わがこの哀れなる抒情歌集を誰にかは献げむ
はらからよわが友よ忘れえぬ人びとよ
凡てこれわかき日のいとほしき夢のきれはしTonka John
春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと
銀笛のごとも
しみじみと物のあはれを知るほどの
いやはてに
葉がくれに青き
ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫ひそめし日
かくまでも黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし
君を見てびやうのやなぎ薫るごとき
南風モウパツサンがをみな子のふくら
南風
凋れゆく高き花の香身に
寝てきけば
ゆく春のなやみに堪へで
鶯も草にねむれり
たんぽぽに誰がさし置きし
ゆく水に赤き日のさし水ぐるま春の
白き犬水に飛び入るうつくしさ鳥鳴く鳥鳴く春の
黒耀の石の
薄あかき爪のうるみにひとしづく落ちしミルクもなつかしと見ぬ
寂しき日赤き酒取りさりげなく強ひたまふにぞ涙ながれぬ
あまりりす息もふかげに燃ゆるときふと
くれなゐのにくき唇あまりりすつき放しつつ君をこそおもへ
はるすぎてうらわかぐさのなやみよりもえいづるはなのあかきときめき
くさばなのあかきふかみにおさへあへぬくちづけのおとのたへがたきかな
わかきひのもののといきのそこここにあかきはなさくしづこころなし
ゆふぐれのとりあつめたるもやのうちしづかにひとのなくねきこゆる
浅草にて
ゆく春の喇叭の
ああ笛鳴る思ひいづるはパノラマの
美くしき「夜」の横顔を見るごとく遠き
そぞろあるき煙草くゆらすつかのまも
けふもまた泣かまほしさに
やはらかきかなしみきたるジンの酒とりてふくめばかなしみきたる
ナイフとりフオクとる
にほやかに女の
ウイスキーの強くかなしき口あたりそれにも
夜会のあと
かくまでも心のこるはなにならむ
春日笛のごとし
すずろかにクラリネツトの鳴りやまぬ日の夕ぐれとなりにけるかな
にほやかにトロムボーンの音は鳴りぬ君と歩みしあとの思ひ出
郷里柳河に帰りてうたへる歌
廃れたる園に踏み入りたんぽぽの白きを踏めば春たけにける
夕暮はヘリオトロウプ、
そことなく南かぜふく
やはらかに髪かきわけてふりそそぐ香料のごと
哀調一首
きりはたりはたりちやうちやう血の色の
ロンドンの悲しき言葉耳にあり花赤ければ命短し
いと高き君がよき名ぞ忍ばるる赤きロンドン赤きロンドン
狂ほしく髪かきむしり昼ひねもすロンドンの
ロンドンは松葉牡丹の柳河語なり
枇杷の木に黄なる枇杷の実かがやくとわれ驚きて飛びくつがへる
枇杷の実をかろくおとせば
ケエヅグリのあたまに火の
点 いた、潜 うんだら消えた
Gonshan, Gonshan, 何処へいた、
きのう札所 の巡礼に
馬鈴薯の花咲き穂麦あからみぬあひびきのごと岡をのぼれば
燕 コツキリコ、畦道 やギリコ
病める児はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし
日の光
雲あかく日の入る夕
あかあかと五重の塔に入日さしかたかげの闇をちやるめらのゆく
かかる時地獄を思ふ、君去りて雲あかき野辺に煙渦まく
