森鴎外訳『即興詩人』初版例言・第十三版題言
即興詩人
初版例言
一、即興詩人は■
馬の
HANS CHRISTIAN ANDERSON(1805-1875)の作にして、原本の初版は千八百三十四年に世に公にせられぬ。
二、
此訳は明治二十五年九月十日稿を起し、三十四年一月十五日完成す。
殆ど九星霜を経たり。
然れども軍職の身に在るを以て、稿を
属するは、大抵夜間、
若くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於いてす。予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡
ζ変じ、文致の画一なり難きを
憾み、又筆を
擱くことの
頻にして、興に乗じて
揮潟すること能はざるを惜みたりき。世
或は予
其職を
曠しくして、
縦に述作に
耽ると謂ふ。
冤も亦甚しきかな。
三、文中
加特力教の語多し。印刷成れる後、我国公教会の定訳あるを知りぬ。
而れども遂に
改刪すること能はず。
四、此書は印するに四号活字を以てせり。予の母の、年老い目力衰へて、
毎に予の著作を読むことを
嗜めるは、此書に字形の大なるを選みし
所以の一なり。
夫れ字形は大なり。然れども紙面殆ど余白を留めず、段落
猶且連続して書し、以て紙数をして
太だ加はらざらしむることを得たり。
明治三十五年七月七日下志津陣営に於いて
訳者
識す
第十三版題言
是れ予が壮時の筆に成れる
IMPROVISATORENの訳本なり。国語と漢文とを調和し、雅言と俚辞とを融合せむと欲せし、放胆にして無謀なる
嘗試は、今新に其得失を論ずることを
須ゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、会
ζ欧洲大戦の起るありて、我国も亦其
旋渦中に投ずるに至りぬ。
羽檄旁午の間、予は
僅に仮刷紙を一閲することを得しのみ。
大正三年八月三十一日観潮楼に於いて
訳者又識す
最終更新日 2005年09月08日 01時09分02秒
森鴎外訳『即興詩人』
わが最初の境界・
隧道、ちご・
美小鬟、即興詩人・
花祭・
みたち・
学校、えせ詩人、露肆・
神曲、吾友なる貴公子・
青空文庫でので、これまでとします。(2005.9.18)
めぐりあひ、尼君
猶太をとめ
媒
謝肉祭
歌女
をかしき楽劇
即興詩の作りぞめ
謝肉祭の終る日
精進日、寺楽
友誼と愛情と
画廊
蘇生祭
基督の徒
山寨
花ぬすびと
封伝
一故人
旅の貴婦人
慰藉
考古学士の家
絶交書
好機会
古市
噴火山
嚢家
初舞台
人火天火
もゆる河
旧羇■
苦言
古祠、瞽女
夜襲
たつまき
夢幻境
蘇生
帰途
教育
小尼公
落飾
未練
梟首
妄想
水の都
颶風
感動
末路
流離
心疾身病
琅■洞
最終更新日 2005年09月18日 09時50分27秒
森鴎外訳『即興詩人』「わが最初の境界」1
わが最初の境界
羅馬に往きしことある人はピアツッア、バルベリイニを知りたるべし。こは
貝殻持てるトリイトンの神の
像に造り
做したる、美しき
噴井ある、
大なる広こうぢの名なり。貝殻よりは水湧き出でてその高さ数尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの広こうぢのさまをば銅板画にて見つることあらむ。かゝる画にはヰア、フエリチエの角なる家の見えぬこそ
恨なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる
三条の
樋の口は水を吐きて石盤に入らしむ。この家はわがためには
尋常ならぬおもしろ味あり。そをいかにといふにわれはこの家にて生れぬ。
首を
回してわが
穉かりける程の事をおもへば、日もくるめくばかりいろ/\なる
記念の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと心迷ひて
為むすべを知らず。又我世の
伝奇の全局を見わたせば、われはいよ<これを写す手段に苦めり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全
画図をおもひ浮べしめむために殊更に数へ挙ぐべき。わがためには面白きことも
外人のためには何の興もなきものあらむ。われは我世のおほいなる
穉物語をありのまゝに偽り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶ
性のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、
畠の
中なる雑草の如く
萌え出でゝ、やうやく
聖経に見えたる
芥子の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の問にわが七情は巣食
ひたり。わが最初の
記念の一つは既にその
芽生を見せたり。おもふにわれは最早六つになりし時の事ならむ。われはおのれより穉き子供二三人と向ひなる
尖帽僧の寺の前にて遊びき。寺の扉には小き真鍮の十字架を打ち付けたりき。その処はおほよそ扉の中程にてわれは僅に手をさし伸べてこれに達することを得き。母上は我を伴ひてかの扉の前を過ぐるごとに、必ずわれを掻き抱きてかの十字架に接吻せしめ給ひき。あるときわれ又子供と遊びたりしに、甚だ穉き一人がいふやう。いかなれば
耶蘇の
穉子は一たびもこの
群に来て、われ等と共に遊ばざるといひき。われさかしく答ふるやう。むべなり、耶蘇の穉子は十字架にかゝりたればといひき。さてわれ等は十字架の下にゆきぬ。かしこには何物も見えざりしかど、われ等は
猶母に教へられし如く耶蘇に接吻せむとおもひき。さるを我等が口はかしこに届くべきならねば、我等はかはる/゛\抱き上げて接吻せしめき。一人の子のさし上げられて僅に唇を
尖らせたるを、抱いたる子力足らねば落しつ。この時母上通りかゝり給へり。この遊のさまを見て立ち
住まり、指組みあはせて
宣ふやう。汝等はまことの天使なり。さて汝はといひさして、母上はわれに接吻し給ひ、汝はわが天使なりといひ給ひき。
母上は隣家の
女子の前にて、わがいかに罪なき子なるかを繰り返して語り給ひぬ。われはこれを聞きしが、この物語はいたくわが心に
協ひたり。わが罪なきことは
固よりこれがために前には及ばずなりぬ。人の意を迎へて自ら喜ぶ
性の
種は、この時始めて日光を吸ひ込みたりしなり。造化は我におとなしく
軟なる心を授けたりき。さるを母上はつねに我がこゝろのおとなしきを我に告げ、わがまことに持てる長処と母土のわが持てりと思ひ給へる長処とを我にさし示して、小児の罪なさはかの醜き「バジリスコ」の獣におなじきをおもひ給はざりき。かれもこれもおのが姿を見るときは死なでかなはぬ者なるを。
彼尖帽宗の寺の僧にフラア、マルチノといへるあり。こは母上の懺悔を聞く人なりき。かの僧に母上はわがおとなしさを告げ給ひき。
祈のこゝろをばわれ知らざりしかど、祈の
詞をばわれ善く
諳じて洩らすことなかりき。僧は我をかはゆきものにおもひて、あるとき我に一枚の図をおくりしことあり。図の中なる
聖母のこぼし給ふおほいなる涙の露は地獄の
焔の上におちかゝれり。亡者は争ひてかの露の
滴りおつるを
承けむとせり。僧は又一たびわれを伴ひてその僧舎にかへりぬ。当時わが目にとまりしは、
方なる形に作りたる
円柱の
廊なりき。廊に囲まれたるは小き
馬鈴藷圃にて、そこにはいとすぎ(チプレツソオ)の木二株、
檸檬の木一株立てりき。
開け放ちたる廊には世を
逝りし僧どもの像をならべ懸けたり。部屋といふ部屋の戸には献身者の伝記より撰び出したる画図を貼り付けたり。当時わがこの図を
観し心は、後になりてラフアエロ、アンドレア、デル、サルトオが作を観る心におなじかりき。
僧はそちは心
猛き
童なり、いで死人を見せむといひて、小き戸を開きつ。こゝは廊より二三級低きところなりき。われは
延かれて
級を降りて見しに、こゝも小き廊にて、四囲
悉く
髑髏なりき。髑髏は髑髏と接して壁を成し、壁はその並びざまにて
許多の
小龕に分れたり。おほいなる龕には
頭のみならで、胴をも手足をも具へたる骨あり。こは高位の僧のみまかりたるなり。かゝる骨には禍色の尖帽を
被せて、腹に繩を結び、手には
一巻の経文若くは枯れたる花束を持たせたり。
贄卓、
花形の燭台、そのほかの飾をば
肩胛、
脊椎などにて細工したり。人骨の
浮彫あり。これのみならず
忌まはしくも、又趣なきはこゝの
拵へざまの全体なるべし。僧は祈の詞を唱へつゝ行くに、われはひたと寄り添ひて従へり。僧は唱へ
畢りていふやう。われも
早晩こゝに眠らむ。その時汝はわれを見舞ふべきかといふ。われは一語をも
出すこと
能はずして、僧と僧のめぐりなる気味わるきものとを驚き
■たり。まことに我が如き穉子をかゝるところに伴ひ入りしは、いとおろかなる
業なりき。われはかしこにて見しものに心を動かさるゝこと甚しかりければ、帰りて僧の小房に入りしとき
纔に生き返りたるやうなりき。この小房の窓には黄金色なる
柑子のいと美しきありて、殆ど一間の中に垂れむとす。又
聖母の画あり。その姿は天使に
担ひ上げられて日光明なるところに浮び出でたり。下には
聖母の
息ひたまひし
墓穴ありて、ももいろちいろの花これを
掩ひたり。われはかの柑子を見、この画を見るに及びて、わづかに我にかへりしなり。
この始めて僧房をたづねし時の事は、久しき間わが空想に好き材料を与へき。今もかの時の事をおもへば、めづらしくあざやかに目の前に浮び出でむとす。わが当時の心にては、僧といふ者は全く我等の知りたる常の人とは殊なるやうなりき。かの僧が褐色の衣を着たる死人の
殆どおのれとおなじさまなると共に
棲めること、かの僧があまたの尊き人の上を語り、あまたの不思議の
蹟を話すこと、かの僧の尊さをば我母のいたく敬ひ給ふことなどを思ひ合する程に、われも人と生れたる
甲斐にかゝる人にならばやと折々おもふことありき。
母上は未亡人なりき。
活計を立つるには、
鍼仕事して得給ふ銭と、むかし我等が住みたりしおほいなる部屋を人に借して得給ふ価とあるのみなりき。われ等は屋根裏の小部屋に住めり。かのおほいなる部屋に引き移りたるはフエデリゴといふ年
少き画工なりき。フエデリゴは心
敏く世をおもしろく暮らす少年なりき。かれはいとも<遠きところより来ぬといふ。母上の物語り給ふを聞けば、かれが故郷にては
聖母をも
耶蘇の穉子をも知らずとそ、その国の名をば
嗹馬といへり。当時われは世の中にいろ<の国語ありといふことを
解せねば、画工が我が言ふことを
暁らぬを耳とほきがためならむとおもひ、おなじ
詞を繰り返して声の限り高くいふに、かれはわれを
可笑しきものにおもひて、をり<
果をわれに取らせ、又わがために兵卒、馬、家などの形をゑがきあたへしことあり。われと画工とは
幾時も立たぬに
中善くなりぬ。われは画工を愛しき。母上もをり<かれは善き人なりと
宣ひき。さるほどにわれはとある
夕母上とソラア・マルチノとの話を聞きしが、これを聞きてよりわがかの技芸家の少年の上をおもふ心あやしく動かされぬ。かの
異国人は地獄に
墜ちて永く浮ぶ瀬あらざるべきかと母上問ひ給ひぬ。そはひとりかの男の上のみにはあらじ。異国人のうちにはかの男の如く
悪しき事をば一たびもせざるもの多し。かの
輩は貧き人に逢ふときは物取らせて
吝むことなし。かの輩は
債あるときは期を
愆たず額をたがへずして払ふなり。
然のみならず、かの輩は
吾邦人のうちなる多人数の作る如き罪をば作らざるやうにおもはる。母上の問はおほよそ
此の如くなりき。
フラア・マルチノの答へけるやう。さなり。まことにいはるゝ如き事あり。かの輩のうちには善き人少からず。されどおん身は何故に然るかを知り給ふか。見給へ。
世中をめぐりありく悪魔は、邪宗の人の
所詮おのが手に落つべきを知りたるゆゑ、
強ひてこれを
誘はむとする
ことなし。このゆゑに
彼輩は何の苦もなく善行をなし、罪悪をのがる。善き
加特力教徒はこれと殊にて神の
愛子なり、これを陥れむには悪魔はさま/゛\の
手立を用ゐざること能はず。悪魔はわれ等を誘ふなり。われ等は弱きものなればその手の中に落つること多し。されど邪宗の人は肉体にも悪魔にも誘はるゝことなしと答へき。
母上はこれを聞きて
復た言ふべきこともあらねば、
便なき少年の上をおもひて
大息つき給ひぬ。かたへ
聞せしわれは泣き出しつ。こはかの人の永く地獄にありて
焔に苦められむつらさをおもひければなり。かの人は善き人なるに、わがために美しき画をかく人なるに。
最終更新日 2005年09月08日 09時45分50秒
森鴎外訳『即興詩人』「わが最初の境界」2
わが穉きころ、わがためにおほいなる意味ありと覚えし第三の人はペツポのをぢなりき。悪人ペツポといふも
西班牙磴の王といふも皆その人の
綽号なりき。此王は日ごとに西班牙磴の上に
出御ましましき。(西班牙広こうぢよりモンテ、ピンチヨオの上なる街に登るには高く広き
石級あり。この石級は羅馬の
乞児の集まるところなり。西班牙広こうぢより登るところなればかく名づけられしなり。)ペツポのをぢは生れつき両の足
痿へたる人なり。当時そを十字に組みて折り敷き居たり。されど穉きときよりの熟練にて、をぢは両手もて歩くこといと
巧なり、其手には革紐を結びて、これに板を掛けたるが、をぢがこの道具にて歩む速さは
健かなる脚もて行く人に劣らず。をぢは日ごとに
上にもいへるが如く西班牙磴の上に坐したり。さりとて外の乞児の如く
憐を乞ふにもあらず。
唯だおのが前を過ぐる人あるごとに、
詐ありげに面をしかめて「ボン、ジヨオルノオ」(我俗の今日はといふ如し)と呼べり。日は既に入りたる後もその呼ぶ詞はかはらざりき。母上はこのをぢを敬ひ給ふことさまでならざりき。あらず。
親族にかゝる人あるをば心のうちに恥ぢ給へり。されど母上はしば/\我に向ひて、そなたのためなれば、彼につきあひおくとのたまひき。
余所の人の此世にありて求むるものをば、かの人
筐の底に
蔵めて持ちたり。
若し臨終に、寺に納めだにせずば、そを譲り受くべき人、わが外にはあらぬを、母上は
恃みたまひき。をぢも我に親むやうなるところありしが、我は
其側にあるごとに、まことに喜ばしくおもふこと
絶てなかりき。或る時、我はをぢの振舞を見て、心に
怖を懐きはじめき。こは、をぢの本性をも見るに足りぬべき事なりき。例の石級の
下に老いたる盲の乞児ありて、往きかふ人の「パヨツコ」(我二銭
許に当る銅貨)一つ投げ入れむを願ひて、
薄葉鉄の
小筒をさら<と鳴らし居たり。我がをぢは、
面にやさしげなる色を見せて、帽を
揮り動しなどすれど、人人その前をばいたづらに過ぎゆきて、かの盲人の何の
会釈もせざるに、銭を与へき。三人かく過ぐるまでは、をぢ
傍より見居たりしが、四人めの客かの盲人に小貨幣二つ三つ与へしとき、をぢは毒蛇の身をひねりて行く如く、石級を下りて、盲の乞児の面を打ちしに、盲の乞児は銭をも杖をも取りおとしつ。ペツポの叫びけるやう。うぬは
盗人なり。我銭を
竊む
奴なり。立派に
廃人といはるべき身にもあらで、たゞ目の見えぬを手柄顔に、わが口に入らむとする「パン」を奪ふこそ心得られねといひき。われはこゝまでは聞きつれど、こゝまでは見てありつれど、この時買ひに出でたる、一「フオリエツタ」(
一勺)の酒をひさげて、急ぎて家にかへりぬ。
大祭日には、母につきてをぢがり
祝にゆきぬ。その折には
苞苴もてゆくことなるが、そはをぢが
嗜めるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。われはをぢ御と呼びかけて、その手に接吻しき。をぢはあやしげに笑ひて、われに半「バヨツコ」を与へ、
果子をな買ひそ、果子は食ひ
畢りたるとき、
迹かたもなくなるものなれど、この銭はいつまでも貯へらるゝものぞと教へき。
をぢが住めるところは、暗くして見苦しかりき。
一間には窓といふものなく、また一間には壁の上の端に、
破硝了を紙もて補ひたる小窓ありき。
臥所の用をもなしたる大箱と、衣を蔵むる小桶二つとの外には、家具といふものなし。をちがり往け、といはるゝときは、われ必ず泣きぬ。これも無理ならず。母上はをぢにやさしくせよ、と我にをしへながら、我を
嚇さむとおもふときは、必ずをぢを
案山子に使ひ給ひき。母上の
宣たまひけるやう。かく
悪劇せば、
好きをぢ御の許にやるべし。さらば汝も
磴の上に坐して、をぢと共に
袖乞するならむ、歌をうたひて「バヨツコ」をめぐまるゝを待つならむとのたまふ、われはこの詞を聞きても、あながち恐るゝことなかりき。母上は我をいつくしみ給ふこと、目の球にも優れるを知りたれば。
向ひの家の壁には、
小龕をしつらひて、それに
聖母の像を据ゑ、その前にはいつも
燈を燃やしたり。「アヱ、マリア」の鐘鳴るころ、われは近隣の子供と像の前に
跪きて歌ひき。燈の光ゆらめくときは、聖母も、いろくの紐、珠、
銀色したる心の臓などにて飾りたる耶蘇のをさな子も、共に動きて、我等が面を見て笑み給ふ如くなりき。われは高く
朗なる声して歌ひしに、人々聞きて善き声なりといひき。或る時
英吉利人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひ
畢るを待ちて、
長らしき人われに銀貨一つ与へき。母に語りしに、そなたが声のめでたさ故、とのたまひき。されどこの詞はその後我祈を妨ぐることいかばかりなりしを知らず。それよりは、聖母の前にて歌ふごとに、聖母の上をのみ思ふこと能はずして、必ず我声の美しきを聞く人やあると思ひ、かく思ひつゝも、聖母のわがあだし心を懐けるを
嫉み給はむかとあやぶみ、聖母に向ひて罪を謝し、あはれなる子に慈悲の
眸を垂れ給へと願ひき。
わが
余所の子供に出で逢ふは、この夕の祈の時のみなりき。わが世は静けかりき。わが自ら作りたる夢の世に心を潜め、仰ぎ臥して開きたる窓に向ひ、
