徒然草

吉田兼好

徒然草 上

■序段

つれづれなるまゝに、日くらし、(すずり)にむかひて、心に移りゆくよし なし(ごと)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

■第一段

いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ(おほ)かんめれ。

御門(みかど)御位(おほんくらゐ)は、いともかしこし。竹の園生(そのふ) の、末葉(すゑば)まで人間の(たね)ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有 様はさらなり、たゞ(びと)も、舎人(とねり)など賜はるきはは、ゆゝしと見 ゆ。その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより(しも)つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。

法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言(せいせうなごん)が書けるも、げにさることぞかし。(いきほひ)まうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖(そうがひじり)の言ひけんやうに、名聞(みょうもん)ぐるしく、仏の御教(みおしへ)に たがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人(よすてびと)は、なかなかあらまほしきかたもありなん。

人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物う ち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず(むか)はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口 をしかるべけれ。しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより 賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、(ざえ)なく成りぬ れば、(しな)下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。

ありたき事は、まことしき(ふみ)の道、作文(さくもん)和歌(わか)管絃(くわんげん)の道。また、有職(いうしょく)公事(くじ)の方、人の鏡なら んこそいみじかるべけれ。手など(つたな)からず走り書き、声をかしくて拍 子とり、いたましうするものから、下戸(げこ)ならぬこそ、(をのこ)はよけれ。

■第二段

いにしへのひじりの御代(みよ)(まつりごと)をも忘れ、民の(うれへ)、 国のそこなはるゝをも知らず、(よろづ)にきよらを尽していみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。

衣冠(いくわん)より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗 を求むる事なかれ」とぞ、九条(くでう)殿の遺誡(ゆいかい)にも(はんべ)る。 順徳院の、禁中(きんちゅう)の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの(たてまつ)り物は、おろそかなるをもってよしとす」とこそ侍れ。

■第三段

(よろづ)にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の(さかづき)(そこ)なき心地ぞすべき。

露霜(つゆしも)にしほたれて、所定めずまどひ(あり)き、親の(いさ)め、 世の(そし)りをつゝむに心の(いとま)なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

■第四段

後の()の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。

■第五段

不幸(ふかう)(うれへ)に沈める人の、(かしら)おろしなどふつゝかに 思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、(かど)さしこめて、待つこともなく(あか)し暮したる、さるかたにあらまほし。

顕基(あきもと)中納言の言ひけん、配所(はいしょ)の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

■第六段

わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。

前中書王(さきのちゆうしよわう)九条大政大臣(くでうのおほきおとど)花園(はなぞのの)左大臣、みな、(ぞう)絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣(そめどののおとど)も、「子孫おはせぬぞよく(はんべ)る。末のおくれ給へ るは、わろき事なり」とぞ、世継の(おきな)の物語には言へる。聖徳太子の、 御墓(みはか)をかねて()かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

■第七段

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部(とりべ)山の(けぶり)立ち去らでのみ住 み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の 蝉の春秋(はるあき)を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮す ほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)(すぐ)すとも、一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿 を待ち得て、何かはせん。命長ければ(はぢ)多し。長くとも、四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ゐで交らはん事を思 ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく(すゑ)を見んまでの命をあらまし、 ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

■第八段

世の人の心惑はす事、色欲(しきよく)には()かず。人の心は愚かなるものかな。

(にほ)ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳(いしやう)薫物(たきもの) すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米(くめ)の仙人の、物洗ふ女の(はぎ)の白きを見て、(つう)を失ひけんは、ま ことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

■第九段

女は、髪のめでたからんこそ、人の目立(めた)つべかんめれ、人のほど・心 ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越しにも知らるれ。

ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけ たる寝ゐもねず、身を()しとも思ひたらず、()ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。

まことに、愛著(あいぢやく)の道、その根深く、(みなもと)遠し。六塵(ろくぢん)楽欲(げうよく)多しといへども、みな厭離(おんり)しつべし。その 中に、たゞ、かの惑ひのひとつ()めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、()あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。

されば、女の髪すぢを()れる綱には、大象(だいざう)もよく(つな)が れ、女のはける足駄(あしだ)にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ伝へ 侍る。自ら(いまし)めて、恐るべく、慎むべきは、この(まど)ひなり。

■第十段

家居(いへゐ)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。

よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみ じみと見ゆるぞかし。今めかしく、きらゝかならねど、木立(こだち)もの()りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ)透垣(すいがい) のたよりをかしく、うちある調度(てうど)も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

多くの(たくみ)の、心を(つく)してみがきたて、(から)の、大和(やまと)の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽(せんざい)の草木まで 心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長ら へ住むべき。また、時の()(けぶり)ともなりなんとぞ、うち見るより 思はるゝ。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。

後徳大寺大臣(ごとくだいじのおとど)の、寝殿(しんでん)に、(とび)ゐさ せじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦し かるべき。この殿の御心(みこころ)さばかりにこそ」とて、その(のち)は参 らざりけると聞き侍るに、綾小路宮(あやのこうぢのみや)の、おはします 小坂(こさか)殿の(むね)に、いつぞや縄を引かれたりしかば、かの(ためし)思 ひ出でられ侍りしに、「まことや、(からす)の群れゐて池の蛙をとりければ、 御覧(ごらん)じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこ そと覚えしか。徳大寺にも、いかなる(ゆゑ)か侍りけん。

■第十一段

神無月(かみなづき)のころ、栗栖野(くるすの)といふ所を過ぎて、ある山里 に尋ね()る事侍りしに、遥かなる(こけ)の細道を踏み分けて、心ぼそく 住みなしたる(いほり)あり。木の葉に(うづ)もるゝ懸樋(かけひ)(しづく)ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚(あかだな)に菊・紅葉(もみぢ) など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。

かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子(かうじ)の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。

■第十二段

同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、 うらなく言ひ(なぐさ)まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、 つゆ(たが)はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。

たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか (たが)ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ(にく)み、「さ るから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、 かこつ(かた)も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそ あらめ、まめやかの心の友には、はるかに(へだ)たる所のありぬべきぞ、わびしきや。

■第十三段

ひとり、(ともしび)のもとに(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

文は、文選(もんぜん)のあはれなる(まき)々、白氏文集(はくしのもんじふ)老子(らうし)のことば、南華(なんくわ)(へん)。この国の博士(はかせ)ど もの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。

■第十四段

和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ ()でつればおもしろく、おそろしき()のししも、「ふす猪の(とこ)」と言へば、やさしくなりぬ。

この(ごろ)の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古 き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの(ほか)に、あはれに、けしき覚ゆ るはなし。貫之(つらゆき)が、「糸による物ならなくに」といへるは、 古今集(こきんしふ)の中の歌屑(うたくづ)とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠み ぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多 し。この歌に限りてかく言いたてられたるも、知り(がた)し。源氏物語には、 「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」とい へる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、 この歌も、衆議判(しゅぎはん)の時、よろしきよし沙汰(さた)ありて、後にも、 ことさらに感じ、(おほ)せ下されけるよし、家長(いへなが)が日記には書けり。

歌の道のみいにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや。今も()みあ へる同じ(ことば)・歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、 やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。

梁塵秘抄(りやうじんひせう)郢曲(えいきよく)の言葉こそ、また、あはれ なる事は多かんめれ。昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。

■第十五段

いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地(ここち)すれ。

そのわたり、こゝ・かしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目 慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜(びんぎ)に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。

さやうの所にてこそ、(よろづ)に心づかひせらるれ。持てる調度(てうど) まで、よきはよく、(のう)ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。

寺・(やしろ)などに忍びて(こも)りたるもをかし。

■第十六段

神楽(かぐら)こそ、なまめかしく、おもしろけれ。

おほかた、ものの()には、笛・篳篥(ひちりき)。常に聞きたきは、琵琶(びは)和琴(わごん)

■第十七段

山寺にかきこもりて、仏に(つか)うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。

■第十八段

人は、(おの)れをつゞまやかにし、(おご)りを退(しりそ)けて、(たから)を持たず、世を(むさぼ)らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは(まれ)なり。

唐土(もろこし)許由(きよいう)といひける人は、さらに、身にしたがへる (たくは)へもなくて、水をも手して(ささ)げて飲みけるを見て、なりひさ こといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の(えだ)()けたりけ るが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に(むす) びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨(そんしん)は、 冬の月に(ふすま)なくて、藁一束(わらひとつか)ありけるを、夕べにはこれに()し、(あした)には(をさ)めけり。

唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、(しる)(とど)めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

■第十九段

折節(をりふし)の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものに て、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声なども ことの(ほか)に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきね)草萌()()づるころより、やゝ春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつ ほどこそあれ、(をり)しも、雨・風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎ ぬ、青葉になりゆくまで、(よろず)に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘(はなたちばな)は名にこそ()へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、(いにしへ)の事 も、立ちかへり(こひ)しう思ひ出でらるゝ。山吹(やまぶき)の清げに、藤の おぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

灌仏(くわんぶつ)(ころ)(まつり)(ころ)、若葉の、(こずゑ) 涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せ られしこそ、げにさるものなれ。五月(さつき)菖蒲(あやめ)ふく比、早苗(さなへ)とる比、水鶏(くひな)(たた)くなど、心ぼそからぬかは。六月(みなづき)の比、あやしき家に夕顔(ゆうがほ)の白く見えて、蚊遣火(かやりび) ふすぶるも、あはれなり。六月祓(みなづきばらへ)、またをかし。

七夕(たなばた)祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒(よさむ)になるほど、 (かり)鳴きてくる比、(はぎ)下葉(したば)色づくほど、早稲田(わさだ) 刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分(のわき)(あした)こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと ()りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき 事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、か つ()()つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

さて、冬枯(ふゆがれ)のけしきこそ、秋にはをさをさ(おと)るまじけれ。 (みぎは)の草に紅葉(もみぢ)の散り(とどま)りて、霜いと白うおける(あした)遣水(やりみづ)より(けぶり)の立つこそをかしけれ。年の暮れ()てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきもの にして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日(はつか)余りの空こそ、心ぼそき ものなれ。御仏名(おぶつみやう)荷前(のさき)使(つかひ)立つなどぞ、あ はれにやんごとなき。公事(くじ)ども(しげ)く、春の急ぎにとり重ねて(もよほ)し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺(つゐな)より四方拝(しほうはい) に続くこそ面白(おもしろ)けれ。晦日(つごもり)()、いたう(くら)き に、松どもともして、夜半(よなか)過ぐるまで、人の、(かど)叩き、走りあ りきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空に(まど)ふが、 (あかつき)がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。 ()き人のくる夜とて(たま)祭るわざは、このごろ都にはなきを、(あづま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづら しき心地ぞする。大路(おほち)のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

■第二十段

(なにがし)とかやいひし世捨人(よすてびと)の、「この世のほだし持たら ぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

■第二十一段

(よろづ)のことは、月見るにこそ、慰むものなれ。ある人の、「月ばかり 面白きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「(つゆ)こそなほあはれな れ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。

月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ 水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ)。「(げん)(しやう)日夜(にちや)(ひんがし)に流れ去る。愁人(しうじん)のために止まること少時(しばらく)もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。〓康(けいかう)も、「山沢(さんたく)に遊びて、魚鳥(ぎよてう)を見れば、心楽しぶ」と 言へり。人遠く、水草(みづくさ)清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。

■第二十二段

何事も、古き世のみぞ(した)はしき。今様(いまやう)は、無下(むげ)にい やしくこそなりゆくめれ。かの()の道の(たくみ)の造れる、うつくしき器物(うつはもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

(ふみ)(ことば)などぞ、昔の反古(ほうご)どもはいみじき。たゞ言ふ 言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。(いにしへ)は、「車もたげよ」、 「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様(いまやう)の人は、「もてあげよ」、「 かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立(とのもれうにんじゆた)て」と言ふべき を、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講(さいしやうかう)御聴聞所(みちやうもんじよ)なるをば「御講(ごかう)()」とこそ言ふを、「講廬(かうろ)」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。

■第二十三段

(おとろ)へたる(すゑ)の世とはいへど、なほ、九重(ここのへ)(かむ) さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。

露台(ろだい)朝餉(あさがれひ)何殿(なにでん)何門(なにもん)などは、 いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀(こじとみ)小板敷(こいたじき)高遣戸(たかやりど)なども、めでたくこそ聞ゆれ。「(ぢん)()(まうけ)せよ」と言ふこそいみじけれ。夜の御殿(おとど)のをば、 「かいともしとうよ」など言ふ、まためでたし。上卿(しやうけい)の、陣にて 事,(おこな)へるさまはさらなり、諸司(しよし)下人(しもうど)どもの、 したり顔に馴れたるも、をかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝ・かしこに(ねぶ)り居たるこそをかしけれ。「内侍所(ないしどころ)御鈴(みすず)の音 は、めでたく、(いう)なるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣(とくだいじのおほきおとど)(おほ)せられける。

■第二十四段

斎宮(さいぐう)の、野宮(ののみや)におはしますありさまこそ、やさしく、 面白き事の限りとは覚えしか。「(きやう)」「(ほとけ)」など()みて、 「なかご」「染紙(そめがみ)」など言ふなるもをかし。

すべて、神の(やしろ)こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの()りたる森のけしきもたゞならぬに、玉垣(たまがき)しわたして、(さかき)木綿(ゆふ)()けたるなど、いみじからぬかは。(こと)にをかしきは、 伊勢・賀茂(かも)春日(かすが)・平野・住吉(すみよし)三輪(みわ)・貴布 (きぶね)・吉田・大原野(おほはらの)松尾(まつのを)梅宮(うめのみや)

■第二十五段

飛鳥川(あすかがは)淵瀬(ふちせ)(つね)ならぬ世にしあれば、時移り、 事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ() らとなり、変らぬ住家(すみか)は人,(あらた)まりぬ。桃李(たうり)もの言 はねば、(たれ)とともにか昔を語らん。まして、見ぬ(いにしへ)のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。

京極殿(きやうごくどの)法成寺(ほふじやうじ)など見るこそ、(こころざし)留まり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂(みだう)殿の作り(みが) かせ給ひて、庄園(しやうゑん)多く寄せられ、()御族(おほんぞう)のみ、 御門(みかど)御後見(おほんうしろみ)、世の固めにて、行末(ゆくすゑ)まで とおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。 大門(だいもん)金堂(こんだう)など近くまでありしかど、正和(しやうわ)(ころ)南門(なんもん)は焼けぬ。金堂は、その後、(たふ)れ伏したるま ゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院(むりやうじゆゐん)ばかりぞ、その (かた)とて残りたる。丈六(ぢやうろく)の仏,九体(くたい)、いと(たふと) くて並びおはします。行成(かうぜいの)大納言の(がく)兼行(かねゆき)が 書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華堂(ほつけだう)なども、(いま)だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき 所々は、おのづから、あやしき(いしずゑ)ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。

されば、万に、見ざらん世までを思ひ(おき)てんこそ、はかなかるべけれ。

■第二十六段

風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月(としつき)を思へば、 あはれと聞きし(こと)()ごとに忘れぬものから、我が世の(ほか)に なりゆくならひこそ、()き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。

されば、白き糸の()まんことを悲しび、(みち)のちまたの分れんこと を嘆く人もありけんかし。堀川院(ほりかはのゐん)の百首の歌の中に、

昔見し(いも)墻根(かきね)は荒れにけりつばなまじりの(すみれ)のみして

さびしきけしき、さる事侍りけん。

■第二十七段

御国譲(みくにゆづ)りの節会(せちゑ)行はれて、剣・()内侍所(ないいしどころ)渡し奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。

新院(しんゐん)の、おりゐさせ給ひての春、()ませ給ひけるとかや。

殿守(とのもり)のとものみやつこよそにして(はら)はぬ庭に花ぞ散りしく

今の世のこと(しげ)きにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かゝる(をり)にぞ、人の心もあらはれぬべき。

■第二十八段

諒闇(りやうあん)の年ばかり、あはれなることはあらじ。

倚廬(いろ)御所(ごしょ)のさまなど、板敷(いたじき)を下げ、(あし)御簾(みす)を掛けて、布の帽額(もかう)あらあらしく、御調度(みてうど)ども おろそかに、皆人(みなひと)装束(しやうぞく)太刀(たち)平緒(ひらお)まで、異様(ことやう)なるぞゆゆしき。

■第二十九段

静かに思へば、(よろづ)に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。

反古(ほうご)など()()つる中に、亡き人の手習(てなら)ひ、絵か きすさびたる、見出()でたるこそ、たゞ、その(をり)の心地すれ。このご ろある人の(ふみ)だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思 ふは、あはれなるぞかし。手馴(てな)れし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし。

■第三十段

人の亡き(あと)ばかり、悲しきはなし。

中陰(ちゆういん)のほど、山里などに移ろひて、便(びん)あしく、(せば) き所にあまたあひ()て、後のわざども(いとな)み合へる、心あわたゝし。 日数(ひかず)の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。()ての日は、いと(なさけ)なう、たがひに言ふ事もなく、我賢(かしこ)げに物ひきしたゝめ、ち りぢりに()きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多か るべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため()むなることぞ」な ど言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。

年月経(としつきへ)ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に(うと) しと言へることなれば、さはいへど、その(きは)ばかりは覚えぬにや、よし なし事いひて、うちも笑ひぬ。(から)()うとき山の中にをさめて、さ るべき日ばかり(まう)でつゝ見れば、ほどなく、卒都婆(そとば)(こけ) むし、木の葉降()(うづ)みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

思ひ出でて(しの)ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく()せ て、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶 えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々(としどし)の春の草のみぞ、心 あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に(むせ)びし松も千年(ちとせ) を待たで(たきぎ)(くだ)かれ、古き(つか)()かれて田となりぬ。その(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。

■第三十一段

雪のおもしろう降りたりし(あした)、人のがり言ふべき事ありて、(ふみ) をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事(かへりこと)に、「この雪いかゞ 見ると一筆(ひとふで)のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ 事、聞き()るべきかは。(かへ)(がへ)す口をしき御心(みこころ)なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

■第三十二段

九月廿日(ながつきはつか)の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで 月見ありく事侍りしに、(おぼ)()づる所ありて、案内せさせて、()り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち(かを)りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。

よきほどにて()で給ひぬれど、なほ、事ざまの(いう)に覚えて、物の 隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸(つまど)をいま少し押し開けて、月見るけし きなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、 いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕(あさゆふ)の心づかひによるべし。

その人、ほどなく()せにけりと聞き侍りし。

■第三十三段

今の内裏(だいり)作り(いだ)されて、有職(いうしよく)の人々に見せられ けるに、いづくも(なん)なしとて、(すで)遷幸(せんかう)の日近く成り けるに、玄輝門院(げんきもんゐん)の御覧じて、「閑院殿(かんゐんどの)櫛形(くしがた)の穴は、(まろ)く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。

これは、(えふ)の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

■第三十四段

甲香(かひかう)は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし出でたる貝の蓋なり。

武蔵国金沢(かねさは)といふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと申し侍る」とぞ言ひし。

■第三十五段

手のわろき人の、はばからず、(ふみ)書き()らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。

■第三十六段

「久しくおとづれぬ(ころ)、いかばかり(うら)むらんと、我が(おこた) り思ひ知られて、言葉(ことのは)なき心地するに、女の(かた)より、『 仕丁(じちやう)やある。ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたく、うれしけ れ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し(はんべ)りし、さもあるべき事なり。

■第三十七段

朝夕(あさゆふ)(へだ)てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、 ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更(いまさら)、かくやは」など言ふ人 もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなとぞ覚ゆる。

(うと)き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。

■第三十八段

名利(みやうり)に使はれて、(しづ)かなる(いとま)なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。

(たから)多ければ、身を守るにまどし。害を()ひ、(わづらひ)ひを 招く(なかだち)なり。身の後には、(こがね)をして北斗(ほくと)(ささ)ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる 楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉(きんぎょく)の飾り も、心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。(こがね)は山に() て、(たま)(ふち)に投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。

埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。(くらゐ)高く、 やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家 に生れ、時に()へば、高き位に昇り、(おごり)を極むるもあり。いみじ かりし賢人・聖人、みづから賎しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また 多し。(ひとへ)に高き(つかさ)・位を望むも、次に愚かなり。

智恵と心とこそ、世にすぐれたる(ほまれ)も残さまほしきを、つらつら思 へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、()むる人、(そし)る人、 共に世に(とど)まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。(たれ)をか()ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉はまた毀りの(もと)な り。身の(のち)の名、残りて、さらに(えき)なし。これを願ふも、次に愚かなり。

(ただ)し、()ひて()を求め、(けん)を願ふ人のために言はば、 智恵(ちえ)出でては(いつわ)りあり。才能は煩悩(ぼんなう)増長(ぞうちやう)せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなる をか智といふべき。()不可(ふか)一条(いちでう)なり。いかなるをか 善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、(こう)もなく、名もなし。 誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。(もと)より、 賢愚(けんぐ)得失(とくしつ)(さかひ)にをらざればなり。

迷ひの心をもちて名利の(えう)を求むるに、かくの如し。万事は(みな)()なり。言ふに足らず、願ふに足らず。

■第三十九段

或人(あるひと)法然(ほふねん)上人に、「念仏の時、(ねぶり)にをかさ れて、(ぎやう)を怠り侍る事、いかゞして、この(さは)りを()め侍ら ん」と申しければ、「目の()めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと(たふと)かりけり。

また、「往生(わうじゃう)は、一定(いちじやう)と思へば一定、不定(ふじやう)と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。

