徒然草
吉田兼好
徒然草 上
つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよし
なし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かんめれ。
御門の御位は、いともかしこし。竹の園生
の、末葉まで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有
様はさらなり、たゞ人も、舎人など賜はるきはは、ゆゝしと見
ゆ。その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。
法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢まうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖の言ひけんやうに、名聞ぐるしく、仏の御教に
たがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。
人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物う
ち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口
をしかるべけれ。しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより
賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才なく成りぬ
れば、品下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。
ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道。また、有職に公事の方、人の鏡なら
んこそいみじかるべけれ。手など拙からず走り書き、声をかしくて拍
子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ、男はよけれ。
いにしへのひじりの御代の政をも忘れ、民の愁、
国のそこなはるゝをも知らず、万にきよらを尽していみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。
「衣冠より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗
を求むる事なかれ」とぞ、九条殿の遺誡にも侍る。
順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉り物は、おろそかなるをもってよしとす」とこそ侍れ。
万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき。
露霜にしほたれて、所定めずまどひ歩き、親の諫め、
世の謗りをつゝむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
後の世の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。
不幸に憂に沈める人の、頭おろしなどふつゝかに
思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、門さしこめて、待つこともなく明し暮したる、さるかたにあらまほし。
顕基中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。
わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。
前中書王・九条大政大臣・
花園左大臣、みな、族絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へ
るは、わろき事なり」とぞ、世継の翁の物語には言へる。聖徳太子の、
御墓をかねて築かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住
み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の
蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮す
ほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を
過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿
を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ゐで交らはん事を思
ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、
ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物
すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、ま
ことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。
女は、髪のめでたからんこそ、人の目立つべかんめれ、人のほど・心
ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越しにも知らるれ。
ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけ
たる寝ゐもねず、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。
まことに、愛著の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。その
中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。
されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象もよく繋が
れ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ伝へ
侍る。自ら戒めて、恐るべく、慎むべきは、この惑ひなり。
家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。
よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみ
じみと見ゆるぞかし。今めかしく、きらゝかならねど、木立もの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子・透垣
のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
多くの工の、心を尽してみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽の草木まで
心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長ら
へ住むべき。また、時の間の烟ともなりなんとぞ、うち見るより
思はるゝ。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。
後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶ゐさ
せじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦し
かるべき。この殿の御心さばかりにこそ」とて、その後は参
らざりけると聞き侍るに、綾小路宮の、おはします
小坂殿の棟に、いつぞや縄を引かれたりしかば、かの例思
ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏の群れゐて池の蛙をとりければ、
御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこ
そと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故か侍りけん。
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里
に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく
住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるゝ懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉
など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。
かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。
同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、
うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、
つゆ違はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。
たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか
違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さ
るから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、
かこつ方も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそ
あらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。
ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
文は、文選のあはれなる巻々、白氏文集、
老子のことば、南華の篇。この国の博士ど
もの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。
和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ
出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。
この比の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古
き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしき覚ゆ
るはなし。貫之が、「糸による物ならなくに」といへるは、
古今集の中の歌屑とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠み
ぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多
し。この歌に限りてかく言いたてられたるも、知り難し。源氏物語には、
「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」とい
へる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、
この歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にも、
ことさらに感じ、仰せ下されけるよし、家長が日記には書けり。
歌の道のみいにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠みあ
へる同じ詞・歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、
やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。
梁塵秘抄の郢曲の言葉こそ、また、あはれ
なる事は多かんめれ。昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。
いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。
そのわたり、こゝ・かしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目
慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。
さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度
まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。
寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。
神楽こそ、なまめかしく、おもしろけれ。
おほかた、ものの音には、笛・篳篥。常に聞きたきは、琵琶・和琴。
山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。
人は、己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。
唐土に許由といひける人は、さらに、身にしたがへる
貯へもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさ
こといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけ
るが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬
びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨は、
冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝には収めけり。
唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記し止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。
折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。
「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものに
て、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声なども
ことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌え
出づるころより、やゝ春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつ
ほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎ
ぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事
も、立ちかへり恋しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、藤の
おぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。
「灌仏の比、祭の比、若葉の、梢
涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せ
られしこそ、げにさるものなれ。五月、菖蒲ふく比、早苗とる比、水鶏の叩くなど、心ぼそからぬかは。六月の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火
ふすぶるも、あはれなり。六月祓、またをかし。
七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、
雁鳴きてくる比、萩の下葉色づくほど、早稲田
刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の
朝こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと
古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき
事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、か
つ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。
汀の草に紅葉の散り止りて、霜いと白うおける朝、遣水より烟の立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきもの
にして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日余りの空こそ、心ぼそき
ものなれ。御仏名、荷前の使立つなどぞ、あ
はれにやんごとなき。公事ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺より四方拝
に続くこそ面白けれ。晦日の夜、いたう闇き
に、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りあ
りきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空に惑ふが、
暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。
亡き人のくる夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。
かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづら
しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。
某とかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たら
ぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。
万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ。ある人の、「月ばかり
面白きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれな
れ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。
月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ
水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ)。「〓・湘、日夜、東に流れ去る。愁人のために止まること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。〓康も、「山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ」と
言へり。人遠く、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。
何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にい
やしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞ言ふ
言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、
「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「
かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立て」と言ふべき
を、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講の御聴聞所なるをば「御講の廬」とこそ言ふを、「講廬」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。
衰へたる末の世とはいへど、なほ、九重の神
さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。
露台・朝餉・何殿・何門などは、
いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀・小板敷・高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に
夜の設せよ」と言ふこそいみじけれ。夜の御殿のをば、
「かいともしとうよ」など言ふ、まためでたし。上卿の、陣にて
事,行へるさまはさらなり、諸司の下人どもの、
したり顔に馴れたるも、をかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝ・かしこに睡り居たるこそをかしけれ。「内侍所の御鈴の音
は、めでたく、優なるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣は仰せられける。
斎宮の、野宮におはしますありさまこそ、やさしく、
面白き事の限りとは覚えしか。「経」「仏」など忌みて、
「なかご」「染紙」など言ふなるもをかし。
すべて、神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古りたる森のけしきもたゞならぬに、玉垣しわたして、榊
に木綿懸けたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、
伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布
禰・吉田・大原野・松尾・梅宮。
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時移り、
事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野
らとなり、変らぬ住家は人,改まりぬ。桃李もの言
はねば、誰とともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。
京極殿・法成寺など見るこそ、志留まり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂殿の作り磨
かせ給ひて、庄園多く寄せられ、我が御族のみ、
御門の御後見、世の固めにて、行末まで
とおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。
大門・金堂など近くまでありしかど、正和の
比、南門は焼けぬ。金堂は、その後、倒れ伏したるま
ゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院ばかりぞ、その
形とて残りたる。丈六の仏,九体、いと尊
くて並びおはします。行成大納言の額、兼行が
書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき
所々は、おのづから、あやしき礎ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。
されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ。
風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、
あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外に
なりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。
されば、白き糸の染まんことを悲しび、路のちまたの分れんこと
を嘆く人もありけんかし。堀川院の百首の歌の中に、
昔見し妹が墻根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして
さびしきけしき、さる事侍りけん。
御国譲りの節会行はれて、剣・璽・内侍所渡し奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。
新院の、おりゐさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや。
殿守のとものみやつこよそにして掃はぬ庭に花ぞ散りしく
今の世のこと繁きにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かゝる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。
諒闇の年ばかり、あはれなることはあらじ。
倚廬の御所のさまなど、板敷を下げ、葦の
御簾を掛けて、布の帽額あらあらしく、御調度ども