伊太利の美しき青空を眺め、日の西に傾くとき、紫の光ある雲の黄金色したる地の上に垂れかゝりたるをめで、時の
遷るを知らざることしば<なりき。ある時は、遠くクヰリナアル(丘の名にて、其上に法皇の
宮居あり)と家々の
棟とを越えて、
紅に染まりたる地平線のわたりに、
真黒に浮き出でゝ見ゆる「ピニヨロ」の木々の方へ、飛び行かばや、と願ひき。我部屋には、この眺ある窓の外、中庭に向へる窓ありき。我家の中庭は、隣の家の中庭に並びて、いづれもいと狭く、上の方は木の「アルタナ」(物見のやうにしたる屋根)にて
鎖されたり。庭ごとに石にて
甃みたる
井ありしが、家々の壁と井との間をば、人ひとり僅かに通らるゝほどなれば、我は上より覗きて、二つの井の内を見るのみなりき、緑なるほうらいしだ(アヂアンツム)生ひ茂りて、深きところは唯だ黒くのみぞ見えたる。俯してこれを見るたびに、われは地の底を見おろすやうに覚えて、こゝにも怪しき
境ありとおもひき。かゝるとき、母上は杖の
尖にて窓硝子を
浄め、なんぢ井に墜ちて溺れだにせずば、この窓に当りたる木々の枝には、汝が食ふべき
果おほく熟すべしとのたまひき。
最終更新日 2005年09月08日 09時51分29秒
森鴎外訳『即興詩人』「隧道、ちご」1
我家に宿りたる画工は、廓外に出づるをり、我を伴ひゆくことありき。画を作る間は、われかれを妨ぐることなかりき。さて作り
畢りたるとき、われ
穉き物語して慰むるに、かれも今はわが国の
詞を
解して、面白がりたり。われは既に一たび画工に随ひて、「クリア、ホスチリア」にゆき、昔游戯の日まで猛獣を押し込めおきて、つねに
無辜の
俘囚を獅子、「イエナ」獣なんどの餌としたりと聞く、かの暗き
洞の深き処まで入りしことあり。洞の
裡なる暗き道に、我等を導きてくゞり入り、燃ゆる
松火を、絶えず石壁に振り当てたる僧、深き池の水の、鏡の如く
明にて、目の前には何もなきやうなれば、その足もとまで湛へ寄せたるを知らむには、松火もて触れ探らではかなはざるほどなる。いつれもわが空想を激したりき。われは
怖をば懐かざりき。そは危しといふことを知らねばなりけり。
街のはつる処に、「コリゼエオ」(
大観棚)の
頂見えたるとき、われ等はかの洞の
方へゆくにや、と画工に問ひしに、否、あれよりは
迥に大なる洞にゆきて、面白きものを見せ、そなたをも景色と倶に写すべし、と答へき。葡萄圃の間を過ぎ、
古の
混堂の
址を囲みたる白き石垣に沿ひて、ひたすら進みゆく程に羅馬の府の外に出でぬ。日はいと烈しかりき。緑の枝を手折りて、車の上に挿し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側に
吊り下げたる一束の
秣を食ひつゝ、ひとり
徐に歩みゆけり。やう<女神エジエリアの洞にたどり着きて、われ等は
朝饗を
食べ、岩間より湧き出つる泉の水に、葡萄酒混ぜて飲みき。洞の
裏には、天井にも
四方の壁にも、すべて絹、
天鵝絨なんどにて張りたらむやうに、緑こまやかなる苔生ひたり。露けく茂りたる
蔦の、おほいなる洞門にかゝりたるさまはカラブリア州の
谿間なる
葡萄架を見る心地す。洞の前数歩には、その頃いと寂しき一軒の家ありて、「カタコンバ」のうちの一つに造りかけたりき。この家今は
潰えて断礎をのみぞ留めたる。「カタコンバ」は人も知りたる如く、羅馬城とこれに接したる村々とを通ずる
隧道なりしが、
半はおのづから壊れ、半は
盗人、ぬけうりする人なんどの
隠家となるを
厭ひて、石もて
塞がれたるなり。当時
猶存じたるは、
聖セバスチヤノ寺の内なる
穹窿の墓穴よりの入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さてわれ等はかの一軒家のうちなる入口より進み入りしが、おもふに最後に此道を通りたるはわれ等二人なりしなるべし。いかにといふに此入口はわれ等が危き目に逢ひたる後、いまだ
幾もあらぬに塞がれて、後には寺の内なる入口のみ残りぬ。かしこには今も僧一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。
深きところには、軟なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その様の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは
穉心に何ともおもはず。画工はまた
予め
其心して、我を伴ひ入りぬ。先づ臘燭一つ
点し一つをば猶衣のかくしの中に貯へおき、
一巻の糸の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり、忽ち又
岐路の出づるところ広がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き
石卓を据ゑたる円堂を
過りぬ。こゝは始て基督教に
帰依したる人々の、異教の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとそ。フエデリゴはこゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外数千の献身者の事を物語りぬ、われ等は
石龕のわれ目に
燭火さしつけて、中なる白骨を見き。(こゝの墓には何の飾もなし。
拿破里に近き
聖ヤヌアリウスの「カタコンバ」には聖像をも文字をも
彫りつけたるあれど、これも技術上の価あるにあらず。基督教徒の墓には、魚を彫りたり。
希臘文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス、クリストス、テオウ、ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇基督
神子救世者と云ふ。)われ等はこれより入ること二三歩にして立ち留りぬ。ほぐし来たる糸はこゝにて尽きたればなり。画工は糸の端を
控鈕の孔に結びて、蝋燭を拾ひ集めたる小石の間に立て、さてそこに
蹲りて、隧道の模様を写し始めき。われは傍なる石に
踞けて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されどさきに貯へおきたる
新なる蝋燭をば、今取り出してその
側におきたる上、火打道具さへ帯びたれば、消えなむ折に火を
点すべき用意ありしなり。
われはおそろしき暗黒天地に通ずる
幾条の道を望みて、心の中にさまざまの奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周囲には
寂として何の声も聞えず、唯だ忽ち断え忽ち続く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。われはかく
由なき
妄想を懐きてしばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて画工の方を見やれば、あな
訝かし、画工は
大息つきて一つところを馳せめぐりたり。その間かれは
頻に俯して、地上のものを捜し
索むる如し。かれは又火を新なる蝋燭に点じて再びあたりをたつねたり。その
気色たゞならず覚えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。
この時画工は声を励まして、こは何事ぞ、善き子なれば、そこに坐りゐよ、と云ひしが、又眉を
顰めて地を見たり。われは画工の手に取りすがりて、
最早登りゆくべし、こゝには居りたくなし、とむつかりたり。画工は、そちは善き子なり、画かきてや
遣らむ、果子をや与へむ、こゝに銭もあり、といひつゝ、衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる銭をば、ことごとく我に与へき。我はこれを受くるとき、画工の手の氷の如く
冷になりて、いたく
震ひたるに心づきぬ。我はいよいよ騒ぎ出し、母を呼びてます<泣きぬ。画工はこの時我肩を
掴みて、劇しくゆすり
揺かし、
静にせずば
打擲せむ、といひしが、急に
手巾を引き出して、我腕を
縛りて、しかと其端を取り、さて俯してあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり、そちも聖母に願へ、といひき。糸をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ。今こそ見出さめ、といひ/\、画工は又地上をかいさぐりぬ。
さる程に、地上なりし蝋燭は流れ
畢りぬ。手に持ちたる蝋燭も、かなたこなたを捜し索むる
忙しさに、流るゝこといよ/\早く、今は手の
際まで燃え来りぬ。画工の周章は大方ならざりき。そも無理ならず。若し糸なくして歩を運ばゝ、われ等は次第に深きところに入りて、遂に活路なきに至らむも計られざればなり。画工は再び気を励まして探りしが、こたびも糸を得ざりしかば、力抜けて地上に坐し、我
頸を抱きて
大息つき、あはれなる子よ、とつぶやきぬ。われはこの詞を聞きて、最早家に還られざることぞ、とおもひければ、いたく泣きぬ。画工にあまりに
緊しく抱き寄せられて、我が縛られたる手はいざり落ちて地に達したり。我は覚えず埃の間に指さし入れしに、例の糸を
撮み得たり。こゝにこそ、と我呼びしに、画工は我手を
慘りて、物狂ほしきまでよろこびぬ。あはれ、われ等二人の命はこの糸にぞ繋ぎ留められげる。
最終更新日 2005年09月08日 17時28分33秒
森鴎外訳『即興詩人』「隧道、ちご」2
われ等の再び外に歩み出でたるときは、日の
暖に照りたる、天の
蒼く晴れたる、木々の梢のうるはしく緑なる、皆常にも増してよろこばしかりき。フエデリゴは又我に接吻して、衣のかくしより美しき銀の
■を取り出し、これをば汝に取らせむ、といひて与へき。われはあまりの嬉しさに、けふの恐ろしかりし事共、はや
悉く忘れ果てたり。されと此事を得忘れ給はざるは、始終の事を聞き給ひし母上なりき。フエデリゴはこれより後、我を伴ひて出つることを許されざりき。フラア・マルチノもいふやう。かの時二人の命の助かりしは、全く
聖母のおほん
恵にて、邪宗のフエデリゴが手には授け給はざる糸を、善く神に仕ふる、やさしき子の手には与へ給ひしなり。されば聖母の恩をば、身を終ふるまで、ゆめ忘るゝこと
勿れといひき。
フラア・マルチノがこの詞と、或る知人の
戯に、アントニオはあやしき子なるかな、うみの母をば愛するやうなれど、外の女をばことごとく嫌ふと見ゆれば、あれをば、人となりて後僧にこそすべきなれ、といひしことあるとによりて、母上はわれに出家せしめむとおもひ給ひき。まことに我は
奈何なる故とも知らねど、女といふ女は
側に来らるゝだに
厭はしう覚えき。母上のところに来る婦人は、人の妻ともいはず、処女ともいはず、我が穉き詞にて、このあやしき
好憎の心を語るを聞きて、いとおもしろき事におもひ
做し、
強ひて我に接吻せむとしたり。
就中マリウチアといふ娘は、この戯にて我を泣かすること
屡なりき。マリウチアは活溌なる
少女なりき。農家の子なれど、裁縫店にて雛形娘をつとむるゆゑ、
華靡やかなる色の衣をよそひて、幅広き白き麻布もて髪を巻けり。この少女フエデリゴが画の雛形をもつとめ、又母上のところにも遊びに来て、その度ごとに自らわがいひなづけの妻なりといひ、我を小き夫なりといひて、迫りて接吻せむとしたり。われ
諾はねば、この少女しば<武を用ゐき。或る日われまた脅されて泣き出しゝに、さては
猶穉児なりけり、乳房
啣ませずては、啼き止むまじ、とて我を掻き抱かむとす。われ
慌てて
迯ぐるを、少女はすかさず追ひすがりて、両膝にて我身をしかと挾み、いやがりて振り向かむとする頭を、やう/\胸の方へ引き寄せたり。われは少女が挿したる
銀の矢を抜きたるに、
豊なる髪は波打ちて、我身をも、露れたる少女が肩をも
掩はむとす。母上は室の隅に立ちて、笑みつつマリウチアがなすわざを勧め励まし給へり。この時フエデリゴは戸の片蔭にかくれて、
竊に
此群をゑがきぬ。われは母上にいふやう。われは生涯妻といふものをば持たざるべし。われはフラア・マルチノの君のやうなる僧とこそならめといひき。
夕ごとにわが怪しく何の詞もなく坐したるを、母上は出家せしむるにたよりよき
性なりとおもひ給ひき。われはかゝる時、いつも人となりたる後、金あまた得たらむには、いかなる寺、いかなる城をか建つべき、寺の
主、城の主となりなん日には、「カルヂナアレ」の僧の如く、赤き
衷甸に乗りて、金色に
装ひたる
僕あまた随へ、そこより
出入せんとおもひき。或るときは又フラア・マルチノに聞きたる、種々なる献身者の話によそへて、おのれ献身者とならむをりの事をおもひ、世の人いかにおのれを責むとも、おのれは聖母のめぐみにて、つゆばかりも苦痛を覚えざるべしとおもひき。殊に願はしく覚えしは、フエデリゴが故郷にたづねゆきて、かしこなる邪宗の人々をまことの道に帰依せしむる事なりき。
母上のいかにフラア・マルチノと
謀り給ひて、その日とはなりけむ。そはわれ知らでありしに、或る朝母上は、我に小き衣を着せ、其上に
白衣を打掛け給ひぬ。此白衣は膝のあたりまで届きて、寺に仕ふる
児の着るものに同じかりき。母上はかく
為立てゝ、我を鏡に向はせ給ひき。我は此日より
尖帽宗の寺にゆきてちごとなり、
火伴の
童達と共に、おほいなる
吊香炉を
提げて儀にあづかり、また
贄卓の前に出でゝ讃美歌をうたひき。
総ての指図をばフラア・マルチノなしつ。われは幾程もあらぬに、小き寺のうちに住み馴れて、贄卓に画きたる神の使の童の顔を悉く
記え、柱の上なるうねりたる模様を識り、瞑目したるときも、醜き竜と戦ひたる、美しき
聖ミケルを面前に見ることを得るやうになり、
鋪床に刻みたる
髑髏の、緑なる蔦かづらにて編みたる
環を戴けるを見てはさまざまの怪しき思をなしき。(聖ミケルが大なる翼ある美少年の姿にて、悪鬼の頭を踏みつけ、
鎗をその上に加へたるは、名高き画なり。)
最終更新日 2005年09月08日 20時28分01秒
森鴎外訳『即興詩人』「美小鬟、即興詩人」1
美小鬟、即興詩人
万聖祭には
衆人と
倶に
骨龕にありき。こはフラア・マルチノの嘗て我を伴ひて入りにしところなり。僧どもは皆経を
誦するに、我は
火伴の童二人と共に、
髑髏の
贄卓の前に立ちて、
提香炉を振り動したり。骨もて作りたる燭台に、けふは火を点したり。僧侶の遺骨の手足全きは、けふ
額に新しき花の環を戴きて、手に露けき花の一束を取りたり。この祭にも、いつもの如く、人あまた
集ひ来ぬ。歌ふ僧の「ミゼレエレ」(「ミゼレエレ、メイ、ドミネ」、主よ、我を
愍み給へ、と唱へ出す
加特力教の歌をいふ)唱へはじむるとき、人々は膝を
屈めて拝したり。髑髏の色白みたる、髑髏と我との間に渦巻ける香の
烟の怪しげなる形に見ゆるなどを、我は久しく打ち
目守り居たりしに、こはいかに、我身の
周囲の物、皆
独楽の如くに廻り出しつ。物を見るに、すべて
大なる虹を隔てゝ望むが如し。耳には寺の鐘
百ばかりも、
一時に鳴るらむやうなる音聞ゆ。我心は早き流を舟にて下る如くにて、譬へむやうなく目出たかりき。これより後の事は知らず。我は気を喪ひき。人あまた集ひて、
欝陶しくなりたるに、我空想の燃え上りたるや、この
眩輦のもとなりけむ。醒めたるときは、寺の園なる
檸檬の木の下にて、フラア・マルチノが膝に抱かれ居たり。
わが夢の
裡に見きといふ、首尾整はざる事を、フラア・マルチノを始として、僧ども皆神の
業なりといひき。
聖のみたまは
面前を飛び過ぎ給ひしかと、はかなき
童のそのひかり
耀けるさまにえ堪へで、卒倒したるならむといひき。これより後、われは怪しき夢をみること
頻なりき。そを母上に語れば、母上は又友なる女どもに伝へ給ひき。そが中には、われまことにさる夢を見しにはあらねど、見きと
詐りて語りしもありき。これによりて、我を神のおん子なりとする、人々の
惑は、日にけに深くなりまさりぬ。
さる程に嬉しき聖誕祭は近づきぬ。つねは山住ひする牧者の笛ふき(ピツフエラリ)となりたるが、短き外套着て、紐あまた下げ、尖りたる帽を戴き、
聖母の像ある家ごとに
音信れ来て、救世主の
誕れ給ひしは今ぞ、と笛の
音に知らせありきぬ。この単調にして悲しげなる声を聞きて、我は朝な/\
覚むるが常となりぬ。覚むれば説教の稽古す。おほよそ聖誕日と新年との間には、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺なる
基督の像のみまへにて、童男童女の説教あること、年ごとの
例なるが、我はことし其一人に当りたるなり。
吾齢は
甫めて九つなるに、かしこにて説教せむこと、いとめでたき事なりとて、歓びあふは、母上、マリウチア、我の三人のみかは。わがありあふ
卓の上に登りて、一たびさらへ聞かせたるを聞きし、画工フエデリゴもこよなうめでたがりぬ。さて其日になりければ、寺のうちなる卓の上に押しあげられぬ。我家のとは違ひて、この卓には
毯を
被ひたり。われはよその子供の如く、
諳じたるまゝの説教をなしき。聖母の
心より血汐出でたる、穉き基督のめでたさなど、説教のたねな
りき。我順番になりて、
衆人に仰が見られしとき、我胸跳りしは、恐ろしさゆゑにはあらで、喜ばしさのためなりき。これ迄の
小児の中にて、尤も人々の気に入りしもの、即ち我なること疑なかりき。さるをわが後に、卓の上に立たせられたるは、小き女の子なるが、その言ふべからず
優しき姿、驚くべきまでしほらしき顔つき、
調清き楽に似たる
声音に、人々これぞ神のみつかひなるべき、とさゝやきぬ。母上は、我子に
優る子はあらじ、といはまほしう思ひ給ひけむが、これさへ
声高く、あの
女の子の贄卓に画ける神のみつかひに似たることよ、とのたまひき。母上は我に向ひて、かの
女子の怪しく濃き口の色、