十一月北国の旅にて三首
韮崎の白きペンキの駅標に薄日のしみて光るさみしさ
柿の赤き実、旅の男が気まぐれに泣きて
たはれめが青き眼鏡のうしろより朝の霙を透かすまなざし
久留米旅情の歌
日も暮れて
猫やなぎ薄紫に光りつつ暮れゆく人はしづかにあゆむ
雪のふる夜昔ながらの蝋燭の裸火にうつし出されし団蔵の仁木の凄さよ
わが友は仁木の顔に
手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ
指さきのあるかなきかの青き
草わかば黄なる小犬の飛び
草わかば踏めば身も世も黄に
こころもち黄なる花粉のこぼれたる薄地のセルのなで肩のひと
草に寝ころべ、草に寝ころべ
草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく
夕されば棕梠の花ぶさ黄に光る公園の
きさくなる
あまつさへ赤き花ちり小馬
ほそぼそと
青き果のかげにわれらが食卓をしつらへよ、春を惜むわかき日のこころよ
あひびきの朝な夕なにちりそめし
サラダとり白きソースをかけてましさみしき春の思ひ出のため
さくらんぼいまださ青に光るこそ悲しかりけれ花ちりしのち
青き
酒
かなしげに春の小鳥も啼き過ぎぬ赤きセエリーを君と鳴らさむ
ああ
やはらかに誰が
よき
蟾蜍が出て来た、皆で寄つてたかつて胡椒をふるかけたり、スープを飲ませたりした
しろがねの小さき匙もて
干葡萄ひとり摘み取りかみくだく食後のほどをおもひさびしむ
カステラの黄なるやはらみ新らしき味ひもよし春の暮れゆく
まひる野の玉葱の花紫蘇の花かろく
一九一〇暮春三崎の海辺にて
いつしかに春の名残となりにけり
寝てよめば黄なる
春愁極りなし
野薊に
ふはふはとたんぽぽの飛びあかあかと夕日の光り人の歩める
乳のみ児の肌のさはりか
魔法つかひ
「春」はまたとんぼがへりをする児らの悲しき頬のみ見つつかへるや
美くしきかなしき痛き放埓の薄らあかりに堪へぬこころか
ものづかれそのやはらかき青縞のふらんねるきてなげくわが恋
わがゆめはおいらん
鳴きしきるは葦きり、舌うつは海、さるにてもせんなや、夜の明けがたのつれびき
アーク燈
なんぼ恋には身が細ろ、
ふたへの帯が三重まはる
なにとなく
博多帯しめ、筑前しぼり、筑前博多の帯しめて、
あゆむ姿は柳腰……
すつきりと筑前博多の帯をしめ忍び来し夜の白ゆりの花
ぬば玉の銀杏がへしの君がたぼ美くし黒し蓮の花さく
ある遊女の部屋に、薄い硝子の水盤があつた、夏の夕方、夜のひきあけ、ひけすぎの薄いあかりにほのかにウオタアヒヤシンスの花が咲いてはまた萎れてゆくのであつた
水盤の水にひたれるヒヤシンスほのかに咲きて物思はする
フラスコに青きリキユールさしよせて
二上りの宵のながしをききしよりすて身のわれとなりにけむかも
毒草なれどもその花かすかに、
光あれどもその色さびし
雪の下白く
わかき身の感じ易さよ
顫へ易く傷つき易き心あり薄らあかりにちる花もあり
鳥よ、鳥よ、宿場の小鳥、
広重の海に飛べよ
木の枝に青き小鳥のとまりゐてただほれぼれと鳴ける品川
年増のなげき一首
玉虫の
悩ましく
やるせなき春のワルツの舞すがた
美くしきさいへかなしく愚かしき
紫のいたましきまで
ただ飛び
たらんてら踊りつくして疲れ伏す深むらさきのびろうどの椅子