おろそかに、皆人の装束・太刀・平緒まで、異様なるぞゆゆしき。
静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
ふ反古など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵か
きすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折の心地すれ。このご
ろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思
ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし。
人の亡き跡ばかり、悲しきはなし。
中陰のほど、山里などに移ろひて、便あしく、狭
き所にあまたあひ居て、後のわざども営み合へる、心あわたゝし。
日数の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我賢げに物ひきしたゝめ、ち
りぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多か
るべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌むなることぞ」な
ど言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。
年月経ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎
しと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よし
なし事いひて、うちも笑ひぬ。骸は気うとき山の中にをさめて、さ
るべき日ばかり詣でつゝ見れば、ほどなく、卒都婆も苔
むし、木の葉降り埋みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。
思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せ
て、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶
えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心
あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽びし松も千年
を待たで薪に摧かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。
雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべき事ありて、文
をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事に、「この雪いかゞ
見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ
事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。
今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。
九月廿日の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで
月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。
よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優に覚えて、物の
隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけし
きなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、
いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。
その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。
今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられ
けるに、いづくも難なしとて、既に遷幸の日近く成り
けるに、玄輝門院の御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。
これは、葉の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。
甲香は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし出でたる貝の蓋なり。
武蔵国金沢といふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと申し侍る」とぞ言ひし。
手のわろき人の、はばからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。
「久しくおとづれぬ比、いかばかり恨むらんと、我が怠
り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女の方より、『
仕丁やある。ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたく、うれしけ
れ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し侍りし、さもあるべき事なり。
朝夕、隔てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、
ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更、かくやは」など言ふ人
もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなとぞ覚ゆる。
疎き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。
名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
財多ければ、身を守るにまどし。害を賈ひ、累ひを
招く媒なり。身の後には、金をして北斗を支ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる
楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾り
も、心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金は山に棄
て、玉は淵に投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。
埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。位高く、
やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家
に生れ、時に逢へば、高き位に昇り、奢を極むるもあり。いみじ
かりし賢人・聖人、みづから賎しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また
多し。偏に高き官・位を望むも、次に愚かなり。
智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思
へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、誉むる人、毀る人、
共に世に止まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉はまた毀りの本な
り。身の後の名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。
但し、強ひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、
智恵出でては偽りあり。才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなる
をか智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか
善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。
誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、
賢愚・得失の境にをらざればなり。
迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。
或人、法然上人に、「念仏の時、睡にをかさ
れて、行を怠り侍る事、いかゞして、この障りを止め侍ら
ん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。
また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。
また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。
因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、か
たちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗を
のみ食ひて、更に、米の類を食はざりれば、「かゝる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。
五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしに、車の前
に雑人立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、
埒のきはに寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。
かかる折に、向ひなる楝の木に、法師の、登りて、木の股についゐ
て、物見るあり。取りつきながら、いたう睡りて、落ちぬべき時に目を
醒ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ物か
な。かく危き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が
心にふと思ひしまゝに、「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。
それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひ
たれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。尤も
愚かに候ふ」と言ひて、皆、後を見返りて、「こゝに入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。
かほどの理、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひか
けぬ心地して、胸に当りけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。
唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。気の上る病あ
りて、年のやうやう闌くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で難か
りければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額など
も腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面
のやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の
方につき、額のほど鼻になりなどして、後は、坊の内の人に
も見えず籠りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。
かゝる病もある事にこそありけれ。
春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、賎しからぬ家の、奥深
く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花,見過
しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろしてさ
びしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば、かたち清げなる男の、年廿ばかりに
て、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。
いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。
あやしの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色あひ
さだかならねど、つやゝかなる狩衣に濃き指貫、いとゆ
ゑづきたるさまにて、さゝやかなる童ひとりを具して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛
をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行か
ん方知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き止みて、山のきはに
惣門のある内に入りぬ。榻に立てたる車の見ゆるも、都よ
りは目止る心地して、下人に問へば、「しかしかの宮のおは
します比にて、御仏事など候ふにや」と言ふ。
御堂の方に法師ども参りたり。夜寒の風に誘はれく
るそらだきものの匂ひも、身に沁む心地す。寝殿より御堂の廊に通
ふ女房の追風用意など、人目なき山里ともいはず、心遣ひしたり。
心のまゝに茂れる秋の野らは、置き余る露に埋もれて、虫の音かご
とがましく、遣水の音のどやかなり。都の空よりは雲の往来も速き心地して、月の晴れ曇る事定め難し。
公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。
坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「
榎木僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木
を伐られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。
いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正」とぞ言ひける。
柳原の辺に、強盗法印と号する僧あ
りけり。度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。
或人、清水へ参りけるに、老いたる尼の行き連れたり
けるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、応へもせず、なほ
言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹立ちて「やゝ。鼻ひた
る時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君の、比叡山に児にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。
有り難き志なりけんかし。
光親卿、院の最勝講奉行して
さぶらひけるを、御前へ召されて、供御を出だされて食はせら
れけり。さて、食ひ散らしたる衝重を御簾の中へさ
し入れて、罷り出でにけり。女房、「あな汚な。誰にとれとてか
」など申し合はれければ、「有職の振舞、やんごとなき事なり」と、返々感ぜさせ給ひけるとぞ。
老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速
かにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。
人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るま
じきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。
「昔ありける聖は、人来りて自他の要事を言ふ時、
答へて云はく、「今、火急の事ありて、既に朝夕
に逼れり」とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生を遂げけり」と、禅林の十因に侍り。心戒
といひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。
応長の比、伊勢国より、女の鬼に成りたるをゐて
上りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京・
白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「た
ゞ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言と云う人もなし。上下、ただ鬼の事のみ言ひ止まず。
その比、東山より安居院辺へ罷り侍りしに、
四条よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条室町
に鬼あり」とのゝしり合へり。今出川の辺より見やれば、
院の御桟敷のあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。
はやく、跡なき事にはあらざんめりとて、人を遣りて見するに、おほかた、
逢へる者なし。暮るゝまでかく立ち騒ぎて、果は闘諍起りて、あさましきことどもありけり。
その比、おしなべて、二三日、人のわづらふ事侍りしをぞ、か
の、鬼の虚言は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。
亀山殿の御池に大井川の水をまかせられんとて、大
井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。多くの銭を給ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、いたづらに立てりけり。
さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらか
に結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事めでたかりけり。
万に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝ま
ざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より
詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。
聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、
何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、
おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入る余り、傍なる足
鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうに
するを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。
しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いか
ゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、頚の廻り欠けて、血垂
り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやす
く割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に帷子をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、
京なる医師のがり率て行きける、道すがら、人の怪しみ見る
事限りなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様なりけめ。物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。「かゝること
は、文にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰
りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。
かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばか
りはなどか生きざらん。たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、藁の
しべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻
欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。
御室にいみじき児のありけるを、いかで誘ひ出して遊
ばんと企む法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひ
て、風流の破子やうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情の物にしたゝめ入れて、双の岡の便よき所に埋
み置きて、紅葉散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそゝのかし出でにけり。
うれしと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて、ありつる苔のむしろに並み居て、「いたうこそ困じにたれ」、「あはれ、紅葉を焼かん人もがな」、「験あらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろ
ひて、埋みつる木の下に向きて、数珠おし摩り、印ことことしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきの
けたれど、つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山を
あされども、なかりけり。埋みける人を見置きて、御所へ参りたる間に
盗めるなりけり。法師ども、言の葉なくて、聞きにくゝいさかひ、腹立ちて帰りにけり。
あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑
き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かな
る物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。天井の高きは、
冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも
面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。
久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく
語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、
恥づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、
人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よ
からぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りな
せば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事を言ひてもいたく
興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計られぬべき。
人の身ざまのよし・あし、才ある人はその事など定め合へるに、己が身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。
人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ、本意なけれ。少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。
すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。
「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、
後世を願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。
げには、この世をはかなみ、必ず、生死を出でんと思はんに、何の興ありてか、
朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさましからん。心
は縁にひかれて移るものなれば、閑かならでは、道は行じ難し。
その器、昔の人に及ばず、山林に入りても、餓を助け、
嵐を防くよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世を貪るに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。さればとて、「背けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下の事なり。さすがに、一度、道に入りて世を厭はん人、
たとひ望ありとも、勢ある人の貪欲多きに似る
べからず。紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、藜の羹、いくばくか人の費えをなさん。求むる所は得
やすく、その心はやく足りぬべし。かたちに恥づる所もあれば、さはいへど、悪には疎く、善には近づく事のみぞ多き。
人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁れんことこそ、あら
まほしけれ。偏へに貪る事をつとめて、菩提に趣かざらんは、万の畜類に変る所あるまじくや。
大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意
を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばし。この事果てて」、「同じく
は、かの事沙汰しおきて」、「しかしかの事、人の嘲りやあ
らん。行末難なくしたゝめまうけて」、「年来もあ
ればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒がしからぬやうに」など
思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立
つ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期は過ぐめる。
近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。身を助けんとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて遁れ去るぞかし。命は人を待つ
ものかは。無常の来る事は、水火の攻むるよりも速かに、
遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。
真乗院に、盛親僧都とて、やんごとな
き智者ありけり。芋頭といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の
座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひなが
ら、文をも読みけり。患ふ事あるには、七日・二七日など、療治とて籠り居て、思ふやうに、よき芋頭を選びて、
ことに多く食ひて、万の病を癒しけり。人に食はする事なし。たゞひとりのみ
ぞ食ひける。極めて貧しかりけるに、師匠、死にさまに、銭二百貫と坊
ひとつを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万疋を芋頭の
銭と定めて、京なる人に預け置きて、十貫づつ取り寄せて、芋頭を乏しからず召しけるほどに、また、他用に用ゐることなくて、
その銭皆に成りにけり。「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく計らひける、まことに有り難き道心者なり」とぞ、人申しける。
この僧都、或法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「と
は何物ぞ」と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。
この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠
・辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者に
て、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし。出仕し
て饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が
前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて
行きけり。斎・非時も、人に等しく定めて食はず。我が食ひたき
時、夜中にも暁にも食ひて、睡たければ、昼もかけ籠りて、
いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜
も寝ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ならぬ
さまなれども、人に厭はれず、万許されけり。徳の至れりけるにや。
御産の時、甑落す事は、定まれる事にあらず。御胞衣とゞこほる時のまじなひなり。とゞこほらせ給はねば、この事なし。
下ざまより事起りて、させる本説なし。大原の里の甑を召すなり。
古き宝蔵の絵に、賎しき人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。
延政門院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、
ふたつ文字、牛の角文字、直ぐな文字、歪み文字とぞ君は覚ゆる
恋しく思ひ参らせ給ふとなり。
後七日の阿闍梨、武者を集むる事、いつとか
や、盗人にあひにけるより、宿直人とて、かくことこ
としくなりにけり。一年の相は、この修中のあ
りさまにこそ見ゆなれば、兵を用ゐん事、穏かならぬことなり。
「車の五緒は、必ず人によらず、程につけて、極むる官・位に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。
この比の冠は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の
冠桶を持ちたる人は、はたを継ぎて、今用ゐるなり。
岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一双を添へて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼、下毛野武勝に仰せられたりけるに、「
花に鳥付くる術、知り候はず。一枝に二つ付くる事も、存知し候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々に問はせ給
ひて、また、武勝に、「さらば、己れが思はんやうに付けて参らせよ」
と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。
武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。
五葉などにも付く。枝の長さ七尺、或は六尺、返し刀五分に切る。枝の半に鳥を
付く。付くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所
付くべし。藤の先は、ひうち羽の長に比べて切りて、牛の角のやう
に撓むべし。初雪の朝、枝を肩にかけて、中門よ
り振舞ひて参る。大砌の石を伝ひて、雪に跡をつけず、あまおほ
ひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄に寄せ掛く。禄を出ださるれば、肩に掛けて、拝して退く。初雪といへ
ども、沓のはなの隠れぬほどの雪には、参らず。あまおほひの毛を散ら
すことは、鷹はよわ腰を取る事なれば、御鷹の取りたるよしなるべし」と申しき。
花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月ばかりに、梅
の作り枝に雉を付けて、「君がためにと折る花は時しも分かぬ」と
言へる事、伊勢物語に見えたり。造り花は苦しからぬにや。
賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり。人の常に言ひ粉へ侍れば、一年参りたりしに、
老いたる宮司の過ぎしを呼び止めて、尋ね侍りしに、
「実方は、御手洗に影の映りける所と侍れば、橋本や、なほ水の近
ければと覚え侍る。吉水和尚の、
月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はこゝにありはら
と詠み給ひけるは、岩本の社とこそ承り置き侍れど、己れらよりは、なかなか、御存知などもこそ候はめ」と、いとやうやうしく言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。
今出川院近衛とて、集どもにあまた入りた
る人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前
の水にて書きて、手向けられけり。まことにやんごとなき誉れ
ありて、人の口にある歌多し。作文・詞序など、いみじく書く人なり。
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のあ
りけるが、土大根を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。
或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、
命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してんげり。いと不思議に覚えて、「日比こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」
と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、失せにけり。
深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。
書写の上人は、法華読誦の功
積りて、六根浄にかなへる人なりけり。旅の仮屋に
立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き
給ひければ、「疎からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛
き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆殻のばらばらと鳴る音は、「
我が心よりすることかは。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。
元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし比、菊亭大臣、牧馬を弾じ
給ひけるに、座に著きて、先づ柱を探られたりければ、一つ
落ちにけり。御懐にそくひを持ち給ひたるにて付けられにけれ
ば、神供の参る程によく干て、事故なかりけり。
いかなる意趣かありけん。物見ける衣被の、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。
名を聞くより、やがて、面影は推し測らるゝ心地するを、見る時は、また、かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ、
昔物語を聞きても、この比の人の家のそこほどにて
ぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覚ゆるにや。
また、如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。
賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。硯
に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多
き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる。
多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。
世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。
あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔りぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆にも書き止
めぬれば、やがて定まりぬ。道々の物の上手のいみじき事など、か
たくななる人の、その道知らぬは、そゞろに、神の如くに言へども、道知れる
人は、さらに、信も起さず。音に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。
かつあらはるゝをも顧みず、口に任せて言ひ散らすは、やが
て、浮きたることと聞ゆ。また、我もまことしからずは思ひながら、人
の言ひしまゝに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げに
げにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合は
せて語る虚言は、恐しき事なり。我がため面目あるやうに言はれぬる虚言は、
人いたくあらがはず。皆人の興ずる虚言は、ひとり、「さもなかりしものを」
と言はんも詮なくて聞きゐたる程に、証人にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。
とにもかくにも、虚言多き世なり。たゞ、常にある、珍らしからぬ事のまゝ
に心得たらん、万違ふべからず。下ざまの人の物語は、耳驚く事のみあり。よき人は怪
しき事を語らず。
かくは言へど、仏神の奇特、権者の伝記、さ
のみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言をねんごろに信じ
たるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方は、まこと
しくあひしらひて、偏に信ぜず、また、疑ひ嘲るべからずとなり。
蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きあり、
賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕に寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし。
身を養ひて、何事をか待つ。期する処、たゞ、老と死とにあり。
その来る事速かにして、念々の間に止まらず。これを待つ間、何の
楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利に溺れて、
先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。
常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。
つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ方なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。
世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言
葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、
物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分
別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔
へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事
にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生
活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。
世の覚え花やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く行きとぶ
らふ中に、聖法師の交じりて、言ひ入れ、たゝずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。
さるべき故ありとも、法師は人にうとくてありなん。
世中に、その比、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふ
べきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、
うけられね。ことに、片ほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋
ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。
今様の事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。
いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、
心得たるどち、片端言ひ交し、目見合はせ、笑ひなどして、
心知らぬ人に心得ず思はする事、世慣れず、よからぬ人の必ずある事なり。
何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知
り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得
たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。
よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。
人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は、兵の道を
立て、夷は、弓ひく術知らず、仏法知りたる気色し、連歌し、管絃を嗜み合へり。され
ど、おろかなる己れが道よりは、なほ、人に思ひ侮られぬべし。
法師のみにもあらず、上達部・殿上人・上ざままで、おしなべて、武を好む人多かり。百度戦ひて百
度勝つとも、未だ、武勇の名を定め難し。その故は、運に乗じ
て敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵尽き、矢窮りて、つひ
に敵に降らず、死をやすくして後、初めて名を顕はすべき
道なり。生けらんほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く、
禽獣に近き振舞、その家にあらずは、好みて益なきことなり。
屏風・障子などの、絵も文字もかたくななる筆様して書きたるが、見にくきよりも、宿の主のつたなく覚ゆるなり。
大方、持てる調度にても、心劣りせらるゝ事はありぬべし。さのみ
よき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、品なく、見にく
きさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし添へ、わづらはしく好み
なせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたくことことしからず、つひえもなくて、物がらのよきがよきなり。
「羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひ
しに、頓阿が、「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして
覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、
弘融僧都が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき
者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。
「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさ
て打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、
必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢
の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。
竹林院入道左大臣殿、太政大臣に
上り給はんに、何の滞りかおはせんなれども、「珍しげなし。
一上にて止みなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて、相国の望みおはせざりけり。
「亢竜の悔あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちては
欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。
法顕三蔵の、天竺に渡りて、故郷
の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける
事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の
国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都、「優に情ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。
人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづ
から、正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、
人の賢を見て羨むは、尋常なり。至りて愚かなる人
は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てんとす」と謗る。
己れが心に違へるによりてこの嘲りをなすにて知りぬ、この人
は、下愚の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似と
て人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶ
は舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
惟継中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて、読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法
師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀句なりけり。
下部に酒飲まする事は、心すべきことなり。宇治に住み侍り
けるをのこ、京に、具覚房とて、なまめきたる遁世の
僧を、こじうとなりければ、常に申し睦びけり。或時、迎へ
に馬を遣したりければ、「遥かなるほどなり。口づきの
をのこに、先づ一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さし受けさし受け、よゝと飲みぬ。
太刀うち佩きてかひがひしげなれば、頼もしく覚えて、召し具して行くほどに、木幡のほどにて、奈良法師
の、兵士あまた具して逢ひたるに、この男立ち向ひて、「日暮
れにたる山中に、怪しきぞ。止り候へ」と言ひて、太刀を
引き抜きければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を摺りて、「現し心なく酔ひたる者に候ふ。まげて許し給はらん」
と言ひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。この男、具覚房にあひて、「
御房は口惜しき事し給ひつるものかな。己れ酔ひたる事侍らず。高名仕らんとするを、抜ける太刀空しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬りに斬り落としつ。
さて、「山だちあり」とのゝしりければ、里人おこりて出であへ
ば、「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたし
て手負ほせ、打ち伏せて縛りけり。馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。あさましくて、をのこどもあまた走らかし