鴉青いろの髪、をさなくて又
怜悧げなる顔、美しき
紅葉のやうなる手などを、繰りかへして
誉め給ふに、わが心には
妬ましきやうなる情起りぬ。母上は我上をも神のみつかひに
譬へ給ひしかども。
鶯の歌あり。まだ巣ごもり居て、
薔薇の枝の緑の葉を
啄めども、今生ぜむとする蕾をば見ざりき。二月三月の後、薔薇の花は開きぬ。今は鶯これにのみ鳴きて聞かせ、つひには
刺の間に飛び入りて、血を流して死にき。われ人となりて後、しば<此歌の事をおもひき。されど「アラチエリ」の寺にては、我耳も未だこれを聞かず、我心も未だこれを会せざりき。
母上、マリウチア、その外女どもあまたの前にて、寺にてせし説教をくりかへすこと、しばしばありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど我が未だ語り
厭かぬ間に、かれ等は早く聴き
倦みき。われは聴衆を失はじの心より、自ら新しき説教一段を作りき、その
詞は、まことの聖誕日の説教といはむよりは、寺の祭を叙したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしはフエデリゴなるが、かれは打ち笑ひ
乍らも、そちが説教は、兎も角もフラア・マルチノが教へしよりは善し、そちが身には詩人や
舎れる、といひき。フラア・マルノより善しといへる詞は、わがためにいと喜ばしく、さて詩人とはいかなるものならむとおもひ
煩ひ、おそらくは我身の内に舎れる善き神のみつかひならむと判じ、又夢のうちに我に面白きものを見するものにやと疑ひぬ。
最終更新日 2005年09月10日 09時54分56秒
森鴎外訳『即興詩人』「美小鬟、即興詩人」2
母上は家を離れて遠く出で給ふこと稀なりき。されば或日の昼すぎ、トラステヱエ(テヱエル河の右岸なる羅馬の市区)なる友だちを
訪はむ、とのたまひしは、我がためには祭に往くごとくなりき。日曜に着る衣をきよそひぬ。
中単の
代にその頃着る
習なりし絹の胸当をば、針にて上衣の下に縫ひ留めき。
領巾をば幅広き
襞に
慴みたり。頭には縫とりしたる帽を戴きつ。我姿はいとやさしかりき。
とぶらひ
畢りて、家路に向ふころは、はや
頗る遅くなりたれど、月影さやく、空の色青く、風いと心地好かりき。路に近き丘の上には、「テプレツソオ」、「ピニヨロ」なんどの
常磐樹立てるが、怪しげなる輪廓を、鋭く空に画きたり。人の世にあるや、とある夕、何事もあらざりしを、久しくえ忘れぬやうに、美しう思ふこともあるものなるが、かの帰路の景色、また
然る
類なりき。国を去りての後も、テヱエの流のさまを思ふごとに、かの夕の景色のみぞ心には浮ぶなる。黄なる河水のいと濃げに見ゆるに、月の光はさしたり。
碾穀車の鳴り響く水の上に、朽ち果てたる
橋柱、黒き影を
印して立てり。この景色心に浮べば、あの折の心
軽げなる
少女子さへ、
扁鼓手に
把りて、「サルタレルロ」舞ひつゝ過ぐらむ心地す。(「サルタレルロ」の事をば
聊注すべし。こは単調なる曲につれて踊り舞ふ羅馬の民の技芸なり。一人にて踊ることあり。又二人にても舞へど、その身の相触るゝことはなし。大抵男子二人、
若くは女子二人なるが、跳ぬる如き早足にて
半圏に動き、その間手をも休むることなく、羅馬人に産れ付きたる、しなやかなる
振をなせり。女子は
裳裾を
蹇ぐ。鼓をば自ら打ち、又人にも打たす。其
調の変化といふは、唯遅速のみなり。サンタ、マリア、デルラ、ロツンダの街に来て見れば、こゝはまだいと
賑はし。魚鑞の
烟を風のまにまに吹き
靡かせて、前に木机を据ゑ、そが上に
月桂の青枝もて編みたる籠に
貨物を載せたるを飾りたるは、肉
鬻ぐ男、
果売る女などなり。
剥栗並べたる釜の下よりは、火焔立昇りたり。
賈人の物いひかはす声の高きは、伊太利ことば知らぬ旅人聞かば、命をも顧みざる
争とやおもふらむ。魚売る女の店の前にて、母上
識る人に逢ひ給ひぬ。女子の間とて、物語長きに、店の臘燭流れ尽むとしたり。さて連れ立ちて、其人の家の戸口までおくり行くに、街の上はいふもさらなり、「コルソオ」の大道さへ物寂しう見えぬ。されど美しき水盤を築きたるピアツツア、ヂ、トレヰイに曲り出でしときは、又賑はしきさま前の如し。
ここに古き
殿づくりあり。
意なく投げ
畳ねたらむやうに見ゆる、
礎の間より、水流れ落ちて、月は
恰も好し棟の上にぞ照りわたれる。
河伯の像は、重き
石衣を風に吹かせて、
大なる滝を見おろしたり。滝のほとりには、
喇叭吹くトリイトンの神二人海馬を
馭したり。その下には、
豊に水を湛へたる大水盤あり。盤を
繞れる石級を見れば農夫どもあまた心地好げに
月明の
裡に臥したり。
截り砕きたる
西瓜より、紅の露滴りたるが
其傍にあり。骨組太き童一人、身に着けたるものとては、薄き
汗衫一枚、
鞣革の袴一つなるが、その袴さへ、
控鈕脱れて膝のあたりに垂れかゝりたるを、心ともせずや、「キタルラ」の
絃、おもしろげに掻き鳴して坐したり。忽ちにして歌ふこと一句、忽にして又
奏づること一節。農夫どもは
掌打ち鳴しつ。母上は立ちとまり給ひむ。この時童の歌ひたる歌こそは、いたく我心を動かしつれ。あはれ此歌よ。こは
尋常の歌にあらず。この童の歌ふは、日の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も我も亦曲中の人となりぬ。さるに其歌には韻脚あり、其
調はいと
妙なり。童の歌ひけるやう。青き空を
衾として、白き石を枕としたる寝ごゝろの好さよ。かくて
笛手二人の曲をこそ聞け。童は斯く歌ひて、「トリイトン」の石像を
指したり。童の又歌ひけるやう。こゝに西瓜の血汐を酌める、百姓の
一群は、皆恋人の上安かれと祈るなり。その恋人は今は寝て、
聖ピエトロの寺の塔、その法皇の都にゆきし、人の上をも夢みるらむ。人々の恋人の上安かれと祈りて飲まぬ。文世の中にあらむ限の、
箭の手開かぬ
少女が上をも、皆安かれと祈りて飲まむ。(箭の手開かぬ少女とは、髪に挿す箭をいへるにて、処女の箭には握りたる手あり、嫁ぎたる
女の箭には開きたる手あり。)かくて童は、母上の脇を
■りて、さて
母御の上をも、又その童の鬚生ふるやうになりて、迎へむ少女の上をも、と歌ひぬ。母上善くぞ歌ひしと讃め給へば、農夫どもゝジヤコモが
旨さよ、と手打ち鳴してさゞめきぬ。この時ふと小き寺の石級の上を見しに、こゝには識る人ひとりあり。そは鉛筆取りて、この
月明の中なる
群を、写さむとしたる画工フエデリゴなりき。帰途には画工と、母上と、かの歌うたひし童の上につきて、語り
戯れき。その時画工は、かの童を即興詩人とぞいひける。
フエデリゴの我にいふやう。アントニオ聞け。そなたも即與の詩を作れ。そなたは
固より詩人なり。たゞ例の説教を韻語にして歌へ。これを聞きて、我初めて詩人といふことあきらかにさとれり。まことに詩人とは、見るもの、聞くものにつけて、おもしろく歌ふ人にぞありける。げにこは面白き業なり。想ふにあながち難からむとは思はれず、「キタルラ」一つだにあらましかば。わが初の作の
料になりしは、向ひなる
枯肉舗なりしこそ
可笑しけれ。
此家の
貨物の
排べ方は、旅人の目にさへ留まるやうなりければ、早くも我空想を襲ひしなり。
月桂の枝美しく編みたる間には、おほいなる駝鳥の卵の如く、
乾酪の
塊懸りたり。「オルガノ」の笛の如く、金紙巻きたる燭は並び立てり。柱のやうに立てたる腸づめの肉の上には、琥珀の如く光を放ちて、「パルミジヤノ」の乾酪据わりたり。夕になれば、燭に火を点ずるほどに、其光は腸づめの肉と「プレシチウツトオ」(らかん)との間に燃ゆる、
聖母像前の
紅玻璃燈と共に、この幻の境を照せり。我詩には、店の
卓の上なる
猫児、店の女房と価を争ひたる、若き「カツプチノ」僧さへ、残ることなく入りぬ。此詩をば、
幾度か心の内にて吟じ試みて、さてフエデリゴに歌ひて聞かせしに、フエデリゴめでたがりければ、つひに家の中に広まり、又街を
踰えて、向ひなるひものやの女房の耳にも入りぬ。女房聞きて、げに珍らしき詩なるかな、ダンテの
神曲とはかゝるものか、とぞ
称へける。
これを
手始に、物として我詩に入らぬはなきやうになりぬ。我世は夢の世、空想の世となりぬ。寺にありて、僧の歌ふとき、
提香炉を打ち振りても、街にありて、叫ぶ
賈人、
轟く車の間に立ちても、聖母の像と霊水盛りたる
瓶の下なる、小き
臥所の
中にありても、たい、詩をおもふより外あらざりき。冬の夕暮、
鍛冶の火高く燃えて、道ゆく百姓の立ち
倚りて手を温むるとき、我は家の窓に坐して、これを見つゝ、時の過ぐるを知らず。かの鍛冶の火の中には、我空想の世の如き殊なる世ありとそ覚えし。北山おろし
劇しうして、白雪街を籠め、広こうぢの石の「トリイトン」に氷の鬚おふるときは、
我喜限なかりき。
憾むらくは、かゝる時の長からぬことよ。かゝる日には、年ゆたかなる
兆とて、羊の
裘きたる農夫ども、手を
拍ちて「トリイトン」のめぐりを踊りまはりき。噴き出づる水には、晴れなんとする空にかゝれる虹の影
映りて。
最終更新日 2005年09月10日 10時19分00秒
森鴎外訳『即興詩人』「花祭」1
花祭
六月の事なりき。年ごとにジエンツアノにて執行せらるゝ、名高き花祭の期は近づきぬ。(ジエンツアノはアルバノ山間の小都会なり。羅馬と沼沢との間なる街道に近し。)母上ともマリウチアとも仲好き女房ありて、かしこなる料理屋の妻となりたり。(伊太利の小料理屋にて「オステリア、エエ、クチイナ」と
招牌懸けたる類なるべし。)母上とマリウチアとが此祭にゆかむと約したるは、数年前よりの事なれども、いつも思ひ掛けぬ事に妨げられて、えも果さゞりき。今年は必ず約を
履まむとなり。道遠ければ、祭の前日にいで立たむとす。かしまだちの前の夕には、喜ばしさの
余に、
我眠の
穏ならざりしも、
理なるべし。
「ヱツツリノ」といふ車の門前に来しときは、日未だ昇らざりき。我等は
直に車に上りぬ。是れより先には、われ未だ出に入りしことあらざりき。祭の事を思ひての喜に胸さわぎのみぞせられたる。身の
辺なる自然と生活とを、人となりての後、当時の情もて観ましかば、我が作る詩こそ
類なき妙品ならめ。街道の静けさ、
鉄物いかめしき
閭門、見わたす
限遙なるカムパニアの野辺に、物寂しき墳墓のところ/゛\に立てる、遠山の裾を
罩めたる濃き朝霧など、我がためにはこたび観るべき、めでたき秘事の前兆の如くおもはれぬ。道の
傍に十字架あり。そが上には
枯髏残れり。こは
辜なき人を
脅したる
報に、こゝに刑せられし
強人の骨なるべし。これさへ我心を動すことただならざりき。山中の水を羅馬の市に導くなる、
許多の
筧の数をば、はじめこそ読み見むとしつれ、幾程もあらぬに、
倦みて思ひとゞまりつ。さて我は母上とマリウチアとに問ひはじめき。
壊れ傾きたる墓標のめぐりにて、牧者が焚く火は何のためぞ。羊の群のめぐりに引きめぐらしたる網は何のためぞ。問はるゝ人はいかにうるさかりけむ。
アルバノに着きて車を下りぬ。こゝよりアリチアを越す美しき道の程をば
徒にてぞゆく。
木犀草(レセダ)又はにほひあらせいとう(ヘイランツス)の花など道の傍に野生したり。緑なる葉の茂れる
橄欖樹の蔭は涼しくして、憩ふ
人待貌なり。遠き海をば、我も望み見ることを得き。十字架立ちたる山腹を過ぐるとき、
少女子の
一群笑ひ戯れて過ぐるに逢ひぬ。笑ひ戯れながらも、十字架に接吻することをば忘れざりき。アリチアの寺の屋根、黒き
橄欖の林の間に見えたるをば、神の使が戯に据ゑかへたる
聖ピエトロ寺の屋根ならむとおもひき。
索にて牽がれたる熊の、人の如くに立ちて舞へるあり。人あまた
其周につどひたり。熊を牽ける男の吹く笛を聞けば、こは羅馬に来て
聖母の前に立ちて吹く、「ピツフエラリ」が曲におなじかりき。男に軍曹と呼ばるゝ猿あり。美しき軍服着て、熊の頭の上、背の上などにて
翻筋斗す。われは面白さにこゝに止らむとおもふほどなりき。ジエンツアノの祭も明日のことなれば、止まればとて遅るゝにもあらず。されど母上は早く往きて、友なる女房の
環飾編むを助けむとのたまへば、
甲斐なかりき。
幾程もなく到り着きて、アンジエリカが家をたつね得つ。ジエンツアノの市にて、ネミといふ湖に向へる方にありき。家はいとめでたし。壁よりは泉湧き出でゝ、石盤に流れ落つ。
驢馬あまたそを飲まむとて、めぐりに
集ひたり。
料理屋に立ち入りて見るに
賑しき物音我等を迎へたり。
竈には火燃えて、鍋の
裡なる食は煮え上りたり。長き卓あり。
市人も田舎人も、それに
倚りて、酒飲み、■
蔵にせる豚を食へり。聖母の御影の前には、青磁の花瓶に、美しき
薔薇花を
活けたるが、其傍なる
燈は、
棚引く烟に
圧されて、善くも燃えず。帳場のほとりなる
卓に置きたる
乾酪の上をば、猫跳り越えたり。鶏の群は、我等が
脚にまつはれて、踏まるゝをも
厭はじと覚ゆ。アンジエリカは
快く我等を迎へき。険しき
梯を登りて、烟突の傍なる小部屋に入り、こゝにて食を
饗せられき。我心にては、国王の
宴に召されたるかとおぼえつ。物として美しからぬはなく、一「フオリエツタ」の葡萄酒さへ
其瓶に
飾ありて、いとめでたかりき。瓶の口に
栓がはりに挿したるは、
纔に開きたる薔薇花なり。主客三人の女房、互に接吻したり。我も
否とも
諾とも云ふ
暇なくして、接吻せられき。母上片手にて我頬を
撫り、片手にて我衣をなほし給ふ。
手尖の隠るゝ迄袖を引き、
又頸を越すまで襟を揚げなどして、やうやう心を安じ給ひき。アンジエリカは我を佳き児なりと讃めき。食後には面白き事はじまりぬ。紅なる花、緑なる梢を摘みて、環飾を編まむとて、人々皆出でぬ。低き戸口をくゞれば庭あり。そのめぐりは幾尺かあらむ。すべてのさま唯だ一つの
四阿屋めきたり。細き
欄をば、こゝに野生したる
蘆薈の、太く堅き葉にて
援けたり。これ自然の
籬なり。
看卸せば深き湖の面いと静なり。昔こゝは火坑にて、一たびは焔の柱天に
朝したることもありきといふ。庭を出でゝ山腹を歩み、大なる葡萄
架、茂れる「プラタノ」の林のほとりを過ぐ。葡萄の蔓は高く這ひのぼりて、林の木々にさへ纏ひたり。
彼方の山腹の
尖りたるところにネミの市あり。其影は湖の底に
印りたり。我等は花を採り、梢を折りて、
且行き
且編みたり。あらせいとうの間には、露けき
橄欖の葉を織り込めつ。高き青空と深き碧水とは、
乍ち草木に
遮られ、乍ち又一様なる限なき色に現れ出づ。我がためには、物としてめでたく、珍らかならざるなし。平和なる歓喜の情は、
我魂を
震はしめき。今に到るまで、この折の事は、埋没したる古城の
彩石壁画の如く、我
心目に浮び出つることあり。
日は烈しかりき。湖の
畔に降りゆきて、
葡萄蔓纏へる「プラタノ」の
古樹の、長き枝を水の
面にさしおろしたる蔭にやすらひたる時、我等は
讒に涼しさを迎へて、編みものに心
籠むることを得つ。水草の美しき
頭の、蔭にあゆて、
徐に
頷くさま、夢みる人の如し。これをも折りて編み込めつ。
暫しありて、日の光は
最早水面に及ばずなりて、ネミとジエンツアノとの家々の屋根をさまよへり。我等が坐したるところは、次第にほの暗うなりぬ。我は遊ばむとて、
群を離れたれど、岸低く、湖の深きを母上気づかひ給へば、数歩の外には出でざりき。ここには古きヂアナの
祠の
址あり。その破壊して
形ばかりになりたる
裡に、大なる
無花果樹あり。
蔦蘿は
隙なきまでに、これにまつはれたり。われは
此樹に
攀ぢ上りて、環飾編みつゝ、流行の小歌うたひたり。
(あはれ、赤き、赤き花よ。
菫の束よ。
恋のしるしの
素馨〔ジエルソミノ〕の花よ。)
この時あやしく
咳枯れたる声にて、歌ひつぐ人あり。
(摘みて取らせむその人に。)
忽ちフラスカアチの農家の婦人の
装したる
媼ありて、我前に立ち現れぬ。その背はあやしき迄
真直なり。その顔の色の目立ちて黒く見ゆるは、頭より肩に垂れたる、長き
白紗のためにや。
膚の皺は繁くして、縮めたる網の如し。黒き瞳は
■を
填めん程なり。この媼は初め
微笑みつゝ我を見しが、
俄に色を正して、
我面を打ちまもりたるさま、傍なる木に寄せ掛けたる
木乃伊にはあらずや、と疑はる。暫しありていふやう。花はそちが手にありて美しくそなるべき。彼の日には
福の星ありといふ。我は編みかけたる環飾を、我
唇におし当てたるまゝ、驚きて彼の方を見居たり。媼またいはく。その
月桂の葉は、美しけれど毒あり。飾に編むは好し。唇にな当てそといふ。此時アンジエリカ
籬の後より出でゝいふやう。賢き老女、フラスカアチのフルヰヤ。そなたも明日の祭の
料にとて、環飾編まむとするか。さらずは日のカムパニヤのあなたに入りてより、常ならぬ花束を作らむとするかといふ。媼はかく問はれても、顧みもせで我面のみ打ち目守り、
詞を
続ぎていふやう。賢き目なり。日の金牛宮を過ぐるとき
誕れぬ。名も
財も牛の角にかゝりたりといふ。此時母上も歩み寄りてのたまふやう。吾子が受領すべきは、
緇き衣と大なる帽となり。かくて後は、
護摩焚きて神に仕ふべきか、
棘の道を走るべきか。そはかれが運命に任せてむ、とのたまふ。媼は聞きて、我を僧とすべしといふ
意ぞ、とは心得たりと覚えられき。されど当時は、我等悉く媼が詞の
顛末を
解することは
能ざりき。媼のいふやう。あらず。此児が
衆人の前にて説くところは、げに格子の
裏なる尼少女の歌より優しく、アルバノの山の
雷より烈しかるべし。されどその時戴くものは大たる帽にあらず。
福の座は、かの羊の群の間に白雲立てる、カヲの出上り高きものぞといふ。この詞のめでたげなるに、母上は喜び給ひながら、猶
訝しげにもてなして、太き息つきつゝ
宣給ふやう。あはれなる
児なり。行末をば
聖母こそ知り給はめ。アルバノの農夫の車より福の車は高きものを、かゝるをさな子りいかでか上り得むとのたまふ。媼のいはく。農車の輪のめぐるを見ずや。下なる
輻は上なる輻となれば、足を低き輻に踏みかけて、
