森鴎外訳『即興詩人』初版例言・第十三版題言

即興詩人
    初版例言
            
一、即興詩人は■(デンマルク)HANS CHRISTIAN ANDERSON(ハンス クリスチアン アンデルセン)(1805-1875)の作にして、原本の初版は千八百三十四年に世に公にせられぬ。
二、此訳(このやく)は明治二十五年九月十日稿を起し、三十四年一月十五日完成す。(ほとん)ど九星霜を経たり。(しか)れども軍職の身に在るを以て、稿を(しよく)するは、大抵夜間、(もし)くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於いてす。予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡ζ(しば<)変じ、文致の画一なり難きを(うら)み、又筆を()くことの(しきり)にして、興に乗じて揮潟(きせき)すること能はざるを惜みたりき。世(あるひ)は予(その)職を(むな)しくして、(ほしいまゝ)に述作に(ふけ)ると謂ふ。(ゑん)も亦甚しきかな。
三、文中加特力(カトリコオ)教の語多し。印刷成れる後、我国公教会の定訳あるを知りぬ。(しか)れども遂に改刪(かいさん)すること能はず。
四、此書は印するに四号活字を以てせり。予の母の、年老い目力衰へて、(つね)に予の著作を読むことを(たし)めるは、此書に字形の大なるを選みし所以(ゆゑん)の一なり。()れ字形は大なり。然れども紙面殆ど余白を留めず、段落猶且(なほかつ)連続して書し、以て紙数をして(はなは)だ加はらざらしむることを得たり。
  明治三十五年七月七日下志津陣営に於いて
                         訳者(しる)

    第十三版題言
是れ予が壮時の筆に成れるIMPROVISATOREN(イムプロヰザトオレン)の訳本なり。国語と漢文とを調和し、雅言と俚辞とを融合せむと欲せし、放胆にして無謀なる嘗試(しやうし)は、今新に其得失を論ずることを(もち)ゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、会ζ(たまく)欧洲大戦の起るありて、我国も亦其旋渦中(せんくわちゆう)に投ずるに至りぬ。羽檄旁午(うげきはうこ)の間、予は(わつか)に仮刷紙を一閲することを得しのみ。
 大正三年八月三十一日観潮楼に於いて
                        訳者又識す



最終更新日 2005年09月08日 01時09分02秒

森鴎外訳『即興詩人』

わが最初の境界・
隧道、ちご・
美小鬟、即興詩人・
花祭・




みたち・
学校、えせ詩人、露肆・
神曲、吾友なる貴公子・

青空文庫でので、これまでとします。(2005.9.18)


めぐりあひ、尼君
猶太をとめ

謝肉祭
歌女
をかしき楽劇
即興詩の作りぞめ
謝肉祭の終る日
精進日、寺楽
友誼と愛情と
画廊
蘇生祭
基督の徒
山寨
花ぬすびと
封伝
一故人
旅の貴婦人
慰藉
考古学士の家
絶交書
好機会
古市
噴火山
嚢家
初舞台
人火天火
もゆる河
旧羇■
苦言
古祠、瞽女
夜襲
たつまき
夢幻境
蘇生
帰途
教育
小尼公
落飾
未練
梟首
妄想
水の都
颶風
感動
末路
流離
心疾身病
琅■洞




最終更新日 2005年09月18日 09時50分27秒

森鴎外訳『即興詩人』「わが最初の境界」1

   わが最初の境界
 羅馬(ロオマ)に往きしことある人はピアツッア、バルベリイニを知りたるべし。こは貝殻(かひがら)持てるトリイトンの神の(すがた)に造り()したる、美しき噴井(ふんせい)ある、(おほい)なる広こうぢの名なり。貝殻よりは水湧き出でてその高さ数尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの広こうぢのさまをば銅板画にて見つることあらむ。かゝる画にはヰア、フエリチエの角なる家の見えぬこそ(うらみ)なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる三条(みすぢ)(とひ)の口は水を吐きて石盤に入らしむ。この家はわがためには尋常(よのつね)ならぬおもしろ味あり。そをいかにといふにわれはこの家にて生れぬ。(かうべ)(めぐら)してわが(をさな)かりける程の事をおもへば、日もくるめくばかりいろ/\なる記念(かたみ)の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと心迷ひて()むすべを知らず。又我世の伝奇(ドラマ)の全局を見わたせば、われはいよ<これを写す手段に苦めり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全画図(ぐわと)をおもひ浮べしめむために殊更に数へ挙ぐべき。わがためには面白きことも外人(よそびと)のためには何の興もなきものあらむ。われは我世のおほいなる穉物語(をさなものがたり)をありのまゝに偽り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶ(さが)のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、(はた)(うち)なる雑草の如く()え出でゝ、やうやく聖経(せいきやう)に見えたる芥子(かいし)の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の問にわが七情は巣食
ひたり。わが最初の記念(かたみ)の一つは既にその芽生(めばえ)を見せたり。おもふにわれは最早六つになりし時の事ならむ。われはおのれより穉き子供二三人と向ひなる尖帽僧(カツプチノオ)の寺の前にて遊びき。寺の扉には小き真鍮の十字架を打ち付けたりき。その処はおほよそ扉の中程にてわれは僅に手をさし伸べてこれに達することを得き。母上は我を伴ひてかの扉の前を過ぐるごとに、必ずわれを掻き抱きてかの十字架に接吻せしめ給ひき。あるときわれ又子供と遊びたりしに、甚だ穉き一人がいふやう。いかなれば耶蘇(ヤソ)穉子(をさなご)は一たびもこの(むれ)に来て、われ等と共に遊ばざるといひき。われさかしく答ふるやう。むべなり、耶蘇の穉子は十字架にかゝりたればといひき。さてわれ等は十字架の下にゆきぬ。かしこには何物も見えざりしかど、われ等は(なほ)母に教へられし如く耶蘇に接吻せむとおもひき。さるを我等が口はかしこに届くべきならねば、我等はかはる/゛\抱き上げて接吻せしめき。一人の子のさし上げられて僅に唇を(とが)らせたるを、抱いたる子力足らねば落しつ。この時母上通りかゝり給へり。この遊のさまを見て立ち()まり、指組みあはせて(のたま)ふやう。汝等はまことの天使なり。さて汝はといひさして、母上はわれに接吻し給ひ、汝はわが天使なりといひ給ひき。
 母上は隣家の女子(をみなご)の前にて、わがいかに罪なき子なるかを繰り返して語り給ひぬ。われはこれを聞きしが、この物語はいたくわが心に(かな)ひたり。わが罪なきことは(もと)よりこれがために前には及ばずなりぬ。人の意を迎へて自ら喜ぶ(さが)(たね)は、この時始めて日光を吸ひ込みたりしなり。造化は我におとなしく(やはらか)なる心を授けたりき。さるを母上はつねに我がこゝろのおとなしきを我に告げ、わがまことに持てる長処と母土のわが持てりと思ひ給へる長処とを我にさし示して、小児の罪なさはかの醜き「バジリスコ」の獣におなじきをおもひ給はざりき。かれもこれもおのが姿を見るときは死なでかなはぬ者なるを。
 彼尖帽宗(かのカツプチヨオ)の寺の僧にフラア、マルチノといへるあり。こは母上の懺悔を聞く人なりき。かの僧に母上はわがおとなしさを告げ給ひき。(いのり)のこゝろをばわれ知らざりしかど、祈の(ことば)をばわれ善く(そらん)じて洩らすことなかりき。僧は我をかはゆきものにおもひて、あるとき我に一枚の図をおくりしことあり。図の中なる聖母(マドンナ)のこぼし給ふおほいなる涙の露は地獄の(ほのほ)の上におちかゝれり。亡者は争ひてかの露の(したふ)りおつるを()けむとせり。僧は又一たびわれを伴ひてその僧舎にかへりぬ。当時わが目にとまりしは、(けた)なる形に作りたる円柱(まろばしら)(わたどの)なりき。廊に囲まれたるは小き馬鈴藷圃(ばれいしよばたけ)にて、そこにはいとすぎ(チプレツソオ)の木二株、檸檬(リモネ)の木一株立てりき。()け放ちたる廊には世を()りし僧どもの像をならべ懸けたり。部屋といふ部屋の戸には献身者の伝記より撰び出したる画図を貼り付けたり。当時わがこの図を()し心は、後になりてラフアエロ、アンドレア、デル、サルトオが作を観る心におなじかりき。
 僧はそちは心(たけ)(わらべ)なり、いで死人を見せむといひて、小き戸を開きつ。こゝは廊より二三級低きところなりき。われは()かれて(きだ)を降りて見しに、こゝも小き廊にて、四囲(こと/゛\)髑髏(されかうべ)なりき。髑髏は髑髏と接して壁を成し、壁はその並びざまにて許多(あまた)小龕(せうがん)に分れたり。おほいなる龕には(かしら)のみならで、胴をも手足をも具へたる骨あり。こは高位の僧のみまかりたるなり。かゝる骨には禍色の尖帽を()せて、腹に繩を結び、手には一巻(ひとまき)の経文若くは枯れたる花束を持たせたり。贄卓(にへつくゑ)花形(はながた)の燭台、そのほかの飾をば肩胛(かひがらぼね)脊椎(せのつちぼね)などにて細工したり。人骨の浮彫(うきぼり)あり。これのみならず()まはしくも、又趣なきはこゝの(こしら)へざまの全体なるべし。僧は祈の詞を唱へつゝ行くに、われはひたと寄り添ひて従へり。僧は唱へ(をは)りていふやう。われも早晩(いつか)こゝに眠らむ。その時汝はわれを見舞ふべきかといふ。われは一語をも(いだ)すこと(あた)はずして、僧と僧のめぐりなる気味わるきものとを驚き()たり。まことに我が如き穉子をかゝるところに伴ひ入りしは、いとおろかなる(わざ)なりき。われはかしこにて見しものに心を動かさるゝこと甚しかりければ、帰りて僧の小房に入りしとき(わつか)に生き返りたるやうなりき。この小房の窓には黄金色なる柑子(かうじ)のいと美しきありて、殆ど一間の中に垂れむとす。又聖母(マドンナ)の画あり。その姿は天使に(にな)ひ上げられて日光明なるところに浮び出でたり。下には聖母(マドンナ)(いこ)ひたまひし墓穴(はかあな)ありて、ももいろちいろの花これを(おほ)ひたり。われはかの柑子を見、この画を見るに及びて、わづかに我にかへりしなり。
 この始めて僧房をたづねし時の事は、久しき間わが空想に好き材料を与へき。今もかの時の事をおもへば、めづらしくあざやかに目の前に浮び出でむとす。わが当時の心にては、僧といふ者は全く我等の知りたる常の人とは殊なるやうなりき。かの僧が褐色の衣を着たる死人の(ほとん)どおのれとおなじさまなると共に()めること、かの僧があまたの尊き人の上を語り、あまたの不思議の(あと)を話すこと、かの僧の尊さをば我母のいたく敬ひ給ふことなどを思ひ合する程に、われも人と生れたる甲斐(かひ)にかゝる人にならばやと折々おもふことありき。
 母上は未亡人なりき。活計(くらし)を立つるには、(はり)仕事して得給ふ銭と、むかし我等が住みたりしおほいなる部屋を人に借して得給ふ価とあるのみなりき。われ等は屋根裏の小部屋に住めり。かのおほいなる部屋に引き移りたるはフエデリゴといふ年(わか)き画工なりき。フエデリゴは心(さと)く世をおもしろく暮らす少年なりき。かれはいとも<遠きところより来ぬといふ。母上の物語り給ふを聞けば、かれが故郷にては聖母(マドンナ)をも耶蘇(ヤソ)の穉子をも知らずとそ、その国の名をば嗹馬(デンマルク)といへり。当時われは世の中にいろ<の国語ありといふことを()せねば、画工が我が言ふことを(さと)らぬを耳とほきがためならむとおもひ、おなじ(ことば)を繰り返して声の限り高くいふに、かれはわれを可笑(をか)しきものにおもひて、をり<(くだもめ)をわれに取らせ、又わがために兵卒、馬、家などの形をゑがきあたへしことあり。われと画工とは幾時(いくとき)も立たぬに中善(なかよ)くなりぬ。われは画工を愛しき。母上もをり<かれは善き人なりと(のたま)ひき。さるほどにわれはとある(ゆふベ)母上とソラア・マルチノとの話を聞きしが、これを聞きてよりわがかの技芸家の少年の上をおもふ心あやしく動かされぬ。かの異国人(とつくにびと)は地獄に()ちて永く浮ぶ瀬あらざるべきかと母上問ひ給ひぬ。そはひとりかの男の上のみにはあらじ。異国人のうちにはかの男の如く()しき事をば一たびもせざるもの多し。かの(ともがら)は貧き人に逢ふときは物取らせて(をし)むことなし。かの輩は(おひめ)あるときは期を(あやま)たず額をたがへずして払ふなり。(しか)のみならず、かの輩は吾邦人(わがくにびと)のうちなる多人数の作る如き罪をば作らざるやうにおもはる。母上の問はおほよそ(かく)の如くなりき。
 フラア・マルチノの答へけるやう。さなり。まことにいはるゝ如き事あり。かの輩のうちには善き人少からず。されどおん身は何故に然るかを知り給ふか。見給へ。世中(よのなか)をめぐりありく悪魔は、邪宗の人の所詮(しよせん)おのが手に落つべきを知りたるゆゑ、()ひてこれを(いざな)はむとする
ことなし。このゆゑに彼輩(かのともがら)は何の苦もなく善行をなし、罪悪をのがる。善き加特力(カトリコオ)教徒はこれと殊にて神の愛子(まなご)なり、これを陥れむには悪魔はさま/゛\の手立(てだて)を用ゐざること能はず。悪魔はわれ等を誘ふなり。われ等は弱きものなればその手の中に落つること多し。されど邪宗の人は肉体にも悪魔にも誘はるゝことなしと答へき。
 母上はこれを聞きて()た言ふべきこともあらねば、便(びん)なき少年の上をおもひて大息(といき)つき給ひぬ。かたへ(ぎゝ)せしわれは泣き出しつ。こはかの人の永く地獄にありて(ほのほ)に苦められむつらさをおもひければなり。かの人は善き人なるに、わがために美しき画をかく人なるに。



最終更新日 2005年09月08日 09時45分50秒

森鴎外訳『即興詩人』「わが最初の境界」2

 わが穉きころ、わがためにおほいなる意味ありと覚えし第三の人はペツポのをぢなりき。悪人ペツポといふも西班牙磴(スパニアいしだん)の王といふも皆その人の綽号(あだな)なりき。此王は日ごとに西班牙磴の上に出御(しゆつぎよ)ましましき。(西班牙広こうぢよりモンテ、ピンチヨオの上なる街に登るには高く広き石級(せききふ)あり。この石級は羅馬の乞児(かたゐ)の集まるところなり。西班牙広こうぢより登るところなればかく名づけられしなり。)ペツポのをぢは生れつき両の足()へたる人なり。当時そを十字に組みて折り敷き居たり。されど穉きときよりの熟練にて、をぢは両手もて歩くこといと(たくみ)なり、其手には革紐を結びて、これに板を掛けたるが、をぢがこの道具にて歩む速さは(すごや)かなる脚もて行く人に劣らず。をぢは日ごとに(かみ)にもいへるが如く西班牙磴の上に坐したり。さりとて外の乞児の如く(あはれみ)を乞ふにもあらず。()だおのが前を過ぐる人あるごとに、(いつはり)ありげに面をしかめて「ボン、ジヨオルノオ」(我俗の今日はといふ如し)と呼べり。日は既に入りたる後もその呼ぶ詞はかはらざりき。母上はこのをぢを敬ひ給ふことさまでならざりき。あらず。親族(みうち)にかゝる人あるをば心のうちに恥ぢ給へり。されど母上はしば/\我に向ひて、そなたのためなれば、彼につきあひおくとのたまひき。余所(よそ)の人の此世にありて求むるものをば、かの人(かたみ)の底に(をさ)めて持ちたり。()し臨終に、寺に納めだにせずば、そを譲り受くべき人、わが外にはあらぬを、母上は(たの)みたまひき。をぢも我に親むやうなるところありしが、我は其側(そのかたへ)にあるごとに、まことに喜ばしくおもふこと(たえ)てなかりき。或る時、我はをぢの振舞を見て、心に(おそれ)を懐きはじめき。こは、をぢの本性をも見るに足りぬべき事なりき。例の石級の(もと)に老いたる盲の乞児ありて、往きかふ人の「パヨツコ」(我二銭(ばかり)に当る銅貨)一つ投げ入れむを願ひて、薄葉鉄(トルラ)小筒(をづゝ)をさら<と鳴らし居たり。我がをぢは、(おもて)にやさしげなる色を見せて、帽を()り動しなどすれど、人人その前をばいたづらに過ぎゆきて、かの盲人の何の会釈(ゑしやく)もせざるに、銭を与へき。三人かく過ぐるまでは、をぢ(かたへ)より見居たりしが、四人めの客かの盲人に小貨幣二つ三つ与へしとき、をぢは毒蛇の身をひねりて行く如く、石級を下りて、盲の乞児の面を打ちしに、盲の乞児は銭をも杖をも取りおとしつ。ペツポの叫びけるやう。うぬは盗人(ぬすびと)なり。我銭を(ぬす)(やつ)なり。立派に廃人(かたは)といはるべき身にもあらで、たゞ目の見えぬを手柄顔に、わが口に入らむとする「パン」を奪ふこそ心得られねといひき。われはこゝまでは聞きつれど、こゝまでは見てありつれど、この時買ひに出でたる、一「フオリエツタ」(一勺(いつしやく))の酒をひさげて、急ぎて家にかへりぬ。
 大祭日には、母につきてをぢがり(よろこび)にゆきぬ。その折には苞苴(みやげ)もてゆくことなるが、そはをぢが(たし)めるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。われはをぢ御と呼びかけて、その手に接吻しき。をぢはあやしげに笑ひて、われに半「バヨツコ」を与へ、果子(くわし)をな買ひそ、果子は食ひ(をは)りたるとき、(あと)かたもなくなるものなれど、この銭はいつまでも貯へらるゝものぞと教へき。
 をぢが住めるところは、暗くして見苦しかりき。一間(ひとま)には窓といふものなく、また一間には壁の上の端に、破硝了(やれガラス)を紙もて補ひたる小窓ありき。臥所(ふしど)の用をもなしたる大箱と、衣を蔵むる小桶二つとの外には、家具といふものなし。をちがり往け、といはるゝときは、われ必ず泣きぬ。これも無理ならず。母上はをぢにやさしくせよ、と我にをしへながら、我を(おど)さむとおもふときは、必ずをぢを案山子(かゝし)に使ひ給ひき。母上の()たまひけるやう。かく悪劇(いたづら)せば、()きをぢ御の許にやるべし。さらば汝も(いしだん)の上に坐して、をぢと共に袖乞(そでごひ)するならむ、歌をうたひて「バヨツコ」をめぐまるゝを待つならむとのたまふ、われはこの詞を聞きても、あながち恐るゝことなかりき。母上は我をいつくしみ給ふこと、目の球にも優れるを知りたれば。
 向ひの家の壁には、小龕(せうがん)をしつらひて、それに聖母(マドンナ)の像を据ゑ、その前にはいつも(ともしび)を燃やしたり。「アヱ、マリア」の鐘鳴るころ、われは近隣の子供と像の前に(ひざまつ)きて歌ひき。燈の光ゆらめくときは、聖母も、いろくの紐、珠、銀色(しろかねいろ)したる心の臓などにて飾りたる耶蘇のをさな子も、共に動きて、我等が面を見て笑み給ふ如くなりき。われは高く(ほがらか)なる声して歌ひしに、人々聞きて善き声なりといひき。或る時英吉利(イギリス)人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひ(をは)るを待ちて、(をさ)らしき人われに銀貨一つ与へき。母に語りしに、そなたが声のめでたさ故、とのたまひき。されどこの詞はその後我祈を妨ぐることいかばかりなりしを知らず。それよりは、聖母の前にて歌ふごとに、聖母の上をのみ思ふこと能はずして、必ず我声の美しきを聞く人やあると思ひ、かく思ひつゝも、聖母のわがあだし心を懐けるを(にく)み給はむかとあやぶみ、聖母に向ひて罪を謝し、あはれなる子に慈悲の(ひとみ)を垂れ給へと願ひき。
 わが余所(よそ)の子供に出で逢ふは、この夕の祈の時のみなりき。わが世は静けかりき。わが自ら作りたる夢の世に心を潜め、仰ぎ臥して開きたる窓に向ひ、伊太利(イタリア)の美しき青空を眺め、日の西に傾くとき、紫の光ある雲の黄金色したる地の上に垂れかゝりたるをめで、時の(うつ)るを知らざることしば<なりき。ある時は、遠くクヰリナアル(丘の名にて、其上に法皇の宮居(みやゐ)あり)と家々の(むね)とを越えて、(くれなゐ)に染まりたる地平線のわたりに、真黒(まくろ)に浮き出でゝ見ゆる「ピニヨロ」の木々の方へ、飛び行かばや、と願ひき。我部屋には、この眺ある窓の外、中庭に向へる窓ありき。我家の中庭は、隣の家の中庭に並びて、いづれもいと狭く、上の方は木の「アルタナ」(物見のやうにしたる屋根)にて(とざ)されたり。庭ごとに石にて(たゝ)みたる(ゐど)ありしが、家々の壁と井との間をば、人ひとり僅かに通らるゝほどなれば、我は上より覗きて、二つの井の内を見るのみなりき、緑なるほうらいしだ(アヂアンツム)生ひ茂りて、深きところは唯だ黒くのみぞ見えたる。俯してこれを見るたびに、われは地の底を見おろすやうに覚えて、こゝにも怪しき(さかひ)ありとおもひき。かゝるとき、母上は杖の(さき)にて窓硝子を(きよ)め、なんぢ井に墜ちて溺れだにせずば、この窓に当りたる木々の枝には、汝が食ふべき(このみ)おほく熟すべしとのたまひき。



