短編バイロン詩集(欠損あり) バイロン ジョージ・ゴードン George Gordon, Lord Byron 児玉花外訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)夢《ドリーム》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)例令|凋《しぼ》みしとて [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (數字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行數) (例)[#地付き] /\:二倍の踊り字(「く」を縱に長くしたような形の繰り返し記号) (例)妻は泣く/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------   序 バイロンは熱烈太陽如き天才なり、またアルプスの大雪なり、地中海の波濤なり、彼れ美貌花の如く、女子を迷はすの惡魔、イタリヤに將軍としては男子亦彼れの爲に死を願ふの美所と義侠とを有す。吁、バイロンの詩は劍なり、旗なり、苦痛の膽滴なり。現今我が詩壇活氣なきと秋の夕の大墓場の如き時に際し、偉才バイロンの感情と精神に依つて、死人の群に光赫の火を投ぜらるれば幸なり。 此著、榎本秋村子の力を勞する所多し。        東京礫川の草廬の中  明治四十年十月    兒玉花外識 [#改ページ]   緒言 バイロンは十九世紀の英詩人中最も偉大なる天才である、其詞藻や雄渾華麗であつて、其調や淸新纎婉である、直にバイロンの詩文を了解せんと欲するものは彼を生み彼を造りし當時の社會と彼の性行境遇を知ると共に彼の如き絶倫の才氣思想を有しなければならぬ、殊に飜譯中最も至難の詩文を、語法、風習の異れる邦語に、完全に譯出することは、如何なる博學多才の人にも到底不可能である。加ふるにバイロンの如き奔放自在の詩想は、余の如き淺學短才のものの迚も其眞意の十分一も寫す事が出來ない、余は只だ英文の素養のない人々に、此偉大なる詩人の面影の或る一部を現はせばそれで滿足なのである。此書に譯せし彼の短詩四十篇は折にふれ時に感じ、新聞又は雜誌に掲載したのであるが、普通の七五調は彼の詩文に適せぬため概ね散文詩體に譯したのである、譯文は可成原文に忠實ならんことをつとめたが往々意譯した處もある、バイロンの詩は他の詩人の詩よりは多少難解であつて、意味も深邃であるから、吟唱數回漸くその意義を了解し得る如き個所もある、故に譯文の盡せないところは幾重にも讀者識者の叱正を得たいのである。 余は爾來一層研究を重ねてバイロンの他の長短を飜譯せんと心掛てゐる。  明治四十年十一月 [#地付き]譯者識 [#改ページ]   バイロンの生涯 ▲一千七百九十年、放恣なる陸軍の一大尉は、無情にも便なきその妻と、二歳の嬰兒とを龍動の荒野に棄てゝあつたが、その士官の名をジヨン、バイロンと云ひ、妻をカザリン、ゴルドンと云つた、妻は泣く/\跛足の一子と共に己が故郷なるアバージンに行き、僅少の收入に母子の露命を保つたのである。 ▲その跛足の嬰兒こそは、實に後日雷名を天下に轟したる大天才、ジヨールヂゴルドン、バイロンなのである、彼は大叔父死歿後、その家名を續いて貴族となり、莊園邸宅の所有者となつた、彼は初めハーローに學び、後ケンブリツヂに[#「に」は底本では「ニ」]入學した、十七才の少年なる彼は、氣質の轉變常ならざる母に養育せられたので、著しく多情多感となると共に常規を脱して放恣となつたが、讀書のみは日夜怠らなかつたのである、彼はあらゆる種類の書籍を愛したのみならず、特に深く東洋史を愛したので、此傾向は彼の主なる詩篇に大なる影響を與へ、何となく東洋風な處が現はれてゐる。 ▲彼の容貌の美しさは、恰んど女にしてもみまほしき程であつた、初めて女を戀したのは八才であつて、十二才の時は其從妹に思を惱したのである、マリー、チヤオースに逢つたのは彼の十四才の時であつたが、彼女の冷かなる擧動は、彼の一生に於ける最初の慘苦であつて、かの優婉の詩「夢《ドリーム》」の一篇は、彼の少年時代に於ける戀愛の悲しい事實を語つてゐるのである。 ▲ケンブリツヂに前後二年の生活中、學生間に親交あるものもあつたが、不覊放逸なる彼は、その友情を長く保つことが出來ず、忽ちにして不和となり疎遠となり、遂に反目に終つて了つた、彼の奇僻は種々あつたが、特に室内に猛犬を飼育して、訪ひ來る人々に誇示した如きは甚だしい一つである、生來負け嫌ひなる彼は、跛足ながらも如何なる運動にも決して他人の下風に立たない、だから彼は在校中ラテンの詩文などよりも、寧ろ、クリツケツトやホツケーやボートレースを愛した、そして巡遊の際は何時も大きな犬を伴れて歩く、その愛犬が死んだ時などは痛切なる碑文を書いた位である。 ▲彼が在校中、折にふれ徒然に任せて書いた詩は「閑日月」と題する小册子となつて千八百〇七年即ち彼が廿才の時出版された、エヂンバラ評論は甚だしく之を酷評したので、彼は非常に激怒して「英國詩人と蘇國評論家」と題する一詩を著して、エヂンバラ記者及び其他の詩人を嘲笑罵倒したのである。 ▲千八百〇九年より十一年まで二ヶ年間海外漫遊せし彼は、いたく各國の麗はしい風景や、由緒ある古蹟に感動せられ鼓吹せられ、かの破天荒の名詩「チヤイルド、ハロルド巡遊」記の初め二編を書いた、たとへバイロンは悠々西班牙や土耳古の旅程に上りしとは云へ一旦深く刻まれし失戀の影は、長く/\その胸底に搖曵してあつた故に、吾人は彼の辯疏にも係らず、噪宴や放恣を以て、人生の氣力を消せし陰欝なるチヤイルド、ハロルドは、著者自身を描寫せしにあらざるやを疑ふのである、彼は悲慘憂悶に惱み自己の才能の異常なるを認知し、世を厭ひ、人を惡み、あらゆるる事物を憎み、自己の照影とも云ふべきチヤイルド、ハロルドを描いた、そして篇中に現はれたる人物は、皆同一に陰欝な性格を有してゐる。 ▲この空前の傑作チヤイルド、ハロルドの千八百十二年に出版せらるるや、魯鈍として嘲けられたる無名の一小詩人は、一躍して世界の大詩人となり、文壇の泰斗と仰がれ、滿天下の讀者均しく驚嘆の叫[#「口+斗」、呌]びを洩したのである、彼自ら記して「我れ一朝醒めて自身の著名なるを知る」と云つた。 ▲交際場裡の人として、文壇の麒麟兒としての彼の生活は殆んど三年、此間彼は貴族院議員として三度演説を議場に試みたのである、彼は其旅行中見聞せし事實を基礎として、優艶な悲壯な土耳古物語を書いて、英國人士の心中に現代希臘西を慕ふの念を起させた、「不信者《ザハー》」「アビードスの花嫁《ブライド》」は千八百十三年に現はれ、「海賊《コルセーア》」「ラゝ」は其翌年に版に上つた、前二者は傳記的冐險の物語に適する四歩句《テトラメーター》に書き、後者はドライデンやポープの脚韻的五歩句《ライムイングペンタメーター》を用ひ、且彼の獨特の音律や色彩を與へてゐる、凡て此等の四篇中には皆、淸痩[#「やまいだれ+嫂のつくり」、第3水準1-94-93、瘦]不健全な不平滿々たるバイロン的主人公が宿つてゐる、そして思ひ一度茲に到れば、チヤイルド、ハロルドの高い青白い額の周圍に眞紅のシヨールを纒ひ、頭巾付けの純白の長外套を身に着け、土耳古的長劍と銀裝の短銃を腰間に帶び、全く希臘西風の服裝をなして兩眼に悲憤を湛へてゐる姿は、何となく吾人の眼前にまぼろしのやうに見へるのである。 ▲バイロンのミルバンク孃と結婚せしは千八百十五年彼の廿八才の時である、妻は彼が放肆律なきため鴛鴦の夢暖かならず、不和爭論の結果僅々十二ヶ月にして離婚して了つた、この不幸なる家庭に一人の娘があつたが、チヤイルド、ハロルド第三編の初に、此娘に對する傷心な悲哀な詩句が現はれてゐる。 ▲彼はその妻を離婚せしを以て、社會は甚しく彼を非難し輕侮せしかば、彼は憤怨痛恨やるかたなく、遂に滿腔の忿懣を懷いて千八百十六年の春、再び還らずと誓つて遙々己が墳墓の地を去つた、然かもかの絶艶なる悲劇詩「コリンスの攻圍」「パリシナ」の二篇は、彼が龍動に於ける悲慘なる最後の數ヶ月に書かれたのである。 ▲實に不幸と悲憤は薄倖なるバイロンの生涯に主なるものであつた、彼は胸に不盡の痛恨を負ふて孤影悄然住[#「住」は底本では「往」]み馴れし懷かしき故山を後にして、風光明眉なる伊太利の中に、哀れなる己が生涯のそれにも似たる衰殘せるベニスの王宮を訪ひ、ローマの廢堂を尋ねんと遠く迅雷轟くヂユラの氷雪多き山嶺を分け、古今の名將ウエリントンが、歐亞の震撼せし空前の英雄ナポレオンを撃破せし、血腥きウオタルローの古戰場を横ぎつたのである、ベニス、ラベンナ、ピザ、ローマに於て巨萬の報酬を得て數多の詩篇を著はし、最も悖徳な最も不規則な生活をなし、益遊惰荒飮の行爲を敢てしたのである。 ▲彼の最大の傑作「チヤイルド[#「チヤイルド」は底本では「イヤイルド」]、ハロルド巡遊記」は千八百十八年に完結し、其第三編はゼネバロ、第四編第五編は專らベニスに於て書かれてある、スペンセリアンスタンザは、バイロンの麗筆によつて一種の氣高い音律を現はしてゐる、かの崇高宏大何人も企て及ばざる太洋に述するの句の如き其結末に於て最も精巧雄麗な文字になつてゐる、試みにその一節を譯出しやう、 [#ここから1字下げ] 卷けよ、轉ぜよ、汝、深き紺青の太洋、卷けよ、 一千の艨艟、汝を掃過するも、そは無益のわざ、 人間は此地球を荒廢せしむれども、其力、 たゞ海岸に止まりて、縹渺たる海原には、 難破は彼の爲し得る凡てのみ、人の刧掠の影、 何等その跡を留めず、遺るは只だ彼の荒頽に過ぎず、 一滴の雨の如く呻吟しつゝ須臾にして汝の海底に沈む、 墓なく吊鐘なく柩なく、然も知られずに。 [#ここで字下げ終わり] ▲バイロンも他の詩人の如く筆を劇詩に染めてあつた、されど有名なる「チヤイルド、ハロルド」や「海賊」の此著者は、それにふさはしい程の滿足の結果を收むることが出來なかつた、余の前に語つたやうな陰暗な幽欝な一種のまぼろし[#「まぼろし」に傍点]が此不幸なる大詩人が、その影多き晩年にものせし多くの悲劇や宗教劇に朦朧として現はれてゐる「ケイン」「マンフレツド」は劇詩中の優なるものであつて、其他「サルダナパラス」「ウエルナー」「轉地」「マリノ、フアリエロ」等の諸篇がある、そして、かの大作「ドン、フアン」は最も精巧な著書であつて、奇拔な巧妙な幾多の章句に滿ちてゐる此偉大なる天才の悲しい紀念物とも云ふべきものである。 ▲バイロンの最後の壯擧は稍其晩年に傷心の光をなげてあつた、即ち彼が歌ひし古代の榮譽や絶佳の海濱を有する懷かしき希臘西を鼓舞して、土耳古の無道なる覊伴を脱して自主自由の國たらしめた、實にかの希臘西獨立戰爭は此時に初つたのである、彼は燃ゆるが如きの熱意を以て、人道の爲め決然身を挺して希臘西に航し、金錢に助言に獎勵に鋭意事に當つた、斯くして筆を執るの文人は、一朝にして劍を按ずるの軍人となつたのである、彼はあらゆる辛苦に堪へ、自ら一軍に將としてレバントを攻撃せんとした、あゝ/\されど、皇天此偉人に歳月を借さず、悲哉此絶世の天才は、不幸二豎の犯す處となり、僅か三十六年を一期として、天涯萬里の異域の露と消へて了つた、バイロンは實に人道の爲に斃れたのである、その魂魄や必ず長く、山紫水明なるグリースの邊に彷徨ふであらふ、彼の命日は千八百二十四年四月十九日であつて、その墳墓は英國ニユーステツドの近傍ハツクネルと云ふ處にある。 ▲彼の詩に「天は其寵兒に夭死を賜ふ」と云ふ句がある、彼は實に天の寵兒として此濁世より救はれたのである、余は深くバイロンの欝勃たる熱誠や氣概を喜び、その雄渾莊麗な筆致を愛し、その詩集は常に余の身邊を離れないのである、世人は多く彼の蕩逸不覊を非難するけれど、そは彼の罪にあらずして寧ろ其時代の罪である、余は彼の爲なら如何なる辯護もする、如何なる讃美も敢てする、渾圓球上、洋の東西を問はず、古往今來詩人の數多けれど、バイロンの如く廉潔なる男らしい、バイロンの如く勢のある優婉纎彩の詞藻を持つたものは又とあらうか、かの獨乙の大文豪ゲーテさへも、只だバイロンの壯麗なる詩文を味はんが爲めにのみ英語を學んだと云ふではないか。 ▲あゝ思へば三十有六年の短き彼の生涯は實に一部の悲哀史である、余は誠に彼の爲めに一滴の涙なきを得ぬ、幼より轗軻不遇に人となり、放蕩無頼なる父に棄てられ、喜怒常ならざる愚昧の母に育てられ、然かも身は悲しい不具の人として嘲けられ、一事一行皆均しく、世人の嘲笑痛罵の種となり、苟も皇室の藩屏たる貴族の榮譽を得ながらも、家庭の樂しさを知らず、一日の平和なく一人の慰むるものなく、終始悶々不平の内に日を送り、果ては住み慣れし故山をさへ離れて、遠く/\絶域に客死したではないか、余は目を閉づれば眉目秀麗なる美しい彼の姿を見ると共に、彼が薄命の生涯を思ひ合して、轉た一種悲しい感じに胸はかき亂れるのである。 ▲バイロンの健筆は驚くべき程であつて、「海賊」は十日間になり、「アビードスの花嫁」は四日間に書き、「ラゝ」は舞踏會より歸宅して衣服を脱する間に作つたのだと云はれてゐる、斯く倉卒の間になりながら、然かも其筆の跡、絢爛流麗盤上玉を轉ずるが如く錚々の音を發するので、天品とはバイロンの詩句を評するに最も適切なる讃辭である、彼と同時代のゲーテは、彼を非常に賞揚して「バイロンは疑もなく當世紀(十九世紀)に於ける最大の才として尊ばざるべからず」と云ひ、スコツトやムーアも甚だしく彼を讃美したのである、かくの如く賞揚せられ、歐米の文壇を風靡せし彼の詩篇は、世人に愛讀せらるゝこと非常にして、「海賊」の如き僅か一日に一萬四千部を賣つたと云はれてゐる。 ▲バイロンの愛讀者は、舊約全書ポープの詩文及びモンテイヌの文集等であつて、特に彼はモンテイヌの文を激賞してあつた、彼は本國に於て嫌忌せられしに係らず、他の各國の人士に愛せられ、佛國人の如きは彼を崇拜の餘り其主府巴里にバイロン街を作つた位である。 ▲バイロンの詩中最も人口に膾炙するは、「シロンの囚人《プリズナー》」であつて、宗教的迫害の酸苦を述べたのである。 [#ここから1字下げ] あゝ我が頭髮は白し、されど年の爲にあらず、又は人々の一時の驚懼故に變ずるが如く、只だ一夜にして更りしにあらず、ああ我が四肢は衰へたり、されど[#「ど」は底本では「と」]勞せしが爲にあらず、實に忌はしき休息故に朽ちたるなり。 [#ここで字下げ終わり] と歌ふところ、何んとなく悲愴凄婉であつて、一讀云ふに云はれぬ一種の冷かな物哀れな感じがするのである。 ▲バイロンの文體は雄勁壯嚴の中に、典雅淸艶な處があつて恰も天氣晴朗なる夜、縹渺たる蒼溟の波間に、皎々たる一輪の明月が鮮かな淸光を宿せしが如く、又は巍然たる高峰の半腹に美しい虹の懸るが如く、壯美と優美は程よく融合一致してゐるのである、しかもこのニ種の美は、獨り彼の詩文の上に現はれてゐるのみならず、彼の一身にも實によく發現されてゐる、彼の欝勃の不滿と氣概はその壯美を示し、彼の女の如き美しい容貌はその優美を示してゐるのである、余は左に「チヤイルド、ハロルド巡遊記中の一句 (底本のページ欠損) [#改ページ] 目次 第一 若き令孃の夭折 第二 戀愛の接吻 第三 涙 第四 我は御身の泣くを見たり 第五 カロライン孃(一) 第六 ナポレオンの最後の訣別 第七 離別 第八 愛の最後の別れ 第九 妄想 第十 彼女は美に於て歩む 第十一 我は快活なる小兒たりしを願ふ 第十二 嗚呼、それ等の爲めに泣け 第十三 自然の祈祷[#「示+壽」、第3水準1-89-35、禱] 第十四 カロライン孃(二) 第十五 ヨルダンの河岸 第十六 婦女 第十七 二人の別れ 第十八 時 第十九 希臘西の戀愛歌(一) 第二十 御身は僞ならざれど變り易し 第廿一 冷靜此惱める肉體を蔽ふ時 第廿二 去れよ、去れよ、汝悲哀の曲 第廿三 若く麗はしくして御身は逝きぬ 第廿四 印度人の歌調 第廿五 ヘロードの嘆き 第廿六 カロライン孃(三) 第廿七 若き友 第廿八 御身は幸福なり 第廿九 希臘西の戀愛歌(二) 第三十 詩神に別れを告ぐ 第卅一 高慢なる婦人 第卅二 丘上より遙に母校を臨む 第卅三 戀愛 第卅四 我はバビロンの河岸に坐して泣けり 第卅五 闇黑 第卅六 さらば御身安かれ 第卅七 或る婦人に與ふ 第卅八 マルタ島に別る 第卅九 戰死を悼む 第四十 さらば [#改ページ] 短編バイロン詩集 兒玉花外譯   第一、若き令孃の夭折   (一) 美しかりし令孃の墳墓を我れ訪《おと》づれて、 我が愛する屍《むくろ》の土の上に、四季をり/\の花を撒き散らしゝ時、 嵐も荒《す》さまず、夜もいとど淋しく靜やかに、 些の微風さへ樹梢を鳴らさず。   (二) 此狹く小さき庵室の内に、嘗ては華やかに淸かりし彼女《かれ》の身は横はる、 死の神は彼女を餌食として取り押へ、 何等の富貴、何等の善美も、 美しき彼女が生命を償ひ得ず。   (三) あゝ!若しや死の神、憫憐を感じ、 皇天、運命の恐ろしき宣告を覆へしなば! 哀傷者はその悲愁を此處に現さず、 詩神《ミユーズ》はその徳行を此處に語らざらん。   (四) されど何故の嘆ぞや、類なき彼女の精靈は、 壯麗、日輪を輝かし處を高揚し、 憂ひを湛へたる天使等は彼女をその宮殿に導びき、 無限の快樂を以てその徳行に酬ゆるなるに。   (五) 皇天は不遜なる人類を招喚し、 而して秀絶の上帝は狂暴に非難すべきものなるや、 あゝ!否、斯の如きは我に無益の企圖《わざ》── 我は決して神に服從するを拒まざるべし。   (六) 彼女の淸き徳操は今猶ほ懷かしく、 その華麗なる容貌は今猶ほ記臆に鮮かに、 それ等を追想する毎に我が温き愛の涙滴りて、 胸に刻みし艶なる面影、長く/\思出の種となる。 [#ここから1字下げ] 此詩は千八百〇二年バイロンの十七歳の時の作にして死せし令孃の名をマガーレツトと云ひ海軍大將パーカーの娘にして彼の從妹に當る、バイロンの初めて詩を作りしは十四歳の時なり。 [#ここで字下げ終わり]   第二、戀愛の接吻   (一) 痴愚の織り出せる虚僞の織物なる、 淺薄なる小説の假想荒誕を去れ! 我に眞情を語る優しき一瞥か又は、 戀愛の最初のキツスに宿る無限の喜びを與へよ。   (二) 架構空想に燃ゆる胸を有し、 小林狹野にふさはしき──邊僻の感情を懷ける小詩人、 御身甞て甘き戀愛の最初のキツスを味ひしならば、 あゝ如何に幸多き感興《インスピレーシヨン》より御身の詩歌は流れ出づるならん!   (三) 若しやアポローその幇助を拒み、 詩神御身の務を棄てられしとも、 彼等に祈願せず潔くミユーズに訣別を告げて、 戀愛の最初のキツスの効果を試みよ。   (四) 例令謹愼者我を罪し、迷執家我を非難するとて、 我は汝技巧の冷かなる作物を憎み、 戀愛の最初のキツスに喜び亂るゝ、 胸より迸ばしる眞實の情緒を求む。   (五) 御身の空想的題目なる牧人や、牧羊や、 人を娯ませ得んも人を感動せしめ得ず、 アルケヂアは只だ夢の一邦土に過ぎず、 あゝ如何で戀愛の最初のキツスの樂しさに若かんや。   (六) あゝ!人類は生來アダムより今に至るまで、 不幸艱難を以て彷徨へりと云ふを止めよ、 懷かしき樂園《パラダイス》の一部は尚ほ地上に存し、 慕はしきエデンは戀愛の最初のキツスに復活さる。   (七) 光陰は矢の如く、日月に關守なく、 齡傾き血冷かに、我等の樂しみ去りし時、 床かしき過去の追想は長く胸に殘り、 戀愛の最初のキツスは最も樂しき思出となる。   第三、涙   (一) 友誼《フレンドシツプ》、戀愛《ラブ》、の我等の同情を動かし時、 瞥見以て眞實《トルース》の現はるゝ時、浮華なる唇は、 優しき靨、愛らしき微笑を以て僞惑し得べし、 されど、眞實なる愛情の標據《テスト》は涙なり。   (二) 微笑や、屡[#「尸+婁」、第3水準1-47-64、屢]、これ、只だ、 嫌惡を覆ひ恐怖を隱し、僞君子の奸計に過ぎず、 眞情《まこと》を語る目の暫し涙に曇りし時は、 我に優しき嘆息を與へよ。   (三) 温和なる慈悲《チヤリチー》の靈光は、 飾りなき純朴《バーバリチー》により、 下界の死すべき吾人に、その精神を示し、 憫憐や、此徳の感ぜし處に溶け、 その露や、涙に散布せらるゝなり。   (四) 吹き荒さむ、暴風と共に、 縹渺萬里、激浪高き、 大西洋を横斷せざるべからざる人や、 一趺直ちに、己が墳墓たるべき、 蒼海を彼顧るとき、 逆卷く紺青の荒波は涙と共に輝かん。   (五) 光榮《グローリー》の華やかなる生涯に於て、 想像的花冠の爲めに勇士は死を恐れず、 されど戰場に葬むるとき、 その敵を讃美し、賞揚し、 涙を以て凡ての傷痍を洗ふ。   (六) あはれゆかしき戰勝の勇士や、 その高く躍る胸中の自負を以て、 鮮血淋漓なる其銃劍を棄て、 懷かしき己が愛人のもとに歸り、 艶妖のその身を抱き、 可憐なる瞼より涌き出づる涙を彼キツスする時、 あらゆる彼の勞苦や酬られたるなり。   (七) あゝ樂しきかな我が青春の光景や! 友誼と誠實の立脚地、 戀愛の流るゝ月日を追ひし處、 我は汝と別るゝに忍びず、 首《かうべ》を廻《めぐ》らして最後の一瞥をなせり、 あゝされど悲しい哉我目や、 涙に掩はれて、恰んど我は、 なつかしき汝の俤を見るを得ざりき。   (八) 例令我が誓を最早彼女に語り得ざるも、 美しき彼女や甞て深く我を愛し、 閑寂なる園亭の蔭に於て、 麗はしき涙を以てそれ等の誓に、 報ひし其時を我れ記臆せり。   (九) 我は、彼女《かれ》の他の愛を得て、永く、 平和に幸福に生活するを祈る! 彼女の名を今尚ほ我は、心に敬せざるべからず、 甞て彼女は我が愛人なりしことを、 我は嘆息《といき》を以て棄て、 而して涙を以てその僞を許さん。   (十) 汝、我が眞實の友よ、 我は汝に別るゝの前、我が胸に 此希望最も痛切なりき── 再び此靜けき幽處に於て我等は、 若しも互に邂逅するならば、 離別の時の如く涙を以て會はん。   (十一) 我が精神の幽瞑界に飛揚する時、 我が屍は其棺車の上に横はらん、 我が屍灰の消盡する墳墓の傍を汝が過ぎる時、 あゝ!涙を以て其等塵埃を濡されよ。   (十二) 何等華麗の大理石も、 虚榮兒の養生《うみ》なせる、 悲哀の壯嚴にふさはしからず、 赫耀たる光榮、名譽も、 如何で我が名を飾り得ん、 あゝ我が求むるものや──望むものや──唯だ涙なり。   第四、我は御身の泣くを見たり   (一) 我は御身の泣くを見たり──大きく閃めく、涙は、 翠碧の其眼より流れぬ、 而して我はそを、菫を滴《こぼ》る、 麗はしき露に非らずやと思へり、 我は御身の微笑するを見たり──御身の傍に、 青玉の光は輝かずなりぬ、 さはれそは、御身の目に宿る、 快活なる美しき光には及ばざりき。   (二) 雲は遙か彼方の太陽より、 深く鮮かなる色彩を受くるも、 落ちかゝる夕暮の影を空より拭ひ得ざるが如く、 御身の優しき微笑は、温和なる其心に、 それ等の淸く鮮やかなる悦樂を分ち、 その光煦はその胸を照らし、 一種の熱情を後に肩むるなり。   第五、カロライン孃(一)   (一) 止《と》どまれとてか、願ふにや、 きらめく、涙《なみだ》に、滿されし、 優しき汝《なれ》の、双眸を、 汝は思ふか、我れ見きと、 幾千萬の、言葉より、 猶ほいやまさる、眞情《こゝろ》もて、 深くも汝《なれ》の、嘆きしを、 我れは聞きぬと、汝《な》は知るか。   (二) 愛も望も、兩ながら、 消えて破れし、その時に、 落つる涙は、いと強き、 汝の悲愁《なげき》を、示せども、 さはさりながら、戀人よ、 痛苦《いたで》を負ひし、此胸は、 深き烈しき、哀傷に、 汝にも劣らず、波ぞうつ。   (三) さはれ憂悶《なやみ》の、あらはれて、 我等の頬の、紅《あか》きとき、 又はやさしの、唇の、 我が唇と、合ひしとき、 我が目瞼《まぶた》より、ほどばする、 繁き涙も、汝が目の、 淸き涙に、くらぶれば、 あゝ/\ものゝ、數《かず》ならず。   (四) 燃ゆるが如き、我が頬を、 親しく汝の、感ずるは、 いと/\難き、ことならん、 されど流るゝ、汝《な》の涙、 その紅色《くれなゐ》を、鎭めさり、 汝の言葉は、だゝ獨り、 吐息つく/″\、繰り返へし、 語らふ如く、我の名を。   (五) 喃《のう》、戀人よ、我々は、 尚ほも無益に、嘆げきつる、 避くべからざる、運命を、 など、徒らに、愁傷《いた》むらん、 さはれ記臆は、只だひとり、 その面影を、留むれども── されど一層《ひときは》、我々は、 憂悲《なげき》の淵に、沈みなん。   (六) 汝《なれ》、懷しき、愛人よ、 さらば、さらば、あゝさらば! よしや名殘は、盡きぬとて、 汝は哀惜《うら》まず、あるならば、 雲煙《けむり》の如く、消え去りし、 過ぎにし月日の、樂しみを、 汝の心は、思はずば、 我は願はん、只だ忘れんと! [#ここから1字下げ] カロライン孃はバイロンの戀人にして後にメルボーン侯爵の夫人となる、されど長くバイロンを慕ふて忘れず、戀々として餘生を終れり。 [#ここで字下げ終わり]   第六、ナポレオンの最後の訣別   (一) さらばよ、汝、フランスの土、 我が光榮の朦朧たる影の、 汝の名聲と共に地球を震撼せし處── あゝ今や汝は、我を棄てたり── さはれ最も赫耀にして、 最も幽暗なる汝の歴史は、 凡て我が名譽を以て充たさる。 我は世界と戰へり、 されど戰勝の運命は、 餘りに深く我を誘惑し、 我は爲めに破れたり。 我は又幾多の邦國と爭へり、 かくして遂に淋しくも獨り、 縲紲の身とは成り果てぬ。   (二) さらばよ、汝、フランス! 汝の輝く王冠を、 我が頭上に戴きしとき、 我は汝を以て地球の寶玉とし、 將た驚嘆となしたりき── あゝされど汝の薄弱は、 我の汝を見出せし如く、又、 汝と別れざるべからざる悲しき命令を以てし、 汝の光榮は衰殘して、 汝の價値は沈淪せり、 おゝ哀哉、忠實の勇士や、 たとへ身を草原に横ふるも、 戰勝は長へに卿等のもの── されどかの強鷲は一時殘害せられたりと雖ども、 燦爛たる勝利の日を其兩眼に凝視して、 今尚ほ、悠々として高く蒼空に※[#「皐+栩のつくり」の「白」に代えて「自」、第3水準1-90-35、翺]翔せり。   (三) さらばよ、汝、フランス! 若しも汝の邦土に再び、 自由の皷氣の襲來するあらば、 我を記臆せよ、然るとき── 優しき菫は今も尚ほ、汝の深き谷底に芽え出づる── そは例令|凋《しぼ》みしとて、 汝の涙は再び咲かし得べし── されど/\我は尚ほ、 我等の周圍に群れる、 數多の敵と爭ひ得て、 然して汝の精神は、 我が此音聲に覺起すべし── 我等を縛する鎖は破らざるべからず、 あゝ然るとき/\、 頭を上げて主を呼べ、 汝の權べる主を呼べ!   第七、離別   (一) 愛らしき乙女!御身の殘せし接吻は、 一層幸福なる月日の、此賜物を、 汚さずに御身の唇に返すまで、 決して我が唇を離れざるべし。   (二) 優しく光りし御身の離別の目眸《まなざし》は、 均しく切なる愛を見らるべく、 御身の目瞼《まぶた》より流るゝ熱き涙は、 我に變る勿れと泣き得るなり。   (三) 我は、獨り思を惱まして、 我を幸福にする誓約を求めず、 又は、御身のことのみを思ひ居る、 胸の爲めに一の記念物も願はず。   (四) 我は又書くを要せず──此話を記するには、 我が筆餘りに弱かりき、 あゝ!此|眞情《こゝろ》は語り得ずば、 如何で無益の言葉は効あらんや。   (五) あゝ雨の晨、風の夜、 喜ばしき時、悲しき時、 まゝならぬ悶々の戀を懷いて、我は、 沈默の苦痛を甞めざるべからず。 御身故、 (底本のページ欠損)   第九、妄想《ローマンス》   (一) 華やかなる黄金の夢の親にも似たる妄想《ローマンス》! 信仰厚き幾多少年少女の一隊を、 空幻の歡喜の中に導くなる、 果敢なき喜ひの幸榮ある女王、 我は遂に呪文に迷されずに、 我が春青の拘束を破る、 我は最早神秘なる御身の常路を踏まず、 御身の邦土は眞理のそれに更へたり。   (二) されど無邪氣なる心に絶えず訪づる、 その嬉しき夢は尚ほ棄つるに難し、 あらゆる妖精は美しき女神に見え、 その目は無限の光を通じて轉ず、 然かも想像《ファンシー》はその無涯の領土を保ちて、 万物万象雜多の色彩を帶ぶ、 斯くして處女はあだなるものならず、 且つ婦女の微笑さへ眞實なるに至る。   (三) 我等は御身を只だ空名に過ぎずとなし、 雲霧の樓閣より徒らに降らざるべからざるか、 あらゆる婦人、あらゆる朋友より、 一の美婦《スルフ》、一の親友《ピーラデス》を見出し能はざるや、 さはれ直ちに空幻の御身の邦土を、 種々なる妖魔の一群に殘さんとするか、 婦女は美なるが如く處假にして、 朋友は只だ自利のみを計ると認むるや。   (四) 耻かしけれど我は御身の權勢を感ぜりと自白し、 悔恨者《シペンタント》よ、今や御身の治世は過ぎたり、 最早御身の訓戒に我從はず、 最早想像の意見に※[#「皐+栩のつくり」の「白」に代えて「自」、第3水準1-90-35、翺]翔せず、 さても憐れなる愚人よ、 閃々たる目を愛して眞理に尊しと考へ、 はかなき淫奔者の嘆息を信じて、 冷き其涙の下に心を溶かすとは何事ぞや!   (五) 妄想《ローマンス》!譎詐故厭ふて、 虚飾《アヘクテーシヨン》の坐する處、 多病なる實感《センスビリチー》の居る處なる、 雜駁なる御身の宮庭より遠く我去らん、 力なき涙は只だ御身以外、 何等の苦痛にも流さず、 華美なる御身の堂社を露に濡さんが爲、 眞の悲哀を顧ざるものは我れ好まず。   (六) 今や、松柏を冠し雜草を身に纒ひ、 御身と共に眞の嘆聲を揚げ、 あらゆる胸の爲めにその心情を痛むる、 幽暗の同情《シンパシー》と我は合同し、 嘗ては均しき熱火輝き得しも、 今や御身の玉坐の前に屈し能はざる、 永却《とは》に逝《ゆ》きし白鳥を吊せんが爲め、 我は御身森林の歌女の一隊を呼ばん。   (七) 如何なる場合にも、直ちに、美しき涙を流し、 想像の情火と狂へる熱火を以て、 空幻の恐怖に胸に浪立たする、 御身温雅なる乙女《ニンフ》等よ、 優しき御身の隊伍より背ける我が虚名を、 惜《いと》しと思ふて嘆げき給ふや如何に、 無邪氣なる詩人は、せめて、御身より、 同情に富める歌の一節を要《もと》めん、   (八) さらば、愛らしき人々よ、これが長き別れぞよ、 運命の期は間近く徘徊しつゝあり、 御身の悲まずに横はらざるべからざる、 恐ろしの深淵は今早や目前にあり、 忘却の暗碧の太洋は御身の制し得ざる、 暴風に荒されて目下に見ゆるなり、 あゝ悲しい哉、御身と御身の優しき女皇は、 共に/\其處に死滅せざるべからざるぞ!   第十、彼女は美に於て歩む   (一) 雲無き邦國、星多き天空の 麗はしき夜の如く、彼女《かれ》は美に於て歩む、 而して明暗の最善なる万物は、 彼女の容貌と彼女の目に會し、 斯くして天の祝日に拒むなる、 その優しき光明に融合するなり。   (二) 一の影は一層多く、一の光は一層少く、 漆の如く黑き凡ての毛髮に波立て、 又は彼女の顏を軟かに輝やかし、 無名の美容を半ば傷けぬ、 そこは、淸明なる思想の、その住所の、 如何に純潔至愛なるを現はす處なり、   (三) 婉妖なる微笑、輝く色は、 美しき其頬及其額の上にありて、 軟かに靜やかに然かも有辯なり、 されど善良なる過去の月日を語る。 あゝ、下界の万物と平和なる心、 愛の天眞無垢なる情緒!   第十一、我は快活なる小兒たりしを願ふ   (一) 我は尚ほ山地《ハイランド》の岩窟に住み、 又は物凄き荒野を彷徨ひ、 或は恐ろしき暗碧の浪濤を横る、 快活なる小兒たりしを願ふ、 巍峩たる山岳の邊を喜び、 激浪奔騰する峭崖を愛する、 ※[#「にんべん+蜩のつくり」、第4水準2-1-59、倜]儻不覊なる自主自由の精神には、 浮華なる低地《ローランド》の裝飾ふさはしからず、   (二) あゝ運命よ、此等文化の邦土を元とに歸し、 華美に響く此名稱を取戻せ! 我は卑屈淺薄なる人工を厭ひ、 權威に阿附する奴隸を惡む、 澎湃たる太洋の荒波轟く、 千山万嶽の中に獨り我を置け、 我は只だ昔我が若かりし時知れる、 懷かしき光景の中を再び彷はんことを欲す、   (三) 我が生年は僅少なれど猶ほ我は、 此世界は我が爲めに設けられざりしを知る、 あゝ幾多暗黑なる陰影は、 何故に避くべからざる人の死期をす隱すぞや、 我は嘗て祝福多き空幻の光景── 一種壯麗なる夢を見たり、 あゝ眞理!何故に御身の憎まれし光は、かゝる、僞善多き世に我を起せしぞよ。   (四) 我は愛せり──されど我が愛せしものは行けり、 友を持てども──我が幼時の友は去れり、 あらゆる既往の望みの過ぎし時、 あゝ此胸の淋しさや如何ならん! 例令酒宴の華美なる儕輩《とも》や、 只だ一時不快の念を散ずるとは云へ、 例令快樂は狂へる心を掻《か》き亂すとは云へ、 あゝ此胸や──此胸や──尚ほ寂寥たり、   (五) 權威、富貴、爵位によりて、 只だ友にもあらず、敵にもあらざる、 宴樂の侶伴を造りし人々の聲を聞くべく、 あゝ果して如何に懶《ものう》きことぞや、 歳月により感情により變ぜざる、 忠實なる僅少の人を再び我に與へよ、 斯くして我は夜半の友と、 喧噪の樂しみの只だ空名なる處を飛び去らん。   (六) 婦女、愛らしく美しき婦女! 我が希望、我が慰藉我が最愛なる御身! たとへ嬌艶なる御身の微笑は失神に更りしとて、 今や我が胸は如何に冷やかなるべき! 徳操の知る、又は知れる如き靜やかなる、 胸の平和滿足を得んが爲に我は、 些の嘆き些の憾みなしに、 此悲哀多く雜閙せる處を棄てん。   (七) 我は欣然として、人々の巣窟を去らん── 我は人類を憎まず、只だ避けんことを望む、 我は陰暗なる谿谷を要す、 その幽闇は我が陰鬱なる心にふさはしかるべし、 あゝ!斑鳩《ハト》をその巣に擔ふ、 羽翼を我に與へられしならば! あゝ我は蒼々たる天空を劈ざき、 飛揚し※[#「皐+栩のつくり」の「白」に代えて「自」、第3水準1-90-35、翺]翔して懷かしき平和に於てあらん。   第十二、嗚呼、それ等の爲めに泣け   (一) あゝ!バベルの流れによりて嘆かれたる其等の爲めに泣け、 その殿堂は廢頽し、その邦土は夢と消えぬ、 あゝ猶太の斷破せし竪琴の爲めに泣け、 悲哉彼等の神の居ませし處に今や無神者は往せり!   (二) あゝ何處にかイスラエル人は血にまみれし足を洗ふぞや、 何れの時かジオンの歌は再び温佳に聞ゆべき? あゝ猶太の好調は、その嚠喨の聲音に 躍りし心情を再び喜ばしめ得べきや。   (三) あはれ、天涯に飃泊する顛[#「眞+頁」、第3水準1-94-3、顚]沛流離の人々や、 如何にして御身等は自由を得、平和を得べき! 野の鳩は其巣を有し、狐は其窟を持ち、 人類は各其邦國を保てり! あゝ/\されどイスラエル人には只だ幽暗の墳墓あるのみ!   第十三、自然の祈祷[#「示+壽」、第3水準1-89-35、禱]   (一) あゝ光明の父! 天の偉大なる神! 