旋るに任せて登るときは、忽ち車の上にあるべし。(アルバノの農車はいと高ければ、農夫等かくして登るといふ。)唯だ道なる石に心せよ。市に舞ふ人もこれに
躓く
習ぞといふ。母上は半ば
戯のやうに、さらばその福の車に、われも
倶に登るべきか、と問ひ給ひしが、俄に打ち驚きてあなやと叫び給ひき。この時大なる
鷙鳥ありて、さと落し来たりしし、その翼の前なる湖を
撃ちたるとき、
飛沫は我等が
面を
湿しき。雲の上にて、鋭くも
水面に浮びたる大魚を見付け、矢を射る如く来りて、
攫みたるなり。
刃の如き爪は魚の背を
穿ちたり。さて再び空に揚らむとするに、騒ぐ波にて測るにも、その大さはよの常ならぬ魚にしあれば、力を極めて引かれじと争ひたり。鳥も打ち込みたる爪抜けざれば、今更にその
獲ものを放つこと能はず。魚と鳥との
闘はいよ/\激しく、湖水の
面ゆらぐまに<幾重ともなき大なる環を画き出せり。鳥の翼は忽ち
斂まり、忽ち放たれ、魚の背は浮ぶかと見れば又沈みつ。数分時の後、双翼静に水を
蔽ひて、鳥は憩ふが如く見えしが、俄にはた丶く勢に、偏翼
摧け折るゝ声、岸のほとりに聞えぬ。鳥は残れる翼にて、二たび三たび水を
敲き、つひに沈みて見えずなりぬ。魚は最後の力を出して、敵を負ひて水底に下りしならむ。鳥も魚も、しばしが程に、底のみくづとなるならむ。我等は
詞もあらで、此
光景を眺め居たり。事果てゝ後顧みれば、かの媼は在らざりき。
最終更新日 2005年09月10日 13時07分30秒
森鴎外訳『即興詩人』「花祭」2
我等は詞少く帰路をいそぎぬ。森の木葉のしげみは、闇を吐き出だす如くなれど、
夕照は湖水に映じて
纔にゆくてに迷はざらしむ。この時聞ゆる単調なる物音は
粉碾車の
轢るなり。すべてのさま物凄く恐ろしげなり。アンジエリカはゆく<怪しき
老女が上を物語りぬ。かの媼は薬草を識りて、能く人を殺し、能く人を惑はしむ、オレワアノといふ所に、テレザといふ少女ありき。ジユウゼツペといふ若者が、山を越えて北の方へゆきたるを恋ひて、日にけに痩せ衰へけり。媼さらば其男を喚び返して得させむとてテレザが髪とジユウゼツペが髪とを結び合せて、
銅の
器に入れ、薬草を
雑へて煮き。ジユウゼッペは其日より、昼も夜も、テレザが上のみ案ぜられければ、何事をも打ち棄てて帰り来ぬとぞ。我は此物語を聞きつゝ、「アヱ、マリア」の祈をなしつ。アンジエリカが家に帰り着きて、我心は纔におちゐたり。
新に編みたる
環飾一つを懸けたる、真鍮の
燈には、
四条の
心に残なく火を
点し、「モンツアノ、アル、ポミドロ」といふ
旨きものに、善き酒
一瓶を添へて供せられき。農夫等は下なる一間にて飲み歌へり。二人代る/゛\唱へ、末の句に至りて、坐客
斉しく和したり。我が子供と共に、燃ゆる
竈の傍なる
聖母の像のみまへにゆきて、讃美歌唱へはじめしとき、農夫等は声を
止めて、我曲を聴き、好き声なりと
称へき。その嬉しさに我は暗き林をも、怪しき老女をも忘れ果てつ。我は農夫等と共に、即興の詩を歌はむとおもひしに、母上とゞめて
宣給ふやう。そちは香炉を
提ぐる子ならずや。行末は人の前に出でゝ、神のみことばをも伝ふべきに、今いかでかさる
戯せらるべき。
謝肉の祭はまだ来ぬものを、とのたまひき。されど我がアンジエリカが家の広き
臥床に上りしときは、母上我枕の低きを
厭ひて、肱さし伸べて枕せさせ、
頼ある子ぞ、と胸に抱き寄せて眠り給ひき。我は
旭の光窓を照して、美しき花祭の我を
喚び醒すまで、
穏なる夢を結びぬ。
その
旦先づ目に触れし街の有様。その彩色したる活画図を、当時の心になりて、写し出さむには、いかに筆を下すべきか。少しく
爪尖あがりになりたる、長き街をば、すべて花もて
掩ひたり。地は青く見えたり。かく色を揃へて花を飾るには、
園生の草をも、野に茂る枝をも、摘み尽し、折り尽したるかと疑はる。両側には大なる緑の葉を、帯の如く引きたり。その上には
薔薇の花を隙間なきまで並べたり。この帯の隣には又似寄りたる帯を引きて、その間をば暗紅なる花もて
填めたり。これを街の
氈の
小縁とす。中央には黄なる花多く
簇めて、その角立ちたる紋を成したる群を星とし、その輪の如き紋を成したる束を日とす。これよりも骨折りて造り出でけんと思はるゝは、人の
名頭の字を花もて現したるにぞありける。こゝにては花と花と
聯ね、葉と葉と合せて形を作りたり。総ての模様は、まことに活きたる五色の氈と見るべく、又
彩石を組み合せたる
牀と見るべし。されどポムペイにありといふ床にも、かく美しき色あるはあらじ。このあした、風といふもの絶てなかりき。花の落着きたるさまは、重き宝石を据ゑたらむが如くなり。窓といふ窓よりは、大なる氈を垂れて石の壁を
掩ひたり。この氈も、花と葉とにて織りて、おほくは聖書に出でたる事蹟の図を成したり。こゝには
聖母と
穉き基督とを
騎せたる
驢あり、ジユウゼツぺその口を取りたり。顔、手、足なんどをば、薔薇の花もて作りたり。こあめせいとう(マチオラ)の花、青き「アネモオネ」の花などにて、風に
翻りたる衣を織り成せり。その
冠を見れば、ネミの湖にて摘みたる白き
睡蓮(ニユムフエア)の花なりき。かしこには尊きミケルの毒竜と闘へるあり。尊きロザリアは深碧なる地球の上に、薔薇の花を散らしたり。いづかたに向ひて見ても、花は我に聖書の事蹟を語れり。いづかたに向ひて見ても、人の面は我と同じく楽しげなり。美しき衣着装ひて、出張りたる窓に立てるは、山のあなたより来し
異国人なるべし。街の側には、おのがじし飾り
繕ひたる人の波打つ如く行くあり。街の曲り角にて、大なる
噴井あるところに、母上は腰掛け給へり。我は水よりさしのぞきたるサチロ(羊脚の神)の神の
頭の前に立てり。
日は烈しく照りたり。市中の鐘ことごとく鳴りはじめぬ。この時美しき花の
氈を踏みて、祭の行列過ぐ。めでたき音楽、誕歌の声は、その近づくを知らせたり。
贄櫃の前には、
児あまた
提香炉を振り動かして歩めり。これに続きたるは、こゝらあたりの美しき少女を撰り出でゝ、花の環を取らせたるなり。もろ肌ぬぎて、翼を負ひたる、あはれなる小児等は、
高卓の前に立ちて、神の使の歌をうたひて、行列の来るを待てり。若人等は尖りたる帽の上に、聖母の像を
印したる紐のひら<としたるを付けたり。鎖に金銀の環を繋ぎて、
頸に懸けたり。
斜に肩に掛けたる、彩りたる紐は、
黒天鵝絨の上衣に映じて美し。アルバノ、フラスカアチの少女の群は、髪を編みて、
銀の
箭にて留め、薄き
面紗の端を、やさしく
髻の上にて結びたり。ヱルレトリの少女の群は、頭に環かざりを戴き、美しき肩、
円き乳房の露るゝやうに着たる衣に、襟の辺より、彩りたる
巾を下げたり。アプルツチイよりも、
大沢よりも、おほよそ近きほとりの民悉くつどひ来て、おのおの古風を存じたる
打扮したれば、その入り乱れたるを見るときは、
余所の国にはあるまじき奇観なるべし。花を飾りたる天蓋の下に、
華美なる式の衣を着けて歩み来るは、「カルヂナアレ」なり。さま/゛\の宗派に属する僧は、燃ゆる蝋燭を取りてこれに随へり。行列のことごとく寺を離るゝとき、群衆はその後に
跟いて動きはじめき。我等もこの間にありしが、母上はしかと我肩を
按へて、人に押し隔てられじとし給へり。我等は人に揉まれつゝ
歩を移せり。我目に見ゆるは、唯だ頭上の青空のみ。忽ち我等がめぐりに、人々の
諸声に叫ぶを聞きつ。我等は
彼方へおし
遣られ、又
此方へおし戻されき。こは一二頭の
仗馬の物に
怯ぢて駆け出したるなり.、われは
纔にこの事を聞きたる時、騒ぎ立ちたる人々に推し倒されぬ.、目の前は黒くなりて、頭の上には
瀑布の水
漲り落つる如くなりき。
あはれ、神の母よ、
哀なる事なりき。われは今に至るまで、その時の事を
憶ふごとに、身うち
震ひて止まず。我にかへりしとき、マリウタイは泣き叫びつゝ、我頭を膝の上に載せ居たり。
側には母上地に
横り居給ふ。これを囲みたるは、見もしらぬ人々なり。馬は車を引きたる儘にて、
仆れたる母上の上を過ぎ、
轍は胸を砕きしなり。母上の口よりは血流れたり。母上は早や事きれ給へり。
人々は母上の目を
瞑らせ、その
掌を合せたり。この掌の温きをば今まで我肩に覚えしものを。遺体をば、僧たち寺に
舁き入れぬ。マリウチアは手に
浅痍負ひたる我を伴ひて、さきの酒店に帰りぬ。きのふは此酒店にて、楽しき事のみおもひつゝ、花を編み、母上の
腕を枕にして眠りしものを。当時わがいよ/\まことの
孤になりしをば、まだ
熟くも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも、唯だ何となく物悲しかりき。人々は我に
果子、くだもの、
玩具など与へて、なだめ
賺し、おん身が母は今聖母の許にいませば、日ごとに花祭ありて、めでたき事のみなりといふ。又あすは今一度母上に逢はせんと慰めつ。人々は我にはかく云ふのみなれど、互にさゝやぎあひて、きのふの鷙鳥の事、怪しき媼の事、母上の夢の事など語り、誰も<母上の死をば
予め知りたりと誇れり。
暴馬は街はづれにて、立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々
齢四十の上を一つ二つ
踰えたる
貴人の驚怖のあまりに気を
喪はんとしたるを助け出だしき。人の噂を聞くに、この貴人はボルゲエゼの
族にて、アルバノとフラスカアチとの間に、大なる
別墅を構へ、そこの
苑にはめづらしき草花を植ゑて
楽とせりとなり。世にはこの翁もあやしき薬草を知ること、かのフルヰアといふ媼に劣らずなど云ふものありとそ。此貴人の使なりとて、「リフレア」着たる
僕盾銀(スクヂイ)二十枚入りたる
嚢を我に
貽りぬ。
翌日の夕まだ「アヱ、マリァ」の鐘鳴らぬほどに、人々我を伴ひて寺にゆき、母上に
暇乞せしめき。きのふ祭見にゆきし
晴衣のまゝにて、狭き木棺の裡に臥し給へり。我は合せたる
掌に接吻するに、人々
共音に泣きぬ。寺門には
柩を
担ふ人立てり。送りゆく僧は白衣着て、帽を垂れ面を覆へり。柩は人の肩に上りぬ。「カツプチノ」僧は蝋燭に火をうつして挽歌をうたひ始めたり。マリウチアは我を
牽きて柩の
旁に随へり。
斜日は
蓋はざる棺を射て、母上のおん顔は生けるが如く見えぬ。知らぬ子供あまたおもしろげに我めぐりを馳せ廻りて、燭涙の地に墜ちて凝りたるを拾ひ、
反古を
捩りて作りたる筒に入れたり。我等が行くは、きのふ祭の行列の
過りし街なり。木葉も草花も猶地上にあり。されど当時織り成したる
華紋は、吾少時の
福と
倶に、きのふの祭の
楽と倶に、今や跡なくなりぬ。幽堂の
穹嶐を塞ぎたる大石を
推し
退け、柩を下しゝに、底なる
他の柩と相触れて、かすかなる響をなせり。僧等の去りしあとにて、マリウチアは我を石上に
跪かせ、「オオラ、プロオ、ノオビス」(
禧為我等)を唱へしめき。
ジエンツアノを立ちしは月あかき夜なりき。フエデリゴと知らぬ人ふたりと我を伴ひゆく。濃き雲はアルバノの
巓を
繞れり。我がカムパニアの野を飛びゆく軽き霧を眺むる間、人々はもの言ふこと少かりき。
幾もあらぬに、我は車の中に眠り、聖母を夢み、花を夢み、母上を夢みき。母上は猶生きて、我にものいひ、我顔を見てほゝ笑み給へり。
最終更新日 2005年09月10日 16時26分42秒
森鴎外訳『即興詩人』「蹇丐」
蹇丐
羅馬なる母上の住み給ひし家に帰りし後、人々は我をいかにせんかと議するが中に、フラア・マルチノはカムパニアの野に羊飼へる、マリウチアが父母にあづけんといふ。盾銀二十は、牧者が上にては
得易からぬ宝なれば、この児を家におきて養ふはいふもさらなり、又心のうちに喜びて迎ふるならん。さはあれ、この児は既に半ば出家したるものなり。カムパニアの野にゆきては、香炉を提げて寺中の職をなさんやうなし。かくマルチノの心たゆたふと共に、フエデリゴも云ふやう。われは此児をカムパニアにやりて、百姓にせんこと惜しければ、この羅馬市中にて、然るべき人を見立て、これにあづくるに若かずといふ。マルチノ思ひ定めかねて、僧たちと謀らんとて
去る折柄、ペツポのをぢは例の
木履を手に穿きていざり来ぬ。をぢは母上のみまかり給ひしを聞き、又人の我に盾銀二十を
貽りしを聞き、母上の
追悼よりは、かの金の
発落のこゝろづかひのために、こゝには
訪れ来ぬるなり。をぢは声振り立てゝいふやう。この
孤の
族にて世にあるものは、今われひとりなり。孤をばわれ引き取りて世話すべし。その代りには、此家に残りたる物悉くわが方へ受け収むべし。かの盾銀二十は勿論なりといふ。マリウチアは臆面せぬ女なれば、進み出でゝ、おのれフラア・マルチノ其余の人々とこゝの始末をば油断なく取り行ふべければ、おのが一身をだにもてあましたる
乞丐の
益なきこと言はんより、
疾く帰れといふ。フエデリゴは席を立ちぬ。マリウチアとペツボのをぢとは、跡に残りてはしたなく言ひ罵り、いつれも多少の利慾を離れざる、きたなき争をなしたり。マリウチアのいふやう。この児をさほど欲しと思はゞ、直に連れて帰りても好し。若し
肋二三本打ち折りて、おなじやうなる
畸形となし、
往来の人の袖に
縋らせんとならば、それも好し。盾銀二十枚をば、われこゝに持ち居れば、フラア・マルチノの来給ふまで、決して他人に渡さじといふ。ペッポ怒りて、
頑なる女かな、この
木履もてそちが頭に、ピアツツア、デル、ポ丶ロの
通衢のやうなる穴を
穿けんと叫びぬ。われは二人が間に立ちて、泣き居たるに、マリウチアは我を推しやり、をぢは我を引き寄せたり。をぢのいふやう。唯だ我に随ひ来よ。我を頼めよ。この負担だに我方にあらば、その報酬も受けらるべし。羅馬の裁判所に公平なる沙汰なからんや。かく云ひつゝ、強ひて我を
■きて戸を出でたるに、こゝには
襤褸着たる童ありて、一頭の
騙を
牽けり。をぢは遠きところに往くとき、又急ぐことあるときは、枯れたる足を、驢の両脇にひたと押し付け、おのが身と驢と一つ体になりたるやうにし、例の木履のかはりに走らするが常なれば、けふもかく
騎りて来しなるべし。をぢは我をも驢背に抱き上げたるに、かの童は後より一鞭加へて駆け出させつ。途すがらをぢは、いつもの厭はしきさまに
賺し慰めき。見よ吾児。よき驢にあらずや。走るさまは、「コルソオ」の
競馬にも似ずや。我家にゆき着かば、楽しき世を送らせん。神の使もえ
享けぬやうなる
饗応すべし。この話の末は、マリウチアを罵る千言万句、いつ果つべしとも覚えざりき。をぢは家を遠ざかるにつれて、驢を
策たしむること少ければ、道行く人人皆このあやしき
凹騎に目を
注けて、美しき児なり、
何処よりか盗み来し、と問ひぬ。をぢはその度ごとに我身上話を繰り返しつ。この話をば、ほと<道の曲りめごとに
浚へ行くほどに、
売漿婆はをぢが長物語の
酬に、
檸檬水一杯を
白にて与へ、をぢと我とに分ち飲ましめ、又
別に臨みて我に
核の落ち去りたる
松子一つ得させつ。
まだをぢが
栖にゆき落かぬに、日は暮れぬ。我は一言をも出さず、顔を掩うて泣き居たり。をぢは我を抱き卸して、例の大部屋の
側なる狭き一間につれゆき、
一隅に
玉蜀黍の
莢敷きたるを指し示し、あれこそ汝が
臥所なれ、さきには善き檸檬水呑ませたれば、まだ喉も乾かざるべく、腹も減らざるべし、と我頬を撫でゝ微笑みたる、その
面恐しきこと譬へんに物なし。マリウチアが持ちたる
嚢には、猶銀幾ばくかある。
馭者に与ふる銭をも、あの中よりや出しゝ。
貴人の
僕は、金もて来しとき、何といひしか。かく問ひ掛けられて、我はたゞ知らずとのみ答へ、はては泣声になりて、いつまでもこゝに居ることにや、あすは家に帰らるゝことにや、と問ひぬ。勿論なり。いかでか帰られぬ事あらん。おとなしくそこに
寝よ。「アヱ、マリア」を唱ふることを忘るな。人の眠る時は鬼の醒めたる時なり。十字を
截りて寝よ。この鉄壁をば
吼る獅子も越えずといふ。神を祈らば、あのマリウチアの
腐女が、そちにも我にも難儀を掛けたるを訴へて、毒に
中り、悪瘡を発するやうに呪へかし。おとなしく寝よ。小窓をば開けておくべし。
涼風は
夕餉の
半といふ
諺あり。
蝙蝠をなおそれそ。かなたこなたへ飛びめぐれど、入るものにはあらず。神の子と共に
熟寝せよ。斯く云ひ
畢りて、をぢは戸を
鎖ぢて去りぬ。
をぢの部屋には久しく立ち働く音聞えしが、今は人あまた
集へりと
覚しく、さま/゛\の声して、戸の
隙よりは光もさしたり。部屋のさまは見まほしけれど、枯れたる玉蜀黍の莢のさわ<と鳴らば、おそろしきをぢの又入来ることもやと、いと
徐に起き上りて、戸の隙に目をさし寄せつ。燈心は二すぢともに燃えたり。
卓には
麪包あり、莢
■あり。一瓶の酒を置いて、
丐児あまた
杯のとりやりす。一人として
畸形ならぬはなし。いつもの顔色には似もやらねど、知らぬものにはあらず。昼はモンテ、ピンチヨオの草を
褥とし、繃帯したる頭を木の幹によせかけ、僅に唇を
揺すのみにて、
傍に
侍らせたる妻といふ女に、熱にて死に
垂としたる我夫を憐み給へ、といはせたるロレンツオは、
高趺かきて面白げに
饒舌り立てたり。(注。モンテ、ピンチヨオには園あり。
西班牙磴、
法蘭西大学院よりポルタ、デル、ポ丶ロに至る。羅馬の
市の過半とヰルラ、ボルゲエゼの内苑とはこゝより見ゆ。)十指
堕ちたるフランチアは盲婦カテリナが肩を叩きて、「カワリエ丶レ、トルキノ」の曲を歌へり。戸に近き二人三人は蔭になりて見えわかず。話は我上なり。我胸は騒ぎ立ちぬ。あの
小童物の用に立つべきか、身内に何の畸形なるところかある、と一人云へば、をぢ答へて。聖母は無慈悲にも、
創一つなく育たせしに、
丈伸びて美しければ、貴族の子かとおもはるゝ程なりといふ。
幸なきことよ、と皆口々に笑ひぬ。
瞽たるカテリナのいふやう。さりとて
聖母の天上の
飯を
賜ふまでは、此世の飯をもらふすべなくては
叶はず。手にもあれ、足にもあれ、人の目に立つべき創つけて、我等が群に入れよといふ。をぢ。否ζ母親だに
迂濶ならずば、今日を待たず、善き金の
蔓となすべかりしものを。神の使のやうなる善き声なり。法皇の
怜人には