また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。

■第四十段

因幡国(いなばのくに)に、(なに)入道(にふだう)とかやいふ者の娘、か たちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、(くり)を のみ食ひて、更に、(よね)(たぐひ)を食はざりれば、「かゝる異様(ことやう)の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親(ゆる)さざりけり。

■第四十一段

五月五日(さつきいつか)賀茂(かも)(くら)べ馬を見侍りしに、車の前 に雑人(ざふにん)立ち(へだ)てて見えざりしかば、おのおの()りて、 (らち)のきはに寄りたれど、(こと)に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。

かかる折に、向ひなる(あふち)の木に、法師の、登りて、木の股についゐ て、物見るあり。取りつきながら、いたう(ねぶ)りて、落ちぬべき時に目を ()ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ物か な。かく(あやふ)き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が 心にふと思ひしまゝに、「我等が生死(しやうじ)の到来、ただ今にもやあらん。 それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひ たれば、前なる人ども、「まことにさにこそ(さうら)ひけれ。(もつと)も 愚かに候ふ」と言ひて、皆、後を見返りて、「こゝに入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。

かほどの(ことわり)、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひか けぬ心地して、胸に当りけるにや。人、木石(ぼくせき)にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

■第四十二段

唐橋中将(からはしのちゆうじやう)といふ人の子に、行雅僧都(ぎやうがのそうづ)とて、教相(けうさう)の人の()する僧ありけり。()の上る病あ りて、年のやうやう()くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で(がた)か りければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額など も腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の(まひ)(おもて) のやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は(いただき)(かた)につき、額のほど鼻になりなどして、(のち)は、(ぼう)の内の人に も見えず(こも)りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。

かゝる病もある事にこそありけれ。

■第四十三段

春の暮つかた、のどやかに(えん)なる空に、(いや)しからぬ家の、奥深 く、木立(こだち)もの()りて、庭に散り(しを)れたる花,見過(みすぐ) しがたきを、さし()りて見れば、南面(みなみおもて)の格子皆おろしてさ びしげなるに、(ひがし)に向きて妻戸(つまど)のよきほどにあきたる、御簾(みす)の破れより見れば、かたち(きよ)げなる男の、年廿(はたち)ばかりに て、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして、机の上に(ふみ)をくりひろげて見ゐたり。

いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。

■第四十四段

あやしの竹の編戸(あみど)の内より、いと若き(をとこ)の、月影に色あひ さだかならねど、つやゝかなる狩衣(かりぎぬ)に濃き指貫(さしぬき)、いとゆ ゑづきたるさまにて、さゝやかなる(わらは)ひとりを()して、(はるか)かなる田の中の細道を、稲葉(いなば)の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛 をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行か ん方知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き()みて、山のきはに 惣門(そうもん)のある内に()りぬ。(しぢ)に立てたる車の見ゆるも、都よ りは目止(とま)る心地して、下人(しもうど)に問へば、「しかしかの宮のおは します比にて、御仏事(ごぶつじ)など候ふにや」と言ふ。

御堂(みだう)(かた)に法師ども参りたり。夜寒(よさむ)の風に誘はれく るそらだきものの匂ひも、身に()む心地す。寝殿より御堂の(らう)に通 ふ女房の追風用意(おひかぜようい)など、人目なき山里ともいはず、心(づか)ひしたり。

心のまゝに茂れる秋の()らは、置き余る露に埋もれて、虫の()かご とがましく、遣水(やりみづ)の音のどやかなり。都の空よりは雲の往来(ゆきき)も速き心地して、月の()(くも)る事定め難し。

■第四十五段

公世(きんよ)の二位のせうとに、良覚僧正(りやうがくそうじやう)と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。

(ぼう)(かたはら)に、大きなる()()のありければ、人、「 榎木(えのきの)僧正」とぞ言ひける。この名然(しか)るべからずとて、かの木 を()られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。 いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池(ほりいけの)僧正」とぞ言ひける。

■第四十六段

柳原(やなぎはら)(へん)に、強盗(ごうだうの)法印と(かう)する僧あ りけり。度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。

■第四十七段

或人(あるひと)清水(きよみづ)へ参りけるに、老いたる尼の行き連れたり けるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前(あまごぜ)、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、(いら)へもせず、なほ 言ひ()まざりけるを、度々問はれて、うち腹立ちて「やゝ。(はな)ひた る時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君(やしなひぎみ)の、比叡山(ひえのやま)(ちご)にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。

有り難き(こころざし)なりけんかし。

■第四十八段

光親卿(みちつかのきやう)、院の最勝講奉行(さいしようかうぶぎよう)して さぶらひけるを、御前(ごぜん)へ召されて、供御(くご)を出だされて食はせら れけり。さて、食ひ散らしたる衝重(ついがさね)御簾(みす)(うち)へさ し入れて、(まか)り出でにけり。女房、「あな(きた)な。誰にとれとてか 」など申し()はれければ、「有職(いうしよく)の振舞、やんごとなき事なり」と、返々(かへすがえす)感ぜさせ給ひけるとぞ。

■第四十九段

老来(おいきた)りて、始めて道を(ぎやう)ぜんと待つことなかれ。古き(つか)、多くはこれ少年(せうねん)の人なり。はからざるに病を受けて、(たちま)ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる(かた)(あやま)れる事は知らるなれ。誤りといふは、()の事にあらず、(すみや) かにすべき事を(ゆる)くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の(くや)しきなり。その時悔()ゆとも、かひあらんや。

人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るま じきなり。さらば、などか、この世の(にご)りも薄く、仏道を(つと)むる心もまめやかならざらん。

「昔ありける(ひじり)は、人来りて自他(じた)要事(えうじ)を言ふ時、 答へて云はく、「今、火急(くわきふ)の事ありて、(すで)朝夕(てうせき)(せま)れり」とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生(わうじやう)()げけり」と、禅林(ぜんりん)十因(じふいん)に侍り。心戒(しんかい) といひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。

■第五十段

応長(おうちやう)の比、伊勢国(いせのくに)より、女の鬼に成りたるをゐて (のぼ)りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、(きやう)白川(しらかは)の人、鬼見(おにみ)にとて()(まど)ふ。「昨日は西園寺(さいをんじ)(まゐ)りたりし」、「今日は(ゐん)へ参るべし」、「た ゞ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言(そらごと)と云う人もなし。上下(じやうげ)、ただ鬼の事のみ言ひ()まず。

その比、東山(ひがしやま)より安居院辺(あぐゐへん)(まか)り侍りしに、 四条(しでう)よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条室町(むろまち) に鬼あり」とのゝしり合へり。今出川(いまでがは)(へん)より見やれば、 院の御桟敷(おんさじき)のあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。 はやく、跡なき事にはあらざんめりとて、人を()りて見するに、おほかた、 ()へる者なし。暮るゝまでかく立ち騒ぎて、(はて)闘諍(とうじやう)起りて、あさましきことどもありけり。

その比、おしなべて、二三日(ふつかみか)、人のわづらふ事侍りしをぞ、か の、鬼の虚言(そらごと)は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。

■第五十一段

亀山殿(かめやまどの)御池(みいけ)に大井川の水をまかせられんとて、大 井の土民(どみん)に仰せて、水車(みづぐるま)を作らせられけり。多くの(あし)を給ひて、数日(すじつ)に営み出だして、掛けたりけるに、大方廻(おほかためぐ)らざりければ、とかく直しけれども、(つひ)に廻らで、いたづらに立てりけり。

さて、宇治の里人(さとびと)を召して、こしらへさせられければ、やすらか に()ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事めでたかりけり。

万に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。

■第五十二段

仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで石清水(いはしみづ)(をが)ま ざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)より 詣でけり。極楽寺・高良(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果し侍りぬ。 聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、 何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほんい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり。

■第五十三段

これも仁和寺の法師、(わらは)の法師にならんとする名残(なごり)とて、 おのおのあそぶ事ありけるに、()ひて興に入る余り、(かたはら)なる足 (あしがなへ)を取りて、(かしら)(かづ)きたれば、(つま)るやうに するを、鼻をおし(ひら)めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座(まんざ)興に入る事限りなし。

しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いか ゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、(くび)(まは)り欠けて、血垂() り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやす く割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足(みつあし)なる角の上に帷子(かたびら)をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、 京なる医師(くすし)のがり()()きける、道すがら、人の怪しみ見る 事限りなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様(ことやう)なりけめ。物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。「かゝること は、(ふみ)にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰 りて、親しき者、老いたる(はわ)など、枕上(がみ)に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。

かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばか りはなどか生きざらん。たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、(わら)の しべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻 欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

■第五十四段

御室(おむろ)にいみじき(ちご)のありけるを、いかで誘ひ(いだ)して遊 ばんと(たく)む法師どもありて、(のう)あるあそび法師どもなどかたらひ て、風流の破子(わりご)やうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情(はこふぜい)の物にしたゝめ入れて、(ならび)の岡の便(びん)よき所に(うづ) み置きて、紅葉(もみぢ)散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそゝのかし出でにけり。

うれしと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて、ありつる(こけ)のむしろに()み居て、「いたうこそ(こう)じにたれ」、「あはれ、紅葉(もみじ)()かん人もがな」、「(げん)あらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろ ひて、埋みつる()(もと)に向きて、数珠(じゆず)おし()り、(いん)ことことしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきの けたれど、つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山を あされども、なかりけり。(うづ)みける人を見置きて、御所へ参りたる間に 盗めるなりけり。法師ども、(こと)の葉なくて、聞きにくゝいさかひ、腹立ちて帰りにけり。

あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。

■第五十五段

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。(あつ)(ころ)わろき住居(すまひ)は、堪へ難き事なり。

深き水は、(すず)しげなし。浅くて流れたる、(はる)かに涼し。細かな る物を見るに、遣戸(やりど)は、(しとみ)の間よりも明し。天井の高きは、 冬寒く、(ともしび)暗し。造作(ざうさく)は、用なき所を作りたる、見るも 面白く、(よろづ)の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。

■第五十六段

久しく(へだた)りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく 語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、(ほど)経て見るは、 恥づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日(けふ)ありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、 人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よ からぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りな せば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事を言ひてもいたく 興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど(はか)られぬべき。

人の身ざまのよし・あし、(ざえ)ある人はその事など定め合へるに、(おの)が身をひきかけて言ひ()でたる、いとわびし。

■第五十七段

人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ、本意(ほい)なけれ。少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。

すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。

■第五十八段

道心(だうしん)あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、 後世(ごせ)を願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。 げには、この世をはかなみ、必ず、生死を出でんと思はんに、何の興ありてか、 朝夕君(あさゆうきみ)に仕へ、家を(かへり)みる営みのいさましからん。心 は(えん)にひかれて移るものなれば、(しづ)かならでは、道は(ぎやう)じ難し。

その(うつはもの)、昔の人に及ばず、山林に入りても、(うゑ)を助け、 嵐を(ふせ)くよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世を(むさぼ)るに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。さればとて、「(そむ)けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下(むげ)の事なり。さすがに、一度(ひとたび)、道に入りて世を(いと)はん人、 たとひ(のぞみ)ありとも、(いきほひ)ある人の貪欲(とんよく)多きに似る べからず。紙の(ふすま)、麻の(ころも)一鉢(ひとはち)のまうけ、(あかぎ)(あつもの)、いくばくか人の(つひ)えをなさん。求むる所は得 やすく、その心はやく足りぬべし。かたちに恥づる所もあれば、さはいへど、悪には疎く、善には近づく事のみぞ多き。

人と生れたらんしるしには、いかにもして世を(のが)れんことこそ、あら まほしけれ。(ひと)へに貪る事をつとめて、菩提(ぼだい)(おもむ)かざらんは、万の畜類に変る所あるまじくや。

■第五十九段

大事(だいじ)を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意(ほんい) を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばし。この事果てて」、「同じく は、かの事沙汰(さた)しおきて」、「しかしかの事、人の(あざけり)りやあ らん。行末難(ゆくすゑなん)なくしたゝめまうけて」、「年来(としごろ)もあ ればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒(さわ)がしからぬやうに」など 思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立 つ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期(いちご)は過ぐめる。

近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。身を助けんとすれば、(はぢ)をも顧みず、(たから)をも捨てて(のが)れ去るぞかし。命は人を待つ ものかは。無常の来る事は、水火(すゐくわ)の攻むるよりも(すみや)かに、 遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の(なさけ)、捨て難しとて捨てざらんや。

■第六十段

真乗院(しんじようゐん)に、盛親僧都(じやうしんそうづ)とて、やんごとな き智者ありけり。芋頭(いもがしら)といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の 座にても、大きなる(はち)にうづたかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひなが ら、文をも読みけり。(わづら)ふ事あるには、七日(なぬか)二七日(ふたなぬか)など、療治(れうぢ)とて籠り居て、思ふやうに、よき芋頭を選びて、 ことに多く食ひて、万の病を癒しけり。人に食はする事なし。たゞひとりのみ ぞ食ひける。極めて貧しかりけるに、師匠、死にさまに、銭二百貫と(ぼう) ひとつを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万(びき)を芋頭の (あし)と定めて、京なる人に預け置きて、十貫づつ取り寄せて、芋頭を(とも)しからず召しけるほどに、また、他用(ことよう)に用ゐることなくて、 その(あし)皆に成りにけり。「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく(はか)らひける、まことに有り難き道心(じや)なり」とぞ、人申しける。

この僧都、(ある)法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「と は何物ぞ」と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。

この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書(のうじよ)学匠(がくしよう)辯舌(べんぜつ)、人にすぐれて、宗の法燈(ほふとう)なれば、寺中(じちゆう)にも重く思はれたりけれども、世を(かろ)く思ひたる曲者(くせもの)に て、万自由(じいう)にして、大方、人に従ふといふ事なし。出仕(しゆつし)し て饗膳(きやうぜん)などにつく時も、皆人の前据()ゑわたすを待たず、我が 前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて 行きけり。(とき)非時(ひじ)も、人に等しく定めて食はず。我が食ひたき 時、夜中にも(あかつき)にも食ひて、(ねぶ)たければ、昼もかけ籠りて、 いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜(いくよ)()ねず、心を()ましてうそぶきありきなど、尋常(よのつね)ならぬ さまなれども、人に(いと)はれず、万許されけり。徳の至れりけるにや。

■第六十一段

御産(ごさん)の時、(こしき)落す事は、定まれる事にあらず。御胞衣(おんえな)とゞこほる時のまじなひなり。とゞこほらせ給はねば、この事なし。

下ざまより事起りて、させる本説(ほんぜつ)なし。大原の里の甑を召すなり。 古き宝蔵(ほうざう)の絵に、(いや)しき人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。

■第六十二段

延政門(えんせいもん)院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言(おんこと)つてとて申させ給ひける御歌、

ふたつ文字(もじ)、牛の(つの)文字、()ぐな文字、(ゆが)み文字とぞ君は(おぼ)ゆる

恋しく思ひ参らせ給ふとなり。

■第六十三段

後七日(ごしちにち)阿闍梨(あざり)武者(むしや)を集むる事、いつとか や、盗人(ぬすびと)にあひにけるより、宿直人(とのゐびと)とて、かくことこ としくなりにけり。一年(ひととせ)(さう)は、この修中(しゆぢゆう)のあ りさまにこそ見ゆなれば、(つはもの)を用ゐん事、穏かならぬことなり。

■第六十四段

「車の五緒(いつつを)は、必ず人によらず、程につけて、(きは)むる(つかさ)(くらゐ)に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。

■第六十五段

この(ごろ)(かむり)は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の 冠桶(かむりをけ)を持ちたる人は、はたを()ぎて、今用(もち)ゐるなり。

■第六十六段

岡本関白殿(をかもとのくわんぱくどの)、盛りなる紅梅(こうばい)の枝に、鳥一双(いつそう)()へて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼(おんたかがひ)下毛野武勝(しもつけののたけかつ)に仰せられたりけるに、「 花に鳥付くる(すべ)、知り候はず。一枝(ひとえだ)に二つ付くる事も、存知(ぞんぢ)し候はず」と申しければ、膳部(ぜんぶ)に尋ねられ、人々に問はせ給 ひて、また、武勝に、「さらば、(おの)れが思はんやうに付けて参らせよ」 と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。

武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。 五葉(ごえふ)などにも付く。枝の長さ七尺(しちしやく)(あるひ)六尺(ろくしやく)(かへ)刀五分(がたなごぶ)に切る。枝の(なかば)に鳥を 付く。付くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所(ふたところ) 付くべし。藤の先は、ひうち()(たけ)に比べて切りて、牛の角のやう に(たわ)むべし。初雪の(あした)、枝を肩にかけて、中門(ちゆうもん)よ り振舞ひて参る。大砌(おほみぎり)の石を伝ひて、雪に跡をつけず、あまおほ ひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄(かうらん)に寄せ掛く。(ろく)を出ださるれば、肩に掛けて、(はい)して退(しりぞ)く。初雪といへ ども、(くつ)のはなの隠れぬほどの雪には、参らず。あまおほひの毛を散ら すことは、鷹はよわ腰を取る事なれば、御鷹(おんたか)の取りたるよしなるべし」と申しき。

花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月(ながづき)ばかりに、梅 の作り枝に(きじ)を付けて、「君がためにと折る花は時しも()かぬ」と 言へる事、伊勢物語に見えたり。造り花は苦しからぬにや。

■第六十七段

賀茂(かも)岩本(いはもと)橋本(はしもと)は、業平(なりひら)実方(さねかた)なり。人の常に言ひ(まが)へ侍れば、一年(ひととせ)参りたりしに、 老いたる宮司(みやづかさ)の過ぎしを呼び(とど)めて、(たず)ね侍りしに、 「実方は、御手洗(みたらし)に影の映りける所と侍れば、橋本や、なほ水の近 ければと覚え侍る。吉水和尚(よしみづのくわしやうの)の、

月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はこゝにありはら

と詠み給ひけるは、岩本の(やしろ)とこそ(うけたまは)り置き侍れど、(おの)れらよりは、なかなか、御存知などもこそ候はめ」と、いとやうやうしく言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。

今出川院近衛(いまでがはゐんのこのゑ)とて、(しふ)どもにあまた入りた る人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前(みまへ) の水にて書きて、手向(たむ)けられけり。まことにやんごとなき(ほまれ)れ ありて、人の口にある歌多し。作文(さくもん)詞序(しじよ)など、いみじく書く人なり。

■第六十八段

筑紫(つくし)に、なにがしの押領使(あふりやうし)などいふやうなる者のあ りけるが、土大根(つちおほね)を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ひける事、年(ひさ)しくなりぬ。

或時(あるとき)(たち)の内に人もなかりける(ひま)をはかりて、敵襲(かたきおそ)ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に(つはもの)二人出で来て、 命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してんげり。いと不思議に覚えて、「日比(ひごろ)こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」 と問ひければ、「年来(としごろ)頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、()せにけり。

深く(しん)(いた)しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。

■第六十九段

書写(しよしや)上人(しやうにん)は、法華読誦(ほつけどくじゆ)(こう) 積りて、六根浄(ろくこんじやう)にかなへる人なりけり。旅の仮屋(かりや)に 立ち入られけるに、豆の殻を()きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き 給ひければ、「(うと)からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、(から) き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆殻のばらばらと鳴る音は、「 我が心よりすることかは。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。

■第七十段

元応(げんおう)清暑堂(せいしよだう)御遊(ぎよいう)に、玄上(げんじやう)は失せにし比、菊亭大臣(きくていのおとど)牧馬(ぼくば)(たん)じ 給ひけるに、座に()きて、()(ぢゆう)を探られたりければ、一つ 落ちにけり。御懐(おんふところ)にそくひを持ち給ひたるにて付けられにけれ ば、神供(じんぐ)の参る程によく()て、事故(ことゆゑ)なかりけり。

いかなる意趣(いしゆ)かありけん。物見ける衣被(きぬかづき)の、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。

■第七十一段

名を聞くより、やがて、面影(おもかげ)()(はか)らるゝ心地(ここち)するを、見る時は、また、かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ、 昔物語(むかしものがたり)を聞きても、この(ごろ)の人の家のそこほどにて ぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覚ゆるにや。

また、如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の(うち)に、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

■第七十二段

(いや)しげなる物、()たるあたりに調度(てうど)の多き。(すずり) に筆の多き。持仏堂(じぶつだう)に仏の多き。前栽(せんざい)に石・草木の多 き。家の内に子孫(こうまご)の多き。人にあひて(ことば)の多き。願文(ぐわんもん)作善(さぜん)多く書き載せたる。

多くて見苦しからぬは、文車(ふぐるま)(ふみ)塵塚(ちりづか)の塵。

■第七十三段

世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。

あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月(としつき)過ぎ、(さかひ)(へだた)りぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆にも書き(とど) めぬれば、やがて定まりぬ。道々の物の上手(じやうず)のいみじき事など、か たくななる人の、その道知らぬは、そゞろに、神の如くに言へども、道知れる 人は、さらに、信も起さず。音に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。

かつあらはるゝをも(かへり)みず、口に(まか)せて言ひ散らすは、やが て、浮きたることと(きこ)ゆ。また、我もまことしからずは思ひながら、人 の言ひしまゝに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げに げにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合は せて語る虚言は、恐しき事なり。我がため面目あるやうに言はれぬる虚言は、 人いたくあらがはず。皆人の興ずる虚言は、ひとり、「さもなかりしものを」 と言はんも(せん)なくて聞きゐたる程に、証人にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。