御身は失望の呻吟を聞かれしや、 人間の如き罪惡は長へに許され得るや、 邪惡は祈祷[#「示+壽」、第3水準1-89-35、禱]によりて償はれ得るや。   (二) あゝ光明の父! 我は御身を呼ぶ! 御身は我が精神の幽暗なるを見られ、 燕雀の倒るゝをさへ知らるゝ御身は、 罪惡の死を我より遠けらる。   (三) 何等の聖社も、 何等の宗派も我は求めず、 あゝ我に眞理の道を示せ! 我は御身の全知全能を知る、 許せ、正せ、青春の過失を。   (四) 愚者をして淫社を拜せしめよ、 迷信者をして高堂を讃せしめよ、 幾多の僧侶牧師をして、 己が陰暗の君權を擴張すべく、 不可思議の説話を以て盡惑せしめよ、   (五) あゝ/\微弱無知なる人間は、 浮華朽ち易すき石材の殿堂に、 莊嚴なる造物者の大威力を幽閉し得るや、 御身の聖殿は赫陽の輝く處、 地球、太洋、蒼天は、 是れ無限なる御身の玉座。   (六) 人間はその種族を地獄に墮せしめ得るや、 語れ、凡て我に、 罪せられしその人は、恐ろしき、 暴風雨に死滅せざるべからざるかを。   (七) 同胞は滅亡すべく定められ、 その精神は異なる望を供へ、 教訓は少しも鼓吹せられざるに、 尚ほ人々は樂園に達せんと僭望し得るや。   (八) 説明すべからざる信條にによつて、 空想の歡苦を豫め定め得るや、 大地を匍匐する昆虫は、 如何で雄大なる神の宿志を解さんや。   (九) 唯だ自己の爲めにのみ生き、 日々罪惡の上に漂へるもの─ 信仰によつて、罪、償はれ、 如何で無涯のタイムを越へて生活し得んや。   (十) あゝ父よ、 我は何等豫言者の法則を追《もと》めす─ 御身の法則はあらゆる、 自然の事物の上に現はる─ 我は己の不純と淺薄を知る、 されど或は、 滿腔の熱誠を以て御身に祈る!   (十一) 無限無邊の大空を通じて、 燦然として彷徨へる星辰を導き、 物質の爭ひを鎭め、 我が歩む極より極に遍在する御身!   (十二) 慧智を以て我を此處に置き、 欲する時我を取り去り得る御身、 あゝ!此定めなき地球を踏む間、 御身は茫漠なる擁護を我に廣む。   (十三) あゝ我が神! 我は御身を呼ぶ! 如何なる福社悲哀起るとも、 我の盛衰榮枯は只だ御身の命のまゝ、 我は只だ御身の保護に任せんのみ。   (十四) 若しや此塵土は塵土歸せしとき、 我が精神は青空に浮揚するならば、 如何に御身の榮光ある名聲は崇拜せられ、 か弱き其音調を歌ふべく鼓吹せん!   (十五) さはれ、此悲走する精神は、 土石と共に永刧暗黑の墳墓に埋められ、 盡未來際、忌むべき死を出づる能はざるも、 生氣の迸する間、 我は飽迄で御身を祈らん。   (十六) 我は過ぎにし御身の恩惠を謝さんがため、 我が無力淺弱の詩琴を彈ぜん、 あゝ我が神よ我は遂に、 この汚れ多き人世を去らんことを欲す!   第十四、カロライン孃(二)   (一) 御身の斯くも暖かなる愛情を述ぶるを聞きし時、 愛人よ、我は信ぜずとは決して思はず、 そは御身の唇は疑心を止め而して又 詐かれぬ光を湛ふるが故なるべし。 御身の目は   (二) されど尚ほ、此溺愛する胸は憧憬《あこがれ》の最中《もなか》に、 愛の、木の葉の如く凋落せざるべからざるを憾み、 記臆は愁然として涙を流し、 その青春の光景を追想する年月の來るを悲む。   (三) あはれ美しき綠の毛髮の色褪せて、 微風に淡く淋しく打靡き、 その髻《もとどり》に交ぢれる白浪は、自然の 衰殘の餌食なを證するの時必ず來るを憂ふ。   (四) 神はあらゆる生物の運命として定めし宣告を、 例令我れ、決して擅まゝに冐さずと雖ども、 一度は御身より我を奪ふべき死の爲めに、 愛人よ、我が形態は陰闇に掩はるゝぞよ、   (五) 可憐なる懷疑者よ、情念の原因《もと》を誤る勿れ、 御身の戀人の心は必らず侵し得るなり、 彼は忠實なる信念を以て御身の容姿を崇拜し、 御身の一涙一笑能く彼を哀樂せしむるの力あり、   (六) あはれ愛人—死は早晩我等を追及し、 離れずと誓ふ我等の胸と胸は、 強風地球の懷《ふところ》に横はる死者を呼び、 我等を覺醒するまで墓に眠らざるべからず。   (七) あゝ!さらば能ふ限り、我等をして 情緒より迸する快樂の不斷の流を盡さしめよ、 我等をして心ゆくばかり愛の祝福多き酒盃を周過せしめよ、 下界にある、あらゆる美味佳香を飽食せしめよ。   第十五、ヨルダンの河岸   (一) ヨルダンの河岸にアラブの駱駝彷ひ、 シオンの丘上に僞神の信者祈り、 バールの崇拜者はシナイの絶壁に禮拜し─ されど其處に假令其處にさへ─ あゝ神は!御身の電雷は眠るなり。   (二) 其處は─御身の指の扁石を焦がす處、 其處は─御身の影の御身の人民を照す處! 御身の光榮は火焔[#「火+陷のつくり」、第3水準1-87-49、焰]の飾裝に被はれ、 御身自身─生者も見ず又減ぜず!   (三) あゝ!電光に於て御身の瞥見を現はし、 虚壓者の碎けし手より其槍を取れ、 如何に長く御身の邦土は虚壓者に蹂躙されしぞや、 如何に長く御身の殿堂は落莫たりしぞや、あゝ神!   第十六、婦女 (底本のページ欠損) 實に、永遠の金言なるべし。   第十七、二人の別れ   (一) 胸の縋《もつれ》を、一言《ひとこと》も、 語らで別れ、あはれ唯だ、 落つるは、玉か將た涙、 如何に春秋、送らんと。 離別の後を、つく/″\と、 思へば胸も、はり裂くる。 花にも勝《まさ》る、汝《なれ》が頬《ほほ》、 あやしき迄でに、色あせて、 送るキツスの、冷やかさ、 まこと思へば、そのときに、 悲しき今日《けふ》の、前示《さきだつ》と、 神ならぬ身の、なさけなや。   (二) 東の空《そら》の、ほの/″\と、 曙《あ》けゆく朝に、置ける露、 憂ひになやむ、我が身には、 霙《みぞれ》の如く、冷やかに── 今の嘆《なげき》の、知らせかや、 つれなく觸れぬ、我が頬に、 嬉しき汝《なれ》の、誓ひごと、 凡てあとなく、破《や》れ果てゝ、 優しき汝の、その譽《ほまれ》、 今や早や、いと、輕浮《かろ》やかに、 聞きて、我が耳、汝が名を、 ひそかに耻ぢぬ、胸の内。   (三) 彼等は呼びつ、我が前に、 呼びつ彼等は、汝の名を、 我れには響く、弔鐘《かね》のごと、 我は慄戰《ふる》ひぬ、しかすがに── あゝ如何なれば、その初め、 月も羞らふ、其姿、 かくも可愛ゆく、汝ありし、 彼等は知らず、我れの名を、 汝をよく知る、この我れを── あゝ/\我は、悲しまん、 可憐《いと》しかりける、汝の爲め、 語るに深き、その煩悶《なやみ》。   (四) 我等は逢ひぬ、ひそやかに── 我等は嘆げゝり、靜やかに、 月とも花とも、めでたりし、 汝の眞情《まごゝろ》うつろひて、 汝の心の、變りしを、 あはれ何時《いつ》の世、何處にて、 懊惱《もだ》ゆる我の、汝に逢はゞ、 如何に語らん、この胸を── 千々に亂るゝ、此胸を── あゝ沈默と、熱涙と! あゝ沈默と、熱涙と!   第十八、時《タイム》   (一) 時!その專擅の羽翼の上に、 轉變常なき歳月は走らざるべからず。 その遲き冬と、速かなる春とは、 されど、我等を死《し》に驅追するなり──   (二) 我が誕生に於て、御身を知れる萬物に知られし、 それ等の恩惠を附與せし御身を祝す! されど我は今、獨り其重量を擔ふか故に、 我は御身の重荷を保持するこそよけれ。   (三) 一人の愛者の胸も、我は、御身の與へし、 苦悶の瞬間を分けざるべからざるを欲せず。 御身は我が愛するあらゆるものを惜しむが故に、 我は御身の平和又は天國にあらんことを望む。   (四) 我が愛するものには慰安ありて我は、 御身未來の不幸に惱まされざるべし、 我の御身に負ふものは只だ年月のみ、 その負擔は既に/\苦痛にて返償せり。   (五) 尚ほ其苦痛さへ稍慰藉なりき、 そを感じたるも御身の威力は忘却せり、 悲哀の強き苦悶、懊惱は、 遲けれど決して時日を算せず。   (六) 我は喜悦に於て御身の趨走の即ちに、 速より遲に下るべきを思ふて太息せり、 御身の雲霧は光明を掩ひ得るも、 夜に悲哀を増し得ざるなり。   (七) 如何にわびしく陰沈なりと雖ども、 我が精神は御身の天空にふさはしかりき、 一星は獨り閃光を發して、 御身の無窮にあらざるを證す。   (八) その光輝も沈みて今や御身は、 凡て無氣力にして區々たる部分故、 數へられ詛はるゝ空虚の無能物と變じ、 萬物に惜哀せられ講説せらるゝに至る。   (九) 或る光景は御身と雖ども變形し得ず、 そは未來の漂泊者の、熟睡の爲に、 我等の知り得ざる暴風雨を擔ふ時、 御身の遲速の制限なり。   (十) 御身の晴らし得るあらゆる怨恨の、 無名なる一石の上に倒れざるべからざる時、 如何に弱く容易しく御身の努力の、 示さるべきかを思ふて我れ微笑し得るなり。   第十九、希臘の戀愛歌(一)   (一) あゝ!戀愛は尚ほ決して、 苦悶、悲哀、疑惑なき能はざりし、 そは不斷の嘆息を以て我が心を苦しめ、 尚ほ晝夜は光なく淋しく轉ずるなり。   (二) 我が悲哀を慰むる一人の友なく、 我は、我は寧ろ無情の風に打たれて死せんことを欲す。 戀愛の箭矢を有するは我能く之を知る、 あゝ!されどそは餘りに深く毒附けられたり。   (三) 小鳥よ、戀愛の屡[#「尸+婁」、第3水準1-47-64、屢]御身の來る處に置きし、 網を尚ほ自由に避けよ然らずは、 彼の不幸なる熱火に圍はれて、 御身の胸は燒け御身の望は絶え果てん。   (四) 我も甞ては樂しき幾年《いくとせ》の春、 自在なる羽翼を有する小鳥なりき。 されど悲しや巧みなる羅網《わな》に捕はれて、 我は燒けて今や力なく此處に羽ばたきす。   (五) 戀せしことなき人、空《あだ》に戀せし人は、 情《つれ》なき拒絶《こばみ》、蔑しむ目眸《まなざし》、 怒れる戀愛の一瞥に宿る閃めき等の、 苦悶を感じ得ず又憐れみ得ず。   (六) 諂ひがちなる夢に、我は御身を戀人と思ひぬ、 されど今や望と望める彼は衰へたり、 融くる石臘の如く、凋む花の如く、 我は我が情念と御身の勢力を感ず。   (七) 我が生命の光!その笑《えみ》なき唇と目は、 あゝ何故の變化ぞや、 戀愛の我が小鳥!我が美しき友! 御身は變りしが而して厭ひ得るや。   (八) 我が目は冬の流の如く冷かに溢る、 如何なる薄命の人が我と悲哀を變へんと欲するぞ 我が小鳥!憐れと思はれよ、只だ一曲の歌は、 御身の戀人に生命を與ふる魔力を有するぞよ。   (九) 流れぬ我が血潮と、狂へる我が心とを、 沈默の悲痛の中に我は僅かに支ふ、 而して我が胸は破れつあるに、尚ほ御身の胸は、 些の苦悶もなく喜び躍るなり。   (十) あゝ御身、恐れず激毒を我に注げ! 御身は今よりも劇しく我を虐殺し能はず、 我は我が生日を呪はんが爲めに生きぬ、 而して戀愛は斯くも殺害を延べ得るなり。   (十一) 痛痕《いたで》を負ひし我が心、血潮滴る我が胸、 忍耐は汝に慰安を與へ得るか、 あゝ/\!餘りに遲し、我は其喜びの 悲哀の先驅なるを熟知せり。   第二十、御身は僞ならざれど變り易し   (一) 御身の深く愛する人々に、 御身は僞ならざれど、變り易し、 強いて流せし御身の涙は、 變り易すき心よりも遙かに苦《にが》し、 御身の悲しむ心情《こゝろ》を破るは、 御身の愛し過ぎて─忘れ易すきが故なり。   (二) 其|心情《こゝろ》は凡ての僞を嫌ひ、 虚僞と虚僞者を厭ふ、 されど飾なき心を存する女は、 その愛優しく眞實なり── 誠に愛せし人は彼女《かれ》戀ゆる時は、 新に我れ感ぜし如く、感ずるなり。   (三) 嬉しき夢を見、醒めて後嘆ずるは、 生者愛者の避くべからざる運命《さだめ》なり、 而して假令翌朝に自覺《さと》りしとて、 醒めし心は一層淋しさを感じ、 只だ睡眠のみ僅かに慰むるとの、 その想像を我等は許し難し。   (四) 空虚《あだ》なるまぼろしにあらざる、 眞實にして優しき愛情を懷く其人を、 如何に人々に思するならん、そは恰も、 獨り夢に於てのみ樂しみ得し如きものか、 あゝ斯の如き憂愁は想像の假計にして、 あらゆる御身の變化は只だ夢幻に過ぎざるのみ!   第廿一、冷靜《コールド子ツス》此惱める肉體を蔽ふ時、   (一) 冷靜《コールド子ツス》、此腦める肉體を被ふ時、 あゝ!不生不滅の精神は何處を彷よふぞや、 死せず、止まらず、されど、 朽ち易すき塵埃を後に殘して去る、 斯くも肉體を離れて、一歩又一歩、 あらゆる星辰の天道を辿るるか、 然らずば萬物を監視する眼目なるもの、 直ちに空間の全面を滿たすならん?   (二) 無限、無邊、無窮にして、 天地間の森羅萬象を見得る、 無形なる一思想は、 あらゆる萬物を監視し、召喚す、 過去の事に屬し朦朧と記臆に宿る、 種々の微弱なる形蹟を、 精神は一瞥して如何を見、 既往の凡てを瞬間に明白にす。   (三) 物造者地球に人類を住せしむる前、 その眼目は混沌たる幽冥を廻轉し、 至高の天空の生せし處に、 精靈はその上昇する行道を索《もと》め 未來の損傷し又は造作する處に、 生成すべき萬物を通じて其瞥見を擴め、 而して太陽は滅せられ、軌道は破られ、 永遠に動かざるものとなる。   (四) 天、愛、望、憎、恐、は、 凡て純潔淸明にして冷やかに生き、 歳月は地球の歳月の如く流れ、 一年は一分の如く速かに走るなり、 遙か/\、一の羽翼なくして、 萬物を越へ、萬象を通じて、 死すべきものなるを忘れつゝ、 無名無涯なる其思想は飛び行くなり。   第廿二、去れよ、去れよ、汝悲哀の曲   (一) 去れよ、去れよ、汝悲哀の曲! 嘗ては慰藉の調なりし汝、默せよ、 然らずは我れ此處より去らん──あゝ何の爲め! 我は再びその、調音を信ぜず、 それ等は我に既往の樂しき月日を語る── されど、今やその管弦を鎭めよ、あゝ何の爲め! 我は考へず、我は見得ず、 我が現在を──我が既往を。   (二) その調音を一層樂しからしめし聲は、 既に沈まりしが故に、あらゆる其優婉は去りて、 靜かなりし其曲や今や、 死者に對する悲歌となり讃美歌となる! 然りズールザーの呼吸は、 塵土を愛せし!汝が塵土となりしより、 甞ては麗はしく妙なりしものも 我が胸には實に/\不快の曲となりぬ、   (三) 凡ては鎭まれり──されど我が耳には、 深く記臆に印されしその、響音強く鳴り渡り、 我は聞くを欲せざる聲、 靜かなるを望ましき聲を聞きぬ、 尚ほ屡[#「尸+婁」、第3水準1-47-64、屢]我が疑深き精神は震はんとして、 夢幻の中にさてその軟かなる調を認め、 例令夢去るもそを聞かんと、 我が意識は空無《あだ》に目醒むるなり。   (四) 優しきズールザ!睡眠中に於ての醒むる、 汝は今や只だ一の愛らしき夢なり、 蒼空に輝く星は、 その温和なる光を地球より反映す、 されど人生の險惡なる道を辿らざるべからざる彼は、 皇天怒憤に掩はれし時、 彼の行路に喜悦を散ぜし、 消へ去りし其光線を長く/\悲しむならん。   第廿三、若く麗はしくして御身は逝きぬ   (一) 死すべき生物のそれの如く、 御身は若く麗しくて逝きぬ、 かくも優しき姿と類《たぐひ》稀なる美を持ちながら 餘りに速に地球に歸れり! 例令地球は其寢床を受け、 群集は喜ばしく快活に、 その土の上を横ぎると雖ど、 其憤墓を只暫しなりと、 見るに忍びぬ一の目眸《まなざし》あり。   (二) 何處に御身の美しき死屍《むくろ》は横はりしかを問はず、 我は又其憤墓を見んことを望まず、 如何に花木雜草多く生ずるとも、 我はそれ等を見ざるなり、 愛せしもの、長く愛すべきもの[#「愛すべきもの」は底本では「愛すべきのも」]、 一般生物と均しく朽つべきことを、 その我に證するに餘りあり、 我は何等過去思ひ出の石碑を要せず、 我が斯くも深く愛せしものは空無《ナツシング》なり。   (三) 過きし永き年月寢りもせず、 今も尚ほ變らざる、 御身に劣らず熱心に、 我は御身を最後までも愛しぬ、 返らざる死ゆへ終りし戀愛は、 敵も奪ひ得ず、年も薄らげ得ず、 又は虚僞も非認し得ず、 我が身に於けるあらゆる過失變化は、 御身見るを得ざるなり。   (四) 我等は嘗て幸福なる生涯を送りき、 不幸なる歳月に惱むは只だ我のみ、 花やかなる太陽、物凄き暴風雨は、 最早や御身のものならず、 夢なき平和の睡眠を、今や 我嘆かんには餘りに多く羨めり、 あらゆるそれ等の艶美は過き去るも、 長き衰殘の行程を守り得たらんと、 我れ決して/\追惜せず、   (五) 絶美なる滿開の花は、 風雨之を散らす速かなり、 何物も不時に奪はざるに、 樹葉は朽ちて地に落ちざるべからず、 さはれ、一葉又一葉、衰殘するを見るは、 一時に摘み取るを見るよりも、 いと/\悲しみ多き事なりき、 故に美より醜に變ずるを告んには、 世例の我等の目には實に忍ぶに難し。   (六) 我は御身の艶美の衰ふるを、 見るに忍びしか否やを知らず、 斯かる朝に從つて來る夜や、 その影や甚だ深く淋しかりき、 御身の生涯は悲しみの雲なくして過ぎ去れり、 恰も、空を流るゝ星辰の、 天より下るとき其光一層淸きが如く、 御身は最後までも愛らしく、 衰頽せしにあらずして消え失せぬ。   (七) 我は御身の枕邊に夜もすがら坐して、 再び親しく見守り能はざるを思ふて、 我は泣きぬ、あらゆる涙の内、 我が涙は濺ぐに尤もふさはしからん、 我が胸に優しく御身を抱き、 御身の垂れかゝる頭を擧げて、 我も御身も又と感じ得ざる、 切なき愛を現はし、 御身の美しき顏を見たらんには、 あゝ/\如何に愛らしく嬉しき事ならん!   (八) さはれ、例令御身は我が自由のものなりしとも、 尚ほ殘る最愛のもの得んには、 斯く御身を記臆するよりは、 如何に僅少なる事なるぞ! 幽暗なる永刧《エターニチー》を通じて、 決して滅せざる御身のあらゆるものは、 再び我れに返り來り、 存生の多幸を除きては、 世の何物よりも葬られし御身の愛は一層深く尊し。   第廿四、印度人の歌調   (一) あゝ!我が淋しき淋しき──淋しき──枕! 我が懷しき戀人は何處《いづく》ぞよ、我が戀人は何處ぞよ、 恐ろしき我が夢に見しは彼の帆船なるや! あゝ遙か──遙か彼方《かなた》に!而して波のまに/\漂ひて!   (二) あゝ!我が淋しき──淋しき──淋しき枕! 彼の優しき額を置きし我が頭《かうべ》は何故痛むぞや、 あゝ如何に長き夜もすがら哀れに弛《たゆ》みて、 我が頭《かうべ》御身の上に楊柳の如く垂るゝにや──   (三) あゝ! 御身我が悲しき侘《わ》びしき枕! 願はくは斷腸の思ひを和らぐる優しき夢を送れ、 覺《さ》めつゝ御身の上に濺ぐ我が涙の報いとして、 波を打ち越へて彼の歸るまで我を死なざらしめよ──   (四) さはれ御身若し彼を見んと欲せば、 一度なりと再び此腕に懷かしき彼を抱かしめよ、 我は嬉しさの餘り死すとも憾みなし! あゝ!我が侘《わ》びしき胸!おゝ我が淋しき枕!   第廿五、ヘロードの嘆き   (一) あゝマリアン!今や御身故、 御身を血濡らせし胸は破れつゝあり、 怨恨は苦悶の爲め失はれて、 憤怒は變じて劇しき侮恨となりぬ、 あゝマリアン!何處《いづこ》に御身はゐますか、 御身は辛《つ》らき我が辨疏[#「足へん+流のつくり」、第4水準2-89-31、䟽]を聞き能はず、 あゝ!御身若しも聞き得るならば── 假令皇天我が願を顧みずとも、 あゝ今や御身は此の我を許すなるべし。   (二) あはれ、彼女《かれ》は死せしか──彼等は我が、 狂ひて猜怨深き憤怨に服したりしや、 我が怨は唯だ我が身の失望となり、 彼女《かれ》を打ちし刄は今や我が頭に搖曳せり── さはれ虚役の憂目に逢ひし我が薄命の愛人! あゝ御身の死體《むくろ》は早や冷やかなり、 而して我が幽暗なる此胸は、 獨り天國を飛行し、我が心を救ふに足らぬものとして、 後に殘こせし御身を空幻に憧憬しつゝあり。   (三) 甞ては我が王冠を分けし彼女《かれ》は逝《ゆ》けり、 彼女は我が快樂を葬りて沈めぬ、 我が猶太の幹莖《みき》より其花を拂ひしが故に、 繁れるものは只だその梢葉のみ、 我が心は罪人にして我が身は地獄なり、 此胸の荒廢は定罪《さだめ》にして、 盡せども/\尚ほ盡きざる、 此等の苦痛と此等の煩悶とを、 あゝ我れ受けしは實に當然の事なるぞ! [#ここから1字下げ] マリアンはヘロド大帝の妻にして絶世の美女なり、不幸にして不具なりとの嫌疑を受け、夫はヘロドの殺す處となる。ヘロド後侮恨遣るかたなく遂に發狂するに至れり。 [#ここで字下げ終わり]   第廿六、カロライン孃(三)   (一) あゝ!何れの時か墳墓は、 我が悲哀を永遠に葬るならん、 あゝ!何れの時か我[#「我」は底本では「或」]が精神は、 此肉體より飛翔し得るぞや、 現在は地獄にして來るべき明日は、 新なる苦悶と共に今日の呪咀を持來る。   (二) 一滴の涙も我[#「我」は底本では「或」]が眼より流れず、 何等の呪咀も我が唇より出でず、 我は祝福より我を投げ出せる敵を憎まず、 何となれば斯の如き苦痛に際し、 愁然として女々しき悲哀を繰返すは、 これ精神の薄弱なるが故なればなり。   (三) 我が眼は涙に更ゆるに、 劇げしき憤怒の火花を以て輝きなば、 我唇は、何等の流も鎭め得ざる、 強き火焔[#「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87、㷔]を呼吸するならん、 我が燃ゆる目眸《まなざし》は怨恨にて敵を射、 激怒を以て我が舌は其憤を恣にせん。   (四) されど今や涙と呪咀とは、 均しく効なくして只だ、 我等の壓制者の精神に歡喜を増すなるべし、 悲しき我等の別れを、 彼等平然として見得るならば、 無情なる彼等の心情は、それを見て喜ばん。   (五) 例令我等に飽かぬ離別はせしものゝ、 されど、尚、人生の光は、 何等の喜悦も我等に與へ得ず、 此世に於ける愛と望とは、 何等の慰藉も持來さず、 人世は我等の恐懼にして墳墓は我等の希望なり。   (六) 此世に於て、戀愛と友情とは、 永久に過ぎ去り逃れ去りぬ、 あゝ!何れの日か彼等は、 墳墓に我を置かんとはするぞ、 若しや幽瞑に於て我れ再び御身を抱くとも、 彼等は死者までも惱すことなかるべし。   第廿七、若き友   (一) 例令只だ名に於てなりと云へ、 嘗て御身と我と斷金の友たりしより、 落花流水早や數年を過きぬ、 されと快活なる少年時代の眞實は、 長く我等の感情を尚ほ變らずに保てり。   (二) 然し御身は我の如く瑣々たることも、 屡[#「尸+婁」、第3水準1-47-64、屢]々友情を追想するを餘りによく知れり、 而して一度愛せし人々も多くは全く、 其交情を忘却すること餘りに速かなり。   (三) 友情は實に斯の如き變化を現はす、 脆弱は青春期の友誼の常にして、 一月の短き經過恐らくは只た一日なりとも、 御身の心は再び疎遠となりしを見得るべし。   (四) 果してその如しとすれば、斯の如き友情を失ふとも、 我れ決して悲しむを要せざるなり、 御身をかくも浮薄にせしは、 我が過失にあらずして自然の過失なりき。   (五) 變化多き太洋の潮流の鼓動すると均しく、 人間の感情は斷えず弛張するなり、 欝勃たる熱情の燃ゆる胸に、 誰か信託の重きを欲するものあらんや。   (六) 例令共々養育せられざるも、 少年時代は確かに樂しき月日なりき、 我人生のなつかしき春は速かに過ぎ去りて、 御身も又最早少年にあらざるなり。   (七) 我は花やかなる青年に別を告げて、 僞善的なる浮世の支配に從ふ時、 悲哉我等は眞理に離別し、而して 浮世は純潔にて尊ふとき心を汚すなり。   (八) あゝ嬉しく樂しき年月や! 心、敢然としてあらゆる事物を服せんとする時、 思想は語らざるに自由にして憚る處なく、 淸く麗はしきその眼に輝く時。   (九) されど人は成年期に達すれば 自身は只だ一種の器具に過ぎずして、 利害は我等の希望と恐怖を左右し、 あらゆるもの皆器械的に愛憎せざるべからず。   (十) 我等は類せる惡徳に於て均しく、 痴愚を以て遂に過失と混同するを學ぶ、 而して此等の人々は獨り只だ、 友人なる忌むべき名稱を得らるゝなり。   (十一) 斯の如きは普通人間の常習なり、 さらば我等は此愚行より免れ得るか、 又は此一般の方法を覆へし若しくは、 避くべからざる自然の慣勢抗し得るや。   (十二) 否、我に於ては人世のあらゆる方向に於て、 我が運命はいと/\暗黑なりき、 我は人類と此世を憎むこと甚だしく、 此光景を棄つるも些の憾みなし。   (十三) されど御身は螢の如く夜中光れども、 太陽の赫耀たる輝きに堪へざる如く、 輕佻にして浮薄な心を以て、 須し輝くと雖ども忽ちにして消え去らん。   (十四) あゝ悲しむべきかな!愚行の、 王侯と侫者と會する處に呼ばるゝ時や、 王宮に於て第一に寵愛せらるれば、 歡迎の惡徳は親切に、會釋するなり。   (十五) たとへ今なりとも、御身は夜々 侫媚する人々に一の昆虫を加へ、 尚ほ御身の輕薄なる心は虚榮者を喜び惘慢者を好む。   (十六) 快活なる花壇を飛ぶ、 己が味ひ得ざる花を染むる蠅の如く 御身は熱心なる早さを以て媚笑しつゝ、 美より美へと斷へず飛び移るなり。   (十七) されど如何なる幸福の乙女の、 卑濕の蒸氣搖曳する如く、 婦女より婦女に飛び行く、 愛の燐火とも見る焔[#「火+陷のつくり」、第3水準1-87-49、焰]を得ることぞ?   (十八) よしや愛せしとは云へ、如何なる友人が、 御身の爲めに親切なる注意を得んと務むるや、 如何なる人が、愚人も得る友情故に、 その男らしき心を貶するものあらん!   (十九) 時日を忍べ、群集の中にも最早 斯の如き卑賤なるものは見られず、 斯の如く怠惰に過ぎ去らず 正しくふさはしき確實のものとなれ。   第廿八、御身は幸福なり   (一) あゝ!御身は幸福なり、而して我は、 斯く又幸福ならざるべからざるを思ふ、 是れ我が心は、以前爲したりし如く、 尚ほ只管御身の福利を願へばなり。   (二) 御身の良人は祝福せる──而して彼の、 一層幸福なる運命を見れば幾何の苦惱なき能はず、 さはれそを顧みる勿れ──彼若し御身を愛さざれば、 あゝ!如何に我は彼を憎むならん。   (三) 近來、我れ愛らしき御身の子を見し時、 我が心は猜怨の念に破るゝならんと思へり、 されど無邪氣なる其子の微笑せし時、 我はその母の爲めにそを接吻しぬ。   (四) 我はそを接吻せりし而して我はその顏の、 父に似たるを見て、強いて吐息を抑へぬ、 されど母その儘の眼を見し時、 我は何となく切愛を感じたりき。   (五) メリーさらば!我は去らざるべからず、 御身の幸福なる間は我は悲しまざるべし、 さはれ我は御身近く止まり能はず、 我が心は忽ち又、御身のものとなるべければ。   (六) 我は其時、其華奢は、遂に、 我が小兒らしき情火を滅せしと思ひぬ、 我は御身の傍に坐せしまで、希望を除きては、 我が心全く同一なるを知らざりき。   (七) 尚ほ我は靜かなり、我は我が胸の、 御身の前に震はん時を知りき、 されどそは今や一の罪惡となりぬ── 我は會へり──さはれ我が心些も動かざりき。   (八) 我は御身の我が顏を見詰むるを見し、 されど何等の感動もあらざりき、 御身は唯一の感情── 失望の淋しき靜けさを辿り得べし。   (九) 去れよ、去れ、去れ!我が既往の夢、 記臆も再び覺むべからず、 あゝ!幻影のそれにも似たる忘川《リース》は何處にかある、 はかなき我が心や靜かなれ、然らずは破れなん。   第廿九、希臘西の戀愛歌(二)   (一) 美しく愛らしきハイデー、 我は毎朝|花神《フロラ》の休息する、 薔薇の花園に入りぬ、 實に我は御身によりて彼を見たり、 あゝ可憐なるかな、我は斯くも御身に切願す、 希くは我が口舌より此甘き眞實を受けよ、 我が歌は御身を羨仰せんが爲め發せども、 何を歌ひしかを思ふて尚ほ我が聲は戰くなり、 枝は自然《子ーチユアー》の命により、樹木に 香氣と果實とを加ふる毎に、 彼女の眼と、容姿とを通じて、 若く麗はしきハイデーの心は輝くなり。   (二) されど戀愛、園亭を棄てし時、 愛らしき其花園は忌むべきものとなる、 我にヘムロツクを持ち來れ──雜草は花よりも、 香ばしきが故に我が花園は快からず、 その毒の盃より注ぐ時は、 其杯を一層深く苦がくするならん、 さはれ御身の害惡を免れんとせば、 其飮料は我が心に甘かるべし、 あゝ殘忍なるかな、我は徒らにそれ等の恐怖より、 我が心情を救はんと御身に哀願せり、 御身は何物も我が胸に回復するものなきか、 さらば/\墳墓の門を開かれよ。   (三) 豫め勝利を確保して、 戰はんと進む軍人の如く、 斯くして御身は劍槍にも似たる眼を以て、 我が胸底深く刺し貫きぬ、 あゝ語れ、我が心!只だ笑により散じ得る、 苦悶故に我は死滅せざるべからざるか、 甞て御身の我れに抱かしめし希望は、 かくも甚だしく憂惱に對して報ゆべきや、 愛らしき然かも僞りのハイデー! 今や薔薇の花園は悲しきものとなりて、 あはれや花神も凋殘して休息し、 我と共に御身の不在を哀傷するなり。 ----------ここまで----------   第三十、詩神《ミユーズ》に別れを告ぐ   (一) 幼時より我を支配せし御身|威力《パウワー》 空想《フアンシー》の若き子孫我等は今や、 互に別れざるべからざる時なり、 故に我が心情より發出せる冷《つめ》たき流なる、 此最後の詩歌を疾風の上に揚げよ。   (二) 最早歡喜を感ぜざる此胸は、 放恣なる御身の音調を鎭め、 又は歌はんと御身に切願せざるべし、 御身に高翔を教へし幼時の感情は、 遙か/\無情《アパシー》の羽翼に於て飄ひぬ。   (三) 粗暴に響く我が詩琴の樂旨は、 例令單調無趣味なりとは云へ、 尚ほ此樂旨にさへ永久に別れぬ、 我が夢の鼓吹せし眼は最早や輝かず、 悲哉我が幻影は又と再び飛揚せずなりぬ、   (四) 酒盃を喜ばせし飮料の涸らさるゝ時、 延ばさんと欲する努力や如何に無益なるべき! 我が精神中に宿りし美の、 一旦冷靜となるや空想《フワンシー》の、 如何なる魔術か我が詩歌を伸べ得べき?   (五) 荒野に於て獨り、唇は戀愛《ラブ》を歌ひ、 今や棄ざるべからざる微笑と接吻を歌ひ、 又は既に過ぎ去りし月日を、 安然として喜び居るものなるや、 あゝ否!此等の月日は今や我が者にはあらざるなり。   (六) 我が深く愛せし友を彼等は語り得るか、 あゝ慥に愛性は詩歌を崇高にす! されど我は最早や再び、 彼等を見んと望み能はざる時、 如何に我が調節は同情に於て動くぞや。   (七) 我は我が祖先の爲せし行爲を歌ひ、 父祖の名譽の爲に、 我が調高き竪琴を彈じ得んや、 あゝ如何に彼等の光榮には我が調や弱からん! 英雄の功績には如何に我が情火や適せざらん!   (八) さらば、我が詩琴は、 觸れずして一陳の疾風に應ずべし── そは靜められ、我が弱き努力は盡きぬ、 而して、それ等を聞きし人々は、其低音の、 再び響かざるを知らば、既往を許すなるべし。   (九) 前《さ》きの愛情と戀愛の曇りなば、 その粗莽なる節調は直ちに忘れられん、 あゝ!我が運命は祝福され、 我が宿命は至幸にして我が愛の、 最初の歌調は最愛にして最後のものなりき。   (十) さらばよ、我が若き詩神《ミユーズ》! 我等は今や再び逢ひ得ず、 我等の詩歌は弱かりしも僅少なり、 願はくは、我等をして、永劫の離別を封ずる、 此現在は、我は快からんと望ましめよ。   第三十一、高慢なる婦人   (一) あゝ思慮なき娘!何故に斯く、 他人の耳には無意義なることを現はすか、 何故に斯く御身の平和を破り、 將來の涙の種を造るや。   (二) あゝ輕卒なる處女、 只だ一時斯く爲めに語りし種々の愚事を、 憎むべき敵は潜に微笑しつゝあるに、 御身は反つて悲しむなるべし。   (三) 高慢なる娘!若し御身は、 少年の言を信ぜば御身の嘆は近けり、 あゝ、其深き誘惑より免れよ、 然らずは僞善なる掠奪者の餌食とならん。   (四) 御身は小兒らしき高慢を以て、 僞く爲めに人の發する言語を反覆するか、 若しも御身は強いてそを信ぜば、 平和希望御身の凡てを失ふべし。   (五) 御身は今や女の侶伴の間にありて、 再び慰藉の空談を語るとき、 然かも虚僞の無益に掩はんとする、 その現はるゝ嘲笑に、注意せざるや。   (六) 此等の空談は秘密なる沈默に終り、 公衆をして御身に注視せしめず、 如何なる謹深き處女か赤面せずして、 阿侫する遊冶郎の讃辭を繰返さんや。   (七) あらゆる愚なる自負を語り、 皇天は其目の中にありと考へ、 然かも些細の虚僞を見能はざる彼女を、 如何で嘲笑好きなる少年は蔑まざらんや。   (八) 此等青春の空談を語りて、 柔かき快樂を感ずる彼女に、 虚榮心の隱匿を防ぐる間は、 我々の言ひし又は書きし凡てを信頼せざるべからず。   (九) 御身は己が美の支配を重せば、そを止めよ、 何等の怨憎も我に非難を命ぜず、 されど高慢心より斯の如き人を、 我憐れめども決して愛し能はざるなり。   第三十二、丘上より遙に母校を臨む   (一) 汝、我が少年時代の光景や、 その懷かしき追想は、過去と比較して、 いとゞ現在を辛からしむ、 そこは學問の初めて反省力の上に曙《あ》け、 幻想の如き友情の構成されし處。   (二) そこは空想の、尚ほ、 友誼と惡戲とに合せし、 學友の面影を再び辿るを喜ぶ處、 汝の不滅の記臆は胸底深く止まりて、 希望拒むとも我如何に汝を歡迎するぞや!   (三) 我は再び、我等の遊びし丘岡、 我等の泳ぎし河流、 我等の戰ひし原野を訪ひ、 聖賢の教を聞かんとて集りし、 鈴鐘高く響きたる校舍を尋ねぬ。   (四) 我は再び夕暮の空淋しき頃、 獨り靜坐して永く/\/\、 瞑想の翼を恣にせし墳墓を見、 華やかなる夕榮の名殘を臨まんと、 我が彷徨ひし墓畔の高き懸崕を視たり。   (五) 我は再び、ザンガの如く、我の、 敗亡せるアロンゾを蹂躙せる處、 傍觀者の群集せる居室を眺め、 而してマソツプを凌駕せりと自讃せし、 我が青春の虚榮心を興起せんとす。   (六) 又は、リーアの如く、我は嘗て其處に、 己が娘の爲に奪はれし邦土と理性の、 深き/\呪咀を發言し、 聲高き讃美と自負に激せられ、 ガリツクの再生として自身を思ひたりき。   (七) 汝、我が少年時代の夢や、 如何ばかりか我は汝を追惜するぞよ、 汝の記臆は長へに我が胸に宿り、 例令悲哀寂寥なりといへ我は汝を忘れ得ず、 汝の快樂は尚ほ想像の内に止まらん。   (八) 運命、未來の蔭を轉ぜざる間は、 記臆は如何に屡[#「尸+婁」、第3水準1-47-64、屢]我をアイダに回復すべき! 見分け得ざる暗黑、 我が前面にある風景を掩ふてより、 過去の光輝は我が心に最も懷かしゝ。   (九) さはれ、我を待てる歳月の進行につれて、 よしや快樂の淸新光景目に映ずるとも、 此思想歡喜を以て我を鼓舞する間は、   「あゝ!斯の如き月日は、少年の際、既に/\知れるなり」と我は云はん。 