最終更新日 2005年09月08日 09時51分29秒

森鴎外訳『即興詩人』「隧道、ちご」1

 我家に宿りたる画工は、廓外に出づるをり、我を伴ひゆくことありき。画を作る間は、われかれを妨ぐることなかりき。さて作り(をは)りたるとき、われ(をさな)き物語して慰むるに、かれも今はわが国の(ことば)()して、面白がりたり。われは既に一たび画工に随ひて、「クリア、ホスチリア」にゆき、昔游戯の日まで猛獣を押し込めおきて、つねに無辜(むこ)俘囚(とりこ)を獅子、「イエナ」獣なんどの餌としたりと聞く、かの暗き(ほら)の深き処まで入りしことあり。洞の(うち)なる暗き道に、我等を導きてくゞり入り、燃ゆる松火(たいまつ)を、絶えず石壁に振り当てたる僧、深き池の水の、鏡の如く(あきらか)にて、目の前には何もなきやうなれば、その足もとまで湛へ寄せたるを知らむには、松火もて触れ探らではかなはざるほどなる。いつれもわが空想を激したりき。われは(おそれ)をば懐かざりき。そは危しといふことを知らねばなりけり。
 街のはつる処に、「コリゼエオ」(大観棚(おほさじぎ))の(いたゞき)見えたるとき、われ等はかの洞の(かた)へゆくにや、と画工に問ひしに、否、あれよりは(はるか)に大なる洞にゆきて、面白きものを見せ、そなたをも景色と倶に写すべし、と答へき。葡萄圃の間を過ぎ、(いにしへ)混堂(ゆや)(あと)を囲みたる白き石垣に沿ひて、ひたすら進みゆく程に羅馬の府の外に出でぬ。日はいと烈しかりき。緑の枝を手折りて、車の上に挿し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側に()り下げたる一束の(まぐさ)を食ひつゝ、ひとり(しつか)に歩みゆけり。やう<女神エジエリアの洞にたどり着きて、われ等は朝饗(あさげ)(たう)べ、岩間より湧き出つる泉の水に、葡萄酒混ぜて飲みき。洞の(うち)には、天井にも四方(よも)の壁にも、すべて絹、天鵝絨(ビロオド)なんどにて張りたらむやうに、緑こまやかなる苔生ひたり。露けく茂りたる(つた)の、おほいなる洞門にかゝりたるさまはカラブリア州の谿間(たにま)なる葡萄架(ぶだうだな)を見る心地す。洞の前数歩には、その頃いと寂しき一軒の家ありて、「カタコンバ」のうちの一つに造りかけたりき。この家今は(つひ)えて断礎をのみぞ留めたる。「カタコンバ」は人も知りたる如く、羅馬城とこれに接したる村々とを通ずる隧道(すゐだう)なりしが、(なかば)はおのづから壊れ、半は盗人(ぬすびと)、ぬけうりする人なんどの隠家(かくれが)となるを(いと)ひて、石もて(ふさ)がれたるなり。当時(なほ)存じたるは、(サン)セバスチヤノ寺の内なる穹窿(きゆうりゆう)の墓穴よりの入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さてわれ等はかの一軒家のうちなる入口より進み入りしが、おもふに最後に此道を通りたるはわれ等二人なりしなるべし。いかにといふに此入口はわれ等が危き目に逢ひたる後、いまだ(いくばく)もあらぬに塞がれて、後には寺の内なる入口のみ残りぬ。かしこには今も僧一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。
 深きところには、軟なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その様の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心(をさなごゝろ)に何ともおもはず。画工はまた(あらかじ)其心(そのこゝろ)して、我を伴ひ入りぬ。先づ臘燭一つ(とも)し一つをば猶衣のかくしの中に貯へおき、一巻(ひとまき)の糸の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり、忽ち又岐路(わかれみち)の出づるところ広がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き石卓(いしつくゑ)を据ゑたる円堂を(よぎ)りぬ。こゝは始て基督教に帰依(きえ)したる人々の、異教の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとそ。フエデリゴはこゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外数千の献身者の事を物語りぬ、われ等は石龕(せきがん)のわれ目に燭火(ともしび)さしつけて、中なる白骨を見き。(こゝの墓には何の飾もなし。拿破里(ナポリ)に近き(サン)ヤヌアリウスの「カタコンバ」には聖像をも文字をも()りつけたるあれど、これも技術上の価あるにあらず。基督教徒の墓には、魚を彫りたり。希臘(ギリシア)文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス、クリストス、テオウ、ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇基督神子(かみのこ)救世者と云ふ。)われ等はこれより入ること二三歩にして立ち留りぬ。ほぐし来たる糸はこゝにて尽きたればなり。画工は糸の端を控鈕(ボタン)の孔に結びて、蝋燭を拾ひ集めたる小石の間に立て、さてそこに(うつくま)りて、隧道の模様を写し始めき。われは傍なる石に(こしか)けて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されどさきに貯へおきたる(あらた)なる蝋燭をば、今取り出してその(かたへ)におきたる上、火打道具さへ帯びたれば、消えなむ折に火を(とも)すべき用意ありしなり。
 われはおそろしき暗黒天地に通ずる幾条(いくすぢ)の道を望みて、心の中にさまざまの奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周囲には(せき)として何の声も聞えず、唯だ忽ち断え忽ち続く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。われはかく(よし)なき妄想(まうざう)を懐きてしばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて画工の方を見やれば、あな(いぶ)かし、画工は大息(といき)つきて一つところを馳せめぐりたり。その間かれは(しきり)に俯して、地上のものを捜し(もと)むる如し。かれは又火を新なる蝋燭に点じて再びあたりをたつねたり。その気色(けしき)たゞならず覚えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。
 この時画工は声を励まして、こは何事ぞ、善き子なれば、そこに坐りゐよ、と云ひしが、又眉を(ひそ)めて地を見たり。われは画工の手に取りすがりて、最早(もはや)登りゆくべし、こゝには居りたくなし、とむつかりたり。画工は、そちは善き子なり、画かきてや()らむ、果子をや与へむ、こゝに銭もあり、といひつゝ、衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる銭をば、ことごとく我に与へき。我はこれを受くるとき、画工の手の氷の如く(ひやゝか)になりて、いたく(ふる)ひたるに心づきぬ。我はいよいよ騒ぎ出し、母を呼びてます<泣きぬ。画工はこの時我肩を(つか)みて、劇しくゆすり(うこ)かし、(しつか)にせずば打擲(ちやうちやく)せむ、といひしが、急に手巾(ハンカチ)を引き出して、我腕を(しば)りて、しかと其端を取り、さて俯してあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり、そちも聖母に願へ、といひき。糸をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ。今こそ見出さめ、といひ/\、画工は又地上をかいさぐりぬ。
 さる程に、地上なりし蝋燭は流れ(をは)りぬ。手に持ちたる蝋燭も、かなたこなたを捜し索むる(せは)しさに、流るゝこといよ/\早く、今は手の(きは)まで燃え来りぬ。画工の周章は大方ならざりき。そも無理ならず。若し糸なくして歩を運ばゝ、われ等は次第に深きところに入りて、遂に活路なきに至らむも計られざればなり。画工は再び気を励まして探りしが、こたびも糸を得ざりしかば、力抜けて地上に坐し、我(うなじ)を抱きて大息(といき)つき、あはれなる子よ、とつぶやきぬ。われはこの詞を聞きて、最早家に還られざることぞ、とおもひければ、いたく泣きぬ。画工にあまりに(きび)しく抱き寄せられて、我が縛られたる手はいざり落ちて地に達したり。我は覚えず埃の間に指さし入れしに、例の糸を(つま)み得たり。こゝにこそ、と我呼びしに、画工は我手を()りて、物狂ほしきまでよろこびぬ。あはれ、われ等二人の命はこの糸にぞ繋ぎ留められげる。



最終更新日 2005年09月08日 17時28分33秒

森鴎外訳『即興詩人』「隧道、ちご」2

 われ等の再び外に歩み出でたるときは、日の(あたゝか)に照りたる、天の(あを)く晴れたる、木々の梢のうるはしく緑なる、皆常にも増してよろこばしかりき。フエデリゴは又我に接吻して、衣のかくしより美しき銀の(とけい)を取り出し、これをば汝に取らせむ、といひて与へき。われはあまりの嬉しさに、けふの恐ろしかりし事共、はや(こと/゛\)く忘れ果てたり。されと此事を得忘れ給はざるは、始終の事を聞き給ひし母上なりき。フエデリゴはこれより後、我を伴ひて出つることを許されざりき。フラア・マルチノもいふやう。かの時二人の命の助かりしは、全く聖母(マドソナ)のおほん(めぐみ)にて、邪宗のフエデリゴが手には授け給はざる糸を、善く神に仕ふる、やさしき子の手には与へ給ひしなり。されば聖母の恩をば、身を終ふるまで、ゆめ忘るゝこと(なか)れといひき。
 フラア・マルチノがこの詞と、或る知人の(たはぶれ)に、アントニオはあやしき子なるかな、うみの母をば愛するやうなれど、外の女をばことごとく嫌ふと見ゆれば、あれをば、人となりて後僧にこそすべきなれ、といひしことあるとによりて、母上はわれに出家せしめむとおもひ給ひき。まことに我は奈何(いか)なる故とも知らねど、女といふ女は(かたへ)に来らるゝだに(いと)はしう覚えき。母上のところに来る婦人は、人の妻ともいはず、処女ともいはず、我が穉き詞にて、このあやしき好憎(かうぞう)の心を語るを聞きて、いとおもしろき事におもひ()し、()ひて我に接吻せむとしたり。就中(なかんつく)マリウチアといふ娘は、この戯にて我を泣かすること(しば<)なりき。マリウチアは活溌なる少女(をとめ)なりき。農家の子なれど、裁縫店にて雛形娘をつとむるゆゑ、華靡(はで)やかなる色の衣をよそひて、幅広き白き麻布もて髪を巻けり。この少女フエデリゴが画の雛形をもつとめ、又母上のところにも遊びに来て、その度ごとに自らわがいひなづけの妻なりといひ、我を小き夫なりといひて、迫りて接吻せむとしたり。われ(うべな)はねば、この少女しば<武を用ゐき。或る日われまた脅されて泣き出しゝに、さては(なほ)穉児なりけり、乳房(ふく)ませずては、啼き止むまじ、とて我を掻き抱かむとす。われ(あわ)てて()ぐるを、少女はすかさず追ひすがりて、両膝にて我身をしかと挾み、いやがりて振り向かむとする頭を、やう/\胸の方へ引き寄せたり。われは少女が挿したる(しろかね)の矢を抜きたるに、(ゆたか)なる髪は波打ちて、我身をも、露れたる少女が肩をも(おほ)はむとす。母上は室の隅に立ちて、笑みつつマリウチアがなすわざを勧め励まし給へり。この時フエデリゴは戸の片蔭にかくれて、(ひそか)此群(このむれ)をゑがきぬ。われは母上にいふやう。われは生涯妻といふものをば持たざるべし。われはフラア・マルチノの君のやうなる僧とこそならめといひき。
 (ゆふべ)ごとにわが怪しく何の詞もなく坐したるを、母上は出家せしむるにたよりよき(さか)なりとおもひ給ひき。われはかゝる時、いつも人となりたる後、金あまた得たらむには、いかなる寺、いかなる城をか建つべき、寺の(あるじ)、城の主となりなん日には、「カルヂナアレ」の僧の如く、赤き衷甸(ばしや)に乗りて、金色に(よそほ)ひたる(しもべ)あまた随へ、そこより出入(でいり)せんとおもひき。或るときは又フラア・マルチノに聞きたる、種々なる献身者の話によそへて、おのれ献身者とならむをりの事をおもひ、世の人いかにおのれを責むとも、おのれは聖母のめぐみにて、つゆばかりも苦痛を覚えざるべしとおもひき。殊に願はしく覚えしは、フエデリゴが故郷にたづねゆきて、かしこなる邪宗の人々をまことの道に帰依せしむる事なりき。
 母上のいかにフラア・マルチノと(はか)り給ひて、その日とはなりけむ。そはわれ知らでありしに、或る朝母上は、我に小き衣を着せ、其上に白衣(びやくえ)を打掛け給ひぬ。此白衣は膝のあたりまで届きて、寺に仕ふる(ちこ)の着るものに同じかりき。母上はかく為立(した)てゝ、我を鏡に向はせ給ひき。我は此日より尖帽宗(カツプチヨオ)の寺にゆきてちごとなり、火伴(なかま)童達(わらべたち)と共に、おほいなる吊香炉(つりかうろ)()げて儀にあづかり、また贄卓(にへつくゑ)の前に出でゝ讃美歌をうたひき。(すべ)ての指図をばフラア・マルチノなしつ。われは幾程もあらぬに、小き寺のうちに住み馴れて、贄卓に画きたる神の使の童の顔を悉く(おぼ)え、柱の上なるうねりたる模様を識り、瞑目したるときも、醜き竜と戦ひたる、美しき(サン)ミケルを面前に見ることを得るやうになり、鋪床(ゆか)に刻みたる髑髏(されかうべ)の、緑なる蔦かづらにて編みたる()を戴けるを見てはさまざまの怪しき思をなしき。(聖ミケルが大なる翼ある美少年の姿にて、悪鬼の頭を踏みつけ、(やり)をその上に加へたるは、名高き画なり。)



最終更新日 2005年09月08日 20時28分01秒

森鴎外訳『即興詩人』「美小鬟(びせうくわん)、即興詩人」1

   美小鬟(びせうくわん)、即興詩人
 万聖祭には衆人(もろひと)(とも)骨龕(ほねのほくら)にありき。こはフラア・マルチノの嘗て我を伴ひて入りにしところなり。僧どもは皆経を(じゆ)するに、我は火伴(なかま)の童二人と共に、髑髏(されかうべ)贄卓(にへつくゑ)の前に立ちて、提香炉(ひさげかうろ)を振り動したり。骨もて作りたる燭台に、けふは火を点したり。僧侶の遺骨の手足全きは、けふ(ぬか)に新しき花の環を戴きて、手に露けき花の一束を取りたり。この祭にも、いつもの如く、人あまた(つど)ひ来ぬ。歌ふ僧の「ミゼレエレ」(「ミゼレエレ、メイ、ドミネ」、主よ、我を(あゆれ)み給へ、と唱へ出す加特力(カトリコオ)教の歌をいふ)唱へはじむるとき、人々は膝を(かゞ)めて拝したり。髑髏の色白みたる、髑髏と我との間に渦巻ける香の(けぶり)の怪しげなる形に見ゆるなどを、我は久しく打ち目守(まも)り居たりしに、こはいかに、我身の周囲(めぐり)の物、皆独楽(こま)の如くに廻り出しつ。物を見るに、すべて(おほい)なる虹を隔てゝ望むが如し。耳には寺の鐘(もゝ)ばかりも、一時(ひととき)に鳴るらむやうなる音聞ゆ。我心は早き流を舟にて下る如くにて、譬へむやうなく目出たかりき。これより後の事は知らず。我は気を喪ひき。人あまた集ひて、欝陶(うつたう)しくなりたるに、我空想の燃え上りたるや、この眩輦(めまひ)のもとなりけむ。醒めたるときは、寺の園なる檸檬(リモネ)の木の下にて、フラア・マルチノが膝に抱かれ居たり。
 わが夢の(うち)に見きといふ、首尾整はざる事を、フラア・マルチノを始として、僧ども皆神の(わざ)なりといひき。(ひじり)のみたまは面前(まのあたり)を飛び過ぎ給ひしかと、はかなき(わらべ)のそのひかり耀(かゞや)けるさまにえ堪へで、卒倒したるならむといひき。これより後、われは怪しき夢をみること(しきり)なりき。そを母上に語れば、母上は又友なる女どもに伝へ給ひき。そが中には、われまことにさる夢を見しにはあらねど、見きと(いつは)りて語りしもありき。これによりて、我を神のおん子なりとする、人々の(まどひ)は、日にけに深くなりまさりぬ。
 さる程に嬉しき聖誕祭は近づきぬ。つねは山住ひする牧者の笛ふき(ピツフエラリ)となりたるが、短き外套着て、紐あまた下げ、尖りたる帽を戴き、聖母(マドンナ)の像ある家ごとに音信(おとづ)れ来て、救世主の(うま)れ給ひしは今ぞ、と笛の()に知らせありきぬ。この単調にして悲しげなる声を聞きて、我は朝な/\()むるが常となりぬ。覚むれば説教の稽古す。おほよそ聖誕日と新年との間には、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺なる基督(キリスト)の像のみまへにて、童男童女の説教あること、年ごとの(ためし)なるが、我はことし其一人に当りたるなり。
 吾齢(わがよはひ)(はじ)めて九つなるに、かしこにて説教せむこと、いとめでたき事なりとて、歓びあふは、母上、マリウチア、我の三人のみかは。わがありあふ(つくゑ)の上に登りて、一たびさらへ聞かせたるを聞きし、画工フエデリゴもこよなうめでたがりぬ。さて其日になりければ、寺のうちなる卓の上に押しあげられぬ。我家のとは違ひて、この卓には(かも)(おほ)ひたり。われはよその子供の如く、(そらん)じたるまゝの説教をなしき。聖母の(むね)より血汐出でたる、穉き基督のめでたさなど、説教のたねな
りき。我順番になりて、衆人(もろひと)に仰が見られしとき、我胸跳りしは、恐ろしさゆゑにはあらで、喜ばしさのためなりき。これ迄の小児(せうに)の中にて、尤も人々の気に入りしもの、即ち我なること疑なかりき。さるをわが後に、卓の上に立たせられたるは、小き女の子なるが、その言ふべからず(やさ)しき姿、驚くべきまでしほらしき顔つき、調(しらべ)清き楽に似たる声音(こわね)に、人々これぞ神のみつかひなるべき、とさゝやきぬ。母上は、我子に(まさ)る子はあらじ、といはまほしう思ひ給ひけむが、これさへ声高(ごわだか)く、あの(をみな)の子の贄卓に画ける神のみつかひに似たることよ、とのたまひき。母上は我に向ひて、かの女子(をみなご)の怪しく濃き口の色、鴉青(からすば)いろの髪、をさなくて又怜悧(さかし)げなる顔、美しき紅葉(もみち)のやうなる手などを、繰りかへして()め給ふに、わが心には(ねた)ましきやうなる情起りぬ。母上は我上をも神のみつかひに(たと)へ給ひしかども。
 鶯の歌あり。まだ巣ごもり居て、薔薇(さうび)の枝の緑の葉を(ついば)めども、今生ぜむとする蕾をば見ざりき。二月三月の後、薔薇の花は開きぬ。今は鶯これにのみ鳴きて聞かせ、つひには(はり)の間に飛び入りて、血を流して死にき。われ人となりて後、しば<此歌の事をおもひき。されど「アラチエリ」の寺にては、我耳も未だこれを聞かず、我心も未だこれを会せざりき。
 母上、マリウチア、その外女どもあまたの前にて、寺にてせし説教をくりかへすこと、しばしばありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど我が未だ語り()かぬ間に、かれ等は早く聴き()みき。われは聴衆を失はじの心より、自ら新しき説教一段を作りき、その(ことば)は、まことの聖誕日の説教といはむよりは、寺の祭を叙したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしはフエデリゴなるが、かれは打ち笑ひ(なが)らも、そちが説教は、兎も角もフラア・マルチノが教へしよりは善し、そちが身には詩人や(やど)れる、といひき。フラア・マルノより善しといへる詞は、わがためにいと喜ばしく、さて詩人とはいかなるものならむとおもひ(わづら)ひ、おそらくは我身の内に舎れる善き神のみつかひならむと判じ、又夢のうちに我に面白きものを見するものにやと疑ひぬ。



