が、近くの核にぶっかってさらに二個所でフィッションを起こす。それから二個ずつ中性子が出て今度は四個の核を割る。次は八個、十六個、三十二個、六十四個」
「百二十八個、二百五十六個、五百十二個、千二十四個、二千四十八個」
「こうして最初は少し割れるが、短い時間後にはおびただしい数の原子が同時に爆裂する。これを連鎖作用というんだ」
「それじゃ、まず最初に少なくとも一個の核を割れば、あとはひとりでにそこにあるだけの原子が割れるわけだね。しかし厳密な意味では同時でなく、ある時間を要するわけだ」
「そういえば、爆圧の来たのが、一瞬間ではなくて、幾秒間か続いたようだった。最初少し弱いのが来て、急に強くなったと覚えている。その後に続いたのは反射干渉の結果の圧力だったろうけれども」
「日本ではこんなことを知らなかったのかい?」
「知ってたさ、僕だってこうして知ってるんだもの」
「じゃ、なぜやらなかったんだい?」
「マイトナーのこの実験は戦争の始まるよりずっと前なんだ。だからどこの国もやりかけたんだが、フィッションを起こすのはウラニウムで、そのウラニウムには同位元素のウラニウム—二三五と二三八とがあるが、二三五のほうがよく割れるんだね。もしウラニウムの中に他の元素が混入していると、それは割れないから、中性子が飛んできても、もうそこで連鎖作用は中断されてしまう。したがって、連鎖作用を完遂するためには純粋ウラニウム二三五だけの集まりを得なければならない。これがなかなか難事業だ。日本ではこのウラニウム二三五の純粋分離をやりかけたのだが、軍部から、そんな夢物語みたいな研究に莫大な費用を使ってもらっては困ると叱られて、おじゃんになったともれ聞いている」
「惜しかったなあ」
「すんだことは仕方がないさ。愚者を指導者にいただいた賢者の嘆きさ。それからね、核が分割して中性子が出るのだが、ウラニウムの塊があまり小さいと、外へ、すなわち空気中へ飛び出しちまって、これまた連鎖作用の終末となる。だから、ウラニウムの塊は十分大きくなければならない」
「純粋のウラニウム二三五を十分大量に得るというのは、容易な工業じゃないぞ。米国は持てる国とはいえ、随分苦労したろうなあ」
「米国の科学陣の勉強ぶりも想像されるが、また、これは放射能物質をあつかう仕事だから、たくさんの犠牲者が出ているにちがいない」
「犠牲者なくして科学の進歩はないさ」
「僕はウラニウムと思うけれどね、また新しい人工原子かもしれんとも考えられる。この方面の第一人者、ローマのフェルミが米国へ渡っているという話だから」
「とにかく偉大な発明だねえ、この原子爆弾は——」
かねて原子物理学に興味をもち、その一部面の研究に従っていた私たち数名の教室員が、今ここにその原子物理学の学理の結晶たる原子爆弾の被害者となって防空壕の中に倒れておるということ、身をもってその実験台上に乗せられて親しくその状態を観測し得たということ、そして今後の変化を観察し続けるということは、まことに稀有のことでなければならぬ。私たちはやられたという悲嘆、憤慨、無念の胸の底から、新たなる真理探求の本能が胎動を始めたのを覚えた。勃烈として新鮮なる興味が荒涼たる原子野に湧き上がる。
「先生、ガスを吸うたのでしょうか? 身体中なんとなく具合が悪くて、ふらふらして倒れそうです」
「先生、爆風を吸うたからでしょうねえ、なんだか、むかむかして吐きそうで、頭が上がりません」
「私は生き埋めになりましたばってん、傷ひとつ受けなかったのに、今日はもう死にそうな気がします」
石垣の陰や崩れた建物の隅まで逃げてきたなり動きたくなくなった人々が、私にたずねる。私自身がそうなのである。まるで忘年会に底抜け騒ぎをした翌朝の二日酔いみたいな不愉快な状態である。酒をのまぬ人にこの気持ちがわからぬのなら、船酔いのときを思い出してもらえばよい。全身倦怠、頭痛、
中性子もやって来たのだから、この障害も起こるはずだ。これは文献で読んだことがあるけれども、私自身の実験はないから、今のところこれが中性子宿酔か否かはわからぬ。しかも必ず強烈な中性子障害が起こる。なんといってもここはガンマ線なんかより生物学的作用が強いから大変だ。しかもその症状が発現するまでに臓器によってそれぞれ異なるが、一定の潜伏期間があるのだから、今後いつどんな症状が出てくるか、まことに気味がわるい。私は原子爆弾—中性子—原子病—と考えてきて、何か戦慄を感じた。
今日は患者の収容に暮れる。空はからりと晴れて魔雲は東方に去り、灼熱の太陽は地を埋める熱灰のほてりとの間に私たちをはさんで、浦上はまるで天火のかまどである。昨日炎を逃れ、死の手を脱し、無我夢中で突っ走った人々は、やれ安心と腰をおろした所が最後の地となって、そのままそこの岩かげ木かげに倒れたきり身動きもできなくなって、ある者はいつの間にか息絶え、ある者は