さはれ、我を待てる歳月の進行につれて、 よしや快樂の淸新なる光景目に映ずるとも、 此思想、歡喜を以て我を鼓舞する間は、 「あゝ!斯の如き月日は、少年の際、 既に知れるなり」と我は云はん [#(九)が編集の問題か、二種類掲載されている。]   第三十三、戀愛   (一) 戀愛は河川の如く 永久に流れ、又は 時日《タイム》の努力も 無益のわざなるべきか── 何等他の快樂も 戀愛の樂しさに較《くら》ぶれば、 實にものゝ數ならず、 而して財寶の如く我等は、 その鏈鎖を愛しぬ、 さはれ、我等の悲しみの、 死に終らずして、 飛ばんが爲に造られて!、 戀愛はその羽翼を飾る、 故に此理由により戀愛を、 一の時候ならしめよ、 されど其時候は 只だ温和なる春たらしめよ。   (二) 戀人互に離別せば、 斷膓の感ありて、 あらゆる望みも破れ、 只だ死せんことを願ふ、 僅か數年以前、 あゝ!如何ばかりか冷やかに、 可憐《いと》しと思ふ彼女を、 彼等は眺め得ずば! 相共に結合せし際は、 如何なる月日にも 彼等は戀愛の羽翼より その羽毛を拔き取るなり── 春過ぎしとき、 羽毛なきが故に、 愁然として戰けど 彼は長く/\留まるべし。   (三) 叛徒の首領の如く、 彼の生命は活動なり── 彼の君權を拘[#「てへん+勾」、第3水準1-84-72、抅]束する 一種形式的契約は 彼の光榮を暗うし、 彼は暴君たらずして、 斯の如き領土を、 王冠と共に抛擲す、 されど/\進みつゝ 旌旗を翻へし 彼の威力を興揚して 彼は行動せざるべからず── 休息は只だ彼を飽食し、 退隱は彼を破滅し、 戀愛は衰殘せる王位を忍ばざるなり。   (四) 數年は過ぎ去りて、 而して然る時に、 夢の如く醒るまで、 戀人よ、待つ勿れ! 然し、相互の、 衰弱を嘆げきつゝ、 憤怒嘲罵を以て あらゆるもの惡むべく見へ── 然かも初めは漸衰すれども 尚ほ全く滅盡せず、 凡ての感情の困惱されて 損傷さるまで待つ勿れ、 若しも一旦衰へなば、 戀愛の君權は終りしなり── 然るときは友誼に於て別れ── 潔きよく離辭《わかれ》を告げよ。   (五) 斯の如く愛情は、 懷かしき連結を、 追想によりて 喜びを以て復活すべし、 疲れ、惡み、 御身の感念は靜止して、 飽食に至るまで、 御身は待たざりき。 御身の最後の懷抱は、 何等冷やかなる形蹟を殘さず── 均しく愛《いと》しき顏面《おも》は 既往と變りなく、 御身の慕はしき過失の 鏡なる眼は、 只だ歡喜を反映し──毫も續かざるなり。   (六) 實に飽かぬ離別は 忍耐も及び得ず、 如何なる絶望か それより起りしぞ! さはれ、尚ほ殘りつゝ 一度色青褪めて、 それ等の獄舍に反して 鼓動せし心臟は、 鏈鎖にあらずして何ぞや 時日《タイム》は只だ戀愛を飽かしめ、 有用は戀愛を破り能ふ、 羽翼を有せる小兒たる戀愛は、 只だ小兒にふさはしきものなり── 例令、鋭く、短かしとは云へ、 御身の喜びを滅失すべく、 御身はそを苦痛なりと悟るべし。   第三十四、我はバビロンの河岸に坐して泣けり   (一) 我等は、バベルの流の邊に座して泣き 而して我等の仇敵は、彼の殺戮の喚叫[#「口+斗」、呌]により、 サレムの高地を彼の餌食とせし日を思ひぬ、 あゝ汝彼女の娘等よ、 あらゆる悲嘆を遙かに離散せられしや。   (二) 下方に、奔放自在に轉流する河川を 愁然として我等凝視す時、 彼等は詩歌を要めぬ、あゝされど、 他人は決してその勝利を知らざるべし! 我等の高き竪琴《ハープ》を敵の爲めに彈ずるに先づ、 此右手は永遠に衰殘さるゝならん!   (三) その竪琴は揚柳に懸けらる、 あゝサレム!その調音は自由なるべし、 而して汝の光榮の滅盡せる時日は、 されど我に汝のその表兆を殘せり、 我は其軟らかなる奏音に、 決して掠奪者の音聲を混ぜざるべし。   第三十五、闇黑《ダーク子ツス》 我は嘗て一の夢を見ぬ、 さはれそは全く夢にもあらざりき。 赫燿たる太陽消え果てゝ、幾多の星辰は 無涯の空間の中を淋しく彷徨ひ、 光なく、道なく而しての氷如き地球は、 朦朧と月なき空に漂ひぬ、 朝は來りて又た行けり──來れども日は來らず、 人々は此暗澹たる荒凉を、 恐ろしと思ふの念を忘れ、 あらゆる心情は只だ光輝を望む 一種自己的祈願に戰慄せり、 而して彼等は警火によりて生活し── 玉座、帝王の宮殿──茅舍、 その他、人の住する數多の家屋は、 凡て烽火として燒かれ破《こぼ》たれ、 あらゆる都市は滅盡せられ、 人々は尚《いま》一度なりとも相互に、 其顏を見合はんと燃えつゝある、 それらの家屋の周圍に群集しき 噴火山の中心及び山火の中に 住居せる人々は幸福なり、 一の恐るべき希望は全世界を包含しぬ、 森林原野は火を放たる──されど 一時又一時それ等も燒け盡して── 鳴り響く樹幹も、一の激しき 音に消えて──四面暗くなれり。 人々の額は、餘燼の光に、 異常なる不可思議の容貌となり、 一閃一滅、光はそれ等の上に物凄く落ちき、 或者は倒れ伏して其眼を掩ひて泣き、 或者は堅く握りたる手の上に、 その願を置いて休みつゝ微笑し、 他の者は彼方此方と急ぎ廻りて、 屍を燒く柴堆に薪を加へ、 過ぎし世界の柩衣なる幽暗の空を 物狂はしき不穩を以て見上げ、 而して又、忌々しげに身を塵埃に抛げ、 齒を喰ひ縛りて力なく喚《うめ》きぬ、 野鳥は怪しく叫[#「口+斗」、呌]びて、懼れて、 その無用の羽翼を地上にはゞたきし、 猛獸は馴れて戰き來たり、 虫蛇は自ら、群衆の内に纒卷し、 叱聲を發せども刺針なく── 食物として人々に投されたり、 戰亂は最早瞬時あらずして、 再び自身と飽食し──一食は、 血液を以て購はれ、慘憺の中に 各く沈欝として離れ坐して貪食し、 何等の愛情も影を留めず、 あらゆる地球は只だ一の思想なりき── そは不面目なる迫れる死にして、 飢餓の苦痛は凡ての内臟を食ひ── 人々は死して其枯骨は 肉も均しく墓もなく横はり、 瘠痩[#「やまいだれ+嫂のつくり」、第3水準1-94-93、瘦]者は瘠痩[#「やまいだれ+嫂のつくり」、第3水準1-94-93、瘦]者の爲めに喰ひ盡され、 はては犬さへも畜ひ主を襲ひぬ、 されど只だ一匹の犬は一の死骸に忠實にして、 鳥獸を逐ひ、人々を退けたれど、 飢は彼等に迫りて、降りかゝれる死は、 痩[#「やまいだれ+嫂のつくり」、第3水準1-94-93、瘦]せたる彼等の顎を誘惑せり、 かの犬は食を搜せども一塊の食だになく、 憐れに淋しき一の呻《うめ》きと 悲しき一の斷膓の叫びを洩して、 懷かしき主の手を舐りて※[#「てへん+吾」、捂]けども、 魂魄去りて又撫愛を得るに由もなく── あはれ無殘や、彼は遂に呼吸絶えぬ。 群衆は漸次に餓死せども、一の 無道なる都市の二人は生殘れり、 彼等は互に仇敵にして、一種不淨なる慣例として 神聖なる事物の一團を積みたりし、 祭壇の餘燼の側に遭遇し、 戰慄しつゝ、その冷へたる骨立てる手を以て、 消へ殘りたる灰を掻き集め、 力なき呼吸によりて僅かに生を支へ、 火焔[#「火+陷のつくり」、第3水準1-87-49、焰]を造らんとすれど無益なりき、 斯くして彼等は漸く氣力を得て、 その眼を上げて互に顏を見たり── 見て、悲叫して、而して死しぬ── 飢餓の其額の上に仇敵と、 書きたりしは誰なるを知らずして、 彼等は互の忌はしさに逝けるなり。 全世界は空虚となりて、 人口多く有勢なるものは一の塊團となり、 四季なく草葉なく樹木なく、 人なく生命なく──死の塊團── 堅き粘土の渾沌界となり果てぬ。 あらゆる河川、あらゆる沼湖、 及び太平洋等凡て寂寥となり、 何物も其深碧の内に動かず、 船舶は水夫なくして朽ちて海上を漂ひ、 その帆檣は破れて斷々となり、 落花すれば浪なき蒼溟の上に眠る── 波濤は早や死して潮流は其墓にあり その妻なる嫦娥は既に/\滅し、 嵐風は不動の空に衰殘して、 雲霧も又盡滅せり、 暗黑《ダーク子ツス》はそれ等の助を借るを要せず── 宇宙《ユーニバース》は實に/\闇黑そのものなりき。   第三十六、さらば御身安かれ   (一) さらば御身安かれ、これが長への別れならば、 尚ほ長へに、御身安かれ、 たとへ許されぬとても、決して、 我が心情は御身に叛かざるべし、   (二) 御身は又再び知るを得ざれども、 幾度か御身の頭を横へし此胸は、 寛やかに平和なる睡眠の 御身を襲ふ時、御身の前に現はされたるべし。   (三) 此胸、御身に瞥見されしならば、 奧底に宿れるあらゆる思想は示されたらん! 然る時御身は、斯くも無情なく拒むことの、 實に宜しからざりしを悟るなるべし。   (四) これ故全世界御身を褒むるとも── たとへ此打撃を一笑に附しさるとも、 若しや他人の悲哀に基するならば、 その讃賞さへ御身を犯すものなり。   (五) よしや數多の我が過失我を害するとも、 不治の傷痍を蒙らするには、 嘗て我を抱きたりし腕よりも、 如何で一層有力なる他の武器あらんや。   (六) されどあゝされど、御身自ら欺かざれ、 戀愛は漸次に凋落し得るも、 あゝ信ぜざれ、卒然の挫傷には、 げに心情は斯くも破れ斷きるゝぞや。   (七) 尚ほ御身自身はその生命を保持す── たとへ血にまみるゝも、尚ほ我が心情は打たざるべからず、 而して死せずに苦しむ思想は── 我等は再び會ひ得ずと云ふにあり。   (八) 此等は死に於ける哀傷よりも、 一層深き悲しみの言語なり、 我等は生活すべしされど毎朝は うら淋しき空閨より我等を起すなり。   (九) 御身は慰藉を得んことを望む時、 我等の嬰兒の初て言葉を發する時、 例令父の注意を彼女棄てざるべからざるも、 御身は彼女に「父上!」と呼ぶを教へんとするや。   (十) 彼女の小さき手御身を押へるとき、 彼女の愛《いと》しき唇、御身の唇に觸るとき、 祈りて御身を祝福すべき彼を思はれよ、 御身の戀愛の祝福されし彼を考へよ。   (十一) 若しや彼女の顏面《おもざし》は、 御身の再び見得ざるそれ等に似るならば、 御身の心臟や、尚ほ我に眞實なる 脉搏を以て軟かに震ふなるべし。   (十二) あらゆる我が過失は御身恐らくは知る、 あらゆる我が狂亂は何人も知り能はず、 御身に伴ふ、あらゆる我が希望は、 凋殘するも、尚ほ御身と共に歩むなり。   (十三) 凡ての感情は弱められたりき、 一世界も屈し能はざる、覇氣《プライド》は、 御身に屈し──御身によりて棄られぬ、 あゝ今や我が精神さへ我を捨てたり。   (十四) されどそは終りぬ──あらゆる言語は無益なり── 我よりの言語は尚一層無益なり、 さはれ我等の制し得ざる思想は、 意志なくしてその行道を強ひぬ──   (十五) さらば御身安かれ!──斯くも離別して、 あらゆる結合より破れ果て、 胸は焦げて、侘びしく荒れぬ、 あゝ我はこれよりも悲慘には死る能はざるなり。   第三十七、或る婦人に與ふ [#ここから2字下げ] ==捲髮を送りて師走の一夜     庭園に會合を乞ひし女へ== [#ここで字下げ終わり] かくも可憐に纒ひし此等の捲髮は、 愛の空幻《あだ》に雄辯を鼓吹せる、 無意味なる百千萬の明言《あかし》より、 一層堅き鎖に我等の心を結べり。 我等の戀愛は定まりぬ、 我等はそを證せりと我思へり、 時《タイム》、處《プレース》、又は 何等の技術もそを動かさず、 さらば何故に我等は嘆き悲しみ、 理由なき猜恨を以て怨むにや、 只だ我等の戀愛を小説的にするために、 愚かなる幻想と狂暴なる空想を要するか、 何故に御身はリヂアラングイシユの如く泣き、 自ら造れる煩悶を以て怒るにや、 さらずは、可愛《いと》しと思ふ御身の戀人を 身も凍へる冬の夜中に嘆かせて 木枯荒さむ淋しき木蔭に許を乞ふは、 唯だ會合の場所の庭園なるによるか、 何となれば庭園は一諾にて、 セークスピーアの先例を造りし以來、 ヂユリエツトの初めて、燃ゆる情緒《をもひ》を明かせし以來、 密會の場所にふさはしく見ゆるが故なり、 あゝ!