とにもかくにも、虚言多き世なり。たゞ、常にある、珍らしからぬ事のまゝ に心得たらん、万違ふべからず。(しも)ざまの人の物語は、耳驚く事のみあり。よき人は怪

しき事を語らず。

かくは言へど、仏神(ぶつじん)奇特(きどく)権者(ごんじや)の伝記、さ のみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗(せぞく)の虚言をねんごろに信じ たるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方は、まこと しくあひしらひて、(ひとへ)に信ぜず、また、疑ひ嘲るべからずとなり。

■第七十四段

(あり)の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に(わし)る人、高きあり、 (いや)しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。(ゆふべ)()ねて、(あした)に起く。いとなむ所何事ぞや。生を(むさぼり)り、利を求めて、止む時なし。

身を養ひて、何事をか待つ。()する(ところ)、たゞ、老と死とにあり。 その来る事速かにして、念々(ねんねん)の間に止まらず。これを待つ間、何の 楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利(みやうり)(おぼ)れて、 先途(せんど)の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。 常住(じやうぢゆう)ならんことを思ひて、変化(へんげ)(ことはり)を知らねばなり。

■第七十五段

つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ方なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。

世に従へば、心、(ほか)(ちり)に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言 葉、よその聞きに(したが)ひて、さながら、心にあらず。人に(たはぶ)れ、 物に争ひ、一度(ひとたび)は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分 (ふんべつ)みだりに起りて、得失(とくしつ)止む時なし。惑ひの上に() へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。

(いま)だ、まことの道を知らずとも、(えん)を離れて身を閑かにし、事 にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生 活・人事(にんじ)伎能(ぎのう)・学問等の諸縁(しよえん)を止めよ」とこそ、摩訶止観(まかしくわん)にも侍れ。

■第七十六段

世の覚え(はな)やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く行きとぶ らふ中に、聖法師(ひじりぼうし)の交じりて、言ひ入れ、たゝずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。

さるべき故ありとも、法師は人にうとくてありなん。

■第七十七段

世中(よのなか)に、その比、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふ べきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、 うけられね。ことに、片ほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋 ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。

■第七十八段

今様(いまやう)の事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。

いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、 心得たるどち、片端(かたはし)言ひ交し、目見合(めみあ)はせ、笑ひなどして、 心知らぬ人に心得ず思はする事、世慣れず、よからぬ人の必ずある事なり。

■第七十九段

何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知 り顔にやは言ふ。片田舎(かたゐなか)よりさし出でたる人こそ、万の道に心得 たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。

よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。

■第八十段

人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は、(つはもの)の道を 立て、(えびす)は、弓ひく(すべ)知らず、仏法(ぶつぽふ)知りたる気色(きそく)し、連歌(れんが)し、管絃(くわんげん)(たしな)み合へり。され ど、おろかなる(おの)れが道よりは、なほ、人に思ひ(あなづ)られぬべし。

法師のみにもあらず、上達部(かんだちめ)殿上人(てんじやうびと)(かみ)ざままで、おしなべて、()を好む人多かり。百度(ももたび)戦ひて百 度勝つとも、(いま)だ、武勇(ぶゆう)の名を定め難し。その故は、運に乗じ て敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵尽き、矢窮(きはま)りて、つひ に敵に(くだ)らず、死をやすくして(のち)、初めて名を(あら)はすべき 道なり。生けらんほどは、武に(ほこ)るべからず。人倫(じんりん)に遠く、 禽獣(きんじう)に近き振舞(ふるまひ)、その家にあらずは、好みて(やく)なきことなり。

■第八十一段

屏風(びやうぶ)障子(しやうじ)などの、絵も文字もかたくななる筆様(ふでやう)して書きたるが、見にくきよりも、宿(やど)(あるじ)のつたなく覚ゆるなり。

大方、持てる調度(てうど)にても、心劣りせらるゝ事はありぬべし。さのみ よき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、(しな)なく、見にく きさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし添へ、わづらはしく好み なせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたくことことしからず、つひえもなくて、物がらのよきがよきなり。

■第八十二段

(うすもの)表紙(へうし)は、()く損ずるがわびしき」と人の言ひ しに、頓阿(とんな)が、「羅は上下(かみしも)はつれ、螺鈿(らでん)(ぢく)は貝落ちて(のち)こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして 覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、 弘融(こうゆう)僧都(そうづ)が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき 者のする事なり。不具(ふぐ)なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。

「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさ て打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏(だいり)造らるゝにも、 必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢(せんけん) の作れる内外(ないげ)(ふみ)にも、章段(しやうだん)()けたる事のみこそ侍れ。

■第八十三段

竹林院入道左大臣殿(ちくりんゐんのにふだうさだいじんどの)、太政大臣に (あが)り給はんに、何の(とどこほ)りかおはせんなれども、「珍しげなし。 一上(いちのかみ)にて()みなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿(とうゐんのさだいじんどの)、この事を甘心(かんしん)し給ひて、相国(しやうこく)の望みおはせざりけり。

亢竜(かうりよう)(くい)あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちては 欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。

■第八十四段

法顕三蔵(ほつけんさんざう)の、天竺(てんぢく)に渡りて、故郷(ふるさと)(あふぎ)を見ては悲しび、病に()しては漢の(じき)を願ひ給ひける 事を聞きて、「さばかりの人の、無下(むげ)にこそ心弱き気色(けしき)を人の 国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都(こうゆうそうづ)、「(いう)に情ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。

■第八十五段

人の心すなほならねば、(いつは)りなきにしもあらず。されども、おのづ から、正直(しやうぢき)の人、などかなからん。(おの)れすなほならねど、 人の(けん)を見て(うらや)むは、尋常(よのつね)なり。至りて愚かなる人 は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、(すこ)しきの利を受けず、(いつは)り飾りて名を立てんとす」と(そし)る。 己れが心に(たが)へるによりてこの(あざけ)りをなすにて知りぬ、この人 は、下愚(かぐ)(せい)移るべからず、偽りて小利(せうり)をも()すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。

狂人の真似(まね)とて大路(おほち)を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似と て人を殺さば、悪人なり。()を学ぶは驥の(たぐ)ひ、(しゆん)を学ぶ は舜の(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

■第八十六段

惟継(これつぐの)中納言は、風月(ふげつ)(ざえ)に富める人なり。一生精進(いつしやうしやうじん)にて、読経(どつきやう)うちして、寺法師(てらぼふし)円伊僧正(ゑんいんそうじやう)と同宿して侍りけるに、文保(ぶんぽう)三井寺(みゐでら)焼かれし時、坊主にあひて、「御坊(ごぼう)をば寺法 師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀句(しうく)なりけり。

■第八十七段

下部(しもべ)に酒飲まする事は、心すべきことなり。宇治(うぢ)に住み侍り けるをのこ、京に、具覚房(ぐかくぼう)とて、なまめきたる遁世(とんぜい)の 僧を、こじうとなりければ、常に申し(むつ)びけり。或時(あるとき)、迎へ に馬を(つかは)したりければ、「(はる)かなるほどなり。(くち)づきの をのこに、()づ一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さし受けさし受け、よゝと飲みぬ。

太刀(たち)うち()きてかひがひしげなれば、(たの)もしく覚えて、()()して行くほどに、木幡(こはだ)のほどにて、奈良法師(ならぼふし) の、兵士(ひやうじ)あまた()して逢ひたるに、この男立ち向ひて、「日暮 れにたる山中(さんちゆう)に、怪しきぞ。(とま)り候へ」と言ひて、太刀を 引き抜きければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を()りて、「(うつ)し心なく()ひたる者に候ふ。まげて許し給はらん」 と言ひければ、おのおの(あざけ)りて過ぎぬ。この男、具覚房にあひて、「 御房(ごばう)は口惜しき事し給ひつるものかな。己れ酔ひたる事侍らず。高名(かうみやう)仕らんとするを、抜ける太刀(むな)しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬りに斬り落としつ。

さて、「山だちあり」とのゝしりければ、里人(さとびと)おこりて出であへ ば、「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたし て手負(てお)ほせ、打ち伏せて(しば)りけり。馬は血つきて、宇治大路(うぢのおほち)の家に走り入りたり。あさましくて、をのこどもあまた走らかし たれば、具覚房はくちなし原にによひ伏したるを、求め出でて、()きもて 来つ。辛き(いのち)生きたれど、腰斬り(そん)ぜられて、かたはに成りにけり。

■第八十八段

或者(あるもの)小野道風(をののたうふう)の書ける和漢朗詠集(わかんらうえいしふ)とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝(ごさうでん)、浮ける事に は侍らじなれども、四条(しでうの)大納言(えら)ばれたる物を、道風書かん 事、時代や(たが)ひ侍らん。覚束(おぼつか)なくこそ」と言ひければ、「さ (さうら)へばこそ、世にあり(がた)き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵(ひさう)しけり。

■第八十九段

「奥山に、(ねこ)またといふものありて、人を(くら)ふなる」と人の言 ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上(へあが)りて、猫またに成 りて、人とる事はあんなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏(なにあみだぶつ)とかや、連歌(れんが)しける法師の、行願寺(ぎやうぐわんじ)の辺 にありけるが聞きて、独り(あり)かん身は心すべきことにこそと思ひける(ころ)しも、或所にて夜更(よふ)くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小 (こがは)(はた)にて、(おと)に聞きし猫また、あやまたず、足許(あしもと)へふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、(くび)のほどを食はんと す。肝心(きもごころ)も失せて、(ふせ)かんとするに力もなく、足も立たず、 小川へ転び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松ど もともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何(いか)に」とて、川の中より(いだ)き起したれば、連歌の賭物(かけもの)取り て、(あふぎ)小箱(こばこ)など(ふところ)に持ちたりけるも、水に入り ぬ。希有(けう)にして助かりたるさまにて、()ふ這ふ家に入りにけり。

飼ひける犬の、暗けれど、(ぬし)を知りて、飛び付きたりけるとぞ。

■第九十段

大納言法印(ほふいん)召使(めしつか)ひし乙鶴丸(おとづるまる)、やすら 殿といふ者を知りて、常に()(かよ)ひしに、或時出でて帰り来たるを、 法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがり(まか)りて 候ふ」と言ふ。「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖掻(そでか)き合せて、「いかゞ候ふらん。(かしら)をば見候はず」と答へ申しき。

などか、(かしら)ばかりの見えざりけん。

■第九十一段

赤舌日(しやくぜちにち)といふ事、陰陽道(おんやうだう)には沙汰(さた)な き事なり。昔の人、これを()まず。この比、何者(なにもの)の言ひ出でて 忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこ と、したりしことかなはず、得たりし物は(うしな)ひつ、(くはた)てたり し事成らずといふ、愚かなり。吉日(きちにち)を撰びてなしたるわざの末とほらぬを(かぞ)へて見んも、また等しかるべし。

その故は、無常変易(むじやうへんえき)(さかひ)、ありと見るものも存 ぜず。始めある事も終りなし。(こころざし)は遂げず。望みは絶えず。人の 心不定(ふじやう)なり。物皆幻化(ものみなげんげ)なり。何事か(しばら)く も(ぢゆう)する。この(ことわり)を知らざるなり。「吉日(きちにち)に悪 をなすに、必ず凶なり。悪日(あくにち)に善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶(きつきよう)は、人によりて、日によらず。

■第九十二段

或人(あるひと)、弓()る事を習ふに、諸矢(もろや)をたばさみて的に(むか)ふ。師の云はく、「初心(しよしん)の人、二つの矢を持つ事なかれ。(のち)の矢を(たの)みて、始めの矢に等閑(なほざり)の心あり。毎度(まいど)、 たゞ、得失(とくしつ)なく、この一矢(ひとや)(さだ)むべしと思へ」と云 ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠(けだい)の心、みづから知らずといへども、師これを知る。この(いまし)め、万事(ばんじ)にわたるべし。

(みち)(がく)する人、(ゆうべ)には(あした)あらん事を思ひ、朝 には夕あらん事を思ひて、重ねてねんごろに(しゆ)せんことを()す。(いは)んや、一刹那(せつな)の中において、懈怠の心ある事を知らんや。何ぞ、 たゞ今の一念において、(ただ)ちにする事の(はなは)(かた)き。

■第九十三段

「牛を売る者あり。買ふ人、明日(あす)、その(あたひ)をやりて、牛を取 らんといふ。()()に牛死ぬ。買はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と語る人あり。

これを聞きて、かたへなる者の云はく、「牛の(ぬし)、まことに損ありと いへども、また、大きなる利あり。その故は、(しやう)あるもの、死の近き 事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、 はからざるに主は存ぜり。一日の命、万金(まんきん)よりも重し。牛の値、鵝 (がまう)よりも(かろ)し。万金を得て一銭を失はん人、損ありと言ふべか らず」と言ふに、皆人(みなひと)嘲りて、「その理は、牛の主に限るべからず」と言ふ。

また云はく、「されば、人、死を憎まば、(しやう)を愛すべし。存命(ぞんめい)の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、い たづがはしく(ほか)の楽しびを求め、この(たから)を忘れて、(あやふ) く他の財を貪るには、(こころざし)満つ事なし。行ける間生を楽しまずして、 死に(のぞ)みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、 死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。も しまた、生死(しやうじ)(そう)にあづからずといはば、(まこと)の理を得たりといふべし」と言ふに、人、いよいよ嘲る。

■第九十四段

常磐井相国(ときはゐのしやうこく)出仕(しゆつし)し給ひけるに、勅書(ちよくしよ)を持ちたる北面(ほくめん)あひ奉りて、馬より下りたりけるを、相 国、後に、「北面某(なにがし)は、勅書を持ちながら下馬(げば)し侍りし者な り。かほどの者、いかでか、君に仕うまつり候ふべき」と申されければ、北面を放たれにけり。

勅書を、馬の上ながら、(ささ)げて見せ奉るべし、下るべからずとぞ。

■第九十五段

(はこ)のくりかたに()を付くる事、いづかたに付け侍るべきぞ」と、 ある有職(いうしよく)の人に尋ね申し侍りしかば、「(ぢく)に付け、表紙に 付くる事、両説(りやうせつ)なれば、いづれも(なん)なし。(ふみ)の箱は、 多くは右に付く。手箱(てばこ)には、軸に付くるも常の事なり」と仰せられき。

■第九十六段

めなもみといふ草あり。くちばみに()されたる人、かの草を()みて 付けぬれば、即ち()ゆとなん。見知りて置くべし。

■第九十七段

その物に付きて、その物をつひやし損ふ物、数を知らずあり。身に(しらみ) あり。家に(ねずみ)あり。国に(ぞく)あり。小人(せうじん)(ざい)あ り。君子(くんし)仁義(じんぎ)あり。僧に(ほふ)あり。

■第九十八段

(たふと)きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談(いちごんはうだん)とかや名づけたる草子(さうし)を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども。

一 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。

後世(ごせ)を思はん者は、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまじきことなり。 持経(ぢきやう)本尊(ほんぞん)に至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。

遁世者(とんぜいじや)は、なきにことかけぬやうを(はから)ひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。

上臈(じやうらふ)下臈(げらふ)に成り、智者(ちしや)愚者(ぐしや)に 成り、徳人(とくにん)(ひん)に成り、能ある人は無能に成るべきなり。

一 仏道を願ふといふは、別の事なし。(いとま)ある身になりて、世の事を心にかけぬ

を、第一の道とす。

この外もありし事ども、覚えず。

■第九十九段

堀川相国(ほりかはのしやうこく)は、美男(びなん)のたのしき人にて、その こととなく過差(くわさ)を好み給ひけり。御子(おんこ)基俊卿(もととし)を大 (だいり)になして、庁務(ちやうむ)行はれけるに、庁屋(ちようや)唐櫃(からひつ)見苦しとて、めでたく作り改めらるべき(よし)仰せられけるに、 この唐櫃は、上古(しやうこ)より伝はりて、その始めを知らず、数百年(すひやくねん)を経たり。累代(るゐたい)公物(くもつ)古弊(こへい)をもちて 規模とす。たやすく改められ難き由、故実(こしつ)の諸官等申しければ、その事止みにけり。

■第百段

久我相国(こがのしやうこく)は、殿上(てんじやう)にて水を()しけるに、 主殿司(とのもづかさ)土器(かはらけ)を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。

■第百一段

或人(あるひと)任大臣(にんだいじん)節会(せちゑ)内辨(ないべん)を 勤められけるに、内記(ないき)の持ちたる宣命(せんみやう)を取らずして、堂 (たうしやう)せられにけり。極まりなき失礼(しちらい)なれども、立ち帰り 取るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記康綱(ろくゐのげきやすつな)衣被(きぬかづ)きの女房をかたらひて、かの宣命を持たせて、忍びやかに奉らせけり。いみじかりけり。

■第百二段

(いんの)大納言光忠卿(みつただのきやう)追儺(つゐな)上卿(しやうけい)を勤められけるに、洞院(とうゐんの)右大臣殿に次第(しだい)を申し() けられければ、「又五郎男(またごらうをのこ)を師とするより(ほか)才覚(さいかく)候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士(ゑじ)の、よく公事(くじ)に慣れたる者にてぞありける。

近衛(このゑ)殿著陣(ちやくぢん)し給ひける時、(ひざつき)を忘れて、外記(げき)を召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ、軾を召さるべくや候 ふらん」と忍びやかに(つぶや)きける、いとをかしかりけり。

■第百三段

大覚寺殿(だいかくじどの)にて、近習(きんじゆ)の人ども、なぞなぞを作り て解かれける処へ、医師忠守(くすしただもり)参りたりけるに、侍従(じじゆう)大納言公明卿(きんあきらのきやう)、「我が(てう)の者とも見えぬ忠守 かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐医師(からいし)」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退(まか)()でにけり。

■第百四段

荒れたる宿の、人目(ひとめ)なきに、女の、(はばか)る事ある(ころ)に て、つれづれと(こも)り居たるを、或人、とぶらひ給はんとて、夕月夜(ゆふづくよ)のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことことし くとがむれば、下衆女(げすをんな)の、出でて、「いづくよりぞ」と言ふに、 やがて案内せさせて、入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、 いと心ぐるし。あやしき板敷(いたじき)(しば)し立ち給へるを、もてしづ めたるけはひの、(わか)やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあ け所狭(ところせ)げなる遣戸(やりど)よりぞ入り給ひぬる。

(うち)のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ、火はあなたにほのか なれど、もののきらなど見えて、(には)かにしもあらぬ匂ひいとなつかしう 住みなしたり。「(かど)よくさしてよ。雨もぞ降る、御車(みくるま)は門の 下に、御供(おとも)の人はそこそこに」と言へば、「今宵(こよひ)ぞ安き()()べかんめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの(きこ)ゆ。

さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに、夜深(よぶか)き鳥も鳴きぬ。 ()し方・行末(ゆくすゑ)かけてまめやかなる(おん)物語に、この(たび)は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜 深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、(ひま)白くなれ ば、忘れ難き事など言ひて立ち()で給ふに、(こずゑ)も庭もめづらしく 青み渡りたる卯月(うづき)ばかりの(あけぼの)(えん)にをかしかりしを (おぼ)し出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

■第百五段

北の屋蔭(やかげ)に消え残りたる雪の、いたう(こほ)りたるに、さし寄せ たる車の(ながえ)も、霜いたくきらめきて、有明(ありあけ)の月、さやかな れども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂(みだう)(らう)に、なみなみ にはあらずと見ゆる(をとこ)(をんな)となげしに尻かけて、物語するさまこそ、何事かあらん、()きすまじけれ。

かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひのさと(かほ)りた るこそ、をかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、ゆかし。

■第百六段

高野証空上人(かうやのしようくうしやうにん)、京へ上りけるに、細道(ほそみち)にて、馬に乗りたる女の、()きあひたりけるが、口曳()きける男、 あしく曳きて、(ひじり)の馬を堀へ落してんげり。

聖、いと腹悪(はらあ)しくとがめて、「こは希有(けう)狼藉(らうぜき)か な。四部(しぶ)の弟子はよな、比丘(びく)よりは比丘尼(びくに)に劣り、比丘 尼より優婆塞(うばそく)は劣り、優婆塞より優婆夷(うばい)は劣れり。かくの 如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入(けい)れさする、未曾有(みぞう)悪行(あくぎやう)なり」と言はれければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝ やらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほいきまきて、「何と言ふぞ、 非修非学(ひしゅひがく)の男」とあらゝかに言ひて、極まりなき放言(はうごん)しつと思ひける気色(けしき)にて、馬ひき返して逃げられにけり。

(たふと)かりけるいさかひなるべし。

■第百七段

「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきも のぞ」とて、亀山(かめやまの)院の御時、しれたる女房ども、若き男達(おのこたち)の参らるる毎に、「郭公(ほととぎす)や聞き給へる」と問ひて心見(こころみ)られけるに、(なにがし)の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞 き候はず」と答へられけり。堀川(ほりかはの)内大臣殿は、「岩倉(いはくら) にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは(なん)なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。

すべて、(おのこ)をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前(じやうどじのさきの)関白殿は、(をさな)くて、安喜門院(あんきもん) のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞(おんことば)などのよきぞ」と、人 の仰せられけるとかや。山階(やましなの)左大臣殿は、「あやしの下女(しもをんな)の身奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけ れ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)(かむり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

かく人に恥ぢらるゝ女、如何(いか)ばかりいみじきものぞと思ふに、女の(しやう)は皆ひがめり。人我(にんが)(さう)深く、貪欲甚(とんよくはなは) だしく、物の(ことわり)を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、(ことば)も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、ま た、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男 の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、(あと)より(あら)はるゝを知 らず。すなほならずして(つたな)きものは、女なり。その心に(したが)ひ てよく思はれん事は、心憂(こころう)かるべし。されば、何かは女の恥づかし からん。もし賢女(けんじよ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。 たゞ、迷ひを(あるじ)としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも(おぼ)ゆべき事なり。