恰好なる童なり。人々は
我齢を算へ、我がために
作さでかなはぬ事を商量したり。その何事たるかは知らねど、善きことにはあらず。
奈何してこゝをば
■れむ。われは
穉心にあらん限りの智慧を絞り出しつ。
固よりいづこをさして往かんと迄は、一たびも思ひ計らざりき。
鋪板を這ひて窓の下にいたり、
木片ありしを踏台にして窓に上りぬ。家は皆戸を閉ぢたり。街には人
行絶えたり。■るゝには飛びおるゝより外に道なし。されどそれも恐ろし。とつおいつする折しも、この狭き間の戸ざしに手を掛くる類き音したれば、覚えず
窓縁をすべりおちて、石垣つたひに地に墜ちぬ。身は少し痛みしが、幸にこゝは草の上なりき。
跳ね起きて、いづくを
宛ともなく、狭く曲りたる
巷を走りぬ。途にて逢ひたるは、杖もて敷石を
敲き、高声にて歌ふ男一人のみなりき。しばらくして広きところに出でぬ。こゝは見覚あるフオ丶ルム、ロマアヌムなりき。常は牛市と呼ぶところなり。
最終更新日 2005年09月11日 09時09分20秒
森鴎外訳『即興詩人』「露宿、わかれ」
露宿、わかれ
月はカピトリウム(羅馬七陵の一)の背後を照せり。セプチミウス・セヱルス帝の凱旋門に登る
磴の上には、大外套
被りて
臥したる
乞児二三人あり。
古の神殿のなごりなる高き石柱は、長き影を地上に
印せり。われはこの
夕まで、日暮れてこゝに来しことなかりき。鬼気は少年の衣を襲へり。
歩をうつす間、高草の底に横はりたる大理石の柱頭に
蹶きて倒れ、また起き上りて
帝王堡の方を仰ぎ見つ。高き石がきは、
纏はれたる
蔦かづらのために、いよゝおそろし気なり。青き空をかすめて、ところ/゛\に立てるは、真黒におほいなるいとすぎの木なり。
毀れたる柱、砕けたる石の間には、
放飼の
驢あり、牛ありて草を
食みたり。あはれ、こゝには猶我に迫り、我を
窘めざる
生物こそあれ。
月あきらかなれば、物として見えぬはなし。遠き方より人の来り近づくあり。若し我を
索むるものならば
奈何せん。われは巨巌の如くに我前に在る「コリゼエオ」に
匿れたり。われは猶きのふ
落したる如き重廊の上に立てり。こゝは暗くして且
冷なり。われは二あし三あし進み入りぬ。されど
谺響にひゞく足音おそろしければ、
徐に
歩を運びたり。先の方には焚火する人あり。三人の形明に見ゆ。寂しきカムパニアの野辺を夜更けては過ぎじとて、こゝに宿りし農夫にやあらん。さらずばこゝを
戍る兵士にや。はた
盗にや。さおもへば
打物の石に触るゝ音の聞ゆる如し。われは
却歩して、高き
円柱の上に、
木梢と
蔦蘿とのおほひをなしたるところに出でぬ。石がきの面をばあやしき影
往来す。処々に
抽け出でたる
截石の
将に
墜んとして僅に懸りたるさま、唯だ蔓草にのみ支へられたるかと疑はる。
上の
方なる中の
廊を行く人あり。旅人の此古跡の月を見んとて来ぬるなるべし。その
一群のうちには白き衣着たる婦人あり。案内者に
続松とらせて行きつゝ、柱しげき間に、忽ち顕れ忽ち隠るゝ
光景今も見ゆらん心地す。
暗碧なる夜は大地を
覆ひ来たり。高低さま/゛\なる木は
天鵝絨の如き色に見ゆ。一葉ごとに夜気を吐けり。旅人のかへり行くあとを見送りて、ついまつの赤き光さへ見えずなりぬる時、あたりは
闃として物音絶えたり。この遺祉のうちには、
耶蘇教徒が立てたる
木卓あまたあり。その一つの片かげに、柱頭ありて草に
埋もれたれば、われはこれに腰掛けつ。石は氷の如く
冷なるに、我頭の熱さは熱を病むが如くなりき。
寝られぬまゝに思ひ出づるは、この「コリゼエオ」の
昔語なり。
猶太教奉ずる囚人が、羅馬の
帝の厳しき
仰によりて、大石を引き上げさせられしこと、この平地にて獣を闘はせ、又人と獣と
相搏たせて、前低く後高き
廊の上より、あまたの市民これを観きといふ事、皆我当時の心頭に上りぬ。
そも/\この「コリゼエオ」は楕円なる四層のたてものにして、「トラヱルチイノ」石もてこれを造る。層ごとに組かたを
殊にす。「ドロス」、「イオン」、「コリントス」の柱の式皆備はりたり。基督生れてより七十余年の後、ヱスパジアヌス帝の時、この工事を起しつ。これに
役せられたる
猶太教徒の数一万二千人とそ聞えし。櫛形の
迫持八十ありて、これをめぐれば千六百四十一歩。平地の
周匝には八万六千坐を設け、
頂に二万人を立たしむべかりきといふ。今はこゝにて基督教の祭儀を執行せしむ。バイロン卿詩あり。
この
場のあらん限は
内日刺す都もあらん
このにはのなからん時は
うちひさす都もあらじ
うちひさす都あらずば
あはれ<この
世間もあらじとぞおもふ
頭の上にあたりて物音こそすれ。見あぐれば物の動くやうにこそおもはるれ。影の如き人ありて、
椎を
揮ひ石をたゝむが如し。その人を見れば、色蒼ざめて黒き
髯長く生ひたり。これ話に聞きし猶太教徒なるべし。積み
畳ぬる石は見る<高くなりぬ。「コりゼエオ」は再び昔のさまに立ちて、幾千万とも知られぬ人これに満ちたり。長き白き衣着たるヱスタの神の
巫女あり。帝王の座も設けられたり。赤条
々なる力士の血を流せるあり。低き
廊の方より叫ぶ声、吼ゆる声聞ゆ。忽ち
虎豹の群ありて我前を
奔り過ぐ。我はその血ばしる眼を見、その熱き息に触れたり。あまりのおそろしさに、かの柱頭にひたと抱きつきて、
聖母の
御名をとなふれども、物騒がしさは未だ止まず。この怪しき物共の群りたる間にも、幸なるかな、大なる十字架の
吃として立てるあり。こはわがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目当に走り寄りて、
緊と抱きつくほどに、石落ち柱倒れ、人も獣もあらずなりて、我は
復た人事をしらず。
人心地つきたる時は、熱すでに
退きたれど、身は尚いたく疲れて、われはかの木づくりの十字架の下に臥したり。あたりを見るに、怪しき事もなし。夜は静にして、高き石垣の上には鶯鳴けり。われは耶蘇をおもひ、その母をおもひぬ。わが母上は今あらねば、これよりは耶蘇の母ぞ我母なるべき。われは十字架を抱きて、その柱に頭を寄せて眠りぬ。
幾時をか眠りけん。歌の声に醒むれば、石垣の頂には日の光かゞやき、「カツプチノ」僧二三人臘燭を
把りて
卓より卓に歩みゆきつゝ、「キユリエ、エレイソン」(主よ、憫め)と歌へり。僧は十字架に来り近づきぬ。俯して
我面を見るものは、フラア・マルチノなりき。わが色蒼ざめてこゝにあるを
訝りて、何事のありしそと問ひぬ。われはいかに答へしか知らず。されどペツボのをぢの恐ろしさを聞きたるのみにて、僧は
我上を
推し得たり。我は衣の袖に
縋りて、我を見棄て給うなと願ひぬ。
連なる僧もわれをあはれと思へる如し。かれ等は皆我を知れり。われはその部屋をおとつれ、彼等と共に寺にて歌ひしことあり。
僧は我を伴ひて寺に帰りぬ。壁に木板の画を
貼したる
房に入り、
檸檬樹の枝さし入れたる窓を見て、われはきのふの苦を忘れぬ。フラア・マルチノは我をペツボが許へは還さじと誓ひ給へり。同寮の僧にも、このちごをば
蹇へたる
丐児にわたされずとのたまふを聞きつ。
午のころ僧は
莢箙、
麪包、葡萄酒を取り来りて我に
飲啖せしめ、さて
容を正していふやう。
便なき
童よ。母だに世にあらば、この
別はあるまじきを。母だに世にあらば、この寺の内にありて、尊き
御蔭を
被り、安らかに人となるべかりしを。今は是非なき事となりぬ。そちは波風荒き海に浮ばんとす。寄るところは一ひらの板のみ。血を流し給へる耶蘇、涙を
堕し給ふ
聖母をな忘れそ。
汝が
族といふものは、その外にあらじかし。
此詞を聞きて、われは身を震はせ、さらば我をばいづかたにか
遣らんとし給ふと問ひぬ。これより僧は、われをカムパニアの野なる牧者夫婦にあづくること、二人をば父母の如く敬ふべき事、がねて教へおきし祈檮の詞を忘るべからざる事など語り出でぬ。夕暮にマリウチアと其父とは寺門迄迎へに来ぬ。僧はわれを伴ひ出でゝ引を渡しつ。この牧者のさまを見るに、衣はペツボのをぢのより
旧りたるべし。塵を
蒙り、裂けやぶれたる皮靴を穿き、膝を露し、野の花を挿したる尖帽を戴けり。かれは跪きて僧の手に接吻し、我を顧みて、かゝる美しき童なれば、我のみかは、妻も喜びてもり育てんと誓ひぬ。マリウチアは
財嚢を父にわたしつ。われ等四人はこれより寺に入りて、人々皆黙祷す。われも共に跪きしが、祈祷の詞は出でざりき。我眼は久しき
馴染の諸像を見たり。戸の上高きところを舟に乗りてゆき給ふ耶蘇、
贄卓の神の使、美しきミケルはいふもさらなり、蔦かづらの環を戴きたる
髑髏にも
暇乞しつ。別に臨みて、フラア・マルチノは手を我頭上に加へ、晩餐式施行法(モオドオ、ヂ、セルヰレ、ラ、サンクタ、メツサア)と題したる、絵入の小冊子を贈りぬ。
既に別れて、ピアツツア、バルベリイニの街を過ぐとて、仰いで母上の住み給ひし家をみれば、窓といふ窓
悉く開け放たれたり。新しきあるじを待つにやあらん。
最終更新日 2005年09月12日 12時06分48秒
森鴎外訳『即興詩人』「曠野」
曠野
羅馬城のめぐりなる大曠野は、今我すみかとなりぬ。古跡をたつね、美術を
究めんと、初てテヱエル河畔の古都に近づくものは、必ずこの荒野に
歩をとゞめて、これを万国史の一ひらと
看做すなり。起てる丘、伏したる谷、おほよそ眼に触るゝもの、一つとして史冊中の奇怪なる古文字にあらざるなし。画工の
来るや、
古の水道のなごりなる、寂しき櫛形
迫持を写し、羊の
群を
牽ゐたる牧者を写し、さてその前に枯れたる
薊を写すのみ。帰りてこれを人に示せば、看るもの皆めでくつがへるなるべし。されど我と牧者とは、おの<
其情を殊にせり。牧者は久しくこゝに住ひて、この
焦れたる如き草を見、この熱き風に吹かれ、こゝに行はるゝ
疫癘に苦められたれば、唯だあしき
方、
忌まはしき方のみをや思ふらん。我は此景に対して、いと面白くぞ覚えし。平原の一面なる山々の濃淡いろ<なる緑を染め出したる、おそろしき水牛、テヱエルの黄なる流、これを
溯る舟、岸辺を牽かるゝ
軛負ひたる牧牛、皆日新しきものゝみなりき。われ等は流に溯りて行きぬ。足の
下なるは
丈低く黄なる草、身のめぐりなるは茎長く枯れたる薊のみ。十字架の側を過ぐ。こは人の殺されたるあとに立てしなり。架に近きところには、
盗人の
屍の切り砕きて棄てたるなり。
隻腕、
隻脚は猶その形を存じたり。それさへ心を寒からしむるに、
我栖はこゝより遠からずとそいふなる。
此家は古の墳墓の址なり。この
類の穴こゝらあれば、牧者となるもの大抵これに住みて、身を
戍るにも、又身を安んずるにも、事足れりとおもへるなり。用なき
窪をば
填め、いらぬ
罅をば
塞ぎ、上に草を
葺けば、家すでに成れり。我牧者の家は丘の上にありて両層あり。
隘き戸口なるコリントスがたの柱は、当初墳墓を築きしときの面影なるべし。石垣の間なる、幅広き
三条の柱は、後の修繕ならん。おもふに中古は
砦にやしたりけん。戸口の上に穴あり。これ窓なるべし。屋根の
半は
葦簾に枯枝をまじへて葺き、半は又枝さしかはしたる古木をその
儘に用ゐたるが、その稍よりは
忍冬(カプリフオリウム)の蔓長く垂れて石垣にかゝりたり。
こゝが家ぞ、と途すがら
一言も物いはざりしベネデツトオ告げぬ。われは怪しげなる家を望み、またかの盗人の屍をかへり見て、こゝに住むことか、と問ひかへしつ。
翁にドメニカ、ドメニカと呼ばれて、
荒栲の
汗衫ひとつ着たる
媼出でぬ。手足をばことごとく
露して髪をばふり乱したり。媼は我を抱き寄せて、あまたゝび接吻す。夫の詞少きとはうらうへにて、この媼はめづらしき饒舌なり。そなたは薊生ふる沙原より、われ等に授けられたるイスマエル(
亜伯拉罕の子)なるぞ。されどわが
饗応には足らぬことあらせじ。天上なる
聖母に代りて、われ汝を育つべし。
臥床はすでにこしらへ置きぬ。豆も
烹えたるべし。ベネデツトオもそなたも食卓に就け、マリウチアはともに来ざりしか。尊き
爺(法皇)を拝まざりしか。■
豚をば忘れざりしならん。真鍮の
鉤をも。新しき聖母の像をも。旧きをば最早形見えわかぬ迄接吻したり。ベネデツトオよ。おん身ほど物覚好き人はあらじ。わがかはゆきベネデツトオよ。かく語りつゞけて、狭き
一間に伴ひ入りぬ。後にはこの一間、わがためには「ワチカアノ」(法皇の宮)の広間の如く思はれぬ。おもふに我詩才を生み出しゝは、此ひとつ
家ならんか。
若き
棕櫚は
重を負ふこといよ<大にして、長ずることいよ<早しといふ。我空想も
亦この狭き処にとち込められて、
却りて大に発達せしならん。
古の墳墓の常とて、
此家には中央なる広間あり。そのめぐりには、
許多の
小龕並びたり。又二重の幅
濶き棚あり。処々色かはりたる石を
■みて紋を成せり。一つの龕をば食堂とし、一つには壷鉢などを蔵し、一つをば
厨となして豆を煮たり。
老夫婦は祈祷して
卓に就けり。食
畢りて媼は我を
牽きて
梯を登り、二階なる二龕にいたりぬ。是れわれ等三人の
臥房なり。わが龕は戸口の向ひにて、戸口よりは最も遠きところにあり。
臥所の側には、
二条の木を
交叉はせて、其間に布を張り、これにをさな子一人
寝せたり。マリウチアが子なるべし。媼が我に「アヱ、マリア」唱へしむるとき、美しき
色沢ある
蜥蝎我が側を走り過ぎぬ。おそろしき物にはあらず、人をおそれこそすれ、
絶てものそこなふものにはあらず、と云ひつゝ、かの
穉児をおのが龕のかたへ
遷しつ。壁に石一つ
抽け落ちたるところあり。こゝより青空見ゆ。黒き蔦の葉の鳥なんどの如く風に揺らるゝも見ゆ。我は十字を切りて
眠に就きぬ。亡き母上、
聖母、刑せられたる
盗人の手足、皆わが怪しき夢に入りぬ。
翌朝より雨ふりつゞきて、戸は開けたれどいと
闇き小部屋に籠り屈たり。わが
帆木綿の上なる穉子をゆすぶる
傍にて、媼は
苧うみつゝ、我に新しき祈祷を教へ、まだ聞かぬ
聖の上を語り、またこの野辺に出つる
劫盗の事を話せり。劫盗は旅人を覗ふのみにて、牧者の家
抔へは来ることなしとぞ。食は
葱、
麪包などなり。皆
旨し。)されど
一間にのみ籠り居らんこと物憂きに堪へねば、媼は我を慰めんとして、戸の前に小溝を掘りたり。この小テヱエル河は、をやみなき雨に黄なる流となりて、いと
緩やかにながるめり。さて木を刻み
葦を
截りて作りたるは羅馬よりオスチア(テヱエル河口の港)にかよふなる帆かけ舟なり。雨あまり劇しきときは、戸をさして闇黒裡に坐し、媼は苧をうみ、われは羅馬なる寺のさまを思へり。舟に乗りたる耶蘇は今面前に見ゆる心地す。聖母の雲に
駕りて、神の使の童供に
舁かせ給ふも見ゆ。環かざりしたる
髑髏も見ゆ。
雨の時過ぐれば、月を
踰ゆれども曇ることなし。われは走り出でゝ遊びありくに、媼は戒めて遠く行かしめず、又テヱエルの河近く寄らしめず。この岸は土
鬆ければ、踏むに従ひて
頽るゝことありといへり。そが上、岸近きところには水牛あまたあり。こは猛さ獣にて怒るときは人を殺すと聞く。されど我はこの獣を見ることを好めり。
蟒蛇の鳥を呑むときは、鳥自ら飛びて其
咽に入るといふ類にやあらん。この獣の赤き目には、怪しき光ありて、我を引き寄せんとする如し。又此獣の馬の如く走るさま、力を極めて相闘ふさま、皆わがために興ある事なりき。我は見たるところを
沙に画き、又歌につゞりて歌ひぬ。媼は我声のめでたきを
称へて止まず。
時は暑に向ひぬ。カムパニアの野は火の海とならんとす。
潴水は悪臭を放てり。朝夕のほかは、戸外に出づべからず、かゝる苦熱はモンテ、ピンチヨオにありし身の知らざる所なり。かしこの夏をば、我猶
記えたり。
乞児は人に小銅貨をねだり、
麪包をば買はで氷水を飲めり。二つに割りたる大西瓜の肉赤く
核黒きは、いづれの店にもありき。これをおもへば
唾湧きて堪へがたし。この野辺にては、日光ますぐに
射下せり。我が立てる影さへ我脚下に没せんばかりなり。水牛は
或は死せるが如く枯草の上に臥し、或は狂せるが如く駆けめぐりたり。われは物語に聞ける
亜弗利加沙漠の旅人になりたらんやうにおもひき。大海の孤舟にあるが如き
念をなすこと二月間、何の用事をも朝夕の涼しき間に済ませ、
終日我も出でず人も来ざりき
。■く如き熱、腐りたる蒸気の中にありて、我血は湧きかへらんとす。沼は
涸れたり。テヱエルの黄なる水は
生温くなりて、眠たげに流れたり。西瓜の汁も
温し。土石の底に蔵したる葡萄酒も
酸くして、半ば
烹たる如し。
我喉は一滴の冷露を
嘗むること能はざりき。天には一
繊雲なく、いつもおなじ
碧色にて、吹く風は唯だ熱き「シロツコ」(東南風)のみなり。われ等は日ごとに雨を祈り、媼は朝夕山ある方を眺めて、雲や起ると待てども甲斐なし。蔭あるは夜のみ。涼風の少しく動くは日出る時と日入る時とのみ。われは暑に苦み、この変化なき生活に
倦みて、殆ど死せる如くなりき。風少しく動くと覚ゆるときは、
蝿蚋なんど群がり来いて人の
肌を刺せり。水牛の背にも、昆虫
聚りて,寸膚を止めねば、時時怒りて自らテヱエルの黄なる流に躍り入り、身を水底に
滾してこれを
攘ひたり。羅馬の
市にて、
闃然たる
午時の街を行く人は、
綫の如き陰影を求めて夏日の烈しきをかこつと
雖、これをこの火の海にたゞよひ、
硫黄気ある
毒焔を呼吸し、幾万とも知られぬ悪虫に
膚を噛まるゝものに比ぶれば、猶是れ楽土の客ならんかし。
九月になりて気候やゝ温和になりぬ。フエデリゴはこの焼原を画かんとて来ぬ。我が住める怪しき家、
劫盗の
屍をさらしたる処、おそろしき水牛、皆其筆に上りぬ。我には紙筆を与へて画の稽古せよと勧め、又折もあらば迎へに来て、フラア・マルチノ、マリウチア其外の人々に逢はせぼやと
契りおきぬ。惜むらくはこの人久しく約を
履まざりき。
最終更新日 2005年09月13日 15時42分01秒
森鴎外訳『即興詩人』「水牛」
水牛
十一月になりぬ。こゝに来しより
最快き時節なり。
爽なる風は山山よりおろし来ぬ。夕暮になれば、南の国ならでは無しといふ、たゞならぬ雲の色、目を驚かすやうなり。こは画工のえうつさぬところなるべく、また敢て写さぬものなるべし。あめ色の地に、