或る現代の詩人を鼓吹して 海炭の熱火の邊《ほとり》に彼女を置かんことを欲す、 若しや又、其詩人クリスマスに著作して 戀愛の地をブリテンに置きしならば、 憫憐故に、彼は確かに、 叙情の場處を變ぜしならん、 伊太利には我何の異議なし、 長閑なる夜は、追想に適當なり、 さはれ此處我等の氣候は、 寧ろ戀愛の凍らんばかりにいと劇し、 願くは寒冷なる我等の地位を思ひて、 模做の此|熱望《ねがひ》を制せ、 而して我等をして以前の如く、 太陽の光輝のもとに會合せしめよ、 若しや又、宵に我と會ふを要するならば、 御身の邸内にて我と會はしめよ、 其處に我等は數時の間、共に/\相愛せん、 そは蕭條たる風雪の天候にて、 常に、田園の戀愛を見るなる、 あらゆるアルケヂアの樹林に置かるゝより いと/\樂しく嬉しき事ならずや、 斯くしても我情緒、喜ばしと思はざらば、 翌夜我凍ゆるもつゆ憾みなかるべし、 最早我は口さがなき他人に笑はしめず、 以後は永遠に我が運命を呪はんのみ。   第三十八、マルタ島に別る   (一) あゝ、さらばよ、汝等、ラバレツトの歡喜! さらばよ、心地よき暖風、太陽及濕氣! さらばよ、汝、稀に入りし華麗なる宮殿! さらばよ、汝等邸宅──そこは我の敢て入りし處! さらばよ、汝等、階段多き惱ましき市街! (あゝ如何に登りし人は汝を罵りしぞ!) さらばよ、汝等失敗し易しき商人! さらばよ、汝常に騷わぐ暴民! さらばよ、汝等書状なき──小包! さらばよ、汝等、汝の良風を做ひし愚人! さらばよ、交通遮斷を惡みし汝、 そは我に熱病と憂憤を與へしもの! さらばよ、我等を厭かしめし演劇諸君! さらばよ、貴顯閣下の舞踏者! さらばよ、ピーター──何等の過失なくも、 然かも一大佐にウオルツ踊を教へ能はざる人、 さらばよ、汝等あらゆる美徳を具へたる婦女! さらばよ、赤色衣服及深紅の顏! さらばよ、「アン、リミテール!」を濶歩する 凡ての傲慢なる態度、 我は塵烟多き都市、雲霧繁げき空、 及び實は凶惡なる事物に行かん、 さはれ何時又は何故かは神之を知る── 而して行く道も他と異なれ──   (二) あゝ眞碧の戰勝男子、 さらばよ、さらば! アドリアチツク海岸及び 討死せる勇士、沈滅せし艦隊、 夜々の微笑、日毎の馳走、 汝戰宣と婦人の勝利者、さらば。 語るにふさはしき且つ我が詩文を取る、 我が詩神《ミユーズ》よ、許せ──そは「無酬《グラチス》」なれば。   (三) 今や我フレザー夫人のもとにあり、 我彼女を賞さんが爲なりと汝は思はん── 我が賞讃はインキの此滴りに價ひせりと 我れ考へには餘りに無益なりき 一行──又二行──何の難きことならず、 げに此處に我は阿諂するを要せざるなり、 されど快活なる調と曇りなき情を以て、 虚飾なき優雅の安靜を以て、 我よりも一層善き賞讃に、 彼女は身の輝くに甘んぜざるべからず、 彼女の歳月は樂しく花やかに轉じ 決して浮歌の助を要せざるなり。   (四) あゝ今やマルタ島!汝我を得しより、 汝小さき兵軍の暖室! 我は不禮の言語を以て叛かず、 粗暴にも、汝を惡魔に於てあれと願はず、 されど只だ、我が窓扉より凝視して 其處は何なりやと問ぬべし。 斯くして我が淋しき隱處にて 書を讀み文を草し又は 符箋に從ひ毎時二匙づゝ、 我の能ふ間醫藥を取り、 頬當《ビーバー》よりも夜帽《ナイトカツプ》を撰みて、 我は諸神に祈らん──我は熱病を得たり   第三十九、戰死を悼む [#ここから2字下げ] ==己が近親なるパーカー將軍の討死を悲しみて== [#ここで字下げ終わり]   (一) あらゆる死者にも一滴の涙は濺がれ 貧しき墳墓にも一の哀傷者あり、 されど全國民擧つて葬儀の悲愁を洩し、 而して凱旋《トライアンフ》はその勇士の戰死を悼む   (二) 彼等には、太洋の高まる胸を越へて、 送られし悲哀《ソーロー》の淸き嘆げきあり、 彼等の屍は葬られずに横はることなく 全地球は彼等の記念碑となる   (三) あらゆる記録に彼等の墳墓あり、 あらゆる口舌の彼等の碑文あり、 現在の時日、過去の年月は 長へ彼等と悲しむなり。   (四) 温厚なる記憶《レメンブランス》の、價値《ウオス》に、 酒盃の貢献物を注ぐ間は、 只た單に彼等の名の響きは、 彼等故に歡宴の音聲を鎭む。   (五) 多くの人々に知られざるものゝ、 而かも尊むべき敵によりて哀悼せらる、 誰か光榮ある彼等の運命を分くるを欲せざらん? 誰か彼等の如く勇ましく死するを願はざらん?   (六) あゝ忠勇なるパーカー!御身の生命 御身の戰死、御身の名譽は斯く不滅となり。 年少の豪邁は、輝きて、 御身の記臆の内に一の模範を見出すべし。   (七) されば、御身と共に鮮血に染みし胸體あり、 悲哀故にて、其光榮を滅する能はず、 而して最も愛《いと》しき、最も勇敢なる軍人の、 斃れし處に戰慄しつゝ勝利を聞く。   (八) 何處に向つてか人々は御身を嘆かざらん? 何れの時が敬愛されし御身の名を聞かざん? 哀傷《グリーフ》に滿てる心情の名譽《フヱーム》に養はるゝ間は、 時日《タイム》は決して忘却を教へ能はざるなり。   (九) あゝ!例令御身故に非ざるも彼等の爲めに、 人々は一層多くの涕泣せざるを得ず、 既往に於て何等の嘆きを與へざる 此戰死者を深く/\悲まざるべからず。   第四十、さらば   (一) さらばよ、汝ハーローの岡!そこは若き喜びの 我が額の上に薔薇の花を擴ぐる處、 そこは科學《サイエンス》の智識を授けんが爲め、 遊び好きなる各少年を尋ぬる處。 既往の哀樂の侶伴なる、 我が若き友よ敵よ、さらば、 我等は再びアイダ[#「アイダ」は底本では「アイタ」]の道を彷はず、 我は間もなく幽暗なる隱洞に行かざるべからず、 そこには日の光明を知らざる 長への眠につける數多の同居者住せるなり。   (二) さらばよ、汝等灰白の王廟《リガルフエン》、 グランタ谷の汝等尖閣、 そこは黑裝せし學問《ラーニング》及、 青色なる憂鬱《メランコリー》の管轄する處、 汝等歡樂の時の侶友、 カマの綠々たる端邊にある 聖典亭の汝等居住者、 さらば!記憶の尚我にある間は、 忘却《オブリビオン》の社殿の供献物なる 此等の光景を取消さゞるべからず。   (三) さらばよ、汝等國土の山岳、 そこは我が若き年月を過せし處、 そこはロクナガルの壯麗なる面影にて、 その巍峨たる山嶺を宿す處、 汝等北方の邦土よ、 我が少年時期は、虚榮兒と共に 何故に汝と別れて放浪せしぞや、 成はソザロンの一家を尋ねんがために 何故に山地《ハイランド》の住み馴れし我が岩窟、 陰沈なるマールの草原及ヂーの碧波を棄てしぞや。   (四) あゝ我が父祖の邸宅!長き/\別れぞ── さはれ何故に汝に別るべきか、 汝の天井は我が弔鐘を反響し、 汝の堂塔は我が墳墓を臨むべし、 嘗て汝の亡落を歌ひし吶れる口舌、 及び汝の邸宅の既往の榮光は その馴れし單純なる調を忘れぬ── されど七絃琴《ライル》はその絃を保つ、 而して時にイオラスの羽翼に乘じて、 垂死の節調にて飄揚し得ん。   (五) 彼方《かなた》の粗朴なる茅屋を圍む原野、 我は尚ほ此處を低徊し、 さらば!汝は尊き回顧を、 今も忘却せざるなり、 グリートの流!汝の漣々たる波に添ふて 我が若き四肢は、暖き日中に於て、 常々その軟弱なる行路を急ぎたりき、 尊敬を以て其岸より沈入するも、 活動の勢力を奪はれて再び 御身の泉源は、此等の四肢を洗はざるべし。   (六) 而して尚ほ我が胸に最も近き、 其場處を我は忘るべきか、 岩石は興起して、感情の祝福せし、 地處の間に數多の河川は轉流す、 さはれマリー、あらゆる汝の美麗は、 戀愛《ラブ》の嬌婉なる夢に於けるが如く鮮やかに、 微笑によりて我に現はれ見ゆるなり、 鈍き疾病の彼し餌食を、 衰頽の父なる死《デツス》に棄つるまで、 汝の優しき面影は衰へ能はず。   (七) あゝ汝等が朋友!汝の温雅なる愛は 今尚ほ我が胸底の琴線に響くなり、 如何で微々たる言語の力は、 深厚なる汝の友情を示すに適せんや! 一度は感情《フイリング》の熱涙と共に閃きし、 戀愛《ラブ》の純潔天眞ある寶玉なる、 汝の賜物を我が尚ほ胸奧に藏せり、 我等の精神は同一にして、我等の運命は その貴重なる瞬間に全く忘れぬ、 願はくは傲慢《プライド》をして獨り罪せしめよ。   (八) あはれ今や、あらゆる事物皆暗黑陰凄なり! 戀愛《ラブ》の詐計より出づる何等の微笑も、 慣れし温熱を以て我血管を暖め得ず、 未來の名譽の希望さへ 我が弱き涸れたる體躯[#「身+區」、第3水準1-92-42、軀]を覺起し 又は想像的なる花圈を我が頭に冠し得ず、 我が顏を塵埃に埋め、 而して死者と伍すべく── 我は一の短少不面目の人種なり。   (九) あゝ名譽《フエム》!汝我が心情の女神、 汝の賞賛を得し彼には、 榮光《グロリ》の火焔[#「火+陷のつくり」、第3水準1-87-49、焰]に燒盡せられて、 幽鬼《スペクトル》の投矢も害をなさざるなり、 されど、地球より我を招くも、 我が名は不明にして我が生は現はれず、 我が生命は一の短き粗野なる夢なり、 魯鈍無智なる群集に埋沒して 我が希望は衣服の内に衰殘し、 我が運命は忘川《レース》の流なり。   (十) 嘗て我が戲遊的なる足歩の踏みし、 今や我頭を横ふべき處なる、 芝生の下に我休息して、 此肉體に注意せざるとき、 夜々の空及び獨り風雨の候、 憫憐《ピチー》の賞酬は我が狹小なる、 寢床の上に露の雫《しづく》を濺ぐならん、 如何な人目も、知られぬ名を蔽ひし、 暗欝なる墳墓の幽處を、 涙をを[#「をを」はママ]以て濡《ぬ》らさんとは願はざるべし。   (十一) 不安なる我が靈、此世界を忘れよ、 向けよ、汝の思想を天に向けよ、 若しや過失許されなば、其處に 汝は汝の飛揚を忽ちに導かざるべからず、 迷執者と宗派に知られずに、 全智全能なる王位の下にひれ伏して、 汝の震へる祈祷[#「示+壽」、第3水準1-89-35、禱]を神に述べよ、 慈悲ある正しき彼は、 例令彼の卑賤な注意なりとて 塵世の罪の子を拒まざるべし。   (十二) あゝ光明《ライト》の父!我は御身を呼ぶ、 我精神、内は暗黑なり、 燕雀の斃るゝを知り得る御身は、 罪惡の死を遠ざけよ、 彷へる星辰を導き、 物質の戰を鎭め、 その上衣は迥[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55、逈]か無涯の天空なる御身、 我が思想我が言語、我が罪惡を許せ、 而して我は直ちに人世を去らざるべからざる故に、 希くは如何に死すべきかを教へられよ。 短編バイロン詩集終 底本:「短篇バイロン詩集」大學館 明治四十年十一月廿四日印刷 明治四十年十一月廿七日發行 國立國會図書館 近代デジタルライブラリー『バイロン詩集』 http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41001097&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0 欠損部分: 「バイロンの生涯」15P以降 「本編」33〜40P(第七最後〜第八全編) 「本編」75〜78P(第十六ほぼ全編) 入力メモ: 2007-10-13 入力開始。 2008-07-24 校正開始。 暖[#「日+爰」、暖] 2009-02-26 すべての「靑」「敎」「福」「神」を「青」「教」「福」「神」に変更した。