最終更新日 2005年09月10日 09時54分56秒

森鴎外訳『即興詩人』「美小鬟(びせうくわん)、即興詩人」2

 母上は家を離れて遠く出で給ふこと稀なりき。されば或日の昼すぎ、トラステヱエ(テヱエル河の右岸なる羅馬の市区)なる友だちを(とぶら)はむ、とのたまひしは、我がためには祭に往くごとくなりき。日曜に着る衣をきよそひぬ。中単(チヨキ)(かはり)にその頃着る(ならひ)なりし絹の胸当をば、針にて上衣の下に縫ひ留めき。領巾(えりぎぬ)をば幅広き(ひだ)(たゝ)みたり。頭には縫とりしたる帽を戴きつ。我姿はいとやさしかりき。
 とぶらひ(をは)りて、家路に向ふころは、はや(すこぶ)る遅くなりたれど、月影さやく、空の色青く、風いと心地好かりき。路に近き丘の上には、「テプレツソオ」、「ピニヨロ」なんどの常磐樹(ときはぎ)立てるが、怪しげなる輪廓を、鋭く空に画きたり。人の世にあるや、とある夕、何事もあらざりしを、久しくえ忘れぬやうに、美しう思ふこともあるものなるが、かの帰路の景色、また()(たぐひ)なりき。国を去りての後も、テヱエの流のさまを思ふごとに、かの夕の景色のみぞ心には浮ぶなる。黄なる河水のいと濃げに見ゆるに、月の光はさしたり。碾穀車(こひきぐるま)の鳴り響く水の上に、朽ち果てたる橋柱(はしばしら)、黒き影を(しる)して立てり。この景色心に浮べば、あの折の心(かろ)げなる少女子(をとめこ)さへ、扁鼓(ひらつゞみ)手に()りて、「サルタレルロ」舞ひつゝ過ぐらむ心地す。(「サルタレルロ」の事をば(いさゝか)注すべし。こは単調なる曲につれて踊り舞ふ羅馬の民の技芸なり。一人にて踊ることあり。又二人にても舞へど、その身の相触るゝことはなし。大抵男子二人、(もし)くは女子二人なるが、跳ぬる如き早足にて半圏(はんけん)に動き、その間手をも休むることなく、羅馬人に産れ付きたる、しなやかなる(ふり)をなせり。女子は裳裾(もすそ)(かゝ)ぐ。鼓をば自ら打ち、又人にも打たす。其調(しらべ)の変化といふは、唯遅速のみなり。サンタ、マリア、デルラ、ロツンダの街に来て見れば、こゝはまだいと(にぎ)はし。魚鑞の(けぶり)を風のまにまに吹き(なび)かせて、前に木机を据ゑ、そが上に月桂(ラウレオ)の青枝もて編みたる籠に貨物(しろもの)を載せたるを飾りたるは、肉(ひさ)ぐ男、(くだもの)売る女などなり。剥栗(むきぐり)並べたる釜の下よりは、火焔立昇りたり。賈人(あきうど)の物いひかはす声の高きは、伊太利ことば知らぬ旅人聞かば、命をも顧みざる(あらそひ)とやおもふらむ。魚売る女の店の前にて、母上()る人に逢ひ給ひぬ。女子の間とて、物語長きに、店の臘燭流れ尽むとしたり。さて連れ立ちて、其人の家の戸口までおくり行くに、街の上はいふもさらなり、「コルソオ」の大道さへ物寂しう見えぬ。されど美しき水盤を築きたるピアツツア、ヂ、トレヰイに曲り出でしときは、又賑はしきさま前の如し。
 ここに古き殿(との)づくりあり。(こゝろ)なく投げ(かさ)ねたらむやうに見ゆる、(いしずゑ)の間より、水流れ落ちて、月は(あたか)も好し棟の上にぞ照りわたれる。河伯(うみのかみ)の像は、重き石衣(いしごろも)を風に吹かせて、(おほい)なる滝を見おろしたり。滝のほとりには、喇叭(らつば)吹くトリイトンの神二人海馬を(ぎよ)したり。その下には、(ゆたか)に水を湛へたる大水盤あり。盤を(めぐ)れる石級を見れば農夫どもあまた心地好げに月明(つきあかり)(うち)に臥したり。()り砕きたる西瓜(すゐくわ)より、紅の露滴りたるが其傍(そのかたへ)にあり。骨組太き童一人、身に着けたるものとては、薄き汗衫(じゆばん)一枚、鞣革(なめしがは)の袴一つなるが、その袴さへ、控鈕脱(ボタンはつ)れて膝のあたりに垂れかゝりたるを、心ともせずや、「キタルラ」の(いと)、おもしろげに掻き鳴して坐したり。忽ちにして歌ふこと一句、忽にして又(かな)づること一節。農夫どもは(たなそこ)打ち鳴しつ。母上は立ちとまり給ひむ。この時童の歌ひたる歌こそは、いたく我心を動かしつれ。あはれ此歌よ。こは尋常(よのつね)の歌にあらず。この童の歌ふは、日の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も我も亦曲中の人となりぬ。さるに其歌には韻脚あり、其調(しらべ)はいと(たへ)なり。童の歌ひけるやう。青き空を(ふすま)として、白き石を枕としたる寝ごゝろの好さよ。かくて笛手(ふえふき)二人の曲をこそ聞け。童は斯く歌ひて、「トリイトン」の石像を(ゆびさ)したり。童の又歌ひけるやう。こゝに西瓜の血汐を酌める、百姓の一群(ひとむれ)は、皆恋人の上安かれと祈るなり。その恋人は今は寝て、(サン)ピエトロの寺の塔、その法皇の都にゆきし、人の上をも夢みるらむ。人々の恋人の上安かれと祈りて飲まぬ。文世の中にあらむ限の、()の手開かぬ少女(をとめ)が上をも、皆安かれと祈りて飲まむ。(箭の手開かぬ少女とは、髪に挿す箭をいへるにて、処女の箭には握りたる手あり、嫁ぎたる(をみな)の箭には開きたる手あり。)かくて童は、母上の脇を(ひね)りて、さて母御(はゝご)の上をも、又その童の鬚生ふるやうになりて、迎へむ少女の上をも、と歌ひぬ。母上善くぞ歌ひしと讃め給へば、農夫どもゝジヤコモが(うま)さよ、と手打ち鳴してさゞめきぬ。この時ふと小き寺の石級の上を見しに、こゝには識る人ひとりあり。そは鉛筆取りて、この月明(つきあかり)の中なる(むれ)を、写さむとしたる画工フエデリゴなりき。帰途には画工と、母上と、かの歌うたひし童の上につきて、語り(たはぶ)れき。その時画工は、かの童を即興詩人とぞいひける。
 フエデリゴの我にいふやう。アントニオ聞け。そなたも即與の詩を作れ。そなたは(もと)より詩人なり。たゞ例の説教を韻語にして歌へ。これを聞きて、我初めて詩人といふことあきらかにさとれり。まことに詩人とは、見るもの、聞くものにつけて、おもしろく歌ふ人にぞありける。げにこは面白き業なり。想ふにあながち難からむとは思はれず、「キタルラ」一つだにあらましかば。わが初の作の(たね)になりしは、向ひなる枯肉舗(ひものみせ)なりしこそ可笑(をか)しけれ。此家(このや)貨物(しろもの)(なら)べ方は、旅人の目にさへ留まるやうなりければ、早くも我空想を襲ひしなり。月桂(ラウレオ)の枝美しく編みたる間には、おほいなる駝鳥の卵の如く、乾酪(かんらく)(かたまり)懸りたり。「オルガノ」の笛の如く、金紙巻きたる燭は並び立てり。柱のやうに立てたる腸づめの肉の上には、琥珀の如く光を放ちて、「パルミジヤノ」の乾酪据わりたり。夕になれば、燭に火を点ずるほどに、其光は腸づめの肉と「プレシチウツトオ」(らかん)との間に燃ゆる、聖母(マドンナ)像前の紅玻璃燈(べにはりとう)と共に、この幻の境を照せり。我詩には、店の(つくゑ)の上なる猫児(ねこ)、店の女房と価を争ひたる、若き「カツプチノ」僧さへ、残ることなく入りぬ。此詩をば、幾度(いくたび)か心の内にて吟じ試みて、さてフエデリゴに歌ひて聞かせしに、フエデリゴめでたがりければ、つひに家の中に広まり、又街を()えて、向ひなるひものやの女房の耳にも入りぬ。女房聞きて、げに珍らしき詩なるかな、ダンテの神曲(ヂヰナ・コメヂア)とはかゝるものか、とぞ(たゝ)へける。
 これを手始(てはじめ)に、物として我詩に入らぬはなきやうになりぬ。我世は夢の世、空想の世となりぬ。寺にありて、僧の歌ふとき、提香炉(ひさげかうろ)を打ち振りても、街にありて、叫ぶ賈人(あきうど)(とゞろ)く車の間に立ちても、聖母の像と霊水盛りたる(へい)の下なる、小き臥所(ふしど)(うち)にありても、たい、詩をおもふより外あらざりき。冬の夕暮、鍛冶(かち)の火高く燃えて、道ゆく百姓の立ち()りて手を温むるとき、我は家の窓に坐して、これを見つゝ、時の過ぐるを知らず。かの鍛冶の火の中には、我空想の世の如き殊なる世ありとそ覚えし。北山おろし(はげ)しうして、白雪街を籠め、広こうぢの石の「トリイトン」に氷の鬚おふるときは、我喜限(わがよろこびかぎり)なかりき。(うら)むらくは、かゝる時の長からぬことよ。かゝる日には、年ゆたかなる(きざし)とて、羊の(かはごろも)きたる農夫ども、手を()ちて「トリイトン」のめぐりを踊りまはりき。噴き出づる水には、晴れなんとする空にかゝれる虹の影(うつ)りて。



最終更新日 2005年09月10日 10時19分00秒

森鴎外訳『即興詩人』「花祭」1

   花祭
 六月の事なりき。年ごとにジエンツアノにて執行せらるゝ、名高き花祭の期は近づきぬ。(ジエンツアノはアルバノ山間の小都会なり。羅馬と沼沢との間なる街道に近し。)母上ともマリウチアとも仲好き女房ありて、かしこなる料理屋の妻となりたり。(伊太利の小料理屋にて「オステリア、エエ、クチイナ」と招牌(かんばん)懸けたる類なるべし。)母上とマリウチアとが此祭にゆかむと約したるは、数年前よりの事なれども、いつも思ひ掛けぬ事に妨げられて、えも果さゞりき。今年は必ず約を()まむとなり。道遠ければ、祭の前日にいで立たむとす。かしまだちの前の夕には、喜ばしさの(あまり)に、我眠(わがねむり)(おだやか)ならざりしも、(ことわり)なるべし。
「ヱツツリノ」といふ車の門前に来しときは、日未だ昇らざりき。我等は(たゞち)に車に上りぬ。是れより先には、われ未だ出に入りしことあらざりき。祭の事を思ひての喜に胸さわぎのみぞせられたる。身の(ほとり)なる自然と生活とを、人となりての後、当時の情もて観ましかば、我が作る詩こそ(たぐひ)なき妙品ならめ。街道の静けさ、鉄物(かなもの)いかめしき閭門(りよもん)、見わたす(かぎり)(はる)なるカムパニアの野辺に、物寂しき墳墓のところ/゛\に立てる、遠山の裾を()めたる濃き朝霧など、我がためにはこたび観るべき、めでたき秘事の前兆の如くおもはれぬ。道の(かたへ)に十字架あり。そが上には枯髏(されかうべ)残れり。こは(つみ)なき人を(おびやか)したる(むくい)に、こゝに刑せられし強人(ぬすびと)の骨なるべし。これさへ我心を動すことただならざりき。山中の水を羅馬の市に導くなる、許多(あまた)(かけひ)の数をば、はじめこそ読み見むとしつれ、幾程もあらぬに、()みて思ひとゞまりつ。さて我は母上とマリウチアとに問ひはじめき。(こは)れ傾きたる墓標のめぐりにて、牧者が焚く火は何のためぞ。羊の群のめぐりに引きめぐらしたる網は何のためぞ。問はるゝ人はいかにうるさかりけむ。
 アルバノに着きて車を下りぬ。こゝよりアリチアを越す美しき道の程をば(かち)にてぞゆく。木犀草(もくせいさう)(レセダ)又はにほひあらせいとう(ヘイランツス)の花など道の傍に野生したり。緑なる葉の茂れる橄欖樹(オリワ)の蔭は涼しくして、憩ふ人待貌(ひとまちがほ)なり。遠き海をば、我も望み見ることを得き。十字架立ちたる山腹を過ぐるとき、少女子(をとめこ)一群(ひとむれ)笑ひ戯れて過ぐるに逢ひぬ。笑ひ戯れながらも、十字架に接吻することをば忘れざりき。アリチアの寺の屋根、黒き橄欖(オリワ)の林の間に見えたるをば、神の使が戯に据ゑかへたる(サン)ピエトロ寺の屋根ならむとおもひき。(つな)にて牽がれたる熊の、人の如くに立ちて舞へるあり。人あまた其周(そのめぐり)につどひたり。熊を牽ける男の吹く笛を聞けば、こは羅馬に来て聖母(マドンナ)の前に立ちて吹く、「ピツフエラリ」が曲におなじかりき。男に軍曹と呼ばるゝ猿あり。美しき軍服着て、熊の頭の上、背の上などにて翻筋斗(とんぼがへり)す。われは面白さにこゝに止らむとおもふほどなりき。ジエンツアノの祭も明日のことなれば、止まればとて遅るゝにもあらず。されど母上は早く往きて、友なる女房の環飾(わかざり)編むを助けむとのたまへば、甲斐(かひ)なかりき。
 幾程もなく到り着きて、アンジエリカが家をたつね得つ。ジエンツアノの市にて、ネミといふ湖に向へる方にありき。家はいとめでたし。壁よりは泉湧き出でゝ、石盤に流れ落つ。驢馬(うさぎうま)あまたそを飲まむとて、めぐりに(つど)ひたり。
 料理屋に立ち入りて見るに(にぎは)しき物音我等を迎へたり。(かまど)には火燃えて、鍋の(うち)なる食は煮え上りたり。長き卓あり。市人(いちびと)も田舎人も、それに()りて、酒飲み、■(しほづけ)にせる豚を食へり。聖母の御影の前には、青磁の花瓶に、美しき薔薇花(さうびくわ)()けたるが、其傍なる(ともしび)は、棚引(たなび)く烟に()されて、善くも燃えず。帳場のほとりなる(つくゑ)に置きたる乾酪(かんらく)の上をば、猫跳り越えたり。鶏の群は、我等が(あし)にまつはれて、踏まるゝをも(いと)はじと覚ゆ。アンジエリカは(こゝろよ)く我等を迎へき。険しき(はしご)を登りて、烟突の傍なる小部屋に入り、こゝにて食を(きやう)せられき。我心にては、国王の(うたげ)に召されたるかとおぼえつ。物として美しからぬはなく、一「フオリエツタ」の葡萄酒さへ其瓶(そのへい)(かざり)ありて、いとめでたかりき。瓶の口に(せん)がはりに挿したるは、(わつか)に開きたる薔薇花なり。主客三人の女房、互に接吻したり。我も(いな)とも()とも云ふ(いとま)なくして、接吻せられき。母上片手にて我頬を(さす)り、片手にて我衣をなほし給ふ。手尖(てさき)の隠るゝ迄袖を引き、又頸(うなじ)を越すまで襟を揚げなどして、やうやう心を安じ給ひき。アンジエリカは我を佳き児なりと讃めき。食後には面白き事はじまりぬ。紅なる花、緑なる梢を摘みて、環飾を編まむとて、人々皆出でぬ。低き戸口をくゞれば庭あり。そのめぐりは幾尺かあらむ。すべてのさま唯だ一つの四阿屋(あづまや)めきたり。細き(おばしま)をば、こゝに野生したる蘆薈(ろくわい)の、太く堅き葉にて(たす)けたり。これ自然の(まがき)なり。看卸(みおろ)せば深き湖の面いと静なり。昔こゝは火坑にて、一たびは焔の柱天に(てう)したることもありきといふ。庭を出でゝ山腹を歩み、大なる葡萄(だな)、茂れる「プラタノ」の林のほとりを過ぐ。葡萄の蔓は高く這ひのぼりて、林の木々にさへ纏ひたり。彼方(かなた)の山腹の(とが)りたるところにネミの市あり。其影は湖の底に(うつ)りたり。我等は花を採り、梢を折りて、(かつ)行き(かつ)編みたり。あらせいとうの間には、露けき橄欖(オリワ)の葉を織り込めつ。高き青空と深き碧水とは、(たちま)ち草木に(さへぎ)られ、乍ち又一様なる限なき色に現れ出づ。我がためには、物としてめでたく、珍らかならざるなし。平和なる歓喜の情は、我魂(わがたま)(ふる)はしめき。今に到るまで、この折の事は、埋没したる古城の彩石壁画(ムザイコゑ)の如く、我心目(しんもく)に浮び出つることあり。
 日は烈しかりき。湖の(ほとり)に降りゆきて、葡萄蔓(えびかづら)纏へる「プラタノ」の古樹(ふるき)の、長き枝を水の(おも)にさしおろしたる蔭にやすらひたる時、我等は(わづカ)に涼しさを迎へて、編みものに心()むることを得つ。水草の美しき(カしら)の、蔭にあゆて、(しつか)(うなつ)くさま、夢みる人の如し。これをも折りて編み込めつ。(しば)しありて、日の光は最早(もはや)水面に及ばずなりて、ネミとジエンツアノとの家々の屋根をさまよへり。我等が坐したるところは、次第にほの暗うなりぬ。我は遊ばむとて、(むれ)を離れたれど、岸低く、湖の深きを母上気づかひ給へば、数歩の外には出でざりき。ここには古きヂアナの(ほこら)(あと)あり。その破壊して(かた)ばかりになりたる(うち)に、大なる無花果樹(いちじく)あり。蔦蘿(つたかづら)(ひま)なきまでに、これにまつはれたり。われは此樹(このき)()ぢ上りて、環飾編みつゝ、流行の小歌うたひたり。

 (あはれ、赤き、赤き花よ。
 菫の束よ。
 恋のしるしの素馨(そけい)〔ジエルソミノ〕の花よ。)

この時あやしく咳枯(しはが)れたる声にて、歌ひつぐ人あり。

 (摘みて取らせむその人に。)

忽ちフラスカアチの農家の婦人の(よそほひ)したる(おうな)ありて、我前に立ち現れぬ。その背はあやしき迄真直(ますぐ)なり。その顔の色の目立ちて黒く見ゆるは、頭より肩に垂れたる、長き白紗(しろぎぬ)のためにや。(はだへ)の皺は繁くして、縮めたる網の如し。黒き瞳は(まぶち)(うつ)めん程なり。この媼は初め微笑(ほゝゑ)みつゝ我を見しが、(にわか)に色を正して、我面(わがおもて)を打ちまもりたるさま、傍なる木に寄せ掛けたる木乃伊(みいら)にはあらずや、と疑はる。暫しありていふやう。花はそちが手にありて美しくそなるべき。彼の日には(さいはひ)の星ありといふ。我は編みかけたる環飾を、我(くちびる)におし当てたるまゝ、驚きて彼の方を見居たり。媼またいはく。その月桂(ラウレオ)の葉は、美しけれど毒あり。飾に編むは好し。唇にな当てそといふ。此時アンジエリカ(まがき)の後より出でゝいふやう。賢き老女、フラスカアチのフルヰヤ。そなたも明日の祭の(しろ)にとて、環飾編まむとするか。さらずは日のカムパニヤのあなたに入りてより、常ならぬ花束を作らむとするかといふ。媼はかく問はれても、顧みもせで我面のみ打ち目守り、(ことば)()ぎていふやう。賢き目なり。日の金牛宮を過ぐるとき(うま)れぬ。名も(たから)も牛の角にかゝりたりといふ。此時母上も歩み寄りてのたまふやう。吾子が受領すべきは、(くろ)き衣と大なる帽となり。かくて後は、護摩(ごま)焚きて神に仕ふべきか、(いばら)の道を走るべきか。そはかれが運命に任せてむ、とのたまふ。媼は聞きて、我を僧とすべしといふ(こゝろ)ぞ、とは心得たりと覚えられき。されど当時は、我等悉く媼が詞の顛末(もとすゑ)()することは(あたは)ざりき。媼のいふやう。あらず。此児が衆人(もろひと)の前にて説くところは、げに格子の(うち)なる尼少女の歌より優しく、アルバノの山の(いかつち)より烈しかるべし。されどその時戴くものは大たる帽にあらず。(さいはひ)の座は、かの羊の群の間に白雲立てる、カヲの出上り高きものぞといふ。この詞のめでたげなるに、母上は喜び給ひながら、猶(いぶか)しげにもてなして、太き息つきつゝ宣給(のたま)ふやう。あはれなる()なり。行末をば聖母(マドンナ)こそ知り給はめ。アルバノの農夫の車より福の車は高きものを、かゝるをさな子りいかでか上り得むとのたまふ。媼のいはく。農車の輪のめぐるを見ずや。下なる()は上なる輻となれば、足を低き輻に踏みかけて、(めぐ)るに任せて登るときは、忽ち車の上にあるべし。(アルバノの農車はいと高ければ、農夫等かくして登るといふ。)唯だ道なる石に心せよ。市に舞ふ人もこれに(つまつ)(ならひ)ぞといふ。母上は半ば(たはぶれ)のやうに、さらばその福の車に、われも(とも)に登るべきか、と問ひ給ひしが、俄に打ち驚きてあなやと叫び給ひき。この時大なる鷙鳥(してう)ありて、さと落し来たりしし、その翼の前なる湖を()ちたるとき、飛沫(しぶき)は我等が(おもて)湿(うるほ)しき。雲の上にて、鋭くも水面(みのも)に浮びたる大魚を見付け、矢を射る如く来りて、(つか)みたるなり。(やいば)の如き爪は魚の背を穿(うが)ちたり。さて再び空に揚らむとするに、騒ぐ波にて測るにも、その大さはよの常ならぬ魚にしあれば、力を極めて引かれじと争ひたり。鳥も打ち込みたる爪抜けざれば、今更にその()ものを放つこと能はず。魚と鳥との(たゝかひ)はいよ/\激しく、湖水の(おもて)ゆらぐまに<幾重ともなき大なる環を画き出せり。鳥の翼は忽ち(をさ)まり、忽ち放たれ、魚の背は浮ぶかと見れば又沈みつ。数分時の後、双翼静に水を(おほ)ひて、鳥は憩ふが如く見えしが、俄にはた丶く勢に、偏翼(くだ)け折るゝ声、岸のほとりに聞えぬ。鳥は残れる翼にて、二たび三たび水を(たゝ)き、つひに沈みて見えずなりぬ。魚は最後の力を出して、敵を負ひて水底に下りしならむ。鳥も魚も、しばしが程に、底のみくづとなるならむ。我等は(ことば)もあらで、此光景(ありさま)を眺め居たり。事果てゝ後顧みれば、かの媼は在らざりき。