たれば、具覚房はくちなし原にによひ伏したるを、求め出でて、舁きもて
来つ。辛き命生きたれど、腰斬り損ぜられて、かたはに成りにけり。
或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮ける事に
は侍らじなれども、四条大納言撰ばれたる物を、道風書かん
事、時代や違ひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ
候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。
「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる」と人の言
ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上りて、猫またに成
りて、人とる事はあんなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺
にありけるが聞きて、独り歩かん身は心すべきことにこそと思ひける比しも、或所にて夜更くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小
川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、頚のほどを食はんと
す。肝心も失せて、防かんとするに力もなく、足も立たず、
小川へ転び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松ど
もともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何に」とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物取り
て、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、水に入り
ぬ。希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。
飼ひける犬の、暗けれど、主を知りて、飛び付きたりけるとぞ。
大納言法印の召使ひし乙鶴丸、やすら
殿といふ者を知りて、常に行き通ひしに、或時出でて帰り来たるを、
法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがり罷りて
候ふ」と言ふ。「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖掻き合せて、「いかゞ候ふらん。頭をば見候はず」と答へ申しき。
などか、頭ばかりの見えざりけん。
赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰な
き事なり。昔の人、これを忌まず。この比、何者の言ひ出でて
忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこ
と、したりしことかなはず、得たりし物は失ひつ、企てたり
し事成らずといふ、愚かなり。吉日を撰びてなしたるわざの末とほらぬを数へて見んも、また等しかるべし。
その故は、無常変易の境、ありと見るものも存
ぜず。始めある事も終りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の
心不定なり。物皆幻化なり。何事か暫く
も住する。この理を知らざるなり。「吉日に悪
をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。
或人、弓射る事を習ふに、諸矢をたばさみて的に向ふ。師の云はく、「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。後の矢を頼みて、始めの矢に等閑の心あり。毎度、
たゞ、得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と云
ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠の心、みづから知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。
道を学する人、夕には朝あらん事を思ひ、朝
には夕あらん事を思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。況んや、一刹那の中において、懈怠の心ある事を知らんや。何ぞ、
たゞ今の一念において、直ちにする事の甚だ難き。
「牛を売る者あり。買ふ人、明日、その値をやりて、牛を取
らんといふ。夜の間に牛死ぬ。買はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と語る人あり。
これを聞きて、かたへなる者の云はく、「牛の主、まことに損ありと
いへども、また、大きなる利あり。その故は、生あるもの、死の近き
事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、
はからざるに主は存ぜり。一日の命、万金よりも重し。牛の値、鵝
毛よりも軽し。万金を得て一銭を失はん人、損ありと言ふべか
らず」と言ふに、皆人嘲りて、「その理は、牛の主に限るべからず」と言ふ。
また云はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、い
たづがはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危
く他の財を貪るには、志満つ事なし。行ける間生を楽しまずして、
死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、
死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。も
しまた、生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし」と言ふに、人、いよいよ嘲る。
常磐井相国、出仕し給ひけるに、勅書を持ちたる北面あひ奉りて、馬より下りたりけるを、相
国、後に、「北面某は、勅書を持ちながら下馬し侍りし者な
り。かほどの者、いかでか、君に仕うまつり候ふべき」と申されければ、北面を放たれにけり。
勅書を、馬の上ながら、捧げて見せ奉るべし、下るべからずとぞ。
「箱のくりかたに緒を付くる事、いづかたに付け侍るべきぞ」と、
ある有職の人に尋ね申し侍りしかば、「軸に付け、表紙に
付くる事、両説なれば、いづれも難なし。文の箱は、
多くは右に付く。手箱には、軸に付くるも常の事なり」と仰せられき。
めなもみといふ草あり。くちばみに螫されたる人、かの草を揉みて
付けぬれば、即ち癒ゆとなん。見知りて置くべし。
その物に付きて、その物をつひやし損ふ物、数を知らずあり。身に蝨
あり。家に鼠あり。国に賊あり。小人に財あ
り。君子に仁義あり。僧に法あり。
尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談とかや名づけたる草子を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども。
一 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。
一 後世を思はん者は、糂汰瓶一つも持つまじきことなり。
持経・本尊に至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。
一 遁世者は、なきにことかけぬやうを計ひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一 上臈は下臈に成り、智者は愚者に
成り、徳人は貧に成り、能ある人は無能に成るべきなり。
一 仏道を願ふといふは、別の事なし。暇ある身になりて、世の事を心にかけぬ
を、第一の道とす。
この外もありし事ども、覚えず。
堀川相国は、美男のたのしき人にて、その
こととなく過差を好み給ひけり。御子基俊卿を大
理になして、庁務行はれけるに、庁屋の唐櫃見苦しとて、めでたく作り改めらるべき由仰せられけるに、
この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を経たり。累代の公物、古弊をもちて
規模とす。たやすく改められ難き由、故実の諸官等申しければ、その事止みにけり。
久我相国は、殿上にて水を召しけるに、
主殿司、土器を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。
或人、任大臣の節会の内辨を
勤められけるに、内記の持ちたる宣命を取らずして、堂
上せられにけり。極まりなき失礼なれども、立ち帰り
取るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記康綱、衣被きの女房をかたらひて、かの宣命を持たせて、忍びやかに奉らせけり。いみじかりけり。
尹大納言光忠卿、追儺の上卿を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請
けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事に慣れたる者にてぞありける。
近衛殿著陣し給ひける時、軾を忘れて、外記を召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ、軾を召さるべくや候
ふらん」と忍びやかに呟きける、いとをかしかりけり。
大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作り
て解かれける処へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守
かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐医師」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退り出でにけり。
荒れたる宿の、人目なきに、女の、憚る事ある比に
て、つれづれと籠り居たるを、或人、とぶらひ給はんとて、夕月夜のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことことし
くとがむれば、下衆女の、出でて、「いづくよりぞ」と言ふに、
やがて案内せさせて、入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、
いと心ぐるし。あやしき板敷に暫し立ち給へるを、もてしづ
めたるけはひの、若やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあ
け所狭げなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。
内のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ、火はあなたにほのか
なれど、もののきらなど見えて、俄かにしもあらぬ匂ひいとなつかしう
住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞ降る、御車は門の
下に、御供の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞ安き寝は寝べかんめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞ゆ。
さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。
来し方・行末かけてまめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜
深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙白くなれ
ば、忘れ難き事など言ひて立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく
青み渡りたる卯月ばかりの曙、艶にをかしかりしを
思し出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。
北の屋蔭に消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せ
たる車の轅も、霜いたくきらめきて、有明の月、さやかな
れども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂の廊に、なみなみ
にはあらずと見ゆる男、女となげしに尻かけて、物語するさまこそ、何事かあらん、尽きすまじけれ。
かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひのさと薫りた
るこそ、をかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、ゆかし。
高野証空上人、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、
あしく曳きて、聖の馬を堀へ落してんげり。
聖、いと腹悪しくとがめて、「こは希有の狼藉か
な。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼に劣り、比丘
尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。かくの
如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有
の悪行なり」と言はれければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝ
やらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほいきまきて、「何と言ふぞ、
非修非学の男」とあらゝかに言ひて、極まりなき放言しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。
尊かりけるいさかひなるべし。
「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきも
のぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞
き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉
にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。
すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院
のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ」と、人
の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「あやしの下女の身奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけ
れ。女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。
かく人に恥ぢらるゝ女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貪欲甚
だしく、物の理を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、ま
た、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男
の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、跡より顕はるゝを知
らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随ひ
てよく思はれん事は、心憂かるべし。されば、何かは女の恥づかし
からん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。
たゞ、迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。
寸陰惜しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かに
して怠る人のために言はば、一銭軽しと言へども、これを重ぬ
れば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の、一銭を惜しむ
心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。
されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。たゞ
今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、
我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、
何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その
時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡
眠・言語・行歩、止む事を得ずして、多くの時
を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事を
なし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日
を消し、月を亘りて、一生を送る、尤も愚かなり。
謝霊運は、法華の筆受なりしかども、心、
常に風雲の思を観ぜしかば、恵遠、
白蓮の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、
死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮
なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。
高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木
に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言
ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。
心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び
降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に
候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あや
まちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠
も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。
双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍
りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。
道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。
「囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重・
五逆にもまされる悪事とぞ思ふ」と、或ひじりの申しし事、耳に止まりて、いみじく覚え侍り。
明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心閑かになすべから
んわざをば、人言ひかけてんや。俄かの大事をも営み、切に歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁へ・喜びをも問は
ず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌け、
病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらん人、また、これに同じかるべし。
人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙し難きに
随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、
一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。日暮
れ、塗遠し。吾が生既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、
物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。
四十にも余りぬる人の、色めきたる方、おのづから忍びてあ
らんは、いかゞはせん、言に打ち出でて、男・女の事、人の上をも言ひ戯るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。
大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人の、若き人に交りて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさ
まに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人に饗応せんときらめきたる。
今出川の大殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸、御
牛を追ひたりければ、あがきの水、前板までさゝとかゝ
りけるを、為則、御車のしりに候ひけるが、「希有の童かな。かゝる所にて御牛をば追ふものか」と言ひ
たりければ、大殿、御気色悪しくなりて、「おのれ、車やらん
事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭を打
ち当てられにけり。この高名の賽王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。
この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品
の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、そ
の中より、「いろをし、こゝに候ふ。かくのたまふは、誰そ」と答ふれば、
「しら梵字と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、
その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言
ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し
奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかし
こ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひになら
ば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出
であひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。
ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢
字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす。放逸
・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかた
のいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。
寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少
しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比は、深
く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。
人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。
何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。
友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二
つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つ
には、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。
よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。