あでやかに踊りつかれしさみしさか寝椅子に人を待てるこころか
くろんぼが泣かむばかりに飛び
恋すてふ浅き浮名もかにかくに立てばなつかし白芥子の花
薄青きセルの
片恋のわれかな身かなやはらかにネルは着れども物おもへども
茴香さく
わが世さびし
茴香の花の中ゆき君の泣くかはたれどきのここちこそすれ
白き籐椅子をふたつよせてものおもふひとのおだやかさよ。読みさせるはアルベエル・サマンにや、やはらかに物優しき夕なりけり
さしむかひ
潮来出島の真菰の中にあやめ
咲くとはしほらしや
かきつばた男ならずばたをやかにひとり身投げて死なましものを
たんだ振れふれ六尺袖を
桐の花ことにかはゆき半玉の泣かまほしさにあゆむ雨かな
すずかけの木とあかしやとあかしやの木とすずかけと舗石みちのうす霧に
ほのぼのと人をたづねてゆく朝はあかしやの木にふる雨もがな
蛍飛び
ゆくりなくかかるなげきをきくものか月蒼ざめて西よりのぼる
宝玉のこよなき心とり落しよきひと泣けば
いかばかり麻の畑の青き葉の身には
人知れず忍ぶ心は
青柿のかの柿の木に小夜ふけて白き猫ゐるひもじきかもよ
白き猫膝に抱けばわがおもひ音なく暮れて病むここちする
白き猫泣かむばかりに春ゆくと
弓矢八幡寝はせねど、寝たと
おしやらばなとせうぞの
夜おそくかけしふすまに匍ひのぼる黒きけもののけはひこそすれ
いそいそと広告燈も廻るなり春のみやこのあひびきの時
白耳義新詩人のものなやみは静かにしてあたたかく、芭蕉の寂はほのかに涼し
かはたれのロウデンバツハ芥子の花ほのかに過ぎし夏はなつかし
空見れば
新らしき匂なによりいとかなし勧工場のぞく五月のこころ
薄あかり
夏よ夏よ鳳仙花ちらし走りゆく人力車夫にしばしかがやけ
折ふしのものの
万歓夢のごとし
青玉のしだれ花火のちりかかり消ゆる路上を君よいそがむ
夏の夜の牡丹燈籠の薄あかり新三郎を誰か殺せる
ちりからと硝子問屋の燈籠の
新らしき野菜畑のほととぎす背広着て啼け雨の
キヤベツの
あまつさへキヤベツかがやく畑遠く郵便脚夫疲れくる見ゆ
入日うくるだらだら坂のなかほどの釣鐘草の黄なるかがやき
窻ぎはの男の頬のみ
酒場の夏
夏帽子瀟洒につけて身をやつす若き紳士の白百合の花
夏の日はなつかしきかなこころよく
きりぎりすよき
やるせなき
黒き猫夜は狂ほしくかきいだき
桐の花ちるころ
人妻のすこし汗ばみ乳をしぼる
梅雨くるまへ
栗の花四十路過ぎたる髪結の日暮はいかにさびしかるらむ
あかしやの花ふり落す月は来ぬ東京の雨わたくしの雨
二階より桐の青き葉見てありぬ雨ふる
七月やおかめ
色硝子暮れてなまめく町の湯の窻の
湯上りの
長雨のあとのこころにひるがへり孔雀火のごと鳴く日きたりぬ
新らしき皮膚の
たもちがたきこころとこころ薄ら青き蝗のごとく弾ねてなげくや
憎きは女、恋しきもまた女
昼見えぬ星のこころよなつかしく刈りし穂に凭り人もねむりぬ
あかあかと
夏の日は女役者のものごしのなまめかしさに似てさびしけれ
紫の日傘さしかけ
やはらかに夏のおもひも老いゆきぬ中年の日の君がまなざし
明治四十四年の夏、蠣殻町の岩佐病院にて
なつかしき七月
麻酔の前鈴虫鳴けり窻辺には紅く
夏はさびしコロロホルムに
朝顔を
気のふれし
ほのかなる水くだもののにほひにもかなしや心疲れむとする