橄欖(オリワ)の如く緑なる色の雲あるをば、楽土の
苑囿に湧き出でたる山かと疑ひぬ。又
夕映の赤きところに、暗碧なる雲の浮べるをば、天人の居る山の松林ならんと思ひて、そこの谷かげには、美しき神の
童あまた休みゐ、白き翼を扇の如くつかひて、みつから
涼を取るらんとおもひやりぬ。
或日の夕ぐれ、いつもの如く夢ごゝろになりてゐたるが、ふと思ひ付きて、
鍼もて
穿ちたる紙片を目にあて、太陽を覗きはじめつ。ドメニカこれを見つけて、そは目を
傷ふわざぞとて目の見えぬやうに戸をさしつ。われ無事に苦みて、外に出でゝ遊ばんことを請ひ、
許をえたる嬉しさに、門のかたへ走りゆき、戸を推し開きつ。その時一人の
男遽だしく
駆け入りて、
門口に立ちたる我を
撞きまろばし、扉をはたと閉ぢたり。われは此人の蒼ざめたる
面を見、その震ふ唇より洩れたる「マドンナ」(聖母)といふ一声を聞きも果てぬに、おそろしき勢にて、外より戸を
衝くものあり。裂け飛んだる板は
我頭に触れんとせり。その時戸口を
塞ぎたるは、血ばしる
眼を我等に注ぎたる、水牛の頭なりき。ドメニカはあと叫びて、我手を握り、上の間にゆく
梯を二足三足のぼりぬ。逃げ込みたる男は、あたりを見廻はし、ベネデツトオが銃の壁に掛かりたるを見出しつ。こは賊なんどの入らん折の
備にとて、
丸をこめおきたるなり。男は手早く銃を取りぬ。耳を貫く響きと共に、
烟は狭き家に満ちわたれり。われは彼男の烟の中にて、
銃把を挙げて、水牛の額を撃つを見たり。獣は
隘き戸口にはさまりて前にも後にもえ
動かざりしなり。
こは何事をかし給ふ。君は物の命を取り給ひぬ。この
詞はドメニカが
纔にわれにかへりたる口より出でぬ。かの男。否
聖母の恵なりき。我等が命を拾ひぬとこそおもへ。さて我を抱き上げて、されどわがために戸を開きしはこの恩人なりといひき。男の
面は猶蒼く、額の汗は玉をなしたり。その
語を聞くに
外国人にあらず。その衣を見るに羅馬の
貴人とおぼし。この人草木の花を
愛づる癖あり。けふも採集に出でて、ポンテ、モルレにて車を下り、テヱエル河に沿ひてこなたへ来しに、
図らずも水牛の群にあひぬ。その一つ、いかなる故にか、群を離れて
衝き来たりしが、幸にこの家の戸開きて、危き難を免れきとなり。ドメニカ聞きて。さらばおん身を救ひしは疑もなく聖母のおんしわざなり。この
童は聖母の
愛でさせ給ふものなれば、それに戸をば開かせ給ひしなり。おん身はまだ此童を識り給はず。物読むことには
長けたれば、書きたるをも、
印したるをも、え読まずといふことなし。画かくことを善くして、いかなる形のものをも、明にそれと見ゆるやうに写せり。「ピエトロ」寺の塔をも、水牛をも、肥えふとりたるパアテル・アムプロジオ(僧の名)をもゑがきぬ。声は
類なくめでたし。おん身にかれが歌ふを聞かせまほし。法皇の
伶人もこれには
優らざるべし。そが上に
性すなほなる児なり。善き児なり。子供には
誉めて聞かすること宜しからねば、その外をば申さず。されどこの子は、誉められても好き子なりといふ。客。この子の穉きを見れば、おん身の腹にはあらざるべし。ドメニカ。否、老いたる
無花果の木には、かゝる芽は出でぬものなり。されど此世には、この子の親といふもの、われとべネデツトオとの外あらず。いかに貧くなりても、これをば育てむと思ひ侍り。そは
兎まれ
角まれ、この獣をぼいかにせん。(頭より血流るゝ、水牛の角を握りて。)戸口に挾まりたれば、たやすく動くべくもあらず。ベネデツトオの帰るまでは、外に出でんやうなし。こを殺しつとて、
咎めらるゝことあらば、いかにすべき。客。そは心安かれ。あるじの
老女も聞きしことあるべきが、われはボルゲエゼの
族なり。
媼。いかでか、と答へて衣に接吻せんとせしに、客はその手をさし出して吸はせ、さて我手を両の
掌の間に挾みて、媼にいふやう。あすは此子を伴ひて、羅馬に来よ。われはボルゲエゼの館に住めり。ドメニカは
忝しとて涙を流しつ。
ドメニカはわが日ごろ書き棄てたる
反古あまた取り出でゝ、客に示しゝに、客は
我頬を撫で、小きサルワトル・ロゴザ(名高き画工)よと讃め
称へぬ。媼。まことに
宣ふ如し。穉きものゝ業としては、珍しくは候はずや。それ<の形
明に備はりたり。この水牛を見給へ。この舟を見給へ。こはまた我等の住める小家なり。こは我姿を写したるなり。鉛筆なれば、色こそ異なれ、わが姿のその
儘ならずや。又我に向ひて、何にもあれ、この御方に歌ひて聞せよ。自ら作りて歌ふが好し。この童は長き物語、こまやかなる法話をさへ、歌に作りて歌ひ侍り。年
長けたる僧にも劣らじと覚ゆ。客は我等二人のさまを見て、おもしろがり、我には
疾く歌ひて聞せよ、と
勧めつ。われは常の如く遠慮なく歌ひぬ。媼は常の如くほめそやしつ。されど其歌をば記憶せず。唯だ
聖母、貴き
客人、水牛の三つをくりかへしたるをば未だ忘れず。客は黙坐して聴きゐたり。媼はそのさまを見て、童の才に驚きて詞なきならんと推し
量りつ。
歌ひ
畢りしとき、客は口を開きていふやう。さらば明日
疾くその子を伴ひ来よ。否、夕暮のかたよろしからん。「アヱ、マリア」の鐘鳴る時より、一時ばかり早く来よ。さて我は最早
退るべきが、いづくよりか出づべき。水牛の塞ぎたる口の外、この家には口はなきか。又ここを出でゝ車まで行かんに、水牛に追はるゝやうなる
虞なからしめんには、いかにして好かるべきか。媼。かしこの壁に穴ありて、それより這ひ出づるときは、石垣も高からねば、すべりおりんこと難からず。わが如き老いたるものも、かしこより出入すべく覚え侍り。されど貴きおん方を案内しまゐらすべき口にはあらず。客は聞きも果てず、
梯を上りて、穴より
頭を出し、外の方を覗きていふやう。否、善き降口なり。「カピトリウム」に降りゆく階段にも譲らず。水牛の群は河のかたに遠ざかりぬ。道には眠たげなる百姓あまた、
籐の
束積みたる車を、馬に引かせて行けり。あの車に沿ひゆかば、また水牛に襲はるとも身を
匿すに
便よからん。かく見定めて、客は媼に手を吸はせ、わが頬を撫で、再びあすの事を
契りおきて、茂れる蔦かづらの間をすべりおりぬ。われは窓より見送りしが、客は間もなく籐の車に追ひすがりて、百姓の群と
倶に見えずなりぬ。
最終更新日 2005年09月14日 12時08分58秒
森鴎外訳『即興詩人』「みたち」1
みたち
牧者二三人の
幇を得て、ベネデツトオは戸口なる水牛の
屍を取り片付けつ。その日の物語は止むときなかりしかど、今はよくも
記えず。翌朝
疾く起きいでゝ、夕暮に都に行かんと支度に取り掛りぬ。数月の間行李の中に鎖されゐたる我
晴衣はとり出されぬ。帽には美しき
薔薇の花を挿したり。身のまはりにて、最も怪しげなりしは
履ものなり。靴とはいへど羅馬の
鞋に近く覚えられき。
カムパニアの野道の遠かりしことよ。その照る日の烈しかりしことよ。ポ丶ロの広こうぢに出でゝ、記念塔のめぐりなる
石獅の口より吐ける水を
掬びて、我涸れたる
咽を
潤しゝが、その味は人となりて後フアレルナ、チプリイの酒なんどを飲みたるにも増して旨かりき。〔北より羅馬に入るものは、ボルタア、デル、ポ丶ロの関を入りて、ピアツツア、デル、ポ丶ロといふ美しく大なる広こうぢに出づ。この広こうぢテヱエル河とピンチヨオ山との間にあり、両側にはいとすぎ、
亜刺比亜護謨の木(アカチア)茂りあひて、その下かげに
今様なる石像、噴水などあり。中央には四つの石獅に囲まれたる、セソストリス時代の記念塔あり。前には
三条の直道あり。即ちヰア、バブヰノ、イル、コルソオ、ヰア、リペツタなり。イル、コルソオの両角をなしたるは、同じ式に建てたる両
伽藍なり。
欧羅巴に都会多しと
雖、古羅馬のピアツツア、デル、ポ丶ロほど晴やかなるはあらじ。〕我は熱き頬を獅子の口に押し当て、水を
頭に
被りぬ。衣や潤はん、髪や乱れん、とドメニカは
気遣ひぬ。ヰア、リペツタを下りゆきて、ボルゲエゼの
館に近づきぬ。我もドメニカも、
此館の前をば幾度となく
過りしかど、けふ迄は心とめて見しことなし。今
歩を
停めて仰ぎ見れば、その大さ、その豊さ、その美しさ、
譬へんに物なしと覚えき。殊に目を
駭かせるは、窓の
裡なる長き絹の
帷なり。あの内にいます君は、いま我等が識る人となりぬ。きのふその君の我家に来給ひし如く、いま我等はそのみたちに入らんとす。
斯く思へば嬉しさいかばかりならん。中庭、部屋々々を見しとき、身の震ひたるをば、われ決して忘れざるべし。あるじの君は我に親し。彼も人なり。我も人なり。
然はあれどこの
家居のさまこそ譬へても言はれね。
聖と世の常の人との別もかくやあらん。方形をなして、いろ<なる全身像、半身像を据ゑつけたる、白塗の廻廊のいと高きが、小き園を
繞れるあり。(後にはこゝに瓦を敷きて中庭とせり。)高き
蘆薈、
覇王樹なんど、
廊の柱に
攀ぢんとす。
檸檬樹はまだ日の光に黄金色に染められざる、緑の実を垂れたり。
希臘の
舞女の形したる像二つあり。力を
併せて、金盤一つさし上げたるがその
縁少しく
欹だちて、水は肩に
迸り落ちたり。
丈高く育ちたる水草ありて、露けき緑葉もてこの像を
掩はんとす。烈しき日に焼かれたるカムパニアの
痩土に比ぶるときは、この園の涼しさ、
香しさ
奈何ぞや。
濶き大理石の
梯を登りぬ。
寵あまたありて、貴き石像立てり。其一つをば、ドメニカ
聖母ならんと思ひ惑ひて、立ち
停りてぬかづきぬ。後に聞けば、こはヱスタの像なりき。これも人間の
奇しき処女にぞありける。(訳者のいはく。希臘の
竈の神なり。男神二人に
挑まれて、嫁せずして終りぬと云ひ伝ふ。)飾美しき「リフレア」着たる
僮出で迎へつ。その
面持の優しさには、こゝの
間ごとの大さ、美しさかくまでならずば、我胸の躍ることさへ治りしならん。床は鏡の如き大理石なり。壁といふ壁には、めでたき画を
貼したり。その間々には、玻■
鏡を
嵌め、その上に花束、はなの環など
持たる神童の飛行せるを、画きたり。又色美しき鳥の、翼を放ちて、赤き、黄なる、さま/゛\の木の実を
啄めるを画きたるあり。かく華やかなるものをば、今まで見しことあらざりき。
暫し待つほどに、あるじの君出でましぬ。白衣着たる、美しき貴婦人の、
大なる
敏き
目を我等に注ぎたるを、伴ひ給へり。婦人は
我額髪を撫で上げ、鋭けれども優しき目にて、
我面を打ち守り、さなり、君を助けしは神のみつかひなり、この見ぐるしき衣の下に、翼はかくれたるべしと
宣ひぬ。主人。否。この児の
紅なる頬を見給へ。翼の
生ゆるまでにはテヱエルの河波あまた海に入るならん。母もこの児の飛び去らんをば願はざるべし。さにあらずや。この児を失はんことは、つらかるべし。
媼。げにこの児あらずなりなば、我小家の戸も窓も
塞がりたるやうなる心地やせん。我小家は暗く、寂しくなるべし。否、このかはゆき児には、われえ別れざるべし。婦人。されど今宵しばらくは、別るとも好からん。二三時間立ちて迎へに来よ。帰路は月あかかるべし。そち達は
盗を恐るゝことはあらじ。主人。さなり。児をばしばしこゝにおきて、買ふものあらば買ひもて来よ。斯く云ひつゝ、主人は小き
財嚢をドメニカが手に渡し、猶何事をか語り給ふに、我は貴婦人に引かれて奥に入りぬ。
奥の座敷の美しさ、
賓客の貴さに、
我魂は奪はれぬ。我はあるは壁に画ける神童の面の、緑なる草木の間にほゝゑめるを見、あるは日ごろ半ば神のやうにおもひし、紫の
韈穿ける
議官、紅の袴着たる
僧官達を見て、おのれがかゝる間に入り、かゝる人に交ることを
訝りぬ。殊に我眼をひきしは、一間の中央なる大水盤なり。醜き竜に
騎りたる、美しきアモオルの神を据ゑたり。竜の口よりは、水高く
迸り出でゝ、又盤中に落ちたり。
貴婦人のこはをぢの命を救ひし児ぞ、と引き合せ給ひしとき、
賓客達は皆ほゝゑみて、我に
詞を掛け、議官僧官さへ
頷き給ひぬ。法皇の
禁軍の
号衣を着たる、
少く美しき士官は我手を握りぬ。人々さまざまの事を問ふに、我は臆することなく答へつ。その
詞に、人々
或は誉めそやし、或は高く笑ひぬ。主人入り来りて、我に歌うたへといふに、我は喜んで命に従ひぬ。士官は我に
報せんとて、泡立てる酒を酌みてわたしゝかば、我何の心もつかで飲み乾さんとせしに、貴婦人
快く
傍より取り給ひぬ。我口に入りしは
少許なるに、その酒は火の如く
焔の如く、脈々をめぐりぬ。貴婦人はなほ我傍を離れず、
笑を含みて立ち給へり。士官我にこの御方の上を歌へと勧めしに、我又喜んで歌ひぬ。何事をか
聯ねけん、いまは覚えず。人々はわが詞の多かりしを、
才豊なりと
称へ、わが臆せざるを、心
敏しと誉めたり。カムパニアなる貧きものゝ子なりとおもへば、世の常なる作をも、天才の為せるわざの如く、
愛でくつがへるなるべし。人々は掌を鳴せり。士官は座の隅なる石像に戴かせたりし、美しき月桂冠を取り来りて、笑みつゝ我頭の上に安んじたり。こは
固より
戯謔に過ぎざりき。されどわが幼き心には、其間に真面目なる栄誉もありと覚えられて、又なく嬉しかりき。我は尚席上にて、マリウチア、ドメニカ等に教へられし歌をうたひ、又
曠野の中なる
古墳の
栖家、眼の光おそろしき水牛の事など人々に語り聞せつ。時は惜めども早く過ぎて、我は
媼に引かれて帰りぬ。くだもの、
果子など多く賜り、
白銀幾つか
兜児にさへ入れられたるわが喜はいふもさらなり、媼は衣服、器什くさ/゛\の外、
二瓶の葡萄酒をさへ
購ひ得て、
幸ある日ぞとおもふなるべし。夜は草木の上に眠れり。されど仰いでおほ空を見れば、皎
々たる
望月、黄金の船の如く、藍碧なる青雲の海に
泛びて、焦れたるカムパニアの野辺に涼をおくり降せり。
最終更新日 2005年09月16日 00時34分13秒
森鴎外訳『即興詩人』「みたち」2
家に還りてより、優しき貴女の姿、賑はしき拍手の声、
寤寐の間
断えず耳目を
往来せり。喜ばしきは折々我夢の
現になりて、又ボルゲエゼの
館に迎へらるゝ事なりき。かの貴婦人はわが人に殊なる
性を知りておもしろがり給へば、我も亦ドメニカに対する如く、これに対して物語するやうになりぬ。貴婦人はこれを興あることに思ひて、
主人の君に我上を誉め給ふ。主人の君も我を愛し給ふ。この愛は、
曩に
料らずも我母上を、おのが車の
轍にかけしことありと知りてより、愈ζ深くなりまさりぬ。逸したる馬の母上を
踏仆しゝとき、車の中に居たるは、こゝの主人の君にぞありける。
貴婦人の名をフランチエスカといふ。我を
率て宮のうちなる画堂に入り給ひぬ。美しき
画幀に対して、我が
穉き問、
癡なる評などするを、面白がりて笑ひ給ひぬ。後人々に我詞を語りつぎ給ふごとに、人々皆声高く笑はずといふことなし。午前は旅人この堂に満ちたり。又画工の来ていろ<なる画を写し取れるもあり。午後になれば、堂中に人影なし。此時フランチエスカの君我を伴ひゆきて、画ときなどし給ふなり。
特に我心に
■ひしは、フランチエスコ・アルバニが四季の図なり。「フモレツトオ」といふ者ぞ、と教へられたる、美しき神の使の童どもは、我夢の中より生れ出でしものかと疑はる。その春と題したる画の中に群れ遊べるさまこそ
愛でたけれ。童一人大なる
砥を
運すあれば、一人はそれにも
鏃を
研ぎ、外の二人は上にありて飛行しつゝも、水を砥の上に
灌げり。夏の図を見れば、童ども樹々のめぐりを飛びかひて、枝もたわゝに実りたる
果を摘みとり、又清き流を泳ぎて、水を
弄びたり。秋は
猟の興を写せり。手に
継松取りたる童一人
小車の
裡に坐したるを、友なる童子二人
牽き行くさまなり。愛はこの優しき
猟夫に、共に憩ふべき処を指し示せり。冬は童達皆眠れり。美しき
女怪水中より出でゝ、眠れる童たちの弓矢を奪ひ、火に投げ入れて焚き棄つ。神の使の童をば、
何故「アモレツトオ」(愛の神童)といふにか。その「アモレツトオ」は、何故
箭を放てる。こは我が今少し
詳に知らんと願ふところなれど、フランチエスカの君は教へ給はざりき。君の
宣ふやう。そは
文にあれば、読みて知れかし。おほよそ文にて知らるゝことは、その外にもいと多し。されど読みおぼゆる初は、あまり楽しきものにはあらず。
汝は
終日榻に坐して、文を手より
藉かじと心掛くべし。カムパニアの野にありて、山羊と戯れ、友達を
訪はんとて走りめぐることは、叶はざるべし。そちは何事をか望める。かのフアビアニの君のやうなる、美しき軍服に身をかためて、羽つきたる
■を戴き、長き
剣を
佩きて、法皇のみ車の傍を
騎りゆかんとやおもふ。さらずば美しき画といふ画を、
残なく知り、はてなき世の事を悟り、我が物語りしよりも、
迥に面白き物語のあらん限を
記えんとや思ふ。我。されど左様なる人になりては、ドメニカが許には居られぬにや。また
御館へは来られぬにや。フランチエスカ。
汝は猶母の上をば忘れぬなるべし。初の
栖家をも忘れぬなるべし。亡き母御にはぐゝまれ、かの栖家にありしときは、ドメニカが事をも、我上をも思はざりしならん。然るに今はドメニカと我と、そちに親きものになりぬ。この
交もいつか
更ることあらん。かく更りゆくが人の身の上ぞ。我。されどおん身は、我母上の如く
果敢なくなり給ふことはあらじ。斯く云ひて、我は涙にくれたり。フランチエスカ。死にて別れずば、生きながら分れんこと、すべての人の上なり。そちが我等とかく交らぬやうにならん折、そちが上の楽しく心安かれ、とおもひてこそ、我は今よりそちが
発落を心にかくるなれ。我涙は愈々繁くなりぬ。我はいかなる故と、明には知らざりしが、斯く
諭されたる時、限りなき幸なさを覚えき。フランチエスカは我頬を撫でゝ、我が余りに心弱きを諌め、かくては世に立たんをり、いと
便なかるべしと気づかひ給ひぬ。この時
主人の君は、曾て我頭の上に月桂冠を載せたるフアビアニといふ士官と
倶に
一間に歩み入り給ひぬ。
ボルゲエゼの
別墅に婚礼あり。世に
罕なるべき儀式を見よ。この風説は或る
夕カムパニアなるドメニカがあばら屋にさへ洩れ聞えぬ。フランチエスカの君はかの十官の妻になるべき約を定めて、遠からずフイレンチエなるフアビアニ家の荘園に