まあ大した数の患者だ。県や市の衛生課、医師会、警察、みんなかねての計画どおり手際よく救護陣を敷いた。近郊の警防団がさかんに活躍している。大村の海軍病院も泰山院長の指揮でいち早く救護隊を繰り出した。久留米の陸軍病院も到着した。救護の本家と自称していたわれわれ大学が被救護者となり、哀れとも残念ともなんともかとも感慨無量である。それでも家を焼かれ家族も重傷の古屋野教授が代理学長として活動の中心をなしておられる。令息を二人まで失われた調教授がお骨も顧みず傷者の間を立ち回っておられる。そのほか大部分の職員学生が家族家財を失いながら踏みとどまって、救護と行方不明者の捜索と学内整理に懸命だ。角尾学長、高木医専部長は水の滴る防空壕の中に寝せられて、それでもやはり指揮をとっておられる。容態は次第に悪化する様子だ。山根教授も重傷の身を発見されて壕の中に寝ておられる。負傷者を次々防空壕内におさめる。敵機は相次いで来襲する。ピカッと来ればおしまいだから、爆音が聞こえさえすれば遠くても神経質に、みんな壕の中へ隠れてしまう。
私たちは多くの死者を葬り、多くの傷者を診療した。そして原子爆弾傷に関する考察をだんだんまとめることができるようになった。
傷害の原因は原子爆弾に直接よるものと、その爆発の現象に伴う間接のものとがある。直接傷害は爆圧、熱、ガンマ線、中性子、飛散弾体片(火の玉)によるものであり、間接傷害は倒壊家屋、飛散物片によるもの、火災によるもの、放射線によって変質された物質によるものである。また衝撃によって生じた精神異常も後者に属する。この原子爆弾が普通の火薬爆弾といちじるしく異なる点は、爆弾破片創がないことと、放射線障害を発すること、および、残留放射能をもって後日長く障害作用を続けることである。
爆圧は言語に絶する強大なもので、爆弾に対して露出していた者、すなわち、戸外、屋上、窓辺などにいた者は叩きつけられ、吹き飛ばされた。一キロ以内では即死、または数分後に死んだ。五百メートルで母の股間に胎盤のついた嬰児が見られ、腹は裂け腸の露出した屍体もあった。七百メートルで首がちぎれて飛んでいた。眼玉の飛び出た例もある。内臓破裂を思わせる真っ白な屍体があり、耳孔から出血している頭蓋底骨折もあった。
熱もずいぶん高温だった。五百メートルで、顔の黒焦げが見られた。一キロ内外で受けた熱傷はまったく特異のものであり、私はこれを特別に原子爆弾熱傷と命名したい。これは熱傷部の皮膚剥離を伴うもので、即時発生した。熱傷を受けた部分だけが皮下組織から剥離し、一センチくらいの幅に細長く裂け、その中途、または端で切断されることもあり、縮み上がり、少しく内方に巻き込み、ぶらぶらとぼろ布か塵払いみたいに垂れ下がっている。その色は紫褐色である。剥離部の皮下からは軽い出血がある。受傷時の感覚は熱感ではなく瞬間の激しい痛覚で、そのあとにいちじるしい寒冷感と疼痛を訴えた。剥離した皮膚は
一キロ以上三キロくらいまでは、普通火傷といわれる皮膚変化を見た。受傷の時熱感を覚えた者もあり、覚えぬ者もある。灼熱疼痛感があり、皮膚は速やかに発赤し、一時間ないし数時間後に水泡を生じた。ところがこれも普通の火傷と大いに趣を異にしているというのはガンマ線、中性子を同時に受けている点である。将来これはどんな経過をとるであろうか?
飛散弾体片が火の玉となって降った。大きさは指頭大から小児頭くらいまで、青白い光輝を放ち、しゅうとうなって落ちてきて、皮膚に
ガンマ線や中性子による障害で早期に発現したものは、前に話した原子爆弾宿酔のほかに尿量減少、唾液分泌減少、汗分泌減少、性欲喪失であった。
狭い防空壕の中に、身動きもできぬほど、死者も傷者も元気な者もくっついて寝ている。傷者の呻きがなくなると死んでいる。原子理論も死傷者の分類も朝から論議が続き、夜になると皆疲れて黙りこんでしまった。黙っていると昨日からの恐ろしい情景が次々と眼前に浮かんできて、夢とも
八月十一日。暁の涼しいうちに患者を陸軍病院に運び終わり、身軽になってほっとする。生きた者の収容は終わり、今日は屍体捜しと火葬である。あちらこちらから赤い悲しい炎が立つ。二人、三人それを囲んでぼんやりしている。私たちも山下君たち五人を葬る。尊い生命がこんなに簡単に処理されて果たしてよいものであろうか? 板片に鉛筆で小さな墓標を書いて立てた。墓にそなえる草花はない。
異変を聞いて駆けつけた学生や看護婦の父兄が、いとしき者の名を呼びつつ焼け跡をさまよい、似た後ろ姿を見つけては追いかけ、生き残った同級者を見いだしては泣いている。まことに哀れというもおろかなこと、貰い泣きをしながら一緒に捜す。多くは屍体が見つからず、この教室で死んだはずと聞いて、そこに並んだ黒骨を拾って拝むばかり。たまたま見つかるものは、顔はそれと見分けのつかぬほどに変わり果て、わずかに服の端の縫い取りの名にそれと確かめ、泣くのも忘れ、凝然と、