さしのぞけば向ふの
なにおもふわかき看護婦夏過ぎて
宵のくちそれもひととき看護婦のはるもにか吹く夏もひととき
退院の前の日
長廊下いろ薄黄なる水薬の瓶ひとつ持ち秋は来にけり
松脂のにほひのごとく新らしくなげく心に秋はきたりぬ
薄らかに紅く
鳳仙花うまれて啼ける犬ころの薄き皮膚より秋立ちにけり
秋の空酒を
眼のふかく昼も臆する男あり光れる秋をぢつと
鏽
君がピンするどに青き虫を刺すその
かかる日の胸のいたみのしくしくと空に光りて雨ふるらむか
しづやかに光の雨のふりそそぐ昼の心に蒼ざめてあり
クリスチナ・ロセチが頭巾かぶせまし秋のはじめの母の横顔
食堂の黄なる硝子をさしのぞく
秋の草白き
人形の秋の素肌となりぬべき白き菊こそ
旅に来て船がかりする思あり宝石商の霧の夜の月
みすずかる信濃か日本アルプスか空のあなたに雪の光れる
静かなる秋のけはひのつかれより桜の霜葉ちりそめにけむ
清元の新らしき撥君が撥あまりに冴えて痛き夜は来ぬ
手の指をそろへてつよくそりかへす薄らあかりのもののつれづれ
ひいやりと
円喬のするりと羽織すべらするかろき手つきにこほろぎの鳴く
昇菊の絃のつよさよ
黒き猫しづかに歩みさりにけり昇菊の
きりきりと切れし二の
歌舞伎座十月狂言所見
常盤津の
百舌啼けば紺の腹掛新らしきわかき大工も涙ながしぬ
いらいらと葱の畑をゆくときの心ぼそさや百舌啼きしきる
いつのまに刈り干しにけむ
とある池のほとりにて
水すまし夕日光ればしみじみと
鶏頭の血のしたたれる
三月まへ穂麦のびたる畑なりきいま血のごとく鶏頭の咲く
柔かき光の中にあをあをと脚ふるはして啼く虫もあり
かかれとて虫の
武蔵野のだんだん畑の唐辛子いまあかあかと刈り干しにけれ
あかあかと胡椒刈り干せとめどなく涙ながるる胡椒刈り干せ
父親とその子の三次ひと日赤く胡椒刈り干せど物言はずけり
男子らは心しくしく
黄なる日に鏽びし
秋の葉
いつのまに黄なる火となりちりにけむ青さいかちの小さき葉のゆめ
都大路いまだゆらげる
午前八時すずかけの木のかげはしる電車の霜もなつかしきかな
あかしやの金と赤とがちるぞえな、
やはらかな秋の光にちるぞえな
ただしづかに
わが友の黒く光れる瞳より恐ろしきなし秋ふけわたる
ふくらなる
遠々しくなりし女のもとへ二首
いと長き
しみじみと人の涙を流すときわれも泣かまし鳥のごとくに
いちはやく冬のマントをひきまはし銀座いそげばふる
なつかしき憎き女のうしろでをほのかに見せて雨のふりいづ
男ぶりには惚れんばな、
煙草入の銀かな具がそれが因縁たい
煙草入の銀のかな具のつめたさがいとど身に染むパチと鳴らせど
夜をこめて
さいかちの青さいかちの実となりて鳴りてさやげば雪ふりきたる
一月や道化帽子の色あかき一寸坊の小屋に雪ふる
かなしや雪のふる日も道化ものもんどりうつとよく馴れにけり
ほこりかにとんぼがへりをしてのくるわかき道化に涙あらすな
寂しさに赤き硝子を透かし見つちらちらと雪のふりしきる見ゆ
つつましき朝の食事に香をおくる小雨に濡れし洎
横浜埠頭所見
つや青き支那の
腰ひくき浜のガイドが襟にさす
ぬくぬくと
薄青き路上の雪よあまつさへ日てりかがやき人妻のゆく
君かへす朝の
河岸の明け暮れ
猫柳薄紫に光るなり雪つもる朝の河岸の景色に