鯉の羹食ひたる日は、鬢そゝけずとなん。膠にも作るものなれば、粘りたるものにこそ。
鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉、さうなきものなり。雉・松茸などは、御湯殿の上に懸りたるも苦しからず。その外は、心うき事なり。中宮の
御方の御湯殿の上の黒み棚に雁の見えつるを、北山入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて、御文にて、
「かやうのもの、さながら、その姿にて御棚にゐて候ひし事、見慣は
ず、さまあしき事なり。はかばかしき人のさふらはぬ故にこそ」など申されたりけり。
鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものに
て、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍
りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事
侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。
かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。
唐の物は、薬の外は、みななくとも事欠くまじ。書ど
もは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。唐土舟の、
たやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所狭く渡しもて来る、いと愚かなり。
「遠き物を宝とせず」とも、また、「得難き貨を貴まず」とも、文にも侍るとかや。
養ひ飼ふものには、馬・牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なく
てかなはぬものなれば、いかゞはせん。犬は、守り防くつとめ人にもま
さりたれば、必ずあるべし。されど、家毎にあるものなれば、殊更に求め飼はずともありなん。
その外の鳥・獣、すべて用なきものなり。走る獣は、
檻にこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は、翅を切り、籠に入れら
れて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。その思ひ、我が身
にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。生を苦しめ
て目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。王子猷が
鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遙の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
凡そ、「珍らしき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、文にも侍るなれ。
人の才能は、文明らかにして、聖の教を
知れるを第一とす。次には、手書く事、むねとする事はなくとも、これを習ふ
べし。学問に便りあらんためなり。次に、医術を習ふべし。身を養ひ、
人を助け、忠孝の務も、医にあらずはあるべからず。次に、弓射、馬に乗る事、六芸に出だせり。必ずこれをうかゞふべ
し。文・武・医の道、まことに、欠けてはあるべからず。これ
を学ばんをば、いたづらなる人といふべからず。次に、食は、人の天
なり。よく味はひを調へ知れる人、大きなる徳とすべし。次に細工、万に要多し。
この外の事ども、多能は君子の恥づる処なり。詩歌に巧みに、糸竹に妙なるは幽玄の道、君臣
これを重くすといへども、今の世には、これをもちて世を治むる事、漸くおろかになるに似たり。金はすぐれたれども、鉄の益多きに及かざるが如し。
無益のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事
する人とも言ふべし。国のため、君のために、止むことを得ずして為すべき事
多し。その余りの暇、幾ばくならず。思ふべし、人の身に止む
ことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。
人間の大事、この三つには過ぎず。饑ゑず、寒からず、風雨に侵されずし
て、閑かに過すを楽しびとす。たゞし、人皆病あり。病
に冒されぬれば、その愁忍び難し。医療を忘るべからず。薬
を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つの外を求め営むを奢りとす。四つの事倹約ならば、誰の人か足らずとせん。
是法法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学匠を立て
ず、たゞ、明暮念仏して、安らかに世を過す有様、いとあらまほし。
人におくれて、四十九日の仏事に、或聖を請じ侍りしに、説法いみじくして、皆人涙を流しけり。導師帰りて後、聴聞の人ども、「いつよりも、殊に今
日は尊く覚え侍りつる」と感じ合へりし返事に、
或者の云はく、「何とも候へ、あれほど唐の狗に
似候ひなん上は」と言ひたりしに、あはれもさめて、をかしかりけり。さる、導師の讃めやうやはあるべき。
また、「人に酒勧むるとて、己れ先づたべて、人に強ひ奉ら
んとするは、剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方に刃つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭を斬る故に、人を
ばえ斬らぬなり。己れ先づ酔ひて臥しなば、人はよも召さじ」と申しき。剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。
「ばくちの、負極まりて、残りなく打ち入れんとせんにあひては、
打つべからず。立ち返り、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知
るを、よきばくちといふなり」と、或者申しき。
改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。
改めて益なき事は、改めぬを力とするなり。(正徹本)
改めて益なき事は、改めぬを心とするなり。(常縁本)
雅房大納言は、才賢く、よき人にて、大将にもなさばや
と思しける比、院の近習なる人、「たゞ今、あさましき事を
見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中墻の穴
より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く思しめして、日来の御気色も違ひ、昇進もし給はざりけ
り。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事な
り。虚言は不便なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと尊き事なり。
大方、生ける物を殺し、傷め、闘はしめて、遊び
楽しまん人は、畜生残害の類なり。万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を
思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、嫉み、怒り、欲多く、
身を愛し、命を惜しめること、偏へに愚痴なる故に、人
よりもまさりて甚だし。彼に苦しみを与へ、命を奪はん事、いかでかいたましからざらん。
すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。
顔回は、志、人に労を施さじとな
り。すべて、人を苦しめ、物を虐ぐる事、賤しき民の志をも奪ふべか
らず。また、いときなき子を賺し、威し、言ひ恥かしめて、
興ずる事あり。おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど、幼き
心には、身に沁みて、恐ろしく、恥かしく、あさましき思ひ、まことに切なるべし。これを悩まして興ずる事、慈悲の心にあらず。おとな
しき人の、喜び、怒り、哀しび、楽しぶも、皆虚妄なれども、誰か実有の相に著せざる。
身をやぶるよりも、心を傷ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より来る病は少し。薬を
飲みて汗を求むるには、験なきことあれども、一旦恥ぢ、恐るゝこと
あれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて白頭の人と成りし例、なきにあらず。
物に争はず、己れを枉げて人に従ひ、我が身を後にして、人を先にするには及かず。
万の遊びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あら
んためなり。己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。されば、負けて興なく覚
ゆべき事、また知られたり。我負けて人を喜ばしめんと思はば、更に遊
びの興なかるべし。人に本意なく思はせて我が心を慰めん事、徳に背けり。睦しき中に戯るゝも、人に計り欺
きて、己れが智のまさりたる事を興とす。これまた、礼にあらず。されば、
始め興宴より起りて、長き恨みを結ぶ類多し。これみな、争ひを好む失なり。
人にまさらん事を思はば、たゞ学問して、その智を人に増さんと思ふべし。
道を学ぶとならば、善に伐らず、輩に争ふべからずといふ事
を知るべき故なり。大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、たゞ、学問の力なり。
貧しき物は、財をもって礼とし、老いたる者は、力をもって礼とす。
己が分を知りて、及ばざる時は速かに止むを、智と
いふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは、己れが誤りなり。
貧しくして分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。
鳥羽の作道は、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず。
昔よりの名なり。元良親王、元日の奏賀の声、甚だ殊勝にして、大極殿より鳥羽
の作道まで聞えけるよし、李部王の記に侍るとかや。
夜の御殿は、東御枕なり。大方、東を枕とし
て陽気を受くべき故に、孔子も東首し給へり。寝殿のしつらひ、或は南枕、常の事なり。白河院
は、北首に御寝なりけり。「北は忌む事なり。また、
伊勢は南なり。太神宮の御方を御跡にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の遥拝は、巽に向はせ給ふ。南にはあらず。
高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの
律師とかやいふもの、或時、鏡を取りて、顔をつくづくと
見て、我がかたちの見にくゝ、あさましき事余りに心うく覚えて、鏡さへうと
ましき心地しければ、その後、長く、鏡を恐れて、手にだに取らず、更
に、人に交はる事なし。御堂のつとめばかりにあひて、籠り居たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。
賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり。我を知らず
して、外を知るといふ理あるべからず。されば、己れを知る
を、物知れる人といふべし。かたち醜けれども知らず。心の愚かなる
をも知らず、芸の拙きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老
いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず。行ふ道の至らざるをも知らず。身の上の非を知らねば、まして、外の譏りを知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の事知
らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし。
かたちを改め、齢を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞ、や
がて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ、閑かに居て、身を安く
せざる。行ひおろかなりと知らば、何ぞ、茲を思ふこと茲にあらざる。
すべて、人に愛楽せられずして衆に交はるは恥
なり。かたち見にくゝ、心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪の芸をもちて堪能の座に列り、雪の頭を頂きて盛りなる人に並び、況んや、及ばざ
る事を望み、叶はぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に
恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心に引
かれて、自ら身を恥かしむるなり。貪る事の止まざるは、命を終
ふる大事、今こゝに来れりと、確かに知らざればなり。
資季大納言入道とかや聞えける人、具氏宰相中将にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事なりとも答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかゞ侍ら
ん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしき
事は、片端も学び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何と
なきそゞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ奉らめ」と申さ
れけり。「まして、こゝもとの浅き事は、何事なりとも明らめ申
さん」と言はれければ、近習の人々、女房なども、「興あ
るあらがひなり。同じくは、御前にて争はるべし。負けたらん人は、
供御をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合はせられたりけるに、
具氏、「幼くより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまの
きつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう』と申す事は、如何なる心にか侍らん。承らん」と申されけるに、大納言入道、
はたと詰りて、「これはそゞろごとなれば、言ふにも足らず」と言
はれけるを、「本より深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね奉らんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負になりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。
医師篤成、故法皇の御前に候ひて、
供御の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧
じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、
六条故内府参り給ひて、「有房、ついでに物習
ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍ら
ん」と問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、「才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所
なし」と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。
徒然草 下
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対
ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれ
に情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見
所多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれり
けるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」など
も書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる
人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。
万の事も、始め・終りこそをかしけれ。男女の情も、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はで止みにし憂さ
を思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明し、遠き雲井
を思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは
言はめ。望月の隈なきを千里の外まで眺めた
るよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う青みた
るやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれた
る村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴・白
樫などの、濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に
沁みて、心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、
月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よ
き人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑な
り。片田舎の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本に
は、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌し
て、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見ることなし。
さやうの人の祭見しさま、いと珍らかなりき。「見事いと遅
し。そのほどは桟敷不用なり」とて、奥なる屋にて、酒
飲み、物食ひ、囲碁・双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ
」と言ふ時に、おのおの肝潰るゝやうに争ひ走り上りて、
落ちぬべきまで簾張り出でて、押し合ひつゝ、一事も見洩さじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物毎に言ひて、渡り
過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。たゞ、物をのみ見んとする
なるべし。都の人のゆゝしげなるは、睡りて、いとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後に侍ふは、様あしくも及びかゝらず、わりなく見んとする人もなし。
何となく葵懸け渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて
寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼・下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さ
まざまに行き交ふ、見るもつれづれならず。暮るゝほどには、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづかたへか行き
つらん、程なく稀に成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、
簾・畳も取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世の
例も思ひ知られて、あはれなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。
かの桟敷の前をこゝら行き交ふ人の、見知れるがあまたあるに
て、知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなん後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。大
きなる器に水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴るこ
と少しといふとも、怠る間なく洩りゆかば、やがて尽き
ぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人・二
人のみならんや。鳥部野・舟岡、さらぬ野山
にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、棺を鬻く者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思
ひ懸けぬは死期なり。今日まで遁れ来にけるは、ありがた
き不思議なり。暫しも世をのどかには思ひなんや。継子立
といふものを双六の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られん
事いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた数ふれば、彼是間抜き行くほどに、
いづれも遁れざるに似たり。兵の、軍に出づるは、
死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を背ける草の庵
には、閑かに水石を翫びて、これを余所に
聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、無常の敵競ひ
来らざらんや。その、死に臨める事、軍の陣に進めるに同じ。
「祭過ぎぬれば、後の葵不用なり」とて、或人の、
御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなく覚え侍りしを、よき
人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど、周防内侍が、
かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり
と詠めるも、母屋の御簾に葵の懸りたる枯葉を詠める
よし、家の集に書けり。古き歌の詞書に、「枯れた
る葵にさして遣はしける」とも侍り。枕草子にも、「来しかた恋しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。
鴨長明が四季物語にも、「玉垂に後の葵
は留りけり」とぞ書ける。己れと枯るゝだにこそあるを、名残なく、いかゞ取り捨つべき。
御帳に懸れる薬玉も、九月九日、菊に取り替へらるゝといへば、菖蒲は菊の折までもあ
るべきにこそ。枇杷皇太后宮かくれ給ひて後、古き御帳の内に、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、
「折ならぬ根をなほぞかけつる」と辨の乳母の言へる返事に、「あやめの草はありながら」とも、江侍従が詠みしぞかし。
家にありたき木は、松・桜。松は、五葉もよし。花は、一重
なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍るなる。吉野の花、左近の桜、皆、一重にてこそあれ。八重桜は異様のものなり。いとこちたく、ねぢ
けたり。植ゑずともありなん。遅桜、またすさまじ。虫の附
きたるもむつかし。梅は、白き・薄紅梅。一重なるが疾く
咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、
桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧されて、枝に萎みつきたる、心
うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心疾く、をかし」とて、
京極入道中納言は、なほ、一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南向きに、今も二本
侍るめり。柳、またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて、
万の花・紅葉にもまさりてめでたきものなり。橘
・桂、いづれも、木はもの古り、大きなる、よし。草は、山吹・藤・杜若・撫子。池には、蓮。秋の草は、荻・薄・桔梗・萩・女郎花・藤袴・紫苑・吾木香・刈萱・竜胆・菊。黄菊も。蔦・葛・朝
顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、墻に繁からぬ、よ
し。この外の、世に稀なるもの、唐めきたる名の聞きにくゝ、花も見馴れぬなど、いとなつかしからず。
大方、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人
のもて興ずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。
身死して財残る事は、智者のせざる処なり。
よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんと
はかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」など
言ふ者どもありて、跡に争ひたる、様あし。後は誰
にと志す物あらば、生けらんうちにぞ譲るべき。
朝夕なくて叶はざらん物こそあらめ、その外は、何も持たでぞあらまほしき。
悲田院尭蓮上人は、俗姓は三浦
の某とかや、双なき武者なり。故郷の人の
来りて、物語すとて、「吾妻人こそ、言ひ
つる事は頼まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実なし」
と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、
馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて、心柔かに、情ある故に、人の言ふほどの事、けやけく否び難くて、万え言ひ放たず、心弱くことうけしつ。偽
りせんとは思はねど、乏しく、叶はぬ人のみあれば、自ら、本意通らぬ事多かるべし。吾妻人は、我
が方なれど、げには、心の色なく、情おくれ、偏にす
ぐよかなるものなれば、始めより否と言ひて止みぬ。賑はひ、豊かなれば、人には頼まるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、
声うち歪み、荒々しくて、聖教の細やかなる理いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心にくゝ成りて、多かる中に寺をも住持せらるゝは、
かく柔ぎたる所ありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。
心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり。ある荒夷の恐しげなるが、かたへにあひて、「御子はおはすや」と問ひし
に、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは
知り給はじ。情なき御心にぞものし給ふらんと、いと恐し。
子故にこそ、万のあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべ
き事なり。恩愛の道ならでは、かゝる者の心に、慈悲ありな
んや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。
世を捨てたる人の、万にするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、万に
諂ひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、僻事
なり。その人の心に成りて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべき事なり。され
ば、盗人を縛め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の饑ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒
の産なき時は、恒の心なし。人、窮まりて盗みす。世治
らずして、凍餒の苦しみあらば、科の者絶ゆべからず。
人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはん事、不便のわざなり。
さて、いかゞして人を恵むべきとならば、上の奢り、費す所を止め、民を撫で、農を勧めば、下に利あらん事、
疑ひあるべからず。衣食尋常なる上に僻事せん人をぞ、真の盗人とは言ふべき。
人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを
聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる
人は、あやしく、異なる相を語りつけ、言ひし言葉も振舞も、己れが好む方に誉めなすこそ、その人の日来の本意にもあらずやと覚ゆれ。
この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士も測るべからず。己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。
栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、河にて馬
洗ふ男、「あしあし」と言ひければ、上人立ち止りて、「あな尊や。宿執開発の人かな。阿字阿字と唱
ふるぞや。如何なる人の御馬ぞ。余りに尊く覚ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候ふ」と答
へけり。「こはめでたき事かな。阿字本不生にこそあんな
れ。うれしき結縁をもしつるかな」とて、感涙を拭はれけるとぞ。
御随身秦重躬、北面の下野入道信願を、「落馬の相ある人なり。よくよく慎み
給へ」と言ひけるを、いと真しからず思ひけるに、信願、馬より落ち
て死ににけり。道に長じぬる一言、神の如しと人思へり。
さて、「如何なる相ぞ」と人の問ひければ、「極めて桃尻にして、沛艾の馬を好みしかば、この相を負せ侍りき。何時かは申し誤りたる」とぞ言ひける。
明雲座主、相者にあひ給ひて、「己れ、もし兵杖の難やある」と尋ね給ひければ、相人、「ま
ことに、その相おはします」と申す。「如何なる相ぞ」と尋ね給ひければ、「
傷害の恐れおはしますまじき御身にて、仮にも、
かく思し寄りて、尋ね給ふ、これ、既に、その危みの兆なり」と申しけり。
果して、矢に当りて失せ給ひにけり。
灸治、あまた所に成りぬれば、神事に穢れありとい
ふ事、近く、人の言ひ出せるなり。格式等にも見えずとぞ。
四十以後の人、身に灸を加へて、三里を
焼かざれば、上気の事あり。必ず灸すべし。
鹿茸を鼻に当てて嗅ぐべからず。小さき虫ありて、鼻より入りて、脳を食むと言へり。
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られ
じ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と
常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずし
て、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞え
もあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
或人の云はく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし。老人の事をば、人もえ笑はず。衆に交りたるも、あいなく、見ぐるし。
大方、万のしわざは止めて、暇あるこそ、め
やすく、あらまほしけれ。世俗の事に携はりて生涯を暮すは、
下愚の人なり。ゆかしく覚えん事は、学び訊くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして止むべし。もとより、望むことなくして止まんは、第一の事なり。
西大寺静然上人、腰屈まり、眉白く、
まことに徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、
西園寺内大臣殿、「あな尊の気色や」とて、信仰の気色ありければ、資朝卿、これを見て、「年の寄りたるに候ふ」と申されけり。
後日に、尨犬のあさましく老いさらぼひて、毛
剥げたるを曳かせて、「この気色尊く見えて候ふ」とて、内府へ参らせられたりけるとぞ。
為兼大納言入道、召し捕られて、武士
どもうち囲みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一条わたりにてこれを見て、「あな羨まし。世
にあらん思い出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。
この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者
どもの集りゐたるが、手も足も捩ぢ歪み、うち反り
て、いづくも不具に異様なるを見て、とりどりに類
なき曲物なり、尤も愛するに足れりと思ひて、目守り給ひけるほどに、やがてその興尽きて、見にくゝ、いぶせ
く覚えければ、たゞ素直に珍らしからぬ物には如か
ずと思ひて、帰りて後、この間、植木を好みて、異様に曲折あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛す
るなりけりと、興なく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、皆掘り捨てられにけり。
さもありぬべき事なり。
世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし。序悪しき事は、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、その事成らず。
さやうの折節を心得べきなり。但し、病
を受け、子生み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪しとて止む事なし。生・住・異・滅の移り変る、実の大事は、
猛き河の漲り流るゝが如し。暫しも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、
必ず果し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏み止むまじきなり。
春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて
夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒
くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾み
ぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、
下に設けたる故に、待ちとる序甚だ速し。生・老・病
・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つこと
しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
大臣の大饗は、さるべき所を申し請けて
行ふ、常の事なり。宇治左大臣殿は、東
三条殿にて行はる。内裏にてありけるを、申されける
によりて、他所へ行幸ありけり。させる事の寄せな
けれども、女院の御所など借り申す、故実なりとぞ。
筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、賽を取れば攤打たん事を思ふ。心は、必
ず、事に触れて来る。仮にも、不善の戯れをなすべからず。
あからさまに聖教の一句を見れば、何となく、前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むる事も
あり。仮に、今、この文を披げざらましかば、この事を知らんや。これ
則ち、触るゝ所の益なり。心更に起らずとも、仏前に
ありて、数珠を取り、経を取らば、怠るうちにも善業自ら修せられ、散乱の心ながらも縄床
に座せば、覚えずして禅定成るべし。
事・理もとより二つならず。外相もし背かざれば、内証必ず熟す。強ひて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。
「盃の底を捨つる事は、いかゞ心得たる」と、或人の尋ね
させ給ひしに、「凝当と申し侍れば、底に凝りたるを捨つる
にや候ふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道なり。流
れを残して、口の附きたる所を滌ぐなり」とぞ仰せられし。
「みな結びと言ふは、糸を結び重ねたるが、蜷といふ貝
に似たれば言ふ」と、或やんごとなき人仰せられき。「にな」といふは誤なり。
門に額懸くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。
勘解由小路二品禅門は、「額懸くる」とのたまひき。
「見物の桟敷打つ」も、よからぬにや。「平張
打つ」などは、常の事なり。「桟敷構ふる」など言ふべし。「護摩焚く」と言ふも、わろし。「修する」「護摩する」など
言ふなり。「行法も、法の字を清みて言ふ、わろし。
濁りて言ふ」と、清閑寺僧正仰せられき。常に言ふ事に、かゝる事のみ多し。
花の盛りは、冬至より百五十日とも、時正の後、七日とも言へど、立春より七十五日、大様違はず。
遍照寺の承仕法師、池の鳥を日来飼
ひつけて、堂の内まで餌を撒きて、戸一つ開けたれば、数も知
らず入り籠りける後、己れも入りて、たて籠めて、捕へつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草刈る童聞きて、人に告げければ、村の男どもおこりて、入りて
見るに、大雁どもふためき合へる中に、法師交りて、
打ち伏せ、捩ぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より使
庁へ出したりけり。殺す所の鳥を頸に懸けさせて、禁獄せられにけり。
基俊大納言、別当の時になん侍りける。
太衝の「太」の字、点打つ・打たずといふ事、陰陽の輩、相論の事ありけり。盛親入道申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれ
たる御記、近衛関白殿にあり。点打ちたるを書きたり」と申しき。
世の人相逢ふ時、暫くも黙止する事なし。必ず言葉
あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の
浮説、人の是非、自他のために、失多く、得少し。
これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。
吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を
立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。
人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そ
のために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんと
するに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。
一道に携はる人、あらぬ道の筵に臨みて、「あ
はれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へ
る事、常のことなれど、よに悪く覚ゆるなり。知らぬ道の羨ま
しく覚えば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。
我が智を取り出でて人に争ふは、角ある物の、角を傾け、
牙ある物の、牙を咬み出だす類なり。
人としては、善に伐らず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあ
るは、大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにて
も、先祖の誉にても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉
に出でてこそ言はねども、内心にそこばくの咎あり。慎みて、これを忘るべし。痴にも見え、人にも言ひ消たれ、禍をも招くは、たゞ、この慢心なり。
一道にもまことに長じぬる人は、自ら、明らかにその非
を知る故に、志常に満たずして、終に、物に伐る事なし。
年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、「この人
の後には、誰にか問はん」など言はるゝは、老の方人
にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる
所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。
大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬに
やと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨へ知らず」
など言ひたるは、なほ、まことに、道の主とも覚えぬべし。まして、
知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞
かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。
「何事の式といふ事は、後嵯峨の御代まで
は言はざりけるを、近きほどより言ふ詞なり」と人の申し侍りしに、
建礼門院の右京大夫、後鳥羽院
の御位の後、また内裏住みしたる事を言ふに、「世の
式も変りたる事はなきにも」と書きたり。
さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、
その事果てなば、疾く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。
人と向ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も閑かな
らず、万の事障りて時を移す、互ひのため益なし。厭はし
げに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか、その由をも
言ひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今暫し。
今日は心閑かに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮
籍が青き眼、誰にもあるべきことなり。
そのこととなきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。ま
た、文も、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。
貝を覆ふ人の、我が前なるをば措きて、余所を見渡
して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に、前なるをば人に
覆はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近き
ばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤の隅に石を立てて弾くに、
向ひなる石を目守りて弾くは、当らず、我が手許をよく見て、
こゝなる聖目を直に弾けば、立てたる石、必ず当る。
万の事、外に向きて求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。
清献公が言葉に、「好事を行じて、前程を問ふことなかれ」と言へり。世を保たん道も、かくや侍らん。
内を慎まず、軽く、ほしきまゝにして、濫りなれば、遠き
国必ず叛く時、初めて謀を求む。「風に当り、湿に
臥して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが如し。
目の前なる人の愁を止め、恵みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。禹の行きて三苗を征せしも、師を班して徳を敷くには及かざりき。
若き時は、血気内に余り、心物に動きて、情欲
多し。身を危めて、砕け易き事、珠を走らしむるに似た
り。美麗を好みて宝を費し、これを捨てて苔の袂に窶れ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥
ぢ羨み、好む所日々に定まらず、色に耽り、情
にめで、行ひを潔くして、百年の身を誤り、命を失へる
例願はしくして、身の全く、久しからん事をば思はず、好け
る方に心ひきて、永き世語りともなる。身を誤つ事は、若き時のしわざなり。
老いぬる人は、精神衰へ、淡く疎かにして、感じ動く所なし。
心自ら静かなれば、無益のわざを為さず、身を助けて愁なく、人の煩ひなからん事を思ふ。老いて、智の、若きにま
される事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。
小野小町が事、極めて定かならず。衰へたる様は、「
玉造」と言ふ文に見えたり。この文、清行が書
けりといふ説あれど、高野大師の御作の目録に入れ
り。大師は承和の初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後の事にや。なほおぼつかなし。
小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば、小鷹にわろくなると
いふ。大に附き小を捨つる理、まことにしかなり。人
事多かる中に、道を楽しぶより気味深きはなし。これ、
実の大事なり。一度、道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか
廃れざらん、何事をか営まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。
世には、心得ぬ事の多きなり。ともある毎には、まづ、酒を勧めて、
強ひ飲ませたるを興とする事、如何なる故とも心得ず。飲
む人の、顔いと堪へ難げに眉を顰め、人目を測りて捨てん
とし、逃げんとするを、捉へて引き止めて、すゞろに飲ませつれば、う
るはしき人も、忽ちに狂人となりてをこがましく、息災な
る人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れ伏す。祝ふべ
き日などは、あさましかりぬべし。明くる日まで頭痛く、物食はず、
によひ臥し、生を隔てたるやうにして、昨日の事覚えず、公・私の大事を欠きて、煩ひとなる。人をしてかゝ
る目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも背けり。かく辛き目に逢
ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の国にかゝる習ひあん
なりと、これらになき人事にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。
人の上にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見
し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、詞多く、烏帽子歪
み、紐外し、脛高く掲げて、用意なき気色、日来の
人とも覚えず。女は、額髪晴れらかに掻きやり、まばゆから
ず、顔うちさゝげてうち笑ひ、盃持てる手に取り付き、よからぬ人
は、肴取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、様あし。声の限り出
して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒く穢き身を肩抜ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、
憎し。或はまた、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、
或は酔ひ泣きし、下ざまの人は、罵り合ひ、争ひて、
あさましく、恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、果は、許さ
ぬ物ども押し取りて、縁より落ち、馬・車より落ちて、
過しつ。物にも乗らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、
築泥・門の下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年老い、袈裟掛けたる法師の、小童の肩を押へて、聞えぬ事
ども言ひつゝよろめきたる、いとかはゆし。かゝる事をしても、この世も後の
世も益あるべきわざならば、いかゞはせん、この世には過ち多く、財を失ひ、病をまうく。百薬の長とはいへど、万
の病は酒よりこそ起れ。憂忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出でて泣くめる。後の世は、人の智恵を失ひ、善根
を焼くこと火の如くして、悪を増し、万の戒を破りて、地獄に堕つ
べし。「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。
かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折もあるべし。
月の夜、雪の朝、花の本にても、心長閑に物語して、