■第百八段

寸陰惜(すんいんを)しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かに して怠る人のために言はば、一銭軽(いつせんかろ)しと言へども、これを重ぬ れば、貧しき人を富める人となす。されば、商人(あきびと)の、一銭を惜しむ 心、(せつ)なり。刹那(せつな)覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を()ふる()(たちま)ちに至る。

されば、道人(だうにん)は、遠く日月(にちぐわつ)を惜しむべからず。たゞ 今の一念(いちねん)(むな)しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、 我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日(けふ)の暮るゝ間、 何事をか頼み、何事をか営まん。我等(われら)が生ける今日の日、何ぞ、その 時節(じせつ)に異ならん。一日のうちに、飲食(おんじき)便利(べんり)・睡 (すゐめん)言語(ごんご)行歩(ぎやうぶ)、止む事を得ずして、多くの時 を失ふ。その余りの暇幾(いとまいく)ばくならぬうちに、無益(むやく)の事を なし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟(しゆゐ)して時を移すのみならず、日 を(せう)し、月を(わた)りて、一生を送る、(もつと)も愚かなり。

謝霊運(しやれいうん)は、法華(ほつけ)筆受(ひつじゆ)なりしかども、心、 (つね)風雲(ふううん)(おもひ)(くわん)ぜしかば、恵遠(ゑをん)白蓮(びやくれん)(まじは)りを許さざりき。(しばら)くもこれなき時は、 死人に同じ。光陰(くわういん)何のためにか惜しむとならば、(うち)に思慮 なく、(ほか)世事(せじ)なくして、止まん人は止み、(しゅ)せん人は修せよとなり。

■第百九段

高名(かうみやう)の木登りといひし(をのこ)、人を(おき)てて、高き木 に(のぼ)せて、(こずゑ)を切らせしに、いと(あやふ)く見えしほどは言 ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長(のきたけ)ばかりに成りて、「あやまちすな。 心して降りよ」と言葉をかけ(はんべ)りしを、「かばかりになりては、飛び 降るとも降りなん。如何(いか)にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に (さうら)ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あや まちは、安き所に成りて、必ず(つかまつ)る事に候ふ」と言ふ。

あやしき下臈(げらふ)なれども、聖人の(いまし)めにかなへり。(まり) も、(かた)き所を()出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。

■第百十段

双六(すごろく)上手(じやうず)といひし人に、その手立(てだて)を問ひ侍 りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か()く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目(ひとめ)なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。

道を知れる(をしへ)、身を(をさ)め、国を(たも)たん道も、またしかなり。

■第百十一段

囲碁(ゐご)双六(すぐろく)好みて明かし暮らす人は、四重(しぢゆう)五逆(ごぎやく)にもまされる悪事とぞ思ふ」と、或ひじりの申しし事、耳に(とど)まりて、いみじく覚え侍り。

■第百十二段

明日は遠き国へ(おもむ)くべしと聞かん人に、心閑(しづ)かになすべから んわざをば、人言ひかけてんや。(には)かの大事をも営み、(せつ)(なげ)く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の(うれ)へ・喜びをも問は ず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう()け、 病にもまつはれ、(いは)んや世をも(のが)れたらん人、また、これに同じかるべし。

人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗(せぞく)(もく)し難きに 随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の(いとま)もなく、 一生は、雑事(ざふじ)小節(せうせつ)にさへられて、空しく暮れなん。日暮 れ、(みち)遠し。吾が生既に蹉蛇(さだ)たり。諸縁(しよえん)放下(はうげ)すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、 物狂ひとも言へ、うつつなし、(なさけ)なしとも思へ。(そし)るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。

■第百十三段

四十(よそぢ)にも余りぬる人の、色めきたる(かた)、おのづから忍びてあ らんは、いかゞはせん、(こと)に打ち出でて、男・女の事、人の(うへ)をも言ひ(たはぶ)るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。

大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人(おいびと)の、若き人に交りて、(きやう)あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさ まに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人(まらうと)饗応(あるじ)せんときらめきたる。

■第百十四段

今出川(いまでがは)大殿(おほいとの)嵯峨(さが)へおはしけるに、有栖川(ありすがは)のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(さいわうまる)、御 (おんうし)を追ひたりければ、あがきの水、前板(まへいた)までさゝとかゝ りけるを、為則(ためのり)御車(みくるま)のしりに候ひけるが、「希有(けう)(わらは)かな。かゝる所にて御牛(おんうし)をば追ふものか」と言ひ たりければ、大殿、御気色(みけしき)()しくなりて、「おのれ、車やらん 事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に(かしら)を打 ち当てられにけり。この高名(かうみやう)の賽王丸は、太秦殿(うづまさどの)の男、(れう)御牛飼(おんうしかひ)ぞかし。

この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。

■第百十五段

宿河原(しゅくがはら)といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品(くほん) の念仏を申しけるに、(ほか)より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中(おんなか)に、いろをし(ばう)と申すぼろやおはします」と尋ねければ、そ の中より、「いろをし、こゝに候ふ。かくのたまふは、()そ」と答ふれば、 「しら梵字(ぼんじ)と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国(とうごく)にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと(うけたまは)りしかば、 その人に逢ひ(たてまつ)りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言 ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し 奉らば、道場(だうぢやう)を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかし こ、わきざしたち、いづ(かた)をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひになら ば、仏事(ぶつじ)(さまた)げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出 であひて、心行くばかりに(つらぬ)き合ひて、共に死ににけり。

ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢 字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我執(がしふ)深く、仏道を願ふに似て闘諍(とうじやう)(こと)とす。放逸(はういつ)無慙(むざん)の有様なれども、死を(かろ)くして、少しもなづまざるかた のいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。

■第百十六段

寺院の(がう)、さらぬ(よろづ)の物にも、名を付くる事、昔の人は、少 しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この(ころ)は、深 く案じ、才覚(さいかく)をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。 人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、(えき)なき事なり。

何事も、珍しき事を求め、異説(いせつ)を好むは、浅才(せんざい)の人の必ずある事なりとぞ。

■第百十七段

友とするに(わろ)き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二 つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つ には、たけく、(いさ)める(つはもの)。六つには、虚言(そらごと)する人。七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師(くすし)。三つには、智恵ある友。

■第百十八段

(こひ)(あつもの)食ひたる日は、(びん)そゝけずとなん。(にかは)にも作るものなれば、粘りたるものにこそ。

鯉ばかりこそ、御前(ごぜん)にても切らるゝものなれば、やんごとなき(うを)なり。鳥には(きじ)、さうなきものなり。雉・松茸などは、御湯殿(みゆどの)の上に(かか)りたるも苦しからず。その外は、心うき事なり。中宮の 御方(おんかた)の御湯殿の上の黒み(だな)(かり)の見えつるを、北山(きたやまの)入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて、御文(おんふみ)にて、 「かやうのもの、さながら、その姿にて御棚(みたな)にゐて候ひし事、見慣は ず、さまあしき事なり。はかばかしき人のさふらはぬ故にこそ」など申されたりけり。

■第百十九段

鎌倉の海に、(かつを)と言ふ魚は、かの(さか)ひには、さうなきものに て、この(ごろ)もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄(としより)の申し侍 りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事 侍らざりき。(かしら)は、下部(しもべ)も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。

かやうの物も、世の(すゑ)になれば、(かみ)ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。

■第百二十段

(から)の物は、(くすり)の外は、みななくとも事欠くまじ。(ふみ)ど もは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。唐土舟(もろこしぶね)の、 たやすからぬ道に、無用(むよう)の物どものみ取り積みて、所狭(ところせ)く渡しもて来る、いと愚かなり。

「遠き物を宝とせず」とも、また、「得難(えがた)(たから)(たふと)まず」とも、(ふみ)にも侍るとかや。

■第百二十一段

養ひ飼ふものには、馬・牛。(つな)ぎ苦しむるこそいたましけれど、なく てかなはぬものなれば、いかゞはせん。犬は、守り(ふせ)くつとめ人にもま さりたれば、必ずあるべし。されど、家毎(いへごと)にあるものなれば、殊更(ことさら)に求め飼はずともありなん。

その外の鳥・(けだもの)、すべて用なきものなり。走る(けだもの)は、 (をり)にこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は、(つばさ)を切り、()に入れら れて、雲を恋ひ、野山を思ふ(うれへ)()む時なし。その思ひ、我が身 にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。(しよう)を苦しめ て目を喜ばしむるは、(けつ)(ちう)が心なり。王子(わうし)(いう)が 鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遙(せうえう)の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。

(およ)そ、「珍らしき(とり)、あやしき獣、国に(やしな)はず」とこそ、(ふみ)にも侍るなれ。

■第百二十二段

人の才能(さいのう)は、(ふみ)明らかにして、(ひじり)(をしへ)を 知れるを第一とす。次には、手書く事、むねとする事はなくとも、これを習ふ べし。学問に便(たよ)りあらんためなり。次に、医術を習ふべし。身を養ひ、 人を助け、忠孝の(つとめ)も、医にあらずはあるべからず。次に、弓射(ゆみい)、馬に乗る事、六芸(りくげい)()だせり。必ずこれをうかゞふべ し。(ぶん)()()の道、まことに、欠けてはあるべからず。これ を学ばんをば、いたづらなる人といふべからず。次に、(しよく)は、人の天 なり。よく(あじ)はひを調(ととの)へ知れる人、大きなる徳とすべし。次に細工(さいく)(よろづ)(えう)多し。

この外の事ども、多能(たのう)は君子の恥づる処なり。詩歌(しいか)(たく)みに、糸竹(しちく)(たえ)なるは幽玄(いうげん)の道、君臣(くんしん) これを重くすといへども、今の世には、これをもちて世を治むる事、(やうや)くおろかになるに()たり。(こがね)はすぐれたれども、(くろがね)(やく)多きに()かざるが如し。

■第百二十三段

無益(むやく)のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事(ひがこと) する人とも言ふべし。国のため、君のために、止むことを得ずして為すべき事 多し。その余りの(いとま)(いく)ばくならず。思ふべし、人の身に止む ことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に()る所なり。 人間の大事、この三つには過ぎず。()ゑず、寒からず、風雨に侵されずし て、(しず)かに(すぐ)すを楽しびとす。たゞし、人皆(やまい)あり。病 に冒されぬれば、その(うれへ)忍び難し。医療(いれう)を忘るべからず。薬 を加へて、()つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを()めりとす。この四つの外を求め営むを(おご)りとす。四つの事倹約(けんやく)ならば、(たれ)の人か足らずとせん。

■第百二十四段

是法(ぜほふ)法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学匠(がくしやう)を立て ず、たゞ、明暮(あけくれ)念仏して、安らかに世を(すぐ)す有様、いとあらまほし。

■第百二十五段

人におくれて、四十九日(しじふくにち)仏事(ぶつじ)に、(ある)聖を(しやう)じ侍りしに、説法(せつぽふ)いみじくして、皆人涙を流しけり。導師(だうし)帰りて後、聴聞(ちやうもん)の人ども、「いつよりも、(こと)に今 (けふ)(たふと)く覚え侍りつる」と感じ合へりし返事(かへりこと)に、 或者の()はく、「何とも(さうら)へ、あれほど(から)(いぬ)似候(にさうら)ひなん上は」と言ひたりしに、あはれもさめて、をかしかりけり。さる、導師の()めやうやはあるべき。

また、「人に酒(すす)むるとて、己れ()づたべて、人に()ひ奉ら んとするは、剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方(ふたかた)()つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が(かしら)を斬る故に、人を ばえ斬らぬなり。己れ先づ()ひて()しなば、人はよも召さじ」と申しき。剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。

■第百二十六段

「ばくちの、負極(まけきは)まりて、残りなく打ち入れんとせんにあひては、 打つべからず。立ち返り、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知 るを、よきばくちといふなり」と、或者(あるもの)申しき。

■第百二十七段

改めて(やく)なき事は、改めぬをよしとするなり。

改めて益なき事は、改めぬを(よりどころ)とするなり。(正徹本)

改めて益なき事は、改めぬを心とするなり。(常縁本)

■第百二十八段

雅房(まさふさの)大納言は、(ざえ)賢く、よき人にて、大将にもなさばや と(おぼ)しける比、院の近習(きんじゆ)なる人、「たゞ今、あさましき事を 見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、(たか)に飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中墻(なかがき)の穴 より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く(おぼ)しめして、日来(ひごろ)御気色(みけしき)(たが)ひ、昇進(しやうじん)もし給はざりけ り。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事な り。虚言(そらごと)不便(ふびん)なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心(みこころ)は、いと尊き事なり。

大方(おほかた)、生ける物を殺し、(いた)め、(たたか)はしめて、遊び 楽しまん人は、畜生残害(ちくしやうさんがい)(たぐい)なり。万の鳥獣(とりけだもの)、小さき虫までも、心をとめて有様(ありさま)を見るに、子を 思ひ、親をなつかしくし、夫婦を(ともな)ひ、(ねた)み、怒り、欲多く、 身を愛し、(いのち)を惜しめること、(ひと)へに愚痴(ぐち)なる故に、人 よりもまさりて(はなは)だし。彼に苦しみを与へ、命を(うば)はん事、いかでかいたましからざらん。

すべて、一切(いつさい)有情(うじやう)を見て、慈悲(じひ)の心なからんは、人倫(じんりん)にあらず。

■第百二十九段

顔回(ぐわんかい)は、(こころざし)、人に(らう)(ほどこ)さじとな り。すべて、人を苦しめ、物を(しへた)ぐる事、賤しき民の志をも奪ふべか らず。また、いときなき子を(すか)し、(おど)し、言ひ(はづ)かしめて、 興ずる事あり。おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど、幼き 心には、身に()みて、恐ろしく、恥かしく、あさましき思ひ、まことに(せつ)なるべし。これを悩まして興ずる事、慈悲(じひ)の心にあらず。おとな しき人の、喜び、怒り、哀しび、楽しぶも、皆虚妄(こまう)なれども、(たれ)実有(じつう)(さう)(ぢやく)せざる。

身をやぶるよりも、心を(いた)ましむるは、人を(そこな)ふ事なほ(はなは)だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より来る病は少し。薬を 飲みて汗を求むるには、(しるし)なきことあれども、一旦恥ぢ、恐るゝこと あれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲(りやううん)(がく)を書きて白頭(はくとう)の人と成りし(ためし)、なきにあらず。

■第百三十段

物に争はず、己れを()げて人に従ひ、我が身を(のち)にして、人を先にするには()かず。

(よろづ)の遊びにも、勝負(かちまけ)を好む人は、勝ちて(きょう)あら んためなり。己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。されば、負けて興なく(おぼ) ゆべき事、また知られたり。我負けて人を喜ばしめんと思はば、(さら)に遊 びの興なかるべし。(ほい)に本意なく思はせて我が心を慰めん事、徳に(そむ)けり。(むつま)しき中に(たはぶ)るゝも、人に(はか)(あざむ) きて、己れが()のまさりたる事を興とす。これまた、礼にあらず。されば、 始め興宴(きようえん)より起りて、長き恨みを結ぶ(たぐい)多し。これみな、争ひを好む(しつ)なり。

人にまさらん事を思はば、たゞ学問して、その智を人に増さんと思ふべし。 道を学ぶとならば、善に(ほこ)らず、(ともがら)に争ふべからずといふ事 を知るべき故なり。大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、たゞ、学問の力なり。

■第百三十一段

貧しき物は、(たから)をもって礼とし、老いたる者は、力をもって礼とす。 (おの)(ぶん)を知りて、及ばざる時は(すみや)かに()むを、智と いふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして()ひて励むは、己れが誤りなり。

貧しくして分を知らざれば(ぬす)み、力衰へて分を知らざれば(やまひ)を受く。

■第百三十二段

鳥羽(とば)作道(つくりみち)は、鳥羽殿建てられて後の()にはあらず。 昔よりの名なり。元良親王(もとよしのしんのう)元日(ぐわんにち)奏賀(そうが)の声、甚だ殊勝(しゆしよう)にして、大極殿(だいこくでん)より鳥羽 の作道まで聞えけるよし、李部(りほう)(わう)の記に侍るとかや。

■第百三十三段

夜の御殿(おとど)は、東御枕(みまくら)なり。大方(おほかた)、東を枕とし て陽気(やうき)を受くべき故に、孔子も東首(とうしゆ)し給へり。寝殿(しんでん)のしつらひ、(あるひ)は南枕、(つね)の事なり。白河院(しらかはの) は、北首(ほくしゆ)御寝(ぎよしん)なりけり。「北は()む事なり。また、 伊勢(いせ)は南なり。太神宮(だいじんぐう)御方(おんかた)御跡(おんあと)にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の遥拝(えうはい)は、(たうみ)に向はせ給ふ。南にはあらず。

■第百三十四段

高倉(たかくらの)院の法華(ほつけ)堂の三昧僧(ざんまいそう)、なにがしの 律師(りつし)とかやいふもの、或時(あるとき)、鏡を取りて、顔をつくづくと 見て、我がかたちの見にくゝ、あさましき事余りに心うく覚えて、鏡さへうと ましき心地しければ、その(のち)、長く、鏡を恐れて、手にだに取らず、更 に、人に交はる事なし。御堂(みだう)のつとめばかりにあひて、(こも)り居たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。

賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり。我を知らず して、(ほか)を知るといふ(ことわり)あるべからず。されば、己れを知る を、物知れる人といふべし。かたち(みにく)けれども知らず。心の愚かなる をも知らず、芸の(つたな)きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老 いぬるをも知らず、病の(をか)すをも知らず、死の近き事をも知らず。(おこな)ふ道の至らざるをも知らず。身の上の非を知らねば、まして、外の(そし)りを知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の事知 らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに()たりとぞ言はまし。 かたちを改め、(よはひ)を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞ、や がて退(しりぞ)かざる。老いぬと知らば、何ぞ、(しづ)かに居て、身を安く せざる。行ひおろかなりと知らば、何ぞ、(これ)を思ふこと茲にあらざる。

すべて、人に愛楽(あいげう)せられずして(しゆ)(まじ)はるは(はぢ) なり。かたち見にくゝ、心おくれにして()で仕へ、無智(むち)にして大才(たいさい)に交はり、不堪(ふかん)の芸をもちて堪能(かんのう)の座に(つらな)り、雪の(かしら)を頂きて盛りなる人に並び、(いは)んや、及ばざ る事を望み、(かな)はぬ事を(うれ)へ、(きた)らざることを待ち、人に 恐れ、人に()ぶるは、人の(あた)ふる恥にあらず、(むさぼ)る心に引 かれて、(みづか)ら身を恥かしむるなり。貪る事の止まざるは、命を() ふる大事(だいじ)、今こゝに来れりと、(たし)かに知らざればなり。

■第百三十五段

資季(すけすゑの)大納言入道とかや(きこ)えける人、具氏宰相中将(ともうぢさいしやうちゆうじやう)にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事(なにごと)なりとも答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかゞ侍ら ん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしき 事は、片端(かたはし)(まね)び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何と なきそゞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ(たてまつ)らめ」と申さ れけり。「まして、こゝもとの(あさ)き事は、何事なりとも(あき)らめ申 さん」と言はれければ、近習(きんじゆ)の人々、女房なども、「(きやう)あ るあらがひなり。同じくは、御前(ごぜん)にて争はるべし。負けたらん人は、 供御(ぐご)をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合はせられたりけるに、 具氏、「(をさな)くより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまの きつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう』と申す事は、如何(いか)なる心にか侍らん。(うけたまは)らん」と申されけるに、大納言入道、 はたと(つま)りて、「これはそゞろごとなれば、言ふにも()らず」と言 はれけるを、「(もと)より深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね(たてまつ)らんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、(まけ)になりて、所課(しよくわ)いかめしくせられたりけるとぞ。

■第百三十六段

医師篤成(くすしあつしげ)故法皇(こほふわう)御前(ごぜん)に候ひて、 供御(ぐご)の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字(もんじ)功能(くのう)も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草(ほんざう)御覧(ごらん) じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、 六条故内府(ろくでうのこだいふ)参り給ひて、「有房(ありふさ)、ついでに(もの)習 ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれの(へん)にか侍ら ん」と問はれたりけるに、「土偏(どへん)に候ふ」と申したりければ、「(ざえ)(ほど)、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所 なし」と申されけるに、どよみに成りて、(まか)り出でにけり。

徒然草 下

■第百三十七段

花は(さか)りに、月は(くま)なきをのみ、見るものかは。雨に(むか) ひて月を()ひ、()れこめて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、なほ、あはれ に情深し。咲きぬべきほどの(こずえ)、散り(しを)れたる庭などこそ、見 (みどころ)多けれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見(はなみ)にまかれり けるに、早く散り過ぎにければ」とも、「(さは)る事ありてまからで」など も書けるは、「花を見て」と言へるに(おと)れる事かは。花の散り、月の(かたぶ)くを(した)(なら)ひはさる事なれど、(こと)にかたくななる 人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所(みどころ)なし」などは言ふめる。

(よろづ)の事も、始め・終りこそをかしけれ。男女(をとこおんな)(なさけ)も、ひとへに()ひ見るをば言ふものかは。逢はで()みにし憂さ を思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を(ひと)り明し、遠き雲井(くもゐ) を思ひやり、浅茅(あさぢ)が宿に昔を(しの)ぶこそ、色好(いろこの)むとは 言はめ。望月(もちづき)の隈なきを千里(ちさと)(ほか)まで(なが)めた るよりも、(あかつき)近くなりて待ち出でたるが、いと心(ぶか)う青みた るやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、()()の影、うちしぐれた る村雲隠(むらぐもがく)れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば)・白 (しらかし)などの、()れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に ()みて、心あらん友もがなと、都恋(みやここひ)しう覚ゆれ。

すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、 月の夜は(ねや)のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よ き人は、ひとへに()けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(なほざり)な り。片田舎(かたゐなか)の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の(もと)に は、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌(れんが)し て、(はて)は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。(いづみ)には手足さし(ひた)して、雪には()り立ちて(あと)つけなど、万の物、よそながら見ることなし。

さやうの人の祭見しさま、いと(めづ)らかなりき。「見事(みごと)いと遅 し。そのほどは桟敷(さじき)不用(ふよう)なり」とて、奥なる()にて、酒 飲み、物食ひ、囲碁・双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ 」と言ふ時に、おのおの肝潰(きもつぶ)るゝやうに(あらそ)ひ走り上りて、 落ちぬべきまで(すだれ)張り出でて、押し合ひつゝ、一事(ひとこと)も見(もら)さじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物毎(ものごと)に言ひて、渡り 過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。たゞ、物をのみ見んとする なるべし。都の人のゆゝしげなるは、(ねぶ)りて、いとも見ず。若く末々(すえずえ)なるは、宮(づか)へに立ち()、人の(うしろ)に侍ふは、(さま)あしくも及びかゝらず、わりなく見んとする人もなし。

何となく(あふひ)懸け渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて 寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼(うしかひ)下部(しもべ)などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さ まざまに()()ふ、見るもつれづれならず。暮るゝほどには、立て(なら)べつる車ども、(ところ)なく()みゐつる人も、いづかたへか行き つらん、(ほど)なく(まれ)に成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、 (すだれ)(たたみ)も取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世の (ためし)も思ひ知られて、あはれなれ。大路(おほち)見たるこそ、祭見たるにてはあれ。

かの桟敷(さじき)の前をこゝら()き交ふ人の、見知れるがあまたあるに て、知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この人皆失()せなん(のち)、我が身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく()ちつけぬべし。大 きなる(うつはもの)に水を入れて、細き穴を明けたらんに、(しただ)るこ と(すくな)しといふとも、(おこた)る間なく()りゆかば、やがて尽き ぬべし。都の(うち)に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人・二 人のみならんや。鳥部野(とりべの)舟岡(ふなをか)、さらぬ()(やま) にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、(ひつぎ)(ひさ)く者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思 ひ懸けぬは死期(しご)なり。今日(けふ)まで(のが)れ来にけるは、ありがた き不思議なり。(しば)しも世をのどかには思ひなんや。継子立(ままこだて) といふものを双六(すぐろく)の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られん 事いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、その外は(のが)れぬと見れど、またまた数ふれば、彼是間抜(かれこれまぬ)き行くほどに、 いづれも(のが)れざるに似たり。(つはもの)の、(いくさ)に出づるは、 死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を背ける草の(いほり) には、(しづ)かに水石(すゐせき)(もてあそ)びて、これを余所(よそ)に 聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、無常の敵競(かたききほ)(きた)らざらんや。その、死に(のぞ)める事、(いくさ)(ぢん)に進めるに同じ。

■第百三十八段

「祭過ぎぬれば、(のち)(あふひ)不用(ふよう)なり」とて、或人の、 御簾(みす)なるを皆取らせられ侍りしが、(いろ)もなく覚え侍りしを、よき 人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど、周防内侍(すはうのないし)が、

かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉(かれは)なりけり

()めるも、母屋(もや)御簾(みす)に葵の(かか)りたる枯葉を詠める よし、(いへ)(しふ)に書けり。古き歌の詞書(ことばがき)に、「枯れた る葵にさして(つか)はしける」とも侍り。枕草子にも、「()しかた(こひ)しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。 鴨長明が四季物語(しきのものがたり)にも、「玉垂(たまだれ)(のち)の葵 は(とま)りけり」とぞ書ける。(おの)れと()るゝだにこそあるを、名残(なごり)なく、いかゞ取り捨つべき。

御帳(みちゃう)(かか)れる薬玉(くすだま)も、九月九日(ながつきここのか)、菊に取り替へらるゝといへば、菖蒲(しやうぶ)は菊の(をり)までもあ るべきにこそ。枇杷皇太后宮(びはのくわうたいこうくう)かくれ給ひて(のち)、古き御帳の(うち)に、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、 「折ならぬ根をなほぞかけつる」と(べん)乳母(めのと)の言へる返事(かへりこと)に、「あやめの(くさ)はありながら」とも、江侍従(ごうじじう)が詠みしぞかし。

■第百三十九段

家にありたき木は、松・桜。松は、五葉(ごえふ)もよし。花は、一重(ひとへ) なる、よし。八重桜(やへざくら)は、奈良の都にのみありけるを、この(ごろ)ぞ、世に多く成り侍るなる。吉野の花、左近(さこん)の桜、皆、一重(ひとへ)にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)のものなり。いとこちたく、ねぢ けたり。植ゑずともありなん。遅桜(おそざくら)、またすさまじ。虫の() きたるもむつかし。梅は、白き・薄紅梅(うすこうばい)。一重なるが()く 咲きたるも、(かさ)なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、 桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧(けお)されて、枝に(しぼ)みつきたる、心 うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心疾く、をかし」とて、 京極入道中納言(きやうごくのにふだうちゆうなごん)は、なほ、一重梅をなん、(のき)近く植ゑられたりける。京極の()の南向きに、今も二本(ふたもと) 侍るめり。柳、またをかし。卯月(うづき)ばかりの若楓(わかかへで)、すべて、 (よろづ)の花・紅葉(もみぢ)にもまさりてめでたきものなり。(たちばな)(かつら)、いづれも、木はもの()り、大きなる、よし。草は、山吹(やまぶき)(ふぢ)杜若(かきつばた)撫子(なでしこ)。池には、(はちす)。秋の草は、(をぎ)(すすき)桔梗(きちかう)(はぎ)女郎花(をみなへし)藤袴(ふぢばかま)紫苑(しをに)吾木香(われもかう)刈萱(かるかや)竜胆(りんだう)・菊。黄菊(きぎく)も。(つた)(くず)・朝 顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、(かき)(しげ)からぬ、よ し。この(ほか)の、世に(まれ)なるもの、唐めきたる名の聞きにくゝ、花も見馴()れぬなど、いとなつかしからず。

大方(おほかた)(なに)(めづ)らしく、ありがたき物は、よからぬ人 のもて興ずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。

■第百四十段

()死して(たから)残る事は、智者(ちしや)のせざる(ところ)なり。 よからぬ物(たくは)へ置きたるもつたなく、よき物は、心を()めけんと はかなし。こちたく多かる、まして口惜(くちを)し。「我こそ()め」など 言ふ者どもありて、(あと)に争ひたる、(さま)あし。(のち)(たれ) にと(こころざ)す物あらば、生けらんうちにぞ(ゆづ)るべき。

朝夕(あさゆふ)なくて(かな)はざらん物こそあらめ、その(ほか)は、何も持たでぞあらまほしき。

■第百四十一段

悲田院尭蓮(ひでんゐんのげうれん)上人は、俗姓(ぞくしやう)三浦(みうら)(なにがし)とかや、(さう)なき武者(むしや)なり。故郷(ふるさと)の人の (きた)りて、物語(ものがたり)すとて、「吾妻人(あづまうど)こそ、言ひ つる事は(たの)まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、(まこと)なし」 と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、 ()れて見侍るに、人の心(おと)れりとは思ひ侍らず。なべて、心(やはら)かに、(なさけ)ある故に、人の言ふほどの事、けやけく(いな)(がた)くて、(よろづ)え言ひ(はな)たず、心弱くことうけしつ。(いつは) りせんとは思はねど、(とも)しく、(かな)はぬ人のみあれば、(おのづか)ら、本意(ほんい)(とほ)らぬ事多かるべし。吾妻人(あづまうど)は、我 が(かた)なれど、げには、心の色なく、(なさけ)おくれ、(ひとへ)にす ぐよかなるものなれば、始めより(いな)と言ひて止みぬ。(にぎ)はひ、(ゆた)かなれば、人には頼まるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、 声うち(ゆが)み、荒々(あらあら)しくて、聖教(しやうげう)の細やかなる(ことわり)いと(わきま)へずもやと思ひしに、この一言(ひとこと)(のち)、心にくゝ成りて、多かる(なか)に寺をも住持(ぢゆうぢ)せらるゝは、 かく(やはら)ぎたる所ありて、その(やく)もあるにこそと覚え侍りし。

■第百四十二段

心なしと見ゆる者も、よき一言(ひとこと)はいふものなり。ある荒夷(あらえびす)の恐しげなるが、かたへにあひて、「御子(おこ)はおはすや」と問ひし に、「一人(ひとり)も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは 知り給はじ。(なさけ)なき御心(みこころ)にぞものし給ふらんと、いと恐し。 子故(ゆゑ)にこそ、万のあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべ き事なり。恩愛(おんない)の道ならでは、かゝる者の心に、慈悲(じひ)ありな んや。孝養(けうやう)の心なき者も、子持ちてこそ、親の(こころざし)は思ひ知るなれ。

世を捨てたる人の、万にするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、万に (へつら)ひ、望み深きを見て、無下(むげ)に思ひくたすは、僻事(ひがこと) なり。その人の心に成りて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子(さいし)のためには、(はぢ)をも忘れ、(ぬす)みもしつべき事なり。され ば、盗人(ぬすびと)(いまし)め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の()ゑず、寒からぬやうに、世をば(おこな)はまほしきなり。人、(つね)(さん)なき時は、恒の心なし。人、(きは)まりて盗みす。世治(をさま) らずして、凍餒(とうたい)の苦しみあらば、(とが)の者()ゆべからず。 人を苦しめ、(ほふ)を犯さしめて、それを(つみ)なはん事、不便(ふびん)のわざなり。

さて、いかゞして人を(めぐ)むべきとならば、(かみ)(おご)り、(つひや)す所を()め、民を()で、農を勧めば、(しも)に利あらん事、 疑ひあるべからず。衣食尋常(いしよくよのつね)なる(うへ)に僻事せん人をぞ、(まこと)の盗人とは言ふべき。

■第百四十三段

人の終焉(しゆうえん)有様(ありさま)のいみじかりし事など、人の語るを 聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、(おろ)かなる 人は、あやしく、(こと)なる(さう)を語りつけ、言ひし言葉も振舞(ふるまひ)も、己れが好む(かた)に誉めなすこそ、その人の日来(ひごろ)本意(ほんい)にもあらずやと覚ゆれ。

この大事(だいじ)は、権化(ごんげ)の人も(さだ)むべからず。博学(はくがく)の士も(はか)るべからず。己れ(たが)ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。

■第百四十四段

栂尾(とがのを)上人(しやうにん)、道を過ぎ給ひけるに、(かは)にて馬 洗ふ男、「あしあし」と言ひければ、上人立ち(どま)りて、「あな(たふと)や。宿執開発(しゆくしふかいほつ)の人かな。阿字(あじ)阿字と(とな) ふるぞや。如何(いか)なる人の御馬(おんうま)ぞ。余りに(たふと)(おぼ)ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿(ふしやうどの)の御馬に候ふ」と答 へけり。「こはめでたき事かな。阿字本不生(あじほんふしやう)にこそあんな れ。うれしき結縁(けちえん)をもしつるかな」とて、感涙(かんるゐ)(のご)はれけるとぞ。

■第百四十五段

御随身秦重躬(みずゐじんはだのしげみ)、北面の下野入道信願(しもつけのにふだうしんぐわん)を、「落馬(らくば)(さう)ある人なり。よくよく慎み 給へ」と言ひけるを、いと(まこと)しからず思ひけるに、信願、馬より落ち て死ににけり。道に(ちやう)じぬる一言(ひとこと)、神の如しと人思へり。

さて、「如何(いか)なる相ぞ」と人の問ひければ、「(きは)めて桃尻(ももじり)にして、沛艾(はいがい)の馬を好みしかば、この相を(おほ)せ侍りき。何時(いつ)かは申し誤りたる」とぞ言ひける。

■第百四十六段

明雲座主(めいうんざす)相者(さうじや)にあひ給ひて、「己れ、もし兵杖(ひやうぢやう)(なん)やある」と尋ね給ひければ、相人(さうにん)、「ま ことに、その相おはします」と申す。「如何なる相ぞ」と尋ね給ひければ、「 傷害(しやうがい)の恐れおはしますまじき御身(おんみ)にて、(かり)にも、 かく(おぼ)し寄りて、尋ね給ふ、これ、(すで)に、その(あやぶ)みの(きざし)なり」と申しけり。

(はた)して、矢に当りて失せ給ひにけり。

■第百四十七段

灸治(きうぢ)、あまた所に成りぬれば、神事(じんじ)(けが)れありとい ふ事、近く、人の言ひ(いだ)せるなり。格式等(きやくしきとう)にも見えずとぞ。

■第百四十八段

四十以後(しじふいご)の人、身に(きふ)(くは)へて、三里(さんり)を 焼かざれば、上気(じやうき)の事あり。必ず灸すべし。

■第百四十九段

鹿茸(ろくじよう)を鼻に当てて()ぐべからず。(ちひ)さき虫ありて、鼻より()りて、脳を()むと言へり。

■第百五十段

(のう)をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られ じ。うちうちよく習ひ()て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と 常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸(いちげい)も習ひ()ることなし。

(いま)堅固(けんご)かたほなるより、上手(じやうず)の中に交りて、(そし)り笑はるゝにも()ぢず、つれなく過ぎて(たしな)む人、天性(てんぜい)、その(こつ)なけれども、(みち)になづまず、(みだ)りにせずし て、年を送れば、堪能(かんのう)の嗜まざるよりは、(つひ)に上手の(くらゐ)に至り、徳たけ、人に許されて、(ならび)なき名を()る事なり。

天下(てんか)のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)(きこ)え もあり、無下(むげ)瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正(おきてただ)しく、これを重くして、放埒(はうらつ)せざれば、世の博士(はかせ)にて、万人(ばんにん)の師となる事、諸道変(しよだうかは)るべからず。

■第百五十一段

或人(あるひと)の云はく、年五十(ごじふ)になるまで上手に至らざらん(げい)をば捨つべきなり。(はげ)み習ふべき行末(ゆくすゑ)もなし。老人(らうじん)の事をば、人もえ笑はず。(しゅ)に交りたるも、あいなく、見ぐるし。 大方(おほかた)(よろづ)のしわざは()めて、(いとま)あるこそ、め やすく、あらまほしけれ。世俗の事に(たづさ)はりて生涯を(くら)すは、 下愚(かぐ)の人なり。ゆかしく(おぼ)えん事は、学び()くとも、その(おもむき)を知りなば、おぼつかなからずして()むべし。もとより、望むことなくして止まんは、第一の事なり。

■第百五十二段

西大寺静然上人(さいだいじのじゃうねん)腰屈(かが)まり、(まゆ)白く、 まことに徳たけたる有様(ありさま)にて、内裏(だいり)へ参られたりけるを、 西園寺内大臣殿(さいをんじのないだいじんどの)、「あな(たふと)気色(けしき)や」とて、信仰(しんがう)気色(きしよく)ありければ、資朝卿(すけとものきやう)、これを見て、「年の()りたるに(さうら)ふ」と申されけり。

後日(ごにち)に、尨犬(むくいぬ)のあさましく()いさらぼひて、() ()げたるを()かせて、「この気色(けしき)(たふと)く見えて候ふ」とて、内府(だいふ)へ参らせられたりけるとぞ。

■第百五十三段

為兼大納言入道(ためかねのだいなごんにふだう)、召し()られて、武士 どもうち(かこ)みて、六波羅(ろくはら)()()きければ、資朝卿(すけとものきやう)、一条わたりにてこれを見て、「あな(うらや)まし。世 にあらん思い出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。

■第百五十四段

この人、東寺(とうじ)の門に雨宿(あまやど)りせられたりけるに、かたは者 どもの(あつま)りゐたるが、手も足も()(ゆが)み、うち(かへ)り て、いづくも不具(ふぐ)異様(ことやう)なるを見て、とりどりに(たぐひ) なき曲物(くせもの)なり、(もつと)も愛するに()れりと思ひて、目守(まも)り給ひけるほどに、やがてその興尽(きようつ)きて、見にくゝ、いぶせ く(おぼ)えければ、たゞ素直(すなほ)(めづ)らしからぬ物には()か ずと思ひて、帰りて(のち)、この間、植木を好みて、異様(ことやう)曲折(きよくせつ)あるを求めて、目を(よろこ)ばしめつるは、かのかたはを愛す るなりけりと、(きよう)なく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、皆掘り捨てられにけり。

さもありぬべき事なり。

■第百五十五段

世に(したが)はん人は、()づ、機嫌(きげん)を知るべし。序悪(ついであ)しき事は、人の耳にも(さか)ひ、心にも(たが)ひて、その事成らず。 さやうの折節(をりふし)心得(こころう)べきなり。(ただ)し、(やまひ) を受け、子生み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪しとて止む事なし。(しやう)(ぢゆう)()(めつ)の移り変る、(まこと)の大事は、 (たけ)(かは)(みなぎり)り流るゝが如し。(しば)しも(とどこほ)らず、(ただ)ちに行ひゆくものなり。されば、真俗(しんぞく)につけて、 必ず(はた)し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏み(とど)むまじきなり。

春暮れて(のち)、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて 夏の()(もよほ)し、夏より既に秋は(かよ)ひ、秋は(すなは)ち寒 くなり、十月は小春(こはる)天気(てんき)、草も青くなり、梅も(つぼ)み ぬ。()()の落つるも、()づ落ちて()ぐむにはあらず、(した)より(きざ)しつはるに()へずして落つるなり。(むか)ふる()、 下に設けたる故に、待ちとる序甚(はなは)だ速し。生・(らう)(びやう)()の移り(きた)る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、(さだ)まれる序あり。死期(しご)(ついで)を待たず。死は、前よりしも(きた)らず。かねて(うしろ)に迫れり。人皆死()ある事を知りて、待つこと しかも(きふ)ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥(ひかたはる)かなれども、(いそ)より(しほ)の満つるが如し。

■第百五十六段

大臣(だいじん)大饗(だいきょう)は、さるべき所を(まう)()けて 行ふ、(つね)の事なり。宇治左大臣殿(うぢのさだいじんどの)は、(とう) 三条殿(さんでうどの)にて行はる。内裏(だいり)にてありけるを、申されける によりて、他所(たしよ)行幸(ぎやうがう)ありけり。させる事の()せな けれども、女院(にようゐん)の御所など借り申す、故実(こしつ)なりとぞ。

■第百五十七段

筆を取れば物書かれ、楽器(がくき)を取れば()を立てんと思ふ。(さかづき)を取れば酒を思ひ、(さい)を取れば()打たん事を思ふ。心は、必 ず、(こと)に触れて来る。仮にも、不善(ふぜん)(たわぶ)れをなすべからず。

あからさまに聖教(しやうげう)一句(いつく)を見れば、何となく、前後(ぜんご)(もん)も見ゆ。卒爾(そつじ)にして多年(たねん)の非を改むる事も あり。仮に、今、この文を(ひろ)げざらましかば、この事を知らんや。これ 則ち、触るゝ所の(やく)なり。心更(さら)に起らずとも、仏前(ぶつぜん)に ありて、数珠(じゆず)を取り、(きやう)を取らば、怠るうちにも善業自(ぜんごふおのづか)ら修せられ、散乱(さんらん)の心ながらも縄床(じようしやう)()せば、覚えずして禅定成(ぜんぢやうな)るべし。

()()もとより二つならず。外相(げさう)もし背かざれば、内証(ないしよう)必ず熟す。強ひて不信を言ふべからず。(あふ)ぎてこれを(たふと)むべし。

■第百五十八段

(さかづき)の底を捨つる事は、いかゞ心得たる」と、(ある)人の尋ね させ給ひしに、「凝当(ぎやうだう)と申し侍れば、底に()りたるを捨つる にや候ふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道(ぎよだう)なり。流 れを残して、口の()きたる所を(すす)ぐなり」とぞ(おほ)せられし。

■第百五十九段

「みな(むす)びと言ふは、糸を結び(かさ)ねたるが、(みな)といふ貝 に似たれば言ふ」と、或やんごとなき人仰せられき。「にな」といふは(あやまり)なり。

■第百六十段

(もん)額懸(がくか)くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。 勘解由小路二品禅門(かでのこうぢのにほんぜんもん)は、「額懸くる」とのたまひき。 「見物(けんぶつ)桟敷(さじき)打つ」も、よからぬにや。「平張(ひらばり) 打つ」などは、常の事なり。「桟敷構(かま)ふる」など言ふべし。「護摩(ごま)()く」と言ふも、わろし。「(しゆ)する」「護摩(ごま)する」など 言ふなり。「行法(ぎやうぼふ)も、(ほふ)の字を()みて言ふ、わろし。 (にご)りて言ふ」と、清閑寺僧正(せいがんじのそうじやう)(おほ)せられき。常に言ふ事に、かゝる事のみ多し。

■第百六十一段

花の(さか)りは、冬至(とうじ)より百五十日とも、時正(じしやう)(のち)七日(なぬか)とも言へど、立春(りつしゆん)より七十(しちじふ)五日(ごにち)大様違(おほやうたが)はず。