屋根の雪屋根をすべると三味線の棹拭きかけて泣く女かな
木挽町の河岸の夜ふけに
雪ふるひとりゆく夜の松の葉に忍びがへしに雪ふりしきる
楂
ああ冬の夜ひとり汝がたく
ひとよよのつねの
恋となあはれおもひたまひそ
雪の夜の
悪夢のあとの朝明
狂ほしき夜は明けにけり浅みどりキヤベツ畑に雪はふりつつ
雪ふるキヤベツを切ると小男が段々畑をのぼりゆく見ゆ
わかき日は赤き胡椒の実のごとくかなしや雪にうづもれにけり
その
四十路びと
つつましきひとりあるきのさみしさにあぜ菜の香すら知りそめしかな
あはれなるキツネノボタン春くれば水に馴れつつ物をこそおもへ
みじめなるエレン夫人が
名なし草
春が来た。黄色なサンシユユの梢に、沈丁に、針えにしだの苦き尖りに
沈丁の薄らあかりにたよりなく歯の痛むこそかなしかりけれ
猫柳春の暗示のそことなくをどる河辺を泣きてもとほる
猫柳ものをおもへば猫の毛をなづるここちによき風も吹く
細葱の春の光をかなしむと真昼しみらに小犬つるめる
野を
すずろぐは葱か、キヤベツか、
きさらぎのそことなき春の暗示よ
ふくれたるあかき手をあて
かりそめにおん身慕ふといふ時もよき
わが
泣きたまふな、あまりにさびし
いざやわれとんぼがへりもしてのけむ涙ながしそ君はかなしき
わがどちよ寂しきどちよつねに見て思へばくるし泣かざれば
おのがじし弱きけふ日の涙をばはふり落して鳴ける小鳥ら
寂しさのこのもかのもにへりくだり泣けば心の響きこゆる
涙してひとをいたはるよそ人のあつき心をわれに持たしめ
つかのまも君を見ずては抑えがたきかなしき狐つきそめにけり
芥子のたねひとり
わかき日の路上にて
歎けとていまはた目白僧園の
ソフイー、けふもまた気づかはしさうなお前の瞳に薄い雲がゆく、薄い雲がゆく
春はもや静こころなし
浅草聖天横丁
君見ずば心地死ぬべし
私は思ふ、あのうらわかい天才のラムボオを、而して悲しい宝石商人の息づかひを、心を
アーク燈いとなつかしく美くしき宝石商の店に春ゆく
美くしく小さく
いと憎き宝石商の店を出で泣かむとすれば雪ふりしきる
温かに
しみじみと
桜、さくら、街のさくらにいと白く
思ひ出の赤き毛糸よ、夕暮の薄らあかりにたゞたぐれ、静こころなく
やはらかに赤き毛糸をたぐるとき夕とどろきの遠くきこゆる
泣かむとし赤き硝子に背を向けつ
いつしかと身は窻掛に置く塵の白きがごとも物さびてける
かろがろと女腰かけなにやらむ花あかき窓に物思ひ居り
よしやあしや君が銀座の入日ぞらほのかに暮れて夜となりにける
つくづくと昼のつかれをうらがへしけふもラムプを
編みさしの赤き毛糸にしみじみと針を刺す時こほろぎの鳴く
鳴りひびく心甲斐絹を着るごとしさなりさやさやかかる夕に
これやこの絹のもつれをときほぐしほのかに
露西亜の白夜にはあらねども
かなしきは気まぐれごころ宵のまに朝の風たち
松の葉の松の木の間をちりきたるそのごとほそきかなしみの来る
なまけものなまけてあればこおひいのゆるきゆげさへもたへがたきかな
ほれぼれと歌ふにしくはなかるらむおもへば
ものおもふわかき男の息づかひそなたも知るやさるひあの花
なまけもの昼は昼とてそことなきびんつけの香にも涙してけれ
へら鷺の卵かへすとなまけものなまけはてたるわれならなくに