盃出したる、万の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友
の入り来て、とり行ひたるも、心慰む。馴れ馴れしからぬあたり
の御簾の中より、御果物・御酒など、よきやうなる気
はひしてさし出されたる、いとよし。冬、狭き所にて、火にて物煎
りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋、野山などにて、「御肴何がな」など言ひて、芝の上にて
飲みたるも、をかし。いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いと
よし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。上少し」などのたまはせたるも、
うれし。近づかまほしき人の、上戸にて、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるゝ者なり。酔ひくたびれて朝寝したる所を、主の引き開けたるに、惑ひて、惚れた
る顔ながら、細き髻差し出し、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひ
て逃ぐる、掻取姿の後手、毛生ひたる細脛のほど、をかしく、つきづきし。
黒戸は、小松御門、位に即かせ給ひ
て、昔、たゞ人にておはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給は
で、常に営ませ給ひける間なり。御薪に煤けたれば、黒戸と言ふとぞ。
鎌倉中書王にて御鞠ありけるに、雨
降りて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと沙汰ありけるに、
佐々木隠岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土の煩ひなかりけり。「取り溜めけん用意、有難し」と、人感じ合へりけり。
この事を或者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「
乾き砂子の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥か
しかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しく、異様の事なり。
庭の儀を奉行する人、乾き砂子を設くるは、故実なりとぞ。
或所の侍ども、内侍所の御神楽を見て、
人に語るとて、「宝剣をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞き
て、内なる女房の中に、「別殿の行幸には、昼御座の御剣にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心にく
かりき。その人、古き典侍なりけるとかや。
入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して、六波羅のあたり、やけ野といふ所に安
置して、殊に首楞厳経を講じて、那蘭陀寺と号す。
その聖の申されしは、那蘭陀寺は、大門北向きなりと、江帥の説として言ひ伝えたれど、西域伝・法顕伝などにも見えず、更に所見なし。江帥は如何なる才学にてか申されけん、おぼつかなし。唐土の西明寺は、北向き勿論なり」と申しき。
さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖を、真言
院より神泉苑へ出して、焼き上ぐるなり。「法成就の池にこそ」と囃すは、神泉苑の池をいふなり。
「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』といふ事、米搗き篩ひたるに似たれば、粉雪といふ。『たんまれ粉雪』と言ふべきを、誤りて
『たんばの』とは言ふなり。『垣や木の股に』と謡ふべし」と、或物知り申しき。
昔より言ひける事にや。鳥羽院幼くおはしまして、雪の降るにかく
仰せられける由、讃岐典侍が日記に書きたり。
四条大納言隆親卿、乾鮭と言ふもの
を供御に参らせられたりけるを、「かくあやしき物、参る様あら
じ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚、参らぬ事にてあ
らんにこそあれ、鮭の白乾し、何条事かあらん。鮎の白乾しは参らぬかは」と申されけり。
人觝く牛をば角を截り、人喰ふ馬をば耳を截りて、その標とす。標を附けずして人を傷らせぬるは、主の咎
なり。人喰ふ犬をば養ひ飼ふべからず。これ皆、咎あり。律の禁なり。
相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。守を入れ申さるゝ事ありけるに、煤けたる明り障子の破ればかりを、禅尼、手づから、小刀して切り廻しつゝ張られければ、兄の城介義景、
その日のけいめいして候ひけるが、「給はりて、某男に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者に候ふ」と申されければ、「そ
の男、尼が細工によも勝り侍らじ」とて、なほ、一間づ
ゝ張られけるを、義景、「皆を張り替へ候はんは、遥かにたやすく候ふ
べし。斑らに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、「尼も、後は、さはさはと張り替へんと思へども、今日ばかりは、わざとか
くてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理して用ゐる事
ぞと、若き人に見習はせて、心づけんためなり」と申されける、いと有難かりけり。
世を治むる道、倹約を本とす。女性なれども、聖
人の心に通へり。天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことに、たゞ人にはあらざりけるとぞ。
城陸奥守泰盛は、双なき馬乗りなりけ
り。馬を引き出させけるに、足を揃へて閾をゆらりと越ゆるを見ては、「これは勇める馬なり」とて、鞍を置き換へさせけり。また、足を伸べて閾に蹴当てぬれば、「これは鈍くして、過ちあるべし」とて、乗らざりけり。
道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。
吉田と申す馬乗りの申し侍りしは、「馬毎にこはきもの
なり。人の力争ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、先づよ
く見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡・鞍の具に
危き事やあると見て、心に懸る事あらば、その馬を馳すべ
からず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。これ、秘蔵の事なり」と申しき。
万の道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能
の非家の人に並ぶ時、必ず勝る事は、弛みなく慎
みて軽々しくせぬと、偏へに自由なるとの等しからぬなり。
芸能・所作のみにあらず、大方の振舞・心遣ひも、愚かにして慎めるは、得の本
なり。巧みにして欲しきまゝなるは、失の本なり。
或者、子を法師になして、「学問して因果の
理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、
教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り
習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、
馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事の後、酒など勧むる事あ
らんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、
早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入り
ければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。
この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、この事あり。若きほ
どは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも附き、
学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心には懸けながら、
世を長閑に思ひて打ち怠りつゝ、先づ、差し当りたる、目の前の
事のみに紛れて、月日を送れば、事々成す事なくして、身は
老いぬ。終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるゝ齢ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へ行く。
されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく
思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励
むべし。一日の中、一時の中にも、数多の事の来らん
中に、少しも益の勝らん事を営みて、その外をば打ち捨てて、
大事を急ぐべきなり。何方をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。
例へば、碁を打つ人、一手も徒らにせず、人に先立
ちて、小を捨て大に就くが如し。それにとりて、三つの石を
捨てて、十の石に就くことは易し。十を捨てて、十一に就くこと
は難し。一つなりとも勝らん方へこそ就くべきを、十まで成りぬ
れば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には換へ難し。これをも捨てず、
かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。
京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、西山に行きて
その益勝るべき事を思ひ得たらば、門より帰りて西山へ行くべき
なり。「此所まで来着きぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を
指さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、
一時の懈怠、即ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。
一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るゝをも傷むべからず、人の
嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一の大
事成るべからず。人の数多ありける中にて、或者、
「ますほの薄、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺の聖、こ
の事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師、その座に侍りける
が、聞きて、雨の降りけるに、「蓑・笠やある。貸し給へ。かの
薄の事習ひに、渡辺の聖のがり尋ね罷らん」と言ひけるを、「余りに物騒がし。雨止みてこそ」と人の言ひければ、「無下の
事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、
聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつゝ、習ひ侍りにけり
と申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難う覚ゆれ。「敏き時は、
則ち功あり」とぞ、論語と云ふ文にも侍るなる。この薄
をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。
今日はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て紛
れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は違ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。煩はしかりつる事
はことなくて、易かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎ行くさま、
予て思ひつるには似ず。一年の中もかくの如し。一生の間もしかなり。
予てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあ
れば、いよいよ、物は定め難し。不定と心得ぬるのみ、実にて違はず。
妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも独
り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「誰がしが婿に成
りぬ」とも、また、「如何なる女を取り据ゑて、相住む」など
聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。殊なる事なき女を
よしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、苟しくも推し測
られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏と守りゐたらむ。たと
へば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の内を行ひ治
めたる女、いと口惜し。子など出で来て、かしづき愛したる、心
憂し。男なくなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、亡き跡まであさまし。
いかなる女なりとも、明暮添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。女のためも、半空にこそならめ。よそながら時々
通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬ仲らひともならめ。あからさまに
来て、泊り居などせんは、珍らしかりぬべし。
「夜に入りて、物の映えなし」といふ人、いと口をし。万のものの
綺羅・飾り・色ふしも、夜のみこそめでたけれ。昼は、こ
とそぎ、およすけたる姿にてもありなん。夜は、きらゝかに、花やか
なる装束、いとよし。人の気色も、夜の火影ぞ、
よきはよく、物言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある、心にくし。匂ひも、ものの音も、たゞ、夜ぞひときはめでたき。
さして殊なる事なき夜、うち更けて参れる人の、清げなるさまし
たる、いとよし。若きどち、心止めて見る人は、時をも分かぬもの
ならば、殊に、うち解けぬべき折節ぞ、褻・晴なく
ひきつくろはまほしき。よき男の、日暮れてゆするし、女も、夜更くる程に、すべりつゝ、鏡取りて、顔などつくろひて出づるこそ、をかしけれ。
神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし。
くらき人の、人を測りて、その智を知れりと思はん、さらに当るべからず。
拙き人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己れが智に及ばずと定めて、
万の道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたり
と思はん事、大きなる誤りなるべし。文字の法師、暗証
の禅師、互ひに測りて、己れに如かずと思へる、共に当らず。
己れが境界にあらざるものをば、争ふべからず、是非すべからず。
達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず。
例へば、或人の、世に虚言を構へ出して、人を謀る事あらんに、素直に、実と思ひて、言ふまゝに謀らる
ゝ人あり。余りに深く信を起して、なほ煩はしく、虚言を心得
添ふる人あり。また、何としも思はで、心をつけぬ人あり。
また、いさゝかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じ
ゐたる人あり。また、実しくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さも
あらんとて止みぬる人もあり。また、さまざまに推し、心得たるよ
しして、賢げにうちうなづき、ほゝ笑みてゐたれど、つやつや知らぬ人あ
り。また、推し出して、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤
りもこそあれと怪しむ人あり。また、「異なるやうもなかりけり」と、
手を拍ちて笑ふ人あり。また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつ
かなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。また、
この虚言の本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、構へ出したる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。
愚者の中の戯れだに、知りたる人の前にては、この
さまざまの得たる所、詞にても、顔にても、隠れなく知られぬべし。
まして、明らかならん人の、惑へる我等を見んこと、掌の
上の物を見んが如し。但し、かやうの推し測りにて、仏法までをなずらへ言ふべきにはあらず。
或人、久我縄手を通りけるに、小袖
に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、
ねんごろに洗ひけり。心得難く見るほどに、狩衣の
男二三人出で来て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を
具して去にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。
尋常におはしましける時は、神妙に、やんごとなき人にておはしけり。
東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時、源氏の
公卿参られけるに、この殿、大将にて先を追は
れけるを、土御門相国、「社頭にて、
警蹕いかゞ侍るべからん」と申されければ、「随身の振舞
は、兵杖の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。
さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄
を見て、西宮の説をこそ知られざりけれ。眷属の悪鬼・悪神恐るゝ故に、神社にて、殊に先を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。
諸寺の僧のみにもあらず、定額の女孺とい
ふ事、延喜式に見えたり。すべて、数定まりたる公人の通号にこそ。
揚名介に限らず、揚名目といふものあり。政治要略にあり。
横川行宣法印が申し侍りしは、「唐土
は呂の国なり。律の音なし。和国は、単律の国にて、呂の音なし」と申しき。
呉竹は葉細く、河竹は葉広し。御溝に近
きは河竹、仁寿殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。
退凡・下乗の卒都婆、外なるは下乗、内なるは退凡なり。
十月を神無月と言ひて、神事に憚るべき
よしは、記したる物なし。本文も見えず。但し、当月、諸社の祭なき故に、この名あるか。
この月、万の神達、太神宮に集り給ふなど言ふ説あれども、
その本説なし。さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸、その例も多し。但し、多くは不吉の例なり。
勅勘の所に靫懸くる作法、今は絶えて、知れる
人なし。主上の御悩、大方、世中の騒がしき
時は、五条の天神に靫を懸けらる。鞍馬に靫の明神とい
ふも、靫懸けられたりける神なり。看督長の負ひたる靫をそ
の家に懸けられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封を著くることになりにけり。
犯人を笞にて打つ時は、拷器に寄せて結ひ附く
るなり。拷器の様も、寄する作法も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。
比叡山に、大師勧請の起請と
いふ事は、慈恵僧正書き始め給ひけるなり。起請文といふ事、
法曹にはその沙汰なし。古の聖代、すべて、起請文につ
きて行はるゝ政はなきを、近代、この事流布したるなり。
また、法令には、水火に穢れを立てず。入物には穢れあるべし。
徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時、中門にて使庁の評定行はれける程に、官人章兼が牛放れて、庁の内へ入りて、大理の座の浜床の上に登りて、にれうちかみて臥したりけ
り。重き怪異なりとて、牛を陰陽師の許へ遣すべき
よし、各々申しけるを、父の相国聞き給ひて、「牛に
分別なし。足あれば、いづくへか登らざらん。⚀弱の官人、たまたま出仕の微牛を取らるべきやうなし」
とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。
「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。
亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇、数も知らず凝り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、
事の由を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問ありける
に、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」
と皆人申されけるに、この大臣、一人、「王土に
をらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。
鬼神はよこしまなし。咎むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」
と申されたりければ、塚を崩して、蛇をば大井河に流してんげり。
さらに祟りなかりけり。
経文などの紐を結ふに、上下よりたすきに交へて、二筋の中よりわなの頭を横様に引
き出す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院弘舜僧正、解きて直させけり。「これは、この比様
の事なり。いとにくし。うるはしくは、たゞ、くるくると巻きて、上より下へ、わなの先を挟むべし」と申されけり。
古き人にて、かやうの事知れる人になん侍りける。
人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈り
て取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさへ刈り
もて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈
る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。
理、いとをかしかりけり。
「喚子鳥は春のものなり」とばかり言ひて、如何なる鳥
ともさだかに記せる物なし。或真言書の中に、喚子鳥鳴く時、
招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。万葉集
の長歌に、「霞立つ、長き春日の」など続けたり。
鵺鳥も喚子鳥のことざまに通いて聞ゆ。
万の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、
怒る事あり。勢ひありとて、頼むべからず。こはき者先づ
滅ぶ。財多しとて、頼むべからず。時の間に失ひ易し。才
ありとて、頼むべからず。孔子も時に遇はず。徳ありとて、頼むべからず。
顔回も不幸なりき。君の寵をも頼むべからず。誅を受くる事速かなり。奴従へりとて、頼むべからず。
背き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変
ず。約をも頼むべからず。信ある事少し。
身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。左
右広ければ、障らず、前後遠ければ、塞がら
ず。狭き時は拉げ砕く。心を用ゐる事少しきにして
厳しき時は、物に逆ひ、争ひて破る。緩くして柔かなる時は、一毛も損せず。
人は天地の霊なり。天地は限る所なし。人の性、何ぞ異なら
ん。寛大にして極まらざる時は、喜怒これに障らずして、物のために煩はず。
秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、
思ひ分かざらん人は、無下に心うかるべき事なり。
御前の火炉に火を置く時は、火箸して挟む
事なし。土器より直ちに移すべし。されば、転び落ちぬやうに心得て、炭を積むべきなり。
八幡の御幸に、供奉の人、浄衣を着て、