遷らんとす。儀式あるべき処は、羅馬附近の別墅なり
。■いとすぎ桂など生ひ茂りて、四時緑なる天を戴けり。昔も今も、羅馬人と
外国人と、
恒に来り遊ぶ処なり。
麗しく飾りたる馬車は、緑しげき■の並本の道を走り、白き
鵝鳥は、柳の影うつれる静けき湖を泳ぎ、
機泉は積み
累ねたる
巌の上に
迸り落つ。
道傍には、農家の
少女ありて、
鼓を打ちて舞へり。胸(乳房)ゆたかなる羅馬の女子は
燿く眼にこの様を見下して、車を駆れり。我もドメニカに引かれて、恩人のけふの祝に、蔭ながら
与らばやと、カムパニアを立出で、別墅の
苑の外に来ぬ。
燈の光は窓々より洩れたり。フランチエスカとフアビアニとは、
彼処にて礼を
卒へつるなり、家の内より、楽の声響き来ぬ。苑の芝生に設けたる
桟敷の辺より、
烟火空に閃き、魚の形したる火は青天を
翔りゆく。
偶ζとある高窓の
背後に、
男女の影うつれり。あれこそ
夫婦の君なれと、ドメニカ
耳語きぬ。二人の影は和依りて、接吻する如くなりき。ドメニカは合掌して祈祷の
詞を唱へつ。我も暗きいとすぎの木の下についゐて、恩人の上を神に祈りぬ。我傍なるドメニカは二人の
御上安かれとつぶやきぬ。烟火の星の、数知れず乱れ
落るは、我等が祈祷に答ふる如くなりき。されどドメニカは泣きぬ。こは我がために泣くなり。我が遠からず、分れ去るべきをおもひて泣くなり。ボルゲエゼの主人の君は、「ジエスヰタ」派の学校の一座を買ひて我に取らせ給ひしかば、我はカムパニアの野と牧者の
媼とに別れて、我行末のために修行の
門出せんとす。ドメニカは
帰路に我にいふやう。我日の明きたるうちに、おん身と此野道行かんこと、今日を限なるべし。ドメニカなどの知らぬ、
滑なる床、華やかなる
覿をや、おん身が足は踏むならん。されどおん身は優しき児なりき。人となりてもその優しさあらば、あはれなる我等夫婦を忘れ給ふな。あはれ、今は猶
果敢なき焼栗もて、おん身が心を楽ましむることを得るなり。おん身が
籐を焚く火を
煽ぎ、栗のやくるを待つときは、我はおん身が日の中に神の面影を見ることを得るなり。かく果敢なき物にて、かく大なる楽をなすことは、おん身忘れ給ふならん。カムパニアの野には薊生ふといへど、その薊には尚紅の花咲くことあり。富貴の家なる、滑なる床には、
一本の草だに生ひず。その滑なる上を行くものは、
蹉き
易しと聞く。アントニオよ。一たび貧き児となりたることを忘るな。見まくほしき物も見られず、聞かまくほしき事も聞かれざりしことを忘るな。さらば御身は世に成りいつべし。我等夫婦の亡からん後、おん身は馬に騎り、又は車に乗りて、昔の
破屋をおとづれ給ふこともあらん。その時はおん身に揺られし
籃の中なる児は、知らぬ牧者の妻となりて、おん身が前にぬかつくならん。おん身は人に
驕るやうにはなり給はじ。その時になりても、おん身は
我側に坐して栗を焼き、又籃を揺りたることを思ひ給ふならん。言ひ
畢りて、媼は我に接吻し、
面を掩ひて泣きぬ。我心は
鍼もて刺さるゝ如くなりき。この時の苦しさは、後の別の時に増したり。後の別の時には、媼は泣きつれど、何事をもいはざりき。既に
閾を出でしとき、媼走り入りて、
薫に半ば黒みたる
聖母の像を、扉より剥ぎ取りて贈りぬ。こは我が屡屡接吻せしものなり。まことにこの媼が我におくるべきものは、この外にはあらぬなるべし。
最終更新日 2005年09月16日 01時18分08秒
森鴎外訳『即興詩人』「学校、えせ詩人、露肆」1
学校、えせ詩人、
露肆
フランチエスカの君は夫に随ひて旅立ち給ひぬ。我は「ジエスヰタ」派の学校の生徒となりたり。わが日ごとの業もかはり、われに交る人の
面も改まりて、
定なき演劇めきたる生涯の端はこゝに開かれぬ。時々刻々の変化のいと繁きに、歳月の
遷りゆくことの早きことのみぞ驚かれし。当時こそ片々の画図となりて我目に触れつれ、今に至りて
首を
回せば、その片々は一幅の大画図となりて我前に横はれり。是れわが学校生活なり。旅人の高山の
巓に登り得て、雲霧立ち
籠めたる大地を
看下すとき、その雲霧の散るに従ひて、忽ち隣れる山の
尖あらはれ、忽ち日光に照されたる
谿間の見ゆるが如く、我心の世界は漸く開け、漸く
拡ごりぬ。カムパニアの野を囲める山に隔てられて、夢にだに見えざりける津々浦
々は、次第に浮び出で、歴史はそのところ/゛\に人を住はせ、そのところ/゛\にて珍らしき昔物語を歌ひ聞せたり。一株の木、一輪の花、いつれか我に興を与へざる。されど最も美しく我前に咲き出でたるは、わが本国なる
伊太利なりき。我も一個の
羅馬人ぞとおもふ心には、我を興起せしむる力なからんや。我都のうちには、寸尺の地として、我愛を引き、我興を催さゞるものなし。街の
傍に棄てられて、今は
界の石となりたる、古き柱頭も、わがためには、神至なる
記念なり、わがためには、めでたき
音色に心を悩ますメムノンが塔なり。(昔物語にアメノフイスといふ王ありき。エチオピアを領しつるが、
希臘のアヒルレエスに滅されぬ。その像を刻める塔、
埃及なるヂオスポリスに立てり、日出日没ごとに鳴るといひ伝ふ。)テヱエル河に生ふる蘆の葉は風に
戦ぎて、我にロムルスとレムスとの上を語れり。凱旋門、石の柱、石の像は、皆我心に本国の歴史を刻ましめんとす。我心はつねに古希臘、古羅馬の時代に遊びて、師の賞誉にあづかりぬ。
凡そ政界にも、教界にも、旗亭に集まるものも、富豪の
骨牌卓のめぐりに寄るものも、社会といふ社会の
限、必ず
太郎冠者のやうなるものありて、もろ人の嘲戯は一身に
聚まる
習なり。学校にも
亦此の如き人あり。我等少年生徒の眼は、早くも嘲戯の
的を見出したり。そは我等が教師多かる中にて、
最真面目なる、最怒り易き、最
可笑しき一人なりき。名をば「アバテ」ハツバス・ダアダアとなんいひける。
元と
亜拉伯の
産なるが、
穉き時より法皇の教の庭に遷されて、こゝに生ひ立ち、今はこの学校の趣味の指南役、テヱエル
大学院の審美上主権者となりぬ。
詩といふ神のめづらしき
賜につきては、われ人となりて後、屡ζ考へたづねしことあり。詩は
深山の
裏なる
黄金の如くぞおもはるゝ。家庭と学校との教育は、さかしき
鉱掘、
鉱鋳などのやうに、これを
索め出だし、これを吹き分くるなり。折々は初より浄き黄金にいで逢ふことあり。自然詩人が即興の抒情詩これなり。されど
鉱山の
出すものは黄金のみにあらず。
白銀いだす脈もあり。
錫その外
卑き金属を出す脈もあり。その
卑きも世に益あるものにしあれば、
只管に言ひ
腐すべきにもあらず。これを磨き、これに
鏤むるときは、金とも銀とも見ゆることあらん。されば世の中の詩人には、金の詩人、銀の詩人、銅の詩人、鉄の詩人などありとも謂ふことを得べし。こゝに此列に加はるべきならぬ、
埴もて物作る人ありて、強ひて自ら詩人と称す。ハツバス・ダアダアは実にその一人なりき。
ハツバス・ダアダアは当時一流の
埴瓮つくりはじめて、これを気象情致の
迥に優れたる詩人に
擲げ付け、自ら恥づることを知らざりき。字法句法の軽捷なる、体制音調の流麗なる、詩にあらねども詩とおもはれ、人々の喝采を受けたり。平生ペトラルカを崇むも、その「ソネツトオ」の音調のみ会し得たるにやあらん。さらずば、
矮人観場なりしか。又狂人にありといふなる固執の
妄想か。兎まれ角まれ、ペトラルカとハツバス・ダアダアとは似もよらぬ人なるは、争ひ難かるべし。ハツバス・ダアダアは我等にかの
亜弗利加と題したる、長き叙事詩の四分の一を暗誦せしめんとせしかば、
幾行の涙、
幾下の鞭か、我等が世々のスチピオを怨む
媒をなしたりけん。ペトラルカは基督暦千三百四年七月二十日アレツツオに生れき。いにしへの希臘羅馬時代にのみ眼を注ぎたりしが、千三百二十七年アヰニヨンにてラウラといふ婦人に逢ひ、その恋に引かれて、又現世の詩人となりぬ。おのが上と世々のスチピオ(羅馬の名族)の上とを、千載の下に伝へんと、長篇の叙事詩亜弗利加を著しつ。今はその甚だ意を経ざりし小抒情詩世に行はれて、
復た亜弗利加を説くものなし。
我等は日ごとにペトラルカの
深邃なる趣昧といふことを教へられき。ハツバス・ダアダアの云ふやう。
膚浅なる詩人は水彩画師なり、空想の子なり。凡そ世道人心に害あること、これより甚しきものあらじ。その群にて最大なりとせらるゝダンテら、我眼より見るときは、小なり、極めて小なり。ペトラルカは抒情詩の
寸錦のみにても、尚朽ちざることを得べきものなり。ダンテは不朽ならんがために、天堂八間地獄をさへ
担ひ出しゝものなり。さなり。ダンテも韻語をば
聯ねたり。そのバビロン塔の如きもの、後の世に伝はりたるは、これが為なり。されど若しその
詞だにも
拉甸ならましかば、後の世の人せめては彼が学殖をおもひて、些の
敬をば起すなるべし。さるを彼は
俚言もて歌ひぬ。ボツカチヨオの心酔せる、これを評して、獅の能く泳ぎ、羊の能く蹈むべき波と云ひき。我はその深さをも、その易さをも見ること能はず。通篇
脚を立つべき底あることなし。唯だ昔と今との間を、ゆきつ戻りつするを見るのみ。我が真理の聖使たるペトラルカを見ずや。既往の天子法皇を
捉へて、地獄に
堕すを、
手柄めかすやうなる事をばなさず、その生れあひたる世に立ちて、男性のカツサンドラ(希臘の昔物語に見えたる
巫女)となり、法皇王侯の
嗔を
懼れずして予言したるは、希臘悲壮劇の中なる「ホロス」の群の如くなりき。嘗て
面り
査列斯四世を
刺りて、徳の遺伝せざるをば、汝に於いてこれを見ると云ひき。羅馬と
巴里とより、月桂冠を贈らんとせしとき、ペトラルカは敢て
輙ち受けずして、三日の考試に応じき。その謙遜なりしこと、今の
児曹も及ばざるべし。考試
畢りて後、彼はカピトリウムの壇に上りぬ。
拿破里の王は手づから
濃紫の
袍を取りて、彼が背に
被せき。これに
月桂の環をわたしたるは、羅馬の
議官なりき。此の如き光栄は、ダンテの身を終ふるまで受くること能はざりしところなり。
最終更新日 2005年09月16日 13時44分29秒
森鴎外訳『即興詩人』「学校、えせ詩人、露肆」2
ダンテは千二百六十五年フイレンチエに生れぬ。そのはじめの命名はヅランテなりき。神曲に見えたるベアトリチエとの恋は、
夙く九歳の頃より始りぬ。千二百九十年恋人みまかりぬ。是れダンテが
女性の美の極致にして、ダンテはこれに依りて、心を浄め
懐を
崇うせしなり。アレツツオとピザとの戦ありしときは、ダンテ軍人たりき。後政治家となりて、千三百二十一年ラヱンナにて歿す。
ハツバス・ダアダアが講説は、いつも此の如くペトラルカを揚げダンテを抑ふるより外あらざりき。この両詩人をば、匂ふ
菫花、燃ゆる
薔薇の如く並び立たせてもあるべきものを。ペトラルカが小抒情詩をば、
尽く
諳んぜしめられき。ダンテが作をば生徒の日に触れしめざりき。我は僅に師の
詞によりて、そのおもなる作は、地獄、浄火、天堂の三大段に分れたるを知れりしのみ。この分けかたは、既に我空想を
喚び起して、これを読まんの願は、我心に
浴れたり。されどダンテは禁断の
果なり。その味は
竊むにあらでは知るに由なし。或る日ピアツツア、ナヲネ(大なる広こうぢにて、夏の頃水を湛ふることあり)を
漫歩して、積み
畳ねたる
柑子、地に
委ねたる鉄の
器、破衣、その外いろくの骨董を
列ねたる
露肆の
側に、古書古画を売るものあるを見き。こゝに卑き戯画あれば、かしこに
刃を胸に貫きたる
聖母の図あり。
似も
通はぬものゝ
伍をなしたる中に、ふとメタスタジオが詩集一巻我目にとまりぬ。我
懐には猶一「パオロ」ありき。こは半年前ボルゲエゼの君が、小遣銭にせよとて
賜りし「スクヂイ」の残にて、わがためには軽んじ難き
金額なりき。(一「スクウド」は約我一円五十銭に当る。十「パオリ」に換ふべし。一「パオロ」は十五銭
許なり。十「バヨツチ」に換ふべし。「スクウド」、「パオロ」は銀貨。「バヨツチ」は銅貨なり。)幾個の銅銭もて買ふべくば、この巻見
■すべきものならねど、「パオロ」一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。価を論ずれども成らざりしかば、思ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の
題簽に「ヂヰナ、コメヂア、ヂ、ダンテ」(ダンテが神曲)と云へるあるを見出しつ。
嗚呼、これこそは我がために、善悪二途の知識の木になりたる、禁断の
果なれ。われはメタスタジオの集を
擲ちて、ダンテの書を握りつ。さるに
哀きかな、この果は我手の届かぬ枝になりたり。その価は二「パオリ」なりき。
露肆の
主人は、一銭も引かずといふに、わが銀銭は掌中に熱すれども、二つにはならず。主人、こは伊太利第二の書なり、世界第一の詩なりと
称へて、おのれが知りたる限のダンテの名誉を説き出しつ。ハツバス・ダアダアには
無下にいひけたれたるダンテの名誉を。露肆の主人のいふやう。この巻は一葉ごとに一場の説教なり。これを書きしは、かう/゛\しき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の
火焔を踏み破りて、天堂に
抵らんとす。若き
華主よ。君はまだ此書を読み給ひし事なきなるべし。然らずば君一「スクウド」を惜み給はぬならん。二「パオリ」は言ふに足らざる銭なり。それにて生涯読み
厭くことなき、伊太利第一の書を蔵することを得給はゞ、実にこよなき幸ならずや。
嗚呼、われは三「パオリ」をも惜まざるべし。されど我手中にはその銭なきを
奈何せん。かの
伊蘇普が物語に、おのがえ取らぬ
架上の葡萄をば、
酸しといひきといふ狐の事あり。われはその狐の如く、ハツバス・ダアダアに聞きたるダンテの難を
囀り出し、その代にはいたくペトラルカを讃め称へき。露肆の主人は
聞畢りて。さなり<。おのれの無学なる、
固より
此の如き大家を回護せん力は侍らず。されど君もまだ歳若ければ、此の如き大家を非難すべきにあらざるべし。おのれはえ読まぬものなり。君は未だ読まざるものなり。されば
褒むるも
貶すも、遂に甲斐なき業ならずや。
唯だ
訝かしきは、君はまだ読まぬ書をいひおとし給ふことの苛酷なることそといふ。われは心に
慙ぢて、我
詞の全く師の口真似なるを白状したり。
主人も我が
樸直なるをや喜びけん、書を取りて我にわたしていふやう。好し、一「パオロ」にて君に売らん。その代には早く読み試みて、本国の大詩人をあしざまに言ふことを止め給へ。
最終更新日 2005年09月16日 14時11分35秒
森鴎外訳『即興詩人』「神曲、吾友なる貴公子」1
神曲、吾友なる貴公子
何等の快事ぞ。神曲は今我書となりぬ。我が永く蔵することを得るものとなりぬ。ハツバス・ダアダアが非難をば、我始より深く信ぜざりき。わが奇を好む心は、かの
露肆の
主人が言に挑まれて、愈々
熾になりぬ。われは人なき処に於いて、はじめて此巻を
繙かん折を、待ち兼ぬるのみなりき。
われは生れかはりたる如くなりき。ダンテは実にわがために、
新に発見したる
亜米利加なりき。我空想は未だ一たびも斯く広大に、斯く豊饒なる天地を望みしことなかりしなり。その岩石何ぞ峨
々たる。その色彩何ぞ奕
々たる。我は作者と共に憂へ、作者と共に楽み、作者と共に当時の生活を
閲し尽したり。地獄の関に刻めりといふ銘は、全篇を読む間、我耳に響くこと、世の末の
裁判の時、鳴りわたるらん鐘の音の如くなりき。その銘に
云く。
こゝすぎて うれへの市に
こゝすぎて
歎の淵に
こゝすぎて 浮ぶ時なき
群に
社 人は入るらめ
あたゝかき 情はあれど
おぎうなき 心にたづね
きはみなき ちからによりて
いつくしき
法をうき世に
しめさんと この関の戸を
神や据ゑけん
われは
飃風に捲き起さるゝ沙漠の砂の如き、常に重く又暗き空気を見き。われは
亡魂の風に向ひて叫喚するとき、秋深き木葉の如く墜ちゆく
亜当が
族を見き。
而れども言語の未だ血肉とならざりし世にありし
霊魂の王たる人々のこゝにあるを見るに
■びて、我眼は
千行の涙を流しつ。ホメロス、ソクラテエス、ブルツス、ヰルギリウス、これ皆永く楽土の門に入ること能はずしてこゝに留りたるものなりき。ダンテが筆は、此等の人に、地獄といふに
負かざらん限の、安さ楽しさを与へたれど、そのこゝにあるは、
呵責ならぬ
苦、希望なき
恨にして、長く浮ぶ瀬なき罪人の陥いるなる、毒泡、
迸り、
瘴烟立てる、深き池沼に囲まれたる大牢獄の
裡なること、よその罪人に殊ならず。われはこれを読みて、
平なること
能はざりき。基督の一たび地獄に降りて、又主の
傍に昇りしとき、彼は何故にこゝの
谿間の人々を随へゆかざりしか。彼は当時同じ不幸にあへるものに、同じ
憐を垂れざることを得たりしか。われは読むところの詩なるを忘れつ。
沸きかへる
膠の海より聞ゆる苦痛の声は、我胸を
衝きたり。われは「シモニスト」の群を見き。その浮き出でゝは、鬼の持てる鋭き
鉄搭にかけられて、又沈めらるゝを見き。ダンテが叙事の生けるが如きために、
其状深くも我心に
彫りつけられたるにや、昼は我念頭に上り、夜は我夢中に入りぬ。我
囈語の間には、屡々「パペ、サタン、アレツプ、サタン、パペ」といふ
詞聞えぬ。こはわが読みたる神曲の文なるを、同房の書生はさりとも知らねば、
我魂まことに悪魔に責められたるかと疑ひ惑ひぬ。教揚に出でゝも、我心は課程に在らざりき。師の声にて、アントニオよ、又何事をか夢みたる、と問はるゝ毎に、われは且恐れ且恥ぢたり。されどこの
儘に神曲を
擲たんことは、わがなすこと能はざるところなりき。
我が暮らす日の長く又重きことは、ダンテが地獄にて
負心の人の
被るといふ
鍍金したる鉛の上衣の如くなりき。夜に入れば、又我禁断の果に
匍ひ寄りて、その悪鬼に我妄想の罪を
数めらる。かの人を
螫しては
焔に入り、一たびは
烟となれど、又「フヨニツクス」(自ら
焚けて後、再び灰より生るゝ怪鳥)の如く生れ出でゝ、毒を吐き人を
傷るといふ蛇の