最終更新日 2005年09月10日 13時07分30秒

森鴎外訳『即興詩人』「花祭」2

 我等は詞少く帰路をいそぎぬ。森の木葉のしげみは、闇を吐き出だす如くなれど、夕照(ゆふばえ)は湖水に映じて(わつか)にゆくてに迷はざらしむ。この時聞ゆる単調なる物音は粉碾車(こひきぐるま)(きし)るなり。すべてのさま物凄く恐ろしげなり。アンジエリカはゆく<怪しき老女(おうな)が上を物語りぬ。かの媼は薬草を識りて、能く人を殺し、能く人を惑はしむ、オレワアノといふ所に、テレザといふ少女ありき。ジユウゼツペといふ若者が、山を越えて北の方へゆきたるを恋ひて、日にけに痩せ衰へけり。媼さらば其男を喚び返して得させむとてテレザが髪とジユウゼツペが髪とを結び合せて、(あかゞね)(うつは)に入れ、薬草を(まじ)へて煮き。ジユウゼッペは其日より、昼も夜も、テレザが上のみ案ぜられければ、何事をも打ち棄てて帰り来ぬとぞ。我は此物語を聞きつゝ、「アヱ、マリア」の祈をなしつ。アンジエリカが家に帰り着きて、我心は纔におちゐたり。
 新に編みたる環飾(わかざり)一つを懸けたる、真鍮の(ともしひ)には、四条(よすぢ)(しん)に残なく火を(とも)し、「モンツアノ、アル、ポミドロ」といふ(うま)きものに、善き酒一瓶(ひとびん)を添へて供せられき。農夫等は下なる一間にて飲み歌へり。二人代る/゛\唱へ、末の句に至りて、坐客(ひと)しく和したり。我が子供と共に、燃ゆる(かまど)の傍なる聖母(マドンナ)の像のみまへにゆきて、讃美歌唱へはじめしとき、農夫等は声を(とゞ)めて、我曲を聴き、好き声なりと(たゝ)へき。その嬉しさに我は暗き林をも、怪しき老女をも忘れ果てつ。我は農夫等と共に、即興の詩を歌はむとおもひしに、母上とゞめて宣給(のたま)ふやう。そちは香炉を(ひさ)ぐる子ならずや。行末は人の前に出でゝ、神のみことばをも伝ふべきに、今いかでかさる(たはぶれ)せらるべき。謝肉(カルネワレ)の祭はまだ来ぬものを、とのたまひき。されど我がアンジエリカが家の広き臥床(ふしど)に上りしときは、母上我枕の低きを(いと)ひて、肱さし伸べて枕せさせ、(たのみ)ある子ぞ、と胸に抱き寄せて眠り給ひき。我は(あさひ)の光窓を照して、美しき花祭の我を()び醒すまで、(おだやか)なる夢を結びぬ。
その(あした)先づ目に触れし街の有様。その彩色したる活画図を、当時の心になりて、写し出さむには、いかに筆を下すべきか。少しく爪尖(つまさき)あがりになりたる、長き街をば、すべて花もて(おほ)ひたり。地は青く見えたり。かく色を揃へて花を飾るには、園生(そのふ)の草をも、野に茂る枝をも、摘み尽し、折り尽したるかと疑はる。両側には大なる緑の葉を、帯の如く引きたり。その上には薔薇(さうび)の花を隙間なきまで並べたり。この帯の隣には又似寄りたる帯を引きて、その間をば暗紅なる花もて(うつ)めたり。これを街の(かも)小縁(さゝへり)とす。中央には黄なる花多く(あつ)めて、その角立ちたる紋を成したる群を星とし、その輪の如き紋を成したる束を日とす。これよりも骨折りて造り出でけんと思はるゝは、人の名頭(ながしら)の字を花もて現したるにぞありける。こゝにては花と花と(つら)ね、葉と葉と合せて形を作りたり。総ての模様は、まことに活きたる五色の氈と見るべく、又彩石(ムザイコ)を組み合せたる(ゆか)と見るべし。されどポムペイにありといふ床にも、かく美しき色あるはあらじ。このあした、風といふもの絶てなかりき。花の落着きたるさまは、重き宝石を据ゑたらむが如くなり。窓といふ窓よりは、大なる氈を垂れて石の壁を(おほ)ひたり。この氈も、花と葉とにて織りて、おほくは聖書に出でたる事蹟の図を成したり。こゝには聖母(マドンナ)(をさな)き基督とを()せたる(うさぎうま)あり、ジユウゼツぺその口を取りたり。顔、手、足なんどをば、薔薇の花もて作りたり。こあめせいとう(マチオラ)の花、青き「アネモオネ」の花などにて、風に(ひるがへ)りたる衣を織り成せり。その(かんむり)を見れば、ネミの湖にて摘みたる白き睡蓮(ひつじぐさ)(ニユムフエア)の花なりき。かしこには尊きミケルの毒竜と闘へるあり。尊きロザリアは深碧なる地球の上に、薔薇の花を散らしたり。いづかたに向ひて見ても、花は我に聖書の事蹟を語れり。いづかたに向ひて見ても、人の面は我と同じく楽しげなり。美しき衣着装ひて、出張りたる窓に立てるは、山のあなたより来し異国人(ことくにひと)なるべし。街の側には、おのがじし飾り(つくろ)ひたる人の波打つ如く行くあり。街の曲り角にて、大なる噴井(ふんせい)あるところに、母上は腰掛け給へり。我は水よりさしのぞきたるサチロ(羊脚の神)の神の(かしら)の前に立てり。
 日は烈しく照りたり。市中の鐘ことごとく鳴りはじめぬ。この時美しき花の(かも)を踏みて、祭の行列過ぐ。めでたき音楽、誕歌の声は、その近づくを知らせたり。贄櫃(モンストランチア)の前には、(ちご)あまた提香炉(ひさげかうろ)を振り動かして歩めり。これに続きたるは、こゝらあたりの美しき少女を撰り出でゝ、花の環を取らせたるなり。もろ肌ぬぎて、翼を負ひたる、あはれなる小児等は、高卓(たかつくゑ)の前に立ちて、神の使の歌をうたひて、行列の来るを待てり。若人等は尖りたる帽の上に、聖母の像を(しる)したる紐のひら<としたるを付けたり。鎖に金銀の環を繋ぎて、(うなじ)に懸けたり。(なゝめ)に肩に掛けたる、彩りたる紐は、黒天鵝絨(くろビロオド)の上衣に映じて美し。アルバノ、フラスカアチの少女の群は、髪を編みて、(しろかね)()にて留め、薄き面紗(ヱエル)の端を、やさしく(もとゞり)の上にて結びたり。ヱルレトリの少女の群は、頭に環かざりを戴き、美しき肩、(まろ)き乳房の露るゝやうに着たる衣に、襟の辺より、彩りたる(きれ)を下げたり。アプルツチイよりも、大沢(たいたく)よりも、おほよそ近きほとりの民悉くつどひ来て、おのおの古風を存じたる打扮(いでたち)したれば、その入り乱れたるを見るときは、余所(よそ)の国にはあるまじき奇観なるべし。花を飾りたる天蓋の下に、華美(はでやか)なる式の衣を着けて歩み来るは、「カルヂナアレ」なり。さま/゛\の宗派に属する僧は、燃ゆる蝋燭を取りてこれに随へり。行列のことごとく寺を離るゝとき、群衆はその後に()いて動きはじめき。我等もこの間にありしが、母上はしかと我肩を(おさ)へて、人に押し隔てられじとし給へり。我等は人に揉まれつゝ(あゆみ)を移せり。我目に見ゆるは、唯だ頭上の青空のみ。忽ち我等がめぐりに、人々の諸声(もろごゑ)に叫ぶを聞きつ。我等は彼方(かなた)へおし()られ、又此方(こなた)へおし戻されき。こは一二頭の仗馬(ちやうめ)の物に()ぢて駆け出したるなり.、われは(わつか)にこの事を聞きたる時、騒ぎ立ちたる人々に推し倒されぬ.、目の前は黒くなりて、頭の上には瀑布(たき)の水(みなぎ)り落つる如くなりき。
あはれ、神の母よ、(あはれ)なる事なりき。われは今に至るまで、その時の事を(おも)ふごとに、身うち(ふる)ひて止まず。我にかへりしとき、マリウタイは泣き叫びつゝ、我頭を膝の上に載せ居たり。(かたへ)には母上地に(よこたは)り居給ふ。これを囲みたるは、見もしらぬ人々なり。馬は車を引きたる儘にて、(たふ)れたる母上の上を過ぎ、(わだち)は胸を砕きしなり。母上の口よりは血流れたり。母上は早や事きれ給へり。
人々は母上の目を(ねむ)らせ、その(たなそこ)を合せたり。この掌の温きをば今まで我肩に覚えしものを。遺体をば、僧たち寺に()き入れぬ。マリウチアは手に浅痍(あさで)負ひたる我を伴ひて、さきの酒店に帰りぬ。きのふは此酒店にて、楽しき事のみおもひつゝ、花を編み、母上の(かひな)を枕にして眠りしものを。当時わがいよ/\まことの(みなしご)になりしをば、まだ()くも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも、唯だ何となく物悲しかりき。人々は我に果子(くわし)、くだもの、玩具(もてあそびもの)など与へて、なだめ(すか)し、おん身が母は今聖母の許にいませば、日ごとに花祭ありて、めでたき事のみなりといふ。又あすは今一度母上に逢はせんと慰めつ。人々は我にはかく云ふのみなれど、互にさゝやぎあひて、きのふの鷙鳥の事、怪しき媼の事、母上の夢の事など語り、誰も<母上の死をば(あらかじ)め知りたりと誇れり。
 暴馬(あれうま)は街はづれにて、立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々(よはひ)四十の上を一つ二つ()えたる貴人(あてひと)の驚怖のあまりに気を(うしな)はんとしたるを助け出だしき。人の噂を聞くに、この貴人はボルゲエゼの(うから)にて、アルバノとフラスカアチとの間に、大なる別墅(べつしよ)を構へ、そこの(その)にはめづらしき草花を植ゑて(たのしみ)とせりとなり。世にはこの翁もあやしき薬草を知ること、かのフルヰアといふ媼に劣らずなど云ふものありとそ。此貴人の使なりとて、「リフレア」着たる(しもべ)盾銀(たてぎん)(スクヂイ)二十枚入りたる(ふくろ)を我に(おく)りぬ。
 翌日の夕まだ「アヱ、マリァ」の鐘鳴らぬほどに、人々我を伴ひて寺にゆき、母上に暇乞(いとまごひ)せしめき。きのふ祭見にゆきし晴衣(はれぎ)のまゝにて、狭き木棺の裡に臥し給へり。我は合せたる(たなそこ)に接吻するに、人々共音(ともね)に泣きぬ。寺門には(ひつぎ)(にな)ふ人立てり。送りゆく僧は白衣着て、帽を垂れ面を覆へり。柩は人の肩に上りぬ。「カツプチノ」僧は蝋燭に火をうつして挽歌をうたひ始めたり。マリウチアは我を()きて柩の(がたへ)に随へり。斜日(ゆふひ)(おほ)はざる棺を射て、母上のおん顔は生けるが如く見えぬ。知らぬ子供あまたおもしろげに我めぐりを馳せ廻りて、燭涙の地に墜ちて凝りたるを拾ひ、反古(ほご)(ねぢ)りて作りたる筒に入れたり。我等が行くは、きのふ祭の行列の(よぎ)りし街なり。木葉も草花も猶地上にあり。されど当時織り成したる華紋(けもん)は、吾少時の(さいはひ)(とも)に、きのふの祭の(たのしみ)と倶に、今や跡なくなりぬ。幽堂の穹嶐(つかあな)を塞ぎたる大石を()退()け、柩を下しゝに、底なる(ほか)の柩と相触れて、かすかなる響をなせり。僧等の去りしあとにて、マリウチアは我を石上に(ひざまつ)かせ、「オオラ、プロオ、ノオビス」(禧為我等(われらがためにいのれ))を唱へしめき。
 ジエンツアノを立ちしは月あかき夜なりき。フエデリゴと知らぬ人ふたりと我を伴ひゆく。濃き雲はアルバノの(いたゞき)(めぐ)れり。我がカムパニアの野を飛びゆく軽き霧を眺むる間、人々はもの言ふこと少かりき。(いくばく)もあらぬに、我は車の中に眠り、聖母を夢み、花を夢み、母上を夢みき。母上は猶生きて、我にものいひ、我顔を見てほゝ笑み給へり。



最終更新日 2005年09月10日 16時26分42秒

森鴎外訳『即興詩人』「蹇丐」

蹇丐(けんかい)
 羅馬なる母上の住み給ひし家に帰りし後、人々は我をいかにせんかと議するが中に、フラア・マルチノはカムパニアの野に羊飼へる、マリウチアが父母にあづけんといふ。盾銀二十は、牧者が上にては得易(えやす)からぬ宝なれば、この児を家におきて養ふはいふもさらなり、又心のうちに喜びて迎ふるならん。さはあれ、この児は既に半ば出家したるものなり。カムパニアの野にゆきては、香炉を提げて寺中の職をなさんやうなし。かくマルチノの心たゆたふと共に、フエデリゴも云ふやう。われは此児をカムパニアにやりて、百姓にせんこと惜しければ、この羅馬市中にて、然るべき人を見立て、これにあづくるに若かずといふ。マルチノ思ひ定めかねて、僧たちと謀らんとて(いぬ)る折柄、ペツポのをぢは例の木履(きぐつ)を手に穿きていざり来ぬ。をぢは母上のみまかり給ひしを聞き、又人の我に盾銀二十を(おく)りしを聞き、母上の追悼(くやみ)よりは、かの金の発落(なりゆき)のこゝろづかひのために、こゝには(おとづ)れ来ぬるなり。をぢは声振り立てゝいふやう。この(みなしご)(うから)にて世にあるものは、今われひとりなり。孤をばわれ引き取りて世話すべし。その代りには、此家に残りたる物悉くわが方へ受け収むべし。かの盾銀二十は勿論なりといふ。マリウチアは臆面せぬ女なれば、進み出でゝ、おのれフラア・マルチノ其余の人々とこゝの始末をば油断なく取り行ふべければ、おのが一身をだにもてあましたる乞丐(かたゐ)(やく)なきこと言はんより、()く帰れといふ。フエデリゴは席を立ちぬ。マリウチアとペツボのをぢとは、跡に残りてはしたなく言ひ罵り、いつれも多少の利慾を離れざる、きたなき争をなしたり。マリウチアのいふやう。この児をさほど欲しと思はゞ、直に連れて帰りても好し。若し(あばら)二三本打ち折りて、おなじやうなる畸形(かたは)となし、往来(ゆきき)の人の袖に(すが)らせんとならば、それも好し。盾銀二十枚をば、われこゝに持ち居れば、フラア・マルチノの来給ふまで、決して他人に渡さじといふ。ペッポ怒りて、(かたくな)なる女かな、この木履(きぐつ)もてそちが頭に、ピアツツア、デル、ポ丶ロの通衢(おほち)のやうなる穴を穿()けんと叫びぬ。われは二人が間に立ちて、泣き居たるに、マリウチアは我を推しやり、をぢは我を引き寄せたり。をぢのいふやう。唯だ我に随ひ来よ。我を頼めよ。この負担だに我方にあらば、その報酬も受けらるべし。羅馬の裁判所に公平なる沙汰なからんや。かく云ひつゝ、強ひて我を()きて戸を出でたるに、こゝには襤褸(ぼろ)着たる童ありて、一頭の(うさぎうま)()けり。をぢは遠きところに往くとき、又急ぐことあるときは、枯れたる足を、驢の両脇にひたと押し付け、おのが身と驢と一つ体になりたるやうにし、例の木履のかはりに走らするが常なれば、けふもかく()りて来しなるべし。をぢは我をも驢背に抱き上げたるに、かの童は後より一鞭加へて駆け出させつ。途すがらをぢは、いつもの厭はしきさまに(すか)し慰めき。見よ吾児。よき驢にあらずや。走るさまは、「コルソオ」の競馬(くらべうま)にも似ずや。我家にゆき着かば、楽しき世を送らせん。神の使もえ()けぬやうなる饗応(もてなし)すべし。この話の末は、マリウチアを罵る千言万句、いつ果つべしとも覚えざりき。をぢは家を遠ざかるにつれて、驢を(むちう)たしむること少ければ、道行く人人皆このあやしき凹騎(ふたりのり)に目を()けて、美しき児なり、何処(いつく)よりか盗み来し、と問ひぬ。をぢはその度ごとに我身上話を繰り返しつ。この話をば、ほと<道の曲りめごとに(さら)へ行くほどに、売漿婆(みつうりばゞ)はをぢが長物語の(むくい)に、檸檬水(リモネすゐ)一杯を(たゞ)にて与へ、をぢと我とに分ち飲ましめ、又(わかれ)に臨みて我に(さね)の落ち去りたる松子(まつのみ)一つ得させつ。
 まだをぢが(すみか)にゆき落かぬに、日は暮れぬ。我は一言をも出さず、顔を掩うて泣き居たり。をぢは我を抱き卸して、例の大部屋の(かたへ)なる狭き一間につれゆき、一隅(ひとすみ)玉蜀黍(たうもろこし)(さや)敷きたるを指し示し、あれこそ汝が臥所(ふしど)なれ、さきには善き檸檬水呑ませたれば、まだ喉も乾かざるべく、腹も減らざるべし、と我頬を撫でゝ微笑みたる、その(おもて)恐しきこと譬へんに物なし。マリウチアが持ちたる(ふくろ)には、猶銀幾ばくかある。馭者(ヱツツリノ)に与ふる銭をも、あの中よりや出しゝ。貴人(あてびと)(しもべ)は、金もて来しとき、何といひしか。かく問ひ掛けられて、我はたゞ知らずとのみ答へ、はては泣声になりて、いつまでもこゝに居ることにや、あすは家に帰らるゝことにや、と問ひぬ。勿論なり。いかでか帰られぬ事あらん。おとなしくそこに(いね)よ。「アヱ、マリア」を唱ふることを忘るな。人の眠る時は鬼の醒めたる時なり。十字を()りて寝よ。この鉄壁をば(ほゆ)る獅子も越えずといふ。神を祈らば、あのマリウチアの腐女(くさりをんな)が、そちにも我にも難儀を掛けたるを訴へて、毒に(あた)り、悪瘡を発するやうに呪へかし。おとなしく寝よ。小窓をば開けておくべし。涼風(すゞかぜ)夕餉(ゆふげ)(なかば)といふ(ことわざ)あり。蝙蝠(かはほり)をなおそれそ。かなたこなたへ飛びめぐれど、入るものにはあらず。神の子と共に熟寝(うまい)せよ。斯く云ひ(をは)りて、をぢは戸を()ぢて去りぬ。
 をぢの部屋には久しく立ち働く音聞えしが、今は人あまた(つど)へりと(おぼ)しく、さま/゛\の声して、戸の(ひま)よりは光もさしたり。部屋のさまは見まほしけれど、枯れたる玉蜀黍の莢のさわ<と鳴らば、おそろしきをぢの又入来ることもやと、いと(しつか)に起き上りて、戸の隙に目をさし寄せつ。燈心は二すぢともに燃えたり。(つくゑ)には麪包(パン)あり、莢(だいこん)あり。一瓶の酒を置いて、丐児(かたゐ)あまた(さかづき)のとりやりす。一人として畸形(かたは)ならぬはなし。いつもの顔色には似もやらねど、知らぬものにはあらず。昼はモンテ、ピンチヨオの草を(しとね)とし、繃帯したる頭を木の幹によせかけ、僅に唇を(うこか)すのみにて、(かたへ)(はべ)らせたる妻といふ女に、熱にて死に(なん<)としたる我夫を憐み給へ、といはせたるロレンツオは、高趺(たかあぐら)かきて面白げに饒舌(しやべ)り立てたり。(注。モンテ、ピンチヨオには園あり。西班牙磴(スパニアいしだん)法蘭西(フランス)大学院よりポルタ、デル、ポ丶ロに至る。羅馬の(まち)の過半とヰルラ、ボルゲエゼの内苑とはこゝより見ゆ。)十指()ちたるフランチアは盲婦カテリナが肩を叩きて、「カワリエ丶レ、トルキノ」の曲を歌へり。戸に近き二人三人は蔭になりて見えわかず。話は我上なり。我胸は騒ぎ立ちぬ。あの小童(こわつば)物の用に立つべきか、身内に何の畸形なるところかある、と一人云へば、をぢ答へて。聖母は無慈悲にも、(きず)一つなく育たせしに、(たけ)伸びて美しければ、貴族の子かとおもはるゝ程なりといふ。(さち)なきことよ、と皆口々に笑ひぬ。(めしひ)たるカテリナのいふやう。さりとて聖母(マドンナ)の天上の(いひ)(たま)ふまでは、此世の飯をもらふすべなくては(かな)はず。手にもあれ、足にもあれ、人の目に立つべき創つけて、我等が群に入れよといふ。をぢ。否ζ母親だに迂濶(うくわつ)ならずば、今日を待たず、善き金の(つる)となすべかりしものを。神の使のやうなる善き声なり。法皇の怜人(れいじん)には恰好(かつかう)なる童なり。人々は我齢(わがよはひ)を算へ、我がために()さでかなはぬ事を商量したり。その何事たるかは知らねど、善きことにはあらず。奈何(いかに)してこゝをば(のが)れむ。われは穉心(をさなごゝろ)にあらん限りの智慧を絞り出しつ。(もと)よりいづこをさして往かんと迄は、一たびも思ひ計らざりき。鋪板(ゆか)を這ひて窓の下にいたり、木片(きのきれ)ありしを踏台にして窓に上りぬ。家は皆戸を閉ぢたり。街には人行絶(ゆきた)えたり。■るゝには飛びおるゝより外に道なし。されどそれも恐ろし。とつおいつする折しも、この狭き間の戸ざしに手を掛くる類き音したれば、覚えず窓縁(まどぶち)をすべりおちて、石垣つたひに地に墜ちぬ。身は少し痛みしが、幸にこゝは草の上なりき。
 跳ね起きて、いづくを(あて)ともなく、狭く曲りたる(こうち)を走りぬ。途にて逢ひたるは、杖もて敷石を(た丶)き、高声にて歌ふ男一人のみなりき。しばらくして広きところに出でぬ。こゝは見覚あるフオ丶ルム、ロマアヌムなりき。常は牛市と呼ぶところなり。