■第百六十二段

遍照寺(へんぜうじ)承仕法師(じようじほふし)、池の鳥を日来(ひごろ)飼 ひつけて、(だう)の内まで()()きて、戸一つ開けたれば、数も知 らず()(こも)りける(のち)、己れも入りて、たて()めて、(とら)へつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく(きこ)えけるを、草()(わらは)聞きて、人に告げければ、村の(をのこ)どもおこりて、入りて 見るに、大雁(おほかり)どもふためき合へる(なか)に、法師(まじ)りて、 打ち伏せ、()ぢ殺しければ、この法師を(とら)へて、(ところ)より使 (しちやう)(いだ)したりけり。殺す所の鳥を(くび)()けさせて、禁獄(きんごく)せられにけり。

基俊(もととしの)大納言、別当(べつたう)の時になん侍りける。

■第百三十三段

太衝(たいしょう)の「(たい)」の字、点打つ・打たずといふ事、陰陽(おんやう)(ともがら)相論(さうろん)の事ありけり。盛親入道(もりちかにふだう)申し侍りしは、「吉平(よしひら)が自筆の占文(せんもん)の裏に書かれ たる御記(ぎよき)近衛関白殿(このゑのくわんばくどの)にあり。点打ちたるを書きたり」と申しき。

■第百六十四段

世の人相逢(あひあ)ふ時、(しばら)くも黙止(もだ)する事なし。必ず言葉 あり。その事を聞くに、多くは無益(むやく)(だん)なり。世間(せけん)浮説(ふせつ)、人の是非(ぜひ)自他(じた)のために、(しつ)多く、(とく)少し。

これを語る時、(たが)ひの心に、無益(むやく)の事なりといふ事を知らず。

■第百六十五段

吾妻(あづま)の人の、都の人に(まじは)り、都の人の、吾妻に行きて身を 立て、また、本寺(ほんじ)・本山を離れぬる、顕密(けんみつ)の僧、すべて、我が(ぞく)にあらずして人に交れる、見ぐるし。

■第百六十六段

人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏(ゆきぼとけ)を作りて、そ のために金銀・珠玉(しゆぎよく)の飾りを(いとな)み、(だう)を建てんと するに似たり。その(かま)へを待ちて、よく安置(あんぢ)してんや。人の(いのち)ありと見るほども、(した)より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。

■第百六十七段

一道(いちだう)(たづさ)はる人、あらぬ道の(むしろ)に臨みて、「あ はれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へ る事、常のことなれど、よに(わろ)く覚ゆるなり。知らぬ道の(うらや)ま しく(おぼ)えば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。 我が()を取り出でて人に争ふは、(つの)ある物の、角を(かたぶ)け、 (きば)ある物の、牙を咬み出だす(たぐひ)なり。

人としては、善に(ほこ)らず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあ るは、大きなる(しつ)なり。(しな)の高さにても、才芸のすぐれたるにて も、先祖(せんぞ)(ほまれ)にても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉 に出でてこそ言はねども、内心(ないしん)にそこばくの(とが)あり。(つつし)みて、これを忘るべし。(をこ)にも見え、人にも言ひ()たれ、(わざわひ)をも招くは、たゞ、この慢心(まんしん)なり。

一道にもまことに(ちやう)じぬる人は、(みづか)ら、明らかにその() を知る故に、(こころざし)常に満たずして、(つい)に、物に伐る事なし。

■第百六十八段

年老()いたる人の、一事(いちじ)すぐれたる(ざえ)のありて、「この人 の(のち)には、誰にか問はん」など言はるゝは、(おい)方人(かたうど) にて、()けるも(いたづ)らならず。さはあれど、それも(すた)れたる 所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、(つたな)く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。

大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬに やと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも(わきま)へ知らず」 など言ひたるは、なほ、まことに、道の(あるじ)とも覚えぬべし。まして、 知らぬ事、したり(がほ)に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞 かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。

■第百六十九段

何事(なにごと)(しき)といふ事は、後嵯峨(ごさが)御代(みよ)まで は言はざりけるを、近きほどより言ふ(ことば)なり」と人の申し侍りしに、 建礼門(けんれいもん)院の右京大夫(うきやうのだいぶ)後鳥羽(ごとばの)院 の御位(おほんくらゐ)の後、また内裏住(うちず)みしたる事を言ふに、「世の (しき)(かは)りたる事はなきにも」と書きたり。

■第百七十段

さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、 その事果てなば、()く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。

人と(むか)ひたれば、(ことば)多く、身もくたびれ、心も(しづ)かな らず、万の事障(さは)りて時を移す、互ひのため(やく)なし。(いと)はし げに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか、その(よし)をも 言ひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今暫(しば)し。 今日(けふ)は心(しづ)かに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮 (げんせき)が青き(まなこ)、誰にもあるべきことなり。

そのこととなきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。ま た、(ふみ)も、「久しく(きこ)えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。

■第百七十一段

(かひ)(おほ)ふ人の、我が前なるをば()きて、余所(よそ)を見渡 して、人の(そで)のかげ、膝の下まで目を(くば)る間に、前なるをば人に (おほ)はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近き ばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤(ごばん)の隅に石を立てて弾くに、 向ひなる石を目守(まぼ)りて弾くは、当らず、我が手許(てもと)をよく見て、 こゝなる聖目(ひじりめ)(すぐ)に弾けば、立てたる石、必ず当る。

万の事、(ほか)に向きて求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。 清献公(せいけんこう)が言葉に、「好事(かうじ)(ぎやう)じて、前程(ぜんてい)を問ふことなかれ」と言へり。世を(たも)たん道も、かくや侍らん。 (うち)を慎まず、(かろ)く、ほしきまゝにして、(みだ)りなれば、遠き 国必ず(そむ)く時、初めて(はかりこと)を求む。「風に当り、湿(しつ)()して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが如し。 目の前なる人の(うれへ)()め、恵みを施し、道を正しくせば、その(くわ)遠く流れん事を知らざるなり。()の行きて三苗(さんべう)(せい)せしも、(いくさ)(かへ)して徳を()くには()かざりき。

■第百七十二段

若き時は、血気(けつき)内に余り、心(もの)に動きて、情欲(じやうよく) 多し。身を(あやぶ)めて、砕け(やす)き事、(たま)を走らしむるに似た り。美麗(びれい)を好みて宝を(つひや)し、これを捨てて(こけ)(たもと)(やつ)れ、(いさ)める心(さか)りにして、物と争ひ、心に()(うらや)み、好む所日々(ひび)に定まらず、色に(ふけ)り、(なさけ) にめで、行ひを(いさぎよ)くして、百年(ももとせ)の身を誤り、命を失へる (ためし)願はしくして、身の(まつた)く、久しからん事をば思はず、好け る方に心ひきて、永き世語(よがた)りともなる。身を誤つ事は、若き時のしわざなり。

老いぬる人は、精神衰へ、(あは)(おろそ)かにして、感じ動く所なし。 心(おのづか)ら静かなれば、無益(むやく)のわざを為さず、身を助けて(うれへ)なく、人の(わづら)ひなからん事を思ふ。老いて、智の、若きにま される事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。

■第百七十三段

小野小町(をののこまち)が事、(きは)めて定かならず。衰へたる様は、「 玉造(たまつくり)」と言ふ(ふみ)に見えたり。この文、清行(きよゆき)が書 けりといふ説あれど、高野大師(かうやのだいし)御作(ごさく)の目録に入れ り。大師は承和(じようわ)の初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後の事にや。なほおぼつかなし。

■第百七十四段

小鷹(こたか)によき犬、大鷹(おほたか)に使ひぬれば、小鷹にわろくなると いふ。(だい)に附き(せう)を捨つる(ことわり)、まことにしかなり。人 (にんじ)多かる中に、道を(たの)しぶより気味(きみ)深きはなし。これ、 (まこと)の大事なり。一度、道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか (すた)れざらん、何事をか営まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。

■第百七十五段

世には、心得ぬ事の多きなり。ともある(ごと)には、まづ、酒を勧めて、 ()ひ飲ませたるを(きよう)とする事、如何(いか)なる故とも心得ず。飲 む人の、顔いと堪へ(がた)げに(まゆ)(ひそ)め、人目を測りて捨てん とし、逃げんとするを、(とら)へて引き止めて、すゞろに飲ませつれば、う るはしき人も、(たちま)ちに狂人となりてをこがましく、息災(そくさい)な る人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず(たふ)れ伏す。祝ふべ き日などは、あさましかりぬべし。明くる日まで(かしら)痛く、物食はず、 によひ()し、(しやう)を隔てたるやうにして、昨日の事覚えず、(おほやけ)(わたくし)の大事を欠きて、(わづら)ひとなる。人をしてかゝ る目を見する事、慈悲(じひ)もなく、礼儀にも背けり。かく(から)き目に逢 ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の国にかゝる(なら)ひあん なりと、これらになき人事にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。

人の(うへ)にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見 し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、(ことば)多く、烏帽子(えぼし)(ゆが) み、紐外(ひもはづ)し、(はぎ)高く掲げて、用意なき気色、日来(ひごろ)の 人とも覚えず。女は、額髪(ひたひがみ)晴れらかに()きやり、まばゆから ず、顔うちさゝげてうち笑ひ、(さかづき)持てる手に取り付き、よからぬ人 は、(さかな)取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、様あし。声の限り出 して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒く(きたな)()を肩抜ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、 憎し。(ある)はまた、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、 或は酔ひ泣きし、(しも)ざまの人は、()()ひ、(いさか)ひて、 あさましく、恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、(はて)は、許さ ぬ物ども押し取りて、(えん)より落ち、(うま)(くるま)より落ちて、 (あやまち)しつ。物にも乗らぬ(きは)は、大路(おほち)をよろぼひ行きて、 築泥(ついひぢ)(かど)の下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、(とし)老い、袈裟(けさ)掛けたる法師の、小童の肩を(おさ)へて、聞えぬ事 ども言ひつゝよろめきたる、いとかはゆし。かゝる事をしても、この世も後の 世も(やく)あるべきわざならば、いかゞはせん、この世には過ち多く、(たから)を失ひ、(やまひ)をまうく。百薬(ひやくやく)の長とはいへど、万 の病は酒よりこそ起れ。(うれへ)忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし()さをも思ひ出でて泣くめる。後の世は、人の智恵を失ひ、善根(ぜんごん) を焼くこと火の如くして、悪を増し、万の(かい)を破りて、地獄に()つ べし。「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。

かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き(をり)もあるべし。 月の夜、雪の(あした)、花の(もと)にても、心長閑(のどか)に物語して、 盃出(いだ)したる、万の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友 の()り来て、とり行ひたるも、心(なぐさ)む。馴れ馴れしからぬあたり の御簾(みす)(うち)より、御果物・御酒(みき)など、よきやうなる() はひしてさし出されたる、いとよし。冬、(せば)き所にて、火にて物煎() りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋(かりや)、野山などにて、「御肴(みさかな)何がな」など言ひて、芝の上にて 飲みたるも、をかし。いたう痛む人の、()ひられて少し飲みたるも、いと よし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。上少し」などのたまはせたるも、 うれし。近づかまほしき人の、上戸(じやうご)にて、ひしひしと馴れぬる、またうれし。

さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるゝ者なり。酔ひくたびれて朝寝(あさい)したる所を、(あるじ)の引き開けたるに、(まど)ひて、()れた る顔ながら、細き(もとどり)差し出し、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひ て逃ぐる、掻取姿(かいとりすがた)後手(うしろで)、毛生ひたる細脛(ほそはぎ)のほど、をかしく、つきづきし。

■第百七十六段

黒戸(くろど)は、小松御門(こまつのみかど)(くらゐ)()かせ給ひ て、昔、たゞ人にておはしましし時、まさな(ごと)せさせ給ひしを忘れ給は で、常に営ませ給ひける間なり。御薪(みかまぎ)(すす)けたれば、黒戸と言ふとぞ。

■第百七十七段

鎌倉中書王(かまくらのちゆうしよわう)にて御鞠(おんまり)ありけるに、雨 降りて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと沙汰(さた)ありけるに、 佐々木隠岐入道(ささきのおきのにふだう)(のこぎり)(くづ)を車に()みて、多く(たてまつ)りたりければ、一庭(ひとには)に敷かれて、泥土(でいと)(わづら)ひなかりけり。「取り溜めけん用意、有難し」と、人感じ合へりけり。

この事を或者(あるもの)の語り出でたりしに、吉田(よしだの)中納言の、「 乾き砂子(すなご)の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、(はづ)か しかりき。いみじと思ひける鋸の屑、(いや)しく、異様(ことやう)の事なり。 庭の()奉行(ぶぎやう)する人、乾き砂子を(まう)くるは、故実(こしつ)なりとぞ。

■第百七十八段

或所の(さぶらひ)ども、内侍所(ないしどころ)御神楽(みかぐら)を見て、 人に語るとて、「宝剣(ほうけん)をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞き て、内なる女房の中に、「別殿(べつでん)行幸(ぎやうがう)には、昼御座(ひのござ)御剣(ぎよけん)にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心にく かりき。その人、古き典侍(ないしのすけ)なりけるとかや。

■第百七十九段

入宋(につそう)沙門(しやもん)道眼(だうげん)上人、一切経(いつさいきやう)持来(ぢらい)して、六波羅(ろくはら)のあたり、やけ野といふ所に安 (あんぢ)して、(こと)首楞厳経(しゆれうごんきやう)(かう)じて、那蘭陀寺(ならんだじ)(かう)す。

その聖の申されしは、那蘭陀寺は、大門(だいもん)北向きなりと、江帥(がうぞつ)の説として言ひ伝えたれど、西域伝(さいゐきでん)法顕伝(ほつけんでん)などにも見えず、(さら)所見(しよけん)なし。江帥は如何なる才学(さいがく)にてか申されけん、おぼつかなし。唐土(たうど)西明寺(さいみやうじ)は、北向き勿論(もちろん)なり」と申しき。

■第百八十段

さぎちやうは、正月(むつき)に打ちたる毬杖(ぎちやう)を、真言(しんごん) 院より神泉苑(しんぜんゑん)(いだ)して、焼き()ぐるなり。「法成就(ほふじやうじゆ)の池にこそ」と(はや)すは、神泉苑の池をいふなり。

■第百八十一段

「『降れ降れ粉雪(こゆき)、たんばの粉雪』といふ事、米搗(よねつ)(ふる)ひたるに似たれば、粉雪といふ。『たんまれ粉雪』と言ふべきを、誤りて 『たんばの』とは言ふなり。『垣や木の(また)に』と(うた)ふべし」と、或物(あるもの)知り申しき。

昔より言ひける事にや。鳥羽院幼(をさな)くおはしまして、雪の降るにかく (おほ)せられける(よし)讃岐典侍(さぬきのすけ)が日記に書きたり。

■第百八十二段

四条(しでう)大納言隆親卿(たかちかのきやう)乾鮭(からざけ)と言ふもの を供御(ぐご)に参らせられたりけるを、「かくあやしき物、参る(やう)あら じ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ(うお)、参らぬ事にてあ らんにこそあれ、(さけ)白乾(しらぼ)し、何条事(なでふごと)かあらん。(あゆ)の白乾しは参らぬかは」と申されけり。

■第百八十三段

()く牛をば角を()り、人()ふ馬をば耳を截りて、その(しるし)とす。標を()けずして人を(やぶ)らせぬるは、(ぬし)(とが) なり。人喰ふ犬をば(やしな)ひ飼ふべからず。これ皆、咎あり。(りつ)(いましめ)なり。

■第百八十四段

相模守時頼(さがみのかみときより)(はわ)は、松下禅尼(まつしたのぜんに)とぞ申しける。(かみ)を入れ申さるゝ事ありけるに、(すす)けたる(あかり)り障子の破ればかりを、禅尼、手づから、小刀(こがたな)して切り(まは)しつゝ張られければ、(せうと)城介義景(じやうのすけよしかげ)、 その日のけいめいして(さうら)ひけるが、「給はりて、某男(なにがしをのこ)に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者に候ふ」と申されければ、「そ の男、(あま)が細工によも(まさ)り侍らじ」とて、なほ、一間(ひとま)づ ゝ張られけるを、義景、「皆を張り替へ候はんは、(はる)かにたやすく候ふ べし。(まだ)らに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、「尼も、(のち)は、さはさはと張り替へんと思へども、今日(けふ)ばかりは、わざとか くてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理(しゆり)して(もち)ゐる事 ぞと、若き人に見習はせて、心づけんためなり」と申されける、いと有難(ありがた)かりけり。

世を(をさ)むる道、倹約を(もと)とす。女性(によしやう)なれども、聖 人の心に(かよ)へり。天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことに、たゞ(びと)にはあらざりけるとぞ。

■第百八十五段

城陸奥守泰盛(じやうのむつのかみやすもり)は、(さう)なき馬乗りなりけ り。馬を引き(いだ)させけるに、足を(そろ)へて(しきみ)をゆらりと()ゆるを見ては、「これは(いさ)める馬なり」とて、(くら)を置き()へさせけり。また、足を()べて閾に蹴当(けあ)てぬれば、「これは(にぶ)くして、(あやま)ちあるべし」とて、乗らざりけり。

道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。

■第百八十六段

吉田(よしだ)と申す馬乗りの申し侍りしは、「馬毎(うまごと)にこはきもの なり。人の力争(あらそ)ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、()づよ く見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、(くつわ)(くら)()(あやふ)き事やあると見て、心に(かか)る事あらば、その馬を()すべ からず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。これ、秘蔵(ひさう)の事なり」と申しき。

■第百八十七段

(よろづ)の道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)非家(ひか)の人に並ぶ時、必ず(まさ)る事は、(たゆ)みなく(つつし) みて軽々しくせぬと、(ひと)へに自由(じいう)なるとの(ひと)しからぬなり。

芸能(げいのう)所作(しよさ)のみにあらず、大方(おほかた)振舞(ふるまひ)心遣(こころづか)ひも、(おろ)かにして慎めるは、(とく)(もと) なり。(たく)みにして欲しきまゝなるは、(しつ)の本なり。

■第百八十八段

或者(あるもの)、子を法師(ほふし)になして、「学問して因果(いんぐわ)(ことわり)をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、 (をしへ)のまゝに、説経師(せつきやうし)にならんために、先づ、馬に乗り 習ひけり。輿(こし)(くるま)は持たぬ身の、導師に(しやう)ぜられん時、 馬など迎へにおこせたらんに、桃尻(ももじり)にて落ちなんは、心憂(こころう)かるべしと思ひけり。次に、仏事(ぶつじ)(のち)、酒など勧むる事あ らんに、法師の無下(むげ)に能なきは、檀那(だんな)すさまじく思ふべしとて、 早歌(さうか)といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう(さかひ)に入り ければ、いよいよよくしたく覚えて(たしな)みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。

この法師のみにもあらず、世間(せけん)の人、なべて、この事あり。若きほ どは、諸事(しよじ)につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも附き、 学問をもせんと、行末(ゆくすゑ)久しくあらます事ども心には()けながら、 世を長閑(のどか)に思ひて打ち怠りつゝ、()づ、差し当りたる、目の前の 事のみに(まぎ)れて、月日を送れば、事々(ことごと)成す事なくして、身は 老いぬ。(つひ)に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、()ゆれども取り返さるゝ(よはひ)ならねば、走りて坂を下る輪の如くに(おとろ)へ行く。

されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく 思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事(いちじ)を励 むべし。一日の(うち)一時(いちじ)の中にも、数多(あまた)の事の来らん 中に、少しも(やく)の勝らん事を営みて、その(ほか)をば打ち捨てて、 大事(だいじ)を急ぐべきなり。何方(いづかた)をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。

例へば、碁を打つ人、一手(ひとて)(いたづ)らにせず、人に先立(さきだ) ちて、(せう)を捨て(だい)()くが如し。それにとりて、三つの石を 捨てて、(とを)の石に就くことは(やす)し。十を捨てて、十一に就くこと は(かた)し。一つなりとも(まさ)らん方へこそ就くべきを、十まで成りぬ れば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には()(にく)し。これをも捨てず、 かれをも取らんと思ふ心に、かれをも()ず、これをも失ふべき道なり。

京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、西山に行きて その(やく)勝るべき事を思ひ得たらば、(かど)より帰りて西山へ行くべき なり。「此所(ここ)まで来着(きつ)きぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を ()さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、 一時(いちじ)懈怠(けだい)(すなは)ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るゝをも(いた)むべからず、人の (あざけ)りをも恥づべからず。万事(ばんじ)に換へずしては、(いつ)の大 (だいじ)成るべからず。人の数多(あまた)ありける中にて、或者(あるもの)、 「ますほの(すすき)、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺(わたのべ)の聖、こ の事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮(とうれん)法師、その座に侍りける が、聞きて、雨の降りけるに、「(みの)(かさ)やある。貸し給へ。かの 薄の事習ひに、渡辺の聖のがり(たづ)(まか)らん」と言ひけるを、「(あま)りに物騒がし。雨止()みてこそ」と人の言ひければ、「無下(むげ)の 事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、 聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつゝ、習ひ侍りにけり と申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難(ありがた)う覚ゆれ。「()き時は、 則ち(こう)あり」とぞ、論語(ろんご)と云ふ(ふみ)にも侍るなる。この薄 をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁(いんねん)をぞ思ふべかりける。

■第百八十九段

今日(けふ)はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ()づ出で来て(まぎ) れ暮し、待つ人は(さは)りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は(たが)ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは(かな)ひぬ。(わづら)はしかりつる事 はことなくて、(やす)かるべき事はいと心苦し。日々(ひび)に過ぎ行くさま、 (かね)て思ひつるには似ず。一年(ひととせ)(うち)もかくの如し。一生の(あひだ)もしかなり。