おづおづとわかきむすめを預れる人のごとくに青ざめて居り
ひとりゐて罪あり
このおもひ人が見たらば
わがゆけば男のにほひちかよると
ものおもへば肩のうしろにこそばゆきわかきをなごのといきこそすれ
夕暮のあまり赤さになまけものとんぼがへれば啼くほととぎす
ゆくりなく
うらうらと
ただひと目君を見しゆゑ三味線の
才高きある夫人に
ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも
嗅ぎなれしかのおしろいのいや薄く
女は白き眼をひきあけてひたぶるに寄り添ふ、淫らにも若く美しく
どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし
あるあはれなる女に
いつとなく親しむとなく寄るとなく馴れし
偽おほく而もなほ美しき女ありけり
その女消えさりにけり
くちびるの
ひとたび別れて
かはたれの白き露台に出でて見つわがおもふ人はいづち去にけむ
君には似つれ、
見も知らぬ少女なりけり
仏蘭西のみやび少女がさしかざす
かなしみは出窓のごとし
にほやかに君がよき夜ぞふりそそぐ白き露台の矢ぐるまの花
その君はいづこにありや、
はつ夏の空も薫りぬ
匂よき宵のロベリヤ朝の芥子小窓に据ゑて忍ぶ日は来ぬ
姿見の中の草生よ
老いほけしたんぽぽも飛ぶ
鳩よ鳩よひとりぽつちのわが鳩よ
煩悩の赤き花よりやはらかに煙る
とまり木の鳥のこころよ
夕かけて白き小鳥のものおもひ木にとまるこそさみしかりけれ
空いろよりすこし濃きロベリヤの花はほのかに小さくして、しかも数かたまりて瞳をひらく。悲しき日その花をながめて
空いろのつゆのいのちのそれとなく
〔中扉裏〕
罪びとソフイーに贈る
「三八七」番
ひとすぢの
自棄二首
あだごころ君をたのみて身を
花園の別れ六首
君と見て
君がため
身の上の一大事とはなりにけり
われら終に
悲しき日苦しき日七月六日
鳴きほれて逃ぐるすべさへ知らぬ鳥その鳥のごと捕へられにけり
かなしきは人間のみち
眼をつぶれど今も見えたる草むらの麦稈帽は光るなりけり
馬車霞が関を過ぐ
大空に円き日輪血のごとし
胸のくるしさ
まざまざとこの黒馬車のかたすみに身を伏せて君の泣けるならずや
夕日あかく馬のしりへの
向ふ通るは清十郎ぢやないか
笠がよう似た菅笠が
夏祭わつしよわつしよとかつぎゆく
泣きそ泣きそあかき
うれしや監獄にも花はありけり
草の中にも赤くちひさく
しみじみと涙して入る君とわれ
女はとく庭に下りて顫へゐたり、数珠つなぎの男らはその後より、ひとりひとりに踉けつつ匍ひいでて紅き爪紅のそばにうち顫へゐたり、われ最後に飛び下りんと身構へて、ふとをかしくなりぬ、帯に縄かけられたれば前の奴のお尻がわが身体を強く曳く、面白きかな、悲しみ極まれるわが心、この時ふいと戯けてやつこらさのさといふ気になりぬ
やつこらさと飛んで
同じく二首
編笠をすこしかたむけよき君はなほ
鳳仙花
監房の第一夜
この心いよよはだかとなりにけり涙ながるる涙ながるる
罪びとは罪びとゆゑになほいとしかなしいぢらしあきらめられず
ふたつなき阿古屋の玉をかき抱きわれ泣きほれて
どん底の底の
テテツプツプ
弥惣次ケツケ
日もすがらひと日
* 柳河の童謡、テテツプツプは鳩ぽつぽのこと