最終更新日 2005年09月11日 09時09分20秒

森鴎外訳『即興詩人』「露宿、わかれ」

露宿、わかれ
 月はカピトリウム(羅馬七陵の一)の背後を照せり。セプチミウス・セヱルス帝の凱旋門に登る(いしだん)の上には、大外套(がぶ)りて()したる乞児(かたゐ)二三人あり。(いにしへ)の神殿のなごりなる高き石柱は、長き影を地上に(しる)せり。われはこの(ゆふべ)まで、日暮れてこゝに来しことなかりき。鬼気は少年の衣を襲へり。(あゆみ)をうつす間、高草の底に横はりたる大理石の柱頭に(つまつ)きて倒れ、また起き上りて帝王堡(ていわうほ)の方を仰ぎ見つ。高き石がきは、(まつ)はれたる(つた)かづらのために、いよゝおそろし気なり。青き空をかすめて、ところ/゛\に立てるは、真黒におほいなるいとすぎの木なり。(こは)れたる柱、砕けたる石の間には、放飼(はなしがひ)(うさぎうま)あり、牛ありて草を()みたり。あはれ、こゝには猶我に迫り、我を(くるし)めざる生物(いきもの)こそあれ。
 月あきらかなれば、物として見えぬはなし。遠き方より人の来り近づくあり。若し我を(もと)むるものならば奈何(いかん)せん。われは巨巌の如くに我前に在る「コリゼエオ」に(かく)れたり。われは猶きのふ(らく)したる如き重廊の上に立てり。こゝは暗くして且(ひやゝか)なり。われは二あし三あし進み入りぬ。されど谺響(こだま)にひゞく足音おそろしければ、(しつか)(あゆみ)を運びたり。先の方には焚火する人あり。三人の形明に見ゆ。寂しきカムパニアの野辺を夜更けては過ぎじとて、こゝに宿りし農夫にやあらん。さらずばこゝを(まも)る兵士にや。はた(ぬすびと)にや。さおもへば打物(うちもの)の石に触るゝ音の聞ゆる如し。われは却歩(あとしざり)して、高き円柱(まろばしら)の上に、木梢(こずゑ)蔦蘿(つたがづら)とのおほひをなしたるところに出でぬ。石がきの面をばあやしき影往来(ゆきき)す。処々に()け出でたる截石(ぎりいし)(まさ)(おち)んとして僅に懸りたるさま、唯だ蔓草にのみ支へられたるかと疑はる。
 上の(かた)なる中の(わたどの)を行く人あり。旅人の此古跡の月を見んとて来ぬるなるべし。その一群(ひとむれ)のうちには白き衣着たる婦人あり。案内者に続松(ついまつ)とらせて行きつゝ、柱しげき間に、忽ち顕れ忽ち隠るゝ光景(ありさま)今も見ゆらん心地す。
 暗碧なる夜は大地を(おほ)ひ来たり。高低さま/゛\なる木は天鵝絨(ビロオド)の如き色に見ゆ。一葉ごとに夜気を吐けり。旅人のかへり行くあとを見送りて、ついまつの赤き光さへ見えずなりぬる時、あたりは(げき)として物音絶えたり。この遺祉のうちには、耶蘇(ヤソ)教徒が立てたる木卓(きづくゑ)あまたあり。その一つの片かげに、柱頭ありて草に(うづ)もれたれば、われはこれに腰掛けつ。石は氷の如く(ひやゝか)なるに、我頭の熱さは熱を病むが如くなりき。(いね)られぬまゝに思ひ出づるは、この「コリゼエオ」の昔語(むかしがたり)なり。猶太(ユダヤ)教奉ずる囚人が、羅馬の(みかど)の厳しき(おほせ)によりて、大石を引き上げさせられしこと、この平地にて獣を闘はせ、又人と獣と相搏(あひう)たせて、前低く後高き(わたどの)の上より、あまたの市民これを観きといふ事、皆我当時の心頭に上りぬ。
 そも/\この「コリゼエオ」は楕円なる四層のたてものにして、「トラヱルチイノ」石もてこれを造る。層ごとに組かたを(こと)にす。「ドロス」、「イオン」、「コリントス」の柱の式皆備はりたり。基督生れてより七十余年の後、ヱスパジアヌス帝の時、この工事を起しつ。これに(えき)せられたる猶太(ユダヤ)教徒の数一万二千人とそ聞えし。櫛形の迫持(せりもち)八十ありて、これをめぐれば千六百四十一歩。平地の周匝(めぐり)には八万六千坐を設け、(いたゞき)に二万人を立たしむべかりきといふ。今はこゝにて基督教の祭儀を執行せしむ。バイロン卿詩あり。
  この(には)のあらん限は
  内日刺(うちひさ)す都もあらん
  このにはのなからん時は
  うちひさす都もあらじ
  うちひさす都あらずば
  あはれ<この世間(よのなか)もあらじとぞおもふ
 頭の上にあたりて物音こそすれ。見あぐれば物の動くやうにこそおもはるれ。影の如き人ありて、(つち)(ふる)ひ石をたゝむが如し。その人を見れば、色蒼ざめて黒き(ひげ)長く生ひたり。これ話に聞きし猶太教徒なるべし。積み(かさ)ぬる石は見る<高くなりぬ。「コりゼエオ」は再び昔のさまに立ちて、幾千万とも知られぬ人これに満ちたり。長き白き衣着たるヱスタの神の巫女(みこ)あり。帝王の座も設けられたり。赤条(あかはだか)なる力士の血を流せるあり。低き(わたどの)の方より叫ぶ声、吼ゆる声聞ゆ。忽ち虎豹(こへう)の群ありて我前を(はし)り過ぐ。我はその血ばしる眼を見、その熱き息に触れたり。あまりのおそろしさに、かの柱頭にひたと抱きつきて、聖母(マドンナ)御名(みな)をとなふれども、物騒がしさは未だ止まず。この怪しき物共の群りたる間にも、幸なるかな、大なる十字架の(きつ)として立てるあり。こはわがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目当に走り寄りて、(しか)と抱きつくほどに、石落ち柱倒れ、人も獣もあらずなりて、我は()た人事をしらず。
 人心地(ひとごゝち)つきたる時は、熱すでに退()きたれど、身は尚いたく疲れて、われはかの木づくりの十字架の下に臥したり。あたりを見るに、怪しき事もなし。夜は静にして、高き石垣の上には鶯鳴けり。われは耶蘇をおもひ、その母をおもひぬ。わが母上は今あらねば、これよりは耶蘇の母ぞ我母なるべき。われは十字架を抱きて、その柱に頭を寄せて眠りぬ。
 幾時をか眠りけん。歌の声に醒むれば、石垣の頂には日の光かゞやき、「カツプチノ」僧二三人臘燭を()りて(つくゑ)より卓に歩みゆきつゝ、「キユリエ、エレイソン」(主よ、憫め)と歌へり。僧は十字架に来り近づきぬ。俯して我面(わがおもて)を見るものは、フラア・マルチノなりき。わが色蒼ざめてこゝにあるを(いぶか)りて、何事のありしそと問ひぬ。われはいかに答へしか知らず。されどペツボのをぢの恐ろしさを聞きたるのみにて、僧は我上(わがうへ)(すゐ)し得たり。我は衣の袖に(すが)りて、我を見棄て給うなと願ひぬ。(つれ)なる僧もわれをあはれと思へる如し。かれ等は皆我を知れり。われはその部屋をおとつれ、彼等と共に寺にて歌ひしことあり。
 僧は我を伴ひて寺に帰りぬ。壁に木板の画を(てう)したる(へや)に入り、檸檬樹(レモネ)の枝さし入れたる窓を見て、われはきのふの苦を忘れぬ。フラア・マルチノは我をペツボが許へは還さじと誓ひ給へり。同寮の僧にも、このちごをば(あしな)へたる丐児(かたゐ)にわたされずとのたまふを聞きつ。
 (ひる)のころ僧は莢箙(おほね)麪包(パン)、葡萄酒を取り来りて我に飲啖(いんたん)せしめ、さて(かたち)を正していふやう。便(びん)なき(わらべ)よ。母だに世にあらば、この(わかれ)はあるまじきを。母だに世にあらば、この寺の内にありて、尊き御蔭(みかげ)(かうむ)り、安らかに人となるべかりしを。今は是非なき事となりぬ。そちは波風荒き海に浮ばんとす。寄るところは一ひらの板のみ。血を流し給へる耶蘇、涙を(おと)し給ふ聖母(マドンナ)をな忘れそ。()(うから)といふものは、その外にあらじかし。此詞(このことば)を聞きて、われは身を震はせ、さらば我をばいづかたにか()らんとし給ふと問ひぬ。これより僧は、われをカムパニアの野なる牧者夫婦にあづくること、二人をば父母の如く敬ふべき事、がねて教へおきし祈檮の詞を忘るべからざる事など語り出でぬ。夕暮にマリウチアと其父とは寺門迄迎へに来ぬ。僧はわれを伴ひ出でゝ引を渡しつ。この牧者のさまを見るに、衣はペツボのをぢのより()りたるべし。塵を(かうむ)り、裂けやぶれたる皮靴を穿き、膝を露し、野の花を挿したる尖帽を戴けり。かれは跪きて僧の手に接吻し、我を顧みて、かゝる美しき童なれば、我のみかは、妻も喜びてもり育てんと誓ひぬ。マリウチアは財嚢(かねいれ)を父にわたしつ。われ等四人はこれより寺に入りて、人々皆黙祷す。われも共に跪きしが、祈祷の詞は出でざりき。我眼は久しき馴染(なじみ)の諸像を見たり。戸の上高きところを舟に乗りてゆき給ふ耶蘇、贄卓(にへつくゑ)の神の使、美しきミケルはいふもさらなり、蔦かづらの環を戴きたる髑髏(されかうべ)にも暇乞(いとまごひ)しつ。別に臨みて、フラア・マルチノは手を我頭上に加へ、晩餐式施行法(モオドオ、ヂ、セルヰレ、ラ、サンクタ、メツサア)と題したる、絵入の小冊子を贈りぬ。
 既に別れて、ピアツツア、バルベリイニの街を過ぐとて、仰いで母上の住み給ひし家をみれば、窓といふ窓(こと/゛\)く開け放たれたり。新しきあるじを待つにやあらん。



最終更新日 2005年09月12日 12時06分48秒

森鴎外訳『即興詩人』「曠野」

曠野
 羅馬城のめぐりなる大曠野は、今我すみかとなりぬ。古跡をたつね、美術を(きは)めんと、初てテヱエル河畔の古都に近づくものは、必ずこの荒野に(あゆみ)をとゞめて、これを万国史の一ひらと看做(みな)すなり。起てる丘、伏したる谷、おほよそ眼に触るゝもの、一つとして史冊中の奇怪なる古文字にあらざるなし。画工の(きた)るや、(いにしへ)の水道のなごりなる、寂しき櫛形迫持(せりもち)を写し、羊の(むれ)(ひぎ)ゐたる牧者を写し、さてその前に枯れたる(あざみ)を写すのみ。帰りてこれを人に示せば、看るもの皆めでくつがへるなるべし。されど我と牧者とは、おの<其情(そのじやう)を殊にせり。牧者は久しくこゝに住ひて、この(こが)れたる如き草を見、この熱き風に吹かれ、こゝに行はるゝ疫癘(えやみ)に苦められたれば、唯だあしき(かた)()まはしき方のみをや思ふらん。我は此景に対して、いと面白くぞ覚えし。平原の一面なる山々の濃淡いろ<なる緑を染め出したる、おそろしき水牛、テヱエルの黄なる流、これを(さかのぼ)る舟、岸辺を牽かるゝ(くびぎ)負ひたる牧牛、皆日新しきものゝみなりき。われ等は流に溯りて行きぬ。足の(もと)なるは(たけ)低く黄なる草、身のめぐりなるは茎長く枯れたる薊のみ。十字架の側を過ぐ。こは人の殺されたるあとに立てしなり。架に近きところには、盗人(ぬすびと)(むくろ)の切り砕きて棄てたるなり。隻腕(かたうで)隻脚(かたあし)は猶その形を存じたり。それさへ心を寒からしむるに、我栖(わがすみか)はこゝより遠からずとそいふなる。
 此家(このや)は古の墳墓の址なり。この(たぐひ)の穴こゝらあれば、牧者となるもの大抵これに住みて、身を(まも)るにも、又身を安んずるにも、事足れりとおもへるなり。用なき(くぼみ)をば(うつ)め、いらぬ(すきま)をば(ふさ)ぎ、上に草を()けば、家すでに成れり。我牧者の家は丘の上にありて両層あり。(せま)き戸口なるコリントスがたの柱は、当初墳墓を築きしときの面影なるべし。石垣の間なる、幅広き三条(みすぢ)の柱は、後の修繕ならん。おもふに中古は(とりで)にやしたりけん。戸口の上に穴あり。これ窓なるべし。屋根の(なかば)葦簾(よしすだれ)に枯枝をまじへて葺き、半は又枝さしかはしたる古木をその(まゝ)に用ゐたるが、その稍よりは忍冬(にんどう)(カプリフオリウム)の蔓長く垂れて石垣にかゝりたり。
 こゝが家ぞ、と途すがら一言(ひとこと)も物いはざりしベネデツトオ告げぬ。われは怪しげなる家を望み、またかの盗人の屍をかへり見て、こゝに住むことか、と問ひかへしつ。(おきな)にドメニカ、ドメニカと呼ばれて、荒栲(あらたへ)汗衫(はだぎ)ひとつ着たる(おうな)出でぬ。手足をばことごとく(あらは)して髪をばふり乱したり。媼は我を抱き寄せて、あまたゝび接吻す。夫の詞少きとはうらうへにて、この媼はめづらしき饒舌なり。そなたは薊生ふる沙原より、われ等に授けられたるイスマエル(亜伯拉罕(アブラハム)の子)なるぞ。されどわが饗応(もてなし)には足らぬことあらせじ。天上なる聖母(マドンナ)に代りて、われ汝を育つべし。臥床(ふしど)はすでにこしらへ置きぬ。豆も()えたるべし。ベネデツトオもそなたも食卓に就け、マリウチアはともに来ざりしか。尊き(て丶)(法皇)を拝まざりしか。■(ラカン)をば忘れざりしならん。真鍮の(かぎ)をも。新しき聖母の像をも。旧きをば最早形見えわかぬ迄接吻したり。ベネデツトオよ。おん身ほど物覚好き人はあらじ。わがかはゆきベネデツトオよ。かく語りつゞけて、狭き一間(ひとま)に伴ひ入りぬ。後にはこの一間、わがためには「ワチカアノ」(法皇の宮)の広間の如く思はれぬ。おもふに我詩才を生み出しゝは、此ひとつ()ならんか。
 若き棕櫚(しゆろ)(おもき)を負ふこといよ<大にして、長ずることいよ<早しといふ。我空想も(また)この狭き処にとち込められて、(かへ)りて大に発達せしならん。(いにしへ)の墳墓の常とて、此家(このや)には中央なる広間あり。そのめぐりには、許多(あまた)小龕(せちがん)並びたり。又二重の幅(ひろ)き棚あり。処々色かはりたる石を(たゝ)みて紋を成せり。一つの龕をば食堂とし、一つには壷鉢などを蔵し、一つをば(くりや)となして豆を煮たり。
 老夫婦は祈祷して(つくゑ)に就けり。食(をは)りて媼は我を()きて(はしご)を登り、二階なる二龕にいたりぬ。是れわれ等三人の臥房(ねべや)なり。わが龕は戸口の向ひにて、戸口よりは最も遠きところにあり。臥所(ふしと)の側には、二条(ふたすち)の木を交叉(くひちが)はせて、其間に布を張り、これにをさな子一人()せたり。マリウチアが子なるべし。媼が我に「アヱ、マリア」唱へしむるとき、美しき色沢(いうつや)ある蜥蝎(とかげ)我が側を走り過ぎぬ。おそろしき物にはあらず、人をおそれこそすれ、(たえ)てものそこなふものにはあらず、と云ひつゝ、かの穉児(をさなご)をおのが龕のかたへ(うつ)しつ。壁に石一つ()け落ちたるところあり。こゝより青空見ゆ。黒き蔦の葉の鳥なんどの如く風に揺らるゝも見ゆ。我は十字を切りて(ねむり)に就きぬ。亡き母上、聖母(マドンナ)、刑せられたる盗人(ぬすびと)の手足、皆わが怪しき夢に入りぬ。
 翌朝より雨ふりつゞきて、戸は開けたれどいと(くら)き小部屋に籠り屈たり。わが帆木綿(ほもめん)の上なる穉子をゆすぶる(かたへ)にて、媼は(からむし)うみつゝ、我に新しき祈祷を教へ、まだ聞かぬ(ひじり)の上を語り、またこの野辺に出つる劫盗(おひはぎ)の事を話せり。劫盗は旅人を覗ふのみにて、牧者の家(など)へは来ることなしとぞ。食は(ねぎ)麪包(パン)などなり。皆(うま)し。)されど一間(ひとま)にのみ籠り居らんこと物憂きに堪へねば、媼は我を慰めんとして、戸の前に小溝を掘りたり。この小テヱエル河は、をやみなき雨に黄なる流となりて、いと(ゆる)やかにながるめり。さて木を刻み(あし)()りて作りたるは羅馬よりオスチア(テヱエル河口の港)にかよふなる帆かけ舟なり。雨あまり劇しきときは、戸をさして闇黒裡に坐し、媼は苧をうみ、われは羅馬なる寺のさまを思へり。舟に乗りたる耶蘇は今面前に見ゆる心地す。聖母の雲に()りて、神の使の童供に()かせ給ふも見ゆ。環かざりしたる髑髏(されかうべ)も見ゆ。
 雨の時過ぐれば、月を()ゆれども曇ることなし。われは走り出でゝ遊びありくに、媼は戒めて遠く行かしめず、又テヱエルの河近く寄らしめず。この岸は土(ゆる)ければ、踏むに従ひて(くづ)るゝことありといへり。そが上、岸近きところには水牛あまたあり。こは猛さ獣にて怒るときは人を殺すと聞く。されど我はこの獣を見ることを好めり。蟒蛇(おろち)の鳥を呑むときは、鳥自ら飛びて其(のんど)に入るといふ類にやあらん。この獣の赤き目には、怪しき光ありて、我を引き寄せんとする如し。又此獣の馬の如く走るさま、力を極めて相闘ふさま、皆わがために興ある事なりき。我は見たるところを(すな)に画き、又歌につゞりて歌ひぬ。媼は我声のめでたきを(たゝ)へて止まず。
 時は暑に向ひぬ。カムパニアの野は火の海とならんとす。潴水(たまりみつ)は悪臭を放てり。朝夕のほかは、戸外に出づべからず、かゝる苦熱はモンテ、ピンチヨオにありし身の知らざる所なり。かしこの夏をば、我猶
(おぼ)えたり。乞児(かたゐ)は人に小銅貨をねだり、麪包(パン)をば買はで氷水を飲めり。二つに割りたる大西瓜の肉赤く(さね)黒きは、いづれの店にもありき。これをおもへば()()きて堪へがたし。この野辺にては、日光ますぐに射下(さしおろ)せり。我が立てる影さへ我脚下に没せんばかりなり。水牛は(ある)は死せるが如く枯草の上に臥し、或は狂せるが如く駆けめぐりたり。われは物語に聞ける亜弗利加(アフリカ)沙漠の旅人になりたらんやうにおもひき。大海の孤舟にあるが如き(おもひ)をなすこと二月間、何の用事をも朝夕の涼しき間に済ませ、終日(ひねもす)我も出でず人も来ざりき。■()く如き熱、腐りたる蒸気の中にありて、我血は湧きかへらんとす。沼は()れたり。テヱエルの黄なる水は生温(なまぬる)くなりて、眠たげに流れたり。西瓜の汁も(ぬる)し。土石の底に蔵したる葡萄酒も()くして、半ば(にえ)たる如し。我喉(わがのんど)は一滴の冷露を()むること能はざりき。天には一繊雲(せんうん)なく、いつもおなじ碧色(みどりいろ)にて、吹く風は唯だ熱き「シロツコ」(東南風)のみなり。われ等は日ごとに雨を祈り、媼は朝夕山ある方を眺めて、雲や起ると待てども甲斐なし。蔭あるは夜のみ。涼風の少しく動くは日出る時と日入る時とのみ。われは暑に苦み、この変化なき生活に()みて、殆ど死せる如くなりき。風少しく動くと覚ゆるときは、蝿蚋(はへぶよ)なんど群がり来いて人の(はだへ)を刺せり。水牛の背にも、昆虫(あつま)りて,寸膚を止めねば、時時怒りて自らテヱエルの黄なる流に躍り入り、身を水底に(まろか)してこれを(はら)ひたり。羅馬の(まち)にて、闃然(げきぜん)たる午時(ひるどき)の街を行く人は、(すぢ)の如き陰影を求めて夏日の烈しきをかこつと(いへども)、これをこの火の海にたゞよひ、硫黄気(ゆわうけ)ある毒焔(どくえん)を呼吸し、幾万とも知られぬ悪虫に(はだへ)を噛まるゝものに比ぶれば、猶是れ楽土の客ならんかし。
 九月になりて気候やゝ温和になりぬ。フエデリゴはこの焼原を画かんとて来ぬ。我が住める怪しき家、劫盗(おひはぎ)(むくろ)をさらしたる処、おそろしき水牛、皆其筆に上りぬ。我には紙筆を与へて画の稽古せよと勧め、又折もあらば迎へに来て、フラア・マルチノ、マリウチア其外の人々に逢はせぼやと(ちぎ)りおきぬ。惜むらくはこの人久しく約を()まざりき。