(かね)てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあ れば、いよいよ、物は定め難し。不定(ふしやう)と心得ぬるのみ、(まこと)にて違はず。

■第百九十段

()といふものこそ、(をのこ)の持つまじきものなれ。「いつも(ひと)()みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「(たれ)がしが婿(むこ)に成 りぬ」とも、また、「如何なる(をんな)を取り据ゑて、(あひ)住む」など 聞きつれば、無下(むげ)に心劣りせらるゝわざなり。(こと)なる事なき女を よしと思ひ定めてこそ()ひゐたらめと、(いや)しくも()(はか) られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが(ほとけ)と守りゐたらむ。たと へば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の(うち)(おこな)ひ治 めたる女、いと口惜(くちを)し。子など()で来て、かしづき愛したる、心 ()し。男なくなりて後、(あま)になりて年寄りたるありさま、()き跡まであさまし。

いかなる女なりとも、明暮添(あけくれそ)ひ見んには、いと心づきなく、(にく)かりなん。女のためも、半空(なかぞら)にこそならめ。よそながら時々 通ひ()まんこそ、年月経()ても絶えぬ仲らひともならめ。あからさまに 来て、(とま)()などせんは、珍らしかりぬべし。

■第百九十一段

()に入りて、物の()えなし」といふ人、いと口をし。万のものの 綺羅(きら)(かざ)り・色ふしも、(よる)のみこそめでたけれ。昼は、こ とそぎ、およすけたる姿(すがた)にてもありなん。夜は、きらゝかに、花やか なる装束(しやうぞく)、いとよし。人の気色(けしき)も、夜の火影(ほかげ)ぞ、 よきはよく、物言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある、心にくし。(にほ)ひも、ものの()も、たゞ、夜ぞひときはめでたき。

さして(こと)なる事なき夜、うち()けて参れる人の、清げなるさまし たる、いとよし。若きどち、心止(とど)めて見る人は、時をも()かぬもの ならば、殊に、うち()けぬべき折節(をりふし)ぞ、()(はれ)なく ひきつくろはまほしき。よき(をとこ)の、日暮()れてゆするし、(をんな)も、夜更くる程に、すべりつゝ、(かがみ)取りて、顔などつくろひて出づるこそ、をかしけれ。

■第百九十二段

(かみ)(ほとけ)にも、人の(まう)でぬ日、(よる)参りたる、よし。

■第百九十三段

くらき人の、人を(はか)りて、その()を知れりと思はん、さらに(あた)るべからず。

(つたな)き人の、()打つ事ばかりにさとく、(たく)みなるは、(かしこ)き人の、この芸におろかなるを見て、(おの)れが智に及ばずと定めて、 (よろづ)の道の(たくみ)、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたり と思はん事、大きなる誤りなるべし。文字(もんじ)の法師、暗証(あんしよう)禅師(ぜんじ)(たが)ひに測りて、己れに()かずと思へる、共に(あた)らず。

己れが境界(きやうがい)にあらざるものをば、(あらそ)ふべからず、是非すべからず。

■第百九十四段

達人(たつじん)の、人を見る(まなこ)は、少しも(あやま)る所あるべからず。

例へば、或人の、世に虚言(そらごと)(かま)(いだ)して、人を(はか)る事あらんに、素直(すなほ)に、(まこと)と思ひて、言ふまゝに謀らる ゝ人あり。余りに深く信を(おこ)して、なほ(わづら)はしく、虚言を心得 (こころえそ)ふる人あり。また、(なに)としも思はで、心をつけぬ人あり。 また、いさゝかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じ ゐたる人あり。また、(まこと)しくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さも あらんとて()みぬる人もあり。また、さまざまに(すゐ)し、心得たるよ しして、賢げにうちうなづき、ほゝ()みてゐたれど、つやつや知らぬ人あ り。また、推し(いだ)して、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤 りもこそあれと怪しむ人あり。また、「(こと)なるやうもなかりけり」と、 手を()ちて笑ふ人あり。また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつ かなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。また、 この虚言の本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、(かま)へ出したる人と同じ心になりて、力を()はする人あり。

愚者(ぐしや)(うち)(たはぶ)れだに、知りたる人の前にては、この さまざまの得たる所、(ことば)にても、顔にても、隠れなく知られぬべし。 まして、明らかならん人の、(まど)へる我等を見んこと、(たなごころ)(うへ)の物を見んが如し。(ただ)し、かやうの推し測りにて、仏法(ぶつぽふ)までをなずらへ言ふべきにはあらず。

■第百九十五段

或人(あるひと)久我縄手(こがなはて)(とほ)りけるに、小袖(こそで)大口(おほくち)着たる人、木造(ぢざう)りの地蔵を田の中の水におし浸して、 ねんごろに洗ひけり。心得難(こころえがた)く見るほどに、狩衣(かりぎぬ)の 男二三人(ふたりみたり)出で来て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を ()して()にけり。久我内大臣(こがのないだいじん)殿にてぞおはしける。

尋常(よのつね)におはしましける時は、神妙(しんべう)に、やんごとなき人にておはしけり。

■第百九十六段

東大寺の神輿(しんよ)、東寺の若宮(わかみや)より帰座(きざ)の時、源氏の 公卿(くぎやう)参られけるに、この殿(との)大将(だいしやう)にて先を追は れけるを、土御門相国(つちみかどのしやうこく)、「社頭(しやとう)にて、 警蹕(けいひつ)いかゞ侍るべからん」と申されければ、「随身(ずゐじん)の振舞 は、兵杖(ひやうぢやう)の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。

さて、後に仰せられけるは、「この相国(しやうこく)北山抄(ほくざんせう) を見て、西宮(せいきう)の説をこそ知られざりけれ。眷属(けんぞく)悪鬼(あくき)・悪神恐るゝ故に、神社にて、(こと)に先を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。

■第百九十七段

諸寺(しよじ)の僧のみにもあらず、定額(ぢやうがく)女孺(によじゆ)とい ふ事、延喜式(えんぎしき)に見えたり。すべて、(かず)定まりたる公人(くにん)通号(つうがう)にこそ。

■第百九十八段

揚名介(やうめいのすけ)に限らず、揚名目(やうめいのさくわん)といふものあり。政治要略(せいじえうりやく)にあり。

■第百九十九段

横川行宣法印(よかはのぎやうせんほふいん)が申し侍りしは、「唐土(たうど)(りよ)の国なり。(りつ)(おん)なし。和国(わこく)は、単律(たんりつ)の国にて、呂の音なし」と申しき。

■第二百段

呉竹(くれたけ)()細く、河竹(かはたけ)は葉広し。御溝(みかは)に近 きは河竹、仁寿殿(じじゆうでん)(かた)に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。

■第二百一段

退凡(たいぼん)下乗(げじよう)卒都婆(そとば)(そと)なるは下乗、内なるは退凡なり。

■第二百二段

十月(じふぐわつ)神無月(かみなづき)と言ひて、神事(じんじ)に憚るべき よしは、記したる物なし。本文(もとふみ)も見えず。但し、当月(たうげつ)諸社(しよしや)の祭なき故に、この名あるか。

この月、万の神達、太神宮(だいじんぐう)に集り給ふなど言ふ説あれども、 その本説(ほんぜつ)なし。さる事ならば、伊勢(いせ)には(こと)祭月(さいげつ)とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸(ぎやうがう)、その例も多し。但し、多くは不吉の例なり。

■第二百三段

勅勘(ちよくかん)の所に(ゆき)懸くる作法(さほふ)、今は絶えて、知れる 人なし。主上(しゆしやう)御悩(ごなう)、大方、世中(よのなか)の騒がしき 時は、五条の天神に靫を懸けらる。鞍馬(くらま)に靫の明神(みやうじん)とい ふも、靫懸けられたりける神なり。看督長(かどのをさ)()ひたる靫をそ の家に懸けられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封を()くることになりにけり。

■第二百四段

犯人(ぼんにん)(しもと)にて打つ時は、拷器(がうき)に寄せて結ひ附く るなり。拷器の(やう)も、寄する作法も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。

■第二百五段

比叡山(ひえのやま)に、大師勧請(だいしくわんじやう)起請(きしやう)と いふ事は、慈恵僧正(じゑそうじやう)書き始め給ひけるなり。起請文といふ事、 法曹(はうさう)にはその沙汰なし。(いにしへ)の聖代、すべて、起請文につ きて行はるゝ(まつりごと)はなきを、近代、この事流布(るふ)したるなり。

また、法令(はふりやう)には、水火に(けが)れを立てず。入物(いれもの)には穢れあるべし。

■第二百六段

徳大寺故大臣殿(とくだいじのこおほいとの)検非違使(けんびゐし)別当(べつたう)の時、中門にて使庁(しちやう)評定(ひやうじやう)行はれける(ほど)に、官人章兼(くわんにんあきかね)が牛放れて、庁の内へ入りて、大理(だいり)()浜床(はまゆか)の上に登りて、にれうちかみて臥したりけ り。重き怪異(けい)なりとて、牛を陰陽師(おんやうじ)(もと)へ遣すべき よし、各々(おのおの)申しけるを、父の相国(しやうこく)聞き給ひて、「牛に 分別(ふんべつ)なし。足あれば、いづくへか登らざらん。⚀弱(わうじやく)の官人、たまたま出仕(しゆつし)微牛(びぎう)を取らるべきやうなし」 とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事(きやうじ)なかりけるとなん。

「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。

■第二百七段

亀山殿(かめやまどの)建てられんとて地を引かれけるに、大きなる(くちなは)、数も知らず()り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、 事の(よし)を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問(ちよくもん)ありける に、「古くよりこの地を()めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」 と皆人(みなひと)申されけるに、この大臣(おとど)、一人、「王土(わうど)に をらん虫、皇居(くわうきよ)を建てられんに、何の(たた)りをかなすべき。 鬼神(きしん)はよこしまなし。(とが)むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」 と申されたりければ、塚を(くづ)して、蛇をば大井河に流してんげり。

さらに祟りなかりけり。

■第二百八段

経文(きやうもん)などの(ひも)を結ふに、上下(かみしも)よりたすきに(ちが)へて、二筋(ふたすぢ)の中よりわなの(かしら)横様(よこさま)に引 き(いだ)す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院弘舜(けごんいんのこうしゆん)僧正、()きて直させけり。「これは、この比様(ごろやう) の事なり。いとにくし。うるはしくは、たゞ、くるくると巻きて、上より下へ、わなの先を(さしはさ)むべし」と申されけり。

古き人にて、かやうの事知れる人になん侍りける。

■第二百九段

人の田を論ずる者、(うつた)へに負けて、ねたさに、「その田を()り て取れ」とて、人を(つかは)しけるに、()づ、道すがらの田をさへ刈り もて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈 る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事(ひがこと)せんとて(まか)る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。

理、いとをかしかりけり。

■第二百十段

喚子鳥(よぶこどり)は春のものなり」とばかり言ひて、如何(いか)なる鳥 ともさだかに記せる物なし。或真言(あるしんごん)書の中に、喚子鳥鳴く時、 招魂(せうこん)の法をば行ふ次第(しだい)あり。これは(ぬえ)なり。万葉集 の長歌(ながうた)に、「(かすみ)立つ、長き春日(はるひ)の」など続けたり。 鵺鳥も喚子鳥のことざまに(かよ)いて(きこ)ゆ。

■第二百十一段

(よろづ)の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、 (いか)る事あり。(いきほ)ひありとて、頼むべからず。こはき者先()づ 滅ぶ。(たから)多しとて、頼むべからず。時の()に失ひ易し。(ざえ) ありとて、頼むべからず。孔子も時に()はず。徳ありとて、頼むべからず。 顔回(ぐわんかい)も不幸なりき。(きみ)(ちょう)をも頼むべからず。(ちう)を受くる事速(すみや)かなり。(やつこ)従へりとて、頼むべからず。 (そむ)き走る事あり。人の(こころざし)をも頼むべからず。必ず(へん) ず。(やく)をも頼むべからず。(しん)ある事少し。

身をも人をも頼まざれば、()なる時は喜び、()なる時は恨みず。左 (さう)広ければ、(さは)らず、前後遠(ぜんごとほ)ければ、(ふさ)がら ず。(せば)き時は(ひし)(くだ)く。心を用ゐる事少(すこ)しきにして (きび)しき時は、物に(さか)ひ、争ひて破る。(ゆる)くして(やはら)かなる時は、一毛(いちまう)も損せず。

人は天地の霊なり。天地は限る所なし。人の(しやう)、何ぞ(こと)なら ん。寛大(くわんだい)にして極まらざる時は、喜怒(きど)これに障らずして、物のために(わづら)はず。

■第二百十二段

秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、 思ひ分かざらん人は、無下(むげ)に心うかるべき事なり。

■第二百十三段

御前(ごぜん)火炉(くわろ)に火を置く時は、火箸(ひばし)して(はさ)む 事なし。土器(かはらけ)より(ただ)ちに移すべし。されば、(ころ)び落ちぬやうに心得て、炭を()むべきなり。

八幡(やはた)御幸(ごかう)に、供奉(ぐぶ)の人、浄衣(じやうえ)を着て、 手にて炭をさゝれければ、或有職(あるいうしよく)の人、「白き物を着たる日は、火箸を用ゐる、苦しからず」と申されけり。

■第二百十四段

想夫恋(さうふれん)といふ(がく)は、(をんな)(をとこ)()ふ る故の名にはあらず、(もと)相府蓮(さうふれん)文字(もんじ)の通へる なり。(しん)王倹(わうけん)大臣(だいじん)として、家に(はちす)を 植ゑて愛せし時の楽なり。これより、大臣を蓮府(れんぷ)といふ。

廻忽(くわいこつ)廻鶻(くわいこつ)なり。廻鶻国とて、(えびす)のこは き国あり。その夷、(かん)(ふく)して後に、来りて、己れが国の楽を奏せしなり。

■第二百十五段

平宣時朝臣(たひらののぶときあつそん)(おい)の後、昔語(むかしがたり) に、「最明寺入道(さいみやうじのにふだう)或宵(あるよひ)()に呼ば るゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせ しほどに、また、使(つかひ)来りて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異 (ことやう)なりとも、()く』とありしかば、()えたる直垂、うちう ちのまゝにて(まか)りたりしに、銚子(てうし)土器(かはらけ)取り() へて持て出でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。 (さかな)こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくま でも求め給へ』とありしかば、紙燭(しそく)さして、隈々(くまぐま)を求めし 程に、台所の棚に、小土器に味噌(みそ)の少し附きたるを見出(みい)でて、『 これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『(こと)足りなん』とて、心よく数献(すこん)に及びて、(きょう)に入られ侍りき。その世には、かくこそ侍りしか」と申されき。

■第二百十六段

最明寺入道(さいみやうじのにふだう)鶴岡(つるがをか)社参(しやさん)(ついで)に、足利左馬入道(あしかがのさまのすけの)(もと)へ、先づ 使(つかひ)を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける(やう)一献(いつこん)に打ち(あはび)二献(にこん)に海老、三献(さんこん)にかいもちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨(りゆうべん)僧正、 主方(あるじかた)の人にて()せられけり。さて、「年毎に給はる足利の染 (そめもの)、心もとなく候ふ」と申されければ、「用意し候ふ」とて、色々 の染物三十、前にて、女房どもに小袖(こそで)調(てう)ぜさせて、後に遣されけり。

その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。

■第二百十七段

或大福長者(あるだいふくちやうじや)の云はく、「人は、(よろづ)をさし おきて、ひたふるに徳をつくべきなり。貧しくては、生けるかひなし。() めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、すべからく、先づ、その心遣(こころづか)ひを修行すべし。その心と云ふは、他の事にあらず。人間常住(じやうぢゆう)の思ひに住して、仮にも無常を(くわん)ずる事なかれ。これ、第一 の用心なり。次に、万事の用を(かな)ふべからず。人の世にある、自他につ けて所願無量(しよぐわんむりやう)なり。欲に(したが)ひて志を遂げんと思 はば、百万の銭ありといふとも、(しばら)くも住すべからず。所願(しよぐわん)は止む時なし。(たから)は尽くる()あり。限りある財をもちて、 限りなき願ひに随ふ事、()べからず。所願心に(きざ)す事あらば、我を 滅すべき悪念来(あくねんきた)れりと固く(つつし)み恐れて、小要(せうえう)をも為すべからず。次に、銭を(やつこ)の如くして使ひ用ゐる物と知ら ば、永く貧苦(ひんく)(まぬか)るべからず。君の如く、神の如く(おそ) れ尊みて、従へ用ゐる事なかれ。次に、(はぢ)に臨むといふとも、怒り恨む る事なかれ。次に、正直(しやうぢき)にして、(やく)を固くすべし。この義 を(まぼ)りて利を求めん人は、(とみ)の来る事、火の(かわ)けるに()き、水の(くだ)れるに随ふが如くなるべし。銭積(つも)りて尽きざる時 は、宴飲(えんいん)声色(せいしよく)(こと)とせず、居所(きよしよ)を 飾らず、所願を(じやう)ぜざれども、心とこしなへに安く、楽し」と申しき。

そもそも、人は、所願を成ぜんがために、(ざい)を求む。銭を財とする事 は、願ひを叶ふるが故なり。所願あれども叶へず、銭あれども用ゐざらんは、 全く貧者(ひんじや)と同じ。何をか楽しびとせん。この(おきて)は、たゞ、 人間の望みを断ちて、貧を(うれ)ふべからずと聞えたり。欲を成じて楽しび とせんよりは、()かじ、財なからんには。(よう)()を病む者、水 に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには如かじ。こゝに至りては、(ひん)富分(ぷわ)く所なし。究竟(くきやう)理即(りそく)に等し。大欲(たいよく)は無欲に似たり。

■第二百十八段

(きつね)は人に食ひつくものなり。堀川(ほりかは)殿にて、舎人(とねり) が寝たる足を狐に食はる。仁和寺(にんなじ)にて、(よる)本寺(ほんじ)の 前を通る下法師(しもぼふし)に、狐三()つ飛びかゝりて食ひつきければ、(かたな)を抜きてこれを防ぐ間、狐二疋(ひき)を突く。一つは突き殺しぬ。二 つは逃げぬ。法師は、数多所(あまたところ)食はれながら、事故(ことゆゑ)なかりけり。

■第二百十九段

四条黄門(しでうのくわうもん)命ぜられて云はく、「竜秋(たつあき)は、道 にとりては、やんごとなき者なり。先日(せんじつ)来りて云はく、『短慮(たんりよ)の至り、極めて荒涼(くわうりやう)の事なれども、横笛(よこぶえ)()の穴は、(いささ)かいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを(ぞん)ず。その故は、(かん)の穴は平調(ひやうでう)、五の穴は下無調(しもむでう)なり。その間に、勝絶調(しようぜつでう)を隔てたり。(じやう)の穴、 双調(さうでう)。次に、鳧鐘調(ふしようでう)を置きて、(さく)の穴、黄鐘 調(わうじきでう)なり。その次に鸞鏡調(らんけいでう)を置きて、(ちゆう) の穴、盤渉調(ばんしきでう)、中と六とのあはひに、神仙調(しんせんでう)あ り。かやうに、間々(まま)皆一律(いちりつ)をぬすめるに、五の穴のみ、上 の間に調子を持たずして、しかも、()を配る事等(ひと)しき故に、その声 不快(ふくわい)なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。のけあへぬ時は、 物に合はず。吹き()る人(かた)し』と申しき。料簡(れうけん)の至り、 まことに興あり。先達(せんだち)後生(こうせい)(おそ)ると云ふこと、この事なり」と侍りき。

他日(たじつ)に、景茂(かげもち)が申し侍りしは、「(しやう)は調べおほ せて、持ちたれば、たゞ吹くばかりなり。(ふえ)は、吹きながら、息のうち にて、かつ調べもてゆく物なれば、穴毎(ごと)に、口伝(くでん)の上に性骨(しやうこつ)を加へて、心を()るゝこと、五の穴のみに限らず。(ひとへ) に、のくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれの穴も心よからず。 上手はいづれをも吹き合はす。呂律(りよりつ)の、物に(かな)はざるは、人 の(とが)なり。(うつはもの)(しつ)にあらず」と申しき。

■第二百二十段

「何事も、辺土(へんど)は賤しく、かたくななれども、天王寺(てんわうじ)舞楽(ぶがく)のみ(みやこ)に恥ぢず」と云ふ。天王寺の伶人(れいじん)の 申し侍りしは、「当寺(たうじ)(がく)は、よく()を調べ合はせて、も のの()のめでたく調(ととのほ)り侍る事、(ほか)よりもすぐれたり。故 は、太子(たいし)御時(おんとき)の図、今に侍るを博士(はかせ)とす。いは ゆる六時(ろくじ)堂の前の鐘なり。その声、黄鐘調(わうじきでう)最中(もなか)なり。(かん)(しよ)(したが)ひて(あが)り・(さが)りあ るべき故に、二月涅槃会(にぐわつねはんゑ)より聖霊会(しやうりやうゑ)まで の中間(ちゆうげん)指南(しなん)とす。秘蔵(ひさう)の事なり。この一調子(いつてうし)をもちて、いづれの声をも調へ侍るなり」と申しき。