手にて炭をさゝれければ、或有職の人、「白き物を着たる日は、火箸を用ゐる、苦しからず」と申されけり。
想夫恋といふ楽は、女、男を恋ふ
る故の名にはあらず、本は相府蓮、文字の通へる
なり。晋の王倹、大臣として、家に蓮を
植ゑて愛せし時の楽なり。これより、大臣を蓮府といふ。
廻忽も廻鶻なり。廻鶻国とて、夷のこは
き国あり。その夷、漢に伏して後に、来りて、己れが国の楽を奏せしなり。
平宣時朝臣、老の後、昔語
に、「最明寺入道、或宵の間に呼ば
るゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂のなくてとかくせ
しほどに、また、使来りて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異
様なりとも、疾く』とありしかば、萎えたる直垂、うちう
ちのまゝにて罷りたりしに、銚子に土器取り添
へて持て出でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。
肴こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくま
でも求め給へ』とありしかば、紙燭さして、隈々を求めし
程に、台所の棚に、小土器に味噌の少し附きたるを見出でて、『
これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献に及びて、興に入られ侍りき。その世には、かくこそ侍りしか」と申されき。
最明寺入道、鶴岡の社参
の次に、足利左馬入道の許へ、先づ
使を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様、一献に打ち鮑、二献に海老、三献にかいもちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨僧正、
主方の人にて座せられけり。さて、「年毎に給はる足利の染
物、心もとなく候ふ」と申されければ、「用意し候ふ」とて、色々
の染物三十、前にて、女房どもに小袖に調ぜさせて、後に遣されけり。
その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。
或大福長者の云はく、「人は、万をさし
おきて、ひたふるに徳をつくべきなり。貧しくては、生けるかひなし。富
めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、すべからく、先づ、その心遣ひを修行すべし。その心と云ふは、他の事にあらず。人間常住の思ひに住して、仮にも無常を観ずる事なかれ。これ、第一
の用心なり。次に、万事の用を叶ふべからず。人の世にある、自他につ
けて所願無量なり。欲に随ひて志を遂げんと思
はば、百万の銭ありといふとも、暫くも住すべからず。所願は止む時なし。財は尽くる期あり。限りある財をもちて、
限りなき願ひに随ふ事、得べからず。所願心に萌す事あらば、我を
滅すべき悪念来れりと固く慎み恐れて、小要をも為すべからず。次に、銭を奴の如くして使ひ用ゐる物と知ら
ば、永く貧苦を免るべからず。君の如く、神の如く畏
れ尊みて、従へ用ゐる事なかれ。次に、恥に臨むといふとも、怒り恨む
る事なかれ。次に、正直にして、約を固くすべし。この義
を守りて利を求めん人は、富の来る事、火の燥けるに就き、水の下れるに随ふが如くなるべし。銭積りて尽きざる時
は、宴飲・声色を事とせず、居所を
飾らず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く、楽し」と申しき。
そもそも、人は、所願を成ぜんがために、財を求む。銭を財とする事
は、願ひを叶ふるが故なり。所願あれども叶へず、銭あれども用ゐざらんは、
全く貧者と同じ。何をか楽しびとせん。この掟は、たゞ、
人間の望みを断ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。欲を成じて楽しび
とせんよりは、如かじ、財なからんには。癰・疽を病む者、水
に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには如かじ。こゝに至りては、貧・富分く所なし。究竟は理即に等し。大欲は無欲に似たり。
狐は人に食ひつくものなり。堀川殿にて、舎人
が寝たる足を狐に食はる。仁和寺にて、夜、本寺の
前を通る下法師に、狐三つ飛びかゝりて食ひつきければ、刀を抜きてこれを防ぐ間、狐二疋を突く。一つは突き殺しぬ。二
つは逃げぬ。法師は、数多所食はれながら、事故なかりけり。
四条黄門命ぜられて云はく、「竜秋は、道
にとりては、やんごとなき者なり。先日来りて云はく、『短慮の至り、極めて荒涼の事なれども、横笛の
五の穴は、聊かいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。その故は、干の穴は平調、五の穴は下無調なり。その間に、勝絶調を隔てたり。上の穴、
双調。次に、鳧鐘調を置きて、夕の穴、黄鐘
調なり。その次に鸞鏡調を置きて、中
の穴、盤渉調、中と六とのあはひに、神仙調あ
り。かやうに、間々に皆一律をぬすめるに、五の穴のみ、上
の間に調子を持たずして、しかも、間を配る事等しき故に、その声
不快なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。のけあへぬ時は、
物に合はず。吹き得る人難し』と申しき。料簡の至り、
まことに興あり。先達、後生を畏ると云ふこと、この事なり」と侍りき。
他日に、景茂が申し侍りしは、「笙は調べおほ
せて、持ちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛は、吹きながら、息のうち
にて、かつ調べもてゆく物なれば、穴毎に、口伝の上に性骨を加へて、心を入るゝこと、五の穴のみに限らず。偏
に、のくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれの穴も心よからず。
上手はいづれをも吹き合はす。呂律の、物に適はざるは、人
の咎なり。器の失にあらず」と申しき。
「何事も、辺土は賤しく、かたくななれども、天王寺
の舞楽のみ都に恥ぢず」と云ふ。天王寺の伶人の
申し侍りしは、「当寺の楽は、よく図を調べ合はせて、も
のの音のめでたく調り侍る事、外よりもすぐれたり。故
は、太子の御時の図、今に侍るを博士とす。いは
ゆる六時堂の前の鐘なり。その声、黄鐘調の最中なり。寒・暑に随ひて上り・下りあ
るべき故に、二月涅槃会より聖霊会まで
の中間を指南とす。秘蔵の事なり。この一調子をもちて、いづれの声をも調へ侍るなり」と申しき。
凡そ、鐘の声は黄鐘調なるべし。これ、無常の調子、祇園精舎の無常院の声なり。西園寺の鐘、黄
鐘調に鋳らるべしとて、数多度鋳かへられけれども、叶はざりけるを、遠国より尋ね出されけり。浄金剛院の鐘の声、また黄鐘調なり。
「建治・弘安の比は、祭の日の放免
の附物に、異様なる紺の布四五反にて馬を作
りて、尾・髪には燈心をして、蜘蛛の網書きた
る水干に附けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老
いたる道志どもの、今日も語り侍るなり。
この比は、附物、年を送りて、過差殊の外
になりて、万の重き物を多く附けて、左右の袖を人に持
たせて、自らは鉾をだに持たず、息づき、苦しむ有様、いと見苦し。
竹谷乗願房、東二乗院へ
参られたりけるに、「亡者の追善には、何事か勝利多き」と尋ねさせ給ひければ、「光明真言・宝篋印陀羅尼」と申されたりけるを、弟子ども、
「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏に勝る事候ふまじとは、など
申し給はぬぞ」と申しければ、「我が宗なれば、さこそ申さまほ
しかりつれども、正しく、称名を追福に修して巨
益あるべしと説ける経文を見及ばねば、何に見えたるぞと重ね
て問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経の確かなるにつき
て、この真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。
鶴の大臣殿は、童名、たづ君なり。鶴
を飼ひ給ひける故にと申すは、僻事なり。
陰陽師有宗入道、鎌倉より上りて、尋ねまうで来りしが、先づさし入りて、「この庭のいたすらに広きこと、
あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、植うる事を努む。
細道一つ残して、皆、畠に作り給へ」と諌め侍りき。
まことに、少しの地をもいたづらに置かんことは、益なき事なり。食ふ物・薬種など植ゑ置くべし。
多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に興ある事どもを選びて、磯の禅師
といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に、鞘巻を
差させ、烏帽子を引き入れたりければ、男舞とぞ言ひけ
る。禅師が娘、静と言ひける、この芸を継げり。これ、白拍
子の根元なり。仏神の本縁を
歌ふ。その後、源光行、多くの事を作れり。御鳥羽院の御作もあり、亀菊に教へさせ給ひけるとぞ。
後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、
五徳の冠者と異名を附きにけるを、心憂き事
にして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までも召し置きて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。
この行長入道、平家物語を作りて、生仏
といひける盲目に教へて語らせけり。さて、山門の事を
殊にゆゝしく書けり。九郎判官の事は委しく知りて
書き載せたり。蒲冠者の事はよく知らざりけるにや、多く
の事どもを記し洩らせり。武士の事、弓馬の業は、生仏、
東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生れつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。
六時礼讃は、法然上人の弟子、安楽といひける僧、経文を集めて作りて、勤めにし
けり。その後、太秦善観房といふ僧、節博士を定めて、声明になせり。一念の念仏の
最初なり。御嵯峨院の御代より始まれり。法事讃も、同じく、善観房始めたるなり。
千本の釈迦念仏は、文永の比、如輪上人、これを始められけり。
よき細工は、少し鈍き刀を使ふと言ふ。妙観が刀はいたく立たず。
五条内裏には、妖物ありけり。藤大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども、黒戸にて碁を打ちけるに、御簾を掲げて見るものあり。「誰そ」と
見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし覗きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、惑ひ逃げにけり。
未練の狐、化け損じけるにこそ。
園の別当入道は、さうなき庖丁者
なり。或人の許にて、いみじき鯉を出だしたりければ、皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞ
とためらひけるを、別当入道、さる人にて、「この程、百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべきにあらず。枉げて申
し請けん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へ
りけると、或人、北山太政入道殿に語り申さ
れたりければ、「かやうの事、己れはよにうるさく覚ゆるなり。『切り
ぬべき人なくは、給べ。切らん』と言ひたらんは、なほよかりなん。何条、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。
大方、振舞ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、
勝りたる事なり。客人の饗応なども、ついでをかしき
やうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出で
たる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉らん」と云ひたる、まことの志なり。惜しむ由して乞はれんと
思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。
すべて、人は、無智・無能なるべきものなり。或
人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言ふとて、
史書の文を引きたりし、賢しくは聞えしかども、尊者の前にてはさらずともと覚えしなり。また、或人の許にて、
琵琶法師の物語を聞かんとて琵琶を召し寄せたるに、柱の一つ落ちたりしかば、「作りて附けよ」と言ふに、ある男の中に、悪しからずと見ゆるが、「古き柄杓の柄ありや」な
ど言ふを見れば、爪を生ふしたり。琵琶など弾くにこそ。盲法師の琵琶、その沙汰にも及ばぬことなり。道に心得たる由にやと、かたはらいたかりき。「柄杓の柄は、檜物木とかやいひて、よからぬ物に」とぞ或人仰せられし。
若き人は、少しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。
万の咎あらじと思はば、何事にもまことありて、
人を分かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女・
老少、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたちよき人の、
言うるはしきは、忘れ難く、思ひつかるゝものなり。
万の咎は、馴れたるさまに上手めき、所得たる気色して、人をないがしろにするにあり。
人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝに言はんはをこがま
しとにや、心惑はすやうに返事したる、よからぬ事なり。
知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人も、
などかなからん。うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。
人は未だ聞き及ばぬ事を、我が知りたるまゝに、「さても、その人の
事のあさましさ」などばかり言ひ遣りたれば、「如何なる事のある
にか」と、押し返し問ひに遣るこそ、心づきなけれ。世に古りぬる事をも、
おのづから聞き洩すあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げ遣りたらん、悪しかるべきことかは。
かやうの事は、物馴れぬ人のある事なり。
主ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り来る事なし。主な
き所には、道行人濫りに立ち入り、狐・梟やう
の物も、人気に塞かれねば、所得顔に入り棲み、木霊など云ふ、けしからぬ形も現はるゝものなり。
また、鏡には、色・像なき故に、万の影来
りて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざらまし。
虚空よく物を容る。我等が心に念々のほし
きまゝに来り浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主あ
らましかば、胸の中に、若干の事は入り来らざらまし。
丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、め
でたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲
拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、
各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに
立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、
殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と
言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、
物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅
子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と
言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
柳筥に据うる物は、縦様・横様、物
によるべきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木の間より紙ひ
ねりを通して、結い附く。硯も、縦様に置きたる、筆
転ばず、よし」と、三条右大臣殿仰せられき。
勘解由小路の家の能書の人々は、仮にも縦様に置かるゝ事なし。必ず、横様に据ゑられ侍りき。
御随身近友が自讃とて、七箇条
書き止めたる事あり。皆、馬芸、させることなき事ども
なり。その例を思ひて、自賛の事七つあり。
一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の辺にて、男の、馬を走らしむる
を見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて、落つべし。暫し見給へ」
とて立ち止りたるに、また、馬を馳す。止むる所にて、馬を引き
倒して、乗る人、泥土の中に転び入る。その詞の誤らざる事を人皆感ず。
一、当代未だ坊におはしましし比、
万里小路殿御所なりしに、堀川大納言殿伺候し給ひし御曹子へ用ありて参りたりしに、論語の四
・五・六の巻をくりひろげ給ひて、「たゞ今、御所にて、『紫の、朱奪ふことを悪む』と云ふ文を御覧ぜられたき事ありて、
御本を御覧ずれども、御覧じ出されぬなり。『なほよく引き見
よ』と仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九の巻のそこ
そこの程に侍る」と申したりしかば、「あな嬉し」とて、もて参
らせ給ひき。かほどの事は、児どもも常の事なれど、昔の人はい
さゝかの事をもいみじく自賛したるなり。御鳥羽院の、御歌に、「袖と袂と、一首の中に悪しかりなん
や」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、「『秋の野の
草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事か候ふべき」と申されたる事も、「時に当りて本歌
を覚悟す。道の冥加なり、高運なり」など、こ
とことしく記し置かれ侍るなり。九条相国伊通公の款状にも、殊なる事なき題目をも書き載せて、自賛せられたり。
一、常在光院の撞き鐘の銘は、在
兼卿の草なり。行房朝臣清書して、鋳型に模さんとせしに、奉行の入道、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外に夕
を送れば、声百里に聞ゆ」と云ふ句あり。「陽唐の
韻と見ゆるに、百里誤りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。己れが高名なり」とて、筆者の許へ言ひ遣りたるに、「誤り侍りけり。数行と直さるべし」と返事侍りき。数行も如何なるべきにか。若し数歩の心か。おぼつかなし。
一、人あまた伴ひて、三塔巡礼の事侍りしに、
横川の常行道の中、竜華院と書け
る、古き額あり。「佐理・行成の間疑ひあり
て、未だ決せずと申し伝へたり」と、堂僧ことことし
く申し侍りしを、「行成ならば、裏書あるべし。佐理ならば、
裏書あるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積り、虫の
巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、各々見侍
りしに、行成位署・名字・年号、さだかに見え侍りしかば、人皆興に入る。
一、那蘭陀寺にて、道眼聖談義せしに、
八災と云ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化皆覚えざりしに、局の内より、「これこれにや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
一、賢助僧正に伴ひて、加持香水を見侍りしに、未だ果てぬ程に、僧正帰り出で侍りしに、陳
の外まで僧都見えず。法師どもを返して求めさするに、「同じ様なる大衆多くて、え求め逢はず」と言ひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具して出でぬ。
一、二月十五日、月明き夜、うち更
けて、千本の寺に詣でて、後より入りて、独り顔深く隠して聴聞し侍りしに、優なる女の、姿・匂ひ、人より殊なるが、分け入りて、膝に居かゝれ
ば、匂ひなども移るばかりなれば、便あしと思ひて、摩り退き
たるに、なほ居寄りて、同じ様なれば、立ちぬ。その後、
ある御所様の古き女房の、そゞろごと言はれしつい
でに、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉
る事なんありし。情なしと恨み奉る人なんある」とのたまひ出
したるに、「更にこそ心得侍れね」と申して止みぬ。こ
の事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局の内より、人の御覧
じ知りて、候ふ女房を作り立てて出し給ひて、「便よくは、言
葉などかけんものぞ。その有様参りて申せ。興あらん」とて、謀り給ひけるとぞ。
八月十五日・九月十三日は、
婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。
しのぶの浦の蜑の見る目も所せく、くらぶの山も守
る人繁からんに、わりなく通はん心の色こそ、浅からず、
あはれと思ふ、節々の忘れ難き事も多からめ、親・はらから
許して、ひたふるに迎へ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。
世にありわぶる女の、似げなき老法師、あやしの吾妻人なりとも、賑はゝしきにつきて、「誘う水あらば」など云
ふを、仲人、何方も心にくき様に言ひなして、知
られず、知らぬ人を迎へもて来たらんあいなさよ。何事
をか打ち出づる言の葉にせん。年月のつらさをも、
「分け来し葉山の」なども相語らはんこそ、尽きせぬ言の葉にてもあらめ。
すべて、余所の人の取りまかなひたらん、うたて心づきなき事、多か
るべし。よき女ならんにつけても、品下り、見にくゝ、年も
長けなん男は、かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさ
んやはと、人も心劣りせられ、我が身は、向ひゐたらんも、
影恥かしく覚えなん。いとこそあいなからめ。
梅の花かうばしき夜の朧月に佇み、御垣
が原の露分け出でん有明の空も、我が身様に偲ばるべくもなからん人は、たゞ、色好まざらんには如かじ。
望月の円かなる事は、暫くも住せず、や
がて欠けぬ。心止めぬ人は、一夜の中にさまで変る
様の見えぬにやあらん。病の重るも、住する隙な
くして、死期既に近し。されども、未だ病急ならず、死に
赴かざる程は、常住平生の念に習ひて、生の中に多くの事を成じて後、閑かに道を修
せんと思ふ程に、病を受けて死門に臨む時、所願一事も成せず。言ふかひなくて、年月の懈怠を悔い
て、この度、若し立ち直りて命を全くせば、夜を日に継ぎて、この事、かの事、怠らず成じてんと
願ひを起すらめど、やがて重りぬれば、我にもあらず取り乱して
果てぬ。この類のみこそあらめ。この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし。
所願を成じて後、暇ありて道に向はんと
せば、所願尽くべからず。如幻の生の中に、何
事をかなさん。すべて、所願皆妄想なり。所願心に
来たらば、妄信迷乱すと知りて、一事をもなすべ
からず。直に万事を放下して道に向ふ時、障り
なく、所作なくて、心身永く閑かなり。
とこしなへに違順に使はるゝ事は、ひとへに苦楽のためな
り。楽と言ふは、好み愛する事なり。これを求むること、
止む時なし。楽欲する所、一つには名なり。名に二種あり。行跡と才芸との誉なり。二つには
色欲、三つには味ひなり。万の願ひ、この三つに
は如かず。これ、顛倒の想より起りて、若干
の煩ひあり。求めざらんにには如かじ。
八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるも
のにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。
また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教
へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり
」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひ
ける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて
笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。