最終更新日 2005年09月13日 15時42分01秒

森鴎外訳『即興詩人』「水牛」

水牛
 十一月になりぬ。こゝに来しより最快(いとこゝろよ)き時節なり。(さはやか)なる風は山山よりおろし来ぬ。夕暮になれば、南の国ならでは無しといふ、たゞならぬ雲の色、目を驚かすやうなり。こは画工のえうつさぬところなるべく、また敢て写さぬものなるべし。あめ色の地に、橄欖(かんらん)(オリワ)の如く緑なる色の雲あるをば、楽土の苑囿(ゑんいう)に湧き出でたる山かと疑ひぬ。又夕映(ゆふばえ)の赤きところに、暗碧なる雲の浮べるをば、天人の居る山の松林ならんと思ひて、そこの谷かげには、美しき神の(わらべ)あまた休みゐ、白き翼を扇の如くつかひて、みつから(りやう)を取るらんとおもひやりぬ。
 或日の夕ぐれ、いつもの如く夢ごゝろになりてゐたるが、ふと思ひ付きて、(はり)もて穿(うが)ちたる紙片を目にあて、太陽を覗きはじめつ。ドメニカこれを見つけて、そは目を(そこな)ふわざぞとて目の見えぬやうに戸をさしつ。われ無事に苦みて、外に出でゝ遊ばんことを請ひ、(ゆるし)をえたる嬉しさに、門のかたへ走りゆき、戸を推し開きつ。その時一人の男遽(あわた)だしく()け入りて、門口(かどぐち)に立ちたる我を()きまろばし、扉をはたと閉ぢたり。われは此人の蒼ざめたる(おもて)を見、その震ふ唇より洩れたる「マドンナ」(聖母)といふ一声を聞きも果てぬに、おそろしき勢にて、外より戸を()くものあり。裂け飛んだる板は我頭(わがかうべ)に触れんとせり。その時戸口を(ふさ)ぎたるは、血ばしる(まなこ)を我等に注ぎたる、水牛の頭なりき。ドメニカはあと叫びて、我手を握り、上の間にゆく(はしご)を二足三足のぼりぬ。逃げ込みたる男は、あたりを見廻はし、ベネデツトオが銃の壁に掛かりたるを見出しつ。こは賊なんどの入らん折の(そなへ)にとて、(たま)をこめおきたるなり。男は手早く銃を取りぬ。耳を貫く響きと共に、(けぶり)は狭き家に満ちわたれり。われは彼男の烟の中にて、銃把(じうゆは)を挙げて、水牛の額を撃つを見たり。獣は(せま)き戸口にはさまりて前にも後にもえ
動かざりしなり。
 こは何事をかし給ふ。君は物の命を取り給ひぬ。この(ことば)はドメニカが(わづか)にわれにかへりたる口より出でぬ。かの男。否聖母(マドンナ)の恵なりき。我等が命を拾ひぬとこそおもへ。さて我を抱き上げて、されどわがために戸を開きしはこの恩人なりといひき。男の(おもて)は猶蒼く、額の汗は玉をなしたり。その(ことば)を聞くに外国人(とつくにびと)にあらず。その衣を見るに羅馬の貴人(あてひと)とおぼし。この人草木の花を()づる癖あり。けふも採集に出でて、ポンテ、モルレにて車を下り、テヱエル河に沿ひてこなたへ来しに、(はか)らずも水牛の群にあひぬ。その一つ、いかなる故にか、群を離れて()き来たりしが、幸にこの家の戸開きて、危き難を免れきとなり。ドメニカ聞きて。さらばおん身を救ひしは疑もなく聖母のおんしわざなり。この(わらべ)は聖母の()でさせ給ふものなれば、それに戸をば開かせ給ひしなり。おん身はまだ此童を識り給はず。物読むことには()けたれば、書きたるをも、()したるをも、え読まずといふことなし。画かくことを善くして、いかなる形のものをも、明にそれと見ゆるやうに写せり。「ピエトロ」寺の塔をも、水牛をも、肥えふとりたるパアテル・アムプロジオ(僧の名)をもゑがきぬ。声は(たぐひ)なくめでたし。おん身にかれが歌ふを聞かせまほし。法皇の伶人(れいじん)もこれには(まさ)らざるべし。そが上に(さが)すなほなる児なり。善き児なり。子供には()めて聞かすること宜しからねば、その外をば申さず。されどこの子は、誉められても好き子なりといふ。客。この子の穉きを見れば、おん身の腹にはあらざるべし。ドメニカ。否、老いたる無花果(いちじく)の木には、かゝる芽は出でぬものなり。されど此世には、この子の親といふもの、われとべネデツトオとの外あらず。いかに貧くなりても、これをば育てむと思ひ侍り。そは()まれ(かく)まれ、この獣をぼいかにせん。(頭より血流るゝ、水牛の角を握りて。)戸口に挾まりたれば、たやすく動くべくもあらず。ベネデツトオの帰るまでは、外に出でんやうなし。こを殺しつとて、(とが)めらるゝことあらば、いかにすべき。客。そは心安かれ。あるじの老女(おうな)も聞きしことあるべきが、われはボルゲエゼの(うから)なり。(おうな)。いかでか、と答へて衣に接吻せんとせしに、客はその手をさし出して吸はせ、さて我手を両の(たなそこ)の間に挾みて、媼にいふやう。あすは此子を伴ひて、羅馬に来よ。われはボルゲエゼの館に住めり。ドメニカは(かたじけな)しとて涙を流しつ。
 ドメニカはわが日ごろ書き棄てたる反古(ほご)あまた取り出でゝ、客に示しゝに、客は我頬(わがほゝ)を撫で、小きサルワトル・ロゴザ(名高き画工)よと讃め(たゝ)へぬ。媼。まことに(のたま)ふ如し。穉きものゝ業としては、珍しくは候はずや。それ<の形(あきらか)に備はりたり。この水牛を見給へ。この舟を見給へ。こはまた我等の住める小家なり。こは我姿を写したるなり。鉛筆なれば、色こそ異なれ、わが姿のその(まゝ)ならずや。又我に向ひて、何にもあれ、この御方に歌ひて聞せよ。自ら作りて歌ふが好し。この童は長き物語、こまやかなる法話をさへ、歌に作りて歌ひ侍り。年()けたる僧にも劣らじと覚ゆ。客は我等二人のさまを見て、おもしろがり、我には()く歌ひて聞せよ、と(すゝ)めつ。われは常の如く遠慮なく歌ひぬ。媼は常の如くほめそやしつ。されど其歌をば記憶せず。唯だ聖母(マドンナ)、貴き客人(まらうど)、水牛の三つをくりかへしたるをば未だ忘れず。客は黙坐して聴きゐたり。媼はそのさまを見て、童の才に驚きて詞なきならんと推し(はか)りつ。
 歌ひ(をは)りしとき、客は口を開きていふやう。さらば明日()くその子を伴ひ来よ。否、夕暮のかたよろしからん。「アヱ、マリア」の鐘鳴る時より、一時ばかり早く来よ。さて我は最早退(まか)るべきが、いづくよりか出づべき。水牛の塞ぎたる口の外、この家には口はなきか。又ここを出でゝ車まで行かんに、水牛に追はるゝやうなる(おそれ)なからしめんには、いかにして好かるべきか。媼。かしこの壁に穴ありて、それより這ひ出づるときは、石垣も高からねば、すべりおりんこと難からず。わが如き老いたるものも、かしこより出入すべく覚え侍り。されど貴きおん方を案内しまゐらすべき口にはあらず。客は聞きも果てず、(はしご)を上りて、穴より(かしら)を出し、外の方を覗きていふやう。否、善き降口なり。「カピトリウム」に降りゆく階段にも譲らず。水牛の群は河のかたに遠ざかりぬ。道には眠たげなる百姓あまた、(とう)(たば)積みたる車を、馬に引かせて行けり。あの車に沿ひゆかば、また水牛に襲はるとも身を(かく)すに便(びん)よからん。かく見定めて、客は媼に手を吸はせ、わが頬を撫で、再びあすの事を(ちぎ)りおきて、茂れる蔦かづらの間をすべりおりぬ。われは窓より見送りしが、客は間もなく籐の車に追ひすがりて、百姓の群と(とも)に見えずなりぬ。



最終更新日 2005年09月14日 12時08分58秒

森鴎外訳『即興詩人』「みたち」1

みたち
 牧者二三人の(たすけ)を得て、ベネデツトオは戸口なる水牛の(むくろ)を取り片付けつ。その日の物語は止むときなかりしかど、今はよくも(おぼ)えず。翌朝()く起きいでゝ、夕暮に都に行かんと支度に取り掛りぬ。数月の間行李の中に鎖されゐたる我晴衣(はれぎ)はとり出されぬ。帽には美しき薔薇(さうび)の花を挿したり。身のまはりにて、最も怪しげなりしは(はき)ものなり。靴とはいへど羅馬の(サンダラ)に近く覚えられき。
 カムパニアの野道の遠かりしことよ。その照る日の烈しかりしことよ。ポ丶ロの広こうぢに出でゝ、記念塔のめぐりなる石獅(せきし)の口より吐ける水を(むす)びて、我涸れたる(のんど)(うるほ)しゝが、その味は人となりて後フアレルナ、チプリイの酒なんどを飲みたるにも増して旨かりき。〔北より羅馬に入るものは、ボルタア、デル、ポ丶ロの関を入りて、ピアツツア、デル、ポ丶ロといふ美しく大なる広こうぢに出づ。この広こうぢテヱエル河とピンチヨオ山との間にあり、両側にはいとすぎ、亜刺比亜護謨(アラビアゴム)の木(アカチア)茂りあひて、その下かげに今様(いまやう)なる石像、噴水などあり。中央には四つの石獅に囲まれたる、セソストリス時代の記念塔あり。前には三条(みすぢ)の直道あり。即ちヰア、バブヰノ、イル、コルソオ、ヰア、リペツタなり。イル、コルソオの両角をなしたるは、同じ式に建てたる両伽藍(がらん)なり。欧羅巴(ヨオロツパ)に都会多しと(いへども)、古羅馬のピアツツア、デル、ポ丶ロほど晴やかなるはあらじ。〕我は熱き頬を獅子の口に押し当て、水を(がしら)(かうぶ)りぬ。衣や潤はん、髪や乱れん、とドメニカは気遣(きつか)ひぬ。ヰア、リペツタを下りゆきて、ボルゲエゼの(たち)に近づきぬ。我もドメニカも、(この)館の前をば幾度となく(よぎ)りしかど、けふ迄は心とめて見しことなし。今(あゆみ)(とゞ)めて仰ぎ見れば、その大さ、その豊さ、その美しさ、(たと)へんに物なしと覚えき。殊に目を(おどろ)かせるは、窓の(うち)なる長き絹の(とばり)なり。あの内にいます君は、いま我等が識る人となりぬ。きのふその君の我家に来給ひし如く、いま我等はそのみたちに入らんとす。()く思へば嬉しさいかばかりならん。中庭、部屋々々を見しとき、身の震ひたるをば、われ決して忘れざるべし。あるじの君は我に親し。彼も人なり。我も人なり。(しか)はあれどこの家居(いへゐ)のさまこそ譬へても言はれね。(ひじり)と世の常の人との別もかくやあらん。方形をなして、いろ<なる全身像、半身像を据ゑつけたる、白塗の廻廊のいと高きが、小き園を(めぐ)れるあり。(後にはこゝに瓦を敷きて中庭とせり。)高き蘆薈(ろくわい)覇王樹(サボテン)なんど、(わたどの)の柱に()ぢんとす。檸檬樹(リモネ)はまだ日の光に黄金色に染められざる、緑の実を垂れたり。希臘(ギリシア)舞女(まひひめ)の形したる像二つあり。力を(あは)せて、金盤一つさし上げたるがその(ふち)少しく(そば)だちて、水は肩に(ほとばし)り落ちたり。(たけ)高く育ちたる水草ありて、露けき緑葉もてこの像を(おほ)はんとす。烈しき日に焼かれたるカムパニアの痩土(やせつち)に比ぶるときは、この園の涼しさ、(かぐは)しさ奈何(いかん)ぞや。
 (ひろ)き大理石の(はしご)を登りぬ。(がん)あまたありて、貴き石像立てり。其一つをば、ドメニカ聖母(マドンナ)ならんと思ひ惑ひて、立ち(どま)りてぬかづきぬ。後に聞けば、こはヱスタの像なりき。これも人間の()しき処女にぞありける。(訳者のいはく。希臘の(かまど)の神なり。男神二人に(いど)まれて、嫁せずして終りぬと云ひ伝ふ。)飾美しき「リフレア」着たる(しもべ)出で迎へつ。その面持(おももち)の優しさには、こゝの()ごとの大さ、美しさかくまでならずば、我胸の躍ることさへ治りしならん。床は鏡の如き大理石なり。壁といふ壁には、めでたき画を(てう)したり。その間々には、玻■(ばりぎやう)()め、その上に花束、はなの環など(もち)たる神童の飛行せるを、画きたり。又色美しき鳥の、翼を放ちて、赤き、黄なる、さま/゛\の木の実を(ついば)めるを画きたるあり。かく華やかなるものをば、今まで見しことあらざりき。
 暫し待つほどに、あるじの君出でましぬ。白衣着たる、美しき貴婦人の、(おほい)なる(さと)(まみ)を我等に注ぎたるを、伴ひ給へり。婦人は我額髪(わがひたひがみ)を撫で上げ、鋭けれども優しき目にて、我面(わがおもて)を打ち守り、さなり、君を助けしは神のみつかひなり、この見ぐるしき衣の下に、翼はかくれたるべしと(のたま)ひぬ。主人。否。この児の(くれなゐ)なる頬を見給へ。翼の()ゆるまでにはテヱエルの河波あまた海に入るならん。母もこの児の飛び去らんをば願はざるべし。さにあらずや。この児を失はんことは、つらかるべし。(おうな)。げにこの児あらずなりなば、我小家の戸も窓も(ふさ)がりたるやうなる心地やせん。我小家は暗く、寂しくなるべし。否、このかはゆき児には、われえ別れざるべし。婦人。されど今宵しばらくは、別るとも好からん。二三時間立ちて迎へに来よ。帰路は月あかかるべし。そち達は(ぬすびと)を恐るゝことはあらじ。主人。さなり。児をばしばしこゝにおきて、買ふものあらば買ひもて来よ。斯く云ひつゝ、主人は小き財嚢(かねいれ)をドメニカが手に渡し、猶何事をか語り給ふに、我は貴婦人に引かれて奥に入りぬ。
 奥の座敷の美しさ、賓客(まらうど)の貴さに、我魂(わがたま)は奪はれぬ。我はあるは壁に画ける神童の面の、緑なる草木の間にほゝゑめるを見、あるは日ごろ半ば神のやうにおもひし、紫の(くつした)穿ける議官(セナトオレ)、紅の袴着たる僧官達(カルロテナアレ)を見て、おのれがかゝる間に入り、かゝる人に交ることを(いぶか)りぬ。殊に我眼をひきしは、一間の中央なる大水盤なり。醜き竜に()りたる、美しきアモオルの神を据ゑたり。竜の口よりは、水高く(ほとばし)り出でゝ、又盤中に落ちたり。
 貴婦人のこはをぢの命を救ひし児ぞ、と引き合せ給ひしとき、賓客(まらうど)達は皆ほゝゑみて、我に(ことば)を掛け、議官僧官さへ(うなづ)き給ひぬ。法皇の禁軍(まもりのつはもの)号衣(しるし)を着たる、(わか)く美しき士官は我手を握りぬ。人々さまざまの事を問ふに、我は臆することなく答へつ。その(ことば)に、人々(ある)は誉めそやし、或は高く笑ひぬ。主人入り来りて、我に歌うたへといふに、我は喜んで命に従ひぬ。士官は我に(むくい)せんとて、泡立てる酒を酌みてわたしゝかば、我何の心もつかで飲み乾さんとせしに、貴婦人(はや)(かたへ)より取り給ひぬ。我口に入りしは少許(すこしばかり)なるに、その酒は火の如く(ほのほ)の如く、脈々をめぐりぬ。貴婦人はなほ我傍を離れず、(ゑみ)を含みて立ち給へり。士官我にこの御方の上を歌へと勧めしに、我又喜んで歌ひぬ。何事をか(つら)ねけん、いまは覚えず。人々はわが詞の多かりしを、才豊(ざえゆたか)なりと(たゝ)へ、わが臆せざるを、心(さと)しと誉めたり。カムパニアなる貧きものゝ子なりとおもへば、世の常なる作をも、天才の為せるわざの如く、()でくつがへるなるべし。人々は掌を鳴せり。士官は座の隅なる石像に戴かせたりし、美しき月桂冠を取り来りて、笑みつゝ我頭の上に安んじたり。こは(もと)より戯謔(ぎぎやく)に過ぎざりき。されどわが幼き心には、其間に真面目なる栄誉もありと覚えられて、又なく嬉しかりき。我は尚席上にて、マリウチア、ドメニカ等に教へられし歌をうたひ、又曠野(あらの)の中なる古墳(ふるつか)栖家(すみか)、眼の光おそろしき水牛の事など人々に語り聞せつ。時は惜めども早く過ぎて、我は(おうな)に引かれて帰りぬ。くだもの、果子(くわし)など多く賜り、白銀(しろかね)幾つか兜児(かくし)にさへ入れられたるわが喜はいふもさらなり、媼は衣服、器什くさ/゛\の外、二瓶(ふたびん)の葡萄酒をさへ(あがな)ひ得て、(さち)ある日ぞとおもふなるべし。夜は草木の上に眠れり。されど仰いでおほ空を見れば、皎(けう<)たる望月(もらつぎ)、黄金の船の如く、藍碧なる青雲の海に(うか)びて、焦れたるカムパニアの野辺に涼をおくり降せり。