(およ)そ、鐘の声は黄鐘調なるべし。これ、無常の調子、祇園精舎(ぎをんしやうじや)無常院(むじやういん)の声なり。西園寺(さいをんじ)の鐘、黄 鐘調に()らるべしとて、数多度(あまたたび)鋳かへられけれども、(かな)はざりけるを、遠国(をんごく)より尋ね出されけり。浄金剛(じやうこんがう)院の鐘の声、また黄鐘調なり。

■第二百二十一段

建治(けんぢ)弘安(こうあん)の比は、(まつり)の日の放免(はうべん)附物(つけもの)に、異様(ことやう)なる紺の布四五反(しごたん)にて馬を作 りて、()・髪には燈心(とうじみ)をして、蜘蛛(くも)()()きた る水干(すゐかん)()けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及(みおよ)び侍りしなども、(きょう)ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老 いたる道志(だうし)どもの、今日(けふ)も語り侍るなり。

この比は、附物(つけもの)、年を送りて、過差(くわさ)(こと)(ほか) になりて、(よろづ)の重き物を多く附けて、左右(さう)(そで)を人に持 たせて、(みづか)らは(ほこ)をだに持たず、息づき、苦しむ有様、いと見苦し。

■第二百二十二段

竹谷乗願房(たけだにのじようぐわんぼう)東二乗院(とうにでうのゐん)へ 参られたりけるに、「亡者(まうじや)追善(つゐぜん)には、何事か勝利(しようり)多き」と(たづ)ねさせ給ひければ、「光明真言(くわうみやうしんごん)宝篋印陀羅尼(ほうけういんだらに)」と申されたりけるを、弟子ども、 「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏(ねんぶつ)に勝る事候ふまじとは、など 申し給はぬぞ」と申しければ、「()(しゆう)なれば、さこそ申さまほ しかりつれども、正しく、称名(しょうみゃう)追福(ぶく)(しゆ)して巨 (こやく)あるべしと説ける経文を見及ばねば、何に見えたるぞと(かさ)ね て問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経(ほんぎょう)の確かなるにつき て、この真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。

■第二百二十三段

(たづ)大臣殿(おほいとの)は、童名(わらはな)、たづ(ぎみ)なり。鶴 を飼ひ給ひける故にと申すは、僻事(ひがこと)なり。

■第二百二十四段

陰陽師有宗入道(おんやうじありむねにふだう)、鎌倉より(のぼ)りて、(たづ)ねまうで来りしが、先づさし入りて、「この庭のいたすらに広きこと、 あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、()うる事を(つと)む。 細道(ほそみち)一つ残して(みな)皆、(はたけ)に作り給へ」と(いさ)め侍りき。

まことに、少しの地をもいたづらに置かんことは、(やく)なき事なり。食ふ物・薬種(やくしゆ)など植ゑ置くべし。

■第二百二十五段

多久資(おほのひさすけ)が申しけるは、通憲入道(みちのりにふだう)(まひ)の手の(なか)(きょう)ある事どもを選びて、(いそ)禅師(ぜんじ) といひける女に教へて舞はせけり。白き水干(すゐかん)に、鞘巻(さうまき)を 差させ、烏帽子(えぼし)を引き入れたりければ、男舞(をとこまひ)とぞ言ひけ る。禅師が(むすめ)(しづか)と言ひける、この芸を継げり。これ、白拍 (しらびやうし)根元(こんげん)なり。仏神(ぶつじん)本縁(ほんえん)を 歌ふ。その後、源光行(みつゆき)、多くの事を作れり。御鳥羽院の御作(ごさく)もあり、亀菊(かめぎく)に教へさせ給ひけるとぞ。

■第二百二十六段

後鳥羽院(ごとばのゐん)御時(おんとき)信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)稽古(けいこ)(ほまれ)ありけるが、楽府(がふ)御論議(みろんぎ)(ばん)に召されて、七徳(しちとく)(まい)を二つ忘れたりければ、 五徳(ごとく)冠者(くわんじや)異名(いみやう)を附きにけるを、心憂き事 にして、学問を捨てて遁世(とんぜい)したりけるを、慈鎮和尚(ぢちんくわしやう)一芸(いちげい)ある者をば、下部(しもべ)までも召し置きて、不便(ふびん)にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持(ふち)し給ひけり。

この行長入道、平家物語(へいけのものがたり)を作りて、生仏(しやうぶつ) といひける盲目(まうもく)に教へて語らせけり。さて、山門(さんもん)の事を 殊にゆゝしく書けり。九郎判官(くらうはんぐわん)の事は(くは)しく知りて 書き載せたり。蒲冠者(かばのくわんじや)の事はよく知らざりけるにや、多く の事どもを(しる)し洩らせり。武士の事、弓馬(きうば)(わざ)は、生仏、 東国(とうごく)の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が(うま)れつきの声を、今の琵琶(びは)法師は学びたるなり。

■第二百二十七段

六時礼讃(ろくじらいさん)は、法然上人(ほふねんしやうにん)の弟子、安楽(あんらく)といひける僧、経文(きやうもん)を集めて作りて、(つと)めにし けり。その後、太秦善観房(うづまさのぜんくわんぼう)といふ僧、節博士(ふしはかせ)を定めて、声明(しやうみやう)になせり。一念(いちねん)の念仏の 最初なり。御嵯峨院(ごさがの)御代(みよ)より始まれり。法事讃(ほふじさん)も、同じく、善観房始めたるなり。

■第二百二十八段

千本の釈迦念仏(しやかねんぶつ)は、文永(ぶんえい)の比、如輪(によりん)上人、これを始められけり。

■第二百二十九段

よき細工(さいく)は、少し鈍き(かたな)を使ふと言ふ。妙観(めうくわん)が刀はいたく立たず。

■第二百三十段

五条内裏(ごでうのだいり)には、妖物(ばけもの)ありけり。藤大納言殿(とうのだいなごんどの)語られ侍りしは、殿上人(てんじやうびと)ども、黒戸(くろど)にて碁を打ちけるに、御簾(みす)を掲げて見るものあり。「()そ」と 見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし(のぞ)きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、(まど)ひ逃げにけり。

未練(みれん)の狐、化け損じけるにこそ。

■第二百三十一段

(その)別当入道(べつたうにふだう)は、さうなき庖丁者(ほうちやうじや) なり。或人の(もと)にて、いみじき(こひ)を出だしたりければ、皆人(みなひと)、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞ とためらひけるを、別当入道、さる人にて、「この(ほど)百日(ひやくにち)の鯉を切り侍るを、今日(けふ)()き侍るべきにあらず。()げて申 し()けん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へ りけると、或人、北山太政入道(きたやまのだいじやうにふだう)殿に語り申さ れたりければ、「かやうの事、(おの)れはよにうるさく覚ゆるなり。『切り ぬべき人なくは、()べ。切らん』と言ひたらんは、なほよかりなん。何条(なでう)、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。

大方(おほかた)振舞(ふるま)ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、 勝りたる事なり。客人(まれびと)饗応(きやうおう)なども、ついでをかしき やうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出で たる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを(たてまつ)らん」と云ひたる、まことの志なり。惜しむ(よし)して()はれんと 思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。

■第二百三十二段

すべて、人は、無智(むち)無能(むのう)なるべきものなり。(あるひと) 人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言(ものい)ふとて、 史書(ししよ)(もん)を引きたりし、(さか)しくは聞えしかども、尊者(そんじや)の前にてはさらずともと覚えしなり。また、或人の(もと)にて、 琵琶法師(びはほふし)の物語を聞かんとて琵琶を()()せたるに、(ぢゆう)の一つ落ちたりしかば、「作りて()けよ」と言ふに、ある男の(なか)に、悪しからずと見ゆるが、「古き柄杓(ひしやく)()ありや」な ど言ふを見れば、(つめ)()ふしたり。琵琶など弾くにこそ。盲法師(めくらほふし)の琵琶、その沙汰(さた)にも及ばぬことなり。道に心得たる(よし)にやと、かたはらいたかりき。「柄杓の柄は、檜物木(ひものぎ)とかやいひて、よからぬ物に」とぞ或人仰せられし。

若き人は、(すこ)しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。

■第二百三十三段

(よろづ)(とが)あらじと思はば、何事(なにごと)にもまことありて、 人を()かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女(なんによ)老少(らうせう)、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたちよき人の、 (こと)うるはしきは、忘れ(がた)く、思ひつかるゝものなり。

万の咎は、馴れたるさまに上手(じやうず)めき、所得(ところえ)たる気色(けしき)して、人をないがしろにするにあり。

■第二百三十四段

人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝに言はんはをこがま しとにや、心(まど)はすやうに返事(かへりこと)したる、よからぬ事なり。 知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人も、 などかなからん。うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。

人は(いま)だ聞き及ばぬ事を、我が知りたるまゝに、「さても、その人の 事のあさましさ」などばかり言ひ()りたれば、「如何(いか)なる事のある にか」と、押し返し問ひに遣るこそ、心づきなけれ。世に()りぬる事をも、 おのづから聞き(もら)すあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げ遣りたらん、()しかるべきことかは。

かやうの事は、物馴(ものな)れぬ人のある事なり。

■第二百三十五段

(ぬし)ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り()る事なし。主な き所には、道行人濫(みちゆきびとみだ)りに立ち入り、狐・(ふくろふ)やう の物も、人気(ひとげ)()かれねば、所得顔(ところえがほ)()()み、木霊(こたま)など云ふ、けしからぬ形も(あら)はるゝものなり。

また、(かがみ)には、(いろ)(かたち)なき故に、万の影来(かげきた) りて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざらまし。

虚空(こくう)よく物を()る。我等(われら)が心に念々(ねんねん)のほし きまゝに来り(うか)ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に(ぬし)あ らましかば、胸の(うち)に、若干(そこばく)の事は入り来らざらまし。

■第二百三十六段

丹波(たんば)出雲(いづも)と云ふ所あり。大社(おほやしろ)を移して、め でたく造れり。しだの(なにがし)とかやしる所なれば、秋の比、聖海(しやうかい)上人、その他も人数多(ひとあまた)誘ひて、「いざ(たま)へ、出雲 (をが)みに。かいもちひ()させん」とて()しもて行きたるに、 各々(おのおの)拝みて、ゆゝしく(しん)起したり。

御前(おまへ)なる獅子(しし)狛犬(こまいぬ)、背きて、(うしろ)さまに 立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち(やう)、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原(とのばら)殊勝(しゆしやう)の事は御覧(ごらん)(とが)めずや。無下(むげ)なり」と 言へば、各々怪(あや)しみて、「まことに()(こと)なりけり」、「(みやこ)のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、 物知りぬべき顔したる神官(じんぐわん)を呼びて、「この御社(みやしろ)の獅 子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと(うけたまは)らばや」と 言はれければ、「その事に候ふ。さがなき(わらわべ)どもの仕りける、奇怪(きくわい)に候う事なり」とて、さし寄りて、()ゑ直して、()にければ、上人の感涙(かんるゐ)いたづらになりにけり。

■第二百三十七段

柳筥(やないばこ)()うる物は、縦様(たてさま)横様(よこさま)、物 によるべきにや。「巻物などは、縦様に置きて、()(あはひ)より紙ひ ねりを(とほ)して、()()く。(すずり)も、縦様に置きたる、筆 (ころ)ばず、よし」と、三条右大臣殿(さんでうのうだいじん)仰せられき。

勘解由小路(かでのこうぢ)の家の能書(のうじよ)の人々は、仮にも縦様に置かるゝ事なし。必ず、横様に据ゑられ侍りき。

■第二百三十八段

御随身近友(みずゐじんちかとも)自讃(じさん)とて、七箇条(しちかでう) 書き(とど)めたる事あり。(みな)馬芸(ばげい)、させることなき事ども なり。その(ためし)を思ひて、自賛の事七つあり。

一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院(さいしやうくわうゐんへん)の辺にて、(をのこ)の、馬を(はし)らしむる を見て、「今一度(ひとたび)馬を()するものならば、馬(たふ)れて、落つべし。(しば)し見給へ」 とて立ち(どま)りたるに、また、馬を馳す。(とど)むる所にて、馬を引き 倒して、乗る人、泥土(でいと)の中に(ころ)び入る。その(ことば)の誤らざる事を人皆感ず。

一、当代未(たうだいいま)(ぼう)におはしましし(ころ)万里小路殿御所(までのこうぢどのごしよ)なりしに、堀川(ほりかはの)大納言殿伺候(しこう)し給ひし御曹子(みざうし)へ用ありて参りたりしに、論語(ろんご)の四 ・五・六の(まき)をくりひろげ給ひて、「たゞ今、御所にて、『紫の、朱奪(あけうば)ふことを(にく)む』と云ふ(もん)を御覧ぜられたき事ありて、 御本(ごほん)を御覧ずれども、御覧じ(いだ)されぬなり。『なほよく引き見 よ』と(おほ)せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「()の巻のそこ そこの(ほど)に侍る」と申したりしかば、「あな(うれ)し」とて、もて参 らせ給ひき。かほどの事は、(ちご)どもも(つね)の事なれど、昔の人はい さゝかの事をもいみじく自賛(じさん)したるなり。御鳥羽(ごとば)院の、御歌(みうた)に、「(そで)(たもと)と、一首の(うち)()しかりなん や」と、定家卿(ていかのきやう)(たづ)ね仰せられたるに、「『秋の野の 草の袂か花薄穂(ずすきほ)()でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事(なにごと)か候ふべき」と申されたる事も、「時に(あた)りて本歌(ほんか)覚悟(かくご)す。道の冥加(みやうが)なり、高運(こううん)なり」など、こ とことしく(しる)し置かれ侍るなり。九条相国伊通公(くでうのしやうこくこれみち)款状(くわじやう)にも、(こと)なる事なき題目(だいもく)をも書き載せて、自賛せられたり。

一、常在光院(じやうざいくわうゐん)()(がね)(めい)は、在 兼卿(ありかねのきやう)(さう)なり。行房朝臣清書(ゆきふさのあそんせいじよ)して、鋳型(いかた)(うつ)さんとせしに、奉行(ぶぎやう)入道(にふだう)、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花の(ほか)(ゆふべ) を送れば、声百里(はくり)(きこ)ゆ」と云ふ句あり。「陽唐(やうたう)(ゐん)と見ゆるに、百里誤(あやま)りか」と申したりしを、「よくぞ見せ(たてまつ)りける。(おの)れが高名(かうみやう)なり」とて、筆者(ひつしや)(もと)へ言ひ()りたるに、「誤り侍りけり。数行(すかう)(なほ)さるべし」と返事(かへりこと)侍りき。数行も如何(いか)なるべきにか。()数歩(すほ)の心か。おぼつかなし。

一、人あまた(ともな)ひて、三塔巡礼(さんたふじゆんれい)の事侍りしに、 横川(よかは)常行道(じやうぎやうだう)の中、竜華院(りょうげゐん)と書け る、古き(がく)あり。「佐理(さり)行成(かうぜい)(あひだ)疑ひあり て、(いま)(けつ)せずと申し伝へたり」と、堂僧(だうそう)ことことし く申し侍りしを、「行成ならば、裏書(うらがき)あるべし。佐理(さり)ならば、 裏書(うらがき)あるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積(ちりつも)り、虫の ()にていぶせげなるを、よく()(のご)ひて、各々(おのおの)見侍 りしに、行成位署(かうぜいゐじよ)名字(みやうじ)年号(ねんがう)、さだかに見え侍りしかば、人皆(みな)興に()る。

一、那蘭陀寺(ならんだじ)にて、道眼聖談義(だうげんひじりだんぎ)せしに、 八災(はつさい)と云ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化(しよけ)(みな)覚えざりしに、(つぼね)(うち)より、「これこれにや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。

一、賢助僧正(けんじよそうじよう)(ともな)ひて、加持香水(かぢこうずゐ)を見侍りしに、未だ果てぬ(ほど)に、僧正帰り出で侍りしに、(ぢん)()まで僧都(そうづ)見えず。法師どもを返して求めさするに、「同じ(さま)なる大衆(だいしゆ)多くて、え求め()はず」と言ひて、いと(ひさ)しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて()して出でぬ。

一、二月十五日(きさらぎじふごにち)月明(つきあか)()、うち() けて、千本の寺に(まう)でて、(うしろ)より入りて、(ひと)り顔深く(かく)して聴聞(ちやうもん)(はんべ)りしに、(いう)なる女の、姿・(にほ)ひ、人より(こと)なるが、()け入りて、(ひざ)()かゝれ ば、匂ひなども移るばかりなれば、便(びん)あしと思ひて、()退()き たるに、なほ居寄(ゐよ)りて、同じ(さま)なれば、立ちぬ。その(のち)、 ある御所様(ごしよさま)の古き女房(にようばう)の、そゞろごと言はれしつい でに、「無下(むげ)(いろ)色なき人におはしけりと、見おとし(たてまつ) る事なんありし。(なさけ)なしと(うら)み奉る人なんある」とのたまひ出 したるに、「(さら)にこそ心得(こころえ)侍れね」と申して()みぬ。こ の事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局(みつぼね)の内より、人の御覧 じ知りて、(さうら)ふ女房を作り立てて出し給ひて、「便(びん)よくは、言 葉などかけんものぞ。その有様(ありさま)参りて申せ。興あらん」とて、(はか)り給ひけるとぞ。

■第二百三十九段

八月十五日(はつきじふごにち)九月十三日(ながづきじふさんにち)は、 婁宿(ろうしゆく)なり。この宿、清明(せいめい)なる故に、月を(もてあそ)ぶに良夜(りやうや)とす。

■第二百四十段

しのぶの(うら)(あま)の見る目も(ところ)せく、くらぶの山も()人繁(しげ)からんに、わりなく(かよ)はん心の(いろ)こそ、浅からず、 あはれと思ふ、節々(ふしぶし)の忘れ(がた)き事も多からめ、親・はらから (ゆる)して、ひたふるに(むか)()ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。

世にありわぶる女の、似げなき老法師(おいぼふし)、あやしの吾妻人(あづまうど)なりとも、(にぎ)はゝしきにつきて、「(さそ)う水あらば」など云 ふを、仲人(なかうど)何方(いづかた)も心にくき(さま)に言ひなして、知 られず、知らぬ人を(むか)へもて()たらんあいなさよ。何事(なにごと) をか打ち()づる(こと)()にせん。年月(としつき)のつらさをも、 「()()葉山(はやま)の」なども相語(あひかた)らはんこそ、()きせぬ(こと)()にてもあらめ。

すべて、余所(よそ)の人の取りまかなひたらん、うたて心づきなき事、多か るべし。よき女ならんにつけても、品下(しなくだ)り、見にくゝ、(とし)()けなん男は、かくあやしき()のために、あたら身をいたづらになさ んやはと、人も心劣(こころおと)りせられ、我が身は、(むか)ひゐたらんも、 影恥(かげはづ)かしく覚えなん。いとこそあいなからめ。

梅の花かうばしき()朧月(おぼろづき)(たたず)み、御垣(みかき)(はら)露分(つゆわ)け出でん有明(ありあけ)の空も、()身様(みざま)(しの)ばるべくもなからん人は、たゞ、色好まざらんには()かじ。

■第二百四十一段

望月(もちづき)(まど)かなる事は、(しばら)くも(ぢゆう)せず、や がて()けぬ。心止(とど)めぬ人は、一夜(ひとよ)(うち)にさまで変る (さま)の見えぬにやあらん。(やまひ)(おも)るも、住する(ひま)な くして、死期(しご)既に近し。されども、(いま)病急(きふ)ならず、死に (おもむ)かざる程は、常住平生(じやうぢゆうへいぜい)の念に習ひて、(しやう)の中に多くの事を(じやう)じて(のち)(しづ)かに道を(しゆ) せんと思ふ程に、病を受けて死門(しもん)に臨む時、所願一事(しよぐわんいちじ)も成せず。言ふかひなくて、年月(としつき)懈怠(けだい)()い て、この(たび)()し立ち直りて(いのち)(まつた)くせば、()()に継ぎて、この事、かの事、(おこた)らず(じゃう)じてんと 願ひを起すらめど、やがて(おも)りぬれば、(われ)にもあらず取り乱して 果てぬ。この(たぐい)のみこそあらめ。この事、()づ、人々、急ぎ心に置くべし。

所願(しよぐわん)を成じて(のち)(いとま)ありて道に(むか)はんと せば、所願尽()くべからず。如幻(によげん)(しやう)(うち)に、何 (なにごと)をかなさん。すべて、所願皆妄想(みなまうざう)なり。所願心に 来たらば、妄信迷乱(まうしんめいらん)すと知りて、一事(いちじ)をもなすべ からず。(ぢき)万事(ばんじ)放下(はうげ)して道に(むか)ふ時、障り なく、所作(しよさ)なくて、心身(しんじん)永く(しづ)かなり。

■第二百四十二段

とこしなへに違順(ゐじゆん)に使はるゝ事は、ひとへに苦楽(らく)のためな り。(らく)と言ふは、(この)(あい)する事なり。これを求むること、 ()む時なし。楽欲(げうよく)する所、一つには()なり。名に二種(にしゆ)あり。行跡(かうせき)才芸(さいげい)との(ほまれ)なり。二つには 色欲(しきよく)、三つには(あぢは)ひなり。(よろづ)の願ひ、この三つに は()かず。これ、顛倒(てんだう)(さう)より起りて、若干(そこばく)(わづら)ひあり。求めざらんにには()かじ。

■第二百四十三段

()つになりし年、父に問ひて云はく、「(ほとけ)如何(いか)なるも のにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の()りたるなり」と。 また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の(をしへ)によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教 へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり 」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひ ける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや()きけん」と言ひて 笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人(しよにん)(かた)りて(きよう)じき。