二日経て弟面会に来りければ
母びとは悲しくませば鳳仙花せめて
監獄の庭に引き出されて、ある時
いつまでか日は東よりのぼるらむ
あはれなる獄卒どもが匍ひかがみ
太陽のもとに許されて尿するは
うれしきかな楽しきかな
赤き花見つつ涙し
バリカンの光うごけばしくしくと
バリカンに
真昼の監房にてある時
おのれ
夕されば入日血のごとさしつくる
またある時
驚きてふと見つむればかなしきかわが足の指も泣けるなりけり
わが
殺人犯隣にあり
猫のごと首絞められて死ぬといふことがをかしさ
監獄にて子を生みし女ありけり
いかなる罪業のめぐりなるらむ
恐ろしくおのれ死なむとつきつめぬいきいきとまたも赤子啼き啼く
夕されば火のつくごとく君恋し命いとほしあきらめられず
夕暮より夜にかけて
曇り日の桐の梢に飛び来り
市ケ谷の
夜となりぬのうまくさんまんだばさらだせんだまかろしやだとわが父の泣く声のきこゆる
梟はいまか
深夜二首
たれこめて深きねむりに
君もなほ死なずしありけむさめざめと夜の
裁判の日、七月十六日
鳩よ鳩よをかしからずや
法廷へのゆくみちにて
すべてなつかしすべてなつかし
鳳仙花わが
鳳仙花よ
許されたり許されたり
くれなゐの濃きが別れとなりにけり
空見ると強く大きく見はりたるわが
烏羽玉の黒きダリヤにあまつさへ日の照りそそぐ日の照りそそぐ
お岩稲荷にゆきて
あまつさへ夾竹桃の花あかく咲きにけらずやわかき男よ
木更津へ渡る。海浜に出でて
あまりに悲しかりければ
いと
松川といふ旅館に泊りぬ
白き猫あまたゐたりけり
白き猫あまたゐねむりわがやどの
驚きて猫の
あかあかと
またぞろふさぎの虫
やはらかにロンテニースの
草の葉に
くつわ虫を蝉かと思うた、
ひとりひるねの宵のねざめに
かなしければ昼と夜とのけぢめなしくつわ虫鳴く
曇り日の朝の瓦の見はるかしを鳩歩み居れりさみしきか鳩よ
心心赤き実となり枝につく鴉
暴風雨来りぬ面白きかな面白きかな
柿の赤き実
浅草にて
なになれば猫の児のごと泣くならむ
河岸あるき
見れば
小犬二匹石炭
ぬば玉のくらき水の
冬来る
十一月は冬の初めてきたるとき
喨々とひとすぢの水吹きいでたり冬の日比谷の鶴のくちばし
かなしみに顫へ新たにはぢけちるわれはキヤベツの
くるしくるし堪へがたし
わが心ただひとすぢとなりにけり笛を吹け吹けとんぼがへれよ
ひとをどりひやるろと吹けば笛の音もひやるろふれうと鳴るがいとしさ
思ひ出のひとつふたつ
代々木の
春くれば白く
手にぎりてかたみに憎み
死ぬばかり白き桜に針ふるとひまなく雨をおそれつつ寝ぬ
蝋燭をひとつ
その
旧歓とどめがたし生はかたく死はやすし
ひなげしのあかき
男泣きに泣かむとすれば
このかなしき胸のそこひゆこみあぐるくるめきの玉は鉄の玉かも
来て見れば監獄署の裏に日は赤くテテツプツプと鳩の飛べるも
囚人の泣く声か、拷問の叫びか
と見れば監獄署裏の
野辺あるき
氷閉ぢ野菜つめたき冬のみちゆけどもゆけども人に逢はなく
夜ふけて
ぐろきしにあつかみつぶせばしみじみとから
時計の針
母の云へらく
どれどれ春の支度にかかりませう
あかんぼを黒き猫来て食みしといふ恐ろしき世にわれも
犬が啼き居り
ひもじきかなひもじきかな
わが心はいたしいたしするどにさみし
吾が心よ夕さりくれば蝋燭に火の