最終更新日 2005年09月16日 00時34分13秒

森鴎外訳『即興詩人』「みたち」2

 家に還りてより、優しき貴女の姿、賑はしき拍手の声、寤寐(こび)の間()えず耳目を往来(ゆきき)せり。喜ばしきは折々我夢の(うつゝ)になりて、又ボルゲエゼの(たち)に迎へらるゝ事なりき。かの貴婦人はわが人に殊なる(さが)を知りておもしろがり給へば、我も亦ドメニカに対する如く、これに対して物語するやうになりぬ。貴婦人はこれを興あることに思ひて、主人(あるじ)の君に我上を誉め給ふ。主人の君も我を愛し給ふ。この愛は、(さき)(はか)らずも我母上を、おのが車の(わだち)にかけしことありと知りてより、愈ζ深くなりまさりぬ。逸したる馬の母上を踏仆(ふみたふ)しゝとき、車の中に居たるは、こゝの主人の君にぞありける。
 貴婦人の名をフランチエスカといふ。我を()て宮のうちなる画堂に入り給ひぬ。美しき画幀(ぐわたう)に対して、我が(をさな)き問、(おろか)なる評などするを、面白がりて笑ひ給ひぬ。後人々に我詞を語りつぎ給ふごとに、人々皆声高く笑はずといふことなし。午前は旅人この堂に満ちたり。又画工の来ていろ<なる画を写し取れるもあり。午後になれば、堂中に人影なし。此時フランチエスカの君我を伴ひゆきて、画ときなどし給ふなり。
 特に我心に(かな)ひしは、フランチエスコ・アルバニが四季の図なり。「フモレツトオ」といふ者ぞ、と教へられたる、美しき神の使の童どもは、我夢の中より生れ出でしものかと疑はる。その春と題したる画の中に群れ遊べるさまこそ()でたけれ。童一人大なる()(めぐら)すあれば、一人はそれにも(やじり)()ぎ、外の二人は上にありて飛行しつゝも、水を砥の上に(そゝ)げり。夏の図を見れば、童ども樹々のめぐりを飛びかひて、枝もたわゝに実りたる(くだもの)を摘みとり、又清き流を泳ぎて、水を(もてあそ)びたり。秋は(かり)の興を写せり。手に継松(ついまつ)取りたる童一人小車(をぐるま)(うち)に坐したるを、友なる童子二人()き行くさまなり。愛はこの優しき猟夫(さつを)に、共に憩ふべき処を指し示せり。冬は童達皆眠れり。美しき女怪(によくわい)水中より出でゝ、眠れる童たちの弓矢を奪ひ、火に投げ入れて焚き棄つ。神の使の童をば、何故(なにゆゑ)「アモレツトオ」(愛の神童)といふにか。その「アモレツトオ」は、何故()を放てる。こは我が今少し(つまびらか)に知らんと願ふところなれど、フランチエスカの君は教へ給はざりき。君の(のたま)ふやう。そは(ふみ)にあれば、読みて知れかし。おほよそ文にて知らるゝことは、その外にもいと多し。されど読みおぼゆる初は、あまり楽しきものにはあらず。(そち)終日()(ひねもすこしかけ)に坐して、文を手より()かじと心掛くべし。カムパニアの野にありて、山羊と戯れ、友達を(とぶら)はんとて走りめぐることは、叶はざるべし。そちは何事をか望める。かのフアビアニの君のやうなる、美しき軍服に身をかためて、羽つきたる(かぶと)を戴き、長き(つるぎ)()きて、法皇のみ車の傍を()りゆかんとやおもふ。さらずば美しき画といふ画を、(のこり)なく知り、はてなき世の事を悟り、我が物語りしよりも、(はるか)に面白き物語のあらん限を(おぼ)えんとや思ふ。我。されど左様なる人になりては、ドメニカが許には居られぬにや。また御館(みたち)へは来られぬにや。フランチエスカ。(そち)は猶母の上をば忘れぬなるべし。初の栖家(すみか)をも忘れぬなるべし。亡き母御にはぐゝまれ、かの栖家にありしときは、ドメニカが事をも、我上をも思はざりしならん。然るに今はドメニカと我と、そちに親きものになりぬ。この(まじはり)もいつか(かは)ることあらん。かく更りゆくが人の身の上ぞ。我。されどおん身は、我母上の如く果敢(はか)なくなり給ふことはあらじ。斯く云ひて、我は涙にくれたり。フランチエスカ。死にて別れずば、生きながら分れんこと、すべての人の上なり。そちが我等とかく交らぬやうにならん折、そちが上の楽しく心安かれ、とおもひてこそ、我は今よりそちが発落(なりゆぎ)を心にかくるなれ。我涙は愈々繁くなりぬ。我はいかなる故と、明には知らざりしが、斯く(さと)されたる時、限りなき幸なさを覚えき。フランチエスカは我頬を撫でゝ、我が余りに心弱きを諌め、かくては世に立たんをり、いと便(びん)なかるべしと気づかひ給ひぬ。この時主人(あるじ)の君は、曾て我頭の上に月桂冠を載せたるフアビアニといふ士官と(とも)一間(ひとま)に歩み入り給ひぬ。
 ボルゲエゼの別墅(べつしよ)に婚礼あり。世に(まれ)なるべき儀式を見よ。この風説は或る(ゆふべ)カムパニアなるドメニカがあばら屋にさへ洩れ聞えぬ。フランチエスカの君はかの十官の妻になるべき約を定めて、遠からずフイレンチエなるフアビアニ家の荘園に(かヘ)らんとす。儀式あるべき処は、羅馬附近の別墅なり。■(かしは)いとすぎ桂など生ひ茂りて、四時緑なる天を戴けり。昔も今も、羅馬人と外国人(とつくにびと)と、(つね)に来り遊ぶ処なり。(うるは)しく飾りたる馬車は、緑しげき■の並本の道を走り、白き鵝鳥(がてう)は、柳の影うつれる静けき湖を泳ぎ、機泉(しかけのいつみ)は積み(かさ)ねたる(いはほ)の上に(ほとばし)り落つ。道傍(みちばた)には、農家の少女(をとめ)ありて、(つゞゴみ)を打ちて舞へり。胸(乳房)ゆたかなる羅馬の女子は(かゞや)く眼にこの様を見下して、車を駆れり。我もドメニカに引かれて、恩人のけふの祝に、蔭ながら(あつか)らばやと、カムパニアを立出で、別墅の(その)の外に来ぬ。(ともしび)の光は窓々より洩れたり。フランチエスカとフアビアニとは、彼処(かしこ)にて礼を()へつるなり、家の内より、楽の声響き来ぬ。苑の芝生に設けたる桟敷(さじき)の辺より、烟火(えんくわ)空に閃き、魚の形したる火は青天を(かけ)りゆく。(たま<)ζとある高窓の背後(うしろ)に、男女(なんによ)の影うつれり。あれこそ夫婦(めをと)の君なれと、ドメニカ耳語(さゝや)きぬ。二人の影は和依りて、接吻する如くなりき。ドメニカは合掌して祈祷の(ことば)を唱へつ。我も暗きいとすぎの木の下についゐて、恩人の上を神に祈りぬ。我傍なるドメニカは二人の御上(おんうへ)安かれとつぶやきぬ。烟火の星の、数知れず乱れ(おつ)るは、我等が祈祷に答ふる如くなりき。されどドメニカは泣きぬ。こは我がために泣くなり。我が遠からず、分れ去るべきをおもひて泣くなり。ボルゲエゼの主人の君は、「ジエスヰタ」派の学校の一座を買ひて我に取らせ給ひしかば、我はカムパニアの野と牧者の(おうな)とに別れて、我行末のために修行の門出(かどで)せんとす。ドメニカは帰路(かへりち)に我にいふやう。我日の明きたるうちに、おん身と此野道行かんこと、今日を限なるべし。ドメニカなどの知らぬ、(なめらか)なる床、華やかなる覿(かも)をや、おん身が足は踏むならん。されどおん身は優しき児なりき。人となりてもその優しさあらば、あはれなる我等夫婦を忘れ給ふな。あはれ、今は猶果敢(はか)なき焼栗もて、おん身が心を楽ましむることを得るなり。おん身が(とう)を焚く火を(あふ)ぎ、栗のやくるを待つときは、我はおん身が日の中に神の面影を見ることを得るなり。かく果敢なき物にて、かく大なる楽をなすことは、おん身忘れ給ふならん。カムパニアの野には薊生ふといへど、その薊には尚紅の花咲くことあり。富貴の家なる、滑なる床には、一本(ひともと)の草だに生ひず。その滑なる上を行くものは、(つまつ)(やす)しと聞く。アントニオよ。一たび貧き児となりたることを忘るな。見まくほしき物も見られず、聞かまくほしき事も聞かれざりしことを忘るな。さらば御身は世に成りいつべし。我等夫婦の亡からん後、おん身は馬に騎り、又は車に乗りて、昔の破屋(あばらや)をおとづれ給ふこともあらん。その時はおん身に揺られし(かご)の中なる児は、知らぬ牧者の妻となりて、おん身が前にぬかつくならん。おん身は人に(おご)るやうにはなり給はじ。その時になりても、おん身は我側(わがそば)に坐して栗を焼き、又籃を揺りたることを思ひ給ふならん。言ひ(をは)りて、媼は我に接吻し、(おもて)を掩ひて泣きぬ。我心は(はり)もて刺さるゝ如くなりき。この時の苦しさは、後の別の時に増したり。後の別の時には、媼は泣きつれど、何事をもいはざりき。既に(しきみ)を出でしとき、媼走り入りて、(くゆり)に半ば黒みたる聖母(マドンナ)の像を、扉より剥ぎ取りて贈りぬ。こは我が屡屡接吻せしものなり。まことにこの媼が我におくるべきものは、この外にはあらぬなるべし。



最終更新日 2005年09月16日 01時18分08秒

森鴎外訳『即興詩人』「学校、えせ詩人、露肆」1

   学校、えせ詩人、露肆(ほしみせ)
 フランチエスカの君は夫に随ひて旅立ち給ひぬ。我は「ジエスヰタ」派の学校の生徒となりたり。わが日ごとの業もかはり、われに交る人の(おもて)も改まりて、(さだめ)なき演劇めきたる生涯の端はこゝに開かれぬ。時々刻々の変化のいと繁きに、歳月の(うつ)りゆくことの早きことのみぞ驚かれし。当時こそ片々の画図となりて我目に触れつれ、今に至りて(かうべ)(めぐら)せば、その片々は一幅の大画図となりて我前に横はれり。是れわが学校生活なり。旅人の高山の(いたゞき)に登り得て、雲霧立ち()めたる大地を看下(みおろ)すとき、その雲霧の散るに従ひて、忽ち隣れる山の(さき)あらはれ、忽ち日光に照されたる谿間(たにま)の見ゆるが如く、我心の世界は漸く開け、漸く(ひろ)ごりぬ。カムパニアの野を囲める山に隔てられて、夢にだに見えざりける津々浦(つゞうら/\)は、次第に浮び出で、歴史はそのところ/゛\に人を住はせ、そのところ/゛\にて珍らしき昔物語を歌ひ聞せたり。一株の木、一輪の花、いつれか我に興を与へざる。されど最も美しく我前に咲き出でたるは、わが本国なる伊太利(イタリア)なりき。我も一個の羅馬(ロオマ)人ぞとおもふ心には、我を興起せしむる力なからんや。我都のうちには、寸尺の地として、我愛を引き、我興を催さゞるものなし。街の(かたへ)に棄てられて、今は(さかひ)の石となりたる、古き柱頭も、わがためには、神至なる記念(かたみ)なり、わがためには、めでたき音色(ねいろ)に心を悩ますメムノンが塔なり。(昔物語にアメノフイスといふ王ありき。エチオピアを領しつるが、希臘(ギリシア)のアヒルレエスに滅されぬ。その像を刻める塔、埃及(エジプト)なるヂオスポリスに立てり、日出日没ごとに鳴るといひ伝ふ。)テヱエル河に生ふる蘆の葉は風に(そよ)ぎて、我にロムルスとレムスとの上を語れり。凱旋門、石の柱、石の像は、皆我心に本国の歴史を刻ましめんとす。我心はつねに古希臘、古羅馬の時代に遊びて、師の賞誉にあづかりぬ。
 (およ)そ政界にも、教界にも、旗亭に集まるものも、富豪の骨牌卓(かるたつくゑ)のめぐりに寄るものも、社会といふ社会の(かぎり)、必ず太郎冠者(たらうくわじや)のやうなるものありて、もろ人の嘲戯は一身に(あつ)まる(ならひ)なり。学校にも亦此(かく)の如き人あり。我等少年生徒の眼は、早くも嘲戯の(まと)を見出したり。そは我等が教師多かる中にて、(いと)真面目なる、最怒り易き、最可笑(をか)しき一人なりき。名をば「アバテ」ハツバス・ダアダアとなんいひける。()亜拉伯(アラビア)(うまれ)なるが、(をさな)き時より法皇の教の庭に遷されて、こゝに生ひ立ち、今はこの学校の趣味の指南役、テヱエル大学院(アカデミア)の審美上主権者となりぬ。
 詩といふ神のめづらしき(たまもの)につきては、われ人となりて後、屡ζ考へたづねしことあり。詩は深山(みやま)(うち)なる黄金(こがね)の如くぞおもはるゝ。家庭と学校との教育は、さかしき鉱掘(かねほり)鉱鋳(かねふき)などのやうに、これを(もと)め出だし、これを吹き分くるなり。折々は初より浄き黄金にいで逢ふことあり。自然詩人が即興の抒情詩これなり。されど鉱山(かなやま)(いだ)すものは黄金のみにあらず。白銀(しろかね)いだす脈もあり。(すゞ)その外(いやし)き金属を出す脈もあり。その(ひく)きも世に益あるものにしあれば、只管(ひたすら)に言ひ(くた)すべきにもあらず。これを磨き、これに(ちりば)むるときは、金とも銀とも見ゆることあらん。されば世の中の詩人には、金の詩人、銀の詩人、銅の詩人、鉄の詩人などありとも謂ふことを得べし。こゝに此列に加はるべきならぬ、(はに)もて物作る人ありて、強ひて自ら詩人と称す。ハツバス・ダアダアは実にその一人なりき。
 ハツバス・ダアダアは当時一流の埴瓮(はにベ)つくりはじめて、これを気象情致の(はるか)に優れたる詩人に()げ付け、自ら恥づることを知らざりき。字法句法の軽捷なる、体制音調の流麗なる、詩にあらねども詩とおもはれ、人々の喝采を受けたり。平生ペトラルカを崇むも、その「ソネツトオ」の音調のみ会し得たるにやあらん。さらずば、矮人(わいじん)観場なりしか。又狂人にありといふなる固執の妄想(まうざう)か。兎まれ角まれ、ペトラルカとハツバス・ダアダアとは似もよらぬ人なるは、争ひ難かるべし。ハツバス・ダアダアは我等にかの亜弗利加(アフリカ)と題したる、長き叙事詩の四分の一を暗誦せしめんとせしかば、幾行(いくかう)の涙、幾下(いくか)の鞭か、我等が世々のスチピオを怨む(なかだち)をなしたりけん。ペトラルカは基督暦千三百四年七月二十日アレツツオに生れき。いにしへの希臘羅馬時代にのみ眼を注ぎたりしが、千三百二十七年アヰニヨンにてラウラといふ婦人に逢ひ、その恋に引かれて、又現世の詩人となりぬ。おのが上と世々のスチピオ(羅馬の名族)の上とを、千載の下に伝へんと、長篇の叙事詩亜弗利加を著しつ。今はその甚だ意を経ざりし小抒情詩世に行はれて、()た亜弗利加を説くものなし。
 我等は日ごとにペトラルカの深邃(しんすゐ)なる趣昧といふことを教へられき。ハツバス・ダアダアの云ふやう。膚浅(ふせん)なる詩人は水彩画師なり、空想の子なり。凡そ世道人心に害あること、これより甚しきものあらじ。その群にて最大なりとせらるゝダンテら、我眼より見るときは、小なり、極めて小なり。ペトラルカは抒情詩の寸錦(すんきん)のみにても、尚朽ちざることを得べきものなり。ダンテは不朽ならんがために、天堂八間地獄をさへ(にな)ひ出しゝものなり。さなり。ダンテも韻語をば(つら)ねたり。そのバビロン塔の如きもの、後の世に伝はりたるは、これが為なり。されど若しその(ことば)だにも拉甸(ラテン)ならましかば、後の世の人せめては彼が学殖をおもひて、些の(うやまひ)をば起すなるべし。さるを彼は俚言(りげん)もて歌ひぬ。ボツカチヨオの心酔せる、これを評して、獅の能く泳ぎ、羊の能く蹈むべき波と云ひき。我はその深さをも、その易さをも見ること能はず。通篇(あし)を立つべき底あることなし。唯だ昔と今との間を、ゆきつ戻りつするを見るのみ。我が真理の聖使たるペトラルカを見ずや。既往の天子法皇を(とら)へて、地獄に(おと)すを、手柄(てがら)めかすやうなる事をばなさず、その生れあひたる世に立ちて、男性のカツサンドラ(希臘の昔物語に見えたる巫女(ふちよ))となり、法皇王侯の(いかり)(おそ)れずして予言したるは、希臘悲壮劇の中なる「ホロス」の群の如くなりき。嘗て(まのあた)査列斯(チヤアレス)四世を(そし)りて、徳の遺伝せざるをば、汝に於いてこれを見ると云ひき。羅馬と巴里(バリ)とより、月桂冠を贈らんとせしとき、ペトラルカは敢て(すなは)ち受けずして、三日の考試に応じき。その謙遜なりしこと、今の児曹(じさう)も及ばざるべし。考試(をは)りて後、彼はカピトリウムの壇に上りぬ。拿破里(ナポリ)の王は手づから濃紫(こむらさき)(はう)を取りて、彼が背に(かぶ)せき。これに月桂(ラウレオ)の環をわたしたるは、羅馬の議官(セナトオレ)なりき。此の如き光栄は、ダンテの身を終ふるまで受くること能はざりしところなり。



最終更新日 2005年09月16日 13時44分29秒

森鴎外訳『即興詩人』「学校、えせ詩人、露肆」2

 ダンテは千二百六十五年フイレンチエに生れぬ。そのはじめの命名はヅランテなりき。神曲に見えたるベアトリチエとの恋は、(はや)く九歳の頃より始りぬ。千二百九十年恋人みまかりぬ。是れダンテが女性(によしやう)の美の極致にして、ダンテはこれに依りて、心を浄め(おもひ)(たか)うせしなり。アレツツオとピザとの戦ありしときは、ダンテ軍人たりき。後政治家となりて、千三百二十一年ラヱンナにて歿す。
 ハツバス・ダアダアが講説は、いつも此の如くペトラルカを揚げダンテを抑ふるより外あらざりき。この両詩人をば、匂ふ菫花(すみれ)、燃ゆる薔薇(さうび)の如く並び立たせてもあるべきものを。ペトラルカが小抒情詩をば、(ことぐ)(そら)んぜしめられき。ダンテが作をば生徒の日に触れしめざりき。我は僅に師の(ことば)によりて、そのおもなる作は、地獄、浄火、天堂の三大段に分れたるを知れりしのみ。この分けかたは、既に我空想を()び起して、これを読まんの願は、我心に(あふ)れたり。されどダンテは禁断の(くだもの)なり。その味は(ぬす)むにあらでは知るに由なし。或る日ピアツツア、ナヲネ(大なる広こうぢにて、夏の頃水を湛ふることあり)を漫歩(そざろありき)して、積み(かさ)ねたる柑子(かうじ)、地に(ゆた)ねたる鉄の(うつは)、破衣、その外いろくの骨董を(つら)ねたる露肆(ほしみせ)(そば)に、古書古画を売るものあるを見き。こゝに卑き戯画あれば、かしこに(やいは)を胸に貫きたる聖母(マドンナ)の図あり。()(かよ)はぬものゝ()をなしたる中に、ふとメタスタジオが詩集一巻我目にとまりぬ。我(ふところ)には猶一「パオロ」ありき。こは半年前ボルゲエゼの君が、小遣銭にせよとて(たまは)りし「スクヂイ」の残にて、わがためには軽んじ難き金額(かねだか)なりき。(一「スクウド」は約我一円五十銭に当る。十「パオリ」に換ふべし。一「パオロ」は十五銭(ばかり)なり。十「バヨツチ」に換ふべし。「スクウド」、「パオロ」は銀貨。「バヨツチ」は銅貨なり。)幾個の銅銭もて買ふべくば、この巻見(みのが)すべきものならねど、「パオロ」一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。価を論ずれども成らざりしかば、思ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の題簽(だいせん)に「ヂヰナ、コメヂア、ヂ、ダンテ」(ダンテが神曲)と云へるあるを見出しつ。嗚呼(あゝ)、これこそは我がために、善悪二途の知識の木になりたる、禁断の(くだもの)なれ。われはメタスタジオの集を(なげう)ちて、ダンテの書を握りつ。さるに(カなし)きかな、この果は我手の届かぬ枝になりたり。その価は二「パオリ」なりき。露肆(ほしみせ)主人(あるじ)は、一銭も引かずといふに、わが銀銭は掌中に熱すれども、二つにはならず。主人、こは伊太利第二の書なり、世界第一の詩なりと(たゝ)へて、おのれが知りたる限のダンテの名誉を説き出しつ。ハツバス・ダアダアには無下(むげ)にいひけたれたるダンテの名誉を。露肆の主人のいふやう。この巻は一葉ごとに一場の説教なり。これを書きしは、かう/゛\しき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火焔(くわえん)を踏み破りて、天堂に(いた)らんとす。若き華主(たんな)よ。君はまだ此書を読み給ひし事なきなるべし。然らずば君一「スクウド」を惜み給はぬならん。二「パオリ」は言ふに足らざる銭なり。それにて生涯読み()くことなき、伊太利第一の書を蔵することを得給はゞ、実にこよなき幸ならずや。
 嗚呼、われは三「パオリ」をも惜まざるべし。されど我手中にはその銭なきを奈何(いかん)せん。かの伊蘇普(エソオポス)が物語に、おのがえ取らぬ架上(がじやう)の葡萄をば、()しといひきといふ狐の事あり。われはその狐の如く、ハツバス・ダアダアに聞きたるダンテの難を(さへづ)り出し、その代にはいたくペトラルカを讃め称へき。露肆の主人は聞畢(きゝをは)りて。さなり<。おのれの無学なる、(もと)より(かく)の如き大家を回護せん力は侍らず。されど君もまだ歳若ければ、此の如き大家を非難すべきにあらざるべし。おのれはえ読まぬものなり。君は未だ読まざるものなり。されば()むるも(おと)すも、遂に甲斐なき業ならずや。()(いぶ)かしきは、君はまだ読まぬ書をいひおとし給ふことの苛酷なることそといふ。われは心に()ぢて、我(ことば)の全く師の口真似なるを白状したり。主人(あるじ)も我が樸直(すなほ)なるをや喜びけん、書を取りて我にわたしていふやう。好し、一「パオロ」にて君に売らん。その代には早く読み試みて、本国の大詩人をあしざまに言ふことを止め給へ。