刺をば、われ自ら
我膚の上に受くと覚えき。
わが夢中に地獄と呼び、罪人と叫ぶを聞きて、同房の書生は驚き醒むることしば<なりき。或る朝老僧の舎監を勤むるが、
我臥床の前に来しに、われ眠れるまゝに眼を
■き、おのれ魔王と叫びもあへず、半ば身を起してこれに抱きつき、暫し
角力ひて、又枕に就きしことあり。
わがよな/\悪魔に責めらるといふ噂は、やう/\高くなりぬ。我床には
咒水を
灑ぎぬ。わが眠に就くときは、僧来りて祈祷を勧めたり。此処置は益ζ我心を
妥ならざらしめき。
囈語の
由りて出づるところは、われ自ら知れり。これを隠して人を欺くことの
快からぬために、我血はいよ/\騒ぎ立ちぬ。数日の後、反動の期至り、我心は風の吹き荒れたる迹の如くなりぬ。
学校の書生
衆しといへども、その家世、その才智、
並に人に優れたるは、ベルナルドオといふ人なりき。遊戯に日をおくるは咎むべきならねど、あまりに情を放ちて自ら
恣にするさまも見えき。或ときは四層の屋の棟に
騎り、或ときは窓より窓にわたしたる板を
践みて、人の胆を寒からしめき。
凡そこの学校国に、内訌起りぬといふときは、
其責は多く此人の身に帰することなり。しかもベルナルドオこれを
冤とすること能はざるが常なりき。舎内の静けさ、僧尼の房の如くならんは、人々の願なるに、このベルナルドオあるがために、平和はいつも破られき。されど彼が
戯は人を
傷ふには至らざりしが、独りハツバス・ダアダアに対しての振舞は、やゝ中傷の
嫌ありとおもはれぬ。ハツバス・ダアダアはこれを憎みてあはれ
福の神は、
直なる「ピニヨロ」の木を顧みで、珠を
朽木に
抛げ与へしよ
抔いひぬ。ベルナルドオは羅馬の
議官の甥にて、その家富みさかえたればなるべし。 ベルナルドオは何事につけても、人に
殊なる
見を立て、これを同学のものに説き聞かせて、その聴かざるものをば、
拳もて制しつれば、いつも級中にて、出色の人物ともてはやされき。彼と我とは性質
太く異なるに、彼は能く我に親みき。唯だわがあまりに争ふ心に
乏きをば、ベルナルドオ嘲り笑ひぬ。
或時ベルナルドオの我にいふやう。われ若し我拳の、一たび
爾を怒らしむるを知らば、われは必ず爾を打つべし。汝は人に本性を見するときなきか。わが汝を嘲るとき、汝は何故に拳を
揮ひて我
面を
撲たんとせざる。その時こそ我は汝がまことの友となるならめ。されど今はわれこの望を絶ちたりといひき。
わがダンテの熱の少しく平らぎたる頃なりき。ひと日ベルナルドオは我前なる
卓に腰掛けて、しばし故ありげなる
笑をもらしつゝ我顔を見つめ居たるが、忽ち我にいふやう。汝は我にもまして横着なる男なり。善くも狂言して人を欺くことよ。床は
咒水に濡らされ、身は
護摩の煙に
薫さるゝは、これがために非ずや。我知らじとやおもふ、汝はダンテを読みたるを。
血は我頬に上りぬ。われは
争でかさる禁を犯すべきと答へき。ベルナルドオのいはく。汝が昨夜物語りし悪魔の事は、全く神曲の中なる悪魔ならずや。汝が空想はゆたかなれば、わが説くを
厭かず聴くならん。地獄に
火焔の海、
瘴霧の沼あるは、汝が早くより知るところならん。されど地獄には又深き底まで凍りたる海あり。その中に閉ぢられたる亡者も
亦少からず。その底にゆきて見れば、恩に
負きし悪人ども集りたり。「ルチフエエル」(魔王)も神に背きし
報にて、胸を氷にとちられたるが、その大いなる口をば開きたり。その口に
堕ちたるは、ブルツス、カツシウス、ユダス・イスカリオツトなり。中にもユダス・イスカリオツトは、魔王が
蝙蝠の如き翼を振ふ
隙に、早く半身を
喉の
裡に没したり。この「ルチフエエル」が姿をば、一たび見つるもの忘るゝことなし。われもダンテが詩にて、
彼奴と
相識になりたるが、汝はよべの
囈語に、その魔王の
状を、
詳に我に語りぬ。その時われは今の如く、汝はダンテを読みたるかと問ひぬ。夢中の汝は、今より
直にて、我に真を打ち明け、ハツバス・ダアダアが事をさへ語り出でぬ。何故に覚めたる後には我を
隔てんとする。我は汝が
秘事を人に告ぐるものにあらず。汝が禁を犯したるは、汝が身に取りて
誉となすべき事なり。我は久しく汝が上にかゝることあらんを望みき。されど
彼書をば、汝
何処にてか
獲つる。我も一部を蔵したれば、汝若し
蚤く我に求めは、我は汝に借しゝならん。我はハツバス・ダアダアがダンテを罵りしを聞きしより、その良き書なるを推し得て、汝に先だちて買ひ来りぬ。われは長く机に
倚ることを好まず。神曲の大いなる二巻には、我ほと<
厭みしが、これぞハツバス・ダアダアが禁ずるところとおもひおもひ、勇を鼓して読みとほしつ。後にはかのふみ我にさへ面白くなりて、今は早や三たび
閲しつ。その地獄のめでたさよ。汝はハツバス・ダアダアの堕つべきを何処とか思へる。火のかたなるべきか、
冰のかたなるべきか。
わが
秘事は
訐かれたり。されどベルナルドオはこれを人に語るべくもあらず。ベルナルドオとわれとの
交は、この時より
一際密になりぬ。
旁に人なき時は、われ等の物語は必ず神曲の事にうつりぬ。わがこれを読みて感じたるところをば、必ずベルナルドオに語り聞かせたり。この間にわが文字を知りてよりの初の詩は成りぬ。その題はダンテと其神曲となりき。
わが買ひ得たる神曲の
首には、ダンテが伝を刻したりき。そはいたく省略したるものなりしかど、尚わが詩材とするに堪へたれば、われはこれに
拠りて、此詩人の生涯を歌ひき。ベアトリチエとの
浄き恋、戦争の間の苦、
逐客となりてアルピイ山を
踰えし旅の
憂さ、異郷の鬼となりし哀さ、皆我詩中のものとなりぬ。わが最も力を用ゐしは、ダンテが
霊魂天翔りて、八間地獄を見おろす一段なりき。その叙事は省筆を以て、神曲の梗概を模写したるものなりき。浄火は又燃え上れり。果実累
々たる、楽園の木のこずゑは、
漲り落つる瀑布の水に
浸されたり。ダンテが乗りたる、そら行く舟は、神童の白く大なる翼を帆としたり。その舟次第に
騰りゆく程に、山々は揺り動されたり。太陽とそのめぐりなる神童の群とは、明鏡の如く、神の光明を映じ出せり。この時に
遇ふものは、賢きも愚なるも、こゝろ/゛\に無上の楽を覚えたり。
最終更新日 2005年09月17日 22時55分47秒
森鴎外訳『即興詩人』「神曲、吾友なる貴公子」2
誦してベルナルドオに聞せしに、彼はこれを激称せり。彼のいはく。アントニオよ。次の祭の日には、汝其詩を読み上げよ。ハツバス・ダアダアいかなる
面をかすらん。面白し面白し。汝が読むべき詩は、その外にはあらじ。斯く勧めらるゝに、われは手を
揮りて
諾はざりき。ベルナルドオ語を継ぎていふやう。さらば汝はえ読まぬなるべし。我にその詩を得させよ。われダンテの不朽をもて、ハツバス・ダアダアを苦めんとす。汝はおのが美しき羽を抜きて、このおほおそ鳥を飾らんを惜むか。譲るは汝が常の徳にあらずや。いかに<と、勧めて止まざりき。我もその日のありさまいかに面白からんとおもへば、詩稿をば
直にベルナルドオにわたしつ。
今も
西班牙広こうぢの「プロパガンダ」といふ学校にては、毎年一月十三日に、祭の式行はるゝ事なるが、当時は「ジエスヰタ」学校に、おなじ式ありき。諸生徒はおの<その故郷の語、
若くはその最も熟したる語にて、一篇の詩を作り、これを式場に持ち出でゝ読むことなり。題をば自ら撰びて、師の認可を
請ひ、さて章を成すを法とす。
題の認可の日に、ハツバス・ダアダアはベルナルドオにいふやう。君は又何の題をも撰び給はざりしならん。君は歌ふ鳥の群にあらねば。ベルナルドオのいはく。否。ことしは例に
違ひて作らんとおもへり。伊太利詩人の
中にて題とすべきものを求めたるが、その第一の大家を歌はんは、わが力の及ぼざるところなり。さればわれは稍
ζ小なるものをとて、ダンテを撰びぬ。ハツバス・ダアダア
冷笑ひていふ。ダンテを詠ずとならば、定めて傑作をなすなるべし。そは聞きものなり。さはあれ式の日には、
僧官たちも皆臨席せらるゝが上に、
外国の貴賓も来べければ、さる
戯はふさはしからず。
謝肉の祭をこそ待ち給ふベけれ。この
詞にて、
他人ならば思ひとゞまるべきなれど、ベルナルドオはなか<屈すべくもあらず。別の師の許を得て、かの詩を読むことゝ定めき。われは本国を題として、新に一篇を草しはじめつ。
学校の規則には、詩賦は他人の助を
藉ることを
允さずと記したり。されどいつも雨雲に
蔽はれたるハツバス・ダアダアが面に、
些の日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在に塗抹せしめずてはかなはず。大抵
原の語は、
纔にその
半を存するのみなり。さて詩の
拙さは、すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。斯く改めたる作、他日よそ人に誉めらるゝ時は、ハツバス・ダアダアは必ずおのれが
刪潤せしを告ぐ。こたび読むべき詩も、多く一たびハツバス・ダアダアが手を経たるが、ひとりベルナルドオが詩のみは、遂にその目に触れざりき。
兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に学校の門に
簇りぬ。老
僧官たちは、赤き法衣の裾を牽きて式揚に入り、美しき椅子に倚り給ひぬ。詩の題、その国語、その作者など列記したる
刷ものは、来賓に
頒たれぬ。ハツバス・ダアダア先づ開場の演説をなし、諸生徒は
次を逐ひて詩を読みたり。シリア、カルデア、新
埃及、其外梵文英語の作さへありて、その耳ざはり愈ζあやしうして、喝采の声は愈ζ盛なりき。
但だ喝采の声には、拍手なんどのみならで、高笑もまじるを常とす。
われは胸を
跳らせて進み出で、伊太利を
頌したる短篇を読みき。喝采の声は幾度となく起りぬ。老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア出来る限のやさしき顔をなし、手中の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて、我後に技を奏すべきは、独りベルナルドオあるのみにて、其次なる英語は
固より賞を得べくもあらねば、あはれ此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれける。
その時ベルナルドオは壇に登りぬ。我はあやぶみながら友の言動に耳を傾け目を注ぎつ。友は
些の
怯れたる景色もなく、かのダンテを詠ずる詩を誦したり。式揚は忽ち水を打ちたるやうに鎮まりぬ。読誦の力あるに、聴くもの皆感動したるなり。われは初より
隻句を遺さず
諳じたり。されど今改めてこれを聴けば、ほと/\ダンテ其人の作を聞くが如くおもはれぬ。誦し
畢りし時、場に臨みたる人々は、悉く喝采せり。僧官達は席を離れ給ひぬ。式はこゝに終れるが如く、桂冠はベルナルドオがものと定りぬ。次なる英語の詩をば、人々止むことを得ずして聴き、又止むことを得ずして拍手せしのみ。その畢るや、満揚の話柄はベルナルドオがダンテの詩の上にかへりぬ。
我頬は火の如くなりき。我胸は拡まりたり。我心は人々のベルナルドオがために
焚ける香の烟を吸ひて、ほと/\酔へるが如くなりき。この時われは友の方を打ち見たるに、彼が
容貌はいたく常にかはりて見えき。その面色土の如く、目を床に注ぎて立てるさまは、重き罪を犯したる人の如くなりき。ハツバス・ダアダアも亦いたく不興げなるおも持して、心こゝにあらねばか、その手にしたる桂冠を摘み砕かんとする如くなりき。僧官のうちなる一人、
廼ちこれを取りて、ベルナルドオが前に進み給ひぬ。我友は此時
跪きたるが、もろ手に面を
掩ひて、この冠を頭に受けたり。
式
畢りて後、われは友の
側に歩み寄りしに、彼は明日こそと云ひもあへず、走り去りぬ。翌日になりても、彼は我を避けて、共に語らざりき、我は唯だ一人なる友を失へるやうに覚えて、憂きに堪へざりき。二日過ぎて、ベルナルドオは我頸を
擁き、我手を
把りていふやう。アントニオよ。今こそは我心を語らめ。桂冠の我頭に触れたる時は、われは
百千の
棘もて刺さるゝ如くなりき。人々の我を誉むる声は、我を嘲るが如くなりき。この誉を受くべきは、我に非ずして汝なればなり。我は汝が目のうちなる喜の色を見き。汝知らずや。この時われは汝を憎みたり。おもふに我はこゝにありて、今迄の如く汝に交ることを得ざるべし。この故に我はこゝを去らんとす。
試におもへ。明年の式あらんとき、われ又汝が羽毛を借らずば、人々の前に出づることを得ざるべし。我心
争でかこれに堪へん。我に
勢あるをぢあり。我はこれに我上を頼みき。我は身を屈して願ひき。こはわが未だ嘗て為さゞることなり。わが敢てせざるところなり。我はその時又汝が事をおもひ出しつ。斯くわが心に
負きて人に頼るも、その
原は汝に在るらんやうにおもはれぬ。この故に我は汝に対して、忍びがたき苦を覚ゆるなり。我は一たびこゝを去りて、別に身を立つるよすがを求め、その上にて又汝が友とならん。アントニオよ。願はくはその時を待て。吾は去らん。
この夕ベルナルドオは
晩く帰りて床に入りしが、翌朝は彼が退校の噂諸生の間に高かりき。ベルナルドオは思ふよしありて、目的を変じたりとそ聞えし。
ハツバス・ダアダアは冷笑の調子にていはく。
彼男は流星の如く去りぬ。その光を放てると、その影を隠しゝとは、一瞬の間なりき。その学校生涯は爆竹の
遽に耳を
駭かす如くなりき。その詩も亦然なり。
彼草稿は猶我手に留まれり。何等の怪しき作ぞ。熟
々これを読むときは、
畢竟是れ何物ぞ。斯くても尚詩といはるべき
歟。全篇
支離にして、
絶て格調の見るべきなし。
看て
瓶となせば、これ瓶。
盞となせば、是れ盞。剣となせば、これ剣。その定まりたる形なきこと、これより甚しきはあらず。字を
剰すこと
凡そ三たび。聞くに堪へざる
平字の連用(ヒアツス)あり。
神といふ字を下すことおほよそ二十五処。それにて詩をかう/゛\しくせんとにや。性霊よ。性霊よ。誰かこれのみにて詩人とならん。このとりとめなき空想能く何事をか
做し出さん。こゝに在りと見れば、
忽焉としてかしこに在り。汝は
才といふか。才果して何をかなさん、真の詩人の
貴むところは、心の上の鍛錬なり。詩人はその題のために動さるゝこと
莫れ。その心は
冷なること氷の如くならんを要す。その心の生ずるところをば、先づ刀もて
截り砕き、一片一片に
査べ視よ。かく細心して組み立てたるを、まことの名作とはいふなり。
厭ふべきは熱なり、激興なり。誰かその熱に感じて、桂冠を乳臭児の
頭に加へし。その詩に史上の事実を
矯め、聞くに堪へざる平字の連用をなしたるなど、皆
笞ち
懲すべき
科なるを。我はまことに甚しき不快を覚えき。かゝる事に逢ふごとに、我は健康をさへ害せられんとす。ベルナルドオのこわつぱ
奴。ハツバス・ダアダアが批評は大抵此の如くなりき。
学校の中、ベルナルドオが去りしを惜まざるものなかりき。されどその惜むことの最も深きは我なりき。身のめぐりは
遽に寂しくなりぬ。
書を読みても物足らぬ心地して、胸の中には
遣るに由なき
悶を覚えき。さて
如何してこれを散ずべき。唯だ音楽あるのみ。我生活我願望はこれを楽の裡に求むるとき、始めて残るところなく明なる如くなりき。こゝを思へば、詩には猶飽き足らぬところあり。ダンテが雄篇にも猶我心を充たすに足らざるところあり。詩は
我魂を動せども、楽はわが魂と共に、わが耳によりてわが
魄を動せり。夕されば我窓の
外に、一群の小児来て、
聖母の像を拝みて歌へり。その
調は我にわが
穉かりける時を憶ひ起さしむ。その調はかの笛ふきが笛にあはせし
揺籃の曲に似たり、又或時は
野辺送の列、窓の下を過ぐるを見て、これをおくる僧尼の挽歌を聴き、昔母上を葬りし時を思ひ出しつ。我心はこしかたより行末に
遷りゆきぬ。我胸は押し
狭めらるゝ如くなりぬ。昔歌ひし曲は
虚空より来りて我耳を襲へり。その曲は知らず
識らず
我唇より洩れて歌声となりぬ。
ハツバス・ダアダアが
室は、我室を去ること近からぬに、我声は覚えず高くなりて、そこまで聞えぬ。ハツバス・ダアダア人して言はしむるやう。こゝは劇場にもあらず、又唱歌学校にもあらず、讃美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られねとなり。われは黙して答へず。頭を窓の縁に寄せつけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はこゝに在らざりき。忽ち街上より「フエリチツシイマ、ノツテエ、アントニオ」(
幸あらん夜をこそ祈れ、アントニオよといふ事なり、北
欧羅巴にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の楽きより、かゝる
詞さへ
出来ぬるなるべし)と呼ぶ人あり。窓の前にて、美しく
猛き若駒に首を
昂げさせ、手を軍帽に加へて我に礼を施し、振り返りつゝ
馳せ去りしは、法皇の
禁軍なる士官なりき。
嗚乎、我はその顔を見識りたり。これわがベルナルドオなり。わが幸あるベルナルドオなり。
我生活は今彼に殊なること
幾何ぞ。われは深くこれを思ふことを好まず。われは
傍なる帽を取りて、
目深にかぶり、悪魔に逐はるゝ如く、学校の門を出でぬ。おほよそ「ジエスヰタ」学校、「プロパガンダ」学校、その外この教国の学校生徒は、外に出づるとき、おのれより
年長けたる、
若くはおのれと同じ
齢なる、同学のものに伴はるゝを法とす。稀に独り行くには、必ず許可を請ふことなり。こは誰も知りたる掟なるを、われはこの時少しも思ひ出でざりき。老いたる番僧はわが出づるを見つれど、許可を得たるものとや思ひけん、我を
誰何めざりき。
最終更新日 2005年09月17日 23時03分58秒
『即興詩人』おわり
は、青空文庫で(旧字旧仮名)ので、これまでとします。なお、当方のは新字旧仮名でした。
最終更新日 2005年09月18日 09時53分09秒