最終更新日 2005年09月16日 14時11分35秒

森鴎外訳『即興詩人』「神曲、吾友なる貴公子」1

  神曲、吾友なる貴公子
 何等の快事ぞ。神曲は今我書となりぬ。我が永く蔵することを得るものとなりぬ。ハツバス・ダアダアが非難をば、我始より深く信ぜざりき。わが奇を好む心は、かの露肆(ほしみせ)主人(あるじ)が言に挑まれて、愈々(さかん)になりぬ。われは人なき処に於いて、はじめて此巻を(ひもと)かん折を、待ち兼ぬるのみなりき。
 われは生れかはりたる如くなりき。ダンテは実にわがために、(あらた)に発見したる亜米利加(アメリカ)なりき。我空想は未だ一たびも斯く広大に、斯く豊饒なる天地を望みしことなかりしなり。その岩石何ぞ峨(がゝ)たる。その色彩何ぞ奕(えき<)たる。我は作者と共に憂へ、作者と共に楽み、作者と共に当時の生活を(けみ)し尽したり。地獄の関に刻めりといふ銘は、全篇を読む間、我耳に響くこと、世の末の裁判(さばき)の時、鳴りわたるらん鐘の音の如くなりき。その銘に(いは)く。
  こゝすぎて         うれへの市に
  こゝすぎて (なげき)の淵に
  こゝすぎて 浮ぶ時なき
  (むれ)(こそ) 人は入るらめ
  あたゝかき 情はあれど
  おぎうなき 心にたづね
  きはみなき ちからによりて
  いつくしき (のり)をうき世に
  しめさんと この関の戸を
  神や据ゑけん
 われは飃風(へうふう)に捲き起さるゝ沙漠の砂の如き、常に重く又暗き空気を見き。われは亡魂(なきたま)の風に向ひて叫喚するとき、秋深き木葉の如く墜ちゆく亜当(アダム)(うから)を見き。(しか)れども言語の未だ血肉とならざりし世にありし霊魂(たましひ)の王たる人々のこゝにあるを見るに(およ)びて、我眼は千行(ちすぢ)の涙を流しつ。ホメロス、ソクラテエス、ブルツス、ヰルギリウス、これ皆永く楽土の門に入ること能はずしてこゝに留りたるものなりき。ダンテが筆は、此等の人に、地獄といふに(そむ)かざらん限の、安さ楽しさを与へたれど、そのこゝにあるは、呵責(かしやく)ならぬ(くるしみ)、希望なき(うらみ)にして、長く浮ぶ瀬なき罪人の陥いるなる、毒泡、(ほとばし)り、瘴烟(しやうえん)立てる、深き池沼に囲まれたる大牢獄の(うち)なること、よその罪人に殊ならず。われはこれを読みて、(たひらか)なること(あた)はざりき。基督の一たび地獄に降りて、又主の(かたへ)に昇りしとき、彼は何故にこゝの谿間(たにま)の人々を随へゆかざりしか。彼は当時同じ不幸にあへるものに、同じ(あはれみ)を垂れざることを得たりしか。われは読むところの詩なるを忘れつ。()きかへる(にべ)の海より聞ゆる苦痛の声は、我胸を()きたり。われは「シモニスト」の群を見き。その浮き出でゝは、鬼の持てる鋭き鉄搭(くまで)にかけられて、又沈めらるゝを見き。ダンテが叙事の生けるが如きために、其状(そのさま)深くも我心に()りつけられたるにや、昼は我念頭に上り、夜は我夢中に入りぬ。我囈語(うはこと)の間には、屡々「パペ、サタン、アレツプ、サタン、パペ」といふ(ことば)聞えぬ。こはわが読みたる神曲の文なるを、同房の書生はさりとも知らねば、我魂(わがたま)まことに悪魔に責められたるかと疑ひ惑ひぬ。教揚に出でゝも、我心は課程に在らざりき。師の声にて、アントニオよ、又何事をか夢みたる、と問はるゝ毎に、われは且恐れ且恥ぢたり。されどこの(まゝ)に神曲を(なげう)たんことは、わがなすこと能はざるところなりき。
 我が暮らす日の長く又重きことは、ダンテが地獄にて負心(ふしん)の人の()るといふ鍍金(めつき)したる鉛の上衣の如くなりき。夜に入れば、又我禁断の果に()ひ寄りて、その悪鬼に我妄想の罪を()めらる。かの人を()しては(ほのは)に入り、一たびは(けぶり)となれど、又「フヨニツクス」(自ら()けて後、再び灰より生るゝ怪鳥)の如く生れ出でゝ、毒を吐き人を(やぶ)るといふ蛇の(はり)をば、われ自ら我膚(わがはだへ)の上に受くと覚えき。
 わが夢中に地獄と呼び、罪人と叫ぶを聞きて、同房の書生は驚き醒むることしば<なりき。或る朝老僧の舎監を勤むるが、我臥床(わがふしど)の前に来しに、われ眠れるまゝに眼を(みひら)き、おのれ魔王と叫びもあへず、半ば身を起してこれに抱きつき、暫し角力(すま)ひて、又枕に就きしことあり。
 わがよな/\悪魔に責めらるといふ噂は、やう/\高くなりぬ。我床には咒水(じゆすゐ)(そゝ)ぎぬ。わが眠に就くときは、僧来りて祈祷を勧めたり。此処置は益ζ我心を(おだやか)ならざらしめき。囈語(うはこと)()りて出づるところは、われ自ら知れり。これを隠して人を欺くことの(こゝろよ)からぬために、我血はいよ/\騒ぎ立ちぬ。数日の後、反動の期至り、我心は風の吹き荒れたる迹の如くなりぬ。
 学校の書生(おほ)しといへども、その家世、その才智、(ならび)に人に優れたるは、ベルナルドオといふ人なりき。遊戯に日をおくるは咎むべきならねど、あまりに情を放ちて自ら(ほしいまゝ)にするさまも見えき。或ときは四層の屋の棟に()り、或ときは窓より窓にわたしたる板を()みて、人の胆を寒からしめき。(おほよ)そこの学校国に、内訌起りぬといふときは、其責(そのせめ)は多く此人の身に帰することなり。しかもベルナルドオこれを(ぬれぎぬ)とすること能はざるが常なりき。舎内の静けさ、僧尼の房の如くならんは、人々の願なるに、このベルナルドオあるがために、平和はいつも破られき。されど彼が(たはぶれ)は人を(そこな)ふには至らざりしが、独りハツバス・ダアダアに対しての振舞は、やゝ中傷の(きらひ)ありとおもはれぬ。ハツバス・ダアダアはこれを憎みてあはれ(さいはひ)の神は、(すぐ)なる「ピニヨロ」の木を顧みで、珠を朽木(くちき)()げ与へしよ(など)いひぬ。ベルナルドオは羅馬の議官(セナトオレ)の甥にて、その家富みさかえたればなるべし。 ベルナルドオは何事につけても、人に(こと)なる(けん)を立て、これを同学のものに説き聞かせて、その聴かざるものをば、(こぶし)もて制しつれば、いつも級中にて、出色の人物ともてはやされき。彼と我とは性質(いた)く異なるに、彼は能く我に親みき。唯だわがあまりに争ふ心に(とぼし)きをば、ベルナルドオ嘲り笑ひぬ。
 或時ベルナルドオの我にいふやう。われ若し我拳の、一たび(なんぢ)を怒らしむるを知らば、われは必ず爾を打つべし。汝は人に本性を見するときなきか。わが汝を嘲るとき、汝は何故に拳を(ふる)ひて我(おもて)()たんとせざる。その時こそ我は汝がまことの友となるならめ。されど今はわれこの望を絶ちたりといひき。
 わがダンテの熱の少しく平らぎたる頃なりき。ひと日ベルナルドオは我前なる(つくゑ)に腰掛けて、しばし故ありげなる(ゑみ)をもらしつゝ我顔を見つめ居たるが、忽ち我にいふやう。汝は我にもまして横着なる男なり。善くも狂言して人を欺くことよ。床は咒水(じゆすゐ)に濡らされ、身は護摩(ごま)の煙に(いぶ)さるゝは、これがために非ずや。我知らじとやおもふ、汝はダンテを読みたるを。
 血は我頬に上りぬ。われは(いか)でかさる禁を犯すべきと答へき。ベルナルドオのいはく。汝が昨夜物語りし悪魔の事は、全く神曲の中なる悪魔ならずや。汝が空想はゆたかなれば、わが説くを()かず聴くならん。地獄に火焔(くわえん)の海、瘴霧(しやうむ)の沼あるは、汝が早くより知るところならん。されど地獄には又深き底まで凍りたる海あり。その中に閉ぢられたる亡者も(また)少からず。その底にゆきて見れば、恩に(そむ)きし悪人ども集りたり。「ルチフエエル」(魔王)も神に背きし(むくい)にて、胸を氷にとちられたるが、その大いなる口をば開きたり。その口に()ちたるは、ブルツス、カツシウス、ユダス・イスカリオツトなり。中にもユダス・イスカリオツトは、魔王が蝙蝠(かはほり)の如き翼を振ふ(ひま)に、早く半身を(のんど)(うち)に没したり。この「ルチフエエル」が姿をば、一たび見つるもの忘るゝことなし。われもダンテが詩にて、彼奴(かやつ)相識(ちかづき)になりたるが、汝はよべの囈語(うはこと)に、その魔王の(さま)を、(つはら)に我に語りぬ。その時われは今の如く、汝はダンテを読みたるかと問ひぬ。夢中の汝は、今より(すなほ)にて、我に真を打ち明け、ハツバス・ダアダアが事をさへ語り出でぬ。何故に覚めたる後には我を(へだ)てんとする。我は汝が秘事(ひめごと)を人に告ぐるものにあらず。汝が禁を犯したるは、汝が身に取りて(ほまれ)となすべき事なり。我は久しく汝が上にかゝることあらんを望みき。されど彼書(かのふみ)をば、汝何処(いづく)にてか()つる。我も一部を蔵したれば、汝若し(はや)く我に求めは、我は汝に借しゝならん。我はハツバス・ダアダアがダンテを罵りしを聞きしより、その良き書なるを推し得て、汝に先だちて買ひ来りぬ。われは長く机に()ることを好まず。神曲の大いなる二巻には、我ほと<(あぐ)みしが、これぞハツバス・ダアダアが禁ずるところとおもひおもひ、勇を鼓して読みとほしつ。後にはかのふみ我にさへ面白くなりて、今は早や三たび(けみ)しつ。その地獄のめでたさよ。汝はハツバス・ダアダアの堕つべきを何処とか思へる。火のかたなるべきか、(こほり)のかたなるべきか。
 わが秘事(ひめごと)(あば)かれたり。されどベルナルドオはこれを人に語るべくもあらず。ベルナルドオとわれとの(まじはり)は、この時より一際(ひときは)密になりぬ。(かたへ)に人なき時は、われ等の物語は必ず神曲の事にうつりぬ。わがこれを読みて感じたるところをば、必ずベルナルドオに語り聞かせたり。この間にわが文字を知りてよりの初の詩は成りぬ。その題はダンテと其神曲となりき。
 わが買ひ得たる神曲の(はじめ)には、ダンテが伝を刻したりき。そはいたく省略したるものなりしかど、尚わが詩材とするに堪へたれば、われはこれに()りて、此詩人の生涯を歌ひき。ベアトリチエとの(きよ)き恋、戦争の間の苦、逐客(ちくかく)となりてアルピイ山を()えし旅の()さ、異郷の鬼となりし哀さ、皆我詩中のものとなりぬ。わが最も力を用ゐしは、ダンテが霊魂(たましひ)天翔(あまかけ)りて、八間地獄を見おろす一段なりき。その叙事は省筆を以て、神曲の梗概を模写したるものなりき。浄火は又燃え上れり。果実累(るゐ<)たる、楽園の木のこずゑは、(みなぎ)り落つる瀑布の水に(ひた)されたり。ダンテが乗りたる、そら行く舟は、神童の白く大なる翼を帆としたり。その舟次第に(のぼ)りゆく程に、山々は揺り動されたり。太陽とそのめぐりなる神童の群とは、明鏡の如く、神の光明を映じ出せり。この時に()ふものは、賢きも愚なるも、こゝろ/゛\に無上の楽を覚えたり。



最終更新日 2005年09月17日 22時55分47秒

森鴎外訳『即興詩人』「神曲、吾友なる貴公子」2

 ()してベルナルドオに聞せしに、彼はこれを激称せり。彼のいはく。アントニオよ。次の祭の日には、汝其詩を読み上げよ。ハツバス・ダアダアいかなる(おもて)をかすらん。面白し面白し。汝が読むべき詩は、その外にはあらじ。斯く勧めらるゝに、われは手を()りて(うべな)はざりき。ベルナルドオ語を継ぎていふやう。さらば汝はえ読まぬなるべし。我にその詩を得させよ。われダンテの不朽をもて、ハツバス・ダアダアを苦めんとす。汝はおのが美しき羽を抜きて、このおほおそ鳥を飾らんを惜むか。譲るは汝が常の徳にあらずや。いかに<と、勧めて止まざりき。我もその日のありさまいかに面白からんとおもへば、詩稿をば(たゞち)にベルナルドオにわたしつ。
 今も西班牙(スパニア)広こうぢの「プロパガンダ」といふ学校にては、毎年一月十三日に、祭の式行はるゝ事なるが、当時は「ジエスヰタ」学校に、おなじ式ありき。諸生徒はおの<その故郷の語、(もし)くはその最も熟したる語にて、一篇の詩を作り、これを式場に持ち出でゝ読むことなり。題をば自ら撰びて、師の認可を()ひ、さて章を成すを法とす。
 題の認可の日に、ハツバス・ダアダアはベルナルドオにいふやう。君は又何の題をも撰び給はざりしならん。君は歌ふ鳥の群にあらねば。ベルナルドオのいはく。否。ことしは例に(たが)ひて作らんとおもへり。伊太利詩人の(うち)にて題とすべきものを求めたるが、その第一の大家を歌はんは、わが力の及ぼざるところなり。さればわれは稍ζ(やゝ)小なるものをとて、ダンテを撰びぬ。ハツバス・ダアダア冷笑(あざわら)ひていふ。ダンテを詠ずとならば、定めて傑作をなすなるべし。そは聞きものなり。さはあれ式の日には、僧官(カルヂナアレ)たちも皆臨席せらるゝが上に、外国(とつくに)の貴賓も来べければ、さる(たはぶれ)はふさはしからず。謝肉(カルネワレ)の祭をこそ待ち給ふベけれ。この(ことば)にて、他人(ほかびと)ならば思ひとゞまるべきなれど、ベルナルドオはなか<屈すべくもあらず。別の師の許を得て、かの詩を読むことゝ定めき。われは本国を題として、新に一篇を草しはじめつ。
 学校の規則には、詩賦は他人の助を()ることを(ゆる)さずと記したり。されどいつも雨雲に(おほ)はれたるハツバス・ダアダアが面に、(ちと)の日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在に塗抹せしめずてはかなはず。大抵(もと)の語は、(わづか)にその(なかば)を存するのみなり。さて詩の(つたな)さは、すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。斯く改めたる作、他日よそ人に誉めらるゝ時は、ハツバス・ダアダアは必ずおのれが刪潤(さんじゆん)せしを告ぐ。こたび読むべき詩も、多く一たびハツバス・ダアダアが手を経たるが、ひとりベルナルドオが詩のみは、遂にその目に触れざりき。
 兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に学校の門に(むらが)りぬ。老僧官(カルヂナアレ)たちは、赤き法衣の裾を牽きて式揚に入り、美しき椅子に倚り給ひぬ。詩の題、その国語、その作者など列記したる(すり)ものは、来賓に(わか)たれぬ。ハツバス・ダアダア先づ開場の演説をなし、諸生徒は()を逐ひて詩を読みたり。シリア、カルデア、新埃及(エジプト)、其外梵文英語の作さへありて、その耳ざはり愈ζあやしうして、喝采の声は愈ζ盛なりき。()だ喝采の声には、拍手なんどのみならで、高笑もまじるを常とす。
 われは胸を(をど)らせて進み出で、伊太利を(しよう)したる短篇を読みき。喝采の声は幾度となく起りぬ。老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア出来る限のやさしき顔をなし、手中の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて、我後に技を奏すべきは、独りベルナルドオあるのみにて、其次なる英語は(もと)より賞を得べくもあらねば、あはれ此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれける。
 その時ベルナルドオは壇に登りぬ。我はあやぶみながら友の言動に耳を傾け目を注ぎつ。友は(ちと)(おく)れたる景色もなく、かのダンテを詠ずる詩を誦したり。式揚は忽ち水を打ちたるやうに鎮まりぬ。読誦の力あるに、聴くもの皆感動したるなり。われは初より隻句(せぎく)を遺さず(そらん)じたり。されど今改めてこれを聴けば、ほと/\ダンテ其人の作を聞くが如くおもはれぬ。誦し(をは)りし時、場に臨みたる人々は、悉く喝采せり。僧官達は席を離れ給ひぬ。式はこゝに終れるが如く、桂冠はベルナルドオがものと定りぬ。次なる英語の詩をば、人々止むことを得ずして聴き、又止むことを得ずして拍手せしのみ。その畢るや、満揚の話柄はベルナルドオがダンテの詩の上にかへりぬ。
 我頬は火の如くなりき。我胸は拡まりたり。我心は人々のベルナルドオがために()ける香の烟を吸ひて、ほと/\酔へるが如くなりき。この時われは友の方を打ち見たるに、彼が容貌(おもざし)はいたく常にかはりて見えき。その面色土の如く、目を床に注ぎて立てるさまは、重き罪を犯したる人の如くなりき。ハツバス・ダアダアも亦いたく不興げなるおも持して、心こゝにあらねばか、その手にしたる桂冠を摘み砕かんとする如くなりき。僧官のうちなる一人、(すなは)ちこれを取りて、ベルナルドオが前に進み給ひぬ。我友は此時(ひざまつ)きたるが、もろ手に面を(おほ)ひて、この冠を頭に受けたり。
 式(をは)りて後、われは友の(そば)に歩み寄りしに、彼は明日こそと云ひもあへず、走り去りぬ。翌日になりても、彼は我を避けて、共に語らざりき、我は唯だ一人なる友を失へるやうに覚えて、憂きに堪へざりき。二日過ぎて、ベルナルドオは我頸を(いだ)き、我手を()りていふやう。アントニオよ。今こそは我心を語らめ。桂冠の我頭に触れたる時は、われは百千(もゝち)(いばら)もて刺さるゝ如くなりき。人々の我を誉むる声は、我を嘲るが如くなりき。この誉を受くべきは、我に非ずして汝なればなり。我は汝が目のうちなる喜の色を見き。汝知らずや。この時われは汝を憎みたり。おもふに我はこゝにありて、今迄の如く汝に交ることを得ざるべし。この故に我はこゝを去らんとす。(こゝろみ)におもへ。明年の式あらんとき、われ又汝が羽毛を借らずば、人々の前に出づることを得ざるべし。我心(いか)でかこれに堪へん。我に(いきほひ)あるをぢあり。我はこれに我上を頼みき。我は身を屈して願ひき。こはわが未だ嘗て為さゞることなり。わが敢てせざるところなり。我はその時又汝が事をおもひ出しつ。斯くわが心に(そむ)きて人に頼るも、その(もと)は汝に在るらんやうにおもはれぬ。この故に我は汝に対して、忍びがたき苦を覚ゆるなり。我は一たびこゝを去りて、別に身を立つるよすがを求め、その上にて又汝が友とならん。アントニオよ。願はくはその時を待て。吾は去らん。
 この夕ベルナルドオは(おそ)く帰りて床に入りしが、翌朝は彼が退校の噂諸生の間に高かりき。ベルナルドオは思ふよしありて、目的を変じたりとそ聞えし。
 ハツバス・ダアダアは冷笑の調子にていはく。彼男(かのをとこ)は流星の如く去りぬ。その光を放てると、その影を隠しゝとは、一瞬の間なりき。その学校生涯は爆竹の(にはか)に耳を(おどろ)かす如くなりき。その詩も亦然なり。(かの)草稿は猶我手に留まれり。何等の怪しき作ぞ。熟(つく/゛\)これを読むときは、畢竟(ひつきやう)是れ何物ぞ。斯くても尚詩といはるべき()。全篇支離(しり)にして、(たえ)て格調の見るべきなし。()(へい)となせば、これ瓶。(さん)となせば、是れ盞。剣となせば、これ剣。その定まりたる形なきこと、これより甚しきはあらず。字を(あま)すこと(おほよ)そ三たび。聞くに堪へざる平字(ひやうじ)の連用(ヒアツス)あり。(ヂヰナ)といふ字を下すことおほよそ二十五処。それにて詩をかう/゛\しくせんとにや。性霊よ。性霊よ。誰かこれのみにて詩人とならん。このとりとめなき空想能く何事をか()し出さん。こゝに在りと見れば、忽焉(こつえん)としてかしこに在り。汝は(ざえ)といふか。才果して何をかなさん、真の詩人の(たふと)むところは、心の上の鍛錬なり。詩人はその題のために動さるゝこと(なか)れ。その心は(ひやゝか)なること氷の如くならんを要す。その心の生ずるところをば、先づ刀もて()り砕き、一片一片に(しら)べ視よ。かく細心して組み立てたるを、まことの名作とはいふなり。(いと)ふべきは熱なり、激興なり。誰かその熱に感じて、桂冠を乳臭児の(かうべ)に加へし。その詩に史上の事実を()め、聞くに堪へざる平字の連用をなしたるなど、皆(むちう)(こら)すべき(とが)なるを。我はまことに甚しき不快を覚えき。かゝる事に逢ふごとに、我は健康をさへ害せられんとす。ベルナルドオのこわつぱ()。ハツバス・ダアダアが批評は大抵此の如くなりき。
 学校の中、ベルナルドオが去りしを惜まざるものなかりき。されどその惜むことの最も深きは我なりき。身のめぐりは(にはか)に寂しくなりぬ。(ふみ)を読みても物足らぬ心地して、胸の中には()るに由なき(もだえ)を覚えき。さて如何(いかに)してこれを散ずべき。唯だ音楽あるのみ。我生活我願望はこれを楽の裡に求むるとき、始めて残るところなく明なる如くなりき。こゝを思へば、詩には猶飽き足らぬところあり。ダンテが雄篇にも猶我心を充たすに足らざるところあり。詩は我魂(わがこん)を動せども、楽はわが魂と共に、わが耳によりてわが(はく)を動せり。夕されば我窓の()に、一群の小児来て、聖母(マドンナ)の像を拝みて歌へり。その調(しらべ)は我にわが(をさな)かりける時を憶ひ起さしむ。その調はかの笛ふきが笛にあはせし揺籃(えうらん)の曲に似たり、又或時は野辺送(のべおくり)の列、窓の下を過ぐるを見て、これをおくる僧尼の挽歌を聴き、昔母上を葬りし時を思ひ出しつ。我心はこしかたより行末に(うつ)りゆきぬ。我胸は押し(せば)めらるゝ如くなりぬ。昔歌ひし曲は虚空(こくう)より来りて我耳を襲へり。その曲は知らず()らず(わが)唇より洩れて歌声となりぬ。
 ハツバス・ダアダアが(へや)は、我室を去ること近からぬに、我声は覚えず高くなりて、そこまで聞えぬ。ハツバス・ダアダア人して言はしむるやう。こゝは劇場にもあらず、又唱歌学校にもあらず、讃美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られねとなり。われは黙して答へず。頭を窓の縁に寄せつけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はこゝに在らざりき。忽ち街上より「フエリチツシイマ、ノツテエ、アントニオ」((さち)あらん夜をこそ祈れ、アントニオよといふ事なり、北欧羅巴(ヨオロツバ)にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の楽きより、かゝる(ことば)さへ出来(いでき)ぬるなるべし)と呼ぶ人あり。窓の前にて、美しく(たけ)き若駒に首を()げさせ、手を軍帽に加へて我に礼を施し、振り返りつゝ()せ去りしは、法皇の禁軍(とのゑ)なる士官なりき。嗚乎(あゝ)、我はその顔を見識りたり。これわがベルナルドオなり。わが幸あるベルナルドオなり。
 我生活は今彼に殊なること幾何(いくばく)ぞ。われは深くこれを思ふことを好まず。われは(かたへ)なる帽を取りて、目深(まぶか)にかぶり、悪魔に逐はるゝ如く、学校の門を出でぬ。おほよそ「ジエスヰタ」学校、「プロパガンダ」学校、その外この教国の学校生徒は、外に出づるとき、おのれより年長(とした)けたる、(もし)くはおのれと同じ(よはひ)なる、同学のものに伴はるゝを法とす。稀に独り行くには、必ず許可を請ふことなり。こは誰も知りたる掟なるを、われはこの時少しも思ひ出でざりき。老いたる番僧はわが出づるを見つれど、許可を得たるものとや思ひけん、我を誰何(とが)めざりき。



最終更新日 2005年09月17日 23時03分58秒

『即興詩人』おわり

は、青空文庫で(旧字旧仮名)ので、これまでとします。なお、当方のは新字旧仮名でした。


最終更新日 2005年09月18日 09時53分09秒